約 213,736 件
https://w.atwiki.jp/kgmcgamelist/pages/15.html
概要 正式名称 エポック社ワールドウォーゲーム②日露戦争 サークル内略称 日露、エポック日露 出版元 エポック社 デザイナー タグ番号 26 プレイ情報 ルールブックページ数 20ページ程度 チット数 プレイ人数 2人 プレイ時間 2時間~3時間 状態 プレイ可能 保管場所 渋谷キャンパス 史実情報 戦争 日露戦争 年月日 1904年2月8日~1905年9月5日 場所 清国満州南部、朝鮮半島、樺太、日本海 結果 日本軍の勝利、休戦、講和 交戦勢力 大日本帝国 ロシア帝国 指揮官 明治天皇、大山巌、東郷平八郎など ニコライ2世、クロパトキンなど 戦力 約300,000人 約500,000人 損害 参考文献、もしくはリンク ウィキペディア 解説 サークル員が入って初めて触れる中では最も大きいゲーム。ルールは比較的わかりやすいが、広い作戦視野が求められるので、入門ゲームとしては最適。加えてダイスによる転びは意外と大きく、勝敗の比重も偏りが小さいので、入りたてで実力同等の新入生はかなり熱くなれる。いいゲームだが、いいゲームすぎるので新入生はこれに嵌って他のゲームやらなくなりがちである。先輩から積極的に声をかけて他のゲームに誘導しよう。国際通信社から復刻盤が出ており、マップや表が見やすくなっているがルールが変わっている部分があるので注意。 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 そこから旅順港は見えるか! 2 (40%) 2 見えます!丸見えでございます! 2 (40%) 3 名作 1 (20%) 4 クソゲー 0 (0%) 5 ルールが難しい 0 (0%) 6 再現はすごいがつまらん 0 (0%) 7 史実再現がすごい 0 (0%) 8 史実再現に難あり 0 (0%) 9 史実再現はともかく面白い 0 (0%) 10 良ゲー 0 (0%) その他 投票総数 5 関連ゲーム リンク名 戦術解説ページリンク リンク名
https://w.atwiki.jp/sengokusi/pages/371.html
日露戦争を題材としたシナリオ。石高等はなく、消耗戦の様相を表現している。 あらすじ 20世紀のはじめ、極東の緊張が高まっていた。 大陸進出を図る大日本帝国。 南下政策を採るロシア帝国。 両国の利害が満洲の地でぶつかろうとしていた。 帝国主義大国同士による初の全面戦争が始まる。 (OPより) 入手先 水銀日誌 備考 シナリオ名: 日露戦争 作者: 水銀 現バージョン: 1.0 最終更新: 2010年11月2日更新 動作環境: SE◎ FE○ 旧× 規模: 極東 開始年月: 1904年1月 国家数: 4 拠点数: 105 将軍数: 137 日本の勝利条件 旅順を占領すること かつ 奉天を占領すること ロシアの勝利条件 漢城を占領すること または 日本の軍港である横須賀、呉、佐世保、舞鶴のいずれかを占領すること (作者ブログより) 攻略難易度表(難 S ~ F 易) S A B C D E F キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
https://w.atwiki.jp/zensensyu/pages/658.html
日露戦争 214 名前:水先案名無い人 :2005/04/04(月) 13 14 15 ID 9bf6dtg00 明治天皇「日本最高の戦争を見たいかーッ!!」 臣民「オーーーーー!!!!」 明治天皇「ワシもじゃ!ワシもじゃ、みんな!!」 全日露戦争入場!! 日本は激怒した!! 更なる検討を積み戦争方針が決定した!!! 決議!! 国交断絶(明治37年2月4日)だァ――――!!! 奇襲攻撃はすでに我々が完成している!! 陸軍先遣隊仁川上陸(2月8日)だァ――――!!! 発見しだい砲撃しまくってやる!! 主要海戦その1 仁川沖海戦(2月9日)だァッ!!! 公式の戦争なら我々の布告がものを言う!! 国際的に有効 今までのはルール外 相互宣戦布告(2月10日)!!! 真の封鎖を知らしめたい!! 成功一隻 第一回旅順港閉塞(2月23日)だァ!!! 第一回は5隻中1隻だがだが今回は全船が失敗だ!! 広瀬中佐戦死 第二回旅順港閉塞(2月26日)だ!!! 機雷戦闘は完璧だ!! ペトロパフロスク爆沈 マカロフ提督戦死(4月12日)!!!! 全日本戦艦のワースト・ディフェンスは私の中にある!! 連合艦隊の悪夢が来たッ “初瀬”と“八島”がロシアの機雷により沈没(5月12日)!!! 砲弾消費なら絶対に敗けん!! 日本流の要塞攻略見せたる 第二軍 南山要塞占領(5月26日)だ!!! 本国命令(現場無視)ならこいつが怖い!! 運命のデッド・ライン 黄海海戦(8月8日)だ!!! 第二艦隊からついに期待の一報だ!! ウラジオ艦隊消滅 蔚山沖海戦(8月14日)!!! ルールの無い要塞攻略がしたいからスタッフ(参謀)になったのだ!! 無能の肉攻を見せてやる!! 第一回旅順総攻撃(8月19日)!!! 戦況不利なら退却とはよく言ったもの!! 日本の死力が今 遼陽でバクハツする!! 初の野戦決戦 遼陽会戦(8月23日~9月7日)だ―――!!! 肉弾突撃こそが要塞攻略の代名詞だ!! まさか失敗したのに継続するとはッッ 第二次旅順総攻撃(9月19日)!!! 輸送したいからここまできたッ 経費一切無視!!!! シベリアのトレイン(鉄道)キャリアー バイカル湖迂回線開通(9月26日)だ!!! オレたちはロシア最強ではないアジアで最強なのだ!! それでも撤退 沙河会戦(10月8日)!!! 要塞の本場は今や旅順にある!! オレを陥落せる奴はいないのか!! 第三回旅順総攻撃(11月26日)だ!!! デカカァァァァァいッ要塞重砲!! 280mm!!! 33600kg!!! 203高地占領(12月5日)だ!!! 軍隊は鎮圧に使ってナンボのモン!!! 超実戦虐殺!! ロシア本国から血の日曜日事件(38年1月9日)の発生だ!!! 満州はオレのもの 邪魔するやつは思いきり攻め思いきり持ちこたえられるだけ!! クリッペンベルグ辞任 黒溝台会戦(1月25日~29日) 戦争を終わらせに奉天へきたッ!! 日露戦争最大決戦 奉天会戦(2月19日~3月10日)!!! 乗員に更なる消耗をかけ ”内海海軍”バルト海艦隊がベトナムにきたァ(4月10日)!!! 日本の警戒線に死角はないッッ!! 信濃丸バルト海艦隊発見(5月27日4時45分)!!! 日本艦隊の全力が今ベールを脱ぐ!! 三笠から Z旗「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ」(13時39分)だ!!! 左舷の前でなら指向はいつでも全砲門だ!! 火力集中 東郷ターン(14時00分) 通称で登場だ!!! 夜の攻撃はどーしたッ 肉薄攻撃 未だ消えずッ!! 沈めるも捕獲も思いのまま!! 第二段階夜襲(16時40分~)だ!!! 特に理由はないッ 敵将が乗ってたのはマジ偶然!! 日本に打電だ!!! 駆逐艦捕獲! ロジェストウェンスキーを捕虜にした(5月28日)―――!!! 鬱陵島で自沈したドンスコイ!! 日本のパーフェクト・ゲーム 日本海海戦終結(5月29日)だ!!! 交渉だったらこの人を外せない!! 超A級調停勧告 セオドア・ルーズベルト大統領(6月9日)だ!!! 超一流外交官の超一流の譲歩だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ ポーツマスの全権大使!! 小村寿太郎(8月10日)!!! 講和成立はこの会議が完成させた!! 意思決定の切り札!! 御前会議(8月28日)だ!!! 短き戦争が終結したッ これで良かったのかッ 国民の不満ッッ 日本はこれを待っていたッッッポーツマス条約の調印(9月5日)だ――――――――ッ 加えて戦争終結に備え超豪華なリザーバーを4つ御用意致しました! 9月5日 日比谷焼討ち事件! 9月13日 陸軍休戦地域協定! 9月18日 海軍休戦地域協定! ……ッッ どーやらポーツマス条約は発効に時間がかかる様ですが、10月14日にッ正式に締結致しますッッ 関連レス 229 名前:水先案名無い人 :2005/04/05(火) 10 59 16 ID YkgK2BUs0 日露戦争のは燃えるね コメント 名前
https://w.atwiki.jp/jap0/pages/83.html
★Point ①1900年 義和団事件 by清 →鎮圧 by8か国連合軍 ↓ ②ロシアの満州進出 ※南下政策 ↓それを阻止しようとして ③1902年 日英同盟 ↓日本国内で、ロシアとの開戦を望む声が高まり ④1904年 日露戦争(活躍…東郷平八郎) ※反対:与謝野晶子『きみしにたまうことなかれ』、幸徳秋水→大逆事件で暗殺 ↓ ⑤1905年 ポーツマス条約(結果…日本の勝利!) (1)韓国における日本の優越権 →1905韓国統監府設置(伊藤博文←安重根に暗殺)→1910韓国併合・朝鮮総督府設置 (2)遼東半島(旅順・大連)の租借権 (3)南満州鉄道(旅順~長春) (4)南樺太get ※賠償金:なし→日比谷焼き討ち事件 ↓不平等条約廃止の好機となり ⑥1911年 関税自主権の完全回復 ★詳説 ①なぜ日比谷焼き討ち事件が起きたか 「賠償金がなかったから不満が高まった」だけでは納得がいかない生徒も多いです。 賠償金がない→( )→不満。この間を埋める必要があります。 そこで、背景として、 日露戦争中、日本は、戦争に使う多額のお金を集めるために、 増税をしたり、借金(国債)を抱えたりした。その結果、国民の生活を圧迫した。 という内容を伝えましょう。 生徒に余力があれば、 日比谷焼き討ち事件はデモクラシーの萌芽であることを伝えると、 明治と大正との時代の流れの断絶性を感じなくなるかもしれません。 ②韓国併合の様子 韓国併合の様子(土地事業政策など)に関しては、日本語教育の様子が社会科の教科書に載ってあります。 ★練習問題
https://w.atwiki.jp/goronka/pages/1405.html
【作品名】日露戦争 【ジャンル】シミュレーションゲーム 【先鋒】富士 【次鋒】敷島 【中堅】朝日 【副将】出雲 【大将】三笠 【名前】富士 【属性】軍艦 【大きさ】全長 114.0m 全幅 22.3m 【攻撃力】30.5cm40口径連装砲2基 15.2cm40口径単装砲10基 47mm単装砲24基 45cm水上魚雷発射管1門 45cm水中魚雷発射管4門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】18.25ノットで航行、軍人反応 【備考】乗員726名 【名前】敷島 【属性】軍艦 【大きさ】全長 133.5m 全幅 23.0m 【攻撃力】40口径30.5cm連装砲2基 40口径15.2cm単装砲14基 40口径7.6cm単装砲20基 47mm単装砲12基 45cm水上魚雷発射管1門 45cm水中魚雷発射管4門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】18ノットで航行、軍人反応 【備考】乗員836名 【名前】朝日 【属性】軍艦 【大きさ】全長 129.6m 全幅22.9m 【攻撃力】40口径30.5cm連装砲2基 40口径15.2cm単装砲14基 40口径7.6cm単装砲20基 47mm単装砲12基 45cm水上魚雷発射管4門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】18ノットで航行、軍人反応 【備考】乗員836名 【名前】出雲 【属性】軍艦 【大きさ】全長 121.92m 全幅 20.94m 【攻撃力】20.3cm連装砲塔2基 15.2cm単装速射砲14門 12ポンド単装速射砲12門 2.5ポンド単装速射砲8門 45cm魚雷発射管4門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】20ノットで航行、軍人反応 【備考】乗員672名 【名前】三笠 【属性】軍艦 【大きさ】全長 131.7m 全幅 23.2m 【攻撃力】主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門 副砲 40口径15.2センチ単装砲14門 対水雷艇砲 40口径7.6センチ単装砲20門 47ミリ単装砲16基 魚雷発射管 45センチ発射管4門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】18ノットで航行、軍人反応 【備考】乗員 860名 参戦 vol.88 286-287 vol.88 288 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/08/18(火) 08 08 17 ID DHY/fm4D 286考察 日本海軍と時代も近くメンバー中3つが同じ艦 ただし日本海軍の先鋒はやや旧型なので 日露戦争>日本海軍
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/848.html
by とほほ http //blog.goo.ne.jp/tohoho_goo/e/b1a3b813d112655d499aacd52d2e915f コペル君(君たちはどう生きるか。吉野源三郎著、岩波新書) 2005年07月18日 | この国のゆくえ いやぁ、懐かしい。「コペルくん」ですな。これ、中学生時代に読んだ記憶があります。そうですか、これ【修身】でしたか。初耳です。 そうですか(^.^) 「修身の読み物としては、古典に入る」と言うあとがきの説明でしたのでご存知の方も多いのかな?と思っていました、そうです、コペル君の話です。私が考え想像していた「戦前の修身」とは全く違ったものでした、もちろん一九三七年の時期ですのでその後の軍国教育よりはいくらかましだろうとは思いましたが、例えば私が小学生時代に読んだその手の読み物で道徳の教科書にもよく出てくる「クオレ、愛の学校」、母を尋ねて三千里、の挿話で有名な本ですね、のような感じかそれよりももっと軍国色に近いものだろうなと考えていたのです、クオレは全般にわたって「愛国心」で彩られています。もちろん偏屈なナショナリズムとは違ったものではありますが、それでも愛国心を前面に出し美しい愛国心を持った少年兵が戦死していく様子を英雄視し美化している部分も少なくない。 ところが、コペル君にはそういうナショナリズムの気配が全くといってよいほどない(少しはあるが、偏狭ナショナリズムに対しては正面から批判的)、時代はもちろん偏狭なナショナリズムに染まりはじめ国民は中国侵略を拍手喝さいしていた時代です。もしかしたらだからこそこの本は出版されたのかもしれませんが、太平洋戦争が始まるまで発禁も受けずに出版されたとの事で、否定派がよく言う「時代によって人の価値観は違う、その時代の価値観では戦争や人殺しは当たり前」と言ったデタラメが本当に全くのデタラメである事が良くわかります。民主主義の健全な発展の途上にあったこともわかります。何時の時代でも人は殴られると痛いのです。 戦後、多少修正され復刊したとの事で戦後の教科書にも使われたそうです。戦中、戦後を通じて教育を受けた人たちの、そろって教師が手のひらを返したように民主主義教育をはじめたこと、何の自己批判もなく「教師もだまされていた」の論理で自らの加害性を認めようとしなかった事に対する、批判や憤りをよく見聞しますが、このコペル君の初版本を読むと時代は戦争とともに急激にファシズム・付和雷同・全体主義へ傾倒して言ったことがわかるような気がします。軍国教育を子供たちに施した教師たちは自分たちが子供の頃は時代の流れに沿ったある意味では現代の倫理思想社会思想よりも(少なくとも自民党の国民国家思想よりは)ずっと先進的な思想教育を受けていたわけです。こう言う教育を受けていた人たちが大人になって「軍国教育を信じていた」なんて事はありえません。 軍国少年少女たちの教師への怒りは全く正当なものだった事がわかります。実際これは別の本での話しですが、そうした自らの軍国教育を恥として、教育者の資格無し、として教職を去った人も数知れずいます。後に残った教育者の大半はおべんちゃら軍国主義者がおべんちゃら民主主義者に変わっただけの人間たちで、日教組が戦後力を付ければ日教組におべんちゃらの共産主義者になったりもしたのかもしれません。そうした教師が現代の教育委員会の上層部にいないことを願うより仕方ありませんな(^^; もちろん、戦後も立派な教育者を多勢輩出している事も確かでしょう、しかしそれらの教育者は今迫害を受けてます。 皆さん、1937年にはこの本のような立派な思想教育がなされていたのです、それからあっという間の15年に何がおこったのか決して忘れてはなりません。アカデミズムは圧倒的に日清日露を批判していたのです。今、イラクを批判すると同じように、、、。そして正しい事を正しいと主張することも出来た、そう、今と同じように、、、。 安心してませんか?戦争になるはずがない、と。一九三七年居留民保護の為の中国出兵から15年後にその国は極悪非道を極め、滅びたのです。たった、15年です。 正義の戦争(アメリカの石油戦争)の為にイラクに出兵してからもう何年たちましたか? ただ、この本では、仕方がないと言えばそうかもしれませんが、現代のような徹底した平和思想はそれほど発展してません、がその萌芽は確実に確認できます。例えば「偉い人」とはどういう人なのか?と言う主題でコペル君がナポレオンにスッカリ入れ込んでしまったときの叔父さんの話が興味深い、決して教条的な説教などではなくコペル君がナポレオンを崇拝する気持ちを傷つけることなく偉人とはどういう人の事なのかコペル君に単純なナポレオン崇拝を考えさせてます。 叔父さんの話しは、歴史には大きな流れがあり人類はその流れに沿って進歩しているのだ、偉人と呼ばれる人たちは皆非凡な才能や力を発揮した人たちで余人にはない力があることは確かだが時代の流れを逆行させた人たちも少なくはない、ナポレオンはその偉大な力で何をしたのか?もう一度考えてみる事にしよう、と言う話をコペル君にして聞かせてます。そしてフランス革命の歴史的な意義とその後の恐怖政治からナポレオンへそして帝政の復活とナポレオンの暴政、と言う歴史的な事実を踏まえコペル君に考えさせてます。 私は日本の思想発展にはこのヨーロッパにおけるナポレオンの時代のような思想発展や苦難を経験していない事が15年戦争の原因ではないかとも考えています、いまでもあながち間違いではないと考えます。例えばナポレオンを撃退したロシア皇帝アレクサンドル一世は最終的にはガチガチの独裁主義者暴君とはなりましたが若い頃から一貫した自由主義者です、皇族でありながら独裁体制封建制度を心底嫌悪しておりました、フランス革命を支持し、確かにフランスからの亡命貴族をかくまいましたがそれはフランス革命を否定するものではなく革命後における非人道的な恐怖政治が支配するフランスに対する嫌悪でした。結局実現はしなかったですが彼が皇帝に即位した当初の政策は封建制度から民主制度への緩やかな改革だったわけです。 日本の皇室にはこのような思想形成などありえないわけです(^^; 明治になって俄仕立ての皇帝です。源平以来その家だけで宗教的に風習を受け継いでいた特異な家系の連中が祭り上げられただけで皇室に政治思想や国家思想があるはずもない。 正直源平以前だってその勢力範囲は源平以下、とてもではないが皇帝と言えるほどの栄華を極めた事はない。ヨーロッパや中国の皇室とは全く異質のいわば亡霊のような存在です。自分の一挙手一投足が国家の運命を決定付ける、と言うような強烈なプレッシャーにさいなまれた事もないでしょう、のほほんと皇帝を演じているだけの家系なわけです。 ですから日本の天皇制は絵空事の飾り物に過ぎません、これを廃止出来ないのはヨーロッパの事情とは全く違うものが作用してます。つまり、真の意味での封建制撤廃思想が日本では形成されていないのです。戦後の民主化もアメリカの占領政策に翻弄され必ずしも健全なものとはいえない。 が、この本を読んで、一九三七年にはすでにそこことには気がついていた、と言うが私の驚きなわけです。一九三七年の時点ではまだまだ階級社会のまっただなかです。コペル君はいわゆる上流階級の坊ちゃんで友人たちもそうですし、また労働者階級の友人もいて社会のあり方考え方を正しく認識しようとしてます。これは正しい世の中ではない事を正面から捉えています。 確か、お母さんが石段の思い出を語る件(くだり)は、中学時代の「道徳」の教科書(資料?)にも使われてました。 面白い挿話がたくさんありますね(^.^) そうした挿話をめぐりながら社会学や経済学、物理学、哲学への少年の興味を巧みに誘っています。「なぜ、勉強しなくてはならないのか?」これは私の小学生時代からの疑問だったのですが(笑) 回りの大人に聞いても「大人になってから学校の勉強が役に立った事など一度もない」と言う人びとの環境の中で私は育ったせいか明快な答えがありませんでした、40過ぎた辺りから「勉強しておけばよかった」とお決まりの後の祭りの後悔はしてますが、なぜしておけばよかったのかはっきりとはわかりません。いい会社に入れなかった事、お金持ちになれなかったこと、偉い人になれなかったこと、などちっとも後悔してないのです(^^; どころか、そうしたレールに乗った連中には想像など及びもしないだろう、ある意味で裏社会を経験してきた事を誇りにさえ感じています。 この本の「ニュートンの話し」を読んで、なるほど勉強するとはこう言うことなのか、そうなんだ私はこれが知りたいから今になって後悔しているのだ、と気付かされました。 「ニュートンは林檎が落ちるのを見て何を発見したのでしょう?」 この答えを皆さんはわかりますか?(笑) 私が馬鹿なだけかもしれませんが、私は小学生時代からニュートンの大ファンです、ニュートンの伝記はその年齢にあわせて毎学年ごとに新しい本を買ってもらってました。 でもでも「万有引力の法則?」ですよね?(^^; でもでも、なぜ「林檎が木から落ちるのと万有引力の法則が関係あるのでしょう?」これをまともに考えた事がないのです。関係があることはわかります、だからニュートン偉大な頭脳だからそこに結びついたのだ、としか理解してませんでした。つまりニュートンの思考の中を探ろうとは思いもしなかったわけですね、この本ではそこに叔父さんがメスを入れている、もちろんこれには色んな説があるらしいですしこの本は物理の本でもありませんので難しい事をいっているわけでもなくニュートンの思考方法など誰にもわかるはずもない、というのが正解でしょうが、それを考える事がその後の物理学の発展や興味へ深く繋がるわけです、そこから社会学や経済学への興味の誘い方は絶品だと思います。 #これを考えると等価原理にしろなんにしろニュートンによる発見と言える 、アインシュタインの功績は少し小さくなるかな(^^;、アインシュタインよりも量子論の功績の方が大きいと言えるかもしれない、言ってみれば古典物理の集大成がアインシュタインである。現代物理は量子論(不確定性原理)からはじまる。 まぁ、問題なのはこの作品の健全さが、当時の社会には全然活かされてなかった点でしょう。結構、良いこと書いててるんですけどね。「例え過ちを犯したとしても、人間は反省できる動物なのだ」みたいな。 そうです、この問題は当時ではなく「今です」今、正に考えなくてはならないのだと思います。ジェンダー論に対する恣意的な歪曲した解釈による攻撃、自由を否定する言論の氾濫、どこかのテレビのアナウンサーが言ってました。 「現代はもはや戦後ではない、戦前だ。」 (旧)とほほブログ index
https://w.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/77.html
by とほほ http //blog.goo.ne.jp/tohoho_goo/e/b1a3b813d112655d499aacd52d2e915f コペル君(君たちはどう生きるか。吉野源三郎著、岩波新書) 2005年07月18日 | この国のゆくえ いやぁ、懐かしい。「コペルくん」ですな。これ、中学生時代に読んだ記憶があります。そうですか、これ【修身】でしたか。初耳です。 そうですか(^.^) 「修身の読み物としては、古典に入る」と言うあとがきの説明でしたのでご存知の方も多いのかな?と思っていました、そうです、コペル君の話です。私が考え想像していた「戦前の修身」とは全く違ったものでした、もちろん一九三七年の時期ですのでその後の軍国教育よりはいくらかましだろうとは思いましたが、例えば私が小学生時代に読んだその手の読み物で道徳の教科書にもよく出てくる「クオレ、愛の学校」、母を尋ねて三千里、の挿話で有名な本ですね、のような感じかそれよりももっと軍国色に近いものだろうなと考えていたのです、クオレは全般にわたって「愛国心」で彩られています。もちろん偏屈なナショナリズムとは違ったものではありますが、それでも愛国心を前面に出し美しい愛国心を持った少年兵が戦死していく様子を英雄視し美化している部分も少なくない。 ところが、コペル君にはそういうナショナリズムの気配が全くといってよいほどない(少しはあるが、偏狭ナショナリズムに対しては正面から批判的)、時代はもちろん偏狭なナショナリズムに染まりはじめ国民は中国侵略を拍手喝さいしていた時代です。もしかしたらだからこそこの本は出版されたのかもしれませんが、太平洋戦争が始まるまで発禁も受けずに出版されたとの事で、否定派がよく言う「時代によって人の価値観は違う、その時代の価値観では戦争や人殺しは当たり前」と言ったデタラメが本当に全くのデタラメである事が良くわかります。民主主義の健全な発展の途上にあったこともわかります。何時の時代でも人は殴られると痛いのです。 戦後、多少修正され復刊したとの事で戦後の教科書にも使われたそうです。戦中、戦後を通じて教育を受けた人たちの、そろって教師が手のひらを返したように民主主義教育をはじめたこと、何の自己批判もなく「教師もだまされていた」の論理で自らの加害性を認めようとしなかった事に対する、批判や憤りをよく見聞しますが、このコペル君の初版本を読むと時代は戦争とともに急激にファシズム・付和雷同・全体主義へ傾倒して言ったことがわかるような気がします。軍国教育を子供たちに施した教師たちは自分たちが子供の頃は時代の流れに沿ったある意味では現代の倫理思想社会思想よりも(少なくとも自民党の国民国家思想よりは)ずっと先進的な思想教育を受けていたわけです。こう言う教育を受けていた人たちが大人になって「軍国教育を信じていた」なんて事はありえません。 軍国少年少女たちの教師への怒りは全く正当なものだった事がわかります。実際これは別の本での話しですが、そうした自らの軍国教育を恥として、教育者の資格無し、として教職を去った人も数知れずいます。後に残った教育者の大半はおべんちゃら軍国主義者がおべんちゃら民主主義者に変わっただけの人間たちで、日教組が戦後力を付ければ日教組におべんちゃらの共産主義者になったりもしたのかもしれません。そうした教師が現代の教育委員会の上層部にいないことを願うより仕方ありませんな(^^; もちろん、戦後も立派な教育者を多勢輩出している事も確かでしょう、しかしそれらの教育者は今迫害を受けてます。 皆さん、1937年にはこの本のような立派な思想教育がなされていたのです、それからあっという間の15年に何がおこったのか決して忘れてはなりません。アカデミズムは圧倒的に日清日露を批判していたのです。今、イラクを批判すると同じように、、、。そして正しい事を正しいと主張することも出来た、そう、今と同じように、、、。 安心してませんか?戦争になるはずがない、と。一九三七年居留民保護の為の中国出兵から15年後にその国は極悪非道を極め、滅びたのです。たった、15年です。 正義の戦争(アメリカの石油戦争)の為にイラクに出兵してからもう何年たちましたか? ただ、この本では、仕方がないと言えばそうかもしれませんが、現代のような徹底した平和思想はそれほど発展してません、がその萌芽は確実に確認できます。例えば「偉い人」とはどういう人なのか?と言う主題でコペル君がナポレオンにスッカリ入れ込んでしまったときの叔父さんの話が興味深い、決して教条的な説教などではなくコペル君がナポレオンを崇拝する気持ちを傷つけることなく偉人とはどういう人の事なのかコペル君に単純なナポレオン崇拝を考えさせてます。 叔父さんの話しは、歴史には大きな流れがあり人類はその流れに沿って進歩しているのだ、偉人と呼ばれる人たちは皆非凡な才能や力を発揮した人たちで余人にはない力があることは確かだが時代の流れを逆行させた人たちも少なくはない、ナポレオンはその偉大な力で何をしたのか?もう一度考えてみる事にしよう、と言う話をコペル君にして聞かせてます。そしてフランス革命の歴史的な意義とその後の恐怖政治からナポレオンへそして帝政の復活とナポレオンの暴政、と言う歴史的な事実を踏まえコペル君に考えさせてます。 私は日本の思想発展にはこのヨーロッパにおけるナポレオンの時代のような思想発展や苦難を経験していない事が15年戦争の原因ではないかとも考えています、いまでもあながち間違いではないと考えます。例えばナポレオンを撃退したロシア皇帝アレクサンドル一世は最終的にはガチガチの独裁主義者暴君とはなりましたが若い頃から一貫した自由主義者です、皇族でありながら独裁体制封建制度を心底嫌悪しておりました、フランス革命を支持し、確かにフランスからの亡命貴族をかくまいましたがそれはフランス革命を否定するものではなく革命後における非人道的な恐怖政治が支配するフランスに対する嫌悪でした。結局実現はしなかったですが彼が皇帝に即位した当初の政策は封建制度から民主制度への緩やかな改革だったわけです。 日本の皇室にはこのような思想形成などありえないわけです(^^; 明治になって俄仕立ての皇帝です。源平以来その家だけで宗教的に風習を受け継いでいた特異な家系の連中が祭り上げられただけで皇室に政治思想や国家思想があるはずもない。 正直源平以前だってその勢力範囲は源平以下、とてもではないが皇帝と言えるほどの栄華を極めた事はない。ヨーロッパや中国の皇室とは全く異質のいわば亡霊のような存在です。自分の一挙手一投足が国家の運命を決定付ける、と言うような強烈なプレッシャーにさいなまれた事もないでしょう、のほほんと皇帝を演じているだけの家系なわけです。 ですから日本の天皇制は絵空事の飾り物に過ぎません、これを廃止出来ないのはヨーロッパの事情とは全く違うものが作用してます。つまり、真の意味での封建制撤廃思想が日本では形成されていないのです。戦後の民主化もアメリカの占領政策に翻弄され必ずしも健全なものとはいえない。 が、この本を読んで、一九三七年にはすでにそこことには気がついていた、と言うが私の驚きなわけです。一九三七年の時点ではまだまだ階級社会のまっただなかです。コペル君はいわゆる上流階級の坊ちゃんで友人たちもそうですし、また労働者階級の友人もいて社会のあり方考え方を正しく認識しようとしてます。これは正しい世の中ではない事を正面から捉えています。 確か、お母さんが石段の思い出を語る件(くだり)は、中学時代の「道徳」の教科書(資料?)にも使われてました。 面白い挿話がたくさんありますね(^.^) そうした挿話をめぐりながら社会学や経済学、物理学、哲学への少年の興味を巧みに誘っています。「なぜ、勉強しなくてはならないのか?」これは私の小学生時代からの疑問だったのですが(笑) 回りの大人に聞いても「大人になってから学校の勉強が役に立った事など一度もない」と言う人びとの環境の中で私は育ったせいか明快な答えがありませんでした、40過ぎた辺りから「勉強しておけばよかった」とお決まりの後の祭りの後悔はしてますが、なぜしておけばよかったのかはっきりとはわかりません。いい会社に入れなかった事、お金持ちになれなかったこと、偉い人になれなかったこと、などちっとも後悔してないのです(^^; どころか、そうしたレールに乗った連中には想像など及びもしないだろう、ある意味で裏社会を経験してきた事を誇りにさえ感じています。 この本の「ニュートンの話し」を読んで、なるほど勉強するとはこう言うことなのか、そうなんだ私はこれが知りたいから今になって後悔しているのだ、と気付かされました。 「ニュートンは林檎が落ちるのを見て何を発見したのでしょう?」 この答えを皆さんはわかりますか?(笑) 私が馬鹿なだけかもしれませんが、私は小学生時代からニュートンの大ファンです、ニュートンの伝記はその年齢にあわせて毎学年ごとに新しい本を買ってもらってました。 でもでも「万有引力の法則?」ですよね?(^^; でもでも、なぜ「林檎が木から落ちるのと万有引力の法則が関係あるのでしょう?」これをまともに考えた事がないのです。関係があることはわかります、だからニュートン偉大な頭脳だからそこに結びついたのだ、としか理解してませんでした。つまりニュートンの思考の中を探ろうとは思いもしなかったわけですね、この本ではそこに叔父さんがメスを入れている、もちろんこれには色んな説があるらしいですしこの本は物理の本でもありませんので難しい事をいっているわけでもなくニュートンの思考方法など誰にもわかるはずもない、というのが正解でしょうが、それを考える事がその後の物理学の発展や興味へ深く繋がるわけです、そこから社会学や経済学への興味の誘い方は絶品だと思います。 #これを考えると等価原理にしろなんにしろニュートンによる発見と言える 、アインシュタインの功績は少し小さくなるかな(^^;、アインシュタインよりも量子論の功績の方が大きいと言えるかもしれない、言ってみれば古典物理の集大成がアインシュタインである。現代物理は量子論(不確定性原理)からはじまる。 まぁ、問題なのはこの作品の健全さが、当時の社会には全然活かされてなかった点でしょう。結構、良いこと書いててるんですけどね。「例え過ちを犯したとしても、人間は反省できる動物なのだ」みたいな。 そうです、この問題は当時ではなく「今です」今、正に考えなくてはならないのだと思います。ジェンダー論に対する恣意的な歪曲した解釈による攻撃、自由を否定する言論の氾濫、どこかのテレビのアナウンサーが言ってました。 「現代はもはや戦後ではない、戦前だ。」 (旧)とほほブログ Archives
https://w.atwiki.jp/ox58u4m/pages/15.html
日露戦争は、小国の日本の国をとした戦いに狂いはなかったのですか、大黒流しにとっては領土拡適合義務であり、目的を限定されていました。*日本が敗北していれば、征服されロシアに獲得される領土は、ご多分に漏れする悲惨な環境に超えたのは間違いないですが、当初の論理では植民地戦争の範疇でした。 南北戦争後は悲惨なのは、マジ白人の木下教授であっても、有色人種の被植民地人のような過酷な運命をしいたこと、さらに国外に聴力出し切ることによって、負けたものの小旅行破壊するので戦いは終わらなかったことです。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2089.html
日清戦争 ―― 東アジア近代史の転換点 ―― 藤村 道生 岩波新書 http //www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/8/4131270.html 日清戦争は,日本を「圧迫された国」から「圧迫する国」へ転換させた.その意味で,日本近代史上画期的な戦争であった.アジアの民族同士が戦い,全アジアを近代帝国主義の分割競争にひらき,日本の民衆自身が帝国主義化した自国の政府のくびきにつながれる契機となった「痛歎すべき戦争」の全貌を,東アジア史の中で総合的に解明する. 7-2 台湾占領と抗日武装闘争 台湾の歴史・日台関係史
https://w.atwiki.jp/nasakenai/pages/124.html
無名草子さん :2007/09/04(火) 21 48 40 532 岩波の『昭和史』と保坂の『昭和史入門』を推薦した者です。 確かに岩波『昭和史』は古いし左翼フィルターかかりまくりなのだが、記述が詳細でなかなか面白いのよ。 それを読んだ後に、保坂の岩波『昭和史』批判が読むのが楽しかった。 もう一冊の『昭和史の決定的瞬間』は読んだこと無くてわからないです。 261 :無名草子さん:2009/01/17(土) 23 05 30 ……(ry 遠山の本は端的に言えば時代遅れで、唯物史観丸出しの本であって、 歴史学を専攻にするような学生が先行研究を整理したり、史学史を学んだりする過程で読むのには役立つかもしれないが、 広く一般の人が昭和史についての教養を得ようと思う際に、今の時代にあえて読む必要がある本ではないと思う。 ⇒アマゾンリンク 2ch厨房が選ぶ新書ベスト @wikihttp //www1.atwiki.jp/test/pages/3774.html