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少年 作詞/にゅる 雨が上がれば 晴れが来る 僕は幸せだった 笑っていれば 泣くことはない 僕は幸せだった でもでも 僕は早く大人になりたかった 憧れだった 夢を見ていた 早く大人になりたい 早く大人になりたい 早く大人になりたい 早く大人になりたい 早く大人になって エロゲを買いたい
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少年 曲 読みしょうねん 作詞杉林恭雄 作曲杉林恭雄 with 楠均、Q 解説 収録ディスク 「カラス」編曲くじら 演奏メンバー杉林恭雄・キオト・楠均 「MIX」編曲くじら 演奏メンバー杉林恭雄・キオト・楠均 Additional Musicians「MIX」参照 「カッパ 他二曲」演奏メンバー杉林恭雄 コメント 曲の感想などをどうぞ。 名前 コメント
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放少茶 ゲムマ リンク希望はコメント欄で 名前 コメント
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279 :名無しさん@そうだ選挙にいこう :2007/06/17(日) 21 03 26 ○○○○○@lopox.com いま、おれ実験やってんだ。夏の自由研究。出会い系とかチェンメに登録しまくって 1日でどれだけメールが届くか。これ見てる人は勝手におれのこのメールを 業者とかメルマ関係に登録してくれ。お願い。結果はブログに書こうと思ってる。 2ちゃんねる上に書き込まれた被害生徒を装ったスパムメール募集 (学園都市駅構内) プロフィール 出身中学は不明であるが、住所は学園都市を最寄とした付近、神戸市西区または垂水区であると思われる。 また兄がいたことも明らかになっている。 中学時代の部活動については不明だが、サッカー部ではなかったことは明らかである。 滝川高校入学後の所属はⅠ進系である以外わかっていない。 少年Eであるとわかる最初の出来事は、フットサルサークル結成についてである。 フットサルサークル「FC瀧川VECTORS」は1年次の冬に少年Yらが中心となって結成されているが、少年Eは結成直後あたりの高校2年春ごろに加わっている。 高校2年次には、Ⅰ進文系で少年Iらと同じ2年4組に所属していたと思われる(3年次も同クラス)。 通学路が同じであった被害生徒、少年Yとは毎日のように帰り道を共に過ごしていたと思われる。 「FC瀧川VECTORS」携帯ホームページのプロフには、少年Eについて以下のような記載がなされている。 麒麟 第一印象は、『えッ、麒麟』 その長い首から出るスーパーヘッドはピカイチ 同ホームページの「VECTORS語」(辞書型紹介文)には、「【スカロト(すかとろ)】Eちゃんの趣味」と記されているほか、カラオケの持ち歌として「粉雪」と「POP STAR」が挙げられている。 また、2006年9月ごろに開設されたバレーボール部である少年Kと少年Trの携帯ホームページに、少年Trに対して総計40レスにのぼるBBS上でのやりとりをしていることから、運動部の生徒たちとも比較的良好な関係であったと思われる。 少年Yがこのホームページを見つけ、書込みするのが約2ヵ月後の11月であることから、少年Yよりも親しい関係のようにみえる。 このときの少年Eの書込みは、携帯ホームページであったにもかかわらず全てパソコン(IP:関西マルチメディアサービス)からの書込みであったことから、携帯よりもPCを通常使用していたことがわかる。 いじめへの関与 少年Eが関与したいじめ行為で明らかになっているのは、2年秋に起こった「紙粘土」による嫌がらせが初出である。 この事件は、被害生徒の机の上やかばんの中に紙粘土を置く行為を繰り返すという嫌がらせであり、後の学校の記者会見でこのいじめに少年Eも加わっていたことが明らかにされている。 またこの時期には、うそをついたら一万円払うという「ゲーム」の発端となる、被害生徒の「自慢話」が嘘だとばれる出来事(被害生徒の発した「中学時代に中学で一番かわいい女子と付き合っていた」という冗談がホームページに掲載され、後日その女子と合わされ直接謝罪したという出来事)が起こるが、ゲームに参加した少年Eがこの出来事の一部始終にも関わっていたと思われる。 12月ごろからは、「罰ゲーム」と称して、かばんを持たせる、一人でパンを買いに行かせるなどの「使い走り」などをさせている。週に3、4回の頻度で学校近くのお好み焼き店に買いに行かせ代金を払わないなどの「たかり」行為が見られるが、被害生徒と同クラスで同じフットサルサークルであった少年Eがこのようないじめに関与していることは疑いの余地がない。 こうした中でも、12月24日にはフットサルサークル仲間と被害生徒も含めてカラオケに行く、12月27日には少年Yの紹介でこれも被害生徒を交え女子高生とフットサルの練習見学+カラオケコンパに参加していた。 なおこのときのコンパで、少年Eと女子の一人をくっつけようと、他のメンバー、女子が共同して二人きりになるようにセッティングした形跡が見られるが、その後の進捗は明らかになっていない。 2007年1月7日にも社会人サークルとの練習試合にも参加しており、「うそ一万円」ゲームなどのいじめを行いながらもフットサル活動は続けていたようである。 高校3年の4月ごろにいじめが激化し、被害生徒を中傷する目的で「○○の部屋」が作られる。少年Hの携帯動画の中に、教室内で被害生徒が服を脱ぎ悪質な要求に答える画像が押収されたが、この時に少年Eがどのような役回りを果たしたのかは明らかになっていない。 ただし同クラスであったことから、その場にいたことは確実といえる。そのほか、被害生徒の弁当を机の上にドカドカと中身を出してばら撒くといういじめについても、同様である。 一方、時期は明らかではないが、少年Eはこの頃から次第に被害生徒と距離を置きだしている。 恐喝メールで少年Eが金を要求したかについては、後の学校調査によると少年Hを介して「要求したことがあった」とみられる。 しかし、少なくとも生徒の自殺直前には金を要求するメールのリストには入っていなかったと思われる。 恐喝メールの金銭要求者リストに入らなかった理由については不明だが、少年H自身の判断で少年Eをリストから外す事は考えにくいため、少年E自らリストから外すよう依頼したものと思われる。 このことが後に少年Eと少年Y、Bとの逮捕・立件を分けたものといえる。 自殺後の状況 7月3日に被害生徒が自殺した後の少年Eについてわかっていることは、7月5日の告別式の出棺時に棺を担いだこと、7月中旬に学校調査に応じたこと、夏休み中に警察から事情聴取を受けたことである。 少年Hが送った「警察に嘘をついてもばれない。甘っちょろいもんや。」というメールの送信先に少年Eが含まれていたかは不明である。 9月17日に少年Hが恐喝未遂で逮捕されると、滝川高校は二度目の学校調査を行った。 その際に少年Eは、少年Yと同様に少年Hの送った恐喝メールに自分の名前も入れるように頼んだこと、紙粘土によるいじめなどについても認めたと思われる。 9月18日~20日の二度目の学校調査により、少年Eは別室で事情聴取を受け続け、9月21日の学校調査を報告しいじめをはじめて認めた会見以降、少年Eは学校には登校せず学校側の処分結果を自宅謹慎で待っていたようである。 しかし9月25日に少年Y、少年Bが恐喝未遂で逮捕され、翌26日の処分を決めるはずの職員会議では「時期尚早」との意見が多数を占め決定を見送られた。 その後も自宅謹慎を続けており、その間に少年Iの逮捕、逮捕された少年らの少年審判が行われている。 少年Eの処分が決定したのは、12月6日の職員会議であった。逮捕されなかった少年Eは自主退学を勧められそれに応じたという。 その後の少年Eの状況は定かでない。
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このページはこちらに移転しました 少年 作詞/にゅる 雨が上がれば 晴れが来る 僕は幸せだった 笑っていれば 泣くことはない 僕は幸せだった でもでも 僕は早く大人になりたかった 憧れだった 夢を見ていた 早く大人になりたい 早く大人になりたい 早く大人になりたい 早く大人になりたい 早く大人になって エロゲを買いたい (このページは旧wikiから転載されました)
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何でこンなッたん? 出会ッたのは去年の冬 毎日が楽しかッた。大好きやッた。 でも、春に別れ 関係も立ち切ッた。 あの子があンなんに なるとか考えても 思ッたリもせンかッた。 仲良L1ッて思ッとッたのに 結局はなんなン?!! 信じとッたのに。 やのに・・・・信じとッた。 関係なL1ッて。 ……最悪や。 9/2801 53 Hの元彼女のHP日記 被害生徒とはWデートをするなど面識があった (TVインタビューに答える少年Hの母親) 中学時代 9月17日逮捕時の年齢は17歳(生年月日は1989年9月18日~1990年4月2日)。住所は西宮市であった。 中学は神戸市北区の市立広陵中学校であり、西宮市の総合選抜を避けた越境通学か中学卒業後に引越したものと見られる(越境通学の場合、中学時代の住所は西宮市山口地区と推測される)。週刊新潮記事によると、事件前には同じ西宮市甲子園近くの高級マンションへと引っ越したとされる。 中学時代を知る同級生からの証言によると、生徒会長をしていたこともあり、成績も良くクラスのムードメーカー的存在だったという。 一方、生徒会長だったときは、変わり者で特に親からの評判は良くなかったという。 また「何でもノリでいきているような奴」、「授業中は騒ぎ放題」、「いじめとまではいかないが嫌がらせ的なことをしていた」と評されており、中学時代から素行に問題があったと思われる。 「まさかあいつが」という感想もあるが、「加害者だと聞いてやっぱりかって思うような奴だった」、「アイツの性格じゃイジメに荷担したっていうのは納得出来る」と複数名からの指摘があった。 高校受験では、県立兵庫高校受験を断念して滝川高校に進学したとされる(通常、兵庫高校の併願はⅡ進のためHはⅡ進を落ちてⅠ進で入学したと思われる)。 高校入学からフットサルサークル結成 滝川高校へ入学後、1年次は6組で被害生徒や少年B、少年Yらと同クラスであった。被害生徒との接点ができたのは、5月の学園祭前であった。 新聞報道によると、学園祭のコンテストに出ようと少年Bとその友人だった被害生徒を誘ったことがはじまりであった。 1年次の終わりごろには、少年Y、少年Eも加わり一緒にフットサルサークルを結成するまでに親しくなっていた。 フットサルサークル「瀧川VECTORS」が本格的に動き出すのは、2年次に入ってからである。少年Hは2年次も同クラスであり、このころにはフットサル サークル内で被害生徒ともっとも仲が良かったとされ、夏休みには毎日のように市総合運動公園でフットサルの練習をし、その合間に一緒に予備校の夏期講習に通った。 8月5日には、avexオーディション2006(兵庫地区)で被害生徒と参加し「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」を歌っている。 しかしこの時期からすでにいじめの兆候は見られていた。7月ごろには、当時の担任教師が「彼をいじめるな」と注意しているのを目撃されているという報道があり、また一学期末テストの成績が悪かったという理由で、被害生徒をソフトモヒカンにしている。 高2秋~冬、いじめ行為への転落 9月中旬には被害生徒ともに副会長として、生徒会選挙に立候補する。その際の演説会で少年Hは、上半身を脱いでマイクなしで「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」の選挙用替え歌を歌ったという。 この行為はかなり場を寒くさせたようで、当時の2ちゃんねるへの書き込みや他の生徒のHP日記にも記載されていた。 被害生徒への「いじり」が酷くなったのはこのころからと、複数の記事では報じられている。 Y、Eらとともに被害生徒のカバンの中や机の上に紙粘土を入れるなどの嫌がらせを行っている。 またこのころに作成されたと思われるフットサルサークルのHの紹介は、次のようにある。 〈副キャプテン. チキン. 最近パス出すようになった、いいわけの鬼"笑" 一応、○○○○(被害生徒の名前)調教係 〉 秋には、ばちこいたら一万円払うという約束を被害生徒がさせられるが、少年Hはこのときのことを逮捕前の作文で〈被害生徒の自慢話がうそだとばれ、 〈「次からパチこくたびに1万円ずつ払うから」と言った〉〈チームの一人が口も聞かなくなり、(自殺した生徒は)とてもつらそうだった〉と書いている。 この「約束」後、被害生徒のメールアドレスと「約束」は急速に仲間以外に広まったが、Hがどのような役割だったのかは不明である。 冬になると、グループの少年らとお好み焼き屋へのパシリとタカリ行為、ソフトモヒカン刈りにする、陰毛を剃り下半身を写真に撮りクラスメイトに見せるなどの行為を犯した。 Hの母親のインタビューによると、PK勝負をして負けた被害生徒に対し、「罰ゲーム」と称して下半身裸の写真を撮ったという。 12月27日には、被害生徒、Y、Eとともに女子高生とカラオケコンパをし、その縁で彼女ができた。被害生徒とともにWデータを繰り返すなど、友人関係 も一方では続いていた。 しかし4月3日に彼女の方から別れを告げられている。その日の元彼女のHP日記には 「あL1つ……ダボやな 泣L1て、すっきリしな」 と綴られている。 高3、犯罪行為へ すでに被害生徒の中傷サイトとなっていたフットサルサークルのHPが閉鎖されたという4月はじめ、フットサルサークルHPの変わりに被害生徒のHPを作ろうと提案したのは、少年Hである。 被害生徒自らが作ったように偽装され、そこには住所や実名、メールアドレスなどのほか、下半身写真や悪質ないじめ画像が掲載されていたとされる。 バチこくたびに一万円という約束も、被害生徒の言葉じりを捉え、急速に罰金が増え総額40万とも50万ともいう金額になった。 この罰金を払わせるために、このころから少年Hは、少年B、少年Yと相談して、頻繁に被害生徒の携帯に恐喝メールを送りつけるようになる。 恐喝メールの内容は、 「たまった金を払え」 「金はどうなった」 「五万円でいい。払わなければ何されるか分からへんで」 「自分には5万円でいい。ほかには3万円支払ってくれ。それが限界やろ」 などと書かれていた。 犯行内容 恐喝未遂罪の証拠となったのは、6月25日に送ったメールである。報道機関により、違いがあるが以下のような内容であった。 「夏休みまでに払わんかい。ほかのメンバーには3万円ずつ払え。払わなかったら何をされるかわからんで」 「自分には五万円。ほか(の仲間二人)には三万円。夏休み明けまでに払わんと何されるか分からへんで」 「おれは5万くらいでええよ。夏休みまでに払わなければ倍の金額を2学期中に払わせるか、学校に発覚していない万引の事実を公表して退学にさせるか、クラスのメンバーを勢ぞろいさせてリンチをさせるかの選択になる」 「夏休み明けまでに金を払わなければ2倍の金額を払わせる。それが無理ならメンバーを勢ぞろいさせて登校拒否にさせる」 これらの恐喝メールは、被害生徒に送りつけた後、少年B、少年Yにも転送していた。 また自殺当日に、被害生徒と親しげに話しているのを複数の生徒が目撃しているとされる。 逮捕前までの行動と供述 自殺翌日の朝礼では、見ていて惨めになるくらい泣いていたという。 またH逮捕時の学校側の発表によると、少年Hは被害生徒の告別式で棺を少年Y、少年B、少年Kらとともに担ぎ、その翌日からの期末テストを休んでいたことが明らかになっている。 このころ学校が書かせた作文によると、 HPでの中傷について〈途中でおもしろくなって参加してしまった。今思えば非常に悔やまれる〉 〈自殺の兆候はたくさんあった〉とし、〈救えなかったことが悔しくてなりません〉とつづっていた。 〈成績が思うように上がらず、志望校合格は難しい〉と悩んでいたことを明かし、 〈今は彼を救えなかったことがくやまれてなりません。きっと唯一、私にしか話せないこともたくさんあったでしょう〉 〈もっともっと長生きさせてやれたと思うと本当に悔しいし、ただつらい〉 と締めくくっていた。 一方、警察からの事情聴取に対して、「遊びだった」「冗談だった」と話す一方で、聴取後には 「うそをつけばばれない。警察は怖くない」「警察の調べにうそをついてもばれない。なまっちょろいもんや」 などとメールを少年BやYに送っていたという。 逮捕後の供述と処遇内容 逮捕は9月17日。立件は恐喝未遂だった。逮捕時の供述は 「初めは冗談のつもりだったが、次第に遊ぶ金がほしくなって、本気で金を脅し取ろうと思った」 と犯行を認めていた。 さらに9月20日のNHKによると 「恐喝などしたくなかったが、財務大臣にしてやるから現金を集金しろと仲間に言われた」 とし、「金を脅し取ろうとした携帯電話のメールは仲間と相談して送った」 と少年B、少年Yからの命令→共謀と供述内容を変えている。 しかし10月2日の朝日新聞によると、 「全くの冗談で、お金を取る気持ちはなかった。恐喝したとか自殺の原因をつくったと言われるのは心外です」 と犯意を否認し、被害生徒への謝罪などもないと報じられた。 また同日弁護人が恐喝未遂罪は成立しないという上申書が提出された。 10月5日放送のMBSでは、Hの母親がインタビューに答え、5組生徒に「真相を知りたい」と作文を書かせたことを認めており、作文を読んだH保護者が否認に至る過程で影響を与えたものと推測される。 しかし同日に神戸地検は、少年院送致が相当とする異例の厳しい意見書をつけ、少年鑑別所へ収容された。 神戸家裁の審判は、観護措置の最長延期期間の1日前に当たる10月31日であった。 三宅知三郎裁判官は、試験観察とする中間処分を決定した。家裁調査官に少年の様子を観察させたうえで、改めて審判を開いて処分を決めるとされ、試験観察となった。 2008年2月27日に二回目の少年審判が開かれ、三宅知三郎裁判官は「少年なりに本件を振り返る努力を積み重ねてきた。要保護性は段階的に解消されつつある」と判断し、保護観察処分となった。
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少年哀歌 小説:少年哀歌へのリンク 関連キャラクター ヴィクトール ヴィーナス シトリー アクア ローズマリー アリーチェ 関連用語 魔性の美少年(笑) プロ(笑) あらすじ 美しい美少年ヴィクトールはストリートチルドレンとして育ち、やがて体を売って生活をすることになる。彼の評判はたちまち話題になり、金持ち共がたくさんの金を出し彼との甘い夢を見ることを楽しみにしている。 ある日、少女と出会う。「何でもするから助けて」と頼んだ彼女を助けだし、ある目的で彼女を女神として崇拝するようになった少年と少女の運命は? 登場人物 ヴィクトール-主人公。魔性の美少年と呼ばれる美貌と狡猾な性格の持ち主。 ヴィーナス-拾った少女。最初は控えめな少女だったが次第に… シトリー-ヴィクトールが尊敬できる親友 アクア-シトリーのお飾りの白ロリ娘 ローズマリー-ヴィクトールのお得意様 アリーチェ-ヴィクトールにあることを頼む生娘
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55番 少年 MOON.の不可視の力の始祖にして中ボス。 参加者の中では飛び抜けた能力であるため、かえって敵対されやすく、かつ割と強力な参加者の中に自ら突っ込んでいくドMであったため中盤くらいに死んでいくことから中ボスと名付けられた。 微妙にU-1系のキャラであるのだが設定的に謎な部分が多すぎる&知名度がU-1ほどないのでやや強い超人程度の扱いしかされていない。当然U-1本人からも歯牙にもかけられてない。というかあいつは男に興味なんぞ(ry 主催者とある程度繋がっている描写と、様々なルートの記憶を受け継いでいるB-4においては割と重要な役割どころ…のはずなのだが暢気にレーションを食べたりハナクソをほじくって観鈴の生死に関して考察している。 自重してるんだかしてないんだかさっぱり分からんキャラである。 ・支給品 全ルート:レーション3つ ・現在の持ち物 B-4 :強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、グロック19(15/15)、支給品一式、レーション2つ、予備弾丸12発 B-10:死亡の為、持ち物無し B-18:死亡の為、持ち物無し D-5 :なし(生誕) ・登場話数 B-4::061 161 230 294 313 328 953 1012 1041 1095 1124 B-10::061 161 230 294 313 328 411 441 476 521 909 914 B-18:061 161 230 294 313 328 476 521 611 632 D-5:061 116 161 230 294 313 379 442 478 482 514 694 913 926 1068 1100 1113 1122 1123 1128
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王様はきらびやかな天蓋の下を、行列を従えてお歩きになりました。 往来の人々も窓にいる人たちも、みな口をそろえて言いました。 「これは、これは!」 「王様の今度のお召し物はなんて珍しいのでしょう!」 「お服についている裾襟のきれいなことといったら!」 「ほんとによくお似合いですこと!」 アンデルセン童話「裸の王様」 (高校最後の公式戦となった姫路球場) プロフィール 1989年5月27日生まれ、血液型はO型。身長180cm、体重75kg、右投げ右打ち。東灘区にある神戸市立住吉中学校卒業。 最寄駅は阪急御影駅であった。 中学時代は軟式で中学野球部だったのか、ボーイズ他の硬式チームで活動していたのかは不明である。 高校1~2年 2005年4月に滝川高校入学。Ⅰ進系に所属。1年次のクラスは不明であるが被害生徒らが所属した6組ではなかった。 入学と同時に野球部に入部、同じ野球部であった少年Kと親しくなったとみられる。 2年次は、少年I、少年B、少年Ksらと同じ文系の3組に所属した。 いわゆる「プリクラグループ」の形成は、いつごろからかは不明であるが、もっとも早く確認できるのは少年Ykの日記記載の2005年12月17日であり、高校1年次には、すでにグループ形成が行われていたとみられる。 2年次にも2006年5月18日の少年Iの日記に、少年O、少年Ks、少年Ys、少年K、少年Szの7人でマクドナルドで中間テストの勉強会をしたと記されている。 少年Iの日記にも2年1学期の時点から頻繁に登場しており、6月14日には一緒にプール、6月24日には滝川祭の後、海に行き、その際に少年Tが滝川第二高校の友人を紹介するなど、クラス、学校を跨いだ交流が進んでいたことがわかる。 少年Iとは同じクラスであったこともあり、11月10日に2人の2仔1携帯ホームページを作る約束を交わしている。 2007年2月の北海道スキー修学旅行では少年Ykと宿泊したプリンスホテルの外で雪だるまを作る、高校3年時にもテスト勉強会を開催するなど、その後もアメフト部野球部間の交友関係は順調に続いていたとみられる。 野球部での活躍 野球部での活動では、少なくとも2年夏の選手権大会兵庫県予選からエースとして登板しているのが確認されている。初戦の尼崎東との対戦では、 無失点でコールド勝ちを収めたが、次の龍野戦では途中から登板し0-5で敗れている。 県内で本格的に頭角を表わしだしたのは、2年の秋季大会8月後半から開催された兵庫県予選からである。 力のあるストレートを武器に、過去に全国優勝の経験もある育英を相手に、3安打完封勝利を収め、県優勝候補であった神戸国際大附属にも被安打4に抑え勝利した。 のちに少年Tは関西の私立大学に野球推薦されるが、スカウトが明らかに意識したのはこのころからと考えられる。 また当時の2ちゃんねる高校野球板では、以下のように書き込みされている。 605 名前: 名無しさん@実況は実況板で 投稿日: 2006/08/27(日) 18 23 48 ID TGR3hjf4 俺も最初、滝川の○(←Tの名前)は140k前後の認識をもって観戦に行ったが、正直俺の想像を越えてた、 育英3安打完封、国際も3点取ったが4安打、練習試合でも関学も1点とるのがやっとだと聞くし、やはり納得させるだけ の投手だった。 県大会本選では、姫路工相手に延長引分再試合を演じ、再試合ではノックアウトされ2回戦で敗れている。 再試合の模様を神戸新聞は以下のように伝えている。 2006/09/17 神戸新聞朝刊 18ページ 姫路工、2回戦へ 姫路工打線は滝川のエース○(←Tの名前)が投げ込む140キロ台の速球を確実なミートで次々 にはじき返した。 手堅く単打を重ね、五回途中までに8安打。4安打に封じられ、0―0のまま引き分 けた前回(10日)の対戦からは見違 えるような攻撃を披露し、福井監督を「この経験は選手を成長 させてくれると思う」と喜ばせた。 口火を切ったのは前回、好機で三振に倒れた井上。二回、一死二塁の先制機に打席に立つと、 低めの直球をシャープ な振りでとらえた。打球はぐんぐ ん伸びて左翼フェンスを直撃し、待望の先 取点をもぎ取った。 そして、圧巻は五回。先頭の筒井、植田の連打で無死一、二塁とし、○をマウンドから引きずりおろ した。 素行と他生徒からの評判 少年Hらの逮捕後に、2ちゃんねるを中心に「主犯扱い」された少年Tであるが、在校生とみられる書き込みや生徒の日記には、頻繁に彼の「素行の悪さ」が報告されている。 おもだった素行の悪さを示す内容をあげるだけでも、以下のようなものがある。 また休み時間中に廊下で本物のサッカーボールでサッカーをして、通行を妨げたり窓ガラスを割るなどの迷惑行為を働いていた。 2005年12月17日 ルミナリエで通行人に喧嘩を売る その後○○○(←Tの名前)と ○○○の地元の奴と合流した ルミナリエ行くことになって 歩いてたらすごい人数の人が おったので 二回柵よじ登って割り込みして5分でついた でついて歩いてたら○○○が喧嘩売りまくったりいろいろしてておもろかった 2006年7月30日 アメフト部と野球部の有志でサッカーをした際、アメフト部の生徒と何らかの「いざこざ」をおこす 野球部ら来てサッカーる (中略) で松村と○(←Tの名前)のいざこざを止める ながもんの書き込み 316 名前: 名無しさん@実況は実況板で 投稿日: 2007/09/23(日) 05 51 47 ID TyZv+s9m0 284 知ってる顔ばっかりだよ。うちのクラスにもくるから。喧嘩もしてた。 362 名前: ◆AfAlNbFv0U 投稿日: 2007/09/23(日) 06 02 42 ID TyZv+s9m0 あと自演説が出てるから言いたいのが、俺は○(←Tの名前)大嫌いだよ。逮捕されてほしい。個人的にはね。 392 名前: ◆AfAlNbFv0U 投稿日: 2007/09/23(日) 06 10 49 ID TyZv+s9m0 343 詳細までは知らないので答えかねる・・・。 ただ素行からそう思われても仕方ないような気もする。感情を除いて客観的に見ても。 2chなかよっぴの書き込み 403 名前: 名無しさん@実況は実況板で 投稿日: 2007/09/23(日) 06 12 47 ID 9Ncf5I0PO Tたちに捕まって欲しいと思う奴はもう1人の在校生のようにいっぱいいるだよ 確かに授業中うるさいし頭悪いのに○○(←Tの進学予定の大学)行けるのが気に食わないかもしれないが関係ないことに巻き込まなくてもいいだろ いじめ・恐喝への関与 3年3組では少年I、少年Ys、少年Szなどのいつもつるんでいたプリクラグループの他に、フットサルサークルで後に逮捕された少年Bが所属していた。 少年Bと少年Tの関わりは定かでないが、3年次に教室で撮影されたケーキを囲んだ写真に2人が写っている。この写真は少年Tと当時交際していた彼女との交際記念祝いと少年Tの誕生日祝いと見られている。 ケーキ写真には少年Bがケーキを切り分けるナイフを持っているものがあり、常にグループとして行動を共にしているわけではないがイベント時には少年Bもプリクラグループに参加していた仲であったと見られている。 またこのころには被害生徒に対するいじめは学校内でかなり広まっており、少年Tもその事実を知りうる立場であった。 2仔1で携帯ホームページをもつ計画までしていた少年Iの恐喝行為も、この時期には半ば公然と行われていた。 そのような中、少年Iが被害生徒に、無理矢理売りつけたブレスレットの代金を督促するメールを送る際に、少年Tは面白半分で自分の名前を入れてもらっている。 このメールを見た被害生徒は、普段の少年Tの言動から恐れをなし、翌日に少年Tのもとを訪れ、「すぐに払えないと」言いに行っている。 それに対して、少年Tは「冗談だからええよ」と答えたという。 それでも疑心暗鬼になっていた被害生徒は、遺書に記された借金リストに少年Tの名前を?つきで記載したという。 以上からわかることは、(1)少年Tは少年Iによる恐喝詐欺を知っていた、(2)被害生徒のいじめについても知っていた、(3)いじめを主導する立場ではなかった、(4)少年Tは被害生徒から非常に恐れられていた存在であった、(5)少年I、Bらの恐喝いじめ行為に対して止めるようなアクションは起こさなかった、ということである。 3年夏の高校野球 被害生徒が自殺した7月3日以降の少年Tの足取りは定かではないが、告別式の日に野球部で練習をしていたことがわかっている。 高校生活最後の大会となる夏の選手権大会兵庫県予選では、少年Tは県内の好投手として注目されていたが、大会前は調子が上がらず苦しんでいたようである。 6月の練習試合では早い回で2けた失点を喫するなど、ピンチで崩れだすと止まらなかった。大会まで1カ月を切っても調子は上がらず、連日150球以上の投げ込みを課したと新聞記事は伝えている。 7月16日の携帯日記には、「調子が悪い 野球も悪いし他もや 合わんとか言わんとって もっと相手の事考えます」と書き込んでいる。 初戦となった7月18日の三木東戦では、六回まで1本の安打も許さず、最後の打者から12個目の三振を奪う完封勝利を収めた。当時の新聞は以下のように伝えている。 2007/07/19 神戸新聞朝刊 21ページ 豪腕と呼ぶにふさわしい投球だった。滝川の○(←Tの名前)は、六回まで1本の安打も許さず、無安打試合も期待させ る快投。九回もこん身の直球で空振りさせ、 最後の打者から12個目の三振を奪うと、会心の笑みを見せた。 投球の8割以上が直球。140キロ近い球速で、一回二死から6者連続三振をマーク。捕手の変化球のサインに首を 振り、豪快に三木東打線をねじ 伏せた。七回に唯一打たれた安打はカーブ。試合後は「直球を投げていればよかった」 と笑った。 不老監督は大会前、「気持ちの弱さが課題」と指摘していた。6月の練習試合では早い回で2けた失点を喫するなど、 ピンチで崩れだすと止まらな かった。 大会まで1カ月を切っても調子は上がらず、連日150球以上の投げ込みを課した。納得いく球が投げられるようになっ たのは、1週間前。「やれることはやった」。自らを信じて打ち込んだ練習が、自信となった。 この日は終盤まで味方の援護はなかったが、「延長十五回でも投げ切る気だった」と右腕。不老監督も「精神的に成長 した」とたたえた。 ○は「強気で投げて、シード校を倒して上位へいく」と言い切った。どんな相手にもひるむ気はない。 次の7月22日に行われた宝塚戦では、終盤に登板して6-3で勝利している。この間、mixiには「負けたチームの分まで頑張る」との日記を残していた。 翌日の7月23日の龍野戦が少年Tの高校最後の公式戦となった。立ち上がりを攻められ、初回3連打を含む5長短打により5点を失い、6回にも7長短打により6点を取られ、先発全員安打を含む15安打を放たれ、6回コールド負けを喫した。 インタビューでは、「一回にチームがおかしくなった。こんなに取られることはないので…。ムードが悪くなってしまった。もっと投げたかった」と記者に答え、号泣したという。 H逮捕後の動向 遺書に「?」つきながら記載されていた少年Tへの警察の捜査は、教育上の配慮と行方が分からなくなる恐れがなかったことから、夏の選手権大会後に行われたと思われる。 どの程度の範囲で事情聴取が行われたのかは不明であるが、夏休み中には他の遺書に名前が記されていた4人と同程度に聴取が行われていたと推測される。 9月17日に少年Hが恐喝未遂容疑で逮捕されると、2ちゃんねるでは少年Tが主犯であるとする書き込みが繰り返し行われ、彼の名前を記載したスレッドもたてられた。(9/23高校野球板) 特に当時交際していた女子大生も主犯であるとされ、被害生徒と面識もなかったにも関わらず、実家の住所、アルバイト先、大学名が晒された。 短期間に彼女の情報がこれほど晒されたのは、以前から少年Tの彼女についてクラスでは有名であったことが原因と思われる。 2ちゃんねるで晒されてからの少年Tは、休み時間の廊下サッカーを止め、同じく主犯格として晒された少年Kらと休み時間中に集まって対応について話し合っていたという。 少年Tが主犯だとする見方が事実とされていく中、9月24日には、少年Ykの無実を信じて書き込みをしていたながもんと少年Yk、少年Hと間違って顔を晒されたなかよっぴと松屋で事件についての会合を開いた。 そこで少年Tは、少年Bから聞き出した「真相」として、(1)被害生徒は極度の嘘つきでそれが一連の恐喝の原因である、(2)TやYkなど主犯格とされている自身らは事件とは無関係である旨を主張した。 また「加害者なんていなかったんじゃないか」「いじめは(外から見て)なかったんじゃないか」とも言い、少年Bのストーリーに乗ることで、少年T自身が恐喝メールに名前を入れてもらったこと、遺書に自分の名前が載っていたことを隠した。 この主張をながもんは信じて、深夜に2ちゃんねるで報告を行っている。(9/25最悪板) 大学への推薦と進学 9月17日以後のネット上での騒動ですでに言われていた関西の私立大学への野球推薦であるが、2月4日に同大学の硬式野球部ホームページに正式に入学することが伝えられた。 滝川高校の推薦入学も含めた合格者一覧には、それまで記載されていたなかったことから、高校側は少年Tが進学することで周囲が騒ぐことを懸念して明らかにしていなかった。 進学した私立大学では、社会学系の学部に所属し、入学前から硬式野球部の寮に入り練習に参加していた。 1年次の2008年8月14日には野球部のblogに寮での電話当番を行っている様子が書かれている。 11月12日の秋季新人戦に五回途中から登板し、2回と1/3を無安打に抑えている。 2009年3月3日のオープン戦では4回から6回まで1安打無失点、3月8日のオープン戦では、捕手のけん制に救われながらホームラン1本の失点に抑え4回まで投げきるなどの結果を残している。 2年次の春季リーグ前には、日刊スポーツに先発候補として挙げられるなどの注目された。春季リーグにはメンバー登録されなかったものの、新人戦では五回途中から登板し4回1/3を2安打無得点で抑えた。次戦では、八回からの登板で2回3安打3失点を喫している。 4年間通じて、リーグ公式戦での登録はなく、2012年3月に同大学を卒業。大学野球ファンのwebサイトによると、4月より兵庫県警察本部に就職したことが明らかになった。兵庫県警では、近年、野球部を強化しており、少年Tも同部へ加入予定である。
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2007-11-08 00 49 無題[編] ほんで~ 9時前まで 須磨署近くの 公園から 須磨署みつめる どこの部屋やろ? 少年Iの彼女の携帯日記 (恐喝詐欺に使ったとみられる偽ブランド品のブレスレット) 家庭環境など 1989年4月27日生まれ。2007年高校3年春時点での身長は170cm、体重は72kg。 逮捕時の住所は、神戸市須磨区大池町5丁目(最寄駅はJR鷹取駅)。住所とされるマンションは須磨警察署にほど近い場所にある。 学区としては神戸市立太田中学校だが出身は市立飛松中学校であった。 中学時代はテニス部で生徒会長もしており、不良グループと付き合うこともなく、まじめな印象を受けたという証言もある。 中学の同級生である彼女とは、高校1年の2005年4月27日から交際を続けていた。 学校生活 2005年4月に滝川高校入学。1年次は被害生徒、少年H、少年B、少年Yらと同クラスの6組。アメリカンフットボール部に入部する。ポジションは2年次春大会、3年次春大会ともOL/DLで登録されている。 交友関係は同じアメフト部の少年O、少年Ksらと仲がよく、互いの家に泊まることもあった。また少年TともいっしょにHPを作る計画があったなど、親しかった。 2,3年次は3組(Ⅰ進文系)に所属。同組になったときの感想を 「今日から学校スタート!!!! クラスゎめっちゃエエ感じゃ♪先生もエエしぃ♪♪♪」 とHPの日記で述べている。 2年次の生活は、しばしば学校を無断での欠席、遅刻、早退などがみられていた。 当時の日記には、部活動の様子と彼女との交際内容を中心につづられている一方、日記上にお金がないという不満や、図書券や漫画本を古本屋へ売り、遊ぶ金を捻出していた記述が見られる。 また、衣服類やアクセサリーを他の生徒に売りつけようと、頻繁に相手を探していたことは生徒の間では有名であったようだ。 犯行に及ぶ前後の状況 少年Iの生活環境が大きく変わったのは、高校2年の冬。11月終わりごろから当時交際していた彼女と会う機会が減り、同じころから怪我によりアメフト部も休みがちになった。日記も12月11日を最後に途絶えている。またアメリカンフットボール部(滝川Bruins)もこのころから怪我が原因で休部している。 新聞報道によると、2年のときに被害生徒に偽物のルイ・ヴィトンやグッチの財布を数万円売りつける恐喝詐欺行為をはたらいていたとされる(9/19朝日)。 別の報道によると、少年Bを介して、被害生徒に接近し、恐喝詐欺行為を行っていた(毎日10/29)。当初少年Bに取立てのメールを送らせていたが、途中から少年I本人がメールを送っていた。 また恐喝メールを送る際に、友人の少年Tの名前も入れることを少年T自身から許可を取り、恐喝に利用していた。 犯行内容 立件の対象となったのは、高3の2007年5月16日の「おれの友達がおまえのホームページを見て、しばきまわすと言っている」、「ブレスレットを四万円で買えば止めてやる」という恐喝メール。 この「友達」は、当時学校近辺で強盗行為をはたらいていた無職少年3人であり、少年Iは彼らと知り合いであると嘘をついて、脅していた。 5月28日には、再び少年Bに金を要求するメールを送らせ、校内で代金の一部として5000円を脅し取った(読売11/9)。 このブレスレット恐喝詐欺は、ウエストポーチの売りつけを被害生徒に拒否された腹いせではたらいた犯行であると、神戸家裁への送致事実で明らかになった(共同11/8)。 またそれ以外にも、H逮捕後の学校調査で「(自殺した生徒に)四、五回、ズボンなど自分の衣類を売った。金が欲しかった」などと供述している。 この学校調査では、被害生徒も含めて二十回程度洋服を売っていたことが明らかになった。この他にも、被害生徒や他の生徒にも古着のTシャツなど数枚を1枚1000円前後で買い取らせていた(毎日10/30)。 少年Iは写真を見るとかなりの大柄であり、身長が低く小柄であったとされる被害生徒が少年IのズボンやTシャツを着ることは考えにくく、この行為も恐喝であったと思われる。 5000円を脅し取った後も「ブレスレットは偽ブランドでこれ以上は払えない」という被害生徒に対し、残金を「回収」しようと「金はできたか」などと繰り返しメールを送っていた(NHK10/29)。その中には、少年Tも「冗談」で、金を要求する内容を少年Iの送ったメールに書き加えていた。 また「これ以上払えない」と言う被害生徒に、 「金がないのなら援助交際して稼いだらどうだ」と迫っていたことが、ほかの生徒の証言で明らかになっている(NHK10/30)。 自殺前日の7月2日にも、被害生徒に「お金、できたか?」「払う気はないのか?」と携帯メールを送る。生徒が「4千円ならある」と答えたため、「それでいいよ。じゃあ明日な」と返信した(朝日10/29)。 逮捕前までの行動と供述 被害生徒の遺書には、「恐喝の4万円」という記述とともに少年Iの名前が記載されていた。 少年Iは、生徒自殺の数日後、被害生徒に送ったブレスレットの代金を督促する携帯電話のメールを別の生徒に見せ「大丈夫かな」と相談していたことが判明している(毎日10/30)。 また警察の取調べに対し、偽物のブレスレットを「父親からもらったもので本物だと思っていた。合意の上だった」、「自殺当日に父親から偽物だと教えられて「はじめて偽物だと知った」などと供述し、父親と共謀して罪のより重い詐欺行為の立件を防ごうと隠蔽工作を謀り、成功している(朝日10/29)。 自殺後の学校調査でも、「(被害生徒が)欲しがったので合意の上で売った」と供述し、学校側も7月下旬に保護者同伴の上で注意するにとどめていた。 そのような中、9月ごろには立命館大学の学校推薦に落選したものの応募をしていた。少年H逮捕後すぐに新聞報道でブレスレット恐喝が報じられたが、2chに書き込んだなかよっぴなど周囲の友人には「合意の上での売買で、警察も納得している。リークは警察が漏らしたものではないと陳謝された」と話していた。 逮捕後の供述と処遇内容 逮捕日は10月29日。立件はブレスレット売りつけによる5000円の恐喝と脅迫であった。逮捕時の供述では、「脅したつもりはありません」と否認していた。 しかし少年鑑別所への観護措置決定前の11月8日には、「金が欲しくて無理やり買わせた」と容疑を認めている。 神戸家裁の審判は、観護措置の最長延期期間の1日前に当たる12月4日であった。 三宅知三郎裁判官は、「被害者の弱い立場を恐喝のために利用し悪質」、「生徒の自殺の責任の一端が少年の行為にあることは否定できない」と結論づけた。 その上で「犯意が明確で責任は重い。落ち着いた環境で指導を受ける必要がある」と、中等少年院での収容期間を6カ月以内の短期処遇が相当との勧告を添えた。 犯行動機について、「夏休みまでに電動自転車を購入したかった」と供述していた。 2008年2月21日に中等少年院より出院した。高校1年より交際していた少女とは、逮捕後も彼女として交際を続けていた。 現在は少年院から出所し保護観察を受けている。