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富士五湖 ふじごこ 富士山の北側、山梨県内にある5つの湖の総称。 本栖湖 もとすこ(富士河口湖町、身延町) 精進湖 しょうじこ(富士河口湖町) 西湖 さいこ(富士河口湖町) 河口湖 かわぐちこ(富士河口湖町) 山中湖 やまなかこ(山中湖村) いずれも富士山の噴火による堰止湖。 富士箱根伊豆国立公園に指定されている。 富士五湖の名称で国指定名勝となっている。 富士山-信仰の対象と芸術の源泉の構成資産として富士五湖の全てが世界遺産に登録されている。 名称の由来 江戸時代の富士山への民衆信仰である富士講の巡礼地に、現在の「富士五湖」に四尾連湖、明日見湖、泉津湖もしくは須戸湖を加えた「富士八海」の呼称はあったが、「富士五湖」の呼称は見られない。 富士五湖は、富士急の創始者である堀内良平が命名したもの。 日本新八景選定の際、当初は各湖に票が分散したため、票をまとめて効果を上げるための方法として堀内良平が考案した。 新聞社に富士五湖の新名称で投票することの了解を得て、自社株主に一株一枚の投票を呼びかけ、湖沼部門で最も多い360万票を集めた。 審査の結果、日本新八景には選定されなかったが、日本二十五勝(日本百景)に選定され、以降富士五湖の名称が定着した。 関連項目 この項目のタグ 山梨県 湖沼 自然 タグ「湖沼」がついた項目 青池 / 芦ノ湖 / 網走湖 / 池田湖 / 印旛沼 / 河口湖 / 金鱗湖 / 屈斜路湖 / 雲場池 / 五色沼 / 西湖 / サロマ湖 / 支笏湖 / 不忍池 / 白樺湖 / 知床五湖 / 宍道湖 / 十二湖 / 諏訪湖 / 田沢湖 / 中禅寺湖 / 手賀沼 / 十和田湖 / 能取湖 / 八郎潟 / バラギ湖 / 桧原湖 / 琵琶湖 / 富士五湖 / 摩周湖 / 山中湖 / 弓池 タグ「山梨県」「自然」がついた項目 忍野八海 / 雄滝・雌滝 / 河口湖 / 北口本宮冨士浅間神社 / 西湖 / 昇仙峡 / 甚六桜 / 仙娥滝 / 丹波渓谷 / 富士五湖 / 富士山 / もみじ回廊 / 矢立の杉 / 山中湖
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大会名:チャレンジ富士五湖19th 開催日:2009年4月26日(日) 開催地:山梨県(富士吉田市) 種目:100km 天候:晴れ スタート時気温:7.9度 最高気温:15.2度 ネットタイム:DNF(Do Not Finish) 92.6キロ地点関門ストップ 佐倉のサブ4で燃え尽きたかな。無念の2年連続リタイヤ。 結果が同じでも内容が去年よりよければまだ納得できないこともないが、内容も 散々。いったいどうしたものか。今シーズンの最終戦をいい形で終わることが できなく、不完全燃焼のまま夏を迎えることになった。 富士五湖のウルトラマラソンは2年連続3回目。3年前の77キロは制限時間ぎりぎり の完走。去年の100キロは78キロ付近でリタイヤ。関門に引っかかったわけでは ないが、残り20キロ以上を2時間半でいくのは無理と判断し、自ら収容者に乗った。 今年も同じ100キロに挑戦したが、92キロ地点で関門に引っかかり、2年連続 リタイヤ。自ら止まったわけではなく止められたので、ある意味去年よりましだが、 五十歩百歩でしょう。去年の悔しさを糧に1年間やってきたが、またしても力及ばず。 調整は万全だった、と思う。夏場の走り込み不足から去年秋~冬は伸び悩んだけど、 年が明けると自己ベストを連発。ハーフはこむら返りの癖を克服し2年ぶりの自己新。 フルでも佐倉でサブ4。6時間走での最終調整も去年より1ヶ月前倒しで、疲れが 残らないようにした。死角はなかったはずなんだが。 原因は。。。何でしょう。それがわからないとまた来年挑戦するとしても同じ ことになってしまう。標高800M~900Mのために酸素が薄く、長時間走る場合は その影響も無視できないと言いたいところだが、去年との比較にはならない。 恐らく体重の増やしすぎ。長い距離を走るときは、よくカーボローディングという 炭水化物の詰め込みをするが、それをしすぎたかも。通常、レース3日前にやれば いいのを、100キロということで3週間かけてじっくり増やした。それで重くなり 過ぎて走れなくなった、というオチ。フルでも体重が1キロ増えるとタイムが3~4分 遅くなるらしいので、増やしすぎは禁物。詰め込んで少しでも長く空腹を感じな ければまだよかったが、結局スタート5時間か5時間半ぐらいでスタミナ切れ。 3週間も費やしたのに14時間の半分も持たず、全く効果なし。むしろ胃を大きく してしまったことで、空腹を感じるのが早くなり、逆効果となってしまった。 スタートは朝5時。当日移動はできるはずもなく、前泊の前日受け付け。当日は ホテル横付けの大会バスに乗って北麓公園に直行できるので楽。楽なんだけど、 起きてからほとんど体を動かす必要がないのも、いいような悪いような。体力 温存ができていいと思ったけどな。 3時間前には起きていたいので起床は2時。予定では1時半だったけど起きれなかった。 寝たのは8時半で、5時間半睡眠。100キロ前夜にしては少なく、これこそ一級戦犯 だろう。めちゃイケをみたのが失敗だった。。。予定では18時半就寝の7時間睡眠 だったんだけどね。 参加者は876人(100キロ男女)で、うち女性137人。完走者は578人(うち女性88人) で、完走率は66%。3人に2人か。多いような少ないような。さすがにこのくらいの 距離になると、興味本意でふらっと参加してみようっていう人はいないと考えると、 この完走率は厳しいのだろうな。 天候は晴れ。憎いぐらい富士山がきれいに見え、写真を撮ってるランナーも結構 いて驚いた。余裕なんだなというのと、いくら最近のは軽量化されているとはいえ、 それを持って100キロ走るのかと思うとさすがとしか言えない。 コースは大まかに、リレーマラソンでおなじみの富士北麓公園をスタート/ゴールに、 本栖湖を除く四湖をまわる。富士北麓公園→山中湖1周→河口湖半周→西湖半周→ 精進湖1周→本栖湖手前で折り返し→西湖半周→河口湖半周→富士北麓公園。山中湖が もっとも標高が高く、本栖湖が最も低い。そのため、山中湖から本栖湖に向かう中盤は 下りが多く、本栖湖から戻ってくる終盤は上りが多い。ただでさえ長丁場で終盤失速 するのに、そういったアップダウンを考えると、後半はいくら時間があっても安心 できない。 コース詳細は、まず、富士北麓公園→忍野→山中湖到着で12キロ。一周して25キロ。 忍野は来た道を戻り、国道138号線を下り、河口湖大橋手前で40キロ。河口湖の北半分 を走り西湖へ向かう途中で50キロ。西湖も北半分を走り55キロ。西湖を抜けて、再び 138号に合流し青木が原へ。といっても樹海ではなく普通の道路。ただ橋の上から 見下ろす景色には足がすくむ。精進湖に着くと60キロ。一周して65キロ。本栖湖の 駐車場に着くと68キロで3分の2。戻りは同じ道を引き返し、西湖も河口湖も南半分を 走り、河口湖をあとにする頃90キロ。北麓公園への上りは、お馴染みのガソリン スタンドが角にある昭和大入り口からではなく、スバ ルライン横の船津口登山道で 。そのため、北麓公園より高い位置まで一旦上って、別の道で降りるという何とも 過酷なウルトラマラソン。ちなみに100キロから忍野と山中湖を除いた72キロ、 100キロに本栖湖一周を加えた112キロもある。3年前に出たときは77キロで、今の 72キロに本栖湖の一部が加わったコース。制限時間が11時間なのでぎりぎり間に 合ったが、かなり苦戦した記憶がある。 このコースの距離表示は2.5キロごと。途中、距離間隔が怪しいところもあるが、 おおむね正確でなかなか助かる。3年前はかなりひどく、それ以降は苦情があった のか毎年よくなってる。ちょっとぐらいずれてても10キロやハーフじゃあるまいし、 誤差範囲とも言えなくもない。ただ、最後の方になると、残り距離と時間でペースを 変えるので、最後10キロ~20キロぐらいは正確な方がいい。といってもここ2年は リタイヤしてるので関係ないが。 目標はもちろん、制限時間の14時間以内完走。去年80キロも走れずリタイヤしたので、 今年はそのリベンジ。去年の富士五湖から長短併せて11回も自己記録を更新して、 それなりに成長してたつもりだったし、今回はあまり不安視してなかった。去年の 敗因が、2週間前に70キロ走ったことによる調整ミスかと思ってて、今回は長距離の 調整を1ヶ月前倒し。しかも6時間55キロという好結果も「なんとかなるんじゃないか」 という気持ちにさせてしまった。 ところが走り始めてみると体が重い。お台場の6時間走でもそうだったので詰め込み すぎによるものだと思っていたら、5キロのタイムがなんと34分。抑え気味にいった とはいえ、5キロのうち3キロは下りなのでかなり遅すぎ。先は長いし、後半のための 温存と考えればいいや、と楽観するようにしてたが、どんなに遅くスタートしても ペースを「上げる」というのは難しいらしい。意識的に早く走ろうとすると、それは 非常にエネルギーが要ることで、それこそ先の長さを考えると無理はしたくない。 どんな距離でもやっぱり最初が肝心で、先行逃げ切りが自分のスタイルだという ことを再認識させられた。 以下5キロごとのラップタイム(前半) 今年の記録去年の記録 534 0634 0632 28 1034 391 08 461 05 39 1534 381 43 241 37 52 2035 032 18 282 10 37 2540 582 59 282 45 43 3031 463 31 133 21 09 3537 594 09 123 59 23 4044 204 53 324 41 50 4541 525 35 245 25 48 5054 006 29 246 17 20 5キロ地点で去年の自分より1分半遅れ。10キロでは3分以上と広がる。ただそれは 5.5キロ地点で「小」休止したことが原因とも言える。ただ、5キロ~12キロの忍野が 未知の領域だった去年に比べ、今年は経験済みということを考えるとさほどタイムが よくないのが気になる。 12キロからは慣れ親しんだ山中湖。でも調子が上がらない。20キロ地点ですでに 去年より8分遅れの2時間18分。かなり焦り、絶望感も漂う。あきらめるのは早いが、 何となく無理かなと思い始める。ただ一方で、今まで温存した(?)分、いずれは 自然とペースがあがるだろうというわずかな望みもあった。 ただ、23キロぐらいで今度は「大」休止。またしても数分のロス。5キロのラップ タイムは早くも40分台に突入し、25キロ地点のタイムは3時間。単純に4倍しても 12時間かかり、後半の疲れや上りを考えるとかなり厳しい状況。 25キロからは、やや下りということもあり、31分台とまずまずのペース。去年との 差も14分から10分に縮める。この調子で追いつこうとするも、その後は一進一退で なかなか差は縮まらず、結局12分差で50キロ地点へ。休憩時間を短くするなどしたが、 あまり効果はなかったよう。 去年のペースでさえ完走は難しいのにそれよりさらに遅れている。それが何を意味 しているのかは考えなくてもわかるし、何のために走っているかは逆に考えたくない。 でもせめて去年の自分に追いつきたいし、去年より長い距離走っていたい。そうする ことで、後々になって今年参加した意義を考えたときに自分を納得させられる、かも。 52.521 206 50 456 38 24 5521 117 11 567 01 42 57.524 037 36 007 24 11 6016 257 52 267 42 43 62.523 418 16 078 05 49 6525 228 41 308 33 00 67.519 059 00 358 54 09 7029 289 30 049 30 07 ようやくとらえた。遅すぎ。70キロでやっとか。でも、追いついたといっても走力が どうのというわけではなく、単に休憩時間を削っただけ。68キロ地点の本栖湖駐車場が 比較的大きな給水ポイントで、そこであらかじめ搬送してもらっていた着替えもできる。 去年はあきらめモードだったので、着替えもしたし飲み食いものんびりしてたが、 今年は着替えなし、飲み食いも最低限。そうでもしないと追いつけないとは情けない。 案の定、72.5キロ地点ではまた離されてるし。。。 72.520 579 51 019 48 44 7524 0610 15 0810 23 02 77.527 0410 42 1310 59 56 8024 1711 06 3011 29 59 82.523 2211 29 53 リタイヤ 8529 0011 58 53 ↓ 87.527 4812 26 41 ↓ 9037 3613 04 18 ↓ 92.531 0313 35 22 ↓ 95 リタイヤ ↓ 97.5↓ ↓ 100↓ ↓ 去年は確か73キロぐらいでギブアップして完全に歩き始めたが、今年は一応 走った。2.5キロに25分前後かかってるので、走っては止まっての繰り返しだが、 さすがに去年と同じことはできない。去年がなかったら同じように歩き始めて、 80キロ手前でリタイヤしただろうが、去年があったからこそ踏ん張れた。 河口湖85キロ地点でF田六花さんに会った。雑誌によく出てる、知る人ぞ知る 医者兼ランナー兼ミュージシャンの有名人。制限時間内にゴールできそうに ないランナーたちに対しても暖かい声援を送ってくれてありがたかった。 この大会は、歩道があれば歩道を走り、信号が赤なら普通に止まるという他の 大会にはない厳しい条件で、沿道の声援も皆無に等しい。偶然居合わせた人が 声をかけてくれたり、飲食を振る舞ってくれたりしてくれるが、結構孤独との 戦い。唯一モチベーションを保てるとすれば、制限時間内に完走したものだけが もらえる完走メダル。参加賞は参加費さえ払えばもらえるが、完走賞はそうは いかない。今回(去年もだが)のように早々にペースを崩すとモチベーションが 一気に下がるが、逆にいえば発憤材料になる。 記録集を見てみると、完走者はおおむね遅くとも、90キロの計測地点を12時間半 ぐらいで通過している。ということは20分ぐらいの差で、わずかといえば言え なくもないが、現時点ではそれを埋める自信はまだない。 今後はしばらく休養。後味の悪いシーズン締めくくりだが、しばらくは自己記録を 意識するような走りはしない(つもり)。すぐにでもリベンジしたい気もしない ことはないが、今のままでは何度走ってもだめだと思う。夏場にじっくりのんびり 走り込んで、また来年かな。年2回あるといいのだが、なかなかそうはいかない。 ウルトラの季節としては恐らく4月~10月ぐらいだが、たいてい遠い。富士五湖が 実は比較的近く、有名どころとしては、サロマ湖(北海道)、野辺山(長野)、 萩往還(山口)、いわて銀河(岩手)、丹後(京都)、隠岐の島(島根)などで、 参加費だけでも高いのに交通費や宿泊費、それにリタイヤの 可能性もあるとなると簡単には行けない。 ただ、来年はどうしようかな。去年のように「来年こそ100キロ完走」と即答 できない。1年間の過ごし方にもよるが、20分の差は以外と大きく、またリタイヤの 可能性大。さすがに3年連続は避けたい。かといって72キロにするのもなあ。 制限時間ぎりぎりだったとはいえ、3年前に77キロを一応完走しているので、 今さらという気もする。確かに目標タイムを制限時間の11時間でなく9時間ぐらいに 設定すればそれなりに意味はあるけど、完走メダルにあまり価値はない。3年前より 距離改訂で5キロ短くなってるので余計に。100キロ14時間完走のめどとしては、 フル以上の距離である程度納得のいくタイムをクリアしたら挑戦ということになるかな。 どういった練習をしていけば悩むところだが、優勝者のコメントを参考にすると、 負荷をかけるか通勤ラン。負荷が2人、通勤ランが2人。うち1人は両方。負荷をかけて 走るのは去年夏からやってるので、練習法は間違ってなさそうだし、あとはこれを 継続していけばいいのかな。 以下、優勝者の「普段の練習方法」です。 (http //www.r-wellness.com/fuji100/fuji5pro-03training.htmlより抜粋) 112キロ男子優勝者 「常に長く走る事を考える。走る時間が限られるのならば少し負荷(ほんの少しで いい。多量は逆に故障する原因になる)をかけて練習する。 長く走れるならばスピードはあまり気にしない。マラニック等もいいのでは?」 112キロ女子優勝者 「練習は大嫌いなのでしません。通勤方法をランにして、生活の中にランを組み込み 走っています。朝が平坦コース3.5km、夜がアップダウンのあるコースを約20km、 10kg程度の荷物を背負って行き来しています。スピード練習なんか一度もやったこと 無いです(苦笑)。 タイムを気にして走ってもしんどいので、コース、ロケーション等楽しめそうな 大会にしか出ません。コンディション調整のために本番レースの前に10kmやハーフに 出場される方もいらっしゃるようですが、そんなことも無いですね。」 100キロ女子優勝者 「クラブなどに所属していないので、1人で家の近所や公園を週5回くらい10km~20km 気分に任せて走っています。スピード練習とかは出来ないので、月2回くらいはハーフ などの大会に出て、それがポイント練習になっていると思います。ウルトラの練習は とくにしていませんが、趣味が水泳で、走るより長い時間プールにいて、時には 2~3時間泳ぐこともあるので、それがスタミナ練習になっていると思います。」 72キロ男子優勝者 「トレーニングの6~7割が通勤ランです。ウルトラマラソンに出るときは、4時間走を 何回か入れています。その他30~40km走を1km3分50~4分で行いますが、4時間走の方がはるかに辛いです。 ちなみに走る場所は、通勤ラン以外では花見川、検見川東大グランド、昭和の森です。」 72キロ女子優勝者 「あらゆる場所を動物のように走り回ってます。」
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大会名:チャレンジ富士五湖20th 開催日:2010年4月25日(日) 開催地:山梨県(富士吉田市) 種目:72km(72.5km) ゼッケン:7114 ネットタイム:8 55 06 順位:135位/491人(72キロ男子) 167位/680人(72キロ全員) http //www.r-wellness.com/fuji100/result-2010fuji5.html あぁ、物足りない。思った以上に楽に走れたこともあるが、やっぱり100キロを 完走してこそ真のウルトラランナーだと痛感。100キロの完走者が涙を流して いるのを見ると、うらやましい。72キロのゼッケンを着けてることすら恥ずかしく 思える。ただ、100キロ再挑戦はしばらくない、かな。 この大会は3年連続4回目。4年前に77キロを制限時間11時間ぎりぎりで完走した ものの、去年と一昨年は無謀にも100キロに挑戦して時間内完走できず。2年前は、 2週前に走った70キロが裏目に出たか、終始体が重く80キロ過ぎで自ら途中棄権。 去年は、スタミナ増強とかこつけて、意識的に体重を増やしすぎてしまい、 90キロ過ぎで関門突破できず。本来なら3度目の正直といきたいところだけど、 過去2回の走りっぷりから全く自信がなかったのと、泊まりは金がかかるから 避けたいのと、20回の記念大会で完走メダルが特別と聞いていたので、確実に 時間内完走が狙える72キロにした。 参加者は72キロだけで680人(うち女性189人)。100キロと112キロをあわせると 2430人(うち女性450)。完走率は72キロ男性が8割、女性が7割。100キロと 112キロは男女とも6割台。今年で20回目の開催だが、第1回は参加者13人で、 うち一人はあの間寛平さん。元々は寛平さんのスパルタスロン(ギリシア: 246キロ)参加のための練習用にできた大会らしい。今年はアースマラソンの 最中ということでイランのテヘランから励ましの言葉をおくってくれた。 調整は万全だったと思う。実際ウルトラマラソンに向けて何をすればいいのか というのはわかっていないので、いい調整だったかの判断は難しい。結果も そうだが、そこそこ内容もよかったので、そんなに間違ってなかったと思う。 基本的には体力増強と体質改善の2つで、1ヶ月前にフルマラソンを走ること。 100キロともなるとフルの2.5倍なので、フルが走れても100キロ完走は全く 保証されないが、72キロであれば倍もないので、時間にこだわらなければ 何とかならないわけではない。ハーフが走れればフルも時間にこだわらなければ 何とかなるのと同じ。 スタートは8時。制限時間は11時間なので19時まで。ちなみに100キロは5時 スタート14時間制限で、同じく19時まで。まだ4月だし富士山ふもとなので、 18時を回ると非常に寒い。レースもかなり終盤でまともに走る体力はあまり 残っていなく、しかも最後にあのスバルラインの上りが待ちかまえているので 歩くのもつらい。仮に時間内完走できたとしても、ゴールが19時ぎりぎりに なる100キロを回避したのはこれが理由。それでも間に合えばすべてが報われるが、 大変な思いをしてぎりぎりアウトなんてことはあまりにも惨め。特に今年は去年 以上に夕方の気温が低く、去年でも十分震えていたので、つくづく72キロで よかったと思ってしまう。 72キロの部は、当日移動でかろうじて間に合う。とはいえ、自宅最寄り駅の 始発では間に合わないので、隣の駅まで自転車で行ってようやく間に合う程度。 4時20分頃家を出て、富士吉田に着くのが7時。北麓公園はそこからタクシーで 15分ぐらい。4年前も同じことをして、そのときは3人で相乗りができたが、 今年は誰もいなく、仕方なく1人で行くことに。マラソンブームとはいえ、 あまり無茶をする人はいないということか。 過去来賓なんていたっけな。知る人ぞ知る大会ではあるが、参加者3000人にも 満たない規模なので、芸能人が来賓やスターターというのはあまり記憶にない。 それが今年は3人もいて、猫ひろしがスターターで、あとはエリック・ワイナイナと 丸山和也代議士。3人とも72キロに出たらしいが、ワイナイナの5時間11分以外は、 タイムどころか完走したかどうかも不明。5時間11分は一般ランナーにしてみれば すごい記録だが、それでも優勝タイムには及ばず、40キロを2時間で走るプロに してみれば72キロは4時間ぐらいが目標だったかもしれない。ただよくよく調べて みると、前の週に長野フルマラソンに出てたと知って、さすが2大会連続のメダリスト (アトランタ銅、シドニー銀)、とうなってしまった。 コースは、72キロの場合富士三湖。リレマラでおなじみの富士北麓公園をスタートし、 河口湖、西湖、精進湖を回って、本栖湖の手前で折り返し、北麓公園でゴール。 100キロはこれに山中湖を加えた四湖。実は112キロを走って初めて、本栖湖を含めた "富士五湖"となる。 距離表示は2.5キロごと。初めて参加した4年前は距離間隔がかなりひどかったが、 随分まともになって信頼できる表示になってきた。未だに、大会要項に過去の大会の 距離表示についてお詫びの言葉が載ってるぐらいだから、相当苦情が多かったらしい。 今回の目標は9時間。過去2年、100キロの72キロ通過タイムが10時間をちょっと切る ぐらい。いずれも最悪の調子だったことを考えると、今年は9時間半、できれば9時間。 14時間制限の100キロ再挑戦を考えるときに、70キロ9時間が目安というのもある。 以下2.5キロごとのラップタイム 2.513 33 511 5725 30 7.5 1023 4449 14 出だし絶好調。いくら河口湖手前まで一貫した下りとはいえ、まさか10キロで50分を 切るとは。サブ4を出した佐倉フルでさえ50分は切ってないのに。しかも通常のロード レースと違って、信号厳守。河口湖まではそれなりの数の交差点があって、そのすべてに ボランティアが配置され、点滅し始めると止められる。さすがに4度目となるとその辺の 要領もわかってきて、交差点が近づく前に青か赤か見極め、渡れそうならスピードを 速めてでもできるだけ渡るようにして、逆に赤の場合は交差点のかなり手前から減速 するなどした。 12.514 511 04 06 1514 141 18 21 17.513 171 31 38 2015 011 46 39 22.514 222 01 01 2518 162 19 18 //西浜中休憩所 さすがに10ー20キロは57分と大きく減速したが、まだまだキロ6分を切っていて、 予想以上。去年が2時間20分ぐらいかかっていたことを考えると別人のよう。23キロ 地点ぐらいで河口湖北側が終わり、西湖に向かう。その途中に着替えもできる西浜中 休憩所があって、100キロの場合はそこが中間地点になる。去年はそこまで6時間以上 かかってしまって、着替えもせずそそくさと給水所をあとにしたが、今年は時間的には 余裕。ただ、まだ20キロちょっとなので着替えは必要なく、通常の給水所ぐらいの 2~3分で再び走り出す。 27.516 092 35 28 3015 232 50 51 32.517 353 08 27 3517 333 26 00 37.514 533 40 53 4016 063 56 59 42.529 484 26 48//本栖湖休憩所 着替え可能な2つ目の大きな休憩所が本栖湖手前の駐車場で、そこはフルとほぼ 同距離の42.1キロ。そこでのタイムが4時間13分というのは、ゴール時よりも喜びが 大きかった。普通のフルでさえベストが4時間をちょっと切るぐらいで、しかも去年の 河口湖フルより速い。かなり序盤から9時間切りはいけると思ってはいたが、これで もう大丈夫。とはいえ、100キロにしておけば時間内で完走できたのに、ということは 思わなかった。それはまた別の話。72キロだから後先考えずにとばせたというのもある。 ここまではスタート前の詰め込みでたいして給食せずにすんだが、ここからは そうはいかない。しかも空腹は急にくるし、空腹を感じ始めて都合よく給水所が あるとは限らない。あっても時間が遅いとまともなモノがなかったりする。この 休憩所ではたらふく飲み食いし、あらかじめ搬送しておいた荷物の中の食料も ポケットに入れて再スタート。周回コースでないロードのウルトラマラソンは その辺の空腹対策が難しい。ただ100キロに比べ4~5時間は短いので、つくづく 今回は楽してる。 4518 504 45 38 47.517 025 02 40 50.520 255 23 06//青木が原上り 5319 165 42 22 55.517 345 59 57 5818 436 18 40 60.520 546 39 34 青木ヶ原の上り(約1キロ)は通して歩いた。72キロの50キロ地点なのでもう無理を することはなかった。100キロの場合はまだ半分ぐらいなので、まだまだ走れなきゃ いけないところだが、72キロでもノンストップで完走できない今の走力を考えると、 上りは捨てても平地や下りでしっかり走れば1つの戦略として成り立つと思う。 それにしても60キロで6時間半か。8時間近くかかった去年とは全くの別人だな。 6320 236 59 58 65.522 147 22 13 6835 097 57 22//最後の休憩所 70.526 428 24 04//スバルライン上り 72.531 108 55 14 コウモリの森がある薄暗くて気味悪い西湖南側を過ぎ、河口湖にさしかかると残り 10キロ。湖畔でまた福○六花さんに会った。雑誌ランナーズなどでも出てる知る人ぞ 知るシンガー・ランナー・ドクター。ライブハウスなどで音楽活動をする傍ら、 フルマラソンを3時間ちょっとで走り、でも本業は医者という敬愛するスーパーマン。 六花(りっか:雪の結晶の意)という名前から女性と思われるらしいが、実際は、 40代のオッサン。河口湖在住なのでこの富士五湖や秋の河口湖フルなどで何度か お見かけしたことがあるが、なかなか声をかけられない。今回もすれ違いでハイ タッチをしたぐらい。もう少し自分を高めたら話しかけてみようと思っているが、 なかなか。。。ちなみに先日産まれた娘は、六花さんから名前を頂きました。 さて、来年はと言うと、来年も72キロかな。今年の調子なら100キロにしてもぎりぎり 間に合ったと思うが、もう1回様子を見たい。72キロだと半分より上位にいるので、 折り返しのあと、後方のランナーとすれ違う優越感がたまらない。100キロだと逆の 立場なので、なんか気分が悪い。目標は今年9時間だったので8時間半とか。でも それだとなんかパッとしないので、本栖湖までの前半42キロを13分縮めて4時間と いう方がいいかもしれない。今年は例年よりかなり気温が低めだったので、来年 いつも通りの暑さになると、それほど容易な目標でもないと思う。 今後は、ようやくのんびり。好きでやってることなので全く苦ではないが、これで ちょっとだけ緩められる。緩めすぎると元に戻すのは非常に大変だが、汗かいて 走っていれば何とかなるでしょう。リレマラまでにはちゃんとしぼって万全にする のでご安心を。 以下、気温データ(「気象庁 過去の気象データ検索」より抜粋) 2010 時間気温湿度風速風向日照時間 5-2.5920.9西 6-1.1880.6西0.2 72.0720.8南東1.0 85.5560.8北東1.0 97.7461.6北東1.0 1010.1413.1北西1.0 1111.3401.4東北東1.0 1212.3423.8南東0.8 1313.2403.1南0.9 1414.1383.1西南西0.9 1513.3423.0西南西1.0 1612.2483.5西1.0 179.6613.5西北西0.9 188.5723.4北西0.1 2009 57.9952.3北北西0.0 69.8822.5北西0.2 711.1721.1西北西1.0 812.6561.6西南西0.9 913.3482.6西0.8 1013.3373.6西0.9 1114.7413.3西1.0 1214.7373.3西1.0 1315.2343.4西1.0 1415.2333.2西1.0 1514.4322.7西1.0 1613.8372.4西1.0 1712.3371.9西1.0 1810.8423.0西北西0.9
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スケジュール ホテル バーベキュー テニス場 そのほか スケジュール 初日 18 00 八王子集合 18 08 大月行き電車(JR特急あずさ27号)に乗る 18 38 大月到着 19 00 レンタカーを借りる 20 00 晩飯を買う 21 00 ホテルチェックイン 2日目 10 00 ホテルチェックアウト(早ければなおよい) 11 00 バーベキュー開始 14 00 バーベキュー場を後にする 15 00 テニス 17 00 テニス終了 19 00 高尾に到着 19 00 最後の晩餐 20 00 解散 ホテル バーベキュー ハーブの里 コテージ でかいテレビに、バーベキューセットもついてくる 2日目の昼はここでバーベキューする テニス場 レック山中湖テニスプラザ そのほか ほうとう食べたい ほうとう竹馬
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募集要項 開催日 2010年4月25日(日) 会場 富士北麓公園陸上競技場 高速バス アーリーエントリー 年内に登録すると、ナンバー(ゼッケン番号)の入った オリジナルTシャツが貰える。 グループトライアル 3人以上5人以内でチームを組み、上位3人の合計で競い合う。 入賞は8位までだが、去年(112Km)は7チームしか記録が出せていない。 去年のグループトライアル結果 参加予定者(112Km) 杉山真也 宮崎航
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山中湖 やまなかこ #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 山梨県山中湖村にある湖。 富士五湖の一つ。 世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとなっている。 所在地 山梨県南都留郡山中湖村 地図 より大きな地図で 山梨県 を表示 水面の標高は980.5mと、日本で3番目に高い。 面積は6.57km2で、富士五湖で最大。 水深は13.3mで富士五湖で最も浅い。 富士山の噴火による溶岩流が桂川(相模川)を堰止めてできた。 2018-09-09 関連サイト Wikipedia 山中湖 関連項目 2011年5月道志 2018-09-09 2018年9月山中湖父子旅行 2018年度/行った所写真 キャノンデール M400 富士五湖 富士山 富士山-信仰の対象と芸術の源泉 山中湖サイクリングロード 旭日丘湖畔緑地公園 自転車写真 長池親水公園 この項目のタグ 2011年 2011年5月 2018年 2018年9月 世界遺産 山中湖村 山梨県 湖沼 自然 タグ「山中湖村」がついた項目 2011-05-07 / 2011年5月道志 / 2014-07-06 / 2014-08-03 / 2018-09-09 / 2018-09-10 / 2018年9月山中湖父子旅行 / 旭日丘湖畔緑地公園 / 籠坂峠 / 国道413号 / 小作山中湖店 / 長池親水公園 / 花の都公園 / ファミリーロッジ旅籠屋山中湖店 / 富士山-信仰の対象と芸術の源泉 / 富士吉田山中湖自転車道 / 紅富士の湯 / 丸一高村本店 / 山中湖 / 山中湖交流プラザきらら / 山中湖サイクリングロード / 山梨県道717号 タグ「湖沼」がついた項目 青池 / 芦ノ湖 / 網走湖 / 池田湖 / 印旛沼 / 河口湖 / 金鱗湖 / 屈斜路湖 / 雲場池 / 五色沼 / 西湖 / サロマ湖 / 支笏湖 / 不忍池 / 白樺湖 / 知床五湖 / 宍道湖 / 十二湖 / 諏訪湖 / 田沢湖 / 中禅寺湖 / 手賀沼 / 十和田湖 / 能取湖 / 八郎潟 / バラギ湖 / 桧原湖 / 琵琶湖 / 富士五湖 / 摩周湖 / 山中湖 / 弓池
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富士急行 本店:山梨県富士吉田市上吉田二丁目5番1号 【商号履歴】 富士急行株式会社(1960年6月6日~) 富士山麓電気鉄道株式会社(1926年9月18日~1960年6月6日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1950年9月25日~ 【沿革】 大正15年9月 富士山麓電気鉄道株式会社設立(資本金500万円) 昭和2年3月 甲駿自動車商会買収、御殿場~富士吉田~河口湖間の自動車営業開始 昭和2年4月 桂自動車合資会社買収、大月~富士吉田間の自動車営業開始 昭和2年5月 大月~富士吉田間の軌道営業開始 昭和4年6月 大月~富士吉田間の鉄道営業開始(23.6km) 昭和7年4月 富士山麓土地株式会社合併 昭和12年3月 富士自動車株式会社合併、静岡県下において乗合自動車営業開始 昭和14年7月 松田自動車株式会社合併、神奈川県下において乗合自動車営業開始 昭和25年8月 富士吉田~河口湖間(3.1km)の鉄道を延長、合計26.7kmとなる(昭和50年4月0.1km短縮 現在26.6km) 昭和25年9月 東京証券取引所に上場 昭和35年5月 富士急行株式会社に商号を変更 昭和36年10月 東京証券取引所市場第一部に上場 昭和36年12月 富士五湖国際スケートセンター(現在の富士急ハイランド)営業開始 昭和38年7月 ホテルマウント富士開業 昭和39年7月 初島バケーションランド開業 昭和40年12月 沼津富士急名店会館ビル(現在の沼津富士急ビル)開業 昭和44年3月 中央高速バス富士五湖線(新宿~富士五湖間)運行開始 昭和45年7月 日本ランドゴルフ場(現在の「Bandi」(バンディ))及び富士山ハイウェイ(現在の南富士エバーグリーンライン)開業 昭和46年12月 日本ランドスキー場(現在の「Yeti」(イエティ))開業 昭和48年7月 日本ランド遊園地(現在の「Grinpa」(ぐりんぱ))開業 昭和49年5月 甲府富士急ビル開業 昭和50年4月 富士吉田富士急ターミナルビル開業 昭和53年4月 中央高速バス甲府線(新宿~甲府間)運行開始(平成15年4月子会社に譲渡) 昭和59年12月 中央高速バス駒ヶ根線(新宿~長野県駒ヶ根間)運行開始(平成15年4月子会社に譲渡) 昭和60年12月 富士急ハイランド「コニファーフォレスト」開業 昭和61年3月 ホテル「ハイランドリゾート」開業 平成元年1月 本社社屋竣工 平成元年12月 ホテル「熱海シーサイドリゾート」(現在の「熱海シーサイド・スパ&リゾート」)開業 平成2年3月 富士急行線にE電乗り入れ開始(東京駅~河口湖駅間直通運転) 平成6年7月 「旭日丘リゾートスクエア」開業 平成6年10月 東京本社、新ビルで業務開始 平成7年3月 「ハイランドリゾートスクエア」開業 平成8年4月 富士市複合店舗竣工 平成10年12月 バス事業貸切部門の子会社等6社への移譲、整備部門の分離(富士急都留中央バス㈱(現富士急山梨バス㈱)、富士急三島バス㈱(現富士急シティバス㈱)、富士急静岡バス㈱、㈱フジエクスプレス、富士急湘南バス㈱、富士急平和観光㈱、富士急オートサービス㈱) 平成11年1月 環境マネジメント国際規格「ISO14001」認証取得 平成11年7月 「ホテルマウント富士」リニューアルオープン 平成14年2月 富士急行線「フジサン特急(パノラマリゾート車両)」運転開始 平成14年3月 東名高速バス(東京駅~河口湖線)運行開始 平成15年7月 「フジヤマミュージアム」開業 平成15年12月 ホテル「熱海シーサイド・スパ&リゾート」リニューアルオープン 平成16年1月 日本ランドエリア総称を「フジヤマ リゾート」に改称 平成16年11月 富士急行線「都留文科大学前駅」開業 平成18年7月 富士急行線「河口湖駅」リニューアルオープン 平成18年11月 「ふじやま温泉」開業
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富士吉田 富士五湖の中心に位置する都市。歯ごたえ抜群の"吉田のうどん"は冠婚葬祭にも 物件駅 登場作:桃太郎電鉄CHUBU 元ネタガイド 最寄り駅:富士山駅(富士急行) 2011年7月、富士吉田駅は「富士山駅」に改名しました。
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Top 地震 余震の一覧 2011年3月15日の地震 3月13日 | 3月15日 | 3月16日 発生時刻 震源地 マグニチュード 最大震度 1時11分 ごろ 茨城県沖 4.3 3 1時36分 ごろ 東京湾 3.9 2 3時35分 ごろ 福島県沖 4.3 3 3時41分 ごろ 茨城県沖 5.6 3 4時04分 ごろ 茨城県沖 4.5 3 4時28分 ごろ 宮城県沖 5.0 3 4時59分 ごろ 東京湾 4.1 3 5時33分 ごろ 岐阜県飛騨地方 1.3 5時39分 ごろ 3 5時40分 ごろ 新潟県中越地方 2.9 3 6時09分 ごろ 新島・神津島近海 2.1 1 6時14分 ごろ 岩手県内陸南部 4.1 2 7時04分 ごろ 茨城県沖 4.8 3 7時20分 ごろ 長野県北部 4.4 3 7時28分 ごろ 3 7時29分 ごろ 福島県浜通り 4.4 3 9時51分 ごろ 東京湾 2.8 1 9時54分 ごろ 秋田県内陸南部 3.9 3 10時41分 ごろ 新潟県中越地方 2.0 3 14時28分 ごろ 茨城県南部 4.3 2 14時50分 ごろ 長野県中部 2.9 1 15時28分 ごろ 千葉県東方沖 3.4 1 15時32分 ごろ 岐阜県飛騨地方 3.6 3 15時56分 ごろ 伊豆大島近海 2.7 1 16時03分 ごろ 茨城県北部 4.9 3 16時25分 ごろ 岐阜県飛騨地方 2.8 2 16時40分 ごろ 岐阜県飛騨地方 2.8 2 16時44分 ごろ 福島県中通り 3.1 1 16時48分 ごろ 福島県沖 4.3 3 16時52分 ごろ 長野県中部 2.6 1 17時30分 ごろ 苫小牧沖 3.1 1 17時31分 ごろ 栃木県北部 2.3 1 18時01分 ごろ 岐阜県飛騨地方 2.4 2 18時41分 ごろ 茨城県沖 4.4 3 18時50分 ごろ 福島県沖 6.3 3 19時31分 ごろ 千葉県北東部 4.5 3 19時43分 ごろ 伊豆大島近海 2.5 1 20時06分 ごろ 福島県沖 5.2 3 22時10分 ごろ 茨城県沖 4.2 3 22時28分 ごろ 6強 22時31分 ごろ 静岡県東部 6.0 6強 22時38分 ごろ 福島県沖 5.6 3 22時40分 ごろ 山梨県東部・富士五湖 4.0 4 22時43分 ごろ 静岡県東部 3.6 3 22時46分 ごろ 山梨県東部・富士五湖 3.2 2 22時49分 ごろ 山梨県東部・富士五湖 2.9 2 22時52分 ごろ 山梨県東部・富士五湖 2.8 1 22時56分 ごろ 山梨県東部・富士五湖 2.7 1 発生時刻 震源地 マグニチュード 最大震度
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臼井&手嶋アフター 日時:8月27日~9月2日 内容:ゆるバックファイヤー、富士五湖制覇、箱根越え、海沿いを走ります! コース:松本→諏訪湖→甲府→富士五湖→沼津→小田原→横浜→千葉 参加者:3年:手嶋、臼井、伊藤(好)、越川(諏訪湖で離脱)、2年:並木(ザギンで離脱)、梅山(小田原で離脱) 1年:小泉(二宮で離脱) 1日目(8/27) 松本→諏訪湖 まずはランドリー。 続いて旧開智学校へ。 ここで先に着いていた伊藤(歩)・五十嵐アフターの皆さんとお別れ。 旧開智学校 その後はまったりと前日に下ってきた塩尻峠を再び越える。 塩尻峠にて 峠を下った後は諏訪湖畔のお風呂に入り、偶然諏訪湖で夏期間中毎日やっている花火を見て、越川と別れました。 その後テン場の候補の公園に行きよさそうな東屋があったのですが、一度買出しに行き、再び公園にきたら別のチャリ部に東屋が取られていました(笑) 2日目(8/28) 諏訪湖→甲府 この日はずっと強い雨でした( _ ) 道の駅にて。雨宿りしながらお疲れのみんな。 この日唯一のみどころ!? 金精軒の名水まんじゅう 雨の中なんとか甲府につきました。この日は夜は吉野家、寝床は石和健康ランドでした。 甲府駅前にある武田信玄像にて 3日目(8/29) 甲府→富士五湖 この日は臼井と手嶋が健康ランドがあまりにも心地よいため寝坊してしまったところから始まりました。すいませんでしたm(_ _)m 甲府から富士五湖目指し結構上りました。上っている間は久しぶりに天気もよく夏!!って感じでした。 昼過ぎに精進湖に到着。 精進湖にて 続いて本栖湖にて「モトスコ」ポーズ!! 梅ちゃんの「ス」が特にポイントです(笑) 次に西湖。 西湖は「乙女の湖」とも呼ばれているらしいのでこのアフターに参加してくれた乙女2人と西湖を一緒に撮りました。 ちなみに後ろに移っている小泉くんがしているのはこの日生まれた「乙女ポーズ」です(笑 ) 4日目以降へ