約 9,710 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3023.html
925 :第三帝国:2015/10/31(土) 21 48 26 続いたネタ12 GATE~夢幻会、彼の地にて戦いけり 1945年 東京 大日本帝国の大使として吉田茂が赴任したように、 21世紀の日本もアルヌスの丘から1945年の日本に足を踏み入れた。 「なんだこの発展ぶりは!? 本当に1945年の東京なのか?」 「自動車も多い…それに高層ビルもある」 そして派遣された官僚たちの感想は驚愕であった。 元々帝国日本側から提供されていた資料から、 自分達が知る歴史以上に発展しているのは知っていたが想像以上であった。 「満州の油田…。 それに中東の石油利権、 これらに何が何でも関わらなければ!」 「通貨の取り決めが決まっていない当面はバーター取引だが、 それだけでも儲けがおおきい、早急に交易について決まりごとをしなくては」 さらに既に開発されている満州の油田、 未だ手がつけられていない中東の油田に興奮する経済産業省、 バーター取引で貴金属での交換を予想する財務省の官僚が興奮を隠さなかった。 大半は得られる利益と利権に楽観的な事を考えていたが、 しかし、この日本を取り巻く環境と発展ぶりに違和感を感じるを人間がいた。 「まさかこの時期になってもヒトラーが生きているとは。 おまけに強制収容所、はじめ帝国日本側からの説明ではまさかと思いましたが、 昨晩接触してきたドイツ大使館の人間が当たり前かのように話した時は歴史という奴を思い知りましたよ」 「しかもイギリスではバトル・オブ・ブリテンでチャーチル首相が死亡し、ドイツと停戦。 アメリカは例の大西洋津波で壊滅、ソ連はスターリンが亡くなって以来ガタガタ、歴史が違いすぎる」 そう嘆息する外務省の官僚達。 違いすぎる歴史に思わず頭を抱える。 「そしてこの日本の発展ぶり、一体何なのだ? 下水道の整備が妙に進んでいるいるし、関東大震災後の対応が見事すぎる。 投下された予算が史実より多いこともあるが、聞けば元々関東大震災の日が防災の日になっている、偶然か?」 「フォン・ブラウン博士が招待されているし、冷遇されていた八木教授が優遇されている…妙だ」 史実の貧弱ぶりを知る国交省の官僚が国内の異常な発展に疑問を浮かべ、 さらに科学技術庁の官僚が20世紀後半に関わる重要な技術発展に関わる人物が優遇されていることに違和感を覚える。 「だからこそ貴方方も違和感を覚えるがゆえに伊丹レポートに注目している、そうでは?」 「………………」 海自の武官である江田島五郎二等海佐の言葉に沈黙で肯定を表現する。 伊丹レポート。 それは特地で見た日本軍と特地の報告を記したものだが、 その中に1945年の日本が先の歴史を知る未来人による関与の可能性を示した。 通常ならそんな内容が書かれた報告書自体通ることはないが、 伊丹二尉が未来人の証拠として示したオタ文化は確かに21世紀の日本にあるもので、 戯言と切り捨てるわけにいかなく、かといって公に認めるわけにいかず、 とりあえず、公には口にせず内心で可能性に同意しているにとどめている。 「仮に未来人がいたとすれば関与した時期はかなり早いでしょうね。 歴史の流れは幕末から変わって来ていることから見て最低幕末からでしょう、 彼らは関わって来たのは、それ以前の歴史には我々の歴史と流れは同じですから」 江田島二佐の推測に官僚たちが頷く。 926 :第三帝国:2015/10/31(土) 21 49 44 「そしてそれは1人ではない、集団だ。 また組織を作っている、そうでなければ国を動かすことはできない」 「ええ、そうでしょうね。 でないとここまで変わるはずがない」 官僚の1人の言葉に江田島二佐が同意の言葉を送る。 「だが、それは日本だけではないと思う。 ドイツでは未だヒトラーが健在で公式映像を見る限り健康そのものだ。 もしかするとドイツでも未来人、それもヒトラーの健康不良を知る人間が関わっているのかもしれない」 さらにドイツがイギリスとの停戦に漕ぎ着け、 ソ連と戦いで勝利を収めてカール大帝の次に統合された欧州を作ったヒトラーに疑惑の目を向ける。 史実のヒトラーはパーキンソン病を始め薬の副作用で健康面に重大な問題を抱えていたが、 この世界のヒトラーはどういうわけかそうした問題の兆候すら見当たらず、史実を知る人間の介入を疑った。 「日本の事もそうだが今後はドイツの事も調べる必要があるな…。 はぁ……まさか未来人の存在を真剣に議論する時が来るとは一体どんなファンタジーなのやら」 「おや、そもそも銀座の門その物がファンタジーですし、 案外我々の存在は誰かに物語として描かれているかもしれませんよ」 「普段ならそんな馬鹿なと笑い飛ばせるが、平行世界にいる身としては真剣に考えざるを得ないな…」 江田島二佐の冗談にドイツ未来人介入説を唱えた公安の人間が苦笑交じりに返答する。 「しかし既に疑わしい組織は分かっています――――内閣直属の機関、総合戦略研究所です」 1920年代は大幅な軍縮と同時に数多くの政府組織が設立された。 特に史実と違う改変は軍需省、大日本帝国中央情報局、通商産業省の設立で、 史実の日本が弱点としていた点を克服すような組織であるが、中でも総合戦略研究所の存在は目立っていた。 何故なら軍事、経済、外交の様々な分野の専門家達によって構成される日本最大のシンクタンク組織であり、 研究所から提言された意見が政治家、ならびに各省庁に強い影響力を与えており未来人が研究所を通じて介入しているのを疑っていた。 「彼らに接触することで今後の優位に立つ、それが私たちの目的なのですから」 そして1945年の大日本帝国に派遣された官僚達は彼らに接触することで、 今後アメリカを始め、拡大するであろう世界間の交流で優位に立つことを目論んでいた。 おわり
https://w.atwiki.jp/dunpoo/pages/1019.html
150402 自治体の「総合戦略」次々 人口減対策・活性化の道筋示す[朝日] 150205 東京圏、11万人の転入超過 一極集中が加速、14年報告 [東京] 141121 地方創生法が成立 人口減克服目指す [東京] 地方交通網を守るために 150402 自治体の「総合戦略」次々 人口減対策・活性化の道筋示す[朝日] 人口減対策や地方活性化について、各自治体ごとに今後5年間の道筋を示す「総合戦略」をつくる動きが広がっている。政府が用意した支援メニューを受ける条件になっているからだ。いち早く公表する自治体もあるが、官僚や業者頼みを心配する声も出ている。 ■政府支援受ける条件 戦略発表の第1号になったのは、丹後ちりめんの産地の京都府京丹後市(人口約5万8千人)。過疎化で人口が65年間減り続けたが、特産の絹織物をいかした新産業を育て、2060年には今より2万人増やす、との目標を設定。196の施策を盛り込んだ戦略を3月2日に発表した。 中山泰市長は「戦略はやる気の証し。取り残された地域だからこそ真っ先に作った。交付金や事業を取りにいく時に差がつくはず」と一番乗りにこだわった。 長野県塩尻市(同約6万7千人)も3月10日、旧中山道の宿場町「奈良井宿」とワイン産業をいかした滞在型観光の促進などで、40年の人口を6万人で維持する計画を公表。島根県雲南市と栃木県那須塩原市、高知県も続き、戦略をまとめたのは5自治体になった。 国は人口減対策の処方箋(せん)として昨年末にまとめた「総合戦略」で、すべての自治体に今年度中に「地方版総合戦略」をつくる努力義務を課した。戦略をたてた自治体だけを予算配分などで集中支援する方針だ。 全自治体の半数が消滅しかねないとする民間予測もあって、地方の危機意識も一気に高まり、自治体のほとんどが戦略立案の予算を計上。発表は夏から秋に集中する見通しだ。 石破茂地方創生相は先月31日の会見で「かなり洗練されたいいものが出ることを希望している」と手応えをみせる。 ■指南役の官僚、争奪戦 だが、人口減に立ち向かう方策を自力で描ける自治体は少ない。予算や人材、ノウハウが乏しいためだ。 国も地方の実情を踏まえ、戦略づくりの費用として128億円を約1700自治体に交付。霞が関側の相談窓口となる「地方創生コンシェルジュ」として、17府省庁の871人を任命した。 自治体に官僚や民間人を派遣する新制度もつくり、今月1日から69人を順次各地に送り出す。 ただ、地方の「本音」とのすれ違いも出ている。 国が当初、派遣を用意していた官僚は25人程度。だが、官僚を第1希望とした市町村は5倍近い119に達し、各省庁の人事部門が人材をかき集めても、42人しか派遣できなかった。 官僚を熱望して地元国会議員に陳情した長野県飯綱町の峯村勝盛町長は「予算獲得のパイプ役になってほしかった」と明かす。一方、派遣される若手官僚の一人は「自治体側が『官僚なら誰でもいい』との態度なら、制度が骨抜きになる」と不安を漏らした。 ■業者に頼る例も シンクタンク業界を頼る自治体も少なくない。 大手監査法人トーマツには、各自治体から「どうすれば交付金をもらえるか」「地域にあった施策はどんなものがあるか」といった相談が相次ぐ。鹿児島銀行系のシンクタンク・鹿児島経済研究所の担当者は、県内43市町村の約半数から問い合わせがあったと明かす。 外部に「丸投げ」してしまえば、似たような戦略ばかりが並ぶ恐れもある。石破氏は会見で「シンクタンクが役割の大半を担うなら、住民参加にならない」とクギを刺した。 150205 東京圏、11万人の転入超過 一極集中が加速、14年報告 [東京] 総務省が5日公表した2014年の人口移動報告によると、三大都市圏のうち東京圏で、転入者が転出者を上回る転入超過が10万9408人に達した。3年連続の増加となり、東京一極集中が加速している実態が浮き彫りになった。名古屋圏と大阪圏は2年連続で転出が転入を上回り、都道府県別の転出超過は、13年から2増の40道府県に上った。 政府は、昨年12月に閣議決定した人口減少対策の5カ年計画「まち・ひと・しごと創生総合戦略」で、地方の人口流出に歯止めをかけ、20年までに東京圏の転出・転入を均衡させる目標を掲げているが、実現は容易ではなさそうだ。 (共同) 141121 地方創生法が成立 人口減克服目指す [東京] 人口減少克服や地域経済活性化の基本理念を示した「まち・ひと・しごと創生法」と改正地域再生法が、21日の参院本会議で自民、公明、次世代の党などの賛成多数により可決、成立した。民主党、維新の党、共産党などは欠席した。 創生法は、2015年度から5年間の人口減少対策の取り組み方針「総合戦略」の策定を明記した。ただ、来月上旬に予定されていた戦略の閣議決定は、衆院解散・総選挙後にずれ込む。 同法は、人口減少に歯止めをかけ、東京への一極集中を是正するため、出産や育児をしやすい環境づくりや地方での雇用創出を進めることを基本理念に掲げた。 (共同) 地方交通網を守るために [朝日]131025 阿部等(交通コンサルティング会社ライトレール社長) ●交通ユニバーサル税の創設 公共交通網を整備するため、大都市の利用者から資金を吸い上げ、再配分。対象は地方だけではなく、首都圏でも北総鉄道のような割高な路線も。 ●経営安定資金の積み増し JR本州3社から3島会社へ。長期の低金利で3島会社の経営安定資金からの金利収入は激減。逆に国鉄債務の一部を承継した本州3社は返済金利が軽減したから。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33894.html
登録日:2016/03/07 Mon 13 14 13 更新日:2024/01/14 Sun 12 22 26 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 公安9課 内務省 内政 国家公務員 地方行政 大日本帝国 官僚 役所 攻殻機動隊 新世紀エヴァンゲリオン 日本 日本国政府 特高警察 警察 霞ヶ関 概要 地方行政や治安維持を司る行政機関。フランス内務省は国家警察・国家憲兵隊、イギリス内務省は諜報機関MI5、ロシア内務省は国内軍を所管する。 イタリア内務省は国家警察に加え、各県知事も内務官僚である。 一方で、アメリカの内務省は環境保護や資源管理を行う組織であり、他国とは趣が異なる。 連邦警察は司法省の機関で、大規模な治安維持政策は9.11以後に設置された国土安全保障省が担当する。 この様に内務省は各国の中でも重要な位置付けにあるが、現在の日本に内務省は存在しない。 本項では戦前に存在した大日本帝国内務省について解説する。 日本の内務省 明治維新の立役者、大久保利通。首相の役職は無くとも、維新直後の日本を動かしていた最大権力者は大久保と言っても良く、彼が就任した役職の一つが内務卿である。 正式な内閣制度発足までの間、この役職に就いたのは大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、松方正義、山田顕義、山県有朋――であり、明治時代を象徴する錚々たる面子が揃っている。 この内務卿の下で活動を開始したのが、行政機関・内務省だった。 フランス第二帝政の国内省(内務省)と、ビスマルク時代のプロイセン帝国宰相府を参考に大久保が設置したこの省庁は、「官庁の中の官庁」と呼ばれるに至り、大日本帝国の中央から地方末端まで統括する超大規模な政府中央機関として君臨することになるのである。 内閣制度発足後に山県有朋が初代内務大臣に就き、内務大臣は副首相格として扱われる様になる。 治安と地方行政統括に加え、選挙干渉にも関与できるこの役職は内閣の最重要ポストであり、連立内閣の際には様々な政党がこの座を巡って争った。 内務省の組織 主な部局は神社局、地方局、警保局、土木局、衛生局、社会局。 神社局は最終的に内務省外局の神祇院に、衛生局・社会局は厚生省にそれぞれ分化した。 権勢としては警保局が最も強く、内務三役とは内務次官、警保局長、警視総監を指す。 国家神道、府県知事、警察組織に道路や防疫、労働行政とその担当範囲は相当に広く、何でも屋としての機能を有していた。 他省庁の調整役や府県の土地争い仲介まで所掌していたところを見るに、やはり別格の地位に居たのだろう。 中央省庁は日本全国を統治する為に出先機関を設置するが、内務省は各府県庁や警察署が出先機関に相当するため、広範な支配体制確立を可能にした。 首都計画にも内務省が深く関与しており、東京警視庁は内務省に直属していた(現在の警視庁は東京都公安委員会の管理下にあり、「表面上」は警察庁の下部組織という訳ではない)。北海道庁と樺太庁も内務省の直轄だった。 また、各府県警察に属する特別高等警察は内務省警保局保安課の直接指揮下に置かれ、防諜や取り締まりに加え、選挙干渉も行っている。 東京大学法学部の学生からは内務省と大蔵省こそが帝国政府の要と認識されており、高等文官試験の上位合格者は大体内務省か大蔵省を志望していた。 こうした高級官僚にとっての理想人生は、何処かの府県に出向して府県知事になるのが安泰路線であり、野心のある者は内務次官、警保局長、警視総監を目指したり、議員や大臣に取り立てて貰う事を望んでいる者も居た。 警察を所管する内務省は軍部に対して何かと軋轢を起こす事が多かった。ゴーストップ事件などはその一例で、2.26事件では皇道派に警視庁を占拠され、5人の警察官が殉職している。警察と自衛隊の対立も時たま囁かれるが、警察の軍隊嫌いは戦前からの様である。 文部省に対しては府県庁を通じて事実上の支配下に置いており、「内務省文部局」と揶揄されていた。ほか、大蔵省、商工省、農林省も煮え湯を飲まされていた。 そんな内務省もポツダム宣言受諾と共にGHQによって解体される。 大日本帝国の極度な中央集権化を産み出した事や、特高警察の存在が危険視されたからである。アメリカは特高をナチス・ドイツのゲシュタポと同一視し、秘密警察の解体を指令したが、内務省の役人は「特高は公然と活動していたんだから秘密警察じゃない。大丈夫」と呑気に構えていたらしい。 当初はGHQも何処まで解体するか迷っていたが、戦前に対立していた各省庁の官僚が民政局(GS)に内務省悪玉論を吹き込んでいたこと、内務官僚が、GSと敵対関係にあった参謀第二部(G2)に近かったことから、GSによって徹底して解体される事になった。内務官僚は「民政省」や「総務省」と名を変えて存続することも模索したが、これらの試みは失敗に終った。 府県知事も公選制となり、警察組織は解体。政教分離によって神祇院も終焉を迎え、1947年の12月31日に内務省はその役目を終えた。 内務省最後の日、内務省が解体され廃止されることに非常に憤慨していた内務官僚の後藤田正晴は、「内務省を復活させなければ死ぬに死ねない」と言い残しているほか、内務省廃止の日に最後の別れの酒宴が開かれた席上で、居残り組(総理庁官房自治課)の中心である鈴木俊一が内務省の先輩達に対して、「私があとに残って、必ず内務省を元通り復活させてみせます」と誓ったという。 現在まで残る内務省の系譜 日本国政府の項も参照のこと。 総務省 総務庁・自治省・郵政省・総理府の一部が合同する形で発足した中央省庁。 内閣官房と内閣府を除く場合の筆頭省庁であり、各自治体の監督や各省の行政評価、内閣の事務を一部担当するなど、他の省とは別格の位置に居る。 内務省がGHQによってバラバラにされた際、後継とも呼べる唯一の省庁は自治省のみで、自治大臣も末席ポストだった。自治省は規模も小さく、「これが内務省の後継官庁か」と嘆かれた。ただし、旧内務省の人脈や、地方交付税交付金を握っていること、首長公選制によって大きく弱体化したとはいえ都道府県庁や政令指定都市の主要ポストに自治官僚が就任していたことから、組織規模に不相応なほど権勢は強く、旧大蔵省と対等に渡り合える数少ない省庁の一つであった。 総務省となるときに、郵政民営化によって監督官庁が事実上なくなった、旧郵政省の電波行政も引き受ている。 現在は、地方行政・電波・行政庶務を扱う官庁として君臨している。英名のMinistry of Internal Affairs and Communicationsは内務・通信省を意味しており、総務大臣の執務室には大久保利通の「政を為すには清にして明」という揮毫が掲げられているらしい。 都道府県庁 自治体の行政機関なのに内務省地方局の出先機関と化していた都道府県庁は、内務省解体後も自治省(総務省)を筆頭に霞ヶ関の官僚が出向している。 霞ヶ関としては地方のお目付役を配置でき、地方公共団体は自前で幹部養成を行わずに済むため、所謂win-winの関係ではあるが、上級職採用の地方公務員は面白くないらしい。また、民選になっても旧内務官僚が数多く知事に当選している。 最近までは機関委任事務という、国の仕事を地方公共団体が肩代わりする制度が存在し、国 地方という図式だったが、現在は「建前」としては対等な関係にあるとされる。ただし、地方交付税交付金を握っているのは総務省であるため、依然として地方公共団体は総務省に頭が上がらないのが実情である。 消防庁 総務省の外局。元々は内務省警保局消防課。警察キャリアと違い、消防キャリアは存在しない。 よって、消防庁の人員は総務省からの出向である。実は国民保護法における武力攻撃事態の際、国家と地方の総合窓口となることが期待されているらしい。 国家公安委員会・警察庁 霞ヶ関で最も小さい自治省に解体されてしまった内務省。しかし、それは地方行政の側面であり、警察官僚はしたたかに生き残った。一度は民政局(GS)によって国家地方警察本部と自治体警察という形にまで骨抜きにされ、東大法学部出身の採用希望者が皆無という悲惨な状態に陥っていたが、GSと仲の悪かった参謀第2部(G2)の後押しで特別高等警察は公安警察という形で復活。激化する労働運動を背景に、警備公安活動強化を掲げた警察官僚の手により、警察法は改正され、警察庁と都道府県警察本部が誕生した。 警察庁は内務省警保局そのものであり、解体された一部局が庁になるというチグハグな結果をもたらしたのであった。内務省の後継官庁の中では、警察庁は自治省と並ぶ権威を誇っていた。警察の暴走を防ぐために上部組織として国家公安委員会が設置されているが、国家公安委員会の事務局機能は警察庁が担っているので、実際は警察庁にお墨付きを与える組織になっている。ちなみに、警察に委員会制度が設けられているのは日本ぐらいだとか。 ちなみに省庁改変までは自治大臣が国家公安委員長を兼任していた。世が世なら内務大臣だったのに……。 各国の治安関係者が集まるG8司法・内務大臣会議では、司法大臣枠に法務大臣が、内務大臣枠に国家公安委員会委員長と警察庁長官のどちらかが、それぞれ出席している。 公安調査庁 法務省の外局たる情報機関・公調。その前身は戦後に発足した内務省調査局である。 占領目的に反する組織の調査・監視を担当した調査局は、特高警察や陸軍中野学校、思想検事、特高係憲兵の出身者で構成されており、後身の公安調査庁も内務省の流れを汲んでいる。しかし、同じ内務省系官庁なのに公安警察とはすこぶる仲が悪い。また、国内担当の第一部長は警察キャリアの指定席だったりする。 法務省から出向してきた検事が公安調査庁の主導権を握っていることや、任務が類似している公安警察と比較して権限が弱く、組織力も劣ることから、情報機関の中では存在感が薄く、行政改革の度にリストラ官庁候補の筆頭格としてやり玉に挙げられることが多い。 文化庁 文部省の外局。文化庁メディア芸術祭アニメーション部門を主催する愉快な官庁だが、系譜を辿ると出版と検閲を主管した内務省警保局検閲課だったりする。戦後に検閲課は文部省に移動し、現在の形に落ち着くのであった。 厚生労働省 戦前に内務省から分離した衛生局と社会局。両者は厚生省として発足するが、戦後に厚生省と労働省に分離。省庁再編で再び合併し、厚生労働省が誕生した。 第一・第二復員省という、陸軍省と海軍省の血筋も引いている厚生労働省は、系譜的にかなりカオスな組織となっている。 また、医療と労働問題所管官庁であるこの省庁は麻薬取締官と労働基準監督官という二つの行政警察官も担当しており、警察権を有していたりする。 とくに麻薬取締官については警察との連携が不可欠であり、警察官僚からは効率化(と権限拡大)のために纏めた方が良いという声も。 国土交通省 国交省の元々の母体は運輸省と建設省、国土庁である。そして、運輸省を辿ると鉄道省、建設省を辿ると内務省国土局に行き着く事から、国交省は内務省系官庁である。外局の海上保安庁は旧海軍の商船学校出身者が主導権を握っていたため、内務省の係累では無い。 ただし、内務省時代には技官が冷遇されていたことから、土木系技官の力が強い建設省では、他の旧内務省系とは異なり内務省時代を懐かしむ声は少なかった。 神社本庁・神社庁 たまにお役所と勘違いする人も多いが、神社本庁は宗教法人である。しかし、その前身は内務省神祇院であり、戦前の神主は国家公務員級の待遇を受けていた。そもそも宗教の所管は文部省なのだが、国家神道は仏教やキリスト教を超える概念として一段上に置かれ、内務省が管轄した。GHQの神道指令によって徹底した政教分離が図られ、伊勢神宮を頂点と捉える神社は宗教法人・神社本庁を立ち上げたのであった。 ちなみに、神社本庁は日本全国の神社の9割以上と被包括関係にあるが、あくまで宗教法人の一つであり、神社本庁に属していない神社も存在する。靖国神社や日光東照宮はその一例。靖国神社が属してないのは、戦没者追悼は国家が責任を負うべきであり、靖国神社を国家護持すべきとの考えからだとされる。 防衛省 防衛省・陸上自衛隊の源流は警察予備隊本部・警察予備隊であり、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うものとして設けられた。その活動は警察の任務の範囲に限られるべきものであると定められていたが、実質的には対反乱作戦を遂行するための準軍事組織もしくは軍隊である。 警察予備隊本部と警察予備隊の幹部は、旧陸軍嫌いの吉田茂の意向で旧内務官僚が多くを占め、幹部から旧陸軍出身者を極力排除していたが、東西冷戦の激化と朝鮮戦争における国連軍の劣勢により、警察予備隊には軍隊としての性格がより一層求められるようになり、1951年6月以降、警察予備隊の幹部として旧陸軍で中佐以下の階級だった405人の元佐官と、652人の元尉官が採用されている。警察予備隊が保安隊へと改編された1952年8月には、旧陸軍大佐10人と旧海軍大佐1人が入隊している。ほか、警察予備隊本部の保安庁への改編の際に、旧海軍出身者が多数を占めて設立された海上警備隊が運輸省より移管され、警備隊に改編されている(後の海上自衛隊)。 このように、実働部隊の幹部は旧内務官僚から旧軍出身者に変更されたが、旧内務官僚は保安庁(後の防衛庁)の内局に移り、旧内務官僚主体の防衛庁内局(背広組)が、旧軍出身者主体の自衛隊(制服組)を管理・統制する「文官統制」が長らく行われていた。かつての防衛参事官制度はその代表例である。防衛庁の防衛省への昇格後、防衛参事官制度の廃止や、自衛隊の運用に関する権限が統合幕僚監部に一元化されるなど、近年では制服組の権限が拡大している。 ただし、防衛省情報本部電波部長は警察官僚の指定席であるなど、文官統制の残滓は未だに残っている。 内閣官房副長官と宮内庁長官 天皇や首相などを除いた場合、一番偉い国家公務員は誰か? あまり知られていないが、実は内閣官房副長官(事務方)が全国家公務員の頂点にあたる。このポストは退官した旧内務省系官庁(総務省・警察庁・厚労省・国交省)の官僚が就任するのが慣例となっている。これは戦前の内閣書記官長の後継役職だからという意味合いもあるのだろう。 天皇や皇族の国事行為を補佐する宮内庁長官も内務省系官庁の出身者が就任する。そして、宮内庁は内閣府に置かれつつも「外局」ではない特殊な立場にある(内閣府のみ「外局等」と表記される)。 国民にとっては歴史の一幕となった内務省だが、霞ヶ関にとっては未だに大きな影響力を及ぼしているのである。 内務省が登場する作品 近未来の日本を描いた作品で内務省が復活している場合、つまりは「そういう時代」という事である。 東のエデン セレソンの一人である物部大樹が内務省の復活を画策。元財務官僚だった彼は、強大な権力を持つこの官庁によって、国民のコントロールと官僚主導による日本の再興を目論んでいた。 攻殻機動隊 草薙素子たち公安9課は内務省の防諜機関とされている。カエル顔の内務大臣は原作・SAC共に登場。 後者では一期と二期の間に首相が交代するが、彼は相変わらず内務大臣を続投している。攻殻機動隊 S.A.C.シリーズは東のエデンと同一の世界観という裏設定が存在し、物部の念願が叶った未来となっている。 攻殻機動隊 S.A.C.シリーズには総務省も存在しており、内務省と総務省の業務の線引きは不明。最もS.A.C.シリーズの一つである「2nd GIG」では素子に「現状対立する各省庁のクッション役にしかなれていない」などと評されているので、かつてよりはその権限が大幅に制限されているのかもしれない。 新世紀エヴァンゲリオン ジェットアローンの建造に関与していた描写があり、時田シロウが内務長官に電話を掛ける描写がある。 また、NERV特殊監察部所属の加持リョウジは内務省調査部のスパイであり、更にゼーレのスパイでもあった。他の場面でも内務省の工作員が何人か登場する。 新劇場版の設定では、戦略自衛隊の所属が国防省から内務省に変更されている。 バイナリー ドメイン 2033年に興った日本の孤立主義・右翼的政治勢力であるニューオーダーズが、秩序回復のために警察庁、海上保安庁、総務省、国土交通省、厚生労働省などの権限を吸収して内務省を設立した。 内務省は、過激化するレジスタンス組織を根絶させるため、従来の警察以上の武力をもつ法執行部隊創設を画策。議会工作を行い、「内務省国内治安部隊法」を可決させた。 反政府レジスタンスらに対し強力かつ迅速な行動をとることが認められており、ニューオーダーズの「国家秩序回復運動」を支持する警察・自衛隊関係者を幹部に、東京管区には隊員4000名、10個中隊が配置され、対ゲリラ・市街戦専門部隊として活動している。 また仮想戦記など、実際の歴史と異なる流れを辿った要素のある作品(ガンパレやマブラヴシリーズのような)では、そもそも「復活」ではなく「存続」というパターンもある。 もしくは内務省相当で現在の末裔、上述された公安等の組織とは違う名前や権限を持った組織が存在しているなど。 他には最近アニメ化された「ジョーカーゲーム」のような戦前〜戦中日本の軍事・政治要素を強く含むタイプの作品では「オリジナル」そのものであることも。 追記・修正は内務省の検閲を潜り抜けてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 「なかつかさしょう」 -- 名無しさん (2016-03-07 17 56 13) アカギの鷲巣様も内務省出身者 -- 名無しさん (2016-03-08 02 39 07) 犬狼伝説の登場人物、室戸文明は内務省の復活を目論んでいるとキャラ説明にあったな。 -- 名無しさん (2016-03-09 13 24 03) 今現在にすら影響力を残してる大久保利通の手腕と来たら…為政清明の精神を持っている官僚がどれだけいるかは知らんがな -- 名無しさん (2016-03-16 16 39 57) 大久保、木戸、榎本、博文、海舟、陸奥宗光・・・。明治時代の政治家、外交官、軍人、教育者などが今とは比べ物にならない程優秀な人材が揃ってる。 -- 名無しさん (2016-03-27 13 14 47) ↑当時は国作りが失敗したらそのまま国が滅びる緊張感があったからね。明治維新や戦後直後辺りの生きるか死ぬかの感覚でやれと言われてもそりゃ国民は勿論、政治家も官僚もイメージ湧かないだろうな -- 名無しさん (2016-05-05 00 40 01) 佐藤大輔作品はじめ、架空戦記の日本内政要素が絡む作品でも見かけるな。第二次大戦がなかったり、日本が戦勝国になってたりと政治関係組織の改編理由そのものが消えてるケースも珍しくないから。逆にソ連侵攻が史実よりえらいことになった結果のパターンもあるが -- 名無しさん (2016-08-08 10 23 17) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/tokyo_jungle/pages/31.html
アーカイブはストーリーと、システム的にも内容的にも密接な関係にあり アーカイブの出現順は決まっている (サバイバルモードでどの動物を使っていても同じ) 取得したら、死んで終わらせないとセーブされない。(取得してから再開の繰り返しはできない) アーカイブを3つ獲得→ストーリー開放→ストーリークリア→次のアーカイブ開放 なお、以下の一覧は入手順でありゲーム内アーカイブの並びとは異なるので注意。 名称 出現条件 拾得マップ 飼育員の記録1 1つ目のストーリー解禁前 渋谷駅前 獣医のレポート 1つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 飼育員の記録2 1つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 新聞記事1 2つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事2 2つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事3 2つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事4 3つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 ネットの書き込み1 3つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 広告 3つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 新聞記事5 4つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 プレスリリース 4つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 経済産業省レポート 4つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 ネットの書き込み2 5つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事6 5つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 文化科学省官僚のレポート1 5つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事7 6つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 文部科学省の発表 6つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 教授の日記5 6つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 教授の日記6 7つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 助手の記録 7つ目のストーリー解禁前 山手線東 文部科学省官僚のレポート2 7つ目のストーリー解禁前 山手線東 文部科学省官僚のレポート3 8つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記7 8つ目のストーリー解禁前 山手線東 文部科学省官僚のレポート4 8つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記8 9つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記9 9つ目のストーリー解禁前 山手線西 助手の記録2 9つ目のストーリー解禁前 山手線西(高架橋から左に蔦を渡っていけるもう一個の高架橋) 文部科学省官僚のレポート5 10つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 教授の日記10 10つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 ある通信記録1 10つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 メモリーログ1 11つ目のストーリー解禁前 渋谷駅前 ある通信記録2 11つ目のストーリー解禁前 道玄坂 教授の日記1 11つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 教授の日記2 12つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 教授の日記3 12つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記4 12つ目のストーリー解禁前 代々木公園西 メモリーログ2 13つ目のストーリー解禁前 山手線東 メモリーログ3 13つ目のストーリー解禁前 代々木公園西 メモリーログ4 13つ目のストーリー解禁前 代々木公園東 メモリーログ5 14つ目のストーリー解禁前 地下施設(代々木公園東にカードキー) メモリーログ6 14つ目のストーリー解禁前 地下施設(代々木公園東にカードキー) メモリーログ7 14つ目のストーリー解禁前 地下施設(代々木公園東にカードキー)
https://w.atwiki.jp/tptptp/pages/25.html
アーカイブはストーリーとシステム的にも内容的にも密接な関係にありアーカイブの出現順は決まっている 取得したら、死んで終わらせないとセーブされない。(取得してから再開の繰り返しはできない) アーカイブを3つ獲得→ストーリー開放→ストーリークリア→次のアーカイブ開放 なお、以下の一覧は入手順でありゲーム内アーカイブの並びとは異なるので注意。 代々木公園東にカードキーがあり、最後の3つはカードキーをとってからでないと取れない。 名称 出現条件 拾得マップ 飼育員の記録1 1つ目のストーリー解禁前 渋谷駅前 獣医のレポート 1つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 飼育員の記録2 1つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 新聞記事1 2つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事2 2つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事3 2つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事4 3つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 ネットの書き込み1 3つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 広告 3つ目のストーリー解禁前 渋谷繁華街 新聞記事5 4つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 プレスリリース 4つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 経済産業省レポート 4つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 ネットの書き込み2 5つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事6 5つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 文化科学省官僚のレポート1 5つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 新聞記事7 6つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 文部科学省の発表 6つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 教授の日記5 6つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 教授の日記6 7つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 助手の記録 7つ目のストーリー解禁前 山手線東 文部科学省官僚のレポート2 7つ目のストーリー解禁前 山手線東 文部科学省官僚のレポート3 8つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記7 8つ目のストーリー解禁前 山手線東 文部科学省官僚のレポート4 8つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記8 9つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記9 9つ目のストーリー解禁前 山手線西 助手の記録2 9つ目のストーリー解禁前 山手線西(高架橋から左に蔦を渡っていけるもう一個の高架橋) 文部科学省官僚のレポート5 10つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 教授の日記10 10つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 ある通信記録1 10つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 メモリーログ1 11つ目のストーリー解禁前 渋谷駅前 ある通信記録2 11つ目のストーリー解禁前 道玄坂 教授の日記1 11つ目のストーリー解禁前 渋谷郊外 教授の日記2 12つ目のストーリー解禁前 渋谷森林 教授の日記3 12つ目のストーリー解禁前 山手線東 教授の日記4 12つ目のストーリー解禁前 代々木公園西 メモリーログ2 13つ目のストーリー解禁前 山手線東 メモリーログ3 13つ目のストーリー解禁前 代々木公園西 メモリーログ4 13つ目のストーリー解禁前 代々木公園東 メモリーログ5 14つ目のストーリー解禁前 地下施設(代々木公園東にカードキー) メモリーログ6 14つ目のストーリー解禁前 地下施設(代々木公園東にカードキー) メモリーログ7 14つ目のストーリー解禁前 地下施設(代々木公園東にカードキー)
https://w.atwiki.jp/saaa77/pages/21.html
パワフル 熱血 官僚 仏契 あかつき ・4年生の誕生日プレゼントで加藤京子か雨宮冬美から野球超人伝をもらえたら取得 ・合宿の時カードゲームの『かぶ』で矢部に2勝1敗で勝つと低確率で取得 熱血 ・『鉄下駄』の練習を15回すると取得 官僚 ・卒業論文の成績が最低だと剥奪される 仏契 ・練習レベルをすべて上げて、小豪月の称号を手に入れ、大豪月様のチェックを受けると取得
https://w.atwiki.jp/schwarze-katze/pages/515.html
「さあ始まりました実況は官僚用【らぶほてる】夜枷番のヒトに模写姿《モシャス》した実況ディンスレイフと」 《遠隔視界で支援中の解説アシナと》 《じゃんけん負けて全国の公共魔洸TVネットをハッキング中のルキウスにてお送りするぜ…》 《早速ですが趣味が覗きとは最悪ですねディンスレイフ様》 「失礼な。覗きとは弱者が隠れてするものです。私は堂々と実況しております」 《なお夜枷番という役職は聞きなれない方が多いと思いますので簡単に説明いたしますと、性行為中の【空調管理】【性道具管理】【緊急衛生】を的確に行う【えろ裏方】でございます》 《客人の痴態が目前であっても絶対に勃起してはならないという紳士中の紳士にのみ務まり、また美男美女限定という聖人のみに勤まる厳しいご役職だな》 《さすが官僚だけあって迅速なアダルトグッズとタオルの供給が欠かせませんからね。貴族という集合体は恐ろしいものです》 「今回は別に官僚じゃないけど私個人の趣味にて選抜した【犬騎士ジークバル】と【ヒト妻…あれ名前なんだっけ】の試合をお送りいたします」 「アン、チョットキューニソンナコトワーワーワーバカイヌー!!」 「ダイジョウブダヨチョットテンションアガッテルダケダカラウフフ」 「オーットォーココデマズルニデンブヲオシツケテキタァー」 「フンガフググ」 「タマニハワタシヲキモチヨクサセナサーイ」 《痴態を目前に勃起もせず、淡々と見せるが、腹の中で大笑いして、全国ネットに流す犯罪者ディンスレイフか…我がご主人ながら恐ろしいもんだぜ》 《ソコに痺れます》 《ねーよ》 《あ、これってどんな罪がつくんでしょうか?》 《公然猥褻物放映罪とかじゃね?》 「オレ、シアワセダヨ…」 「ワタシモ…」 「フフ… ガンメンウ゛ミ゛ッ ニモカンシャシナキャネ…」 「ハハ…ソウカモナ ガンメンウ゛ミ゛ッ ニ」 「み゛ゃーーーーー!!!」 (臨時ニュースをお送りいたします。昨夜未明、官僚用宿泊施設「○んぽのやど」にてS級国家犯罪者「ディンスレイフ」が進入し、内部の部屋を次々に爆破して回りました。 現場では多くの貴族とホテル従業ヒトが逃げ惑う自体に陥りましたが、軍の奮闘もあって死亡者はゼロ。現場の目撃情報によると「全裸の雑巾色のイヌが全裸のメスヒトを抱きながら魔道士と戦っていた」など情報が錯綜しています。詳しい情報が入り次第、追ってお伝えいたします)
https://w.atwiki.jp/saaa77/pages/59.html
パワフル 熱血 官僚 仏契 あかつき ・9回に自分のチームがリードしていてホームランを打たれたときに25パーセントの確率で取得 熱血 ・プログラマー中村が主人公のデータを分析してくれると直ることがある 官僚 ・卒業論文の成績が悪いと取得 ・卒業論文で好成績を残すと直る ・裏口に相談して宇宙物理学のカードを引き、水星を引いたときに70%の確率で取得 あかつき ・猪狩と対等に話せるようになって、指摘してもらうと直る
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/687.html
{{日本の内閣記事|はやし ないかく|33|林銑十郎|Template 和暦?|2月2日|同年|6月4日|官僚・軍人が中心。|第20回衆議院議員総選挙|1937年(昭和12年)3月21日食い逃げ解散|http //www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/33.html|予備役陸軍大将}} 概要 前の廣田内閣が崩壊した後、大命降下を受けたのは予備役陸軍大将の宇垣一成だった。しかし、陸軍が軍部大臣現役武官制を盾にとって現役武官から陸軍大臣を派出しなかったため、組閣に失敗(宇垣流産内閣)。このため、あらたに予備役陸軍大将の林銑十郎に大命降下され、組閣したのが林内閣である。 林内閣は財界と軍部の調整を図って大蔵大臣に財界出身の結城豊太郎・日本商工会議所会頭を充て、その財政は「軍財抱合」と呼ばれた。また、急造の内閣であったため兼任の国務大臣が多く「二人三脚内閣」とも呼ばれ、また、林首相の名をもじって「何もせんじゅうろう内閣」と揶揄された。当時の慣例に反して政務次官・参与官を設置しなかったことから、立憲政友会・立憲民政党と激しく対立し、後の食い逃げ解散の原因となった。 閣僚 内閣総理大臣 林銑十郎(軍人 陸軍) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 外務大臣 林銑十郎(兼任) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年3月3日 佐藤尚武(官僚 外務省) 1937年(昭和12年)3月3日 - 同年6月4日 内務大臣 河原田稼吉(官僚 内務省) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 大蔵大臣 結城豊太郎(民間 日本興業銀行総裁等) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 陸軍大臣 中村孝太郎(軍人 陸軍) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年2月9日 杉山元 1937年(昭和12年)2月9日 - 同年6月4日 海軍大臣 米内光政(軍人 海軍) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 司法大臣 塩野季彦(官僚 司法省) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 文部大臣 林銑十郎(兼任) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 農林大臣 山崎達之輔(昭和会) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 商工大臣 伍堂卓雄(軍人 海軍) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 逓信大臣 山崎達之輔(兼任) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年2月10日 伯爵児玉秀雄(研究会) 1937年(昭和12年)2月10日 - 同年6月4日 鉄道大臣 伍堂卓雄(兼任) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 拓務大臣 結城豊太郎(兼任) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 内閣書記官長 大橋八郎(研究会) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 法制局長官 川越丈雄(官僚 大蔵省) 1937年(昭和12年)2月2日 - 同年6月4日 外部リンク 首相官邸 - 林内閣 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 14 46。
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/3442.html
【民主党代表選】小沢一郎前幹事長の決意表明全文(投票前)【msn.産経ニュース】 お集まりの皆様、そして国民の皆様、小沢一郎でございます。皆様には今回の代表選の期間中、菅(直人)総理と私の主張をお聞きいただき、また、激励していただきました。ここに、まずもって心からお礼を申しあげます。 また、昨年来、私自身にかかわることで、同志の皆様を始め、国民の皆様に大変、ご心配とご迷惑をおかけしたことを、この機会に心からおわび申しあげます。 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹(あんたん)たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一(いち)縷(る)の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。 私は40(歳)代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。 また私は、国民健康保険、介護、生活保護などに対する補助金、15兆円を社会保障関係費として、一括地方に交付します。これにより各地方の実情に合わせて、また地方の知恵を生かして、より効率的な福祉行政が行える仕組みに改めます。われわれに期待されているのは、いびつになってしまったこの国の形と日本人の生活をもう一度蘇らせる大改革なのであります。 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。 政府・与党の政策の一元化のもと、改革を実行するのが民主党です。政府が作成した法案に、後から与党議員が意見をいう、自民党と同じような事前審査の仕組みではありません。私は政府と与党の議員、誰もが対等に話し合って、政策を一から作り上げる、全員野球の態勢を積極的に進めたいと考えております。 また外交政策においては、日米関係は、わが国にとり最も重要な二国間関係と考えております。日中、日韓関係は、日米関係に次いで重要な二国間関係であり、長い歴史を踏まえ、今後、政治、経済、文化とあらゆる分野で協力関係を深めていかなければなりません。 特に拉致問題については、みずから対策本部長として全力で取り組みます。国際関係はまず市民の心の交流こそが必要であるとの認識のもと、実際私は長年にわたり、草の根交流を続けております。さらには日中韓3カ国の協力のもとで、環太平洋諸国も含む東アジア共同体を推進したいと考えております。 また農業、漁業の戸別所得補償制度の充実を前提として、EPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)を始め、広域的な経済連携も積極的に推進いたします。 景気対策とデフレ克服にも最優先で取り組まなければなりません。日銀法改正などの制度改革や、インフレターゲット政策も視野に入れるなど、金融政策と財政政策の両面からあらゆる手段を講じます。 また、人と人との新たなきずな作りにも取り組みます。民主党として新しい公共の考えを積極的に届け出、NGO(非政府組織)やNPO(民間非営利団体)をはじめ、ボランティアや企業の社会貢献活動を積極支援するとともに、政府の持つ情報もできる限り開示いたします。 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います。 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。 .