約 760 件
https://w.atwiki.jp/sixth/pages/190.html
#blognavi 宇品港へ行ってきた。 っていうのも宇品港に韓国の商品を売ってる店があるとか言うので… 因みに店の名前は"楽韓市場" 入る前からパロディです(笑 中のほうは日曜だってのに閑古鳥が鳴いてるほどの寂れよう(^^; 商品は凄かった かっぱえびせんのようなスナック菓子 レトルトカレーのようなレトルト食品 火星人のようなイラストの入ったインスタントラーメン ハングル表記の日本製品達(笑 基本ハングル 裏に日本語の成分表が貼り付けてある パロディ商品の中にホンモノも当然ある 韓国だからロッテのガムとかコークとかポカリとか みんなハングル表記(笑 そして品質管理はよろしくない 膨張したカップラーメン 賞味期限の改竄してある清涼飲料 埃を被った商品達(^^; ただ行っただけで韓国に行った気になれるのはオススメかも(笑 気になる人は宇品港へ行ってみるヨロシ(笑 カテゴリ [-] - trackback- 2007年07月22日 22 32 36 名前 コメント #blognavi
https://w.atwiki.jp/mm3sakusya/pages/36.html
2009-7-31(金) 問題点が分かってきた。角度と角速度のフィードバックは問題無し。位置と速度のフィードバックは正帰還となるんだけど位置は良いとして速度のゲインが上げられない。そりゃDを正帰還で掛けてゲインを上げりゃ発振する罠。 やっぱ現代制御理論とかお勉強しなきゃダメ? 2009-7-30(木) 昨日取ったログからロードセルのデータを算出してメールで送信。 昨日預かったバックアップHDDを読み出して解析。訳分からず。CDに焼いて一緒に返送。 年輪抽出をちょっと修正。メールで送信。 写真じゃアレなんで立った動画。上にくっついているのは重りです。 細いUSBケーブルを買いにビックカメラへ。 重りは無くても立つことが分かった。ボディーを被せてみた。あと1項足りないらしく発振する。 2009-7-29(水) 朝6時過ぎに家を出て路面電車で宇品港へ。 7時半発のスーパージェットで松山へ。 レンタカーで現場へ。10時半着。 IOボード交換。データロガーを仕掛ける。 データは問題無いようだ。 昼休みに先日間に合わなかったコネクタを取り付け。 現場のロードセルがどんなデータを出しているかをチェック。1台変なデータを出している。この変なデータ込みで判断しているのか? それを考慮して出力してみるとうまく行っているみたい。 将来のため4台目のロードセルの配線も準備しておく。 午後4時頃に撤収。 レンタカーで松山へ。 午後6時発のスーパージェットで宇品港へ。 路面電車で帰宅。午後8時着。 2009-7-28(火) 明日の出張の準備。動作確認用のLEDを仕込む。10mのケーブルも用意。 ようやく立ったけどまだ不安定。 comment ノイズ測定のため、本日装置を西部に設置しました -- ya-rou (2009-07-28 17 26 04) 了解です。ありがとうございます。 -- mm3 (2009-07-29 01 59 31) 2009-7-27(月) 簡単には立たない。非線形制御? 昼から出かけて呉のS社へ。ノイズの計測。やはりGNDの取り方か。 午後4時過ぎに終了。帰社。 29日に四国方面へ行くことにしてレンタカーパックを予約。 2009-7-26(日) 今日も大雨洪水警報。 大町のホビータウンに出かけて買い物。タイヤが欲しくて。 2009-7-25(土) 大雨洪水警報。 終日蟄居。 なんだか雷鳴が続くと思ったら宇品の花火大会の音だった。 2009-7-24(金) 銀行に寄ってあれこれ。 HI大と共同でTCに参加するとこが決定。 色々と忙しくなってきた。 M氏からモータドライバの回路が来たのでチェック。ARMなのね。 立つのか?いや、立つだろうけどやったことが無いので事前テストが必要だな。 平面検査に使う高速処理ボードの見直し。 2009-7-23(木) 昨日の問題の策を練る。 データロガーの使い方をお勉強。 IOボードをもう1枚準備。出力電圧を自己チェックできるように改造。 年輪を抽出する処理をあれこれ。良い感じ。 2009-7-22(水) 今日は日食なのに四国方面へ出張。四国の方が天気が悪そう。つうか11時には完全に客先で仕事中。 6時過ぎに家を出て路面電車で宇品港へ。 朝食はおにぎり。 7時半発のスーパージェットで松山へ。広島湾は視界が200mほどの濃霧。レーダーが付いていない島嶼部フェリーは軒並み欠航。 9時前に松山着。 レンタカーで現場へ。 10時半に現場着。 IOユニットのプログラム変更。 昼休みにロードセルの配線を追加。 あれこれ調整。 どうも、稀にこちらが出している信号をあちらが受け取っていない疑い。 対策を考えて出直すことにして午後5時に撤収。 午後6時40分に松山着。 午後7時半発のスーパージェットで宇品へ。 午後9時前に宇品港着。路面電車で帰宅。 2009-7-21(火) 今日も大雨洪水警報。 M氏から来た業務Mの回路図をチェック。 四国方面のプログラムをあれこれ。 四国方面から連絡。ロードセル出力を認識しない場合があるとのこと。 プログラムを弄ってメールで送信。不発。 急遽、明日行くことに。 夕方S社のY氏来社。打ち合わせ。 原稿を郵送。 2009-7-20(月) 海の日 昨夜から激しい雷雨。時々瞬停。 大雨洪水警報発令。 サティで1週間分の食料を仕入れ。 T大から依頼された原稿書き。とりあえず完成。 2009-7-19(日) T大から依頼された原稿書き。 終日蟄居。 2009-7-18(土) 終日蟄居。 2009-7-17(金) 朝7時半に家を出て路面電車で宇品港へ。 宇品港で朝ご飯。きつねうどん。ハズレでした。 今回はレンタカーパック。松山往復と一日のレンタカーで¥15,300-。 8時半発のスーパージェットで松山へ。スーパージェットは初体験。 走り出すとロール軸とピッチ軸が全然揺れない。ノズルを上下に振るシリンダが付いていたけどジャイロで制御してるんだろうな。 9時過ぎに松山観光港着。 レンタカー屋さんが迎えに来ていて一緒にお店へ。車はヴィッツ。 途中のコンビニでおにぎり2個。11時過ぎに現場着。 昼休憩で機械が止まったのを見計らって作業。リミットスイッチの付け替えとI/Oユニットのプログラムの入れ替え。 要望に応じてWinのプログラムも修正。 午後機械が動き始めて動作チェック。 Winがアクセス違反を出したのでバグ修正。 午後3時過ぎに終了。撤収。 松山まで戻る。市内が混んでいて午後4時半に観光港着。 午後5時発のスーパージェットで広島へ。 午後6時8分宇品港着。 路面電車で帰宅。 2009-7-16(木) 秋は伊万里らしい。 昨年の大会がスカパーで放送されるとのこと。 なんだか背中が痛い。 明日の出張の準備。 明日はスーパージェットで行きます。 2009-7-15(水) T社関係のレンズやら照明やら。 非球面レンズを発注。 2009-7-14(火) 繋がらないUSBの調査をするために呉のS社へ。 PCのUSBポートが壊れていた。別のポートに差し替えるとOK。 Y氏と呉市内で昼食。「どさん子」で塩ラーメンと餃子をご馳走になる。ありがとうございます。 昼過ぎに帰社。 微小欠陥検出装置でアクセス違反が出るとの指摘。散々悩んだがラベリング処理で配列を超えてアクセスしていることが判明。修正。 Y氏にゴーヤと胡瓜をいただいたので、ゴーヤはチャンプルに、胡瓜は蛇腹に切って塩揉みに。どちらも美味しゅうございました。 2009-7-13(月) DT社AGV用センサボード1枚、メインボード2枚修理。 17日に四国へ行くことに。 2009-7-12(日) 初めてコンビニのATMでお金を引き出したら第3ステージなので手数料が無料とのこと。第3ステージって強い?癌なら手遅れ? 2009-7-11(土) 久しぶりの休日。兼業農家だった(~25才)頃、春と秋の農繁期には2ヶ月くらい休み無しだったけど歳取ると結構ツラい。 T大から依頼された原稿書き。 くるめ木へ。 彼のメガネを作りに的場の21へ。 2009-7-10(金) 四国方面からログが送られてきた。エラーの山(汗。 エラーの詳細を記録できるようにプログラムを変更。メールで送信。 こちらでもエラーが再現できた。微妙なタイミングで発生する。致命的ではなく動作には問題無い。ま、バグですが・・・。 やっぱ、もう一度行く必要があるな。今度は休業日と稼動日に行きたい。 2009-7-9(木) 四国方面から連絡。統計処理を追加して欲しいとのこと。あとストロボチャージエラーが良く出るとのこと。エラーチェックが厳しすぎたか? 統計処理をしこしこ。メールで送信。 お手伝いするやつが採択されたみたい。 Y氏来社。高速処理ボードの修理。USB部を交換。 統計処理を変更。メールで送信。 交換したUSBはダメだったみたい。原因不明。 S社のU氏来社。検査装置の件。 2009-7-8(水) 引き続きS社新装置の画像整形。誤差1ラインにまでなった。 ついでにメクレ処理を追加。 ついでにプローブ異常判断処理を追加。 2009-7-7(火) 新インフルで延期になっていた修学旅行だというので早起きしてくるめ木へ。 昨日の気になったサンプルの件。処理プログラムを作って試してみる。何とか撮れそう。 S社新装置の画像整形をあれこれ。 願い事など無い。 2009-7-6(月) 打ち合わせの準備。ちょっとしたデモプログラムを作成。 午後から出かけて市内のSD社へ。 山陰方面の会社のかたも交えて画像処理の打ち合わせ。レンズを準備して行ったのが良かった。 午後5時過ぎに終了。帰社。 借りて帰ったサンプルでもう一度画像を撮ってみると思ったものと違う。ちと問題かも。 2009-7-5(日) 3時頃に起きてプログラムの気になったところを修正。 6時45分からホテルで朝食。 7時半にチェックアウトして現場へ。 8時半過ぎに現場着。 ロードセル出力は大き過ぎると認識してくれない。25kgに設定。 連続して流した時に読み飛ばす。リトリガ禁止時間を変更。でも計算と合わないんだけどなぁ。 11時半に終了。 しまなみ海道経由で帰広。 午後3時前に社に着。 サティでお米を買って帰宅。 2009-7-4(土) 今週も土日は四国方面でお仕事。 11時前に出社。 今日は呉からフェリー。12時出港。 午後3時過ぎに現地着。 あれこれ作業。リミットSWを交換したりコネクタを付けたりカメラを調整したり・・・。 午後5時半頃に終了。 松山まで戻ってホテルにチェックイン。 「村さ来」で食事&呑み。 2009-7-3(金) 夜中に目覚めた時、リミットスイッチ無しで画像を撮る際にレートを可変するアイデアを思いつく。 姉からTEL。盆休みの件。 アイデアを試してみる。ストロボが無駄に光らなくて良い感じ。 取り説やら修正。 コネクタが届く。これで明日の準備が整った。 来週の打ち合わせの準備。そのへんに転がっていたレンズを細工してカメラに付けてみる。分解能4μmくらい。 2009-7-2(木) カメラの感度を調整するために明度の違うものを用意。 リミットスイッチ無しでも画像が撮れるように改造。 2009-7-1(水) 新装置の回路をあれこれ。M氏に託す。 リミットスイッチが届く。オーバートラべル型にすべきだった。 ダイキとコーナンで買い物。リミットスイッチをちょっと改造。 -
https://w.atwiki.jp/obbligato/pages/83.html
豊潮丸 豊潮丸の紹介 豊潮丸の一般公開 宇品港にて一般公開(係留) 湾岸通り電停下車徒歩5分 10時00分~15時00分 船員による案内・パネル展示 計測機器(採泥、水質分析)の実演 11時00分~、13時00分~ 一般公開の情報
https://w.atwiki.jp/obbligato/pages/91.html
山陽(岡山・広島県の沿岸部・山口県南部) 岡山県 閑谷学校① 岡山県 閑谷学校② 岡山県 閑谷学校③ 呉市内の風景 正面の造船所はIHI(石川島播磨重工)マリンユナイテッド。 呉市中央地区惣怤 旧国道沿いの荒れかけた棚田 膳棚山からの眺め(安芸灘大橋) 蘭島閣美術館前からの眺め(蒲刈大橋) 山口県柳井市 大島大橋 広島大学の実習船「豊潮丸」イベントのため、宇品港に停泊
https://w.atwiki.jp/aeonlounge/pages/54.html
広島県 県庁所在地は広島市、マツダ自動車・広島カープなど地元に熱気のある県。もみじ饅頭やあなご飯、広島のお好み焼きなど食べ物もおいしい ※イオンで買いたいご当地食品、 イオン 最終訪問 階数 座席数 飲料 お菓子 充電 201// 2F 約 ∞ 1-1 【座席内訳】4人がけ卓、2人がけ卓、1人がけ席 広島祇園 可部線西祇園駅から徒歩5分ほど、炭酸を含まないドリンク飲み放題、お菓子は1人2つ 2Fの片隅にありました。パソコンは撤去されていましたがフリーWi-Fi使えますという張り紙がありました。 広島府中 山陽本線向洋が最寄りらしいです。広島駅から片道100円のシャトルバスも出てます。 お菓子は2つ、ドリンクは飲み放題でした。 宇品 広島電鉄宇品3丁目から徒歩7分ほど、広島駅から宇品港行に乗る場合は比治山下経由に乗らないと時間がかなりかかるので注意。4人掛け4卓、2人掛け4卓。炭酸を含むドリンク飲み放題。おかしは1人2つ トップページ
https://w.atwiki.jp/obbligato/pages/90.html
広島市 人文地理学研究(都市計画・都市地理学)の講義より 斜面崩落を避けるべく、斜面にへばりつく様に建設された住宅団地。 宇品港より 正面は安芸小富士が聳える似島 三倉岳 自然地理学実験より 地図を作る時の「測量」で使用する基準点です。 みなさんの街にも必ずあるので、見つけてみてください。 三角点 佐伯区海老山頂上にて 正面に見えるのは宮島 水準点 廿日市市廿日市港 ナフコ前 水準点 廿日市市地御前神社境内 水準点 ってどこよ・・・? 水準点 ここよ。(廿日市市地御前電停すぐそば 国道2号線沿い) これは、昔の道路標識 「右廣島道(右が広島への道)」 廿日市市地御前町 水準点 こんなスペースにもあるよ。 廿日市市 国道2号線宮内交差点 水準点 わかりづらーい 佐伯区佐伯区役所前 水準点 これ・・・も? 中区 本川町電停そば 水準点 こんなトコに紛れてこっそりと。 広島市中区白神社前 三角点 広島市役所の屋上 下にある石の塊が三角点。。。 基本、三角点は見晴らしの良いところに、水準点は国道沿いにあります。 地図上で、昔からある水準点を辿っていくと、それは旧国道であることが多いです。
https://w.atwiki.jp/kyojin-ogasawara/pages/552.html
1 :風吹けば名無し[] 投稿日:2011/04/15(金) 01 12 43.13 ID IgR6dJLV 「これほど毎回死亡するという事は、カッスはチームに不要とされているのではいか」──そう考えたのは、大清貧広島軍。 さっそく赤貧打線にテコ入れをすべく、キンタマ獲得に乗り出した。当初、銭ゲバ畜生(37)が赤貧入団するはずもないと思われていたが、 「ダウン提示を保留したら次回交渉で更にダウン提示された」「前田が.290を打った翌年.312打ったら年俸が下がった」 「一場に2000円と言う他球団とは桁違いの金銭を授与した」などの厚待遇をアピールすると、カッスはもちろん二つ返事でこれを却下。 だが畜生を切り捨ててイメージアップを図りたい大正義巨人軍と利害が一致し、カッスは貨物船に詰め込まれて宇品港へ出荷された。 広島に荷揚げされたカッスはさっそく平和公園の鳩にキンタマをついばまれて死亡、宮島の鹿の角が肛門に突き刺さり死亡、弥山の猿にテクノブレイクさせられて死亡と、挨拶代わりの猛死賞を披露。 更に使用済みコンドームを樽に見立てて募金活動をはじめ、瞬く間に4億3000万円を集めて着服するなどやりたい放題。 一躍県内の小中学校関係者からGPSを体内に埋め込まれて監視対象にされる時の人っぷりだ。 本業の方でもいざシーズンがはじまると、3割30本90打点1348473464763死564987987654654射精の好成績をマーク。 赤貧も納得の上での太っ腹査定で、球団としては異例の1750万円という大幅増を提示。カッスはあまりの貨幣価値の違いにショック死を遂げた。 この件に関し、大正義巨人軍の原監督は「現在で言えば150万円くらいの価値かな(ニッコリ」と、経済にも明るい意外な一面をのぞかせた。 なお、カッスは絶頂射精で阿部顔ピースをしているところをエース(23)に写メケンされた画像をプリントしたTシャツを販売し露命を繋ぐ模様。 http //hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1302797563/
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2260.html
海上挺進基地第3大隊戦闘概要 海上挺進基地第3大隊戦闘概要(ソース) (表紙ほか) 海上挺進基地第三大隊戰闘概要一、編成 二、作戰地ヘノ輸送 三、作戰準備概要 四、編成改正 五 編成改正後作戰開始迄 六 天號作戰開始後ノ在渡嘉敷島部隊 七 独立第三大隊ノ行動 (正誤チェック) (ソース) http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305192 整理番号: B03-5-192 収蔵文書名:海上挺進基地第3大隊戦闘概要 簿冊名:船舶部隊史実資料(1)(※) 原本所蔵機関:防衛研究所 請求番号:沖台 沖縄205 (引用者注)この文書は、整備中隊長陸軍大尉木林明氏本人が書いたものではなく、第三十二軍残務整理部がリライトしたものを本人に送り点検を求めたものと想像されます。「筆跡は別人の書き込み」と注釈を入れたところが、木林明氏本人の筆跡である可能性が高いと思われます。木林明氏本人の筆跡は、この文書画像の最初の頁ではなく4頁目、「整備隊長 陸軍中尉(氏名)」とある書面を参照してください。 (表紙ほか) 海上挺進基地第三大隊戰斗概要 渡嘉敷島※ 筆跡は別人の書き込み 昭和二十二年三月二十五日 第三十二軍残務整理部 記述者 海上挺進基地第三大隊整備中隊長 陸軍大尉 木林明 註 一、記述者ハ終始渡嘉敷島ニ在リシ為本島転出セル部隊ノ状況ハ詳細知ラズ 一、記録ハ全部焼却セル為月日其ノ他誤アルモ計ラレズ (本文) 海上挺進基地第三大隊戰闘概要 一、編成 擔任官 野戰船舶本廠長 年月日 昭和十九年八月二十六日 場所 廣島市宇品野戰船舶本廠 編成ノ概要(實際ニ編成サレタルモノ) 区分 長 附将校 下士官 兵 計 大隊本部 大尉鈴木常良 大尉一中尉三〓〓少尉一〓〓中尉一〓〓中尉二〓〓一 兵科約一○主計〓衛生二 約五○ 約七○ 勤務中隊 第一中隊 中尉〓谷輝夫 少尉三 兵科約一○ 約二四○ 約二五○ 第二中隊 中尉田村〓 少尉三(含付見士) 兵科約一○ 約二四○ 約二五○ 第三中隊 中尉〓〓〓〓 中尉一少尉二 兵科約一○ 約二四○ 約二五○ 整備中隊 中尉木林明 中尉一技術少尉一 兵科四技術六 〓五一衛生一 六五 計 五 二一 兵科各科約五○ 約八二○ 約八八○ 備考 整備中隊以外ハ正確ナル数字記憶セズ 二、作戰地ヘノ輸送 1 第一梯團 本部並ニ第一、二、三中隊ハ九月二日宇品港出発 九月十日沖縄縣島尻郡渡嘉敷村(慶良間列島渡嘉敷島)ニ到着 2 第二梯團 整備中隊ハ九月二日以後海上挺進第三戰隊長ノ指揮ニ入リ江田島幸ノ浦ニ至リマルレ(※)艇ノ受領整備ノ後九月十日宇品港出発船團ノ都合ニヨリ鹿児島港ニ九泊ノ後九月二十七日渡嘉敷島ニ到着ス ※「マルレ」:原文では、○の中にレ 以下同じ 三、作戰準備概要 1.マルレ艇秘匿壕ノ構築 勤務中隊ハ一ヶ中隊マルレ艇百艇分ノ壕ヲ担任シ 資材ノ不足ヲ克服シ洞窟式壕ノ掘鑿ニ專念シ 晝夜連續作業ヲ以テ昭和二十年二月中旬之ヲ概成ス ※ 「・」は段落記号で原文には無し 以下同じ 2.マルレ艇泛水路ノ構築 各種方法ヲ比較研究シタル結果橇式ニ決定 橇道ノ構築ヲナス 即チ秘匿壕ヨリ海中迄数本構築對空偽装ニ萬全ヲ期ス 3.マルレ艇ノ整備 自動車エンヂンヲ海上ニ於テ使用スル為冷却水ニ海水ヲ使用シタル為エンヂン故障頻発ス就中シリンダーヘッドガスケット破損多ク部品不足ノ為内地迄調弁ニ行ク等困難多ク連日オーバーホールノ連續ニテ整備中隊及勤務中隊整備員ノ奮闘ハ涙グマシキモノアリ 4.結論 第一次目標期ヲ十一月末トシタルモ準備中途ニ至リタルノミ 第二期ヲ二十年二月迄トシ二月中旬準備概成マルレ艇モ百艇中九十八艇ノ出撃可能艇アリ 地上戰斗ノ為ノ陣地ハ水際陣地ノ軽易ナルモノヲ構築セルノミナリ 四、編成改正 球参編第 号(番号ヲ忘却)ニヨリ独立第三大隊ノ編成下令 大隊ハ左記ノ通三ヶノ部隊ニ分割セラル 1 獨立第三大隊 大隊長 大隊本部ノ大部 勤務中隊三ヶ(各一ヶ小隊欠) (※)なぜか「2 第三勤務隊」の項が削除されているが、各勤務中隊から1ヶ小隊を差出し第三勤務隊を編成したことは別の資料から知られている 3 第三整備隊 整備中隊ノ全部 昭和二十年二月十八日編成完結 独立第三大隊ハ同日機帆船ニ分乗沖縄本島ニ転出島尻郡大里村ニ於テ独立混成第四十四旅團長ノ指揮ニ入ル 第三勤務隊及第三整備隊ハ依然渡嘉敷島ニ残留シ海上挺進第三戰隊長ノ指揮下ニ入リ本然ノ任務ヲ續行ス 五 編成改正後作戰開始迄 1.独立第三大隊 島尻郡大里村目取眞ニ本部ヲ置キ各中隊ハ附近ニ分宿第二線陣地構築及對空〓部隊陣地ノ構築ヲナスト共ニ鋭意地上戰闘ノ訓練ヲナス 2.在渡嘉敷島部隊 新ニ水上勤務隊(将校以下約三百名主力ハ朝鮮人軍夫)ノ配属ヲ得テ從前ノ準備續行並ニ軍夫ノ訓練ヲナス 六 天號作戰開始後ノ在渡嘉敷島部隊 三月二十三日 空襲開始十二時十五分ヨリ日没迄部落ハ全滅全島至ル処山火事発生セルモマルレ艇ニハ被害ナシ兵員二三名死傷 三月二十四日 夜明ヨリ日没迄空襲アルモ被害ナシ 三月二十五日 慶良間海峡ニ上陸用舟艇八隻巡洋艦ノ掩護ノ下ニ侵入終日空襲並ニ艦砲射撃アリ艇、兵共ニ被害ナク機ノ熟スルヲ待ツ夜ニ入リテ本島ノ船舶隊司令部ヨリ入電アリ「第三戰隊ハ直ニ出撃敵艦船ノ目侵シテ那覇港ニ転進スベシ」ト 転進ノ困難ナルヲ知リ止ムナクレバ独断突撃セント出撃準備ヲナス 戰隊第一中隊正面ハ敵艦船正面ニアリ射撃激シク泛水不能ナリシモ第二、三中隊ハ準備完了約六十隻ヲ泛水ス 時ニ船舶団長大町大佐(先ニ慶良間列島ノ視察ニ来ラレ空襲開始ノ為本島ニ帰還シ得ザリシ者)来リ第三戰隊ノミ出撃スルハ企図ヲ暴露シ他ノ戰隊ノ為ニ影響悪キコトゝ出撃準備ノ遅レタル為天明時近キヲ理由ニ艇ノ引キ揚ゲヲ命ゼラレシモ既ニソノ時間ナク、四、五艇ヲ引キ揚ゲシノミニテ他ハ涙ヲ飲ミテ自沈スルノヤムナキニ至ル 三月二十六日 敵上陸近シト全員水際陣地ニ就ク終日空海ヨリノ攻撃續く 空襲開始前来島シアリタル船舶團長大町大佐、第五基地隊長三池少佐、独立第三大隊長鈴木少佐其ノ他随員ヲ沖縄本島ニ送還スベク二艇ノマルレヲ泛水分乗セシメテ二十時頃出発セシム 三月二十七、二十八日 空襲續ク 留利加波附近及ビ渡嘉司久(※)ニ敵上陸各一ヶ中隊強装備ノ差甚ダシク晝間ノ戰闘適切ナラズト判断シ夜ニ入ルヲ待ツ、晝間ノ鳴リヲ静メタルタメ敵ノ警戒嚴重ナラズ第一中隊(勤務隊第一中隊)ハ渡嘉司久(※)ノ敵ニ突入(戰果確認シ得ズ)二十八日一日静觀 (※)渡嘉志久の誤り 三月二十八、二十九日 晝間十分敵機ヲ偵察シ夜間總員斬込ニ移ラント準備セシニ夕刻空海ノ掩護ノ下ニ敵ハ撤退ス 火器ナク如何トモ術ナク傍観ス、渡嘉司久(※)地区ハMG戰車其ノ他ニヨリ秘匿壕ノ入リ口ヲ破壊シ修理工具其ノ他完全ニ破壊シ去ル (※)渡嘉志久の誤り 三月三十日 島中ヲ捜索セルモ敵影ヲ見ズ 再ビ海上作戰ノ再興ヲ計リ資材ノ蒐集ニ着手ス先ニマルレ艇ニ乗リテ本島ニ向ヘル三池少佐新海中尉ハ途中転覆シ島ニ泳ギ帰ル(二十七日) 四月一日 嘉手納附近ニ上陸戰ノ開始サレタルヲ認ム 爾後地上陣地ノ構築並ニ自活体勢ノ確立ニ、專念ス 五月十日 再度敵上陸、約一ヶ大隊爾後小競合アリタルモ詳細記憶セズ、斬込隊ヲ編成シ中規模ナル斬込ハナシタルモ部隊ノ總員ヲ擧ゲテ戰斗行動ナシ食料ノ窮迫甚ダシク所在ノ雑草モ動物モ大凡食ヘ相ナモノハ盡ク之ヲ食ス栄養失調ニテ死亡續出ス 八月上旬 敵ハ兵力ヲ増強スルト共ニ火力ヲ我ガ陣前五00米ノ位置ニ集中總攻撃ニ移ルトノ宣傳アリ依然精神力ノミ盛ナルモ既ニ戰斗スル体力ハ失ヒ順莞爾トシテ死センノミトノ覺悟全員ニ溢ル 八月十五日 敗戰トナルコトヲ八月十六日米軍軍使ノ手紙ニヨリ知ル 七 独立第三大隊ノ行動 慶良間列島空襲開始ノタメ大隊長鈴木少佐ツイニ歸任セズ先任将校陸軍大尉更田善清大隊長代理トナル 五月初旬迄ハ全然戰斗ニ参加セズ專ラ陣地ノ増強及兵員ノ訓練ヲナス 五月初旬阿波茶(※)附近ノ戰線ニ加入此ノ時以後将校ハ全員戰死生キ残レル下士官、兵ノ言ヲ聞クモ全体的行動ハ明確ナラズ 調査スルニ方法ナシ 大隊ノ過半数ハ阿波茶(※)、前田附近ノ戰斗ニヨリ戰死セルモノゝ如シ (※)安波茶の誤り (赤松大尉)※ 筆跡は別人の書き込み 帰還当時ノ状況承知ノ筈※ 筆跡は別人の書き込み 渡嘉敷島略図※ 筆跡は別人 沖縄戦資料index (正誤チェック) 名前 コメント すべてのコメントを見る 陽気な女房さんへ いろいろと情報下さり、また表記の誤りをご指摘くださり、誠にありがとうございました。ご報告ならびに御礼のメールを差し上げたのですが、何故かあなたのサーバーが受け付けないようです。急にそうなりましたので困っています。メールでお尋ねしたい件もあります、よろしくご対処くだされば幸甚です。 -- (ni0615) 2009-09-29 04 47 55
https://w.atwiki.jp/kakis/pages/4672.html
xift /// / 欠席する 2 \ 14 seren klel xaft \ [ yuo ] \ onをalに欠席させる、欠航する \ [ iyuan ] \ 欠席した、欠航した \ [ ono ] \ 欠席、欠航 \
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/430.html
八 重 山 に つ い て 調 べ て み る 【冬の八重山、島巡り旅】 第5話)波照間の神は微笑んだ 《沖縄八重山諸島旅行記|小浜島|西表島|波照間島|石垣島》 八重山3日目、今日は西表島の大原港から波照間島に渡るつもりだった。 普段この航路をダイレクトで繋ぐ定期船は無いのだが、予め予約を入れておくと、石垣から波照間に行く船が大原港に寄ってピックアップしてもらえる。何か自分ひとりのために船をチャーターしたようにも感じられ、ちょっと気分が良いではないか。 何日も前に、このルートをネット予約したのはよいものの、「波照間便は欠航が多いから気をつけて」と沖縄好きの友人から忠告を受け、アドバイスに従って、旅立ちの何日も前から船会社のサイトで運行状況をチェックしてみた。すると、 「本日 波照間航路 欠航あり」 と、来る日も来る日も欠航続き。12月に入ってからほぼ毎日「欠航」のお知らせばかりだ。 波照間航路欠航を告げるウェブサイト 試しに「波照間 運航率 月間」などと検索してみると波照間航路の月別運航率を記録したサイトがヒットした。果たして12月の運航率は、、、 2013年08月:75.0% 2014年02月:69.0% 2013年09月:75.8% 2014年03月:76.7% 2013年10月:54.8% 2014年04月:97.5% 2013年11月:70.0% 2014年05月:91.9% 2013年12月:53.8% 2014年06月:65.8% 2014年01月:73.1% 2014年07月:67.7% なんと、12月の運航率は驚きの50%台。二分の一の確率で欠航だ。しかもこれは片道の確率。その翌日も運航しているとなると、その確率は四分の一にまで落ちる。 そして実際旅に出てからも、波照間行きの前日まで欠航続きだった。どうせこの調子なら当日も欠航だろう。まっ、そうなったらキャンセルして石垣に戻るしかないネ。半ばあきらめかけた当日の朝、船会社に尋ねると、 「今日は出航しますよ~♪」 と予想外の返事が。 「なんという幸運!!このまま運を天に任せ、いざ行かん波照間へ!!」とイケイケな自分と、「ちょっと待て。今日出航できたとしても、明日欠航なら予定通り東京に帰ってこれなくなるぞ」と慎重な自分の二人が、しばし己の頭のなかでそれぞれの主張をぶつけあう。 せっかく動いた船なのだから乗ってしまいたいという強い衝動は魅惑的であった。だが悲しいかなサラリーマン。翌日の朝一番の船で波照間から石垣に戻りそのまま東京に戻るプランを組んでいたが、予定どおり帰れず会社を欠勤となる訳には行かぬ。残念だがここは無難な選択をし、今日は石垣に戻ることにした。 石垣行きの船が出るまでの間、サクッと仲間川のマングローブクルーズに参加 しかし、結果論を後から言うと、実は翌日も波照間航路は運航していた。そして翌々日からまた暫く欠航が続いたのであった。すなわち、12月の中旬、波照間航路は元々僕が利用しようとした日のみ、行きも帰りも運航していたということだ。 波照間島の神はオイラに微笑んでくれていたのだ。何と強い運の元に生まれていたのだ! だがしかしその強い運を全然リアルに活かせていない。それはまるでチャンスを全くモノにできないオイラの人生を象徴するかのようであった(泣)。 (続く) もどる < 5 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談