約 418,471 件
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/958.html
宮崎日日新聞 激震口蹄疫へ飛ぶ (魚拓) (2010年5月8日付) 3月に着任した趙廷元・駐福岡韓国総領事が7日、着任あいさつのため県庁に東国原知事を表敬訪問した。 知事は「韓国と宮崎はアシアナ航空の関係もあり、人的、経済的交流が活発だ」と本県と韓国のきずなを強調。趙総領事は「口蹄(こうてい)疫で宮崎も大変な時だと思う。韓国でも対応に苦慮している」と話すと、知事は「日本の畜産業に影響が出かねない状況で、県民総力で封じ込めに挑んでいる」と現状を報告した。 趙総領事は1980年に韓国の外務部入部。駐日本大使館参事官、外交通商部外交力量評価団長などを経て現職。 5月
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/433.html
読売新聞社の記事へ飛ぶ (元記事控) 宮崎県で感染被害が広がっている家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」問題を受け、金融庁は18日、全国の金融機関に対し、債務の返済が難しくなった畜産農家などから貸し付け条件変更などの申し出があれば、出来る限り応じるよう要請した。 対象は畜産農家のほか、影響が懸念される食肉加工業者なども含まれる。各金融機関の判断で返済の猶予を認めるなどして支援する。 (2010年5月18日20時34分 読売新聞) 5月 対応 支援関係
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/126.html
読売新聞社の記事に飛ぶ (元記事控) 宮崎県は25日、同県川南町の畜産農家が飼育する黒毛和牛4頭が、新たに家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」に感染した疑いがあると発表した。県は家畜伝染病予防法に基づき、農家が飼育する牛725頭を薬殺処分する方針。 これで感染が確定、疑われる家畜は同県都農(つの)町と川南町の7農家で計20頭となり、処分対象は牛1064頭、水牛42頭、豚2頭に拡大した。農林水産省によると、口蹄疫発生に伴う処分の事例としては過去最大規模になるという。東国原英夫・宮崎県知事は27日にも上京し、国に対策を求める方針。 同県によると、25日までに感染が確定、疑われた牛を飼育していた4戸の計264頭については、薬殺後、農家の敷地などに埋めた。2戸の計119頭については処分地の掘削作業を進めており、準備が整い次第埋める予定。 同法では処分費用を畜産農家が全額負担し、後に国が半分を補助するとしている。同県では、農家負担分は県が助成している。 2000年に宮崎県で口蹄疫が発生した際の薬殺処分は3戸の牛計35頭。同年、北海道で発生した際は705頭が処分されたという。 被害拡大とかつてない規模の処分実施のため、同県は25日、国と2府10県に獣医師や専門家の派遣を要請した。この日、さっそく国と4府県の獣医師計11人が宮崎入りし、26日から薬殺処分などを手伝う。 (2010年4月26日 読売新聞) 4月 被害状況 防疫関係
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/890.html
佐賀新聞記事へ飛ぶ (元記事控) 2010年06月05日更新 宮崎県の口蹄疫問題を受け、鹿島市は、口蹄疫を媒介する恐れのあるイノシシ対策として、市内全4戸の養豚農家の豚舎に、電気柵や金網を設置する。畜舎の雌豚やえさを狙うイノシシの侵入を防ぐのが狙いで、費用230万円は市が全額負担する。 豚畜産農家4戸は180頭を飼育。イノシシは雌豚との交尾を求めて豚舎に侵入することが多く設置を決めた。 また県のイノシシ捕獲強化月間が5月で終了。1頭当たり1万6千円の奨励金が5千円に減額されたため、市は6月から5千円程度(総額約200万円)の奨励金を新たに増額し、4カ月で200頭の駆除を目指す。 イノシシ対策としては、このほか消毒資材や啓発看板の購入の150万円を計上。6月補正予算案に総額580万円を組んだ。 6月 対応 防疫関係
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/944.html
宮崎日日新聞 激震口蹄疫へ飛ぶ (魚拓) (2010年5月4日付) 県は3日、川南町の農場2カ所で16、17例目となる口蹄疫の感染疑いを新たに確認したと発表した。これまでに殺処分されたか、殺処分の対象となった牛や豚は計9015頭。移動・搬出制限区域の変更はない。 県口蹄疫防疫対策本部によると、16例目農場は和牛4頭を飼育。2日に農家から宮崎家畜保健衛生所に通報があり、立ち入り検査。同保健衛生所獣医師が、舌の潰瘍(かいよう)など典型的な口蹄疫の症状を基に感染疑いを確認した。 2頭から採取した検体を動物衛生研究所海外病研究施設(東京)で遺伝子検査したところ、いずれも3日に陽性反応を確認。同日までに殺処分を終えた。10例目の県畜産試験場川南支場から南東約900メートルに位置している。 17例目は同町で和牛37頭を飼育しており、14例目農場から南東約1・7キロに位置。2日、かかりつけ獣医師から通報を受けた同保健衛生所が立ち入り検査。5頭から採取した検体を同研究所で遺伝子検査したところ、2頭で陽性を確認した。飼育する37頭は殺処分される。 県は15例目(2日)の感染疑いに伴う新たな移動・搬出制限区域の設定を受け、4日から消毒ポイントを一部変更。高鍋町持田の県立農大校前を同所の旧東児湯消防署跡地に変更。新富町三納代の国道10号沿いと木城町高城の尾鈴サンロード沿いを自主消毒ポイントにし、宮崎市佐土原町下那珂の久峰総合公園前と西都市右松の県道312号沿いに新たな24時間消毒ポイントを設置する。 5月 被害状況 防疫関係
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/523.html
宮崎日日新聞 激震口蹄疫へ飛ぶ(魚拓) 宮崎市佐土原町のほぼ全域が家畜の移動制限区域となるなど、県都での口蹄疫感染が懸念される中、市は拡大を水際で防ごうと必死の防疫作業を続けている。 感染が南下していることから市は消毒マット、消毒プール全22カ所のうち、約8割の17カ所を北部に設置。新富町との町境に位置する一ツ瀬川を県央、県南部への防衛ラインとみて、日向大橋、一ツ瀬橋、柳瀬大橋などの南詰めに消毒マットを敷き、車両の消毒を徹底している。河川敷周辺では無線操縦ヘリによる消毒剤の散布も随時行っている。 約150人態勢で活動にあたる市家畜伝染病防疫対策本部(本部長・戸敷市長)は、「感染拡大防止は県全体の問題。一般の人も万が一のことを考え、消毒ポイントを見掛けたら積極的に車両の消毒をしてほしい」と呼び掛ける。 市内の畜産農家は650戸で、うち101戸が移動制限区域、住吉、北地区などの約150戸が搬出制限区域に設定されている(25日午後5時現在)。ワクチン接種対象は牛約2千400頭、豚約600頭(同)。 (2010年5月26日付) 5月 防疫関係
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/67.html
激震口蹄疫の記事に飛ぶ(魚拓) 政府の口蹄疫現地対策チーム本部長・篠原孝農水副大臣は15日、記者会見し、都城市高崎町における感染疑いの確認に伴い、10日から操業停止している「ミヤチク」高崎工場について、特例で早期再開する方針を示した。同時に家畜の早期出荷を促し、農家に損失が生じた場合は国が全額補償することも明らかにした。 同工場は、発生農場から半径10キロ圏内の移動制限区域にあるため、操業を停止。篠原副大臣は「加工場は限られており、(高崎工場を)きちんと消毒、チェックし、再開してもらわなければいけない」と述べた。その上で「緩衝地帯をつくるには、ワクチン接種よりも、すべての牛、豚を早期出荷する方がいい」と早期再開の必要性を強調した。 早期出荷により農家に損失が発生する可能性にも言及。「価格が下がり、売り先もなかなか買ってくれない。差額補償については、疑似患畜やワクチン接種した家畜と公平になるようにしなければならない」と国が全額補償する方向性を示した。 県は「工場再開は、どのような形で清浄性を確認できたと見なすのかを検討する必要もあり、抗体検査の結果などを見ながら調整したい」と慎重な姿勢を見せている。 6月 出荷制限 対応 防疫関係
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/993.html
宮崎日日新聞 激震口蹄疫へ飛ぶ (魚拓) (2010年5月13日付) 養豚業者でつくる日本養豚協会など畜産関係全国3団体は12日、本県関係民主系国会議員に、殺処分した豚、牛などの埋却場所の早期確保や、生産者の公的資金等の返済猶予措置などを求めた。 要望したのは同協会のほか日本養豚事業協同組合、全国肉牛事業協同組合の代表ら。衆院議員会館で横峯良郎参院議員(比例)を含む衆参4議員に(1)埋却地の速やかな確保(2)発生農場周囲の適切な範囲での偶蹄(ぐうてい)類全頭殺処分(3)被災生産者が公的資金等を返済する際の一定期間返済猶予―など、地元の声も反映させた要望書を提出した。 意見交換では、団体側が「疑似感染と認定されてから処理班が来るまで1、2日要している。その間にウイルスがまん延してしまう」などの生産者の不安を報告。確保が進まない埋却地に関し「感染農場近くの土地を国や県が購入して直ちに処理してほしい」「迅速な処理のため、現地に決定権者を置くなど現行法の枠を超えた対応を」などと訴えた。 議員側は「全頭処分の在り方などは委員会で聞く予定にしている」「患畜が増えないよう努力する」などの姿勢を示した。 5月
https://w.atwiki.jp/kouteieki2010joho/pages/1159.html
宮崎日日新聞 激震口蹄疫の記事へ飛ぶ (魚拓) 国に特例での民間種雄牛救済を求めている東国原知事は9日の会見で、「どこの世界に(家畜伝染病のまん延を)地域のせいにする国があるのか。 この国の危機管理の正体が分かった」と不満をぶちまけた。これまでも口蹄疫対応について「第一義的には県の責任」などと国から批判を受けてきたが、今回の特例適用でも「危機意識が足りない」とはねつけられ、知事の不満が爆発した格好だ。 知事は「菅首相も(前首相の)鳩山さんも(前農相の)赤松さんも国家危機管理、国家防疫とおっしゃった。(口蹄疫対策)特措法も国の責任で制定された」と述べ、次から次に持ち上がる難題を県が矢面に立って対処している現状を踏まえ、「だったら、(国の責任で)その通りにやってほしい」とまくし立てた。 さらに新型インフルエンザを引き合いに出し、「あれだけ水際作戦やって、(国内では)神戸で最初に発生した。あれは兵庫県の責任なんですか?そんなことを言われてる気がする」と続けた。 県に対してはこれまで、山田正彦農相が感染拡大について「第一義的には県の責任」、民間種雄牛の救済では「危機意識が県に足りないのでは」と厳しい発言を続けている。 (2010年7月10日) 7月 対応 防疫関係
https://w.atwiki.jp/ebungeibu/pages/15.html
子供のころから雨は嫌い。特に、たいして強いわけでもないのに、じっとりと身体にまとわりつき、尻尾の芯まで濡れるような霧雨。そう、ちょうど今日の雨のような。 今日は久しぶりに寝坊をした。グリダニアに出てからは昼に起きる生活にも慣れ、ここ最近はすっかり早起きになっていたはずなんだけど。一度はいつもの時間に目覚めたけれど、ふわふわの毛布から出ていた耳が室内の湿気を感じ取り、私は小さく呻いて毛布のなかに耳まで潜りこんで丸くなった。…いつからだろう、音も無く降り注ぐ霧雨を窓も開けずに感じ取れるようになったのは。毛布のなかでぼんやりとそんな事を考えているうちに二度眠の魔力にまとわりつかれ、私は眠ってしまったようだ。 カーライン・カフェで遅い朝食をとりながら、ぼんやりと窓の外を眺める。薄暗い店内は閑散としていて、カフェ自慢の巨大なステンドグラスも、今は七色の光を床に落としてはいない。雨とはいっても身動きが取れないようなどしゃ降りではない。見知った冒険者たちはみな、雨具を身につけて森へ入っていった。昨夜隣の席で酔っぱらってやかましく話しかけてきた旅商の姿も既にない。おそらく朝一番でウルダハに向け発ったのだろう。 サイズの合わないだぶだぶの部屋着のまま、しかもこんな中途半端な時間にフォークの先でソーセージを転がしてくすぶっているのは私くらいのものだろう。でも、今日は何もしないと決めた。今日はたぶん何をやってもうまくいかない日だ。…こんなことが許されるのも冒険者だからかもね。つくづくやくざな商売だと思う。 まるで今日の天気のようにぼんやりとかすんだような意識のなか、四角く切り取られた窓の外、白く煙る緑の森のはるか向こうに、今は見えるはずの無い私の村を思う。そしてそこにいるはずの兄の姿。私は知らず、つぶやいていた。 「…兄さん…ちゃんと食べてるかな…」 6つ違いの兄はとてもしっかり者で村の大人たちからの信望も厚く、また、妹の私から見ても顔立ちは良かった。そもそも男性の少ないミコッテ族という事もあり、年上のお姉さんたちにとっても憧れの的だったようだ。それに槍の扱いに至っては思わず見とれてしまうほどだった。 そして戦で親を亡くし、貧しい村の暮らしに次々死んでいく姉や妹たちのなか、ただ一人生き残った私を兄はとても可愛がってくれた。貧しい村、殊に狩りをすべき親のいない子供なんかみんなそんな感じかもしれないけれど、それでも私たちは寄り添うようにして生きてきた。 …いつも思う。ここまでなら辛くとも美しい思い出なんだけどね。 そう、兄はとてもしっかり者で腕もたち、そして顔立ちが良く性格も…たぶんいいと思う。少なくとも、困っている人を放っておくことや理不尽な暴力などは断じて許さない正義感をもっていた。 でも、そういったプラスの面もある一点がすべて帳消しにしてしまっていた。私と同い年くらいの女の子たちが兄にあこがれない理由、そして私が今ここにいる理由がそれだ。 兄は私にやさしい。度を越したほどに。唯一残ったただ一人の妹を想うあまり周りが見えなくなるのだろう。その結果が数々の奇行となり、村一番の好青年をシスコンのダメな人に貶めていたのだ。 あぁ…そうだ、こんなことがあった。あれは… あれは確か、私が6歳の時。あのころの私は食べるものも満足に無く、痩せっぽちの小さな娘だった。村自体が貧しかったこともあり、親のいない私たちに回ってくる食事など硬いパンが少し。それすら無い日は木の根っこをかじって空腹を紛らわしたりしたっけ。栄養状態が酷かったから毛並みもごわごわでツヤも無かったな。 私の村では、狩りのできないような小さな子どもたちは村の農場や牧場などで手伝いをすることになっていた。私がしていたのは、野菜の泥を洗い落として薄皮を剥いたりする仕事。しゃがみっ放しで腰も痛かったし、冬の水は冷たくて霜焼けだらけだったけど、野菜がたくさん入った重い麻袋を運ばないといけない事もあったから、野菜洗いの仕事の方がうれしかった。それに、農場では粗末ながらお昼に食事が出されたから、少なくとも飢えをしのぐ事が出来たし、なにより同い年くらいの子供がたくさんいたから楽しかったな。 でも、その日の仕事が終わって皆でおしゃべりをしながらの帰り道、突然後ろから声をかけられたの。 「シルファ!お前も今帰りか!」 そこには牧場からの帰り道の兄の姿。当時12歳の兄は牧場で馬の世話を手伝っていた。日に焼けてにこにこと微笑む姿は少しずつ大人びてきていたと思う。友達の何人かは早くも羨望のまなざしをしていたような気がする。 「兄さんも今仕事が終わったところだ、一緒に帰ろうじゃないか!」 周りには友達が沢山いたし、小さな村とはいえ、牧場や農場は村外れにあるから家まではかなり距離がある。私はてっきり皆で帰るんだろうと思っていた。しかし、直後、兄は私をひょいと抱き上げ、お姫様だっこでさっさと歩きだしたのだ。 呆然とする友達を置き去りに、上機嫌で牧場の話をまくしたてる兄に私は驚いて、何も言えなかったよ。 そして翌日から、仕事帰りの兄が農場の外で私を待つようになった。最初は兄の顔立ちにあこがれていた友達も毎日毎日、門の外で待つ兄の姿に、そして他の友達など眼中になく、妙に上機嫌で私を抱き上げて連れ去るその態度に次第にひいていった。当然だよね。 次第に一緒に帰ろうと誘われることも無くなり、牧場が忙しくて兄が迎えに来ない日なんかは、私は一人で帰る事になった。幸い、仕事中友達から冷たくされることは無かったけど、おしゃべりをしながら帰る事が出来なくなった私は正直寂しかった。このころから私はだんだん無口になったような気がする。 ある晩、私はベッドで一人、人形遊びをしていたの。もう、覚えていないくらい小さなころに母に貰ったものだったんだけど、すっかりぼろけて顔の目鼻も取れてどこかに行ってしまっていた。尻尾を握って逆さにぶら下げて持ち歩いていたため、尻尾も千切れかかっていたっけ。 働くようになってから毎日くたくたに疲れたし、友達とたくさんおしゃべりして楽しかったから、人形遊びなどすっかりしなくなっていたけれど、きっと寂しかったんだね、ベッドに寝かせた人形に布切れをかけてあやす真似をしていた…ような気がする。それとも子守唄を歌っていたんだったっけな。 すると、衝立の向こう、ろうそくの明かりで繕いものをしていた兄が関心したような声で 「おままごとか?シルファは優しいなぁ!」 そんなことを言うものだから、少しムッとしてベッドを下り、兄のいる衝立の向こうに行って…思い切って言ったの。 「お兄ちゃん…私、明日からお友達と帰るね」 正直、怒られるかと思った。せっかく迎えに行っているのに!とか。でも、まさか泣くとは思わなかった。しかも、あんな風に顔をぐしゃぐしゃにして。これは完全に予想外。どうにかなだめすかして、お友達とおしゃべりしながら帰れなくて寂しいということ、寂しいから人形で遊んでいたこと、ついでに気持ちは嬉しいけど、お姫様だっこは恥ずかしいということも何度も説明してようやく納得してくれた。 それ以来、兄が門の前に立つことは無くなり、私はお友達とおしゃべりしながら帰る生活を取り戻した。といっても、その頃にはもうどちらかというと聞き役に回ることが多くなってきたような気がするけど…。 それでもその時、困った兄だけど、ちゃんと話せば解ってくれるんだ。そう思った。 それから何日かして、ベッドに入ろうとしていたら、兄に声をかけられた。 「シルファ!この間の人形、ぼろけていたから直しておいたぞ!」 そういえばここ数日見ていなかった気がする。再びお友達と話せるようになり、寂しさも無くなったためほったらかしにしていたので気付かなかったが、兄の裁縫の腕は知っていたので、直してくれたと聞いてうれしかった。 「ベッドに置いておいた。兄さん奮発して新しい服も着せておいたぞ!」 私は兄のうれしそうな声を背に小走りでベッドに向かった。そこで私が見たものは… 「…あ…」 我に返って手元を見ると、お皿の上のソーセージはフォークによってズタズタのバラバラになっていた。私は軽く息を吐き、フォークが曲がりそうに込めていた手の力を抜いてバラバラになったソーセージをかき集めて口に放り込む。…時間がたっているので冷たい。 あの晩、私が見たものは、綺麗に繕われてまるで新品の様に生まれ変わった人形だった。ただ一つ違うのは、首から上の部分。その人形は兄の顔をしていた。 「…しかもやたらリアルなんだよね…」 絶句している私に良くできているだろう、とか、これでいつでも一緒だぞ!なんて上機嫌でまくしたてる兄を見て、私はしみじみと思ったんだ。あぁ、この人は本当にダメな人なんだって。 それ以来、私は人形遊びから完全に卒業できたわけだけど…この人形、家を出るときに置いてきたはずなんだけど、気がついたら荷物のなかに入ってるし…。寝ていてもなんか視線を感じるし…。あと、昔はもっと子供っぽい顔をしていたような気がするんだけど…成長してるみたいな気がしてしょうが無いし…。おまけにカバンの底にしまってもいつの間にか出てたりするし…。なんか怖くて捨てられないし…。 そういえば昨夜の旅商のおじさん、ウルダハに呪術師のギルドがあるとか言ってたっけ。相談してみようかな…。 その時、ふっと気がついた。風の匂いが変わった。雨が…やむ。 にわかにやる気が出てきた。そして雨がやむころ、すっかり支度を整えた私はグリダニアの門を飛び出す。雲間からのぞいた太陽の下、光る水たまりを飛び越えて私は走る。目指すはウルダハ、呪術師ギルドだ。