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重慶爆撃(じゅうけいばくげき)とは、日中戦争最中の1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃を指す日付・回数は『戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島』(前田哲男 凱風社)による。。中国側の資料では死者は計11,800人、家屋の損壊は17,600棟となっている。 背景 1938年に各地に中国国民党が優勢だったが、様々な軍閥の割拠する内乱状態の中国に攻め込んだ日本軍は、上海に続いて中華民国の首都南京を攻撃、日本政府は中華民国・中国国民党が和睦を乞うことを期待した。 これに対して日本軍への徹底抗戦を宣言していた国民党政府は、中国大陸で権益を確保・拡大したいアメリカや権益を守りたいイギリスの援助を受けて、首都を南京から漢口に移転し、次いで漢口が陥落必至とみるや四川の奥地である重慶に移転させた。 大本営は地上軍による重慶の攻略を計画したが、重慶は天然の要害の地であり、補給の問題もあり、直ちには困難であるという結論に達した。また、漢口占領の時点で日本国内に残っていた兵力は近衛師団と他一個師団のみで、既に日本軍は全力を出し尽していた。 立案 1938年12月2日、こうした状況を受けた大本営は、中支那方面軍に対して「航空侵攻により敵の戦略中枢に攻撃を加えると共に航空撃滅戦の決行」を命じた。しかし直ちに大規模な爆撃を行なう勢力は当時の日本軍にはなく、また中国側航空部隊の邀撃も無視できない脅威であった。 稼働率や航空性能の劣るイ式100型重爆撃機(フィアットBR.20、九七式重爆撃機が完成する前の代用機)や対空防御が貧弱な九三式重爆撃機では被害が増大したため、中央統帥部は現地部隊に対して「航空侵攻作戦は概ね1939年秋以降に実施するので、各部隊はそれを目処として、整備訓練に勤めるように」と指示を出した。 そして、防備の固められた重慶に対しては、最新鋭の九七式重爆撃機、九六式陸上攻撃機を主体とする陸・海軍の航空兵力による航空侵攻を実施することとなった。「重慶爆撃」はこのように開始された。 作戦の実行 爆撃は主に1939年から1941年の、視界が確保できる春から秋の間に行われ、投下した爆弾は1940年には4333トンに達した(佐々木隆爾編「昭和史の事典」)。爆撃目標は「戦略施設」であり、1939年4月の現地部隊への指示では、「敵の最高統帥、最高政治機関の捕捉撃滅に勤めよ」とあり、アメリカ、イギリスなど第三国の施設への被害は避けるようにと厳命されていた。しかし重慶の気候は霧がちで曇天の日が多いため目視での精密爆撃は難しく、目標施設以外に被害が発生する可能性を考慮の上、爆撃が実施された。また、後期には絨毯爆撃となった。 爆撃の効果 中国側の資料では死者は計11,800人、家屋の損壊は17,600棟となっている。 日本軍の航空部隊は、当時の航法の限界(無線やレーダーなどの誘導方法は当時なかった)などもあって、蒋介石の司令部の位置を特定し施設を狙った爆撃を行ったにもかかわらず、司令部施設に命中弾は無かった(あるいは二発命中とも言われるが、蒋介石は無事だった)。一方で中国側は防空壕の不足や、換気装置の不備による避難者の大量死などの事故もあり、多くの犠牲者が発生した。また、市内の8割は破壊されたと言われている。 爆撃の効果について、当時は正確な検証がなかったことから日本軍内部で疑問視されていた。しかし、現実には蒋介石軍に大きな打撃を与えており、蒋介石の日記によれば、ほとんど戦争を単独で遂行することができないまでに追い込まれていたという。 この重慶爆撃に際しては、日本軍の戦闘機の航続距離が爆撃機のそれに及ばないため重慶まで爆撃機を護衛することができず、そのため日本軍爆撃機に大きな被害が発生した。これが後に爆撃機並みの長い航続距離をもった戦闘機の開発を要求する戦訓になったといわれている。 戦局への影響 蒋介石は、重慶爆撃により戦争遂行能力の限界を感じて、爆撃の悲惨さを非人道的な無差別爆撃として強調、宣伝することにより、大国アメリカを介入させる為の政治的な駆け引きに利用したという説がある。重慶爆撃の非人道行為としての側面が大きく扱われる原因もここにあるとされる。もっとも元々アメリカでは中国利権を日本に独占されることへの強い警戒感があったため、この主張は事実の一面しか捉えていないという反論もある。 一方、日本軍はこの爆撃の戦果を正確に検証できなかった為、戦果を拡大することが出来ず、また有効性に疑問があったため本格的な戦略重爆撃機の生産を遂に行なわなかった(計画のみ)。そして、戦略爆撃に対する備えも怠ったため、のちにアメリカ軍によって日本本土を爆撃されることになり、その重要性に気づいた時には既に戦争遂行能力をほとんど喪失していたのである。 さらに戦後には、戦略爆撃を始めた側として東京裁判で弾劾されたほか、非人道的行為をおこなった当事者「日本」として非難する活動にしばしば活用される材料とされた。また同じく非人道的行為である東京や広島・長崎への爆撃が報復攻撃であるとして正当化され、同じく非戦闘員を無差別に攻撃した同行為を非難する立場を相対化させる状況をあたえる要素となってしまった。 重慶爆撃の戦史上の位置づけ 重慶爆撃は日中戦争・第二次世界大戦と続くこの時期の世界戦争の中で、1937年のゲルニカ爆撃に続く最初期の組織的な戦略爆撃に位置づけられるゲルニカ以前にも、第一次世界大戦期にドイツによるロンドン空爆(1915年5月31日飛行艇ツェッペリンによる)がある。日本軍による初の都市空爆は満州事変のさいに関東軍独立飛行第一〇中隊主力により実施された1931年10月8日の錦州爆撃である。但し計画立案者の石原莞爾は偵察中に応射を受けたため自衛のための反撃および誤爆としている。戦時国際法に抵触する空襲手段を採用した別の嚆矢としてはイタリア空軍が挙げられる。1935年から39年にかけてエチオピアで500トン以上の化学剤(マスタード剤)の投下をおこなっている。。 戦略爆撃とは、「相手の戦争継続能力を奪うための爆撃。主要軍事施設・生産施設・物資貯蔵所・交通網や政治・軍事の中枢などに対する爆撃」三省堂 大辞林 第2版「戦略爆撃」の項より。を指すが、この思想は1921年イタリア王国のイタリア陸軍の元将軍ジュリオ・ドゥーエが戦略爆撃の書『制空』を出版していることや、アメリカ陸軍の飛行戦術学校が教本として採用しているなど各国で研究されており、日本軍による重慶爆撃がこの戦略思想を独創したと見るのは穿った見方である。むしろゲルニカと同じく戦時国際法における無差別爆撃の可否が焦点となったと見るべきだろう。 日本軍の重慶爆撃に次いで組織的な戦略爆撃を実施したのは、ヨーロッパ戦線におけるドイツとイギリスである。ドイツは西部戦線の初期1940年5月14日にロッテルダム爆撃を実施し、またバトル・オブ・ブリテン期の1940年8月24日にドイツ機によるロンドン誤爆と翌日からのイギリス空軍によるベルリン報復爆撃により、一般市民を巻き込まない戦時国際法の理念は事実上ないがしろにされるに到る。 イギリス空軍は大量の爆撃機を用いて都市そのものを目的にした空襲を行った。ヨーロッパ戦線では、夜間に軍事目標と民間施設とを区別しない無差別戦略爆撃を行い、多くの一般市民を殺傷した。のちに参戦したアメリカ軍は、当初は軍事施設と生産施設を昼間攻撃する精密爆撃を行っており、両者はそれぞれ違う方針に基づいて軍事行動を行っていた。 アメリカ軍は当初都市爆撃の手法をとらなかったが、やがてアメリカ陸軍のウィリアム・ミッチェル准将が戦略爆撃隊を作り出し、B-17、B-24に装備された精度の高いノルデン照準器を用いて精密爆撃を行った。ヨーロッパ戦線において、アメリカ軍はドイツの都市に対して、末期のベルリン空襲、ドレスデン爆撃などを除き大規模な無差別空襲は行っておらず、そうした無差別空襲はイギリスの担当であった。 対するドイツでは、航空戦力の面から急降下爆撃という戦術爆撃を重視しており、またV2ロケットや長射程砲に重きを置き、制空権をともなう戦略爆撃の重要性に気がついた時には既に勝機は去っていた。 太平洋戦線のアメリカ軍では、B-29戦略爆撃機を用いて大規模に日本の都市を焼き払う戦法が採用され、開始から半年足らずで多数の民間人殺傷と日本の戦争遂行能力低下という成果を挙げた。アメリカが期待した日本国民の士気の喪失は無く、むしろ逆に、無差別に殺戮する敵に対する怒りによる士気向上とそのような相手に降伏した場合におこりうることへの不安から降伏をためらい戦争を長引かせる原因となった。対日戦の当初、アメリカ軍は高高度精密爆撃を行ったが、偏西風の影響でヨーロッパ戦線より命中精度が低下した。そこで命中率を上げるために爆撃高度を下げたが、当然爆撃機の損害が増えたため、迎撃されにくい高高度からの無差別爆撃が採用されるに至ったこれは、イギリス空軍が無差別爆撃に至った経緯と同じである。また、対日戦でのアメリカ軍爆撃機の被害はヨーロッパ戦線でのそれと比較してさほど大きなものではなかったが、B29が小艦艇なみに高価な兵器であったためにアメリカ政府からの干渉があり、精密爆撃を主張した爆撃司令官(第21爆撃兵団司令官ヘイウッド・S・ハンセルJr陸軍准将)が更迭されたという経緯もあった。。 また、日本の軍需産業が都市部に広く点在する中小企業によって支えられているため、北九州の日本製鐵八幡製鐵所や関東の中島飛行機などの大工場を狙った精密爆撃の後には、それら中小企業を狙った都市攻撃も絶対に必要であるとされた。 脚注 重慶爆撃に対する見識 文学作品より引用 攻撃目標を軍隊や軍事施設に限定せず、都市を丸ごと破壊する作戦。軍隊と市民の区別なく、生命ある者すべてを焼き尽くしてよしとする攻撃のかたち。爆弾と飛行機を手にした人類が、ついに踏み越えた一線。世界の戦略家たちが持っていた無意識の倫理的規範をあっさりと吹き飛ばし、時代遅れのものとした。人類史上初の無差別戦略爆撃。これが新しい時代の戦争のありかたなのだと、日本軍が世界に最初に示した歴史的な作戦。『ストックホルムの密使』(1994年) 著作/佐々木譲 新潮文庫版:(上巻)ISBN 4-10-122315-7 頁330-331 より引用。 関連項目 井上成美 山口多聞 大西瀧治郎 坂井三郎 渡洋爆撃 ゲルニカ爆撃(Bombing of Gernika) バトル・オブ・ブリテン ドレスデン爆撃 東京大空襲 広島市への原子爆弾投下 / 長崎市への原子爆弾投下 重慶大爆撃賠償請求訴訟 参考資料 歴史記録映像昭和15年-重慶爆撃(IPA「教育用画像素材集サイト」」) - 動画あり 『戦略爆撃の思想 ゲルニカ、重慶、広島』前田哲男 凱風社[1]Googleブック検索(プレビュー機能あり)。序章ではややcatchyに日本軍による戦略爆撃の始原性を強調しているかのように読めてしまう箇所があり、また書籍タイトルの印象から「ドイツ・日本が始めた戦略爆撃がヒロシマ・ナガサキにつながった」的印象をもたらしているが、本論では史料の蒐集と要約に集中しており当該事件関連の二次史料として充実している。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月21日 (火) 21 49。
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【作品名】提督の決断Ⅲ 【ジャンル】ゲーム 【先鋒】日向 【次鋒】陸奥 【中堅】長門 【副将】武蔵 【大将】大和 【名前】日向 【属性】戦艦 【大きさ】全長 219.62 m 全幅 33.83 m 【攻撃力】四一式35.6cm連装砲4基 12.7mm連装高角砲8基16門 25mm3連装機銃19基 【防御力】戦艦並み 【素早さ】25.1ノットで航行可能、乗ってる奴等は軍人並み 【備考】兵員 1669名 【名前】陸奥 【属性】戦艦 【大きさ】全長 215.80m 全幅 28.96m 【攻撃力】45口径41cm連装砲4基 50口径14cm単装砲20門 40口径7.6cm単装高角砲4門 53cm魚雷発射管8門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】26.7ノットで航行可能、乗ってる奴等は軍人並み 【備考】兵員1,333名 【名前】長門 【属性】戦艦 【大きさ】全長 224.94m 全幅 34.59m 【攻撃力】45口径41cm連装砲4基 50口径14cm単装砲20門 40口径7.6cm単装高角砲4門 53 cm魚雷発射管8門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】24.35ノットで航行可能、乗ってる奴等は軍人並み 【備考】兵員1,368名 【名前】武蔵 【属性】戦艦 【大きさ】全長 263.0m 全幅 38.9m 【攻撃力】46cm(45口径)砲3連装3基9門 15.5cm(60口径)砲3連装4基12門 12.7cm(40口径)連装高角砲6基12門 25mm3連装機銃12基36門 13mm連装機銃2基4門 【防御力】戦艦並み 【素早さ】27.46ノットで航行可能、乗ってる奴等は軍人並み 【備考】兵員3,330名 【名前】大和 【属性】戦艦 【大きさ】全長 263.0m 全幅 38.9m 【攻撃力】45口径46cm3連装砲塔:3基 60口径15.5cm3連装砲塔:4基 40口径12.7cm連装高角砲:6基 25mm3連装機銃:8基 13mm連装機銃:2基 【防御力】戦艦並み 【素早さ】27.46ノットで航行可能、乗ってる奴等は軍人並み 【備考】兵員3,332名 vol.93 465 :考察の決断Ⅲ:2010/04/28(水) 20 30 54 ID eOUSKIJW 提督の決断Ⅲ考察(というほどでもない 太平洋戦記シリーズとまったく一緒。この結果 太平洋戦記シリーズ=提督の決断Ⅲ
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1931年の満州事変から日中戦争を経て1945年のポツダム宣言受諾による無条件降伏に至るまでの約15年間にわたる戦争を、総称して十五年戦争と呼ぶ。鶴見俊輔が1956年にこの言葉を使用したのが最初とされ、1960年代後半から一般にもこの言葉が浸透していった。この呼称は、満州事変以後繰り返された日中衝突及び太平洋戦争までの戦争は連続した日本による侵略戦争であるという見方に基づいているとして、侵略性を主張することに反発ないし消極的な人々からは否定的に受け取められることもある。 また、イデオロギー上の論争とは別に、満州事変(1931年 - )は塘沽協定(1933年)で一応、停戦が成立しており、盧溝橋事件を発端とする日中戦争(1937年 - )との連続性を認めるのは、非合理的とする意見もある。 略年表 日本の大陸介入 1925年(大正14)1月 蒋介石の広東政府、北伐を開始 1927年(昭和2) 5月 北伐が山東省の日本利権に迫り、日本軍第一次山東出兵 10月 毛沢東、江西省に革命根拠地樹立 1928年(昭和3) 4月 蒋介石の北伐再開、日本軍反発し第二次山東出兵 5月 済南事件 6月 北伐完了 6月4日 張作霖爆殺事件 7月 アメリカ合衆国政府、蒋介石の国民政府を承認。 10月 蒋介石、国民政府主席に就任 1929年4月 世界恐慌起こる 1930年 日本、金輸出解禁により金流出、輸出不振。 1931年 9月18日 - 満州事変勃発 12月 - 日本金輸出再禁止 1932年 1月28日 第一次上海事変 2月 - 9月 リットン調査団、柳条湖事件を調査 3月1日 満州国建国宣言 5月15日 五・一五事件発生 イギリスがブロック経済を形成する 9月15日 日満議定書調印 10月 リットン調査団、国際連盟に報告 1933年 1月~3月 日本軍、熱河に侵入。 2月21日 - 国際連盟総会でリットン報告を採択(反対票は日本のみ)、日本に対し満州からの撤退が勧告される。日本は不服として連盟脱退を表明。 3月4日 - フランクリン・D・ルーズベルトがアメリカ大統領に就任、ニューディール政策を実施(~1936年)。 3月24日 - ドイツ、「全権委任法」を制定、アドルフ・ヒトラーが総統に就任。 3月27日 - 日本、国際連盟から正式に脱退する。 日本、中華民国と塘沽協定を結ぶ。 1934年 10月 毛沢東の長征はじまる(36年10月まで)。 1935年 天皇機関説問題。美濃部達吉の著書発禁、貴族院議員辞職を強いられる。 8月1日 - 中国共産党、八・一宣言(抗日救国宣言)で、国共合作をよびかける。 11月 冀東防共自治政府成立 1936年 1月 日本、ロンドン軍縮会議を脱退。 二・二六事件 日独防共協定、締結される。 12月 西安事件(張学良、蒋介石を拉致監禁) 1937年 7月7日 - 盧溝橋事件(蘆溝橋事件)。これより中華民国との日中戦争(日華事変、日支事変)勃発。 7月 - 日本軍、北京・天津地域を占領。通州事件発生。 8月13日 - 第二次上海事変 9月 - 第二次国共合作 12月13日 - 日本軍、国民政府の首都南京を占領。「南京大虐殺」(または「南京事件」)発生(規模、事件の性格をめぐっては諸説あり)。 国民政府、重慶に首都移転。 1938年 1月 - 日本、「爾後国民政府を対手とせず」のいわゆる近衛声明発表。国民政府との和平交渉を打ち切った。 4月1日 - 日本、国家総動員法公布。 5月5日 - 国家総動員法、施行。 12月 - 汪兆銘、重慶を脱出。 1939年 5月 - ノモンハン事件 9月 - 第二次世界大戦勃発。ドイツ軍がポーランド侵攻開始、これに対して英仏が宣戦。 1940年 汪兆銘、南京国民政府樹立。 6月14日 - ドイツ軍、パリに入城。 6月 - フランスのヴィシー政権がドイツに降伏。自由フランス政府は抵抗を続行。 9月 - 日本、北部仏印に進駐。 9月 - 日独伊三国軍事同盟締結。 10月 - 大政翼賛会、結成。 11月 - 大日本産業報国会、結成 1941年 3月1日 - ドイツ軍、ブルガリアに進駐。 4月13日 - 日ソ中立条約調印。 6月22日 - ドイツ軍、ソ連に侵攻開始(バルバロッサ作戦)。独ソ戦始まる。 7月2日 - 対ソ戦準備・南部仏印進駐を御前会議で決定。 7月 - 日本、南部仏印に進駐。 10月2日 - ドイツ軍、モスクワ攻略作戦(タイフーン作戦)開始。30日に中断、翌月19日に再開。 11月 - アメリカ、日本に、ハル・ノートを提案。 12月8日 - 真珠湾攻撃以降太平洋戦争(大東亜戦争)。 12月11日 - ドイツとイタリア、アメリカに宣戦布告。 12月16日 - 戦艦大和、竣工。 1942年 1月2日 - マニラ (フィリピン進攻作戦) 1月 - 日本軍、マニラ占領。 2月15日 - シンガポール (マレー進攻作戦) 3月8日 - ラングーン占領。 3月9日 - ジャワ島のオランダ軍を降伏させる。 5月7~8日 - 珊瑚海海戦 5月 - 日本軍、フィリピンのコレヒドール島占領。 6月5~7日 - ミッドウェー海戦 8月 - ガダルカナル島の戦い始まる。 1943年 2月1~7日 - 日本軍ガダルカナル島から撤退。 2月 - ソ連軍がスターリングラードでドイツ第6軍を降伏させる。 (スターリングラード攻防戦) ドイツ東部戦線、第三次ハリコフ攻防戦。 4月18日 - 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空にて戦死。(「海軍甲事件」) 7月4日 - ドイツ東部戦線、クルスクの戦い。(~8月27日) 7月10日 - 連合軍、シチリア島に上陸。(ハスキー作戦) 9月3日 - 連合軍がイタリア半島に上陸。(イタリアの戦い) 9月8日 - イタリア王国、連合国に降伏。 9月23日 - ドイツに救出されたムッソリーニがイタリア社会共和国を建国。日本は承認。イタリアは内戦状態に。 1944年 日本学童疎開始まる。 一号作戦(大陸打通作戦)始まる。 10月 - レイテ沖海戦 12月 - ドイツ軍、アルデンヌ攻勢。 1945年 2月18日 - 硫黄島の戦い始まる。 3月10日 - 東京大空襲 3月22日 - 硫黄島が陥落。 3月26日 - 米軍、沖縄上陸。 4月6日 - 天一号作戦(菊水作戦)開始。 4月7日 - 戦艦大和、沈没。 4月12日 - アメリカ、ルーズベルト大統領、死去。 4月28日 - ムッソリーニがパルチザンに処刑される。イタリア社会共和国は崩壊。 5月2日 - ベルリンが陥落。 5月8日 - ドイツ無条件降伏。 7月26日 ポツダム宣言。 8月6日 - 広島市へアメリカが原子爆弾を使用。 8月8日 - ソ連、ヤルタ協定に基づき日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告、日本保護領満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻。 8月9日 - 長崎市へアメリカが原子爆弾を使用。 9月2日 - 日本、降伏文書に調印、太平洋戦争終結。 9月下旬 - 中国大陸の日本軍全面降伏、日中戦争終結。 1937年から1945年までは日中戦争も参照 1941年から1945年までは太平洋戦争の年表も参照 日中摩擦 日中戦争(支那事変、日華事変)が起こるまでに、日中摩擦が起こっている。 第一次世界大戦後、日本は『21か条の要求』を中国につきつけ、侵略の意図をあらわにした。それに対し中国人は反発し五四運動、前後して日貨排斥運動が起こった。1928年、日本は北伐から山東省権益を守るべく山東出兵を行い、済南事件で日中双方は衝突する。 背景 関東大震災、金融恐慌、世界恐慌、その後のブロック経済化の流れ等で負った深刻な経済的ダメージを、 日本は満州進出、後には南方進出(大東亜共栄圏)で取り戻そうとした。 しかし、軍部の政治的な発言力が強まり、「満州は日本の生命線」として、また、 朝鮮に代わる「本土防衛」のための緩衝地帯として、満州進出を進める日本は、 満州国を承認しない列強との対立が深刻化し、遂には全面戦争にいたる。 経過 1931年満州事変の当初、日本政府の方針は「事局不拡大」だったが、関東軍は無視して事変の拡大を進め、満州国の建国を後押しし、日本政府は結局、満州事変を事後追認した。 1933年日本は満州国を承認しない他の国際連盟加盟国と対立、満州国を否認する決議が採択されると、抗議として国際連盟を脱退した。 1937年、盧溝橋事件勃発。日本は1931年の満州事変によって満州国という緩衝国家を得たが、それが同国を日本によって作られた傀儡政権とみなす国際連盟各国、特に民族主義を刺激された中国の国民政府との関係を悪化させていた。 この年7月に勃発した盧溝橋事件以後、両国の険悪の度合いは増し、 8月の第二次上海事変を期に泥沼の日中戦争に引きずり込まれていく。 12月、日本軍は国民政府の首都南京を落としたが、国民政府は、最初漢口に、漢口陥落後は重慶に遷都し交戦を継続した。 1938年1月、近衛文麿首相は「国民政府を対手とせず」の声明を発表。日本は蒋介石の重慶政権を否定した。同年、国家総動員法が成立し、日本は日中戦争に全力を投入、国力を磨り潰して行く。 1939年ノモンハン事件勃発、日本はソ連の脅威と陸軍装備の劣勢を認識するも、事実を隠匿したために、結局日本軍の得た教訓は、「対戦車攻撃には火炎瓶が有効」といった程度だった。(初期型の戦車以外には、火炎瓶は有効とは言えない) 1940年には、 日本は汪兆銘の南京政府を中国における正当な政権として承認。 同年9月、日本は、英米がナチス・ドイツの傀儡政権と認識するヴィシーフランスとの合意に基づき、北部仏印に進駐した。同時期、日本は、日独伊三国軍事同盟を締結した。 ドイツと同盟し、軍事力を背景にアジア諸国に対する勢力拡大を図る日本に、警戒心を刺激されたイギリスやオランダ、アメリカなどの周辺諸国は、石油や鉄クズなどの日本への輸出を制限し(ABCD包囲網)、日本に経済的圧力をあたえた。 その後も近衛文麿首相などによって戦争回避のための日米交渉が継続されたが、1941年、日本の南部仏印の占拠を機に日米関係は絶望的に悪化、ABCD包囲網が完成し、石油や鉄クズの日本への輸出が完全に停止した。こうした状況が続き、次第に日本の世論は「対米開戦やむなし」に傾いていく。 11月、中国および仏領インドシナからの全面撤退や日独伊三国軍事同盟の即刻破棄などを要求したアメリカの「ハル・ノート」に対して反発した日本は、モスクワに迫るドイツ軍の成功を見て、同年12月8日、英米蘭と開戦、英米蘭の太平洋や東南アジアにある領土を攻撃し、 太平洋戦争が勃発した。条約上の義務はなかったが、同盟国のドイツとイタリアも、アメリカに宣戦布告した。 日本軍首脳部は、膨大な国力差のあるアメリカとの戦争を、真珠湾攻撃などの緒戦で戦果を挙げた時、もしくは同盟国ドイツが欧州で勝利した時に、スイスやバチカン等の中立国を通じて講和する、という(甘い)見通しで始めた。 しかし、緒戦こそ善戦したものの、戦争が長引くにつれ、経済力と技術力に勝る米国に押し返され、 1945年5月、頼みの綱のドイツは降伏し、同年8月8日、ソ連が対日参戦、「ソ連を通じての講和」の構想も不可能になり、ほぼ同時に広島と長崎への原爆投下もあり、最終的に同年9月2日、日本も降伏文書に調印した。 結果・犠牲 十五年戦争では、日本において軍、民間人あわせて三百万人の犠牲者(死者)が出た。アメリカにおいては、太平洋戦争期、主に軍人に9万人の戦死者を出している。 中国側の犠牲者数については諸説あるが、1951年9月6日の沈釣儒報告「戦犯の検挙と懲罰について」の中で、「中国軍民の蒙った生命の損失は一千万人以上である」との言及が見られ、しばらくはこの数字がしばしば引用されていた。 その後『中国新民主主義革命時期通史』に「確かな統計によっただけでも、人民の死傷者は1,800万人に達し(軍隊の死傷者数は含めず)」との記述が見られ、負傷者も含めた死傷者数ではあるが、これが、「統計」をもとに算出した、と主張する最初の数字である(当文献の初版は1961年だが、現在知られているものは1979年の第三版)。 軍人の死傷者については1985年8月11日付「人民日報」宋時輪論文にて「380万人余」との数字が提出された。これ以降、中国軍民の死傷者2,168万5千人」という数字が「中国人民革命軍事博物館」に展示されるようになる。 さらに1987年には、劉大年・中国社会科学院名誉所長により、「現存する戦争当時の戸籍簿をすべて洗い直」すなどの作業の結果、従来「ほとんど計上されていなかった」一般民衆の餓死者や病死者を含めて、「死者だけで2000万人以上」とする推計が発表された。 (以上、石井明氏論文『日中戦争における中国の人的・物的損失について』による) その後1995年には、「死傷者3500万人以上」という数字が提出されたが、この数字の根拠は不明。以上、死者数及び死傷者数については詳細な調査は不可能であり、中国側の提出する数字の信頼性も不明である。ただし、日中戦争によって中国の軍人及び一般民衆に多大な被害が生じたことは疑い得ない。 総括 明治から昭和にかけて日本は飛躍的な発展を遂げたが、富の再分配が適切に行われなかったので社会階層が固定化され貧富差が拡大した。また、急激に増加した人口を国内だけで養うことが困難になり、海外移民等を積極的に進めるが、黄禍論の台頭により厳しい状況におかれた。このような社会背景のもと立て続けに起きた金融恐慌と昭和恐慌は、社会不安を増大し閉塞感を蔓延させた。無力で失策を続ける政府に多くの国民は失望し、逆に軍部への期待が高まった(徴兵制のため軍部では下層階級の意見が通りやすかった)。ここに至って、もはや国内的な努力のみでは問題を解決できない状況となり、国外に活路を求める以外に無いという考えが台頭してくる。軍部は国民的支持を背景に自らが得意とする力による解決方法を探り、イギリスなどのブロック経済を模して、他地域への進出によって恐慌を乗り切ろうとした。これが十五年戦争の始まりと考えられる。 日本は満州事変によって満州という新たな殖民国家を得たが、それは中国の民族主義を刺激し日中関係の悪化を招いた。険悪の度合いは増し、盧溝橋事件を期に泥沼の日中戦争に引きずり込まれていく。日本の拡大主義はイギリスやオランダなどの周辺諸国、特にアメリカの警戒心を刺激し、石油や鉄クズなどの禁輸(ABCD包囲網の発動)という日本にとって極めて厳しい経済制裁を加えられる。その後も近衛文麿などによって戦争回避のための日米交渉が継続されたが、1941年、中国大陸からの全面撤退や日独伊三国軍事同盟の即刻破棄などを要求したアメリカの最後通牒(ハル・ノート)に反発した日本は、逆に欧米の太平洋や東南アジアにある領土を攻撃し、太平洋戦争が勃発した。 日本軍首脳部は、アメリカとの膨大な国力差を真珠湾攻撃による緒戦の勝利と精神主義による早期講和で乗り切ろうとする。しかし、緒戦こそ善戦したものの戦争が長引くにつれ、経済力と技術力に勝る米国に押し返され、1945年8月15日、敗戦を迎える。 この戦争は、 社会不安→軍部台頭→膨張政策→諸国との摩擦→破滅的戦争→軍部崩壊→民主化 という発展途上国の近代化・民主化の典型的なパターンに沿っているものとも言える。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年8月18日 (月) 07 53。
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目次 中国抗日軍事史 1937-1945目次 本書の主旨 関連ページ 中国抗日軍事史 1937-1945 中国抗日軍事史 1937-1945 目次 序章 強国日本は弱国中国になぜ敗けたのか 第1章 日本軍攻勢段階の国民党戦場―盧溝橋事件から武漢陥落まで―第1節 蒋介石の対日抗戦構想と首都南京陥落まで1 国民党と遊撃戦 2 国民政府・国民党の軍事機構・戦略・戦術―蒋介石の遊撃戦構想― 3 日中全面戦争の起点・盧溝橋事件における豊台の位置 4 第二次上海事変―国民政府軍の抗戦と上海民衆― 5 首都南京攻防戦と日本の勝利への幻想 6 日本軍攻勢と国民政府軍 第2節 太原、徐州両会戦から武漢大会戦まで1 平型関・台児荘両戦闘の軍事史における位置 2 太原会戦・平型関両戦闘における国共両軍の協力 3 徐州会戦における台児荘戦闘の位置 4 武漢大会戦―日本軍攻勢の頂点― 5 第二次国共合作の意義 第2章 日中対峙段階の国民党戦場と国共矛盾―南昌会戦と第一次・第二次長沙会戦―1 戦闘形態の変化と国共関係の悪化 2 南昌会戦・随棗会戦・棗宜会戦 3 第一次・第二次長沙会戦 4 他地域での軍民の抵抗と遊撃戦 5 国共矛盾と新四軍事件 6 遊撃戦と民衆 第3章 太平洋戦争以降の国民党戦場と海外派兵―国民政府軍攻勢段階への転換第1節 国民政府軍の攻勢と日本軍の反撃1 中国勝利への確信 2 第三次長沙会戦と国民政府軍の勝利 3 常徳会戦と国民政府軍の勝利 4 大陸打通作戦―日本軍最期の一大攻勢― 5 中国遠征軍とビルマ戦線 6 国民政府軍・中国共産党軍の全面反攻と日本敗戦 7 日本の戦局転換への誤算 第2節 日本軍の制空権喪失―米ソによる対中支援と中国空軍問題―1 空軍力の重要な役割 2 『中央日報』に見る中国空軍の時期区分と抗戦 3 ソ連支援時期―ソ連志願隊と爆撃機・戦闘機の売却― 4 中国空軍の「暗黒時代」 5 アメリカ支援時期 6 国民兵一元献機運動の展開 7 日中制空権転換の構図 第4章 国民党系特務の抗日テロ・ゲリラ―「藍衣社」と「C・C団」―1 日本占領政策への揺さぶり 2 蒋介石の情報戦認識と藍衣社、C・C団 3 盧溝橋事件以後の藍衣社の抗日テロと遊撃戦 4 C・C団の抗日情報戦と東アジア民族運動・反戦運動 5 三民主義青年団と抗戦 6 抗日活動の多重構造 第5章 毛沢東の遊撃戦構想と共産党戦場1 中国共産党の遊撃戦と民衆 2 毛沢東の遊撃戦構想 3 遊撃戦の組織と特質 4 華北における八路軍の百団大戦と遊撃戦 5 華中における新四軍の遊撃戦と国共矛盾 6 遊撃戦の特色と威力 第6章 世界華僑による抗日支援ネットワーク1 華僑の献金・為替送付と武力抗日 2 国民政府の華僑政策 3 欧米華僑の抗日活動 4 南洋華僑の抗日活動 5 日本・台湾・朝鮮各華僑の動向 6 華僑の抗戦における役割 第7章 抗日戦争の背景とその基盤―国民政府による「抗戦建国」路線の展開―1 中国勝利の社会経済的要因 2 国民政府による奥地抗戦体制への移行 3 国民政府の抗戦体制確立と展開 4 国民政府の中央集権化政策と民主化闘争 5 国民政府の抗戦の歴史的評価 終章 中国勝利・日本敗戦の構造 本書の主旨 あとがきによれば本書の主旨は以下の通り。 2006年9月、有志舎の永滝稔氏から中国側から見た日中戦争史の概説本執筆の依頼があった。その際、次の3点が要望された。 ① 軍事史、特に実際の戦場を重視すること。 ② 従来、書かれているような中国共産党戦場のみならず、国民党戦場を重視すること。 ③ 不明点が多い太平洋戦争後の中国戦場を重視すること 主な対象読者は、大学三年生以上の歴史学専攻の学生・大学院生、および日中戦争史に関心を持つ一般社会人。その上で、専門家にとっても意義のある本にすることをめざした、とのこと。 関連ページ 読書/特集/戦争を読む/日中戦争を読む
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3月16日現在 各都道府県の窓口を通して自衛隊が輸送するとのこと 個人での輸送はしないようにとのこと 募集している品目や必要な物資は事前に確認のこと 専用のページもあります→ 物資による支援 - 東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)被災地への援助総合@wiki 今後、↑に集約していった方が良いのかなと。(3/19 8 04) 救援物資の受付先一覧(随時追加) http //green.sq4u.jp/ http //www.jpn-civil.net/support/relief_supplies/post_1.html http //www.chikyumura.org/earthquake/2011/03/-tel0776-20-0326-httpwwwpreffukuijpdoctihukugienbussihtml-tel086-226-7252.html 防衛庁・自衛隊 地方公共団体及び民間からの救援物資の自衛隊による輸送スキームについて 自治体 一般からの物資を受け入れている県 東京都 福祉保健局指導監査部指導調整課 03-5320-4585 大阪府 ボランティア・市民活動センター 06-6762-9631 兵庫県 災害対策支援本部県民窓口班 078-362-9898 福岡県 福祉労働部 福祉総務課 092-643-3244 福井県 地域福祉課 0776-20-0326 岡山県 県民生活交通課 086-226-7252 高知県 支援チーム 088-823-9018 徳島県 南海地震防災課 088-621-2297 佐賀県 危機管理センター 0952-25-7401 長野県 災害対策支援本部 026-235-7410 和歌山県 福祉保健総務課 073-441-2472(3月19日まで) 自治体による支援物資の受付 東京都 支援物資受付 http //www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2011/03/20l3hd00.htm 大阪市 支援物資受付 http //www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000117622.html 兵庫県 支援物資受付 http //web.pref.hyogo.jp/ac20/ac20_000000136.html#h03 長野県下の窓口 連絡先等 http //mainichi.jp/area/nagano/news/20110316ddlk20040056000c.html 企業による支援物資の受付 防寒着・アウトドアグッズなど http //about.montbell.jp/release/disp.php?site_category_id=15 infomation_id=145 防寒具・防寒着 http //rgbstore-news.seesaa.net/article/190597747.html テント・シュラフの募集 ※3月31日まで http //www.snowpeak.co.jp/info/2011shien.html NPO・NGO・ボランティアによる支援物資の受付 ※個人からの物品寄付募集団体の情報 http //www.tvac.or.jp/di/20971.html 学用品・文房具 http //green.sq4u.jp/ 防寒着 ※ 3月24日必着・新品/新古品のみ http //www.amasyakyo.jp/vc-blog/blog.cgi?id=amavc time=1300254657 野菜サポーター http //www.pure.ne.jp/~ngo/
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661 :四〇艦隊の人:2013/12/04(水) 00 42 01 さて、米海軍に対するてこ入れとしてこんなものを考えてみましたので投下。 Mk-41大型魚雷 Mk-41大型魚雷とは太平洋戦争中に米海軍が試作した魚雷である。 Mk-41-1 全長:一五.五m 全幅:二.三m 重量:一一.五t 最大雷速:四五ノット 射程:三〇ノット時三五〇〇〇m 四五ノット時一〇〇〇〇m 弾頭重量:一.五t Mk-41-2 全長:一八.五m 全幅:三.三m 重量:一八.五t 雷速:四〇ノット 射程:二五ノット時三〇〇〇〇m 四〇ノット時一〇〇〇〇m 弾頭重量:一.五t ・概要 太平洋戦争開戦直後のトラック沖海戦で、航空機による攻撃が艦隊に対する決定的な攻撃力とならないことが証明された結果、米海軍は大混乱に陥った。 戦前から大金を費やして整備してきた空母機動部隊が実はそれほど役に立たない物だったという事実は、空母マフィアの影響力を削るのに十分な失点だった。 この結果米海軍はモンタナ級戦艦の三、四番艦とアイオワ級の五、六番艦の就役を急がせると共にルイジアナ級戦艦四隻、BB-75型戦艦(後のアドミラル=パイ級)三隻の建造を開始、また戦艦に対して確実な打撃力となりうる大型魚雷の開発を開始した。 その思案の過程で生まれた成果がこれである。 ・性能 Mk-41魚雷は当時から見ればきわめて先進的な魚雷の一つで燃焼剤に純粋酸素を使用し、音響パッシブホーミング機能を持った、きわめて強力な魚雷である。 水線下に一.五トンの爆薬をぶち当てられればBB-75でも日本の上総型でも必ず戦闘、航行に重大な損害を受けるだろうとされた。 ・実戦における運用 あまりの大きさから水上艦艇での使用はきわめて困難で、主に潜水艦部隊が使用したが、その潜水艦にしても本魚雷の搭載は二発が限度で、接敵の数から言っても大きな損害をあげたとは言いづらい。 しかし戦争中期に戦艦下総がこの魚雷と見られる攻撃により大破航行不能、戦争終盤には戦艦上総が大破後に自沈処分等の大損害を与え、米海軍最後の意地を見せたと伝えられている。
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東北被災地及び関東圏でのガソリン・軽油等の供給確保状況について、来週後半頃に地震により停止中の3製油所が回復、供給不足はほぼ解消する予定。それまでのここ数日についても対応中。 湾岸線(東行き・西行き)新木場~葛西JCT 3月22日(火)午前3時に通行止め解除予定。また、舞浜入口は3月22日(火)午前9時に閉鎖解除予定。 東京電力による計画停電情報 ヨードチンキ、うがい薬、のどスプレー、消毒用せっけん、ルゴール液は、内服薬である安定ヨウ素剤の代わりにはならない Googleによる東北地方太平洋沖地震情報サイト 新潟県、長野県、山梨県、神奈川県以東の17都道県で、公衆電話を無料でご利用可能(NTT東日本)。 iモード災害用伝言板はパソコンからもみることができます。 計画停電についてどうやら訂正が入りそう。訂正情報が入ったら反映します。 被災したauユーザー(携帯電話・固定通信)で窓口支払っているひとは2011年3月請求分は支払期限を請求書記載日付より一ヶ月延期 Softbankは規制解除。ソフトバンクWi-Fiスポットを無料開放 地震発生当日の2011年3月11日(金)から1週間、すべてのユーザーのすべてのメールが無料に 日本赤十字は個人の物品の寄贈は受付ず。ボランティアの受付も現状なし。防災ボランティアセンターを準備中。義援金の口座についても準備中 首都高三郷線、東北道、常磐道、磐越道、仙台南部道路、仙台東部道路、仙台北部道路、三陸縦貫自動車道、秋田道、釜石自動車道、東北縦貫自動車道八戸線が緊急交通路に指定。一部または全線通行不可。 計画停電検索。負荷分散のミラーの用意をされている模様 - ここを編集
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通118 | 戻る | 次へ (別紙) 書籍目録 書籍目録1 2 1 題名 太平洋戦争 著者 家永三郎 発行者 大塚信一 発行所 株式会社岩波書店 発行年月日 平成14年7月16日 第1刷発行平成15年2月14日 第2刷発行 型式 縦 14.8㎝横 10.5㎝ぺ一ジ 463ぺ一ジ 定価 1400円 2 題名 沖縄ノート 著者 大江健三郎 発行者 山口昭男 発行所 株式会社岩波書店 発行年月日 昭和45年9月21日 第1刷発行平成19年11月15日 第53刷発行 型式 縦 17.5㎝横 10.5㎝ぺ一ジ 228ぺ一ジ 定価 740円 戻る | 次へ 別紙一覧 読める判決「集団自決」
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オカルトクリニック ep.14「ムカサリ」怪談・不思議な話・人怖を考察 朗読怪談 「ムカサリ」 参加メンバー Tomo Kimura その他 登録されたタグ 『勇者ヨシヒコシリーズ』 『禁忌』(呪いのビデオ67,68,69) オカルトクリニック ストーカー タイトル忘れ フランス ムカサリ ムカサリ絵馬 中国 井戸の魔物 写真 写真屋 冥婚 台湾 太平洋戦争 東北地方 死体 死後婚 独身 田舎 画像加工 石原さとみだったら 結婚 絵師みのり 親 遺影 韓国 風習 ⇐PREV NEXT⇒ 名前 コメント すべてのコメントを見る
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2008年11月19日09時56分のバトル キャラ名作者体力TYPELIFE勝利数 朧月夜うまかぼう18堅守高速13 市川 末広モハメド・アリ10スピード10 ランダム@3沢山!!15攻撃重視10 戦争超人ノコンモハメド・アリ20スピード10 第4261回D-BR杯がスタートです! 現在朧月夜がタイトルを2回防衛しています! 挑戦者がタイトルを奪取するのか、チャンピオンが防衛記録を伸ばすのか!? 朧月夜の攻撃!(命中率90%/会心率5%) 朧月夜 「ほれほれ、絶景かな」 戦争超人ノコンに4のダメージをあたえた!! 残り体力( 朧月夜 18 , 市川 末広 10 , ランダム@3 15 , 戦争超人ノコン 16 ) 市川 末広の攻撃!(命中率95%/会心率5%) 市川 末広 「次はーー加古川 加古川です!」 ランダム@3に5のダメージをあたえた!! ランダム@3 「お綾や親にお謝り お綾や、お湯屋に行くと八百屋にお言い」 残り体力( 朧月夜 18 , 市川 末広 10 , ランダム@3 10 , 戦争超人ノコン 16 ) 戦争超人ノコンの攻撃!(命中率92%/会心率5%) 戦争超人ノコン 「俺様は太平洋戦時中に誕生した超人ノコンだ!連勝させないと倒す!」 市川 末広に5のダメージをあたえた!! 市川 末広 「この電車は快速戦争超人ノコン行きです!」 残り体力( 朧月夜 18 , 市川 末広 5 , ランダム@3 10 , 戦争超人ノコン 16 ) ランダム@3の攻撃!(命中率65%/会心率8%) ランダム@3 「生麦、生米、生卵!生麦、生米、生卵!」 戦争超人ノコンはゆうゆうとかわした。 残り体力( 朧月夜 18 , 市川 末広 5 , ランダム@3 10 , 戦争超人ノコン 16 ) 朧月夜の攻撃!(命中率94%/会心率5%) 朧月夜 「ほれほれ、絶景かな」 市川 末広に4のダメージをあたえた!! 市川 末広 「この電車は快速朧月夜行きです!」 残り体力( 朧月夜 18 , 市川 末広 1 , ランダム@3 10 , 戦争超人ノコン 16 ) 市川 末広の攻撃!(命中率95%/会心率24%) 市川 末広 「次はーー加古川 加古川です!」 朧月夜に2のダメージをあたえた!! 朧月夜 「うむうむ、なるほどのう」 残り体力( 朧月夜 16 , 市川 末広 1 , ランダム@3 10 , 戦争超人ノコン 16 ) 戦争超人ノコンの攻撃!(命中率95%/会心率7%) 戦争超人ノコン 「俺様は太平洋戦時中に誕生した超人ノコンだ!連勝させないと倒す!」 ランダム@3に5のダメージをあたえた!! ランダム@3 「お綾や親にお謝り お綾や、お湯屋に行くと八百屋にお言い」 残り体力( 朧月夜 16 , 市川 末広 1 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 16 ) ランダム@3の攻撃!(命中率69%/会心率16%) ランダム@3 「生麦、生米、生卵!生麦、生米、生卵!」 戦争超人ノコンに14のダメージをあたえた!! 残り体力( 朧月夜 16 , 市川 末広 1 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) 朧月夜の攻撃!(命中率93%/会心率9%) 朧月夜 「ほれほれ、絶景かな」 戦争超人ノコンはギリギリかわした。 残り体力( 朧月夜 16 , 市川 末広 1 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) 市川 末広の攻撃!(命中率95%/会心率40%) 市川 末広 「次はーー加古川 加古川です!」 朧月夜に5のダメージをあたえた!! 朧月夜 「うむうむ、なるほどのう」 残り体力( 朧月夜 11 , 市川 末広 1 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) 戦争超人ノコンの攻撃!(命中率95%/会心率33%) 戦争超人ノコン 「俺様は太平洋戦時中に誕生した超人ノコンだ!連勝させないと倒す!」 朧月夜に2のダメージをあたえた!! 朧月夜 「うむうむ、なるほどのう」 残り体力( 朧月夜 9 , 市川 末広 1 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) ランダム@3の攻撃!(命中率58%/会心率24%) ランダム@3 「生麦、生米、生卵!生麦、生米、生卵!」 市川 末広に11のダメージをあたえた!! 残り体力( 朧月夜 9 , 市川 末広 -10 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) 市川 末広のLIFEは0になった! 市川 末広はやられた・・・ 「不正乗車は犯罪です!絶対にお止め下さい・・・」!」 朧月夜の攻撃!(命中率95%/会心率26%) 朧月夜 「ほれほれ、絶景かな」 ランダム@3はギリギリかわした。 ランダム@3 「隣の竹やぶ竹立てかけた!隣の竹やぶ竹立てかけた!」 残り体力( 朧月夜 9 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) 戦争超人ノコンの攻撃!(命中率95%/会心率42%) 戦争超人ノコン 「俺様は太平洋戦時中に誕生した超人ノコンだ!連勝させないと倒す!」 朧月夜に5のダメージをあたえた!! 朧月夜 「うむうむ、なるほどのう」 残り体力( 朧月夜 4 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) ランダム@3の攻撃!(命中率71%/会心率28%) ランダム@3 「生麦、生米、生卵!生麦、生米、生卵!」 戦争超人ノコンはゆうゆうとかわした。 残り体力( 朧月夜 4 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン 2 ) 朧月夜の攻撃!(命中率95%/会心率45%) 朧月夜、会心の一撃!!! 朧月夜 「我も本気をださせんりょのう!」 戦争超人ノコンに24のダメージをあたえた!! 残り体力( 朧月夜 4 , ランダム@3 5 , 戦争超人ノコン -22 ) 戦争超人ノコンのLIFEは0になった! 戦争超人ノコンはやられた・・・ ランダム@3の攻撃!(命中率72%/会心率30%) ランダム@3 「生麦、生米、生卵!生麦、生米、生卵!」 朧月夜は素早くかわした。 朧月夜 「おろおろ、風でも通ったかの」 残り体力( 朧月夜 4 , ランダム@3 5 ) 朧月夜の攻撃!(命中率95%/会心率45%) 朧月夜 「ほれほれ、絶景かな」 ランダム@3に4のダメージをあたえた!! ランダム@3 「お綾や親にお謝り お綾や、お湯屋に行くと八百屋にお言い」 残り体力( 朧月夜 4 , ランダム@3 1 ) ランダム@3の攻撃!(命中率87%/会心率60%) ランダム@3、会心の一撃!!! ランダム@3 「東京特許きょきゃきょく!!!」 朧月夜に42のダメージをあたえた!! 残り体力( 朧月夜 -38 , ランダム@3 1 ) 朧月夜のLIFEは0になった! 朧月夜はやられた・・・ 「おろおろ〜」 勝ち残ったのはランダム@3です! ランダム@3が見事にD-BR杯を制覇しました! ランダム@3 「新人シャンソン歌手新春シャンソンショー!」