約 15,349 件
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/12.html
概要 青森県青森市の東部に位置する市立公園。 明治14年着手、同27年完成。面積17ヘクタール。公園北側は海浜になっている。 太宰が通っていた中学校のすぐ裏が合浦公園になっており、太宰は学校の行き帰りに園を通り抜け海岸づたいに歩いたという。 小説「思い出」では「海峡に面したひらたい公園」とだけ書かれていたが、「津軽」の中でこのひらたい公園とは合浦公園の事だと明らかにしている。 小説「思い出」より抜粋 それなのに、学校はちっとも面白くなかった。校舎は、まちの端れにあって、しろいペンキで塗られ、すぐ裏は海峡に面したひらたい公園で、浪の音や松のざわめきが授業中でも聞えて来て、廊下も広く教室の天井も高くて、私はすべてにいい感じを受けたのだが、そこにいる教師たちは私をひどく迫害したのである。 小説「津軽」より抜粋 この中学校は、いまも昔と変らず青森市の東端にある。ひらたい公園というのは、合浦公園の事である。そうしてこの公園は、ほとんど中学校の裏庭と言ってもいいほど、中学校と密着していた。私は冬の吹雪の時以外は、学校の行き帰り、この公園を通り抜け、海岸づたいに歩いた。 詳細 住所:青森県青森市合浦2丁目86外 アクセス: 青森市営バス・・・県病・原別・浅虫・戸山方面線「合浦公園前」下車、徒歩3分。 弘南バス・・・五所川原線・黒石線・新城線「合浦公園前」下車、徒歩3分。 十鉄バス・・・十和田市線「岡造道一丁目」下車、徒歩5分。 下北交通・・・青森線「合浦公園口」下車、徒歩3分。 外部リンク ・Wikipedia 合浦公園 ・パークメンテ青森グループ 合浦公園 ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/26.html
概要 太宰治が幼い頃、子守りのタケと一緒に訪れた寺。 詳細 住所:青森県五所川原市金木町朝日山433 外部リンク 金木山 雲祥寺(五所川原市)|津軽なび ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/48.html
概要 山崎富栄と親しくなった1947年(昭和22年)9月頃から、彼女の下宿先の野川家2階も仕事場にしていた。 太宰最後の日、ここから2人で玉川上水へ向かった。 案内板が設置されている。 詳細 住所:東京都三鷹市下連雀3-15-15 イル・デ・パン1F 外部リンク ・・・ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/29.html
概要 小説「かちかち山」の舞台とか。太宰が訪れたか不明。 詳細 住所:〒401-0303 山梨県南都留郡富士河口湖町浅川1163-1 TEL:0555-72-0363 FAX:0555-72-5180 外部リンク 河口湖天上山公園 カチカチ山ロープウェイ | 富士山・河口湖観光 絶景スポット ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/19.html
概要 JR三鷹駅の西にある陸橋。1929年(昭和4年)に作られた。全長約90m。陸橋の姿は当時のまま。 太宰のお気に入りの場所だったようで、橋のたもとにたたずむマント姿の写真が残っている。 階段の下に記念碑がある。 詳細 住所:三鷹市上連雀1~3丁目 外部リンク 陸橋(三鷹電車庫跨線橋)|みたかナビ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/8.html
概要 1926年(大正15年)に開業し、現在も営業中の甲府の銭湯。 1939年(昭和14年)、太宰がこの町に住んでいた時、毎日喜久乃湯温泉に通っていた。 1952年(昭和27年)頃に建て替えており、創業以来のものは脱衣所の籐のかごと体重計ぐらいという。 詳細 時間:10 00~21 30 定休日:毎週水曜日(お盆、年末年始は営業) 入浴料:400円 住所:山梨県甲府市朝日5-14-6 TEL:055-252-6123 アクセス:JR甲府駅から徒歩15分 外部サイト 喜久の湯温泉 - iタウンページ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/imaska/pages/56.html
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/45.html
概要 連雀湯は、太宰一家が通っていた銭湯。 小説「十二月八日」では、妻が長女を銭湯に連れていく場面があるが、連雀湯を想定して書いたと思われる。 現在、跡地はHonda Cars 東京中央井の頭公園店となっているが、案内板が設置されている。 小説「十二月八日」より抜粋 ひとりで夕飯をたべて、それから園子をおんぶして銭湯に行った。ああ、園子をお湯にいれるのが、私の生活で一ばん一ばん楽しい時だ。園子は、お湯が好きで、お湯にいれると、とてもおとなしい。お湯の中では、手足をちぢこめ、抱いている私の顔を、じっと見上げている。ちょっと、不安なような気もするのだろう。 詳細 住所:東京都三鷹市下連雀1-11-7 外部リンク ・・・ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/41.html
概要 1946年(昭和21年)11月、疎開から戻った太宰は三鷹駅前郵便局のはす向かいに仕事場を借りる。 ここで小説「ヴィヨンの妻」などを執筆した。 また、小説「朝」にはこの部屋のことが書かれている。 「仕事部屋。しかし、その部屋は、女のひとの部屋なのである。その若い女のひとが、朝早く日本橋の或る銀行に出勤する。そのあとに私が行って、そうして四、五時間そこで仕事をして、女のひとが銀行から帰って来る前に退出する。」(小説「朝」) 現在は取り壊され、マンション「藤和シティスクエア三鷹駅前」となっているが、案内板が設置されている。 詳細 住所:東京都三鷹市下連雀3-43-32 外部リンク ・・・ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
https://w.atwiki.jp/dazai/pages/44.html
概要 井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)は東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園。 1917年(大正6年)5月1日開園。 「東京八景」「日の出前」「黄村先生言行録」「ヴィヨンの妻」など多くの太宰の作品で、井の頭公園やその近隣が描かれている。 小説「ヴィヨンの妻」より抜粋 吉祥寺で降りて、本当にもう何年振りかで井の頭公園に歩いて行って見ました。池のはたの杉の木が、すっかり伐り払われて、何かこれから工事でもはじめられる土地みたいに、へんにむき出しの寒々した感じで、昔とすっかり変っていました。 坊やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持って来たおいもを坊やに食べさせました。 小説「東京八景」より抜粋 ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、此の武蔵野の夕陽を東京八景の中に加入させたって、差支え無い。あと七景を決定しようと、私は自分の、胸の中のアルバムを繰ってみた。 詳細 駐車場:60台 外部リンク ・井の頭恩賜公園 - 東京都西部公園緑地事務所 ・Wikipedia 井の頭恩賜公園 ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。