約 22,514 件
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/8803.html
登録日:2010/06/08 Tue 22 34 04 更新日:2024/07/21 Sun 16 28 25 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 ゴッ!トッ!バッ! ゴトバイン ゴトバゴトバ ←鳥はいない ゴリラ!トラ!バッタ! 上皇 人物 天皇 後鳥羽天皇 承久の乱 日本史 歌人 歴史 鎌倉時代 鎌倉殿の13人 今年の夏、海水浴場の監視員のアルバイトをしていた。 DQNカップルに向かって「危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!」って注意したら DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」 DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱www」 とか言って聞き入れなかった。 その後、突然の嵐にDQN共は沖に流されその姿を見たものはいない。 後鳥羽(ごとば)天皇 1180年8月6日~1239年3月28日 平家と共に西に落ちた安徳天皇に代わり即位。 第82代目の天皇。 時は1183年、木曾義仲率いる源氏の軍勢に京を追われた平家は「安徳天皇」を連れ西へと落ち延びる。 天皇不在のままでは政務が滞ることを危惧した後白河法皇は、翌年当時五歳の尊成親王を即位させて「後鳥羽天皇」とし、当人は摂政として実権を握った。 この時、天皇の即位に必要な「三種の神器」は平家によって持ち出されており、神器は正当な天皇の手に必ず戻ってくるという事にして、事後承諾的に神器がないまま天皇に即位することとなった。 天皇が二人いる(安徳天皇は退位していなかったため)というこの異例の状況は、二年後の1185年に安徳天皇が「壇ノ浦の戦い」で平氏一門と共に崩御するまで続いた。 しかし、三種の神器のうち、「草薙剣」のみ回収が叶わずに平氏や安徳天皇と共に海中に消えてしまったため、 三種の神器が揃わないことで後鳥羽天皇の天皇としての正当性は保証されず、少しでも不徳をすれば「まあ、神器が揃ってない天皇だしねぇ…」等の嫌味を言われたりしており、 後鳥羽天皇自身もこれをコンプレックスと感じていたようで、何度か宝剣探索を行わせているが、結局壇ノ浦に沈んだ「草薙剣」は見つからなかった(*1)。 この事が彼の人格とその後の人生に大きな影を落とすこととなる。 後鳥羽天皇が在位してからは後白河法皇が院政を敷いており、後白河法皇が崩御してからは当時の関白であった「九条兼実」が政権を握り、 後白河法皇が忌避していた「源頼朝」の征夷大将軍就任が認められたことで、史上初の武家政権である「鎌倉幕府」が誕生する。 しかし、兼実と頼朝及び鎌倉幕府の関係は次第に悪化し、1196年に起きた「建久七年の政変」で兼実の郎党が朝廷から一掃されている。 それから二年後の1198年、後鳥羽天皇は当時3歳であった息子の為仁親王に位を譲って「土御門天皇」とし、自身は院へと移り院政を開始。 その後三代に渡り、上皇として政務を取り仕切ることとなり、1202年に朝廷で権勢をふるった土御門通親が急死し、九条兼実も出家したことで名実ともに「治天の君」となった。 鎌倉幕府には強硬な姿勢を崩さなかったが、和歌などに造詣が深い源千幡が三代目将軍となった時には上皇自ら「源実朝」の名乗りを認め、 実朝を朝廷側に引き込んで鎌倉幕府内への影響力を強めようとする後鳥羽上皇と、実子のいない実朝の後継ぎに皇族を据えようとする鎌倉幕府は互いの思惑もあって一時期良好な関係となるが、 源実朝が甥の公暁に暗殺される事件が起こるとその関係は終わりを告げ、急速に関係は悪化していくこととなった。 幕府との関係上、心優しい土御門天皇では厳しいと考えた上皇は、1210年に土御門を退位させると新たに「順徳天皇」を据え、1221年には「仲恭天皇」を推戴し鎌倉幕府倒幕の準備を進める。 (もっとも、幕府を倒すというよりは「執権の北条義時を倒して幕府の状況を変えたかっただけ」とする説もある) 同年1221年、遂に準備を終えた上皇は鎌倉方に挙兵。 朝廷の権威をもってすれば、武士はみんな味方に付くだろうという打算があった。 …が、当の朝廷内部ですら鎌倉方と仲の良い者もいれば、これでは勝てないと諫める者がいる状態。 息子の土御門上皇すら反対しており、この見通しは正直甘かったと言わざるを得ない。 一方の鎌倉幕府も、朝廷の権威がどれほどか測りかねて動揺したのは事実であったが、結局大半の武士は鎌倉方についた。 北条政子の頼朝の恩を謳った大演説は、歴史の授業で聞いた人も多かろう(*2)。 兵力で大幅に劣る朝廷軍は各戦線で敗戦を重ね、最終的に朝廷軍は幕府軍に大敗を喫することとなった。 助けを求めた比叡山延暦寺の僧兵にも普段の政策が災いしてそっぽを向かれ、京都を守る最後の防衛戦も突破されてしまう。 事ここに至って、後鳥羽上皇が取った対応は… 幕府軍に使者を送って「義時追討の院宣は取り消します。というかあれは一部の佞臣の企てで言わされたもので、決して自分の本意じゃないんです。私は関与してません!」 一緒に戦うことを求めて御所にやってきた主要な武士を門を閉じて追い返したどころか、彼らを逮捕するように幕府側に院宣を出す。 必死になって上皇を止めていたが、上皇に逆らえず院宣の文章を作った部下を「反乱の張本人」として鎌倉に突き出す。もちろんその部下は結果として死刑に… と、部下に責任を擦り付けて自分は責任を逃れようとする、なんとも身勝手なものであった。 当然ここまでやらかしておいて言い逃れできるはずもなく、結局捕らえられた後鳥羽上皇は隠岐へと流罪。関わりある者等も連座して方々へ流された。 元々側近以外の貴族からは(前述の三種の神器の件も含めて)後鳥羽上皇の評判はあまり良くなかったこともあり、 承久の乱で敗北し失脚した後鳥羽上皇への視線は冷ややかなものが大半であり、上述の九条兼実の弟にして天台座主(天台宗および延暦寺のトップ)の慈円が書いた『愚管抄』などにも「自業自得」と書かれている。 後鳥羽の挙兵に反対していた息子の土御門上皇も「自分は関与してないけど、自分だけ京都にいるのも辛い…」と京都を離れたが、 承久の乱に関与しておらず、罪人でもない土御門上皇に関しては、幕府も上皇が居を移した四国に宮殿を作るなど相応に配慮している。 当の後鳥羽上皇は隠岐へと流されても挫けた様子はなく、都との連絡を頻繁に取り赦免運動と趣味である和歌の編纂等にいそしんでいたが、1239年崩御。 都への帰還が絶望的になった後、「万一にもこの世の妄念にひかれて魔物となることがあれば、この世に災いをなすだろう。 我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものである。もし我が子孫が世を取ることあれば、我が菩提を弔うように」との未練と無念さをにじませた文を残している。 崩御と前後して、北条泰時や四条天皇といった幕府と朝廷の要人の死が相次いだため、怨霊になったとも噂される。その怨霊を鎮めるため諡号は顕徳院とされた。 なお、この「承久の乱」を機に六波羅探題が設置されたことで、朝廷は事実上幕府に従属し、後鳥羽上皇自身どころか朝廷権力全般が凋落してしまった。 後に天皇の位を継げる皇統が後鳥羽上皇の子孫しかいない事態となってしまったため、天皇の先祖が怨霊ではまずかろうということで後鳥羽院へと改諡され、ある程度は復権している。 とはいえ、即位した後嵯峨天皇は、後継者争いを引き起こした末に次の天皇の決定を幕府に丸投げするというとんでもない行為をやらかし、その結果皇統が持明院統と大覚寺統の2つに分断される。 こうして東国武士のための政権だった鎌倉幕府は、名実ともに日本政府という立場と責務を押し付けられてしまった。 それから半世紀、正当な天皇の後継者が成長するまでの中継ぎとして即位した後醍醐天皇が今度こそ幕府を滅ぼす事ととなる。 とはいえ、その間に武士の力が高くなっていく一方、後醍醐天皇に政治力はなく、結局政権は武士の手に戻ってしまう。 その後武士から朝廷に権力が戻ったのは19世紀の大政奉還を待たなければならなかった。 一流の歌人・文化人としても有名であり、「新古今和歌集」の編纂を命じるなどし、小倉百人一首にもその名を遺した。 歌人との親交も深く、歌人としても有名な源実朝が生きている間は、後鳥羽上皇も幕府にはむしろ好意的なくらいであった。 朕は歌人の追記・修正を命じる △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] この頃になると、朝廷を支えてた御師や傀儡子やら鎌倉方についてそうだから、上皇さんの支持者って限られてたろうな 鎌倉武士たちは論外だし -- 松永さん (2013-03-26 20 57 33) DQNの切り返しすごいな。超承久の乱って…上級者だな。 -- 名無しさん (2013-11-19 17 55 05) DQNの知能レベルの高さが無駄に高い。 -- 名無しさん (2013-11-19 18 06 08) 崇徳さんとデュエットしたら? -- 名無しさん (2013-11-19 18 11 06) たしかにタトバ天皇とか居ても語感的には違和感ないなw -- 名無しさん (2014-01-24 22 19 31) 最初のDQNに草不可避w -- 名無しさん (2014-01-24 22 21 56) 御堀川帝とその后、摂政藤原教実の死は後鳥羽帝の生霊。三浦義村、北条時房、泰時、四条帝の死は怨霊だって考えられてる。これもあって歴代天皇で唯一贈名が「顕徳院」から「後鳥羽院」に変えられている -- (2014-01-24 22 22 30) しかし院政ってなんだろうな。天皇退位してから本番とか言う感じなのがなあ。 -- 名無しさん (2014-07-13 21 29 21) 天皇は政治を行うというより神事や宮廷行事を執り行うことが中心で自由がないからな。帝の地位を退いたほうが元天皇である面からも色々と自由にできるからな。それに治天の君ともなればその力は絶大だろうし。 -- 名無しさん (2015-02-04 02 44 18) タグがカッコいいと思った(小並感)。 -- 名無しさん (2015-03-07 23 10 24) 上皇のイメージが強すぎて天皇と書かれると一瞬戸惑う -- 名無しさん (2015-03-07 23 21 10) ↑同意。教科書じゃ、「上皇」の肩書で掲載されてたしね。 -- 名無しさん (2015-03-07 23 53 08) 菊一文字もこの人の時代だっけ(本当に菊の紋を入れされたかどうかわからんけど) -- 名無しさん (2015-03-07 23 59 58) 高野山に住んでいた智行上人という僧侶が見た夢では、天照大御神に「このまま隠岐の地で死にゆくのは耐えられない。だから私は天下を滅ぼそうと思うのでそのことを大神に伝えに参った」と話す上皇の姿を見た、らしい -- (2015-04-06 02 29 31) 妙にインテリなDQNだな -- 名無しさん (2015-04-06 03 00 19) 承久の乱で負けて部下たちが屋敷に来て一緒に戦いましょうと申し出ると「俺しーらね。勝手に逃げれば?」「あ、幕府さん?うちの佞臣が暴走しちゃってさー」と言い逃れ。タダの夜郎自大だったっぽい。 -- 名無しさん (2017-04-24 20 10 18) ↑なのに死後は怨霊として妖怪になって祟るんだから性質悪い -- 名無しさん (2017-08-06 09 31 02) うちの恩師は「実朝の事は後鳥羽は結構気に入ってたんですよ、北条が嫌いなだけで」つってたな まあこの恩師「日本の文化は地味と派手の谷と山が続きます。東山文化の次を見なさい。安土桃山文化はド派手ですね。作った人は信長と秀吉。日本史上DQNベスト3の1位と2位です。3位は高師直」とか言ってたような人だったからなあ… -- 名無しさん (2018-01-31 17 30 53) ↑2 隠岐に流された頃は「自分は崇徳院のように怨霊にはなりたくない」と書き残したりはしてたんだけどな -- 名無しさん (2018-06-16 01 40 29) 息子の土御門天皇が最も不憫だな(´;ω;`)。3歳で後鳥羽天皇から譲位され、15歳で上皇へ (またしても後鳥羽上皇の口)、自身は鎌倉に対して反抗するべきではないと言っていたが後鳥羽上皇の暴走。後鳥羽上皇流罪のときは、自らに責任はないのに自ら進んで土佐へ流れた・・・ -- 名無しさん (2021-03-05 18 29 49) 土御門天皇もよくわからん人だよね、自分から流罪になりたがるってよほど家族仲良かったのか -- 名無しさん (2021-03-06 08 51 14) ↑6祖父の後白河法皇とやってることが一緒な辺り血筋だなあと思う。まあ祖父と違って言い逃れできなかったけど -- 名無しさん (2021-05-17 22 23 08) 学びのあるDQNだな... -- 名無しさん (2022-03-01 11 47 30) 一応後鳥羽院の低評価は、京都の貴族が鎌倉に恭順姿勢を見せるに当たって全部後鳥羽のせいにするために盛られてる可能性も高い気はするけどね。 -- 名無しさん (2022-10-31 11 21 34) ↑21崇徳上皇にとって後鳥羽上皇は自分の院政の道を潰した上に自分を流罪に追い込んだ憎き後白河天皇の子孫だからデュエットはしないと思う -- 名無しさん (2022-12-28 13 00 54) ↑むしろ崇徳上皇のたたりで後白河の孫である後鳥羽が負けて落ちぶれた感がある -- 名無しさん (2022-12-30 14 46 09) ↑後鳥羽上皇が落ちぶれたのが崇徳上皇の祟りならそこまでの間に後白河の皇子や孫の何人かが相次いで若くして亡くなったのも崇徳の祟りって事になっちゃうな。一番崇徳から恨まれてる後白河本人は長生きしたけど -- 名無しさん (2023-01-01 11 28 38) ゴッシーは祟り効かなそうな怪物感あるから…… -- 名無しさん (2023-01-01 11 37 03) 敗けて危機が及ぶとお公家さんらしく「配下がやったことです。知りません」命乞い発動したのがねえ。まだ「おのれ北条。くっ殺」だったら男としての株は保てたんだが -- 名無しさん (2023-01-14 00 08 06) 実際に明治位まで天皇家が没落したのは崇徳院の祟りって信じられていたからな。明治維新の際に明治天皇が崇徳院の御霊を京都に移して神社を建てたり -- 名無しさん (2023-01-14 00 46 49) ここ読むまで顕徳院→後鳥羽院の改諡をしらんかった。ウィキペディアとかで勉強しとけばよかった…歴史に「顕徳天皇」で名が残った可能性もあったって事か… -- 名無しさん (2023-04-14 19 00 15) 責任逃れの時の発言がクズ過ぎて笑ってしまったw -- 名無しさん (2023-06-06 06 57 35) この人が幕末から現代までの天皇でなくて良かった… 絶対どこかで暴走して諸外国から詰め寄られた時「部下が勝手にやったこと」とか言って、領土を分け与える条約結びそうだもん -- 名無しさん (2023-08-01 12 12 49) ↑孝明天皇はそれに近い。水戸に勝手に勅許を送るし、長州に陣羽織を下賜して攘夷は任せた!と丸投げさせたら、長州や取り巻きの公卿が攘夷に全力疾走。ヤバいと思い、薩摩や会津に止めて貰おうと密書を出し、長州が失脚し、今までの勅許は長州が勝手にやったこと、と責任転嫁。後は薩摩に手紙を送り会津と組んで徳川体制を守って、と依頼したら断られて薩摩を絶許。会津に宸翰を送り徳川体制を守ってほしいと依頼して、会津は期待に応えた。孝明天皇が討幕に直面したら、会津が勝手にやった事と責任転嫁して、天皇の椅子にしがみついているんだろうな。 -- 名無しさん (2024-07-21 16 28 25) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/minnasaba/pages/422.html
【元ネタ】史実、『平家物語』、『義経千本桜』 【CLASS】バーサーカー 【マスター】 【真名】安徳天皇 【性別】女性 【身長・体重】133cm・32kg 【属性】中立・中庸 【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷E 魔力A+ 幸運E 宝具A++ 【クラス別スキル】 狂化:- 通常時、狂化は機能していない。 その代わり、正常な思考力を保つ。 【固有スキル】 神性:A 神霊適正を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 天照大神の直系にあたり、本人も相応の信仰を集めている上、 神代の蛇神、八岐大蛇の転生体とされる安徳天皇の神霊適正は最高ランクと言える。 【宝具】 『水天宮草薙剣(すいてんぐうくさなぎのつるぎ)』 ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~5 最大捕捉:10人 日本国三種の神器の一つ。 八岐大蛇の怨念を鎮めるため、その骨を削り出し神剣として祀り上げたもの。 剣その物の能力は高いものの、未熟な安徳天皇には高度な使用は難しく、 刀身から溢れる魔力を使って水を操り、攻撃や防御に転用するのが限界である。 『斐伊遠呂智天叢雲(ひいおろちあまのむらくも)』 ランク:A++ 種別:対城宝具 レンジ:- 最大捕捉:1000人 草薙剣の内部に秘められた神代の大蛇の魔力を解き放ち、 召喚された八筋の濁流を安徳天皇を核に纏う事で八岐大蛇の肉体を構築する。 荒れ狂う魔力の渦に安徳天皇の自我は徐々に削られ、 ターンとともに狂化のランクが上昇し、八岐大蛇としての側面が表面化。 破壊力の上昇も相まって、最終的には制御不能の大災害と化す。 【解説】 数え年8歳(満6歳4ヶ月)という最年少で崩御した、第81代天皇。 摂政政治をもくろんだ平清盛に、数え年3歳(満1歳4ヶ月)で即位させられた後、 源氏を中心とした勢力が起こした反乱により、平家一門に連れられ三種の神器と共に都落ちする。 壇ノ浦の戦いで平家一門が滅亡したことで、すべての退路を断たれた後、 せめて源氏の手には落ちるまいとした祖母に抱きかかえられ、神璽・宝剣と共に海中へ没した。 現在は水を司る神・水天宮として奉られているほか、実は八岐大蛇の化身であった、という伝説もある。 ――男性で語られる事の多い人物だが、いくつかの物語では女性としての記述もされている。 表舞台には殆ど姿を表さず、政治の道具として扱われた境遇への同情からか生存説も存在する。 【出演SS】 幼帝と空の魔王 終わり、そして始まる物語 兵共が理想(ユメ)の跡
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/991.html
【元ネタ】日本神話 【CLASS】セイバー 【マスター】 【真名】神武天皇 【性別】男性 【身長・体重】315cm・380kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力A 耐久B 敏捷B 魔力A 幸運A+ 宝具A++ 【クラス別スキル】 対魔力:A A以下の魔術は全てキャンセル。 事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。 騎乗:A 騎乗の才能。幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。 【固有スキル】 神性:A+ 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 天照大御神の直系にあたり、両親ともに神の系譜に連なる。 魔力放出:A 武器、ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、 瞬間的に放出する事によって能力を向上させる。 カリスマ:B 軍団を指揮する天性の才能。 カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。 【宝具】 『布都御魂(ふつのみたま)』 ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:2~50 最大捕捉:1000人 ?霊剣。建御雷神から授けられた神剣。 この宝具自体が神霊として確立され「経津主神」としての人格を持つ。 切断の擬音を名に持つ通りに“断ち切る”概念に特化しており、 毒気や呪詛などの実体がない概念や事象に対しても攻撃判定を発生させられる。 万物を切り払う、崇められる通りの「剣の神」であり、 剣神の格を持った斬撃により、その虚実を問わずあらゆるものを両断する。 『金色靈鵄曄煜(こんじきれいしようおう)』 ランク:EX 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人 天より降った金鵄の光明。千早振る神々の加護の具現。 太陽と同義である“鳥”たちを同一存在『太陽の鳥』として使役する。 その神鳥の正体は、高倉山の顕斎によって実体を得た高皇産霊神そのものである。 戦場を覆う激烈なる曙光として顕現する神霊レベルの支援行使は、 敵対象を封印し、行動を強制停止させ、相手(敵軍)のターンを最大30手流す。 この効果は宝具を含めた無機物にも発揮される。 なお、この宝具は東に背を向け太陽の支援を受けていなければ使用できない。 【Weapon】 『太陽の鳥』 八咫烏や金鵄を内包する高皇産霊神の化身鳥。 日本武尊や仲哀天皇の白鳥、応神天皇の鳩、金鷹、仁徳天皇の木菟といった、 後世に登場する皇統に纏わる鳥たちの始祖・原典に当たる神鳥である。 【解説案】 初代天皇。神日本磐余彦尊。始馭天下之天皇。若御毛沼命。狹野尊。彦火火出見。 うがやふきあえずの子である人代第1世4兄弟の末弟で、天照大御神から数えて五代目の孫。 両親共に神であり、母と祖母は海神(竜)であり、天神のみならず地祇からも大いに支援を受けた。 高千穂から大和を征服するため東征に赴くものの、太陽の子が東に向かって戦ったため長脛彦に敗北。 道中、長兄・五瀬命が矢傷で没し、稲飯命・三毛入野命の両兄も行軍が難儀したため入水した。 進軍先の熊野では土地神の毒気に皇軍は倒れるも、武甕槌神から授けられた神剣・布都御魂により危機を脱する。 八咫烏の先導によって難道を抜け、長脛彦と戦うも苦戦するが、雹と共に舞い降りた金鵄の光が敵軍を封じて勝利。 長脛彦は離反者に殺され、神武は饒速日と可美真手を迎え入れると、橿原の地で初代天皇として即位した。 その生涯において土蜘蛛を筆頭とする多くの蛮夷を討伐し、126歳で崩御。皇位は手研耳の反乱を経て綏靖天皇が継いだ。 高千穂には幼少期の逸話が残り、母から竜(海神)の化身した『竜石』という馬を与えられ父の元を訪れている。 また、東征の途上にも暴れ鯨を矛で退治したり、天手力雄神の加護を受けたりした逸話が伝わる。 先代旧事本紀大成経に曰く、身長3m15cm、角を二本、さらに背ビレと尾を有したという。
https://w.atwiki.jp/k0ushitumadwiki/pages/11.html
昭和天皇 名称 昭和天皇(しょうわてんのう) 素材 など
https://w.atwiki.jp/imperialfamily/pages/38.html
かざんてんのう。男性。第65代天皇。 父 冷泉天皇(第一皇子)
https://w.atwiki.jp/imperialfamily/pages/56.html
さがてんのう。男性。第52代天皇。 父 桓武天皇(第二皇子)
https://w.atwiki.jp/imperialfamily/pages/29.html
しじょうてんのう。男性。第87代天皇。 家族 父 後堀河天皇(第1皇子) 母 藤原尊子
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/635.html
【元ネタ】記紀神話 【CLASS】セイバーorライダー 【マスター】 【真名】仲哀天皇 【性別】男性 【身長・体重】172cm・65kg 【属性】秩序・中庸 【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷C 魔力C 幸運D 宝具C 【クラス別スキル】 対魔力:B 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。 騎乗:B 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。 【固有スキル】 神性:B 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 天照大神の直系である。 神託:D 神からの託宣により、その状況での適切な判断ができるようになる。 ランクDの場合、人生の転換ポイントといえるような状況でしか、効果を発揮しない。 生前は神託を無視したことにより神の怒りに触れ、崩御した。 【宝具】 『続・白鳥伝説』 ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:300人 父、日本武尊を偲んで献じさせた無数の白鳥。 白鳥はそれぞれ日本武尊の格を得ており、相応の戦闘能力を有する。 鳥たちは自立行動し、また“鳥は魂を運ぶものである”という信仰から、 霊的属性を持つ対象との戦闘に補正を得る。仲哀天皇を騎乗させての飛行も可能。 【Weapon】 『三種の利器』 筑紫巡幸の際に献じられた剣・鏡・瓊。 “三種の神器”を模した魔術礼装であり、神器の力の一端が降ろされている。 特に宝剣は仲哀天皇の執着もあり、特段の力を有する。 【解説】 第14代天皇。日本武尊の第2子。母は両道入姫命。 神功皇后の夫にして応神天皇の父である。 白鳥となって天に昇った父日本武尊をしのんで、諸国に白鳥を献じることを命じたが、 異母弟の蘆髪蒲見別王が白鳥を愚弄し、越国の献じた白鳥を奪ったため誅殺した。 熊襲討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた仲哀天皇は、神懸りした神功皇后から住吉大神のお告げを受けた。 それは西海の宝の国(新羅)を授けるという神託であったが、信じず住吉大神を非難した。 そのため神の怒りに触れ、仲哀天皇は翌年2月に急死してしまった。 遺体は武内宿禰により海路穴門を通って豊浦宮で殯された。
https://w.atwiki.jp/kuizu/pages/4182.html
じんむてんのう 自作 彼の登場以来類を見ない景気であったことから1954年~1957年の好景気には彼の名が冠されており、 彼の誕生日である旧暦1月1日、つまり新暦2月11日は建国記念の日として祝日となっている、 記紀に描かれた伝説上の天皇で、一般的には日本の初代天皇として知られるのは誰? (2016年6月12日 人望 ) タグ:歴史 Quizwiki 索引 さ~と あきつ丸 安寧天皇
https://w.atwiki.jp/mahjlocal/pages/3246.html
読み ごだいごてんのう 正式名称 別名 和了り飜 役満(副露) 牌例 解説 5の大明槓、5の三色同刻、南刻子。 成分分析 後醍醐天皇の87%は魂の炎で出来ています。後醍醐天皇の9%は魔法で出来ています。後醍醐天皇の2%は保存料で出来ています。後醍醐天皇の1%は小麦粉で出来ています。後醍醐天皇の1%は睡眠薬で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況 参照 外部リンク