約 254,854 件
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/820.html
旧制高等学校(きゅうせいこうとうがっこう)とは、1950年まで存在した日本の高等教育機関の1つで、2つの高等学校令(1894年および1918年)に基づき設置されたもの、を指す。1886年の中学校令により設立されていた第一~第五、山口、鹿児島の7官立高等中学校のうち、鹿児島を除く6校を、1894年高等学校に改組して始まった。当初は専門学部4年、大学予科(後に本科)3年制の2系統があったが、学部は順次廃止ないし専門学校として分離され、大学予科のみとなった。1918年の高等学校令改正後は各地で増設され、大学予科は本科に、さらに文科・理科に分かれた。後期には4年間の前置課程を含めた7年制のものもある。 Template 右? 概要 1894年の高等学校令では、専門学科の教育を行なう機関と定義され、但し書きにて帝国大学入学者のための予科教育が規定されていた。しかし、専門学科教育は主流となることはなく、後に廃止または専門学校として分離され、帝国大学入学前の高等教育機関としてのみ発展した。1918年に改正された高等学校令では、男子の国民道徳を充実させ、高等普通教育を完成する事を目的とし、また公立、私立の高等学校設置が認められるようになり、終戦後まで発展を遂げた。これら高等学校のエッセンスは帝国大学への進学保証制度であり、戦前社会のエリート層揺籃の場として機能した面があり、当時の社会制度の根底を支える機関の一つであった。類似の制度に大学予科があるが、入学資格や大学進学条件に旧制高等学校とは違いがあり、別の機関である。 その初めは、文部省が東京に作った東京大学予備門である。東京大学の初期の教官は「大臣よりも高い」俸給で雇われた欧米のお雇い外国人たちが占め、カリキュラムはヨーロッパの大学に倣い、教科書は原書、授業もノートも答案も外国語という状態であった。このため、専門教育を受けるためにはまず英語やドイツ語等の高い語学能力が不可欠であり、これを身につける予備教育機関として作られたのが大学予備門であった。 1881年の政変で大隈重信を失脚させて実権を握った伊藤博文らは、官僚機構を整備するため東京にある官立諸学校を、文部省の作った東京大学に全て併合し、唯一の総合大学である「帝国大学」と改め、ここを官吏、学者の養成学校とした。東京大学が「帝国大学」となると、その予備教育機関は全国に学区ごとに五つ置かれることになり、東京大学予備門は第一学区である関東地区の第一高等中学校となり、その後、改称により最初の高等学校となった。これが旧制高等学校である。前身の詳細については高等中学校を参照。 旧制高校の1学年の定員と帝国大学の定員とは戦前期を通じてほぼ1対1であったため、高等学校の卒業証書さえあれば、専攻を選ばない限りどこかの帝国大学には無試験で入学できた。こうした「身分保障」があったため、勉強はそこそこに学生生活を謳歌した学生たちが多い。同じ学年に3年留まると放校(退学)となるため、「計画的」に高等科3年間の修業年限を1回ずつ落第し、6年居続けた猛者も居たという。 1918年以降は高等学校は官立でなくても設立できたため、三菱財閥の岩崎家が私立の成蹊高等学校、阪神地区の財界人が同じく私立の甲南高等学校の設立をそれぞれ後押しし、そこでは、高等学校尋常科を設け、尋常科に入学すれば、そのまま高等科を経て、無試験で帝国大学まで行けるコースを作った。また、明治時代に創設された学習院は宮内省が華族の子弟の教育のために設立されたものであるが、旧制高校として制度的にまったく同等に位置づけられたのは1921年以降である。富山県立富山高等学校のように、地元の素封家が県に莫大な寄付をして設立させた例もある。こうした学校は、高等科だけではなく尋常科もある7年制の高等学校であった(学習院は8年制)。 一高をはじめとする官立の高校の多くは、当初の形態通り3年制の高等科だけが置かれた。高等学校の3年間の就業年限の内、学生は英語・ドイツ語・フランス語のどれかを専攻し、一般教養科目を併せて履修した。クラス編成としては、文科甲類(第一外国語が英語)、文科乙類(ドイツ語)、文科丙類(フランス語)、理科甲類(英語)、理科乙類(ドイツ語)が置かれ、理科乙類は医学部進学コースとなっていた。年限的に言うと、現在の大学の1・2年生に対する教養課程を縮約したものに相当するが、当時の学生の気風と地位を考慮すると、高等教育が大衆化した現代ではこのような機関が存在しないと言える。最終的に全国に39あった旧制高校の中でも、明治期に創設された第一高等学校から第八高等学校までは、政官界に卒業生を早く送り込んで後発の学校よりも優位に立ったため、他との区別で、特に「ナンバースクール」(「n高」から)と呼ばれた。このため、新制に移行した後も「ナンバースクール=エリート校」の尊称のような慣用句的な用法として残り、各自治体での旧制中学時代も含んだ主に公立高校を中心(一部では私立高校でも)に、数字の付された学校をローカルに「○○のナンバースクール」などと呼ぶことがある旧制中等学校から新制高等学校への系譜に関しては、必ずしも番号を付した学校群や番号の順番に難易度が定まっていたわけではない。実際の難易度を検証した場合、昭和10年代から一高の次に難しいのは浦和高校であったし、ほかにも東京高校、大阪高校、静岡高校などは多くのナンバースクールよりも入学困難で、必ずしもナンバースクールが地名校より優秀だったわけではない。また、真に優秀な人間は小学校から(中には5年から飛び級で)、東京高校や府立高校、浪速高校の尋常科に入り、一高はその残りかすであると豪語するこれらの学校のOBも存在する。。 第六高等学校以降では地元の誘致の熱意もその設立に大きな影響を与えた。第六高等学校の誘致には、岡山と広島がその座を争い、国会議場の外で代議士が掴み合いになった逸話も残っている。第七高等学校の場合は、松本に内定していたのが諸般の事情で急遽鹿児島に変り、また第九高等学校の設立を巡っては、新潟と松本の間で熾烈な誘致合戦が起こり中傷合戦に至る泥仕合化したが、最終的に「第九高等学校」と命名するのは避け、新潟高等学校および松本高等学校と地名を付けることで決着した。以後の設立高校の命名には、この事態を考慮し学校所在地に倣った命名になった。これらを先の「ナンバースクール」との対比・区別の意味で「地名校(スクール)」或いは「ネームスクール」と呼ぶ場合もある。 第二次世界大戦後の学制改革によって旧制高等学校は旧制大学や他の高等教育機関と統合して、その多くは新制大学の教養部や文理学部の母体となった。旧制高校在学中に学制改革によって新制大学に入学した人物には、作家の野坂昭如(新潟高等学校から新潟大学、のち早稲田大学)や高橋和巳(松江高等学校から京都大学)や開高健(大阪高等学校から大阪市立大学)や小松左京(第三高等学校から京大)、井原高忠(学習院高等科から慶大)、旧制大学を前身としない大学学部卒で初めて事務次官になった小長啓一(第六高等学校→岡山大学)らがいる。また映画監督の山田洋次は山口高等学校在学中に学制改革に遭い、新制東京都立小山台高等学校から東大に進んだ。 学制改革実施前、旧制高等学校を「ジュニアカレッジ(改革後の短期大学に相当)」として存続を模索する動きもあったが、幻に終わった。 旧制高等学校を懐かしむ卒業生は、戦後においても日本寮歌祭を開いたり、「日本の教育改革を進める会」を結成して、旧制高等学校の長所を訴えていた。しかし、あくまで国立の高等教育機関としての復活を希求していたせいか、私立でエリートに対する一般教養教育の短期大学や高等専門学校を設置する動きはなかった。ただし公立ではこういう学校が存在した。1950年に設置され、1955年に廃止された和歌山県立理科短期大学がそれである。 新制東京大学教養学部の設置は、旧制高等学校の教養主義的な伝統を残そうとした動きである。また終戦直後に国際基督教大学(ICU)教養学部の設置に携わった旧帝国大学卒の有力者たちは、そのリベラルアーツ・カレッジの理念に旧制高等学校の善さを継承させられる可能性を期待した。 入学・教育課程・卒業 入学資格は、高等科は旧制中学校4年修了時、尋常科は小学校もしくは国民学校卒業時だった。高等商業学校などの専門学校の受験資格は旧制中学卒業年次(5年)であったが、高等学校は下記のとおり7年制高校の出現により1年間の「飛び級」が認められていたため、高等科の受験資格はそれより1年早い旧制中学4年修了であった。このため4年修了で高等学校を受験するのが一般的であり、合格するものも数多くいた。 1894年の高等学校令に基づく初期の官立高等学校はすべて3年制だったが、大正7年の新高等学校令では修業年限は尋常科4年と高等科3年をあわせて7年が基本とされた。しかし、旧来の高等科のみの設置も許されたため、実際には官立の高校は新設の東京高等学校を除いて戦前最後の旅順高等学校まですべて高等科のみの3年制であり、逆に私立はすべて「飛び級」のできる7年制であった。なお、太平洋戦争が激化すると、非常時の臨時措置として1942年、43年には半年繰り上げの2年半で、また、1943年入学の学年からは法改正により正式に修業年限が2年に短縮された。ただし、終戦直後の1945年9月に再び修業年限3年に改められた為、2年の年限で卒業したのは1943年入学の学年だけである。 1940年4月入学→1942年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1941年4月入学→1943年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1942年4月入学→1943年11月仮卒業→1944年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1943年4月入学→1945年3月卒業(正規2年) 1944年4月入学→1947年3月卒業(正規2年・1年延長) 1945年4月入学→1948年3月卒業(正規2年・1年延長) 1946年4月入学→1949年3月卒業(正規3年) 1947年4月入学→1950年3月卒業(正規3年) 1948年4月入学→1949年3月修了 高等科は文科と理科に分けられ、さらに英・独・仏の第一外国語別に甲・乙・丙各類に分かれていた。但し、仏語を第一外国語にする類を置いた高校は第一高等学校・第三高等学校・静岡高等学校・大阪高等学校・浦和高等学校など少数にとどまった。 帝国大学の定員は、旧制高校の卒業生とほぼ同数だったので、卒業後の専攻をえり好みしなければ、卒業後の帝国大学進学を保証された。このため地方の帝国大学や官立大学では募集学科によっては定員割れも生じ、京城帝国大学や北海道帝国大学など後発大学では独自に「予科」を設けて早くから質の良い学生を確保する手法をとった。但し、大学の定員割れは、旧制高校卒業・卒業見込者の充足が優先され、高等実業学校からの進学希望者で補充されることは稀だった。 一方、一般的に医学部や東大工学部航空学科等の東大京大の理学部・工学部の人気学科、東大法学部は志望者が多いため、倍率が2倍、3倍となることも少なくなかった。もっとも東大法学部の場合、試験範囲は英文和訳、和文英訳のみであり、今風に言えば入ゼミ試験のようなものであった。これら人気学部学科への進学においては浪人するものも少なくなく、白線浪人と呼ばれた。 旧制高等学校群に於いて初等教育機関を包含していた学校は、甲南、成城、成蹊がある。これらの諸学校では小学校に入学することで将来、東京帝国大学をはじめとする帝国大学群への進学に直結することとなり人気を集めた。なお、旧制高等学校ではないが、学習院も初等教育機関を包含していた。 スタイル 旧制高校生の典型的な身なりである、白線帽にマント、高下駄を履き、寮歌を高吟して街を練りあるく姿は、多くの中等学校生徒の憧れであった。白線は二条または三条であり、旧制高校生の象徴であった。しかし私立高校では白線帽を被らせない学校もあったので、成城高校のように、生徒がそれを不満として「白線運動」を起こしたところもあったという。一方日大予科などでは、旧制高校とそっくりな白線帽を被っていた。 ストーム 旧制高校一覧(高等学校令によって設置されたもの) (カッコ内は学制改革後) 三年制 ナンバースクール 詳細は旧学制から新学制への移行措置を参照 高等中学校 旧制高等学校 新制大学 第一高等中学校 第一高等学校 東京大学教養学部 第二高等中学校 第二高等学校 東北大学教養部 第三高等中学校 第三高等学校 京都大学教養部 第四高等中学校 第四高等学校 金沢大学法文学部・理学部・教養部 第五高等中学校 第五高等学校 熊本大学法文学部・理学部 - 第六高等学校 岡山大学法文学部・理学部・教養部 鹿児島高等中学校造士館1887年に開校するも、1896年に廃校。1901年に第七高等学校造士館として開校した際には、鹿児島高等中学校造士館の再興と看做されていた。 第七高等学校造士館第七高等学校造士館は、第二次世界大戦後に造士館の名を外し、廃校時には単に鹿児島大学第七高等学校であった。これは進駐軍の意向とも言われるが、明確な証拠は確認されていない 鹿児島大学文理学部 - 第八高等学校 名古屋大学教養部(現情報文化学部・教養教育院) ネームスクール 1918年(大正7年)、原敬内閣の下で「高等諸学校創設及拡張計画」が4450万円の莫大な追加予算を伴って帝国議会に提出され可決された。その計画では大正8年から6年計画で、官立旧制高等学校10校、官立高等工業学校6校、官立高等農林(農業)学校4校、官立高等商業学校7校、外国語学校1校、薬学専門学校1校の新設、帝国大学4学部の設置、医科大学5校の昇格、商科大学1校の昇格であり、その後この計画はほぼ実現された。この際に新潟と松本の間で「第九高等学校」の名称の奪い合いがおきたため、番号をやめて地名を用いるようになり各地にネームスクールが誕生することになった。 旧制高等学校 新制大学 山口高等中学校1886年(明治19年)11月に、第一(東京)・第三(大阪、後に京都へ移転)に次ぐ全国3番目の高等中学校として山口市亀山地区に設立され、1895年に山口高等学校と改称(通称「旧旧山高」)したが、他府県出身者が多くを占めたため1905年に山口高等商業学校に転換。 山口大学経済学部 新潟高等学校 新潟大学人文学部・理学部 松本高等学校 信州大学文理学部 山口高等学校1895年山口市亀山地区に開校した通称「旧旧山高」は1905年に山口高等商業学校に転換されていたが、これとは別に1919年山口市糸米地区に改めて開校(通称「再興山高」)して学制改革を迎えた。 山口大学文理学部 松山高等学校 愛媛大学文理学部 水戸高等学校 茨城大学文理学部 山形高等学校 山形大学文理学部 佐賀高等学校 佐賀大学文理学部 弘前高等学校 弘前大学文理学部 松江高等学校 島根大学文理学部 大阪高等学校 大阪大学一般教養部南校 浦和高等学校 埼玉大学文理学部 福岡高等学校 九州大学教養部 静岡高等学校 静岡大学文理学部 高知高等学校 高知大学文理学部 姫路高等学校 神戸大学教養部(姫路分校)新制神戸大学は神戸経済大学予科と姫路高等学校を包括したため、統合移転するまで教養部の教育は御影分校と姫路分校とに分かれて行われて、文理学部が御影分校にあった。また1953年まで数学科が教育学部の赤塚山校舎にあった 広島高等学校 広島大学教養部(現総合科学部) 旅順高等学校 (廃止) 官立富山高等学校 富山大学文理学部公立富山高等学校高等科を官立移管して、1943年に開校 学校順は、日本寮歌祭等のオーダーによった。 七年制 七年制高等学校は制度的に高等教育機関と位置づけられているものの、実質的には一つの学校で中等・高等教育機関を兼ねていた。このため学制改革に際しては、高等科は新制大学へ尋常科は新制中学校・高等学校へ、それぞれ移行したと考えるのが一般的である。 種別 旧制高校(七年制) 新制大学 新制中学校・高等学校 官立 東京高等学校 東京大学教養学部 東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校) 台湾総督府立台北高等学校 (廃止、国立台湾師範大学に転換) 公立 富山県立富山高等学校 (1946年閉校1943年に高等科を官立に移管、尋常科は募集停止の上1946年に閉校) 東京府立高等学校→東京都立高等学校 東京都立大学教養部(現首都大学東京) 東京都立大学附属高等学校(現東京都立桜修館中等教育学校) 大阪府立浪速高等学校 大阪大学一般教養部北校 (尋常科廃止) 私立 武蔵高等学校 武蔵大学 武蔵中学校・高等学校 甲南高等学校 甲南大学 甲南中学校・高等学校 成城高等学校 成城大学 成城学園中学校・高等学校 成蹊高等学校 成蹊大学 成蹊中学校・高等学校 その他 学習院の中等科・高等科(現在の学習院高等科・学習院大学) 学習院は、学習院学制に基づいて設置された官立の学校である。また、宮内省直轄という特殊な教育機関であった。当初は初等学科(6年)、中等学科(当初は6年のち5年)、補習科、高等学科、大学別科(1905年廃止)などが置かれていたが、1919年に初等科、中等科、高等科と改称され、学校教育法が施行されるまでその体制が続いた。当初の学習院学制では補習科および高等学科は中等科の卒業生を対象とした2年制の教育機関という位置づけとなっていた。明治期から大正期にかけては帝国大学への進学も完全に保証されたものではなく、高等学科の卒業生は帝国大学側に定員割れが生じた場合や院長の推薦によりのみ帝国大学への進学が許されるなど制度として一定していない。他の旧制高校高等科卒業生と全く同等の帝国大学への進学許可が制度的に保証されるようなったのは1921年の文部省令第二七号によるものである。 戦後特設高校 戦後に医学・歯学教育は大学(旧制大学)で行うこととなり、旧制医学専門学校あるいは旧制歯科医学専門学校は旧制大学に昇格したが、このうちいくつかは大学昇格の基準を満たすことができず、在校生徒救済のために旧制高等学校に改変された。これを戦後特設高校と呼ぶ(ただし官立徳島高等学校は異なる経緯で旧制高校となった)。医大の予科的な位置づけであり、一部は学制改革時新設された新制大学に包括された。 旧制医専・歯専 戦後特設高校 新制大学 秋田県立女子医学専門学校 秋田県立高等学校 (1950年閉校、設備は秋田大学へ) 東洋女子歯科医学専門学校 東洋高等学校 東洋女子短期大学→東洋学園大学 日本女子歯科医学専門学校 日本高等学校 日本女子衛生短期大学→湘南短期大学・神奈川歯科大学 山梨県立医学専門学校 山梨県立高等学校 (1950年閉校、設備は山梨大学へ) 山梨県立女子医学専門学校 徳島医学専門学校 官立徳島高等学校3・4年次のみ。1・2年次はA級判定され、徳島医科大学に昇格 徳島大学 福岡県立医学歯学専門学校医学科 福岡県立高等学校医学科のみ旧制高等学校へ転換。歯学科は福岡県立歯科医学専門学校を経て新制九州歯科大学に (1951年閉校、設備は九州歯科大学へ) 長崎医科大学付属医学専門部 官立長崎高等学校 長崎大学 大学予科 旧制高等学校に類似するものの(高等学校令に基づかないで設置されたもの)個別に連携された大学へのみ進学を前提とした高等教育機関であり、この点は旧制高等学校とは制度的に大きく異なる。 註 関連書籍 週刊朝日 『青春風土記;旧制高校物語』(全4巻) 朝日新聞社、1978年-1979年 秦郁彦 『旧制高校物語』 文春新書、2003年 ISBN 4166603558 海後宗臣(監修) 『日本近代教育史事典』 平凡社、1971年 『日本近現代史辞典』 東洋経済新報社、1978年 尾崎ムゲン作成「文部省管轄高等教育機関一覧」参照 秦郁彦(編)『日本官僚制総合事典;1868 - 2000』 東京大学出版会、2001年 「主要高等教育機関一覧」参照 『わが青春・旧制高校』(ノーベル書房、1969年) 関連項目 大学予科 旧制高等学校記念館 高等教育 帝国大学 旧官立大学 旧制大学 旧制専門学校 高等商業学校 高等中学校 師範学校 戦後特設高校 寮歌 - 学生寮 学歴 ナンバースクール エリート 旧制学校 第一高等学校 学制改革 新制大学 駅弁大学 高専柔道 外部リンク 華麗なる旧制高校巡礼 - 各校校地の現状などを紹介 『寮生OBが歌う三高寮歌をお楽しみ下さい』 - 京都大学 吉田寮 同窓会 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月23日 (日) 03 17。
https://w.atwiki.jp/storytellermirror/pages/1212.html
天使の詩 3-610 610 天使の詩 sage 04/02/21 00 37 ID 8g/V3n3l 天使の詩 ロスコモン村のケアルとクレアはエウリカの花を摘み、 結婚の「祝福の洗礼」を受けるために旅立ちました。 しかし、旅の途中で魔物に襲われクレアはさらわれてしまいました。 クレアを取り戻そうとケアルの新たな旅が始まりました。 ケアルは魔術師ブゼン、剣士ジト、少女エンヤと仲間になり、 ようやくクレアを取り戻しました。 そして「祝福の洗礼」を受けて晴れて二人は夫婦となったのです。 しかしクレア自身も知らなかった「天上界」の存在、 さらにクレアがその王家の王女であるということも知り、 相反する魔王ルキフェルを倒す旅を続けることになったのです。 最終決戦を間近に控えたある時、ジトが塔の崩壊に巻き込まれ死んでしまいます。 ジトを欠き、戦士×1魔法使い×3という恐ろしくバランスの悪いパーティーで 魔王ルキフェルに立ち向かう一行。 しかし、ルキフェルを封じ、人間界と地底界との回廊を封印するには クレアの命を懸けなければなりませんでした。 そのことを仲間に告げずにいたクレアはケアルにキスをした後に 力を解放し、回廊へと飛び込んでいったのでした。 ルキフェルは封じられ、回廊も閉じられ、人間界は救われました。 多大な代償を払って…。 そこに天上界からクレアの母、天上界の女王が舞い降り、クレアを抱きかかえ、 「悲しむことはありません。娘は地上での使命を終え、天上界に帰るのです」 と言うとクレアは目を再び開き、天上界へと帰っていったのでした。 そしてケアルは、心配そうに見ているブゼンとエンヤを背に 何かを決意したように歩き出しました。 天使の詩 終わり。
https://w.atwiki.jp/mfgkonami/pages/30.html
ネリマ壱役高等学校 通称「壱高(いちこう)」、ごく平均的な公立高校です。 かつての強豪校ながら、校内での麻雀人口の減少もあり、 近年は大会には不参加が続いていました。 有志による麻雀部の再発足から、今回久々の参加となります。 在籍 ヤワラギ・ヒヨリ(部長) タテナオリ・セン ゼツバミ・ヤオ
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/5398.html
旧開智学校 きゅうかいちがっこう 長野県松本市にあった旧制小学校。 明治時代に建てられた擬洋風建築の校舎が重要文化財に指定されている。 所在地 長野県松本市開智2-4-12 竣工:1867年(明治9年)4月 設計・施工:立石清重 構造:木造 階数:2階 外壁:漆喰塗 屋根材:瓦葺 建築面積:517㎡ 松本市旧司祭館と。 参考サイト Wikipedia 旧開智学校 松本のたから 旧開智学校校舎 松本市 重要文化財旧開智学校 近代建築散策 旧開智学校校舎 関連項目 2018-08-08 2018年8月諏訪・松本家族旅行 2018年度/行った所写真 ヘリテージング100選 松本市旧司祭館 松本電車旅行案 歴史的建造物写真 美しい日本の歴史的風土100選 自転車写真 この項目のタグ 2018年 2018年8月 学校建築 擬洋風建築 明治時代 松本市 歴史 歴史的建造物 重要文化財 長野県 タグ「松本市」がついた項目 2018-08-07 / 2018-08-08 / イオンモール松本 / 美ヶ原温泉 / 開運堂 / 旧開智学校 / 旧第一勧業銀行松本支店 / 旧松本高等学校 / 旧松本郵便局電話事務室 / 信州松本美ヶ原温泉翔峰 / 高橋家住宅(松本市) / 筑摩神社 / 中町通り(松本市) / 松本市旧司祭館 / 松本城跡 タグ「学校建築」がついた項目 安積歴史博物館 / 内子町児童館 / お茶の水女子大学 / 開明学校 / 学習院初等科 / 学習院目白キャンパス / 数馬分校記念館 / 北里記念医学図書館 / 旧大沢学舎 / 旧学習院初等科正堂 / 旧第四高等中学校本館 / 旧山形師範学校 / 旧開智学校 / 旧東京音楽学校奏楽堂 / 旧東京市立愛宕高等小学校 / 旧松本高等学校 / 旧睦沢学校校舎 / 九里学園高等学校 / 慶應義塾大学信濃町キャンパス / 京華女子中学・高等学校校舎 / 旧坂本小学校 / 札幌市時計台 / 自由学園明日館 / 彰栄保育福祉専門学校 / 上智大学四谷キャンパス / 泰明小学校 / 高輪台小学校 / 拓殖大学文京キャンパス / 東京芸術大学上野キャンパス / 東京大学医科学研究所 / 東京大学千葉演習林天津事務所 / 東京大学本郷キャンパス / 東方学会本館 / 東北学院大学土樋キャンパス / 東北大学片平キャンパス / 常盤小学校 / 白雲館 / 八幡小学校 / 明治学院大学白金キャンパス / 横瀬小学校 / 早稲田小学校 / 早稲田大学早稲田キャンパス タグ「重要文化財」がついた項目 安積歴史博物館 / 天城山隧道 / 伊佐爾波神社 / 出雲伊波比神社 / 厳島神社 / 岩木山神社 / 円通院 / 円融寺 / 大隈講堂 / 大崎八幡宮 / 尾崎神社 / 尾山神社 / 学習院旧正門 / 勝鬨橋 / 函嶺洞門 / 北口本宮冨士浅間神社 / 旧学習院初等科正堂 / 旧小坂鉱山事務所 / 旧済生館本館 / 旧正伝院書院 / 旧JR大社駅 / 旧伊達郡役所 / 旧第四高等中学校本館 / 旧西川家住宅 / 旧茂木家住宅 / 旧山形県会議事堂 / 旧山形県庁舎 / 旧山形師範学校 / 旧山邑邸 / 旧与那国家住宅 / 旧岩崎邸庭園 / 旧開智学校 / 旧菊池家住宅 / 旧高麗家住宅 / 旧渋沢庭園 / 旧台徳院霊廟惣門 / 旧東京音楽学校奏楽堂 / 旧外川家住宅 / 旧新潟税関庁舎 / 旧香港上海銀行長崎支店 / 旧松本高等学校 / 旧丸山変電所 / 旧三河島汚水処分場喞筒場施設 / 旧御子神家住宅 / 旧宮崎家住宅 / 旧睦沢学校校舎 / 慶應義塾大学三田キャンパス / 光前寺 / 康楽館 / 国立科学博物館日本館 / 国立西洋美術館 / 小坂家住宅 / 五大堂 / 小諸城跡 / 佐竹寺 / 札幌市時計台 / 塩船観音寺 / 志摩 / 尚古集成館 / 成巽閣 / 善光寺 / 太宰府天満宮 / 千歳橋(箱根町) / 千葉家住宅 / 中尊寺 / 東京駅 / 東京国立博物館 / 東京大学赤門 / 東大寺 / 成田山新勝寺 / 南禅寺 / 新潟県政記念館 / ニコライ堂 / 日本水準原点標庫 / 日本橋 / 仁和寺 / 根来寺 / 根津神社 / 博物館明治村 / 八幡橋 / 姫路城跡 / 弘前城跡 / 富士山本宮浅間大社 / 封人の家 / 北海道庁旧本庁舎 / 松江城跡 / 松山城跡 / 丸岡城跡 / 丸亀城跡 / 三井本館 / 三越日本橋本店 / 宮良殿内 / 妙義神社 / 村上家住宅 / 明治学院大学白金キャンパス / 明治生命館 / 明治丸 / 山寺 / 代々木競技場 / 和田家住宅 タグ「擬洋風建築」がついた項目 旧済生館本館 / 旧開智学校 / 旧新潟税関庁舎 / 旧東村山郡役所 / 旧睦沢学校校舎 / 新潟県政記念館 / 白雲館
https://w.atwiki.jp/yuwie/pages/25.html
学校の設定(ADD A SCHOOL) 国名の選択 県名の選択 市名の選択 学校の名前を記入 あなたの都市名または学校が上のリストにないならば、それを追加するために、ココをクリックしてください。 日本の都市名や学校は、まだほとんどリストにありません。どんどん追加して下さい。 都市名、学校の追加 国名の選択 県名の選択 市名の選択 学校の名前を記入
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/31858.html
登録日:2015/03/26 Thu 10 58 52 更新日:2024/05/20 Mon 17 39 43 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 SNS Web いじめ アングラサイト インターネット コミュニティ ネットの闇 中学校 企業 大学 学校 学校裏サイト 学校非公式サイト 専門学校 小学校 掲示板 教育問題 社会問題 誹謗中傷 高校 概要 学校裏サイトとは、特定の学校に関する情報を交換のための掲示板サイト。 『裏』サイトなだけあって、大体は在校生などが学校に非公式で作った物である。 2000年代に、いじめを始めとする問題行為の温床になっているとして社会問題となった。 ドラマ等の題材にもなり、3年B組金八先生の第8シリーズのメインテーマになっている。 解説 学校裏サイトという物がいつの頃に誕生したのかという明確な時期は分かってはいない。 一説によると、2000年代初期には既に学校裏サイトの存在は出来上がっていたとも言われる。 ニュース番組などで取り上げられて注目され始めたのは、大体2000年代前半の頃。 そして、2007年9月に神戸市須磨区の滝川高校いじめ自殺事件に裏サイトが誹謗中傷の場として使われていたことが大きく知れ渡る。 この事件を機に、一気に社会問題化した。 一応言っておくが、学校裏サイトの全てが悪という訳では無い。 大抵の裏サイトの設立経緯というのは、同じ学校に通う生徒同士で学校の情報交換や交流を目的に設立される(*1)。 最初から悪意の塊では無く、全ての学校裏サイトと呼ばれるもので誹謗中傷が行われているわけでは無いのだ。 多少の煽りや罵倒はあれど、何だかんだで情報交換の場として機能している掲示板もあるといえばある。 ただし、ネット掲示板特有の匿名性や閉鎖性は問題を引き起こす。 最初は純粋な情報交換の場でも、やがて特定の教諭や生徒に関する噂や誹謗、中傷、デマ、非行(の示唆)などの書き込みが増えていくことが多い。 勝手に生徒や教員の個人情報やプライベートの写真が勝手に挙げられたという報告もある。 基本的に学校裏サイトは未成年の溜まり場となる。 未成年であることで、ネットリテラシーなどが欠けているためこのような事態が起きるのかもしれない。 それに、卒業生や教員、保護者が絡むこともあるが、学校とは無関係の人物が裏サイトにたどり着くことは滅多にない。 このように、学校の関係者ばかりが利用する、閉鎖的なサイトになる面が誹謗中傷を加速させていると言われている。 ……なので、たまに特定の外部集団に目を付けられた際には簡単に崩壊することもあるのだが。 また、裏サイトを名乗るだけあって簡単には見つかりにくい仕様となっている。 当時は携帯電話向けの掲示板サービスなどを利用して設置されることが多かった。 パソコンからのアクセスを拒否するよう設定していることもある。 他にも、学校名を当て字にして検索できないようにしたりという対策が行われている。 さらにガードが固い場所では、パスワード認証で部外者が閲覧できないようにしている。 余談だが、学校裏サイトとされる物の中には2ちゃんねるやYahoo!掲示板などに建てられる学校のスレッドも数えられていることが多い。 2008年の文科省の報告はこれらのスレッドも裏サイト扱いしており、この報告によると裏サイトの合計数は38260サイト。 2chなどのスレッドを除いた裏サイトの数は4733サイトらしい。だいぶ減ったな。いやこれでも多いんだけど。 ただし、2chなどのスレッドは部外者でも見れるようになっており、 学校裏サイトの特徴である『部外者は入れない』という特徴に当てはまっているとは言い難い。 ちなみに学校だけでは無く『会社裏サイト』なんて物もあるらしい。 求人情報の口コミなども近い性質があるといえる。 学校や大人の介入 学校裏サイトが社会問題化していくにつれ、保護者や学校関係者も対策に腰を上げることになる。 とは言え、そうすんなり対策が出来るものでもない。 そもそも、多くの教諭や保護者は裏サイトの存在を明確に認識しているわけでもなかった。 場合によっては、教員が裏サイトの存在を知っていても、存在を黙認している場合もあるという。 存在を知っているうえで対策を行おうとしても、当時は携帯電話やパソコンの操作に疎い人も多かった。 今でこそ、多くの人はパソコン操作も出来るだろうし、携帯やスマホの扱いもこなれた物だろう。 とは言え、2000年代初期は今とは違い、インターネット自体が今より普及していなかったのだ。 それに、裏サイトは検索避けするものだから、ネット初心者の保護者や学校関係者が見つけられなかったりする。 また、学校裏サイトへの削除要請を出した人間が誹謗中傷の的になるというケースも確認されている。 そんなことで、学校関係者も裏サイトでの誹謗中傷対策には頭を悩まされていた。 現在 2010年代以降でも、学校裏サイトは数多くネットにある。 しかし、以前ほど裏サイトという単語をニュースで見ることは少なくなった気がする人もいるのではないだろうか。 じゃあ、誹謗中傷の問題は減ってんじゃないのと思う人もいるだろうが、それは少し違う。 学校の非公式なコミュニティの形態が変化し始めたのだ。 ここ最近で爆発的な普及をした、スマートフォンの無料通話アプリ『LINE』。 学校のコミュニティは、このLINEなどに舞台を移していると最近の文部科学省は語る。 特に、LINEのグループ機能などは部外者が立ち入ることは不可能に近い。 そうなると、ここで誹謗中傷が行われていても咎めることが困難なのだ。 そのため、現在ではLINEでの学生同士のトラブルが増加している。 他にもTwitterなどの非公開アカウントやSkypeやDiscord、果てにはオンラインゲームのチャット等、 あらゆるコミュニケーションツールがこうした問題を孕んでいる。 なお、 LINEにしろTwitterにしろ掲示板にしろ、ログは保存されており、いざ問題が起きた時には情報が渡されたりする 。 学校裏サイトの話題としてはあまり関係がないことだが完全匿名ではないことには注意。 もっとも完全匿名だとしても、何をしても良いというわけではないのだが。 追記・修正は学校裏サイトを見てからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] インターネットも悲しんでるぞ -- 名無しさん (2015-03-26 12 10 14) ↑? -- 名無しさん (2015-03-26 17 25 38) PTA「LINE禁止にしよう」 -- 名無しさん (2015-09-04 00 33 20) ↑おっと、包丁を凶器にした殺人事件が起こったからって包丁を使用禁止にするのはキャンセルだ -- 名無しさん (2015-09-04 00 58 10) どっかの学校裏サイトがなんJの植民地と化してたのは吹いた -- 名無しさん (2015-09-04 01 40 00) 実際金も稼いでないくせに頭悪い子供のネット利用は制限しなきゃアカンに決まっとる -- 名無しさん (2017-06-07 00 09 13) ↑それやるより「可愛いから○○をやっちまおうぜぇ~www」と集団で犯罪示唆する内容書き込みアホガキを捕まえる方もやるべき。地元だと、ケンカに負けた腹いせでケンカ相手の妹を集団レイプする趣旨の書き込みをした厨房がいたくらいだし。てか、いじめ問題だと当の加害者より、関連する物の処罰や規制しかしないから質が悪い。 -- 名無しさん (2017-06-11 08 46 27) 裏サイトって聞いてさ、最初くらいはエロいこと想像したよね? -- 名無しさん (2018-09-23 20 19 26) サウスパークでもこれを題材にした話があって面白かった。ネズミが運営する裏サイトとはw-- 名無しさん (2019-04-09 16 45 19) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/index-index/pages/3547.html
作中内に登場した学校の一覧 大学 欧亜大学 先端大学 高崎大学(たかさきだいがく) 断崖大学(だんがいだいがく) 遠大(とおだい) 高等学校 藍鈴女子高校(あいりんじょしこうこう) 鋭利学園高校 霧ヶ丘女学院(きりがおかじょがくいん) 静菜高校(しずなこうこう) 枝垂桜学園(しだれざくらがくえん) 鈴山高等学校 とある高校 聖音高等学校(せいいんこうとうがっこう) 長点上機学園(ながてんじょうきがくえん) 二之腕高校(にのうでこうこう) 羽場跳高校(はばとびこうこう) 中等学校 旭日中学 香椎坂中学(かしいざかちゅうがく) 霧ヶ丘中学(きりがおかちゅうがく) 柵川中学(さくがわちゅうがく) 新色見中学(しんしきみちゅうがく) 常盤台中学(ときわだいちゅうがく) 二之腕付属中学(にのうでふぞくちゅうがく) 小学校 松梅小学校(しょうばいしょうがっこう) 一貫校 (幾つかそれらしき学校もあるが、明言されているもののみを記す) とある中高一貫校 その他 繚乱家政女学校(りょうらんかせいじょがっこう) 名前のみ 慧眼学園(けいがんがくえん) 雑草学園(ざっそうがくえん) 関所中学 三輪大学
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/18868.html
登録日:2011/11/10(木) 16 13 33 更新日:2024/09/10 Tue 17 48 44NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 たまにコメディ ホラー 夢幻紳士 妖怪 学校 学校怪談 山岸は死ぬもの←五巻までは 怪談 漫画 秋田書店 週刊少年チャンピオン 高橋葉介 週刊少年チャンピオンで連載されていたホラー漫画。全15巻。作者は高橋葉介。 『学校の怪談』ではなく『学校怪談』である。間違えないように。 タイトル通り、学校とそこに通う生徒に焦点を当てた怪談を、基本的に一話完結の短編形式で綴っていく。 怪談というよりホラーの回も多いけど 1~5巻では狂言まわしとして山岸君が出てくることが多いものの、個々の話が完全に独立しており、死者が出ることも多い。 つか山岸君が大体死ぬか酷い目に会う 逆に6巻以降は登場人物が固定され、コメディ色の強い話や回を跨いでのストーリー展開もなされた。 公式上は「6巻以降は短編連作から学園モノへど別の話に意図的にシフトさせた」と説明される。理由は短編連作形式では作者的に話数を稼げないため。 ~登場人物~ 上記の通り、1~5巻にストーリー等はほぼないので基本的に6巻以降のもの。 山岸涼一(やまぎし りょういち) 1巻の頃からニョッキリ出てきてる中学生。 1~5巻の時点では狂言廻しとして殺したり殺されたり捕まったり多くの回に出演し、6巻以降は一応主人公。霊能力が強く人が良いため、しょっちゅう幽霊や妖怪の絡む面倒事に巻き込まれる。 女難の相が出ているらしいが、時折クラスメートや担任の全裸に遭遇する実質ラッキースケベなフラグ建築士。 「最も恐れる幻を見せる妖怪」に襲われたときは「八千華との浮気現場を立石さんに見られる」幻を見せられた。 実は九段先生とは祖父が知り合い。一度その知り合いに憑依されてから霊的に攻撃力を得る。 未来のチート候補。最終回時点で力の総量と使い方の応用力は九段先生を超えている。 将来は女子校の教師。教師としての山岸の活躍を描いた短編も後に描かれている 立石双葉(たていし ふたば) 山岸のクラスメートで図書委員。1~5巻の頃にもちょいちょい登場していた。 典型的真面目眼鏡キャラ。眼鏡を外して髪型を崩すと周囲が驚く美少女になるのもお約束(*1)。 霊能力が強く、また父親の不倫で半ば崩壊した家庭に悩んでいるためか、家庭にまつわる怪奇現象に巻き込まれる事が多い。 作家志望で両親からは反対されているが、最終的には両親も負い目からあまり強く言えないことを逆手にとって進路を決めた。 プールや臨海学校での怪異で眼鏡を外して髪を下した姿を見せ、山岸に頼み込まれたからか夏休み以降は髪を下すようになった。 山岸とは友達以上恋人未満、八千華とは腐れ縁といったところだが、本人曰わく「愛する人が裏切ったら、その人を殺して自分も死ぬオンナ」……とのこと。山岸(と八千華)の明日はどっちだ。 ちなみに付き合う前、山岸が女生徒の幽霊に憑依されて男の先輩と心中しかけたときは応援を表明した。…その手の趣味があるのだろうか。 (同じころに山岸と九段先生が怪異に遭遇して外泊したときは泣いている) 九段九鬼子(くだん くきこ) 「魔女」を自称する山岸達の担任教師。 基本的に大雑把でガサツだが、気さくな性格から生徒には親しまれている。 幼い頃から霊能者として高い力を持っており、山岸達の窮地を幾度となく救う。 男運がない、とは本人の弁。 かなりのうわばみでヘビースモーカー。十八番は中島みゆき ちなみに作者の別作品である夢幻家の遠い親戚にあたる。 峠美勒(とうげ みろく) 九鬼子を付け狙う謎の存在。時に少年、時に少女の姿で現れる。その正体はかつてイジメにあった九鬼子の心が生んだ別人格。 後に九鬼子と和解し、九鬼子の心の番人として活躍する。 神宮寺八千華(じんぐうじ やちか) 少し遅れて登場した編入生。双葉とは対照的な、典型的高飛車キャラ。その性格が災いしてクラスからほぼ孤立しており、山岸と双葉以外ほとんど交流がないが、全く気にしていない。 最初は気難しそうな性格をしていたが、途中からお茶らけキャラでトラブルメーカーになっている。 霊能力が高い上にオッサンや妖怪に好かれるタイプで、妖怪化しそうになったり一緒に酒盛りしたりと忙しい。 また、バイトをやっているが、大体妖怪が関係しているため長続きできない。 時々山岸に気のある素振りを見せるが、本心は不明。その関連で、双葉とも腐れ縁になる。 玉川三樹夫(たまがわ みきお) 山岸のクラスメート。作者自身がモチーフのUFOオタク。 自覚はないが他者に呼びかける霊能力が強く、UFOを呼ぼうとして怪奇を招くことも。八千華登場後は半ばフェードアウト。 塚原護郎(つかはら ごろう) 山岸のクラスメート。モチーフは往年の特撮映画、大魔神。 菜々子とは相思相愛で、出番の大半は彼女とセット。八千華登場後はフェードアウト。 佐々木奈々子(ささき ななこ) 山岸のクラスメート。八千華より前に編入してきた演劇少女。 作者コメントによると動かしにくいらしい。八千華登場後は以下略。 溝呂木(みぞろぎ)(*2) 渋川の教え子。写真に写っていた九鬼子に惚れて、ろくでもないアプローチをかけ続ける霊能ストーカー。異様に巨大な左目が特徴的。シルエットに巨大な一つ目の姿で登場することも。 毎回様々な手段で求婚しては散々な目にあう愛すべきバカ。出てくる度にコメディ臭が強くなる。 彼のみ、九鬼子のことを「クッキーちゃん」と呼ぶ。 日野出(ひので) 九鬼子の同僚教師。霊感がまったくない一般人代表。 妻子持ちで、夫より強いパワフルな妻と、十望子という母親似の娘がいる。 渋川(しぶかわ) 九鬼子の同僚教師。霊感はないが年配で昔の怪談話をよくしている。 溝呂木は彼の教え子で、彼に九鬼子のことを教えた張本人。 棟方征四郎(むなかた せいしろう) 最終巻で登場した、九鬼子の大学時代の恩師。どれほど重大な事でも誤解を招く結論だけを口にして途中をすっ飛ばしすという悪癖があり、在学中の九鬼子は彼と不倫していると勘違いされていた。 九鬼子の大学時代は助教授だったが現在は教授。九鬼子に「教授」と呼ばれて、「僕は助教授だ」と言い返すのが通例となっている。 霊のことには詳しいが霊感が全くなく、幽霊に取りつかれていても気づいていないことも多い。 最終話間際で九鬼子とプロポーズし婚約する。 夢幻家の遠い親戚にあたり、九鬼子とも親戚にあたる。夢幻家の霊力を母親のさゆりには受け継がれているが、彼自身には受け継がれなかった模様。 ちなみに過去に妻と死別しており、妻のミイラ(嫉妬心で蘇る)と暮らし、蘇生のためだけに自宅に女生徒を連れ込んでいた、どう考えてもヤバい人。ミゾロギの方がマシなんじゃ……。 霊感があるのかないのかよくわからない人。 九鬼子の大学時代から現在までの間に鈍った 見えるけれど別の方向を向いていたので気付かなかった 見えはしないが伝承などをもとにいそうな方向に向けて行動している などの解釈ができる。 夢幻那由子(むげん なゆこ) 夢幻家本家の跡取り。一族最大の霊能力を持っているが、祖母によって封印されていた。 祖母が封印を解く前に亡くなったため、霊に襲われるが九鬼子によって封印が解かれている。 初登場時はおしとやかな女性だったが、彼女自身は猫をかぶっていたことが判明。実際には九鬼子に近い性格をしている。 初登場回で無力な幽体を山岸に守られたため彼を狙っている。 男運度に関しては九鬼子以上に悪かったりする(パラメータによると九鬼子が-5に対して、彼女は-8となっている)(*3) また、霊能力の攻撃力は九鬼子と同等であり、弱点はイイ男と紹介されている。 魔少年 マン・イーターに似た髪型の少年。他人の感情を操って自殺させているところを山岸に見つかり、山岸の力を吸収しようとするが、逆にその能力を学習した山岸に力を奪われる。 回復した後は立石に憑依し人質に取って山岸の力を奪おうと画策するが、立石の作文の異変から気づいて山岸に憑依していた九段先生に精神を破壊される。 それでも多数の人間に乗り移りながら山岸に挑戦し幽体バトルの末に山岸の肉体を奪おうとするが、偽装にかかって猫の死体に閉じ込められ、自身が決闘場所に現れるとき乗り移っていた警官の拳銃で射殺される。 もう完全にバケモノであり、魔少年を撃つ際「もう人間ではない」と山岸も断じてはいるが、内心はかなりショックだったらしくうなだれて立石に「自分はまだ人間だ」と同意を求めている。 他にも作者の別シリーズ『夢幻紳士』に主人公として登場する日本漫画界歴代屈指のチートキャラ夢幻魔実也が九鬼子の先祖(つまり大おじいちゃn…うわなにをするやめ(ry )…もとい素敵なお兄様としてたまに登場する。 また、本作のキャラクターや、その家系と思われる人物が作者の他作品に登場することも。 「ヤマギシィ~こっちの“消去”とか“ロック”ってボタンなにぃ~?」 「うわバカ! なんで押しながら聞くんだよ!?」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 九段先生が大好きだった、ただおじいさんが夢幻紳士。 -- 名無しさん (2014-03-27 09 40 08) 読み終わってから、またしばらくして読み返すと面白い。何か飽きない。 -- 名無しさん (2014-07-26 07 37 33) 山岸の先祖は魔実也に救われた事がある。(黒衣=KUROKO=一巻末掲載の作品より) -- 名無しさん (2014-07-26 07 40 38) 九鬼子先生の鬱フラグクラッシャーっぷりは異常。コブラのコラとか目じゃない -- 名無しさん (2014-07-26 15 38 01) ↑あーゆー先生に出会いたかった。…五巻迄のストーリーは「九鬼子が存在せず、超常的事件を解決出来る人間がいないパラレルワールド」とも解釈出来る(あくまで、結果的に。実際は連載長期化に伴うテコ入れなんだけど。) -- 名無しさん (2014-07-26 16 53 11) 九段先生の介入のおかげで気味悪かった山岸の母ちゃんが一気におもろいモブキャラになった。 -- 名無しさん (2014-10-16 20 38 49) そーいや、次の連載作品KUROKOで妊娠した九鬼子が出てた -- 名無しさん (2015-01-12 23 03 37) 怖いライトゾーンーライモン学院の怪談ー -- 名無しさん (2016-01-11 18 48 50) 黒歴史だけど実写化やドラマCD化されている -- 名無しさん (2017-11-26 21 31 31) ↑地獄兄弟の兄貴の人が山岸役だったんだってね -- 名無しさん (2018-07-19 21 08 10) ↑2 あとゴーオンゴールドも。ちなみに大河内奈々子も出演している(この時彼女が「牡丹と薔薇」に出演するとは思わなかっただろうな) -- 名無しさん (2019-10-30 19 55 44) 高橋葉介先生はシリアスしばらく描くとギャグ描きたくなる人なんだと知ったのはこれ読んだしばらく後の話 -- 名無しさん (2024-09-10 17 48 44) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shomen-study7/pages/111.html
学校監督法 ―ドイツ― 1872年、「一般学校諸規定」初等教育制度の確立後、「学校監督法」がファルク文相(ビスマルク内閣)によって公布され、学校の監督権は教会(宗教)勢力ではなく、国家(公権力)の監督下に置かれることになった。初等教育は国家の支配下に置くこととなった。 「学校監督法」の性格 ① 学校監督は国家が一元的に実施する。 ② 学校監督はカトリック派,プロテスタント派の聖職者である必要はない。 (また逆に国家の両方の聖職者ばかりでもよい。) ③学校監督を完全に世俗化(専門化)することも可能である。 背景 イギリスやフランスに遅れをとったドイツでは、ヨーロッパで生き残るためには国の近代化と富国強兵政策を急ぐ必要があった。そのため、教育が重要な役割を担うようになり、国家主導で改革が起こった。 。同年の「一般諸規定」により、民衆学校の制度と教育課程も整備された。 このプロイセンの民衆学校とは、初等教育の無償制の実現を意味するが、この改革は、明治期の日本に支持されモデルとされた。 ファルク ドイツ統一(1871年)を受けて登場 「子どもは自らの精神的諸能力の教育を受ける権利を有する」との基本認識を有していた。このファルク文相の強力な指導の下で起草された「ファルク教育法案」(1877年)においては,国民の教育促進を「義務」として配慮すべき存在として国家が位置づけ られるとともに,民衆学校の維持・管理機構を再編することが構想されていた。 参考http //gipvodn1.shinshuu.ac.jp/el/e04b1/class05/germany.htm http //ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/14897/1/P2H070067.pdf めぐみ
https://w.atwiki.jp/runnerinkaibutu/pages/42.html
県内兼光学園高校 佐久陽高校 丘山理大付属高校 東丘山工業高校 浅井農業高校 県外鳥取西条学園高校 八頭商業高校 米子農芸高校 仁星学園高校 高松水産高校 市立松山高校 今治商業高校 星徳義塾高校 香南商業高校 鳴門商業高校 鳴門東高校 福山水産高校 如来館高校 宇部水産高校 西洋大姫路高校 神皇学園高校 県内 兼光学園高校 山田高校の2年の秋のゾーン予選の相手。2年の夏にベスト8に輝いている。 学校説明 校訓:人を愛し、自分を愛し、物を愛し 県西部にある浅井市にある中高一貫の私立校。「神道兼光教会学問所」として創立。当初は兼光教の教師育成のための学校であった。 野球部は県内でも中堅校で、毎年ベスト8か16にまで名を残している。 佐久陽高校 山田高校の2年の秋の県大会初戦の相手。2年の夏にベスト16に輝いている。 学校説明 校訓:希望は人を決める 継続は力なり 県内北部にある鶴山市にある全日制の私立校。サッカーは全国区のレベルを持っている。 野球部は、北部地区内では強い方だが、県内では毎年ベスト16止まりである。 丘山理大付属高校 山田高校の2年の秋の二回戦の相手。2年の夏にはベスト4に輝いている。やま 学校説明 校訓:自立・追求・友情 丘山市にある私立校。県内唯一、夏の甲子園で決勝進出した高校で、現在でも古豪ながら、毎年ベスト4やベスト8に顔を出している。 今年は2年主体のチーム作りだったため、甲子園出場が期待されている。 東丘山工業高校 山田高校の修学旅行最初の週末での練習試合の相手。 学校説明 校訓:自立・共愛・勤勉・合理化 丘山市にある公立の工業高校。学科は現在までで5つ存在している。 野球部は県内でも中の下の位置に辺り、今夏は2回戦敗退を喫している。 浅井農業高校 山田高校の文化祭の合間の練習試合の相手 学校説明 校訓:質実剛健 南西部にある浅井市にある農業高校。 野球部は県内でも弱い方の分類に入る学校。秋は地区大会で敗退している。 県外 鳥取西条学園高校 鳥取県の強豪校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:文武両道 心・技・体 鳥取県鳥取市にある全日制普通科の私立校。 野球部は県内強豪校で、春夏合わせて27回出場をしている。戦前から野球が強く、第一回の全国大会で初白星をあげたチーム。 八頭商業高校 鳥取県の強豪校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:真摯明朗 克己盡力 鳥取県八頭町にある全日制商業専門の公立校。 商業科をはじめとした4つの学科がある。 春夏あわせて7回出場、近年力をつけてきた新興勢力。 米子農芸高校 鳥取県にある農芸学校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:叡智、情熱 鳥取県米子市にある農業高校。 野球部は近年力をつけており、甲子園出場はまだないが、昨年の夏は準優勝、秋も準優勝と、甲子園が狙えるレベルでもある。 仁星学園高校 香川県にある私立校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:協力、調和 香川県善通寺市にある私立高校。 近年、野球部は力をつけており、数度甲子園に出場をしている。 高松水産高校 香川県にある私立校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:母なる海への感謝 香川県高松市にある水産業を専門とした私立高校。 野球部は春夏あわせて44回の甲子園出場を果たしており、四国内でも1、2をあらそう伝統的な野球部を持っている。 市立松山高校 愛媛県にある市立高校。春の練習試合の相手・ 学校説明 校訓:自立心、探究心 愛媛県松山市にある市立の高校。 野球部は県内中堅校で、近年は毎年準決勝に顔を出すほどで、中堅から強豪になりつつあるが、いまだに甲子園に出場をしていない。 今治商業高校 愛媛県にある公立の商業高校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:共同、探究、鍛錬 愛媛県今治市にある公立の商業高校。 野球は、県内中堅校の学校で、毎年打撃力あるチームを作ることに定評がある。 星徳義塾高校 高知県にある中高一貫の私立校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:努力、協和 高知県の山奥にある私立校。中高一貫校で、高校からの入学を拒否している。 全寮制の学校で、中高一貫のため、団結力は高い。 野球部は過去に春夏合わせて25回も甲子園に出場する強豪校。 香南商業高校 高知県にある公立の商業高校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:至誠、進取 高知県にある全日制商業科の高校。 春夏合わせて34回の甲子園出場しているが、今では古豪で知られ、毎年、県内で後一歩のところで敗れてしまう。 鳴門商業高校 徳島県鳴門市にある公立の商業高校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:至誠を持つこと、努力への鍵 徳島県にある全日制商業科の学校。 現在は県内中堅校だが、昔は甲子園常連の強豪校だった。いわゆる古豪。 今でも、毎年県内でそこそこの成績を収めている。数年後に、鳴門東高校と統合される予定。 鳴門東高校 徳島県鳴門市にある公立の普通科の高校。春の練習試合の相手。 学校説明 校訓:自立、至誠、剛健 徳島県にある全日制普通科の学校。 過去に数度甲子園に出場をしているが、徳島県勢で唯一甲子園での勝ち星が無い学校。現在は県内中堅校止まりとなっている。 数年後に、鳴門商業高校と統合される予定。 福山水産高校 広島県福山市にある私立の水産高校。1年生入部後、最後の練習試合の相手。 学校説明 校訓:誠実・自主・創造 広島県にある私立の水産高校。 野球部は県内中堅校の実力を持っている。が、安定しておらず、夏にベスト8まで行っても、翌年は初戦敗退だったりと、いい年と悪い年の差が激しい。 如来館高校 広島県三原市にある私立高校。春の中国大会の初戦の相手 学校説明 校訓:聖人の如く、来るもの拒まぬような人になれ 広島県にある私立の高校。中等部と高等部があるが、一貫校というわけではない。 野球部は甲子園に夏5回、春1回と言う好成績を収めており、同県では毎年夏に、広島東商業、広緑の二校と甲子園出場を争っている。 宇部水産高校 山口県宇部市にある県立の高校。春の中国大会の決勝の相手。 学校説明 校訓:誠意・創見・実感 山口にある県立の水産高校。 野球部は甲子園に春7回、夏12回出場している実績があり、毎年繋げる打線で、勢いを持つと恐ろしいチーム。 佐倉英雄の前に、2失点で抑え込まれてしまう。 西洋大姫路高校 兵庫県姫路市にある私立高校。春の近畿ベスト4。春大後の練習試合の相手。 学校説明 校訓:自律・友情・叡智 姫路市にある私立の学校。 甲子園出場春7回、夏11回の実績を誇り、夏には1度の優勝を経験している。系列校に西洋大牛久がある。 春の近畿ベスト4で、一発も期待できるパワフルな打線が持ち味。 神皇学園高校 兵庫県神戸市にある私立高校。選抜べスト4。春大後の練習試合の相手。 学校説明 校訓:精進 神戸市にある私立高校。 甲子園に春6回、夏3回出場しており、前回の選抜にも出場。四番佐藤を筆頭に、長打に期待できる超重量打線でベスト4まで進出した。