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表現規制問題の真犯人に迫る! http //www.nicovideo.jp/watch/sm13059716 【緊急拡散!】 アニメ・漫画表現規制の真の危険性!(反日の実態) アニメ・漫画規制の主犯は石原だけじゃない! 国賊 後藤啓ニ この項の目次 関連 以下のリンクをご覧願います。 表現規制問題の現状 なぜ保守に表現規制問題を理解してもらう必要性があるのか? 考えられる脅威 児童ポルノサイトブロッキング法の弊害を知って取りやめたドイツ 児童ポルノ改正法案の正式名称 どう改正しようとしているのか?児童ポルノの単純所持への罰則適用 アニメ、マンガ、ゲームなどへの規制拡大 改正案の問題点定義があいまいである 悪用される(冤罪など)悪用例(発生するであろう予想図も含む) 天皇家ぶち壊し 安全保障ぶち壊しクレーマーの凶器になる 集団ヒステリーのミサイルになる 三菱グループの崩壊 世界大戦の引き金になる 日本の「ムラ」社会や思想形成のいきさつからして表現規制は危険 世界経済を破壊する 周辺国に対する牽制カードを失う 若者から保守離反を招く 憲法違反表現の自由が侵害される 犯罪抑制効果が期待できない アメリカ(51%)が最大の児童ポルノ発信源(日本は、わずか5%) 改正案推進勢力 改正派個々人の意見野田聖子アニメ・漫画の規制 児童ポルノ法に代わる新法を立てる。 日本ユニセフ協会 アグネス・チャン マイクロソフト・Yahoo! 日本ユニセフの正体~UNICEF(ユニセフ)とは無関係の危険団体~ やり方が人権擁護法案と同じ 危険性は他の売国法案に匹敵関連サイト 関連 表現規制問題のしくみ アニメ業界 インターネット規制 犯罪増加という煽り 人権擁護法案 ユニセフと日本ユ偽フ アグネス・チャン 創価学会のメディア支配 以下のリンクをご覧願います。 人権擁護法案 表現規制問題の現状 表現規制法案は人権侵害救済法案への橋渡しにもなり、中国、韓国、北朝鮮の工作員が保守派の政治家や愛国者に創作物を送りつけるだけで逮捕が出来るような恐ろしい法案です。 しかし残念ながら、児童ポルノ法改悪、東京都青少年条例改悪案などの表現規制法案に関しては自民党、保守政治家に推進者が多いという構図になっています。 しかし保守派のジャーナリストで水間政憲氏、西村幸祐氏、三橋貴明氏が反対を表明、藤井厳喜氏が西村氏との対談でポルノ規制法案でのネット規制に関して否定的な発言をしているなど保守派の文化人の中で反対者が存在するのです。 なぜ保守に表現規制問題を理解してもらう必要性があるのか? いい質問ですね。実は2010年前半まで表現規制問題を保守系サイトなどで取り上げると、「保守分断を生む。」とされていましたが、当時表現規制問題に取り組む有志の方々が、嫌保守感情が過ぎたあまりに「打倒保守!」と怒ってしまったのです。そこへ持ってきて普天間基地問題。 安全保障政策を扱うにあたって、表現規制問題に取り組む有志の方による嫌保守感情・嫌米感情はその障害になるばかりか、若い方による修復不能なまでの嫌米感情の結果、将来反米勢力にたぶらかされ、最悪在日米軍基地立ち退きにまで発展する恐れが出てしまいました。 そこで同年「日本の底力 (Core Competency of Japan)」有志の方が「どうすればオタクの方と保守が手を結ばせることが出来るか?」というのに心を砕き、シミュレーションをいたしました。その結果まず浮かんだのはVANKなど反日テロ組織が、櫻井よしこ氏など良心的な保守論客や自衛官、在日米軍を攻撃する危険性がある、と見てそれを拡散させました。 日本で表現規制を合法化する法案が成立すれば、日本のアドバンテージが無くなり、経済、雇用などにも多大なる悪影響を与えます。更にこの法案を悪用したり、日本のコンテンツ産業が衰退することで周辺の反日国家、中国、韓国、北朝鮮などの増長を許し、日本の安全保障や日米安保体制にも打撃を与え、日本の安全保障やアジア太平洋安全保障などに甚大なる悪影響を及ぼす可能性があるのです。こういった法案の背後には先述した反日反米勢力が関わっているため十分にありえることです。こういった法案が成立すれば日本は最終的に言論統制、表現規制によって日本国民が不当に弾圧される暗黒社会が到来してしまいます。 しかしシミュレーションを重ねていくうちに、クレーマーによって沖田光男氏のような冤罪者を量産させてしまい、結果この動きを見た多国籍企業や外資系企業が「日本で商売すると、いつクレーマーに襲われるかわかったものではない!」と戦慄を走らせ、ヘッドクォーター(司令塔・本部)はおろか営業拠点をどかしてしまい、日本の雇用環境を破壊してしまうどころか、そのせいで世界各国で株主代表訴訟や労働者による訴訟が多発してしまい、世界経済を破壊してしまう、というところまで行き着きました。 事実児童ポルノなど情報単純所持・禁止を導入している国では、企業を恐喝するのに悪用されているという弊害が出ています。となれば日本の場合はクレーマーにとって最高の凶器になってしまうことをも意味します。 さらに小林よしのり氏は「月刊WiLL」2011年6月号の「本家ゴーマニズム宣言」において、東日本大震災について「原発をミサイルで狙われたら、日本は一気に電力供給が停止し、パニックじゃないか!安全保障上、こんなものすごい弱点があっていいのか?」と指摘しました。さらに「坂村健氏の「21世紀日本の情報戦略」も読んだが、日本人は不安を抑える脳内物質・セロトニンを受容する神経細胞のレセプターの量が少ないらしい。」と記しています。いいかえれば「日本人は不安・抑うつ・攻撃性・衝動性といった神経症的傾向が他の先進国の国民より大きい。」といえます。もっと言葉を変えたら日本人は躁鬱が激しいため集団ヒステリーに陥りやすい、といえるのです。 さらにそんな東日本大震災で、シーシェパードが「天罰」としました。さらにシーシェパードはまるで人生の一部であるかのごとく日本の捕鯨活動を妨害しています。これは日本が白人優越主義勢力の脅威にさらされていることを示す証明といえましょう。 つまり日本における表現規制問題は、軍事的な意味での安全保障はおろか、経済的な意味での安全保障、さらには文化的な意味での安全保障を脅かす重大事案といえるのです。そうなったからにはもはや思想の右も左も関係なく立ち向かわなければならないのです。 考えられる脅威 別項「なぜ保守に表現規制問題を理解してもらう必要性があるのか?」と重複しますがご了承願います。 実は日本における情報単純所持・禁止をした場合において一番懸念されるのは、安全保障の脆弱化です。それは以下の脅威があるからです。 日本は他の先進国と違って山賊国家に包囲された海洋国家だからです。地政学上ロシアや中国の脅威に晒されています。このため特殊な地政学をもっているのです。 文化的にもシーシェパードなど白人優越主義者の脅威に晒されています。 さらに国内でも警察利権や反日利権、クレーマーや集団ヒステリーの脅威に晒されています。 日本における表現規制問題、特に情報単純所持禁止・罰則化のみならず、人権擁護法など治安維持法的性質を持つ法律は、このような勢力に自国を破滅させるためのミサイルをわざわざ用意してやっているようなものです。 またシーシェパードといった白人優越主義セクト工作員は、海産物卸売業者を攻撃するでしょう。また反日セクト工作員は、NTTはおろか首都圏や東海地方の交通ライフラインを攻撃するでしょう。中国の工作員にいたっては、三菱重工業やカシオ計算機といった日本の科学技術を担う企業を乗っ取るのに悪用するでしょう。 警察利権は村木厚子氏のようなケースが起きようものなら「かくなる上は!」として悪用する危険性があります。 こういう動きを見た多国籍企業や外資系企業に「日本で商売すると、いつ冤罪事件に巻き込まれるかわかったものではない!」と戦慄が走り、日本から営業拠点をどかしてしまいます。そうなったら日本の雇用環境がぶち壊しになり、日本発の世界大恐慌が発生してしまいます。事実東日本大震災に伴う原発事故で「チェルノブイリだ!」とパニックになって外国人が日本から出国する騒ぎが起きました。 原子力発電所でさえミサイルが飛んで来たら、電力供給が麻痺してしまうため、安全保障上看過できないといわれているのに、日本における情報単純所持禁止・罰則化となったら、全国規模でクレーマーや集団ヒステリー、反日セクト工作員や白人優越主義セクト工作員などによって、結果的に日本のライフライン破壊をもたらしてしまう、だから日本における表現規制問題は安全保障問題に化けてしまう、と危惧しています。 児童ポルノサイトブロッキング法の弊害を知って取りやめたドイツ 関連 インターネット規制 ドイツの児童ポルノサイトブロッキング法は、ネット検閲法との大非難を浴び、反対電子請願は13万筆を超えて正式な請願として成立、国会でもこの請願の代表者の聴取が行われ、憲法訴訟が既に提起され、さらにいくつか提起が予想され、ドイツ政府もブロッキングの撤廃を告知するに至っている。 児童ポルノ改正法案の正式名称 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律 略称:児童買春、児童ポルノ処罰法、児童ポルノ法、児ポ法など。 どう改正しようとしているのか? 児童ポルノの単純所持への罰則適用 既に販売目的の所持や、製造などに対しては罰則が定められているが、今回の規制強化では、単に持っているだけで罰則を与える事が検討されている。 アニメ、マンガ、ゲームなどへの規制拡大 『18歳未満に見える漫画、アニメのエロは禁止。女子高生コスプレAVなど、18歳以上の女性が児童を演じるAVも禁止』という更なる強化案が、日本ユニセフ協会(*UNICEFとは無関係な団体)から提案されている。 改正案の問題点 定義があいまいである 児童ポルノとは・・・、 「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、性欲を興奮させ又は刺激するものを、視覚により認識する事が出来る方法により描写したもの」 この表現だと、18歳未満の人間(性別関係なし)のほぼ全ての写真類を、児童ポルノと定義することが可能。雑誌のグラビアからアイドルやジャニーズのDVD、家族写真まで、その範囲は幅広い。 定義が非常に曖昧であるため、思いもよらない物体が児童ポルノとして規制される可能性がある。 アニメ、マンガ、ゲームなどが規制に追加された場合、この定義で取り締まる事のできる者は更に拡大する。 昔のマンガ本や古雑誌を持っているだけで法律に抵触し、逮捕されることが現実問題としてありうる。 悪用される(冤罪など) 定義があいまいであり、また余りに対象とできるものが多いため、他者のパソコンに画像を忍ばせるなどして悪用される事が既に懸念されています。また、警察が別件逮捕などの恣意的運用を行なう可能性があります。 事実日本の警察利権は志布志事件の際、強引に犯罪をでっち上げたということがありました。このような警察利権の脅威にさらされている日本においては、一度導入されますと海外の軍事的な介入がない限り二度と廃止されなくなります。(そうしているうちに集団ヒステリーの脅威で世界経済を破壊されてしまいます。) これらの事から、「痴漢冤罪」のような冤罪が多発することが容易に想像できます。事実、単純所持を禁止したアメリカでは、すでに冤罪が多発しています。 悪用例(発生するであろう予想図も含む) 知らないうちにコンピュータウイルスに感染し、児童ポルノがダウンロードされ冤罪。 裸で浴槽につかる幼児の写真を見たフィルム現像業者が当局に通報、母親は尋問された。 非常に古い違法化される前に撮影された写真を所持していることを犯罪とみなした。 実際の児童が関わってない人工的に作られた画像を、刑事罰の対象にしようと再三試みる。 子供時代に虐待された経験を綴った自伝の執筆の参考にするため、児童ポルノサイトへアクセスして逮捕され起訴された。(つまり、パソコンの中に児童ポルノ画像があるだけで逮捕されます。) 反日勢力が保守政治家などに違法な創作物を送りつけて失脚させる。 自衛隊や在日米軍など日本の安全保障に関わる人物に送りつけるため、人材流出を招く。(つまり、結果日米安全保障体制など日本の安全保障のぶち壊し) 警察官僚による日本のIT社会のぶち壊し。 集団ヒステリーのターゲットが金融機関に向かった場合、情報単純所持禁止・罰則化の乱用と、それに脅威を感じた預金者による取り付け騒ぎの誘発を招く。 振り込め詐欺集団がお礼参りに金融機関を潰すべく、情報単純所持禁止・罰則化の乱用をするため、それに脅威を感じた預金者による取り付け騒ぎの誘発を招く。 原子力事業に携わる電力会社スタッフはおろか、原子力発電所プラントを製造しているメーカー(東芝、日立製作所、三菱重工業)スタッフへ違法な創作物を送りつけて失脚させる。 大東亜戦争(太平洋戦争)を恨む韓国の反日系市民団体による三菱重工業社員への襲撃・悪用。(つまり、結果三菱重工業の経営のぶち壊し) 三菱重工業の経営ぶち壊しに伴う三菱東京UFJ銀行に対する取り付け騒ぎによる世界経済への打撃。 VANKなど反日サイバーテロ組織による反中・反韓勢力に対する攻撃を可能にさせる。(主に意図的に違法な創作物画像をダウンロードさせるための工作。) JRやJALの労働組合同士の内ゲバに伴う「児童ポルノ合戦」とそれに伴う交通インフラ・物流インフラの混乱。 JR東海社員に違法な創作物を送りつけて失脚させる事態の多発と、それに伴う人材流出と東海道新幹線の麻痺。 「児童ポルノ合戦」激化に伴う労働組合同士の内ゲバの激化。 経営陣へ違法な創作物を送りつけて失脚させることで引き起こされる労働組合による経営乗っ取り。 児童ポルノを片手に常軌を逸したベースアップ要求と、それに伴う企業活動への障害。 クレーマーが児童ポルノを片手に、小売店やサービスセンターへの襲撃。 「児童ポルノ合戦」激化に伴う地域間の対立の激化 etc 上記のように、反日勢力が敵視していたり、そういった勢力の影響下にある企業と敵対する企業などが、この法案を悪用される標的となりかねない。 特に、日本のアニメーション制作会社のほとんどは中国・韓国に外注しているため、反日勢力によって格好の的となりかねない。 天皇家ぶち壊し 2005年まで児童ポルノなど情報単純所持禁止・罰則化に慎重だった公明党。それが一転推進派。この裏にはいったい何が? この時期、女系天皇を可能にする法改正が議論されていましたよね?それが紀子さまのご懐妊でぶち壊しになりましたよね?だとしたら悠仁天皇潰し、愛子女系天皇の既定路線化を意味しないか? つまり安倍晋三元首相など男系男子維持を主張する勢力を粛清すれば、否応なしに愛子女系天皇への橋渡しになります。たいへん危険なことです。 またこの治安維持法的性質のある法案が、仮に創価学会など反日セクトの後押しだとしたら、確実愛子天皇→女系天皇への橋渡しになり、天皇家の尊厳ぶち壊しです。実際カナダでは児童ポルノなど情報単純所持禁止・罰則化に賛成した議員自らが冤罪逮捕に巻き込まれ、失脚させられてしまいました。それを勘案したら、安倍晋三元首相など女系天皇に反対している議員を相次いで失脚させ、女系天皇の野望実現を規定路線にさせられる恐れがあります。 安全保障ぶち壊し クレーマーの凶器になる 日本において情報単純所持禁止・罰則化をしますと、いの一番に懸念されるのがクレーマーによる悪用です。 昨今の日本人は「自由」と「身勝手」を履き違えています。こんなことをしていたら、「苦言」と「罵倒」を履き違えるのは無理からぬことです。 東京都八王子市で携帯電話を使ったことを注意したとたん、痴漢である旨届け出されていわれ無き逮捕をされる事件が起きました。 沖田事件国家賠償訴訟 こういう思想の持ち主がクレーマーになるのです。 クレーマーの激増で、医療現場が壊滅的打撃を与えています。またクレーマーのせいで子供たちがまともに遊べなくなり、 いわゆる「遊べない公園」が増えています。 つまり現在の日本は、何かとクレームをつけたがる「クレーマー社会」に成り下がってしまったのです。 それどころかクレーマーにとって最高の凶器になってしまいます。 白村江の後や明治維新の時、焼け野原になった大戦後も、国家がバラバラになり、消滅しそうな時に、国民統合の役割を果たして来たのが皇室です。そもそも日本人は、他人に期待する依頼心が強過ぎます。英国民やオランダ国民は、そこまであらゆる責任を、象徴的な国王や王族に押し付ける事はしないでしょう。 安倍晋三氏が潰された原因は、モンスター有権者のわがままな態度にあります。これは他力本願そのものであり、「他人に成長を押し付け、自らの成長を拒否する。」態度そのものです。 さらに論敵が発言したからといって、それに対して色眼鏡で見るなどしていることから、気に入らない人物に対する攻撃もなされかねません。 ※ありうること TPPに反対する農家→TPPに賛成する池上彰氏に対する攻撃 反戦平和主義者・反日勢力→田母神俊雄氏に対する攻撃 これが現実になれば真の意味での言論の自由がなくなります。 集団ヒステリーのミサイルになる 集団ヒステリーの脅威は、2010年でいえば酒井法子氏の夫が酒井法子氏ファンを怒らせたため、また同年に「年下の男の子をつまみ食いをします。」と発言した平野綾氏がファンを怒らせたため(平野綾ライフライン事件)、古くは裕木奈江氏が女性の目の敵にされていたため、また仙石由人氏が「暴力装置」と発言してバッシングされたため、集団ヒステリーのターゲットにされていた危険性があります。日本人は他の先進国の国民と違って不安・抑うつ・攻撃性・衝動性といった神経症的傾向が強いため、躁鬱が激しく集団ヒステリーに陥りやすいのです。 事実児童ポルノなど情報単純所持・禁止を導入している国では、企業を恐喝するのに悪用されているという弊害が出ています。となれば日本の場合はクレーマーにとって最高の凶器になってしまうことをも意味します。最悪金融機関がクレーマーや集団ヒステリーのターゲットにされた場合、当該金融機関の預金者の間で預金が消える恐怖を感じ、取り付け騒ぎを起こしてしまい、結果日本発の世界恐慌が起きてしまいます。 三菱グループの崩壊 韓国人は広島の原爆にて被爆したことから、三菱重工業を恨んでいます。このような状態で児童ポルノなど情報単純所持禁止・罰則化はVANKなどにとって「渡りに船」となってしまいます。なぜならばそれを使って三菱重工業社員を次から次へと潰すことが出来るためです。 しかしその結果、三菱重工業のグループ銀行にしてメインバンクである三菱東京UFJ銀行の預金者に戦慄が走らないわけがありません。そうなれば三菱東京UFJ銀行で取り付け騒ぎが起きてしまい、そのとばっちりが三菱グループ全体に及びます。 三菱グループの崩壊は「消しゴムから戦車まで」といわれる三菱グループの影響下にある日本のものづくりが崩壊してしまいます。それは同時に日本の航空宇宙政策への甚大なる打撃となってしまいます。それは宇宙空間の軌道の空白化を生んでしまい、航空宇宙レベルでの安全保障ぶち壊しです。 世界大戦の引き金になる 世界経済が行き詰ればどの国であっても、それを打破するために是が非でも戦争を起こしたがります。 日本における児童ポルノをはじめとする情報単純所持禁止・罰則化の結果、日本のクレーマーや集団ヒステリーによる弊害で世界経済が行き詰れば、やがて戦争を引き起こす危険性があります。事実第二次世界大戦は、世界経済が行き詰まり、国際協調が破壊されたためです。 日本の「ムラ」社会や思想形成のいきさつからして表現規制は危険 日本人は自分の「ムラ」にとりて異物と判断したものは、すぐさま排除したがります。 こういう態度に小林よしのり氏は「わしが使っても批判されなかった言葉を仙谷が使ったら大批判され謝罪に追い込まれる。単に仙谷が左翼だからという偏見からだ。」・「「言葉狩り」することによって議論を封じるのは、まさに左翼の常套手段だ。日本の保守派も左翼的性質があるということの証明ではないか。」と怒る事件が起きたほどです。 なお「暴力装置」という言葉自体マックス・ウェーバーが「職業としての政治」にて使われた正当な学術用語であり、小林よしのり氏も自著「戦争論」で応用しました。それを仙谷氏が発したというだけでバッシングとなったため、小林氏が怒ったのです。 仙谷由人氏が保守勢力にとりて「左翼主義者→異物」ということで、バッシングしている、また大東亜戦争(太平洋戦争)の正当性を主張する方が反戦左翼主義者にとりて「右翼主義者→異物」ということで、バッシングしている。これでは敵対する「ムラ」に攻撃されないという保証などあるわけがありません。 そうなってきますと違法創作物の単純所持の罰則化は、日本社会を大きく揺さぶり、結果「魔女狩り裁判社会」に成り果て社会不安を増大させてしまいます。 世界経済を破壊する 児童ポルノ法改正によって規制されてしまう日本の文化作品は多大な経済効果をもたらしています。 例えば、ヱヴァンゲリヲンの経済効果は400億円以上、ポケットモンスターは2兆円以上です。アニメ・マンガ全体となると計り知れない経済効果があります。 日本を豊かにするこれらの作品が、児童ポルノ法改正によって規制されてしまいます。 さらに日本の場合はクレーマーや集団ヒステリーの脅威にさらされています。そんな状態で児童ポルノ単純所持禁止・罰則化がなされた日には、全国あちこちでクレーマーの脅威にさらされ、日本の商業活動が破壊されます。 最悪金融機関がクレーマーや集団ヒステリーのターゲットにされた場合、当該金融機関の預金者の間で預金が消える恐怖を感じ、取り付け騒ぎを起こしてしまい、結果日本発の世界恐慌が起きてしまいます。 周辺国に対する牽制カードを失う 日本の周辺は事実上の反日国家に囲まれています。周辺の反日国家(特に中国)は日本の安全保障の崩壊を目論んでいます。 こういった動きに対して対抗しているのが日本のコンテンツ産業なのです。 事実反日国家の中国でさえ、日本のアニメが「親日」の土壌作りをしていると言われています。 「中国人 アニメ 親日」の検索結果 そのため、中国、韓国などは日本のコンテンツ産業を邪魔に感じています。事実、この2国を中心に世界は国策でコンテンツ産業に対する莫大な投資を行っています。それを日本が堅持し、日本もコンテンツ産業を育成支援することが中国、韓国などに対する文化面での牽制につながります。それは同時に安全保障上も有効です。日本は現在ハードパワーが反日勢力によって抑えられてしまっているため、対極にあるソフトパワーは日本にとって非常に重要です。実際に、尖閣諸島事件が起こった時には、日本鬼子、小日本といった中国からの攻撃を萌えキャラにして返すなどで、中国国民にも非常に影響力を与えています。 表現規制法案の成立でそういった日本の強みが無くなり、日本が世界から無視されることになります。 日本が韓国のように「極東の片田舎」とみなされるようになれば、これまで以上に周辺の反日国家が付けあがり、日本に対して内政干渉などの侵略まがいの行動を起こしてくる可能性は否定できません。 若者から保守離反を招く ただでさえ日本人は他の先進国に比べて政治に関心が薄いです。それでいて、今の若者が「戦争が起きたら国のために戦う」と回答する確率が韓国、中国、日本、米国の4ヵ国の中で最下位です。 このような現状で保守勢力が表現規制問題を起こせば、「日本の保守って僕たちに冷たいんだ。」となり、いざ戦争になったとき、国を売り飛ばす恐れがあります。 つまり保守勢力が表現規制問題に冷たくなり、それでいてやたらと「日の丸・君が代」と叫んだところで若者がひく一方です。 憲法違反 表現の自由が侵害される アニメ、マンガ、ゲーム類へと規制が拡大する事で、表現の自由が侵害される恐れが高い。 これらの表現物が麻薬や銃刀類と同じ扱いにするには、犯罪との因果関係が科学的に証明されなくてはならない。(現実問題としてそんな事はありえない。) また、例えマンガで子供が性行為を行なっていても、これらの表現物は、憲法第21条、「表現の自由」により保障されなければならない。 犯罪抑制効果が期待できない 関連 ・犯罪増加という煽り 以下のデータによると、児童ポルノの単純所持を禁止しているG8各国と日本とでは、強姦発生率が大きく違う。 犯罪率統計-国連調査(2000年) G8の1999年ないし2000年の強姦(件/10万人) カナダ 78.08件 単純所持禁止 二次元禁止 アメリカ 32.05件 単純所持禁止 二次元禁止(ただし違憲で無効) イギリス 16.23件 単純所持禁止 フランス 14.36件 単純所持禁止 ドイツ 09.12件 単純所持禁止 ロシア 04.78件 日本 01.78件 この後、2004年7月に現児童ポルノ禁止法が施行されたが、「法務省によると、児童ポルノに関する事件の起訴数は99年は25件だったが、03年は214件、06年は585件と急増している」とのことから、法案施行に前後して大きく起訴数が増加しているのは明らかです。 児童ポルノ法改正推進議員とシーファー駐日米国大使の言い分は、「児童ポルノ画像がインターネットを介して、日本から拡散するのを防ぎたい」とのことだが、イタリアの児童人権保護団体、「テレフォノ・アルバコーレ」がまとめた児童ポルノサイト数(2003)は以下の通り。 1位 アメリカ (10503件/61.72%) 2位 韓国 (1353件/7.95%) 3位 ロシア (1232件/7.24%) 4位 ブラジル (1210件/7.11%) 5位 イタリア (423件/2.49%) 6位 スペイン (288件/1.69%) 7位 チェコ (285件/1.67) 8位 日本 (165件/0.97%) 9位 スウェーデン (123件/0.72%) 10位 カナダ (116件/0.68%) 上記から、日本で単純所持規制を行なっても拡散を抑制することは困難である。 アメリカ(51%)が最大の児童ポルノ発信源(日本は、わずか5%) 国際エクパットもデータを利用しているイギリスのインターネット監視団体、「Internet Watch Foundation」の、「IWF reveals 10 year statistics onchild abuse images online」によれば、2006年までの10年間で児童虐待画像の「発信源」であるサーバの所在地は、 51% appeared to be hosted in the US. 20% appeared to be hosted in Russia. 7% appeared to be hosted in Spain 5% appeared to be hosted in Japan で、アメリカが最も多かった。 そして、イタリアの児童保護団体、「テレフォノアルコバレーノ」のデータによれば、2007年の時点で、「小児性愛好者向けサイト」を利用・閲覧しているのも、アメリカ人が圧倒的に多い(22.82%)。 ちなみに、日本からのアクセスはわずか1.74%である。 改正案推進勢力 公明党の全員(特に女性議員) 森山眞弓(自民党) 野田聖子(自民党) 小宮山洋子(民主党) 神本美恵子(民主党 日教組出身) 円より子(民主党) 葉梨康弘(自民党) その他議員 日本ユニセフ アグネス・チャン 村井嘉浩(宮城県知事) 前田雅英(首都大学東京教授) ECPAT/ストップ子ども買春の会(女性国際戦犯法廷を主催したVAWW-NETジャパンと姉妹関係にある) 後藤啓二(弁護士 ECPATの顧問) ポルノ・買春問題研究会(APP研)(天皇制をレイプ権だと中傷する不敬極まりない集団) 改正派個々人の意見 野田聖子 アニメ・漫画の規制 「1つ目は、単純所持の禁止を盛り込みたい。2つ目は、子供ポルノアニメ・漫画の取り扱いに関する法律。これは、数年前にチャレンジしたが、インターネットで散々叩かれた。いずれにしても、児童ポルノ法や児童虐待防止法などを改正して対応したい」 児童ポルノ法に代わる新法を立てる。 「児童ポルノ法や児童虐待防止法は現実の児童を対象としたもので、アニメなどフィクションなものに対応するには、かなりの法改正が必要となり、時間がかかってしまう。個人的には、改正よりも、新法を立てるべきだと思う」 日本ユニセフ協会 「被写体が実在するか否かを問わず、児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写にたものを、『準児童ポルノ』として違法化する(第2条)。具体的には、アニメ、漫画、ゲームソフトおよび18歳以上の人物が児童を演じる場合もこれに含む。児童ポルノにおいては(中略)写真、ビデオテープ他の、『視覚により認識する』ものに限定せず、音声や文字によるものも含める」 アグネス・チャン 「子供への性的虐待は犯罪。ポルノを持っても駄目、漫画を買って読んでもいけない」 マイクロソフト・Yahoo! マイクロソフトとYahooも児童ポルノ法改悪に賛同しています。 日本ユニセフの正体~UNICEF(ユニセフ)とは無関係の危険団体~ 関連 ユニセフと日本ユ偽フ 日本ユニセフ協会 - Wikipedia 『日本ユニセフ』は『UNICEF(ユニセフ)』とは関係が無い。 「ユニセフ」という名称を含むが、国際連合児童基金(UNICEF)の日本支部や構成機関ではない。 日本ユニセフはUNICEFと協力協定を結んでいる一団体であり、UNICEFの正式な日本支部「ユニセフ東京事務所」は別に存在する。 寄付金も、全額がUNICEF本部に送られてはいないので注意が必要である。 日本ユニセフは募金を無断で豪華な自社ビルの建設に流用した団体であり、募金をしてはいけない。 本当に募金を役立てたかったら、黒柳徹子(UNICEF親善大使。故オードリー・ヘップバーンらと同様に無給で尽力している)を通じて送ること。 また、日本ユニセフはマスコミに対してアグネス・チャンを広告塔に『日本ユニセフ=UNICEF』と虚偽の説明を行なっている団体である。 UNICEFとわざと混同させて、募金を収集しているようだ。 やり方が人権擁護法案と同じ 政治・反日情報に詳しい方は、「人権擁護法案」をご存知でしょう。 人権擁護法案も人権侵害の定義をわざと曖昧にすることによって言論弾圧・表現の自由を奪い、不当な逮捕に悪用される悪魔の法案です。 実は児童ポルノ法改悪も同じ手法で、不当な逮捕に悪用される法案なのです。 危険性は他の売国法案に匹敵 法案名だけを見ると特に問題の無いように見えますが、ここまで見ていただければ非常に危険な法案であることはお分かりいただけるでしょう。 国籍法改正 外国人参政権 人権擁護法案 大量移民の恐怖 沖縄ビジョン などの売国法案と肩を並べるほどの危険性があると認識してください。 関連サイト (↓自動検索による外部リンクリストです。) #bf #bf #bf
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吉本隆明 『読書の方法』 光文社 2001.11 1.わが生涯の愛読書・リスト (東洋・日本関係) 1 ガンテー/エルバン 聖書 岩波文庫 2 法華経現代語訳 三枝 レグルス文庫 3 武士道 新渡戸 岩波文庫 4 一遍上人語録 岩波文庫 5 マヌの法典 岩波文庫 6 明恵上人集 (とくに「夢記」)岩波文庫 7 法然上人集 日本古典全集刊行会 8 神道集 東洋文庫 9 みかぐらうた おふでさき 東洋文庫 10 古事記 角川文庫 11 万葉集 上中下 旺文社文庫 12 古今和歌集 岩波文庫 13 新古今和歌集 岩波書店 久松 14 後拾遺和歌集 1-4 講談社学術文庫 15 和漢朗詠集 講談社学術文庫 16 花伝書 講談社文庫 17 奥の細道 旺文社文庫 18 解体新書 講談社学術文庫 19 歌姫・うたかたの記 岩波文庫 20 青年 森鴎外 岩波文庫 21 それから 角川文庫 22 こゝろ 角川文庫 23 道草 角川文庫 24 珊瑚集 永井荷風 新潮文庫 25 智恵子抄 新潮文庫 26 月に吠える 新潮文庫 27 銀河鉄道の夜 岩波文庫 28 お伽草子 新潮文庫 29 富嶽百景・走れメロス 岩波文庫 30 源氏物語 与謝野晶子訳 角川文庫 (欧米関係(1) 31 形而上学 岩波文庫 アリストテレス 32 ソクラテスの弁明・クリトン 岩波文庫 33 方法序説 岩波文庫 34 エチカ 岩波文庫 35 単子論 岩波文庫 36 エミール 岩波文庫 37 告白 ルソー 岩波文庫 38 人間不平等起原論 岩波文庫 39 社会契約論 岩波文庫 40 政治経済論 岩波文庫 41 ラモーの甥 岩波文庫 42 判断力批判 岩波文庫 43 小論理学 岩波文庫 44 哲学入門 岩波文庫 45 精神現象学 世界の大思想 第12巻 河出書房新社 46 経済学・哲学草稿 岩波文庫 47 資本論 (1) 岩波文庫 48 反復 岩波文庫 キルケゴール 49 道徳の系譜 岩波文庫 50 善悪の彼岸 岩波文庫 51 ラヴァイアサン 岩波文庫 52 哲学ノート 岩波文庫 53 国家と革命 岩波文庫 54 金枝篇 岩波文庫 55 純粋現象学及現象学的考案 岩波文庫 56 存在と時間 岩波文庫 57 笑い ベルグソン 岩波文庫 58 時間と自由 ベルグソン 岩波文庫 59 田舎司祭の日記 ベルナノス 著作集2春秋社 60 ロダン リルケ 岩波文庫 61 種の起源 八杉 岩波文庫 62 古代社会 モルガン 岩波文庫 63 続精神分析入門 フロイド 選集3 日本教文社 64 一般言語学講義 岩波書店 65 資本主義・社会主義・民主主義 シュムペーター 東洋経済新報社 66 社会分業論 デュルケム 講談社学術文庫 67 ユートピア 岩波文庫 68 市民政府論 ロック 岩波文庫 69 市民の国について 岩波文庫 (欧米関係(2)) 70 緋文字 岩波文庫 71 モルグ街の殺人事件・盗まれた手紙 岩波文庫 72 嵐が丘 岩波文庫 73 シャーロック・ホームズの冒険 岩波文庫 74 リア王 岩波文庫 75 ギリシア・ローマ神話 岩波文庫 76 にんじん 岩波文庫 77 ぶどう畑のぶどう作り 岩波文庫 78 エピクロスの園 岩波文庫 79 田園交響曲 ジイド 岩波文庫 80 狭き門 岩波文庫 81 背徳者 岩波文庫 82 人形の家 岩波文庫 83 女の一生 岩波文庫 84 エセー 岩波文庫 85 箴言と考察 岩波文庫 86 赤と黒 岩波文庫 87 谷間のゆり 岩波文庫 88 ボヴァリー夫人 岩波文庫 89 ゲーテとの対話 岩波文庫 90 みずうみ シュトルム 岩波文庫 91 マルテの手記 岩波文庫 92 返信 岩波文庫 93 罪と罰 岩波文庫 94 カラマーゾフの兄弟 岩波文庫 95 復活 岩波文庫 96 若きウェルテルの悩み 岩波文庫 97 チャンドス卿の手紙 岩波文庫 98 ジュネーブ人の手紙 日本評論社 サン=諮問 2.東京の本100 1 江戸から東京へ 矢田 中公文庫 2 道草 新潮文庫・岩波文庫 3 東京日記 内田 岩波文庫 4 女體開顕 岡本かの子 5 東京八景 太宰治 「走れメロス」所収 新潮文庫 6 私の東京地図 佐多 講談社文芸文庫 7 帝都物語 あらまた 角川文庫 8 大川の水 芥が龍之介 全集第1巻 岩波 9 武蔵野 岩波文庫 10 日和下駄 永井荷風 家風随筆集上 岩波文庫 11 東京の三十年 田山 岩波 12 東京震災記 田山 博文館新社 13 柳橋新誌 成島 新日本古典文学大系100巻 岩波 14 旧聞日本橋 長谷川 岩波文庫 15 明治の東京 馬場 現代教養文庫 16 明治大正史・世相篇 柳田國男 講談社学術文庫 17 明治東京逸聞史 森 東洋文庫 18 一国の首都 幸田 岩波文庫 19 東京風俗帖 木村 20 明治の東京 岩波文庫 21 ランプの下にて 岡本 岩波文庫 22 思想としての東京 磯田 講談社文芸文庫 23 日本の下層社会 横山 岩波文庫 24 江戸切絵図散歩 池波正太郎 新潮文庫 25 東京の昔 吉田 中公文庫 26 私のなかの東京 野口 中公文庫 27 私説東京繁昌記 新板 小林 筑摩書房 28 私説東京放浪記 小林 筑摩 29 都市の誘惑 佐々木 TBSブリタニカ 30 東京風人日記 諏訪 31 『東京の原風景 都市と田園との交流』 川添登 県立 市立 32 抱きしめる、東京 森 講談社 33 東京の下町 吉村 文春文庫 34 昭和歳時記 吉村 文藝春秋 35 昭和東京私史 安田 中公文庫 36 東京風船日記 中野 新潮文庫 37 路上観察学入門 ちくま文庫 38 東京23区物語 泉 新潮文庫 39 なんとなく、クリスタル 田中 河出文庫 40 東京下町山の手 サイデンステッカー ちくま学芸文庫 41 江戸東京年表 吉原 小学館 42 東京都の百年 石塚 山川 43 江戸ことば・東京ことば辞典 講談社学術文庫 44 東京地名考 朝日文庫 45 なつかしき東京 イシグロ 講談社カルチャーブックス 46 「東京物語」辞典 現代言語 平凡社 47 文学で探検する隅田川の世界 かのう書房 48 隅田川 スタジオ・ページワン 49 ぼくの東京案内 植草 50 いま・むかし東京逍遥 小澤 51 東京映画名所図鑑 冨田 52 私を愛したという居 冨田 53 江戸の坂 東京の坂 横関 54 日本の民俗13・東京 宮本 第1放棄 55 東京の祭 小池 木耳社 56 合本東京落語地図 佐藤 朝日文庫 57 昭和の東京 石川 朝日文庫 58 東京ブチブチ日記 東海林 文藝春秋 59 東京漂流 藤原 60 東京問屋街ガイドブック 内田 61 『都市のコスモロジー 日・米・欧都市比較』 オギュスタン・ベルク 青森 市立 講談社現代新書 62 感性都市への予感 ぎょうせい 63 重要データ10年後の東京 尾原 64 水の東京 陣内秀信 岩波書店 65 テクノフロント1990 大成建設 66 武蔵野の集落 矢島 67 建築探偵術入門 東京建築 68 東京災害史 畑市 69 都市構造と都市計画 東京都立大学 70 東京都都市計画概要 東京都 71 東京都(特別区)家屋実態調査書 東京都 72 都市とウォーターフロント 都市 73 都市の経済力 さぬき 74 柔らかい都市の柔らかい空間 箱崎 75 明治の東京計画 藤森 76 地方別調査研究=東京都 日本民俗学大系第11巻 77 東京都の歴史 こだま 78 『東京の空間人類学』 陣内秀信 県立 8F519.8シ 市立 大学 六518ジ 79 東京の美学 芦原 80 都市廻廊 長谷川 81 東京の「地霊」 鈴木博之 82 東京ゴミ袋 瀬戸 83 明治の東京生活 小林 角川選書 84 モダン都市東京 海の 85 東京の都市計画 越沢 岩波新書 86 東京物語 荒木 87 地図で見る東京の変遷 88 江戸東京大地図 平凡社 89 昭和二十年東京地図 西井 90 Uガイド・東京 昭文社 91 Jガイド・東京 山と渓谷社 92 JTBの旅ノート・東京 93 江戸東京地名事典 雪華社 94 都市空間のなかの文学 前だ 95 像としての都市 よしもと 96 東京詞 大沼 江戸詩人選集第10巻 97 光雲懐古談 高村光雲 98 市区改正ハ果シテ衛生上ノ問題ニ非サルカ 森林太郎 鴎外全集第28巻 99 成長する都市 衰退する都市 さぬき 100 ランドサット・マップ東京とその周辺 3.現在を読む 1 ミンコフスキー 精神分裂病 2 フロイト 続・精神分析入門 人文 3 フッサール ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 4 ヴェイユ 工場日記 5 サルトル 存在と無 6 レヴィ=ストロース 親族の基本構造 7 バタイユ エロティシズム、 8 バタイユ 呪われた部分 9 シュナイダー 臨床精神病理学 10 ユング 変容の象徴 11 バルト 零度のエクリチュール 12 バルト サド・フーリエ・ロヨラ 13 バルト テクストの快楽 14 バルト 神話作用 15 ブランショ 文学空間 16 メルロ=ポンティ 弁証法の冒険 17 ビンスワンガー うつ病と躁病 18 テレンバッハ メランコリー 19 フーコー 臨床医学の誕生 20 フーコー 言葉と物 21 ポランニー 経済と文明 22 デリダ エクリチュールと差異 23 デリダ 声と現象 24 デリダ 根源の彼方に 25 イリイチ 脱学校の社会 26 イリイチ、脱病院化社会、 27 イリイチ シャドウ・ワーク 28 イリイチ、ジェンダー 29 ドゥルーズ ガタリ:カフカ 30 ボードリヤール 象徴交換と死 31 ボードリヤール シミュレーションの時代 32 ソンタグ 隠喩としての病い 33 岡田 ほんのすこしの水 34 萩尾 ポーの一族 35 萩尾 メッシュ 36 つげ 必殺するめ固め 37 糸井 情熱のペンギンごはん 38 糸井 CHIKUWA 39 椎名 哀愁の町に霧が降るのだ 40 山岸 籠の中の鳥 41 大友 気分はもう戦争 42 高野 絶対安全剃刀 43 江口 ストップ!!ひばりくん! 44 あだち みゆき 4.準現在(現代文学) 1 野間宏 暗い絵 2 梅崎 桜島 3 谷崎 細雪 4 椎名 重き流れの中に、 5 安吾 白痴 6 安吾 風博士 7 武田 蝮のすゑ 8 大岡 俘虜記 9 三島 仮面の告白 10 金閣寺 11 中野 むらぎも 12 大江 飼育 13 川端 眠れる美女 14 小島 アメリカン・スクール 15 安部 砂の女 16 高橋 悲の器 17 古い 円陣を組む女たち 18 中上 枯木灘 19 島尾 死の棘 20 ○谷 死霊 5.準古典(近代文学) 1 森鴎外 舞姫 2 鴎外 雁 3 鴎外 阿部一族 4 鴎外 諸国物語 5 徳富 不如帰 6 徳富 思出の記 7 夏目 坊っちゃん 8 なつめ それから 9 夏目 門、 10 夏目 行人 11 夏目 道草、 12 田山 田舎教師、 13 泉 歌行燈 14 芥川 玄鶴山房 15 芥川 歯車 16 芥川 河童 17 横光 機械 18 横光 紋章 19 横光 旅愁 20 横光 時計 21 太宰 きりぎりす 22 太宰 新ハムレット 23 太宰 右大臣実朝 24 太宰 新釈諸国噺 25 太宰 斜陽 26 人間失格 27 宮沢 銀河鉄道の夜 28 宮沢賢治詩集 29 高村光太郎詩集 30 萩原朔太郎詩集 31 中原中也詩集 32 立原道造詩集 6.古典 1 福音書 岩波書店 2 饗宴 プラトン 新潮文庫 3 ニコマコス倫理学 アリストテレス 岩波 4 方法序説 デカルト 中公文庫 5 リヴァイアサン ホッブズ 中央公論社 6 エチカ スピノザ 中央公論社 岩波文庫 7 単子論 ライプニッツ 中央公論社、岩波 8 社会契約論、 ルソー 岩波 9 小倫理学 ヘーゲル 岩波 10 資本論 マルクス 大月文庫 11 純粋現象学及現象学的哲学考案 フッセル 岩波 12 存在と時間 ハイデッガー 中央公論社 13 古事記 角川文庫 14 万葉集 旺文社文庫 15 源氏物語 角川文庫 16 古今和歌集 旺文社文庫 17 歎異抄 講談社文庫 18 日蓮文集 岩波 19 正法眼蔵随聞記 講談社文庫 20 花伝書 講談社文庫 21 本居宣長集 新潮社 22 小泉八雲集 新潮文庫 23 海上の道 柳田 岩波 24 古代研究 折口 中公文庫 7.短編小説ベスト3 1 夢十夜の「第三夜」 夏目 2 蜜柑 芥川 3 駆け込み訴え 太宰 8.思想書ベスト10 1 聖書 新共同訳・日本聖書協会 2 エックハルト説教集 岩波文庫 3 資本論(長谷部訳、青木書店、第一部上) 4 歎異抄(梅原猛校注 講談社文庫)、 5 百人一首(有吉保全訳注・講談社学術文庫)、 6 標注 一言芳談抄(岩波文庫)、 7 諸国物語(森鴎外訳 ちくま文庫) 8 海上の道 柳田 岩波 9 新編銀河鉄道の夜(新潮文庫) 10 ○が国へ・常世へ(折口、中公全集第2巻)、 9.日本思想書ベスト50 1 歎異抄(明治書院) 2 一念義停止起請文 法然(日本古典全集第一回)、 3 一言芳談(日本古典文学大系83)、 4 乞骸骨表 吉備(日本思想大系8、古代政治社会思想 岩波)、 5 九条右○相遺○ 九条(藤原)(日本思想大系8、古代政治社会思想 岩波) 6 傀儡子記 大江(日本思想大系8、古代政治社会思想 岩波)、 7 風姿花伝(岩波文庫)、 8 池坊専応口伝(日本思想大系23、古代中世芸術論、岩波) 9 作庭記(日本思想大系23、古代中世芸術論、岩波) 10 ○が国へ・常世へ(近代日本思想大系22 筑摩) 11 内政充実・地租軽減に関する建言書 木戸(近代日本思想大系30 筑摩) 12 死刑の前(幸徳秋水 近代日本思想大系13 筑摩)、 13 源氏物語玉の小櫛(本居宣長、日本の思想15 筑摩)、 14 御ふみ 蓮如 (東洋文庫)、 15 茶の本 岡倉(近代日本思想大系7 筑摩)、 16 文学論(夏目、近代文庫 創芸社)、 17 日本独特の国家主義(河上、近代日本思想体系18 筑摩)、 18 共産党との訣別(山川、近代日本思想大系19) 19 派遣軍将兵に告ぐ(近代日本思想大系36、昭和思想集2 筑摩) 20 御成敗式目(日本思想大系21、中世政治社会思想・上 岩波)、 21 建武式目(日本思想大系21 岩波) 22 今川仮名目録(日本思想大系21)、 23 早雲寺殿○一箇条(日本思想大系21) 24 毛利元就書状(日本思想大系21) 25 共同被告同志に告ぐる書(近代日本思想大系35)、 26 ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス 森鴎外(鴎外選集11 岩波)、 27 粘土自像 与謝野晶子(近代日本思想大系33) 28 日本の共産主義者へのてがみ 野坂(近代日本思想大系56) 29 日月明し 亀井勝一郎(近代日本思想大系33), 30 転向に就いて 林(近代日本思想大系33)、 31 大殿祭 祝詞(日本古典文学大系1)、 32 毎月抄 藤原(日本古典文学全集、歌謡集 小学館) 33 夢記 名恵上人(名恵上人集 岩波文庫) 34 興福寺奏状 貞慶(日本思想大系15) 35 ○邪論巻上 高(日本思想大系1) 36 徹書記物語 正(日本歌学大系5 風間書房) 37 南方録 南坊(覚書)(日本の茶書1 東洋文庫) 38 鉄眼禅師○字法語(岩波文庫)、 39 葉隠(岩波文庫) 41 自然眞営道 自序と巻の一(日本思想大系45)、 42 経済要録 佐藤(日本思想大系45) 43 啓発録 橋本(講談社学術文庫), 44 おふでさき 中山(東洋文庫) 45 道程 高村(高村光太郎全集1) 46 自殺および復仇の制度 新渡戸(武士道より、岩波文庫)、 47 トーテムと命名、南紀特有の人名 南方熊楠 (南方熊楠文集2 東洋文庫) 48 海上の道 定本柳田国男全集1 49 蜜柑 芥川龍之介全集2 50 銀河鉄道の夜(新修宮沢賢治全集11)、 51 「歎異抄」における日本的霊性的自覚 鈴木(日本的霊性より 岩波文庫)、 52 美しい日本の私 川端 昭和文学全集5 53 信ずることと知ること 小林 考えるヒント3 54 日本の橋(保田) 保田 角川選書 55 胎児の世界 三木 中公新書 56 堕落論 安吾 昭和文学全集12 10.ナショナリズムの書 1 韓山紀行 山路愛山 愛山文集 2 日蓮上人とはいかなる人ぞ 高山樗牛 樗牛全集 3 神風連 石光真清 城下の人 の1章 4 弔鐘 石光 第4「誰のために」 5 日本の歴史における人権発達の痕迹 山路 愛山文集 6 将来の日本 徳富 7 近時政論考 陸羯南 羯南全集 8 国会改造計画綱領 中野正剛 9 大義 杉本五郎 10 近代の超克 竹内 、 11.国家の思想の書 1 族長法と王法 石母田 2 古典における罪と制裁 井上光貞 3 天津罪国津罪再論 石尾芳久 4 天皇制 藤田省三 5 天皇制に関する理論的諸問題 神山茂夫 6 日本国家論 志賀義雄 7 個人意志・階級意志・国家意志の区別と連関 三浦つとむ 8 マルクス主義と国家の問題 津田道夫 9 大衆国家の成立とその問題性 松下圭一 10 天皇制ファシズム論 中村菊男 11 武装せる天皇制 未解決の宿題 林 12 戦時責任と天皇の退位 大山郁夫 13 日本の皇室 津田左右吉 14 天皇の戦争責任 村上、 15 大東亜戦争の思想史的意味 上山 16 「乃木伝説の思想」明治国家におけるロイヤルティの問題 橋川 17 わたしのアンソロジー 鶴見 18 祖国について 石原 19 文化防衛論 三島、 12.文学者への言葉 1 太宰治全集 2 横光利一全集 3 山室静著作集 4 奥野健男文学論集 5 鮎川信夫著作集 6 高村光太郎選集 7 ○谷雄高評論集、 8 島尾俊雄全集 9 大原富枝全集、 13.私の好きな文庫本ベスト5 1 記紀歌謡集(岩波文庫) 2 法然上人集(日本古典全集刊行会) 3 法華経現代語訳(三枝 レグルス文庫) 4 虚妄の正義(萩原朔太郎、講談社文芸文庫) 5 富嶽百景・走れメロス 岩波文庫 14.'93単行本ベスト3 1 アリストス ファウルズ 2 免疫の意味論 3 日本経済・新論 佐貫 15.'94単行本ベスト3 1 知性の愁い セギュール、 2 一遍上人語録(岩波文庫)、 3 悲しみの港 小川 15.戦後詩を読む 1 ?船ホテルの朝の歌 鮎川信夫 2 十月の詩 田村隆一 3 子守唄のための太鼓 清岡 4 革命 谷川 5 賭け 黒田三郎 6 人民ひとり 中桐 7 われらの五月の夜の歌 三好 8 地の人 北村 9 女の自尊心にこうして勝つ 関根 10 理髪店にて 長谷川
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日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) 庄司潤一郎:防衛省防衛研究所戦史部第1 戦史研究室長(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 目次 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1>はじめに 第1 節 盧溝橋事件の発生と全面戦争への拡大1)盧溝橋事件の勃発と拡大要因 2)関東軍の積極介入と北支那方面軍の南下 3)上海派兵 4)南京攻略と南京虐殺事件 5)和平をめぐる葛藤-トラウトマン工作32と9ヶ国条約会議 第2節 戦線拡大と持久戦1)事変解決策の混迷a.徐州作戦と「新興支那政権」 b.宇垣工作と日英協力構想 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2> 第2節 戦線拡大と持久戦2)「長期持久戦」への転換-対峙段階の戦争a.武漢・広東攻略と長期持久体制 b.中国の抵抗 3)東亜新秩序声明と汪兆銘政権の承認a.東亜新秩序声明と汪兆銘の重慶離脱 b.英ソの牽制―日独同盟と天津租界封鎖 4)汪政権の樹立と重慶和平工作 第3節 日中戦争と国際関係1)列国の中国援助と対日経済制裁 2)欧州大戦「不介入」と南進政策 3)日独伊三国同盟と日ソ中立条約 72 4)日米交渉と中国問題a.事変解決と対米交渉 b.中国駐兵問題と破局 1 はじめに 1937 年7 月に勃発した日中間の衝突事件は、全面戦争に発展したにもかかわらず、双方とも41年の太平洋戦争の開始まで宣戦布告を避けたという特徴がある。主な理由は、宣戦布告がアメリカ中立法の適用を受け、経済制裁と同様の効果をもたらす恐れがあったからである。さらに日本では、「戦争」への格上げは事態の早期収拾の妨げとなる、と判断された。日中紛争の長期化は、本来の敵と想定されたソ連や英米との対決に備えるためにも避けねばならなかった。こうして日本は、この戦争を当初「北支事変」と呼び、戦火が拡大した37 年9 月以降は「支那事変」と正式に呼称した。 もう一つの特徴は、全期間に及ぶ無数の和平工作が様々なルートで日本側から試みられたことである。それは早期収拾への期待と焦慮の反映でもあった。しかし、早期収拾への焦慮とは裏腹に戦闘は8 年を越え、宣戦布告による戦争以上に熾烈なものとなり、両国国民に大きな負担と犠牲を強いることになった。とくに戦場となった中国に深い傷跡を遺したが、その原因の大半は日本側が作り出したものといわなければならない。 第1 節 盧溝橋事件の発生と全面戦争への拡大 1)盧溝橋事件の勃発と拡大要因 1937年の華北は、宋哲元を委員長とする冀察政務委員会が河北、チャハル両省を統括していた。この冀察政権は国民政府がいわば「緩衝機関」として設置したという成立事情から、冀東政権とは性格が異なり、支那駐屯軍にはその親日姿勢に不信感を抱く者も少なくなかった。他方、支那駐屯軍による頻繁な夜間演習は宋哲元の率いる第29軍には「挑発行動」と映り、必要以上に冀察政権側の警戒心を煽っていた。 7 月7 日夕刻、豊台駐屯の支那駐屯歩兵第1 連隊第3 大隊第8 中隊は、宛平県城北側の永定河にかかる盧溝橋畔でこの日も夜間演習を行っていた。午後10 時40 分頃左岸堤防陣地の方角から二度の銃撃を受けた。清水節郎中隊長は伝令を送って豊台の大隊本部に報告した。一木清直大隊長は警備召集によって約500 名の部隊を宛平県城近くの一文字山に出動させた。翌8 日午前3 時半頃に一文字山に到着した部隊は竜王廟方面で銃声を確認したため、北平の牟田口廉也連隊長に現状を報告すると牟田口は戦闘を命令した。一木大隊は5 時に攻撃命令を発して戦闘態勢をとる一方、堤防陣地の中国軍を包囲攻撃するため第8 中隊を前進させた。前進する第8 中隊と中国軍との間に戦闘が始まると、一木は5 時半に総攻撃を命じた。この間、二度の銃撃直後から同中隊の兵士一名が行方不明となり、まもなく無事に帰隊したが、その情報はかなり後まで大隊本部などに報告されず、事態を緊迫化させる一因となった。 現地で断続的な交戦が続く中、7 月8 日、参謀本部作戦部長の石原莞爾が療養中の今井清次長にかわって参謀総長に説明し、参謀総長名で事件の拡大を防止するため、「更ニ進ンテ兵力ヲ行使スルコトヲ避クヘシ」と支那駐屯軍司令官に命令した。翌9 日、参謀次長名で、中国軍の永定河左岸 2 駐屯の禁止、謝罪と責任者の処分、抗日系団体の取締り等の停戦条件が指示された。停戦交渉は、北平特務機関と第29 軍代表との間で実施され、7 月11 日、29 軍は(1)陳謝と責任者の処分、(2)宛平県城、龍王廟に軍を配置しない、(3)抗日団体の取締り等の要求を受け入れ、11 日午後8 時に現地協定が成立した 1。 一方、近衛文麿内閣は8日の臨時閣議で事件の「不拡大」を決定したが、不拡大は華北への動員派兵の抑制を意味しなかった。翌9日の臨時閣議で杉山元陸相が内地3個師団派遣の必要を提案した際には、他の閣僚の反対で取りやめとなる。しかし、7月10日に現地龍王廟で再度の衝突が起こると、翌11日の閣議は不拡大・現地解決の方針とともに、陸軍省部の要望を容れ、3個師団の派遣を承認した(実際の派兵は留保)。同日午後6時過ぎの派兵声明は、「今次事件ハ全ク支那側ノ計画的武力的抗日ナルコト最早疑ノ余地ナシ」と断定しつつも、「局面不拡大ノ為平和的折衝ノ望ヲ捨テス」と述べていた 2。 近衛首相は同じ11日夜には言論界、政財界の指導者を集め、国民政府に反省を促すために「関東軍、朝鮮軍それに内地から相当の兵力を出すことはこの際已むを得ぬ」として派兵への全面協力を求めた。近衛は事態の拡大を望んではいなかったが、派兵という強硬姿勢を示すならば「中国側は折れて出る」はずであり、事件は短期間で片付くと信じていた 3。いずれにしても、派兵決定とその公表は同時に進行していた現地の停戦努力を無視する行動であり、その後の現地交渉を困難なものとした 4。 一方、中国の側でも、抗日気運の高まりのなか、妥協的な停戦を受け入れる可能性は狭まっていく。中国共産党は、事件翌日の8 日には、「抗日自衛戦争」の発動と国共合作を要求する通電を全国に発していた。他方、国民政府軍事委員会委員長・蒋介石は、対日抗戦のための内外体制の整備が途上にあったことから、当面事件の平和的解決に重きを置いていた。したがって、7 月17 日の廬山談話(19 日公表)では、外交的解決の期待を込めつつも、事件の解決が不可能となるような「最後の関頭」に立ち至ったときは必ず抗戦する、と決意を述べた 5。 この間、天津では事態解決の努力が継続され、7 月19 日には現地軍間で、中国側が日本側条件を呑む形で排日言動の取締まりに関する実施条項(停戦細目協定)が調印される 6。駐屯軍は21 日、 1 盧溝橋事件の経過については、以下の文献による。秦郁彦『盧溝橋事件の研究』東京大学出版会、1996年、138-211 頁。防衛研修所戦史室『戦史叢書 支那事変陸軍作戦(1)』朝雲新聞社、1975 年〔以下、「戦史叢書」〕、145-51 頁。安井三吉『盧溝橋事件』研文出版、1993 年、141-257 頁。寺平忠輔『盧溝橋事件』読売新聞社、1970 年、54-125 頁。外務省編『外務省執務報告・東亜局 第三巻 昭和十二年(1)』クレス出版、1993 年、第1・2 章。 2 外務省編『日本外交年表並主要文書(下)』原書房、1955 年、366 頁。 3 庄司潤一郎「日中戦争の勃発と近衛文麿の対応」(『新防衛論集』第15 巻3 号、1988 年)78-81 頁。臼井勝美『日中外交史研究』吉川弘文館、1998 年、212-42 頁。 4 天津特務機関員として第29 軍と停戦協議にあたった今井武夫は、「日華双方が局地解決に努力中の、極めて微妙な時機だっただけに、この廟議決定はわれわれ現地の日本側代表の行動を困難にすると共に、他方中国側にも連鎖反応を惹起して態度を硬化させ、両方面に破局的影響を及ぼした」と回想している(今井武夫『支那事変の回想』みすず書房、1964 年、31-32 頁)。 5 日本国際問題研究所編『中国共産党史資料集・第8 巻』勁草書房、1974 年、資料75(434-35 頁) 、84(468-71 頁)。石島紀之『中国抗日戦争史』青木書店、1984 年、59-60 頁。 6 香月清司司令官は「之で現地交渉は完全に纏ったことになったのでありまして、従ひまして支那駐屯軍が中央の指示である不拡大の方針に依って行った現地解決と云ふことは形式上成立した」と判断したという(「香月清司中将回想録」『現代史資料(12)』みすず書房、1965 年、538 頁)。 3 「29 軍は全面的に軍の要求を容れ逐次実行に移りつつあり」として派兵慎重論を東京の陸軍に打電したが、前日の20 日、閣議は華北派遣を容認していた。陸軍省部の要求に応えたものであったが、駐屯軍の意見や参謀本部から派遣したスタッフの現地情勢の報告によって参謀本部は再び派遣を見送った。 しかし、25日、26日と連続して起こった小衝突事件(廊坊、広安門事件)を契機として、陸軍省部は延期していた3個師団の動員実施を決定し、27日の閣議はこれを了承した。駐屯軍は28日に全面攻撃を開始し、翌日には永定河以北の北平・天津地区をほぼ制圧した。その直後に起こった通州事件 7 は、日本の中国に対する強硬な世論を決定的なものにした。 こうした事態拡大にもかかわらず、不拡大方針はなおも堅持され、参謀本部の派兵計画も作戦の範囲を北平、天津に限定することを基本方針としていた。石原作戦部長は、7月末から柴山兼四郎軍務課長と共に外務省や海軍に働きかけ、国民政府の側から停戦を求める可能性を追求した。陸海外3省の間で停戦条件を定めたうえ、在華日本紡績同業会理事の船津辰一郎に上海での中国側との接触を依頼した(船津工作)。船津は8月7日に上海に到着し接触を開始するが、上海情勢の緊迫のため進展しなかった 8。 盧溝橋における最初の発砲事件は「偶発的」であり 9、現地においては局地的解決の努力がなされた。しかし、この衝突事件を好機とみなした支那駐屯軍(のち北支那方面軍)や関東軍は、蒋介石政権の打倒と華北占領という構想を圧倒的な軍事力によって実行していく。現地軍の行動を抑制できなかった大きな理由の一つは、陸軍部内のいわゆる「拡大派」と「不拡大派」の対立にあった。石原作戦部長ら「不拡大派」は、中国との戦争は長期化を免れず、国力を消耗して対ソ軍備に支障を生じ、ソ連の介入を招く恐れがあるとして局地的解決を主張していた。他方、田中新一軍事課長や武藤章作戦課長らの「拡大派」は、事件勃発直後から、国民政府軍に一撃を加え、国民政府の抗日姿勢の転換を迫り、一挙に日中問題を解決するという「一撃論」を展開していたが、こうした一撃論は「不拡大派」を圧倒し、陸軍部内の多数派となるのである10。 事件発生から最も重要な最初の数日間に、外交ルートを通じた接触は南京の日高信六郎参事官と中国外交部との間の数回のみであり、事件処理の主導権は陸軍に握られ、外交当局は無力であった。事件の「拡大」の要因は政府や世論にもあった。上述のように、現地の停戦努力を無視した早い段階での派兵声明、それに同調する近衛首相や「暴支膺懲」一辺倒となるマスメディアの論調などは、日本軍を華北侵略に向かわせる複合的要因であった。近衛内閣も事態の拡大を抑制するより、この 7 北京郊外の通州で、冀東政府の保安隊が約 200 人余の日本人居留民などを殺害した事件。 8 戸部良一『ピース・フィーラー-支那事変和平工作の群像』論創社、1991 年、31-35 頁。 9 日本の研究者は偶発的発砲説が主流であり、中国の研究者には日本軍による計画的発砲説、謀略説が多い。秦『盧溝橋事件の研究』(前掲)は、29 軍兵士による偶発的発砲と推定している(138-82 頁)。安井『盧溝橋事件』(前掲)は、偶発説であるが直後の日本軍の対応を問題としている(168 頁、300-16頁)。 10 前掲、秦『盧溝橋事件の研究』282-339 頁。高橋久志「日華事変初期における陸軍中枢部」(『年報・近代日本研究(7)』山川出版社、1985 年)188-93 頁。「石原莞爾中将回想応答録」(『現代史資料(9)』みすず書房、1964 年)305-13 頁。 4 事件を行き詰まっていた中国政策の打開の好機ととらえ、蒋介石政権の早期敗北を想定して大兵力の派遣を容認し、現地解決の努力を押し流していく。 この間、蒋介石は7 月29 日の緊急記者会見で、今や事態は「最後の関頭」にいたったことを認め、「局地的解決の可能性はまったくない」と、抗戦決意を改めて明らかにし、共産党との提携による対日統一戦線の形成(第2 次国共合作)に向けて両党間の懸案解決に動き出す。蒋介石は統一戦線における主導権掌握をねらった中ソ不可侵条約の締結(8 月21 日)、ソ連の対日参戦の要請(11月26 日)、華北の事態の国際連盟への提訴(9 月12 日)など戦争の「国際化」による最終的勝利をめざすことになる11。 2)関東軍の積極介入と北支那方面軍の南下 事件勃発前、支那駐屯軍よりも強硬な中国政策を東京に迫っていたのは関東軍であった。陸軍省は、5 月末に柴山軍務課長を奉天に派遣し、華北分離工作の停止を求めた四相会議決定「対支実行策」(37 年4 月16 日)を関東軍に説明したが、関東軍は南京政府との国交調整の必要を認めず、武力による「一撃」を説くのみであった12。事変勃発後、関東軍は内蒙工作の促進と中国軍の熱河、チャハル進出を防ぐため、華北作戦と連携した内蒙古における兵力使用を参謀本部に再三具申していたが、不拡大方針の参謀本部は7 月末まで認めなかった。しかし、関東軍の強い意見具申の前に8 月7 日、参謀本部はチャハル作戦を容認した。元来、チャハル作戦はチャハル省内の中国軍を掃滅するため支那駐屯軍が担う作戦であったが、脇役であった関東軍が主役となる主客転倒の作戦と化した。チャハルに派遣された蒙疆兵団は張家口方面に進撃し、8 月末に占領した。その後も関東軍は南下を続け、チャハル、綏遠両省を勢力下に収め、次々に傀儡政権を樹立した。華北・内蒙を中国政府の影響下から切り離し、要地に駐兵権を獲得して重要資源の優先的開発を行うことが目標であった。 一方、華北では、8月31日、支那駐屯軍が北支那方面軍(寺内寿一司令官)に改編される。朝鮮軍や内地から増派を得て8個師団の大兵力となった北支那方面軍は2軍に分かれて南下し、河北、山西、山東の各省に侵攻した。9月末には保定を占領したが、中国軍が退避戦法をとったため作戦目的は達成されなかった。しかし、北支那方面軍は作戦地域を保定-滄州付近と示していたが、勢いに乗じてこれを突破してしまった。参謀本部はこれを追認し、さらに石家荘―徳州の線に拡大したが、北支那方面軍はこの制限線も大きく越えてしまう。そして10月中旬までに石家荘を占領した。保定作戦で終わるはずの攻勢作戦が、北支那方面軍に引きずられて石家荘作戦に発展したのである。さらに方面軍は、南京政府の抗戦意思の挫折のためには、徐州進撃が必要と判断するようになる。 3)上海派兵 11 樹中毅「蒋介石の民族革命戦術と対日抵抗戦略」(『国際政治』152 号、2008 年3 月)76-78 頁。鹿錫俊「世界化する戦争と中国の『国際的解決』戦略」(石田憲編著『膨張する帝国 拡散する帝国』東京大学出版会、2007 年)211-19 頁。 12 臼井勝美「史料解題 昭和十二年『関東軍』の対中国政策について」(『外交史料館報』第11 号、1997年6 月)64-65 頁。 5 海軍の動向に眼を向けると、事変勃発後、軍令部や中国警備を担当する第3艦隊には強硬な空爆論も存在したが、米内光政海相は外交的解決に期待し、水面下で進んでいた船津工作に望みを託していた。しかし、上海での8月9日の海軍将兵の殺害事件(大山事件)は海軍部内の強硬論を刺戟した13。佐世保に待機中の陸戦隊が急遽派遣され、上海は一触即発の危機に陥った。 8月12日、国民党中央執行委員会常務委員会は、戦時状態に突入する旨秘密裏に決定した。14日払暁、中国軍は先制攻撃を開始し、空軍も第3艦隊旗艦「出雲」及び陸戦隊本部を爆撃した。蒋介石が上海を固守するために総反撃を発動したのは、ソ連の介入や列国の対日制裁に期待し、さらに日本の兵力を分散し、華北占領の計画を挫折させるためでもあった14。上海防衛戦には国民政府軍の精鋭部隊が投入され、その兵力は70万人を越え、戦死者も膨大な数にのぼった。 8月13日の閣議は、派兵に消極的であった石原作戦部長らの意見を抑えて、陸軍部隊の上海派兵を承認した15。米内海相も陸軍の上海派兵には積極的ではなかった。しかし、旗艦「出雲」の中国空軍による爆撃によって態度を急転させ、14日の政府声明作成のための臨時閣議では、「不拡大主義」の放棄を主張し、南京占領の提言にも及んだ。8月15日の政府声明は、対ソ戦考慮の観点から、依然、不拡大方針のもとで早期解決に努力すべきであるとする杉山陸相の意見によって不拡大方針の放棄は示さず、南京政府の打倒ではなく「反省を促す」ための出兵であることを強調していた16。 米内の積極的な派兵論への転換は、海軍の強硬姿勢への傾斜に歯止めを失ったことを意味した。15日に下令された上海派遣軍は、純粋の作戦軍としての「戦闘序列」としてではなく、一時的な派遣の「編組」の形を取っていた。その任務も、上海在留邦人の保護という限定されたものであった17。しかし、上海戦は中国軍の激しい抵抗のなかで、事件を局地紛争から実質的な全面戦争に転化させる。 9月末、石原作戦部長は更迭され、後任には下村定少将が就任した。下村は石原と同じく戦争の長期化がソ連介入を招くことを恐れていたが、主戦場を華北から華中に転換し、むしろ積極作戦によって敵の主力軍を潰滅させる短期決戦が必要と考えた18。8月に参謀次長に就任していた多田駿中将もこれを支持した。この積極作戦の第1歩が、11月5日の第10軍による杭州湾への奇襲上陸であった。その直後、上海派遣軍と第10軍が統合され、松井石根を司令官に暫定的に中支那方面軍が編成された。その任務はもはや居留民の保護ではなく、北支那方面軍と同様に敵の戦意を挫くことであった。杭州湾上陸の成功は上海方面の戦況を一変させ、中国軍は退却を開始し、11月中旬、日本軍は上海全域を制圧した。 13 相澤淳『海軍の選択』中央公論新社、2002 年、104 頁。細川護貞ほか編『高松宮日記 第2 巻』、中央公論社、1996 年、530、533 頁。 14 楊天石(陳群元訳)「1937,中国軍対日作戦の第1年」(波多野澄雄・戸部良一編『日中戦争の軍事的展開』慶應義塾大学出版会、2006 年)99,108 頁。楊天石『我尋真実的蒋介石』三聯書店、2008 年、244頁。 15 「中支派兵の決定」(『現代史資料(12)』)364-94 頁。 16 前掲、相澤『海軍の選択』105-10 頁。戦史叢書『大本営海軍部大東亜戦争開戦経緯(1)』朝雲新聞社、1979 年、214 頁。 17 戦史叢書『支那事変陸軍作戦(1)』266 頁。正式な「戦闘序列」の発令は9 月11 日(同書、298 頁)。 18 「下村定大将回想応答録」(『現代史資料(9)』)378-81 頁。 6 しかし、第10軍は、敵の退路を遮断するためさらに追撃を求めた。作戦部は作戦地域を蘇州―嘉興のライン(制令線)の東側と設定した。方面軍は制令線まで急速に進出すると、今度は制令線を撤廃して南京に迫るべきであると主張した19。南京はすでに8月15日から日本海軍による激しい渡洋爆撃に見舞われていたが、南京のみならず上海、漢口など諸都市に対する無差別爆撃は国際的非難を浴びていた。 4)南京攻略と南京虐殺事件 参謀本部では河辺虎四郎作戦課長に加え多田参謀次長らが、さらなる作戦地域の拡大に反対していた。部内では制令線を撤廃し、南京攻略に向かうか否か激論となった。結局、中支那方面軍の再三の要求が作戦部の方針を南京攻略に向けさせた20。 11月15日、第10軍は「独断追撃」の敢行を決定し、南京進撃を開始した。松井中支那方面軍司令官もこれに同調し、軍中央を突き上げた。参謀本部では多田参謀次長や河辺作戦課長が、進行中のトラウトマン工作を念頭に、南京攻略以前に和平交渉による政治的解決を意図していたが、進撃を制止することは困難であり、12月1日、中支那方面軍に南京攻略命令が下った。12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。翌13日、南京を占領した。 この間、中国政府高官は次々に南京を離れ、住民の多くも戦禍を逃れ市内に設置された南京国際安全区(「難民区」)に避難し、また、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた21。 国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。首都衛戍司令官に任命された唐生智は、当初は南京の死守方針であり、松井司令官の開城投降勧告を拒否したが、12月11日、蒋介石から撤退の指示を受けると、12日に各所の防衛指揮官に包囲突破による撤退を命じた22。しかし、計画通り撤退できた部隊はわずかで、揚子江によって退路が塞がれ、中国軍は混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた23。 中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定 19 井本熊男『作戦日誌で綴る支那事変』芙蓉書房、1984 年、161-79 頁。 20 南京戦史編集委員会編『南京戦史』(増補改訂版)偕行社、1993 年、17-20 頁。 21 孫宅巍主編『南京大屠殺』北京出版社、1997 年、72-73、83 頁。笠原十九司『南京事件』岩波書店、1997 年、120 頁。米国メディアの報道(南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』青木書店、1992 年、387-388、390、394、431-432、473-475 頁など)。 22 唐生智「南京防衛の経過」(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅰ』(増補改訂版)偕行社、1993年)623-26 頁。蒋介石の南京死守作戦の強行は、ソ連の軍事的介入を期待していたため、とする指摘もある(笠原十九司「国民政府軍の構造と作戦」中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』中央大学出版部、2005 年、281-82 頁。前掲、楊「1937、中国軍対日抗戦の第1 年」116-18頁。前掲、楊『我尋真実的蒋介石』240-41 頁)。 23 唐司令官は、陣地の死守を命じ揚子江の無断の渡河を厳禁し、違反者は武力で制圧したため、同士討ちが始まり、多くの兵士が徒死するにいたった(前掲、孫宅巍主編『南京大屠殺』70-71、76、78 頁。臼井勝美『新版 日中戦争』中央公論社、2000 年、83-85 頁)。 7 して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している25。 日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ 26、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38 年1 月4 日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった27。 虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている28。戦後、極東国際軍事裁判で松井司令官が、南京戦犯軍事法廷で谷寿夫第6 師団長が、それぞれ責任を問われ、死刑に処せられた。一方、犠牲が拡大した副次的要因としては、中国軍の南京防衛作戦の誤りと、それにともなう指揮統制の放棄・民衆保護対策の欠如があった29。南京国際安全区委員長のジョン・ラーベは、唐司令官は「無分別にも、兵士はおろか一般市民も犠牲にするのではないか」と懸念し、中国国民の生命を省みない国民政府・軍首脳の無責任さを批判していた30。 さて、首都南京の占領は「勝利者」意識を日本の朝野に広め、事変の収拾方策や和平条件に大き 24 秦郁彦『南京事件』中央公論社、2007 年増補版、317-19 頁。 25 日本で刊行された最も包括的な資料集は、南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅰ、Ⅱ』(増補改訂版、偕行社、1993 年)であり、第16 師団長・中村今朝吾の日記、上海派遣軍参謀長・飯沼守の日記、歩兵第30 旅団長・佐々木到一の手記、中支那方面軍司令官・松井石根の陣中日記などを収めている。 26 石射猪大郎東亜局長は、38 年1 月6 日の日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か」と記していた(伊藤隆・劉傑編『石射猪太郎日記』中央公論社、1993 年、240 頁)。 27 前掲、『南京戦史』(増補改訂版)398-99 頁。 28 前掲、秦『南京事件』103-07 頁。捕虜の取扱いも、殺害、解放、労役と部隊により異なっていた(原剛「いわゆる『南京事件』の不法殺害」軍事史学会編『日中戦争再論』錦正社、2008 年、139-55 頁)。北博昭『日中開戦』中央公論社、1994 年、54-68 頁。笠原十九司『南京難民区の百日』岩波書店、1995年、25-54 頁。 29 孫宅巍(笠原十九司訳)「南京防衛軍と唐生智」(藤原彰ほか編著『南京事件を考える』大月書店、1987年)153-58 頁。前掲、楊「1937、中国軍対日作戦の第1 年」113-22 頁。笠原十九司「南京防衛戦と中国軍」(洞富雄ほか編『南京大虐殺の研究』晩聲社、1992 年)214-41 頁。 30 ジョン・ラーベ(平野卿子訳)『南京の真実』講談社、1997 年、83-90 頁。なお、日中の「建設的対話」と「共通の理解」という観点から事件をとらえた研究として、楊大慶「南京アトロシテイズ」(劉傑ほか編『国境を越える歴史認識』東京大学出版会、2006 年、139-68 頁)。 8 な影響を与えた。近衛内閣が12月末の閣議で決定した「支那事変対処要綱」にも華北や上海周辺を政治的にも、経済的にも日本の強い影響下におくという、勝利者としての意識が反映している31。 5)和平をめぐる葛藤-トラウトマン工作32と9ヶ国条約会議 事変の収拾に関する日本政府の基本的立場は、あくまで日中間の問題として解決し、第3 国の斡旋や干渉を排除するというものであった。しかし、9 月に入り、長期戦の様相となると、軍事目的の達成に応じて「第三国の好意的斡旋」を活用する和平も視野に入ってくる。まず名乗りをあげたのはイギリスであった。9 月中旬、新着任のクレーギー駐日大使が仲介の可能性について広田弘毅外相に打診を行い、広田は具体的な和平条件を提示している。それは、華北の非武装地帯の設定、排日取締と防共協力を条件に華北政権の解消と国民政府の行政容認、満州国の不問などであった。これらの条件は蒋介石に伝えられたが、国際的な圧力や制裁を期待する蒋は受諾に否定的であった33。このとき国際連盟では、中国政府の提訴を受け9 月中旬から日中紛争を審議中であった。 その連盟総会では、中国代表・顧維鈞が日本の侵略行為に対し、国際的な緊急措置を訴えていたが、賛同する加盟国はソ連のみであり、日華紛争諮問委員会にこの問題を委任することとなった。諮問委員会は日本の行動を9 カ国条約違反とする報告書を総会に提出し、9 ヶ国条約会議の召集を勧告した。諮問委員会に非加盟国として参加していたアメリカの要請によるものであった。10 月6日総会はこれを採択し、連盟の勧告により10 月15 日、開催国ベルギーが中心となりブリュッセル会議(9 ヶ国条約会議)が呼びかけられた。一方、10 月5 日ローズヴェルト大統領は、こうした連盟の動きに呼応して直ちに参加を表明し、いわゆる「無法国家」を非難する隔離演説を行ったが、アメリカの意図は集団的圧力による調停にあって、具体的な制裁行動ではなかった34。 一方、欧米諸国による事変介入を警戒していた日本は、10 月22 日の閣議で不参加を決定した。不参加声明では、日本の行動は「支那側ノ挑発ニ対スル自衛手段」と主張したうえで、「両国間ノ直接交渉ニ依リテノミ之ヲ解決シ得ル」という立場を改めて表明した35。他方、広田外相は10 月27 日、各国大使に不参加理由を説明した際、閣議決定を踏まえ、第3 国の「好意的斡旋」は受諾の用意がある旨を通報したが、実際に和平条件を提示したのはドイツだけであった。 ドイツによる和平斡旋は参謀本部が熱心に取り組み、石原作戦部長の了解のもとで情報部員がドイツ大使館側と頻繁に接触していた。それが奏功し、10月下旬には上海で駐華ドイツ大使トラウトマンに和平条件が提示される。一方、東京では、陸軍の要望を容れた広田外相が駐日ドイツ大使ディルクセンに対し、クレーギーに示したと同様の和平条件(10月1日首相・陸・海・外の4相決定)を中国側に伝達するよう要請していた。11月初旬、トラウトマンは日本側の和平条件を蒋介石に伝 31 臼井勝美「日中戦争と軍部」(三宅正樹編『昭和史の軍部と政治(2)』第一法規出版、1983 年)74-5頁。 32 トラウトマン工作については、前掲、戸部『ピース・フィーラー』第2・3 章、劉傑『日中戦争下の外交』吉川弘文館、1995 年、第2 章。 33 前掲、戸部『ピース・フィーラー』67-71 頁。 34 入江昭『太平洋戦争の起源』東京大学出版会、1991 年、67-71 頁。上村伸一『日本外交史 第20 巻 日華事変(下)』鹿島研究所出版会、1971 年、170-75 頁。 35 前掲『日本外交年表並主要文書(下)』372-75 頁。 9 えるが、開催中であった9ヶ国条約会議の対日制裁に期待していた蒋はこれを拒否した。 その9ヶ国条約会議では顧維鈞が、経済制裁や抗戦継続のため中国への物的援助などの具体策を訴えるものの、参加各国はそれぞれの思惑から制裁措置を躊躇し、対中援助にも、一方への援助は停戦の可能性を閉ざすとして大半の国が慎重であった。結局、11月15日の本会議は対日非難の声明を採択して事実上終了した。 9 カ国条約会議が実効的な行動をとることなく11 月下旬に閉幕したこと、さらに上海戦における敗勢は蒋介石の態度を変化させる。12 月7 日、蒋はディルクセン大使を通じて、日本側の和平条件を基礎として交渉に応ずる意思を伝えたが、広田は最近の情勢変化は講和条件の変更を必要としている、として即答を避けた。南京攻略が迫っていたからである。 しかし、日本の朝野には、南京の陥落は国民政府の崩壊をもたらすであろう、という戦勝気分が横溢し、蒋政権はもはや和平の相手ではなくなっていた。とくに現地軍や関東軍には、蒋政権が降伏に応じないのであれば、その正統性を否認し、新たな中央政府を育成すべきである、とする主張が勢いを増してくる。他方、参謀本部は、南京陥落が蒋政権の降伏や崩壊にはつながらず、戦争の長期化を招くのみとし、この機会に比較的寛大な条件によって講和すべきであると考え、こうした考え方がトラウトマン工作を支えた。しかし、政府首脳の意見は、蒋政権の弱体化や崩壊を前提として厳しい講和条件を要求するか、あるいは、もはや蒋政権を否認し、講和交渉自体の必要性を認めないか、いずれかに収斂していく。 一方、国民政府のなかでも日本との講和をめぐって議論が分かれたが、最終的に38 年1 月2 日、蒋介石は、ドイツの調停を拒否し、抗戦を貫くことを決定した36。 1月11日には参謀本部の要請によって日露戦争以来の御前会議が開かれる。参謀本部は御前会議開催について、「戦勝国が敗戦国に対し過酷な条件を強要する」ことを戒める意味がある、と説明した。指導者たちは「戦勝国」としての意識につつまれ、和平条件が中国にとって受け入れ難いものとなったことを示している37。参謀本部は最後まで交渉による和平を主張するが、1月15日、政府は最終的に交渉の打ち切りを決定した。 こうして南京陥落という絶好の日中講和の機会は失われてしまう。1月11日の御前会議決定によれば、和平が不成立の場合、「帝国ハ爾後之ヲ相手トスル事変解決ニ期待ヲ掛ケス、新興支那政権ノ成立ヲ助長」する一方、国民政府の潰滅を図るか、または新興政権の傘下に吸収することになっていた。1月16日、この方針の下で「対手トセス」声明(第1次近衛声明)が発表される38。 36 前掲、楊「1937,中国軍対日作戦の第1年」118-19 頁。 37 「昭和十三年一月十一日御前会議に於ける参謀総長、軍令部総長、枢府議長の説明要旨」(『現代史資料(12)』395-398 頁)。 38 数日後、「対手トセス」とは、「国民政府ヲ否認スルト共ニ之ヲ抹殺セントスル」ものと補足説明された(『日本外交年表並主要文書(下)』、387頁)。 第2節 戦線拡大と持久戦 1)事変解決策の混迷 10 a.徐州作戦と「新興支那政権」 南京占領後、参謀本部作戦課は38年夏までは新しい作戦を実施しない方針(戦面不拡大)を固めていた。しかし、北支那方面軍は徐州付近の主力軍を包囲殲滅する作戦に固執し、執拗にその必要性を訴えたため、河辺作戦課長が北京に赴き、ソ連の介入に警戒を強める必要から占拠地域の安定的確保が急務と説得したが、華北の各軍は受け入れなかった39。徐州作戦は38年4月初旬に発動され、5月下旬に徐州を占領した。しかし、中国軍は日本軍が包囲網を完成する前に退却戦術をとったため、中国軍主力の包囲殲滅という目的は達成できなかった。 徐州占領後、近衛首相は内閣改造を行い、外相に宇垣一成を、陸相に板垣征四郎を任命した。改造後の近衛内閣は、6 月10 日には休眠状態であった大本営政府連絡会議に代えて五相会議(首相、蔵相、外相、陸海相)を設置し、事変の早期解決のため方策を改めて審議する。 蒋介石否認政策を前提とする中国政策は、現地軍の指導によって華北・華中の占領地に続々と作られた新政権(「新興支那政権」)を国民政府に代わる中央政権として育成する一方、国民政府を崩壊させるか、あるいは国民政府を新政権の傘下に吸収することであった。 問題は南京陥落によっても蒋政権に変化が見られないことであった。政府・軍部内には、中央政権の早期樹立を避け、国民政府との直接交渉を重視する指導者も少なくなかった。宇垣外相がそのような立場であった。他方、なおも国民政府の軍事的圧迫による瓦解、あるいは謀略工作による蒋介石の下野に期待する指導者は、現地軍の主張に同調していた。板垣陸相がその代表であった。また、蒋否認論を強硬に主張した関東軍も、中央政権の樹立には直ちに賛同しなかった。関東軍は華北・内蒙の自治政権樹立を優先し、過早に親日政権を糾合して中央集権化を図るより「分治による統一」の必要性を主張した40。五相会議は、まず、蒋政権が「屈服」(蒋の下野や転向)すれば、新中央政権の構成分子として認めるとの方針を打ち出し、限定的ながら和平交渉の可能性が生れるが、最大の問題は「新興支那政権」の基盤が弱体であったことである。38 年3 月、中支那方面軍が南京に樹立した中華民国維新政府も同様であった。 b.宇垣工作と日英協力構想 この間、外務省の石射猪太郎東亜局長は38 年6 月の意見書で、新興政権の合流による新中央政権樹立論や、臨時・維新両政府に国民政府を合流させる方法は、蒋の下野を前提としたもので現実性がなく、国民政府を正統政府として認め、漢口攻略までに和平交渉を開始するという「国民政府相手論」の推進を外相に進言している41。 石射の「国民政府相手論」に賛同していた宇垣外相は、38 年6 月の国民政府行政院長・孔祥煕の秘書・蕎輔三と香港総領事・中村豊一との接触を機として、国民政府との和平会談の実現に向け熱心に取り組む(宇垣・孔祥煕工作)。中村・蕎輔三会談は7 月までに6 回に及び、蕎輔山は、蒋 39 戦史叢書『支那事変陸軍作戦(1)』483-87 頁。河辺作戦課長はまもなく転出するが、河辺の転出によって作戦部内の「不拡大思想は完全に一掃」されたという(前掲、井本『作戦日誌で綴る支那事変』202-03 頁)。 40 前掲、戸部『ピース・フィーラー』168-88 頁。『続・現代史資料(4)陸軍:畑俊六日誌』みすず書房、1983 年、148-49 頁。 41 外務省編『外務省の百年(下)』原書房、1967 年、315-37 頁。 11 と孔が協議したとする和平条件を示すなど積極的な姿勢を示した。日本側が蒋の下野を必須条件としたため交渉は難航したが、中村は宇垣の意を汲み、実質的な蒋下野の棚上げ案など柔軟な姿勢をもって臨んでいた。他方、宇垣は他のルートにも関心を寄せ、とくに萱野長知を仲介として同じ孔との接触をはかっていたが、9 月末に突如として辞職し、和平工作も頓挫する。宇垣の辞職の原因は明らかでないが、国民政府を交渉相手とする宇垣の和平工作に、近衛首相をはじめ国内の支持が得られなかったことが一因であった42。 他方、この宇垣外相のもとで、中国に関する日英協力をめざした外交工作が進展している。この日英協力路線は、近衛改造内閣に入閣した池田成彬蔵相を中心としたもので、懸案問題を日英間で解決し、日本の優位の下で中国に「講和」を迫り、戦後経営も日英協力によって行う、というもので、財界や元老など「親英勢力」の支援も得て宇垣外相による外交工作の一環となる。イギリス側では、「穏健派」が対日関係の修復、さらに日中調停をも視野に入れ、クレーギー大使が宇垣と交渉に臨む。しかし、日中直接交渉を重んずる宇垣はイギリスの仲介には消極的であり、交渉は進展しなかった43。 42 前掲、戸部『ピース・フィーラー』213-52 頁。 43 松浦正孝『日中戦争期における政治と経済』東京大学出版会、1995 年、第3 章。前掲『続・現代史資料(4)』157 頁。Anthony Best, Britain, Japan and Pearl Harbor Avoiding war in East Asia, 1936-1941(London Routledge,1995),pp. 55-60. 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2> 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
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東北新幹線のトラブルの背景 その4 写真は、昭和26年4月25日、燃える国鉄の列車 桜木町駅手前50米 終戦直後の混乱期の一連の事故は、歴史の教科書の記述から抹消されている。 その中でも、朝鮮戦争の最中に起きた「桜木町事件」の惨劇は言語に絶するものだ。(写真参照) この事件は、日本人の記憶からも忘れられている。教科書には勿論載っていない。余りに凄惨な事故だけに、「歴史」から抹殺したいのであろう。 昭和26年4月25日、毎日新聞は、一面トップで次のように報じた。 「24日、午後1時40分ころ国電京浜東北線赤羽初桜木町駅行き下り電車が、終点桜木町駅手前50メートル手前に差し掛かった際、架線が垂れ下がっていたため、5両連結の内最前部車輛のパンタグラフがこれにからみ、木製屋根に接触して発火、火は瞬時にして屋根から内部にまわり、前部1両は火だるまとなった。」 真昼間の横浜桜木町の高架線上で、国電が炎上し、106名が電車の中で焼死、92人が重傷を負った。想像していただきたい。テレビのない時代、真昼間の高架線上の満員電車の中で、200人近い乗客が、生きながらに焼殺された。目撃者によると、「瞬時」に火が電車の内部にまで回ったという。常識で考えても、いくら屋根が板葺であったとしても、ショートの火花で、屋根全体がアット言う間に火焔で包まれることが可能か? 何か油でも屋根に撒かれていたとしか考えられないのだ。火の回りが早過ぎる。事故当時の警察発表は、架線を支える絶縁碍子が破損していて、このため架線と碍子のボルトが接触、発火したとされる。「破損が工事人の故意か、過失かが調査されている」と毎日新聞の報道していた。 不幸にもこの焼けた電車の窓の構造は、窓からは逃げようのない、上に引き上げる三段ガラス窓で、しかも窓枠に桟がついている「モハ六三型」だった。非常ドアのコックは、当時は座席の下にあった。満員電車の阿鼻叫喚の大混乱の中で、一体誰が冷静にこのコックの存在を知って、これを開くことができただろうか? ドアが仮に開いても、高架線上だ。数メートル下に落下して、命を落とす可能性の方が大きい場所だった。これらのリスクの集中が、すべて「偶然」起きることだろうか? この25日の毎日新聞の1面は、前日、4月24日に行われた市町村選挙で、「保守陣営」が大勝したことを報じている。 「決戦は6市、社会党は大阪、横浜市で破れ、名古屋市も保守陣営をぬくことができず、三大都市で敗北。」と。またその同じ紙面で、「共産軍の南進続く」との見出しで、連合軍総指令官リジュウェイ中将が「決戦」の決意、の記事が出ている。 時代こそ、昭和26年の「米軍占領下」、と平成23年の「大震災被災」の違いこそあれ、二つの事象を並べてみると、状況は似ている。 昭和27年、日本がサンフランシスコ条約を締結し、国際社会に復帰した翌28年、徳田は、中国で客死と伝えられた。徳田の出身は沖縄だが、役割が終わったという意味でも、それが「運命」だったのであろう。 中共の対日工作要領は、「工作者は、最終行動者ではなく、隠れた使嗾者、見えざる指揮者であらねばならない」としている。 新幹線事故と国鉄事故の酷似 平成23年4月25日 東日本大震災被災下、東北新幹線の 保護線垂れ下がり架線ショート・停電、 24日の統一地方選挙で、民主党敗北。 事故の2週間ほど前、この保護線の断線部分を修理していた。 昭和26年4月24日 朝鮮戦争下、桜木町での京浜東北線の 架線垂れ下がりショート車輛大炎上、 24日の地方選挙で、社党敗北。 架線の垂れ下がりは、修理箇所の碍子の破損があった。 偶々? それとも、歴史の繰り返し? 東北新幹線のトラブルの背景 その3 八高線事故現場(昭和22年2月25日、東飯能~高麗川間で起きた) 話は終戦直後に遡る。昭和20年10月、戦前解散させられていた日本共産党が合法化された。 昭和23年9月、「朝鮮民主主義人民共和国」ができた。 朝鮮半島の動きに呼応するように、日本では同じ9月、「全国学生連合会」が結成され、当時東大生だった日本共産党の上田耕一郎元副委員長、不破哲三前委員長の兄弟も参加していた。 「日本共産党の書記長徳田球一は、昭和24年1月の総選挙で35議席を得て躍進したことから、革命実現と大号令をかけた。 それが、末端党員のハネ上がりを生み、GHQの警戒を招いた。」 (俵孝太郎著、「敗戦・占領下の日本の歴史」 新紀元社)。 徳田球一は、昭和25年に朝鮮戦争の最中に、中国に逃れた。 共産党合法化直前、終戦直後の昭和20年8月24日八高線(八王子―高崎)で転覆事故(死者105名、負傷者67名)があった。 同じ八高線で、またしても昭和22年2月25日、転覆事故(死者184名、負傷者497名)があった。 共産主義者によるとみられる破壊活動が連続した。 いずれも国鉄職員の解雇問題が絡み、裁判で最高裁まで争われた。 しかし、結局いずれも、実行真犯人はよくわからないままに終わった事件だった。 昭和24年7月に、東京三鷹で「三鷹事件」(三鷹駅で無人電車が暴走し死者が出た)、 足立区綾瀬付近で「下山事件」(国鉄総裁下山貞則氏の死体が常磐線綾瀬駅付近で発見された)、 翌月8月には、福島県松川町で「松川事件」(枕木のボルトが抜かれて列車が転覆、運転士3人が死亡)が連続して起こった。 三鷹事件の「鷹」の字は、未だに「常用漢字」ではない。「三鷹市」の市名をはじめ「鷹揚」、「上杉鷹山」、「鳶が鷹を生む」など人口に膾炙した名句・名君で使用される漢字だ。なぜ「常用漢字」ではないのか? 「三鷹事件」への連想を断ち切ろうとする、悪質な左翼の妨害行為が、65年後の今日なお、文部科学省と国語審議会の中に影響力を働かせているとしか考えられないのだ。 (つづく) 東北新幹線のトラブルの背景 その2 写真は、昭和26年4月25日、燃える国鉄の列車 桜木町駅手前50米 国鉄には、民営化に至る戦後30年の間に、人員整理をめぐり、労働組合に潜む破壊勢力が介在していたと見られる鉄道事故が繰り返された「歴史」があった。 「社会不安を高める」ことは、中国共産党が、日本の工作員に指令しているところだ。 国鉄の終戦直後の一連の大事故は、歴史教科書には書かれていない。 書かれた歴史が消されれば、人々の記憶から失われ、「歴史」はなかったことになる。この一連の事故は、今や年金受給者になる団塊世代がまだ幼児期の出来事だった。学校では教えてもらっていないので、そういう事実があったことすら、知らない人が大多数なのだ。 実に、127百万人の日本国民の90%の一億人がそういう「歴史」を知らない時代になってしまった。 日教組は労働組合「連合」の傘下にある。 GHQの勧めで発足した教職員組合は、昭和22年6月には、全国組織化された。 その年の4月から、6.3.3.の新学制が実施されていた。この時代は、左翼の政治思想の濃かったGHQ民政局や、社会党の影響力が特に強かった。その時代の影響下で、昭和24年1月に「教育公務員特例法」が制定された。 学校教員が政治的活動しても「罰則を受けない」という邪悪な法で、今日なお生きている。 この法によって、今日まで、平然と左翼思想教育が子供に施されてきた。 この法律が実施された昭和24年1月の総選挙では、法案を推進した社会党が敗北して、日本共産党が35議席を獲得して躍進した。 日本共産党をリードする書記長徳田球一は、共産主義の革命意識を高揚させた。 共産党の志賀義男は「学校教育で時間をかけて共産革命を起こせると言っていた。」(屋山太郎「日本の教育 ここが問題だ」海竜社) 左傾化した日教組の支配する学校教育の中で、国鉄の「鉄道事故」は消された。 民族の宝である書籍の「焚書」は、その民族に対する最悪の冒涜行為である。大東亜戦争後、マッカーサーの占領軍は、戦前の日本民族の主張や思想を記した書籍を8000冊近くも焚書したことが近年に明らかになった。 「焚書」があったことすら、伏せられていて、殆どの日本国民は知らなかった。 これらの鉄道事故を伝える書籍で、図書館に僅かに残されたものであっても、意図的になれば、左翼偏向思想をもった館員が秘かに処分してしまう危険もある。事件を扱った書籍が図書館で処分される。そのようなことが起きれば、鉄道事故の「歴史」は、完全に日本人の記憶からなくなってしまう。 今、左翼民主党政権の鳩山前首相が提案者になり、「国会図書館恒久平和調査局」を設置する法案が用意されている。国会図書館長に、平和や戦争に関する図書の調査や、日本軍を糾弾する情報収集権を全国の知事に付与するものだ。 「歴史」抹殺法案とみなさざるを得ない。 左翼民主党の政策は、元社会党の左翼共産主義者が牛耳っている。 今、日本国解体を目指す法案や条約、声明などが、大震災を隠れ蓑に、つぎつぎと国会に提出されている。 菅首相が「石にかじりついて」「一人になっても」と嘯いている間に、「マニフェスト」には掲げられていない民主党内部の政策集「インデックッス2009」が、日本国民が、東北新幹線開通を喜んでいる間に、国会に提出されている。 産経新聞は、4月29日、「地域主権改革3法案」「日韓図書協定」が衆院を通過したことを伝えている。 (つづく) 東北新幹線のトラブルの背景 その1 写真は、昭和24年7月三鷹駅構内での列車暴走事故現場 4月29日、東北新幹線が東日本震災後の全線で再開通した。 目玉の「はやぶさ」も走った。宇宙の果ての惑星「イトカワ」との間60億キロを往復した惑星探査衛星と同名の超特急「新幹線」の快走。沿線至るところ歓喜の声。まるで凱旋将軍を迎えるようだ。それほどに、東北の人々によって待ち望まれた新幹線の再開通だったのだ。 このように待望された東北新幹線が、地震で運行停止に追い込まれ、全線再開通するまでの間、不安と焦燥、ストレスの溜まる日々を過ごした人も多かったはずだ。 そういう新幹線の開通の裏で、何か隠されたドラマはなかったのか、「歴史上」の出来事との連関はないのか、現象面からの対比を試みた。 3月5日、東北新幹線の営業運転開始日に遅延 一番列車が東京駅を発車する際、男が線路に落ちて出発が7分遅れた。終着駅の新青森に近づいたら、今度は子供がトイレで非常ブレーキを懸けて緊急停止。 4月25日、大震災後の営業運転再開日に緊急停止。 「東日本大震災」の復旧工事が終わり、営業運転が再開された福島県内で、保護線が弛んで架線と接触ショートして停電、最大3時間半遅れた。 共に、東北新幹線の慶事日に起きたトラブルだ。 子供の悪戯とか、物見客で混雑したホームから男が線路に落ちた、いかにも偶然の出来事のように見える。 マスコミは勿論、子供の悪戯や落ちた大人の事故扱いだ。が、視角を変えてみれば、待望されていた新幹線の立ち会いに、 「待った」、をかける悪意の作為はなかったのか、という疑問もある。 人の考えることは、時代が変わっても変わらないものだ。歴史は繰り返す。労使の関係は、時代が変わっても基本的に変わらない。一方は攻め、一方は守る。テーマによって、攻守、所を変える。 労働組合にあっては、「経営に対して実力を示す」ことは、常日頃、怠りがあってはならない。さうでなければ、「慣れ合い」関係は維持できない。 表の労使協調、裏の労使緊張の関係だ。 労組の協力なくして、会社の運営は円滑にできない。鉄道は国民の大切な足。その足を混乱させることは、経営に対する労働組合の力の誇示だ。JRがまだ「国鉄」だった昭和40年代、国鉄や鉄道会社の労組のストライキがよくあった。賃上げ交渉とストは、春の恒例行事だった。 昭和48年の3月のストでは、首都圏に通うサラリーマンは2日も3日も、通勤の足を奪われ、会社やホテルなどに泊まり込んだり、ストをしない私鉄を乗り継いだり、自転車、或いは自動車に分乗して、散々苦労して勤務先に通った。 皆、国鉄と私鉄のストライキの前に忍耐した。 しかし、私鉄の一斉ストは、この年を最後になくなった。 昭和48年10月にオイル・ショックがあった。時代が変った。このオイル・ショック後の翌年、サラリーマンの賃金は、原油の値上がりを織り込んだ物価の高騰を反映し、平均的に3割も嵩上げされた。さらに、その後は、設備合理化による生産性の向上から、日本経済は発展し、労働条件が向上する変化があった。 春闘と鉄道ストの風物誌は終わった。 ところが、国鉄は別だった。国鉄には「動労」という、左翼が支配する強硬な労働組織があった。 国鉄は、国営である。よって、法律上は「ストライキ」は認められていない。そのストライキ権獲得を目指して、ストライキ権獲得のストライキ、いわゆる「スト権スト」が、昭和50年11月実施された。しかし、時代は既に変わっていた。国民の理解を得られず、国鉄ストは結局、1週間で労働組合の敗北で終焉した。 この10年後、昭和62年(1987年)に国鉄は、「JR」に3分割され、民営化された。民営化されたJRでは、賃上げ要求のストはなくなった。 しかし、ストに代わり、技術上のトラブルという訳の分からない運行停止は、今でもしばしば発生している。 発生場所はわかっても、その発生原因は不明とされるコンピューターのシステム障害だ。終日、首都圏の電車が動かない日もある。 ストはなくても、「システム障害」があれば、簡単に列車の運行停止はできるのだ。 新幹線も、自然災害、ハプニング事故、あるいは、システム障害で止まる。 中国共産党の対日工作員の工作戦術は、「工作者は、最終行動者ではなく、隠れた使嗾者、見えざる指揮者であらねばならない」としている。 (つづく)
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《歴代の戦争》 勝ち 負け 唐 vs 日本+百済 (白村江の戦い) イスラム帝国 vs 唐 +高句麗人の総大将 (タラス河畔の戦い) 日本 vs 元 +高麗 (元寇) 明 vs 日本 +朝鮮 (文禄の役) 日本 vs 明 +朝鮮 (慶長の役) 清 vs 明 +朝鮮 (明滅亡) 日本 vs 清 +朝鮮 (日清戦争) 日本 vs 露 +朝鮮 (日露戦争) ソ連 vs 日本+朝鮮 (シベリア出兵) 米英仏蘭支ソ+伊 vs 日本+台湾+朝鮮+独+伊 (第2次世界大戦) 北ベトナム vs フランス(第1ラウンド)南ベトナム+アメリカ+韓国(第2ラウンド) (ベトナム戦争) 日本+台湾 vs フランス +韓国 (高速鉄道) 番外編(引き分け) アメリカ+韓国 vs 中国+北朝鮮 (朝鮮戦争) イラク+北朝鮮 vs 多国籍軍 +韓国
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登録日:2009/05/26(火) 20 28 21 更新日:2024/06/08 Sat 23 35 47NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 どうしてこうなった グダグダが積み重なった 信濃 兵器軍艦 大和型 大和型戦艦 大日本帝国海軍 悲劇 戦艦 空母 聯合艦隊 航空母艦 軍事 いや〜大和といい武蔵といい、大和型の船って格好いいな! 同士発見wあの巨大な体格に威厳溢れる船体がたまらないんだよな …おい にしても空母の世だったんだから、空母に改造すれば当時最強だったろうにな〜 あ〜、それ俺も思ったわ。全く何で戦艦ばっかり重視したんだ日本海ぐ… おいっ! \ここにいるぞ〜!/ 読み しなの 竣工1944年11月19日 戦没1944年11月29日 除籍1945年8月31日 全長:266.1m 速度:27.5ノット 基準排水量:62,000t 信濃は旧日本海軍が保有していた改造空母の一隻である。 改造空母の常で、鳳・鶴・鷹・龍など飛翔動物の名前をつけるという空母の命名規則から外れた艦名を持つ。 同じような経緯で旧国名を名に持つ空母として加賀がある。 あの大和の姉妹艦の一つである。 建造の経緯 その前身は、大和型戦艦三番艦に当たる110号艦である。 同型艦として111号艦が計画されていた。 戦艦として完成した場合、それぞれ昭和19年〜昭和20年初頭完成予定だった。 が、 太平洋戦争開戦により、 間に合うかボケェェ! \(`д´) || ( ) ていうかもう出来てる船の修理や改装が優先だろJK …という極めて常識的な判断で、早々に建造中止されてしまった。 その末路は悲惨で、110号艦はとりあえず進水出来る所まで造ってドッグを空けるべと 完 全 に 邪 魔 者 扱 い さ れ、 船底までしか出来ていなかった111号艦は、解体するのも面倒とばかりにそのまま放置され、後にその上で小型の艦艇を造るという絨 毯 や ら カ ー ペ ッ ト 扱 い で あ る 。 ___┌(┐^ω^)┐___ ┌( ┐ ̄ ̄´ω`)┐ 運命の転機 このまま放置され、朽ちていくかに見えた110号艦。 あるいは、その方が彼女にとって幸せだったかもしれない。 運命の5分間。太平洋戦争最大の転換点。 ミッドウェイ海戦により日本の空母機動部隊は甚大な被害を被り、その補充が急務となった。 間の悪い事に、直近で就役予定の空母は大鳳のみという切迫した状況だったがゆえに、以下の計画が持ち上がった。 雲龍型とその改型15隻(五〇〇一号~五〇一五号艦)及び改大鳳型5隻(五〇ニ一号~五〇ニ五号艦)の追加建造、 予め空母に改造する事を前提としていた空母予備艦の艦種転換、のみならず既存艦艇の空母転用、 そして…未成艦艇の空母への大改造である。 そう、信濃に空母への改造の為のメスが急遽入ったのである。 というのも、当時信濃が占拠していた横須賀工廠のドッグが雲龍型を2隻同時に建造できるほど巨大なものだったのだが、どかすにも解体するにも中途半端に出来上がっていた為「どうせならこいつも改造しちまえ!」と言わんばかりの判断があったのだ。 この結果、雲龍型の五〇〇二号艦と五〇〇五号艦の建造がキャンセルされている。 劇的改造!ビf(ry 空母への当初の改造計画では、 「固有の艦載機は無し」 「強靭な飛行甲板と装甲板」 「航空機用の補給物資を大量に積む」 など、他空母や陸上の航空基地から発進した航空機を補助する、移動する不沈の中継基地として特化した機能を持たせる目論見だった。 しかし、この案は上層部が猛反発したため却下、護衛として固有の艦載機を持つ事となった。 ただし、既に戦艦としてかなりの部分が完成していた上、格納庫を工期短縮の為に一層にした事からその図体の割に艦載機は少ない。 42機~50機で、烈風・流星・彩雲の機種構成だと45機の搭載が予定されていた雲龍型と余り変わらない。 経歴 1944年11月19日竣工 1944年11月29日10時57分竣工から僅か11日目にして潮岬沖にて沈没 (死因は敵潜水艦アーチャーフィッシュによる雷撃死) 以上 アレ短くね( ゜Д ゜)? この時、駆逐艦雪風、磯風、浜風が見守っていた。 おい護衛仕事しろ(´Д`) とは言う物の、信濃の回航の際、雪風含む護衛の駆逐隊は、歴戦の経験から潜水艦が怖いから昼間に陸岸近くを行こうと言ったのに、決定権のある信濃艦長の阿部大佐が空襲が怖いからと夜間の沖のコースを選んでしまったのが運の尽き。 信濃の近くでちょろちょろする浮上中の潜水艦の姿も目視や通信傍受によって確認し、浜風が肉迫したり、雪風らが砲撃して追い払おうとしたが、これまた「速力差で潜水艦を振り切る選択が最善」と判断した阿部大佐によって中止される。 被雷後も信濃は工員と新造艦ゆえの訓練未熟な乗組員によるダメコンがうまく機能せず、徴兵等による熟練工不足や現場の士気低下、度重なる予定の繰り上げからくる突貫工事のため防毒区画の試験のみならず水密試験も省略していた信濃の運が悪いとしか言えない。 加えて、この時激戦のレイテ沖海戦から戻ってきたばかりで休息を取らせて貰えず、水中探信儀が故障したままで、さらに指令駆逐艦浦風と谷井駆逐隊司令も失っていた雪風以下第十七駆逐隊のせいにするのはあまりに酷かもしれない。 その上、間の悪いことに米軍側に対潜航行のルートの取り方は筒抜けであり、速力的にはアーチャーフィッシュに1ノット勝っていたが、 対潜航行をした所、追撃を諦めかけていたアーチャーフィッシュの目の前に身を晒す形になってしまった。 そしてアーチャーフィッシュ艦長・エンライト中佐の判断で態と発射時の深度を浅く設定した雷撃が、沈み込んだバルジの直上のノーガード部分に直撃してしまった。 また逆に信濃艦長の判断ミスとする意見もあるが、護衛戦闘機が付けられなかったことなどの事情もあり、空襲を恐れて夜間航行を選んだことにも充分説得力がある。 要はどの判断にしても対応できるだけの余力がもう残っていない状況で、後は結果論にすぎないという話である。 なお、これは「処女航海から沈没まで」世界最短時間記録である。最短航海距離記録は信濃の半分しか走らなかった青函連絡船。 また、信濃は就役当時「世界最大の空母」であり、米国の原子力空母エンタープライズ完成までこれを保持していた。 つまり、信濃たんは二つのタイトルホルダーだったのだ! ☆検死☆ 十分な水密検査をしていない バルジにコンクリートを流し込んだ事が原因で位置が最適化されていたバルジが沈み込んでしまい、ノーガードの部分が出来てしまっていた。 工期の遅れを取り戻す為様々な予定の繰り上げ(防毒区画・水密区画のテスト省略等) 隔壁が工事用の配管が邪魔できちんと閉まらない 半ば強引な改造だった為、艦内構造が複雑化していた 缶が半分しか動かない 艦の水平を保てない というハード面で未完成だった上、 経験不足な乗組員 見張り不足による敵潜の見過ごし 艦長が船の性能を過信して退避を拒否して目的地に向かわせる と、ソフト面でもメタメタな惨状である もはや人災に近い沈み方であった。 お陰で潜水艦に撃沈された最大の艦という肩書きを得てしまうことに。 結局、放置プレイとどちらが幸せだったのだろうか… 余談だが、重巡洋艦どころか下手な旧式戦艦よりも余程重装甲で、横っ面には大和型戦艦から半減されたとはいえ200ミリの装甲が施され、飛行甲板は500kg爆弾による降下爆撃の直撃に耐えられる。 さすがゴッグ!何とm(ry) 艦隊これくしょん -艦これ-には2018年冬現在実装されていないが、浜風など一部の艦娘が信濃に言及している。 太平洋戦争に参加した日本戦艦・軽巡洋艦・重巡洋艦が2015年までに信濃以外全て実装されている現状において、多くの提督は信濃の実装を心待ちにしている。 他方、信濃実装は艦これのサービス終了フラグではないかと恐れる声も・・・ 『アズールレーン』では2020年のイベントで信濃が最高級URキャラとして実装(日本語版CV:能登麻美子)。見た目は銀髪狐耳和風美女で、作中では巫女であり夢を通じて他の可能性世界を体感する特殊感覚を備えている。 なおこっちでは2022年に武蔵が実装されたが、大和は存在こそ確定しているものの2023年現在未実装となっている。 吉岡平の『宇宙一の無責任男』シリーズの『ワングの逆襲』とそのリメイク版『無責任提督タイラー』では、「作中の自陣『惑星連合』の宇宙軍艦には史実での未成艦・計画艦等由来の名を付ける」という命名法則から、天才技術士官トオル・ジョーニアス・ヒラガーによって設計され、軍拡プラン「八・八艦隊計画」のフラグシップとなった人工知能搭載新型戦艦「信濃」が登場。 …が、事もあろうに試運転時に歴戦の軍人からの猛攻練習に恐怖した人工知能が暴走した上連邦の対立勢力ラアルゴン帝国からの離反者ワングの手に渡り連合と帝国双方に多大なる被害をもたらしてしまい、最終的に一時(信濃の不安定性や強奪犯が分かる前に疑いを掛けられ)信濃暴走の件で大幅に降格されていた主人公タイラーの信濃に対しての問答によって崩壊。これにより宇宙に長く続いていた連合VS帝国の星間戦争は休戦を迎え、タイラーの階級も回復しさらに昇進した八・八艦隊計画は休戦もあってあえなく没となったが。 なお信濃に安全確認を十分取ってないコンピュータを搭載したヒラガーの責任も問題となったが、人格はアレでも才能は本物なので彼はその後も(リメイク版後日談では信濃による被害の賠償も兼ねて)軍での兵器開発を続けている。 信濃たんみたいに身体的な意味で大工事した人の追記・修正を待っています☆ △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 信濃は改大和型1番艦とも呼ばれ、戦艦として完成した場合過剰防御だった装甲板が10ミリずつ削減される代償に、艦底が二重三重化され、防御上の欠陥だった舷側装甲の継ぎ目が補強される予定だった。年次が進んだ分装甲の品質も若干向上している。武蔵でも不十分だった旗艦設備も拡張され、正に大和型戦艦の完成形になるはずだった。 -- 名無しさん (2013-09-02 17 37 59) なお、装甲を半減した空母状態でもクッッソ重いのは、船体のバランスをとるためコンクリートが封入されたから。本来重たい砲塔込みで設計しているので当然だが -- 名無しさん (2013-09-02 17 41 55) 大鳳が出オチだとしたらこれは舞台に上る前に終わってた -- 名無しさん (2014-06-18 12 18 21) 大和型は不遇って印象だが、産まれてから死ぬまでここまで悲惨ってのはねぇ・・・ -- 名無しさん (2014-06-18 12 31 55) 日本の装甲空母が沈んだ原因はどっちもアから始まる米潜水艦なんだよね… -- 名無しさん (2014-07-25 20 16 45) 潮岬沖の深海に沈んでるんだっけ。完全な形で残ってるらしいし、是非発見して欲しいな -- 名無しさん (2014-07-25 20 34 07) 大鳳信濃も最期がギャグにしか見えない -- 名無しさん (2014-08-20 16 34 53) 雲龍型二隻とトレードオフする形で建造再開したのにこんな最期なんて無念だなあ -- 名無しさん (2014-11-24 19 25 19) 「くそ、陽炎型の駆逐艦だ、あいつは死神だ。」 -- 死なの (2015-01-24 20 27 44) アーチャーフィッシュ「せっかくの獲物なのに誰も援軍に来ないから沈めちゃったよ…」 -- 名無しさん (2015-03-22 14 43 39) 仮に完成できていたとしたら、残された舞台は海上特攻のみだった。その場合は可能な限りの戦闘機を詰め込んで囮となって大和の突入を助けるという使い道ならば、というのが架空戦記の定番だな -- 名無しさん (2015-03-22 14 59 57) 乗組員も戦争末期の人手不足で未熟者ばっかりだったのがまた不運 -- 名無しさん (2015-04-02 14 58 25) ↑5雲龍型も間に合わなかったんだから同じ事。というか、ミッドウェー後の緊急増産型航空艦で間に合った船はほとんどない -- 名無しさん (2015-06-15 23 42 23) 日本海海戦に信濃って名前の船いなかったっけ? -- 名無しさん (2015-06-16 10 05 31) ↑対馬海峡を目指すバルチック艦隊を発見した仮装巡洋艦の信濃丸かな。 -- 名無しさん (2015-06-16 18 28 36) ↑、その信濃丸は第一次大戦どころか大東亜戦争も生き延び結局、戦後解体されるまで生き残ったというのに -- 名無しさん (2015-06-30 02 24 35) しかもアメリカ側は戦後になるまでこの艦の大きさを知らなかったという… -- 名無しさん (2016-01-29 15 15 07) 隼鷹型と間違えた説、タンカーと間違えた説、軽巡改造空母と間違えた説(信濃川という川があった)とか諸説あるな -- 名無しさん (2016-01-29 15 17 58) なんとか生き残ったとしたら最大の復員船として少しだが貢献できたかな -- 名無しさん (2016-08-03 12 59 28) ハイスクールフリートでは戦艦として建造されている。あの世界、航空機がないからな。 -- 名無しさん (2018-04-11 13 18 24) 将来にわたって海上自衛隊の護衛艦の名前に使われる事がないだろう旧日本軍の軍艦。 -- 名無しさん (2018-04-11 13 19 59) ↑陸奥の名前を継承した結果が散々なことになったからまず使われないだろうな -- 名無しさん (2018-12-01 18 53 59) 艦これに収録しようにも艦これでは搭載機数の多さが強さだから史実再現のスペックでは制空権もとれずに攻撃機もすぐ枯らされる。おまけに大和型もワンパン大破が当たり前だから重装もたいして強みにならない。特殊な仕様かif改装が入らない限り空母としてはとても役に立たんぞ -- 名無しさん (2023-12-13 08 39 45) 『龍神の艦隊』なら……ゲッター線浴びちゃったような仮想戦記だけど -- 名無しさん (2024-01-06 18 54 06) 生存した『信濃』の乗組員は戦後のインタビューでこう振り返っている。 「泳げない人がたくさん乗っていた。徴兵とか応召(応援召集)で来たばかりで、泳ぎを全くやったことがない人もいて。これが気の毒でね……」 「せめて南方へ行って少しは戦ってみたかったね。命はともかく」 「情けなかった。あんな船持ちながら敵の船一隻も沈められなくて、自分の船がやられたのが情けなかったなあ。全く戦争せずに沈められて……」 「『信濃』は幻の船になっちゃったんですね。そうは(『大和』や『武蔵』のようにもっと広く知られて欲しいとは)思いませんね。それなりの働きがなかったというだけですよ」 -- 名無しさん (2024-06-08 23 35 47) 名前 コメント
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い イ 【い】 (鉄道) 客車の等級記号。旧一等車。「イロハ」のイ。 飯田町 【いいだちょう】 (鉄道) Iidacho 西に音羽グループ、南に神保町グループ、他に新潮社や角川書店など出版社に囲まれたその中心に、印刷工場が集中していたため、当然紙を供給しなきゃならんわけで。そのため、飯田町貨物駅があり、中央線にパルプを満載したワムを連ねた貨物列車が走っていた。近年は、印刷工場の郊外移転により輸送量が減り、廃止となった。中央線の旅客駅は「飯田橋」、ね。元は、旧甲武鉄道の東京側のターミナルだった。 → 音羽グループ、神保町グループ、ワム 飯塚 雅弓 【いいづか まゆみ】 (声優) Iidsuka Mayumi 唯一、直接見たことがある声優さん。とってもかわいい人でしたっ。その声、けっこー気に入ってます♪ 『Kanon』(DC)では、沢渡真琴で出演。「わぁーっ、何すんのよぉ!」というセリフが「あう」よりもお気に入りだったりして。 → DC、Kanon、あう イーハトーブ 【いーはとーぶ】 (コトバ) 岩手をエスペラント語読みにすると、こーなるらしい。宮澤賢治が好んで使ってたコトバ。エスペラント語は、世界共通の言語とすべく考えられたものだが、結局広まるどころか、廃れてしまい、知る者はほとんどいなくなってしまった。 → 宮澤賢治 硫黄島 【いおうじま】 (軍事) Iwoujima 東京都小笠原村の島のひとつ。1945年1~3月に日本軍と連合軍がこの島をめぐり激戦を繰り広げた。結果、3月大本営は玉砕を公表。連合軍はB-29の前線基地として占領した。戦後はアメリカが統治し、1968年6月、日本に復帰。現在は海上自衛隊の航空基地が設置されていて、一般の人の上陸は、原則慰霊祭のときのみになっている。ちなみに、戦前は1,000人程度の人が住んでいたものの、軍の作戦のため強制的に疎開されている。アメリカ海軍の艦艇に「イオージマ(Iwo Jima)」がときおり付いてるけど、これは大東亞戦争の激戦を祈念してつけられたもの。「オキナワ」ってのもあった。 → B-29 行先方向幕 【いきさきほうこうまく】 (鉄道) 法令により、前面もしくは側面に必ず、その列車の行先を掲示しなければならない。過去においてはボード、近年までは幕式となり、裏から蛍光灯をつけて夜でもわかりやすく表示するのが一般的だった。終着駅に着くとぐるぐると回って、折り返しの行先を表示するが、その間にいろんな行先が見れて、すっごく楽しかった。時には、普段は行きそうにもない行先が現れたりして、ワクワクしながら見ていたものだった。JRでは、前面には列車種別だけが表示される例もあり、表示に関してはあまり統一的ではない。485系や183系などの特急イラストマークも側面と連動して、いろんな絵柄を出していた。これからはLEDの時代。ボタン一つでパッと表示が変わってしまい、とても味気ない。加えて、写真も撮りづらいという一面もある。 生きてた 【いきてた】 (コトバ) Alivinig! mi-sa.さんが手にしてたものを落としてたときに言うコトバ。決して自分のせいにはしない。だからって、「箸が生きてた」とか「えんぴつが生きてた」と言うのは……。 池澤 春菜 【いけざわ はるな】 (声優) Ikezawa Haruna かわいい! 2002年、NHKのBS普及マスコットキャラクター、きらりの声を充てていた。2003年度はETVフランス語講座にも挑戦。ゴシック調のドレスが似合ってた。作家、池澤夏樹の実娘。 伊豆急行電鉄 【いずきゅうこうでんてつ】 (鉄道) 伊東と伊豆急下田を結ぶ私鉄。臨時ながら、特急は伊東線を介して東海道本線を東京までさかのぼる。その特急に使われるのが2100系EX。普段は、普通列車に使われている。他は、JR東日本から115系を譲ってもらい、改造した200系を使っている。観光立地なので、不況にとても弱いのがネック。東急が建設し、いろんな面倒も見てきた。2002年からは東急の子会社となって再建を目指す。 → 2100系 いすゞ自動車 【いすずじどうしゃ】 (バス) Isuzu Motors Ltd. 大型車両のメーカー。その以前は自家用車も作ってた。117クーペは名車中の名車。 出渕 裕 【いずぶち ゆたか】 (A G) Izubuchi Yutaka アニメのメカデザイナー。『機動戦士Zガンダム』がデビュー作だったような。その後、数々のロボットアニメのメカデザインを手がけ、さらにはイラストレーターとしても活躍する。 → ブチメカ イズミカワ ソラ 【いずみかわ そら】 (音楽) Izumikawa Sora キングレコードのアニメ・ゲームメディア系のレーベル、スターチャイルドをメインに活躍されているコンポーザーさん。歌詞に英語を並べないのが特徴。声優さんのナンバーも多く手がけている。本人も「泉川 そら」として歌ってるんだけどね。ちなみに、広島県出身という縁もあってか、RCCのラジオでレギュラー番組を持ってたりもする。これが、めちゃおもしろい。 → RCC、スターチャイルド 伊勢崎市 【いせざきし】 (地理) Isezaki City あれだけ広い街なのに、公共交通機関が少ない。まだ平坦だから何とかなるものの、みんなクルマに乗るか、自転車。駅も便利とはいえない。ここの人たちはどーやって過ごしているんだろうか? それでも、ここが、東武伊勢崎線の終点の街なんである。こんどはクルマで行くか。 伊勢崎線 【いせざきせん】 (鉄道) Isezaki Line 浅草から北へ向かう路線は、東武伊勢崎線。日光へ向かうっていうイメージが強いけれど、実は伊勢崎に向かうほうがメインなんである。身を捩じらせながら下町を行き、豪快な複々線区間を駆け抜け、やがて複線、そして単線になる。浅草から離れるにしたがって、列車本数は減り、伊勢崎口では1時間に1本程度になる。しかも、その終点伊勢崎駅は、運営をJRに委託。パスネットで行くのが、ちょっち心苦しかった。 → パスネット いただきました 【いただきました】 (鉄道) Get 鉄道写真で、無事に撮れたときに使うコトバ(用例:TES81、瀬野八でいただきました)。「撮る」を「盗る」に引っ掛けた言葉遊び。主に撮鉄が使う。たまに写真と引き換えに命を落とすバカもいる。これでは「いただいた」ことにはならない。同様に、国立公園内の樹木を枝を折ったり、私有地に無断で立ち入った場合、写真と引き換えに三面記事に載ることになる(ついでにカメラを持っている手が後ろに回る)。そこまでして撮りたいか? 一太郎 【いちたろう】 (パソ) Ichitaro 金ちゃんラーメンと並ぶ、徳島県の名産品のひとつ。ジャストシステム社の日本語のワープロソフト。一時期は隆盛を極めたが、今では役所関係ぐらいでしか見かけない。ATOKはなんか使いにくい。 → ATOK、Word 一級河川 【いっきゅうかせん】 (地理) 国土交通省が、国土を維持するために重要だと考えられる河川に対して指定するもの。北海道以外は、おおよそ2つ以上の都道府県にまたがって流れる河川が指定されているケースが多い。本流が一級河川ならば、その支流も一級河川で、国土交通省河川局が直々に管理する。ちなみに「本流」とは、合流する河川の中でもっとも長い川をさす。なので、地元の概念とちがってるケースもある。 → 二級河川 一式陸攻 【いっしきりっこう】 (軍事) 旧日本海軍の一式陸上攻撃機のこと。全長約20mの双発攻撃機で、終戦まで主力爆撃機として使用。長距離の航行ができ、なおかつ大量生産が可能な要求を満たすため、防弾装備を省かざるを得ず、さらには大量の航空燃料を搭載していたため、攻撃を受けると一撃で火を吹くという有様だった。なので、「ワンショットライター」とか「一式ライター」なんて呼んでたらしい。1943年2月、この一式陸攻に山本五十六連合艦隊司令長官が搭乗していたが、ソロモン上空でアメリカ軍のロッキード P-38 ライトニングによって撃墜された。1945年、沖縄戦で特攻機「桜花」を吊るして飛んだのものの、これ。もともと800kgしか搭載できないのに、2t近くあった「桜花」を吊るすとは……。当然、攻撃されても回避できるはずもなく、多くが任務を果たせないまま、狙い撃ちされて「桜花」もろとも海へと散っていった。単体では大型双発機とは思えない機動性があって、特に大東亜戦争開戦当初は大活躍したんだけどね。ちなみに、「攻撃機」ってなってるけど、用途は爆撃機。ところが、旧海軍は急降下爆撃可能な機体のみを「爆撃機」と呼んでいたので、「攻撃機」となる。スマートなスタイルで、mi-sa.の好きな飛行機ではある。しかし、こういうスマートなのが戦争の道具というのは……。 → 桜花 一食 【いっしょく】 (コトバ) 1F Diner 渋谷にあるNHK放送センターの1Fにある食堂のこと。TVスタジオが多くある関係上、ドラマ撮影の合間に、そのままの衣装で食事を摂る役者さんも多く見られる。チョンマゲ姿で定食に食らいつく姿は、なんだか滑稽。ちなみに、5Fにある食堂は「五食(ごしょく)」と言われている。食堂は、それなりの規模の施設・事業所にたいていあって、それぞれその施設内独自の呼ばれ方をしている。これを書き集めるのも楽しそうである。 → NHK放送センター、五食 いっしょのクラス 【いっしょのくらす】 (履歴) Same Classroom mi-sa.さんは、「ともだちといっしょのクラスになる」という経験がない。なので、自分のクラスにはいられなくて、休憩時間は別のクラスの教室にいたりした。 いつの人? 【いつのひと?】 (その他) よく言われる。年齢不詳か? ちなみに、年下に見られる。 一般的なユーザー 【いっぱんてきなゆーざー】 (その他) その一部は、作り手も思いもしなかった使い方をして、それでクレームを言いつける。設計者や、売りつける側も低姿勢になって、商品説明を工夫しているが、こういう人たちは、そんなモノ見やしない。 → マニュアル 糸崎駅 【いとざきえき】 (鉄道) Itozaki Sta. 広島県内にある山陽本線の駅。何の変哲もない利用客の少ない駅だけど、運転上は、岡山鉄道管理局と広島鉄道管理局の境に位置している、とても大きな意味を持つ駅で、以前は客貨車区や機関区もあった。本州最後の大型蒸機の基地として覚えている方もおられるのでは。現在はJR西日本の岡山支社と広島支社の支社界。逆に、ずっと以前は大阪鉄道管理局と門司鉄道管理局の境界だった。その名残で、全国紙やスポーツ新聞などはここで大阪と福岡に分かれる。いろんな意味での境界になっている。構内は旧機関区の留置線が広がる。以前は貨物列車も発着していたが、現在は廃止。がらーんとした雰囲気である。ずっと以前は、ここが「三原駅」だった。 → 三原駅 い抜きことば 【いぬきことば】 (コトバ) 漢字にすると「居る」を表すコトバを略して使うコトバのこと。文法的にはあやまりらしい。mi-sa.は、さりげなくよく使ってる。「イ」が入ったことで、そのコトバってなんかチカラを持ったカンジがするでしょ? なので、使わないようにしてる。 居眠り運転 【いねむりうんてん】 (鉄道) たとえ運転士が寝ていても、列車は止まる。これがクルマとの大きなちがい。でも、寝てはいけない。2003年、山陽新幹線で居眠りをした運転士がいた。高速運転時は人は眠くなるというメカニズムがあるんで、クルマを運転する人も注意。っていうか、そのことは教習所で習うよね? 覚えてる? ちなみに、運用の都合上、朝のブルトレに乗ってから、夕方まで乗務がある、なんてこともたまにあるらしく、クルマの「居眠り運転」とは要因がまったくちがうという事実は、あまり知られていない。 居残り 【いのこり】 (コトバ) 残業のこと。みんな帰っちゃって、ひとりでぽつんと作業……。さ、さびしい……。なので、mi-sa.の場合、「残業」ではなく「居残り」と言う。 イモ 【いも】 (鉄道) Orient Peach 広島電鉄の宮島線直通車の旧塗装のこと。オリエントピーチという色だったんだけど、なぜかイモ(さつまいも)の色に見えたことから、部内や一部のファンからこう言われている。いまでも3000形で見られる。このため「イモ=3000形」という人もいる。 → 広島電鉄 妹 【いもうと】 (その他) My Dear Sister 小さかった頃、兄上と一緒に「いもうとがほしいっ」って、親に言ったことがある。いまにして思えば恥ずかしい話である。ふしぎと姉への願望はなかった。その頃から、妹属性に目覚めてた? 「妹」なんで、性的欲求を求める気はない。 → 兄上 妹 【いもうと】 (A G) My Dear Sister 『Sister Princess』の「妹」たち。可憐(桑谷 夏子)、花穂(望月 久代)、衛(小林 由美子)、咲耶(堀江 由衣)、雛子(千葉 千恵巳)、鈴凛(神崎 ちろ)、鞠絵(柚木 涼香)、白雪(横手 久美子)、千影(川澄 綾子)、春歌(かかず ゆみ)、四葉(半場 友恵)、亞里亞(水樹 奈々)。声優さんたちも、mi-sa.からしてみれば「妹」のような年齢差があったりする? 『D.C.』では、「世の中1ダースの妹がいるって話だぞ」というセリフがある。 → D.C.、Sister Princess いるか 【いるか】 (鉄道) JR西日本283系のこと。非貫通タイプの先頭車のフォルムがいるかに似ていることから。 → くじら いるか 【いるか】 (その他) Dolphin 部屋には、いるかグッズがたくさん。「イルカ」とか「ドルフィン」と書かないのがmi-sa.的。「海豚」なんて、もってのほか。 隠語 【いんご】 (コトバ) Slang ヲタクとかマニア同士の会話で盛んに使われるコトバ。使うこと自体決して悪いとはいわないけれど、誉められたものではない。元は業界用語に起因することが多いが、そうでないものも少なくない。また、差別的なイミを隠すために使われる「厨房」とか「ヒッキー」などの2ちゃんねるコトバも、その類に含まれると思う。……、外では使わないほうがいいぞ。 → 2ちゃんねる インストラクター 【いんすとらくたー】 (パソ) Instructor パソコン教室で、パソコンの使いかたを教えてくれる人のこと。ソフトや内容により、教える時間は様々だけど、ふしぎとどれをやっても時間があまってしまう。なので、インストラクターは、いろんなネタを仕込んできて、話すことで時間をつぶしている。それでもどうしてもあまる時は、ともかく受講者に操作をさせる。数日にわたる講義の場合は、服装にも気を配らなければならない。ちなみに、女性は肌の露出を抑えるように。男性はスーツ一辺倒っというのはどうかと思われる。mi-sa.的には、Windowsはトラッドな、Macintoshはカジュアルな印象がある。
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龍然大東祭(りゅうぜんだいとうまつり)は、龍然封龍然路で10月18〜23日に開催される大東神宮の例大祭であり、秋祭りである。 由来 龍然封成立以前、北大東島で行われていた大東宮例祭と南大東島で行われていた豊年祭が、龍然成立後の神社合祀により一つになった祭である。 元々、両島の神社とも天照大御神を主神とし、9月22日から9月23日の同日程にかけて例祭が行われていたこともあり、 大東祭は、龍然政府によって島民の団結心向上のために最も早く企画された政策の一つである。 両島の例祭は、沖縄県では珍しく島内の集落がそれぞれ御輿や山車で練り歩き、八丈島や沖縄県の他の地域からの移住者の文化が融合した独特の祭事であった。 境内では八丈太鼓と三線の演奏に合わせて沖縄角力と江戸相撲の奉納演舞が行われた。 龍然成立以降は、封民の祝祭日となり、祭の執行部に封政府による補助金が支給されるようになったことで、徐々に規模が大きくなり、年々観光的な側面が強くなっている。 第1回の大東祭では、北川啓三という振り付け師が大東太鼓のリズムに合わせて踊る、やや早いテンポの創作エイサー「念仏廻し」を考案し、 以降、巨大な山車に乗った大東太鼓と三味線の囃子に合わせて、踊り手がこの「念仏廻し」を踊りながら、神輿と街を練り歩くのが恒例となっている。 開催状況 10月22日〜23日にかけて開催されるが、年々開始日が前倒しされ、日数が増える傾向にある。 昼間は境内にて八丈太鼓と三線の演奏に合わせて沖縄角力と江戸相撲の奉納演舞が行われ、夜には山車の運行再開に合わせて、念仏廻りの踊り手と神輿衆が街を練り歩く。 最終日には花火大会が催される。開催にかかる費用は、約2億2000万円。基本的に雨天決行だが、強風時には日程延期となる。 運行ルート 山車と神輿は祭1日目の夕方頃に金刀比羅大社、秋葉大社からそれぞれ1基ずつ出発し、大東神宮表参道の中央で掛け合いを行う。 祭2日目の夕方頃、大東神宮から山車と神輿が表参道から合流し、三基の掛け合いと太鼓の合奏が行われた後、それぞれ元の境内に戻り、祭りが終了する。 大東祭への参加 運行に関して基本的な運営(山車の運行、囃子方)は各出陣団体によって賄われる。 それ以外の重要なファクターとして山車の上で太鼓をたたく子供と踊り手(廻り手)がある。 廻り手に関しては正式な装束をまとってさえいればどの団体に参加しても自由であり、観光客でも参加することができる。 県内のスーパーやデパートなどでは、一式5000円程度で販売されている他、山車の運行ルート上には衣装のレンタルを行っている所もある。 こういった所では衣装の着付けもしてくれるので気軽に廻り手として参加することができる。
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水天メンバーの最古の記録 半分十二支wikiからのコピペ 最近の戦闘の間の説明もほぼこぴぺ 2006年12月1日、石田さんがタクラテジーを始める ブリティッシュ時代に約15戦で軍神にまでのぼりつめる。 十二支とキンズ戦学校が戦争を始めました。 2007/1/17 17 38 楽進さん初登場。そして兵力up 十二支弐と十二支が戦争を始めました。 2007/3/6 20 55 曹操さん初登場 しかし十二支弐に来る前にけいすさんが大将つとめる毘沙門天にいた 天下大吉と十二支が戦争を始めました。 2007/2/28 20 54 鳳凰さん初登場 おなじく十二支に来る前に織田弾正さんが大将つとめる鳳凰虹にいた 毘沙門天と十二支が戦争を始める。 2006/11/16 1 35 甘寧さん初登場。分割前の12/23にはすでに兵力UP 十二支wikiにはこれより古く、詳しい記録がなく結果のみのこる。 水天の前身、十干 さらに十干の前身十二支弐の戦跡をここに記録す 分割直後の戦 十二支弐と十二支が戦争を始めました。 2007/3/6 20 55 十二支と十二支弐の戦争は十二支弐の勝利で終わりました。 2007/3/9 17 56 1戦1勝0負 元譲隊が十二支弐の大将就任 朱建平と十二支弐が戦争を始めました。 2007/3/12 19 05 勝敗の記録なし。おそらく敗北? 十二支弐と朱建平が戦争を始めました。 2007/3/13 17 16 終了日時不明。敗北。 3戦1勝1負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/3/17 18 24 鳳凰さんの兵力750到達。 エアムーンと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/3/18 20 54 4戦2勝1負1不明 ここからか不明だが甘寧さん一時隠居 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/3/18 20 56 エアムーンと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/3/20 11 50 5戦3勝1負1不明 十干と譽蓁が戦争を始めました。 2007/3/21 18 09 譽蓁と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/3/24 9 39 6戦4勝1負1不明 十干と大東亜共和国が戦争を始めました。 2007/3/29 20 14 誤爆撤兵により早期終結 大東亜共和国と十干の戦争は大東亜共和国の勝利で終わりました。 2007/3/30 9 43 7戦4勝2負1不明 十干と繚乱乱舞が戦争を始めました。 2007/4/5 11 47 終了日時不明。勝利 楽進隊600へ 8戦5勝2負1不明 十二支と十干が戦争を始めました。 2007/4/11 19 07 第二次十二支VS十干 十干と十二支の戦争は十二支の勝利で終わりました。 2007/4/16 0 42 9戦5勝3負1不明 十干と天空×字拳が戦争を始めました。 2007/4/24 18 35 鳳凰隊誤爆撤兵。楽進隊参戦 敗北 10戦5勝4負1不明 終了日時不明 十干と繚乱乱舞が戦争を始めました。 2007/4/27 18 18 趙雲さん、屍さんが十二支へ。 他面子はtoyuuさん、元譲さん、竜王町さん、 神威さん(暁さん。焔魔大将だったものの自然消滅) 烈風さん(いわゆる公然わいせつ) 八兵衛さん(おそらく水戸・助・梟さん) 馬岱さん 鳳曹楽 確認 曹操さん、楽さん。共に兵力750へ 繚乱乱舞と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/4/29 9 38 11戦6勝4負1不明 十干と大黒天が戦争を始めました。 2007/4/30 20 31 曹操さん参戦 鳳凰さん参戦 大黒天と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/5/3 14 41 12戦7勝4負1不明 十二支と十干が戦争を始めました。 2007/4/11 19 07 鳳凰さん参戦 曹操さん参戦 大将元譲さん以外すべて被撃破 終了日時不明、敗北。 13戦7勝5負1不明 十干と大黒天が戦争を始めました。 2007/5/18 3 47 元譲・暁隊・楽進隊・曹操隊・竜王町隊 参戦 大黒天と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/5/20 9 07 14戦8勝5負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/5/20 9 10 レインさん登場(現毘沙門) 楽進さん参戦 鳳凰さん参戦 楽進さん兵力1000到達。 エアムーンと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/5/22 20 23 15戦9勝5負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/5/23 8 01 行動切れで敗北 元譲・楽進隊・鳳凰隊・曹操隊・竜王町隊・レイン隊 登場 鳳凰さん兵力1000到達 レインさんさん兵力750到達 エアムーンと十干の戦争はエアムーンの勝利で終わりました。 2007/5/25 21 57 16戦9勝6負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/5/26 5 28 元譲さん・キキさん・烈風さん・竜王町・曹操さん・レインさん 登場 エアムーンと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/5/27 15 47 17戦10勝6負1不明 十干と繚乱乱舞が戦争を始めました。 2007/6/1 21 23 詳細なし 繚乱乱舞と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/6/3 19 53 18戦11勝6負1不明 十干と大東亜共和国が戦争を始めました。 2007/6/7 15 57 強豪を相手にやはり苦戦 楽進さん、竜王町さん、暁さん、鳳凰さん、元譲さん、烈風さん確認 生存者3名で勝利。 元譲さんが撃破したかった部隊を 鳳凰さん通常でさらに兵力減らそうと一撃入れたら撃破してしまう。 元譲さんの叫び 鳳凰ぅぅうぅうぅうぅあうぁうぁうがうtfしおはsbk。SBDyf(ry ごめんじゃねぇよzsfひyがlづふぁsl(ry 大東亜共和国と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/6/9 5 46 19戦12勝6負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/6/11 7 51 烈風隊1500到達 他不明 十干とエアムーンの戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/6/16 12 06 20戦13勝6負1不明 バロン1と十干が戦争を始めました。 2007/6/17 17 14 兵力15000を確認 烈風隊、レイン隊、pawa隊、楽進隊、キキ隊、鳳凰隊、暁隊、元譲隊確認 いわゆるあすの奇妙な冒険さん。貴重な勝利 十干とバロン1の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/6/20 16 45 21戦14勝6負1不明 十干とガーデンチャイルドが戦争を始めました。 2007/6/23 19 10 きれいに敗北。流れるような戦で敗北。完敗 曹操隊、鳳凰隊、元譲隊確認 ガーデンチャイルドと十干の戦争はガーデンチャイルドの勝利で終わりました 22戦14勝7負1不明 十干とガーデンチャイルドが戦争を始めました。 2007/6/27 20 57 終了日時不明。敗北。 pawa隊、元譲隊、鳳凰隊確認 23戦14勝8負1不明 十干とブリティッシュが戦争を始めました。 2007/7/1 9 08 石田さんがブリティッシュの大将。 鳳凰隊、元譲隊、梟隊、キキ隊確認 鳳凰さん1500リーチ ブリティッシュと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/7/4 16 15 24戦15勝8負1不明 十干と十二支が戦争を始めました。 2007/7/16 16 18 第三次十二支VS十干。 そしてここで楽進さん失明?の危機により途中撤兵→隠居。 本人曰くリアル㌧兄になる。いわゆる三国志の人 曹操、pawa、鳳凰、楽進、元譲、キキ、竜王町、梟隊確認 レイン隊は十二支へ異動していた 十二支と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/7/25 10 31 25戦16勝8負1不明 十干とキンズ帝国が戦争を始めました。 2007/8/8 18 47 元譲隊、鳳凰隊、レイン隊のみ登場。レインさん十干へ帰還 3名のみ キンズ帝国と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/8/12 23 02 26戦17勝8負1不明 十干とガーデンチャイルドが戦争を始めました。 2007/8/16 20 23 元譲大将不在時に襲撃を受け指揮系統混乱。楽進隊、竜王町隊も同様に不在 敵襲の知らせを3名に送るも途中から押し返しはじめ 元譲大将帰宅ごろには逆転勝利 十二支wikiより転載。問題があれば消去 執筆:元譲さん 1日目、鼓舞+移動。 2日目、陣取り、そしてその最中に敵2部隊が進軍してくるものの、鳳凰隊、レイン隊布陣で追い払うことに成功。 そこで竜王町隊も上陸し、曹操隊も合流。元譲さん遊びに行く(改変場所) 敵襲来 とりあえずゲームが終了した瞬間に電車に飛び乗る。 (改変場所) 車内でPSP接続を試みるも、繋がるのは電車の車外のみ。 そんなこんなで駅到着。 家まで電光石火の如く帰る。 PC起動。 …えっ? 何故か押してる件について。 どうやら序盤は押されていたものの、段々と参加者が増えて、敵を返り討ちするまでになっていた様子。 とはいえ全体的に混乱していたので落ち着かせて、他の部隊を撃破を・・・。 と、ここで撤兵され終了。 8/17日終了? 27戦18勝8負1不明 十干と大東亜共和国が戦争を始めました。 2007/8/18 21 27 この前後にさらに分割 十二支、十干からそれぞれ数人出して干支設立。 元譲隊、竜王町隊、曹操隊、鳳凰隊登場 このころ既に鳳凰さんの兵力1500の記憶。第三次分割戦では1000。 終了日時不明。勝利 28戦19勝8負1不明 十干と大東亜共和国が戦争を始めました。 2007/9/9 16 58 詳細なし。おそらくINしていない時間に? 大東亜共和国と十干の戦争は大東亜共和国の勝利で終わりました。 2007/9/11 10 48 29戦19勝9負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/9/11 19 57 楽さん復活。データも新しく作成。前のは自主削除 曹操さん1500に、楽さん(500から)、助さん(600から)750に、悠錬さん600、竜王町さんが後一歩1500 参戦者は上記+大将元譲 エアムーンと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/9/14 22 57 30戦20勝9負1不明 十干とガーデンチャイルドが戦争を始めました。 2007/9/18 21 35 敵襲当初IN者二人だったものの続々と兵力1000・1500勢がIN。逆転。 レイン隊、楽進隊、鳳凰隊、竜王町隊、元譲隊、助隊確認 竜王町隊兵力1500 この合戦の最中に石田さんが十干に加入 ガーデンチャイルドと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/9/20 22 34 31戦21勝9負1不明 大東亜共和国と十干が戦争を始めました。 2007/9/22 20 33 元譲隊、曹操隊、竜王町隊、助隊、楽進隊、レイン隊、鳳凰隊確認 さらに石田さん初参戦。ブリティッシュから2000を越えていた名声をなぐり捨てて移籍。このとき竜&曹操コンビで1500相手にトドメ以外無傷で撃破という最高のコンビが。 鳳凰隊は今回無能 石田さん兵力600へ 十干と大東亜共和国の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/9/25 21 24 32戦22勝9負1不明 十干と譽蓁が戦争を始めました。 2007/9/26 20 04 多重により敵部隊兵力1。撤兵 譽蓁と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/9/29 15 09 33戦23勝9負1不明 冬虫夏草と十干が戦争を始めました。 2007/10/5 10 54 相手は現在のあすの奇妙な。 平日INを皆で分担し勝利 元譲隊、曹操隊、レイン隊、楽隊、鳳凰隊、彷徨い隊、石田隊、竜王町隊、梟隊、悠錬隊確認 曹操さんは行動2桁兵数300士気50自他共に認めるボロ雑巾状態になった。 オールスターをみている気分になるメンバー構成。 私たちにとっては印象深い思い出の一戦。 十干と冬虫夏草の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/10/11 22 18 34戦24勝9負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/10/17 19 40 元譲さんが最後の大将をつとめる戦。 石田さんレインさん助さん確認。 おそらく他のメンバーもかなりの兵力を保有しているため参戦しているはず レイン隊兵力1500、助隊兵力1000と有終の美を飾り、元譲さんは干支建て直しのため干支大将に。 さらにその後帝釈天大将をつとめ焔魔(干支)に再び戻ってくる 石田さんも干支へ共に連れて行かれる。 エアムーンと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/10/20 19 34 35戦25勝9負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/10/27 14 24 元譲大将が干支へいったため鳳凰が大将就任。 現実は甘くはなかったようで早速の敗北。 自分の指揮で敗北はこれが初めて。大将であったこともあり精神的にもダウン。 竜王町隊1500の事故撤兵で急遽曹操さん参戦。兵力950。 楽さん参戦。他なし。 行動回復待たずに単独襲撃するも返り討ち。撹乱を受け被撃破1歩手前で撤兵。 エアムーンと十干の戦争はエアムーンの勝利で終わりました。2007/10/30 16 52 36戦25勝10負1不明 十干とエアムーンが戦争を始めました。 2007/11/2 22 00 わたし、竜王町さん、レインさん、楽さん、悠錬さん参戦。曹操さんお休み。 竜王町さん以外で一斉 エアムーンと十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/11/4 12 34 37戦26勝10負1不明 十干と譽蓁が戦争を始めました。 2007/11/5 18 30 私、曹操さん、レインさん、梟さん参戦。 曹操さん帰宅時には終戦。梟さん干支へ。 譽蓁と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/11/8 15 27 38戦27勝10負1不明 譽蓁と十干が戦争を始めました。 2007/11/22 5 30 私、曹操さん、レインさん、竜王町さんの4名参戦 十干と譽蓁の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/11/24 4 11 39戦28勝10負1不明 十干と蝮山椒が戦争を始めました。 2007/11/24 9 56 私、レインさん、楽さん、悠練さん確認 悠さん750→1000 楽さんが名声700。 蝮山椒と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/11/26 21 22 40戦29勝10負1不明 十干と干支が戦争を始めました。 2007/12/6 18 02 私と元譲大将との戦いでもあったり。 私、曹操さん、楽さん、レインさん、竜王町さん、悠さん確認 干支と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/12/9 11 55 41戦30勝10負1不明 十干とVF軍が戦争を始めました。 2007/12/15 14 25 竜さん兵力1 悠さんが撤兵してしまう 他参戦者楽さん、私、曹操さん 楽さん名声850。 VF軍と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/12/17 23 36 42戦31勝10負1不明 十干と蝮山椒が戦争を始めました。 2007/12/19 22 39 竜さんレインさん楽さん私参戦 楽さん名声1050。兵力1500達成。 蝮山椒と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2007/12/22 17 42 43戦32勝10負1不明 あすの奇妙な冒険と十干が戦争を始めました。 2008/1/4 13 19 私が大将になって初のあすの奇妙なさんと対戦。 タクラテジー最強を誇る軍団さん相手に勝利を収めました 私、楽さん、竜さん、レインさん、曹操さん参戦 レインさんと楽さんのナイス対応で勝利。 十干とあすの奇妙な冒険の戦争は十干の勝利で終わりました。 2008/1/6 1 12 44戦33勝10負1不明 キンズ帝国と十干が戦争を始めました。2008/2/27 22 13 私と、レインさん、曹操さん、楽進さん参戦 十干とキンズ帝国の戦争は十干の勝利で終わりました。 2008/3/1 1 25 45戦34勝10負1不明 干支と十干が戦争を始めました。 2008/3/21 11 17 干支篭城。 激戦。 私、楽さん、曹操さん、レインさん、彷徨いさん参戦。 城を攻めている間に真後ろから石田さんの攻撃を受けるもダメージ軽微。 引き分け。 通称石田の戦い。真後ろからいきなり石田さん(兵力1700)が登場し、 動揺を誘ったため。 46戦34勝10負1分け1不明 十干と奏が戦争を始めました。 2008/4/9 16 21 私、曹操さん、楽さん、彷徨いさん参戦 奏と十干の戦争は十干の勝利で終わりました。 2008/4/14 0 01 47戦35勝10負1分け1不明 ここでさらに分割 名前を十二天由来にし、水天という名を拝命。 十二支は帝釈天 干支は焔魔天 新設軍は毘沙門天 水天とエアムーンが戦争を始めました。 2008/4/18 19 24 私と曹操さん彷徨いさん参戦。 最終的に私と曹操さんのみの戦い。 二人足軽篭城で逆転 士気4down+付加混乱が2回発生 足軽の火力を確認できた戦い エアムーンと水天の戦争は水天の勝利で終わりました。 2008/4/20 15 25 48戦36勝10負1分け1不明 蝮山椒が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2008/4/26 21 37 まさかの帝釈天の挑戦を断って拾った模様 参戦者は私 曹操さん 楽さん 彷徨いさん 足軽の火力をみた瞬間。私と曹操さんで囲んで一斉。 49戦37勝10負1分け1不明 蝮山椒と水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2008/5/9 22 39 水天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2008/5/30 19 33 エアムーンと水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2008/6/2 22 16 50戦38勝10負1分け1不明 水天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2008/6/21 0 38 参戦者は鳳曹楽竜赤 エアムーンと水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2008/6/29 20 17 51戦39勝10負1分け1不明 水天が蝮山椒の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2008/9/20 19 05 2ヶ月ぶり 参加者は4名だが結局2名で襲撃 蝮山椒と水天の合戦は水天の勝利で終わりました。2008/9/23 17 33 52戦40勝10負1分け1不明 水天が蝮山椒の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2008/10/20 18 59 willさんのみINした戦い 楽さん曹操さん私 蝮山椒と水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2008/10/25 5 11 53戦41勝10負1分け1不明 水天が焔魔天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2008/12/6 18 40 石田さんが焔魔天大将。 私は名声160うp 曹操さんは120 楽さんも120 このとき私はあと名声63で名声3000。 リーチなので曹操さんに大将を譲る。私が兵力2000になれば 曹操さんも大将なので500upで合計1000upの算段 水天勝利 焔魔天と水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2008/12/10 5 32 54戦42勝10負1分け1不明 水天が軍成の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/1/6 12 03 私約150うp 楽さん約85 曹操さん160うp 名声3000到達 軍成と水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2009/1/10 4 25 55戦43勝10負1分け1不明 焔魔天が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/3/17 8 01 石田さんが焔魔天から水天へ来た後の戦。 石田さんには大将&指揮官というのが重圧すぎたみたい。 ここで今のメンバーに固定 水天と焔魔天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2009/3/22 15 12 56戦44勝10負1分け1不明 あすの奇妙な冒険が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/4/2 14 13 合計兵力7000で対応 私曹操さんが2000 石田さん楽さんが1500 水天とあすの奇妙な冒険の合戦は水天の勝利で終わりました。 2009/4/4 5 26 57戦45勝10負1分け1不明 あすの奇妙な冒険が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/4/28 9 07 終了日時不明。勝利 曹操さんあと名声160で兵力2000へ 58戦46勝10負1分け1不明 エアムーンが水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/5/16 13 09 いつもの4人 水天とエアムーンの合戦は水天の勝利で終わりました。 59戦47勝10負1分け1不明 あすの奇妙な冒険が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/5/27 8 47 昼襲されました。 水天とあすの奇妙な冒険の合戦はあすの奇妙な冒険の勝利で終わりました。 2009/5/29 10 41 60戦48勝10負1分け1不明 あすの奇妙な冒険が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/6/5 8 33 私が焦って移動して早速撃破されるふがいない戦い。しかし曹操さんの奮戦で・・・。 以下曹操さん執筆 昼頃に石田隊が、夕方に鳳凰隊、楽進隊、ブンゴ隊が参戦。おおまかな方針として土曜日に軽く夜襲、日曜日にとどめの算段でした。 楽進隊と曹操隊以外は2日目土曜日の夕方移動開始、17,12の砦付近に移動。 しかし強行な移動で行動が不足しているところを向こうに襲撃され、しかも未確認の伏兵マタンゴも現れ、ピンチ。 序盤行動の少ない兄者と隠れていたマタンゴが鳳凰隊を攻撃、兄者隊を兵力400代、士気も50代に減らすも二部隊相手に苦戦し鳳凰隊は約兵力900で砦に篭城。 ここでこの二人は引き下がり代わりに板垣、あすが鳳凰隊に迫る。 しかし鳳凰隊に迎撃の行動力は残っておらず戦闘の結果主力鳳凰隊が撃破される。この戦闘の最中曹操隊が到着し鳳凰、楽進隊以外は17,6を中心に展開。 鳳凰隊を助けにいける位置にはいたけれどその場の全員が行動力3桁だったので、背に腹は代えられず見捨てることに。申し訳ない。 鳳凰隊を撃破した板垣とあすはこちらの残存部隊に接近 曹操隊に威嚇を一発放ち成功、兵力低下。 そしてなぜかあっさり退く。 中間報告、鳳凰隊が撃破され曹操隊、石田隊(伏兵マタンゴに通常移動で接触+戦闘)に若干の被害。 曹操隊は兵力1900石田隊は1100、ブンゴさんは無傷。 こるが17,12の砦に入城、楽進隊が合流 同日深夜こる、あすが接近。ブンゴ隊は既に落ち曹操隊は居眠り。 石田隊と楽進隊が奮戦。あすを撃破してから曹操隊が起床。 曹操隊と楽進隊の一斉、殲突でこるも撃破。 士気差は覆るもこの来襲で楽進隊は約兵力500、曹操隊は兵力600。+士気62ぐらい。 行動はあいかわらず極少、この辺で負けを悟る。 外が明るくなってきた午前4時前マタンゴ襲来、楽進隊は姿が無く残る曹操隊と石田隊で事に当たることに。 マタンゴを足止めし石田隊が殲突(石田隊700にマタンゴ600に) 曹操隊は弓矢を使ってマタンゴを550に。ここで二人のの行動が切れマタンゴが曹操隊に殲突(曹操300、マタンゴ290)いよいよかと思われたが 楽進隊登場!しかし足止めを外すw もう一発マタンゴが殲突(曹操隊兵力50士気54 マタンゴ150) で、楽進隊がマタンゴに殲突、マタンゴ死亡。 徴兵で100人ほど兵力が増えてたんですが、徴兵してなかったらここで負けてましたね。 撤兵案もあったけど最後の最後まで戦場に残りどうしようもなくなったら撤兵することに。 日曜日午前9時前板垣が士気61で襲来。 ギリギリのところでブンゴ隊が起床、板垣が楽進隊に林から通常を二発(殲突すればいいのに)3発目の通常が入ると撃破されてしまうので、ここで初めて ブンゴ隊に撹乱を撃たせる(板垣との士気差が10あって収拾で行動の消費を誘う為)が外れ、石田隊が足止め。 しばらく安全になったため曹操隊が弓矢ダメージ10w(名声の為) ここでボロボロの兄者(士気59)がおなじくボロボロの楽進隊(兵力)に接近。石田隊、ブンゴ隊はともにプロテクトタイム中だったので曹操隊が撹乱。 これが成功し石田隊が殲突、ブンゴ隊が通常。 行動がなくなってしまった石田隊を強行移動させブンゴ隊が殲突 撃破! 板垣の足止めも後数分できれる状態だったのでここで撤兵。 曹操とブンゴさんの兵力がうp。 普段なら負けて悔しがるところですがこの収穫に満足する曹操なのでした。 水天とあすの奇妙な冒険の合戦はあすの奇妙な冒険の勝利で終わりました。 2009/6/7 9 55 61戦48勝11負1分け1不明 焔魔天が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/7/6 22 34 城を囲むもカウンター。 両軍大将撃破寸前までいったものの辛くも勝利 この戦の前に石田さんが大将就任。 大将を渡すことにより合計兵力を500upさせる 水天と焔魔天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2009/7/14 22 13 62戦49勝11負1分け1不明 エアムーンが水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/8/7 16 13 全員止められ称号能力を生かして通常プロテクトタイムを4分にした連打攻撃によりあっさり敗北 水天とエアムーンの合戦はエアムーンの勝利で終わりました。 2009/8/11 14 15 63戦49勝12負1分け1不明 あすの奇妙な冒険が水天の戦宣布告を受理し、合戦が始まりました。2009/9/9 8 53 要の楽さんを午前4時の敵襲で失い敗北。 あすの奇妙な冒険と水天との戦争はあすの奇妙な冒険の勝利で終わりました。2009/9/12 9 28 64戦49勝13負1分け1不明 水天が大東亜共和国の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/9/16 21 26 毘沙門天から二人出張 大東亜共和国と水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2009/9/22 9 54 65戦50勝13負1分け1不明 水天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/10/29 22 27 毘沙門天からの二人参戦 見失ったフーガさんがすぐ近くにいてびっくりした戦。 若干撤退して体勢建て直す。 全員INしてフーガさんミントさん撤退開始 追っかけるべく騎馬が先行 私:「どうする?特攻足止め?それとも皆をまつ?」 曹操氏:「おれたちをしんじろ!」 simple is best 序盤は良かったものの後半レインさんが瀕死 エアムーンと水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2009/11/1 21 02 66戦51勝13負1分け1不明 焔魔天が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/11/12 22 59 まさかの敗北 入れ違いや戦闘中の指揮委譲により指揮性質の違いもあった? 戦闘前にしっかり委譲すべきと思った戦いでした。 そして烈風さんが軍神になった戦。 この敗戦をきっかけに石田さんが鉄砲を使い始める 水天と焔魔天の合戦は焔魔天の勝利で終わりました。 2009/11/19 21 52 67戦51勝14負1分け1不明 水天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/2/11 20 21 詳細なし エアムーンと水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2010/2/15 3 40 68戦52勝14負1分け1不明 エアムーンが水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2009/11/29 10 37 出遅れたので篭城 このとき石田さんの鬼神っぷりが復活 以前はブリティッシュ所属の時に最速軍神になったほどの鬼神がここで。 威嚇されるが士気40になるまで兵力ダウンなし。 柵が実装されたときの戦。 水天とエアムーンの合戦は水天の勝利で終わりました。 2009/12/2 22 35 69戦53勝14負1分け1不明 水天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/2/11 20 21 私が十干大将になったあと初めてお休みした戦い。 甘寧さん、ランベルクさん が登場 エアムーンと水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2010/2/15 3 40 70戦54勝14負1分け1不明 水天が大東亜共和国の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/3/7 15 46 大東亜さん篭城。柵でガチガチに固める。 みんな行動使い果たすもなんとか勝利 逃亡先で行動使い果たして伏兵。一夜を明かした危険だった戦 大東亜共和国と水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2010/3/16 11 13 71戦55勝14負1分け1不明 あすの奇妙な冒険が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/4/5 8 11 昼襲され気づいたころには瀕死。撤兵 名声獲得 石田さん-44 私32 曹操さん28 楽さん37 甘寧さん78 甘寧さんが750へ 水天とあすの奇妙な冒険の合戦はあすの奇妙な冒険の勝利で終わりました。 2010/4/13 11 56 72戦55勝15負1分け1不明 あすの奇妙な冒険が水天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/4/26 22 56 あすの奇妙なさん相手に久しぶりの勝利 貫徹複数名。お疲れ様でした 朝のたたき起こし役は私だったので私は貫徹せず一歩手前まで。 水天とあすの奇妙な冒険の合戦は水天の勝利で終わりました。 2010/5/3 23 56 73戦56勝15負1分け1不明 毘沙門天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/5/30 12 53 詳細なし 初多軍団戦 エアムーンと毘沙門天・水天の合戦は毘沙門天・水天の勝利で終わりました。 2010/6/1 23 07 74戦57勝15負1分け1不明 不明を敗北とみなす 74戦57勝16負1分け 水天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 前触れがなく、参戦軍団数無制限だったこともあり大戦へ発展 第一次世界大戦に。 多軍団になると激戦必至らしく両軍一進一退。 レインさんに一部指揮、元譲さんに指揮の穴を埋めてもらうなどの補佐で途中危ぶまれたが辛くも勝利。 ありがとうございました 75戦58勝16負1分け 水天が大東亜共和国の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/7/15 17 57 map18 布告条件 武将5,兵士8000,騎馬4000,鉄砲2000 増援布告条件 武将4,兵士4000,騎馬1700 増援 水天側→焔魔天,ころころ 大東亜側→毘沙門天,エアムーン 兵力 水天7000,焔魔天3900,ころころ4000/大東亜?,毘沙門天4000,エアムーン4000 参加者 水天 ◎石田鉄砲2000,☆鳳凰騎馬2000,☆曹操足軽2000,楽進騎馬1500,甘寧騎馬500 焔魔天 ○赤坂騎馬1200,赤猫足軽1400(徴兵済),あおかぜ足軽850,もやし騎馬500 ころころ ○こる騎馬1200,板垣足軽1300,マタンゴ鉄砲1500 大東亜 ◎サイサリス騎馬2000,モアイ騎馬1500,チシャ足軽700,ライオネ鉄砲700,ヤバ?500 毘沙門天 ○屍騎馬1200,☆レイン足軽2000,趙雲鉄砲800 エアムーン ○スカイ騎馬1200,フーガ足軽1500,蒼風足軽1100,牙大王足軽200 毘沙門天側の指揮官は元譲氏の予測 甘寧さんの兵力750到達。 ◎が総大将。○が各軍団援軍大将。☆が指揮官。 大東亜共和国・毘沙門天・エアムーンと水天・焔魔天・あすの奇妙な冒険の合戦は水天・焔魔天・あすの奇妙な冒険の勝利で終わりました。 2010/7/23 14 31 75戦59勝16負1分け 毘沙門天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/8/4 0 12 第二次世界大戦。 map16 布告条件 武将無制限,兵士10000,騎馬5000,鉄砲2500 増援布告条件 武将無制限,兵士9000,騎馬4500,鉄砲2200 増援 エアムーン側→水天,帝釈天,大東亜 毘沙門側→Tutelary,焔魔天,ころころ,ガーデン 兵力 篭城側 エアムーン?,水天8350,帝釈天7550?,大東亜? 攻城側 毘沙門天7000,Tutelary4000,焔魔天7000,ころころ4000,ガーデン5050 参加者(総大将に◎、増援大将に○、指揮官に☆) エアムーン ◎スカイ騎馬2000,フーガ鉄砲1500,蒼風足軽?(徴兵済),山のブドウ鉄砲600,ランベルクウ鉄砲500 水天 ○石田鉄砲2000,☆鳳凰騎馬2000,☆曹操足軽2000,楽進騎馬1500,甘寧騎馬850 帝釈天 ○曹良騎馬2000,曹淳騎馬2000,☆法正鉄砲1000,先駆足軽1100,周泰鉄砲850,ぺんぺん足軽600 大東亜 ○サイサリス騎馬2000,will騎馬2000,モアイ足軽1500,オロチ足軽1100,草薙850,ライオネ鉄砲700 毘沙門天 ◎屍騎馬2000,☆レイン鉄砲2000,趙雲騎馬2000,廃ソース騎馬1000 Tutelary ○神風騎馬2000,風来鉄砲500,今路足軽500,やくもん足軽500,しもつかれ足軽500 焔魔天 ○赤坂騎馬2000,☆元譲足軽2000,烈風鉄砲2000,赤猫騎馬500,もやし足軽500 ころころ ○こる騎馬2000,(☆)兄者騎馬2000 ガーデン ○☆のの足軽2000,☆相良軍曹騎馬1700,k1騎馬850,正宗騎馬500 兵力はこちらが1万ほど上回っており、さらに篭城にもかかわらず大分苦戦 篭城戦のはずなのに早期終結 石田砲により残っている記録だけでも約4000の兵をけずる。 甘寧さん無念の兵力ダウン エアムーン・水天・帝釈天・大東亜共和国と毘沙門天・Tutelary・焔魔天・あすの奇妙な冒険・ガーデンチャイルドの合戦はエアムーン・水天・帝釈天・大東亜共和国の勝利で終わりました。 76戦60勝16負1分け •エアムーンが毘沙門天の宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/9/11 12 57 序盤で後詰の楽さんの兵力が800ほどまでに減ってしまう。 その後潔く転進指揮をとるレインさんの活躍などにより勝利 •毘沙門天・水天・新軍とエアムーン・ガーデンチャイルド・大東亜共和 途切れてる 77戦61勝16負1分け •水天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/9/28 22 51 なんもかいてない •エアムーンと水天の合戦は水天の勝利で終わりました。 2010/10/1 4 44 78戦62勝16負1分け •毘沙門天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2010/11/28 22 12 援軍参戦 石田さんが最前線にいくも兵力半減 その後曹操さんと逆襲し失った兵力以上の戦果をあげる。 行動力3桁。 が、再び敵襲。ひたすら逃亡。 水天本隊合流後毘沙門参戦 あっという間に勝利 79戦63勝16負1分け •エアムーン・焔魔天と毘沙門天・水天の合戦は毘沙門天・水天の勝利で終わりました。 2010/11/30 23 43 •エアムーンがガーデンチャイルドの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2011/2/14 18 05 たまにはよそ様とも組みたいよねってかんじに 久しぶりに焦って撃たれて混乱して兵力-1200の鳳凰 カンネイさんと威嚇で逆襲。 その後ころころさんを倒す。 そして恐らく敵渾身の襲撃がくるだろうとよんで待機。 3時前に敵到来。全員起きていたのですんなり対応。 勝利 •ガーデンチャイルド・水天とエアムーン・あすの奇妙な冒険の合戦はガーデンチャイルド・水天の勝利で終わりました。 2011/2/17 2 09 80戦64勝16負1分け •焔魔天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2011/2/26 23 46 援軍参戦 終盤相手側から停戦きたのでそれを呑む形で待機 が、撤兵。 •エアムーン・あすの奇妙な冒険と焔魔天・水天の合戦は焔魔天・水天の勝利で終わりました。 2011/3/1 21 20 81戦65勝16負1分け •焔魔天がエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2011/2/26 23 46 援軍参戦 終盤相手側から停戦きたのでそれを呑む形で待機 が、撤兵。 •エアムーン・あすの奇妙な冒険と焔魔天・水天の合戦は焔魔天・水天の勝利で終わりました。 2011/3/1 21 20 82戦66勝16負1分け Tutelaryがエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2011/4/5 8 36 雷神さんが勝手に襲撃案を出し、自分で実行に移そうと先取りするも 落ちた後に袋叩きに会う その後行動が中途半端な相手に全軍で挑むもお互い大将狙い。 最終的に敗北。 楽さんの人間チートっぷりを久しぶりにみれた。 エアムーン・ガーデンチャイルドとTutelary・水天の合戦はエアムーン・ガーデンチャイルドの勝利で終わりました。 2011/4/7 0 13 83戦66勝17負1分け 帝釈天がTutelaryの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2011/4/1 18 36 援軍参戦 が、参戦後6時間で退場。不名誉な結果 見張りの要鳳凰も 敵、帝釈天に出張と大幅戦力ダウン Tutelary・水天と帝釈天・焔魔天の合戦は停戦交渉が成立し、引き分けで終わりました。 2011/4/3 12 43 84戦66勝17負2分け •Tutelaryがエアムーンの宣戦布告を受理し、合戦が始まりました。 2011/4/5 8 36 つて戦記参照 •エアムーン・ガーデンチャイルドとTutelary・水天の合戦はエアムーン・ガーデンチャイルドの勝利で終わりました。 2011/4/7 0 13 85戦66勝18負2分け 十干時代に4引き分け 残り10戦分が行方不明。 さらに十干時代に大東亜さんと戦い敗北した戦の時期が不明(負+1で4/7現在19敗) ダブルカウントは修正せず