約 1,556,297 件
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/228.html
06月18日05 14 青燕 韓国版「雲のじゅうたん」 サイト、上から三つ目の項目:スペシャルフィルムNEW、がよろしいです。 http //event.movie.daum.net/tab/chungyeon/index.html 朝鮮人女性飛行士の草分け朴敬元の物語です http //www.platon.co.jp/~kei/korea/hito/pak.html 何せ大日本帝国時代の朝鮮半島出身者が主人公であり、映画の舞台はほとんど日本で、日本語のセリフが多い。 物語の展開上日本人をあまり悪辣に描かなかったもので、韓国では受けが悪かったようです (--; ソレハナンダカナ コレ、日本人が見た方が楽しめるかも知れない。 というので、DVDを探しに行ったら、すでに出てました。 で、そこを見てたらこんなのがあるのですよ、タイトルからして 穏やかでない。 http //www.kan-kan.jp/goods/3559/ 一種の仮想戦記、SF戦記なわけですが、仮想戦記というヤツは日本でも一時大ブームでしたね。 こういうのは、ある「想い」を共有する人間が見る分には痛快な娯楽なのですが、その外にいる人間から見ると「醜い負け惜しみ」にしか見えないということがよく判ります。 他人のことだとそれがよく判るんだからおかしなもんです (--; コメント 2006年06月18日 05 51 オヤジギャガー 秦郁彦教授の著作を通じ、朴敬元さんにはわたしも興味を持っていましたので、これは見逃せない情報です。さすが老師。 戦前というのは、各地の有力者だの名士だのなんだのの顔を立てるための理由でさまざまな理不尽がまかりとおる時代だったらしいですね(今だって同じか...) で、もひとつのほう。 なかなか、面白そうだけど、韓国映画一般のベタベタ度から想像して、2ちゃん用語、ワロス、で迎撃し、撃墜してみせましょう(テラワロス 2006年06月18日 13 07 gallery 人のフリ見て我がフリなおせ。ホラそこ、人のマネしない! 戻る
https://w.atwiki.jp/sorenpou/
名称 蘇連邦(それんぽう)<ソビエト国家社会主義帝国連邦> 悪の帝国たちの再考/再興/最高 再考察の対象ソビエト連邦、第二日本帝国、独逸第三帝国、宇佐 歴史・軍事・兵器・社会研究 強育省――当面のメイン アイコン対話式の歴史コンテンツ 内容 「近代」は死を厭わない軍隊から始まった 敵弾よりも上官を恐れさせるシステム アメリカ独立革命戦争 フランス革命 フランス大陸軍(グランダルメ) ナポレオンの登場 クラウゼッツの「戦争論」の背景 ナポレオンの敗北の意味と背景 日本編 戦国、江戸時代 別館 蘇連邦軍需省 王坂造兵工廠――戦車・自走砲・歩兵戦闘車などの自作絵
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1460.html
159 :KY:2012/07/28(土) 09 56 07 銀河憂鬱伝説IFネタSS 『日銀同盟閑話 アルテミスの首飾り』 大日本帝国と銀河帝国による自由惑星同盟との戦争。 この戦いで、大日本帝国はその圧倒的な兵器性能と物量を持って、同盟軍主力を粉砕した。 だが、このように派手な艦隊決戦だけでなく、地味な作戦も行っている。 それが同盟の首都星ハイネセンを防衛する軍事衛星『アルテミスの首飾り』の撃破であった。 アルテミスの首飾りはやたら高価な物であるが、その分それなりの性能を持っていた。 最も原作ではキルヒアイスとヤンにあっさりと撃破されてしまっていたり、二次小説では弱点がモロバレなだけに一蹴されてしまうなど、ある意味不遇な代物である。 ここで大切なのが原作を知る夢幻会にとって、アルテミスの首飾りは簡単に攻略できるという点だ。(※1) だから夢幻会メンバーには自分たちでアルテミスの首飾りの攻略をやりたいと思う者も多かったし、ここで日本軍の実力を帝国に見せ付けるというのも悪くない考えだった。 日本軍は長きに渡る平和から実戦経験が乏しいために、帝国軍から侮られる恐れがあったので、ここいらで帝国を牽制する方が望ましいのだ。 それ加えて同盟の最後の命綱がまったく役に立たないことを同盟人に見せ付けて日本に敵対したことを心底後悔させてやる、という嫌がらせの意味もあった。 それだけ、あのトリューニヒト・ノートは日本人を激怒させていた。 特に天皇制の廃止を要求したことで同盟は『朝敵』と呼ばれており、下手をすると『極めて遺憾』が発動してハイネセンを無差別核攻撃する事さえありえたほどだった。(※2) さすがにそれはやりすぎなので、ある程度日本人の鬱憤を晴らす必要性に迫られた。(※3) そうした事から日銀同盟で、日本と帝国が同時に同盟領に攻め込み、同盟軍の主な艦隊戦力とアルテミスの首飾りを撃破した後に日本軍は同盟領から撤退して、後の占領統治は帝国軍に任せる事と、首都星ハイネセンを守るアルテミスの首飾りの撃破を日本軍が行うという取り決めが成された。 「南雲中将、先程連合艦隊が同盟軍主力を撃滅したとの事です」 「そうか。早かったな」 「ええ、やはり兵器性能の格差と物量が大きかったのでしょう。そもそもあの程度の国家が日本に戦争を仕掛けてくる方が間違いでしょう」 「連合艦隊の方は?」 「現在は破損した兵器の処分をしているようです」 戦いそのものは日本が圧勝したものの、やはりまったく損害がないというわけにはいかなかった。 艦艇はいくらか撃沈していたし、艦載機もそれなりに撃破されている。 それらの兵器を放置しておくと、帝国に回収されて技術解析される恐れがある。 なのでそれらの兵器もちっちり処分しておかないといけない。 連合艦隊はそれにかなり時間を割くことになる。 「例の物は用意は良いか」 「はい。すでに準備出来ております」 「では、やるか」 艦隊決戦に不参加であった一個艦隊1万五千隻が動き出した。 そしてアルテミスの首飾りに向かって、巨大な氷の塊が加速された。 急速に接近する氷を迎撃するため、アルテミスの首飾りから強力なレーザー砲が放たれるが、氷の塊は水蒸気をあげるだけで効果がない。 そしてアルテミスの首飾りに次々と氷が激突していった。 160 :KY:2012/07/28(土) 09 56 49 「な、何ということだ!」 アルテミスの首飾りが一瞬で全滅した。 それは同盟政府にとって衝撃であった。 ハッブル議長もまたその映像をみて衝撃を受けた一人だった。 彼らだってアルテミスの首飾りだけで帝国と日本の大艦隊を迎撃できるとは思ってはいなかったが、ある程度の抵抗ぐらいはできる、と思っていた。 それが、こうもあっさりと撃破されるとは……。 かつてアーレ・ハイネセンは船体を氷で覆った船で大脱出を成し遂げた。 しかし、そうして建国された自由惑星同盟は、氷で覆った物体によって最後の戦力を失った。 それは同盟の最後を象徴する出来事であり、大日本帝国の皮肉だった。 「議長、日本軍が撤退していきます」 「それと日本軍から電文が来ました」 「何? 読みたまえ」 「はっ、『同盟諸君、自由惑星同盟はこれで滅亡である。これからは銀河帝国が諸君等のご主人様になる。精々ルドルフの子孫にシッポをふるといいだろう。追伸、我が大日本帝国は同盟市民の亡命を拒否する』以上です」 「……そうか」 「くそっ、なんでこうなったんだ!」 「ルドルフの子孫にシッポをふれだと! ふざけやがって!」 まわりの人間たちは怒り狂う。 そんな周囲を余所にハッブル議長は一人呟いた。 「終わったのだな同盟は……」と ※1:大日本帝国では銀河連邦時代に指向性ゼッフル粒子が実用化していた。 ※2:有人惑星に対する核攻撃は実行するとシャレにならないので、夢幻会がそういった極端な過激派を押さえた。 ※3:アルテミスの首飾りを無血で撃破した際に、日本政府は国内でそれを派手に宣伝している。 161 :KY:2012/07/28(土) 09 57 27 あとがき アルテミスの首飾りについて思い出したので、夢幻会が帝国への示威行動として撃破したことにしました。
https://w.atwiki.jp/newsekaishikaeuta/pages/33.html
替え歌初投稿は2021/07/08 「【替え歌】GENRO【KING大日本帝国版】」→https //youtu.be/V7pk8v_Io64?si=M5td-WotuePHuPlw hoi4実況を多く投稿しており、mod「TheLastGenro」の制作も行っている。 大日本帝国を題材にした替え歌が多くを占め、山縣有朋、原敬、森恪、幣原喜重郎、宇垣一成など人物にスポットライトを当てる替え歌が多い。 また日本の核開発を題材にした「アトミック」など技術史替え歌も投稿している。また第一次歴史関係ない替え歌投稿祭の参加作品、「制番桜」では99の制御器具番号が原曲の尺に収まらなかったため、曲を引き伸ばすと言う替え歌史上初?の試みを行っている。 YouTube→https //youtube.com/@user-cz5fi1kt9r?si=AA2VxYlYcTX0HBB4 X→https //x.com/Genro_Tayu?t=zZi-RQHXbFWHsyg5iJuqcg s=09
https://w.atwiki.jp/kdef/pages/6.html
アーカイブ @wikiのwikiモードでは #archive_log() と入力することで、特定のウェブページを保存しておくことができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //www1.atwiki.jp/guide/pages/921.html#id_2d967d6e たとえば、#archive_log()と入力すると以下のように表示されます。 保存したいURLとサイト名を入力して"アーカイブログ"をクリックしてみよう サイト名 URL
https://w.atwiki.jp/kdef/pages/3.html
更新履歴 取得中です。 ここを編集
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1526.html
449 :ルルブ:2013/02/11(月) 19 23 46 タイ王国の事情・『我が行くは希望の未来』 1940年代。第二次世界大戦は事実上、大日本帝国の単独勝利によって幕を閉じた。 史実世界とは異なり、大日本帝国は太平洋全域にその勢力を拡大。平和裏に東南アジア諸国(中華民国を除く)を掌握、実質的黄な大東亜共栄圏を確立する。 この情勢下で当然の如く宗主国からの独立を目指す民族主義が台頭。嶋田首相ら夢幻会を困らせるも基本的にはその動きに同調していた。 そんな中で、第二次世界大戦、いや植民地帝国主義時代の戦前からの数少ない独立国家の一つ、タイ王国にて一つの式典が催されようとしていた。 ラーマ8世。史実では謎の死を遂げたタイの名君の一人。史実での在位は1935年から1946年の11年間。 一説では第二次世界大戦で枢軸側に参加した事が謎の死亡(暗殺、事故死など諸々あり)を招いたとされるが、この世界では大西洋大津波とその影響によるアメリカ合衆国の崩壊、大日本帝国主導による新太平洋秩序の確立が決定的となったためか、1945年、在位10周年記念を盛大に祝う事が確定した。 450 :ルルブ:2013/02/11(月) 19 24 29 タイ王国・バンコク 件の国王陛下は家臣らに問う。如何にしてドイツの人種差別政策や成長著しいインドネシア、不穏な動きを見せるインドと付き合うかを。 「大日本帝国はインドネシアとベトナムに飛燕を輸出する気か?」 「シマダ首相やマツオカ外相は公にしませんでしたがそのつもりかと」 外務大臣が答える。 御前会議の場であり、日本軍への協力を声高に叫び、大西洋大津波直前に黙殺され、在中米軍、フィリピンのアジア艦隊が続けて壊滅、ハワイ沖海戦とバイオ・ハザード(東南アジア風に言えば大疫病、アメリカ病)にてアメリカ崩壊後に掌を返したように参戦を主張した外務大臣が冷や汗をかきながら報告する。 その原因は実は軍部にある。軍部は予てから夢幻会の親タイ国派閥が早期に肩入れしていたのだが、文民統制を原則とした民主革命を起こしたタイ軍部だ。ある意味で自縄自縛に陥っていた為、日本への支援を効果的に出来なかった。 仮に太平洋戦争、日中戦争勃発直後に対日支援を行うよう議会や王宮(タイは以前王室の力が強い)に働きかければこの様な事態にはならなかったと思っている。 (因みに夢幻会の親タイ派閥のメンバーは2000年代のバンコクやプーケットで遊んだ逆行者が多かったと言う。そして観光大国への経済格差を使った豪遊もう一度というのが本音だろうと思わる。そう言う意味では実に人間的な……欲望溢れる理由だった) そこで陸軍総司令官が反論する。 彼は熱烈な親日家であり、日本本土では常勝将軍と言われている東条英機の薫陶を受け、タイ陸軍の機甲師団や無線技術の確立に向けて動いている。 若い頃は遠くの欧州に行く事が出来なかったが、それ故に日本独自のアジア支援制度を利用して日本陸軍士官学校へ留学生として赴任していた。 故に祖国の変節(頭では理解しているが)に納得しておらず、タイ外交部の失態を鋭く非難する事で有名である。 今もまた御前会議にも関わらず外務大臣にかみついた。 「ふん、まるで他人事のように言いますな。 ……確かに我が国は列強の侵略を跳ね除けて、日本と同様に独立を維持してきた数少ないアジアの誇りだ。 だが、その誇りを捨てて、アメリカの威光に屈服し、そのアメリカと火事場泥棒の中華民国や奉天軍閥が敗北するや否や明治維新以来の恩人かつ友好国たる日本へまたすり寄る。 これでは『あの』紳士の国と何も変わりは無いのではないですかな? 日本や世界に対する我らの外交信義はどこにあるのでしょうなぁ……外務大臣殿?」 451 :ルルブ:2013/02/11(月) 19 25 14 屈辱に肩を震わせる外務大臣。 あの時、アメリカの参戦で日本と言う国が敗北するのは目に見えていた。少しでも外交や経済を分かるならそれは必然だった。 だが、自然が、大西洋大津波が全てをひっくり返してしまった。それを予見するのは神でもない限り不可能だ。だが、外交も結果が全て。 陸軍総司令官の意見には反論できない。何より、インドネシアやベトナム、フィリピンの独立政権に後れを取っているのも事実。 特にインドネシアが対豪州の為に海空軍力強化を目的に独立以前から日本に接触して、それに乗り出している事を察知できなかった事は致命的と言えた。 国家に真の友、不滅の友人以外ない以上、シャム湾やインド洋への海軍力空軍力展開は国防上必要不可欠な事。 それを指摘されると押し黙るしかない。続けて別の男が口を開く。 「そもそも国王陛下の英断が無ければ我が国は日本と戦端を開く可能性もあったのですぞ? 陛下が戦争勃発寸前に滞在していた日本でかの大日本帝国天皇陛下と会談し、局外中立を公約したからこそ我が国はあの太陽の帝国との決定的な破局を免れた。そうですな?」 海軍総司令官もこれに乗じて文官らを攻撃する。 が、そこで黙ってしまってはタイ6600万人の人民に申し訳が立たない。黙って給料をもらえる立場でないのだ。 それに文官系官僚らにも意地はあるし何より現実を見ていなかったのは軍部ではないのかと言う思いもある。 「しかし海軍総司令官殿。あの時に内務大臣として国政を担当していた者として言わせてもらえればあの時点ではアメリカに与するのが正しい選択だったのだ。 陸軍や海軍力では米軍の方が潜在力で遥かに上回っていた。それを考えると……」 水掛け論。 ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。反論すれば反論に反論する。 (不味いな……こうも軍部と政府の亀裂が大きいとアジアの戦後新秩序で我が国は没落する) ラーマ8世はその冷静な頭脳で必死に考える。 一体どうすれば良いのか。特に隣国であるインドネシアやベトナムは日本の支援を受けて急成長を遂げようとしている。 新国家と言うカテゴリー故に祖国タイとは異なり日本式官僚団や日本型軍隊の受け入れに抵抗が無い。寧ろ我が国以上に歓迎している。 そして対豪州対策としてのインドネシア、対中華包囲網としてのベトナムなどは格好の狙い目だろう。日本にとっても。 (……ドイツに接近する? いや駄目だ。ドイツの一般親衛隊がロシアや北米で何をしていたかを考えればそれは出来ない。 イギリスか? あの没落する帝国と心中する? 馬鹿を休み休み言え。原爆、富嶽、世界最強の空母機動艦隊、噂に聞く世界最大の戦艦。それを考えれば日本と敵対してはならん。それはだれもが分かっている。 だが、だからこそ第二次世界大戦での我が国の外交的な失態が尾を引いている、か) 百家総論。 452 :ルルブ:2013/02/11(月) 19 25 48 もはやタイ王家、国王陛下の御前会議であるにも関わらず陸軍、海軍、中堅の親日派閣僚と大臣クラスの対立は過熱し双方の罵声に近い糾弾劇化していた。 「皆の者」 流石に国王陛下が自ら右手を挙げて議論を中断させる仕草をすると全員が一斉に黙る。 「政府、軍部、双方の感情の隔たりが多きことはこの会議最大の収穫だと私は思う。まずはそれを認めよう。 その上でだ。我々は決断しなければならない。ドイツに隷属するか、日本と共闘するか、イギリスと共に沈むか、だ。 戦後世界は日独英、いや、日独の二か国による秩序が基準となる。ならば我が国はどうあるべきか?」 「……陛下」 「……」 「うーむ」 「日本かドイツか」 一旦呼吸を置く。そして言葉を続ける。 「まずはイギリスだがこれは真っ先に除外するべきだ。植民地化されかけた事は国民の記憶に根強く、日本を見限った点、更には火事場泥棒の様に北米に兵を派遣した点からかの国は外交として信頼に値しない。 そもそも既にイギリスはインドを手放す以上我が国を直接助ける事は出来なくなるだろう。事実、七つの海を支配した栄光ある英国王立海軍は壊滅した」 頷く海軍総司令官と苦虫を噛み殺しつつも目じりを抑える外務大臣。 「次にドイツだがこれも論外だろう。東欧、ポーランド、ロシア、北米でユダヤ人や有色人種、同胞である筈の白人のスラブ民族に対してどのような扱いをしているかは皆も知っている筈だ」 これには内務大臣と宮内大臣の二人が頷いた。 日本から極秘に送られた北米の収容所の写真は自分達タイ人が、フィリピン人やメキシコ人の様に北米に出稼ぎに行かなくて良かったと心底納得させられたものだった。 仮に有色人種であり有力な国家でもないタイ国の者がドイツの支配下に置かれれば奴隷化されるのは目に見えている。 「ドイツとは政策として相いれず、イギリスは現実面で頼りない。ならば我々は消極的にも積極的にも大日本帝国を選ぶしかない。それは皆も理解しているだろう。 だが、その為には隣国より先にもかの国に誠意と利益を見せるしかないのだ」 その言葉は重くのしかかる。インドネシアは対豪州、ベトナムは対中華、遠く離れたパキスタンは対インド、対イスラム圏、カルフォルニア共和国は対北米とそれぞれ意味がある。 では我がタイ王国は? 「失礼ながら陛下。我がタイはまだ重工業化を成し遂げてはいません。それに軍事力も日本の庇護下になければ無しの飛礫。 何を持って太陽の帝国の民を呼び込むのですか?」 宮内大臣が聞く。だが、ラーマ8世にはある秘策があった。彼はこの国の価値を理解していた。 インドシナ半島の中心に位置し、伝統と豊かな自然環境を持ち、整備された良港と人口6600万人という武器がある事を。 「大臣、思い出せ、この国の地理を。我々の武器は内陸鉄道と海洋観光だ」 そして国王は語った。ベトナムを経由してインド洋に至るまでのルート、更にはビルマ内陸部へのルートをタイ国軍が安全を保障し、日本の資産と技術を利用して国土を発展させる。 またプーケット島を初めとする南国のリゾート開拓を行い日本の富裕層、最終的には賃金格差を活かした大日本帝国の一般臣民を招く。その為に海路と空路を整備する。 無論、向こう30年は我が国は大日本帝国の下働きに甘んじるだろう。だが半世紀後はどうだろうか? 15歳で日本の航空会社に現地雇用された者が半世紀近い時をかけて経営者となりタイのナショナルフラッグ(国家航空)を築けるのではないか? 海路の整備はやがてタイ海軍の仕事となり嫌でもタイ海軍、タイ空軍の強化に繋がるだろう。 鉄道技術の輸入は国内の流通を加速させ更なる発展をもたらす。 ベトナム、ビルマとの安全保障にも役立つであろうし、大量の大日本帝国臣民の観光客受け入れは日本との無言の同盟関係構築にも繋がる。 「……そして……日本との経済協力の深化は間接的にあのメヒカの太陽と関係強化にもつながり、ドイツの脅威から我らを保護する盾となるだろう。 ………………これが朕の考えだ」 この日の御前会議を持ってタイ王国は外交方針を決定。 大日本帝国へ観光資源を武器にした外貨誘致政策と史実では2010年代に開始される予定だったインドシナ半島横断道路や横断鉄道の開発、日タイ悲劇の一つ泰緬鉄道のタイ主導の開発が決定。 そしてそれは軍部を通して日本に打診される事となる。 お久しぶりです、ヤン・ウェンリー回想録のルルブです。 タイに遊びに行ってきて彼の地文化に触れたが故に書かせてもらった駄文です。まとめもOKですがよろしければ感想など頂ければ幸いです。
https://w.atwiki.jp/ifjpnvictory/pages/14.html
各国の概要です。 欧州 フィンランド ポーランド ノルウェー スペイン デンマーク ユーゴスラビヤ ギリシャ オランダ リトアニヤ 欧州連合帝国 エストニヤ 白ロシア ウクライナ ロシア国家社会主義共和国カフカス地区 ロシア アフリカ エチオピア マダガスカル共和国 エジプト・スーダン連合王国 サハラ連合 リベリア共和国 リビア 南アフリカ共和国+ナミビア共和国 アジア シベリア共和国 インドネシア連邦 フィリピン共和国 パキスタン 自治領・南洋王国連合 中華人民共和国 大日本帝国 中華民国 チベット法国 バングラデシュ インドシナ連邦 クウェート インド ラオス王国 イラン アフガニスタン 大韓帝国 布哇王国 琉球王国 アイヌ首長国連邦 北米 アメリカ共和国連合 アメリカ合衆国 コロンビア 南米 ペルー
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/787.html
勅令(ちょくれい) 国王・皇帝・天皇などの君主が直接発する命令・法令のこと。ナントの勅令など。 日本における法令の一形式。この項目で記述する。 勅令(ちょくれい)とは、日本においては天皇が発した法的効力のある命令を指す。ここでは緊急勅令やいわゆる「ポツダム勅令」についての記述を含む。 概要 大日本帝国憲法第9条に定められていた法形式であり、法律を執行するためまたは公共の安寧秩序を保持しおよび国民の幸福を増進するために天皇が制定していた。憲法上法律事項とされていない事項を対象とする場合は勅令による制定が可能であった。法律事項以外でも、軍に関することは軍令で、皇室に関することは皇室令で定めていたので、これらを除いたものが勅令事項とされていた。制定にあたっては内閣が輔弼(事実上の承認)をしていたので、現在では内閣が発する政令とみなされ、位階令など一部には現在でも効力を有しているものがある。現在、勅令の廃止や改正は(法律の効力を持ついわゆる「ポツダム勅令」を除いて)政令により行われている。 勅令の公布手続は1886年制定の公文令及び1907年制定の公式令によって定められていた。公式令によれば、法律と同様に上諭を付けて公布され、天皇の署名捺印の後に内閣総理大臣、場合によっては内閣総理大臣及び当該勅令条項を主管する国務大臣、あるいは内閣総理大臣以下全ての国務大臣による副署を加えて公布された。 「緊急勅令」とは、大日本帝国憲法第8条に基づき緊急時の法律に代わるものとして天皇が発布したものである。効力などについては、緊急勅令を参照。 「ポツダム勅令」については、ポツダム命令の項を参照。 主要な勅令 以下の一覧で示されるものの大半は廃止されるか失効している。現に効力を有する又は有すると判断されているものについてはその旨特記する。 明治時代 Template main? 大正時代 Template main? 昭和時代 Template main? 関連項目 大日本帝国憲法 日本国憲法 緊急勅令 太政官布告・太政官達 日本の法律一覧 日本の廃止された法令 条約の一覧 法律 法令 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月20日 (木) 17 27。
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/818.html
帝国大学(ていこくだいがく)とは、1886年(明治19年)に公布された帝国大学令によって設立された大学のことである。以下のように、1校のみの時期はその大学の名称として、2校以上になってからは大学群の総称として使われた。 1886年~1897年:日本唯一の大学であった東京大学(1877年設立)が帝国大学令に基いてつけられた名称。 1897年~:帝国大学令に基いて設置された複数の大学群の総称。最終的に、内地に7校、外地に2校設置された。 概要 帝国大学は、前身となる高等教育機関を改組・改称して設置され、後に学部を新設したり、他の高等教育機関を包摂したりして、日本で有数の、あるいは各地域を代表する総合大学となっていった。 大正時代まで、卒業時、学科ごとに最優秀のものには天皇から恩賜の銀時計が下賜された。1886年(明治19年)には、卒業生のクラブとして学士会(本部・東京都)が設けられた。今日においても旧帝国大学出身者は同会への入会資格が与えられる。 終戦前、帝国大学は略して帝大と呼ばれていた。戦後に帝国大学令が廃止されたため、現在、これらの大学群は「旧帝国大学」または「旧帝大」とも呼ばれている。この呼称の場合、旧外地の京城・台北の両帝国大学を含む場合と含まない場合とがある。 一覧 かつて存在した帝国大学は次のとおり。番号は設置された順番を示す。 帝国大学(後の東京帝国大学。現在の東京大学) 京都帝国大学(現在の京都大学) 東北帝国大学(現在の東北大学) 九州帝国大学(現在の九州大学) 北海道帝国大学(現在の北海道大学) 京城帝国大学(終戦後閉鎖。建物等はソウル大学校に引継) 台北帝国大学(現在の台湾大学の設立母体) 大阪帝国大学(現在の大阪大学) 名古屋帝国大学(現在の名古屋大学) 歴史 東京 1. 帝国大学(後の東京帝国大学。現在の東京大学) 大日本帝国憲法発布(1889年)までの流れの中、国号が日本から大日本帝国へと定まった。すると、1877年(明治10年)設立の日本唯一の大学「東京大学」を、「大日本帝国の最高学府」と位置付けるために帝国大学令(1886年)が公布され、「帝国大学」に改称・改組した。大学制度の実質的な変化は伴っていない。 京都 2. 京都帝国大学(1897年設立、現在の京都大学) 1897年(明治30年)、日清戦争の賠償金をもとに、第三高等学校の一部の施設を利用し(第三高等学校は移転した)京都帝国大学が設立された。これにより「帝国大学」は「東京帝国大学」と改称した。 東北・九州・北海道 3. 東北帝国大学(1907年設立、現在の東北大学) 4. 九州帝国大学(1911年設立、現在の九州大学) 5. 北海道帝国大学(1918年設立、現在の北海道大学) 1890年(明治23年)に帝国議会が成立したことにより、京都帝大設立以降、帝大設立のための多くの建議が議会で採択された。ただし、「建議」は、大日本帝国憲法下で議院が政府に意思を示すことであり、法案ではないため法的拘束力はない。 1890年代末、京都帝国大学設置と同時期に成立した山県有朋内閣の樺山資紀文部大臣が、東北と九州にも帝国大学を設置したいと言明した。東北では第二高等学校がある宮城県に設置する意思が表明されたが、九州においては設置する県を明言しなかった。すると、八幡製鉄所がある福岡県と、古くから医学が盛んで第五高等学校医学部がある長崎県が、「50万円を寄付する用意がある」とそれぞれ言明。また、第五高等学校の本部がある熊本県は、土地の提供を申し出た。しかし、「寄付で設立されても運営費が捻出出来ない」と、帝国議会から消極論が出て両帝国大学の設立は見送りとなった。 1900年(明治33年)、第14帝国議会において、野党・政友会(伊藤博文総裁)によって「九州東北帝国大学設置建議案」および「北海道帝国大学設立建議案」が提出された。建議案は衆議院特別委員会にて可決され、東北・九州・北海道の各帝国大学設立の要求が議会から政府に表明された。しかし、野党案であったことや、建議に拘束力がなかったこと、1900-01年の日本は不況期であったことなどから、政府は消極姿勢であった。対して議会では、1901年(明治34年)「北海道帝国大学設立建議」、1902年(明治35年)「東北帝国大学設立建議」と重ねて採択が行われ、政府へ働きかけた。 1902年(明治35年)、第一次桂太郎内閣の菊地大麓文相(元東京帝大総長)が、「東京・京都以外に帝大は設立不要」とし、実用的な専門学校の設置案を提案した。衆議院解散で設置案は流れたが、九州帝大設置のために巨額の寄付を申し出ていた各県に専門の高等教育機関の設置が決まり、まず、国から150万円の予算を得て1903年(明治36年)に福岡県立福岡病院をもとに京都帝国大学福岡医科大学が設立された。その後、1905年(明治38年)に長崎高等商業学校が、1906年(明治39年)に仙台高等工業学校、および、第五高等学校工学部をもとに熊本高等工業学校が設置された。 1906年(明治39年)、京都帝大の設置に尽力し、高等教育機関の設置に前向きな西園寺公望を首相とする第一次西園寺内閣が成立すると、1907年度(明治40年度)予算に東北帝国大学(仙台市)および九州帝国大学(福岡市)の設置予算を組み込んだ。しかし、日露戦争後の不況期に入ったことを理由に板谷蔵相によって予算は削減され、設立は絶望的となった。このとき、現・岩手県盛岡市出身で古河鉱業副社長であった原敬内務大臣が、古河財閥の二代目オーナーの古河虎之助(当時17歳)を説得し、両帝国大学設立のための資金を献納させることを取り付け、予算削減から17日目に両帝国大学の設置が閣議決定された。日露戦争による好況(1904-05年)によって財を成した古河財閥は、一方で足尾銅山の鉱毒による公害問題を抱えており、公のために寄付をすることで世論の沈静化を願った。 古河財閥の寄付金は100万円ほどあった。うち、約66万円が割り振られて、1907年6月に東北帝国大学が設置された。東北帝大分は、40万円ほどが札幌農学校の東北帝大農科大学昇格(1907年9月設置、札幌区)、26万円ほどが東北帝大理科大学新設(1911年1月設置、仙台市)のために用いられた。九州帝国大学は、東北帝大理科大学新設と同時の1911年1月に設置された。古河財閥の寄付金の九州帝大分約35万円は、九州帝国大学工科大学(1911年1月設置、福岡市)の校舎建設の資金として当てられた。同1911年4月には、京都帝大福岡医科大学が九州帝大に移管された。各々の帝国大学設立には、地元からの寄付金等も用いられた。 1911年(明治44年)、三度目の「北海道帝国大学設立建議案」が議会で採択されたが、政府は消極的だった。しかし、第一次世界大戦による好況(1915-18年)に入ると風向きが変わり、大学令公布に伴う各帝国大学の分科大学制から学部制への改組に先立って、1918年(大正7年)4月、札幌区所在の東北帝国大学農科大学を東北帝大から分離して北海道帝国大学が設立された。同年、原敬内閣の下、「高等諸学校創設及拡張計画」が帝国議会で可決され、東京帝国大学・京都帝国大学に各々経済学部が、東北帝国大学・九州帝国大学には各々法文学部が設置された。 帝国議会と政府との関係、資金面の問題、校舎建設の問題、前身となる高等教育機関と新設各帝国大学との関係から、この時期の帝国大学の設立経緯は複雑である。また、この時期設立の帝大は全て地方名が大学名として採用され、その他の帝大が都市名を冠しているのとは対照的となっている。 なお、六大都市の大阪市(125万人)や名古屋市(43万人)、あるいは、広島市(16万人)や金沢市(13万人)に比べて人口が少ない仙台市(12万人)、札幌区(10万人)、福岡市(9.5万人)に政策的な理由で帝国大学が設置されたため、他の大都市では帝国大学設置運動がその後も続いた(→都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位)。 京城・台北 6. 京城帝国大学(1924年設立、敗戦による廃校後ソウル大学校に再編) 7. 台北帝国大学(1928年設立、台湾大学の設立母体) 1920年(大正9年)の国際連盟発足に伴い常任理事国の一員となり、国際的地位を得た日本は、外地同化政策の一環として、朝鮮、台湾、関東州などにおいても帝国大学を初め数々の高等教育機関を設立していった(→旧外地の高等教育機関)。全ての内地(日本国内)の大学・高等教育機関が文部省管轄下にあったのに対し、京城・台北の両帝国大学を始め、外地のほとんどの学校・大学が台湾総督府・朝鮮総督府・関東局あるいは外務省の管轄下に置かれた。なお、1920年代には、大学令による大学が多く設立されている。→旧制大学 大阪・名古屋 8. 大阪帝国大学(1931年設立、現在の大阪大学) 9. 名古屋帝国大学(1939年設立、現在の名古屋大学) 世界恐慌(1929年)以後、帝国大学設立は2校に留まった。大阪帝国大学は大阪医科大学、名古屋帝国大学は名古屋医科大学を前身として設立されている。 これ以後、軍部の台頭によって財政は軍事費優先傾向が強くなり、新たな帝国大学の設立は行われなかった。しかし、その他の高等教育機関の設立・改組などは行われた。 戦後 外地にあった京城帝国大学と台北帝国大学では、日本の敗戦によって教授陣(日本人)が大量に日本に引き揚げたため、大学の建物は残っても修業年限全てに渡って充分な講義をすることが困難になった。そのような大学組織の内部事情と日本の統治の仕方の違い(→日本統治時代 (朝鮮)、日本統治時代 (台湾))も影響して、台湾大学は、設立母体を台北帝国大学としているが、ソウル大学校は1946年(昭和21年)に新設した大学として、設立母体を京城帝国大学とはしていない。また、講義に用いられる言語については、戦前は日本語が用いられたが、戦後、ソウル大学校では朝鮮語、台湾大学では中国語への変更がなされた。なお、台湾大学では、日本各地の小・中・高の教育を受けた国民党側の子弟の留学枠が存在し、中国語が拙いこれらの学生に対し、戦前に日本語で教育された教授陣が個人的に日本語で教育する例も見られた。 内地においては、1947年(昭和22年)に帝国大学令が国立綜合大学令と名称変更され、それに伴い各地の帝国大学は改称し、学制は保持しつつも帝国大学の名は消えた。その後、1949年(昭和24年)に新制大学に包括され(学制改革)、1962年(昭和37年)に各旧制大学は廃止された。これにより、学制上の帝国大学もなくなった。 かつて帝国大学であった大学のことを旧帝大と呼ぶ。学士会はそのまま存続し、内地の七大学(と外地の帝大卒業生)共通の同窓会組織として機能している。また、七大学の定期対抗戦である全国七大学総合体育大会(通称して七大戦、もしくは七帝戦)が毎年開催されている。また九つの帝国大学が存在したことから「九帝大」とも呼ばれていたが、「旧帝大」と同音異義語であることと国外の旧帝大との交流が減ったことにより、現在は死語となっている。 設立過程 政府が率先して設置した帝国大学もあったが、帝国議会が成立した後は、議会が数々の帝大設立建議を採択し、政府に設置を働きかけた。しかし、建議は法的拘束力がない上、帝国大学以外の他の高等教育機関が比較的安価に設立できたのに対し、帝国大学は格付けが高く、設立に多大な費用を必要とした。そのため、財政的裏付けのない議会の帝大設立建議が、すぐに設立に結びつくとは言い難かった。 近況 入学状況 2007年度(東大と阪大は2006年度)の出身高校所在地別入学者比率は、以下のようになっている。 北海道大学:北海道49.9%、中部地方12.9%、関東地方12.1% 東北大学:東北地方46.0%(宮城県16.7%)、関東地方23.9%、中部地方17.8% 東京大学:関東地方49.5%(東京都30.8%)、中部地方15.2%、近畿地方13.7% 名古屋大学:東海4県76.7%(愛知県52.4%)、北陸・甲信越地方6.8%、関西地方4.4% 京都大学:近畿地方59.8%(大阪府20.3%)、中部地方14.7%、関東地方7.8% 大阪大学:関西地方58.8%(大阪府25.7%)、中部地方(三重県を含む)13.7%、中国地方9.0% 九州大学:九州・沖縄地方76.3%(福岡県42.5%)、中国地方12.3%、四国地方3.3% ※各大学において上位3地方と第1位の都道府県を全体に対する比率と共に記載。 ※三重県は近畿地方に含め、中部地方には含めないが、異なる場合には但し書きする。三重県が含まれない近畿地方を関西地方と記載する。 ノーベル賞 2007年現在、アジア人の自然科学分野のノーベル賞受賞者の半数は、帝国大学ないしは旧帝国大学が改組して誕生した国立大学の出身者となっている。ただし、受賞理由となった研究は、出身大学の研究機関で行われたとは限らない。 自然科学分野 旧帝大卒(9人) 京大(5人):(京都帝大)湯川秀樹、朝永振一郎、福井謙一。(京都大)利根川進、野依良治 東大(2人):(東京帝大)江崎玲於奈。(東京大)小柴昌俊 東北大(1人):田中耕一 台湾大(1人):李遠哲 旧帝大以外(7人) パンジャーブ大学(パキスタン・ラホール)(2人):アブドゥッサラーム、ハー・ゴビンド・コラナ マドラス管区大学(インド・チェンナイ)(2人):チャンドラセカール・ラマン、スブラマニアン・チャンドラセカール 西南聯合大學(中国・天津市)(2人):李政道、楊振寧 東京工業大学(日本・東京都)(1人):白川英樹 アジア以外の国籍(2人) オーガスタナ大学(アメリカ合衆国・ロックアイランド)(1人):ダニエル・ツイ(崔琦。中国・河南省生まれ、香港出身。アメリカ国籍) セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ(日本・横浜市)(1人):チャールズ・ペダーセン(ノルウェーと日本のハーフ。韓国・釜山市生まれ、日本・横浜市出身。ノルウェー国籍) 論文の引用動向 論文の被引用数による順位(1996年~2006年。自然科学分野・総合)日本の論文の引用動向 1996-2006(トムソンサイエンティフィック) 「論文数」で見ると、上位7法人は旧帝国大学となっている。 国内被引用順 世界被引用数順 国内論文数順 法人名 被引用数 論文数 平均被引用数 01 13 01 東京大学 849,355 68,434 12.41 02 30 02 京都大学 590,674 49,593 11.91 03 34 03 大阪大学 532,235 43,353 12.28 04 70 04 東北大学 366,693 40,078 9.15 05 99 06 名古屋大学 280,933 27,326 10.28 06 110 11 科学技術振興機構 258,718 16,888 15.32 07 119 05 九州大学 251,535 28,205 8.92 08 140 07 北海道大学 222,058 27,002 8.22 09 159 13 理化学研究所 209,600 15,334 13.67 10 163 08 東京工業大学 203,096 24,016 8.46 11 190 09 産業技術総合研究所 182,015 22,947 7.93 12 217 10 筑波大学 160,333 17,226 9.31 13 276 12 広島大学 127,114 15,905 7.99 14 287 18 自然科学研究機構 122,085 9,651 12.65 15 293 15 慶應義塾大学 117,055 12,118 9.66 16 295 16 千葉大学 116,853 11,861 9.85 17 338 17 神戸大学 100,642 10,605 9.49 18 349 14 岡山大学 97,698 12,753 7.66 19 369 19 熊本大学 92,515 7,804 11.85 20 370 20 東京医科歯科大学 92,207 7,372 12.51 研究費 法人別主要研究費(研究経費+科学研究費補助金(直接経費)。2005年度)国立大学法人等の科学技術関係活動に関する調査結果(内閣府・科学技術政策担当) 総ての国立大学法人の中で、研究費が多い上位7法人は旧帝国大学の7校となっている。以下の表には、大学共同利用機関法人も含む。 順位 法人名 主要研究経費 1 東京大学 435.3億円 2 東北大学 259.5億円 3 京都大学 248.4億円 4 大阪大学 242.7億円 5 自然科学研究機構 238.2億円 6 高エネルギー加速器研究機構 162.7億円 7 情報・システム研究機構 157.2億円 8 九州大学 147.1億円 9 名古屋大学 136.3億円 10 北海道大学 128.7億円 法人別研究経費(2005年度) 順位 法人名 研究経費 1 東京大学 255.9億円 2 自然科学研究機構 219.8億円 3 東北大学 175.3億円 4 大阪大学 161.9億円 5 高エネルギー加速器研究機構 153.2億円 6 情報・システム研究機構 141.5億円 7 京都大学 131.5億円 8 九州大学 94.8億円 9 名古屋大学 78.2億円 10 北海道大学 77.7億円 脚注 関連項目 学校制度の変遷 - 学制 - 大学令 旧制大学 旧制高等学校 旧制専門学校 旧外地の高等教育機関 大学 - 大学群- 大学院 大学院進学率 学制改革 - 新制大学 高等教育 教育学 学歴 講座制と学科目制 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月2日 (土) 04 31。