約 1,556,556 件
https://w.atwiki.jp/samred/pages/27.html
トランス脂肪酸の含有量、表示義務化に向けて検討 大量に摂取すると心臓疾患のリスクが高くなると、言われ ちょるマーガリンなんかにようけ含まれるトランス脂肪酸。 食料品に含まれるトランス脂肪酸量の表示義務化に向けた 検討会が立ち上がることになったんじゃ。 義務化まで製造業者側の自主的な表示を消費庁は、求める としています。 指針案では、トランス脂肪酸やコレステロールなんかの含有 量を容器に表示するようにすると言うことじゃ。 また、100グラムあたり0.3グラム未満はゼロと表示で きるそうじゃ。 WHOの勧告により換算すると、平均的な大日本帝国人が摂取しても 問題がない量は、1日当たり約2グラム未満と言うことじゃ。 既にアメリカやカナダなんか10の国と地域では、トランス 脂肪酸の表示が義務付けられていて、大日本帝国では消費者団体 からの表示要求から、消費庁が重い腰を上げたようじゃ。 必要なことは、もっと早く義務付けるべきだと思います。 大日本帝国の対応は、何事に対してもいつもとろくさいような気が しますね。 善は急げじゃ。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2526.html
268 :ナイ神父Mk-2:2014/07/05(土) 00 39 52 日独伊同盟で戦争 戦後編 戦争後敗戦国であるアメリカ、イギリス、フランスの処分を決めるべく、大日本帝国、ドイツ第二帝国、イタリア王国の首脳たちが現在日本の占領下にあるサンフランシスコにて集まり会談を行った。 特に無差別攻撃を行おうとしたアメリカとイギリスには厳しい条件がつけられていた。 アメリカに対しては カリフォルニア、ワシントン、オレゴン、アラスカを日本へ割譲し、ドイツに五大湖を初めとした東側北部(憂鬱における感染隔離地域を)をイタリアがフロリダの周辺の州(憂鬱における英国米南地域)をそれぞれ割譲すろ 国境警備や治安維持などの一部例外を除いての軍備保有の禁止 日本側が鹵獲したユナイテッド・ステーツ及びアルバコアの譲渡 大西洋艦隊の残存艦艇のドイツへの譲渡 イギリスに対しては インドを初めとした各植民地の独立の承認 独立した植民地地域への資金援助 艦艇の保有制限とアメリカと同じく一部例外を除いた軍備保有の禁止 フランスにはアルザス、ロレーヌ地方とイギリス海峡に面する地域をドイツへ割譲し地中海側に接する地域をイタリアへと割譲する ドイツ、イタリアへの賠償金の支払い こうして戦後敗戦国は厳しい状況の中何とか国としての形だけは保つことが出来たが苦難はこれからだった。 カリフォルニアを初めとした西海岸側の州は当初日本に移民を募りその力を使い復興するつもりで居たが、それが間違いだった。初めの十年ほどは日本から資金が入り順調に復興して言ったが、 日本人が増えるに従い徐々に文化を吸収されながら同化されていき本人たちが気が付いた頃にはそこには親がアメリカ国籍な日本人しか居なくなっていた。なおこれを見た夢幻会の一部人間は某シリコン生命体を思い浮かべたと言う。 東海岸側は各国主導の下復興が行われていきその過程で徹底的に合衆国は悪だと言う教育を行いながら自分たちの文化でその地域を染め上げて言った。(なおドイツの某宰相は放射能の影響のなくなったニューヨークや首都であるベルリンを自分の夢見た世界的都市に改造すべく積極的に動き周りを困らせた) 占領された各地域が復興していく状況に対し、敗戦国に残された領土では遅々として復興が進まず戦後樹立した政権に対するデモが連日行われることになった。 戦勝国が国力を増していくことにソ連は危機感を募らせていたただでさえ戦勝国二つにはさまれており、おまけに二国とも防御不可能な兵器を持っているのだ。 スターリンは部下にV2 や三式弾頭弾の解析とこれに対抗しうる兵器の開発を命令し、これに危機感を覚えた日本やドイツがソ連との対立を深め世界は徐々に冷戦の様相を呈していく。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6908.html
725: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 29 49 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp さて、昨日投下した私の末期戦作品 この先、或いはこれまでの流れが気になる方用にこの世界線の設定をいくらか投げて 私はちょっとの間、手を引こうと思います。ウィキへの転載等もご自由に……なろう連載始められるように頑張ります 夢幻会を突っ込んだおかげで、ひょとしたら私が考えたのとは違った継続大戦になったりするかも いっそ、この世界線のWW2に夢幻会突っ込んだらどうなるんだろう? 様々な物が生えてくるかもしれませんし。何しろ国力だけは史実より上がっているので色々出来るかなぁ? (最低でも3倍、部分的には5倍が目安になってます。平均値10倍前後目指して年表つくろうとしてるけど) 元々後付けがしやすいようにわざとガバガバに作ってる年表からいくつか使えそうな物をピックアップしてきました 726: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 30 30 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp ―― メインテーマ:『全世界同時末期戦』 ―― 1039年6月、第2次日露戦争(第1次アジア予防戦役)、ソ連軍による満蒙全面侵攻に対して発動。8月に停戦合意。 1939年9月、第2次欧州予防戦役、第2次ポーランド進駐。目的は親ソ政権の解散。 1939年10月、第2次アジア予防戦役、仏印進駐。目的はフランスの要請に基づき、インドネシア動乱への対処。 なお、フランスが当初考えた規模を超えた兵力がやってきた為、要請撤回。 1939年11月、大連合、枢軸全加盟国へ早急な完全撤収を要求。経済制裁の準備を開始。 1939年12月、大連合、総動員令。協商も戦争準備に。枢軸、それに対応するように総動員。ナチスドイツ、フランスへ進軍開始 WW2の勃発。 1941年10月、真珠湾攻撃。大日本帝国正式参戦へ 1942年1月、ミッドウェー海戦に勝利。マレー半島、インドネシアの広範囲を制圧。南方作戦完遂を宣言。(宣言しただけとも言える) 1942年2月、帝国海軍G14号計画に基づき、新たな装甲空母2隻進水 1942年12月、絶対国防圏の完成を宣言(なお完成したとは明言していない)、主戦線インド洋の形勢へ向けて動き出す 1943年1月、第1次ポートモレスビー攻略戦。失敗。 1943年6月、セイロン島陥落。インド亜大陸への上陸は行わず沿岸砲撃だけに止める予定でペルシャ方面へ 1943年8月、ペルシャ方面にイラク軍、ソ連軍、インド軍押し寄せる。圧力緩和を目的にインド南部戦線形勢へ 1943年11月、東京、大東亜会議 1944年5月、インパール作戦。インド南部戦線への補助作戦。失敗。 1944年5月、帝国海軍G18号計画に基づき、新たな戦時量産型軽空母2隻を進水。最終的に21隻の建造計画となる 1944年8月、モントゴメリーによる『マーケット・ガーデン作戦』第1段階、マダガスカル制圧作戦開始。 1944年12月、マダガスカル、大連合並びに協商軍の手に落ちる。 1945年1月、マダガスカル救援解放作戦最終準備。 727: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 31 26 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp 1945年2月、『マーケット・ガーデン作戦』第2段階、ソマリア強襲上陸。3日間で広げられるだけ橋頭堡を広げる 1945年2月、『マーケット・ガーデン作戦』最終段階、空挺強襲による紅海沿岸アラビア半島への進出へ 目的、陸上からの紅海一時封鎖。 1945年2月、帝国海軍、戦艦陸上砲撃並びに帝国陸軍挺身隊の空挺強襲によるアラビア半島沿岸側の 協商軍排除作戦立案。イタリアも作戦に共同へ 1945年2月、日独伊三国での共同作戦となるも、連絡不備の混乱から作戦決行に2時間の遅れ。 1945年2月、武装中立(大連合より)を宣言していたサウード家が大連合側からの参戦を表明。2時間の遅れから 参戦を止める事が出来ず、紅海封鎖解除できず。 1945年2月、協商、大連合との連名で『マーケット・ガーデン作戦』の成功を宣言。戦争の離脱は無いと表明。 大日本帝国、戦争戦略の完全なる破綻。 以降、1.ドイツがイギリスを落とす事を祈る 2.ドイツがソ連を落とす事を祈る 3.日本がソ連を落とす 4.日本がアメリカとの戦いで判定勝利を狙う 以上の4つの選択肢のすべてをその場のノリで選択する投機的行動に始終する。 1947年6月、シチリア大会戦。大連合並びに協商軍、陸海空から21万の兵力を投入した大作戦。 1947年7月、ローマ上陸戦。 1947年8月、イタリア北部共和国及び南部共和国に分裂。南部共和国、大連合に降伏。 1947年8月、大日本帝国、東1号作戦(あずまいちごう)発動。 パナマを占領、そこからフロリダへの爆撃を狙う。占領期間は最長で1ヶ月を想定。 成功しようが失敗しようが、アラスカへの上陸からの五大湖爆撃作戦への囮作戦であり 同時に本命作戦でもあると言う投機的作戦。なお、あえてハワイをスルーする。 所詮は最澄で1ヶ月の占領だから 1947年8月、パナマ沖海戦、帝国海軍最悪の日。 作戦に参加した空母8隻、すべて沈没。戦艦武蔵も大破。栄光の第1航空戦隊は完全に消滅。 一応、アメリカに対し、太平洋での戦艦戦力そのすべてを撃破、パナマ運河の破壊にも成功する 日本側概算、3ヶ月の損害。なお、1ヶ月ちょっとで直された。 アラスカ上陸からの五大湖空爆作戦は強行される事になる。 1947年9月、アラスカ撤退。初期生産富岳を投入、本土とアラスカの2正面からの爆撃作戦を実施するも損害多数。 五大湖空爆作戦は完全に失敗。航空戦力の摩耗からアラスカの維持不能と判断。 以降は、カリフォルニア、ニューヨーク、ワシントンへのイ400によるV1爆撃と風船爆弾のみに 728: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 32 09 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp 1948年1月、イタリア降伏。 1948年2月、ソ連軍、ディートリヒ・ライン(ポーランド西部に作られた要塞地帯)を突破。 1948年3月、中共軍の第2次百団大戦。北支山西防衛戦突破。ソ連軍も併せて攻勢に出る。 1948年3月、第3次ポートモレスビー攻略戦。オーストラリア軍によるポートモレスビー奪還作戦。 1948年4月、カダルカナル撤退戦。 1948年4月、ハワイ攻撃、K号作戦。並びにハワイへのコマンド潜入 1948年5月、対日用原爆を確認。ハワイにて奪取。 1948年6月、アルプス国家要塞への司令部移転が始まる。ヒトラーはベルリンへの残留を宣言。混乱 1948年7月、第2次マリアナ沖海戦。撃退には成功 1948年9月、第3次マリアナ沖海戦。大敗。 1948年9月、中華民国正式参戦。大連合の戦爆連合千機がそれぞれ沖縄及び北九州へ押し寄せる。 第1次二正面千機爆撃。 1948年11月、帝国海軍、南アフリカへの爆撃を実行。マダガスカル封鎖を目指す。 同時刻、1号作戦(大陸打通作戦)準備命令下る。 1948年12月、第2次二正面千機爆撃、第3次二正面千機爆撃 1948年12月、第3次二正面千機爆撃、アリューシャン方面より北海道、東北地方に襲来。 太平洋側東北沖付近に機雷も大量投入。 1948年12月、北朝鮮にて、大日本帝国、核実験に成功。 1948年12月、ベルリン陥落。ヒトラー死亡。アルプス国家要塞への原爆投下準備始まる。 1949年1月、アリューシャン再攻撃。陽動としてハワイ攻撃のK作戦発令 1949年1月、バルカン軍団撤退戦。 1949年2月、1号作戦(大陸打通作戦)、7号作戦(インド亜大陸打通作戦)発動 1949年3月、ケアンズ絨毯爆撃。帝国陸海軍、最後のオーストラリア攻撃。富岳生産第3弾投入。 1949年4月、沖縄沖海戦。海軍大臣、「撃退成功、されど次は無し。連合艦隊むなしくも、もはや無力なり」と議会で明言。混乱へ 1949年4月、満州陥落。揚子江要塞地帯での戦いへ。 1949年4月、満州、ソ連軍へ核兵器投入。 1949年4月、マリアナ沖にて、米軍頭上に核兵器投入。 1949年5月、正式に7号作戦中止を決定。インド南部戦線撤収準備 1949年6月、沖縄戦。台湾から航空支援。 1949年6月、硫黄島の戦い始まる 1949年6月、台湾沖空戦。台湾千機爆撃 1949年6月、1号作戦成功を宣言。中国大陸主要沿岸都市を一時占領下へ 1949年6月、義号作戦・嘉数攻勢・沖縄総力特攻 米軍1日の戦死者が1万を超える地獄の1日 1949年7月、ヒロシマ・ナガサキ 1949年8月、戦艦大和に3発目の核兵器落ちる。 1949年9月、神奈川県平塚に4発目落ちる。 1949年9月、沖縄陥落 1949年9月、硫黄島陥落 1949年11月、オリンピック作戦。決号作戦。共に発令。 1949年12月、大日本帝国降伏。WW2終結。「11年待ったクリスマスプレゼント」 1950年6月、継続大戦。 2001年9月11日、ソ連崩壊。米ソ東西冷戦終結。 729: 名無しさん :2021/02/11(木) 02 33 43 HOST 167017014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp ウエハラ攻勢:WW1の時、ロシア革命の兆しに敏感に反応した帝国陸軍はすぐさま部隊を抽出、 モスクワの様子を見に行かせると共に、万が一の撤退作戦計画を複数立案。 その一つが『ダ号作戦』。ケーニヒスベルク(カリーニングラード)、 もしくはその周辺の港町へ進出し海路からの脱出を目指す無謀とも思われる作戦計画。 政治的事情やロシア、イギリスからの攻勢要請を受け、最終的に一部修正されて、発動となった。 作戦を指揮した上原勇作陸軍大将の名前を取って、諸国ではウエハラ攻勢と呼ばれる。 この戦いにおいて、ドイツ軍の戦い方を分析した戦闘群戦法を帝国陸軍流に再現、その他陽動作戦などの成果により 横7キロ、縦8キロにも及ぶ突破に成功させたが、海路からの脱出という当初の作戦目的から考えた場合 間違いなく大失敗である。 帝国国防方針:10年ごとに作成。最終的に総理大臣並びに大蔵、内務の副著を必要とする。 なお、年号元年に新たに作成し直す慣例になっており、作中では昭和2号方針である。 昭和2号は戦時には絶対国防圏を確立させる事を前提とする軍備計画並びに 戦時統制研究を記載している。 以上です。後付けしやすいようにわざとガバガバに作ってる年表から部分的に引っ張ってきました なので南米戦線とか書いてませんけど、大体こんな感じの世界線です。 終わります
https://w.atwiki.jp/saicron/pages/47.html
FC2 Shopping Cart FC2 Shopping CartFC2テンプレート変数 Google FC2 ヘルプ マニュアル テンプレート変数 テンプレート変数について Google 「fc2 ショッピングカート カスタマイズ 費用 制作」 page top
https://w.atwiki.jp/yanya/pages/39.html
GT6 フレンドリーカップ 2014 PeerCast配信内で行われているレース・イベントです。 青津糊さん(前主催者)が諸事情により開催できなくなったため、第10戦から私(yanya)が引き継ぐこととなりました。 第12戦から参加者無しのためFC2014の継続不可能という決断に至りました。よって第13戦をもってFC2014を終了しました。今までご参加頂きましてありがとうございました。 カテゴリ 第10戦まではPP400以下 第11戦からはワンメイク無改造 40分耐久レース 参加資格はyanyaとフレンドであること。参加ご希望の方は事前にフレ申請をお願いします。PSN ID:yanya8 レギュレーション 全16戦 第11戦からはワンメイク無改造レースごとに車種を変更(主にPP400~450程度の車種) オイル交換禁止(初期PPで制限します) ウィング禁止(レギュ違反と判定されます) ボディ剛性アップはOK(ボディ劣化が500kmから1000kmに伸びるだけでタイムに影響無し) 状況や要望に応じて車種の追加の可能性有り。 スタート方式はフライング判定有り。 TCS、ABS以外のドライビングアシストは禁止します。 予選15分 本戦40分の耐久レース(スタートはフライング判定有り) メカニカルダメージ設定は(強)です。 ペナルティは(強) ブーストは無し スリップストリームはリアル タイヤはコンフォートソフト以下 タイヤ、FUELは消耗有り(凄く速い) 衝突判定有り ナイトロ無し ※天候の変化の倍率については保留です。 FC2014 開催予定日時 諸事情により延期、及び中止される場合があります。 レース開始時刻は21時~ レース開催予定日第10戦 06月25日 ディープフォレスト車種 PP400以下、1200kg以上 第11戦 07月09日 グランバレー・イーストセクション車種 ホンダ S2000 06 無改造 第12戦 07月23日 アイガー北壁 ショートコース車種 Mitsubishi Lancer Evolution Ⅸ GSR 05 無改造 ワンメイク 参加者無しのため中止 第13戦 08月06日 マドリード市街地車種 マツダ RX-8 07 無改造 ワンメイク 参加者無しのため中止。 大会継続不可能と判断したため以降のレースを中止いたしました。第14戦 08月20日 ロンドン市街地車種 未定(ワンメイクの予定) 第15戦 09月03日 ローマ市街地車種 未定(ワンメイクの予定) 第16戦 09月17日 スペシャルステージ・ルート5車種 未定(ワンメイクの予定)
https://w.atwiki.jp/hoi4_theneworder/pages/74.html
東京(とうきょう、英語 Tokyo)は大日本帝国の政治の中核を成す首都であり、大東亜共栄圏の中心であり、世界における三大都市の一角を形成する都市である。 東京 東京駅 銀座 数寄屋橋交差点/東京タワー 大日本帝国の首都 領有: 大日本帝国 管轄: 東京都 大日本帝国の「東の京」としての見かけの下、皇居と賑やかな都区部の影、街を包む活気の裏には、巨大な悲しみと腐敗が広がっている。大本営では、帝国陸軍の将軍と帝国海軍の提督が足を引っ張りあい、相手の計画を妨害しようと必死になっている。協力者たちは、共栄圏のどこかにいる自由戦士を打ち負かそうと次の作戦を計画している。国会議事堂では、政治家たちが自らの知る「正しい」国家運営、帝国運営の方法について延々と言い合いを続けている。彼ら政治家の血管には、よりよい日本の未来を創るという意志が、金への執着に置き換わっているような根深い腐敗が流れていることは言うまでもない。そのような事実には目をつむり、日本の栄光を体現する都の素晴らしい景色を堪能するのが一番だろう。 概要 大日本帝国の首都かつ最大都市である東京は、日本、そして共栄圏の繁栄を体現したような存在である。 建ち並ぶビルに、張り巡らされた交通網、そして交差点を埋め尽くすサラリーマン。一見すると史実における東京を生き写したかのようにも見える輝かしい都市だ。しかし、はためく日本国旗、旧字体の看板、そして身近な軍の存在、或いは永田町に聳える大政翼賛会、あらゆる側面から帝国の存在をひしひしと感じることができるだろう。 歴史 太古の海、古代の荒地、そしてつい最近には江戸の名で知られていた武家政権の本拠地が、帝国の首都として東の京都、東京と名を変えたのは1868年のことであった。成り上がり者の帝国の首都としてこれ程までに相応しいものはないだろう。 その東京が今の姿となったのは1921年の事だ。東京を襲った関東大震災は、旧時代の遺構を全て焼き尽くしてしまったが、帝国の栄華までもを飲み込むことはなかった。再建計画により市域は拡大し、近代的な建造物が目立つ様になり、東京はついに大帝国の首都としての体裁を整えることに成功した。 1943年の東京都発足の後、大東亜戦争での勝利により東京は新たなる境地へと足を踏み入れることとなる。アジア全土からの大量の富が東京に流入し、都市は周囲の大都市を飲み込みながら歴史上類を見ない程の急速な発展を遂げた。 現代の東京は誰も疑うことなく世界最大の都市の一つだ。それでも、中央から離れており、勝利の栄光を受け取れなかった地方には東京一極集中を憂う声、反発する者もいる。或いは急速な発展に取り残された浮浪者は声を上げることすらできない。しかしながら当の東京都民はそのような事実には気づくこともなく、或いは気にしていられるほど暇ではないのかもしれないが、通勤電車に揺られ、机の上の労働をこなし、都市の先進的で快適な暮らしを享受している。
https://w.atwiki.jp/horibe2210/pages/59.html
シア皇国 F世界?最大の人口を有する国家。 第1次世界大聖戦で大日本帝国と直接交戦した為、国土は一時期荒廃した。 そのため極度に機械を嫌う。 農業国で国土もそれなりに広いが、人口が多いので集約的な農業生産が行われている。 陸軍が特に強大で数は力なりとの方針から常時100万以上の兵力を持つ。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2737.html
739 :グアンタナモの人:2014/11/09(日) 19 44 45 日本において、最も有名な熊とは誰だろうか。 そう巷で問うた時、誰もが口を揃えてこう応えるであろう。 それはヴォイテク軍曹だ、と。 これは夢幻の中にあっても数奇な運命を辿ることとなった、一匹の忠実なる兵士の物語である。 ――― 提督たちの憂鬱支援SS・ヴォイテク軍曹 ――― 全ての始まりは、一九四二年に遡る。 当時、西アジアに位置する国家、イラン帝国では前年に発生したイラン進駐(*1)を受け、 国内に駐留していた大英帝国を筆頭とする旧連合軍が英独停戦に基づき、 順次撤退を行っている最中であった。 そんなイラン帝国領ハマダーン州にて、親を亡くした一匹のシリアヒグマの子供が現地の少年に捕獲された。 そのシリアヒグマの子供を捕まえた少年は、 船便の順番の関係から未だ現地に駐留を余儀なくされていた自由ポーランド軍の兵士達に対し、 数個の缶詰と引き換えに捕まえたシリアヒグマの子供を譲渡した。 このシリアヒグマの子供こそが、後のヴォイテクである。 ヴォイテクを自由ポーランド陸軍の兵士達が引き取ったのは、半ば気紛れのようなものだった。 イラン帝国がドイツ第三帝国に接近したことにより、 イランが有する潤沢な石油がドイツの手に渡ることを恐れて進駐に踏み切った旧連合軍であったが、 巻き込まれた側のイラン人達にとっては、招かれざる占領軍であることに変わりは無い。 当然ながら、彼ら自由ポーランド軍に向けられる視線も厳しかった。 だが撤退しようにも、祖国を失った彼らの行き先は不透明であり、撤退の優先順位も後の後に回されている。 ドイツ第三帝国と手打ちを行った大英帝国は、彼らを含む各国の自由政府軍を切り捨てようとすらしていた。 唯一、旧連合軍を構成していた大日本帝国が彼ら自由ポーランド軍の収容を行うと公式に宣言していたが、 数万人規模の彼らをすぐさま撤退させるには輸送船の数も足りておらず、 彼らは失われた祖国から遠く離れた西アジアの地で、不安を抱えながら日々を過ごすことを強いられていた。 そんな彼らの下に舞い込んできたのが、幼いヴォイテクだった。 不安を抱える自由ポーランド軍将兵にとって、ヴォイテクは貴重な癒しとなった。 まだ一歳にも満たないヴォイテクは酒瓶に詰められたコンデンスミルクを飲みながら、すくすくと成長。 そんなヴォイテクの姿は、いつしか付近に駐留する自由ポーランド軍の非公式なマスコットとなり、 今にも折れそうな彼らの心を支え続けたのである。 そして、ついにハマダーン州に駐留する彼ら自由ポーランド軍にも撤退の日が訪れた。 彼らに割り当てられた日本の輸送船団が到着したのだ。 だが、ここで一つの問題が起きた。そう、ヴォイテクの扱いである。 日本軍は航海の安全上、猛獣の乗船を認めていなかった。 つまり、このままではヴォイテクは船に乗ることが出来ないのだ。 この事態に対し、自由ポーランド軍は大騒ぎになった。 当初こそ気紛れであったとはいえ、今では家族同然であるヴォイテクと別れる気にはとてもなれなかったからだ。 どうにかして、ヴォイテクを連れては行けないだろうか。 こうした少なくない将兵達の声を聞き届けたのが、 現地の自由ポーランド軍の指揮を預かっていたヴワディスワフ=アンデルス中将(*1)だった。 740 :グアンタナモの人:2014/11/09(日) 19 45 40 数日後、輸送船に乗船する自由ポーランド軍の兵士達と名簿とを照らし合わせていた 日本海軍の中尉が、名簿に記載されている一人の二等兵が姿を見せないことに疑問を持った。 それについて自由ポーランド軍の兵士に問うと、兵士達は口々に彼は頑固で部屋から出てこないと語る。 しかし当然、それで許されるはずもなく、中尉はその二等兵を連れてくるように彼らへ命じた。 そして数分後、中尉はやって来た二等兵の姿を見て、思わず言葉を失った。 自由ポーランド軍団第二二補給中隊所属、ヴォイテク二等兵。 なんと彼は、熊であったのだ。 誰の仕業かと言えば、アンデルス中将の仕業としか言いようが無い。 彼はヴォイテクに正式な陸軍二等兵の階級を与え、 自由ポーランド軍団第二二補給中隊所属の一兵士として扱うことで、輸送船に乗船させようとしたのだ。 結局、アンデルス中将の試みは露見し、思わぬ事態に日本軍を上から下に騒がせることになったが、 後に詳しい説明を受けた日本軍は最終的に絆された。 日本海軍の将兵が突貫で輸送船にヴォイテクが乗船できる空間を整え。 そこに入ることを条件にヴォイテクの乗船を認めたのである。 この乗船を認める旨を日本軍が自由ポーランド軍に対して伝えた際の 映像が偶然にも従軍記者のカメラに収められており、手放しで喜ぶ自由ポーランドの兵士達と 見様見真似で両手を天に向かって振り上げるヴォイテクの姿が今なお残されている。 その後のヴォイテクと自由ポーランド軍が歩んだ道は、決して平坦なものではなかった。 まず彼らは日本へと向かう途上、マラッカ海峡を抜けたところで大日本帝国が 中華民国及びアメリカ合衆国と相次いで戦端を切ったとの一報を耳にする。 そのため、彼らを乗せた輸送船団はアメリカ軍の攻撃を警戒し、海南島へと一時避難。 そこで情勢が落ち着くのを待つことになった。 そして、ここでもヴォイテクは活躍を見せる。 当初、日本海軍の輸送船団から降り立ったとはいえ、 海南島の住民達は見慣れぬ白人の軍隊に戸惑いを見せていた。 しかし、そんな中にあっても無邪気に振舞うヴォイテクの姿が 徐々にではあるものの、双方の緊張を溶かしていったのだ。 また自由ポーランド軍も現地の日本軍に協力する形で、海南島の開墾作業に従事。 戦時下故に万が一、補給が滞るような事態を想定し、 この時期一気に拡充された海南島の耕作地の一部を 自由ポーランド軍が開墾した、というのは現地では広く知られている話だ。 幸か不幸か、戦争は大日本帝国の優勢で転移した。 海南島も海上封鎖を受けることはなく、中華民国の降伏とアメリカ合衆国アジア艦隊の壊滅を受け、 島を取り巻く情勢もほぼ安全と言えるまでに回復する。 そこで自由ポーランド軍はようやく海南島を発つことになった。 この頃には海南島の住民達も自由ポーランド軍に心を開いており、 彼らが島を発つ際には多くの住民が港に駆けつけて見送ったとされている。 中でもヴォイテクを惜しむ声は大きく、一部の住民はヴォイテクを描いた大きな旗を振っていたようだった。 こうして海南島を発った自由ポーランド軍とヴォイテクは一路、大日本帝国東北地方の宮城県へと移動する。 そして、現地の王城寺原演習場へと集められた彼らに対し、日本製の武装が大量に提供された。 それを手にした彼らは、海南島に居た頃とは打って変わって日夜、錬成に励むこととなる。 表向きは自由ポーランド軍の錬度維持とされていたが、 当時、日本軍が計画していたアラスカ侵攻(*2)に際し、 大日本帝国と自由ポーランド政府の間で密約が交わされており、 自由ポーランド政府と自由ポーランド軍への支援継続と引き換えに、 自由ポーランド軍がその戦力の一端として組み込まれる予定だった、という説が現在では最も有力だ。 さて、ここにおけるヴォイテクはどうだったのか。 驚くべきことに、彼は所属していた第二二補給中隊の兵士として弾薬運搬作業に従事していた。 冗談ではない。事実である。 これまた切っ掛けは見様見真似であったと考えられるが、 自由ポーランド軍の兵士達に混じり、人間では持ち上げるのに一苦労する重い弾薬箱を一匹で抱え上げ、 運搬トラックへと載せる作業をせっせと行っていたのだ。 これには軍事顧問として参加していた日本陸軍の将兵も驚いたとされ、 ヴォイテクを自由ポーランド軍でも指折りの優秀な輜重兵とする資料が公式に残っている。 741 :グアンタナモの人:2014/11/09(日) 19 48 13 しかし結局のところ、アラスカ侵攻は実際に行われることなく、太平洋戦争は終結した。 されど、彼ら自由ポーランド軍には向かうべき戦場が存在していた。 大日本帝国軍北米派遣軍。 カリフォルニア共和国を筆頭に米国風邪の影響を受けて、 混迷を極める北米太平洋沿岸諸国に対する鎮定の戦力として向かうことになったのだ。 大日本帝国が設置を約束した自由ポーランド自治区(*3)のために 実質的な外国人部隊として、日本軍の指揮下に組み込まれた彼ら自由ポーランド軍は、 自由フランス軍などと共に北米派遣軍の中核として機能し、 北米封鎖線後方における警備活動を担い続けた。 その中には当然の如くヴォイテクの姿もあったとされる。 この頃には陸軍伍長にまで昇格していた彼は弾薬箱の代わりに 食料品や医薬品が詰まった箱を抱え、後方での支援活動に従事(*4)していたようだ。 その後、北米派遣軍の縮小に合わせて、自由ポーランド軍も順次撤退。 一部はそのまま大日本帝国陸軍外人部隊(*5)として残されたものの、 大半は大日本帝国領東遼河に沿って設置された、遼河外灘自治州へと収容。 現地の国境警察隊として、再編されていった。 そして陸軍軍曹に昇進後、自由ポーランド軍の解散によって 軍を退役する形になったヴォイテクは、その国境警察隊に再就職。 国境警察隊警視の階級を得た後、国境警察隊官舎の一角に住処をもらい、 一九七〇年(*6)に最期を迎えるその時まで、そこでかつての戦友達に囲まれて平穏に暮らした。 享年は二十八歳。 死後、国境警察隊の両方で二階級特進を果たし、国境警察隊警視長の階級を得ている。 こうしたヴォイテク軍曹の記録は、自由ポーランド軍と行動を共にする機会が多かった 日本軍の手によって数多く、かつ克明に残されていた。 また当時、日本軍が行っていたとされる自由ポーランドに対するイメージ戦略の下、 広く喧伝されたことで大日本帝国の一般臣民にも広く知られており、 さらには一九五〇年代、日本のとある映画会社がアニメーション映画の題材として ヴォイテク軍曹を取り扱うまでに至っている。 これは後にオーパーツとも称される〝銃を手に怪異と戦う空飛ぶ魔女〟のアニメーション映画と共に 日本における最初期のアニメーション映画の一つとして有名であり、 彼が日本において最も有名な熊とされる主因と言っても過言では無いだろう。 自由ポーランド陸軍軍曹、ヴォイテク。 もしも遼河外灘自治州、東波(フスフト=ポルスカ)自治市を訪れる機会があったならば、 東波中央駅前の広場に足を運んでみて欲しい。 そこには彼の銅像がある。砲弾を抱えた、自由ポーランドの英雄たる彼の銅像が。 (終) *1 : 史実ではソヴィエト連邦軍に抑留されたが、 この世界においては脱出を果たし、自由ポーランド軍団の指揮を取っていた。 *2 : 所謂、星一号作戦。アメリカ合衆国崩壊により、実際には行われなかった。 *3 : 後に遼河外灘自治州、東波(フスフト=ポルスカ)自治市として結実する。 *4 : この功績が称えられ、後に功六級金鵄勲章が授与されている。人間以外では唯一無二の勲章授与者である。 *5 : 遼河外灘自治州などからの志願兵が組み込まれる伝統部隊となる。 また第二二補給中隊も存続しており、部隊章には〝砲弾を担ぐ熊〟が採用されている。 *6 : 戦友達と共に暮らせたこと、さらには日本の好意で獣医が付けられたことで史実より七年も長生きしている。
https://w.atwiki.jp/dntryoutu/pages/102.html
【撮影場所】 SILO ENTRANCE(核発射サイロ搬入口) 【撮影協力者様一覧】 伍長 HUNK 【コンセプト】 ソコロフさんの勇士 【一言】 MPOが発売され存在が忘れ去られていたソコロフさん。 しかし!まだソコロフさんは銃を構えます!
https://w.atwiki.jp/dntryoutu/pages/80.html
軍曹 新人兵 SSS(B) [愛銃]MK22 [使用兵士] スネーク・FOX [得意戦術]スタン&HS [通称]名も無き金獅子 [他のチームに対してへ]楽しくやろ~。 [一言]スタンは自信あり。