約 1,556,984 件
https://w.atwiki.jp/fc2blog/pages/7.html
htmlプラグインエラー このプラグインを使うにはこのページの編集権限を「管理者のみ」に設定してください。 [注意] 利用は無料です。 文字の保存容量は無制限、その他ファイル保存容量1GB。 登録できるファイル形式は JPG (写真やイラスト画像) GIF (イラスト画像) PNG (イラスト画像) MIDI (音楽ファイル) SWF (FLASH形式ファイル) ico (アイコン画像) MP3 (音楽圧縮ファイル) HTML (webページ) txt (メモ帳などのテキストエディタで作成したデータ) CSS (カスケード・スタイル・シート。テンプレートの制御に利用) js (JavaScriptの外部ファイル) RDF (Resource Description Framework) 必要なもの メールアドレス ハンドルネーム(ペンネーム) ブログのアドレスの一部となる、ユーザーID。 (半角のアルファベット、半角の数字、一部の記号) パスワード(と、それに関連する質問と答え) 運営ジャンル ●登録● 登録するには、まず、利用規約を熟読しましょう。 遵守できそうであれば、次の段階に進みます。 FC2IDにアクセスし、FC2内で共通して利用できる「FC2ID」を取得します。 ※FC2IDは、その他のサービスも同じユーザーとして利用できるものです。 メールアドレスを入力し、「送信」ボタンをクリックすると、入力したアドレスにメールが届きます。 届いたメール内に記されている「認証URL」をクリックし、登録を有効にしましょう。 ←トップページへ戻る
https://w.atwiki.jp/lohen/pages/3.html
更新履歴 取得中です。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1468.html
163 :大西洋 ◆BMYad75/TA:2013/01/04(金) 22 58 45 大西洋ネタ(5-7)の続きです。 「朕はその役割を果たさねばならん」 ナチス・ドイツの北海道侵攻の中で、昭和帝の前線視察に反対する側近に対して 1940年8月15日 (大日本帝国大西洋転移より3ヶ月) ドイツ第三帝国総統 アドルフ・ヒトラーは日本侵攻作戦(緑作戦)を発令。 作戦目標 北海道東部の占領による英国本土への進撃路の確保。 侵攻ルートA 北海道と接するコタンタン半島より レープ元帥率いるC軍集団(歩兵15個師団 自動車化歩兵2個師団) 侵攻ルートB 日本軍が防衛するブルターニュ半島を突破し北海道へ ルントシュテット元帥率いるA軍集団(30個歩兵師団・5個装甲師団・2個自動車化歩兵師団・2個山岳師団・ 1個降下猟兵師団 1個空輸歩兵師団・2個武装SS連隊 C軍集団目標 釧路から鉄道釧路本線のルートで網走まで進撃。 A軍集団目標 ブルターニュ半島に篭る日本軍・自由フランス軍を撃破し十勝平野まで進出し、ブレスト→帯広→北見→網走の戦線を確保し蝦夷山系にそって北海道を南北に分断する。 一方の日本と英仏の動向。 フランス降伏(6月21日)の翌日近衛内閣は総辞職し新たに嶋田繁太郎が首相となる。 英国首相チャーチル(5月10日就任)と嶋田首相は首脳会談をロンドンで行い、日英安全保障条約を改定し両国の協力をより強化した第二次日英同盟について合意。 また自由フランス政府を正式承認※ ※史実では休戦派に敗れ解任された対独抗戦派のポール・レイノー前首相が代表になる。 史実と違い前首相ら有力な政治家が多数参加し 政治的な正当性をもっている。 臨時政府指揮下の自由フランス軍は史実の7千人より遥かに多い15万人だが、重装備はなく日英からの供与兵器での再編成となる。 ドゴールは陸軍大臣となるが、その振舞いにより日英の将軍たちと衝突することが多かった。 164 :大西洋 ◆BMYad75/TA:2013/01/04(金) 23 01 16 本土防衛計画が内閣にて承認(決号作戦) 近衛内閣で行われた動員に続いて第二次動員を発令する。 ドイツとの開戦前の陸軍30個師団をようしていたが、転移にて外地に残された師団も多かった。 このため日本政府はアメリカに対して大陸に残された利権の売却と外地に取り残された陸軍部隊(関東軍・朝鮮軍など。 遣欧軍は6月中に本土へ帰還し北海道へ配備済み)の輸送協力を要請。 これをアメリカは受諾し日本より購入した各種利権を守るために満州や朝鮮に軍を進める大義名分を得ることになる※2 しかしアメリカの協力を得られたが、各陸軍部隊の輸送は困難を極めることになる(外地のインフラの脆弱さから特に車両や砲などの重器材の輸送は遅れた) そしてドイツ軍の日本侵攻作戦が始まった8月の時点での北海道東部の最前線の兵力は以下のとおりである。 ブルターニュ戦線:第3軍 司令官・牛島中将 4個歩兵師団 3個独立混成旅団 1個戦車師団 2個独立重砲連隊 1個飛行師団(帯広空港) 自由フランス軍 司令官 ドゴール中将・2個歩兵師団(正規兵・重砲欠) 8個民兵大隊 イギリス軍 2個歩兵師団(正規兵・重砲欠) 1個戦車旅団 1個インド歩兵師団 釧路戦線 :第5軍 司令官・牟田口中将 3個歩兵師団 2個独立混成旅団 1個独立重砲連隊 2個海軍陸戦大隊 自由フランス軍 1個歩兵師団(植民地兵・重砲欠) 4個民兵大隊 イギリス軍 2個歩兵師団(正規兵) 2個インド歩兵師団 北部方面軍(帯広市):司令官:畑大将 総予備:第7軍 司令官・栗林中将(5月15日付昇進) 3個歩兵師団 1個戦車師団 2個砲兵旅団 イギリス軍 2個歩兵師団(正規兵) 1個戦車旅団 自由フランス軍 1個歩兵師団(正規兵) 2個戦車大隊 日本軍の見通しでは9月に追加で3個歩兵師団と1個戦車師団の北海道東部への移動が完了する予定であり、10月になればさらに5個歩兵師団が追加される。 それ以上の師団は近衛内閣の第一次動員が完了する11月以降を待たなければならなかった。 また英仏であるが、イギリスはダンケルクで重装備を失った部隊の再編成とホームガードと呼ばれる民兵部隊の編成を強化し、矢継ぎ早に北海道へと部隊を前進させていた。 フランスは自由フランスに残された最後の本国の領土であるブルターニュ半島を死守すべく難民からの徴兵を行っていた。 ※2 当時のアメリカのマスコミはこの大陸利権売却によってニューフロンティアの開拓が始まると大々的に書き連ねた 中国・満州・朝鮮と転移によって陸続きになったことにより、アメリカの進出のスピードは格段に速くなり 気の早い実業家などはすでに満州や朝鮮の土地を買いあさっていた。 そして1940年8月15日 日本の一番長い日が始まる。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3295.html
113 :ナイ神父MK-2:2016/01/23(土) 00 52 35 日蘭世界 冷戦ゲート 日本と大日本帝国 中華動乱終結以降、アジア周辺では各国の動きが加速していた、ソ連では勢力的に半ば空白地と化した中国への 進行を企てる動きがあり、中国の臨時政府では戦力の不足とソ連進行を警戒してアメリカの駐留を求めた。 親中姿勢こそ改めたアメリカ政府であったが、ソ連の動きが活発な以上兵力は派遣せざるを得ず、結果的に 日本の駐留戦力が薄くなる結果となった。 この事に対する対応として日蘭側の日本とオランダ帝国に対して史実日本を交えて交渉を行い、日本との 国交を条件にこの件を受諾した。日蘭が駐留を開始すると日本では左翼系や共産党系の人間を中心にして 反対運動が行われデモなどが相次いだが、流石に中国での容赦の無さを見た大多数の人間は過激な行動に 移ることは無かったが、一部の過激化した勢力は基地に直接乗り込もうとして手前で警察に拘束されている。 軍事が駐留後は進入騒ぎ以外大きな変化が起っていないなか、経済や商業面では大きな変化が起きていた、 それは夢幻会主導によるメディア攻勢とでも言うべき物だった。軍駐留後ひそかに派遣した帝国情報局の工作員や 諜報員、表では三菱や倉崎を初めとした親夢幻会側の財閥が活動して史実側のメディア関係の企業の買収や、妨害 さらには日蘭側の番組を放映可能なTV局の作成などを積極的に進め、史実側のメディアにマイナス方面の 情報を流させない事を方針として経済的な大攻勢を掛けていた。 結果として1980年代前半中に一部メディアの株式の大多数の取得や、日蘭系の資本が入った新聞社が多数 設立されることとなる。また、その副産物として早くアニメブームや所謂クールジャパンに近い影響が出たが それは大々的に成るのは時代が下ってからのことである。 一方で帝国陸軍と陸上自衛隊の間では困惑が広がっていた、自衛隊はあくまで日本軍を旧陸軍の延長線上で考えていたのだが、 蓋を開けてみればソ連もびっくりな火力信奉者達の巣窟であり、現役の戦車もソ連系の戦車に非常に近いものであった為である。 慌てて情報交換で行い、その際に資料として提出された旧陸軍の資料は今度は帝国を混乱させた。 「何でこんな旧式(史実チハ)なんか使ってたんだ?家の方だととっくに機種交代が終わってたんだが・・・」 「火砲が少なくないか?コレじゃ相手の野戦陣地を吹き飛ばせないし要塞にも苦戦するだろ」 「と言うか列車砲は如何した、一門も無いとか可笑しいだろ」 旧軍の資料を見た複数の軍人達からは大凡上記のような事が聞かれ、それに対して自衛隊は 「日露戦争でドーラレベルの列車砲4門とか馬鹿じゃねーの」 「WW2当時の主力がT-55クラスなんですがそれは」 「弾道弾とか早過ぎませんかねえ」 「要塞と打ち合いして要塞を上回る火力とかうらやましいなあ」 と言う日蘭の潤沢な物量と火力を羨むこととなる。 そして更に驚いたのは日蘭側との技術差であった、日蘭側では現在米ソが配備を始めた兵器に匹敵する兵器を既に量産 配備を完了させており、それも自衛隊員らの表情に影を落とすこととなるが、これは史実アメリカでも同じことであった アメリカでも既に正式配備されたばかりのイージスシステムが既に習熟した技術であることや、コンピューター技術 航空機技術で大幅な遅れを取っておりその事がアメリカの軍人達を悩ませていくこととなる。 また、財界でも日蘭との技術問題は大きな問題となっていた、1960年代で既に環境問題に取り組み始めていた日蘭世界では 1970年代までに連盟内で環境基準などが設けられCO2削減や郊外の撲滅、フロンガス・排気ガスの削減が一部地域を除いて始っていた その為、史実側の多くの自動車はOCUの環境基準を満たすことが出来ずに販売は難航し、さらに性能面やサービス面でも苦戦を 強いられた、逆に日蘭側の商品はアメリカ国内の市場に確実に食い込み始め政府が慌てて規制を開始するも、それまでに相当な 損失が発生していた。 その頃、アメリカでは中国のへの駐留で苦労していた、住民の中には先の敗戦はアメリカが参戦しなかったせいだとする声もあり 各地で反米運動が激化し、一部がテロリスト化して在中米軍に対してテロ攻撃を仕掛けていたこの攻撃に対して当然アメリカも 攻撃を行うも、現地住民の協力が得られない上、終わること無い対ゲリラ戦はアメリカ軍を消耗させていく。この中国の動きから、 その後のアメリカの基地はより大型化し、内部で完全に完結できる形に変化していくこととなる。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1941.html
16 :New ◆QTlJyklQpI:2013/10/14(月) 19 59 32 ※ゲート 自衛隊とのクロスです。 ネタSS ~大日本帝国は特地に転移しました 原作開始~ 20XX年、東京銀座に出現した巨大な門(ゲート)。そこから現れた中世風の装いをした軍勢により民間人が殺傷される ”銀座事件”が発生。激戦の末に謎の軍勢を撃退し門を確保した日本政府は門の向こうの特別地域、通称”特地”に 自衛隊を派遣することを決定。各国の様々な思惑が交錯する中、日本国は未知の世界へ歩を進めることになった。 「ん?」 「どうかしたんスか二尉?」 二重橋攻防戦で大活躍した自他ともに認めるオタク自衛官、伊丹耀司は異変に気付いた。 「なんかあのワイバーン、人乗っけてないか?」 「あ、ホントだ。斥候っスかね?」 アルヌスの丘に築いた陣地の上空を遠巻きに旋回するワイバーン。 その背には小さくが確かに人影があった。 「ん~、でもあの恰好どっかで見た気が・・・・」 今まで戦った竜騎士は恐ろしく長いロングランスを装備し派手な装飾を施した鎧に身を固めていたが 双眼鏡で見る限り乗っている人はワイバーンに溶け込むような地味な服装をしていて見えづらい。 結局記憶を探っても答えが見つからず”武装勢力の斥候”ということで思考は完結した。 だが伊丹がヲタクはヲタクでも軍ヲタであればその恰好が嘗ての大日本帝国航空隊の飛行服に酷似しているの を見て驚いたことだろう。 「いよいよ来たか・・・・」 特設した飛竜による偵察部隊と電波傍受や数年がかりで構築した帝国内の諜報網からアルヌスの丘に出現した門 と異世界の軍隊の出現の報はすぐさまファルマート大陸東部に浮かぶ日本列島に届いていた。 「原作通り門を中心に六芒星状の防衛陣地を形成してるみたいです」 「帝国の方はどうなっている?」 「見事に議会は紛糾してますね。元々戦力がようやく再編した直後での出兵ですので反対も多く、しかも 捕虜が日本語を話していることから我々の国を間違って攻撃してしまったのではと パニックになっている方も多いようです」 「原作では偵察員が望月紀子らを拉致していたのでは?」 「拉致はしていたようですが、どうやら日本語を話すなどの情報は握り潰されていたようで」 「日本語を話す人間を捕えていたのに征服を?」 「同じ世界の別の国と思ったか、あるいは危険を承知でやったのか・・・」 「それほど内政で行き詰っているのでしょう。最近はこちらの勢力圏にヒトや金が流出してますし」 その言葉を聞いてメンバー全員が苦笑を浮かべる。 17 :New ◆QTlJyklQpI:2013/10/14(月) 20 00 28 帝国と講和して数年、日本帝国を中心とするファルマート大陸東部は凄まじい勢いで発展しつつあった。 資源地帯を中心に開拓され、道路などインフラが整備され始めると噂を聞きつけた帝国の 商人や傭兵が集まり始め、ヒト・亜人問わない雇用があると知られると軍の再編・拡大のため重税を課し始めた 帝国から下級階層や迫害されフォルマル伯爵家では抱えきれない亜人を中心に東方へ流れていき、 わずかの間に帝国から人材・資本・物資が日本の勢力圏に大量に流出、近代文明の強大な経済に帝国は圧倒されつつあった。 加えて帝都では今回の日本との衝突の原因とされたゾルザル派の権威は衰退、これを見て次期皇帝としてディアボを 擁立する派閥が台頭し後継者争いに発展、ガタガタの内政が更に滞り、益々国力衰退に拍車が掛かった。 この内憂外患な状況を打破するため、現皇帝であるモルトは再び外征を行うことを決意。 長期的には日本帝国との再戦も視野に入れつつ、手始めに異世界へ再編した軍の経験稼ぎと収奪による膨大な 軍事費の補填を狙っての侵攻を行った。誤算があったとすれば拉致した人が日本語を話しているのを隠した( というより拉致を担当した人員に日本語がわかる者がいなかった)事、相手が日本帝国よりずっと上の軍事力を 持つ国であった事だろう。 「しかし原作より門の奪還に時間が掛かってる気がするんだが」 「どうやら帝国軍は侵攻時に重装甲化したジャイアントオーガを投入したようです」 「あの”眼鏡犬”か。明らかに我々に備えていたものを使用したな」 原作でも登場した小銃弾程度では貫通できない重厚な鎧を着せたジャイアントオーガやオークは”怪異使い” の統制の下に猛威を振るい、何とか戦闘ヘリによる航空支援で撃破できたものの、警察・自衛隊を相当に手古摺らせていた。 「連合諸王国軍も我々が潰してしまったし原作との乖離は避けられそうにないな」 「こちらにピニャ殿下がいる時点で既に乖離は確定してますがね」 ああ、と顔を引き攣らせる嶋田。講和締結後、人質の意味も込めて日本に留学に来たピニャ・コ・ラーダと 騎士団メンバーたち。初期にこそ日本の国情を探ろうとあちこち駆けずり回った面々であったが 801な人々の布教?により現在ではすっかり腐れ神の信仰者となっていた。 「誰ですか彼女らにその手のヒトを接触させたのは?」 「それは私にもさっぱり・・・とはいえ(文字通り)腐っても彼女は皇位継承権持ちです。 あまりにも帝国が混乱するようなら・・・」 「最悪の場合、彼女を前面に押し立ててに我々が介入か・・・・」 帝国の情勢不安定や自衛隊の苦戦により原作の流れから乖離したである以上 一定の軍事介入は覚悟していた。 「このまま帝国が崩壊して難民や武装勢力が押し寄せてきたら堪りませんしね。 中国やらアメリカの軍がやってくる可能性もありますし」 「こっちにはロシア帝国の血族もいる。向こうのロシアの介入も考慮しないと」 「自衛隊はともかく日本国政府は全く信用できないからな」 ”帝国主義いいいイイeeeeee!!”と金切り声を上げて騒ぐ左翼とマスゴミ連中とそれに押されてしまう政府関係者 (何故か某宇宙人)を幻視し溜息を吐くメンバーたち。 「こっちは大陸の東の果て、できれば自衛隊の行動範囲外であることを利用して接触したくないんだが・・・」 「既にフォルマル伯爵領を通じてこちらの物品は出回ってますし、向こうから来ますよ」 果たして、その言葉は現実のものとなる。 炎龍の出現により原作に沿ってコダ村の避難民を護衛していた伊丹率いる第3偵察隊は 炎龍と遭遇、亜神ロゥリィの助けもあって撃退し、孤児や怪我人などは(伊丹の独断で)自衛隊が 預かりコダ村の避難民らと別れる際にせめてもの礼にと村長から渡された品物に驚愕していた。 「こ、これは!」 「ジエイタイの人は知らんのだな。これは”ソクセキメン”と言う東の国から・・・」 日本語でしっかりと表記された包装紙、そして某ヒヨコのインスタントラーメンに似た中身を見て 呆気にとられる伊丹。アルヌスに帰還した伊丹らの報告が日本国政府や各国政府を震撼させるのに そう時間はかからなかった。 18 :New ◆QTlJyklQpI:2013/10/14(月) 20 01 11 余談 その頃、ピニャ殿下らは嶋田への誕生日祝いのプレゼントとして芸術の品定めをしていた。 「むむむ、やはり嶋田×辻もいいが意外に嶋田×山本も中々・・・・」 「殿下、これなんか宜しいのでは?」 「おお、嶋田×富永か。よしこれにしよう!」 「「(腐ってやがる・・・・早すぎたんだ(年齢的に))」」 殿下の護衛兼監視を任された面々は静かに誕生日祝いに卒倒するだろう嶋田首相への冥福を祈った。 更に余談 その頃アルヌスの丘に到着したレレイ&カトー 「お師匠、大丈夫?」 「うむ!肌身離さず持っていたからの!(薄い本をかざして)」 レレイは空気を固めて投げつけた。
https://w.atwiki.jp/scratch-kasoukokka/pages/251.html
宮本帝国 説明 宮本帝国は、基本的には友好的で、たくさんの国に好かれることを目標にしています。 また、軍事力は、少々強く、自然災害が起きた国には、支援を惜しみません。 あと今まで活動休止していたので、余り名前は、しられてられていません。 (編集中)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/7646.html
811:ホワイトベアー:2022/12/09(金) 21 11 38 HOST 157-14-234-250.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 日米枢軸ネタ 第8海軍航空軍(改定前版) 第8海軍航空軍とは大日本帝国海軍戦略航空総軍隷下に存在した航空軍の1つ。日露戦争から世界大戦、冬戦争などで活躍し、特に世界大戦中に欧州戦線においてドイツやロシア革命政府領(後のソ連領)に戦略爆撃を実施した事で知られている。 冷戦中期に行われた《力による平和》政策に伴う軍備再編の一環として1973年に海軍戦略航空総軍が名称を戦略攻撃総軍に変更の上で空軍に移管されたのに合わせて第8空軍に名称を変更された。 モットーは「全ての敵に滅亡を、全ての味方に平穏を」 概要 冷戦中期まで存在した大日本帝国海軍戦略航空軍の6つの航空軍の1つ。第8空軍に改変されるまではケプラヴィーク空軍基地にその本部をおいており、北米大陸や大西洋、北極海などの離島に多数の基地を持ち、6個の爆撃航空団と3個戦闘航空団を主戦力として隷下に置いていた。 その主たる任務は有事の際に欧州ならびにアフリカ、大西洋一帯での戦略・戦術爆撃の実施することであり、冷戦中は常時戦略パトロール任務を実施していた。 歴史 日清戦争前の1890年に当時対立を深めていたロシア帝国への対策の一環として海軍航空隊の編制された帝国海軍第8航空艦隊をその前身としており、1900年に編成が変更された上で第8航空軍に名前を変更、1904年7月、ロシアによる龍岩浦占領を受けて朝鮮半島に移動した。 満州戦争時には最高で約5,800kgの爆装可能かつその状態で約1,300kmの作戦行動範囲を有し、《飛行要塞》と呼ばれる程の強固な防弾装備と計13丁の重機関銃を搭載した最新鋭戦略爆撃機である3式戦略爆撃機を主力機としてシベリア鉄道関連の施設やウラジオストクなどへ空爆を担当、地上部隊の支援を行っていた陸軍第1航空軍とともに満州戦争で日米連合軍の勝利に貢献した。 満州戦争後は朝鮮半島北部を拠点として清露国境の監視を担当していたが、世界大戦が勃発すると基幹部隊である第1爆撃師団および第2爆撃師団の爆撃機を3式戦略爆撃機や4式戦略爆撃機から長大な航続距離を有する7式戦略爆撃機(和製B-50)などの機体に更新した上ではアイスランドに移動、大西洋上における監視任務に就いた。 1917年に日本が連合国側として世界大戦に参戦すると他の連合国との調整がしやすいイギリス本土に司令部を移動させ、アイスランドや英仏本土を拠点にドイツに対しての昼夜問わない戦略爆撃や地上部隊への近接航空支援、戦術爆撃機等を実施していく。 このときの第8海軍航空軍は統合指揮の名目の下に海軍のみならず陸軍航空総軍所属の部隊もその隷下におき、最盛期には戦闘用航空機だけでも4発戦略爆撃機約1200機、2発戦術爆撃機800機、戦闘機・戦闘攻撃機約1200機と3000機近い航空機とこれを運用するために10万人以上の人員を有する連合国軍でも最大規模の空軍戦力を保有する大部隊にまで拡大した。 圧倒的な数を有していた第8航空軍であったが、コスト的な問題から6式戦略爆撃機(和製B-50)は合計で800機程しか配備されておらず、その他の航空機は3式戦略爆撃機や4式戦略爆撃機(和製B-25)、4式戦術爆撃機(和製A-26)、4式攻撃機(和製P-47D)、3式陸上戦闘機(和製P-51D)、6式陸上双発戦闘機(和製P-82)などの満州戦争時代の旧式航空機がこれを担っていた。 本来なら10年以上前から採用されている旧式機の投入など自殺行為でしかないが、ドイツ帝国軍では戦争を通して複葉機が主力の座にとどまり続けた事で大した損害を受けることはなく終戦までに膨大な量の爆弾をドイツ本国に投下し、ただでさえ崩壊しかかっていたドイツ帝国の経済・流通を完全な崩壊に導くことで参戦から僅かな時間でドイツ帝国の抗戦能力に壊滅的な打撃を与える。 世界大戦終結後は軍縮や15式戦略爆撃機(和製B-52H )や10式戦闘機(和製F-4)、29式要撃戦闘機(和製F-15)と言った高性能機の登場によりその規模を1個戦闘航空団、3個爆撃航空団(戦闘機60機、爆撃機135機)まで縮小さたうえで本土に戻っていたが、1930年代末の欧州での緊張の高まりに合わせて再びアイスランドを中心とした大西洋地域に展開。以後、戦力を増強させながら冷戦を通して大西洋ならびに欧州方面での日本帝国軍の核抑止の一翼を担っていた。 812:ホワイトベアー:2022/12/09(金) 21 12 20 HOST 157-14-234-250.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 主要部隊(第8空軍への改編直前) 第8海軍航空軍司令部 (ケプラヴィーク航空基地) 第381戦闘航空団 (ケプラヴィーク航空基地:F-29E(和製F-15E)を装備) 第383戦闘航空団 (ヴォーアル航空基地:F-29Eを装備) 第385戦闘航空団 (ロガチェヴォ航空基地:F-29Eを装備) 第181偵察航空隊 (ロガチェヴォ航空基地:MQ-57(和製MQ-9)を装備) 第182偵察航空隊 (ヴォーアル航空基地:MQ-57を装備) 第183偵察航空隊 (ケプラヴィーク航空基地:RQ-54(和製RQ-4)を装備) 第781爆撃航空団 (ケプラヴィーク航空基地:B-36A(和製B-1B)およびKC-55K(和製KC-767)を装備) 第782爆撃航空団 (ケプラヴィーク航空基地:B-36AおよびKC-55Kを装備) 第783爆撃航空団 (ロガチェヴォ航空基地:B-15G(和製B-52H)およびKC-17K6を装備) 第785爆撃航空団 (アビリーン航空基地:B-15GおよびKC-17K6を装備) 第787爆撃航空団 (百里航空基地:B-47A(和製B-2)を装備) 第789爆撃航空団 (アビリーン空軍基地:B-15GおよびKC-17K6装備) ※帝国軍の航空機命名規則 1940年代に従来のものから変更 最初の1文字以上のアルファベットは航空機の基本的な種類や使用目的を表す。 アルファベットの意味 F=戦闘機 A=攻撃機 B=爆撃機 C=輸送機 R=偵察機 P=哨戒機 T=練習機 S=水上機 E=特殊電子装備機 その他史実米軍と同様 813:ホワイトベアー:2022/12/09(金) 21 12 51 HOST 157-14-234-250.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 以上になります。 世界大戦時の戦力の大幅な縮小と14式戦略爆撃機の削除など細部の修正を加えました。 wikiへの転載はOKです。
https://w.atwiki.jp/monamoro/pages/27.html
太政大臣徳川慶喜は内閣制度の創設を検討し、太政官制の廃止を行った。これとともに、政界からは引退した。 1代 板倉勝静内閣 (2537(明治10)年10月3日~2539(明治12)年6月23日) 元幕臣。内閣制度創設により旧幕府の首席老中であった板倉勝静が、初代内閣総理大臣となった。 2代 勝義邦内閣 (2539(明治12)年6月23日~2540(明治13)年8月19日) 元幕臣。 3代 第一次大久保利通内閣 (2540(明治13)年8月19日~2541(明治14)年3月3日) 元薩摩藩士。官僚機構の統廃合を行う。 4代 第一次小栗忠順内閣 (2541(明治14)年3月3日~2544(明治17)年11月3日) 元幕臣。大日本帝国憲法(明治憲法)と皇室典範の発布。 5代 第二次大久保利通内閣 (2544(明治17)年11月3日~2546(明治19)年12月19日) 第一回総選挙。第一回帝國議会開会。第二回総選挙。 6代 大久保忠寛内閣 (2546(明治19)年12月19日~2548(明治21)年4月6日) 元幕臣。第三回総選挙。 7代 第二次小栗忠順内閣 (2548(明治21)年4月6日~2549(明治22)年5月26日) 与党国民党。第四回総選挙。 8代 第一次伊藤博文内閣 (2549(明治22)年5月26日~2551(明治24)年10月6日) 第五回総選挙。 9代 山縣有朋内閣 (2551(明治24)年10月6日~2552(明治25)年7月26日) 10代 第三次小栗忠順内閣 (2552(明治25)年7月26日~2553(明治26)年2月2日) 与党国民党総裁。第七回総選挙。 11代 第二次伊藤博文内閣 (2553(明治26)年2月2日~2556(明治29)年1月17日) 与党立憲政友会総裁。第八回総選挙・日清開戦解散(明27・3・15)。日清戦争勃発。下関で日清講和条約。第九回総選挙。 12代 松方正義内閣 (2556(明治29)年1月17日~2558(明治31)年12月21日) 13代 第一次大隈重信内閣 (2558(明治31)年12月21日~2559(明治32)年8月3日) 与党憲政本党総裁。第十回総選挙。 14代 第三次伊藤博文内閣 (2559(明治32)年8月3日~2561(明治34)年6月2日) 与党立憲政友会総裁。首相の伊藤以外の内閣の過半数を政党員から。 15代 第一次桂太郎内閣 (2561(明治34)年6月2日~2566(明治39)年1月7日) 第十一回総選挙。日亜戦争勃発。アメリカ合衆国ポーツマスで日露講和条約。第十二回総選挙。 16代 第一次西園寺公望内閣 (2566(明治39)年1月7日~2568(明治41)年7月14日) 与党立憲政友会総裁。非衆議院議員。 17代 第二次桂太郎内閣 (2568(明治41)年7月14日~2570(明治43)年5月5日) 与党立憲同志会総裁。非衆議院議員。第十三回総選挙。 18代 第二次西園寺公望内閣 (2570(明治43)年5月5日~2572(大正元)年12月3日) 与党立憲政友会総裁。非衆議院議員。第十四回総選挙。 19代 第三次桂太郎内閣 (2572(大正元)年12月3日~2573(大正2)年8月7日) 与党立憲同志会総裁。第十五回総選挙。 20代 第一次山本権兵衛内閣 (2573(大正2)年8月7日~2574(大正3)年3月10日) 与党立憲政友会。第十六回総選挙。 21代 第二次大隈重信内閣 (2574(大正3)年3月10日~2577(大正6)年6月1日) 与党立憲同志会→憲政会総裁。第十七回総選挙。世界大戦勃発。 22代 第一次原敬内閣 (2577(大正6)年6月1日~2581(大正10)年3月31日) 与党立憲政友会総裁。第十八回総選挙。大日本帝国憲法改正憲法(大正憲法)を発布(大10・2・10)。 23代 第一次加藤高明内閣 (2581(大正10)年3月31日~2583(大正12)年1月21日) 与党憲政会総裁。第十九回総選挙。 24代 第二次原敬内閣 (2583(大正12)年1月21日~2583(大正12)年8月1日) 与党立憲政友会総裁。 25代 第三次原敬内閣 (2583(大正12)年8月1日~2585(大正14)年11月27日) 与党立憲政友会総裁。 26代 高橋是清内閣 (2585(大正14)年11月27日~2586(大正15)年9月18日) 与党立憲政友会総裁。第二十回総選挙。 27代 第二次加藤高明内閣 (2586(大正15)年9月18日~2587(大正16)年7月18日) 与党憲政会総裁。 28代 田中義一内閣 (2587(大正16)年7月18日~2589(大正18)年3月8日) 与党立憲政友会総裁。第二十一回総選挙。 29代 第三次加藤高明内閣 (2589(大正18)年3月8日~2590(大正19)年11月18日) 与党憲政会総裁。 30代 第一次若槻禮次郎内閣 (2590(大正19)年11月18日~2592(昭和2)年7月31日) 与党憲政会総裁。昭和改元(大20=昭元・12・25)。第二十二回総選挙(昭2・7・18)。 31代 犬養毅内閣 (2592(昭和2)年7月31日~2594(昭和4)年3月8日) 与党立憲政友会総裁。第二十三回総選挙(昭4・2・21)。 32代 第一次濱口雄幸内閣 (2594(昭和4)年3月8日~2597(昭和7)年7月13日) 与党立憲民政党総裁。第二十四回総選挙(昭7・6・30)。 33代 第二次濱口雄幸内閣 (2597(昭和7)年7月13日~2599(昭和9)年3月8日) 与党立憲民政党総裁。 33代 第二次若槻禮次郎内閣 (2599(昭和9)年3月8日~2601(昭和11)年7月11日) 与党立憲民政党総裁。第二十五回総選挙(昭11・6・30)。 34代 第一次近衛文麿内閣 (2601(昭和11)年7月11日~2604(昭和14)年5月10日) 与党立憲政友会総裁。第二十六回総選挙(昭14・5・1)。 35代 第二次近衛文麿内閣 (2604(昭和14)年5月10日~2605(昭和15)年11月26日) 与党立憲政友会総裁。第二十七回総選挙(昭15・11・15)。 36代 町田忠治内閣 (2605(昭和15)年11月26日~2607(昭和17)年4月12日) 与党立憲政友会総裁。第二十八回総選挙(昭17・4・1)。 37代 第一次吉田茂内閣 (2607(昭和17)年4月12日~2609(昭和19)年7月21日) 与党立憲政友会総裁。第二十九回総選挙(昭19・7・5)。 38代 第二次吉田茂内閣 (2609(昭和19)年7月21日~2612(昭和22)年4月13日) 与党立憲政友会総裁。第三十回総選挙・抜打解散(昭20・7・5)。立憲政友会から、鳩山派が分裂し、立憲自由党が成立。 39代 第三次吉田茂内閣 (2612(昭和22)年4月13日~2614(昭和24)年4月21日) 与党立憲政友会総裁。第三十一回総選挙・馬鹿野郎解散(昭23・12・15)。 40代 第四次吉田茂内閣 (2614(昭和24)年4月21日~2624(昭和24)年12月26日) 与党立憲政友会総裁。 41代 第一次鳩山一郎内閣 (2624(昭和24)年12月26日~2615(昭和25)年2月20日) 与党立憲自由党総裁。第三十二回総選挙(昭25・2・5)。 42代 第二次鳩山一郎内閣 (2615(昭和25)年2月20日~2617(昭和27)年12月20日) 与党立憲自由党総裁→自由民政党総裁。自由党と立憲民政党が合同(15年体制の成立)。 43代 第一次緒方竹虎内閣 (2617(昭和27)年12月20日~2618(昭和28)年11月20日) 与党自由民政党総裁。第三十三回総選挙(昭28・11・5)。 44代 第二次緒方竹虎内閣 (2618(昭和28)年11月20日~2620(昭和30)年2月11日) 与党自由民政党総裁。 45代 第一次岸信介内閣 (2620(昭和30)年2月11日~2622(昭和32)年11月11日) 与党自由民政党総裁。第三十四回総選挙(昭32・11・2)。 46代 第一次池田勇人内閣 (2622(昭和32)年11月11日~2625(昭和35)年5月21日) 与党自由民政党総裁。第三十五回総選挙(昭35・5・5)。 47代 第二次池田勇人内閣 (2625(昭和35)年5月21日~2626(昭和36)年12月21日) 与党自由民政党総裁。 48代 第一次佐藤榮作内閣 (2626(昭和36)年12月21日~2628(昭和38)年7月1日) 与党自由民政党総裁。第三十五回総選挙・総督廃止解散(昭38・6・15)。 49代 第二次佐藤榮作内閣 (2628(昭和38)年7月1日~2629(泰寿元)年2月1日) 与党自由民政党総裁。第三十六回総選挙・改元解散(泰元・1・20)。 50代 第三次佐藤榮作内閣 (2629(泰寿元)年2月1日~2631(泰寿3)年6月25日) 与党自由民政党総裁。 51代 第二次岸信介内閣 (2631(泰寿3)年6月25日~2631(泰寿3)年11月25日) 与党自由民政党。第三十七回総選挙・泥沼解散(泰3・11・10)。 52代 第一次田中角榮内閣 (2631(泰寿3)年11月25日~2633(泰寿5)年6月25日) 与党自由民政党総裁。 53代 福田赳夫内閣 (2633(泰寿5)年6月25日~2635(泰寿7)年11月25日) 与党自由民政党総裁。第三十八回総選挙・任期満了(泰7・11・10)。 54代 第二次田中角榮内閣 (2635(泰寿7)年11月25日~2638(泰寿10)年7月10日) 与党自由民政党総裁。 55代 第一次小坂徳三郎内閣 (2638(泰寿10)年7月10日~2639(泰寿11)年11月29日) 与党自由民政党総裁。第三十九回総選挙・任期満了(泰11・11・10)。 56代 第二次小坂徳三郎内閣 (2639(泰寿11)年11月29日~2641(泰寿13)年7月10日) 与党自由民政党総裁。 57代 第三次小坂徳三郎内閣 (2641(泰寿13)年7月10日~2642(泰寿14)年6月28日) 与党自由民政党総裁。第四十回総選挙・党内合意解散(泰14・6・13)。 58代 第三次田中角榮内閣 (2642(泰寿14)年6月28日~2644(泰寿16)年7月31日) 与党自由民政党総裁。第四十一回総選挙・田中解散(泰16・7・23)。 59代 第四次田中角榮内閣 (2644(泰寿16)年7月31日~2645(泰寿17)年11月10日) 与党自由民政党総裁。 60代 三木武夫内閣 (2645(泰寿17)年11月10日~2646(泰寿20)年6月10日) 与党自由民政党総裁。第四十二回総選挙・一歩手前解散(泰20・6・1)。 61代 第一次大平正芳内閣 (2648(泰寿20)年6月10日~2650(泰寿22)年9月1日) 与党自由民政党総裁。第四十三回総選挙・アルティス政変解散(泰22・8・17)。 61代 第二次大平正芳内閣 (2650(泰寿22)年9月1日~) 与党自由民政党総裁。
https://w.atwiki.jp/fc2blog/pages/8.html
htmlプラグインエラー このプラグインを使うにはこのページの編集権限を「管理者のみ」に設定してください。 FC2ブログの登録はできましたか? デザインを決めたり、ブログのタイトルを決めたり、色々大変だったと思います。 でも、それは最初の一度きり。 後は自分の中にある創造力で、ブログを運営していくのみです。 (できたら、いろんな人と素敵なコミュニケーションをして欲しいところです。) ■新しく記事を投稿する(超!基本編) まずは単純な記事の投稿から。 ひたすら文字を入力してアップするだけの場合。 ■新しく記事を投稿する(文字修飾編) 文字にインパクトを付ける方法を。 上記の「超!基本編」をクリアしてから、です。 ■新しく記事を投稿する(ハイパーリンク編) ■新しく記事を投稿する(画像挿入-基本編) ■新しく記事を投稿する(絵文字も入れたい編)
https://w.atwiki.jp/setutyakusai/pages/2.html
メニュー トップページ? メニュー