約 316,301 件
https://w.atwiki.jp/magicman/pages/23934.html
獅子の時代(ハクナ・マタタ) R 自然文明 (2) 呪文 ◼︎このターンの終わりまで、バトルゾーンにある自分のクリーチャー1体は「マッハファイター」を得る。そのクリーチャーがこのターンはじめてバトルに勝った時、アンタップする。 作者 はんむらび 《獣達の輪舞》にマッハファイター付与を抱き合わせた呪文。 マッハファイター付与は「場に出たターン」しか効かない関係上、この呪文とクリーチャーは同時に出さなければいけないのが厄介。 ただ、それさえできれば「2体のマッハファイターを出したのに等しい」有効性を発揮できる。 名前は大河ドラマ「獅子の時代」と「ライオンキング」に登場する有名なセリフ。FTは「家政婦のミタ」の主題歌「やさしくなりたい」より。 フレーバーテキスト 獅子なき時代に生まれたわけじゃない。獅子のように強く、優しくなりたい。 評価 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/dq5_ds/pages/14.html
青年時代前半 工事中の神殿 海辺の修道院 オラクルベリー サンタローズの洞窟 ラインハット城地下 神の塔 ポートセルミ カボチ村 魔物のすみか ルラフェン うわさのほこら サラボナへの洞くつ サラボナ 死の火山 山奥の村 滝の洞くつ カジノ船 砂漠のほこら テルパドール メダル王の城 ネッドの宿屋 チゾットへの山道 チゾット グランバニアへの洞くつ グランバニア 試練の洞くつ 北の教会 デモンズタワー
https://w.atwiki.jp/ryuugakusei/pages/29.html
16世紀後期から17世紀初頭にかけて安土桃山時代と呼ぶ。織田信長は室町将軍足利義昭を放逐し、室町幕府に代わる畿内政権を樹立した。しかし、間もなく信長が本能寺の変により滅ぼされ、天下統一の事業は家臣の豊臣秀吉が継承することとなった。 秀吉は、信長の畿内政権の領土を母体として東北から九州に至る地域を平定し、統一事業を完了した。秀吉もまた中世的支配体系・支配勢力の排除・抑制に努め、太閤検地の実施を通して荘園公領制・職の体系を消滅させ、これにより中世は終焉を迎えた。秀吉は朝鮮への出兵を実行したが、その最中に死去。関が原の戦いに徳川家康が勝利し、豊臣氏は弱体化していった。 秀吉による天下統一が成り、政治や経済の安定がもたらされると、大名と武士を中心として豪壮な桃山文化が栄えた。
https://w.atwiki.jp/tes5/pages/226.html
夜明けの時代 時の始まり アヌとパドメイが混ざり合った不定形のアービスからアカトシュが生まれ、宇宙のあり方を制御した。そして現在定命の存在が認識している神々が生まれた。 ニルンの着想 パドメイ的存在のロルカーンがニルンと呼ばれる星の創造を思いつく。この領域は究極の自由「ヌマンティア」を実現できる場として、ロルカーンの衝動を満たすものだった。 エイドラとデイドラ ロルカーンは創造の為に現在エイドラとして知られる神々やアヌ以外から発生した同格の精霊を説得した。エイドラのマグナスが新たな世界の建造を始めたが、パドメイ的な精霊はロルカーンの提案を拒否して各々好きな世界を創ることにした。これが現在オブリビオンと呼ばれる世界であり領域の創造主はデイドラロードとなった。それから数千年後、秩序を司るデイドラロードのジャガラグが他のデイドラ達に狂気を司るデイドラロードのシェオゴラスになる呪いをかけられる。 創造 アービスからムンダスが造られ、犠牲として創造に携わった者の多くは死か能力を失う。彼らはかつての姿の影として存在した。新しく作られた場所は時の流れが不安定な混沌とした世界だった。多くの精霊が消滅して定命者が創造された。 不和 マグナスとその従者達マグナ=ゲはムンダスを罠と見抜いて創造を断念し、空に穴を空けてエセリウスへ逃げ帰った。太陽と星の光によってマジカがムンダスに流れ続け、創造の十二界は繁栄した。 会議 ムンダスに赴いたアカトシュの嚢がハイロックのバルフィエラ島に落ち、最古の建物として知られるアダマンチンの塔となった。これにより全ての精霊と創造の混沌が結晶化し、時間が線形に順序だって進むようになる。これが夜明けの時代の終わりである。アカトシュは混乱を招いたロルカーンを罰する為に神々とエイドラの会議を招集し、罰としてトリニマックにロルカーンの心臓をもぎ取らせ、アーリエルはそれを矢に結びつけ海に射った。心臓は隕石となり、落下した東の地域にレッドマウンテンとヴァーデンフェル島を形成した。 定命者 長い時を経てエルノフェイの民は次のように分かれていった。タムリエルの定命者はマー(エルフ)となりドゥーマー(深きもの)、チャイマー(変わりしもの)、ボズマー(緑のもの、森のもの)とアルトマー(古きもの、高きもの)と細分化されていった。崩壊したアルドメリス大陸以外から現れた定命者はヒスト、獣人、ニルンのネディック人、古代ノルド人、そしてヨクーダ大陸から来たレッドガードだった。
https://w.atwiki.jp/gamemusicbest100/pages/4347.html
大航海時代IVPORTO ESTADO 大航海時代IVROTA NOVA 機種:PC, PS, Mob (PORTO ESTADO), DS, PSP (ROTA NOVA) ,Switch 作曲者:高木庸旬 開発元:光栄 発売元:光栄 発売年:1999年(オリジナル) 概要 7つの海に散らばる「覇者の証」を見つけることが今作のゲーム目的。 今作からキャラクターデザインが変わったことで雰囲気も大きく変わり、 イケメンパラダイス・腐ホイホイなどと言われるが音楽は相変わらずの良さを誇る。 収録曲 Windows版 曲名 補足 順位 タイトル 勇躍 海へ続く道 南欧の街 ラファエル 旅立ちのテーマ 北欧の街 リルとカミル 追い風に乗って バロック ホドラム イスラムの街 セラ 想い 海賊王 洋上戦闘のテーマ 大勝利! 南へ行こう アフリカの街 陽気の仲間 情熱の炎 インディアの風 インドの街 ウッディーン 麗しの乙女 南海の島々 東南アジアの集落 悲しみ セイレーン 東アジアの海 パソコンゲーム214位 中国の街 探検!探検! 遺跡 暗雲 日本の街 キョ―タロー 強敵登場 ゲームオーバー 新大陸の街 ティアル 水平線の向こうへ 征服者 大海戦 勇者の証 本当の宝物 エンディング サウンドトラック 大航海時代 30周年記念 サウンドトラック全曲集(10枚組) 大航海時代IV with パワーアップキット HD Version 30周年記念版(Windows,Switch)同梱
https://w.atwiki.jp/daiennkai/pages/43.html
第2回アクエリアス商会バトルキャンペーン 商会の皆様いかがお過ごしでしょうか。最近は商会のイベントが少ない気がします。 そこでアクエリアス商会の方々と合同BCを開催したいと思います。 今回は小・中型船限定です。 基本的なルールとして10人から20人が2チーム(1チームにつき最低5人必要)に分かれて 自分達が設定した海戦場で戦います。 相手を撃沈すると自陣営の得点となりますが、撃沈された方も10秒のペナルティを 過ぎるとまた出撃できます。制限時間内にどれだけ得点を取れるかで勝敗が決まります。 勝利チームには毎回賞金(通常の賞金+撃沈数に応じた報酬)が支払われますが 敗者側には10分の1の賞金しか支払われません。 BCではどれだけクリティカルを受けても船の耐久が下がることがありませんので 勇気をもって敵艦隊に挑みましょう。(船部品などは消耗します) MVP・修理支援No.1の方・撃沈王の方にはそれぞれ豪華賞品が授与されます。 皆様のご参加お待ちしております。 主催 : アクエリアス商会・大宴会時代商会 協賛 : アクエリアス商会・大宴会時代商会 他 日時 : 11/22(日) 22 00~(参加人数が10名に満たない場合は模擬に変更です) 集合場所 : リスボン教会(各都市の出港所からの参加も事前に連絡いただければ問題ありません) ルール使用可能な船 : 小型・中型船 制限事項 : スキルはR制限をかけます。(R5制限です) 道具 : 撤収の鐘などは作戦本部で購入できますが、できるだけ自分で用意するといいでしょう。 備砲 : 名匠以外はOK。火炎・鎖弾・煙幕は構いません。 追加装甲 : なし(海事スキルR5以下の方はハンデとして鉄板1枚) 副官 ; 兵長以外の担当につける。エルナンの妨害は不可! 機雷 轟音機雷は不可。通常機雷はバラマキ放題です。 白兵 : 白兵時の破壊工作などは両陣営にスキル取得者がいればOK。 参加の連絡・お問合せなど ラフィール姫・ジャックラカムまで ※集合場所には21:30までに集合しましょう。チームの振り分けがあります。 参加希望者は書き込みお願いします^^ 日程は22日に変更?22日は予定あるので参加できません;; -- (ディアナ) 2009-11-11 00 38 54 名前 コメント すべてのコメントを見る 艦隊戦でよく使われる暗号(?!)チャットでキーボードを連打しましょう。 「ttttttttttttt」・・・・「統率スキル使ってください」 「gggggggg」・・・・「外科手術スキル使ってください」 「sssssssss」・・・・「修理スキル使ってください」など・・・。
https://w.atwiki.jp/talesofdic/pages/7317.html
石の時代(いしのじだい) +目次 登場作品ハーツ関連リンク 関連項目 類似項目 ▲ 登場作品 ハーツ 本編から約2000年前の結晶人が原界人を支配していた時代。高度な文明を持ち、各地の遺跡にそれが散見される。 ▲ 関連リンク 関連項目 ▲ 類似項目 ▲
https://w.atwiki.jp/unno/pages/146.html
書名 秘密結社の時代 鞍馬天狗で読み解く百年 書誌情報 出版社(叢書・シリーズ名)河出書房新社(河出ブックス) 発行年月日2010年4月30日 版型 造本データ ページ数B6判 並製 213ページ 定価1300円 装丁天野誠 (magic beans) 装画:佐多芳郎『地獄太平記』挿絵原画(部分)(大佛次郎記念館蔵) 年譜作成K K事務所 福島歩 異版 目次 プロローグ 鞍馬天狗の謎 7鞍馬天狗は秘密結社である 鞍馬天狗はどこからきたか 覆面の武士 ジゴマ頭巾 第一章 鞍馬天狗の四つの時代 25フランス革命と鞍馬天狗 ロシア革命と鞍馬天狗 維新革命と鞍馬天狗 鞍馬天狗と一九三〇年代 第二章 鞍馬天狗で秘密結社を解く 49サンカから鞍馬天狗へ~『鬼面の老女』 ゲリラ戦で資金調達~『御用盗異聞』 都市のアンダーワールド、秘密結社の世界~『小鳥を飼う武士』 敗者の復権~『角兵衛獅子』 〈革命〉としての明治維新~『鞍馬天狗余燼』 パブリック・エネミーの秘密結社との戦い~『山嶽党奇談』 戦乱の京都~『天狗廻状』 同時代の批判として~『江戸日記』 秘密結社の自滅、革命はどこへ行ったのか~『宗十郎頭巾』 結社がうごめく時代の中で~『御存知鞍馬天狗』 秘密結社が消えた時代~『江戸の夕映』 第三章 戦後の鞍馬天狗 131秘密結社が再現される~『新東京絵図』と『海道記』 真のテーマは天皇~『青面夜叉』 民俗的「秘密結社」~『夕立の武士』 カルト的秘密結社の背後~『影の如く』 大きな敵を見失ってしまった天狗~『女郎蜘蛛』 天狗が覆面を脱ぐ~『西海道中記』 第四章 天皇の『世紀』~秘密毛者をめぐる旅 161鞍馬天狗の幕間 『パリ燃ゆ』 無名の人々のコミューンを探し出した~『天皇の世紀』 エピローグ 横浜天狗ロマン周遊 189秘密結社も鞍馬天狗とともに消えた~『地獄太平記』 あとがき 198 参考文献/掲載資料 201 大佛次郎と鞍馬天狗年譜 205 あとがきより 私はこのところ、〈秘密結社〉に興味を持ち、『陰謀の世界史』(文藝春秋)、『秘密結社の世界史』(平凡社新書)、『秘密結社の日本史』(同)などを書いてきた。そしてふと、〈鞍馬天狗〉と〈秘密結社〉が結びついた。〈鞍馬天狗〉シリーズには多くの秘密結社が登場する。もしかしたらそれは、秘密結社の物語なのではないだろうか。 一九二〇年代というモダン都市の時代を調べてきた私は、このところ、その次の〈一九三〇年代〉に関心を広げている。『久生十蘭?』(右文書院)はそこから生まれた本である。十蘭を書いているうちに、大佛次郎との関係が気になってきた。鞍馬天狗のテーマにたどり着いたのもそのおかげであった。 大佛は一九三〇年代から現代小説を書きはじめた。ほとんど忘れられていたそれらの作品が、村上光彦の新しい解説で、未知谷から復刻されるようになった。その代表作である『白い姉』を私が書評したきっかけで、大佛次郎研究会に招かれ、大佛の現代小説と一九三〇年代のモダン都市についての話をすることになった。私の長年の友人である出村弘一さんがその研究会にいたこともうれしいおどろきだった。そして、大佛次郎の再評価をぜひやってほしいといわれたのである。 この本を書くに際して、大佛次郎研究会の村上光彦先生、大佛次郎記念館の益川良子さんのお世話になった。そしていつも新しいテーマを与えてくれる刈部謙一さん、出版に力を貸してくれた河出書房新社の田中優子さんに感謝する。 主な初出 書き下ろし 補記
https://w.atwiki.jp/wiki11_library/pages/550.html
書籍ライブラリ 人間の可能性 映画・同時代論 edit ブレードランナーの未来世紀 町山 智浩 内容(「MARC」データベースより) 保守的で能天気な80年代ハリウッド映画の陰で、スタジオから締め出された映画作家たちは、異様な悪夢の世界を描いた映画を作っていた。その理由を、入手可能な資料と監督自身の言葉を手がかりに解きほぐす。 洋泉社 映画秘宝コレクション(2005/12/20) ISBN-10 4896919742 ISBN-13 978-4896919745 edit 愛の寓話―日活ロマン映画と時代を拓いた恋人たち 内田 達夫 (編), Pause編集部 (編) 熱い昭和を駆け抜けたやつら 製作サイド、女優へのインタビューなど。 内容(「BOOK」データベースより) 映画が撮りたかった、夢中で創り続けた、そして1,133の“愛の寓話”が生まれた…。“ロマンポルノ”と呼ばれた、世界にも類を見ない、最後のプログラム・ピクチャーの真実。『日活ロマン、“撮影所システム”最後の光芒』に続くシリーズ第2弾。貴重な証言、図版から浮かび上がるロマンポルノの真実。全作品リスト(改訂版)掲載。 東京学参 (2006/7/10)、って入試用の問題集とか出してるとこなんですが... ISBN-10 4808011212 ISBN-13 978-4808011215 amazonリンク 愛の寓話―日活ロマン、映画と時代を拓いた恋人たち Interview with a Romance film Creators vol.2 ご感想などお寄せ下さい。 お名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/32524.html
登録日:2015/07/14 Tue 01 15 59 更新日:2024/06/24 Mon 19 40 24 所要時間:約 9 分で読めます ▽タグ一覧 三国志の果て 三国志ファン涙目 世界史 中国 中国史 中国脅威の同化力 乱世 五胡十六国時代 仏教 内ゲバの嵐 十六国←もっとある 南方に追いやられる漢民族 小国乱立 東晋 歴史 浸透王朝 異民族 群雄割拠 虐殺 西晋 身内に権力を持たせた結果がこれだよ! 道教 魏晋南北朝時代 五胡十六国時代。それは、三国志末期まで読み進めた中国史ビギナーに対して中華を統一してあまりに悲しい事実を突きつけた全国王朝・晋がやらかしちったため、 漢民族化しつつあった北方の異民族、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の五部族が中華の主役に躍り出るべく大暴れして、約100年以上泥試合を繰り広げた中国史上最悪の混沌無粋の時代である。 それまでわかりやすかった中国史がこのへんでめっっちゃわかりづらくなる。 始まり 経過 結果 後世への影響他 この時代に興亡した国たち晋とその系譜 一般に十六国とされる国 十六国以外の各国 始まり まずは、漢~魏までの皇族、皇帝になり損なった皆さんの処遇について簡単にまとめなければならない。 以下、簡単なまとめ 始皇帝亡きあとの秦をぶっ倒し、項羽をなんとか紙一重、韓信が斉王でも名乗っていたら恐らくまた戦国時代に逆戻りしていたくらいの紙一重で退けて本格的中華大帝国・漢を打ち立てた劉邦。 その劉邦・漢は、功臣を王としたあとそれらをバッサリ粛清、空いたところに血族を積極的に王として登用する政策を取った。 が、呂氏の専横などで皇帝権が緩んだことなどもあり、王が徐々に皇帝を軽んじるようになったため領土削減など力を削ぐ方策を取る。 しかし、呉楚七国の乱で呉王劉濞(りゅうび)(*1)他が大乱を起こすなど問題が発生したため 皇帝と官僚を中心に据えた秦式をアレンジした中央集権化を推し進めた。しかしこれも外戚により簒奪を招き、漢の一時的断絶に繋がってしまった。 光武帝が復興させた後漢は豪族の寄り合い所帯ということもあり、最後まで外戚と外戚に対抗するために重用された宦官の暗闘が行われるというありさまであったが、 両者の跋扈に対抗する第三勢力になり得る皇族は徹底的に管理され抑圧され続けた。 …第三勢力になり得るとはいったが、呉楚七国の乱を考えれば皇族が信用出来ないのもまた道理か。魏末期には幽閉同様の待遇であったらしい。 ちなみに魏も後漢に習った皇族への処遇を続けたが、帝が若死にを続けた曹叡以降に皇帝権が弱体化すると、大功のある司馬懿・血族であるが皇族ではない曹爽らにほとんど実権を奪われたも同然に。 そして曹爽一派が盛大にやらかしまくったので司馬懿らは「凡愚共には任せておれぬ」とばかりに蜂起して曹爽たちを捕らえ、その悉くを処断。 しかしこれを皮切りに、対呉・蜀のために各地に置いていた軍権を持つ都督たちが司馬氏の専横を止める名目で相次いで反乱を起こし、魏という国体を大いに揺るがす(*2)。 なんとか内乱ラッシュをしのぎきった司馬昭は、司馬氏王朝樹立に向けて近親者、王朝樹立後は皇族として、皇位継承権を持ち得る血族に領土や都督の位などを与え始めていた。 魏が、都督として大功を挙げて並ぶ者のない存在となった父・司馬懿のような存在を出したことで滅ぼされることになった例から、そういう存在を他の氏族から出さず、司馬氏の血族で治めていくという意図を込めた人事であった。 司馬一族は司馬懿を含む8人兄弟が「八達」と呼ばれるなど賢才の多い家系であったため、そういう賢才たちが一族を運営していくことを想定していたのかもしれない。 だが、晋代に入った司馬一族は書物すら読めない奴とか読書好きかと思えば決断力がない奴とか皇帝を軽んじる野心家とか、後世で散々に言われるほどの想定外の問題児が現れ始める。(*3) 更に彼らを抑え、賢才を登用すべき皇帝があろうことかクソ暗愚だったらしく、そういう困った人材も司馬一族であると言うだけで上に行くようになってしまい、大混乱を招くことになった。 さて、蜀を滅ぼしいつのまにやら三国時代の勝者としての地歩を固めていた司馬昭の息子司馬炎(晋武帝)により、晋が禅譲を受ける形で樹立され、三国最大の国家・魏は滅亡した。その後二宮の変だなんだでgdgdになった呉を滅ぼし晋が中華統一を果たす。 ところが武帝は統一事業を完成させると急に堕落してしまう。英君が突如として酒色に溺れる暗君となってしまったのだ。さらに優秀であると名の通っていた弟・司馬攸を無理に都督に任命したあげく死なせてしまう(斉王攸帰藩事件)(*4)。 末期ですでに外戚の専横が見えていた武帝の死後、司馬衷(晋恵帝)が後を継ぐ。 が、以前より懸念されていた通りの暗愚っぷりを発揮(*5)。政権は恵帝の母親の一族である楊氏が牛耳った。 しかしそれを快く思わない恵帝の皇后・賈南風(*6)は、他の皇族と共謀して楊氏一族を皆殺しにし実権を奪った。 ところが賈南風のヒスは皇族にも向き始め、汝南王司馬亮(*7)に皇帝廃立を狙っていると罪を擦り付けて殺害。 更に亮殺害の実行役であった楚王司馬瑋(*8)が司馬亮を冤罪に陥れたとして彼も死刑とした。 子に恵まれないため他の婦人が産んだ皇太子も処分するなど専横を尽くすが、 皇太子殺害はやり過ぎであったか、逆に趙王司馬倫・斉王司馬冏の挙兵を受けて賈氏一族およびそこにおもねった臣下が皆殺しの憂き目に遭うこととなった。 これが、晋終わりの始まり・八王の乱の始まりであった。 この八王の乱、無駄に多くのエピソードが転がっているので簡略に記す。詳細が知りたい方は該当項目で見てほしい。 以下、簡単なまとめ まず、趙王司馬倫(*10)が淮南王司馬允(*9)が反乱を起こしたとして粛清する。 ところが、これで調子に乗った趙王司馬倫は暗愚な皇帝など廃位して自分こそ皇帝と名乗り始めてしまった。 だが流石にこれに宗室諸王は黙っておらず、斉王司馬冏(*11)、成都王司馬穎(*12)、河間王司馬顒(*13)が組んで司馬倫を打倒。 次に実権を握ったのは斉王司馬冏であったが、実権を握ったのをいいことにやりたい放題をはじめたため、趙王司馬倫を倒した残り二人は激怒。 河間王司馬顒は、都にいた長沙王司馬乂(*14)に斉王司馬冏を倒すようそそのかした。 これは、長沙王司馬乂を斉王司馬冏に返り討ちにさせてそれを口実に挙兵しようという作戦だったが、長沙王司馬乂は予想外に強く、なんと斉王司馬冏討伐に成功、恵帝は長沙王司馬乂の補佐を受けるようになってしまう。 長沙王司馬乂は成都王司馬穎とも相談して政治を行っていたが、長沙王司馬乂に実権があるのが面白くない成都王司馬穎・河間王司馬顒は挙兵して長沙王司馬乂討伐をはかった。 長沙王司馬乂は少ない兵力で両王の軍勢を圧倒する無双ぶりを見せた(*15)(*16)が、劣勢に陥ったと見た東海王司馬越(*17)があろうことか長沙王司馬乂を捕えて降伏、長沙王司馬乂は殺された。 が、次の実権者・皇帝の後継者となった成都王司馬穎は結局部下のとりまとめに失敗。 この混乱を見て今度は東海王司馬越が成都王司馬穎に挑むが大敗し、封地に逃げ帰ることになる。 だが、成都王司馬穎は幽州で烏丸の剽悍な騎兵を率いる王浚に大敗、洛陽に逃げ込むももはや成都王司馬穎に力はなく(*18)、河間王司馬顒のいる長安に逃げ込むしかなかった。 そんな状態を見逃さず東海王司馬越は異民族の騎兵を取り込んで長安の河間王司馬顒を圧倒。河間王司馬顒の和睦の申し入れ(*19)も蹴飛ばし、長安は陥落した。 成都王司馬穎は東海王司馬越に捕えられて死亡。東海王司馬越は河間王司馬顒を手なずけようとしたが、東海王司馬越の弟司馬模が河間王司馬顒を暗殺した。 恵帝はこれに前後して、餅を喉に詰まらせて死んだ。(東海王司馬越による毒殺説もある) さらに簡単、というか雑に表すと以下の通り。 趙王司馬倫「反乱なぞ起こしおって!死ねぃ!イヤーッ!」 淮南王司馬允「グワーッ!サヨナラ!」 趙王司馬倫「グワーッハッハッハ!暗愚なる皇帝なぞ廃位してくれるわ!朕が皇帝なりィ!」 斉王司馬冏「ふざけるな簒奪者が!お前の政治はブルシットだ!くたばれ!」 趙王司馬倫「アバーッ!皇帝は…皇帝は…サヨナラ!」 成都王司馬穎「アンタはよくやったよ斉王。イヤーッ!」 長沙王司馬乂「せいぜい親父の後を追うんだな!イヤーッ!」 斉王司馬冏「アイエエエ!?ナンデ!?サヨンナラー!」 成都王司馬穎「ついでにテメーも死ね!気に入らねんじゃ!」 長沙王司馬乂「グワーッ?!」 以上の内ゲバがうんざりするくらい延々と繰り返されて晋の国力は急降下、そのまっただ中で八王の乱に将として参戦していた匈奴の単于・劉淵(*20)が漢および蜀漢の後継を名乗り漢(のちに趙と改称、史学的には前趙)を建国。永嘉の乱の始まりである。 当初は晋もそれなりに食い止めていたが、最終的な実権者で漢の進撃の前に立ちはだかった東海王司馬越が、あまりの独裁っぷりで支持を失う。 3代皇帝懐帝(*21)とも対立してしまい、ついに東海王司馬越は反逆者扱いされた怒りのあまり憤死してしまった。 こうなっては漢の進撃は止まらず、また大黒柱を失った晋は止めることもできず、洛陽は殺戮と略奪と陵辱の坩堝となり、3代皇帝懐帝はありとあらゆる屈辱をたっぷり与えられた(*22)のち処刑された。 生き残りが長安で4代目の愍帝(*23)を立ててまだ抵抗したが、やっぱり負けた上で長安は洛陽と同じ運命を辿り、愍帝は懐帝と同じようにありとあらゆる屈辱を与えられたあと処刑された。 こうして晋は滅亡。司馬昭の皇族に大権を与える政策がまるっきり裏目にでるという、司馬懿が見たら馬鹿めが!と一喝されそうな(宗室がピンチになっても皇族が無力だった末期の魏を笑えない)結果になった。 ただ皇族をそこら中に置いていた効果は確実にあり、華北が乱れる間隙を突き、八王の乱と永嘉の乱からさっさと逃げていた司馬睿(*24)を亡命貴族と江南貴族が擁立したことにより晋(東晋)が復興される。 しかしそれこそが、大陸を南北に分断した挙げ句千々に乱す不毛の大内乱・五胡十六国時代の幕開けであった…。 経過 さて、傑物劉淵が匈奴を中心に据えて建国した漢であったが、統一を待たずに劉淵が天命を迎える。 さっそく発生した後継者争いを勝ち抜いた劉聡が、東海王司馬越を自ら排除し弱体化した晋(西晋)を倒して永嘉の乱に終止符を打ち、華北の王者となったのだが、 この劉聡も愍帝を処刑して完全に西晋を滅ぼしてからわずか二年後に亡くなってしまい、また後継者争いになってしまった。 勝ち抜いた劉曜が即位しさらに国号を趙(前趙)と変更するが、重臣で永嘉の乱勝利に大功のあった羯族の生まれである石勒が大単于趙王を名乗り独立。 十数年の抗争の後、最終的に勝者となったのは石勒であり、皇帝に即位。石勒も趙という国号を継続使用した(匈奴劉氏の趙と区別するため後趙と呼ぶ)。 しかしこの後趙も石勒の死後、その弟の石虎が実質的に簒奪した挙げ句死の直前に暴君化し、石虎の崩御後は息子たちがまたまた後継者争いをおっ始めてゴタゴタゴタゴタしているうちに、 石氏に養子として入っていた漢族(*25)の冉閔が後趙の皇族を殺戮し簒奪。魏(冉魏)を打ち立て、漢民族至上主義の元、羯族以下異民族を虐殺する凄惨な事態になるが(*26)、 政権基盤は貧弱であり、鮮卑慕容部が建国した燕(前燕)が遼東から殺到しあっという間に倒れた。 同じころ、後趙が洛陽から鄴(*27)へ遷都していたため、影響力の落ちていた陝西で氐族の苻洪が秦(前秦)を建国。息子の代で皇帝を称した。 その頃、江南の東晋はと言うと亡命政権ということもあり、亡命貴族と江南貴族の激しい主導権争いがあるなど、北伐どころではなかったのだが、 王導の政治指揮でようやく安定し始め、荊州方面の西府軍を率いる桓温が蜀に打ち立てられていた成漢(*28)を討ち滅ぼし版図に加えると、北伐が本格化。 揚州(*29)の北府軍を率いる殷浩(*30)が桓温の大功に焦ったのか、三代目石虎崩御後の混乱にあった後趙へ侵攻。許昌まで侵攻するが反撃され敗北し失脚。 北府軍の軍権をも得た桓温が満を持して開始した北伐は大成功を収め、洛陽を取り返し、司馬氏の陵墓を修復するなど功績と名声は並ぶ者のない存在となり、政治にも参画するようになった。 しかしその桓温も晩年は散々であり、前燕の侵攻で洛陽を奪われるとまた北伐するも大敗。逆に前秦や前燕の南進を招く事になってしまった。 東晋から禅譲を受け王朝を開くという桓温の秘した野望は、実現から大きく遠ざかってしまう。慌ててあの手この手で禅譲を受けんとするも、腹心としていた謝安から妨害され桓温の寿命もまた禅譲を待たず尽きてしまう。 余談だがこの桓温、「既に後世に芳を流す能わず、復た臭を万載に遺すに足らざるか」 つまり「俺ぁ歴史の有名人になれなかったってのに、悪名高いクソ野郎にもなれねえのか!」という絶叫を残したという。 悪名は無名に勝るとはよく言ったものだ。 前燕は、桓温の北伐を退けた柱石・慕容垂が前秦に亡命すると一気に衰え前秦に滅ぼされる。 その全盛期の前秦を率いた英雄こそ苻堅であった。勇猛にして英明な大器であり、漢族の名宰相・王猛と共に華北統一に邁進。 并州付近にそれなりの勢力を誇り、前趙などの侵攻をはねつけてきた代(鮮卑)、涼州にやはり長く存続していた前涼(漢族)など周辺国を全て倒しついに華北を統一。 久しぶりに華北を統一した英雄となったのであった。 しかしこの苻堅ですら中華統一までは届かなかった。東晋侵攻を頑なに反対していた腹心・王猛を失い、さらに群臣の反対(*31)を押し切ってでも中華統一を目指し強行した南征は、 謝玄率いる東晋軍の勇戦、そして東晋からの降将・朱序の裏切りに遭い決定的な惨敗を喫し、統制力が一気に衰えた前秦は例によって四分五裂。華北は再び混沌に陥るのであった… 結果 その後、華北は苻堅が暗殺されたり、慕容垂が独立したり再びクソミソになったが、かつて代を建国した鮮卑拓跋部の王族拓跋珪が代を復興、のちに魏(北魏)と改名し、夏(匈奴)などを滅ぼし華北を再統一することになった。 北魏は初代皇帝として即位した拓跋珪が次男に殺害されるアクシデントはあったものの、崩壊せず踏ん張りきり、前述のライバルを次々併呑し華北の統一政権として確立されるに至った。 そのころ、南の東晋は謝安体制の終焉から、再び不安定になっていた。 西府軍の首領となっていた桓温の息子桓玄が皇帝になり損なった父の悲願を果たすべく、五斗米道系の道教教団が起こした反乱鎮圧名目で都・建康(*32)に駐屯。 一時的に帝位を簒奪し、楚を建国。父の悲願を叶えた…のだが、並び立つ北府軍と対立し、首領を自殺に追い込んだことで決裂。 北府軍を引き継いだ劉裕によりあっけなく楚は滅ぼされ、東晋は再興された。 さらに劉裕は北上して南燕を滅ぼし山東半島を奪回。前秦から分裂した後秦をも滅ぼし、遠征中の留守を狙った反乱も鎮圧。名声・功績は東晋史上類を見ないものとなったため、禅譲を受け宋を建国。 しかしその後も虐殺・内ゲバ・殺し合いが続き、今度はやっぱり部下の蕭道成に、南宋の順帝が退位のち暗殺されることで幕を閉じる(*33)。 宋の建国の少し後に、北魏が華北を統一。南北に成立した安定政権のにらみ合いへとシフトしたため、北魏の華北統一と宋の成立を持って南北朝時代へと区分が変わり、ここに五胡十六国時代は終焉を迎えた。 …しかし、この南北朝時代の戦火が収まり南北統一に至るまでは実に150年以上の年月と、楊堅・李淵ら隋・唐を築く傑物の出現を待たねばならない。 この後漢末~隋による再統一までの400年間のグダグダ混乱を引っくるめて「魏晋南北朝時代」と呼ぶ。 後世への影響他 これ以前は禅譲をされた側は、ある程度禅譲した側を優遇するのが基本であった(*34)。しかしこの時代以降は禅譲しても一族皆殺しがデフォになった。だいたい晋のせいである(*35)…。抵抗しても概ね皆殺し、素直に譲ってあげても皆殺し。サツバツ!それもあってか、最後の(一応)長期政権となった南朝宋(劉宋)最後の皇帝・順帝(数え11歳)は禅譲後に幽閉される(=死まで秒読みになった)際に「生まれ変わりがあるなら、二度と皇帝には産まれたくない!」と叫んだそうである。後世から見れば五胡十六国時代と南北朝時代という区切りがあっても、人の意識は変わってなかったのだ。っていうかさらに後の五代十国時代でも大して変わってない。 魏は皇族が弱体化してクーデターで滅亡し、晋は三楊や賈氏ら外戚の専横をきっかけに崩壊していったため、北魏は皇太子に立てられたら生母を殺すという対策を取った。そんな、ひどい…しかしそれで浮いた権力の椅子は後に軍閥が握り、北魏もまた分裂してしまうのであった。 インド伝来の仏教が浸透したのもこの時代。鳩摩羅什ら名僧が続々と華北の王朝に招聘され、社会不安とも相まって信者数を一気に増やした。その仏教の流入・発展に触発されて、道教でも教団の組織化や経典の整備が急速に発展、北方では寇謙之、南方では陸修静といった道士が登場した。やがて儒教と合わせて「三教」が出そろい、相互に影響を与えつつ発展していくことになる。 この大混乱に重ねて高句麗(*36)など朝鮮半島の国家が勃興するなどの事情が重なり、日本からの入貢が途絶えがちになった。(*37)そのため、日本の歴史では「魏志倭人伝」として知られる魏書東夷伝以降~倭の五王の入貢までの歴史(*38)は、日本人自身が記録する文化をあまり持っていなかったこともあって大きな謎となっている。 異民族が大いに暴れたため、漢民族は制圧されマイノリティに…転落はせず、むしろ鮮卑や匈奴ほかの異民族を漢民族化するという、漢民族脅威の同化能力を発揮した。この同化能力はのちの時代にも遺憾なく発揮されていくのである。文化の力ってすごい。ヤック・デカルチャー…そのせいか北魏で国史を編纂する際に鮮卑の野蛮な風俗や信条なども国史に盛り込んだところ、「なんやこの野蛮な歴史はァ!?」と皇帝がブチ切れて編纂者は九族まで滅されたらしい。やはり異民族は野蛮である。しかし同化に反発する声も根強く、大規模な内乱をたびたび引き起こすこととなる。このへんは今に至るまであんまり変わらないものである。急に北辺から華北のど真ん中に北方系の民族が雪崩込んだわけではなく、後漢末~三国時代の時点で、魏が国策として南匈奴諸族の定着化を進めて華北から逃げ出したり、飢饉で死に絶えた農民の補充をしていたりとこの時代につながる片鱗はあった。於夫羅の孫である匈奴の左賢王が劉淵(劉姓)を名乗っているのも漢民族化した証拠といえる(*39)。 この時期に流入した異民族は冒頭の五つに限らず、またこの時代では五胡の内訳が決まり切っていなかったりするらしいので、「五胡」の語は「北方の異民族の総称」くらいの感覚に近い。その中でも羯族は石勒という傑物が輩出されたおかげで名を連ねているだけで匈奴の傍流のひとつというかなり小さな部族で、冉閔の異民族狩りで完全に根絶されたようで綺麗さっぱりなくなってしまった。 「五胡十六国時代」の呼称は北魏の崔鴻による「十六国春秋」とそれに挙げられた16の国に由来し、短命王朝や北魏とその前身である代などが含まれていない。なので実際にはもっと多くの王朝が乱立している。王朝を開く前にあえなく滅んだ所や、武装した流民の集団などもある。 江南の開発は呉の時代から本格的に始められていたが、東晋ほか南部の王朝により一層の加速を見た。その結果、隋による統一が成ったころには経済の中心は江南に移っていたほどであった。今でも長江以南の方が経済的に強い大都市が多いが、その基盤はこの時代に出来上がったといえる。政治の中心と経済の中心をつなげるという発想は隋の煬帝によって成立する。 陸遜の直系子孫である陸機が八王の乱で殺され、賈逵の孫たちが滅びの引き金を引くことになる。劉禅や孫皓の子孫も八王の乱やその後の乱に巻き込まれて大半が殺されてしまった。三国志の延長として読んでいくと、文官はともかく武将ファンにとって結構キツい話が多い。中国史からロマンが無くなる転機という意見もある。 魏の陳羣が提唱し整備された「九品官人法」だったが、これは人事権を一手に握っている「中正官」に対して二品以上でなければ意見が述べられないため、あまりにも権限が強すぎるという欠陥が早期から指摘されていた。このため二品やそれに近い立場の子に生まれなければ出世ルートから外れてしまうのだが、指摘したのが司馬懿の対立派閥の人物だったせいか司馬懿はその上に更に権限の強い「州大中正」という役職を置いてしまう。そして晋代になると皇族の権限がより強まったため、制度の欠陥も一層強く浮かびあがることとなった。出世ルートから外れた者たちは地方官僚として出向させられその野心を燻ぶらせていたが、自分の仕えている皇族が皇帝になれば立場が変わるという結論に至り、皇族の中でも特に操りやすい馬鹿を煽り立て傀儡とする形で八王の乱を加速させた。九品官人法は仔細を変えつつもこの時代を通して使われた上に欠陥はそのままという状態だったが、これを変えるために隋で「中正官」の代わりに「科挙」が置かれたことでようやく問題解決の糸口が見えてくることとなる。 この時代に興亡した国たち 晋とその系譜 西晋(265~316) 東晋(317~403、404~420) 楚(403~404) 宋(南朝、420~479) 一般に十六国とされる国 前涼(301(または314)~376)…漢人 前趙(304~329)…匈奴 成漢(304~347)…氐(巴賨) 後趙(319~351)…羯 前燕(337~370)…鮮卑 前秦(351~394)…氐 後燕(384~407(または409))…鮮卑 後秦(384~417)…羌 西秦(385~400、409~431)…鮮卑 後涼(389~403)…氐 南涼(397~414)…鮮卑 北涼(397~439)…匈奴?(廬水胡) 南燕(398~410)…鮮卑 西涼(400~421)…漢人 夏(407~431)…匈奴 北燕(407(または409)~436)…漢人 十六国以外の各国 前仇池(296~371)、後仇池(385~442)…氐 代(315~376)、北魏(386~534)…鮮卑 冉魏(350~352)…漢人 西燕(384~394)…鮮卑 翟魏(388~382)…丁零(テュルク系) 後蜀(405~413)…漢人 追記・修正は禅譲を受けた後に一族を皆殺しにしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 中華にロマンが無くなって殺伐がデフォになったとも言える転機だな… -- 名無しさん (2015-07-14 03 00 36) これがコーエーの歴史ゲームにならんのは、内ゲバとかのイベントが多すぎて、作ったら歴史イベントまみれでゲームにならないからだろうか? -- 名無しさん (2015-07-14 06 59 46) これがあるから司馬氏は好きになれないんだよな。統一後の司馬氏はだらしなすぎる -- 名無しさん (2015-07-14 10 33 24) 脚注の1番って前漢の呉楚七カ国の乱の記述じゃないのか -- 名無しさん (2015-07-14 12 42 23) ↑4 日本も武家が生まれて家康が江戸幕府開くまでの800年寝ても覚めても殺し合いしてたし、歴史なんてそんなもんじゃね? -- 名無しさん (2015-07-14 13 20 49) しまった司馬衷の記事を作ろうとしてたのに内容がかぶってしまった!だが乙! -- 名無しさん (2015-07-14 15 50 08) この戦乱での虐殺と混血で狭義の漢民族はほぼ絶滅したんだとか。 -- 名無しさん (2015-07-14 17 57 42) 最近の墓誌研究では少なくとも上流階級はなるべく異民族間の婚姻をさけていたとか -- 名無しさん (2015-07-14 18 25 07) そもそも漢民族はこれ以前にも何度も異民族との同化を繰り返してるし、この時代でも特に漢族に対する断種措置があったわけでもないから、絶滅というのは全然実態に即してはいないだろう。 -- 名無しさん (2015-07-14 19 32 39) ぜひ五代十国時代の項目を...!! -- 名無しさん (2015-07-14 23 39 36) この手のどうしようもないgdgdを見ていると、しょーもない逸話持ちの劉禅でも「臣下が内乱起こさなかったし、せいぜい凡君止まりだな」に見えてくる -- 名無しさん (2015-07-15 22 00 05) 劉裕が劉備の孫と言うオチの本を読んだ気がする 家臣たちも孔明や関羽の子孫と言うとんでもない話だった -- 名無しさん (2015-07-15 22 06 04) はえー、献帝とか水滸伝の柴進って例外中の例外で恵まれてたんですね<禅譲しても皆殺し。 -- 名無しさん (2015-07-16 06 04 17) ちなみに十六国に数えられる国のうち,十国が苻堅没落後(結果の時期)に興亡した国。後期の華北はまさしくカオスである -- 名無しさん (2015-07-16 22 03 15) 竹馬の友の故事がこの時代だったっけ? 世界史で石勒を習ったような、習ってないような…。 -- 名無しさん (2015-07-16 22 46 12) ↑竹馬の友は桓温の逸話に出てくる。ちなみに意味は幼いころからの友人といった現在の意味ではなく、いらなくなった竹馬を殷浩という桓温の友人が使ってたからそんなものくれてやるよといった上下関係的な意味だったそうだ。ちなみに殷浩は桓温の策略にはまり失脚します -- 名無しさん (2016-01-24 09 55 49) こうして見ると曹操とか曹丕とかって献帝に対して無茶苦茶礼儀正しかったんだな… -- 名無しさん (2016-01-24 10 16 38) 恋姫無双ベースでこの時代は見たくないな… -- 名無しさん (2016-09-06 21 09 03) スクイズ並の血みどろになる...? -- 名無しさん (2016-09-06 21 23 56) この時代とその後の南北朝時代はヤバい皇帝が出過ぎやわ。そら皇族に生まれたくなかったなんて言う人も出るよ。 -- 名無しさん (2016-09-09 17 33 37) ↑中国の人たちには失礼だけど、中国の南北朝の皇帝たちには、日本の南北朝の人たちを見習ってほしいw -- 名無しさん (2017-11-15 07 52 13) 宇宙大将軍ですら五胡十六国時代はDQN多すぎって言ってたらしいからな -- 名無しさん (2017-11-15 10 34 41) 色々手を加えてみたよ -- 名無しさん (2017-11-15 15 22 29) コレに加えてなんで異民族がこんなにのさばったのか→漢末から三国時代の超大量の人口減少が原因ってのも書きたいね -- 名無しさん (2017-11-15 15 34 54) 実は続いてた献帝の末裔もこの辺りの戦乱で途絶えたんだっけ? -- 名無しさん (2017-11-15 21 17 45) ↑普成立の過程で曹操の末裔はほぼ滅びてるし、劉備・孫権の末裔も滅びてるし、献帝の末裔も逝ってる。ほぼ全滅び -- 名無しさん (2017-11-16 09 47 36) この時期を見た後に楚漢戦争見ると、項伯とか五胡十六国時代時代だったら絶対殺されてるなって思う -- 名無しさん (2018-12-04 14 00 19) Wikipediaの石虎の記事から…数行に一回殺した処刑した虐殺したって出てきて笑っちまうよ -- 名無しさん (2019-01-17 14 17 36) ↑ページ検索すると「殺害」で34、「殺」で84、「処刑」で9、「処」で22、「陵辱」で1。ほんまやばい -- 名無しさん (2019-01-17 15 06 33) 漢民族はフェストゥムだった・・・? -- 名無しさん (2019-12-11 22 10 27) というより大陸の民族は周辺の民族と混血しながら拡大縮小するのが普通だし。文化人類学などの呼称からもわかるように、民族ってのは文化や歴史的な要素のほうが重要で、血統はあまり重要視されない。漢民族は文化と歴史で君臨してたから、異民族に征服されても異民族が漢民族の進んだ文化や華やかな歴史を取り込もうとして結局漢民族化する。 -- 名無しさん (2020-01-23 14 59 05) 仮にこの騒乱で元々の漢民族の血統が主流に残ったとしても、異民族の文化や気風を取り込んで従来の漢民族とは少し異なる文化になっただろうしね -- 名無しさん (2020-02-05 14 57 33) ↑チャイナドレスとか辮髪とかは元々満州族の民族衣装だしな -- 名無しさん (2020-02-05 18 27 42) 「趣味は人を殺すことです」みたいな皇帝が割とざらに出てくるやべー時代。董卓もこの時代に生きてれば仁君の部類まである -- 名無しさん (2020-02-15 03 59 07) 司馬乂まともで逆に浮いてる -- 名無しさん (2020-05-28 11 22 33) この時代から前王朝の人間は〇害というのが出てきた。 -- 名無しさん (2020-05-28 11 54 44) 「二王三恪」っつー「前代の王朝と前前代の王朝の子孫は礼遇しましょうね(もしくは2+3で5代前まで)」ってのがあったんだが、まあこの頃から怖いから全員殺しとけになる。趙匡胤はマジで特殊。あと一応清が明の子孫を残してるか -- 名無しさん (2020-06-02 15 31 02) 淝水の戦いいいよね……いや犠牲者の数を考えると全然よくないが -- 名無しさん (2020-12-03 12 35 40) 司馬炎が司馬攸を左遷しなかったら内乱が起きなかったかもしれない。 -- 名無しさん (2021-02-21 11 34 48) 杜預が皇帝が無道なら臣下に殺されても仕方ないと司馬昭による曹髦殺害を正当化した。これにより皇帝殺害が常態化した。 -- 名無しさん (2021-04-04 10 56 11) ↑ いや、「杜預の曹髦殺害の正当化がなければ、皇帝殺害が常態化しなかった」かというとそれは無いだろう。つまり杜預の論文一つで、その後の数百年の歴史が変わることはあるまいよ。だいたいにして中国では臣下による君主殺しは決して珍しくない。例えば春秋の晋では公室で殺し合いがよく起きた。三国時代に少なかったのは、むしろ三国時代が異例で、単に三国のクーデター勢力が「前王朝の君主を殺して新しい王朝を築くほどの覇気もなかった」というだけのことだろう。 -- 名無しさん (2021-04-04 12 09 34) あとこういう時代を見てると、国家がこんなにガタガタ&グダグダになっても、民衆のほうは平気で暮らしているんだから、中国の民衆は皇帝や士大夫よりもはるかにタフだということがよく分かる。華北では異民族が流入して、漢族の多くが河南に流れ込んだというけれど、この場合でも華北には「移民しないまま華北に残った漢族」が大勢いた。そんで彼らも異民族と接触しつつ、いつしか彼らの文化も取り込みつつ発展していった。この時代に、華北でも道教が発展したことが、まさに中国人のタフさの象徴だよ。 -- 名無しさん (2021-04-04 12 15 41) 皇帝殺しの大罪をした賈充を処刑して天下に詫びろと陳泰は司馬昭に進言したが却下された。賈充を処刑していたら未来は変わっていたかも。 -- 名無しさん (2021-04-10 21 28 28) トップになった途端に悪魔に魅入られて暴君化したり贅沢三昧になったりするやつ多すぎ。他の史料読んでも「お前もかよ!」と何回ツッコミしたか。 -- 名無しさん (2021-08-16 13 55 13) 「陸遜の直系子孫である陸機が八王の乱で殺され、賈逵の孫たちが滅びの引き金を引くことになる。劉禅や孫皓の子孫も八王の乱やその後の乱に巻き込まれて大半が殺されてしまった。三国志の延長として読んでいくとファンにとって結構キツい話が多い。中国史からロマンが無くなる転機という意見もある。」とあるけど、一方で崔琰・盧植・王允・楊脩の一族なんかは唐代に至るまで名門貴族であり続けるんだよね。 -- 名無しさん (2022-03-21 02 26 06) 曹操の末裔もこの時代を生き延びて存続してるんだよな。三国で真っ先に実権を失った曹家が生き残るという皮肉よ -- 名無しさん (2022-03-21 03 13 35) 陸遜の子孫は滅んだが甘寧やコヨウを始めとした呉の名族が晋で活躍するのはかっこいいよな -- 名無しさん (2022-05-17 22 11 35) 三国志の英傑たちが生命を賭して守った未来がこれか... -- 名無しさん (2022-09-16 22 46 21) きっと現実じゃ三国志の英傑もこの時代の戦士たちも人となりは大して変わらんのやろな -- 名無しさん (2022-10-05 20 37 21) 良くも悪くもやたら印象に残る慕容一族 -- 名無しさん (2022-10-15 17 54 38) 混沌極まりない時代でも、なんだかんだで現在まで子孫が生き残ってる慕容一族はある意味じゃ勝者だな -- 名無しさん (2022-10-16 21 16 13) 正直、「〇〇の一族は滅んだ」っていうのを血統がいなくなったみたいに感じてしまっているけどこれ多分他家に嫁いだ娘とかはある程度残ってるだろうから子孫全滅は……ないよね? -- 名無しさん (2022-12-25 05 57 52) 賈詡の孫の賈疋も晋の復興に全力を捧げて死んだ悲劇のヒーローみたいでかっこよかった。 -- 名無しさん (2023-01-11 17 49 55) 魏が皇族の権力を削いだら臣下に簒奪されたんでその反省から皇族に権力を与えたら今度は身内で内紛か。結局何事もホドホドが一番ってことだな -- 名無しさん (2023-04-13 13 16 37) 物語として楽しみようがねえ時代だな… -- 名無しさん (2023-05-14 14 45 21) 五胡十六国時代から唐代までは、三国時代前後に形成された同族集団が貴族として力を持っていた時代で、三国志ファン視点でも「この人物の祖先は三国時代のこの人物なのか」と繋がるのは面白いんじゃないかな(宋代以降はそれがなくなる)後世の有名人だと、杜甫の父方は杜預の一族・母方は崔琰の一族であるとか、顔真卿・顔之推の先祖の一族に顔良がいるとか。 -- 名無しさん (2023-05-19 07 51 20) 西晋も東晋も魏の時代に滅ぼした同じ苗字の劉氏に滅ぼされる歴史の皮肉よ -- 名無しさん (2023-08-21 22 20 14) ロマンがなくなるとは言うが蘭陵王みたいなイケメンの人気者が出てきたのはこの時代だし他にも暴君や宇宙大将軍みたいな連中も見ててある意味楽しい、あと何だかんだ名君や有能な将軍・文人の類もこの時代に結構排出されてるし(そういう意味で一番悲惨なのはそういった面白連中が全然いない五代十国時代) -- 名無しさん (2024-02-14 22 03 18) 名前 コメント