約 32,396 件
https://w.atwiki.jp/sentai-kaijin/pages/2205.html
インサーン「まさか、こんな田舎の星でこれを使うとは思わなかったけどね…」 【名前】 巨大化ビーム 【読み方】 きょだいかびーむ 【登場作品】 海賊戦隊ゴーカイジャー 【初登場話】 第2話「この星の価値」 【分類】 巨大化用アイテム 【詳細】 宇宙帝国ザンギャックのインサーンが地球侵攻開始直後、試作品の開発に成功した特殊光線。 ギガントホースの艦首から2台の砲塔が現れ、インサーンが銃型の発射装置の引き金を引き、それと同時に地球の特定の場所まで光線が発射される。 この光線によって倒された行動隊長やスゴーミンなどの細胞を再生巨大化させる(発射前にインサーンが一言発言するのはお約束となっている)。 宇宙系の組織に度々見られる何体かは巨大用のアイテムを使わなくても自力での巨大化が可能な者も存在する。 自力での巨大化能力を与えたダイヤールが巨大化能力を失ったまま倒された際は「エネルギーの無駄遣い」と発言している。 この光線は「インサーンしか発射できない」という訳ではなく、ジェラシットの時は彼女が地球に来ていた為、ワルズ・ギルが自ら放射した。 それにより「インサーン以外でも使用可能」、「行動隊長が等身大で倒される必要がない」、「生きたまま巨大化した方が等身大時の能力や特性は残ったまま」という事実が判明した(逆に1度倒された後に巨大化した方が能力が失われ、等身大よりも弱体化している場合が多い)。 その後もワルズ・ギルは2体の行動隊長を巨大化させている。 第24話でダマラスも巨大化を行った(ジェラシットが再登場し、インサーンは彼の顔を見たくない為に不在、ワルズ・ギルは目眩がした為らしい)。 多くの宇宙人が存在し、それに合わせた強化改造も行われているにも関わらず、あらゆる行動隊長を復活させる能力はある意味では驚嘆に値する。 【余談】 本拠地に装備された武器からの光線で怪人が巨大化する例はシリーズ第7作目『科学戦隊ダイナマン』にも存在する。 メカシンカが倒されると地割れによって残骸は地底に落下していき、カー将軍がスイッチを押す事で巨大要塞グランギズモの両目から「ビッグバンビーム」が発射され、残骸が光線を浴びる事で超メカシンカとして再生巨大化する。 しかし、カー将軍の声紋と指紋を必要としている為に彼以外は使用できず、最終回(第51話)で既にカー将軍が命を落としている為、最後のメカシンカ・ファイヤースフィンクスは再生巨大化できなかった。
https://w.atwiki.jp/nadebook/pages/122.html
【最大化】メンバ関数 フォーム部品を最大化します。フォームを表示していなかったり、可視がオフになっていても最大化できます。 フォームを最大化すると、デスクトップ全体に最大化されます。親部品にフォームを設定して最大化すると、そのフォームの中で最大化されます。 「ウィンドウ状態」に「最大化」を指定しても同様です。 母艦の中でフォームを最大化 動作の実行 (部品)を最大化。 ***** サンプル ***** 最大化ボタンとはボタン。 最大化ボタンのクリックした時は~母艦を最大化。 最小化ボタンとはボタン。 最小化ボタンのクリックした時は~母艦を最小化。 元通りボタンとはボタン。 元通りボタンのクリックした時は~母艦を元通り。 ***** ここまで *****
https://w.atwiki.jp/srkjmiroor/pages/466.html
インサーン「まさか、こんな田舎の星でこれを使うとは思わなかったけどね」 【名前】 巨大化ビーム 【読み方】 きょだいかびーむ 【登場作品】 海賊戦隊ゴーカイジャー 【初登場話】 第2話「この星の価値」 【分類】 巨大化用アイテム 【詳細】 宇宙帝国ザンギャックの 開発技官インサーンが地球侵攻開始直後、試作品の開発に成功した特殊光線。 旗艦ギガントホースの艦首から2台の砲塔が現れ、インサーンが銃型の発射装置の引き金を引き、それと同時に地球の特定の場所まで光線が発射される。 光線によって倒された行動隊長や下士官スゴーミンなどの細胞を再生巨大化させる(発射前にインサーンが一言発言するのがお約束。)。 宇宙系の組織に度々見られる何体かは巨大用のアイテムを使わなくても自力での巨大化が可能な者も存在する。 自力での巨大化能を与えた行動隊長が巨大化能力を失ったまま倒された際は「エネルギーの無駄遣い」と発言している。 光線は「インサーンしか発射できない」という訳ではなく、ジェラシットの時は地球に来ており、司令官ワルズ・ギルが自ら放射した。 「インサーン以外でも使用可能」、「行動隊長が等身大で倒される必要がない」、「生きたまま巨大化した方が等身大時の能力や特性は残ったまま」という事実が判明した(逆に1度倒された後に巨大化した方が能力が失われ、等身大よりも弱体化している場合が多い)。 その後もワルズ・ギルは2体の行動隊長を巨大化させている。 第24話でダマラスも巨大化を行った(ジェラシットが再登場し、インサーンは彼の顔を見たくないと不在、ワルズ・ギルは目眩がしたらしい。)。 多くの宇宙人が存在し、それに合わせた強化改造も行われているにも関わらず、あらゆる行動隊長を復活させる能力はある意味では驚嘆に値する。 後の『スーパーヒーロー大戦』では何者かが光線を照射し、ワルズ・ギルとアクドス・ギルを巨大化させている。
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/386.html
原田信男『歴史の中の米と肉―食物と天皇・差別』平凡社選書(1993) ▼著者紹介 1949年10月10日生まれ。1974年明治大学文学部卒業。1983年明治大学大学院博士課程退学。専攻は日本中・近世の村落史・生活史。現在国士舘大学教授。著書に『江戸の料理史』、『中世村落の景観と生活』、『日本人は何を食べてきたか』、『なぜ生命は捧げられるか』など。 要約 はじめに 戦後に人気を博した少年娯楽作品『笛吹童子』には、農耕(米作り)を基本とする農民=善と、肉食を前提とした狩猟民=悪という対立構造が前提として見出される。また『銀蛇の窟』では、天皇と農耕民でない被差別民との結びつき(cf. 網野善彦)という構図が採られる。こうしてみると日本史の流れの中で、なぜ米が尊ばれ、肉を食べなくなったのかという素朴な疑問が、日本における社会的な価値観や政治的な秩序意識のあり方に深く関わる問題であることに気づき、米と天皇、肉と被差別民という結びつきが、歴史的に形成された対立関係であることがおぼろげに理解される。 なぜ両者が対立しなければならなかったか、どのように米が肉を駆逐していくのか、その後の歴史にどう影響したのか、という点を社会史的な立場から具体的に検討する必要がある。米と肉との対立は日本社会や国家のあり方と密接に関係し二つの問題に関わる。一つは天皇と被差別民との問題(縦軸)、もう一つは国家領域の問題(横軸)であり、これらが明確に形を整えてくる時期が中世から近世にかけてであるので、中世における肉食禁忌の理由とその社会への浸透過程を明らかにすることが重要な課題となる。 序章 近代における米と肉 一、天皇の肉食再開と民衆の混乱 明治四年、宮中において肉食禁止令が解かれると、民衆のうちにさまざまな混乱が起こった。民衆の間で長く信じられてきた価値観によれば、米すなわち稲の祭祀を司る天皇が、穢れの多い肉を口にすることは想像を絶する出来事だったが、国際情勢の中で明治国家は西欧列強に範をとらざるを得ず、肉の禁忌はもはや政治的にも宗教的にももはや実質的な忌みを持たなかった。 二、諭吉の肉と鴎外の米 明治初期、軍隊での脚気患者続出を背景として、西欧食と日本食とどちらが理想的かという議論が活発に戦わされていた。幕末に三度欧米を訪れた福沢諭吉は牛肉を好み、肉食を勧めたが、親と子ほどに年の違う森鴎外は、米の歴史性を重視し西欧食に反対した。しかし両者は、日本の米の生産量では人口を米だけでまかなうことはできないという認識では共通していた。こうした主食としての米の絶対的不足にも関わらず、否それゆえに、国民の米食への願望は根強いものがあった。 三、老農の努力と北限の米 農民は無知であるというのは誤解であり、江戸時代ほど農村に知識人が多かった時代はない。江戸後期には農業知識のみならず学問や文芸の吸収に務める農民が数多くいた。特に幕末から明治にかけて、農業経験豊かな多くの精農あるいは老農と呼ばれる人びとが活躍し、農村で自ら農業技術の改良に当ったほか、生活一般にいたるまで村落内外の農民の生活を指導した。例えば明治以後の北海道稲作は、日本人の強い米食願望と、農民側に蓄積された高い稲作技術とによって推進された。 四、朝鮮における産増殖政策 米食願望に対して不足した米の生産は海外へ求められ、大正9年からは朝鮮において土地改良事業と農事改良事業によって米の計画的大増産を意図する産米増殖計画が始められる。 朝鮮半島では、同じような気候・地形条件のもとで同様に稲作を取り入れながらも、長い歴史の過程で米に対する執着の度合いが異なった。同じく仏教を拝して肉食を禁じつつも、社会的な忌避には至らなかった代わりに日本のように米に固執することもなく、対照的な歴史を歩んだ。 第一章 米文化の形成と天皇 一、日本における食生活の現像 およそ300万年前にアフリカ大陸で発生した人類は食料を求めて分散し、日本へは少なくとも3万年以上前、最近の研究では7、8万年あるいはそれ以前にやってきたとも考えられている。縄文時代の主な食料は採集、狩猟、漁撈によって供給され、場合によっては農耕が行われた可能性もある。水田を伴う稲作農耕については朝鮮半島などからの伝播により、すでに縄文晩期に行われていたことが福岡県板付遺跡や佐賀県菜畑遺跡などの発掘から明らかにされている。植物性、動物性食料ともに利用され、食用肉では鳥類を除けば鹿と猪はもっとも主要な狩猟獣だった。特に猪については飼養の可能性。 二、弥生時代における米と肉 弥生時代の水田稲作の導入は、戦争や階級の分化、さらには国家の成立を招き、農業における高い食料生産力と比較的安定した供給量が、歴史の急速な展開を引き起こした。とはいえ弥生時代が米一辺倒であったわけではなく、水田の生産力の低さなどからみて、依然として漁労や狩猟も重要な位置を占めていたと見做せる。肉食の禁忌は存在せず、米と肉はともに弥生人の身体維持に大きな役割を果たしていた。 三、神話に見る米と肉と天皇 律令国家の強い影響下に成立した『古事記』や『日本書紀』では、天皇による支配の正当性を、国土を創出した神々との系譜上の関連に求めている。その系譜を秩序立てる中心に天皇がおり、したがって神話における食物の神の性格や、皇祖神が基本的な食料を何に求めたかは重要である。 天皇を中心とする国家的な視点に立てば、米を中心とする農作物に国の基本が置かれ、海と山の魚介や鳥獣が従とされた(ex. 保食神の神話)。農作物のうち、米は食味と栄養価に富み保存性がよく、特に国家的剰余としての蓄積に適していることから、日本に限らず稲作の盛んな東南アジアでは水田の開発が国家の形成に深く関与した。日本でも王権の正統性の強調に際して米が登場する。 しかしこの時代には農業生産物を中心として山野河海のあらゆる可食性の動植物が用いられ、最も主要な食料として米を選択しつつも、肉に対する特別な忌諱は働いていなかった。 四、祭祀に見る米と肉と天皇 祭祀において最も重要な位置を占める神饌は、神をもてなし豊かな恵みを乞うための食事で、様々の食物が神前に供えられ、神人共食を行った。神へ供する食物は、政治的には神に代わる天皇への贄として貢納され、天皇の治める国は食国(おすくに)と表現された。 祭政一致を基礎とした在地首長層を統合していく過程で、稲を初めとする農耕の祭祀権が天皇を中心とする大和朝廷の手に集中していった。統一国家は民間的なニイナメを徐々に国家的な祭祀(新嘗祭、大嘗祭)として整備した。天皇は神人共食を行うことによって神に近い存在となり、各地の豪族である臣下との共食や贈答を通じて服属を誓わせた。 農耕を中心としつつも狩猟や漁撈、採集に基礎を置いた生産活動が行われるなか、国家は稲作、米の比重を高めようとしていく。古代国家の成立過程の中で米を中心とする社会体制や文化が徐々に形成され、米の問題に深く関わる天皇の権力が、もっとも強大であった律令国家の完成期に、日本の神話や祭祀が最も形を整えた。 第二章 米への収斂と肉食の禁忌 大化の改新を機に古代国家は強力な統一国家への道を徐々に歩み始めた。その後天武・持統朝という律令国家の体制的確立期には肉を否定して米を重視するという政策を選択し、水田への志向を顕著に示した。これに並行して、歴史書や地理書を編纂して神話の体系化を試み、大嘗祭などの祭祀の準備や仏教の体制化を通じて、観念的・宗教的な支配秩序の創出に力を注いだ。 第三章 肉食禁忌の浸透と神仏 室町・戦国期にかけて仏教と浸透の社会的浸透が進み、殺生の罪と肉食の穢れが価値観として定着したことで、狩猟活動が衰退し、代わりに漁業が発展を遂げた。戦国末期には鳥獣の肉に代わって魚介が日本人の食膳に重要な位置を占めるに至った。 第四章 米の収奪と水田の展開 第五章 肉の否定と差別の進行 一、非農業民と天皇の関係 古代律令国家が稲作を中心として水田に経済的な基礎を置く一方で、農業以外の生産活動に携わる人びとも多数存在していた(ex. 国栖、傀儡子)。彼らは定住せず、税も免除されていた。水田志向は中世を通じて高まりつつあったが、年貢の収奪と直結する農業生産に携わらない人びとや、あるいは収納のために必要な秩序意識を根底から覆すような行動を、人びとは次第に「賤」もしくは「悪」として認識していった。米を中心とした収奪の体系から外れた非農業民は賤視の対象となっていった。 ところで天皇は、稲作農耕を中心とする社会の最高の司祭者であるとともに、古代統一国家の長として非農業民をも従える存在だった。ただし律令制のもとでは国家が歓農を行い代わりに年貢を収納するという形がとられ、荘園制を経て鎌倉幕府においても律令制的な法秩序は存続していたため、幕府権力の関心は米に向けられた。このため、形式的には古代律令国家のなかに成立した中世権門体制のもとでは、本来的には米の司祭者として登場したはずの天皇以外に、さまざまな職業に携わるすべての非農業民を統括しうる存在はありえなかった(ex. 後醍醐天皇)。 室町以降の中世後期社会では、肉食禁忌と水田志向の高まりとによって米を至上のものとする価値観が深く根を下しはじめ、異形異類を駆使した後醍醐の敗北の後、急速に非農業民にたいする差別が進行する。 二、肉の穢れと差別の観念 中世には古代の身分制度とは原理の異なる穢れの観念に裏打ちされた独特な身分差別が進行する。肉食は死穢と密接に関わることから穢れとされたが、食生活・生産活動のあり方という問題からすれば、米の秩序に反するという理由で、禁忌の方向に拍車がかかった。肉食忌避の観念は、農耕を賦課の基本とする国家の観念に沿うもので、中世における秩序意識の形成に大きな役割を果たし、賤視の一つの判断基準となった。 鎌倉後期頃から、穢れの観念の社会的浸透という状況のなかで、差別意識の展開がすすみ、農業に有益な牛馬の処理に関わり、耕作に従事せずに牛馬の肉を食する穢多が最も厳しい賤視を受けるようになった。 三、新仏教の展開と肉食 体制の思想的支柱であった旧仏教の克服に臨んだ鎌倉新仏教では、広く民衆を救うことを目的とした。それゆえ肉食が広く行われ、狩猟・漁撈に関わって殺生を業とするものが多かった鎌倉期においては、新仏教は肉食に許容的だった。旧仏教や神道においても、民衆に近い立場からは肉食に対する許容の態度が取られることもあった。しかし新仏教は積極的に肉食を肯定したわけではなく、現実を認めた上で宗教的な救済の手を差し伸べたにすぎなかった。 四、米志向と差別の深化 仏教や神道の村落への定着は、肉食に関わる罪悪感や触穢感を拡大・深化させ、中世的な卑賤感に基づく差別意識の展開を促すという結果を招いた。その理由に殺生を否定する宗教的倫理観の浸透が上げられるが、抗した価値観の形成の前提には、中世後期における生産活動の農耕への集中がある。米志向が村落レベルにまで根を下し、仏教上の問題でもあった殺生に伴う肉食が、南北朝・室町樹を境に著しく減少していったという社会的変化を重視する必要がある。 中世後期の村落においては、それぞれ在地領主層や上層農民によって主導される「惣」的結合が分配の論理として、宮座が生産の論理として機能していた。こうした米を中心とする穀物の生産と分配の論理に支えらる社会的秩序の浸透こそが、米の対極にある肉を扱う人々にたいする卑賤感の一層の深化を促進させ、米の司祭者である天皇と、肉を扱う賤民とを両極とする身分観念の固定化に大きな影響を及ぼした。 第六章 米と肉と国家領域 周辺地域として日本の枠内から除外された北海道や沖縄では、地理的条件などから本土におけるほどの米食志向は存在せず、肉食禁忌の観念も薄かった。 終章 近世における米と肉 おわりに 感想・論点 天皇が古代国家の長かつ稲作の祭祀長という両義的性格を持つことが、非農業民との関係性や近世の幕府との関係に影響していた。 古代律令国家が米を税として選択したことから、歴史的な米志向と肉食禁忌が展開していくのだが、なぜ日本において特に、米に「異常な」といえるほどの執着がなされたのか。
https://w.atwiki.jp/ranstclubksu/pages/12.html
巨大化 ウルトラマンほか異星人などは巨大化、等身大化自由。 怪獣などは巨大あり。 怪獣戦はロボットや戦闘機、マケット怪獣などが戦うこともできる。 ☆巨大化できるキャラクター☆ 瀬川耕司(仮面ライダーJ/巨大化能力)、神代剣(ワーム/芋羊羹)、ダップのパパ(ハザード星人/芋羊羹)、シオン(ハバード星人/芋羊羹)、デカレンジャー(全員宇宙人/芋羊羹)、高山我夢(ウルトラマンガイア/ウルトラマン)、藤宮博也(ウルトラマンアグル/ウルトラマン)、ヒビノミライ(ウルトラマンメビウス/ウルトラマン、芋羊羹)、セリザワカズヤ(ウルトラマンヒカリ/ウルトラマン、芋羊羹) 怪人/怪獣 登場する敵は色々な時間軸からやってきている。 敵は全員手を組んでいる。 ネオ生命体、フォグ、グロンギ、アンノウン、ワーム、イマジン、ショッカー、バイラム、根源、怪獣、異星人。 例外的な感じで宇宙犯罪者たちの集いでボーゾック、ロンダーズ、アリエナイザーがいる。 ボーゾックはラストで改心しているが、死んでるやつらはそれを知らないので、幹部的集団以外が登場。(ガイナモたちは敵としてでなく登場することはできる) 世界観 クウガとアギトは別次元。戦隊も別次元。 登場時間軸は自由です。 キャラクターの予約 ○小説を書く場合は、必ずキャラクターを予約してください。 ○一度した予約は一週間まで有効です。延長は最大3日。合計十日有効です。有効期限を過ぎた予約は無効になり、他の書き手さんがそのキャラクターを予約できるようになります。 要予約キャラクター [仮面ライダーZO]○麻生勝/○ネオ生命体 [仮面ライダーJ]○瀬川耕司/○フォグ [仮面ライダークウガ]○五代雄介/○一条薫/○杉田守道/○グロンギ族 [仮面ライダーアギト]○津上翔一/○氷川誠/○葦原涼/○木野薫/○北條透/○アンノウン [仮面ライダーカブト]○天道総司/○加賀美新/○神代剣/○影山瞬/○矢車想/○風間大介/○ワーム(ネイティブ) [仮面ライダー電王]○野上良太郎/○モモタロス/○ウラタロス/○キンタロス/○リュウタロス/○ジーク/○桜井侑斗/○デネブ/○イマジン [仮面ライダーTHE NEXT]○本郷猛/○一文字隼人/○風見志郎/○ショッカー [鳥人戦隊ジェットマン]○天堂竜/○結城凱/○大岩雷太/○鹿鳴館香/○早坂アコ/○バイラム [激走戦隊カーレンジャー]○陣内恭介/○土門直樹/○上杉実/○士乃原菜摘/○八神洋子/○シグナルマン/○ダップのパパ/○ボーゾック [未来戦隊タイムレンジャー]○浅見竜也/○アヤセ/○シオン/○ドモン/○ユウリ/○滝沢直人/○ロンダーズ [特捜戦隊デカレンジャー]○バン/○ホージー/○センちゃん/○ジャスミン/○ウメコ/○テツ/○ドギー・クルーガー/○白鳥スワン/○宇宙警察/○アリエナイザー [轟轟戦隊ボウケンジャー]○明石暁/○最上蒼太/○伊能真墨/○間宮菜月/○西堀さくら/○高岡映士/○ゴードム文明/○ジャリュウ一族/○ダークシャドウ/○クエスター [ウルトラマンガイア]○高山我夢/○藤宮博也/○XIG/○悪怪獣軍(ガイア) [ウルトラマンメビウス]○ヒビノミライ/○ゼリザワカズヤ、GUYSor/○悪怪獣・宇宙人軍(メビウス) 予約2 悪のライダー、劇場版ライダーは中盤以降に出現させることにします。 上のリスト以外のキャラクターは自由に出せますが、悪のライダーや劇場版ライダー、上のリストの組織に所属しているキャラクター(名前記名除く)は不可能です。 また、登場作品にないキャラクター、オリジナルキャラクターは登場させることができません(ネタでそれを連想させるキャラクターを出す程度は可能です)。 ウルトラマンガイア、ウルトラマンメビウスの正義怪獣は支援組織扱いです。 ヒーローの居場所 ヒーロー(防衛組織の人含む)は、日本中にバラバラで配置されている。(別次元に連れて来た者の意図) 特殊制限 アギトの覚醒 劇中で覚醒した人のみ可能。 ワームの擬態 可能とする。記憶などのデータも擬態できる。 イマジンの憑依 誰にでもできる。ただし、上限は三分間。 イマジンのイメージ イマジンが憑こうとした瞬間のイメージは作者に任せる。 例えば、高山我夢ならウルトラマンのイメージを持っているのでニセウルトラマンガイアが出来ることがある。 オリジナルキャラクターでもよい。
https://w.atwiki.jp/core-connection/pages/67.html
イベントカード(No.E-01) イラスト:nanatise7 総枚数:1枚 配置先:MD エナジー:2 効果: このカードは公開された時MDの横に置く。その後MDの上からモンスターが公開されるまでカードをめくり、残りのカードはMDに戻しシャッフルする。公開されたモンスターと戦闘を行う。そのモンスターは+4/+4/+4の修正を得る。撃破した場合、そのモンスターとこのカードをエナジープールに送る。撃破できなかった場合、コンバットフェイズ終了時にこのカードを廃棄する。 イベントカードの一つであり、次に公開されたモンスターに+4/+4/+4の修正を与える効果を持つ。 次に公開されたモンスターカードがヴリル・トループであっても戦闘値が6/5/6となるため、序盤にこのカードが公開されるとほぼ戦闘に勝てなくなる。倒すことが出来ればパイロットを着任させることができる為、ゲームを有利に進めることが出来るだろう。 効果分類 MD公開時効果 MD操作 戦闘値強化 関連カード Q A Q.超巨大化により他のイベントカードが公開された場合、そのイベントカードの効果は適用されますか? A.いいえ、適用されません。イベントカードは1ターンに1枚までしか適用されません。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/yuukanaio/pages/261.html
. /二二 7 } !二二 7 ト、 x=≠ ニ ミヽ、〈ニ二二.7 / /二二 7 /ハ/ \ ヽ. / `ヽ_ __ / /二.ハ ヽ. 二二 ニ ≠ マ / /二二7 >´ ̄ ̄` . ___ ノ} // ∨ /二. >´ < 二.. ニ== 彡 ' ∨ニフ´ \ __ ヽ. Y´レ'´ \ X´ \\ ハ l i ! ヽ. ∨\.ノ\ヽ li i | l i |ヽ、\\ l! 〃⌒ 〉 リjル'\ | l 从/´\j _\j "" ムイヽ ヽ | l i 人 〃⌒ . イ j } i | | l \"" / 〉 / ノメ i iレ'. ノ ! 人 \ > ー / 〉 / 人 \ ≧=彡>‐─< / ⌒\ _ ⌒) \ __ > / く ̄ .___. ´ 〉 / i / /´ 「 」 ̄  ̄`ヽ /ヽ. _. / 从 \ / / /j>━<`ヽ./ l/ / j . / \ く //´. \ i'/ .ノ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┃名前:アマテラス┃性別:女性┃属性:黄┃配合回数:2 本名:物部布都┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┃HP:30┃敏捷力:21┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┃《特技名/種類/発動回数/効果時間/優先度》┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┃大火の改新┃補助┃無制限┃永続┃20┃┣───────────────────────────────────────────────┤┃敵味方問わず、全ての対象の固定ダメージ+3、敏捷力を+2する┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┃陣地作成┃回復┃1┃-┃20┃┣───────────────────────────────────────────────┤┃自身へかかっている補助値、妨害値を全て消す┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┃雨の磐舟┃防御┃無制限┃永続┃20┃┣───────────────────────────────────────────────┤┃味方単体への種類『固定』によって受けるダメージを-4┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┃《タイプスキル/種類/発動回数/タイミング/効果時間/優先度》┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┃風水を操る程度の能力┃補助┃1┃交代して場に出てきた瞬間┃永続┃10┃┣───────────────────────────────────────────────┤┃任意の種類『補助』または『回復』の特技を1つ使用する┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┃道士┃防御┃1┃自身がダメージを受ける前┃発動したターン┃09┃┣───────────────────────────────────────────────┤┃交代して出たターンのみ発動。このキャラは種類『固定』または『確率』によるダメージを無効化する。┃また、その特技に付随する異常効果も無効化する(スキルは対象外)┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┃太子信者┃補助┃無制限┃自身が種類補助を発動する前┃永続┃10┃┣───────────────────────────────────────────────┤┃配合後に1度だけ○○の中を埋められる。○○の中には自分以外の味方の名前しか入れることは出来ない。┃太子に対しての種類『補助』は常に+3されるが、それ以外の対象への種類『補助』は常に-3される。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
https://w.atwiki.jp/futoko/pages/12.html
大和朝廷以前 15~22 7 4% 3~10 8 5% +1 大和時代 23~37 14 8% 11~30 20 13% +5 奈良時代 38~57 19 10% 31~39 9 6% -4 平安時代 58~91 33 18% 40~67 28 18% 0 鎌倉時代 92~114 22 12% 68~91 24 16% +4 室町時代 115~148 33 18% 92~113 22 14% -4 安土桃山時代 149~162 13 7% 114~126 13 9% +2 江戸時代 181~224 43 23% 127~154 28 18% -5 152 第1章 弥生時代、邪馬台国出現! 日本で、「歴史がはじまる」のは、3世紀の、そう、あの卑弥呼が君臨した邪馬台国のころ。もろちん、その前に、旧石器時代があり、縄文時代があるんだけど、そこからはじめると、たいていつまんなくて、縄文時代でザセツしちゃうので(笑)、却下! 弥生時代ってのいうのは、簡単に言ってしまうと、稲作がはじまった時代だ。これが、人間のドラマの始まりなんだ。 稲作って、ほら、田植えとか稲刈りとか、集団作業だから、優秀クンがリーダーになるよね。それに、米は、動物や魚の肉と違って、長いこと保存できるから、貯めこんでおける。 「わしがリーダーになる! そのために、ヤツは殺す!」「隣のムラの米を奪え! 戦争じゃ!」 ……「○○の陰謀で父が殺された」「△△の戦で夫が死んだ」 ドラマが始まる。 縄文までは、のんびりと悠久の時が流れていた。 でも、3世紀、今、人間の果てしない野望とその果ての涙の劇が始まるんだね。 a. 卑弥呼の邪馬台国はどこに?! じゃあ、邪馬台国からはじめよう! 3世紀だ。 実は、その前の2世紀、日本は、弥生時代の最終戦争状態にあったんだ。 けれど、「このままでは全滅だ、マズイ」ということで、三十カ国くらいが集まって、邪馬台国の女王・卑弥呼を立てて、やっとなんとかまとまった。 その邪馬台国、どこにあったかは、残念ながらわからない。謎です。 畿内(関西)か九州か? 『魏志』倭人伝に載ってる記録通りに邪馬台国に行くと、九州のはるか南になってしまうわけで、それはありえない……。 女王・卑弥呼は、呪術で政治を行っていた。鬼道政治っていう。卑弥呼が、「神からのお告げじゃー」みたいにやっていた。銅鏡に光を当てて、「我こそ、太陽の神の子じゃー」みたいにやっていた。卑弥呼は女性なわけで、たぶん、当時は、子供を生む女性にこそ、霊力があると考えられてたんだろうね。 ところで、困ったことに、その後、4世紀の日本に関しての記録がほとんどないんだ……。当時の日本には、もちろん、まだ字がないから、中国の歴史書に頼るしかないんだけれど、その記録がない……。 で、5世紀に、再び、日本のことが記録に現れるときには、もう大和朝廷がすっかりできあがっている。 つまり、4世紀に何かがあったわけだ!でも、その「何か」が、謎なのだ。 もともと邪馬台国は畿内にあって、それが大和朝廷になったのか? 九州にあった邪馬台国が畿内に乗り込んできたのか? いや、邪馬台国は九州にあって大和朝廷とはまったく別物なのか? だとしたら、その大和朝廷は誰がつくったのか? もしかしたら、大陸の騎馬民族が日本を侵略してきて、邪馬台国をも滅ぼして、大和朝廷を樹立したのかもしれない……。 この、日本史にとって、かなり重要な部分が、謎なのだ。 b. ちょっと、旧石器時代と縄文時代も…… では、少し、旧石器時代と縄文時代もやっておこう。 今から1万年くらい前まで、旧石器時代が続いた。いわゆる氷河期で寒かった。北極・南極では氷が凍ってるから、海が低く、日本と大陸がつながっていたころだ。打製石器という、石をガンガン砕いただけの石器でマンモスとかをとっていた。 続いて、1万年くらい前から紀元前3世紀ころが縄文時代だ。1万年くらい、悠久の縄文時代が続いた。氷河期が終わり温暖になったし、縄文土器を発明したから、食べ物をグツグツ煮炊きできるようになった。やっぱり、食べ物はグツグツ煮ると、ダシも出てうまいわけで。 そのころは、争いもなく、権力者もいなかった。もちろん、獲物がとれなければ、飢えてしまうわけだけど、ある意味、縄文ユートピアだ。 縄文人に、北方からやって来た民族が混血して、弥生人(つまり、今の日本人)になったと言われているけれど、詳しくはわからないんだ。 第2章 大和時代、大和朝廷が日本統一! 大和時代ってのは、4世紀に大和朝廷ができて、7世紀に聖徳太子が登場するまでの約300年間の時代だ。 4世紀に大和朝廷ができて、5世紀には、大和朝廷はどんどん強大化していった。 でも、6世紀になると、早くも、権力争いが起きて、蘇我氏がグングンのしあがってくるんだ。そして、数々の暴虐を尽くす蘇我氏一族……。 この時代は、天皇の力のアップダウンがポイントだよ。 天皇家、蘇我氏、そして、そのほかの豪族……。次の時代への胎動を秘めながら、人々の悲しみと喜びが、紡ぎはじめられる。 a. 強大な大和朝廷、成立! 5世紀になると、もうすっかり大和朝廷が成立していた。さっきも言った謎の4世紀に「何か」が起きたわけだけれど、言えるのは、4世紀に、天皇家が、日本を統一して、支配した、ということだ。 どうも、4世紀の終わりから5世紀にかけての大和朝廷は、すでにかなりの力を持っていたらしい。 391年には、朝鮮の強国・高句麗と戦争をして、結局負けたんだけど、けっこう互角に戦っている。 400年代半ばには、世界最大のお墓・大山陵古墳(仁徳天皇陵)も造られた。 400年代後半には、雄略天皇が、宋(中国)に使いを送って、「朝鮮あたりも支配してよいぞ」という称号をもらったりもしている。 5世紀には、もう大和朝廷は、かなり強かったようなのだ。もっとも、あまり詳しい記録は残っていない。 b. 天皇の権力、急降下! 無秩序社会…… けれど、6世紀になると、早くも天皇家・豪族たちの間で、権力抗争が繰り広げられ、天皇家の権威はグングン落ちて、蘇我氏がグングンのし上がってくる。 500年代の初めに、武烈天皇に男の子が生まれなかったため、現天皇の系列が途絶えちゃって、かなり血縁的には遠い継体天皇がむりやり立てられたのが、ケチのつきはじめだ。 527年には、磐井の乱が起きる。磐井という豪族が、大和朝廷に対して反乱を起こした。 587年には、新しく入ってきた仏教をとりいれるかどうかをめぐって物部氏と蘇我氏が軍事衝突し、物部守屋が殺され、蘇我馬子がグンっとのし上がる。 ついには、592年、崇峻天皇が、蘇我馬子の差し向けた殺し屋により殺害された。 6世紀は、蘇我氏をはじめとする豪族が好き勝手やっている無秩序社会になってしまったんだね……。 第3章 飛鳥時代、秩序ある日本へ! 飛鳥時代は、7世紀の初めに聖徳太子が登場して、政治改革をガンガン進めて、8世紀の初めに大宝律令ができて政治改革が実現するまでの、約100年間の時代だ。その途中に、中大兄皇子(後の天智天皇)による大政治改革の大化改新があるわけだね。 飛鳥時代は、聖徳太子や中大兄皇子による政治改革がガンガン進められた、元気いっぱいの時代なんだ! 法律がちゃんとある社会(律令国家)・リーダーを中心にした秩序ある社会(中央集権国家)が、完成した! この時代は、日本が、ちゃんとした「国家」になった時代なのだ。 a. 聖徳太子、改革の夢! さあ、蘇我氏などの豪族が好き勝手やっている無秩序状態を改革しようと登場するのが、推古天皇の甥で摂政(天皇のサポート役、……といっても、実際には政治の中心)の聖徳太子だ! 聖徳太子は、〈聖徳太子改革〉の第1弾として、604年、憲法十七条を制定した。 あの超有名な「和をもって、貴しとなす」は、決してニコニコと「仲良くしましょうね」って言ってるわけじゃない。「豪族たちよ、争いをやめよ! 秩序ある社会をつくるのだ!」という堂々たる聖徳太子の改革宣言なんだね。 さらに、〈聖徳太子改革〉の精神的支柱として仏教を導入した。 聖徳太子にとって、仏教は、秩序ある社会をつくる強力な社会思想だったのだ。 607年には、隋(中国)に遣隋使を送った。 そう、まさに、581年にできた大帝国・隋こそ、律令国家(無秩序状態じゃなく、法律で秩序が保たれた社会)・中央集権国家(豪族の好き勝手じゃなく、ちゃんとリーダーがいる秩序ある社会)のモデルだったわけだ。 隋を理想とした聖徳太子だけれど、一方では〈聖徳太子外交改革〉も行っている。 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや〈元気ですか〉。」という、めっちゃタメグチな手紙を隋の煬帝に送っている。 煬帝はぶちぎれたんだけど、聖徳太子は堂々と冊封体制(中国周辺の国々が、「ははー、中国さま」と服属する体制。日本も、それまではそうだったのだ)から対等外交に持ち込んだ。 しかし、残念ながら、律令国家・中央集権国家の夢は叶わないまま、聖徳太子は世を去った。 b. 大化改新で日本改革へ! 聖徳太子の死後、蘇我氏の横暴はどんどんひどくなり、643年には、とうとう聖徳太子の子・山背大兄王を蘇我入鹿が自殺に追い込んだ。 これには、とうとう天皇サイドもぶちぎれた! 645年のある日、飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子の母・皇極天皇を迎え、盛大に儀式が行われていた。 中大兄皇子とその家来・中臣鎌足たちが、最前列の蘇我入鹿を狙う。蘇我入鹿は政界の大物だ。緊張でブルブル震えて、動けない仲間もいる。しかし、今しか、ない! 多くの皇族や豪族の眼前で、蘇我入鹿は刺殺され、父の蘇我蝦夷は自邸で自殺に追い込まれた。乙巳の変(大化のクーデター)だ。 さあ、聖徳太子の夢見た律令国家・中央集権国家を目指して中大兄皇子の改革政治が始まった! 大化改新だね。 中国には、隋以上の大帝国・唐ができたから、遣唐使をどんどん送り、新しい日本の建設のお手本にしようとした。 中大兄皇子の政治改革(大化改新)は、663年、朝鮮の中でも日本と仲のいい百済が滅ぼされ、それを助けようと唐・新羅軍と戦って、白村江の戦いで負けたこと以外は、だいたい順調に進んだ。 ……なんだけど、ちょっと問題が起きた。 中大兄皇子が天智天皇として即位して、年をとって、次期天皇としては弟の大海人皇子が候補に挙がってたんだけど、天智天皇は、子どもの大友皇子を天皇にしたくなっちゃった。 天智天皇は、ある日、大海人皇子を自室に呼んだ。「次期天皇のことじゃが、おまえはどう思う?」 もし、大海人皇子が「私がやりたいですなぁ」と言えば、天智天皇は「謀叛か!」と殺すつもりだ。しかし、それを察した大海人皇子は、「天皇の位など私はぜーんぜん興味ありませんよ。出家しますわ」と機転を利かせ、その場は逃れた。 で、天智天皇の死後、大海人皇子と大友皇子が大衝突。これが672年の壬申の乱だ。結果は、大海人皇子の大勝利。 大海人皇子は、天武天皇として即位した! ほとんどの豪族が敗れた大友皇子側についてたから、豪族たちはみんな没落しちゃって、結果的に天武天皇の権力がグンと強まった。まさに、中央集権国家。 皮肉なことだ。天智天皇(中大兄皇子)が目指した中央集権国家が、天智天皇の子・大友皇子が敗れるというこの事件で、ほぼできあがっちゃったわけだ。 歴史には、たくさんの皮肉がある。人々の想い(自分の子を天皇にしたい、とかね)を、濁流のように押し流しながら、歴史は流れてゆくよ……。 この後、天武天皇が飛鳥浄御原令という法律を作ったり、天武天皇の妻・持統天皇が初の本格的な都・藤原京を造ったりして、律令国家・中央集権国家完成への道が用意されていった。 c. 秩序ある日本、とうとう完成! ついに、ジャーン、701年に、初の本格的な法律の大宝律令が、刑部親王と藤原不比等(中臣鎌足の子)によって作られた! 法律により秩序が保たれ、中央政府がちゃんと全国を取り仕切る律令国家・中央集権国家が、真に完成したのだ。 思い起こせば、聖徳太子の夢が、100年後にかなったわけだね。涙……。うう……。 左大臣(今の総理大臣みたいなもの)・右大臣・大納言・少納言などで構成される太政官というのが、中央政府だ。 地方も、国(今の県みたいなもの)・郡(今の市みたいなもの)・里(今の町みたいなもの)にちゃんと分けて、それぞれの長も置いた。 貴族(このころから、豪族のことを、お上品に「貴族」と呼ぶ)には 官位相当の制によって「正一位」とか「従二位」というランクが与えられて、そのランクに応じて、いろんな役職に就任する、というちゃんとしたシステムができた。 それまで豪族がたんまりもっていた私有の土地も、中央政府が所有することにとなった。豪族は、この私有の土地をいっぱい持っているおかげで、いばれてたわけだから、それを失っちゃ、もういばれない。 中央政府が土地を農民に与え、その分、税を取る。この班田収授法により公地公民制(土地も人々も中央政府が支配するもので、豪族の勝手はさせんぞ、ってことだ)もできあがった。 日本全体が、しっかりとした社会になった。 こうして、律令国家・中央集権国家が、真にできあがったのだ! 第4章 奈良時代、日本崩壊! 奈良時代、日本は崩壊してゆく。 歴史、というもの、大きく見ると、上昇してゆく時期と下降してゆく時期がある。 もちろん、すべてがそれで割り切れるわけじゃないけど、そういう見方をすると、歴史がずいぶんわかりやすくなる。現代でも、1955年くらいから高度経済成長がはじまって1993年頃にバブル経済が破綻するまでは、上昇期だろう。悲しいかな、それからの10年は下降期だ。 奈良時代……、なんかイメージでは、「雄大」とか「ロマン」っていういいイメージがあるけど、全体的には下降期なんだ。 せっかくできあがった律令国家・中央集権国家が、早くも音を立てて崩れ去ってゆく!。 a. 早くも公地公民制、崩壊! はじめはうまくいっていた。 710年には、平城京という立派な都もできた。 718年には、藤原不比等が、大宝律令に続いて、養老律令を作った。 けど、だんだんうまくいかなくなってきた……。 そう、ちょっと税が重すぎた。収穫の約3%を納める租、布を納める庸、地方の特産物を納める調のほか、国司(今の県知事みたいなもの)のもとで年間60日働く雑徭、3年間九州北部沿岸を警備する防人など、いろんな負担に農民は苦しんだ。 苦しんだ農民たちは、「こんなん、もうやってられへん! やめや、やめや!」と田を捨てた。 農民が田を捨てて、米を作らないわけだから、税は政府に入ってこない。政府も困る……。 そこで、そのころ政権を握っていた、長屋王が、723年、三世一身法という法律をつくった。「新しく開墾した場合は、三代の間、その田を自分のものにしてよいぞ。だから、どんどん土地を開墾せえ」というわけだね。 さらには、聖武天皇が、743年に、墾田永年私財法を出した。「土地を開墾した者には、永久に私有を認める」と。 もう、だめだ。 蘇我氏などの豪族が土地をたんまり私有していばっちゃったから、それをさせないために、大化改新で大改革して、公地公民制にしたんだよ。それなのに、また、土地を私有していい、ということにしちゃった。ああ……。後戻りやんか……。 聖徳太子から100年かかって完成したものが、50年たたずに、崩壊だ。 現在もそうかもしれない。戦後50年かかってつくった社会が、この10年で崩壊。 歴史はいつもそうだ。作るのには時間がかかり、崩れるのはあっという間なのだ……。 b. 聖武天皇、タタリにヒビって天平文化をつくる! それだけじゃない。悪いことは重なる。 中臣鎌足(藤原鎌足)・藤原不比等と、徐々に力を持ちはじめていた藤原氏。藤原不比等の子どもの藤原四子と呼ばれる藤原氏4兄弟が、藤原氏の光明子を聖武天皇と結婚させて、力をもっと強くしようとたくらんだ。 けれど、当時、天皇と一般貴族と結婚することは、ありえないから、長屋王が反対した。藤原氏にとっては目の上のたんこぶだ。「長屋王め、邪魔だ。殺してやれ!」と、藤原四子と聖武天皇が、長屋王に罪を着せ、死に追い込んじゃった。729年の長屋王の変だ。 そしたら、なんとその後、藤原四子が次々と病死……。 聖武天皇は「これは長屋王のタタリじゃ……。次に死ぬのは、わしじゃぞよ。わしゃあ、恐いぞ。恐いといったら恐いぞよ」とビビりまくった。 殺人の自分以外の関係者が次々と謎の死を遂げる……。今でも、ビビルで、ほんま。当時なら、なおさらだ。 藤原広嗣の乱なんてのが、はるか九州で起きただけでも、聖武天皇は、もうヒビリまくり。平城京から逃げ出して各地を転々とした。 仏教にすがろうと、各国に国分寺を作り、東大寺に巨大な盧舎那大仏(奈良の大仏さんだね。)を作った。 もうノイローゼ状態だ。あんな巨大な大仏をつくるとは、きっと聖武天皇の不安も大仏と同じくらい巨大だったんだろう。 もっとも、聖武天皇がビビりまくって仏教にすがった結果が、仏教文化が日本に定着した天平文化なのは、歴史の皮肉だね。 c. 孝謙天皇で、崩壊グングン加速! そのあとは、もうメチャクチャ。 孝謙天皇(女帝。一度やめて、称徳天皇として復活した)のカレシの藤原仲麻呂、さらには新カレの道鏡が権力を握って、やりたい放題。政治は大混乱……。もう、律令国家も中央集権国家も、バラバラグチャグチャだ……。 ちなみに、歴史上「天皇になろうとした野望の男」が3人いる。 そのひとりが道鏡だ。(あと2人は、将門の乱を起こした平将門と室町幕府の三代将軍・足利義満だ。) 称徳天皇と道鏡のカップルが、宇佐八幡宮という神社に、裏から手を回して、「道鏡を天皇にせよ」というウソの神のお告げをさせようとしたんだけれど、和気清麻呂にギリギリで阻止された。 「きぃーーー。清麻呂め。おまえなど、『清い』麻呂ではないわ。『きたない』麻呂で十分じゃ。きぃーーー」と怒りまくった称徳天皇によって、和気清麻呂は、「和気のキタナまろ」という名前に無理やり変えさせられてしまった。かわいそうな清麻呂……。 第5章 平安時代、貴族全盛から日本破裂へ! 平安時代は、平安京に遷都した794年から、鎌倉幕府ができる1192年までの、約400年の時代だね。 全部で4つに分けて見ると、わかりやすいよ。 そうそう、なんか平安時代っていうと、きらびやかーな貴族が和歌など詠みながら恋愛絵巻を繰り広げてるイメージが強いけど、それは、2番目の藤原氏全盛の時期だね。 平安前期は、桓武天皇などが、奈良時代にメチャクチャになっちゃった律令国家を建て直そうとした時期。だから、フンイキは大化改新のころに近いやる気マンマンな感じだ。 平安中期は、律令国家再建から時代が大きくカーブして、藤原道長を頂点として藤原氏全盛になった時期。これが、まさしく、貴族たちが優雅に和歌などを詠んで、華麗な恋愛絵巻を繰り広げる時期だ。 平安後期は、藤原氏が没落しちゃって、上皇(院)がガンガンと独裁政治をした院政の時期。この独裁政治の中から、今までの天皇や貴族とはまったく違う存在の荒くれ者、武士が登場してくる。時代のフンイキは、もうかなり鎌倉時代に近い。 そして、最もおしまいの時期は、天皇・貴族の世から武士の世へと時代が破裂する大激動期。平清盛を頂点として平氏が政権をとる。滅びゆく平安貴族の挽歌と、新しい武士の雄叫びが交錯しながら、未来への扉が開かれる。 a. 平安京遷都で、日本再建へ! 奈良時代に、めちゃくちゃになってしまった日本。 そこに、桓武天皇が登場して、律令国家を再建しようとした。〈桓武改革〉だ。 「まずは、とにかく道鏡に代表される腐敗しちゃった奈良の仏教からオサラバしなければ!」と、今の京都の南にある長岡京に遷都した。 もっとも、これは大失敗に終わってしまった……。 長岡京造営プロジェクトチームのチーフの藤原種継が暗殺され、桓武天皇の弟・早良親王が容疑者にあがった。「ヌレギヌだ!」と抗議した早良親王は、断食して、命を絶つ。 その後、長岡京では、桓武天皇の母が死ぬ、洪水がたびたび起きる、役所の門がわけもなく倒れる、……と異変が相次いだ。 今度は、早良親王の怨霊だ! 794年、桓武天皇は、長岡京をあきらめ、その北に平安京をつくった。 平安京は、早良親王の怨霊が入り込まないように、北は玄武、西は白虎、南は朱雀、東は青竜という四神に守られた霊界都市だ。 ……なんていうと、オカルトめいてるけど、平安京遷都以来1200年、京都は繁栄し続けている。世界でも、こんな都市は珍しい。やっぱり、京都は霊界都市なのかもしれないぞ。 そのほかにも、思い切った減税や腐敗した軍隊の改革など律令国家再建へとさまざまな〈桓武改革〉が断行された。 しかし、時代は、もとへは戻らない。律令国家再建へと舵を取りながら、大きな海流に飲み込まれ、日本という船は、大きくカーブしてゆく。 嵯峨天皇の時代、病気で天皇をやめた平城上皇が、病気が治ってから「天皇やめなきゃよかったー。くそー」と復活を狙って、カノジョの藤原薬子(藤原四子のときから、藤原氏は4つの系統に別れた。薬子は式家藤原氏)と反乱を起こした。810年、薬子の変だ。 反乱を阻止しようと、嵯峨天皇は体制を強化。平城上皇側に情報が漏れないように、嵯峨天皇直属警察、いわば嵯峨天皇CIAの蔵人所をつくった。そのCIA長官が藤原冬嗣(北家藤原氏)。 結局、嵯峨天皇側が勝つんだけれど、ここで藤原冬嗣が権力を握った。 歴史は、どこかで種が播かれる。 これが、200年後の、藤原道長を頂点とする北家藤原氏の繁栄につながってゆくのだ。 結局、桓武天皇・嵯峨天皇の律令国家再建の夢は、前へ前へと進みながら、別の海流にさらわれ、藤原氏の繁栄へと大きくカーブしてゆくのだ。 あるとき播かれた種が、未来をつくってゆく。 b. 藤原氏と天皇家の死闘! 藤原冬嗣の子・藤原良房は、さらにやり手だった。 「橘氏と伴氏の2人が乱を起こそうとしている」とある者から密告があり、2人は流罪。はっきりとはしないけど、どうも藤原良房がウラで動いている。 橘氏・伴氏というビッグ・ライバルが2人消えたのだ。「最も得したヤツを疑え」は、推理ドラマの鉄則だ。これが、842年の承和の変。 その後、藤原良房は、866年に、応天門の変で、またまたライバル貴族の伴氏・紀氏を追い落とす。 今の大企業でもありそうだ。野望の男が、数々の策謀を弄し、ライバル重役を次々と消すわけだ。 さらには、娘・明子を文徳天皇と結婚させ、生まれた清和天皇を9歳で天皇に即位させる。つまり、藤原良房は、9歳の天皇のおじいちゃんだ。「9歳の天皇じゃあ、政治ができんのう。しゃあないなぁ、わしがサポート役の摂政になるか。」と人臣最初の摂政になってしまった。 今まで皇族が摂政として天皇のサポート役になることはあったけど、天皇家以外の貴族としては初なのだ。 いやぁ、自分で孫を9歳の天皇にしておいて、その摂政におさまっちゃうとは、なかなかのやり手だ。 次の藤原基経も、887年、阿衡事件で橘氏を蹴落とし、関白になる。(摂政は、天皇が子どもや女性のときのサポート役。関白は天皇が男性の大人のときのサポート役。) 藤原氏、大躍進だ。 もっとも、天皇家側もだまっちゃいない。宇多天皇と醍醐天皇は、菅原道真を起用し、藤原氏を排除、自ら親政を行う。 しかし、その菅原道真も、藤原時平による昌泰の変で、901年に大宰府に流される。 続いて、藤原忠平がまた権力を握るが、村上天皇が奪い返す。 後の武士の時代のように、軍隊と軍隊がぶつかり合う戦いじゃないけれど、まさに、謀略渦巻く天皇家と藤原氏の死闘だ。 でも、結局、藤原実頼の時代に決着が着く。969年の安和の変で、藤原氏のライバルは誰もいなくなった。 天皇家も、もう権力を奪い返せない……。 c. 藤原道長の栄華! 華やかなりし貴族の世! 藤原道長の時代が来た。 娘・彰子が一条天皇と結婚。その子が後一条天皇・後朱雀天皇となる。つまり、藤原道長は天皇のおじいちゃん。 さらには、娘の妍子が三条天皇と結婚。 威子が後一条天皇と結婚。 嬉子が後朱雀天皇と結婚し、その子が後冷泉天皇となった。 つまり、藤原道長は、4人の天皇の義父、3人の天皇のおじいちゃんになったわけだ。まさに、日本政界のドン! だって、もし、現代で、現総理大臣・前総理大臣・前々総理大臣3人のおじいちゃんなんて人物がいたら、まさに日本政界のドンだよね。 藤原道長は、「此の世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることも無しと思へば」、つまり、「この世界はオレのもんじゃあ! 満月のようにパーフェクトじゃあ!」といういばりまくりの歌を詠むけど、決して大げさじゃない。ほんとにそうなんだから。 藤原氏が、こんなに栄えたのには、3つの理由がある。 ひとつは、ライバル貴族を次々と蹴落としたこと(他氏排斥っていう)。 次は、自分の娘を天皇と結婚させて、生まれた子どもを天皇にして、自分は天皇のおじいちゃんとして権力を握ったこと(外戚政策っていう)。 それから、もうひとつは、荘園をガッポリ持ってたから、すごい財力を持ってたことだ。 そう、思い出してほしい。 奈良時代に、墾田永年私財法で、自分で開墾した土地を私有していいことになった。 で、土地のリーダー格の農民が回りの農民を使って土地を開墾して、開発領主になる。開発領主が、その荘園を保護してもらうために、藤原氏のような大貴族に荘園の名義をあげる。つまり、藤原氏が荘園領主になるわけだ。保護してやる代わりに、年貢をガッポリもらう。 やっぱり歴史の種は播かれていたんだ。奈良時代の墾田永年私財法が、200年後、藤原氏に天下をとらせた。 もっとも、そんな藤原氏も、すぐに没落してしまうんだ。 藤原道長の子・藤原頼通も娘を天皇と結婚させるんだけど、男の子ができず、藤原頼通は天皇のおじいちゃんになれなかったのだ。その結果、後三条天皇という藤原氏と無関係な天皇が登場し、藤原氏から荘園をドッサリ取り上げ、一気に藤原氏は没落してしまった……。 d. 荒くれ者の武士がじわりと登場! 奈良時代の墾田永年私財法が、藤原氏繁栄の種を播いたように、この時期には、また200年後への種が播かれていた。 武士だ。 さっき言ったように、地方の有力農民たちが土地をもった。彼らが、自分の土地を守るために刀や弓を持って武装しはじめたのだ。 一方では、清和天皇の子孫が流れ流れて清和源氏という「地方のボス」になり、桓武天皇の子孫が流れ流れて桓武平氏という「地方のボス」になった。 地方の武装した荒くれ者たちが、この2人のボスのもとに集まりはじめる。源氏・平氏という二大武士団が形成される。 都では、藤原氏が権力への坂道を登っている935年、東国で平将門の乱が起きた。 平将門は、中央政府から派遣されている国司を次々と破り、なんと関東地方を占領してしまった。さらに、みずから新皇と称して、関東地方に独立国家をつくってしまったのだ。道鏡の次の「天皇になろうとした男」だね。 1051~62年には、東北で、前九年の役が起きた。蝦夷の豪族・安倍氏の反乱を、源頼義と子・源義家がおさえた。 1083~87年には、後三年の役が起きた。源義家が、奥州藤原氏(東北に流れ流れた藤原氏)の藤原清衡とともに、蝦夷の豪族・清原氏の内紛をおさえた。 都で藤原氏をはじめとする貴族たちが、きらびやかに恋愛絵巻などを繰り広げているころ、東国では、荒ぶる魂の持ち主たちが、着々と力をつけていたのだ。 e. 院政期、上皇の独裁政治の中で、武士のしあがる! 都では、藤原氏が一気に没落していた。 そこに登場したのが、白河上皇だ。天皇の位はさっさと子に譲ってしまい、自分は上皇(院)の位について、独裁政治を行いはじめた。院政だね。 重役(藤原氏)を一気におさえきってしまうには、なんのかんのと制約がある社長(天皇)よりも、影のドンである会長(上皇)になってしまった方がいい。 今でもありそうだ。重役会議で決まり、社長の決定も出てるのに、サングラスに白スーツのワンマン会長が現れて、「うるさい! わしの言うことが聞けんか!」と一喝。そんな感じだ。 そんなコワモテ会長の白河上皇だから、今までのお上品な天皇とは違う。ヤクザなガードマンを雇う。それが、武士団の平氏だ。 f. 貴族の世から武士の世へ、時代が破裂! そんなとき、天皇家で骨肉の争いが起きる。 鳥羽上皇が子の崇徳天皇に「譲位せよ」と迫った。 実は、崇徳天皇は、鳥羽上皇の本当の子じゃない。鳥羽上皇の祖父・白河上皇の子(な、な、なんと! つまり、鳥羽上皇から見れば、崇徳天皇は、自分のおじいちゃんと自分の奥さんが不倫してできちゃった子なのだ)なのだ。だから、崇徳天皇がかわいくない。 崇徳天皇は泣く泣く後白河天皇(こちらは、鳥羽上皇の本当の子)へと天皇の位を譲る。崇徳上皇の心には、暗いものが棲みついた……。「後白河め!」 鳥羽上皇が死ぬと、抑えつけられていた崇徳上皇の暗いものが爆発した! 1156年、後白河天皇vs崇徳上皇の保元の乱だ。これに、藤原氏や武士が加わる。 結局は、源義朝(源頼朝・源義経の父)と平清盛が味方した後白河天皇が勝つんだけれど、時代はもう泥沼である。天皇・上皇・藤原氏・武士(源氏・平家)をまじえての大乱闘。 敗れた崇徳上皇は、讃岐に流され、生きたまま怨霊になる。 「わしは日本国の大魔縁となろう! 日本のすべての悪霊よ、我に力を貸せ! 王を民となし、民を王となそう。すべてをひっくり返してやる!」 3年後の1159年に起こる平治の乱では、もう、天皇や藤原氏は脇役だ。後白河天皇について勝利した武士どうし、源義朝と平清盛の争いなのだ。 いわば、会社の中で、二大ヤクザ・ガードマンがドンパチやっているのだ。エリート貴族たちは、もう小さくなって、机の陰からそっと見てる……。そんな感じだ。 歴史には、いわゆる超大事件じゃないけれど、時代の大きな変わり目になる事件がある。それが、この平治の乱だ。 大和朝廷ができてから、何だかんだ言っても、天皇家や藤原氏というエリートたちの時代が1000年近く続いていたわけだ。 けど、ここで、歴史の主役が交代する。 エリートではなく、荒くれ者の武士という階級が歴史の主役を奪ったのだ。貴族たちは、舞台の脇から、そっと見てるだけなのだ。 本当の武士政権・鎌倉幕府ができるのは、あと50年後だ。 でも、もう、時代は破裂したのだ。 エリートたちは破裂の風で舞台の端に吹き飛び、歴史というドラマの脇役になり、一方、荒くれ者の武士たちが颯爽と新しい時代の舞台の中心に立った! g. 平清盛、初の武家政権を手に入れる! 平治の乱に勝った平氏・平清盛の時代が来た! 負けた源義朝は殺された。けど、その子・当時13歳の源頼朝が本来なら殺されるところが、清盛の母が「死んだわが子に似てるから殺さないで」と頼み、伊豆に流されるだけですんだ。当時、まだ赤ちゃんの源義経も生き延び、東北の奥州藤原氏のもとで成長した。 この2人が、やがて平氏を滅ぼすことになるのも、歴史の皮肉だね。 さぁ、平清盛は、後白河上皇に気に入られ、太政大臣になり、京都六波羅に政府を置いた。最初の武家政権だ。 娘の徳子を高倉天皇と結婚させ、生まれた子を3歳で安徳天皇として即位させもした。そう、平清盛が、天皇のおじいちゃんになったわけだ。安徳天皇は3歳だから、もちろん、平清盛の天下だ。「平家にあらずば人にあらず」とまで豪語するいばりぶり。 でも、初の武家政権だから、弱みもある。 貴族の真似をしちゃった。考えてみれば、平清盛がもらった太政大臣というのは貴族の最高の位だし、天皇のおじいちゃんになるという外戚政策も藤原氏のまねっこだ。 平氏は、都で、荒ぶる魂を忘れ、どんどん貴族のように優雅に振る舞うようになった。後の源氏が鎌倉幕府をつくったけれど、平氏は完全に自分たち武士の政府をつくれなかった。貴族になったつもりで、喜んでしまったのだ。 もうこのとき、平氏のあまりにも早い転落は決まっていたのかもしれないね……。 第6章 鎌倉時代、源氏の軍事政権成立! 鎌倉時代は、1192年の鎌倉幕府成立から1333年の鎌倉幕府滅亡までの、約240年間だ。 保元の乱あたりから歴史の舞台の中心に立った荒くれ者の武士が、完全に自分たちの政権をつくった時代だね。歴史が破裂した後、荒くれ者が破裂した大地に立った! 平安時代のいちばんおしまいに武士政権をつくった平氏の平清盛は、完全に武家政権をつくりきれずに源氏に滅ぼされちゃった。それに対して、源氏の源頼朝は、鎌倉幕府という完全な武家政権をつくったんだ。 もっとも、源氏自体は3代将軍までで終わっちゃって、北条氏が執権として鎌倉幕府のトップを務めた。 承久の乱で朝廷に勝ち、貞永式目という武士の法律もつくり、どんどん武士の政権は安定していった。 後半は、得宗専制体制で独裁しちゃったり、元寇で経済的にダメージ受けたりで、おかしくなっちゃったけど、鎌倉時代は、荒くれ者の武士が、歴史の舞台の中心に確実に立った時代なんだ! a. 源平の合戦! 平家敗北、無常の世! 平氏は今やおおいばり。その平氏のいばりぶりが気に入らないのが、歴史の脇役に追いやられた貴族たちだ。ヤクザ・ガードマンが、会社をわがもの顔でのし歩いてるのが、エリート社員としては、やってられない……。 後白河上皇も、最初は平清盛をかわいがっていたけど、あまりのいばりぶりに嫌気が差していた。後白河上皇を黒幕にして、貴族たちがひそかに、平氏打倒の陰謀を練った。けど、陰謀は発覚。黒幕の後白河上皇は幽閉された。1177年の鹿ヶ谷事件だ。 ここから、事態は急転してゆく! 上皇幽閉という異常事態に、後白河上皇の子・以仁王が、平治の乱で平氏に敗れて全国に散らばっている源氏たちに「平氏打倒」のメールを密かに出す。 1180年に、伊豆で立ち上がったのが、今や34歳、立派に成長した源頼朝だ! 富士川の戦いで、平氏と源氏が対峙。 しかし、なんと、平氏は、夜中に水鳥がいっせいに飛び立つ音を源氏の来襲と勘違いして、一目散に逃げてしまう。やっぱり平氏は、武士の荒くれハートを忘れ、貴族のチキン・ハートになってしまっていたのだ。 「さぁ、このまま京都に進撃して、平氏を撃破!」といくかと思うと……、ところが、源頼朝は根拠地の鎌倉に戻り、頼朝政府をコツコツと作りはじめる。 源頼朝は、なんともクールで賢くて計算高い男だ。すべてを計算し尽くし、コントロールし、時には氷のような冷酷さを見せる。そんな男だ。 一方、もうひとりの源氏・源義仲が、木曽で兵を挙げ、一挙に京都を目指した。倶利伽羅峠の戦いでは、夜に牛の角に松明をつけて、平氏側に放った。またまた平氏はパニクって逃亡! 源義仲はそのまま京都に進軍し、平氏は西へ落ちのびた……。 が、源頼朝は動かない……。普通なら、「先を越されたぁ」とあわてるところだけれど、頼朝は冷静沈着。これが、頼朝なのだ。 都に入った源義仲軍、強いけど、田舎もの。都で乱暴狼藉を働き、「これなら平氏の方がよかった」という状態。 後白河上皇は、同じ源氏の源頼朝に、「源義仲をなんとかしてくれ」と頼んだ。 源頼朝は、冷静に判断を下す。奥州から駆けつけていた弟の源義経に行かせた。 自分は、鎌倉幕府づくりに専念する。財政担当の公文所や裁判担当の問注所を基礎からコツコツとつくっていった。 源義経は、軍事の天才だ! 宇治川の戦いで、源義仲を破ると、次は、逆襲してきた平氏を、1184年の一ノ谷の合戦で破る。 一ノ谷は南は海、北は断崖の地。海と断崖からは源氏は来ないから、東だけを注意しおけばいい。ところが、断崖を駆け下りる鹿を見た源義経は、「鹿でも駆け下りるなら、馬も駆け下りよう!」と自分を含む精鋭部隊を組んで、断崖を駆け下りる。またまた平氏はパニクって海に逃げた……。 平氏は、我が身が大事と、船に逃げようとする味方を切り落とし、海はまっ赤に染まった……。 その後、源義経は、屋島の戦いで平氏を追いつめ、とうとう壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした。 1185年。平氏の栄華はわずかに20年程度だった……。 b. 源頼朝、鎌倉幕府を樹立! 平氏を滅ぼした源義経は、ヒーローになった! が、兄の源頼朝は、冷静、冷酷だ。「私が真の武家政権をきちんとつくるには、このヒーローは邪魔だ。ヒーローは敵を破るためには必要だが、新しい秩序をつくるためには必要ない!」と判断する。 源頼朝は、後白河上皇に手を回し、源義経を謀反人に仕立てる。ヒーロー・源義経は、一夜にして逃亡者になった……。京を逃れ、奥州藤原氏のもとに隠れ、やがて自害に追い込まれる。悲劇のヒーローだ。 歴史上の人物には、たぶん2つのタイプがある。 天才的な力とヒーロー性を持ちながら、冷静な計画力には欠けるタイプ。彼は、歴史を変えるが、歴史をつくりはしない。天才的な力で歴史を変えるだけ変えて、自らは悲劇的に滅んでゆく。源義経がそうだし、織田信長・西郷隆盛などがそうだろう。後醍醐天皇もそうかもしれない。 もうひとつは、冷静沈着で、ときには冷酷でずるいが、着々と計画どおり秩序を打ち立てて歴史をつくってゆく。源頼朝がそうだし、信長に対しては徳川家康、西郷隆盛に対しては大久保利通、後醍醐天皇に対しては足利尊氏がこのタイプだろう。 たいていは、悲劇的で人間的な魅力たっぷりの源義経・織田信長・西郷隆盛タイプが歴史上の人気者だ。けれど、きっと、歴史には、時には冷酷でも、着々と秩序をつくってゆく源頼朝・徳川家康・大久保利通タイプも必要なのだ。 源頼朝は賢い。 「謀反人」義経捜査と一石二鳥で、「われわれは、謀反人・義経を捜査しておるから、この地に源氏警察を置く」「われわれは、謀反人・義経を捜査しておるから、この荘園を管理下に置く」と源氏ポリス(守護)と源氏荘園ポリス(地頭)を各国に置いた。 各国を管理下に置いたわけだから、ほぼこの1185年に源頼朝政権が樹立されたといっていいだろう。(源頼朝が、征夷大将軍になって、正式に鎌倉幕府ができるのは1192年だね。) そう、平氏は、結局、「平氏幕府」はつくれなかった。ただいばって、貴族の真似をしただけだった。 源氏は、本当の「武士の政権」をつくった。 源頼朝が、武士たちの土地をしっかりと保証してやる。武士たちも、安心して幕府に仕える。 今ここで、武士たちは、歴史の舞台に、力強く確実に、仁王立ちに立った! c. 源氏将軍はすぐ途絶え、北条氏の執権政治へ! 源頼朝は優秀だったけど、不運なことに、子どもの2代将軍・源頼家は、ボンクラ息子。もうひとりの子の3代将軍・源実朝は、和歌が大好きで『金槐和歌集』を残す文学青年で、将軍には向いていない。2人とも暗殺されてしまう……。 そこで登場するのが、源頼朝の妻・北条政子の父・北条時政だ! 2代将軍・源頼家のサポート役(執権)につき、政治の実権を握っちゃう。 北条氏は藤原氏同様、ライバル重役たちを消していった。 1200年の梶原景時の乱で梶原景時を殺し、1203年の比企能員の乱で比企能員を討ち、1205年の、畠山重忠の乱で畠山重忠を消し、2代執権・北条義時は、1213年の和田合戦で和田義盛を討った。みな、今は亡き源頼朝のよき家来たちだ。 源頼朝の子2人も暗殺され、ライバルたちも消え、北条氏の天下になった! もっとも、征夷大将軍というのは、源氏の血を継いでないとなれない。源氏の血は、清和天皇の血を継いだ高貴な血だからだ。だから、北条氏は将軍にはなれず執権の座に着く。 実は、このころ、鎌倉幕府ができたといっても、まだ朝廷(天皇・貴族)の力もじゅうぶん強い。そこで、1221年、後鳥羽上皇が幕府つぶしに出る。「執権の北条義時を討て!」という命令を武士に出したのだ! つい3、40年前までは武士は単なる朝廷ガードマンの荒くれ者。幕府ができたといっても、上皇は神なのだ。その神から、自分たちの親分を討て、という命令が出た。武士はうろたえた……。 そこに、北条政子、登場。北条政子は、野村サッチーとデビ夫人と細木和子を足して3で割らないようなタイプの女性だ。武士を集めて、「あんたら、よう考えてみいや。上皇が、あんたらに何してくれた言うねん。あんたらが今幕府の一員としてまともな暮らしができてんのは、私の夫の頼朝さまのおかげやろ、幕府のおかげやろ。その恩がわからんやつはさっさと出てき。目を覚まさんかいっ!」と大演説をぶった。武士は一致団結した! こうなったら、ろくな軍ももたない後鳥羽上皇に勝ち目はない。後鳥羽上皇は敗れ、隠岐に流された。承久の乱だ。 この承久の乱により、幕府が朝廷の上に完全に立った。いよいよ、武士の世は確実なものになってゆく! d. 貞永式目は、武士の法! 3代執権・北条泰時は名執権だった。 だいたい3代目のころが、全盛期になるみたいだ。 室町幕府も、3代将軍・足利義満のころが全盛期だし、江戸幕府も3代将軍・徳川家光のころが全盛期だ。 初代社長が、裸一貫、会社を創業、土台をつくり、2代が発展させ、3代のころ、大企業になる。 でも、4代目くらいからは、創業当時の苦労を知らず、生まれたときから社長の息子だからドラ息子。会社は傾いてゆく。鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府もだいたいそうだ。 その北条泰時が、1232年、貞永式目(関東御成敗式目)という法律をつくった。 実は、武士の時代になったのに、法律は大昔の養老律令をそのまま使っていた。養老律令は、貴族の法律だ。当然、武士の社会の実情に合わない。 貞永式目は、いわば「of the 武士, by the 武士, for the 武士」の法律なのだ! 自分たちの論理で、自分たちの裁判ができる。 この貞永式目の制定によって、ほんとに武士の社会が成立したといってもいい。 もっとも、北条泰時は、「公家は公家で、公家の法律でやってください」と、貞永式目を押しつけなかったので、公家にも評判がよかった。名執権だ。 e. 北条氏、元寇と独裁で没落! 5代執権・北条時頼のときくらいから、執権政治が崩れはじめる……。 執権をやめても、得宗といって、「影のドン」になって独裁政治をしはじめちゃって、自分のお気に入りの家来たちだけと政治をするようになってしまった。 鎌倉幕府の執権政治がおかしくなってゆく……。 悪いときには、悪いことが重なる。 この状況に拍車をかけてしまったのが、元寇だ。 1274年と1281年に、8代執権・北条時宗のとき、大帝国・元(中国)のフビライ・ハーンが、高麗(朝鮮)軍を加えて大軍で攻めてきた。ところが、2回とも台風にあって、元は退散。日本としては、超ラッキーだ。 しかし、問題は、武士への恩賞なのだ……。 武士たちは、巨額の費用を使って参戦する。勝てば、敵からぶんどった土地が、武士たちに恩賞としてもらえる。それが、武士の収入だ。ところが、今回の相手は元だ。もちろん、土地も何もぶんどっていないから、鎌倉幕府も恩賞の与えようがない。武士たちは、巨額の費用を使って参戦したのに、収入無しなのだ。武士たちは、一気にビンボーになってしまった……。武士たちは、幕府に不満を持つ。 でも、幕府は得宗専制体制になってるから、武士たちの不満をむりやりおさえこもうとする。武士は、さらに不満を持つ。 幕府内で対立も起こるようになる。 でも、得宗はいばってるだけ。 社会の秩序が乱れてるから、悪党と呼ばれるならず者も登場して、幕府に挑んでくる。 ……と、もう、すべてが悪循環なのだ。 f. 鎌倉幕府の滅亡! ここに、日本史上でもキャラの強さベスト5に入る人物が現れる! 後醍醐天皇だ。 もうすっかり武士の時代になってるのに、後醍醐天皇は、「武士なんてしょせんは家来。偉いのは天皇だ!」という強烈な思想をもっていた。 「鎌倉幕府がおかしくなっているぞ。武士なんぞの政権を打ち倒すチャンスじゃ!」と後醍醐天皇は思った。 後醍醐天皇は、幕府打倒計画をひそかに練ったけど、2回とも発覚しちゃって、2回目にはとうとう隠岐に流された。 ふつうはここであきらめるぞ……、後醍醐天皇。 けど、後醍醐天皇は、あきらめない! 時を待ち、ひそかに隠岐を脱出、挙兵する。各地で、悪党の楠木正成ら反幕府勢力も挙兵した。 対する鎌倉幕府は、足利尊氏を鎮圧に送った。 けど、足利尊氏が、寝返ってしまったのだ! 源氏の血を継いでいる足利尊氏は、腐敗してしまった鎌倉幕府に失望していたし、鎌倉幕府についていても得はないと計算もした。 足利尊氏が京都を襲い、新田義貞が鎌倉を襲い、1333年、鎌倉幕府は滅亡したのである……。 第7章 室町時代、足利政権から、戦国の世へ! 室町時代は、1336年の室町幕府成立から1573年の室町幕府滅亡までの約240年間だけど、1467~1477年の応仁の乱で室町幕府はほとんど終わっちゃってるから、実際上は約130年間で、後半は、乱世も乱世、戦国時代だ。 だから、室町時代の後半を、もう室町時代とは別個にして、戦国時代と言ってしまうこともある。 そう、日本の歴史は、いったん、応仁の乱で終わった、っていってもいいかもしれない。応仁の乱で、それまであったものすべてが崩壊した……。 そして、すべてが崩壊した荒野の中から、雑草のようなエネルギーに満ちた戦国大名がのしあがってきた。 一方、室町時代は、農業や商業が発展して、農民や商人がジワジワ力をつけてきた時代でもある。一揆が起きる。 室町時代というのは、いろいろなエネルギーが混沌として、ビッグバンのように爆発を起こして、そこから新しい宇宙が生まれた時代なんだ! a. 建武新政、だけどメチャクチャ! 後醍醐天皇の建武新政がはじまった。 が、むちゃくちゃなのだ……。 後醍醐天皇は、強烈なエネルギーとキャラの持ち主なんだけど、強烈すぎて、きちんきちんと政治をするのには、ぜんぜん向いてない。 わけのわからない命令を乱発。裁判所には元悪党を入れるから裁判もむちゃくちゃ。「武士なんぞ家来じゃ」という思想の持ち主だから、鎌倉幕府打倒にがんばった武士たちに恩賞もほとんど渡さないし、高い役職にも置かない。 武士のトップである栄光の征夷大将軍も、鎌倉幕府打倒の立役者・足利尊氏ではなく、自分の子どもの護良親王だ。 社会は大混乱……。 1336年、とうとう足利尊氏は、後醍醐天皇を見限った。やっぱり、足利尊氏には、源氏の血を継ぐ武士としてプライドが許さなかったし、冷静に後醍醐天皇についていてもムダだと計算した。 足利尊氏は、京都を攻め、後醍醐天皇は吉野に逃げた! 建武新政は、わずか3年の、時代に咲いたあだ花で終わった……。 そりゃそうだ。もうすっかり武士の世になっているのに、後醍醐天皇は、時代の時計を400年昔の天皇全盛期に戻そうとしたのだ。 もっとも、後醍醐天皇のエネルギーはやっぱ強烈だよ。まだあきらめない。 吉野に南朝を立て、「この南朝こそ、正統な天皇家じゃ! 足利尊氏が立てた北朝なんぞ、ニセの天皇家じゃ!」と抵抗を続け、後醍醐天皇が死んだ後も、1392年まで、南朝は室町幕府に抵抗し続ける。この1392年までを南北朝時代ともいうよ。 前にも書いたけど、歴史上には何人かこういうキャラがいる。 強烈なエネルギーとキャラで歴史の舞台に彗星のように現れ、けれど、きちんきちんと政治はまったく苦手で、短期間で歴史の舞台から去ってゆく。後醍醐天皇の他にも、源義経や織田信長がそうだろう。 b. 室町幕府の全盛期へ! 足利尊氏は、京都で室町幕府を立てた。 最初は、弟の足利直義と2人で政治をしていたけれど、やがて考え方に違いが出てきて、足利直義を毒殺した。 足利尊氏は、後醍醐天皇とは逆に、冷静に計算し、きちんきちんとコトを進め、時には冷酷にもなる、そういうタイプだ。鎌倉幕府も後醍醐天皇もダメだと思えばスパッと見限り、政治の方向性が違えば弟をも殺す。 でも、実は、室町幕府成立は、そんなに大きな事件でないのかもしれない。 権力者が変わっただけで、武士の世という点では、鎌倉時代と同じだからだ。そういう意味では、武士という新しい階級が歴史の主役になった保元の乱・平治の乱の方が大事件なのだ。 いや、室町時代になるころ大きく変化したこともある。 農業や商業が飛躍的に発展した点だ! 農業では、肥料がよくなって、二毛作や三毛作が可能になった。和紙の材料の楮や油の材料の荏胡麻を副業的に作るようにもなった。つまり、農民がリッチになってきたわけだ。 商業でも、中国から宋銭や明銭が入ってきて、市が栄えた。土倉というサラ金みたいなものも登場したし、為替という小切手みたいなものも現れた。 昔、武士という階級がじわじわと歴史の舞台に登場したように、農民や商人という階級が歴史の舞台に登場しはじめているのだ。 農民・商人・下級武士が一揆を起こして幕府を動かしたり、京都や堺の商人が自分たちで町を治めたりして、自治都市をつくった! やがて彼らは、歴史を動かす力になってゆく。だから、きっと、室町幕府成立よりも、農民や商人がジワジワと力を持ってきたことの方が、ほんとは大事件なんだ! この流れは、伏流水のように地下を流れつづける。後の江戸時代は、政権はあくまでも徳川氏だけれど、もう江戸時代の主役は農民や商人といってもいいくらいだからね。 さて、室町幕府は、実はビンボー幕府だった……。 南朝相手に南北朝の争乱をやっていたので、各地の幕府警察である守護に「南朝につかないでね」みたいな感じで、いっぱい恩賞とかをあげてしまったからだ。 守護たちは、もう単なる警察ではなくなって、その国全体を治める守護大名に成長していった! 11ヵ国を治めた山名氏や朝鮮や中国と独自に貿易を行ってお金もガッポリもっていた大内氏などは、将軍の力を脅かすほどの守護大名になって、かえって討たれちゃうんだけどね。 でも、1392年に南北朝の争乱も終わって、3代将軍・足利義満のとき、室町幕府の全盛期が訪れる。 マンガの「一休さん」に登場する「将軍さま」が足利義満なんだけど、実際には、あんなオチャメな将軍じゃあない。 むしろ、彼こそ野望の将軍だ! 日明貿易を行って、巨利を得た。いや、日明貿易を行ったのは、彼は天皇の座をも狙っていたから、「日本国王」という称号を明(中国)からもらうためでもあった。足利義満が死んだときの位牌の名では、自ら「上皇」を名乗っていた。 ちなみに、この時代は、日明貿易だけではなく、東アジア全体(日本・明・李氏朝鮮・琉球王国・アイヌ・東南アジア等)で貿易が盛り上がった時代だ。 その中でも、当時統一されたばかりの琉球王国は、東アジアの貿易の中心としてとっても栄えた。 日本と朝鮮と中国と東南アジアを結べる位置にある琉球は、貿易の時代にはピッタリだったわけだね。 c. 応仁の乱、日本壊滅! 保元の乱くらいから室町時代へと戦乱の世だったわけだけど、それはまだまだ甘かった。 15世紀くらいから、日本は、壊滅に向かってゆく! 保元の乱のときとは、また別の破裂だ。時代の主役が替わる、のじゃなくて、本当に日本が壊滅するのだ……。 5代将軍・足利義量が、守護大名がのし上がってきたからやけになっちゃって酒びたりで若死に。足利義量が若死にしちゃったから、次期将軍が決まっていない……。 あわてて、くじ引きをして決まった将軍が、6代将軍・足利義教。ついたあだ名が「くじ引き将軍」。それがコンプレックスになってか、とんでもない恐怖政治を行った! 足利義教がくじ引きで選ばれたことが気にくわない鎌倉公方(鎌倉府のトップで、いわば室町幕府鎌倉支社の支社長)の足利持氏が室町幕府本体と戦争。 やがて、足利義教は、恐怖政治を恐れた赤松満祐から逆に殺されてしまう! 1441年の嘉吉の乱だ。 将軍が酒びたりで若死に、くじ引き将軍の恐怖政治、室町幕府本体と鎌倉府の内部対立、殺されるくじ引き将軍……。もうめちゃくちゃやね……。 いや、それだけじゃない。 このころ、農民が力をつけてきたから、1428年、正長の土一揆で大暴れ! 1467~77年、とうとう、応仁の乱へ! 日本は壊滅へ一直線……。 8代将軍・足利義政は、文化にはすごく関心が深いんだけれど、政治にはまるで無関心な男。 その足利義政には、男の子がいなくて、「わしはもう将軍なんかやめて、芸術をしてたいのじゃ。子どももおらんし、弟の足利義視よ、将軍を譲ろう」と、この乱世の中でまったくヤル気なし……。 と、そこへ、ちょうど妻・日野富子との間に男の子・足利義尚が生まれたから、さあ大変! 弟の足利義視は将軍になる気マンマンだし、妻の日野富子は自分の子を将軍にしたい。真ん中にいる足利義政本人は、関心ナシ……。あかん……。 山名持豊(日野富子側で西軍)と細川勝元(足利義視側で東軍)との対立などもからんできて、とうとう京都で両軍合わせて30万の軍隊が大激突! 10年間、戦争は続いた……。 京都壊滅! すべてが灰になった……。 10年間の戦争で、将軍家も「ないも同然」になり、参加した守護大名もほとんど没落した。勝者なき戦争だ。 いったん日本史はここで終わった、と言ってもいいくらいの崩壊だ。 時代が破裂した……。保元の乱くらいから続いた戦乱の世が、とうとう最後の爆発を起こしてしまった。当時の感覚では、応仁の乱は、最終戦争にちがいない。 d. 雑草たちの戦国時代! すべては荒野だ! 荒野に、太陽だけがギラギラと照りつけている! 雑草が一本、二本……何本も、はえてきた。 眼をギラギラさせた男たちだ。顔は荒野の太陽に焼けて、血の色のようだ。「この乱世の中で、おのれの国を持つ!」彼らの願いは、それだけだ。 下剋上で今までの守護大名を追い払い、彼らはそれぞれおのれの国を手にしていった。戦をくりかえし、まわりの国を奪った。 戦国大名たちだ! 今までの源氏や足利氏は、武士といっても、清和天皇の血をついだエリート武士だ。守護大名も、室町幕府から任命されたエリート武士だ。 今度は、違う。血筋もなければ、誰に任命されたわけでもない。 「頼れるものは、おのれの力のみ!」 伊豆をおさえ、やがてその子や孫が関東一帯をおさえることになる北条早雲。 越後を我がものとし、後、永遠のライバル・武田信玄と、川中島の戦いを行った上杉謙信。 甲斐をおさえ、戦国時代最強軍をつくりあげた、武田信玄 謎の油売りからのし上がり、美濃を我がものとした斎藤道三。 典型的な下剋上で、中国地方をおさえた毛利元就。 この時代、いちおう、室町幕府も朝廷もあるけれど、ないも同然……。 日本にリーダーは誰もいない! ひとりひとりがおのれの国のリーダーなのだ! そして、誰もが、日本のリーダーになる可能性がある! 彼ら戦国大名たちは、自分の領土に城下町をつくり繁栄させ、分国法を制定し家臣を統制した。今までの守護大名とエネルギーが違う。自分がおのれの力でとった国なのだ。いや、強い国でなければ、隣国に侵略されてしまう。 この強豪・武田信玄をはじめとする錚々たる面々の中には、まだ当時弱小大名だった織田氏や徳川氏もいた……。 第8章 安土桃山時代、天下統一! 安土桃山時代は、1573年に室町幕府が滅亡してから、1603年に江戸幕府ができるまでの、織田信長・豊臣秀吉が天下統一を進めた約30年の時代だ。 応仁の乱というビッグバンで、いったん日本は爆破した。 その中から、まだ固まらない宇宙のように、戦国大名がうごめきだした。 やがて、徐々に新しい宇宙が固まりはじめた。それが、織田信長であり、豊臣秀吉であり、最終的には徳川家康だ。 この3人は、まるで役割を背負って生まれてきたかのようだ。 狂気の天才・織田信長が、一気に天下をとり、戦国時代を終わらせた。信長が死ぬと、苦労人で几帳面な豊臣秀吉が、社会を安定させるさまざまな政策を行った。最後に、徳川家康が、その上に、徳川250年の超安定期のレールを敷いたのだ。 ものすごいエネルギーで爆破した日本の社会が、この時代、また、ものすごいエネルギーで、新しい世界ををつくったんだね! a. 信長、天才と狂気の天下とり! 戦国大名たちの中から織田信長が抜け出した! 織田信長というのも、めちゃくちゃキャラの強い男だ。 天才と狂気は紙一重。そういう男だ。 1560年、桶狭間の戦いで、東海道の強豪・今川氏を破ったのが、織田信長のデビュー戦。戦力的にはうんと上の今川氏を、大雨降りしきる中、電撃の速さで破った! つづいて、美濃の斎藤氏を破り、「天下布武」の印章を使うようになった。「天下をとる!」という宣言だ。みな驚いた。今のぼくたちは信長が天下をとったことを知っているから、「ああ、そうか」と思っちゃうけど、まだまだ信長は新登場なのだ。周囲は、「狂気か、こいつ」と思ったにちがいない……。 各地には武田信玄をはじめとする強豪大名がひしめいている。それなのに、天下とり宣言とは、まさに狂気なのだ……。 そんなとき、今はすっかり落ちぶれちゃっている将軍家の足利義昭が織田信長を頼って来た。 「使えるな、ふふふ」と信長はほくそえんだ。 京に入るには大義名分がいるけれど、「将軍をお連れした」といえばじゅうぶんな大義名分だ。 織田信長は足利義昭を連れて、堂々、京に入った。後、1573年、足利義昭の利用価値がなくなったときには、ポイ捨てする。なんという冷酷さ……。 これが、室町幕府の滅亡だけれど、まぁ、戦国の世に入ってからは、ないも同然の状態だったわけで、なんともじみーな滅亡なのだ、室町幕府は。 織田信長は京に入った。でも、実は、京をおさえるには、まだつぶしておく必要がある相手がある。比叡山延暦寺だ。比叡山延暦寺の僧兵が大暴れした院政のころから、比叡山延暦寺の力は並の大名より強い。しかし、何より信長は、こういう古い権威を破壊する衝動をおさえきれない。 織田信長は、1571年、比叡山延暦寺を焼き討ちし、約4000人のお坊さんや一般人を虐殺した。狂気……。 翌1572年、いよいよ強豪・武田信玄が織田信長を討つべく上洛してきた! 最強武田軍は、三方ヶ原の戦いでは、破竹の勢いの織田信長を撃破。が、すぐに武田信玄は、病死してしまう。運も織田信長に味方したのかもしれない……。 1575年の長篠合戦では、再度、武田軍と戦い、今度は織田信長が圧勝した! 当時としては革命的な鉄砲隊(1543年に鉄砲が伝来していた)の戦術を使ったのだ。鉄砲隊を一列に並ばせ、いっせいに撃つ。いかに強豪・武田軍でもたまらない。やはり信長は天才なのだ! こうして織田信長は、本州中央部をおさえた。当時の感覚では、ほぼ天下をとったといっていいだろう。 病死していなかったら、武田信玄は天下をとれただろうか? たぶん、無理な気がする。 武田信玄は、伝統を重視するタイプだから、いくら名将でも、比叡山延暦寺の焼き討ちなんてできないし、将軍を利用することもできないし、鉄砲隊という革命的な戦術も思いつかなかっただろう。 しかし、死に方が、やはり織田信長だ。 ツメが甘い……。 京都の本能寺に泊まっているとき、ほとんど周囲に家来を置いていなかった。そこに、家来の明智光秀が、謀反を起こし、織田信長はあっけなく死を迎えた。 1582年、本能寺の変である。 でも、織田信長が、ここで死んでいなかったら、長期政権になっただろうか? 「織田幕府」ができただろうか? これも、無理な気がする。 彼は、狂気の天才だけれど、きちんきちんと政治することはできなかっただろう。たぶん、建武新政のようなむちゃくちゃ政治をやっちゃって、自滅していたんじゃないだろうか。 信長も、彗星のように歴史の舞台に現れ、歴史を変え、彗星のように歴史の舞台から去っていった男なのだ。 b. 秀吉、コツコツと天下統一! 本能寺の変のころ、足軽の子の出で、織田信長の草履取りからコツコツのしあがってきた豊臣秀吉は、信長の有力家来のひとりになっていた。 中国地方で毛利氏と戦っていた豊臣秀吉は、本能寺の変を知ると、京に素早く戻り、明智光秀を天王山の戦いで破り、信長の後継者の座に着いた。その後も、、四国・九州・東北を次々とおさえ、1590年には、全国を統一した! 豊臣秀吉は、織田信長とはまったく逆のキャラで、コツコツとのしあがった几帳面な苦労人だ。 太閤検地なんて、いかにも豊臣秀吉らしい几帳面な業績だ。 実は、それまで田の持ち主というのは、すごく曖昧なものになっていた。 耕してる農民のものである。荘園全体を管理している地元の荘官のものである。荘園の名義上の持ち主である藤原氏のような荘園領主のものである。幕府が派遣した荘園管理人の地頭もかなり所有権をもってるし、その地方全体の持ち主である守護のものでもある。いったい誰のものやねん!?という状態になっていた。 それを、秀吉は、きっちりきっちりと単位を決めて測量して、名簿にきっちりとその田を耕している農民を持ち主として登録した。 土地制度がいっきに安定した! 信長では、こういうきっちり仕事はできない。たぶん、それぞれの人物には、歴史が彼に与えた役割があるのだ。これは、秀吉に歴史が与えた仕事なんだ。 1588年には、刀狩りをして、農民から武器を取り上げた。 それまでは、農民と武士はそんなに区別はなかった。ふだん農民をしている者が、戦が起きれば武器を取る。 刀狩りで、それがなくなったのだ。農民がのし上がる可能性はなくなったが、社会はぐっと安定した! もっとも、そんな豊臣秀吉だけれど、野望を持った。 明(中国)を征服しようというのだ! まず手始めに、1592年と97年に朝鮮出兵を行って、その途中に豊臣秀吉自身が病死してしまい、朝鮮出兵は自然に撤退ということになった……。 第9章 江戸時代、安定から新時代へ! 江戸時代は、1603年に江戸幕府が開かれ、1868年に明治維新が行われるまでの約250年間の時代だ。 江戸時代も武士の時代だ。でも、応仁の乱から戦国時代にかけて、いったん日本は破裂した。 そこから、新しい秩序が生まれたのだ! 信長・秀吉の後を承けて、徳川家は、ある意味、カンペキなシステムをつくった。武士がトップに立ち、きちんと秩序だてられた社会が完成した! 中期になると、社会はとっても安定する。たしかに、少し窮屈だ。でも、窮屈な分、安定しているのだ。経済も文化もとても栄えた! でも、歴史は皮肉なもんだね。平和だから、商売がどんどん発展して、時代は実際上、武士の時代から商人の時代へと変わる……。そして、商売の発展により、幕府に年貢米を出してくれるはずの農村が崩壊してしまう……。 江戸幕府は、誰かに滅ぼされたのではないのかもしれない。自分の繁栄によって、内側から新しい芽を生んでしまい、その芽によって滅ぼされたのだ……、たぶん。 後期は、幕府は、三大改革でなんとかしのごうとするが、社会の変化について行けない……。そこに、ペリーが来ちゃって、幕末の激動へと飲み込まれていくのだ! a. おいしいとこどりで江戸幕府、成立! 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人は、それぞれキャラが特徴的で面白い。狂気の天才・信長、苦労人で几帳面な秀吉、そして、ずるくて賢い家康だ。 徳川家康は、織田信長が強いころは織田信長につき、豊臣秀吉が力をもつと豊臣秀吉につく。気がつくと、秀吉の家来ナンバー1になっていた。 豊臣秀吉の死後、後継者争いが石田三成との間で起こり、1603年、関ヶ原の戦いで石田三成を破り、江戸幕府を立てた。この関ヶ原の戦いも、徳川家康が、小早川秀秋をうまーく寝返りさせて、勝利。うーん、家康らしい……。 よく言われる「織田がこね、羽柴(豊臣)がつきし天下餅、座りしままに食うは徳川」(織田信長が途中まで行い、豊臣秀吉が完成させた天下統一事業を、徳川家康が最後においしいとこどりしちゃった)というやつだ。 1614~15年の大坂冬の陣・夏の陣では、豊臣家が寺の鐘に「国家安康、君臣豊楽」と刻んだのを、「家康を分断し、豊臣の繁栄を願うものか」と言いがかりをつけて(ほら、「国家安康」の中に「家康」って字があって、「安」って字で分断されてるよね。それから、「君臣豊楽」の中にさかさまでけど「豊臣」って字があって、それが「楽」をすると書いてある。)、まだ力を持っていた豊臣家を滅ぼしちゃった。 ずるい……。きっと史上最大の「言いがかり」だろう! b. カンペキなシステム完成! でも、徳川家というのは、この「ずるさ」が天才的なのだ。 徳川家の世がくつがえされないように、カンペキなシステムをつくってゆく。 そのおかげで、江戸時代は、秩序ある安定した時代になった。250年間、大きな戦がない。世界史的にもまれに見る平和な社会ができたのだ。もちろん、その分、窮屈ではあるけどね。 たとえば、君が農民として、戦国時代か江戸時代かに生まれてくるとしよう。 戦国時代なら、君がのし上がる可能性がある。けど、死ぬ恐れもじゅうぶんある。君の土地が戦場になってむちゃくちゃになる恐れもある。 江戸時代なら、士農工商で固定されてるんだから、のし上がる可能性はゼロ。けれど、飢饉とかさえなければ、貧しいながら平和に暮らせる。 どちらがいいのかなぁ? もちろん、これは、「バンドで大成功の可能性もあるけど、ぜんぜん売れずダメダメ人生になる恐れもじゅうぶんある人生」か「公務員になって、多少窮屈だし大金持ちになる可能性もないけれど、安定した人生」か、という選択と同じで、戦国時代と江戸時代とどちらがいい時代かは、価値観の違いなんだけどね。 初代将軍・徳川家康、2代将軍・徳川秀忠、3代将軍・徳川家光で、このカンペキなシステムをつくってゆく! 大名のランク1である親藩は、老中(いわば、総理大臣)などの高い役職にはつけない。だから、徳川家本体を脅かすほど力をつけられないけれど、ランク1だからまあ満足。大名のランク2である譜代は、老中などの高い役職に就けるけど、しょせんランク2だからのし上がれない。でも、役職は高いから、まあ満足。ランク3の外様は、高い役職に就けないし、ランク3だけど、石高が高い藩をもらっているから、収入が多い。まあ満足。みんなが、まあまあ満足で、徳川幕府は、安泰、安泰……。 参勤交代で大名にカネを使わせる。大名は1年ごとに江戸と国元を往復する。豪華な大名行列はすごい費用がかかるし、江戸のお屋敷の維持費用も莫大。だから、大名が大金持ちになることがない。ついでに、大名の妻子はずっと江戸にいるから、大名もうかうか逆らえない。やっぱり徳川家は安泰……。 鎖国もそうだ。 1639年、3代将軍・徳川家光が、第5次鎖国令を出した。これで、日本人は、一切外国に行けないし、外国人も、オランダ人・中国人・朝鮮人・琉球人以外は、日本に来ることができなくなった 鎖国って、あんまりいいイメージないし、実際、視野が狭くなるなど悪い面もあるわけだけど、九州方面の大名が、貿易で莫大な利益を得て強大化して戦をおこしたり、ポルトガルとかスペインとかと組んだりすることが、できなくなった。このおかげで、安定した平和な社会ができた。 鎖国をしていなければ、「九州大名・ポルトガル連合軍vs幕府軍」という戦国時代以上の大戦争が起きていた恐れだってあるのだ……。 c. 元禄バブルの光と影! 4代将軍・徳川家綱のころになると、江戸幕府ができて、50年。徳川家康や徳川家光が、ある意味カンペキなシステムをつくってくれたこともあって、社会はすっかり安定した! 5代将軍・徳川綱吉のころになると、もうほんまに安泰安泰。この時期が、元禄期。 江戸幕府も、文治政治っていうソフト路線に切り替えて、ほんとうに穏やかーな時代が訪れる。○○の乱もない、△△一揆もない。 武士たちも、戦がないわけだから、学問に励む。 徳川綱吉が、お寺をいっぱいつくって、そのために、元禄金銀というお金をたくさん発行したから、世の中にお金があふれて好景気! 元禄バブルだ! 商人たちは、大もうけ! 豪商たちは、両替商といって、今の銀行のようなことを始め、大名にお金を貸したりもしたくらいだ。ビジネスの時代が訪れた! 江戸は、人口100万に達し、世界一の大都市になり、大坂は「天下の台所」として日本経済の繁栄を支えた。 そう、このころ、時代は大きな変化を果たしていた! 応仁の乱のような大戦乱はない。支配者は、相変わらず武士で、江戸幕府がそのトップを続けてるわけだけど、社会そのものは、商人の時代、ビジネスの時代になっていたのだ! もう時代の主人公は、実際上、武士から商人に変わった、といってもいいだろう。 もし、昔に生まれ変わるなら、この時代の商人の若旦那がいいなぁ。景気はいいし、平和だし、井原西鶴の浮世草子読んで、松尾芭蕉の俳諧を楽しんで、近松門左衛門の浄瑠璃を見物……ついでにお花見、酒飲んで宴会……、いいねぇ。 ……けれど、バブルの後には落とし穴が待っている! バブルが崩壊しちゃったのだ! 元禄バブルがはじけて、一挙にデフレ。物価がドーンと下がる。今と同じだね。 デフレになると、幕府や藩は、ひじょーに困る。というのは、幕府の財源は、農民が納める年貢米なわけで、デフレになると、米の値段も下がる、……つまり、同じ量の年貢米が入ったとしても、米が安いわけだから、収入がガクンと減っちゃうわけだ。 おまけに、元禄バブルのころ、すっかりビジネスの時代だから、商人が農民を雇って農村ビジネスを始めていた。で、勝ち組農民は地主になるわけだけど、負け組農民は、田を手放しちゃって、没落……。農村社会は、崩壊。年貢米を納める農民(本百姓)が没落しちゃったわけだから、幕府は年貢減収。 元禄期、時代は、ビジネスの時代になったわけだけど、歴史には光と影がある。ビジネスの繁栄の向こうには、バブル崩壊による財政破綻、そして農村社会の崩壊という落とし穴が待ちかまえていたわけだ……。 d. 崩壊に向かう江戸幕府と必死の改革! 江戸幕府体制を再建すべく登場したのが、1716年に将軍になった8代将軍・徳川吉宗だ! TVドラマ「暴れん坊将軍」で、「マツケンサンバ」の松平健演じる徳川吉宗だね。 実際、徳川吉宗は〈暴れん坊将軍〉で、ガンガン改革を行った。享保の改革だ。 新田開発をどんどん行ったし、定免法といって年貢をその年の収穫量に関係なくとるようにした。年貢収入は増えた。上米制では、各藩に「米を幕府に出しなさい」と命令、年間約100億円の収入を得た! 幕府の財政は一気に立ち直った! けど、考えてほしい。一時的に年貢は増えたけど、米社会からビジネス社会への根本的変化、農村の崩壊、という本質的な問題は何も解決できなかったのだ……。 その問題に気づいていたのが、18世紀後半に老中を務めた田沼意次だ。 もしかしたら、田沼意次のことを、「賄賂をもらいまくった悪い政治家」って思ってるかもしれない。たしかに、そういう面もある。でも、田沼意次は、「早すぎた政治家」なのかもしれない。ビジネスの時代になってることに気づいて、商人を保護して商人から税をとり、鎖国してる国の老中(今で言えば総理大臣)なのに、ロシアとの貿易なんかも計画した。こういうビジネス重視の政策を、重商主義っていう。 もっとも、頭が年貢米で凝り固まってる周囲の役人からはまったく理解されず、実際、賄賂をもらっていたこともあって、失脚してしまった……。 1787~93年には、松平定信が寛政の改革を行った。崩壊しつつある社会を、ビシッとさせようと、厳しい朱子学以外の儒教を禁止する「寛政異学の禁」を出したり、出版統制を行ってナンパな本を取り締まった。 たしかに、社会は引き締まった。 でも、ここでも考えてほしい。 いじめがあるクラスに恐い先生が乗り込んできて、ビシッと統制すれば、表面上いじめはなくなり、「クラス再建」できるだろう。でも、それは、何の根本的解決にもなっていないのだ……。 崩壊している農村を長雨などが原因で飢饉が襲った……。いや、天候が悪いことは江戸前半にだってあった。でも、そのころは農村が安定してたから持ちこたえられた。今は、もう農村が崩壊してるから、天候が悪いともう持ちこたえられないのだ。一揆も次々と起こった。 そんなピンチの時代に、11代将軍・徳川家斉は、ダラダラ政治を行っちゃった……。ただ、お金をいっぱい発行したから、世の中にお金がたくさん出回って、化政期、またまたバブルになった。でも、このバブルは、もう破滅への最後の暗い輝きだった……。 水野忠邦が、1841~43年、天保の改革を行って、「高級な菓子を食うな」とかやったけど、これはもうほとんど効果がなかった……。人返しの法で、田を手放して都市へ出てきている農民に「農村へ帰れ」と命じたけど、当然、崩壊した農村に帰れるわけもない……。もう、幕府のお偉方の頭が社会の変化にぜんぜんついて行けてないのだ! そんな中で、むしろ地方に自由な発想をできる藩主が登場してきていた。 薩摩、長州、土佐、肥前などの藩が、大胆な発想で藩政改革に成功し、力をつけてきていた! e. ペリー来航、そして尊王攘夷! 18世紀の初め頃から、産業革命を成し遂げた欧米がアジアにやって来た! 自分たちの商品を売るために、そして、自分たちの商品の原料を手に入れるために、わが植民地にしようと、進出してきたのだ。1840年には、日本にとっては大先生だったはずの中国(清)が、アヘン戦争でイギリスにボロボロにされた……。 1853年には、とうとうアメリカのペリーが、4隻の軍艦を従えて浦賀にやって来て、開国を要求した。4隻の軍艦を連れてきたのは、「開国を拒否するなら、この軍艦の大砲が火を噴くぜ」ってことだ。(人に長所・欠点があるように、どの国にも長所・欠点がある。こういう力ずくなところは、うーん、……やっぱりアメリカの欠点だろう。) 幕府も日本社会全体も驚愕した! 250年ぶりの外国だ! しかも、見たこともない黒い色の鉄の船(黒船だね)だ! ビビった幕府は、1854年、日米和親条約を結んで、下田と箱館を開港した。とうとう鎖国が破れた! 開国だ。 でも、これは、「港を使っていいですよ」というだけで、あんがい社会全体に大きな影響はない。 1858年、大老・井伊直弼が日米修好通商条約を、無勅許(孝明天皇の許可ナシに)で調印した! これは、「アメリカと日本が商売をします」ということだ。今まで鎖国してたわけだから、これは、社会にすごい影響をもたらす。いや、実際、急に外国との商売が始まった経済は大混乱! おまけに、このころ、幕府の衰えにしたがって力を持ってきていた天皇の許可を得ずにだから、社会からは「へなちょこ幕府がビビって、アメリカと条約結んだから、こんなことになったんや! おまけに、天皇を無視して!」と反発の嵐! ここから「尊王攘夷」という考え、つまり「天皇○、日本をメチャクチャにした外国×、へなちょこ幕府も×!」という想念が日本の大地から湧き起こった! f. 薩長と幕府、幕末の激闘! 幕末に向けて激闘が始まる! 井伊直弼は、吉田松陰らを処刑するなど尊王攘夷派に大弾圧を加えた! 安政の大獄だ。 一方、1860年の雪の朝、登城中の大老・井伊直弼が、安政の大獄に怒った尊王攘夷派によって暗殺された! 桜田門外の変。 桜田門外の変で権威が落ちた幕府は、最近人気の天皇の妹と14代将軍・徳川家茂を結婚させて、権威復活を図る。これを、公武合体という。 幕府vs尊王攘夷派の死闘が始まった! さて、各藩にもいろんな考えがあった。 雄藩のひとつ・薩摩は、公武合体派だ。一方、もうひとつの雄藩である長州は、バリバリの尊王攘夷派。 うーん、どっちもありだろう。 この大変なときだからこそ、朝廷と幕府を合体させて日本の背骨をしっかりさせようという公武合体派。いや、大変なときだからこそ、のんびりしてられない、とにかく日本をメチャクチャにしている外国を討て、という尊王攘夷派。 1863年、長州藩外国船砲撃事件が起きた! 長州が攘夷を決行し、外国船をズドンズドンと砲撃したのだ。 時代は、攘夷へ!……と思ったら、八月十八日の政変が起きて、薩摩藩などの公武合体派が、長州を京都から追放! 1864年には、池田屋事件が起きた。近藤勇率いる新選組(幕府の警備組織)が、京都三条河原町の池田屋で長州などの尊王攘夷派の志士20数名を殺傷した。そのリベンジにと禁門の変(蛤御門の変)で、長州が、幕府・薩摩と戦ったけど、敗戦。幕府は、第1次長州征討(幕長戦争)を行い、とうとう長州は屈服……。 長州を中心とする尊王攘夷派は、大きい事件だけ数えても4連敗。壊滅の危機!……と思ったら、実は、このころ公武合体派だった薩摩は考えが変わってきていた。「西洋に学び、新しい日本をつくる必要がある。そのためには、古い幕府は邪魔だ。倒幕だ!」と。いや、長州も、長州藩外国船砲撃事件のリベンジでアメリカ・イギリス・フランス・オランダに四国連合艦隊下関砲撃事件で完敗し、「西洋は強い。攘夷ではダメだ。むしろ、西洋に学び、新しい日本をつくる必要がある。そのためには、古い幕府は邪魔だ。倒幕だ!」と考えるようになっていた。薩摩と長州が、同じ考えに達していたのだ! ただ、長州と薩摩は、以前は敵どうし。なかなか、手を結べない。そこに、土佐の坂本龍馬が登場し、長州と薩摩の仲をとりもった。「みんなで新しい日本をつくろう!」と。ここに、薩長同盟が成立した! 薩摩の西郷隆盛、長州の木戸孝允(桂小五郎)、土佐の坂本龍馬が、新しい日本、つまり天皇を中心とした雄藩の連合体をつくるべく立ち上がったのだ! まだ激闘は続く。 坂本龍馬は、徳川家も政府に残す穏便な方法を考えていた。西郷隆盛は、徹底的に幕府を倒すことを考えていた。 坂本龍馬の勧めで、1867年、15代将軍・徳川慶喜は、大政奉還を天皇に上表! 滅ぼされるよりも、政権を朝廷に返してしまって新政府の一員として生き残ろうというわけだ。けど、幕府を徹底的に倒したい薩摩・長州は、速攻、王政復古の大号令を天皇に出させた! これは、天皇を中心とする徳川家ヌキの雄藩の連合体をつくるぞ、ということだ。 ここに、江戸幕府は存在を失った……。さすがの江戸幕府も、社会の変化・欧米のアジア進出・雄藩の台頭という巨大な波に流されていったのだ……。 明治維新! この後、江戸幕府の生き残りが、明治新政府に抵抗するが、1年戦って力尽きた……。これは、戊辰戦争。 第11章 明治時代、! a. 苦労苦労の明治維新! さぁ、明治維新! と意気込みたいところだけど、実は、ぼくは、明治維新のころの大久保利通(薩摩出身)や西郷隆盛(薩摩出身)や木戸孝允(長州出身)の気持ちって、すごく心細かったんじゃないかなと思う。 ぼくたちは、後の、発展した日本を知ってるから、明治維新を「揚々たる船出」のように思うけど、維新政府の人たちは、「あちゃー、ペリーが来て、開国、尊王攘夷対公武合体、倒幕と一気に来ちゃって、明治維新しちゃっけど、……ところで、どーすんの?」って感じだったんじゃないかと思う。 実際、日本が、しっかりしてくるのは、明治もなかば、明治20年代くらいまでだ。それまでは、もう、試行錯誤。 アジアのはしっこの小さな島国が、欧米以外で、初めて「近代化」を始めるわけだ。 そう、実は、江戸時代の日本は、政治もある意味完璧なシステムだったし、江戸は世界一の都市であり、大坂は世界有数の経済都市だった。文化もとても爛熟している。しかし、決定的にないものは、工業であり科学だ。すばらしい浮世絵はあっても、大砲や機関車を造る工業・科学がない。もうひとつなかったものは、民主主義。250年大きな戦がなかった江戸時代の統治システムってのは、ある意味すごいわけだけど、日本人は、「みな平等」という思想に大ショックを受けた。 維新政府の人たちは、猛ダッシュを始めた。 民主的な近代国家をつくること。工業をおこすこと。 木戸孝允が完成させた「五箇条の御誓文」でこのことをうたった。民主主義の社会にすること。工業をおこすこと。 いろいろやった。 廃藩置県。 江戸時代は、中心には幕府があり、大元の決定は幕府だし、基本的には藩は幕府に逆らえない。けど、実際には幕府が決めた枠内で、その藩の政治は大名が行うし、農民も年貢を大名に納めるわけだから、藩ごとの独立採算制だ。 でも、欧米のような近代国家にするためには、きちんと中央政府があり、中央政府の意志で統一的に日本全体を動かしていかなければならない。今は、めぐりめぐって「地方の時代」だけど、近代国家ってのは、藩ごとにバラバラじゃなくて、国全体を政府が動かす中央集権国家じゃなくちゃいけない。 だから、今までの藩を一気になくして、県を置いて、中央政府から知事を派遣した。 富岡製糸場のような官営模範工場もつくった。 まだ、明治維新したばかりだから、国民が自分たちで工場をつくるのは無理だ。だから、政府が欧米から教えてもらって、お手本になるような工場をつくる。 ところが、最初は近代国家を目指して一丸だった政府の人たちも、だんだん意見の違いが出てくる。 大久保利通が、秩禄処分を行った。 それまで、もと武士は、特に働いていないのに、給料みたいなものをもらっていた。でも、これが結構多額で、スタートしたばかりで貧乏な明治新政府としては、かなりキビシイ。そこで、大久保利通は、武士にドンとお金を渡して、「これからは給料なしね」ということにした。要するに、退職金渡して、リストラということだ。 その前には、廃刀令で、武士から刀を取り上げていた。刀は武士の心だ、プライドだ。 つまり、武士から金もプライドも取り上げた。 武士は当然怒る。当時の政府は、倒幕をやった薩長中心だから、薩長以外の武士は、特に怒る。 いや、政府の中でも、西郷隆盛は人情家なので、大久保利通のやり方が許せない。 西郷隆盛と大久保利通は、薩摩のビッグ2として倒幕をやり遂げた二人だ。この二人は、家も近くてもともと大の仲良し。 でも、ここでクールな大久保利通と人情家の西郷隆盛の違いが出た。西郷隆盛は、「こんな冷たい政府はやめるたい」と政府を辞めて、薩摩に帰った。 西郷隆盛の元に、大久保利通の冷たいやり方が気に入らない人々が集まってきた。西郷隆盛は、薩摩で挙兵して、政府と戦争になった。 しかし、近代的な武器と軍隊を持つ新政府にはかなわず、西郷隆盛は死んだ。 西南戦争。 ちなみに、映画『ラスト・サムライ』は、西南戦争がモデルだ。渡辺謙が、西郷隆盛。トム・クルーズは、……架空の人物だ。 君が、もし経営が苦しい会社の社長さんだとしたら、大久保利通だろうか、西郷隆盛だろうか。 会社存続のため、涙をのんで、リストラ断行か。倒産するかもしれないが、これまで働いてくれた社員をリストラなんてできないか……。 明治新政府は、この後、大久保政府になっていく。もっとも、翌年、大久保利通は名もなき不平士族に襲われて死んだ。西郷隆盛が死んだ年に、木戸孝允も病気で死んでおり、1877年~8年の2年間で、維新の三傑といわれた西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允が全員死んだ。 明治の中の青春時代が終わった。 この後、明治政府は、伊藤博文・山県有朋・黒田清隆といった、倒幕の頃、若手だった人が、中心になっていく。明治第2ゼネレーションだ。 伊藤博文と山県有朋は長州出身、黒田清隆は長州出身。 彼らの考え方は、大久保路線だ。 まずは、薩長が日本を引っ張っていく。とりあえず、それ以外の意見は無視。 これに対して、「なんで、薩長のエライサンだけで政治するんだー」という声が起きる。これが、自由民権運動。土佐出身の板垣退助と肥前出身の大隈重信が中心だ。「薩長だけで決めずに、みんなの意見も聞けよー。みんなの意見を言う場=国会を作れー」と主張した。政府側の黒田清隆が、開拓使官有物払下げ事件というのを起こしてしまって、国民も自由民権運動も激怒。政府は、国会(議会)をつくる約束をじぶしぷして、自由民権運動側の板垣退助は大喜びで「自由党」を、大隈重信は「立憲改進党」をつくった。 これも難しい問題だ。 ほら、文化祭なんかでよくもめるぞ。 文化祭まで、あと2週間。クラス全員の意見を聞いていては間に合わないから、リーダー格の数人が、どんどん決めて進めてゆく。そうしないと、間に合わない。でも、その数人以外の生徒にすれば、「お前たちだけで決めずに、おれたちの意見も聞いてくれよ」と不満。 君が、リーダー格なら、どうするだろう。間に合わせるために、自分たちだけで決めて進めていくか、間に合わないのを覚悟でみんなの意見を聞くか。 君が、リーダー格でないなら、どうするだろう。間に合わせるために、リーダー格の人に任せるか、自分の意見も聞いてほしいか。 もっとも、自由民権運動は、その頃起きた松方デフレという大不況で、農民が怒りまくり、それと一緒に過激な事件をいっぱい起こしたので、だんだん下火になってしまった。 さて、伊藤博文らの政府組。もちろん、彼らだって、日本を近代化しようと必死。ただ、薩長リーダーが引っ張ってくか、国民の意見を幅広く聞くかが、自由民権運動どの大きな違い。 伊藤博文は、自ら初代総理大臣になり、内閣をつくった。大日本帝国憲法もつくった。国会(議会)もつくった。選挙も実施した。 このころ、日本は、近代国家として整ってきた。総理もいて、内閣もあり、憲法もあり、国会もある。とりあえず、欧米に対して、「近代国家です」と言える体制ができた。 さて、初の選挙をやったら、自由党・立憲改進党という自由民権運動側の党(民党っていう)が大勝しちゃった。 で、最初におきた問題が、予算の問題。そのころ、ロシアが朝鮮・日本をじわじわと狙っていた。このころのロシアと日本と言えば、ロシアは世界の大国。日本は、がんばっちゃいるけど、まだまだ近代化したばかりの小さな島国。 政府は、ロシアから日本を守るための軍事予算拡大を主張した。民党は、松方デフレで農民が苦しんでるから、そちらに予算を回そう、と主張した。もめたんだけど、一度総理の座を降りていた伊藤博文が再度総理になって、強行突破。 さぁ、ロシアが日本を狙っている! 日清戦争だ。……「ロシアと対立するのに、なぜ清(中国)と戦争?」って感じだ。 その頃、朝鮮は清の属国に近い状態だった。清はイギリスやフランスにボロ負けしたりしてヨレヨレ状態。当然、子分の朝鮮も弱い。だから、ロシアが簡単に朝鮮をとれてしまう。朝鮮をとったら、ロシアの次の標的は日本だ。だから、日本は、清に「朝鮮をしっかりさせてください。そーじゃないと、日本にロシアが攻めてくるのよ」と頼んだけど、NG。そうなれば、朝鮮を日本の影響下に置いて、朝鮮を強くするしかない。そのために、清と戦争するわけだ。 実は、欧米の国々は、清の大勝を予想していた。なんぼ清が弱っているとはいえ、大国だ。日本は、なんぼ元気とはいえ、小国だ。いわば、病気の象と元気な子犬のたたかい。そりゃ、病気とはいえ、象が勝つだろう。そう思った。 ところが、日本が勝利してしまった。下関条約で日本は遼東半島と台湾、そして、2億テールの賠償金をもらった。そして、朝鮮を日本の影響下に置くことができた。 そこに、ロシアがフランス、ドイツを誘って、「遼東半島を清に返せ」とイチャモンをつけてきた。遼東半島は、朝鮮半島の付け根にあり、いわばロシア、清、朝鮮、日本の真ん中の地。戦略上、すごく重要な地なのだ。 でも、これは、日本と清の正当な条約で決まったことで、ロシアは関係ない。しかし、清と戦った後で、さらに、大国ロシアと戦う余力もないし、勝つ見込みもない。日本政府は、泣く泣くロシアに従い、遼東半島を清に返した。これにゃあ、日本国民も怒ったよ。 最初に、日本の歴史は、ざくっと大きく分けちゃおう。 だれが、主人公か、だ。 呪術者→天皇→貴族→武士1→武士2→商人と主人公が変わってゆく。 ①弥生時代は、卑弥呼のような呪術者の時代。 ②大和時代・飛鳥時代・奈良時代は、呪術者から全国的支配者へと成長した天皇家の時代。 ③平安時代は、天皇の臣下である貴族が天皇を敬いながらもうまーく政権をとっちゃった時代。 ④鎌倉時代~室町時代前半は、貴族のガードマンだった荒くれ者・武士が乱世を勝ち抜き天下を取った時代。 ⑤室町時代後半~安土桃山時代は、武士は武士でも、さらに荒くれ者武士である戦国大名たちの大激動期。 ⑥江戸時代は、武士の時代だけれど、社会が安定して、実際上は、商人の時代。 こんな感じだ。 じゃあ、はじめよう!
https://w.atwiki.jp/mousouyomi/pages/1728.html
【妄想名】魔王ラプソディー 【名前】巨大化魔王様 【属性】プロレスが趣味の魔王が巨大化 【大きさ】120m 【攻撃力】 魔王パンチ:自分の体長の数倍の山を消し飛ばす。 魔王キック:パンチで無傷の相手に鼻血を出させる威力。 魔王ビーム:直径200m、光速ビームを発射。射線上の全物体を 消滅させながら突き進み、地平線を越えて大気圏外まで飛び出し、 月を貫通して更に飛んでく。タメなし。 魔王スクリュー:最強技。相手の足を取ってプロレス技のドラゴンスクリューを掛ける。 魔王パンチで無傷の相手をKO。 【防御力】自分の掛ける魔王ドラゴンスクリューと同等の威力を持つ、 勇者フランケンシュタイナーで無傷。 【素早さ】大きさ相応の強いプロレスラー並。 【特殊能力】ポージングをすると躍動する筋肉美に相手が吐いてから戦闘不能になる。 うほっな趣味の相手には効かない。 【長所】ポージングが強力。 【短所】勇者に掘られそうになってとても焦った。 271 名前:格無しさん 投稿日:2006/05/06(土) 23 26 06 巨大化魔王様・・・・ポージングによりリコより上にいけるか? 反応負けてるし無理か。 303 名前:格無しさん 投稿日:2006/05/09(火) 02 07 43 巨大化魔王様・・・ポージング前に葉瑠菜にやられる。 196格無しさん2018/07/27(金) 23 23 56.40ID PLMFdu5A 197 巨大化魔王様ちょっと気になったので再考察 よくよく見なおしてみると月を貫通する魔王ビームが最強技じゃないということなので、 最低でも月を貫通する威力の攻撃に無傷で耐えられることになる。 ただ反応がこのレベルでは「止まっている」に等しい… ×七賢者 先手惑星破壊負け 〇レンゲル 攻撃範囲がしょぼいのでポージング勝ち ×メテュール 終わりなき誓願負け。どうでもいいけどレンゲルはカードをスキャンする動作があるからこいつの下の方が壁にふさわしいと思います ×生徒会長エヴァンジェ 約束負け ×霧崎大計 ロードメイカーで停止負け 〇スタンリー・イプキス ポージング勝ち ×鋼鉄メイドさん 両断負け ×神崎冥 でかくても魂があることには変わらんだろう 〇シーサーマン ポージング勝ち ×レボルス六号 手法を横なぎに撃たれれば両断される 〇〇久瀬鷹乃、γ 耐えてポージング勝ち 〇死神のキョウ ギリギリでポージングが間に合う 〇フォス・ソルブライト 耐えてポージング勝ち 〇盛田栄一 ポージング勝ち ×村田忠志 ポージングでゲロった瞬間「助けてくれ!」と思われ死滅負け ×カケル 同上 〇優等生 耐えてポージング勝ち △リス 機械にポージング効くんだろうか。ほかの攻撃も当たりそうにないがやられもしない 〇〇リン、リコ 削りきられる前にポージング勝ち △近藤/遠藤 どうしろと。 △レボルス7号 速すぎて攻撃当たらん。魔王ビームの弾速欲しかった 〇〇実例提示用1、魔神豪鬼 耐えてポージング勝ち ×アルミゴーレム 放電負け 〇御子神みーザージータケル 耐えてポージング勝ち 〇WILD・Gun-Man 脳味噌や心臓に直接銃弾を撃ち込まれてもこのでかさじゃあねえ…ポージング勝ち 〇グレン・アザレイ ポージング勝ち △メタルオオカマキリ 両断され続けるが、そのうち小さくなりすぎて攻撃当たらなくなり分け 〇Godslayer 耐えてポージング勝ち ×フレイ 焼死負け ×リーズ 凍死負け 〇マグロン 動物ではないだろう、耐えてポージング勝ち ×エノク ガルガリン負け ×第三の男 無理 △メタルオオカブト 機械にはどうしようもない 〇白虎 耐えてポージング勝ち 〇ニクロ 耐えてポージング勝ち 〇グリムジョー 耐えてポージング勝ち △ベルサリア でかい、早い、そもそも目玉がない △和田 でかすぎ分け ×マグネティックウィンド 無理 ×アナコンダ伯爵 全能負け ×単純テンプレキラーⅡ 凍死負け ×マルマエル 鬼の笑い→体内にワープされ負け この辺は防御無視多いので難しいか (超音速反応広域攻撃の壁)>巨大化魔王様>Godslayer めっちゃちょうどいいところで止まったな
https://w.atwiki.jp/ma1ss/pages/34.html
757. 榊鳥 ◆SSkkOxOZ3M 2011/06/14(火) 18 25 27.33 ID pYDAkeZG0 ほむら「お題は『巨大化』ね…」 まどか「きょ、きょだいか…?」 まどか「どんなSSになるんだろうね?ほむらちゃん」 ほむら「予想だけど…おっと」 ほむら「それを言っては面白くないわね」ニヤリ ほむら「じゃあ18時45分までを制限時間としましょうか」 まどか「みんな頑張ってね!」 758. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 34 44.43 ID TI/yfcTN0 ほむら「魔法少女まどか☆マギカで一番巨大化したものは一体何だと思う?」 マミ「私のマスケットかしら? 大きさも自由自在だからね!」 杏子「ならアタシの槍だってそうじゃねーか?」 さやか「やっぱまどかじゃない? 魔女になっちゃったら地球が終わっちゃう規模だもんねー」 杏子「その前に魔女化したお前がいうな!」 まどか「ほむらちゃん、正解は?」 ほむら「長らく焦らされた、視聴者の11〜12話への期待感よ!」ドヤァ 早乙女「中沢くん、全部持って行ってしまいなさい」 759. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 34 46.90 ID L8HDhz5j0 マミ「また大きくなったわ」プルンッ 杏子「マミでっけー!」 さやか「でっか!」 まどか「大きいね、ほむらちゃん!」 ほむら「そう、ね…」ギリッ マミ(身長のほうなのに…) 760. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 35 32.25 ID sbwEkaB+P ほむら「」じーっ 巨大化まどか「…///」 761. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 35 37.44 ID 3t5YWIaR0 まどか「おはよう、ほむらちゃん!」バイーン さやか「まどかは私の嫁だー!」ボヨンボヨン あんこ「くうかい?」ブルンブルン 仁美「恭介さんのことお慕いしておりましたの」ユッサユッサ マミ「ティロ・フィナーレ!!」バヨンバヨンブルルンブルルンボイーン QB「僕と契約して魔法少女になってよ」ポヨヨンプルン ※ ほむら「こ、ここは私の戦場じゃない…」ツルペターン 762. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 37 53.52 ID eL1Q+2WdP ほむら「突入ーッ!!」 763. 以下、名無しにかわりましてMMPがお送りします 2011/06/14(火) 18 39 37.16 ID cxDbp1WN0 ほむら「ほむーっ…ほむーっ」ズルズル さやか「ちょっと…何よそのバカデカい楯…」 ほむら「こ、この中に…色々収納が出来るのよ…」ドスン さやか「なんでそんなに大きいのよ、戦いにならないじゃん…」 ほむら「始めはもっと小さかったのだけど」 ほむら「あらゆる時間軸のまどかの下着を納めていたら、巨大化を余儀なくされたわ」ホムーン さやか「謝れ、まどかに今すぐ謝れ」 764. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 45 35.19 ID zN/tUIp/0 さやか「あたしも大きな武器が欲しい!」 杏子「いきなり何言い出すんだよ」 さやか「あんたやマミさんの武器とか、巨大化するじゃん、ああいうのあたしも欲しいなーって」 マミ「美樹さんの場合、剣になるのかしら」 さやか「でっかい剣でとどめの一閃!かっこいいと思わない?」 ほむら「そうかしら」 まどか「すごく良いとおもう!」 さやか「でしょー?」 ほむら「そうかしら……」 マミ「ひょっとして暁美さん、羨ましいのかしら」 ほむら「違うわ」 杏子「あぁ、ほむらの武器は実在する既存の武器だから大きくしようがないもんな」 さやか「あっ、そっかごめん……」 まどか「ごめんねほむらちゃん、そこまで考えが回らなかったよ……」 ほむら「違うって言ってるでしょう!謝らないで!」 765. 榊鳥 ◆SSkkOxOZ3M 2011/06/14(火) 18 46 15.34 ID pYDAkeZG0 杏子「はい、制限時間終了ー」 さやか「みんなおつかれーっす!」 杏子「意外といっぱい書き込みがあったな」 さやか「いやー、よかったよかった」 杏子「さぁ…お次は投票といこうか」 さやか「1番面白かったSSに安価をつけてあげて!」 杏子「一言コメントなんかつけてやるのも喜ばれるかもなっ」 さやか「制限時間は19時までってことで!」 766. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 49 39.95 ID 3t5YWIaR0 764 むらちゃんかわいい 767. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 49 48.18 ID zN/tUIp/0 763 本編であれだけの武器を納めてもあの大きさだったのに、一体どれだけの量を……ww 768. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 49 57.42 ID L8HDhz5j0 762 卑猥すぎてワロタ 769. 以下、名無しにかわりましてMMPがお送りします 2011/06/14(火) 18 50 15.11 ID cxDbp1WN0 759 やはり、そっちを見るのかwww 770. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 51 09.73 ID sbwEkaB+P 758 テンポがよくて好き 771. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 53 03.81 ID TI/yfcTN0 759 一番オチが効いてる 772. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 58 39.87 ID CbvM5Fbz0 762 ワロタ 773. 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/14(火) 18 59 37.89 ID KIH07Yrk0 759 マミさんはかくあるべき 774. 榊鳥 ◆SSkkOxOZ3M 2011/06/14(火) 19 01 18.16 ID pYDAkeZG0 織莉子「はい、投票終了よ」 織莉子「すぐに開票するからしばし、御歓談でも」 キリカ「巨大っていえば織莉子は背が大きいよねぇ?」 キリカ「私と頭一個ぶんくらい違うしね」 織莉子「………そうね」 織莉子(あなたが小さいのよっていったら怒るわよ…ね) キリカ「?」 775. 榊鳥 ◆SSkkOxOZ3M 2011/06/14(火) 19 07 09.60 ID pYDAkeZG0 【お題:巨大化】 759 3票「やはり、そっちを見るのかwww」 「一番オチが効いてる」 「マミさんはかくあるべき」 762 2票「卑猥すぎてワロタ」 「ワロタ」 758 1票「テンポがよくて好き」 763 1票「本編であれだけの武器を納めてもあの大きさだったのに、一体どれだけの量を……ww」 764 1票「むらちゃんかわいい」 マミ「はい、と言うことで 759 さんの優勝でーす」 杏子「やっぱ巨大って言えばマミなんだなぁ」 マミ「もう…!」 まどか「ひどいよ…こんなのってないよ…」 ほむら「まどか…私達はまだ成長期…大丈夫なはずよ…」 キュゥべえ「君達はなぜ胸の大小に優劣をつけて一喜一憂するんだい?」 キュゥべえ「理解できないよ」 ほむら「黙りなさい…」 さやか「はーい、んじゃ次の進行を 759 さんにパスします、よろしくねっ」 コメント 名前 コメント