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被害情報 【公式消防庁HP】【気象庁】気象庁は、今回の地震について、詳細に解析した結果、地震の規模(マグニチュード)を、8.8から、9.0としました。 【twitter:IBC岩手放送】【被害情報】陸前高田市のIBC取材班の今朝の情報。津波被害を受けた陸前高田市内には47ヶ所の避難所があり6808人の方々が避難しています。死者・行方不明者の数は現地では全く把握できません。判明している遺体安置所は米崎中学校、下矢作小学校です。 【twitter:IBC岩手放送】【医療情報】県立胆沢病院では病院内の設備が破損し、入院、手術、検査および通常の診療ができなくなったため、あさって14日以降、数日の間、救急患者およびやむを得ない場合のみの診療となるとのこと。なお薬がなくなった患者さんは受付するという。 【twitter:IBC岩手放送】【停電情報】東北電力によると午後4時現在岩手県内では76万3527戸が停電している。大部分の地域は早急な復旧は難しい状況。 【twitter:IBC岩手放送】【配水情報】盛岡市災害対策本部によると盛岡市の中屋敷浄水場と米内浄水場は停電により断水していたが、午後5時50分現在浄水場の電力が復旧したため、間もなく配水が可能となる。ただ水道が復旧した場合でも一斉に使用すると再度断水の恐れがあり節水に協力を。 【twitter:IBC岩手放送】【医療情報】盛岡市立病院は電力が回復したため、明日13日とあさって14日、診療を行います。ただし災害時救急医療体制のため最新予約の対応だけとなります。新患には対応できないということです。 【twitter:IBC岩手放送】【救助活動】続きです。自衛隊の陸上部隊は、陸前高田氏、釜石市、大槌町、大船渡市、宮古市、岩泉町、田老町、野田村で人命救助活動にあたっています。また久慈市役所では、炊き出しを行っています。 【報道:TBS】消防本部庁舎は崩落、残った消防関係者は給食センター付近に展開 【報道:TBS】市街地の建物で残っている主なものは、県立病院、マイヤ、高田高校など 【報道:TBS】市内の気仙大橋、姉歯橋は崩落
https://w.atwiki.jp/ibaraki20110311/pages/58.html
・平成23年3月11日地震被害について(第4報) より www.pref.ibaraki.jp/bousai/20110311-4.pdf 12日15時時点で、美浦村全域で電気が復旧しているようです。
https://w.atwiki.jp/ofunato/
こちらのwikiは[[東北地方太平洋沖地震まとめ(大船渡情報)に統合します。 http //www46.atwiki.jp/earthquakematome/pages/106.html 安否情報は下記からおねがいします。が最新はこちらへ http //www46.atwiki.jp/earthquakematome/pages/106.html 岩手県大船渡市の被災者・またそれを支援するための方の情報をまとめます。 1人でも多くの被災者を助けるためにみなさんの力を貸してください。
https://w.atwiki.jp/kknpnews/pages/25.html
lt; nbsp;2007-08-01 | 2007-08-03 nbsp; gt; 目次 プラント状況 政府関係者、IAEA 調査団日程発表 東電、原発停止による CO2 の排出量増加見積もりを発表 新潟県、技術委員会の立ち入り調査 自民政調会長、被災地を視察 他のプレスリリース プラント状況 東京電力 新潟県中越沖地震発生による柏崎刈羽原子力発電所の主なプラント状況 (2 日午後 2 時現在) 新規・更新事項なし。 政府関係者、IAEA 調査団日程発表 IAEA、柏崎刈羽原発を6日から調査 中越沖地震 (朝日、11:43) 政府関係者、IAEA 調査団は 5 日に来日し 6 日から 10 日まで柏崎刈羽原発に滞在し被害状況を調査。 調査団は IAEA 原子力施設安全部の地震対策の専門家など 6 人で、保安院の担当者も同行。 IAEA to inspect Japanese nuclear plant next week (Reuters, 2nd, 5:47 EDT) 『IAEA は日本の原発を来週調査』「IAEA の Nuclear Installation Safety division の director, Philippe Jamet に率いられた調査団は日本の当局者との協議に次いで発電所に 4 日間滞在することになると日本の業界監督機関、原子力安全・保安院は述べた。」 東電、原発停止による CO2 の排出量増加見積もりを発表 柏崎原発停止でCO2排出2%増加 東電試算 (朝日、17:34) 東電見積もり。 予定より CO2 の排出量が 2800 万 t 多くなり、日本全体の排出量が 2 % 程度増える。 環境省地球温暖化対策課 『影響がないとはいえないが、電力会社の努力で目標は達成できると考える』。 NPO 気候ネットワーク常任運営委員畑直之氏 『電気事業者は外国と排出量取引をするというが、本来は国内対策で排出量を減らすべきだ。そもそもこれまでの原発稼働率見込みが高すぎた』。 新潟県、技術委員会の立ち入り調査 「目視調査では安全」 新潟県の立ち入り調査 (共同、18:33) 宮建三法政大大学院客員教授 (原子炉機器工学) 『驚くべきことに建屋内の構造物は堅固な状態だった。少なくとも見た目は通常と変わりなかった』 設備の詳細点検が必要 新潟県調査 (毎日、19:56) 「外観点検で主要設備に損傷がないことを確認したが、想定を上回る揺れを受けた設備の詳細点検が必要とし、再度の立ち入り調査の検討を明らかにした。」 宮健三座長、立ち入り調査の会見の最後で『代え難い貴重で歴史的な実験だった』と発言、「毎日新聞の取材に対し宮座長は『地元の人からすれば失言で反省している。 だが、想定の2倍を超える揺れを受けても外観上壊れなかった。 地震列島に住む我々にとって参考になるデータが出てくるかもしれない、という意味があった』と釈明した。」 原発放射能漏れ、公表方法検討を…新潟県など (読売、20:57) 県原子力安全対策課 『放射能漏れの発表は、国の放出基準を基に判断し、(誤解を招かない)公表の仕方を検討する必要がある』。 自民政調会長、被災地を視察 中越沖地震被災地を視察=自民政調会長 (時事、20:51) 中川政調会長、被災地や柏崎刈羽原発を視察。 原発関係者に対して『安心・安全についてきちんと説明し、信頼回復してもらいたい』。 他のプレスリリース 原子力安全・保安院 平成19年新潟県中越沖地震における東京電力㈱柏崎刈羽原子力発電所の影響について(第12報) (1 日付、2 日サイト掲載) おわり lt; nbsp;2007-08-01 | 2007-08-03 nbsp; gt;
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地震発生直後の原発を巡る時系列のまとめ 目次 目次はじめに 更新履歴 3月11日午後 / 14 00 / 15 00 / 16 00 / 17 00 / 18 00 / 19 00 / 20 00 / 21 00 / 22 00 / 23 00 3月12日午前 / 00 00 / 01 00 / 02 00 / 03 00 / 04 00 / 05 00 / 06 00 / 07 00 / 08 00 / 09 00 / 10 00 / 11 00 3月12日午後 / 12 00 / 13 00 / 14 00 / 15 00 / 16 00 / 17 00 / 18 00 / 19 00 / 20 00 / 21 00 / 22 00 / 23 00 ▲▼ はじめに 各報道記事から様々な事象や行動の発生時刻を抜き出し時系列にまとめたものです 同じ事象でも時刻が異なるのは各報道記事で時刻が違う場合や、ある記事では○○時○○分なのに対し、ある記事では○○時頃となっていたり、○○時○○分から一時間後などと時間表記がマチマチだからです。その場合は原則として○○時「頃」と頃を付けて表記しています。東電副社長のヘリコプター搭乗時間などがその例です。 更新履歴 2011/05/26 ★がついてる項目を追加 海水注入指示、再臨界発言、格納容器損傷、メルトダウン時間等 2011/05/26 3月11日午後 14 00 14 46 地震発生 14 46 1、2、3号機自動停止 東京電力プレスリリース 14 46 地震により外部からの送電が止まり非常用ディーゼル発電機が起動 日本原子力学会 14 55 福島県相馬市に津波第一波観測 0.3メートル 気象庁発表 ▲▼ 15 00 15 27 第一原発に第一波の津波 4.0メートル ニッカン http //www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110409-759066.html 15 30 東電副社長が現地に向け出発 「発電所を見てきます」と言い残してヘリコプターで福島原発へと飛んだのは午後3時半。 毎日jp 15 35 第一原発に第二波の津波 7.5メートル以上の計測で機器が故障 敷地南側の展望台で作業員が撮影した動画からは、押し寄せた津波が高さ約30メートルの崖にぶつかり、50メートルもの高さまで波しぶきが上がった様子が分かる。 ニッカン http //www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110409-759066.html 15 39 福島県いわき市で最大津波観測 3.3メートル 気象庁発表 15 42 1、2、3号機 全交流電源喪失 東京電力プレスリリース 15 42 非常用ディーゼル発電機が故障停止 津波の影響で非常用ディーゼル発電機自身の冷却を行えなくなり、さらに燃料タンクが流出し、電源盤が水没したことなどが原因 日本原子力学会HP 15 42 残留熱除去系が停止 電源が失われ、冷却のための残留熱除去系が使えなくなってしまいました。 日本原子力学会HP 15 42 1号機、非常用復水系が作動 1号機では、一次系の蒸気を非常用復水器に送る非常用復水系を用いてある時間は崩壊熱を除去しましたが、復水の補給ができないため原子炉容器内の燃料の冷却ができなくなってしまいました 日本原子力学会HP 15 42 2、3号機、隔離時冷却系および非常用の高圧注水系が作動 2号機、3号機は一次系の蒸気を利用してタービンを回して復水貯蔵タンクを水源とする隔離時冷却系および非常用の高圧注水系が作動しましたが、次第に一次系の圧力が下がったため停止しました。 日本原子力学会HP 15 42 津波で冷却機能喪失。格納容器の圧力上昇。容器ごと破裂する危険性が政府に伝わる テレビ朝日 報道ステーション 15 42 電源を喪失 対処方針は冷却システムを再起動させるための電源車をバッテリーが切れる7~8時間以内に福島第1原発に集めることだった。電源喪失が午後3時42分。タイムリミットは午後11時前後から12日午前0時前後。時間との闘いだった。ひとまず東電が集めた6台が福島に向かったが、陸路の輸送は困難を極めた。 毎日jp 15 50 福島県相馬市で津波最大波 7.3メートル観測 気象庁発表 15 55 防衛省中央指揮所に自動停止し問題ないとの連絡 「自動停止しており、今のところ問題はない」。東京・市ケ谷の防衛省メーンビルA棟地下3階にある中央指揮所(CCP)に駐屯地からの現地情報が伝わったのは地震発生から約1時間後の午後3時55分。 毎日jp ▲▼ 16 00 16 00頃 東電副社長が福島第一原発に向けてヘリコプターで出発 地震からほぼ1時間後。東京都千代田区の東電本店にいた原子力担当副社長の武藤栄は、「様子を見てくる」と、ヘリで飛び立った。 msn産経ニュース 16 15 防衛省中央指揮所に放射能漏れはないとの連絡 駐屯地からの現地情報が伝わったのは地震発生から約1時間後の午後3時55分。その約20分後には「放射能漏れもない」との現地情報が新たに加わった。 毎日jp 16 30 副社長は電源車の確保を指示 タイムリミットは7~8時間。全国から53台の電源車が向かう 「早く電源車をかき集めろ」。武藤は現地対策本部で声を張り上げた。 msn産経ニュース 16 36 1、2号機 非常用炉心冷却装置注水不能 東京電力プレスリリース 16 36 冷却システムがダウン さらに官邸を震撼(しんかん)させる緊急事態が起きたのは地震発生から約2時間後の午後4時36分。「炉心溶融」を防ぐための冷却システムがダウンした。 毎日jp 16 54頃 総理が「冷却機能不全」を認知 首相が「冷却機能不全」という事態急変を知ったのは、東日本大震災発生後、首相官邸で初めての記者会見に臨む直前だった。 毎日jp ▲▼ 17 00 ▲▼ 18 00 18 35 自衛隊中央即応集団110名、化学防護車4両待機 原子力災害対策本部 18 35 自衛隊44普通科連隊80名がオフサイトセンターへ出発 原子力災害対策本部 ▲▼ 19 00 19 03 緊急事態宣言 経済産業省HP 19 22 第一回原子力災害対策本部開催 首相官邸HP 原子力災害対策本部 19 30 自衛隊大宮駐屯地の化学防護車が出発 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 20 00 20 30 2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明 2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。 毎日jp 20 50 福島第一原子力発電所から半径2kmの住人に退避指示 経済産業省HP ▲▼ 21 00 21 00頃 1号機の水位が大幅に低下 事故発生から6時間で1号機の原子炉内の水位が核燃料棒の上端から45センチまで急激に低下 2号機は同3.4メートル、3号機は同4.2メートルの水位があったことから、1号機がかなり早い時期に危機的状況に 1号機は、電源が失われても、原子炉の水蒸気を水に戻して再び送り込む非常用冷却機能があり、本来は8時間程度は働くはずだった。 水位は11日夜に急激に低下した後、12日未明には一度同1.3メートルまで回復しており、東電は非常用冷却機能が当初十分に機能しなかった可能性があるとして詳しく調べている。 YOMIURI ONLINE 21 00頃 原子力安全委員長がベントの必要性と冷却の重要性を総理に具申 原子力安全委員長の班目(まだらめ)春樹は、背筋が凍り付く思いがした。水喪失が何を意味するのか。安全性にお墨付きを与えてきた班目は、知りすぎていた。「なんとしても燃料棒を冷やしてください。炉内の圧力を下げるための排気(ベント)も必要です」班目は本部長の首相、菅直人に繰り返し具申する。 msn産経ニュース 21 00頃 電源車2台が到着 待望の電源車が福島第1原発から約5キロ離れた、国の対応拠点「福島オフサイトセンター」(福島県大熊町)に到着したのは午後9時過ぎ。 毎日jp 21 00頃 東北電力から電源車2台が到着 各地から53台が福島に向かい、午後9時すぎに東北電力から2台が到着。12日午前0時すぎには、さらに2台も駆け付けた。 msn産経ニュース 21 14 経済産業副大臣が現地対策本部に向かい出発 首相官邸HP 原子力災害対策本部 21 20頃 福島オフサイトセンターの非常用電源が切れる 電源車が高電圧だったため接続に必要な低圧ケーブルが用意されていなかったのだ。つなぎ口も津波で浸水していた。 東電社員を含む職員ら15人は隣接する福島県原子力センターに移動したが、ファクス1台。パソコンはなかった。 毎日jp 21 23 半径3kmの住人に退避指示、半径10kmに屋内退避指示 経済産業省HP ▲▼ 22 00 22 15 自衛隊80名が現地到着 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 23 00 23 00頃 ★原子炉建屋扉付近で1.20mSv/h、0.50mSv/hを測定 東電05/25発表資料 23 00頃 政府は原子力安全委員、保安院と早期のベントで一致 東電に連絡 一方、首相官邸では11日午後11時過ぎ、地下の危機管理センターで首相や海江田万里経産相、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長、原子力安全・保安院幹部を交えて対応を協議。「早くベントをやるべきだ」との意見で一致し、東電側と連絡を取った。 毎日jp 23 20 電源回復の作業難航 電源車の到着から2時間以上たった午後11時20分からの保安院の記者会見で山田知穂原子力発電安全審査課長は「電源車は接続されず、電源は回復していない」と作業難航を認めざるを得なかった。 毎日jp ▲▼ 3月12日午前 00 00 00 00頃 電源車2台がさらに到着 各地から53台が福島に向かい、午後9時すぎに東北電力から2台が到着。12日午前0時すぎには、さらに2台も駆け付けた。 弁の開放には低電圧が必要だが、電源車は高電圧車で弁開放できず 低電圧に変圧したくとも、津波によるがれきがありケーブルの長さもたりず変圧できず msn産経ニュース 00 00 経済産業副大臣福島県原子力センター到着 首相官邸HP 原子力災害対策本部 00 30 3km範囲内の住民避難措置完了 首相官邸HP 原子力災害対策本部 00 50 保安院が現状の電源車では不足するとの認識 2号機の水位は安定し、このころはほかにも低電圧を含む2台の電源車が到着していたが、山田課長は午前0時50分過ぎの記者会見で心もとなげに語った。「今来ている電源車では、多分足りないと思う」 毎日jp ▲▼ 01 00 01 20 1号機 格納容器圧力異常上昇 東電プレスリリース 01 30 1号機 格納容器の圧力を下げるためのベントの実施を政府決定 テレビ朝日 報道ステーション 01 30 1号機 官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示 翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。 毎日jp 01 30 ★SPEEDIデータが官邸危機管理センターにFAXで届く 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータは、実際は3月12日午前1時35分ごろに保安院から官邸内の危機管理センターにファクスで届いていた。だが同センター内で首相らが指揮をとる部屋には伝わらなかった。 日経web刊 ▲▼ 02 00 02 00 総理の視察が決定 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。 毎日jp 02 05頃 ★原子炉建屋扉付近で0.90mSv/h、0.45mSv/hを測定 東電05/25発表資料 02 20 保安院はベント実施の最終判断は東電と説明 それでも保安院の中村審議官は午前2時20分過ぎの会見で「最終的に開ける(ベントする)と判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者判断だ」と説明した。 毎日jp ▲▼ 03 00 03 00頃 経済産業省は会見で弁開放を表明 「なぜ東電はベントをやらないんだ」対策本部で経済産業相、海江田万里はいらだっていた。12日午前3時に会見までして指示を出したが、東電からは何の連絡もない。 msn産経ニュース 03 00頃 経済産業省は弁開放を指示 「なぜ東電はベントをやらないんだ」対策本部で経済産業相、海江田万里はいらだっていた。12日午前3時に会見までして指示を出したが、東電からは何の連絡もない。 msn産経ニュース 03 00頃 東電副社長は停電で思うように作業ができないとの報告を受ける 同じころ武藤は愕然(がくぜん)として部下の報告を聞いていた。「中央制御室の停電で準備が思うように進みません」。暗闇の中、手動による作業は難航した。 msn産経ニュース 03 00頃 東電が官邸に2号機は冷却装置は働いていると報告 午前3時、東電は官邸に「2号機は冷却装置が働いている」と報告した。 毎日jp ▲▼ 04 00 ▲▼ 05 00 05 00 保安院がベント実施の会見 午前5時、保安院審議官の中村幸一郎は会見で、「1号機でベントをやる。国内では例がない」と決意を示した。原子炉内の放射性物質(放射能)と一緒に蒸気を放出するベントは東電には重い決断だった。 msn産経ニュース 05 25 電源車53台中9台到着 直近まで29台 首相官邸HP 原子力災害対策本部 05 44 総理指示により福島第一原子力発電所から半径10kmの住人に退避指示 経済産業省HP 05 46 ★消防ポンプによる淡水注水を開始 東電05/25発表資料 ▲▼ 06 00 06 00頃 ★1号機がメルトダウン開始 1号機ではメルトダウンしたとされる地震後約十五時間の三月十二日午前六時ごろから、格納容器の温度が急上昇。同九時ごろには三〇〇度を超え、十三日午前零時ごろにかけ五〇〇度近くに達した。 東京新聞 06 00頃 1号機で格納容器の温度が急上昇 1号機ではメルトダウンしたとされる地震後約十五時間の三月十二日午前六時ごろから、格納容器の温度が急上昇。同九時ごろには三〇〇度を超え、十三日午前零時ごろにかけ五〇〇度近くに達した。 東京新聞 06 00 東電会見 ベント操作のバルブ開閉を電動でる計画。電源確保に手間取りベント遅れる テレビ朝日 報道ステーション 06 00頃 総理が現地視察に向け出発 3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。 毎日jp 06 14 総理が現地視察に向け出発 総理は現地入りしていた東電副社長に手動でも電動でもとにかくベントをするよう指示 副社長は返答せず、別の社員が東電側は手動でやるかどうか一時間後までに判断したいと返答 総理が叱責しとにかくベントをするよう指示 テレビ朝日 報道ステーション 06 50 政府が法律に基づき1号機のベント命令 政府は東電任せをやめた テレビ朝日 報道ステーション 06 50 原子炉等規制法第64条第3項の規定に基づき1、2号機に圧力を抑制命令 経済産業省HP ▲▼ 07 00 07 00 電源喪失で未だ弁を開けられず 東電には首相に放射能を浴びせないよう配慮するような余裕はなかった。電源喪失で東電は弁を開けたくても開けられなかったのだ。 msn産経ニュース 07 30 電源車53台中14台到着 オフサイトセンター19台待機中 現場へ9台移動中 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 08 00 08 30 自衛隊中央特殊防護隊車両7両オフサイトセンター到着 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 09 00 09 00頃 ★1号機で格納容器に直径3cm相当の穴 1号機では地震から18時間後に格納容器に直径3センチ相当の穴が開き、さらに50時間後以降に直径7センチ相当の穴が開いた可能性があるということです。 NHK 09 00頃 ★1号機で格納容器の温度が300度を超える 1号機ではメルトダウンしたとされる地震後約十五時間の三月十二日午前六時ごろから、格納容器の温度が急上昇。同九時ごろには三〇〇度を超え、十三日午前零時ごろにかけ五〇〇度近くに達した。 東京新聞 09 04 1号機のベントを人手でベントする方針に変更 テレビ朝日 報道ステーション 09 15 第二回原子力災害対策本部開催) 首相官邸HP 原子力災害対策本部 09 45 放射線医学総合研究所から専門医がオフサイトセンター到着 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 10 00 10 17 1号機のベント開始 東電プレスリリース 10 17 東電が1号機のベントをする作業を開始 msn産経ニュース ▲▼ 11 00 11 00 東電副社長記者会見 原子炉の空気弁の開閉を人力での実施、協力会社社員の安否、節電の呼びかけ、放射能の流出は無い msn産経ニュース http //sankei.jp.msn.com/economy/news/110312/biz11031213180035-n1.htm 11 00 1号機の格納容器内圧が上昇しており圧力減少のために蒸気の放出作業中 保安院HP ▲▼ 3月12日午後 12 00 12 00頃 ★東電社長が海水注入準備について確認と了解 清水正孝社長が同日12時ごろ海水注入準備について確認と了解をし、14時50分には海水注入実行の確認をしたことも明らかにした。 日経web刊 12 00頃 ★2号機格納容器に直径10cm相当の穴 また、2号機についても、地震からおよそ21時間後に格納容器に直径10センチ相当の穴が開き、さらに3月15日に圧力抑制室=サプレッションプールで爆発音があった以降、圧力抑制室に直径10センチ相当の穴が開いた可能性があるということです。 NHK 12 08 第三回原子力災害対策本部開催 原子力災害対策本部 ▲▼ 13 00 ▲▼ 14 00 14 20 1号機のベント実施 経済産業省の指示から10時間あまりが経過 msn産経ニュース 14 30 1号機の圧力容器の圧力低下 テレビ朝日 報道ステーション 14 40 1号機のベント実施 経済産業省HP 14 40 圧力減少のために蒸気の放出を開始した 保安院HP 14 50 ★東電社長が海水注入実行を確認 清水正孝社長が同日12時ごろ海水注入準備について確認と了解をし、14時50分には海水注入実行の確認をしたことも明らかにした。 日経web刊 ▲▼ 15 00 15 04 電源車から1号機にケーブルを引き込み中 経済産業省HP 15 20 東電が海水注入を保安院にFAX 福島第1原発1号機への海水注入が中断した問題に絡み、東京電力は25日の記者会見で、注入開始の4時間近く前に当たる3月12日午後3時20分ごろ、注入を行う計画を経済産業省原子力安全・保安院にファクスで連絡、注入開始も口頭で伝えたと明らかにした。 ニッカン 15 36 1号機水素爆発 東電プレスリリース 15 36 1号機の水素爆発で負傷で社員4人搬送 assahi.com ▲▼ 16 00 16 17 敷地境界放射線量上昇(敷地境界付近で500μSv/hを超える放射線量を測定 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 17 00 17 00 放射線量の値が制限値を超えたため、原子力災害対策特別措置法第15条通報 経済産業省HP ▲▼ 18 00 18 00頃 ★官房長官が東京電力から海水注入の準備との報告を受ける 枝野官房長官:「(震災翌日の3月12日の)夕方6時の打ち合わせにおいても、東京電力から『海水注入の準備をしているけれども、もうしばらく時間がかかる』という報告を受けている。それに先立って、保安院に対して、そのような趣旨の報告があったということは報告を受けている」 FNN 18 00 ★原子力安全委員長が海水注入に関する会議で再臨界の可能性はゼロではないと意見 政府・東電統合対策室は5月21日、原子力安全委員会の班目春樹委員長が12日午後6時の海水注入に関する会議で「再臨界の危険性がある」との意見を述べたと発表。その後、班目委員長の抗議を受け「可能性はゼロではない」と訂正した。 日経web刊 18 00 総理が原子炉に海水注入を指示 NEWS ZERO 18 02 ハイパーレスキュー隊に派遣要請も、保安院により要請取り消しにより中止 首相官邸HP 原子力災害対策本部 18 25 半径20km以内の住民に対して退避指示 経済産業省HP ▲▼ 19 00 19 04 ★1号機へ海水を注入 海水注入は同日午後7時4分に開始され、午後7時25分に中断された ZAKZAK 19 25 ★1号機への海水注入を中断 海水注入は同日午後7時4分に開始され、午後7時25分に中断された ZAKZAK 19 55 総理が原子炉に海水注入を指示 経済産業省HP ▲▼ 20 00 20 05 総理命令に基づき経済産業省が東電に海水注入を指示 NEWS ZERO 20 20 総理指示を踏まえ1号機への海水注入を法令に基づき命令 経済産業省HP 20 20 1号機へ消火系ラインを使用し原子炉へ海水およびホウ酸の注水を開始 首相官邸HP 原子力災害対策本部 20 20 東京電力が海水注入を開始 NEWS ZERO 20 20 ★一時中断した海水注入を再開 3月12日の1号機への海水注入の経緯である。東電が最近公表した資料によると、午後7時4分に注入を開始し、25分に中断。8時20分に再開したという。 信濃毎日新聞 20 41 3号機のベント開始 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 21 00 22 15 自衛隊冷却タービン空輸 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 22 00 22 20 第4回原子力災害対策本部開催 首相官邸HP 原子力災害対策本部 ▲▼ 23 00 24 00頃 ★1号機で格納容器の温度が500度近くに達する 1号機ではメルトダウンしたとされる地震後約十五時間の三月十二日午前六時ごろから、格納容器の温度が急上昇。同九時ごろには三〇〇度を超え、十三日午前零時ごろにかけ五〇〇度近くに達した 東京新聞 ▲▼ 2011年05月26日 (木) 13時18分23秒 trackback
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週刊ミルクティー*第四巻 第四〇号 0円 M-Tea*4_40-大地震調査日記(二)今村明恒 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第四巻 第四〇号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=342 file=milk_tea_4_40.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (572KB) 月末最終号:無料 p.133 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(63項目)p.371 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 キンタマであふれかえっている……週刊、夜あそび!* 九月二十四日 加藤委員ら、伊豆半島ならびに三浦半島の調査を終えて帰られた。同氏らは初島(はつしま)まで調査におもむかれ、その隆起せること五、六尺〔一五〇~一八〇センチメートル〕なることを認め得られた。そのほか湘南一帯・三浦半島の隆起は、これまで報道せられたものと大差なく、また地変としては小田原と熱海との間、ことに根府川(ねぶかわ)付近がもっともはなはだしいことなどから推測して、震源は大島と大磯(おおいそ)との間であろうかと断ぜられた。ただ、自分としては最も期待しておった土地の低下せる場所が同委員の報告にもその存在を認められなかったことを不思議とし、陸地測量部の水準測量の結果を静かに待つことにした。つまり、この測量あるいは水路部の水深測量が数か月をへて完結するまでは、起震帯(きしんたい)に関する正確なる推定はむつかしいことではあるまいか。 九月二十五日 待ちに待ったる油壷(あぶらつぼ)験潮儀記録の写し三角(みすみ)課長より送り越された。取る手もおそしと披見(ひけん)すると自分の期待はことごとく裏切られ、地震前には何らの地変も記しおらぬのみか、大地震開始後、幾秒間の後には時計も止まり、これと同時に陸地隆起のあったことを示すだけであった。ただ、基準点の実測から陸地の隆起一・四四四メートルすなわち四尺八寸であることを確かに証明されたのみである。なお、陸地測量部においてわが国の沿岸各地に散布された験潮儀の示す一年平均水位を比較してみると、油壷のみはこの最近二年間において、ある異状をあらわしているように見える。すなわち前の二年間においてすべての場所が水位の下降を示し、ただ、日向細島(ほそしま)のみが一昨年度においてのみ僅少(きんしょう)なる上昇を示しているのみなるに反して、油壷のみは最近二か年間は著しき上昇を示しているのである。これは見様(みよう)によっては、三浦半島がこの二年間、地盤が下がりつつあったことを意味している。なお後日の研究を要する問題である。 加藤委員 → 加藤武夫 加藤武夫 かとう たけお 1883-1949 地質学者、理学博士。山形県に生まれる。東京帝大理科大学地質学科卒業。同講師をへて欧米諸国に留学。大正9(1920)東京帝大教授に任ぜられて鉱床地質学講座を担任。足跡は世界各地に及び、その豊富な見聞のもとに著した『鉱床地質学』は長く新進学徒の好指針となった。このほか『岡山県棚原鉱山の研究』『本邦に於ける火成活動と鉱床生成時代の総括』『本邦硫黄鉱床の総括』などがある。(日本人名)/帝大地震学教授、震災予防調査会委員。 細島 ほそしま 宮崎県日向市にある字の名称。古くは江戸時代以前から江戸や大阪と東九州を結ぶ交易の中継地として発達した。 4_40.rm (朗読:RealMedia 形式 504KB、4'04'') milk_tea_4_40.html (html ソーステキスト版 160KB) 今村明恒 いまむら あきつね 1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1) 地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。 ◇参照:Wikipedia 今村明恒、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『手記で読む関東大震災』シリーズ日本の歴史災害 第5巻、古今書院 2005(平成17)年11月11日 初版第1刷発行 初出:「大地震調査日記」『科学知識』科学知識普及会 1923(大正12)年10月号 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html NDC 分類:453(地球科学.地学 / 地震学) http //yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html 難字、求めよ 蝋燭石 ろうそくせき 蝋石? 街衛 がいえ 流止水 曽根 人名。 ジャッガー Dr. Jaggar 後藤子爵 市政調査会長。 柳町 根室地震 三輪化学研究所 地質調査所 銀行集会所 ハワイ火山観測所 ワルパライソ 南米。 むしとりホイホイ 網代《あじろ》町 → 網代《あみしろ》町 【あみしろ、か?】2か所 鑑《かがみ》み → 鑑《かんが》み 【かんが、か?】 以上2件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* サッカーボール、バレーボール、アラスカへ漂着。住民が発見。 遠き島より流れよる椰子の実ひとつ。 ボール、空気、球形、浮遊、シェルター、エアバッグ…… 明治二七年(一八九四)。 三月二二日に根室沖大地震、六月一五日に三陸大地震、おなじく六月二〇日に明治東京地震。 明治東京地震の震源は東京湾。大正一二年(一九二三)関東大震災の震源は相模湾北西沖。ふたつの間は二十九年間。関東大震災から今年でちょうど八十九年。 『図説 福島県の歴史』(河出書房新社、1989.10)読了。以下「南奥州の武士団」(p100~)より。 文治五年(一一八九)八月七日、源頼朝の軍は陸奥国伊達郡の国見宿に到着(『吾妻鑑』)。翌八日から阿津賀志山の合戦が始まる。 合戦の論功行賞で、東海道大将軍をつとめた下総の豪族、千葉常胤の一族は、街道の好島庄・行方郡と亘理郡および宮城郡・黒川郡(以上、現宮城県)にわたる郡庄の地頭職を与えられた。常胤の次男相馬師常が行方郡(現、相馬郡)を与えられて奥州相馬氏の祖となり、また常胤とその四男大須賀胤信はあいついで好島庄の預所職となる。 好島庄(よしまのしょう)とはいわき市の平(たいら)市街以北の広大な地域の鎌倉期の呼称。庄園領主は山城国の石清水八幡。事実上は、鎌倉将軍家の所領=関東御領。相馬氏初代当主、師常(もろつね)の子孫が行方郡に移るのは鎌倉期すえのころ(Wikipedia「相馬氏」によれば6代重胤のとき)。 ここからが問題。以来、徳川幕末までおよそ七〇〇年間、相馬氏が陸奥相馬を所領していたわけだけれども、その間、大地震や大津波を経験したことはなかったのだろうかということ。 仮に今回のような震災と津波を経験したとすれば、家伝として記録がないほうが不自然。記録はあったけれども津波や戦災などで失ったのか。それとも、記録は現存するけれども人知れず埋もれたままなのか。それとも、七〇〇年間ほんとうに地震や津波に見舞われたことがなかったということなのか。 4.23 山形、桜開花。 4.30 硫黄島、海底噴火か。 公開:2012.5.1 2012.5.31:更新 玲瓏迷人。 poorbook G3'99/しだ 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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地震兵器肯定派:IWD1@PhotoshoP様からの投稿 2011.07.19 編集開始 お花畑バスター 2011.07.19 最終更新 お花畑バスター IWD1@PhotoshoP様という方から寄稿していただいた、地震兵器に関する記事を、ここで紹介いたします。 この問題は賛否両論、非常にデリケートな問題である上に、編集者のお花畑バスターの処理能力ではさばくことが困難な内容でございます。 そのため、投稿内容を原文そのままこちらにリストアップします。 外国政府勢力の毒 4http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/5372/1309338509/4 外国政府勢力の毒 7http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/5372/1309338509/7 外国政府勢力の毒 9http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/5372/1309338509/9
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2006/6/8 『あまの屋』で6月の月替わりメニューの「オムそば」(800円)を。 ?cmd=upload act=open pageid=11 file=%E3%81%82%E3%81%BE%E3%81%AE%E5%B1%8B%2B%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%81%9D%E3%81%B0.jpg スープは恐らく塩中華と同様のあっさり塩スープ。麺も水晶麺。 具として、チーズ・ベーコン・トマト・キクラゲ・玉葱が混ぜ込んである、オムレツ風のフワフワの卵とじがのっています。 食べていくにつれ、卵とじがほぐれ、カキ玉スープの状態になり、マイルドな感じのスープになる。 塩スープの繊細さは薄れるものの、これはこれで美味しいです。洋風な具が以外にマッチングしています。 クーポンで替え玉(本来は100円)も頂きました。 ?cmd=upload act=open pageid=11 file=%E3%81%82%E3%81%BE%E3%81%AE%E5%B1%8B%2B%E6%9B%BF%E3%81%88%E7%8E%89.jpg スープが出来るだけ薄まらないように、鶏挽肉がのっています。 住所:仙台市青葉区中山台2丁目27 YSKコーポ中山台105 by hiro 名前 コメント
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「東北地方太平洋沖地震」支援活動情報 トップページ 第1次援助隊 第1次概要 活動記録 情報提供 情報提供 ここを編集
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M-Tea*4_41-大地震調査日記(続)今村明恒 2012.5.5 第四巻 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第四巻 第四一号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/195938) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (588KB) 定価:200円 p.157 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(63項目)p.407 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. ぼくらは、アトムのこどもさ。週刊、かっぷんこ* 十月一日 (略)あの有名な被服廠をおそった旋風は、一番最初に気づかれた位置は東京高等工業学校前の大川の中であって、時刻はちょうど午後四時ごろ、旋風の大きさは国技館くらい、高さ一〇〇メートルないし二〇〇メートル(略)時針の反対の向きにまわり、川に浮かんでいる小舟を一間あるいは二間〔一間は六尺、約一・八メートル〕の高さにすいあげてははね飛ばし、当時さかんに燃えつつあった高等工業学校の炎と煙とを巻き込み、まもなくそれが横網河岸に上陸して、北の安田邸と南の安田邸との間をかすめ、被服廠の中心から北の方を通り、たちまちの間にそこに避難しておった群集の荷物に延焼し、同時に避難者の着物にも点火して、一面に煙と炎の浪になり、またたくひまにこの一郭にて、三万八〇一五人の生命を奪ったものであるらしい。 (略)さいわいに被服廠において助かった人たちは、合計二〇〇〇人もあろうとのことであるが、それは多くは被服廠の中央から以南に避難しておった人たちであった。しかし、いずれもわずかな水を土にひたしてそれを皮膚に塗りて火気をよけたとか、あるいは地面にはって地に向かって呼吸をしてようやく助かったという人たちであった。これらの人が目撃した話によれば、この火災をうずまいた旋風に出会った人は、見る間に黒こげとなり、あるいは立ち上がったかと思うとそのままたおれて、たちまち絶息をするというように見受けた。この後の場合は、窒息によったものか、あるいはかかる際に発生する有毒なガス(一酸化炭素のごとき)にでもよるのか、研究すべき問題であるように考えた。 いまひとつ書きつけておきたいのは、新大橋の交通を無難にした警察官、橋本政之助・古瀬猪三郎両氏の殊勲である。橋本氏は深川方面よりの避難者の携帯せる荷物を危険と看てとり、しいてこれを遺棄せしめようとしたが、当時、同氏は平服であったがために市民がなかなかいうことをきかない。それで橋向かいの制服警察官を応援にたのんで右のことを励行し、ついで古瀬巡査の応援を得、ついには制しきれずして抜剣までもなし、荷物を河中へ投げ込んだとのことである。(略) 4_41.rm (朗読:RealMedia 形式 540KB、4'23'') milk_tea_4_41.html (html ソーステキスト版 184KB) 今村明恒 いまむら あきつね 1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1) 地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。 ◇参照:Wikipedia 今村明恒、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『手記で読む関東大震災』シリーズ日本の歴史災害 第5巻、古今書院 2005(平成17)年11月11日 初版第1刷発行 初出:「大地震調査日記(続)」『科学知識』科学知識普及会 1923(大正12)年11月号 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html NDC 分類:453(地球科学.地学 / 地震学) http //yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html 難字、求めよ 地動計 地震計に同じか。 本間 長野県知事 → 本間利雄か 科学知識普及会 日本科学協会 むしとりホイホイ 尾久《おく》 → 尾久《おぐ》 【「ぐ」では?】 2か所 宮の下 → 宮ノ下 【ノ?】 地名か。 葦の湯 → 芦之湯 【芦之?】 地名か。 己《すで》に → 已《すで》に 【已?】 象潟《きさかた》 → 象潟《きさがた》 【「が」では?】 浅草の地名。 以上5件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* くにつかみ千代の巌《いわお》もゆりすえて 動かぬ御代のためしにぞひく 底本、武村雅之『手記で読む関東大震災』シリーズ日本の歴史災害、第5巻(古今書院、2005.11)。p.20、「大地震調査日記」本文中「市政調査会・後藤子爵」は後藤新平のこと。「ジャッガー博士」はトーマス・A ・ジャッガー、ハワイ火山観測所長の創始者。 以下は、当時の震災予防調査会メンバー。 加藤武夫。帝大地震学教授。 中村清二。東京帝国大学理学部教授。 (以上、「大地震調査日記」より) 志田順(とし)。京都帝国大学理学部、地球物理学講座教授。 中村左衛門太郎。気象庁の前身である中央気象台の地震掛。 井上禧之助(きのすけ)。農商務省地質調査所所長。 岡田武松。中央気象台長。 寺田寅彦。東京帝国大学物理学教授。 佐野利器(としかた)。東京帝国大学建築学教授。 物部長穂。内務省土木局技師、東京帝国大学土木工学助教授。 末廣恭二。東京帝国大学地震研究所の初代所長。 (以上、底本 p.60 より) 以上一〇名はまず確定とみる。以下五名は、姓と生没年と担当分野を手がかりに『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)と Wikipedia からの推定。 内田祥三(よしかず)。建築学。 笠原敏郎。建築学、都市計画。 渋沢元治(もとじ)。電気工学。 古市公威(ふるいち こうい)。土木工学、都市交通。 内藤多仲(たちゅう)。建築学。 5.5 21 00、厚い黒雲の合間、スーパー望月。 2012.5.31:公開 玲瓏迷人。 ♪かーねーしょん、白いかーねーしょん。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント