約 7,635 件
https://w.atwiki.jp/sexyvoice/pages/218.html
2-119様 決着 の続き 私とロボは羽田に向かう飛行機の中にいた。 隣にいるロボは徹夜したため軽い寝息を立てて寝ていた。 私はロボの寝顔を見て「ありがとう」と小さく呟くと窓の外に目をやった。 遠くの方に今朝まで居た志木那島が見えた。 ふいに昭子さんの言葉を思い出した。 「あなたは私にというより、彼に対して罪悪感を抱いている。 」 本当だったら私は二人に罪悪感を抱かなければいけないのに、 昭子さんに対しては罪悪感を感じていなかった。 もっと別の、しかも黒い感情だった。 昭子さんへの感情…。 それが何だったのか、あの時ハッキリと分かった。 澄み渡った綺麗な景色の中で、 笑顔で車椅子を押す昭子さんを遠くから見た時…。 「嫉妬だわ。」 私は窓から視線を逸らした。 「私って嫌な女。」 昭子さんのことは嫌いじゃない。むしろ好き。尊敬さえしている。 なのに昭子さんを目の前にすると身構えてしまう。 だから昭子さんも初めあんな風にズバズバと話したんだと思う。 でも私は知っている。 昭子さんも私のことが好きだということを。 私が抱えている嫉妬心も含めて。私の全てを。 そう考えると気持ちが少し楽になった。 「結局、まだ子供なんだよねぇ。私。」 外を見ながら呟いた。 羽田に着くと私たちは地蔵堂に向かった。 「あら、ニコちゃん。帰ってきたのね。良かったわぁ。」 「お騒がせして申し訳ございませんでした。」 私は社長とよっちゃんに頭を下げた。 「ううん、ニコちゃんは悪くないわよ。騒いだのは…。」 と言いながら社長はロボに目をやった。 「そうだぞ!ロボ! お前がニコの言う通り大人しく待ってれば、こんな大事にはならなかったんだぞ! 一銭にもならない仕事をしちゃったぜ。まったく。 プロフェッショナルじゃないぜ。俺としたことが。」 「ちょと、ちょとぉ。俺が悪いんですかぁ? 俺はニコが、ニコが何処かに行っちゃうんじゃないかと心配で心配で…。」 「だから、それは、お前の問題で。俺たちには関係ないの!」 ロボは口をパクパクしながらよっちゃんを見た。 「ま、いいんじゃないの。お陰で貸しができたんだから。」 社長が薄ら笑いを浮かべて私を見た。 「はぁ?どういうことですか?」 私は不安げに聞いた。 嫌な予感がする…。 「今回、費用。結構掛かっちゃったのよね。 私たちも慈善事業じゃないんだから。ねぇ?」 「そ、それは一生掛かってでも返すと言ったじゃないですかぁ!」 ロボはよっちゃんの顔を見た。 「あら、そう?それでいいの? あなたの稼ぎだったら来世まで掛かるわよ。来世でも無理かもよ。 タクシーの貸切代と飛行機代、しかもスーパーシートよ。あとホテル代もね。 それと住基ネットを使うための撒き金。 あなたを手助けしたエージェント達への報酬。 私とよっちゃんの分を特別に除いたとしても結構の金額よ。」 私は目を見開いたまま固まった。 ロボはまた口をパクパクしながら言った。 「鬼だ。ひ、人でなしだ。」 よっちゃんがすかさず 「それがプロフェッショナルってもんだ。だろ?」 と言って笑った。 日が落ちて薄暗くなった道をロボの家に向かって歩いていた。 「ごめん、ニコ。俺のせいだ。俺のせいでニコの夏休みが丸潰れに…。」 「いいのよ、もう。どうせ特に予定なんかなかったんだし。」 「でも、高校最後の夏休みだよ。受験勉強もあるし…。」 「夏休みのアルバイトと思えばいいのよ。 そしてアルバイト代を前借りしたと思えば大して気にならないわ。」 「前借り?」 「そうアルバイト代の前借り。」 私はそっとロボの横顔を見た。 『何にも替えることのできない大切なアルバイト代。』 地蔵堂からはその内仕事の話が来るだろう。 そして、私たちはそれを断ることはできない。 でも、ちょっとワクワクしている。どんな冒険なんだろう? それにロボと一緒だと思うと少し嬉しい。 「ニコ、今日は帰りなよ。お父さんとお母さん、心配しているよ。」 ロボの家が近付くとロボは言った。 「大丈夫。さっきトイレに行ったついでに電話したから。明日帰るって。 ロボと一緒だったら安心だってさ。」 ロボは突然立ち止まった。 「そうなの? ニコのお父さんとお母さんはそんなに俺のこと信用してるの? ロボは項垂れた。 そんなロボを私は訝しげに黙って見ていた。 「それなのに俺は…。2回もニコのことを…。」 「ば、バカ!何言ってんのよ。に、2回なんて。恥ずかし!」 2回目は帝都大学の事件を解決した日の夜だった。 事件を通じてお互いの絆の深さを知り、それを確かめるかのように激しく求め合った。 初めての時は未知の感覚に対する恐怖と驚きで全く余裕がなかったけど 2回目はその感覚に身を預け快感に酔いしれた。 『私って、淫乱なのかしら…。』 「だってぇ、俺、信頼を裏切ったんだよ。」 まだ項垂れていた。 「うちの親がいくら鈍感だからって、 年頃の女の子が年頃の(ちょっと歳だけど)男性と一緒に夜を過ごせば どういうことかってことぐらいは分かっているわよ。多分…。」 ちょっと自信がなかった。 「あの人達の言う『安心』っていうのは、(多分…) ロボだったら私を弄んでポイと捨てたりなんかしないでしょってこと。 それとも、愉しむだけ愉しんでポイ捨てするつもりだったの?」 「ない!絶対にそんなことはない!」 私はロボの手を取って言った。 「行こう!ロボ。今夜はロボと一緒に居たいの。」 ロボの目がキラリといやらしく光るのを見て 「変な意味じゃないからね。期待しないでよね!」 と釘を刺した。 夕食の支度をしているとロボはロボット達に報告していた。 「聞いてみんな。ニコが帰ってきたんだよ。 居なくなっちゃうと思って心配したけど帰ってきたんだよ。 みんなも心配していたでしょ。良かったよね。ね?ね?」 私は背中越しにその言葉を聞いて一人微笑んだ。 ロボをチラッと見ると頷きながらロボット達に話している。 「ニコはねぇ。偉いんだよぉ。一人で決着を付けに行ったんだよ。 それもこれも俺が頼りないからなんだけどさぁ。 俺、約束するよ!頑張るよ!ニコが頼れる男になってみせるよ! だからみんなも応援してね。 それで俺が居ない間みんな仲良くしてた? そっかぁ、そっかぁ、仲良くしてたかぁ。 新しい攻撃法? よし!これから特訓だぁ!」 ワザと私に話を聞かせてるんじゃないことを私は知っている。 ロボは本当にロボット達と会話をしている 私がここに居なくても同じ事をロボット達と話しているはずだ。 それがロボのロボらしいところで、私が最も好きなところ。 計算も打算もない純粋な気持ち。 『ありがとう。ロボ。もう十分頼りにしてるわ。』 夕食を済ませ珈琲を飲んでいる時 私は飛行機の中で考えていたことをロボに話そうと決心した。 志木那島で「もう一人では悩まない」と約束もしていたし。 ロボは怒るかもしれない…。でも、ロボを信じてる。 最後は私を優しく包んでくれるはず。 「私さぁ。昭子さんのこと大好きなのね。 あんな風になりたいとも思っている。」 突然、私がそんなことを言い出したのでロボは驚いた顔で私を見た。 「でもね。昭子さんの前では素直になれないの。睨んじゃうの。 素直になっちゃ駄目って心の奥から声がするの。 なんか負けたくない!って思っちゃうの。」 ロボは黙って聞いていた。 「これって『嫉妬』なんだよね。 私ね。ロボ。 今も昭子さんに嫉妬してるの。 どうしようもないぐらい嫉妬してるの。」 ロボは優しく微笑みながら私に聞いた。 「どうして? 俺は今、ニコの前に居るじゃん。 今朝だって俺は選ぶ気なんかなかったよ。初めからニコを連れて 帰るつもりだったよ。 そりゃあ、確かに懐かしいとは思ったけど、俺の中では既に終わっていること。 冷たいようだけど、昭子さんのことを思い出したことは殆どないよ。 特にニコと付き合うようになってからは全くない。」 私は黙って頷いた。 「ごめんね。ニコ。 もう少し早くに言えばよかったんだよね。 ニコがあの事、メモを捨てたことをまだ気にしているとは 全然思っていなかったから。 でもね、あのメモには何も書いてなかったと思うんだ。 書いてあったとしても居場所じゃなくて何かメッセージみたいなものだったんじゃないかな?」 「昭子さんもそう言っていた。」 「でしょ。あの時点で俺たちは終わってるの。 だから、もう嫉妬なんてしなくていいんだよ。 それにね。ニコ。 あの時。ゴミ箱の中を一生懸命メモを探すニコを見た時ね。 『この子に二度とこんな辛い思いをさせちゃいけない』と思ったんだ。 俺はニコの望むようにしようと思ったんだ。」 確かにそうだった。その後も呼べば直ぐにロボは来てくれた。 ロボと会わなかった3年間も、ロボからじゃなく私からだった。 私から離れて行ったんだ。 ロボはずっとここで待っててくれた。 「ロボ、ありがとう。嬉しい。 でもね、それでも私は昭子さんに嫉妬しちゃってるの。」 ロボは怪訝そうな顔をした。 「私ね。昭子さんにも言ったんだけど、欲張りな女なの。」 「欲張り?」 「そう、欲張りなの。」 ロボは益々分からないという顔をした。 「怒らないで聞いてね。私、ホントに子供なの。駄々っ子なの。 昭子さんは…。ロボから想いを伝えられた人。でも私は違う…。」 ロボは驚いた目で私を見た。 私は静かに続けた。 「私が、あの時、あんな事を言い出さなかったら、こんな風にはなってなかった。 ロボの気持ちを知ることは永遠になかったと思う。 だから。だから。昭子さんに嫉妬しちゃうの。」 ロボは驚いた顔のままで少しどもりながら話した。 「で、でも、そ、それじゃ、一海ちゃんにも嫉妬してるの?」 「ううん、一海ちゃんはそれ程でもない。ちょっとだけ。 一海ちゃんはロボを受け入れないだろうと思っていたから。 あの時、一海ちゃんとのデートをセッティングした時も応援はしたけど 心の何処かでは駄目だろうと思っていたの。ゴメンね。 でも、昭子さんはロボを受け入れた。私以外にロボの良さを分かる人がいた。 それもショックだったのかもしれない。 勿論あの時私はまだ子供だったからそれが恋だったのかどうかは分からない。 でも、ショックだったのは確か。」 ロボは黙って私の顔を見ていた。目は少し当惑しているようだった。 「私。馬鹿よね。 過去に嫉妬しても敵うわけないのに…。でも悔しいの…。 欲張りなのよね。私。まだ子供なの。自分で自分が嫌になる。」 私はいつの間にか泣いていた。 ロボは手を伸ばして私の涙を指で拭って私を抱き寄せた。 「馬鹿だなぁ。そんなことで。そんなことで心を痛めてたんだ。 ニコは馬鹿だよ。でも、ごめんね。 またニコにそんな顔をさせてしまって…。」 「ううん、ロボが悪いんじゃないの。 それに、私も昨日昭子さんに会うまでは、よく分からなかったの。 私がこんなに嫉妬深い女だったってことを…。」 ロボは優しく私の唇にキスした。そして私の顔を見て微笑んだ。 その目は私に大きな安心感を与えてくれた。 私はロボに抱き付き私の方から激しいキスを求めた。 ロボを吸い尽くすかのように激しく舌を絡めた。 ロボもそれに応じた。 そして、ロボの耳元で「抱いて。」と小さく私は呟いた。 ロボはいつものように私を抱きかかえてベッドに運んだ。 キスを交わしながらロボは手で私の体を愛撫し、手際よく私の服を脱がした。 私の肌に直接触れるロボの肌から安らぎが伝わる。 ロボは今度は口で私の全身を愛撫し、私の準備ができたのを確認すると挿入の支度を始めた。 新しく購入したそれをロボ自身に被せ私の上になった時、私は言った。 「ロボが寝て。」 ロボはちょっと驚いた顔をしたけど、軽く頷いて仰向けに横たわった。 私はロボの上に跨り、被せ物をしたロボ自身を握り、 自分の入り口にあてがった。 『固くて大きい。こんなのが入るんだぁ。』 先端を少し入れて角度を決め、私は一気にロボを私の中に入れた。 「ん、あぁ…。」 思わず声がでた。 痛みはもう感じない。 私は右手でロボの左手を握り、左手でロボの右手を握った。 ロボに支えられる形で腰を動かすと、ロボも動きに合わせて下から私を突き上げた。 私は、より大きな快感を得るため自ら激しくロボの上で動き声を出した。 「あーんッ!」 『やっぱ、私って淫乱なのかしら?』 心の片隅でもう一人の自分が囁いた。 『ロボだからよ。』 私が言う。 下腹部から生じた快感は後ろ髪の毛先に移動し、私を後ろへと引っ張り倒そうとする。 ロボは私が倒れないように私の手を強く握り締めた。 そして、私たちはお互いの快感に酔いしれた。 「ニ、ニコ。俺、そろそろ…。」 「一緒に!一緒に!ロボ!」 私は顔を左右に激しく振りながら腰を動かしていた。 「う、うぅーっ!」 二人とも同時に声を上げた。 一瞬息が止まり、次に激しく息づいた。 私は放心状態のまま体を前後にゆっくり動かしていた。 手はまだロボの手を握っている。暫く余韻を味う。 ロボも余韻を味わうように目を薄く閉じていた。 私は急に恥ずかしくなり、手を解いてロボの胸の中に倒れこんだ。 ロボはまだ私の中に居た。 ロボは両腕で私を抱きしめた。 そのまま暫く抱き合い心地好い眠気を感じ始めた頃 ロボは私の頭に軽くキスして、頭を撫でながら優しい声で話し始めた。 「衝動的だったんだ。昭子さんの時は。何も考えてなかった。 それと、いつかは離れると常に感じてた。 でもニコの場合は…。どんな形ででも近くに居たいと思った。 俺、自信なかったし歳も離れてるから…。友達のままでいいと。 またニコと会えなくなるよりずっといいと。 だから自分の衝動を必死に抑えた。抱きしめたくて堪らなかったけど。」 私は軽く顔を上げロボを見るとロボも私を見た。 暫く見つめ合った後、私はロボの胸にキスして再びその暖かい胸に顔を埋めた。 ロボは話を続けた。 「どっちが大きいとか小さいとか比べることじゃないけど、 敢えて言うね。そして信じて欲しい。 ニコへの想いの方が深い。」 私の涙がロボの胸の上を流れた。 終 3スレ 3-27様 覚悟 へ続く
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/785.html
陸奥国 大沼郡 野沢組 藤(ふち)村 大日本地誌大系第33巻 164コマ目 府城の西北に当り行程5里。 家数28軒、東西4町・南北3町。 東は只見川に近く西は山に傍(そ)ひ、南北は田圃(たんぼ)なり。 東4町牛沢組平井村に界ひ只見川を限りとす。その村は卯辰(東~東南東の間)に当り15町。 西1里17町50間青坂村に界ひ鶴峯山を限りとす。その村まで1里23町50間。 南3町40間牛沢組八坂野村に界ひ只見川を限りとす。その村まで24町。 北8町20間片門村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り25町50間余。 また 未申(南西)の方20町50間牛沢組椿村の界に至る。その村まで30町50間。 端村 上藤(かみふち) 本村より未申(南西)の方4町にあり。 家数23軒、東西4町・南北1町。 東南は只見川に傍ひ西北は平山なり。 大牧(おほまき) 本村より寅卯(東北東~東の間)の方4町にあり。 家数7軒、東西1町32間・南北20間。 東は只見川に臨み三方は平山なり。 長窪(なかくほ) 本村の西1里にあり。 家数10軒、東西53間・南北40間。 牛沢組柳津村にゆく道をはさみ山間に住す。 山川 鶴峯山(つるがみねやま) 端村長窪より戌亥(北西)の方20間にあり。 頂まで5町。青坂村と峯を界ふ。 雑木多し。 塩峯峠(しほみねとうげ) 端村上藤より未(南南西)の方1町30間にあり。 頂まで2町30間。椿村と峯を界ふ。 只見川(たたみかわ)(揚川(あかのかわ)) 俗に揚川という。下同。 端村大牧の東にあり。 椿村の境内より来り、丑寅(北東)の方に流れ東に折れ34町流れて片門村の界に入る。 広50間。 小舟を以て牛沢組の諸村に通す。 川中に姫淵という所あり。水至て深くその色藍の如し。旱歳にはここに雨を祈る。 沼 長窪の西17町にあり。 周3町吉沢沼(よしさはぬま)という。 清水 上藤より酉戌(西~西北西の間)の方3町20間にあり。 四方に石を甃し径5寸計のわずかの清水なり。その色油の如し。 水利 堤5 一は村より酉戌(西~西北西の間)の方11町計にあり。周3町、坂下堤(さかしたつつみ)という。慶安3年に築く(1650年)。 一は端村上藤より戌亥(北西)の方5町計にあり。周1町20間、沢田堤(さはたつつみ)という。萬治元年(1658年)に築く。 一は村より戌亥(北西)の方8町にあり。周1町10間森沢堤(もりのさはつつみ)という。萬治2年(1659年)に築く。 一は村より酉戌(西~西北西の間)の方8町計にあり。周1町50間吉沢堤(よしがさはつつみ)という。 一は村より戌亥(北西)の方10町にあり。周1町3間菅沢堤(すけのさはつつみ)という。 神社 御稷神社 祭神 御稷神? 相殿 熊野宮 山神 石神 鎮座 不明 村北1町40間にあり。 鳥居あり。上野尻村平野左仲が司なり。 御稷神社 祭神 御稷神? 相殿 稲荷神 宗像神 白山神 天神 大明神 第六天神 鎮座 不明 端村上藤より戌亥(北西)の方50間にあり。 鳥居あり。清野飛騨これを司る。 寺院 真光寺 村より申(西南西)の方2町にあり。 慶長2年州智という僧建立し、会津郡中荒井組出尻村にあって日根山心光寺と號す。後ここに移し恵日山真光寺を改む。 曹洞宗会津郡南青木組北青木村善龍寺の末寺なり。 本尊釈迦客殿に安ず。 薬師堂 境内にあり。 墳墓 石塔 端村上藤より戌亥(北西)の方3町にあり。 高3尺5寸、『舘荘院殿全嚴元公居士』と彫付けあり 城四郎重範(長茂)が墓なりという(片門村の条下を併せ見るべし)。 古蹟 館跡 村西3町、1段高き所にあり。 東西3町12間・南北1町7間。 猿戻城という。 往昔この村は越後にゆく別経なりし故、城四郎長茂ここに築いて封疆(ほうきょう)(*1)を守りし所にして28館の一なりという。 Google Map藤村地区 上藤地区? 大牧地区? 長窪地区 鶴峯山? 鶴峯山? 塩峯峠(県道151号線山都柳津線) 御稷神社(村北) 正一位御稷神(上藤の北西) 真光寺と地蔵堂 藤村猿戻城跡地 天満宮 余談。 会津古塁記には『藤村猿戻城 東西七十間南北九十間槻木森山に有り。永延二年戊子城四郎重範築いて成らず討死す。是八舘之元也俗曰城四郎長茂と有大に誤也其間百九十四年違』と記載されています。城四郎長茂はこの城を築いたのに入城する事無く討死してしまったんですね。なお、端村上藤の北西に彼の墓があるとの事ですが、どこにあるのかさっぱりわかりませんでした。 参考:会津古塁記
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/224.html
陸奥国 会津郡 和泉田組 布沢(ふさは)村 大日本地誌大系第31巻 135コマ目 府城の西南に当り行程15里30町。 家数19軒、東西3町25間・南北1町 山間に住し村中を布沢川流る。 東2里大沼郡野尻組野尻村の界に至る。その村まで3里3町。 西18町大沼郡大塩組山入村の山に界ふ。 南1里30町梁取村の山に界ふ。 北16町大沼郡大塩組大岐村に界ひ松坂峠と限りとす。その村まで33町。 また 未申(南西)の方10町59間滝原村の界に至る。その村まで21町。 小名 浮島(うきしま) 本村の東4町40間余にあり。 家数5軒、東西1町・南北30間。 山間に住し北に布沢川あり。 田沢(たさわ) 浮島の東4町50間余にあり。 家数3軒、東西1町12間・南北30間。 山間に住し北に布沢川あり。 水無(みつなし) 田沢より丑寅(北東)の方1町20間余にあり。 家数3軒、東西30間・南北15間。 山間に住し南に布沢川あり。 夕沢(ゆうさは) 水無の東6町50間余にあり。 家数9軒、東西2町21間・南北15間。 綱木川を挟み山間に住す。 太田(おほた) 夕沢の南13町にあり。 家数3軒、東西1町45間・南北15間。 山中に住す。 毘沙沢(ひささわ) 本村の南23町20間余にあり。 家数5軒、東西1町26間・南北16間。 山間に住す。 川和具(かはわく) 本村の西10町30間余にあり。 家居1軒、山麓に住す。 端村 吉尾(よしお) 本村の東2里山中にあり。 家数3軒、東西30間・南北20間。 木地小屋 田沢 本村の辰巳(南東)の方2里18町にあり。 家数8軒、東西1町38間・南北2町20間。 四方に衆山連なり幽邃(ゆうすい)の村なり。 山川 松坂峠(まつさかとうげ) 村北より登ること16町、大岐村に往く路なり。 本村と界ふ。 布沢川 水源2あり。 一を綱木川という。村東山中鎌倉という処より流出て熊沢(くまさわ)これに注ぎ、西に流るること1里18町。端村吉尾に行くにこの川を渡ること凡数十回、故(ゆえ)に俗に四十八瀬越という。 一を田沢川という。村より辰巳(南東)の方愚見山(くみやま)という処より出て、戌亥(北西)の方に流るること3里余小名水無の前にて綱木川に合してより布沢川となり、村中に至り八窪沢(やくほさわ)・又代沢(またしろさわ)・西沢(にしのさわ)・日影沢(ひかけさわ)・毘沙沢(ひささわ)等の諸渓これに注ぎ、西に流るること1里10町滝原村の界に入る。 関梁 橋6 一は小名浮島にあり。長10間。 一は小名田沢にあり。長6間。 共に布沢川に架す。 一は小名水無の南20間余にあり。長6間。 綱木川に架す。 共に丸木橋なり。 一は小名夕沢にあり。長6間・幅1間。 綱木川に架す。 一は長11間・幅7尺。 一は長10間・幅6尺。 共に布沢川に架す。 総て府下の通路なり。 神社 白山神社 祭神 白山神? 鎮座 不明 小名毘沙沢にあり。 鳥居あり。界村渡部信濃が司なり。 山神社 祭神 山神? 相殿 山神 2座 鎮座 不明 小名浮島の北2町にあり。 鳥居あり。渡部信濃これを司る。 若宮八幡宮 祭神 若宮八幡? 鎮座 不明 村東2町40間にあり。 鳥居あり。小林村新福寺司なり。 日光神社 祭神 日光神? 鎮座 不明 小名太田の南40間にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 山神社 祭神 山神? 勧請 不明 端村吉尾の東3町にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 寺院 龍泉寺 村の戌亥(北西)の方3町40間余にあり。 曹洞宗迦王山と號す。天寧村の天寧寺の末山なり。 開基の年月詳ならず 何れの頃にか寒宗という僧、筑前国より来り草建せしという。 天正3年(1575年)壽珍という僧住して天寧寺九世仁菴を請て中興・開山とす。 本尊如意輪観音客殿に安ず。 古蹟 館跡 村南12町、山中にあり。 東西2町・南北1町。 天正の頃(1573年~1593年)布澤上野助俊勝という者住せしという。 観音寺趾 村東3町10間にあり。 如意輪山観音寺とて真言の道場あり。 天正中(1573年~1593年)廃せしという。 Google Map布沢 - 簡易郵便局浮島 田沢 水無 夕沢 太田 毘沙沢 川和久(川和具) 吉尾 木地小屋:田沢 松坂峠(布沢横田線) 吉尾峠 若宮八幡宮 二荒山神社 龍泉寺龍泉寺 地蔵堂 浮島堂 布沢城跡 - 館跡? 観音寺趾 鎌倉沢の案内柱(綱木川の源流)
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/292.html
陸奥国 会津郡 原組 赤井村 大日本地誌大系第31巻 22コマ目 村の西南、穴切坂の麓に井あり。その井赤きゆえ村名とす。 府城の東に当り行程2里余、家数54軒。 東西4町1間・南北1町50間。 四方田圃(たんぼ)にて西北は山に近し。 白川街道の駅所にて村中に官より令ぜらるる掟条目の制札あり。 原村駅より1里17町24軒に継ぎ、ここより府下に継ぐ。 東14町53間篠山村の山界に至る。その村まで20町20間余。 西8町48間原新田村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り30町40間余。 南11町12間下馬渡村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り20町20間余。 北28町余河沼郡代田組八田野村の山に界ふ。 この村の肝煎小川安右衛門という者の家に文禄中(1593年~1596年)の水帳を蔵む。 標紙に左の書付あり。全文は煩を恐て略す。 文禄三年午六月廿日鳥居四郎左衛門 奥州門田東拾二村の内赤井村御検地帳 田方 畠方 小名 下窪新田 本村より辰巳(南東)の方22間にあり。 家数4軒。東西1町2間・南北40間。 東北は山に倚り西南に田圃あり。 廻戸新田(まはとしんでん) 本村より亥子(北北西~北の間)の方10町10間余にあり 家数5軒。東西1町20間・南北40間。 西北に山を負い東南は田圃なり。 端村 桂沢新田 本村より辰巳(南東)の方10町10間余にあり。 家数12軒。東西1町30間・南北1町51間、白川街道にあり。 西北に山を負い東南は田圃なり。 山川 実森山(さねがもりやま) 村東11町にあり。 登ること1里2町計。 穴切坂 村より戌亥(北西)の方10町50間、府下より白川に通る街道にあり。 赤井川 村東8町にあり。 下馬渡村の界より北に流るること1里14町余、湖水に入る。 赤井谷地(あかいやち) (谷地(やち)とは湿地にて水たまれる処をいう方言なり) 村北11町にあり。 東西1里2町・南北30町計。 多く芦萩を生じ、また「こけのみ」という草実あり(この地に限らず湿地に生ずる草なり)。採て食ふべし。叢生(そうせい)して枝繁く。長1尺計。葉円くして小なり。6、7月の頃浅紅の実を実ふ。結ぶ味淡くして少し酸し。 原野 篠山原(ささやまはら) 村より丑寅(北東)の方18町にあり。 東西17町・南北15町。 この村及び篠山村の秣(まぐさ)場とす。 水利 堤7 一は村より申酉(西南西~西の間)の方5町にあり。周80間余、大沢堤という。寛永5年(1793年)築く。 一は村より申(西南西)の方10町にあり。周90間余、後庵堤(こあんてい)という。明暦2年(1656年)に築く。 一は村より未申(南西)の方2町20間にあり。周170間、平下堤(ひらしたつつみ)という。寛文9年(1669年)に築く。 一は端村桂沢新田の西50間にあり。衆70間余、延寶4年(1676年)に築く。 一は村より辰巳(南東)の方10町50間にあり。周70間余、泥沢堤という。 一は村より丑(北北東)の方18町にあり。周180間余、寺崎堤という。 一は寺崎堤の北にあり。周90間余。北堤(きたのつつみ)という。 神社 荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ) 祭神 金山彦命 相殿 稲荷神 山神 鎮座 不明 村中にあり。鳥居あり。 昔は拝殿廻廊当の結構巨大にて神田も許多(あまた)ありしとぞ。 原村丸山主計これを司る。 寺院 圓福寺 村中にあり。 赤井山と號し府下野伏町圓満寺の末山真言宗なり。 何れの時の創立にか詳ならず。 天正元年(1573年)平田大炊助某(古蹟の条下に出す)中興し尊壽という僧を住職とす。その後院宇頽破(たいは)せしを尊照という僧再興せしという。旧村南にありとて、その地に銀杏の古木残れり。 客殿に如意輪観音の像を安じ本尊とせり。 地蔵堂 客殿の西にあり。 古蹟 小山館跡(こやまやかたあと) 村より午未(南~南南西の間)の方6町山下にあり。 東西3町余・南北50間。 天正中(1573年~1593年)平田大炊助この地を領知せし時の居館なりとぞ。 また村南3町余に馬場迹あり。今は菜圃(さいほ)となりき。 足軽屋敷跡 村より戌(西北西)の方12町計にあり。 ここより原新田の境内に亘り糠塚と唱ふ。 蒲生家の時加藤金右衛門という者ならび足軽60人を置し所という。 文禄中(1593年~1596年)の水帳にも足軽新田・金右衛門新田の名見ゆ。 その後府下大町の北に移せし故(ゆえ)彼の処を今に糠塚と称す。 Google Map赤井地区赤井 下窪 廻戸 桂沢 実森山 穴切坂(赤井一里塚) 赤井谷地(赤井谷地沼野植物群落) 篠山原 荒脛巾神社(アラハバキ神社) 円福寺 小山館跡? 足軽屋敷跡? 赤井の大イチョウ
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/958.html
陸奥国 耶麻郡 小田付組 小田付(おたつき)村 大日本地誌大系第32巻 81コマ目 この村の奥に入田付・中田付の2村あるゆえ古は出戸田付村という。天正10年(1582年)葦名の長臣佐瀬大和、中田付村(この村及び中田付村共に大和が領地なり)の市場便り悪きとて93ヶ村の人夫を発し、台(たい)・南條(なんしよう)・古屋敷(ふるやしき)・小田付(おたつき)という4区の民居をここに集めて町割りし今の名に改むという。 府城の北に当り行程4里27町余。 家数172軒、東西1町30間・南北5町。 四方田圃(たんぼ)なり。 上町・下町の字ありて、村中に官より令せらるる掟条目の制札を懸く。 東5町54間下台村の界に至る。その村まで8町40間余。 西2町18間小荒井組小荒井村に隣りその村際を界とす。 南5町熊倉組上高額村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り9町40間余。 北37間稲村の界に至る。その村まで6町20間余。 また 丑(北北東)の方4町48間上田村の界に至る。その村まで16町。 亥(北北西)の方3町2間小荒井組村松新田村の界に至る。その村まで12町20間。 この村毎年正月17日郷頭が家の前に仮屋を設け市神を祭る。この朝米俵を投じ、壮年の者上下に立分れこれを争う。 昔中田付村に月6度の市日あり後廃せしを、小荒井村の住人小荒井四郎左衛門某というもの取立て姑(しばら)く小荒井村に移せしが、聊(いささか)子細ありてもとの如く中田付村に返す。その後また所悪きとて天正10年(1582年)にここに移せり。このとき市の祝とて太刀1振・鷹2聯(れん)・馬1疋・黄金3枚を葦名氏に献すという。後また小荒井村と争論せしことありて、加藤家の時6度の市を3度は小荒井村に移すべき旨ありしより、今にこの村にては毎月7日・17日・22日、8月6日を市日とす。 初め市を移せしとき中田付村より1箇の大石を贈る。今鎮守総社の境内にあり、この村火災あれども昔より延焼せざるはこの石の加護なりとて市神石と称し崇敬す。 また古文書2通農民の家に蔵む。その文如左(※略) 山川 田付川(たつきかわ) 村西3町にあり。 稲村の方より来り、南に流るること7町30間余小荒井村の界に入る。 広10間。 須蟹沢川(すかにさはかわ) 村東2町40間余にあり。 上田村の方より来り、南に流るること11町余上高額村の界に入る。 広2間。 関梁 橋2 共に村西3町計、田付川の上下に架す。 上の橋は村松新田村に通り、下の橋は小荒井村に通る道なり。 共に長10間・幅4尺。 水利 堤 村東8町にあり。 東西15間・南北33間。 郡署 代官所 村中にあり。 役人を置き小田付・小荒井両組を支配せしむ。 河沼郡笈川組浜崎村役所に属す。 神社 佐牟乃神社 祭神 不明 鎮座 不明 村中にあり。 祭神及び鎮座の年月詳ならず。 旧は村東3町計大小田付という処にあり。後この村の百姓新名総兵衛というもの今の地に遷せり。 鳥居拝殿あり。満福寺これを司る。 総社神社 祭神 大山祇神(おおやまつみのかみ)・埴山姫神(はにやまひめのかみ) 相殿 伊勢宮 熊野宮 山神 日月宮 鎮座 不明 村西にあり。 境内に市神石あり、注連を張て不浄を遠ざく。 鳥居幣殿拝殿あり。熊倉組熊倉村山口美濃が司なり。 寺院 満福寺 村中にあり。 立法山と號す。真言宗、開基詳ならず。 もとは村西護神村(今詳ならず)という所にあり。天正中(1573年~1593年)本州岩城の産賢長という僧ここに来て今の地に移し、府下大町弥勒寺の末山となる。因て賢長を中興とせり。 大日を本尊とし客殿に安ず。 弁天堂 境内にあり。 地蔵堂 同上 古蹟 館跡 今米倉のある地なり。 佐瀬大和種常居るという。 真福寺迹 村の寅(東北東)の方2町にあり。 何れの頃にか塩川組下利根川村に移すという。 今は畑となる。 Google Map小田付地区 佐牟乃神社 出雲神社(総社神社) 満福寺 館跡 真福寺迹 生水稲荷神社 御蔵稲荷神社小田付館・代官所の跡地でもあります。境内に代官所跡の碑と案内板(平成22年)が設置されています。 小田付館(さくらとおしろ) 追記:総社神社と市神石 とんりすんがりさんより情報頂きました。 小田付村の総社神社は明治4年に明治政府の政策の一環で出雲神社に改称され祭神も大国主命に変えられたそうです。風土記に記述のある市神石も境内の北東にお祀りされていました。もともと中田付村でお祀りされていたそうですが、佐瀬大和守種常が市を小田付に移した際に、一緒に遷されたそうです。 余談ですが小田付の読みは行政上は「おたづき」なのだそうですが、地元の人は殆ど「おだづき(「き」も限りなく「ぎ」に近い発音)」と呼んでいます。 市神石
https://w.atwiki.jp/sexyvoice/pages/273.html
日が沈み、7時頃。 上機嫌で車の運転のマネをしながら歩くニコ。 ヒリヒリと痛む顔面をさすりながら歩くロボ。 「ねぇロボ?車の運転っておもしろいね~。 何だかゲームセンターにある、でっかいゲームみたいでさー」 「ん?まぁな、でもゲームみたいにしょっちゅうブツけてたら身が持たないけどな」 「あの枠の中に停めるのに前行ったりバックしたり、おもしろかったー」 (ロボの話は聞いてない) 三十分前。 遠方で地蔵堂の仕事を終え帰る途中ロボの車の調子が悪くなり、 とりあえず近くのスーパーまで車を移動する際 ロボが車を押し、ニコにハンドル操作を任せたのである。 「ロボ、がんばって。もうちょっとだよ!」 「ひーふ~、ニコついでに白い線の枠の中に停めれる?」 「う、うん やってみる」 ロボは駐車場で車の動きを真似してニコに駐車方法を教えようとする。 「最初、こうやって枠の前を通り過ぎてちょっと斜めに止まって、バックで・・・」 「ちょ、ロボ!いいから押して! 私のお父さん、バスの運転手だよ。このくらい出来るよ!はやく!」 無いに等しい根拠・・・、ニコの負けん気・好奇心に火がついた。 「ああ、うん。 ニコ?一つだけ、いい?」 「なにぃ!」 ロボの表情がガラリと真剣になる。 「くれぐれも他の車にブツけないように、いいな」 「(ゴクリ)うん」 ニコのハンドル捌きは、中々のモノで一度切り返しをするだけで上手に枠内に駐車できた。 しかし、ロボの最後の一言にビビリ、ブレーキペダルを力いっぱい踏み、車は急停止。 ロボは愛車と熱い口づけを交わした。 「どうロボ、直りそう?」 「どこが悪いのかは分かるけど、部品がないから無理だなー。タクシーで帰ろうか?」 「え?歩いて帰れるんじゃない? もったいないよー。 こっから歩いて帰ったらどのくらい掛かりそう?」 「んー歩いてかぁ?そうだなぁ一時間ちょい、一時間半までは掛からないと思うけど」 「一時間ちょいか、・・・、うん歩こうよロボ!そうしよ!」 「よし!じゃ歩いて帰るか。 それじゃオレ、ちょっとスーパーの人に今晩車停めさせてもらえるように頼んで来る!」 「うん」 そして時間は上機嫌のニコにもどる。 「ニコは車の免許、取りに行かないの? もう18なんだし、いつでも取れるんじゃない?」 「今はいいかな~、いつか時間に余裕のある時に気が向いたら取りに行くよ」 「それは、遠まわしに『行かない』って言ってんの?」 「そ-ゆ~ワケじゃ」 「免許は必要だよー、特にニコはスパイなんだから」 「なんで~?」 「だってそうだろ? 仕事を華麗にこなし『じゃあね』って去る時にドタバタ走ってたらカッコつかないよ。 車はもちろん、バイクにセスナ(飛行機)・ヘリコプター・モーターボート色々いるよ!」 「ちょっとロボ、スパイと峰不二子ごっちゃになってるよ」 「おんなじ様なもんだよ」 「あ!でもバイクは乗りたいかな~。昔、暴走族に興味を持った事があって」 「え~、ニコやめてよ!オレついて行けないよー」 ニコの肩を揺さぶる。 「イッイテ」 「どうしたのニコ、さっきから歩き方変だよ」 「ん~今日まだ買って間がない新しい靴、履いて来たんだよね。靴擦れかな」 「ニコ!ちょっとこっち来て、そこ座って!」 ニコをビルの入り口の階段に座らせて靴を脱がせる。 「うわー皮がむけちゃってる」 「ニコ、我慢しすぎだよ」 「いや、さっき急に痛くなり出して・・・」 「焼け石に水だけど、ないよりはマシだろう」 そう言ってロボはたすき掛けしたカバンから絆創膏を傷口周辺に二重、三重に貼る。 「どう?歩けそう?」 ニコはその辺を行ったり来たりして確かめる。 「うん!大丈夫、いけそう!」 「よし!じゃっゆっくり行こう」 ロボはチラチラとニコの様子を伺いながら、 ニコはなるべくペースを落とさないよう歩く。 しばらく黙ったまま歩いていたが、ニコがしみじみと話しだす。 「ねぇロボ、いつもだったら車で『あ』っと言う間に通り過ぎる町も、 こうやって歩くと感じが全然違うね」 「ん?たとえば?」 「例えばさー、さっき通り過ぎたパチンコ屋さん。 車に乗ってると、お店の中なんかよく見えないけど歩いてるとさぁ、 パチンコしてる人が、 ガッツポーズしてたり・イラついて台を叩いたり・退屈してる可哀相な子供とか見えるし。 ほらっそこ(今、通り過ぎようとしてるバス停のベンチを指差し) 待ってる時暇つぶしに書いた落書きや、 誰かに言いたくて仕方なくて書いたかもしれない相々傘の名前を見つける事ができるじゃん」 「そうだな~、みんな生きてるスピードが違うからな。 ただ、がむしゃらに前だけ見て急いで生活してると色んな事、見逃してるかもしれないな~ それが、その人にとって幸せなコトなのか不幸せなコトなのか分かんないけどな。 ニコは、そーゆう小さな、普段は見逃してしまうコトを見つけて他の人が喜んでくれるのが 幸せだったんだっけ?」 「うん、そんな感じ。・・・、生きてるスピードかぁ」 ゆっくりと現れるお店やすれ違う人々、何故そこに在るの分からない置き物?ゴミ?の事を 身振り手振りを交え話しながら歩く二人。 やがて、ニコの歩くリズムが変わりだす。 「ニコ、もうダメだ!タクシー呼ぼう!、タクシーが嫌ならバスだってあるし」 「いいよ、せっかくここまで歩いたんだし、あと40分くらいでしょ。 もったいないよ」 「もったいない、勿体ないって言って、オレがそんな金ケチると思うか? そりゃーお金には不自由しまくりだけど、 ニコが辛そうにしてんの知らんプリしてまで、節約したいと思わないよ!」 『見損なうな』と言わんばかりに声を荒らげるロボとは逆に、穏やかにニコが話す。 「ちがうよ、ロボがケチだなんて言ってないよ。 私はロボと一緒にいられるこの時間が勿体ないって言ってるの。 せっかく、こうやって普段歩かない町を、夜のお散歩できるのに勿体ないって思ったの、だから」 「・・・、わかったよ!ほら!」 ニコの前にしゃがみこみ、おんぶしてやると言わんばかりに。 「おんぶって・・・恥ずかしい、やめてよ!」 「タクシーはイヤ!、歩いて帰りたい!、でももう痛くてまともに歩けない。 オレの言う事を聞け!ほらぁ!」 「そっそんな怒んなくても。わかったわよ」 ニコがロボの肩に手を掛けおぶさろうとすると。 「ああ、ちょっと待った」 「何なのよ!おぶされって言ったり待てって言ったり」 「ちょっと、これを・・・、待ってね」 ロボはカバンを下ろし、ベストとシャッツを脱ぎだした。 「ちょロボ、何してんの?」 脱いだシャツをニコの腰に巻く。 「何これ?」 「そうしないとニコのパンツ、見えちゃうだろ」 「あ、ありがと」 二人は目を合わさず、テレ隠しに無愛想に言う。 Tシャツの上にベストをはおり、ニコをおんぶして軽やかに歩く。 「ロボ、重くない? しんどくなったら言ってね、ちょっとづつなら私歩けるから」 「重くない」 ロボは素っ気なく一言だけ言って淡々と歩く。 数分後、 『これはかなり恥ずかしい、まともに前なんか見れないよ。 うわぁ、あの人こっちスゲー見てる。ほらっほらっ靴擦れでね、歩けないんですよ! はあ、心の中で言い訳してもしょうがないよ』 数分後、 『なんだか落ち着くな~ ロボの背中だからか、いやいや靴擦れの痛みから解放されたからか、どっちだろ。 ・・・白々しい、わかってるくせに両方ですよ、8 2で!』 ニコはおんぶに慣れ、ロボの肩の上にあごを乗せる。 『へ~、何か背が高くなったみたい、自動販売機の上の段がこんなトコに。 いま、わたしロボとおなじスピードでおなじ風景見てる。 あの塾帰りの女の子、私と同じ位の身長だ、ロボにはこんな風に見えてるんだ・・・・・・』 約一時間後。 結局、スーパーから一時間半かかってしまった。 「ニコ、着いたよ。家に着いたよ」 おんぶをしたままトントンと上下に揺らしニコを起こす。 「ああ、いつの間にか寝ちゃったんだ。 ロボ、重かったでしょ。ありがとう」 「なんてコトないさ、このくらい」 『あれ?なんか機嫌悪そう。 「一緒にいられる時間がもったいない」って言っときながら寝ちゃったのマズかったかな』 ニコを降ろし「おやすみ」とあいさつを交わし、そそくさと帰るロボ。 家に入り、玄関で。 「ただい・・、あ!これ」 ニコはロボに巻いてもらったシャツを返し忘れたのに気付き、 つい寝てしまった事をやっぱり謝ろうと思いサンダルに履き換え追いかける。 角を曲がり、遠くに人影が見える。 『ロボ?』 何だか違う雰囲気にそろそろと近寄る。 その人影は、腰に手を当てもう片方の手を電柱・家の塀に転々とつき歩いていた。 不機嫌そうに感じた理由とロボの男としての意地を悟り声をかけず、 フラつきながらも頼もしいそのうしろ姿を見送った。 そして、クルリと振り返り満足げな笑みを浮かべ、 まるで金メダルを取ったアスリートが誇らしげに身にまとう国旗のように、 シャツをマントにして風になびかせ上機嫌で家に帰るニコ。 「ただいまー、お母さん!洗濯機使っていい?」 おわり
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/461.html
陸奥国 大沼郡 高田組 高田(たかた)村 大日本地誌大系第33巻 10コマ目 この地近村より地勢やや高き故(ゆえ)名くという。 府城の西南に当り行程2里12町余。 家数248軒、東西2町14間・南北15町54間。 南の端を上丁、次を中丁、末を下丁という。中程に少し東に折るる所あり。 また上丁の東頬より東に分るる通を横町という。東西1町12間・南北54間。 共に両頬に連れり。 横丁の東に南北の小路あり。家数12軒、東西23間・南北1町1間。社家町と唱え伊佐須美神社神職の居所なり。 四方田圃(たんぼ)にて東は宮川に近し。 この村は毎月6度の市をたて炭薪を交易し、また越後国より下野国に通る駅所にて村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。 河沼郡坂下組坂下村駅より2里32町40間ここに継ぎ、ここより2里1町30間東尾岐組市野村駅に継ぐ。 中丁の西1町に1区あり。家数6軒、東西1町18間・南北2町41間。新町という。 東2町29間本郡橋爪組下中川村に界ひ宮川を限りとす。その村まで6町余。 西8町永井野組八木沢村に界ひ赤沢川を限りとす。その村まで21町。 南6町16間永井野組永井野村に隣りその村際を界とす。 北10町48間境野村の界に至る。その村まで17町余。 また 辰巳(南東)の方1町48間竹原村に界ひ宮川を限りとす。その村まで5町40間。 丑寅(北東)の方6町8間安田村の界に至る。その村まで9町。 戌亥(北西)の方14町50間寺崎村に隣りその村際を界とす。 また下丁の東40間余に穢多の居所あり。 家数5軒、東西34間・南北34間。 山川 宮川(みやかわ) 村東2町20間余にあり。 永井野村の境内より来り、北に流るること13町余安田村の界に入る。 赤沢川(あかさはかわ) 村西8町にあり。 永井野組上戸原村の境内より来り、北に流るること14町余寺崎村の界に入る。 広3間計。 五加木清水(うこきしみず) 村中にあり。 石を甃(しゅう)(*1)して方池とす。 径3尺計。大旱にも涸れずという。 土産 麻 採て苧に製しその粗なる者を漉て紙とし「いらわた」と唱ふ。その幹また世用に便あり。 この村及び近村多く種て売出し産業の資とす。 水利 塊堰(くれせき) 冑組松岸村の方より来り、数派となり田地に灌ぐ。 堤 村西1町にあり。 東西50間・南北2町40間。 享和2年(1802年)に築く。 郡署 代官所 村西20間にあり。 役人を置き本組及び本郡中荒井組・会津郡中荒井組を支配せしむ。 中荒井村郡役所に属す。 神社 伊佐須美神社 横町の東にあり。 →伊佐須美神社 齋宮神社 祭神 倭姫命 鎮座 ? 村中にあり。 昔は伊佐須美神社に給事する女官ありて、伊勢の齋王・加茂の齋院の如くここに住せしにや。その旧跡に社を建て倭姫命を祭りしと見ゆ。 昔は毎年3月25日伊佐須美の神輿をこの宮に渡し7日を経て神輿を本社に納めしとぞ。その式今は廃す。 鳥居幣殿拝殿あり。渡邊伊代これを司る。 寺院 龍興寺 村中にあり。 道樹山と號す。嘉祥年中(848年~851年)の建立にて慈覚の開基なり。 應安の頃(1368年~1375年)堂宇頽破(たいは)しければ、恵雲という僧中興せり。 恵雲より12世の法孫舜幸が時天海これに師とし事え、永禄3年(1560年)この寺にて得度せり。 舜幸が後往を亮慶という。領主蒲生忠郷の命に因り高備中という者の旧屋を毀(こぼ)ち新に殿閣を営しやや壮麗なしりが、寛永6年(1629年)回禄に罹りしとぞ。 上野国新田郡世良田長楽寺の末山天台宗なり。 制札 入口の左にあり。 客殿 9間に2間、南向き。 本尊不動。 地蔵堂 客殿の西南にあり。 長3尺の地蔵を安ず。 また天海得度の寺の故に因り、正徳2年(1712年)住持尊圓、宮に請い縁を募り慈覚慈眼両大師の像を彫刻し大明法親王の開眼を受けこの堂に安ず。各長2尺5寸。 聖天堂 客殿に西にあり。 もと伊佐須美神社の境内にあり。寛文中(1661年~1673年)この寺に移す。 舜幸墓 境内にあり。 長4尺余の石塔なり。『竪者法印辨譽舜幸』と彫付けあり。 この僧は即天海の師にて恵雲より12世の法孫なり。 また外に永正・天文の彫付けある物数基あり。剥落して字体弁じがたし。 山王神社 客殿の南にあり。 寶物 五大尊掛幅 3幅封。智證筆という。 紺紙金泥普賢経 1軸。慈覚筆という。 胎金曼荼羅 2幅。『文亀三年癸亥九月廿七日』という裏書あり(文亀3年:1503年)。 文珠画像 1幅。慈眼幼年の筆という。 不動画像 1幅。傳教幼年の筆という。 如来正面画像 1幅。親鸞筆という。如来の下に親鸞父母の像あり。 地蔵画像 1幅。慈覚筆という。 山水画 1幅。唐人筆という。 竹画 1幅。同上。 水晶珠数 1連。慈覚所持の元といい伝う。 文殊堂 伊佐須美神社の北にあり。 暦應2年(1339年)の造創にて昔は運慶作の文珠を安ず。獅子座に乗り、長2尺9寸の木像なり。慈眼の誕生を祈りし霊験の佛なりとて元禄13年(1700年)大明法親王の教に因て東叡山吉祥閣に遷し、別に法親王開眼の文珠の木像を下し賜いしが、天明3年(1783年)の火災に焼て後また定朝作の文珠を下し賜う。殊に慈眼の縁に因り黄金若干を賜り常燈の料とす。天明3年火災の後、鐘楼二王門等経営いまだ成らず。 鐘1口あり。径2尺1寸。近年響あししとて寶暦・享和2度の手入れあり。古銘の末にその年を彫れり文字磨滅せるものあり。その文如左 奥州會津大沼郡 高田 伊佐須美大明神 社内之鐘 奥之院 大旦那 平盛高 同 平盛安 本願権少僧都智鏡 別當 清龍寺□□ 同旦越 新右衛門尉 源左衛門尉 諸旦那等法喜結縁 大工掃部助兼次 永正第十二二天丁丑卯月十九日 白山神社 文珠堂の西南にあり。 智鏡塚 白山神社の南にあり。 法幢寺の住持にて鐘の命に本願智鏡とあるものこれなり。 文亀3年(1503年)伊佐須美社回禄に罹り贈爵の綸旨を失いしに因り智鏡これを請い、天文20年(1551年)再び賜うおいう。 塚の高5尺余・周10間余。 上に6尺系の五輪あり。梵字の外、文字なし。 別当 清龍寺 本堂の西にあり。 護国山と號す。天台宗龍興寺の末寺なり。 暦應2年(1339年)圓濟という僧開基す。 天王寺 村東にあり。 高田山と號す。天台宗龍興山の門徒なり。 開基の僧を観裕という。 何の頃の草創ということ知らず。 本尊弥陀客殿に安ず。 心光寺 天王寺の南にあり。 護念山と號す。浄土宗府下五之町高巖寺の末山なり。 天文3年(1534年)良海という僧開基す。 本尊弥陀客殿に安ず。 法幢寺 心光寺の南にあり。 廣田山と號す。浄土宗高巖寺の末山なり。 明應3年(1494年)玉誉という僧開基す。 その後堂宇頽破(たいは)せしを、天文年中(1532年~1555年)智鏡再興すという。 本尊弥陀の銅像を客殿に安ず。背後に『奉鑄金銅善光寺阿彌陀如来右志為父母二親并常願藤原氏乃法界平等利益成建治貳年丙子二月時正初番』と彫付けあり(建治2年:1276年)。長1尺6寸。 また大黒の像あり。 弥陀・大黒ともに寛文中(1661年~1673年)伊佐須美神社の境内より移す。 大黒は運慶作という。長2尺計。 長光寺 村西1町にあり。 山號を真弘山という。相模国藤沢清浄光寺の末山時宗なり。 文安の頃(1444年~1449年)この村の住義原左京義元という者当寺を建て、この頃1遍の徒長阿弥この地に来りしを請いて開山とし、世々家に伝わる所の安阿弥作の弥陀を安置す。 地蔵堂 客殿の南にあり。 観音堂 天王寺の東南にあり。 十一面観音の木像を安ず。 昔は5町計、丑寅(北東)の方にあり。寛永13年(1636年)ここに移すという。 会津三十三所順禮の一なり。 天王寺これを司る。 箱清水 観音堂の西にあり。 石を甃して方池とす。 径3尺計。 浮身観音堂 村東にあり。 何の故浮身の称ありしにや詳ならず。 観音の像に『永禄二巳未三月十七』という銘ありとぞ(永禄2年:1559年)。 秘佛なり。 龍興寺これを司る。 墳墓 兒墓(ちこはか) 村より丑寅(北東)の方5町にあり。 天王寺の司れる観音堂の旧地はこの所なりという。 往古は7堂伽藍ありて34区の坊舎軒を並べしとぞ。この児はその頃の者なりという。 五輪1基存せり。 また村西4町に塚田とて2間四方の平地あり。 如何なる人の墓にか知らず。 毎年七夕に白雀来るという。謂れを伝えず。 古蹟 館跡 村西1町にあり。 1町四方。四面に土居隍の形残れり。中は菜圃(さいほ)となる。 当寺村八幡宮長帳に、文明11年(1479年)5月27日高田館落ち戦死の者ありしよしを載す(舊事雑考に文明12年の事とす)。 如何なる人にて誰人の為に滅されしにか詳ならず。 土人の口碑には、葦名盛高高田氏を滅さんとてその隙を窺うに、盛高の家人と男色の知音ありしを幸に家童をして語らはせければ、高田氏の家人一議にも及ず領掌し彼一族宮川に漁に出て備なき由を報す。盛高その虚に乗じ俄に襲てこれを滅せりという。 大平記に葦名二階堂小俣とあり、舊事雑考に葦名は会津二階堂は磐瀬のことなれば、この地小俣に近きゆえ高田氏は小俣氏の事なるべしとあり。 寺跡3 一は徳林寺とて村西にありしを、後に会津郡南青木組闇川村に移す。 一は村東にあり。光明寺という。会津郡中荒井組小沢村(※註:原文の間違い。会津郡ではなく大沼郡中荒井組小沢村)に移す。 また伊佐須美神社の境内に神宮寺という社僧あり。本郡南青木組大石村に移す。 共に天台の道場なりしという。 釈門 天海 父を舟木道光という。清龍寺の文珠堂に祈て天文17年(1548年)正月朔日に誕生せり。 永禄3年(1560年)龍興寺現住舜幸を師とし13歳にて剃髪す。 後天海僧と號し、東照宮御帰依の僧にて東叡山を開き慈眼大師と諡す。 行状は世の知る所なればここに略す。 旧家 坂内丹四郎 世々この村の検断(*2)なり。 先祖を坂内参河憲政といい兵庫信房という者の3男にて、伊勢国より会津に来り葦名家に仕て小山村を領す。 その子左馬丞憲勝、天正巳丑の乱に義廣を送て常陸に往く。別に臨て義廣佩刀(はいとう)を与ふという。 慶長8年(1603年)この佩刀を携え行き江府に奉献す。その時賜わりし伝馬燈文、今なお家に伝う。 左に録す。 傳馬壹疋江戸ゟ會津 まて可出之者也仍如 件 卯月正月七日 右宿中 吉原源之丞 世々この地に住して、先祖より商人の司を勤しという(昔は吉原を義原に作りし)。 この村の長光寺も文安の頃(1444年~1449年)彼が先祖左京義元建立せしとぞ。 今なお毎年正月14日には家の前に市神の假屋を作り市祭を行い、同廿日には組子の商人を集め酒饗あり。 昔よりのならわしという。 古文書を蔵む。左に出す(※略)。 喜三太 この村の農民なり。 先祖を渋川源左衛門某という。 家系を失て世次を詳にせず。 家に古文書数通を蔵む。左に録す(※略)。 Google Map岩代國一之宮 伊佐須美神社 斎神社 龍興寺 文殊堂 天台宗清龍寺 天王寺 高田観音 心光寺 法幢寺 長光寺 浮身観音堂 殺生石稲荷神社 白山神社 天海(南光坊天海)(Wikipedia)
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/588.html
陸奥国 大沼郡 大石組 沼沢(ぬまさは)村 大日本地誌大系第33巻 72コマ目 府城の西に当り行程11里。 家数35軒、東西2町10間・南北1町13間。 また寅(東北東)の方50間に家数23軒あり。 東西1町50間・南北1町20間。原(はら)という。 ここより辰(東南東)の方1町に家数5軒あり。 東西1町10間・南北12間。根峯(ねみね)という。 四方田圃(たんぼ)にて南は山に倚る。 北に大なる沼あり。 東34町大谷組宮下村の界に至る。その村まで1里32町。 西9町10間多良布村の界に至る。その村まで22町。 南1里余大谷組間方村の山に界ふ。 北8町福沢入新田村の界に至る。その村まで20町。 山川 大高森山 村南1里余にあり。 頂まで17町。 西は多良布村・玉梨村に界ひ、南は間方村と峯を界ふ。 鞍掛山(くらかけやま) 村東12町にあり。 形状に因て名つく。 境沢(さかひさわ) 村東34町にあり。 大毛無(おほけなし)という山より源を発し、北に流るること1里余只見川に注ぐ。 沼 ※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記83』より 村北3町にあり。 周1里余。 昔は霧窪と唱え大蛇棲て人を害す。何の頃にか大蛇人の為に誅せられ、その後この邊に人家を営みしという。 小山回に囲て鏡水その中にに開け積翠澄波の間に浮動し、山中には少なる勝境なり。 東の涯(きし)を鑿(うがち)て渠を通し数村の田畝に漑(そそ)ぐ。 鮒魚・海老・杜父魚多し。鮒魚味尤美にして猪苗代の湖水の産につぐ。 また「あさ魚」という小魚あり。この沼と河沼郡野沢組安座村の沼にのみありという。 只見川 村の東北20町にあり。 三更村の境内より来り、1里3町東北に流れ宮下村の界に入る。 神社 沼神社 祭神 不明 鎮座 ? 村北5町50間、沼の涯にあり。 祭神詳ならず。 社前老樹多し。 鳥居あり。 神職 佐久間美濃 先祖を景次という。 貞享2年(1685年)始て神職となる。5世を経て今の美濃元次に至る。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村中にあり。 拝殿あり。村民の持なり。 寺院 薬師寺 村中にあり。 真言宗道場小路観音寺の末寺なり。 能真山と號す。開基詳ならず。 天文20年(1551年)宥慶という僧再興し、相継で今に至る。 本尊薬師客殿に安ず。 観音堂 村北5町にあり。 草創の時代詳ならず。 村民の持なり。 地蔵堂 原の村中にあり。 何頃の建立にか知らず。 村民の持なり。 古蹟 館跡 村南18町山上にあり。 東西1町10間・南北20間。 横田の城主山内氏の支族沼沢出雲實通という者住す。 天正13年(1585年)関柴備中伊達政宗に内応し葦名氏を叛し時出雲も討手に加わりけるが、黒川を発するとて葦名亀王丸の母儀に謁し逆賊備中が首斬て厚恩に報んといいて起しが、果して備中を討取しかば伊達の兵も負績せしとぞ。 同17年(1589年)磨上の役散して葦名義廣佐竹に奔りし時、出雲渋川助右衛門等と共に義廣に従て常陸国に赴きしという。 出雲が子孫当家に仕て今に存す。 この村の医師玄純という者、出雲より先祖に与し書なりとて古文書1通を蔵む。因に載す(※略)。 Google Map高森山 沼沢湖 沼御前神社 薬師寺 沼御前神について ※大沼郡橋爪組相川村より記事を移動 沼御前神について少し調べてみました。 どうやら沼沢湖の沼御前神社に伝わる大蛇の話と関係がありそうです。佐原義連が沼沢湖に住む大蛇を退治し、その首を埋めた所が沼御前神社の地だそうです。 ※参考:沼御前(Wikipedia) 沼御前神社の由来を引用します 湖の主は数十メートルにも及び雌の大蛇で時折村人に危害を加えていた。これを聞いた黒川(若松)の城主佐原十郎義連は大勢の家来をつれてこの地を訪れ、大蛇を退治した。大蛇の首は湖畔に埋たが大蛇の霊を弔うためその高台に沼御前さまとして神に祀ったと伝えられる。八百年近い昔の話である。 以来、大蛇の霊は美女に姿を変え神社の前面下方断崖の深い棚状の所で終日機織りをしているといわれ明治、大正期には機織りの神様として織女の参拝が多かった。祭神には浜姫命の名が奉られ湖は天平勝宝二年六月十九日一夜で出来たという伝説にちなみ、江戸時代から旧六月十九日を、沼御前神社の祭礼日としている。 ※天平勝宝2年:750年 ということで、沼御前神社の祭神は浜姫命だそうです。記紀等では聞き覚えがありませんが、名前からして豊玉姫(とよたまひめ)(ワニの女神。綿津見神(わたつみのかみ)の娘で神武天皇の祖母)と関連がありそうです。 余談。 大蛇が美女に化けた話ってよくありますよね。 ふと思い出しましたが佐原義連の父三浦義明は那須で狐退治をしてます。血の気が多い家族だったのでしょうか。 他河沼郡野沢組安座村 - 赤城と日光の戦い及び八頭の大蛇の話
https://w.atwiki.jp/sexyvoice/pages/205.html
2-59様 無題 の続き 地蔵堂の社長が言っていた帝都大学で起きている不可解な事件とは、 誰もが羨むぐらい仲の良かったカップルが突然喧嘩をして別れるというものだった。 この春から既に4組が別れている。 それが怖くて付き合っていても公にしないカップルが増え出し、 言いたくても言えないフラストレーションが蔓延して学内を暗くし、 学生たちのやる気を失わせているとのことだった。 ロボと私は学内に潜り込み、誰もが羨むカップルを演じて、その原因を究明し解決することだった。 「ちょっとちょっとぉ!カップルを演じるって、どういうことぉ?」 とロボは任務の内容を聞いて私に言った。 「俺たちちゃんと付き合っているよね?カップルだよね?ね?ね?」 「だからこれはものの例えであって、いつものようにしていればいいの。」 フーンとロボは軽く頷くと突然パンっと手を叩いた。 「あ、でもいつも通りだと目立たないかもしれないから一杯イチャイチャしないとね! 嬉しいなぁ。人前で正々堂々とニコとイチャイチャできるなんて♪ 手を繋ぐことでさえしてくれないもんなぁ。 まずは手を繋ごう♪そしてキスなんかも♪」 「ば、バッカじゃない!す、するわけないでしょ!」 と私は少し赤くなった。 「あれ?ニコは嬉しくないのぉ?」 「う、嬉しいわけないじゃん!恥ずかしい!」 と言いながら心のどこかでは少し嬉しさを感じていた。 「とにかく私たちは仲の良いカップルを演じるの!いい!?」 「はい、はい。ニコリン大佐。」 とロボは軽く敬礼した後、未来を見るような遠い目をした。 『大丈夫なんだろうか…。』 「なにあの二人。手繋いで堂々と歩いているよ。こんな時に。」 「ほんとだぁ。男の方はなんか鼻の下伸びてちょっと変な顔しているけど女の子は可愛いなぁ。」 「でもさぁ、大丈夫なのかな?こんなに目立っちゃって。」 「そうだよね。また人前で大喧嘩始めて別れちゃうかも。」 「だよねぇ。ある意味勇気あるよね。」 「あ~!でも!私もあんな風に彼氏と手繋いで歩きたい!」 「ホントよ!苛々しちゃう!」 「ちょっとぉ、そんなに鼻の下伸ばしてデレデレしないでよ!」 「だって、こんなに正々堂々とニコと手を繋げるなんて♪嬉しくて、嬉しくて♪」 とロボは目に涙を溜めていた。 「泣くなっちゅうの!もう!」 と言いつつ私もロボの手をギュッと握っていた。 恥ずかしいけど言いようのない安心感が伝わってくる。 『私も嬉しいのかな? こんなに喜んでくれるんだったら時々手ぐらいは繋いであげよう。』 以前高校に潜入した時は私のことなんか見向きもしないで、 通り過ぎる女子高生の匂いを嗅いでいたロボが今は私と手を繋いでいる。 人生って何が起きるか本当に分からないものだ。 「あら、あなた達仲いいわね。」 と突然腕組みをしたカップルの女性が話しかけてきた。 4年生の森美香と宍戸次朗(つぐろう)だった。 学園祭の「ベストカップル」に3年連続選ばれている超有名なカップルだった。 二人とも思わず足を止めて見てしまうほどの美男美女のカップル。 地蔵堂の社長の話では、4組のカップルが別れた現場には必ずこの二人がいたらしい。 今回の件は、きっと彼女らが絡んでいる筈だ。 「あ、美香先輩にそんな風に言ってもらって嬉しいです。」 と私は出きるだけ明るく言った。 ロボは 「綺麗だなぁ。」とまた鼻の下を伸ばしていた。 『たく!もう!このスケベが!』 「あなたたち、なんかとても微笑ましいカップルね。 気に入ったわ。一緒にお茶でもしない? それにあなたたちの勇気も祝したいし。」 と誘われ近くのちょっと洒落たお店に入った。 流石3年連続「ベストカップル」に選ばれただけのことはあるわ。 甘えるでもなくジャレるでもなく二人でいることがとても自然に感じられる立ち居振る舞い。 正に「大人のカップル」って感じ。 それに比べ私とロボは…。 ま、言うなれば、「子供のカップル」ってところね。 あ゛ー。 一海ちゃんからも 「あなたたち見ていると微笑ましいわ。」 と時々からかわれている。 「でも、あの人だったらいいんじゃない。 ちょっとオタクであれだけど…。優しいし、どんなことがあってもニコのことを裏切ったり しないでしょうから。 あ~あ、どうしてニコだけ直ぐに運命の人に巡り会えたんだろう…。いいなぁ。 ま、私は今仕事に燃えているからいいけどね。」 と私たちのことを喜んでいる。多分…。 それとお父さんもお母さんも 「あ~、あの青年だったら安心だ。」(『何がよ?』) 「そうね、そうね。安心だわ。」(『って何が安心なのよ!?』 と言って何故か喜んでいる。 話は自然に例のカップル突然破局の話になった。 「だからね、誰もが羨むカップルが突然別れちゃうのよ。 私たちもね、たまたまその現場に居合わせたから取り成したんだけど結局分かれちゃった。 あなたたちも気を付けないさいよ。ねぇ?」 と美香さんは次朗さんに同意を求めた。 「そうだよ、君たちも気をつけた方がいいよ。」 その駄目押しとも取れる意見を聞いてロボは 「そんなぁ、俺ニコと別れたくない!絶対別れたくないです!」 と握り拳を締めて力強く言った。 『おいおい、真に受けるなって…。 でも、ま、嬉しいかな♪』 「そうだ!私、いいこと思い付いちゃった♪4人のメルアド交換しましょ♪ 何かあったら必ず連絡して、直ぐに駆けつけるから。」 「そうですねぇ。お二人がいてくれれば助かります。ね?ニコ?」 「おいおい、あの二人ほんと仲いいな。」 「そうね授業中でも手を握ってジャレ合っているし。」 「でもさぁ、なんかあの二人いいよね。」 「うん、微笑ましくて、見ているこっちが幸せな気分になれちゃう。」 「今年のベストカップルはもしかしてもしかするかもよ。」 「ねぇちょっとぉ授業中も手を繋いでいるの?」 「そう!そうじゃないと目立たないでしょ。」 「ん、もう、単にロボが握りたいだけなんじゃないの?」 「それもあるかな?」 とロボは口笛を吹くまねをした。 ジリジリリーと授業終了のベルが鳴った。 「あーやっと終わった。全然分かんないちゅうの。第一私は高校生なんだから!」 と言いながら私は教室を出た。 「え?ニコ、どこ行くの?」 「トイレよ。ト イ レ。」 トイレで美香さんと一緒になった。 「どうその後なんか変わったことあった?」 「いいえ、特に。」 と返事をすると私の携帯にメールが届いた。 メールには「あなたの彼氏は他の女とキスをしていた。」と書かれていた。 そして添付されていた写真にはロボと知らない女性がキスしているところが写っていた。 「ん、もう、あの馬鹿!」 と怒り心頭でロボのところに急いで向かった。 「ちょっと何よこの写真!」 と私はロボに写真を見せた。 「ニコだって酷いじゃん!」 とロボは言いながら携帯の画面を私に見せた。 そこには私が知らない男性とキスしている写真があった。 「な、なに、私知らない。こんな人。それに私はこんなに軽薄じゃない! ロボは昔から女好きだったじゃない。絶対ロボは浮気しているのよ!」 私のあまりの剣幕を見た美香さんは 「ニコちゃん落ち着いて、男の人だったら誰だって浮気の一度や二度はあるものよ。」 私はキッと次郎さんを睨んで 「じゃあ次郎さんも浮気したことあるんですか?」 「いやいや、僕はないよ。そこらの一般的な男たちと一緒にされちゃ困るなぁ。」 「そうね、次郎はそんな馬鹿なことはしないわね。」 私はムッとした。 「ほら見なさいよ!ロボは馬鹿だから絶対浮気したんだ! 大体ね。ロボは足が臭いのに脱いだ靴下をそのままにするし、ロボットばかり弄っているし!」 「そ、それは今関係ないでしょお!」 ロボも必死に反論した。 「須藤君、こういう時は素直に認めた方がいいよ。」 と次郎が耳元で助言した。 「そ、そんな~。浮気なんてしてない!断じてない! そ、それに、ニコだって、いびきをかいていたじゃないか!」 「はぁ~?なんてことを言うのよ!ロボなんか知らない!馬鹿!」 私とロボは「フン!」とお互いそっぽを向いた。 正確に5秒経った後、私とロボは目を合わせた。 そしてお腹を抱えて笑い出した。 美香さんと次郎さんは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。 「なるほどねぇ。こうやってカップルを別れさせていたんだ。 仲裁するようで実は火に油を注ぐなんて手の込んだことを。」 と私が言うと 「何を言っているの?私たちが一体何をしたっていうの?」 と美香さんはとぼけた。 「あのメルアド、あなた達だけにしか知らせていないの。 携帯の画面は小さいから良く分からないけどこれ合成写真でしょ。」 美香さんは多少動揺しながら 「あなたが受信した時私そばにいたじゃない。どうやってメールが送信できるのよ。」 と反論した。 「メールソフトによってはある決まった時間にメールを送信するのもあるのよ。 それにプロキシを噛ませば発信元も誤魔化せる。 なんだったらあなたの部屋のPCを見せてもらってもいいのよ?」 「あなた達は一体なんなの?」 「私たち?」 と言って私とロボは鼻を親指ではじきサムアップしながら 「二人はスパイ!」 とポーズを決めた。 美香さんと次郎さんは呆気に捕らわれていた。 「どうしてこんなことをしたの?」 と私が尋ねると美香さんは 「だって、4年連続ベストカップルに選ばれたかったの。」 と答えた。 「え?そんなことのために?」 とロボが聞く。 「みんなに羨ましがられたかった。私たちがどんなに素敵なカップルか見せびらかせたかった。 それにあんなことぐらいで別れちゃうカップルなんて遅かれ早かれいつかは別れちゃうのよ。」 「人が羨むとか見せびらかすとかじゃないんじゃない?付き合うってことは。 お互いがどんなに相手を慈しんで大切に思っているかが重要なんじゃないかな?」 とロボがとても寂しそうな顔で言う。 私はロボの手をそっと握った。 「そう。それに私たちはあんなことぐらいで別れたりなんかしません。 ロボと私は色々な苦難、時には死にそうな局面をいくつも乗越えた強い絆があるから そう簡単にお互いの信頼が崩れたりしない。 お互いを大切に思う気持ちは誰にも負けない。」 美香さんは目に涙を浮かべながら 「私たちもあなたたちみたいに強い絆で結ばれるようになるかな?」 と言った。 「なれる!絶対になれる! 二人がこんなことじゃなくて、もっと有益なことに対して協力し合い続ければなれる! 助け合い続ければ絶対なれるぅ!」 と私の手を力強く握りながらロボは言った。 「任務完了、ご苦労様。」 「人はどうしてあんなに信じていた人を簡単に疑うようになるんでしょう?」 「そうねぇ。信じることは不安との戦いだからじゃない? 信じたいと思う気持ちの裏には不安がある。 不安があるから信じたいと思う。表裏一体ね。」 「そうなのかなぁ。私はロボのことを信じたいと思うより、信じている感じなんですけど。」 「あなたたちの場合は、もうそのレベルじゃないのね。きっと。」 「え?」 「お互いを信じたいというレベルじゃなく、お互いを信じきっているというレベルね。 それは素敵なことじゃなぁい。 お互いを信じ続けていたからこそ、その域に達したのよ。私はそう思うわ。」 その日の夜、私はベッドの中で隣で軽い寝息を立てている彼の顔を見つめていた。 月明かりで微かにしか見えないその顔は、とても平和そうで優しかった。 私はこの人を愛している。 誰が何を言っても私はこの人を愛し続ける。 きっと彼もそう想っている。私はそれを知っている。 私たちはお互いがお互いを愛し続けられるよう、これからも協力して助け合って生きて行く。 好きになることは簡単。 その想いを伝えることは少しの勇気があれば簡単。 でも、その想いを続けることは難しい。 どんな時も相手を信じ続けること。 それが 大切なんだ。 終 2-159様 乙女の危機 へ続く
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/943.html
陸奥国 耶麻郡 熊倉組 上勝(かみすくれ)村 大日本地誌大系第32巻 73コマ目 この村もと原村という。何の頃にか勝前(勝前の事は下の勝福寺及び松島の条下に見ゆ)という女この地に来り、病に遇(あっ)て死す。後中将(勝前の父なるにや。姓名を伝えず)その蹤跡(しょうせき)を尋てここに至り、その死を聞て悲惨にたえず数多の堂社を建立す。因て勝村と改む。後下勝村に対して上の字を加ふという。 府城の北に当り行程4里28町。 家数9軒、東西1町・南北1町。 四方田畠なり。 東1町45間・北2町15間、共に平林村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り12町40間余。 西3町21間上高額村の界に至る。その村は未申(南西)に当り10町40間余。 南36間西中明村の界に至る。その村まで8町30間余。 端村 松島新田(まつしましんでん) 本村の西2町にあり。 家数6軒、東西50間・南北1間。 四方田畠なり。 神社 宗像神社 祭神 宗像神? 剏建 不明 村西1町余にあり。 勝前を尋ね来りし中将の勧請という。 鳥居あり。勝福寺司なり。 寺院 観音堂 村西1町にあり。 6間に5間、南向き。即中将の建立という。 中将勝前に後れ傷悲の余、新たに観音の像を造て勝前の持佛観音の小像を新像の眉間に嵌せりという。 今観音の像3軀を安ず。 浮壇金の像、長3寸7分。 十一面の像、長6尺3寸。 十一面千手の像、長3寸。 この堂天文中(1532年~1555年)回禄し(長帳に享禄2年(1529年)6月この堂焼失の事見ゆ)、永禄元年(1558年)領主葦名盛興再造す。その後再び頽廃(たいはい)せしを当家入封の後寛文5年(1665年)府より再興す。 またこの堂中に不動・毘沙門の木像あり。共に4尺余、極めて古物なり。 また鐘1口あり。径2尺7寸、銘に云。 奉鑄鐘一口 奥州會津那麻郡勝之村 勝福寺別當滿勝院 本願觀行坊慶筭當寺 大檀那平盛興并隠居盛氏 鑄師大工早山主殿助并小工太郎左衛門銘帳切手兼定 諸行無常 是生滅法 生滅々已 寂滅為樂并 諸旦那等現世安穏後生善所無疑者也 永禄七年甲子季夏日 二王門 5間に2間。 左右に金剛力士の像あり。共に長8尺許、古物なり。 別当 勝福寺 観音堂の南にあり。 松島山と號す。真言宗府下大町弥勒寺の末寺なり。 本尊大日、長2尺。 相伝て、勝前が冥福の為に中将この寺を建立せりという。昔はこの寺に属する堂社多かりしが(今この村の境内に八幡宮・天神社・薬師堂・地蔵堂・十王堂・櫻本坊等の遺跡あり)、尽(ことごと)く頽破(たいは)して今は僅かに宗像社と観音堂のみ存せり。 墳墓 古墓3 一は村の申(西南西)の方1町30間にあり。高1丈・周36間、上に老杉1株あり。勝前の墓といい、或は勝前の侍婢(じひ)を埋めし所ともいう。享保中(1716年~1736年)建てる所の石塔あり。文字なし。 一は村の戌(西北西)の方2町10間余にあり。高9尺・周10間。土人乾坤壇という。 一は村の申(西南西)の方2町10間余にあり。高7尺・周8間、十石壇(しつこくだん)という。 共に謂れ知れず。 古蹟 松島 村西4町にああり。 東西30間・南北22間。本州宮城郡松島浦の境致をうしせし所なり。昔勝前とて京家の女1人この地に来りし時しばしの宿を求めて民家に立よりしに、長途の疲れにや有けん病に打伏せて頼すくなくなりゆきしが「吾松島や雄島の磯を尋ね心ある海人の仕業をも詠ん為はるばる都を出て鄙(ひな)(*1)の長路にさまよい来り、図らずも病を得てこの地にして身まからんこそ本意なけれ」とてその様いと哀なり。村人打よりて松島の勝状を模して見せければ、女なのめならず喜び今は心にかかる事なしとてやがて死せり。因て斯く名くという。今も曲岸回渚の形存し、依稀(いき)としてその境を渉るが如し。故にこの地に遊ぶ者佳勝(かしょう)を歎賞(たんしょう)して昔時(せきじ)を追憶せざる者なし。 Google Map上勝地区 松島 宗像神社 勝福寺国の重要文化財 会津発見塾~関柴町の寺宝と郷土史など~(山都地区グリーン・ツーリズム推進協議会スタッフブログ)勝福寺と勝前御前の墓、この地区の歴史について記載があります。また熊倉街道の碑の写真もありました。中に寺の建立年は中将政保との記載がありましたが、この方が誰だったのか。 喜多方発・勝福寺と勝の前の伝説。(得さんのページ)やはり勝福寺について。「毘沙門像胎内墨書「弘安二年」(1279)の記録があるそうです」の記述があり、その辺りの年代に建立した可能性を示唆しています。 余談。 松島地区の西、水路がやや蛇行している所が松島の跡地でしょうか? →この辺 しかし藤倉の皆鶴姫といい大内の桜木姫といい野沢の小野小町といい、京の女性が会津の地で亡くなるという話が多く伝わっていますね。