約 14,602 件
https://w.atwiki.jp/ifwiki/pages/11.html
「もし○○が■■やったらさー」と言った直後に「歴史にifはないやろが。アホ」と冷たくあしらわれたことはありませんか? ここでは誰も止めません。思う存分“歴史のif”を妄想しまくろう! 現実にはまずありえない展開を妄想したい場合はもしも借箱へどうぞ。 日本史 東洋史現代 西洋史 地方史 スポーツ史オリンピック 野球プロ野球 選手とドラフト 高校野球 競馬 相撲 サッカー F1 あの人が健在だったら その他のテーマ史技術史 コンピュータ史 ゲーム史 ネット史 メディア史 芸能史 交通史 企業史 科学史 関連項目 日本史 歴史のif検討委員会/日本史を参照。 東洋史 もし始皇帝が中国を統一していなかったら? もし項羽が劉邦に勝っていたら? もし蜀が魏を滅ぼしていたら? もしモンゴル帝国がユーラシア大陸を征服していなかったら? もし国共内戦が痛み分けに終わっていたら? もしラオス・シーサーパンナ・シャン高原がタイ領のままだったら? もし朝鮮で市民革命が起こっていたら? 現代 もし国民党が共産党に勝っていたら? もし朝鮮半島が分断されずに日本から独立していたら? もし朝鮮戦争で北朝鮮が勝っていたら? もし朝鮮戦争で韓国が勝っていたら? もし朝鮮で李朝が王政復古していたら? もし朝鮮戦争で米国がマッカーサーの進言通り、北朝鮮へ核攻撃していたら? もし中国で文化大革命が起きなかったら? もし常任理事国が中華民国のままだったら? もし中国で第二次天安門事件が武力鎮圧されず、胡耀邦も失脚していなかったら? もし満州国が存続してたら? もしベトナム戦争が南北痛みわけに終わっていたら? もし世界中の旧植民地が韓国のような対応を行ったら? もしインド-パキスタン間限定で核戦争が勃発していたら? もしカンボジアでポル・ポトが大虐殺を行わなかったら? もしマレーシアやフィリピン南部もインドネシア領になってたら? もし香港が返還では無く独立を選んでいたら? 西洋史 歴史のif検討委員会/西洋史?を参照。 地方史 歴史のif検討委員会/地方史を参照。 スポーツ史 オリンピック もし1940年の東京オリンピックが開催されていたら? もし1988年のオリンピックの開催地がソウルでなく名古屋だったら? もし2008年のオリンピックの開催地が北京でなく大阪だったら? 野球 もしアメリカの国技が野球じゃなかったら? プロ野球 もしプロ野球で巨人軍の天下が続いていたら? もしプロ野球で1リーグ制が施行されていたら? もし阪神がパ・リーグの球団だったら? もし仙台ライブドアフェニックスがプロ野球に参入していたら? もし新庄剛志がメジャーに行かずに阪神タイガースにずっといたら? もしライオンズの本拠地が所沢ではなく今でも福岡だったら? もしロッテオリオンズの本拠地が仙台のままだったら? もし今もアトムズが存在していたら? もしカープに強力な親会社が付いていたら? もし野茂英雄がメジャーに行かなかったら? もし大阪近鉄バファローズがライブドアに身売りしていたら? もしホークスの本拠地が大阪のままだったら? もしFA制度が導入されなかったら? もし落合博満がプロボーラーになっていたら? もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったら? もし日本人選手の大リーグ移籍が禁止されていたら? もし藤井将雄が健在だったら? もしプロ野球がセリーグ6球団・パリーグ5球団だったら? もし2リーグ分裂直後から交流戦が行われていたら? もし近鉄・オリックスの合併が撤回されたら? もしパリーグにプレーオフ制度が導入されなかったら? 選手とドラフト もし星野仙一が1968年のドラフトで巨人に指名されていたら? もし江川卓が1977年ドラフトで素直にクラウンライター(現西武)ライオンズに入団していたら? もし阪神が古田敦也を立命館大学卒業時にドラフト指名していたら? もし元木大介が1989年ドラフトで素直に福岡ダイエーホークスに入団していたら? もし野茂英雄が1989年ドラフトで近鉄以外の球団に入団していたら? もし小池秀郎が1990年ドラフトで素直にロッテオリオンズに入団していたら? もし福留孝介が1995年ドラフトで素直に近鉄バファローズに入団していたら? もし中日が1995年ドラフトで外れ1位で原俊介を引き当てていたら? もし新垣渚が1998年ドラフトで素直にオリックスに入団していたら? もし松坂大輔が1998年ドラフトで横浜か日本ハムに入団していたら もし多田野数人がAVに出演していなかったら? もし一場事件がなかったら? もし逆指名制度が導入されなかったら? 高校野球 もし高野連が高体連に加盟していたら? もし1992年夏の甲子園大会の星稜対明徳義塾戦で松井に対する5打席連続敬遠がなかったら? 競馬 もし2006年ジャパンカップでユキノサンロイヤルが一着でディープインパクトが最下位になっていたら? もしハルウララが1勝でもしていたら? 相撲 もし双羽黒があのとき廃業していなかったら? もし千代の富士が1988年九州場所千秋楽で大乃国に勝って54連勝目を手にしていたら? もし貴乃花が2001年夏場所14日目で大怪我をしなかったら? もし玉の海が現役中に急死しなかったら? もし現在まで外国人力士を一切認めていなかったら? もし貴乃花が宮沢りえと結婚していたら? もし公傷制度が存続していたら? もし大関陥落の条件が3場所連続負け越しのままだったら? もし曙が大海のままだったら? サッカー もし昭和40年代に日本プロサッカーリーグが発足していたら? もしドーハの悲劇がなかったら? もし2002年ワールドカップが日韓共同開催じゃなかったら? もし2006年のワールドカップで一次リーグで敗退していなかったら? もし東京ヴェルディの本拠地が東京に移転せず川崎のままだったら? もしJリーグが国立競技場を本拠地にすることを認めていたら? もし浦和レッドダイヤモンズが2000年にJ1に昇格しなかったら? もしヴァンフォーレ甲府が2002年に売却されていたら? もしJの東西対決が中部地方の県境を境に東軍と西軍に固定されてたら? もし横浜フリューゲルスが九州を本拠地にしていたら? もしホンダFCがJに参加していたら? F1 もしアイルトン・セナが健在だったら? もしスバルのF1参戦が成功していたら? あの人が健在だったら もし人生幸朗師匠が健在なら? もし逸見政孝氏が健在なら? もし尾崎豊が夭折しなかったら? もしクリフ・バートンが事故死していなかったら? もし高橋良明が事故死していなかったら? もし石原裕次郎が健在だったら? もし夏目雅子が健在だったら? もし美空ひばりが健在だったら? もし松田優作が癌で死ななかったら? もし三島由紀夫が自決しなかったら? もし岡田有希子が自殺していなかったら? もし中川勝彦が健在だったら? もし塩沢兼人が健在だったら? もし手塚治虫が長生きしていたら? もし藤子F不二雄が長生きしていたら? もし石ノ森章太郎が長生きしていたら? その他のテーマ史 技術史 もしトヨタ自動車が存在していなかったら? もしビデオでベータマックスが天下を取っていたら? もし戦後も日本の航空機産業が存続していたら? もし内燃機関が発明されなかったら? もし富士スピードウェイが廃止されていたら? もしコンコルドが商業的に成功していたら? もし飛行機が発明されなかったら? コンピュータ史 もしパソコンでアップルが天下を取っていたら? もしパソコンでPC-9800が天下を取っていたら? もしCD-RやSDメモリカードが発明されずにフロッピーディスクの天下が続いていたら? もしTRONが天下を取っていたら? もしチャールス・バベッジが蒸気駆動コンピュータを実現していたら? ゲーム史 もしファミコンが発売されなかったら? もしSCEが結成されずPSが発売されなかったら? もしPS3のドライブがブルーレイで無く普通のDVDだったら? もし任天堂がハード事業から撤退したら? もしソニーがハード事業から撤退したら? もしマイクロソフトがハード事業から撤退したら? もしゲーム機でセガが天下を取っていたら? もしファイナルファンタジーが大ヒットしていなかったら? もしポケモンが大ヒットしていなかったら? もし「太鼓の達人」がコナミから発売されていたら? もし「チェルノブ」の続編が出ていたら? もしファミコンの頃から声優がゲームに声を出していたら。? もしセガとバンダイが合併していたら? もしときメモが大ヒットしていなかったら? もしスーパーロボット大戦が大ヒットしていなかったら? もしモンスターハンターが1作目でコケていたら? ネット史 もしインターネットが10年早く普及していたら? もし2ちゃんねるが閉鎖されていたら? もし2ちゃんねるが存在していなければ? もしChakuwikiが存在していなければ? もしWinnyの作者が逮捕されていなかったら? メディア史 もしテレビ東京が日本のメディア界で天下を取っていたら? もしNHKが民営化していたら? もし民放のテレビ局が系列新聞社の直営になっていたら? もしドラえもんが日本テレビで続いていたら? もしサイボーグクロちゃんの製作会社が倒産してなかったら? もし今でも『電波少年』が続いていたら? もし在阪局のネットチェンジが無かったら? もし刑事ドラマ『ゴリラ・警視庁捜査第8班』の車両が三菱自工以外だったら? もしクイズ番組『クイズダービー』の司会が大橋巨泉のままだったら? もしバラエティ番組『お笑いマンガ道場』の名古屋地区での放送時間が変更されなかったら? もし『水曜どうでしょう』が放送されていなかったら? もしニュー徳島放送が開局していたら? もし2003年版『西部警察』が制作中止にならなかったら? もしも、テレビ東京がアニメに力を入れなかったら? もしも、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』がゴールデンに進出したら? もし首都圏の民放の試聴範囲が1都3県(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)のみだったら? もし『奥さまは魔法少女』に保志総一朗が出演していたら? もし『スーパー戦隊シリーズ』が『ジェットマン』で打ち切られていたら? もしポケモンがテレビ東京以外で放映されていたら? もしもTBSが免許取り消しになったら? もしウルトラマン超闘士激伝がアニメ化していたら? 芸能史 もしビートルズが存在していなかったら? もしキャンディーズが解散せず、普通の女の子に戻らなかったら? もしモーニング娘。が2~3年で解散していたら? もし1980年代の漫才ブームがなかったら? もしオリエンタルラジオが大ブレークしなかったら? もしおニャン子クラブが21世紀になっても継続していたら? もし段田男が引退していなかったら? もしハニホー・ヘニハーが不法滞在していなかったら? もし田代まさしが覚醒剤を所持していなかったら? もし高橋英樹の妻が流産を一回も起こさず無事に出産してたら? 交通史 歴史のif検討委員会/鉄道史?も参照。 もし名阪国道が一般道路として整備されていたら? もし関西空港が神戸沖に建設されていたら? もし関西空港が淡路島に建設されていたら? もし金沢空港が建設されていたら? 企業史 もしホリエモンが証券取引法違反をしていなかったら? もし日産自動車のブランド名が今もダットサンのままだったら? 科学史 もし冥王星が惑星から降格されなかったら? もしスペースシャトルの事故が起きていなかったら? 関連項目 もしも借箱 もし日本の首都が○○になっていたら?
https://w.atwiki.jp/sotto_project/pages/241.html
黒井文太郎『謀略の昭和裏面史──知られざる対外インテリジェンスの全貌』(宝島SUGOI文庫) 目次 目次 関連ページ 関連リンク 新装・改訂版 謀略の昭和裏面史 (宝島SUGOI文庫) 目次 まえがき ニッポン現代史の地下人脈 昭和裏面史の見取図 序章 昭和裏面史の読み方昭和を知るキーワード ━━旧軍特務機関と右翼人脈で読む日本の裏面史「戦前・戦中」裏面史のキーワード満州国 関東国 大陸浪人 特務機関 日中戦争 参謀本部 特高警察 憲兵隊 「占領期」裏面史のキーワードG-2 CIC A級戦犯 公職追放 逆コース 「独立回復後」裏面史のキーワード55年体制 右翼 フィクサー/黒幕 公安警察 日本共産党 KGB 安保闘争 第1章 関東軍の大謀略謀略のルーツは「大陸浪人」と「帝国陸軍」━━大日本帝国の大陸進出を陰で支えた男たち頭山満、玄洋社、黒龍会 陸軍情報将校と大陸浪人・川島浪速 「張作霖爆殺」の陰謀━━戦乱の出発点となった関東軍の暴走満州軍閥を謀殺 大陸進出の野望が挫折した大正期日本 中国政策をめぐる日本政府と関東軍の軋轢 軍を追われた河本大佐の意外な「出世」 仕組まれた戦争「満州事変」━━参謀たちのシナリオどおりだった満州占領謀略に賛同していた陸軍幹部 陰謀劇だった「上海事変」 溥儀擁立と満州国建国 2人の主謀者、運命を分けたもの 満州の黒幕━━土肥原賢二と甘粕正彦━━傀儡国家を陰で操った2人の謀略家土肥原賢二▶陸軍きっての"謀略のプロ" 上海の謀略組織「土肥原機関」 甘粕正彦▶謎に満ちた満州の"黒幕" 阿片密売にも関与した「甘粕機関」 "影の存在"がなぜ出世できたのか? 「盧溝橋事件」と特務機関の暗躍━━日中の"交戦"を扇動した「茂川機関」退けられた不拡大路線 軍事衝突を策謀した茂川機関 第2章 テロ&クーデター「桜会」クーデター未遂事件━━陸軍秘密結社の暴走とその黒幕青年将校の過激組織「桜会」 3月事件 10月事件 過激派のリーダー・橋本欣五郎 浜口首相狙撃事件と血盟団事件━━「右翼テロの時代」へ突入した日本未曾有の不況に見舞われた昭和初期 浜口首相銃撃事件と佐郷屋留雄 「一人一殺」の血盟団事件 戦後も活動した血盟団員 「5・15事件」と血盟団人脈━━昭和を揺るがせたテロ事件の主謀者たち血盟団に呼応した青年将校 受け継がれたテロ人脈 軍部の内紛だった「2・26事件」━━「統制派VS皇道派」の暗闘が生んだクーデター辻政信の士官学校事件 永田軍務局長斬殺事件と2・26事件 処刑された北一輝と西田税 戦前・戦後を貫く右翼テロリスト人脈━━神兵隊クーデター未遂から東条英機暗殺計画まで戦後大物右翼の原点=神兵隊事件 神兵隊の残党が起こした「勤王まことむすび事件」 東条首相暗殺計画 第3章 大陸の特務機関上海「松機関」の偽札作戦━━蔣介石政権の経済攪乱を狙った謀略麻薬密売から偽札工作へ 偽札工作首謀者3人の特異な経歴 知られざる香港「興亜機関」人脈 陸軍登戸研究所 「梅機関」と南京傀儡政権樹立工作━━汪兆銘担ぎ出しの黒幕は参謀本部直属の特務機関影佐機関(梅機関)の正体とは 陸軍のスパイ・マスター=影佐禎昭 「里見機関」のアヘン工作━━民間人を使い、麻薬ビジネスに手を染めていた陸軍陸軍のダミー商社「昭和通商」 上海の阿片密売総元締め「里見機関」 謎の「村井機関」 大陸浪人集団「児玉機関」━━海軍の物資調達を担った児玉誉士夫グループ児玉機関のコワモテ人脈 「上海特務機関」&「G機関」の謎━━上海に張りめぐらされた極秘のスパイ網とは?海軍の通信傍受機関「X機関」 海軍のスパイ諜報網「G機関」 テロ組織「ゼスフィールド76号」━━共同租界を血に染めた「藍衣社」とのテロの応酬梅機関の別動隊だった中国人テロ組織 血塗られたテロ機関の末路 白系ロシア人部隊と蒙古人部隊━━浅野部隊と磯野部隊の知られざる「対ソ連謀略」哈特諜 悲劇の白系ロシア人部隊「浅野部隊」 蒙古人部隊「磯野部隊」 不首尾だった少数民族工作 ユダヤ人工作「河豚計画」━━満州にアメリカのユダヤ資本を誘致しようとした日本発案は日産グループ総裁 挫折した河豚計画 第4章 太平洋戦争「謀略」秘史特務機関のビルマ・インド独立波工作━━「南機関」「F機関」「岩畔機関」「光機関」南機関のビルマ工作 マレー工作、インド工作に活躍したF機関 自衛隊情報部門を育てたF機関長 怪傑ハリマオ 岩畔大佐、再登場! インド工作の光機関 安機関とベトナムの"ラストエンペラー" 戦場に流れた「謀略ラジオ」━━ジャワを無血降伏させたニセ放送伝説の「東京ローズ」 偽放送で敵の降伏に成功 世界に放たれた日本のスパイ━━「星機関」「立石機関」「小野寺機関」「東機関」ベルリンの「星機関」 イスタンブールの「立石機関」 握りつぶされた「小野寺機関」の情報 藤村海軍中佐のスイス工作 スペイン経由の「東機関」情報 ゾルゲ事件━━諜報団VS特高警察━━いまだに謎が残る昭和最大のスパイ事件近衛文麿側近グループに浸透 第1の謎▶ゾルゲを操っていたのは誰か? 第2の謎▶ゾルゲ諜報団はなぜ露見したのか? 731部隊と516部隊━━GHQとも取引した細菌戦部隊、謎の毒ガス戦部隊戦争犯罪を免責された731の隊員 毒ガス戦教育専門機関=陸軍習志野学校 毒ガス研究の第516部隊 吉田茂を監視した「ヤマ機関」━━偽装して要人邸に入り込んだ陸軍省防諜班の特別チームヤマ機関の要人監視スパイ ヨハンセン(吉田茂)工作 コーゲン(近衛文麿)工作 広田弘毅・近衛文麿に暗殺計画!?━━和平工作阻止に、毒殺工作まで準備した軍部強硬派和平に動いた2人の元首相 陸軍の和平反対派が元首相の毒殺を準備していた!? 第5章 「焼け跡」の陰謀終戦クーデター計画━━「宮城事件」と中野学校出身者たちの「本丸計画」意外に少なかった終戦時の混乱 皇族を潜伏させる「本丸作戦」 毛沢東暗殺計画━━アメリカ情報機関の要請でテロを画策した元特務機関員グループ二重スパイとなった元日本軍特務機関員 暗殺団の流転 中島証言をめぐる謎 消えた日銀ダイヤとM資金━━日銀地下金庫に集められたダイヤモンドの謎ダイヤをネコババしたGHQ高官 M資金の謎 「帝銀事件」陰謀説の正体━━平沢貞通に罪をかぶせる「権力の意思」はあったのか?事件前に発生していた2件の「未遂事件」 平沢貞通は「冤罪」だったのか? 支援者が喧伝した「陰謀論」 捜査線上の旧軍関係者 事件幕引きのウラに米軍の影 反共工作に暗躍した元軍人たち━━「有末機関」「河辺機関」「服部機関」とGHQウィロビーのブレーンだった「有末機関」 反共工作に動いた「河辺機関」 日本再軍備に暗躍した「服部機関」 吉田茂とGー2を繋いだ辰巳機関 知られざる「竹松工作」 中国に米軍情報を密かに流していた有末機関 服部機関のクーデター計画 第6章 日本の黒い霧「キャノン機関」の地下人脈━━政界・警察トップも関与していたGHQの工作組織表沙汰になったキャノン機関 米ソ対立の影響 左翼弾圧の時代へ キャノン機関の内幕 CIAに吸収されたキャノン機関 傘下の日本人エージェント 密輸工作に関与 謀略の「昭電疑獄」━━疑惑追及の理由はGHQの内紛にあったケーディス民政局次長のスキャンダル 謎の勢力「ジャパンロビー」━━「逆コース」仕掛け人の狙いと、その日本人人脈とは?ジャパンロビーと手を組んだ吉田茂 下山事件、三鷹事件、松川事件の謎━━戦後の三大未解決事件はGHQの策謀だったのか?不可解なことだけの「下山事件」 冤罪の可能性が残る「三鷹事件」 左派労組を陥れようとした「松川事件」 下山事件の新説 国共内戦、朝鮮戦争に参戦した日本人━━台湾義勇兵、白団、山西野戦軍、中尾飛行チーム台湾軍を指導した「白団」 山西野戦軍 朝鮮戦争に参加した日本人 日本人戦死者もいた 共産党VS公安警察━━白鳥事件の謎と菅生事件の陰謀白鳥事件 菅生事件 潜入警察官のヤラセだった爆弾テロ CIAのエージェントだった自民党最高幹部━━機密解除文書に見る戦後アメリカの対日工作とは「児玉は単なるプロの詐欺師…」 CIAのエージェントだった法務大臣 岸信介はCIAが首相にした!? 第7章 高度経済成長の舞台裏55年体制を作った「黒幕」の系譜━━「保守系政治家」「財界」「フィクサー」の談合が決めた日本国のかたちGHQとの関係を利用したフィクサー 辻嘉六と児玉誉士夫の政界資金 保守合同と日韓交渉の陰で動いたフィクサー 自民党が計画した暴力団・右翼の組織化 財界フィクサーの系譜 「昭和の妖怪」岸信介を支えた反共/満州人脈━━元A級戦犯容疑者の宰相の周囲に集まった2つのネットワーク「昭和の妖怪」の周辺に集った反共人脈 満州人脈による経済再建 賠償ビジネスに群がったフィクサー━━「巨額利権」をめぐって暗躍した政商たち暗躍する政商 戦後の裏外交を歩いた「昭和の参謀」瀬島龍三━━『不毛地帯』の主人公は何をやってきたのか防衛装備ビジネスで暗躍 日韓問題で歴代総理の密使に 日本の"原発の父"正力松太郎の野望━━「総理大臣への野望」の切り札としての原子力導入米政府の意を受けた読売の原子力キャンペーン 総理大臣になるために掲げた原子力導入 原発を民間事業にした正力 中曽根康弘も原発導入に尽力 自民党の巨大利権と化した原発 第8章 冷戦下の謀略戦反共抜刀隊&関東会と児玉誉士夫━━右翼と暴力団の仕切り役となった戦後最大のフィクサー計画で終わった「反共抜刀隊」 児玉に暴力団結集を依頼した自民党 フィクサーの要件 右翼タブーの誕生━━浅沼稲次郎刺殺、中央公論社社長宅襲撃、経団連襲撃マスコミの右翼タブーを作った「中央公論社長宅襲撃」事件 新左翼の登場 三無事件は自衛隊クーデター未遂か!?━━仲間には大物議員から現職の陸幕長までが…自衛隊の不気味な内通者 三島由紀夫と自衛隊「青桐グループ」━━三島クーデター計画に関与していた自衛隊反共人脈三島のバックにいた警備公安警察と自衛隊幹部 三島を訓練した自衛隊調査学校 アメリカも知っていた三島のクーデター計画 自衛隊内の極秘グループ 金大中事件秘話━━KCIAの依頼で金大中を監視していた自衛隊情報機関OB 真相解明されずに「政治決着」で幕引き 工作船を追跡した謎の航空機 金大中を監視していた調査会社 調査会社代表の証言 KGBの日本人エージェントは誰だったのか?━━平和な日本に浸透していたソ連諜報網レフチェンコ少佐の爆弾証言 ターゲットは産業情報 持ち出されたKGB機密資料 エージェントではなかった鈴木宗男 防衛駐在官がKGBエージェントに 共産党幹部宅盗聴スキャンダル━━30年以上も隠されていた公安警察ウラ舞台 内閣調査室は日本版CIAか 共産党幹部を盗聴していた「サクラ」 第9章 フィクサーの亡霊ロッキード事件━━児玉ルートの謎━━軍用機汚職疑惑が捜査されなかった理由ロッキード疑惑の政界工作は"3ルート"あった なぜか捜査されなかったP3C疑惑 ダグラス・グラマン事件 昭和33年の戦闘機疑惑 アメリカ陰謀説とは? 最大の疑惑は「児玉ルート」 奇怪な日系2世人脈 検察庁が事件にフタをしたのか? 「ニセ電話」鬼頭判事補の右翼人脈━━松本明重、藤原岩市、京都産業大グループほか背後に広がる反共ネットワーク 「笹川良一」と「統一教会」のタブー━━韓国情報機関、世界反共連盟がリンクする謎のネットワーク日本の首領=笹川良一 統一教会の庇護者だった笹川 世界反共連盟と国際勝共連合 自民党に浸透した統一教会 中曽根康弘のウラ人脈研究━━児玉誉士夫から元血盟団員の「指南役」まで河野一郎ラインで繋がった児玉誉士夫、渡邊恒雄 陽明学の権威・安岡正篤との関係 元血盟団員・四元義隆に師事 参考文献リスト 関連ページ 戦争を読む情報戦を読む 関連リンク スパイ&テロ(国際情報誌『ワールド・インテリジェンス』(軍事研究別冊)元編集長・黒井文太郎のブログ)
https://w.atwiki.jp/sennsou/pages/13.html
目次 紀元前 紀元後 紀元前 戦争が行われた日 戦争名 紀元前12世紀頃 トロイア戦争 紀元前770年 - 紀元前403年 春秋戦国の戦闘 紀元前492年 - 紀元前449年 ペルシア戦争 紀元前431年 - 紀元前404年 ペロポネソス戦争 紀元前403年 - 紀元前221年 戦国時代 (中国) 紀元前395年 - 紀元前387年 コリントス戦争 紀元前343年 - 紀元前290年 サムニウム戦争 紀元前334年 - 紀元前323年 アレクサンドロス大王の東征 紀元前327年 ディアドコイ戦争 紀元前264年 - 紀元前146年 ポエニ戦争,ポエニ戦争の戦闘 紀元前264年 - 紀元前241年 第一次ポエニ戦争 紀元前218年 - 紀元前201年 第二次ポエニ戦争 紀元前149年 - 紀元前146年 第三次ポエニ戦争 紀元前229年 - 紀元前219年 イリュリア戦争 紀元前215年 - 紀元前148年 マケドニア戦争 紀元前215年 - 紀元前205年 第一次マケドニア戦争 紀元前200年 - 紀元前196年 第二次マケドニア戦争 紀元前171年 - 紀元前168年 第三次マケドニア戦争 紀元前150年 - 紀元前148年 第四次マケドニア戦争 紀元前206年 - 紀元前202年 楚漢戦争 紀元前192年 - 紀元前188年 シリア戦争 紀元前181年 - 紀元前179年 第一次ケルティベリア戦争 紀元前165年 - 紀元前142年 マカバイ戦争 紀元前153年 - 紀元前133年 ヌマンティア戦争(第二次ケルティベリア戦争) 紀元前155年 - 紀元前140年 ルシタニア戦争 紀元前113年 - 紀元前101年 キンブリ・テウトニ戦争 紀元前111年 - 紀元前105年 ユグルタ戦争 紀元前91年 - 紀元前88年 同盟市戦争 紀元前88年 - 紀元前63年 ミトリダテス戦争 紀元前88年 - 紀元前84年 第一次ミトリダテス戦争 紀元前83年 - 紀元前81年 第二次ミトリダテス戦争 紀元前74年 - 紀元前63年 第三次ミトリダテス戦争 紀元前73年 - 紀元前71年 スパルタクスの反乱 紀元前58年 - 407年 ゲルマニア戦争(全35次) 紀元前58年 - 紀元前50年 ガリア戦争 紀元前49年 - 紀元前45年 ローマ内戦 紀元前44年 - 紀元前30年 ローマの内乱 紀元後 戦争が行われた日 戦争名 66年〜70年 ユダヤ戦争 68年 四皇帝の年 101年〜106年 ダキア戦争 220年〜280年 三国時代 291年〜306年 八王の乱 304年〜439年 五胡十六国時代 533年〜534年 ヴァンダル戦争 535年〜554年 ゴート戦争 663年 白村江の戦い 663年〜651年 イスラーム教徒のペルシア征服 718年〜1492年 レコンキスタ 722年〜804年 ザクセン戦争 751年 タラス河畔の戦い 907年〜960年 五代十国時代 1019年 刀伊の入寇 1066年 ノルマン・コンクエスト 1096年〜1291年 十字軍 1096年〜1099年 第1回十字軍 1147年〜1149年 第2回十字軍 1187年〜1191年 第3回十字軍 1202年〜1204年 第4回十字軍 1217年〜1221年 第5回十字軍 1228年 第6回十字軍 1248年〜1254年 第7回十字軍 1270年 第8回十字軍 1271年〜1291年 第9回十字軍 1205年〜1209年 西夏遠征(第一次〜第三次) 1211年〜1215年 第一次対金戦争 1218年 第四次西夏遠征 1218年 第五次西夏遠征 1219年〜1222年 チンギス・カンの西征 1230年〜1234年 第二次対金戦争 1235年〜1241年 第一次モンゴル・南宋戦争 1236年〜1241年 バトゥの西征 1240年〜1241年 モンゴルのポーランド侵攻 1253年〜1259年 第二次モンゴル・南宋戦争 1253年〜1254年 雲南・大理遠征 1253年〜1260年 フレグの西征 1260年〜1264年 モンゴル帝国帝位継承戦争(アリクブケの乱) 1268年〜1279年 第三次モンゴル・南宋戦争 13世紀半ば〜14世紀初頭 モンゴルの樺太侵攻 1274年〜1281年 元寇(文永・弘安の役) 1296年〜1333年 スコットランド独立戦争 1314年〜1429年 三山時代 1337年〜1453年 百年戦争 1419年 応永の外寇 1419年〜1436年 フス戦争 1453年 コンスタンティノープルの陥落 1453年 志魯・布里の乱 1455年〜1485年 薔薇戦争 1508年〜1516年 カンブレー同盟戦争 1521年〜1559年 イタリア戦争 1524年〜1525年 ドイツ農民戦争 1546年〜1547年 シュマルカルデン戦争 1558年〜1583年 リヴォニア戦争 1562年〜1598年 ユグノー戦争 1563年〜1570年 北方七年戦争 1568年~1648年 八十年戦争 1585年~1604年 英西戦争 1592年~1598年 文禄戦争 1605年~1618年 ロシア・ポーランド戦争 1609年 琉球侵攻戦争 1611年~1613年 カルマル戦争 1618年~1648年 三十年戦争 1619年 サルフの戦い 1621年~1629年 スウェーデン・ポーランド戦争 1622年~1890年 インディアン戦争 1624年 丁卯胡乱(後金の第1次朝鮮侵攻) 1636年 丙子の乱(後金の第2次朝鮮侵攻) 1638年~1660年 三王国戦争 1639年~1640年 主教戦争 1640年〜1649年 アイルランド同盟戦争 1641年~1649年 イングランド内戦 1643年~1645年 トルステンソン戦争 1648年~1653年 フロンドの乱 1652年~1654年 第一次英蘭戦争 1654年~1667年 ロシア・ポーランド戦争(大洪水時代) 1655年~1660年 北方戦争 1655年~1659年 スウェーデン・ポーランド戦争 1657年~1660年 カール・グスタフ戦争 1665年~1667年 第二次英蘭戦争 1667年~1668年 ネーデルラント継承戦争 1672年~1678年 オランダ侵略戦争 1672年~1674年 第三次英蘭戦争 1675年~1679年 スコーネ戦争 1676年~1681年 露土戦争 1681年~1707年 デカン戦争 1683年~1699年 大トルコ戦争 1688年~1697年 大同盟戦争(プファルツ継承戦争) 1689年~1763年 北米植民地戦争 1689年~1697年 ウィリアム王戦争 1700年~1721年 大北方戦争 1701年 - 1714年 スペイン継承戦争 1702年 - 1713年 アン女王戦争(北米植民地戦争) 1703年 - 1704年 オスマン帝国による西グルジア侵攻 1704年 - 1708年 第一次ジャワ継承戦争 1707年 ムガル継承戦争 1711年 - 1715年 タスカローラ戦争 1712年 トッゲンブルク戦争 1714年 - 1718年 オスマン・ヴェネツィア戦争 1715年 - 1717年 ヤマシー戦争 1717年 オマーンによるバーレーン侵攻 1718年 - 1720年 四国同盟戦争 1720年 清によるチベット遠征 1721年 - 1763年 チカソー戦争 1722年 - 1723年 ロシア・ペルシャ戦争 1722年 - 1725年 ラル神父戦争 1722年 - 1727年 オスマン・ホタキ戦争 1727年 - 1729年 英西戦争 1730年 - 1735年 オスマン・サファヴィー戦争 1733年 - 1738年 ポーランド継承戦争 1735年 - 1737年 スペイン・ポルトガル戦争 1735年 - 1739年 オーストリア・ロシア・トルコ戦争 1738年 - 1740年 ナーディル・シャーのムガル帝国侵攻 1740年 - 1748年 オーストリア継承戦争 1739年 - 1748年 ジェンキンスの耳の戦争 1740年 - 1745年 シュレージエン戦争 1744年 - 1748年 ジョージ王戦争(北米植民地戦争) 1744年 - 1748年 第一次カーナティック戦争(インドでの英仏戦争) 1741年 - 1743年 ロシア・スウェーデン戦争 1743年 - 1746年 オスマン・アフシャール戦争 1749年 - 1757年 第三次ジャワ継承戦争 1750年 - 1754年 第二次カーナティック戦争 1752年 - 1757年 コンバウン・ペグー戦争 1756年 グアラニー戦争 1756年 - 1763年 七年戦争 1754年 - 1763年 フレンチ・インディアン戦争(北米植民地戦争) 1758年 - 1761年 イギリス・チェロキー戦争 1757年 - 1762年 ポンメルン戦争 1758年 - 1763年 第三次カーナティック戦争 1762年 - 1763年 スペイン・ポルトガル戦争 1759年 - 1760年 泰緬戦争 1763年 - 1766年 ポンティアック戦争 1763年 - 1864年 ロシア・チェルケス戦争 1765年 - 1769年 清緬戦争 1767年 - 1799年 マイソール戦争(第一次 - 第四次) 1767年 - 1769年 第一次マイソール戦争 1768年 - 1774年 第一次露土戦争 1769年 - 1772年 デンマーク・アルジェ戦争 1775年 - 1776年 泰緬戦争 1775年 - 1783年 アメリカ独立戦争 1779年 - 1783年 英西戦争 1780年 - 1784年 第四次英蘭戦争 1775年 - 1817年 マラーター戦争(第一次 - 第三次) 1776年 - 1777年 スペイン・ポルトガル戦争 1778年 - 1779年 バイエルン継承戦争 1784年 やかん戦争 1785年 - 1786年 泰緬戦争 1787年 プロイセンのネーデルラント進駐 1787年 - 1791年 第二次露土戦争 1787年 - 1791年 墺土戦争 1788年 - 1790年 第一次ロシア・スウェーデン戦争 1788年 - 1789年 劇場戦争 1788年 - 1792年 清・ネパール戦争 1791年 - 1804年 ハイチ革命 1792年 ポーランド・ロシア戦争 1792年 - 1802年 フランス革命戦争 1792年 - 1797年 第一次対仏大同盟 1793年 - 1796年 ヴァンデの反乱 1796年 - 1808年 英西戦争 1798年 - 1800年 擬似戦争 1798年 - 1802年 第二次対仏大同盟 1798年 アイルランド反乱 1799年 第四次マイソール戦争 1801年~1805年 第一次バーバリ戦争 1803年~1815年 ナポレオン戦争 1807年~1814年 スペイン独立戦争 1804年~1813年 第一次イラン・ロシア戦争 1808年~1809年 第二次ロシア・スウェーデン戦争 1809年~1825年 ボリビア独立戦争 1810年~1821年 メキシコ独立戦争 1812年~1814年 米英戦争 1814年~1816年 グルカ戦争(ネパール戦争) 1815年 第二次バーバリ戦争 1820年~1823年 スペイン内戦(スペイン立憲革命) 1821年~1829年 ギリシャ独立戦争 1824年~1826年 第一次英緬戦争(ビルマ戦争) 1825年 ジャワ戦争 1825年~1828年 シスプラティーナ戦争 1826年~1828年 第二次イラン・ロシア戦争 1836年~1839年 ペルー・ボリビア戦争 1838年~1842年 第一次アフガン戦争 1839年~1851年 大戦争 1840年~1842年 阿片戦争 1843年~1852年 シク戦争(第一次・第二次) 1846年~1848年 米墨戦争 1848年~1850年 第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 1850年~1865年 太平天国の乱 1852年~1853年 第二次英緬戦争 1853年~1856年 クリミア戦争 1856年~1860年 アロー戦争(第二次阿片戦争) 1857年~1858年 インド大反乱 1858年~1861年 イタリア統一運動(リソルジメント) 1859年~1863年 連邦戦争 1861年~1865年 南北戦争,南北戦争の戦闘 1863年 薩英戦争 1864年 第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 1864年~1870年 三国同盟戦争 1866年 普墺戦争 1868年~1878年 第一次キューバ独立戦争 1870年~1871年 普仏戦争 1877年~1878年 露土戦争 1878年~1881年 第二次アフガン戦争 1879年 ズールー戦争 1879年~1884年 太平洋戦争 1880年~1881年 第一次ボーア戦争 1880年~1899年 マフディー戦争 1884年~1885年 清仏戦争 1885年~1886年 第三次英緬戦争 1889年~1896年 第一次エチオピア戦争 1894年 甲午農民戦争 1894年~1895年 日清戦争 1895年~1898年 第二次キューバ独立戦争 1896年 イギリス・ザンジバル戦争 1897年 希土戦争 1898年 米西戦争 1899年~1903年 千日戦争 1899年~1913年 米比戦争 1899年~1901年 義和団の乱 1899年~1902年 第二次ボーア戦争 1904年~1905年 日露戦争 1911年~1912年 伊土戦争 1912年 第一次バルカン戦争 1913年 第二次バルカン戦争 1914年~1918年 第一次世界大戦 1917年~1922年 ロシア内戦 1917年~1921年 ウクライナ・ソビエト戦争 1918年~1919年 ウクライナ・ポーランド戦争 1918年~1919年 ハンガリー・ルーマニア戦争 1919年~1921年 アイルランド独立戦争 1919年~1921年 ポーランド・ソビエト戦争 1919年 第三次アフガン戦争 1919年~1922年 希土戦争 1921年 コト戦争 1922年~1923年 アイルランド内戦 1926年~1949年 国共内戦 1931年~1933年 満州事変 1932年~1938年 チャコ戦争 1934年 サウジ・イエメン戦争 1935年~1936年 第二次エチオピア戦争 1936年~1939年 スペイン内戦 1937年~1945年 日中戦争 1938年 張鼓峰事件 1939年 ノモンハン事件 1939年~1945年 第二次世界大戦 1939年~1940年 冬戦争 1941年~1944年 継続戦争 1941年~1945年 独ソ戦 1941年~1945年 太平洋戦争 1945年~1949年 インドネシア独立戦争 1945年~1954年 第一次インドシナ戦争 1946年~1949年 ギリシャ内戦 1948年~1971年 印パ戦争 1947年〜1949年 第一次印パ戦争 1965年〜1966年 第二次印パ戦争 1971年 第三次印パ戦争 1948年~1973年 中東戦争 1948年 第一次中東戦争 1956年 第二次中東戦争 1967年 第三次中東戦争 1973年 第四次中東戦争 1948年~(継続) パレスチナ紛争 1948年~(継続) ミャンマー紛争 1949年~(継続) 東トルキスタン紛争 1950年~1951年 チベット紛争 1950年~(継続) 朝鮮戦争 1954年~1962年 アルジェリア戦争 1955年~1972年 第一次スーダン内戦 1956年 ハンガリー動乱 1959年 チベット動乱 1959年~1962年 中印国境紛争 1959年~1975年 ラオス内戦 1960年~1965年 コンゴ動乱 1960年~1996年 グアテマラ内戦 1960年~1975年 ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争) 1961年 ピッグズ湾事件 1961年 ゴア併合 1961年~1962年 西イリアン紛争 1962年 キューバ危機 1962年~1969年 北イエメン内戦 1962年~1963年 ベネズエラの反乱 1963年~1968年 アルジェリア・モロッコ国境紛争 1963年~1964年 キプロス内戦 1963年~1966年 インドネシア・マレーシア紛争 1964年~(継続) コロンビア紛争 1965年 ドミニカ内戦 1965年~1979年 ローデシア紛争 1965年~1984年 チャド内戦 1967年~1970年 ビアフラ戦争 1968年 プラハの春 1969年 中ソ国境紛争 1969年 サッカー戦争 1969年~1998年 北アイルランド紛争 1969年~(継続) フィリピン紛争 1970年 ヨルダン内戦 1971年~1992年 カンボジア内戦 1971年~(継続) カシミール紛争 1974年 キプロス紛争 1975年~1989年 ナミビア独立戦争 1975年~1990年 レバノン内戦 1975年 インドネシアの東ティモール侵攻 1975年~2002年 アンゴラ内戦 1976年~(継続) 西サハラ紛争 1977年~1979年 ウガンダ・タンザニア戦争 1978年~1988年 オガデン戦争 1979年 中越戦争 1979年~1989年 ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻 1979年~1990年 ニカラグア内戦 1980年~1992年 エルサルバドル内戦 1980年~1988年 イラン・イラク戦争 1980年~(継続) ペルー紛争 1982年 フォークランド紛争 1983年~2004年 第二次スーダン内戦 1983年 グレナダ侵攻 1983年~2009年 スリランカ内戦 1979年〜1990年 中越国境紛争 1986年~1987年 トヨタ戦争 1987年~(継続) ブルンジ内戦 1988年~1994年 ナゴルノ・カラバフ戦争 1989年~2001年 アフガニスタン内戦 1989年~1992年 第一次南オセチア紛争 1989年 パナマ侵攻 1989年~1990年 エチオピア内戦 1989年~1996年 リベリア内戦 1990年~1994年 ルワンダ紛争 1990年~1991年 湾岸戦争 1991年~2001年 シエラレオネ紛争 1991年~2000年 ユーゴスラビア紛争 1991年 十日間戦争 1991年~1995年 クロアチア戦争 1992年~1995年 ボスニア紛争 1999年~2000年 コソボ紛争 2001年 マケドニア紛争 1991年~2001年 ジブチ内戦 1991年~2002年 アルジェリア内戦 1991年~(継続) ソマリア内戦 1991年〜(継続) カザマンス紛争 1992年 オセチア・イングーシ紛争 1992年~1994年 アブハジア紛争 1994年 イエメン内戦 1994年~1996年 第一次チェチェン紛争 1995年~1998年 ハニーシュ群島紛争 1996年〜1998年 第一次コンゴ戦争 1998年~2000年 エチオピア・エリトリア国境紛争 1998年~2002年 第二次コンゴ戦争 1998年~2001年 ポソ宗教戦争 1999年~2009年 第二次チェチェン紛争 1999年 東ティモール紛争 1999年 カルギル紛争 2000年~(継続) インドネシア紛争 2001年~(継続) アメリカのアフガニスタン侵攻(対テロ戦争) 2001年~(継続) パキスタン紛争 2002年~2003年 コートジボワール内戦 2003年 リベリア内戦 2003年~2011年 イラク戦争 2003年~(継続) ダルフール紛争 2004年~(継続) サリン紛争 2004年~(継続) タイ紛争 2004年~(継続) ワジリスタン紛争 2006年 東ティモール内乱 2006年 イスラエルのガザ侵攻・レバノン侵攻 2006年 エチオピアのソマリア侵攻 2006年~2009年 スリランカ内戦 2008年 第二次南オセチア紛争 2008年~2009年 イスラエルのガザ紛争 2011年 シナイ紛争 2011年 リビア内戦 2011年~(継続) シリア内戦 2012年~(継続) マリ北部紛争 2013年 スールー王国軍によるラハダトゥ侵攻 2014年 ISISによるイラク内戦 2014年 イスラエルのガザ侵攻 2014年〜(継続) クリミア危機・ウクライナ東部紛争 2014年〜2020年 2014年リビア内戦 2015年〜(継続) 2015年イエメン内戦 2017年 マラウィの戦い 2020年 2020年ナゴルノ・カラバフ紛争 一番上へ
https://w.atwiki.jp/gumdamblackcat/pages/570.html
[251]神 長門 その方が楽か… ところで時が見える発言はよくわからなおかしい 別に無理やりいれなくてもよかったんじゃないかなぁ… あと「刻」 多分あれは走馬灯か、もっとヤバいものな感じがする グラハムは軍人に~とか言ってるけどすでに「軍人」という枠を超えて歩き始めてたよね、後半 あっさりしてたのはまだ後ろがあるからか やっぱりSDの言うとおり早くから因縁作るべきだねぇー [削除][編集][コピー] 10/25 00 09 Windows [252]エルザス 251 なんか、「あ、今のでララァ死んだんだな」ってわかるシーンが欲しかったもので。時間軸の目安として入れたかった。確かに今見ると意味不明ですよね いけね刻か。なおしときます。台詞自体は残しておきたい まぁあれも原作のグラハムの台詞そのまま使いたかっただけですから…よく考えたら軍人じゃねぇ社員だ つまりよく考えないで書いてるってことです やることやって早くゼロレクイエム行こうぜ的な [削除][編集][コピー] 10/25 00 19 URBANO BARON [253]神 長門 252 黒猫かナガモンあたりに蒼い宇宙か銀河を白鳥が舞う白昼夢か幻想を見せたらよかったんじゃないかなぁ 「なんだ今のは…?」 「ああ、刻が見える…」 「えっ」 「ん…!?今なんかボク変なこと言ってなかった?」 「いや…疲れてるんだ…戦争にさ…あとで阿部さんのところにいこう」 そのあとで、ソロモンの亡霊がWB隊のガンダムによって撃墜されたという連絡が入ればいいさ 士気向上のためにもそういう連絡は回ると思う 最終的に自分でも軍人…?いや武人だ!ってなってたから結局「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな」だろうね… 社員と考えても、ツィマッド社の利益は二の次三の次、外的な大義名分状態だし、原作でもさ しかしやっぱり、「軍人という枠を超えて行動してる人間が軍人を名乗るのか!」って言いたい、ナガモンも一部ではそうだけど シンが影薄いなぁ…新兵で後輩というおいしい役どころではあったが… シンがインパルスに乗らず、ザクとかゲイツRからスタートしてたらあんな感じだったのだろうか if二次創作のシンがミネルバ隊ではなく、ジュール隊に配属されていたら もあんな感じだったような [削除][編集][コピー] 10/25 00 34 Windows [254]エルザス 253 あーなるほど。京にしたから無理があったんですね。まぁ京のシーンだったし リメイクではそうしたいと思います 軍人が復讐のために戦うのはある程度当然だからナガモンにはそれをいう権利ある 周りがみんな主人公級だから…ましてシンは主人公の座を取られた男。フェイトとの絡みが増えれば登場回数も増えるかと。今まではなのはとセットだったからどうしてもなのはに傾いてましたね 。 [削除][編集][コピー] 10/25 09 58 URBANO BARON [255]神 長門 254 NTじゃないしね えっ個々の理由ならともかく、軍人は所属する組織のためじゃないの 人間関係うまくいってるからシンにも余裕がある…アスランェ… フェイトもいつから出すか…ルルとの絡み重視なら黒の騎士団だが… しかし… せいぜいザクレロへの突撃時に修正くらいか [削除][編集][コピー] 10/25 15 30 biblio [256]エルザス 255 いや表向きはそうだけど、実際の個々の軍人って復讐目的で動くことが多いじゃないですか。特に連邦軍。イグルーの最終話とか見てるともう…あとソ連軍人。ソ連は復讐が公式だったすごい国ですが フェイトは私兵っぽいからなぁ…黒の騎士団は正規軍なんだろうし シンを修正してくれる人がBHにいませんでしたから。まぁやるとしたらナガモンか。「修正」って考え方がゆとりには理解できない異質なものに感じられそうです。 [削除][編集][コピー] 10/25 16 03 URBANO BARON [257]神 長門 大義名分の問題だとも思うが地球連邦軍はそうか 公式の建て前と言うべき アメリカも基本そう ありゃあ組織としての儀式みたいなもんだしね 「どうしてあんなことを~」云々で修正 「ここまでは軍隊としての建て前だ…オレ個人としてもあんな危ないことはして欲しくなかった、もう少し周りを信じろ、なっ?」 また考えるかな なのはになるかもなー フェイトがツィマッド社ならオデッサ初期から 黒の騎士団ならオデッサ末期 アフリカ~大西洋には出ないからな… 大西洋なら出せなくもないか [削除][編集][コピー] 10/25 17 46 biblio [258]エルザス 257 確かに。ガトーもすべての戦いは憎しみに由来する的なこと言ってました 日本軍に特有な気もしますが。ハートマン軍曹の愛の鞭とは違う、修正には愛がない。殴ることだけを目的にしてる感じ ナガモンでもそれなら違和感ありませんね なのはだと「少し頭冷やそっか」ですか?尻にしかれるシンは違う気がします ツィマッドかなー。黒の騎士団だと入るきっかけがよくわからん。ツィマッドならプレシアママの命令で~ってのが使えるかと。 今思えばプレシア本人は一度も登場してない…リメイクでは出したいけど [削除][編集][コピー] 10/25 20 43 URBANO BARON [259]神 長門 258 ためらいなく核を撃つほど鬱憤がたまってたのかあの人 なのはは根本的に教官としても指揮官としても優れてるとは思えないのであてにならん… 仮想敵ならいい訓練相手かもね 個人の才覚に頼りっきりの組織だからああいうことになったんだろうが… 地中海、血に染めての段階でぶん殴られててもおかしくないな、 ①上官に「公式の場」でタメ口(今更だが、WBのような独立愚連隊じょうたいだからなぁ) ②批判すべきは独断専行した方 ここで殴るならアリーか 「艦長、船がここまで傷ついたのは艦長がオデッサで下した判断に原因があります。私もこんなことは言いたく有りませんが、はっきり言ってあの坑道を調査したとき、早急に後退していればこんなことにはならなかった。クルーに多数の死傷者を出し、MSにも重大な損傷を負ったのは艦長の責任です。」 「あの時ブラックハウスが後退していたら、ナガモンさんは坑道で孤立してた!副長はナガモンさんを見殺しにするべきだったって言うのかよ!!」 シンが京に食ってかかった。京はシンを真っ直ぐ見据えて答える。 「そうは言わない。私だったナガモン中尉が生きて帰ってきてくれて嬉しい。だが実際問題としてあの時退いていれば今の窮状はなかった。」 「やっぱり見殺しにするんじゃないか!」 「やめろシン!!」 「でもナガモンさ」 「歯食いしばれシン!」 「えっ」バキッ 「おい、クソガキなんで殴られたかわかるか!」 「…上官にタメ口を聞いたからですか…?」 「ちげぇよ、テメエが食って掛かる相手を間違ってるからだ、甲板でも走ってきてもっかい自分の他のヤツらの役割を見なおしてこい!」 「…!わかりましたよ!何周でも走ってきます!」 「」 甲板を走りにいくときに艦船の修理やMSの整備をしている人間を見たり、話を聞いてそれぞれの役割を再確認するみたいな。 クローン兵士とか強化人間の研究者でガンダムをフェイトが倒せばその有用性が云々 研究費が増えるよ!やったねたえちゃん 今度こそ、アリシアが作れるよ!やったねたえちゃん 家族が増えるよやったねたえちゃん なのはは現在一兵士状態なの 釘をさす程度か 怒って軽く叩いて文句言ってる間に泣き出してユーノになのは慰められる→シン、ユーノに「フォローさせてごめん」→謝るならなのはにいいなよ シン並に扱いがむちゃくちゃだった [削除][編集][コピー] 10/25 23 57 Windows [260]エルザス 259 阿波からたまってたんでしょう その場面があったか。唯一シンが反抗期なシーンですよね。ナガモンに殴られるならご褒美です アリーが独断専行した時は和しかいませんでしたから どちらかというとフラナガン機関っぽくないですか?前もしたなこんな議論 扱いが無茶苦茶ってなのはですか?ユーノ? [削除][編集][コピー] 10/26 07 46 URBANO BARON [261]神 長門 260 まぁ殴ったのアリーを想定してるんだけど ジャブローからアリーいるからアフリカ編はだいぶ変わるか クローン研究とフラナガン機関は一年戦争の時点では別個の組織だったんじゃないだろうか、それがアクシズで合流してああなったと まぁこの段階でプレシアママンはのちの強化人間やクローン兵士の基礎となるような研究をしていたということで 両方 そういや3期も前作主人公がいてグダグダになった作品か [削除][編集][コピー] 10/26 13 34 Windows [262]エルザス 261 あーアリーいるのか。どうりで口調が アリーいたらロンメルとか敵じゃなくなるかもしれませんね プレシアママはツィマッドとは無関係で、フェイトにはガンダム捕獲のため特務隊に同行するように命じたってとこですね なのはも無茶苦茶だったか…他の二次も読んで参考にします 確かに [削除][編集][コピー] 10/26 14 23 URBANO BARON [263]神 長門 262 ロンメル隊にテコ入れかな ドワッジはこの段階で配備されていたのかなー? 11月には配備が始まってたと思いたい砂漠を縦横無尽に駆け回るドワッジ 時たまひょっこり出てきて牽制攻撃するデザートザク 「あいつただのドムじゃない!」 「砂漠の熱対流でビームがぶれる!」 「その距離からのマシンガンがドワッジにきくものか!」 「足がとられる!」「ホバーの砂煙で敵が見えない!」 「オデッサの部隊が抜けるまでこのロンメルが通さん!」 ソロモン海戦前までだろう、地球⇔サイド3間の航路が確保されてたのは ママンのコネか 富野監督くらいやるべきか Z シャア→百式(ガンダム) アムロ→ディジェ(ゲルググ) 逆シャア・閃光で今までのキャラクターをあっさり歴史の表舞台から消す そしていっぺんリセットしてからF91である 一番理想的な前作今作主人公の共演はクロスボーンだった シーブック悟りすぎな気もするが [削除][編集][コピー] 10/26 17 03 biblio [264]エルザス 263 ロンメルはドワッジで登場ってことで BHがエンジントラブルで動けない、MSは砂漠に不慣れで転びまくり、くらいやっとけばロンメル隊の脅威度もあげられそうですね シーブックは艦長とくっついて落ち着いた感じですね。 前作の主人公を前線に立たすとろくなことないってことですかね [削除][編集][コピー] 10/26 21 09 URBANO BARON [265]神 長門 264 空とべるからなぁ とはいえ下には機銃しかないが 連邦軍、ジオン軍の戦略目標しだいかな オデッサでふるぼっこにされて機関部が不調 一度炉の火を落として一からの作業 こんなとこか 戦闘はシーブック結構目立ってるが、話のターニングポイントや中心はトビアだった 10月の主要な事件 1日:公国軍、コロニアル作戦開始。アジア方面で攻勢をかけるも戦果挙がらず。 4日:地球攻撃軍司令ガルマ・ザビ大佐が北米で戦死。北米を始め、各地の公国軍指揮系統に重大な影響が出る。 5日:ガウ攻撃空母三機を主力とするガルマ・ザビ直轄の部隊が連邦軍第13独立戦隊を攻撃するも全滅。 10日:連邦地上軍、オデッサ作戦の為の部隊集結を本格化。イギリス方面よりレビル大将が指揮する連邦軍第三軍が出撃、翌11日にドーバー海峡を横断してヨーロッパに進入。 12日:陽動の為、連邦海軍の二個艦隊がオスロ港より南下。 20日:連邦軍各部隊、さしたる妨害も受けずに集結地点であるワルシャワに到達。野戦軍司令部が創設される。 25日:連邦軍、オデッサ作戦最終確認。陽動部隊が多数各地に派遣される。 28日:公国軍、スパイを通じてオデッサ作戦の開始日を察知。 30日:公国軍、マッドアングラー隊を発足。司令にはシャア・アズナブル大佐が就任。 日時不明:連邦軍、MSの本格的量産を開始。 11月の主要な事件 2日:連邦軍、航空兵力を中心とした大規模増援部隊を派遣。地上軍各部隊に対する支援強化。 3日:タシケント鉱山地帯の第102採掘基地が連邦軍MSの奇襲により壊滅。MAX-03喪失。 6日:ガイア大尉率いる独立MS小隊がザンジバル級巡洋艦により地球に降下、マ・クベ大佐の指揮下に入る。 7日:連邦軍、オデッサ作戦開始。同日には第三軍がジオン軍防衛ラインの第一陣を突破する。また、連邦軍のオデッサ作戦を牽制する為、公国軍が二個潜水艦隊を北上させる。 8日:オデッサの前線、一時的に膠着状態に。ガイア小隊、第13独立戦隊と交戦。 9日:ジオン軍防衛網、崩壊。連邦軍第4軍、公国軍防衛線を突破、以後さしたる抵抗を受けずに進軍を続ける。連邦軍第3軍、カルパート山脈東のキシニョフへ到達。オデッサ防衛軍司令官マ・クベ大佐、ザンジバル級機動巡洋艦「マダガスカル」で脱出。連邦軍各部隊、掃討戦を開始。 10日:オデッサの連邦軍が臨戦態勢を解除、警戒態勢へ移行。事実上ヨーロッパ方面の公国軍壊滅。オデッサ作戦終了。 17日:公国軍総帥ギレン・ザビが宇宙艦隊に対する補給の優先方針を布告。 18日:公国軍マッドアングラー隊、連邦軍第13独立戦隊を発見、追跡を開始。連邦軍、ベルベット作戦発動。北アフリカ・レパント地方にて攻勢に転ずる。 22日:連邦オーストラリア方面軍が反抗作戦を開始。 26日:アフリカ戦線拡大。公国軍精鋭部隊「鉄のサソリ」「ロンメル軍団」通信途絶。 27日:連邦軍第13独立戦隊を追跡していたマッド・アングラー隊がジャブロー宇宙艦用出入口発見。 28日:ベルベット作戦終了。連邦軍、作戦目的達成。 30日:公国軍、ジャブロー基地降下作戦を開始。 日時不明:10月中旬から11月中旬にかけて連邦軍航空部隊が公国軍キャリフォルニア基地に断続的に大規模な空襲を実施。ジオン軍はMS十、ガウ攻撃空母一、航空機十九、車両二一を失った上、各種施設に大きな損害。 日時不明:連邦軍、スエズ運河奪回。因みに、連邦軍はこの作戦にMSすら投入してはいなかった。 日時不明:連邦軍、テヘランを占領。公国軍天山司令部、事実上解体。これにより中東と中央アジアの公国軍の組織的抵抗ほぼ終了。 [削除][編集][コピー] 10/26 22 00 Windows [266]エルザス 265 これ公式ですか?だとすると相当矛盾が生じるなぁ。 10月20日のさしたる妨害も受けずワルシャワ到達とかありえないと思うんですが 11月26日ロンメル軍団通信途絶とはジオン本国との通信途絶なのか、それともこの頃から戦わずに潜伏始めたのか スエズ運河奪回にはMS使用せず…これはスエズ守備隊が宇宙に退却したことにすればなんとか言い訳になるか パソコン壊れた… [削除][編集][コピー] 10/26 23 06 URBANO BARON [267]神 長門 266 http //www.geocities.jp/adm_paetta/jyaburo.html 準公式かな? 映像化されたら公式だし ワルシャワ云々は 囮部隊WBのおかげ説 ロンメル隊云々はレガシーによると本国との通信途絶みたい というかこの頃から潜伏始めてたら敵前逃亡になる おそらくこの頃から地球軌道上の制宙圏を失いつつあったのではないか つーことは遅くとも11月前半にはドワッジを受け取ってないと駄目だな スエズ運河の部隊がオデッサ防衛用に引き抜かれてたのかもしれない どうするの? [削除][編集][コピー] 10/27 11 28 biblio [268]エルザス 267 ロンメルドワッジは考証的にも問題ないわけですね スエズ運河守備隊がそんなに弱体化してたならダールトン達が目指すには無理があるかも…スエズから宇宙へ脱出したんじゃなく、スエズを中継地にしてアフリカの南のほうへ脱出したことにしたらなんとかなるかな しばらく更新できませんです…どうしたものか [削除][編集][コピー] 10/27 16 59 URBANO BARON [269]神 長門 268 どんどん「末期の機体」の開発・配備時期が早くなるな… ドムトローペンも公式でジャブロー降下作戦に投入されたことになってるし ただスエズ運河の戦いが日時不明なのよね アフリカ戦線が拡大した段階で撤退を始めたのかもしれない、欧州方面が完全撤退したら死守する必要ないし。ノイエン・ビッター少将もこの頃アフリカ入りか? おそらくベルベット作戦前後 Vガンダムのリニアカタパルトは地球の宝だ! のノリでスエズ運河は地球の宝だ!である程度のとこで降伏したのかも 例えば、地中海や黒海にいたジオン海軍がスエズ運河抜けたらもう守る必要ないし、破壊して撤退 ていうか、この頃はダカールもジオン占領下なのかー 修理出すの? [削除][編集][コピー] 10/27 18 30 biblio [270]エルザス 269 末期の機体ほどゲテモノっぽくていいというか、人気ありますしねー 連邦軍がスエズ攻略開始した頃にはもうほとんど守備隊が残ってなかったとかでしょうか。 ジオンなら逆に運河徹底破壊しそうですが。中東方面の連邦軍がヨーロッパ行くのを多少は邪魔できる。いやだけど海運必要ないのかな、普通に小アジアは連邦軍のものだったし とりあえずパソコン本体の問題はなんとかなりました。が、今度はネットがつながらない…家中のパソコンがダメとなるとLANだな。まぁ遠からずなんとかします [削除][編集][コピー] 10/27 21 15 URBANO BARON [271]エルザス PC直りました。よかった [削除][編集][コピー] 10/27 22 39 Windows [272]神 長門 270 あんなもん作ってるから… ジオン系の切り札は「化け物」がお約束 むしろ守備隊がいたのか?ってレベルじゃない? ぶっちゃけビッグトレーやホバートラック、ミデアあるからそこまで死守する場所ではないわな スエズ運河も今より大きくなってるんだろうか、ありえないレベルだがマッドアングラー級とか通れるレベルだと、破壊すら困難だろう ネットの回線が切れてるだけかも [削除][編集][コピー] 10/27 22 55 Windows [273]エルザス 272 戦いは数なんですね 昔はみんな血眼になってスエズ狙ったもんですがね。あれだけ航空機が発達すると海運はそこまで必要ないかもしれませんね。運河も拡大してないかも スエズにジオンがほぼいなかったならダールトンが無理してアフリカに行くことはないような… もうちゃんとネットつながりました。お騒がせしました [削除][編集][コピー] 10/27 23 51 URBANO BARON [274]神 長門 273 ギレンの野望でMS無しモードが欲しい 運河自体より通行料でしょ欲しいのは 欧州~中東ラインの問題もあるけど いくら輸送機が発達してもコストパフォーマンスで船には勝てないだろうし アフリカに逃げ込んだのは事実だしなぁダカールはどのあたりで奪回されたのか 戦後かな? 良かった [削除][編集][コピー] 10/28 00 54 biblio [275]エルザス 274 MSなかったらただの精密戦略シュミレーションじゃないですか。ガンダムですらなくなっちゃう そりゃそうです。 アフリカ脱出は事実としてあるんですか。なら間違ってないんだ。 ダカールか…全然予想もつかないです [削除][編集][コピー] 10/28 07 50 URBANO BARON [276]神 長門 275 ジオン軍はそれでも変なの多いが連邦軍はビックトレーくらいしかない 多分、フェンリル隊は最終的にアフリカで終戦 ビッター少将は欧州方面軍の筈だよね オデッサ→エジプト→アフリカ入りした部隊もいたんじゃないの Zの頃もアフリカはゴタゴタしてる… ベルベット作戦の時期を繰り上げるかな オデッサ戦後のアフリカ追撃戦の流れでベルベット作戦開始 終了後部隊はオーガスタを目指し大西洋を渡ろうとするが… [削除][編集][コピー] 10/28 15 44 biblio [277]エルザス 276 ビッターは東アフリカ方面軍らしいです。 地上に残ったジオンがあっちこっちから味方が強いアフリカに集まって、結果ますますアフリカが頑強になったんでしょう。砂漠以南のサバンナとか戦車とMSには機動戦天国でしょう。 渡ろうとするが…? [削除][編集][コピー] 10/28 19 29 URBANO BARON [278]エルザス 更新しました。今日のはイマイチ [削除][編集][コピー] 10/29 00 24 URBANO BARON [279]神 長門 277 0080 01.01 一年戦争終結。アンマンにおける予備折衝の後、グラナダで終戦協定を正式調印 シャア・アズナブル、グワジン級戦艦にてアクシズへ ホワイト・ディンゴ隊、ヒューエンデン要塞攻略作戦開始 01.02 ホワイト・ディンゴ隊、ヒューエンデンHLV基地攻略作戦開始 01.03 ゼファーガンダム封印 01.07 連邦軍、エルミター基地を制圧する 01~ エギーユ・デラーズ大佐、アクシズ行きを拒むジオン軍残党を糾合、艦隊再編成 02 連邦軍、アフリカのジオン軍キリマンジャロ基地攻略開始 03 デラーズ中将、艦隊を暗礁空域に移動。「茨の園」の設営開始 06 アフリカ戦線の旧ジオン軍、武装解除(あくまでも連邦軍の公式発表。実際に潜伏、ゲリラ化した部隊は相当数に上る) ベルベット作戦がアフリカ地中海沿岸(アフリカ北部)を奪回した段階で終了 その後、戦後か末期にジャブローを出発した部隊がアフリカ東部(ダカールなど)に侵攻、西部も奪回しキリマンジャロ基地への足掛かりを得る キリマンジャロ基地を占拠した段階でアフリカ戦線終了 アフリカ南部は放置でジオン軍が逃げ込んだまんま 多分、キリマンジャロ基地さえとれば残りは勝手に自滅すると思ったんじゃ 戦闘ヘリやガンタンクも怖い 浮き沈みが結構あるとはいえ、結局平地だからMSがめっちゃめちゃ目立つ MSを囮にしてその隙にマゼラアタックや戦闘ヘリが巧妙にチクチク隙をついてくる やばくなったら稜線に隠れてMSが援護したり 渡ろうとするが http //3.dbbs.to/one.php?id=kuronoyakata sb=3 rs=495 rno=736 ths=iXRtN9A5 http //3.dbbs.to/one.php?id=kuronoyakata sb=3 rs=495 rno=730 ths=iXRtN9A5 http //3.dbbs.to/one.php?id=kuronoyakata sb=3 rs=495 rno=734 ths=iXRtN9A5 [削除][編集][コピー] 10/29 03 24 biblio [280]エルザス 279 ふむふむ。広いアフリカ全部平定するよりは真ん中以南に押し込めとくほうが楽だし無害に近いってことでしょうね 陸戦強襲ガンタンクが突撃砲携帯で隠れてたら相当やっかいですね。サバンナでの戦いいいな 把握。これやるならBHのアフリカ戦はもっと短くしなきゃですね [削除][編集][コピー] 10/29 13 13 URBANO BARON [281]神 長門 280 ギレンの野望でもオデッサ作戦終わったらアフリカはスルーするしなぁ… キリマンジャロ基地だけ占領して後はスルーとか ベルベット作戦をオデッサ作戦の後すぐ開始に繰り上げて、アフリカの地中海沿岸を解放した段階で終了、一部兵力はアメリカでの戦いに備えて大西洋を渡りオーガスタ、メキシコへ 護衛圏囮としてBHは低空飛行で艦隊を護衛 因みにBHはジャブローへ向かうため途中で抜ける予定 けいおん!組はムスカ大佐が普通に呼んだことにした方がいいな 援軍呼んでくれたよ!→援軍はいいけど何で陸軍のムスカ大佐が海軍を援軍によんで指揮下におけるんだ?→なんか見た目以上に胡散臭いな で、フラグたてておく [削除][編集][コピー] 10/29 14 33 biblio [282]エルザス 281 下手にさわると火傷します ベルベット作戦そのものにBHが参加するわけではないですよね?オデッサから駆けつけたことにして。 了解です [削除][編集][コピー] 10/29 16 23 URBANO BARON [283]神 長門 極端な話、地球上の各拠点と補給線とか連絡通路さえ確保しとけば放置してもいいし… ぶっちゃけ補給もないし数年で自滅すると思われてたんじゃ 誤算としては 思った以上に地球上のジオン軍は自活できるだけの能力を整えていたこと。無論それでもゆるやかに衰退するというレベルの話だけど アフリカ解放戦線やカラバのように地球にも地球連邦政府に反旗を翻すものが現れた、もしくはいた、そしてそれらと協力するジオン残党も出てきた 戦争終結宣言をだしたために思い切った手がうてなくなったというのもあったかも アフリカの砂漠で戦うのなら、開始して沿岸部確保されてからだよねぇ オデッサ後のBHには強襲揚陸は無理→MSだけ貸して→和ミデアでの空挺作戦3機つめるよ アリー、シン、なのは(ガンキャノン乗り換え)かな? コーネリアを保安隊のころからキシリアを支えていた人間にしておこう 時には影武者を演じたこともあったという…程度に コーネリアがキシリア親衛隊隊長 [削除][編集][コピー] 10/29 21 56 Windows [284]エルザス 283 実際連邦の規模から考えれば10年単位で敵が衰退してくれれば問題ないと。1年やそこらで鎮圧しようとしたら大変なのは当たり前。神聖ローマ帝国みたいに体内の毒素を上手く無視してやってればよかった。どうせ連邦の至上性はゆるがないんだし、10年単位で情勢を考えればよかったんですよ。連邦の官僚と政治家にはそれがたりない その間主人公二人はどうします? 親衛隊隊長は行き過ぎじゃないですか?影武者は無名でないと [削除][編集][コピー] 10/29 23 19 URBANO BARON [285]神 長門 284 実際問題 ジオン公国→デラーズフリート・アクシズ→ネオジオン…と順調に衰退してる エゥーゴ→衰退して吸収 ティターンズ→衰退してネオジオンに吸収 そう考えると、木星帝国、CV、ザンスカールでの放置プレイも理屈は通ってる 実際描かれてないだけで放置プレイにて消滅していった反地球連邦組織がいくつもあったのかもしれないね シャアネオジオン、木星帝国、CV、ザンスカールが例外中だよねぇ、他の組織は何かしらの政治的な目的があって活動してるけど、こいつらは「粛清」や「虐殺」が目的で活動してるし組織だし目標はそれぞれ色々あるけど テロリズム…っていうかテロといっていいのかどうかすら微妙だけど、それ自体が組織の目的という… 何も考えてないなー 乃人、ナンジ見舞いとか、今までスポットのあたっていない艦内キャラメインのほうがいいんじゃない、BH側描くなら 影武者を戦後も演じられるとややこしくなるので… キシリアがお忍びでなんかやるときに影武者やったとかそういう程度 コーネリアは戦後「キシリアネットワーク」や「マクベの隠し財産」を受け継いで、反連邦活動を支援する組織を作る人に… キシリアって性格的に影武者すら始末しそうなんだよね… [削除][編集][コピー] 10/30 00 51 Windows [286]エルザス 285 連邦からしたらテロ以外の何者でもないでしょうね。アースノイドからすれば普通に生活してるだけで粛正されるわけですし 堪えきれず降伏したジオン残党だっていたと思います。ジオンの悲劇はザビ家が全滅したせいで戦争やめていいよって言ってくれる人がいなかったことですね。キシリア生き残ってたら戦い続けてたのかな 一応主人公だから長期間出ないのもあれかなーとか思って。まぁなきゃないでいいか キシリア恐い…確かに無名の影武者くらい始末しそうです…親衛隊所属くらい? [削除][編集][コピー] 10/30 09 14 URBANO BARON [287]神 長門 286 漫画版0083でビッター少将が地球の虹に心を動かされ、重力の不自由さになれ、アースノイドに近づいていく…みたいなことを言ってる さぁ?昔のナチス亡命者みたいに親ジオン派のところに隠し財産もって隠匿生活とかじゃない? 全体から見ると微々たるもんだから問題ない 既に主人公以外に機体乗り換えイベントがあるという… 保安隊の頃から支えていて、そのまま親衛隊へとスライドした人 軍事面で支えた人材 どうもキシリアは純粋な軍事面での能力は低い感じがある [削除][編集][コピー] 10/30 16 13 Windows [288]神 長門 286 これが参考になるかも 【質問】 横井さんと小野田さんの違いを教えてください. 【回答】 昔,テレビ番組「驚き桃の木20世紀」で,2人の特集組んだ時に比較していました. 旧日本軍での地位 横:徴兵 小:陸軍中野学校出身のエリート軍人 潜伏場所 横:グアム島 小:ルバング島 ジャングルに入った理由 横:逃走のため 小:残地諜者として ジャングル内での生活 横:サバイバル(生きるため) 小:現地治安当局と活発に戦闘をしていたこともある 望郷について 横:帰りたかった.イカダによる脱出計画も立てていた 小:死んだ仲間や彼独自の考えによりそれほど帰国は望んでいなかった 帰国説得への態度 横:日本政府が現地で行った帰国の呼び掛けに応じる. 小:日本政府が現地で行った帰国の呼び掛けを敵の宣伝と考え,応じず. 帰国を決意したのは,日本兵の噂を聞いてルパング島を訪れた日本人学生との交流から. 装備について 横:銃は木製部分は腐っており,鉄製部分が一部残っていた.発砲不可 小:銃の保存状態は良好.発砲可 発見時の状態 横:栄養失調状態.現地病院に緊急入院 小:多少栄養に偏りはあるも健康,士気旺盛 帰国時の世論 横:かわいそうな一兵卒 小:軍国主義の亡霊 本人によるジャングル生活の感想 横:新婚旅行で自分の生活していた住居に帰ったとき,「こんな所に何十年もいたなんて,わしゃ損した」と,報道陣にポツリ 小:手記などからは,それほど後悔している様子はうかがえない 帰国後の人生 横:日本の現状を憂い,参院選に出馬するも,落選. 小:日本の変わりように絶望し,ブラジルへ移住. 見事に対照的な二人ですね. 一口にジオン軍残党といっても立場や思想、状況なんかも色々あるわけで… 残党の中には正式に「戦闘停止命令」を受けて抵抗をやめた部隊もあったかもしれない [削除][編集][コピー] 10/30 17 47 Windows [289]エルザス 287 重力に魂縛られたスペースノイドもいるんですね。 アイヒマンでしたっけ?南米かなんかにずっとにげてたナチいましたよね。ジオンの肩書きすてて反連邦運動家とかもありそう。日本兵でビルマに残って独立運動に参加した人みたいな しかも主人公より早くないですかこれ? なるほどなるほど。 政治と資源採掘とかで有能だったのでは?総務局長とかやらせとけば… 小野田少尉を中村獅童が演じたドラマを昔みたんですけど、それによると小野田少尉は学生の帰国説得には応じず、学生が一度日本帰って当時の上官にわざわざ来てもらって命令の形でやっと帰国したとか。中野学校は伊達じゃないですね。ジオン軍人なら似たような頑固な人が多いはず。徴兵も思想に染め上げそう… [削除][編集][コピー] 10/30 18 40 URBANO BARON [290]SD大好き 289 それぐらいの意志がないとスペースノイドの独立をかけた戦争なんてやってらんないだろうな、思想は染めあげるというより元々その思想でそれをさらに濃くしていく感じなんだろうな、なんていうかサイド3にいる限りスペースノイドの独立という思想はぼんやりでもあると思う。 [削除][編集][コピー] 10/30 22 27 SH01B [291]エルザス 290 戦争が終わったところで連邦の独善的支配体制は根本的には変わってないわけですしね。コロニーに住む限り人々には独立の意志が常にあって、上に立つ人がちょっと呼び起こせばすぐその気になるってことですよね。それがダイクンであれザビ家であれシャアであれ。 [削除][編集][コピー] 10/31 00 14 URBANO BARON [292]神 長門 いかに必要であったとしても、 いかに正当な理由があったとしても、 戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。 ” ― アーネスト・ヘミングウェイの名言 人は手のひらでぬくもりを感じようとする いた、あと中国に残って八路軍に参加した日本兵もいるこれは手記があったかな その後の国共内戦にもそれなりの数が参加してるはず、じゃないと旧日本軍の鹵獲兵器あんなに使いこなせないよ。むしろチハなんて国共内戦で一番活躍したなんて言われてるくらいだし 宇宙いくときに下半身かえたくらい アフリカで なのは→乗り換え マリサ→マスパ強化 まぁ、別に乗り換えなくても十分強いからむしろいらんけど 後、主人公以外が異名持ち なのは、ピクシー 乃人には「神風の乃人」異名を与えよう それしかないわねぇ…あの段階でしかギレン殺せないのはわかるが、あの段階で殺すことはなかった それ見た、一応交流だわ しかし、あれなんかは身一つだが、残党軍はそれにMSやらなんやらも稼動状態で置いてるわけだ。 この時代にも軍閥とかいたのかな? 今も軍閥は存在するけど 290 そういう極限状態での意志とか思想については捕虜収容所にいた人たちの体験談みたいなのが参考になるかな [削除][編集][コピー] 10/31 00 31 Windows [293]SD大好き 291 やっぱりあそこまであからさまな棄民政策をしたからのも独立の意識を高めたんだろうな、あと強制的に宇宙に行かされたうえにその運賃を高いローンで三世代にわたって払えと、しかもやる仕事が重労働なのに賃金が安いときた、そんな中でこんな連邦から搾取されてるような状態でいいのか?とか言いながら独立しようとか言った人が人の上に立ったら誰だって独立運動したくなるよな。 [削除][編集][コピー] 10/31 00 37 SH01B [294]神 長門 293 実際どの程度搾取されてたのかわからんけどね。 なんだかんだ言って連邦政府は大量のコロニーを失いながらも十分に戦える力=それだけ地球に生産能力があった っていう状態だし むしろコロニー公社が怪しいよね…コロニーの維持管理を請け負ってる会社 そして税金の中には空気・水・コロニー維持費… [削除][編集][コピー] 10/31 00 51 Windows [295]エルザス 292 耳が痛い…さすがヘミングウェイ、胸に突き刺さりましたよ。いつになったら人間は武器よさらばできるのやら 国共内戦にもですか。それは知らなかった。今度調べてみよう そういえばマスパは強化されたことなかった。連射できるようにしたらちょうどいいかも 小野田少尉はたった一人三八式だけでも戦ってたっていうしMSあればそりゃ戦うわな。 ザビ家兄弟の対立がそのまま軍閥の対決な気がします 293 体制からの独立じゃなくて体制内での革命じゃダメだったのかという気はしますけどね。全面戦争じゃなく連邦議会に議席を求めるとか。無血クーデターとか。 [削除][編集][コピー] 10/31 01 15 URBANO BARON [296]神 長門 295 包丁も武器になるよねー 猿が木から降りた時自由になった手で最初に「作った」のは身を守るための武器 マスパ→補助ジェネレーターを両側に追加→下半身主機をガスタービンから核融合炉に マスパ出来た頃からマスパ関係こんな話ばっかだ んーというか、MSみたいな重機を維持出来る環境ね 地球上での軍閥の話 アフリカ解放戦線やカラバとは少し違うが… ダイクンやCVがそれに失敗したんじゃなかったかな [削除][編集][コピー] 10/31 02 27 biblio [297]SD大好き 296 MSを最低限維持する為にはモビルスーツを置く場所、あと燃料を補給するための施設、モビルスーツを分解するためのスパナとかそんな感じの道具、あと潤滑油とかetc・・・ もう大変なくらい必要な物が多い・・・でもやっぱり金はあるに越した事はない、ガンダムの世界の街で探せば一つはジャンク屋がありそう、そこでパーツを調達したのかなーとか思う。 ぶっちゃけジャンクの山を漁ればモビルスーツ1機作れる訳だし。 [削除][編集][コピー] 10/31 10 57 SH01B [298]エルザス 296 俺的にマスパはドイツ軍のヤッツケ自走砲みたいなイメージありましたし、順次強化されていっていいのでは 野外で重整備ってわけにもいかんだろうし、整備工場みたいなのも必要でしょう。 軍閥は経済的なつながりもなきゃいけないから地上では難しいかも ダイクンはサイド3国内で革命やったような。連邦議会に対するクーデターをやらないと [削除][編集][コピー] 10/31 11 39 URBANO BARON [299]神 長門 297 宇宙空間という過酷な環境で使うこと前提だしな アフガンゲリラの間では中古の日本車がお気に入りらしい、もっともソ連と戦ってた頃の話だから今どうかしらん 飛行機とかは保存状態=稼働率じゃないからな、いくら保存状態が良くても時間経過で使えなくなるパーツがあるし ジャンク屋たって10コ1レベルじゃない? もしくは一回使ったら後はしらんよレベル 要するにそういった消耗部品をある程度安定して供給出来る環境にないと駄目なわけだ。 「今日、最後のMSが稼働限界を迎えた、後は諸君らの好きにして欲しい…解散!」とかあっただろう [削除][編集][コピー] 10/31 23 20 Windows [300]神 長門 298 牽引式榴弾砲→自走砲→突撃砲→駆逐戦車→そして伝説へ… 大西洋上で試射するか→一時間に一発か→ケーブルと冷却液循環パイプでBHと繋ぐわ→動けねぇ…→知らねぇよ 下半身ガスタービンだから遅いよ…みたいな 今でも軍閥?いるからなぁ麻薬関係で http //blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/7d61ab5168ff4134706cd7d24c940c83これなんかどーよ 宇宙世紀ではメキシコのマフィア共はなにしてるんだろ ジャミトフはティターンズを使ってそれをやりたかったんじゃないかと思ってる そういえば王道から外れてる点 最初に主人公機?に乗り込むのが主人公じゃない 主人公機を交代で乗り、ぶっちゃけ誰でもいいって感じにする まぁそれが普通だけど、交代要員とか出ないもんな ジャブローで「何だよ、なんで全部違う機体なんだよ!ふざけてんのか!」 「実験部隊か…」 みたいなことを言うか [削除][編集][コピー] 10/31 23 42 Windows
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1546.html
統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現状』、カワカミ五九―六〇頁)。それは、「ソ連が資本主義列国を単独で打倒すことは到底不可能である。目下の急務は、アジア正面の敵日本帝国、そしてヨーロッパ正面の敵ドイツ帝国を撃破することだが、この二国は強力でソ連の手に負えない。従って、日独を欺くためには宥和政策を以てし、彼らを安心せしめ(ドイツとの不可侵条約《一九三九年》並びに日本との中立条約《一九四一年》)、日本を支那と米英、ドイツを英仏と戦わせて、漁夫の利を占める」という戦略を建てたのである。日米は支那大陸でその権益を巡り、長い間冷戦(静かな戦争)を展開していたから、ズバリの戦略と言えよう(コミンテルン資料)。 コミンテルン決議を受けて支那共産党中央は、同三五年八月一日に「抗日民族統一戦線結成」=八・一宣言を支那全土に発した。東京でゾルゲと尾崎秀実が、日支を激突させ、最終的には支那を支援する米英と日本を激突させる謀略工作を開始したのは、前年昭和九年の初夏であった。この年十月七日、広田弘毅外相(岡田内閣=同内閣は翌年二月の事件に遭遇)は、蒋作賓駐日支那大使と会談、日華提携の前提条件(1)排日運動の停止、(2)満州国の黙認、(3)共同防共=赤化防止政府を提示(広田三原則)したところ、支那大使は概ね同意した。しかるに蒋介石は戦後の回顧録『秘録』(十一巻、七〇―七二頁)で、広田三原則に同意した覚えは無い、広田が勝手に「支那も賛同した」と公表したのだ、我々は否定していた、と述べた。だが、「東京裁判」で日本を悪者に仕立てるために辻褄を合わせる虚偽の証言である。支那人は明白な史料が残っていても平気で嘘をつく、南京大虐殺三十万人なぞは平気の平左の嘘八百である。 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 三五=昭和十年十月下旬、毛沢東の紅軍主力は、陝西省北部に到着した。(支那共産党史は、「英雄的大長征」と言っているが要するに逃避行であり、その間に凄惨なる内ゲバが続いて毛沢東がヘゲモニーを掌握)。この敗残集団である共産党を一挙殲滅せんと蒋介石は、西北剿共総司令部を西安に設置、自らが総司令、副指令に張学良を任命した。だが、張学良は乗り気でなく、寧ろ親の敵、満州掠奪の敵と恨みを重ねていて、「抗日救国」を提唱する共産党との連携を密かに進めていた。いや、寧ろ共産党側が張学良を丸め込んだのである。張学良にはコミンテルンから指令が出ていて軍資金と兵器の供与を受けていた。 さて、満洲建国以後、支那の反発は益々強まり、日支間に小競り合いが絶えない。そこで、我邦は支那本部と満洲の間(華北)に緩衝地帯を形成しようと本腰を入れた(注・冀察政務委員会成立=委員長宋哲元。宋は華北省主席を兼ねた。また三六=昭和十一年四月一七日には華北治安維持に支那駐屯軍《通称、天津軍》を現在の千七百から五千七百に増強している)。これは「華北分離工作」と言われた(注・「華北処理要綱」という華北五省の自治強化政策案を政府が作成したのは一九三六=昭和十一年一月十三日)。満洲に支那の内戦が直接波及するのを防止するのが、我邦の意図であった。 しかるに、国民党や支那共産党筋は、日本帝国主義は満洲掠奪だけでは飽き足らず、華北侵略・支那本部侵略を目指している証拠だと騒ぎ立て、それを受けて十二月九日(十二・九運動)、北平の学生らが「抗日救国」「華北分離工作反対」の大々的な示威運動を実行、運動は全国各都市に波及した。十二月十九日、支那共産党中央は「抗日民族統一戦線結成策」を決定した。年が明けて三六=昭和十一年正月、蒋介石は、「未だ外交的手段による失権回復は絶望的ではないが、時が来たれば抗日に立ち上がる事も有り得る」と演説した。 このように情勢が目まぐるしく変転する中、二月から三月にかけて山西省方面の軍閥と戦闘中で劣勢だった毛沢東は、五月五日、周囲の状況を読んで突如今まで掲げていた「反蒋」のスローガンを「連蒋」に切り替えた(五・五通電)。八月二十五日、支那共産党中央は、公式に「反蒋・反国民党」の看板を下ろして、「共同抗日・建設民主共和国・回復国共合作」を表明したのである(八月書簡)。蒋介石の共産党掃滅作戦を思い止まらせようとの戦術転換だった。支那の激しい反日運動を米国の民主党系メディアも熱心に支援した。 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 歴史というものは実に複雑怪奇なものである。大陸政策のギクシャクに激しい危機感を持った日本内地の陸軍青年将校の政府転覆のクーデタ未遂事件=(一九三六=昭和十一年)二・二六事件が起こった。これが支那の強硬な対日姿勢を一層促す作用を果たしたのは当然である。日本に敵対する諸勢力は、日本の政治状況の極度な不安定、内部分裂の兆候であると読んだのであろうし、それが「抗日運動」を超えて「抗日戦争」へとその意欲を高めた筈である。ソ連・コミンテルンそして支那共産党は間違いなく「抗日戦争」の確信犯であった。これに対し、蒋介石は未だに「抗日戦争」には半信半疑ながらも、共産党殲滅作戦をまず完遂しようとの決意は動いていなかった。 共産党側が盛んに国共合作復活のサインを出し続けたのに対し、蒋介石は、この年の晩秋、北西剿共軍副指令張学良に全面攻撃を指令、十二月四日、督戦のため西安に乗り込み、副指令張学良および揚虎城らに共産軍攻撃を強化して三ヶ月以内に共産党を殲滅せよと厳命した。張学良が剿共作戦に不熱心だったからである。これが、再度のしかも共産党主導の国共合作への流れを促したのである。既に指摘したように張学良は、ソ連・コミンテルンや支那共産党と通謀していた。剿共作戦を中止して国共合作を回復し、「抗日戦争」に立ち上がろうと決意していた。ここに張学良の一世一代の大芝居が突発する。西安事件である。この事件は東アジア情勢の大転換点だ。事態の推移を時系列で確認しよう。 (1)一九三六(昭和十一)年十二月四日、総司令蒋介石、督戦に飛行機で西安に到着。この日から、張学良は剿共作戦を停止して国共合作を復活し「共同抗日」に立ち上がろうと蒋を説得し続けた。だが、蒋は頑なにそれを拒否して剿共作戦の即時強力実行を命令する。十二日、張学良は叛乱に踏み切る。陝西綏西司令揚虎城と共謀し、蒋を軟禁した。 (2)その日、示し合わせたように延安から周恩来が西安に飛来。蒋との折衝にかかる。毛沢東指導の延安共産党本部は、「蒋介石誅殺」を決議した。 (3)時を移さず、モスクワからスターリンの支那共産党宛電報が達した。「蒋介石を即時釈放せよ、さもなくんば貴党とは関係を断絶する」と言う厳命だった。蒋介石を人民裁判にかけて死刑に処し、西北抗日防衛政府を樹立する積りでいた毛沢東は、当時の力関係と従来の支配=服従関係からスターリンの命令に屈服せざるを得なかった。この時、延安は勿論西安でも「蒋介石処刑論」が圧倒的だったと言う。毛沢東はスターリンの厳命に接して地団太を踏んで悔しがったと言う。 (4)監禁された蒋介石と周恩来=中共からおよそ六項目の条件を呑まされた(田中正明『朝日・中国の嘘』一一一頁)。監禁二週間目の二十五日、蒋は釈放され、無事南京に帰還した。年が明けて一九三七=昭和十二年正月六日、蒋介石は剿共作戦を中止して西北剿共司令部を廃止した。二七年四月の蒋介石の反共クーデタ以来約十年の国共内戦は停止された。これでスターリンの東アジア戦略=日本帝国主義と蒋介石を激突させる戦略は軌道に乗ったと共に、支那共産党は殲滅の危機から脱出したのである。そして、西安事件の次に遣って来たのが盧溝橋事件である。 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 一九三七(昭和十二)年正月二一日、帝国議会の施政方針演説で広田弘毅首相は、「所謂コミンテルンの危険性は近来益々増大の兆候あり」と述べた。だが、政変となり、二月二日 林銑十郎内閣が成立。二月十日、支那共産党は、国共合作・共産革命の武装蜂起停止・土地革命停止、そして紅軍の国民革命軍への合流を国民党に提案したのである。 六月四日、第一次近衛文麿内閣が成立した。 七月七日、北京郊外の盧溝橋で日支両軍衝突事件が突発した。二十二時四十分、支那側から発砲。この事件そのものは今までも多発していた日支両軍の小競り合いだったので、日本政府は、現地解決そして不拡大方針で臨んだ(今井武夫『支那事変の回想』一頁。臼井『日中戦争』三十三―三十六頁)。 だが、日本の姿勢とは逆に、八日、中共中央委員会「徹底抗日」通電した。 九日、蒋介石政府は、大掛かりな動員令を発令した(カワカミ『シナ大陸の真相』一四三、一四八頁)。 十日、埼玉大和田海軍受信所、北京米国海軍武官からワシントン海軍作戦司令部宛暗号電報を傍受した。それは「第二九軍宗哲元麾下の一部不穏分子は現地協定にあきたらず今夜七時を期し日本軍に対し攻撃を開始することあるべし」とあった(初代海軍軍令部直属攻撃受信所所長和智恒蔵少佐(後、大佐)の東京裁判での宣誓口供書)。 十一日「午後八時、特務機関長松井太九郎大佐と張自忠との間に二九軍代表の遺憾の意表明、支那軍の盧溝橋からの撤退、抗日団体の取締徹底を期待した現地協定(松井―秦徳純)」が成立した。東京ではこの日午前の五相会議において、支那軍の謝罪、将来の保障を求めるための威力顕示のための派兵も已むなしと陸軍三個師団の動員を内定した。しかし、支那駐屯軍から現地停戦協定が成立した旨の報告が入ったので、軍部は一応盧溝橋事件の解決と認め、内地師団に対する動員下令計画を見合わせた。丁度この頃、支那共産党宛コミンテルン指令の骨子「日支全面戦争に導け」。 支那共産党が、国共合作宣言を公表したのは七月十五日、蘆溝橋事件の一週間後のことだ。 十七日、蒋介石と周恩来の廬山談話(四原則の声明)があり、蒋介石「対日抗戦準備」「最後の関頭に立向かう」応戦声明を発表した。 十九日までに、蒋介石軍は三十個師団(約二十万)も北支に集結、内約八万を北京周辺に配備。この日、南京政府は、この事件に関する地域レベルでの決着は一切認めない、東京は南京と交渉しなければならない、ときっぱり日本に通報してきた。つまり、現地協定拒否の表明である。 二十日、支那第三十七師の部隊は、盧溝橋付近で日本軍に対する攻撃を再開。 二十一日、蒋介石総統は南京で戦争会議開催、日本に対して戦争の手段に訴えると公式採択したのである。 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 (1)日本は戦争を望んでいなかった。 (2)東京裁判で中華民国側は、華北に日本軍が侵略したのが原因だと言い張ったが、北平に駐屯していた通称天津軍は一九〇一=明治三四年七月、列国一一ヵ国が支那政府と締結した「北京議定書」に基づき、支那の首都の治安維持のための条約に基づく駐屯だった。 (3)様々な史料で明らかなように、日支両軍衝突を挑発したのは支那側で有り、それは支那共産党の謀略部隊による挑発であった。 (4)盧溝橋事件以後の三週間、日本側は、四度停戦協定を結んだが、支那軍は悉くこの停戦協定を破った。 (5)この三週間、日本側は動員令を出すのを控えたが、蒋介石(南京)政府は即座に動員令を発した。 (6)この三週間に支那軍は二十五万の兵員を北支に結集したが、日本は事件の平和的交渉を通じて解決しようと必死に努力した。 我邦は明らかに和平を強く希望していた。しかし、支那の応答は、七月二五日の廊坊(天津―北平間に所在)事件、七月二六日の広安門事件、そして七月二十九日の通州事件であった。特に通州では冀東政府保安隊が日本人民間人およそ二百人を大虐殺する惨酷な事件だ。次いで一万人の日本民間人が居住している天津日本租界が襲撃された。打ち続く残虐な事件の後を追って、八月九日、上海国際租界で日本海軍士官大山中尉・水兵殺害事件突発。ついで起こったのが、八月十三日の第二次上海事変である。 上海事変に関して指摘すべきは、蒋介石軍は第一次上海事変の後に国際間で取り結ばれた協定=上海停戦協定を踏み躙る軍事行動だった。しかも、英・米・仏は国際法を踏み躙る蒋介石に好意的だった。九月二日、日本政府は、『北支事変』を『支那事変』と改称し日支軍事衝突のこれ以上の拡大を防ごうとした。だが、九月二十二日、南京政府と支那共産党は同時に『国共合作』・『民族統一戦線結成』を宣言して、徹底抗戦の構えを見せたのである。上海の支那軍の妄動を制圧すべく、中支那軍は南京を制圧したのである。参謀本部と現地軍との間に作戦を巡る見解の相違が生じたこと、中支方面軍司令官松井石根が有る意味で最大の貧乏くじを引かされたことをもっと明らかにする必要がある。 日本軍国主義が昭和初年に立てた大陸侵略、世界征服の「共同謀議」から必然的に発展した侵略戦争が支那事変だったと『東京裁判』は断案した。しかし、この判決が、如何に歴史の事実を無視した、歪曲された「昭和の戦争」論であるかを大凡示すことが出来たと考える。カール・カワカミは言う「日本人の忍耐力は実に驚嘆に値する」と(一五四頁)。 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
https://w.atwiki.jp/maikuragunzibu/pages/736.html
弓楽国内戦勃発! -統一歴120年 現在、弓楽国は内戦中です!主に3つの勢力に分かれており、共民党、弓楽共産党、そして立憲君主制を掲げる政党である。 各国自由にどれかの陣営につくことができます!下のコメント欄からお願いします。(物資援助、直接介入など) 内戦Discord(ここからも参加できます) https //discord.gg/Jx9GxqF 現在の戦況 現在、立憲君主党が圧倒的不利だが…? ニュース レグルス艦隊と連合艦隊が衝突!-1/22 共民党電撃戦の予兆-1/4 弓楽国共民党軍は多数の戦車師団を前線に張り付けている。これから、電撃戦が行われると予想される… 立憲君主陣営に多数参戦国-1/2 年も明けた1/2、なんと1か国、しかも技術力があったり大国だったりする国が参戦した!立憲君主運動の勝利がだんだんと明確化してきたことがわかる。 ラズルティーツェリ作戦-12/30 12/30日未明、共産党は立憲君主運動の早期打倒を達成するため、ラズルティーツェリ作戦と呼ばれる奇襲作戦を実行した。 詳細 +... 今作戦は、立憲君主運動の早期打倒を達成するため行う。まず、偵察機および航空機を別の場所を偵察するような動きで飛ばし、少しでも敵の軍事拠点の興味を引き付け、深夜に突然奇襲を敵本部に仕掛ける作戦だ。なるべく敵を航空機に引き付けるため、なるべく航空機を出撃させ、奇襲部隊はステルス装備などを使い、少数部隊で敵本部を早期に占領する。その後は、流れるように勝利ができるだろう。-共産党本部 しかし、不運なことに敵航空機に奇襲部隊が発見され、防衛線を築いてしまったため、この作戦は失敗に終わった。 -共産党 ↑突撃する第2奇襲部隊 今内戦初の戦闘が勃発-12/27 今内戦初の戦闘が共産党国境で発生した。戦闘は小規模であったが、今内戦での初めての戦闘ということで国内は大混乱に陥ってしまった。戦闘は共産党の勝利で終わった。 ↑共産党側のステルス爆撃機。戦闘が発生したと同時に離陸した。 弓楽国共産党 弓楽国共民党 立憲君主運動 コメント欄(参戦欄) リーアライズ重工業国の弓楽国内戦への立憲君主党への参戦をする -- Alfort Reiya (2018-12-30 20 53 04) 了解しました -- yuraproject (2018-12-30 21 44 54) 名前 コメント 参加国家一覧 共民党陣営 スティーブ・クラフタリア同盟連邦 ソベリア第三帝国 共産党陣営 セーヴェル連邦 シランナ民主共和国 スィヴェールヌイ・サユーズ 立憲君主党 レグルス連合帝国 リーアライズ重工業国 ハプスブルク朝カレンテルニア帝国
https://w.atwiki.jp/yuyamamoto/pages/14.html
■研究業績 ■著書(単著・共著・共編著) 「「満州」日系企業研究史」,田中明編著『近代日中関係史再考』(田中明他7名と共著)所収,日本経済評論社,2002年3月,43-76頁. 「「満州」の石炭業」,原朗・山崎志郎編著『戦時日本の経済再編成』(原朗他8名と共著)第7章,日本経済評論社,2006年3月,197-226頁. 「満州」,日本植民地研究会編『日本植民地研究の現状と課題』(小林英夫他7名と共著)第7章,アテネ社,2008年6月,217-248頁. 「事業化された調査―資源・鉱産物調査とオイルシェール事業―」,松村高夫・柳沢遊・江田憲治編著『満鉄の調査と研究―その「神話」と実像』(松村高夫他6名と共著)第4章,青木書店,2008年7月,227-269頁. 貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編(上田貴子・梅村卓・大沢武彦・塚瀬進・永井リサ・平山勉・古市大輔・山本裕 編集協力)『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館,2012年12月. 「長春から新京へ―「満洲国国都」の膨張と工業化」,柳沢遊・木村健二・浅田進史編著『日本帝国勢力圏の東アジア都市経済』(柳沢遊他8名と共著)第4章,慶應義塾大学出版会,2013年10月,113-151頁. 「第一一師団と善通寺」,坂根嘉弘編著『地域のなかの軍隊 5 中国四国 西の軍隊と軍港都市』(坂根嘉弘他8名と共著)吉川弘文館,2014年10月,41-70頁. 「「満洲国」後期における石炭増産政策」,柳沢遊・倉沢愛子編著『日本帝国の崩壊―人の移動と地域社会の変動』(柳沢遊他11名と共著)第11章,慶應義塾大学出版会,2017年7月,375-405頁. “Dancing with the Sun and the Dragon International Coal Cartels in East Asia, 1916–1937”Toshitaka Nagahiro, Yu Yamamoto;“A History of Business Cartels International Politics, National Policies and Anti-Competitive Behaviour” Edited By Martin Shanahan, Susanna Fellman,Routledge,July 5 2022,pp.299-320. 「新京における工業化―膨張する「国都」とその限界」,松本俊郎編『「満洲国」以後 中国工業化の源流を考える』(松本敏郎他2名と共著)第3章,名古屋大学出版会,2023年02月,88-105頁. 「長春における工業化の展開―廃墟からの出発と自動車工業の創生」,松本俊郎編『「満洲国」以後 中国工業化の源流を考える』(松本敏郎他2名と共著)第7章,名古屋大学出版会,2023年02月,195-214頁. 「長春の旧糧桟にみる戦後の企業再編―国共内戦期・共和国成立期の益発合」,松本俊郎編『「満洲国」以後 中国工業化の源流を考える』(松本敏郎他2名と共著)第10章,名古屋大学出版会,2023年02月,282-303頁. ■論説 「「満州国」における鉱産物流通組織の再編過程―日満商事の設立経緯1932-1936年―」,『歴史と経済』第178号,2003年1月,21-40頁. こちらをクリックして下さい。 「「満州」における在来燃料問題の「発生」」,『香川大学経済論叢』第82巻第4号,2010年3月,267-302頁. こちらをクリックして下さい。 「「満洲国」下の都市社会問題―石炭供給不全を中心に―」,『香川大学経済論叢』第86巻第2号,2013年9月,157-176頁. こちらをクリックして下さい。 「開発政策と地域経済の変容―全国総合開発計画と香川県製塩業を事例に(1)―」,『香川大学経済論叢』第89巻第2号,2016年9月,29-36頁。 こちらをクリックして下さい。 「地域の中の塩業組合―「塩害」の発生と生島塩業組合の対応を中心として―」(大西里奈と共著),『香川大学経済論叢』第89巻第4号,2017年3月,107-124頁. こちらをクリックして下さい。 「満鉄販売部門の活動と展開―1930年代前半を中心に―」,『立教経済学研究』第76巻第3号,2023年1月,99-124頁. こちらをクリックして下さい。 ■研究ノート 「満鉄オイルシェール事業―1909-31年」慶應義塾経済学会『三田学会雑誌』第95巻第4号,2003年1月,177-198頁. こちらをクリックして下さい。 「満鉄と化学技術開発」新潟大学コアステーション人文社会・教育科学系付置環東アジア研究センター『環東アジア研究センター年報』第4号、2009年3月、52-55頁. 「近代化と学問―19世紀末アジア知識人の葛藤」(山本珠美・張暁紅と共著),『香川大学生涯学習研究センター研究報告』第23号,2018年3月,133-151頁.(分担執筆 「近世から近代へ~「ウェスタン・インパクト」と近代日本社会、その受容と「反発」」139-145頁) こちらをクリックして下さい。 ■Working Paper 「『満鉄統計年報』に見るエネルギー資源データベース 1907-1916」Keio University Market Quality Research Project DISCUSSION PAPER SERIES DP2003-026, Graduate School of Economics and Graduate School of Business and Commerce, Keio University,2004.3.(総頁数39頁) 「1940年代「満州」における石炭産業―供給面を中心に―」Keio University Market Quality Research Project DISCUSSION PAPER SERIES DP2004-030, Graduate School of Economics and Graduate School of Business and Commerce, Keio University,2005.3.(総頁数39頁) 「『満鉄統計年報』に見るエネルギー資源データベース 1917-1926」Keio University Market Quality Research Project DISCUSSION PAPER SERIES DP2005-017, Graduate School of Economics and Graduate School of Business and Commerce, Keio University,2006.3.(総頁数50頁) 「衰退産業における企業財務の変遷―戦後大手石炭企業の事例(1956~1991)」Keio University Market Quality Research Project DISCUSSION PAPER SERIES DP2006-034, Graduate School of Economics and Graduate School of Business and Commerce, Keio University,2007.3.(島西智輝・牛島利明と共著,総頁数43頁.分担執筆 10-14,22-26頁[計10頁]) ”The International Coal Cartels in the East Asian Market,1916-37” 香川大学経済研究所 Working Paper Series No.226,香川大学経済研究所,2019年6月(Toshitaka NAGAHIRO/Yu YAMAMOTO ,総頁数29頁.共同執筆) ■書評 『「満洲国」経済史研究』山本有造著,『日本植民地研究』第18号,2006年6月,80-85頁. 『満州企業史研究』鈴木邦夫編著,『日本植民地研究』第20号,2008年7月,78-84頁. 「書評 原田勝正著『増補 満鉄』」,『社会経済史学』第76巻第3号,2010年11月,143-145頁. こちらをクリックして下さい。 「書評 芳井研一編『南満州鉄道沿線の社会変容』」,新潟史学会『新潟史学』第71号,2014年6月,68-72頁. 「張良澤編著『日本火柴盒圖録(1966〜1970年)』(秀山閣私家蔵版、2015年)」,天理台湾学会『天理台湾学報』第25号,2016年7月,200-203頁. 「王紅艶著『「満洲国」労工の史的研究―華北地区からの入満労工―』」,『歴史と経済』第234号,2017年1月,70-72頁. こちらをクリックして下さい。 「書評と紹介 柴田善雅著『満洲における政府系企業集団』」,日本歴史学会編『日本歴史』第839号,2018年4月,105-107頁. 「書評 老川慶喜著『満州国の自動車産業―同和自動車工業の経営史』」,『日本植民地研究』第33号,2021年6月,71-74頁. ■事典項目 「総説 経済」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館,2012年12月(塚瀬進, 平山勉と共著),23-27頁. 「鮎川義介」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,237-238頁. 「出光計助」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,240-241頁. 「久保孚」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,267-268頁. 「三溝又三」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,301-302頁. 「隅谷三喜男」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,323頁. 「武部治右衛門」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,340-341頁. 「武部六藏」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,341-342頁. 「炭業統制委員会」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,344-345頁. 「特殊会社」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,369-370頁. 「配給機関」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,403-404頁. 「「満州経済建設第一期総合計画」」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,441-442頁. 「山崎元幹」貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』 吉川弘文館,2012年12月,509-510頁. 「石油」吉田裕・森武麿・伊香俊哉・高岡裕之編『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館,2015年10月,337-338頁. 「帝国石油会社」吉田裕・森武麿・伊香俊哉・高岡裕之編『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館,2015年10月,433頁. 「帝国燃料興業会社」吉田裕・森武麿・伊香俊哉・高岡裕之編『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館,2015年10月,434頁. 「日本石油会社」吉田裕・森武麿・伊香俊哉・高岡裕之編『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館,2015年10月,519頁. ■雑文 「研究履歴と今後の課題」、社会経済史学会中国四国部会『会報』第38号、2010年6月、1-6頁. こちらをクリックしてください。 ■学会・学術研究集会報告等 招待講演(一般向講演含む) 「日本経済形勢分析」,大連理工大学公開講座,2007年6月5日,於大連理工大学総合楼151教室,聴衆90名. 「現代中国のエネルギー産業とエネルギー市場」,大連理工大学・金沢学院大学 学術交流会,2007年9月12日,於大連理工大学総合楼312教室,聴衆52名. 「日本人の仕事観、中国人の仕事観」,大連職工大学公開講座,2008年5月25日,於大連職工大学201教室,聴衆15名. 「日本留学の『理想』と『現実』―推薦書・研究計画書の添削から考える」,大連日本語教師会月例会,2008年6月15日,於中日友好大連人材培訓中心第一楼第一室,聴衆18名. 「「満州」企業史研究の現状と課題―最近の成果を中心に―」,慶應義塾経済学会講演会(学術報告),2008年7月14日,於慶應義塾大学研究室棟第一会議室,聴衆10名. 「人類発展の基礎的・教養的知識(1)」,連合香川第4期中堅役員労働講座,2012年3月24日,於ホテルオークラ高松,聴衆25名. 「人類発展の基礎的・教養的知識(2]」,連合香川第4期中堅役員労働講座,2012年5月19日,於ホテルオークラ高松,聴衆20名. 「東アジアにおける領土問題をめぐる歴史的考察」,連合香川第16期ユニオンスクール,2012年11月17日,於マリンパレスさぬき,聴衆16名. 「植民地における商品市場の実態―満州に焦点を当てて―」,和歌山大学経済学会学術講習会「経済時系列解析と歴史研究―分析モデルの開発とその応用―」(学術報告),2013年9月19日,於和歌山大学経済学部本館棟第一会議室,聴衆11名. 「人類発展の基礎的・教養的知識(1)」,連合香川第5期中堅役員労働講座,2014年3月29日,於ホテルオークラ高松,聴衆12名. 「人類発展の基礎的・教養的知識(2]」,連合香川第5期中堅役員労働講座,2014年5月31日,於ホテルオークラ高松,聴衆10名. 「人類発展の基礎的・教養的知識」,連合香川「中堅役員講座」,2016年9月24日,於ホテルオークラ高松,聴衆20名. 「近世から近代へ―「ウェスタン・インパクト」と近代日本社会、その受容と「反発」―」,香川大学公開セミナー「近代化と学問」,2017年10月01日,於林求馬邸(香川県仲多度郡多度津町大字奥白方698 旧多度津藩家老屋敷),聴衆31名。 「人類発展の基礎的・教養的知識」,第1回連合香川労働講座,2018年6月30日,於高松テルサ202会議室,聴衆20名. 「満洲都市経済史研究の現状と課題」,名古屋大学課題設定型ワークショップ「社会経済研究」「共通論題:帝国日本の都市経済史」(学術報告),2018年9月18日,於名古屋大学大学院経済学研究科 経済学棟2F 第1会議室,聴衆12名. 「日本植民地都市経済史研究の現状と課題―「満洲」を中心として」,2018年度第3回立教大学経済史・経営史ワークショップ(学術報告),2018年12月21日,於 立教大学池袋キャンパス12号館4F 第2・3共同研究室,聴衆5名. 報告(研究発表) 「日満商事の設立過程1932-36年」(単著)土地制度史学会秋季学術大会 自由論題報告,中央大学後楽園キャンパス,2000年10月28日. 「「満州」石炭市場の形成と在来燃料市場の「再編」」(単著)社会経済史学会全国大会 自由論題報告,一橋大学,2005年4月30日. 「日本植民地研究の現状と課題―「満州」―」(単著)日本植民地研究会全国研究大会 共通論題報告,立教大学,2006年6月25日. “A History of Theory regarding the Economic Presence of the Imperial Japan in Manchuria”(単著)(Session Title;“The Theory and Practice of Examining Colonialism in Asia and the Pacific”)International Convention of Asia Scholars 6, at Daejeon(大田) Convention Center ,Korea, August 6,2009. 「両大戦間期における満鉄の内地石炭販売政策とその実態」(単著)経営史学会全国大会 自由論題報告,京都産業大学,2009年10月3日. 「「満州国」下の都市社会問題―石炭供給不全を中心に―」(単著)慶應義塾大学東アジア研究所・歴史問題研究所共同国際シンポジウム「日本帝国主義と勢力圏都市の諸問題と社会変動」研究報告,韓国ソウル市歴史問題研究所講堂,2010年8月18日. 「「満州」日系商業組織における調整機能の推移―長春を中心に―」(単著)第26回慶應義塾大学東アジア研究所学術大会研究報告,慶應義塾大学東アジア研究所 共同研究室1,2011年6月25日. 「『満洲国』都市の膨張と工業化」(単著)政治経済学・経済史学会 秋季学術大会パネルディスカッション②「1930年代日本帝国勢力圏内諸都市の経済変容―長春・済南・青島を中心として―」,慶應義塾大学三田キャンパス 第一校舎1階 102教室,2012年11月10日. 「「国策」概念についての一考察」(単著)[韓国]東アジア日本学会・東北アジア文化学会 2013年秋季連合国際学術大会自由論題報告,啓明大学校[韓国大邱市],2013年11月2日. “Manchuko coal increase in production policy in the Pacific War period”(単著)(Session Title;“Production and Distribution within the Imperial Boundary”)International Symposium; Integration and Tension between Empire and Colonies From a comparative historical view of Korea,Japan and Taiwan,at Ewha Woman University(梨花女子大学校)[Seoul],Korea,May 17,2014. 「「満洲国」後期における地域的石炭増産政策」(単著)慶應義塾経済学会ミニコンファレンス,晴海グランドホテル,2014年7月20日. 「「満洲国」期における地域中小炭鉱の展開と増産問題」(単著)政治経済学・経済史学会 中四国部会 自由論題報告,香川大学幸町南キャンパス 1号館 E12教室,2017年5月13日. 「満鉄販売部門の活動と展開;1932-1936」(単著)[韓国]東アジア日本学会2017年度春季大会 自由論題報告,江原大学校人文大学[韓国春川市],2017年5月20日. 「「満洲国」後期における石炭増産政策」(単著)社会経済史学会第86回全国大会 自由論題報告,慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階 515教室,2017年5月27日. Toshitaka NAGAHIRO, Yu YAMAMOTO “The International Coal Cartels in the East Asian Market, 1916-37“ (Session Title;“International Cartels in the 19th and 20th century National Perspectives “ ) XVⅢ World Economic History Congress at Massachusetts Institute of Technology,U.S.A,August 1,2018. 「戦中戦後の中国東北工業化―長春の事例を中心に―」(単著)政治経済学・経済史学会 中四国部会 グループ報告「戦中戦後の中国東北工業化」,広島大学東千田キャンパス 東千田未来創生センター ミーティングルーム3-1,2019年6月29日. 「長春における断絶された工業化の展開」(単著)政治経済学・経済史学会 冬季学術大会パネルディスカッションD「戦中・戦後初期における中国東北の工業化」,早稲田大学早稲田キャンパス 11号館8階 819教室,2020年1月11日. 「国共内戦期・共和国建国期の益発合」(単著)政治経済学・経済史学会 中四国部会 共同研究報告「中国東北の工業都市における資本主義の改造」,香川大学幸町キャンパス+オンライン開催,2021年7月11日. Toshitaka Nagahiro, Yu Yamamoto “The technical change and labor situation of the Fushun coal mine”; Session I03 Income Distribution and Technological Development in Coal Mine Companies,2nd World Congress of Business History,10 September 2021,Online. 「長春の旧糧桟、益発合にみる「公私合営」」(単著)社会経済史学会 第92回全国大会 パネルディスカッション パネル⑦「中国東北における私営工業の社会主義改造―長春・瀋陽・哈爾濱・鞍山の公私合営化を事例に―」,西南学院大学 1号館 401教室,2023年05月28日. 報告(司会・コメンテーター) (司会)鈴木仁麗「興安省政策と満洲国の地方統治」,2009年度日本植民地研究会春季研究会,立教大学池袋キャンパス 12号館地下1階第3・4会議室,2010年3月6日. (司会)柴田陽一「植民地に関する地理学研究の系譜―満洲研究を中心として―」,2009年度日本植民地研究会春季研究会,立教大学池袋キャンパス 12号館地下1階第3・4会議室,2010年3月6日. (司会)前田廉孝「日清・日露戦間期台湾製塩業における野崎武吉郎家の進出過程」,2011年度日本植民地研究会秋季研究会,慶應義塾大学三田キャンパス 図書館旧館2階会議室,2011年11月12日. (コメンテーター)烏雲高娃「「満洲国」のモンゴル知識人ハダーの民族意識について」,2011年度日本植民地研究会秋季研究会,慶應義塾大学三田キャンパス 図書館旧館2階会議室,2011年11月12日. (司会)金広植「帝国日本における「日本」説話集の中の朝鮮と台湾の位置付け」,2012年度日本植民地研究会秋季研究会,立教大学池袋キャンパス 12号館地下1階第2会議室,2012年11月24日. (司会)細谷 亨「戦時期における「満洲」分村移民と母村の変容―長野県諏訪郡富士見村を事例に―」,2012年度日本植民地研究会春季研究会,慶應義塾大学三田キャンパス 北新館1階会議室,2013年2月23日. (司会)政治経済学・経済史学会 秋季学術大会パネルディスカッション③「満鉄史研究の新地平-帝国主義侵略のなかの満鉄像-」,下関市立大学A講義棟 108教室,2013年10月19日. (司会)木戸健太郎「政治評論家としての馬場恒吾」,社会経済史学会中国四国部会鳥取大会,とりぎん文化会館,2013年12月14日 (コメンテーター)神戸大学大学院経済学研究科・経済学部 六甲フォーラム (共催)JFE21世紀財団・アジア歴史研究助成「戦前日本帝国下の植民地・占領地経済に関する関係史的接近」,神戸大学経済経営研究所 新館二階会議室,2014年11月16日. (コメンテーター)政治経済学・経済史学会 秋季学術大会 パネルディスカッションH「日本帝国解体過程における東アジア民衆の経験―戦時・戦後経験の意味するもの―」,福島大学M講義棟1階 M-1教室,2015年10月18日. (司会)日本植民地研究会 第25回全国研究大会 共通論題「日本植民地における鉄道と観光」,立教大学池袋キャンパス太刀川記念館3階会議室,2017年7月9日. (司会)鵜飼要「1930年代新居浜における工業地域の形成―港湾整備と重化学工業化に着目して」,社会経済史学会中国四国部会岡山大会,岡山大学津島地区北キャンパス文法経講義棟10番講義室,2017年11月25日. (司会)三木理史「「満州国」期における満鉄旅客輸送」,社会経済史学会第87回全国大会,大阪大学文法経講義棟 法・第23番講義室,2018年5月26日. (司会)須永徳武「植民地企業は儲かったか?―収益性比較」,日本植民地研究会 第26回全国研究大会,北海学園大学豊平キャンパス 7号館3階 D30番教室,2018年7月15日. (司会)佐藤正志「観光地の形成とメディア」,社会経済史学会中国四国部会広島大会,広島大学東千田キャンパス東千田未来創生センターM203室,2018年12月8日. (コメンテーター)社会経済史学会中国四国部会島根大会シンポジウム「近代東アジアにおける水産問題」,島根県労働会館,2019年12月1日. (司会)鳥谷智文「明治前期における鉄師絲原家の経営動向―明治9年(1876)「議事日誌」(絲原家文書)を題材にして―」,社会経済史学会中国四国部会高知大会, 高知市立自由民権記念館大ホール,2020年11月28日. (司会)宇都宮千穂「地方都市における公害問題と都市形成過程」,社会経済史学会中国四国部会愛媛大会,愛媛大学法文学部本館8F大会議室,2021年11月27日. (コメンテーター)”Comments on presentations by Ms. Kim and Prof. Nakamura” ; ”Supply and Circulation of Colonial Resources in Early 20th Century East Asia” (Parallel Sessions PA.109),XIX World Economic History Congress at The École des Hautes Études en Sciences Sociales[Paris], France,July 25,2022. ■所属学会 社会経済史学会 政治経済学・経済史学会 経営史学会 日本植民地研究会 市場史研究会 近現代東北アジア地域史研究会 ■社会活動等 日本植民地研究会 事務局委員(2008年12月-2011年7月.2015年7月-2017年7月) 社会経済史学会 中国四国部会 幹事(2009年11月-2017年11月.2020年11月-2021年11月) 政治経済学・経済史学会 中四国部会 幹事(2011年4月-2021年7月) 日本植民地研究会 理事[事務局長](2011年7月-2015年7月.2021年7月-現在) 日本植民地研究会 研究企画委員会 委員(2017年7月‐2019年7月) 政治経済学・経済史学会 理事[中四国部会選出理事](2017年10月‐2020年10月) 社会経済史学会 中国四国部会 理事[事務局長](2017年11月‐2020年11月) 香川大学弓道部 顧問(2012年4月-2020年3月) 香川県立丸亀高等学校 評議員(2018年4月1日-2020年3月31日) 香川大学ラクロス部 顧問(2019年4月1日-2020年3月31日)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/32264.html
登録日:2015/05/25 (月) 19 18 00 更新日:2024/07/09 Tue 10 12 46 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 オブレツピストル ゴールデンカムイ ボルトアクション ライフル 三八式歩兵銃 大日本帝国 大日本帝国陸軍 大東亜戦争 小銃 軍事 銃 陸軍 高精度 三八式歩兵銃は、大日本帝国で開発・運用されたボルトアクションライフルである。 こと帝国陸軍を語る場において、話題に上らないことがないと言ってもいい皇軍歩兵の「顔」。 世間では「さんぱちしきほへいじゅう」と呼ばれることが多いが、実は「さんはちしきほへいじゅう」が本来の読みである(*1)。 カタログスペック 口径:6.5mm 銃身長:797mm ライフリング:6条右回り(初期型)/4条右回り(中後期型) 使用弾薬:三八式実包 装弾数:5発(固定弾倉) 作動方式:ボルトアクション式 全長:1,276mm(着剣時1,663mm) 重量:3,73kg(着剣時4,10kg) 銃口初速:762m/s 最大射程:2400m 有効射程:460m 製造:東京砲兵工廠、帝国領内の各陸軍造兵廠 概要 有坂成章陸軍大佐の手になる三十年式歩兵銃は、当時の世界水準から見ても何ら遜色ない秀作だった。 しかし日露戦争において中国大陸に投入された結果、設計時想定を超える環境負荷から不具合が頻発。 有坂の部下として開発に関与していた、南部麒次郎を中心に改設計を行うことになった。 もとよりベースモデルあっての改修であり、機関部の合理化や防塵用ダストカバー付加などがメインであったため、 作業はトントン拍子に進み、戦後間もない1905年(明治38年)に仮採用、各種試験を経て06年に制式採用された。 明治38年に採用されたから三八式な。 初陣は第一次大戦におけるドイツ植民地駐留軍相手の交戦で、それ以降の皇軍主力小銃として二度の大戦を戦い抜いた。 39年以降は後継小銃たる九九式短小銃の量産も始まったが、量産開始タイミングの悪さや国力の限界から完全更新に失敗し、 旧式化を嘆かれつつも絶望的な末期戦を乗り越えている。 総じて性能的には必要十分なものであったことは確かだが、帝国軍の各種備品の例に漏れず、 材料の品質劣化や工員練度の悪化著しい末期生産品(ラストディッチ・モデル)の品質はそびえ立つクソだったとか。 それでもマシなものを必死にかき集めて前線に送っていたらしいので、品質低下は最低限だった……らいいなぁ。 総生産数は日本国産銃最多の約340万挺で、40年の長きにわたって運用され続けたために派生型も豊富であり、 外国にも多数輸出され、帝国製兵器の中では最も成功した輸出兵器となった。 性能 当時の技術水準に合わせ、また植民地や外征運用(ただし南方を除く)を想定して高負荷環境耐性を高めるため、 機関部は徹底して単純化・簡素化が施されており、その部品点数たるやなんとたったの5個。 同時期の有名な小銃であるドイツのGew98と比べると、3個も部品削減に成功している。 ただし工業的技術的に単純化されているとはいえ、最終工程(組み立て)には熟練工員の微調整が不可欠で、 陸軍列強の先進思想たる部品の互換化/規格化は、工業水準の低さのせいで未徹底なままだった。 まあ、部品の完全な互換化/規格化を大戦中にやってのけたのなんぞM1ガーランドが初であって、当時の銃としては普通の話である。 部品を減らした結果か、不発を起こした際に不発弾を歩兵がいちいち取り除き、さらにボルトを操作しないと撃てないという欠点があった。(前述のGew98の場合、ジャムった場合でもボルトをガッチャンコと操作すれば次弾発射が可能である) 実包は三十年式に使用された円頭型の三十年式実包から尖頭弾の三八式実包に改良され、 弾丸重量軽減と装薬増加による高初速化(*2)・低進性向上に成功している。 これにより原型に比べ命中精度が飛躍的に向上しており、輸出時に好評だったのもこれに起因する。 また、各国の主力小銃に比べ小口径なため、低反動かつブラストやマズルジャンプも小さく、 長銃身が行軍の際に邪魔である、というのはともかく運用性は良好だった模様。 銃身は軍用銃としては珍しいタングステン合金鋼(高速度鋼)を採用している。 ライフリングは耐久性の高い代わりに工数の増えるメトフォード型を採用した。 さらに分厚いクロームメッキでライフリングを保護しており、耐久性はかなりのもの。銃身命数は8,000発程度。 ただし古参兵に殴られつつ必要以上に磨きまくらされるため、メッキの剥がれが速く、 実銃の命数はカタログスペックよりも小さくなる傾向にあったという。 それでも、ある程度以上の手入れがされている残存品の集弾性能は、今だ現役レベルだとか。 着剣時1.6m超と現行品と比べると非常に長大だが、これでも制式採用当時の主力小銃よりは多少短かったりする。 取り回しの面ではともかく、長大な銃身と低反動かつ高初速な小口径弾の組み合わせは、 新兵の習熟期間短縮に一役買っていたとも。 完全軍装では、固定弾倉に込められる最大数である弾薬5発をひとまとめにした挿弾子(クリップ)を 6個収納した前盒を前身頃に2つ、10個入りの後盒1つをそれぞれベルトに固定し携行する。 また、三八式を装備する中隊には、補給効率を考慮して実包を共用可能な軽機関銃(種別は時期にもよる)が配備されていた。 九九式短小銃の場合は同じく実包を共用可能な九九式軽機関銃が配備される。 各国の主力小銃と比較すると……? 第二次大戦で使用された各国主力小銃は、実はどれも1900年前後に開発されたボルトアクション型で、三八式とは同世代だったりする。 有名どころでは例えばドイツのKar98k(Gew98のカービンモデル)、赤軍のモシン・ナガンM1891/30(M1891の改良型)、 英国のリー・エンフィールドNo.4。どれも戦後しばらく経つまでは現役だった。 M1のおかげで世界に先駆けて歩兵銃の自動化を完了したアメリカとて、ガダルカナル以前はボルトアクションのM1903が主力だ。 それを踏まえておくと、後継銃がグダグダだったのはともかく、各種スペックは標準的だったとわかる。 ちなみに、アメリカを除く当時の主要国の陸軍戦闘ドクトリンにおいては、歩兵火力の要は機関銃であり、 それの充当がある程度なされているなら歩兵銃はボルトアクションでよい、という割り切りもあったりする。 アメリカの場合はBARが大重量すぎたのでセミオートライフル開発に躍起になった、という側面もあるのだが、それは本項には関係ない。 バリエーション 派生品だけで項目ができかねないので、ここでは有名どころのみ取り上げたい。 三八式騎兵銃 騎乗運用のために銃身を30cm短縮し、取り回し良くしたモデル。 普通、こうもバッサリ銃身を切り詰めると、命中精度やマズルジャンプが目に見えて悪化するのだが、 もとより使ってるのが各国軍のものより小口径だったので、そこまで目立った性能劣化はなかったらしい。 騎兵科の陳腐化後も、取り回しの良さが評価されたためか、各種支援兵科のみならず一般兵にも使用された。 実は正式名称は「三八式騎銃」なのだが、機銃(機関銃)と紛らわしいので誰からともなくこう呼ぶようになったとか。 四四式騎兵銃 三八式騎兵銃をさらに騎兵運用に特化したもの。 騎乗時にはもたついて着剣が遅れる従来の着剣ラグの代わりに、折畳式のスパイク型銃剣を標準装備している。 銃剣部は銃身に接触しないよう厳重に固定されており、銃剣格闘で銃身を傷めることもない。 ……と言いたいが、幾度かの試行錯誤の結果であり、問題が解消された頃には騎兵自体陳腐化してたというオチが。 これもベースモデル同様に、取り回しが評価されたため騎兵陳腐化後も使用された。 「空の神兵」こと陸軍挺進連隊でも運用されていたとか。 三八式短小銃 三八式の銃身を取り回し良くするために切り詰めたもの。断じて短小ではない。 銃身長は歩兵銃 短小銃 騎兵銃。 九七式狙撃銃/三八式改狙撃銃 生産ラインから特に精度の優れた部品を選別し、狙撃用のスコープとモノポッドを増設、専用調整を施したもの。 機関部に菊花紋章とともに「九七式」と刻印される。 ただでさえ命中精度に優れる三八式に狙撃調整を施しただけあって、その精度は現行狙撃銃にも劣らない。さすがに勝てはしないが。 また、生産済みのものから高精度品を選別し、同等の改修を施したものは三八式改と呼ばれる。 実包は主に機関銃で使用される減装弾を用いるが、基本的にはベースと同じなので通常弾もちゃんと撃てる。 米軍の歩兵にとって、機関銃での精密制圧射の次に恐れたのが、本銃での狙撃だったというのは割とよく聞く話。 ブラストの小ささから発見そのものが困難とあって、至近弾がかすめる際の「バシュゥン!」という独特な音が聞こえた時など、 ベテラン兵曹さえも震えながら即効で地に伏せるほどだったという。 帝国陸軍はこれら狙撃銃を効果的に運用するのに熱心で、特にガダルカナル撤退時には、米軍足止めの任を負った狙撃手が 捨て奸のごとき決死の遅滞戦闘を繰り広げ、残存将兵の撤退に大きく貢献したとされる。 最後の残存狙撃手投降は、戦後2年経った47年のことだった。 有名どころはこんな感じだろうか。 他にも中国製のコピーモデルや、マニアックな試作モデルなどが存在する。 海外への輸出例 メキシコ革命にはほとんど間に合わなかったものの、50万挺が輸出された。 その余剰分である60万挺は帝政ロシアへ売却され、フェドロフ・ライフル開発のきっかけになったりした。 タイ王国へは同国の正式実包である8×52mmR弾仕様に改修され、66式小銃と銘打たれて約5万挺が輸出されている。 フィンランドにもまとまった数が輸出され、内戦時には赤衛軍に使用された。 アカどもと根本的に相容れない国家の銃がアカどもの手に渡るというのも、なんとも皮肉めいた話ではある。 それ以外にも、ロシア革命以後の流出品がフィンランドや周辺国で使用されたり、 帝国軍からの供与品が東南アジア各国で運用されるなど、結構な数が外国に流出している。 戦歴、もとい遍歴 上記のように第一次大戦での対独戦を皮切りに、シベリア出兵以降の対外出兵/戦争において常に帝国歩兵の傍らにあった。 初戦の陸軍無双にも、中後期の転身玉砕乱発にも、末期の絶望的な硫黄島/沖縄防衛戦にも、常に歩兵とともに戦い続け、 時にアメリカに「今どきボルトアクションwwww」と馬鹿にされたり、時にガーランドのクリップ排出音に狙撃を決めたり。 大日本帝国が終焉を迎えるその日まで、帝国陸軍の主力小銃であり続けた。 満州や大陸方面で鹵獲されたものはその後中国共産党軍の主力小銃として国共内戦を戦い抜き、中国成立の原動力ともなった。 戦後は戦場での鹵獲品や、武装解除後に引き渡されたもののうち、品質良好とみなされて廃棄処分を免れたものが、 アメリカ経由で猟銃やスポーツライフルとして欧米に流出。 当時の小柄な日本人でも習熟が容易なマイルドなリコイルは、白人の大柄な肉体からすればあってないようなものであり、 良好な精度と併せて結構な好評を得たとされる。 ただ、流出直後は弾薬が希少品扱いだったため、.257ロバーツ弾に適合するよう改修されることが多かったという。 現在はノルウェーのノルマ・プレシジョン、アメリカのホーナディ・マニュファクチャリングの両社において、 俗に有坂銃と呼ばれる三十年式歩兵銃の系譜で使用された、三八式実包と九九式実包が製造されている。 海外在住で資格持ちの方は、これを機に実銃を買ってみてはいかがだろうか。 ちなみに、国内で三八式を保有したい場合、無可動実銃として輸入するか、スポーツライフル化改修を施す、 小口径散弾銃への改修を行うかくらいしか方法がなかったりする。 どうしても撃ちたい場合は素直に海外のシューティングレンジへ行こう。 あるいはKTWからエアーコッキングガン、タナカからガスガンとしてリリースされているので、 そちらを買うというのもひとつの手。ただし需要としてニッチなので出費は覚悟しておこう。 面白い使い方としては、09年に埼玉県の老人ホームでの認知症短期集中リハビリにおいて、本銃のモデルガンが使われた。 従軍経験者に本銃を見せたところ、それまで座ってばっかだった入所者がモデルガンを背負って歩き出したり、 これを題材にした回想法も目に見えて効果があったという。 登場作品 旧帝国陸軍を代表する銃のため、支那事変以降を題材にした作品にはたいてい出てくる。 また、三十年式の小道具調達が困難なため、それらの代用品として用いられたりもする。 アニヲタ的には、とりあえず帝国陸軍の登場するアニメやゲームには嫌でも出てくるので、その辺のチェックは楽だろう。 プレイしてみたいなら、とりあえずコールオブデューティかメダルオブオナーをどうぞ。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] アメリカのテレビドラマのコールドケースにもでてたっけ?劇中ではアリサカライフルって呼ばれてたけど -- 名無しさん (2015-05-25 19 31 44) 実は本来の読みは~の部分、最初意味がわからなかった。普通にさんはちとしか読めないと思ったけど、さんぱちの方が読まれていたのか。しかしそう読まれることに一切触れずいきなりさんはちを強調するのは違和感が拭えない。 -- 名無しさん (2015-05-26 20 03 37) ↑実際のところ、当時の軍人さんから現代にいたるまで「さんぱち」と読む人の方が圧倒的に多いのさ。また日本語の法則として、「ん」の後に「は行」の音が来る場合は「ぱ行」になるのが自然なので、残念ながら「さんはち」と初見で読める人は(決していなくはないけど)少数派なのよ -- 名無しさん (2015-05-26 21 10 10) ↑2 読み方は項目を読む上でも重要だと思うから、冒頭にもってきたうえで両方を並べて書いておいたよ -- 名無しさん (2018-08-26 18 44 31) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/17.html
トップページ>東アジア・東洋>東洋史学研究 『東洋史学研究』120、2012.9 論文 金正烈「横北村と大河口:最近調査された遺跡を通じて見た西周時代地域性自体の様相」 李基天「7世紀唐の諸衛将軍号授与と蕃将の対応」 金成奎「宋の国信使が契丹の皇帝・皇太后に謁見する儀礼」 姜吉仲「李覯の現実認識と理致法改革論」 呂治昊「元代アス人(Asud)の台頭と政治的役割」 権容徹「大元帝国末期権臣バヤン(Bayan)の政治的行跡」 姜抮亜「満州事変前後在韓架橋問題の様相:朝鮮総督府外事課と在韓中国領事館間往復分書を中心に」 李世淵「高麗陣供養碑の流転:「「被我戦死者供養」=怨親平等」説に対する批判的検討」 崔京洵「1920年代全国水平社と日本キリスト教界の相互認識:「解放の福音」と「憎悪の福音」を中心に」 書評 朱秀浣「고혜련『미륵과 도솔천의 도상학:『불설관미륵보살상생도솔천경』을 중심으로』一潮閣、2011年」 『東洋史学研究』119、2012.6 特集:東アジアにおける聖所と巡礼 李成九「中国の聖所と女性原理」 金相範「唐代五台山文殊聖地と国家権力」 金成修「「山羊の地(ra sa)から「聖地(lha sa)」へ:内陸アジア仏教世界とラサ(lha sa)」 李允碩「中国近世の祠廟と地方統治:全国通祀と神像存廃を中心に」 朴晋熯「近世日本の聖所巡礼と伊勢参宮」 論文 裵淑姫「元来・明初の雲南と故元後裔の済州移住」 尹輝鐸「「民族共和」の虚像:満州国警察の満州構成と民族矛盾」 『東洋史学研究』118、2012.3 論文 朴健柱「漢代の地方常備軍と部曲の推移」 洪廷妸「東晋南朝時代荊楚地域文化と「荊楚人」意識」 沈昊成「モンゴル帝国期東部中央アジア駅站交通路の変遷」 李銀子「仁川三里寨中国租界韓民家屋撤去案件研究」 尹煜「若い満州親貴集団の政治的志向と挫折、1900-1911」 呉炳守「冷戦時代胡適の反共自由主義路線の形成:中国自由主義の理念化過程(1941-1953)試論」 尹裕淑「18-19世紀前半朝日両国の鬱陵島渡航様相」 『東洋史学研究』117、2011.12 論文 金垌吾「古代中国の工匠と技術統制:分業生産と工官組織分析を中心に」 趙晟佑「後漢魏晋鎮墓文の宗教的特徴と道教:五石を中心に」 徐銀美「南宋代茶の生産と東南地域の茶法」 朴敏洙「清代江南市鎮の牙行と会館・公所の建立:碑刻資料の分析を中心に」 李俊甲「乾隆49年(1784)~50年(1785)の教案と天主教共同体」 裵京漢「東アジア歴史の中の辛亥革命:共和革命の拡散と東アジア国際秩序の再編」 姜明喜「民国時代中国科学社の科学運動の性格:『科学』雑誌を中心に」 孫承希「相続慣行についての国家権力の妥協と貫徹:南京国民政府の相続法制定を中心に」 尹大栄「19世紀後半~20世紀初ベトナムの「新書」受容:初期改革運動の起源と関連して」 『東洋史学研究』116、2011.9 論文 金錫珍「清華戦国簡『保訓』編の年代と性格」 朴漢済「東晋‐南朝建康城の都城構造:五胡十六国‐北朝‐隋唐系列王朝の都城と比較して」 金炳辰「南宋時期建康府明道書院の研究」 金大起「南宋代郷村救済機構と救済活動の性格」 고명수「フビライ時期モンゴルの南宋征服と江南支配:保全、開発、発展の観点から」 李宣坭「近代中国と日本の言論媒体に見る朝鮮女性表象に関する一考察:『婦女新聞』と『婦女雑誌』を中心に」 이은경「大正期日本女性運動の組織化と路線の葛藤:『女性同盟』を通して見る「新婦人協会」(1919~1922)の歴史と意義」 書評 洪成和「上田裕之『清朝支配と貨幣政策:清代前期における制銭供給政策の展開』汲古書院、2009」 『東洋史学研究』115、2011.6 特集:東アジアの構造的理解 金浩東「ラシードゥッディーン(Rashid al-din)の『中国史』の中に表れた「中国」認識」 姜鳳龍「モンゴルの侵略と高麗武人政権及び三別抄の「島嶼海洋戦略」:その東アジア的意義」 조병한「中国近代の形成と文化:世界化時代の東アジア談論」 河世鳳「近代東アジアの再構成のための空間の視点」 論文 曺永禄「香山妙善公主と登州善妙娘子:観音・龍神説話と韓中海洋仏教交流」 金栄済「北宋神宗朝の対外貿易政策と高麗」 金成奎「宋王朝対安南国王冊封の形式と論理」 洪成和「官箴書を通して見た清代幕友と法律運用:汪輝祖の事例を中心に」 金志煥「南京国民政府の公債政策と統一公債の性格再論」 朴秀哲「織田政権の公家政策と「王権」:1581年馬揃を中心に」 特別寄稿 曺秉漢「金鍾圓(1934-2009)先生の生涯と学問」 『東洋史学研究』114、2011.3 論文 尹在碩「韓国・中国・日本出土論語木簡の比較研究」 李錫炫「北宋代使行旅程行路考:宋入境以後を中心に」 배숙희「蒙元帝国の雲南統治と諸宗族間の疏通」 辛圭煥「民国時期医師免許制度の成立過程と医師の社会的地位」 孫承希「中国民主同盟の挫折と選択:国共内戦期を中心に」 金宗植「公民教育を通じた近代日本の国民上の模索:1924年実業補習学校の「公民科」成立を中心に」 『東洋史学研究』113、2010.12 論文 任仲爀「中国古代庶人概念の変化:賜民爵と関連して」 李椿浩「五胡時期慕容前燕の建国とその性格:「勤王」の出現及びその運用を中心に」 崔碧茹「唐・宋時期家庭内妾の位相変化:夫妾関係の契約的特性を中心に」 李玠奭「元宮廷の高麗出身宦官と麗元関係」 朴正鉉「19世紀末仁川と漢城の中国人居留地運営体制」 金希信「「漢城開設行桟条項改定」交渉と中国の対応」 함동주「日本帝国の成立と博文館の出版活動:清日戦争期を中心に」 李炯植「中間内閣時代(1922.-1924.7)の朝鮮総督府」 『東洋史学研究』112、2010.9 論文 尹在碩「秦漢代住宅の構造と家族生活」 金宗燮「唐代長安文化の一形態:曲江文化を中心に」 李和承「関公信仰と山陝商人の発展」 尹煜「清末官用電報の問題点」 裵京漢「国民革命時期の蒋介石と汪精衛:迎汪運動と蒋汪上海談判(1927年四月)を中心に」 尹大栄「19世紀後半~20世紀初韓国のベトナム再認識過程とその性格」 書評 朴永哲「Timothty Brook 他・박소현訳『凌遅処斬:中国の残虐性과 西欧의 視線』너머북스、2010」 『東洋史学研究』111、2010.6 特集:東アジア歴史上の知的交流 南東信「慧超『往五天竺国伝』の発見と8大塔」 鄭惠仲「明清中国と朝鮮使行の知的交流」 李春馥「清末政治思想の中西融合と儒家政治思想の近代化」 李在碩「日本古代国家形成期の知の流通と独占:4~7世紀を中心に」 柳美那「19C末~20C初日本帝国主義の儒教利用と朝鮮支配」 論文 申採湜「宋代「君主独裁体制説」に対する異論」 姜元黙「乾隆時期江南乞丐問題と「盛世」の虚像」 李銀子「19世紀末在朝鮮未開口岸の清商密貿易関連領事裁判案件研究」 김동길「1945年‐1950年中・米関係と「中国喪失論」批判」 『東洋史学研究』110、2010.3 論文 林炳徳「里那秦簡を通じて見た秦の戸籍制度:商鞅変法・同居・室・戸についての再論」 金羨珉「後漢大喪儀礼での死者の儀服と「游官衣」意識」 鄭勉「唐代「南中」地域と「西爨」:「爨守忠墓誌」の解析を中心に」 閔丙禧「王安石における道と字」 崔允精「元代東北支配と遼陽行省:行省建置過程と治所問題を中心に」 李平秀「「陳松の天地会集団」と咸豊4年の叛乱」 朴晋熯「明治前期倹約規約の制定と内容の変化に関する考察」 李垠庚「近代日本キリスト者の戦争協力:羽仁もと子(1873-1957)の言説を中心として」 研究動向 유인선「日本における東南アジア史研究動向、1990-2007」 書評 金慶浩「최덕경『中国古代山林保護와 環境生態史研究』신서원、2009」 『東洋史学研究』109、2009.12 論文 李成珪「前漢更卒の徴集と服役方式:松柏木牘47号の分析を中心に」 吳峻錫「秦漢代の郵伝機構と文書伝達体系」 金浩東「元代の漢文実録と蒙文実録:『元史』「本紀」の中国中心的一面性の解明のために」 朴正鉉「第1次世界大戦以降中国対外貿易と中国経済の変化」 金希信「1926-1935年重慶の「内的」・「人的」要素と都市近代化」 金志煥「商業統制総会の綿紗布収買政策再論」 許芝銀「近世長州・薩摩の朝鮮語通詞と朝鮮情報収集」 『東洋史学研究』108、2009.9 論文 洪承賢「前漢初国家儀礼の制定と性格:封禅・明堂・郡国廟についての検討を中心に」 徐银美「『禅苑清規』を通じて見た宋代禅宗寺院の運営と茶礼」 李永玉「乾隆帝の「燦爛な」盛世と孟子解読」 宋正洙「清中期以降「反清復明」意識の伝承と屈折」 진세정「1930年代上海メディアと公論形成の慣行」 함동주「明治初期西洋史受容とフランス革命館の社会文化史」 書評 徐民教「方光錫『近代日本の国家体制確立過程:伊藤博文と「帝国憲法体制」』혜안、2008年」 『東洋史学研究』107、2009.6 特集:東アジア歴史における旅行と他者認識 李侑珍「圓仁の入唐求法と東アジア認識」 배영신「徐霞客の旅行記を通じて見た明・清交替期漢族知識人の西南辺境意識」 김성수「清代仏教世界の旅行」 朴敬石「近代中国人の海外旅行とナショナリズム、そして他者認識」 박용희「19世紀ヨーロッパ人の東アジア認識:いつつの旅行記分析を中心に」 李玉順「インド人が見た近代の東洋世界」 論文 朴永哲「宋代の法と訟師の向方」 丘凡真「清嘉慶~道光初兩淮塩商没落の原因」 朴基水「清末広州港における生糸・絹輸出貿易の位相と特徴」 임상범「閔斗基史学の一面:ある中国史学者の「中国史談論」」 『東洋史学研究』106、2009.3 論文 金正烈「邦君と諸侯:金文資料を通じて見た西周国家の支配体制」 金相範「唐代自然災害と民間信仰」 朴志焄「北宋代王安石の対外観と華夷論」 安大玉「マテオ・リッチ(利瑪竇)と補儒論」 元廷植「前近代中国経済の成長動力と新しい作物:明清時代復権の煙草産業を中心に」 柳鏞泰「中国政治協商会議と建国民意の向方、1944-1949」 田寅甲「『学衡』の文化保守主義と「啓蒙」批判」 尹輝鐸「「満洲国」商業社会の内的構造と民族的特徴」 『東洋史学研究』105、2008.12 論文 朴健柱「中国古代文武史序説」 兪垣濬「宋金同盟と馬擴の役割」 尹銀淑「北元と明の対立:遼東問題を中心に」 柳智元「「辺城」から「都城」へ」 鄭惠仲「明清時期移住と漢族の拡散」 金東吉「ソ連と第2次抗日国共合作」 姜抮亜「近代転換期韓国華商の対中国貿易の運営方式」 申東珪「近世日本の「島原・天草の乱」からみた江戸幕府とオランダの共助関係」 史料紹介 朴宣泠「中華民国内政府地図から見た白頭山定界碑:中華民国中央研究院で新たに発掘した間島資料」 『東洋史学研究』104、2008.9 論文 朴俸住「古代滇文化についての一考察」 朴漢済「魏晋南北朝時代墓葬習俗の変化と墓誌銘の流行」 閔丙禧「朱熹の社会・政治的構想としての「学」:「功利之学」「空虚之学」との対照を中心に」 裵淑姬「元代科挙制と高麗進士の応挙及び授官」 이평래「1991年モンゴル独立と民族統合運動の初期過程」 鄭文祥「南京国民政府の高等教育政策と大学社会:上海大夏大学事例分析」 朴羊信「近代日本における「国民」「民族」概念の形成とその展開:ネーション概念の受容史」 朴薫「18世紀末-19世紀初日本における「戦国」的世界観と海外膨脹論」 『東洋史学研究』103、2008.6 論文 심재훈「西周時代移民と国家:東西融合を通じた半分の中国形成」 辛聖坤「魏晋南北朝時代の人口移動と地域的分布」 鄭財勲「北アジア遊牧民族の移動と定着」 李錫炫「江南への人口移動:唐宋時期の戦争と避難史」 李丙仁「近代中国の海外移民と「故国」」 任城模「近代日本における国内植民と海外移民」 崔秉旭「東南アジア国家形成と移住」 『東洋史学研究』102、2008.3 論文 洪承賢「晋代喪服書の編纂と性格:喪服礼の確定過程を中心に」 田炯権「清後期~民国期湖南の水利開発と農業生産」 孫承希「民国時期国家主義派の国家と文化:民族性改造及び社会統合談論を中心に」 李在鈴「南京国民政府時期(1927-1937)国民教育政策の地方履行:江蘇省の小学教育活動を中心に」 朴晋熯「日本近世の都市社会と都市支配」 『東洋史学研究』101、2007.12 論文 崔珍烈「両漢魏晋時代本籍地封爵とその意味:本籍地回避慣行の変化様相を中心に」 金相範「唐末・五代浙西地域の祠廟信仰と地域社会」 金栄済「宋代両税の運送:東南上供米の運送と運送費を中心に」 윤영인「10-13世紀東北アジア多元的国際秩序における冊封と盟約」 李俊甲「移住、定着、同化:17C~20C四川客家の軌跡」 李和承「清末経元善を通じて見た商人の社会参与」 都重萬「学戦・翻訳と啓蒙:清末の馬君武と訳された『自由原理』を中心に」 柳鏞泰「近代中国の職業団体と民意形成、1901-1919」 史料紹介 朴宣泠「西間島、東間島が明記された参謀本部地図について:中華民国中央研究院近代史研究所で新しく発見した間島の資料」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140
https://w.atwiki.jp/observingmonsters/pages/28.html
国共合作 #本来の意味 「国共合作」とは - 中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係である。 軍閥を 討伐するための第一次国共合作と、抗日戦争の為の第二次国共合作がある。 #現代の意味 てきとうにわいわい見守る会が活動すること