約 3,784 件
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/75.html
喜田貞吉『六十年の回顧』 共同入力 六十年の回顧 (231) 序言ならびに凡例 (5) 一 喜田貞吉略年譜 (6) 二 過去六十年の概観 (3) 三 発育不完全なる畸形児 (5) 四 感謝の六十年 (4) 五 わが生家のことども (6) 六 わが父のことども (8) 七 わが誕生と墳墓 (5) 八 負んぶして小学校へ (6) 九 杏斎樋口先生のことども (5) 一〇 懶け通した中学時代 (5) 一一 一ヵ月の学資金三円なり (3) 一二 月給取の生活 (4) 一三 第三高等中学校入学 (5) 一四 「ヘイ」と「ハイ」から方向転換 (6) 一五 三高在学中のことども (10) 一六 帝大入学と専攻学科の選択 (6) 一七 帝大在学中のことども (4) 一八 学士の肩書切売の五年間 (6) 一九 二足の草鞋 (6) 二〇 国定教科書の編纂 (5) 二一 法隆寺建築年代論 (7) 二二 平城京址の研究 (3) 二三 学位受領 (7) 二四 南北朝正閏問題 (13) 二五 国定教科書に対する論難攻撃 (9) 二六 問題の政治化 (10) 二七 国定教科書の改訂 (6) 二八 南朝正統説は既決の問題 (4) 二九 生活更新 (3) 三〇 個人雑誌の発行 (6)(しだ) 三一 民族研究熱の高潮といわゆる特殊部落の解放運動 (7)(しだ) 三二 大名領知の調査、内田博士のこと、その他 (5) 三三 東北帝大勤務中のことども (6) 三四 還暦祝賀記念会 (15) 三五 旅行 (34)(しだ) 三六 論文著作年譜 (5)(しだ) 後記 (2)(しだ) ※ カッコの数字はおよそのページ量 底本:『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』平凡社 1982(昭和57)年11月25日発行 初出:『還暦記念 六十年の回顧』 1933(昭和8)年4月発行 (底本 p622、書誌一覧より) 公開:2008.5.12 更新:2010.7.23 カウンタを設置。 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - wikipedia より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E7%94%B0%E8%B2%9E%E5%90%89 -- しだ (2008-05-12 13 08 24) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/196.html
「喜田貞吉」の本だな 取得中です。 ※ ページ作成順でソート。(100ページまで) 2010.7.20:公開 2010.7.21:更新 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - ぬむ……、本文検索の結果ではなく、単純にページタイトルの検索結果らしい。 -- しだ (2010-07-20 00 59 22) ページタイトルだけというのは、けっこう制限が高い……。タイトル、著者ぐらいしか実用できない。「児童」では2ページしかない。 -- しだ (2010-07-20 01 06 01) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/131.html
MT*2_8-震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 2009.9.12 第二巻 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円(税込) p.255 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(18項目)p.101 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。Windows Macintosh ハイブリッド。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 【T-Time 無償ダウンロード】 VOYAGER / ボイジャー 【新JIS漢字を表示できるフォントを入手しよう】 青空文庫 / —明日の本棚— (略)転じて本郷の通りへ出て、焼けたという一高へ行ってみると、これも噂ばかりで何のこともない。門内には避難者が群集している。様子を聞こうと門衛所の前へ行くと、「喜田先生ではありませんか」と声をかける生徒がいる。よく見るとこれは原博士(京大文学部長)の令息が警戒に立っておられるのだ。 帝大の大部はすでに無残にも焼け落ちている。門衛について聞くと、法文両学部は全滅で、図書館の書庫まで焼けてしまったという。なんという情けないことであろう。ここには金で補いのつかぬ多くの書籍があったはずだのに。しかし史料編纂掛が無事だと聞いて、国史科のためには思わず万歳を唱えざるを得なかった。 大学の前は避難者でいっぱいだ。その中を押しわけて本郷三丁目の十字路へ来てみると、角の長島雑貨店など二、三戸を残したほかは、本郷座の方へかけて見渡すかぎり一面の火だ。これではたとい水があったとて消防の手のまわるはずはない。猛火は容赦なくあらゆる物を焼いて、下谷・神田・浅草の方まで一つになっているのだという。湯島の和田英松君(史料編纂官)のお宅が気にかかるがとても寄りつかれそうもない。同君は自分ら仲間ではことに蔵書家として知られている人だ。浅草には黒川真道君や大槻如電翁がおられる。有名な書肆(しょし)浅倉屋がある。その莫大な蔵書はどうなったことであろうと気にかかる。 2_8.rm (朗読:RealMedia 形式 380KB、3'04'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第八号】 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (574KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24- 昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』。 底本 震災日誌 底本:『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』平凡社 1982(昭和57)年11月25日発行 初出:『社会史研究』第10巻第3号 1923(大正12)年11月 NDC 分類:915(日本文学:日記.書簡.紀行) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc915.html 震災後記 底本:『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』平凡社 1982(昭和57)年11月25日発行 初出:『社会史研究』第10巻第4号 1923(大正12)年12月 NDC 分類:915(日本文学:日記.書簡.紀行) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc915.html 2009.9.20:公開 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/185.html
MT*2_45-火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉 2010.5.29 第二巻 第四五号 火葬と大蔵 喜田貞吉 一 火葬のはじめということ 二 洗骨の風 三 大蔵(死体処理の一方法) 人身御供と人柱 喜田貞吉 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第四五号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=185 file=milk_tea_2_45.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (636KB) 月末最終号:無料 p.144 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(75項目)p.398 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! 週刊ミルクティー* 人身御供と人柱 自分は『今昔物語』その他の古書に見ゆる人身御供の話をもって、事実そんなことがあったとは信じえない。しかし、神が時として人間を犠牲として要求するという思想が存在したことは、とうていこれを否定し難いのである。突然、海上で風波の難にあい、舟とともにこれに乗ったすべての人々の生命がうばわれる虞(おそれ)の生じた場合には、それは海神が人間を希望しているためだと解する。にわかに濃霧が山を閉じこめて、旅客が行くべき道を失ったり、あるいは烈風砂礫(されき)を飛ばして、行人の生命を奪ったりするような場合には、それは山神が人間を要求しているためだと解する。築いても築いても堤防がくずれたり、橋が流れたりする場合においてもまた同様である。ここにおいてか橘媛(たちばなひめ)は走水の海に身を投じた。強頸(こわくび)や衫子(ころもこ)は、茨田(まんだ)の断間(たえま)に身を投じた。長(ながら)の橋や経が島に人柱(ひとばしら)の伝説があるのもみなこれだ。つまりは神に犠牲として人間をささげるのである。この場合かならずしもその犠牲となるものは婦女とはかぎらない。別して人柱として選ばれたものは多く男子であった。人身御供の伝説にも時に男子がこれにあたった場合もあるが、古くは、かの奇稲田媛(くしなだひめ)の伝説をはじめとして、多く妙齢の婦女となっているということは、一つはそれが妙齢の婦女であるところに一種劇的の感興がおこるという意味もあるであろうが、一つは事実、婦女に欠乏を感ずる社会人が、婦女掠奪をなした場合の多かったためであろうと解せられる。 2_45.rm (朗読:RealMedia 形式 388KB、3'09'') 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24- 昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 火葬と大蔵 焼屍・洗骨・散骨の風俗 底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社 2008(平成20)年1月30日初版発行 初出:「民族と歴史 第三巻第七号」 1919(大正8)年6月 人身御供と人柱 底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社 2008(平成20)年1月30日初版発行 初出:「中央史壇 第一一巻第二号生類犠牲研究」 1925(大正14)年8月 NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html NDC 分類:385(風俗習慣.民俗学.民族学/通過儀礼.冠婚葬祭) http //yozora.kazumi386.org/3/8/ndc385.html 2010.5.29:公開 目くそ鼻くそ。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - このページより、デフォルト編集権限を「管理者のみ」に設定してみます。 -- しだ (2010-05-29 11 58 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/184.html
MT*2_44-道鏡皇胤論について 喜田貞吉 2010.5.22 第二巻 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉 一 序言 二 道鏡問題に関する幾多の疑問 三 右の疑問の解決と皇統の尊厳 四 道鏡の暴悪と清麻呂の正義 五 事実の真相 六 結語 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第四四号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=68163) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (432KB) 定価:200円(税込) p.104 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(34項目)p.138 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! 週刊ミルクティー* (略)まずもって自分のもっとも解し難しとするところのものは、帝権のもっとも隆盛であったかの奈良朝時代において、いかに天皇のご親任が厚く、また天皇が当時出家の天子にておわしたと云え、何ら皇室に因縁のない臣民出身の一僧侶を推して、仮にも天子に戴いてはとの大それた説があらわれてみたり、また天皇がそれにお迷いになられたり、道鏡自身もそれを聞いて、なるほどそうかとはじめて野心を起こしてみたりしたというところにある。当時にあってそんな思想が起こりえたということが、自分にとって不思議でならぬのである。(略) しかるにこれらの多くの疑問のすべては、道鏡が皇胤であったとの旧説を是認することによりて、ともかくもある程度まではことごとく解釈しえらるるのである。(略) このことは、じつは自分の創見ではない。去る明治二十年代において故田口卯吉博士が、その経営の雑誌『史海』の誌上ですでに多少の解決を試みられかけたのであった。 (略)道鏡素性に関する問題は、その時代に往々実例を見るがごとく、一皇族が母方の姓をついで臣籍に下ったものであったと解して、容易に通ずべきものなのである。彼はじつに多くの旧説のひとしく言うがごとく、施基(しきの)親王の王子で、おそらく河内の弓削氏の腹に生まれた者であったであろう。したがってそれが河内の弓削氏の人であり、その先祖に弓削(物部)の守屋の大臣(大連)があってもさしつかえはないではないか。彼が皇胤であることを隠さんとした史筆の陰に、そんなことがあっても一向さしつかえはないではなかろうか。 2_44.rm (朗読:RealMedia 形式 392KB、3'11'') 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24- 昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社 2008(平成20)年1月30日初版発行 底本の親本:「斎東史話」立命館出版部 1935(昭和10)年10月 NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 2010.5.23:公開 目くそ鼻くそまみれ。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/310.html
M-Tea*4_12-庄内と日高見(一)喜田貞吉 2011.10.15 第四巻 第一二号 庄内と日高見(一) 喜田貞吉 はしがき 庄内三郡 田川郡と飽海郡、出羽郡の設置 大名領地と草高——庄内は酒井氏の旧領 高張田地 本間家 酒田の三十六人衆 出羽国府の所在と夷地経営の弛張 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第四巻 第一二号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/167201) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (612KB) 定価:200円 p.173 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(84項目)p.396 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 手長足長! 週刊あっぷるティー* 奥羽地方へ行ってみたい、要所要所をだけでも踏査したい。こう思っている矢先へ、この夏〔大正一一年(一九二二)〕、宮城女子師範の友人栗田茂次君から一度奥州へ出て来ぬか、郷土史熱心家なる桃生郡北村の斎藤荘次郎君から、桃生地方の実地を見てもらいたい、話も聞きたいといわれるから、共々出かけようじゃないかとの書信に接した。好機逸すべからずとは思ったが、折悪しく亡母の初盆で帰省せねばならぬときであったので、遺憾ながらその好意に応ずることができなかった。このたび少しばかりの余暇を繰り合わして、ともかく奥羽の一部をだけでも見てまわることのできたのは、畢竟、栗田・斎藤両君使嗾の賜だ。どうで陸前へ行くのなら、ついでに出羽方面にも足を入れてみたい。出羽方面の蝦夷経営を調査するには、まずもって庄内地方を手はじめとすべきだと、同地の物識り阿部正巳〔阿部正己。〕君にご都合をうかがうと、いつでもよろこんで案内をしてやろうといわれる。いよいよ思いたって十一月十七日の夜行で京都を出かけ、東京で多少の調査材料を整え、福島・米沢・山形・新庄もほぼ素通りのありさまで、いよいよ庄内へ入ったのが二十日の朝であった。庄内ではもっぱら阿部君のお世話になって、滞在四日中、雨天がちではあったが、おかげでほぼ、この地方に関する概念を得ることができた。その後は主として栗田君や斎藤君のお世話になって、いにしえの日高見国なる桃生郡内の各地を視察し、帰途に仙台で一泊して、翌日、多賀城址の案内をうけ、ともかく予定どおりの調査の目的を達することができた。ここにその間見聞の一斑を書きとめて、後の思い出の料とする。 4_12.rm (朗読:RealMedia 形式 444KB、3'36'') milk_tea_4_12.html (html ソーステキスト版 200KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本:『喜田貞吉著作集 第一二巻 斉東史話・紀行文』平凡社 1980(昭和55)年8月25日 初版第1刷発行 初出:『社会史研究』第九巻第一、二号 1923(大正12)年1、2月 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:212(日本史/東北地方) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc212.html NDC 分類:915(日本文学/日記.書簡.紀行) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc915.html 難字、求めよ 身親しく 斎われて いわわれて? いわう。いつかわれて? いつく。 窪泥 わでい? えでい? 平殄 へいてん? 戎卒 じゅうそつ? 日本歴史地理学会 栗田茂次 くりた? 宮城女子師範。喜田の友人。 斎藤荘次郎 さいとう そうじろう? 宮城県桃生郡北村の郷土史家。 徳尼公 とくあまぎみ? とくにこう? 本立銀行 信成合資会社 坂上茂樹 さかのうえの しげき? 大宿祢。出羽国守。 藤原行則 ふじわらの ゆきのり? 鎮秋田城国司介。(類聚国史) 『地誌提要』 『光丘翁事歴』 むしとりホイホイ 高敝 → 高敞か こうしょう 土地が高く、広くて、見はらしのよいこと。また、そのさま。 伊奈谷 → 伊那谷か いなたに 現、長野県伊那盆地。天竜川流域に発達した南北60キロ、東西4キロ内外の細長い盆地。 スリーパーズ日記 荘内 → 庄内 司馬遼太郎『オホーツク街道』(朝日新聞社、2005.8)読了。司馬さんと藤沢周平を対比するひとがあるが、ぼくならば、『街道をゆく』シリーズを残してくれた一点だけでも司馬さんを評価する。 この巻には、考古学に熱中した少年時代の司馬さんの姿が書いてある。一巻を通して、話題が考古学中心なのも珍しい。 『街道をゆく』の総索引を見ると、「喜田貞吉」にふれた部分が三か所ある。司馬遼太郎は喜田貞吉につながり、喜田貞吉は阿部正己につながる。 映画祭、『わが映画人生:本多猪四郎』、八年間の従軍体験、『南国の肌』『青い真珠』、ドキュメンタリー・科学もの、零戦特撮スタッフ、水爆実験、円谷……G、ラドン、モスラ。 月夜の下、マレーシア影絵「ワヤン・クリ」。ざらざらした水牛皮の切り絵、赤と緑、声いろ、ガムラン。 10.10 11 47 宮城南部・福島 震度4。推定M5.6。 10.11 吾妻山ガス噴出注意。新燃岳、引き続き注意。 2011.10.18:公開 玲瓏迷人。 自明に仕組まれたショック・ドクトリン、世田谷ラプソディ。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/377.html
喜田貞吉「日本歴史物語〈上〉」図版 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) 底本 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 [#図版(img00.jpg)、天の岩屋戸] [#図版(img01.png)] [#図版(img02.png)] [#図版(img03.png)] [#図版(img04.png)] [#図版(img05.png)] [#図版(img06.png)] [#図版(img07.png)] [#図版(img08.png)] [#図版(img09.png)] [#図版(img10.png)、武内宿禰] [#図版(img11.png)、百濟の使者佛像を奉る] [#図版(img12.png)、聖徳太子] [#図版(img13.png)、小野妹子隋の天子に會ふ] [#図版(img14.png)] [#図版(img15.png)] [#図版(img16.png)、奈良の都] [#図版(img17.png)、法隆寺] [#図版(img18.png)、大佛殿] [#図版(img19.png)] [#図版(img20.png)、平安京地圖] [#図版(img21.png)、菅原道真] [#図版(img22.png)、藤原道長] [#図版(img23.png)、一遍上人貧民に施行] [#図版(img24.png)、僧兵の図] [#図版(img25.png)、海賊] [#図版(img26.png)、秀郷] [#図版(img27.png)、空也上人] [#図版(img28.png)、坂上田村麿] [#図版(img29.png)、八幡太郎] 以上、30件。 2012.12.30:公開 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/186.html
MT*2_46-手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉 2010.6.5 第二巻 第四六号 手長と足長 土蜘蛛研究 喜田貞吉 くぐつ名義考 古代社会組織の研究 喜田貞吉 一 緒言 二 クグツの名義に関する諸説(その一) 三 クグツの名義に関する諸説(その二) 四 久久都彦と久久都媛と 五 多爾具久(たにぐく)とクグツ 六 ヒキガエルあるいは蝦蟆(ガマ)とタニグク 七 莎草(くぐ)とクグツ 八 結論 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第四六号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=70245) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (676KB) 定価:200円(税込) p.209 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(106項目)p.523 飛び出せ! 週刊ミルクティー* 先年、柳田国男君は「(略)クグツは一種細い縄をもってあんだ袋のことで、傀儡の漢字とは直接の連絡はない。(略)たぶんは山沢湿地に自生する莎草(くぐ)という植物で、その袋を製したのであろう(略)」と述べられて、『袖中抄』以来の袋のクグツと傀儡子のクグツとの間に、ある連絡を求めておられるのである。(略) いまひとつ安藤正次君によって(略)発表せられた新説がある。それは傀儡の二字の朝鮮音から導かれたのであろうというのである。(略)わが傀儡子(クグツ)によく似たものを高麗で「広大」といったが、その朝鮮音はやはり Koang-tai で、傀儡の音とほとんど同じであるとのことをも援引せられているのである。安藤君は傀儡子(クグツ)は本来、支那より朝鮮をへて日本へ来たものであると考えられて、高麗の広大の徒なる揚水尺の一派の、歌舞伎芸を業とし、傀儡の戯を伝えたものが、わが国に流浪し来たって、これとともに傀儡すなわち広大の名称をも輸入し来たったものではあるまいかといわれているのである。(略) 『古事記』にはまた伊奘諾(いざなき)・伊奘冊(いざなみ)二尊の御子に、山の神・野の神などとならんで、木の神久久能智神(くくのちのかみ)というのがある。『日本紀』の一書には、やはり山の神・野の神・土の神などと並んで、木の神等を句句廼馳(くくのち)と号すともある。(略) わが古語に遍満行きわたらぬ所なきことを表わして、「天雲の向かふす極み、タニグクのさ渡る極み」、あるいは「タニグクのさ渡る極み、潮沫(しおはね)の留まるかぎり」(略)などいう成句がある。(略)しかるに、そのタニグクまたはタニククを、時にあるいは「谷蟆」または「谷潜」などと書いたがために、一般にこれはヒキガエルのことであると解している。自分もさきに「少彦名命の研究」を書いたときには、その解釈のもとに説をなしてみたのであったが、さらによく思うに、ヒキガエルをもって遍満行きわたらぬ所なきものの比喩にもちうることは、いかがであろうかと思われてならなくなった。 2_46.rm (朗読:RealMedia 形式 484KB、3'56'') 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24- 昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 手長と足長 土蜘蛛研究 底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社 2008(平成20)年1月30日初版発行 初出:「民族と歴史 第一巻第四号」 1919(大正8)年4月 くぐつ名義考 古代社会組織の研究 底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社 2008(平成20)年1月30日初版発行 初出:「民族と歴史 第八巻第四〜五号」 1922(大正11)年10〜11月 NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html NDC 分類:380(風俗習慣.民俗学.民族学) http //yozora.kazumi386.org/3/8/ndc380.html 難字、求めよ。 臂肘 丘壟 丘隴(きゅうろう)か。 寂照上人 鳥口 ちょく 大諸礼 儡 傀儡か。 としもいった 大水上神 おおみなかみのかみ、か。 年山打聞 スリーパーズ日記 メモ。以下の問題が解決。 (1) ルビ内に丸カッコを使う場合。 (2) 見えづらい傍線・傍点の表示。 (3) t-move タグをもちいた場合の表示異常。 ruby タグでは (1) の表示に不具合があった。今回、!RB タグを用いて処理した。!RB は T-Time 固有のタグなので、一般的なブラウザへの汎用性はおそらくない。 (2) (3) は、いつのまにか問題が解消していたことに、いまごろ気がつく。さかのぼって見ると、第二巻三八号「清河八郎(一)」の際に「表示-縮尺-90%」を100%に変更している。どうやらトラブルは「縮尺-90%」に起因していたらしい。おさがわせいたしました、各位。 おととい、歩いていて猫の死体と遭遇。昨日もそのままになっていたので、どこに・だれに相談・処理をお願いすればいいのかわからず、市役所へ行ったところ、生活環境課の担当のかたに話を聞いてもらう。夕暮れの帰り道には、処理されたものか、かたづけられていた。 地元の新聞によれば、ここ数年、山形県内にイノシシ被害の報告例が増えているとのこと。幕末頃にも山寺あたりでイノシシがいたらしく、供養塔が残っている。(2010.6.4) 梅雨入りを前にして、あやめとバラがきれいで香るようになる。津野海太郎『小さなメディアの必要』を久しぶりに開く。(2010.6.6) 2010.6.8:公開 2010.6.12:更新 梅雨入らず、むくがひよひよ 豆でっぽう。 百年河清を待つ。目くそ鼻くそ、牛のよだれ。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 「蟾蜍」はヒキガエルと訓み、音読みでは「せんじょ」となる。『広辞苑』によれば、「(1) 月中にいるというヒキガエル。(2) 月の異称。月蟾」とある。「蟾蜍」を月もしくは月の光の隠喩(メタファー)と解釈すれば「さ渡る極み」や「遍満行きわたらぬ所なき」の説明としては適当のように思われる。が、喜田の文中に蟾蜍=月の記述はない。知らなかったということか。Wikipedia の「月」の項によれば、中国の伝説では「月には、夫のゲイを裏切った嫦娥(じょうが)の変じた蝦蟇(ヒキガエル)が住んでいる」とある。中国(道教)が月=ヒキガエルだとすれば、日本(神道)の月=ウサギ伝承は別系統ということか。なお、中国では月探査計画のことを「嫦娥計画」、探査衛星のことを「嫦娥1号」というらしい。 -- しだ (2010-06-12 23 28 29) にしても、土蜘蛛、案山子(カカシ)、くぐつ、ヒキガエル……とは、まるでナルトのセカイだってばよ。 -- しだ (2010-06-12 23 35 39) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/84.html
六十年の回顧 後記 喜田貞吉 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)徒歩《かちある》き 後記 ○本書の原稿の一部を印刷所に交附して、いよいよ校正刷が出始めたのは三月の十日であった。しかもまだ植字の一番面倒な論文著作年譜が容易に脱稿せず、一方には引続き校正に従事しつつ、一方には原稿の整見を急ぐという始末で、随分忙しい思いをしながらも、二十九日に至って、やっと最後の頁まで初校を了することが出来たので、後始末は総て次男に一任して即夜出立、帰省の途に上った。三十一日に郷里で亡兄の三回忌を執行し、引続き四月三日から、東北大学学生の近畿史蹟見学を指導する予定になっているのである。 ○ところがあいにくなことに、東京出立の前日に風邪を引いて、重い頭を持ち廻っての旅行なのだ。悪い時には悪いことが重なって、船が小松島港に着く前から雨が降り出し、阿波としてはこのころに珍しい寒さの中を、田舎道の徒歩《かちある》きにすっかり風邪を引き添えて、実家に着くとそのまま寝床を伸べて貰ってもぐり込む。東京からはるばる阿波まで寝に来たようなものだ。平素ならば押しても通せる程度のものながら、前途に責任ある旅行を控えているので、特に大事を取って、久し振りの親類の人達にもあまり挨拶もせずに絶対安静だ。 ○明くれば四月一日、昨日に引かえて天気がよい。一昼夜静養したお蔭で今日は熱もなさそうだ。気分がよい。この分ならば明後三日からの学生指導も大丈夫と安心しつつ、なお念のために今日一日は静養して、寝床にもぐってこの「後記」に筆を執ることにした。 ○自分がこの回顧録の執筆に着手したのは昨年十二月の初めだった。当時の考えでは、年内に脱稿して一月二十四日の誕辰までには印刷を了し、還暦祝賀の御配慮に預った方々に贈呈し、また年始状を賜わった方々に対しても、御挨拶代りの誕辰状に代えたいつもりであった。 ○この機会に、簡単に自分の誕辰状なるものの主張を申述べたい。自分は数年前から形式的の年始状を廃して、その代りに誕辰を機として御挨拶することにしているのである。平素音信を通ずる機会のなかった懇意な人々の間において、せめて一年一度なんらかの機会をもって、お互いに無事を祝し合い、懇親を重ねるということは確かに有意義である。しかしながら、これを新年という一時に限るとなってみると、それがお互いに片便りの形式的なものとなるのみならず、多数を取り扱う者にとっては、年末の心忙しいさいや、新年のノンビリしたいさいをこれがために忙殺されて、実際上かなりの苦痛であるうえに、せっかく心を込められた意味深長な芳書を戴いた場合にも、それをゆっくり味いつつ拝見する余袷がなく、また先方にはもはや儀礼交換の意志のないところへさし上げて、かえって御迷惑をおかけしたり、当方からは怠っていた先から頂戴して、ために恐縮するというような、種々遺憾な場合が多い。そこで自分は考えた。各自が年始の代りに誕辰の機会をもって挨拶を交換したならば、ために一時に込み合うという心配もなく、過去一年間の経歴や感想をゆっくり述べることも出来れば、貰った方でもゆっくりこれを味うことが出来る。またこれに対して各自が答礼を出す習慣ともならば、そう大きな苦痛なしに二度までも、真に消息を通じ合うことが出来る訳だと考えたのであった。 ○この意味から自分は今年も年始状の御答礼をさし控えて、本書をもって誕辰の御挨拶に代えたい考えであったが、事予期に反して、ついにこんなに後れてしまった。この点厚く年始状を賜わった諸賢に対してお詫びする次第である。 ○なお自分はこの機会をもって、平素御懇情を賜わる諸賢の芳名簿を整理したいと思っている。ついてははなはだ御迷惑の次第ながら、本書を御落手くださった諸賢におかせられては、なにとぞその旨御一報賜わりたく、万一御通知を得ることが出来なかった場合には、あるいは将来御交際を賜わる御意志なきことと誤認して、新芳名簿から削除するというような失礼な結果となる場合がないとも申し難く、この点あらかじめ御諒承のほどをお願いする。なおそのおついでをもって、本書の内容について、誤謬その他お心付きの点を御示教賜わりたい。それによって自分は、他日重ねて訂正再版の機あらんことを期待しているのである。 (昭和八・四・一、郷里にて、貞吉記) 底本:『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』平凡社 1982(昭和57)年11月25日発行 初出:『還暦記念 六十年の回顧』 1933(昭和8)年4月発行 (底本 p622、書誌一覧より) 入力:しだひろし 校正:2008年6月12日現在、未登録・校正待ち xxxx年xx月xx日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 2010.3.31:更新 ※ カウンタを設置、編集モードを変更。 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/308.html
『喜田貞吉著作集』12・13・14 目次 『喜田貞吉著作集 第一二巻 斉東史話・紀行文』 目次 I 斉東史話 自序 年号と治世の号 縁結びの神 道祖神を縁結びの神ということ 道祖神と生殖器崇拝 縁起のうそ 善光寺の阿弥陀如来 本田善光 善光寺如来仏座の位置 善光寺新仏の御歌 徳川幕府僧侶女犯禁止の励行 公家の人口調節と出家得道 蔭子・蔭孫と華族制度 知らぬが仏の昔の国際関係 倭奴国と倭人 自己尊大の国 建国以来の氏子 建国以前の旧家 長髄彦の子孫 それは清衡公に聞いて貰いたい 我々アイヌの後裔なる奥州人 合の子民族 複成民族たることの誇り 腹は借り物、腹は畠 他種族を毛嫌いせぬ日本民族 日本民族の包容性 隼人を犬ということ アイヌの祖先は犬ということ 北海道のアイヌと奥羽の蝦夷 伊勢参宮を三度すれば蝦夷も日本人になる 外ガ[#「ガ」は小書き]浜の狄爺那となる うそしても蝦夷語言うな宇鉄村 いずれも同じ日本人 いわゆる美人系 家柄と血統 北越・奥羽は美人系 アイヌは白人系か わが古代を見んにはまず琉球を見よ 沖縄の文化と山原美人 毛の多い日本人 アイヌ族と日本民族との歩み寄り お種頂戴 アイヌの血 蝦夷の内地移住 内地移住の蝦夷の末路 エミシを一人、百な人 いみじき盗賊 サムライ(侍)と武士 武士とエビス 忠勇なる武夫 マット狢 武士道に関する一考察 武士と系図 系図の尊重 系図の穿鑿 成り上りと成り下り あてにならぬ系図 名家の仮冒 秀吉は系図仮冒の親玉 さすがに正しい公家の系図 パパとママ 汽車から落ちた 男親をチチと呼ぶ邦語 オヤと言えば母 女ならでは夜の明けぬ国 千二百年前の市民の投票 米糞上人 数理 他人の土蔵を博奕のたて物 昔の人の見た商人 出入商人の奸策 百姓 大みたから 徒党 犯人捜索と手形 犯人捜索と三輪山伝説 血液型による親子の鑑定 名称の変更 君と公 「おまえ」と「御前」 「正親町」の読み方 細君の異名 オンボウ(御坊) ハッチ坊主 用心棒 湯屋と風呂屋 汚穢忌避の習俗と浴湯の発達 湯屋の発達と温泉との関係 「猪」と「鹿」と「しし」 肉食禁忌の風習 血の穢れと肉の穢れ 牛膓祭 隠し念仏 大仏は奴隷血肉の結晶ということについて 「道鏡皇胤論」について 京間と田舎間と奈良間 仏像の反射する魔鏡のこと 現状維持 東京の地価 歌人いながらに名所を作る 坊ッちゃんと坊んさん わが上代の祓 アイヌのツグノイ 僧侶の白衣 朝鮮の白丁 紀伊に多い「何楠」という人名 手長足長 手長と膳夫 土師部と粘土採掘権 百姓は猥りに米を喰うべからず 河屋 II 隠岐日記 はしがき 夜見ガ[#「ガ」は小書き]浜 境から美保へ 美保神社 地蔵ガ[#「ガ」は小書き]崎 美保の一夜 隠岐への海上 島前と島後 西郷の一昼二夜 津戸への恐ろしい波の上 津戸の二昼夜(上) 「わに」と「みち」 津戸の二昼夜(下) 黒木御所の跡という山 奈良・高野・和歌山六日の旅 春日の神鹿 菩薩の称号 太子奉賛 平城宮址保存 遺物蒐集家 高野登山 汚穢不浄之者入門不許 明王院の赤不動 高野の谷の者 霊宝館の古書展覧会 聖徳太子の御墓探し 太子に対する贔負の引倒し 三家者と連寂衆 和歌山の一昼夜 庄内と日高見 はしがき 庄内三郡 田川郡と飽海郡、出羽郡の設置 大名領地と草高 高張田地 本間家 酒田の三十六人衆 出羽国府の所在と夷地経営の弛張 出羽国分寺の位置に関する疑問 これは「ぬず」です 奥羽地方の方言、訛音 藤島の館址——本楯の館址 神矢田 夷浄福寺 庄内の一向宗禁止 庄内のラク町 庄内雑事 桃生郡地方は古えの日高見の国 佳景山の寨址 館と柵および城 広淵沼干拓 宝ガ[#「ガ」は小書き]峯の発掘品 古い北村 姉さんどこだい 二つの飯野山神社、一王子社と嘉暦の碑 日高見神社と安倍館 天照大神は大日如来 茶臼山の寨、桃生城 貝崎の貝塚 北上川改修工事、河道変遷の年代 合戦谷附近の古墳 いわゆる高道の碑 春雪の出羽路の三日 思いのほかの雪中旅行 箱雪車とモンペ 後三年駅 江畑新之助君 タヤとラク 防壁と立薦 雪の金沢柵址 金沢八幡社のお通夜 仙北の俘囚 山形泰安寺 荘内の獅子踊と神楽、サイドウ 山形県の史蹟調査について 山形城址 おばこ踊 羽黒の裸祭 大正乙丑宇鉄遊記抄 前記 寛文ころの諸狄村(上) 寛文ころの諸狄村(下) 舎利石 昆布納屋 地方に上下ということ 宇鉄の珍らしい石器時代遺物 宇鉄での聞書きいろいろ 裏切られた予想 熟蕃の娘を見て下さい 宇鉄の酋長四郎三郎アイヌ 長門屋伝四郎 イタコの祈祷 龍馬山義経寺 アイヌが何だ 外ガ[#「ガ」は小書き]浜づたいに青森へ 佐渡視察記 はしがき 大八洲の一としての佐渡 佐渡の地形とその国名 奥床しい夷町の名 武士道的な佐渡人の気風 えぞ船、えぞ言葉 御前様 石油ランプ 本間周敬君所蔵の土面 山本半蔵君の玉斧 石鏃の形態とその新古 佐渡の石器時代土器 佐渡の考古学界 真野陵参拝 豪族の館址 国分寺址 三宮貝塚 性の神、子王大権現 道祖神と性の神 石棒と凹み石 鼠除けの護符 佐渡のホイト 靴をケリといったことについて(追記) 底本:『喜田貞吉著作集 第一二巻 斉東史話・紀行文』平凡社 1980(昭和55)年8月25日 初版第1刷発行 入力:しだひろし 校正: xxxx年xx月xx日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 『喜田貞吉著作集 第一三巻 学窓日誌』 目次 『民族と歴史』 大正八年 第二巻第五号 遠州平田寺 相良の鈴木文書 吉田博士の建碑式 温故堂坂兼治郎君 津雲貝塚発掘史 第二巻第六号 神武天皇高島宮址 田島の骨畠 呉郷文庫 葛城地方の古代 伊那の史料展覧 大本願と大勧進 お手長様 嗚呼田中先生 第三巻第一号 百姓の次三男が従五位殿 「善光寺草創考」 七福神の賊 史学研究会大会 読史会大会 摂津大掾 対馬の石塚 第三巻第三号 「善光寺草創考」下 小松原英太郎氏の薨去 南北朝問題の回顧 大正九年 第三巻第三号(承前) 興津の歳旦・潮花の行事 箱根登山鉄道 箱根強羅遊園地 シベリアの石器時代 第三巻第四号 社家の有官受領禁止 岩井雍南君の『日本古建築精華』 関西考古会 『土俗大観』 乳の欲しい人 第三巻第五号 何事もてての種じゃ由って—宗源宣旨 故富岡謙蔵君の『古鏡の研究』 『古墳発見石製模造器具の研究』 大和宇智郡の初踏査 栄山寺 第三巻第六号 阿※[#「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67]の鵜養と鬼筋 宇智の地方と隼人の旅 病間の黙想 『炉辺叢書』 『考古図集』 『土形・弊岐 蓁原君考』 亡き父の追懐 第三巻第七号 一家族同穴の墓 亡き姉の十七回忌 文禄朝鮮役の捕虜 ドイツ人クゲルさん 史学会大会 最後の文学博士会 聖徳太子奉賛 皇陵巡拝団 人類・考古・土俗に関する写真集の発行 図書館から図書局へ 『中央史壇』 時代風俗劇 銅鐸発見 第四巻第一号 鷹司鶴洲夫人遺愛の箪笥 律田敬武君の『神道起原論』 神戸史料展覧会 満鮮見物 再び摂津大掾 第四巻第二号 大本教 大漁—鉢巻の風習 第四巻第三号 華族の数 宮古島の抱き合い遺骨 金田一君のアイヌ人及びアイヌ語研究 蘆原温泉 若狭の細工村 第四巻第四号 盆踊 六斎念仏踊 第六巻第二号 珍らしい石器 御殿場在の神楽神子 浜村温泉 埴輪によくある古い形式の家作り 滝中菊太郎君 泊温泉 正倉院拝観 アイヌに関する講義聴講 舞子貝類館訪問 大正一〇年 第六巻第二号(承前) 飛鳥発見新酒槽の行衛 日本語の数詞 玉造温泉 出雲言葉 大社参詣 本山氏蒐集品 都巽軒和鏡展覧 倉光清六君 新しい踊念仏 宇治の県祭 神代史上の新発見 第六巻第四号 のろ汽車 日本語とシナ語、松村博士の『溯源語彙』 三田尻講演 防長地方の古代 穴門と長門 防府めぐり 防府の車塚 俗伝琳聖太子の塚 牟礼の鉢巻岩、豊島農園 千葉の講演 房総地方を主としたる上代の東国 飯野の古墳見学 「道鏡皇胤論」 鵯越と一の谷 第六巻第五号 馬鹿囃と大神楽 特殊部落解放運動 大江天也氏逝く 第六巻第六号 淵瀬常ならぬ飛鳥川 衣ほすてふ天の香久山 犬車 万燈会 飛騨の代官および郡代政治 耶馬台国 挙母行の軽鉄 実地踏査のお流れ 三河のあるササラ部落 新羅王陵の発掘 長沼賢海君の「夷神考再考」 第七巻第一号 正倉院拝観 鳥見の邑から富雄村へ 「てには」の「の」の存亡 生駒の聖天様 生駒山から志貴山へ 生駒と日下 瓢箪山稲荷大明神 熊野田楽 蘇我蝦夷・入鹿父子の墓 葛村という新村名 鉱石運搬より材木運搬へ 巨勢寺塔礎 安曇仙人と龍門寺 石棺の珍らしい埋没状態 本山氏邸の考古品展覧 広筋と狭筋 古代学の泰斗喜田博士—浜名湖畔の不思議な窟屋 橘園喜多貞吉君 肥前にドルメンの発見(?) 消防の今昔 弘法大師の入定説と火葬説 第七巻第二号 大阪茶臼山古墳 主義者 長沼君の「夷神再考」の続き 偽書『先代旧事本紀』 龍門寺の所在 大正一一年 第七巻第四号 耶馬台国の研究 湖南博士の日本文化観 六甲苦楽園 お座敷人形 岩が平古墳群 六甲山と甲山 厄神祭 『金森氏雑考』 ジョッフル元帥歓迎 史蹟考査に関する珍事件 内地におけるアイヌ族の末路 地獄線まわし 黄金の力 産児制限 同胞差別撤廃大会 望月の歌 水平社創立大会 第七巻第五号 大名領地図脱稿 『愛に満てる世を望みて』 同居同火を忌むことの由来 いわゆる部落民の数 昔の警察 賤民の家人と武士の御家人 茶漬 お摂待—四国遍路 案じられる幾日 阿波にアイヌ遺蹟の新発見 第七巻第六号 大名領地図納付 平等会 間引村 悲しき日 講組と氏族 産土神と氏神 本家と小家 偕老同穴 第八巻第一号 夷と鬼 南葛めぐり 森田氏蒐集発掘品 「後淡海宮御宇天皇論」 「親鸞聖人筆跡の研究」 勿体なや祖師は紙衣の九十年 京大創立二十五年記念会 「国分寺建立発願の詔勅について」 王さん屋敷 第八巻第二号 森鴎外博士逝く 僻地に遺れる大家族制 祇園祭の山鉾行列 『法然上人行状画図』 今西伊之吉君逝く 何某は部落民なり 清野博士の古代人骨調査 再び「後淡海宮御宇天皇論」について 第八巻第三号 いかもの喰い 雑誌『水平』 水平社と本願寺 浜田博士の『通論考古学』 第八巻第四号 親鸞聖人の研究 亡き母の初盆 故樋口杏斎先生 阿波の盆踊 池田町の古代住居跡 中庄八幡宮の盤境 性の神お花大権現 徳島旧城山岩窟内の遺蹟 子無税 童子と山人 氏神祭 第八巻第五号 阿花大権現の詩 内田博士の胸像除幕式 本朝相撲沿革史の編纂 長柄豊崎宮 『教行信證』に関する辻博士の講演 東大史学会大会 日蓮上人大師号宣下 全国学生雄弁大会 辻博士の講演について 第八巻第六号 善人尚以て往生す、況や悪人をや 大江山鬼退治祈願 病気透明不思議の施術 軍港見学 官幣大社丹生川上神社 伊勢人はひが事しけり 飛鳥地方史蹟案内 『大阪府全志』成る 同情と慈善 苦しかった大津講演 化石人骨発見の報 『社会史研究』 大正一一年 第九巻第一号 山形・宮城両県下旅行 新庄在の珍らしい土偶 龍巻 多賀城碑論の「弁妄」 石器時代遺物・遺蹟の研究 多賀城址の踏査 親鸞聖人と『教行信證』 『日本古建築精華』の完成 秦人と銅鐸 論戦遊戯 梅原真隆氏の『教行信證』誤読観 職人気質 第九巻第二号 仏像の首級 妻求ぎの願文 大正一二年 第九巻第二号(承前) 年始状 労働者の産児制限 佐野学君の『日本社会史序論』 雑誌『水平』第二号といわゆる水平運動 差別待遇に関する不平の声 斎瓮と土器・陶器 差別撤廃講演 第九巻第三号 志納金 人買いと監獄部屋 厄除の参詣者と吉田大元宮 『教行信證』問題 大和史談会生る 謝罪広告—エタという語 西本願寺蔵『教行信證』の複製本 『教行信證』に関する本多君の弁明 宇和島の鹿の子踊 豊橋鬼祭の田楽 殺生の徒 第九巻第四号 明石史談会 盛大なる本願寺の葬儀 純日本研究会 悪という姓 全国水平社大会 瀬田村の半日 医学博士と開業医 辻博士の『教行信證』に関する再駁 「誤読」と「読み方の相違」 草書の字体と五音相通 大和史学会発会式 鹿を逐う猟師山を見ず 世間の噂 第九巻第五号 『雅楽堂鶏肋集』巻一 因襲打破の建議案といわゆる特殊部落名称の問題 士族称号存否の問題 武士と特殊民 金爵結婚と金権結婚 水平社と国粋会の衝突 春雪の出羽路の三日 阿波に珍らしい石敢当 天王山裏山の古墳 河原の者 修行者と舞踊 顔役への貢ぎ金 難波文化史蹟展覧会 本多君の「教行信證の撰述者に就いて」の講演 例の『教行信證』誤読問題 部落民と残忍性 士族会と水平社 最後のシャア部落 第九巻第六号 古伝の堙滅と後世の誤解 この写真はあなたによく似ている 杉浦丘園君の糸印 児島高徳存否問題 真宗開宗七百年紀念大法要 島原の大夫の道中 山村の開発 水平運動に対する誤解 いかにして世人を理解せしめんか 時勢の変 華族求婚 いわゆる北越の一邪人 神泉院の大念仏無言狂言 南葛めぐり第三回 朝鮮の衡平社 「今上」の「今」の字 「教行信證新研究号」 歴史眼と教理眼 信仰の衝突と女犯の問題 『教行信證』の代作者か 第一〇巻第一号 琵琶湖底から奈良朝の古銭 山東土匪の横行 禿氏祐祥君の『教行信證考證』 本願寺と一向衆堂 西仏と大夫房覚明 『教行信證』の後序原訓の解釈 神経過敏 日本青銅文化の起原 東亜の探究は鳥居博士の独り舞台 学者の自重と宝の持ち腐れ 謝罪状 親鸞聖人『往生論註奥書』の読み方 蕃人と高砂族 『鉢の木』の史蹟争い 売文 祖師に対する敬語 第一〇巻第二号 説教僧 末子相続 痘痕も見様で笑窪に見える 『教行信證』に関する論戦とその批判 西本願寺の賽銭開き ルソンにおける日本人の後裔(?) 女系相続 人さまざま 国民研究会と『国民運動』創刊号 「魏末高斉之初」の解 再び大夫房覚明と西仏 奥羽北海道方面の視察旅行 電報の読み違い 第一〇巻第三号 奥羽北海道方面の視察旅行 アイヌのメノコ鍋沢ユキ子嬢 『穢多族に関する研究』 相模の国分寺址踏査 夏の高野山 高野の谷の者 粉河寺参詣 桑原子 第一〇巻第四号 生夷谷の懐古 川面凡児君 水平社と国民研究会 日高のアイヌ平村金太君 浜口熊嶽君 ポンソンビ・リチャード君 鍬形調査 小出寿之太先生 堺の妙国寺 淡路の四日 松前子爵の宝探し 底本:『喜田貞吉著作集 第一三巻 学窓日誌』平凡社 1979(昭和54)年8月25日 初版第1刷発行 入力:しだひろし 校正: xxxx年xx月xx日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』 目次 I 六十年の回顧 序言ならびに凡例 喜田貞吉略年譜 過去六十年の概観 発育不完全なる畸形児 感謝の六十年 わが生家のことども わが父のことども わが誕生と墳墓 負んぶして小学校へ 杏斎樋口先生のことども 懶け通した中学時代 一ヵ月の学資金三円なり 月給取の生活 第三高等中学校入学 「ヘイ」と「ハイ」から方向転換 三高在学中のことども 帝大入学と専攻学科の選択 帝大在学中のことども 学士の肩書切売の五年間 二足の草鞋 国定教科書の編纂 法隆寺建築年代論 平城京址の研究 学位受領 南北朝正閏問題 国定教科書に対する論難攻撃 問題の政治化 国定教科書の改訂 南朝正統説は既決の問題 生活更新 個人雑誌の発行 民族研究熱の高潮といわゆる特殊部落の解放運動 大名領知の調査、内田博士のこと、その他 東北帝大勤務中のことども 還暦祝賀記念会 旅行 論文著作年譜 後記 II 震災日誌 大正一二年九月一日—六日 土塵濛々 地震よりも恐ろしい火事 夜中の情況視察 放火の警戒 食糧の心配 待ちかねた横浜の消息 嬉しき便り(一) 嬉しき便り(二) 見たものでなければ想像の出来ぬ惨状 震災後記 大正一二年九月七日—一〇月一八日 III 随筆日録(一)(『歴史地理』所載) 大正一三年 第四三巻第三号 『社会史研究』と『歴史地理』との合併 原勝郎博士逝く 崇福寺と梵釈寺 北山十八間戸 奈良地獄谷の石仏 萩野由之先生逝く 第四三巻第四号 アイヌ語地名解 神前の供物と仏前の供物 大名領地図の完成 第四三巻第五号 法皇山の横穴群 石器時代民族の厚手派と薄手派ということ 第四四巻第一号 羽後仙北の竪穴群 その後の銅鐸説について 第四五巻第三号 平城宮址の保存工事 平安京大極殿址は共同便所 大唐平百済碑 大正一四年 第四五巻第三号(承前) 誕辰状 学窓日誌(『東北文化研究』所載) 昭和三年 第一巻第一号 東北遺物展覧会 お大名道具 福島県の古墳発掘 菅江真澄翁百年祭と角館史料展覧会 武家任官辞令の一型式 東にあっても北家 角館城址 小館 生保内竪穴 道祖神 田沢湖 銅鐸発見 蕨手刀 丹生川上神社三社 平城宮址の一新発見 第一巻第三号 宇陀から吉野ヘ 四ヵ所の鳥見 榛原の鳥見 いわゆる霊畤址 霊畤址考証の困難 丹生川上の旧蹟問題 鬼筋 足立と篠野 高倉山と高見山 宇賀志村と穿邑 丹生川上中社 丹生川上の親祭地新蹟 鳥見霊畤址新蹟 いわゆる伝説地について 国樔の翁 宮滝吉野郡院説 三十六町一里 吉野離宮と宮滝 宮滝の絶景と新発見の遺蹟 便利な世の中 考古学大会 国樔の沿革と蝦夷の末路 移住者の行く末 第一巻第五号 日出谷の石器時代遺蹟 日出谷という地名 名家の落胤 古銭発掘 南蒲原郡五十嵐神社の館址 南蒲原郡見聞雑事四則 ※[#「王+夬」、第3水準1-87-87]状耳飾と金環とニンガリ 珍しい大石槍 中頸城地方見聞雑事六則 文化小屋 荒陵山の石棺蓋 山形県郷土博物館 大石呉公君 山形県郷土研究会と庄内史談会 光丘文庫 旅行中恒例の小失策 青森県下の五日 偶然の暗合 第二巻第一号 子の出来る湯 蝦夷の遺※[#「((山/(追−しんにゅう)+辛)/子」、第4水準2-5-90]の村 ツチヤマキ 日本民族起原の一観察 大山史前学研究所 九州における俘囚安倍氏の遺蹟 アイヌ一行の災厄 昭和四年 第二巻第一号(承前) 東北文化会 怒ろうにも怒らりゃせん 実兄夫婦の金婚式 石原呉郷君所蔵の銅鼓 京都市の増区実施と左京区の名 いわゆる特殊部落と仏教、特に念仏宗 石器時代の植物性器具 銅鐸に銘文 第二巻第二号 柳田君の「人形とオシラ神」 オシラ神と夷の神 障らぬ神に祟りなし 有銘銅鐸(再び) 煙草飢饉 第二巻第三号 亀ケ岡出土土器 『日本案内記』 オシラ様の御神体調べ オシラ遊び 福岡市崇福寺所蔵銅鐸 根津氏蔵品拝見 その後の銅鐸に関する新発見について 第二巻第四号 『日向国史』の印刷 佐々木喜善君 本州における蝦夷の末路 米沢藩の屯田組織 貨幣のない時代 ヤップの石貨とアイヌの宝物 忘れられやすい古代文化 『広西両宮記』 地方官大更迭 阿波訛り 『日向国史』印刷の行悩み 名誉社友推薦 無茶な漢字制限 是川村遺蹟の新々発見 珍しい七戸在の竪穴 オシラ神像の原始型 イタコの市 津軽狄村所載の絵図 津軽浪岡の朱塗異形の櫛 文字ある石皿 モダンオシラ 石鏃の形とその数の割合 アスファルト坑内の土器 増村卯吉君 庄内高畑出土の編物漆器 第二巻第五号 手向百穴出土の漆器 尾浦城址の木柵発見 高橋健自君逝く 宮崎・福岡地方の十一日 昭和五年 第二巻第五号(承前) 蝦夷村と言われた久喜、小袖 血液型による民族的および団体的研究 『日向国史』出版完成 飛鳥浄見原宮址 春日の御田植祭 東北大学学生上方見学 時田館ほか数館視祭 遺物の鑑定 横川目での見聞雑記 山野菜のいろいろ 愛宕山館 五十集屋 火葬の塚とその石棺 払田柵址 払田柵はなにものか 払田柵と答甲城 庄内地方の柱根 尾浦城門址の木柵 陸前三本木方面の遺物・遺蹟 奇禍 死に関する所感 菓子よりも砂糖、砂糖よりも金 随筆日録(二)(『歴史地理』所載) 昭和七年 第六一巻第四号 鳴子考古品陳列館 石器時代の穴蔵 沼館の好適例=四十二館 是川遺蹟記念館 隠し念仏 第六一巻第六号 平館の一例=津軽飯詰館 酒井忠純氏蔵珍土器 板井のいろいろ 独木舟の埋没 陰石 アスファルトの膠着せる石鏃 男女の両性をあらわした土偶 ケットの調査報告聴取 昭和八年 第六二巻第一号 田中光顕伯訪問 第六二巻第二号 直弧紋を描出した盾の埴輪 飛鳥の石葺 僧侶の妻帯禁止 小楠公遺詠の証明書 女人解放の高野山 第六二巻第三号 常成梅 弥彦神社 石船柵址踏査 念珠関と都岐沙羅柵 第六二巻第五号 天満獅子 独木舟廃物利用の謎 山形の印役神社 還暦記念六十年の回顧 今は隠さぬ隠し念仏 奥羽地方における各時代文化遺物の共存 骨製青龍刀形石器時代遺物 鹿角の初視察 風張の一円墳と小竪穴 野中堂のいわゆるストーンサークル 猿賀神社参拝(田道戦歿之地) 小枝指館その他 枯草木坂の古墳 泉森発掘の刀剣 第六三巻第二号 上越鉄道沿線の初踏査 護国の神と五穀の神 陰石、陽石 第六三巻第三号 石器時代石葺住宅址 竪穴から土師器と縄文土器 飯綱山石器時代遺蹟 余川古墳群 ヒナタ山改め舟岡山 両面土偶 異形石冠 他人の妻妾を抱くベからず 安倍貞任の後裔 奥利根の石葺住宅址 浅見作兵衛氏の蔵品 第六四巻第一号 北海道日高国荷負発掘の鎧 北海道原始文化展覧会 発寒の環状石籬と古墳 第六四巻第二号 夷酋シャクシャインに関する異伝 稲田家の開墾事業 椚別金毘羅社 IV 著作目録 底本:『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』平凡社 1982(昭和57)年11月25日 初版第1刷発行 入力:しだひろし 校正: xxxx年xx月xx日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 2011.10.9:公開 玲瓏迷人。 2011.10.12:更新 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント