約 4,793 件
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1799.html
前節までで、差し当たり本書の議論は尽くされている。 しかし、保守主義というテーマは、いかにも誤解され易いテーマであって、有り得べき誤解に対して、あらかじめ何等かの釈明を試みて措くことは、あながち無益ではなく、むしろ必要ですらある。 もし、そうであるならば、前節までの行論の中で、当然予想される誤解について、逐一予防線を張って措けばよさそうなものであるが、そうもいかない。 何故ならば、保守主義という言葉は、本論で問題としている議論領域を遥かに越えた、極めて多様なイメージを伴って用いられているのであって、保守主義を巡る誤解もまた、その多様なイメージに因って来るものだからである。 従って、保守主義を巡る誤解についての釈明は、本論の議論水準とは一段異なった、より広い土俵において為されねばならない。 本節では、本論に述べられた意味における保守主義が、自らの呼び醒ます多様なイメージの中にあって、一体何でないのか、すなわち、保守主義とは何でないかを論じることによって、保守主義を巡る幾つかの誤解に対するささやかな釈明を試みて措きたい。 保守主義、わけても新しい保守主義と言えば、いわゆる新自由主義(Neo-Liberalism)のことかと思う向きも、あるいは少なくないかも知れない。 たとえば巷間ハイエクは、新自由主義の泰斗ということにされている。 保守主義と自由主義との関係については、おそらく最も誤解の生じ易い論点であるに相違ないので、是非とも釈明して措かねばならない。 また、保守主義は、近代の産業主義と民主主義、あるいは合理主義と個体主義を根底的に批判する、反啓蒙の思想に外ならない。 それでは、保守主義は、たとえば環境社会主義(Eco-Socialism)に代表されるような、いわゆる反近代の思想なのであろうか。 保守主義と反近代主義との関係については、近代文明における保守主義さらには進歩主義の位置付けを迫る論点であり、是非とも釈明して措かねばならない。 さらにまた、保守主義は、何よりも社会・文化の伝統を擁護せんとする態度である。 従って、保守主義は、たとえば日本の社会・文化に固有な伝統をどのように捉えるか、といった問題を避けて通る訳にはいかない。 保守主義といわゆる日本主義(Japanism)との関係については、保守主義の近代文明における位置付けとも複雑に絡まった論点であり、是非とも釈明して措かねばならない。 本節では、以上の三つの論点について、極簡単に触れることにする。 いずれの論点も、かなり大きなテーマであることもさりながら、本節の狙いは、飽くまで本論に述べられた保守主義を巡る、有り得べき誤解を防いで措くことに限られるからである。 この20世紀末の現代において、保守主義と言えば、自由主義、わけても新自由主義を思い浮かべることは、むしろ当然である。 19世紀の最後の四半分に端を発して1970年代に至る、ほぼ一世紀の長きに亘って、進歩主義の旗印は、福祉社会主義あるいは民主社会主義さらにはケインズ主義を含む、最も広い意味での社会主義によって担われてきた。 20世紀は、経済的成長や社会的平等といった福祉(welfare)を目的として、経済社会を合理的に管理せんとする運動が、言わば最高潮に達したという意味において、まさに社会主義の世紀だったのである。 このような社会主義の進攻に直面した保守主義が、社会主義の対抗思想としての側面を持つ自由主義と、ほとんど分離不可能なまでに接近して見えたということは、あまりに当然である。 保守主義は、19世紀を通じて真剣を交えてきた当の相手である自由主義と、社会主義なる新たな敵を前にして、公然と手を結んだかに見えたのである。 ましてや、さいもの社会主義もようやく陰りを見せ、小さな政府や自由な市場を求める新自由主義の運動が、かなりの勝利を収めたかに見える、20世紀の最後の四半分において、保守主義が、社会主義による積年の抑圧から解放された喜びを、自由主義と共に分かち合っているように見えたとしても、また、極めて当然である。 社会主義との、ほぼ百年に及んだ戦いもひとまず終わり、勝利の美酒を同盟軍と共に酌み交わすひととき、といった具合である。 しかし、保守主義と自由主義との、このような同盟関係は、うたかたの夢に過ぎない。 何故ならば、自由主義とは、19世紀を通じて、保守主義と死闘を繰り広げて来た、進歩主義の尖兵に外ならないのであり、20世紀に入って、進歩主義の旗手たるの地位を、社会主義に追い落とされたと言えども、その啓蒙の嫡出子としての本質には、些かの変りもないからである。 蓋し、自然権としての個人の自由は、人間的自然としての理性による支配とともに、啓蒙の精神の求めて止まぬ処であった。 自由主義の、進歩主義としての性格は、言わば骨絡みなのである。 従って、20世紀における、保守主義と自由主義との接近は、社会主義の凋落が決定的となった今日においては、むしろ両者間の距離にこそ注目すべきなのである。 それでは、保守主義と自由主義わけても新自由主義は、いかなる点において重なり合い、また、いかなる点において袂を分かつのか、このことが問われねばならない。 ここで注意して措かねばならないことは、自由主義と呼ばれる社会思想の中には、必ずしも社会主義と対立せず、むしろ広い意味での社会主義に含まれると言った方が良さそうなものがある、ということである。 たとえば、個人の自由を(形式的にではなく)実質的に保障するためには、個人の自由に任せて措くだけでは全く足りず、国家が、社会に対して(消極的にではなく)積極的に介入し、これを合理的に管理せねばならない、とする類いの自由主義(※注釈:いわゆるリベラリズム=マイルドな社会主義)である。 このような自由主義は、なるほど自由主義を名乗ってはいるが、社会全体に対する合理的な管理を要請するという点において、むしろ広義の社会主義と呼ぶべき主張である。 因みに、このような自由主義は、バーリーンの言う積極的自由を称揚する態度であり、19世紀末には、新自由主義(※注釈:T.H.グリーンらのnew liberalism であり、neo-liberalism とは違うことに注意)と呼ばれた立場である。(世紀末には新自由主義が流行るようだ。) ここでは、このような自由主義を、社会主義に含めて考えることにし、自由主義としては言及しないことにしたい。 自由主義とは、差し当たり、他者による強制のない状態としての自由、すなわち、バーリーンの言う消極的自由を擁護する態度である。 従って、自由主義は、国家が社会全体を合理的に管理せんとする態度と両立しない。 何故ならば、社会全体を合理的に管理することは、たとえば社会全体の福祉といった目的を効率的に達成すべく、社会に内蔵する資源を動員し行為を配列することに外ならないのであって、それは、個人が、自らの資源と行為を自由に処分することと、真っ向から対立せざるを得ないからである。 言い換えれば、社会全体の合理的な管理は、国家による個人に対する何等かの強制、すなわち、国家による個人の自由の制限を、不可避的に含意しているのである。 もっとも、自由主義は、国家による個人に対する強制の総てを否定する訳ではない。 たとえば、個人の行為が、他者の自由を侵害して為される場合、国家が、その行為の差し止めや、他者に与えた損害の賠償などを、個人に強制することは、自由主義と言えども全く否定しない。 むしろ、自由主義とは、個人の自由を他者による侵害から保護することにこそ、国家の役割があるとする主張とさえ言い得る。 しかし、国家が、個人の(消極的)自由を、その侵害から保護することと、個人の(積極的)自由を、たとえば無知や貧困や失業やといった、その障害から解放するために、社会全体を合理的に管理することとは、全く異なる事態なのであって、自由主義は、前者の国家のみを肯定し、後者の国家を厳しく否定するのである。 従って、自由主義は、社会全体の秩序を、(他者の自由を侵害しない限りにおける)諸個人の自由な行為に委ねることになる。 すなわち、自由主義は、社会全体の秩序を、国家が合理的に設定するものではなく、諸個人の自由な行為の累積的な帰結として自然発生的に生成されるものである、と捉えるのである。 因みに、ハイエクの言う自由主義とは、まさにこの意味における自由主義に外ならない。 ハイエクは、社会を合理的に設定された組織として捉える、最広義の社会主義に抗して、社会を自然発生的に生成された自生的秩序として捉える、このような自由主義を擁護するのである。 この意味における自由主義が、保守主義とほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 すなわち、この意味における自由主義は、社会を合理的に管理せんとする進歩主義に対抗する、保守主義の一局面そのものなのである。 しかし、そうであるからと言って、自由主義のあらゆる局面が、保守主義と一致する訳では必ずしもない。 自由主義には、社会を、個人の意図や情緒や欲求やに還元し得るし、また、すべきであるとする傾きが、避け難く存在している。 たとえば、社会のルールとしての法を、自然権を保有する自由な諸個人の合意に還元する、社会契約論や、さらには、社会のルールとしての法を、何ものにも制限され得ない自由な主権者の意志に帰着する、主権論といった、近代啓蒙の個体主義は、いわゆる自由民主主義として、今日なお、自由主義の内にその命脈を保っている。 自由主義は、なるほど、近代啓蒙の合理主義に対して、保守主義とその批判を共有しているのであるが、しかし、近代啓蒙の個体主義に対しては、必ずしも一線を画してはいないのである。 この意味において、自由主義は、依然として、進歩主義の一翼を担っている。 因みに、急進的な自由主義が、何ものにも制限され得ない国民主権を標榜する、無制限の民主主義に変転する例は枚挙に暇がない。 個人が自らの行為を自由に選択し得るとするならば、自らの属する社会の制度もまた、自らの自由な同意に基づいて選択されるべきだ、という訳である。 保守主義が批判するのは、まさに、このような無制限の民主主義に外ならない。 なるほど、保守主義にとっても、個人の行為は自由に選択され得るものであり得るが、しかし、社会の制度全体は、個人の行為を可能にする前提となりこそすれ、個人の合意によって自由に選択され得るものでは決してあり得ない。 従って、保守主義は、このような無制限の民主主義を帰結する、いわば社会契約論的な自由主義とは、全く両立し得ないのである。 因みに、ハイエクは、このような無制限の民主主義を峻拒している。 すなわち、ハイエクもまた、保守主義と同様に、社会契約論的な意味における自由主義とは、ついに両立し得ないのである。 従って、保守主義は、社会を諸個人の自由な行為の累積によって生成される秩序として捉える、言わば自然発生論的あるいは慣習論的な自由主義とは、ほとんど過不足なく重なり合うが、社会を諸個人の自由な意志の一致によって設定される秩序として捉える、社会契約論的あるいは自然権論的な自由主義とは、全く両立し得ない。 また、保守主義が、社会を諸個人の欲求の自由な実現のために(国家が)制御すべき対象として捉える、いわゆる功利主義的な自由主義(ここでは社会主義に含めた)と、鋭く対立していることは言うまでもない。 言い換えれば、保守主義は、自由主義のヒューム的(慣習論的)な伝統には極めて親しいが、そのロック的(自然権論的)な伝統、さらには、そのベンサム的(功利主義的)な伝統には全く疎遠なのである。 現代における自由主義の復興は、そのベンサム的な伝統を排除することにおいては、なるほど意見の一致を見ているが、そのヒューム的な伝統あるいはロック的な伝統のいずれを継承するかについては、必ずしも意見の一致は見られない。 ハイエクのようにヒューム的な伝統に棹さす者もいれば、ノージックのようにロック的な伝統の嫡流たらんとする者もある。 いずれにせよ保守主義は、自由主義あるいは新自由主義のあらゆる潮流と手を結び得る訳ではない。 保守主義は、自由主義のただ一つの潮流とのみ与し得るのである。 あるいは、そのような自由主義は、自由主義の一つの潮流であると言うよりも、むしろ保守主義そのものであると言うべきなのかも知れない。 蓋し、自由主義のヒューム的さらにはバーク的な伝統こそが、保守主義の本流を形成してきた当のものに外ならないとも言い得るからである。 保守主義は、近代の産業主義と民主主義、あるいは、啓蒙の合理主義と個体主義を懐疑する、反啓蒙の思想である。 それでは、保守主義は、近代文明を否定しまた超克せんとする、反近代の思想であるのか。 ここに、保守主義を巡る、最大の陥穽が潜んでいる。 本書で明らかにしたかったことは、啓蒙の合理主義と個体主義とが、あたかも、その最も誇るべき価値であるかのように見なされている近代社会と言えども、社会という事態である限り、啓蒙の合理主義と個体主義とによってはついに捉え得ない、第三の性質を俟って始めて存立し得るということである。 すなわち、近代文明もまた、一個の文明である限り、啓蒙の精神の最も忌み嫌う、何等かの伝統に係留されて始めて存続し得るのである。 従って、反啓蒙の思想は、必ずしも反近代の思想ではあり得ない。 むしろ、反啓蒙の思想は、近代という社会の存立の秘密に接近し得る、ほとんど唯一の思想なのである。 この反啓蒙の思想と反近代の思想とを取り違えた処に、保守主義を巡る、幾多の悲喜劇が生じたのであった。 なるほど、保守主義を貫く反啓蒙の精神は、時として、近代文明そのものを拒絶しているかのようにも見受けられる。 たとえば、バークが、フランス革命を否定するに当たって、あたかも、中世への復帰を唱導しているかのように見える処がない訳ではない。 あるいは、日本において、伝統への回帰が語られる時、あたかも、古代の復古が号令されているかのように見えることもないとは言えない。 しかし、真正の保守主義は、いまここに生きられている社会をこそ、その存立の秘密の顕わとなる深みにおいて肯定せんとする営みなのであって、いまここに生きられている社会を、少なくともその最深部において否定し去ることなど決してあり得ないのである。 いまここに生きられている社会とは、差し当たり、近代社会の外ではあり得ない。 あうなわち、保守主義は、反啓蒙の精神を採ることによって、いまここに生きられている、近代という社会を、その存立の深みにおいて肯定せんとしているのである。 しかし、そうであるからと言って、近代を肯定することは、古代や中世を否定することでは些かもない。 真正の保守主義は、近代の社会を存立させている秘密と、古代や中世の社会を存立させていた秘密とが、それほど違ったものではあり得ないことを、重々承知しているからである。 社会を存立させる秘密の顕わとなる、その最深部においては、時代の如何に拘わらず、常なるもの、すなわち、伝統が、生きられているのである。 啓蒙の精神とは、古代や中世やさらには近代において生きられている伝統の一切を否定して、人間の理性と個人の自由の下に、全く新しい社会、すなわち、彼らの言う近代社会を建設せんとする試みに外ならない。 保守主義は、啓蒙の精神を懐疑することによって、古代や中世の伝統を生きられたそのままに肯定する一方で、それが、近代社会の存立をその最深部において支えている伝統と、それほど遠いものではなく、むしろ、密かに連なりさえしていることを承認するのである。 すなわち、保守主義は、生きられている伝統を擁護することによって、啓蒙の進歩主義ばかりが如何にも目立つ近代文明を、その最深部において肯定しているのである。 従って、保守主義は、反近代主義ではあり得ない。 保守主義は、たとえばマルクス主義や国家社会主義のように、近代の超克を志している訳でもないし、たとえばロマン主義や環境社会主義のように、前近代の桃源郷を夢見ている訳でもない。 マルクス主義や国家社会主義は、反近代を標榜しているにも拘わらず、実は最も急進的な合理主義を帰結するという意味において、まさしく啓蒙の嫡出子と呼ばれるに相応しいし、ロマン主義や環境社会主義は、なるほど反啓蒙の思想ではあるが、近代文明の唯中に、帰るべき常なるものを見出し得なかったという意味において、ついに反近代の思想でしかあり得ない。 マルクス主義や国家社会主義は言うまでもなく、ロマン主義や環境社会主義もまた、ついに保守主義ではあり得ないのである。 さらに、わけても環境社会主義は、たとえばエコロジーや反原発といった、その反近代の運動において、極めて急進的な個体主義の様相を呈することが、少なくないのであって、むしろ、啓蒙の自然権論を体現していると言っても、ほとんど言い過ぎにはならないのである。 総じて、マルクス主義や国家社会主義、さらには環境社会主義をも含む、比較的狭い意味における社会主義は、最も急進的な啓蒙主義以外の何ものでもない。 保守主義は、このような反近代の仮面を被った啓蒙主義とは、決して両立し得ないのである。 保守主義は、人間とその社会が、何等かの伝統に係留されて始めて存立し得ることを強調する。 しかし、社会やあるいは文化の伝統とは、(本書に述べられた《遂行的なるもの》であるがゆえに)その具体的な様相に一歩でも踏み込もうとするならば、それが遂行されている地域や歴史に相対的なものとして示されざるを得ない。 すなわち、具体的に生きられている伝統は、たとえば、イギリスの伝統であり、日本の伝統であり、あるいは、東京の伝統であり、京都の伝統であり、はたまた、西ヨーロッパの伝統であり、東アジアの伝統なのである。 従って、保守主義が伝統を擁護すると言った場合、その擁護すべき伝統は、具体的には、何等かの地域や歴史に固有な伝統であらざるを得ないことになる。 言い換えれば、保守主義は、具体的には、地域あるいは歴史に固有な保守主義としてしかあり得ないのである。 従って、たとえば日本において保守主義を語ることは、取りも直さず、日本において生きられている伝統を擁護する、日本に固有な保守主義を語ることに外ならない。 それでは、そのような保守主義は、自文化中心主義、ナショナリズム、あるいは日本主義と、どこが違うのであろうか。 日本の保守主義など、皇国主義と大同小異ではないのか。 このような疑問が当然に生じて来ると思われる。 さらに、このような疑問は、日本に特徴的なもう一つの事情によって、いよいよ深まらざるを得ない。 なるほど保守主義は反啓蒙の思想であった。 しかし、そもそも啓蒙思想とは、西欧近代において誕生した、西欧近代に固有の思想に外ならない。(もっとも、啓蒙思想が西欧に固有な思想であるか否かは、なお検討すべき課題である。) 西欧近代は、その色鮮やかな表層のみに目を奪われるならば、あたかも、啓蒙思想一色によって塗り潰されているかのように見受けられる。 言い換えれば、保守主義は、反啓蒙の立場を採ることによって、反西欧の態度を帰結するのではないか。(保守主義が、反近代の態度を帰結し得ないことは既に述べた。) すなわち、保守主義は、その西欧における機能はいざ知らず、日本を含む非西欧においては、啓蒙という名の西欧文化中心主義あるいは西欧文化帝国主義に対抗する、反西欧の思想として機能しているのではないか。 このような推測のしばしば行われていることも、無下には否定し得ない。 もし、このような推測が、当を獲たものであるとするならば、日本の保守主義は、反西欧主義という意味において、ますます日本主義に接近するのではないか。 なるほど、日本主義は、近代の合理主義と個体主義との対極にあるとされる、日本の伝統に立脚した、反啓蒙の思想であることには間違いない。 しからば、日本の保守主義は、反啓蒙の伝統文化の咲き誇る東亜の盟主として、啓蒙の革新文明に堕落したあ西欧に宣戦すべきなのであろうか。 しかし、ここで想い起こすべきは、保守主義が、反近代の思想ではついにあり得ないということである。 すなわち、保守主義が、伝統を擁護すると言った場合、そこで語られている伝統は、いまここで生きられている近代社会の存立を、その深層において支えている伝統に外ならないのである。 従って、日本の保守主義が、日本の伝統を擁護すると言った場合、そこで語られている伝統は、いまここに生きられている日本近代の存立を、その深層において支えている伝統の外ではありえない。 言い換えれば、日本の保守主義は、近代文明の日本における顕現を、その深層において、肯定しているのである。 現代の日本において生きられている社会が、紛れもなく近代社会である以上、日本の保守主義は、日本の近代社会に、肯定すべき何ものかを見出さざるを得ない。 保守主義とは、そういったものなのである。 従って、日本の保守主義は、日本の伝統を、それが反近代であるから擁護するということでは些かもない。 むしろ、それが日本近代の存立に不可欠であるからこそ擁護するのである。 この間の事情は、西欧においても全く変わりはない。 たとえば、イギリスの保守主義は、イギリスの伝統を、それがイギリス近代の存立に不可欠であるからこそ擁護するのである。 このように言えば、イギリスの伝統と日本の伝統とは全く違う、といったお馴染みの議論がすぐにでも思い浮かばれよう。 もとより、イギリスの伝統と日本の伝統とが同じである筈もない。 しかし、近代文明における反啓蒙の橋頭堡という意味においては、彼我の伝統は、いわば機能的に等価なのである。 すなわち、近代文明における啓蒙の精神は、近代文明の圏内においては、ほとんど同一であり、その意味において、普遍的である。 さらに、近代文明が、啓蒙の精神のみによっては存立し得ず、反啓蒙の伝統を俟って始めて存立し得るという事態もまた、普遍的である。 しかし、近代文明の存立に不可欠な反啓蒙の伝統が、具体的に何であるかとなると、これは、近代文明の圏内においても、様々であり得る。 すなわち、近代文明という、いわば地球大の文明の存立に不可欠な伝統は、近代文明の圏内にある様々な文化に固有な伝統以外ではあり得ないのである。 言い換えれば、近代文明とは、それを担う様々な文化に固有な伝統を前提として、始めて可能であるような文明なのである。 従って、近代文明において、啓蒙の進歩主義は、なるほど普遍的であり得るが、反啓蒙の保守主義は、反啓蒙という一点を除いては、決して普遍的ではあり得ない。 近代の保守主義は、反啓蒙という機能においては等価であるが、それを担う実体としては異文化である、固有の伝統のいずれかに係留されざるを得ないのである。 これは、社会あるいは文化の伝統が、本書に述べた《遂行的なるもの》であることの、ほとんど必然的な帰結である。 このような立論は、近代文明と西欧文化との間に如何なる差異も認めない向きにとっては、なかなか理解し難いものであろう。 しかし、近代文明とは、ほとんど全地球を覆う、優れて普遍的な文明なのであって、西欧文化や日本文化をも含む、極めて多様な文化あるいは社会によって担われている、と考えることはそれほど無理なことであろうか。 古代や中世の歴史においては、単一の普遍な文明が、多数の固有な文化あるいは社会によって担われている例は、枚挙に暇がない。 中国文明、インド文明、イスラム文明、ギリシア・ローマ文明など、総て、そのような文明の例である。 そもそも、文明と呼び得る程にも普遍的であり得るためには、その内部に少なくとも複数の分化あるいは社会を包含していることが、ほとんど必須の条件であると言ってもよい。 近代文明もまた、そのような文明の一つなのである。 従って、西欧の社会も、日本の社会も、それが近代文明を担っている社会の一つであるという点においては、些かの相違もない。 しかし、それらの社会が、近代の社会として存立するに当たって、具体的に如何なる伝統を不可欠なものとしているかについては、それぞれに固有の事情が介在しているのである。 たとえば、イギリスの近代社会の存立に当たって、間柄主義の伝統の不可欠である筈もなく、あるいは、日本の近代社会の存立に当たって、アングリカニズムの伝統の不可欠である筈はない。 いずれにせよ、近代の保守主義は、普遍的な近代文明の存立にとって不可欠な伝統を、個別的な地域文化に固有な具体性の中に見出していかねばならないのである。 このような保守主義が、単純な自文化中心主義やナショナリズム、あるいは反西欧主義や日本主義に、そう易々と陥り得ないことは明らかであろう。 保守主義は、いまここに生きられている社会が、近代文明の下にある社会であることを、よく承知している。 さらに、保守主義は、自らの社会に固有な伝統を擁護することが、近代文明の下にある総ての社会にとって、不可避の要請であることも、また、よく承知している。 従って、保守主義は、自らの固有な文化が、近代文明の下にある総ての社会において、生きられるべき普遍の伝統となり得るなどとは夢にも想わない。 ましてや、保守主義は、自らの固有な文化が、近代文明それ自体と対抗せざるを得なくなるとは、全く考えもしない。 保守主義は、自文化中心主義やナショナリズム、さらには反西欧主義や日本主義では、ついにあり得ないのである。 しかし、そうは言っても、近代文明と、それを担っている地域文化、わけても西欧文化との判別は、かなり複雑な課題である。 どこまでが近代文明の普遍的な特徴であり、どこまでが西欧文化の個別的な特徴であるかは、極めて識別の困難な課題なのである。 従って、西欧の保守主義はいざ知らず、日本の保守主義は、近代文明の唯中に極めて分離し難く纏わり付いている西欧に固有な伝統と、自らに固有な伝統との葛藤を引き受けねばならない。 近代文明の下における、地域文化相互間の葛藤は、依然として開かれた問いなのである。 しかし、近代文明が、地域的な固有文化を超えた、全地球的な普遍文明であり得るとするならば、この問題は、必ずや解決されるに相違ない。 そのとき、保守主義の擁護すべきは、地球文明の存立にとって決して逸することの許されない、全地球的に生きられる言わば普遍の伝統であるのかも知れない。 そのときに在っても保守主義は、地球文明のキー・ストーンとして、なお生きられねばならないのである。
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/189.html
前節までで、差し当たり本書の議論は尽くされている。 しかし、保守主義というテーマは、いかにも誤解され易いテーマであって、有り得べき誤解に対して、あらかじめ何等かの釈明を試みて措くことは、あながち無益ではなく、むしろ必要ですらある。 もし、そうであるならば、前節までの行論の中で、当然予想される誤解について、逐一予防線を張って措けばよさそうなものであるが、そうもいかない。 何故ならば、保守主義という言葉は、本論で問題としている議論領域を遥かに越えた、極めて多様なイメージを伴って用いられているのであって、保守主義を巡る誤解もまた、その多様なイメージに因って来るものだからである。 従って、保守主義を巡る誤解についての釈明は、本論の議論水準とは一段異なった、より広い土俵において為されねばならない。 本節では、本論に述べられた意味における保守主義が、自らの呼び醒ます多様なイメージの中にあって、一体何でないのか、すなわち、保守主義とは何でないかを論じることによって、保守主義を巡る幾つかの誤解に対するささやかな釈明を試みて措きたい。 保守主義、わけても新しい保守主義と言えば、いわゆる新自由主義(Neo-Liberalism)のことかと思う向きも、あるいは少なくないかも知れない。 たとえば巷間ハイエクは、新自由主義の泰斗ということにされている。 保守主義と自由主義との関係については、おそらく最も誤解の生じ易い論点であるに相違ないので、是非とも釈明して措かねばならない。 また、保守主義は、近代の産業主義と民主主義、あるいは合理主義と個体主義を根底的に批判する、反啓蒙の思想に外ならない。 それでは、保守主義は、たとえば環境社会主義(Eco-Socialism)に代表されるような、いわゆる反近代の思想なのであろうか。 保守主義と反近代主義との関係については、近代文明における保守主義さらには進歩主義の位置付けを迫る論点であり、是非とも釈明して措かねばならない。 さらにまた、保守主義は、何よりも社会・文化の伝統を擁護せんとする態度である。 従って、保守主義は、たとえば日本の社会・文化に固有な伝統をどのように捉えるか、といった問題を避けて通る訳にはいかない。 保守主義といわゆる日本主義(Japanism)との関係については、保守主義の近代文明における位置付けとも複雑に絡まった論点であり、是非とも釈明して措かねばならない。 本節では、以上の三つの論点について、極簡単に触れることにする。 いずれの論点も、かなり大きなテーマであることもさりながら、本節の狙いは、飽くまで本論に述べられた保守主義を巡る、有り得べき誤解を防いで措くことに限られるからである。 この20世紀末の現代において、保守主義と言えば、自由主義、わけても新自由主義を思い浮かべることは、むしろ当然である。 19世紀の最後の四半分に端を発して1970年代に至る、ほぼ一世紀の長きに亘って、進歩主義の旗印は、福祉社会主義あるいは民主社会主義さらにはケインズ主義を含む、最も広い意味での社会主義によって担われてきた。 20世紀は、経済的成長や社会的平等といった福祉(welfare)を目的として、経済社会を合理的に管理せんとする運動が、言わば最高潮に達したという意味において、まさに社会主義の世紀だったのである。 このような社会主義の進攻に直面した保守主義が、社会主義の対抗思想としての側面を持つ自由主義と、ほとんど分離不可能なまでに接近して見えたということは、あまりに当然である。 保守主義は、19世紀を通じて真剣を交えてきた当の相手である自由主義と、社会主義なる新たな敵を前にして、公然と手を結んだかに見えたのである。 ましてや、さいもの社会主義もようやく陰りを見せ、小さな政府や自由な市場を求める新自由主義の運動が、かなりの勝利を収めたかに見える、20世紀の最後の四半分において、保守主義が、社会主義による積年の抑圧から解放された喜びを、自由主義と共に分かち合っているように見えたとしても、また、極めて当然である。 社会主義との、ほぼ百年に及んだ戦いもひとまず終わり、勝利の美酒を同盟軍と共に酌み交わすひととき、といった具合である。 しかし、保守主義と自由主義との、このような同盟関係は、うたかたの夢に過ぎない。 何故ならば、自由主義とは、19世紀を通じて、保守主義と死闘を繰り広げて来た、進歩主義の尖兵に外ならないのであり、20世紀に入って、進歩主義の旗手たるの地位を、社会主義に追い落とされたと言えども、その啓蒙の嫡出子としての本質には、些かの変りもないからである。 蓋し、自然権としての個人の自由は、人間的自然としての理性による支配とともに、啓蒙の精神の求めて止まぬ処であった。 自由主義の、進歩主義としての性格は、言わば骨絡みなのである。 従って、20世紀における、保守主義と自由主義との接近は、社会主義の凋落が決定的となった今日においては、むしろ両者間の距離にこそ注目すべきなのである。 それでは、保守主義と自由主義わけても新自由主義は、いかなる点において重なり合い、また、いかなる点において袂を分かつのか、このことが問われねばならない。 ここで注意して措かねばならないことは、自由主義と呼ばれる社会思想の中には、必ずしも社会主義と対立せず、むしろ広い意味での社会主義に含まれると言った方が良さそうなものがある、ということである。 たとえば、個人の自由を(形式的にではなく)実質的に保障するためには、個人の自由に任せて措くだけでは全く足りず、国家が、社会に対して(消極的にではなく)積極的に介入し、これを合理的に管理せねばならない、とする類いの自由主義(※注釈:いわゆるリベラリズム=マイルドな社会主義)である。 このような自由主義は、なるほど自由主義を名乗ってはいるが、社会全体に対する合理的な管理を要請するという点において、むしろ広義の社会主義と呼ぶべき主張である。 因みに、このような自由主義は、バーリーンの言う積極的自由を称揚する態度であり、19世紀末には、新自由主義(※注釈:T.H.グリーンらのnew liberalism であり、neo-liberalism とは違うことに注意)と呼ばれた立場である。(世紀末には新自由主義が流行るようだ。) ここでは、このような自由主義を、社会主義に含めて考えることにし、自由主義としては言及しないことにしたい。 自由主義とは、差し当たり、他者による強制のない状態としての自由、すなわち、バーリーンの言う消極的自由を擁護する態度である。 従って、自由主義は、国家が社会全体を合理的に管理せんとする態度と両立しない。 何故ならば、社会全体を合理的に管理することは、たとえば社会全体の福祉といった目的を効率的に達成すべく、社会に内蔵する資源を動員し行為を配列することに外ならないのであって、それは、個人が、自らの資源と行為を自由に処分することと、真っ向から対立せざるを得ないからである。 言い換えれば、社会全体の合理的な管理は、国家による個人に対する何等かの強制、すなわち、国家による個人の自由の制限を、不可避的に含意しているのである。 もっとも、自由主義は、国家による個人に対する強制の総てを否定する訳ではない。 たとえば、個人の行為が、他者の自由を侵害して為される場合、国家が、その行為の差し止めや、他者に与えた損害の賠償などを、個人に強制することは、自由主義と言えども全く否定しない。 むしろ、自由主義とは、個人の自由を他者による侵害から保護することにこそ、国家の役割があるとする主張とさえ言い得る。 しかし、国家が、個人の(消極的)自由を、その侵害から保護することと、個人の(積極的)自由を、たとえば無知や貧困や失業やといった、その障害から解放するために、社会全体を合理的に管理することとは、全く異なる事態なのであって、自由主義は、前者の国家のみを肯定し、後者の国家を厳しく否定するのである。 従って、自由主義は、社会全体の秩序を、(他者の自由を侵害しない限りにおける)諸個人の自由な行為に委ねることになる。 すなわち、自由主義は、社会全体の秩序を、国家が合理的に設定するものではなく、諸個人の自由な行為の累積的な帰結として自然発生的に生成されるものである、と捉えるのである。 因みに、ハイエクの言う自由主義とは、まさにこの意味における自由主義に外ならない。 ハイエクは、社会を合理的に設定された組織として捉える、最広義の社会主義に抗して、社会を自然発生的に生成された自生的秩序として捉える、このような自由主義を擁護するのである。 この意味における自由主義が、保守主義とほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 すなわち、この意味における自由主義は、社会を合理的に管理せんとする進歩主義に対抗する、保守主義の一局面そのものなのである。 しかし、そうであるからと言って、自由主義のあらゆる局面が、保守主義と一致する訳では必ずしもない。 自由主義には、社会を、個人の意図や情緒や欲求やに還元し得るし、また、すべきであるとする傾きが、避け難く存在している。 たとえば、社会のルールとしての法を、自然権を保有する自由な諸個人の合意に還元する、社会契約論や、さらには、社会のルールとしての法を、何ものにも制限され得ない自由な主権者の意志に帰着する、主権論といった、近代啓蒙の個体主義は、いわゆる自由民主主義として、今日なお、自由主義の内にその命脈を保っている。 自由主義は、なるほど、近代啓蒙の合理主義に対して、保守主義とその批判を共有しているのであるが、しかし、近代啓蒙の個体主義に対しては、必ずしも一線を画してはいないのである。 この意味において、自由主義は、依然として、進歩主義の一翼を担っている。 因みに、急進的な自由主義が、何ものにも制限され得ない国民主権を標榜する、無制限の民主主義に変転する例は枚挙に暇がない。 個人が自らの行為を自由に選択し得るとするならば、自らの属する社会の制度もまた、自らの自由な同意に基づいて選択されるべきだ、という訳である。 保守主義が批判するのは、まさに、このような無制限の民主主義に外ならない。 なるほど、保守主義にとっても、個人の行為は自由に選択され得るものであり得るが、しかし、社会の制度全体は、個人の行為を可能にする前提となりこそすれ、個人の合意によって自由に選択され得るものでは決してあり得ない。 従って、保守主義は、このような無制限の民主主義を帰結する、いわば社会契約論的な自由主義とは、全く両立し得ないのである。 因みに、ハイエクは、このような無制限の民主主義を峻拒している。 すなわち、ハイエクもまた、保守主義と同様に、社会契約論的な意味における自由主義とは、ついに両立し得ないのである。 従って、保守主義は、社会を諸個人の自由な行為の累積によって生成される秩序として捉える、言わば自然発生論的あるいは慣習論的な自由主義とは、ほとんど過不足なく重なり合うが、社会を諸個人の自由な意志の一致によって設定される秩序として捉える、社会契約論的あるいは自然権論的な自由主義とは、全く両立し得ない。 また、保守主義が、社会を諸個人の欲求の自由な実現のために(国家が)制御すべき対象として捉える、いわゆる功利主義的な自由主義(ここでは社会主義に含めた)と、鋭く対立していることは言うまでもない。 言い換えれば、保守主義は、自由主義のヒューム的(慣習論的)な伝統には極めて親しいが、そのロック的(自然権論的)な伝統、さらには、そのベンサム的(功利主義的)な伝統には全く疎遠なのである。 現代における自由主義の復興は、そのベンサム的な伝統を排除することにおいては、なるほど意見の一致を見ているが、そのヒューム的な伝統あるいはロック的な伝統のいずれを継承するかについては、必ずしも意見の一致は見られない。 ハイエクのようにヒューム的な伝統に棹さす者もいれば、ノージックのようにロック的な伝統の嫡流たらんとする者もある。 いずれにせよ保守主義は、自由主義あるいは新自由主義のあらゆる潮流と手を結び得る訳ではない。 保守主義は、自由主義のただ一つの潮流とのみ与し得るのである。 あるいは、そのような自由主義は、自由主義の一つの潮流であると言うよりも、むしろ保守主義そのものであると言うべきなのかも知れない。 蓋し、自由主義のヒューム的さらにはバーク的な伝統こそが、保守主義の本流を形成してきた当のものに外ならないとも言い得るからである。 保守主義は、近代の産業主義と民主主義、あるいは、啓蒙の合理主義と個体主義を懐疑する、反啓蒙の思想である。 それでは、保守主義は、近代文明を否定しまた超克せんとする、反近代の思想であるのか。 ここに、保守主義を巡る、最大の陥穽が潜んでいる。 本書で明らかにしたかったことは、啓蒙の合理主義と個体主義とが、あたかも、その最も誇るべき価値であるかのように見なされている近代社会と言えども、社会という事態である限り、啓蒙の合理主義と個体主義とによってはついに捉え得ない、第三の性質を俟って始めて存立し得るということである。 すなわち、近代文明もまた、一個の文明である限り、啓蒙の精神の最も忌み嫌う、何等かの伝統に係留されて始めて存続し得るのである。 従って、反啓蒙の思想は、必ずしも反近代の思想ではあり得ない。 むしろ、反啓蒙の思想は、近代という社会の存立の秘密に接近し得る、ほとんど唯一の思想なのである。 この反啓蒙の思想と反近代の思想とを取り違えた処に、保守主義を巡る、幾多の悲喜劇が生じたのであった。 なるほど、保守主義を貫く反啓蒙の精神は、時として、近代文明そのものを拒絶しているかのようにも見受けられる。 たとえば、バークが、フランス革命を否定するに当たって、あたかも、中世への復帰を唱導しているかのように見える処がない訳ではない。 あるいは、日本において、伝統への回帰が語られる時、あたかも、古代の復古が号令されているかのように見えることもないとは言えない。 しかし、真正の保守主義は、いまここに生きられている社会をこそ、その存立の秘密の顕わとなる深みにおいて肯定せんとする営みなのであって、いまここに生きられている社会を、少なくともその最深部において否定し去ることなど決してあり得ないのである。 いまここに生きられている社会とは、差し当たり、近代社会の外ではあり得ない。 あうなわち、保守主義は、反啓蒙の精神を採ることによって、いまここに生きられている、近代という社会を、その存立の深みにおいて肯定せんとしているのである。 しかし、そうであるからと言って、近代を肯定することは、古代や中世を否定することでは些かもない。 真正の保守主義は、近代の社会を存立させている秘密と、古代や中世の社会を存立させていた秘密とが、それほど違ったものではあり得ないことを、重々承知しているからである。 社会を存立させる秘密の顕わとなる、その最深部においては、時代の如何に拘わらず、常なるもの、すなわち、伝統が、生きられているのである。 啓蒙の精神とは、古代や中世やさらには近代において生きられている伝統の一切を否定して、人間の理性と個人の自由の下に、全く新しい社会、すなわち、彼らの言う近代社会を建設せんとする試みに外ならない。 保守主義は、啓蒙の精神を懐疑することによって、古代や中世の伝統を生きられたそのままに肯定する一方で、それが、近代社会の存立をその最深部において支えている伝統と、それほど遠いものではなく、むしろ、密かに連なりさえしていることを承認するのである。 すなわち、保守主義は、生きられている伝統を擁護することによって、啓蒙の進歩主義ばかりが如何にも目立つ近代文明を、その最深部において肯定しているのである。 従って、保守主義は、反近代主義ではあり得ない。 保守主義は、たとえばマルクス主義や国家社会主義のように、近代の超克を志している訳でもないし、たとえばロマン主義や環境社会主義のように、前近代の桃源郷を夢見ている訳でもない。 マルクス主義や国家社会主義は、反近代を標榜しているにも拘わらず、実は最も急進的な合理主義を帰結するという意味において、まさしく啓蒙の嫡出子と呼ばれるに相応しいし、ロマン主義や環境社会主義は、なるほど反啓蒙の思想ではあるが、近代文明の唯中に、帰るべき常なるものを見出し得なかったという意味において、ついに反近代の思想でしかあり得ない。 マルクス主義や国家社会主義は言うまでもなく、ロマン主義や環境社会主義もまた、ついに保守主義ではあり得ないのである。 さらに、わけても環境社会主義は、たとえばエコロジーや反原発といった、その反近代の運動において、極めて急進的な個体主義の様相を呈することが、少なくないのであって、むしろ、啓蒙の自然権論を体現していると言っても、ほとんど言い過ぎにはならないのである。 総じて、マルクス主義や国家社会主義、さらには環境社会主義をも含む、比較的狭い意味における社会主義は、最も急進的な啓蒙主義以外の何ものでもない。 保守主義は、このような反近代の仮面を被った啓蒙主義とは、決して両立し得ないのである。 保守主義は、人間とその社会が、何等かの伝統に係留されて始めて存立し得ることを強調する。 しかし、社会やあるいは文化の伝統とは、(本書に述べられた《遂行的なるもの》であるがゆえに)その具体的な様相に一歩でも踏み込もうとするならば、それが遂行されている地域や歴史に相対的なものとして示されざるを得ない。 すなわち、具体的に生きられている伝統は、たとえば、イギリスの伝統であり、日本の伝統であり、あるいは、東京の伝統であり、京都の伝統であり、はたまた、西ヨーロッパの伝統であり、東アジアの伝統なのである。 従って、保守主義が伝統を擁護すると言った場合、その擁護すべき伝統は、具体的には、何等かの地域や歴史に固有な伝統であらざるを得ないことになる。 言い換えれば、保守主義は、具体的には、地域あるいは歴史に固有な保守主義としてしかあり得ないのである。 従って、たとえば日本において保守主義を語ることは、取りも直さず、日本において生きられている伝統を擁護する、日本に固有な保守主義を語ることに外ならない。 それでは、そのような保守主義は、自文化中心主義、ナショナリズム、あるいは日本主義と、どこが違うのであろうか。 日本の保守主義など、皇国主義と大同小異ではないのか。 このような疑問が当然に生じて来ると思われる。 さらに、このような疑問は、日本に特徴的なもう一つの事情によって、いよいよ深まらざるを得ない。 なるほど保守主義は反啓蒙の思想であった。 しかし、そもそも啓蒙思想とは、西欧近代において誕生した、西欧近代に固有の思想に外ならない。(もっとも、啓蒙思想が西欧に固有な思想であるか否かは、なお検討すべき課題である。) 西欧近代は、その色鮮やかな表層のみに目を奪われるならば、あたかも、啓蒙思想一色によって塗り潰されているかのように見受けられる。 言い換えれば、保守主義は、反啓蒙の立場を採ることによって、反西欧の態度を帰結するのではないか。(保守主義が、反近代の態度を帰結し得ないことは既に述べた。) すなわち、保守主義は、その西欧における機能はいざ知らず、日本を含む非西欧においては、啓蒙という名の西欧文化中心主義あるいは西欧文化帝国主義に対抗する、反西欧の思想として機能しているのではないか。 このような推測のしばしば行われていることも、無下には否定し得ない。 もし、このような推測が、当を獲たものであるとするならば、日本の保守主義は、反西欧主義という意味において、ますます日本主義に接近するのではないか。 なるほど、日本主義は、近代の合理主義と個体主義との対極にあるとされる、日本の伝統に立脚した、反啓蒙の思想であることには間違いない。 しからば、日本の保守主義は、反啓蒙の伝統文化の咲き誇る東亜の盟主として、啓蒙の革新文明に堕落したあ西欧に宣戦すべきなのであろうか。 しかし、ここで想い起こすべきは、保守主義が、反近代の思想ではついにあり得ないということである。 すなわち、保守主義が、伝統を擁護すると言った場合、そこで語られている伝統は、いまここで生きられている近代社会の存立を、その深層において支えている伝統に外ならないのである。 従って、日本の保守主義が、日本の伝統を擁護すると言った場合、そこで語られている伝統は、いまここに生きられている日本近代の存立を、その深層において支えている伝統の外ではありえない。 言い換えれば、日本の保守主義は、近代文明の日本における顕現を、その深層において、肯定しているのである。 現代の日本において生きられている社会が、紛れもなく近代社会である以上、日本の保守主義は、日本の近代社会に、肯定すべき何ものかを見出さざるを得ない。 保守主義とは、そういったものなのである。 従って、日本の保守主義は、日本の伝統を、それが反近代であるから擁護するということでは些かもない。 むしろ、それが日本近代の存立に不可欠であるからこそ擁護するのである。 この間の事情は、西欧においても全く変わりはない。 たとえば、イギリスの保守主義は、イギリスの伝統を、それがイギリス近代の存立に不可欠であるからこそ擁護するのである。 このように言えば、イギリスの伝統と日本の伝統とは全く違う、といったお馴染みの議論がすぐにでも思い浮かばれよう。 もとより、イギリスの伝統と日本の伝統とが同じである筈もない。 しかし、近代文明における反啓蒙の橋頭堡という意味においては、彼我の伝統は、いわば機能的に等価なのである。 すなわち、近代文明における啓蒙の精神は、近代文明の圏内においては、ほとんど同一であり、その意味において、普遍的である。 さらに、近代文明が、啓蒙の精神のみによっては存立し得ず、反啓蒙の伝統を俟って始めて存立し得るという事態もまた、普遍的である。 しかし、近代文明の存立に不可欠な反啓蒙の伝統が、具体的に何であるかとなると、これは、近代文明の圏内においても、様々であり得る。 すなわち、近代文明という、いわば地球大の文明の存立に不可欠な伝統は、近代文明の圏内にある様々な文化に固有な伝統以外ではあり得ないのである。 言い換えれば、近代文明とは、それを担う様々な文化に固有な伝統を前提として、始めて可能であるような文明なのである。 従って、近代文明において、啓蒙の進歩主義は、なるほど普遍的であり得るが、反啓蒙の保守主義は、反啓蒙という一点を除いては、決して普遍的ではあり得ない。 近代の保守主義は、反啓蒙という機能においては等価であるが、それを担う実体としては異文化である、固有の伝統のいずれかに係留されざるを得ないのである。 これは、社会あるいは文化の伝統が、本書に述べた《遂行的なるもの》であることの、ほとんど必然的な帰結である。 このような立論は、近代文明と西欧文化との間に如何なる差異も認めない向きにとっては、なかなか理解し難いものであろう。 しかし、近代文明とは、ほとんど全地球を覆う、優れて普遍的な文明なのであって、西欧文化や日本文化をも含む、極めて多様な文化あるいは社会によって担われている、と考えることはそれほど無理なことであろうか。 古代や中世の歴史においては、単一の普遍な文明が、多数の固有な文化あるいは社会によって担われている例は、枚挙に暇がない。 中国文明、インド文明、イスラム文明、ギリシア・ローマ文明など、総て、そのような文明の例である。 そもそも、文明と呼び得る程にも普遍的であり得るためには、その内部に少なくとも複数の分化あるいは社会を包含していることが、ほとんど必須の条件であると言ってもよい。 近代文明もまた、そのような文明の一つなのである。 従って、西欧の社会も、日本の社会も、それが近代文明を担っている社会の一つであるという点においては、些かの相違もない。 しかし、それらの社会が、近代の社会として存立するに当たって、具体的に如何なる伝統を不可欠なものとしているかについては、それぞれに固有の事情が介在しているのである。 たとえば、イギリスの近代社会の存立に当たって、間柄主義の伝統の不可欠である筈もなく、あるいは、日本の近代社会の存立に当たって、アングリカニズムの伝統の不可欠である筈はない。 いずれにせよ、近代の保守主義は、普遍的な近代文明の存立にとって不可欠な伝統を、個別的な地域文化に固有な具体性の中に見出していかねばならないのである。 このような保守主義が、単純な自文化中心主義やナショナリズム、あるいは反西欧主義や日本主義に、そう易々と陥り得ないことは明らかであろう。 保守主義は、いまここに生きられている社会が、近代文明の下にある社会であることを、よく承知している。 さらに、保守主義は、自らの社会に固有な伝統を擁護することが、近代文明の下にある総ての社会にとって、不可避の要請であることも、また、よく承知している。 従って、保守主義は、自らの固有な文化が、近代文明の下にある総ての社会において、生きられるべき普遍の伝統となり得るなどとは夢にも想わない。 ましてや、保守主義は、自らの固有な文化が、近代文明それ自体と対抗せざるを得なくなるとは、全く考えもしない。 保守主義は、自文化中心主義やナショナリズム、さらには反西欧主義や日本主義では、ついにあり得ないのである。 しかし、そうは言っても、近代文明と、それを担っている地域文化、わけても西欧文化との判別は、かなり複雑な課題である。 どこまでが近代文明の普遍的な特徴であり、どこまでが西欧文化の個別的な特徴であるかは、極めて識別の困難な課題なのである。 従って、西欧の保守主義はいざ知らず、日本の保守主義は、近代文明の唯中に極めて分離し難く纏わり付いている西欧に固有な伝統と、自らに固有な伝統との葛藤を引き受けねばならない。 近代文明の下における、地域文化相互間の葛藤は、依然として開かれた問いなのである。 しかし、近代文明が、地域的な固有文化を超えた、全地球的な普遍文明であり得るとするならば、この問題は、必ずや解決されるに相違ない。 そのとき、保守主義の擁護すべきは、地球文明の存立にとって決して逸することの許されない、全地球的に生きられる言わば普遍の伝統であるのかも知れない。 そのときに在っても保守主義は、地球文明のキー・ストーンとして、なお生きられねばならないのである。
https://w.atwiki.jp/rsnhuhoutouki/pages/25.html
+ タグ一覧 閉じる シロツメクサの契り 小説作品 螺旋階段X-4号 シロツメクサの契りとは、螺旋階段X-4号のなろう小説である。 あらすじ 辺境の村人、アルト・クラバーが龍に故郷を滅ぼされ、異世界人のナナツキ・カイム(七月皆無)と共に龍を倒すための旅に出る。 概要 何も考えず見切り発車で書いた本作。 螺旋階段はプロットを作らずに物を書けないくせにプロットの練り方を知らないためにエタった。 ただまあ、色々と学びもあったしキャラも気に入っているので次に活かそうと思う。 作中用語 魔法 人の意思を実現させる技術。 詠唱によって様々な超常現象を発生させる。 また、あくまで詠唱はイメージを固めるための反復動作のため、省くことも可能。 ただ、効果が安定しないため、現在ではあまり使われない。この無詠唱の魔法は『啓蒙』と呼ばれる。 啓蒙 無詠唱で発動する魔法。 反復動作によってイメージを安定させずに使用するため、術者のイメージ力が高くないと使用できない。 術者の精神状態によって効果が大きく変動するため、メンタルが良好な場合は魔力が少ない者でも問題なく使用可能だが、逆に戦闘で不利になるなどの状況で負のイメージが混じってしまうと高い魔力を持つ者でも扱うのは困難。 魔剣 本格的に登場する前にエタった。設定もあまり考えていない。 冒険者 本当に冒険する冒険者。 ギルドとかはない。 登場人物 アルト・クラバー 冒険者に憧れる15歳の少年。本作の主人公。 体内の魔力量が少なく、冒険ができるような金も持っていないために夢を諦めていたが、カイムの助力によって『啓蒙』を使えるようになる。 魔法で作った大鎌で戦うため、武器が破壊されても戦闘続行可能という長所がある。 また、大鎌を持つことでテンションが上がるため、啓蒙の性質上大きなアドバンテージにもなる。 初期は冒険者に嫉妬するあまり命の恩人に対しても悪い態度を取っていたが、基本的には年相応に感情豊かで素直ないい子。 常識人なために頭おかしいカイムにいつも振り回される。 ナナツキ・カイム 異世界から送られてきた17歳の男の娘冒険者。 自作の学ランを愛用しており、性格も雄々しいため、顔が可愛いぐらいしか男の娘要素はない。 異世界から来たために体内に魔力を貯蓄する能力が一切ないため、大気中に存在する僅かな魔力だけで啓蒙を使う。 武器は二丁拳銃。この手のファンタジーにありがちな魔法銃ではなく、M1911とかいうガチの拳銃。 発砲時に銃弾を複製し、散弾銃のように威力を上げて戦う。 レレナ・アイハーツ 宿屋の少女。銀髪。チョロイン。というか騙されやすすぎて心配。 ゴロツキに襲われたり通り魔に襲われたりしたところを助けたら仲間になった。 アホみたいに素直で誠実。 大爆発を起こす啓蒙で戦う。 関連リンク ほんへ + コメント欄 閉じる 名前
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/188.html
保守主義とは、近代啓蒙の批判に外ならない。 近代自然法思想を含めた啓蒙の哲学は、社会と人間の、合理的に制御し得ること、あるいは、個体的に還元し得ることを主張して止まない。 啓蒙の哲学は、社会と人間の合理化と個体化(rationalization and individualization)を称揚する、近代進歩主義の原型なのである。 このような啓蒙の哲学が、その淵源をどこまで遡り得るかについては、様々な議論があり得よう。 しかし、ここでは、それが、17・18世紀の200年を通じて形作られて来た、ある精神の型に過ぎないことを確認しておけば、差し当たり充分である。 むしろ、ここで問題にしたいのは、その啓蒙の精神が、フランス革命、さらには産業革命と民主革命の進行に伴って、我々の文明の最も誇るべき価値であるかのように、この世界に拡散して来たという事態である。 合理化と個体化を称揚する精神は、産業化と民主化の激流に翻弄された19世紀はもとより、20世紀末の今日においても、なお我々の文明の中心に位置するかのように見受けられる。 「情報化」という名の新たな産業化と、「差異化」という名の新たな民主化は、我々の時代を画する進歩の旗印として持てはやされている。 啓蒙の精神は、社会の合理的な管理と人間の個体的な解放というスローガンを高く掲げた、近代進歩主義の運動を、このニ世紀に亘って導いて来たのである。 もちろん、このニ世紀に亘る進歩主義の運動が、極めて多様な傾向を孕んでいることは言うまでもない。 そこには、いわゆる啓蒙主義によって導かれた、自然人権と国家集権を求めるフランス革命の運動もあれば、功利主義によって導かれた、自由化あるいは社会化を目指す漸進の運動もあり、さらには、マルクス主義によって導かれた、人間解放と社会管理のための革命運動もある。 しかし、これらの運動は、社会と人間の、産業化あるいは合理化と、民主化あるいは個体化を、意図的にあるいは結果的に推進したという点において、ほとんど選ぶ処はない。 いわゆる啓蒙主義はもとより、功利主義も、さらにはマルクス主義もまた、近代啓蒙の嫡出子なのである。 保守主義は、このような近代啓蒙の一貫した批判者である。 言うまでもなく、近代保守主義は、フランス革命のもたらした、社会の、理性による専制支配と、原子的個人への平準化の危機に抗して、「自由で秩序ある社会」を擁護すべく、エドモンド・バークによって創唱されたものである。 もちろん、保守主義的な態度が、バーク以前に存在しなかった訳ではない。 未知の変化に抗して、既知の安定を擁護しようとする態度は、むしろ人類と共に古いとも考えられ得るし、啓蒙の精神が形を成して来た、17・18世紀においても、それに対抗する態度は常に存在していたのである。 通俗的に言われるよりも遥かに深く、キリスト教を始めとする中世的あるいは近世的な伝統の内に生きていた、17・18世紀においては、むしろ啓蒙の精神こそが、西欧一千年の伝統から逸脱した、その対抗思想に過ぎなかったとも言えよう。 従って、17・18世紀においては、保守主義の、敢えて名乗りを挙げる必要は、必ずしもなかったのである。 何故ならば、保守主義とは、進歩主義の侵攻が、無視し得ぬまでに拡大して始めて、それを迎撃すべく、自らの重い腰を上げる性質のものだからである。 しかし、フランス革命を境として、進歩主義の侵攻は、もはや何人によっても無視し得ぬ段階に立ち至った。 フランス革命以降、産業主義と民主主義の進行に従って、進歩主義は、貴族制度や大土地所有やキリスト教やといった、あらゆる中世的(あるいは近世的)な伝統に次々と攻撃を加え、「自由で秩序ある社会」を決定的な危機に陥れたのである。 バークの闘った闘いは、このような進歩主義との闘いの緒戦を成すものであった。 フランス革命の啓蒙主義と闘ったバークを皮切りに、進歩主義のもたらす、合理的な専制と個体的なアノミーに抗する闘いは、このニ世紀に亘って、陸続と闘い継がれて来た。 近代保守主義とは、合理化と個体化という革命運動に抗する、不断の闘いそれ自体なのである。 言い換えれば、保守主義とは、啓蒙の精神の産み落とした、合理主義と個体主義の狂気に抗して、何等かの伝統に係留された、「正気の社会」を擁護する、終わりなき闘いの中にしかあり得ないのである。 それでは、保守主義は、何故に合理主義と個体主義を拒絶するのであろうか。 あるいは、また、保守主義は、如何にして啓蒙の精神を否定するのであろうか。 さらに、保守主義は、そのような拒絶や否定を通じて、何故に伝統を擁護することに至るのであろうか。 あるいは、そもそも、保守主義にとって、その擁護すべき伝統とは何であるのか。 これらの問いに答えることが、取りも直さず、前節までの議論と保守主義とを結び付ける、《失われた環》を見い出すことに外ならないのである。 保守主義は、社会と人間の、理性によって制御し得ることを否定する。 社会と人間が存続していくためには、理性によっては認識し得ないが、行為においては服従し得る、何等かの暗黙的な知識が不可欠なのであって、社会と人間の全体を、理性によって制御することなど、自分の乗っている木枝の根元を、自分で切る類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、理性の行使をも含めて、語り得ずただ従い得るのみの知識を前提として、始めて可能となるのであって、その暗黙的な前提をも含めた、自らの総体を制御することなど、全く不可能なのである。 人間の行為の不可欠な前提である、このような暗黙的知識は、理性的な行為の対象とならないがゆえに、その正当性を合理的には根拠付け得ない。 すなわち、このような暗黙的知識は、正当化し得ない無根拠な知識であるという意味において、まさしく偏見(prejudice)に過ぎないのである。 従って、人間の行為は、自らは何の根拠も持ち得ない偏見を前提として、始めて可能であることになる。 保守主義は、人間の生きていくために、暗黙的で無根拠な偏見に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、合理主義とは、合理的に制御し得ないものを制御せんとする、言わば暴力的な試みなのである。 そのような試みを、敢えて実行しようとするならば、制御の主体は、社会に対して、自らの意志を盲目的に強制する以外の、いかなる手段も持ち得ないことになる フランス革命やロシア革命、さらにはナチス・ドイツの経験が明らかにしたように、合理主義の行き着く先は、効率的な暴力を背景とする、野蛮な専制支配の外ではあり得ないのである。 保守主義は、社会と人間の、個人へと還元し得ることを否定する。 人間の行為は、それを取り巻く社会的、文化的な状況が与えられて、始めてその意味を決定し得るのであって、人間の行為の意味を、個人の内面的な意識へと還元することなど、言葉の意味を、他の言葉の意味との対比関係から切り離して、単独に決定する類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、他者の行為との関係をも含む、全体的な状況の中に位置付けられて、始めて成立し得るのであって、その全体的な状況が、個人の行為に還元し尽くされることなど、決してあり得ないのである。 人間の行為の成立/不成立を決定する。このような全体的状況は、行為の成否を決定する根拠となる、あるいは、行為の成立を正当化する理由となる、という意味において、規範的と言い得るものである。 すなわち、このような全体的状況は、行為を根拠付け、行為を正当化し得る、という意味において、まさしく権威(authority)と呼ぶべき事態なのである。 従って、人間の行為は、その根拠として服従すべき権威を前提として、始めて成立することになる。 保守主義は、人間の生きていくために、全体的で規範的な権威に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、個体主義とは、自らの拠って立つ不可避の基盤を見失った、個体の自己過信の外ではない。 個体主義とは、個体的に還元し得ないものを還元せんとする、いわば?神的な営みなのである。 そのような営みを、敢えて遂行しようとするならば、個人は、他者の、従って自己の行為の何であるかを全く了解し得ない、アノミーの深淵に立ちすくむことになるだけではない。 19世紀には絶望とともに予感され、20世紀には希望とともに実現された、高度大衆社会の実現が明らかにしたように、個体主義の精神がもたあすものは、無神論の深淵ではなく、神でも何でも手軽に信じて気軽に忘れる、多幸症の浅薄というアノミーに外ならないのである。 このように合理主義と個体主義を拒絶する、保守主義の橋頭堡としての偏見と権威が、理性によって意図的に設定されたものでも、個人によって意識的に合意されたものでもあり得ないことは言うまでもない。 偏見と権威は、行為の持続的な遂行の累積的な帰結として、自然発生的に生成されるものなのである。 すなわち、偏見と権威は、合理的な設定によらず、個体的な合意によらず、ただ遂行的にのみ生成される、まさに伝統(tradition)と呼ばれるべき事態なのである。 偏見とは、いかなる合理的な根拠も持ち得ない、俗なる伝統に外ならず、権威とは、あらゆる個体の根拠として従うべき、聖なる伝統に外ならない。 伝統とは、自らの如何なる根拠も持ち得ずに、他の一切の根拠として従われるべき、俗にして聖となる歴史の堆積なのである。 言い換えれば、伝統とは、歴史の試練に辛くも耐えて、偏見と権威の内に記憶される、生きられた経験に外ならないのである。 従って、偏見と権威に支えられて始めて成立し得る、人間とその社会は、このような伝統に従うことを、その不可避の条件とすることになる。 保守主義は、人間と社会の生きていくことが、つまるところ、伝統に回帰する以外にはあり得ないことを、強く主張するのである。 近代啓蒙の精神は、このような伝統や偏見や権威やを、蛇蝎の如く忌み嫌う。 因習や俗信や抑圧やから、人間を救済し、理性と自我との赴くままに、世界を革新すること、これが啓蒙の企てなのである。 しかし、保守主義から見るならば、このような啓蒙の企てこそが、合理主義的な抑圧と個体主義的な俗信とをもたらす当のものに外ならない。 近代啓蒙の精神は、不断に進歩することを、まさに因習となすことによって、専制的な抑圧とアノミックな俗信とを、常に帰結せざるを得ないのである。 保守主義のこのような回帰する伝統とは、合理的に制御し得る客観的なものではあり得ず、また、個体的に還元し得る主観的なものでもあり得ない、遂行的に生成される、言わば第三のものであった。 すなわち、伝統とは、客観的な自然でもあり得ず、主観的な意識でもあり得ない、第三の領域なのである。 このような第三の領域は、日常言語において、社会、文化、あるいは制度と呼ばれる領域に外ならない。 保守主義は、伝統に回帰することによって、客観的な自然法に根拠付けられる訳でもなく、主観的な社会契約に還元される訳でもない、社会という領域を再発見したのである。 言い換えれば、保守主義は、啓蒙思想による、理性と個人の発見に幻惑されて、一度は忘却の淵に立たされた、社会という現象を、再び見い出したのである。 社会の発見は、17・18世紀思想における理性と個人の発見に鋭く対比される、19・20世紀思想の鮮やかな特徴をなしている。 もちろん、合理主義と個体主義の哲学は、20世紀末の今日においてもなお有力なのではあるが、18世紀と19世紀の境に起こった転換以来、社会の、合理主義と個体主義によっては、ついに捉え得ない、という了解もまた、我々の共有財産となっているのである。 この意味において、保守主義は、社会についての哲学を、近代において始めて可能とした思想であると言えよう。 保守主義の歴史とは、取りも直さず、近代社会哲学の歴史に外ならないのである。 保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、合理的な客観としての自然でもなく、個体的な主観としての意識でもない、慣習的な遂行としての社会を、近代において始めて発見した。 すなわち、保守主義は、社会を、自らは如何なる合理的な根拠も保持せずに、自らにあらゆる個体的な行為を従属させる、遂行的な秩序として捉えることによって、近代社会哲学を創始したのである。 保守主義のこのように発見した社会が、前節に述べた《遂行的なるもの》と、ほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 《遂行的なるもの》とは、あらゆる行為がその成立/不成立を依存せざるを得ない文脈であり、また、いかなる根拠付けも自己に回帰する言及となるがゆえに不能である、遂行的な秩序のことであった。 すなわち、《遂行的なるもの》とは、個体的に帰属し得ず、合理的に言及し得ない、慣習的な秩序のことである。 従って、保守主義の発見した社会は、《遂行的なるもの》と、極めて正確に一致していることになる。 すなわち、保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、取りも直さず、《遂行的なるもの》を発見していたのである。 あるいは、むしろ、ハイエクの自生的秩序、ハートのルール、オースティンの言語行為、さらにはウィトゲンシュタインの言語ゲームを通底する、《遂行的なるもの》こそが、保守主義のニ世紀に亘って護り続けて来た伝統の、現代における再発見なのであるとも言い得よう。 20世紀哲学の到達した地点は、保守主義の歴史の新たな一ページなのである。 すなわち、ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインの到達した哲学は、20世紀末における新しい保守主義に外ならないのである。 もちろん、ハイエクもハートもオースティンも、さらにはウィトゲンシュタインも、自らを保守主義者と名乗っている訳では些かもない。 従って、現代における新しい保守主義を考察するためには、彼らの哲学よりも、むしろ、現代における正統的な保守主義者、たとえばマイケル・オークショットなどの哲学を検討すべきではないのか、という指摘も尤もである。 わけてもオークショットの社会哲学は、イギリス保守主義の掉尾を飾るものとして、是非とも検討されねばならない。 しかし、現代においては、保守主義者を名乗る人々の哲学が、必ずしも保守主義の哲学であるとは限らない。 啓蒙の哲学が、あたかも正統思想であるかのように流布されている現代においては、保守主義を騙って啓蒙を喧伝する輩が、跡を絶たないのである。 保守主義とは、まず何よりも啓蒙の批判に外ならない。 従って、現代における新しい保守主義の探求とは、取りも直さず、現代における反啓蒙の哲学の検討であらねばならぬのである。 ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインが、このような現代における反啓蒙の急先鋒であることは紛れもない。 本書は、経済哲学、法哲学、言語哲学を含む社会哲学の、20世紀における大立者達の言説の内に、現代における反啓蒙の、従ってまた、現代における新しい保守主義の可能性を探って見たのである。 20世紀末の保守主義は、自生的秩序やルールや言語行為や、さらには言語ゲームの哲学の内に、その新たな表現様式を見い出しているのである。 このような20世紀末の新しい保守主義が、ニ世紀に亘る保守主義の歴史に、何か付け加えたものがあるとするならば、それは、啓蒙の運動が不可能であることの、新しい表現様式である。 新しい保守主義は、社会と人間が、自らの要素である行為の文脈依存的であるがゆえに、個体的に還元され得ず、また、自らを対象とする行為の自己言及的となるがゆえに、合理的に制御され得ないことを主張する。 すなわち、新しい保守主義は、社会と人間の個体化と合理化という、啓蒙の運動の不可能であることを、言語行為論あるいは言語ゲーム論に準拠して主張するのである。 保守主義は、その誕生以来、時代の進歩主義に対応する、様々な表現様式に身を託して、合理化と個体化の不可能であることを主張し続けて来た。 新しい保守主義の準拠する、言語行為論あるいは言語ゲーム論もまた、20世紀末の進歩主義に対応する、そのような表現様式に外ならないのである。 いずれにせよ、保守主義によれば、社会と人間の合理化と個体化は、原理的に不可能である。 社会と人間に対する、進歩主義の貫徹は、所詮出来ない相談なのである。 そのような進歩主義を、敢えて貫徹しようとするならば、社会と人間は、暴力的な専制と涜神的なアノミーとへの分解によって、破壊し尽くされざるを得ない。 進歩主義は、その建設への意志とは裏腹に、社会と人間を、ついに崩壊へと導かざるを得ないのである。 まさしく、滅びへの道は、善意によって敷き詰められている。 従って、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の生き方についての、可能な二つの道の対立などでは全くない。 進歩主義の道は、社会と人間の死滅に至る、不可能な道なのであって、社会と人間の辛くも生存し得る、唯一の可能な道は、保守主義の道なのである。 すなわち、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の存続し得るか否かを賭けた、全く抜き差しならぬ対立なのである。 この命題は、もとより、一般の社会と人間についても成立し得ると思われるが、ここでは、その近代の社会と人間についての成立が確認されねばならない。 すなわち、近代の社会と人間は、あたかも近代の正統思想であるかのように見なされている、進歩主義のみによっては、自らの存続すらをも保証し得ないのである。 言い換えれば、近代の社会と人間が、数世紀に亘って辛くも存続しているとするならば、それは、金ぢあの社会と人間が、己の意識するとしないとに拘わらず、保守主義を、事実として生きてしまっているからに外ならない。 近代の社会と人間は、あたかも反近代の異端思想であるかのように見なされている、保守主義を生きることによって始めて、自らの存続を辛くも保ち得るのである。 これは、何の逆説でもない。 社会と人間は、まさにそのようなものとして、生きられているのである。
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/352.html
保守主義とは、近代啓蒙の批判に外ならない。 近代自然法思想を含めた啓蒙の哲学は、社会と人間の、合理的に制御し得ること、あるいは、個体的に還元し得ることを主張して止まない。 啓蒙の哲学は、社会と人間の合理化と個体化(rationalization and individualization)を称揚する、近代進歩主義の原型なのである。 このような啓蒙の哲学が、その淵源をどこまで遡り得るかについては、様々な議論があり得よう。 しかし、ここでは、それが、17・18世紀の200年を通じて形作られて来た、ある精神の型に過ぎないことを確認しておけば、差し当たり充分である。 むしろ、ここで問題にしたいのは、その啓蒙の精神が、フランス革命、さらには産業革命と民主革命の進行に伴って、我々の文明の最も誇るべき価値であるかのように、この世界に拡散して来たという事態である。 合理化と個体化を称揚する精神は、産業化と民主化の激流に翻弄された19世紀はもとより、20世紀末の今日においても、なお我々の文明の中心に位置するかのように見受けられる。 「情報化」という名の新たな産業化と、「差異化」という名の新たな民主化は、我々の時代を画する進歩の旗印として持てはやされている。 啓蒙の精神は、社会の合理的な管理と人間の個体的な解放というスローガンを高く掲げた、近代進歩主義の運動を、このニ世紀に亘って導いて来たのである。 もちろん、このニ世紀に亘る進歩主義の運動が、極めて多様な傾向を孕んでいることは言うまでもない。 そこには、いわゆる啓蒙主義によって導かれた、自然人権と国家集権を求めるフランス革命の運動もあれば、功利主義によって導かれた、自由化あるいは社会化を目指す漸進の運動もあり、さらには、マルクス主義によって導かれた、人間解放と社会管理のための革命運動もある。 しかし、これらの運動は、社会と人間の、産業化あるいは合理化と、民主化あるいは個体化を、意図的にあるいは結果的に推進したという点において、ほとんど選ぶ処はない。 いわゆる啓蒙主義はもとより、功利主義も、さらにはマルクス主義もまた、近代啓蒙の嫡出子なのである。 保守主義は、このような近代啓蒙の一貫した批判者である。 言うまでもなく、近代保守主義は、フランス革命のもたらした、社会の、理性による専制支配と、原子的個人への平準化の危機に抗して、「自由で秩序ある社会」を擁護すべく、エドモンド・バークによって創唱されたものである。 もちろん、保守主義的な態度が、バーク以前に存在しなかった訳ではない。 未知の変化に抗して、既知の安定を擁護しようとする態度は、むしろ人類と共に古いとも考えられ得るし、啓蒙の精神が形を成して来た、17・18世紀においても、それに対抗する態度は常に存在していたのである。 通俗的に言われるよりも遥かに深く、キリスト教を始めとする中世的あるいは近世的な伝統の内に生きていた、17・18世紀においては、むしろ啓蒙の精神こそが、西欧一千年の伝統から逸脱した、その対抗思想に過ぎなかったとも言えよう。 従って、17・18世紀においては、保守主義の、敢えて名乗りを挙げる必要は、必ずしもなかったのである。 何故ならば、保守主義とは、進歩主義の侵攻が、無視し得ぬまでに拡大して始めて、それを迎撃すべく、自らの重い腰を上げる性質のものだからである。 しかし、フランス革命を境として、進歩主義の侵攻は、もはや何人によっても無視し得ぬ段階に立ち至った。 フランス革命以降、産業主義と民主主義の進行に従って、進歩主義は、貴族制度や大土地所有やキリスト教やといった、あらゆる中世的(あるいは近世的)な伝統に次々と攻撃を加え、「自由で秩序ある社会」を決定的な危機に陥れたのである。 バークの闘った闘いは、このような進歩主義との闘いの緒戦を成すものであった。 フランス革命の啓蒙主義と闘ったバークを皮切りに、進歩主義のもたらす、合理的な専制と個体的なアノミーに抗する闘いは、このニ世紀に亘って、陸続と闘い継がれて来た。 近代保守主義とは、合理化と個体化という革命運動に抗する、不断の闘いそれ自体なのである。 言い換えれば、保守主義とは、啓蒙の精神の産み落とした、合理主義と個体主義の狂気に抗して、何等かの伝統に係留された、「正気の社会」を擁護する、終わりなき闘いの中にしかあり得ないのである。 それでは、保守主義は、何故に合理主義と個体主義を拒絶するのであろうか。 あるいは、また、保守主義は、如何にして啓蒙の精神を否定するのであろうか。 さらに、保守主義は、そのような拒絶や否定を通じて、何故に伝統を擁護することに至るのであろうか。 あるいは、そもそも、保守主義にとって、その擁護すべき伝統とは何であるのか。 これらの問いに答えることが、取りも直さず、前節までの議論と保守主義とを結び付ける、《失われた環》を見い出すことに外ならないのである。 保守主義は、社会と人間の、理性によって制御し得ることを否定する。 社会と人間が存続していくためには、理性によっては認識し得ないが、行為においては服従し得る、何等かの暗黙的な知識が不可欠なのであって、社会と人間の全体を、理性によって制御することなど、自分の乗っている木枝の根元を、自分で切る類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、理性の行使をも含めて、語り得ずただ従い得るのみの知識を前提として、始めて可能となるのであって、その暗黙的な前提をも含めた、自らの総体を制御することなど、全く不可能なのである。 人間の行為の不可欠な前提である、このような暗黙的知識は、理性的な行為の対象とならないがゆえに、その正当性を合理的には根拠付け得ない。 すなわち、このような暗黙的知識は、正当化し得ない無根拠な知識であるという意味において、まさしく偏見(prejudice)に過ぎないのである。 従って、人間の行為は、自らは何の根拠も持ち得ない偏見を前提として、始めて可能であることになる。 保守主義は、人間の生きていくために、暗黙的で無根拠な偏見に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、合理主義とは、合理的に制御し得ないものを制御せんとする、言わば暴力的な試みなのである。 そのような試みを、敢えて実行しようとするならば、制御の主体は、社会に対して、自らの意志を盲目的に強制する以外の、いかなる手段も持ち得ないことになる フランス革命やロシア革命、さらにはナチス・ドイツの経験が明らかにしたように、合理主義の行き着く先は、効率的な暴力を背景とする、野蛮な専制支配の外ではあり得ないのである。 保守主義は、社会と人間の、個人へと還元し得ることを否定する。 人間の行為は、それを取り巻く社会的、文化的な状況が与えられて、始めてその意味を決定し得るのであって、人間の行為の意味を、個人の内面的な意識へと還元することなど、言葉の意味を、他の言葉の意味との対比関係から切り離して、単独に決定する類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、他者の行為との関係をも含む、全体的な状況の中に位置付けられて、始めて成立し得るのであって、その全体的な状況が、個人の行為に還元し尽くされることなど、決してあり得ないのである。 人間の行為の成立/不成立を決定する。このような全体的状況は、行為の成否を決定する根拠となる、あるいは、行為の成立を正当化する理由となる、という意味において、規範的と言い得るものである。 すなわち、このような全体的状況は、行為を根拠付け、行為を正当化し得る、という意味において、まさしく権威(authority)と呼ぶべき事態なのである。 従って、人間の行為は、その根拠として服従すべき権威を前提として、始めて成立することになる。 保守主義は、人間の生きていくために、全体的で規範的な権威に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、個体主義とは、自らの拠って立つ不可避の基盤を見失った、個体の自己過信の外ではない。 個体主義とは、個体的に還元し得ないものを還元せんとする、いわば?神的な営みなのである。 そのような営みを、敢えて遂行しようとするならば、個人は、他者の、従って自己の行為の何であるかを全く了解し得ない、アノミーの深淵に立ちすくむことになるだけではない。 19世紀には絶望とともに予感され、20世紀には希望とともに実現された、高度大衆社会の実現が明らかにしたように、個体主義の精神がもたあすものは、無神論の深淵ではなく、神でも何でも手軽に信じて気軽に忘れる、多幸症の浅薄というアノミーに外ならないのである。 このように合理主義と個体主義を拒絶する、保守主義の橋頭堡としての偏見と権威が、理性によって意図的に設定されたものでも、個人によって意識的に合意されたものでもあり得ないことは言うまでもない。 偏見と権威は、行為の持続的な遂行の累積的な帰結として、自然発生的に生成されるものなのである。 すなわち、偏見と権威は、合理的な設定によらず、個体的な合意によらず、ただ遂行的にのみ生成される、まさに伝統(tradition)と呼ばれるべき事態なのである。 偏見とは、いかなる合理的な根拠も持ち得ない、俗なる伝統に外ならず、権威とは、あらゆる個体の根拠として従うべき、聖なる伝統に外ならない。 伝統とは、自らの如何なる根拠も持ち得ずに、他の一切の根拠として従われるべき、俗にして聖となる歴史の堆積なのである。 言い換えれば、伝統とは、歴史の試練に辛くも耐えて、偏見と権威の内に記憶される、生きられた経験に外ならないのである。 従って、偏見と権威に支えられて始めて成立し得る、人間とその社会は、このような伝統に従うことを、その不可避の条件とすることになる。 保守主義は、人間と社会の生きていくことが、つまるところ、伝統に回帰する以外にはあり得ないことを、強く主張するのである。 近代啓蒙の精神は、このような伝統や偏見や権威やを、蛇蝎の如く忌み嫌う。 因習や俗信や抑圧やから、人間を救済し、理性と自我との赴くままに、世界を革新すること、これが啓蒙の企てなのである。 しかし、保守主義から見るならば、このような啓蒙の企てこそが、合理主義的な抑圧と個体主義的な俗信とをもたらす当のものに外ならない。 近代啓蒙の精神は、不断に進歩することを、まさに因習となすことによって、専制的な抑圧とアノミックな俗信とを、常に帰結せざるを得ないのである。 保守主義のこのような回帰する伝統とは、合理的に制御し得る客観的なものではあり得ず、また、個体的に還元し得る主観的なものでもあり得ない、遂行的に生成される、言わば第三のものであった。 すなわち、伝統とは、客観的な自然でもあり得ず、主観的な意識でもあり得ない、第三の領域なのである。 このような第三の領域は、日常言語において、社会、文化、あるいは制度と呼ばれる領域に外ならない。 保守主義は、伝統に回帰することによって、客観的な自然法に根拠付けられる訳でもなく、主観的な社会契約に還元される訳でもない、社会という領域を再発見したのである。 言い換えれば、保守主義は、啓蒙思想による、理性と個人の発見に幻惑されて、一度は忘却の淵に立たされた、社会という現象を、再び見い出したのである。 社会の発見は、17・18世紀思想における理性と個人の発見に鋭く対比される、19・20世紀思想の鮮やかな特徴をなしている。 もちろん、合理主義と個体主義の哲学は、20世紀末の今日においてもなお有力なのではあるが、18世紀と19世紀の境に起こった転換以来、社会の、合理主義と個体主義によっては、ついに捉え得ない、という了解もまた、我々の共有財産となっているのである。 この意味において、保守主義は、社会についての哲学を、近代において始めて可能とした思想であると言えよう。 保守主義の歴史とは、取りも直さず、近代社会哲学の歴史に外ならないのである。 保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、合理的な客観としての自然でもなく、個体的な主観としての意識でもない、慣習的な遂行としての社会を、近代において始めて発見した。 すなわち、保守主義は、社会を、自らは如何なる合理的な根拠も保持せずに、自らにあらゆる個体的な行為を従属させる、遂行的な秩序として捉えることによって、近代社会哲学を創始したのである。 保守主義のこのように発見した社会が、前節に述べた《遂行的なるもの》と、ほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 《遂行的なるもの》とは、あらゆる行為がその成立/不成立を依存せざるを得ない文脈であり、また、いかなる根拠付けも自己に回帰する言及となるがゆえに不能である、遂行的な秩序のことであった。 すなわち、《遂行的なるもの》とは、個体的に帰属し得ず、合理的に言及し得ない、慣習的な秩序のことである。 従って、保守主義の発見した社会は、《遂行的なるもの》と、極めて正確に一致していることになる。 すなわち、保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、取りも直さず、《遂行的なるもの》を発見していたのである。 あるいは、むしろ、ハイエクの自生的秩序、ハートのルール、オースティンの言語行為、さらにはウィトゲンシュタインの言語ゲームを通底する、《遂行的なるもの》こそが、保守主義のニ世紀に亘って護り続けて来た伝統の、現代における再発見なのであるとも言い得よう。 20世紀哲学の到達した地点は、保守主義の歴史の新たな一ページなのである。 すなわち、ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインの到達した哲学は、20世紀末における新しい保守主義に外ならないのである。 もちろん、ハイエクもハートもオースティンも、さらにはウィトゲンシュタインも、自らを保守主義者と名乗っている訳では些かもない。 従って、現代における新しい保守主義を考察するためには、彼らの哲学よりも、むしろ、現代における正統的な保守主義者、たとえばマイケル・オークショットなどの哲学を検討すべきではないのか、という指摘も尤もである。 わけてもオークショットの社会哲学は、イギリス保守主義の掉尾を飾るものとして、是非とも検討されねばならない。 しかし、現代においては、保守主義者を名乗る人々の哲学が、必ずしも保守主義の哲学であるとは限らない。 啓蒙の哲学が、あたかも正統思想であるかのように流布されている現代においては、保守主義を騙って啓蒙を喧伝する輩が、跡を絶たないのである。 保守主義とは、まず何よりも啓蒙の批判に外ならない。 従って、現代における新しい保守主義の探求とは、取りも直さず、現代における反啓蒙の哲学の検討であらねばならぬのである。 ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインが、このような現代における反啓蒙の急先鋒であることは紛れもない。 本書は、経済哲学、法哲学、言語哲学を含む社会哲学の、20世紀における大立者達の言説の内に、現代における反啓蒙の、従ってまた、現代における新しい保守主義の可能性を探って見たのである。 20世紀末の保守主義は、自生的秩序やルールや言語行為や、さらには言語ゲームの哲学の内に、その新たな表現様式を見い出しているのである。 このような20世紀末の新しい保守主義が、ニ世紀に亘る保守主義の歴史に、何か付け加えたものがあるとするならば、それは、啓蒙の運動が不可能であることの、新しい表現様式である。 新しい保守主義は、社会と人間が、自らの要素である行為の文脈依存的であるがゆえに、個体的に還元され得ず、また、自らを対象とする行為の自己言及的となるがゆえに、合理的に制御され得ないことを主張する。 すなわち、新しい保守主義は、社会と人間の個体化と合理化という、啓蒙の運動の不可能であることを、言語行為論あるいは言語ゲーム論に準拠して主張するのである。 保守主義は、その誕生以来、時代の進歩主義に対応する、様々な表現様式に身を託して、合理化と個体化の不可能であることを主張し続けて来た。 新しい保守主義の準拠する、言語行為論あるいは言語ゲーム論もまた、20世紀末の進歩主義に対応する、そのような表現様式に外ならないのである。 いずれにせよ、保守主義によれば、社会と人間の合理化と個体化は、原理的に不可能である。 社会と人間に対する、進歩主義の貫徹は、所詮出来ない相談なのである。 そのような進歩主義を、敢えて貫徹しようとするならば、社会と人間は、暴力的な専制と涜神的なアノミーとへの分解によって、破壊し尽くされざるを得ない。 進歩主義は、その建設への意志とは裏腹に、社会と人間を、ついに崩壊へと導かざるを得ないのである。 まさしく、滅びへの道は、善意によって敷き詰められている。 従って、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の生き方についての、可能な二つの道の対立などでは全くない。 進歩主義の道は、社会と人間の死滅に至る、不可能な道なのであって、社会と人間の辛くも生存し得る、唯一の可能な道は、保守主義の道なのである。 すなわち、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の存続し得るか否かを賭けた、全く抜き差しならぬ対立なのである。 この命題は、もとより、一般の社会と人間についても成立し得ると思われるが、ここでは、その近代の社会と人間についての成立が確認されねばならない。 すなわち、近代の社会と人間は、あたかも近代の正統思想であるかのように見なされている、進歩主義のみによっては、自らの存続すらをも保証し得ないのである。 言い換えれば、近代の社会と人間が、数世紀に亘って辛くも存続しているとするならば、それは、金ぢあの社会と人間が、己の意識するとしないとに拘わらず、保守主義を、事実として生きてしまっているからに外ならない。 近代の社会と人間は、あたかも反近代の異端思想であるかのように見なされている、保守主義を生きることによって始めて、自らの存続を辛くも保ち得るのである。 これは、何の逆説でもない。 社会と人間は、まさにそのようなものとして、生きられているのである。
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1800.html
保守主義とは、近代啓蒙の批判に外ならない。 近代自然法思想を含めた啓蒙の哲学は、社会と人間の、合理的に制御し得ること、あるいは、個体的に還元し得ることを主張して止まない。 啓蒙の哲学は、社会と人間の合理化と個体化(rationalization and individualization)を称揚する、近代進歩主義の原型なのである。 このような啓蒙の哲学が、その淵源をどこまで遡り得るかについては、様々な議論があり得よう。 しかし、ここでは、それが、17・18世紀の200年を通じて形作られて来た、ある精神の型に過ぎないことを確認しておけば、差し当たり充分である。 むしろ、ここで問題にしたいのは、その啓蒙の精神が、フランス革命、さらには産業革命と民主革命の進行に伴って、我々の文明の最も誇るべき価値であるかのように、この世界に拡散して来たという事態である。 合理化と個体化を称揚する精神は、産業化と民主化の激流に翻弄された19世紀はもとより、20世紀末の今日においても、なお我々の文明の中心に位置するかのように見受けられる。 「情報化」という名の新たな産業化と、「差異化」という名の新たな民主化は、我々の時代を画する進歩の旗印として持てはやされている。 啓蒙の精神は、社会の合理的な管理と人間の個体的な解放というスローガンを高く掲げた、近代進歩主義の運動を、このニ世紀に亘って導いて来たのである。 もちろん、このニ世紀に亘る進歩主義の運動が、極めて多様な傾向を孕んでいることは言うまでもない。 そこには、いわゆる啓蒙主義によって導かれた、自然人権と国家集権を求めるフランス革命の運動もあれば、功利主義によって導かれた、自由化あるいは社会化を目指す漸進の運動もあり、さらには、マルクス主義によって導かれた、人間解放と社会管理のための革命運動もある。 しかし、これらの運動は、社会と人間の、産業化あるいは合理化と、民主化あるいは個体化を、意図的にあるいは結果的に推進したという点において、ほとんど選ぶ処はない。 いわゆる啓蒙主義はもとより、功利主義も、さらにはマルクス主義もまた、近代啓蒙の嫡出子なのである。 保守主義は、このような近代啓蒙の一貫した批判者である。 言うまでもなく、近代保守主義は、フランス革命のもたらした、社会の、理性による専制支配と、原子的個人への平準化の危機に抗して、「自由で秩序ある社会」を擁護すべく、エドモンド・バークによって創唱されたものである。 もちろん、保守主義的な態度が、バーク以前に存在しなかった訳ではない。 未知の変化に抗して、既知の安定を擁護しようとする態度は、むしろ人類と共に古いとも考えられ得るし、啓蒙の精神が形を成して来た、17・18世紀においても、それに対抗する態度は常に存在していたのである。 通俗的に言われるよりも遥かに深く、キリスト教を始めとする中世的あるいは近世的な伝統の内に生きていた、17・18世紀においては、むしろ啓蒙の精神こそが、西欧一千年の伝統から逸脱した、その対抗思想に過ぎなかったとも言えよう。 従って、17・18世紀においては、保守主義の、敢えて名乗りを挙げる必要は、必ずしもなかったのである。 何故ならば、保守主義とは、進歩主義の侵攻が、無視し得ぬまでに拡大して始めて、それを迎撃すべく、自らの重い腰を上げる性質のものだからである。 しかし、フランス革命を境として、進歩主義の侵攻は、もはや何人によっても無視し得ぬ段階に立ち至った。 フランス革命以降、産業主義と民主主義の進行に従って、進歩主義は、貴族制度や大土地所有やキリスト教やといった、あらゆる中世的(あるいは近世的)な伝統に次々と攻撃を加え、「自由で秩序ある社会」を決定的な危機に陥れたのである。 バークの闘った闘いは、このような進歩主義との闘いの緒戦を成すものであった。 フランス革命の啓蒙主義と闘ったバークを皮切りに、進歩主義のもたらす、合理的な専制と個体的なアノミーに抗する闘いは、このニ世紀に亘って、陸続と闘い継がれて来た。 近代保守主義とは、合理化と個体化という革命運動に抗する、不断の闘いそれ自体なのである。 言い換えれば、保守主義とは、啓蒙の精神の産み落とした、合理主義と個体主義の狂気に抗して、何等かの伝統に係留された、「正気の社会」を擁護する、終わりなき闘いの中にしかあり得ないのである。 それでは、保守主義は、何故に合理主義と個体主義を拒絶するのであろうか。 あるいは、また、保守主義は、如何にして啓蒙の精神を否定するのであろうか。 さらに、保守主義は、そのような拒絶や否定を通じて、何故に伝統を擁護することに至るのであろうか。 あるいは、そもそも、保守主義にとって、その擁護すべき伝統とは何であるのか。 これらの問いに答えることが、取りも直さず、前節までの議論と保守主義とを結び付ける、《失われた環》を見い出すことに外ならないのである。 保守主義は、社会と人間の、理性によって制御し得ることを否定する。 社会と人間が存続していくためには、理性によっては認識し得ないが、行為においては服従し得る、何等かの暗黙的な知識が不可欠なのであって、社会と人間の全体を、理性によって制御することなど、自分の乗っている木枝の根元を、自分で切る類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、理性の行使をも含めて、語り得ずただ従い得るのみの知識を前提として、始めて可能となるのであって、その暗黙的な前提をも含めた、自らの総体を制御することなど、全く不可能なのである。 人間の行為の不可欠な前提である、このような暗黙的知識は、理性的な行為の対象とならないがゆえに、その正当性を合理的には根拠付け得ない。 すなわち、このような暗黙的知識は、正当化し得ない無根拠な知識であるという意味において、まさしく偏見(prejudice)に過ぎないのである。 従って、人間の行為は、自らは何の根拠も持ち得ない偏見を前提として、始めて可能であることになる。 保守主義は、人間の生きていくために、暗黙的で無根拠な偏見に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、合理主義とは、合理的に制御し得ないものを制御せんとする、言わば暴力的な試みなのである。 そのような試みを、敢えて実行しようとするならば、制御の主体は、社会に対して、自らの意志を盲目的に強制する以外の、いかなる手段も持ち得ないことになる フランス革命やロシア革命、さらにはナチス・ドイツの経験が明らかにしたように、合理主義の行き着く先は、効率的な暴力を背景とする、野蛮な専制支配の外ではあり得ないのである。 保守主義は、社会と人間の、個人へと還元し得ることを否定する。 人間の行為は、それを取り巻く社会的、文化的な状況が与えられて、始めてその意味を決定し得るのであって、人間の行為の意味を、個人の内面的な意識へと還元することなど、言葉の意味を、他の言葉の意味との対比関係から切り離して、単独に決定する類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、他者の行為との関係をも含む、全体的な状況の中に位置付けられて、始めて成立し得るのであって、その全体的な状況が、個人の行為に還元し尽くされることなど、決してあり得ないのである。 人間の行為の成立/不成立を決定する。このような全体的状況は、行為の成否を決定する根拠となる、あるいは、行為の成立を正当化する理由となる、という意味において、規範的と言い得るものである。 すなわち、このような全体的状況は、行為を根拠付け、行為を正当化し得る、という意味において、まさしく権威(authority)と呼ぶべき事態なのである。 従って、人間の行為は、その根拠として服従すべき権威を前提として、始めて成立することになる。 保守主義は、人間の生きていくために、全体的で規範的な権威に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、個体主義とは、自らの拠って立つ不可避の基盤を見失った、個体の自己過信の外ではない。 個体主義とは、個体的に還元し得ないものを還元せんとする、いわば?神的な営みなのである。 そのような営みを、敢えて遂行しようとするならば、個人は、他者の、従って自己の行為の何であるかを全く了解し得ない、アノミーの深淵に立ちすくむことになるだけではない。 19世紀には絶望とともに予感され、20世紀には希望とともに実現された、高度大衆社会の実現が明らかにしたように、個体主義の精神がもたあすものは、無神論の深淵ではなく、神でも何でも手軽に信じて気軽に忘れる、多幸症の浅薄というアノミーに外ならないのである。 このように合理主義と個体主義を拒絶する、保守主義の橋頭堡としての偏見と権威が、理性によって意図的に設定されたものでも、個人によって意識的に合意されたものでもあり得ないことは言うまでもない。 偏見と権威は、行為の持続的な遂行の累積的な帰結として、自然発生的に生成されるものなのである。 すなわち、偏見と権威は、合理的な設定によらず、個体的な合意によらず、ただ遂行的にのみ生成される、まさに伝統(tradition)と呼ばれるべき事態なのである。 偏見とは、いかなる合理的な根拠も持ち得ない、俗なる伝統に外ならず、権威とは、あらゆる個体の根拠として従うべき、聖なる伝統に外ならない。 伝統とは、自らの如何なる根拠も持ち得ずに、他の一切の根拠として従われるべき、俗にして聖となる歴史の堆積なのである。 言い換えれば、伝統とは、歴史の試練に辛くも耐えて、偏見と権威の内に記憶される、生きられた経験に外ならないのである。 従って、偏見と権威に支えられて始めて成立し得る、人間とその社会は、このような伝統に従うことを、その不可避の条件とすることになる。 保守主義は、人間と社会の生きていくことが、つまるところ、伝統に回帰する以外にはあり得ないことを、強く主張するのである。 近代啓蒙の精神は、このような伝統や偏見や権威やを、蛇蝎の如く忌み嫌う。 因習や俗信や抑圧やから、人間を救済し、理性と自我との赴くままに、世界を革新すること、これが啓蒙の企てなのである。 しかし、保守主義から見るならば、このような啓蒙の企てこそが、合理主義的な抑圧と個体主義的な俗信とをもたらす当のものに外ならない。 近代啓蒙の精神は、不断に進歩することを、まさに因習となすことによって、専制的な抑圧とアノミックな俗信とを、常に帰結せざるを得ないのである。 保守主義のこのような回帰する伝統とは、合理的に制御し得る客観的なものではあり得ず、また、個体的に還元し得る主観的なものでもあり得ない、遂行的に生成される、言わば第三のものであった。 すなわち、伝統とは、客観的な自然でもあり得ず、主観的な意識でもあり得ない、第三の領域なのである。 このような第三の領域は、日常言語において、社会、文化、あるいは制度と呼ばれる領域に外ならない。 保守主義は、伝統に回帰することによって、客観的な自然法に根拠付けられる訳でもなく、主観的な社会契約に還元される訳でもない、社会という領域を再発見したのである。 言い換えれば、保守主義は、啓蒙思想による、理性と個人の発見に幻惑されて、一度は忘却の淵に立たされた、社会という現象を、再び見い出したのである。 社会の発見は、17・18世紀思想における理性と個人の発見に鋭く対比される、19・20世紀思想の鮮やかな特徴をなしている。 もちろん、合理主義と個体主義の哲学は、20世紀末の今日においてもなお有力なのではあるが、18世紀と19世紀の境に起こった転換以来、社会の、合理主義と個体主義によっては、ついに捉え得ない、という了解もまた、我々の共有財産となっているのである。 この意味において、保守主義は、社会についての哲学を、近代において始めて可能とした思想であると言えよう。 保守主義の歴史とは、取りも直さず、近代社会哲学の歴史に外ならないのである。 保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、合理的な客観としての自然でもなく、個体的な主観としての意識でもない、慣習的な遂行としての社会を、近代において始めて発見した。 すなわち、保守主義は、社会を、自らは如何なる合理的な根拠も保持せずに、自らにあらゆる個体的な行為を従属させる、遂行的な秩序として捉えることによって、近代社会哲学を創始したのである。 保守主義のこのように発見した社会が、前節に述べた《遂行的なるもの》と、ほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 《遂行的なるもの》とは、あらゆる行為がその成立/不成立を依存せざるを得ない文脈であり、また、いかなる根拠付けも自己に回帰する言及となるがゆえに不能である、遂行的な秩序のことであった。 すなわち、《遂行的なるもの》とは、個体的に帰属し得ず、合理的に言及し得ない、慣習的な秩序のことである。 従って、保守主義の発見した社会は、《遂行的なるもの》と、極めて正確に一致していることになる。 すなわち、保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、取りも直さず、《遂行的なるもの》を発見していたのである。 あるいは、むしろ、ハイエクの自生的秩序、ハートのルール、オースティンの言語行為、さらにはウィトゲンシュタインの言語ゲームを通底する、《遂行的なるもの》こそが、保守主義のニ世紀に亘って護り続けて来た伝統の、現代における再発見なのであるとも言い得よう。 20世紀哲学の到達した地点は、保守主義の歴史の新たな一ページなのである。 すなわち、ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインの到達した哲学は、20世紀末における新しい保守主義に外ならないのである。 もちろん、ハイエクもハートもオースティンも、さらにはウィトゲンシュタインも、自らを保守主義者と名乗っている訳では些かもない。 従って、現代における新しい保守主義を考察するためには、彼らの哲学よりも、むしろ、現代における正統的な保守主義者、たとえばマイケル・オークショットなどの哲学を検討すべきではないのか、という指摘も尤もである。 わけてもオークショットの社会哲学は、イギリス保守主義の掉尾を飾るものとして、是非とも検討されねばならない。 しかし、現代においては、保守主義者を名乗る人々の哲学が、必ずしも保守主義の哲学であるとは限らない。 啓蒙の哲学が、あたかも正統思想であるかのように流布されている現代においては、保守主義を騙って啓蒙を喧伝する輩が、跡を絶たないのである。 保守主義とは、まず何よりも啓蒙の批判に外ならない。 従って、現代における新しい保守主義の探求とは、取りも直さず、現代における反啓蒙の哲学の検討であらねばならぬのである。 ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインが、このような現代における反啓蒙の急先鋒であることは紛れもない。 本書は、経済哲学、法哲学、言語哲学を含む社会哲学の、20世紀における大立者達の言説の内に、現代における反啓蒙の、従ってまた、現代における新しい保守主義の可能性を探って見たのである。 20世紀末の保守主義は、自生的秩序やルールや言語行為や、さらには言語ゲームの哲学の内に、その新たな表現様式を見い出しているのである。 このような20世紀末の新しい保守主義が、ニ世紀に亘る保守主義の歴史に、何か付け加えたものがあるとするならば、それは、啓蒙の運動が不可能であることの、新しい表現様式である。 新しい保守主義は、社会と人間が、自らの要素である行為の文脈依存的であるがゆえに、個体的に還元され得ず、また、自らを対象とする行為の自己言及的となるがゆえに、合理的に制御され得ないことを主張する。 すなわち、新しい保守主義は、社会と人間の個体化と合理化という、啓蒙の運動の不可能であることを、言語行為論あるいは言語ゲーム論に準拠して主張するのである。 保守主義は、その誕生以来、時代の進歩主義に対応する、様々な表現様式に身を託して、合理化と個体化の不可能であることを主張し続けて来た。 新しい保守主義の準拠する、言語行為論あるいは言語ゲーム論もまた、20世紀末の進歩主義に対応する、そのような表現様式に外ならないのである。 いずれにせよ、保守主義によれば、社会と人間の合理化と個体化は、原理的に不可能である。 社会と人間に対する、進歩主義の貫徹は、所詮出来ない相談なのである。 そのような進歩主義を、敢えて貫徹しようとするならば、社会と人間は、暴力的な専制と涜神的なアノミーとへの分解によって、破壊し尽くされざるを得ない。 進歩主義は、その建設への意志とは裏腹に、社会と人間を、ついに崩壊へと導かざるを得ないのである。 まさしく、滅びへの道は、善意によって敷き詰められている。 従って、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の生き方についての、可能な二つの道の対立などでは全くない。 進歩主義の道は、社会と人間の死滅に至る、不可能な道なのであって、社会と人間の辛くも生存し得る、唯一の可能な道は、保守主義の道なのである。 すなわち、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の存続し得るか否かを賭けた、全く抜き差しならぬ対立なのである。 この命題は、もとより、一般の社会と人間についても成立し得ると思われるが、ここでは、その近代の社会と人間についての成立が確認されねばならない。 すなわち、近代の社会と人間は、あたかも近代の正統思想であるかのように見なされている、進歩主義のみによっては、自らの存続すらをも保証し得ないのである。 言い換えれば、近代の社会と人間が、数世紀に亘って辛くも存続しているとするならば、それは、金ぢあの社会と人間が、己の意識するとしないとに拘わらず、保守主義を、事実として生きてしまっているからに外ならない。 近代の社会と人間は、あたかも反近代の異端思想であるかのように見なされている、保守主義を生きることによって始めて、自らの存続を辛くも保ち得るのである。 これは、何の逆説でもない。 社会と人間は、まさにそのようなものとして、生きられているのである。
https://w.atwiki.jp/atamielection/pages/74.html
2009年の投票率に関して 2009年は熱海市では選挙が3回ありました。 2009年7月5日(日)・静岡県知事選 当日有権者数:35220名(静岡県合計3037911名) 投票率:51.08%(静岡県61.06%) 熱海市の投票率は県下最下位でした。 2009年8月30日(日)・第45回衆院選 当日有権者数:35442名(静岡6区合計:450065名) 投票率:64.45%(静岡6区合計:67.43%) 熱海市の投票率は県知事選に続いて県下最下位でした。 2009年10月25日(日)・第21回参院補選 当日有権者数:35464名 投票率:33.26% 熱海市の投票率は県下45投票区中39位でした。 熱海市では国・県レベルの選挙の低投票率が続いています。 市民の政治意識 熱海市に限ったことではないのですが、政治意識の高い市民と、そうでない市民の差は大きいです。 未稿 熱海市当局の姿勢 当局には投票率を上げなければならないという意識はあるとは思えません。 あれば具体的なアクションを起こしているはずです。 未稿 熱海市当局の選挙啓蒙活動 市役所ウェブサイト 現状では市役所のサイトそのものが使いにくい作りで、選挙啓蒙以前といえます。 未稿 選挙公報 選挙公報は選挙期間中に新聞折り込みされます。 また、熱海市役所等におかれ、そこに行けば入手できます。 全戸配付はされていません。 期日前投票案内チラシ 期日前投票案内チラシは選挙期間中に新聞折り込みされます。 また、熱海市役所等におかれ、そこに行けば入手できます。 街頭啓蒙活動でも僅かな数が配付されています。 全戸配付はされていません。 同報無線 未稿 選管広報車 未稿 期日前投票所 未稿 街頭啓蒙活動 未稿 公設掲示板 投票区ごとに規定の数が設置されているにすぎません。 見易さなどは考慮されていません。 未稿 投票区・投票所 未稿 熱海市当局への提言 市役所ウェブサイト 現状では市役所のサイトそのものが使いにくい作りで、選挙啓蒙以前といえます。 未稿 選挙公報 熱海市内で新聞購読をしている世帯は全世帯のうち、約2/3です。 つまり、1/3の世帯は自主的に選挙公報を貰いに行かなければなりません。 原則として全戸配付を目指すべきです。 期日前投票案内チラシ 熱海市内で新聞購読をしている世帯は全世帯のうち、約2/3です。 つまり、1/3の世帯は自主的に期日前投票案内チラシを貰いに行かなければなりません。 原則として全戸配付を目指すべきです。 同報無線 未稿 選管広報車 未稿 期日前投票所 未稿 街頭啓蒙活動 未稿 公設掲示板 未稿 投票区・投票所 投票区の再編。 投票所選定の調査と再考。 投票所のバリアフリー化の実施。 未稿 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 広報車は小型車で目立ちません。看板の文字も小さく何が書かれているのか判読困難です。 スピーカーは看板に囲まれていて音声の拡散はしにくいようになっています。 市民の目にとまらない市役所中庭駐車場にひっそりと停められている選管広報車。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ TOP INDEX LATEST UPDATE ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/15.html
第2部 装甲猟兵編 第1話 「ポツダムの巨人兵」 Die GigantSoldaten Potsudam 2006年08月30日 放送 概要 時間は戻り、おそらくは出発前のベルリンでの話となる。(ワルシャワの可能性もある) 宣伝中隊の上官フェネカンプ大佐との会話。 宣伝中隊のイメージを刷新することを目的に、ケルベロスを取材することをフェネカンプ大佐に進言して認められる。 が全てはマキの計算通りで、私的な目的の為であることがわかる。 バッテル 常備軍 フリードリヒ大王 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 赤軍 ゲッベルス 啓蒙宣伝省 ワイマール体制 彼女の母方の血筋 バッテル スイス人の著名な国際法学者で,ドイツのザクセン侯に仕えた外交官。主著《国際法,すなわち,諸国および諸君主の行動および事務に適用された自然法の原則》(1758)はラテン語ではなくフランス語で書かれた国際法の現実的な体系書であり,広く一般に読まれるとともに,その後の国際法の発展にも大きな影響を与えた。また,同書がアメリカの独立(1776)の思想的根拠となったことはよく知られている。彼は啓蒙期自然法思想に立脚し,国家の自然的な自由・平等・独立を基礎とする近代的な国際法思想を展開した。 常備軍 徴兵制や志願兵制に基づく戦時・平時を問わず組織される国家の軍隊。 封建的騎士団から傭兵制の時代を経て生まれた。 プロイセン王国には常備軍があった。 フリードリヒ大王 フリードリヒ2世(1712~1786)プロイセン国王(在位1740~1786) 優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (1688~1740年)プロイセン国王(在位1713~1740) 粗暴で無教養だったが財政・軍制の改革によってプロイセンの強大化に努め、兵隊王とあだ名された。 「ポツダム巨人軍」と呼ばれる近衛連隊を組織したことは有名。 赤軍 1917年のロシア革命によって生まれたソビエト連邦の軍隊に与えられた呼称。 赤は、それまでに流されてきた労働者の血を意味している。 スターリンの大粛清で高級将校がいなくなり命令系統が鈍いが、戦意は高く何よりも1500万以上ともいわれる数を誇る。 ゲッベルス パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス。 ドイツの政治家。ナチ党政権下のドイツでプロパガンダを任務とする国民啓蒙・宣伝大臣を務めた。 作中では1942年には既にいない様子。史実では戦後まで生きて自殺する。 啓蒙宣伝省 ゲッペルスを大臣とした組織で、宣伝中隊の上位組織。 ケルベロスを国民的な英雄にしたて上げた。 ワイマール体制 第一次世界大戦の敗戦後にドイツ革命によってできたワイマール(ヴァイマル)共和政のこと。 ヒトラーによるワイマール憲法の停止により事実上消滅した。 彼女の母方の血筋 伏線かな?雰囲気的には汚名っぽい。叔父の立場も謎
https://w.atwiki.jp/doide/pages/45.html
ページの基本情報 タグ 科学思想史 関連ページ(リンク元一覧) 機械の現象学 目次 目次 本の概要 引用序章 科学思想史 の来歴と肖像啓蒙主義的科学思想史 科学の批判的対象化 唯物論vs観念論という整理と、それへの批判 実証主義vs批判主義という整理 本の概要 引用 序章 科学思想史 の来歴と肖像 啓蒙主義的科学思想史 従来の科学思想史は現在から見て科学的と思われるものと、そうでないものとを腑分けし、現在の科学に見合うものだけを取り上げるという歴史記述に陥ることがよくあった。それをいま、啓蒙主義的科学思想史と呼ぶ。……それは、文系の人間や素人にとっては科学に親しむ契機を提供するという意味で有意義だが、科学者にとっては何の役にも立たない。なぜならそれは、現在既に知られていることを時系列に沿って並べ直したものにすぎないからだ。同じ理由で、啓蒙主義的科学思想史は現代科学に没批判的なままに留まる。 啓蒙主義的科学思想史をこのように定義したあと、金森は次の科学の批判的対象化の話につなげる。 現在から見た歴史の捏造は、柄谷行人「日本近代文学の起源」が刺激的。 科学の批判的対象化 科学の偉業は明らかだが、同時に大量殺傷兵器の開発や資源の大量消費などという事態とも同根なものであるために、科学の批判的対象化は必須のはずだ。科学とはいったい何なのか、人類にとって科学はどのような意味をもつのか、近代科学とは何だったのかということが、現代人に問われている課題なのだ。(p.6) また、科学思想史が本当の 歴史性 を獲得するためには、同時代の歴史的背景に密着し、いまでは見えない規定条件や問題状況を白日の下に晒すのでなければならない。(p.6) 唯物論vs観念論という整理と、それへの批判 観念論は支配階級による実在の幻影的な粉飾である一方、唯物論は被支配者、あるいは新興階級のものだとする 岡邦雄の上記のような問題意識に貫かれた科学思想史の整理に対し、金森は次のような指摘を加えている。 歴史上の人物たちの評価がどうしてもイデオロギー的で一面的なものになる。…(中略)…唯物論、即<善玉>、観念論、即<悪玉>だとでもいうかのような評価方式で話が済むほど、人類史は単純ではない。同時代の強力な観念論的動向に対する対抗基軸をたてるという必要性が当時はあったのかもしれないが、現時点から見るなら、やはりこの種の<評価的歴史>はこの領域全体にとって一種の枷になっている 実証主義vs批判主義という整理 本田修郎の『自然科学思想史』を評してこう言う。 実証主義と批判主義の闘争というような議論は、科学思想史的な特性を際立たせている →実証主義と批判主義という対立軸がよくわからん。
https://w.atwiki.jp/nasakenai/pages/127.html
429 :無名草子さん:2009/01/31(土) 20 58 08 『ゼロから無限へ』 これは古いですが定番の数学啓蒙書。数論の話が主ですね。 普通「数学嫌いのための」とか「数学が苦手な人のための」 などと銘打った数学啓蒙書を読んで数学嫌いが数学好きになることはまずないわけですが (100人に1人ぐらいは目覚めるのかもしれんが) この本なら俺でも中学の時になんとか読めましたね。 数字一つづつをテーマに一章費やすという構成が最大の工夫でしょうね。 可算無限と非可算無限に関して、例の対角線論法が出てきますが、 これはリストに入っている他の本とかぶってます。遠山啓とか竹内外史のにも出てくる。 でもこの本での説明が一番わかりやすかったような記憶があります。 あとフェルマーの大定理はこの本が書かれた時はまだでしたが、 現在証明が成功してますね。 これに関してはたくさん啓蒙書が出てるのでそれで補ってください。 ⇒アマゾンリンク