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建築家の黒川紀章の所謂「メタボリズム」の背景の一つに、唯識思想があるらしい。茶室は唯識庵、茶人として唯識庵空中と名乗ったという。「機械の時代から生命の時代へ −60年代以降の近代建築は時代を変えるムーブメントになり得るか−」(2006)参照。 仏教のルーツをたどるうちにインドの唯識思想にはじめて出会った。そもそも難解な思想であったが、直観的にこれだと感じた。当時唯識思想についての解説書はほとんどなく、サンスクリットの辞書を買ったり、英語の解説書を探した。 自宅にある茶室は「唯識庵」と名付けた。そして茶人としての名前は唯識庵空中である。私の著書「共生の思想」のルーツはこの唯識思想である。 共生の思想のルーツは唯識思想にあると述べた。私が特に唯識思想に関心をもったのはもう一つ重要な視点がある。視点と言うよりはむしろ野心といった方がよい。 西欧の知の体系はアリストテレス、デカルト、カントに至るまで二元論をぬきにして論ずることはできない。二元論が西欧社会の文明化、近代化に果たした役割が大きいことは否定できないとしても、それを補うもう一つの東洋の知の体系はないものか。有と無の二元論を排して有も無も識(阿頼邪識)が表わされているにすぎないとする唯識思想こそ、東洋の知の体系ではないかという仮説である。 いずれにせよ共生もメタボリズム(新陳代謝・循環)も生命の原理のキイ・ワードであり、その後提案した情報、生態系(環境)、フラクタル、ホロニック、中間領域(曖昧性)、非中心性というキイ・ワードもすべて生命の原理を示すものである。 そしてこれらの思想的なキイ・ワードは、具体的な設計の手法としての様々なキイ・ワードを生み出していった。
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唯識論ではこの世のあらゆる事象は常に移ろう普遍的実体のない「空」であり、空を人が認識することによってはじめて世界は形作られると説く。 例えば日本語には「水」という言葉と「湯」という言葉がある。しかし、英語ではどちらも「water」である。日本人は水と湯を別物として認識しているが、英国人は同じものだと認識している。この様に同じものを見ても、その人の生まれ育った環境や経験によって異なった世界を認識するのである。 人間が生まれてこの方の記憶はアラヤ識(心理学でいうところの無意識、潜在意識)に種子として保存されて、その人の世界を構築する。そこで、唯識論を取り入れた東洋魔術では意志をアラヤ識に刷り込むことで世界の改変を行うのである。
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ニューエイジ系? 唯識 - nothing but consciousness - Yuishiki - Nothing But Consciousness Araya East - Emerald Green Sea Sura Amurita Nirakara - Formless Form Thusness West - Gone Beyond
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哲学的な意味での唯物論における"物"は、時空間上に位置を持っています。 ユダヤ教やキリスト教の"神"は"天"という空間にいるので、哲学的な意味では"物"であり、万物の起点が"物"である以上、ユダヤ教やキリスト教は唯物論宗教ということになります。キリスト教をベースとした中世スコラ哲学でも、例えば、個々の人間の存在は一般イデアに依存せず、それ自体として存在し、私たちの心にある人間についての概念は"唯の名前に過ぎない"という唯名論としても表現されています。 日本の神話が唯物論神話であることは、もはや、いうまでもなさそうです。 伝統的な宗教も、最近の"スピリチュアル"も実は大差がない。霊魂やヒーリング効果が何かに宿るならば、時空間上に位置を持っているのだから、"物"ということになります。 "物"の存在の確認において、堅牢な一般合意 ― 科学的な証明など ― を要求するのが"強い唯物論"であり、通俗的な意味での"唯物論"になります。一方、堅牢な一般合意を要求しないものが"弱い唯物論"であり、通俗的な意味での"宗教"や"スピリチュアル"になります。 唯識論~唯物論のスケール上に宗教の神格を配置すると、多分、以下のようになります: 唯識論 ↑ 老子の"道" ― 位置、数と量、形体を完全に超越し、森羅万象の営みに介入しない。再帰的に定義されている。 プロティノスの"一者" ― 位置、数と量、形体を完全に超越し、森羅万象の営みに介入しない。列挙的に定義されている。 ウィルバーらの"ワンネス" アリストテレスの"第一動者" ― 森羅万象("円環")の最外部に位置し、量と形体 を超越し("大きさと部分をもたない")、森羅万象を起動し続ける。 ムハンマドの"アッラー" ― 森羅万象を創造かつ維持し、暗に部分を有し、人間の営みに介入する。 モーセの"イェホヴァ" ― 森羅万象を創造し、暗に部分を有し、人間の営みに介入す る。 キリストの"父なる神" ― 森羅万象を創造し、父性を有し、明らかに部分を有し、人間の営みに介入する。 ギリシア神話の神々 ― 森羅万象から生まれ、人間と同様に個性と性別を有し、人間の営みに介入し、また、人間からある程度の影響を受ける。 日本神話の神々 ― 森羅万象から生まれ、人間と同様に個性と性別を有し、人間の営みに介入し、また、人間からかなりの影響を受け、徐々に劣化する。(ついでにいうと、天皇位の継承に血統が絶対なのも、日本の思想体系に強い唯物論が色濃いことを示唆している。) ↓ 唯物論
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仏教の唯識思想が使われている作品(小説、マンガ、アニメ、ゲームなど)を集約するためのWikiです。 「唯識的なもの」となると際限がないので、はっきりと唯識の用語(阿頼耶識とか)が出ているものに限定したいと思います。 取得中です。
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丸山キヨ子『源氏物語の仏教』(創文社、1985年)には、第二篇「源氏物語における仏教の源泉となる教説についての探求」・第四章「興福寺の教学(法相唯識)」において、法相唯識の影響を論じている。 源氏物語の仏教―その宗教性の考察と源泉となる教説についての探究 (1985年)
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基本情報 作者:kihirohito 護法少女ソワカちゃん 乗の巻(通常版) [DVD] 唯識的要素 第11話「修羅礼賛」:「唯識論的本質直感」
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基本情報 作者:松本清張 眩人 (中公文庫) 唯識的要素 法相宗第四伝とされる玄昉を主人公にした小説。
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基本情報 作者:車田正美 ASINが有効ではありません。 唯識的要素 エイトセンシズ
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ゆいしきのはな【登録タグ SEN VOCALOID ゆ 初音ミク 曲】 作詞:SEN 作曲:SEN 編曲:SEN 唄:初音ミク 曲紹介 SEN氏の9作目 歌詞 (動画より書き起こし。()内は耳コピ。[]内は動画内の字幕。) [『(前略)どういふことかわかつてゐるか 髪がくろくてながく しんとくちをつぐむ(後略)』 宮沢賢治『春光呪詛(「春と修羅」収録)より』] 遥か 彼岸の彼方総て 花びらと共に舞って さよならと またねが 共に表れ出でる ゆめうつつも とけあって 二人だけ 淡い春の眠りに包まれて 他に誰もいない 僕らだけの とろん とろん と 眠気が来て キミを忘れて そのまま 露わになって 混ざりあって 世界は 入れ子になって 箱庭となり あるべき 形をとって 花びらが舞う キミは 真綿で首を絞めて 間違いに気付けなくて 苦しんだ ゆるやかに 白くなる意識を 受け入れて息を吐いて ありふれた 思い言葉に乗せて吐き出した 『(キミは本当にいるの?ボクにはもう見えないよ)』 『(ボクらはきっと互いが互いに分からなくなってしまう)』 論理はそこになくて あるのは体温だけで 不安がるキミを包み込むような 音を言葉に重ねて 私は歌い続けて 愚論 邪論は 何処かへ行って 景色は消えて 世界に忘れ去られて いなくなって ボクらは入れ子になって やわらかくなり 後ろに 手を振りあって さよならをする もういいかい もういいよ ゆるやかに閉ざされてゆくよ ひらひら落ちていく 言葉と旋律 疲れ果てては眠るだけで これで ボクらは閉じるんだって あるべき形にそって 気付いたよ ボクらの世界ここにしかなくて 微睡み落ちる花に 目を伏せて 捨てられた世界で二人踊ろう 捨てられた世界で二人歌おう とろん とろん と 眠気が来て キミを忘れて そのまま 露わになって 混ざりあって 二人は 言葉になって 旋律となり あるべき 形をとって 花びらとなる とろん とろん と 眠気が来て キミを忘れて そのまま 露わになって 混ざりあって 世界は 入れ子になって 箱庭となり あるべき 形をとって 花びらが舞う [たどりついたさきにふうけいはなく たどりついたさきにろんりはなく あるのはことばとせんりつだけ] コメント 名前 コメント