約 184 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2064.html
18 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04 29 33 ※ 前スレ 916-919 965-969 の続きです。まだ戦闘はじまってません(泣 ネタ――大陸日本の日露戦争 その3 5、 旅順要塞火力戦 承前 旅順要塞。 1901年から構築が開始された旅順軍港周辺を囲む永久堡塁の集合体である。 繭型の旅順軍港を囲むように存在した二つの山塊とその間をつなぐ高地、そして岬の上に築かれた大量のコンクリート製陣地と大口径砲の数々、そして無数の機関銃で武装されたこの要塞には、開戦時6万5千名ほどの兵士が駐留。 開戦前後の突貫工事によってほぼ完成に近い状態(進捗率99パーセント以上)状態にあったのである。 「死角はほぼなし。」 海上から接近すれば黄金山砲台と老弧山砲台という二つの砲台から放たれるドイツ製28センチ臼砲、およびその他火砲200門(重砲・軽砲合計)。 陸上正面には200門以上の重砲とその倍近い390門もの軽砲、および機関銃76門が存在している。 これらはほとんどが鉄筋コンクリート製の永久陣地に守られており、正面突撃を行えば、日清戦争における北京会戦(直隷決戦)で甚大な被害を受けた「盧溝橋の戦い」のごとくバタバタと兵士が失われることは十分考えられた。 さらに、この要塞は10万人以上の兵士を収容可能とさえいわれ、ここが持久するうちに後方から続々と送られてくるロシア側の大軍が日本側をまるで「槌と金床」のように押しつぶすことさえ考えられた。 実際、開戦時の作戦計画ではロシア軍は朝鮮半島南端から進撃してくる日本軍を漸減し、疲労のピークに達したところで旅順要塞にとりつかせ、そこで一気に満州配備の軍団によって遼東半島へ押し出し、要塞との間で挟み撃ちにする作戦を考えていたことがのちに明らかとなっている。 (もっともそれは最善の状態で迎撃がかなった場合であり、これが成立しなかった場合は旅順は可能な限り持久しつつ「艦隊を保有する」ことで敵の後背へ脅威を与え、陸軍の主力は奉天付近で迎撃戦を開始、哈爾浜までの縦深をもって誘因戦を戦うことになっていた。そしてそれが実行に移された。) 日本側は、海軍は当然に、陸軍はあまりの工事の規模から類推されたこの難攻不落の要塞を警戒した。 後方に、いつでも敵が出撃できる拠点とともに10万もの大兵力と巨大な艦隊が張り付くなど、「兵站上の」悪夢でしかない。 しかも… 19 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04 30 04 「あの要塞を正面攻撃で攻略しようとすれば、裾野に10万人の血と魂を溶かし、直隷に投じた鉄火を投げつけても外堀が半壊というのがせいぜいであろう。」 という山縣有朋元帥の言葉に代表されるように、繰り返すがあまりにあの要塞は堅い。 ならばどうすべきか? 日本側が出した結論は、「火力による圧殺」と「正攻法」、そして「邪道」の合わせ技だった。 ――第一に、いかなる堅固な要塞といえども重火力の集中投射によって機能を損ねることはできる。 全体に攻勢をかけるには兵力と火力が不足? 要塞戦に戦列は必要ない。相手は動けず、こちらは「機動」できる。場所を選んでそこに火力と兵力を集中できるのだ。 この優位を生かし、かつ大口径砲の集中運用によって一点突破を図り要塞のもっとも肝心な部分を破壊してしまえばよいのだ。 兵力が逆に送り込まれ防御が厚くなる? ならば、来た兵力を押しつぶすだけの大火力と、増援を困難ならしめるだけの面制圧力を持つ火力を投入すればよい。 こうして、日本側はあの有名な兵器たちを急速に整備していく。 「35式24センチ榴弾砲」「33式30センチ榴弾砲」「29式長28センチ榴弾砲」「28式27センチ加農砲」「22式15センチ加農砲」「33式重迫撃砲」「35式迫撃砲」。 そして――「29式多連装(24連装)噴進砲」「35式30センチ列車砲(通称:陸上戦艦)」。 榴弾砲はもともと本土の要塞用に開発されたものたちを攻城用に改装し、加農砲は陸上運用限界ギリギリのものを徹底的な試験発射を行うという荒業で最適化。 北海道の放棄された建造途中の星形城塞を改装した実験場での成果を踏まえて臼砲とも呼ばれる巨大な迫撃砲を建造。 さらには面制圧力を重視して火薬の大量使用をも無視してまで製造が簡単な多連装ロケット(噴進)砲を製造。 とどめには、これらの重火力を配備するために、「開戦に間に合わない」と計画段階で6隻が削られた新型戦艦用に開発されていた艦載30センチ砲を列車砲化した。 20 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04 30 40 これら合計2000門にも達する(うち1000門は多連装噴進砲であるが)重火力を運用するため、日本陸軍は「攻城砲兵軍団」という前代未聞の組織まで作っている。 しかも、その砲を守るためだけに「野戦砲兵軍団」という砲火力を高めた重師団を3つも付属としてつけて。 この高価な玩具を維持すするため、日本陸軍は相模原や北九州に専門の弾薬製造工場まで作っている。 開発されたばかりのアンモニア合成法(ハーバー・ボッシュ法)を用いた生産ラインをわざわざ稼働安定性が低いことまで計算に入れて余分に作ってまで。 まさに狂気の火力主義といってよいだろう。 陸軍はこれらの重火力を効果的に運用すべく、大砲運用の専門家として名を馳せつつあった伊地知孝介をわざわざ特例で中将に昇進させることまでして実地演習を実行。 伊地知は伊地知で、開発されたばかりの航空機に加えて気球を用いた弾着観測手段を構築していたのである。 話を戻そう。 ――第二に、近代戦争における要塞攻略戦はいまだに成立していない。 であるならば、要塞攻略戦が一般的であった時代における攻略法を用いるべきだ。 一点に集中された火力をもって敵要塞の一部分を無力化し、その空隙に向けて歩兵を突っ込ませるべきか? 否である。 クリミア戦争や北京会戦で明らかになったように、中途半端な陣地に対してでも人体はもろすぎる。堅固な陣地に対してなど、もはや自明であろう。 ならば、人体の脆弱点を補いつつ攻撃をしかけるべきだ。 「塹壕戦」と「坑道戦」。それが第二の解答であった。 幸い、攻撃側はこちらである。敵の重火力は固定式であり、こちらと違い開戦後の再配置は極めて困難となろう。 かつて星形城塞を作り上げたヴォーダンの攻城法にならい、敵の砲撃により大きな被害を受けにくくするジグザグの塹壕を目標に向かって掘る。 そうして要塞地帯の「殺し間(キリングフィールド)」を突破し安全に兵士を要塞直下まで届ける。 また、地下からは敵陣地の真下にまで坑道を掘り進め、堅固な陣地の爆破や敵要塞直下からの逆進行を図る。 ――第三に、こうした方針に敵が対抗策を見つけていたり、兵力移動を図ろうとすることを抑止すべく、「あえて歩兵を突っ込ませる」。 屍山血河をもって敵要塞に肉薄し、少しでも多くの敵兵を道連れにしつつ血路を開くのだ。 これによって、敵の対処能力を飽和状態にしつつも第一方針で述べた重火力によって敵を圧迫。要塞自体を火力で殴り続けるのである。 敵が出撃して占領した堡塁の奪回に動けばしめたもの。日本側の保有する機関銃群で今度は逆に敵兵を殺しの間にご案内する。 そうやって消耗をさそえば、いかな要塞といえども包囲下にあるため兵力が激減していく。 そして要塞の運用側の頭数が減れば減るほどこちらは攻撃の選択肢が増え攻略が行いやすくなる。 要塞という穴倉で敵を失血死させるのだ。 「損害比が敵側の方が高ければ、補充能力のあるわが方が最終的に勝利できる」 この考えは、のちの第一次世界大戦における消耗抑制ドクトリンに通じている。 (補充がきくのが片方だけであることから日本陸軍はこの方針を採用した。しかし大戦では独仏双方がこれを行ったために大惨事となったといえよう。) ――これら、三つの方針の大前提として、敵の増援を阻止し要塞の頭数をできるだけ減らすこと、そして旅順要塞の詳細な地形と配置の把握こそが重要となる。 だからこそ、第1軍は釜山ではなく仁川に上陸してから危険な速攻で鴨緑江を渡り、第2軍はわざわざ危険な敵前上陸を行ってまで遼東半島の付け根を遮断したのである。 5月2日、満を持して日本陸軍第3軍集団は遼東半島に上陸。 北上する第2軍集団と交代で旅順要塞攻略に着手する。 このとき、海軍の積極的な機雷戦といやがらせのような32センチカネー砲による艦砲射撃は継続しており、また封鎖艦隊が戦艦4、装甲巡洋艦2の連合艦隊第1ないし第2艦隊であるために旅順艦隊は未だに港湾内に逼塞を余儀なくされていた… 21 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04 34 32 【あとがき】――「現下の問題は鉄と血をもって決するものです」と偉い人がいったと聞きました。 ですので可能な限り強化を試みました。 なお、ロシア側が日本側を警戒しましたので旅順要塞の堡塁は史実の倍、火力は1.5倍(火砲)~2倍(機関銃)となっております。 加えて配備兵力も2万名ほど増えております。 本来は倍くらいになる予定でしたが、アレクセーエフ総督の脱出や日本軍の予想以上の進撃速度に伴い7割~8割ほどに減少していました。 22 :ひゅうが:2013/11/16(土) 04 40 59 山形でなく山縣でした。失礼しました。…1週間ぶりくらいに頑張れたのでちょっと横になります。 二十八糎榴弾砲は有名な28センチ榴弾砲のコピー元になったクルップ製のものらしいです。途中送信失礼しました。 多分臼砲の方が正しいかなと思います。 今回の火力は第一次大戦でドイツ軍やフランス軍が戦線突破のために一戦線に集中したものを参考にしました。 ただし瞬間的な面制圧力を重視し、ロケット弾が多数を占めています。 1918年レベルとはいかずとも1916年から1917年レベルの火力はありますし、狭い集中面を考えれば硫黄島やセヴァストポリくらいには火力密度は高いでしょう ※wiki転載者による追記 ・「山形」を「山縣」に修正。 ・旅順要塞備砲の「ドイツ製28センチ榴弾砲」を「ドイツ製28センチ臼砲」に修正。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/29.html
4、1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題 鉄道紛争を除き1931年9月に起これる重大なる日支問題所謂21ヶ条要求の結果たる1915年の日支条約及交換公文より勃発せるものなり。漢治萍鉱山(漢口付近)問題を除き1915年に締結せられたる他の協定は或る新たなるものに替えられ又は日本国に依り自発的に放棄せられたるものあるを以て此等論争は左記諸規定に関するものなりき。 関東州租借地の日本所属期限を99年(1997年)に延長すること。 南満州鉄道及安奉鉄道の日本所属期限を99年(夫々2002年及2007年)に延長すること。 「南満州」の内部に於いて即ち条約に依り或は外国人の居住及商業の為に開放せられたる地域外に土地を賃借するの権利を日本臣民に許与すること。 南満州の内部に於いて旅行し、居住し及営業をなすの権利並びに東部内蒙古に於いて日支合弁に依り農業の経営をなすの権利を日本臣民に許与すること。 日本人の是等特権及特典享有の適法なる権利は全然1915年の条約及交換公文の支那政府を拘束することを否認し来れる。如何に技術的説明又は議論をなすとも「二十一ヵ条要求」なる語は事実1915年の条約及交換公文と同意語なること並びに支那国の目的は此等より自由となることに在りとする信念を支那国国民、管理の心情より奪うことを得ず。1919年のパリ会議において支那は是等の条約は「日本国の開戦強迫の最後通牒の強迫に基づき」締結せられたものなりとの理由に依り其の廃棄を要求せり。1921年乃至22年のワシントン会議においては支那代表は「此等諸協定の公平及公正に付及従って其の根本的効力に付」問題を提示せり。而して支那が1898年ロシアに許与せる関東州の25年租借期限の満了に先立つ少し以前即ち1923年3月に支那政府は日本に対し1915年の諸条項の廃棄要求の通告を発し且「1915年の条約及交換公文は支那に於ける世論に依り頑強に非難せられ来れる旨」を述べたり。支那は1915年の条約は「根本的効力」を欠如せる旨を主張せるに依り情勢に依り実行するを便宜なりとせる場合を除き満州に関する諸条項の実施を怠れり。 日本は痛烈に支那に依る屡次の条約上の権利侵害を非難せり。日本は1915年の条約及交換公文は正当に署名せられ完全なる効力を有するものなる旨を主張せり。確かに日本国における世論の相当部分は当初より「二十一ヵ条要求」に同意せざりき。次いで日本の言論界は本政策を非難すること普通となれり。然れども日本政府及国民は満州に関する此等条項の有効なることを固執するに一致し居るものの如くなり。 1915年の条約及交換公文の二大重要規定は関東州租借期限を25年より99年に並びに南満州及安奉鉄道の特許を同じく99年の期限に延長せるの規定なり。此等延長は1915年の条約の結果なること並びに以前の政府の租借せる地域の回復は支那に於ける外国の利益に反対せる国民党の「国権回復」運動中に含まれ居ることの二つの理由に依り関東州租借地及南満州鉄道はしばしば煽動の目的となり又時には支那外交部の抗議の目的となれり。 斯かる問題は実際政策の背後に隠れ居りたるも、中央政府に対する満州の忠順を宣言し満州に国民党の勢力の伝播を許容したる張学良将軍の政策に依り此等問題は1928年以後深刻性を加え来れり。 又1915年の条約及交換公文に関連して南満州鉄道の回収或は之を純粋なる経済的企業と為す為に其の組織より政治的性質を剥奪せんとする運動ありたり。之が資本金及利子を払戻たる上此の鉄道を回収し得べく定められたる最も早き時期は1939年(ママ※1919か29だろ)なりしを以て、単に1915年の諸条約を廃棄することに依りては支那は南満州鉄道を回収すること能はざりしなるべし。何れにせよ、支那が此の目的のために必要なる資金を調達し得べかりしや否やは極めて疑問とすべき所なり。支那国民党「スポークスマン」等が折に触れ南満州鉄道の回収を唱えたることは、日本人にとりては一の刺激となり彼らの合法的権益は之に依りて脅威を感ぜしめられたり。 元来南満州鉄道の妥当なる機能の範囲如何に関する日支間の紛議は、1906年、同鉄道会社組織当時より存続し居れり。もちろん技術的には同鉄道会社は日本の法律の下に株式組織の民間企業として成立し居るものにして、実際上全然支那の管轄県外に在り。特に1927年以来、在満支那人諸団体の間には南満州鉄道よりその政治的行政的権能を剥奪して之を「純粋なる商業的企業」たらしめんとする運動ありたるが、此の目的貫徹の為の具体案は何等支那に依りて提議せられざりしものの如し。 事実上該鉄道会社は一つの政治的企業たりき。日本政府は其の株の過半数を掌握し居り該会社は同政府の代理者たり。即其の業務上の方針は密接に同政府に依りて左右せられたるが故に、日本において新内閣成立の際は該会社の高級社員は殆ど常に更迭せられたり。更に又、該会社に常に、日本の法律の下に警察、徴税及教育を含む広汎なる政治的行政的機能を付与せられ居れり。従って該会社より此等の権能を剥奪することは、当初考案せられ其後拡大せしめられたる南満州鉄道の「特別使命」全部を放棄せしむることを意味したりしならむ。 南満州鉄道付属地内における日本の行政権に関し、特に土地の取得、徴税、鉄道守備隊の駐屯に関しては無数の問題を生じたり。 鉄道付属地は鉄道線路の両側数ヤード以外に、大連より長春並びに奉天に至る南満州鉄道全系統の沿線に於ける日本の「鉄道市街」と称せらるる十五市邑を含む。右鉄道市街の中、奉天、長春及安東市街の如きは人口稠密なる支那人町の大地域を包含し居れり。 鉄道付属地内において南満州鉄道が実際上完全なる市政を施行する権利を有する法律的根拠は、1896年露清鉄道原約、当該鉄道会社に対し「其の土地に対する絶対的且排他的行政権」を付与せる一条項に存す。露国政府は1924年の蘇支協定にいたる迄、又南満州鉄道に関する限り東支鉄道の本来の権利を継承する日本政府はその後に於いても共に此の規定を以て鉄道付属地の政治的支配権を許与するものと解釈せり。然しながら支那側においては、1896年の原約中の他の条項は該規定が警察、徴税、教育及公共工事の管理等の如き広汎なる行政権を許与することを意味したるものに非ることを明瞭にし居る旨を主張して前記解釈を絶えず否定し来れり。 又鉄道会社の土地取得に関する紛争はしばしば繰り返されたる所なり。1896年の原約中の一条項に基づき、鉄道会社は「鉄道線路の建設、経営及之が保護の為実際上必要なり」私有地を買入又は賃借する権利を有せり。然れども支那側においては日本側より多くの土地を獲得せんが為に此の権利を乱用せんとしてる旨主張せり。其の結果、南満州鉄道会社と支那地方官憲との間には殆ど紛争の絶ゆることなかりき。 鉄道付属地内における課税権に関する主張の相違はしばしば紛議を醸したり。日本側は元来鉄道会社が「其の土地に対する絶対的且排他的行政権」を許与せられ居ることに其の主張の根拠を置けるに反し支那側は主権国の権利を以て其の論拠とせり。 要するに実際の事態としては該鉄道会社は其の鉄道付属地に居住する日本人及外国人に対し租税を賦課徴収せるも、支那官憲はかかる権力を行使せずに単に法律上徴税権を有することを主張せるに止まれり。累次発生せる紛議の好例としては、日本側鉄道に依りて大連に輸送する為南満州鉄道市街迄列車にて運搬せらるる大豆の如き産物に対し支那側が課税せんとした場合に起これるものを挙げ得べし。支那側の主張は、該課税をなさざるにおいては南満州鉄道に依りて輸送せらるる産物に特恵を与えることとなるべきが故に、右は日本「鉄道市街」の境界に於いて当然統税として徴収すべしと云うに在り。 日本の鉄道守備兵に関する問題は、間断なく紛争を惹起せり。此等の問題は、既に言及せる満州に於ける国是の根本的衝突を示すものにして、夥しき人命を犠牲にしたる数多の事変の原因を成せり。日本が此等守備隊駐屯権を有すと主張する法律的根拠は、既にしばしば引用せる如く1896年の原約中存在する東支鉄道に対し「其の土地に対する絶対的且排他的行政権」を許与せる条項に在り。露国は、右条項に依り露国軍隊の該鉄道を守備する権利が認められたるものと主張し支那は之を否定せり。1905年の「ポーツマス」条約中に、日露両国は該両国間に於いて1km毎に二十五人を超過せざる鉄道守備隊を保有する権利を留保せり。然るに其の後同年中、日支間に締結せられたる北京条約に於いては、支那政府は日露間に協定せられたる右の特別条項に同意を与えざりき。然れども日支両国は、1905年12月22日の北京条約付属協定第二条中に左の如く規定せり。 「清国政府は満州に於ける日露両国軍隊並びに鉄道守備隊の成るべく速やかに撤退せられむことを切望する旨を言明したるに因り日本国政府は清国政府の希望に応せむことを欲し若し露国に於いて其の鉄道守備隊の撤退を承認するか或は清露両国間に別に適当の方法を協定したる時は日本国政府も同様に照弁すべきことを承諾す若し満州地方平静に帰し外国人の生命財産を清国自ら完全に保護したるに至りたる時は日本国も亦露国と同時に鉄道守備兵を撤退すべし」 本條は日本の条約上の権利の根拠をなすものなり。然れども露国は1924年の蘇支協定に依り其の守備兵を撤去し右駐兵権を放棄せり。然るに日本は、未だ満州には平静確立せず且支那は外国人を完全に保護する能力を有せざるを以て尚鉄道守備隊を駐屯せしむべき有効なる条約上の権利を有する旨を主張せり。 日本は右鉄道守備隊の使用を弁護するに当り、条約上の権利を根拠とするよりも寧ろ「満州の現存事態の下における絶対的必要」を根拠として論することに漸次傾き来れり。 支那政府は日本の主張を絶えず論駁し、日本鉄道守備隊の満州駐屯は法律上においても事実上においても正当ならず、支那の領土及行政的保全を害するものなる旨を主張せり。前掲北京条約の規定に関しては支那政府は右は単に一時的性質なる事実上の事態を声明したるものにして、一ッ権利殊に永続的性質を有する権利を付与したるものと言う能わざる旨を主張せり。更に、露国は既に其の守備兵を撤去し満州の平静は回復せられ、且支那官憲に於いて日本の守備隊の妨害なき限り他の在満諸鉄道に対して為しつつあるが如く南満州鉄道に対しても適当の保護を与え得きが故に、日本は其の守備隊を撤退せしむる法律上の義務を負うものなる旨主張せり。 日本の鉄道守備隊に関し発生したる紛争は鉄道付属地内における駐屯及活動に限られたるものに非ず。右守備隊は日本の正規兵にして、彼らはしばしば其の警察職権を持続地域に及ぼし又或は支那官憲より許可を得ず或は之に通告をなすことなく、鉄道付属地外において演習を挙行することしばしばなりき。 此等の行動は、官辺民間を問わず支那人一般に特に嫌悪せられ、不法なるのみならず不幸なる事変を挑発するものと見做されたり。右演習は屡次誤解を生ぜしめ且支那人の農作物に夥しき損害を与え之に対し物質的賠償を為すも其の醸されたる反感を緩和し得ざりしなり。 日本の鉄道守備隊問題に密接に関連したるものに日本領事館警察の問題あり。右警察は単に南満州鉄道沿線のみならず哈爾賓、齊々哈爾及満州里の如き都市並びに多数の在満鮮人の居住する地域たる所謂間島地方等在満各日本領事館管轄地域に存する日本領事館及同分館に所属せり。 日本側は領事館警察存置の権利は治外法権に当然付属するものなり即此等警察官は日本臣民を保護し懲罰する上に必要なるを以て右は領事館裁判所の司法的権能の延長に過ぎずと主張せり。事実日本の領事館警察官は、其の数は満州に於けるよりも少なきも、満州以外の支那諸地方に在る同国領事館にも所属し居るものにして右は治外法権条約を有する他の諸国の一般に実行し居らざる所なり。 実際問題として日本政府は同地方の現状に於いて特に日本の重大なる利益存在し多数日鮮人の居住し得る点を顧慮せば、満州に於ける領事館警察の存置は必要事なりと信じ居るものの如し。 然れども支那政府は日本が満州に於ける領事館警察存置の理由として提示せる右論旨を常に反駁し、屡本問題に関し日本に抗議し満州の如何なる地方にも日本の警察官を駐在せしむる必要なきこと、警察官問題は治外法権と関連せしめ得ざること、並びに斯かる警察官の存在は何等条約上の根拠を有せず支那主権の侵害なることを主張せり。事の当否は姑らく措き、領事館警察の存在は多くの場合に於いて右警察官と支那地方官憲との間に重大なる紛争を誘発せり。 1915年の日支条約は「日本国臣民は南満州に於いて自由に居住し各種の商工業其の他の業務に従事することを得」と規定せり。右は一つの重要なる権利なるが、支那の他の地方に於いては外国人は一律開市場を除く他、居住及営業を許容せられ居らざるに付。右規定は支那側にとりては好ましからざるものなりき。支那政府は治外法権撤廃せられ外国人が支那の法律及司法権に服するに至る迄は右特権を許さるることを以て其の政策となし居れり。尤も南満州に於ては右権利には一定の制限を付せられたり。即日本人は南満州の内地を旅行中旅券を携帯し且支那の法規を遵守することを要せり。然れども日本人適用せらるべき支那の法規は先ず支那官憲に於いて「日本領事館と協議の上」に非されば施行し得ざるものとせり而して多数の場合に於いて支那官憲の行動は該条約の規定に合致せざりき。尤も右条約の有効性に関しては支那側は常に争い来れり。南満州の内地に於ける日本国臣民の居住、往来及営業に対して制限の存したる事実並びに日本人又は他の外国人の開市場外居住或は建物賃借契約の更新を禁止したる命令及規則が諸種の支那人官吏に依りて発せられたる事実に関しては、支那参与員が本調査委員会に提出したる公文書中に何等論及せられ居らず。然れども日本人を南満州及東部内蒙古の多数の市邑より退去せしむる為又は支那側家主が日本人に家屋を貸付くることを阻止する為しばしば苛酷なる警察手段に依り支持せられたる官憲の圧迫が加えられたるは事実なり。又日本側の声明したる所に依れば、支那官憲は日本人に旅券を発給することを拒み不当課税に依り彼らを悩まし又1931年9月以前数年間は日本人を拘束すべき規則は先ず日本領事に提出すべきことを約せる前記条約中の規定を遵守せざりし趣なり。 支那側の目的は満州に於ける日本人の例外的特権を制限し以て東三省に対する支那の支配を強固ならしなんとする其の国策の実行に在りたり。彼らは1915年の条約を以て「根本的効力なきものと看做し其の理由の下に彼等の行動を正当なりとなし、更に条約の規定には南満州と局限しあるに拘らず日本人は満州全地域に亘り居住営業を為さんと試みるものなることを指摘せり。 日支両国の相反する国家的政策及目的に鑑みれば、右条約規定に関し絶えず痛烈なる論争の生ずるは殆ど避け得ざりし所なり。両国は共に斯かる形勢が1931年9月の事件に至る迄の彼等の相互関係に漸次刺激を加重し来れることを認容するものなり。 南満州内地に於ける居住並びに営業の権利と商租権とは密接なる関係を有す。右商租権は1915年日支条約に基づき日本人に許与せられたるものにして関係条文左の如し。 「日本国臣民は南満州において各種商工業の建物を建設する為又は農業を経営する為必要なる土地を商租することを得」 右条約締結の際の両国政府間に於ける交換公文は「商租」とは支那文に依る「30箇年より長からざる期限付きにて更新するの可能性ある租借」(不過30年之長期限及無条件而得続租)を含むものなりと定義せり。 日本文は単に「三十箇年迄の長き期限付きにて且無条件にて更新し得べき租借」となり居れり。其結果日本側商租は日本側の選択に依り「無条件に更新せらるるものなりや否や」の問題に関し争論発生せるは蓋し自然なり。 支那人側は日本人が満州に於て土地を獲得せむとする願望は其の租借に依ると、買入に依ると将又抵当権に依るの如何を問わず、之を以て「満州を買収せむとする」日本の国策の証左なりと解釈せり。従って支那官憲は挙つて右目的を達せむとする日本人の努力を妨害せんと試みたり。而も右は1931年9月直前三,四年間、支那の「国権回復運動」が最も猖獗を極みたる時、其の勢益々旺んとなれり。 支那官憲が日本人の土地買収、其の完全なる所有権に依る保有、又は抵当に依る之が留置権の獲得に対し、峻厳なる規則を制定せるは元来前記条約が単に商租権を許与せるに過ぎざりしことに鑑み、其の正当なる権利に基づきたるものと見るを得べし。然れども日本人側は土地に対する抵当権の設定を禁止するは条約の精神に悖る旨苦情を述べたり。 然るに支那官吏は条約の効力を認めず、日本人が土地を租借せむとするに当りては省令又は地方庁の命令を以て極力之を妨害し、日本人に土地を租借せしむる時は之を刑法を以て罰すべしとなし、或は其の租借にあたり事前に特別手数料及税を課し、或は地方官吏に訓令し日本人への土地譲渡の許可を禁止せんか為刑罰の脅威を以てせり。前記の如き各種の障害ありしにも拘らず、事実日本人は広大なる地域に亘る土地を端に租借せるのみならず、売買又は一層普通に行われ居る抵当流の方法に依り実際其の所有権を取得せり。但し之等地権が支那の法廷に於いて其の効力を認められしや否やは別なり。 之等土地に対する抵当権は日本の金融業者、殊に大規模なる金融会社にして其の中の或るものの如きは特に土地の取得を目的として組織せられたるものの手に落ちたり。今日本の官庁よりの資料によれば、全満州並びに熱河に於ける日本人租借地の全面積は1922-25年に於ける約80,000エーカーより1931年における500,000エーカー以上に増加せり。―右の内日本人が支那法又は国際条約の何れによるも商租権を有せざる北満州に於いて僅少なり。 日本人の土地獲得は其の売買によると租借によるとを問わず「満州に於ける支那人の生存を脅かす」経済的及政治的脅威たるべきなり。 支那人間に広まれる見解に従えば、朝鮮人は日本よりの移住民をして朝鮮人にに代らしめ又は政治的は経済的は殊に所有土地の処分を余儀なくせしむることにより朝鮮人の生活を窮乏化し自然満州への移住を招来せんとする日本政府の深謀より出たる政策の結果其母国を追われたるものなりとす。即ち支那側の見解に依れば、朝鮮人は其の母国に於いて外国人の政府に依りて統治せらるる一切の重要なる官職を日本人に専有せらるる「被圧迫民族」たるを以て彼らは政治的自由及経済生活の途を求めんが為、満州に移住するの止む無きに至れるなりと云う。朝鮮移民の九割は農民にして、其の殆ど全部は米の耕作に従事す。然して彼らは当初支那人により経済的に有用なるものとして歓迎せられ、其の所謂圧迫に対し自然に流露せる同情よりして大いに好意を寄せられたり支那側をして言わしむれば若し日本にして朝鮮人が帰化して支那臣民たることを拒まず、且彼らに必要なる警察の保護を与うと称する口実の下に、彼らを満州内に追躡することなかりせば、朝鮮人の満州植民は重大なる政治的乃至経済的問題を惹起するに至らざりしなるべしと謂う。支那側においては特に1927年以後満州の支那官吏が単なる小作人若は労役者以外の朝鮮人の満州定住を制限せんと努めたることを以て直ちに「虐待」の例証と看做さるることを拒絶せり。 日本側に於いては支那側の右の如き猜疑心が支那側の鮮人虐待の主たる原因なるべき認むるも、朝鮮人の満州移住を奨励する為に確定的政策を採りつつありとの非難は力強く之を否定し、「日本としては之に対し特に奨励し又は制限を加え居らず、朝鮮人の満州移住は自然の大勢の然らしむる所にして何等政治的乃至外交的動機に基かざる一現象と見る他なし」と述べたり。従って彼等は「日本は朝鮮移民を利用して之等二地方を併合せむと企画しつつありとの支那側の危惧は全然其の根拠なし」と声明せり。 之等の相互に妥協し難き両者の見解は商租権、法権及日本の領事館警察に関する諸問題を先鋭化するの結果を招来し之等は朝鮮人にとり最も不幸なる情勢を齎し、日支関係をして益々悪化せしめたり(報告書付属書第九章参照)。 現在日支両国間には特に朝鮮人に対し開港場以外の地において定住、居住又は営業を為すの権利、又は所謂間島地方以外の満州各地において租借又はその他方法に依り土地を取得するの権利を許与又は拒否せる何等の協定存せず。然りと雖も間島以外の満州各地に居住する右商租権問題の重要性に鑑み、1931年に至る十年間において、少なくとも三回に亘り日支直接交渉に依り何等かの協定に到達せんとの企図行われたり。而して商租権と治外法権撤廃の両問題を共に取上げ、即ち満州に於て日本人は治外法権を廃棄し、支那人は日本人に土地の自由なる租借を許すの建前による解決案か、両者において考究せられつつありしものと信ずべき理由あるも、右商議は遂に不成立に終われり。 右日本人の土地商租権に関する日支間の長期に亘る紛争は記述の他の諸問題と等しく、其の依りて来る源は相反する両国の政策に於ける根本的の不一致にありて、国際協定の侵犯呼り又は之が反駁の如きは右両国政策の根本的目的に比すれば左まで重要なるものに非ず。 目次
https://w.atwiki.jp/blitzball/pages/211.html
アミバ (顧問兼監督) アミバ (顧問兼監督) __ .____ , ‐´ ,`',,'' `‐、 /;;;;; ;;, /';' ,゙゙' \ / ;;;;;ミミ; / `゙';; ヽ /;;;;;';ミミミツ/;;;';';'';'';;''ヾ,' ` } / ; ; ,__、,_____, ; . ; ;'i i ; ;; i ゙| ' . ;__;,-',‐; /;; , {──────‐‐{;;; , ; ヽ‐'´ ヽ / . ;;' { ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄{ `; . ` ;゙i i;;, '' ,; |____,..、____゙l;;,_ . , i゙ /,,;' '; l;`‐゜‐';i ;;;;;`ー゜‐';;;;;| `; `;;; ` ゙i 'Y ; ゙i l {;;;_ ゙'゙゙ ,'; ゙-,. / ,;; '; ゙i l | ゙'';;;;. . `; .` ;;ゝ `'i;; '; ゙i {__,,,ゞ , ,|;, ;;;;`'' ;' ` ;;ゞ、_. _,‐´`ー!、 ;゙i, ¨ニニ ̄ ,‐' { '; ' ',,,'''';;;;'  ̄ ̄. / /`i; ; ゙、 ''' _,‐' {;;;; `; . ;;ヾ_,,゙ / / / `i; ゙;,_ ,,/ /`'';; . ;;;; ヾ '''' / | ゙ ソ;;''' ̄ i゙ ' . '''ヾ]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]] 監督指令名1:天才の施術 使用者:アミバ 使用タイミング:ターン開始時、命令選択前 解説:見よう見まねながら、選手に施術を行う。 失敗する可能性も高いが、いざ成功した時の効果は折り紙つき。 効果:1試合に3回使用可能。選手の一人を指定。 30%の確率で、その選手は通常使えないスキル・必殺技が使えるようになる。 監督指令名2:ん?間違ったかな? 使用者:アミバ 使用タイミング:「天才の施術」失敗時、強制 解説:所詮、模倣は模倣でしかない。 高くもない成功率の施術に失敗したツケは、選手が支払う事となる。 効果:対象の選手は、この試合中常に基礎値に 0.8倍(端数切り下げ)の補正を受ける。 また、この試合中は再び「天才の施術」を受ける事もできない。 特殊必殺技名:紅椿 使用者:モッピー 属性:火 使用タイミング:命令選択時 消費MP:全て(最低200) 解説:エネルギーを増幅させる作用を持つIS。 全身のアーマーになっている、完成型の「展開装甲」を稼動させることで 攻撃・防御・機動のあらゆる状況に即応することが可能。 展開装甲自体が武器にも変化するため、全身が武器の塊といえる。 効果:3ターンの間、自身のP基礎値とG基礎値を合計して それぞれの判定に用いる事ができる。 また、その間にシュートを撃たれた場合 自身の消費HPは、敵シューターが全て負担する。 備考:【パス】【セービング】【体力減少】【補助】 特殊必殺技名:情報操作 使用者:あしゃくら 属性:無 使用タイミング:命令選択時 消費MP:50 解説:情報を操作し、敵の行動を制限する。 存在のあり方そのものを書き換えられた敵は 彼女の思う通りに動いてしまうだろう。 効果:このターン、自身に接敵している相手は Q突破しか選ぶ事ができない。 備考:【Qチャージ】【行動制限】 特殊スキル名:ヒルベルトエフェクト 使用者:モッコス 属性:光 使用タイミング:命令選択時 消費HP:300 解説:KOS-MOSに装備されている武装の中でも、最も代表的なもの。 通常世界とは異なる位相空間に存在する、グノーシスを通常空間に「固着」させる 「ヒルベルトエフェクト」と呼ばれる力場を展開するというものである。 この効果により、通常空間に固着されたグノーシスに対しては 通常兵器による直接攻撃が可能となる。 効果:このターン、敵全体のあらゆる最終値に0.8倍(端数切捨て)の補正を与える。 また、味方のあらゆる行動に【強制判定】が付与される。 備考:【妨害】【無効不能】【強制判定】 ロンギヌスランゼ・テスタメント 特殊必殺技名:聖約・運命の神槍 使用者:けもの殿 属性:光 使用タイミング:命令選択時 消費MP:全て(最低900) 解説:十字に磔にされた彼の者の腹を突き貫いたとされる 伝説の神槍。いわゆるロンギヌスの槍。 並の人間ならば、直視しただけでその魂が消え去ってしまうほどの 聖性と力を持つ、究極にして最高位の聖遺物。 効果:味方一人を指定。 このターン、そのキャラクターの全行動に【判定無視】が付与される。 備考:【判定無視】【無効不能】【支援】 特殊必殺技名:光学・オプティカルカモフラージュ 使用者:にちょり 属性:光 使用タイミング:命令選択時 消費MP:100 解説:非常に優れた光学迷彩。 目の前で使用することで、敵は一瞬彼女を見失う。 しかし、ブリッツボールにおいてその一瞬は致命的である。 効果:1試合に2回まで使用可能。 自分のQ・A・B・C・Pが絡むプレイに、【判定無視】の効果を与える。 ただし、無視できるのは敵1人の判定だけ。 また、一度この効果を受けた者には、その試合中に再びは通用しない。 備考:【判定無視】【命令順守】 特殊必殺技名:ライド・ザ・ライトニング 使用者:ロボカイ 属性:風 使用タイミング:命令選択時 消費MP:全て(最低150) 解説:雷を伴った体当たりを決める。その威力は絶大。 オリジナルである「カイ・キスク」に勝るとも劣らない威力を誇る。 効果:「電力トークン」を全て消費。1試合に1回使用可能。 このターン、自身のS最終値に 「1.0+電力トークン×0.1」倍(端数切り上げ)の補正を加える。 また、この判定にCとGで関わった者に30%の確率で「麻痺」を与える。 備考:【命令順守】【シュート】【麻痺】【補助】【トークン】 特殊必殺技名:太陽の御子 使用者:ちゅるや 属性:光 使用タイミング:命令選択時 消費MP:全て(最低100) 解説:あまねく全てを照らし出す、太陽の御子。 サンとしてはこれ以上無い適性を持ち、あらゆる障害を跳ね除ける。 効果:このターンの自身のP最終値に、1.5倍(端数切り上げ)の補正が付く。 また、そのパスから3ターンの間、自身のパスに対するあらゆる不利な補正が無くなる。 備考:【パス】【補正解除】【補助】 特殊必殺技名:ミリオンヒット 使用者:オプーナ 属性:光 使用タイミング:命令選択時 消費MP:全て(最低1) 解説:発売日、ライバルの髭親父は大ヒット。 対して、オプーナはまるで売れずにワゴンだった…… 開発室に響くプログラマのため息、どこからか聞こえる「ワゴンは確実だな」の声。 無言で帰り始める社員達の中、オプーナは独り開発室で泣いていた。 過去作で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるチームスタッフ…… それを今のコーエーで得ることは、殆ど不可能と言ってよかった。 「どうすりゃいいんだ……」オプーナは悔し涙を流し続けた。 どれくらい経ったろうか、オプーナははっと目覚めた。 どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たいパイプ椅子の感覚が現実に引き戻した。 「やれやれ、帰って販促をしなくちゃな」オプーナは苦笑しながら呟いた。 立ち上がって伸びをした時、オプーナはふと気付いた。 「あれ……?お客さんがいる……?」 開発室から飛び出したオプーナが目にしたのは、店の外まで埋めつくさんばかりの購入者だった。 整理するのも大変そうなくらい行列ができ、ザワザワとオプーナの評判が響いていた。 どういうことか分からずに呆然とするオプーナの背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「オプーナ、列整理だ、早く行くぞ」声の方に振り返ったオプーナは目を疑った。 「ディ……ディレクター?」 「なんだオプーナ、居眠りでもしてたのか?」 「チ……チーフプログラマー?」 「なんだオプーナ、かってにプログラマを出世させやがって」 「デザイナー……」 オプーナは半分パニックになりながら看板を見上げた。 『オプーナ大ヒット!あの髭親父すらも超える売上!!』 暫時、唖然としていたオプーナだったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった。 「売れる……売れるんだ!」 ディレクターから整理券を受け取り、売り場へ全力疾走するオプーナ、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった…… 翌日、開発室で冷たくなっているオプーナが発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った。 効果:このターン、自身の全行動に【強制判定】【絶対行動】【無効不能】が付与される。 備考:【強制判定】【絶対行動】【無効不能】 特殊必殺技名:星に願いを 使用者:哈爾浜 属性:光 使用タイミング:任意 消費MP:全て(最低150) 解説:偽物?パチモノ?だからどうした!意地を見せてやる!! 効果:自分以外の仲間の判定に対して 「再判定(確率ダイスに対しても可能)」「6・20面ダイス追加」 「光属性付与」「20面ダイスの決定値+5」 の内いずれか一つを選択して使用可能。 備考:【支援】【振り直し】【属性変更】 エクスカリバー 特殊必殺技名:約束された勝利の剣 使用者:バッセイ 属性:光 使用タイミング:命令選択時 消費MP:全て(最低200) 解説:セイバーが持つ剣であり、その代名詞とも言える宝具。 普段は風王結界(インビジブル・エア)によって隠している。 真名を解放することで所有者の魔力を光に変換 集束・加速させることで運動量を増大させ、光の断層による“究極の斬撃”として放つ。 効果:このターン、自身のAチャージ全てに【判定無視】の効果を与える。 備考:【Aチャージ】【命令順守】 特殊必殺技名:らき☆すた 使用者:黒こな 属性:光 使用タイミング:自身が状態異常判定に負けた時 消費MP:50 解説:ほんの小さな勇気、ちょっとだけの希望。 幸運の星は、そんな頑張りに応えてくれるだろうか。 彼女の持つ運命は、儚くも強い。 効果:状態以上付与の確率ダイスを、もう一度振り直せる。 1ターン以内に何度でも発動可能だが、その度にMPは消費する。 備考:【振り直し】
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/38.html
第三節 満州居住民の意見 満州居住民の新国家に対する態度を確かむることは本委員会の目的の一なりき。然れども調査を行いたる現地の状況に依り証拠を蒐集することに付若干の困難に遭遇せり。匪賊、朝鮮人共産主義者及支那側参与員の新政権批評の為同人の同伴を憤慨すべき新政府の擁護者等よりの本委員会に対する実際の又は予想せられたる危険は、委員会保護の為の例外的手段を執ることとなりたる一理由と成れり。同地方の同様せる状態に於いては確かに実際の危険がしばしば存せり。而して吾人は吾人の旅行中与えられたる効果的なる保護に対し感謝するものなり。然れども斯くて執られたる警察的手段の結果は承認を近づかしめざりしことなり。而して多数の支那人は吾人の部員と会見することすら率直に恐怖し居たり。吾人は或場所において、何人と雖も官の許可なくして本委員会と会見するを許されざる旨吾人の到着前に通達せれたることを聞きたり。依て会見は常に甚だしき困難と且秘密裡に準備せられたり。然も斯かる方法に依りてすら吾人と会見することは彼等にとり余りに危険なりし旨を吾人に知らせたる人多かりき。 斯かる困難にも拘らず吾人は「満州国」の役人及日本国の領事官及陸軍将校との公の会見の他実業家、銀行家、教育家、医師、警察官、商人及其の他との私的会見を行うことを得たり。吾人は又1500通以上の書面を接受したるが、其の中若干は手交せられ大多数は各宛先に郵送せられたり。斯くして得られたる情報は之を中立的方向により出来得る限り真偽を照合せり。 公の団体又は協会を代表する多数の代表団を接受せるが彼等は通例吾人に陳述書を提出せり。代表団の多くは日本国又は「満州国」の官憲により紹介せられたり。而して吾人は彼等が吾人に手交せる陳述書があらかじめ日本側の同意を得たるものなりと信ずべき強き理由を有せり。実際若干の場合に於いては陳述書を手交したる人々が後に至り右陳述書は日本人により書かれ又は甚だしく修正せられたるものにして彼等の真の感情を表せるものと看倣しきれざるものなることを吾人に告げたり。此等の陳述書の顕著なる特質は「満州国」政権の樹立又は維持に対する日本の参加に対しては有利にも又反対にも批評することを故意に避けたる点なり。大体に於いて此等の陳述書は従前の支那政権に対する不平の叙述に関するものにして且新国家の将来に対する希望と信頼を表明せる文句を包含せり。 接受したり信書は農民、小商人、都市労働者及学生より発せられたるものにして、筆者の感情及体験を述べ居れり。本委員会が6月、北平に帰還せる後、此の手紙の山は特に其の為に選任したる専門委員をして翻訳、分析及配列を為せしめたり。此等1550通の手紙に2通を除き他は凡て新「満州国政府」及日本人に対し痛烈に敵意を示せり。此等は真摯且自発的に意見を表明したるものの如く思われたり。 「満州国政府」の支那人の高級官吏は種々の理由の為に其の地位に在るなり。彼等の多数はかつて旧政権の官吏たりしが誘惑又は種々の脅迫により引留られたるものなり。彼等の或者は脅迫により其の地位に留まることを強制せられたること、一切の権力は日本人の手中にあること、彼等は支那に忠誠なること及彼等が日本人立会いの下に行われたる本委員会との会見に於いて述べたることは必ずしも信を置くべきものに非ざること等の趣旨の通報を吾人に為したり。若干の官吏は彼等の財産の没収を禦ぐ為その地位に留まりたり。而して斯かる没収は支那本部に遁入せる官吏中若干人の場合に事実として起こりたり。他の評判良き人々は、彼等が行政を改善する権力を有するに至るべしとの希望と、彼等が自由行動権を有すべしとの日本人との約束の下に参加したり。若干の満州人は満州種に属する人々の為に利益を得るの希望の下に参加したり。彼等の或者は失望し且新の権力が彼らに与えられざることを訴えたり。尚少数の者は旧政権に対し個人的不平を有せし為或は利得せるが為其の地位に在るなり。 下級及地方の官吏は大体に於いて一部分生計を得て彼等の家族を扶養せんが為又一部分は若し彼等が去らばより悪しき人間が彼等の地位に代わるべしとの理由により彼等の地位を維持したり。地方県知事の多数も亦一部は彼等の責任下に在る人民に対する義務観念より、又一部は圧迫の下に其の地位に留まれり。高級の地位を評判良き支那人を以て充たすことは困難なりしも、下級の地位及地方官庁に入るべき支那人を得ることは容易なりき。尤も斯かる事情の下に為されたる執務の忠実性は少なくとも疑問なり。 満州国警察は一部分は旧支那警察の部員により又一部は新募集者により構成せらる。大都市に於いては警察中に実際日本将校あり。又他の多くの場所に於いては日本人の顧問あり。吾人と談話せる若干の個々の警察官は新政府に対する彼等の反感を表明し唯彼等は生計を営む為引続き奉職せざるべからずと云えり。 満州国軍隊なるものも亦主として日本側の監督の下に改編せられたる旧満州の軍人より成る。斯かる軍隊は最初彼等は単に地方の秩序を維持するのみにて足ることを条件として新政府の下に勤務することに甘んじたり。然れども爾来彼等はしばしば支那軍に対する真剣なる戦争に従事し且日本側の指揮の下に日本軍隊と相並んで戦うことを要求せられて以来、満州国軍隊は益々信頼し得ざるものとなりつつあり。日本側より出たる情報は満州国軍隊の頻発する支那側への内応を報ずるに対し、支那側は彼等の最も信頼に足る且効果大なる軍需品の源泉の一つは満州国軍隊なりと主張す。 吾人と会見したる支那実業家及銀行家は満州国に対し敵意を抱けり。彼等は日本人を嫌悪せり。彼等は彼等の生命及財産に対し恐怖を有し且しばしば次の如く述べたり。「吾人は朝鮮人の如く成ることを欲せず」と。9月18日以後、実業家の支那へ脱出するもの多数ありたり。然れども比較的富裕ならざる若干の者は今や帰還しつつあり。一般的に言えば、比較的小なる商人は日本人の競争に苦しむこと旧政権の役人との間に有利なる関係を有したる大商人及製造業者の場合に比し、より少なかるべしと期待す。多数の商人は吾人の到着の時に於いて尚閉店し居りたり。匪賊の増加は辺境地方における商売に不利なる影響を与え、信用機構は大いに破壊せられたり。満州を経済的に開発すべしとの日本側の意思の発表及過去二,三ヶ月において日本経済使節の夥しき満州訪問は、此等使節の多くが失望して日本に帰えれりと報ぜらるる事実に拘らず支那実業家の間に不安の念を惹起しつつあり。 自由職業階級たる教師及医師は「満州国」に対し敵意を有す。彼等は其行動を探偵せられ脅迫を受けたりと主張す。教育に対する干渉、大学其の他の学校の閉鎖及教科書の改訂等は愛国的理由に基づき燃え上がりつつありし彼等の敵愾心に油を注ぎたる観あり。新聞、郵便及言論の検閲並びに支那において発行せらるる新聞紙の「満州国」への搬入禁止に対しては反感を抱き居れり。もちろん日本において教育を受けたる支那人にして前記の一般的叙述の例外を成すものあり。「満州国」に反対する学生及青年より多くの書面を接受せり。 農夫及都会労働者の態度に関する証拠は多種多様にして勿論之を蒐ること困難なり。外国人及教育ある支那人間の意見を徴するに彼等は「満州国」に敵意あるか然らざれば無関心なり。農夫及労働者は政治的に教育せられ居らず、一般に文盲にして普通政治に興味を有すること少なし。農民が「満州国」に敵意を抱くべきことに対し次の理由を述べたるものあるが右は其の後此の階級に属する者より受けたる手紙の内或ものによりて確認せられたり。農夫は新制度が朝鮮人の及恐らく日本人の移民を増加せしむるに至るべしと信ずるの理由を充分有す。朝鮮人の移民は支那人と同化せず而して支那人の農夫は主として豆、高粱及小麦を栽培するも朝鮮人の農夫は米の耕作に従事し両者は農業方法を異にせり。水田の耕作は溝渠を掘り田野を灌漑することを伴い若し豪雨あれば朝鮮人により造られたる溝渠は溢れ付近の支那人の土地に氾濫し其の収穫を皆無ならしむるが如きこともあり得べく又彼等は過去において土地所有権及地代等の問題につき朝鮮人と絶えず争い来れり。「満州国」の建設以来支那人は朝鮮人がしばしば地代を支払うことを停止せること。彼等が支那人より土地を押収せること及日本人が支那人を強制して其の土地を低廉なる値にして売らしめたることを主張す。鉄道及都市の付近の農夫は鉄道及都市より500米以内に高粱―高さ10呎(フィート)に成長し匪賊の作動を助くる穀物―の栽培を行うことを禁ずる命令により苦しみつつあり。支那本土より来る労働者の季節的移住は経済的不況を主とし政治的擾乱を例とする原因により減少しつつあるが右の傾向は尚継続の勢いに在り。支那より来る移民にとり比較的容易なる条件にて常に利用し得たる公有地は今や「満州国」に移管せられたり。1931年9月18日以降、農村には従来に其例を見ざる匪賊及不逞の徒の跳梁を見たるが是れ一部分敗残兵によるものか一部分は匪賊により零落せしめられたる末生活の為却って自ら匪賊に投じたる農夫によるものなる。支那の他の部分と比較し満州は多年組織的戦闘の為苦しめらるること稀なりしやに今や日本軍及「満州国」軍と支那に尚忠誠なる散軍との間に東三省の各部分に亙り此の如き戦闘行われつつあり。此の如き戦闘は自然農夫に大なる困難を蒙らしむるものにして殊に日本飛行機は反満州国軍庇護の疑いある村落を爆破せしことあるにおいては特に然りとす。其結果広大なる地面に作付せざりし事例あるが此の如き農夫は次年度において地代を支払うに困難を感ずるに至るべし。 支那より最近来りたる移民の大多数は事変の勃発以来長城内に逃げ帰れり。是等の実際的理由は日本人に対する或根底深き憎悪心と結合するときは多くの証人をして吾人に対して満州在在住民の圧倒的多数を形成する支那人農夫は新制度の為苦しみ且之を嫌悪し彼等の態度は受動的敵意のそれなることを吾人に告げしむるに至れり。 都会住民については、彼等は所によりては日本の兵士、憲兵及警察官の態度の為苦しみたり。一般的に謂えば日本兵の行状に善良にて個人的蛮行を訴えたる投書に接し居るも一般的略奪又は虐殺の事例なし。他方において日本人は敵意ありと信じたるものに対しては強硬なる手段を執り来たれり支那人は多くの処刑が行われたる事及捕虜が日本憲兵部において脅迫及拷問せられたる事を主張す。 満州国の建国式に際し民衆を刺激して之に対する熱心を現わさしむること不可能なりしと聞けり。一般的に謂えば都会人の態度は受動的黙従と敵意の混合なり。 満州国警察は一部分は旧支那警察の部員により又一部は新募集者により構成せらる。大都市に於いては警察中に実際日本将校あり。又他の多くの場所に於いては日本人の顧問あり。吾人と談話せる若干の個々の警察官は新政府に対する彼等の反感を表明し唯彼等は生計を営む為引続き奉職せざるべからずと云えり。 満州国軍隊なるものも亦主として日本側の監督の下に改編せられたる旧満州の軍人より成る。斯かる軍隊は最初彼等は単に地方の秩序を維持するのみにて足ることを条件として新政府の下に勤務することに甘んじたり。然れども爾来彼等はしばしば支那軍に対する真剣なる戦争に従事し且日本側の指揮の下に日本軍隊と相並んで戦うことを要求せられて以来、満州国軍隊は益々信頼し得ざるものとなりつつあり。日本側より出たる情報は満州国軍隊の頻発する支那側への内応を報ずるに対し、支那側は彼等の最も信頼に足る且効果大なる軍需品の源泉の一つは満州国軍隊なりと主張す。 吾人と会見したる支那実業家及銀行家は満州国に対し敵意を抱けり。彼等は日本人を嫌悪せり。彼等は彼等の生命及財産に対し恐怖を有し且しばしば次の如く述べたり。「吾人は朝鮮人の如く成ることを欲せず」と。9月18日以後、実業家の支那へ脱出するもの多数ありたり。然れども比較的富裕ならざる若干の者は今や帰還しつつあり。一般的に言えば、比較的小なる商人は日本人の競争に苦しむこと旧政権の役人との間に有利なる関係を有したる大商人及製造業者の場合に比し、より少なかるべしと期待す。多数の商人は吾人の到着の時に於いて尚閉店し居りたり。匪賊の増加は辺境地方における商売に不利なる影響を与え、信用機構は大いに破壊せられたり。満州を経済的に開発すべしとの日本側の意思の発表及過去二,三ヶ月において日本経済使節の夥しき満州訪問は、此等使節の多くが失望して日本に帰えれりと報ぜらるる事実に拘らず支那実業家の間に不安の念を惹起しつつあり。 自由職業階級たる教師及医師は「満州国」に対し敵意を有す。彼等は其行動を探偵せられ脅迫を受けたりと主張す。教育に対する干渉、大学其の他の学校の閉鎖及教科書の改訂等は愛国的理由に基づき燃え上がりつつありし彼等の敵愾心に油を注ぎたる観あり。新聞、郵便及言論の検閲並びに支那において発行せらるる新聞紙の「満州国」への搬入禁止に対しては反感を抱き居れり。もちろん日本において教育を受けたる支那人にして前記の一般的叙述の例外を成すものあり。「満州国」に反対する学生及青年より多くの書面を接受せり。 農夫及都会労働者の態度に関する証拠は多種多様にして勿論之を蒐ること困難なり。外国人及教育ある支那人間の意見を徴するに彼等は「満州国」に敵意あるか然らざれば無関心なり。農夫及労働者は政治的に教育せられ居らず、一般に文盲にして普通政治に興味を有すること少なし。農民が「満州国」に敵意を抱くべきことに対し次の理由を述べたるものあるが右は其の後此の階級に属する者より受けたる手紙の内或ものによりて確認せられたり。農夫は新制度が朝鮮人の及恐らく日本人の移民を増加せしむるに至るべしと信ずるの理由を充分有す。朝鮮人の移民は支那人と同化せず而して支那人の農夫は主として豆、高粱及小麦を栽培するも朝鮮人の農夫は米の耕作に従事し両者は農業方法を異にせり。水田の耕作は溝渠を掘り田野を灌漑することを伴い若し豪雨あれば朝鮮人により造られたる溝渠は溢れ付近の支那人の土地に氾濫し其の収穫を皆無ならしむるが如きこともあり得べく又彼等は過去において土地所有権及地代等の問題につき朝鮮人と絶えず争い来れり。「満州国」の建設以来支那人は朝鮮人がしばしば地代を支払うことを停止せること。彼等が支那人より土地を押収せること及日本人が支那人を強制して其の土地を低廉なる値にして売らしめたることを主張す。鉄道及都市の付近の農夫は鉄道及都市より500米以内に高粱―高さ10呎(フィート)に成長し匪賊の作動を助くる穀物―の栽培を行うことを禁ずる命令により苦しみつつあり。支那本土より来る労働者の季節的移住は経済的不況を主とし政治的擾乱を例とする原因により減少しつつあるが右の傾向は尚継続の勢いに在り。支那より来る移民にとり比較的容易なる条件にて常に利用し得たる公有地は今や「満州国」に移管せられたり。1931年9月18日以降、農村には従来に其例を見ざる匪賊及不逞の徒の跳梁を見たるが是れ一部分敗残兵によるものか一部分は匪賊により零落せしめられたる末生活の為却って自ら匪賊に投じたる農夫によるものなる。支那の他の部分と比較し満州は多年組織的戦闘の為苦しめらるること稀なりしやに今や日本軍及「満州国」軍と支那に尚忠誠なる散軍との間に東三省の各部分に亙り此の如き戦闘行われつつあり。此の如き戦闘は自然農夫に大なる困難を蒙らしむるものにして殊に日本飛行機は反満州国軍庇護の疑いある村落を爆破せしことあるにおいては特に然りとす。其結果広大なる地面に作付せざりし事例あるが此の如き農夫は次年度において地代を支払うに困難を感ずるに至るべし。 支那より最近来りたる移民の大多数は事変の勃発以来長城内に逃げ帰れり。是等の実際的理由は日本人に対する或根底深き憎悪心と結合するときは多くの証人をして吾人に対して満州在在住民の圧倒的多数を形成する支那人農夫は新制度の為苦しみ且之を嫌悪し彼等の態度は受動的敵意のそれなることを吾人に告げしむるに至れり。 都会住民については、彼等は所によりては日本の兵士、憲兵及警察官の態度の為苦しみたり。一般的に謂えば日本兵の行状に善良にて個人的蛮行を訴えたる投書に接し居るも一般的略奪又は虐殺の事例なし。他方において日本人は敵意ありと信じたるものに対しては強硬なる手段を執り来たれり支那人は多くの処刑が行われたる事及捕虜が日本憲兵部において脅迫及拷問せられたる事を主張す。 満州国の建国式に際し民衆を刺激して之に対する熱心を現わさしむること不可能なりしと聞けり。一般的に謂えば都会人の態度は受動的黙従と敵意の混合なり。 吾人は支那人の大多数が満州国に対し敵意あるか然らざれば無関心なることを発見すると同時に新政府は満州に於ける少数民族団体―蒙古人、朝鮮人、白系ロシア人及満州人の如き―より或支援を受け居れり。彼等は程度は異なれるも孰れも旧政権の為圧迫を受け又は過去数十年間における多数の支那移民の為経済的不利益を蒙りたり而して何れの部族も新政権に全く傾倒せるものと云い能わざるも新政権より従来に優れる待遇を受くべきことを予期し新政権亦之等少数民族を支援す。 蒙古人は漢人より別個なる人種として残存せり而して既に述べし如く強き民族意識並びに其の部族制度、貴族政治、言語、服装、特別の生活様式、習慣及宗教を保存せり。彼等は尚主として牧畜の民なりと雖も漸次農作に従事し又荷車及動物による農作物の運搬に従事す。満州に接壌する蒙古人は彼等の土地を獲得し耕作し彼等を漸次追い出しつつある漢人移民の為益々苦しみ来たり為に慢性的不可避の反感を有するに至れり。内蒙古人は外蒙古がソ連邦の労力に下に帰するを見たるが彼等はソ連邦の内蒙古への進出し来ることを恐れつつあり。彼等は一方において支那代、他方においてソ連邦が侵略し来るに対抗して別個の国家的存在を維持せんと欲す。彼等は従来叙上の如き不安定なる地位に置かれたるを以て新制度の下においても其の別個の存在せんとするの大なる希望を繋ぎ居れり。加之、王族は其の富の維持の為め主として不動産及其の特権に依倚するのなるを以て自然彼等は事実上の権威者に対し従順たるの傾向ある事を注目するを要す。然れども吾人は北平において或蒙古王族の代表者接したるが彼等は新制度に対し反対なる事を述べたり。現在満州に接する蒙古人と満州国政府との間の関係は明確ならず。而して満州国政府亦今日迄彼等の施政に干渉する事を抑制せり。現在における是等蒙古人の或ものの新政権に対する支援は多少の不安を交え乍も兎も角本心よりなるも彼等は若し日本が或将来において彼等の独立または経済上の利益に対する脅威となること明らかなるに至らば此の如き支援は忽之を撤去するに至るべし。 満州人は漢人と殆ど完全に同化せられたり尤も吉林及黒龍江においては尚少数の重要ならざる満州人の植民地ありて二国語を話すも明らかに満州人として残存す。民国成立以来満州民族は其の特権的地位を失いたり。即ち民国は彼等の補助金の支払いを継続すべきことを約したるも減価せる通貨を以て支払われたるが故に彼等に余儀なく経験なき農耕及商売を始むるに至れり。満州国に好意を寄せるものはしばしば満州の住民を以て支那の他の住民と人種を異にすと為し、最後の満州皇帝は現執政なりとなすが現存の明らかなる満州人は新国家の成立とともに再び特権的待遇を得べしとの希望を懐くものあるべし。満州人は斯かる希望を以て「政府」に入りたるも満州に於ける漢人の証人の言うところによれば彼等は全くの権力は日本人の手に握られ彼等の提議は顧みられざるを見て失望を感じつつある由なり。満州人の血を有する者の間には先帝に対する或精神的忠誠の念尚存すべしと雖も何等顕著なる民族意識ある満州人運動存在せず。彼等の殆ど全く漢人と同化したるを以て今更満州人を官吏に登用して以て民族意識の振興に資せんとの企みあるも此の方面よりの新政府に対する支援は民意代表の名を冒すに足る実を具ふるものにあらず。 過去において一方において日本官憲の庇護を受くる朝鮮農夫と地方において支那の官吏、地主及農夫との間に多くの軋轢ありたり。過去において朝鮮農夫は暴行及搾取により苦しみたりこと疑いなし。本委員会に陳情を齎したる朝鮮代表は一般に新制度を歓迎す然れども吾人は如何なる範囲迄彼等が其の問題の代表なりしやを確むるを得ず。兎も角政治的避難民たる朝鮮人は日本の統治を遁れるため移住せるものなるを持って更に日本の統治の拡張を歓迎するものとは想像せられず。是等の避難民は共産主義宣伝の善き目的と成り又朝鮮内における革命団体と接触を維持し居れり(第三章及特殊調査第八を参照)。 満州に於ける一切の少数民族の団体の内哈爾賓及其の付近における少なくも其の数10万人を算する白系露人の小植民地は近年最も迫害を蒙りたり。彼等は庇護すべき国民政府なき少数民族団体なるの故を以て支那の官吏及警官により各種の屈辱を蒙りたり。彼等は故国の政権と不和の関係に在りて満州に在りてさえ此の故に絶えざる不安の裡に在るものなり。彼らの内裕福にして教育ある者は生計を立て得るも支那官憲が彼等を犠牲にし供して或種の利益をソ連邦より得らるると考えるときは之が為に苦しめらるるを常とす。より貧困なる者は生活を営むこと甚だ困難を見又絶えず警察の手及支那法廷において苦を嘗めつつあり。請負制度により租税が賦課徴収せらるる地方においては彼等は其の支那人たる隣人よりも餘き割合の課税を支払うを要したり。彼等は其の取引及行動に関し多くの制限を経験せり而して彼等の旅券が検査せられ、其の契約が認証せられ又は其の土地が譲渡せらるるには官吏に対し賄賂を贈ることを要したり。彼等の多くにとりては現在よりも劣れる条件を想像し能わざるを以て日本人を歓迎したるは尤ものことにして今や彼等の運命は新政権の下に開け行くべしとの希望を抱懐することは怪しむべきに非ず。 吾人は哈爾賓をに在りしとき白系露人の代表並びに多くの書面に接したり而して吾人は之により彼等は左記事項を彼等に保障する如何なる制度をも支持すべしとの結論を得たり。 庇護権 公正にして有効なる警察行政 法廷における正義 衡平なる課税の制度 賄賂の支払いに依らざる取引及定住の権利 児童の教育に対する便宜 彼等の此点における要求は主として彼等をして移民せしむるに役立つ外国語の習得及彼等をして支那において職を得せしむる為の技術教育。 土地、定住及移住に関する或援助 以上は満州に於ける吾人の旅行中吾人に伝達せられたる地方人民の意見なり。公私の会見書面及声明書等の形を以て吾人に提供せられたる証拠を注意して研究したる後、吾人は「満州国政府」なるものは地方の支那人により日本の手先と見られ支那人一般に之に何らかの支援を与え居るものに非ずとの結論に達したり。 目次
https://w.atwiki.jp/pocketplanes/pages/31.html
空港 空港から空港へ乗客/荷物を運ぶことでCoins/Buxを稼ぐことができる。 空港基本情報OPEN CLOSE Population(人口) Size(サイズ/クラス) Jobs(乗客/荷物) Layovers(乗り継ぎ) 空港の一時閉鎖 ペナルティ プレイヤーレベルと空港 空港一覧Region(地域) AFRICA ASIA EUROPE NORTH AMRICA SOUTH AMERICA OCEANIA 基本情報 OPEN 空港はCoinsを支払うことでOPENできる。 その空港を初めてOPENする際には飛行機のPARTSが貰える。 CLOSE 空港をCLOSEする際にはCoinsが払い戻される。 Population(人口) 空港のサービスを受けられる周辺の人口。 人口に応じて開港やアップグレードのコストが異なる。 OPENコスト = ( ( population (in millions) × 5000 ) + 1000 ) coins アップグレードコスト = ( next airport level × opening cost ) coins CLOSE時の払戻 = ( opening cost × current airport level × ( 1 + ( current airport level - 1 ) / 2 ) / 2 ) coins Note: 計算に用いるPopulation(人口)はMap上の数字ではなく、空港のinfo画面のPopulationに基づく Size(サイズ/クラス) 空港には人口に比例したClass1〜Class3のサイズがある。 飛行機にも同様にClass1〜Class3のサイズがあり、空港のサイズより大きな飛行機は着陸も経由もできない。 Class 1 空港 Class 2 空港 Class 3 空港 Class 1 飛行機 ○ ○ ○ Class 2 飛行機 × ○ ○ Class 3 飛行機 × × ○ Note: Class1:Populationが0.01〜3.90millionの空港 地図上では◎ Class2:Populationが4.00〜7.90millionの空港 地図上では◎ Class3:Populationが8.00million以上の空港 地図上では◎ Jobs(乗客/荷物) Jobは乗客または荷物。乗客を運ぶためにはP、荷物は運ぶためにはCのスロットの空きが必要。 Jobには空港毎に上限があり、5分毎に更新される。この際に乗り継ぎと飛行機に積載されたジョブ以外は消える。 Note: 1.0.4からはジョブの一覧画面を下に引くことで更新できる。ただしBuxが必要。 Layovers(乗り継ぎ) 目的地以外で降ろした乗客/荷物はLayoverとなる。 同じ目的地のLayoversを貯めて、積載数の大きな飛行機で運ぶことで大きな利益を得られる。 人口に応じてLayoversの最大数は変わり、空港のアップグレードではLayoversの最大数が増える。 Layovers = population (in millions) × 2 Note: 2.00million以下の空港の場合のLayoverは一律5になる アップグレード毎に初期値分が増加する(ex.10 20 40) 参考:Pocket Planes Wiki(英語) 空港の一時閉鎖 空港は嵐やスコールなど天災の影響で一時閉鎖されることがある。 一時閉鎖時に空港にいる飛行機は離陸できず、一時閉鎖中の空港には経由も着陸もできない。 一時閉鎖中の空港はMAP上で赤字で表示される。 ペナルティ デバイスの時間を戻すなどのCheat(インチキ)をした場合、 ランダムで空港がひとつ閉鎖されてしまい、REOPENにはOPENコストの半分のCoinsが必要。 プレイヤーレベルと空港 OPENできる空港の数には上限があり プレイヤーレベルが上がる毎に上限が1増える。 レベル 上限 1 6 2 7 3 8 4 9 5 10 6 11 7 12 8 13 9 14 10 15 レベル 上限 11 16 12 17 13 18 14 19 15 20 16 21 17 22 18 23 19 24 20 25 レベル 上限 21 26 22 27 23 28 24 29 25 30 26 31 27 32 28 33 29 34 30 35 空港一覧 Region(地域) Pocket Planesの世界は6つの地域(AFRICA,ASIA,EUROPE,NORTH AMERICA,SOUTH AMERICA,OCEANIA)にわかれている。 AFRICA AL FASHIR [エル・ファシール] ALGIERS [アルジェ] BAMAKO [バマコ] BEIRA [ベイラ] BENGHAZI [ベンガジ] CAIRO [カイロ] CAPE TOWN [ケープ・タウン] CASABLANCA [カサブランカ] DAKAR [ダカール] DJIBOUTI [ジブチ] DURBAN [ダーバン] HARARE [ハラレ] IN SALAH [イン・サラ] JOHANNESBURG [ヨハネスブルグ] JUBA [ジュバ] KADUNA [カドゥナ] KAMPALA [カンパラ] KANANGA [カナンガ] KHARTOUM [ハルツーム] KINSHASA [キンシャサ] KISANGANI [キサンガニ] LAGOS [ラゴス] LILONGWE [リロングウェ] LIVINGSTONE [リヴィングストン] LOBITO [ロビト] MAHAJANGA [マハジャンガ] MOGADISHU [モガディシュ] MOMBASA [モンバサ] MONROVIA [モンロビア] NAIROBI [ナイロビ] PORT ELIZABETH [ポート・エリザベス] PORT SUDAN [ポート・スーダン] TIMBUKTU [ティンブクトゥ] TRIPOLI [トリポリ] WINDHOEK [ウィントフック] ZANZIBAR [ザンジバル] ASIA ADEN [アデン] AHMEDABAD [アフマダーバード] ANADYR [アナディリ] BAGHDAD [バグダード] BANGALORE [バンガロール] BANGKOK [バンコク] BEIJING [北京] BUTWAL [ブトワル] CEBU [セブ] CHENGDU [成都] DELHI [デリー] DHAKA [ダッカ] GUANGZHOU [広州] HANOI [ハノイ] HARBIN [哈爾浜] HONG KONG [香港] HYDERABAD [ハイデラバード] ISTANBUL [イスタンブル] JAKARTA [ジャカルタ] JERUSALEM [エルサレム] KABUL [カブール] KANDAHAR [カンダハール] KARACHI [カラチ] KOLKATA [コルカタ] KUCHING [クチン] KUWAIT CITY [クウェート] LHASA [ラサ] MAGADAN [マガダン] MANILA [マニラ] MUMBAI [ムンバイ] MUSCAT [マスカット] NAGASAKI [長崎] NANPING [南平] NORILSK [ノリリスク] NOVOSIBIRSK [ノヴォシビルスク] OSAKA [大阪] PADANG [パダン] PALU [パル] PEVEK [ペヴェク] PORT MORESBY [ポートモレスビー] RANGOON [ラングーン] RIYADH [リヤド] SAPPORO [札幌] SENDAI [仙台] SEOUL [ソウル] SHANGHAI [上海] SHENYANG [瀋陽] SINGAPORE [シンガポール] TAIPEI [台北] TEHRAN [テヘラン] TIKSI [ティクシ] TOKYO [東京] ULAN BATOR [ウランバートル] URUMQI [ウルムチ] VLADIVOSTOK [ウラジオストク] XI AN [西安] XINING [西寧] YAKUTSK [ヤクーツク] YINCHUAN [銀川] EUROPE AMSTERDAM [アムステルダム] ATHENS [アテネ] BARCELONA [バルセロナ] BEIRUT [ベイルート] BELFAST [ベルファスト] BELGRADE [ベオグラード] BERGEN [ベルゲン] BERLIN [ベルリン] BERN [ベルン] BORDEAUX [ボルドー] BRUSSELS [ブリュッセル] BUCHAREST [ブカレスト] COPENHAGEN [コペンハーゲン] CORDOBA(SPAIN) [コルドバ] GLASGOW [グラスゴー] HAMMERFEST [ハンマーフェスト] HELSINKI [ヘルシンキ] KIEV [キエフ] LISBON [リスボン] LONDON [ロンドン] LULEA [ルレオ] LYON [リヨン] MADRID [マドリード] MANCHESTER [マンチェスター] MINSK [ミンスク] MOSCOW [モスクワ] MUNICH [ミュンヘン] MURMANSK [ムルマンスク] NAPLES [ナポリ] OSLO [オスロ] OULU [オウル] PARIS [パリ] PERM [パーマ] PRAGUE [プラハ] REYKJAVIK [レイキャヴィーク] RIGA [リガ] ROME [ローマ] ST.PETERSBURG [サントペテルブルク] STOCKHOLM [ストックホルム] TBILISI [トビリシ] TRONDHEIM [トロンハイム] VENICE [ヴェニス] VIENNA [ウィーン] VOLGOGRAD [ヴォルゴグラード] WARSAW [ワルシャワ] NORTH AMRICA ANCHORAGE [アンカレッジ] ATLANTA [アトランタ] BARROW [バロー] BISMARCK [ビスマーク] BOSTON [ボストン] CALGARY [カルガリー] CANCUN [カンクン] CHARLESTON [チャールストン] CHICAGO [シカゴ] CHIHUAHUA [チワワ] CINCINNATI [シンシナティ] DALLAS [ダラス] DENVER [デンバー] DETROIT [デトロイト] EDMONTON [エドモントン] FAIRBANKS [フェアバンクス] GOOSE BAY [グースベイ] GUATEMALA [グアテマラ] HAVANA [ハバナ] HILO [ヒロ] HONOLULU [ホノルル] HOUSTON [ヒューストン] INUVIK [イヌヴィック] IQALUIT [イカルイト] JUNEAU [ジュナウ] KANSAS CITY [カンザス・シティ] KETCHIKAN [ケチカン] LAS VEGAS [ラスベガス] LOS ANGELES [ロサンゼルス] MEXICO CITY [メキシコシティ] MIAMI [マイアミ] MINNEAPOLIS [ミネアポリス] MONTERREY [モンテレイ] MONTREAL [モントリオール] NEW ORLEANS [ニューオーリンズ] NEW YORK [ニューヨーク] NOME [ノーム] NUUK [ヌーク] OAXACA [オアハカ] ORLANDO [オーランド] OTTAWA [オタワ] PANAMA CITY [パナマシティ] PHILADELPHIA [フィラデルフィア] PHOENIX [フェニックス] PORTLAND [ポートランド] QUEBEC [ケベック] SALT LAKE CITY [ソルトレイクシティ] SAN DIEGO [サンディエゴ] SAN FRANCISCO [サンフランシスコ] SAN JOSE [サンノゼ] SANTO DOMINGO [サントドミンゴ] SASKATOON [サスカトゥーン] SEATTLE [シアトル] SPOKANE [スポケーン] ST.LOUIS [セントルイス] THUNDER BAY [サンダーベイ] TORONTO [トロント] VANCOUVER [バンクーバー] WASHINGTON DC [ワシントンD.C.] WHITEHORSE [ホワイトホース] WINNIPEG [ウィニペグ] YELLOWKNIFE [イエローナイフ] SOUTH AMERICA ARAGUAINA [アラグアイナ] ASUNCION [アスンシオン] BARILOCHE [バリローチェ] BELEM [ベレン] BOGOTA [ボゴタ] BRASILIA [ブラジリア] BUENOS AIRES [ブエノス・アイレス] CAMPO GRANDE [カンポ・グランデ] CARACAS [カラカス] CORDOBA(ARGENTINA) [コルドバ] CUIABA [クイアバ] CUZCO [クスコ] EASTER ISLAND [イースター島] FORTALEZA [フォルタレサ] GEORGETOWN [ジョージタウン] IQUITOS [イキトス] LA PAZ [ラパス] LIMA [リマ] MANAUS [マナウス] PORTO VELHO [ポルト・ベーリョ] PUNTA ARENAS [プンタアレナス] QUITO [キト] RECIFE [レシーフェ] RIO DE JANEIRO [リオデジャネイロ] SALVADOR [サルヴァドール] SANTIAGO [サンティアゴ] SAO PAULO [サンパウロ] TERESINA [テレジーナ] OCEANIA ADELAIDE [アデレード] ALICE SPRINGS [アリス・スプリングス] AUCKLAND [オークランド] BRISBANE [ブリスベン] BROKEN HILL [ブロークン・ヒル] BROOME [ブルーム] CAIRNS [ケアンズ] CHRISTCHURCH [クライストチャーチ] DARWIN [ダーウィン] GERALDTON [ジェラルドトン] HOBART [ホバート] KALGOORLIE [カルグーリー] KATHERINE [キャサリン] MELBOURNE [メルボルン] MOUNT ISA [マウント・イーサ] NEWMAN [ニューマン] PERTH [パース] PORT HEDLAND [ポートヘッドランド] ROCKHAMPTON [ロックハンプトン] SYDNEY [シドニー] WELLINGTON [ウェリントン]
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/232.html
一進会(イルチンフェ・いっしんかい)とは、1904年から1910年まで大韓帝国で活動した当時最大の政治結社。一般に親日団体とみなされる。 宮廷での権力闘争に幻滅し、次第に外国勢力の力を借りてでも韓国の近代化を成し遂げようとする方向に傾いていきつつあった一部開化派の人々が設立した団体。中でも日清戦争、日露戦争の勝利により世界的に影響力を強めつつあった日本に注目・接近し、日本政府・日本軍の特別の庇護を受けた。日本と韓国の対等な連邦である韓日合邦(日韓併合とは異なる概念)の実現のために活発に活動した。 当時、大韓帝国では最も大きな政治結社であり、会員数は1908年12月時点で公称80万人から100万人であった ref name= B03041514200 アジア歴史資料センター、レファレンスコードB03041514200。ただ韓国内においては、実数は数万人程度だとする見方が優勢であり、民衆を中心に知識人からも「日本の手先」と強い批判を浴びていたとしている。日韓併合実現後は日本政府によって解散させられた。 Template Wikisource? 背景 朝鮮では、日清戦争で日本が清に勝利すると、王妃である閔妃が朝鮮で一層強化する日本の支配力を警戒した。三国干渉によってロシアの東アジアへの影響力が強まったことで、日本への牽制を含めて親露政策を強めるようになる。その後、乙未事変で閔妃が暗殺され(殺害現場にいた純宗の言で『乙未事件ニ際シ、現ニ朕ガ目撃セシ国母ノ仇、禹範善』となっているだけでなく、この禹範善は『禹ハ旧年王妃ヲ弑セシハ自己ナリトノ意ヲ漏セリ』と自ら犯人であることを漏らしている。(アジア歴史資料センター『在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件』))、1896年2月11日、親露派の李範晋や李完用らによってクーデターが行われ国王の高宗がロシア公使館に移り執務(露館播遷)を行うようになった。日本の後押しを受けていた開化派政権は崩壊し、ロシアの影響力が強まった。1896年7月、開化派の流れを汲む人たちが朝鮮の自主独立、法治主義の確立、新教育の振興、農業の改良、工業の育成、愛国心、君主への忠誠心の培養を訴え李完用らが独立協会を設立した。 1897年以降、ロシアの侵略政策が露骨になると独立協会は反露闘争を展開、国王の高宗に王宮に戻ることを要請した。高宗は王宮に戻り、大韓帝国の独立を宣言した。これによりロシアの勢力は朝鮮から後退した。しかし独立協会の主張は次第に守旧派官僚との対立を招き、最終的に高宗の勅令により独立協会は解散させられた。 ロシアの勢力が朝鮮から後退したことによって再び日本の勢力が増大し韓国の経済的支配を進めた。ロシアと日本は朝鮮や満州の利権を巡り対立を深めた。こうした背景のもと、日露戦争中に日本軍通訳をつとめた宋秉畯が日本の影響下に政治改革のための組織を計画したが、この計画は元独立協会系の人々に受け入れられた。 一進会の設立 宋秉畯は、日露戦争のさなか、日韓議定書が締結された約半年後の1904年8月8日に独立協会系の尹始炳らと共に、一進会を設立する(当初、名称は「維新会」。8月20日に「一進会」に改名)。その後、もともと東学に参加していた宋秉畯は、東学の一部を引き継いだ進歩会を率いていた李容九と意見が合い、進歩会を吸収した。ちなみに同年8月22日には第一次日韓協約が締結されている。 当初、尹始炳が会長であったが、尹始炳の要請によって李容九が会長に就任した。 目的 一進会の掲げた目的は、独立協会に見られる民主主義、独立国家主義の思想を継承しており、「政治改革と民主の自由」を掲げている ref name= B03050325500 アジア歴史資料センター、レファレンスコードB03050325500。 また一進会は、日露戦争時に設立され、日韓軍事同盟においてロシアを侵攻を阻止することが、ロシアの大韓帝国に対する影響力を弱め、さらには欧米列強のアジア進出を防ぎ、朝鮮の復興になると考えていた。 活動 日露戦争における日本軍への協力 一進会の設立当初、日本は一進会をそれほど評価してはいなかった ref name= B03050325500 アジア歴史資料センター、レファレンスコードB03050325500が、一進会の設立後、宋秉畯は当時の日本の大佐、松石安治に対し書簡を送り、現状の高宗およびその官僚主導では大韓帝国の独立・維持は困難であると説明し、また京義線敷設の協力をも申し出ている ref name= B03050325700 アジア歴史資料センター、レファレンスコードB03050325700。当時の日露戦争においては、日本軍が物資輸送のため京義線の敷設を計画するが、日本軍の人員不足で計画が暗礁に乗り上げており、この際、一進会がこの敷設工事に無償支援し、会員14万人以上を動員した。さらに一進会は、日本軍の軍事物資輸送も支援に乗り出し、10万人以上の会員が自費で日本軍の武器、食料を戦地まで運んでいる。また、この日露戦争当時、一進会会員は、当時の伝統であった辮髪をやめ、自主独立運動の象徴としている。朝鮮では露館播遷で断髪令を廃止しており、このような断髪は一般市民からは考えられないものであった。 統監政治 1905年10月、日本政府は韓国保護権の確立の方針を閣議決定し、翌11月には伊藤博文を特使として派遣し、11月28日に第二次日韓協約の締結が強行された。これに先立ち、一進会は1905年11月5日に「外交権を日本政府に委任し日本の指導保護を受け、朝鮮の独立、安定を維持せよ」という宣言書を発表している。 ref name= 朝鮮最近史 『朝鮮最近史』 韓国統治の総責任者伊藤博文は当初早期の韓国併合を反対していたが、やがて韓国併合論へと転向し、日本の朝鮮併合・植民地化への道は確かなものとなる。1909年10月、伊藤博文は満州のハルビン(哈爾浜)にて安重根によって暗殺されたが、短い中継ぎを挟み寺内正毅が第三代韓国統監(就任は1910年5月)となり、義兵戦争への弾圧を継続しつつ韓国併合への準備を進めていった。 韓日合邦の要請 一進会は、1909年12月「韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)」を純宗、第二代韓国統監曾禰荒助、首相李完用に送り、韓日合邦を要請している。 この建議書の中で、李容九は会員100万人の声明と称して、「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、我々も一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」と主張し、韓国と日本の連邦形式の対等合邦を求めた ref name= 警秘第4106号-1 統監府文書 8、警秘第4106号の1。 解散 一進会の主張はあくまで日韓両国民の対等な地位に基づく日韓共栄であって日本の考える韓国の吸収併合とは全く異なるものであることや、日韓併合については韓国側の要求は一切受け入れない方針であったため日本政府は一進会の請願を拒否した。これは、当時の大韓帝国の巨額の債務や土地インフラに膨大な予算が必要になることから日本国民の理解を得ることは難しいとの政治判断からであった。日韓併合後、親日派/非親日派の政治団体の対立による治安の混乱を収拾するため、全ての政治団体を解散させた。この解散は一進会も同様であり、一進会は併合直後の1910年9月12日に日本政府によって解散を命じられ、同年9月25日に解散した。その後、宋秉畯には伯爵位が与えられている。その後の一進会参加者の中には自らの対等合邦の主張が受け入れられず、結果的に祖国を日本に吸収させる一翼を担ってしまったことから後悔の気持ちと共に日本に騙されたとの印象を持つものも少なくなかった。 評価 一進会に対する評価はその活動の解釈や政治的立場によって大きく異なるが、一般的には批判的意見が主流である。以下には日韓において出版されている一般書籍での評価について概述する。(順不同) 平凡社の『朝鮮を知る事典』では、一進会を「親日御用団体」と呼び、表立った運動以外にスパイ活動などにも協力したとしている。また、親日団体としての働きについてはプラスの効果よりも民衆の反発を招いたマイナスの結果の部分が大きかったとしている。また、一進会の実態が「李容九や宋秉畯などの利権集団」であったとも記述している。 三省堂の『朝鮮の歴史 新版』では、一進会が1909年に出した声明について、民衆の声を代表しておらず、かつ「会員100万人」も実体のない数字だったとしている。 金完燮の『親日派のための弁明』(2002)では、一進会の運動を、李氏朝鮮政府の圧政をはねのけようとする農民階級(東学党→進歩会)と、支配階級出身で朝鮮の近代化をめざす改革派知識人グループ(維新会)、そして朝鮮近代化を支援することで「攻撃的な防御」を確保しようとする日本、の3つの改革勢力が結集されたものとして高く評価している。 呉善花は、「少なくとも民族の尊厳の確保に賭けて大アジア主義を掲げ、国内で最大限の努力を傾けた李容九らを売国奴と決めつけ、国内で表立った活動をすることもなく外国で抗日活動を展開した安昌浩や李承晩らを愛国者・抗日の闘士と高く評価するバランス・シートは、私にはまったく不当なものである」と評価している。 日本を含めた諸外国の研究者の間では、一進会が大日本帝国の侵略の意図を見抜けず韓国を亡国へと導く役割を果たしたことは事実であるが、対等合併論自体は日本の朝鮮併合論(朝鮮が日本に従属し、主権を放棄する形で植民地となる。)とは明らかに異なり、寧ろ併合後の日本が一進会すらも用済みとして切捨て、植民地統治を開始したことを踏まえて、「一進会もまた犠牲者であり、必ずしも責められるべき点ばかりではなかった」とする同情的意見も強い朝鮮史研究者である板垣竜太は一進会の親日の論理を『日本の朝鮮政策に対し儒教的徳治に基づくと期待したものであった。』と述べており、一進会の責任よりは日本が一進会すらも切り捨てたことを批判している。。 (以下、追記募集) 関連先 金玉均 李完用 李容九 日韓併合条約 韓日合邦を要求する声明書 参考文献 外部リンク アジア歴史資料センター The National Institute of Korean History 李容九の生涯/日韓合邦悲史 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月2日 (木) 10 52。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2218.html
424 :わかる?のひと:2013/12/09(月) 01 15 40 ドテラ撫子さんでわかる?戦間期 平和にぬくぬく編(1) ドテラ撫子さん「ぬくぬくいー…うんうん。良い日常はこうじゃないといけませんねー」 小人さん(満州鉄道開業か…景気がいい話だね。こっちは復員後の社会を立て直さないといけないのに。こっちも台湾縦貫線と海南東西線は開通したけど、二島の同化政策の推進もあって手がかかるし…) ドテラ撫子さん「その満州鉄道向けに、機関車とか客車とか貨車とかの発注が入ってるからいいじゃないですかー」 小人さん(まぁ、欧米蘭も日本標準軌(1515mm)やロシア広軌(1520mm)の車両をすぐには用意できないからね。改軌するにもロシア広軌から欧州標準軌(1435mm)は骨だろうし。鹵獲したロシアの機関車や貨車もあらかた返還しちゃったし、ロシアは大変だろうから、日本から手配するのが順当なわけで…) ドテラ撫子さん「哈爾浜や奉天で山積みになってましたしねーあれだけ国内からなくなると大変でしょうしー」 小人さん(なんか君、甘いよね) ドテラ撫子さん「ぬくー…日露戦争で重工業の振興と編成を同時に出来ましたし、がっつく必要はないと思いますよー…ぬくー」」 小人さん(ま、いいか。あまり余裕がないのも警戒される元だ。僕らも前の世界では…ね…) しろくまくん(戦争は終わったクマが、国内の秩序ががたがたクマ!陸軍の再編と、海軍の再建もあるクマ。努々無駄遣いは出来ないクマ…) ジョンブルさん「中央アジアにおけるお互いの勢力圏について再確認したいのだがね」 しろくまくん「しかたないクマねー…クマは中央アジアにはあまり興味ないクマ。(いま英国を敵に回す余裕はないクマ。バルカン半島方面でもオスマン帝国と日本の関係も気になるクマ。南下政策はしばらく見合わせるしかないクマ…)」 ジョンブルさん「ほほう、それは興味深い。(バルカン半島ねらいか?ふむ。それだけの余力はしばらくなさそうだが。オスマン帝国をどうするか…)」 (英露協商) オスマンさん「来るべき時が来たか。ここは東洋の巨人(日本)を見習わねばならない。さもなくばこのまま蚕食されて滅びるのみ…(ギリッ)」 (青年トルコ人革命) 425 :わかる?のひと:2013/12/09(月) 01 16 16 隕石「どどーん!」 しろくまくん「クマッ!?」 しろこぐまさん「くまーっ!(ころころころりん)」 ドテラ撫子さん「きゃっ!?」 小人さん(え、『きゃっ』って…かなり久々に女性らしい反応を見た気がする…) (ツングースカ大爆発) しろこぐまさん「ぅー……(ぷるぷる)」 しろくまくん「大丈夫クマ。クマがいるかぎり安心クマ。(日本の攻撃クマ?うーん…それにしては僻地過ぎるクマ…いまいろいろ大変だからあとで調査するクマ)」 小人さん(うん。概算位置は史実と大差無しと…) ドテラ撫子さん「(ぷんすか☆)隕石ですか。人騒がせな。調査団を出したいところですが、ぎりぎりロシア領内のようですね」 小人さん(もう少し東寄りならこっちの領域に入っていたんだけど。ヴェルフネチョンスクやタラカン、チャヤンダの押さえまでが目的だったからね) 東京自動車製作所「丁型ダット号発売!新方式の生産技術により驚くべき低価格!」 小人さん(あー、そういえば、対ロシア戦備を整えてる時機、軍需産業にアセンブリライン生産方式を導入して生産量をあげてた気がする…) ドテラ撫子さん「ほうほう……これは良さそうですねえ。私も一台…」 小人さん(え、君って運転免許もってたっけ?) ドテラ撫子さん「…もってません。そもそもとれるんでしょうか?」 小人さん(さあ…) (グレート・ホワイト・フリートの世界周航→『ドテラ撫子さんでわかる?シリーズおまけ どれっどのーと☆しょっく編』参照) ドテラ撫子さん「うーん、四隻ずつというのが何となく微妙ですね。どうせなら戦艦と巡洋戦艦八隻ずつにしたほうが末広がりが二つで縁起がいいと思いますよ?海軍も八隻単位が一番といってましたし…」 小人さん(弩級戦艦の八八艦隊って誰得…じゃなくって、列強とのパワーバランスを考えないといけないの!これだって弩級戦艦の数でいえば瞬間風速とはいえ英国より上になったんだからね!) ドテラ撫子さん「(ぷくー)ちょっとくらい贅沢してもいいじゃないですかー」 小人さん(だから贅沢とかいう話じゃなくってね…おや?) 426 :わかる?のひと:2013/12/09(月) 01 16 51 ゲルマニアさん「ボーア戦争でイギリスが勝てたのは、我が大ドイツの側面支援のおかげである!また我が海軍拡張は、東洋への備えである!イギリスに対するものではない!むしろ東洋との同盟を破棄し、独英同盟を結び対抗すべきだ!英国はいずれこの助言に耳を傾け、大ドイツに感謝することになるだろう!」 ジョンブルさん「お、おまえはいったいなにをいっているんだ。いや本気で…(デイリー・テレグラフ事件)」 小人さん(うわあ。やっぱりあそこはいろいろ残念すぎる…) ドテラ撫子さん「ほほう…(なるほど。敵認定を外す必要はなさそうですね…ふふふ。次はあなたですか?)」 小人さん(度量衡法改正が通ったか。当面は尺貫法を基本とし、中長期的にメートル法へ移行。ヤード・ポンド法は主に英米と関係する方面で補助的に用いられるものとするが、内部的にはメートル法に換算して扱う。江戸時代からの活動がやっと…) ドテラ撫子さん「うーん、なれた尺貫でいいと思うんですが?(はむはむ)」 小人さん(科学や工業の分野ではメートル法が最も合理的なんだよ。日露戦争のおかげで科学工業を尊ぶ風潮が強いから、ここで一気に普及を図るべきだ) ドテラ撫子さん「むー…フランスは敵認定が残ってるのに…でも英国経由の同盟関係で一応友好国…むー(もぐもぐ)」 小人さん(メートル法を、フランス産というだけで排するのは短絡的だよ?コロッケだって元はフランス生まれだよ) ドテラ撫子さん「む、それなら仕方ありませんね(はぐはぐ)」 小人さん(食べ物がらみで説得するととたんにチョロくなるのはどういうことなの…) ドテラ撫子さん「それは民族性なので仕方ありません(あぐあぐ)」 小人さん(ところで、さっきから何を食べてるのさ?) ドテラ撫子さん「ロシアパンです。大きくて食べ応えがありますね、これ」 小人さん(あー、これってこの時代に産まれたんだっけ…) しろくまくん「(げっそり)ひ、久しぶりクマ…」 ドテラ撫子さん「おや、お久しぶりですね。ずいぶん様相が変わりましたね。どうかしましたか?」 しろくまくん「(ぜ、全部おまえのせいクマ!)……た、たいしたことないクマ。ちょっと忙しいだけクマ。それよりも、東ユーラシアの安定のために、協定を結びたいクマ…」 ドテラ撫子さん「ふーむ…では、交渉は倫敦あたりでどうでしょうか?(ここでシベリア鉄道沿線や満州とかにすると、先の戦争のことを搦めて威圧してると思われますから、気遣いをしておきましょうかねー)」 しろくまくん「ぐぬぬ…それでいいクマ…(英国との関係を武器に威圧する気クマね!悔しいがここは我慢するクマ…)」 (日露協商) 小人さん(この世界では列強の利権を錯綜させた満州が緩衝地帯になってるから、協商の重要性がそんなに高くないんだよね。ロシアの視線を欧州方面に向けるために受けるけど。 半島は中立国だし、念のため交渉場所を倫敦にしたことあってで、伊藤翁の暗殺も起きなかった。経済も順調に伸びてきてるし、まあ安泰かな?) 427 :わかる?のひと:2013/12/09(月) 01 17 53 ドテラ撫子さん「おお、これはなかなか。綺麗な帚星ですね」 小人さん(おー、ハレー彗星かぁ…ってのんきに見てるのは君だけだよ!地球の大気が失われてみんな窒息死するだとか、尾のガスに含まれるシアン化合物で毒死するとか、風説の流布ばっかりでいやになるよ!) ドテラ撫子さん「あの手の星はこれまで何度も来てるんですから、心配することはないでしょうに…(ぷー)」 (ハレー彗星の尾を地球が通過) ドテラ撫子さん「そういえば、オスマン帝国から戦艦の受注が来てましたねー」 小人さん(世界帝国たる英国への仁義通しもしてあるから安心だね。戦略的価格とはいえ工員の技量維持も必要だし、ありがたいよ) ドテラ撫子さん「どうせならここで開発中の36センチ砲をドーンとのっけた戦艦を建造してあげたらどうでしょう?」 小人さん(駄目) ドテラ撫子さん「えー」 小人さん(超弩級戦艦を他国に売るのはまだちょっと早いの!まったくもう…) ドテラ撫子さん「といいつつ、念のため36センチ砲への変更もできるようバーベット径を確保してあった小人さんでした」 小人さん(ギクッ!いやほら、僕らの親オスマン・トルコ派閥の横車が入ってさぁ…あの戦艦の建造費用の少なからぬぶんも国民の募金から出てるって話もあったし…) ドテラ撫子さん「甘いですねえ、まったく。でもそういうの嫌いじゃありませんけど」 後のオスマンさん「…弩級戦艦を発注したものの、世界の趨勢が超弩級戦艦に移り変わったので残念と思っていたら、発注中の戦艦が超弩級になっていた。この恩は絶対に忘れない!」 ドテラ撫子さん「それはともかく、次期超弩級巡洋戦艦の共同開発はどうなりましたかね」 小人さん(なんだか開発の現場では紛糾してるみたいで……) ジョンブルさん「まぁ、我が海軍にも持論というものがある。衝突はやむを得まい」 日「攻撃力、防御力、機動力の高度なバランスこそが今後の海戦では不可欠だ!」 英「攻撃力と機動力については同意しよう!しかし防御力はある程度間引いて価格を重視すべきだ!数こそ力だ!」 日「数が多くても統制がとれなければ戦場が混乱するばかりだ!十分な性能を持つ統制された戦力集団を維持するためにも先に挙げた要素の調和こそ重要だ!」 英「なにをいう!高速性があれば敵主砲弾の散布界を潜り抜けることができる!単純な防御力の強化など不要である!」 日「当たったらどうするんだ!?我も努力していると同様に、彼も努力するんだ!それを軽視すべきではない!」 英「当たらなければどうということはない!」 428 :わかる?のひと:2013/12/09(月) 01 18 24 小人さん(多国間共同開発が揉めるのはいつの時代も同じだけど、これは…こっちが金を出す立場じゃなくて、対等関係というのが不味かったか。どうしよう?) ドテラ撫子さん「で、結局、基本設計はある程度共通化したものの、武装や装甲などについては各個におこなうことに…」 ジョンブルさん「まとまったような、まとまらなかったような感じだな。ふむ」 小人さん(こっちの36センチ砲塔の砲弾・装薬分離揚弾方式を『複雑であり実用性に疑問あり』と一笑に付されたし!防焔設備の概念や水平装甲の強化も、議論が白熱化しすぎてスルーされたみたいだし!うわーどうしよう…英国戦艦の事前強化フラグが折れた!) ドテラ撫子さん「私たちに出来ることをしましょう。とりあえずは建造を始めましょうか。巡洋戦艦と、あと国内で設計が進んでいた戦艦も) 金剛型巡戦×4 (正36センチ砲連装四基、28ノット、30000トン) 扶桑型戦艦×4 (正36センチ砲三連装三基、25ノット、35000トン) オージーさん「日本には注意しろ!やつらは危険だ!俺は知ってるんだぞ!」 ジョンブルさん「うんうん、そうかね。忠告ありがとう。(有能な敵より無能な身内のほうが危険とはいうが、この国際感覚のなさ、なんといういなかもの!さしたる展望もなく思いついたまま黄禍論を唱えるイエロージャーナリズムも目障りだ!ふむ…私が思っていたよりも黄禍論は正しいのかもしれん!『イエロー』ジャーナリズムこそ禍いなのだから!)」 つづく?
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1606.html
572 :二二三:2013/03/17(日) 12 52 08 続き~ 休日氏の宿敵(とも)時空を越えて・68氏の総統閣下と愉快な仲間たちinEUが前提 半島転移7-3 大清連邦首都・哈爾浜 如何にも高級品ですよと言わんばかりの調度品や骨董価値のありそうな中華刀が飾られた執務室でこの国の実質的な最高指導者である大宦官の高亥は 突如遼東半島南岸に現れ黄海の約半分を埋め立ててしまった陸地の対応に頭を悩ませていた 「シベリア出兵を進めておるこの時になんと厄介な…」 大清連邦軍常備兵力の三分の二にも達する約百万の兵をEU領シベリアへ送り込んでいるこの時期に現れた第二の高麗半島 偵察部隊の報告ではどうやら国家が存在するらしく、万一に備えて遼東半島にも兵力を割かなければならなくなったのである たかが高麗半島ごときとは思う物の相手が未知の国である以上、どんな装備を有しているかわからないし、侵略的意図を持ち合わせているかもしれない そんな相手を無視して防衛体制を疎かにする訳にも行かず、二十個師団約三十万の兵を張り付かせる破目に陥っていた 幸い予備役を召集していたので兵力的には問題なかったのだが、思いもよらないというより予想通りのところから横槍が入ったのである 「高亥様、童倫様がお話があると」 秘書が告げた名前に唯でさえ悪い気分がより悪化するような感じがした 「童倫のチビにはあっても私にはない、私は不在だとでも言うておけ」 「は、」 心得たと部屋から出ていく秘書に深いため行きをついた 童倫の話など聞かずともわかっている 遼東半島南岸に現れた第二高麗を自国に取り込むべく、張り付かせてある三十万の兵を攻略のために進めろという催促だ 「あやつら揃いも揃って阿呆の集まりか?よもや忘れておるのではなかろうな、我が国が戦をしておるのは列強の一角であるというのを」 清が戦争をしているのはユーロピア共和国連合。経済的に衰退して弱っていても四大列強の一角だ 戦場がシベリアというEU本国から離れた遠隔地であるのと、KMFジェンシーを始めとした大戦力を投入しての戦争だから優位に進んでいるだけで、 国力的には三倍から五倍以上の開きがあるEUと戦いながら南にも戦線を抱える二正面作戦などいまの清に出来るものではない 「それを優位に進んでおるからと軽く考えおって…」 「高亥様」 いつの間にか戻ってきた秘書が考え込む高亥に話しかけた 「高亥様、我等大清連邦国防軍は高亥様のお声がかかればいつでも動く準備ができております」 「…」 高亥は真剣な眼差しを向ける秘書になんのことかとは聞き返さず黙って聞いていた 「我等清国民の大半は大恩ある高亥様が頂点にお立ちになられるのを待ち望んでいるのです」 高亥は清国民に私財さえはたいてばら蒔きをしてきた 彼にしてみれば道具に燃料を入れただけだが、清国民にとっては私財をはたいて生活を助けてくれた大恩人なのである 彼らが忠誠を誓っているのはあくまで高亥ただ一人にであって、その他の宦官たちにではない 「まあ待て、そち等が私になにを望んでいるのかは理解しておる」 忠実な道具たちは自分にクーデターを起こして清国の全権を掌握しろと言っているのだ 「じゃが、いま内紛を起こせばシベリアで戦こうておる兵にも動揺が拡がり戦に支障を来すやもしれぬ」 「しかし…!」 「なに、あの愚物どもの好きなようなはさせぬ。故にそち等は安心して任務に励めばよい」 「は…」 自分の仕事に戻る秘書に高亥は改めてため息をついた 「道具に期待されるのもこれで中々疲れるものじゃな…」 ただし道具とゴミは天秤に掛けるまでもない 「まったく、腐敗した生ゴミは早いところどうにかしたい物よの」 573 :二二三:2013/03/17(日) 12 54 26 高麗共和国首都近郊の基地 「出撃は中止か」 先ほど本部よりの伝令で義勇軍のシベリア出兵が正式に撤回された 理由は西方に現れた高麗半島と瓜二つの半島国家の偵察機とスクランブル発進した自軍のS10戦闘機が交戦し、被弾するという事案が発生した為だ 「陸地が現れたと聞いたときは耳がおかしくなったのかと思ったが、まさか本当のことだったとは…」 首都防衛隊にも待機命令が出ている。シベリアに行く筈だった少佐の部隊も現在待機中だ 「しかし相手の戦闘機が一昔前の日本の旧式戦闘機に似ている…か」 現在日本空海軍の主力機は全てが第五世代ステルス戦闘機 一部第六世代機だと噂されている未知の戦闘機も確認されていたし、第九世代KMFの噂も耳にしていたが、日本なら世界に先駆けて開発していてもおかしくはない 「技術」の二つ名は伊達じゃないからだ 日本の第四世代機は同じ世代でも高麗の持つ主力機S10より強い。それと同じような機体が西方の半島国家にあるならそれだけで脅威だ そのうえ釜山港に入港してきて拿捕された揚陸艦もある。あれの乗組員の話が本当なら、異世界からやってきた未知の技術体系を持つ国かもしれないのだ 現にあの揚陸艦は石油燃料を元に動いていた。世界中どこを探しても石油を動力源とする船など存在しない 「政府はなんと?」 「いきなりやってきて領空侵領海侵犯しただけに止まらず、攻撃までしてきた蛮族を許すなと」 蛮族か、清の侵略戦争に荷担している我が国も人のことは言えんだろう。それに石油が主要エネルギーだとすれば補給が絶望的であることを意味する (我が国も侵略戦争を始めるかもしれん) どれだけ強力な兵器でも燃料がなくなればただの鉄屑だ。それなら勝てると踏んだ政府が生存権拡大を図ったとしてもおかしなことではない そうなれば政府が言う蛮族は自分たちを指す言葉に早変わりだ 「いかんな」 やや自虐的になってしまった 「少佐?」 「いや、なんでもない。お前もいまの内に休んでおけ、もし西方の半島国家と揉めれば我々が最前線に立つことも十分あり得るからな」 上層部に睨まれているが故に最前線に送られる可能性が高い少佐は「EUや日本とやることを考えればまだましか」と呟き、日本製のPCでネットにある第二高麗半島の情報を読みふけっていた 大韓民国首都ソウル及び釜山 「領空侵犯した野蛮人を許すな!独島を強奪した泥棒に鉄槌を!」 「東に現れた陸地は元々韓国の領海だ!陸地は韓国領として併合すべきだ!」 ソウルの中心部では年配者・若者区別なく入り交じって声を張り上げながらデモ行進していた 先日東の陸地から飛来した戦闘機と韓国空軍F15Kの交戦は元より、揚陸艦独島拿捕の情報は無線を通じて韓国側も知るところとなり 原発暴走問題から目を逸らせる為に利用されていた おかげで国民には古里原発が制御不能に陥っている事実を知られずに済み政府批判を避けることができた だが国民感情の高まりで「神聖な韓国領に無断で侵入してきた蛮族を叩き潰し東の地を併合しろ」の声が時間と共に大きくなっている 574 :二二三:2013/03/17(日) 12 57 01 そんな安心の平常運転をしている韓国釜山沖合いの海中に一隻の大型潜水艦はいた 「さすがはステルス潜水艦鬼666だな、こんな近くの海中にいても韓国軍には毛ほども気付かれてない」 特殊任務部隊所属のステルス潜水艦オーメンの艦長はこれを開発した自国の技術力の高さに感嘆の声をあげていた 彼らが釜山沖合いにいるのは言わずと知れた暴走する古里原発の四基の原子炉を消し飛ばす為だ 既にフレイヤ弾頭を装備したKMF三騎がスタンバイしている 「しかし私がフレイヤ弾頭を他国に撃ち込むことになるとはな」 大日本帝国陸軍大佐・藤堂鏡志朗は乗り込んだ第八世代相当のKMFカラミティのコックピットで憂鬱な声をあげていた オーメンの艦長とは偉い差だ、彼としてはフレイヤ弾という強力極まりない破壊力を持つ兵器の使用に若干抵抗があったのである 二段式のリミッターで影響範囲はかなり搾られていたが、それでも影響範囲の空間内全てを消滅させるのだから今までの兵器概念を覆してあまりある超兵器であった これを保有し実践配備しているのは日本とブリタニアの二国のみ。世界を引き離す自国と同盟国の高度な科学技術力が生んだクリーン兵器 謳い文句は素晴らしいがブリタニアで行われた起爆実験を見たことがある藤堂としては、できることなら使いたくなかったのである 「だが日本を護る為だ、致し方ないか…」 僚機であるフォビドゥンとレイダーに騎乗する直属の部下、朝比奈昇吾と仙波崚河から無線が入る 〔そうですよ藤堂大佐!我々がやらなければ日本に毒性物質がばら蒔かれるんですから!〕 〔日本を護りましょう〕 「そうだな、これも日本を敷いては世界を護る為だ」 気を引き締める藤堂たちにオーメン艦長から浮上するぞと連絡が入った 「了解した!」 夜の闇に紛れて海上に浮上した巨大なステルス潜水艦オーメンの上部甲板ハッチが開く 「藤堂鏡志朗!カラミティ出るぞ!」 「朝比奈昇吾!フォビドゥン出ます!」 「仙波崚河!レイダー出る!」 ハッチから飛び出す三騎の第八世代KMF。藤堂機カラミティは両肩に巨大な砲塔と左手には機体の全高とほぼ同じ5mにも達するランチャーを装備していた 朝比奈機であるフォビドゥンは広い肩幅と死神を思わせる鎌状のMVSが特徴的で、こちらもランチャーを装備している 仙波機レイダーは飛翔すると同時に人形から戦闘機のような姿に変形してカラミティ・フォビドゥンの周りを飛び敵機来襲に備えた 彼ら三騎の全天モニターには数キロ先にある四つの建造物が映し出されていた 「あんな箱、発電施設が人体を破壊する物質をばら蒔くとは信じられんな」 専門家ではない藤堂にはどういった原理なのか皆目検討がつかなかった。だかやることは決まっている 「いくぞ朝比奈!」 「はい!」 カラミティとフォビドゥンが巨大なランチャーを四つの箱に向けて構えた レイダーは上空で第二高麗軍のスクランブル発進に備えながら二機のKMFを見守っている 「キャノンギミック展開!」 そして今 「照準、前方原子力発電施設!」 藤堂と朝比奈は目標確認後、最近軍の一部で流行っている決め台詞を叫びながら全てを消し去る為のトリガーを引いた 「「蒼き清浄なる世界の為にっっ!!」」 カラミティ・フォビドゥンのランチャーから発射された二つの光弾は狙いたがわず古里原発へと突き進む 蒼き清浄なるこの世界を護るために 575 :二二三:2013/03/17(日) 13 00 18 古里原子力発電所 「なんだあれは!?」 逃げ出した原発職員に代わった原子炉冷却の任にあたっていた消防隊員は、海上から向かってくる二つの光を目撃した 「応援なのか!?」 作業の手を止めて上空を見上げる隊員 「手を止めるな!作業にもどれ!」 それを見ていた隊長からの叱責が飛ぶ。いまは他のことに気を取られている場合ではない。気を抜いたが最後、この地獄の釜は大爆発を起こして災厄を撒き散らすのだから 「絶対に停めてやる」 消防隊員たちの士気は高い。自分たちが逃げ出せば多くの同胞の命が奪われる。だから逃げ出すわけにはいかない それぞれ考え方に違いはあれど、皆の思いはただ一つ「同胞を護る!」というもの そんな彼らの思いは届いた 皮肉なことに彼らが忌み嫌う日本人の手によって彼らの願いは叶えられたのだ。その命と引き換えに……。 古里原子力発電所上空に到達した瞬間、光を失い不発に終わったかと見えたフレイヤ弾頭は、目が焼かれるかのような光輪を放ちながら、爆発的な勢いで光を膨張させていく その光に包まれた弾道ミサイルの直撃にさえ耐えられる堅牢な作りの格納容器は一瞬にして分解され、足元で作業をする消防隊員は愚か、地表もろともこの世から消滅した 発生したフレイヤの光は一気に拡張。二段式リミッターの限界である半径ニキロの光球を生み出し、範囲に包まれた人、動物、建物、地面、あらゆる物質を飲み込んで原子の塵へと分解し、やがて唐突に消え失せる そして全てが終わったあとには綺麗に切り取ったかのような直径三キロのクレーターだけが残され、 古里原発事故という本来なら歴史にその名を刻むであろう大事故は、存在と共に一瞬にして歴史から抹消されてしまったのであった
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/16.html
第2章 満州 記述 支那の他の部分及露西亜との関係 1、記述 満州は支那に於いては東三省として知らるる広汎且豊穣なる地域にして僅々40年以前にはほとんど開発せられ居らず現在に於いてすら猶人口稀薄なるを以て支那及日本の過剰人口問題解決に益々重大なる役割を演ずるに至れり。数百万の窮乏せる農民は山東省及河北省より満州に流入せる一方、製品及資本は日本より同地方に輸出せられ食糧及原料と交換せられたり。斯くの如く満州は支那及日本の各自の必要に応ずることに依りて日支双方の有力なる伴侶たる実を挙げたり。即ち日本の活動なくんば満州は斯くの如き大なる人口を誘致且収容し得さりしなるへく又支那農民及労働者の移住なくんば満州は斯くも急速に発展し以て日本に対し市場並食糧肥料及原料を供給すること能はさりなるべし。 然れども他国の協力に依倚すること多大なる満州は上述の理由に依り先ず日露の間に於いて次いで支那及其の2強隣邦間に於ける紛争の地域となるの運命を有したり。当初満州は之等政策の大衝突の地域たるに止まり満州の占拠に依り極東政治を支配し得るものと考えられたるか其の後満州の農業、鉱業及林業上の資源発見せらるるに及び満州其のものを垂涎せらるるに至れり。先ずロシアは支那の犠牲に於いて特殊の条約上の権利を獲得したるが其の南満州に関するものは後日日本に譲渡せられ而も斯くの如くにして獲得せられたる特権は其後南満州の経済的開発を促進する手段として行使せられたり。軍略上の理由は依然として重要なるものあるもロシア及日本は夫々満州開発に積極的に従事し広汎なる経済的利益を得たる為其の外交政策を固持すること益々甚だしきに至れり。支那は当初開発の方面に活動することなく殆ど満州を其の支配よりロシアの手に移さむとせり。而して満州における支那の主権を再び確認せる「ポーツマス」条約後に於いても同地方開発にあたれるロシア及日本の経済的活動は支那の夫れに比しより顕著に世界の目に映じたり。此の間数百万の支那農民移住したるが右は将来に於ける土地所有の根拠をなせるものにして事実平和的にして目立たざるも実質的なものなりき。ロシア及日本が北満及南満に於ける各自の勢力範囲の設定に従事せる間に支那農民は土地を所有するに至り今や満州は正しく支那のものなり。斯かる状態に於いて支那は再び其の主権を主張するの好機会を待望することを得たるが1917年のロシア革命は北満に於いて支那に此の機会を与えたり。支那は過去久きに亙り等閑に附し居たる地方の開発及当地に一層積極的活動を開始し近年に於いては南満州に於ける日本の勢力を減少せしむと試みたるが右政策の結果軋轢高まり遂に1931年9月18日其の頂点に達せり。 全人口は約3千万と算せられ其の中二千八百万は支那人及同化せる満州人なりと称せらる。朝鮮人の数は八十万にして其の大部分は朝鮮国境の所謂間島地方に集合し爾余の者は満州に広く分布す。蒙古種族は内蒙古に接する牧地に居住し其の数少なし。満州に於けるロシア人は約十五万ある模様なるが其の大部分は東支鉄道沿線地方特に哈爾賓に在り。約二十三万の日本人は南満州鉄道沿線の居留地及関東州租借地(遼東半島)に主として集中し居れり。満州に於ける日本人ロシア人及其の他の外国人(朝鮮人を除く)は40万を超過せず。 満州は仏蘭西及独逸を合したる大きさの面積を存する広大なる地域にして約三十八万平方哩と算せらる。支那に於いては之を常に「東三省」と称す蓋し其の行政区画は南部に遼寧(奉天)、東部に吉林、北部に黒龍江の三省に分たるるを以てなり。遼寧は面積七万平方哩、吉林は十万平方哩、黒龍江は二十万平方哩以上と算せらる。 満州は其の特性大陸的なり而して東南部に長白山脈、西北部に大興安山脈の2山脈あり。右両山脈間に満州大平原横はり其の北部は松花江盆地に南部は遼河盆地に属す。右両盆地の分水界は歴史的に争闘重要なるものなるが満州平原を南北2つに分かつ一つの山脈なり。満州は西は河北省及内外蒙古に境を接す。内蒙古は以前3個の特別行政地域即熱河察哈爾及綏遠に分かれ何れも1928年国民政府に依り省としての完全なる地位を賦与せられたり。内蒙古特に熱河は常に満州と関係を保ち満州問題に多少の影響を与え居れり。満州は其の西北、東北、及東に於いては「ソ」連邦の西伯利亜に、東南に於いては朝鮮に境し南に於いては黄海に臨む。遼東半島の南端は1905年以来日本に保有せられ其の面積千三百平方哩を超え日本の租借地として統治せらる。加之日本は租借地外に亙り南満州鉄道を敷設せる狭き地帯に対し或種の権利を行使す。右地帯の全面積は僅々百八平方哩なるも線路の長さは六百九十里に達す。 満州の地味は一般に豊穣なるも其の開発は交通の利便に左右せられ多数の重要都市は河川及鉄道に沿いて繁栄す。過去に於ける開発は大体河川系統に頼りしものなるが右河川系統は鉄道が交通機関として第1位を占むるに至れる今日に於いても依然として甚だ重要なり。大豆、高粱、小麦、粟、大麦、米、燕麦の如き重要穀物産額は15年間に倍加し1929年此の種穀産物は八億七千六百万「ブッシェル」以上と算せられたり。1931年の満州年鑑所掲の算定に依れば1929年には全面積の28.4%は耕作し得るに拘らず僅々12.6%開墾せられ居るに過ぎず従って経済状態改善せらるるに於いては将来生産額の著しき増大を期待し得べきが如し。1928年度に於ける満州の農産物の全価格は一億三千万金ポンド以上と算せられ其の大部分は輸出せらる。絹紬又は柞蚕亦満州の他の重要輸出品なり。 山岳地方は木材及鉱物殊に石炭豊富なる。鉄及金の鉱床も存在すとせられ他方良質の油頁岩、白雲石、菱苦土石、耐火粘土、滑石珪土も多量に発見せられたり。従って鉱業は極めて有望なりと期待せらる。(第8章並びに本報告書付属の特別研究第2及第3参照) 2、支那の他の部分との関係 満州は有史以来各種「ツングース」族居住し蒙古韃靼人と自由に雑居したるが優越せる文明を有する支那移住民の影響を受け団結心に目覚め数個の王国を建設し此等王国は時に満州の大部分並びに支那及朝鮮の北部地方を支配せり。殊に遼、金及清朝は支那の大部分又は全部を征服し数世紀間之を支配したり。一方支那は有力なる皇帝の下に北方の侵入を防止し之に代わりて自ら満州の大部分に其の主権を樹立するを得たり。移住支那人の植民は古代より行われ周囲の地方に支那文化の影響に及ぼしたる支那人の都邑は同じく古代より存在せり。即ち二千年間永久的の拠所維持せられ支那文化は満州の極南部に於いて常に行われたるが右文化の影響は事実上満州全体に其の権力を振へる明朝(1368-1644)の統治中極めて強大となりたり。満州人が1616年満州における明朝の施政を覆し1628年万里の長城を越えて支那を征服せる以前既に満州人の間には支那文化普及し著しく支那人に同化せられたり。満州軍中には多数の支那人ありて旗として知らるる別個の部隊に編成せられたり。 右征服後清朝は支那の重要都市に守備兵を置き満州人の一定職業に従事するを禁じ満州人支那人間の結婚を禁止し支那人の満州及蒙古移住を制限せり。右の措置は人種的差別よりは寧ろ政治的差別に基づき清朝の永久的支配を擁護するの目的に出でたるものなり。而して右措置は多数の支那旗人には及ばず彼等は事実上満州人同様の特権的地位を享有せり。 満州人及其の味方たる支那人の出境は満州の人口を著しく減少せしめたるも南部に於いては支那人の部落は依然として存在し右部落より少数の移住者は奉天省の中央部を横断して分散せり。而して其の数は排斥法を潜るに成功し又は時々同法の変改を利して支那より絶えず移住民入込める為増加したり。満州人及支那人は益々同化し支那語は実質上満州語に代わるに至れり。尤も蒙古人は同化せられず之等移住民の為奥地に後退せしめられたり。最後に北方よりするロシア人の南下を阻止する為清朝政府は支那移住民を奨励するに決し1878年満州各地を開放し且移住民に各種の奨励を与えたる結果1911年の支那革命当時満州の人口は千八百万と算せられたり。 1907年即退位の数年前清朝は満州に於ける施政を改革することに決定せり。満州各省は従前独自の政体を有する関外領域として統治せられ、省行政を考試も及第せる学者の手に委する支那の慣例は満州に於いては行われずして純粋なる軍政施れ、右軍政の下に満州官吏及慣習維持せられたり。支那に於いては官吏は其の出生せる省に於いては官職に就くを許されざりき。満州各省には督軍ありて軍事のみならず一切の施政に付き完全なる権力を行使したるが後に至り文武政の分離試みられたるもその結果は満足ならざりき。依て1907年右の試は放棄せられ特に外交政策の方面に於ける権力集中の目的を以て3名の督軍に代ふるに全満州に対する総督を必くこととし総督の監督の下に省長省行政を掌りたり。右改組は支那の省政府組織を招来せる後日の行政改革の為路を開きたるものなり。清朝の右最後の措置は1907年以後満州の政治を掌れる有能なる為政家に依り大なる効果を収めたり。 1911年革命起こるや共和政体に賛せざる満州官憲は後日満州及北支の独裁官となるに至りたる張作霖に対し革命軍の前進阻止を命じ以て内乱の騒擾より此等の省を救うに成功したり。共和国建設せらるるや満州官憲は既成事実を受諾し進んで共和国第1大統領に選任せられたる袁世凱の統率に従いたり。各省には省長及督軍任命せられたるが満州に於いては支那の他の部分と同様督軍は忽ち同僚たる省長を無力の者たらしめたり。 1916年張作霖奉天省督軍に任命せられ同時に省長の職を執りたるが其の実力の及ぶ所は遥かに大なりき。対独宣戦の問題起こるや彼は支那将領と共に之に反対せる会議の解散を要求せり。而して右要求大統領に依り拒絶せらるるや彼は奉天省は北京中央政府に対する功績に依り東三省巡撫使に任せられたり。斯くして満州は再び特別の制度を有する一つの行政単位となりたり。 張作霖は中央政府の与えたる顕職を受領したるも其の態度は変転常なき中央政府の支配者たる軍閥との個人的関係の如何に依り変化せり。彼は自己と政府との関係を視るに個人的同盟の意味を以てしたるものの如し。1922年7月其の権力を長城以内に樹立するに失敗し其の政敵北京政府を支配したる際彼は中央政府に対する忠誠を廃棄し満州において行動の完全なる独立を維持し遂には其の権力を長城以南に及ぼし北京の支配者となりたり。彼は外国の権利を尊重するの意あるを表明し支那の義務を承認したるも外国に対し満州に関する一切の事項に付いては今後自己の政府と直接交渉せむることを要求せり。 依て彼は1924年5月31日露支協定が支那に有利なるに拘らず之を廃棄し1924年9月ソ連邦を説き之と別個の協定を締結せるが右は1924年5月31日の中央政府との協定と実質的に同一なり。右の事実は張作霖が内外政策に関し完全なる行動の自由を固持せることを明証するものなり。 1924年彼は再び支那に侵入したるが馮玉祥将軍(クリスチャン将軍)が其の上官呉佩孚将軍(現在元帥)を戦闘の最も重要なる時期に裏切りたる為成功せり。其の結果中央政府は忽(タチマ)ち転覆し南方上海に至る迄張元帥の勢力拡大せり。 1925年張元帥は又々武力に訴え其の同盟者たる馮将軍に対抗せり。此の戦闘に於いて彼の部下の将軍の一人郭松齢は最も重要なる時機に際し彼を裏切り馮将軍に味方せり。 1925年11月の郭松齢の叛逆はソ連邦及日本にも関係し前者の行動は間接に馮将軍に有利して後者の夫れは張元帥に有利なりしを以て単に一時的の問題たるに止まらざりき。郭松齢は元帥の部下たりしに拘らず社会改革に関し馮将軍と見解を同じくし上官の没落が内乱終息に必要なりとの信念より彼に対し鋒を逆にせるものなり。右叛逆は元帥を甚だしく危機に陥れたり。郭松齢は鉄道の西方の地域を占領し居り元帥は著しく減少せる兵力を擁し奉天に在りたるが此の時日本は南満州に於ける自己の利益より南満州鉄道の両側に各20支里(7哩)の中立地帯を宣言し軍隊の之を通過することを禁止したり。右は郭松齢の元帥に対し進軍するを妨げ黒龍江より援軍到着の余裕を与えたり。援軍は現金を以て運賃を支払はざる限り鉄道輸送の許可を拒否せる「ソビエト」鉄道吏員の行動に依り遅延したるも他の行路に依り進むことを得たり。右援軍の到着及多少とも日本の与えたる公然の援助は戦闘を元帥に有利に導き郭松齢は敗北し馮将軍は後退を余儀なくせられ北京を張元帥の為遺棄したり。張元帥は右の際に於ける東支鉄道吏員の行動を憤り該鉄道の権利を絶えず侵犯し以て報復余す所なかりき。右事件の与えたる経験は彼をして満州三省の首都を連絡する独立の鉄道網を建設せしめたる重要なる要因たるの観あり。 張作霖元帥が時を異にし宣言せる独立なるものは彼又は満州の人民が支那との分離を希望せることを意味せるものには非ず。彼の軍隊は支那が恰も外国なるかの如く之を侵略したるに非ずして単に内戦に参加したるに過ぎず。他省の軍閥と同様元帥は或は援助し或は攻撃し又は其の領域を中央政府より独立せるものと宣言したるも右は支那を個々の国家に分割するに至るが如き遣方にて為されたるに非す之に反し支那の内乱の多くは真に強力なる政府の下に同国を統一せむとする何等かの大計画に直接又は間接関係あるものなりて従って一切の戦争及「独立」の期間を通し満州は終始支那の完全なる一部たりしなり。 呉佩孚に対する戦争に於いて張作霖及国民党は同盟せるに拘らず前者自身は国民党の主義を承認せざりき彼は孫博士の希望せる如き憲法は支那人民の精神と調和するものとは見受けられざりしを以て之を是認せざりき。 然れ共張は支那の統一を希望せり。而して満州に於けるソ連邦及日本の利益範囲に対する張の政策は出来得べくんば両者を一層せんと欲したるを示せり。ソ連邦の範囲に関しては張は右政策の実行に殆ど成功し又南満州鉄道を同鉄道の培養地域の或部分より切断する結果を生ずべき上述の鉄道建設政策に着手したり。張が満州に於ける日ソ両国の利益に対し斯かる態度に出でたるは一は張が其の日ソ両国との関係に於ける自己の権威の制限を堪え難しとせると、他は張が支那における外国人の特権的地位に関し各種の支那世論と共に感じたる憤怨に因るべし。事実1924年11月張は孫博士を改革会議に招請したる処同博士は会議議題中に生活標準の改善、国民会議支召集及不平等条約の廃棄を包含せしめんことを求めたり。右会議は博士の重患に陥りたる結果開催を見ずして止みたるが、右孫博士の提議は孫張と元帥との間に一脈の諒解の相通ずるものあり、且両者の間に支那外交政策に関し合意の基礎を求め得べかりしを想はしむ。 張作霖元帥は其の晩年に於いては日本に対し日本が各種の条約及取極に依り取得せる特権の利益を漸次容認せざる意向を示すに至れり。日本との関係は特に稍緊張したり支那における党派的闘争に関係せず専ら力を満州の開発に用ふべしとの日本の忠告に対し張は憤怨を感じ之を無視したるが、其の子張学良亦彼に倣へり。馮将軍敗北後張作霖は大元帥の称号の下に北方軍閥同盟の盟主と成れり。 1928年張は第1章に説述せる北伐に際し国民党軍の為敗られ、日本より早きに及んで其の軍隊を満州に引揚ぐべき旨勧告せられたり。日本の目的は当時言明したる如く戦捷軍に追撃せられたる敗残兵の遁入に依り満州が内乱の災禍に投ぜらるることを防止せんとするに在りたる。 右勧告に対し元帥は憤慨したるも結局之に従うの他なかりき。張は1928年6月3日北平(先の北京)より奉天に向け出発したる処翌日奉天市外即京奉線が南満州鉄道線の鉄橋下を通過する地点に於いて爆裂の為其の搭乗せる列車破壊せられ死亡せり。 右殺害の責任は今日迄確定せられず。惨事は神秘の幕に蔽われ居れるも当時右事件に日本が共謀したるやの嫌疑起こり既に緊張し居たる日支関係に一段の緊張を加ふる原因となれり。 張作霖の死後其の子張学良は満州の支配者と為れり。学良は新時代の国民的要望を多分に有したるを以て内乱を中止し国民党の統一政策を援助せんと欲したるが既に国民党の政策及傾向に付多少の経験を有したる日本は斯かる勢力が満州に浸透せんとする形勢は之を歓迎せざりき。日本は若き元帥に対し右の趣旨を勧告する所ありたるが彼は父と同じく斯かる勧告を不快とし自己の判断に従うべく決心せり。 斯くて彼と国民党及南京との関係は緊密を加え1928年12月彼は易幟を行い中央政府に対する中順を宣言し東北辺防軍総司令に任ぜらるると共に内蒙古の一部約六万平方哩の面積を有する熱河を加えたる満州政権の長官たることを確認せられたり。 満州が国民党支那と合体せる結果満州の行政組織は中央政府の夫れに近似する様多少の変更を必要とするに至り委員会制度採用せられ民党の各級支部設立せられたるが事実は従来の通旧制度の下に旧人物活動せり。支那に於いて不断に行われたる如き国民党支部の地方行政に対する干渉は満州に於いては容認せられず総ての主要文武官憲は国民党員たるべしとの規定は単なる形式として取扱われ軍事、政務、財務、外交等総ての問題に付中央政府との関係は満州側の自発的協力を必要とせり。無条件服従を要求するが如き命令又は訓令は容認せられざりしなるべく満州官憲の意に反したる任免の如きは想像し得られざりき。政府及党の問題に関する右の如き行動の独立は支那の其の他の各地方に於いても存したるが斯かる場合総ての重要なる任命は地方官憲に依りて行われ中央政府は単に之を確認するに止まれり。 外交政策の範囲に於いては地方官憲は依然多大の行動の自由を有したるに相違なきも然も満州と国民政府との合体は相当重要なる結果を招来せり。東支鉄道の満州に於ける地位に対する張作霖元帥の執拗なる攻撃及日本の要求せる或る種の権利に対する無視は満州に於いては既に国民党との合体以前より「進取政策」の採用せられ居たることを示すものなるが国民党との合体後は満州は同党の良く組織せられたる且系統的なる宣伝に解放せられたり。同党は其の公式の印刷物に於いて又同党と関係深き多数の機関紙において常に喪失主権回復の極めて重要なること、不平等条約の廃棄、帝国主義の邪悪を強調するを止めざりき。支那の領土上に於ける外国の利益、裁判所、警察、警備兵又は軍隊の実体が明白なる満州に於いて斯かる宣伝が深き印象を与えたるは必然なり。国民党の宣伝は同党の教科書に依り学校に侵入し又遼寧人民外交協会の如き協会出現して国民主義的感情を鼓舞強調すると共に抗日煽動を実行し又支那人家主及地主に対しては日本人及朝鮮人たる借人への賃貸料の引上げ又は賃貸契約の更新拒絶を強要したり(本報告書付属の特別研究第9号参照)。日本人は当委員会に対し多数の此の種事件を訴え来れり。朝鮮人移民は組織的迫害を蒙れり。諸種の抗日的命令及訓令発せられ軋轢の機会は重なる緊張加れり。1931年3月各省首都に国民党省党部設立せられ続いて其の他の都市及地方に支部の設立を見たり。党の宣伝員にして支那より北上し来る者は次第に其の数を加え日本人は抗日運動の日に激化するのを嘆きたり。 1931年4月、奉天に於いて人民外交協会後援の下に5日間の会議開催せられ満州各地よりの代表者三百余名之に参加し満州に於ける日本の地位一掃の可能性に付討議せられたるか其の決議の中には南満州鉄道回復の一項を含めり。当時ソ連邦及其の市民亦右同様の傾向に悩まされたるか一方白露人は何等返還すべき主権又は例外的特権を有せざるに係らず屈辱的虐待を蒙れり。 内政問題に関しては満州官憲はその欲する権力をことごとく保持したり。而して其の権力の根本に触れざる限り彼等は中央政府の採用せる行政規則及方法に異議なかりき。 国民政府との合体後間もなく奉天に東北政務委員会設立せられたるが右は中央政府の名目的監督の下にある東北諸省の最高行政官憲なりき。同委員会は13名より成り其の中1名を委員長に選べり。同委員会は遼寧、吉林、黒龍江及熱河の4省並びに1922年以来東支鉄道の行政管轄下に帰せる所謂特別区の政府の活動を指揮監督する責に任したり。同委員会は特に中央政府に留保せられたる以外のあらゆる事項を処理し且中央政府の法律規則に抵触せざる如何なる措置をも執り得るの権限を有し省及特別区の政府は右委員会の決定を実施するの義務ありたり。 各省の行政組織は支那の其の他の地方に於いて採用せられたる組織と根本的には相異する所なきも満州を一行政単位として維持せんが為に特権を保持せること最も重要なる差異なり。尤も右特権無かりせば満州側の自発的合体は恐らく行われざりしなるべし。事実満州に於いては外部的変更に係らず旧事態引続き存在せり。満州当局は従来の如く其の権力が南京より来るよりも遥かに多く彼等の軍隊より来るものなることを認識せり。 右事実は約25万に上る大常備軍維持せられ又2億ドル(銀)以上を費やしたりと伝えらるる大兵工廠の保持せられ居ることを説明するものなり。軍事費は全経費の80%に達したりと推計せられ其の残額を以て行政、警察、司法及教育の費用を支弁するに足らぬ又国庫は官憲に対し適当なる俸給を支給する能はざりき。而してあらゆる権力は少数軍人の手に帰したるを以て官職は彼等の手を通してのみ得られ斯かる事態の避け難き結果として親戚特寵、腐敗、悪政は跡を断たざりき。当委員会は右悪政に対する甚大の不平が広く各地に存するを認めたり。尤も右事態は満州に特有のものには非ざりしものにして支那の其の他の地方にも同様乃至更に悪化せる事態存在せり。 軍隊給養の為には重税を課するの要ありたるが通常収入にてはなお不足せるを以て当局は省政府不換紙幣の価値を著々下落せしむることに依り更に人民に課税せり(本報告書付属の特別研究第4号及第5号参照)。右政策は殊に最近に於いて既に1930年頃に殆ど独占的となり居たる「豆類公買」に関連して行われたり。満州重要産物の管理権を取得することに依り当局は外国の豆類買入業者就中日本人に対し高値買入を強い以って其の収入を増大せんと欲したるが斯かる取引は当局が如何なる程度に銀行及商業を管理したるやを示すものなり。官吏は又同様にあらゆる私的企業に自由に従事し其の権力を利用して自己及その寵愛者の為に富を蒐めたり。 1931年9月の事件以前の満州に於ける行政が不完全なりしは事実とするも同地方の或る部分に於ては行政改善の努力行われ殊に教育の進歩、都市行政及公共事業の方面に於いて若干の効果挙がりたることは之を認めざるべからず。此の時代において張作霖元帥及張学良元帥の行政の下に満州の経済資源の開発及組織に関し支那人民及支那の利益が従来よりも遥かに大なる役割を演ずるに至りたる事実は特にここに強調するの要あり(第8章及本報告書付属の特別研究第3号参照)。 既述せる如く支那移民の増加は満州と支那の其の他の地方との経済的及社会的関係の発展に貢献したり。然れ共右殖民以外に此の時代に於いて日本の資本に関係なき支那鉄道殊に奉天海龍鉄道、打通鉄道(京奉線支線)「チチハル」克山鉄道、呼倫海倫鉄道建設せられ又萌蘆島築港計画、遼河改修事業及諸河川に於ける航行事業の開始を見たり。支那官民の多数は此等企業に参加するに至り鉱山業に於いては本渓湖、ボクリョウ、札賓及老頭溝炭鉱に関係を持ち其の他諸鉱山の開発に付単独責任を有したるが此等鉱山の多くは官立東北鉱業公司の指揮の下に採掘せられたり。支那人は猶黒龍江省の採金事業にも利益を有したり。森林業に関しては支那人は鴨緑江採木公司に於いて日本人との共同の利益を有し猶黒龍江省及吉林省に於いて伐木事業に従事せり。満州各地に農事試験場開設せられ農業組合及灌漑計画奨励せられたり。最後に支那人の資本は製粉及織物工業、ハルピンに於ける豆、油及小麦製粉事業。マユ(だと思う。文字が化けるため表記不能)及祚蚕絹、木綿及羊毛の紡績及製織工場に投ぜられたり。 満州と支那の其の他の各地方との間の貿易亦増大せり(第8章及本報告書付属の特別研究第6号参照)。右貿易は一部分支那の銀行就中満州の主要都市に支店を設けたる中国銀行に依りて金融を受けたり。支那汽船及「ジャンク」は支那本部と大連、営口(牛荘)及安東との間を往復したるが其の運輸貨物量漸増し満州海運業界に於ては日本のトン数に次第2位を占めたり。支那保険業も漸次増加の趨勢に在り又支那海関対満が貿易に依り取得する収入は増加しつつありたり。斯くの如く日支衝突以前に於いては満州と支那の其の他の各地方との政治的及経済的連繋は漸次強固を加えつつありたり右漸増しつつありたる相互依存関係は満州及南京に於ける支那人指導者をしてロシア及日本の取得せる権益排除を目的とせる国民主義的政策を益々実行せしむるに與て力ありたり。 3、対露関係 1894-95年の日清戦争は其の後の事件の立証せる如くロシアをして表面上は支那の為に而して事実上は自己の利益の為に支那に対し干渉を為すの機会を与えたり。日本は1895年、下関条約に依りて日本に譲渡せられたる南満州に於ける遼東半島を外交上の圧迫に依り支那に返還するの余儀なきに至りたるかロシアは日本が支那に課したる戦争償金の支払に付支那を援助したり。1896年、露支両国間に防守同盟密約締結せられ同年ロシアは上述の対支援助の報償として満州を横断して「チタ」よりウラジオストックに至る直通線をシベリア横断鉄道の支線として建設する権利を獲得したり。同線は日本が再び支那を攻撃したる場合にロシア軍隊を東部に輸送するの必要に出でたりと称せられたるが露清銀行(後の露亜銀行)は本計画の官的色彩を多少隠蔽せんが為に設立せられたり。同銀行は本件鉄道の建設及運輸の為に東支鉄道会社を設立したり。1896年9月8日、露清銀行と支那政府との間に締結せられたる契約の条項に依れば東支鉄道会社は本件鉄道を建設し80年間之を運転すべきものにして其の期間満了後は無償にて支那の所有に帰すべきものなるが支那は30年後に於いて協定せらるべき価格を以って之を買収するの権利を有したり。契約期間中は鉄道会社は其の土地に対し絶対的排他的の行政権を有すべきものなりしが本条項はロシアに依りて契約の其の他の諸条項が許与せりと認めらるるより遥かに広義に解釈せられたり。支那はロシアが契約の範囲を常に拡大せんと試みつつあるに対し抗議したるも之を阻止する能はざりきロシアは東支鉄道の地域内に於いて其の鉄道都市の急激なる発達に伴い主権にも等しき権利を行使するに漸次成功したり。猶支那は鉄道の必要とする総ての政府所有地を無償にて引渡すに同意したるが私有地は時価を以って買上げ得ることとしたり。鉄道会社は更に同社に必要なる電信線を建設運用することをも許与せられたり。 ロシアは1898年、かつて日本が1895年放棄を余儀なからしめたる遼東半島の南部に対し25ヶ年間の租借権を得ると共に東支鉄道を哈爾賓より、租借地内の旅順及「ダルニー」(現在の大連)に連結するの権利をも取得したり。右支線の通過地方に於いて鉄道会社は列車用として伐木採炭の権利を認められ又1896年9月8日の契約の各条項は新支線にも適用せられたる。ロシアは租借地内においては自由に関税を取極むることを許され1899年ダルニーは自由港たるべき旨声明せられ外国の船舶及貿易に開放せられたり。右支線の通貨地域内に於いては如何なる鉄道特権も他国臣民には許与せらるるを得ず且租借地北方の中立地帯に於いては如何なる港も外国貿易に開かるることなく又ロシアの同意なくしては如何なる特許特権をも許与せらるべからざりき。 1900年露国は匪団の蜂起が露国臣民を危殆ならしめたることを理由として満州を占領せり。他の諸国は之に抗議し且露国軍隊の撤退を要求したるも、露国は右の措置を執ることを遷延せり。1901年2月露支秘密条約案「セント・ピータースブルグ」に於て討議せられたるが、其の条項に依れば支那は、満州に於ける其の行政権を回収し、之が代償として、露国が1896年の基礎契約第6条に基づき樹立せる鉄道守備隊の維持を承認すること及他の諸国又は其の臣民に対し露国の同意なくして満州、蒙古及新疆に於ける鉱山又は他の利益を譲渡せざることを約することとせり。該条約案の右条項及他の数条項周知せらるるに及び、支那及他の諸国に於いて世論の反対を惹起し、1901年4月3日露国政府は右計画は撤回せられたる旨の回章を発したり。 日本は右策動を注視し来りたり。1902年1月30日、日本は日英同盟条約を締結したるを以て一層自国の安固なるを覚えたり。然れども日本は依然露国が朝鮮及満州に侵略し来ることあるべきを懸念したり。従って日本は他の諸国と共に満州に於ける露国軍隊の撤退を要求せり。露国は自国のものに非る企業に対し事実上満州及蒙古を閉鎖するに至るべき条件の下に撤退に異存なきことを宣言せり。露国の圧迫は朝鮮に於いても亦増大せり。1902年7月露国軍隊は鴨緑江の河口に現れたり。其の他数多の行為は日本をして露国が日本の生存に対する脅威に非ずとするも日本の利益に対する脅威たる政策を執るに決したりと信ぜしめたり。1903年7月、日本は門戸開放主義の維持及支那の領土保全に関し露国と商議を開始したるが何等成功を見ざりしを以て1904年2月10日開戦せり。支那は中立を保ちたり。 露国は敗退せり。1905年9月3日、露国は「ポーツマス」条約を締結し之に依り日本の為に南満州に於ける其の特殊権益を放棄せり。租借地及租借に関係せる一切の権利は日本に譲渡せられ同時に旅順口長春間の鉄道及其の支線並びに右鉄道に附し又は右鉄道の利益の為に経営せらるる右地域内の一切の炭鉱も亦日本に譲渡せられたり。両当事国は租借地を除き、各自の軍隊に於いて占領し又は其の管理の下に在る満州全部を挙げて全然支那専属の行政に還付することに同意せり。両国は満州に於ける各自の鉄道線路を保護せんが為(特定条件に基づき)守備兵を維持するの権利を留保し、右守備兵の数は1km毎に15名を超過することを得ずとせり。 露国は其の勢力範囲の半ばを失い爾来其の範囲は北満州に限定せらることとなれり。露国は同地方に其の地位を保持し爾後其の勢力を増大したるが、1917年、露国革命勃発するに及び支那は右地域における其の主権を再び主張する決心をなせり。 初め支那の行動は連合国の干渉(1918-20年)参加に限定せられ居たるが、右干渉は露国革命後シベリア及北満州に於いて迅速に拡大しつつありたる混乱状態に関連し、浦塩斯徳に集積貯蔵せられたる莫大なる兵器軍需品の保護及東部戦線より西伯利亜経て退却中なりし「チェコ・スロバキア」軍約5万の撤退援助の両目的の為北米合衆国に依り提議されたるものなりき。右提議は受諾せられ且各国はシベリア横断鉄道の各自の特定部分を担任すべき7千名の遠征軍を派遣すべく、東支鉄道は支那軍の単独の責任に委することに協定せられたり。連合国軍隊と協力し鉄道の運行を確保する為一の特別の連合国鉄道委員会は1919年組織せられ右委員会の下に技術部及輸送部を配せり。1920年右干渉終了し連合国軍隊は日本軍を除きシベリアを撤退したるが、日本軍は既に過激派と公然敵対状態に入り居りたり。右戦闘は殆ど2ヶ年に亘り続行せり。1922年「ワシントン」会議後、日本軍亦撤退し同時に連合国委員会は其の技術部と共に消滅せり。 其の間支那は、東支鉄道の首脳者ホルヴァト将軍が鉄道地帯に一独立政権を樹立せんとする企図に失敗したる後、右地帯に於ける秩序維持の責任を引き受けたり(1920年)。同年支那は改造後の露亜銀行と一協定を締結し、且新ロシア政府と協定の締結ある迄暫時鉄道の最高支配権を執るの意向を表明したり。支那は又1896年の契約及会社の原定款に依り会社に許与せられたる諸便益を回収するの意向を表明せり。爾来会社督弁及董事4名並びに稽察局員2名は支那政府之を指名することとなれり。ロシアの優勢は又其後行われたる他の多くの措置に依り衰えたり。鉄道地帯に於けるロシアの武装兵は武装を解除せられ支那兵に代われりと。ロシア人の治外法権は廃止せられたり。其の法廷は侵入せられ且閉鎖せられたり。ロシア人は支那の法律、裁判及課税に服せしめられたり。ロシア人は支那警察が大なる権力を有し且統制不充分なりし為右警察に依り逮捕せられ且無期限に拘禁せらるべきこととなれり。 1922年、従来会社の行政に服し来たる鉄道付属地は奉天に対し直接責任を負う一行政長官の支配する東三省の特別区に改編せられたり。鉄道に付属する土地の行政にも亦干渉を受けたり。張作霖元帥はロシア新政府が承認せらるるに先ち事実上ロシアの勢力範囲を清算し了りたるか私人の利益は右経過中に於いて甚だしき侵害を受けたり。ソビエト連邦政府が其の前政府の満州に於ける遺産を継承せる時には同鉄道は既に其の特権の大半を失い居たり。 1919年及1920年ソ連邦政府が為したる支那に関する政策の宣言は帝政政府が支那に於いて獲得したる特権殊に北満州に於いて獲得したる特権の完全なる放棄を包含せり。右政策に従い、ソ連邦政府は新協定に依りて既成事実の調整を行うことに同意せり。1924年5月31日のソ支協定に依り東支鉄道は共同管理下の純商業的企業と成り支那も亦右企業に財政上の利益を獲得せり。然れどもソ連邦政府は広大にして範囲確定せざる権力を行使する総支配人の任命権を有し且右協定に依りソ連邦政府鉄道業務に優越せる勢力を振い又北満州に於ける其の経済利益の重要部分を保持し得たり。上述の如く北京に於いて支那政府と締結せられたる1924年5月の協定は張作霖之を承認せん、自ら別個の協定を締結することを主張したり。1924年9月調印せられたる右協定は其の条項殆ど同一なりしも之に依り鉄道の租借は80年より60年に短縮せられたり。右協定はソ連邦及満州に於ける張作霖政府間の友好関係の一期間を招来せざりき。 1924年の2協定に於いて未解決に残されたる多くの問題を処理すべき会議の開催は各種の口実に依り延期せられたり。1925年及1926年に於いて両度に亘り東支鉄道総支配人は張作霖軍隊の鉄道輸送を拒絶せり。右第2次の拒絶事件に依り総支配人逮捕せられソ連邦は最後通牒を発するに至れり(1926年1月23日)。而して此等は孤立せる事件には非ざりき。然るに支那官憲はロシアの利益に反し且ソ連邦政府及白系露人に依り均しく遺憾とせられたる政策を固執せり。 満州が南京政府に服属したる後、国民主義精神は力を増し、且鉄道に対し優越なる支配を維持せんとするソ連邦の努力は従前に比し一層反感を以て迎えられたり。1929年5月、ロシアの利益範囲の残存せるものを清算し終らんとする企図行われたり。攻撃は各地に於ける支那警察のソ連邦領事館襲撃に依り開始せられたるが、支那警察は多数を逮捕し且ソ連邦政府及東支鉄道の雇用者が共産主義革命を陰謀し居たることを証する証拠を発見したりと主張せり。7月、鉄道の電信電話機関は押収せられ且多数の重要なるソ連邦機関及企業は強制的に閉鎖せられたり。最後に、東支鉄道ソ連邦支配人は支那側任命の者に事務を引継ぐべき旨要請せられたるも同人は之を拒絶したる為其の任務遂行を禁止せられたり。支那官憲は自由にソ連邦幹部を免職して自己の指名者を以て之に代え、且多数のソ連邦民を逮捕し其の一部を追放せり。支那側はソ連邦政府が支那の政治社会制度に反対する宣伝を行わざる旨の誓約に背きたりとの理由に基づき右強力好意を正当なりとせり。ソ連邦政府は其の5月30日付公文に於いて右非難を否認せり。 残存せるロシア利権が強制に依り清算せられたる結果、ソ連邦政府は行動に出づべく決意したり。数度の公文交換を行いたる後、ソ連邦政府は支那より其の外交官及商務代表並びに東支鉄道に於ける其の職員全部を召還し且其の領土と支那との間の一切の鉄道交通を断絶せり。支那も亦同様にソ連邦との関係を断絶し一切の支那外交官をソ連邦領土より召還せり。ソ連邦軍隊は満州国境を越えて侵攻を開始し、1929年11月には武力侵入となるに至れり。南京政府が紛争の解決を託せる満州官憲は敗戦し且甚だしく威信を失墜したる後、ソ連邦の要求を承認するの止むなきに至りたり。 1929年11月22日、ハバロフスクに於いて議定書調印せられ之に依り原状回復行われたり。右紛争中ソ連邦政府は不戦条約の締約国たる第三国よりの数多の覚書に対する解答に於いて常にソ連邦の措置は正当なる自己防衛の発動にして何等右条約違反として解釈し得ずとの態度を取りたり。 満州に於ける日本の利益は次章に於いて詳説せらるべきも之に先ち今満州に於けるロシアの地位を叙述するにあたり、1905年以後の日露両国関係に付略説するの必要あり。 日露戦争の殆ど直後に於いて両国間に密接なる協調政策行われたることは興味ある事実にして、講和成るに及両国は北満州及南満州に於ける各自の利益範囲に関し満足なる合意に到達することを得たり。残存したる抗争の痕跡は満州の発展に活発に従事せんと欲したる他の諸国との論争に依り間もなく拭い去られたり。他の競争者に対する憂惧は2国融和の過程を促進したり。1907年、1910年、1912年及1916年の諸条約は2国を益々親密ならしめたり。 1917年のロシア革命、次て為されたる支那国民に対する政策に関する1919年7月25日付及1920年10月27日付ソ連邦政府宣言並びに1924年5月31日付及1924年9月20日付ソ支協定は満州に於ける日露の了解及協調の基礎を粉砕せり。政策の此の根本的変更は極東に於ける3国の関係を全く改編せり。更に連合国干渉(1918-20年)は之に伴えるシベリアに於ける日本及ソ連邦軍隊の確執と共に日露関係の変更を大ならしめたり。ソ連邦政府の態度は支那の国民主義的願望に強き刺激を与えたり。ソ連邦政府及「第3インターナショナル」は現行条約を基礎として対支関係を維持せる一切の帝国主義諸国に反対する政策を採用したるを以て右両者が主権回収の闘争に於いて支那を援助することはあり得べきことなりとせられたり。此の形勢の発展は日本が隣邦ロシアに対して嘗て抱きたる一切の懸念及疑惑を復活せり。嘗て日本と戦争したる露国は其の戦争後数年の間に友邦及同盟国と成りたり。然るに今や右関係は変化し、北満国境を越え来る危険の可能性は再び日本の関心事となれり。北部に於ける共産主義 者の教義と南部に於ける国民党の排日宣伝との提携の有り得べきことを想像し、日本は益々日露両国の間に共産主義及排日宣伝に染まざる満州を介在せしめんとする希望を感ずるに至れり。日本の疑懼はソ連邦が外蒙古に於いて獲得せる優越なる勢力及支那に於ける共産主義の発達に依り最近数年間に於いて更に増大したり。 1925年1月、日本及ソ連邦間に締結せられたる協定は正規の関係を樹立せるも革命前に於ける密接なる協調を復活するに至らざりき。 目次
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/7576.html
406: 194 :2022/01/23(日) 13 55 31 HOST ai126151039185.55.access-internet.ne.jp 現代日本大陸化&銀連神崎島クロスSS ある日、日本が『超』大陸と化してしまった件サードシーズン?その18 対馬奪還作戦と人類の反撃 敵空中艦隊を撃滅し、大きな打撃を与える事に成功したのを受けて、かねてより計画されてきた「対馬奪還作戦」を発動。 その前段階として、やまと達と交代で派遣された艦隊(第3艦隊・旗艦「しなの」)による制空・制海権を奪取する海空戦が勃発した。 ここ暫く小康状態であった事や、日本本土の目の前という地理的要因からそこまで大規模な戦力は置かれていなかった。 それでも陸上は歩兵1個旅団、空軍は1個飛行隊に小規模な艦隊(ミサイル艇中心)が駐屯していたが、艦隊は後方の味方と合流すべく撤退。空軍は超音速ジェット戦闘機ニ級が ある程度纏まった数がいた物の苦も無く捻られ、制空・制海権はあっさりと日本側の手に落ちた。 そして実際の上陸作戦が開始された訳だが、蒼空邪軍はまたもや信じられない光景を目撃する。 蒼空邪陸軍は南部の防衛を放棄。北部に戦力を集中し、朝鮮半島からの支援を受けながら抗戦する事にしたのだが・・・ それは日本側が南部の港や空港(対州フェリー乗船場所及び対馬やまねこ空港)を確保した次の瞬間に、それは起こった。 撤収前に徹底的に破壊した筈の両施設が、眩い光と共に一瞬で復旧したのだ。すかさず日本側は物資の揚陸や航空機の着陸を行っているでは無いか。 一体どんな魔法なのか!? さて、読者の皆様には説明不要かと思うが、蒼空邪軍側が言う魔法の正体は、二人の深海棲艦による物だった。 港の方は元港湾棲姫(ウィン・神崎)、空港の方は元飛行場姫(ニアラ・神崎)がそれぞれ艤装を展開したのである。 因みに最初の顔合わせでは、さしもの乙世界の人達も驚いていた。まぁそれは仕方がない。何せ明らかに人ではない外見をしており、更に言うと確認されている蒼空邪軍の 女性型生命体と非常に酷似しているからだ。 まぁその後の交流で敵意が無い事や、中々気さくな対応だった事も有り、最終的に打ち解けていった。 この二人以外にも、戦艦レ級(エーレル・神崎)や空母ヲ級(神崎 カヲル)といった者達も、支援として参加している。まぁ艦隊戦が無かった事に、エーレルがブー垂れていたが。 流石にここまで早期に戦力を展開してくる事は予想外だったらしく、防衛ラインを更に北側にせざるを得ず、急ぎ撤収を開始する。航空機やヘリによる激しい空爆を掻い潜りながら 北上し、新たに防衛ラインを引く。拠点は国道382号線方面は津島市立豊玉中学校跡地を中心とした陣地。39号線の方は曽郵便局跡地を中心とした陣地である。 どちらも川を渡る橋が落とされており、それ以上の北進を阻む形となっていた。 さて陸軍の戦娘だが、今回は90式戦車・キュウと74式戦車・ナナの二人が参加。39号線方面にて、任務に就いていた。 敵の抵抗が激しく、91式戦車橋や81式自走架柱橋で架橋しようにも出来ない状態だった。しかもここ数日は天気は下り坂で、航空支援も難しい。 どうした物かと悩む中、ナナがある提案をしてきた。 中隊長「西側から回り込む?」 ナナ「ええ。橋は全て落とされているけど、西の方は川の幅が狭い。戦娘の私達なら飛び移って渡る事も出来そうだから」 キュウ「・・・島御子神社辺りから対岸に移って、側面から襲えば挟み撃ちに出来る」 中隊長「・・・二人だけで大丈夫か?」 キュウ「・・・このままだど、攻めあぐねるだけ」 中隊長「・・・そうだな。わかった、対岸に渡河して敵迫撃砲陣地を叩いてくれ」 407: 194 :2022/01/23(日) 13 56 01 HOST ai126151039185.55.access-internet.ne.jp そう言いながら、中隊長は地図を広げる。 中隊長「敵は郵便局西方の木々が生えた庭の家屋の地点に、迫撃砲を展開している。こちらも攻撃を加えているが、攻撃が効いた気配が一向に無い」 中隊長「その敵迫撃砲陣地の詳細の偵察と、可能ならば敵迫撃砲陣地を叩いてくれ」 ナナ「了解!」 キュウ「・・・了解」 二人は夜の闇の中、西方へ向けて進んでいく。二人の無事を、中隊長は祈ったのだった。 島御子神社の地点で川を飛び越えて渡る二人。ここからは敵の警戒に引っ掛からない様に、徒歩で近付いていく。 そのまま道なりに東進し、畑の少し手前の家屋に向かう。家屋周辺を手早くクリアランスしつつ、家屋を盾にして敵に見つからない様にしながら前進。例の陣地へと近づいていく。 少し離れた箇所で入念に偽装をしつつ、高性能センサーで陣地を観察する。 キュウ「・・・・・こちらキュウ。敵陣地の配置を把握したよ」 ナナ「どうだった?」 キュウ「・・・エリート歩兵ロ級が一体に、歩兵イ級が30体ほど。・・・それと偽装を施した輸送ホ級が1両。あと、何か変な装置が見える」 ナナ「装置?」 キュウ「・・・うん。陣地の中央付近に設置されてる」 キュウからの報告に思案を巡らすナナ。中隊長は攻撃を加えても効果が見られないと言っていた。 となると・・・ ナナ「・・・キュウ。その装置だけど」 キュウ「・・・何?」 ナナ「あくまで憶測だけど・・・その装置って、多分鬼級や姫級の持つバリアの様な物の簡易版じゃないかな?」 キュウ「・・・簡易版?」 ナナ「ええ。かなりの攻撃を撃ち込んでも一向に効果が無かったってのを考えると、その線が妥当なんじゃないかなって」 キュウ「・・・成程。・・・で、どうするの?」 ナナ「早朝、敵が動きだすと同時に仕掛けるわ。キュウはAPFSDSでロ級を。私はHEAT-MPで例の装置を吹き飛ばす。中隊長には、それを合図に攻撃に移ってもらうわ」 キュウ「・・・分かった」 408: 194 :2022/01/23(日) 13 56 32 HOST ai126151039185.55.access-internet.ne.jp 中隊長に通信を入れつつ待機する二人。待つ事数時間。夜が明け初め、敵迫撃砲陣地の活動が始まると同時に、二人は仕掛けた。 BAM! キュウが放ったAPFSDSは狙い違わずロ級のコアに直撃。一撃で撃破する。イ級達が驚く間もなく、今度は別方向から放たれたHEAT-MPが発生装置を吹き飛ばした。 そしてそこに、中隊の全火力が襲い掛かった。 指揮官をいきなり失い、頼みの綱の発生装置を吹き飛ばされた結果、反撃もままならずに混乱状態へと陥り、ホ級の荷台に攻撃が直撃して迫撃砲弾が誘爆。 周りを吹き飛ばす爆発を起こした事で勝敗は決した。僅かな生き残りは、命からがらな様子で北に撤収していった。 時を同じくして、西の陣地も突破に成功。両方面で再び前進が再開された。 その後も幾つかの小陣地があった物の、部隊は一つずつ排除していく。また、それと前後して天候も回復し、空爆や場合によっては艦砲による支援も得られた事から、順調に北上。 最終的に北端の旧航空自衛隊・海栗島分屯基地跡地に追い込む。 事前攻撃後に突入を開始するも反撃は無く、もぬけの殻だった事が判明。どうやら敵残存戦力は、夜陰に紛れて潜水艦で脱出した様だ。 こうして、乙世界の日本は唯一失陥していた対馬の奪還に成功。その後に行われたアジア方面での反攻作戦での拠点の一つとして活用されている。 そして凡そ半年かけて中国沿岸及び朝鮮半島の蒼空邪軍の掃討に成功。兵力を生み出していた蒼空邪蒼黒霧四つを消滅させる事に成功。同地域を完全に取り戻す事に成功した。 勿論、作戦成功の一因として戦娘達の奮戦振りが有ったのは言うまでもない。 そんな中、各国の軍関係者達から 「世界各国の戦娘達がバラバラな命令系統で戦うのは、あまり効率が良くない。命令系統を一本化しつつ、必要に応じて各戦域に派遣する形にした方が良いのではないか」 という提案が相次いだ。戦娘に対する態度等が世界各国でも温度差があり、中には「核兵器と通常兵器のみで行けるから不要」と主張する国すら、僅かながら存在している。 そういう国にとっては一種の厄介払いをしたいという思惑、またそうでない国々も従来よりも弾薬等の消費が激しいという欠点もある事から、どこか一か所に集めて補給を一元化した方が 負担も減るという目論見が有った。 さて、それでは一体どこに一元化すればいいのか?そう思った時に、彼等が振り向いた先に居たのは日本国だった。 ティ連とか言う宇宙人国家や、20倍の大きさに10倍の人口。それに裏打ちされた圧倒的な国力という反則的存在な超大陸日本から手厚い支援を最も受ける事が出来るという事実は、こういう主張をする連中にとっては 実に都合がよかった。更に言うと、戦娘の概念を最初に提唱したのは他ならぬ日本の技術者達。もっとも戦娘に通じているこの国の技術者達の下なら、更なる能力向上等も見込めるのではないか。 何とも都合のいい主張である。ただ最後の能力向上云々に関して言えば、実際に研究が為されているのも事実だ。 彼等が注目したのは、『ケッコンカッコカリ』のシステム。神崎島の神崎提督と艦娘・深海棲艦達は、このシステムで誰にも断つ事の出来ない強い絆で結ばれ、限界以上の力を発揮しているという。 ならば戦娘でも、同じ事が可能なのではないか。戦娘の力の一部には本人の感情も含まれている事も有り、『お手軽に能力向上が可能になる』と科学者達はそう考えたのだ。 武装や装甲・エンジン等の各種兵装は、性能向上に多大な資源と資金を必要とする。だが、その一部を本人と隊長との絆で向上させられるなら、これ程安い物はない。 こうして、戦娘版『ケッコンカッコカリ』の実現に科学者達は邁進していたのであるが、隊長である横手一佐はそんな事は一切知らないまま、世界中の戦娘達の指揮を預かる事になった事と、 それに合わせて将補への昇進という事実に頭を抱えながら、彼女達の指揮を執る事となる。 こうして、着々と反攻に向けて進みつつある人類だったが・・・・・ 対戦娘を想定した蒼空邪軍の兵器達が間もなく生み出されようとしている事に、まだ誰も気付いていなかった。 409: 194 :2022/01/23(日) 13 57 04 HOST ai126151039185.55.access-internet.ne.jp 以上です。対馬奪還とその後のアジア方面での反攻作戦、そして戦娘の管理の一元化という流れとなりました。 まず対馬の戦いですが、全体的に地味となってしまいました(汗)。対馬はそんなに広くない上に山がちな土地という事も有り、自分ではこれが限界でしたorz とはいえ人機一体の利点は、最低限ですが描写は出来ました(敵に察知されない為に、徒歩で接近)。 あ、拠点構築のアイデアを下さった635氏には深く感謝します。 その後のアジア地域での反攻ですが、上海・北京・斉斉哈爾・ソウルの四つの蒼空邪蒼黒霧を消滅させて、同地域の奪還に成功しています。 それに伴い、極東限定ですがシーレーンの襲撃の危険が減り、流通も幾らか回復します。今後はオセアニア方面の奪回がメインとなって行く事でしょう。 あ、そうそう書き忘れていましたが、攻勢前にティ連の工作艦複数が事前に放射能汚染を除去していますので、放射性障害等の心配は有りません。 そんな中、色々な思惑が重なって横手一佐改め将補の下に世界中の戦娘達が集結。更にケッコンカッコカリ的な何かの技術の開発と、順調に外堀どころか中堀まで埋められ始めています(ヲイ) しかもその辺りに関しては、本人も全く気付いていないというwケジメをつける羽目となる瞬間は少しずつ近づきつつあります(コラ) ですが、蒼空邪軍もこれで引き下がる事は無く、対戦娘を想定した鬼・姫級をはじめとした新戦力を生み出しつつあります。その辺りは、次回以降になるかと。 wiki掲載は、自由です。