約 938,349 件
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/12.html
今日ご紹介するのは日本に戻りまして、奈良県奈良市にある興福寺ですっ!http //t.co/zNPkaIy8 この神社は世界遺産にも認定されている大変有名な寺院ですっ。今回は国宝である阿修羅像の話を交えながらご紹介しようかなと思いますっ!(つづく) 阿修羅(あしゅら、あすら)は戦いの神として有名ですねっ。修羅場という言葉の語源になった戦いの神様です。もともとはインドの神様だったのですが、インドの教えが仏教と融合して日本に伝えられました。ですので基本的に阿修羅像の表情は恐ろしいのですが、興福寺の阿修羅像は幼さの残る表情です。 当然怒った阿修羅は帝釈天に戦いを挑みます。ですが帝釈天率いる軍は強く何度戦っても阿修羅は帝釈天に勝つことができませんでした。そして阿修羅はやがて戦いから撤退し、舎脂は帝釈天の正式な妻となりました。ですが阿修羅は帝釈天を許すことができないでいます。(つづく) 古代インドの神話がヒンドゥー教に取り入られる中で、阿修羅は悪の闘神と描かれるようになりました。この話の教訓は「たとえ正義であっても固執すれば悪となる。戦い続けることよりも大切なのは許す心である」ということです。そして阿修羅は六道輪廻の修羅道の主となってしまいました。(つづく) 本当はこのお話は先週しようと思っていました。プロダクションマッチフェスの最終日ですね。戦い続けることよりも大事なことがあるんだよ、という教訓を込めてお話しようと思っていたんですが私も戦い続けていました……。えっと、そうじゃなくて……と、とりあえずつづく! やがて阿修羅は仏教に取り入れられ、釈迦を守護する神となりました。阿修羅とは(a-sura:天に非ず)強くても神とは異なるという意味だそうです。ちょっと気の毒ですね。さて、興福寺には阿修羅像だけではなく多くの国宝も展示されていますが、一部は廃仏毀釈の最中に壊されてしまったようです。 以上で今日の紹介はおしまいですっ。最後に余談なのですが仏教の発端は古代インドの神話(ヴェーダ宗教、バラモン教)です。ある日釈迦はバラモン教の教えの中に生まれ「カーストはおかしいんじゃないか?」と考え悟りを開き仏教を開きました。ですので出てくる神様は共通ですが解釈は違います。おわり
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/76.html
今日ご紹介するのは、三重県伊勢市にある二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)ですっ!天孫降臨神話と深い関係のある神社で、夫婦岩があることで有名な沖合の神社ですっ。 天孫降臨とはニニギノミコトが葦原中国を統治するために高天原から降り立つという古事記、日本書紀に記されたエピソードです。高天原から葦原中国の間の道案内をしたのが猿田彦神です。猿田彦神は二見興玉神社で祀っている神様の一柱です。道案内を務めたことから導きの神と言われています。 猿田彦神の化身である霊石、興玉神石(おきたましんせき)は夫婦岩の沖合700mに沈んでいます。江戸時代に起きた地震により地中に沈んでしまいましたが、もともとは夫婦岩の間から見える大きな岩でした。夫婦岩は猿田彦神を拝むための鳥居だったのです。 また、夏至の前後4ヶ月の間は夫婦岩の間から日が昇るため、太陽の化身である天照大御神を拝む鳥居としても考えられています。特に夏至の前後2週間では、海の向こうから見える富士山山頂から太陽が昇り、冬至頃には夫婦岩の間から昇る月を見ることもできます。 夏至、つまり6月21日の昨日ですね。二見興玉神社では夏至祭が行われ、白装束の神職と参拝者350人が日の出とともに海に入り禊を行いました。古来、伊勢神宮に参拝する前には二見浦で沐浴をして禊を行う習わしがあったんです。
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/38.html
今日ご紹介するのは、イングランドのノースヨークシャー州、スタッドリー王立公園にあるファウンテンズ修道院跡ですっ!アイドルライブツアーでUK旅行ということで神社紹介も国外に出てお送りしますっ!名前にも跡とあるようにこの修道院は廃墟なんです。 どうして廃墟なのか、と言いますと、イギリスでは1538年に修道院解散令というお触れが出され、すべての修道院が閉鎖させられてしまったからなんです。そのお触れを出したのは当時の君主であったヘンリー8世でした。ヘンリー8世はイングランド王室史上最高のインテリとまで称される人でした。 兄であるヘンリー7世の死後、ヘンリー8世は突如王位を継承することとなりました。その時にヘンリー8世は兄の妻と政略結婚をしたのです。ですが2人の間には王家を告げる男の子が生まれませんでした。焦ったヘンリー8世は、思わず別の若い女性に気が向いてしまったのでした(続く)。 ヘンリー8世は教皇クレメンス7世に離婚の許可を申請しました。キリスト教圏では婚姻はキリスト教会が管理していたからです。ですがクレメンス7世はこの神聖を拒否しました。本来キリスト教では離婚はよくないこととされているからです。国家の君主たる者が教えに背くのはダメじゃない?と(続く)。 ヘンリー8世はいろいろ反論してみたりしましたが、教皇は折れてくれません。そこでヘンリー8世はなんと「教皇より国王が優先する」というルールを作ってしまい、無理やり離婚して若い浮気相手と再婚してしまったのです。当然キリスト教会は激怒。ヘンリー8世は破門されてしまいました(続く)。 それ以来、イギリスという国は「キリスト教」ではなく「イングランド国教会」という宗教の国となり、ほとんどキリスト教を踏襲しながらも宗教の首長はイギリスの統治者というようにさだめられているのです。浮気問題が宗教の分離にまで発展してしまった大変な例ですね……。(続く) つまり、ヘンリー8世はキリスト教と仲が悪かったのです。そしてヘンリー8世はキリスト教徒が集団生活をしイエスの教を学ぶ「修道院」という場所が意外に土地面積的にも経済的にも裕福であることを聞きつけ、その財産を奪いとるために出されたのが「大修道院解散令」だったのです。 このお触れにより修道院で生活する人々は追い出されてしまいました。ヘンリー8世は修道院から没収した土地や財産を貴族たちに売り、その利益で軍備の強化をしたそうです。今日ご紹介したファウンテンズ修道院も貴族に買われ、建築材として石やレンガを持っていかれて廃墟となりました。 この土地が孫の代まで相続され、修道院の廃墟を生かした美しい庭園とされ、その公園は現在文化遺産とされ、イングリッシュ・ヘリテッジが保護、管理しています。ちなみに、この公園にはシカがいるんだとか。ちょっと親近感がわきますね。 そんなわけで、今日の紹介は以上ですっ。あっ、この前、過去の紹介も見たい、って話をもらったんですけど、私の方ではログを取ってないので、ちょっと前くらいなら探れるんですけど全部は出てこないかもしれません。でもこれからは記録しておくので、そのうちまとめてみるかもしれませんっ! 浮気はよくないですよね、佐久間まゆさんがそう言ってましたっ。
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/70.html
今日ご紹介するのは、兵庫県丹波市にある兵主神社(ひょうずじんじゃ)ですっ!兵主とは「つわもののぬし」という意味ですね。日本にはいくつか兵主と名の付く神社があります。八千矛神(やちほこのかみ、戦いの神様)を祀る神社がそうです。 八千矛神は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名です。日本の広い範囲で信仰された神様で、それゆえ多くの別名と奥さんが居て子供がいます。子供の数は180なのだとか。シンデレラガールズぐらいいますね……。 丹波市の兵主神社は奈良時代、746年に建てられました。ものすごく歴史がありますね。また境内は鎮守の森となっています。鎮守の森とは神社を囲むように維持されている森で、基本的に神社設立時そのままの姿を残しています。そのため学者さんたちにとっても大変重要な調査対象なのだそうです。 もともと神道には自然そのものを信仰する考え方があります。険しく高い山、深い森は日常の世界と切り離された神様の住まい、または死者の世界と考えられ崇拝されてきました。神社の社の字が「もり」とも読まれるのもその当時の名残なんです。 兵主神社の鎮守の森は緑地保全地域、天然記念物に指定されています。ですが近年では鎮守の森はそれほど信仰の対象にならず、他の神社では道路や公的な施設の為に伐採されてしまうことも多く、自然が失われています。日本が発展するためには仕方がないのかもしれませんが、難しい問題ですね…。
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/31.html
今日ご紹介するのは、大分県宇佐市にある宇佐神宮(うさじんぐう)ですっ!URL USAじゃないです、宇佐ですっ!この宇佐神宮は日本に約44,000社ある八幡宮の総本社なんですっ! 八幡宮とは、~~八幡とか、八幡さまと呼ばれる神社のことですね。八幡大神さまは応神天皇や神功皇后のご神霊です。この宇佐神宮は725年に建立されたのですが、その後の奈良時代に神秘的なエピソードが残されています。 奈良時代、道鏡という僧が天皇の位に就こうとして、宇佐の八幡さまが夢の中に現れて「天皇になれ」と言ったと嘘をつきました。それを知った和気清麻呂は、真意を確かめに宇佐の八幡さまに参詣し「皇位を継承する者は必ず天皇のご血統から」との託宣を受け、銅鏡の野望は潰えたのです。 銅鏡事件とも呼ばれるこの出来事から応徳天皇の神霊である宇佐八幡様は天皇家からより一層厚い信頼を置かれることになったのだそうです。また応神天皇は仏教の普及にも仏教の普及にも力を入れており、東大寺の大仏建立の際に宇佐八幡様が協力を惜しまないとの託宣を出し、ご存知の通り成功したのです。 また、お祭りで担ぐお神輿の発祥もこの宇佐神宮なのだそうです。完成した大仏を見るために八幡大神とお供の宇佐宮の女禰宜(めねぎ)・大神杜女(おおがのもりめ)が乗ってきた紫の輿という乗り物がお神輿の始まりなんだとか。日常のいろんなところで実は神道や仏教は関わってきてるんですね。 そんな大変由緒正しい宇佐神宮、天皇家の歴史の深さも考えながら参詣するといいかもしれませんねっ!そんなわけで今日の神社紹介はおしまいですっ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/75.html
今日ご紹介するのは、鹿児島県いちき串木野市にある市来神社(いちきじんじゃ)ですっ!こちらの神社は2006年から八咫烏を祀るようになり、八咫烏をシンボルとする日本サッカー協会公認のお守りや絵馬を販売し始めていますっ! 八咫烏とは、初代天皇である神武天皇が大和を征服して天皇に即位する「神武東征」の中に登場するカラスです。高皇産霊神(たかみむすびのかみ:大木の神様で、物事の創造の神様)が神武天皇に道案内役として遣わせた鳥です。 八咫烏は太陽の化身として考えられており、咫(あた)とは長さの単位で、八咫でとても大きいという意味を表しています。神武東征のお話は古事記にも日本書紀にもありますが、八咫烏が三本足であるとの話は特に書いていません。中国の陰陽道の影響を受けたとも考えられています。 八咫烏は神武天皇の出征に味方したことから、軍事関係である陸上自衛隊の一部の隊のマークとして採用されています。日本サッカー協会のシンボルマークとなったのは昭和6年、日本に初めてサッカーを紹介した中村覚之助氏に敬意を評し、出身地の熊野那智大社の八咫烏が選ばれたのだそうです。 そんなわけで今日の神社紹介は以上です!ワールドカップもいいけど野球もね!これまでの神社紹介まとめはこちらからどうぞ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/49.html
今日はアイプロ鎌倉編にちなんで、大仏についてご紹介しようかなと思います!鎌倉の大仏といえば高徳院のる阿弥陀如来像ですねっ。実はこの高徳院は誰が開いたかは不明で、大仏造像についても資料が残っておらず不明なんです。 また、もう一つ有名な大仏といえば奈良県奈良市の東大寺にある盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)、通称奈良の大仏ですね。画像URL。743年の聖武天皇の命によりおよそ4500億円を掛けて作られたもので、天平文化を代表する貴重なものです。 この二つが有名な大仏で、国宝に指定されています。さて、かつてはこの二つの大仏に付け加えてもう一つをあわせて日本三大仏像と呼ばれていた仏像がありました。それが京都府方広寺の「京の大仏」だったのですが、落雷により消失してしまいました……。 その後、兵庫県能福寺の「兵庫大仏」が三大仏像と呼ばれたのですが、太平洋戦争中の金属回収令により回収されてしまい、大きさや歴史的経緯で奈良の大仏と鎌倉の大仏に並ぶ大仏はなくなってしまい、日本三大仏像の一席は空席のままになっています。 そもそも、大仏って大きな仏と書きますが、特に何m以上でないと大仏とは言えないという決まりはないそうです。ちなみに日本最大の仏像は茨城県牛久浄苑の牛久大仏です。全長120mで、ブロンズ立像としては世界最大で、自由の女神の3倍近い大きさなんです。 また、日本最古の仏像は奈良県明日香村の飛鳥寺にある飛鳥大仏です。画像URL。日本書紀によれば完成は606年。大化の改新より前です。ただかなり損傷が激しく、大部分が後世に作り変えられているようなのですが、とても貴重だということには変わりありませんね。
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/22.html
アイドルマスター特番が22時まで延長だとのことですので寺院紹介はその後の時間になりますっ! さて、それでは寺院紹介の準備をしますねっ!今日はちょっと特別バージョンですっ! 今日ご紹介するのは、イギリスのケンジントン、ウェスト・クロムウエル・ロードにある民家ですっ!ここにはかつて「神」と呼ばれた男が住んでいたのです……。彼は日本に思い入れがあったようで、築いた財で庭には日本庭園を作り、鯉を買っていたそうです。 彼の死後、公開された彼の住所から、壁のドアや塀に多くのファンからの落書きが書かれ、花が添えられました。落書きは何度も消されましたが、今でも落書きとともに花を手向ける人も多いそうです。彼とは誰のことかもうわかった人はい るかな……? イギリスでデビューしたその人ですが、実は生まれはインドなんですっ。ですが本人はインドは音楽っぽい国じゃないのでそれを知られるのを嫌がったそうです。また、日本人でも多くのアーティストが彼の影響を受けていますっ!かの宇多田ヒカルさんは小学校の頃尊敬する人物にその人を挙げたそうですっ! その人は幅広い音域を出すことができた奇跡のボーカリストでした。どんな曲調も正確に歌いこなすことができたと言われています。またスイスのモントレー、よく音楽のフェステイバルが開催される場所なのですが、神と謳われるその人の彫刻が飾られていますっ!そろそろ、わかったかな? その人は!ロックの神と呼ばれたフレディー・マーキュリーですっ!かの有名な「クイーン」のボーカリストですねっ!彼の出せる音域は4オクターブにもなるそうです!きっとロックを夢見る少年少女が必ず一度は憧れる偉大なバンドですよねっ!そして、ロックといえば……? ロックといえば、我らがシンデレラガールズの木村夏樹さんですねっ!そして今日、8月19日は木村夏樹さんの誕生日ですっ!獅子座なのもなんだかロックですよねっ!おめでとうございますっ!私はロックに詳しくないですが、ロックは生き様!これからもロックな生き様を貫いてくださいねっ! そんなわけで、今日の寺院(?)紹介はおしまいですっ!変則的にお送りしましたっ!これぞロック、なのかな……? (ロックの神とは誰でしょう?って聞いてるのに多田李衣菜さんがしつこく自分の名前を私にリプライしてきたんですけど……こういうところがロックじゃない気がします……)
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/57.html
今日の神社紹介はは、招き猫をテーマにお送りしようと思いますっ!招き猫といえば、首輪をした白い猫が小判を持って手を上げていますよね。商売繁盛を祈願して置かれる縁起物ですが、元々は蚕を食べるネズミを食べてくれることから、養蚕の縁起物だったのだそうです。 東京都世田谷区の豪徳寺(ごうとくじ)は、は招き猫発祥の地と言われている神社の一つです。江戸時代の大名、井伊直孝が猫の手招きによって豪徳寺に立ち寄ったところ急な雷雨をやり過ごし、雷の直撃を防げたことから猫を祀るようになったそうです。 豪徳寺では招猫観音(まねきねこかんのん)を祀る招猫殿があり、招猫観音の使いである招福猫児(まねぎねこ)が置かれています。この招福猫児は小判を持たないシンプルな佇まいで、あのひこにゃんのモデルにもなったのだそうです。 ひこにゃんのファン辞めます また、東京都新宿区の自性院も招き猫発祥の地と言われています。1477年、太田道灌が江古田ヶ原で合戦し、道に迷っていた所に黒猫が現れ、自性院に導き危難を逃れられたことから猫の地蔵を作ったのが始まりなのだとか。その猫地蔵は普段はみられないのですが、節分の日には開帳されるようです。 他にも招き猫発祥の地と名乗りをあげる場所がいくつかあるのですが、どれが正しいのかははっきりしていません。現在、招き猫の生産は愛知県の常滑市が日本一で、常滑市には巨大招き猫「とこにゃん」がいます。ちょっと大きすぎてびっくりしますね。進撃してきそうです…。 また、日本招き猫倶楽部というのがあるそうで、9月29日、つまり今日なんですけど、招き猫の日と定めたのだそうです。この日の前後の土日には三重県伊勢市のおかげ横丁、愛知県瀬戸市、長崎県島原市などで来る福招き猫まつりが開催されます。 また、9月29日の前日、9月28日は佐城雪美さんの誕生日でもありますね!佐城雪美さんも黒猫のペロをいつも大事にしていますよね。黒い招き猫もいるのかもしれませんね!お誕生日おめでとうございます!そんなわけで今日の紹介は以上ですっ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/63.html
今日ご紹介するのは、佐賀県西松浦郡有田町にある陶山神社(すえやまじんじゃ)です!とうざんじんじゃ、とも読まれるようです。ここは江戸時代に有田焼の管理を行っていた鍋島藩の指示により造られた神社で、有田焼の神様を祀っていると言われています。 画像を見ると鳥居が青っぽいですね。実はこの神社の鳥居は陶器で出来ています!唐草模様が刻まれていてとてもきれいです!こちらの神社は鳥居だけでなく、他にも数々の陶器で出来たものがあります。 狛犬も陶磁製で、薄く青みが付いています。また本殿の欄干も陶磁製で大変きれいです。まずは狛犬の画像です。高さは82センチと結構大きいです! こちらは欄干の画像です。擬宝珠(ぎぼし)、スライムみたいなかたちのやつもちゃんと陶器でできてます! また、こちらは明治時代に造られた水がめです!井手金作という高名な方の策だそうです!また、こちらの神社で販売しているお守りは陶器の勾玉で、宮司さんのてづくりなのだそうです。 また、陶山神社の鳥居や狛犬は国の文化財に指定されました。そして春になるとこの周りに500本もの桜の花が咲き、お花見のスポットとしても大変素晴らしいのだとか。