約 301,257 件
https://w.atwiki.jp/mayshared/pages/222.html
ラノで読む 敷神楽鶴祁と、米良綾乃が行方不明になったのは、つい先日の事だった。 ラルヴァ事件と思われる怪異の解決、よくある仕事だ。 そのよくある仕事のチームリーダーを任された鶴祁――と、それを聞きつけて強引に割り込んだ綾乃――が、その関東S県の小さな町に赴き、連絡が途絶えた。 案件の仔細は、 『街が霧に覆われて消えた』 というものであった。 事件自体が、街と外部との断絶である。 故に、時坂祥吾は希望を捨てていない。 連絡が取れなくなった、ただそれだけのことが諦める理由にはならない。 だから、祥吾はその街へと赴いた。 仲間を助けるために。 深い深い、霧の中へと―― そして、 時坂祥吾は行方不明になった。 当然のことながら、そこには霧が立ち込めていた。 『有毒性は無い見たいですね』 内的世界、「発条仕掛けの森」よりメフィストの声が響く。 <そうか。んじゃあ、この霧を吸ってどうにかなったわけじゃない?> 『だと思います。有毒性がないだけで霧に別の効果があるのか、それとも霧の他に何かの要因があるのか…… とにかく、私も外に出ますね』 <ああ> 祥吾の隣に、空中から歯車や発条や螺子、金属フレームが浮かび上がる。 それらは一瞬にして組みあがり、少女の姿をとる。 「ふう。あらやだ、湿気ますね、ここ」 <そりゃ霧が出てるからな> 「……祥吾さん。霧にとりあえずの毒性はないようですから、「それ」とったらどうでしょうか。 ぶっちゃけキモいです、というか怖い」 <そうか?> 時坂祥吾は、ガスマスクで顔面を覆っていた。 「ふう。あー、蒸れた」 ガスマスクを取る祥吾。 「やっぱりそっちの方がいいですね」 「まあ視界がなあ。戦闘になったら確かにめんどかったかも」 調達したガスマスクは口を覆うだけのものではなく、目もゴーグルで覆うタイプのものだった。 コンビニや銀行に入ると確実に通報されるタイプの。 「しっかし……人気がないな」 「ですね。閉じこもっている……というわけでもないようです。 ここら一帯の民家に、人の気配が全くありませんね」 「ゴーストタウン……ってやつか。もっと奥までいかないとわからない、か」 言いながら、祥吾は黄金懐中時計を展開させ、剣へと変える。 「ですね。街を包み込む霧の中心部分……でしようか、妥当に行けば」 「しっ」 祥吾は手でメフィストを制する。 「どうしました」 「誰かいる」 祥吾は眼前のコンビニを見る。 少しして、コンビニの自動ドアが開き…… 「ふんふんふ~ん、ふふ~ん」 鼻歌を歌いながら、女の子が出てきた。 「……!?」 祥吾とメフィストは目を疑う。 その女の子は、着物を着ていた。黒く長い髪の一部をポニーテールにしていた。 その顔立ちも、二人が知っているものだった。 そう、敷神楽鶴祁であった。 七歳ぐらいなのを除けば、だが。 「な……鶴祁先輩……!?」 「妹さん……でしょうか?」 「いや、そんな話聞いて……」 二人が話していると、その女の子が気づく。 「おにいちゃん、おねるえちゃん、つるぎを呼んだ? 何かごようじですか?」 「!!」 その言葉に仰天する二人。 (ちょちょっと、これってどういうことだ!?) (というか一人称が自分の名前です! やばいです、これなんというかズギュンと来ます!) (そういう事言ってる場合じゃないだろっ!?) (祥吾さんだって「おにいちゃん」と呼ばれて鼻血出てますよっ!?) (え!? うそ!?) (うそです。でもマヌケは見つかりましたよこのシスコン、実妹だけじゃなかったんですねストライクゾーンは! まさかシスコンじゃなくてロリコンだったんですか!? ならコーラルさんを助けたのにも納得が……) (違げぇよ! つか気が動転して話題が変な方向に言ってるだろ!) 「あの、どうかしたんですか?」 ひそひそ話をする二人に、鶴祁(?)が不思議そうに話しかける。 「あ、いや何でもないよ。ええと、お嬢ちゃん、名前は?」 「しきかぐらつるぎ!」 元気に即答だった。 「へ、へえ、そうなんだ」 祥吾は声が裏返っていた。 「なまえ言えるよ、えらいでしょ!」 「えらいですね」 メフィストが言いながら。鶴祁の頭をなでる。 「えへへ。あ、ごめんね、おかしみんなにもっていかないと。おつかいできるんだよ、えらいでしょ!」 鶴祁はコンビニの袋を誇らしげに掲げる。 そこには、おかしがたくさん詰まっていた。 「じゃあ、いくね。ばいばい、お兄ちゃんお姉ちゃん!」 そう言って、鶴祁は霧の中にとてとてと消えていった。 「……」 「……」 しばらく呆然としている二人であった。理解が追いついていない、といった感じだ。 「えーと。間違い、無いのか……?」 「ちっちゃくなっちゃってますね……」 「それだけならいい、いやよくないけど。 でもおかしい、俺たちのことまるで知らない様子で、完璧に子供に戻ってる……?」 「それは仕方が無いね。 子供に戻るという事は記憶も逆行するという事だ。 だから彼女にとって、君たちとの出会いは「経験していない」事象となる。 未来の出来事を覚えている人間なんていないという事さ」 霧の中から、二人に声がかかった。少年の声である。 「!?」 あわてて二人は構える。 「いや、そんなに警戒しないでくれたまえ。 私はおそらくは君たちの味方だよ。君たちがこの案件を解決するためにやってきたならば、だが。 そして推測するにそれは正しいと思うけど」 霧の中から出てきたのは、十歳くらいの少年だった。 ブラウンのロングコートを羽織ったその少年は、外見の幼さとは裏腹に、その目つき、表情には知的なものを伺わせている。 「お前は……?」 「私かい? 私はただの研究者だよ。語来灰児、と言う。 もっとも、この時点ではまだ研究者になっていないはず、だろうけどね。あ、いや、どっちなのかな。 本来の私は研究者なのだろう、という推測に基づいた自己紹介というべきか。 私が自分の現状を認識するためのIDやメモ、それらが偽造されたものであるならその論拠は瓦解するけどね。 でもそうするメリットもないしね、子供の目からは偽造か本物かを確かめるすべはないが、ここまでする理由も見当たらない。だから研究者と名乗っても問題ないだろう」 「……? 言ってる意味が、よくわからない」 「そうだね。結論から言うと、私はこの事件を解決するためにこの街にやってきた、と思われる。 そしてこの霧によって、子供になってしまった」 「思われる……?」 「確証は無いからね。それは先も言ったとおり、記憶も逆行する。 すなわち、この私は「双葉学園より依頼を受けた」という記憶を持ち合わせていないのだよ。 だから、あくまでも推論でしかないのさ」 「なぜ、そう推論できるのですか?」 「私が記録していた手帳や荷物から、だよ。 この霧の中ではモバイルPCなどの電子機器は使用できないが、手帳の記録は確認できる。 いやはや、ちゃんと記録を行う几帳面な自分に感謝しないといけないね。 で、それらから推測したと言うわけだ。 私が双葉学園から依頼を受けて、能力者たちと動向したと」 「……筋は、いちおう通ってますね」 「でも、なんつーか十歳に戻ってその考え方とか、すげーヤなガキだな……」 「祥吾さんより確実に頭いいですね」 語来少年は肩をすくめる。 「まあ、信用できないのは仕方ないかもしれないけどね。 でも事実だ。私は君たちに情報を提供できる。君たちはそれを元に事件を解決する。 簡単な話だろう?」 「いや、信用してない訳じゃないよ。なんつーかびっくりしただけだ」 「そうか。それならいい。 では、こちらからもひとつ質問いいかな?」 「な、何?」 「君は――どうして、子供になっていないのだろうね?」 霧の街を三人で歩く。 「なるほど、そういう経歴か、興味深い」 祥吾は、自分たちの経験した事件を語来少年に話していた。 「つまり、君の「時間」は止まっている――故に、子供に戻ることも無い、という事か。 それが可能性の一番高い推論だろうな。 まあそれでも幾つかの疑問は残るけれども。死へと向かう直前で命の時間を静止している、というその話を信じるなら、肉体の時間は動いているという事だったな。 確かに新陳代謝が行われているという事は肉体、つまり生命としての活動は行われている、すなわち時間は動いている。だがそれならばなぜ肉体が子供にならないか。 これはあくまで仮定だが物質としての時間、生命としての時間は切り離せないものではないだろうか。つまり片方が止まっているなら、片方を無理に巻き戻すことは出来ない――という事だ。 だがそれならばまた疑問が残る。すなわち、命の時間が止まっているのになぜそれに引きずられて肉体の時間も止まってしまわないのか、という事だが――時間というのは科学でも疑問点が多くそれはもはやサイエンスフィクションの領域に足を踏み込んでいる。 時間のパラドクスというものは学者や創作者が常に頭を痛めてきた問題ではあり、時は不可逆性があるのか無いのか、そも観測できるものなのか。まあそれは今ここで論ずるべきことではないな。 だが、だとすると君はこの事件に一番愛称が言いという事になる。 ラルヴァとの戦いは単純な能力の強さよりも、相性が一番大切だということは周知の事実だから――」 「すまん、話が長い」 祥吾の頭ではついていけない話であった。 というか頭痛がしてきた。 「というか、結局……これは何なんだ? 何というラルヴァの仕業なんだ」 「ああ、それを説明していなかったね」 語来少年はメモ帳を開く。 「この街を覆う霧と、その中にいる人間が子供になるというこの事件―― 正しくは、ラルヴァの「仕業」じゃない」 「は? どういうことだよ、ラルヴァの事件なんだろう?」 「そうだ。これは、この事件――「現象そのもの」がラルヴァなんだよ」 「え……?」 「非常に珍しいタイプでね。 固体としての存在を持たない。エレメントのように実体をもたない、訳ではない。 存在そのものが、無いんだ。このラルヴァはあくまでも現象」 「現象……?」 「そう。自然現象の災害のようなもの、だ。 これには明確な意思も自我もない。だが、悪意ならある。むしろ悪意しかない、といった方が正しいのかな。 この現象体ラルヴァは、人の願いを歪んだ形でかなえるものだ。 それも興味深いことに、童話や古典文学、都市伝説に噂話といった、人間の心象を投影する形でね。 その特性から、「カテゴリーグリム」と我々は呼んでいる」 「カテゴリーグリム……」 「まさしく童話、という事ですか」 「そうだ。パターンにもよるが、広範囲にわたりその狂った法則で現実を歪ませる。 今回の場合は、「みんなが子供になる」というようにね。 しかも今回は、異能者ですら子供にされてしまう有様だ。かなり強力なラルヴァだよ」 「倒す方法は? 実体がないのなら……」 「当然存在する。台風を倒す方法だってあるだろう? 要はその規模を超える破壊で吹き飛ばす。 まあ無論、その方法は現実的ではない。犠牲が多すぎるしね」 「まあ、そりゃそうだ」 「現実的な解決方法はおもに二つ。 さて、そもそも先程言ったとおり、このラルヴァは人の心象を投影し、物語を再現するラルヴァだ。 そして、人の願いを歪んだ形でかなえる」 「いや、話が回りくどい」 「……せっかちだな君は。 では結論から言おう。このラルヴァが叶えようとする願い、その原因たる人間がどこかにいる。中心が多いけどね。 その人間を、倒すか、あるいは――このラルヴァから引き離すか」 「引き離す?」 「願いそのものを叶えてあげる。あるいは必要なくする、といった事だな。 その願いが何なのかは、本人に相対してみないとなんともいえないが――現象を観察することで大体は推理できる」 「それは?」 その質問に語来少年は答えず、指を指す。 「……見えたよ。ここが霧の中心だ」 それは、巨大な遊園地だった。 子供たちが楽しそうに遊んでいる、子供の――子供だけの世界。 「これ、は――」 「そう、ネバーランド。……ピーターパン、さ」 「私、遊園地はじめて来ました」 「いやそーじゃないだろ」 祥吾がメフィストに突っ込みを入れる。 「前々から思ってたんですけど、祥吾さんには遊び心が足りないと思います」 「薄々思ってたが、お前本当にキャラ変わったな」 「そうですか? でも見てください、みんな楽しそうですよ」 確かに、この遊園地にいる子供たちはみんな楽しそうに遊んでいた。 「まあ、確かにな。でも……」 祥吾は子供たちを見て、つぶやく。 「楽しいからって、それがいいとは限らないだろ」 「そうだね」 語来少年が同意する。 「だけど、それでもこの世界はそれを是とする。 言って見ればここは壮大な現実逃避の世界という事だね。 大人になりたくない。子供のころに帰りたい。 そうやって、「楽な時間」を求めた結果、生まれた世界さ」 「……ほっといたら、どうなるんだ?」 「カテゴリーグリムには、四段階あると推測されている。 まず、レベルアッシャー。活動段階、とも呼ばれる。 強い願望を持つ人間と結びつき、周囲にその効果を及ぼす」 「子供に戻す、という奴か」 「今回の「ピーターパン」の場合は、そうなるね。 そして次、第二段階、レベルイェツィラー。形成段階。 その効果を形として作り出す。この街に本来は無かったはずの、この遊園地。 これが、形成によって作り出された世界だ」 「じゃあ、いまこの街は、その形成って奴か?」 「そうなるな。 第三段階、レベルブリアー。創造段階。 完璧な異世界として、その範囲を完全に地上から隔絶する。 この段階まで現象が進むと、通常の手段で入り込むどころか…… 外から確認することも出来なくなる」 「確認できなくなるって……霧で?」 「いや、違うな。そこに最初からなにも存在してはいなかったかのように、なくなってしまうのさ。 そしてそこは、いわゆる妖精郷やマヨヒガといった、異界と化す、らしい。 そして最終段階、レベルアツィルト。流出段階。 幸いながらこの段階はあくまでも、カテゴリーグリムの最終段階がこうだろう、という予測に過ぎないがね。 ここに到達すると……」 「到達すると?」 「その異界が、現実を侵食する」 「? どういう……事だ?」 「その異界の、ラルヴァのルールが現実のルールに置き換わるという事だよ。 カテゴリーグリムをまた台風に置き換えてみよう。 それが最終段階に到達したなら…… この世界は、毎日が暴風雨の世界になってしまう、ということさ。 そして今回のこのラルヴァが最終段階に到達したなら、世界中のすべての人間が子供になってしまうだろう」 「……なんというか……最悪だな、それ」 「最悪だね、ぞっとするよ。 それがカテゴリーグリム、まさに性質の悪い狂った御伽噺さ」 「止めなきゃな、絶対に」 「そうだな。ああ、あと言い忘れたが……」 「ん?」 「形成段階に到達したカテゴリーグリムは、その世界の内部で免疫機構を精製するという話だ。 この世界において、なお子供にならず、そしてこの世界を破壊しようとする君に対してその免疫が働くのは至極当然だな。 注意したほうがいい」 そう語来少年の言葉が終わるやいなや…… 「マァージック!」 そう奇声を上げて、ピエロが斧を振り上げて襲ってきた。 「んなっ!?」 剣で受け止める祥吾。火花がギャリギャリと散る。そのピエロは不気味な笑顔を張り付かせ、ぎりぎりと力を強めてくる。 「ラルヴァかっ!?」 「ああ、それはこのカテゴリーグリムが作り出した免疫機構、いわば白血球のようなものだ」 建物の後ろに隠れて説明する語来少年。 「思ったとおりだ。君を排除しようとやってきている。 君に対してのみ、危険度4と言ったところかな。カテゴリーとしては……ううむ、ピエロはともかく、ネズミやクマの着ぐるみはビーストかデミヒューマンか迷うな」 「落ち着いてるなてめぇっ!」 「らんらんるぅぅぅぅ!!」 奇声を上げながら襲い掛かるピエロや着ぐるみ、アトラクションショーのヒーロー達を必死にさばく祥吾。 なるほど、確かにそれらの免疫体ラルヴァは祥吾のみを確実に狙っている。 「くっ!」 ヒーローの持つチェーンソーを受け止め、蹴り上げる。バランスを崩したヒーローはイカのぬいぐるみの足を踏んで倒れる。 だがそれを踏み越えて、子ども用の百円カーに乗ったパンダが爆走してくる。 血飛沫を上げるヒーロー。パンダはかまわずに巧みなハンドル捌きで祥吾に向かって走る。 「それ子どもがトラウマんなるから! つーか俺もトラウマるぞその絵ッ!」 叫びながらよけるものの、Uターンして追ってくる爆走パンダ。 「んなくそっ!」 再び迫る百円カー。剣をつきたて、そしてその車体に乗りかかる。 「安全運転っ!」 叫び、祥吾はパンダを車から蹴り落とす。 そしてさらに次々と襲ってくる、遊園地のマスコットたち。 量が多すぎる。一体一体は確かにそこまで強くないが、一人では相手に出来ない。 まさに多勢に無勢である。 くわえて、それらは単一のラルヴァではない。 このカテゴリーグリム「ピーターパン」の免疫体ラルヴァである。 次から次へと、この現象の続く限り無限に沸いてくる白血球。 侵入者である祥吾を滅ぼさんと増殖する狂気の免疫機構に対し、一人ではなす術も無い。 だがしかし。 時坂祥吾は、一人ではない。今は。 祥吾は手に取った剣を、元に戻す。 時計が変じた剣。それをあるがままの本来の姿に。 それは懐中時計。古き錬金術にて造られた、時を刻む黄金の彫刻。 そして、「彼女」の宿る――黄金懐中時計。 「らぁぁぁんるんっるぅぅぅっ!!」 怪物が叫ぶ。 その魂を砕くかのような咆哮すらも、祥吾には届かない。 聞こえるのは、ただのひとつの音。心臓の鼓動を刻むかのような、針の音。 それが今まさに、神像の鼓動を刻む。 「メフィ、いけるか?」 「はい。前回の戦いでの、念土竜での「時間」はストックされてます。問題ありません。 時は、満ちてます!」 祥吾は立ち上がり、口にする。 それは呪文。それは聖約。それは禁忌。 そう、黄金懐中時計に封印された時計仕掛けの悪魔の機構を開放するキーワード。 Es kann die Spur ――我が地上の日々の追憶は von meinen Erdetagen 永劫へと滅ぶ事無し Im Vorgefuehl von solchem hohen Glueck その福音をこの身に受け ich jetzt den hoechsten Augenblick. Geniess 今此処に来たれ 至高なる瞬間よ 黄金の懐中時計が解れ、崩れ、砕け――幾つもの弾機、発条、歯車、螺子へと変わっていく。 それらは渦を巻き、螺旋を描きて輪と重なる。 それはまるで、二重螺旋の魔法陣。 そこに集まる大質量の魂源力は、やがて織り上げられ―― Verweile doch! Du bist so schon 時よ止まれ、お前は――美しい! 力が、爆現する。 全長3メートルの巨体。 チクタクチクタクと刻まれる黒きクロームの巨躯。 黒く染まる闇色の中、黄金のラインが赤く脈打つ。 各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。 背中からは巨大な尻尾。 頭部にせり出す二本の角、全体の鋭角的なシルエットからはまさしく竜を連想させる。 それはモデルとなった悪魔――地獄の大公の姿ゆえか。 これこそが、その危険性により計画凍結・破棄された、時計仕掛けの悪魔(クロックワーク・ディアボロス)―― 「永劫機(アイオーン)……メフィストフェレス!」 時が止まる。 愛すべからず光の存在は、周囲の時を止めてしまう。まるで、時から拒絶されたかのように。 制止した時の中、それすらも引き裂くかのように時計仕掛けのクロームが吼える。 祥吾の頭の中に、浮かんでくる何か。 それは明確な言葉ではない。文字でも映像でもない。 だがそれでも、判る。 自分に何が出来るか。この悪魔に何が出来るか。 そして――何をすべきか。 ……特にすることはない、とも理解してしまったわけだが。 『……止まっちゃいましたね』 「……ああ」 免疫体ラルヴァ。 カテゴリービースト/デミヒューマン、知能B~A。危険度、1。 強さ……下級。 そう、永劫機メフイストフェレスの時空堰止結界クォ・ヴァディスは…… 異能者と、中級以上のラルヴァ以外の時間を止める。 つまり、下級であるこの連中は、永劫機を呼んだ時点で勝利確定というわけであった。 「……すごく損した気分がすげぇんだけど」 『私もです。なんというか……これ、どうしましょう』 「……絵ヅラ的にすげぇあれだけど。まあ、その、やっとく……か?」 『……そうですね』 とりあえず虐殺しておいた。 「いや、なんというか悪役みたいだね。むしろ君たちがラルヴァ?」 ちなみに、この結界は任意の味方に効果を及ぼさない、ということも可能なので語来少年も動ける。 「一緒にしないでくれ」 「まあそれはおいといて、だ。これからどうするかだが」 「決まってる。元凶をどうにかする、しかないだろ。ほっといたらここはそのうち……」 「元の世界と隔絶されて異界となる。そしてさらには、元の世界を侵食する」 「だったら止めるしかない。この世界の中心は……」 「あそこ、だろうな」 語来が指差す。 その先には、霧に包まれた、巨大なお城だった。 「おそらくは、あそこにこの世界の中心たる誰かがいる。 カテゴリーグリムに囚われたお姫様、という所かね? もっとも、自分の意思で、だろうけど。 その人物を倒すか、それとも……」 「当然、説得なり何なりで引き剥がすよ。言ったよな、「願いを歪んだ形で叶える」って。 つまり、結果を知りながら、これを望んで引き起こしてるってわけじゃないんだろ?」 「まあ、そうなるな」 「だったら、助けるさ」 言って、メフィストフェレスを飛竜の姿に組み替える。 「あんたは安全なんだろ? だったらここで待っててくれ、俺はあそこに行って、ケリ付けてくる」 「ああ。がんばってくれたまえ」 祥吾はメフィストフェレスの背に乗り、城まで一気に飛翔する。 語来少年は、その姿を見送りながら、 「助ける、か。簡単に言うね、本当に。 それを悪いとは私は言うつもりも無いよ。頑張る青少年は実に微笑ましいが―― 君はわかっているのかな、本当に。 相手は、ラルヴァではなく人間だという事を――」 そう、誰ともなしに呟いた。 霧を切り裂き、黒いクロームの飛竜が飛ぶ。 城の周りを舞いながら、潜入できる場所をメフィストフェレスは探していた。 「あそこはどうだ?」 祥吾が大きな窓を指す。 『いけますね』 メフィストフェレスが急降下し、窓に突撃した。 ガラスが砕け散る音が響き、キラキラとガラス片が舞う。 石造りの床に降り立った祥吾は、その部屋を見回す。 「まるで牢だな……」 『ラプンツェルの塔、みたいなかんじですね』 メフィストフェレスの中、発条仕掛けの森からメフイストもまた感想を言う。 「ラプ……何?」 『童話にある、幽閉されたお姫様ですよ』 「なるほど。知らないな」 そう祥吾は話しながら周囲を注意深く見回す。 「……だれ?」 奥のほうから、声が聞こえた。 「誰かいるのか」 『祥吾さん。おそらく、その人が……』 (ああ、このラルヴァの原因……か) ゆっくりと声の方向に進む。 そこには…… 「お兄さん、だれ……?」 6歳ぐらいの、女の子がベッドの上にいた。 (この子が、この世界を作った原因……元凶?) 大きなめがねをかけた、気弱そうな女の子だった。 どう見ても、悪意があるようには見えない。 「だれ……?」 もう一度女の子はたずねてくる。 「あ、ああ。ごめん。俺は時坂祥吾、って言うんだ」 『君を助けに来た王子様さ、ぐらい言えないんですか?』 メフィストの言葉はとりあえず黙殺する。 「ときさかしょうご……?」 「うん。きみは?」 「……きりはら、しずく……」 霧原静久と名乗った女の子は、怯えた目で祥吾を見る。 「あー、その、困ったな……」 どうすればいいかわからず、ポケットに手を突っ込む。するとそこに固い感触があった。 見てみると、そこには飴玉が入っていた。 「……食べる? あ、いや、知らない人にモノもらっちゃだめ、か」 『……何自己完結してんですか。というか怪しい人って自覚あったんですね、ロリコンでシスコンだって』 (ちげぇよ!) さすがに黙殺はできなかった。 というかどんどん扱いが悪くなっている気がする時坂祥吾であった。 そしてたぶんそれは気のせいではないだろう。 「……」 静久は、そんな祥吾を見て、 「……あの、めいわくじゃなかったら……くだ、さい」 そう言ってきた。 「……ああ、うん。はい、どうぞ」 「あり、がとう……」 飴玉を手にとって、うれしそうに小さく笑う静久。その笑顔は本当に小さかったが、それでも祥吾はくすぐったいようなそんな喜びを感じた。 『……ロリコン』 メフィストの呟きを努めてスルーする。 「なあ、静久ちゃん。こんな所、いても寂しいだろ。外に出て遊ばないか?」 『誘拐犯のせりふですよ? それ』 気合を入れてスルーする。 というか、言われなくても傍から聞いてたらそう見えるだろうということは、祥吾は十分理解している。 理解しているからこそ言われたくないものである。 「……ううん」 静久は、頭を横に振る。 「おそと、でたくない……」 「何で?」 「こわい」 シーツをぎゅっ、と握り締めて静久は言う。 「こわいの……」 「そうか。じゃあお兄ちゃんがついててあげるから、一緒に……」 祥吾がそう言って手を差し伸べると、 「騙されちゃいけないよ、僕のウェンディ」 窓から少年の声が響いた。 「!?」 祥吾はその方向に向かって身構える。 そこに立っていたのは、十歳ぐらいの少年だった。 緑色の狩人のような服装。 それは童話に出てくるピーターパンそのものだった。 「お前は……!」 祥吾の動きに連動し、メフィストフェレスが構える。 それを涼しげに眺めながら、ピーターパンは言う。 「騙されちゃいけない。大人は嘘つきだ。 そいつは君をこのネバーランドから連れ出そうとしている、悪い悪い大人なのさ」 「そう……なの?」 「いや、違う。そうじゃない」 「違わないだろう? その為に下で僕の仲間たちをお前は殺した」 ピーターパンはそういって指を指す。 「お前……ラルヴァか」 「そう、君たちはそう言うね。 僕はピーターパン。この世界の住人にして免疫機構。 悪い悪い大人を排除するために生まれた、正義の味方だよ、フック船長」 「俺はフック船長じゃない」 「ハっ、黙れよ。僕らが大人のいう事を信用するはず無いだろ。 大人は子どもを騙す、怒る、いじめる、裏切る。 汚いんだよお前らは。でもここは違う、子どもだけの永遠の国さ」 「そんなの、永遠じゃない。ただ停滞してるだけだ」 「ああうるさいな、難しい言葉つかうなよ! これだから大人はぁ!!」 祥吾の言葉にいきなり激昂するピーターパン。 帽子を脱ぎ捨て地面に叩き付け、何度も踏みつける。 (なんだ、こいつ……) 『子ども、ですね。子どもの癇癪性、短絡性をストレートに現しています』 息を荒げるピーターパンは、祥吾をにらみつけ、笑う。 「そういう訳だからさ……大人は、死ねよ」 そう言った瞬間、床を突き破り巨大な影が出現した。 チクタク、タクタク。 チクタク、チクタク。 時計の音が響く。 時計仕掛けの悪魔、永劫機メフィストフェレスとは別の時計の響き。 「な、なんだあれ――!」 そこに現れたのは巨大な鰐。 ただひとつ、普通の鰐と違うのは―― 目玉が無い。顔が無い。 顔面にただ大きく、時計の盤面が貼り付けてあり、それがせわしなくチクタクチクタクと音を鳴らす。 「時計ワニ!? つーか原作歪めてるだろコレ! すげぇキモい!」 時計ワニが吼え、メフィストフェレスに襲い掛かる。 「っ!」 直立して殴りかかる時計ワニの腕を受け止める。 掴み合い、力比べの体勢になる。 『っ、力が……強いっ!』 ジリジリと力負けするメフィストフェレス。 時計ワニの大きな顎が開く。涎を滴らせ、巨大な牙がメフィストフェレスを飲み込もうと襲い掛かる。 『っ……!』 メフィストフェレスは、時計ワニの胴体に蹴りを叩き込む。 それで体勢が崩れる。ばちん、と虚空をかみ締める時計ワニの大顎。 『はあっ!』 メフィストフェレスは、その大顎を下から時計の針の剣で串刺しにする。 だが、それは致命傷には至ってない。時計ワニは体をひねり、鰐特有の巨大な尾でメフィストフェレスを横薙ぎに殴りつける。 その反動で、顎を串刺しにしていた剣が抜ける。 再び大きく開かれる牙。 『閉ざすのが無理なら――』 迫りくる大口を、 「そう、こじ開ける!」 両手で掴む。 そのまま、脚を振り上げ、時計ワニの下顎にかける。 両腕は上顎に。 「ずぁああああああっ!!」 そしてそのまま、メフィストフェレスは時計ワニを引き裂いた。 音を立て倒れる巨体。 だがピーターパンは笑っている。 「時計ワニが一体だと、誰か言ったっけ、ねぇフック船長?」 チクタク、タクタク。 チクタク、タクタク。 チクタク、チクタク。 チクタク、タクタク。 チクタク、タクタク。 チクタク、チクタク。 チクタク、タクタク。 チクタク、タクタク。 床から、天井から、壁から。 大小さまざまな時計ワニが、次々と現れる。 『――っ、数が多すぎます。 祥吾さん、あなたは早く彼女を!』 「わかった!」 メフィストフェレスの操作をメフィストに任せ、祥吾は静久の元へと駆け寄る。 「静久ちゃん、ここを出よう! 見ただろう、あんな化け物が――」 「いや!」 静久は身を縮め、首を振る。 「静久ちゃん?」 「いや……いや、です……わたし、そとに、でたくないっ」 「何で……」 戸惑う祥吾に、ピーターパンは嘲笑する。 「大人にはわからないよ。 彼女はね、大人になりたくない。ずっと子どもでいたい。 そう思ってる。だから僕たちはここにいる。 そうだろ、僕のウェンディ」 「……そういう、ことか」 大人になりたくない、子どもでいたい。 それがこの世界のルールを作り出した、彼女の願い。 永遠のこどもの国で、ずっと、ずっと。 「そう、永遠に僕たちはこの世界で遊び続けるんだ。 それはとてもとてもすばらしい事だよ。そうだよね? ねえフック船長、思い出せよ。お前にも子どもの頃はあっただろう? あの時の楽しさを思い出すんだ。 一日は今よりもずっと長くて。 大人たちのうざい小言をすり抜けて、子どもたちだけの秘密基地で遊んだあの日を」 「……ああ、そうだな」 祥吾は頷く。確かに、そんな記憶は祥吾にもある。 誰もが持つ、幼い日々の記憶。 「それを永遠に繰り返すんだ! さあ、君も子どもに戻ろう、僕たちみんなで手を取り合って、永遠に!」 ピーターパンは手を差し伸べる。 「ずっと、一緒に」 その手を、 「……黙れ、クソガキ」 時坂祥吾は、振り払う。 「……っ!?」 「何が永遠だ。繰り返す子どもの日々? ふざけるなよ。 お前は知らないんだろうな、永遠の子どもであるお前は」 「な、何をだよ! 僕は知ってる、子どもの日々はとても楽しくて――」 「ああ、楽しかったよ。ワクワクしてた。 何にワクワクしてたかって? 今日はとても楽しかった、明日はどんな日になるだろうか、だ」 「あし、た――?」 ピーターパンは一歩後ずさる。何だそれは。そんなもの、知らない。 永遠に続く今日、終わらない子どもの日々。それがすべてだ。他にはいらない。 「明日は何して遊ぼうか、明日は誰と遊ぼうか。明日の給食は何だろう、明日は―― そうやってワクワクしてた。子どもにあるのは、未来だ。 どんな大人になるだろう、将来は何してるだろう。 そんな希望を――否定してる世界だよ、お前の言う永遠は! そんなの、ちっとも欲しくない。つまんない世界だろう」 そう、ただ終わらない今日。そこには未来が無い。 子どもは、大人になっていく。青春を送り、成長し、大きくなっていく。 だが、ピーターパンの――このラルヴァのいう世界は、それを否定するものだ。 それだけは、認めてはいけないと祥吾は確信する。 「お前はただ、明日が怖くて今に縋り付いてるだけだ。 それはただの逃避にすぎない。そんな世界は――確かに楽かもしれない、だけど、楽しくなんてない」 「な……黙れ黙れ黙れよおっ! そんなの――大人の身勝手な理屈だろおっ!!」 ピーターパンは叫ぶ。 「未来は輝いてる!? ハッ! なにをバカな、そんなの――恵まれた奴の言葉だっ! 言ってやれよウェンディ、未来に希望なんかないって!」 その言葉に、推移を見守っていた静久が口を開く。 「……みらい? そんなの……私は、知らない」 悲しそうに、悔しそうに、大粒の涙を流しながら。 「大人になりたくないの! 外は怖い、大人は汚い、みんないじめてくる、私には友達も居ない、なにもない、こわい! そんなの、お兄さんにはわからないよっ!!」 静久は叫ぶ。 自分はいじめられていた、と。友達もいない、大人も信用できない、なにもかもが敵だと。 ――ああ、そうか、と。祥吾は思う。 違和感は感じていた。 この世界が、子どもの遊ぶ永遠の国なら。 その中心にいる、この女の子は何故、外の遊園地で楽しく遊んでいなかったのか。 このラルヴァは、人の心象を具現化すると、語来少年は説明した。 つまり――永遠の孤独。 メフィストが言った、ラプンツェルの塔というのは的を得ているのかもしれない。 子どもの世界。それをただ見るだけしかない、孤独の塔のお姫様。 ――正直、腹が立つ。 「そうさ、それを大人が身勝手に踏みにじる権利はどこにも無い! 大人なら子どもの――」 「――黙れっつってんだろ!」 「ひっ!?」 ピーターパンのどうてもいい叫びを、一喝して黙らせる。 祥吾は、静久に向き直り、静かに言う。 「――わかる。わかるさ。 俺は、小学校の頃いじめられてました! きっかけはなんでもない、同級生が万引きしてたのを間が悪く目撃して、それが最初。 あとはお決まりのパターンだったよ。 ときさか菌、とか言われたり。グループわけで一人余って、クソババアの教師は「気持はわかるけどかわいそうだから班にいれてあげなさーい」と来たもんだ。ありゃあ子供心に殺意抱いたね。 そうさ、ムカつくことなんてたくさんある。 大人になるのは怖いさ。外に出るとつらいこともたくさんある。 だけど俺は知ってる」 祥吾は、一歩、また一歩、ゆっくりと静久にむかって歩く。 「未来には希望があって、外には楽しいことがたくさんある。 それを俺は教えてもらった。手を引いてもらった。 どんなに怖くても、嫌でも、前に足を踏み出すことの大切さを」 思い出すように、大きく深呼吸。 そして、祥吾は笑顔で、手を差し伸べる。 「――こわくていいんだよ。こわくない奴なんていないさ。 そんなときは、誰かに手を引いてもらえばいい。背中を押してもらえばいい」 「でも、わたしにはそんなひとなんて……」 静久は、目をそらし怯えながら言う。 それは、祥吾に怯えているのではない。それは祥吾にもわかる。 怖いのだ、一歩踏み出す、そのことが怖い。 それは当然だ。男の自分だって、怖かったことを祥吾は覚えている。 だったら。 「だったら俺が手を引いてやる。背中を押してやる。 色々と教えてやる、この世界にはつらいことだけじゃなくて、楽しいことがたくさんあるって。 だから……この牢屋から、出よう。一緒に」 笑顔で差し伸べたその手を、静久は―― 「やめろぉおおおっ!!!」 そっと取り、そして祥吾の胸に飛び込む。 その瞬間。 ピーターパンは、そして時計ワニ達は、霧散消滅した。 まさしく、霧が晴れるかのように。 「――やれやれ、無事に終わったようだね」 大人の姿に戻った語来が、自分の手を握り、久々の大人の肉体の感触を確かめる。 「それにしても、なんというか、恥ずかしいねぇ。 これが若さかな」 語来灰児は、先程の会話をちゃんと聞いていた。というか、記録していた。 霧が晴れたことにより、遊園地も城も消失していた。 今この場は、巨大な城ではなく、霧原静久の家、彼女の部屋である。 彼は部屋の前で、壁を背にしている状態だ。 「十年後にでも彼に届けてあげるのもまた一興かな」 そう呟いていると、どたどたと足音が聞こえた。 「――語来さん、すみませんでしたっ」 「あーもー、なんたる不覚っ!?」 鶴祁と綾乃である。 二人も元に戻り、そして記憶もまた戻っていた。 「やあ、君たち」 「事件は――」 「終わったよ」 灰児は、そう言って部屋を指差す。 「な――」 敷神楽鶴祁と、米良綾乃は絶句した。 「――え?」 霧は晴れた。 そしてあの妙な城は女の子の部屋に変わった。 それはいい。世界を捻じ曲げた現象であるところのラルヴァは、彼女の心の霧が晴れたことにより消失したのだろう。 だが問題は、だ。 (なんかあたってる……というかでかっ!?) 祥吾の胸に飛び込んできた、六歳の女の子。 ――だがこのサイズは、どう考えても六歳児のものでは、モノではなかった。 背丈もそうだが、なんか当たってるでかいふたつのふくらみが。 「つまり」 壁の向こうで、灰児が呟く。 「大人になりたい、子どもに戻りたい――そう願った引きこもりの少女。 それが、その本人が子どもに戻ってないと、誰も言ってない訳だ」 そう。 霧原静久、17歳、引き篭もり。 それが今回の事件の原因であった。 「同年代の女の子に言うせりふじゃ、なかったなあ」 灰児がそう呟く横で―― 「な、なななななななななななななな、何をやっているんだ君わっ!?」 「ぬぐぁ、先輩はやっぱりなんというかとことんまで痴漢メンでしたかっ!?」 声を上げる二人。 「ぬぉっ!? いや、違う、違うよこれは――」 「――あの、色々と……教えてくれるんですよね……」 「はい?」 静久の言葉に、空気が音を立てて凍る。 「大人に……その、してください……」 さらに空気が、音を立てて軋んだ。 ――そう。 時坂祥吾は、間が悪いのだ。 「ふ、ふふふふふふふふふふ」 鶴祁が笑う。表情は見えない。 ――天地は万物の逆旅にして、 光陰は百代の過客なり。 「ちょちょっと、何呟いてんの先輩!? つかそれ、ちょ、待っ!?」 これから起きる事柄について、語来灰児は思案する。 面白そうだからここで眺めるか、それとも巻き添えを懸念し、離れるか。 「――まあ、危ないし、な」 結論。 君子危うきに近寄らず。 灰児が背を向けて立ち去る中、 とてもイイ音が、霧の晴れた街に響き渡った。 ―了― 名前 トップに戻る 作品投稿場所に戻る
https://w.atwiki.jp/dicadavertrpg/pages/31.html
◆第三話:スラク・ダオ暗殺作戦 著:凪ノ香 想定プレイヤー人数:3人 本シナリオのリプレイはウェブ、同人誌、動画等々にて公開して構いません。 その際は二次創作についてのガイドラインに従ってください。 ◆第三話:スラク・ダオ暗殺作戦○シナリオ概要 ○PC2 オープニングフェイズ:戦線膠着 ○PC3 オープニングフェイズ:連邦陥落 ○PC1 オープニングフェイズ:蘇る伝説 ○ミドルフェイズ シーン1:不名誉作戦 ○ミドルフェイズ シーン2:出立準備 ○ミドルフェイズ シーン3:地下神殿 ○ミドルフェイズ シーン4:再び、戦士の休息 ○ミドルフェイズ シーン5:皇帝騎伝説 ○ミドルフェイズ シーン6:波乱の兆し ○クライマックスフェイズ:《伝説》対《伝説》○GM用判定早見表 ○インターリュード:皇女亡命 ○マスターシーン ○エンディング ○登場パーソナリティ ○シナリオ製作者よりのお願い ○使用エネミーデータ ○ボスキャラクターデータ ○シナリオ概要 エケテイリアによるつかの間の平和は終わりを告げた。 リアピオン大祭におけるノスフェラトゥの活躍により、公国の威信は蘇り、服属する諸国の動揺も収まった。 ドウラ公国はかつての力を取り戻し……しかし、それでもダオ帝国は依然として強力であった。 再開された両国の戦いにおいて、“小覇王”スラク・ダオは徹底して公国に「決戦」の機会を与えない。 〈神骸騎〉アイオーンを駆るユジン・ダオ皇子は、マヌ=カーセ連邦を着実に切り崩している。 このまま膠着が長引けば、ダオ帝国は戦線の整理を終えるであろう。 ならば残る手立ては、ひとつ。 ――“小覇王”スラク・ダオ皇女を、討つほかになし。 ○PC2 オープニングフェイズ:戦線膠着 平和休戦を終え、ドウラ公国とダオ帝国との戦争は再開された。 PC2は今まさに、公国の〈神骸騎〉たちを率い、ダオ帝国に占領されたドウラ公国の要衝の奪回のため戦っている。 大地を踏み鳴らす震動が響き渡る。 剣戟。砲音。閃光。火花――PC2と、それが率いる〈神骸騎〉たちはヘカトンケイレスとギガンテスを追い詰めつつあった。 (GM、PC2に搭乗状態での登場を促す) 神骸騎ヘカトンケイレス 「グヌゥッ! PC2、やはり貴様も大した腕だ!」 神骸騎ギガンテス 「これ以上は保たぬか……!」 二柱を追い詰めるPC2だが―――― 突如、遠方から閃光兵器がPC2に向けて発射される。 新手の〈神骸騎〉だ。 神骸騎ヘカトンケイレス 「む、刻限か! すまぬなPC2、皇女殿下の命令とあらば致し方なし!」 神骸騎ギガンテス 「者ども! これ以上は保たせずともよい! 次の陣地に下がるぞ!」 ヘカトンケイレスとギガンテスが、手勢を連れて整然と撤退していく。 恐らく次の要衝でもまた、十分な陣地と防御を敷いた上で迎撃してくるだろう。 PC2はこの土地を奪回できたが―― 戦争が再開して以来、公国の〈神骸騎〉は思うように占領された国土を奪回できていない。 ダオ帝国の陣地を破れないわけではない、今のように勝てることは多い。 しかし破れたとしても、続けざまの防御陣地に消耗し、公国側の戦力も突破力を喪失。 更には敵の機動戦力に後方を脅かされ、後退を余儀なくされ……一進一退が幾度も続いている。 公国側の〈神骸騎〉たち 「くっ、また逃げられた! まるで手応えがねえ、畜生!」 公国側の〈神骸騎〉たち 「“小覇王”め! 俺たちをじわじわと絞め殺すつもりでいやがる!」 スラク皇女の現在の戦略は、堅実で隙のない持久戦だ。 占領された国土を取り戻すためのドウラ公国の戦いは、実質的な膠着状態にあった。 厳しい戦況をPC2が確認したところでシーンを終了する。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○PC3 オープニングフェイズ:連邦陥落 ドウラ公国の首都エポリナ。 その任意の場所で、PC3はカグラからの情報提供を受けている。 ダオ帝国と、マヌ=カーセ連邦とのいくさの最新情報だ。 “忍びの者”カグラ 「結論から言って、マヌ=カーセ連邦は陥ちた」 「ダオ帝国との断続的な戦争。長年の悪政。加えてリアピオンでの不名誉な刺客騒ぎ」 「徹底抗戦を訴えるもの、帝国への譲歩を主張する者、これを機に離反せんとする者……」 「諸侯の会議は踊り、王は国をまとめるちからを欠いていた。お前のところの公王とは大違いだな」 (GM、PC3に非搭乗状態での登場を促す) 「そのような惨状にあの“伏龍皇子”が〈神骸騎〉アイオーンと皇帝槍を携えて襲いかかったのだ」 「連邦を構成する諸王国は連携をとれないままに切り崩され、併呑され、あるいは滅ぼされていった」 「王の首は落ち、後継を僭称する諸侯は複数。もはやマヌ=カーセ連邦は実質的に瓦解したといっていいだろう」 カグラは淡々と地図に筆を入れていく。 ダオ帝国の傍らにあった、けして小さくはない国が、一筆ごとに切り刻まれていく。 「もはやマヌ=カーセは、ただ小国が乱立する混乱の地に過ぎない」 「戦後処理を終え次第、“伏龍皇子”ユジン・ダオは手勢を連れて公国戦線へと帰陣する」 「公国は早期決着を狙うほかないが、“小覇王”スラク・ダオもそれは理解している故の持久戦だ」 「……PC3よ」 「お前たち二人だけならば、まだ逃げられんこともなかろう」 「最後までドウラ公国に味方するつもりか?」 カグラは真剣な表情で問いかけてくる。 その問いに、PC3が真剣に返答を行った場合、 「そうか。お前たちは、己が殉ずるべきものを見つけたのだな……」 カグラは目を細め、静かに頷く。 「ならば、はなむけに教えてやろう。マヌ=カーセ戦線から、密かに送られた援軍の第一陣がじき到達する」 「中核となるのは“伏龍皇子”ユジン・ダオに最近仕えはじめた、謎の〈神骸騎〉が二柱」 「だが、我々ノザルキはその正体を把握している」 「……やつらは伝説の〈神骸騎〉、《七星騎(セプテントリオン)》だ」 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○PC1 オープニングフェイズ:蘇る伝説 謎の〈神骸騎〉乗り 「やあやあ。――お初にお目にかかるよ、ドウラ公国公王陛下。そして〈神骸騎〉ノスフェラトゥ」 「私はモノク。この〈神骸騎〉の〈魂魄〉を担うものだ」 「無位無官ゆえ、失礼があれば平にご容赦を――」 念話機から、あなたのいる心座に向けて、若い女の声で念話がある。 PC1の目の前にいるのは、一柱の見知らぬ〈神骸騎〉だ。 優雅に一礼するそれは強襲騎であり、マントのような布を羽織っている。 ……それだけならば異常はない。 しかし、状況が尋常ではなかった。 ここはドウラ公国の前線陣地のど真ん中なのだ。 (GM、PC1に搭乗状態での登場を促す) 公国兵 「嘘だろ!? あのデカブツ、どこから入り込んできたんだ!?」 公国兵 「警鐘鳴らせ! 公王陛下をお守りせよ、急げェ!」 蜂の巣を突いたような大騒ぎなる陣地。 しかしモノクと名乗った女は臆した様子もなく、念話を通してPC1のみに語りかける。 モノク 「いやはや、お騒がせして申し訳ない。こうして陛下のもとを訪問したのはワケあってのことでね――」 「実は、浮世の義理というやつで、私はユジン皇子とやらに味方せねばならなくなった」 「つまり貴方を殺さねばならぬ立場なのだが……どうだろう、降参する気はないかな?」 モノクの問いかけにPC1が拒否をした場合。 モノク 「アハハ! そりゃそうだろうね。降れと言われて降るのは馬鹿のすることだ」 「けれど、これを見ても同じことが言えるかな……?」 モノクは自らマントを剥ぎ取る。 あるいはPC1が攻撃を行った場合も、モノクは回避動作と同時にマントを捨てる。 ――その〈神骸騎〉の胸部には、特徴的な七つ星の紋章が輝いていた。 公国兵 「な、なんだ!? あの胸に輝く紋章は――!」 「まさか、あれは!」 “紋章官”フィオ・サームズ 「……陛下、最大限の警戒を」 間髪入れず、紋章官のフィオから念話が入る。 “紋章官”フィオ・サームズ 「あの胸の七つ星。あれはかの皇帝騎に仕えし宿将、《七星騎(セプテントリオン)》」 「伝説の七柱の〈神骸騎〉が一柱、アリオトに相違ありません」 「イクタリ帝国崩壊後、《七星騎(セプテントリオン)》は離散したとのみ伝わっておりますが……」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「私は余計な血を流したくはない。下らぬ敵と戦って、《七星騎》の名を汚したくもない」 「だからこうして訪問した、覚悟を問うためだ」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「『ノスフェラトゥは蘇る――』……現代の伝説、死なずの〈神骸騎〉のあるじよ」 「皇帝騎の伝説と、真っ向から対峙する覚悟はあるかい?」 PC1が返答すると、《七星騎》アリオトは満足げに頷く。 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「なるほど。――その意気、見事。いずれ戦場でお会いしようじゃあないか」 マントを羽織り直すと、モノクの駆るアリオトは騒然とする公国の陣地を去っていく。 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「……それと、そう、最後に一つだけいいかな?」 「ユジン・ダオ皇子には、気をつけたまえ。どうにも、あれは……嫌な感じがする」 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○ミドルフェイズ シーン1:不名誉作戦 ドウラ公国、首都エポリナの公城。 その大会議室には、伝説的な〈邪神騎〉の胸部装甲を槍で貫く皇帝騎の大絵画が飾られている。 よくよく見れば、その背景には敵勢を打ち払う皇帝騎の宿将――《七星騎》たちも描かれていることに気づくだろう。 PC1が遭遇した《七星騎》アリオトに酷似した機体もまた、刃を振るって敵を打ち払っている。 (GM、全員に非搭乗状態での登場を促す) “神官長”イズラ・サン 「………………」 “内務大臣”ムライプ・ミスターニ 「………………」 大会議室を、沈痛な沈黙が支配していた。 戦線は膠着状態。 きわめて強力な〈神骸騎〉が二柱、敵方に援軍として到来。 更に後ほど、より大規模な援軍の到来が予想される。 “内務大臣”ムライプ・ミスターニ 「先代の……ゲオルグ公の時代にさえ、これほどの攻勢は……」 「たとえもし、ゲオルグ公がご存命であったとしても――――」 この全面攻勢を、ドウラ公国は受け止めることができない。 ――誰もが、公国の滅びを予感していた。 ここでパーティの誰か(あるいは誰も発案に適さなければ、カグラなどを登場させても良い)は、 「一か八か、ダオ帝国の本陣に少数の〈神骸騎〉で奇襲を行い、スラク皇女を殺害する」という作戦を発案できる。 防衛に卓抜した采配を振るうスラク皇女が突如として消えれば、戦局は一気に公国に傾くだろう。 しかし―― “神官長”イズラ・サン 「…………誉れのない、作戦ですな」 いかに指揮官とはいえ、〈神骸騎〉に乗ることのない貴人の少女を、複数の〈神骸騎〉で襲い叩き潰す。 それは不名誉という他ない作戦だ。 “紋章官”フィオ・サームズ 「……しかし、それ以上の案を持つ方はいらっしゃいますか?」 場に沈黙が落ち―― “神官” エタタヤ・サン 「……該当の土地近くには、たしか神代の遺跡が。経路に使えぬものか、調査いたします」 エタタヤがそう言って席を立ったのを皮切りに、首脳部もそれぞれの準備のために散っていく。 そして、大会議室にはパーティのみが残される。 パーティの会話が一段落した時点で、シーンを終了すること。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○ミドルフェイズ シーン2:出立準備 エポリナ神殿の〈神骸騎〉格納庫は、外界の喧騒と切り離されたかのように静かだった。 〈神骸騎〉の最終点検を行うパーティのもとに、大量の古文書を抱えたエタタヤがやってくる。 “神官” エタタヤ・サン 「お待たせ致しました」 「……周辺の地図と、くだんの遺跡に関する記述がありそうな古書類です」 パーティは【技術】または【心力】で判定を行うことができる。 いずれかのキャラクターが成功数2以上を出すと、エタタヤと協力し遺跡の来歴や適切な侵入経路を推定できる。 なお、もし全員が判定に失敗した場合でも、エタタヤが最低限の侵入ルートを判別する。 ―――――――――――― 【神代の地下神殿】 この遺跡は神々が在りし神代には、壮麗で巨大な地下神殿だった。 その後、神々が死して後の戦乱の時代においては要塞として利用され、幾度も増改築を繰り返された。 神殿要塞の主となる勢力は、時代と共にさまざまに移り変わった。 その最後の主はイクタリ帝国であり、第四代の皇帝によってこの要塞の放棄が決定された。 当時は大陸の大半が平和を謳歌していた穏やかな時代であったこともあるだろう。 経年劣化が深刻となり、崩落の危険がある巨大な地下施設の維持は不用とみなされたのだ。 イクタリ帝国の崩壊後は最低限の管理すらなされず、魔獣たちが住み着く魔境となってはいるが…… このような経緯から、この施設には〈神骸騎〉が侵入、往来可能である。 ―――――――――――― パーティが準備を整え、格納庫から出立しようとすると、外には公国の首脳部がみな整列している。 “神官長”イズラ・サン 「………………」 “内務大臣”ムライプ・ミスターニ 「………………」 “紋章官”フィオ・サームズ 「………………」 その視線はパーティへの信頼と、全ての不名誉を分かち合う覚悟に満ちている。 見送りに応じ、パーティが出立したところでシーンを終了する。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○ミドルフェイズ シーン3:地下神殿 薄暗い列柱回廊を〈神骸騎〉が進んでいく。 天井から、パラパラと土埃が舞い落ちる。 不気味な暗闇に覆われた遺跡は、もう長い間、人が侵入した痕跡はない―― (GM、全員に搭乗状態での登場を促す) 「○シーン2:出立準備」において侵入経路の判定に成功していた場合のみ、パーティは【肉体】または【魔力】で判定を行うことができる。 もっとも高い達成値を記録する。 以下のエネミーの【】でくくられた[接敵]グループを、達成値1つごとに任意に1つ排除して良い。 つまり達成値3を出したら、【成れ果て】【食人樹×3】【珪素蟲の群れ×4】を取り除く等である。 (※上手く察知されない経路を辿った、存在を察知して先んじて仕留めたなど演出は自由に行って良い) もし「○シーン2:出立準備」において侵入経路の判定に失敗していた場合、パーティはこの全ての敵と交戦せねばならない。 【珪素蟲の群れ×4】<距離>【食人樹×3】<距離>【パーティ】<距離>【成れ果て】<距離>【食人樹×3】<距離>【珪素蟲の群れ×4】 大きな広間に出たところで、パーティは四方からの殺気を感じる。 神殿に巣食う、無数の魔獣たちの襲撃だ! 戦闘に勝利し、パーティが会話を終えたらシーンを終了する。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○ミドルフェイズ シーン4:再び、戦士の休息 地下遺跡のなかには、頑丈な扉が残る格納庫と思しき部屋があった。 魔獣の襲撃を警戒しながらの長い地下行軍で、みな集中力が途切れかけている。 いったん休息してから決戦に向かうべきだろう―― 部屋の安全を確認し、〈神骸騎〉で扉を閉じると、みな〈心座〉から降りて一息つくことができる。 部屋には〈神骸騎〉の部品や工具などもいくらか残っている。少しは整備をする時間もあるだろう。 ――いつか、PC1が公国を受け継いだ時にも、このようなひと時があった。 (GM、全員に非搭乗状態での登場を促す) ここではPC全員が、【技術】または【魔力】で一回の判定を行うことができる。 任意の〈神骸騎〉のHPを、「2d6×成功数」ぶんだけ回復させることができる。 この成功数は任意の機体に振り分けできるが、振り分けが確定した後に回復量のダイスを振ること。 つまり2成功した場合、〈神骸騎〉2柱に1成功ずつ2d6の回復を振り分けることはできる。 しかし3点と11点が出てから、損耗の大きい側の機体に11点を振り分けるといったことは不可能だ。 適度にロールプレイを行い、キリがついたらシーンを終了しよう。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○ミドルフェイズ シーン5:皇帝騎伝説 一行は真っ暗な遺跡を進んでいく。 遺跡は様々な時代の様々な勢力によって増改築が施されている。 見たこともないような建築様式のもの、使途も分からない錆び朽ちた謎の機械――そこらに潜む危険な魔獣。 そんな中、パーティは比較的新しい雰囲気の区画に到着する。 恐らくイクタリ帝国時代に改築された場所だろう。 列柱回廊の壁画には、かつての皇帝騎の伝説が描かれていた。 (GM、全員に搭乗状態での登場を促す) パーティのそれぞれは【技術】で判定を行うことが出来る。 成功数1以上で、以下の伝説を思い出すことができる。 ―――――――――――― 【皇帝騎伝説】 ……かつて、イクタリ大陸の乱世が極まりし時。 血と力に飢え怯えた人々の欲望は、暗黒の邪神たちの亡骸を〈回生〉させた。 各地より姿を現したどす黒い神々は、その〈魂魄〉の魂や善性を喰らい、血と暴虐の限りを尽くした。 ――恐怖の父アブホース。 ――裏切りのヤルダバオト。 ――疫病の王メスラムタエア。 ――名を秘されし狂乱の神。 ――呪われたる島のバビロン。 暗黒の伝説。夜の炉端で恐ろしげな声で囁き伝えられる、闇の神々。 現在では、それらの機体の詳細は判然としない。 しかしその大半を討ち取ったとされるのが、イクタリ帝国初代皇帝の駆る皇帝騎だ。 曇りなき正義と光を体現するかのような、白い機体。 まさしく神そのものの絶対的な力と、伝説的な武装。 七柱――あるいは番外の一柱を含め八柱とも伝えられる忠義の宿将、《七星騎》たち。 白き機体の駆けるところ、悪なる神々はたちどころに討ち取られた。 帝国の版図の広がるところ、乱世は駆逐され、秩序と平和、豊穣と安寧が広がってゆく。 かくしてイクタリ帝国は建国された――――イクタリ帝国の建国史だ。 ゆえにこそ皇帝騎は、イクタリ帝国の正当なる後継者の証なのだ。 ―――――――――――― 美々しく飾り立てられた部分もあるのだろう。 都合の悪い部分は、おそらくはぼかされているのだろう。 それでも遺跡の闇の中で、悪なる神に立ち向かう、白い皇帝騎の絵画は未だに勇壮だ。 しばし皇帝騎の壁画を眺めていると―― パーティの行く手……ダオ帝国の陣地側から、轟音が響き渡った。 歴戦の君たちが聞き違うはずもない。それは〈神骸騎〉による射撃の弾着音だ。 ――何か、明らかな異常が起こっているようだ。 パーティがそれを確認し、陣地側に移動を開始したところでシーンを終了する。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○ミドルフェイズ シーン6:波乱の兆し ダオ帝国叛乱兵士 「ユジン皇子を皇帝の座に! ――“小覇王”を殺せ!」 ダオ帝国兵士 「何を言っている!? 止めろ、止めろ! 皇女を御守りせよォ!」 蔦に覆われた遺跡の入り口を抜けた先は、ダオ帝国の本陣のすぐそばだった。 そしてその本陣では、なぜかダオ帝国の兵士同士が殺し合いをしている。 競り合いの中央で対峙しているのは――あろうことか、二柱の《七星騎》だ。 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「リクハ! いったい何をしている!? 《七星騎》の名を穢す気か!」 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「そこをどいてください、モノク! これは必要なことなのです!」 《七星騎》ミザールの砲からは既に発射煙が立ち上っており、《七星騎》アリオトの握る刃には曇りがある。 どうやらミザールの射撃を、アリオトが剣でもって反らしたようだ。 大混乱のダオ帝国の本陣にあって、古参の帝国兵たちが守ろうとしているのはスラク皇女だ。 PC1は判定の必要なく、それがリアピオン大祭で出会ったあのときの少女だと気づくことができる。 “小覇王”スラク・ダオ 「…………!」 スラク皇女もまた、突如として現れたノスフェラトゥの姿に気づいて目を見開く。 ダオ帝国兵士 「ノスフェラトゥ!? なんてことだ、ノスフェラトゥが現れた!」 「いったいどういうことなんだよ! ドウラ公国の企みか!?」 「わからん! 皇女殿下、お下がりを、皇女殿下!」 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「皇女殿下。恨みはありませんが、そのお命、頂戴いたします!」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「リクハ……くっ!」 ミザールが巧みな挙動でアリオトを押しのけ、スラク皇女に砲を向ける。 “小覇王”スラク・ダオ 「あ…………」 自らの死が迫るその瞬間。 スラク皇女は何を思ったか、敵であるはずのノスフェラトゥに手を伸ばした。 この時、GMはPC1に、3つの選択肢があると説明すること。 1つ目はスラク皇女を見殺しにすること。アリオトの砲撃でスラク皇女は死亡する。 2つ目はスラク皇女を攻撃すること。ノスフェラトゥの攻撃でスラク皇女は死亡する。 そして3つ目は、ノスフェラトゥを駆りスラク皇女を救出することだ。 ただし救出を行う場合、ノスフェラトゥは《七星騎》ミザールの攻撃を受けねばならないと説明すること。 また、このとっさの救助行動は、スラク皇女と面識のあるPC1にしか判断できない。 【救助を行わなかった場合のシナリオ進行】 直後、皇女の儚げな姿は〈神骸騎〉の攻撃によって血煙となった。 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「標的の撃破を確認。……モノク、理解してくれとは言いません。ですが議論は後です、敵の襲来です!」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「ノスフェラトゥ。ノスフェラトゥか、ハハハ、格好をつけておきながら、ブザマなところを見られたな」 「だがこれも浮世の義理、仕える主は簡単に裏切れない……相手をしてもらおうか、死なずの〈神骸騎〉よ!」 クライマックス戦闘に移行する。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 【救助を行った場合のシナリオ進行】 PC1はノスフェラトゥを駆って手を伸ばし、スラク皇女を拾い上げて〈心座〉に匿った。 直後、皇女を狙った《七星騎》ミザールの攻撃がノスフェラトゥに到達する。 射撃攻撃に対する防御判定を行うこと。通常通りに判定を行い、失敗した場合はダメージを受ける。 辺りに轟音が響き、爆炎と煙が巻き上がる。 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「なっ!? 〈神骸騎〉の乱入――?」 「ですが無駄なこと、《七星騎》ミザールの砲撃を受けてはもろともです!」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「ハハハ! ……リクハ、冷徹な策士気取りのようだが、君の目はずいぶん曇っているな!」 「あの機体が、あの程度の砲撃で沈むはずがないだろう」 PC1は、煙の中から現れるノスフェラトゥの姿を自由に演出してよい。 ダオ帝国兵士 「ノスフェラトゥ――」 「ノスフェラトゥだ……」 「また、また蘇って来やがった……!」 「だけど、今回は……今回ばかりは、よくぞ……!」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「あれはノスフェラトゥ! 公国の守護者、死なずの〈神骸騎〉! イクタリ最新にして最強の伝説!」 「それを砲撃一発で殺したつもりかい!? 《七星騎》もずいぶんと傲慢になったものだ!」 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「ぐ、ぐ……!」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「ハハハ! いきなり暗殺沙汰に加担させられかけて、気分が最悪だったが……」 「気が晴れたよ。ミザールの乗り手として、少しは反省することだね、リクハ!」 「……とはいえ残念ながら、私もダオ帝国に仕える身だ」 「《七星騎》の名誉を汚す気はさらさらないが、皇女殿下をハイそうですかとさらわせるのもまた不名誉」 「ノスフェラトゥ、そしてその仲間たち! 美姫を守って悪漢と戦う英雄か、それとも姫をかどわかす邪悪な吸血鬼か!」 「勝ったほうが誉れある役を手にする形だ――君たちに、《七星騎》アリオトは挑戦するぞ!」 《七星騎》アリオトは、パーティに刃を突きつけてくる。 パーティ側がそれに応じたところで、クライマックス戦闘に移行する。 登場キャラクター各自の良いロールプレイをひとこと褒め、GMはそれぞれに絆ダイスを1つ渡すこと。 ○クライマックスフェイズ:《伝説》対《伝説》 “小覇王”スラク・ダオ 「な、なんなのよ、ほんとうに……!」 「また。また……ノスフェラトゥはいつもそう」 「戦場に現れては、何もかもを打ち壊していく。我こそは不死の怪物だと言わんばかり!」 PC1の駆るノスフェラトゥの〈心座〉にて。 スラク・ダオは涙の滲む目で叫ぶ。 「それに、それに――――あなたたち、まだ、そのリボン、持って……」 「ほんと……〈神骸騎〉なんて、だいっきらい!」 そうして、泣いてるような、笑っているような、晴れやかな表情をPC1に向ける。 PC1とスラク・ダオの会話に区切りがついた時点で、クライマックス戦闘を開始すること。 なお、スラク・ダオはパーティ全体に適応可能な、以下の支援効果を持っている。 ―――――――――――― 【“小覇王”スラク・ダオによる支援効果】 スラク・ダオ皇女は〈心座〉から念話機を用いて、パーティの連携に協力する。 パーティはこのクライマックス戦闘中、以下の効果を使用できる。 セットアップに使用する。そのターン中、〈神骸騎〉一柱の【反射】値と反射ダイスを+3する。(1シナリオ1回) 任意の判定の達成値が決定した後、その判定を振り直す。(1シナリオ1回。相手のリアクション後にも使用宣言可能) ―――――――――――― なお、スラク・ダオを殺害した場合は上記のやりとりと支援効果の記述は全て無いものとする。 GMはそのままクライマックス戦闘を開始すること。 戦闘前に、各自に絆ダイスを1つ配布する GMは各キャラクターの絆ダイスが、4~5個あることを確認しよう。 極端な使い方をしていない限りは、ほぼ上限値になっているはずだ。 絆ダイスはキャラクターたちの勝利を支える重要な要素である。 もし明らかに絆ダイスが不足している様子であれば、GMはロールプレイを促し、更に絆ダイスを与えても良い。 《七星騎》アリオト 《七星騎》ミザール 以上のエネミーを、下記の[接敵]状態で登場させる。 【《七星騎》アリオト/《七星騎》ミザール】<距離>【パーティ】 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「そらそら、リクハ! いつまで悔しがっているんだい!」 「《七星騎》が皇女暗殺の陰謀に加担した挙げ句、乱入してきた敵の公王を取り逃す?」 「とんでもない不名誉だ! ご先祖さまに申し訳が立たないぞ! 少しは挽回してくれたまえよ!」 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「くっ! モノク! あなたというひとは! あなたというひとは!」 「主君の命令をなんだと思っているんですか!」 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「キミこそ《七星騎》をなんだと思っているんだい?」 「陰謀や暗殺の必要性は否定しないが、《七星騎》はそんなものに関わって良い機体じゃない!」 「……とはいえ議論は後! 先に敵だ!」 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「ええ。議論は後です、あれらは強い――このリクハ、もはや見誤りません!」 「いざッ!」 二柱の《七星騎》の両方が撃破された時点で決着となる。 二柱とも励起は行わないため、〈魂魄〉は死亡しない。 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「ハハハ! 見事だ、私の負けだよ英雄どの! 行くがいい!」 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「くっ! ユジンさま、申し訳ありません……!」 《七星騎》を撃破しても、ダオ帝国の兵士たちの戦いはなお続いている。 更に遠方からは、新たな〈神骸騎〉が増援にやってくる気配もある―――― “小覇王”スラク・ダオ 「PC1、あなたの使った侵入経路で、私の兵たちを逃がすことはできる?」 「兵たちの命を救ってもらう以上、必ず対価は支払うわ。――お願い」 この場に留まって暴れ続けたり、《七星騎》にトドメを刺そうとすると、あまり良い結果を招かない戦況だとGMは明言すること。 PCたちがスラクに味方するダオ帝国の兵たちを連れ、遺跡づたいに撤退を開始したところでシーンを終了する。 ○GM用判定早見表 【《七星騎》アリオト】(魂魄:モノク) 【HP】63/63 【LP】4/4 【反射】5 【防御力】肉体:6 技術:2 魔力:1 心力:3 [白兵攻撃]9D ダメージ:2D6+【肉体】22(《一騎当千》(消費【HP】5で範囲化) [突き返し]9D ダメージ:2D6+【肉体】22 [射撃回避]1D (至近からの射撃の場合、《矢切》で9D) [反射ダイス]6/6 ※《彗星の如し》(消費【HP】5)で白兵キャラに接敵する。 【《七星騎》ミザール】(魂魄:リクハ) 【HP】53/53 【LP】8/8 【反射】6 【防御力】肉体:1 技術:2 魔力:5 心力:3 【射撃攻撃】9D ダメージ:2D6+【魔力】15(《血を燃やせ》使用時+1~3D6) [白兵回避]1D [射撃回避]8D [反射ダイス]6/6 ※《血を燃やせ》(消費【LP】1~3)は積極的に使って与えるダメージを増やす。 《古強者》(消費【HP】5)は必要に応じて使用。 《戦術指揮》(消費【HP】5)は可能な限り使用する。 ○インターリュード:皇女亡命 ドウラ公国、首都エポリナの公城。 その大会議室には、伝説的な〈邪神騎〉の胸部装甲を槍で貫く皇帝騎の大絵画が飾られている。 ――スラク皇女の兵はひとまず公城に『賓客』として招かれ、兵は捕虜として留め置かれる運びとなった。 “小覇王”スラク・ダオ 「因縁深き敵味方の間柄にありながら、兵たちの命を救って頂き感謝の言葉もございません」 「このスラク・ダオ、公王陛下のお慈悲にすがり、この身の処遇はいかようにも――」 ダオ帝国の“小覇王”の采配により、先の公王ゲオルグ・ドウラは戦死した。 血族や友人を戦場で失った者も多いだろう。 それを理解している皇女は、緊張した様子で公国の首脳部に挨拶しようとしているが…… “内務大臣”ムライプ・ミスターニ 「なんと! お若いとは聞いておりましたが、これほどとは……」 “神官長”イズラ・サン 「ああ! もう貴女の策を向こうに回さずとも良い! これほど安堵したことは御座いませぬ!」 “神官”エタタヤ・サン 「すっ、すぐにお茶をお淹れしますね! 皇女殿下の舌に合うような……!」 公国の面々の反応は意外なほどに暖かく敬意に満ちており、スラク皇女は目を瞬かせる。 “小覇王”スラク・ダオ 「え? あの、私は客ではなく、公王陛下の捕虜で……その、ゲオルグ先王を……」 “紋章官”フィオ・サームズ 「はい。あなたはゲオルグ公を破った英雄であります」 「であれば、その名誉を貶めることは、あなたに敗れたゲオルグ公の名誉を貶めることでしょう」 “小覇王”スラク・ダオ 「…………そ、そうなの? PC1……?」 母国で侮られがちであったがゆえに、敵国からの図抜けた評価に困惑気味のスラクと、PC1の会話をひとしきり描写する。 その後―― “小覇王”スラク・ダオ 「けれど、なぜ兄上はあのようなことを……」 「わたしは皇位など望んでいなかった。父上も兄上を跡継ぎにと考えていたことでしょう」 「私を性急に殺す必要など、どこにもなかったはず。それなのに、なぜ――?」 スラク皇女が呟いたときだ。 伝令 「で、伝令! 伝令! 一大事にございます! 一大事にございます!」 「ダオ帝国にて、政変!」 伝令が大慌てで大会議室に駆け込んでくる。 「ユジン・ダオ皇子が、ビケザ・ダオ皇帝を殺害……弑逆(しいぎゃく)いたしました!」 叫びが会議室に響き渡り、シーンを終了する。 なおスラク皇女が死亡していた場合、この「○インターリュード」そのものが無いものとする。 ○マスターシーン “伏龍皇子”ユジン・ダオ 「我が父――――ビケザ・ダオは死んだ! なぜか!?」 ダオ帝国の王宮広間。 白い〈神骸騎〉が、念話機によって拡げられた声で演説を行っている。 「かつて主を弑して国を奪い、多くを殺し多くを奪い国々を平らげ、我が子さえも駒としか見なさぬ、野心!」 「老いた身を蝕むその野心が、あまりにも貪欲に過ぎたためだ!」 「マヌ=カーセへのやりようを見よ! 過去幾多の、ドウラ公国への無理押しを思い出せ!」 「諸君らも、既に薄々は気づいていたであろう!」 「このままでは帝国はビケザ・ダオの野心によって野放図に拡大し、いつしか恨みと憎しみによって瓦解すると!」 「私はそれを憂い、父殺しの罪を背負った!」 「なぜならば、私には皇子としての務め以上に、果たすべき使命があったからだ!」 「――この偉大なる〈神骸騎〉の、〈御者〉としての使命だ!」 白き〈神骸騎〉、アイオーンが、大地を踏み鳴らし一歩を踏み出す。 「今こそ諸君に、この機体の真実を告げよう――」 「この〈神骸騎〉こそは、喪われし皇帝騎!」 掲げられる槍は、かつてゲオルグ公より奪われし皇帝槍。 その槍のかたちは、その〈神骸騎〉にあまりにも合致していた。 「皇帝騎アイオーン! イクタリ帝国の、真なる継承者なり!」 政変に不安げにしていたダオ帝国の臣民たちが、その一声に瞠目する。 帝国の皇子が、皇帝騎の武装を手に、皇帝騎のあるじを名乗り帝位を奪う。 それはイクタリ帝国の民にとって、あまりにも多くの意味を持つ宣言だ。 「長き戦乱の時代は、皇帝騎の復活とともにまもなく終わるだろう!」 「――私は今ここに国号を改め、神聖イクタリ帝国の誕生を宣言する!」 その宣言とともに、いずこかから、 「皇帝騎万歳!」「ユジン皇帝万歳!」「神聖イクタリ帝国、万歳!」と叫びがあがる。 叫びは連鎖し、唱和となり……帝国の広場は熱狂の渦に包まれた。 そして、アイオーンの〈心座〉のなか―― “伏龍皇子”ユジン・ダオ 「これで良かったのだろう? 我が君、我が運命よ――」 拡声器を切ったユジン・ダオが、〈御者台〉からラルヴァへと視線を向ける。 “腕輪の君”ラルヴァ 「ええ、あなたさま。周到な準備――そして、見事な演説で御座いました」 「このイクタリ大陸では、〈神骸騎〉こそが神。そして真なる皇帝騎は、もはや所在も喪われた幻にすぎない」 ラルヴァの口元には、おぞましい笑みが浮かんでいる。 その両腕を伸ばし、ユジンへと絡め―― 「誰も、私たちを止められはしません――――」 ユジンへと囁くラルヴァの声は、毒のように甘かった。 シーンを終了する。 ○エンディング 各プレイヤーの希望に沿ってエンディングを演出すること。 もしPCたちに特に意見がない場合、 PC1はスラク・ダオと改めて会話し、互いの関係を再定義する。 PC2は皇女を追って亡命してきた、ヘカトンケイレスやギガンテスをはじめとするダオ帝国の将兵を迎え入れる。 PC3はNPCのうちの誰かと、今回の政変や公国の今後について話し合うなどが良いだろう。 (※基本的にはスラク皇女が生存している流れを想定したものである。死亡している場合は適宜変更すること) ……あまりに不審な暗殺事件と政変を経て、ダオ帝国は神聖イクタリ帝国となった。 〈神骸騎〉アイオーンは本物の皇帝騎なのか? ユジン皇子、そしてラルヴァの真意とは? 不明な点は多いが、おそらく神聖イクタリ帝国との間に、容易に平和は成立しないだろう。 イクタリ大陸は戦乱の地である。 ひとたびの平和は、次の戦争までの準備期間に過ぎないのだ。 ――しかし、それでも一つの戦争が終息し、平和が訪れたことは喜ばしいことだ。 課題は多く、戦火の火種は燻っているが、それでも希望は確かにある。 GMは、プレイヤーたちが十分な達成感を得られるエンディングを演出することを意識しよう。 セッションに最後まで参加し、進行に協力し、これを楽しんだGMは2点、プレイヤーは1点の【国威】を得る。 スラク・ダオ皇女を生存させた場合、GMはプレイヤーたちを称え、更に1点の【国威】を与えても良い。 ○登場パーソナリティ 《七星騎》ミザール&〈魂魄〉リクハ 「《七星騎》は忠義の機体。皇帝騎の宿将であるとは、そういうことです」 「モノク! あなたは奔放すぎます、今日は一体どこへ……は? ドウラ公王に宣戦布告をしてきた? はぁ!?」 伝説の《七星騎》ミザールは、射撃に特化した強襲騎です。 胸部に神代より伝わる特徴的かつ再現困難な七つ星の紋章があり、その輝きがミザールが《七星騎》であることを証明しています。 ミザールの〈魂魄〉であるリクハは、軍略に通じた堅物で生真面目な女性です。 《七星騎》は皇帝騎の宿将であり、皇帝騎が再び世に現れれば、それに従うことこそが本義であると考えています。 そして彼女の前に、皇帝騎を名乗る機体は現れました。 一族に伝わる様々な伝承と照らし合わせても、欠片の相違も見当たらない、完璧な皇帝騎の威容。 彼女は皇帝騎が蘇り、《七星騎》が再び集う時がきたのだと確信しています。 そのため多少の汚れ仕事を任されようと、彼女は着実にそれを遂行するでしょう。 ――それが、皇帝騎からの命令であるかぎり。 なおリクハの一族は代々面倒見が良く、彼女もモノクをはじめとした《七星騎》ゆかりの一族へ多くの支援を行っています。 彼女はモノクのことを、手のかかる妹のように思っているようです。 《七星騎》アリオト&〈魂魄〉モノク 「《七星騎》は名誉の機体。皇帝騎の宿将であるとは、そういうことだろう?」 「ハハハ、リクハは生真面目がすぎる! せっかくの人生なんだ、少しくらいの遊び心がないと!」 伝説の《七星騎》アリオトは、白兵に特化した強襲騎です。 胸部に神代より伝わる特徴的かつ再現困難な七つ星の紋章があり、その輝きがアリオトが《七星騎》であることを証明しています。 ミザールの〈魂魄〉であるモノクは、飄々とした洒落者の女性です。 《七星騎》は初代皇帝の武勲を今に伝える機体と考えており、その名誉を守ることこそが本義であると考えています。 そのため彼女は、ユジン・ダオ皇子を盲信することはありません。 たとえ限りなく本物と思われる皇帝騎の主であろうとも、それが愚帝であるならば助力は不名誉となるからです。 しかし現在のところ、彼女はユジン・ダオ皇子を裏切るほどの理由も持っていません。 《七星騎》を使うような任務ではない、不名誉な暗殺沙汰に巻き込まれたことに憤ってはいます。 しかし政変を起こすにあたって、信頼のおける刺客を用いて他の継承者を排除するという行為自体は理の通ったものです。 ……一度仕えた主に向けて、安易に刃を向けることもまた不名誉。 彼女は神聖イクタリ帝国の皇帝となったユジン・ダオを、慎重に見定めようとしています。 もしユジン・ダオが、為政者としての徳を有さぬ愚帝であれば…… 皇帝騎の真贋に関わらず、《七星騎》アリオトは反逆の刃を振るうでしょう。 なお、モノクにとってリクハは、放っておけない姉のようなものです。 生真面目すぎて空回りしがちなところのあるリクハを、モノクはモノクなりに守っているつもりなのです。 ○シナリオ製作者よりのお願い 基本的にこのキャンペーンは「大国同士のうち続く戦争」を演出するため、【国威】を豊富に与える形式をとっています。 もしプレイヤーの〈神骸騎〉が強力になりすぎ、戦闘からスリルが失われていると思われる場合、マスターは任意にデータを増強したり、エネミーを増やしたりしてもかまいません。 またプレイヤーが趣味に走った〈神骸騎〉構築を行っている場合、逆にデータを少し加減したり、エネミーを減らしても良いでしょう。 あなたの手腕で、ゲームを上手に盛り上げて下さい。 ○使用エネミーデータ 珪素蟲(レギオン)の群れ 異形の甲蟲です。一匹が人間ほどの大きさで、単体でも十分に脅威ですが、御者ならば退治できます。 ですが群れとなった時は〈神骸騎〉でなくば対処できません。そして、対処するには注意が必要です。 稲妻を糧とする珪素蟲は〈神骸騎〉によってたかって襲いかかり、その神血を吸い取ろうとしてくるからです。 【HP】10 【白兵】1(2D) 【射撃】1(2D) 【反射】2 攻撃力:【魔力】8(白兵) 防御力:【肉体】2 【技術】2 【魔力】0 【心力】0 食人樹(ヤ=テ=ベオ) 密林の中で異常繁殖し、迂闊に踏み入った者を絞め殺して捕食する、食人植物。 その蔦は自由自在に蠢き、〈神骸騎〉の装甲の隙間から、時として〈心座〉にまで達します。 そのため辺境の小国家の〈神骸騎〉が討伐に赴き、〈魂魄〉、〈御者〉が絞め殺される事もあるそうです。 【HP】20 【白兵】2(3D) 【射撃】0(1D) 【反射】1 攻撃力:【心力】10(白兵) 防御力:【肉体】3 【技術】2 【魔力】0 【心力】0 このエネミーに対して「火炎放射器」による攻撃が命中した場合、即座に戦闘不能になる。 成れ果て(レヴェネンス) 戦場に斃れた〈神骸騎〉の残骸の「成れの果て」です。 とうに〈魂魄〉、〈御者〉は死んでいるはずなのですが、独りでに動き、〈神骸騎〉や都市を襲います。 もはや魂なき神の骸、その力は大きく劣っていますが、しかし曲がりなりにもこれは神の体です。 ただの人間では、とても抗しうるものではありません。 【HP】30 【白兵】2(3D) 【射撃】2(3D) 【反射】3 攻撃力:【肉体】15(白兵) 【技術】15(射撃) 防御力:【肉体】3 【技術】3 【魔力】3 【心力】3 ○ボスキャラクターデータ 魂魄:モノク 御者: 神骸騎:《七星騎》アリオト 国家:ダオ帝国 ライフパス 儀式:性別/【肉体】+1 来歴:兵士/【白兵】+1 関係:/ プロフィール 能力値 【肉体】6 【技術】2 【魔力】1 【心力】3 【神格】5 【HP】63/8+55 【LP】4/4 【常備化ポイント】40 【白兵】9 【射撃】1 【反射】5 【攻撃力/防御力】 肉体 6/6 技術 2/2 魔力 1/1 心力 3/3 【絆ダイス】:1/5 戦技 《遺産》×3 消費:なし [常備化ポイント]を5ポイント獲得する。 この【戦技】は3回まで取得でき、効果は累積する。 《矢切》 消費:【HP】2 至近距離からの[射撃攻撃]の対象となった際に使用する。 【白兵】で[防御判定]を行う事ができる。[突き返し]は発生しない。 《彗星の如し》 消費:【HP】5 [セットアップフェイズ]に使用する。[移動]または[離脱]を行える。 《一騎当千》 消費:【HP】3 [メジャーアクション]で使用する。同時に[白兵攻撃]を行い、その対象を[範囲]とする。 《二刀流》 消費:なし オリジナル戦技。 同じ主兵装の[白兵武器]を二つ装備している場合、そのダメージを合計する。 同時に【白兵】を+1する。 装備(合計常備化ポイント:39/40) 機体:七星騎(強襲騎) 常備化P:20 【HP】+40。 【白兵】+3。[白兵攻撃]のダメージ+10。【反射】+1。 主兵装1:長剣(ソード) 常備化P:1 ダメージ:【肉体】+1D6 主兵装2:長剣(ソード) 常備化P:1 ダメージ:【肉体】+1D6 副兵装:近接防御砲(バルカン) 常備化P:2 ダメージ:【技術】 [オートアクション]で宣言し、至近距離に対する[白兵]、[射撃]、[突き返し]のダイスを+1する。 この武装は上記効果を含め、1シナリオ中に1回のみ使用できる。 上記効果を用いてこの武装を同時に使用する事は、合計で「1回」とする。 オプション1:水素の心臓(ハート・オブ・ハイドロゲン) 常備化P:3 【肉体】+1。 また【HP】が0になった瞬間、【肉体】を1下げ、【HP】を1に回復する事ができる。 [励起]中には使用できない。この効果は1シナリオ中1回だけ使用できる。 このオプションは1つしか装備できない。 オプション2:調律骨格(ハーモナイズ・フレーム) 常備化P:3 【心力】+1。【反射】+1。【HP】+5。 このオプションは1つしか装備できない。 ※専用色(カラー) 常備化P:5 【反射】+1。[オプション]枠を使用しない。このオプションは1つしか装備できない。 神化:【HP】+5 成長 【国威】:5 《遺産》取得 《遺産》取得 《矢切》取得 《彗星の如し》取得 《一騎当千》取得 魂魄:リクハ 御者: 神骸騎:《七星騎》ミザール 国家:ダオ帝国 ライフパス 儀式:聖痕/【魔力】+1 来歴:継承/【反射】+1 関係:/ プロフィール 能力値 【肉体】1 【技術】2 【魔力】5 【心力】4 【神格】5 【HP】53/3+50 【LP】8/8 【常備化ポイント】40 【白兵】1 【射撃】8 【反射】6 【攻撃力/防御力】 肉体 1/1 技術 2/2 魔力 5/5 心力 3/3 【絆ダイス】:1/5 戦技 《遺産》×3 消費:なし [常備化ポイント]を5ポイント獲得する。 この【戦技】は3回まで取得でき、効果は累積する。 《銃型》 消費:【HP】4 [メジャーアクション]で[射撃攻撃]を行う際に使用する。 [接敵]中に使用不可能な射撃武器を、[接敵]中でも使用可能にする。 それ以外の射撃武器であれば、そのダメージは+2される。 《血を燃やせ》 消費:【LP】1~3 [マイナーアクション]で使用する。 直後に行う[メジャーアクション]で相手に与えるダメージを、消費【LP】1ごとに+1D6する。 《古強者》 消費:【HP】5 自分が判定を行った直後に宣言する。その判定に用いたダイスを振り直す事ができる。 同じ判定に連続して使用する事も可能だが、結果を差し戻す事はできない。 1シナリオ中に3回だけ使用可能。 《戦術指揮》 消費:【HP】5 オリジナル戦技。 [セットアップフェイズ]に使用する。 通常の処理を無視して、自身と味方を行動順番を任意に決定できる。 装備(合計常備化ポイント:40/40) 機体:七星騎(強襲騎) 常備化P:20 【HP】+40。 【射撃】+3。[射撃攻撃]のダメージ+10。【反射】+1。 主兵装1:閃光砲(ビームカノン) 常備化P:5 ダメージ:【魔力】+2D6 この兵装を用いた[射撃攻撃]のダイス+1。 自身と[接敵]している対象には使用不可能。【反射】-1。 主兵装2:盾(ベイル) 常備化P:2 【HP】+10。 副兵装:目牙閃光砲(メガビームカノン) 常備化P:3 ダメージ:【魔力】+3D6 1シナリオ中1回のみ使用可能。 オプション1:望遠鏡(スコープ) 常備化P:2 【射撃】+1。このオプションは1つしか装備できない。 オプション2:調律骨格(ハーモナイズ・フレーム) 常備化P:3 【心力】+1。【反射】+1。【HP】+5。 このオプションは1つしか装備できない。 ※専用色(カラー) 常備化P:5 【反射】+1。[オプション]枠を使用しない。このオプションは1つしか装備できない。 神化:なし 成長 【国威】:5 《遺産》取得 《遺産》取得 《銃型》取得 《血を燃やせ》取得 《古強者》取得
https://w.atwiki.jp/sousakurobo/pages/211.html
第二地球暦148年 5月28日 9時11分 ε3遺跡目標球付近 周辺を見回してみると、岩石を地面からくりぬいて海に沈めたような複雑な光景を眼にすることが出来る。 その中を縫うように一隻の船が轍を残しながら進んでいた。 艦首に立っているのはダイビングスーツを着込んで仁王立ちしているメリッサ。船の後ろには、レーダーなどの機器と前を見比べながら舵を握っているユトの姿。彼もダイビングスーツを着ている。 寒さを感じる風が海面を波立たせる。空を見上げてみるなら、灰色の絵の具を流し込んだような不機嫌な空がある。 約束を守るべく二人は潜水機を積み込んだ船でε3遺跡の目標球を目指していた。 目標球とは名前から分かるだろうが、「目印」のことである。遠くからでも目立つように常に光を発しており、小型の気球程度の大きさがある。簡易型の灯台と言ってもよい。 日時の変更に関する打ち合わせはしていなかったので、多少海が荒れてても来るはめになってしまった。 ユトはレーダーと海図を見比べて、船を進ませていく。剣のように鋭くとがった岩が並ぶこの海域。船底を擦らないように、ぶつからないように、丁寧な操縦が光る。 腕を組んで地平線の彼方を睨んでいたメリッサだったが、くるりと反転すると操縦席に向かって歩いていって、ユトと一緒に画面を覗き込んで情報を確認する。 「そろそろじゃない。目標球はどこにあるの? 前来た時はここら辺に浮いてた気がするんだけど」 「うーん………ひょっとして落とされたかもしれないね」 「誰によ」 「さぁ?」 メリッサは困ったように顎に指を当てると、片足に体重を預けるようにして腰に手を置いて周辺を見遣る。別に目標球が無くてもデータから位置を割り出すことは可能だが、待ち合わせの場所が「目標球の前」だから、探さなくてはならない。 その時だった。 あの声が海に高らかと大音量で響いてきたのだ。 『こんにちは。待ちくたびれたわよ』 さっきのメリッサと全く同じ位置とポーズでメガホン片手にウィスティリアが登場した。 銀色の髪の毛映える黒のダイビングスーツを着ていて、その後ろに見える助手も似たような色のスーツを着ている。エンジン音を響かせながら距離を詰めてくるウィスティリアの乗る船は、車で言うドリフトを決めながらユトとメリッサの船に横付けした。 波が多少荒いため、船体と船体がごつんごつんと衝突しあう。それは今の心情を表しているような気がしないでもない。 胸を張ったポーズで睨みあう二人。ダイビングスーツ越しに見える体型で勝負しているようでもある。 ウィスティリアはメガホンの電源を切った。 「てっきり怖気ついたかと思ったわ。よく来たわね」 「売られたケンカは買うものが礼儀でしょ? さっさと始めるわよ!」 余裕綽々のウィスティリアの態度が気に食わないのか、会話を短く終わらすと、船の奥に消えていく。ユトは船の錨を降ろすと、搭載CPUに船を任せて準備に入るべく同じように船の奥に歩いていった。 ウィスティリアは暫く海を観察して、早足に船の奥の部屋に入っていった。 潜水機の股間部分から乗り込むと、手前に配置されている操縦者の席に腰掛ける。補助者は後ろに乗り込むようになっている。その距離は相当近い上に全体的に狭い。潜水機の居住性は戦車並みに悪いのだ。それを解消するためにダイブスーツがあったりする。 ユトはメインシステムを起動させた。機械的な稼働音が響き、周辺の様子がはっきりと操縦席内部に投影される。 次に乗り込んできたメリッサは後ろの座席に座ると、潜水機各部の様子を確認していく。 間接、電池、生命維持装置、メインタンク、スラスター、各種装備品。 確認が終了したのを見計らって、船に装備されている機器を内部から操作すると、潜水機本体が持ち上げられて、船の一角に運ばれていく。9mほどの(脚部スラスターあわせると10m程)鉄の巨人は実は地上では役に立たなかったりするのだ。 スイッチを押せば床が開閉して海に飛び込める。そんな時に通信が入ってくる。 ノイズ混じりだった映像が鮮明なものになった。ウィスティリアだった。 いたってまじめな顔で口を開く。 「ルールはこう。高価な品を引き上げられた方の勝利。時間は今日一日中」 「分かってる。そんなことよりちゃっちゃっと潜りたいんだけど?」 「んっふふふ………せっかちなのねぇ」 「気味悪い声で笑わないで」 このまま喧嘩に突入するのではと危惧したユトであったが、口を挟むに挟めず、日本人のような苦笑いを浮かべながら潜水機の右手と左手を交互に握る作業を始めてみた。 「せっかちなのは嫌われるわよ~?」 「うっさい、いいから始めましょ」 メリッサはニヤニヤ笑いを浮かべる相手に小さく舌を出すと通信を無理矢理切った。 そしてユトの肩を軽く小突くと、自分の作業を始めるべく席に深く腰掛けて、かつて潜ったときに得た情報を反映させていく。 ポンピリウスのメインカメラが微かに音を立てて左右に蠢く。 ユトは、船の床を開ける安全装置を解除すると、操縦システムを再度確認する。 「メリッサ、行こう」 「いつでも」 瞬時に床が開く。 潜水機『ポンピリウス』―――オウムガイの名前を持つ巨体が、海に落ちた。 海の中に音は存在しないも同然である。 人間の性能の低い鼓膜では水中の微かな音を聴くことが難しいからである。 でも、こうやって金属製の殻に包まれて海に居るときは話が違ってくる。海の音が機体に衝突することで、人間でも容易く音を聴けるようになる。 波が砕ける音が聞こえていたのも少し前のこと。 400mまで潜った二人の耳に入ってくるのはお互いの呼吸と潜水機本体の音程度。 青い光も今は無く、ただ果ての無い暗闇が潜水機を包み込んで、背後から喰らわんとしているかのよう。 頭を下にするようして腕と脚の位置を調整しながら潜っていく。 脚部スラスターは今のところ必要ではない。潜水機本体の重量だけで深海に到達することが出来るのだから。 潜水機の各部に取り付けられた照明装置が点灯すると、死を内包した海の中が照らされる。ここは既にヒトが来るべきではない世界。水という存在がヒトという存在を抹消しようと襲い掛かる沈黙の世界。 深度が1000mを突破する。 今のところ問題は無し。ガードロボも、機器の異常も、何も無い。 その何も無さが逆に不安を誘うようで、ユトは額に浮かんできた汗を拭おうとする。でも汗なんてかいていないわけで、手の甲に水分がつくことは無かった。気合付けに腿をパムと叩いてみた。 それから肩に装着されている新しい魚雷ランチャーと、使い慣れたブレードを確認する。 武器の存在は人に安心をもたらすらしい。 「酸素量が急激に減少していってる。これも前回と同じね」 「うん、正しく死の世界……っていうのかな。塩分量はどう?」 「低下してる………これもデータ通りね」 深度、とうとう4000m域へ。 十分安全潜航深度内だが、潜れば潜るほどに自分が水圧に押しつぶされて破裂する光景が脳裏に浮かび上がってくる。 潜水機は潜水艦などと同様「鉄の棺桶」同然。心理的な圧迫感も同様である。 ユトはスラスターを低出力で動かして状態を確かめると直ぐに停止させる。 どちらかが唾を飲み込んだ。 「メリッサ、ソナーを低出力で一回」 「了解」 独特な高音が一回海中に響く。照明だけでは全てを知ることが出来ないし、なにより節電になるからである。 すると、画面上に複数の影が確認できる。形状から察するに魚類。潜水機に気がついたかのように遠くに逃げていていく。 その影をじっくりとメリッサは検分する。万が一それが魚類の形態をとったガードロボだった場合、命に関わる事態になりかねない。ガードロボは次々と新種が発見されているため、油断は出来ない。 深度、6000m。 機体の各部がほんの僅かに動揺の軋みを上げる。 頭部ライトを海底へと向けつつ、両手を大きく広げて減速する。光は海底を捉えてくれない。見えぬ第一目標地点を探す二人。潜水機の各部のセンサーが起動する。 ごぽりと音を立てて気泡が機体の一箇所からはがれて水面へと向かっていった。 深度、6200m付近。 そこでセンサーとソナーを活発に使用して地形を探り始める。時間を無駄に消費するのはいいこととは言えないのだから。 数十分の探索の末、ようやく二人はソレを発見した。 海に走った巨大な亀裂の一箇所から顔を覗かせているモノ。遺跡の端っこである。50mにも及ぼうかという巨大な穴がポッカリと口を空けて鎮座している。 脚部スラスターが耳障りな高音を発しながら本格的に稼働し始める。機体の上半身を上に向けると、海底に向かって両脚を向けてその場でぴたりと停止し、前のめりになるようにして目標に接近していく。 縁に座り、中をライトで照らして見るが、奥まで光が届かない。 海溝の側面に食い込んで海溝と同じ下に向かって伸びているらしい。 他にも入り口があるらしいが、二人はここから入ることにした。 潜水機を操る者に必要なものは「機眼」だという。 行動、状況判断、取捨選択、戦闘、作業、行動限界時間、その全てを見極めて自分の成すべきことを完遂させる、能力。膨大な情報を処理して有益な情報を見つけ出す能力。訳すと「センス」とも言えるであろうか。 その他にも必要なものがいくつかあるが、ここは割愛しておく。 「はあああッ!」 高周波振動ブレードが海中で凄まじい速度で振られるや否や、蛇のような形状のガードロボの一団がなぎ払われて破壊されて、木っ端微塵に砕けて部品を撒き散らす。 続く突きで楕円形のガードロボを串刺し、更に同じガードロボが潜水機のパイルバンカーで粉砕して没せしむ。 周辺の敵を一掃した彼女は、ブレードを構えたまま地面に両脚をつけた。 ウィスティリアは、鋭利な頭部と刺々しいながらも鳥のくちばしを思わせる曲線が特徴的な潜水機「バルゴ」の中で小さく溜息をつくと、補助者が選別してくる情報に眼を通しつつ、自分が立っている巨大な空洞に視線を走らせた。 地面の内部に装置を埋め込んで円の形に土を吸い出したような場所。ごちゃごちゃと機械類が打ち捨てられていて、小さなハッチが点在している。 ブレードを肩に装着して、地面に落ちている機械の残骸を拾い上げた。 コンピューターか何かの残骸らしい。滅茶苦茶に捻じ曲がっていて、錆が相当広がっている。ごそごそと探してみても高値で売れそうなものは見つからなかった。また溜息をつくとその一片を胸の収納スペースに放り込んだ。 万が一高値で売れそうな宝が見つからなかった時の保険である。 こんなモノは普段は売らないことが多い。 「タナカ。もっと奥に行くけども、構わないかしら」 「どうぞ」 寡黙な日系人の男性であるタナカは囁くように一言。かちゃかちゃと小気味いい音を立ててキーボードをたたき始める。 普段となんら変わらない様子が彼女を安心させる。 ウィスティリアは席に座りなおし、潜水機で数歩前に歩くと、脚部の大型スラスターを使用して飛び上がる。地面から巻き上がる砂埃を尻目に、水を掻き分けて空間の頂上を目指す。 「音波と熱源で感知。ガードロボ、来ます」 「補助をお願い!」 「了解」 機械の用に冷え切った声が背後から聞こえてきて、敵の接近を知らせる。 肩に装着されていたブレードが射出されたような速度でせり出し、それを潜水機の手が柄を握り締め、スラスターを利用して両脚を開き気味にしつつブレードをガードロボの方へと向けた。 円状の空間に登場したのは、鮫のような形態の中型ガードロボ5体。 そのガードロボの背面が開閉したかと思えば、魚雷のようなものを発射した。 計10発。バルゴの強度で言うなら大破沈没レベルの威力。 咄嗟にウィスティリアは叫んだ。 「デコイ投射!」 「了解」 腰の部分の小さな球体が外れ、熱と音を出して水中に漂い始める。 数発はそれに引き寄せられるも、大半は真っ直ぐバルゴの機体を狙って直進してくる。脚部スラスターが限界まで出力を上げると、回避に入った。 機体をぐるりと一回転。真下に向かって落下かくやという速度で沈んでいく。 デコイに惑わされた魚雷が壁面に突っ込んで爆発する。 魚雷の速度は大したことが無い。その代わりなのかやたらと弾頭が大きく、威力を重視していることが良く分かった。 地面にバルゴの脚部が食い込む。上から降り注ぐ魚雷をメインカメラが睨みつけると、肩部が開いて魚雷が発射された。迎撃しようというのだ。 爆発。 それでも二発が爆発の余波を潜り抜けてきている。バルゴ、跳躍。地面に皹が入るほどの跳躍、そして脚部スラスターから供給される推進力を利用して魚雷へと自ら向かって行く。 斜めに構えたブレード。ふいに、全身を利用して進路をずらす。ハイルバンカーから手を離すと、いつの間にか握っていた予備用のナイフを投擲した。 魚雷の一発に命中。もう一発の進路がずれるのを確認するよりも早く、ブレードで真正面から叩き斬った。爆発。ブレードが弾かれて地面へと沈んでいく。 二本目の予備用ナイフを右手に構え、鮫型のガードロボに一気に肉薄せんとする。 「出力を最大に!」 「了解」 鮫型ガードロボは魚雷を使うには近すぎると判断したらしく、大きく口を開けて襲い掛かってくる。 がちんッ。閉じられる口を身を逸らすように回避すれば、ナイフを頭部と思しき箇所に突き刺して停止させ、胴体を足場として蹴っ飛ばす。 のんびりとした動きながら、水中では規格外の速度。 尾を叩きつけんとしてくるのを身を丸めるようにして避け、逆にその尾にナイフを突き立ててやる。機械だから痛みは感じない。それでも、苦痛にも似た音を立てた。 ナイフを逆手に持ち変える。 頭部のライトが口を大きく開けて突っ込んでくる鮫型ガードロボの姿を捉えた。 「教科書通りな上に味方との連携も取れないなんて、下品よ?」 挑発成分を含んだ言葉を吐けば、ナイフを相手に翳す。 スラスターを使って水中の一点で静止。突っ込んでくる鮫を睨みつける。 とんっ。ダンスのステップのように身を捩って鮫の噛みつきを間一髪でかわし、その頭部にナイフを突き立て完全に沈黙させる。電流が水中に一瞬色を咲かせて消えた。 残る三匹のガードロボは作戦なんて知らないとばかりに突撃してきた。 鮫三匹の津波を冷めた目で見遣るウィスティリア。ナイフを普通の持ち方に変え、その場から少しだけ地面の方に後退する。 口から気泡を出しながら突撃してきた一匹が、バルゴの腕を引きちぎらんと鼻先を突っ込ませる。 瞬間、地面に沈んでいたブレードが飛び上がると、潜水機のバルゴの手に収まっていた。 一閃。上顎を切断された一匹はオイルを垂れ流しながら沈んでいった。 「持ち物にはワイヤーをつけるのが常識でしょう?」 パイルバンカーも手元に戻ってくる。 ブレードの横を持つと、もう一匹の口の中にタイミングを計って押し込んでつっかえ棒とする。もう一匹の突進を最大威力のパイルバンカーの一撃で粉々に砕き、ブレードで口を閉じられない鮫型ガードロボの頭部にパイルバンカーの銃口をぴたりと付けた。 きゅぃーん。パイルバンカー、リロード完了の高音が響く。 ウィスティリアは問答無用とばかりに引き金を引いた。 鉄が穿たれ、鮫型ガードロボは大穴をつけたまま地面へと沈んでいった。 「鮫型だからって噛み付きと魚雷だけなんて安直すぎるわ。レーザー照射くらいはやるべきだと思うのよね」 「ご冗談を」 「冗談は言わないわよ、多分」 などと会話をしながら、機体の異常を確かめる。 何も起こっていないことを確認。 すぐさま先ほど倒したガードロボの方に近寄っていく。 残骸の様子を確かめると、ナイフを突き立てて表面の金属を剥いでいく。欠片を丸めると胸部に収めて、更に内部にライトを当てて様子を見る。高値で売れそうだ。ナイフを内部に慎重に差し入れると、動力部と思しきパーツを回収した。 ふとナイフを見てみると、刃が欠けて曲がっていた。強化カーボン製で高周波振動機能つきとは言えこれ以上は使用できまい。ナイフを地面に置くと、円状空間の出口を探し始める。 深度8000mのこの場所よりも下に行くべきかを考え、数秒で決断する。 「潜ります。準備はいいわね」 「はい」 電子音のような冷淡な返事に満足げに頷くと、円状空間のハッチの一つに近寄る。 胸部からプラズマカッターを取り出すと、ぐっと押し当てて切断しようと試みる。 暫くの後にハッチは切断されて潜水機が楽に通れるほどの口を空けた。 内部を覗き込むと、今度は身を乗り出して上を確認して、下を見る。 何も無かった。 シャフトとか、エレベーターとか、そんなことに使っていたのだろうか。もしかしてパイプラインかもしれない。 今だ行った事が無い未知の領域と知っていながらも彼女と彼の表情は変わらない。 ブレードを肩に装着し、パイルバンカーを構えながらハッチの奥に入る。脚部のスラスターで減速しながら、下へ下へと。 どこまでも続くと錯覚させるような暗闇の中を降りていく。 道中も警戒は緩めず、それでいてパイプ?の壁面に視線を向けて、そこが何かをさぐろうとする。 スラスターの稼働する音がどことなく頼もしく思えた。 その時―――遺跡全体が地震にでもあったかのように猛烈な震動を見せた。 水中にいるというだけあって直接は感じられなかったが、視覚とセンサーが振動を感知した。揺れは降下していくにつれてドンドンと大きくなっていき、突然ピタリと止まった。 ウィスティリアはごくりと唾を飲み込んだ。 次の瞬間、バルゴは「落下」し始めた。 否、真上から膨大な量の海水が、とんでもない速度で「送られて」いるのだ。 実は遺跡は生きている箇所が存在する。ガードロボもその一つ。主が存在しないというのに、遺跡自体を維持管理するための機構がどこかに存在しており、いまだに稼働し続けているという。 その中の一つに、入ってしまっていたらしい。 座席から浮きそうになる体を押さえつけ、咄嗟に右腕に装備されているワイヤーシューターを上に放った。ばしゅ、という音を立てて爪付きのワイヤーが射出され、自分が下りるときにくぐったハッチの縁に食い込む。 ブレーキをかけても止まらない。機体はワイヤーという命綱をつけたまま、下へ下へと叩きつけられたかのような速度で流されていく。 ワイヤーの長さの限界がきた。ワイヤーシューターの部品のいくつかが弾け飛び、支える力と流そうとする力が拮抗状態に陥る。 「くぅ…………ッ」 ウィスティリアは思わず歯を食いしばった。 上から流れてくる海水の奔流に、機体はおもちゃのように煽られ、右に左に暴れまわってしまう。 脚部スラスターを限界まで吹かしているにも関わらず、機体は一向に上に持ち上がらない。ワイヤーがぎしりぎしりと嫌な音を立て始めた。 思わず下を見てみると、猛獣のような、それこそ鮫の胃袋に直結しているかのような暗黒が広がっていて。 後部座席のタナカもスラスターの出力や機体稼働部の出力を上げてはいるのだが、どうしようもない。金魚が荒れ狂う大河を遡れないのと一緒。暴風の前の蝶が上手く飛べないのと一緒。 「出力最大! 背面部スラスターも使いなさい! 急いで!」 「了解」 帰還するときのみに使用する背面の強力なスラスターが唸りを上げて水を吸い込んで吐き出し始める。 一瞬機体が持ち上がったが、それもやがて意味を成さなくなる。 今バルゴを支えているのは小さな一本のワイヤーだけということになる。 下に流されてみるのも一つの手かもしれないという考えが脳裏によぎる。 だがそれを否定したのは自分。ワイヤーを射出したのも本能が「死ぬぞ」と警告を与えてきたから。 遺跡に稼働しているモノの力は計り知れない。そんなモノがある先に流されていって、無事でしたで済むわけがない。先にあるのは発電機か、生産施設か、どちらにしろハッチで閉鎖してあったのだから、ホイホイ入っていい場所ではない。 「ワイヤーが切れます」 「分かってる………分かってる!」 こんな時にも表情一つ、声色一つ変えないタナカが憎らしく感じた。 右腕にあるワイヤーシューターに左腕を添えて固定し、必死に思考を巡らせる。 表情が歪んでいるのは仕方が無いこと。 「ブレードと両方の担架システム切り離して!」 「了解」 両肩にあった担架システムの一部が弾け飛び、下へと流されて一瞬で消える。ブレードも木の葉のように揺られながら暗闇に没していった。 重量を軽くしても、上がることが出来ない。最後の有効な武装のパイルバンカーを一瞥すると、これも下に投棄してしまう。命の方が大切なのだから。 両手でワイヤーをしっかりと握る。それでも、ワイヤーそのものが耐え切れなくなってきているのか、徐々に伸びてきてしまっている。 上に登ろうと壁を蹴ってワイヤーを手繰り寄せるが、潜水機の手ではどうしようもない。ワイヤーシューターの巻き取り装置も動いてくれない。潜水機を垂直に持ち上げることが出来ても、水で下に押されている状態では不可能なのだ。負荷が大きすぎる。 脚部スラスターと背面部スラスターを全開にしても上にいけない。 支えのワイヤーもあと10秒と持つまい。 ウィスティリアは手を上に挙げると、後ろに傾けさせる。その手をタナカが軽く握った。 「ごめんなさい」 「こちらこそごめんなさい」 油断から生じたミスで二人が死ぬ。ウィスティリアの湿った声に、タナカは優しい色を孕んだ声で応じると、握った手を軽く引いて、更に強く握った。 轟々と響く水の音が悪魔の呼び声にも聞こえた。 ワイヤーは更に伸びていく。 そして、ついに限界が訪れた。 「きゃあああああ!!」 ワイヤーが火花を上げて断絶。 潜水機の巨大な影は弾丸のような速度で下に流され始めて。 深度表示が霞むほどに速く。 軽量化のためといってワイヤーシューターを片方しか装備していなかった自分が嫌になった。 衝撃。 「諦めてどうすんのよ! バカ!!」 次に飛び込んできた言葉は、自分が死ぬ音でも、天国か地獄の門を叩く音でもなかった。 それは、聞きなれた女性の甲高く強い声だった。 上から二本のワイヤーが降ってきたかと思うと、奔流に下へと運ばれていた機体の一部に突き刺さるように引っ付き、その場で停止させる。 「上から」気泡が流れてきてバルゴの表面で弾けた。 眼を開けてみれば、両腕を突き出してハッチの奥からこちらを見ているポンピリウスのメインカメラがあった。 続いてノイズ混じりの映像が映って、顔を真っ赤にして怒っているメリッサが居た。 メリッサは自分の仕事も忘れて大声を張り上げる。 「いつものアンタはどこに行ったのよ!? 勝負しかけておいて勝手に死ぬつもり!?」 「……………」 二本のワイヤーを射出したポンピリウスの腕のワイヤーシューターが唸りを上げる。そろりそろり、とバルゴの刺々しい巨体が上に持ち上がり始めた。 遺跡の血管とでも言えそうなパイプの中、流される側と救う側が居る。 一つ間違えば死ぬ深海という環境の中。両方とも、死ぬかもしれないということには変わりない。 ユトは機体を極力パイプの中に入れないように腕を操作して、ワイヤーを巻き戻す。苦しい音を立ててワイヤーシューターが機体を持ち上げようとする。 呆然としていたウィスティリアは、滲んでいた涙を拭うと、映像のメリッサを見つめる。 そして数秒後、いつものウィスティリアが戻ってきた。 映像に向かって不敵に笑って見せると、通信を切る。壁に脚を食い込ませると、更に手を壁に食い込ませるようにして上に登ろうとする。 「訂正します」 タナカが言った。 「ごめんなさいというつもりはこれっぽっちもありません」 「黙って仕事なさい」 返事をするウィスティリアの顔はどこか楽しげだった。 ↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます) +... 名前
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1553.html
233 :名無しさん@ピンキー:2010/04/19(月) 18 41 30 ID YUXM36Mz 月曜日・夜中 やった! やった! やったよ! 修二くんの彼女になれた! ベッドに寝転び、ひたすら歓喜する。 彼女がいないことは知っていた。 危険因子はいたけど、手を出してないことも調べはついていた。 略奪も考えたけど、そんなこと無いほうが良いよね! あの女はいいけど修二くんが傷ついたらダメだから。 むしろあの女は死んでもいいくらいだよ。 邪魔だし。 でも、修二くんはあの女と仲良かったからなぁ・・・ 多分修二くんはあの女が死んだら悲しむだろう。 修二くんは優しいから知り合いが死んだら誰だろうと悲しむんだろう。 やっぱり事故に見せかけないとダメかなぁ。 私が殺すとこ見たら修二くんに怖がられちゃう。 もしかしたら嫌われるかもしれない。 そんなのは本末転倒だ。 じっくりと計画立てないと。 234 :名無しさん@ピンキー:2010/04/19(月) 18 42 07 ID YUXM36Mz 木曜日・日没 修二くんは優し過ぎる。 私にはあの女の気持ちは解かる。 修二くんとは離れたくない。 でも修二くんは判ってないらしい。 同情しないけど、修二くんの優しさは死刑宣告より残酷だ。 優しさを向けられるのは嬉しい。けど気持ちに気づいてもらえない。 同情したらきりがない。 修二くんは私のものだ。 ほかの女は諦めて他の男とくっつけばいい。 修二くんに手を出したら消してやる。 修二くんもあの女のことから早く解放してあげないと。 236 :名無しさん@ピンキー:2010/04/19(月) 18 42 41 ID YUXM36Mz 金曜日・早朝 通話料・・そう聞いて真っ先に連想するのは携帯電話。 俺に限らず、高校生以上の日本人の9割り以上が同じ事を思う筈だ。 月も半分を過ぎ、日付が20に差し掛かる。 そんな段階から今月の通話料が心配になってきた。 何故と申せば答えよう。 先日に告白を受けた川上・・他人行儀もアレなので以下、咲良とする。 そして咲良からの通話・メール件数が日中平均30から多いと50を越える。 一回の料金は微々たる物だろう・・・だとしても! 平均30回って多すぎるだろ!! 一人暮らし + 現在バイト無し + 父親の仕送り なんて生活の人間にはキツいものがありますよ!? しかもそのことで咲良に言うと、 「わ・・私のこと・・なんて嫌いになったんで・・・すか・・?」 とか誤差があってもそんなニュアンスのことを言われる。 加えて、暗く濁った虚ろな眼に、喪失感だけで構成されたような表情になる。 少し怖いってのもあるが、嫌いなんてことは断じて無い。 金銭面の問題である。 そして説得にとても時間がかかる。 バイト始めようかなぁ・・・ ある意味、人生の岐路に着いた。 237 :名無しさん@ピンキー:2010/04/19(月) 18 43 06 ID YUXM36Mz ついでに、綾が以前とうって変わって異様にくっつくようになった。 はっきり言って訳が判らない。 で、少しでも離れるように言うと(彼女持ちとしての節度であるが)これまた判る範囲でも、絶望+喪失+悲嘆+恐怖+憎悪といった、一個人でも破滅の兵器を起動できそうな強い負の感情を覗かせる。 こっちは落ち着くのが早いので割りと平気だが、気が気でない。 恋人がいるという環境は男として喜ぶべきなのだろうが、今は重圧が勝っている。 いつかは(ってか今すぐにでも)綾とは離れるべきだろう。 だけどあの表情を見ると放って置けなくなる。 脇差の一件で異常なほど内向的になっていた俺を救ってくれたのは幼き日の綾だ。 あの時鏡で見た自分の目つきに、綾の眼はよく似ていた。 「借りを返す」それだけだと思う。 綾と違い、俺では救えないかもしれない。 それでも放って置けなくなった。 しかし問題点がある。 家が近いということは当然として咲良と一緒に登下校することになる。 そして「放って置かない」ということは綾も同行する。 すると感覚的に半径2メートル圏内がグラヴィティエリアに変わる。 咲良としては快くないはずだし、俺も心苦しい。 綾のためじゃなければ絶対にそんな事はしない。が、決心が揺らぎそうだ。 心は重くなる一方である。 238 :名無しさん@ピンキー:2010/04/19(月) 18 43 41 ID YUXM36Mz 「おはようございます!」 澄んだ声が響いた。 今日も朝から咲良が来たようだ。 ちなみに俺は朝食を済ませ、登校時間まで一息ついていたとこだ。 咲良が駆け寄ってきて、 「はい、これ今日のお弁当です!」 ドラマやマンガでしか存在し得ないモノと思っていたが、俺が体験する事になるとは。 「あぁ、ありがと。」 弁当を受け取るが、嬉しさよりも今後の先行き不安のほうが強く、笑顔になれない。 「・・修二くん、やっぱり私なんかの作ったお弁当なんて・・食べたくないんですか?」 例の表情で迫られる。 朝から拝まされるとは思わなかった。 「いや、少し考え事をしててな。結構、家庭に関わるヘヴィな内容だったから気分良くないだけだ。咲良の作ってくれる弁当は大好きだよ。」 我ながらふざけたことをのたまったものだ。 顔が熱くなる。最後のとこが自分で恥ずかしくなってきた。 当の咲良は表情を変え、頬を赤らめながら、愛玩動物を愛でるような眼差しを向けてくる。 「修二くん、顔が赤くなってて可愛いですよ。」 「ぅああ、支度するから待ってろ」 心底恥ずかしくなってきたので強引に話を切り上げる。 鞄を掴み、制服を整える。 咲良をつれて玄関先へ。
https://w.atwiki.jp/sousakurobo/pages/210.html
メリッサ=ファルシオンという女性には腕が無い。 いつ頃失ったのか、どうやって失ったのか、などと言ったことについては固く口を閉ざしたままである。 普通の腕となんら変わらない動きを再現できる義腕があるお陰で腕が人工であることに気がつかない人も多い。 だから、指摘されない限りは自分の腕に関して語ることは無い。 唯一の例外はユトという青年である。 過去を語らなくとも、自分の無い腕を晒し、整備させているほどに信頼している。 その重要さについてお互いに語ることは無い。語るのが怖いのか、それとも。 まぁそれはとにかく、腕があるお陰でものを掴んだりすることが出来る。 今日も彼女は腕を活用していた。 「なっ、……なんですってっ!?」 拳をギチギチと音を立てるほど握り締める。 強度限界を振り切るのでは、というレベルの負荷を与えられた拳は明らかに苛立ちを含んでいる。 その様子を大きく胸を張った女性は、鼻でせせら笑うかのような表情を浮かべてみせた。 「耳が遠いのね……もう一度言うわ。安全な冒険してるのねぇ……って言ったの」 メリッサを見下ろすような身長の女性は、ワザとらしく頭を振って髪の毛を整えて、更に前髪を指先で端に寄せるような仕草をする。高い位置にある太陽の光に銀色の髪の毛がきらりと雪のような反射をした。 Yシャツに黒いズボン。それこそモデルのような体の凹凸を見せ付けるように片足に体重を預ける。 その女性の青い瞳とメリッサの黒っぽい瞳が交錯する。 メリッサは胸を張って腰に手を置いてみるが、どう頑張っても相手との身長とスタイルの良さを埋める事が出来ない。女性は腹部で腕を交差させるようにして胸を強調させる。メリッサはとりあえず腰から手を外すことにした。 「私は常に死ぬか生きるかの斬り込みをして宝を回収してるって言うのに、貴方達ときたらこそこそ見つからないようにしてるんですってね。だから安全な冒険をしてるって言ったの」 「こいつ~……言わせておけば……!」 見る見る内に頭に血が上ってきたメリッサは拳を相手に一発入れようと企む。 女性はその手に気がついたのか一歩後退して、改めて口元に笑みを浮かべた。 臨海公園というより海上公園の展望台にて女の戦い。周囲から見たら醜い光景なのかもしれない。 潮風に二人の髪の毛がバサバサとなびく。 昼間からナニをやっているんだろうと思ってはいけない。 メリッサは指を女性の眼前に突き出すと、空いているほうの手を腰に置く。そしてやや声を張り上げて堂々と宣言した。 「勝負よ! ε(イプシロン)3遺跡に潜ってどれだけいいモノを取れるか!」 「へぇ……」 ε3遺跡。 今彼女らが居る都市から北に向かった位置に存在する遺跡である。 海溝から伸びる亀裂の中に嵌るように存在している遺跡で、その最大深度は1万mを超えている。遺跡自体が海底を掘り進むようにして建築されているため、潜水機でも耐え切れない深度の場所が存在しているという。 内部構造の大半は今だ不明。 また、ガードロボが多数徘徊していることでも知られていて、数多くのダイバーを葬ってきた危険な遺跡なのだ。 ちなみにメリッサとユトの二人は一度しか行ったことがない。 女性はメリッサが突き出した指の先端から逃れるように頭を逸らしつつも視線は外さない。しかも不敵な笑みは維持したまま。 「いいわよ。一週間後にε3遺跡の目標球の前で会いましょう」 女性は、風に揺られる銀髪を見せつけながらメリッサに背中を向けると、片手を挙げて公園から去っていく。 メリッサは指を下ろすことなく女性を睨みつけ続けた。 正直、その背中を蹴りたかった。 「と、いうことで」 「何がということでなのさ」 机の上に身を乗り出すようにしてユトに説明するメリッサ。 瞳に宿る強い光にやや身を引きながら、ユトは言う。開口一番ということででは何がなにやら分からないからだ。 メリッサは人差し指を上げると、ユトの目の前で振ってみせる。 広々としていながらモノの多いリビングの机の上。開け放たれた窓からはほのかな潮の香りがしてくる。 「ε3遺跡に潜るの。OK?」 「OKじゃないよ、メリッサ、全然OKじゃないよ。難易度高すぎるじゃないか、ε系は。前に潜ったときは早速大型ガードロボ出てきて逃げたわけだし。なんかあったの?」 「……いや、特になにもないけど」 今まで自信まんまんな態度で主張していたが、ここで視線を逸らした。何か知られたくないことがあるというのはバレバレだった。基本ポーカーフェイスできない彼女の欠点である。 暫く考えていたユトは、一つのことが引っかかったのか、同じように人差し指を上げた。 「ウィスティリアさんにそそのかされたりした? あの人相手を挑発するの好きだし」 「な――! 違う違う! あのバカ関係ないわよ!」 大慌てで否定してかかるが、今更遅い。ここまで大きく反応を見せたということは答えを言ってしまったのと大差ない。ユトは困ったような表情を浮かべる。 ウィスティリア=クロイツェル。 同年代の(年齢不明なためそういうしかない)ダイバーで、街でも有名な人間である。 「力で倒してこそダイバー」という独特の考え方を持っていて、機体は戦闘について考えられた構成となっている。ガードロボが出ようものなら積極的に斬りかかって破壊する。ダイバーらしからぬダイバー、それが彼女だ。 メリッサ曰く「戦闘狂」。 宝を取るのと同じくらい戦うことが好きなのだという。 実力も相当なものを持っているため、決してバカにすることが出来ない。 その彼女は理由は分からないが毎回事あるごとに二人に突っかかってくる。小さなことから大きなことまで、粗探しとも言える文句をつけてくることもある。 「髪の毛が痛んでる」「服がかっこ悪い」「太った?」「やる気あるの?」――などなど。 その度にメリッサはこうやって頬を膨らませながら帰ってくるのだ。 なんというか、分かりやすいにもほどがある。 ユトは時計を確認しながら人差し指を降ろした。 「いいよ」 「え?」 「だから、いいよ」 あっけなく提案を受け入れたユトは、机の上に腕を置いてリラックスしながら言った。 ポカーンと小さく口を開けて沈黙するメリッサ。冷静になってきた思考でよく考えて見れば、命がけのことを強要しているに等しい行為ということに気がついたらしい。 逆に慌てる彼女に、ユトは口を開く。 「前々からリベンジしたいとは思ってたからね。それに、この前のヘマの分を取り返すいい機会じゃないか」 「うーん………本当にいいの?」 「うん。ただし一つ条件があるんだけど、どうかな」 言うなりユトは席を立って家の出入り口の方へと歩き始める。 釣られる様にメリッサも席を立って後を追う。 「オヤジさんの新しい武器とか、色々欲しいからさ。装備が原因で死にたくは無いんだ」 「いいわよ。むしろお願い」 ユトが相手の返事を聞かずに席を立った理由はいくつかあるが、その中で最大の理由は「今買わないと買えないのでは」ということであろう。戦闘が好きではないといっても、戦わなくてはならないときもある。いつまでも使い古しの武器だけではどうにもならない。 財布の紐を握っているのはメリッサ。悲しいかな、女に勝てない男の宿命。 二人は、ツナギ姿のままで街に繰り出していった。 ユトの言うオヤジさんとは、街の片隅に店を構えている中年の男性のことである。 かつては寝る間も惜しんで遺跡に潜っては宝を取って必ず帰ってくるという海の男で、その経験を生かして潜水機専用のパーツを造って販売している。 宝のお陰で裕福なため、パーツの値段設定はとことん適当。気に入らない人物には高値で売りつけ、美人な女性が来ると格安で販売するという、どんぶりな性格をしている。腕は確かで信頼出来るが、商売の仕方が雲のようにあやふやなのだ。 散らかった街の片隅にある店の前に来た二人。曇ったガラス戸の中を覗き込んでみる。誰も居ないようだ。 「オヤジさんこんにちはー! ユトとメリッサですー!」 ガラス戸に負荷をかけない程度にノックするユト。がしゃがしゃとうるさい音が鳴るが、目的の人物は一向に出てこない。 痺れを切らしたメリッサは、両手でメガホンを作ると大声を張り上げた。 「こーんにちわーーーーーぁ!!」 しかし、反応が無い。 その後も暫く待ってみるが、人っ子一人店の中に見えてこない。顔が張り付くかと思うほどにガラス戸に接近して中を覗き込み、名前というか愛称を連呼しても何も起こらない。一週間後に潜るのだから出来る限り早い段階で会っておきたいのに出てこない。 居ないのかなと二人が店から離れだしたその時、ガラス戸ががらがらっと開いた。 上半身裸の白髪交じりのダンディーな男性が出てくる。手に持っているジョウロを店先にある植木鉢にかけ始め、大あくびをしながら眼を擦った。 なんで上半身裸なのかは分からないが、そこにいるということが重要だ。 反転しかけた二人はぱたぱたと音をさせるように駆け寄った。 元潜水機乗りのオヤジは二人に気がついたらしく、ジョウロを植木鉢の横に置いて首を回しながら振り返った。酒の臭いがしているあたり晩酌でもしていたのだろうか。 「よぉ、お二人さん。俺になんか用かい?」 「こんにちは、オヤジさん」 「おはよ。もう昼よ」 「ナニ、もう昼だってぇ?」 腕時計を見るそぶりをする中年オヤジ。無いことに気がつくと、ズボンのポケットに手を突っ込んで探し始める。何も出てこなかった。そこにユトが携帯電話の画面に映っている時計を見せる。時間は昼過ぎである。 中年、驚きに眼を大きくする。店を経営してるとは到底思えない態度である。 パチンと額を平手で打つ。 「やっちまった!」 「んなのどうでもいいから商品見せなさいよ」 腕を組んでブスっとした表情を浮かべているメリッサは、歳上の相手に対する態度など産まれたときに置き忘れてきたような言葉を投げかける。 中年のオヤジ――店主は、両手を大きく広げると、顔がくしゃくしゃになるような笑顔を浮かべて、メリッサのほうを向く。胸毛が暑苦しい。爽やかな笑みの下の胸毛ジャングルを隠そうともしない。 そして両手を「おいで」するように動かし。 「お嬢さんオジサンの胸に来ないか?」 「もしゃもしゃしてて嫌。バカやってるとむしるわよ?」 「やーれやれ、ギャグってのを分かっちゃいねェな」 「早くしなさい」 「ヘイヘイ」 店主の顔を一瞥。胸元には視線を一ミクロンたりともやらずに店の奥を指差して促す。 吹き出すユトを尻目に、何故か嬉しそうな店主はガラス戸の鍵を開けて二人を内部に招いた。 埃臭さとかび臭さと脂臭さと生活臭と……これ以上は考えたくなくなってくる臭いで充満した店内は、どこかで見たような部品が乱雑に並べられていて、薄暗い。 店長が電気をつける。すると隅のほうに潜んでいたネコが威嚇するような声を上げてどこかに逃げ出した。 いつの間にかシャツとタオルで武装した店長は、咥えた煙草に火を灯しながら二人のほうを見る。 「そんで? ご注文は?」 飄々とした態度の店長に、まず最初はユトが口を開くが、横から伸びてきたメリッサの手に発言権を奪われてしまう。 もがもが言うことで終了。メリッサは間髪入れず言葉を発する。 「アロンダイチウム電池の新型1セット。ナイフ一本。それと、つい最近新造した魚雷ランチャー頂戴。大至急で」 「随分買うんだな、お二人さんは」 今聞いたことを忘れないようにということなのか、ぶつぶつと呟いて復唱すると、店の奥へと消えていく。今とってくるわけではない。潜水機専用の装備は人間が運ぶにしては重くて大きすぎるのだし。 数分後。タオルで鉢巻を被った店長は、店の奥に向かってなにやら大声を張り上げながら二人の前に戻ってくる。 「それを運ぶんだ! 今日中だぞ!」 「はぁ~い。わかりましたてんちょー!」 妙に間延びした高い声が店内にくわんくわんとこだまする。 ここの店で働いている人物である。 二人は声だけしか聞いたことが無いため、どんな外見なのか分からない。分からないのだが、こんな店長の店で働けるのだからたくましい人物なんだろうなということだけは分かる。 店の奥で慌しい音が聞こえてくるのをBGMに、店長は二人の姿をにんまりと浮かべた笑顔の顔で見る。 メリッサは胡散臭いものを見るような眼。ユトは古い友人に再会したような眼。 店長は顎に手を当てるとおもむろに口を開いた。 「ははァん、さては……お嬢さんの喧嘩に巻き込まれたボウズが仕方が無く、だな、だろ? 装備から推測するにダイヴ。武器が入用ってことはきっと難易度の高い遺跡に、ってことなんだろうな」 ちょっと考えれば分かる推理なのだが、目の前の人物だけには言われたくなかったことを言われて、メリッサは悔しそうに表情を険しくさせる。ユトはどうしていいのやら分からないようで、部屋の端っこからこちらを見つめてくる猫とにらみ合いを始めた。 「……正解よ。お金はどうすればいいの」 「配達したときにくれりゃあいいさ。いつも通りってな。……その時にオジチャンの腕の中に飛び込んでくれれば半額にしてやってもいい」 「お断りするわ」 「だろうな」 猫と壮絶な視線(ガン)の飛ばしあいをしていたユトは、話が一段落したのを見計らって話に入るために片手を軽く挙げた。 店長はその手に反応して手を挙げる。 「ランチャーの方なんだけど、見せて貰ってもいいですか?」 「構わないぞ。ついてきな」 床に落ちていた工具を足で蹴っ飛ばして隅のほうにやると、すたすたと軽快な歩調で店の奥へと進んでいく。ユトは慌ててその後を追う。埃が舞い上がり、メリッサは軽く咳き込んでしまう。 「あ、後は俺一人でいいから。メリッサは先に帰っててもいいよ!」 「そーね」 メリッサは地面に落ちている布切れを靴で裏返す。それはどこからどう見ても男物のパンツだった。 多少は我慢できるだろうが、流石にこれは酷い。以前訪れたときよりも悪化しているとしか思えなかった。埃塗れのそれから眼を逸らす。 「……こっから先は男の魔境みたいだし」 ↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます) +... 名前
https://w.atwiki.jp/p_ss/pages/1363.html
触れない… 触れないなんて… これはもう、あ〜ちゃんのご機嫌をとりまくって、のっちにぞっこんラブにさせるしかないね! まずは胃袋をがっちり掴もう。 女心を掴むには、まず胃袋を掴めって言うもんね! ん…?なんか違うか? てか、相手は天使だった。 性別とかあるんかな? 間違いなく女の子に見えるけど… と言うよりそもそも… 「あ〜ちゃん?」 「なん?」 「のっち今思ったんだけどね?今あたし達は真っ直ぐのっちのおうちに向かってるわけ」 「うん。で?」 「あ〜ちゃんお腹減ってるんよね?のっちん家には、食べ物がなにもないの」 「ほう…で?」 「買い物でもしてこうかと思ってたんよ?でもね…」 「でも?」 「その〜、天使さんっていうのは…普段どのようなものを召し上がるんですかね?」 「あぁ〜…」 あ〜ちゃんは、顎に手をやりしばし考え中。 だって、想像もつかないもんね? 天使がごはん食べてるとこ。 そもそものっちは、天使とかそういう類いのもんは、お腹なんか減らないんだと思ってたよ。 「のっちが普段食べとるようなのと、一緒で平気よ」 「えっ、そうなの?」 「うん。平気平気」 それなら話は早い! のっちの特製カレーだ! 長いこと一人暮らしして、どんだけ作ったかわからんのっちの自慢の逸品。 て言うより、唯一の一品? まぁなんにせよ、あれを食べさせれば、いくらあ〜ちゃんが天使だろうと、のっちにイチコロだね! 「わかった!じゃあのっちが作るから、楽しみにしてて!」 「…お腹こわしそうじゃ」 なんか聞こえたけど、気にしない! 食べさせてしまえば、こっちのもんよ。 近所のスーパーマーケットに入ると、あ〜ちゃんはキャイキャイ騒いだ。 野菜とか、果物とかを、ポイポイのっちの持ってるカゴに入れる。 なんでも地球に呼ばれるのは初めてで、今までは聞いたこともないような名前の星を転々としてたとかなんとか。 のっちUFOとか信じてる派だから別に驚かなかったけど、天使って仕事の範囲めちゃくちゃ広いんだね… のっちがあ〜ちゃんの仕事の疲れを、癒してあげなきゃね! まぁ、あたしが呼んじゃったからわざわざここまで来てくれてるわけだけど… マンションに着き、いよいよのっちの部屋のドアを開ける。 まいったなぁ〜… そういや、しばらく掃除してないや。 うちに来た人は必ず第一声で「汚い」とか「足の踏み場もない」とか言うんよね。 やだなぁ〜… ガチャ ドアを開け、部屋に入る。 予想通りの部屋の有り様と… 予想外のあ〜ちゃんの言動。 「結構良いとこ住んどるねぇ〜」 ふわふわとのっちの家の中に進んで行く。 なるほどね。 足の踏み場はいらないんだね。 便利だね。 天使って… 〜続く〜
https://w.atwiki.jp/mayshared/pages/407.html
元が縦書きなのでラノをおすすめします part.4をラノで読む 第三話 【反逆のオフビート 第三話】 〈キャスパー・ウィスパー侵略:part.4〉 オフビートは駆けた。 傷だらけの身体を引きずりながら、なおも護るべき恋人の下に向かって走り続けた。 彼が伊万里のいる廃研究室の場所を見上げると、突然轟音ともに研究室の天井に穴が開き、巨大で不気味な、タコやイカのような黒い触手が天に向かって伸びていた。 (なんだあれ? あそこで何が起きているんだ!?) オフビートは不安にかられながらその触手の下に急いだ。 しかし、その触手は腕を破裂させ、眷属たちをオフビートの後方の廃工場にばら撒いていく。 (ちっ、ラルヴァかあれは。なんだってこんな都市の一部に出るんだ!) オフビートは一先ずその眷属たちを無視することに決めた。おそらくあのラルヴァたちは他の異能者がなんとかするだろうと踏んでいた。 やがて伊万里が監禁され、魔女キャスパー・ウィスパーがそこにいるはずの廃研究室の扉前までたどり着いた。だが、その扉は閉ざされている。恐らく崩れた天井の瓦礫で扉が埋まってしまったようだとオフビートは理解した。 「伊万里!」 オフビートは扉の向こうにいるはずの伊万里に向かって叫んだ。しかし、伊万里の返事はなく、代わりに弥生のか細い声が聞こえてきた。 「斯波・・・・・・君?」 その声はまるで泣き叫んだ後のように枯れていた。オフビートは弥生のそんな声に嫌な予感がしていた。 「や、弥生か。なんでお前がここに・・・・・・いや、それよりも伊万里はそこにいるのか?」 オフビートは扉の向こうの弥生にそう問いかけるが、弥生はしゃくりあげるように泣いている。やはり、何かがあったのだ。 「どうした弥生! 伊万里は、伊万里は無事なのか!?」 「斯波君、ごめんなさい・・・・・・私がちゃんとしてれば伊万里ちゃんは・・・・・・」 「な、何があったんだ――!?」 弥生は一連の出来事をオフビートに伝えた。それを聞いてオフビートの顔は絶望に染まっている。恐るべき謎のラルヴァの侵略。一体何が起こっているのかオフビートにも予想はつかなかった。 「糞、そうか伊万里はあの触手のラルヴァに取り込まれたのか・・・・・・弥生、伊万里は身体を丸ごと飲込まれたんだよな?」 「う、うん・・・・・・。もう何も残ってないよ・・・・・・もう伊万里ちゃんは戻ってこないの・・・・・・」 弥生は自分の無力を呪うように力なく答える。しかしオフビートはそれを聞いて、少しだけ希望的な瞳を見せた。 「いや、だとするならば伊万里を助け出す方法があるかもしれない」 「え?」 オフビートは疑念を抱いているような弥生の声を諭すように伊万里を助ける方法を伝える。 「そのラルヴァは周りのものを取り込んでいるのに見た目は変わっていないんだろう?」 「う、うん。あれだけ食べてるのに一体食べたものはどこにいってるんだろう」 「それだ弥生。おそらくそのラルヴァは亜空間そのものが形になっているんだ。だから食料として伊万里や周りのものを食べているじゃなくて唯亜空間の中に吸収しているだけ・・・・・・この仮説が正しければ伊万里を助ける方法は、ある!」 オフビートは決意のこもった瞳でそう言い切った。 「ほ、本当なの斯波君!」 「ああ、だがまずはこの扉をどうにかしないとどうしようもない。こっち側からではどうやっても開けることはできない。弥生、お前に頼みがある」 「な、何・・・・・・?」 「そっち側から瓦礫をどかしてこの扉を開けて欲しい。俺は伊万里を助けるために能力を温存したい。俺の能力もそろそろ限界が来ているんだ・・・・・・頼む!」 弥生は目の前にある瓦礫の山を呆然とみつめる。 後ろには今にも襲いかかってきそうな黒きモノが触手を蠢かせて控えている。 弥生は覚悟を決め、近くにおちている鉄棒を手にとり瓦礫の山を崩し始めた。思い切り鉄棒で瓦礫を叩いているため、その振動が弥生の素手を響かせている。 (痛い――でも、でも! 伊万里ちゃんを護るためなら!!) 弥生はその柔らかく白い手が傷つくのも構わず瓦礫の山を叩き続け、少しずつだが瓦礫の山は崩れていく。 (私はいつも伊万里ちゃんに護ってもらってたばかりだった・・・・・・あの日伊万里ちゃんを護るって決めたのに、私は・・・・・・・だから今度こそ!) 弥生が鉄棒で瓦礫を崩していると、後ろから黒きモノの触手が伸びてきた。それに気づいた弥生は咄嗟に鉄棒でその触手を弾こうとするが、触手はその鉄棒を根元から飲込んでしまった。弥生は瓦礫の山を崩す唯一の道具を奪われ、唖然としていた。 (そんな、もう道具は無いのに――) 弥生は少し放心していたが、すぐに気を取り直して瓦礫の山に対面する。 (道具が無いなら、手で――!) 弥生は自分の手が傷つくのも構わず、瓦礫を掘り返す。 弥生は伊万里と幼いころからずっと親友であった。 幼稚園のころ人見知りの激しい弥生は誰も友達を作れずにいた。とろくさい彼女は何かをしようとしてもすぐに転んだりミスをしたりして周りから馬鹿にされてもいた。そんな弥生を馬鹿にもせず同情の目でみたりもしなかったのが伊万里だった。 伊万里は弥生を可愛い可愛いと言っていつも可愛がってくれていた。伊万里だけが弥生の支えだった。 そして、伊万里の両親が亡くなったとき、弥生は伊万里を護りたいと決意していた。 だが彼女は自分の無力を心底感じていた。 伊万里を護るのは自分の役目じゃない、そんなことはわかっている。しかし、それでも弥生は少しでも伊万里の助けになるために必死だった。 (私に出来るのはほんのわずかなことだけ、あとは斯波君が――) 瓦礫を掘る爪が剥がれだし、血が流れ出てくる。痛みで感覚が麻痺してくる。 手に力が入らず、弥生の体力も限界に近づいてきた。 「痛い・・・・・・痛いよぅ伊万里ちゃん・・・・・・」 涙を流し、弱音を吐きながら尚も弥生は手を休めはしなかった。しかし、それでも瓦礫の山は悠然と弥生の前に立ちふさがっている。 (駄目、やっぱり私の力じゃ・・・・・・でもこのままじゃ伊万里ちゃんが――あっ!) 弥生はそのとき伊万里が何をしようとしていたかを思い出した。 自分の力で瓦礫を崩せないなら、このラルヴァの力を利用すればいい。それは先程伊万里がしようとした作戦である。伊万里は失敗してそのままラルヴァに飲込まれてしまったわけだが、それでもこれしか方法はないと弥生は考えた。 弥生は後ろを振り返りいまだ触手を振り回している黒きモノと体面する。 「こ、こっちよ化け物! 私はここにいるわ!!」 身体も足も震わせながら弥生は目の前の化け物を挑発する。 もし失敗すれば自分も触手の餌食になり、黒きモノに取り込まれることになる。それでも弥生は恐るべき目の前のラルヴァを睨みつける。 弥生は辺りに落ちている瓦礫を黒きモノに投げつけ注意をこちらに向けさせる。それに黒きモノの触手は反応していた。 「ここよ! さあいつでもかかってこい!!」 黒きモノは薄気味の悪い声で鳴き、触手を弥生にむかって思い切り振り下ろした。弥生の身体は恐怖で固まっているが、弥生の目ははっきりと触手の動きを読むために必死に開かれている。 (伊万里ちゃん――) 凄まじい破壊音と共に扉を塞いでいた瓦礫の山が触手により砕かれ、一部は触手に取り込まれていったようで、ぽっかりとそこに穴が開いていた。 弥生は間一髪避けたようで、なんとか無事である。 しかしその衝撃で転んでしまったのか、床に寝そべってる格好になってしまっている。 「いたた・・・・・・でも、これで扉が開いたはず・・・・・・」 弥生がそう言うように扉は開通したが、弥生を取り込み損ねた触手はまだ弥生の上で蠢いていた。そして、その触手が転んで動けないでいる弥生に再び狙いを定めた。 (あっ――!) 触手が弥生目掛けてふり降ろされ、弥生はもう駄目だ、そう思っていた。 (私がどうなってもいいから伊万里ちゃんだけは――!) 弥生は覚悟を決め、全てを伊万里の恋人である斯波涼一に任せようとしていた。 しかし、彼女がどんなに待っても、暗黒の世界が視界を覆うことは無かった。そこにあるのは男の子の身体の温もり。弥生はオフビートに抱きかかえられていた。 彼の光る右手により触手は受け止められており、弥生はぎりぎりのところで彼に救われたのである。 「斯波・・・・・・君」 「大丈夫か弥生。お前は強いやつだよ・・・・・・ありがとう」 弥生が扉を開通さえせたおかげでオフビートもこの廃研究室に入ってこれたのである。弥生は自分が成したことに達成感を覚えていた。ようやく伊万里に恩返しが出来た。ようやく対等な存在になれた、そんな気がしていた。 だがオフビートは目の前に存在するおぞましい姿をしたラルヴァを見て戦慄していた。 「一体どうなってるんだ。俺を襲撃したり伊万里を拉致ったりしたのがあのラルヴァなのか? あれがスティグマの刺客だとでも言うのか!?」 オフビートは正体不明の敵に少しだけ気おされたが、一歩足を前に進める。 「怯んでてもしょうがねえな。弥生だって頑張ったんだ、俺が、俺が絶対に伊万里を助け出してやるんだ!」 オフビートは一歩ずつ黒きモノに近づいていく。弥生はそんな彼を見て心配そうにしていた。当然である彼女はさっきまであの化け物の脅威を目の当たりにしてきたからだ。 「斯波君、大丈夫なの? あの化け物の中が亜空間だって保障も、そこから戻ってこれる保障もないんでしょ・・・・・・」 「ああ、だが、やらなきゃならない。たとえ地獄の底であろうと俺は伊万里を連れ戻す。それが俺の、俺の生きる意味だ」 それでもオフビートは歩を進める。 もはや彼を止められるものはどこにもいない。 「弥生、お前はこの場から離れて醒徒会に助けを求めろ。戻ってきてお前に何かあったら伊万里に申し訳が立たない」 オフビートはそう言い遺すと目の前のラルヴァ目指して駆け出した。そしてそのまま黒きモノの本体に向かって飛び込み、自ら取り込まれていった。 弥生はオフビートの言うとおりにその場から駆け出し、彼らの命運を祈った。 目の覚めるような暗黒。 オフビートは黒きモノの中に潜り込み、その広さと暗さを見て亜空間であると確信を持った。それに空間に浮いている自分や、取り込まれた瓦礫などがそこにはあり、光も無いのに物体たちはよく見えている。 (しかしこんな広い場所で伊万里を見つけられるんだろうか) あまりに広大なこの空間の中でどうしたものかとオフビートは考えていた。空間中に浮遊する瓦礫の山を押しのけてどこともわからない場所を彷徨う。 「おーい伊万里! いたら返事してくれ!!」 オフビートはそう叫ぶが、そもそもこの空間に音が伝わるのかが疑問であった。当然ながら伊万里の返事は返ってこない。 しかし、オフビートが浮遊している飲込まれた研究室の機材に触れると、突然頭の中にイメージが流れ込んできた。 それは兵器研究局の過去の映像であった。 何人もの白衣を着た者たち、恐らくは研究者であろう彼らは様々な実験を繰り返していた。超人製造計画による何万という人造人間の屍が打ち捨てられ、過剰で凶悪な兵器が次々と作られている。 オメガサークルの前身である彼らは、こうした倫理と道徳を捨てた研究を求め続けたゆえに双葉学園により存在を抹消された。しかしそれでも科学の限界と究極の研究に取り付かれた彼らはオメガサークルを立ち上げ、今でも世界に闇を与えている。 そしてまた新たに流れ込んできたイメージは、また別のものであった。 真っ白な研究室の中心に、一人の少女が奇妙な椅子に座らされていた。椅子についた拘束具で両手足を縛られ、ゴテゴテしたコードや機器がついたヘルメットのようなものを頭全体に被らされて、少女の顔はよく確認できない。 だがその少女の顔は苦悶に歪み、周りの研究者たちはそんな少女の苦痛の表情も意に介さず無表情でデータを取っているようだ。 (これはなんだ――!?) そしてその少女が悲鳴を上げ、計器などが異常を知らせる音を鳴らせている。研究者たちは焦った様子もなく、その様子もデータにとり、少女を見下ろしていた。 やがて映像がフラッシュし、オフビートの意識はまた暗黒の空間に戻ってきた。 (今のはこの取り込まれた研究機材の記憶――か? まさかここは普通の亜空間ではなく、強いテレパスが形成できるという精神世界なのか。だとするなら距離や場所は関係ないはず・・・・・・) オフビートは目を閉じ、精神を統一させる。前身から発せられる魂源力を感覚神経に行き渡す。それで感覚が強化されるわけではないが、この空間に存在する他の魂源力を感知することができるかもしれない。オフビートはそう考えてこの精神世界に存在するはずである伊万里の精神にアクセスしようと試みる。 ここが精神世界ならば限定的な擬似テレパスが使えるはずである。 オフビートはどこかにいるはずの伊万里に向かって呼びかけ続ける。 (お願いだ伊万里、いるなら返事をしてくれ。この暗闇の中で自我を保つのは強い意志が必要だ、だがお前にはその強い意志があるはずだ――) オフビートの呼びかけに答えるように、目の前に小さな光の粒が現れた。 それはなんだか不定形で、まるで自分の形を忘れてしまったかのようである。 (これが伊万里――なのか? 強い精神力の干渉を受けて自我が崩壊しかけているのか。俺も長いことここにいると不味いかもしれないな) オフビートがその光に手を触れるが、そこには感触はなく、ただすり抜けるだけであった。それはまだ彼女自身の精神が不安定で形を保てていないからであろう。 しかしオフビートが触れたことで彼女の精神に少し揺らぎが生じたのか、光は形を取り戻したかのように人型を形成していく。 しかし、それは小さな人型、伊万里の幼い時の姿をしていた。恐らく彼女自身の自我がまだ完全に取り戻せていないせいであろう。 「い、伊万里?」 虚ろな目をしている小さく幼い少女の姿をした伊万里を見て、オフビートは何かでデジャブを感じていた。どこかでその姿をみたことがあるような、そんな気がしたのである。 (俺は伊万里の小さな頃を知っている――?) そんなことはありえない、そう思いながらもオフビートは心のどこかで彼女の幼い姿に何か曳かれていた。オフビートは何か自分でもわからない感情の高鳴りを感じ、何か熱いものが頬を伝っていることに気づいた。 (俺は今、泣いているのか――?) 手でそれを拭い、オフビートは自分が涙していることに驚いていた。自分でも理解できない感情の高鳴り。何かが込み上げてきて涙が止まらない。彼は今まで泣いたことなんてなかった。少なくとも彼の記憶にある中ではそんなことは一切なかった。 それ故に彼は自分自身のこの感情に戸惑っていた反面、少し嬉しさもあった。 人間の証明。 戦いのための改造人間である彼、兵器として存在する彼は自分自身の人間らしさに触れ、身体が震えていた。 (伊万里に出会えたから俺は――!) 涙で濡れた掌を握りしめ、オフビートはその幼い姿の伊万里の手を引っ張ろうと手を伸ばすが、その幼い伊万里の身体を何か黒いものが浸食し、オフビートから引き離してしまう。そしてその黒い空間に、一つの顔が浮かんできた。 それは人形のように白い、美しい顔をした女。 しかしどこか醜悪さを感じさせる空気を持ち、目にはとてつもない殺意を感じた。 魔女、そう呼べる雰囲気がその女にはあった。 「だ、誰だお前は。そうか、お前が伊万里を攫ったスティグマの・・・・・・」 「私は魔女キャスパー・ウィスパーよ、私は本物の魔女になったのよ。あはははは、私は無敵よ、世界を相手にしても負けないわ!」 目の前の女は不気味に笑いながらこの精神世界における自分の身体を形成していく。それはまるで蛸かイカのようなおぞましい姿で、ぐちゃぐちゃと内臓が絡まっているような触手のついた巨大な下半身に、何個もの無数の目玉がついている。 魔女の裸の上半身だけが唯一人間である部分になっている。しかしその魔女の目は奇妙な赤色で、人間味は一切感じなかった。 「なんだこいつ、精神がここまで奇形化してるなんてまともな人間じゃありえない・・・・・・」 「そうよ、私は人間を超越したのよ。悪魔すら殺せる、神に私は成ったのよ」 「何が神だ、この化け物め!」 目の前の恐ろしい姿をした魔女は幼い伊万里を抱きかかえている。 恐らくはこの魔女がこの精神世界の基盤になっており、彼女を倒さない限り伊万里を取り戻すことはできない。この絶望的な相手を目の前にして、オフビートは臆してはいなかった。彼女を取り戻すためならば神にすら戦いを挑む。 それが彼、オフビートの信念であった。 「化け物、ね。あなたがそれを言えるのかしら、オメガサークルの玩具の癖に」 「俺は――俺は人間だ!」 オフビートはそう叫びながら空間に浮いている瓦礫を蹴り、勢いをつけて魔女のもとまで飛んでいく。この精神世界には重力など存在しないのだ。 ポケットからナイフを取り出し、それを魔女の喉下に突き刺そうとオフビートはナイフを構える。だが、 「無駄よ」 魔女のその冷徹な言葉と共に放たれた触手がオフビートの身体にまで伸びていくが、オフビートは絶対防御の異能である“オフビート・スタッカート”を発動させ、掌でその触手を弾いていく。 「無駄はどっちだ、俺の能力ならお前の攻撃なんか――」 しかしそう言うオフビートの動きががくんと止まる。弾いた触手は動くことをやめずオフビートの足に絡み付いていた。 「しまった!」 「弾いたところで私の触手はあなたを捕らえることを止めないわ。あなたの能力の範囲は所詮両掌のみ、今の私の敵じゃないわ」 「こ、こんな触手ごとき!」 オフビートは右手にもったナイフで触手を切り離す。外の世界の黒きモノの触手とは違い、触れただけで飲み込まれるということはないようである。しかし、魔女は無数に触手を伸ばしてきて、オフビートの身体を締め上げていく。足も腕も胴体にも触手が纏わりつき、ぎりぎりとした痛みが身体全体に走る。 「く、糞。こんなもの!」 「私から逃れることは不可能よ、さあ死になさい」 魔女は自分の掌を広げ、オフビートにその手をかざす。その手にエネルギーの粒子が収束していき、目が眩むような光を放っている。 「レイザースピア」 その光の粒子はまるで槍のような形に変化し、魔女はそれをオフビートに向かって思いきり投げつけた。 高速で打ち出された光の槍をオフビートは左手を突き出して防御しようとするが、光の槍は彼の左腕を吹き飛ばし、消滅させた。 オフビートの能力は限界が近づいていたため、出力が出なかったのであろうか、左腕が二の腕の辺りから下が完全に持ってかれていた。 「ぐ・・・・・・嘘だろ・・・・・・」 自分の身体の一部の喪失に、オフビートは愕然としていた。圧倒的な力の差を前にして、絶望を感じていた。 「さあ、串刺しにしてあげるわ」 魔女はもう一度光の槍を形成し、オフビートに向かって放射する。 今度のそれはオフビートの腹部に突き刺さり、致命傷とも思える傷をオフビートに与えていた。内蔵が傷つき、血がどんどん溢れ出てくる。 「うぁあああああああああああああ!」 オフビートは腹部から全身に走る激痛に思わず叫び声を上げる。だが叫べば叫ぶほど痛みが増幅され、臓物がはみ出そうになる。痛みのために暴れようとするが、触手が彼の身体を拘束し、何も出来ない。 「あらあら、意外としぶといわねぇ」 魔女はせせら嗤うように瀕死のオフビートを見下す。 血まみれになりながらも尚、魔女を睨みつけるオフビートを、魔女は冷酷で残酷な目で見つめ返す。 「一体なぜあなたはこんな小娘一人にそんな必死になるのかしらね」 魔女は幼い姿をした伊万里を抱きかかえながらそう言う。魔女はその長い指の爪を伊万里の柔らかな頬に押し当てる。 「こんなか弱い存在、護ってもしょうがないのにね。私がちょっと爪を動かすだけでこの可愛い顔も傷でズタズタになるっていうのに」 「やめろ、伊万里に手を出すな!」 オフビートは血反吐を吐きながらも抗うことをやめない。 なぜ彼が目の前の少女にそこまで固執するのか、それは彼自身もわからない。 「任務ってだけじゃないのね、この女を護ろうっていうのは。まったく理解しがたいわ」 それでもオフビートは彼女を見捨てるという選択肢を考えることすらなかった。 まるでそれは遠い日の約束を果たすためのような、そんな確固たる想いがオフビートにはあった。 「はいはい、熱いわねぇ。いいえ、暑苦しいわ。もう十分でしょ、消えてなくなりなさい」 魔女は先程よりも大きく手にエネルギーを集中させていく、次にこれを食らえばオフビートの身体はもたないであろう。確実に命を落とす。 オフビートはそれを見て絶望に顔を歪ませる。 自分がここで死んだら伊万里はどうなる、そればかりが彼の気がかりであった。 「うおおおおお! 伊万里・・・・・・伊万里、伊万里いいいいいいいいいいいい!」 オフビートは最後の咆哮をこの暗黒の空間に轟かせる。 これでオフビートの物語は終わりを告げる――だがしかし、 「斯波君・・・・・・」 絶体絶命の絶望の中、それでも戦うことを、運命に対して反逆を止めない人間に奇蹟は起こるのだ。 「斯波君!!」 精神を破壊された幼い姿の伊万里の瞳に、光が戻り、オフビートの呼びかけに答える。 「斯波君、斯波君!」 「ちっ、なぜだ、私の力で精神は――!」 驚いて油断をしていた魔女を突き放し、伊万里は魔女の手から離れていく。魔女はエネルギーを手に溜めていたために伊万里のほうに気を配っていなかったのだ。 伊万里は空間を飛びながらオフビートのもとに向かっていく。 オフビートのもとにたどり着いた伊万里は、オフビートの傷だらけの身体に思いきり抱きつく。その瞬間、伊万里の幼い身体は光とともに今の十六歳の姿に戻っていく。 「伊万里・・・・・・あんま強く抱きつくなよ、痛いだろ」 「斯波君、斯波君・・・・・・こんな、こんな姿に・・・・・・」 伊万里は腕をもがれ、臓物をはみださせる大怪我を負ったオフビートの姿を見て涙を流していた。自分を助けるために大切な人が傷つくなんて彼女には耐えられなかった。 「泣くなよ、俺はお前に泣かれたら・・・・・・」 オフビートはそれ以上声も出せなかった。限界が来ていた。 愛するものの胸の中で、死んでいく。それはとても理想的ではあるが、この状況で自分だけが死んでも伊万里は助からない。 オフビートは今のこの状況の中でも決して諦めることを考えなかった。 「伊万里、どけ。またあいつはあの技を撃ってくる・・・・・・お前も死ぬぞ・・・・・・」 「いや、斯波君を放っておけないよ!」 伊万里はオフビートの身体にすがりつく。そのか細い体躯が微かに震えている。 オフビートは考える。 今この場で自分の死は伊万里の死だ。 自分自身があの魔女を突破しない限り伊万里にも安全はない。 考えろ。考えろ。考えろ。 生きて、目の前の敵を倒すんだ。 オフビートは元の姿に戻った伊万里を抱きしめながらそう決意していた。 (・・・・・・いや、まてよ。それってつまり――) オフビートが何かを考え込んでいる間に魔女はエネルギーの収束を終えていた。魔女は最後の一撃をオフビートに放とうと、再び構える。 「ちっ、さっきは邪魔が入ったせいでやり損ねたわね。でも、これで本当に終わりよ。死の巫女と一緒に塵になりなさい」 巨大な光の槍が放射され、その一撃で全てが決する、はずであった。 だがありえないことにその光の槍はオフビートの目の前で眩い閃光と共に完全に消滅した。いや、正確にはかき消されたかのように相殺されたのだ。 「そんな、まさか!」 ちぎれ飛んだはずのオフビートの左腕がそこには存在していた。オフビートは左掌を突き出し、魔女の光の槍をその異能、オフビート・スタッカートで防御したのである。 「し、斯波君・・・・・・なんで・・・・・・?」 普通ではありえない、オフビートは再生能力者でもなんでもない。肉体は強化あれているとはいえこのような力があるわけではない。 「な、なんでお前は・・・・・・・」 魔女は信じられないものを見るようにオフビートを睨んでいた。そんな魔女をオフビートはまるで苦痛を感じていないように不適に笑う。 「なんでって、それはお前が一番よく知ってるだろ魔女さんよ。あんたのその技のトリックは見破ったぜ」 オフビートは目を瞑り、精神を集中させていく。 やがて穴の開いた腹も、傷が塞がり、まるで最初から何も傷を負っていない状態になっていく。だがそれも有り得ないのだ、なぜなら腹を貫かれて破れた服すらも元通りになっていったからである。 「し、斯波君、これは一体・・・・・・」 「心配させたな伊万里。これは、この傷もあの攻撃も全部幻覚だったんだ」 そう、異能力は一人につき一つ、魔女の能力が精神世界を構築するほどの精神感応者ならば、あの光の槍は物理的なものではありえないのだ。 伊万里の身体が幼い姿になったり、魔女が化け物姿になったりと同様に、オフビートの精神体を変形させるほどの精神波をあの光の槍に込めていたのだ。 逆に言えば、それにさえ気づけば、自分自身の本来の姿に戻ることができる。伊万里のように元の形を得ることができるのだ。 「もうお前の攻撃は俺に通用しないぞ。観念しろ」 「ふざけるな、貴様なぞ下らない奴にこの私が・・・・・・」 魔女は怒りと焦燥により鬼のように醜悪な表情をし、手の爪をさらに鋭く伸ばす。オフビートを縛っている触手にもさらに力を込めていく。しかし、 「だからこんなもんも通用しないって言ってるだろ!」 オフビートは自分の身体に纏わりつく触手を、左手で切り離していく。彼の異能の力が宿った手で握り締めればそれらのものは簡単に千切れてしまう。 触手を切り離し、オフビートの右手も自由になる。これで彼の力は完全に解放されたのだ。伊万里はそんな彼の邪魔にならないように、そっと離れる。 「オフビート・スタッカート、全開!!」 オフビートの両掌が輝き、高周波のシールドが形成されていく。まるでそれは、この絶望の暗黒に輝く、希望の光のようであった。 「さあ来い魔女! 決着をつけてやる!!」 「調子に乗るなこのドチビがああああああ!!」 魔女は化け物の身体をした巨体を揺らしながらオフビートに突進してくる。しかし、オフビートも退くこともせずに、同じように魔女に向かって駆けて行く。 魔女は懲りもせずに無数の触手をオフビートに伸ばすが、オフビートはそれを受け止めるのではなく掌で斜めにずらし、受け流していく。 魔女の懐にまで潜り込んだオフビートを、魔女はその刃のように鋭い爪で斬りかかってきた。オフビートはそれを片手で防御しながら、ナイフでその両腕を逆に切り落としてやった。ナイフは弧を描き、魔女の手首を綺麗に切断する、しかし、魔女の切り落とされた手は瞬時に再生され、元通りになっていく。まるで映像を巻き戻しているかのように。 「ちっ!」 「馬鹿ね、あなたに出来ることは私にも出来るのよ。精神体であるこの私をいくら傷つけても無駄なのよ」 無限の精神力を誇るこの魔女には、まともな攻撃は通じない。 長期戦になれば精神的持久力に無いオフビートに勝ち目は無い。 しかし、オフビートには考えがあった。 「そうかい、だったらこれはどうだ!」 オフビートは両手で魔女の頭をがしっと掴んだ。 「な、何をする気だ!」 「あんたの精神体がここまで奇形化して精神世界を形成するほどにテレパス能力が増幅されてるのは、あの黒いラルヴァに精神が侵食されているからだ。だったらそれを引き剥がしてやれば――」 「や、やめなさい! 折角私は神の力を手に入れたのよ! 世界と戦う力を――」 オフビートは魔女の悲痛な叫びを無視して、異能を全開にしていく。彼の能力は触れるものを拒絶し、遮断することができる。その力を応用し、魔女に取り憑いているラルヴァの精神を弾き飛ばそうというのだ。 だがそれは強力な魂源力のエネルギーを消耗するため、オフビートにとってはとてつもない負担であった。 連戦により彼の脳も身体も限界が来ているのだ。 そして、幻覚だと見極めたとは言え、何度もあの光の槍という精神攻撃を受けていたため、精神もボロボロであった。 失敗すれば次は無い。下手をしたらオフビートもラルヴァに取り込まれる可能性もある。そうなったら勝機は永遠に失われる。 しかし、それでも、オフビートは前に進むしかないのだ。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」 改造人間オフビートと魔女キャスパー・ウィスパー、その二人の全エネルギーを賭した戦いが今、決着を迎えることになる。そして―― 「はやはや! アタシがはやはやを蹴ったりすれば威力は倍だよ!!」 「そうか、わかった!!・・・・・・いや、意味わかんね――うわぁああ!」 加賀杜が足で早瀬に触れることにより、早瀬の加速は強化され、キックの威力は通常の倍になり、目の前の黒いラルヴァの群れを吹き飛ばしていく。だが背中を加賀杜に蹴られた早瀬は思い切りすっ転んで顔面を地面に打ってしまった。 「いてて・・・・・・無茶しないで下さいよ加賀杜先輩――うげっ」 鼻血を出した早瀬が起き上がろうとした瞬間、ルールは「とうっ!」という掛け声と共に早瀬の頭を踏み台にして、大ジャンプをして空に舞った。 早瀬の音速キックにより、空中に吹き飛ばされた黒いラルヴァたちをルールはその異能の力の宿った手で次々と消し去っていく。 「出た! 必殺ルールチョップ!!」 加賀杜はルールがラルヴァたちを攻撃していくのを見て興奮して実況していた。 やがて最後の一体になった黒ラルヴァを消滅させると、ルールは空中で一回転をして見事に地面に着地をした。 「これで、雑魚共は全て消し去ったか」 「そうみたいだねエヌルン」 ルールと加賀杜は黒ラルヴァたちを全滅させたことを確認すると、この黒ラルヴァたちを生み出したあの廃研究所の化け物の元に向かおうと足を向ける。 加賀杜に蹴られ、ルールに踏みつけられた早瀬は、涙目になりながらもその方向に目を向ける。すると、向こうから可愛い女の子が走ってきているのが目に入った。 「あ、あの子なんでこんなところに?」 「ふむ、おいキミ。ここで何をしているんだ?」 早瀬がその女の子に話しかける前に、ルールがその女の子に声をかけてしまった。早瀬はまたもいい所をとられがっくりと項垂れた。 その女の子は青ざめた様子で、全力疾走してきたのか息を切らしていた。 「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・。よかった、醒徒会の人がここにいて・・・・・・はやく伊万里ちゃんや斯波君のところに・・・・・・」 「何が起きているんだ。落ち着いて話してくれ」 ルールは弥生から今の状況を聞いて、驚きを隠せなかった。 「人間がラルヴァに、か」 「ルール先輩、早くあそこに向かいましょう。あんなのが都市部にきたら大惨事ですよ」 「そうだな。行くぞ」 ルールは加賀杜とバイクに跨り、早瀬は憔悴している弥生をおんぶして走っていく。弥生の柔らかな身体が背中全体にあたり、早瀬は役得と感じ、顔がにやけていた。 「あーはやはやってば、またいやらしいこと考えてたね」 「げっ、ち、違いますよ!」 そうこう言っているうちに、四人は例の廃研究室に辿りついた。 その中には遠くからしか確認できなかった触手の本体が蠢いていた。 「これがさっきの黒いラルヴァの親ですかね。でもこの子の言うことが本当なら生徒が二人も飲込まれているんでしょ? 下手に攻撃できないですね」 「そうだな。ぼくの能力では彼らも消し去ってしまうかもしれない」 「じゃあどうするの、このままじゃこいつこの辺りのもの全部飲込んじゃうよ」 目の前の黒きモノは、未だに触手を振り回し、周りのものを飲込み続けている。やがて黒きモノはルールたちの存在を感知したのか、その巨大な触手を彼らに向かって伸ばしてくる。 「うわぁ! なんかきましたよ!」 「ちっ、仕方あるまい――」 ルールが臨戦態勢に入ろうとした瞬間、その触手は彼らの手前でぴたりと止まった。 「なんだ?」 突然その触手は止まったかと思ったら、次に触手は痙攣を始めた。いや、それを辿っていくと、本体そのものが痙攣してビクビクと震えていた。 「ちょ、何が起きてるのエヌルン!?」 「わからない、だがこのラルヴァは苦しんでいるようだ・・・・・・」 黒きモノはこの世のものとは思えない叫び声を上げて、その黒い巨体をドロドロと形を崩していく。アイスが溶けるかのように液状になって地面に落ちていく。 「あれは!?」 黒きモノの形が崩れていくのと同時に、黒きモノの本体から人間の手が生えてきた。いや、生えてきたのではない、あの黒きモノの中から突き破ってきたのだ。その手は掌が輝いており、次々とその黒きモノの身体を引きちぎっていく。 そして、その黒きモノの中から現れた者は―― 「伊万里ちゃん――斯波君!!」 黒きモノの巨体を完全に内部から破壊し、その中から出てきた人物は伊万里を抱きかかえたオフビートであった。 飛び出してきたオフビートは伊万里を庇うように地面を転がり、そのまま動かなくなってしまった。そして、その黒きモノの中から出てきたもう一つの人影が地面に倒れていた。それは人形のように美しい少女、黒きモノの触媒になっていた西野園ノゾミであった。 「この女生徒がこのラルヴァに寄生されていたのか・・・・・・」 ルールはノゾミに近寄り、安否を確認しようとしたが、意識はあるのに目は虚ろで、まるで心を失っているかのようになっていた。 「なんてことだ。精神が完全に崩壊している。これじゃあ廃人じゃないか・・・・・・」 ルールは自分がもっと早く駆けつけていればこんなことにはならなかったのではないかと悔いていた。それに、この女生徒がなぜラルヴァに寄生されたのか、このラルヴァが一体なんなのかもこれではわからない。 目の前の虚ろな瞳の少女を抱きかかえ、ルールは自分の無力さを嘆いていた。 そんなルールに早瀬は戸惑いながら話しかける。 「しかしルール先輩、先日の青山や和泉、今日の銃を持った生徒たちは操られていたんですよね、このラルヴァ騒動と何か関係あるんですかね」 「さあな。一体誰に操られていたのかはぼくらにはわからないだろう。この女生徒からは聞き出せないしな。だが、関係者は他にもいる」 ルールはちらりと後ろに転がっている転校生斯波涼一に視線を向ける。 彼が学園に来てから何かがおかしい、何かが起きている。ルールは彼の安否と同様に彼が一体何者なのかということが気がかりであった。なにか自分と近いものを感じる、そう思っていた。 「うーん、斯波っち大丈夫なのかな、もしかしてこの女の子みたいに斯波っちも・・・・・・」 加賀杜は心配そうにオフビートを見つめている。 オフビートは伊万里と共に黒きモノから吐き出され、そのままぴくりとも動かないでいる。加賀杜はオフビートの安否を確かめようと向かおうとしたが、早瀬の背中から飛び降りた弥生が、地面に伏せている伊万里とオフビートのもとに駆け寄っていく。 「伊万里ちゃん、斯波君!」 弥生は伊万里の手をとり、涙を流していた。伊万里は意識はあるようで、少しの間ぼーっとしていたが、すぐに状況を理解した。 「そうだ、私・・・・・・あの化け物に、それで斯波君が・・・・・・」 はっとしたように伊万里はオフビートを抱き支える。あの精神世界で受けた傷は幻覚でも、その前に傀儡たちに受けた傷は酷いものであった。そして、魔女との戦いで彼の精神も限界に達していた。もしかしたらこの魔女、西野園ノゾミが廃人になったようにオフビートも意識を取り戻さないのではないか、と伊万里も弥生も心配をしていた。 「斯波君、斯波君! 目を覚まして!!」 伊万里はオフビートの頬をひっぱたきながら彼の名を呼び続ける。涙を流し、彼の胸に顔をうずめるその姿は悲痛なものであった。 それを見て、加賀杜もルールも早瀬も表情を暗くしていた。 「斯波っちも、まさかこの女の子みたいに・・・・・・」 「わからない、だが、あのラルヴァの影響でこの女生徒の精神が崩壊したと言うなら彼もまた――」 ほんの少しの沈黙。 「重てーっつーの。少しはダイエットしろよ伊万里」 そして聞こえるいつもの調子外れな声。 オフビートは目を開け、自分の上に圧し掛かっている伊万里に対してそう言った。 意識を取り戻したオフビートを見て、伊万里もいつもの調子で彼にこう答えた。 「重くないわよこのバカ・・・・・・・バカ! 無茶しないでよバカァ・・・・・・」 「バカバカ言うなっての・・・・・・あー頭いてえ」 「でもよかった・・・・・・本当に・・・・・・」 毒づくオフビートを伊万里は怒りながら、そして泣きながら抱きしめた。 「なぁ、伊万里。観覧車・・・・・・乗ろうぜ」 「へ? な、何言ってるのよ突然・・・・・・」 「だってよ、俺たちデートの途中だったんだぜ。それなのにこんなことに・・・・・・」 オフビートが自分が乗りたがっていた観覧車のことを覚えていたことに伊万里は驚いていた。そして、とても嬉しかった。 「うん、絶対乗ろう。でも怪我治してからね。また一緒にあそこのデパートのアイスも食べようよ」 オフビートは伊万里の涙を手で拭い。伊万里は笑顔をオフビートに向ける。その可愛らしい笑顔を見てオフビートは思わず呟いた。 「そうだ、俺はこの笑顔を護るために、戦い続けるんだ・・・・・・」 それは誰にも聞こえないほどの小さな呟きであったが、それでも大きな決意が込められた声と言葉であった。 どんなに過酷で残酷な運命が目の前に立ちふさがっても、それに屈することなく、反逆し続ける限りオフビートの物語は終わらない。少年と少女の物語は終わらない。 ――――――――――――To Be Continued? トップに戻る 作品投稿場所に戻る
https://w.atwiki.jp/sinsougou/pages/1492.html
シャドウという存在についての見解は諸説ある。 人間の精神を喰らうことで害悪を成す「人類の敵」。 怪物の姿をとり、必ず体のどこかに所属アルカナの番号が刻まれた仮面を持つ 人間の抑圧された願望・欲望から生み出される存在。 自分の暗部を見つめる力がゼロになった時、制御を離れて外へ迷い出る自分自身。 自意識が嫌悪する人格。自意識の影。 そのどれもが正解で、どれもが的を外れていると八雲紫は語る。 科学の栄光は人類に光をもたらしたが、一方で、それまで人間の陰として寄り添ってきた 妖怪、妖精、神、怪物、ありとあらゆる神秘達は記憶の隅へと追いやられていった。 必要のなくなったモノに、人は容赦しなかった。 魔術は迫害され、信仰心は失われ、錬金術は忘れ去られた。 彼らの時間だった夜は人間の作った灯りに浸食され、彼らの居場所だった自然にはコンクリートの箱が乱雑に建ち並んだ。 やがて、彼らは人類を見限り別の世界へと旅立っていった。 エルドラド、桃源郷、魔界、天界、地獄、幻想郷、様々な理想郷へと――――。 紫「全ての異端が表から去ったわけじゃない。独自に進化したものや他の国に逃れた者、人間に溶け込んだ者もいる。 重要なのは、地球という船の玉座に『人間』という種だけが居すわったことよ」 人は科学という光を使い、自らの身を脅かす闇を克服することに成功した。 しかし陽と陰が、どちらかが欠けることも、どちらかが離れることも許されないように、 陽である人間がいる以上、陰の座を埋める者が現れるのは世の必然である。 結果、たかだか数百年程度の文明では世界の根本的なルールを変えるには至らず、 追放した闇のかわりに新たな闇を呼び込むことになってしまった。 シン「まさか、それが・・・」 去って行った者たちの穴を埋めるために世界が人間の心から生みだしたもの 妖怪の代用品、人間が抱えていた感情の欠片、人類の歪みの象徴。 紫「すなわち、人間の陰『シャドウ』」 ゆえに、彼らは人を襲う。憎しみ、恨み、嫉妬、執着、あらゆる負の感情を持つがために。 ゆえに、彼らは心を食べる。自らに足りないものを補うように。 ゆえに、彼らは途絶えることが無い。歪みが正されるか、人類全てが己の陰を御せるようになるまで。 題名未定 第三話「 Like a dream come true 」 中篇 八雲紫のシャドウについての説明はかなり難解で、SFにそれほど詳しくないシンにはさっぱりなレベルの内容だった。 それでも要点をある程度把握できたのは、マユによくそういう系列の本を読んでやっていたおかげだ。 (もちろん、マユのリクエストで) 紫「こんなところかしら。急に無口になったけれど、ちゃんと話しについてこれていて?」 シン「いや、正直規模がでかすぎて全然ピンとこない。 ・・・なあ、人間が変わらない限りシャドウも消えないなら、勝ち目なんてないんじゃないか?」 紫「あら、意外ね。後先考えずにシャドウに向かって言ったあなたが、今更勝ち目を気にするなんて」 シン「あんたがそれを言うなよ!」 紫「もう、ほんの冗談じゃない。それにそれほど絶望的な話じゃないわ。シャドウは基本的に臆病だから積極的に人を襲ったりしないし、 “影時間”でしか自己を確立できない。それもおいおい説明していくわね」 と言っても、これから話すこともほとんどが推論と考察から成り立っているのだと彼女は言う。 シャドウは、人の魂の欠片だけあって膨大な数があり、成り立ちから力量までばらばらなんだそうだ。 はたしてどれが真実なのかは、もっと時間をかけて検証する必要があるらしい。 紫「まず、シャドウに心を食われた人間は『無気力症』となります。この症状の事は?」 シン「聞いたことがあるくらいだな。昨日まで元気だった奴が、急に何事にも無気力な“影人間”になるって」 紫「正解♪ それが心を食われし者のなれの果て。魂の中に潜む『シャドウを抜かれて』息をするだけの死人になり下がるの。 だから、心を食べられるという言い回しも厳密には正しくないわ」 無気力症患者――通称 “影人間”――は治療法が無いことで有名だった。 十年前から徐々に増え始め、医療と名のつくあらゆる方法を試してみたが効果はなく、どの医者も原因がわからない。 当たり前だ。本当にシャドウに心を食われたのだとしたら、医者がどうこうできる問題じゃない。 その割に、ある日ふと病気が治ることがあったりしたらしいが・・・。 紫「それは、心を食べたシャドウが倒されたことで、“影人間”となった人間が元に戻ったのね」 シン「それもペルソナ使いがやったのか」 紫「恐らくそうでしょうけど確証はないわ。影時間にはたどり着けなくとも、 シャドウを倒すだけならペルソナ使いでなくとも可能ですもの。 退魔を生業としている者達はこの国では意外と多いのよ」 シン(そりゃあ、妖怪も生き残ってるしな。俺の目の前にもいるし) 紫「ねぇ、シン。『1日は24時間じゃない』・・・なんて言ったら、あなたは信じるかしら?」 シン「24時間じゃない? もしかして、それって、さっき言ってた“影時間”と関係があるのか」 紫「察しがいいじゃない。そう言えばあなたはもう“影時間”を経験してたわね」 シン「巌戸台分寮であんたと会う前にな。通りで街の様子がおかしいはずだよ」 彼女によれば、“影時間” とは一日の終わりに現れる人間が干渉することのできない、陰の存在が支配する世界。 簡単にいえば、シャドウが活動することのできる時間だそうだ。 影時間の中では、陽の存在である人間を含めて人間の作ったものまですべて静止する。 この街で見た、そこら中に立っていた棺おけのようなオブジェは「象徴化」 (という生命が無機質な結晶になる現象)した人間だったらしい。 ただ、普通の人には知覚できなくても、“影時間”に適性のある人はその特殊な時間に迷い込んでしまい、 結果シャドウの犠牲になってしまうそうだ。 紫「(連日発生するようになったのは、十年前のある事件がきっかけなのだけれど、それはまだ話すべきじゃないか・・・) それに対抗できるのは、同じく“影時間”に入り込むことができる特殊な才能を持った・・・」 シン「ペルソナ使いだけってことだな」 紫「大正解♪ 彼らは、シャドウを己が力として用いることができる進化した人間。ううん、むしろ歴史的にみれば逆かしらね」 シン「逆? 」 シャドウとペルソナはそもそも同じ存在なのだと、八雲紫は言葉を続ける。 シャドウ、つまり抑圧された人格は、人の意思で制御することでペルソナとなる。 ペルソナは神や悪魔の姿をしたもう一人の自分とも呼ぶべき存在で、人間を超えた様々な能力を持っている。 そして、ペルソナを使う者達の事を総称して『ペルソナ使い』と呼ぶ。 しかし、人類は、シャドウに対抗するために『ペルソナ使い』として進化したわけではないらしい。 紫「ペルソナ使いの方が、シャドウよりもずっと早く存在していたの。だから、逆なのよ。 彼らは、ずっと昔から戦っていたわ」 シン「戦ってたって、あんたみたいな妖怪とか?」 紫「妖怪、魑魅魍魎、要は人間以外の何か、そして人間や他のペルソナ使い」 シン「ペルソナ使い同士が!?」 紫 「人を超えた力を持っていても、所詮心は人のまま。思惑が違えば、争うこともあるわ。 最近で言えば、セベク・スキャンダルが有名かしらね」 セベク・スキャンダルなら、シンも聞いたことがあった。 1996年、東京にある御影町がプラズマの壁のようなもので完全に隔離され,一切の交信が不可能となった怪事件だ。 セベクと言う企業が起こした事故だったらしいが、社長の事故死によって真相はうやむやになってしまっている。 シン「噂では悪魔が出たって話もあったみたいだけど、あんたが例にあげた所を見ると本当だったんだな」 紫 「ええ、本質は違っても悪魔は確かに実態を伴って現れたわ。そして、それを始めたのは・・・」 シン「ペルソナ使い・・・」 紫「終わらせたのもそう。彼らにはそれだけの力があった。そして、貴方にも。 もっとも、貴方の場合はまずそのペルソナを交換しないといけないわね」 シン「交換!? でも、ペルソナはもう一人の自分とも呼ぶべき存在だって」 紫 「貴方の場合は、他のペルソナ使いと違って無意識集合体から自分を何人も汲んでこれるから、 ある程度融通がきくの。それとも、またペルソナを暴走させて暴れ回りたいのかしら?」 シン「い、いや、そんなことは・・・」 強い口調で嫌味を言われて思わず首をすくめるシン。 気に入らないヤツが相手ならこれでもかと強気に出られるが、 どうもお姉さんタイプの女性に叱られると言い返せない性分のようだ。 紫「大人しく、弱いペルソナから始めなさい。急がば回れ、 焦らなくても戦いで経験を積めば自然に強くなれるでしょう。 それまで、あなたのペルソナは私が預かっておきます」 シン「けど、わざわざ強いペルソナを手放さなくても訓練して使いこなせるようにすれば」 紫「・・・シン、萃香と私がいなければ、あのビルは粉々に吹き飛んでいたかもしれないのよ。 貴方に与えられた力は、それほどに大きなものなの。 力を持っているのならば、まずそのことを自覚しなさい」 一瞬で背筋が寒くなった。 あのビルを吹き飛ばすってことは、そこにいる人間まで軒並み道連れにするってことじゃないか。 守ろうとした、あの二人さえ殺すところだったって言うのか。 夢に出て来たあの血染めの人たちのように・・・。 気持ちがいっきにマイナスに傾く。 むせかえるほどの血の匂いを思い出して、シンは思わず口を押さえた。 たかが夢だと割り切っても、心の中にねっとりと染み付いた光景は早々簡単に消えてはくれないらしい。 シン「・・・」 紫「これで、シャドウとペルソナのお話は終わり。戦いの場は、時期が来ればあちらからやってくるでしょう。 今日のところは得た知識を記憶しておいてくれるだけでいいわ。 何か分からないことはあるからしら?」 シン「・・・大まかにはわかった。続きは頭の整理が終わった頃に聞くからいい」 紫「・・・そう。それならよかったわ」 顔色が悪くなったのを知ってか知らずか、紫はシンの頭を断りもなく撫で始めた。 若干癖がついている髪の毛を紫のさらさらの手がゆっくりとすいていく。 勝手に体を触られているにもかかわらず、不思議とシンの心に怒りは湧いてこなかった。 むしろ伝わってくる暖かさと居心地の良さに、不安定になっていた心が落ちついていく。 それは、始めて来た街で過酷な戦いに巻き込まれたシンにとって、数時間ぶりに心が安らいだ瞬間だった。 シン「・・・ありがとう。もう、大丈夫だから」 紫 「あら、何の話かしら」 シン「わかって言ってるだろあんた。どうしてそう素直じゃないんだよ」 紫 「お互いさまでしょうに。あ、でも、恥ずかしそうにお礼を言う顔が可愛かったからもう一度言ってくれない?」 シン「二・度・と、言わないからな!」 紫「えぇ~、いいじゃないのそのくらい。ケチんぼねぇ」 急にまじめな顔をしたり、にこにこ笑ったり、ペースがころころ変わって何を考えてるのか全く読めない。 というか、どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかすらよくわからない。 どことなく胡散臭いことも含めて、本当なら信用できない部類の相手なのだろう。 しかし、シンはいつの間にか彼女を疑うことをやめていた。 彼女が自分を騙して利用するような悪い相手に思えなかったからだ。 人を見る目があるかどうかは別にしても、その純粋さがシンの命取りであり、 多くの人が彼に惹かれる最大の要因なのだろう。 そして、それは八雲紫も同じだった。 賢者と称えられるほどの絶大なカリスマで人妖問わず寄せ付けない彼女が、何故だかシンが相手だと本心から言葉を発している。 わざとずらした言動で相手を煙に巻くこともなく、物事の先を読みながら黙して語らずでもない。 そればかりか、博霊の巫女でもない相手を気にかけその身を気遣い、全霊を込めて奉仕しているのだ。 本当に親しい間柄の相手以外には――時には親友や自分の式にすら――決して本心を明かさない普段の彼女を 知る者からすれば、まさに想像を絶する事態だ。 シン「・・・ところで、いつまで抱きついてるつもりなんだよ。いい加減、人が来るぞ」 紫「結界を張っているから気付きもしないでしょう。私としてはずっとこうしていても問題はないのだけど」 シン「・・・はぁ」 紫「あら、これほどの美少女に抱きしめられておいてため息は贅沢よ」 シン「誰が美少女だよ。お願いだから離してくれ」 紫「えぇ~? もう少し頭を撫でさせてくれても」 シン「やめてくれよ! 頼むから」 紫「もう、つれないのねぇ。ふふ、でも十二分に堪能したし、今日はこれで勘弁してあげましょうか」 嬉しそうな、それでいて名残惜しそうな顔でシンを解放した紫。 というか、本人は満足しているが抱きつく必要はあったのだろうか? 癒すだけならずっと抱きついていなくとも・・・いや、野暮な話はよしておこう。 だが、どんなに緩んでいるように見えても、彼女はシンよりもはるかに多くの知識を蓄え 人間が及びもつかないような力を秘めている。 そのことを知っているだけに、余計にシンには納得できなかった。 シン「八雲さん」 紫 「紫で構わないわよ。どうしたの」 シン「なら、紫さん。どうして、妖怪のあんたが人間の味方をしてくれるんだ? それに、なんで自分で戦おうとしないんだ。俺を平然と押さえつけるくらい強いし、 あんなでっかいシャドウだって操ったのに・・・」 紫「・・・それに関してはまだノーコメントで許してくれないかしら。あなたが強くなった時にあらためて、ね」 シン「・・・わかった」 話したがらないことを無理に聞き出そうとする趣味はシンにはない。 それに、僅かにこぼした紫の辛そうな表情が、追求したい心に待ったをかけていた。 ひょうひょうとした彼女がそんな顔をするとは思っていなかっただけに、 聞かなければよかったという後悔の念が湧いてくる。 もっとも、すぐに胡散臭い笑顔に戻ったから気のせいかもしれないが。 紫「さて、なでなでも済んだことだし、そろそろ出発しましょうか」 シン「はぁ? 出発って何処へ?」 紫「青い扉の向こう側。あまり長く結界を張っていると怪しまれるし、次の詳しい話はそこでしますわ。 あの時渡した鍵はちゃんと持っていて?」 シン「鍵って・・・ああ、最初に会ったときあんたから渡されたあれか。まだポケットに入ってると思うけど」 紫「結構。では、一名様スキマツアーへご招待~」 シン「ちょっと待て。まさか・・・ってまたこれかよぉぉおおおぉぉぉっ!!」 恒例となりつつある空間移動に突っ込みを入れながら、シンは病室から姿を消した。 しかし、人一人が忽然といなくなったにもかかわらず、それに気づいたものは病院の関係者も含めて誰一人いなかった。 それほどまで強力な結界を張ることができながら、彼女自身が手を出さない理由はなんなのか。 シンがその本当の理由を知るのは、まだ先の事である。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/259.html
172 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 34 46 ID sFzVob2v 近頃の俺は欲求不満の状態にある。 他人が欲求不満と言っていた場合、大抵の人間はいかがわしい方向の欲求であると考えるだろう。 もしくは食欲が満たされないだとか睡眠時間が足りていないという意味で受け取るかもしれない。 だが俺の場合の欲求不満はそれとは種類が違う。 創作意欲。これが満たされないのである。 友人たちの中でも知る人ぞ知る俺の趣味は、プラモデル作りである。 俺はどうやら完璧主義者のケがあるらしく、少しでも色合いがおかしかったり小さな部品が欠けている だけでも落ち着かず、結果的にプラモデルを一つ作り上げるだけでも一ヶ月は余裕でかかってしまう。 毎日毎週欠かさずにプラモデルを作っているにも関わらず、である。 そんなペースだから、一日の制限時間である24時間をもっともっと有効に活用したいと思っているし、 作業台に向かう時間もさらに増やしたいと考えている。 そこでどうしてもネックになるのが、学校に行っている時間だ。 学生――いや高校生は生徒と呼ぶのか。 ともかく生徒である以上、朝は遅刻しないよう学校へ行き、午前中の授業を受け、昼食を食べ、 午後の授業を受けなければならない。その後は俺の場合は帰宅部なので即帰宅となる。 すでにこの時点で一日の大半を消費している。大きなタイムロスである。 それからようやく、趣味である模型作りに没頭できる……とはいかない。 その日に受けた授業の内容を復習し、宿題を全て片付けなければならないのだ。 弟は俺のこんな習性を見て感心しているようであるが、俺はやりたくてやっているわけではない。 勉強が生徒の仕事だからやっている、という綺麗事を言うつもりはない。 無論、学業の重要性はわかっている。だが俺のような趣味人間は成績などさほど重要視しない。 だというのになぜ俺が月曜から金曜までまじめに勉強をしているのかというとだ。 これも困ったことに俺の性格がそうさせているのである。 たとえば、俺が宿題をせずに模型作りを始めたとしよう。 宿題という己の身に課せられた使命を無視した場合、プラモデルの出来がひどいものになる。 著しく見られる傾向としては、技が雑になる。簡単に言えば手元が狂いやすくなる。 面相筆(塗装に使う筆のうちで最も細い筆)で溝にスミ入れをやったらラインを外す。 スプレーを使って塗装していたら吹きすぎて塗料を垂らしてしまう。 ニッパーでクリアーの部品を切り取っていたら力加減を誤ってヒビを入れる。 普段ならば絶対にやらない単純なミスをことごとく繰り返してしまうのだ。 その症状が、復習と宿題をきっちりやり終えた後であればいつもの調子に戻ってしまう。 おそらく――いや、これしか考えられないが、俺は心残りがあると集中できない性格らしい。 その事実を知ってから、今のように模範的な高校生の行いをするようになったのである。 ちなみに、復習と宿題が終わるのは早くて夕食前の七時ごろ。遅かったら九時になる。 それから風呂に入ったり、弟から要請があったら勉強をみたり、妹の殺意混じりの瞳を受け流したりして、 ようやく模型作りを始めることができる。 しかし。しかしである。 我が家には最大の敵、血の繋がった兄の子を産んだアウトローの母がいる。 母は俺がプラモデル作りをすることをよしとしていない。 母はシンナー系の匂いを苦手にしているのだ。 俺が部屋に篭っていると、母は防塵マスクを装着してまで部屋のドアをノックして邪魔をする。 作業中のノックの音は著しく集中力を乱す。母も当然それをわかっているのだろう。 もちろん俺も母が邪魔をしてくる状況に手をこまねいているわけではない。 廊下にラッカー塗料(ラッカーはシンナーの匂いがきつい)を魔除け代わりに置いて対抗している。 俺の部屋には換気扇があるが、廊下には換気扇など設置していない。 塗料を置いている間だけは母は近づいてこないのである。 しかし、いつまでも置いておけるわけでない。 父と弟と妹からも苦情が来るため、頃合いを見計らって塗料を回収しなければならないのだ。 母が邪魔をしにくる。俺が塗料を置く。家族からの苦情を受けて塗料を回収する。 おおまかにはこんなサイクルで俺と母の戦いは行われている。 このように、家庭における俺の創作環境は理想的とは言い難いものなのである。 173 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 36 17 ID sFzVob2v そんなわけで、普段から軽い欲求不満にある俺であるが、最近はとみに機嫌が悪い。 現状は何の障害もなく創作できる環境にあるのに、周囲の人間の協力が得られない状態である。 学校全体が何らかの物作りを行っているというのに、俺の周りの人間は無気力な野郎女郎ばかりで、 物作りなどよりその日の昼食の方が大事らしく、協力が得られない。 ちくしょうめ。文化祭開催の一週間前なのに、どうして俺のクラスはやる気がないんだ! ***** 「先生。新しいアクセサリーの提案があるんですが」 「却下します。もう文化祭の予算に余裕はありません。作るのなら自腹で作ってください」 「じゃあテーブルに置く小物なんかどうですか。さすがにテーブルクロスだけじゃ味気ないと思いません?」 「思いません。必要なものは小説本くらいです。余計な装飾は読書の邪魔になります。 大人しく本を読んでいてください。喫茶店を成功させるためには皆が本を読むことが必要です。 店員は文学についての最低限の知識を持っていないといけません」 そう言って、我がクラスの担任の国語教師は手元にあるハードカバーの本に視線を落とした。 ああ、今すぐ両手でハンマーを作ってこの独身女教師の無防備な後頭部に打ち下ろしたい。 もちろんやらないけれど、誰かのGOサインがあればそいつに責任をなすりつけて実行しかねない。 それほど今の俺はイライラしている。 なぜ俺が大正時代の小説家の本など読まねばならん。 何が楽しくてうちのクラスが文化祭で純文学喫茶を催さなければいかんのだ。 純文学喫茶とは、漫画喫茶の純文学バージョンである。命名は担任。 なんとも安直なネーミングである。もう少し頭をひねってくださいこの三十路越え独身教師。 色気が足りません。もっと遊んでください。 そんなんだから「活字と結婚した女」なんて噂が流れるんですよ。 落ち着いた雰囲気がいいとか、葉月さんが成長したらこうなるだろう、とまで生徒の間で噂されるほど 容姿がいいくせに、どうして毎日セーターとジーンズとスニーカーなんて組み合わせなんですか。 もったいないにも程があります。宝の持ち腐れとはあなたに一番ふさわしい言葉ですよ。 たまにはスーツぐらい着たらどうです。シャツの胸元を少し開くぐらいなら許されますよ。――年増でもね。 「どうかしましたか? まだ何か提案でも?」 提案しても即却下するくせに。 「……なんでもないです。戻ります」 回れ右をして、教壇から下りて自分の机――を合体させている机の集合体へと戻る。 クラスメイトと机を合体させているのは、文化祭の準備作業をするためである。 しかし、うちのクラスはすでに小道具の用意を終わらせているので、小説本を読むぐらいしかやることがない。 俺にとってはなにもしていないのと同じである。 自分の席の上には、大正時代に活躍した小説家の書いた本が置いてある。 読む気がゼロであるため、当然ページは開いていない。ただの机のオブジェである。 ただでさえ文学に興味がないというのに、なんたら喫茶を成功させる目的で読むわけがなかろう。 机に左腕を立てて、顎を乗せる。そしてため息をひとつ。 向かいの席に座っている女子生徒が、本に落としていた視線を俺に向けた。 入学当時から美しい容姿を持ち、今では一年の頃よりずっと綺麗になった葉月さんである。 「おかえり。どうだった……って聞くまでもなさそうだね」 「うん。せっかく葉月さんに考えてもらったんだけどさ。作るのなら自腹でやれ、だと」 「自腹かあ……私が出そうか?」 「いやいや、さすがにそこまでは――」 その時、唐突に視界がぶれた。 自分がクラスメイトに殴られたと気づいたのは、こめかみから脳天へ突き抜ける痛みのピークが通り過ぎてからのことであった。 「葉月さんが出すんなら、俺もだす!」 「俺もだ。ただ喫茶店をやるだけじゃ面白くないからな」 「せっかくだから、新しい衣装を買おうぜ! そしたら葉月さん、着てね!」 同じ机の集合体を形成していた野郎どもの野太い声が遠くから聞こえてくる。 それは俺の聴覚が狂っているからであって、男どもとの距離が離れているからではない。 どいつもこいつも勝手なことを。秋でも汗の臭いがしそうな貴様らにつきまとわれたら葉月さんが困るだろうが。 174 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 38 05 ID sFzVob2v 葉月さんへと視線を向ける。葉月さんは俯きながら何か呟いていた。 「よくも……殴…………ね。切り裂い……次に窓から…………投げ……捨て……」 おや、チキチキという音が聞こえてきたよ。 この音はカッターの刃を出す音に似ているね。 なんだか、葉月さんの垂れた前髪から覗く目がギラギラと光っている。獲物を発見した肉食動物の如し。 葉月さんが立ち上がった。彼女の右手から飛び出している物はカッターナイフの刃。 蛍光灯の光を鈍く反射する刃には等間隔で斜めに切り込みが入れられていて菱形のそれぞれに 殺意が宿っているかのようで――いかにも危険で流血沙汰の事態を招きそうだっ! 「まずは耳を――」 「葉月さんっ!」 机の上に身を投げ出して葉月さんの右手を掴む。 「痛っ!」 距離がありすぎた。葉月さんの手と一緒にカッターの刃を掴んでしまった。 だがこれでいい。クラスメイトの命の灯火を消すよりは俺の手の皮が切れた方がマシである。 「あ、あれ? どうして私の手を掴んでるの?」 皮膚を圧迫していた殺気が霧散した。葉月さんの瞳はすでに明るい色を取り戻していた。 「ああ、実は蚊が止まっていたから、ついね。ほら、血が」 血の付いた手の甲を葉月さんに見せる。手のひらは到底見せられる状態ではないから。 「えっ……ちょっと、大丈夫なの?」 「平気平気。ちょっと洗っておけば問題ないよ」 「そう? なら、いいけど……ありがとう」 「いやいや。それより、アクセサリーの件はなしで。俺の勝手でみんなに金を払わせるわけにはいかないよ」 「えー……」 葉月さんはしょぼんとした顔のまま、上目遣いで見上げてきた。 葉月さんがやると恐ろしい破壊力である。さっきまで攻撃色に染まっていたとは思えない。 「あー……また来年もあるから。その時でもいいよ。俺は」 「わかった。でも、やりたくなったら言ってね? いつでもいいからね?」 「覚えとくよ」 教室から出てトイレへ直行する。蛇口をひねり、握りしめていた手を開く。 傷口からあふれ出した真っ赤な血は握っていた手の隙間に染みこみ、手のひら全体を紅く染めていた。 よく見てみると、薬指と小指の関節が軽く切れていた。 軽く指を動かす。うむむ、やっぱり傷口まで開くな。 「こりゃ、保健室に行った方がいいかな」 そうだな。どうせ教室に戻っても読みたくもない本を読むか、寝るかしか選択肢がないんだから。 今から保健室に行って治療ついでにさぼってしまってもいいだろう。 水に浸したハンカチで血を拭い、傷口を押さえながら保健室へ向かう。 俺の所属する二年D組は三階建て校舎の二階の奥にある。 D組から保健室へ向かう際には、どうしても他の教室の前を通ることになる配置である。 文化祭一週間前ともなると、校舎のいたるところにポスターが貼られている。 合唱、演劇、お化け屋敷、喫茶店、ジュース販売、映画上映などなど。 ポスターは手作りであるがゆえに、生徒が楽しんでいることを感じさせてくれる。 我ら二年D組のポスターは生徒ではなく、書道五段の担任が作成した。 担任が自分が作ると言って聞かなかったのである。 結果、『純文学喫茶』と力強くでかでかと書かれた文字と、『場所:校舎二階奥』と小さく書いてあるポスターができた。 しかし、これはもはやポスターではない。書道の先生が書いた習字のお手本である。 文字が書いてあるのは画用紙ではなくぺらぺらの和紙。達筆の文字は恐ろしく上手。 ここまでやれば、ある意味で威勢の良さを感じさせてくれる。 もしかしたら担任は担任なりに文化祭を楽しんでやろうと考えているのかもしれない。 しかし、できるなら生徒も楽しめるように気を配って欲しかった。 175 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 40 51 ID sFzVob2v そもそもだ。二年D組は純文学喫茶をやるつもりなどなかったのである。 事が起こったのは今日からさかのぼること二週間前、その日の帰りのHR。 あの時、白熱した出し物議論は『コスプレ喫茶』と『演劇』にまで絞られていた。 俺はどちらでもよかった。コスプレ喫茶でも演劇でも、服や装飾品、飾り物などは作り放題だから。 うちのクラスには葉月さんがいるから、なにをしようと観客来客満員御礼間違いなし。 いつまで経っても出し物が決定しなかったので、投票で決めようという流れになったころだ。 教室に入ってきた担任が言ったのである。 『二年D組は純文学喫茶をやることになりました。すでに実行委員にも伝達済みです。 皆さん、長の会議お疲れ様でした。今日はもう帰っていいですよ』 あの時のブーイングの嵐はすさまじいものだった。 しかし、撤回しろという生徒の声は、担任のもう受理されましたの一言で全て蹴られた。 横暴もいいところである。美人なら何をしても許されるとでも思っているのであろうか。あの年増は。 十代の葉月さんよりも干支が一周する年数以上に年が離れているくせに、よくもやってくれたものである。 おかげでクラスメイトのやる気は削がれ、ここ二週間はダウナーな空気が常にD組を覆っている。 これはパワーハラスメントではないだろうか。校長かPTA会長に直訴したら勝てそうな気もする。 だが、気力ゲージゼロのクラスメイト達はすでに担任と争う気を無くしてしまっている。 どうせ逆らっても無駄だ。ならせめて葉月さんの着物ウェイトレス姿を楽しもう……という意識が 最近の皆の心をかろうじて文化祭へと向けさせているようである。 まあ、俺も楽しみだけど。葉月さんの着物姿。 当日の写真撮影は許可すべきだな。ただしシャッター一回につき100円で。 出し物のお茶やお菓子よりそっちの方が儲かりそうだ。 そうだ。葉月さんと言えば。 「好きだって言ってたよな。俺のこと……」 葉月さんが妹と俺を相手に我が家で大立ち回りをした日に、俺は彼女と電話番号とメルアドを交換した。 その日の夜に、葉月さんからさっそく電話がかかってきた。 嬉し恥ずかしの初通話は、葉月さんがやけにどもったり噛んだりするせいでわけのわからないまま終了した。 どうやら葉月さんは電話器を通して会話するのが苦手らしい。 以後、葉月さんとのやりとりはメールで行うことになった。 告白の返事を催促するようなメールは来ないが、それ以外のメールはたくさん送られてくる。 朝の挨拶から始まり、今日の天気や星座占いの結果などを教えてくれる。 葉月さんとメールのやりとりをするようになってから俺はかなり浮かれている。 最近の俺の様子は、弟曰く「兄さんは放っておいたら何も無いところで転びそうに見えるよ」。 転びそうなのではない。時々、本当に転んでいるのだ。最近の俺の行動はドジそのものだ。 油断したら電信柱にぶつかりそうになるし、階段は踏み外しそうになる。 憧れの女の子からのメールで俺はここまで腑抜けになった。 ため息を吐きたくなるぐらい、本当に腑抜けなのだ。まだ葉月さんに告白する勇気がない。 告白したらOKをもらえることは確実だろう。だけど、分かっていてもそれができない。 きっと、葉月さんは俺からの告白を待っている。 登下校時や休み時間に俺と一緒にいようとするのは、そういうことなんだろう。 そして、葉月さんから再度告白してくることは多分無い。 「女の人からの告白ではOKを出せない」と俺が言ったからだ。 面と向かっても、メールでも、告白する勇気がない。 どうしたらいいのだろう。こんなことは誰にも相談できない。 弟や父には恥ずかしくて言えない。学校の男子に言ったら袋だたきにされることは必至。女子は論外。 なるべく早いうちに、その場の勢いでもいいから、何とかして言わなければ。 ――葉月さんが俺に愛想を尽かすその前に。 176 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 42 07 ID sFzVob2v 考えているうちに保健室に到着した。授業中だから保健の先生もいるだろう。 そういえば、保健室にくるのは身体測定の時以来だ。 頑丈に産んでくれたことに関しては両親に感謝すべきだな。 一応、礼儀として三回ノックする。……反応はない。誰もいないようだ。 「失礼します」 引き戸を開き、保健室へと踏み込む。 かすかに薬品の匂いを漂わせた保健室には誰もいない――はずなのだが。 「あ、先生。すいませんけどちょっと手伝って……あれ?」 いた。椅子の上に。見知らぬ女子生徒が。 女子生徒は着替えをしていたわけではない。だが、なんとなく気まずい。 妹が体重を量っている現場に出くわしたような微妙な空気だ。 彼女は、どういうわけなのか俺の顔を見て固まっていた。 しばらく見つめ合っていると、彼女は何か思いついたように口を大きく開けた。 「あ、あなたは……!」 何かに驚いた様子であった。俺の顔におかしい部分でもあったのか? 「初めまして。アタシ――――」 女子生徒は笑顔を浮かべた。換え立ての蛍光灯のように眩しい笑顔であった。 そこには一切曇りが無く、無垢であるが故に脆さまで含んでいた。 だから俺は――保健室のドアを勢いよく閉めた。 「あ、あれ? あのー、先輩? なんで出て行くんですか?」 扉の向こうにいる女子生徒が何か言っている。 ――なんだ、あの子は。やばい。どれぐらいやばいかというと、葉月さんぐらい。 いや、妹に詰め寄ったときやクラスメイトにカッターを向けようとしたときのやばさじゃなくて。 そういう暴力的なものでなく――容姿が、レベル高すぎる。 どうしよう。逃げたい。なぜか顔を合わせたくない。けど、もう一度だけ見てみたい気もする。 違うんだ。別にあの子に一目惚れしたわけじゃなくって。 怖い物見たさに似た、興味本位によるものであって。 だいいち俺は葉月さんが……でもあの子をもう一目見たいし。 「ああ、ちくしょう! どうすればいいんだっ!」 「……あの、大丈夫、ですか?」 「はうっ!」 頭を抱えた状態で天井を見上げていたら、女の子から話しかけられた。 おそるおそる視線を下ろすと、そこには俺より背の低い女の子の上目遣いがあった。 「どこか具合でも悪いんですか?」 「あー……うん。実はちょっと怪我をしてね」 右手を差し出すと、女の子が両手で掴み注意深く見つめてきた。 駄目だ、ときめくな俺! 「指がちょっと切れちゃってますね。絆創膏貼らないと。中に入ってください」 「いや、これぐらいなら平気だから。だから、だから……」 手を離してください、と言いたいのに言えない。 むしろもう少し握っていてくださいとか言い――たくない! 言わないからな! 女の子は俺の腕をぐいぐい引っ張り、保健室の中へと引きずり込んだ。 保健室の空気は女の子がいることで様変わりしていた。 まるで赤白黄色の球根から生えるユリ科の植物の咲きほころぶ幻想的な庭園の光景を思わせて――。 「いるわけがないだろうが!」 「ひゃっ?! ど、どうしたんですか、突然?」 「……ごめん。ちょっと疲れてるみたいだ。中で休ませてもらっていいかな?」 「ええ。私は構いませんけど」 177 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 43 13 ID sFzVob2v 許可をもらい、ベッドの方へ行こうとしたら、女子生徒に腕を掴んで止められた。 「……なに?」 「休む前に、やっておかないといけないことがあるんじゃないですか?」 なんだって?俺が、やっておかないといけないこと? 見知らぬ綺麗な女の子と保健室で二人っきり。ナニをする気なんだ? 授業中とはいえ誰かが来ないとは限らない。 保健の先生は留守。だけどひょっこり戻ってくるかもしれない。 いけない。この状況はリスクが高すぎる。 やるんなら放課後とか誰もいない教室とか――って、また変な方向に考えが行ってるぞ! 落ち着け俺のMy脳ブレイン! 「たしか、アレはこのへんに……」 女の子はがさごそと保健室の棚を探っている。 アレってなんだ。わからない。自分が立っているのか座っているのかもわからない。 女の子の髪の毛は肩に触れない程度の位置でカットされている。チラチラ見えるうなじが何とも色っぽい。 学校指定の女子専用制服はどういうわけかミニスカートである。 そのため目の前の女の子もミニスカートであり、丈の長さの影響で健康的なフトモモの裏側が、 俺の位置からはばっちり見えてしまっている。 スカートから伸びた太ももは膝へ向かうにつれて少しずつしまっていく。 足のラインはふくらはぎのわずかな膨らみを通り過ぎると細い足首で収束する。 むっちりと肉感的でありながらも無駄のない、正真正銘の美脚であった。 女子生徒はスカートを翻しながらターンすると、俺の方へと歩み寄ってきた。 「やっぱりこれ、ありました。これがあればもう安心ですよ、先輩」 「ぁぁ……ぅん」 ドキドキして女の子の顔を見られない。いったい彼女は何を探していたのであろうか。 「それじゃ、ちょっとそこの椅子に座ってください」 軽やかなソプラノの声は俺を丸椅子へと導いている。俺の腰は操られているようにそこに下りていく。 女の子は手近にある椅子を持って俺の前へやってくると、椅子に腰を下ろした。 行儀良く揃えられた膝の隙間とスカートが組み合わさり、そこに三角形の空間ができた。 ちょっと背筋をのけぞらせれば中身が見えてしまいそうである。 もちろんやらない。やりたいなんて思ってないぞ! 「それじゃあ、出してください」 どくん。 「だ、出すって……?」 何だ?一体この子は何を出せと言っている?俺に何を要求しているのだ? 「さっき見せたじゃないですか。もう一回見せてください」 「……いや、何も見せてないよ」 数分前のことすら思い出せない精神状態であるが、アレを出していないのは確かだ。 さすがにそんなことをしたら嫌でも記憶に残るはず。 「もう。じゃあいいです。アタシが勝手にやりますから」 なっ――! 「……じっとしてて、くださいね。せんぱい……」 「ぁ……………………」 声が出ない。口がぱくぱくと空回りするだけだ。 まさかこんな場所で、高校の保健室なんて場所で。 女の子が俺の手を優しく握り、冷たくて柔らかいものを擦りつけてきた。 その動きが止まると、今度は指を柔らかいもので包み込まれた。 ごめん、葉月さん。君に何の返事もしないまま、こんなことを――――。 178 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 44 57 ID sFzVob2v 「よっ……と。はい、できましたよ先輩」 「……」 「あの、先輩……?」 「本当はこんな場所でやるつもりじゃなかった……。 両親と弟と妹が出かけた日の夜、薄暗い部屋の中で月明かりを頼りにしながら俺は……」 「聞いてた話とずいぶん違うなあ。……仕方ない。ここはひとつ……」 「はやる気持ちを抑えながらひとつひとつボタンを外していき、あらわになったその景色へと手を伸ばし……」 「先輩、失礼しますっ!」 ――あれ?なんでそんな怖い顔をしてるの?え、だめ?いや、ここまで来てそれはないでしょう。 ん?その構えはなんだかビンタのような――――。 「ていっ!」 「痛ぇっ! ――何するんだ! そりゃ初めてだったけどなるべく焦らないようにして……ん、あ、あれ?」 ここは、どこだ?俺はさっきまで自室で天国を味わっていたはずではなかったか? 「目が覚めましたか? 先輩」 正面には可愛い女の子。彼女は椅子に座っている。その点はさっきまでいた世界と同じだ。 しかし、今俺が居る場所は薬品の収められた棚や白いベッドの置いてある保健室である。 俺はどうしてこんなところへ来てしまったんだろう。 ああ、指を怪我したから、その治療をしに来たんだったな。 指を怪我した箇所は、右手の薬指と小指だったはず。 右手を見る。茶色の絆創膏が怪我をした二本の指の関節部分に貼ってある。いつのまに貼ったんだろう。 右手を見ながら記憶を掘り下げていたら、女の子が怪訝な様子で話しかけてきた。 「先輩が手を出してくれないから、勝手に絆創膏を巻いちゃいました。別に構わなかったですよね?」 「あ? ああ、うん。ありがとう……」 そうか。この子は手当をしたいから「(手を)出してくれ」と言っていたのか。 ま、そりゃそうだよな。 普通――この子の容姿は普通の可愛さではないが――の女の子が初対面の相手にいかがわしいことを 要求するはずがあるまい。俺は何を勘違いしてたんだか。 「ところで先輩。保健室に来たのは指だけじゃなくて体の具合も悪かったからですか?」 「いいや。指を怪我したから来ただけだよ」 本当はさぼるつもりでもあったのだが、そうは言わない。 だって、言ってしまったらまたこの子と同じ部屋の中で過ごさなければいけなくなる。 さっきのような落ち着かない気分は失せ始めたが、名前も知らない女の子と二人きりというのはどうも苦手だ。 早くこの場を去るに限る。 「手間かけさせてごめんね。それじゃあ……」 椅子から立ち上がり軽く右手を振る。そしてきびすを返して保健室の出口へと向かう。 ドアに手をかけたとき、異変に気づいた。やけに腹が苦しい。 下を見ると、ベルトが腹に食い込んでいた。もちろん、いきなり俺のウエストが増したわけではない。 「先輩。ちょーっと待ってくださいよ。教室に戻るんだったら、ついでに手伝ってくれません?」 いたずらっぽい笑みを顔に貼り付かせた女の子が後ろから俺のベルトを引っ張っていたのである。 その笑顔にまた心臓が脈打ったのは俺のせいではない。 この子が可愛いのが悪いのである。 葉月さんは生徒はもちろん教師までもが認める美人である。 彼女がいるだけで周囲に凜とした空気があらわれ、周囲もそれに流されてしまうような、 そんな類の美しさを彼女は持っている。 対して目の前の少女は、小さい女の子の持っている未成熟さからくる可愛さをそのまま残したような容姿をしている。 彼女を見ていて背徳感を覚えるのはおそらくそれのせいだろう。 葉月さんとこの少女、どちらを彼女にしたいか決をとらせたら、かなりいい勝負をくりひろげるのではないだろうか。 179 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 47 10 ID sFzVob2v そんなわけで、この少女から手を貸して欲しいと言われたからには、無下に断るのもなんだかもったいない気がする。 話だけでも聞いてみるか。 「何を手伝ってほしいって?」 「ちょっと捜し物をしてたんですけど、なかなか見つからないんです」 「捜し物? 保健室で捜すってことは、包帯とか?」 「違いますよ。あれです、あれ。たしか、クロ……なんとか」 「くろ?」 名称の頭二文字に『くろ』がきて、それでいて保健室に置いてあるもの。 何だろう。白いものなら保健室中に大量に置いてあるが。 「どんな形をしてるかわかる? そのクロなんとかの特徴でもいいけど」 「えっと、多分液体です」 「液体か。液体ね……消毒液じゃないの?」 「いえ、そうじゃなくって、治療に使うものじゃないんです」 「はい?」 保健室に来てまでして捜す物が治療に使う物でないと? 「なんか麻酔に使われているものらしいから保健室に置いてあるんじゃないかと思ったんです」 「麻酔って……誰か重傷でもしたの? それなら119番に電話した方がいいよ」 「いえ、誰も怪我はしてないです。……それに救急車がに学校に来てもらったら困るし……。 とにかく、アタシが捜している物はクロなんとかって名前で、液体で、麻酔みたいなものなんですよ」 「あー、ちょっと待って。頭の中を整理するから」 左手で女の子のセリフを中断させ、右手で自分の頭を抱える。 この子は一体何をしようと考えているんだ?麻酔なんか捜して一体どうする気だ? それに、救急車が来てもらったら困るとも言っていたな。救急がいたらまずいことでもあるのか? まさか、その麻酔を使って何かまずいことでもしようとしているんじゃないだろうな。 嫌な予感がするぞ。我が家の異常な環境によって鍛えられた勘が、頭の奥の方で何か叫んでいる。 警告だ。妹に包丁を持たせたときや母が父のために特別メニューを作っているときに鳴る警告音が、 頭の中で少しずつ、しかし確実にその音を大きくしていく。 この警告の意味は、その場から逃げろ、その状況に関わるな、だ。 くろ、黒、クロ。これが先頭に来る麻酔の一種。 ――もしかして、アレか?いや、さすがにそれはないだろ。 しかし、先頭がクロの麻酔と言ったらアレしかない。 「あ、思い出しました先輩! クロロホルムです、クロロホルム! ほら、よくドラマとかで布に染みこませたクロロホルムをかがせて気絶させるシーンがあるじゃないですか! アタシあれと同じ事を先輩の――――、ってなんで離れるんですか?」 「いやなに。そろそろ教室に戻らなくちゃやばいかなと思ってね」 嘘である。担任(独身、♀)に怒られるよりも目の前にいる少女に関わる方がずっとやばい。 彼女は俺が生徒だったからあっさり捜し物の用途をばらしたのだろう。先生相手であればばらさなかったはず。 思っていたとおり、彼女の捜し物はクロロホルムだった。 そして用途は誰かを気絶させるためである、と。 標的が俺でないのはありがたいが、このままでは学内にいる生徒の身に危険が及ぶ。 「あのね、君」 「いいながら後ろ手にドアを開けないでくださいよ。なんですか?」 言わねばならない。俺が見知らぬ少女の魔の手から見知らぬ生徒を守るんだ。 「……クロロホルムを嗅がせても人間は気絶しないよ」 俺がそう言ったら、女の子は目を大きく広げて声を張り上げた。 「ええ!? だって、ドラマだけじゃなくて漫画でもあんなに……」 「そりゃあずっと嗅がせ続けたらわからないけど、少し嗅がせたくらいじゃ体調を悪くする程度の効果しか 与えられない。やめといたほうがいい。人を気絶させていたずらしようなんてよくないよ」 「そんなあ……せっかく上手くやれる方法を見つけたと思ってたのに……」 180 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 48 48 ID sFzVob2v 女の子は俺の言葉にショックを受けたのか、白い壁に身を任せていた。 今なら、逃げられるか……? 「うう。それなら、それなら……先輩!」 女の子は唐突に眠りから目を覚ました猫のような動きで頭を上げ、俺を見た。 「手伝ってください! クロロホルムが駄目なら、先輩の助けが必要です!」 「いや、だからさ」 「先輩の口添えがあれば絶対にあの人は策にはまってくれます! だから、お願いします!」 さっきからこの子は何を言っているんだ? 俺の助けが必要? 「もしかして、君は俺の知り合いをどうにかしようと?」 「……そうです。けど、決して怪我させたりすることはありません。信じてください」 お願いします、と言って女の子は頭を下げた。 犯罪行為の手助けをしてくれとお願いされてもな。手伝うわけがないではないか。 俺が手伝えば成功させられるということは、俺がいなければ失敗するという意味なのか? ――だったら迷うことはない。 「ごめんね。頼まれごとをされるのは嫌いじゃないんだけど、そういう手助けなら話は別だ」 「そんなあ……」 「ほんとにごめんね。それじゃ!」 「あ、ちょっと待って……」 何か言おうとした女の子の言葉を遮り、保健室から出てドアを閉める。 競歩の足運びで2年D組の教室へ向かう。後ろから女の子が追ってくる気配はない。 俺が自分の教室に入った途端、本日最後の授業が終了したことを告げるチャイムが鳴った。 ***** そしてHR終了後。 担任は大小様々な小説本を両手に持って出ていった。 担任の持って行った本は、クラスメイトが文化祭の出し物に使うために自宅から持ち込んだものである。 四十名のクラスメイトが持ってきた本は、担任が毎日少しずつ自宅へお持ち帰りしている。 本人は本の内容が不適切なものでないか確かめるためだ、と言っている。 しかし、その行動が文化祭を成功させようという意志の元に行われていないのは明白である。 きっと、あの独身女は本が読みたいだけなのだ。 俺はこう思う。担任は生徒から本をかき集めるためだけに純文学喫茶などやらせようとしたのではないかと。 私利私欲による職権濫用。許し難い行いである。 教育機関に駆け込んでやりたいところだが、あいにく俺は両親が異常であるため強く出られない。 もし両親のことに首を突っ込まれたら、それこそ我が家崩壊の危機だ。 今まで隠し通してきたものを、たかが担任の蛮行ごときで日の当たる場所へさらけ出すわけにはいかないのである。 181 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 51 52 ID sFzVob2v 鞄を持って席を立ったとき、弾んだ声が俺の名を呼んだ。 声のした方を見ると、手提げ鞄を腰の後ろに回した葉月さんが、横からやってきていた。 「ねえ、今日は何か用事がある?」 葉月さんはご機嫌な様子である。待ち望んでいたおやつをようやく与えられたときの子供のようにも見える。 「いいや。今日もいつも通り何も用事はなし」 「じゃあ、じゃあさ。今日もいい……かな?」 頬を若干紅く染めて、葉月さんが上目遣いを繰り出した。 むう。真綿でじわじわと胸を締め付けられる感覚。甘い痺れが体の奥から湧き起こってくる。 今の会話だけを抽出するとなんだか色気のある会話であるが、どっこいそんなことはない。 「もちろんいいよ。帰ろうか、葉月さん」 「う、うんっ!」 俺が歩き出すと、葉月さんは早足で近寄り、俺と肩を並べた。 教室を出て行く寸前、ちらりと後ろを振り返る。 そこには獲物を狙う野獣のようなクラスメイトの視線があった。 男が俺を恨むのは分かる。 ついこの間まで地味で目立たなかった俺が人気者の葉月さんと仲良くしていたら、不機嫌になって当然だ。 俺が彼らと逆の立場だったとしても不機嫌になるはずだから。 女子生徒も男子生徒と同様、いやむしろ彼ら以上に恐ろしい目で俺を見ている。 彼女たちも男子生徒と同じく、葉月さんと仲のいい俺を快く思っていない。 同胞のクラスメイトからそんな目で見られては、普通は萎縮してしまうだろう。 だが俺は違う。俺はもっと恐ろしい、妹の瞳に日常的にさらされている。 加えて最近のクラスメイトからの無言の圧力によって俺の精神力はさらに上がっている。 学校プラス家庭での責めは、俺を少しずつ強くしているのだ。 だから、クラスメイトの視線をスルーしてそのまま教室を後にすることだってできるのである。 玄関で上履きから靴へ履き替えて、葉月さんと一緒に校舎を出る。 秋の深まりを感じさせる空気の中を、看板やはしご、ビニール袋を両手に持って歩く生徒の姿があった。 「みんな忙しそうだね」 「うん……」 彼らの姿を見ていると、自分が損をしているような気分になる。 文化祭に意欲的なクラスならば、今は準備に大忙しの時期だろう。 しかしうちらの2年D組は先週の時点で喫茶店で使う本を収める本棚の運び込み、テーブルの確保、 男女それぞれが着る着物の用意、お茶やお菓子の注文数決めなどをあらかた終わらせてしまった。 今はクラスの文化祭実行委員がぼちぼちと仕上げを進めている段階だ。 楽と言えば楽だが、楽すぎるのも問題だ。暇すぎるのである。 182 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 55 04 ID sFzVob2v 「ねえ、ちょっと行きたいところがあるんだけどいい?」 「別に構わないよ。どこに行くの?」 「ケータイショップ。ちょっと欲しいストラップがあって」 「へえ。どんなやつ?」 俺がそう言うと、葉月さんは人差し指で空中に何かを描いた。 「えっとね。形はハートマークをしてるの」 ほほう。なかなか可愛らしい趣味をしていらっしゃる。 男の俺の携帯電話にはとてもつけられるない。 「それでね、その……欲しいストラップはね、二つセットになってるの」 「へ…………え?」 さっ、と顔から熱が引いた。 「ピンクとライトブルーの二色でね。限定販売のやつだから、他に売っているものとは絶対にかぶらない 五桁の番号が両方に彫ってあるの」 「……つまり、おそろいのものってわけ?」 「そう。だからあ、だから……ね?」 葉月さんが携帯電話を取り出して俺の前にかざした。 ちなみに、俺の携帯電話と同じ機種である。最近になって突然買い換えた、と葉月さんは言っていた。 同じ携帯電話と同じストラップ。それらが意味することはつまり。 「片方のストラップ、つけて欲しいなあ?」 首を右斜め三十度に傾けつつ心臓麻痺レベルの笑顔を浮かべる葉月さん。 どうしよう。ストラップの用途を予想できた時点でやんわり断ることを考えていたのだが、 こんな笑顔を見せられては断るに断れない。 「私は青が好きだから、ピンクの方、つけてくれるかな?」 なに、ピンクだと? よりによってあんな淡い恋心の象徴であるかのような色をしたストラップをつけろと言うのか!? どうする。どうしよう。どうしたらいい。 「どうかな? だめ?」 「う、うう、……うむむ……」 他ならぬ葉月さんからの頼みだ。できることなら聞き入れてあげたい。 しかし、おそろいの、しかもピンクのストラップだぞ? 携帯電話を取り出す度にチラチラと見えてしまうではないか。 恥ずかしいからと外してしまったら、俺のことだからどこかになくしてしまう可能性もある。 ストラップを外している携帯電話を葉月さんが見たらどう思う?――傷つくに決まっている。 葉月さんの心が傷つくついでに、もしかしたら俺の体にまで消えない傷がつくかもしれない。 「お、俺は……」 ピンクのストラップを選ぶのか。それとも紅い鮮血を選ぶのか。 「だめかな……つけて、欲しかったのに……ぐす」 ああ、ああ、あああ。葉月さんが泣きそうだ。 綺麗な瞳。しみひとつない頬。あそこに涙が伝ったらそれはそれは美しい光景であろう。 だが、泣かせてはだめだ。もう、葉月さんの要求を呑むしか――ない。 183 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 56 21 ID sFzVob2v 意志を固め、口を開けた瞬間であった。 「あ! いた!」 突然の女子生徒の叫び声。 何事かと振り向くと、見知らぬ女子生徒が俺を指さしていた。 保健室で会った女の子とは違う。あの子と比べたらこの子は地味な印象しかない。 「えーと、なんて名前だっけ。……まいいや。先輩! 大変です!」 なんと失礼な。ツッコミを入れてやりたいが、葉月さんの手前、とりあえず我慢する。 「何が、あったの、かな?」 怒りを抑え、顎の筋肉を引き攣らせながら言う。 女の子は緊張を隠さないまま、俺の言葉に応えた。 「先輩の弟さんが、廊下で倒れてて! それで今保健室に連れ込まれたんですよ!」 「はあっ!?」 弟が倒れた?!あいつに貧血の気はなかったはずだぞ。 女子生徒の言葉を聞き、女子生徒の死角に移動して両手を伸ばそうとしていた葉月さんもさすがに驚いたようであった。 「ちょっと、大丈夫なの? どこか怪我とかしてなかった? 手当はしたの?」 「どこも怪我はしてなかったみたいですけど。一応ベッドには運んだけど、まだ目を覚まさなくって……。 どうしよう、……どうしよう。もし彼に何かあったら、私……」 「そうね。一大事だわ。私の義弟のピンチよ!」 「行こう! 葉月さん!」 返答せず、少しの時間すら惜しむかのように葉月さんは駆けだした。一瞬を置いて俺も続く。 どんどん俺との距離を開けていく葉月さんを追いながら、俺はある可能性を思いついた。 保健室。あそこで出会った見知らぬ可愛い女子生徒。 彼女が気絶させようとしていたのは、もしかして――弟なのか? いや、まだわからない。だけど、どうしてもあの子のことが頭から離れない。 一体彼女は何者だ?弟のなんなんだ? いや、何者でもいい。今の俺が願うことはこれだけだ。 ――無事でいてくれ、弟。 184 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2007/11/09(金) 00 59 14 ID sFzVob2v ***** どうしてあなたはそんなに飾らずにいようとするのだろう。 なぜその魅力を使い、アタシを惑わそうとするのだろう。 アタシの正体を知っていて、それでもあなたはアタシに対する態度を改めなかった。 構わないで、慣れているから。 そう言ったのに、あなたの耳には届いていなかったのだろうか。 それとも、あなたにとってはアタシの正体なんてどうでもいいものだったの? だから、いつまで経ってもその目の色が変らなかったの? アタシが、あのいやらしい目つきをした教師と話をしているとき、苦手な先輩と話しているとき、 決まってあなたが話に加わってきた。 嬉しかった。嬉しかったけど、怖かった。 いつか、あなたも他の人たちのように変ってしまうんじゃないかって。 アタシの抱く、あなたへの醜い想いを察したらきっとあなたは離れて行ってしまう。 アタシがそんな不安を抱いていることなんて知らないあなたは、毎日アタシの肩をたたく。 決して嫌なわけじゃなかったけど、やめてほしかった。 あなたが屈託のない笑みを浮かべるたび、アタシの胸の奥は切なく締め付けられるから。 抑えていたはずの気持ちが表にでようとして、どんどん大きくなっていく。 こんな気持ちを誰かに向ける日がくるなんて、思わなかった。 全部、あなたのせいだよ。 あなたが他の男とも仲良くするから。他の女ともイチャイチャするから。アタシだけを特別扱いしないから。 アタシはあなたに特別扱いされたい。あなたの特別になりたい。 あなたの想いを独占する、唯一の存在になりたい。 そのためにはどうしたらいいの? あなたはきっと、誰が何を言っても変らない。 その性格は生まれ持ったものだろうから。 あ――そうだ。アタシがあなたを生まれ変わらせてあげればいいんだよ。 アタシだけを見て、アタシだけに声をかけて、アタシだけに笑顔を見せる、そんな人にしてあげればいい。 最初から最後まで。生まれてきてから死ぬまで。アタシだけを構う人になって。 今のあなたも好きだけど、やっぱりアタシはあなたを独占したい。 だからアタシは、あなたを奪う。 あなたを一人にしてあげる。アタシとあなたの二人だけの世界に連れて行ってあげる。 アタシがいなければ、寂しくて悲しくて切なくてどうしようもない、そんな人間にしてあげるよ。 楽しみだよ。あなたの心が変ってしまう、その瞬間を目撃するときが。 想い人を完全に忘れてしまうとき、あなたはどんな言葉を吐き出して、どんな顔をするのかな?
https://w.atwiki.jp/pokegainazo/pages/31.html
ある日、少女がおりました。 少女は鬼ごっこが得意でした。 いつも一番でした。 少女があまりにも強いので、 お友達は少女を嫌いになりました。 なぜ強いといけないのか、 少女には分かりませんでした。 ある日少女は死んでしまいました。 ひとりぼっちで死んでいました。 町は何も変わりません。 ただ一つ言えることは、この町から 「鬼」 が消えたということでした。 end