約 5,885 件
https://w.atwiki.jp/abetge/pages/14.html
1970 CMUへ企業幹部の研修派遣 創立前のPFE出身者同窓会 1986年12月17日、CMUの学長RichardM.Cyert博士他8名の教授が来日し、通商産業省後援の「日米ハイテクビジネス・フォーラム」が開催された。このフォーラムについては後に詳述するが、2つのフォーラムの成功を喜んで実行委員長をつとめたCMU出身で東京工業大学学長松田武彦博士の労をねぎらう集いに置いて、「この日をCMU同窓会の発足の日にしたい」と話された。 総会のような公的な集まりでの発言ではなかったが、この日をCMU日本同窓会の創立の日とすることが自然の流れとして固まっていった。そして当然のことのように、「会長は松田さん」として、サロン的な集いが時折開かれた。 その集いにCMU短期間の幹部研修プログラム(PFE=Program For Executeves)を終了した企業の幹部が参加することもあった。日本の企業とCMUが技術提携や経営指導契約の関係が行われた背景に、PFE出身者の力添えがあったように思われる。 CMU日本同窓会の歩みを述べるに当たって、1970年に実施されたPFEへの日本企業からの派遣についてふれておく。 1970年早春、日本生産性本部(現社会経済生産性本部)が主催して、元日経連合会長鈴木永二氏を団長に、経営戦略研修団がCMUに派遣された。続いて同年秋、経営科学研修団の名のもとに、日本生産性本部から企業の幹部がCMUの研修に派遣された。 二つの研修団の世話役の肝いりで、1970年にCMUで研修を受けた企業の幹部が同窓会を開くようになった。ただし、CMU PFE同窓会とは名乗らなかった。 このことについては、1999年のCMUAJの総会において顧問の役を引き受けた和光経済研究所吉田春樹所長が、その著書において述べている。 なお、1986年にCMU同窓会が発足した以降、PFE出身者は誇りをもって、同窓会に出席していた。 1985GSIA同窓会案内 1986 「日常ハイテクビジネス・フォラム」開催とCMU日本同窓会の発足 国際委員会の意義と役割 CMUと世界の産業界をつなぐ絆として、国際委員会を創設することが、Cyert学長によって提案され、8名の国際的に活躍する学識経験者によって構成された。1985年2月、事務局はPittsburghのMorewood Avenueに置かれた。CMUに在籍していた富田勝氏はOfficerとして委員の末席に加わっている。 委員の中には、ノーベル賞(経済学)のHerbert Simon教授がいて、国際的な共同体制づくりの推進者としての役割を担ったようである。この国際委員会のProjectの一つが日本の産業界とCMUを結ぶ「日米ハイテクビジネスフォーラム」の開催である。 フォーラムのサブタイトルは”日米産業技術協力:実りある協調への一助”である。日米両国の産業界と学界の協力・協調によって、21世紀への技術革新に関連するビジネスチャンスを生み出そうという目的が明確に示されたフォーラムである。 ”フォーラム”の成功と同窓会の発足 実行委員長はCMU出身の松田武彦博士(東京工業大学学長)である。このフォーラムのために来日したのはCyert学長はじめ8名の教授(人工知能、ロボット、ソフトウエアエンジニアリング等の分野を代表するそうそうたる顔ぶれ)、加えてナショナル・サイエンス・ファンデーション(NSF)のコンピュータ部門の責任者K.Custis博士も参加している。 開催日は1986年2月17日、18日の両日、会場はキャピタル東急ホテル・竹の間。通商産業省後援 ということもあって、参加者は官・産・学の代表83名。フォーラムに内容が参加者の関心対象である先端技術分野のことであり、しかも産学共同研究で最も成果をあげているCMUの実績をふまえた討議であったため、高い評価をもって閉会した。 CMU出身者は誰もが誇らしい気持ちで、お互いに成功を喜びあった。松田会長も満足しているように見受けられた。このような感激の中で、一同は松田会長の労をねぎらった。その時、CMU同窓会の発足を提案した松田会長に異を唱える者がいなかったのは当然である。 1987 CMU東京オフィスと恣意的集い 1986年17日、18日両日にわたるCMU主催「日米ハイテク・ビジネス・フォーラム」の成功の背景には、日本債権信用銀行(現あおぞら銀行)とCMU東京オフィスの活動があった。日本債権信用銀行の支援は会計処理業務において、またCMU東京オフィスはフォーラム開催に伴う雑務処理業務において、それぞれの役割を全うした。 前者はおそらくCMUのPFE出身がいて会計処理業務を引き受けたと推察する。一方、後者の場合は東京都千代田区三番町にあった株式会社インテリジェント・テクノロジーが、CMUから業務を委託されて活動していたのである。この会社は、CMUの企業提携プログラム、契約研究プログラム、企業向け大学院研修プログラム等におてCMU東京オフィスの名前で活発な業務を展開していった。 しかし同窓会に関する業務には無関係であった。しかし、CMUから教授が来日すると聞いては松田会長や一筆者に連絡をくれたので、その都度CMU出身者が恣意的に教授を囲む集いを開き、これが期せずして同窓会となっていた。 1988 サロン的有志の集いから組織化への動き CMUと株式会社インテリジェントテクノロジーとのCMU東京オフィスとしての業務契約は1988年までであったのか、次第にCMUから教授が来日することについての連絡が途絶えた。したがって、前述の恣意的な集いは無くなったが、松田会長がGSIAの出身であったことから、松田会長へは来日するGSIAの教授の連絡があり、その時はCMUの出身者に連絡を取り合ってサロン的な集いを開いた。 このようなとき、いつも話題になるのが、CMUで時期を過ごした人から、日本にいるCMU関係者の総合的な組織を作ってはどうかということであった。また、来日する教授達やCMU当局の強いすすめもあって、CMU日本同窓会の本格的立ち上げへの声が高くなっていった。 特にGSIAの出身者が多くなってきたこともあり、この人たちの日本同窓会の意欲が強くなった。当時はCIT出身者の数は少なく、GSIA出身者に総合的な組織としての日本同窓会の設立をお願いすることとなった。
https://w.atwiki.jp/tapirkoushiki/pages/47.html
※このページは試作中のものです。後日大幅に改変したり、削除したりする場合があります 概要 雑カテ同窓チャット誕生とは、2021年6月に当wikiコメント欄にリュカが出現したことをきっかけに、同年7月28日に新たな交流場所として雑カテ同窓チャットを作成するに至った出来事である。 前置き Tapirファミリー解散から時間が経つにつれてメインチャットは過疎化が進行し、交流場所のひとつであったアメーバピグは2019年末にサービス終了と、関連コミュニティは着実に衰退の一途をたどっていた。一応、2020年東京オフ会延期の話題などがあったため、完全な沈黙状態ではなかった。 出来事の流れ リュカ出現 そんな状況の中、2021年6月4日にリュカを名乗る人物がコメント欄に出現。リュカは2012年に雑カテ界隈からフェードアウトして以降姿を見せておらず、出現することが全く予想できない人物であった。リュカの書き込みから8日が経過した6月12日にケロッキーが反応し、コメント欄での会話が始まった。その後、何往復か会話を続けているうち7月16日にトモユキがコメント欄に出現。3人でのコミュニケーションが行われるようになった。この際、2012年の争いで亀裂が入っていた3人は和解した。 同窓会拠点の誕生 会話が続くことで、当然wikiのコメント欄は長くなり読みにくい状態になっていった。また、会話の中で「何かコミュニケーションツールがあったらいい」という空気が発生した。これにともない、コメント欄以外のコミュニケーション手段を考えることになった。トモユキは以前使用していたかにチャットか、当時(から1年前に)話題となっていた「どうぶつの森」(時期的に『あつまれ どうぶつの森』)を提案した。リュカは「令和になってかにチャット復活はかなりアツい!」とかにチャット案に好意的な反応を示し、ケロッキーも前向きであったことから、ケロッキーがかにチャットで「雑カテ同窓チャット」を作成、そこをかつてのTapirファミリー関係者の同窓会拠点として運用することとなった。 これにより、Tapirファミリー解散から6年ぶりに複数人での活動が可能になったと同時に、名誉リーダーが初めてチャット管理者という実権を持つこととなった。 チャットルーム作成後、コメント欄の様子を見ていたウィークエンドもチャットに参加。さらにwikiを見た龍神も加わることとなった。 その後の影響 同窓会拠点ができたことで、これ以降不定期で連絡可能なTapir関係者を招集し参加者に加えていくようになった。また、当wikiの管理者譲渡の手続きや、2021年以降のオフ会企画はこのチャットをきっかけとして行われており、解散後のTapirの歴史に多大な影響を与えている。 なお、雑カテ同窓チャット自体は、活動場所のDiscordへの移行に伴い役目を終えている。 主要人物 各人物の個別ページにも本件や雑カテ同窓チャットでの活動について記載があるので、ここでは簡単な説明に留める。 リュカ たまたま当wikiにたどり着いてコメントを残したら歴史を動かしちゃった人。ただ一言コメントするだけでなくしばらく様子を見てくれたことで会話が成立し、雑カテ同窓チャット誕生のきっかけとなった。 コメント欄では丁寧な口調でやや低姿勢だったが、チャットルーム作成後はそうでもなかった。 ケロッキー 雑カテ同窓チャットを作成した名誉リーダー。実はTapir関連でケロッキーがかにチャットを管理するのはこれが初めて(ミモラチャットは過去に経験あり) トモユキ Tapirファミリー5代目リーダー。リュカとケロッキーの会話に気づいてコメント欄に参戦し、リュカと和解した。コミュニケーションツールとしてゲーム「どうぶつの森」を提案しているが、後にトモユキ自身は必要なゲームソフトを所持していないことが判明。なぜ提案したのかは謎である。 関連項目 工事中 Tapir出来事ファイルに戻る
https://w.atwiki.jp/abetge/pages/17.html
2009 RefreshのCMU日本同窓会とMaterials Science同窓会 同窓会再活性化の道を開いた人 2009年にスクール横断の本格的年次総会に向けた、世話人の活動については後に述べるが、この活動の原動力になり、人脈を生かして積極的なリアクションとイニシアチブを取り続けたのは石原副会長であった。 石原副会長のこのような活動がなければ、途絶えていたスクール横断の本格的年次総会・同窓会の開催は実施不可能であった。このことを契機にして、CMUAJの再活性化の道が開かれたのである。この活動は、人脈の活かし方や今後の世話人の取り組み方など参考になることが多いので、以下に時系列的に述べることにする。 (1)1999年の総会で、逝去された松田武彦会長のあとを受けて、会長に片方善治氏が就任し、副会長には三上吉彦氏、三谷史生氏、石原滋氏の3氏が選任された。これまでも、三谷氏が事務的事項をすべて担当していたので、今後もこの担当を続けることになった。しかし、三谷副会長、三上副会長とも2005年の歓迎レセプション以降、積極的な同窓会活動からは遠ざかることとなり、連絡も滞りがちになった。 (2)2009年8月3日、石原副会長はクラレの和久井社長を招いて会食をともにしたが、その際、同じ岩手県出身の片方会長の話になり、後日3人で会食することとなった。同日、このことを会長に電話で伝えた際、CMUAJが如何になっているか聞いたところ、三谷副会長はソニー生保の役員退任後、また三上副会長は日本IBMを退職後、音信不通であると知らされた。このような状態、そして何のアクションもない同窓会対して石原副会長は、大いに責任を感じ、早速行動を開始した。 (3)8月6日、石原副会長は会長を訪問して打ち合わせをし、世話人会を催すこととし、同日、鈴木信里氏(Tepper)、光本亘佑氏(Heinz)、森田里香氏(Tepper)にその旨を連絡した。3氏と石田副会長は、メールや会食を通じてコミュニケーションを取り合っていたが、森田氏は転職後すぐに連絡がとれたわけではなく、共通の知人を介してようやく連絡をとることができたなどのご苦労があった。 光本氏には世話人会の趣旨を説得していたこともあって、Heinzの同僚である林昇平氏を帯同する申し出があり、石田敬義氏(Tepper)も参加することとなった。 (4)世話人会の場所は、最初の3回は石原副会長が関係している「世界貿易センタークラブ」をアレンジ、4回目は総会予定場所で行い、以下のような合計4回の世話人会を催して、12月の初めの総会開催に至った。鈴木氏は住友金属物流の社長として東京/大阪を頻繁に移動する業務のため調整がつかず、第一回のみの出席に留まった。 会長からは同窓会発足前後に活躍された富田勝氏(慶応義塾大学先端生命科学研究所長)に世話人をお願いし、第一回世話人会に出席いただいたが、その後はご多忙のため欠席となった。また、三谷副会長および三上副会長に連絡したが、両者とも積極的に参加いただくには至らなかった。 このようなことで片方会長、石原副会長、森田、光本、石田、林(第3回、第4回欠席)の世話人会となり、ほとんどの準備は森田、光本、石田、林の4氏によって行われた。 (5)2009年総会(12月4日)の実務も、上述の4氏によって行われた。しかし、これを可能ならしめるために、関係の施設を会食の場に提供し、人脈を駆使して道筋をつけたのは石原副会長に負うところが大きかった。 (6)2010年に入って、前年度の総会の反省会とキックオフを兼ねて、4月2日(金)「うすけぼー」を会場に第一回の世話人会を催した。前年活動した光本氏は東大大学院入学のため、また石田氏は国際的な資格受験準備のため、それぞれ世話人を辞退した。石原副会長は、新たな世話人として安茂氏と藤城稔久氏を紹介した。両氏は前年の総会後に石原副会長の会食に招かれ、その時十分な意思疎通をはかった上で、世話人会への要請に応じたのである。出席者はこの2名と会長、石原副会長、森田氏の5名であった。 (7)第2回世話人会は、6月4日(金)「Old Man s UN」において開かれた。野崎眞次氏(電気通信大学教授)、田中隆氏(財団法人日本適合性認定協会)、安部健(東京ガス・エンジニアリング㈱)の3氏が新規参加の世話人として出席した。これにより出席者は片方、石原、藤城、野崎、田中、安部、森田、林の8名となった。この会では、もっぱら会長提案の2011年の25周年記念事業の話に終始し、総会の話には触れられなかった。 (8)第3回世話人会(7月16日(金)於イワエン)では、総会の開催日、会費、会場など、総会主体の論議を行った。開催日は10月23日(土)に決定し、利用可能な会場選びは、世話人の有志が交渉に当たることになった。出席者は片方、石原、森田、林、安、藤城、野崎、田中、安部の9名であった。 (9)第4回(8月27日(金))および第5回(9月21日(金))は、会場に決定した「パパミラノ」において開催された。第4回では田中氏を通じてマテリアルズ・サイエンスのグループの参加をお願いし、またこのグループのリーダーとなっている月橋文孝氏(東京大学大学院教授)に総会において副会長に就任していただくことの内諾をいただきたいことについてもお願いした。第5会では、月橋氏と新規の世話人として染谷雄史氏(東京ガス㈱)が参加した。出席者は片方、石原、森田、藤城、野崎、田中、安部、月橋、染谷の9名であった。 (10)同窓会本部のAamir Anwar氏が来日されたのを機に、以下の特別の世話人会(10月13日(水)於東京ガス・エンジニアリング)が開催された。出席者は石原副会長、森田、藤城、染谷、安部の各氏と東京ガス・エンジニアリングの横田氏(ロンドン大学卒)であった。下記にAnwar氏が行ったプレゼンテーションの概要を示す。同窓会活動について示唆に富んだ内容であった。 最近の目覚しいCMUの活躍 これまでのノーベル賞受賞者の中でCMU関係者:18人 タイムズ・ハイヤー・エデュケーションによる2010世界大学ランキングでCMUは20位 比較的規模の小さい新興大学としては快挙。ちなみに東大は26位。(だからどうということはないですが。) ランキングの算定の中に卒業生の何パーセントが寄付をしているかという項目がある。(金額ではなく人数割合であるとことに注意!) 金額によらず継続的に寄付をすることが大学の評判をあげる。大学の評価を上げることが自らのキャリア価値を上げることにも繋がる。 大学が卒業生に期待すること ① 大学の応援者となる。車のリアウインドにCMU ALUMNIシールを貼るだけでもいい。 ② イベントに参加する。同窓会のイベントをはじめ大学関連のイベントに参加する。 ③ イベントなどのボランティアとしての貢献 ④ 寄付 Loyal Scot Program 上記活動推進の一環として ① 大学にコンタクト情報を連絡 ② イベントに参加 ③ 寄付 ④ 大学を応援する意思 を満たす卒業生をLoyal Scotとして認証している。バッチなどのグッズがもらえる。 http //www.cmu.edu/loyalscot/index.html 日本支部に対しての助言 継続的に年に3回程度のイベントを実施するのがぞ望ましい。 イベントはハッピーアワー(今やってる同窓会程度)と教育的・学術的なイベントを取り混ぜる。 スカイプを使ったバーチャルパネルディスカッション(大学関係者や各国同窓会とのコラボ企画)や大学から教授を招聘してのイベントも可能(大学が金銭負担をすることも可)。他国の同窓会との企画アレンジにCMUが積極的に助言・応援をしてくれる。 企業がCMUの学生をインターンとして受け入れることもウエルカム CMUを目指す高校生などに対して卒業生が助言をする活動をしているところもある。 (1)Association のAからAlumniのAへ (CMUAJ カーネギーメロン日本同窓会) CMUAJのAが協会(Association)を意味することについては前に述べた。まだCMUの出身者が少ない当時、CMUの関係者を巻き込んで同窓会を発展させようとしたことから協会という組織をふまえた会則が作成された。しかし、出身者が多くなった今、同窓会(Alumni)を意味するAを基本に日本同窓会の根本的な見直しをしなければならないと考えていたとき、石原副会長から貴重な連絡があった。 2005年Heinz出身の光本亘佑氏が、School横断の本格的年次総会にむけた企画に意欲を示していると、またTepper出身の森田理香氏の強力な支援がえられるという連絡である。 詳しいことは省略するがこのような動きとともに光本氏の後輩である石田敬義氏と林昇平氏の両氏も、年次総会に向けた世話人を引き受けてくれるということになり、準備会を開催した。その結果、光本亘佑氏がCMU日本同窓会の年次総会に向けた企画を作成してくれることになった。このことは、これまでのCMUAJの会則にとらわれることなく、いわば新しいCMU日本同窓会に向けた取り組みになるということである。会則の原案はいずれ筆者が作り会員の皆さんの同意を得ることにして、まずはその企画をもとに、本年中に年次総会の実現を図ることである。このような考えで以下に示すような企画を世話人会が諒承した。 「CMU日本同窓会の年次総会の企画について」 2009/10/1 CMU日本同窓会/第2回準備会 年次総会とは CMUの全学部のプログラムにかかわった同窓生(学生、研究員、教員など)を対象に、年に一度行う総会のこと。 日本同窓会の目的 学生生活では関わりを持たなかった新たなCMUの同窓と出会い、知的・人的ネットワークを強めていく場を提供する。 卒業年度、学部毎に集まる場にはない、縦と横のつながりを強めていくことで、CMUの特徴でもある学際性をさらに深めていく。 各分野の第一線で活躍する同窓会の話を聞く刺激的な場を提供する。 以上のような活動をサポートしていく中でCMU、および同窓生の社会的知名度を向上させる。 運営体制 会長 片方善治 副会長 石原滋 事務局 森田理香(Tepper Class of 2003) 光本亘佑(Heinz Class of 2005) 林昇平(Heinz Class of 2006) 石田敬義(Tepper Class of 2009) この企画にもとづいて、2009年度の年次総会の計画がまとめられた。会場の関係、準備の都合で、下記の内容で、日本同窓会創設23周年に当たる年次総会が実施された。 日時 2009年12月4日 場所 新丸の内ビル9階 Lounge (東京都千代田区丸の内1-5-1) 会議 8000円(これまで銀行口座がなかったが、次に示す講座が設けられた。会費の振込みはこの口座にお願いした。 みずほ銀行成城支店(店番号:445、普通 1123020 カーネギー・メロン大学同窓会) 担当 事務局 林昇平 森田理香 Email cmu_reunion2009(アット)yahoo.co.jp 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 ご案内とEnglish versionを次に示す。参加者は○○名。会場の関係で行事としては特別なものはなく、主として歓談、懇親で盛り上がったが、知的・人的ネットワークを強めていく場となり、意義の深い集いとなった。 同窓会案内 同窓会案内(ENGLISH VERSION) 特に、これまでコミュニケーションがあまりなかったMaterials Scienceの田中隆氏が次回の年次総会に向けて、会員を紹介してくれるとのお話には、心強いものを感じた。1999年以来、Materilas Scienceの同窓会は、毎年続けて開催されているが、2010年からこの方々がCMUAJに合流してくれるなら、新しいCMUAJの発展と充実が期待できるからである。 (2)Materials Science 第11回同窓会 日時 2009年(平成21年)3月27日(金)午後6時半~9時 場所 称保希(渋谷区渋谷2-17-5) 費用 9000円 担当 松浦宏行 月橋文孝 行事 昔の写真紹介 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 参加者 13名(内2名招待) 2010 パイオニアスピリットのCMUを語り合ったCMUAJの学際性 (1)意欲的な準備会の活動 準備会は数回にわたって開催された。参加された方々は副会長の石原滋氏、幹事の中核である安部健氏、田中隆氏、西氏、野崎真次氏、林昇平氏、藤城稔久氏、森田里香氏、安茂氏で、筆者が司会進行する検討事項に、意欲的に取り組み、その結果生じてくる活動に対しても積極的に貢献を展開された。以下、その内容を記す。 ①会則の検討:筆者が作成した会則(案)の検討を行い、年次総会で発表する前にネットで全文を会員に向けて発信してくれた。なお、最終決定した会則は後に示す。 ②役員・監事・幹事の選任:筆者が提案した下記の役員・監事・幹事の選任を行った。 会長 片方善治 副会長 石原滋(再任)、月橋文孝(東京大学教授)、渡辺尚生(東京ガス常務) 監事 森田理香 幹事 安部健、石田敬義、田中隆、染谷雄史、轟秀和、西、野崎真次、林昇平、藤城稔久、光本亘佑、松浦宏行、安茂(アイウエオ順) ③2011年の創立25周年の催事・総会: CMUのイメージアップを目指す催事は春に実施。内容については今後検討 年次総会は秋に実施。運営体制事務局は2009年と同じ。 ④「CMUAJ25年の歩み」:筆者が執筆する。執筆に参考となる資料のある方は、筆者に提供する。必要に応じてネットを活用する。 ⑤2010年の年次総会・同窓会 日時 2010年10月23日 13:00~14:00 場所 パッパミラノ(東京都千代田区丸の内東京海上日動ビル店) 人数 60名程度 会費 7000円 案内送付の手配、名簿:森田理香 往復ハガキの手配と出席者把握、会計:林昇平 記念写真:安部健 周囲への同窓会サウンディング:各自 (2)創立24周年CMU同窓会 テーマ:パイオニアスピリットのCMUを語り合おう 今回の同窓会で特徴的だったことを次に示す。 ①司会を務めた幹事の安部健氏は、単に進行の役を果たしただけでなく、CMU全学部のプログラムにかかわった同窓会であることをふまえて、知的・人的ネットワークを強める場づくりに徹していたことがある。その代表的な例は、後に示すようなCMUの恩師からのメッセージを頂いて、そのアナウンスをしたことである。 ②筆者は会長としての開催挨拶の中で、前に示しておいた創立25周年記念行事として、来年は世界におけるCMUの存在価値を、日本の方々に示す学際的な催事を企画していることを述べた。これに対して心強い協力の申し込みがあった。アソシエーションのAからアルムナイのAへリフレッシュしたCMUAJの前途を開く集いとなったと感じさせられた。 ③新しい役員・監事・幹事のチームワークのよさが、会場でみられた。また、今年からCMUAJに合流したMaterials Science同窓会の方々の出会い・ふれあい。 今年からテーマを決めた集いにしようということになり、今年は「パイオニア・スピリットのCMUを語り合おう」としたが、CMUが誇る学際性の電灯が、このテーマに見事にマッチして、ほほえましい状況が展開していた。 同窓会会則 Prof Schlesinger letter
https://w.atwiki.jp/tsurumaru37/
鹿児島県立鶴丸高等学校37回生のページです! 鹿児島県立鶴丸高等学校を昭和61年に卒業した,同窓会37回生,のページです. 「メニュー」内容の閲覧の一部は,37回生に限定させて頂いております. 閲覧をご希望の方は,管理者までお知らせください. ごあいさつ 37回生代表幹事 塗木哲哉 同級生のみなさん,こんにちは。お元気でお過ごしでしょうか。 さて,私たち37回生は,鶴丸高校同窓会の幹事学年として, 同窓会総会・幹事会を含むいくつかの行事を企画・運営し, 母校への恩返しを行う歳を迎えます。 この機会を同級生の輪を拡げるチャンスと考え, 37回生全員で盛り上げていきたいと願っています。 つきましては,実質的な活動の第一歩として, 諸々のご案内をさせていただきます。 内容をご確認の上,ご協力くださいますようお願いいたします。 テーマ・シンボル ●テーマ趣旨 動詞「つるまる」は,鶴丸同窓会員同士が「集まる」「つるむ」「つながる」ことで旧交を温めたり,母校や後輩へ貢献する活動,即ち,鶴丸高校窓会の活動全般を意味する造語。鶴丸での3年間は,私たち卒業生の人格形成において重要な意味を持っており,同窓会活動は高校時代の自分,すなわち原点に戻ることを意味することから,動詞「つるまる」の英訳として,「TRUE」を充てる。 ●シンボル趣旨 真円の弧のみで描かれた鶴は本同窓会員相互の和を含意する。大きさの異なる鶴が群れて共に上昇する動きで「つるまれ」をシンプルに表現すると同時に,本同窓会の益々の発展を祈念する思いをこめた。また,濃から淡へ段階的に変化する赤は,各世代間での繋がりを意味しており,本同窓会をより一層盛り上げていきたいとの願いをこめて,シンボル全体を盛り上げて立体的に描いた。 「新しいお知らせ」に新規企画をアップしました! - - -
https://w.atwiki.jp/tsurumaru37/pages/27.html
過去の集い 2016年7月30日 第67回同窓会総会・懇親会 2016年7月16日 鹿児島第11回実行委員会 2016年6月18日 鹿児島第10回実行委員会 2016年6月18日 試食会 2016年6月12日 渋谷おはら祭 2016年6月11日 東海地区一鶴会 2016年6月11日 福岡鶴丸会 2016年6月4日 東京鶴丸会 2016年6月4日 鹿児島一中・鶴丸高校近畿同窓会 2016年5月28日 東京第9回準備委員会 2016年5月27日,鶴丸高校幹事会 2016年5月21~22日,鹿児島第8回実行委員会 2016年5月21日 東京第8回準備委員会 2016年5月8日 第3回鶴丸高等学校同窓会ゴルフ大会 2016年4月23日 東京第7回準備委員会 2016年4月16日 鹿児島第8回実行委員会、東京新人オリエンテーション&世話人会 2016年3月26日,東京第6回準備委員会&懇親会 2016年3月19日,鹿児島第7回実行委員会 2016年2月27日,東京第5回準備委員会&懇親会 2016年2月20日,鹿児島第6回実行委員会 2016年1月30日,東京第4回準備委員会&懇親会 2016年1月16日,鹿児島第5回実行委員会 2016年1月2日,鹿児島新年会&第4回実行委員会 2015年12月5日,東京世話人会 2015年11月28日,東京第3回準備委員会 2015年11月27日,鶴丸高等学校同窓会幹事会忘年会 2015年11月21日,鹿児島第3回実行委員会 2015年11月14日,熊本同窓会 2015年11月3日,おはら祭(鶴丸連) 2015年10月31日,鹿児島公式引継会 東京第2回準備委員会 2015年10月17日,鹿児島第2回実行委員会 2015年9月26日,鹿児島引継会 東京第1回準備委員会 2015年8月22日,鹿児島第1回実行委員会、東京鶴丸会引継会 2015年7月25日,鶴丸高等学校同窓会総会・懇親会、二次会、三次会 2015年6月13日,東海・近畿・福岡鶴丸会 2015年6月6日,第49回東京鶴丸会 総会・懇親会、二次会、三次会 2015年5月10日,第2回鶴丸高校同窓会ゴルフ大会@蒲生カントリークラブ 2014年12月30日,37回生同窓会「決起集会」 2014年11月28日,集会 2014年11月22日,集会 2014年9月14日,集会 2014年8月23日,集会
https://w.atwiki.jp/usagichan/pages/14.html
コンテンツ一覧 トップページ スケジュール 活動紹介 活動報告 Aリーグ前期結果 2008年下半期成績 メンバー紹介 メンバーコラム 同窓会企画 第1回同窓会フットサル 第2回同窓会フットサル 飲み会レポート wiki練習ページ 反省会 リンク
https://w.atwiki.jp/orirai/pages/104.html
遥見の元に小学校の同窓会の招待状が届く。小学校の同窓会。その言葉に、遥見は忘れていたある約束を思い出す。 小学校の頃の遥見は親が研究に没頭するあまりおざなりにされがちで、ほとんど一人で過ごしていた。そんな彼の遊び相手は、たまにやってくる望と幼馴染だった義生だけだった。 約束を思い出し、同窓会へと向かう遥見。しかしゴーストを発見、戦闘に。 ゴーストを倒した遥見は同窓会の会場へ――ではなく、義生の墓前へ。そして約束を果したことを報告するとともに、新たな約束をするのだった。 タイトルの意味は「幼き日の約束」。遥見の過去にスポットを当てる。「正義の味方になろう!」という約束を思い出した遥見がさらにヒーローとしての自覚を強めるエピソードなんてどうだろう。
https://w.atwiki.jp/aoba1984-1985/pages/50.html
どうも ご無沙汰しております 久々の更新になりますね ちょっとブログ書く余裕が無かったので遅くなりました ごめんなさい さて、同窓会についてのお話ですが、 先日、第1回幹事会を開催しました 代表と女性3名の出席だったので、美女に囲まれて幸せなひと時でした 笑 話し合った内容としては、 ○同窓会開催日(仮) ○開催場所 ○第2回幹事会の日程 ○名札について ○写真のCDR販売について ○2次会について ○その他色々 ※今回の幹事は合計で10名になりましたが、先日の幹事会の出席者は合計で4名の為、過半数に達していません。よって、可決確定した訳では御座いませんので、あくまでも流れとして捉えて下さい。 開催日について 同窓会開催日については、先生への確認が出来ていない為、発表は出来ませんが、予定としては5月の末を考えております 確定次第、皆様にメールさせて戴きます 開催場所 開催場所については、今のところ綾瀬マリアージュを検討しています プラン等をよく検討して、先生を迎えるに相応しいプランを用意して、且つ、皆さんが参加し易い料金で開催出来たらと考えております 但し、何度も申し上げている通り、居酒屋等とは違い定額料金制になりますので、前回の同窓会よりは高くなると思います。予めご了承下さい。 しかし、前回の同窓会と違い3、4ヶ月前から皆さんに告知する事が出来ますので、金銭的な面は積み立てて戴けたらと思います さらに、今回の同窓会の開催日は「給料日後」に設定する予定です また、2、3次会に参加する予定の方は少し金銭に余裕を持って参加して下さい あっ!今なんとなく文章を書いていて思いついたのが、 当然と言えば当然なのですが、マリアージュでの服装は自由でドレスコード無しで開催します もちろん、ドレスでもスーツでも和服でも私服でも好きな物を着てきて下さい 青葉の制服やジャージもOKです 笑 第2回幹事会の日程 日程は、私から幹事に対し直接連絡します 名札 名札については、出来る限り安いところを探そうという意見が出ましたが、個人的には、身近な人にお願い出来るのであればそっちが良いとの意見を述べました これについては、もっと詰めて話していきましょう 写真のCDRの販売 以前から提案があったCDRについては、前向きに検討しております 「撮影する人の負担を減らす為にSDカードを幹事に配り、各々のカメラで撮影してもらいSDカードを回収する」という案が出ましたが、もうちょっと詰めて話し合う必要がありますね 後一押し何かがあれば自分も承認し易いです 2次会について 前回の様な失敗をしない為、幹事側で企画しようという意見が強くなって来ています 場所、費用の検討が必要になりますね 最大の問題は2次会に何名参加するのかを想定する事です それによって予約する場所等が異なります 開催日が近づくにつれて参加者の考えている事も読めてきます それを前提に考えていきましょう 以上、こんなところですかね 前回の同窓会を期に個人的な集まりが出来たりしているみたいですね 代表としては、そのような集まりが増えると同窓会を開催して本当に良かったと思えます 皆さんもこれを期にその様な集まりを企画してみたらいかがでしょうか? 最後に 幹事会お疲れさまでした~ Sちゃん、Aちゃん、Yちゃん参加してくれてありがとう 「俺なんて必要無いじゃん」って思う程意見を言ってくれるし、「本当に同窓会を成功させたいんだな~」って気持ちがいっぱい伝わってきた 本当にありがとう 幹事会の後もカラオケで騒げて楽しかった 笑 Sちゃんのノリについていけねえええええええええ~~~ その日は、「泣いたり」「笑ったり」「はしゃいだり」「語ったり」色々ありました 第一回同窓会を企画したあたりから、今日までずっと思っていた事があるんです これは、第2の青春なんじゃないかってね
https://w.atwiki.jp/clakb24aa/
ABOUT THIS SITE 2014年冬に開催予定のクラークアキバ平成24年度卒業生の情報を紹介しています。 個人情報が含まれている関係、参加者管理のためこの先のアクセスは承認制となっております。 まだ参加表明をしていない方は問い合わせフォームから参加表明をお願い致します。 また、メール等で既に幹事に連絡が済んでいる方は、新規に参加表明する必要はありません。 24年度卒業生の方はメンバートップページへどうぞ ユーザー名やパスワードを忘れてしまった方は問い合わせフォームからお問い合わせいただくか、誰かに聞いてください。 24年度卒業生であればユーザー名とパスワードは教えてしまって構わないです。 24年度卒業生以外の方へ 当Wikiは、クラーク記念国際高等学校秋葉原ITキャンパス平成24年度卒業生を対象としたWikiです。 申し訳ございませんが、該当年度卒業生以外の方や特別に招待された方以外の閲覧をお断りしております。 ご協力感お願い致します。
https://w.atwiki.jp/abetge/pages/16.html
2000 2組の教授ご夫妻が出席した同窓会とMaterials Scienceの第2回同窓会 GSIAのDeanであるDunn教授と井尻教授ご夫妻がご出席された同窓会を開催したのは、2000年11月7日(火)である。このときの幹事は宮原佳典氏であったが、案内状に「同窓生との一時をお楽しみいただきたいと思います」とあったが、確かにこの同窓会は、これまでにない和やかな懇談が続いた集いで、2組のご夫妻と同窓生は秋の夜の一時を存分に楽しんでいたように思う。 会場は日本生命赤坂職員クラブで、6時30分から始まった。Dunn教授がGSIAの現状と展望を語られたのに対し、井尻教授はCMUキャンパス改修プロジェクトが完了したことを中心に御話を進めれられた。懇談会はこの後にもようされたが、前述のような楽しい交流となったのである。 CITの出身者の参加は少なかったが、Schoolの違いを意識するひと人など誰もいなかった。2組のご夫妻もご満悦の様であったが、特に二人の婦人は終始満面の笑みをたたえていた。 (2)Materials Scienceの第2回同窓会 日時 2000年(平成12)年3月30日 午後6~8時 場所 ホテルリッチ横浜 (横浜市西区北幸1-11-3) 費用 10,000円 担当 月橋文孝 行事 柏谷悦章 CMUの報告 案内 手紙、電信メール、はがき返事、電子メール返事 参加者数 24名 残金 46,427円 2001 (1)PFE出身者の同窓会への参加 1999年のCMUAJの総会において、PFE出身の和田春樹氏(和光経済研究所所長)が顧問を引き受けてくれた。筆者は副会長の石原滋氏を伴って、和田所長を訪問し、PFE出身者の名簿作成をお願いした。しかし、1970年当時、企業幹部としてCMUのPFEコースに企業から派遣された方々の多くは、既に退職していて、期待していた結果を得ることはできなかった。 しかし、少人数ではあったがPFE出身の方々と集いを持つことが出来たのは幸いであった。2009年の横断的同窓会に、PFE出身の方が参加されたのは、この時の成果といえる。 2002-2003 Materials Science の同窓会 2002年から2003年の間、CMUAJは同窓会を開催しなかった。またこの間、特別に述べるようなこともなかったが、Materials Scienceの同窓会は継続して開催している。以下に、2002年および2003年に実施した記録を転載する。 (1)2002年 第4回同窓会 日時 2002(平成14年)3月29日(金)午後6~8時 場所 東京大学山上会館地階001会議室 費用 8000円 担当 月橋文孝 行事 奥田金晴 CMUの報告 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 参加者数 15名(実質13名) 残金 39468円 (2)2003年 第5回同窓会 日時 2003(平成15年)3月28日(金)午後6~8時 場所 川崎製鉄 みやざき倶楽部 (千葉市中央区宮崎1-15) 費用 7000円 担当 佐藤進、奥田金晴 行事 神保至、上田滋 CMUの報告 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 参加者数 14名 残金 44563円 2004年 大学院日本校開校準備と2人の教授の来日 (1)CMU情報大学院の日本校とCMUAJの対話 2004年11月30日(火)の日本経済新聞が、「カーネギーメロン大学情報大学院日本校」の全面広告を掲載した。2005年9月から開講予定の学生募集広告で、出稿したのは財団法人カーネギーメロン大学情報大学院日本校設立準備会である。この財団は兵庫県と産業界が共同して設立したものであるが、兵庫県知事 井戸敏三氏の呼びかけによって実現した。井戸知事はどのような構想を持っていたのか。 井戸知事は「日本のウィークポイントである情報セキュリティの人材育成期間を設ける場所として、世界に開かれた神戸は最もふさわしい都市」であるとして、「世界最高水準の情報セキュリティ対応能力を有する人事育成のために、この分野で世界をリードしているカーネギーメロン大学情報大学院の日本校の設立の誘致を推進した。 一方、CMUは2002年から開設しているギリシアのアテネ校のプログラムが成功している実績を踏まえて、同じようなプログラムで実施する提案をした。この提案は井戸知事の構想と一致していることから、設立準備は順調に進んだ。 この過程で、準備委員会のアドバイザーであった渡辺進次氏により筆者に連絡が入り、CMUAJの日本校への協力の要請があった。要請の内容は、CMU出身者による学生募集へ直接的あるいは間接的協力であった。 これに対して筆者は、日本校内にCMUAJの事務局を設置することによって協力体制は可能になるとの対話を進めたのである。これに対する回答は日本校の業務全般は兵庫県職員が出向して行うので、同窓会事務局を設置するようなことはできないということであった。 学生募集のために兵庫県は、東京都内で「情報セキュリティ国際シンポジウム」を開催し、このシンポジウムにおいて、同校の誘致は「ひょうごIT新戦略」の中核プロジェクトであること、またCMUが情報セキュリティをはじめてとしたコンピュータ・サイエンスで世界トップレベルの研究・教育ノウハウを持っていることが紹介された。 このような紹介とともに、日本校設立の意義や日本校への期待、企業のセキュリティ対策などについて話し合われた。ちなみに、このシンポジウムに招待されたのはCMUAJからは筆者一人だけあった。 (2)Materilas Science の第6回同窓会 日時 2004(平成16年)3月31日(水)午後6~8時 場所 新日本製鉄 代々木倶楽部 費用 12000円 担当 吉田勝成、月橋文孝 行事 CMUからPaxton教授、Cramb教授が参加、講演 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 参加者数 27名(内2名招待) 残金 23113円 2005 学長来日歓迎レセプション、CMU情報大学院開学、そしてMaterials Science同窓会 (1)Cohen学長来日歓迎レセプション CMU情報大学院の6月開学を前に、CMU学長のJared L. Cohen氏が来日するとの情報が入って、CMUAJのレセプションを行うことになった。 日時 2005年 3月24日(木)19:00~(開場18:30) 場所 アイビーホール青学会館ホーリー館2F 校友会館A号室 (東京都渋谷区渋谷4-4-5青山学院大学内) 出席者 学長 Jared L. Cohen VP of Advancement Mr.Robbee Baker Kosak Exective Gift Strategist Mr.Garyan J. Tamburo 会費 5000円程度(予定) 連絡先 GSIA(Tepper School)の関係者 林英範(GSIA/MBA 2001) GSIA以外のSchool/Department 関係者 島田一郎(GSIA/MBA 2003) 出席者はGSIA22名、CIT9名、H SS2名、CS1名、IM1名、MCS1名で、合計36名の出席者となり盛況であった。Cohen学長よりの最近の話題、神戸に開学する情報大学院日本校のことなどが語られ、その後は旧交を温める懇親で盛り上がった。 この歓迎レセプションは久しぶりの同窓会となったわけでだが、林英範氏と島田一郎氏の努力が実って、各schoolやDepartmentを横断した集会となったことが良かった。 残念だったのは、CMUAJとしてのご案内でなく、CMU日本人会有志として、各位に対して通信が行われたことである。 改めていうまでもなく、CMUAJのAはAssociation(協会)のイニシアル、Jはジャパンである。どうやら同窓会を”協会“と位置付けるのに、CMU出身者の多くは違和感を持っているようであった。時代も変わり、出身者数も多くなり、CMU日本同窓の名称の方がなじみやすいのではないかという声も聞こえてきた。いずれ協会という名称を変更すべき時が来るとの感慨を抱いたのは、自然のなりゆきであった。 (2)CMU情報大学院開学 CMU情報大学院日本校の開学記念式典は、2005年6月7日(火)13:30~16:30、兵庫県公館大会議室において行われた。主催は兵庫県および財団法人ひょうご情報教育機構である。 除幕式及び兵庫県知事井戸敏三挨拶(映像紹介)に続いて式辞が財団法人ひょうご情報教育機構理事長(兵庫県副知事)藤本和弘氏とCMU学長Dr.Jared Cohen氏によって述べられた。 学長の式辞を要約すると、①CMUは工学およびコンピュータサイエンス分野、特に情報セキュリティーの研究で世界をリードしていること、②日本校では情報セキュリティ技術、経営管理及び政策論を融合することで、激変する時代に対応するリーダーを養成するが、本学と兵庫県がこれに共同で取り組むこと、③日本校のプログラムはこの要請に応えるとともに、日本の科学者や産業界との共同研究に期待していること、の三点であった。 開学記念式典には筆者の他に、神戸周辺に居住しているCMU出身者が数名出席された。 (3)Materials Science 第7回同窓会 日時 2005(平成17年)3月30日(水)午後6~8時 場所 横浜キャロットジャパンホテル (横浜市西区北幸1-11-3) 担当 月橋文孝 行事 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 参加者数 10名 残金 36703円 2006 Tepper出身者の勢いとMaterilas Science同窓会 (1) Tepper出身者の交流会 2005年のCohen学長歓迎レセプションでは、Tepper出身者が全ての面でリードしている感があった。この勢いが2006年まで続いたのであろう。Tepper出身者の有志が集い交流会を行っている。 (2)Materilas Science第8回同窓会 日時 2006(平成18年)3月22日(水)午後6~8時 場所 磯浜 (新宿区高田馬場場1-28-10) 担当 轟秀和 月橋文孝 行事 Aarononson先生ご逝去報告 2005年5月に月橋がCMUを訪問した時の写真紹介 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 参加者数 15名 残金 51951円 2007 最大のレセプションとMaterilas Science同窓会 (1) "The biggest CMU alumni gathering ever outside US" 「先般ご案内させていただいていたCMUのPresident Cohen氏とDunn氏の歓迎レセプションですが、詳細が決まりましたのでお知らせさせていただきます」と、Tepper Alumniの山下事務局長が電子メールで下記の案内をしてくれたのは、2007年2月8日(木)午前1時である。 日時 2007年3月7日(金)19:00(開場18:30) 場所 東京アメリカンクラブ3F Mt. Vermon Monticello Room (東京都港区麻布台2-1-2) 出席者 President Dr.Jared L. Cohen Dean of Tepper School Dr.Kenneth B. Dunn 会費 8000円程度を予定 このような案内のもと、参加したのは2006年の歓迎レセプションのように、SchoolやDepartmentを横断するCMUの出身者や関係者が参加した。日本人だけでなく在日の外国人も参加して、合計87名の参加者となった。 「Dean Dunnによれば”The biggest CMU Alumni gathering ever outside US"」と山下Tepper Alumni事務局長が紹介した。しかしこの集会は同窓会総会ではなく歓迎レセプションであった。いずれにしても、文字通り大盛会であったことは事実である。「President CohenもDean Dunnも非常に喜んでおられました。」 (2)Matrials Science 第9回同窓会 日時 2007(平成19年)3月28日(水)午後6~8時30分 場所 くいもの屋わん (習志野市津田沼1-2-1) 費用 7000円 担当 轟秀和、奥田金晴、月橋文孝 行事 2006年7月に椿野先生がCMUを訪問した時の写真紹介 案内 電子メール、一部手紙、はがき返事、電子メール返事 参加者数 12名 残金 62697円 2008 失われた期待と新しい芽生への期待 (1)CMU情報大学院日本校の閉鎖 2008年9月15日のリーマン・ブラザースの破たんは、その影響が大きく、世界中が金融危機へと突入した。世界的に流動性リスクが発生し、世界金融危機から世界同時不況へとつながっていった。 このあおりを受けて、CMU情報大学院日本校の運営主体である財団法人ひょうご情報教育機構は資金調達が困難となった。このため、CMU情報大学院日本校存続は危うくなり、結局、平成20年度末(2008年3月末まで)をもって日本校を閉鎖し、残りの授業は本校において受講させることとなったことを知った。 CMU出身者として、筆者は日本校卒業生の同窓会への勧誘のため時にふれ折にふれて連絡をとっていたのであったが、期待は全くかなわないことになった。 一方、2009年に向けて横断的同窓会組織のための新しい会則をつくりCMU日本同窓会としての総会を開催しようという世話人会の集いが出来たことは明るい期待となった。 (2)Materials Science の第10回同窓会 日時 2008(平成20年)3月27日(木)午後6~8時 場所 四季善 (渋谷区道玄坂1-9-1) 費用 9000円 担当 松浦宏行、 月橋文孝 行事 新会員紹介。 最近のCMUおよびピッツバーグの紹介。昔の写真紹介 参加者数 10名 残金 72496円 第10回を迎えたMaterials Scienceの同窓会の継続性にも新しい期待をかけたい。