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709 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 22 28 05.65 ID Hh/2jefDO 続き そして多分ほとんど寝て 無事到着! TAIWANーー!!! フォーーー!!! ヾ(∀`*)(*´∀)ノ 海外ってゆったら入国審査のあの雰囲気だよねwwww ソエルと海外何回か行ったことあるんだけど、毎回ソエルを先に行かせて後ろからニヤニヤしてる変態がいたら、そう!私です。 【~ソエル初めての台湾入国~】を無事見届け満足した私。 とりあえず、ホテルの送迎バス乗って一旦ホテルにチェックイン。 マイスイートラバールーム! オープンザドアーー!!!wwww よ「疲れたー!」 そ「あ…」 … よ「あ…」 そ「…」 … ゴクリ 710 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(東京都)[sage]:2011/09/21(水) 22 31 10.12 ID jGHh0/zA0 !? 711 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 22 32 33.74 ID eIJZ7Xydo (; ・`д・´)ゴクリ… 713 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 22 36 22.63 ID 2UJQPLo30 ダブルベットとかそういう・・・・・・・・? 714 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 22 41 38.30 ID y9N9qSlE0 部 屋 が 三 角 ! 715 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 22 41 59.18 ID y9N9qSlE0 部 屋 が 三 角 ! 716 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(関西地方)[sage]:2011/09/21(水) 22 45 42.70 ID mb/jaIgWo 荷物を忘れたとか… 718 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 22 48 26.47 ID Hh/2jefDO …ゴクリ 部屋が三角…!! ワロタ 719 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(東京都)[sage]:2011/09/21(水) 22 55 16.53 ID jGHh0/zA0 部屋が三角にどんだけ引っ張るんだよ! カイジかよ! 720 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 22 59 20.85 ID y9N9qSlE0 ごめん、俺が連投したばっかりに… 721 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 22 59 24.63 ID Hh/2jefDO そう!!全米待望!!!! スwwケwwルwwトwwンwwwwバwwスwwルームwwwwwwwwwwww 。°+.ヽ(●´▽`●)ノ°+.° 透wwけwwww透wwけwwwwwwwwww 中まwwるww見wwえwwつwwつwwぬwwけwwwwwwヤッホーイwwwwwwwwww キャ━(°∀°)━!! ↑内心 ↓態度 まったくどこのラブホじゃけしからん thxジーザス!!! 725 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 05 24.53 ID Jj+mcjKAO ト イ レ も ス ケ ス ケ な ん で す ね 726 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 13 10.95 ID Su5gj4Au0 手配したの誰wwww 727 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 23 14 01.65 ID Hh/2jefDO もちろん ト イ レ も す け す け さ 鉄仮面ようこだが 内心はお祭り状態wwwwww (やばいぞようこ、これはやばい。ソエルの裸体が覗けるまたとないチャンスやで、いけようこ! 男だろ!いや女や!いやどーでもいいわ!とにかく見たいわ!!オラーーー!!) とか瞬時に考えてたら そ「ねえようこ」 よ「ん?(平然と)」 そ「覗かないでね?」 よ「えww」 そ「ね?」 よ「…なら…覗かないから写真撮るねwwグヘ」 そ「絶対やめて」 よ「はい(´・ω・`)」 そ「よろしい」 よ「でも…」 そ「でもはない」 よ「(´・ω・`)」 そ「なに」 よ「いや、で、でも、見たくなくても、見える…けど(´・ω・`)」 そ「ようこならできる」 よ「…はい私ならできます。見ません(´・ω・`)」 ですよね (´;ω;`) 730 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 17 06.90 ID i4msz0RKo (´;ω;`)ブワッ 731 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 23 18 34.73 ID Hh/2jefDO 手配したの?そんなの聞くまでもない! 私だ。 でもこんなホテルとはマジで知らなかったwwwwww知ってて頼める勇気ないwwwwwwww と、とりあえず荷物整理して、お互い風呂については触れず、外に出ることに。 所謂観光地ぶらぶらして、適当にお店入った 732 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 20 29.47 ID Jj+mcjKAO そろそろパンツ脱いでいい? 733 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 23 23 37.26 ID Hh/2jefDO てか、台風+地震ってなんだよー! 日本おわっちゃうよー パンツ脱ぐとこはまだ先ですww むしろ縮こむ話になるかも? 736 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 29 59.26 ID Jj+mcjKAO 俺のティンコがこれ以上小さくなってたまるかwwwwwwww 737 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 23 35 10.85 ID Hh/2jefDO ぶらぶら中はとくに報告するような会話もなく、いちゃいちゃもできなかったww 少しソエルの肩触ったくらいwwヤンヤンwwww で、夕飯中 たわいもない会話してたのに そ「○○(彼氏)は海外嫌いなんだよ」 よ「へー(あっそ)」 そ「一回行っただけのくせに、それだけで最低よねww」 よ「そうだねー(どうでもいい)」 彼氏の話UZEEEEEE!!! 2ポキ 738 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 23 37 39.68 ID Hh/2jefDO あーやばい初日の記憶あやふやwwwwwwwwwwww ソエル彼氏が今回よく登場するので名前募集 739 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 38 58.98 ID XlbkqcGzo 矢沢 740 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(不明なsoftbank)[sage]:2011/09/21(水) 23 39 24.88 ID go4SqiPbo かい がい きらい・・・・かがき 741 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(北海道)[sage]:2011/09/21(水) 23 39 26.34 ID +xQibCMw0 うざ男 743 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(北陸地方)[sage]:2011/09/21(水) 23 40 53.19 ID 9bP6y8ZAO 優男(やさ男的な) 744 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(埼玉県)[sage]:2011/09/21(水) 23 43 47.19 ID dvlf/S/To トンヌラ 745 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 45 02.39 ID gmsPrNLIO 権兵衛 746 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 48 29.17 ID 2UJQPLo30 別男 747 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 23 50 10.37 ID Hh/2jefDO え、選べない 748 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/21(水) 23 51 42.77 ID Hh/2jefDO 選べないから、一番の矢沢でいく! みんなありがと! 749 :738[sage]:2011/09/21(水) 23 53 31.11 ID IQSWDAVIo なんかうれしい 753 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/22(木) 00 09 56.61 ID U9SlPNgDO ちなみに矢沢の由来は?ww 754 :739[sage]:2011/09/22(木) 00 11 31.60 ID AGpZzdWYo 思い付きですwwww そっかありがとうww 矢沢永吉しか浮かばないけどwwww 歌手のSowweluの彼氏の名前にでもしよかと思ったけど、なんか縁起悪そうだからww 750 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/21(水) 23 59 58.45 ID Jj+mcjKAO 何故2人っきりの旅行なのに ソエル彼氏がよく登場するのか…orz 751 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/22(木) 00 01 47.50 ID S5cCsvPIO まあ話題としてよく出てくるのはしょうがないよ そう、話題が出るのさー。防げないさー。 752 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/22(木) 00 07 37.50 ID U9SlPNgDO 続き 寝不足と移動の疲れでお酒がすぐ回った私ww ソエルはセーブしてやがったww だからお店での会話の記憶もまたあんまりないからあやふやでいきますww よ「いやーいいねーwwなんかさこゆのww」 そ「うんwwようこと旅行きてよかったww」 よ「ニヤニヤ」 そ「その顔きもいよ?」 よ「いつもですww」 よ「ソエルは可愛いよ?」 そ「は」 はい照れソエル!! でもソエルは照れるってイメージあまりない すぐ元に戻るからかな?つまんね よ「wwww」 そ「なんかようこ…楽しそうだねww」 よ「え?当たり前じゃんwwww超楽しいしww眠いけどww楽しいww眠いけどwwやー眠いけどww」 そ「私も眠いけどww」 よ「ホテル帰る?ww」 そ「帰る?ww」 よ「お風呂ソエルからねwwww」 そ「やだwwむりwwようこからww」 よ「てか、見るなってゆーからには、もちろん私のも見ないでよ?」 そ「…(゚_゚)」 なんすかその顔ww的な顔したww てかなんともいえないその顔が超かわいかったwwwwww 759 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/22(木) 00 22 04.40 ID JyBDIAsAO ようこ今日中に全部報告するのけ? 今日中とても無理長期戦wwそろそろ眠い… 758 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(長屋)2011/09/22(木) 00 18 33.61 ID KJwjv/LH0 風呂一緒に入ったことなかったっけ? 前スレかどっか書かなかったけ?ソエル裸見られんのすごい抵抗する!他の友達にも同じ! いるじゃん?そゆこ 私もだけど 762 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/22(木) 00 30 27.48 ID N9nTbCVeo そういえば書いてたね 失礼しました 無理せず寝ましょう いや、印象薄い話は忘れて当然だよねww でもこの先スケルトンバスルームが活躍するとかしないとか… ( *´艸`)( ´艸`*) そろそろz 764 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/22(木) 00 34 32.24 ID Zrz6wOct0 ちょwwwwwwwwwwwwwwww kwsk 765 :ようこ ◆uKObk31oqA2011/09/22(木) 00 36 15.18 ID U9SlPNgDO 順序よく書いていきますww 766 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/22(木) 00 37 45.52 ID mOsVfvKLo 私も裸見られるのはやだな~なんでだろww なんか一説ではノンケは平気で、レズっけある人は苦手?みたいな聞いたけど、私は当てはまったから納得したww まー性格的なのが大きいかもね?私シャイだし 771 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2011/09/22(木) 00 50 26.54 ID mOsVfvKLo レズでした\(^o^)/ 続きwwktk →続き
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昨日 - 今日 - 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐって シリーズ JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国” 2009年4月5日(日) 午後9時00分~10時13分 総合テレビ (シリーズ JAPANデビュー 趣旨) 150年前世界にデビューした日本は、ひたすら“坂の上”をめざし、第一次大戦後には五大国のひとつになる。日本が明治以来、欧米列強に伍していこうとする時に命運を握った4つのテーマ、「アジア」、「天皇と憲法」、「貿易」、「軍事」に焦点をあて、いったんは世界の“一等国”になった日本がなぜ国際社会の中で孤立し、焼け野に立つことになったのかを、世界史的な視点から検証する。 http //www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090405_2.htmlより 第2回についてはこちら 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐってあらすじ 文字おこし YouTube 論点と拙論 参考ブログ 報道 提訴騒動 NHKがチャンネル桜に抗議 言論抑圧なのか? 自民党内右翼 質問と回答 柯徳三氏の著作 チャンネル桜の薮蛇【台湾取材レポート】 チャンネル桜台湾取材(2) チャンネル桜台湾取材(3) 台湾の歴史 「JAPANデビュー」予告 NHK特番問題 BPO意見書 あらすじ 1895(明治28)年、日清戦争に勝利した日本は、台湾を割譲され、初の植民地統治を始める。英のインド統治やフランスのアルジェリア統治にならい、植民地をもつことで“一等国”をめざした日本。1910年、ロンドンで開かれた日英博覧会では、台湾のパイワン族を“展示”し、統治の成功を世界に誇示する。日本は「格差と同化」という矛盾した台湾統治を続け、1930年代後半からは「皇民化運動」で日本文化を強制する。 半世紀におよぶ統治はどのように変遷していったのか。2万6千冊におよぶ『台湾総督府文書』、近年発見されたフィルム、欧米に埋もれていた文書などを手がかりに近代日本とアジアの関わりの原点を探っていく。 http //www.nhk.or.jp/special/onair/090405.htmlより 文字おこし 【転載歓迎】NHK「JAPANデビュー」全内容文字起し YouTube 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】1 http //www.youtube.com/watch?v=hVH5WaT2byU feature=related 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】2 http //www.youtube.com/watch?v=of5BGic-18w feature=related 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】3 http //www.youtube.com/watch?v=oAKVMWzjlr0 feature=related 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】4 http //www.youtube.com/watch?v=UGdU45VIXmA feature=related 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】5 http //www.youtube.com/watch?v=khTYbFDeABU feature=related 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】6 http //www.youtube.com/watch?v=zUIY8EGdNio feature=related 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】7 http //www.youtube.com/watch?v=WfAS8pSwxps feature=related 【台湾】JAPANデビュー アジアの一等国【台湾】8 http //www.youtube.com/watch?v=-9R3rJPDsNo feature=related 論点と拙論 【資料】櫻井よしこ氏と金美齢氏の激、柯徳三氏の義憤 番組のキーポイントは『台湾総督府文書』らしい(未作成) 「反日」か「親日」かの問題にすり替えたのは誰か?(未作成) 台湾は日本の 誰にとっての 生命線なのか?(未作成) 【資料】「台湾人」と「漢民族」について(未作成) 「85%の台湾人に原住民の血混じる」がとんでもないデマに変わる 台湾独立派と日本右翼との提携 台湾先住民24名を引率した「サーベル紳士」は誰? 【資料】黄色い仮面のオイディプス アイヌと日英博覧会 宮武公夫 wikipedia Human Zoo(未作成) 『アジアの“一等国”』をめぐって 拙稿集 参考ブログ むじな@台湾よろず批評ブログmujinatwさん New! NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの 「台湾=親日」 NHK「アジアの“一等国”」を見て 「アジアの“一等国”」 「坂の上の雲」と「アジアの一等国」について NHK「シリーズJAPANデビュー」に自民議連が質問状? アジアの一等国 台湾報道抗議文 日々雑論 歴史修正主義に関する考察29 日々雑論 歴史修正主義に関する考察30 びっくりしました(「アジアの“一等国”」に関する) 文献紹介『博覧会の政治学』 wikipedia人類館事件 台湾特捜百貨店 まさかチャンネル桜が日本占領下における台湾での「差別問題」を告発しようとは。(追記あり) 李登輝友の会:これまでの経緯 話題の映画「海角7号」は確かに面白い! 歴史は生きている 東アジアの150年 NHK番組で抗議すべき唯一の問題点、パイワン族を国民党に強制された漢名で紹介する侮辱 Nスペ「アジアの一等国」に対する批判が事実とかけ離れている件 戦時下台湾の皇民化運動もターゲットにした反日番組 「人間動物園」、台湾先住民は出演者に過ぎないのか? あっ、カメラがない!/「霧社事件」の町を訪問(霧社)(四日目) 映画「出草之歌―台湾原住民の吶喊、背山一戦」が伝える重み NHK『アジアの“一等国”』を見た在台日本人および中青年の親日台湾人の感想 それでも「人間動物園」は史実か 「日台戦争」と呼ぶのは誤りか ぼやきくっきり:「たかじん委員会」NHKスペシャル台湾歴史歪曲問題 報道 Nスペに「李登輝友の会」が抗議声明 MSN産経ニュース - 2009年4月10日 『週刊新潮』4月23日号 抄録 『週刊新潮』4月23日号 全文 日台双方で批判続出…NHK「偏向報道」政界に波及 ZAKZAK - 2009年4月19日 NHKトップトーク:放送総局長会見 2009/4/22 「恣意的編集ない」 NHKスペシャルへの抗議に放送総局長MSN産経ニュース - 2009年4月22日 安倍、町村氏らがNHK番組を批判「偏っている」MSN産経2009.4.23 自民議連が「偏向番組問題」でNHKに質問状MSN産経2009.4.28 【正論】鳥居民 NHK特番の傲慢さが悲しい 産経iza 2009/04/27 07 19更新 【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 歴史を歪曲する方法MSN産経2009.4.30 台湾統治めぐり「一面的」 NHKスペシャルを検証 産経iza 2009/05/03 【断層】潮匡人 NHK反日プロジェクト MSN産経2009.5.6 「一方的ではない」 Nスペ「偏向番組問題」で福地会長 MSN産経 2009.5.14 「個別番組の事前説明しない」 NHK会長、会見で明言 朝日 2009.5.15 「番組偏向」批判にNHKが説明文 抗議団体「これでウソが分かった」 JCAST 2009/6/18 【正論】伊原吉之助 台湾は世界安定の要衝である 産経 2009/06/26 台湾で広がる困惑 日本の植民地統治を批判 NHK番組 朝日2009/09/16 「海角七号」につづく最新作は霧社事件が題材 提訴騒動 提訴騒動 NHKがチャンネル桜に抗議 NHKがチャンネル桜に抗議 言論抑圧なのか? これは白虹事件の再現21世紀版として警戒したほうがいいかもしれません。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%99%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 「行動する保守」と自称する右翼は、NHK番組スタッフの個人宅へのストームを目論んでブログで公言しています。(しかもデヴィ夫人宅事件と同じ日づけ、別団体) (by ni0615) NHKスタッフ自宅に押しかけろ! 千人集まれば日本は変わる?! 街宣ウヨクの個人脅迫はついにここまで 連中は、いおきべ防衛大学長宅への個人宅ストームはすでに実行しており、NHK番組スタッフに対しては個人名が公になった時点で敢行しようとしています。自民議連が動いたということは彼らに取っては大きなパーミッションでしょう。「予算審議」を質に取られたNHKの上層部がスタッフとジャーナリズムをどれだけ守ろうとするか? (by ni0615) 八日、柯徳三氏に国際電話を掛けた 【メルマガ台湾は日本の生命線!】日本名は強制と言えない—NHKスペシャル「台湾弾圧」史観の問題点(1) 【メルマガ台湾は日本の生命線!】日本名は強制と言えない—NHKスペシャル「台湾弾圧」史観の問題点(2) 2ch NHK「JAPANデビュー」台湾編、出演者が不満表明 チャンネル桜が喧伝するサブリミナル効果とは? youtube NHK_悪魔のサブリミナル手法とモンタージュ手法 産経新聞一ページ全段広告予告 チャンネル桜全面広告2009.5.18 産経新聞 自民党内右翼 言論抑圧「議員の会」結成か? 自民「公共放送」議連発足 index 質問と回答 「李登輝友の会」の抗議声明 NHKエグゼクティヴディレクターの回答 coffee氏の質問状とNHKの回答 suemura氏の質問メールとNHKの回答 K氏への回答メール 「台湾の声」編集部多田恵氏の一文 或る読者 の「人間動物園」に関する質問へのNHKの回答 「李登輝友の会」の果し状 「果たし状」に対するNHKの回答 阿比留記者転載による自民党議連の質問状 「前途を考える議員の会」へのNHKの回答(5月11日) 「前途を考える議員の会」からのNHKへの再質問(6月3日) 再質問状(H21.6.4)に対するNHKからの回答書(6月9日) NHK『「アジアの一等国」の説明』PDF 6月17日 バナーをクリック NHKがチャンネル桜に抗議 New! 見かけに寄らず、セコいぞ!オッチャンiza New! 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明・追加 7月22日 New! 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明 6月17日 NHKさん「動揺しないで」 柯徳三氏の著作 柯徳三氏の本 チャンネル桜の薮蛇【台湾取材レポート】 ところで、NHK出演者である「台湾日本語族」と自嘲するおじいさんたちが、チャンネル桜の呼びかけで集まり座談会を開いて井上某さんからのインタビューを受けたりしています。これ、けっこう面白いです。必見です。キーワード「(親日50%、反日50%という)アンビバレント」が、フランス語ではなく端正なのに皮肉たっぷりな日本語で展開されています。かなり質の高いユーモアです。 たとえば、「柯徳三さんはNHKの前で日本のよいところをいっぱい話したそうですがそれは何ですか?」と井上さんが執拗に聞き出そうとしますが、柯さんは井上さんのイライラをよそに中学校でさんざんいじめられた話をつづけます(笑)。「著書を拝読すると日本のいいところをたくさんお書きになっていますよね」と水を向けると、「悪いところも書きましたけど出版社が削除しました。そのほうが日本で売れるというので仕方ありません。私は執筆料の代わりに本を20冊もらっただけです」との柯徳三さんの答え。インタビューは突如中断してしまい、水島氏が必死に柯さんの勘違いだと苦しい弁解をいい、「出版社社長の弁明」の声が長々と静止画バックにインサートされます。という具合で薮蛇です。 圧巻は、井上さん「ところでNHKの番組が放送されたあと反響は如何だったですか?」という質問に対する柯さんのこたえ。「そりゃもうすごかったですよ、日本の右の人たちからやいのやいの。私の答えははっきりしてます。番組をどう思うかどう批判するかはあなた方の勝手です。私たちは言いたいことをいう、それを聞いた左の人が「日本の悪いところ」だけを取り上げれば、右の人は「日本の良いところ」だけを取り上げる。そういうことでしょう。私たちは別の国の人間ですから番組に批判はあっても抗議する立場ではありません。右の人たちもNHKに負けずにがんばって番組を作ればいいだけのことです。たしか、チャンネル桜は「右」の人たちでしたよね。」と柯さんが答えたところで、満場爆笑。(括弧の中は私の受け取った趣旨であって正確な引用ではありません) (by ni0615) リンクはこちら。 座談会・日本語族達の番組批評 2009.4.19 10 49 蒋松輝氏インタビュー 2009.4.19 6 35 藍昭光氏インタビュー 2009.4.19 13 59 柯徳三氏インタビュー・1/3 2009.4.19 10:03 柯徳三氏インタビュー・2/3 2009.4.19 10 33 柯徳三氏インタビュー・3/3 2009.4.19 9 09 ↓ 以上計61分08秒をチャンネル桜が、16分30秒つまり約1/4の長さに縮めて再編集すると、こうなりました。 2/13【討論!】どうしたNHK?!「JAPANデビュー」問題と日台関係 第2弾 桜 H21/4/23 【台湾取材レポート】龍山寺前広場でのインタビュー・前半 2009.4.19 【台湾取材レポート】龍山寺前広場でのインタビュー・後半 2009.4.19 ●視聴レポート まさかチャンネル桜が日本占領下における台湾での「差別問題」を告発しようとは チャンネル桜台湾取材(2) 【台湾取材レポート】柯徳三氏に聞く 桜 H21/5/6 【台湾取材レポート】蒋松輝氏・張俊彦氏に聞く 桜 H21/5/6 【台湾取材レポート】林福泉氏に聞く 桜 H21/5/6 人間動物園は真っ赤な嘘?? パイワン族・華阿財氏に聞く 桜 H21/5/5 華氏は、イギリス人との「友好」及び、「人間動物園」という言葉は聞いたことが無いと証言したが。 「人間動物園」の真相・陳我安氏に聞く 桜 H21/5/7 陳氏は、「日英博覧会」に関する証言を一切せず。 【台湾取材レポート】友愛会・郭振純氏に聞く H21/4/27 「人間動物園」の真相・華阿財氏に聞く桜 H21/5/7 5 00から 】「人間動物園」の真相・陳我安氏に聞く 桜 H21/5/7 チャンネル桜台湾取材(3) 【台湾取材レポート】パイワン族・高許さんへのインタビュー[桜 H21/6/15] 【台湾取材レポート】「かなしい ね」の本当の意味 [桜 H21/6/15] NHK、「人間動物園」の取材現場の実態 片倉佳史 6月17日 【台湾取材レポート】柯徳 三氏へのインタビュー・前半 [桜 H21/6/15] 【台湾取材レポート】柯徳三氏へのインタビュー・後半 [桜 H21/6/15] 【台湾取材レポート】藍昭光氏へのインタビュー [桜 H21/6/16] 1/4【台湾取材レポート】パイワン族の真実-大高未貴の報告・前編 桜 H21/6/18 http //www.youtube.com/watch?v=skGLVkhIu64 2/4【台湾取材レポート】パイワン族の真実-大高未貴の報告・後編 桜 H21/6/18 http //www.youtube.com/watch?v=j5hLe-JtQM4 3/4【台湾取材レポート】パイワン族・高許月妹さん、許進貴さんへのインタビュー 桜 H21/6/18 4/4【台湾取材レポート】パイワン族・陳清福さんへのインタビュー 桜 H21/6/18 原告団・台湾クスクス村訪問報告 H21/9/1 台湾の歴史 →台湾の歴史・日台関係史 「JAPANデビュー」予告 シリーズ「JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」 4月5日(日)午後9時~10時13分 シリーズ「JAPANデビュー」第2回「天皇と憲法」 5月3日(日)午後9時~10時13分 NHK特番問題 BPO意見書 BPO放送倫理・番組向上機構 New ! NHK教育テレビ『ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか』第2回「問われる戦時性暴力」に関する意見PDF BPO意見書に関するニュース 東京新聞 BPO意見書に関するニュース 毎日新聞 BPO意見書に関するニュース 日経新聞 BPO意見書に関するニュース 読売新聞 BPO意見書に関するニュース 朝日新聞 BPO意見書に関するニュース 産経新聞 BPO意見書に関するニュース NHK BPO意見書に関するニュース FNN 15年戦争資料庫
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図説 台湾の歴史 日本語版への序文 拙著『台湾歴史図説』(原題)の日本語版が日本で出版されるにあたって、わたしは昔のある出来事を思い出し、歴史の不思議さについて深い感慨を抱いている。 それは、二十数年前アメリカのイェール人学の博士課程に在籍していた時のことだった。わたしは日本からの留学生と知り合い、ある日おしゃべりをしていた。ふとわたしは自分の父母が日本語を話せること、そしてそれは台湾がかつて日本の植民地統治を受けたからであることを話した。その友人はとても驚き、そんなことは今まで知らなかったと応えた。そして申し訳なさそうに、「だったら、ご両親はきっと日本のことが嫌いでしょうね」と言った。そしてわたしに向かって丁重なお詫びの言葉を述べた。その時わたしはどうしたらよいかわからなかった。なぜなら、一方で、父母の世代に代わってその謝罪を受け入れ許すことは、子どもの世代のわたしにはできなかったし、他方で、父母の日本に対する感情は非常にアンビヴァレソト(両面的)なもので、「好き」とか「嫌い」といった単純なものではないことを知っていたからである。そしてその時、どう返事をしていいのかわからなかったこと以上に、わたしを驚かせたのは、日本の若者が、台湾がかつて日本の植民地であったことを知らなかったことである! しかし、考えてみれば、その当時、日本の留学生と同じ年齢の合湾の若者は、「台湾はかつて50年間日本に統治されていた」ということを知ってはいても、その文字面以上のこと、つまりその「中身」について全く何も知らず、あの日本の友人となんら変わるところがなかったのである。結局、わたしたちはお互いに、戦前の歴史について「無知」だったのだ。 わたし自身、台湾の歴史を理解するために、随分遠回りをしなけれぱならなかった。わたしが1981年に台湾を離れてアメリカに留学したのは、日本統治期の台湾の歴史を研究するには、「戒厳令」統治下の台湾を離れなければならないと当時考えていたからだった。台湾の歴史を研究するためには、台湾を離れなければならない――非常に奇妙な考えではないだろうか? 戦後 台湾の歴史的状況を知らない日本の読者に、もしもわたしが「戦後50年間も台湾人は台湾の歴史を学ぶことができなかった」と言ったら、きっと困惑することであろう。さらにわたしが「台湾人が台湾の歴史を学ぶことができなかった歴史は100年にもおよぶ」と言ったなら、さらに困惑することだろう。そして、実のところ、台湾人のこの不思議な歴史的状況は、日本との関係に由来するのだ、などと言えぼ事情はさらに複雑なものになり、「謎」が深まるぼかりである。わたしの本は、もしかしたら読者のこうした「謎」にいくらか答えるものになるかもしれない。 中国語版『台湾歴史図説』が扱ったのは、先史時代から1945年8月15日までであった。2003年に韓国語版が新丘文化出版社より出版されたが、その際、訳者から台湾の戦後史を書き加えることを勧められた。しかし、多忙のため加筆することができず、大変残念に思った。そのため、日本語版の出版社である平凡社の編集者から台湾の戦後史を書き加えることを求められた時、これ以上このままにはできないと思い、時間を割いて「戦後篇」を書き加えた。 台湾の戦後史を書くことは容易ではない。まず資料と研究がきわめて不足している。『台湾歴史図説』を書き始めた1995年初め当時は、38年も続いた戒厳令(1949.5.20~1987.7.15)から解放されて7年半が経ったばかりであった。戦後の台湾で最も重要な事件である二・二八事件や30年の長きにわたった「白色テロ」時代について、ようやく公の場で議論したり研究できるようになったばかりであった。「台湾人日本兵」の団体も、そのころ公に活動を始め、社会的な発言をするようになった。こうした事情が、当時拙著の記述を1945年までで止めておかざるをえなかった主な理由である。10年後の今日、この方面の資料が大量に公開され、水準の高い研究も出てきた。 しかしながら現在台湾社会はまさに甚だしい分裂状態にある。この分裂の多くは、民族集団エスニックグループ(族群)によって、歴史経験、記憶、そして認識について大きな隔たりがあることに由来するものである。そのため、どのようにその歴史を書くかは、大きな挑戦なのである。台湾社会の分裂は、あらゆる問題にわたり、そして深刻である。大きくは国家のアイデンティティをめぐる問題から、小さなものは公的人物の言動に対する論評に至るまで、そのどれも両極化し鋭く対立しているが、その背景には深い歴史的な根源があり、歴史をさかのぽって理解しなけれぼならない。 新しく増補した「戦後篇」で、わたしは台湾の戦後史をいくつかの主題を逮んで叙述したが、それは現代の台湾社会の重要な問題を日本の読者に理解していただくためであった。 わたしは日本の読者と一つの見方を分かお合いたい。今日、東アジア世界は国と国との交流、人と人との交流がかつてよりも密接になり、もはや人びとはヨーロッパやアメリカにばかり目を向けたりはしない。しかし東アジア諸国の相互認識は、観光と大衆文化のレベルにとどまったままで、歴史の深みに欠けているように思われる。現在問題になるいくつかの事件は、東アジア各国の戦前の歴史的経験が、今も依然として作用していることを教えてくれる。西洋の哲学者ハイデッガーは、過去は決して後方にあるのではなく、われわれの前を歩んでいるのだと言っている(『存在と時間」第2篇第5章)。台湾人として、また二十数年歴史研究に従事してきて、わたしはこの言葉の深い意味をとてもよく理解できる。わたしの浅薄な日本史の知識からも、今日の日本は依然として六十数年前の歴史の影響を受けていることを常に感じるが、人びとはそのことをあまり意識していないのかもしれない。「終戦」は未だ本当には終結していないかのように見える。自分が、理解できない力に左右されながら、それを自覚することがないとすれば、そのことは、個人、社会あるいは国家において、むしろ大変危険なことではないだろうか。21世紀の初めは、戦争を経験した世代が、その経験を深く考え、語り伝えることのできる最後の機会であり、戦後の各世代が過去を正しく理解し、正負の遺産を直視することによって、冷静さと公正さを保ちながらも、積極的に東アジアの平和と共生の道を求めることのできる新しい時代である。 拙著(「戦後篇」を除く)は本来、この100年もの間、台湾の歴史を知らなかった台湾人のために書いたものである。しかし、その拙著がもしも、日本の読者が台湾と台湾の歴史における日本との葛藤の過去を理解する一助となるならば、訳者と編集者の苦労も報われるだろう。そして著者であるわたしにとって、それは喜びであると同時に、日本と台湾との間に「知」の交流を実現することのようにも思えるのである。 周 婉窈(しゅう・えんよう/Chou Wan-yao) 2006年、年の瀬に、台湾大学文学院第二研究室にて 図説 台湾の歴史
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coffee氏の質問状とNHKからの回答 coffee氏(右派WEBライター=HN deliciouscoffee氏として夙に有名)はご自分のブログで、NHKへの質問と回答を公開しています。とても参考になりますので転載します。 http //blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee coffee氏の質問状とNHKからの回答coffee氏の質問状 NHKからの回答 coffee氏からの再質問 coffee氏の質問状 http //blog.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/39761745.html 「プロジェクトJAPAN」 NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」係 ━━━━━━━━━━ 拝啓 4月5日放送の『NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」』を拝見しました。 番組の中にあった間違いを指摘させて頂き、疑問点を質問させて頂きますので、番組制作責任者の見解と回答をお願いします。 ―――― 領有直後から、【漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人】が日本の支配に対して激しい抵抗運動をおこしたのです。 戦いは激しさを増していき、後に【日台戦争(1895年)】と呼ばれる規模へと拡大していきました。 まず、殆どの台湾人は漢民族ではないので、【漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人】という表現は不適切です。 次に、1895年に数ヶ月に及んだ台湾人と日本軍との戦いは「乙未戦争(いつびせんそう)」と言われており、【日台戦争】などと呼ばれることはありません。 そして、乙未戦争の理由は、「清朝の官吏が日清戦争敗北後に台湾割譲を講和条件に提起したことに対する住民の反発を恐れたため、清朝は台湾を放棄した訳でない事を台湾住民にアピールするため反日運動を計画、煽動した」など諸説あります。 台湾人が漢民族としての伝統や誇りを持っていたことが乙未戦争の理由ではないはずです。 これら3点についてNHKは放送で訂正するべきです。 日中戦争勃発 当時、台湾には500万人の漢民族が居ました。 日本は自らの領土内に敵と同じ民族を抱えることになります。 当時の台湾に500万人も漢民族が居たということは有り得ません。 台湾の人口は1895年には260万人でしたが、1945年には650万人に増加しました。 支那事変が勃発した当時は、「500万島民」と言われていたようですので、1937年の台湾の人口は概ね500万人だったかもしれませんが、漢民族は少数民族でしたから漢民族が500万人居たということは有り得ません。 歴史統計学者の沈建徳氏の研究によれば、台湾人の種族的構成は、高山族(高砂族)や平埔族といった台湾原住民が人口の77.4%、漢人との混血16.8%、大陸からの移民は5.8%のみです。 沈建徳氏の統計方法は、オランダ時代以降の自然人口増加率を0.7%、1ヘクタールの耕地で3.3人を養えるという数字を基調として設定、歴代の台湾古典に記録されている戸数、人頭数、税収、政令の変化、清朝政府の賜姓、耕地の開拓拡大の歴史などから綿密な統計数字を算出したものです。 このように沈建徳氏は、統計学の観点から、「台湾の本省人が支那からの移民の子孫とする説は、古文献上の記録の政治的捏造」であることを証明しました。 そして、沈建徳氏の研究成果の正しさは、医学界における住民のDNA調査でも裏付けられました。 2001年、馬偕記念病院輸血医学研究室の林媽利教授らはHLAを調査し、「台湾人は実は漢民族と全く異なる南アジア・越族の子孫である」との研究結果を発表しました。 また、高雄医学院精神内科の論文も、台湾人の血統は88%が漢族とは異なり、南方系人種に属していると述べています。 以上のように、番組で述べた「支那事変勃発当時、台湾には500万人の漢民族が居た。」は、事実と明確に異なるため、NHKは放送で訂正し謝罪すべきです。 皇民化政策、台湾人を強制的に日本人へと変える政策でした。 学校や新聞などで中国語の使用を禁止し、日本語の使用を強要します。 「日本語の使用を強要」という表現は事実を歪めます。 実際に、NHKがインタビューを行った台湾総督府の官僚だった田宮良策さん(98歳)も、「台湾人同士で話すときには平気で話す」と証言していました。 したがって、日本語の使用は教育の場や新聞などに限定されていたわけであり、日常生活では台湾住民のそれぞれの言語を使用していたわけです。 もともと台湾には多くの民族が存在しており、台湾住民同士で言葉が通じないことも多かったため、公用語としての日本語の使用は必要なことでした。 それと、田宮良策さんはインタビューで、「台湾人同士で話すときには平気で話す」と発言したにもかかわらず、NHKは勝手に「台湾人同士で話すときには平気で(中国語を)話す」と、字幕に(中国語を)を挿入しました。 字幕に(台湾語を)と挿入するならともかく、台湾には支那語以外の言語を使う住民が多数存在したのですから(中国語を)と挿入したことは一種の偽造です。 この点についても、NHKは放送で訂正し謝罪すべきです。 最後に、番組全体の論調について質問させてください。 番組では当初日本が行った「特別法による統治」に対しても、また後年になって日本が行なった「同化政策」に対しても、非常に批判的でした。 特別法による統治も駄目、同化政策も駄目、というなら、いったいどうすれば良かったと番組制作者は考えているのでしょうか? それと、この番組では日本統治非難をする多くの台湾人の発言を取り上げていましたが、日本統治を高く評価する台湾人の方が多数派なのに、どうして少数派である日本批判ばかりを集めて放送したのでしょうか? 率直に申し上げて、かなりの反日偏向番組だという印象を受けました。 以下に、日本統治を高く評価した台湾の人々の証言を紹介しますので参考にして頂ければ幸いです。 ―――― 台湾・高砂族(現 高山族)のリムイ アベオさん(女性) 「田を作ることを出来なかった台湾人に日本人が全てを指導してくれた。そして、種を撒いたり苗を植えることも、日本人が教育してくれた。」 「だから、日本のために命を投げてくるという決心をした。」 ―――― 敗戦直後、救援機による満州国皇帝救出作戦に加わった台湾人の邱錦春さん 「作戦参加を今も誇りに思っています」 「救出命令に特別な気持ちはなかったが、機翼の日章旗と尾翼の部隊記号がペンキで塗りつぶされていたのは悲しかった。戦死したら、靖国神社に祭られないのではないかと思った」 「敗戦の最大の悲しみは、日本人から外国人になったこと」 ―――― 台湾人実業家、蔡焜燦さん 台湾は日本の植民地ではなく内地の延長・領土であった。植民地という言葉は戦後に出てきたものである。 戦前の日本の教育水準は非常に高く、教師達は情熱と愛情を持って台湾に教育を普及させていった。 台湾では、いまでも「日本精神」=リップンチェンシンは、「勤勉で正直で約束を守る」事を意味する。 日本統治時代、台湾籍児童が通う「公学校」と内地籍児童が通う「小学校」の違いは、差別ではなく日本語能力にハンディキャップがあったためであり、日本語が達者な子供は台湾籍であっても「小学校」に通うこともできた。 台湾では創氏改名は許可制であった。また、日本名でなくてもなんの不自由もなかった。 ―――― 以上、ご回答よろしくお願い申し上げます。 NHKからの回答 http //blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/39950709.html ●●●●様 いつもNHKの番組やニュースをご覧いただき、ありがとうございます。 お問合せの件についてご連絡いたします。 「殆どの台湾人は漢民族ではない」という指摘ですが、歴史研究においては、「台湾人」の漢人(漢民族)は、大きく3つに分類されます。すなわち、鄭氏政権時代に移ってきた漢人、清朝統治時代に移ってきた漢人、そして国民党統治時代に移ってきた漢人です。通常民族という言葉は、文化的・社会的・言語的共通性を基盤として使用されます。文字として漢語を使用し、福建省や広東省などにルーツをもつ伝統文化を維持している閩南人、客家、外省人は、漢人(漢民族)として位置づけられます。 「日台戦争」については、台湾全島「平定」までに、日本軍だけでも死者は5000人近くのぼっており、日清戦争の死者の過半数に及んでいます。1990年代に、日本の台湾統治の専門家が「日台戦争」と名付け、以後研究者の間では、この表現が使われるようになっています。 「500万人」の漢民族については、当時の台湾総督府が行政文書において「500万の漢民族」という表現を使用しています。 「中国語」については、台湾語は閩南語にきわめて近い言語であり、閩南語は中国語の一方言として位置づけられています。一方台湾には、客家語を話す客家もいます。客家語もまた、中国語の一方言です。 台湾総督府の調査によれば、1930年代に自らを福建系(閩南語)と認識している人はおよそ70パーセント、広東系(客家語)と認識している人は十数パーセントいます。客家は、自らの客家語という言葉を、台湾語と区別して使用しています。ですから、当時の住民が「台湾語を話す」と表現すると、そこには客家語を話す人々が含まれないことになります。 閩南語も客家語も中国語(北京語ではなく)の一方言であること、さらに客家の方々の存在を考え、「中国語を話す」と表現しました。 「反日偏向番組」というご意見についてですが、以下のとおり回答させていただきます。 私たちは今回の番組で、『台湾総督府文書』などの一次史料や、当時のフィルム、証言、専門家への取材などを通じて、いままであまり語られなかった台湾と日本の歴史に正面から向き合い、日本がアジアとどう向き合っていけばよいのか、未来へのヒントを探っていきたいと考えました。 番組では「台湾の人びとは親日的」という捉え方を否定していません。また、日本が植民地時代に台湾において鉄道や港湾などの社会的基盤を整えたこと、樟脳産業が活性化したことなども取り上げています。 番組では、ことさらに「反日的」な面だけを取り上げているわけではありません。事実を伝えること、その事実を共有することが、日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに資すると考えています。以上です。 今後とも、NHKをご支援いただけますようお願いいたします。お便りありがとうございました。 NHKスペシャル アジアの“一等国”担当者 coffee氏からの再質問 http //blogs.yahoo.co.jp/ayahiro1959/25942888.html 〒150-8001 NHK放送センター NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」係 ━━━━━━━━━━ 拝啓 先日は私の質問や指摘に対してご回答頂き、ありがとうございました。 ただ、どうしても納得できないことが幾つかございますので、再度質問と指摘をさせて頂きますのでお手数ではありますが、ご回答よろしくお願い申し上げます。 閩南人、客家、外省人は、漢人(漢民族)として位置づけられます。 そうだとしても、その閩南人、客家、外省人という3種類の漢人(漢民族)が、実は台湾には非常に少ないのです。 2001年、馬偕記念病院輸血医学研究室の林媽利教授や日本赤十字会、東京大学などでHLAの共同研究が行われました。 国際医学朝刊に掲載された研究論文「組織抗原体(HLA)」と、第11回国際HLAフォーラムで発表された「台湾各エスニックグループのHLA分析とその比較研究」によれば、【台湾の閩南人、客家は、実は支那の漢民族とは全く異なる南アジア・越族の子孫である】という結論に至っています。 ここで言う越族とは、現在の支那東南沿岸部や北ベトナムに居住していた民族で、黄河流域発生した漢民族「中原文化」の強勢にあって漢民族に同化された人々です。 台湾人には一族に代々伝わる族譜(家系図)があり、自分たちの祖先を漢民族だと自ら信じてきた点についても、林媽利教授は、【族譜は一部を除いて大部分は本当ではないと言われている。かつて漢民族は他の民族を蛮族と呼んでいた。その時代に自分は漢民族と言い切ることが『生きる道』だった】と説明しています。 また、林媽利教授は、【先住民の平埔族などは今では殆どその存在が分からないが、彼らは閩南人、客家人が台湾に押し寄せた際、自らを「漢人」に同化させなくてはならなかったため見分けが付かなくなった】との分析をしました。 つまり、現在の台湾人の約80%は、実は平埔族や高山族(高砂族)など台湾原住民族の子孫であるが、日本統治以前、平埔族を中心に一部の支那人によって同化させられ、族譜(家系図)まで偽造・捏造して漢民族だと名乗るようになっていた。 そのため、今でも自分の先祖が本当は台湾原住民であるにもかかわらず支那大陸から移住してきた漢民族だと勘違いしている台湾人が多いのです。 台湾人は漢民族ではないと放送で訂正してください。 「日台戦争」については、台湾全島「平定」までに、日本軍だけでも死者は5000人近くのぼっており、日清戦争の死者の過半数に及んでいます。 1895年の台湾平定戦での日本軍の戦死者は、僅か164人に過ぎません。4642人はマラリア等による病死者です。 1990年代に、日本の台湾統治の専門家が「日台戦争」と名付け、以後研究者の間では、この表現が使われるようになっています。 その専門家の名前を教えてください。 また、その後「日台戦争」という表現を使用している研究者とは誰と誰で、合計何人位いるのでしょうか? そして、現在、学会では「定説」となっているのでしょうか? 「500万人」の漢民族については、当時の台湾総督府が行政文書において「500万の漢民族」という表現を使用しています。 「500万島民」ではなく、「500万の漢民族」で間違いありませんか? その「行政文書」とは何か具体的に教えてください。 もしも、その行政文書の存在が事実であれば、台湾総督府は間違った認識を持っていたようです。古今東西「行政文書」にも間違った記述が多数あります。 NHKとしては、行政文書の記述が事実と異なれば、放送で取り上げるべきではありません。 「中国語」については、台湾語は閩南語にきわめて近い言語であり、閩南語は中国語の一方言として位置づけられています。一方台湾には、客家語を話す客家もいます。客家語もまた、中国語の一方言です。 閩南語も客家語も中国語(北京語ではなく)の一方言であること、さらに客家の方々の存在を考え、「中国語を話す」と表現しました。 これに関して私が最も言いたかったことは、閩南語も客家語も支那語(北京語ではなく)の一方言かどうかということではありません。 インタビューした元台湾総督府官僚の田宮良策さんは「台湾人同士で話すときには平気で話す」と証言しました。 ところが、番組では勝手に「台湾人同士で話すときには平気で(中国語を)話す」と、字幕に(中国語を)を挿入したことに異議を唱えています。 台湾には支那語以外の言語を使う住民も存在したのですから字幕に勝手に(中国語を)と挿入することは字幕の偽造といえます。 字幕に、(台湾語を)と挿入することが相応しくないと言うなら、(自分の言語を)と挿入するべきでした。 私たちは今回の番組で、『台湾総督府文書』などの一次史料や、当時のフィルム、証言、専門家への取材などを通じて、いままであまり語られなかった台湾と日本の歴史に正面から向き合い、日本がアジアとどう向き合っていけばよいのか、未来へのヒントを探っていきたいと考えました。 まず、証言についてですが、台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏によると、柯徳三氏は、番組取材班に、『「都合の悪いところがあればちょん切って」(日本人が不愉快に思うような悪口の部分を切って)と頼んだが、NHKは逆にそれらばかりを取り上げた。』と証言しているそうです。 このことにについて説明願います。 次に、専門家への取材についてです。 番組では1910年の「日英博覧会」で日本が台湾原住民族を「人間動物園」で見世物にしたと述べましたが、これは悪質な偽造です。 「人間動物園」というのは、フランスの歴史学者パスカル・ブランシャールが当時の英国や仏国が行っていたことを述べただけなのに、番組が勝手に日本も同じことをしたと偽造していました。パスカル・ブランシャールは、「日本も台湾原住民を人間動物園で見世物にした」とは述べていません。 そもそも、様々な建物(住居)や風習や踊りなどを披露するのが博覧会です。 1910年の「日英博覧会」には数十人の力士団もロンドンに渡って土俵を造って相撲を披露しましたし、日本人農民も農村風景を描いて米俵製作の実演を披露しました。 日本は、嫌がるパイワン族を無理やりロンドンに連れて行って、檻に入れて踊りを見世物にしたのですか? 力士団や日本人農民と同様に同意を得てロンドンに同行し、踊りなどを披露したのではないのですか? 英国や仏国などは嫌がる植民地人を無理やり連れて行って「人間動物園」で見世物にしたからもしれませんが、日本がパイワン族にしたことは違うのではないですか? 是非とも回答願います。 しかも、NHK取材班は、「日英博覧会」に参加したパイワン族の一人の男性のお子さん達(85歳の息子と79歳の娘の2人)をわざわざ訪ねて行き、何も知らなかったお子さん達に『昔お父さんは、日本によって「人間動物園」で展示されていた』と報告しましたが、この取材に関しては問題ないと考えていますか? 最後に、私は4月15日放送の「チャンネル桜」の番組で知ったのですが、この番組のオープニングでサブリミナル映像が使用されています。 このことについても説明願います。 以上、ご回答よろしくお願い申し上げます。 敬具 〒1●●-0●●● 東京都●●区●●7-●-● ●●●● 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐって
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ヒホン 日本からの交易品 そば(食料品) 100% 46,900 46,900 醤油(調味料) 98% 40,100 約40,978 イノシシ(家畜) 100% 37,600 37,600 菖蒲(医薬品) 75% 29,800 約39,647 和書物(雑貨) 104%↑ 54,200 52,100 清酒(酒類) 100% 40,200 40,200 五倍子(染料) 80% 32,800 約40,714 白磁鉱石(鉱石) 93%↓ 37,700 約40,370 和紙(工業品) 116% 45,600 39,500 ナス(嗜好品) 105% 39,900 約38,250 青苧(繊維) 86% 32,800 38,000 西陣織(織物) 100% 47,400 41,400 日本刀(武具) 78%↑ 30,400 38,700 種子島銃(火器) 102%→ 53,900 52,900 漆器(工芸品) 83% 35,000 約42,045 日本画(美術品) 100%↑ 39,700 39,700 柚子(香辛料) 84% 42,000 約50,000 佐摩銀(貴金属) 100%↓ 52,200 52,200 クチナシ(香料) 92% 34,300 約37,432 紫水晶(宝石) 83% 35,900 約36,470 イグサ(繊維) 90%↓ 3,830 約4,895 狭織(工芸品) 75%↓ 45,800 60,600 提灯(雑貨) 100% 10,700 10,700 台湾からの交易品 カラスミ(食料品) 118% 43,200 約36,610 沙茶醤(調味料) 89% 45,600 約51,235 スイギュウ(家畜) 85% 85% 約1,694 ボレイ(医薬品) 112% 41,300 約36,875 籐細工(雑貨) 94%↑ 33,600 35,700 台湾米酒(酒類) 121% 43,400 約35,867 ショロウ(染料) 94%↓ 32,600 約34,508 北投石(鉱石) 83% 31,300 約31,300 籐(工業品) 108%→ 38,100 約35,213 アイギョク(嗜好品) 112%↓ 39,600 約35,857 鹿皮(繊維) 72%↑ 36,500 約50,700 麻織物(織物) 108%↓ 39,500 約36,666 籐製鎧(武具) 84% 29,300 約34,880 銅手銃(火器) 109%→ 38,700 約35,047 角細工(工芸品) 103%↓ 35,700 約34,418 台湾木彫(美術品) 116%↑ 61,100 約53,246 コウズク(香辛料) 97%↓ 36,300 約37,346 金瓜石金(貴金属) 55% 27,800 約50,545 ハマナス(香料) 78% 28,200 約36,153 台湾サファイア(宝石) 100% 34,300 34,300 金針花(嗜好品) 135% 13,800 約10,222 リンジャオ(食料品) 95% 10,000 約10,526 朝鮮からの交易品 チャムタシマ(食料品) 83% 1,400 約1,686 チョシ(調味料) 93% 33,200 約35,698 韓牛(家畜) 120% 43,700 約36,416 朝鮮人参(医薬品) 90%↓ 32,200 約35,778 朝鮮書物(雑貨) 100% 36,100 36,100 安東焼酎(酒類) 93% 33,600 約36,129 紫根(染料) 83%↓ 41,000 約49,398 韓紙(工業品) 94% 47,800 約50,851 麦飯石(鉱石) 100%↓ 36,100 36,100 朝鮮茶(嗜好品) 107% 38,300 約35,794 虎皮(繊維) 80% 28,900 約36,125 明紬(織物) 107%↓ 38,900 約36,355 大刀(武具) 110%↓ 39,400 約35,818 投てき爆弾(火器) 96% 34,700 約36,145 高麗青磁(工芸品) 119%↓ 42,300 約35,546 螺鈿漆器(美術品) 100%↑ 36,700 36,700 サンショウ(香辛料) 98% 48,300 約49,285 朝鮮銀(貴金属) 118% 42,500 約36,016 チンダルレ(香料) 93% 46,800 約50,322 虎目石(宝石) 76% 27,400 約36,052
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バルセロナ 日本からの交易品 そば(食料品) 100% 46,900 46,900 醤油(調味料) 98% 40,100 約40,978 イノシシ(家畜) 100% 37,600 37,600 菖蒲(医薬品) 75% 29,800 約39,647 和書物(雑貨) 104%↑ 54,200 52,100 清酒(酒類) 100% 40,200 40,200 五倍子(染料) 80% 32,800 約40,714 白磁鉱石(鉱石) 93%↓ 37,700 約40,370 和紙(工業品) 116% 45,600 39,500 ナス(嗜好品) 105% 39,900 約38,250 青苧(繊維) 86% 32,800 38,000 西陣織(織物) 100% 47,400 41,400 日本刀(武具) 78%↑ 30,400 38,700 種子島銃(火器) 102%→ 53,900 52,900 漆器(工芸品) 83% 35,000 約42,045 日本画(美術品) 100%↑ 39,700 39,700 柚子(香辛料) 84% 42,000 約50,000 佐摩銀(貴金属) 100%↓ 52,200 52,200 クチナシ(香料) 92% 34,300 約37,432 紫水晶(宝石) 83% 35,900 約36,470 イグサ(繊維) 90%↓ 3,830 約4,895 狭織(工芸品) 75%↓ 45,800 60,600 提灯(雑貨) 100% 10,700 10,700 台湾からの交易品 カラスミ(食料品) 118% 43,200 約36,610 沙茶醤(調味料) 89% 45,600 約51,235 スイギュウ(家畜) 85% 85% 約1,694 ボレイ(医薬品) 112% 41,300 約36,875 籐細工(雑貨) 94%↑ 33,600 35,700 台湾米酒(酒類) 121% 43,400 約35,867 ショロウ(染料) 94%↓ 32,600 約34,508 北投石(鉱石) 83% 31,300 約31,300 籐(工業品) 108%→ 38,100 約35,213 アイギョク(嗜好品) 112%↓ 39,600 約35,857 鹿皮(繊維) 72%↑ 36,500 約50,700 麻織物(織物) 108%↓ 39,500 約36,666 籐製鎧(武具) 84% 29,300 約34,880 銅手銃(火器) 109%→ 38,700 約35,047 角細工(工芸品) 103%↓ 35,700 約34,418 台湾木彫(美術品) 116%↑ 61,100 約53,246 コウズク(香辛料) 97%↓ 36,300 約37,346 金瓜石金(貴金属) 55% 27,800 約50,545 ハマナス(香料) 78% 28,200 約36,153 台湾サファイア(宝石) 100% 34,300 34,300 金針花(嗜好品) 135% 13,800 約10,222 リンジャオ(食料品) 95% 10,000 約10,526 朝鮮からの交易品 チャムタシマ(食料品) 83% 1,400 約1,686 チョシ(調味料) 93% 33,200 約35,698 韓牛(家畜) 120% 43,700 約36,416 朝鮮人参(医薬品) 90%↓ 32,200 約35,778 朝鮮書物(雑貨) 100% 36,100 36,100 安東焼酎(酒類) 93% 33,600 約36,129 紫根(染料) 83%↓ 41,000 約49,398 韓紙(工業品) 94% 47,800 約50,851 麦飯石(鉱石) 100%↓ 36,100 36,100 朝鮮茶(嗜好品) 107% 38,300 約35,794 虎皮(繊維) 80% 28,900 約36,125 明紬(織物) 107%↓ 38,900 約36,355 大刀(武具) 110%↓ 39,400 約35,818 投てき爆弾(火器) 96% 34,700 約36,145 高麗青磁(工芸品) 119%↓ 42,300 約35,546 螺鈿漆器(美術品) 100%↑ 36,700 36,700 サンショウ(香辛料) 98% 48,300 約49,285 朝鮮銀(貴金属) 118% 42,500 約36,016 チンダルレ(香料) 93% 46,800 約50,322 虎目石(宝石) 76% 27,400 約36,052
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図説 台湾の歴史 ポストコロニアルの泥沼 第1章 二・二八事件 第1章 二・二八事件1―戦争期世代 2―黎明を迎えて 3―顛末 1―戦争期世代 もし人類社会にいわゆる「共同記憶」(甘美なものにせよ、恐怖の記憶にせよ)があるとしたら、二・二八事件は台湾本省人にとっては共同の悪夢と言うことができる。悪夢のさなかにある人は、叫びたくとも声が出ず、心の重石を除けたくとも除けられない。目覚めた後にも、しばしば動悸がなお残っている。ましてやこの二・二八の悪夢は、四十数年にもわたって続いてきたのである! 半世紀も経た現在でも、今なお振り切れない陰影のように、引き続いて私たちにまとわりついている。もしこの夢魔の幻影を徹底的に消し去ろうとするならば、まずそれをしっかりと正視し、それを分析し、客体化された共同の認識としなげれぼならない。 「はじめに」で述べたように、台湾の若い世代は「光復」を熱烈に迎えた。しかし、彼らのうちで誰ひとりとして、後にこのような共同の挫折があり、さらに3, 40年にもわたって沈黙を強いられる歳月が待っていようとは想像だにしなかった。1945年以降の台湾の歴史を理解しようと思うならば、この世代に対する理解が必要である。彼らは、日本の台湾植民地統治の下で、教育を受け戦争動員に駆り立てられた世代であり、筆者は彼らを「戦争期世代」と呼んでいる。この世代とは、日本敗戦時におよそ15歳から25歳であった台湾人を指している。彼らは日本の植民地統治が安定と成熟にさしかかった時期に成長し、植民地教育の効果がもっとも顕著に現れた世代である。それ故に、植民者の統治理念もまた、彼らにもっとも深 163 い刻印を残していると言えるのである。その受けた教育は、彼らをして国家つまり日本という国家を熱愛するように導いた。すなわち、彼らの歴史的アイデソティティの対象は日本の歴史であり、それも皇国史観の歴史であった。それと同時に、教育は豊富で実用的な知識(あらゆる日常生活に関するものから科学的知識まで)、さらに強烈な郷土観念と郷土愛をもたらした。彼らの道徳教育は、かなりの水準を保っていたと言えるが、残念ながら、そこには濃厚な軍国思想が混じっていた。その教育において、台湾とは過去を失った郷土であり、歴史的空間を切除された存在であった。また彼らの中国の歴史文化に対する知識と認識はほとんど零に等しかった。 それと同時に、皇民化運動と戦争動員がすさまじい勢いで進められた。世の中に、戦争ほど国民を結束させる力があるだろうか? 天皇を戴く日本軍の志願兵に、台湾の熱血青年たちは男女を問わず血書を認(したた)めて応募し、海外に赴いて戦争に参加したのである。彼らは日本語を話す新世代であり、父祖とは別の人生観や歴史認識を持っていたのである。父祖の世代は、日本が台湾を占領した時のさまざまな血なまぐさい事件をかすかに記憶しているか、あるいはどこかで聞いており、さらには年齢や経験によって、彼らの多くが植民地社会の差別や不平等を肌身に感じていたので、「日台融合」や「日台一体」といったスローガンや、それに対応する政策(法律上の平等)に、若者のように惑わされることなく、当局の真意を容易に見抜くことができた。 しかしながら、歴史は日本の植民地統治者に十分な時間を与えなかった。台湾人は大和民族ではなく、日本人ではない。この事実は、そう簡単に消え失せたり抹消したりはできなかった。漢人系の台湾人のほとんどは、自らの祖先が対岸より渡来したことを知っていた。ある台湾人日本兵は、アメリカのジャーナリストのインタビューを受け、あなたは自分が日本人であると思うかどうか問われた時に、「いいえ。私が小さい頃から、父親が、祖先は大陸から渡ってきたのであって日本人ではない、ということを言い聞かせてくれた」と答えている。しかし記者が日本の戦争について触れた時には、彼ははっきりした口調で「われわれは、あの時確かに日本人だっ 164 た。国家に忠誠を尽くすのは当然だ」と答えたという。この一見矛盾する答えは、実はそう食い違っているわけではない。前者は民族的自覚( ethnic identity )に関わり、後者は国家への帰属意識(national identity)を表しているのである。言い換えると、当時台湾人は日本を国家の帰属の対象としており、日本は「御国」(mikuni)なのであって、この意味では台湾人は日本人であった。しかし民族的にいうと台湾人は日本人ではなかったのである。 つまり日本の教育を受けた台湾人の多くは、自分たちは日本人ではなく、やはり漢人の子孫であることをはっきり知っていたということがよく分かる。そこには、「日台一体」などのスローガンによってなんとか縫い合わせようとした民族間の裂け目が存在していたのである。もし日本統治が充分な長さであったなら、あるいはこれらの縫い目は、それと分からぬほどにつながってしまったかもしれない。しかし1945年8月15日、日本が降伏したため、この縫い目は、縫い合わせた跡がくっきり浮かび上がったのである。そして、異なる布地を縫い合わせようとしたところは、いとも簡単に断ち切られたのであった。 2―黎明を迎えて 光が戻って来た! 台湾人は「歓喜を面(おもて)に表した」。彼らは積極的に新しい「国語」(北京語を基礎とした中国の標準語)や祖国の事物を学びはじめた。しかし中国と切り離されて50年という隔たり、また中国本体の巨大な変化は、至るところで、台湾人の祖国に対する理解にも欠落を生じさせていた。さらに厄介なのは1937年から1945年までは、台湾では皇民化運動の8年であり、そして戦争動員の8年でもあった。そして中国にとっては、その8年は抗戦の8年であったのである。日本は1930年代初頭から中国を侵略しはじめ、とりわけ37年からの8年にわたる抗戦は、日本に対する深刻な怨恨感情(ルサンチマン)を中国人の心に刻み込んだ(このような感情は、今でもなお容易に爆発するものである)。全体的に見れば、台湾人は戦争期には中国人とまったく反対の立場、つまり日本人の側に立っていた。そのため必然的に、彼らは祖国の人びとの日本に対する怨恨感晴を理解すること 165 ができなかった。また逆に言えば、中国人もまた日本の植民地統治が台湾人に与えた影響、その功罪両面をまったく理解できなかったのである。 連合軍の協定に基づき、台湾は中華民国政府に接収された。1945年8月29日、蒋介石(台湾では一般的に蒋中正と呼ばれる)は、福建省主席陳儀(ちんぎ)を台湾行政長官に任命し、9月1日より台湾省警備総司令官を兼任させた。台湾接収の任務を受けた第70軍の先頭部隊である第75師団が、10月17日、基隆に到着した。祖国の軍隊が台湾に上陸してくることを聞きつけ、台湾人は非常に興奮した。台北人は言うに及ばず、はるばる台中・台南や高雄などから基隆港に駆けつけて来て国軍を出迎えた人も少なくなく、波止場にはびっしりと人びとが詰めかけ、祖国の軍隊の勇姿を固唾(かたず)を飲んで待ちかまえた。しかし、国軍の姿は、彼らのよく知る日本の軍隊のそれとはまったく異なっていた。隊列もばらばらで、見るからにみすぽらしく、全員が背中に雨傘を背負い、鍋や食器、寝具を担いでいる者もいた。また彼らのゲートルは、くるぶしのあたりで、ひどく膨れ上がっていた※1。 国軍兵士の、これまで見たこともないありさまを目の当たりにして、若者たちは失望を隠すことができなかった。国軍への愛着、そして自分自身を納得させる心理から、老人たちは「国軍は普段、鉛板を足首に装着して歩行を鍛錬しているのだ。だから、いったんそれを外せば、飛ぶように疾走できるさ。背負っている雨傘だって、落下傘に使うんだぜ」と語った。こうとでも解釈しないと、こんな格好をした国軍が、どうして、装備優良、軍容厳正な日本軍隊を打ち破ることができたのか説明がつかなかったのである。同じように奇妙なのは、あくまでとことん善意に解釈しようとした呉濁流ですらも、「ある錯覚があった。あのみすぽらしい様子こそ、まさしく民族精神の実態そのものだったのではないか」と語っていることである。国軍上陸の光景、そしてそこに「加えられた」解釈は、瞬く間に遍(あまね)く台湾全島に伝えられた。当時その場に居合わせなかった多くの台湾人が、後日、あたかも自分がその眼で見たかのように、この歴史の一幕を回想したのである。 ※1 ゲートルはきちんと巻かないと足首のあたりでたるんでしまい、だらしなく見える。 166 10月24日、陳儀が台北に到着すると、歓迎の人波が松山飛行場に溢れかえり、バスに乗れなかった人たちはわざわざ歩いてやってきた。もし国軍の歓迎が、「箪笥壷漿」〔食物や飲物を献呈して新支配者の来臨を歓迎する〕であったとするならば、陳儀を歓迎した様子は「万人空巷」〔皆が家を空けて迎えにいく〕と言ってもよいほどであった。翌日、「台湾行政長官公署」が正式に成立し、台湾総督府に取って代わって最高権力機構となった。同日に執り行われた「中国戦区の台湾省が日本軍の投降を接受する典礼」によって日本の植民地統治は正式に終わりを告げ、国民政府による統治が開始されたのである。こうして10月25日は「台湾光復節」とされ、日本による植民地統治の始まりの日の「始政記念日」〔6月17日〕と同じように、重要な祭日となり、新たな統治の始まりを表示するものとなった。 1-1 台湾の生徒たちが国軍の来台を並んで迎えている。 出典 二二八紀念館 提供。 1-2 花蓮の医者張七郎(1888-1947)が書いた歓迎の書と四幅の歓迎門聯。図中2つ目の聯には「五十一年、卑僕まさに死なんとしてまた生く 〔日帝支配下に51年間、奴婢の身で死なんばかりであった我々は、再生の時を迎えた、の意〕 」と書いてある。この時、1年半後に長男の宋仁、三男の果仁とともに国軍に殺害されるとは、彼には思いもよらぬことであった。 出典 二二八紀念館提供 国軍についての神話が信じられたのは、ごく一時期のことにすぎなかった。「祖国の懐(ふところ)」へ帰ることに対して、台湾人が最初に抱いた熱情と想像は、さして時日を経ぬうちに、その現実に触れることによって、あっという間に冷め、幻減に変わりはじめたのである。役所では汚職や腐敗がはびこり、軍隊には紀律がなく、勝手放題に何でも取り立て民間を煩わすばかりだったし、さらに、経済の破綻、不合理な貨幣制度※2、物価の高騰などによって、台湾人の不満はつのるばかりであった。 日本が敗戦を迎えたとき、台湾に居住していた日本人とその子女は、約31万人であった。12月25日から始まった日本人の帰国の中で、彼らは所有していた不動産を没収され、ただ身の回りの品々と、1000円を上限とする日本円しか持ち帰れなかった※3。彼らの中にはいわゆる「湾生」―台湾生まれの日本人―も少なくなかった。日本人が台湾を離れるときに味わった諦めと苦しみの様子を、至るところで多くの台湾人が記憶にとどめている。植民地という枠組みは、支配される人びとにとって、決して気持のよいものではなかった。しかしながら、日本人教師と台湾人生徒の師弟間の情誼や、この地に生まれ育った日本人の郷土感情は、政治やさまざまな障害を越え、数十年の後も断ち切られたかに見えて、実はついに切れることなく連綿と続いているのである。彼らは「同窓会」などの組織を通じて、昔の交流を重ねつづけている。当然のことながら、こうした話はずっと後の話であるが。 ※2 日本敗戦まで台湾では、台湾銀行券が通貨として安定した価値を維持していた。国民政府の統治開始後、中華民国の通貨「法幣」が法定貨幣となったが、大陸のすさまじいインフレーションが台湾に持ち込まれることとなった。 ※3 残された公私の彪大な資産は、国民政府に没収されたが、当時の国民党と国家・政府が一体化した体制の中で、例えば全省の映画館が国民党所有に無償移転されるなど、莫大な「党産」(国民党の資産)の形成に用いられた。さらには腐敗体制の中で、新支配層の個人資産に転移したものも少なからず存在したと言われている。現在、この国民党の党産の国家への返還が、一つの政治問題となっているが、頑強な抵抗が続き、進展が見られない。 168 1-3 1945年10月25日「中国戦区台湾省日本軍投降接受」式典が公会堂(現、中山堂)にて執り行われた。図は、台湾省行政長官陳儀が、連合軍中国戦区最高統帥を代表して、日本軍第10方面参謀長諌山春樹が奉呈する降伏文書を受け取っているところである。 出典 二二八紀念館 提供 1-4 降伏式が執り行われた際、公会堂の外に集まった群集 出典 二二八紀念館提供 1-5 1946年5月雑誌『新新』に掲載された漫画。画題は「銭が物においつかない」。作者は葉大仙(葉宏甲のこと) 出典 『新新』第4,5号(1946年5月) 169 前述したように、漢人系台湾人は自らの祖先が大陸から渡ってきたことを知っていた。台湾が日本の植民地となった情況は韓国とは違い、韓国は一つの国家そのものが植民地に落とされてしまい、そのため、身分階級の上下を問わず、すべて退路がなかったのである。しかし台湾は、自身の文化や政治の母体から日本に割譲され分離されたのであり、したがって、対岸の「唐山」(中国大陸)の存在は、常に一つの要因として影響力を持ちつづけ、ただ時間の推移とともにその作用がしだいに弱まっていったのである。日本統治下において、台湾人の中には、さまざまな原因(植民統治への不満など)から中国大陸に移住していった者もいた。台湾光復の後、彼らは次々と台湾へと戻ってきた。台湾に残った人びとは彼らを「半山」(半分は「唐山」人、半分は台湾人)と呼んだ。「半山」という用語は、後になって、ある種の特定の意味、多分に政治的意義を込めた言葉となった。つまり、中国大陸に居住し、国民党と密接な関係を築き、光復後に故郷に戻ってきた台湾人たちを指したのである。彼らは台湾人のことも中国の統治者のこともよく知っていたので、光復後、双方の相互理解を促すことができた。彼らのうち何人かは二・二八事件で、意思の疎通を図る協力をしたために犠牲者になった。しかし何人かの「半山」は事件の後、新統治当局の協力者に変わったため、「半山」という呼称には「裏切り者」への否定的な意味合いがあるのである。 台湾の日本への割譲は条約に明記されており、しかも中国は、1894年の日清戦争以来、清末の義和団事件や辛亥革命、軍閥専制、国共内戦などの動乱によって政治や社会は動揺しつづけ安定することなく台湾を顧みる暇(いとま)がなかった。しかしながら、大陸に寄留した少数の台湾人は、やはり、祖国によって台湾が救済解放される思いを捨ててはいなかった。1942年、重慶国民党政府当局は4月5日を「台湾の日」と定め、台湾人政治団体と国民党当局の宣伝の下に、ある時期「収復台湾」「光復台湾」などの呼び声が高まった。さらに1943年には、中国、アメリカ、イギリスの3国の指導者たちがカイロで会談を行い、第二次世界大戦終結後には、台湾を中国 170 1-6 まもなく日本本土に送還されようとしている在台日本人 出典 二二八紀念館提供 1-7 引き揚げ前に検査を受ける日本軍人 出典 二二八紀念館提供 に返還するという原則を確認した。台湾の回復に希望が見えはじめたので、国民党政府は「台湾調査委員会」を組織し、台湾接収の準備工作を始めた。台湾調査委員会には多くの台湾人が参加した。彼らは台湾出身者であり、同時に国民党支配下の中国で生活し仕事をしていたため、両方の清況を了解していた。積極的に台湾接収の準備が開始された時、幾人かの台湾人が、中国の当局に対して、しばしば意見を提出した。後から見れば、彼らの建議は予言に似ており、人びとに「不幸にして予言が的中した」感を与えるのである。 『台湾民声報』は、1945年4月16日に重慶で創刊され、毎月2回刊行された雑誌である。この雑誌の中で「臬紹(げっしょう)」と署名している筆者は、台湾の接収に対して10項目の要求を提出している。 台湾総督の「委任統治権」※4 とそれに類似する特権を台湾社会から排除する。 台湾の地方自治制度は、改善した上で継続して施行する。 祖国当局は、模範となるような公僕を選んで、台湾に派遣服務させる。 祖国当局は、直ちに、台湾の現下の物価指数を基準とする新しい貨幣制度を確立する。 当局は言語及び文字について、〔急激な国語=北京語強制を行うのではなく〕漸進的な変更政策をとる。 当局は政体の変化に伴う失業をできるだけ食いとめる。 当局は台湾人民の土地所有権に関する不合理な変動を抑える。 当局は台湾人民の流動資本及び固定資本の急激な変動を抑える。 当局は台湾人民に言論思想及び結杜の自由を与える。 当局は余計な混乱及び不当な事物を台湾に持ち込むことを禁ずる。 さらに署名「孝紹」という別の筆者は、以下のような警告を発している。 「50年にわたり、台湾人は祖国への復帰を熱望してきた。……ただ台湾人は祖国の落ちぶれた様子を愛さないし、祖国の畸形じみた社会生活も愛さないだろう」。そこで彼は呼びかける。「祖国は、上下を問わず、みな「50年もの間、日本に行っていた留学生」として台湾人民を見てほしい。この見方は大変重要である。もし日本の植民地、あるいは日本の奴隷として台湾人を見るならば(台湾人は普通みな反抗精神を持ち合わせているが)、中国が台湾を接収したとしても、中国による台湾の植民地化と何ら変わることがなくなるだろう」。 この二人の筆者は、非常に深く中国を理解していたがために、このような建言や呼びかげを行ったのだろうか、それとも無意識のうもに、潜在的な懸念・憂慮を漏らしたのだろうか? あるいはその両者を兼ね備えたものなのか、私たちには分からない。だが確実なことは、歴史が証明しているように、祖国による台湾接収のやり方とその政策は、彼らが提言したものとまさにまったく反対のものであった! その結果が、二・二八事件として現れたのである。 3―顛末 国民党政府による台湾接収の後、台湾は省を設置されたが、一般の行政制度が採用されず、行政長官公署による統治が行われた。台湾行政長官公署とは、台湾総督府によく似た、あるいはそれ以上に行政と軍事権力が一体となった機関であった。これもまた『台湾民声報』に言うところの「伯権」である。日本統治下の地方自治および選挙制度は引き継がれなかっただけではなく、これを基礎に改善することなど論外であった。台湾にやってきた官員の中には、当然のことながら清廉で阿(おもね)らぬ者もいたが、倫理において欠ける者が大部分を占め、彼らの汚職腐敗の情況は中国大陸ではあるいはごく見慣れたものであったかもしれないが、〔日本時代の〕およそ清廉潔白な行政を見慣れた台湾人から見ると、まるで常軌を逸しているように映ったのである。これら汚職や腐敗は個人に限らず、しばしば官員と商人の癒着にまで及び、彼らの目標は、台湾の物資を余さず奪い取り、大陸に横流しして、暴利を貪(むさぼ)り取ることにあったのである。かくして、「接収」は「劫(ごう)収」(強奪)に変わっていった。 ※4 原語は「伯権」。count palatineの訳語。中世ヨーロッパの、自領で王権を行使することのできた伯爵の特権を意味する。 173 精神面において、台湾人、とりわげ知識人にとってもっとも受け入れがたかったものは、新しい統治集団が口を開くたびに、台湾人を「奴隷化教育」を受けた者として否定することであった。彼らは、台湾人は日本の教育によって奴隷根性を植えつけられた集団だと見なし、さらに台湾人の持つ能力や受けた訓練を軽視し、彼らを新社会の建設の枠外へと追いやったのである。陳儀政府のとった言語及び文化政策は、過激でまったく融通の効かぬものであった。光復から1年後、新聞の日本語欄はすべて廃止された。これを日本統治時代の台湾では42年を経てようやく新聞から漢文欄が消えたのと比べると、こうした措置は、陳儀自ら語るとおり、かなりの「剛性」(強権)であったことがうかがえる。言うまでもなく、植民者の言語を排除するのは当然であり、これらは台湾人も初めから分かっていたことである。光復当初、「国語(=中国普通語)」の補習クラスの類の施設が、雨後の筍のように相次いで設立され、台湾人も競って「国語」を学んだ。たとえば、日本の植民統治時代に名を成した小説家の呂赫若(りょかくじゃく)※5 もまた急いで改め、中国語で小説を書くようになったのである――しかし、彼もまた二・二八事件とそれに続く白色テロで命を落とすことになるとは、当然のことながら予見できなかった――。このため、台湾人に新しい「国語」を学習させることはそれほど問題ではなかったのである。しかし問題は「国語」が政治化され、台湾人を排除する武器としてそれが利用されたことなのである。それはまさに例の「奴隷化」のスローガンと同様に、有無を言わさず相手をまとめて倭小化し、台湾人の利益を奪う口実に変わった。 ※5 呂赫若(1914~1951?)台湾の作家。本名は呂石堆。日本語による処女作「牛車」(1935)でデビューし、日本統治時代の台湾を代表する作家となる。戦後、「人民導報」記者として、中国語で創作を続けるが、のちに左傾化し、武装蜂起を企てる中で死去したとされる。 陳儀は経済上徹底した統制政策をとり、専売局と貿易局に、省内商業と対外交易を管理させた。台湾当局は煙草、酒、樟脳、火柴及び度量衡の5種を専売品と定め、さらに塩、砂糖、石灰等を半専売の統制下に置き、専 174 売局にこれらを管理させた。貿易局は対外的経済統制を管轄し、あらゆる物品は、必ず貿易局を通過してのみ国内への持ち込み販売を許した。それは台湾と国内の物資の流通を妨げただけでなく、これらの手法により、官僚の介入操作に道を開き、賄賂が公然と横行する忌まわしい状況を造り出すことになった。この他、長官公署は光復当初より台湾紙幣を維持する政策をとり、台湾での法幣の使用を禁止し、台湾元と法幣の兌換率を規定した。経済統制によって、加えて物資が汚職で絶えず流出したために、台湾はインフレーションと物価騰貴に陥り、価格が上海よりも高くなるという現象を招いた。米が年に2,3度も収穫できる台湾本島で、100斤の米が上海の2倍以上の価格で売られるようになった。1947年1月には、米価が高騰し、一日に何度も値段が上昇するという状況が発生した。台湾経済を 1-8 専売局台北分局前に集まって抗議する群衆 出典=二二八紀念館提供 牛耳っていた二つの機関のうちの一つであった専売局が、ついには二・二八事件の引き金を引くことになるのだが、この偶発的な事件も、全体的な観点から見ると、単なる偶然として片付けることはできないのである。 事件発生の数日前、上海の週刊紙『観察』の特派員が、台湾に関して、詳細かつ正確なルポルタージュを書いた。彼は結びの部分で、 「最後に、私が台湾に在って観察するところ、今日の台湾は至るところに危険状況が転がっており、つまりいつでも争乱や暴動が起こりうるということを直感している」 と結んでいる。この「台湾通信」が、3月8日の『観察』に載ったその時には、彼が直感した「いつでも起こりうる」争乱、あるいは暴動がすでに発生していたのである。 1947年2月27日の夕刻7時頃、専売局台北分局の取締官、傅学通(ふがくつう)ら6名と台北警察隊の警官4名が、闇煙草を取り締まるために太平町〔現在の延平北路〕に赴いた。そこで、闇煙草を密売していた林江邁(りんこうまい)の煙草と売上金を没収した。林江邁は40歳の寡婦で、10年前に夫が亡くなったとき、二人の息子と、お腹には娘がいた。そのため生活は苦しく、闇煙草を売ることで何とか生活をしていた。林江邁が没収品を返してほしいと涙ながらに訴え、小競り合いになるうちに、官憲の一人が銃の柄で林江邁の頭を殴り、林江邁の頭から血が流れた。周りにいた人びとがこれを見て憤激し、専売局のトラックを破壊するなどして反撃した。この混乱の中で傅学通は民衆から逃れるために威嚇射撃を行ったのだが、その弾がたまたま歩いていた陳文渓に誤って命中した(翌日死亡)。取締官は警察局に逃げ込んだので、群衆は警察局を包囲して殺人を犯した人物の引き渡しを要求したが認められず、群衆の怒りはますます高まったのである。 翌朝午前9時、民衆は路上でドラを鳴らし、商店休業を訴え、デモ行進を挙行、まず太平町2丁目の派出所を破壌し、12時になると民衆は専売局台北分局に群れ集まり、犯人の厳罰を要求したが拒否されると、さらに行き先を行政長官公署〔かつての台湾総督府、現在の台湾総統府〕に変更し、陳儀に陳情しようとした。午後1時過ぎ、デモ隊は約4,500人にまで膨れ上がり、ドラを叩き、道々でスローガンを声高に叫び、勢いを増していった。 176 1-9 二二八事件発生当日の台北駅の様子 (左上が旧台北駅。現在は敢り壊され、建て替えられている) 出典:前アメリカ駐台北副領事George H. Kerr 生前所有。二二八紀念館提供 1-1O 台湾省政治建設協会が南京のアメリカ大使スチュアートに、中国国民党政府蒋介石主席に渡して欲しいと頼んだ手紙。内容は蒋介石に「決して台湾に派兵してくれるな」と頼んだものである。台湾省政治建設協会の最初の名称は「台湾民衆同盟」であり、蒋渭川が日本統治期に抵抗運動者と合流して結成されたもの。 出典 蒋渭川家所蔵、二二八紀念館提供 177 この時、公署の広場前には、すでに派遣されてきた兵士たちが警備していたが、突然銃声が鳴り響き、兵士たちは民衆に向けて一斉掃射を開始し、多数の死傷者を出した。これが事件の成り行きが収拾不能となってしまった原因なのである。 午後2時を回った頃、民衆は台北公園(俗称は新公園、現在は二二八和平紀念公園)に集い、台湾放送局(現在の二二八紀念館)に押し入り、全省へ向け放送を開始、台湾人は暴政に抗して決起するよう呼びかけた。こうして台北市での衝突は瞬く間に全島各地に広まり、各県・市もこぞって立ち上がり、全島を挙げての政治抗争へと展開してゆくこととなった。 紙幅に限りがあるため、ここで二・二八事件後の各地における政治抗争の模様を、詳細に描写することはできない。基本的には、二・二八事件は二つの段階に分けることができる。 第1段階は、わずか9日間のみである。すなわち2月28日から3月8日までである。「全台蜂起」(先住民部落を含む)のために、駐屯する軍隊・憲兵・警察がこれを鎮圧できず、民衆・軍警それぞれに死傷者を出し、台湾に居合わせた外省人たちが、時には路上で報復の対象となっていた時期である。そして、3月8日午前、大陸政府の派遣した軍隊が基隆港に上陸するや否や、午後2時から直ちに街路掃討・密集射撃を開始し、島内全域での血なまぐさい鎮圧が始められた。ここから形勢が完全に逆転、台湾人の死傷者は数え切れぬものとなってしまった。一般にわれわれがよく知る二・二八大虐殺は、この時から開始されるのである。 二・二八事件は、組織もなけれぼ、計画もなかった偶発的な事件である。しかしながら、事件発生後の3月2日、台北市で「二・二八事件処理委員会」が成立し、各県に相次いで処理委員会の分会が成立し事態を解決しようとした。二・二八事件処理委員会は9日間の事件の群衆の中枢とも言うべきものであり、同時に陳儀と交渉談判する組織でもあった。だが陳儀は、3月2日のうちに蒋介石に密かに打電し、軍の派遣を上申して鎮圧を要請する一方で、処理委員会の要求に応じるように見せかけ、時間稼ぎを行っていたのである。処理委員会が提出した要求は、後日、反乱の罪状と化し 178 (陳儀政府は「(組織の)性質が変質して、非合法団体と化し、反乱行動に従事した」と指弾した)、そのため、全島で積極的に処理委員会に関与していた人びとは粛清対象となり、甚大な被害をもたらした。 1-11「清郷実施にあたり民衆に告げる書」の中国語版と日本語版。これは1947年3月20日に台湾省行政長官兼警備総司令の陳儀が発布した清郷〔直訳は農村掃討。農村などに逃亡し、隠れている政治犯の摘発と隠匿武器の取り上げを行った〕通告である。当時台湾で教育を受けた者は大抵中国文が分からなかったため、日本語版も同時に発布した。 出典:二二八紀念館提供 179 3月9日、陳儀は台北及び基隆に戒厳令を布告、国軍が台北に入り、道すがら一斉掃射を開始したので、一日中銃声が途絶えることなく、民衆は次々と捕らえられて殺害された。10日、陳儀は「二・二八事件処理委員会」と一切の「非合法団体」の解散を命じた。また同日、蒋介石は台湾での事件について、共産党の煽動が二・二八事件の原因の一つであると語った。11日、治安回復計画が出され、交通及び通信が全面的に管制された。18日、国民党軍は東西の2路に軍を分けて掃討作戦を展開、台東で合流し、全島を掌握しようとした。21日には「綏靖(すいせい)(=治安回復)計画」に合わせて、「清郷(せいきよう)(地方や農村の「反政府的」人士の掃討)」を開始した。4月22日、行政院は台湾省行政長官公署を廃止し、これを省政府に組み入れ、魏道明(ぎどうめい)が省政府主席とたることを取り決めた。5月11日に陳儀は台湾を離れ、15日、魏道明が台湾へやってきて、翌日に台湾省政府が成立し、あわせて以下のような重要措置の発表が行われた。〔1〕戒厳令を解除する。〔2〕農村での掃討作戦を完成させる。〔3〕報道・図書・郵便の検閲を解除する。〔4〕各種交通規制をすべて解除する。ここにおいて二・二八事件は一つの区切りを迎えたのである。 上記の日誌のように、事件のあらましを羅列しただけの描写では、おそらく「綏靖」や「清郷」の恐怖、さらには台湾人の受けた衝撃を十全に伝えることはできないであろう。国民党軍の鎮圧は報復的なものであり、裁判の手続きを踏むことなく、みだりに捕え、殺害するものであった。たとえば、「綏靖」のピーク時には、毎日のようにトラックが処刑者を基隆の要塞司令部へと連行し、縛ったまま死体を海へと流して、万事解決としたのである。その死体は、水を吸って膨れ上がり、海岸へと流れ着き、あたかも言い表せぬ恐怖を故郷の人びとに訴えかけるかのような表情をしていたという。今に至ってもなおわれわれは、この血なまぐさい鎮圧時期に、いったいどれくらいの台湾人が殺されたのか、知るすべを持たない。その数は数千から10万人以上とさまざまだが、研究者たちの間では、おそらく1万8000人ほどの犠牲者がいると推測するのが一般的である。たとえ人びとの印象の中の死者の数が誇張に過ぎることがあったとしても、それは理解できぬわけではない。 180 1-12 嘉義出身の画家陳澄波(1895~1947)の学生時代の写真。陳澄波は東京美術学校(1924-1927在学)を卒業し、その後研究科で学んだ(1927-1929)。1926年、油絵「嘉義街外」で、日本の第7回帝国美術展覧会において入選した。この写真は入選後、東京美術学校で記者の訪問を受けたときに撮影されたものである。彼はその後数回帝展やその他の展覧会に入選した。二・二八事件発生後、表に立って情勢に対処したため、逮捕され、3月25日に嘉義駅前で銃殺刑に処せられた。妻は強いて冷静に努め、彼の遺体を写真に収めた。死後陳澄波の眼は大きく開き、容貌は学生の頃の写真と寸分変わらず、身を起こして筆を持ち、絵を描けるかのようだった。しかしながら実際には彼の体は血まみれで、両手はすでに冷たく硬くなり、胸を貫いた弾丸が彼の命を奪っており、二度と起き上がることはなかった。二二八紀念館を訪れる人は、展示されている写真の中に、この全く同じ容貌でありながら生死を異にしている写真を見ることができる。 出典 陳重光提供 1-13 医師盧鈵欽(1912~1947)は陳澄波と同様、二・二八事件処理の表に立ったため、逮捕され、陳澄波ら4人と嘉義駅前で刑に処せられた(1947年3月25日)。彼は一生の大部分を日本と広東で過ごした。これは臨終前に妻の林秀媚に当てた手紙である。手紙にはこう書いてある。 我が愛する妻よ いよいよ明日あの世に行く。今世君に大分苦労をかけた有難う! 来世に必ず御礼返します。 只心配なのは子供らのこと、滄海にもお知らせして下さい。 ……人は一度死するものだ。どうか健気に強く子供のため生きて下さい。僕はあの世で君の健康を見守る! ……只残念なのは君に充分愛を尽くす事の出来ないこと! でも宿縁とあらば仕方はあるまい。いとしい君の姿を胸に抱きて、僕はにっこりこの世を立つ。…… 神になった気持ちを僕はいふ 良い妻をもらって何より満足だ。サラバー一 決して泣くなよ! それから 君の鈵欽 彼の妻は、処刑の時に着ていた血のついた衣、そして全ての手紙を保管していた。あるいはそれは、彼女が生きてゆく精神の支えであったのかもしれない 出典:林秀媚女史提供 これらの原因は、二・二八事件の中で命を落とした台湾人の主要な犠牲者には、働き盛りのエリート及び学生を含む多くの若者が含まれていたからであろう――国軍の上陸の噂を聞くや、年配の者たちが若者たちを直ちに逃亡させ、多くが山間部に隠れたという。日本植民統治下において、台湾の社会的エリートは、少数で得がたい存在であり、比率からみるとその犠牲は甚大であった。今日、近代台湾史のどの側面を研究するにせよ、われわれは、優秀な人材が突然二・二八事件に飲み込まれてしまったことに気づく――小説家、芸術家、教育家(教授、教師)、実業家、マスコミ関係者、民意代表、医学生、法曹界の人士(法官、検察官、律師)、地方士紳、先住民エリート‥‥等々。若い人たちの命が損なわれることは、いやが上にも人びとに哀惜の念を起こさせる。なぜなら彼らには無限の可能性を秘めた人生が残されていたのだから。言い換えれば、台湾人はあの二・二八事件の短い間に、無数のエリートと歳若い子や甥を失ったのである。このことが、二・二八事件が台湾社会に大きな衝撃を与えた一つの原因なのである。運よく生き残ったエリートたちも、怯え萎縮してしまうか、さもなくば貝のように口をつぐんでしまうことになった。台湾社会は沈滞しただけではなく、「脱道徳化」(de-moralized)してしまったと言わざるを得ない。一個の社会が突然のうち、多くの名士や文化的エリートを失ってしまったとしたら、それがもたらす後遺症はいったいどのようなものになるだろうか? これはわれわれが考究するに値する深い問題である。 歴史は、まさに二・二八事件が統治者による負の遺産であることを証明した。しかし当時において、統治者側にこのような認識はなく、陳儀はまさしく「死んだアヒルの嘴(くちばし)は硬く閉ざされる」(死んでも自分の罪を認めな 182 い)のである。3月24日、陳儀が中央政府に打った電報の中で「この事件‥‥の遠因は、台湾人の受けた日本奴隷化教育の影響が余りに深く、思想が毒されていたためであって、平時に台湾紳士たちは懲治を受けたことがなく、新聞は悪性低劣で厳格に取り締まられてこなかった。弟〔陳儀の自称〕の政策は寛大に過ぎ、ために陰謀に道を開くに至ったのである。‥‥」と言っている。現在、次のように陳儀に直接問いかけることができないのが残念である。「当時、大陸の世論もあなた方を厳しく批判した。彼らは決して台湾人ではなかった。もしかしてあなたは、彼らもまた「日本奴隷化の影響があまりにも深く、思想中毒になってしまっている」とでも言うのだろうか?」 陳儀は電報の中で、さらに根拠のないことを持ち出して台湾人を非難した上、二・二八事件は、民衆の行政長官公署に対しての全面的な不満の表れであることを否定した。彼によると「結局のところ、この度の事件は完全に少数の「暴徒」が画策した動乱であり、民衆全体が政治及び専売・貿易などの経済制度の改革・改善を求めた運動ではなかった……」。まさに「此地無銀三百両」(語るに落ちた)※6 とはこのことである。 ※6 自ら銀三百両を土中に埋めて、「ここには銀三百両はありません」という立て札を立てておく。 1-14 台中の弁護士林連宗(1905~1947)と娘の林信貞の、家庭での写真である。林連宗は1946年に制憲国民代表の身分で首都南京に赴き、中華民国制憲会議に参加した。二・二八事件発生後、林連宗は北上して「二・二八事件処理委員会」に参与し、親友李瑞漢(1911-1947)の家に泊まった。3月10日、軍憲が李瑞漢家に来て、陳儀が彼と弟の李瑞峰(1911-1947)に会議に参加して欲しいと求めていると言い、林連宗もともに連れ去られ、以後3人の行方は分からなくなった。李瑞漢兄弟と林連宗は中央大学法学部の同級生で、共に弁護士であった。 出典:二二八紀念館提供 二・二八事件は少数人が画策した謀略によって引き起こされたものでなく、まさしく民衆が政治の改良と専売・貿易などの経済制度の改革を願ったものであった。陳儀は台湾を離れた後、国民政府顧問となり、翌年には浙江省主席を務めた。1949年2月、「通共」(共産党と内通)した嫌疑が持たれ、浙江ク州に軟禁されたが、この年4月に台湾に連行され、1950年6月18日に銃殺処刑という目に遭った。しかし彼の死は二・二八事件とはまったく無関係であった! もし陳儀がまだ生きており、さらにこの事件に対して何ら反省していないとしたら、あるいは柯遠芬(かえんふん)の態度が参考になるかもしれない。二・二八事件発生時、柯遠芬は台湾省警備総司令部参謀長を務めていた。四十数年後、彼は1989年に至っても、次のような見解に固執していた。「……ある同胞たちは台湾光復後、心理状態のバランスがとれていなかったのではないか。とりわけ日本統治期間に重用された紳士、皇民奉公会の人びと、及び私的に日本人の財産を受け取った悪質な地主や地方紳士、その他、悪辣な札付きの連中などが、頼りとするものが崩壊しても、心の中では旧主を慕い、新しくやってきた祖国の官吏を仇敵視したのであろう。もっとも惜しむべきは、日本人に利用された台湾籍の軍人や浪人たちである。というのは、過去に日本軍に協力し、祖国同胞をないがしろにするような習慣が身についてしまい、不運にして、台湾に送還されたが、一時的に仕事を得ることもかなわず、あるいは仕事に就くことを願わず、いわれなく祖国、及び大陸から台湾にやってきた官員・人民を逆恨みする羽目になってしまったのだ。これらの人びとはすべて事件を起こした不満分子や暴徒たちである」。 事件発生から四十数年が経ってなお、柯遠芬はこのような主張をしており、人びとが互いに理解し合うということの困難さを思うと嘆息するほかない。今日、二・二八和平紀念公園には事件を偲ぶ紀念碑が建立されてはいるが、二・二八事件についてどのような理解と内省をすべきかということについて、真のコソセンサスに到達するのは程遠いことのように思われる。 184 図説 台湾の歴史
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対中関係 / 中国の台湾侵攻計画 ■ 台湾侵攻で、日本に特需!かな? 「二階堂ドットコム(2020/11/03 13 50)」より / 支那が台湾に侵攻すれば日本にも特需が起こる。まぁ支那がなくなるのでむしろダメかもしれんが。 まぁ一回やってみてどうなるか試したらいいよ。今回の戦争はリアルタイムでいろいろ映像が上がるだろう。。。と、思ってる人は大間違い。俺が作戦総司令官なら、まず、台湾の周りの海底ケーブル全部切断して、放送局のアンテナ攻撃するね。情報が外に出ないように。 ここ数日の朝と夜中、国道の自衛隊救護車と米軍の燃料輸送車の往来が何十台レベルといままでないぐらいにホント多い。何か起こりそう https //t.co/Yo8uOSydbm — minamin (@minamin_jpx) November 2, 2020 ーーー ■ 情報 「二階堂ドットコム(2020/11/03 01 41)」より / 支那人民解放軍が臺灣対岸の福建省に集結しているとの未確認情報がある、との話しです。近い将来に、中共による臺灣侵攻があるかもしれません。 在日米軍の偵察機が頻繁に出動しているようなら、侵攻があり得ると思います。しかし、私には偵察機の動向を掴めません。或いは、日本の自衛隊に何か動きがあるかもしれません。勿論、私には分からないです。 何か情報があったらお願いします。何か嫌な予感がします。 ■ 【台湾領空で熾烈な空中戦勃発!台湾空軍F 16に追われた中国空軍戦闘機が墜落!】台湾がアメリカから戦闘機F 16を66機購入決定!数日前に中国戦闘機を墜落させたまだまだ現役の戦闘機!台湾軍事力増強こそ 2020/08/20 闇のクマさん世界のネットニュースch ■ 【鬼の一撃!台湾軍が中国戦闘機に対空ミサイル発射!】日本政府よ刮目しろ!これが国を守る覚悟だ!台湾領空侵犯した中国戦闘機に台湾軍が対空ミサイルを発射!中国戦闘機を追い返した!流石李登輝の魂宿る 2020/08/18 闇のクマさん世界のネットニュースch 中国共産党『北戴河会議』での抗米方針新8条 「中国に進出の米国企業を清算」「人民元の経済圏」「台湾解放の準備」「全中国人は食糧備蓄を」「米国と完全に縁を切る覚悟を」など https //t.co/eUp5Q242qQ — Nなし (@nnasiastrologer) August 19, 2020 ーーーーー ■ 戦争準備! 「二階堂ドットコム(2020/08/19 16 34 )」より (※mono....前半の”この時”のためのヘリコプター免許取得の話は略、おもしろいんだけどね。) / 以下もらいもの。 北戴河会議で新しい対米方針が決まった。江沢民派と習近平派の内紛が起きているが両派は協力して対米の新八条を決定。 第一条:在中米企業のうちサービス産業、飲食業が今でも中国に残っているが、9月、10月までにこれらの企業を全面的に整理する。 第二条:これから中国は米国に使う新型核兵器を開発する。 第三条:全面的に国防費をさらに増やす。GDPの4%くらい増やす。 第四条:親中国の国々(中東アフリカ国、北朝鮮、イラン)が協力して米国と戦う。 第五条:中国は自分たちの力で科学技術、先端技術、兵器を開発する。米国の同盟国とも縁を切る。中国の友好国とは米ドルではなく人民元で決済する。人民元の経済圏を作っていく。 第六条:米国の包囲網を破る。必ず台湾を武力で侵略する。南シナ海では戦争はしたくない。米国の選挙後に台湾を攻撃する。 第七条:全中国人は米国との戦争の準備をする。食料備蓄、エネルギー備蓄、水備蓄。 第八条:米国と徹底的に断絶する準備をする。14億人に対して呼びかける。 北戴河会議の中心はこの八条。米国は台湾を守るが中国は台湾が灰になるまで戦う。必ず台湾を取る。これは江沢民派と習近平派の同一認識。 台湾の沿岸で人民解放軍の軍事演習をする。ロケット部隊も参加。戦略支援部隊も参加。米国は偵察機、空母を台湾沿岸に派遣。 人民解放軍の戦闘機殲1011/F16が台湾領空内に侵入。台湾のF16戦闘機が追跡。中国戦闘機が慌てて逃げtakaoに墜落した。 https //www.youtube.com/watch?v=uMkW3VmbEzs 中共・北戴河会議で対米方針‘’新8条‘’、徹底対決、戦時体構築へ/中国戦闘機・殲11/F16出撃で台湾近海に墜落 ーーーーー 鳴霞の「月刊中国」YouTube
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アントワープ 日本からの交易品 そば(食料品) 100% 38,200 38,200 醤油(調味料) 86% 35,600 約41,395 イノシシ(家畜) 100% 37,800 37,800 菖蒲(医薬品) 120% 47,400 47,400 和書物(雑貨) 清酒(酒類) 100% 26,800 26,800 五倍子(染料) 98% 51,600 約52,653 白磁鉱石(鉱石) 98% 40,000 約40,816 和紙(工業品) 92% 36,600 約39,783 ナス(嗜好品) 100% 38,200 約38,200 青苧(繊維) 98% 50,800 約51,836 西陣織(織物) 2010/03/13 05 17 108% 57,600 約57,600 日本刀(武具) 65% 25,800 約39,692 種子島銃(火器) 漆器(工芸品) 98% 41,400 約42,245 日本画(美術品) 100% 40,000 40,000 柚子(香辛料) 100% 40,400 40,400 佐摩銀(貴金属) 127% 54,100 約42,598 クチナシ(香料) 98% 50,600 約51,632 紫水晶(宝石) 98% 42,500 約43,367 イグサ(繊維) 100% 4,470 4,470 狭織(工芸品) 100% 61,000 61,000 提灯(雑貨) 100% 11,100 11,100 台湾からの交易品 カラスミ(食料品) 118% 43,400 約36,779 沙茶醤(調味料) 100% 36,500 約36,500 スイギュウ(家畜) 110% 1,820 約1,654 ボレイ(医薬品) 112% 41,500 約370,53 籐細工(雑貨) 102% 54,000 約52,941 台湾米酒(酒類) 100% 36,300 36,300 ショロウ(染料) 88% 45,300 約51,477 北投石(鉱石) 104% 52,500 約50,480 籐(工業品) 108%→ 38,100 約35,213 アイギョク(嗜好品) 82% 29,500 約35,975 鹿皮(繊維) 100% 36,000 36,000 麻織物(織物) 124% 64,500 約52,016 籐製鎧(武具) 122% 42,300 約34,672 銅手銃(火器) 104% 36,800 約35,384 角細工(工芸品) 83% 29,200 約35,180 台湾木彫(美術品) 116% 41,000 約35,344 コウズク(香辛料) 90% 33,900 約37,666 金瓜石金(貴金属) 109% 39,300 約36,055 ハマナス(香料) 82% 29,800 約36,341 台湾サファイア(宝石) 120% 41,300 約34,416 金針花(嗜好品) 85% 8,330 約9,800 リンジャオ(食料品) 95% 8,970 約9,442 朝鮮からの交易品 チャムタシマ(食料品) 83% 1,400 約1,686 チョシ(調味料) 93% 33,200 約35,698 韓牛(家畜) 120% 43,700 約36,416 朝鮮人参(医薬品) 90%↓ 32,200 約35,778 朝鮮書物(雑貨) 100% 36,100 36,100 安東焼酎(酒類) 93% 33,600 約36,129 紫根(染料) 83%↓ 41,000 約49,398 韓紙(工業品) 94% 47,800 約50,851 麦飯石(鉱石) 100%↓ 36,100 36,100 朝鮮茶(嗜好品) 107% 38,300 約35,794 虎皮(繊維) 80% 28,900 約36,125 明紬(織物) 107%↓ 38,900 約36,355 大刀(武具) 110%↓ 39,400 約35,818 投てき爆弾(火器) 96% 34,700 約36,145 高麗青磁(工芸品) 119%↓ 42,300 約35,546 螺鈿漆器(美術品) 100%↑ 36,700 36,700 サンショウ(香辛料) 98% 48,300 約49,285 朝鮮銀(貴金属) 118% 42,500 約36,016 チンダルレ(香料) 93% 46,800 約50,322 虎目石(宝石) 76% 27,400 約36,052