約 58,630 件
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■基本データ 【名 前】 足利義輝 【P L】 DEN 【コロナ】 執行者 【ミーム】 オリジン/富嶽 【ブランチ】リターナー/武士 【消費経験点】0(能力値:0 特技:0 装備:0 パスの追加:0 ブランチの追加:0) ■容姿 烏帽子と狩衣を纏った、飄々とした印象を与える青年。 富嶽人の平均身長より頭一つ分ほど背丈が大きく、現代においても長身の部類。 それ故に顔を見上げると逆光となって、表情は良く見えなかったとか。 ■能力値/耐久力 【能力値】 肉体:10 技術:5 魔術:11 社会:6 根源:2 【戦闘値元値】 白兵:9 射撃:6 回避:4 心魂:10 行動:8 【戦闘値修正値】 白兵:14 射撃:6 回避:4 心魂:10 行動:4 【HP】 元値:22 修正値:28 【LP】 元値:6 修正値:6 ■宿命/特徴/闘争/邂逅 宿命:死 特徴:不老 特徴効果:年を取らない 闘争:修羅道 邂逅: ■初期パス 【因縁】織田上総介信長からの悲しみ ■準備された装備 部位:名称(必要能力/行動修正/ダメージ/HP修正/射程/備考/参照P) 右手 :備前三郎国宗 (必:-/行:-4/ダ:【魔】×3+2D6/HP:0/射:至近/CT066) 左手 : (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―) 胴部 :古鎧 (必:【肉】2/行:0/ダ:―/HP:6/射:-/CF131) その他:内なる無限の世界:剣 (必:-/行:-/ダ:―/HP:-/射:-/CT073) 乗り物: (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―) 予備1: (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―) 予備2: (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―) 予備3: (必:―/行:―/ダ:―/HP:―/射:―/―) ■コロナ特技 【CF091/自/オ/フ1】◆大いなる力 宣:判定直後。[フレア]だけ、対象の判定の[達成値]を減少 ■ミーム特技 【CF116/白/リ/2H】◆秘剣・居合い斬り [白攻]に対して[突返]。[白攻]武器専用。射程制限有 【CF114/自/常/なし】伝来の武具2 [分類:富嶽]のアイテムを[Lv×10]経験点分常備化する 【CF116/白/メ/10H】秘剣・流星 [白攻]を行う。命中判定は2回行い好きなほうを選択し、ダメージ+[差分値] 【CF101/自/オ/効参】◆生死去来 [戦闘不能]を解除し、【HP】を【根】だけ回復。【LP】を[1D6]失う 【RR024/自/オ/フ1】追憶:剣山刀樹 魔剣に追加効果。『[部位]を片手にし、ダメージ+【魔】』or『[避け]+4』or 『[行動修正]+6』or『【白】+2』or『魔法ダメージ+【魔】』or『魔法回復量+【魔】』 【CF096/自/オ/2H】魔剣召喚 〔T1〕魔剣を召喚する。部位:片手、行動修正:±0、射程:至近、ダメージ[【魔】+2D6] ■装備 [CT066]備前三郎国宗(部:片/射:至/HP +0/【魔】×3+2D6。[武士]専用。【白】+5) [CF131]ソフトレザー(部:胴/射:-/HP +6/) [CT073]内なる無限の世界:剣(部:-/射:-/HP +-/【心】10以上専用。 武器ダメージを《魔剣》分増加。 武器と魔剣で基準・属性が違う場合、魔剣召喚時にどちらかを選択する) ■属性防御 肉体:× 技術:× 魔術:× 社会:× ■固有結界《剣山刀樹》 備前三郎国宗 ダメージ:【魔】×4+5D6 白兵:+7 ■戦術、設定、メモなど 「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」 この辞世の句を記した者の名前は、足利義輝という。 かつて芙蓉にいた剣豪であり、そして星威大将軍の中で唯一討ち死にした者である。 ……当時の芙蓉、太平の世において将軍とは即ち傀儡に等しい者であった。 さらに安穏な日々は武士から鋭気を奪い、腐敗させ、かつての姿は見る影も無かったという。 故に母星の滅亡に際し、無限の星海を往く鋼鉄船を与えられたとしても、 将軍も、武士ですら、ただの一人も未知の世界へ繰り出す者はいなかったのだ。 そこで先陣を切って先遣隊として名乗りをあげたのが、足利尊氏である。 彼らは自らの艦隊を「幕府」と呼び、その頭領こそが「星威大将軍」なのだとした。 即ち「足利幕府」、そして「足利将軍」の誕生であった。 それから長き年月に渡って、富嶽先遣艦隊は富嶽史の表舞台から姿を消した。 次にその名が現れたのは、始原世界オリジンを発見したとの通信電文である。 恐らく、其処に至るまでの旅路は長く、過酷なものだったに違いない。 足利尊氏は既に亡く、電文の発信者は十四代足利幕府将軍となっていたのだから。 ――つまり“剣豪将軍”足利義輝である。 義輝は将軍でありながら武芸に通じ、政治より剣を振るう方が性分にあう人物であったという。 事実、彼は富嶽本艦隊にも名前が残っている“銀河剣豪”塚原卜伝に剣を学んだ事があり、 卜伝をして「心技体、申し分なし。惜しむらくは生まれのみ」と言わしめた、当代一の剣客だったのだ。 一説によれば柳生宗矩をも上回り、或いは古今通して彼と並ぶ剣客はそう多くはあるまい。 しかし、足利義輝は星威大将軍である。 卜伝の言う通り、彼の職務は政治であり、剣を振るうことではない。 本艦隊到着までの下準備を進めるべく奔走する義輝の職務に、戦場へ赴くものはなく、 またオリジン人との融和は、多少の小競り合いはあったものの、問題なく進んでいた。 恐らく義輝は、このまま剣を振るうことなくオリジンに骨を埋めるだろうと、誰もが思っていたのだが……。 歴史は彼に、最期にして最高の舞台を用意していたのであった。 通信を受けた本艦隊がオリジンへ到着するまでには、相当な時間がかかるだろう。 で、あるならば。こう考えた武士がいたとしても、ある意味では仕方が無かったと思われる。 仮に今ここで足利家に対して下克上しても、咎める者は誰一人としていないのだ、と。 そして謀略が動き出した。 足利義輝にとって不運だった点は二つある。 オリジン到着以後、積極的に政治へ口を出すようになった義輝を疎むものは多かった事。 そして彼の乗艦であった“二条”は、オリジンに溶け込むためと言う理由から全ての武装が解除され、 その護衛艦隊は入植準備の為、各地へ送り込まれていたという事。 ……一斉蜂起した反逆者たちが“二条”を包囲したのは、無理もない事だった。 かくして“二条”に乗り込んできた切り込み隊相手に、義輝は生身で相対することになる。 相手の狙いが自分の首級のみである事を知っていた彼は、家臣を逃し、単身で軍勢を迎え撃った。 だが、無手ではない。……将軍なぞ所詮は飾りと侮っていた兵士は、そこで驚愕しただろう。 其処に待ち受けていたのは、芙蓉より持ち出した銘刀の数々を畳に突き刺した剣豪だったからだ。 敵兵を斬り、突き、薙ぎ、刀が折れれば躊躇無く次の名剣へと手を伸ばす。 積み重なった屍の間に、木々のように刀が生え、そして流れ出た血潮は泉の如く。 まさに富嶽の伝説に語られる刃の地獄《剣山刀樹》。 このような機会でもなければ死蔵されたままだってあろう名剣、銘刀の一世一代の晴れ舞台。 ――或いは義輝は、其処に剣豪にして将軍である自らの姿を重ねていたのかもしれない。 だが、全ては憶測に過ぎない。 義輝といえど人の子である。 やがて力尽きたところを一斉に槍に刺され、その若い命を散らしたのであった。 だが、そこの至るまでの獅子奮迅振りは、勝者である叛徒の胸に恐怖を植え付けたという。 本来ならば敗者を辱め、自らの武勲や正当性を華やかに仕立て上げるべきなのだが、 足利義輝に関しては、そう言った品位を貶めるような逸話が捏造されなかったのだ。 そればかりか彼に切り捨てられた兵士の数、そして周囲に散らばった刀の数が、 とてもではないが数えきることも埋葬することもできない量であったため、 “二条”ごと焼くことで荼毘に伏し、供養したという話が残されている。 無論、反乱軍が如何なる意図を持ってして、そのように行動したのかは定かで無いにしろ、 足利義輝の名が、現在のオリジンにおいても広く知られているという事実は覆せない。 万軍を相手取り、ただ一人で戦い抜くという、如何なる騎士にも劣らぬ凄まじい武勲を挙げ、 そして剣豪将軍の名に恥じぬ死を迎えた彼は、オリジンにおいても悲劇の英雄、剣豪として名高い。 一部の剣術家や、武道家、騎士の間では、武人を守護する英霊として祭られてもいるそうだ。 ……なお余談ではあるが、足利氏を打ち滅ぼし、オリジン発見の立場を得た者達であったが、 その後、将軍として名乗りをあげた義輝の弟も放逐し完全に権力を握るも、 享楽にふけるあまり、かつての伝統を忘れた姿は富嶽武士とは到底呼べぬ有様であり、 後に到着した本艦隊によって「富嶽人にあらず!」と放逐されたという。 因果応報、盛者必衰の理、そう表現することもできるかもしれないが、 或いはこの時既に、後の孤界侵略者同士における一連の侵略戦争、 その前哨戦が始まっていたのかもしれない……。 ――ネフィリム放送協会番組『その時、世界が動いた』 第三回「オリジンを発見した男 ~“剣豪将軍”足利義輝~」より―― なお足利義輝は死人であり、そして同時に人々を守護する英霊でもある。 よって尋常な術では、この世に現れることはないのだが……。 今でも尚、義輝の姿を見たという逸話は絶えない。 曰く、足利義輝は将軍としての生涯を全うした。 家臣の謀反も、その結果の死も、乱世としては至極当然。 自身の器の大きさはこのような物だったと納得ができる。 だが将軍ではなく、侍として、武士として。 果たして満足のいく生涯であるかと問われれば――答えは否だ、と。 一人の人間として、武士として、心行くまで剣を振るえる場。主君。 それを求め――時折、“剣豪将軍”足利義輝は地に現れるのだという。
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[部分編集] 愛 [剣豪将軍]足利義輝-燎原華- ミヤビ #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。限定装具画像 必要兵力 31 Lv1 攻 5200 防 4500 知 4400 LvMAX 攻15200 防13000 知12900 スキル [天嶮絶刀【風】] Lv1/12 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 攻撃力アップ【発動率:低】 売却価格 コメント 「さて、第十三代征夷大将軍……参るし」永禄8年、松永久秀と三好三人衆は二条御所武衛陣を強襲する。義輝は奸賊に対し、無数の名刀と剣技で獅子奮迅の応戦を見せる、しかし…… 台詞 「忘れない。ずっとずっと胸に……ずっと」 図鑑 備考 永禄の変ガチャ限定 コメント 名前
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☆このページでは、霧雨の野望における足利義輝について詳細に解説しています。 史実での足利義輝について詳しく知りたい方はwikipediaなどの足利義輝を調べてください 足利義輝(あしかがよしてる)(天文5年3月10日(1536年3月31日)- ?) 剣豪将軍と呼ばれその武勇は広く周囲へ広まっていた。 足利幕府滅亡の際に姉小路家に所属する異能の者の一人(紅美鈴)と闘う。 結果、戦では敗北し将軍職を朝廷に返上のうえ慈照寺(銀閣寺)に隠居させられたものの剣客として闘う事ができたことで満足することはできたらしい。 また、彼の愛刀「童子切安綱」は後に紅美鈴に平和的に譲渡された。 決戦OPでは隠居の身がすっかり板についてきたのか、茶の湯を始めている。 ☆出生・家族構成 1536年に足利義晴の子として生まれる。 弟に足利義秋(足利義昭)。 ☆官位・役職 ☆参加合戦 革新能力 統率74 武勇97 知略25 政治56 義理79 足軽A 騎馬D 弓B 鉄砲D 計略D 兵器D 水軍D 築城D 内政D うp主解説 室町幕府13代将軍。幕府再興の志強く各地の大名に政治活動を行う傍ら、武の面でも当代の達人から剣術を学び、最後の瞬間まで権威の復活を目指した。信長の野望ではいつも剣の腕ばかりが大きくクローズアップされる戦争屋。信長すらも拝謁させた政治力は評価されてもいいと思うんだけどなぁ。 緑の人解説 「武の頂点に立つ程度の能力」「新当流印可程度の能力」悲劇の足利13代将軍。逃亡先で幼くして将軍職に就き、三好家を利用しつつされつつ室町幕府再興を目指す。松永久秀の手の者に立ち向かい、余りに強すぎ十数人から戸板で押さえ付けられて刺し殺された。本来もはや力を振るう必要がない立場で、皮肉にも力を必要としてそれを見せつけて世を去った剣豪。ギリワン(松永久秀)に暗殺されたため、ギリワンとの相性は最悪である。
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足利義輝-死地を求めて- 基本情報 フレーバーテキスト 未進化 + ++ 最終 セリフ集 参加イベント 参加ログインストーリー 導入シナリオ エキストラコンテンツ 基本情報 足利義輝 足利義輝+ 足利義輝++ [浮沈]足利義輝 能力値 能力値 能力値 能力値 スキル 剣豪将軍 関連家臣 [弟] 足利義昭[かつての師] 上泉信綱 フレーバーテキスト 未進化 今は亡き室町幕府の十三代将軍。この頃より既に足利家の権威は地に落ちており、若くして将軍職を譲られた義輝(ヨシテル)は、同時に、足利家に権威を取り戻すと言う苦難の道を進む事にもなった。まだ11歳の身であった彼女の背にはあまりにも重い使命ながら、その胸には確かな決意が秘められていた「足利のために奔走する父の背を見て育ったのだ、あの時は万感の思いが胸に迫ったよ」 + 足利将軍家は、すでにその看板を大名達に利用される存在になっており、義輝も戦乱の渦中で翻弄されながら歳を重ねる。そして彼女が導きだした結論は【いかなる暴力にも屈しない力を手にする事】となる。以来、著名な剣豪達の元へ足を運び剣術を学ぶ日々を送る。そう、彼女は生まれついての脳筋属性を備えていたのだ「私が誰よりも強くなれば皆は私の背を追うだろう、実に合理的な手段だ」 ++ やがてその身に眠る武勇の才を開花させてしまった彼女は、剣豪将軍との異名を持つ程の人物に成長する。そして彼女の表裏が無い人柄に惹かれ、足利家の権威回復が軌道に乗り始めた頃、松永久秀による義輝暗殺事件が勃発する。大量の兵を前に奮戦する義輝も遂には倒れ炎の中に消えていく、はずであった「斬れども斬れども津波の如く押し寄せてきてな、流石に私も死を覚悟したよ」 最終 奇跡的に落ちのびた彼女は体の傷を癒しながら深い思案を重ねた末、全ての過去を捨て、ただ一介の武人として第二の人生を歩む事を決める。剣の腕を磨けば磨く程、権力闘争に明け暮れる浮世の虚しさが浮き彫りとなった、と彼女は語っている「将軍足利義輝はあの日あの時を持って死んだ、お前の前に立つ者は剣に身を捧げた名も無き武人、それでいいじゃないか」 セリフ集 マイページ(未進化) 今しばらくの間は世捨て人を気取らせてもらうよふふっ、まさか義昭と出会うとはな……これが人の縁か有体に言えば用心棒か、その程度の存在で扱って貰えれば助かる騒がしければ騒がしいほど私にとっては都合が良い、その調子で頼むぞ マイページ(中途進化) 復讐か……それも一つの生き方であるが、私の道とは無縁だよ私をうならせる程の刀剣を所有しているとはな、流石は妖魔の王だ、恐れ入ったよ義昭の進む道を否定する事は出来ない、そもそも、今の私にその権利は無いのでな地位を得て権威を振りかざし名を残す、全ては他者に認められたいだけなのだ剣は使い手の心を映す鏡のような物でな、迷った時は剣に問いかける事にしている別に行くあてがある訳ではない、もうしばらくの間はここに滞在していよう戦は負け戦に限るとは前田殿は面白い事を仰る、そしてそれは然りだ死地も窮地も大歓迎さ、さあ、次はどんな地獄を見せてくれるつもりだ? マイページ(最終進化) 命を失うか否かの瀬戸際、私の心を満たしていたはあろう事か、充足感だったのだよ義昭も刀を握れさえすればつまらぬ事に囚われずに済むと言うのに……次の戦ではあの魔刀とか言う刀を握らせてくれないか?一度試してみたいこれではまるでどこぞの道場だな、同じ道を目指す者はやはり惹かれあうのか未だに私を慕ってくれる物好きな奴もいるのでな、人間界でも多少は顔が利くよやはり己を高める事に優る喜びは無いな……お前もどうだ、付き合わないか?戦は負け戦に限るとは前田殿は面白い事を仰る、そしてそれは然りだ死地も窮地も大歓迎さ、さあ、次はどんな地獄を見せてくれるつもりだ?剣は使い手の心を映す鏡のような物でな、迷った時は剣に問いかける事にしている別に行くあてがある訳ではない、もうしばらくの間はここに滞在していよう バトル開始 多勢の相手には慣れているのだ、任せておけ我が刃の舞い踊る様、とくとその眼で見るがいい 進軍時 まだまだだな腰が引けているぞ随分と暴れてくれたな仕置きをくれてやる 参加イベント イベント名 参加ログインストーリー [[]] 導入シナリオ 足利義昭 姉上がいらっしゃっただと?馬鹿を抜かせ、冥土からの旅だとでも…… 足利義輝 おお、義昭か?久しいな 足利義昭 本当にいらっしゃったー!?ってまて、さてはお前……俺を担ぐつもりだな? 足利義昭 ああそうだ、そうに違いない!姉上はあの二条城と共にお亡くなりになられたのだ! (プレイヤー) いえ、僕もそんな話を聞いた事があるんですが、実は生き延びていらしたとの事で 足利義昭 ククク、とっさに思いついた割には流暢に喋るではないか、流石はお前だな 足利義輝 だからまて、私は (プレイヤー) 義昭さん、この方って本当の…… 足利義昭 やかましいわ!ふんっ、姿形をいくら似せた所でこの眼を誤魔化せるとでも思ったか 足利義昭 今は亡き姉上を騙る不届き者め、この将軍が直々に天誅をくれてやろう! 足利義昭 食らえ、我が刃!これぞ将軍のっ、おっ…… 足利義輝 いかん、つい反撃してしまったぞ!おい義昭、しっかりするんだ! (プレイヤー) 駄目ですね、この上無く良い角度で入ってましたし 足利義輝 私はこの後、どうすべきだと思う? (プレイヤー) 他の方々に挨拶回りでもされてはどうでしょうか、義昭さんの事はお任せください 足利義輝 ではお言葉に甘えよう、後の事はよろしく頼む 足利義昭 姉上が、生きてる訳がぁ、俺はぁ、だまされんぞぉ…… エキストラコンテンツ +...
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[部分編集] 愛 [剣豪将軍]足利義輝-燎原華- ミヤビ #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。限定装具画像 必要兵力 31 Lv1 攻 5200 防 4500 知 4400 LvMAX 攻 15200 防 13000 知 12900 スキル [天嶮絶刀【風】] Lv1/12 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 攻撃力アップ【発動率:低】 売却価格 コメント 「さて、第十三代征夷大将軍……参るし」永禄8年、松永久秀と三好三人衆は二条御所武衛陣を強襲する。義輝は奸賊に対し、無数の名刀と剣技で獅子奮迅の応戦を見せる、しかし…… 台詞 「忘れない。ずっとずっと胸に……ずっと」 図鑑 ガチャ:愛 備考 illust lu永禄の変ガチャ限定限定装具画像はイベント「永禄の変」メインシナリオをクリアした時に手に入る装具を全て装備すれば見ることができる コメント 名前
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足利家 足利義輝 レベル 70 7体 職業 侍 配置 本陣総大将 戦闘開始時セリフ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (kao_yoshiteru.JPG) ○○○○? 征夷大将軍・足利義輝じゃ。 我が鬼丸の切れ味を知れ! ○○○○よ。 そこまでして室町幕府を 倒したいか。何を目指す? おかしいか? 征夷大将軍たるこの義輝が、 自ら剣を抜く時代なのだよ。 構成 名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能 足利義輝 刀侍 70 ▲ ▲ 獅子奮迅、剛鬼突、n連撃・改 等持院住持 棍棒僧 65 結界 後光 三刀流精鋭 懐剣二刀忍者 65 奪命三〜五連 細川持隆 陰陽師 65 結界 呪縛・参 大館晴光 剣神主 65 反射 詠唱の韻・極、子守歌 三淵藤英 鉄砲鍛冶屋 65 三段撃ち 鞍馬大山伏 槍薬師 65 再生 ドロップアイテム 鬼丸 特徴 獅子奮迅は雷槌付きの4連撃。 剛鬼突は鬼突モーションの攻撃。準備なし。 開幕はウエイト1で1の行動が来る。 1の連撃・固有技にはランダムで雷槌・氷槌などが付くことがある? 列伝 父は室町幕府第十二代将軍であった足利義晴。母は近衛尚通の娘として生まれる。幼名は菊童丸。妻は近衛稙家の娘。弟に後に十五代将軍となった足利義昭がいる。 父・義晴は当時、管領として幕政を牛耳っていた細川晴元と対立し、京都を追われていた。そのような最中の1546年に、義輝はわずか十一歳にして、父から将軍職を譲られることになる。このときの将軍就任式は、近江坂本で行なわれた。 将軍就任からまもなく、義晴は細川晴元と和睦して京都に戻った。しかし、今度は晴元の家臣である三好長慶が晴元を裏切って細川氏綱に味方し、畿内に一大政権を築き上げたのである。このため、足利義晴・義輝父子は細川晴元とともに京都を再び追われて近江に逃亡した。そして1550年、義輝の父・義晴は近江にて死去している。 1552年、義輝は三好長慶と和睦して京都に戻った。しかし翌年から細川晴元と協力して長慶と戦いを始める。一時期は六角義賢の支援を受けた義輝側が優勢であったが、1558年に三好長慶の猛反攻を受けて京都から追われている。しかし、長慶も将軍殺しの汚名を着ることを嫌い、戦いに勝利した後、義輝に和睦を申し出ている。これにより義輝は京都に戻ることはできたが、長慶は幕府の御相判衆として幕政の実権を牛耳ることとなったので、義輝は傀儡将軍にすぎなかったのである。 義輝は幕府権力と将軍権威の復活を目指して、精力的な政治活動を行なっている。武田信玄と上杉謙信、島津貴久と大友宗麟、毛利元就と尼子晴久などの抗争の調停を頻繁に行なって、諸大名に将軍の存在を知らしめたのである。さらに自分の名である『輝』の字を毛利輝元などの諸大名に与えたりもしている。このような経緯から、義輝は将軍として諸大名から認められるようになり、織田信長や上杉謙信などは上洛して義輝と会見しているほどである。義輝の政治活動は、わずかとはいえ将軍権威を復活させたのである。 1564年、幕政を牛耳っていた長慶が病死した。このため義輝は、いよいよ幕府権力の復活に向けてさらなる政治活動を行なおうとした。しかし、長慶の死後に幕政を牛耳ろうと目論んでいた松永久秀と三好三人衆にとっては、そのような義輝は邪魔な存在である。このため、久秀と三人衆は義輝を排除して、義輝の従兄弟(父の兄弟)に当たる足利義栄をロボットとして擁立しようと企んだ。 1565年、久秀と三好三人衆、そして三好義継(長慶の養嗣子)はついにクーデターを起こした。義輝の居城である二条御所に軍勢を率いて襲撃したのである。義輝は上泉信綱に教えを受け、塚原卜伝に奥義の伝授を受けた剣豪将軍であったため、秘蔵の太刀をもって敵兵を多数、斬り殺したという。しかし衆寡敵せず、最後は三好勢によって殺害された。このとき、義輝の生母である慶寿院も殉死している。 法名:光源院融山道圓 辞世の句「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」 義輝は剣豪将軍と呼ばれた。義輝は塚原卜伝からの指導を受け、歴代征夷大将軍の中でも最も武術の優れた人物として評価されている。松永久秀らの二条御所襲撃の際も刀を数本畳にさして自ら戦ったと伝えられる。 そのためか、室町幕府の歴代将軍の中でも特に覇気が溢れ、武士らしい将軍と讃えられている。そして義輝の政治活動により、一時的とはいえ将軍権威が復活したことにおいてはその能力を評価できるかもしれない。しかし、暗殺されたことにより、将軍としての権威は地に堕ちることとなった。義輝の辞世の句にも、野心と無念が強くにじみ出ていることがうかがえる。 情報募集中 名前 コメント
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足利家 足利義輝 レベル 70 7体 職業 侍 配置 本陣総大将 戦闘開始時セリフ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (kao_yoshiteru.JPG) ○○○○? 征夷大将軍・足利義輝じゃ。 我が鬼丸の切れ味を知れ! ○○○○よ。 そこまでして室町幕府を 倒したいか。何を目指す? おかしいか? 征夷大将軍たるこの義輝が、 自ら剣を抜く時代なのだよ。 構成 名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能 足利義輝 刀侍 70 ▲ ▲ 獅子奮迅、剛鬼突、n連撃・改 等持院住持 棍棒僧 65 結界 後光 三刀流精鋭 懐剣二刀忍者 65 奪命三〜五連 細川持隆 陰陽師 65 結界 呪縛・参 大館晴光 剣神主 65 反射 詠唱の韻・極、子守歌 三淵藤英 鉄砲鍛冶屋 65 三段撃ち 鞍馬大山伏 槍薬師 65 再生 ドロップアイテム 鬼丸 特徴 獅子奮迅は雷槌付きの4連撃。 剛鬼突は鬼突モーションの攻撃。準備なし。 開幕はウエイト1で1の行動が来る。 1の連撃・固有技にはランダムで雷槌・氷槌などが付くことがある? 列伝 父は室町幕府第十二代将軍であった足利義晴。母は近衛尚通の娘として生まれる。幼名は菊童丸。妻は近衛稙家の娘。弟に後に十五代将軍となった足利義昭がいる。 父・義晴は当時、管領として幕政を牛耳っていた細川晴元と対立し、京都を追われていた。そのような最中の1546年に、義輝はわずか十一歳にして、父から将軍職を譲られることになる。このときの将軍就任式は、近江坂本で行なわれた。 将軍就任からまもなく、義晴は細川晴元と和睦して京都に戻った。しかし、今度は晴元の家臣である三好長慶が晴元を裏切って細川氏綱に味方し、畿内に一大政権を築き上げたのである。このため、足利義晴・義輝父子は細川晴元とともに京都を再び追われて近江に逃亡した。そして1550年、義輝の父・義晴は近江にて死去している。 1552年、義輝は三好長慶と和睦して京都に戻った。しかし翌年から細川晴元と協力して長慶と戦いを始める。一時期は六角義賢の支援を受けた義輝側が優勢であったが、1558年に三好長慶の猛反攻を受けて京都から追われている。しかし、長慶も将軍殺しの汚名を着ることを嫌い、戦いに勝利した後、義輝に和睦を申し出ている。これにより義輝は京都に戻ることはできたが、長慶は幕府の御相判衆として幕政の実権を牛耳ることとなったので、義輝は傀儡将軍にすぎなかったのである。 義輝は幕府権力と将軍権威の復活を目指して、精力的な政治活動を行なっている。武田信玄と上杉謙信、島津貴久と大友宗麟、毛利元就と尼子晴久などの抗争の調停を頻繁に行なって、諸大名に将軍の存在を知らしめたのである。さらに自分の名である『輝』の字を毛利輝元などの諸大名に与えたりもしている。このような経緯から、義輝は将軍として諸大名から認められるようになり、織田信長や上杉謙信などは上洛して義輝と会見しているほどである。義輝の政治活動は、わずかとはいえ将軍権威を復活させたのである。 1564年、幕政を牛耳っていた長慶が病死した。このため義輝は、いよいよ幕府権力の復活に向けてさらなる政治活動を行なおうとした。しかし、長慶の死後に幕政を牛耳ろうと目論んでいた松永久秀と三好三人衆にとっては、そのような義輝は邪魔な存在である。このため、久秀と三人衆は義輝を排除して、義輝の従兄弟(父の兄弟)に当たる足利義栄をロボットとして擁立しようと企んだ。 1565年、久秀と三好三人衆、そして三好義継(長慶の養嗣子)はついにクーデターを起こした。義輝の居城である二条御所に軍勢を率いて襲撃したのである。義輝は上泉信綱に教えを受け、塚原卜伝に奥義の伝授を受けた剣豪将軍であったため、秘蔵の太刀をもって敵兵を多数、斬り殺したという。しかし衆寡敵せず、最後は三好勢によって殺害された。このとき、義輝の生母である慶寿院も殉死している。 法名:光源院融山道圓 辞世の句「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」 義輝は剣豪将軍と呼ばれた。義輝は塚原卜伝からの指導を受け、歴代征夷大将軍の中でも最も武術の優れた人物として評価されている。松永久秀らの二条御所襲撃の際も刀を数本畳にさして自ら戦ったと伝えられる。 そのためか、室町幕府の歴代将軍の中でも特に覇気が溢れ、武士らしい将軍と讃えられている。そして義輝の政治活動により、一時的とはいえ将軍権威が復活したことにおいてはその能力を評価できるかもしれない。しかし、暗殺されたことにより、将軍としての権威は地に堕ちることとなった。義輝の辞世の句にも、野心と無念が強くにじみ出ていることがうかがえる。 情報募集中 名前 コメント
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剣豪将軍 とは R足利義輝の事。 鎌倉から江戸まで続く征夷大将軍の中でも、最も剣術の優れた人物として伝えられていることからついた異名。 戦国大戦が発祥という訳ではなく、昔から歴史家の間で親しまれている異名である。 三好三人衆と松永久秀によって襲撃された永禄の変では、奥の間で畳に無数の刀を突き立て、 手に持った刀の切れ味が落ちると新たな刀を手に取り迫り来る刺客を次々に切り伏せたとされる。 この時振るった刀剣は足利家代々の秘蔵の銘刀であったとされ、中には「天下五剣」に数えられる童子切安綱や三日月宗近もあったとか。 またVer1.0x参戦武将の中で1560年当時の征夷大将軍であるため、単純に「将軍様」、「上様」と呼ばれることも多い。 Ver1.1のカード追加で弟で第15代将軍のR足利義昭が参戦したが、固有の計略を持っているためか、将軍とは呼ばれにくい。
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足利家 足利義輝 レベル 70 7体 職業 侍 配置 本陣総大将 戦闘開始時セリフ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (kao_yoshiteru.JPG) ○○○○? 征夷大将軍・足利義輝じゃ。 我が鬼丸の切れ味を知れ! ○○○○よ。 そこまでして室町幕府を 倒したいか。何を目指す? おかしいか? 征夷大将軍たるこの義輝が、 自ら剣を抜く時代なのだよ。 構成 名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能 足利義輝 刀侍 70 ▲ ▲ 獅子奮迅、剛鬼突、n連撃・改 等持院住持 棍棒僧 65 結界 後光 三刀流精鋭 懐剣二刀忍者 65 奪命三〜五連 細川持隆 陰陽師 65 結界 呪縛・参 大館晴光 剣神主 65 反射 詠唱の韻・極、子守歌 三淵藤英 鉄砲鍛冶屋 65 三段撃ち 鞍馬大山伏 槍薬師 65 再生 ドロップアイテム 鬼丸 特徴 獅子奮迅は雷槌付きの4連撃。 剛鬼突は鬼突モーションの攻撃。準備なし。 開幕はウエイト1で1の行動が来る。 1の連撃・固有技にはランダムで雷槌・氷槌などが付くことがある? 列伝 父は室町幕府第十二代将軍であった足利義晴。母は近衛尚通の娘として生まれる。幼名は菊童丸。妻は近衛稙家の娘。弟に後に十五代将軍となった足利義昭がいる。 父・義晴は当時、管領として幕政を牛耳っていた細川晴元と対立し、京都を追われていた。そのような最中の1546年に、義輝はわずか十一歳にして、父から将軍職を譲られることになる。このときの将軍就任式は、近江坂本で行なわれた。 将軍就任からまもなく、義晴は細川晴元と和睦して京都に戻った。しかし、今度は晴元の家臣である三好長慶が晴元を裏切って細川氏綱に味方し、畿内に一大政権を築き上げたのである。このため、足利義晴・義輝父子は細川晴元とともに京都を再び追われて近江に逃亡した。そして1550年、義輝の父・義晴は近江にて死去している。 1552年、義輝は三好長慶と和睦して京都に戻った。しかし翌年から細川晴元と協力して長慶と戦いを始める。一時期は六角義賢の支援を受けた義輝側が優勢であったが、1558年に三好長慶の猛反攻を受けて京都から追われている。しかし、長慶も将軍殺しの汚名を着ることを嫌い、戦いに勝利した後、義輝に和睦を申し出ている。これにより義輝は京都に戻ることはできたが、長慶は幕府の御相判衆として幕政の実権を牛耳ることとなったので、義輝は傀儡将軍にすぎなかったのである。 義輝は幕府権力と将軍権威の復活を目指して、精力的な政治活動を行なっている。武田信玄と上杉謙信、島津貴久と大友宗麟、毛利元就と尼子晴久などの抗争の調停を頻繁に行なって、諸大名に将軍の存在を知らしめたのである。さらに自分の名である『輝』の字を毛利輝元などの諸大名に与えたりもしている。このような経緯から、義輝は将軍として諸大名から認められるようになり、織田信長や上杉謙信などは上洛して義輝と会見しているほどである。義輝の政治活動は、わずかとはいえ将軍権威を復活させたのである。 1564年、幕政を牛耳っていた長慶が病死した。このため義輝は、いよいよ幕府権力の復活に向けてさらなる政治活動を行なおうとした。しかし、長慶の死後に幕政を牛耳ろうと目論んでいた松永久秀と三好三人衆にとっては、そのような義輝は邪魔な存在である。このため、久秀と三人衆は義輝を排除して、義輝の従兄弟(父の兄弟)に当たる足利義栄をロボットとして擁立しようと企んだ。 1565年、久秀と三好三人衆、そして三好義継(長慶の養嗣子)はついにクーデターを起こした。義輝の居城である二条御所に軍勢を率いて襲撃したのである。義輝は上泉信綱に教えを受け、塚原卜伝に奥義の伝授を受けた剣豪将軍であったため、秘蔵の太刀をもって敵兵を多数、斬り殺したという。しかし衆寡敵せず、最後は三好勢によって殺害された。このとき、義輝の生母である慶寿院も殉死している。 法名:光源院融山道圓 辞世の句「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」 義輝は剣豪将軍と呼ばれた。義輝は塚原卜伝からの指導を受け、歴代征夷大将軍の中でも最も武術の優れた人物として評価されている。松永久秀らの二条御所襲撃の際も刀を数本畳にさして自ら戦ったと伝えられる。 そのためか、室町幕府の歴代将軍の中でも特に覇気が溢れ、武士らしい将軍と讃えられている。そして義輝の政治活動により、一時的とはいえ将軍権威が復活したことにおいてはその能力を評価できるかもしれない。しかし、暗殺されたことにより、将軍としての権威は地に堕ちることとなった。義輝の辞世の句にも、野心と無念が強くにじみ出ていることがうかがえる。 情報募集中 名前 コメント
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武将名 あしかがよしてる 剣豪将軍 足利義輝 足利幕府第13代将軍。「剣豪将軍」の異名をとる。応仁の乱以降、失墜した幕府の権威を取り戻すために、大名間の紛争を収めようと積極的に動いた。しかし敵対していた松永久秀や三好三人集の襲撃を受け、大奮戦した末に、壮絶な討ち死にを遂げた。「足利将軍の誇りと意地・・・・・・. ここに示してみせようぞ!」 出身地 山城国 コスト 2.0 兵種 足軽 能力 武力8 統率4 特技 気合 魅力 計略 秘剣一之太刀 【チャージ発動】(カードを押さえるとチャージが始まり、放すと発動する)斬撃を行い、敵に武力によるダメージを与える。ダメージはチャージ時間が長いほど上がる。この計略は1回使用すると効果が終了する。 必要士気4 Illustration 碧風羽 鎌倉から江戸まで続く征夷大将軍の中でも、最も剣術の優れた人物と伝えられる剣豪将軍。 三好勢の襲撃を受けた際には、まさに数多の伝家の宝刀で次々と群がる兵士を斬り捨てるものの 衆寡敵せず、畳で抑えられ身動きの取れなくなった所を殺害された、という逸話が残っている。 その逸話を反映してか、スペックは武力8統率4ながら気合魅力と恐るべき高スペックとなっている。 武力8気合の足軽はかなりの堅さを誇るが、兵種アクションが使用できないのが唯一の欠点。 計略「秘剣一之太刀」は、自身を中心とする扇状半円内(チャージ前であれば回転可)の 敵部隊すべてに武力差ダメージを与えるもの。自身の武力が高く敵の武力が低いほど効果が高い。 チャージ計略で、計略ボタンを押したあとカードを押さえている(騎馬や鉄砲のタッチアクションと同じ要領) 時間が長いほど、威力が上がる。 チャージは約3秒ごとに強化され、緑→黄→赤とエフェクトが変化する。 まったく押さえていなくても若干のため時間があり、計略ボタンを押して即時発動はしない。 また、押さえ続けていれば延々ため続けるわけではなく 効果時間の7.5Cが経つと、ダメージを与えないまま切れてしまう。 Maxまでチャージ(エフェクト赤)できれば武力8兵力100%でも一撃で葬り去る、とかなり強力。 士気4と軽い士気でこの範囲ダメージは破格のコストパフォーマンスといえる。 ただし一度チャージを始めてしまうと自身は移動できず、相手に範囲が見えてしまうので 相手が範囲から逃げるギリギリのところで斬っていきたいところ。 用法としては、城前の攻防戦での使用が挙げられる。 剣豪マウントを取って、秘剣チャージしながら味方を城に貼りつければ、相手はうっかり出てこれない。 7.5cまでチャージできるということは、7.5cの間は相手に回避を強いるという言い方もできる。 カードを下向きにして自ら秘剣チャージしつつ城門を叩くこともできる。 防衛でも同様に使用することが可能。大筒戦でもかなりの制圧力を誇る。 士気4と軽いこともあり、要所でさまざまな使い方ができるのが最大の魅力である。 単純に秘剣一之太刀を使うだけであればR北畠具教と大差ないのだが こちらは気合足軽の圧倒的な生存能力と開幕に強い魅力持ちを特徴としている。 さすがは剣豪将軍といったところか。