約 1,072,472 件
https://w.atwiki.jp/madofuki/pages/59.html
関西ミステリ連合冬の総会2017 本イベントは終了いたしました。 今年の関ミス連総会には、古野まほろ先生をお呼びします。 講演会には、一般の方もご参加いただけます。 ぜひご来場ください。 期日:2017年12月2日(土) 場所:立命館大学衣笠キャンパス 明学館401 開場 13 00~ 開演 14 00~ 終了 ~17 00(予定) 入場料:無料 入場について:先着順 当日の入場は開場後に先着順で受け付けます。 会場の席数には余裕がございますが、 収容上限を上回ると判断すれば、入場を制限させていただく場合もございます。 あらかじめ、ご了承ください。 形式:質疑応答 当日来場された方の質問に、古野先生より回答していただきます。 事前質問: 当日参加いただけない方に向けて、事前質問を募集したします。 事前質問は、メールおよびTwitterのDMにて承っております。 名前(ニックネーム可)と質問をご記入いただきますようお願いいたします。 なお、構成の都合上利用できない場合もございますので、あらかじめ、ご了承ください。 メールアドレスはこちら ritsumys@yahoo.co.jp Twitterアカウントはこちら @Ritsmys サイン会: 実施いたします。 対象書籍のいずれかをご持参していただきます。 対象書籍 『全日本探偵道コンクール セーラー服と黙示録』(角川文庫) 『R.E.D. 警察庁特殊防犯対策官室』(新潮文庫nex) 『禁じられたジュリエット』(講談社) 新刊を特に対象としたサイン会ですが、 思い入れのある既刊をお持ちいただいても構いません。 ※参加者多数の場合は、抽選となることがございます。
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/67.html
2010年4月17日 最終更新:2011年6月22日 どこかの出版社で邦訳してくれないかなあと個人的に思っている作品のタイトルをただ並べていくコーナー。 (長編・短編とも、現在入手可能なもの、または公式サイト上で読めるものを挙げる) 1.長編 台湾推理作家協会所属の推理作家による2作品を挙げる。(両方未読) (1)『冰鏡莊殺人事件』(氷鏡荘殺人事件) 林斯諺(りん しげん、リン スーイェン) ネット書店 博客來書籍館:『冰鏡莊殺人事件』(2009年9月) 第1回(2009年)島田荘司推理小説賞で最終候補に残った3作のうちの1つ。受賞作『虚擬街頭漂流記』は台湾・中国・日本・タイで刊行されるが、最終候補作は台湾と中国以外での刊行予定はない。 作者の林斯諺は1983年生まれ。作品の講評は、『オール讀物』2009年11月号掲載の島田荘司「いま、アジアのミステリーに何が起きているのか」で読むことができる。 (2)『鎧甲館事件』 冷言(れいげん、レンユエン) ネット書店 博客來書籍館:『鎧甲館事件』(2009年2月) 島崎博推薦作品。作者の冷言は1979年生まれ。 2.中短編 すでに長編の邦訳が出ている寵物先生と、上でも紹介した林斯諺の作品を挙げる(既読)。 (1) 寵物先生(ミスターペッツ) 短編 「名為殺意的觀察報告」 (殺意という名の観察報告) http //www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010328692 (絶版) 短編 「犯罪紅線」 http //www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010370313 すでに文藝春秋より邦訳『虚擬街頭漂流記』(長編本格ミステリ)が刊行されている作家さん。 1980年生まれ。 2作品とも、台湾の推理作家が推理小説を掲載しているブログ「台灣推理夢工廠」(台湾推理夢工場、http //mysteryfactory.pixnet.net/blog)で読むことができる。 (2) 林斯諺(りんしげん、リンスーイェン) 中編 「淚水狂魔」(涙水狂魔) http //www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010413044 女性を誘拐してその涙を集める犯人と、それを追う女性刑事(主人公)・男性刑事(補佐役)のコンビ、という配役で進むストーリーだが、台湾推理作家協会所属の作家ということでただのサスペンスに終わるはずがなく、通常なら不可能に思えるあるトリックを、仕掛けを二重にすることで可能にさせるという本格推理の技巧が冴える作品になっている。 キャラクターもストーリーも非常に良く、勝手に全訳して日本のどこかの出版社に送りつけようかと思ったほどの作品。 関連記事 台湾ミステリ 読書案内 台湾ミステリについて知るための資料リスト このアジアミステリを邦訳してほしい! 中国ミステリ編 韓国ミステリ編 台湾ミステリ紹介 目次へ
https://w.atwiki.jp/mystery_dangerous/pages/56.html
クリスティア・トレイシー・阿笠 ■性別 女性 ■所持品 紅茶 キャラクター説明 妃芽園学園ミステリー研究会会長。イギリス人と日本人のハーフ。愛称はクリス。 軽くウエーブのかかった金髪。インバネスコートに鹿撃ち帽という古典的な探偵スタイル。 ミステリー作家にして、灰色の脳細胞と呼ばれる頭脳でこれまでも数々の事件を解決してきた名探偵である。 「慌てずに、慌てれば犯人の思う壺というものです じっくりと紅茶でも飲んで事件に向き合いましょう」 特殊能力『グレートディテクティブ』 発動率100% 全キャラの所持アイテムからランダムでユダの金貨を除く所持アイテムがひとつ消失し、アイテム「犯行声明」と入れ替わる。 クリスの能力に触発された孤島に潜む謎の怪盗の犯行である。 なお、「犯行声明」にゲーム的な意味はない。 ■能力原理 これこそが名探偵を名探偵たらしめている能力と自称するクリスの能力。 その実態は過去に妃芽園学園にあらわれた”仮面の13人”未来探偵紅蠍への憧れが生み出した 彼女が解決するための事件を起こす能力である。 彼女の起こす事件とは殺人事件だけとは限らない。 暗号の解読、行方不明の人物、怪盗の登場。 解決する謎があればそれは探偵が解決すべき事件である。 この点において、彼女の能力は未来探偵紅蠍程凶悪ではないと言える。 だが、彼女の目の前で人が殺されたら? それは当然連続殺人の幕開けとなるだろう。
https://w.atwiki.jp/tcskinyu/pages/18.html
連絡事項 12/18 忘年会&送別会 4/22 歓送迎会
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/183.html
2015年4月26日 角川学園小説大賞「ヤングミステリー&ホラー部門」の歴史を振り返りつつ、北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』(2001年11月1日刊行)が第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞の「受賞作」だと誤って認識されている件について、なぜそのような誤解が起こったのかを探求した記事です。 Index 「ヤングミステリー&ホラー部門」の新設(2000年) 「ヤングミステリー&ホラー部門」創設の意図 意外なところで語られていた〈スニーカー・ミステリ倶楽部〉創設の舞台裏 第5回(2001年) 第6回(2002年) 第7回(2003年) 第8回(2004年) 第9回(2005年) 第10回(2006年) 第11回(2007年)――あるいは「ヤングミステリー&ホラー部門」の消失 『匣庭の偶殺魔』が受賞作だと誤認させる叙述トリック(?) おまけ:「ヤングアダルト小説」「ティーンズノベル」から「ライトノベル」へ 「ヤングミステリー&ホラー部門」の新設(2000年) 角川学園小説大賞は1996年に創設された。第4回までは応募資格を30歳までに限定。第5回からは応募資格をさらに狭めて25歳までとし、新たに「ヤングミステリー&ホラー部門」を設けた。第7回以降、年齢制限はなくなった。最終選考委員を著名な作家らに委任していたスニーカー大賞と異なり、角川学園小説大賞の選考は最終選考まで編集部が行った。 『ザ・スニーカー』2000年8月号、p.115 第5回角川学園小説大賞募集広告より 毎年ますますグレードアップする「角川学園小説大賞」。 今回から新たに“ヤングミステリー部門”を設け、 次世代に読み継がれていくミステリーを広く募集します! キャラクターミステリー、新本格派、 または新ジャンルのミステリーなど、 バラエティーに富んだ作品を待っています。 新世紀を切り拓く貴方の新しい才能を ぜひ作品にぶつけてください!! 同ページより要項の【募集作品】の部分を引用 【募集作品】 ①ヤングミステリー&ホラー部門 新世紀に向けて若く瑞々しい感覚で描くミステリー作品並びにホラー作品を募集します。もちろん本格派も大歓迎です。但し、未発表のものに限ります。 ②自由部門 従来どおりのエンタテインメント作品を募集します。恋愛、ファンタジー、歴史、SFなどジャンルは問いません。現実の自分の言葉で作品を描いてください。但し、未発表のものに限ります。 ※受賞作は原則としてスニーカー文庫及びティーンズルビー文庫で刊行します。 なお、同じ年の11月には「富士見ミステリー文庫」が創刊されている。 「ヤングミステリー&ホラー部門」創設の意図 角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門の創設意図は、創設の4年後、第8回の選評の中で語られている(『ザ・スニーカー』2004年12月号、p.37)。 《自由部門》選評で、「学園小説大賞」の学園、について触れました。つまり本賞は十代、二十代の読者に向けて書かれたエンタテインメント小説――いわゆるライトノベルを募集する小説賞であり、さらにはテーマとして広い意味で学園(=学校)を舞台としたものを求めていると。 そのなかでもあえてSFやファンタジーといった、ライトノベルと相性の良い要素よりも、ミステリーやホラーという、これまでライトノベルではあまり扱われてこなかった要素に果敢に取り組んで書かれた作品を読んでみたい、本にしてみたい。《ヤングミステリー&ホラー部門》はこのような考えのもとに設けられたものです。 なお、このページの末尾で触れるが、角川学園小説大賞の選評で「ライトノベル」という言葉が使われたのはこの第8回(2004年12月号)の選評が最初である。それまでは「ヤングアダルト小説」、「ティーンズノベル」などの言葉が使われていた。「ヤングミステリー&ホラー部門」が創設された2000年当時、すでに「ライトノベル」という言葉が一般に普及していたのであれば、この部門の名称は「ライトミステリー&ホラー部門」等になっていたかもしれない。 意外なところで語られていた〈スニーカー・ミステリ倶楽部〉創設の舞台裏 2015年4月現在、小説『書店ガール』がテレビドラマ化されて話題になっている。その作者である碧野圭氏は元編集者で、『ドラゴンマガジン』編集部に10年、その後、『ザ・スニーカー』編集部に4年いたという。角川学園小説大賞に「ヤングミステリー&ホラー部門」が創設され、またその受賞作を刊行するスニーカー文庫のレーベル内レーベルとして〈スニーカー・ミステリ倶楽部〉が創刊されたのはちょうど碧野氏が『ザ・スニーカー』編集部に配属されたころだった。2015年4月15日に公開されたインタビュー記事でそのころのことが語られている。 WEB本の雑誌 作家の読書道 第159回 碧野圭さん その4「編集者としての日々」 (2015年4月15日公開) 碧野:(略)40代になる頃に、ドラゴンマガジン編集部からザ・スニーカー編集部に移ったら、課長がミステリを立ち上げたいという人だったので、それで読みはじめたんです。岡嶋二人さんの『クラインの壺』を読んで「こんなに面白いミステリが日本にもあるんだ」と思い、その後宮部みゆきさんをほとんど読みました。課長は本社で赤川次郎さんの担当などをやっていた人なので、スニーカーでミステリ文庫を立ち上げようという動きがあって、米澤穂信さんを世に出したりして。 ――え、米澤穂信さんですか。確かに『氷菓』で角川学園小説大賞のヤングミステリ&ホラー部門からデビューされていますけれど、碧野さんも関わっていたんですか。 碧野:編集部選考だったんで、私も選考委員の一人だったんですよ。内緒ですけれど......いえ、書いてもいいですけれど(笑)、米澤さんに嫌な顔されたらどうしよう。まあ、20人くらいで選考したなかの1人でした。そういえば、長谷敏司さんも私が在籍中にスニーカー大賞の金賞でデビューされた方です。こちらは選考委員の先生がいらっしゃるので、私は下読みしかしてませんけど(笑)。ほかにも、乙一さんの『GOTH』や谷川流さんの『涼宮ハルヒの憂鬱」の仕掛けを編集部みんなで考えたり、綾辻行人さんの作家本を作ったり。スニーカーに在籍したのは4年間と短かったけれど、面白いことがたくさんありましたね。 「綾辻行人さんの作家本」というのは、スニーカー・ミステリ倶楽部編『綾辻行人 ミステリ作家徹底解剖』(2002年10月、角川書店)のこと。 第5回(2001年) 第5回(2001年1月31日締切、2001年8月号発表) 応募総数は両部門合わせて152編受賞作奨励賞:北乃坂柾雪『悪夢から悪夢へ』【未刊】 奨励賞:米澤汎信『ありうべきよすが~氷菓~』(米澤穂信『氷菓』、2001年11月刊行) 最終候補作橘悠樹『蒼い月は知っている』(白泉社My文庫で2002年7月刊行) 北越南『六の水無の秘め事』 内川潤一『御茶ノ水少年発明社』 北乃坂柾雪『悪夢から悪夢へ』あらすじ(『ザ・スニーカー』2001年8月号、p.43より) 絶海の孤島、彩蛾島。正親町と奥入瀬の所属する同好会『蝙蝠の会』は、恒例の親睦合宿のため、現在では無人のこの島を訪れる。ところがその初日、夕食を終えて各自部屋に戻った彼らは、枕もとに奇妙な言葉の書かれたカードを発見。その暗号文は連続殺人を予告していた! 第5回の「受賞者のことば」は結果発表と同じ2001年8月号に掲載。受賞作以外の最終候補作については、選評もあらすじも掲載されていない。 北乃坂柾雪の奨励賞受賞作『悪夢から悪夢へ』は未刊行である。北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』(2001年11月刊行)はネット上のライトノベル賞受賞作品リスト等で奨励賞の「受賞作」だとされており、ネット上の作品評を見てもそう書かれていることが多いが、そうではない。『悪夢から悪夢へ』と『匣庭の偶殺魔』は別の作品である。 北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』と米澤穂信『氷菓』が刊行されるにあたり、『ザ・スニーカー』2001年12月号(2001年10月末発売)のp.177に両者のコメントが掲載されている。北乃坂柾雪はそこでこう述べている。 さて、今回皆様にお披露目させていただける事と相成りました物語は、受賞作とは別個に書き下ろしているのですが、当然こちらも、いわゆる推理小説と呼ばれる類のものです。誰かが死んで、探偵が出てきて、犯人はお前だ! とやるアレです。 第6回(2002年) 第6回(2002年1月31日締切、2002年10月号発表) 応募総数は両部門合わせて448編受賞作優秀賞:渚辺環生『魔を穿(うが)つレイン』【未刊】 最終候補作野村圭人『天神地祇』 大神緋肝『赤い燈』 渚辺環生『魔を穿つレイン』あらすじ(『ザ・スニーカー』2002年10月号、p.49より) ミステリ研究部のその日の話題は、学校の七不思議についてだった。まさか翌日から、その伝説に見立てられ、次々とメンバーが殺されていくとは……。謎の解明とどんでん返しの連続に目くるめく、ジェットコースターミステリー! 『魔を穿つレイン』は2003年2月1日発売と予告されていたが(『ザ・スニーカー』2002年10月号、p.55)、刊行されなかった。 野村圭人の候補作タイトルは2002年8月号p.184の「選考経過報告」では『天神地祇』、2002年10月号p.48の「結果発表」では『天神地祗』となっている(「氏」の下の「一」があるかないかの違い)。四字熟語として正しいのは前者の天神地祇(てんじんちぎ)である。 第7回(2003年) 第7回(2003年3月30日締切、2003年12月号発表) 応募総数は両部門合わせて528編受賞作なし 最終候補作水口敬文『トリックorとりーと!』 → 2004年11月、『憐(れん) Ren 刻(とき)のナイフと空色のミライ』(第9回スニーカー大賞 奨励賞)でデビュー。 刻永淙『楽園の吊し人』 → 2005年1月、木ノ歌詠(このうた えい)『フォルマント・ブルー カラっぽの僕に、君はうたう。』(第4回富士見ヤングミステリー大賞 佳作)でデビュー。デビューの数年後に瑞智士記(みずち しき)に改名。 内山靖二郎『その手は届かない』 → 2006年7月、『神様のおきにいり』(第2回MF文庫Jライトノベル新人賞 佳作)でデビュー。(それ以前にも共著でTRPG関連の著作あり) 大神ヒキモ『片手の露』 第8回(2004年) 第8回(2004年4月15日締切→5月10日締切、2004年12月号発表) 応募総数は両部門合わせて631編受賞作奨励賞:鈴原まき『キリングドール』【未刊】 最終候補作船曳信人『布人形』 第一次選考通過作南野海『人魚の海』 三矢野晃一『ホット・ドッグ』 高知『殺人の三原色』 鈴原まき『キリングドール』あらすじ(『ザ・スニーカー』2004年12月号、p.35) 「君たちの中に一人僕の玩具が混じっている。さあ誰が偽物でしょー。分かったらナイフで胸を突き刺してね!」――西洋人形があふれる薄気味悪い洋館。集められた面識のない七人に仕掛けられたデスゲーム。七人の中に一人だけ人形と入れ替わっている者がいるという。一体誰が人形なのか!? 見破らなければ誰かが殺される! 閉鎖空間での恐ろしいサバイバルゲームを切り抜け生き残るのは誰か!? 第8回より募集要項で「原則として、いずれの部門でも大賞および優秀賞の作品は小社より刊行されます。」とされており、奨励賞受賞作の刊行は確約されていない。 第9回(2005年) 第9回(2005年5月10日締切、2005年12月号発表) 応募総数は両部門合わせて612編受賞作優秀賞:山田一『青春俳句講座』(水原佐保『青春俳句講座 初桜』、2006年6月刊行) ※文庫ではなく四六版の単行本として刊行 最終候補作古内旭『るりえの帰還』 ℃ク神凶徒『畜殺ユートピアクライシス』 第一次選考通過作子猫昼寝『Sing a Song Suiside』 酒井章成『境界を彷徨う亡霊』 本覚『ヒトキリVS殺人体験』 第10回(2006年) 第10回(2006年5月10日締切、2007年2月号発表) 応募総数は両部門合わせて617編受賞作なし 最終候補作下村敦史『過去からの殺人』 → 2014年8月に『闇に香る嘘』(江戸川乱歩賞)でデビューした「下村敦史」氏と同一人物だと思われる 野上かずや『無血学園のセルシウス No Murder, No War, But Mystery』 第一次選考通過作(?)岸本浩明『探偵遊戯「鱗粉」』 海空風『『俺の』『私の』探偵倶楽部同好会!』 『ザ・スニーカー』2006年12月号の「選考経過報告」(p.39)には、上記の4作がヤングミステリー&ホラー部門の最終候補作として示されているが、2007年2月号(結果発表・選評掲載号)では最終候補作は下村敦史『過去からの殺人』と野上かずや『無血学園のセルシウス No Murder, No War, But Mystery』の2作品とされている(選評もこの2作の分のみ)。 例年では、10月号で「自由部門」と「ヤングミステリー&ホラー部門」の第一次選考通過作が発表されるが、この回は2006年10月号で「自由部門」の第一次選考通過作しか発表されていない。上記4作は2006年12月号で「最終候補作」として示されているが、実際にはヤングミステリー&ホラー部門の「第一次選考通過作」だったのではないかと思われる。 第11回(2007年)――あるいは「ヤングミステリー&ホラー部門」の消失 第11回(2007年5月31日締切)の募集要項を引用する(『ザ・スニーカー』2007年6月号、p.235)。 第11回の角川学園小説大賞は、第10回まで募集していた〈自由部門〉〈ヤングミステリー&ホラー部門〉を統合します。 「学園」をキーワードにした優秀な応募作品であれば、恋愛、ファンタジー、SF、ミステリー、ホラーなどジャンルを問わず、等しく厳正な社内選考を行い、受賞作を決定します。 なお、第11回の最終候補5作品のなかには、2011年に横溝正史ミステリ大賞を受賞した長沢樹『消失グラデーション』がある(選評は『ザ・スニーカー』2008年2月号に掲載)。もしこのときまだ「ヤングミステリー&ホラー部門」が続いていたら、長沢樹は米澤穂信の「後輩」としてライトノベルレーベルからデビューしていたかもしれない。 また、この回の第一次選考通過作に市井豊『転校生は誰がために泣く』という作品がある(『ザ・スニーカー』2007年10月号、p.121)。2008年に短編「聴き屋の芸術学部祭」がミステリーズ!新人賞の佳作に選ばれてデビューしたミステリ作家、市井豊と同一人物だろうか。 『匣庭の偶殺魔』が受賞作だと誤認させる叙述トリック(?) 北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』(2001年11月刊行)は角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞の「受賞作」ではない。受賞作である北乃坂柾雪『悪夢から悪夢へ』と、北乃坂柾雪のデビュー作である(そして現在までに唯一の作品である)『匣庭の偶殺魔』は別の作品である。 先にも引用したが、『匣庭の偶殺魔』発売直前に『ザ・スニーカー』2001年12月号(2001年10月末発売)p.177に載った北乃坂柾雪のコメントを再度引用しておく。 さて、今回皆様にお披露目させていただける事と相成りました物語は、受賞作とは別個に書き下ろしているのですが、当然こちらも、いわゆる推理小説と呼ばれる類のものです。誰かが死んで、探偵が出てきて、犯人はお前だ! とやるアレです。 このように早々に真相(?)は明かされていたのだが、その後約十余年にわたって、『匣庭の偶殺魔』が受賞作だという誤認は続くことになる。 2001年11月に角川スニーカー文庫で刊行された『匣庭の偶殺魔』を見ると、この作品が角川学園小説大賞奨励賞の「受賞作」であるとは実はどこにも書かれていない。それは各所で徹底されている。 著者略歴『氷菓』 2001年、第五回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を本作で受賞。 『匣庭の偶殺魔』 1981年生まれ。高校一年生の頃、友人に唆され成り行きで小説を書き始める。現在某理系大学の生物科学科に潜伏中。 Amazonに掲載されている内容紹介『氷菓』 第五回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞受賞作! 何事にも積極的に関わらない奉太郎が、姉の命令で入部させられた古典部で、部員の少女の叔父が関わった三十三年前に起きた事件の真相に迫る。省エネ少年と好奇心少女が繰り広げる青春ミステリー。 『匣庭の偶殺魔』 大学内で連続する奇妙な殺人。己の影に怯える男。孤島を襲う大虐殺。美しき狂博士、奥入瀬が切り裂く謎のヴェールの向こうには……。第五回角川学園小説大賞奨励賞受賞の新鋭による、精緻で残酷な本格ミステリー。 ただし、『匣庭の偶殺魔』の裏表紙には「第五回角川学園小説大賞奨励賞受賞」と書かれている。これは、北乃坂柾雪がこの賞を受賞したということを意味しているのだろう。あくまでも、「受賞」であって「受賞作」とは書かれていないことに注意しなければならない。とはいえこの表記については、フェアかアンフェアか意見は分かれるだろう。 おまけ:「ヤングアダルト小説」「ティーンズノベル」から「ライトノベル」へ 角川学園小説大賞の選評では当初、「ライトノベル」という言葉は使用されていない。『ザ・スニーカー』2004年12月号に掲載された第8回の選評に初めて「ライトノベル」という言葉が出てくる。それまでは、「ヤングアダルト文庫」「ヤングアダルト小説」「ティーンズノベル」などの言葉が使用されていた。 第5回選評(2001年8月号、p.41):ヤングアダルト文庫の読者である中学生、高校生、大学生、あるいはいろんな学校に通う若いみんなに、自分の読みたいストーリーを自分ならではの言葉、自分ならではの感覚で語ってほしい、という意図のもと1996年に設立された角川学園小説大賞。 第6回選評(2002年10月号、p.50):本賞は、十代二十代の読者に向けて書かれたエンタテインメント小説の中でも、広い意味で、学園/学校を舞台にしたものを対象としてきました。 第7回選評(2003年12月号、p.148):角川学園小説大賞は十代、二十代の読者に向けて書かれたエンタテインメント小説――いわゆるティーンズノベルを募集する小説賞です。そしてティーンズノベルというジャンルの中でも本賞は、テーマとして広い意味で学園(=学校)を舞台としたものを求めてきました。 第8回選評(2004年12月号、p.36):角川学園小説大賞は十代、二十代の読者を想定して書かれたエンタテインメント小説――いわゆるライトノベルを募集する小説賞です。そしてライトノベルというジャンルの中でも本賞は、広い意味での学園(=学校)をテーマにしたものを求めてきました。 角川学園小説大賞では今でいう「ライトノベル」からやや外れている、と編集部が考えた作品には「特別賞」が与えられていたが、当時の選評では「ライトノベル」という言葉は使われていない。 第5回自由部門 特別賞、滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』に対する選評(2001年8月号、p.41)しかし、内省的な表現が多く見られたためヤングアダルト小説としてはどうかとの意見が多く、特別賞の受賞となりました。 第7回自由部門 特別賞、十文字青『純潔ブルースプリング』に対する選評(2003年12月号、p.148)しかし、ティーンズノベルという枠組みから、やや外れていたことから特別賞ということになりました。 ※このページは2012年2月にほぼ書き上げ、「仕上げをしてから公開しよう」と思ったまま3年間放置していたものです。「直木賞のすべて」の子サイト「文学賞の世界」に「ライトノベル」カテゴリが新設されたのを機に、少々見直しをして公開することにいたしました。
https://w.atwiki.jp/blackstellaptolomea/pages/152.html
ミスティック・ラブ SSR HP 895 オプション 風属性キャラクターが装備時、自身のクリティカル率アップ
https://w.atwiki.jp/jinro-info/pages/201.html
関連用語 CO 完ステ おはステ 役職者 潜伏 用語集へ
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/108.html
2011年2月3日 2011年8月7日:増補(詳細はページ最下部の「第二章 更新履歴」参照) 『中国ミステリ史 第二章』では、1910年代から1940年代まで(中華民国時代)の中国の探偵小説(偵探小説)/推理小説/ミステリの歴史を紹介している。 目次 第二章 1910年代~1940年代: ホームズ、ルパンからフオサン、ルーピンへ第一節 中国ミステリ草創期: 上海の「青」と「紅(あか)」(1)程小青(てい しょうせい)/名探偵フオサン (2)孫了紅(そん りょうこう)/怪盗紳士ルーピン (3)同時代の中国探偵作家 第二節 中華民国時代の探偵雑誌(1)中国初の探偵雑誌 (2)終戦後の探偵雑誌創刊ブーム 第三節 同時代の日本から見た当時の中国探偵小説界 第四節 邦訳された19世紀末~1940年代の中国探偵小説 参考文献 第二章 更新履歴 第二章 1910年代~1940年代: ホームズ、ルパンからフオサン、ルーピンへ 第一節 中国ミステリ草創期: 上海の「青」と「紅(あか)」 (1)程小青(てい しょうせい)/名探偵フオサン 【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 二、程小青与霍桑(上)」、「二、程小青与霍桑(下)」】 中国で探偵小説の創作及び理論面での基礎を築いた人物は、程小青(てい しょうせい/チョン シャオチン)(1893 - 1976)である。 1893年、上海生まれ(日本では甲賀三郎、イギリスではドロシー・L・セイヤーズ、アントニイ・バークリーが同年生まれ)。12歳の時にコナン・ドイルのホームズものを偶然目にして虜になり、16歳で創作を開始。1914年、上海の新聞『新聞報』(新闻报)の文芸特集ページ「快活林」で行われていた公募に短編「灯光人影(とうこうじんえい)」が入選。この作品の主人公の霍桑(かくそう/フオサン)はシャーロック・ホームズ型の探偵で、ワトソン役は包朗(ほうろう/バオラン)。この作品が読者の好評を得たため、霍桑が探偵を務める物語はシリーズ化され、30年以上にわたって愛される人気シリーズとなった(ほぼ同時期の1917年、日本では岡本綺堂の半七捕物帳シリーズの掲載が始まっている)。 「灯光人影」の入選の前にいち早く彼の才能を見抜き小説創作の指導をしていたのは、小説誌の編集長を務め、西洋作品の翻訳で名高かった医師の惲鉄樵(うん てっしょう/ユン ティエチャオ)(恽铁樵)である。 1919年、霍桑シリーズの「江南燕(こうなんえん)」が当時の人気俳優・鄭君里(てい くんり/ジョン チュンリー)(郑君里)主演で映画化されたことから、このシリーズはさらに知名度と人気を高めた。 1915年、大学付属中学の臨時英語教師になった程小青は、そこでアメリカ人教師と知り合って英語の能力を格段に高め、英語で小説が読めるまでになる。翌年には、程小青ほか数名が翻訳した『ホームズ事件簿全集』(福尔摩斯探案全集、全12巻)が刊行されている。これは中国語の文語に訳したものだったが、1930年には程小青らにより口語訳の『ホームズ大全集』(福尔摩斯大全集)も刊行されている。程小青が翻訳に携わったのはホームズシリーズのみにとどまらず、ヴァン・ダイン、レスリー・チャータリス、エラリー・クイーン(『ギリシャ棺の謎』)、さらには中国人探偵が活躍するアール・デア・ビガーズのチャーリー・チャンシリーズなど、大量の作品を翻訳している。 程小青の探偵小説への貢献は創作および国外ミステリの翻訳にとどまらず、その能力は探偵小説論でも発揮された。また彼はアメリカの大学の「犯罪心理学」、「探偵学」などを通信教育で受講するなどして、当時の最先端の知識を得ていた。 1946年には、程小青の探偵小説74編を収録する『霍桑事件簿全集』(霍桑探案全集袖珍丛刊)全30巻が刊行された。1949年の新中国成立後は旧来の探偵小説を書くことは禁止されてしまったが、1957年からは実際の事件に題材を採った大衆向けスリラー小説を書くようになり、どれも20万部を越える大ヒットとなる。中国で名高い映画「徐秋影案件(じょしゅうえい あんけん)」(1958)は、程小青の小説に基づくものである。(日本では1957年、松本清張が『点と線』の連載を開始し、いわゆる「社会派推理小説」の時代が幕をあける) 晩年の10年間は、中国で知識人が迫害にあった文化大革命の時期に当たり、彼も迫害を受けることになった。かつてともに探偵小説の翻訳などを手掛けた仲間が病死したり、あるいは自殺に追い込まれたりする中で、1975年には妻をもなくし、彼も自身の作品の改訂版全集を出すという夢をかなえられないまま、1976年、北京にて没。享年83歳。 近年中国では、1997年の『霍桑探案集』(全6巻)など何度か作品集が刊行されているが、ほとんど品切れになっているようだ。現在新刊で入手できるのは、10編収録の短編集『血手印(血の手形)』(華夏出版社、2008年)。また、2007年には『近現代偵探小説作家程小青研究』という研究書が刊行されている。 また、2006年にはハワイ大学出版からフオサンものの英訳短編集"Sherlock in Shanghai Stories of Crime And Detection"が出ている(著者名の表記は Cheng Xiaoqing )。翻訳はほかに少なくとも、イタリア語訳"Sherlock a Shangai"(2009年)が刊行されている。 (2)孫了紅(そん りょうこう)/怪盗紳士ルーピン 【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 三、孫了紅和他的“反偵探小説”」】 1920年代から40年代末までの中国探偵小説界を支えたもう1人の人物として、孫了紅(そん りょうこう/スン リャオホン)(孙了红)(1897 - 1958)が挙げられる。 1897年、上海生まれ(程小青の4歳年下/日本では海野十三、木々高太郎が同年生まれ)。彼は紙とペンさえあればどこでも小説を書き始めるような男で、喫茶店で小説を書いては、周りの人に見せて喝采を浴びていた。雑誌に小説などを発表していたが、1923年のある日、『アルセーヌ・ルパン全集』(亚森罗苹案全集、1925年出版)の翻訳に誘われ、そこから探偵小説創作の道へと入る。1923年11月には、ルパン(Lupin)をもじった魯平(ルーピン)(鲁平、Luping)という怪盗紳士探偵が登場する短編「傀儡劇(かいらいげき)」(傀儡剧)を雑誌『偵探世界』に掲載する(日本ではこの年、乱歩がデビュー)。この作品は好評を得てシリーズ化され、怪盗紳士ルーピンはこの後約25年間にわたって活躍することになる。探偵小説の創作以外に、いくつかの探偵小説雑誌の編集長も務めた。また恋愛小説も執筆している。 孫了紅の作品は「反探偵小説」(反侦探小说)と呼ばれている。これを聞くと、日本に少なからずいる「アンチ・ミステリ」ファンは色めき立ってしまうかもしれないが、これは単に彼の作品が当時の一般的な探偵小説と異なり、探偵ではなく怪盗を主人公にしていることからきた名称である。 程小青とは交流があり、探偵小説論を交わし互いに刺激し合った。霍桑(フオサン)が登場する作品を孫了紅が書いたこともあった(「鴉の鳴く声」(鸦鸣声))。当時上海では、二人の名前にそれぞれ「色」が含まれていることから、二人のことを「青紅(あおあか)コンビ」(青红帮)と呼んでいた。ただ、老蔡(ラオツァイ)(2009)によれば、孫了紅の創作の量は程小青ほど多くはなく、また孫了紅の作品は出来不出来の差が大きいという。 1949年の新中国成立後は、旧来の探偵小説雑誌や探偵小説は発行が禁止されてしまったため、劇団の劇の脚本を書いたり、新聞でスリラー小説(驚険小説/惊险小说)を連載したりした。若い頃から病弱であったが病状が悪化し、1958年没。享年61歳。同年に書きあげ新聞連載された反スパイ小説『青島迷霧(チンタオ めいむ)』(青岛迷雾)が最後の作品となった。 現在中国で手に入る孫了紅の単行本は、5編収録の短編集『血紙人(血染めの紙人形)』のみである。 同時代のアジアの動向 インドネシアでは、1926年に程小青の霍桑(フオサン)ものが翻訳されている。1929年には、代表作の1つである「江南燕」が訳された。(柏村彰夫(2010)) 上海でルパンの名をもじった怪盗紳士ルーピン(魯平)が活躍していた頃、朝鮮半島ではルパンシリーズの作者ルブランの名をもじった探偵ユ・ブラン(劉不乱)が活躍していた。探偵ユ・ブランを創造したのは、早稲田大学留学中の1935年に日本の雑誌『ぷろふいる』でデビューし、江戸川乱歩とも親交があった韓国ミステリの始祖・金来成(キム・ネソン、1909-1957)である。探偵ユ・ブランは『ぷろふいる』1935年12月号に掲載された「探偵小説家の殺人」で劉不乱(りゅう ふらん)として初登場。金来成は1936年に朝鮮半島に戻り、以降はユ・ブランが活躍する探偵譚や乱歩風の変格短編を朝鮮語で執筆していた。(金来成についての詳細は、「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)」) (3)同時代の中国探偵作家 【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 四、民国時期的其他原創作品(上)」、「四、民国時期的其他原創作品(下)」】 程小青、孫了紅と同時期に中国で活躍した探偵作家に以下のような人たちがいる。 陸澹安(りく たんあん/ルー ダンアン/陆澹安)(1894 - 1980)程小青のフオサンシリーズ、孫了紅のルーピンシリーズとともに「中華民国時代の三大探偵小説シリーズ」と呼ばれる李飛(リーフェイ)シリーズの作者。当時の探偵小説作家の中で唯一、法律の専門教育を受けた人物だった。1923年に創刊された中国初のミステリ雑誌『偵探世界』では、程小青らとともに編集を担当。作品数があまり多くないため、後世に与えた影響は程小青や孫了紅ほど大きくはない。 兪天憤(ゆ てんふん/ユー ティエンフェン/俞天愤)(1881 - 1937) 張碧梧(ちょう へきご/ジャン ビーウー/张碧梧)(1897 - 没年不明) 趙苕狂(ちょう ちょうきょう/ジャオ ティアオクアン/赵苕狂)(1892 - 没年不明) 中国では2002年に、20世紀に発表された中国ミステリの傑作短編を集めたアンソロジー『20世紀中国偵探小説精選』(全4巻)が刊行されている。この時期を対象とする第1巻の収録作品は以下のとおりである。 『20世纪中国侦探小说精选(1920-1949) 少女的恶魔』(少女的悪魔)程小青「案中案」 程小青「白紗巾」(白纱巾) 孫了紅「藍色響尾蛇」(蓝色响尾蛇) 陸澹安「夜半鍾声」(夜半钟声) 兪天憤「白巾禍」(白巾祸) 張碧梧「箱中女屍」(箱中女尸) 趙苕狂「少女的悪魔」(少女的恶魔) 何朴斎(か ぼくさい/ホー ピャオジャイ/何朴斋)「鸚鵡緑」(鹦鹉绿) 徐卓呆(じょ たくがい/シュー ジュオダイ)「臨時強盗」(临时强盗) 同時代のアジアの動向 タイでは1912年にホームズが初めて翻訳されたのに続いて、モーリス・ルブランのルパンものや、エミール・ガボリオ、ガストン・ルルーの探偵小説などが多数翻訳・翻案され、圧倒的な人気を博した。創作では、前述のラーマ6世『トーンイン物語』に続いて、ホームズものの翻訳者だったルアン・サーラーヌプラパンによる『黒い絹と悪霊の顔』(1922)、シーラット・サパーポンワット『それから永久に』などが発表された。1930年代に入るとこのジャンルはやや下火になったが、パイサーン・サーンブット『私の王女』(1937)、アルンプラサート『邪悪な巣窟』(1938)、タンマティアンの〈探偵チューチュープシリーズ〉(1938~)、ディンソー『探偵チェム博士』(1941)などが書かれた。(宇戸清治(2009)) 第二節 中華民国時代の探偵雑誌 【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 五、民国時期的偵探雑誌(上)」、「五、民国時期的偵探雑誌(下)」】 【2011年8月7日加筆】 (1)中国初の探偵雑誌 少し時間をさかのぼって話を始めるが、1923年というのは日本のミステリ史においても、そして中国のミステリ史においてもエポックメイキングな年であった。この年、日本の雑誌『新青年』は4月号を初の「創作探偵小説号」とし、翻訳ではなく日本のオリジナルの探偵小説を特集するという新たな試みに出る。そしてこの号に掲載された「二銭銅貨」で華々しくデビューしたのが、江戸川乱歩である。この号では乱歩の作品を含め4編の創作短編が掲載されたが、その中には上海を舞台にした松本泰の短編「詐欺師」もあった。 日本人がイマジネーションの中の魔都・上海を描き出していたとき、現実の上海でも、今まさに中国ミステリ史における重大事件が起ころうとしていた。1923年6月、中国初の探偵小説雑誌『偵探世界』(世界書局)の創刊である。中国の作家によるオリジナル作品を重視し、中華民国時代の探偵小説界の三大巨頭、程小青(てい しょうせい)・孫了紅(そん りょうこう)・陸澹安(りく たんあん)の作品を多く掲載したほか、探偵作家以外の小説家にも積極的に声をかけ、探偵小説を依頼した。ただし、この雑誌自体は探偵小説専門というわけでなく、探偵小説が一番多いとはいえ、ほかに武侠小説や冒険小説も掲載していた。小説以外に、程小青による「科学と探偵術」、「探偵小説作法の管見」等のコラムも掲載された。程小青の名前は編集委員としてもクレジットされていたが、実際には程小青は編集に参加していないと言われている。彼の名前がクレジットされているのは、当時すでに探偵作家として名声を博していた彼の名前を借りて売り上げにつなげようと出版社が考えたからである。月2回刊という刊行ペースに創作小説の供給が追い付かなくなり、次第に作品の質が低下したことで読者離れを招き、全24冊、1年という短命に終わったが、この雑誌が後の中国ミステリ界に与えた影響は大きかった。 その後の中国の探偵小説雑誌としては、1938年9月創刊の中国第二の探偵小説雑誌『偵探』があった。当初は月刊、のちに月2回刊となったこの雑誌は、バックナンバーが散逸しており研究はまだ進んでいないとのことだが、1941年刊行の第54号の存在が確認されており、現在知られている中華民国時代の探偵雑誌では、最も刊行号数が多いものである。 なお、日本初の探偵雑誌は、1916年から3年ほど刊行された『探偵雑誌』(実業之世界社)というタイトルの探偵雑誌だとされている。 (2)終戦後の探偵雑誌創刊ブーム 終戦後、日本では1946年3月創刊の『ロック』を皮切りに、探偵雑誌が多数創刊された。1946年には『ロック』に続いて、『宝石』(3月)、『トップ』(5月)、『ぷろふいる』(後に『仮面』)(7月)、『探偵よみもの』(11月)が、1947年には『黒猫』(4月)、『新探偵小説』(4月)、『真珠』(4月)、『妖奇』(後に『トリック』)(7月)、『Gメン』(後に『X』)(10月)、『フーダニット』(11月)が創刊されている。もっとも、これらの雑誌はほとんどが2~3年ほどで廃刊になっており、1940年代に創刊された雑誌で1950年代になってまだ刊行が続いていたのは、『Gメン』(『X』)(~1950年)、『探偵よみもの』(~1950年)、『妖奇』(~1953年)、そして『宝石』(~1964年)だけである。 中国でも戦後になると探偵雑誌の創刊ブームが訪れる。中国で戦後最も早く創刊された探偵雑誌は、程小青が編集長を務めた『新偵探』だが、この創刊は日本の『ロック』創刊よりも早い1946年1月のことだった。続いて同年のうちに、『大偵探(だいていたん)』(4月)、『藍皮書(らんひしょ)』(7月)が創刊されている。 『新偵探』は月2回刊。編集長の程小青は、創刊号から毎号のように霍桑シリーズを掲載し、またレスリー・チャータリスのセイントシリーズを翻訳するなど、自ら健筆をふるった。雑誌は創作が大部分を占めたが、翻訳ではほかに、エラリー・クイーンの短編「アフリカ旅商人の冒険」なども掲載された。創作作品の不足のため次第にページ数が少なくなり、約半年、全17号を刊行して廃刊となった。 『大偵探』は、孫了紅が初代編集長を務めた月刊の探偵雑誌。『新偵探』とは異なり、こちらは翻訳作品を主軸としており、欧米黄金時代のアガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カーの作品や、ジャック・フットレルの作品などを翻訳掲載した。また、犯罪実話も人気を博した。『新偵探』が休刊になると創作も載せるようになり、次第に創作の割合の方が多くなっていった。孫了紅もルーピンシリーズの「藍色響尾蛇」(蓝色响尾蛇、別名「1947年の怪盗ルーピン」(一九四七年的侠盗鲁平))を連載している。 『藍皮書』は不定期刊。探偵小説のほか、ホラー小説、武侠小説も掲載された。創刊号には、当時『大偵探』の編集長だった孫了紅も小説を寄せており、孫了紅はのちには『藍皮書』の編集長にもなっている。孫了紅は、金庸などに影響を与えた当時一番人気の武侠作家、還珠楼主に執筆を依頼し、これにより『藍皮書』の売り上げは大幅に上がった。さらに程小青のフオサンシリーズの連載や、孫了紅のルーピンシリーズの掲載もあり、『藍皮書』当時の一番人気の探偵雑誌となった。 1949年1月には、探偵小説雑誌『紅皮書』が創刊された。この雑誌にも孫了紅のルーピンシリーズが掲載され、またたく間に『藍皮書』と並ぶ人気雑誌となった。そして、中国の探偵小説界はこのままの形で発展していくかに思われたが、1949年、新中国=中華人民共和国の成立により、状況は一変する。(以降、第三章) 第三節 同時代の日本から見た当時の中国探偵小説界 【2011年8月4日新設】 日本の雑誌『新青年』は、1930年代に中国の探偵小説を4編訳載している。この4編は、江戸川乱歩編「翻訳短篇探偵小説目録」(『探偵小説年鑑 1951年版』岩谷書店、1951年 巻末)に記載されていない。 (タイトルに付した振り仮名は、実際に『新青年』で振られているもの) 掲載号 ページ タイトル 作者 翻訳者 1930年夏季増刊号(11巻11号) pp.100-113 「白玉環」(はくぎょくくゎん) 武進呂侠 記載なし 1931年新春増刊号(12巻3号) pp.278-290 「無名飛盗」(ウー ミン フェイ タオ) 張慶霖 記載なし 1933年夏季増刊号(14巻10号) pp.125-138 「賭場母女」(トゥ チャン ムー ヌー) 幸福斎 呂久餘七 1935年夏期増刊号(16巻10号) pp.161-169 「絶命血書」(チュエ ミン シェー シュ) 呂侠 阿羅本洋 どれも初出情報や作家の経歴等の親切な情報は付されていないが、調べてみると、このうち呂侠(ろきょう/リューシア)の2作品は、1907年に刊行された呂侠『中国女偵探』(商務印書館)に所収のものであることが分かった。1907年というのは、中国で次々とホームズ物やその他の欧米探偵小説が翻訳され、また中国の作家が見よう見まねでオリジナルの作品を発表しはじめていた時期である。この本には、原題で示すと「血帕」、「白玉環」、「枯井石」の3短編が収録されているが、このうち1作目と2作目が『新青年』に訳載されている(2作目の「白玉環」の方が『新青年』では先に掲載されている)。なおこの『中国女偵探』は、「こちら(中国のサイト)」で全ページを画像ファイルで見ることができる。作者の呂侠は、中国の史学家の呂思勉(ろ しべん、1884-1957、中国語版Wikipedia)と同一人物だという説があるようだ。 張慶霖(ちょう けいりん/ジャン チンリン)と幸福斎(こうふくさい)は、1923年に創刊された中国初の探偵小説雑誌『偵探世界』などに作品を発表していた作家のようだが、『新青年』に掲載された作品の原典は分からない。この4作品については、のちに別ページでまとめる予定である(※現在未公開「アジア推理小説翻訳史 中国編(1) 『新青年』掲載の忘れられた四短編」)。 上で示したように、早くも1930年代には中国の探偵小説が日本で翻訳されていたわけだが、これらの短編は発表年も作者のプロフィールも付されず、ただ翻訳されて掲載されただけだったので、これでは中国の探偵小説界について知りようもなかった。中国の探偵小説界についてある程度まとまった情報が入ってくるのは、戦後になってからである。 戦後、江戸川乱歩を中心に探偵作家が集まって、土曜会という探偵小説を語る会が毎月1回開かれるようになった。1946年6月に始まったこの土曜会では、1947年から1950年の間に計3回、中国の探偵小説についての講演会や座談会が行われている。 (1)東震太郎 講演「中国の探偵小説界」(第13回土曜会、1947年6月21日) 1947年6月21日、すなわち探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)創設の日に開かれた第13回土曜会では、探偵作家クラブ会員で作家の東(あずま)震太郎氏が「中国の探偵小説界」と題する講演を行っている。最初に日本のミステリ界で中国の探偵小説について詳しく紹介したのは、おそらくこの東震太郎氏だと思われる。 東震太郎 講演「中国の探偵小説界」要旨 (「第13回土曜会記録」『探偵作家クラブ会報』第2号(1947年7月))「ビガース(米)の伸査礼(チャーリーチャン)探偵は、人物が温厚謙遜なので好まれている。」 「ルパン、ドイルは夙に翻訳され、わが乱歩の「D坂の殺人事件」「二銭銅貨」「白髪鬼」「蜘蛛男」等も訳されている。」 「創作は至って少く、張恨水、耽小適等の作品も、人情本又は之に類するものであり、曹禹も実録物を書いている。」 「種本は、康煕年間に多い公案物(裁判物)が主で、中にも「龍図公案」(包公案)はその模倣が多い。この本は例の「棠陰比事」と同じくわが「本朝桜陰比事」の淵叢で大岡政談的な物語が六十三種も収録されている。又、謎々的な一種の暗号めいた「柏案驚奇」と云った本も好まれている。」 上記の第13回土曜会記録が掲載された号には、東震太郎氏のエッセイ「中国の探偵小説」も掲載されている。東氏はそこで、中国の探偵小説を3つに分類している。(判読不明の文字は■で示す) 中国の探偵小説(1)実録もの(耽小適(人情本作家)曹禹(劇作家)その他) (2)公案もの ― 棠陰比事(明末■■) ― 龍図公案(一名包公案)(清■) ― その亜流 (3)翻訳もの ― ルパン物、ドイル物、乱歩もの(二銭銅貨、D坂の殺人事件、白髪鬼、蜘蛛男等) アメリカの推理作家アール・デア・ビガーズが創造したチャーリー・チャンは、ホノルル警察の警部で中国系アメリカ人という設定。このころには少なくとも、程小青訳のものが刊行されていた。現在ではチャーリー・チャンの中国語表記は陳査理(チェン・チャーリー/陈查理)が普通だが、このころは伸査礼(シェン・チャーリー)と書いていたんだろうか。 中国のオリジナル作品の現状や発展については、東氏はかなり悲観的な見方をしている。東氏は戦前はジャーナリストとして大陸におり、終戦前後には上海にいたそうだが、残念ながら程小青や孫了紅の活躍や、終戦後の探偵雑誌の隆盛については、東氏の耳には入らなかったようである。東氏が挙げている中国の三人の作家は、推理小説関連の文献では名前を見掛けたことがない。今ほど情報が手に入りやすい時代ではないので仕方がないが、中国における創作探偵小説の実情の紹介としては、やや的外れのものだったと言わざるを得ないだろう。(ここで名前が出ている張恨水、耽小適(耿小適?)、曹禹については、のちに別ページでまとめるかもしれない) (2)柴田天馬 講演「中国文学に現れた犯罪、探偵」(第18回土曜会、1947年11月22日) 東震太郎氏の講演から5か月後には、『聊斎志異(りょうさいしい)』の完訳者である中国文学者の柴田天馬が土曜会に招かれている。この回では主に中国の古典文学作品に現れる侠盗についての話がなされたようで、19世紀末以降の中国探偵小説の話題は出なかったようである。(『探偵作家クラブ会報』第7号(1947年12月)) (3)江戸川乱歩、ロバート・ファン・ヒューリック、辛島驍、魚返善雄ほか 座談会「中国の探偵小説を語る」(第47回土曜会、1950年5月27日) この前年に『狄公案(てきこうあん)』の英訳を出したロバート・ファン・ヒューリックと、中国文学者の辛島驍(からしま たけし)、同じく中国文学者の魚返善雄(おがえり よしお)を招いて座談会が行われた。その模様は、『宝石』1950年9月号に座談会「中国の探偵小説を語る」として掲載されている。ここで辛島氏は、中国の探偵小説史を第一期から第七期に分類して説明しているが、ここで「第七期」とされているのが19世紀末から20世紀初頭のホームズなどの西洋文学の翻訳時期のことであり、その後の程小青や孫了紅の登場についてはこの座談会では触れられていない。 結局、この時期には中国の創作探偵小説の実情について、正しい情報は伝わらなかったようである。 乱歩は中国以外にも、インドや韓国などアジア各地の推理小説に興味を持ち、情報を集めていた。しかし、1965年に乱歩が死去して以降は、アジアの推理小説に目を向ける人はおらず、日本のミステリ界において「アジア」の存在は忘れられたものとなった。日本のミステリ界においてアジアが「再発見」されるのは、21世紀になり、島田荘司がアジア各地の本格ミステリに目を向け始めてからのことである。 第四節 邦訳された19世紀末~1940年代の中国探偵小説 【2011年8月4日訂正】 清末から中華民国時代の中国探偵小説で、一般流通の書籍・雑誌等で翻訳された作品は、第五節で紹介した『新青年』掲載の4編以外には見当たらない。 2004年の第4回本格ミステリ大賞で評論・研究部門の候補になった井波律子『中国ミステリー探訪 ― 千年の事件簿から』(日本放送出版協会、2003年)は、中国ミステリの歴史を4世紀にまでさかのぼり、そこからの歴史を丁寧にかつ読みやすく紹介した好著である。基本的に19世紀以前の作品を紹介しているが、最後の方で程小青と孫了紅にも言及があり、フオサンシリーズの中編「舞宮魔影(ぶきゅうまえい)」と、ルーピンシリーズの「血染めの紙人形」(血紙人、1942)のあらすじが詳しく紹介されている。 ネット上では、この時期の上海の探偵小説については、ブログ「中国推理小説研究会」の上原草さんが、作品のあらすじを詳細に示しながら丁寧な紹介をしていらっしゃいます。程小青のフオサンシリーズや孫了紅のルーピンシリーズのほかに、趙苕狂(ちょう ちょうきょう)の失敗探偵シリーズなどにも言及があります。 また、Webサイト「翻訳書肆・七里のブーツ」では、フオサンシリーズの「別荘の怪事件」(別墅之怪)が全訳されて公開されています。(程小青のフオサンシリーズの英訳が出ていることは、このサイトで知りました) 参考文献 中国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 第二章 更新履歴 2011年2月3日:公開 2011年8月4日~7日「第三節 同時代の日本から見た当時の中国探偵小説界」を新設。 中華民国時代の探偵雑誌についての記述を第三章から第二章に移動して「第二節 中華民国時代の探偵雑誌」とし、大幅に加筆。 『中国ミステリ史 第一章』(19世紀末~1910年代) 『中国ミステリ史 第二章』(1910年代~1940年代) ←今見ているページ 『中国ミステリ史 第三章』(1940年代末~1970年代) 『中国ミステリ史 第四章』(1970年代末~1990年代) 『中国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭) 『中国ミステリ史 第六章』(現代)
https://w.atwiki.jp/steph/pages/145.html
ステフに関する用語集の皮を被った解説集だったり 解説集の皮を被った用語集だったりします。 ステフ万歳の心で編集しましょう。 見出しはあいうえお順に並んでいます。 尼寺 「おまえら土日までに一本ゲーム作るスレ」の製作者。ステフ1.5の製作を応援するため「猫耳様」の派生作品を作っていた。一時期、ステフ1.5再利用スレ(「とにかくゲームをPCで作りたい!」)の住民に総バッシングを受けたが、派生作品製作の意図が分かってからは住民の反応はおおむね友好的となった。その後はステフ33の企画に参加するも、33との意見の相違からケンカ別れ(?)した模様。現在消息不明。 公孫樹 ステフ9が作っているゲームのキャラ。 彩りはじめた季節 元ステフ11が立てた企画。 裏ステフ ステフ11の自称。 絵師 ◆YOME//udaE 初代ステフの一番始めの絵師。 音屋 ◆O0F3zE7JAg 初代ステフの音屋。黙々と仕事をこなす努力家であった。 格103 ステフ9が作った格闘ゲーム。 学年番号41鳩麦ちゃん ステフ41が作った縦スクロールSTG。 河本ありす ステフ18が作ったゲームのキャラクター。お絵かき掲示板でも描かれていた事があった。 河本麻奈 ステフ18が作ったゲームのキャラクター。お絵描き掲示板で頻繁に描かれていた。 こんにゃく コンニャクを愛する少年と人間になったコンニャクとの愛の物語。ステフ24がゲームのアイディアを募った際にステフスレ5の204レス目で提案された。元はVIP企画のアイディアだったらしいが、同スレの247 248でようかんちゃんに変貌を遂げる事になる。 西園寺ぽち ステフ40が作っているゲームの主人公。 さぶろく ステフ1.5の元メンバー。ピド氏に替わりメインプログラマーを務める事になった。 サラ ステフ28が作っているゲーム「FARNESS RPG」のキャラクター。神絵師による萌えイラストがステフスレ4で大評判になった。また線画担当の532の線画も好評だった。 自スレ ステフが再利用しているスレのことを指す。本来は再利用しているステフ以外の人が言う場合「ステフ○の自スレ」というのが適当であるが、「自スレ」と略して言われる場合が多い。 失踪 長い間、ステフ側から生存報告などを含む新しい情報が見られない状態のこと。匿名掲示板上での失踪は復活の見込みが絶望的であるが、ステフは復活する場合が多い。 ジョーイおじさん 「メンバー募集のすれ。」(別称「ステフスレ1」)の86レス目で登場。(仮)◆m8fccCx2ic(ステフ1)に対してステフとして語りかける口調が流行った。重複スレでしかなかった「メンバー募集のすれ。」をステフスレへと変貌を遂げるきっかけを作る事となる。 初代 ステフ1の事。2005年10月26日、廃墟になっていた「メンバー募集のすれ。」(別称「ステフスレ1」)に突如現れ、その後圧倒的なカリスマ性でもってステフクオリティを確立した。猫耳様企画を打ち立て、自スレ(「短いゲームを作る企画」)で進行するも初代の逆切れと名無しのピド騙りでメンバー崩壊。初代のみとなった。それでも吉里吉里の本を読むなど企画を一人で進め、再び新しい絵師をメンバーに迎える事ができた。絵師をメンバーに加えた後、別のスレに移動したらしいが詳細は不明(VIPスレか?)。現在は自企画作業の合間にステフ1.5のシナリオライターとして活動中。本人は元祖ステフであるが、ステフという名称が好きではないらしい。 ステフ1.5 2005年11月21日に登場。初めての企画引き継ぎステフの誕生だった。役柄は絵師で描いた絵は自スレで大好評だった。人望が高くたくさんのステフの協力や応援カキコがあった。 ステフ1.75 初代、ステフ1.5復活のきっかけを生み出した。 ステフ2 本人の役柄はリーダー兼デバッガーであったが、神ライターや神絵師などたくさんの良スタッフをメンバーに迎える事ができた。 ステフ3 役柄は音屋という事で珍しいステフ。258企画への失言が元で258信者の反感をかい、企画頓挫に追い込まれる。密かに気に掛けていた人がたくさんいたようだ。半年間のROM期間を終えスレに顔を出した事もあった。 ステフ4 レス番指定でメンバー募集したFLASH使い。独特の語り口調でスレを盛り上げた。製作ではメンバーに絵師がいるにも関わらずAAの絵を描いて上げてしまったために絵師が脱退。それを受けてステフ4本人が絵を担当するという責任感のある一面を見せた。ステフ6、ピド、ステフ1.5などたくさんのステフ関係者から助言を受けた事もあった。 ステフ5 リアルで色々と苦労したらしい。出てきづらい空気の中メンバーに謝りに来た律儀なステフ。 ステフ5.5 元はステフ5の1メンバーだった。ステフ5の失踪に伴ってステフ5のサイト管理人がステフ5.5に名乗りを上げて、プロジェクトを継続する事になった。 ステフ6 ステフ名で当時土日スレの次スレ(「あなたがたは週末までにゲームを作りましょう。死」)を立てたが、スレ名を勝手に改変したため一部の土日スレ住民から叩かれ、半年間ROMをした。企画を立てる前に問題を起こして、ROMをする事になった珍しいケースであった。そのステフらしい振る舞いから人気はあったようである。ROM期間を終え、解禁日にスレに登場するという意外と律儀な面も見られた。また、一時期ステフ1.5の企画をしていた事もあった。 ステフ7 勢いのある口調と製作進行でゲームを作り上げた。記念すべきゲーム完成第1号。ステフ1.5に手伝いを申し出た事もあった。 ステフ8 颯爽と現れ、あっという間にゲームを完成させていった。 ステフ9 2005年12月24日にステフとして名乗りを上げた。活動期間はステフ史上最長となり、人望もあるようだ。2007年4月23日にスレにて完成報告。長期間の製作を計画的にこなして完成させたことから、スレ住人の評価は高い。 ステフ10 登場初期にスタッフとの意思疎通が上手くいかずに絶妙な笑いをスレに提供した。自分の信じた道を進むステフらしいステフだった。 ステフ11 ステフとしてメンバー募集をするも最終的に別の場所で製作をするためにステフを卒業していった。 ステフ13 ステフスレには初期の頃からいたらしい。ステフとなってからは自らの日記を晒すなどしてスレの活性化に貢献した。ゲーム製作ではメンバーの絵師、プログラマーと和気あいあいとした雰囲気であった。 ステフ14 AAを多用していた。登場した頃はステフ13の影に隠れてしまっていたが、良メンバーの確保に成功した。サイトを削除された経験を持つ。 ステフ15 登場初期は強烈なインパクトがあったステフ13に隠れていた。企画は仕事の都合で凍結、そして消滅した。 ステフ16 メンバー募集のテンプレや自ブログの書き込みから同人サークルの無償外部スタッフ募集疑惑を持たれる。ステフとして活動したいという気持ちはあったようだ。 ステフ17 FLASHでRPGを作っていた。高いプログラミング技術でスレ住人に期待されていた。ステフ39のPGを兼任していた時期もあった。 ステフ18 500k近くにもなる膨大な量のシナリオを書き上げた。絵師にも恵まれ、たくさんの良絵師を獲得した。ステフ関係者外で最も有名なステフ。 ステフ19 Steph @Wikiのお絵描き掲示板の創設者?お絵かき掲示板の基礎を築き上げた。 ステフ20 三国志を題材にしたゲームを作ろうとした。 ステフ20.5 ステフ20の企画を引き継いで歴史RTSを作ろうとした。シューティングを実験的に製作した事もあった。 ステフ21 魅力的な絵を描いた。 ステフ22 本スレでシナリオをアップするなど活動的だった。ステフ1.5のシナリオに参加した事もあった。 ステフ23 スレ住民にプログラミングについて教えてもらいながらゲーム製作をしていた。 ステフ24 カードゲームを作ろうとするもADVに切り替えた。お絵かき掲示板で絵を描いた事もあった。 ステフ25 登場初期はステフを題材にしたゲームを作ろうとしたが、その後しばらくして別の企画に変更した。 ステフ26 携帯でゲームを作っていた。 ステフ27 ファンタジー系のシューティングを作っていた。 ステフ28 VIP出身のステフ。2006年5月5日にステフを名乗る。現在もマイペースに活動しているようだ。 ステフ29 同人サークルスレ出身のステフ。物語の続きを期待されていたが、同人サークルスレの画像を無断盗用した疑いをかけられてスレ住人の一部に批難を浴びる。しかし、ステフ29曰く使用していた画像は素材とステフ29本人の自作画像だったらしい。ステフ29の弁明後は住民にステフ29歓迎ムードが漂っていたが、結局当初欠番を希望していたステフ29の意志を変えさせる事はできなかった。 ステフ30 ステフを題材にしたゲームを作ろうとした。役柄は絵師だった。 ステフ31 ライトエッチなゲームを作ろうとした。 ステフ33 ステフ24のシナリオ書きに立候補しようとしていた事もあった。 ステフ34 ステフ35 ステフ36 軽快なのりで過疎気味だったスレを盛り上げた。ゲーム製作はスレの絵師多数から提供された絵を組み込んで完成させた。ある意味理想的なステフ製作だった。また、ステフ37のメンバーになった事もあった。 ステフ37 自スレに書き込みした数は少なかったが、書き込み内容のステフらしさから今後の展開を期待させるものがあった。ゲーム製作はメンバーとの企画方針のかい離から崩壊。お絵かき掲示板で絵を描いた事もあった。 ステフ38 ステフ39 活力溢れる文章量の書き込みをしていた。ステフ36に絵を提供した事もあった。またステフ37企画に絵の提供を申し出た事もあった。 ステフ40 ステフ27の元PG。登場初期の頃、メンバーとの会話の噛み合わなさでスレを賑わせた。 ステフ41 イメージ絵を描いたり、スレに上げられた絵の保存ページを作るなどスレに話題を提供していた。 ステフ46 ウィットに富んだしゃべりでスレに現れた。 ステフ48 登場初期の頃にスレにだしたシナリオが話題となった。現在もマイペースにステフ活動を続けているようだ。 ステフ51 ステフ52 経営SLGという難しいジャンルのゲームを作ろうとした。スレやWIKIの活性化に貢献した。困っている別企画の支援に向かうという優しい一面を見せた事があった。 ステフ53 独特の絵がスレで度々話題となった。また、ステフらしい振る舞いから人気もあったようである。ステフ41に絵を提供した事もあった。 ステフ54 ステフクオリティでスレを和ませた。メンバー募集の際にアドバイザーを募集した珍しいステフでもあった。 ステフ55 勢いのある口調と製作ペースでCGIゲームを作ろうとした。 ステフ57 神出来の3Dキャラをサンプルとしてだして、当時過疎気味だったスレを盛り上げた。 ステフ58 ステフ59 セヴンス ◆i6R/WgosDQ ステフ7のコテ。正式名「セヴンステフエヴォリューション」。 そこに幸せある限り ステフ18が作ったADVゲーム。2ch外でも話題となり、完成当時、公式ページのアクセス数は1日1000HIT越えした事もあった。 卒業 ステフがコテを捨てて余所で製作する事。 第3のステフ ◆wZrQNqotpo ステフ3のコテ。 着色班 ステフスレ5の85レス目で登場。3レス前に上がったラフ絵を塗った。できあがった絵はスレで好評だった。 疲れたの人 某STG制作スレ出身の絵師。お絵かき掲示板で活動している。小説も書いていたようだ。 ツンデレ学園~きらめく刻の中で~ ステフ13が作っているADVゲーム。 定期報告 ステフがゲーム製作の現状を定期的に報告する事。ステフスレ7でルール化の話しがでた。 どかステ どっかのステフのメンバー。お絵描き掲示板でも活動している。「どっかのステフのメンバー」、また「どっかのステフの元メンバー」の略。 トリップ ◆j3w0rmHLX2 ステフ2のコテ。 鳩麦ちゃん ステフ41が作ったゲームの主人公。ステフスレ6やお絵かき掲示板で描くのが流行った。ポッキーを持つ絵も人気だった。ステフ39?やステフ53も絵を描いた事があったようである。 浜田正太郎 元ステフ5のメンバー。現在、ステフ5の企画を継承したステフ5.5のメンバー。 ひげモード ステフ1.5の猫耳様エンジンに搭載されたモード。ピドが製作。(育成ゲームと言ったら、、、やはり『ひげ』です。この、企画に参加したときからコツコツを作り上げた『ひげモード』がついに、完成。最先端技術と革新的なサービスで未来のエンターテイメントを提供する、最高にパワフルな『ひげモード』いつだって、もっと自分らしく、自分好みに、自分のエンターテイメントを彩ることができる、『ひげモード』家族全員で、安心して『ひげモード』という事らしい) ピド ステフ1、2、1.5、7の元メンバー。ステフ3、5に参加表明。 ファティマ ステフ17の作っているゲームの主人公。 ベジータの人 ステフ10の企画に協力しようとした絵師。はじめに上げた絵がサイヤ人スーツを着た人だったためこのように呼ばれる事になった。ステフ19の絵師に立候補した事もあった。 猫耳様 初代が立ち上げた企画。またその重要キャラ。ステフ1.5、ステフ1.75の引き継ぎ企画も意味する。初代の失言、ゲームの枠、ステフ1.5の絵、ひげモード、尼寺の応援などなど数々のドラマを生み出した。そしていま、初代とステフ1.5のコラボ企画が進行中。 野田沙記 ステフ18が作ったゲームのキャラクター。お絵かき掲示板で描かれた事もあった。 まだー まだーの前に名詞をつけて使われる。主にその名詞に対する期待感を表す。例:「新ステフまだーーー」「ステフ○○まだーーー」などといった使われ方をする。 みかん 柿板の絵師。ステフ18の河本麻奈を担当していた事もあった。 メンバー募集のすれ。 ステフスレ1の事。 メンバー募集のすれ。の1 メンバー募集スレ(当時「☆メンボスレ☆ Part2 美咲とメンボ」)を見つける事ができずに重複でメンバー募集スレを立てた人。初代とは別人。 妄想担当 元ステフ5ならびにステフ5.5のメンバー。プログラマーらしいが、ライターとして活動していた。現在、消息不明。 盲腸 ステフ1.5の元メンバー。コテは妄想長文を略したもの。 喪ステフ ステフ13の事か?またステフスレ3で喪ステフを名無しが名乗る事が一時的に流行った。 ようかんちゃん ようかんマンにリボンを付けたキャラクター。また、ようかんを擬人化したキャラクター。ステフスレ5で大流行した。元は少年とこんにゃくに関する雑談から生まれた。 ヨン様のステフ ステフ4のコテ。 BL学園ゲーム(ポートピアリスペクト) ステフ39が作ったBL系ADVゲーム。 FARNESS RPG ステフ28が作っているゲーム。元はVIPで立てられたスレで発展、消滅した企画らしい。 SIX STF ステフ6のコテ。 Steph No.9 ステフ9のコテ。 Steph No.10 ステフ10のコテ。 Steph The 1.5 ステフ1.5のコテ。 Totuka 元ステフ5のメンバー。現在はステフ5の企画を継承したステフ5.5のメンバー。絵師でありながら、ライターの失踪に伴ってシナリオ担当も兼任した。 YOS お絵かき掲示板で活動している。630。ステフ36に絵を提供した事もあった。 169 ステフ14のプログラマー。RPGのプログラムを組んでいた。 258 ステフ2のライター。公開されたゲームは途中までではあったが、そのシナリオの面白さから多数の信者がうまれた。 385 ステフ27の元メンバー。プログラムとWEBを担当していた。後にステフ40となった。 522 ステフ13の元メンバー。役柄は主にプログラマーでその優秀なスタッフ振りで住民のステフ13企画への期待感を高めた。 532 ステフ28の企画で線画を担当していた。ステフスレ4で線画を複数枚アップしたが、いずれも好評だった。 6 stf ステフ6のコテ。 (仮)◆m8fccCx2ic 初代のコテ。@wikiへ
https://w.atwiki.jp/ssprivate/pages/15.html
施設名 にいと北若者サポートステーション 連絡先・所在地・ホムペ 新徒市比企区 http (ホムペアドレス) 公式ブログ等 http アドレス (補足説明 (公式ブログ)(運営法人ブログ)など) 運営法人 法人名のみ フリースペースの有無 ○か× 有料の場合は赤字で※有料 アウトリーチ事業の有無 ○か× 就労系? 生活支援系? 3:7 などの比率表記 近隣のサポステ 同一都道府県のもの 特記事項 ○○との提携が強くジョブトレが豊富 都市部なので利用者多し。混雑の可能性アリ ・・・など