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三戦板2スレ 189 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/25 00 27 1552年春 1 筒井順昭「殿、お久しゅうございます」 六角定頼「おお。順昭か。坂本城はどうじゃ?」 筒井順昭「はい、順調に発展しております」 六角定頼「そうか。で今日は何用じゃ?」 筒井順昭「はい。拙僧の息子の順慶が四歳になり申した」 六角定頼「そうか」 筒井順昭「それで本日より、殿に奉公させるため、挨拶に上がりました」 六角定頼「なに?奉公?四歳の子供をか?」 筒井順昭「仏に仕えるものに年なぞ関係ありませぬ。定頼殿にあいさつじゃ」 筒井順慶「つついじゅんけいにございます」 六角定頼「そ・そうか。そのほう本当に良いのか?」 筒井順慶「これもしゅぎょうでございます。」 六角定頼「わ・わかった。じゃが無理はするなよ」 筒井順慶「はい。ありがとうございます」 190 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/25 00 29 1552年春 2 後藤賢豊「性懲りも無くまた細川が槙島城に攻めこみました」 六角定頼「よし!!我々も出陣じゃ。此度こそ多聞山城を落とすぞ」 後藤賢豊「ははっ」 六角義賢「では戦況を説明する。敵は別所就治を総大将とする一万。それに足利家二万一千。合わせて三万一千」 六角義賢「わが方は浅井軍が七千。わが軍は五万六千。合わせて六万三千」 六角定頼「はっきり言って負ける気がせん。それと此度の戦での暗殺は禁じる」 三好義賢「それはなにゆえ?」 六角定頼「うむ。これからのため、もっと将を集める必要がある。なるべく生け捕りにせよ。逃がすな」 三好義賢「なるほど、心得ました」 六角定頼「よし。出陣じゃ!!」 三好義賢「我隊が先陣じゃ。目指すは足利義輝の隊じゃ!!つづけ~!!」 兵「殿、三好義賢様の隊が足利義輝隊を突き崩しました」 六角定頼「よーし。この勢いで敵を殲滅させる!」 六角葵「和田惟政か、良き敵じゃ。まいるぞ!!・・・・・ええーい、なんたること!和田惟政を逃がすとは。」 三好宗三「なんたること・・。荒木村重ごとき取り逃がすとは。しかも部隊は壊滅状態・・・。なさけない」 織田信長「宗三め、情けない・・。あれは三淵晴員の軍か・・。相手にならんな。」 伝令「信長様。宗高様と共に三淵隊への攻撃を」 織田信長「わかったわかった。じゃが一足先に攻撃させてもらう。つづけ~!!」 波多野宗高「む。信長め!我らも遅れるまいぞ!!」 三好義賢「あれは・・。別所就治の旗印。奴め、逃げる気か!!」 百地三太夫「実休ばかりに手柄はあげさせられぬ。ゆくぞ・・・」 三好義賢「さすがに死兵は強いの。逃げられたか」 百地三太夫「仕方が無いか・・どれ他に敵は、なんじゃもう居らんのか」 六角義賢「どれ、最後に多聞山城を攻めるかの」 織田信長「わしも行くぞ」 六角義賢「別所を挑発でもするかのぉ」 兵「ふぅ。別所ごとき刀など要らぬわ。あのあほ面にはでこピンでも勝てそうだの」 兵「人形作ってみたぞ。ありゃ、デコピンで首が取れたわ。あっはっは」 別所就治「むーーーー。許せん!!続け~!!」 六角義賢「ほっほっほ。本丸から出てきよったわ」 織田信長「よーし!突撃じゃぁ!!」 伝令「申し上げます!!多聞山城、陥落いたしました」 六角定頼「うむ。義賢にご苦労と伝えてくれ」 結果「別所就治、捕虜→登用。足利義輝、捕虜→解放。三淵晴員、捕虜→打ち首。城の増減+1」 191 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/25 00 29 1552年春 3 後藤賢豊「殿、斎藤道三殿が浅井領に攻めこみました。」 六角定頼「なんと!!たしか大垣城には四万ほどおらなんだか?」 後藤賢豊「そうですが、長島城・清洲城の今川勢三万・犬山城の斯波勢一万六千も攻め手側についております」 六角定頼「八万を超えているか」 後藤賢豊「浅井側は佐和山城、今浜城合わせても一万三千」 六角定頼「浅井の勝ち目は万が一にも無いな」 後藤賢豊「してどうされますか?」 六角定頼「まずは中立にて様子を見るか。無理に城を取ってもまた攻められるであろうしの」 後藤賢豊「御意」 後藤賢豊「殿、斎藤殿から不破光治殿が使者として参られてます」 六角定頼「通せ」 不破光治「突然の来城ご容赦願いたい」 六角定頼「だいたいの見当は付くが、どうされた」 不破光治「此度の戦、勝つためには六角殿のお力が必要です。なにとぞお力を」 六角定頼「この戦、そちらに非があるのではないかな?」 不破光治「左様でござるか。残念でござる。それではこれにて」 六角定頼「むう。これだけの軍が展開してるのを見るのは初めてじゃ」 三好義賢「そうですな、ですが、出番はなさそうですな」 六角定頼「落ちたの・・・。では引き上げるか」 三好義賢「御意」 192 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/25 00 31 1552年夏 高梨(旧村上家)、武田家にあぼーん 六角義賢「父上」 六角定頼「義賢か。なんじゃ」 六角義賢「細川より陶隆房が出奔してまいりました」 六角定頼「陶・・というと、大内家の重臣であったあの陶か?」 六角義賢「そのとおりです」 六角定頼「よし。我が家へ迎え入れよう」 陶隆房「それがし、陶隆房と申します。此度は真にありがとうございまする」 六角定頼「そちのような猛将を断るはずがなかろう。存分に働いてくれ」 陶隆房「はっ!・・殿、細川より、後一人連れてきてもよろしゅうござるか?」 六角定頼「ん?だれのことじゃ?」 陶隆房「はっ。織田信秀と申すものにございます」 六角定頼「尾張の大名であったあの織田か?」 陶隆房「それは存じませぬが、あの者、とても戦上手なのに、冷飯を食っております」 陶隆房「それ相応の場を与えてやれば、心強い味方になるかと」 六角定頼「わかった。我家中に信秀の息子がおる。そやつを向かわせよう」 陶隆房「では、それがしも添状を書きまするゆえ一緒に届けてくだされ」 六角定頼「わかった」 織田信長「ひさしぶりじゃのぉ親父」 織田信秀「だれじゃ?信行か?おお!!信長ではないか。生きておったか」 織田信長「久しぶりの対面でいきなりそれか」 織田信秀「その様子では殺しても生き返りそうじゃのう。で、なんじゃ」 織田信長「単刀直入にいおう。六角に仕えんか?」 織田信秀「なんじゃと!!」 織田信長「今の主では親父もちからを存分発揮できまい」 織田信秀「じゃからというて、寝返るわけには・・・。」 織田信長「ほれ、陶隆房とやらからの手紙じゃ」 織田信秀「何?陶殿からじゃと?」 織田信秀「ふーーーむ」 織田信長「どうじゃ親父」 織田信秀「わかった。ここにいてもなんの手柄も立てれんしの。正直、細川にも愛想が尽きていたころじゃ」 織田信長「そうか。では一足先に帰って殿に報告をして」 織田信秀「いや。今すぐ、おぬしと共にまいろう」 織田信長「そうか。ならばゆこう」 織田信長「親父を連れてまいったぞ」 六角定頼「おお、そうか。とおせ」 織田信秀「織田信秀でござる。六角殿のお言葉に甘え、厄介になりに参りました」 六角定頼「気にするな、良き将を迎える事に反対するものなど我家中にはおらん」 織田信秀「ははっ。いつでも先鋒を申しつけ下され。必ず一番槍を果たしてこのご恩に報いまする」 六角定頼「これは頼もしいのぉ。信長。ご苦労であった。今日は親子で積もる話もあろう。下がって良いぞ」 織田信長「そうか、では親父いこうか」 織田信秀「失礼いたします」 193 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/25 00 31 1552年秋 扇ヶ谷上杉家、北条家にあぼーん 後藤賢豊「申し上げます。能登畠山家より使者が参っております」 六角定頼「よし。とおせ」 長続連「お目通り、ありがとうございます。畠山家家臣、長続連ともうします」 六角定頼「遠路ご苦労であった。して何用かの?」 長続連「はっ。六角家の繁栄のため、また畠山家の繁栄のため、同盟をお願いに上がりました」 六角定頼「六角と畠山の同盟か・・。あまり利が無いのではないかの?」 後藤賢豊「殿、遠交近攻という言葉の意味がわかれば、良い話ではないでしょうか?」 六角定頼「むむ・・。おお!なるほど。あいわかった。その話お受けいたそう」 長続連「あ、ありがとうござりまする。この報、一刻も早く殿にお知らせせねば」 六角定頼「どうじゃ、記念というわけでは無いが今夜一献設けようと思うのじゃが」 長続連「お心使いだけで十分でござる。それがしはこれにて失礼いたします」 六角定頼「畠山殿によろしくお伝え下され」 194 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/25 00 38 増えた家臣 六角薫(前回忘れ) 三好政勝 陶隆房 織田信秀 別所就治 筒井順慶 197 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/25 01 38 ありゃ。194の別所就治は別所安治のまちがい 209 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/26 01 43 1553春 後藤賢豊「殿。人材を集めるのに一つ策がございます」 六角定頼「おお。なんじゃ。申してみい」 後藤賢豊「はっ。我々臣下一同、昨年より今川の配下に対して調略をかけ続けてまいりました」 後藤賢豊「そしてかなりの将に内応の約束を取り付けました」 六角定頼「ふむ。ということは、戦をしかけよと」 後藤賢豊「はい。しかし城を取るにはまだ敵の兵が多ございます」 後藤賢豊「なので、寝返りをかければ、恐らく敵は篭城に持ち込もうとすると思われます」 後藤賢豊「そうなれば引き上げれば良いのです」 六角定頼「なるほど。して何名ほど寝返るのか?」 後藤賢豊「一応六名ほどは約束を取りつけました。皆が出るとは思われませんが・・」 六角定頼「よし。では水口城の義賢に出陣させよ」 後藤賢豊「はっ」 六角義賢「なになに・・・ふむ。そうか」 三好義賢「いかがなされました?」 六角義賢「父上が今川を攻めよと」 三好義賢「なるほど。ついに実行に移すわけですな」 六角義賢「そうじゃの。皆のもの!出陣じゃ!!」 三好義賢「戦況を説明いたす」 三好義賢「わが方は義賢様を総大将に四万三千。敵は今川義元を総大将とする五万二千です」 六角義賢「皆のもの。わかっているとは思うが、今回は敵方の川尻秀隆・北畠具教・松平広忠・長坂信政・下間頼旦・栗屋光若の六名をわが方へ 寝返らせることが目的である。決して消耗戦のようなことはするな。以上だ」 百地三太夫「わしが出した斥候によると、栗屋光若は出ていないらしい」 六角義賢「そうか。おのおの、ぬかりの無いように」 百地三太夫「下間どの、時は参った、先の約束果たされるときじゃ」 下間頼旦「ふっふっふっ。引っかかったな百地。拙僧が主家を裏切るわけがあるまい」 百地三太夫「なんじゃと!!貴様!!よくもわしを欺きよったな!!」 下間頼旦「ものども!!こやつをひっ捕らえよ!」 百地三太夫「ふん。こんな兵に捕まるほどわしは腑抜けではないわ!!」 六角義賢「そうか、下間以外は全員寝返ったか」 三好義賢「左様ですな。しかしやはり、今川一の猛者を取り損ねたのは大きいですかな?」 滝川一益「若!あれから三太夫がどこにもおりません」 三好義賢「珍しく頭に来ていたからのう。ひょっとしたら首でも取りに行ったか?」 百地三太夫「今帰ったぞ。ほれ、忌々しい下間の首じゃ。あれで今川一とはひ弱じゃな」 細川藤孝「若!細川の軍がわが方へつきました。今川の城を攻め始めています」 六角義賢「なに?まあ奴らでは城は落とせまい。敵は皆城へ引いたか?」 三好義賢「どうやらその様ですな」 六角義賢「よしでは我々も引き上げじゃ」 210 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/26 01 44 1553夏 三好義賢「殿」 六角定頼「実休か。いかがいたした」 三好義賢「はい。細川よりわが弟、十河一存をつれてまいりました」 六角定頼「おう。鬼十河か!!」 三好義賢「そういえばそう呼ばれておりますな」 十河一存「十河一存と申します。兄の誘いによりこちらへ参りました」 六角定頼「よう来てくれた。そなたが活躍する場は大いにあると思う。頑張ってくれよ」 十河一存「ははっ!!」 後藤賢豊「申し上げます!細川が槙島城へ攻めこみました」 六角定頼「なに!直ちに出陣を」 後藤賢豊「はっ。しかし今回は浅井側に回っても分が悪うございます」 六角定頼「なぜじゃ?確か周りの城には合わせて八万ほどいるはずじゃが」 後藤賢豊「しかし、細川側は、恐らく全軍、十二万ほどおります」 六角定頼「なんじゃと!!十二万!!」 後藤賢豊「はっ。それに足利一万三千もついております故、今回は細川側につくか、見送る方が賢明かと」 六角定頼「むむむ。どうしても無理か?」 後藤賢豊「下手をすれば、2~3の城は奪われてしまいます」 六角定頼「そうか・・・。仕方が無いか」 後藤賢豊「殿、足利が槙島城を落とした様です」 六角定頼「そうか。もっと将の数がそろっておればのう」 211 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/26 01 46 1553秋 1 六角葵「父上。細川攻めの許可を下さいませ」 六角定頼「しかし、せんだって細川は十万を越える兵で槙島城を攻めたのじゃぞ」 六角葵「しかし今辺りを見まわすと、敵はおよそ四万です。後、幾人か調略をかけておきましたので有利になるかと」 六角定頼「なるほど、となるとじゃ。足利をどうするかじゃ」 六角葵「同盟の破棄をしないと邪魔ですが、恐らく今回はわが方につくかと」 六角定頼「まぁ少し待つかな。よし出陣は許可する」 六角葵「ありがとうございます」 六角葵「此度は私が総大将として出陣いたす」 陶隆房「まずは戦況を報告いたす。敵は三好長慶を総大将に三万三千。わが方は葵様を総大将に三万二千」 陶隆房「また、我方につくと思われた足利家は不戦となり、今回は参戦しておりません」 六角葵「読みが甘かったか。まあ良い。今回の作戦じゃ。まず内通しておる将を寝返らせることじゃ」 六角葵「そして、敵が篭城したらいったん引き上げじゃ」 陶隆房「は?引き上げですか?」 六角葵「そうじゃ。今回の目的は細川にあらず。足利じゃ」 陶隆房「足利とは同盟中ですが?」 六角葵「もはや誰の目から見てもこの同盟は意味無き物」 陶隆房「かしこまりました」 陶隆房「予定通り、松永長頼・九鬼泰隆・別所就治・赤井直正の寝返りに成功いたしました」 陶隆房「敵も予想通り篭城を取ったようです」 六角葵「よし、では引き上げじゃ」 黒田職隆「突然の訪問申し訳ありません」 足利義晴「黒田殿か・・此度はいかがなされた?」 黒田職隆「はっ。主命により、将軍家との同盟を白紙に戻すことを伝えに上がりました」 足利義晴「なんじゃと!!予を幕府の将軍と知ってか!!」 黒田職隆「主命なれば致し方ありません。これにて失礼仕ります」 六角定頼「ご苦労であった。将軍はどうであった?」 黒田職隆「激昂されておりました」 六角定頼「憎まれ役を申し付けてすまなんだの」 黒田職隆「そのお言葉だけでうれしゅうございます」 六角定頼「では葵に足利を攻めるように伝えてくれ」 黒田職隆「ははっ」 212 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/26 01 47 1553秋 2 六角葵「よし、足利攻めじゃ!」 陶隆房「では、戦況を説明致す。敵は足利義晴を総大将に一万二千。わが方は葵様を総大将に三万六千」 陶隆房「今回は槙島城と、室町御所を落とすことにある」 六角葵「皆の者、頼みますぞ」 陶隆房「此度は楽な戦でしたな」 六角葵「うむ。そうじゃな。・・宗高」 波多野宗高「はっ」 六角葵「将軍様を父上のところへ護送してくれんかの?」 波多野宗高「かしこまりました」 六角定頼「ひさしぶりですな。将軍様」 足利義晴「ふんっ。恩知らずが!!」 六角定頼「これも世の常。将軍様は世を治める力がなかっただけ、気になさることではありません」 足利義晴「して予をどうするつもりじゃ。煮るなり焼くなり好きにするが良い」 六角定頼「さようですか。そこまで覚悟がおありなら、致し方がありません。死んでもらいましょう」 足利義晴「な、な。ちょっと待て、本気か?」 六角定頼「ええ。三太夫こやつを連れていって切腹させて参れ」 百地三太夫「おう。来い義晴」 足利義晴「嘘じゃ!助けてくれ定頼。たのむ・・・・・」 六角定頼「相変わらずうるさい人じゃのぉ。早う連れて行け」 結果「足利義晴、捕虜→打ち首、城の増減+2」 足利家あぼーん 213 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/26 01 47 1553冬 進藤貞頼「殿、斎藤道三殿が参っております」 六角定頼「なに?本人がか?」 進藤貞頼「はい」 六角定頼「すぐに通せ」 進藤貞頼「ははっ」 斎藤道三「突然の失礼、ご容赦願いたい」 六角定頼「いやいや、とんでもない。頭を上げてくだされ。道三殿」 斎藤道三「此度は重要な用件ゆえ、それがし直々に参りました」 六角定頼「してその御用とは?」 斎藤道三「わが斎藤家と六角家の同盟をお願いに上がった次第」 六角定頼「なんと。そのような用件で自ら参られるとは」 斎藤道三「そのような用件とは心外な!!」 六角定頼「申し訳ござらん。言葉が悪かったかの。こちらからもその件、お願い致す」 斎藤道三「かたじけない」 214 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/26 01 50 増えた家臣 川尻秀隆 北畠具教 松平広忠 長坂信政 十河一存 松永長頼 九鬼泰隆 別所就治 赤井直正 籾井教業 252 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/28 00 38 1554年春 一条家、細川家にあぼーん 阿蘇家、肝付家にあぼーん 河野家、細川家にあぼーん 滝川一益「申し上げます」 六角定頼「一益か。どうした」 滝川一益「はっ。北条家より、真田幸隆をつれて参りました」 六角定頼「おおぉ。あの武田殿の知恵袋であった真田か」 滝川一益「はい。先の戦で北条に捕らえられておりましたので、内応も簡単に済みました」 六角定頼「よし通せ」 真田幸隆「真田幸隆にございます。滝川殿にお話を伺って参った次第。よろしくお願いいたしまする」 六角定頼「そちの知恵をわが六角の為に生かしてくれい」 真田幸隆「ははっ」 253 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/28 00 39 1554年夏 織田信長「どうやら、芥川城を攻めるに良い機会の様じゃ」 三好義賢「その様じゃなぁ。しかし殿に一言申し上げねば」 織田信長「かまわん。出陣じゃ!!」 三好義賢「まず戦況を説明致す。敵は山名豊弘を総大将に二万五千。こちらは信長殿を総大将に一万九千だ」 織田信長「こちらは3人暗殺を使用できるゆえ、戦略の幅は広いと思う。また、敵の大将は内通しておる」 三好義賢「まずは山名をこちらに寝返らせることからですな」 織田信長「うむ」 三好宗三「山名が寝返りました」 織田信長「よし。まずは芥川城を落とすぞ、つづけ~!!」 三好義賢「ふふ。あれは高島正澄か。城に逃げ遅れたとみた。突撃じゃぁ!!・・・よし高島正澄を捕らえた」 三好宗三「よし。わが隊は勝龍寺城を落とすぞ」 三好義賢「宗三殿は勝龍寺城へ攻めこんだか。まだ敵兵が残っているのか。あれは中山信正か。よしいくぞ!!」 織田信長「何じゃ、芥川城は長船貞親一人かつまらんのぅ」 百地三太夫「まぁそう愚痴るな。さっさと落とすぞ」 織田信長「わかっておる。ゆくぞ!!」 三好義賢「中山め。筒井城へ逃げ込みよったか。ではわれらは筒井城へゆくぞ!!」 織田信長「芥川城の一番乗りはこの信長じゃぁ!!」 百地三太夫「まぁ長船を捕まえたのはわしじゃがな。では他の城へ行くかの」 百地三太夫「宗三が勝龍寺を落とした様じゃの。ではわしは伊丹城でも攻めるかの」 中山信正「何ぞ昼飯から具合が悪いぞ・・・手足が痺れて・・・苦しい・・。ひょっとして一服盛られたか?」 三好義賢「そろそろ効いて来る筈じゃがのぉ」 中山信正「・・だ・・だ・れ・ぞ・・・・・。」 兵「うわーー。信正様が死んでるぞ。逃げろーーーー!!」 三好義賢「どうやら死んだ様じゃの。本丸にはいるか」 百地三太夫「無人の城はあっさりとおちるの・・。あれは・・実休と宗三か、石山城を攻めるのか・・。わしも行くか」 三好宗三「ふはは。それがしが石山城一番乗りじゃぁ!!」 三好義賢「後は堺だけか・・。信長殿かじきに落としそうじゃの」 百地三太夫「うむ」 結果「神戸具盛、沼本房家、織田信行、宇喜多忠家、三浦貞勝、捕虜→登用、高島正澄、土居宗珊、捕虜→斬首、城の増減+7」 後藤賢豊「殿、信長より書状が参りました」 六角定頼「めずらしいの。どれ・・・・。なに!!」 後藤賢豊「いかがなされました?」 六角定頼「信長めが畿内へ攻めこみ7つの城を落としたそうじゃ」 後藤賢豊「なんと!!また勝手に攻めこみおって」 六角定頼「まぁ、しかたがあるまい。それより、前線に将を送りこまんといかんの」 後藤賢豊「そうですな」 254 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/28 00 40 1554年秋 1 後藤賢豊「殿、かくなる上は細川が反攻してくる前に、畿内の下半分を押さえておくべきかと」 後藤賢豊「調べまするに、残りの五城集めても兵は六千です」 六角定頼「そうか、では筒井城より、松永に攻める様伝えてくれ」 後藤賢豊「はは」 松永長頼「信貴山城を攻めよとのことじゃ。直ちに出陣じゃ!!」 九鬼泰隆「ははっ」 九鬼泰隆「戦況は、敵の兵は垣屋続成の四千。わが方は、それがしと松永殿、それに堺から出陣した河尻秀隆の三隊一万二千です」 松永長頼「ここは戦略も何も無い。力押しじゃ。河尻には高屋城を攻めさせてくれ。わしと九鬼は信貴山城をおとす」 九鬼泰隆「ははっ」 松永長頼「ほほっ。この城はなんともろいんじゃ。壁を踏み倒して進軍できるのぉ」 九鬼泰隆「左様ですな。これでは門の意味が全くありませんな」 松永長頼「よし本丸は目の前ぞ!!」 九鬼泰隆「わが隊も遅れを取るな!!」 松永長頼「本丸は我らが頂いた!!」 九鬼泰隆「敵が雑賀城まで退いて行きますな・・。どうやら高屋城も陥落した様子ですな」 結果「戸川秀安、捕虜→登用、城の増減+2」 255 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/28 00 40 1554年秋 2 後藤賢豊「殿。信貴山城、高屋城共に陥落致しました。引き続き岸和田城攻めを」 六角定頼「よし。堺の信長に攻めさせい」 後藤賢豊「ははっ」 織田信長「なんじゃ、また戦か。よし、行くぞ!」 十河一存「では戦況を説明致す。敵は、戦場には出ておらん。味方は信長を総大将として三万五千だ」 織田信長「此度は、岸和田城は元より、四国に蓋をするため、洲本城の攻略を優先する」 織田信長「この城さえ落とせば、四国より畿内への脅威はずいぶんと違ったものとなる。敵はいない。ぬかるなよ」 十河一存「よし!!出陣!!」 別所就治「敵がいない戦は楽で良いの。いつもこれくらい早く城が取れればいいのに」 松永長頼「張り合いが無いのはつまらんではないか。では雑賀城へいくかの」 兵「一存様。岸和田城が落ちた様です」 十河一存「ぬう。先を越されたか。我らも負けてはおれん・・・・よーし。本丸一番乗りじゃ!!」 赤井直正「信長殿、岸和田城、雑賀城、落ちた様です」 織田信長「そうか。直正、本丸はそちにやろう、はよう洲本城をおとせ」 赤井直正「はっ。後一息ぞ!!ものども頑張れ!!・・・・・よし!!攻め落としたぞ」 織田信長「よし、洲本城も落ちたか。四国へは攻め入ってはならんぞ。皆のものに帰城するよう伝えてくれ」 兵「ははっ」 結果「谷忠澄、長野藤定、畠山昭高、捕虜→登用、一条兼定、捕虜→斬首、城の増減+3」 十河一存「よし、余勢を駈って一気に岩室城を攻める。わし一人で十分じゃ」 十河一存「落としたは良いが、全員に逃げられるとは、やはりもう一人くらい連れて来た方が良かったかの」 結果「城の増減+1」 256 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/28 00 41 1554年冬 後藤賢豊「殿。大溝城の織田信秀から連絡が入りました」 六角定頼「で、なんと言ってきた?」 後藤賢豊「はっ。細川が後瀬山城に約四万の兵を集めているそうです」 六角定頼「大溝城の兵では一たまりも無いな」 後藤賢豊「はい。なので、兵を送るか、調略で敵を弱らすかですな」 六角定頼「やはり、将も兵も増える調略の方が良いの」 後藤賢豊「御意」 山名豊弘「今三木城にいる、松永久秀殿は、六角と内通しておると聞いている。攻めてみて寝返らせるか」 沼本房家「さようですな」 沼本房家「戦況を報告致します。敵は、松永久秀殿を総大将に二万二千。わが方は豊弘殿を総大将に一万二千」 沼本房家「松永殿のほかに、織田信光殿も出陣しています。この二将がわが方と内通しております」 山名豊弘「よし、早速松永殿に使者を出せ」 松永久秀「早速気おったか。もう細川はだめじゃからのぉ。棲家をかえんとわしの野望も危うくなる。 よし!今より六角家につくぞ」 沼本房家「どうやら寝返った様です。織田殿からも使者が参りました」 山名豊弘「よし。では引き上げよう」 沼本房家「しばしお待ちを。今引くと、丹波亀山城の敵が、無人の勝龍寺城に攻め入る恐れがあります」 松永久秀「そういうことならまかせてもらう」 山名豊弘「松永殿。此度はありがとうござる。早速でござるが何か良い策でも」 松永久秀「奴らを城へ引き上げさせれば問題ないんじゃろ」 沼本房家「はい」 松永久秀「では、ちょっと敵陣へ行って来るぞ」 沼本房家「な!なにをしにいくのですか?」 松永久秀「ふっふっふっ」 松永久秀「鳥屋尾満栄の首を取ってきたぞ。敵は城へ引き上げた」 山名豊弘「おお。ありがとうござる。よし引き上げじゃ」 結果「松永久秀、織田信光、寝返り、城の増減0」 257 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/28 00 41 増えた家臣 真田幸隆 神戸具盛 沼本房家 織田信行 宇喜多忠家 三浦貞勝 山名豊弘 戸川秀安 谷忠澄 長野藤定 畠山昭高 松永久秀 織田信光 平岡房実 258 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/28 00 46 現在の城 観音寺城 坂本城 大溝城 水口城 上野城 室町御所 槙島城 多聞山城 筒井城 勝龍寺城 芥川城 若江城 信貴山城 伊丹城 石山城 堺 高屋城 洲本城 岸和田城 雑賀城 岩室城 275 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/30 01 08 1555年春 後藤賢豊「殿、浅井が斎藤殿の今浜城に攻めこみました」 六角定頼「なに!よしすぐに義賢に出陣させい」 後藤賢豊「ははっ」 真田幸隆「では、戦況を説明致します。敵は浅井久政を総大将とする二万一千」 真田幸隆「斎藤勢は道三殿自らの一万のみ。わが方は義賢を総大将に三万五千。加えて斯波家の一万五千が 斎藤殿の守勢についており、総勢は六万です」 六角義賢「我々は今まで、浅井との戦は経験しておらん。敵はどのような戦法を用いるかわからんので なめてかかるな。では、出陣じゃ!!」 真田幸隆「やはり対岸は遠いのぉ」 三好長逸「さようですな。このままではなんの手柄もあげれんのではないか」 兵「前線の和田惟政様から使いのものが参っております」 六角義賢「おう。なんじゃ」 伝令「はっ。浅井家の赤尾清綱殿が、斎藤家に寝返りました。戦場であっても、攻撃されぬ様にとのことです」 六角義賢「うむ。ご苦労」 真田幸隆「やはり騎兵は速いのぉ・・・あれは、磯野員昌の旗印。もうぼろぼろじゃなぁ。よし、突撃!!」 真田幸隆「なんじゃ、百人も残っておらなんだか・・。よし、磯野員昌を坂本城を送っておけ」 兵「斎藤軍が小谷城に攻めこみました」 六角義賢「よしでは全軍に引き上げを伝えよ」 兵「はっ」 結果「磯野員昌、捕虜→登用、城の増減0」 浅井家、斎藤家にあぼーん 276 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/30 01 09 1555年夏 1 真田幸隆「長逸殿、最近磯野が登城してこんがどうした知らぬか?」 三好長逸「いえ?存じませんが」 真田幸隆「一度若殿にお伝えせねばいかんのぉ」 六角義賢「うむ。わしも最近不思議に思っておったのじゃが・・。三雲。様子を見てきてくれぬか」 三雲定持「はい」 三雲定持「ここか・・・屋敷がもぬけの殻じゃ。すぐに伝えねば」 六角義賢「なに!!ネコ一匹おらんとか!」 三雲定持「はい」 真田幸隆「恐らくは出奔したものと考えられます。野に下っておれば良いのですが・・」 六角義賢「細川か・・」 真田幸隆「はい。磯野の武力は脅威になりますからな」 真田幸隆「そういえば、海北綱親殿が細川よりこちらに参られたと聞いておりますが」 六角義賢「おお。そういえば親父殿からそのようなことを伝えてきたの」 真田幸隆「かのもののような戦上手に愛想をつかされるとは、つくづく細川もおろかですな」 六角義賢「うむ。しかし最近その愚か者が、後瀬山城に四万近い兵を集めておる」 真田幸隆「こちらにももう少し兵を増強して頂かないと」 松平広忠「そろそろ、安濃津城を攻めるに良いころあいじゃ。殿にも参陣願って攻めこむか」 細川藤孝「殿。松平様から安濃津城を攻めるゆえ、殿も御出陣される様参っております」 六角定頼「もうそろそろよい頃か。よし出陣じゃ!」 細川藤孝「では、戦況を説明致します。敵は安倍元真を総大将とする二万三千」 細川藤孝「わが方は、御館様を総大将に三万八千。それに斎藤殿の兵二万を合わせた五万八千です」 六角定頼「此度も内通者が多いゆえ、効果的に促して行け。では、出陣じゃ!」 六角定頼「わが隊は長島城を落とすぞ。つづけ~!!」 松平広忠「殿は長島城へ向われたか。この野戦で、全員寝返らせるか・・城攻めになったときに・・」 細川藤孝「今の敵兵力では篭城はなかなかしないかと・・。今しかけないと兵の損害が大きくなります」 松平広忠「そうじゃな。よし。では一斉に内通を促してくれ」 細川藤孝「はは」 細川藤孝「成功ですな。安倍元真以外は全員寝返り、敵は篭城致しました。」 松平広忠「よし、では寝返った部隊を先陣に城を攻めさせい」 細川藤孝「は、ではそれがしは伊勢亀山城の方の指揮を取ります」 酒井忠次「よし。安倍元真を捕まえたわ。よもやこの戦で六角家に付いて手柄を上げれるとわ」 滝川一益「よくやった忠次。その調子で、他の城も行くぞ」 酒井忠次「はっ」 兵「申し上げます。安濃津城、落ちました」 六角定頼「早いな。わかった。わしもこの城、すぐに落として見せよう」 細川藤孝「亀山城の本丸はわしが頂いたわ。どうやら安濃津城も落ちたようじゃしの。後は殿だけか・・」 六角定頼「ようやく落ちたか・・立った百人にてこずってしもうたな」 結果「菅沼定村、朝比奈信置、捕虜→登用、安倍元真、捕虜→斬首、城の増減+3」 277 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/30 01 10 1555秋 尼子家、細川家にあぼーん 百地三太夫「信長と一緒に長尾景虎と、柿崎景家をを暗殺してきたぞ」 六角定頼「なに!!越後に名だたる二人をか?」 百地三太夫「そうじゃ。ほれ、いつもの首じゃ」 六角定頼「長尾家の屋台骨の三本のうち二本が折れたか」 百地三太夫「もう一本折っておこうか?」 六角定頼「むむ。長尾も今や越前まで進出してきておるからのぉ。立場が微妙じゃ」 百地三太夫「まぁ、美濃に武田も来ておるしな。良き将を引き抜くか殺しておかんと、後がきついぞ」 六角定頼「確かに・・」 後藤賢豊「殿。宇喜多直家を細川より引き抜いてまいりました」 六角定頼「そうか・・。とうしてくれ」 宇喜多直家「お久しぶりでございます」 六角定頼「そういえば、いつぞやの使者のとき以来かのぉ」 宇喜多直家「はっ。あの時は細川の使者としてまいりましたが、これからは六角家の一員です」 六角定頼「うむ。おぬしが来てくれて心強い限りじゃ」 宇喜多直家「ありがたきお言葉。それがし、何をすれば良いかは賢豊殿から聞いておりますゆえ」 六角定頼「おお。確かそちも暗殺が得意であったかの」 宇喜多直家「はい。六角家に仇なす者を見事討ちとってご覧に入れます」 278 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/30 01 11 1555冬 六角葵「よし、丹波亀山城を攻めるぞ」 陶隆房「では戦況を説明する。敵は城井正房を総大将に一万六千」 陶隆房「わが方は葵様を総大将に五万五千。松永、百知、実休の三名が出ておるのでおそらくわ・・」 六角葵「うむ。では出陣じゃ!!」 六角葵「隆房。まずは目の前の城をおとすと致しましょう」 陶隆房「は」 十河一存「ははは。杉原盛重を生け捕った。幸先がよいわ」 六角葵「河田長親を生け捕った。この城もこれまでじゃ」 山名豊広「三木城はわしが頂いたわ。ははは・・。無人か寂しい城じゃのぉ」 松永秀久「江村親家め、てこずらせおって。どうやらこれで姫路城は制圧したようじゃ」 十河一存「此度は矢上城まで落とせるとは、わしもついておるのぉ」 六角葵「これで、全て落としたな。よし皆に帰還させよ」 陶隆房「は」 結果「江村親家、杉原盛重、捕虜→登用、十市遠勝、花房正幸、捕虜→斬首」 279 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/06/30 01 16 増えた家臣 菅沼定村 朝比奈信置 酒井忠次 山口教継 伊丹康直 稲葉一鉄 宇喜多直家 江村親家 杉原盛重 325 名前: ちりちり ◆3AT2wIcY 投稿日: 02/07/02 14 41 CDドライブぶっ壊れたので、直るまでできん。 無念じゃ
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総評 当主は上野から逃亡するも、自身は降るを潔しとせず。関東管領の老臣は最後まで上州武士の意地と誇りを見せつける。 難易度はやや難しい。後継者はいるものの、業正存命中にどれだけのことが出来るかが運命を分かつ。関東・東北あるいは甲信越と、いずれに目標を定めるかの戦略性が問われる。 領国はシナリオ2・5共に上野1ヶ国。 人材は旧山内上杉家臣団で構成。質の面でも頼れる者は少ないが、それ以前に数が不足している。しかし最大の問題点は当主である長野業正の寿命。政治面では目立った武将がいない。行動力保存を優先すれば小幡信貞が、費用対効果を重視すれば長野業正が一人奮戦することになる。戦闘面はそれほど悪くない。長野業正・小幡憲重に加えて長野業盛の元服も間近。個々の能力値では武田家にもそれほど遅れを取ってはいない。浪人は周辺国に多数いるので、移ってきた場合は逃さず登用したい。開始時点で滞在している沼田祐光は登用できれば、特に内政面で大きな力となる。「剣聖」こと長野十六槍の一人である上泉信綱は今回SP武将枠扱い。人材難により一層拍車がかかっている。 固定戦術は移動系、特殊系、攻撃系が各1つずつ。うち固有戦術が1つ。「速攻」は距離を一気に縮めて奇襲を狙う場合に便利。相手側「鎮静」対策にも応用がきく。「鼓舞」にあまり有難味はないが、まず最初に使用する戦術である事には相違ない。劇的な効果は期待できないが、冬場の合戦では雪対策にもなる。固有戦術「乱戦」は長野家を支える切札的戦術。足軽戦術のため、お財布に優しい点も非常に有難い。 上野の文化効果は「疫病の被害減少」、技法は「兵法」。 上野は最大石高が高く、初期文化値も高め。金山は眠っている。内政が進めば大軍を養うことが可能な土地である。北陸が大雪に見舞われた場合は、上野も影響を受ける場合がある。予定を狂わされることもあるので注意されたし。 隣接国は5ヶ国。隣接大名家は上杉家、武田家、蘆名家、宇都宮家、北条家。 外交関係は上杉家との友好が高くなっている。北条家・畠山家との友好がやや低いが、気にする程ではない。シナリオ2では上杉家と同盟関係にある。攻守に最大限活用すべし。逆に同盟関係の無いシナリオ5では一転、上杉家は最大の脅威となる。 ちなみに家紋は「沢瀉扇」。 固定戦術 速攻 鼓舞 乱戦(固有) 注目武将 長野 業正‐政治76 戦闘91 教養59 魅力66 足軽A 騎馬B 鉄砲D 天性:猛将 生涯現役を地で行く老雄は自称在原業平の子孫。その身朽ちても熱き魂は死なず。苛烈にして勝手なる遺言は必見。 戦闘91は武田四名臣をも凌駕する。足軽隊による「乱戦」を駆使して当主自ら最前線で暴れまくりたい。最大の敵は寿命。 長野 業盛‐政治31 戦闘75 教養50 魅力49 足軽C 騎馬B 鉄砲D 天性:猛将 明日無き戦いを繰り広げるも衆寡敵せず、若き命を箕輪城に散らす。愚直にして高潔。時代に対して一騎打ち。 戦闘75はともかく政治31は次期当主として行動力不足を予感させる。魂はしっかりと受け継いだが、能力的にはやや厳しい。 敵大名としての特徴 周囲を武田家・上杉家・北条家といった有力大名に囲まれ、一見すると風前の灯といった感が強い。が、武田家は今川家、北条家は里見家をそれぞれ最初の標的とする場合が多く、意外と早期滅亡の憂き目に遭うことは少ない。 シナリオ2では武田家は今川家、次いで北条家との同盟を破棄・侵攻し南関東制覇に乗り出す場合が多い。その隙をついて上杉家との同盟を活かし宇都宮家を攻略することもしばしば。しかし、勢力拡大はそこまで。当主業正の寿命が尽きるとほぼ同時に関東一円を制した武田家(あるいは北条家)、更には東北統一を果たした勢力(主に伊達家)の猛攻に晒されることとなる。最終的には長野業盛に代替わりする前後のタイミングで東北・関東の覇者たる勢力に飲み込まれてしまうケースが目立つ。 シナリオ5では真田家は美濃方面に侵攻しがち、深谷上杉家は不動の構えを崩さないため信濃・武蔵方面での変化はほとんど無い。最大の変化は上杉家との同盟関係の消滅で、上杉家は最初の標的を長野家に定める場合が多くなる。このため、シナリオ2の場合よりも長く持たずに上杉家に併呑されることがほとんどである。 合戦を行う際に注意する点は長野業正による「乱戦」。使用された場合は一旦距離を取るのが賢明。「鎮静」を用意出来ればベスト。 シナリオ別攻略 ・シナリオ2 武将は3人。 長野業正には寿命という抗えない敵が間近に迫っている点に注意。シナリオ開始から5年前後で旅立つ場合が多い。 故に戦略は速攻策を採用したい。軍備を急務としてすぐに侵攻を開始。前述の通り武田家・北条家共にすぐには攻めてこないとはいえ、悠長には構えていられない。 同盟国である上杉家の越後には手を出さないほうが賢明。むしろ有効に利用すべきである。また、信濃・武蔵は仮に奪取しても武将数の増加が見込めず、その後身動きが取れなくなる可能性が高い。 という事で最初に侵攻すべきは下野あるいは岩代となる。なかでも岩代は共同軍が見込め、かつ蘆名家系武将との相性は比較的良好。被害を抑えつつ人材不足を打開し得る。 岩代攻略後は羽前から東北を制圧するか、下野から関東に侵攻するか。いずれにしても人材確保を念頭に置きながら進軍していく。 一地方を制圧できたなら、後は平押しで大丈夫。業正が彼岸へと旅立つ前にどれだけの領国と武将を確保できるかが肝心である。 少々博打となるが、開始直後から武蔵→相模と進み北条家が兵力を整える前に併呑してしまうのも一興。上手くすれば序盤の諸問題を一気に解決できるだろう。 ・シナリオ5 武将は4人。 隣接大名家が武田家から真田家に、北条家から深谷上杉家にそれぞれ変化するものの、基本的にはシナリオ2の場合と変わりない…といいたいが、状況は大きく異なる。 上杉家との同盟関係がないうえに、積極的に侵攻してくるのだ。しかも上杉オールスターで。そのためシナリオ2以上に難易度は高い。そしてより優秀な家臣が必要になる。 そこで最初に叩くべきは、真田家。乾坤一擲、最初にして最大の大勝負である。幸村には夜襲(訓練度で差をつける)、昌幸には「乱戦」で臨むのが最良か。 首尾良く真田一門を軍門に下したら、そこから先は遠江→駿河、または美濃に進んで人材の充実を図りたい。なお、上野は放棄する覚悟で。 武蔵から関東へ、あるいは岩代からみちのくへと進み安全圏を求めるのもあり。その場合は信濃を放棄することになるか。 いずれにしても攻め込まれたらその国は放棄あるいは攻められる前に放棄する「キャラバン作戦」を念頭に置いておきたい。本格的な領国経営は家臣が揃ってからでも遅くはない。 有力大名に囲まれているため苦戦もあるかと思うが、ここは業正の「乱戦」を存分に楽しもう。このシナリオでは業正の寿命を心配する必要はないのだから。
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いかにインチキしようともCPUは所詮CPU。欠点を突けば、どの勢力でも勝てますぞ……! 味方にすると頼りないけど、そこをうまく操ることも、このゲームの醍醐味の一つ。 軍団コマンド 教育と評定はしてない気がする…… 人事 隠居・縁組・懲罰はしないと思う。 昇進 どんな無能家臣でも、勲功に応じて必ず昇進させる。 ※これを利用したテクニック:野戦で敵の城に侵入即脱出を繰り返すと、守将の勲功が40ずつ増えていく。次ターン以降の昇進により俸禄が上がるので、収支にダメージを与えることができる。 褒美 特にPKでは、かなり優先度が高い。行動力が余り次第忠誠を片っ端から100にしていくようだ。 跡継ぎ CPU大名の死亡時に当主の座につく武将は、以下の優先順位に基づいて決定される。 大名の息子の中で最年長の者 一門衆の中で最年長の者 野望が高い者 たとえば史実では長尾為景→長尾晴景→長尾景虎の順に継いでいくのだが、ゲームだと景虎が継ぐことはない。 これは景虎が晴景の弟だから。晴景に子はいないため、一門で最年長の長尾房長が継ぐことになる。 景虎の親顔番号を658(晴景)にすれば、晴景の跡を継ぐようになる。また景虎を晴景より年長にすれば、為景死亡時に跡を継ぐ。 晴景死亡時に景虎より年長の一門が長尾家にいない状況でも、景虎が継ぐ。 軍団 CPU大名は、ある程度規模が大きくなってくると軍団を作り始める。逆に規模が小さいうちは、複数軍団があってもすぐ合流させる。 城の分配はちょくちょく行っているようだが、どういう仕組みで分けてるのかはよくわからない。 軍団長選出は野望が高い順だろうか? (仮説)跡継ぎの順番どおりだと推測される。ただし野望のほうが優先されるか。 外交 難易度により大きく異なる。楽級だと、CPU勢力から同盟使者の嵐。 難級だと、CPU間の脅迫がかなり成立して、強い勢力がさらに暴れる。弱小プレイヤー勢力にもばんばん来る(意味ないけどね)。 朝廷工作はやってる気配がない。 手切 CPUは、大名同士の相性が普通の場合、攻めるところがなくなるとどこかの同盟を切る。 ただし、大友に対する阿蘇など両大名の相性が良い場合は、囲まれても同盟したままぽつんと残る場合がある。合戦誘発にかかるとすぐに手を切るようだが。 また、名将タイプの大名は同盟先の大名家の領土が一定以上になると同盟を切ってくる。1582徳川が速攻で織田との同盟を切るのはその例。 手切の使者には、会っても会わなくても同盟破棄されることに注意。門前払いし続けて同盟維持できるほど戦国は甘くない。 調略 敵対大名にのみ使うらしい。計略頻度が「少」でも内応を中心にそこそこ仕掛けてくるが、「多」だともりもり暗殺使ってきたりして全然違う。 戦争 攻め込む優先順位 CPUは隣接国の中で最大勢力を優先敵と判断することが多い。たとえば、1582鈴木で開始直後に堺を攻めると、鈴木より織田を優先的に倒したい長宗我部は、必ず鈴木の味方につく。 城コマンド 軍事 徴兵・編成 PKでだいぶ思考が変わったようで、最初のターンでできるだけ兵をかき集め、なるべく有能なやつにたくさん持たせるようになった。兵科選びは謎で、大友なんかには鉄砲Eの鉄砲隊がごろごろいる。 馬・鉄砲産地の大名は兵科適性を無視しがち? 大名の得意兵科に影響されるのか。 兵力分配 兵力というより、家臣の数を割り振っているようだ。基本的にどの軍団にも同じぐらいの数の家臣が存在する。 なので、大勢力に孤立した城があると武将が30人もいるのに兵力が50もない、とかいう状況が生まれる。 また、他国と接してる軍団には厚めに配分し、接しているのが敵対勢力ならさらに強化する傾向がある。逆に、自勢力や同盟勢力に囲まれた軍団には弱い武将ばっかり派遣されてる。
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三戦板2スレ 563 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 33 さきほど1571年のシナリオで足利義昭幕府再興計画を推進してきましたが やっぱりだめでした。 信長包囲網というなんともいえない同盟の盟主ということもあって 周りは見方でマターリできるとのん気にやってたんですが 南方は茶器爆死マニアの兄さんに睨まれっぱなし。 東では侍大将時代の脂の乗った権六兄さんが精兵240の軍勢で我が二条城まで少しの距離だし。 とりあえず波多野さんと同盟することにしまして使者を送ったんです、ええ。 「異存がないわけではないけどまぁOKよん」ってことで なんとか西の背後は大丈夫みたいな雰囲気です。 で、盟主としてずっぷり同盟者の恩恵に浸ろうと考えた矢先 侵攻してきました織田の信長さんご一行・・。 南方の茶器ボンバー兄さんと激しい死闘を繰り広げてるじゃないっすか。 ひぇぇぇぇ!! それに引き換え我が陣営のなんと雅なこと、もう戦国の雰囲気皆無な連中です。 とりあえず一番合戦経験のありそうな和田の旦那を送って 出世稼ぎでもしてこい!ってな具合で派遣しました。三好さん側です。 茶器ボンバー兄さんは、もうなんというか権謀術数を駆使して 本丸に取り付いた軍勢を釘付けです、メロメロで大混乱です。 そこに軍事介入した我らが三好・足利連合。 なんとか美味しいところをキャッチして、しかも 足利陣営一個お城GETしちゃったりなんかして浮かれ気分で凱旋です。 ただ人材不足の我が陣営が領土経営なんか出来るわけなく 一年もしないうちに織田の信長兄貴の猛攻を受けることになりました。 足利義昭、御簾を掻い潜って出陣のときが来ました! 566 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 44 足利義昭兄さんの手勢は100、でも戦闘30の温厚な御仁ですが。 池田の知ちゃんを引き連れて暴れ狂う訳ですが 歴戦の名将を引き連れた織田の先鋒部隊すら突破出来ず壊乱状態です。 そこで山の頂上で見物していた細川様を投入。 応援に駆けつけてくれた信長包囲網の参加者でもある一色サン(兵100)に 命からがら助けられて、高槻城を死守しました。 二条城は難なく敵の手に陥落していたので 事実上都落ち~幕府完全失墜です・・。 嘆きながらも高槻城に帰還し、織田さんに解放された古参武将三名ほどと共に 捲土重来を誓い合ったのです。 高槻城周辺は本願寺のジジさまが堅固に守ってくれていて なんとも助かる情勢でした。 これになんとか命を繋ぎ、織田兄さんの猛攻を何処吹く風と乗り切りました。 その間、智謀と政治力だけは文句なしの征夷大将軍義昭ちゃんは 洲本のお城まで進撃している毛利さんの家臣団に目をつけます。 あらら忠誠心が低いじゃないですか・・。 この後猛烈な人心誘惑作戦が展開されたことはもう想像がつくと思います。 世間の情勢は本願寺と武田による挟撃により織田が風前の灯火までに落ちていました。 島勝猛・羽柴秀吉・その他戦闘150平均の地方で頑張ったのねちゃん達をGETしたのです。 568 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 49 んでまーなんとかイイ感じに国力も増大し一時の二カ国支配とまではいかないにしても 人口も5000強と、いいんじゃないの的な発展を遂げたのはいいのですが さて困った!版図の拡大が不可能。 本願寺・三好・武田に囲まれた我が領土からは、どこへも進発出来ない。 講義と披露の連綿とした構成で5年ほど経過してしまいました(笑) その間、世間は大きくうねりを見せ五つの勢力で我が足利幕府を支えてくれることになってました。 まだまだ幕府は健在です! だって何気に同盟交渉だけは多かったですもん♪ 569 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20 54 そんなこんなで太平楽に興じて戦国のご時世ということを忘れかけていたころ やりました、もういつのまにか滅亡していた元織田家のルーキー信長さんが 近所で独立したんです。 こりゃしめたでー!と少しだけ乱暴な都言葉を駆使しつつ いつのまにか生え抜きの精鋭部隊となっていた足利軍を進発させました。 戦場につくやいなや、本願寺・武田・上杉と旧信長包囲網賛同者さん各位が勢ぞろいで なんか同窓会みたいな気分でした。 城をGETするのは、部下の秀吉くんがしっかりとこなしてくれたので安心でした。 んな訳で版図がついに拡大しました。 やったー。 のほほんと喜んだ後、再び合戦できない時代が続くのでありました。 570 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 02 あれよあれよと時代は進み、なんか嫁さんほしいなぁと思ってる矢先に 来たんです、縁談。 あるもんですね、望みが叶うってこと。 驚きましたよ、正直ね。 ええ。 で、さっそく結婚ですよバッチリ。 式典はやっぱ西洋風がいいかなと思ったのですが本願寺の兄さんがあまりにも素敵な笑顔で 仏前式という聞いたことの無い様式を薦めてきたので なんか怖くなってOKしましたよ、いつもお世話(武将引き抜き)になってますし。 「新婚初夜は法隆寺近くの民間の宿でした、しっぽりと。」 話がそれましたね、いやマジこんなことくらいしか話題がない時間が過ぎていってるんです。 もっと苛烈なお館様を求めてるのではないかしらと隠居も考えましたよ。 でも一門衆がいないんですもん、無理な話です。 晴れ晴れし討ち死にして世代交代ってのもあるのかもしれませんが、無いんです敵が・・ そんなわけでカミサンに希望を託して「高槻城」大名一人暮らしを開始させたわけです。 はやく姫武将ちゃんできないかなぁ。 そんなこんなで月日は流れ、城下の発展具合もとっくの昔にぶっちぎりMAX発展です。 安穏とした日々が続いている中、日本は本願寺と上杉・北条の三勢力となっていました。 東海道付近で苛烈な熱戦が毎季展開していますが高槻城では毎晩褥に狂う将軍さまがおわしましたとさ。 572 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 16 そうこうしているうちに、どうやら世間は本願寺の天下獲りで行くようですよ。 友好は100ですし安心はしてましたが、ほとんどの城を手中に収めた昨今 やはり来るんでしょうね、決戦が。 じゃ、この最後の項くらいは雰囲気のある文調でいきましょうか♪ 1595年、群雄割拠に今まさに幕が下ろされようとしていた。 石山本願寺を拠点とする中世日本の大教団、一向衆を引き連れて 南北渡る日ノ本に、天下第一の御旗を掲げんとせしめたる。 我が陣容は総勢700の軍勢。 室町の尊氏御世より幾多の御霊を数えること15代、足利中納言義昭は 御所より伏見平野を下ること数十里、高槻台地にそびえる山城に身をやつしていた。 麾下には将星たちが平伏し、足利幕府の再興に燃える若き獅子たちが躍動を隠せないでいた。 帝を奉る山城は室町御所よりこの地への征功を引き受けた名将後藤又兵衛は 天地から攻めよせる巨大な軍勢を感じていた。 「中納言様、本願寺より書状にて睦を解く事の由たったいま届きまして候」 「かようなことは知れておじゃったわ。弓矢にて返答致そうではないか。」 「中納言さま、御大のご出馬とあらば全軍の士気も総じて高まりまする」 「重畳。」 さっそうと軍装を整えた全軍は、本願寺勢を迎え撃つため出撃した。 573 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 30 いち早く大坂へ向けて進発。 群雄のひしめく時代は終わりを告げ、本願寺勢は大群を一挙に投入する近代的野戦法を習得していた。 足利側は、そのような時代の変遷を物語では知ることもあったが 之から起こる会戦は、いわば足利幕府最後の聖戦であり全軍は散りゆく美しさのみに酔っていた。 義昭の軍勢のほとんどの将兵は兜に香を炊き込め時代とともに滅び行くことに誇りと歓喜を憶えていたように見える。 よって陣容も先鋒は道案内程度でしかなく、本願寺勢のような先鋒兵力集中型とは大きく違っていた。 義昭は全軍で石山平野を占拠。 地の利を生かした神速の進軍には、さすがの後藤又兵衛も信服した。 北方からは島津、西海からは旧長曾我部を中心とした南海連合軍 東海道からは伊達・最上・北条を中心とした煙硝の途絶えて間もない地域からの参戦となっていた。 本願寺本体の参戦は確認できず、恐らく盟友に対し弓引くことを躊躇したのではないかと 後世の歴史家達は推測したがったが、実際には分散した一門衆の兵力を統合しきれなかったのではないかと 考えるのが自然ではないだろうか。 とにかく1000を数える大軍勢が旧来の権威であった征夷大将軍の御旗に 中世という時代の終焉を掲げ踊りかかったのである。 574 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 45 会戦は軍勢同士の遭遇によって先端を開いた。 あまりにも変哲のない合戦模様にどこか足利の侍としての自尊心が残影していたのではないか。 総力戦となれば、兵数の圧倒は必然で 寡兵をもたらしめるのであれば、奇襲はかならず実施されるはずではあったが 旧幕軍の整然とした行軍は補足した敵兵への苛烈な突撃のみによって展開した。 火力を中心とした新戦術もこの時点では当然の手段であったし 南蛮砲、フランキー砲を併用することも有効策として周知であった。 が、義昭さえもそれを手にせず 駿馬を駆使した大規模な騎馬編成による電撃戦を展開した。 膨大な種子島の銃砲の中へ突入していく騎馬武者たちは 当然の如く屍を野に晒すこととなったが 中には軍神の如く敵陣を二段三段と逼迫せしめ、敵将を刈取る勇者もあった。 義昭も他と変わらず名刀鬼切を手に敵陣まっただなかに居た。 隣陣は後藤小納言又兵衛であった。 「又兵衛、麿はもうあかんようだのう。」 「潮でござりますれば」 「しお?」 「麿は海を見たことがないのじゃ、琵琶の湖のようだと聞くえ」 「左様でございます。ただ潮がございますれば」 「満ちてはやがてひいてゆくのじゃな」 「御意に」 「名門の誉高き足利も潮になりたいものよ。」 又兵衛は目を細め、戦闘が終局していくのを全身で感じていた。 575 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21 59 半刻もせぬ内に、義昭の軍は瓦解した。 主将中納言の討ち死であった。 合戦経歴、数度のみ。 激号の行き交う戦場で討ち果てた将軍に全軍は沈むことなく むしろ「我も続け」といわんばかりの勢いであった。 順次討ち果てていく軍勢の中に又兵衛はその凄まじき戦闘能力により生存していた。 見渡せば旗本を残すのみといった凄惨な状態であることに気づき声を発した。 「皆の衆、この辺が潮でござる。退くものは今が最後となり申した」 又兵衛は一息に続けた。 「中納言様の後光を追いかけ参る侍は我に続け!」 前面に展開していた島津の兵は後に様々な書記に記している。 「あの又兵衛こそ、日ノ本一の弓取りよ」 一条となった又兵衛の部隊(もはや数十人の集団ではあるが)は速度を増し 島津の本陣まで迫る勢いが一時あったものの、集中砲火を中心とした近代戦術の中に消えていった。 足利幕府の完全な消滅と、侍たちの武名を過去の遺産としらしめて この一方的な会戦は終了した。 高槻城は本願寺に接収され、再び地方拠点を統括するにしかない機能的な要害へと戻った。 捕縛された武将は、引く手数多で本願寺陣営に歓待され、そして武名と共に老いていった。 おわり♪ 576 名前: 557 投稿日: 02/07/20 22 03 長々とすみませんでした。 一発書きだったので、文脈に奇怪な点もあったと思いますが 何卒許してください。 又兵衛に固執したのは、最近司馬遼太郎の「城塞」を読んだ影響でした。 天翔記は短時間で楽しめる丁度良いSLGなので これからもみなさんと共に楽しんでいければなと思います。 よかったら変なとこや、ここは良かった(糧になりますので)ってところを 教えていただけましたら光栄です・・。 それでは失礼しました。 615 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17 35 足利義輝 室町幕府繁盛記 1560年、初秋。 京の町は賑わっていた。 義輝の重商政策を発してからというもの 山城では通行税を撤廃し堺-美濃の中継都市的な色合いを明確に打ち出し 幾多の荷駄が行き交うようになった。 この年、伏見近辺で農作物の収穫量も上々で さらに都の勢いを増す結果となっていた。 近隣の大名は、以前にも増して領土的野心を露にしていた。 仇敵今川を桶狭間により撃破した織田家は版図の拡大に努め 今や美濃をも併呑し、現在さらに上洛を虎視眈々と目論んでいた。 越前では本願寺一向宗徒の暗躍がさらに激化し、 その勢力は越前から摂津まで、丁度袈裟を着たように伸びている。 西方では一時の隆盛を失ったものの未だに三好一族が精力的な軍事行動を展開している。 616 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17 43 義輝はまず幕府の失墜した権威を取り戻さんと 大長征を計画していた。 近畿一体の守護の復権のため、流人化した旧来の守護大名を徴募していた。 そして新たに軍団を再編し、大兵力一個集中型の新戦術を発案し採用している。 土着的だった侍衆を、義輝の号令のもと指揮系統を一本化し それを義輝自信が率いるといった豪胆なものであった。 しかし永らく合戦など自力では行っていなかった将軍家では 大将はもちろんのこと、中規模部隊を指揮する侍大将にさえ枯渇する状態であった。 軍容の強化・商業の発展。 この二大政策に大きな推進力を得た足利十四代将軍家は1560年を多忙の中に暮れる。 618 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17 55 1561年初頭、織田・三好は動いた。 三好は南紀への版図拡大を企図し本願寺家を討伐に向かい、織田は北陸を目指し進発。 足利は波多野・一色氏と軍事同盟を締結、北国への備えとした。 義輝は人材を得た。 美濃斎藤家の没落により流浪していた稲葉一鉄・竹中半兵衛両氏であった。 足利家の歓待ぶりは余りあるほどであったと伝えられている。 将軍家譜代の細川に比肩するほどの知略をもって知られる竹中半兵衛は さっそく重商政策において甚大な働きをもたらした。 また義輝が統括する軍団に稲葉一徹の武名が加わったことで 陣容は厚く強固なものにかわりつつある。 1561年、晩冬に織田家羽柴・柴田の両軍は競い合うように北国越前に到達した。 本願寺・朝倉氏は織田家の快進撃に後手後手を取り、大きくその勢力を減退させた。 三好家の畿内統一は難渋していた。 本願寺の新兵器鉄砲を中心とした火力に、名だたる将は撃破され もはや亡国の一途をたどるかのようであった。 619 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 04 山城の国は周知のように広大な盆地である。 その限られた平野の中で、いま商業政策が大きな花を咲かせようとしている。 潤沢な資金源を得た足利家は、その黄金を背景に大長征を展開する準備が整ったと言ってもいい。 1562年初夏、織田軍は東海道から北国への越前まで 日ノ本に翼を広げた雁の如く横たわっていた。 山城と織田家が隣接したことにより、義輝の構想は他所に 両家の抗争が自然的に開始された。 圧倒的な物量で展開する織田家、充実した家臣団。 もはや足利将軍家は風前の灯火かのように見えた。 立ち込める戦乱の気配を察したのか、室町御所は 公家衆たちはなりを潜め、町では具足・米の価格が急騰した。 620 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 14 その頃、摂津では三好が大敗を喫し本願寺は大きく躍進することになる。 呼応したかのように越後の龍・上杉謙信は武田一門を大騎馬軍団により殲滅、 中原への大きな足がかりを作った。 そして将軍家に上杉家からの軍使が到来する。 「足利家との不戦協定を結びたし」 上杉家の家風が軍使にも浸透しているかのような堂々とした申し次であった。 義輝は軍使を慇懃に労い、ここに足利・上杉同盟が確立した。 畿内の勢力はほぼ三等分されたと言っていい。 西に本願寺、中央は足利将軍家、そして北と東に渡り近世勃興した織田家。 義輝と謙信の交流は日々盛んになり、織田家の後背を牽制するには十分であった。 来るべき決戦の日は刻一刻と近づいていた。 623 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 27 山城の国、肥沃な伏見平野は物流と人物往来の要衝となっている。 義輝はこの地を来るべき大会戦の予定戦場として想定していた。 東海道の終着を伸ばし、伏見まで引き入れ街道を整備。 大軍の進退を容易にせんと試みている。 見渡す限りの京の都での防戦は不利であることは過去の歴史が教えている。 織田家は伊勢を越えて山城に進入するだろう、さればこの山の多い盆地を利用し 大軍を隘路に誘い込み疲労の極まったところを強襲し壊滅に追いやるとい構想である。 竹中半兵衛は兵法の天才と名高く、義輝は半兵衛を重んじている。 家臣団の不和が生ずる間もなく、義輝の重商政策の成功により一丸となっていた。 1565年盛夏、武田信玄討死。 上杉家は大きく関東に躍進する。 北条家は防戦一方で、天下の名城小田原城を頼みに焦土戦術を展開している。 風雲急を告げる。 それぞれの家中で、これから起こり得るかつてない規模の戦闘行為の趨勢に さまざまな憶測が飛び交い、狂喜し恐怖していた。 足利幕府は、その樹立以来の正念場と大きな盛り上がりを見せている。 畿内は灰色の戦雲に包まれやがて来るその時を静かに見守っていた。 624 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18 43 1566年、動静は躍動の色を見せた。 上杉家は旧武田領を巡りついに織田家との戦闘状態に突入。 時を置かず義輝は本願寺に密使を派遣する。 西方の憂いを取り除き、織田家を挟撃しようとの半兵衛の献策であった。 「承知」 本願寺にとっても毛利・長宗我部・大友の一大勢力の台頭により 畿内にのみ固執してはいられない状態に陥っていたのである。 南紀鈴木家は強固たる軍団を保持し、その軍団により北方を恫喝し続けている。 義輝は大いに喜び、尊氏以来といっても過言ではない大軍略に興奮した。 稲葉・竹中・義輝の一軍は颯爽と進発した。 上杉謙信は織田家精鋭を意に介さず軍勢の速度は増す一方であった。 一時的に伸びきった勢力は次第に厚みのある軍陣を整え 近隣大名は謙信を軍神と畏敬し戦端を開こうとはしなかった。 北条家は関東の西方面を失い、いまは里見・佐竹氏との攻防に忙殺されている。 まさに時得たりと、有史以来初とも言える壮大な足利・上杉両軍による大挟撃戦が始まろうとしていた。 625 名前: 557 投稿日: 02/07/23 19 09 上杉家は既に越後南端に謙信を中心とする騎馬軍団を展開させている。 足利家との会合点は近江の観音寺城近辺となるだろう、半兵衛は目算している。 義輝は瀬田を越え、大津に軍勢を置く林・佐久間勢と対峙した。 足利総勢は19,500を数え、上杉謙信に習い騎馬を中心とした機動部隊であった。 迎える林・佐久間勢は近隣の諸侯を寄せて24,000である。 戦場での兵数把握は、戦火の前に置いては恐怖も加味し大幅に誤算する。 それに両軍は実数よりも多めの兵数を呼称し合うので 各将たちには、想像以上の大軍決戦のように感じるものだった。 琵琶湖を傍目に眺めての対陣は雅さを否応にも感じさせた。 前哨部隊は本隊より大きく進軍し、自然両軍は衝突し戦端は開かれた。 多数の斥候が両軍変わらず放たれ、次第に合戦規模が現実的な規模に形成されていった。 義輝は初戦において兵数の損害を最小限に食い止めるため 半兵衛を本陣に呼んだ。 「あれの容易は周到か」 端的な応答が繰り返された後、半兵衛は一旦後退した。 林・佐久間勢は幾多の戦乱を駆け抜けてきただけあり その戦闘指揮に関して目を見張るものがあった。 佐久間などは陣頭に立ち兵を叱咤し、その怒号は敵味方を越えて震撼させた。 足利家先鋒、稲葉一徹も美濃における激戦をかいくぐった名将だけに 織田の精鋭をもろともせず、佐久間同様に兵をたくみに操った。 野戦は先鋒によってその帰趨を分ける。 両軍は体得したその事実を秘め、狂騒し敵へ踊りかかる。 佐久間は後詰の部隊に気を大きくし 猛攻という猛攻に次いで足利家へ執拗な打撃を浴びせてくる。 それに対し稲葉一徹は後方部隊に槍衾をもってしのぎ 敵陣の伸びきった要所を一瞬にして見出し、騎馬部隊を神速で突入させ大いに奮戦した。 しばらく一進一退が続き、五分五分の槍合わせとなった。 先鋒の奮戦に義輝は床几から幾度も立ち上がり 近習に幾度となく洩らしたと言う。 「槍を持て!我が旗を進めよ!征夷大将軍の名を辱めるではないぞ」 650 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 53 戦闘は続いていた。 各軍の先鋒は初戦から混戦している。 均衡した兵力と指揮官の作戦遂行能力に、 膠着状態に陥ったと言っても過言ではなかった。 義輝は焦っていた。 近隣の緒城で沈黙を守る敵勢力に対して このまま消耗戦を展開すれば苦戦は必至であり さらに今次会戦が終了した後の守兵数にも影響する。 戦場は深い霧に包まれ、 あたかも各軍勢の将兵の思惑が滲み出したような要諦を成していた。 651 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 54 義輝の不安が晴れるにはそう時間はかからなかった。 後続の鉄砲部隊が来着したのだ。 当時本願寺・島津をはじめ各大名で鉄砲という新兵器が投入され始めていたが その高価な飛び道具をして戦術を成した部将は未だ存在しなかった。 足利義輝がその名を後世に残らしめる新戦術を展開させるのはまさにこの会戦であった。 潤沢な資金源を活かし、整備された近江-伏見-摂津・堺の商業ルートは 足利家に金銀以上の利益をもたらしていたのである。 652 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 55 義輝は種子島と呼ばれた新兵器を大量に揃え、鉄砲足軽という専属の部隊を展開させた。 敵地における地理的困難が彼らの来着を遅らせる結果となったが 初戦に勢いづいた敵勢力を誘引するには最良の結果となっていた。 五割の戦力となった稲葉一徹を一度後退させ、義輝直属の旗本10,000旗が最前線に突入を開始した。 地形は隘路になっており、義輝はその両側の高地に大兵力を配置した。 後詰であった和田鉄砲隊5,500と、同じく鉄砲編成の竹中4,000が隘路を塞ぐように展開した。 鶴翼に構成された足利軍の士気は、この会戦に家運が賭けられていることを 雑兵までもが体感していたため、一糸乱れず連動している。 653 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 14 55 将軍家の格式は高い。 京において、後世にも語り継がれて行くことになる諸作法を形式化させた足利家は 諸事において美しさを明確に打ち出そうとしている。 それは軍陣においても同様に、戦場への軍装というものは華麗極まりなかった。 古式の礼法にのっとり家中のものすべてが着飾り、中には化粧をする侍もいた。 義輝はこの戦乱の時代において、旧守護大名が追放され・淘汰された要因のひとつが これにあるのではないかと考えていた。 伝統のみを良しとし、新興のものを排除する。 それは非効率の存続であり、進化する時勢を否認することであった。 654 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14 56 義輝は択一を迫られていた。 新たに参入してくる近代的な思想「下克上」を持った侍を眺め 物事の進退について合理性の導入について考えるようになっていたのだ。 遥か源平の御世からの名家である島津においては その風土がそうさせるのか極めて合理的であった。 貴族政治を執行する足利家にとって、滅亡は断じて起こってはならないことで 義輝は決断していたのだった。 655 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 14 56 新戦術の導入、荘園の縮小、寺社衆の統制、貨幣経済の奨励。 薄らかな思いつきであったにしても側近である細川・竹中の天才は その構想をいとも簡単に行政化したのであった。 その結果としての新兵器鉄砲の大量導入である。 その新生足利家の象徴が形となり、いま大軍を率いて 実際に義輝とともにその勇ましい陣容を展開させていた。 硝煙は燻る匂いをあげ、射撃を開始させた。 656 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 15 05 一斉射撃三連は大音声をあげ、濃霧をも払拭していった。 霧が晴れゆくにつれて、地面に臥した敵兵の姿が露になっていった。 義輝はその凄惨な状況に戦慄した。 味方の陣営の騎馬たちも、雷撃のような響きに震撼したが 戦場に長けた各隊長の指揮のもと混乱を生じることは無かった。 寸刻の後、隘路に伸びきった敵将佐久間の率いる軍勢に向け突撃を繰り返した。 佐久間自身ですら一瞬の出来事に何がおこったのかわからず、部隊は哀れにもおびえきってしまった。 退くにも退けず、両脇から襲い来る騎馬武者を支えることも出来ず混乱は広まった。 「我が部隊、惨めにも壊乱す」 敗走する佐久間が力なく発した言葉は、未だに続く鉄砲の射撃音にかき消された。 657 名前: 557 投稿日: 02/07/24 15 14 佐久間は後詰の部隊へと合流のせんと行軍(敗走)中に捕縛された。 後詰の林部隊は周辺城の部隊と共に進軍する。 前線での佐久間の全滅、未だに信じがたい表情で速度はむしろ増している。 「重畳至極」 義輝の兵への言葉は、この一つ目の勝利に絶対的な信頼を得た。 義輝の本体はさらに新戦場へと行軍を開始した。 本陣が囮とも言える作戦に、義輝の側近は苦渋の顔を未だに拭えないでいるが 義輝当人は、既に戦塵を浴び一個の大将としての風格を纏い始めた。 かつて或る剣豪に剣術を指南させ、剣豪将軍と呼ばわれた姿は さらに翼を広げ、いまやその才は一介の剣豪を飛躍し総大将として君臨している。 隘路を抜け平野に出た。 眼前には林を主将とする織田家精鋭が到着しつつあった。 659 名前: 557 投稿日: 02/07/24 15 35 両軍の本隊が終結しようとしている。 畿内の併呑を意図する足利家ほぼ全軍と、上洛を本懐とする織田家の衝突は ここに現実のものとなっている。 両軍の兵数の均衡が破れた今、林は戦闘前の驕りは無くなっていた。 織田家譜代の林は敗北による家中での立場と、そして何より信長による叱責を もっとも恐怖し、その絶対的な恐怖に牽引され突撃を開始した。 直後、一騎の母衣武者が義輝のもとに駆け込んだ。 「合戦のおり、諸事の礼式御免仕る。拙者我が君主上杉謙信の名代にて参上す。」 母衣武者は一息に続けた。 「有史稀無き会戦にて候。かねてよりの盟約により上杉謙信推参、今より挟撃を試みん。」 義輝は本営の陣幕に囲った御簾を斬鉄刀一刀のもと切り捨て 「大儀である。上杉勢の助力なくして日ノ本に和の一字なし。」 「両家の繁栄をこの一戦に託すべし。」 母衣武者と義輝は数度言葉を交わし、そして母衣武者は颯爽と帰参していった。 「何と頼もしげな弓取りよ、敵は目前ぞ。遅れを取るな、かかれ!」 凄惨な地上の光景と反し、琵琶は深蒼の水面をたゆませ涼やかな風に波立っていた。
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総合能力総合値 トップ20 能力総合値 ワースト3 政治政治 トップ20 政治 ワースト3 戦闘戦闘 トップ20 戦闘 ワースト3 教養教養 トップ20 教養 ワースト3 魅力魅力 トップ20 魅力 ワースト3 足軽A足軽A限定 戦闘トップ20 足軽A限定 戦闘ワースト3 騎馬A騎馬A限定 戦闘トップ20 騎馬A限定 戦闘ワースト3 鉄砲A鉄砲A限定 戦闘トップ20 鉄砲A限定 戦闘ワースト3 簡易一覧表 _コメント ↓ 総合 能力総合値 トップ20 順位 武将名 能力総合値 政治 戦闘 教養 魅力 足軽 騎馬 鉄砲 天性 1位 本願寺 顕如 374 94 86 95 99 C D A 知将 2位 織田 信長 370 97 91 84 98 A C A 勇将 武田 信玄 95 97 82 96 B A D 知将 4位 徳川 家康 365 95 93 80 97 A C B 知将 5位 北条 氏康 363 99 90 80 94 A B C 知将 6位 伊達 政宗 362 93 92 87 90 B A A 勇将 毛利 元就 100 84 82 96 B C C 知将 8位 明智 光秀 359 96 87 94 82 B C A 知将 9位 太原 雪斎 351 96 80 96 79 A C D 知将 10位 今川 義元 349 89 80 85 95 B D C 知将 上杉 謙信 78 100 80 91 B A D 猛将 三好 長慶 94 83 85 87 A C C 知将 13位 大谷 吉継 346 89 86 84 87 A C B 知将 14位 斎藤 道三 345 95 83 77 90 A C B 知将 15位 羽柴 秀吉 343 98 80 67 98 A D B 知将 16位 長宗我部 元親 342 88 91 72 91 A C C 勇将 17位 蒲生 氏郷 340 89 87 76 88 B A A 知将 黒田 官兵衛 94 81 88 77 A D B 知将 小早川 隆景 94 83 80 83 B C B 知将 20位 島津 義久 339 93 79 78 89 B D A 知将 次点 細川 藤孝 338 90 72 92 84 B C C 知将 能力総合値 ワースト3 順位 武将名 能力総合値 政治 戦闘 教養 魅力 足軽 騎馬 鉄砲 天性 648位 問田 隆盛 111 62 31 10 8 D D D 知将 649位 森岡 信元 99 17 65 10 7 C D D 猛将 650位 国分 盛顕 92 25 20 38 9 D D D 勇将 目次へ戻る 政治 政治 トップ20 順位 武将名 政治 1位 毛利 元就 100 2位 北条 氏康 99 3位 羽柴 秀吉 98 4位 織田 信長 97 5位 明智 光秀 96 石田 三成 太原 雪斎 長束 正家 9位 斉藤 道三 95 武田 信玄 徳川 家康 松永 久秀 13位 黒田 官兵衛 94 小早川 隆景 津軽 為信 南光坊 天海 本願寺 顕如 三好 長慶 村井 貞勝 20位 宇喜多 直家 93 大久保 長安 島津 義久 伊達 政宗 藤堂 高虎 鍋島 直茂 羽柴 秀長 政治 ワースト3 順位 武将名 政治 645位 真柄 直隆 5 646位 可児 才蔵 4 猿飛 佐助 渡辺 守綱 649位 小島 貞興 1 前田 慶次 目次へ戻る 戦闘 戦闘 トップ20 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 1位 上杉 謙信 100 B A D 猛将 2位 本多 忠勝 99 A A C 勇将 3位 真田 幸村 98 B A C 猛将 前田 慶次 A A D 猛将 5位 島津 義弘 97 A C A 猛将 武田 信玄 B A D 知将 7位 鈴木 重秀 96 C B A 猛将 立花 宗茂 A A C 勇将 9位 吉川 元春 95 B A C 猛将 高橋 紹運 A B C 猛将 立花 道雪 A B D 勇将 12位 柴田 勝家 94 C A C 猛将 島津 家久 A B A 勇将 北条 綱成 A A D 猛将 龍造寺 隆信 A B A 猛将 16位 下間 頼廉 93 A D A 勇将 徳川 家康 A C B 知将 福島 正則 A A D 猛将 19位 井伊 直政 92 B A A 猛将 柿崎 景家 B A D 猛将 佐竹 義重 A A C 猛将 島 左近 B A C 知将 伊達 政宗 B A A 勇将 戦闘 ワースト3 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 647位 板部岡 江雪斎 4 D D D 知将 岡本 禅哲 C D D 知将 649位 大久保 長安 3 D D D 知将 650位 南光坊 天海 2 D D D 知将 目次へ戻る 教養 教養 トップ20 順位 武将名 教養 1位 太原 雪斎 96 南光坊 天海 3位 本願寺 顕如 95 4位 明智 光秀 94 5位 細川 藤孝 92 6位 安国寺 恵瓊 91 古田 織部 8位 山本 勘助 89 9位 今川 氏真 88 黒田 官兵衛 11位 伊達 政宗 87 北条 幻庵 13位 足利 義輝 86 織田 有楽斎 15位 荒木 村重 85 以心 崇伝 今川 義元 武田 信廉 沼田 祐光 三好 長慶 教養 ワースト3 順位 武将名 教養 647位 藤田 康邦 15 648位 問田 隆盛 10 森岡 信元 650位 小島 貞興 8 目次へ戻る 魅力 魅力 トップ20 順位 武将名 魅力 1位 足利 義輝 100 2位 本願寺 顕如 99 3位 足利 義昭 98 織田 信長 羽柴 秀吉 6位 徳川 家康 97 7位 武田 信玄 96 毛利 元就 9位 今川 義元 95 由利 鎌之助 11位 古田 織部 94 北条 氏康 13位 豊臣 秀頼 93 14位 織田 有楽斎 92 本願寺 教如 16位 上杉 謙信 91 長宗我部 元親 村井 貞勝 19位 海野 六郎 90 斉藤 道三 伊達 政宗 根津 甚八 魅力 ワースト3 順位 武将名 魅力 647位 国分 盛顕 9 648位 佐藤 好信 8 問田 隆盛 650位 森岡 信元 7 目次へ戻る 足軽A 足軽A限定 戦闘トップ20 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 1位 本多 忠勝 99 A A C 勇将 2位 前田 慶次 98 A A D 猛将 3位 島津 義弘 97 A C A 猛将 4位 立花 宗茂 96 A A C 勇将 5位 高橋 紹運 95 A B C 猛将 立花 道雪 A B D 勇将 7位 島津 家久 94 A B A 勇将 北条 綱成 A A D 猛将 龍造寺 隆信 A B A 猛将 10位 下間 頼廉 93 A D A 勇将 徳川 家康 A C B 知将 福島 正則 A A D 猛将 13位 佐竹 義重 92 A A C 猛将 14位 織田 信長 91 A C A 勇将 加藤 清正 A B B 猛将 長宗我部 元親 A C C 勇将 長野 業正 A B D 猛将 山中 鹿之助 A B D 猛将 19位 真田 昌幸 90 A B C 知将 北条 氏康 A B C 知将 足軽A限定 戦闘ワースト3 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 56位 島津 豊久 72 A D B 勇将 羽柴 秀長 A D B 知将 渡辺 守綱 A D C 猛将 59位 竹内 久盛 71 A D D 猛将 富田 景政 A D D 猛将 61位 小早川 秀秋 33 A D B 勇将 目次へ戻る 騎馬A 騎馬A限定 戦闘トップ20 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 1位 上杉 謙信 100 B A D 猛将 2位 本多 忠勝 99 A A C 勇将 3位 真田 幸村 98 B A C 猛将 前田 慶次 A A D 猛将 5位 武田 信玄 97 B A D 知将 6位 立花 宗茂 96 A A C 勇将 7位 吉川 元春 95 B A C 猛将 8位 柴田 勝家 94 C A C 猛将 北条 綱成 A A D 猛将 10位 福島 正則 93 A A D 猛将 11位 井伊 直政 92 B A A 猛将 柿崎 景家 B A D 猛将 佐竹 義重 A A C 猛将 島 左近 B A C 知将 伊達 政宗 B A A 勇将 16位 上杉 景勝 91 C A D 猛将 17位 武田 勝頼 90 D A D 猛将 山県 昌景 D A D 勇将 19位 斎藤 義龍 89 C A D 猛将 伊達 成実 B A A 猛将 本庄 繁長 C A D 猛将 本多 忠朝 B A C 勇将 騎馬A限定 戦闘ワースト3 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 42位 円城寺 信胤 77 C A C 猛将 原田 宗時 C A D 猛将 44位 石川 高信 76 B A D 猛将 45位 相良 義陽 75 B A C 猛将 目次へ戻る 鉄砲A 鉄砲A限定 戦闘トップ20 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 1位 島津 義弘 97 A C A 猛将 2位 鈴木 重秀 96 C B A 猛将 3位 島津 家久 94 A B A 勇将 龍造寺 隆信 A B A 猛将 5位 下間 頼廉 93 A D A 勇将 6位 井伊 直政 92 B A A 猛将 伊達 政宗 B A A 勇将 8位 織田 信長 91 A C A 勇将 望月 六郎 B D A 勇将 10位 伊達 成実 89 B A A 猛将 11位 鍋島 直茂 88 A A A 知将 12位 明智 光秀 87 B C A 知将 蒲生 氏郷 B A A 知将 14位 滝川 一益 86 C D A 知将 本願寺 顕如 C D A 知将 16位 鈴木 佐大夫 82 B D A 知将 成松 信勝 C C A 勇将 18位 佐々 成政 81 C B A 猛将 19位 片倉 景綱 80 C B A 知将 20位 島津 義久 79 B D A 知将 鉄砲A限定 戦闘ワースト3 順位 武将名 戦闘 足軽 騎馬 鉄砲 天性 30位 種子島 時尭 59 D D A 知将 31位 森 蘭丸 57 C C A 知将 32位 岡 吉正 51 D D A 猛将 目次へ戻る 簡易一覧表 総合 政治 戦闘 教養 魅力 順位 武将名 能力値 順位 武将名 能力値 順位 武将名 能力値 順位 武将名 能力値 順位 武将名 能力値 1 本願寺 顕如 374 1 毛利 元就 100 1 上杉 謙信 100 1 太原 雪斎 96 1 足利 義輝 100 2 織田 信長 370 2 北条 氏康 99 2 本多 忠勝 99 南光坊 天海 2 本願寺 顕如 99 武田 信玄 3 羽柴 秀吉 98 3 真田 幸村 98 3 本願寺 顕如 95 3 足利 義昭 98 4 徳川 家康 365 4 織田 信長 97 前田 慶次 4 明智 光秀 94 織田 信長 5 北条 氏康 363 5 明智 光秀 96 5 島津 義弘 97 5 細川 藤孝 92 羽柴 秀吉 6 伊達 政宗 362 石田 三成 武田 信玄 6 安国寺 恵瓊 91 6 徳川 家康 97 毛利 元就 太原 雪斎 7 鈴木 重秀 96 古田 織部 7 武田 信玄 96 8 明智 光秀 359 長束 正家 立花 宗茂 8 山本 勘助 89 毛利 元就 9 太原 雪斎 351 9 斎藤 道三 95 9 吉川 元春 95 9 今川 氏真 88 9 今川 義元 95 10 今川 義元 349 武田 信玄 高橋 紹運 黒田 官兵衛 由利 鎌之助 上杉 謙信 徳川 家康 立花 道雪 11 伊達 政宗 87 11 古田 織部 94 三好 長慶 松永 久秀 12 柴田 勝家 94 北条 幻庵 北条 氏康 13 大谷 吉継 346 13 黒田 官兵衛 94 島津 家久 13 足利 義輝 86 13 豊臣 秀頼 93 14 斎藤 道三 345 小早川 隆景 北条 綱成 織田 有楽斎 14 織田 有楽斎 92 15 羽柴 秀吉 343 津軽 為信 龍造寺 隆信 15 荒木 村重 85 本願寺 教如 16 長宗我部 元親 342 南光坊 天海 16 下間 頼廉 93 以心 崇伝 16 上杉 謙信 91 17 蒲生 氏郷 340 本願寺 顕如 徳川 家康 今川 義元 長宗我部 元親 黒田 官兵衛 三好 長慶 福島 正則 武田 信廉 村井 貞勝 小早川 隆景 村井 貞勝 19 井伊 直政 92 沼田 祐光 19 海野 六郎 90 20 島津 義久 339 20 宇喜多 直家 93 柿崎 景家 三好 長慶 斎藤 道三 大久保 長安 佐竹 義重 伊達 政宗 島津 義久 島 左近 根津 甚八 伊達 政宗 伊達 政宗 藤堂 高虎 鍋島 直茂 羽柴 秀長 645 真柄 直隆 5 646 可児 才蔵 4 猿飛 佐助 647 板部岡 江雪斎 4 647 藤田 康邦 15 647 国分 盛顕 9 648 問田 隆盛 111 渡辺 守綱 岡本 禅哲 648 問田 隆盛 10 648 佐藤 好信 8 649 森岡 信元 99 650 小島 貞興 1 649 大久保 長安 3 森岡 信元 問田 隆盛 650 国分 盛顕 92 前田 慶次 650 南光坊 天海 2 650 小島 貞興 8 650 森岡 信元 7 目次へ戻る _コメント ↓ 秀秋は兵の勢いで勝ったんだもん。33でもしゃーない -- それでも僕は小早川 (2009-12-07 15 12 52) 実は群雄争覇でオール100にすると最強なのは適性オールAな鍋島直茂が最終的に最強になります。 -- ぱわわ (2010-01-28 15 07 31) 絶対、本多忠勝が良いと思う。2番は、前田慶次かな。 -- yosio (2010-08-01 19 01 00) 山県昌景は、もうちょっと戦闘値上げていいと思う。 -- 武田晴信 (2011-03-17 21 26 03) 能力値インフレしてるなー リメイク前のシビアさが好きだったのに -- (名無しさん) 2011-06-07 00 31 17 蘭丸の足軽をBにすればいいのに -- (明智ケツ火出) 2011-08-04 07 06 09 鍋島直茂はなんでオールA何だろう? -- (大内義隆) 2011-08-05 14 17 58 細川ガラシャ本当に使えませんね -- (島津貴久) 2011-11-20 00 11 21 前田慶次は戦闘70がいいとこだろう。マンガの影響受けすぎ。 -- (名無しさん) 2012-04-04 19 21 15 まあ慶次はネタキャラだから。今回は真田十勇士も普通に登場するんで、笑って許してあげましょう。 -- (名無しさん) 2012-04-09 00 17 11 吉川元春戦闘100にしてくれw -- (きっかわけんた) 2012-12-17 19 31 19 南光坊天海に「次は戦場で」言われたwww -- (阿弖流為) 2013-02-22 19 25 09 真田幸村活躍したの一回wwww -- (あけち) 2013-05-03 10 40 37 南光坊天海は関ヶ原に出陣したから15くらいにするべき。あと何で織田信秀が戦闘90代で道三83なんだよw -- (斎藤秀龍) 2013-07-09 13 59 30 義輝100はないな~ -- (セミシグレ) 2013-08-25 12 06 42 [ラリアット] -- (hq) 2013-09-12 22 18 11 顕如強い -- (名無しさん) 2013-10-13 18 44 44 岡本禅哲足軽Cwww -- (島津家久) 2015-08-10 20 46 00 hswんhgv -- (jyfttf、) 2015-12-04 22 01 16 何なん信長消えろ -- (浅井長政) 2015-12-04 22 02 38 名前 コメント すべてのコメントを見る
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総評 ・「姫若子」から「鬼若子」へ。半士半農の郷士「一領具足」を従えて、出来人は土佐の地から四国統一を虎視眈々と狙う。 ・難易度はやや易しい。武将の能力と固定戦術に優れ、手順さえ間違わなければ四国制覇は比較的容易。領国数に対して武将数が少なく新規登用も難しいシナリオ4のほうが難易度は高い。 いずれのシナリオも四国統一後が本番。くれぐれも「鳥無き島の蝙蝠」とならぬよう。 ・領国はシナリオ1~3・5では土佐1ヶ国。シナリオ4では土佐・讃岐・阿波の3ヶ国。 ・人材は長宗我部一門と家臣団で構成。初代風雲録よりは改善されたが、それでも数はやや控えめな印象。 政治面は香宗我部親泰、谷忠澄らが主柱。歴代当主の政治も高い。 戦闘面は長宗我部元親を始め戦闘と足軽適正に秀でた武将が揃う。四国では飛び抜けた存在。 一条家・西園寺家は今回登場しないが、家臣は浪人として登場。シナリオ2・3では西園寺家臣の土居清良が土佐に滞在。 ・固定戦術は移動系が1つ、攻撃系が2つ。うち固有戦術が1つ。「一領具足」は長宗我部家のみ使用可能の希少戦術。 「速攻」は足軽隊主体の長宗我部家ではなにかと便利。相手側「鎮静」対策としても勿論有用。 固有戦術「一領具足」は士気上昇効果も嬉しい二重効果戦術。防御力上昇は攻撃力上昇とほぼ同義。 「槍車」には持続時間こそ短いが爆発力がある。「一領具足」とどちらを使用するか、という嬉しい悩みを提供する。 ・土佐の文化効果は「台風の被害減少」、技法は「行軍」。 ・土佐は最大石高で全国平均を若干下回る。初期文化値は平均的。四国唯一の金山保有国でもある。 ・隣接国は全国最少の2ヶ国。隣接大名家はシナリオ1の状態で三好家、河野家。シナリオ2~3・5でも同様。 シナリオ4での隣接国は領国3ヶ国でのべ5ヶ国。隣接大名家は羽柴家、鈴木家、宇喜多家、毛利家、河野家。 ・外交状況はシナリオ1・2では友好的な大名家、敵対的な大名家いずれも無し。 シナリオ3では三好家・河野家・大友家との友好が低下している。 シナリオ4では柴田家との好意が高い。一方で羽柴家とは険悪で、徳川家・鈴木家・毛利家・河野家との友好も低い。 シナリオ1~3では同盟関係にある大名家は無し。シナリオ4では鈴木家と同盟を結んでいる。 ・ちなみに家紋は「帆懸船」。長宗我部盛親が斬首された際に着ていた羽織に用いられる。 固定戦術 ・速攻 ・一領具足(固有) ・槍車 注目武将 長宗我部国親‐政治81 戦闘80 教養54 魅力86 足軽A 騎馬D 鉄砲D 天性:猛将 長宗我部家の代名詞「一領具足」の考案者。永遠のライバル本山茂宗・茂辰親子は今回不在。 息子達に劣らぬ有能さ。政治81戦闘80と初代風雲録からイメチェンを果たした1人。 長宗我部元親‐政治88 戦闘91 教養72 魅力91 足軽A 騎馬C 鉄砲C 天性:勇将 晩年はちょっと締まらない感じの「土佐の出来人」。群雄争覇ではひどい目に。 異名に相応しい総合力。戦闘91、足軽適正Aに「一領具足」と足軽隊のエキスパート。 吉良親貞‐政治59 戦闘82 教養52 魅力57 足軽A 騎馬A 鉄砲C 天性:猛将 一条家を正面から崩壊させた次男坊。息子は御家騒動の中心人物だが、赤穂浪士の吉良上野介とは無関係。 戦闘82が光る。騎馬適正Aは長宗我部家では四国では貴重。父同様寿命にはやや難ありか。 香宗我部親泰‐政治83 戦闘75 教養67 魅力72 足軽B 騎馬C 鉄砲C 天性:知将 三好(十河)家に止めをさした三男坊。軍功も華々しいが外交手腕が光る長宗我部家の外務大臣。 政治83が際立つ。軍を率いても四国統一戦線では十分活躍出来る。 吉田政重‐政治12 戦闘74 教養42 魅力48 足軽B 騎馬C 鉄砲B 天性:猛将 「大備後」吉田重俊の曾孫。間隔が空きすぎるので浪人としての登場になる。 戦闘74の戦うお医者さん。そして政治12のお医者さん。出番は限られるが経歴は屈指の個性派。 敵大名としての特徴 ・比較的好戦的な大名家。やや周りから遅れて侵攻を開始する事が多い。いずれのシナリオでも四国より先に勢力を伸ばす事は稀。 シナリオ1・2では伊予までは順調に領国化するものの、三好家にはてこずるようで四国の半分を領有するに留まる事が多い。伊予を毛利家に奪われた場合は雪隠詰めになる事も。 シナリオ3では伊予を毛利家に先制されない限りは順調に勢力を拡大し四国の覇者となる。毛利家が四国に侵入してくるとほぼ競り負ける。 シナリオ4では四国統一は時間の問題。しかしその後は毛利家あるいは羽柴家に押され気味で、中盤にはいずれかの勢力に屈するケースがほとんど。 ・合戦を行う際に注意すべき点は所有している戦術の優秀さ。「一領具足」と「槍車」の二段構えなのである程度の損害は覚悟すること。 シナリオ別攻略 ・シナリオ1 武将は6人。長宗我部国親の知恵袋たる吉田孝頼が登場していないのは残念。 最初の攻略目標は伊予の河野家になるだろう。 三好家の動向に注意しつつ攻略しよう。 当主国親は優秀だが、それほど寿命は長くない(1560年没)ので注意。 開始数年で長宗我部元親の弟達が元服する。いずれも優秀なので主力に据えていけば三好家も恐るるに足りず。 ・シナリオ2 武将は8人。 当主が元親になる。配下に弟2人と久武親直が加わり、家臣の質と量はアップしている。 三好家は摂津を失ったもののまだ力を残しており予断は許さない。 このシナリオも最初の攻略目標は伊予の河野家になるが、意表をついて優秀な家臣と茶器を持つ三好家を狙うのも面白いかもしれない。 なお、シナリオ2~3では開始時に政治65戦闘73、鉄砲適正Aの土居清良が浪人中。相性は悪くないので登用しておこう。 ・シナリオ3 武将は9人。 武将の顔ぶれはシナリオ2とあまり変わらないが、おそらく最も楽なシナリオ。 隣国の三好家は大幅に弱体化。もはや長宗我部家の四国統一の妨げにはならないだろう。 伊予でも阿波でも好きなほうから攻略できる。 人材確保を優先するなら阿波→讃岐→伊予がお勧め。三好家の武将との相性は普通。何故か三好康長とは馬が合う様子。 毛利家を牽制しておきたいなら伊予→阿波→讃岐。瀬戸内海を守りつつ土佐の全兵力を阿波攻略に投入できる。 四国統一の次は中国か九州。状況を把握しながら方針を固めていこう。 ・シナリオ4 武将は10人。 領国が土佐・讃岐・阿波3ヶ国となり、四国統一は目前。 家臣団には嫡男信親、次子香川親和など次代の将が増えているかわりに、吉良親貞、福留親政、久武親信といった武を支えた面々が退場している。 武将数が少ない(1ヶ国当たり約3.3人)ので、効率の良い配置に気を配らなければいけない。 このシナリオの敵は四国の外にあり。四国は早々に統一して羽柴家・毛利家に備えよう。 周辺国との関係は同盟中の鈴木家を含めて軒並み悪く、仲の良い他大名家は柴田家のみ(友好75)。外交面はアテになりそうもない。 近畿、中国、九州それぞれの情勢に合わせて柔軟に対応していこう。漁夫の利を狙う作戦も悪くない。 なお、周辺では豊後の大友家の武将との相性が良い。攻略すれば人数不足の解決に繋がる。
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総評 外に不退の一向衆、内に魑魅魍魎たる畠山七人衆。能登七尾は城下も城内もかまびすしい。内憂外患を抱える足利幕府きっての名門の行く末は。 難易度はどのシナリオを選択しても難しい。神保家という東への壁が健在かつ本願寺家の脅威が弱まるシナリオ2が比較的取り組みやすいか。 領国はシナリオ1~3・5で能登1ヶ国。シナリオ4には登場せず。 人材は畠山七人衆とその親族衆が占める。数は多いが全体的に小粒な印象は拭えない。北陸きっての政治家集団ではある。政治面は遊佐続光、長続連といった畠山七人衆が実質的に司る。突出した存在は無く、合議制での運営をよく表している。戦闘面は心許ない。長綱連が一応の主力だが、全てを託しうるだけの信頼感は無い。シナリオ5では上条政繁が加わるが、焼け石に水か。浪人への期待はあまりしないほうがよい。村上義清、本庄繁長といった戦闘面に優れた人材が流れてくる場合もないではないが、稀。 固定戦術は特殊系が2つ、攻撃系が1つ。決め手に欠ける構成。「鎮静」は知性派揃いの畠山家では特に重要。少しでも被害を抑えるために使用時期を見誤らないようにしたい。「流言」は冬季の防衛戦では比較的効果を発揮するものの、ランダム要素を含む。過度の期待をかけてはいけない。「弓構」はそれのみでは威力に欠けるものの、畠山家の主戦術となる。能登を守り切るには七尾城に籠もることも選択肢の一つ。 能登の文化効果は「地震の被害減少」、技法は「弓術」。 能登の最大石高は低い。反面、小京都七尾の名に相応しく初期文化値は高い。大兵力を維持するには不向きだが、金収入にはそれなりの期待が持てる。 隣接国は最少の2ヶ国。隣接大名家はシナリオ1の状態で神保家と本願寺家。シナリオ2でも同様。シナリオ3では神保家が滅び、上杉家と隣接する。 外交関係はシナリオ1・2では神保家・北条家との友好がやや高い。本願寺家との友好はやや低く一向一揆が起こる可能性あり。六角家と同盟を結んでいるが、遠方ゆえに重要性は低い。シナリオ3では朝倉家との友好がやや高い。本願寺家との関係も修復されている。上杉家・佐竹家との関係は険悪。同盟を結んでいる大名家は無し。 ちなみに家紋は「輪違い」。バサラ大名高師直も使用。 固定戦術 鎮静 流言 弓構 注目武将 畠山 義綱‐政治72 戦闘60 教養75 魅力68 足軽D 騎馬C 鉄砲D 天性:勇将 大名の専制権回復、神保家と上杉家の調停に成功するもクーデターは防げず。何かと気苦労の多そうな能登畠山家の実質的な最後の当主。 全ての能力値で畠山七人衆を凌ぐ。神輿で終わる器ではない。シナリオ1・2では大名、シナリオ3・4では一転浪人生活の苦労人。 温井 総貞‐政治63 戦闘30 教養53 魅力34 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:勇将 前々政権時代に台頭。内戦を経て派閥争いに勝利し、合議制の実質的な支配者に。権勢の影には下剋上の動きも読み取れる畠山七人衆1号。 出世の契機となった教養面は評価されず。畠山義綱は行動力確保に努め、畠山七人衆が実務者となるのが総貞存命中の基本。 遊佐 続光‐政治65 戦闘49 教養61 魅力58 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:知将 権力闘争に明け暮れるは既得権益を守るため。河内畠山家にも守護代を務める同族あり。立場はどちらかというと上杉家寄りの畠山七人衆2号。 頭脳派なのだが一流には届かず。天性・知将は畠山七人衆中唯一の存在だが、家中でも唯一のため天性効果はお預け。 長 続連‐政治62 戦闘56 教養62 魅力62 足軽C 騎馬D 鉄砲D 天性:勇将 主君放逐は禁忌にあらず。幼君擁立後は専横の振る舞い著しく、能登動乱の引き金を引く。立場はどちらかというと織田家寄りの畠山七人衆3号。 特別に秀でた能力値は無いが、4種類ある能力値のうち3つが全くの同数値というとんでもないバランス感覚の持ち主。 敵大名としての特徴 いずれのシナリオにおいても外征に対しては消極的。腰は重く、打って出る気配は感じさせない。シナリオ1・5においては、本願寺家の最初の標的になることが非常に多い。その時期はかなり早く、開始から3年前後で地図上から姿を消す。シナリオ2・3では本願寺家の侵攻時期が遅く、多少の猶予が与えられる。とはいえ結果に変化はなく、本願寺家または上杉家によってあえなく滅亡に追い込まれる。 合戦を行う際に気を付けるべき点は特に無し。ただし降雪による士気の低下に「流言」を重ねられると仕損じる可能性もなくはない。少なくとも被害は増えるので冬季の開戦は避けるべき。また、能登にそびえるのは堅城で鳴らす七尾城。籠城戦には持ち込ませない事。 シナリオ別攻略 ・シナリオ1 武将は6人。遊佐続光は追放中、かと思いきやしっかり政治に参画。 家臣団の数は揃っているが、それがただでさえ少ない兵糧収入を更に圧迫するという皮肉を生む。早めに領国数を増やしたいところ。 意表を突いて加賀の本願寺家から攻略していくのも面白いが、持てる兵力の全てを注ぎ込むギャンブル合戦となる。それ相応のリスクは覚悟する事。 堅実路線ならば最初の攻略目標は越中となる。武将の相性は抜群なので、攻略後はそのまま家臣団を吸収することが可能。野戦場は海戦となるので注意。 その後は越中を中心に腰を据えて内政に取り組む。その内に有能な浪人が移動してくる事もあるだろう。相性的には織田・徳川系の武将が狙い目。 本願寺家が勢力拡大の動きを見せた時が好機。手薄になった隣国を奪い取りたい。あえて能登に攻め込ませるのも考慮に値する妙手。 上杉家が東北に向け軍を動かした場合は、越後に残っている武将と兵数を確認。勝機有りと見たら越後を攻略、比較的与し易い関東へと駒を進めよう。 ・シナリオ2 武将は6人。 温井総貞の粛清など紆余曲折を経て七人衆体制はひとまず崩壊。 長連龍が元服し家臣団に加入。なお上条政繁は既に上杉家に入嗣済み。 本願寺家の主力が摂津に移動、加賀の陣容が弱体化している。とはいえ武将の戦闘面の差は詰まっているものの、相手の訓練が万全ならば奇襲には期待出来ない。 基本路線はシナリオ1と同様だが、上記の点から加賀攻略を優先したほうが良いだろう。朝倉家または神保家に共闘を依頼するのを忘れずに。 加賀制圧後はやはり越中を攻略して武将数を確保したい。その後は東進ならば上杉家の動向に合わせて、西進ならば朝倉家を独力で攻略することになる。 加賀と越中の技法を獲得すれば「看破」が使用可能となり、合戦が一気に楽になる。東西どちらに進むにせよ加賀・越中死守は絶対。 ・シナリオ3 武将は7人。 畠山七人衆から三行半を突きつけられた畠山義綱が追放の憂き目に。神保家も上杉家の前に膝を屈し、畠山家の行く手に暗雲が立ち込める。 新たな大名の畠山義慶は政治45。全大名中下から二番目の数値で、行動力の制限は相当に厳しい。同じく新加入の遊佐盛光は魅力10のイカした奴だが、戦力には数え難い。 上杉領となった越中は攻略のハードルがぐんと上がった。加賀の状況はシナリオ2と大差ないが、所属武将の変化に伴いこちらは攻略しやすくなっている。 いずれにしても序盤は全力をもって訓練を。戦力差を覆すには訓練の差をもって当たるより他にない。 越中に進軍しても先の展望は望めない。攻略目標は加賀が良いだろう。せっかく関係が改善された所だが、背に腹は代えられない。本田正信は是非登用したいが、運次第。 加賀攻略後は損害を回復、越前侵攻に備える。それまでにかける時間にもよるが、富田景政擁する朝倉攻めが最大の山場だったりする。 織田家との同盟の道も模索したい。同盟は成らずとも織田家との共闘で近江を攻略、浅井長政を家臣に加える展開が理想的。 以降は上杉家・織田家から逃れるようにして西進していく。能登からは撤退する覚悟も必要だが、加賀は守り切りたい。丹波まで攻略できれば「看破」取得も見えて来る。
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総評 伊東四十八城に象徴される栄華を誇るも、木崎原合戦は南九州の桶狭間。敗れし伊東家には流転の道しか残されていないのか。 武将の大幅入れ替え、日向・肥後間の合戦が不可能になったりと初代風雲録から大きく様相が変化した。前作に比べればいくらか改善されたが、状況が好転しているとは決して言えない。隣国に攻め込まれる早さは脅威的で、滅亡の早さは里見家と1・2を争う。両家は処断の嵐が吹き荒れる点でも共通。その姿は涙を誘う。 難易度は難しい。国力・兵数・武将の能力に優る大友家・島津家に挟まれる。両家の攻撃目標とされやすい事も難易度に拍車を掛けている。 領国はシナリオ1~3・5で日向1ヶ国。シナリオ4には登場せず。 人材は一門衆と伊東家臣団で構成。北の大友家、南の島津家に比べると質・量共に見劣りする。政治面の主軸は川崎祐長。山田宗昌が二番手となる。能力値的には伊東義祐が最上位だが、行動力消費の面からあまり積極的には使い辛いか。戦闘面は軸となる武将が不在。木脇祐守、長倉祐政は兵科適正が今一歩。当主が主力という弱小大名の轍を外れない。浪人はシナリオ1では山田宗昌ら3名、シナリオ2では新納忠元と北郷時久の2名が滞在。このうち相性が良いのは山田宗昌のみだが、出来れば全員家臣に加えておきたい。 固定戦術は移動系、特殊系、攻撃系が各1つずつ。「看破」は伊東家の主な攻撃手段となる奇襲を支える重要な戦術。後退しながら奇襲を繰り返す。これが合戦での基本的な立ち回りとなる。「流言」は効果の実感に乏しい。加えてランダム効果。あまり頼りにすべきではない。「連撃」は実質「三段構え」の下位互換戦術と考えて良い。伊東家には鉄砲適正の高い武将が不在。やはり武将と鉄砲の数が揃ってからが本領発揮となる。 日向の文化効果は「台風の被害減少」、技法は「兵法」。 日向は最大石高、初期文化値共に全国平均を下回る。佐土原は九州の小京都なのだが。文化効果は九州・四国地方では重宝するが、開発を急ぐ必要はあまり無い。 隣接国は最少の2ヶ国。隣接大名家はシナリオ1の状態で大友家と島津家。シナリオ2・3・5でも同様。 外交状況はシナリオ1・2では好意的な大名家、敵対的な大名家は特に無し。シナリオ3では龍造寺家・相良家・島津家との友好が大きく低下している。なお、同盟を結んでいる大名家はいずれのシナリオでも無し。 余談だが、日向という土地で伊東義祐は仏事に傾倒し、大友宗麟はキリスト教国の設立を目指した。結果としては伊東家は衰退、大友家は大敗を喫するわけだが、日向には何かがある気がしてならない。 ちなみに家紋は「真向き月に星」。 固定戦術 看破 流言 連撃 注目武将 伊東 義祐‐政治78 戦闘68 教養63 魅力76 足軽B 騎馬B 鉄砲C 天性:猛将 大仏や金箔寺を建立するほど仏教好き。だが孫の伊東マンショはカトリック教会の司祭様。 戦闘68だが総合力で主戦を張る。島津家の猛攻に抗い切れるか。政治78は再評価の兆し。 伊東 祐兵‐政治69 戦闘70 教養65 魅力69 足軽C 騎馬B 鉄砲D 天性:猛将 後に伊東氏中興の祖とも呼ばれる伊東家の秘蔵っ子。耳川合戦前後の逸話はまるで昼ドラ。 万能型だがやや小粒な印象。1574年元服だがシナリオ4では開始翌年に摂津付近に登場。 川崎 祐長‐政治74 戦闘34 教養61 魅力58 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:知将 伊東親子の流浪を常に支えるその事績は糟糠の妻に匹敵。伊東祐兵の祖父でもある。 政治74で伊東家の政務全般を取り仕切る。川崎酒造って宮崎に実在するんですね。 新納 忠元‐政治26 戦闘84 教養74 魅力63 足軽B 騎馬A 鉄砲B 天性:勇将 島津家武功派筆頭の名臣。日向滞在の理由は本家筋が飫肥・志布志に拠点を持っていたからか。 シナリオ1・2で浪人中。相性は最悪だが戦闘84は大いに頼りになる。なんとかして家臣に迎えたいが…。 敵大名としての特徴 対外的な軍事行動を起こす事はほぼ無い。というのも隣国の活動が活発で常に機先を制されるから。いずれのシナリオでも島津家の最初の標的となる。撃退に成功することはまず無く、早ければ開始2年であえなく滅亡の運びとなる。稀に大友家に先行されることも。結果は変わらず滅亡することがほとんどだが、家臣団が処断されない分いくらか救いがあるか。 合戦を行う際に注意すべき点は特に無し。序盤だと「看破」が厄介ではあるが、力押しで打ち破れない相手では決して無い。 シナリオ別攻略 ・シナリオ1 武将は5人。 北に大友家、南に島津家と強国に挟まれる。加えて伊東義祐が主力という厳しいお家事情。 浪人の登用は怠りなく。新納忠元の登用も不可能ではない。忠誠の値にはこの際目を瞑ること。 最初の攻略目標は大友家が良いだろう。兵数・訓練を整え次第豊後に出兵しよう。 大友家系の武将との相性は良好。戦後登用で家臣の充実が期待出来る。ちなみに龍造寺家・相良家・島津家の武将とは相性が悪いので注意。 この時点での伊東家の生命線は「看破」。大友家は「鎮静」を使用するので対策が必要となる。 具体的には鉄砲隊を編成して「連撃」を使用すれば良い。あくまでも「看破」を活かすためなので兵数は最少でもいい。 豊後攻略後は旧大友家臣団を中心に国力と軍備の充実を図る。1557年までにはまとまった兵数を準備するように。 以降は薩摩→肥後→肥前と安全国を増やしながら進軍していけば効率良く勢力拡大が望める。「看破」による奇襲が主戦力なのは同じ。 九州制覇にはそれなりの時間と労力が必要だが、統一後は北上するのみなので展開は一気に楽になる。 ・シナリオ2 武将は7人。 嫡子である伊東義益が元服。山田宗昌も家臣に加わり伊東家最盛期を迎える。 開始直後の新納忠元登用は難しい。翌月以降に滞在していたら声を掛けてみよう。 方針はシナリオ1と変わらず。大友家には高橋紹運が加わりより難敵となっているが、ここを乗り越えずして伊東家の明日はない。 島津家久元服前の島津家打倒から手を付けるのも妙手といえるが、武将の登用に苦労する点は覚悟しておくこと。 ちなみに伊東義益の寿命は非常に短い。伊東家の未来を託す人物の登場はもう少し先になる。 ・シナリオ3 武将は6人。 伊東義益が夭折。新たな家臣は無し。 木崎原の戦いを目前に控えたシナリオ。伊東崩れを起こしてはならない。 浪人は滞在せず。伊東義祐がエースでは大いに不安。さりとて他に頼れる者は無し。 やはり豊後侵攻を当面の目標とするのが良いだろう。友好の低い島津家から攻略するのも良いが、武将数に苦労する可能性が高い。 いずれにせよ武将の戦闘能力差が大きいので相当の苦戦を強いられる。複数回に渡る合戦も視野にいれて取り組もう。 伊東義祐は日向退去後、豊後→伊予→ちょっと飛んで播磨と流転。息子祐兵の羽柴家仕官後は中国地方を流浪し周防に滞在、最後は堺と水戸黄門ばりの諸国漫遊を実行した。 (徳川光圀が実際に諸国漫遊をしていない事はともかくとして)この旅路をなぞりながら勢力を拡大していくのも乙なものである。効率は非常に悪いが。
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三好家 松永久秀 (マツナガ ヒサヒデ) レベル 65 職業 陰陽 防衛陣 本陣(軍師) 構成 名前 種類 レベル 初期付与 使用技 松永久秀 陰 65 蘇生・壱、反乱の謀計、狂風、狂風・弐、迅雷、迅雷・弐 松永長頼 侍 60 蘇生・壱、一所懸命、n連撃・改 淡路管の猛者 鍛 60 蘇生・壱、陽動 大峰奥駈行者 薬 60 蘇生・壱 野間左橘兵衛 懐剣神 60 詠唱の韻・極、気合撃・参、後光、僧攻撃術 楠流くノ一 忍 60 興福寺高僧 僧 60 特徴詳細 反乱の謀計は全体魅了 5の神主が僧技能を使ってくる ドロップアイテム 平蜘蛛釜 列伝 前半生は謎に包まれており生年は不明(1510年ごろの生まれの説があるが確証はない)。弾正忠、山城守、弾正少弼。出自は阿波、摂津、山城の説があるが山城西岡説がもっとも有力。 三好長慶の被官により三好政権内の重鎮となる。しかし槍働きは弟の長頼のほうが優れており、権勢を振るうことができたのは弟の武略によるところが大きい。 1556年、摂津滝山城主となる。このころには訴訟取次を行っていた記録が残されている。 1559年には大和に乱入し、当時支配を行っていた興福寺僧官の出である筒井順慶を蹴落とし、大和国信貴山城となり、翌年には大和をほぼ支配し多聞山城を築く。 1562年、畠山氏との争いで主君長慶が窮地に陥るとこれを守護、さらに河内での戦いで畠山軍を大敗させた功により三好政権の中心的存在になる。その後長慶の嫡子義興が病死する。このころから梟雄として徐々に頭角を現してくる。 長慶の弟である安宅冬康を諫言により長慶に殺させ、さらには以前より長慶と軋轢のあった三好三人衆と組んで三好政権を内部より崩壊させる。 主君であった長慶の死後、三好三人衆とともに将軍足利義輝を攻めこれを自害に追い込む。このころから三好三人衆との関係が悪化し、政権内での抗争を繰り広げ、ついには東大寺大仏殿に火を放つ。 1568年になると畿内の情勢は一気に変わることとなる。信長の台頭である。これに久秀は降伏、所領である大和を安堵される。 しかし1571年に入ると武田信玄に通じる。5月、信長に反旗を翻すが、8月には失地回復に燃え、大和に再び戻ってきた筒井順慶が辰市に城を築く。これに対して出兵した辰市の戦いで大敗。 この後筒井氏に押され、筒井城を明け渡したのち、高田城といった松永方の多くの城を落とされ、劣勢に立たされていった上、河内方面には明智などの織田家譜代が出陣して松永を追い詰めていった。 1572年には相次ぐ大地震が大和を襲うが、その中で松永はついに多聞山城に籠城、1573年初頭に名刀、不動国行を信長に献上、恭順する(この一連の戦いで、彼は軍才については決して高くないことを露呈しており、どちらかといえば文官型人物であったことが伺える)。 しかし、その後の足利義昭と信長の対立では、義昭側についていたようで、多聞山城付近にも信長方が乱入することになる。 多聞山城にこもり抵抗するが、12月に降伏、再び大和を安堵される。この仕置からも信長が久秀の才を買っていたことが伺える。ただし多聞山城は没収されている。 1575年、突然に大和守護職を失う(かつて自身が追い落とした筒井順慶が裏におり、巻き返しを図ったと考えられる)。これにより松永は一国の太守から一武将に落ちてしまう。 1576年は石山本願寺との抗争に信長方として参加していたが、その最中に上杉謙信や毛利、本願寺と交渉をしていたようである。 1577年、再び信長に対して反旗を翻すも、信長の軍事力にはかなわず、名器平蜘蛛茶釜を渡すという降伏条件を拒否し、平蜘蛛茶釜を抱き火中に飛び込み戦死。奇しくも東大寺に火を放った日からちょうど10年たった同日の10月10日のことであった。 ルイスフロイスは彼を狡猾と評し(一方で天下の支配者、と評しており、能力は高く評価していたようである)、また後世では乱世の梟雄の代表となっている。しかし誇張された部分も非常に多い。東大寺大仏殿の件は火矢の火が移ったためで意図的ではないという説がある。 また、誇張の可能性が高いため、上では記述しなかったが、十河一存、三好義興が彼の暗殺であるという説も、単なる病死という説がある(三好長慶の死にもかかわっているという説があるが、これは誇張の可能性がさらに高い)。東大寺についていうと、松永がやったとしているのは信長公記や佐久間軍記といった「信長側」の資料であり、大和記には「三好勢が大仏殿を本陣にしたため、そこを夜襲した松永勢の火矢が燃え移った」ともある上、フロイス日本史には、一キリシタン足軽の放火であり松永は関与していないとする(先述したようにルイスフロイスは彼を狡猾と評しているため、狡猾の体現ともいえる東大寺炎上について、彼のせいではないとしているのは興味深いといえる)。ほかの大和側の資料も、同様である。 彼は、実際は立振舞が優雅であり、教養人でもあったとされている。実像を探る際には注意の必要な人物であろう。 その他情報 名前 コメント