約 88,449 件
https://w.atwiki.jp/kokutounobuyabo/pages/46.html
ストーリー攻略/織田信長の章/序章 野望の始まり 勝利条件 吉良大浜城の支配 相手国 今川家 ヒント チュートリアル。コマの動かし方。 イベント 信長と政秀那古野城の右下のマスに移動する。 吉良大浜城炎上吉良大浜城を支配する。 家督継承 報酬 コメント 吉良大浜城まで動かすだけ。 -- 1285 (2010-02-06 17 16 44) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kokutounobuyabo/pages/49.html
ストーリー攻略/織田信長の章/第3章 戦国の兄弟 勝利条件 織田信勝軍の撃破 相手国 織田家 ヒント チュートリアル。同じ兵科のコマならまとめて移動できます。 イベント 信長の戦術 戦国の資質柴田勝家・林秀貞を撃破する。 柴田勝家・林秀貞が敵軍から消える。 真の当主は織田信勝軍を撃破する。 二度はない 報酬 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nobu13reco/pages/104.html
長篠の戦いにて武田勝頼が敗北したことにより信長包囲網は完全に瓦解した。 毛利の庇護下にありながら足利家再興を諦めきれない将軍、義昭は再び信長包囲網を形成する。 包囲網に参加した上杉謙信は長年の宿敵武田と和睦すると能登に侵攻。 七尾城を陥落させ、援軍に来た織田勢を撃破し能登・加賀を制圧した。 北陸方面の優位を見た謙信は関東への大出兵を決意。着々と準備を進めていく。 一方大和では謙信勝利の報を聞いた松永久秀が叛旗を翻した。 主要大名家 あらすじ ダウンロード ver1.00(2011/03/10) http //loda.jp/tendo/?id=256
https://w.atwiki.jp/nolnol/pages/6094.html
織田信友 (オダノブトモ) レベル:数 33:7体 構成 名前 種類 レベル 初期付与 使用技 織田信友 侍 33 連撃〜四連撃、守護、護衛、呼び出し、看破、金縛りの計 斯波一族 陰陽 斯波護衛兵 槍侍 闇薬師 薬師 各種付与、呪詛系の術 生息地域 尾張の斯波一族の屋敷 備考 55分ポップ 信友が少々痛いのみで、決して強くはない。 信友は眠る上、魅了なども効くため、黙らせても良い レベル50程度の前衛ならばソロも可能。 生命力3906 ドロップアイテム 信友兜 饗談忍者着 斯波一族のまげ 列伝 実在の人物 名は広信とされるが、資料上では確認できない。尾張下4郡守護代。清洲城主。織田大和守家。信長の父である信秀の兄信康の子であり、信長とは一応の従兄弟である。 織田家はもともととして尾張に移ってきた管領、斯波家家臣という位置づけであり、斯波氏が尾張下向(実質的には朝倉氏に越前より追い出された)に伴い、ともに尾張に移住してきたというのが現在の説である。信友の父信康は、織田家の家督を信長の祖父に当たる信定より譲られているため、宗家分家という考えでわけると信友の家系が宗家である。 当時斯波氏は尾張下向時よりすでに織田家の傀儡となっており、信友の代でも実権は彼が握っていた。当時の斯波家当主、斯波義統(斯波義銀の父)はこれを嫌い織田信長に内通、これが発覚し信友は彼を殺害する。1554年のことである。 その後1555年、居城清洲城を織田信長とその叔父信光に攻められ、信光に切られたという。 その他情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kokutounobuyabo/pages/51.html
ストーリー攻略/織田信長の章/第5章 桶狭間の戦い 勝利条件 今川義元軍の撃破 相手国 今川家 ヒント チュートリアル。特技について。 軍団編成を行う。知行合算12 イベント 今川義元の油断 奇襲のみが活路名古屋の町を占領する。 桶狭間の戦い今川義元を撃破する。 今川軍敗走今川義元軍を撃破する。 勝利の後 清洲同盟 武田信玄 報酬 コメント 信長のみでも攻略できる。 -- 1285 (2012-06-10 18 49 52) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/hanatan/pages/2.html
技能 対応するregion、endregionプラグインが不足しています。対になるようプラグインを配置してください。 陰陽特殊生產 僧特殊生產 侍特殊生產 陰陽生產 LINK--中-- 中文官方網站 信長哈拉板 基地 LINK--日-- 寄合所 ここを編集
https://w.atwiki.jp/innovation/pages/39.html
過去ログ part1 信長の野望・革新 アニメ系・エロゲ・ネタ隔離スレ part2 信長の野望・革新改造 アニメ・エロゲ・ネタ系スレ part3 信長の野望・革新改造アニメ・エロゲ・ネタ系スレ2 part4 信長の野望・革新改造アニメ・エロゲ・ネタ系スレ3
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/79.html
武将名 おだのぶなが 戦国大名 UC織田信長 尾張の大名。若い頃は奇矯が目立ち大うつけと呼ばれたが、桶狭間にて今川軍を撃破して、一躍その名を天下に轟かせる。以後も革新的な政策・戦術で諸国の大名を次々と打ち破り、天下布武への道をまい進した。「俺が乱世を打ち砕き. 新たな世を創る!」 出身地 尾張国 コスト 2.5 兵種 鉄砲隊 能力 武力8 統率8 特技 計略 一斉射撃 射撃時の攻撃回数が増える。 必要士気3 Illustration 春乃壱 スターターの一員で唯一の鉄砲隊。 同コスト同能力で柵&イスパニア方陣持ちのR丹羽長秀がいるため対人戦での使用は難しいが、SR版よりコストが低い分、群雄伝・織田伝では重宝するだろう。 イラストはSR織田信長のアップ。 計略は射撃時の攻撃回数が5から11に増えるというもの。 全弾命中を前提に言えば、倍以上のダメージになるが発射回数が多いぶん硬直が長い。 一発当たりの攻撃力が増すわけではないので、機動力の高い騎馬などを相手にした場合、結果として無駄撃ちが増えるだけになることも多々ある。 自城に取り付いたり大筒を占拠した相手など、効果的な状況を見極めよう。 また鉄砲射撃を強化する計略全てに言える事だが、弾がなければ意味を成さないので弾切れには十分注意。 なお、射撃のとき強制停止するので勘違いしがちだが、鉄砲は移動中でも照準合わせができる。 突撃を受けない位置で、出来るだけ多くの弾を撃ち込める位置取りをスターターデッキのうちに安定した武力統率のこのカードで身につけよう。
https://w.atwiki.jp/shinsen/pages/6693.html
#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 【浅井家】 浅井長政 あざい ながまさ レベル 70 7体 職業 侍 合戦陣配置 浅井家・本陣総大将 戦闘開始時台詞 私には見えるのだ。 戦乱を治め、天下に号令する 私の姿が……邪魔をするな! 私には譲れぬものがある。 守らねばならぬものが……。 負けるわけにはいかぬのだ! ○○○○よ、 私もお主のように、政抜きで 合戦を楽しみたいものよ。 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 浅井長政 一刀侍 70 ▲ ▲ 三〜五連撃・改、武運長久、活殺自在、大音声、一所懸命、看破、蘇生・壱、守護術、反撃術 福田寺住職 金棒僧 65 反射結界 紅蓮・参〜四、凍気・参〜四、気合撃・壱〜参、後光、霧散、蘇生・壱 甲賀精鋭 懐剣二刀忍 65 各属性遁術・極、瞬殺閃、手裏剣乱射、奪命三〜五連、蘇生・壱 浅井井頼 (あざいいより) 杖陰陽 65 結界 各属性術・四、呪縛・参、低速化・参、暗黒・参、気合呪霧・壱、蘇生・壱 浅井亮親 (あざいすけちか) 懐剣神主 65 反射結界 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、攻撃付与・参、蘇生・壱 国友精兵 連銃鍛 65 三段撃ち、狙撃、陽動、蘇生・壱、守護術 叡山大山伏 杖薬師 65 再生 防御呪詛・参、蘇生・壱 特徴・詳細 浅井久政撃破で5体に弱体化 部隊アイテム 相州貞宗 ドロップアイテム 浅井一文字 武将列伝 浅井家の発祥は、正親町三条内大臣実雅の男・公綱(あるいは政氏、氏政)が、嘉吉元年(1441)、罪を得て近江へ流され、浅井郡丁野(現・湖北町)に居住。公綱が許されて京へ戻ったのちも、その子、新左衛門重政(公雅)が丁野に残り、地名、浅井を家号とし、守護職京極家に仕えた、とされる。 京極氏は鎌倉以来の佐々木氏の分流であり、近江では名門であった。しかし浅井氏は、数代を経るうち、永正13年(1516)、浅井亮政(長政の祖父)のころ、下剋上の中で台頭し、主家京極氏を圧迫して、北近江の実権を握るに至った。亮政は小谷城を築いたが、その城山は、元々琵琶湖北岸に展開する平にそびえていたため、城郭の規模はきわめて雄大、難攻不落の要塞となった。 長政は天文14年(1545)、小谷城に生まれる。母は井口氏(阿古…井口経親の妹)、幼名は猿夜叉(さるやしゃ)、のち新九郎と称し、永禄2年(1559)、15歳で元服。備前守と改めた。弟に政元がいる。 長政の父・久政は、長政に、六角氏の老臣、平井加賀守定武の娘を室に迎えるが、これによって六角氏の家来になったことを認めた体となり、長政をはじめ、家来達からは反発の声が強かった。六角氏もまた、京極氏とおなじ佐々木氏の分流であるが、久政はこれと戦い、終始押されぎみだった。 永禄3年(1560)3月、長政16歳で初陣(野良田合戦)。攻め寄せてきた六角義賢を、長政が撃退。家臣たちはこれを見て喜び、久政が鷹狩りに出かけた留守に長政を小谷城へ迎え、久政に「これより長政様を主人とする」と宣言。これを聞き、驚いた久政は、家臣を集めようとしたが誰も集まらず、仕方なく竹生島へ逃れた。 当主となった長政は、まず六角氏から迎えた妻を離別。これにより六角義賢は永禄3年(1560)8月、蒲生賢秀などに大軍を起こさせ、浅井氏の属城、肥田城を攻めた。が、長政はこれを敗走させる。同年10月、久政夫人が竹生島の久政を訪れ、長政との和解をすすめた結果、長政が久政を小谷へ迎え、別邸を構えて住まわせた。 翌4年(1561)、六角義賢は美濃の斎藤義龍と結んで長政挟撃をはかり、一時、浅井氏の支城、佐和山城を落城させるが、逆に長政に取り戻される。 永禄6年(1563)、長政は、家来、安養寺三郎左衛門から、織田信長の命により不破河内守が縁組の申し入れをしてきたことを聞く。またこの年は、六角氏に内紛が起こり、それに乗じた長政は南下をはかり、坂田、浅井、伊香、江北三郡に加え、愛知、犬上、高島の三郡を獲得、勢力圏に治めている。 永禄10年(1567)、織田家が、浅井氏の同盟国である朝倉義景に異心を唱えないことを条件に、信長の妹、お市の方を娶る。 永禄11年(1568)7月、信長は兵を率いて佐和山城に入城。越前朝倉氏を見限った足利義昭は、長政に護衛されて信長を頼ったのだが、この時、長政は信長の相談相手をつとめたという。さらに、信長と長政の敵となった六角氏が、三好党と結んで勢力挽回をはかったため、信長は六角氏の観音寺城を攻略、義昭を奉じて、ついに入京を果たした。長政と信長の連携を思わせる一時期である。 しかし元亀元年(1570)には、早くも、信長が義昭を傀儡化し、将軍の命令を盾に、4月、上洛せぬ朝倉義景への討伐を開始。京から近江坂本を経て越前へ向かい、金ヶ崎城を攻略、さらに浅井氏の領土を通って、朝倉氏の一乗谷へ迫ろうとした。長政は、縁組以来の約束を破った信長に激怒し、信長軍を背から追う形で攻撃。この折、朝倉義景の動きが鈍重であったため、信長は辛くも危機を脱出して京へ帰る。これを機に、長政と信長は関係決裂。 同年6月28日には、姉川合戦において、織田・徳川連合軍3万4千と、浅井・朝倉連合軍1万8千が激突。浅井軍は朝倉軍の左翼にあって、約3倍の兵力と互角に戦い、とくに先陣、磯野員昌(佐和山城主)は、織田軍十三段の構えを十一段まで突き破る猛攻を見せた。が、このときも朝倉軍の敗走を機に、退却を余儀なくされ、織田・徳川の勝利に終った。織田軍800余、浅井軍は1700余の戦死者を出した。 7月、主力を失った浅井の弱みに乗じて、信長が佐和山城を攻略。しかし長政は援軍を送らず、逆に、城主、磯野員昌が織田に内通の噂ありと信じて、人質だった員昌の母を殺害。翌元亀2年(1571)2月、員昌は降伏、信長は丹羽長秀を佐和山城主に据える。 天正元年(1573)、最大の脅威、武田信玄の死に乗じた信長は、朝倉氏を滅ぼし、8月27日小谷城を攻める。28日に京極丸まで攻め寄せられた父・久政は自刃。62歳。すでにお市の方と三人の娘を信長のもとに送り、 自刃しようとしていた長政は、信長から開城を条件に助命する、という連絡をうける。織田軍によって城内の連絡を断たれた長政は、父の死を知らず、父・久政の助命を条件に一度は城を出ようとする。 9月1日、城外に出た長政は、父の自刃を知り、家老・赤尾美作守の宿所において自刃。29歳。介錯は木村太郎次郎。長男、万福丸は、一度は家来と逃亡するが、織田軍に捕らえられ斬首。二男、万寿丸は僧侶となり、近江長沢村、福田寺住職になる。 お市の方はのちに、三人の娘とともに柴田勝家に再嫁、天正11年(1583)勝家が秀吉に敗れると、越前北ノ庄城において勝家とともに自害。三人の娘は秀吉に引き取られ、長女・茶々(藤原菊子)は秀吉の側室となって秀頼を生む淀殿、次女・お初(藤原藤子)は京極高次夫人(のち出家、常光院)、三女・小督(従一位・藤原達子、お江、お江与、贈号・崇源院)は佐治一成室となるが、秀吉の命で秀吉の養子、秀勝の室となり、秀勝死後は、二代将軍・徳川秀忠正室となって、三代将軍・家光、二男忠長を生む。 この三代将軍・家光によって、寛永9年(1632)9月15日、浅井長政は従二位中納言を追贈される。 長政の領地であった小谷においては、長政の人気は根強い。長政の善政がしのばれる。 ちなみに…長政は容姿の点でも優れていたらしく、その容貌たるや端麗にして高雅、身の丈はおよそ六尺(約180cm)の美丈夫であったと言う。 情報募集中! 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nolnol/pages/5891.html
三好家 松永久秀 (マツナガ ヒサヒデ) レベル 65 職業 陰陽 防衛陣 本陣(軍師) 構成 名前 種類 レベル 初期付与 使用技 松永久秀 陰 65 蘇生・壱、反乱の謀計、狂風、狂風・弐、迅雷、迅雷・弐 松永長頼 侍 60 蘇生・壱、一所懸命、n連撃・改 淡路管の猛者 鍛 60 蘇生・壱、陽動 大峰奥駈行者 薬 60 蘇生・壱 野間左橘兵衛 懐剣神 60 詠唱の韻・極、気合撃・参、後光、僧攻撃術 楠流くノ一 忍 60 興福寺高僧 僧 60 特徴詳細 反乱の謀計は全体魅了 5の神主が僧技能を使ってくる ドロップアイテム 平蜘蛛釜 列伝 前半生は謎に包まれており生年は不明(1510年ごろの生まれの説があるが確証はない)。弾正忠、山城守、弾正少弼。出自は阿波、摂津、山城の説があるが山城西岡説がもっとも有力。 三好長慶の被官により三好政権内の重鎮となる。しかし槍働きは弟の長頼のほうが優れており、権勢を振るうことができたのは弟の武略によるところが大きい。 1556年、摂津滝山城主となる。このころには訴訟取次を行っていた記録が残されている。 1559年には大和に乱入し、当時支配を行っていた興福寺僧官の出である筒井順慶を蹴落とし、大和国信貴山城となり、翌年には大和をほぼ支配し多聞山城を築く。 1562年、畠山氏との争いで主君長慶が窮地に陥るとこれを守護、さらに河内での戦いで畠山軍を大敗させた功により三好政権の中心的存在になる。その後長慶の嫡子義興が病死する。このころから梟雄として徐々に頭角を現してくる。 長慶の弟である安宅冬康を諫言により長慶に殺させ、さらには以前より長慶と軋轢のあった三好三人衆と組んで三好政権を内部より崩壊させる。 主君であった長慶の死後、三好三人衆とともに将軍足利義輝を攻めこれを自害に追い込む。このころから三好三人衆との関係が悪化し、政権内での抗争を繰り広げ、ついには東大寺大仏殿に火を放つ。 1568年になると畿内の情勢は一気に変わることとなる。信長の台頭である。これに久秀は降伏、所領である大和を安堵される。 しかし1571年に入ると武田信玄に通じる。5月、信長に反旗を翻すが、8月には失地回復に燃え、大和に再び戻ってきた筒井順慶が辰市に城を築く。これに対して出兵した辰市の戦いで大敗。 この後筒井氏に押され、筒井城を明け渡したのち、高田城といった松永方の多くの城を落とされ、劣勢に立たされていった上、河内方面には明智などの織田家譜代が出陣して松永を追い詰めていった。 1572年には相次ぐ大地震が大和を襲うが、その中で松永はついに多聞山城に籠城、1573年初頭に名刀、不動国行を信長に献上、恭順する(この一連の戦いで、彼は軍才については決して高くないことを露呈しており、どちらかといえば文官型人物であったことが伺える)。 しかし、その後の足利義昭と信長の対立では、義昭側についていたようで、多聞山城付近にも信長方が乱入することになる。 多聞山城にこもり抵抗するが、12月に降伏、再び大和を安堵される。この仕置からも信長が久秀の才を買っていたことが伺える。ただし多聞山城は没収されている。 1575年、突然に大和守護職を失う(かつて自身が追い落とした筒井順慶が裏におり、巻き返しを図ったと考えられる)。これにより松永は一国の太守から一武将に落ちてしまう。 1576年は石山本願寺との抗争に信長方として参加していたが、その最中に上杉謙信や毛利、本願寺と交渉をしていたようである。 1577年、再び信長に対して反旗を翻すも、信長の軍事力にはかなわず、名器平蜘蛛茶釜を渡すという降伏条件を拒否し、平蜘蛛茶釜を抱き火中に飛び込み戦死。奇しくも東大寺に火を放った日からちょうど10年たった同日の10月10日のことであった。 ルイスフロイスは彼を狡猾と評し(一方で天下の支配者、と評しており、能力は高く評価していたようである)、また後世では乱世の梟雄の代表となっている。しかし誇張された部分も非常に多い。東大寺大仏殿の件は火矢の火が移ったためで意図的ではないという説がある。 また、誇張の可能性が高いため、上では記述しなかったが、十河一存、三好義興が彼の暗殺であるという説も、単なる病死という説がある(三好長慶の死にもかかわっているという説があるが、これは誇張の可能性がさらに高い)。東大寺についていうと、松永がやったとしているのは信長公記や佐久間軍記といった「信長側」の資料であり、大和記には「三好勢が大仏殿を本陣にしたため、そこを夜襲した松永勢の火矢が燃え移った」ともある上、フロイス日本史には、一キリシタン足軽の放火であり松永は関与していないとする(先述したようにルイスフロイスは彼を狡猾と評しているため、狡猾の体現ともいえる東大寺炎上について、彼のせいではないとしているのは興味深いといえる)。ほかの大和側の資料も、同様である。 彼は、実際は立振舞が優雅であり、教養人でもあったとされている。実像を探る際には注意の必要な人物であろう。 その他情報 名前 コメント