約 34,721 件
https://w.atwiki.jp/cgwj/pages/165.html
本項ではユエスレオネ連邦とリナエスト・オルス共和国の国家間関係について解説する。 目次 概要 両国の比較 ユエスレオネから見たリナエスト リナエストから見たユエスレオネ 概要 PMCFとユエスレオネ連邦の接触当初から、リナエスト・オルス共和国とユエスレオネ連邦は密接な関係にあった。リナエスト共和国はPMCFの政治を牽引する関係もあって、連邦の外交官と接触する機会が多かったからである。また君主制であるその他の国と比べ、議会民主制であることも友好関係に強い影響を与えている。PMCF・連邦間関係のなかでは最も友好的である。 一方でリナエスト内戦時における混乱によってサニス条約機構の所属問題を国際問題として抱えているなど、その関係性に問題が無いわけではない。 両国の比較 ユエスレオネ連邦 リナエスト・オルス共和国 人口 約1,000,000人 面積 約20,000km2 首都 リーネ・ヴェ・キーネ ジンヒヤ 最大の都市 カヴィーナ リカルツィ 政体 議院内閣制・共和国 議会民主制・共和国 ユエスレオネから見たリナエスト 国内にも多数のリナエスト人を含むユエスレオネはリナエスト共和国の動向を重視する向きがある。PMCFは元よりその傾向が強い国が多いが、市民革命以降の国民国家的な国々が多く、こういった民族国家は連邦国内の民族運動に強い影響を与えるからである。この中でリナエスト・オルスの思想に基づいて成立した「リナエスト人国家」の存在は連邦にとっては最も民族主義なものとして映った。故に接触当初はPMCFの代表役的なところもあって、連邦から強く警戒されていた。 しかしながら、リナエスト側の外交手腕の上手さも相まって、連邦の態度は次第に軟化していくことになる。一般の連邦人からしてみるとPMCFの一国という冴えない印象になっている場合が多いが、連邦外交史的には重大な国の一つとなっている。 リナエストから見たユエスレオネ リナエスト・オルス共和国のユエスレオネ観は実に多様なものである。国民の大半は親ユエスレオネ派であり、その考えは政治にも反映されている。親ユエスレオネの多くは島嶼部リナエスト人のメニョイシアやリパラオネ系リナエスト人のリパリェーツィアである。大陸系リナエスト人のユシュコプロイヤではどちらの意見も少なくない。イスケ系リナエスト人はユエスレオネに対して良い感情を持たない場合が多い。 ユエスレオネ連邦がリナエスト・オルス共和国のことを「最も民族主義的な国」であることを昔から認知しており、歴代総統によっては、自国のマイナスイメージを払拭するために奔走していたこともある。時代を通して保守的な傾向のあるリナエスト共和国にとってユエスレオネ連邦は革新的な政府であると思われており、過去には反発することも度々あったが、国内情勢が不安定なことが多いリナエストでは有事の際の支援を得られるようにと連邦との外交関係の改善を行い、近年は一貫して友好路線を維持している。 政府はユエスレオネ連邦の民族共生観の採用を長期的な目標に定めているが、国内の民族対立を克服することはなかなかできないでいる。 リナエスト・オルス共和国の国民は自国のことを連邦内で三番目くらいに影響力があると思い込んでいるが、実際はそんなことはない。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2344.html
『神々の予定表(アジェンダ)』は2016年4月に刊行された山田高明の著書。 山田はかつてと学会に所属し、(と学会加入以前に)『トンデモ予言者大集合』という予言トンデモ本のレビューを刊行したこともあった。 しかし、この本は逆に、聖書やノストラダムスの予言から未来のシナリオを読み解こうとするものとなっている。 【画像】 カバー表紙 構成 参考のため、以下に目次を示す。 第1章 なぜ今“イエスの大予言”なのか? ついに到来した“終わりの始まり”! 第2章 戦慄の近未来シナリオ! 中東戦争とヨーロッパの崩壊、そして世界大戦へ! 第3章 日本の大震災が世界恐慌の引き金に!? 先進国の“大崩壊時代”が到来する! 第4章 予言のメカニズムと生と死の根源的意味がついにわかった! リバース・アクセスが神秘の扉を開く! 第5章 ある日突然やってくる! 究極の超カタストロフィ「大艱難」の正体 第6章 なぜイエスが選ばれたのか? 世界の終わりと神々の計画の真相! コメント 他の解釈本についてと同様、当たる、外れるという観点からはコメントせず、方法論的な疑問点などについてコメントしておく。 ノストラダムス関連 この本ではノストラダムス予言がいくらか取り上げられているが、それが当「大事典」からの引用であることが明記されている。 また、伝記的事実などをほとんど取り扱っていないこともあり、ノストラダムス関連での誤りは見当たらない。 (当「大事典」の訳が誤っている可能性は当然あるが、その場合の責は引用した山田ではなく、当「大事典」が負うべきものであるので、この本のレビューでは対象としない) 従来の日本のノストラダムス解釈の「99%は、世界的にいえばスタートラインにすら立っていなかった」(*1)という認識もまったく正しい。 もっとも、それに対して当「大事典」が「世界レベルの研究成果」(*2)と評されているのは光栄なことだが、さすがに過大評価すぎると思われる。 解釈もほとんどその描写を敷衍しただけのものであるので、語学的な誤りなども見当たらない。 ノストラダムス予言にイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻のモチーフが多いという指摘なども、それ自体は何も間違っていない。 もちろん、当「大事典」としては、それを現実の国際情勢に当てはめることには強く否定的であり、中世以来の予言的言説から歴史的に捉えるべきと考えていることは記事「イスラーム」にも明記しているとおりだが、その辺りの価値観の相違については深入りしない。 聖書関連 むしろノストラダムス以上に事実関係が気になったのはこちらである。 山田が示す聖書の理解は、(サブカルチャー系の聖書解釈本のほとんどに当てはまることでもあるのだが)自由主義神学の研究成果がほとんど反映されておらず、保守的な見解の反映も不十分であるように思われる。 山田はキリスト教が護教的観点によって、本来のイエスの教えを歪曲してしまっているという。そのように批判的にキリスト教を捉えているのなら、通説についても、キリスト教徒の保守的な(それもやや極端な)見解だけを検証するのではなく、より広い視点から検討することが必要ではなかっただろうか。 細かい点ではいろいろあるのだが、根幹に関わるポイントを2点指摘しておこう。 マタイ福音書の位置づけ 山田は、いわゆる共観福音書の中でマタイ福音書を重視し、マルコ、ルカは「私の精読では(略)後世の者が勝手に『オリーブ山の預言』を改変した形跡が見て取れる」(*3)とする。 マタイを重視する理由として挙げられているのは、「イエスの死後、それこそ十年から数十年の間に、現地パレスチナで記されたと考えられている」「新約聖書全体の中でも、もっとも古い文書」で、「定説では、著者はイエスの弟子の一人で元徴税人、十二使徒のマタイ」だから、ということである(*4)。 マタイ福音書の著者については確かに保守的な見解では使徒マタイが定説化しているといってよい(*5)。 しかし、逆にリベラル派の間では使徒マタイではないということが定説化している(*6)。 これは成立年代とも関わるが、伝承上は使徒マタイがアラム語で福音書を書き、それがギリシア語に訳されたといわれていた。 バルバロのように、その伝承をそのまま受容した保守的見解もあったが、フランシスコ会訳聖書がかつてそれを支持しつつも、最新版ではそれを否定しているように、この伝承自体が疑われ、最初からギリシア語で書かれたものと考えられている。 現在リベラル派の定説と化している二資料仮説(とその変形)では、マタイとルカは、マルコ福音書及びQ資料(マタイとルカに共通する伝承が含まれていたと仮定されている資料)に依拠し、それぞれ独自の特殊資料も加えて書かれたと考えられている(*7)。 ギリシア語原文だとマタイが非常に流暢なのに対し、マルコはたどたどしいため、マタイの流暢な文の中でたどたどしいマルコをそのまま持ち込んだ箇所はかなり鮮明に分かるのだという(*8)。 なお、このあたりの事情は、ギリシア語を読めない者でも、佐藤研『福音書共観表』(岩波書店)を利用するとかなり細かい比較が出来る(共観表は他にも幾らでもあるが、これは原語の一致度に合わせて単語レベルで色分けしており、一致している要素を総覧するのに重宝する。さすがに本文がたどたどしいかまでは、訳文からは読み取りようがないが)。 【画像】 福音書共観表 結果、リベラル派の見解では、マタイ福音書の成立はマルコよりも遅く、おおむね80年代(*9)と考えられている。福音派は使徒マタイの著作と考えるためこれよりも遡るが、それでも60年代(*10)とされ、50年頃と見る見解は有力なものとは見なされていない(*11)。 それが何を意味するかといえば、パウロ書簡よりも遅いということである。 若干の異説を除けば、パウロ書簡の中で最も古いとされるのはテサロニケ前書(テサロニケの信徒への手紙一、50年ないし51年頃)であり、この点に保守・リベラルの違いはない(*12)。 つまり、マタイを新約最古と位置づけて信頼性の論拠とするのは聖書学の定説からは認められない。 また、山田は選民だけが天に引き揚げられる「携挙」を否定するが、その携挙のイメージの大元の出典となっているのがテサロニケ前書なのである(4章13節から18節)。もしも古さを権威の印と見なすのであれば、新約最古のテサロニケ前書を否定するのは容易ではなくなるように思われる。 なお、それに比べれば瑣末なことだが、マタイ福音書の執筆地がパレスチナというのも疑問視されている。 リベラル派で有力なのはシリア(特にアンティオキア)で(*13)、福音派にもアンティオキアを有力視する意見は少なくない(*14)。 輪廻転生 山田は、イエスの再臨は天から肉体を伴って実現するものではなく、転生体としてこの世に再び生を受け(てい)ると主張している。 そして、本来のイエスの教えや聖書では輪廻転生は否定されていなかったにもかかわらず、ローマ帝国の国教となり、帝国が公式に輪廻転生を否定したことから排除されたのであって、聖書そのものは輪廻転生を認めていたと主張している(*15)。 山田はその根拠の一つとして、旧約からは『サムエル記・上』28章で、サウル王が口寄せによってサムエルの霊を呼び寄せる場面を挙げる(*16)。 しかしながら、それは霊を呼び寄せた場面であって、転生したという場面ではない。 聖書を通じて「霊」は頻出する概念だが、それは死後の世界と直接に結びつくものではない。 また、旧約も新約も幅広い時代にまたがる様々な著者がまとめた文書の集まりであって、(少なくともリベラル派の見解では)そこに一貫した思想を見出すのは難しく、そのまま読めば矛盾している箇所も少なくないのだから、特定の解釈に都合の良い場面はどの立場からでも導きうる。 たとえば、以下のような記述は死後の世界の否定と解釈できるだろう(以下、訳文はすべて新共同訳)。 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。(創世記3章19節) 生きているものは、少なくとも知っている/自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく/彼らの名は忘れられる。(コヘレトの言葉9章5節) 愚者は口数が多い。未来のことはだれにも分からない。死後どうなるのか、誰が教えてくれよう。 (同10章14節) また、生まれ変わりではなく死者の復活を明瞭に述べた箇所もある。 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。 (ダニエル書12章2節) キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。 (第一コリント書15章12節) また、山田は新約からは『使徒言行録』1章9節から11節を挙げ、「天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」は、全く同じ姿と断言したものではなく、同じような姿による転生体の再来を言ったものだとする(*17)。 確かに、それがもしもほかの記述と整合するならば、そのように解釈できる余地はある。 しかし、輪廻転生の否定や肉体を伴う再臨がイエスの死後500年を経て定式化されたというのは全く支持できない。 初期キリスト教が霊肉二元論や仮現論(イエスの神性は肉体を伴っておらず、そのように見えただけとする説)に基づく異端と烈しく論争を展開していたというのは、保守・リベラルを問わず常識だからである。 それら異端とグノーシス主義との一致の程度については論者によってかなり差があるが、少なくとも霊魂と肉体を完全に切り離し、霊が救われている者はこの世の肉体がどのような放縦な生活を送ろうとも問題ではないとする発想を持っていたと考えられている(*18)。 ゆえに、それに対抗するために、肉体を伴うイエスの復活は新約聖書でもはっきり示されている。 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。(ルカ福音書24章39節) そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 (略)それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 (ヨハネ福音書24章25-27節) 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――(第一ヨハネ書1章1節)第一ヨハネ書の「よく見て、手で触れた」記述は、イエスの復活とする説(*19)と受肉したイエスの活動全般とする説(*20)とがある。ここでは前者と見なして引用した。 また山田は、復活のイエスについて、一度復活した後にその肉体は寿命どおりに死んだと主張するが(*21)、これは聖書からまったく導けない。 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(ルカ福音書24章50-51節) だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。(ローマ書8章34節) 山田が復活のイエスが寿命で死んだとするのは、「それが人の肉体」(*22)だからというが、肉体を伴う復活を主張していたパウロは、そのような認識を示していなかった。 また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。(第一コリント書15章40節) 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。(同15章52-53節) このように、通常の肉体とは異なる肉体へと変質し、死ななくなると明言しているのだから、普通の肉体に転生するような「復活」を想定していないことは明らかだろう。 もちろん、こうした思想がイエス自身に遡りうるかは議論のあるところである(聖書学者の田川建三や上村静は、死を極度に恐れたパウロ自身が生み出した観念と見ている)。 しかし、これは新約聖書の成立当初からあった思想であり(前述のようにパウロ書簡は現存する福音書よりもほぼ確実に古い)、グノーシス的文書は新約聖書には組み込まれなかった。 となれば、上で引用した「天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様」にしても、言葉通り、肉体を伴った昇天を弟子が目撃し、そのままの姿で再び降臨することを述べていると読む方が自然だろう(それが「史実」だったかを論じるつもりはない。聖書的には「真実」とされている、と述べるにとどめる)。 イエスの死後500年を経て死後の世界や輪廻転生が否定された、とする山田の想定は成り立たないのではないだろうか。 なお、最後に強調しておくが、当「大事典」の管理者はクリスチャンではない。 ゆえに山田の所説について護教的観点から批判したつもりは全くない(そもそも護教を意図していたら田川の見解など引かないだろう。彼はストラスブール大学で博士号をとった聖書学者だが、イエスの声を聞いたというパウロの回心ですら、熱中症による幻と一蹴しているような論者である)。 ただ、聖書あるいはキリスト教について根源的なレベルでの再考を提案するのであれば、(一般向けの著作という性質上、詳細な議論は割愛せざるを得なかったという事情もあったのかもしれないが)すでに200年の厚みを持っているリベラル派の聖書研究にも、もう少し配慮がなされていないと説得力が大いに減じられてしまうのではないかと思い、コメントした次第である。 参考文献 脚注では出典を略記した。 『聖書 スタディ版』改訂版 日本聖書協会 『新共同訳 新約聖書注解』(I, II) 日本基督教団出版局 『新共同訳 新約聖書略解』 日本基督教団出版局 『新エッセンシャル聖書辞典』 いのちのことば社 『新実用聖書注解』 いのちのことば社 『新聖書注解』(新約全3巻) いのちのことば社 岩波書店新約聖書翻訳委員会 『新約聖書』(全5巻) 岩波書店 上村静 『旧約聖書と新約聖書』 新教出版社 田川建三 『新約聖書 訳と註』(6巻7冊) 作品社 フランシスコ会聖書研究所 『聖書 原文校訂による口語訳』 サンパウロ フェデリコ・バルバロ 『聖書』 講談社 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 コメントらん 以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 著者の山田氏からは本書をご献本いただきました。特記して御礼申し上げます。「批判に遠慮は要らない」とするお言葉に甘え、少々気が引けたのも事実ですが、忌憚なくコメントさせていただきました。次回作の御構想もあるとのことですので、仮説をさらに練り上げる上で多少とも参考になる部分があれば幸いです。 -- sumaru (2016-04-18) ありがとうございます。 -- 山田高明 (2016-04-28 09 02 41)
https://w.atwiki.jp/no_future/pages/24.html
貴族街を二分する二大貴族の一であり、シースト・カトラス貴族の中でも随一の蛮勇を誇った武門の家柄である。元来は辺境の名も知れぬ郷士であったが、長い戦乱の中、猛々しい家臣を率いて武力を振るい、若々しい蔦の生え出づるようにしぶとくその勢力を伸張した。シースト・カトラスを占拠していた海賊と都市連合軍との一大戦争の折に、海賊の本拠に攻め入る大功を立て、アップルスロウワーの家名と共に、シースト・カトラスの防備を統括する任を得た。爾来、シースト・カトラスの背骨を支える一大貴族として長らく栄え、尊敬と畏怖の対象として振舞ってきた。アップルスロウワー家の大広間では、現在でも、海賊戦争当時の当主が投擲したリンゴで頭をカチ割られた海賊の首領の頭蓋骨が飾られているのを見ることができる。 しかし、この強大な一族も、伝統を墨守する保守的な性格によって、呪文荒廃後の千変万化の時代の趨勢から取り残されつつある。近年、次代の後継者問題をも抱えるに至って、栄華を誇った武門も斜陽の時を迎えたというのが、権力のありように敏感な貴族街の貴族たちのもっぱらの評判である。かつては大勢の着飾った貴族が敬意を示して訊ね来た城門も、いまや黒ずんだ蔦の這え茂るばかりとなっているのである。 カザック・アップルスロウワー 「息子よ、どちらでも好きなほうを手に取るのだ」リンゴと長剣を差し出しながら アップルスロウワー家の現当主。巨大な体躯で二重顎、厳しい顔つきで、武門の統領の風格を漂わせている。家名を重んじ、一族の名誉を侮るものは決して許さない。寄る年波のため、足の力は衰えているが、腕の力は衰えておらず、投擲したリンゴが息子の背中にメリ込むほどである。引きこもりの息子を心配している。 ガマゴール・アップルスロウワー 「ぐげげー、ぐげげー」自分が虫になった夢にうなされながら 現当主カザックの一人息子で、次代の当主候補だった。アップルスロウワー家に伝わる成人儀礼である、神聖なるアップルスロウワーの儀に失敗したことで、後継者失格の烙印が押されようとしており、自室に引きこもっている。背中には既に父親の投擲したリンゴの烙印が押されている。 ファズ・アップルスロウワー 「お願いです、兄を助けてやってほしいんです」 心優しく聡明なガマゴールの妹。厳つい父親にも似ず穏やかな笑顔の似合う美しい少女で、彼女の奏でるバイオリンの優しく柔らかな響きは、オーガの凍てついた心まで溶かすという。引きこもりの兄を、心の底で軽蔑しながら心配している。 トヨッカ・アップルスロウワー 「ぶくぶくぶく」(口から泡を吹きながら) カザックの妻で、ガマゴールとファズの母。息子が成人の儀に失敗して引きこもったことがトラウマとなり、息子が視界に入ると気絶する。息子を心配している。 コーチャ 「これも捨てられる…」 アップルスロウワー家お付きのメイド。尊敬する主人たちの大切なものを自分の判断で勝手に捨てるのが生きがい。ガマゴールは生ゴミに分類されるのか心配している。
https://w.atwiki.jp/wiki13_datuota-2ch/pages/167.html
メンズノンノ3月号 MEN S NON・NO (メンズ ノンノ) 2007年 03月号 [雑誌] p25右上:・・・ギーブス&ホークスのスーツがかっこよすぎですね。てかこの年齢で普通ギーブス&ホークスのスーツなんて買えないですってヽ(`Д´)ノウワァァァン p46~ 理解できません( ゚Д゚)ポカーン・・・スタイリストはhiroyuki kaiさんだそうです。オシャレ上級者の方どなたか、どういったイメージというかコンセプトなのか教えてください。しかも、ちょっとまえ(p39)での“長め完全復活”の文字を完全否定のショート丈ばっかし・・・ p63:ファクトタムだろうね。みるべきは何よりもTシャツ!かっこいいですね。(*´д`*) p73:はて・・・ジョーカーでネイバーフッド?スト系とは珍しいですね。Tシャツ激安でいいなぁとおもって見てたのですが、右のモデルの人が着てるサイズ・・・マジでMサイズですか? p84:このコーデ、もはや王道になりつつあると思うのですが、ベストって勘違い入りそうで厳しいですよね。保守的なので手が出しにくいです。 p87:パトリシオさん?すっげぇ似合ってますね。ブルゾンの質感とか、リブ付ダイスキーなのですげぇいいです。( ゚д゚)ホスィ… ジーンズの色感もTの質感もかなりいですね。自分的に見習いたいコーデです。 ちなみに楽天で似たようなものをそろえると 黒ブルゾン、白Tシャツ、青デニムといった感じのイメージですね。 靴が写真では見えないのが残念です。 ちなみに実物もメンズビギのサイトで見れますよ。 メンズビギのリンク先にあるオンラインショップの一番左側の列の上から5番目、ウレタンコーティングのミリタリーブルゾンです。 p89中央:このパーカ店で見て買おうかどうかすげぇ迷いました。外見すごくかっこよかったので、ほしかったのですが内側にある裏地のないジャケットとかについてる?半裏というものが嫌いで断念しました。普通のパーカがほしかったですからね。結局トゥモローランドでパーカ買いましたけどね。 別冊付録:白にプリントのTシャツがすごくかっこいいです。でもリーバイスで7kは高いような気もしますね。ミリシャツも同様にかっこいいですね。リーバイスはもしかして注目ブランドなのかも? p143 三島由紀夫!!??Σ(゚Д゚)ガーン なんで三島由紀夫なんだろうか?とか考えながら全部読むあたりが、にちゃんねららしいですよね。特に“左翼革命勢力による間接侵略”云々というくだりとか、注目するのもですが・・・ p159:木村カエラとヴィヴィアンウエストウッドという組み合わせが実にマッチしてますよね。私としてはほかに、土屋アンナか千秋かといったイメージですね。(中島美嘉ではベタすぎなので) p181中央:いいなぁ・・・と値段を見てびっくりする典型ですね。でもいい感じです。 総括:ほんとに何をおしているのか、どんな系統の服装なのかわからないですね。ファッションショーでもみているかのような、現実離れしたファッションの世界が繰り広げられた感じです。それがいいというのも、メンズノンノの魅力なんでしょうけどね。 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/fweo/pages/696.html
翠星連邦国 国旗 略号 SF 国王 野邉憲一(のべ けんいち) 標語 候民一体 政治体制 共和制/民主主義 公用語 日本語 宗教 神羅教 首都 足友(あしとも) 人口 約1億9800人 通貨 円 国家予算 21兆7800億5800万9200円 ↓公式オープンチャット(跡地) https //line.me/ti/g2/dcQkCimQnPeyJ29A0dRu0NUY5PSe0kbgUvxcgA?utm_source=invitation utm_medium=link_copy utm_campaign=default 【政治】 各州では候王が支配しており、大臣と比べて身分は高いが任期がある。(*1) 各候王(候王長除く)は国民投票で決められる。 候王・大臣役職 候王長(河宮州担当) 野邉 憲一(のべ けんいち) 第二候王(玉寺州担当) 杉浦 基(すぎうら つよし) 候王補佐 松田 賢生(まつだ けんしょう) 軍部大臣 蠣崎 紋(かきさき もん) 財務大臣 寺田 畝(てらだ うね) 法務大臣 海部 貞範(かいふ さだのり) 文化大臣 篠原 信雄(しのはら のぶお) 科学大臣 浦野 秀(うらの しげる) 貿易大臣 柏葉 瀧次(かしわば たきじ) 生活大臣 芦川 信彦(あしかわ のぶひこ) 第三候王(波島州担当) 日向 昂(ひなた のぼる) 第四候王(鶴崎州担当) 基山 緣一郎(きやま ねんいちろう) 第六候王(之戊州担当) 長谷川 友江(はせがわ ともえ) 第七候王(羽等州担当) 吉良 鷹一(きら よういち) 政府 憲法 翠星連邦国憲法(未作成) 司法 最高裁判所・検察庁・国家警察(SKP) 文化 民主主義国家を称しているが実際は保守的な思想が強く、候王は神聖視されており「候王法」という法律がある。 学校は国民学校と呼ばれ、小学(6年)/中学(3年)/高等(4年)/大学(3年)生として区別されている。 祝日・祭事一覧 一覧 1/1 元日 2/29 候王記念日 3/1 鉄道記念日 3/6 河川記念日 3/21 芽開き 4/28 咸豊まつり 4/30 カロタコデー 6/2 欄紀伊飛び 7/31 都賀祭り 8/28 黎明祭 11/30 労働大会 12/24 クリスマス・イブ 12/25 クリスマス 12/30 越年清め(聖堂でのお清め) 12/31 年越し 軍事 陸海・空軍・海軍は基本「連邦軍」と呼ばれる。 陸軍 現在制作中 空軍 戦闘機 F-51「川崎」 F-53「川崎Ⅱ」 X-4「ファントムキャット」 爆撃機 MF-10「雷電」 K-3「風雲」 偵察機 E-14「冨士」 E-21「香久山」 E-24「荘厳」 早期警戒機 T-9「鶴崎」 要撃用ティルトローター・垂直飛行機(オスプレイ) M-1 M-2 M-3 XM-4 海軍 イージス艦 鶴崎級ミサイルイージス艦「巴」 鶴崎級ミサイルイージス艦「乙」 装甲艦 入尾級装甲艦「白毫」 坂田級巡洋艦「灯」 護衛艦 羽等級護衛艦「塩崎」 羽等級護衛艦「鷹笛」 柏級護衛艦「菜穂」 輸送艦 F-001「仁徳」 F-002「大典」 本国出身の著名人 芦川貞文(作家・脚本家) 桜原槐(画家・陶芸家・人形作家) 槇村タズ(女性運動家) 川村忠次郎(連邦陸軍大尉) いぶりや隆(芸人) 杉本隼雄(実業家)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6763.html
176: ひゅうが :2020/12/30(水) 00 39 16 HOST p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp 「メリーランド」級戦艦 全長:225メートル 全幅:33メートル 喫水:10.1メートル 基準排水量:4万5400トン 満載排水量:4万9800トン 機関:P&W式重油専燃10基 GE式蒸気タービン・電動機4基4軸10万馬力 速力:24.5ノット 主砲:45口径16インチ砲Mk.1 3連装4基12門 武装:51口径5インチ砲Mk.8 連装10基20門 76ミリ高角砲単装6基6門 28ミリ機関銃連装16基32門 装甲:舷側340ミリ 水平89ミリ 主砲塔防盾457ミリ 主砲塔天蓋127ミリ 同型艦:「メリーランド」「コロラド」「ウェストバージニア」「ワシントン」「ネブラスカ」「オレゴン」 【解説】――アメリカ海軍が1917年建艦計画にのっとり建造した「新標準戦艦」の第1号艦 当初はテネシー級戦艦の改良型として計画されていたものの、日本海軍が建造中の長門型戦艦のスペックを早期につかむことができたことから計画を大幅に拡大 主砲を新開発の45口径16インチ砲12門にしたうえで、当時としては世界最速とみられた25ノットを実現、さらには太平洋上の遠征を考慮して蒸気タービンエレクトリック推進方式を採用した この目的のためにパナマ運河通過限界に近い巨大な船体とし、さらには潤沢な直接防御力の付与が為されたアメリカお得意の重防御艦である もっとも黎明期の蒸気タービンエレクトリック方式であったことから速力は目標に0.5ノット足りなかった そのため軍縮会議時点の長門型戦艦が公称26ノットという情報は深刻に受け止められ(さらには未確認情報から速力28ノットともいわれた)、アメリカ海軍は本級12隻の建造予定をとりやめさらなる新型戦艦の建造に着手することになる 見た目スペックの豪華さや機関の目新しさとは裏腹に設計自体は保守的であり、欧州型の近距離砲戦を重視した直接防御力の強化に努力がはらわれていた このため大きなウィークポイントとして太平洋戦争中にクローズアップされるのが水平装甲である 最も厚い部分ですら89ミリしかない水平装甲はのちの大改装で前後にスプリンター防止装甲こそ張られるが最後まで本級の弱点と考えられ、事実日本戦艦群や英国戦艦群との砲戦ではそこを突かれてジェットランド沖海戦を再現することになってしまった ただしそれ以外の部分においてはバランスのとれた中速戦艦であり、太平洋を挟んだ向こう側である日本側にも大西洋の英国側にも深刻な脅威として受け止められた 実際に緒戦のカリブ海攻防戦ではその強力な砲力と直接防御力をもって植民地警備の英国艦隊を文字通り全滅させるなど活躍している また、米国戦艦の中でもはじめて籠マストを廃止し三本脚マストが採用されているなど外見的にもエポックメイキングな艦である 179: ひゅうが :2020/12/30(水) 01 38 04 HOST p361175-ipngn200307kouchi.kochi.ocn.ne.jp 176訂正事項 ディーゼルエレクトリック→蒸気タービンエレクトリック
https://w.atwiki.jp/vip3594/pages/27.html
ランカー1 詳細はこの項目を参照。 空気/ナンシー 月見里ココア /⌒ヽ ( ) ♪ / ) )) ♪ (( ( ( 〈 (_)^ヽ__) /⌒ヽ ( ^ω^) / ) ( ( 〈 (_)^ヽ__) /⌒ヽ (* ^ω^) / ) ( ( 〈 (_)^ヽ__) おぜ 友達は大尉。元友達は征覇王(3稼動のため)。 スタイルはレス読みと歌。 リスナーのレスに振り回され、無茶なリクエストに嫌々ながら応える苦労人。 ラジオを若干渋る傾向にあるが、やってしまえばスズメが鳴き出すような時間までやり続ける。 ハゲ/きとうせい 遼来来!!! くぁwせdrftgyふじこの6。 VIP三国志大戦スレ随一の肘、スタイルはレス読み。 張遼に命を捧げる。 全部隊揃っての鬼神降臨は彼だけの必殺技。 3になって鬼神は左遷されてしまった。3.10に期待。 3.10にて範馬刃牙復活! と思いきや伸び悩んでいる模様。しょせんその程度の腕だったのさpgr 204 名前:遼来来!!! ◆ZARD/R8YSc [] 投稿日:2007/10/24(水) 23 13 50.45 ID Ke+r+CmQ0 つか阿部さんちんこでかいね。日曜だったのにまだケツ痛いんだけどww パスワード/肘野郎/らいらい/ 高須 詳細はこの項目を参照。 tks/【口限皇帝】 バカマイク 変態でgthmでショタコンで不謹慎で不道徳で不衛生。 だけど腰が低くて優しい警察官の父を持つフリーター。 スタイルはレス読み。 品プレイヤーなのにラジオで言うことは司空が言ってるかのように聞こえてしまうバカママジックの使い手。 頻繁にラジオをするが、その度におかんや妹に怒られている。 悪霊☆退散 詳細はこの項目を参照。 bkm 薩摩ポテト 鹿児島の人。 11:30~からやってる模様。 なんかよくわからない中途半端な人、出たがり。 もう見かけない。 鹿児島のシフクノ(笑) 切断パイン 切断おっぱいとか純情パインとか言われる張姫使い。 ジャズかけながら落ち着いて喋る安定派、ディフェンスに定評がある池上的なポジション。 ツンデレ、というかデレデレのやさしさ。八卦万歳。 パイン/坂本2号/劣化菊 鳥インフル ショタ声。 バカマイクと相思相愛らしい。 ネット禁断症状が発病中。 女だったらなぁ…女だったらなぁ…もう漢でもry いんfl ひきちー様 詳細はこの項目を参照。 ゴミ/永井もどき うきつ カビゴン並にレア。 この人のラジオ聞けたらその日は一日ハッピー。 パンヤ1号 呉単 アッー 変態オナニー魔人 イケメン なぜ彼に恋人が出来ないか? それは右手が永遠の恋人だからさ… おや・・・もたの様子が・・・ おめでとう!もたはリア充に進化した!しね! もた/ビニールオナニーの創始者 ゆとり 詳細はこの項目を参照。 kan9114 八卦仁王 深夜の過疎時によく保守的な意味を込めて動画配信をしている。しかし、Live Tubeで配信するためスレは余計に過疎に。 ニコニコで大戦の頂上→麻雀→東方は黄金ルート hap あしたのもと 同人関係の裏話に強い恐らくスレの最年長 話の引き出しが広く、話題が尽きない 激動の人生の思い出話にスレ民は唯々聞き入るのみ コミケの裏ボス/五捨六入でも不惑
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/148.html
The New Order 社会信用 アイコン編集 英名 Social Credit 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 父権主義、ファシズム 主要なイデオローグ 父権版 社会信用とは英国の工学者、クリフォード・H・ダグラスによって第一次世界大戦後に考案された経済理論である。1920年、ダグラスは、経済不況は商品の市場価格、商品の生産コスト、生産者への賃金の3者間に生じる一方的な不一致によって発生すると主張した。つまり、企業が恣意的に、労働者が実際に購入できる価格より遥かに高い価格で商品を販売していることに彼は気が付いたのだ。利益を追求するために人工的に生み出された希少性によって、労働者の生活は苦しくなり、個人消費の減少によって経済も停滞するのである。この状況を改善するために、ダグラスは政府に対し、個人消費の増大と消費者への金銭の分配、つまり「社会信用」の分配によって生産価格と購入価格の間に生じている格差を縮め、個人消費を増加させ経済成長を促進することを要求した。 カナダにおいてダグラスの経済理論は、キリスト教原理主義との相乗作用により、右翼ポピュリストの政綱を形作った。社会信用党は個人主義と民間企業を、キリストと同じくらい信仰している。彼らは消費者、生産者への直接融資を通じた通貨流通量の大幅な増加を主張し、国際的銀行家が利益のために経済を奪う際の道具である国債を公然と非難する。自由な市場を支持するが、自由で道徳的な選択にはほとんど関心がない。カウンターカルチャーに対し狂気的なほど敵対し、保守的に解釈されたキリスト教をカナダの国教とするべきだと考える。イベリアのカウディーリョや、故人となったイタリアのドゥーチェの経済政策を支持する党員さえ存在するため、進歩的なカナダ人は社会信用が国をどの方向へ導くか目の当たりにする事を恐れている。 (TNO日本語化Modより引用) ファシズム版 C・H・ダグラスは、借金でない購買力が全国民に供給される経済制度の説明の中で、それを「巨大金融の閉鎖集団」の策略を克服する方法とみなした。社会信用を信奉するファシストは、その閉鎖集団が持つ暗黙の特徴を明示する。彼らは、国内外の金融機関を、支配を狙うユダヤ人の陰謀と決めつけ、社会信用の展開によってこの陰謀を覆そうとしている。 社会信用ファシストにとって、ユダヤ銀行家の影響は国の伝統の破壊をもたらす。奴らの市場操作によって、美徳は無価値となり、悪徳が利益を生むようになるのだ。そうして人々は神と国を捨て、無目的な退廃を好むようになる。こうしたファシストたちにとって、これは購買力の分配によって解決される人為的な欠乏の問題に過ぎない。ファシストたちは、義理堅い者たちに補助金を出し、社会信用によって美徳を儲けさせることで、近代という道徳の荒れ果てた地に国民的価値を回復できると信じている。 彼らを批判する者は多く、指摘も無数に行われているが、社会信用は国際社会においてまだ若いイデオロギーであり、そのファシストの申し子はさらに若い。その夢が実現できるのか、妄想の航海が現実という岩に打ち砕かれるのかは、時が経たねば分からない。 (TNO日本語化Modより引用)
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/71.html
The New Order 神権制 アイコン編集 英名 Theocracy 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 専制主義 主要なイデオローグ 神やそれに類する存在を最高指導者として認める神権政は、神の権威や導きを受けると公式に定められた現世の仲介者を通じ、一時的統治を行う。そのため、国の最高機関のほとんどまたは全ては聖職者や宗教関係者に占められ、ほとんどの政策や行動は信奉する宗教の教義、信条、教典に完全に支配される。 国内においては、宗教行事が目立つこと、教区制度を有すること、自発的にしろ強制的にしろ国民が高度に宗教と関わっていることが特徴である場合が多い。政府の対外的な基本態度は、やはり問題の宗教の性格と支配者層が信奉していると主張する神の特質に大きく左右される。支配者が実際に神を信じているのか、体よくその存在を利用しているだけなのかは、永遠の疑問だ。 (TNO日本語化Modより引用) Red Flood 神権制 アイコン編集 英名 Theocracy 別名 登場作品 Red Flood(Hoi4) 上位イデオロギー 専制主義 主要なイデオローグ 選挙でのメリットや宮廷の噂話などの問題はすべて脇に置いて、こう問う。誰が神の人たちよりも賢く公正な統治ができるのか?神聖なものの研究に身を捧げた者たち以上に、誰が正義を知ることができるだろうか?神権制に答えはない。霊的権力と時間的権力の間に溝がないのだから。 近代化の波が押し寄せているにもかかわらず、世界のいくつかの地域では地元宗教の代表者によって伝統的に統治されている国家が存在する。聖職者の強力な指導者であれ、異端の宗派の謀略的指導者であれ、カリスマ的預言者であれ、全ての神権者は信仰の委任から力を引き出し、その国家は神の意志を地上に実現させるものである。通常の協会とは裏腹に、この意志はさまざまな形をとることができる。一般に保守的で、社会の大いなる平準化を説く共同宗教家とは一線を画し、神権者は必ずしも進歩そのものを悪と見なしていない。王朝の維持、財政的な獲得、階級論といった些細な関心事から解放された宗教的な優先事項の数々は、社会改革の呼びかけに似ている。さらに修道士や賢者などの聖職者が争いの絶えない時代を乗り越えて、知識の伝達を保証してきたのではないだろうか?このような政府の形態は確かに教条主義的ではあるが、必ずしも逆行しているわけではない--そして多くの信仰は適応によって広く普及してきた。 多くの人は現代社会の嵐の中で神は死んだと言い、すべての不思議にはありふれた説明がつくと言い、神権制は歴史の教科書に追放されるべきだと言う。しかし人と人との絆は階級、国家、政治の溝を超えることができ、どのような信条であっても、疑いを持たない人はいない。偉大なデザイン、偉大な真理への畏敬の念は高慢な者を謙虚にし続けるだろう。結局のところ、信仰だけが山を動かすことができると言われているのではないのか? (RF日本語化Modより引用)
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/1639.html
誉れあれ 題名:誉れあれ 副題:札幌方面中央警察署南支署 作者:東 直己 発行:双葉社 2009.8.23 初版 2009.9.25 2刷 価格:\1,800 東直己らしからぬタイトルだ。「誉れ」なんていうらしからぬ単語からも、警察小説なんていう保守的なジャンルからも、およそ対極にいる反骨の作家という印象が、ぼくの中であまりにも強すぎるせいかもしれない。 警察官であった父の言葉を素直に心に刻んで良き警察官であろうとする純朴な青年、そんな主人公で小説を書く、というその一点こそ、想定できなかった。ぼくのような思い込み読者には、本作はとにかく意外としか言いようがない。 内容は、ズブズブの警察小説である。佐々木譲や笹本稜平らに続いて、今、流行りの警察小説というジャンルに二匹目、三匹目のドジョウを狙ったのか? と疑いたくなるほどのコペルニクス的転換を見せた東直己をどう理解したらいいのだろうか。 警察官同士のメールでの略語やりとりなどは、読んでいてとても引っかかるので、愚痴りたくなってくる。すすきの便利屋が聞いたら、お前らは女子高生レベルか、とおちょくりたくなるような警察官同士のメール文体なのだが、作家はこだわらずに異世界を描き切って行く。本当に、ぼくらは東直己をどう理解したいいのだろう。 最初の掴みこそ、この作家らしい。いきなりバイオレンスの脅威に曝される若手警官のスリリングな拉致体験である。すすきのの路地一つ渡ったところに存在するのが犯罪社会だ。そんな闇のなかの怖い怖い拷問の世界、そこに生きる犬畜生の非道を描いて容赦無しといった書き振りこそが、東ススキノ・ワールドであり、それを活写することこそが作家としての十八番、のはずである。 しかし小説が主人公の視界を離れ、俄かに群像小説のせわしなさを見せ始めると、これは本当に東直己の作品なのだろうか、とやっぱり疑いたくなる。少なくともそのくらい普段とは異なる面を見せ始める。この作者としては、まさに新機軸といっていい小説展開だし、逸脱と見てもいいんじゃなかろうか。 佐々木譲の『うたう警官』のように、道警内部に巣くう謀略と正義の闘いが、何とこの作品の中で繰り広げられるのである。勝負の差は、紙一重。いわば運命の差、とでも思わせるようなスリリングな暗闘を、極めて淡々と描いてしまうシニカルな様子はこうなるとただ者ではない。 もしかして、これをとっかかりに87分署シリーズのような売れ筋シリーズを狙っているのだろうか。それほどに、一回使い切りでは、あまりにもったいない個性派刑事が沢山造形されているのだが、そう毎作のように道警の不正ばかりをネタにするわけにもゆくまい。作家がいかに本当の道警を憎んでいようとも。 しかし最後までタイトルがダサいとの印象は、やっぱりぬぐえない。もう少し作品の持つ緊張感を表現したタイトルがにしたほうがよいと思うのだが。 つまらないことなのかもしれないが、何だかとても残念だ。 (2010.05.04)