約 184,402 件
https://w.atwiki.jp/shinsen/pages/4860.html
知行 村役 初期能力詳細情報 名前 七尾二郎太 職業 神主 ---- ---- 腕 力 5 土属性 10 耐久力 9 水属性 7 器用さ 7 火属性 8 知 力 5 風属性 10 魅 力 20 水田適性 --- 畑適性 8 林地適性 --- 牧場適性 --- 鉱山適性 8 漁場適性 --- 工房適性 --- 村適性 --- 市適性 --- 櫓適性 5 堤防適性 --- 南蛮寺適性 --- 寺社適性 8 官位の必要性 × 働きぶり 問題なし 仕事の成果 この上なく期待 成長 Lv 腕 耐 器 知 魅 土 水 火 風 水田 畑 林地 牧場 鉱山 漁場 工房 村 市 櫓 堤防 南 寺 * or 適性成長 Lv 水 畑 林 牧 鉱 漁 工 村 市 櫓 堤 南 寺 * 腕力〜魅力、属性値についてはステータス計算式を参照の事 特記事項 レベルアップでの適正変化など分かりましたらお書き下さい。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nolnol/pages/4972.html
知行 村役 初期能力詳細情報 名前 七尾二郎太 職業 神主 ---- ---- 腕 力 5 土属性 10 耐久力 9 水属性 7 器用さ 7 火属性 8 知 力 5 風属性 10 魅 力 20 水田適性 --- 畑適性 8 林地適性 --- 牧場適性 --- 鉱山適性 8 漁場適性 --- 工房適性 --- 村適性 --- 市適性 --- 櫓適性 5 堤防適性 --- 南蛮寺適性 --- 寺社適性 8 官位の必要性 × 働きぶり 問題なし 仕事の成果 この上なく期待 成長 Lv 腕 耐 器 知 魅 土 水 火 風 水田 畑 林地 牧場 鉱山 漁場 工房 村 市 櫓 堤防 南 寺 * or 適性成長 Lv 水 畑 林 牧 鉱 漁 工 村 市 櫓 堤 南 寺 * 腕力〜魅力、属性値についてはステータス計算式を参照の事 特記事項 レベルアップでの適正変化など分かりましたらお書き下さい。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/st2758/pages/148.html
広瀬 裕二郎(ひろせ・ゆうじろう、1982年5月11日 - )は、徳島テレビ(TTK)のアナウンサー。 和歌山県紀の川市出身。東洋大学卒業後2005年にとくしまテレビ入社。 趣味は野球観戦と野球データ収集。 担当番組 TTK情報ワイド GO!GO!クルーズ とく命!ふるさと情報部 過去の担当番組 めざましテレビ FNS27時間テレビ 地元者テレビ らっぴい! スポーツ実況 おことわり この記事の本文に記載されている事柄は、すべて架空のものです。 一部、実在する人名・地名・団体名など固有名詞が登場することもありますが、 それら各記事に記載されている事柄は実在のものとは一切関係ありません。 この記述内容に関して、実在する関係機関への問い合わせはくれぐれもご遠慮ください。
https://w.atwiki.jp/2rou/pages/273.html
ラーメン二郎好きが「巨大ブタがのった一杯」をかき込みながら、思わず思索を深めてしまったワケ お知らせ:wikiのメニュー構成を変更しました 店舗に投票できるようにしました 1人一票です 各店舗にコメント欄を設けました 出典:ラーメン二郎好きが「巨大ブタがのった一杯」をかき込みながら、思わず思索を深めてしまったワケ ラーメン二郎で巨大ブタに遭遇すると、いろんなことを考えさせられてしまう。 「ブタ」というのもまた二郎独特の用語で、ふつうのラーメンでいえばチャーシューのことである。 ただふつうのラーメンのふつうの「チャーシュー」は豚肉の塊を薄く切ったもの2枚ほど、というのが定番であるのに対して、ラーメン二郎の「ブタ」は、その名に負けぬように豚肉の塊がのっているのだ。まさに肉塊である。 いや、すべてのラーメン二郎で塊がのっているわけではない。 池袋東口や、新宿歌舞伎町にはのってない。この2店のブタはチャーシューと呼んでいいとおもう薄さである。たぶん、それはこの2店が背負わされている「ラーメン二郎の一種のアンテナ店」としての宿命なのだとおもわれるが、その話はいまは措く。 ほかにも塊とは呼べない店も少々ある。 ただ、もう、暴力的だともいえる「ブタブタ」した塊を出す店も多い。 亀戸店や川越店は、きれいに脂身と肉塊がロールになった美しい肉塊が乗ってくる。 もっと、暴力的にどがどがどがと入ってくる店もある。 塊が3個4個入ってくることがあって、あれ、おれ、ブタ増し(ふつうのラーメン店でいうならチャーシュー麺にあたるが、まあ、ブタ増しと呼ぶ以外にその実情を反映しきれない)なんか頼んでないんだけど、とおもったが黙って食べて、次に行っても同じで、その次に行っても同じで、ああ、これがここのふつうなんだと、やっと気づくというありさまで、でも次いくとそんなに入っていなかったりして、ラーメン二郎はいつも混沌のさなかにいる。 そうだ。 そこがおもしろい、と気づかされる。 一定ではない。つねにぐるんぐるんと変わっていく。 行くたんびになにかちがう、とそこをおもしろがれると、二郎はいろいろ楽しめる。 かといって40余店の中には、わりと一定をキープしている店もあって、そのへんは各店の店長の気質を反映しているようである。 ラーメン二郎で、ブタが巨大すぎるんだ、という話を、ラーメン二郎に行ったことがない若者に話していたら「いいじゃないですか」と答える。 二郎を食べたことがないから、つまり自分が知っているラーメンで想像するだけであって、ラーメン頼んだらチャーシューが巨大すぎるととらえて、それはいいじゃないですか、と答えているようだ。 たしかにふつうのラーメンなのにチャーシューが巨大だと、とてもお得そうである。 ラーメン二郎でブタに苦しんだことがなければ、そうおもうのがふつうだろう。 ラーメン二郎の特徴として、「いつもブレる」というのがある。 味が少々ブレるのは毎度のことであるので、さほど驚きもしないところで(と言いたいが、なんじゃこりゃあと、叫ぶのをぎりぎり止めるくらいに奇妙な味になっていることがあるからときには驚いているのだが)、困るのは量がブレるところである。 行くたびに、量が違う。 ときに二人で行って、並んで座らせてもらって、同じ「小ラーメン、トッピングはニンニクだけ」を頼んだけれど、二人の量が決定的に違っていることがあって、いまここで同じもの二つ作ってもブレるわけで、まあ、それがラーメン二郎である。 麺の量が気まぐれだし、ブタの量も気まぐれなのだ。 よくわからないけど、余ってるんで入れちゃえって感覚で入れているのか、今日はたまたまみんなに同等にこれぐらい多く入れているのか、なんかのはずみか、ひょっとしたら離れた席で頼んだ見知らぬ人の「ブタ増し」がおれのところに間違ってまわされているのか、いや、こんなに肉の塊がごろごろ入っているのは頼んだ覚えがないんだけど、というものが出てきたりして、それを黙って食べるばかりである。 シェフの気まぐれブタ増しである。 調子のいいときはいい。 楽しく嬉しくいただける。 でもいつもそう調子いいわけじゃない。 週に2回か3回行っているんだから、何かの拍子で、何も食わずに来たのにいっこうに腹減った気配がしないという絶望的なときがあるわけで、そこにいきなりブタのブタブタのブタブタが出てきたらとても困るばかりだ。 ふつうのお店で、チャーシューが予想より多いラーメンが出てきたら、それは嬉しいだろう。 でもラーメン二郎で、もともと麺の量がかなり多いのに(ふつうの店のラーメンの3杯ぶんくらいの麺量なのに)、それを食べきるのが今日はたぶんギリギリだろうと予想されるときに、そこに「シェフの気まぐれブタ増し増し」が提供されると、決定的に分水嶺を超えてしまうわけで、もともとは、広く平たいブタ1枚に赤ちゃんの握りこぶしくらいのブタの塊が1つ乗っているのが出てくる想定だったのに、そこへプラスブタの塊が2つ半追加されていると、嬉しいとはまったくおもえず、いやいやいや、いや、やめてやめてやめて、いやー、でもうまそうーうまそうやんけー、うまそーと叫びたくなるばかりである。 ぶ厚いサービスが、ぶ厚くのしかかってくる。 いちど、自分でもう10分超えているなあと自覚できる完全な「二郎での負け戦」のとき、まだ巨大なブタ塊2つが残っていたので(すでに平たいの1枚と小塊ひとつは処理しおわったのだが)はたして、この残りの肉塊を処理するのに(口の中に全部入れ込むまでに)どれぐらいかかるのか、心のなかで秒数を数えたことがあった。 夏の京都店なんだけど(京都店のブタもかなり殺人的に巨大なことがあります。京都の夏は暑おすなあ)1塊を食べるのに70ほど数える必要があるのがわかって、つまり1塊の処理に1分と少々かかるくらいだということで、2塊だと2分半、3塊で3分半と少しということになって、肉塊を詰め込むだけの処理にそれぐらいの時間を取られる計算になる。 ラーメン二郎でのラーメンはだいたい10分を目安に食べ終わらないといろんなものが悪化してどんどん苦しくなっていくのだが、そのうちブタを口に詰め込むだけでも3分以上かかったら、いろいろと苦しい戦いになって、負け戦に近づいていってしまう。 二郎でずっとブタ塊を咀嚼しないといけない時間、そのとき、いったいおれは何をしているのだろうと、そういうおもいがめぐることがある。 まずいわけではないが、べつだん特別においしいものを食べている至福の時間というわけでもない。ただの作業となる。 ふっと、ふだんはラーメンを食べているときにチャーシューはとても旨いものに感じているが、あれは本当に味として旨さをしっかり認識しているのだろうか、はなはだ疑問であるぞと余計なことまで考え出してしまう。 まあ、もともと私はあまり旨みだけを求めて食事するほうではなく、だからこれだけラーメン二郎を食べ続けられているのかもしれないが、それは放っておいてくれ、でもうまいとおもうチャーシューはしっかりある。うまいチャーシューとふつうのチャーシューとおいしくないチャーシューの区別もつく。チャーシューばかりに力を入れすぎてほかのものが見えなくなっている本末転倒なラーメン店にも行ったことがある。 そこを踏まえておきながらも、ふだんラーメンを食べているときに、チャーシューをとてもうまく感じるのは、それは味ではなく「量の少なさ」に起因しているのではないか、と、この人生では気づく必要がなかったことまで、おもいついてしまう。 ふつうのラーメンにおいて求めている肉は想像よりも多く、それをはるかに下回るふつうのラーメンのチャーシューでは、味よりもまずその稀少さをありがたがっており、5枚ほどのっかっているチャーシューメンでもまだまだ足りずにその少なさゆえに感動しているばかりであって、本来の肉の旨みとは少しかけ離れたところにラーメンのチャーシューはポジショニングしているのではないか、少ししっかり味がついていれば、それだけでありがたがっているのではないかと不思議な観念につかまってしまい、老人しかいない国のごく少数の若者のような存在みたいだなあと意味不明な夢想までもしてしまう。 若さばかりに目が眩んで期待だけを持ってその中身が吟味されていないということだと自分で説明しながら、まあ、ブタが多すぎると、その処理作業中に余計なことばかり考えてしまうのはたしかである。 ラーメン二郎ではその巨大さゆえに、ブタ塊は本来のラーメンでのチャーシューの位置にはあらず、かえって「苦しみのもと」となることがあり、苦しみに直面してただの咀嚼作業を数分間延々と繰り返しているときには、あまり味を感じられない。 ラーメン二郎では「麺を食べきる」ことに集中するのが本道であると私はおもっている。 ヤサイもブタも「合間に」食べられているぶんには、おいしく幸せである。 麺が減っていく作業のなかで、ヤサイもブタもどんどん減っていき、やがてほぼ見えなくなると、それは幸せな二郎人生だったと感じられる。 麺をほぼ食べ終わったのに、ブタが残っており、最後にブタに立ち向かうとなると、とても苦しい。 ブタの塊だけが2つ3つスープに浮かんでる状態にしてしまったとき、ああ、おれのこの二郎人生は失敗だったのだ、と小さく叫んでしまう。なぜあのときもっと肉塊に立ち向かわなかったのだ、もっと真剣に二郎人生の後半を見据えて、若いうちにきちんと立ち向かうべきだった、ばかだった、と強烈な慚愧の念に襲われるのだ。 過剰を経験して、初めて本質に触れられるのかもしれない。 ブタ肉は、はたしてラーメンに本当に必要なのだろうか。 そういえばブタの位置が店によってちがう。 かならずブタが一番上にのってる店もあれば(つまりヤサイの上にブタがのっかっていて、ブタの全容をすぐさま目視確認できるタイプ)、ブタはヤサイの下にある隠れている店もある。つまり麺のすぐうえにブタをおいて、その上ににヤサイをのっけている店で、たぶん、少しのあいだでも、ブタが濃いスープに漬かってうまくなるようにという配慮にもおもえるが、ブタが見当たらないと不安になる。 わたしは手でヤサイを押しのけて、下からブタをサルベージしてきて、上にのっけなおして写真を撮るようにしているが、ただ、全ブタを引っ張り出せたかどうかが、その時点では定かではない。 2塊(ないしは1平べったいのと1塊)がふつうではあるが、店によっては3塊や4塊、細かく5塊ってこともあって、それはあとで進んでいくと海中(スープの中ってことです)で残りの部分が発見されることになり、ふつう規模のラーメンを食べているときだとひたすら嬉しい豚肉残りの発見であるが、ラーメン二郎の場合は、え、まだあったのと、ちょっと驚きになってしまう。 ラーメン二郎では、ブタにあまり主役ぶりを感じられない。 それはどんなに盛られようとヤサイが主役ではないのと同じだ。 わざとそう感じさせるためにいっぱいいれてるのかもしれない。 ラーメンにのっているブタ肉の存在は、ひょっとして旨さを加えるためではなく、いまいるところとはどこか別の場所を想像させるためだけの装置になっているだけかもしれず、それが旨さを感じるきっかけになっているのにすぎないのではないか。 などという意味不明な想念に取り憑かれてしまう。 ラーメン二郎高田馬場店があったときは、あそこの肉はいつもほぐしてあって、そのほぐしブタがめっちゃうまくて、ときどきにたようなのが出るところもあるが、かならず1塊ぶんをほぐしていた高田馬場店ほどのほぐしはなくて、ああ、なつかしいなあ、と言ったところでどうしようもない。 ラーメン二郎で、ラーメンに立ち向かっている時間が長くなると、ときにさまざまなことを想像してしまう。 ふつうの風景が違って見え始め、それはラーメン二郎のラーメンそのものが、いろんなものに疑問を投げかけるパワーに満ちているからだろう。 人生に不必要ないろんなことまで考えてしまうのは、それがラーメン二郎が持つ不思議な力ゆえだとおもわれ、また、何かしらのパワーをもらうために、今日もまた何も考えずにラーメン二郎へと向かうのであった。ラーメン二郎へは頭からっぽで向かうのがよい。 コメント欄 名前 定期的に見に来てるけどこれ今になって新しく追加された? - 名無しさん (2023-10-21 13 15 53) 哲学的ですき - 名無しさん (2022-10-21 20 13 27)
https://w.atwiki.jp/silverstar/pages/67.html
佐竹蓮二郎(さたけ れんじろう) データ 分類 : 生徒PC プレイヤー : 佳奈 初出 : 決戦!生徒会選挙 性別/年齢/種族 : 男/16歳/人間 髪/目/肌 : 茶/茶/黄 クラス : レジェンド シャード : 黄/十二面体/携帯ストラップ ライフパス : 魔術師/ジャーナリスト/忠誠/友人(田上樹) 身長 : 173cm 学年 : 高等部2年D組 所属 : 放送部 設定 茶髪は地毛。オールセルフレーム(黄色)の眼鏡を着用。 放送部きっての行動派。顔が広く友人が多い。 高等部の体育祭優勝トロフィーに《ガイア》を使ったトンチキレジェンドの弟。 高等部在籍中に数々の伝説を打ち立てた兄に負けない、立派な高校生を目指します。 詳細なデータ 7レベル _
https://w.atwiki.jp/kotake24/pages/14.html
映画における緊縛指導 〜番外編1〜 [[本木荘二郎]] 「映画における緊縛指導 ~その4~」を書き終わって見ると、どう考えても緊縛からもSMからも外れてしまっている。「看板に偽りあり」なのだが、「番外編」としてお許しいただきたい。 団鬼六脚本、岸信太郎(山邊信夫)監督の『花と蛇』が製作された1965年、団氏はまだテレビ洋画製作会社の社員だった。1966年頃には団氏はこのTV映画製作会社を辞めているようだ。いよいよSM小説家、ピンク映画脚本家として生活していくことを決心したのであろう。 日本映画データベース(JMDB)によると、1965年には『花と蛇』の他に、「黒岩松次郎」のペンネームでもう一本『濡れた女』の脚本を書いている。『花と蛇』と同じく、「東京企画」の製作で、こちらの監督は「松原次郎」である。「松原次郎」はその後も団氏の脚本を監督することが多いが、元東映監督の仲木睦でないかと思われる。 TV映画製作会社を辞めた1966年に入ると、「団鬼六」「黒岩松次郎」に加えて、奇譚クラブの初期のペンネーム「花巻京太郎」の名前も使い脚本を書き出す。JMDB にリストされているだけで5本の脚本を書いており(リストされていないが『花と蛇より 骨まで縛れ』もそうだと思われるので、これも入れると6本)、全て山邊信夫の「ヤマベ・プロ」の作品である。監督は2本が「飛田良」、4本が「高木丈夫」である。「飛田良」は、ヤマベ・プロにしかその名が出ておらず、その正体は不明だ。一方、「高木丈夫」の方は「本木荘二郎」の変名である。 「本木荘二郎」は、1914年の生まれである。SM関係者でいうと、名和弓雄や高倉一の世代で、団氏よりはかなり年上になる。東宝に入社後、山本嘉次郎の助監督を勤め、その後は黒澤明のパートナーとして、『酔いどれ天使』『羅生門』『生きる』『七人の侍』などを世に出した名プロデューサーである。一昔の映画ファンなら知らない人はいないぐらいの大物である。この世の春を謳歌していた本木であるが、しかしながら1957年に突如黒澤と決別し、東宝を去る。クビになったわけである。 東宝をクビになった本木氏は、やがてピンク映画の監督として再び映画界に姿を現す。以前にも紹介したが、日本ピンク映画の第一号を「1962年3月公開の小林悟『肉体の市場』(協立映画)」とする説と、「1962年11月公開の本木荘二郎『肉体自由貿易』(国新映画)」とする説の2つがある。後者を支持する根拠は、協立映画は大蔵映画(当時は大手に分類)の傍系なので、ピンク映画の定義である「独立プロによる低予算セックス映画」の「独立プロ」に相応しくないということらしい。何にせよ、本木氏はその誕生時からピンク映画に関わっていた監督で、その本木氏が団氏のSM映画をいくつか監督しているのは興味深い。 ヤマベ・プロでの本木氏の記録上の第一作は1966年1月の『裸の復讐』である。企画が山邊氏、製作が高木丈夫(=本木)、監督が高木+松原、原作が花巻京太郎「黒猫作戦」とある。1月の完成なので、山邊氏と本木氏は遅くとも1965年には出会っていたと思われる。 山邊氏と本木氏の出会いについては、藤川黎一氏の「虹の橋」にある山邊氏の回想から探ることができる。それによると、最初の出会いは「目黒スタジオでアテレコをやっているとき・・(本木の)ダビングを手伝った」とある。団氏と山邊氏が勤めていたテレビ洋画製作会社のことであろう。これからしばらくして、「団鬼六を使って『花と蛇』を撮った年・・・・目黒の長崎丸のマンションに本木が来て・・・(映画を撮らして欲しいというので)2つ返事で撮ってもらった。」とある。『花と蛇』を撮った年が1965年なので、記録上のヤマベ・プロの本木作品『裸の復讐』が1966年1月の公開というのは話が良く合う。山邊氏は本木氏に「10本前後」撮ってもらったとある。DMBJでは、ヤマベ・プロでの高木丈夫(=本木)監督作品は7作である。データベースに漏れがあるか、製作がヤマベ・プロ以外のプロダクションになっているか、まだ知られていない本木の別名があるか(本木氏は、高木丈夫、岸本恵一、品川照二、渋谷民三、藤本潤三、藤本潤二の名を使ってピンク映画を作製していた)、あるいは10本程度というのが6本のことなのかもしれない。この6本のうち、団氏の脚本となるのが『花と蛇より 骨まで縛れ』『裸の復讐』『魔性の人妻』『汚辱の女』の4本である。 一方で、団鬼六氏と本木荘二郎氏の最初の出会いは曖昧である。ヤマベ・プロで、1966年に少なくとも4つの団作品を本木氏は監督しているわけだから、この製作過程、すなわち1966年に、団氏と本木氏が顔を合わせてもおかしくないはずだ。 ところが団氏自伝の「蛇のみちは」に出てくる本木氏と団氏との出会いは1966年ではなく、1969年以降となっている。そこでは、1969年に鬼プロを設立し、団氏自らが映画製作に手を出してしばらくして、「たこ八郎が本木を鬼プロに連れて来た」とある。たこ八郎と酒場で会った本木が、たこ氏に団氏を紹介してく欲しいと頼んだとしている。たこ氏は1966年のヤマベ・プロ作品『汚辱の女』(団脚本)に俳優として出演しているので、本木氏とはこの時点で顔を合わせているのは確実である。団氏と面会した本木氏は「160万円で映画を作れる」と売り込んだ、とあり。そこで団氏は「鬼プロの4作目をお願いすることになった」とある。 団氏は、1966年にヤマベ・プロで仕事をしている本木氏と、顔を合わしていてもおかしくはないはずだ。話を面白くするために、たこ八郎の逸話を創作したのであろうか?しかし、ひょっとすると本当に団氏は1969年以前には本木氏と直接会っていないのかもしれない。 1966年頃テレビ洋画製作会社を辞めた団氏は、再び神奈川に引きこもったという記述がある。今度は、真鶴である。三崎よりさらに西側の熱海に近い街である。1967年に、真鶴を訪問してきた辻村氏から早縄を初めて見せてもらったとの記述もある。また69年に鬼プロが渋谷に設立された際も、週に2回は真鶴に戻っていたとある。東京から遠い真鶴で『続・花と蛇』やピンク映画の脚本といった執筆業に専念していのかもしれない。そうなると、69年以前、現場の本木氏と面識がなかった可能性も考えられる。 団氏の述べる、「本木氏が監督した鬼プロ4作目」がどの作品に相当するのか、調べてみたが分からない。それ以上に、DMBJには60年代、70年代には「鬼プロ」という名が一切出てこない。鬼プロが発足したのは1969年の5月であることは確実である。5月以降のそれらしい映画を捜すと、伊世亜夫監督、団鬼六脚本『女極道色欲一代』見つかる。中川プロダクションから1969年5月に公開されたものだ。配給はミリオン映画となっており、鬼プロはミリオン映画と契約を結んでいたとあるので、この『女極道色欲一代』は鬼プロ作品と考えてよさそうだ。同年12月には『狂った情痴』という作品が松原次郎監督で、製作がミリオン映画で公開されている。これも鬼プロ作品の匂いがする。団氏が本木氏に監督を頼んだ、鬼プロ4作目がどれにあたるのか興味あるのだが、残念ながら見当がつかない。 ヤマベ・プロでの本木の仕事は1968年前半に限られる。その後、本木氏は1969年にGプロファーストフィルムを中心に11本の作品を監督しているが、70年は2本、71年は3本、72年は2本と急減している。ところが、今度はミリオン製作で73年7本、74年10本、75年12本と再び監督本数が増えている。Gプロでの製作継続が難しくなった本木氏が、70年頃に鬼プロをスポンサーに作品発表を続けたということかもしれない。「蛇のみちは」では、鬼プロの4作目を本木氏に監督させた後、「本木氏がエロプロダクションのさらに下請けのようなプロダクションをやるようになった」ので、映画への情熱が冷めつつあった団氏は「そこに頼むようになった」。とある。73年以降の本木は、ミリオン映画を中心に活動しているので、ひょっとするとこれが鬼プロから依頼された本木氏の下請け映画を示しているのかもしれない。ただ、繰り返すように団氏の記述には創作部分が多いようなので要注意である。 ヤマベ・プロでの本木の仕事は,なぜ半年少しで終わったのか?「虹の橋」には、山邊氏からの伝聞にこうある。「給料は30万をくだらないぐらい差し上げていたと思いますが・・・・10本前後作ったとき、配給会社に納める170万円をポケットに入れてしまった。」「潔白だの濡れ衣だの白を切りまして、謝ったのは先方の事務所のドアーを開けた瞬間でした」とある。金銭トラブルである。 「虹の橋」には団氏からの伝聞もある。団氏の本木評は散々である。 「本木はねえ、つまらんおやじだったよ。俺なら筆にしない。どこが面白いのかね」「本木は天才的な詐欺師だよ。昭和四十四、五(1969,70)年だったな。ピンク映画を五本撮らしてやったよ。奴は十人分のおんなのギャラを懐にしておきながら、五人しか出演させず差額を猫糞しちゃったよ。」 とある。1980年代始めのインタビューだと思われるが、まだ怒りがおさまらないご様子である。 実は、1957年に本木氏が東宝をクビになった理由としても、金銭面でのトラブルが噂されている。ピンク映画の撮影現場でも、若い俳優からの借金を踏み倒したということで「くそじじい」と罵倒されたりしていたそうだ。こうあちこちで、金銭上のトラブルを起こしたのを知ると、本木荘二郎氏は救いようのない人物のような気がしてくるが、ピンク映画界には監督の山本晋也や浜野佐知、俳優の野上正義など、本木信者も多い。1つには、本木が、企画・脚本から配役、監督、編集と全て一人でこなしてしまう才能をもっており、そのノウハウを多く学ぶことができたことでああろう。「本木さんは動くヌード写真の域を出ないピンク映画にストーリーを加えて、濡れ場を濡れ場らしく撮った先駆者。」「女性の体をパーツに分けてドアップで撮る。そして、編集でつなぐ。見事なモンタージュだった」と映画製作技術を評価する声もある。 何よりも本木の「映画を撮るのがうれしくてたまらない、という表情でキャメラの横に立ち、つねに笑顔をたたえていた。過去の栄光への未練など、つゆほども感じられなかった。」という映画を愛する姿勢が人々の心を掴んだのであろう。「宵越しの金は持たない方でね、スタッフに飲み食いさせて喜ぶたちの人だったな。黒澤映画のプロデューサーを務めたなんて話、おくびにも出しません。」若い俳優を自分のアパートに居候させたりし、優しい心の持ち主だった。 「七人の侍」では撮影日数315日、直接制作費2億1千万円を黒澤のために提供した辣腕プロデューサーは、ピンク映画の世界で「詐欺師」呼ばわりされながらも170万円で映画を撮り続けた。持病の喘息が原因で、新宿のボロアパートで一人寂しく病死する。少ない遺品の中には『羅生門』で受賞したベネチア映画祭グランプリの金獅子像が交じっていた。1977年、本木氏62歳の時だ。ピンク映画は最盛期を過ぎ、団氏もとうの昔にピンク映画から手を引いていた。世はSM雑誌ブームに沸いていた。家庭用ビデオ再生機も既に2年前に販売され、80年代のSMビデオブームへの下地ができつつあった。 (参考文献) 鈴木義昭 ピンク映画水滸伝 その二〇年史(1983 青心社) 藤川黎一 虹の橋 黒澤明と本木荘二郎(1984 虹プロモーション) 野上正義 ちんこんか ピンク映画はどこへ行く(1985 三一書房) 村井実 はだかの夢年代記(1989大和書房) 団鬼六 蛇のみちは(1997 幻冬舎) 団鬼六 生き方下手(2004 文藝春秋) 浜野佐知 女が映画を作る時(2005 平凡社新書) 団鬼六 快楽なくして何が人生(2006 幻冬舎新書) 日本映画データベース(JMDB)www.jmdb.ne.jp (写真はピンク映画撮影時の本木氏。野上正義氏著作より)
https://w.atwiki.jp/nassau-is/pages/78.html
■〓 三田二郎 〓■ ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃★┃マイ評価 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━★三田二郎(小ダブル+野菜)★━━━━━━━━━━┓ ★ ★ ★ ★ ☆ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ -具 とにかく豚の角煮(?)がうまい. 飽きるほど量があるが,味が飽きないほど濃い. とにかく無心に口に放り込み続けた. -麺 こってりしたスープによく合う柔らかめの麺 スープを吸ってかなり重い麺と化す. 個人的にはうどんかと思う場面もあり. -スープ さすがに濃すぎ. スープを最後までいただくことがモットーの俺だが,さすがに二郎のスープはいただけなかった. ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃★┃マイ評価 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 食事の後におなかを壊して,塾長とトイレでばったり遭遇しました. やはり,塾生としての聖地. 軽々しく訪れてはいけないということを思い知らされました. しかし,覚悟してまで食べた甲斐あり,豚の角煮で至福の時間を味わえました. スープにもう一ひねりを期待して,星4つで. 今度こそ大ダブルにチャレンジしたい!
https://w.atwiki.jp/orerayougo/pages/13.html
あ行うんたん うんたんやろうず エイプリルフール エンデ・デア・ベルト か行騎乗位 キリン さ行三角木馬 さだまさし スナック朱美 灼熱くん 灼熱は☆12中堅 さよなら三角またきて四角 前立腺ぱーんち☆ た行大吉ラーメン たくあん てんほー デコ ドゥンドゥン トーマス な行ぬるぽ は行ヘポメビッチ ポルチオ流星拳 ま行マガス まりも や行やらないか ら行りっちゃん わ行ワクワクさん ワニワニパニック 英数字記号○○オンライン あ行 うんたん [アニメ] ウンwwwwwwwwwwタンwwwwwwwww うんたんやろうず [アニメ] うんたんしたいときに使う。ただし部員が集まらないときが多い。 エンデ・デア・ベルト [ゲーム] MHP2Gに登場する龍属性ランス。「~えん」で終わる方言を強調したい時に使う。 例:「週3セックルとかありエンデ・デア・ベルトwwwwwwwwwwwww」 エイプリルフール [時節]一年のうち一日だけ嘘をついてもいいというまさに誰得な日である。 この日はこぞってエロゲの会社が公式を面白くする通例がある。「俺、彼女できたから!」はすぐバレるのでやめましょう か行 騎乗位 [その他] 基本情報技術者試験のこと。午前にヤったりもする。体位じゃないです。 キリン [ゲーム] ぞうさんのほうがもっとすきです 古龍(笑) さ行 三角木馬 [その他]PC-98年代のエロゲに大抵出てたよね さだまさし [音ゲ]「bass 2 bass」のこと。jubeat初出。イントロがそう聞こえないこともないことから。 スナック朱美 [その他] すなっくあけみ。なんかしらんけど頭に残ってたスナックの名前。元ネタ不明。 灼熱くん [音ゲ] みんなのアイドル灼熱くん。 (╹ヮ╹) 灼熱は☆12中堅 [音ゲ] 都会の皿魔人の名言。ねーよwwwwwwwwww さよなら三角またきて四角 [その他] 言葉遊びの一種。地方・世帯によって違うとか。俺はありがと三角。 前立腺ぱーんち☆ [ゲーム] 文字通り前立腺の内側をぱんち☆する必殺技。絶対死ぬ。元ネタは「イキすぎ!Mレッスン」 た行 大吉ラーメン [その他] なんかしらんけど頭に残ってたラーメン屋の名前。調べてみたら実際にあった。 たくあん 1)[名] 琴吹 紬。けいおんの登場人物。キーボード担当。眉毛。百合。2)[名] ぽりぽり・・・おぱんつー!神奈川在住。被災。 てんほー [ゲーム] ダメ人間御用達オンライン麻雀サイト天鳳。 デコ [名] 田井中 律。けいおんの登場人物。ドラム。元気系。 ドゥンドゥン [ゲーム] pspo2iに登場するボス「ドゥンガドゥンガ」のでるミッションを周回すること。 トーマス [名] 最高峰のモレスター。フルネーム(初代)「遠山万寿夫」(二代目)「闘馬筋雄」。様々な技を持つ。余談だが主題歌は思わず風呂場で口ずさんでしまうほどの名曲。元ネタは「痴漢者トーマスⅡ」 な行 ぬるぽ [その他] ガッ は行 ヘポメビッチ [名] クルピストン星に住んでる初め四本足、次に二本足、最後に三本足になる生き物。スフィンクスのなぞなぞ等で有効。 ポルチオ流星拳 [ゲーム] 18禁ゲーム「ひめしょ!」における、濡れ場での台詞。元ネタは恐らく聖闘士星矢の「ペガサス流星拳」だと思われる。 ま行 マガス [ゲーム] ファンタシースターシリーズでのワロス。同ゲームに登場する武器「マガス・マッガーナ」から。 まりも [音ゲ] BOOWYの名曲「MARIONETTE」のこと。GF4th DM3rdに収録された際、ムービーにマリモ頭のキャラが出ることから。 や行 やらないか [音ゲ]「YARA TUM KAHAN?」のこと。GF11th DM10th初出。ぱっと見「YARANAIKA?」 ら行 りっちゃん [名] →デコ わ行 ワクワクさん [その他] テラワクワクさんwwwwwwwwwwwwww ワニワニパニック [その他] テラワニワニパニックwwwwwwwwwwwww 英数字記号 ○○オンライン [その他] 例:シカトオンラインかよwwwwwwwww テンプレ用語1 用語2 用語3 テンプレ 用語1 1の説明 用語2 2の説明 用語3 3の説明 -[[テンプレ 用語集#テンプレ]] --[[用語1 用語集#用語1]] --[[用語2 用語集#用語2]] --[[用語3 用語集#用語3]] |テンプレ aname(テンプレ)| 用語1 aname(用語1) | 1の説明 用語2 aname(用語2) | 2の説明 用語3 aname(用語3) | 3の説明 編集めんどいやつはここに書いとけ -- 名無しさん (2011-03-22 22 35 44) マガス 同)ワロス 元マガスマッガーナ -- 名無しさん (2011-03-25 16 49 54) 大吉ラーメン スナック朱実(あけみ) -- 名無しさん (2011-03-25 16 50 33) ありがと三角またきて四角 元はだしのゲン -- 名無しさん (2011-03-25 16 51 27) 騎乗位 基本情報のこと -- 名無しさん (2011-03-25 16 52 06) ------俺用メモここまで------ -- 名無しさん (2011-03-25 16 52 20) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nassau-is/pages/139.html
┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃★┃マイ評価 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 二郎@品川 鍋二郎 ★ ★ ★ ★ ☆ ◆スープ◆ 一応豚骨醤油というカテゴリ. しかし塾長の唱えた「ゼンブマシマシ」の呪文により辛すぎた. ◆麺◆ こってりには太麺.良い仕事をしていた. ◆具◆ 野菜うまし. ニンニクくさし. ◆◆総評◆◆ 個人的に印象的だったのは,対戦後の僕のスープが なぜか皆のより,固まり具合がひどかったということ. これを飲んだおかげで,寿命が一年は縮まったと思っている. ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃■┃最後に ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ラーメン塾における聖戦(ジハード)でしたね. 5人前 VS 9人という圧倒的数的不利を覆すようなあの鍋の量. 正直辛勝といったところでしょう. ちなみに今回のMVPは,鍋を洗っていた榎本と井上だと思います. 彼らの手はある意味殉職していたので,二階級特進は間違いないでしょう.
https://w.atwiki.jp/taronja/pages/473.html
加納慎二郎はSAGAWA SHIGA FC所属のMF 基本情報 国籍 日本 名前 カノウ シンジロウ 生年月日 1981年6月25日 出身地 長崎県長崎市 身長 176cm 体重 66kg ポジション MF 背番号 16 所属クラブ 1997年 - 1999年 海星高校 2000年 - 2003年 阪南大学 2004年 - 2006年 佐川急便大阪SC 2007年 - 現 在 佐川急便SC/SAGAWA SHIGA FC 個人成績 シーズン クラブ 番号 リーグ リーグ リーグカップ オープンカップ 通算 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 2004 佐川大阪 16 JFL 8 0 - - 8 0 2005 27 1 - - 27 1 2006 30 2 - - 30 2 2007 佐川急便 19 24 1 - 0 0 24 1 2008 SAGAWA 16 7 0 - 0 0 7 0 2009 2 1 - 0 0 2 1 通算 日本 JFL 98 5 - 0 0 98 5 総通算 98 5 - 0 0 98 5