約 181,597 件
https://w.atwiki.jp/kaikocyu19012001/pages/32.html
なんとなく終末 3月20日、地下鉄サリン事件以来麻原彰晃を教祖とするオウム真理教に関する話題がどのメディアでもひっきりなしに取り上げられている。地下鉄サリン事件の結果、去年の松本サリン事件もオウムだろうと疑われるのは、まあ当然だろう。麻原とオウムを知ったのは91年ごろだったと思う。その時の麻原に対して、ただの奇妙な宗教家でしかなく、坂本弁護士を殺害したことなど頭になかった。数々の信者の死亡事件や村井刺殺と麻原の逮捕、上祐のパフォーマンス、教団独自のしきたり・・・・・・うまく言いようがないが、オウム真理教にまつわるものは多くの人を惹きつけていた。あの時は「一億総オウム」といった空気があった。それは、社会的にけしからんことをした集団を制裁するというような高尚なものばかりでなく、直接関わらなかった人には、想像を絶する世界に対するもっと純粋な意味での興味、といったものだった思う。しかし、国家転覆を狙っていた宗教団体でありながら、独自の用語が『天空戦記シュラト』や『飛龍の拳』みたいで可笑しいものがあった。 個人的には裁判で麻原が喋らなくなったあたりから、世間の興味が無くなったのではないかと思う。それにしても当時は、学校を休んだだけで「上九一色村に行ってきたのか?」と言われたり、クラスに顔が似ているだけで「尊師」と呼ばれていたヤツがいたり、『笑っていいとも』でタモリから「オウムの都沢に似ている」と言われた女性(素人)すらいたな・・・・・・。 当時を知らない人は↑のような話を聞いて興味を持つかもしれないけど、「ヴァジラヤーナ」と「キリストのイニシエーション」、そして「1999年に人類滅亡するのでは」といった危機感を一般人も共有していたことを覚えといてください。 1-麻原彰晃逮捕までの軌跡 地下鉄サリン事件以降、テレビでは毎日毎時間必ずと言っていいほどオウム真理教の報道が行われていた。 ① 95年3月22日 教団強制強制捜査を開始 政府や警察・公安などにとってオウム真理教へは「信仰の自由」「表現の自由」etcといった壁があって、なかなか監視・捜査など踏み込みにくかったが、地下鉄サリン事件が起きたことで状況は真逆になった。にもかかわらず、このときはサリンではなく、直接的には仮谷さん拉致監禁の容疑で教団に強制捜査に入ったことになる。 しかし平時の市民を狙った未曾有(みぞゆう)の地下鉄サリン事件の後、警察、自衛隊らを悩ませていたものは、オウムにはどれだけの戦力があるのかということで、中でも、小型ラジコンヘリによるサリンの無差別空中散布だった。そのため、警察力での対処が困難な場合の、隊法79条にのっとった公式な治安出動待機とは別の「治安出動準備オペレーション」が作られた。 1 治安出動命令 ①連隊単位では行かない②小規模の移動は駐屯基地間では可能③玉沢防衛庁長官がゴーをだせばすぐ行く 2 CH―47、AH1S、UH―1S、ОH―60、コブラらのヘリが”臨戦体制”に入る 3 ラジコンヘリ対策―軍事通信のジャミング(電波攪乱) 4 東京でのテロ―第1、32連隊、101化学防護隊→都知事命令待ち状態 3月22日、午前6時から港区のオウム真理教の東京総本部、江東区にある新東京総本部、世田谷区と杉並区の道場、富士宮市と山梨県上九一色村の教団施設など25ヵ所の一斉家宅捜索にふみきった。 警察機動隊50人を投入し突撃した。この後ろには、第6機動隊特科中隊約60人が控えていた。捜査員は12時頃第7サティアンのの化学プラントに到達した。2500人の警官、機動隊員が防毒マスクをつけて踏込む。このうち、上九一色村の施設の第10サティアンから、信者約50人が昏睡状態で見つかり、うち30人が重体で6人が病院に収容され、現場にいた医師3人を含む4人を監禁の現行犯で逮捕する。また、「アセトニトリル」と表示された500cc入りの瓶36本やサリンを作るのに必要とされる「三塩化リン」、「イソプロピルアルコール」などを押収した。 自衛隊は、警察への協力以外に独自に行動を開始、午前5時には、臨時編成された東部方面隊の医療部隊約60名が陸自北富士駐屯地に移動し、全国の化学防護部隊を含め約1万2千名の隊員、30機以上のヘリコプターが事実上の待機していた。 事前に予想していたような信者による頑強な抵抗というのはなく、ヘッドギアを着けた信者が「宗教弾圧だ!」などと叫んでいただけだった。しかし、中はもぬけの殻で、サリンはもちろん主要幹部も見当たらず、ラジコンヘリも見つからなかった。また「サリンが持ち出された」との機密情報があったため、逆に彼らを大いに不安にさせた。 6時00分過ぎ 都内のオウム真理教関連施設12か所で捜索開始 ↓ 6時45分 富士山総本部(静岡県富士宮市)前に隊列を組んだ警官隊が到着。上九でも捜査が開始 ↓ 8時15分 村山富一首相が閣僚懇談会で「内閣を挙げて対処をお願いする」 ↓ 8時55分 教団外報部「前代未聞の宗教弾圧にほかならない」とする見解 ↓ 11時30分 捜索の終わったオウム真理教付属病院に郵便配達員がやってくるが、インターホン越しに「今日は受け取れない」と答えられ・・・ ↓ 12時4分 衰弱した信者のため救急車が第六上九に到着 ↓ 12時10分 青山弁護士、第一上九で施設前で報道陣に取り囲まれて身動きが取れなくなり「私には違法な強制捜査に対して抗議・監視する義務がある!マスコミは私を監禁しないでほしい」と腹を立てる ↓ 12時30分 富士山総本部の空き地に捜査員用の仮設トイレが到着 ↓ 12時36分 警視庁、「約50人が昏睡状態、栄養失調らしい」 ↓ 12時55分 第六上九で信者の搬送開始。単価で救急車に運ばれた男女5人はほぼ全員素足でぐったりしていた ↓ 12時58分 第六上九にある礼拝堂から両腕を機動隊員に抱えられた信者5人が連行される ↓ 13時00分 都内の捜索はすべて終了 ↓ 13時10分 第二上九の北側敷地で、防護マスクを着けた捜査員13名が洋酒瓶のような茶色の容器数本を透明ポリ袋に入れた。傍にはカナリア ↓ 13時40分 自民党・加藤紘一政調会長が東京有楽町の外国人徳は委員教会での質問で「人権尊重と、人命をこれ以上失いたくないという2うのテーマの中で警察当局もかなり悩み、別件捜査の問題も十分考えたと思うが、果敢な決断であり、支持したい」 ↓ 13時40分 富士山総本部から捜査員約10人が、段ボール10箱近くを抱えて外へ。10分後、外に出されていた信者に施設内に戻ることが許可される ↓ 14時00分 警視庁の寺尾捜査一課長が会見「仮谷事件の捜査本部を特別捜査本部に格上げした」 ↓ 16時20分 富士山総本部から押収物を入れたと見られる段ボール箱、ポリ袋に包まれた発泡スチロール箱、紙袋など10箱近くが運び出され警察車両へ ↓ 16時25分 第二上九の倉庫周辺で機動隊員がくい打ち開始。信者がハンドマイクで「違法捜査だ」。捜査は問題なく続けられた ↓ 17時00分 富士山総本部から捜査員約300人が引き揚げる ↓ 18時10分 第二上九から捜査員が引き揚げ、変わって機動隊員約80名が夜間警備に ↓ 20時00分 寺尾捜査一課長会見「はやく仮谷さんを帰すべき。麻原を自首させるべきだ」 ↓ 21時英国のメイジャー首相、ハード外相から村山総理、河野洋平副総理・外相にお見舞いメッセージ 第一上九(第二、三、五サティアン) 印刷工場・第二上九(第六サティアン) 住居・本部・第三上九(第七サティアン) 化学工場 第四上九(第八、十二サティアン) パソコン工場・第五上九(第九、十一サティアン) 作業場、工場・第六上九(第十サティアン) 礼拝堂 第七上九 倉庫 この強制捜査以降、テレビでは「オウム側の言い分も」ということで、ホイホイ上祐や村井らが報道特番に出てきて荒唐無稽な主張するので、オウム報道がさらにヒートアップした ② 警察によりオウム信者が続々逮捕 政府・警察らにとって情報が漏れているという恐れや、幹部もサリンもラジコンヘリも押収できなかっこと、そしてこれが一番重要だが、オウムが先に打って被害を出すのを防ぐため、微罪でも何でもいいから逮捕する必要があった。 3月23日 午前6時、薬品を車に詰めて中で寝ている小林勝彦が滋賀県警に連行された。取り調べで思わずこぼした言葉から、信者資料、科学施設の設計図やデータ及び使用方法のデータがあるフロッピーディスクを隠し持っていたことが判明した。さらに、公安すら知らなかった”諜報省”の存在がここで分かった(この解読に多大な労力がかかったのは言うまでもない。フロッピーを解読したら亀戸の異臭騒動=炭疽菌噴霧だということが判明) ↓ 3月25日 警視庁大崎署の特捜本部が、オウムが山梨県上九一色村でサリンを製造していたとほぼ断定する。この施設から三塩化リン入りのドラム缶160本以上以上を押収 ↓ 3月30日 国松長官銃撃事件 ↓ 4月1日 松本知子と子供達の旅券が別人名義で申請されていたことが静岡県警に伝わる。さらに千葉県市川市のヨットハーバーから、早川、新実のクルーザー発見の情報が千葉県警に知らされる(ヨットハーバー管理人によると調子が悪く遠洋は無理だろうとのこと) ↓ 4月3日 滋賀のデータから化学者・技術者からなる最重要手配信者からなる「オウムAリスト」を全国に配布 ↓ 4月6日 地下鉄サリン事件で、警視庁が押収した上九一色村の教団施設から押収されたサリン溶液から、製造に必ずしも必要のない科学物質「ジエチルアニリン」を検出されたので、殺人罪の適用を検討し始める。東京・赤坂で、建造物侵入の疑いで逮捕されたオウム真理教信徒の車から短銃数丁分の部品や、早川紀代秀が書いたサリンの製造法が記されていると見られるノートなどが発見(早川ノート)。岐部哲也、中野勝彦、及川尚政が逮捕され、赤坂の教団関係の会社が家宅捜索を受ける ↓ 4月7日 石川県金沢市で、松本剛と一緒に潜伏していたオウム真理教看護婦村上栄子が麻薬及び向精神薬取締法違反の疑いで逮捕された。この時、村上が取り調べ中に「トイレに行きたい」と言ったので行かせると態度が豹変、婦警が慌ててトイレに流そうとしたメモを没収すると、アーナンダこと井上嘉浩への林郁夫から「整形手術用の電気メス購入希望」メモだった。金沢市内のホテルで松本の指紋発見 ↓ 4月8日 午前1時、闇にまぎれて自転車で逃げようとしている男を穴水町で逮捕=林郁夫だった。警視庁保安課と赤坂署が山梨県富沢町の教団施設「清流精舎」を銃密造工場とみて武器等製造法違反の疑いで家宅捜索し、銃身にライフルマークを施す専用の工作機械など400点近くを押収 ↓ 4月10日 石川県穴水町の貸し別荘で多量の血のついた脱脂綿や女装用のカツラが発見され、アトラス系の医学テキストを押収 ↓ 4月14日 120か所に及ぶ全国一斉捜索でオウムの子供達53人を保護し、8人入院。これは、前日に捕まえた、中田清秀を「落とす」ためという ↓ 4月12日 千代田区一番町の高級マンション(ここは皇居の近く)で坊主頭の男を発見→もしやと思ったら新実だったので逮捕(元看護婦監禁容疑)。ガイダル元首相代行が、エリツィン大統領の側近のロボフ安全保障会議書記がロシアでのオウム真理教の活動に協力するように要請する文書を政府各機関に出していたことを明らかにする ↓ 4月19日 犯罪に使うためにサリンなどを製造したり所有することを禁止するサリン防止法案が、国会で可決、成立 ↓ 4月20日 早川、自動小銃の部品を移動しようとして他人の土地に無断での住居侵入の共犯容疑で逮捕 ↓ 4月23日 午後8時35分、港区南青山にあるオウム真理教東京総本部前で、教団科学技術省幹部の村井秀夫が、自称右翼の徐裕行に包丁で右脇腹を刺され、都立広尾病院に運ばれ翌日死亡。犯人はその場で殺人未遂で逮捕(村井刺殺事件) ↓ 4月26日 富士山総本部に立てこもっていた遠藤・土谷らを犯人隠匿容疑で逮捕。ここで麻原を殺人容疑で逮捕可能と判断したと思われる ↓ 4月27日 見るからに怪しい女性を東京駅で職務質問したらやはりオウム信者だった。ここで重要幹部の顔入りリストを入手 ↓ 5月2日 元日劇ダンサーの鹿島とも子、自分の長女を監禁した容疑により富士宮市の富士山総本部で逮捕 ↓ 5月3日 オウム真理教幹部の井上嘉浩が兵器や自衛官勧誘などの指揮をしていた疑いが更に強まる ↓ 5月4日 警察庁・警視庁の最高幹部会議で「麻原が第六サティアン中2階の隠し部屋にいる」との情報が上がる ↓ 5月6日 林郁夫が全面自供し、地下鉄サリン事件の全貌が明かされた ↓ 5月14日 地下鉄マップの指紋、滋賀のワーク場所リスト、井上メモ、顔写真、そしてNシステム・・・井上逮捕の準備は整っていた。公安は東京都八王子市のアジトコーポ植竹で、超望遠監視用ビデオカメラ、暗視装置、デジタル式秘匿通信を駆使して、出入りしている男女を監視していた。午後7時30分、突如赤いシャレードら2台の車が発進、11時20分ごろ、東京都秋川市(現あきる野市)で偽造免許のシャレードを確保。捕まえてみるとやはり井上だった。豊田も逮捕。 ④ 95年5月16日 上九一色村で麻原彰晃逮捕 警察当局は、教団の弱体化・危険性を抑えるためには、どうしても麻原逮捕が必要だった。そしてそれ自体も可能だったが、警察・検察当局としてはなんとしても地下鉄サリン事件の首謀者として殺人容疑で逮捕したかった。そこで遠藤・土谷の逮捕、林郁夫の供述などからこれが可能となり、サリンの製造指示、原料調達、製造、実行の過程を掴んだ上で、警視庁の井上幸彦警視総監、寺尾正大捜査一課長の全面捜査指揮のもと、5月16日に上九一色村のサティアンへ突入となった。もちろん毒見役のカナリアもである。 朝5時25分、南側入り口から男性信者2人が見守る中、中にいた信者を追い出して警視庁の捜査員20人が建物に踏み込む一方、閉ざされたと扉を電動カッターやバルブでこじ開けた。中は窓がほとんどないため暗い上に、足の踏み場もなく、殺生をしてはいけないために大量のゴキブリが発生していた。3階には127もの小部屋があり、迷路のような中で隠し部屋を探し求めた。現場を指揮した山田正治警視庁捜査一課理事官は、事前の密告情報や遠藤の供述などによる「中二階」が見つからないことに焦っていたが、そういえば移動途中に空気穴があった=つまり隠し部屋の存在を思い立った。捜査員は壁を叩きながら不自然な個所を探し出し、二階天井部分(中三階?)にベニヤの壁をハンマーで打ち破って進入、天井の低い三畳間が出現。そこにいた男が麻原であった。理事官は「麻原か」と問うと、「はい」と素直に答えた。「下りてこい」 「(一人では)下りられません」巡査部長ら捜査員2人の肩に後ろからつかまり、シワだらけの服の麻原は「重くてどうもすみません」と足を震わせて答えたという。 「この情けない男が、本当にあの麻原なのか」山田理事官は、この時点ではそう思っていたという。しかし、場所を移して身体検査をすると「カルマが憑く!」、護送の車中では「地獄は三つの世界に分かれているんです」などと、呆れるほどに奇妙で饒舌な姿を見せていた。政府は、首相官邸で「拡大サリン問題対策関係省庁連絡会議」を開き対策を協議した。警察庁は「サリンが少量でも隠匿されている可能性は否定できない」と報告する一方、井上幸彦警視総監は記者会見で「残っているサリンはまずない」と語った。 隠し部屋―長さ3m35cm・高さ50cm・幅1m3cmの仰向け状態、 逮捕時の所持品―寝袋、ウエットティッシュ、ヘッドホン、現金960万円、洗濯かご 2時00分 警視庁の機動隊が大型車両などで山梨上九一色村へ出発 ↓ 4時15分 第6サティアン前に警視庁の交通規制用特殊車両が到着、鉄柵100機以上でバリケードを築き始める ↓ 4時30分 第6サティアン周辺報道陣380人に ↓ 4時45分 覆面パトカーなど捜査車両が次々と第6サティアン前に終結。迷彩服の捜査員多数が周囲を固める ↓ 4時50分 第8サティアン敷地内に捜査員が入る、第2・3・5サティアン周辺に大型バスなどの車両約20台が到着、捜査員約500人が配置につく ↓ 4時55分 教団倉庫群に捜査員約10人が到着 ↓ 5時00分 警視庁、この日のために総合警備本部を設置 ↓ 5時30分 第2・3・5・サティアンの捜索開始 ↓ 5時35分 第6サティアンでは電動カッターで鉄の扉を切断し始める ↓ 5時40分 警視庁の石川重明刑事部長と寺尾正大捜査一課長会見「そんなに時間掛からない」。第6サティアン作業所で男女一名、女児2人を保護 ↓ 5時48分 第6サティアン入り口ようやく開く。捜査員は防毒マスク着用。信者が連れ出される ↓ 6時40分 第6サティアン医療等に捜査員が入る ↓ 7時13分 寺尾捜査一課長、報道陣に「麻原はまだまだ見つからない」 ↓ 8時54分 第6サティアンで信者1名が覆面パトカーに乗せられ連行される ↓ 8時55分 村山首相「鍵がかかっていたドアが開かなかったり、中が複雑になっているみたいだ」と官邸で語る ↓ 9時13分 寺尾捜査一課長「信者13人を殺人及び殺人未遂で、1人を有印私文書偽装などの容疑で逮捕」 ↓ 9時46分 麻原彰晃を逮捕 ↓ 9時48分 井上幸彦警視総官が記者会見し「麻原逮捕」を告げる。AP、ロイター、AFPなど海外通信社も東京発の至急電で速報 ↓ 9時49分 韓国・融合通信も東京発の至急電で速報 ↓ 10時35分 麻原を乗せた護送車が第6サティアンを出発 ↓ 9時13分 寺尾捜査一課長「殺人及び殺人未遂容疑で逮捕は15人になった」 ↓ 12時35分 麻原を乗せた護送車が霞ヶ関の警視庁に到着 その後 5月16日 一斉捜索により上九一色村のオウム真理教施設で麻原彰晃を逮捕。この捜索で横山真人、渡部和美、広瀬健一など10人、垂井明美、森脇佳子、杉本繁郎、高橋昌也、池田悦郎、外崎清隆を殺人と殺人未遂容疑で逮捕。同日東京都庁郵便物爆破事件が発生 ↓ 5月17日 中川を逮捕 ↓ 5月18日 松本剛を足立区の信者のアパートの近くで逮捕(林郁夫・りら夫妻から両手の小指以外の8本の指の指紋を消す手術を受けた&両眉と顎に手術を受けていた) ↓ 9月6日 新潟県名立町で坂本弁護士、富山県魚津市で都子さんの遺体を発見。9日には長野県大町市で竜彦ちゃんの遺体を発見。いずれも山中で、竜彦ちゃんの遺体の場所は、90年に岡崎が警察に送り付けたものとほぼ同じだった ↓ 10月30日には東京地裁により解散命令 ↓ 96年1月30日宗教法人として解散(ただしアーレフとして存続している) 警視庁は、麻原に対し本格的な取り調べを始めたが「黙秘権を行使する」として供述を拒否した。麻原は遠藤誠弁護士に弁護を依頼するが、遠藤弁護士がこれを断ったために、「やーめーて~!」で有名な横山弁護士が自薦により麻原の私選弁護人となる。結局地下鉄サリン事件の犯人は高橋克也以外はすべて逮捕された。 結局ラジコンヘリは、94年に操作ミス(基本的に素人なので)で大破して存在しないことが判明した。しかし、押収された早川ノートには、警察や自衛隊が恐れていたヘリコプターでのサリン散布計画(11月戦争)が書かれていた。これがどれほど実現できたのかは不明だが・・・・・・・。 2-主な事件 95年から10年以上と、実に長々と続いたオウム真理教の裁判だが、引用・要約させていただいている東京地裁の判決文が、2000年代以降の「まあこうだったんじゃないかな」という妥当な線ですかね?(もちろん事実と違う場合は十分ある) a 麻原が起訴された事件 どれも首謀者として最後まで起訴されたもの、()は罪状名 松本知津夫被告への東京地裁判決文―2004.2.27 3-オウム真理教の構図 ある人が科学の限界・人生・現状に対する不満を持つ ↓ ①「ハルマゲドンから皆を救ってマハーニルヴァーナへ至ろう」に、不満を一気に打ち消すほど魅了される ↓ ②①は絶対正しいbut状況は不利→尊師の教え→正しいなら邪道な手段も許される ↓ ③ポアもやむなし→ポア実行 ↓ ④③→①→②→③くり返し=③で罪悪感を持つ→自動的に①を欲し安心→②で手段の倒錯の正当化 ↓ サリン撒布etc 尊師の教え=目的は手段を正当化する 4-ご臨終森達也 『麻原死刑でOKか?』における映画監督・作家森達也の発言 僕はそもそも、二年前、麻原被告の判決裁判を初めて傍聴しました。それ以前には彼にはあったこともありません。もちろんコミュニケーションもしていません。二年前の二月二十七日、初めて彼を至近距離で見て、たぶん距離は二メートルか三メートルですかね、僕はその場で直感しました。訴訟能力がない。彼には自分が何者で、どこにいるかさえも恐らくわかっていない。(中略) 突然話が飛ぶようですけども、僕、芝居をやってたんですね。二十代の頃。役者としてはぜんぜんものにならなかったんですが、多少は演技の勉強をしましたし、演技とはどういうものかも考えました。その経験で言いますけども、あの当時の麻原被告の証言、あれはたぶん、ロバートデニーロでも言えません。アドリブでは。あれが役者の演技だったら、途中でテンションが下がります。ところが延々と彼は、しゃべってました。あれはやはり普通じゃないんです。でも誰一人、普通じゃない、おかしいよ、と言い出さない。 もしこれが、別の人の裁判であれば、おいちょっと待てよ、これは変だよ、一回鑑定しようねって話になったと思うんです。でもやはり、何らかの抑止が働いた。その抑止は、世相、世間、いろんなものがあるでしょうね。一番大きかったのは世相だと思います。(めんどくさいので以下略) これが訴訟能力がないという根拠なのかよ!しかし、どういう根拠で「麻原は訴訟能力がない」と主張しているのだろうかと大変重要な問題故に興味を持って読んだのだが、よりによって自分の役者修行の経験wしかも才能不足で役者断念した奴の感なんて信用できるわけがないだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 森氏の発言はこれ以上、この根拠についての説明がない。ホント、いい加減にしてくださいw こんないい加減な人間の発言を注釈もなしに本にしちゃえるサヨクの世界はいいですね。確かに、森氏が映画撮影で会った末端の個々の信者は悪くないだろう。だが、オウムは独裁国家のように基本的人権がなく、現アレフが開祖(麻原)との関係を清算できていないのなら、サリン事件の如く、望んでなくとも彼らが犯罪行為をさせられる可能性はあるわけです。そういう理由で警察から反社会的として監視され、治安のためなのはもちろん、彼らを加害者にさせないために、敢えて別件の微罪でガンガン逮捕したのというのもあるんだが、こういう馬鹿なことを言う人には、ここら辺の理屈はまったく理解できないのだろう。 5-ご協力がしたいでやんすの巻 (『宝島』96年7月24日) 多くのほかの信者たちは95年の間につかまったが、林泰男・平田信・高橋勝也・菊地直子の4人は捕まらなかった。96年に林泰男が捕まったのち、vowの中でみうらじゅん氏も心配していたのである。彼によると警察のやり方は的が外れているため、以下ようなアイデアでHMVなどの店頭にずらーと並べる方がもっと皆にアピールできるとのこと。 今となってはだいぶ風貌が変わっているなw ちなみに実際の菊地直子はもっと可愛いかったらしい。この後何ら音沙汰がなかったが、2011年の年末平田がいきなり自首し、その後2012年の6月に菊地直子が神奈川県相模原市緑区城山(2006年以前は津久井郡城山町だった地点)で逮捕された。 6-流れ 1984.2.14 麻原彰晃こと松本智津夫によりヨーガのサークル「オウム神仙の会」として創設 ↓ 1984.5.28 ㈱オウムの設立登記 ↓ 1985.10 『ムー』、『トワイライトゾーン』に空中浮揚の写真が掲載される ↓ 1986.7 麻原、ヒマラヤで最終解脱する ↓ 1987.1.17 丹沢集中セミナーでポアが語られる ↓ 1987.2.24 ダライ・ラマ14世とインドで会談 ↓ 1988.7.6 ダライ・ラマ14世とインドで会談 ↓ 1988.9.22 オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡(真島事件) ↓ 1989.2.10 オウム真理教最初の殺人事件、オウム真理教男性信者殺害事件発生(田口事件) ↓ 1989.8.25 宗教法人化 ↓ 1989.10.2 『サンデー毎日』オウム真理教の狂気が連載される ↓ 1989.10.26 TBSワイドショー「3時にあいましょう」の取材チームが教団富士山総本部で水中クンバカを取材 →夜、早川、上祐、青山がTBSを訪れ、オウム真理教被害者の会を取材した未放映のビデオを見せるように迫り、見せる(TBSビデオ問題) ↓ 1989.11.4 坂本堤弁護士一家殺害事件で一家3人を殺害 ↓ 1990.2.18 第39回衆議院議員総選挙に集団立候補するも全員落選 ↓ 1990.4.16 石垣島セミナー、この間ボツリヌス菌を東京に撒こうとするも失敗 ↓ 1990.5.28 熊本県波野村に土地を取得、住民に反対される ↓ 1990.10~11 国土法違反で青山、早川、石井久子らを逮捕 ↓ 1991.6 松本市に進出し、土地を取得する ↓ 1991.9.28 『朝まで生テレビ!』に出演(麻原彰晃、松本知子、上祐、杉浦実ら) ↓ 1991.10.9 文化放送『梶原しげるの本気でDONDON』に出演 ↓ 1991.10.31 『生でダラダラいかせて』に出演 ↓ 1991.12.30 『ビートたけしのTVタックル』に出演 ↓ 1992.4.1 オウム真理教ラジオ放送“エウアンゲリオン・テス・バシレイアス”、モスクワ放送の電波を使って世界放送開始 ↓ 1992.9 モスクワ支部や東京総本部(東京都港区青山)設立 1992.9.14 麻原、自ら乗っ取ったオカムラ鉄工社長に就任 ↓ 1992.10~11 各地の国立大学で講演し、世界が滅びると「予言」 ↓ 1992.12~93.1 麻原、早川に自動小銃製造のため、ロシアで村井らに実物を見せられるよう手配を指示 ↓ 1993.4.9 麻原、説法でハルマゲドンの際に使う武器としてサリンを挙げる ↓ 1993.6.6 男性信徒が逆さ吊り修行により死亡(逆さ吊り死亡事件) ↓ 1993.6.28 亀戸の施設から炭素菌を撒くが、悪臭を放って失敗 ↓ 1993.8 麻原と上祐によりサリンプラント建設が指示される ↓ 1993.11 土谷がサリン合成に成功 ↓ 1993.12.18 第二次池田大作名誉会長襲撃事件 この際新実がサリン中毒で重体となる ↓ 1994.1.30 元薬剤師が女性信者を助けようとするが、逆に麻原らにとらえられ、女性の息子に殺害される(落田事件) ↓ 1994.5.9 滝本弁護士サリン襲撃事件 ↓ 1994.6 省庁制導入、22省庁を開設し大臣と次官を設置、麻原は神聖法皇に ↓ 1994.6~1995.3 旧ソ連製のAK-74をモデルとした突撃銃を密造 ↓ 1994.6.27 松本サリン事件、長野県松本市でサリンを噴霧し、8人を殺害、重軽傷660人 ↓ 1994.7.10 オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件(冨田事件)発生 ↓ 1994.7.15 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件 ↓ 1994.9.20 江川紹子ホスゲン襲撃事件 ↓ 1994.12.2 駐車場経営者VX襲撃事件(水野VX事件) ↓ 1994.12.12 会社員VX殺害事件(濱口VX事件) ↓ 1995.1.4 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃(永岡VX事件) ↓ 1995.2.28 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件 ↓ 1995.3.17 麻原の口頭による尊師通達が発令(地下鉄サリン事件に関わった者のステージが昇格) ↓ 1995.3.18 麻原、村井、青山、遠藤、石川、井上による「リムジン謀議」 ↓ 1995.4.23 村井、ヤクザの男に刺殺される ↓ 1995.3.20 地下鉄サリン事件。東京の営団地下鉄(現・東京地下鉄)でサリンを撒き、12人を殺害、5510人が重軽傷 ↓ 1995.5.16 麻原を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕、都庁爆弾事件 ↓ 1995 宗教法人解散命令、国会で宗教法人法改正法が成立 ↓ 1996.6.19 教団側、麻原に代わり、長男(当時3歳)と次男(当時2歳)の二人を「教祖」に。麻原は「開祖」 ↓ 1997.1.31 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却 ↓ 1999 団体規制法と破産特別法が成立 ↓ 2000.2.1 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分(3年間)が効力発生 ↓ 2000.2.4 「宗教団体・アレフ」として再編 ↓ 2000.7.1 ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕(シガチョフ事件) ↓ 2002.1 上祐が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明 ↓ 2003.1.23 団体規制法に基づく観察処分の期間更新(2月1日から3年)決定 ↓ 2003.2 「宗教団体・アーレフ」と改称 ↓ 2008.5.20 「Aleph」(アレフ)と改称
https://w.atwiki.jp/cafe-yuggoth/pages/65.html
事件2024 この項目では喫茶ユゴスに関する事件に関する情報を記載します。 【㊗4周年】馬車馬神社おみくじ #占い 【🔮#占い喫茶ユゴス】あなたのお悩み 占います #01 【㊗4周年】馬車馬神社おみくじ #占い 【㊗4周年】馬車馬神社おみくじ #占い 1月10日は月城ムンビのデビュー記念日! 今年の運勢を私が1D100で占ってあげる♥ ※占いは当たるも八卦当たらぬも八卦です アーカイブの参加も可能です! 🎲参加方法 ①おみくじ会場(ココフォリア)にアクセスする ②名前を入力してメインタブで1d100またはCCでダイスを振る ③配信画面に映された人から結果を聞く ④スクショなど記念にどうぞ 【🔮#占い喫茶ユゴス】あなたのお悩み 占います #01 【🔮#占い喫茶ユゴス】あなたのお悩み 占います #01 タロット占いコラボ企画!占い喫茶ユゴスが始動しました 当たる刺さると評判(?)です ムンビのタロット占い関係の再生リストはこちら➡ https //www.youtube.com/playlist?list=PLc7DC4I2eNh8PcK4sHA3SoAyigSnQMYsh
https://w.atwiki.jp/r-hiragi/pages/21.html
wikipediaにも「宮崎勤事件」の項目があります。 宮崎勤事件とは、、1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女を対象とした誘拐殺人事件。 今更だが、わがサカキバラ世代は「宮崎勤事件の 被 害 者 と同世代である」という事実に気付いた。酒鬼薔薇事件の猟奇性を形成しているのは「ゲームの影響」などではなく、記憶の奥深くに焼きこまれたテレビのニュースであるかも知れない。 twitterより引用
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7509.html
イスラム国邦人人質事件(2015年1月) ブラジルのケース:前にも書いた気がするけどもう一度書いて置こう。 ブラジルで日系人が誘拐され、身代金支払って救出。その後面の割れた誘拐犯をある組織が非合法に拘束、実行犯と計画首謀者の一族郎党が殺された。4歳の幼児から75歳の老人まで14人死んだ。その後日系人への誘拐は無くなった。 — 裏側 (@Terroristbuster) 2015, 1月 21 ■ 人質事件をめぐる建前と本音 「鎌倉橋残日録(2015.1.22)」より / 2人の日本人が「イスラム国」の人質となり、2億ドルの身代金2億ドルを要求されている問題で、多くの議論が交わされている。この中で、在英保育士でライターのブレイディみかこさんのブログ「英国が身代金を払わない理由」が興味深かった。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / ただ、事はそれほど簡単ではない。キャメロン首相の決議案提出に対して国連の加盟国は全会一致で採択したものの、厳密にこの決議を守っているのは英国と米国だけだという。 <フランス、イタリア、スペイン、ドイツはこっそりテロ組織に金を流す経路を見つけて身代金を払っている> それに、英国でも家族や雇用主が身代金を払って生還した拉致被害者がいるそうだ。 <英国政府も今のところ個人や企業が身代金を払うことは目を瞑っている。……(それに、たとえ身代金支払いを犯罪にして罰したとしても)支払い能力のある家族は払うだろう> ここに、国家(共同体)と個人の分裂がある。建前と本音の分裂、矛盾と言ってもいい。 起こりうる将来の多数の国民の犠牲を抑止し、国益を守るには身代金要求には断固として応じないという姿勢は堅持さなければならない。それが国家、共同体が生き延びるための掟である。 しかし、タテマエではテロ組織の身代金要求には応ずるべきではないと主張しても、いざ自分の家族が誘拐されたら、全財産をかき集め、あらゆるルートを頼って身代金の支払いに応ずるだろう。 タテマエの陰でこっそり個人がテロ組織と人質返還交渉をするというホンネの動きがあるのはやむをえない、と思う。それが人情の自然だと思うだからだ。 (※mono.--以下略) .
https://w.atwiki.jp/authors/pages/172.html
単行本(1996年9月) 蒲生邸事件 新書(1999年1月) 蒲生邸事件 (カッパ・ノベルス) 文庫本(2000年10月) 蒲生邸事件 (文春文庫) 新書(2013年7月) 蒲生邸事件(前編) (講談社青い鳥文庫) 新書(2013年8月) 蒲生邸事件(後編) (講談社青い鳥文庫) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/6war/pages/703.html
概要 キリグアイ事件とは、ラドリザン1256年10周期に起きた食糧管理に関わる一連の事件である。 当時クァル・アヴェリの戦いに勝利し、ノスティーライナの戦いで奇襲を仕掛けたガルデス共和国軍を撃退したラグライナ帝国軍は、ガルデス共和国の首都へ向かって進軍していた。 だが、突如前線に食料が届かなくなる。 これにより、ラグライナ帝国軍は首都を攻撃することなく撤退。 このとき、遠征軍に食料を補給していたのは、キリグアイ駐屯部隊の仕事であったが、彼らはキリカ将軍から「食料部隊はクァル・アヴェリより出発させたので、キリグアイから出陣の必要なし」と、突如出陣を禁止する命令を受けた為、出陣を取りやめたと主張。 キリカはその様な命令を出していないと発言するが、その直後から「キリカがガルデス共和国から金品を受け取ったのを見た」、「キリカが内通を考えている」という噂が各地で同時に流れ始める。 遠征軍総司令官エルは、全軍を帝都に帰還させる一方で、この事件の解決をキリカ自身に任せた。 キリカと副官であるプリフライトの調査の結果、食料調達に失敗した将軍が、責任逃れの為この様な怪文書を各地に送ったことが発覚。 キリカは法にのっとってこの将を処刑した後に帝都へ帰還し、事の顛末を報告した。 結果的に個人の犯罪レベルの出来事であったが、エルはガルデス共和国が仕掛けた離間の計略である可能性もふまえて、疑いをかけられたキリカ本人に調査の責任者に任命することによって、キリカへの信用の絶大さを内外に示した。 結末と影響 この事件により帝国軍は共和国攻めを一度中断してしばらく沈黙の時間を迎えた。 既に戦力差は歴然であり、力ずくで首都を落とすのはいつでもできるが、それと平行して共和国側から降伏を申し込む事を待っていた為でもあるが、ラヴェリアという巨星を失ったガルデス共和国に対して、セルレディカ自身が「宿敵を失った」と急激に興味を失ったという側面もある。 だが、その顛末を迎えるより前にセルレディカ自身が病死するという予想外の結末を迎え、帝国内乱戦争に乗じてガルデス共和国は息を吹き返すことになる。 関連項目 キリカ
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/37850.html
登録日:2017/09/08 (金) 16 17 00 更新日:2024/07/15 Mon 09 33 28 所要時間:約 11 分で読めます ▽タグ一覧 イギリス ネタバレ項目 バスカヴィル家の犬 プロフェッサー プロフェッサー事件 ロンドン 亡霊 倫敦 全ての始まり 全てはここから始まった 墓地 大英帝国 大逆転裁判 大逆転裁判2 成歩堂龍ノ介の覺悟 捏造 教授 死神 決闘 犬 留学 脱獄 蝋人形 逆転裁判 鉄仮面 関係者のほとんどが死亡か逮捕 ※この項目は『大逆転裁判シリーズ』の“重大なネタバレ”があります。ゲーム未プレイのかたはご注意ください。 「成歩堂さま? 何をされているのですか?」 「ああ、寿沙都さん。例の《事件》について、改めて資料を調べていたんです」 《プロフェッサー事件》とは『大逆転裁判シリーズ』で描かれる、全ての始まりとなった事件である。 【概要】 『大逆転裁判2』でその存在が判明。 『2』本編の10年前に、大英帝国で発生した連続殺人事件。 貴族や王族関係者などが次々に巨大な“猟犬”にかみ殺され、倫敦中を恐怖のどん底にたたき落とした恐るべき事件である。 長期にわたり発生した事件であったが、警察は手掛かりを全くつかむ事が出来ず、犯人の正体も謎につつまれたままだった。 いつしか、謎の連続殺人鬼は《プロフェッサー》という質屋の合言葉みたいな名で呼ばれ、恐れられるようになった。 だが、事件の被害者は、貴族の中でも“腐敗”の象徴と言える下衆な人物も含まれていたため、 「むしろ、倫敦の治安は彼のおかげでよくなったのでは?」と考え、中にはプロフェッサーを支持する者も少なからずいたらしい。 プロフェッサーに殺害された被害者は計5人。 最後の5人目の犠牲者となった「クリムト・バンジークス」殺害の際に決定的な証拠品が発見され、ついにプロフェッサーは逮捕される。 だが、犯人の素性は一般には公開されず、公の場に現れるときは頭に鉄仮面をつけていたという。 その後、女王立ち合いのもと、“極秘”で裁判が行われる。被告人・プロフェッサーに下された判決は当然、極刑。 そして《バークリー刑務所》で刑が執行され、そのまま刑務所の裏にある《ロウゲート墓地》に遺体が埋葬された。 なお、この“極秘裁判”では、クリムトの弟である「バロック・バンジークス」が検事を担当したという。 【関連項目】 蘇った《プロフェッサー》 プロフェッサーが“処刑”されたその夜。 とある学生が『墓からはい出る《プロフェッサー》を見た』という目撃証言が新聞に掲載され、倫敦じゅうで騒ぎになった。 しかし、以降にプロフェッサーによる事件は発生しておらず、次第に忘れさられていった。 現在は《マダム・ローザイクの館》でこの目撃証言を再現した蝋人形が“特別展示室”で展示されており、人気を博している。 中央検事裁判所(オールドベイリー)の《死神》 通称《死神》。先述の“極秘裁判”で検事を担当したバロック・バンジークスの呼び名。 “極秘裁判”以降、彼が担当する裁判で被告人席に立った者は、例外なく死亡するようになる。たとえ無罪判決で刑をまぬがれても、その後かならず謎の死を遂げるという。 当然、警察でも捜査が行われたが、バロックには毎回必ず完全なアリバイがあったため、単なる偶然とされた。 だが、10年たってもこの怪現象は続いた。 いつしか「中央検事裁判所には死神が住んでいる」、「バンジークス卿は死神の化身」、 「死んだ兄・クリムトが死神になり、弟が裁けなかった悪人を始末している」等の不吉な噂が流れるようになった。 半面、ここ数年倫敦の犯罪発生率は格段に落ちており、「《死神》のおかげではないか」という声もすくなくない。 (‥‥一般向けの資料はここまでか。司法関係者向けの資料もあるようだけど‥‥) ネタバレだけど読んでみる まだ読まない 【真の概要】 《プロフェッサー》こと、恐るべき連続殺人鬼。 その正体は、当時留学生として日本よりおとずれていた刑事「亜双義玄真(あそうぎげんしん)」であった。 つまり、真犯人は捜査陣の中に潜んでいた。このため、発見が遅れてしまったのである。 逮捕のきっかけは、担当刑事「トバイアス・グレクソン」の強い要望により、 5人目の被害者クリムト・バンジークスを“検死解剖”した結果、その体内より“決定的な証拠”が見つかったため。 なお、この“検死解剖”を行った医師は、「ジョン・H・ワトソン」、「御琴羽悠仁」、「コートニー・サイモン」の3人である。 5人目の被害者の死因は、猟犬に食い殺されたそれまでの被害者と異なり胸部を刃物で刺されたということや、 玄真の高潔な性格から、彼が犯人であることを疑問視する声もあった。 しかし、本人は自身が全ての事件の犯人であることを全面的に認めたため、“極秘裁判”は速やかに終了した。 「外国人留学生が貴族を殺害した」という事実を公表した場合、ただでさえ緊迫していた日英関係にかなりの悪影響が考えられた。 最悪の場合、これを機に戦争になる可能性もあったという。 裁判が女王立ち合いのもと“極秘”で行われたのはこのためである。 公には、玄真は“病死”と扱われ、彼の遺品は日本の家族のもとにすべて送られた。 またこの事件を機に、当時留学生だった御琴羽悠仁、慈獄政士郎はともに日本に帰国した。 なお、前述の「蘇った《プロフェッサー》」事件については、処刑の際にコートニー・サイモン医師が彼の“死亡”をハッキリと確認しており、 玄真が生きたまま脱獄したというわけではないようだ。 「‥‥何度読んでも、陰惨な事件でございましたね‥‥」 「そうですね‥‥」 (‥‥でも。《真実》はそうではなかった。ここからは、ぼくなりに《プロフェッサー》事件の《真相》をまとめてみよう) ネタバレだけどまとめる ※ここからは、ゲーム終盤までの“重大なネタバレ”がつづきます。ゲーム未クリアのかたはご注意を! 「ここからは、関係者ごとにまとめてみよう」 (そのほうが、まとめるのがラクだし) 「‥‥成歩堂さま。『できるだけラクしたい』という本音が、カオに“出すぎ”でございます」 【真相】 クリムト・バンジークス 《プロフェッサー》の最初の殺人事件の犯人、そして2~4人目の殺人事件の実行犯。 元々正義感の強い人物であったクリムトは、自分と同じ貴族が司法の腐敗を招いていることに我慢が出来ず、飼っていた猟犬を使ってその人物を殺害してしまう。 その際に証拠を残してしまい、《黒幕》に殺人を続けるように“脅迫”される身になってしまった。 2人目以降の証拠がなかったのは、彼や黒幕が司法関係者のため、おそらく隠滅してしまったのだろう。 そして、黒幕の指示のもと、クリムトは犯行を重ねていく。 3人目の被害者である、クリムトにとっては昔の恩人であった当時の首席判事を殺害してしまい、精神が病んでいく。 4人の犠牲者を出したところで亜双義玄真に犯人であることを見抜かれてしまい、両者合意の上で決闘を行い、敗れて死亡した。 決闘の前に全ての真相を描いた《遺書》を残しており、玄真にそれを託していた。 また、身重の妻がいたようだが、殺人の罪を告白したうえで隠棲させていた。 ちなみに、途中で見ることができる彼の検死報告書には獣に噛まれた傷がないため、気づく人はここで大体の真相に気付けたりする。 亜双義玄真 先述の通り…そして作中で言われていた通り《プロフェッサー》の5人目の被害者、クリムトを殺害した犯人。 親友であったクリムトが犯人であることを見抜くも捜査許可が出なかったため、業を煮やし彼と決闘を行い、殺害してしまった。 貴族のやったことに我慢がならず、法の裁きではなく自ら手を下してしまった点はクリムトと同じだが、 いきなり殺したわけではなく、クリムトの身辺整理を待っていたり、 クリムト自身も、決闘と言う「名誉ある死」という慈悲を与えてくれるとして殺害されることを受け入れていた。(*1) また、これによってプロフェッサーによる連続殺人は永遠に封じられることにもなったため、情状酌量の余地はあるだろう。 彼の死後、《遺書》を託されていたが、それをとある場所に隠した。 彼が《プロフェッサー》事件において殺害したのはクリムトのみだが、 黒幕によって証拠を“捏造”され逮捕された挙句、クリムト殺害以外の他全ての殺人の罪も着せられてしまう。 逮捕後、「息子に生きてもう一度会いたい」という思いからクリムトの《遺書》を求める黒幕と、 『プロフェッサー事件に関する全ての罪を認める代わりに、刑務所から脱獄させる』という“取引”を行った。 脱獄の方法は『処刑を行わず“死亡”扱いにして一旦棺桶に入れ、埋葬された後で掘り出す』というもの。 しかし、埋葬後にたまたま“墓荒らし”に来ていた学生「イーノック・ドレッバー」が、よりによって亜双義の墓を掘り出してしまう。 “連続殺人鬼”が生きていることが世間に明らかになることを恐れた黒幕の指示によって、慈獄に射殺されてしまった。 (黒幕の狙いは、亜双義が隠したとされるクリムトの《遺書》だったため、最初から殺すつもりだった可能性もある) 彼の遺体はそのまま埋葬され、二度と祖国日本の土を踏むことはなかった‥‥。 ちなみに、クリムトの《遺書》については、当時徹底的に捜査されたが、発見されることはなかった。 なお、クリムトは、遺書に記せないもう一つの願いも亜双義に託していた。 しかし、死刑判決を受けてしまいそれが果たせない可能性があったため、親交のあった御琴羽悠仁に、そのクリムトの願いを託していた。 ※上記の内容は、龍ノ介たちが事件関係者の証言と証拠品、《遺書》をもとに推測したものである。 詳細な経緯は不明だが、少なくとも「玄真がクリムトを殺害した」という件に関しては獄中でも名前こそ挙げないものの、事件における殺人の事実を認めているため、真実であると考えられる。 ただし、名前を挙げなかったために証拠が出揃うまでは計5人を殺害したのだと周囲に思い込まれていた。 作中の裁判においてほぼ絶対的な証拠である「証人」が存在しない、決闘という状況に臨んで殺害が行われたため、状況が分からないので証人の捏造もできず、何とか告発するために《決定的な証拠》が捏造された。 トバイアス・グレクソン 《プロフェッサー》事件の担当刑事。 クリムト殺害の犯人は玄真であることを確信し、捜査していたが、黒幕に強要され、 玄真とバロックを襲い、玄真の指輪を奪い、証拠の“捏造”に加担してしまう。 “検死解剖”を行うように進言したのも、黒幕の強要によるもの。 事件以降も黒幕に従い続け、悪に“私刑”を与える集団:通称《死神》の一員として活動していた。 (ただし、本人は従っていたのは不本意、もしくは苦悩していたような節がある) だが、黒幕にあっけなく切り捨てられ、殺害されてしまった。 正真正銘の正義漢であったが、従った人間が悪すぎた。 ジョン・H・ワトソン 《プロフェッサー》事件でクリムトの検死解剖を行った医師。 黒幕の息のかかった人物であり、検死解剖の際にグレクソンの奪った玄真の指輪を胃から取り出したと“ウソ”の報告をした。 彼も《死神》の一員であったが、4年前に日本での大学教授就任に伴い、引退している。 そして本編開始時に、黒幕の息のかかった“暗殺者”にクチを永久に封じられた。 作中では出番が少なく人となりはわかりにくいが、御琴羽教授や学生には慕われており、 捏造に加担したとはいえ根は善良な人物であったことがうかがえる。 捏造にしても、真相を知らなければ「連続殺人を止めるために必要」と主張されれば乗ってしまってもおかしくはない。 コートニー・サイモン ジョン・H・ワトソン医師の助手であり、同時に玄真の検死を担当した女性。 「サイモン」は旧姓であり、現在の名前は「コートニー・シス」。 玄真を生かしたまま脱獄させるため、“ウソ”の報告を行った。 彼女も《死神》の一員であり、ジョン・H・ワトソンの引退後は彼の後を引き継いでいた。 黒幕からの信頼の厚い人物であったが、「玄真の検死報告が偽りのものである」ことをとある新聞記者に見抜かれ、脅迫されつづけていた。 その新聞記者を殺害することに成功するも、その殺害計画の真相を法廷で龍ノ介に暴かれ、逮捕された。 御琴羽悠仁 ジョン・H・ワトソン医師の助手。日本からの留学生で、クリムトの検死結果を記録した人物。 玄真の指輪がクリムトの胃から発見されたことに違和感を覚え、その場で異議を唱えるが、握りつぶされてしまう。 玄真が処刑される際に最後の頼みを聞き入れた。 黒幕は御琴羽教授が検死解剖に立ち会っていたことを知らなかったらしく、もしその事実を知っていたら御琴羽もまたワトソン同様口封じされていた可能性が高い。 慈獄政士郎 亜双義玄真、及びトバイアス・グレグソン殺害の実行犯。 日本からの留学生。じつは《黒幕》と精通しており、日本の外務大臣の椅子と引き換えに彼の計画に乗った。 彼は玄真を逃がすつもりだったが、黒幕にそそのかされ玄真を射殺。 以降は黒幕に逆らえなくなってしまい、ジョン・H・ワトソン並びにトバイアス・グレクソン殺害計画の片棒を背負わされてしまう。 玄真の息子・亜双義一真を暗殺の刺客に選んだものの、様々な要因が絡み、失敗。 自身でグレクソンを殺害する羽目になるも、龍ノ介たちに事件の真相を暴かれ、逮捕された。 バロック・バンジークス クリムト・バンジークスの弟。 当初は“極秘裁判”の担当ではなかったが、担当検事であったハート・ヴォルテックスに懇願し交代してもらった。 最愛の兄と、信頼していた友人を一度に失い、“日本人”に対し、深い憎悪を抱くようになる。 《死神》に関しては本当に無関係であったが、倫敦の平和のためならと、あえてその汚名を受け入れた。 そのせいで、死神の黒幕と誤解され、何度も命を狙われることもあったようだ。 最後の法廷ですべての真実が明らかにされると、日本人への憎しみは氷解し、《死神》の疑惑も払拭された。 亜双義一真 玄真の息子。 「父は“病死”した」と聞かされていたが、ある日、事件の被害者家族からの手紙を受け取り、《プロフェッサー》事件のことを知ってしまう。 父が殺人など犯すはずがないと信じ(上記の通り、実際に犯してしまっていたが)、真相を知るために、英国に渡る決意をする。 その際に、慈獄判事から“暗殺”の依頼をされていたが、初めからそんなことをするつもりはなかったようだ。 父の事件の担当検事だったことから《死神》のリーダーがバロックであることを疑っていたが、最終的には和解した。 エブリデイ・ミテルモン 玄真の処刑執行の担当だった看守長。 玄真が隠し持っていた《遺書》を発見するものの、彼の高潔な人格からそれを見逃す。 玄真の脱獄後、「責任を負う人間」が必要という理由で、脱獄計画には関わっていなかったにも関わらず“懲戒免職”の処分を下されてしまった。 そのさい、刑務所の所長室の窓から飛び降りるほどのショックを受け、本能的に“クビ”になった記憶を封印していた。 その後は、変装をして「ヒュー・ブーン(通称ゴシップ)」を名乗り、物売り(実質物乞い)をして生活していたが、 グレクソン刑事に依頼され、グレグソン刑事のアリバイ工作をするようになる。 これに当たって大金を報酬として受け取っており、彼の妻が看守長を首になったことに気付かれずに済んでいた。 事件後は殺人の協力者ということからか収監されるも、とりあえず真実を知った妻とは縁を切られずに済んでいるようである(妻のセリフは一言しかないため内心は不明だが)。 ハリー・バリケード 《バークリー刑務所》の所長。 検事局からの依頼により、玄真の脱獄を許容し、その罪をすべてミテルモンに着せた人物。 そのことを指摘されても、国家のためだからと全く悪びれておらず、ミテルモンに逆上する始末だった。 事件後、玄真が隠したクリムトの《遺書》を徹底的に探したが、見つけられずにいた。 イーノック・ドレッバー 《バークリー刑務所》のウラにある《ロウゲート墓地》に“墓荒らし”に来ていた学生。 (“墓荒らし”は違法行為であるが、資金に余裕のない学生はよく行っていた) 運の悪いことに、生きていた玄真を掘り出してしまい、「亡霊を見た」と勘違いする。警察に駆け込むも信用されず、つぎは新聞社に駆け込む。 その目撃証言が記事になり、世間に亡霊騒動が起こることになった。 だが、目撃者であるドレッバーを“実名”で報道した新聞があり、“墓荒らし”や亡霊騒動の件によりドレッバーは大学を除籍されてしまう。 科学賞のトロフィーをもらうほど才能にあふれた人物だったが、その未来は永遠に閉ざされてしまった。 結果、その優秀な技術は「才能もないのに夢想を語る科学者もどきを食い物にする」という詐欺行為に使われるようになった 実名報道した記者と殺人犯を生かしておきながら、自分の言い分を封殺した司法へ憎しみをもつようになり、 その10年後、彼に当時の新聞記者がイカサマ実験の依頼をしにきたことで、彼らへの復讐計画を実行する。 何やらやたらメカニカルだがその過程で何があったのかは不明。 マダム・ローザイク さまざまな蝋人形が展示されている《マダム・ローザイクの館》の主。マダムというが、まだ26歳の美人さん。そのしぐさに心を奪われるプレイヤーも。 ローザイク家は、かならず本物から“型”を取るのが一族の《掟》であるらしい。 亡霊騒動を再現した玄真の蝋人形も例外ではなく、なんと“処刑”直後の玄真の身体から“型”を取っていた。なお、当時16歳。 その際に、まだ“死体”が柔らかく、“死後硬直”が起こっていないことから死後間もないことを見抜いたが、 黒幕に営業を保証する代わりに口止めをされた。 真相の一端を知っていたにもかかわらず、得をして始末はされなかった、稀有な人物である。 もっとも、任務に忠実な配下であるグレグソンが殺された辺り、彼女の命もいつ狙われてもおかしくはなかったと思われる。 ハート・ヴォルテックス 《プロフェッサー》の2~4人目、さらに亜双義玄真とトバイアス・グレグソンの殺人教唆をした張本人。つまり一連の事件の黒幕。 クリムト・バンジークスが殺人犯であることを知り、彼を脅迫することで、自分に都合の悪い人物をつぎつぎに始末させていた。 クリムト死後は亜双義玄真を真犯人に仕立て上げる。(*2) しかし、真相が書かれているであろうクリムトの《遺書》を発見できなかったため、玄真を“取引”をすることになる。 玄真が脱獄の際に持っているに違いないと判断し、ドレッバーに目撃されたこともあり、彼を謀殺するも、《遺書》は発見できなかった。 この事件に味を占めたのか、法で裁けない悪に私刑を行う暗殺集団《死神》を組織し、倫敦を裏表から支配していた。 その10年後、今度は司法長官の座を前に過去が明らかになることを恐れ、《死神》の成員を始末し始めるようになる。 しかし、成歩堂龍ノ介、亜双義一真、バロックらの尽力により、すべての真相が明らかになり、その悪行が英国王室にも知れたため、失脚。 女王によりすべての権限が剥奪され、公開裁判にて正当に裁かれるただの罪人となった。 様子を見る 【余談】 ●全ての事件の始まりであり、最後の事件であるという点では、『逆転裁判』シリーズの「DL6号事件」を彷彿とさせる。 数多くの人間の運命が狂わされたのも同様である。 ●本編では「10年前」と言われているが、これは『大逆転裁判2』時点での話。『1』開始時点では「9年前」となる。 ●《プロフェッサー》の名前の由来はおそらく、ジェームズ・モリアーティ教授(Professor James Moriarty)であると思われる。 しかし、被告人も犯人も黒幕も教授というわけではないため、なぜ「プロフェッサー」と呼ばれるようになったのかは、劇中でも明らかにされていない。 ●犠牲者が犬に食い殺されるのは、バスカビル家の魔犬のオマージュだろう。 ●ミテルモンの偽名「ヒュー・ブーン」は『唇のねじれた男』から。 というか、彼が出てくる『大逆転裁判2』の第4話が、全体的に『唇のねじれた男』のオマージュ回である。 ●亡霊事件の目撃者イーノック・ドレッバーは『緋色の研究』の被害者から。そんな装備でも大丈夫ではない ●シャーロック・ホームズもこの事件に詳しいが、なぜ詳しいのかは劇中で詳しくは語られていない。 恐らくは”相棒”から聞いたり、持ち前の推理力で真相をある程度分かっていたのだろう。 「‥‥と、こんなものですかね」 「流石でございます! 成歩堂さま! でも、記事としてはまだ不完全。さあ、どんどん追記・修正してくださいませ!」 「ええ、やってみます!」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 結局なぜプロフェッサーなのか明らかになってないから、3があるならモリアーティポジのキャラが出るんじゃないかと思っている。 -- 名無しさん (2017-09-08 16 58 35) プロフェッサーといえばメグンダルが質屋で設定した合言葉も「Professor」だったのも何か意味があったのかな? -- リュウ (2017-09-08 17 50 23) 話が進み、真相が1つ1つ明らかにされるにつれて恐怖と衝撃を受けた事件。それだけに黒幕にトドメさしたシーンは痛快だったが -- 名無しさん (2017-09-08 19 25 26) ↑遊んでたら第一話の後半部がどんどんリフレインしたぜ… -- 名無しさん (2017-09-08 19 38 58) まさか、メグンダルも何か知っていたりして -- 名無しさん (2017-09-11 09 57 04) ほんとイーノックって余計なことしてくれたよな、10年後も屑だし。まあこいつがいなけりゃヴォルテックスは仕留められなかったが。 -- 名無しさん (2018-05-29 15 37 46) ローザイクさん美人なのに知りすぎてるから4、5話あたりで死ぬパターンだ勿体ないと思ったら余裕で生存したでござる -- 名無しさん (2018-10-29 10 54 51) ただワトソンやグレクソン殺すくらいだし司法長官目指すうえで邪魔になるかもしれんから死刑囚の蝋人形ごと火事として処理されていた可能性も無きにしも非ず -- 名無しさん (2018-10-29 10 58 28) 普通の事件かと思った。紛らわしいので「(逆転裁判シリーズ)」とか付けてはいかがでしょう? まぁDl6号事件とかもそういう注意書きはないですけども。 -- 名無しさん (2018-10-29 10 59 52) いらねーよ、そんなの -- 名無しさん (2022-07-18 22 32 59) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kuizu/pages/4894.html
じゅうがつじけん 自作 実行されることはなかったが結果として2ヶ月後に若槻禮次郎内閣が倒閣している、別名を「錦旗革命事件」ともいう、 1931年に日本陸軍の中堅幹部によって計画されたクーデターのことを、決行予定であった月から何という? (2016年10月2日 2016年9月のQui2投稿問題まとめ。 ) タグ:歴史 Quizwiki 索引 さ~と 大川周明
https://w.atwiki.jp/haruchhi/pages/23.html
ガストで友達に俺の飲み物にカリフラワー等入れられてやめろよ! とはるちーが言った所、店員にうるさいので出てもらえますか? と、追い出された事件
https://w.atwiki.jp/vipdetenho/pages/231.html
アナル事件 たしかこれ人肉の別IDだったような・・・ しかしアナル四段の第一人者 得意分野 赤なし 好きな役 三暗刻 スタイル 面前 段位 四段