約 810,467 件
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/1897.html
コリーニ事件 題名:コリーニ事件 原題:Der Fall Collini (2011) 作者:フェルディナント・フォン・シーラッハ Ferdinand von Schirach 訳者:酒寄進一 発行:東京創元社 2013.4.15 初版 2013.6.20 3刷 価格:\1,800 ドイツの小説を読むときに注意しておかねばならないポイントをうかつにも忘れてしまうと、作品のどこかで足元を掬われることになる。ぼくが事実そうであった。ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』のときにも感じた同じ暗闇にいきなり出くわしてしまったときの大いなる恐れもその類(たぐい)だ。 本書はイタリア系移民のコリーニという67歳の人物が、高齢の大物起業主ハンス・マイヤーを殺害し自首するというあまりにも疑惑の余地なき事件を扱う。若き国選弁護人カスパー・ライネンを主人公に真摯で厳粛な法廷ものの気品を漂わせた本書を取り巻くのは、実は一連の血なまぐさい暴力といってもよく、現実というもののダークサイドを様々なエピソードで綴りつつ、なぜコリーにはマイヤーを殺したのか? という一点に物語の行方は収斂してゆく。 コリーニはマイヤーの頭部を打ち抜くと、倒れて絶命した後のマイヤーの顔を靴で何度も何度も踏み抜き、憎悪をぶつける。あるいは、幼き頃マイヤーの息子フィリップと親友であったライネンは、フィリップと両親の悲惨な交通事故を回想する。ライネンが立ち会う検死の描写もこれまで見たことがないほど、リアルで無音で法的で管理されたものである。 それらの悲惨な暴力の描写を淡々と描く作者の本業は、刑事弁護士である。彼の作者紹介を読むと、彼の祖父のことについて言及されている。それらは巻末解説でも同様であり、それらごく近き祖先たちの世界と作者を隔てるものは何であるのかを、本書では作者が自らに問うているようにも思えてくる。作者の投影された姿であるカスパー・ライネンの真実への旅は、過酷でありながら、国家の抱えているある理不尽な法律という一点に行き着く。巻末の作者の補遺に関連法令が提示され、その問題点が明らかに提起されている 本の力を侮るべきではない、と改めて気づかされる一冊である。本書が提示してみせた法律の落とし穴をきっかけに、ドイツ連邦法務省はこの件に関する調査委員会を立ち上げた。許されざる者、裁かれざる者が、生きている時間の中で正当な鉄槌を受けることを心から望みたくなるような読後感である。 それと同時に国家の底にこのような闇が眠り、暗い人生を生き延びてきた悪魔たちが跋扈したり人生を謳歌したりしてきている真実に途方もない悔しさを感じる人が、本書をきっかけに限りなく群れを成しているのではないかと、ドイツという国家に起きた小さな渦が起こす波紋にまで心が及ぶ。日本という国にも同様の懸念がないわけでもなく、だからこそ、このような文学が謳われる時間が貴重だと思える。 ちなみに完結にしてテンポよく短い文体。そもそも『犯罪』という短編集が本屋大賞を獲得したことで知られるようになた作者シーラッハであるが、長編としても完結かつ行間に込められた間合いや気迫という意味で、とても優れた作家であるように思える。ライネンの心情描写をすることなく行動や回想によって描き切ったハードボイルドの方式による語り口も実に好感の持てる作風である。多くの読者に読まれ、本年の賞を獲得し、さらに世界的に普及されることを期待してやまない一作だ。 (2013.07.28)
https://w.atwiki.jp/kaikocyu19012001/pages/15.html
事件の経過 一応ストーリー調のものも作ったw a 江崎グリコ社長誘拐事件~セコムしてたのに 1984年(昭和59年) 3月18日 「金はいらん、勝久はおるか?」 「女中は今おるのか?」 「隣の鍵を出せ」 午後9時過ぎ 兵庫県西宮市二見町にある江崎グリコ社長・江崎勝久氏(当時42歳)の自宅敷地内にある母親宅に男 2人が侵入。3人は、1人で住んでいた母親(当時70歳)を赤いガムテープで目と口をふさぎ、頭に布をかぶせて相鍵を奪った。9時36分、2階東端の寝室でテレビを見ていた夫人(当時35歳)と長女 (当時7歳)も襲っていた。長女が悲鳴をあげると、男は「M子ちゃん(=長女)、シッ静かに」と言い、2人を粘着テープで後ろ手に縛って化粧台の奥のトイレに閉じ込めた。夫人は自力でテープをほどき、2階の電話線は切られていたので1階食堂の電話から通報した。 ↓ 午後9時38分 この時社長は自宅2階の浴室で長男(当時11歳)、二女(当時4歳)と入浴中だった。そこに白い毛糸の目出し帽の2人の男が侵入。2人は、江崎社長を拳銃と空気銃のようなもので「静かにしろ」と脅し、全裸のまま拉致、家の前にある犯人達の赤色の乗用車に押し込んた。運転席には第3の男がおり、3人は江崎社長に毛布をかけて車を急発進させた。社長宅にはセコムの防犯装置が導入されていたが、防犯装置の無い母親宅から合鍵で侵入したので、社長誘拐時には発動していたものの、警備員到着まで間に合わなかったという。 ↓ 午後11時30分 江崎邸に記者100人以上終結、捜査員に「警察説明しろ!」という状態だった。 ↓ 3月19日 午前1時15分、社長宅から30km離れた藤江弘毅・江崎グリコ取締役宅に「高槻市真上北自治会の釜風呂温泉の看板の前に電話ボックスがある。その中を見ろ」と男の声で電話があった。大阪府警機動捜査隊員がその電話ボックスを見に行くと茶色の封筒があり、中には「人質はあづかった 現金10億円 と 金塊100kg を よおい しろ」との脅迫状があった。捜査官も「10億&100kなんて運べないし、すぐ用意できない→ジョークやろ」と思ったが、すぐにグリコは10億円&金塊(時価3億)を用意したという(このため、c 寝屋川アベック襲撃事件 以降真札輸送がデフォルトに)。 午後6時23分、犯人から「茨木(実は高槻市)のレストラン『寿』で連絡を待て」という内容であったが、指定されたレストランに現れなかった。社長の安全のため報道協定を結んだが、既に第一報の誘拐自体は報じられていた。 ↓ 3月20日頃 江崎社長は車で連れ去られると頭から袋をかぶせられた。途中、高速道路の料金所で「700円です」という女性の声を聞いた。その後、茨木市宮島の安威川左岸の水防倉庫に到着し、そこに監禁された。社長が犯行の理由を問うと、犯人は「金や」と答えた。この水防倉庫には水害に備えて土嚢や縄などが積まれていたが、周囲に人家はなく、一般市民ばかりか鍵を持っている分室長すら一度も入ったことがない。事件当日夜(10時頃)にこの小屋に連れこまれた。犯人は終始社長を「勝久」と呼び捨てにし、「M子ちゃんは今、わしの知り合いの女の子供たちと人形遊びをしている」と伝えた。食事についてはパン、ビスケット、缶ジュースが与えられた。倉庫の扉は1階東側と2階の北側(2ヶ所)にあった。東側は南京錠でロックしていた。 犯人達は社長に「藤江のアホ 金子のドアホ」を朗読させて録音したあと、手錠をはずし後ろ手で両手両足を縛り、猿ぐつわをはめさせて「逃げたら殺す」と言いつつ、15時間以上姿を消した。その間社長は手のロープを自分で解いてから必死に壁をたたいたり押していたりしたら、ナットが緩み、扉だとわかり、後はナットを手で回してはずしたために脱出できたという。 ↓ 3月21日 午後2時15分すぎ、大阪府摂津市新在家の国鉄大阪貨物ターミナル駅構内の線路内で、薬物中毒者のごとくにふらついて歩く江崎社長が保線員に保護された。大正時代の黒いオーバー、濡れたズボン、右手首から荷作りり用ロープを垂らし、右頬には傷があり、裸足だった。警察に保護された社長は「見つかったら長女が殺される!」と自宅の夫人に電話で尋ねたが、実は長女は誘拐されてなかった。報道協定もここで解除となる。 府警の事情聴取に対して江崎社長は饒舌だった。ところがここで大久保武夫・グリコ会長が駆けつけてきて、「5分間だけ社長としゃべらせてくれ」と言って20分も中断。この後態度が豹変したのか、社長は何も語らなくなったために、「社長返還のために会長と犯人グループで密約を交わしたのでは?」という疑惑が生じてしまう。 b グリコ脅迫事件~犯人は「かい人21面相」 事件はこれで終わったかに見えたが、ここからが本当の始まりだった。 4月2日 江崎社長宅に6000万円を要求する脅迫状&塩酸入り目薬容器&社長の監禁時のテープが届く。西宮市熊野町の喫茶店『マミー』で日曜日(8日)の午後7時に連絡を待て。現金受け渡し場所はあらためて指示する。要求に応じなければコンチングマシン(カカオとミルクを混ぜる装置)を爆破する」との内容だった。当日、喫茶店「マミー」には防弾チョッキを着用した捜査員が張りんだが犯人は現れなかった。この日、初めて報道機関(大阪の毎日・サンケイ)と兵庫県警甲子園署に「けいさつの あ ほども え」という挑戦状が届いた。 この後も10日にグリコ本社敷地内の建物・グリコ栄養食品の放火や脅迫電話、16日には脅迫状と「えんさん きけん」なる塩酸入りポリ容器が発見された。4月12日警察庁はこの一連の事件を 「広域重要114号事件」に指定。4月23日、大阪の毎日、サンケイの新聞社に脅迫状が届く。犯人は初めて「かい人21面相」と名乗った。4月24日犯人からレストラン「ダンヒル」、名神高速SA、国鉄高槻駅前電話ボックスと指示を与えられたが、犯人は出現しなかった。(この時の電話の女性の声は10月11日にで公開) ↓ 5月10日 報道機関(毎日・サンケイ・読売・朝日)に「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」「グリコを たべて はか場え いこう」なる挑戦状が届く。この前にグリコ本社には、グリコ製品に青酸を混入するという脅迫状が届いたため、大手スーパーはグリコ製品の撤去を始め、グリコは減産となる。その頃犯人は、取引先の長岡香料へ脅迫して、「3億だせ」と裏取引を応じさせていたが、途中で警察がそれに気づいて社長を説得し、6月2日の裏取引を聞き出した。 C 寝屋川・アベック襲撃事件~犯人が現金を取りに来た① 6月2日 5月31日に届いたグリコへの裏取引の指示は「6月2日午後8時から8時半の間に、摂津市内のレストラン・大同門の駐車場に、3億円を積んだ白色のカローラを置け」だった。捜査本部はあらかじめ途中でエンストを起こすように細工したカローラに3億円を積み、午後7時57分、焼肉レストラン「大同門」駐車場に到着。周辺には約30人の捜査員が張りこんでいた。 午後8時45分頃、駐車場に不審な男が現れそのままカローラに乗りこんだが、予定通りエンストを起こしたので警察によって取り押さえられた。「現行犯逮捕や!」などと思ったのもつかの間、男は暴行された様子で「グリコ?そんなの知らん」と言った。 この男は商事会社に勤める男性(当時22歳)で、同僚の恋人女性(当時18歳)と「大同門」から約3km離れた淀川堤防に停めたトヨタ・チェイサーの中でいちゃついていたら、怪しい男に銃身らしきものを突きつけられた。男性は元自衛官だったので抵抗しようしたが一撃で仕留められてしまい、女性は人質になった。犯人のうち1人は別の車に女性を連れ去り、残る2人がチェイサーに乗って男性に指示し、「『大同門』でカローラをここ(=襲撃された堤防道路)まで持って来い。そうしたら女は返してやる」と降ろされた。つまり犯人から現金受け渡し役に仕立てられたのだ。 男性は指示された堤防道路へ向かうが、同行した大阪府警捜査一課特殊犯捜査員が手間取ったために時間に遅れた。そのためか、犯人は現れなかった。結局、女性は犯人から「京阪電鉄守口市駅で落ち合え」と言われて、運賃2000円を渡されて光善寺駅で降ろされた。このとき犯人と乗っていた車はタクシーの払い下げ車両であると判明。チェイサーは襲撃現場から500m先の神社の参道で発見。 ↓ 6月24日 突如新聞に「ともこちゃん、ありがとう。グリコは頑張ります」なる子供の手紙の広告が出現した。その2日後、犯人は「グリコ ゆるしたる」と休戦宣言をした。これを受けて江崎グリコは生産の全面再開&販売再開を決定。この流れは「裏取引じゃねぇ?」と疑われたが、グリコは否定している。 d 丸大脅迫事件~犯人が現金を取りに来た② 6月22日 高槻市緑町の丸大食品に「グリコと同じ目にあいたくなかった ら、5千万円用意しろ。警察には届けるな」という脅迫状が届く。この裏取引に応じる合図として、「26日付の毎日新聞朝刊と、27日付サンケイ新聞朝刊にパート従業員募集の広告を掲載しろ」、「28日夜、高槻市日吉台5番町の太田常務宅に現金を用意して待て」と指示した。丸大食品は犯人の指示通り、新聞広告を出す。 ↓ 6月28日 丸大食品は裏取引に応じ、午後8時、太田常務宅に犯人から「高槻の西武デパートの三井銀行南 市バスおりばの観光案内板の裏」を現金受け取 り場所に指定する電話があった。女性による録音テープだった。社員を装った特殊捜査員が案内板の裏を調べると、「国鉄高槻駅に入れ 8:19か8:35の 京都行き各停に乗れ 後ろから2列目の○印の場所へ座れ バッグ出せるように進行方向に向かって左側の窓を開けて線路を見とれ 白い旗が見えたらバッグを 外にほれ」と指示書&切符と座席図があった。8:35の車両に乗ったものの、ここで特殊捜査員は指定された車両に乗らず、先頭車両で腰を下ろして社内の様子を観察してみた。すると彼らの様子を絶えず気にしていた、極めて不審な男を目撃していた。捜査員は降雨と日没のため白い旗を確認できなかったという。 京都駅到着後、運び役の捜査員は乗り換えして高槻駅で下車するのだが、そこに不審な男も同乗し、運び役が降りるのを見届けていた。 この男は、その後京都で下車した。それを尾行するも見失ってしまう。この不審な男がキツネ目の男である。当初この事件はマスコミも知らなかったので11月になって報じられた。 e 森永脅迫事件~青酸入り菓子が店頭に 9月12日 大阪市北区西天満の森永製菓関西販売本部に「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」と青酸入りの菓子が同封されている脅迫状が届く。「現金の受け渡しは18日、守口市のレストラン『USA』で待て」とあった。同社・松崎昭雄社長は、役員との協議で1億円準備を決める。脅迫状にはグリコが犯人グループに6億円を支払ったと書かれていた。 ↓ 9月18日 午後8時半頃、森永脅迫事件で犯人から関西支社に連絡。電話は子どもの声を録音したもので、5回繰り返した。「レストランから、1号線を、南へ、 1500m行ったところにある。守口市民会館の、前の。京阪本通2丁目の、陸橋の、階段の下の、空き缶の中」捜査員が指定された陸橋の空き缶(森永乳業製品)を調べると、「京阪守口市駅の東口へ行け」というメモが入っていた。その後、守口市内の衣装箱の中に現金を入れるも犯人は姿を現さず。当初は便乗犯と見られていたが、犯人側は「自分達である」と主張した。当初、森永脅迫は知られていなかったが、「森永が変だ」と感じた毎日新聞がスクーフ°した。 ↓ 10月7日 この日からから13日にかけて、兵庫、大阪、京都、愛知のスーパーなどで「どくいり きけん たべたら しぬで」と書かれた青酸が入った森永製菓の菓子13個が発見される。10月8日犯人は報道機関に「とくべつに あじ つけたった」と犯行を報告&毒入り菓子をプレゼントし、その上「無警告で毒菓子30個店頭に置く」と脅している。 前回同様各店舗は森永製品を撤去するわけだが、阪急百貨店社長など27社宛てに森永製品撤去を求める警告状を送りつけている。これは京都・百万遍のコピーセンターでコピーしたものと判明(犯人も教えてくれたが)。そんな中、西友は前回グリコの製品を撤去しなかったために「青酸ソーダ入りの菓子50個の内半分をおいたる」と名指しで脅迫され、さらに10月16日には西友系スーパー2店に脅迫状&青酸入り菓子が同封されていたので撤去せざるを得なくなった。 ↓ 10月11日 この時点で、捜査本部は4月24日の脅迫電話で流れた女の声の録音テープと9月18日の脅迫電話で流れていた子供の声の録音テープ(と「USA」)を 公開。10月15日には、7日に毒物を混入しようとしたと思われる、いわゆるビデオの男の映像を公開する。 f ハウス食品脅迫事件~犯人丸大の時のキツネ目のあの男が現金を取りに来た③ 11月7日 ハウス食品工業総務部長宅に現金1億円を要求する脅迫状が届き、裏取引に応じようとする。「14日、京都市伏見区ファミリーレストラン『さと伏見店』で連絡を待て」を指示してきた。鈴木邦芳・大阪府警刑事部長は報道協定を報道機関各社に要請し、マスコミは2回目の報道協定を締結する。 ↓ 11月14日 大阪府警357人が現場を仕切り、京都府警126人、兵庫県警157人ら総勢924人を投入する布陣であった。警察庁からは「必ず一網打尽にしろ」ということだった。午後6時過ぎ、ハウスは犯人の指示通り現金1億円を積んだが、乗りこんだのは社員ではなく警官2名、白いワゴン車だった。東大阪市の本社を出発した車は近畿自動車道に入り、名神高速道路へ向かう。 午後6時53分 車は京都市伏見区のファミリーレストラン「さと」の北 300m地点で待機。犯人指定の午後7時20分に同店駐車場に入った。 ↓ 午後8時20分 店内で社員に扮した捜査員が犯人の指示を待っていたところ、ハウスの総務部長宅に「京都へ向かって、1号機を、2キロ、バス停城南宮の、ベンチの、腰掛けの裏」と4回繰り返す電話があった。これは公衆電話(静岡・御殿場以東、広島益田以西)からの電話で、子どもの声の録音テープである。午後8時38分、指定された城南宮バス停には「京都南インターから名神高速に入り、大津サービスエリアに向かえ」というメモを発見。 ↓ 午後8時59分 名神・大津サービスエリアの張り紙発見。この駐車場には、サングラスと帽子の出で立ちで現金運搬車を注視する不審者が、捜査員に気づいて逃げ去って姿を消していた。特殊犯捜査員は捜査本部に「職務質問をしたい」と訴えたが、一網打尽の方針のために許可されなかったため刑事達はそのまま撤収した。なんとこの不審者は丸大事件の時にっ目撃されたキツネ目の男であり、今回目撃した刑事の中には丸大事件の時も目撃したシチュー好きの刑事もいた。 ↓ 午後9時23分 滋賀県草津市の名神・草津パーキングエリアで張り紙発見。「そのまま名古屋方面に走ること、左側の棚に白い布を見たら止まって、布の中の空き缶に入れた手紙の指示に従え」。現金輸送車が到着するよりも先に、白い布が草津PAから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見された、空き缶がなかった上に犯人らしい男も姿を見せず、捜査は打ち切りになった。 ↓ 午後9時18分 人気のない滋賀県栗東町川辺の県道川辺-御園線に白いライトバンが停まっているのを、通りかかった滋賀県警のパトカーが発見した。中には野球帽をかぶった無精ひげの40歳ぐらいの男がいた。ライトバンは京都府長岡京城の里の協和電設からの盗難車だった。県警の所轄署の外勤課員は114号事件など無関係に職務質問をしようとすると、ライトバンは急発進した。パトカーは激しいカーチェイスで捕獲に失敗し見失った。この日の布陣から外れていた滋賀県警は、本部から肝心な部分が伝わっていなかったために、うかつに近づいて犯人に逃げられてしまった。なお、この件で取り逃がしてしまった外勤の刑事は責任をとってのちに辞職してしまう。 ↓ 午後9時25分 乗り捨てられたライトバンを発見。車内には警察無線滋賀一系にあわせた改造無線機があった。これは極秘中の極秘で、ライトバン発見現場は近畿管区警察局内で唯一無線が通じない地域だった。盲点だった滋賀県警との連携ミス+犯人取り逃しばかりか、警察のやり取りが筒抜けだったのだ。その後9時50分、草津市西草津1丁目の路上を自転車で走る男、午後10時過ぎに草津川堤防を自転車で走る男も取り逃がす。それぞれのウンコ野郎な運転手は「ホクロの男」「メガネの男」と呼ばれる。 犯人にとってよっぽど痛快だったのか、兵庫県警・吉野穀本部長宅、大阪府警・四万修本部長宅に挑戦状を出して痛烈に皮肉っている。そして12月7日森永製菓は6月24日のグリコの広告と同じような「たくさんの励ましをありがとう」なるおぞましい広告を出すが、実はこれは犯人に指示されたものだった。 ↓ 12月11日に県警は三人の証言を基に作成した例の不審車両の運転手の似顔絵を公開した。 g 不二家脅迫事件~何を企てていたのか? 12月7日 不二家田尻敬司労務部長宅に「現金1億円の要求+12月23日に大阪梅田の阪神百貨店屋上から2000万ばら撒き、翌年の1月5日に東京池袋のビルから2千万円を撒け」という脅迫状+テープと青酸ソーダが届く。12月10日に報道協定解除。不二家は裏取引に応じる意向だった。が捜査本部に相談して不二家は指示された池袋のビル屋上からの現金ばらまきは行なわなかった。これが報道されたのは翌年の1月11日であった。その前日にはあまりに有名なキツネ目の男の似顔絵を公開。 ↓ 1985年(昭和60年) 2月6日 またまた江崎社長宛てに脅迫状。2月12日、東京、愛知で「どくいり きけん」と書かれた、本当に青酸の入った菓子が相次いで発見される。置かれていたのは東京・中央区の明治製菓本社向かいにある天ぷら屋前、神田駅のトイレと駅周辺の寿司屋の店先、名古屋氏千種区の名古屋集中局管内のポストなど、東京8ヶ所9個、名古屋4ヶ所4個。 ↓ 2月27日 茨木市の派出所に「森永ゆるしたろ」という内容の休戦宣言が届く。 h 駿河屋脅迫事件~そして犯行終結 3月6日 今度は和歌山県の老舗和菓子会社駿河屋に5000 万円を要求する脅迫状が届く。3月8日、駿河屋に「けいさつの あほが うるそおて かなわん 8日 とりひき するの しばらく えんきや」となぜか延期を通告。その後、犯人側から駿河屋に対する連絡はなかった。不二家以降、犯人グループの活動は段々だんだん尻つぼみになり、4月に入ってからは沈黙している。しかし、前年11月14日の失態が響いたのか、8月7日滋賀県警本部長・山本昌二氏が辞任直後に公舎の庭で焼身自殺をする。 ↓ 8月12日 報道機関に最後の挑戦状「くいもんの かいしゃ いびるの もお やめや(中略)たたきあげの 山もと 男らしうに 死によった さかいに」という犯行終結宣言だった。この日ハウスの浦上郁夫社長は、前社長の墓前に一連の事件の終結を報告しようとJAL123号便に搭乗していた。 この後犯人は誰も捕まらず、94年から00年までに全て時効になった。
https://w.atwiki.jp/biouc/pages/24.html
黄道特急事件 黄道特急事件のボスに関してはこちらを参照。 黄道特急事件黄道特急事件CP1 黄道特急事件CP2 黄道特急事件CP3 発端CP1 発端CP2 黄道特急事件CP1 ファイル 1.「アンブレラ創設に関して」 2.の後の食堂車。サブマシンガンが置いてあるテーブルの後ろの椅子を破壊 2.「移送指示書」 ビリーの「階段を上がるぞ!」の後、階段の上でハゲゾンビが立ってる場面で、視点を上に移すと見える2つの照明の奥側を破壊 3.「レベッカ・チェンバース」 ルート分岐で「進む」を選択した先、ケルベロスが出る通路突き当たりの照明を破壊 4.「ビリー・コーエン」 チェックポイント後、通路に出てショットガンあるところの左側にある机(台?)を破壊 (シャンデリアを破壊すればシャンデリアが落下して壊れる) 5.「黄道特急」 4.の後の階段を下りた車両。先頭車両へのドア(出口)の上の照明を破壊 6.「ラクーンフォレスト」 ハサミ回避イベント後、後ろに戻ってゾンビを倒した後入る小部屋。ハーブの左上に見える上段の本棚を破壊 部屋付近で手榴弾を投げておくと、部屋に入ったとき出現している(滞在時間が短く見つけ辛いので、この方法を推奨) 7.「スティンガー」 5.の次の車両。ヒルの群れの中を駆け抜けた後、ハーブの反対側(左側)にある茶色の箱を破壊 8.「ヒル」 ボス車両右側の椅子。ボスが勝手に壊すのでほっとけば出る。 救急スプレー 列車の屋根に上ったら右にある。 隠し武器 ショットガン ボスの右のテーブル(ボスが勝手に壊すのでほっとけば出る) サブマシンガン チェックポイントのある部屋のドアを破壊(破壊可能な時間が短いので注意) ボスの左の椅子(ボスが勝手に壊すのでほっとけば出る) 選択武器 4.の後、階段で1階へ下りる途中左にある照明(その後振り返って、後方車両からゾンビ×2が入ってくる時左に見える照明) 攻略TIPS 簡単で比較的早くクリアできるので、序盤の★集め、弾集めはここで。 サブマシンガンとショットガンを鍛えておくと洋館までは楽になる。 洋館クリア後はサブマシンガンHP、アサルトショットガンがメインになるので、 ★集め、弾集めは転生CP1で行う方が効率が良い。 黄道特急事件CP2 ファイル 1.「ビリーの過去について」 下水道のT字路左の照明破壊(左に進んで振り返ってからでも取れる。手前の照明) 2.「ジェームス・マーカス」 ハシゴを上って目の前の壷の左上の燭台を破壊 3.「擬態マーカス」 大広間2階中央の扉の右の像を破壊(2階に上がる前までに破壊しておくのが良い) 像 扉 像←ココ 像 階段 画 階段 4.「エリミネーター」 大広間から移動した集会所右奥のハーブが置いてある台を破壊 5.「バット」 チェックポイント直後のL字廊下、突き当たり奥の2つの胸像の左側(最初の擬態マーカスが現れる奥の突き当たり) 6.「インフェクティッドバット」 5.の廊下から入った部屋。リフトの前で会話してる場面で画面下の茶色の台を破壊。 救急スプレー チェックポイント後のリフトで上がった部屋。擬態マーカスの右の壁にある工具類を破壊。 隠し武器 ショットガン 4.のファイルがある台の右下にある植木鉢 5.の廊下で左にある扉を破壊(振り向いてヒル相手に後ずさってる間に壊せなくなるのでそれまでに壊す) サブマシンガン チェックポイント後のリフトで上がった部屋。照明がある机の右の(下からヒルが湧いてくる)棚の中段の箱 選択武器 6.の部屋のリフト上で猿と戦う場面で正面奥の椅子 黄道特急事件CP3 ファイル 1.「女王ヒル」 女王ヒル第一形態撃破後、地上へのエレベータの操作盤を操作する画面で正面やや右に見える荷物 2.「バイオハザード0 ダイジェスト1」 始まってすぐの階段を上ったら見える、ロープウェイ先端のライト 3.「バイオハザード0 ダイジェスト2」 ターンテーブルで降りた先、ハーブが左下に置いてある場面の画面中央上のライト 救急スプレー 開始直後振り向いたら正面にある。 隠し武器 手榴弾 開始直後振り向いたとき下にある2つのコーンの右側 ショットガン 3.の場面。右側のドアの上にある照明 1.の場面。棚中段にある箱 グレネードランチャーAT ターンテーブルの左側の二連ライト(選択武器が近くに置いてある方) 発端CP1 ファイル 1.「ヒルの育成記録」 停止しているロープウェイ車両の扉から見て左のほうにおいてあるコーン 2.「ウィリアム・バーキン」 チェックポイントの直前、電源回復する機械の右側の機械(の右下)を破壊 3.「養成所再利用計画」 エレベーター降りた直後、Pタイラント直前、ターンテーブルのスイッチの左側の上の方にあるライト(左から数えて2つ目)を破壊 救急スプレー 開始直後正面奥にある。 攻略TIPS 開始後すぐロープウェイから戻ってきたとき、天井に張り付いてる蜘蛛は無敵なので相手せず、落ちてきてから攻撃する。 発端CP2 ファイル 1.「幹部候補社員心得」 天文台への橋で猿が襲ってくる画面で右側の一番手前の消灯した照明を破壊 (天文台に向かって一番左側奥の消灯した照明) 2.「マーカスの日誌1」 噴水のあるテラスで画面前をこうもりが横切っていく扉の上の照明を破壊 3.「ゾンビ」 イワン戦前の水路、左を見て2つあるうちの奥の照明を破壊 救急スプレー 開始直後左に曲がった正面奥にある。 隠し武器 手榴弾 リフトで下りた直後、正面奥の机の上の(点いてない)照明 サブマシンガン 2.の次のリフトがある部屋。壁に掛かってる工具類(黄道Cp2で救急スプレーがあったところ) チェックポイント直後のドアを破壊 ロケットランチャー サルが大量に襲ってくるホールで蜘蛛がいるプールみたいなとこの照明 リフトで下りた後、左を向いたとき正面にある台(黄道Cp2で6.のファイルがあったところ) 選択武器 集会所(クリムゾンが多数出現する部屋)から出た直後、正面の石像 ハードSランクのために このチャプターは敵撃破数でつまずきやすい。じっくり相手をできない(すぐ消える)敵を見極め、 手榴弾やロケットランチャーを使って効率よく倒していこう。
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/542.html
中山艦事件(ちゅうざんかんじけん)は、1926年3月20日中華民国の広州で軍艦中山艦の回航をきっかけに、黄埔軍官学校長蒋介石が中国共産党員らの弾圧を開始した事件。「三二〇事件」「広州事変」とも。この事件をきっかけに中国国民党内での蒋介石の地位が急速に上昇し、また翌年4月の上海クーデターで第一次国共合作が破綻へ向かう端緒となったが、事件の中核の経緯は未だにはっきりしていない。 事件の背景 1924年中国国民党は第一次全国代表大会で「連ソ」「容共」「扶助工農」の方針を明示。ソ連のコミンテルンの指示を受けた中国共産党もこれに応じ、共産党員が国民党に入党するという形式で両党の間に国共合作が行われることになった。それよりやや以前から国民党総理孫文(孫中山)はソ連式の軍人教育にならって将校を育成する機関の必要性を感じ、蒋介石をソ連へ派遣していたが、これを機に広東省広州の長洲島にある黄埔に軍官学校(士官学校)を建設することを決定した。国共合作の実を挙げるため、同校の校長には蒋介石が就任する一方で、政治部主任などの要職に国民党幹部の廖仲愷・戴季陶や共産党幹部の葉剣英・周恩来などが就き、さらにソ連からの軍事顧問団が教官となるなど、呉越同舟の組織となり、三民主義とマルクス主義が同時に教えられた。しかし、国民党主催の学校であるにも関わらず、共産党やソ連軍事顧問団が擡頭してきたことに校長の蒋介石は危機感を募らせていた。 また、1925年孫文の死にともない、国民党首脳部は混迷を極める。党内左派の領袖廖仲愷が暗殺され、その暗殺の首謀者と目された右派の胡漢民は国外へ逃亡。常務委員会主席・軍事委員会主席で人望のあった汪精衛(汪兆銘)も指導力を発揮できず、国民党の悲願である北伐(全国統一)を開始できない状況にあった。発言力の大きかったソ連軍事顧問団のキサンガらも北伐は時期尚早であると反対しており、北伐推進派の蒋介石はこの状況の中で主導権を握る機会を狙っていた。 中山艦の回航と弾圧開始 1926年3月18日、国民党海軍局所轄の軍艦「中山」が突如として広州の黄埔軍官学校の沖合に現れた。蒋介石はこれを中国共産党員による蒋介石拉致のための策謀と断じ、3月20日艦長の李之竜(共産党員)をはじめ共産党・ソ連軍事顧問団関係者を次々に逮捕、広州の共産党機関を捜索し労働者糾察隊の武器を没収し、広州全市に戒厳令を発するという挙に出る。 蒋介石の主張によれば、この中山艦の行動は、汪精衛とソ連軍事顧問らが共謀して蒋介石を拉致し、ウラジヴォストークへ強制連行しようと謀議し、共産党員が実行に移したものであるという。しかし、果たして本当にそのような計画が存在していたかは定かではない。この事件をきっかけに蒋介石の党内の地位は急速に上昇していくことになった。 事件の影響 それまで蒋介石は国民党軍の総監という比較的低い地位に留まっていたが、事件後には国民党軍事委員会主席に就任し、党内の実権を握っていった。汪精衛は蒋介石の傀儡となることを拒み自発的に辞任して、妻を伴いフランスへ逃れた。国民党の主導権を確立した蒋介石は以前から危機感を持っていた共産党員の擡頭に対処するため、軍事委員会に「整理党務案」を通過させ、共産党員を国民党の訓令に絶対服従させるとともに、国民党の要職から共産党員を排除していく。共産党員は当然これに反撥したが、スターリンの意向を受けたソ連軍事顧問団はこれを抑制。むしろ蒋介石と対立していたキサンガらを召還するなど、蒋介石に妥協している。こうしてかろうじて国共合作は引き続けられた。 邪魔者を排斥した蒋介石は国民革命軍総司令に就任し、同年7月1日念願の「北伐宣言」を発表して北伐戦争を開始した。北伐戦争は順調に進み各地軍閥を圧倒、翌1927年には武漢・南京・上海などを占領する。しかし、蒋介石の独善的な指導に党内にも反蒋的な空気が横溢し、解放された武漢や上海では共産党員・国民党員らが蒋介石から独立した動きを見せるようになり、南昌に本拠を移した蒋介石に対抗した。こうしたなかの4月12日蒋介石の指揮により上海で大規模な共産党員弾圧(上海クーデター)が開始され、第一次国共合作は完全に崩壊するに至った。 関連項目 蒋介石 汪兆銘 中国国民党 国共合作 黄埔軍官学校 北伐 上海クーデター 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月7日 (日) 14 47。
https://w.atwiki.jp/pspt/pages/66.html
素粒子研事件 夏合宿が素粒子研と日程が重なった事件。PSは毎年恒例行事として、理工学部の施設、八海山セミナーに行きプログラム作成を行う。この年(2006年)の夏合宿では、日程が素粒子研の日程と全く持って重なってしまった偶然に、当時の部員に衝撃が走った。3泊4日という宿泊日数まで同じであったことから、PSの事件史として名を残した。
https://w.atwiki.jp/sitsu1/pages/187.html
レスポンスの略。
https://w.atwiki.jp/wiki2_hs/pages/9.html
Wikiは全員で使えるHPです(改良、書き換え可能なみんなで管理するHPです) 何かWikiわからない事があればレスお願いします。 正直、初めてWiki使うので使い方はみんなと同じく理解できてないほうが多いです。それでも、全員で必要な事を作っていけば、一番GHPらしいHPになるのでは?と思っています。みんなでわからない事でも協力して良いGHPにしましょう。 -- dai (2005-07-03 06 46 59) 名前 コメント 今後のWikiに追加するべきもので必要だと思う順に投票して下さい。 選択肢 投票 GMS (2) Ro-ua (0) chat (0) 前のBBS (0) その他 (0) その他を選んだ人は具体的なレスをお願いします。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/perusuma/pages/36.html
➔名前(ナマエ) 三千歳市市長。 数年前まで雛田町の町長だったがある日突然合併案を持ちだしあれよあれよと言う間に新しい市の市長におさまった。 どうやらペーティメンバーの学校の担任の遠縁の親戚筋らしく数度学校内でも見かける事になる。 事件に対し問題意識を持ち、励ましの言葉をくれる優しい人物。 ➔七瀬 綾鷹(ナナセ アヤタカ) アルカナ:死神 物語中盤で関わってくる謎の大学生二人組の片方。 ペルソナについても何故か詳しく、事件の異常性も軽く受け入れている。 行動派で口数が少ない。妹が居るよう。花田とは腐れ縁らしい。 隣の中津市に住んでいる。 ➔花田 篠史(ハナダ ササフミ) アルカナ:女帝 物語中盤で関わってくる謎の大学生二人組の片方。 事件の発生をどう察知したのかは不明だがパーティメンバーに助言めいた事をしてくる。 理論派で口数が多く試すような言動も多い。七瀬とは腐れ縁らしい。 隣の中津市に住んでいる。
https://w.atwiki.jp/pokeguide2/pages/635.html
保護中 名前:一・四管理人大粛清事件 時期:2016年1月4日 関連人物:管理人 「一・四管理人大粛清事件」とは?事件のきっかけ 「一・四管理人大粛清事件」に関するリンク 「一・四管理人大粛清事件」に関する情報/コメント 「一・四管理人大粛清事件」とは? ポケガイ及びガイド系列サイト管理人の手によって突如多くのスレが一斉削除されてしまった事件のことを指す。 その数はなんと約10,000件にも上り、過去に例を見ない程莫大な量のスレが一瞬にして葬り去られた。 また、普段から管理体制が確立しておらず無法地帯と化していたポケガイでは大変珍しいアク禁制度が何の予告も無く実装され、幾多の住民がBANされてしまった歴史的事件でもある。 1月9日現在、「管理人」等といったワードをスレタイやレスに入力して投稿すると、即座にスレやレスが削除され、最悪の場合アク禁の対象になる恐れがあるのでくれぐれも注意して頂きたい。 + 削除対象となったワード一覧 削除対象となったワード一覧 「エリナ」 「エリナ」というワードを含む半値で立てたスレ、投稿したレス、スレタイに「エリナ」を含むスレが削除された。 現在エリナ本人は半値を変えて活動している。 「管理人」 「管理人」というワードを含む半値で立てたスレ、投稿したレス、スレタイに「管理人」を含むスレが削除された。 現在、スレタイにこのワードを入れるだけで立てたスレが即削除される模様なので注意して下さい。 「○○」(個人名に就き伏字) 「○○」というワードを含む半値で立てたスレ、投稿したレス、スレタイに「○○」を含むスレが削除された。 誰の名前なのかはお察し。また、このワードも同様に現在も監視が続けられているため、半値やスレタイは勿論、ひっそりとレスするだけでも削除されるので注意。 全く関連の無い同姓の著名人の話題であっても消されます。 下の名前を入力するなど以ての外です。 「帝国軍 幹部」 「帝国軍 幹部」というワードを含む半値で立てたスレ、投稿したレス、スレタイに「帝国軍 幹部」を含むスレが削除された。 「ちょくえ」 「ちょくえ」というワードを含む半値で立てたスレ、投稿したレス、スレタイに「ちょくえ」を含むスレが削除された。 なお、今回の事件より以前にも該当ワードが削除されてたのを受け、「ちょ/くえ」という具合に削除対策をしていたスレも容赦なく抹消された。 連投によって乱立されたスレやレス全て 連投ツールの普及に伴い悪質な利用者が増加していたが今回の事件で綺麗さっぱり消滅した。 また、連投に対する削除処理は今回の事件以前にも数ヶ月に一度のペースで行われていた。 人工無脳ムノウとおはなしするスレ。 月ヶ瀬氏が立てた人工無脳スレ。人工無脳とは、会話相手となる人が打ち込んだ言葉を絶えず記憶し、それらの言葉を使ってあたかも人間と会話しているかの様に振る舞うプログラムのことを指す。 ポケガイでは、氏がポケガイで利用出来るよう設定し「ムノウ」と名付けられた人工無脳を誕生させ、その大胆な会話の返し方が売りとなり、「ムノウちゃん」「ムノっち」等という愛称で呼ばれる程多くの住民が虜となった。 約4日間でスレが2件埋まるといった、過疎地と化した現在のポケガイでは考えられない程人気を博していたが、今回の事件によりスレが幾度も削除され、終いには氏がアク禁対象になるなど想定外の事態となった。 主な削除要因として挙げられるのは、管理人によるガバガバ管理体制によって「ムノウ」が連投ツールであると認識され「ムノウ」の稼働をストップさせたか、或いは「ムノウ」の記憶した言葉の中に、削除ワードである上述の本名が含まれていたため削除されたかのどちらかと思われる。 事件のきっかけ 事の発端は森ガイに居住するDomination◆8kepHCrmPo(◆4ykkHAZltw)と名乗る人物と他数名による悪質な連投行為から始まった。 前者は「森ガイ過疎化解消」のスローガンを掲げ「森ガイ治安維持社」「森ガイ総合革新社」などといったスレを立ち上げていたが、その内容は、ポケガイを侵攻して森ガイの士気を高めるなどといった意味不明な発言をしており本質的な過疎化解消には繋がっていないような言動を行っていた。 その後、Dominationを恐れた一部の過激なアンチが何を思ったのか批判的な言動や活動を開始した。それを見たDominationなどは過激なアンチのスレを連投ツールを利用し攻撃を行った。 そんな数の暴力に耐えきれなかった過激なアンチは森ガイやSNSを通して遂に管理人に通報。通報から約2~3日経った後ようやく該当者のスレやレスが抹消された。 本来は此処で終わるべきだったのだが、管理人が今回の連投と全く関連の無いスレやレスを突如削除し始めた。ただのハンター◆Komg0taTL.等がその被害に遭った。 更に管理人はサイトを超えてポケガイにも突入。連投は勿論、上述の削除対象となったスレが一斉削除されポケガイ中が一時パニック状態に陥った。 それを見かねた一部のポケガイ住民が、どのワードを入力すれば削除されるのか思惑し削除テスト等を試みた。 するとスレはみるみる削除されていき、禁止ワードならぬ削除ワードが誕生した。 また、ある程度削除テストを続けていたところ、ポケガイでは殆どお目にかかることのないアク禁の対象となってしまう者も続出した。 これにより元々過疎地だったポケガイが更に過疎化に拍車が掛かってしまった。 余談だが、削除祭りが起きた3日後、約8ヶ月振りに管理人のTwitterが稼働したものの、これだけの事件が起きたにも関わらずそのツイートの内容は今回の事件とは全く関連性のないものであった。 己の狩りを、見つけ出せ 「一・四管理人大粛清事件」に関するリンク 取得中です。 「一・四管理人大粛清事件」に関する情報/コメント 森ガイでの被害者は怨霊(頂点ああ)とすぱーく -- ああ (2016-01-10 08 22 20) すぱーくが偽管理人を装ってマークされ、スレ消去を度々やられてた それに関連する怨霊もマークされて -- 名無しさん (2016-01-10 08 24 32) 過去スレ消去されたらしい 後は梨花ちゃまとか言う奴もだな -- ああ (2016-01-10 08 25 30) 「○○」の説明文の「同性」は「同姓」の誤りかと -- ああ (2016-01-10 16 18 53) 指摘ありちょくえ -- 名無しさん (2016-01-10 20 36 46) ただハンエリナはアク禁やスレ削除されてもしかたない -- 名無しさん (2016-01-10 19 39 38) 僕はまだwikiに乗らないのね -- 【死神】雷龍 (2016-05-24 16 39 36) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/onthecorner/pages/366.html
【1972/08/16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】 ------------------------------------------------------------------------- 上毛新聞 昭和47年(1972)8月17日(木) 1面工事現場に女性の死体 乱暴され殺さる 全身に数ヵ所の傷 他で殺し運ぶ? 霧積ダム 十六日午後五時ごろ、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の 小屋の中で、伊勢崎市昭和町、店員××××さん(二四)の 死体が発見されたと父親の同所、撚糸業××○○さん(五五)から 松井田署に届け出があった。 同署では現場に急行して調べたところ、××さんの死体は 工事現場付近の物置き小屋の中で頭を南にあお向けに倒れ、 着衣はノースリーブのブラウスに白スカートをつけ、スカートが まくれているなど着衣の乱れがあるほか、死体の右腕に長さ 五センチ、幅三センチの切り傷があり、他にも左胸、首などに 多数の外傷が発見され、同署では殺人事件として本格的な捜査に 乗り出した。 捜索の父親が発見 ××さんが死体で見つかった場所は国道十八号線、碓氷峠 カーブ3から霧積温泉方向に霧積川に沿って約七キロ入った地点、 林道から一段下がった数年前に堰堤(えんてい)工事に使った 作業小屋だった。 小屋は板張りで八畳と六畳の二間あり、××さんは八畳の間の 真ん中であお向けになって死んでいた。 死体は首の右と左腕、右手の三ヵ所に鋭利な刃物で刺したと みられる傷があり、濃い紺のワンピース、白の運動ぐつをはいていた。 小屋の東側には出入り口があるが、西側の窓がこわされていた。 死体の傷に出血が少ないので、他の場所で殺されて乱暴されたあと 車で運び込まれたらしい。小屋に入る道路上に乗用車のタイヤ跡が 残っていた。 小屋の中には××さんが持っていたカメラ、ハンドバッグなどは なかった。 同署の調べによると、××さんは十二日に東京都小金井市緑町にいる 実弟の銀行員△△さん(二二?)ら二人と同温泉に宿泊する予定だったが、 △△さんらの到着が遅れて一人で泊まった。翌十三日午前十時ごろ、 一人で旅館を出た。旅館の人が自動車で送るといったが、 「歩いて帰る」と松井田方面に向かい、消息を絶った。 ××さんを発見した父親の○○さん(五五)は××さんの安否を 気づかって近所の人十人と”私設捜索隊”を組み、同温泉へ向かう途中、 十六日午後四時半ごろハエがむらがっている小屋を見つけ、 不審に思って中へ入ったところ、××さんが死んでいたという。 ××さんの自宅では、帰宅予定の十四日になっても××さんが 帰らないため、家族が心配して姉の□□さん(二八)が同温泉に探しに行き、 さらに十六日になって○○さんが伊勢崎署に家出人捜索願いを出した。 ××さんは無口で友人関係などあまりないが、きちょう面なので これまで遅刻や無断欠勤はなく、職場では信頼されていた。 また、旅行ずきで、休みにはよく温泉などに出かけていた。 霧積川には四十五年秋から多目的の霧積ダムを建設しており、 約百人の作業員が働いているが、十二日から盆休みで工事現場には いなかった。 同署は霧積温泉に現在泊まっている客八十人に話をきく一方、 すでに旅館を出た人や車ではいった人を調べているが、犯人像については 全く見当がついていない。現場は指紋採取のむずかしいところで、 捜査は難航している。 ------------------------------------------------------------------------- 上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 1面 霧積山女性殺人事件 変質者の犯行? 現場に地下タビ跡 残忍、二十数ヵ所に刺し傷 碓氷郡松井田町坂本の霧積川沿いの作業員小屋で惨殺された 伊勢崎市昭和町、ガソリン店員××××さん(二四)の殺人事件を 捜査している県警捜査一課、同鑑識課、松井田、伊勢崎の両署は十七日、 ××さんが殺されていた小屋付近の現場検証を中心に、十二日夜に 宿泊した霧積温泉の旅館など××さんの行動を調べ、犯人との”接点”の 発見に努めた。しかし、同日の調べでは小屋に犯人のものとみられる 地下タビによる足跡と犯行時に使用したとみられる軍手で血を つけたような手の跡が見つかっただけで、××さんの下腹部にも 刺しキズがあり猟奇的な事件から変質者の犯行とみて捜査は その線にしぼって進められている。 なお、十七日夜、松井田署に 温井守夫 松井田署長を本部長とする 「霧積山女性殺人事件捜査本部」を設置した。 同日は捜査員約百人が動員され、松井田町内と××さんの実家のある 伊勢崎市内で捜査を行なった。××さんが十六日夕方、変わりはてた姿で 発見された小屋付近で鑑識課員らが検証したが、死体のあった南側の 八畳間の西の端に、××さんが持っていた手編みの白色帽子、カメラ、 紺色の布バッグ、旅行ブック、下着類など四十三品がブリキ板で 隠されていた。 また、入り口のある奥の六畳間には××さんの死体を引きずった らしい血跡が約二メートルにわたってついており、室内と小屋の外には 地下タビの足跡と血のついた軍手による跡が数ヵ所残されていた。 このほか、同日の調べで、××さんは十二日夜、霧積温泉の 金湯館=※※※※さん(六九)経営=の二十八号室に一人で泊まり、 翌十三日朝、朝食のあと午前十時ごろ、同旅館の嫁の◎◎さん(二七)が 「マイクロバスに乗っていったらー」と呼びかけに対し、 「歩いて行きます」と答えて出発している。その後、午後二時ごろ、 旅館から約五キロ下った地点でブラブラ歩いている××さんを同じ旅館に 親子三人で泊まり午後帰った安中市内の人が出会い、車に乗っていくよう 声を掛けたが、××さんはここでも断っている。 これらの足取りから、捜査陣は群大での××さんの解剖の結果と 考え合わせるとこの直後に××さんは犯人と会ったものらしいと みており、さらに一・五キロ下った小屋になんらかの方法で 連れ込まれたものとみられる。 犯人については、殺害の手口から地下タビをはいて刃渡り十センチ、 刃幅二・五センチの鋭利な刃物を持った男一人の単独犯行とみており、 捜査本部は十二日から十三日にかけて金湯館と同じく※※さんが経営する 霧積館に宿泊した客約二百人と、死体が発見された小屋の下流で建設中の 霧積ダムの工事関係者の身元を調べた。 その結果、宿泊客の大半は家族連れで、若い人たちのグループもいたが、 ハイキングで鼻曲山-軽井沢のコースを歩いている。また、工事関係者は 盆休みで十二日夜に富山県出身者がマイクロバス一台で、青森県出身者が 大型バス一台で帰郷、十三日には作業員たちの食事の世話をしている ●●さん(五九)、〒〒さん(五四)の夫婦たち九人が宿舎にいただけだった。 そのうえ、小屋に残されていた地下タビの足跡はダム工事現場で 作業員たちが使っているもの以外の製品であることから、 今までの調べではダム関係者には犯人はいないものとみている。 捜査本部では、今日十八日は機動隊員も出動させて霧積川や 山道沿線で××さんを殺害した凶器の発見や、さらに××さんを 目撃した人たちから詳しく話を聞くことにしている。 胸の傷が致命傷 ××さん解剖 殺害された××さんの遺体は十七日午前十時から約二時間にわたって 群大法医学部教室で古川研同大医学部助教授の執刀で解剖された。 死因は左胸の心臓に達する深さ八センチ、長さ五センチの傷が 直接の原因とみられ、出血多量で死んだ。 死亡推定時間は十三日昼から夕方にかけてとみられており、 同日午前十時ごろ、霧積温泉の旅館を出てまもなく殺されたらしい。 心臓の傷はアバラ骨三本を切るすさまじいもので、このほか下腹部など 全身にわたって二十数ヵ所の刺し傷や切り傷があり、鋭い刃物で メッタ切りされていた。 (1面下のコラムもこの事件について述べていますが略) ------------------------------------------------------------------------- 上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 9面霧積山女性殺人事件 猟奇殺人に発展 計画的? 手袋使う 血まみれを引きずる 床板を真っ赤に染めたおびただしい血痕、犯人は残酷にも血の吹き 出している死体を六、七メートルほど引きずり回していた-。 伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員××さん(二四)が、霧積温泉近くの 造林小屋で殺されていた事件を捜査中の松井田署と県警捜査一課では、 十七日早朝から、現場検証を行なう一方、ダム工事関係者、温泉宿泊者など からの聞き込み、被害者の身辺捜査など本格的な捜査に乗り出した。 しかし現在のところ、犯人割り出しの有力なキメ手はもちろん、 上半身に二十四ヵ所の刺し傷、切り傷がある文字通りの惨殺振りから 怨恨、痴情、流しいずれの犯行とも決めがたく、事件のナゾはますます 深まる気配さえ見せている。そこで××さんの足取り、目撃者の証言、 殺害状況などから事件のナゾを解明してみた… ××さんの行動 これまでの捜査から判明している××さんの足取りは、十二日 午前十時ごろ、霧積温泉に一-二泊の予定で父親の○○さんに 伊勢崎駅まで送られた-という事実を出発点に、単身行動ではあったが ××さんと接した人たちの証言から確実な日時を断定する”点”は いくつか出ている。 十二日午後零時四十分ごろ、××さんは、松井田町にある霧積温泉の 出張所になっている▲▲さん宅を訪れた。一般の温泉客は横川駅から 旅館のマイクロバスを利用するのに、なぜ××さんは駅から約三キロもある ▲▲さん宅を訪れたか(しかも徒歩と思われる)。 ここで××さんは▲▲さんとこんな会話をしている。 「ここから霧積温泉までどのくらいかかりますか」 「三-四時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」 このため××さんはちかくの雑貨店でマップシューズを買った。しかし、 ▲▲さんに説得されてマイクロを待つことにして、あがって一時間以上も 話し込んだ。 「どこからきたの」「伊勢崎です」「おばさんはわたしの学校時代の 担任の先生に似ている」 ××さんは今月初めに出張所に電話で予約をしているのに、このことは 一言も触れず、名前もいわなかったという。さらに疑問なことは、 家族の話では××さんは同温泉にはこれまで二回行ったことがあるのに 初めての客のように装っていることだ。 同夜温泉の金湯館に一泊した××さんがここを出発したのは 翌十三日の午前十時ごろと見られている。(未確認)。そしてマイクロに 同乗することを断って歩いて帰路についたという。 午後二時前後、安中市内に住む親子三人づれのAさん一家が車で帰る途中、 死体発見現場から約一・五キロ手前を一人で歩いている××さんを認めて、 車に同乗するよう誘ったが、これも断った。事件発生当日とみられる 十三日に××さんを目撃したのはAさん一家だけで、いまのところ この”点”を”線”に結びつけるものは何ひとつ出ていない。 犯人像は… 心臓部をえぐりロッ骨三本を切断した傷、長さ七センチに及ぶ 右頸部の切創、左手首を貫通した刺し傷-背中、臀部も含めて 上半身二十四ヵ所の生々しい傷口は殺人事件の中でもあまり 類をみない残酷さ。現場検証の結果から、犯人は北側の部屋で ××さんを殺害したもので、犯行現場と死体発見現場同一説が 強まっている。 犯人は何の目的か、血の吹き出ている××さんを約六、七メートルも 引きずって南側の部屋に移したようだ。このため、この間は血のりが ベットリと本床にしみ込み、部屋の仕切り部分の腰板には、××さんを いったん置いたのか多量の血痕が付着している。 さらに痛々しいのは、××さんが犯人の”魔手”から逃れようとしたために 刃物を握ったと見られる左手の”防御創”-これらのことを総合して 殺害時の状況を推理してみると、犯人はおそらく逃げまどう××さんを メッタ切り、あたりかまわず突き刺し、最後のトドメで心臓部を えぐったというまさに”狂気の殺人”といえるようだ。 これまでの捜査から犯人を特定するポイントとしてあがっているのは、 死体発見現場の造林小屋から採取できた犯人のものと思われる 「地下タビに似た足跡」数個と「血のついた手袋の痕跡」数個が 発見されたこと。 犯人が証拠隠滅を図って手袋をしていた-これが確実に裏付けられれば 捜査にとっては大きな前進。すくなくとも××さんとまったく面識がなく、 しかも通りすがりという”流し犯行説”はとり除くことができよう。 さらに犯人の犯行が計画的であったことを裏付ける要素として、現場の 造林小屋内部の状況、死体に二枚のトタンがかぶせてあったほか、 血痕の付着した床板、腰板すべての場所をトタンで覆い隠している。 また、××さんの所持品も「十時九分」を指して止まっていた腕時計など 四十数点をそっくり布袋に入れて隠し置いたことなどで、狂気の犯行後にとった 犯人の証拠隠滅行為はまさに冷静そのものの”殺人プロ”的な要素も ないわけではない。 しかしまったく逆の推理も成り立つ。犯人は意外に小心者で、 ××さんがひとりで山を下るのを見て乱暴しようと企てて造林小屋に連れ込んだ。 しかし激しい抵抗にあって思わず持っていた刃物で一突き、血潮が吹き出すのを みて狂乱しメッタ突きにした。さらに暴行が成功しなかったことから 下腹部にも切りつけるという”猟奇殺人”へとエスカレートしていったことも 考えられる。 今後の捜査 犯人逮捕に結びつけるためには今後、捜査本部が解明しなければ ならない点は非常に多い。 (1)犯行動機 (2)犯人は単独か複数犯か (3)車を使った犯行かどうか (4)犯行現場と死体発見現場が同一かどうか-これらのナゾはすべて 同一捜査線上にあり、関連しあう疑問点ではあるが、ひとりで歩いていた ××さんの目撃者が意外に少ないということから捜査は早くも 難航のきざしを見せている。 現在、捜査本部が、解明の端緒としているのは、旅館の泊り客、 ダム関係作業人、民・国有林の下草刈り人、釣り人、ハイカーなどからの 聞き込みのほか、××さんの身辺捜査。さらに有力なキメ手となる 「地下たび」のメーカー割り出しと利用者の キャッチ。とくに発見が急務とされているのは凶器と犯人が返り血を 浴びたために捨て去ったと見られる衣類がある。 これまでのところ、捜査の有力な決め手を欠いたまま長期化の様相を 見せているが、十七日に捜査本部が事情を聞いた関係者の中で証言が あいまいな点のある者がいたようで、もしこの辺を突破口にして 事件の核心に触れることができれば意外に早期解決が望めそうな要素もある。 ハム交信で連絡 発見は私設捜索隊 ××さんの遺体は父親の○○さん(五五)らで編成した”私設捜索隊” 十人によって発見されたが、この一報は同市昭和町、左官業▽▽さん(四二)の ハム交信により現地から自宅で待機していた二男の$$君(十五) =市立殖蓮中三年=に伝えられた。$$君はとぎれとぎれに聞こえる 父親の話の内容から、××さんが遺体で見つかったことを知り、 すぐ××さん宅にこのことを知らせた。 このことから、伊勢崎署は現地と連絡のうえ、松井田署員が現地に急行、 ××さんの遺体確認となった。 ------------------------------------------------------------------------- 上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面 誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か 霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員 ××さん(二四)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では 十八日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの 聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員 四十人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近七キロにわたって 検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な 手がかりは得られなかったが、××さんのカメラにはだれがとったのか、 本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。 同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていた××さんの 所持品を再点検、このうちカメラは××さんが帰路途中で、だれかに 撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。 このコマは「霧積館」から三百メートルほど上ったところにある 「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、 何かの理由で××さんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の 十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、 空白になっている××さんの行動を解明する重要なカギをにぎっている ものと見て、発見に全力をあげている。 一方、この日の捜査から、犯人割り出しの大きなポイントになると 見られていた「地下たび足跡」数個はかなり古いものとわかり、 足跡面からの捜査は振り出しにもどったようで、現在、犯人が現場に 残したもので確実なのは、死体や血痕を隠すために使用した ブリキに付着している「血のついた手袋の痕跡」だけとなった。 捜査本部では、”××さんがだれかに写真を撮らせた”という 新しい事実から、これまでナゾとされていた空白の四時間 (午前十時ごろ、金湯館を出発してからAさんが目撃した午後二時ごろまで) を解明する端緒をつかんだ。しかし、この事実は××さんがだれかと行動を ともにした裏づけであり、事件は「顔見知りの犯行」説が有力になってきた ともいえる。このため捜査本部では、 (1)××さんが旅館宿泊中に親しくなった人がいるかどうか (2)××さんが友人と会う約束をした事実があるか (3)事件当日、顔見知りの人が偶然に霧積温泉を訪れて××さんに出会ったか どうか- などについて捜査を始めた。 凶器は牛刀類? 現場捜索で発見できず ××さんの上半身に集中してメッタ突きした凶器は、十八日の現場付近の 捜索でも発見されなかった。とどめとなった左胸の長さ七・五センチ、 幅四センチ、心臓、肺臓を貫通した傷は、ロッ骨三本を切断するほどの 威力だった。 総計二十四ヵ所の傷跡から、捜査本部では凶器は”先端鋭利で 幅は二・五センチぐらい、長さは十センチを上回る”と推定している。 しかし、これに該当するものとしては柳葉包丁、登山ナイフ、 牛刀、料理用ナイフ類などいろいろあり、特定は困難だ。 ただ胸の傷跡のように一度刺して骨を切り、引っ張るときに 引き裂かれたような状況から、厚みのある相当上部なものでなければ ならないし、持ち運びの容易な長さ、大きさという制限がある。 この点から肉厚が二・五-三ミリもあり、肉切り用として作られた 牛刀、これに類似するチャッパーナイフなどが考えられる。 刀身は小さいもので十二-十五センチ程度で、持ち運びや人目に ふれない利点が大きい。 この種の包丁を扱っている刃物店の話では、牛刀類は料理店で 動物の骨をそぎ落とすのに使用される特殊のもので、買って行く人も 限られているようだ。 三百人が冥福 ××さんの告別式 (文章略) ------------------------------------------------------------------------- 上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く 「新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った」-霧積山殺人事件 捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員 ××さん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の 割り出しを急いでいたが、十九日夜、××さんに頼まれてシャッターを 押した-と都内に住む人が電話で名乗り出た。 撮影時間の特定と、××さんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は 現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では きょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。 この人は東京都世田谷区下北沢×ノ×、××マンション内、 修理工☆☆さん(二二)で、同日午後八時半ごろ、上毛新聞社に 電話で名乗り出たもの。 ☆☆さんの話によると、☆☆さんは十三日車で友だちと二人で 群馬県に釣りに来た。 碓氷郡松井田町横河のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、 霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で 釣りをしていた。そこへ××さんと思われる女性がきて、 「ちょっとすいません、シャッターを切ってください」 と声をかけた。☆☆さんは「カメラには弱いので」といったん断ると、 女性は「シャッターを押すだけですから…」というので二回シャッターを 切ったという。 そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと☆☆さんはいっている。 ☆☆さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、 県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。 撮影者の判明により、旅館を出発してからの××さんの行動の中で いぜんとして空白な時間帯はいよいよ犯行現場と見られる造林小屋付近の わずかな時間にしぼられてきた。 ××さんの最後の目撃者は午後二時十分ごろ、現場から一・五キロ手前で 車に乗るように呼びかけた安中市のHさん(五二)であることがこれまでの 捜査でわかっている。 このため、現場の小屋付近に来た××さんは、えん堤の池を見るため 道から一段さがった小屋に近寄ったところ、釣りか、山の下刈り、 ハイキング途中の犯人に声をかけられ、危険を感じて逃げようとしたところ、 小屋の中に連れ込まれ殺害されたものらしいとみている。 捜査本部では十三日午後、付近に約三十台の車が駐車していたことから、 今日二十日午前三時から現場近くで釣りの人を対象に、十三日に霧積川に 釣りに来たかどうか、来たのなら不審者に会わなかったかどうか調べ、 リストアップされていないものに捜査を広げることにしている。 しかし、これまでの捜査では××さんの一人歩きを目撃した人はいても、 ××さんがだれかと連れだって複数行動をとっていたのを見たという 届け出はなく、いぜんとして犯人らしい者との”出会い”は捜査線上に 浮かんでいない。 このため、本部は松井田、安中周辺地域に有線放送を通じて 目撃した人の協力を訴える一方、さらに聞き込み、地取り捜査を徹底して 実施する方針。今後の捜査は第一段階ともいえる基礎捜査も間もなく終わる予定で、 この段階で犯人割り出しに直接結びつくような有力な手がかりが得られるかどうか、 第一のヤマ場にさしかかっている。 工事関係者は”シロ” 釣り人捜査などに重点移す 捜査本部(本部長・温井守夫 松井田署長)は十九日、××さんが殺害された 前夜に泊まった霧積温泉の旅館関係や宿泊人、ダム工事関係者、実家のある 伊勢崎での交友関係などを対象に捜査員九十人を動員して犯人逮捕への 足がかり捜査をした結果、温泉やダム工事、伊勢崎の知人などすべてが” 一応シロ”で、捜査本部では今日二十日以降、いままで捜査線上に リストアップされていない釣り人、草刈り作業員、ハイカーなどに捜査重点を 移して全力をあげることを決めた。しかし、犯行のあったとみられる 十三日午後には霧積ダム工事現場から小屋をはさんで温泉の旅館まで 約六キロ間に釣り人のものらしい車が三十台前後駐車していたのが 確認されているが、所有者はほとんど判明していないので事件は早くも 難航する気配となってきた。 同日の調べでは、霧積温泉にある二軒の旅館に十二、十三日に宿泊した客は ××さんを含めて約三百人。大半が家族連れでその他若いグループが 数組あったがほとんど複数で行動しており、××さん殺害とは無関係。 また、旅館従業員たちも十三日は客が多かったこともあり、全員が旅館から 出ていない。 次にダム建設関係者は大半が盆休みで故郷に帰っていたので、 工事現場の宿舎には十数人しかいなかったが、ほとんど全員にアリバイがあった。 また、伊勢崎での知人もすでに××さんと親しかった高崎市内の電気製品 セールスマン(二九)や高校時代の同級生だった女の友人を含めた十三人について 調べたが全員疑わしいところはなかった。 このほか、十三日午後には殺人現場をはさんだ約六キロの山道に三十台の 釣り人の車が駐車されていたことが旅館宿泊客の証言から情報として 捜査本部に寄せられている。 殺しの現場で供養 ××さんの兄弟 (文章略) ------------------------------------------------------------------------- 昭和47年8月17日(水) 毎日新聞 娘さん、殺される 山奥の作業小屋で 【高崎】十六日午後五時ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積ダム建設工事現場 付近の作業小屋の中で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員、△△△△さん (二四)=写真=が死んでいるのを探していた父親が見つけた。 松井田署の調べによると、両腕や肩、首など四ヵ所に刃物によるものとみられる切り傷 などがあった。下着も乱れており、同署は殺人事件とみて捜査を始めた。 △△さんは十二日午後二時ごろ、東京小金井市に住む弟の○○さん(二五)と 現地で落ち合う連絡をして、同ダムから約五キロ奥に入った霧積温泉に出かけた。 しかし、○○さんは都合が悪く旅行を中止。 △△さんは十三日午前十時ごろ、「一人で歩いて帰る」といって旅館を出たため、 父の撚糸業、井上××さん(五五)が十六日朝、伊勢崎署に捜索願を出すとともに、 家族や親類が総出で周辺を探していた。 現場は長野県境寄りで、国道18号線の松井田町坂本の旧宿場町から 霧積温泉へ向かう県道を約四キロ登った山奥。昨年秋から霧積川(碓氷川支流)で 霧積ダムの工事が始まり、県道沿いには飯場や作業場の小屋が点々としている。 ------------------------------------------------------------------------- 昭和47年8月17日(水) 朝日新聞 殺人か 女の死体 群馬県の山の小屋 十六日午後四時半ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積温泉近くの 霧積ダムえん堤の工事小屋で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員 △△△△さん(二四)が死んでいるのを、父親の××さん(五五)らが見つけ、 松井田署に届けた。 死体の胸などに刃物でつけたキズがあり、乱暴された形跡があることから 群馬県警と同署は、殺人の疑いで捜査を始めた。 ××さんの話だと、△△さんは十二日午後二時ごろ、会社を休んで 「霧積温泉へ行く。二泊くらいするかもしれない」 と家を出たまま行方不明になっており、十六日朝、××さんが伊勢崎署に 捜索願を出すとともに、近所の人たち十数人と同温泉一帯を捜していた。 △△さんの死体があった現場は、松井田町の国道18号から北へ六キロはいった 長野県境の霧積温泉へ向かう山道の途中。 工事小屋は無人で、近くでダム工事をしており、昼間は工事の作業員などもいる。 これまでの調べだと、△△さんは十二日は同温泉に一泊、十三日朝十時ごろ 「歩いて松井田町までくだる」 と一人で出かけたという。同温泉はふだんマイクロバスで松井田町まで 客を送迎しているが、山好きだった△△さんは、歩いておりることにしたのではないかと みられている。 △△さんの死体は紫色のノースリーブのブラウスと白いスカートをつけたままだったが、 下着が乱れていた。 腕や胸、首などに刃物でつけたような切り傷、打撲傷が無数にあった。 また、家を出るとき紙袋に入れて持っていたカメラやハンドバッグ、現金などが 袋ごとなくなっていた。 工事小屋は間口四メートル、奥行き七メートルで△△さんは仰向けに倒れており、 現場の状況などから県警と松井田署では、よそで殺されてから運び込まれた疑いが 濃いとしている。 -------------------------------------------------------------------------http //blog.goo.ne.jp/mikaiketu_2008/e/d418621a159f379296b8c7b2e6fa3b15 (こちらのリンクのほうが詳しいと思います↑)http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1252117790/ 未解決事件スレ55 566 :本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 22 07 57 ID DSpUcqWK0 564 うちの本棚から探してきました。 もう持ってたらごめんね。 (略) 別冊宝島Real053「迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相」 このスレや懐かしニュース板でもたびたび話題になる本。 各事件についてプロファイリングをしているのがあの田宮元捜査一課長なので 最初はpgrしていたが、意外にも地に足のついた真面目な分析をしている。 「ワラビ採り殺人事件」と「霧積温泉女性客殺人事件」は圧巻。 585 :本当にあった怖い名無し:2009/10/26(月) 20 23 29 ID Y2wcONGn0 566 そう、このスレでは話題に出ないけど、 霧積温泉の事件は異常に不気味だったな。 犯人が撮ったと思われる被害者の生前の写真が何枚かあって、 たしか最後の1枚が 586 :本当にあった怖い名無し:2009/10/26(月) 20 25 50 ID /Qu+L9K8O 585 最後の一枚が…?((((゜Д゜;)))) 590 :本当にあった怖い名無し:2009/10/26(月) 21 13 25 ID Xr+8v/8V0 と思ったら「群馬県松井田町霧積山24歳女性殺人事件」ってやつか。 このままググれば詳細見つかる。 591 :本当にあった怖い名無し:2009/10/26(月) 21 19 10 ID ZxNPiXBHi 590 最後の写真については何も記載がないよね 592 :本当にあった怖い名無し:2009/10/26(月) 21 37 11 ID Xr+8v/8V0 うん、その後も調べたけど見つからないねえ。 詳細誰かよろしく。 609 :566:2009/10/27(火) 12 36 22 ID +Umc6g7d0 霧積温泉女性殺人事件の最後の写真の話。 被害女性の遺留品の中にカメラが残されており、 フィルムの最後の方に女性が一人で写っている写真が数枚あった。 女性は一人旅の筈だったので、写真を撮った人物は最後まで女性と 行動をともにした人物-つまり真犯人の可能性が高い。 そして、最後の写真は……。以下引用。 「警察から恵子ちゃんの持ち物が全部戻されたときに、 あたしも見せてもらったんです。その中にあの娘が最後に写っている という写真があったんです。それが気味悪いのよ。笹やぶの中に ボォーッと立ってるんだけど、足の途中から白い煙だか雲みたいなものが 出ていて、下の方が切れてるの。それに表情も生気がなくて、 まるで抜け殻みたいだった」 795 :本当にあった怖い名無し:2009/11/05(木) 23 31 38 ID 17POobO60 別冊宝島で霧積山女性殺人事件を読んだ。 事件概要は未解決事件FILEを見てくれ。http //blog.goo.ne.jp/mikaiketu_2008/e/d418621a159f379296b8c7b2e6fa3b15 5枚の写真について…数字は枚数 ①②泊まった金湯館の水車(旅館アルバイトに撮影してもらった) ③忍の池堰堤付近(ポーズをとっている) …上毛新聞(1972.8.19)に〈誰が撮ったこの写真、ナゾを秘めた五コマ〉として掲載。 石田と名乗る男が「自分が撮影した」と名乗り出たが、実在しない人物だった(イタズラ?) ④金剛の滝(滝をバックに欄干にもたれかかっている) …旅館の主人が証言 ⑤笹やぶ…返却された写真を見た家族知人(捜索参加)の妻証言 「それが気味悪いのよ。笹やぶのなかにボォーッと立ってるんだけど。 脚の途中から白い煙だか雲みたいなものが出ていて、下の方が切れてるの。 それに表情も生気がなくて、まるで抜け殻みたいだった」 ・①②以外は撮影者不明 ・③→④→⑤は旅館から殺害現場の小屋までの道順と重なる。