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プログラム担当官、坂持金発の机の上には書類が大量にばら撒かれていた。 そのうちの一枚にはこう記されている。 政府内部連絡文書〇〇三八七四六一号(部外秘取扱注意特一級) 総統府官房特殊企画部防衛担当官並専守防衛陸軍幕僚監部戦闘実験担当官発 共和国戦闘実験第六十八番プログラムニ〇××年度特別設定第一号担当官発 十月二十日一八一五時、同日定期点検中デアッタトコロノ共和国政府中央演算処理センターニテ演算機器ニ外部進入ノ形跡ヲ確認。 侵入ハ九月八日未明デアッタモヨウデ、現在ソノ後ノ再侵入ノ形跡等、鋭意調査作業中。 被疑者ノ身元、目的及ビ流出情報ノ大要ニツイテモ現在確認中デアルガ、被疑者ノ侵入方法ハ極メテ高度ノ技術ニヨルモノデアリ 被害全容ノ解明ニハ相当ノ時間ヲ要スル見通シ。 総統府官房特殊企画部防衛担当係並ビニ専守防衛陸軍幕僚監部戦闘実験担当部デハ、別ケテモ「第六十八番プログラム」関連情報ニ 被害ガ及ンデイル可能性モコレヲ排除デキナイトノ報告ヲウケ、同プログラムニ〇××年度特別設定第一号ノ延期ニツキ急遽検討ヲ行ッタ。 シカシナガラ、協議ノ結果、特別設定第一号ハスデニソノ準備ヲ終エテイルコト、マタ、関連情報ノ一般人民間ヘノ流出ノ形跡ガ現在マデ 見ラレナイコトナドヨリ、予定通リ実行スベキト結論。一方、特別設定第ニ号以降ノ実施時期、殊ニ『ガダルカナル』ノ設計変更ニツイテハ 急ギコレヲ研究スル方針デアル。 但シ貴殿特別設定第一号担当官ニアッテハ、実験ノ実行監督ニ当タリ、細心ノ注意ヲ払ワレタシ。 ナオ、同センター侵入事件ニツイテハコレヲ特一級極秘扱トシテ対処シテオリ、ソノ旨留意スルコト。 (以上) この書類がプログラムを大きく動かすことになるのか、それとも―――。 投下順で読む Next 戦いの海へ
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<魏 222年> <蜀漢 222年> <呉 222年> 222年 黄初三年(魏) 皇帝 曹丕(魏文帝) 皇后 →郭氏(文德郭皇后・安平広宗の人) 三公(魏) 呉王:孫権 太尉:賈詡 相國:華歆(前御史大夫) 御史大夫:王朗(前大理) その他の要職(魏) 太常:邢貞 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大司馬:曹仁(前大將軍) 大将軍:孫権 驃騎将軍:? 車騎将軍:公孫恭(遼東太守) 衛将軍:? 地方官 郢州: 荊州牧:孫権 主な事件 黄初三年春正月丙寅朔、日食があった。《三国志魏書文帝紀》 正月庚午、許昌宮に行幸する。詔に曰く「十室の邑にも必ず忠信の士はいるものだ。もし年齢を限れば、是呂尚や周晋不顯はどうだ。郡国に令す。老幼に拘らず、儒経学に通じ、文・法に達者な士は到らば皆試用する」と。《三国志魏書文帝紀》 癸亥、孫権は上書して説明するに、「劉備が兵四万人、馬二三千匹をもって秭帰を出ました。行って殲滅しようと思います」《三国志魏書文帝紀に引く魏書》 二月、鄯善、亀茲、于闐王が各々使者を遣わし奉献してくる。この後西域は遂に通商し戊己校尉を置く《三国志魏書文帝紀》 三月乙丑、斉公の曹叡を平原王と為す。帝の弟の鄢陵公の曹彰等十一人を皆王と為す。初めて封建の制を定める。王の庶子は鄉公、嗣王の庶子は亭侯、公の庶子は亭伯。《三国志魏書文帝紀》 甲戌、皇子の曹霖を河東王と為す《三国志魏書文帝紀》 甲午、襄邑に行幸する《三国志魏書文帝紀》 夏四月戊申、鄄城侯の曹植を鄄城王と為す《三国志魏書文帝紀》 癸亥、許昌宮に戻る《三国志魏書文帝紀》 五月、荊州揚州をもって江表八郡を荊州と為す。孫權が牧を領していたためである。荊州の長江以北の諸郡を郢州と為す《三国志魏書文帝紀》 閏月、孫権が劉備を夷陵において破る。文帝は初め劉備が兵を東下させて孫権と交戦し、樹柵を連ね兵営七百余里と聞き孫権の勝利を予測した。《三国志魏書文帝紀》 秋七月、冀州で大いに蝗す。民飢え、尚書の杜畿に節を持たせ遣わし、倉を開き廩を振舞う。《三国志魏書文帝紀》 八月、蜀の大将の黃権が兵を率いて降る。《三国志魏書文帝紀》 孫権及び南郡太守を領する史郃等三百一十八人は、荊州刺史の下に参上し、仮の印綬、棨戟、幢麾、牙門、鼓車を奏上する。孫権等は行在所に参上し、帝は酒を置き楽を設けた。承光殿に引見する。孫権、史郃等は事の次第を披瀝し、帝は軍旅成敗の因果を論説する。諸将で喜悅しないものは無かった。孫権に金帛、車馬、衣裘、帷帳、妻妾を賜り、以下偏裨を下し皆有差があった。孫権を侍中鎮南將軍に拝し、列侯に封じ、即日召して騎乗させ、及び史郃等四十二人を皆列侯に封ず。為に將軍郎は將に百余人。《三国志魏書文帝紀に引く魏書》 九月甲午、詔して曰く、「婦人が政に参与するのは乱の本だ。今後、臣は太后の奏事を得てはならない。后族の家のものは輔政の任に当たっては為らない。また茅土の爵を得てはならない。この詔を後世に伝え、もし背違あれば天下は共に之を誅すべし。《三国志魏書文帝紀》 九月庚子、郭氏を皇后に立てる。天下の男子に爵二級を賜う。寡婦や篤実な者及び貧しくて自存できない者に穀を賜う《三国志魏書文帝紀》 冬十月甲子、首陽山の東を寿陵と為すと表明した。臨終の制度を定めて、漢文帝と光武帝の陵墓の違いを引いて薄葬にするよう戒めた。この詔を宗廟に蔵し、尚書、祕書、三府に送るよう命じた。《三国志魏書文帝紀》 冬十月、孫権がまた叛く。郢州を荊州と復す。帝は許昌から南征し、諸軍兵は進撃した。孫権は長江に臨んで守り拒んだ。《三国志魏書文帝紀》 十一月辛丑、宛に行幸する。《三国志魏書文帝紀》 庚申晦、日食あり《三国志魏書文帝紀》 この歲、靈芝池を掘る。《三国志魏書文帝紀》 誕生者 死没者
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四月 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 五月 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 六月 日 月 火 水 木 金 土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 七月 日 月 火 水 木 金 土 1234567 891011121314 15161718192021 22232425262728 293031 八月 日月火水木金土 1234 567891011 12131415161718 19202122232425 262728293031 九月 日月火水木金土 1 2345678 9101112131415 16171819202122 23242526272829 30 十月 日月火水木金土 123456 78910111213 14151617181920 21222324252627 28293031 十一月 日月火水木金土 123 45678910 11121314151617 18192021222324 252627282930 十二月 日月火水木金土 1 2345678 9101112131415 16171819202122 23242526272829 3031 一月 日月火水木金土 123456 78910111213 14151617181920 21222324252627 28293031 二月 日月火水木金土 123 45678910 11121314151617 18192021222324 25262728 三月 日月火水木金土 123 45678910 11121314151617 18192021222324 25262728293031
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日米交渉不敬犯保釈願 拙者事、大正四年九月中北米合衆国ワシントン州シヤトル市に於て高橋領事に捕へられ、日本汽船に積み込まれ、牛馬犬鶏荷物と同時に安着し、不敬犯被告として当所に送られ候以来既に一年余、別して為す事も、御調べ受くる事もなく、只時々御法廷に於て手習相受け候のみ、手紙接見は勿論、名を呼び札を掛ける事すら禁ぜられ、只『四十号』として特別の御待遇相受け、日夜神仏に祈願をこめ只管冥福を祈り候折柄、昨年十二月二十六日幸ひ予審免訴と相成、青天白日愈々出獄旧所へ送還の日を夢み、自殺も思ひ止まり候も束の間、直ちに検事に抗告され、何の御取調もなく今日に至り尚此上何年かかり、如何なる事に成り行くかと恐懼措く所を知らず、夜の目も碌々合ひ申さず、身体は痩せ、目方は減り、只死期を待つのみの状態に之有候へば、特別の御憐愍を垂れ、何卒保釈御許可の御決定相願度、懐中に一物もなく、腕に羽翼も生へ不申候へば、逃げも匿くれも出来不申、知りもせぬ事にて、米国の事に有之候へば証拠の煙滅も出来不申、何卒此処の道理を聞き分けて御許可成し下さる様幾重にも嘆願仕り候、御許可の上は山崎弁護士の同情に甘へ同氏宅に謹慎罷在り御呼出の節は必ず即刻出頭仕るべく、記録の所在する貴院に此段及嘆願候 大正六年三月十日 在横浜監獄人 [甲野太郎] 拇印 東京市芝区新桜田町十九番地 弁護士 保証人 山崎今朝彌 印 東京控訴院第三刑事部 御中 <[ ]内仮名> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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2007年(平成19年)1月15日付沖縄タイムス記事 http //www.okinawatimes.co.jp/day/200701151300_01.html 2007年1月15日(月) 朝刊 1・21面 「集団自決」早期認定/国、当初から実態把握 座間味村資料で判明/「捏造説」根拠覆す 沖縄戦時下、慶良間諸島で起きた「集団自決」への遺族補償に関し、一九五七年に申請が始まってから最短で三週間、平均三カ月で補償が認定されていたことが分かった。「集団自決」犠牲者に補償を適用するのは困難だったとされてきたが、沖縄タイムスが入手した座間味村役所資料で、早期認定されていたことが判明した。琉球政府援護課の元職員は「本島に先駆け、慶良間諸島の被害調査を実施した。厚生省(当時)も人々を救おうとの熱意を感じた」と話す。一部マスコミなどによる、補償申請が認定されにくいため「『軍命』が捏造された」という主張の根拠がないことを示している。 座間味村役所の「戦闘協力該当予定者名簿」および「戦協該当者名簿」、厚生省から返還された県の記録を照合。 役所がそれぞれの戦没者について戦死状況などをまとめて申請した日から、厚生省が各戦没者が援護法の補償に「該当」すると認定した日までの日数を調べた。要した日数で認定が容易かどうかが分かる。 座間味村の申請は、十五次にわたり、申請から認定まで最短で三週間、平均三カ月で補償対象との判断が下されていた。 例えば、第十一次申請は、一九五八年九月七日に提出され、三週間後の九月二十六日に「該当」とされた。 申請が始まった年の五七年では、二次分の十一月十一日付申請は、三カ月後の翌年二月二十九日に「該当」判定されていた。 元琉球政府社会局援護課の職員で、全市町村向けの援護マニュアルを執筆した金城見好さん(72)は厚生省が認定に要した日数について「二、三カ月後の認定は早い。平均的には三カ月から六カ月かかっていた」と話す。「慶良間諸島は、沖縄戦の最初の上陸地という特別な地域だった。当初から戦闘状況が分かっており、住民を『準軍属』として処遇することがはっきりしていた」と説明する。(編集委員・謝花直美) ◇ ◇ ◇ 国の方針は明確/琉政・村元職員、証言 「慶良間諸島の沖縄戦時の状況ははっきりしていた。集団自決の犠牲は『準軍属』として処遇することは明確だった」。一九五六年、琉球政府援護課に奉職した金城見好さんは、当時の国や琉球政府の方針を明快に説明した。また援護課が五三年の発足後に、援護法適用に向け慶良間諸島を独自に調査したことも明かした。「軍命」の存在は「調査担当者ではないわれわれの耳にも入った」と証言し、「『軍命』捏造説」を否定した。 琉球政府・金城見好さん 「当初から準軍属」 琉球政府に援護課が設置されたのは、五三年。業務開始から早い時期に、援護課は慶良間諸島を単独で調査したという。金城さんは「『集団自決』が軍によって命令されたことや、住民の苦悩などが当時伝わっていた。援護業務開始に当たって、『集団自決』で悲惨な体験をしたこと、最初に地上戦が始まった場所である慶良間諸島を特別に調査した」と説明する。 「調査を行った人々から、われわれにも(軍命があったことを)聞かされた」と振り返る。琉球政府は家族構成、避難状況、死亡状況について聞き取り調査を行っていた。五七年の戦闘協力者の申し立てでは、渡嘉敷村、座間味村ともすぐに申請を行うことが可能だった。事前の調査が元で「早い時期に申請ができた」と言う。 渡嘉敷村・小嶺幸信さん 認定難、感じず 渡嘉敷村役場の援護担当だった小嶺幸信さん(78)は、当初、戦争で焼けた戸籍の整備を担当し、住民の沖縄戦での死没状況の詳細を調べた。五七年からの「戦闘協力者」の申し立てでは、書類作成を一人で担当、何百通の書類を書き上げた。 渡嘉敷村でも援護法に向けた準備は、適用の前から進められており、「五四年に役場に入った時にすでに前調査が行われていた。兵事関係の担当者が防衛隊などから話を聞いて戦況をまとめてあった」という。そのため、「『集団自決』の犠牲者を申請するとき、特に認定が難しかったという記憶はない」と振り返る。(編集委員・謝花直美) 沖縄裁判教科書関係資料
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戸板保佑(といたやすすけ) 仙台藩 天文・数学者 宝永5年(1708)-天明4年(1784) 初名 :重豊 通称 :善太郎 号 :格九 取譬甫 黄海 統天斎 植 蕃 多植 茂蕃 多植茂 戸板保佑は宝暦の改暦に参加し、仙台を代表する天文学者として知られています。彼は師である山路主住と共に、西洋式の計算方法で暦を作り上げました。山路主住から教わった関流算術の集大成である『関算四伝書』を編纂し、数学史上にも大きな功績を残しました。 戸板保佑は幼い頃に父から算術を学び、十七才にして青木長由に数学・暦術を学びました。その後、仙台藩の天文学者であった遠藤盛俊の門人になり、遠藤盛俊の後継者として藩の天文学者になります。しかし、戸板は遠藤の学問に疑念を抱いていたことが、戸板の日記から伺われます。戸板は遠藤の門人になってからも青木や仲間たちと一緒に、日食や月食の観測に明け暮れます。 寛延三年、戸板保佑は御城に天文の道具を持ち込み伊達宗村公に対して講義を行いました。それから一月ほどして、今度は伊達宗村公が戸板保佑の自宅にある観測所の見学にきました。 宝暦三年、戸板保佑は宝暦の改暦に参加しますが、改暦に関して、土御門家と意見が合わず対立したもとあります。保佑は京都で関流の算学者・山路主住に出会い、改暦後も京都に留まり関流の算術を学びます。 仙台に戻ってからも山路と書状を通じて研究を続け、日本で初めての西洋暦を完成させました。また、それまで山路主住から学んだ算術や天文の書をまとめ、安永九年に「関算四伝書」、天明ニ年に「天文四伝書」を完成させます。同時に、日食や月食の観測にも励み、多くの弟子を育てました。弟子である船山輔之や青田依定は幕府天文方の暦官になっており、寛政の改暦の時にも、多くの仙台藩天文学者が関わることになります。 伊達世臣家譜 戸板保佑 戸板保佑年表 宝永 五 1708 正月二七日仙台北五番丁鍛冶町西裏南側に生まれる。 享保 三 1718 父に算術を習い始める。 享保 九 1724 二月二十日、青木長由に入門。算術と暦算を学ぶ。 三月、初めての弟子を取る。 「重」の字が差支えがあるとして保佑と改める。 享保十一 1726 正月十四日、中西流の免許を受ける。 享保十三 1728 戸板・遠藤に入門する。 享保十四 1729 初めての月食観測を行う。 享保十五年(1730) 戸板・紅毛時計の原理を考え御前に上がる 享保十六年(1731) 戸板・胡銅こん天儀を邸内に建て観測を行う 享保十七年(1732) 四月表木窺管を作る。 延享 元年(1744) 九月二十日 夜眠れず、勅使がくる夢を見る。 「ありがたや身にも余りしみことのり うきし夢に受くると思えど」 九月二八日、家禄が百石になる。 延享 三年(1746) 二月交食暦法の研究で褒美をもらう。 延享 四年(1747) 九月潮汐・天文の研究を命ぜられるが病気のため、 弟子の飯沢吉右衛門高亮があたる。 十二月、『阿蘭陀暦考』序文なる 寛延 三年(1750) 六月二七日、御城で伊達宗村公に進講する。 八月二日城主、観測所を見にくる。畑のナスと青豆を献上する。 八月七日青豆を献上する。 寛延 四年(1751) 五月朔日 板行暦に無い日食が起こる。前年に予報。 宝暦 三年(1753) 四月日時計を作る。 七月改暦の命を受ける。八月仙台出立、九月京都に入る。 宝暦 四年(1754) 戸板保佑が土御門泰邦と対立したことが、宗村公の知る所となる 宝暦 五年(1755) 六月山路主住に師事。関流の算術を学ぶ。 戸板(47)、渋川春海の渾天儀の不備を指摘 宝暦 六年(1756) 六代藩主・伊達宗村、没する。 宝暦 八年(1758) 戸板(50)・仙台へ戻る 宝暦 九年(1759) 二月、幻日の観測を行う。 十二月土御門家の伝を得る。金30両を賜る。 宝暦 十年(1760) 冬至、戸板保佑、山路主住より、見題、隠題免許を受ける。 宝暦十二年(1762) 五月、船山輔之門人となる。稽古料三両。 宝暦十三年(1763) 正月十一日、船山に中西流の免許を授ける。 九月朔日、板行暦に無い日食が起こる。前年冬に予報 明和 二年(1765) 林子平、上書の中で戸板保佑に算術の講座を持たせるよう記す。 明和 五年(1768) 六月朔日、船山に関流の免許(隠題・伏題)を授ける。 明和 六年(1769) 八月、メシエ彗星を観測する。 明和 七年(1770) 六月、彗星を観測する。 安永 元年(1772) 山路主住、没する。 安永 五年(1776) 広則(28)・戸板(68)渾天儀の作製 安永 六年(1777) 山路之徽より印可免許を受ける。 安永 七年(1778) 山路之微・没(50) 五月、日野多利之助、船山の門人となる。 安永 九年(1780) 戸板(72)『関算四伝書』、『仙台実測誌』 天明 元年(1781) 日野多利之助、関流の免許を受ける。 天明 二年(1782) 戸板『天文四伝書』 天明 四年(1784) 戸板・没する ■師弟関係 ┌和久半右衛門安之┐ │(1714-1777) │ ├────────┴青田源蔵依定 │ (1736-1790) ├後藤平左衛門成次 │(1728-1765) ├船山輔之 │(1738-1804) ┌渋谷知礼─>├加茂紋三郎義明 │ │ 青木長由─┼─────>├安部平三郎 ▽ │(御積平内の養子) 遠藤盛俊─┐ ├伊藤助之丞直言(書道家) │ │(1690- ) 土御門泰邦┤ ├粟野綾之助信興 │ │ 山路主住─┼戸板保佑──┼粟野平左衛門信賢(格方) │ │(始名石沢新助) 山路之徽─┘ ├藤広則 │(1748-1807) ├飯沢吉右衛門高亮┬真山喜兵衛 │(黄竜・格算 免許)│(免許) ├───────>├竹内多右衛門定盈 │ │(免許) ├───────>└宮崎多仲直喬 │ (免許、後に菅野) ├内馬場弥右衛門近信 │(格数 600石) │(寛延二正月十五日免許) ├山岸十太夫(一代記) │山岸長門か ├安部忠平治 │(山岸孫一郎家中) │孫一郎は長門の子 ├真山喜内定長 │ ├真山久左衛門(寿継? 111石) │(元文年中の門人) ├小野勇助胤昌───小野勇蔵 │(伊達将監家中)(伊達将監家中) ├小野安左衛門時中 │(百石?) ├小野清右衛門 │(後に伊右衛門) ├戸板保教 │(1740-1799?)保佑長男 ├日野多利之助 │(1749- ? )保佑次男 ├富沢正兵衛顕常 │ ├首藤善左衛門(延享4頃の門人) │ ├及川彦兵衛(彦惣) │ ├近江屋半兵衛 │ ├千葉和太夫(一関家中) │ ├千葉源太夫 │ ├杼窪雅楽之丞 │(八弥、後佐竹五郎左衛門) ├渋谷権七郎 │ ├佐竹久助 │ ├東海林長左衛門 │ ├佐藤与右衛門 │ ├笹永吉 │ ├窪田左源治 │ ├安達惣吉 │ └大友平太郎直寛 (1741‐1776) 小野安左衛門時中:始め、平太郎時香。 首藤善左衛門 :父の孫左衛門は相原氏の門人。 粟野平左衛門 :始め、百沢新助。格方、免許。 杼窪雅楽之丞 :八弥。後に佐竹五郎左衛門。 伊藤助之丞直言 :書道家。戸板初めての門人。 関連資料 仙台大崎八幡神社古川町八坂神社/奉額写 角中径捷術解/附弧矢捷術 角中径捷術解/附弧矢捷術 割円十分標之解并作標之術 括要十九角之解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100238088/viewer/1 起元入門 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100235732/viewer/1 起元法則伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100236647/viewer/1 九数総術 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100244703/viewer/1 九数百好 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100270764/viewer/1 九数百好 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100306960/viewer/1 九数百好 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100244643/viewer/1 九数百好 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100247036/viewer/1 圭円考 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100238083/viewer/1 弧背詳解考 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100247047/viewer/1 弧背率解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100234800/viewer/1 弧背率解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100245221/viewer/1 三角中股伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100254117/viewer/1 算梯/弧内円解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100238075/viewer/1 算法雑伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248537/viewer/1 式商転求 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249670/viewer/1 七曜暦 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248366/viewer/1 諸約伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100235108/viewer/1 諸約伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100235243/viewer/1 従式作式之法 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100250462/viewer/1 崇禎諸表合算法 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248096/viewer/1 崇禎暦法細草月食術 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248093/viewer/1 生剋因法伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248536/viewer/1 関算雑書 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100238092/viewer/1 関算前伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100244512/viewer/1 関算前伝諸約術 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100245228/viewer/1 関流算術綱領 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100254656/viewer/1 関流算法目録 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100238114/viewer/1 関流算法草術 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100244888/viewer/1 関流算法草術 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100247319/viewer/1 増損解附録 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100235245/viewer/1 増損解附録 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100240445/viewer/1 増約損約之解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100235244/viewer/1 増約損約之解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100250448/viewer/1 増約損約之解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100250449/viewer/1 垜畳伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100250037/viewer/1 天文公用伝 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100270416/viewer/1 天文図儀解註 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248085/viewer/1 天文秘書 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100249706/viewer/1 戸板所伝円理乾坤之巻 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100236333/viewer/1 戸板所伝円理乾坤之巻 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248863/viewer/1 統術別解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100238087/viewer/1 中西流/車平方交商術 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100245094/viewer/1 中西流数学系図/并同流算術書目 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100270756/viewer/1 中西流数学系図/并同流算術書目 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100236053/viewer/1 中西流数学系図/并同流算術書目 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100247048/viewer/1 中西流数学系図/并同流算術書目 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100257133/viewer/1 中西流免許状 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100270759/viewer/1 八線表解 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100248378/viewer/1 茂蕃一代記 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100257521/viewer/1 零約術/円周率 https //kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100254004/viewer/1
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写真 NO IMAGES 復元想像図 NO IMAGES 奉納年 明治18年(1885)9月18日 掲額者 佐藤良左衛門能静門人 緒元 縦58cm × 横140cm うち黒枠5cm 問題数 5 奉納先住所 岩手県一関市弥栄内ノ目161 奉納先名称 日吉神社 別保管住所 別保管名称 文化財指定 拝観時注意事項 図 額文 注 現代文等 関流九伝 佐藤良左衛門能静門人 問1 今有如図三角内容等円径ト側円其等円径若干側円長幾何ナルヤ 答1 答曰如左文 術1 術曰置五個開平方乗等円径得側円長合問 阿部文治正精 問2 今有如図外円径内隔孤容大円径二個小円径六個其外円若干小円径幾何ナルヤ 答2 答曰如左文 術2 術曰置外円径除五之得小円径合問 佐藤曹之助徳信 問3 今有如図大円径之内隔斜容小円径三個各周相親其乙斜若干甲斜幾何ナルヤ 答3 答曰如左文 術3 術曰置二個開平方乗乙斜得甲斜合問 佐々木与三郎網通 問4 今有如図長平之内隔斜容大円径小円径其小円径若干長平幾何ナルヤ 答4 答曰如左文 術4 術曰置小円径九之折半得平列方斜率加五分乗平得長合問 佐藤熊之助宝信 関流宗統八伝 千葉胤英皆伝菅原実良門人 問5 今有如図以等側円作丁子欲正平使釣之其長径ニ及短径若干相距数幾何ナルヤ 答5 答曰如左文 術5 術曰置長三之加短径除四之得相距数合問 小山忠平梅盛 維時明治十八稔九月十八日 額文は「和算 岩手の現存算額のすべて」による。 名前 コメント
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うちのリーダー、猛暑でおかしくなっちゃったみたいです。 -- yota (2007-07-30 00 28 03) 俺リーダーとは仲良くやれそうだ! -- 名無しさん (2007-07-30 01 48 25) ( ゚∀゚)。彡゚ スパッツ! スパッツ! -- 名無しさん (2007-07-30 06 40 42) 「はいてない」のであらば、上着の丈はも少し長い方がいい -- フェチ (2007-07-30 10 13 48) 爽やかにセクハラ発言ww -- 名無しさん (2007-07-30 22 55 27) とりあえず九月のフィギュア発売を待つのだッ! -- 名無しさん (2007-07-31 13 49 11) はいてないのが外側っていうのは意外に斬新じゃね?wwww -- 名無しさん (2007-08-01 00 23 45) ワンピースに1票でw -- みう (2007-08-01 21 45 28) ↑↑たしかに斬新だ! -- 名無しさん (2007-08-01 22 08 22) しかしながらブルマも忘れるなか(ry -- この世界にブルマが存在するかは不明だが (2007-08-02 09 07 17) リーダーの表情がとても良いと思いました -- 名無しさん (2007-08-02 11 38 46) ↑に同じ 何かをやり遂げた表情 -- 名無しさん (2007-08-02 16 30 57) メディ姉ははいてないんじゃない?外側も内側も。 -- 名無しさん (2007-08-02 21 59 22) ↑そ、それは…! -- 名無しさん (2007-08-02 23 06 30) ちょうど鞄に隠れてて見えないからなぁ -- 名無しさん (2007-08-03 02 53 41) 名前 コメント
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あきらです。遠いので伊都には来ません。飲み会とかで会いましょう。 まんけん以外はS口諦というペンネームで何かやってます。 [描いたの] 『姉捨山』7ページ 2010年デビュー号 高校受験の時にお姉ちゃんが欲しくなったんですよね。 『九月末日』13ページ 2010年狂乱茶会 吐き気がするほどメルヘンチックだぜ。 『変身症候群』14ページ 2011年新年号 レジ打ちのバイトやってた時に描いたやつですね!きらい。 『壊獣の墓』22ページ 2011年新歓号 ここから男の子ばかり描くようになりました。あと、元気が無くなった。 『分かたれた僕の記録』19ページ 2011年デビュー号 まあ字がきたない。 『純』28ページ 2011年狂乱茶会 一番読み返せないなあ。割とガチで描いてるからなおさら。 『壁の子エスくんの話』6ページ 2012年新年号 ホントに看板息子みたいになった子の話。普通に喋ってるのに違和感。 『羽と蛹』12ページ 2012年新歓号 割と気に入ってる話です。 『ずっと、いっしょだよ。』2ページ 2012年デビュー号 特にないです。創作で同人とか始めた頃。 『吐きだめの鶴』6ページ 2012年狂乱茶会 部誌じゃなきゃこういうのは描けません。 『トランキリノ』3ページ 2013年新年号 面白いよ。トラキリ君は某後輩がブチ切れそうなデザインだと思う。 『逝け逝け秀助くん』6ページ 2013年新歓号 なんで描いたんだろ? 『続・姉捨山』6ページ 2014年新年号 最後ということで。結局皆勤賞できなかったな・・。
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18-603 19-130アンリエッタの晩餐会 21-130トリスタニアの休日・ごく普通バージョン 23-9才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?) 27-760降臨祭の第七日・昼(クリスマス特別編・シリアス) ・女王様調教録 18-476女王様調教録 18-648女王様調教録・陵辱版二章 21-488女王様調教録・陵辱版第三章 18-541女王様調教録・ラブエロ版 19-222女王様調教録・ラブエロ版2 21-208猫で女王(女王様調教録・ラブエロ版3) 22-150幻化の夜(女王様調教録・ラブエロ版4) 23-216ご懐妊九月目です。(女王様調教録・ラブエロ版5) 26-357退廃と哀歓の休暇〈上〉(女王様調教録・ラブエロ版6) ・白い百合の下で 19-63白い百合の下で 20-10裏切りは赤(上) (白い百合の下で・2) 20-317裏切りは赤(下) 24-202黄金溶液〈上〉 (白い百合の下で・3) 24-686黄金溶液〈中〉 26-71黄金溶液〈下〉 とにかくエロい!だがそれだけでなく丁寧、でもエロい。楽しく実用的でした。エロのない話も素敵でした。 -- タケ? 凄まじいエロさ。それに尽きる。 いつも楽しませてもらってます。 -- ジョジョルノ? 調教ラブエロ版の続き期待してます! -- 続き読むのが楽しみです。執筆頑張って下さい! -- 犬? ルイズの調教録も読んでみたいので、気が向いたらお願いします -- 名前