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771 As We Please 5 2008/02/19(火) 22 58 48 ID ??? As We Please 5 1/3 円よ、あれが超包子だ。ちょっと字余り。でも気にしない。 ……、着いちゃった。ちょっと遅くなっちゃったかな。 いよいよくーちゃんとデ、二人で宿題でありますよ!? うぅ、どきどきするなっていうのが間違ってるよね。よーし!GOGO! あれ?くーちゃんはまだきてないのかなー。 移動屋台の中にはちゃおりんとさっちゃんしかいませんねぇ。 ふむ。まずはご挨拶から、ってなんかご両親に挨拶するみたいで変な感じ。 って、違うから!落ち着きなさいって。いつもみたいに声をかけるだけだから。 円 「やっほー、ちゃおりん、さっちゃん。」 超 「オオ、クギミー。ようこそ超包子ヘ。お待ちしてましたヨ。」(ニヤニヤ 五月 いらっしゃいませ、円さん。(にこっ 円 「おじゃましまーす、って何ニヤニヤしてんのよ。あとくぎみーゆうな!」 超 「ハハハ、古からいっしょニ宿題するって聞いてるヨ。」 円 「そうなんだ?じゃぁ、くーちゃんはもうきてるの?」 超 「古ならいまテーブルを並べてるネ。あ、きたヨ。」 古 「!まどかー!」 え?えーっと、笑顔で走ってくるのは、……どちらさん? いや、くーちゃんなんだけど。くーちゃんに間違いないんだけど! うっゎ、やばい。……かっわいぃー!かわいい!かわいすぎだよ! もーぅ、この世のものとは思えないぐらいにかわいいんですがっ! 772 As We Please 5 2008/02/19(火) 23 01 40 ID ??? 2/3 きっとシルクなんだろうなー。なんていうか、生地につやがあって、なめらかできれい。 赤地に金の、あれは鳳凰かな?きらきらした刺繍が一面にちりばめられててきれい。 胸元のボタンなんて、少し大きめの鳳凰が、ふわりと羽を広げてるみたいでかわいい。 褐色の肌に真っ赤なドレスと紅い靴、金の刺繍に銀の髪飾り……。すっごくかわいい。 そして……、胸がっ!あれは確実にのーb(ry ですよ!うん、間違いない。 体のラインがくっきり出てるのに、ぜんぜんまったくブラのラインがありません。 さらにっ!今くーちゃんが着てるチャイナドレスは、右前面に一つしかスリットがなくって。 しかもかなり深いから、ふとももがっ!生足がっ!艶かしくって!えらいことにっ! も~ぅ、かわいいい!かわいすぎるぅ!釘宮円、リミットいっぱいです!やばいです! くっ、落ち着けー。落ち着け-。落ち着けー!おーちーつーけー! いつも以上にきらきらして、まぶしくて、あーっもー、くらくらしちゃう! かわいいよー、くーちゃん。ふわぁぁ、間近で見るともっとかわいい。 円 「くーちゃん!」 古 「待たアルか?」 円 「ううん、今きたとこだよ。遅くなってごめんね。」 古 「そんなことないアルよ。ん~、円は今日もすごくかこいいアルねー。」 円 「ほんとー?ありがと。くーちゃんもすっごくかわいいよ!」 古 「エヘヘ、ありがとアル。」 円 「ほんっとーにかわいい……。もー、逮捕されちゃうかもしれないよ!」 古 「なんト!逮捕アルか。じゃぁ捕まりそうになたら円に助けてもらうアル。」 円 「ふふ、実は私が捕まえるほうだったりするかもしれないよー。えい。」(にぎっ 古 「アイヤー、そうなたらおとなしく捕まてしまうアルー。」(にぎっ 円 「……あ、あはは。」(ぽっ 古 「……ニャハハ。」(ぽっ 773 As We Please 5 2008/02/19(火) 23 04 48 ID ??? 3/3 私って自分で思ってたより大胆なんだ……。くーちゃんと手をつないでますよ! いや、手をつなぐのは結構ふつうだよね。うん。腕を組んだり、髪をなでたり、抱き合ったり。 そーなんだけど!相手がくーちゃんだとすっごくどきどきしちゃうんだよー。 あー、でもいい感じ。なんだかぽわぽわしてきますねぇ。 超 「ハイハイ、二人ともお茶がはいったヨ。いつまで見つめあってるのカナ?」 円 「!あ、ありがと、ちゃおりん。」 超 「古のかばんが置いてあるあのテーブルでいいネ?」 古 「ありがとアル、超。さぁ、行くアルー。」 わ、わっ!くーちゃんが手をつないだまま腕を組んできた! ちょうど肘のあたりに柔らかな感触がっ!わっ、うわっ、どうしよう! 歩くたびに柔らかいのがっ!押し付けられて!しかもいい匂いするし! ちょーっと、やばいかも。ちゃんと宿題できるかな……。いや、それ以前の問題? うぅ、今、絶対顔がにやけてるよ。いやぁ、ねぇ?すっごくうれしいからね。仕方ないよね? ……ん?うれしい?……ん~?まぁ友達と仲良くしてうれしくない子なんていないよね。 くーちゃんはどうなのかな。……うゎぁ、ほんとにいい笑顔してますねー、この子は。 私もこんないい顔してるのかなー。あぁっ、くーちゃん、そんなにぎゅっとしちゃ! End 808 三国志な、ま! 2008/02/21(木) 20 12 55 ID ??? 三分後投下~ ちょっと人物紹介 曹操(明日菜)孟徳[そうそう もうとく] 勝てばいいんでしょう!勝てば! 劉備(桜子)玄徳[りゅうび げんとく] 楽しみたまえよ、この世界で最も猟奇的な夜を 馬騰(エヴァ)寿成[ばとう じゅせい] この世で一番おいしい化学調味料はハッピーターンの粉である 董承(あやか)[とうじょう] 天国はすごくいいところらしいですわ。だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから 袁紹(風香)本初[えんしょう ほんしょ] お汁粉は食べ物じゃないよ、飲み物だよ! 献帝(ネギ) おきのどくですが ぼうけんのしょ1は きえてしまいました 809 三国志な、ま! 2008/02/21(木) 20 16 00 ID ??? 三国志な、ま! 1/3 献帝から曹操を何とかしろ、という勅命を受けた劉備玄徳 西方の雄、馬騰。そして帝の腹心である董承らと手を組みました こうして劉備は打倒曹操に向けて動き始めたのです しかし今現在劉備がいるのは都の許昌、当の曹操の拠点です 何処を見ても曹操の目の届く範囲でした そこで劉備は考えました。どうすれば曹操の目を欺くことが出来るのだろうかと 劉備の出した結論は農作業でした 軍事とはあまり関係のない農作業をする姿を曹操に見せることでその目を欺こうとしたのです 来る日も来る日も劉備は農作業に励みます それを見て不安になったのは劉備の配下たちでした うちのお殿様は何をやっているんだろう?と思い諫めるものもいましたが、劉備はただにこりとするだけでした そんな生活を続けていたある日、劉備は曹操から酒宴の誘いを受けたのです 配下の者達は劉備が曹操にとても口では言えないようなことをされてしまうのではないかと心配しました しかし劉備は、ここで断っては何か怪しいところがあるのではないかと疑われないため酒宴にいくことにします 酒宴は劉備、曹操の二人の小さな酒宴でした 軽い挨拶から始まりまあつつがなく酒宴はすすんでいきました 晴れていた天気はやがて雲に覆われ、暗雲がひしめき始めてきたのです 810 三国志な、ま! 2008/02/21(木) 20 16 58 ID ??? 2/3 そして曹操は天下の情勢について劉備に尋ねました 誰がこの乱世を治める事の出来そうな英雄のかと? 劉備は答えに詰まりました。ここでこんな話題を振ると言うことは曹操は劉備を警戒している可能性があるということです 迂闊な答えは出来ません。そこで劉備はわからない振りをしました 曖昧な答えに対して、曹操はきっぱりとこう答えました それは自分と劉備であると そう、曹操は完全に劉備を警戒していたのです 劉備は困りました。ここでこの警戒を解いておかないと曹操を倒すという計画が頓挫してしまうかもしれません 何か手はないか・・・何か手はないかと思案を巡らせていたときでした 偶然にも酒宴の場の近くに雷が落ちたのです これ幸いと劉備は大仰に驚いて怯え、近くの机の下に潜り込んみました これを見た曹操は、なんだ劉備とはこの程度の人間かと感じてしまったのです こうして劉備は曹操を欺いたのでした 明日菜 「ロン!混一色、白、ドラ3!親の18000点よ!!」 桜子 「あちゃ~。0点になっちゃった。明日菜強いね~」 エヴァ (いまのは見え見えの混一色・・・あんな手に振り込むような椎名ではない。もしや・・・) 桜子 「これで私の5連敗だね。ねえ明日菜、次は食券10倍にしようよ。ねぇ~」 明日菜 「ふふん、いいわよ。何だったら20倍にしようか?」 桜子 「さすが明日菜!!話がわかるぅ~!!」 エヴァ (やはりな。最初に餌をまいておいて、後で大きく頂く。まあ私は見学させて貰うかな。お猿が墜ちてゆく様をな) 811 三国志な、ま! 2008/02/21(木) 20 17 52 ID ??? 3/3 それがあってから曹操は劉備への警戒をゆるめました。劉備の策略は功を奏したのです それよりも曹操は北方の巨人、袁紹への警戒を強めたのでした さて、曹操の警戒が緩くなったとはいえ都にいては劉備には何も出来ません そこで劉備は地方の反乱を平定するとの名目で、曹操に兵を借りようとしたのです 劉備への警戒心が薄れていた曹操はこれを承諾して、劉備に5万の兵を与えました こうして劉備は再び天下へと大きく羽ばたいていったのです 桜子 「ロン。七対子、ドラ2、裏2、親の3本場は18900点ね」 明日菜 「あ、あれ?0点以下になっちゃった。おかしいな」 桜子 「さて精算ね。明日菜はいくら負け?」 明日菜 「え、えっと・・・その・・・」 桜子 「ねえ明日菜。倍プッシュ、いく?」 明日菜 「ば、倍プッシュって何?」 桜子 「さっきみたいに次の掛け率を倍にするの。つまり40倍ね。勝てば一気に取り戻せるよ」 明日菜 「か、勝てばいいのね。いいわよ、倍プッシュよ!!」 エヴァ (倍プッシュとは・・・桜子、恐ろしい子!!勝負の後は骨も残さないということか) 手中から劉備を逃したことに後で気がついた曹操でしたが、もはや手遅れでした そう、北方の巨人、袁紹は確実に曹操へと迫ってきていたのです 続 818 マロン名無しさん 2008/02/21(木) 22 07 08 ID ??? ふみか「くっくっく……完璧じゃわい」 パル「も、もういやああ! 延々と3chで匿名なのをいいことにちょっと大人ぶって冷めた振りするのはもういやあああ!!」 ふみか「む! 貴様、何をサボっておる!」 パル「もういやよーー! 私もう帰るーー!!」 ふみか「ほう! 姉者ァ! なにやらコヤツ、脱走を企てておるようじゃァ!!」 ふーか「ふむ。オシオキじゃのう」 パル「ひっ」 ふみか「オシオキかのう!!」 ふーか「逃げようなどと考えぬことじゃのう」 パル「い、いや……こないで……!」 ふーか「オシオキだっちゃァァァァァ!!」 ふみか「オシオキだっちゃァァァァァ!!」 っ(こんぶ) ふーか「そぉい!!」(びたーん!) ふみか「そそぉい!!」(びたーん!) パル「いやあ! 海の幸! 海の幸が!!」 っ(こんにゃく) ふみか「こんにゃくじゃァ!!」(べちょ) ふーか「こんにゃくじゃのゥ!!」(べちょ) パル「ギャー! 服の中に入れないでー!」 っ(しらたき) ふみか「ニュルニュルじゃァ!!」 ふーか「スキヤキマホスラン!」 パル「――このあと、食材は覇王様がおいしくいただきました……ガクッ」 千鶴「と、いうわけで。スレでは皆なかよくしましょうね?」 ゆえ「わかってるです。そういえば、パルがいないですね?」 千鶴「うふふ。ハルナちゃんの居場所は禁則事項です♪」 ゆえ「まさか、本当に……?」
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204年 建安九年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 皇后 伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る) 皇太子 (空位) 三公(漢) 太傅:(空席) 太尉:(空席) 司徒:趙温(前衛尉・194~208) 司空:曹操 その他の要職(漢) 太常: 光禄勳:→ 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大司馬:(空位) 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 行車騎将軍:曹操? 衛将軍: 地方官 司隸校尉:? 豫州刺史:郭貢? 河南尹:駱業? 徐州牧:劉備? 冀州牧:? →曹操 兗州牧:曹操? 荊州牧:劉表(192~208) 主な事件 建安九年秋八月戊寅、曹操は袁尚を大いに破り、冀州を平定した。自ら冀州牧を領した。《後漢書孝献帝紀》 冬十月、東井に流れ星が有った。《後漢書孝献帝紀》 十二月、三公より以下金帛の下賜があり、それぞれ格差があった。これより三年に一度下賜があるのが常制になった。《後漢書孝献帝紀》 誕生者 死没者
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燎原の火-サンプル- 本日の来客数 - 昨日の来客数 - 来客数合計 - ※印刷時のイメージです 一九四年夏、曹操は徐州の民十数万を虐殺した。 兗州に動揺が走り、張邈も揺れた。 曹操の親友だなどと言われているが、そんなものは周りが勝手に言っているだけだ。自分は少し目をかけられているに過ぎない、ただの部将である。 曹操は、兗州を手にするために劉岱と鮑信を殺したと言われている。どちらも青州黄巾と戦って死んだのであって、下らない噂だ。 だが、曹操の底知れなさと、異質さ。それを間近で見せられてきた張邈は、その噂が心に引っかかり続けている。 怖い。裏切ることも、出奔することも出来ない。地の果てまで追い詰められて、無残な殺され方をされるに決まっている。 だからこの時、張邈は陳留を固めて反乱に備えた。忠義を尽くす限り、自分の命は保障されると思ったからだ。 「陳宮、城の防備はどうなっている」 城壁に登り、陳宮にたずねた。兗州で一斉に蜂起が起きたという報告を受けていた。同調しないとなれば、城外は叛徒で満ち溢れるだろう。 「万全です。これなら、いつ攻められても守りきれます」 「ならば良い」 「今頃、鄄城では大騒ぎでしょう」 「流石に、鄄城が背くことはあるまい。曹操殿の根拠地であるし。なにより、あの荀彧が守っている。我々はここ、陳留を守ることに腐心すればいい」 陳宮は地平線をまっすぐに見つめている。どこか毅然とした風であり、張邈は気圧されるような気分になった。 「張邈殿は」 「ん」 「この檄文をご覧になりましたか」 「檄文だと」 そう言って陳宮は懐から絹を巻いたものを取り出し、張邈はそれを受け取った。鼻で笑いながら読んでいたが、最後に書かれた名を見て目を疑った。あるはずのない名。張邈。自分の名がそこにある。 血の気が一気に引いた。膝が震え、歯がかちかちと音を立てている。 「ど、どういうことだ」 「見ての通りです。この反乱は張邈殿の名の下に起こったものなのですよ」 「陳宮。貴様、まさか」 「今。ここで私の首を取られても無駄なことです。どう言い訳しても、貴方は曹操に殺される。いや、その前に逆上した叛徒に殺されるかもしれませんな」 「…」 「貴方の生き残る道は唯一つ。殺される前に、曹操を殺すことです。お分かりでしょう」 張邈は、崩れ落ちた。 -上へ -上へ
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テイイク 列伝 曹操の参謀。程武の父。程暁の祖父。本名は程立。 【演義】 荀彧の推薦で曹操に仕え、自身は郭嘉を推薦する。徐州侵攻中、曹操が呂布に兗州を奪われた時、荀彧と協力して三県を守り地盤を保持した。倉亭の戦いでは「十面埋伏の計」を献策し、袁紹軍を大破。曹操軍が劉備軍の軍師・徐庶に苦戦すると、母親を保護して偽手紙を作り、徐庶を味方に引き入れる策を献じる。赤壁の戦いでは火攻めを警戒するよう曹操に進言し、黄蓋の偽りの投降をいち早く見抜くが、敗戦を食い止められなかった。 【正史】 泰山で日を支える夢を見、程「昱」と改名した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 70 49 90 79 58 346 119 209 順位 218 438 18 85 389 138 385 147 偏差値 55.7 47.5 65.2 60.2 49.2 58.9 51.4 57.9 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 長い 長い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 A C C C A C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 46 66 34 56 33 49 39 49 44 54 34 47 順位 374 126 448 304 454 298 444 312 379 97 449 252 偏差値 49.9 58.3 45.5 51.5 45.8 51.7 45.6 51.8 50.8 59.8 46.2 53.2 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 掎角 一斉攻撃時、50%の確率で混乱させる マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 24 兗予 実績 中華統一 重視 2/5 3/5 2/3 141 184 220(80歳) 自然死 剛胆 剛胆 丁寧 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 時節 ○ ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 程昱 親愛 郭嘉、荀彧 郭嘉、荀彧 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● 1 程昱 2 程武 3 程暁 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 44歳 未発見 濮陽 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 50歳 在野 濮陽 - - - 2000 - - S3 194年 6月 群雄割拠 54歳 一般 陳留 曹操 100 議郎 4000 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 60歳 一般 濮陽 曹操 100 郎中 16000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 67歳 一般 濮陽 曹操 100 秘書令 21000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 71歳 一般 許昌 曹操 100 秘書令 21500 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 100 議郎 2000 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 58歳 一般 濮陽 曹操 100 太楽令 8000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 63歳 一般 濮陽 曹操 100 都尉 19000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 77歳 在野 濮陽 - - - 22000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 47歳 未発見 濮陽 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 51歳 在野 濮陽 - - - 2000 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 濮陽 - - - 0 - - 諸葛亮をも超えるビッグ軍師(身長191cm)。 演義では老獪な献策担当だが、史実では気骨ある策士とされている。 知力90で統率もそこそこあるが、特技が微妙な所為もあり曹操軍ではあまり目立てない。 しかし、意外と曹操の計略が効かない武将は多いので、その対策として使えなくも無い。 副将としては優秀。また、性格が豪胆で舌戦も強いので、論客にするのもいいだろう。 -- (名無しさん) 2010-06-17 17 54 48 義理がなぜか低い。 -- (名無しさん) 2010-08-22 20 41 26 ↑劉備入蜀までは曹操軍に所属しているのに漢中争奪戦で曹操軍を突然離脱するのも関係してるのかな? -- (名無しさん) 2010-08-23 09 19 38 ↑その時期はすでに引退してたから在野なんじゃね -- (名無しさん) 2010-08-23 09 32 17 性格が剛直だったとわざわざ記されているのと食人伝説からかな。<魅力 離脱は自主引退。むしろ珍しいほど節義をわきまえた勇退だと思う。 曹操曹丕と気難しい二代から揃って絶大な信頼を与えられた紛れもない名臣。 -- (名無しさん) 2010-08-23 09 35 44 高い知力と寿命の長さで頼りになるものの、義理が低めになってるせいで誹謗を起こす可能性がある。 君主の頭が悪い時にはまず勝ち目が無いものと諦めた方がいい。(もっとも、その時の舌戦で彼に知力経験が10入るのであれば負けても問題はないか?) -- (名無しさん) 2010-10-06 23 40 09 特技の掎角は一斉攻撃の際に発動するため、非戦法系の武将の副将にするといい。 皮肉なことに、魏には戦法系の武将が少ないため、候補対象を選ばない。 威風の張遼、沈着の徐晃、昂揚の張郃の他にも、 急襲・騎兵Sの夏侯淵など、誰でも大丈夫の筈。 -- (名無しさん) 2010-10-07 12 08 27 性格豪胆なのは文官イメージだけど官位は武官ばっかだし 呂布防いだり袁紹を油断させて拠点守ったりと意外と武闘派だったり 軍議でもよく言い争いになったりしてたってとこからじゃないかな。 義理は恐らく演義のイメージからかと・・・ -- (名無しさん) 2010-12-08 03 43 22 洞察持ちや高知力・高統率武将をも黙らすことが出来る人 曹洪や張遼などと組ませるといいかも 彼を使うなら積極的に一斉攻撃を狙っていこう -- (名無しさん) 2010-12-19 03 59 43 この人って何故か知力がぱっとしないんだよね 君主である曹操よりも下だし どうしてなんだろうか? -- (名無しさん) 2011-03-21 00 01 18 個人的には射程をつけるのをおすすめする。楽進の副将にしてあげよう。無論キ角も悪くはない -- (名無しさん) 2011-04-27 18 20 31 知力の低さは俺も思うっす。94くらいあっていいと俺思う。義理も上げてほしいっす -- (名無しさん) 2011-06-25 09 16 53 生まれた年が意外に早いんだな 能力の劣化が早いのが欠点かな -- (関羽大好き) 2011-08-07 20 12 53 黄忠より6歳年上なのか -- (名無しさん) 2011-10-03 03 15 35 正史的に、頭は切れるけど積極的に献策した描写が少ないからじゃないかな?>知力90 正史の兗州を守るときに名士の協力を取り付けた+演義の十面埋伏のエピソードを反映して欲しい。 -- (名無しさん) 2012-01-23 00 01 59 前作のⅩでは使い勝手の良い武将だったのだが今作では微妙な立ち位置に 能力の下がった武将多すぎないか? -- (程・郭・荀・の三拍子が序盤軍師筆頭だったが) 2012-05-23 13 44 03 でもみんか特技が渋い。魏は圧倒的な特技こそ少ないが その分自分なりに組み合わせる楽しみがあると思う。 -- (名無しさん) 2012-08-06 12 31 09 曹洪と組ませると、一斉攻撃で連戦が発動した時に、 50%が二回なのでほぼ確実に混乱してくれる。 -- (名無しさん) 2014-08-21 21 06 49 ↑さすがに75%をほぼ確実呼ばわりはどうかと思う -- (名無しさん) 2015-01-07 20 13 09 それだと連戦の2回目で確実に発動してない? 実際はもうちょい低いような。。。知らんけどw -- (名無しさん) 2015-01-10 19 30 07 一斉攻撃の使い勝手を考えると、部隊数の多い乱戦時に真価を発揮する。 確率と位置取り次第とは言え、気力消費無しで能力無関係に混乱に陥れれるのは大きい。 自身の知力の高さもあり、乱戦時の同討にかかりにくいのも強みだろう。 武力も軍師としてはまずまずあり、不慮の一騎打ちの初撃に耐える確率も高い。 大勢力同士の大混戦が見込まれる時の、主力部隊の副将として非常に優秀。 -- (名無しさん) 2015-02-15 23 53 00 少数寡兵・多部隊(能無し兵1でも)で最大効果を発揮する特技のため相手を弓櫓付近まで引き込んでから発動させれれば意外とダメージが(素直に乱突→騎兵の方が圧倒的だが) 気力と金が尽きた後なら…、ないな曹操軍では特に -- (名無しさん) 2015-02-16 01 17 58 性格剛胆、知力90(変動が激しいが)、鎮静以外の話術と論客として非常に強い。 曹操軍では中々論客を使う機会はないかもしれないが、 敵が多くなりがちな事を考えるといれば心強い事も多いだろう。 他の曹操軍軍師と比較しても論客をつけるには筆頭と言えるレベル。 -- (名無しさん) 2015-08-07 15 41 09 ↑いつぞやの論客兄貴かよ…(´・ω・`) それはさておき、知力高1回で95に達するということから、高い知力を活かしたいところ。特技は深謀や鬼謀といった、計略系のものに書き換えるとさらに活かせる。 -- (名無しさん) 2016-01-07 15 05 54 ↑いや程昱は論客つけるのにピッタリだろう。剛胆で話術も隙が無いし、他の軍師は皆冷静で舌戦に不安が残る。 曹操は四方を敵に囲まれているシナリオが多いから、論客持ちがいると戦力を集中できて便利。 逆に計略隊にするには微妙。生年が早いせいで知力が劣化しているシナリオが多く、知力高1発では95に届かない。 何より特技を付けるにしても素で95オーバーかつ統率・適正・寿命・義理で上回る賈詡というライバルがいるので… -- (名無しさん) 2016-01-08 15 38 33 名前 コメント すべてのコメントを見る
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彼女たちの戦い 2014/01/23(木)00 00~2014/01/26(日)の期間、初登場 公式サイトのクエストに関する記事 クエストをクリアすると★3【曹家正室】丁夫人(初級・中級・超級)or★3【未亡人】鄒氏(上級・超級)が手に入る 【開催履歴】 2014/04/07(月)00 00~2014/04/10(木)23 59 2014/05/07(水)00 00~2014/05/11(日)23 59 2015/08/20(木)19 00~2015/08/21(日)18 59 武将の獲得率が2倍 主なドロップ武将 武将名 同技能(※)武将 技能LvMaxまで 【曹家正室】丁夫人 59体(2倍時30体) 60体(2倍時30体) 【未亡人】鄒氏 132体(2倍時66体) (※)効果が同じ技能」を意味し、強化の素材選択時に「技能大」と表示される武将。 初級 戦いの裏で 【難易度:4、体力:7、合戦:5】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:、EXP: 【ミッション】 コンティニューなしで攻略! (報酬:『白秘玉』×3個) 4連撃以上を達成して攻略!(報酬:『青秘玉』×3個) +【序文】 良い子の献帝のために、青天白日の下で開かれた熱き男達の肉のぶつかり合い。…そして、夜の悪い大人が、そのお祭り騒ぎに隠れ暗躍する。 「あれは……曹操?」 武闘大会優勝の興奮も醒めやらぬその夜、君は都の外れで、妙に辺りを気にする不審人物を発見する。君は思わず曹操の後をこっそりつけてしまう。 +【後記】 「曹操め…陛下のためと言いながら、影でコソコソ…しかも二人か!」 ツヤツヤを増しつつ、ハイテンションで武道大会の司会を務めていた曹操。その真相がこれだった。曹操は二人の美人の間を行きつ戻りつ、夜な夜なキャッキャうふふしていたらしい。 君は曹操の逢瀬の邪魔をしてやろうと心に決める。特に理由は無い。強いて言えば、羨ましいからだ。 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 曹仁 2 274 ★2曹仁Lv3をドロップ 魏 曹洪(★2) 3 725 ★2曹洪Lv3をドロップ 魏 程イク(★3) 3 825 ★2程イクLv3をドロップ 魏 賈ク(★2) 3 790 ★2賈クLv2をドロップ 魏 賈ク(★3) 3 群 胡車児(★2) 2 340 ★2胡車児Lv3をドロップ 群 胡車児(★3) 2 415 群 張繍(★3) 3 群 張繍(★4) B5 魏 丁夫人 3 890 ★3丁夫人Lv?をドロップ 群 鄒氏 1 256 「享楽への誘い」技能封じ3人3ターン ★3鄒氏Lv?をドロップ 中級 夜伽の水音 【難易度:10、体力:11、合戦:5】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:、EXP: 【ミッション】 コンティニューなしで攻略! (報酬:『白色秘薬』×1個) 9連撃以上を達成して攻略!(報酬:【未亡人】鄒氏×1体) +【序文】 武道大会の喧騒の裏で、曹操の女遊びは続く。そして、君もまたその後をつける。 「流石に用心して、護衛をつけたか。」 しかし、典韋ならやり様がある。君は自慢の肉体をさりげなく誇示、典韋と筋肉心を通わせた君は、そのまま杯を勧め、彼を酔い潰すと、曹操を追う。自分の手際の良さに少し油断した君は更に自分をつける影に気付かなかった。 +【後記】 「…主人の【急用】って、これ?」 曹操は既に今夜のお楽しみ先に辿りついていた。相手は、鄒氏――傾国の美女。曹操と鄒氏の熱帯夜を、どう邪魔してやろうかと覗いていた君は、不意に声をかけられビクつく。…丁夫人だった。笑顔だ。笑顔だが、目が笑っていない。 「折角、典韋を抱き込んでおいたのに…。代わりは務めてもらいますよ?」 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 曹仁 2 701 ★2曹仁Lv4をドロップ 魏 曹洪(★2) 3 1060 ★2曹洪Lv4をドロップ 魏 程イク(★2) 3 1007 ★2程イクLv4をドロップ 魏 程イク(★3) 3 1055 魏 賈ク(★2) 魏 賈ク(★3) 3 1163 ★2賈クLv4をドロップ 群 胡車児(★2) 2 795 ★2胡車児Lv4をドロップ 群 張繍(★3) 3 1363 群 張繍(★4) 3 1481 B4 魏 曹操 2 1220 「警戒態勢」なにもしない「きょろきょろ」なにもしない B5 群 鄒氏 1 777 「妖艶なる微笑」なにもしない「享楽への誘い」技能封じ3人3ターン ★3鄒氏Lv2をドロップ 中級 すれ違いの夜 【難易度:10、体力:11、合戦:5】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:、EXP: 【ミッション】 コンティニューなしで攻略! (報酬:『青色秘薬』×1個) 9連撃以上を達成して攻略!(報酬:【曹家正室】丁夫人×1体) +【序文】 献帝のための武道大会、そのお祭り気分に紛れて、二人の美女を手玉にとる曹操。嫉妬に駆られた君は、武道大会優勝を勝ち取った強靭な肉体を使い、正々堂々、曹操に嫌がらせをする事にした。 「曹操め…この方角の家は…今日は……丁夫人か?」 君は、うきうきスキップで移動する曹操の後をつける。 +【後記】 「丁夫人、ご主人からの言づてです。【急用】が入り、来れない、と。」 暗い路地裏で、曹操を縛ってゴミ箱に放り込んだ君は、素知らぬ顔で丁夫人に会う。…含みを込めた伝言を添えて。さっと表情を曇らせた丁夫人の肩を、君はさりげなく優しげに下心と共に抱く。丁夫人は曹操の正室。よく考えると倫理に反してるのは君だが、気にしない。 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 曹仁 2 701 ★2曹仁Lv4をドロップ 魏 曹洪(★2) 3 1060 ★2曹洪Lv4をドロップ 魏 程イク(★2) 3 1007 ★2程イクLv4をドロップ 魏 程イク(★3) 3 1055 ★2程イクLv4をドロップ 魏 賈ク(★2) 魏 賈ク(★3) 3 1163 ★2賈クLv4をドロップ 群 胡車児(★2) 2 795 ★2胡車児Lv4をドロップ 群 張繍(★3) 3 1363 群 張繍(★4) 3 1481 B4 魏 曹操 2 1220 「警戒態勢」なにもしない「きょろきょろ」なにもしない B5 魏 丁夫人 3 1801 「柔和なる笑顔」なにもしない ★3丁夫人Lv?をドロップ 超級 両手に花? 【難易度:30、体力:25、合戦:7】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:20000、EXP:6500 【ミッション】 コンティニューなしで攻略! (報酬:『青色霊薬』×1個) 4連撃以上を達成して攻略!(報酬:『白色霊薬』×1個) +【序文】 連夜の嫌がらせに、流石に曹操がキレ、君は軍に囲まれる。因みに昨晩は、泥酔した張繍が、鄒氏の館に水を求め来て、そのまま寝た。誘導したのは、勿論、丁夫人の命を受けた君だ。 「そいつを見張っておけ、俺は、昨晩のやり直しに行く!」 この後のことが予想出来る君は、むしろ、憐憫の眼差しで曹操を見送った。 +【後記】 曹操が出かけようとすると、そこには丁夫人と、そして、君の手引きで連れてこられていた鄒氏が、並んで座っていた。二人とも笑顔だが。大変良い笑顔だ。が、二人とも目が笑っていない。 「ちょ…二人とも落ち着け、これは…」 曹操の言葉が途中から、悲鳴に変わる。…君は色恋沙汰には、今後二度と関わるまいと心に決め、足早やに立ち去った。 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 曹仁 2 3758 ★2曹仁Lv6をドロップ 魏 曹洪(★2) 3 5050 ★2曹洪Lv6をドロップ 魏 曹洪(★3) 3 5575 41775 魏 程イク(★2) 3 5885 480 魏 程イク(★3) 3 6394 56685 ★2程イクLv6をドロップ 魏 賈ク(★2) 3 6010 ★2賈クLv5をドロップ 魏 賈ク(★3) 3 6535 ★2賈クLv6をドロップ 群 胡車児(★2) 2 3950 ★2胡車児Lv6をドロップ 群 胡車児(★3) 2 4276 群 張繍 3 6400 120 ★3張繍Lv5をドロップ B4 魏 曹操 2 5001 183765 2048 「警戒態勢」なにもしない「きょろきょろ」なにもしない B5 群 鄒氏 2 3375 75003 480 「妖艶なる微笑」なにもしない「享楽への誘い」技能封じ3人3ターン ★3鄒氏Lv4をドロップ 魏 賈ク(★3) 上記参照 ★2賈クLv6をドロップ 群 胡車児(★3) 上記参照 B6 魏 丁夫人 3 5875 48254 4001 「柔和なる笑顔」なにもしない ★3丁夫人Lv?をドロップ 魏 程イク(★3) 上記参照 魏 曹洪(★3) 上記参照 B7 魏 丁夫人 3 8001 200025 5001 「柔和なる笑顔」なにもしない「賢夫人の激発」9601 ★3丁夫人Lv4をドロップ 群 鄒氏 1 2808 240 高防御 「妖艶なる微笑」なにもしない「享楽への誘い」技能封じ3人3ターン ★3鄒氏Lv4をドロップ コメント B6の丁夫人がなんとかの微笑み、だが目が笑ってないみたいな感じで攻撃後1ターンになる瞬撃系の技能使ってきました -- 2014-01-24 17 29 54 中級 皺氏☆3 26回目の挑戦でGetできました。 -- 2014-01-24 17 36 23 ↑中級3回目でドロップしました。すれ違いの夜では丁夫人はドロップしませんか? -- 2014-01-24 17 58 02 中級15回目で丁夫人☆3ドロップしました。 -- 2014-01-24 19 14 38 すれ違いの夜1回目で丁夫人☆3ドロップしました -- 2014-01-24 23 17 59 中級両方1発でドロップしたからそういう使用かとおもた。その後超級まわすもなかなかドロップせず。 -- 2014-01-24 23 28 44 超級でLv5張繍落ちました -- 2014-01-25 12 18 09 中級でもLv3張繍落ちました -- 2014-01-25 20 59 33 ようやく、中級で丁夫人ドロップしました。何回まわったか…。 -- 2014-01-26 22 58 55 ★反映 -- 2014-04-08 14 54 08 コメント すべてのコメントを見る
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【元ネタ】三国志 三国志演義 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】曹彰 子文 【性別】男性 【身長・体重】182cm・84kg 【属性】混沌・中庸 【ステータス】筋力A 耐久B 敏捷C 魔力E 幸運D 宝具A 【クラス別スキル】 対魔力:D 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 騎乗:A 幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。 【固有スキル】 勇猛:A 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。 軍略:C 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。 戦闘続行:C 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、死の間際まで戦うことを止めない。 【宝具】 『驍騎戦車』 ランク B 種別:対軍宝具 レンジ 5~50 最大捕捉 500人 田豫が作り上げた中華ガジェット。多くの弩砲で武装された重戦車。 停車、変形することで、円状の戦闘陣地を形成し、四方へ弩砲による弾幕を張ることを可能とする。 敵陣突破と野戦築城を両立させるこの兵器が、戦術的にどれだけ有用であるかは論を待たない。 【解説】 三国時代、魏の武将。曹操の四男。 黄鬚と渾名された猛将で、腕力と武芸に秀で、激しい気性の持ち主だった。 父である曹操は曹彰の気性を危ぶみ、学問に励むように命じたが、 曹彰自身は将軍として活躍することを望んでおり「博士になどなれるか」と大いに不服であったという。 北方の烏丸族が反乱を起こした時、曹彰は討伐軍の大将に任ぜられる。 勇んで出陣した曹彰であったが、兵馬が集結しないうちに敵の襲撃を受ける。 窮地に陥った曹彰であったが、田豫の策を用いて車で円陣を作り、弓弩で敵を退却させる事に成功。 さらに、疲弊した自軍を率いて追撃戦を行い、大いに敵を打ち破った。 この大勝によって日和見をしていた異民族も魏に服従を誓い、北方は平定されたという。 帰還した曹彰は、兄である曹丕の忠告を聞き入れて、これらの戦功を諸将のものとして曹操に報告した。 曹操は曹彰が将としての度量を見せた事を喜び「黄鬚よ。まったく立派になりおったわい」と述べたという。 また曹操と劉備が漢中で激突する形勢となると、曹操は曹彰を援軍として呼び寄せることとした。 昼夜兼行で漢中へと急いだ曹彰ではあったが、到着する前に曹操は退却を決断し、そのまま帰還することとなった。 曹操が没すると曹丕が後を継ぐこととなったが、曹彰は帝位への野心を見せたため(あるいは曹植を帝位につけようとしたため) 曹丕から冷遇されるようになったという。 あるいは、その剛毅を危ぶまれ、毒殺された、とも。
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か 名前 読み 蒯越 かいえつ かいえつ 字は異度。荊州南郡中廬侯国の人。楚漢戦争期の説客・蒯通の子孫。蒯良は同郷同姓の人物で一族の可能性は高いが、関係は不明である。 最初は何進に東曹掾として仕え、宦官殺害を進言するものの何進は決断できなかった。その後、蒯越は自ら望んで汝陽の令として荊州に赴き、劉表配下の大将となった。初平年間に、蒯越は謀略と弁舌を駆使して、荊州で劉表に対立していた地方官や豪族を次々と滅ぼし、あるいは降伏させ、劉表の荊州統一に大きく貢献している。後に、献帝の詔勅により、蒯越は章陵太守に任命され、樊亭侯に封じられた。 建安13年(208年)、劉表が死去して劉琮が後継すると、曹操が荊州進攻を図る。蒯越は、同僚の韓嵩や傅巽と共に曹操への降伏を劉琮に進言し、劉琮もこれを受け入れた。曹操は蒯越を列侯に封じ、光禄勲に任命した。曹操は荀彧への手紙の中で、「荊州を手に入れたことは嬉しくないが、蒯異度を手に入れたことは嬉しい」と書いている。 建安19年(214年)に死去。 蒯良 かいりょう かいりょう 字は子柔。荊州南郡中盧侯国の人。同郷同姓の蒯越とは一族の可能性が高いが、関係は不明である。 劉表が荊州刺史として赴任した際、蒯越・蔡瑁と共に招かれ、服従しない豪族への対処法について相談される。これに蒯良は「仁愛と信義をもって人民を労わるように」と進言し、蒯越は「利で誘った上で無道の者を誅し、残りは安撫すべき」と進言した。劉表は蒯良の進言を「(仁義を尊んだ晋の)雍季の議論と同じである」としたが、蒯越の進言の方をとり、荊州を統一した。 『世説新語』の注に引く『晋陽秋』によると、その後(恐らく曹操に仕え)吏部尚書にまでなった。 賈逵 かき かき 本名は衢、字は梁道。河東郡襄陵(山西省臨汾市襄汾県)の人。 司徒曹操の招きを受け、司空の掾(属官)となり、議郎となって司隷の軍事を担った。馬超征伐のとき、賈逵は曹操により弘農太守の代理に任命され、曹操と対面した。曹操は賈逵を気に入り、太守が皆賈逵のようであれば心配ごとはない、とまで言った。 曹丕が魏王になると、賈逵は鄴の令となり、やがて魏郡の太守に昇進した。曹丕が遠征した際は丞相主簿祭酒に任命され随行し、厳しく軍律を履行し、譙についたときに豫州刺史に任命された。賈逵は豫州の治政が緩んでいたのを見て、官吏の綱紀粛正につとめ、他の州治の手本となるほどの治績を挙げた。関内侯に封じられた。 豫州は呉と国境を接していたため、軍備の整備と防備の充実に励んだ。中でも特筆すべきは二百里にも及ぶ大運河を築き上げたことであり、この大運河は『賈侯渠』と呼ばれている。 その後、病気にかかって危篤に陥り急死した。粛侯と諡された。 華歆 かきん かきん 字は子魚。諡は敬。平原郡高唐県の人。当初孫策と孫権に仕え、後に魏の重臣となった。『三国志』魏志に伝がある。 華歆の政治は簡潔で公正であったので、官民はこれを幸いとし、彼に敬意を表した。『魏略』によると、孫策に追われ近隣に駐屯していた揚州刺史の劉繇が没すると、その家臣達は華歆を頼ろうとしたが、華歆は勝手に任命されることは良くないとしてこれを拒絶したという。 孫策が豫章に攻め込むと、華歆は孫策が用兵に巧であることを知って隠士のかぶる頭巾をかぶって降伏し、孫策も華歆の声望を知っていたため彼を上客として礼遇した(具体的な経緯については『呉歴』、『譜叙』、『江表伝』)。孫策が死ぬと、孫権に仕えたが、間もなく官渡にいた曹操から呼び出された。孫権は引きとめたが、華歆は孫権と曹操との国交がようやく出来たばかりだから孫権のために働かさせてくれるよう頼み込んだため、孫権は喜んで中央へ赴かさせた。出発のときは数千人の賓客達に見送られ、餞別も多額に上ったが、華歆は餞別にしるしを付けておき、いよいよ出発するときになって、賓客達にすべて送り返した。賓客達は華歆の徳義に感嘆した。 曹操が孫権を征伐するときには華歆が軍師に求められた。建安21年(216年)に曹操が魏王となると御史大夫に、曹丕(文帝)が王位を継ぐと相国に任命され、曹丕が皇帝として即位すると司徒に叙せられた。 華歆は魏の諸臣の中でも際だって厚く遇されていたが、自身は清貧に甘んじ、俸禄や恩賞は九族に分け与えていたため、家には僅かの貯えもなかった。あるとき、公卿の全員に官婢が下賜されたことがあったが、華歆は彼女らの身分を解放して、他家に嫁がせてやった。文帝はこれを賞した。 太和5年(231年)に病死し敬侯と諡された。『魏書』によると75歳であったという 賈詡 かく かく 字は文和。武威郡姑臧県の人。董卓、李傕、段煨、張繍に仕えた後、曹操の配下となり、曹魏2代にわたり重臣として活躍した。 董卓の校尉となり、董卓が呂布、王允らに殺されると、李傕らに策を授けて長安を攻めさせて呂布を追い出し、王允を殺して長安を奪回させた。献帝が長安から出ると李傕に印綬を返上し、同郡の段煨が駐屯している華陰に赴いた。しかし段煨は内心で賈詡に実権を奪われることを恐れており、これを察した賈詡は、南陽にいる張繍の招きに応じ、彼に仕えることにした。 197年(建安2年)、張繍は曹操に攻め込まれて降伏した。この際、曹操は張繍の義理の族母(おば)を妾にし、更に張繍を暗殺しようとした。これを察知した張繍は反乱を決意した。張繍は賈詡の計略に従い、完全武装の張繍軍が曹操軍の陣営を通過する許可を曹操にもらい、曹操軍を奇襲して大いに打ち破り、曹操の長子曹昂と曹操直下の猛将典韋を戦死させた。 199年(建安4年)、曹操と袁紹が官渡で対峙すると、袁紹は張繍に使者をよこして味方に引き入れようとした。張繍がこれに応じようとすると、賈詡は袁紹からの使者を追い返し、張繍に曹操に降るよう進言した。張繍が「袁紹の方が曹操より強大だし、その上曹操とは仇敵の間柄ではないか」と渋ると、賈詡は曹操が天子を擁していること、弱小である曹操だからこそ、味方になる勢力を必ず厚遇してくれること、天下を狙う曹操ならば個人的な怨恨を水に流すことで、自分の徳を内外に知らしめようとするに違いないこと、を理由に挙げた。張繍が賈詡の意見に従い曹操に降伏すると、曹操は彼らを礼遇した。賈詡は曹操の上奏により執金吾に、次いで冀州牧・参司空軍事に任じられ、以後は曹操の参謀として働いた。 曹操の後継者を選ぶにあたって、家臣の間では嫡子である曹丕派と、文才優れた曹植派とに分かれ、盛んに議論が起きていた。曹操から諮問を受けた賈詡は即答せず、ただ「袁紹と劉表のことを考えておりました」とだけ答え、袁・劉両家が強大な勢力を誇りながらも、長子以外を後継者にしたことで国を分裂・混乱させ、その結果、外敵(曹操)に滅ぼされたことを暗に示唆した。賈詡の助言を聞いた曹操は大笑いし、かくして嫡子の曹丕を太子とした。 220年(建安25年)、曹丕が曹操の後を継いで魏王となると、賈詡は三公の一つである太尉に任命された。曹丕が献帝から禅譲を受けて皇帝に即位した後も、筆頭の重臣として厚遇された。 223年(黄初4年)、77歳で病死した。 郭嘉 かくか かくか 字は奉孝。郭奕の父、頴川の人。 郭嘉は世に出るに当たって、まず袁紹のもとを訪れたが、仕官せずに去っていった。その後、郭嘉と同じく頴川の出身だった荀彧が戯志才の後継者として曹操に郭嘉を推挙した。曹操のもとに召しだされた郭嘉は天下のことを議論した。曹操は「わしの大業を成就させてくれるのは、この男をおいて他にいない」と高く評価し、一方郭嘉も退出するなり「真に我が主君だ」と言って喜んだ。そして曹操に軍師(役職は軍祭酒)として仕え、数々の助言を行った。 38歳の時、柳城から帰還の後、病を得てそのまま死去した。貞侯と謚された。曹操は郭嘉の死を大変悲しみ、荀攸らに向かって「諸君はみな、わしと同年代だ。郭嘉ひとりがとび抜けて若かった。天下泰平の暁には、後事を彼に託すつもりだったが。郭嘉はわしと軍略を論じるときは、南方は疫病が多いためきっと自分は生きて帰れないだろうと言いながらも、天下を得るためには先に荊州を得るのが妥当と主張しておった。彼の計略は真心から出たものではなく、命を棄ててまで功業を打ち立てようという考えからなのだ。それほどの心で仕えていたのに、どうして彼のことを忘れることができようか」と嘆いた。『傅子』によれば、その死に際し曹操は「哀哉奉孝、痛哉奉孝、惜哉奉孝(哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝)」とも言った。 郭汜 かくし かくし 郭阿多との記述もあり、幼名か字が阿多である。郭多とも郭氾とも言われることもある。董卓の娘婿に当たる中郎将牛輔の部曲として史書に登場する。董卓が洛陽を放棄すると東方諸侯に備える一角を担い、李傕らと共に中牟で朱儁を破った。 192年、董卓が王允らによって暗殺された際、李傕・郭汜らは東方にあったが、賈詡の進言を容れて董卓の報復に乗り出し、諸軍を集めて長安を奪回した。 裴松之が三国志の注に引く『英雄記』によると、この攻防戦の際に呂布に一騎討ちを挑まれて応じ、敗れたとされる。 献帝を擁して王允を殺すと後将軍の地位に昇り、李傕、樊稠らと朝廷を支配した。この専横の間、兵を放って城邑を略奪させたため、三輔の民衆は飢餓に陥り「二年の間にことごとく食らいあった。」 194年、馬騰が李傕に私的な交際を求めたが断られたため、韓遂らと結託し長安を攻撃。郭汜は樊稠と共に出撃し、馬騰軍一万あまりを斬った。さらに、馬騰に協力していた羌族も撃破している。 同僚で幼馴染の李傕とは酒宴を開いたり、お互いの陣営に宿泊する仲であった。しかし、李傕が郭汜に妾を与えているのではないかと疑った妻に謀られ対立、抗争を繰り広げるようになる。この二人が争っているのを見て、張済は二人の争いを仲裁し、献帝を洛陽に送ることとなった。だが、郭汜は献帝の護衛中に変心して官軍に対して攻撃を仕掛ける。李傕、張済を巻き込んで官軍を壊滅状態に追い込んだが、献帝を捕らえる事は出来なかった。 その後、錦の御旗を失った郭汜は衰退し、197年、曹操が派遣した謁射僕射の裴茂に長安を追われ、部下の伍習に裏切られて郿で殺された。その首は曹操のもとへ送られた。 郭図 かくと かくと 字は公則。豫州潁川郡の人。 建安4年(199年)、沮授と田豊が、曹操と対抗する上で持久戦略の採用を主張したのに対し、郭図は審配と共に短期決戦戦略の採用を主張する。袁紹は郭図・審配を支持した。さらに郭図は、監軍(袁紹軍総司令官の地位に当たる)の地位に在った沮授について、その勢威が強大すぎると袁紹に讒言した。これにより、監軍の地位・権限は三都督へと三分割され、沮授・淳于瓊・郭図の3人が都督に任命された。 建安5年(200年)10月、袁紹は淳于瓊に命じて、烏巣で兵糧を守備させたが、曹操はこれを攻撃しようと図る。この時、郭図は、この隙に曹操軍の本陣を急襲することを主張した。一方、袁紹の部将張郃は、本陣は堅固であるだろうから、全力で直ちに烏巣へ救援に向かうべきであると反論した。結局袁紹は、軽騎兵を烏巣に向かわせ、重装備の兵で本陣を攻撃するという中途半端な選択をした。曹操は淳于瓊らを打ち破り、袁紹軍は崩壊した。このとき郭図は、責任追及を恐れて張郃のことを讒言し、張郃は曹操への降伏をやむなくされた。 建安7年(202年)に袁紹が死去すると、郭図は辛評と共に長男の袁譚を後継者に推戴した。これに対して郭図・辛評と不仲の審配・逢紀が三男の袁尚を推戴し、これが袁氏の内紛につながってしまう。建安8年(203年)、郭図と辛評は、袁譚に助言・後押しをして、袁尚に先制攻撃を仕掛けさせた。しかし袁尚の反撃に敗北して平原に追い込まれ苦境に陥った。 次の手として郭図は、曹操への一時降伏を袁譚に薦め、受け入れられる。袁譚は辛毗を派遣して、曹操と同盟を結んだ。そして曹操は袁尚を攻撃し、鄴を攻め落とし、審配を処刑した。 曹操と袁尚が戦っている隙に、袁譚と郭図は一度は勢力を盛り返す。しかし、それが原因で曹操は袁譚を盟約違反と非難し、両軍は再び交戦した。建安10年(205年)春、袁譚と郭図は南皮に追い込まれて最終的に敗北し、郭図は袁譚と共に殺された。『後漢書』袁紹伝によると、この時捕まった郭図の妻子も一緒に処刑されたという。 夏侯玄 かこうげん かこうげん 字は太初。夏侯尚の子。 20歳の若さで散騎侍郎・黄門侍郎に任じられる。曹叡(明帝)に目通りした際、毛皇后の弟である毛曾と同席させられたことに対して嫌悪感を露わにしたため、明帝の不興を買って羽林監に左遷された。 正始年間初期、幼帝曹芳(斉王)の治世下で曹爽が政治の実権を握ると、曹爽の縁戚である夏侯玄も出世し、散騎常侍・中護軍に昇進した。 249年、司馬懿のクーデター(正始政変)により曹爽が処刑されると、夏侯玄も中央に召し返されて大鴻臚となり、数年後には太常に転任した。このとき、夏侯覇に、ともに蜀に亡命するよう誘われたが、断ったともいう(『魏氏春秋』)。 中書令の李豊は、大将軍の司馬師に信任されていたにも関わらず、夏侯玄に心を寄せ、司馬師を誅殺して夏侯玄を大将軍とし、政権を握らせようと考え、曹芳の皇后の父の光禄大夫張緝らと計画をめぐらした。しかし、計画は事前に露見し、司馬師に機先を制されて、夏侯玄らは捕らえられ、廷尉の鍾毓の元に送られた。鍾毓の取調べのときにも夏侯玄は堂々としており、鍾毓が作成した供述書を涙を流しながら見せると、夏侯玄は黙って頷いたという(『世語』)。結局、夏侯玄は李豊らとともに大逆の罪に問われ、刑法により三族皆殺しとなった。46歳であった。斬刑の場に臨んでも、夏侯玄は顔色一つ変えず、堂々とした様子だったという。 夏侯玄は学者としても秀でており、「楽毅論」、「張良論」、「本無肉刑論」を著した。その文章は筋が通っており、世間に広く伝わったという。 華陀 かだ かだ 本籍は沛国譙県(現在の河南省永城市)で、ペルシア系。字は元化(元方)。「華陀」とも書く。「華佗」とは「先生」を意味する尊称 xwaday が人名として用いられたもの。本名は不明。 徐州で学問し、経書を学んだ。陳珪により孝廉に推挙されたが、出仕しなかった。養性の術に通暁しており、当時の人々は彼の年がもう百歳になるはずだとしたが、見たところは若々しかった。また、華佗は医術や薬の処方に詳しく、麻酔を最初に発明したのは華佗とされており、麻沸散と呼ばれる麻酔薬を使って腹部切開手術を行ったという。そのため、民衆から「神医」と呼ばれた。また、屠蘇や「五禽戯」と呼ばれる体操健康法の発明者とも言われている。 その評判を聴いた曹操の典医となり、持病であった頭痛の治療に当たっていた。しかし、華佗は自分が士大夫として待遇されず、医者としてしか見られないことを残念に思っていた。これは当時の医者の社会的地位が低かったためである。そこで、帰郷の念が募って、医書を取りにゆくといって故郷に戻って、二度と曹操の下に戻って来ようとはしなかった。そのため、曹操はこれに怒って華佗を投獄し、荀彧の命乞いも聴かず、拷問の末に殺してしまった。曹操は名医で頭痛を治せる唯一の人物であった華佗を殺してしまったこと、またそのことにより庶子ながら、その才気煥発な面を愛していた曹沖を治療することができず、夭折させてしまったことを、後々まで後悔したと言われている。 韓浩 かんこう かんこう 字は元嗣。養子は韓栄。司隷河内郡の人。 後漢末の乱の中で人を集めて盗賊から自衛し、河内郡の太守であった王匡の従事となった。董卓が舅の杜陽を人質にして、韓浩を招いたが彼は応じなかった。これを聞いて袁術が彼を騎都尉とした。その後、同じく韓浩のことを伝え聞いた夏侯惇に見出され、曹操に従い兵を率いるようになった。 武勇に優れ、呂布との戦いなどで活躍した。夏侯惇が人質となった際には、主のいない軍をまとめ、かつ人質を取った者に対し人質を気にせず厳しい態度で臨んで事態を収拾し、結果として夏侯惇も助かっている。政治的にも優れ、曹操に対して屯田を行なうように提言している。護軍(後に中護軍)となって曹操軍の中核を担っている。智勇に優れ、多くの功績を挙げた韓浩は曹操から大いに信任された。 建安20年(215年)、漢中の張魯討伐に従軍し、張魯を破った後、漢中を統括する司令官として韓浩を推す声が強かったが、曹操は「護軍無しにはできない」と難色を示し、夏侯淵が守将となった。 その功で近衛隊の指揮者となり、列侯に封じられた。のち病死した。韓浩が死んだとき、曹操はその死を惜しんだ。彼には子がなかったので、一族の韓栄が養子として後を継いだ。 簡雍 かんよう かんよう 元の本姓は“耿”だったが、幽州では“簡”と発音されていたので、改姓した[1]。 同郷出身の劉備とは若い頃からの旧知の仲であった。早い時期から常に劉備に随伴してともに各地を転々とした。劉備が荊州に入ると孫乾、糜竺とともに従事中郎となり、話し相手になったり使者を務めたりした。 劉備が益州に入ると、劉璋にその人柄を愛された。後に、劉備と劉璋が対立すると、成都で抵抗する劉璋への降伏勧告の使者となった。劉璋は説得に応じ、簡雍と同じ輿に乗って城を出て、劉備に臣従した。 益州に入った劉備から昭徳将軍に任命され、糜竺の次で孫乾と並ぶ待遇を受けたという。 簡雍は傲慢で無頓着な性格で、劉備が出席する席でもだらしない振る舞いを止めず、諸葛亮達に対しても遠慮をせず、自分だけ長椅子を占領した上で寝そべったまま談笑をしたりした。一方で、機智に富んだ性格でもあり、劉備が厳しすぎる禁酒令を出した時は、ユーモアを交えてこれを諌め、劉備を笑わせるとともに、禁令を止めさせている。 簡雍の没した時期は不明だが、219年に劉備を漢中王に推挙した群臣達の中にも、220年に劉備を皇帝に擁立した群臣達の中にも簡雍の名は見えない。 劉備が禁酒令を出した際、酒造の器具を所有しているとして告発された者がいた。簡雍が劉備と共に成都の市街を歩いていた時のことである。簡雍は若い男女を見て、劉備に向かって「これは淫行に及ぶから取り締るように…」と言った。劉備が「何故か?」と訳を尋ねると簡雍は「あの2人は淫行の道具を持っておるから」と答えた。劉備は笑い出し、酒造器具の所有者を赦す事にしたという。 闞沢 かんたく かんたく 字は徳潤。会稽郡山陰県の人。『三国志』呉志に伝がある。 農民の出身で貧乏であったが、勉学に励み、学資稼ぎのため書籍の書写仕事を請け負い、一冊の本を書き写したときにはその内容のすべてを暗誦するほどであった。こうして学識を深め、師事する人物を求めて議論を多くし、多くの書籍に目を通した。郷里でも博識の人物と高く評価された。暦にも通じ、著書に『乾象暦注』がある。 孫権とは学問についてざっくばらんに語り合う仲であり、孫権に『過秦論』を読むようすすめたこともある。孫権は闞沢に子の孫和の勉強を見るよう依頼しており(「呉主五子伝」)、242年に孫和が太子になると、薛綜達と共にその教育係(太子太傅)となった。243年に死去。死後、孫権は数日間その死を惜しみ、食事が喉を通らなかった。 謙虚で実直なうえ、身分の低い者にも常に対等の礼をとり、他人の欠点をあしざまに指摘するようなこともせず、呉における人望は厚かった。容貌に威厳はなかったが、知識の広さは群を抜いていた。弁舌には巧みでなかったようで、蜀の使者である張奉が彼の姓名をからかった時、やり返せなかった(「薛綜伝」)。政治においては礼や律、和を重んじ、呂壱のような奸臣や不正を働いた役人にも厳罰で臨むことに反対した。 甘夫人 かんふじん かんふじん 劉備の側室。父母は不明。沛国の人。劉禅の母。 194年、劉備が予州刺史として小沛に移住したころ、妻とした。当時の正妻は糜夫人(糜竺・糜芳の妹)であり、甘夫人は身分の低さから側室のままであったが、最も長く連れ添っていたので、彼女が奥向きのことを取り仕切っていた。 207年、劉備に従って荊州に赴き、そこで劉禅を生んだ。208年、曹操の軍勢が南下して、劉備を追撃し当陽の長坂で追いつくと、劉備は甘夫人と幼い劉禅を置き去りにし、逃走した。そのとき武将の趙雲が劉禅を抱き、甘夫人を保護したため難を免れた。しかし甘夫人は間もなく亡くなり、南郡に埋葬された。 222年、甘夫人に皇思夫人と諡して、蜀に移葬することになった。しかし柩がまだ到着しないうちに劉備が崩御し、甘夫人の子である劉禅が即位したため、丞相の諸葛亮は、太常の頼恭らと諡号を検討して、甘夫人に昭烈皇后と諡し劉備と恵陵に合葬した。 なお厳密には、「昭烈」は甘夫人自身を示す諡ではない。皇后の追号と併せて「昭烈帝の皇后」という格式を表すものである。このため、自身に「穆」と諡された呉夫人は、『蜀書』において「穆皇后」と表記され、自身に諡のない甘夫人は「甘皇后」と表記されるのである。 管輅 かんろ かんろ 字は公明。平原の人。 管輅は占いによって先を見通す能力があったと言われ、そのことは『三国志』「方技伝」において記録されている。 管輅は幼少期から星を見るのが好きで、成人してからは易経などの勉学に励んだ。そのため、占師として不思議な能力が身についたと言われている。だが、素性の怪しい者と平気で付き合う一面があったため、彼を慕う人物は少なかった。ただし、彼はいつも素直な心で人に接したため、決して嫌われていたわけではなかったという。また、犯罪が起こると犯人を言い当てたため、やがて彼の回りから犯罪が絶えたという。さらに、射覆(器の中に物を入れて中身を当てさせる遊び)をするとほとんど間違いなく中身を言い当てた。 248年12月28日、曹爽の側近として羽振りをきかせていた何晏に招待された。何晏は三公に出世できるかと質問し、さらに「蠅が数十匹、鼻の頭にたかって、追っても逃げていかないという夢を見たが、何を意味しているのだろう」と問うた。管輅は「鼻はあなたの地位を表すものです。ところが、そこに蠅という醜悪なものが、寄ってまいりました。これは、険しい所に位置を占める者は転がり落ち、他人を侮り傲るものは滅びるという徴です」と警告した。 帰宅してから舅にこのことを話すと、舅は発言が明け透け過ぎると責めた。管輅は「死人と話をしているのに、何を恐れる必要がありましょうや」と言ったので、舅は怒り、気が狂ったのではないかと思った。ところが、年が明けて十日もしないうちに何晏たちが司馬懿に殺されたので、舅も敬服したという。『管輅別伝』によると、管輅は何晏について「彼はちっぽけな巧みさを才能にしていた」と評している。 正元2年(255年)、管辰は「大将軍(司馬昭)はあなたに厚意を持っていますから、富貴な身分が望めますね」と言った。しかし、管輅は自分の寿命が47歳か48歳のころに尽きるであろうと予言した。そして予言通り、翌256年2月、48歳のときに病死している(但し、管輅伝の本文中には「私の運勢は寅にあり、…」とも記述されており、その通りであるならば管輅は建安15年(210年)生まれであり、享年は47になると裴松之は注で述べている)。 姜維 きょうい きょうい 字は伯約(はくやく)。天水郡冀県の出身。 228年、蜀の諸葛亮が北伐を開始して接近した際、天水太守の馬遵とともにその偵察に赴いた。ところが各県の降伏を耳にした馬遵は、配下の姜維達も諸葛亮と内通しているのではないかと疑い、上邽に逃亡した。姜維らは彼を追ったが城内に入ることを許されなかった。冀県に戻ったがそこでも受け入れられず、取り残された姜維は行き場を失い蜀に降伏した。街亭の戦いで蜀軍が敗北すると、諸葛亮は西県の1000余家と姜維らを引き連れて帰還した。そのため姜維は以後、魏に残った母と生き別れとなった。諸葛亮は「姜維は仕事を忠実に勤め、思慮精密である。姜維は涼州で最高の人物だろう」「姜維は用兵に秀で、度胸があり、兵の気持ちを深く理解している」などと評するほど姜維の才を高く評価している。汶山での異民族の反乱を制圧すると、隴西(現在の甘粛省南東)に進出して郭淮、夏侯覇らと戦い、この地の異民族を味方に付けた。姜維は西方の風俗に通じていることや自らの才能と武勇をたのみ、大規模な北伐の軍を起こして諸葛亮の遺志を遂げたいと願っていた。だが大将軍である費禕(禕は示へんに韋)は賛同せず、姜維に一万以上の兵を与えることはなかった。 253年、費禕が魏の降将郭循に刺殺されると、姜維は費禕の後を受け軍権を握り、数万の兵を率いて北伐を敢行した。254年、魏の狄道県長李簡の寝返りに乗じて三県を制圧し、徐質を討ち取った。翌年には夏侯覇らとともに魏の雍州刺史王経を洮水の西で大破した。王経軍の死者は数万人に及んだ。この功績により翌256年に大将軍に昇進する。しかし同年、鎮西大将軍の胡済が約束を破り後詰に現れなかったため、段谷で魏将鄧艾に大敗し(段谷の戦い)、蜀の国力を大いに疲弊させた。姜維は諸葛亮の先例に倣って、自らを後将軍・行大将軍事へと降格することで敗戦の責任を取っている。257年、諸葛誕が反乱を起こしたのに乗じて魏を攻めたが勝つことができなかった。 姜維は長年軍事に力を注ぎ内政を顧みなかった。皇帝の劉禅は宦官の黄皓を重用して酒色に溺れ、蜀の国政は混乱した。また涼州出身の姜維は、蜀の朝廷内では孤立しがちであった。黄皓が閻宇と結託し姜維の追放を画策した際には、当時蜀漢の朝政を担っていた諸葛瞻や董厥までが黄皓の意見に同調したほどであった。姜維もまた黄皓を除くよう劉禅に嘆願したが聞き入られず、身の危険を感じた姜維は、これ以後成都に戻る事が出来なくなった。 262年、魏を攻めたが鄧艾に撃退された。263年、魏の司馬昭の命を受けた鄧艾と鍾会が蜀に侵攻してきた。姜維は剣閣で鍾会の軍に抵抗した。しかし姜維と鍾会が対峙している間、鄧艾が陰平から迂回して蜀に進入し、綿竹で諸葛瞻を討ち取った。この知らせを聞いた劉禅は成都を攻められる前に鄧艾に降伏した。劉禅降伏の報を受けた姜維は、残念に思いながら鍾会に降伏した。 降伏後の姜維は、鍾会が魏に反逆する意図を抱いていることを見抜き、鍾会に接近して魏に反逆するように提案した。その目的は、まず鍾会を魏から独立させ、機会を見て鍾会と魏の将兵を殺害し、劉禅を迎え入れて蜀を復興させようというものであった。鍾会は姜維の進言に従い、遠征に従軍した将軍たちを幽閉して反乱を準備した。だが将軍らが生命の危機を感じて暴動を起こしたため計画は失敗し、姜維は鍾会および妻子と共に殺された。享年63。 橋玄 きょうげん きょうげん 字は公祖。梁国睢陽県の人。 時の豫州刺史周景が梁国に至ったとき、橋玄は周景に面会すると地に伏して陳国相羊昌の罪悪を申し述べ、自分を陳国従事に任命して徹底的に取り調べさせてくれるように乞うた。 周景は橋玄の決意を壮として、従事に任じると陳国へ派遣した。橋玄は羊昌の賓客をことごとく収監し、臧罪(贈収賄罪)の罪状で取り調べた。大将軍梁冀は日ごろから羊昌と親交があり、檄を発して橋玄を召喚しようとしたが、橋玄は取調べをますます厳しくして、遂に羊昌を檻車で洛陽へ送った。この一件で橋玄は世に名を著した。 桓帝の末期、大将軍と三公府の推挙によって度遼将軍・仮黄鉞となった。任地に至ると、諸将を率いて高句麗の伯固らを討ち破って敗走させた。三年の在職の間に辺境は安静となった。 霊帝の時代になると呼び戻されて河南尹となり、その後は九卿・三公を歴任した。光和元年(178年)、太尉となって数か月で病のために免じられ、太中大夫を拝命して自宅で医者に掛かった。光和6年(183年)に死去。享年75歳。橋玄は剛直性急で大仰な礼儀を用いなかったが、下位の士人には恭謙で、宗族の中に橋玄の地位を利用して高位に昇った者はいなかった。橋玄が死ぬと家には生業が無くなり、喪中に殯も行われなかった。世論はこれを称賛した。 橋玄は、洛陽に召されて間もなく無名の曹操の訪問を受けてその様子に感嘆し、「私は天下の名士を多く見てきたが、君のような者はいなかった。君は善く自らを持せよ。私は老いた、願わくば妻子を託したいものだ」と語っている。このため曹操の名は知れ渡ることになった。建安7年(202年)、曹操が軍を率いて橋玄の墓の傍を通ったとき、人をやって太牢の儀礼でもって橋玄を祀り、自ら祭祀の文を奉げている。 橋瑁 きょうぼう きょうぼう 字は元偉。豫州梁国睢陽県の出身。文献によっては喬瑁と記されていることもある。『後漢書』、『三国志』にその名が散見される。 武帝紀の引く『英雄記』によると、太尉であった橋玄の一族とされるが、子の世代にあたる人物であるというのみで、続柄は明らかではない。兗州刺史を務めたことがあり、威厳と恩情を兼ね備えていたとされる。やがて東郡太守となる。 永漢元年(189年、大将軍何進は十常侍と対立すると、各地の軍を呼び寄せようとし、橋瑁にもその命令が下り、橋瑁は成皋の地に軍を駐屯させた(『後漢書』)。 何進と十常侍が共に滅び、董卓が朝廷の実権を握ると、橋瑁は三公の公文書を偽造し、董卓に対する挙兵を呼びかける檄文を作った(『後漢書』)。初平元年(190年)、董卓に反対する関東の諸侯が挙兵する(反董卓連合)と、橋瑁は孔伷や劉岱、張邈、張超、袁遺と共に参戦している。もっとも、臧洪伝によると、当初挙兵したのは橋瑁達である。 袁紹を盟主として仰いだが董卓が長安に遷都して以降は事態は進展がなく、橋瑁は酸棗に劉岱、張邈、袁遺、鮑信、曹操と共に駐屯していた。曹操は、酸棗に駐屯する諸侯が酒宴ばかり開いて董卓と積極的に戦おうとしないことを憂い、進軍計画を立てた上で、戦をするようすすめたが、諸侯はそれに応じなかった。 やがて酸棗の軍勢は兵糧が尽きて散逸し、橋瑁は劉岱と対立し殺害された。 許靖 きょせい きょせい 字は文休。汝南平陽の人。月旦評という人物評で有名な許劭(許子将)は従弟にあたる。蜀書に独立した伝がある。若くして従弟の許劭とともに人物評価について高い評判を得ていた。許劭とは仲が良くなかった。 董卓が朝廷を牛耳るようになると、董卓は吏部尚書周毖と共に許靖に人事を管轄させた。許靖は汚職をした者を追放する一方、、荀爽・韓融・陳紀・韓馥・孔伷・張邈・劉岱らを中央の要職や地方の長官に任命した。許靖自身も巴郡太守に任命されたが任地に赴かず、朝廷にとどまり、御史中丞となった。韓馥らが後に董卓に謀反を起こすと、その責を問われ周毖が董卓に処刑された。許靖は難を逃れるため朝廷を離れ、一族で陳国の相であった許湯を頼り、豫州刺史となっていた孔伷の下に身を寄せた。孔伷が死去すると、揚州刺史の陳禕(陳温)に身を寄せ、陳禕が死ぬと、旧交のあった呉郡都尉の許貢と会稽太守の王朗を頼り江東に渡った。 袁術の支援を受けた孫策が揚州を席捲し、会稽の王朗を攻撃すると許靖は交州に難を避け、このとき一族の多くが餓死した。交州を支配していた士燮には礼をもって遇され、同じく交州に逃れていた袁徽は荀彧に手紙を送り許靖の人物を賞賛したが、曹操が交州に派遣した使者の張翔は許靖を強引に招聘しようとし許靖に忌避され、腹いせに許靖の出した手紙をすべて捨てた。後に益州の劉璋に招聘されて巴郡・広漢郡の太守に任命された。211年、王商が死去すると許靖が後任の蜀郡太守に転任した。 214年、劉備が劉璋を攻め成都を包囲すると、許靖は劉璋を見捨て成都城を脱出しようとしたが発覚し捕らえられた。劉璋は許靖を咎めず、処刑しなかったものの、後に劉備が蜀(益州)を支配すると劉備は許靖を嫌い任用しようとしなかった。しかし、「許靖の高名は天下に聞こえ渡っており、許靖を任用しないのなら多くの人は公(劉備)が君子を軽んじていると思うことになります」と法正が劉備に説いたので、左将軍長史に任じられた。 劉備が漢中王になった際は、鎮軍将軍の職にあり、王への推挙の群臣の中に名を連ね、王に就任した後は劉備により太子の劉禅の補佐役(太傅)を任された。 220年に後漢が魏への禅譲により滅亡した。その後、献帝が殺害されたという誤報が蜀にもたらされると、221年、群臣と共に劉備に漢の皇帝として即位することを勧めた。劉備が皇帝になると司徒に任命された。 その頃70歳を過ぎていたが、人材を重んじ、脱世の議論を好んだといわれる。222年に没した。 魏の重臣となった華歆、王朗や陳紀の子である陳羣らとの親交は生涯を通して続き、手紙のやり取りをして旧交を温めたという。あるとき、王朗は劉備が没したことを知り、許靖に手紙を送って、劉禅、諸葛亮の魏への帰順を促そうとしたが、許靖は既に没していた(『魏略』)。 また、許靖は親類縁者や同郷の人を引き取って育て養育したという。 許攸 きょゆう 字は子遠。荊州南陽郡の人。 弱年の頃は袁紹や張邈と「奔走の友(心を許しあい危難に駆けつける仲間)」の交わりを結んだという。後漢の霊帝の時代、冀州刺史の王芬と手を組んで霊帝を廃して合肥侯を皇帝に擁しようと画策したが、失敗して逃亡し、袁紹の配下となった。建安4年(199年)頃には、田豊・荀諶と並び称される袁紹陣営の参謀となっている。しかし、上記のように朝廷に対して造反を画策したこと、性格的に金銭に強欲な所があったことなどから、進言が袁紹に容れられることはほとんどなかったと言われている。 建安5年(200年)、官渡の戦いのとき、袁紹に曹操側の本拠・許都と兵站路を襲撃し、曹操軍の死命を制する戦略を進言したが受け入れられなかった。また、ほぼ時を同じくして、許攸の家族が法を犯したとして審配に逮捕されてしまう。袁紹を見限り、曹操に寝返った。『三国志』魏書武帝紀には、許攸の強い物欲を袁紹が満足させることが出来なかったので、許攸は袁紹を裏切ったとある。そして、曹操に対して淳于瓊が守る袁紹軍の兵糧基地・烏巣の守備が手薄なことを教えて、奇襲をかけるように進言する。これが成功して烏巣は陥落した。 虞翻 ぐほん 耿紀 こうき 黄月英 こうげつえい 黄権 こうけん 黄皓 こうこう 孔秀 こうしゅう 黄承彦 こうしょうげん 公孫淵 こうそんえん 孔融 こうゆう 顧雍 こよう
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魏-4 馬1.5 R羊祜 弓1.0 C李典 馬1.0 C劉曄 馬1.0 LE賈羽 馬1.5 LE郭嘉 馬1.0 LE楽進 弓2.0 LE夏侯淵 馬3.0 LE夏侯惇 弓2.5 LE許諸 弓1.0 LE荀彧 弓1.5 LE荀攸 馬2.0 LE徐晃 魏-3 << >> 魏-5 魏-037 武将名 ようこ 羊祜 蔡邕の外孫で司馬師の義弟。美しい容姿で博学かつ、談話の名手。長江をはさんで陸抗と互いの力を認め合い、敵同士だが信義と徳を持って交流した。陸抗死後に呉を討つ好機と上奏したが、存命の間に呉征伐は叶わず、その遺志は杜預が引き継いだ。「たとえ敵であっても、信義を持って向かい合います」 レアリティ R コスト 1.5 属性 地 兵種 騎兵 能力 武力5 知力6 特技 魅力 計略 刹那の号令 範囲内の味方の武力を短時間上げる。 必要士気3 Illustration okome 前作のR曹仁と同じ感覚で使っていける武将。 刹那の号令は効果時間こそ短いものの、士気3で範囲内の味方全員の武力を+4する。 号令でのぶつかり合いの時などに重ねて使えば相手を壊滅させるだけの威力となるだろう。 魏-038 武将名 りてん 思慮深き将軍 李典 曹操立ち上げの時期からの名将。学問を好み、戦いにおいては、常に冷静沈着に行動し、部下から尊敬を受けていた。数々の戦いで副将として参戦し、深追いする武将を諌める役目として登場する。しかし慎重すぎたのか、大きな活躍記録は残されていない。「将軍、出すぎですぞ。ご自重ください!!」 レアリティ C コスト 1.0 属性 地 兵種 弓兵 能力 武力3 知力6 特技 計略 反計 【反計】(効果範囲内の敵が計略を使用してきたときのみ使用可能。反計を反計することはできない)敵の計略の発動を無効化し、ダメージをあたえる計略であれば、効果をはね返す。 必要士気3 Illustration ファントム 非常に地味ではあるが、1コスト武力3知力6といえばかなりのスペックである。 計略も看破より消費士気が1つ多いとはいえかなりの広さを持つ反計であるし、 武力3ともなれば号令時にはそこそこの威力を期待することも出来る。 地味に優秀な1枚となっている。 計略の関係上、相手に接近する必要があるが、素武力が低いので、 号令や妨害をかけた後に接近する事が望ましい。 李典+αで攻城しつつ、他の部隊でマウントを取るのが理想的な使い方か。 文官っぽいが、しっかり一騎打ちの対象なので気をつけよう。 魏-039 武将名 りゅうよう 叡智秘めし王族 劉曄 漢の光武帝の子、劉延の末裔。曹操・曹丕・曹叡と魏の三代に仕えた。漢王朝の一族という身分から、意識的に人との交流を控えていたが、呉の魯粛との親交は厚かった。人物眼に優れており、張魯攻略を進言したり、孟達の裏切りを見破った。「フッ、愚か者が考えそうなことだ」 レアリティ C コスト 1.0 属性 天 兵種 騎兵 能力 武力2 知力7 特技 伏兵 計略 看破 【反計】(効果範囲内の敵が計略を使用してきたときのみ使用可能。反計を反計することはできない)敵の計略の発動を無効化する。 必要士気2 Illustration 音楽ナスカ なぜ狐の尻尾をつけているのか・・・? それは絵師の音楽ナスカ氏にしかわからない。 それはともかく、反計持ち騎兵の有用性は非常に高い。 移動速度を活かして動き回り、相手の重要計略持ちをピッタリマークすることが出来る。 伏兵持ちでもあるため、ステルス反計をすることも出来るかもしれない。 素武力が低いので、看破を意識しすぎて刺さったり高武力に乱戦しすぎたりするとあっさり溶ける。 また、AC版と比べると反計範囲がずいぶん大きくなっている。 LE-001 武将名 かく 蒼天航路 賈詡 王欣太「蒼天航路」元は張繍の配下で、曹操を死線に追い詰めたこともある智謀の持ち主曹操に仕えてからは、数々の戦場で、軍師として曹操を支えた。「この知能よりほとばしる軍略に限りはないぞ!」 レアリティ LE コスト 1.0 属性 天 兵種 騎兵 能力 武力1 知力9 特技 伏兵 計略 離間の計 範囲内の敵の武力と知力と移動速度を下げる。この効果は対象が1部隊の場合、半減する。 必要士気6 Illustration 王欣太 R賈詡のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-002 武将名 かくか 蒼天航路 郭嘉 王欣太「蒼天航路」軍師として曹操に仕える。呂布との戦いや官渡の戦いで曹操軍の勝利に貢献した後、長城を超え鳥丸族討伐するように曹操に進言。死の間際まで、次の戦のことを考えていた純粋軍師であった「あんたらから戦の匂いがしてこないんだよ」 レアリティ LE コスト 1.5 属性 天 兵種 騎兵 能力 武力4 知力9 特技 伏兵 計略 刹那の神速 範囲内の味方の武力が短時間上がり、さらに騎兵であれば移動速度も上がる。 必要士気3 Illustration 王欣太 R郭嘉のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-003 武将名 がくしん 蒼天航路 楽進 王欣太「蒼天航路」兵卒から曹操に見出され、以降は将軍として仕える。小柄だが勇敢で、肝っ玉が大きく、いかなる敵将・大軍が相手でも、決して引くことはなかった。「どうということもなく!」 レアリティ LE コスト 1.0 属性 天 兵種 騎兵 能力 武力4 知力3 特技 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 Illustration 王欣太 UC楽進のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-004 武将名 かこうえん 蒼天航路 夏侯淵 王欣太「蒼天航路」夏侯惇の従兄弟で、同じく曹操挙兵時から付き従った。弓の名手で、戦では、奇襲を得意とする。定軍山では、劉備軍相手に奮闘したが討ち死にした。「約束の杯をあげよう。われらの魏国に」 レアリティ LE コスト 2.0 属性 地 兵種 弓兵 能力 武力8 知力3 特技 募兵 計略 乱れ撃ち 自身の武力が上がり、射程内の敵部隊全てに弓攻撃を行う。 必要士気4 Illustration 王欣太 R夏侯淵のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-005 武将名 かこうとん 蒼天航路 夏侯惇 王欣太「蒼天航路」隻眼の鬼将軍。曹操挙兵時から付き従い、数々の戦で戦功をたてた。曹操とは「孟徳」と字で呼びすてするほどの仲で、常に曹操の天下を考えた行動をとった。「夏侯惇は孟徳の天下へ一本道じゃ」 レアリティ LE コスト 3.0 属性 地 兵種 騎兵 能力 武力9 知力7 特技 復活 勇猛 計略 隻眼将の大喝 範囲内の敵を短時間、移動できなくする。さらに範囲内の敵の数が多いほど武力が上がる。一定以上武力が上がると、さらに移動速度も上がる。 必要士気4 Illustration 王欣太 R夏侯惇のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-006 武将名 きょちょ 蒼天航路 許褚 王欣太「蒼天航路」曹操の護衛隊長。無双の怪力の持ち主。絶えず曹操に付き従い、赤壁では死の際にあった曹操を甘寧の奇襲から守り、馬超との戦いでは、馬超の奇襲から曹操を救った。「おっ月さまはぜったいにいっこじゃねぇーぞぉ」 レアリティ LE コスト 2.5 属性 天 兵種 弓兵 能力 武力10 知力2 特技 募兵 計略 虎痴の怪力 自身の武力が大幅に上がる。 必要士気3 Illustration 王欣太 R許褚のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-007 武将名 じゅんいく 蒼天航路 荀彧 王欣太「蒼天航路」君主を補佐し、天下へと導く「王佐の才」の持ち主。黄巾の乱で、曹操に軍師として従った。その後、曹操の下を離れるも、旅で見聞を広げた後、再び仕えた。「策においては殿をおそれずただ我が脳に聞いて決定すべし」 レアリティ LE コスト 1.0 属性 天 兵種 弓兵 能力 武力1 知力9 特技 計略 玄妙なる反計 【反計】(効果範囲内の敵が計略を使用してきたときのみ使用可能。反計を反計することはできない)敵の計略の発動を無効化し、ダメージをあたえる計略であれば、効果をはね返す。 必要士気4 Illustration 王欣太 R荀彧のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-008 武将名 じゅんゆう 蒼天航路 荀攸 王欣太「蒼天航路」荀彧の年上の甥。控えめな性格だが、気骨があり、しぶとい軍略の持ち主。赤壁でも、曹操不在の中で堅固な陣をたて、呉の攻撃に備えた。「眼前の戦を貫く、それが曹孟徳の軍師」 レアリティ LE コスト 1.5 属性 地 兵種 弓兵 能力 武力3 知力8 特技 防柵 募兵 計略 大水計 範囲内の敵に水によるダメージを与える。ダメージは互いの知力で上下する。 必要士気7 Illustration 王欣太 UC荀攸のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 LE-009 武将名 じょこう 蒼天航路 徐晃 王欣太「蒼天航路」ひょうきんな性格で、「敗けずの徐晃」の異名を持つ。逃げ足も速く、官渡の戦いでは軽さを重視するため、裸で騎乗し陣営に戻っている。赤壁、漢中、荊州とあらゆる戦場で軍を率い、活躍した。「いよお~!不敗を誇る徐晃がお出ましだ!」 レアリティ LE コスト 2.0 属性 天 兵種 騎兵 能力 武力8 知力5 特技 計略 神速戦法 自身の武力と移動速度が上がる。 必要士気4 Illustration 王欣太 UC徐晃のイラスト違いカード。 ボイスも全て別のものとなっている。 魏-3 << >> 魏-5
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【元ネタ】中国・史実 【CLASS】キャスター 【マスター】 【真名】楊脩 【性別】男 【身長・体重】cm・kg 【属性】秩序・中庸 【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷D 魔力B 幸運E 宝具B 【クラス別スキル】 陣地作成:C 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 小規模な”工房”の形成が可能。防御用に竹椑楯が設置される。 道具作成:D 魔術的な道具を作成する技能。 文学関連のみならず、戦場に必要な兵器や物資も作成出来る。 【固有スキル】 仕切り直し:D 戦闘から離脱する能力。機を見て逸早く迅速に撤退しうる。 人間観察:D 人々を観察し、理解する技術。張松の才能を見抜いている。 呪歌:E 歌を用いた魔術体系。曹丕と文学を論じるほど才能があった。 曹植への返翰や「神女賦」が現存するが、多くが唐代以降に散逸している。 【宝具】 『不及三十里(およばざることさんじゅうり)』 ランク:B 種別:結界宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人 キャスターが曹操と共に孝女曹娥の碑を訪れた所、背面に「黄絹幼婦外孫韲臼」の八字があり、 キャスターは即座にその意味を解したが、曹操はそこから立ち去る事30里(1里が415m)にして答えを悟り、 「我が才の卿に及ばざること乃ち三十里なる事を覚った」という。 自分ないしは馬の足で三十里を移動しなければ、キャスターへの攻撃にタイムラグが発生し、命中率が大幅に低下する。 キャスターに接近すればする程、タイムラグは短縮可能。 【Weapon】 『無銘・剣』 キャスターから曹丕に献上されたのと同型。曹丕は即位後、既に故人となっていたキャスターが献上してくれた剣を見返して、 自分に冷淡であったと思い起こしていたという、実に曹丕らしい逸話がある。 【解説】 後漢末期の官人(175~219)。字は徳祖。母方の伯父は袁術。曹操に仕えた。 謙虚で才能があったといい、有名な鶏肋の逸話が残るほか、『世説新語』には曹操の出した謎掛けを解いてみせたという複数の逸話がある。 名門出身であり、辛口批評で知られる禰衡にも評価された才能があったため、20歳で曹操に採用されたが、45歳の時に処刑された(一説に死亡時30歳)。 曹操晩年の出来事であり、動機については曹植とキャスターが仲がよかったのを危険視したとも、キャスターの才能を恐れたともされるが、明らかでない。 キャスター自身、曹植との交わりをあからさまに絶つ真似はしなかった。 なお、曹操と共に曹娥の碑を見たというが、碑があるのは呉の領域であり、両者がこんな所を逍遥したという事実はない。 キャスターが曹操の謎を解くという「定番」から生まれた話であろう。 謎の意味は「黄絹」は色の付いた糸だから「絶」、「幼婦」は少女だから「妙」、「外孫」は女(むすめ)の子だから「好」、 「韲臼」は辛を受ける物であるから、旧字体の「辞」が出て来て「絶妙好辞」、表の碑文を讃えたものであった。
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ソウキュウ 列伝 曹操の甥。 【演義】 銅雀台落成式で見事な弓技を披露し、濡須口の戦いでも凌統の馬を射当てた。曹操の死後、曹洪と共に宮中に乗り込み、曹丕への譲位を献帝に強要。以後は対呉戦線を指揮し、曹丕臨終の際は曹叡の後見を頼まれた。228年、呉の周魴の偽投降を信じ、賈逵らの制止を振り切って石亭に出陣。陸遜に大敗し、間もなく病死した。 【正史】 曹操が董卓打倒の兵を挙げた時から従軍する。曹操から可愛がられ、曹丕と同様に育てられた。劉備との漢中争奪戦では、張既と共に曹洪を補佐した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 74 75 58 56 67 330 149 207 順位 143 131 399 375 266 182 123 160 偏差値 57.5 58.0 49.6 49.8 54.0 56.5 58.2 57.5 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B C S A C B 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 63 62 53 60 71 74 78 67 53 44 60 56 順位 158 172 239 257 23 42 87 80 215 242 96 109 偏差値 57.2 56.5 54.1 53.2 65.5 64.3 60.6 60.7 55.4 53.7 59.3 58.2 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 射手 森に弩兵戦法可能 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 26 兗予 実績 中華統一 臨機応変 3/5 3/5 1/3 174 189 228(55歳) 自然死 猪突 猪突 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 曹休が親愛する武将 なし 曹休が嫌悪する武将 なし 血縁 世代 ● ● ● ● 1 曹操 ● 曹仁 曹純 曹洪 ● 2 曹昂 曹丕 曹彰 曹植 曹熊 曹沖 曹宇 曹休 曹真 3 曹叡 曹霖 曹奐 曹爽 曹羲 曹訓 4 曹芳 曹髦 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 11歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 17歳 一般 陳留 曹操 120 - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 21歳 一般 陳留 曹操 120 - 2000 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 27歳 一般 長安 曹操 120 偏将軍 10000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 34歳 一般 長安 曹操 120 平南将軍 15000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 38歳 一般 宛 曹操 120 破虜将軍 16000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 52歳 都督 寿春 曹丕 120 征東将軍 35000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 25歳 一般 洛陽 曹操 120 建議校尉 4000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 30歳 一般 長安 曹操 120 牙門将軍 11000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 44歳 一般 漢中 曹操 120 安西将軍 24000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 14歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 18歳 一般 陳留 袁紹 99 - 1000 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 小沛 - - - 0 - - 能力自体は並だが、弩適性Sで特技 射手 をもっているので、弩兵の副将として活躍してくれる。 武力の高い武将と組ませ、強力な弩兵を編成しよう。単体でも、それなりに優秀。 夏侯淵と組ませたくなるが、適性が被るので少々勿体無い。魏には呂虔等もいるので、夏侯淵はそちらと組ませよう。 -- (名無しさん) 2010-02-15 12 26 43 魏には鮑信・満寵といった優秀な補佐持ちがいるので、彼らの副将候補としては最上位。 活躍期間も比較的長めである。 -- (名無しさん) 2010-05-30 06 49 45 嬉しい弩適正S。曹操の勢力は武将が優秀なので、技巧研究が進められれば まさに無敵。なので、自慢の弓の腕前で、土塁に乱射、敵の内政施設に乱射 をし、技巧Pを荒稼ぎしてもらいましょう -- (名無しさん) 2010-09-23 22 42 19 対蜀が曹真なら対呉はこの人。下弁攻防でも活躍したけど。 曹真と同格の能力が欲しいところだが、石亭の敗戦のせいで能力値が抑えめ。 しかし特技と適性は非常に優秀なので、積極的に使いたい。曹操軍なら育成おすすめ武将の一人。 -- (名無しさん) 2012-04-11 17 36 57 射手は便利な上に貴重な特技だが、弩適正Sに着目してガッツリ育成する場合は若干もったいなく感じてしまう。 活動期間も長い上に武・統とも育成しやすいため、廟で攻撃的な特技が来たら乗り換えるのもありだ(特に仮想系シナリオ)。 -- (名無しさん) 2014-04-09 23 16 32 この人親愛関係皆無だが、曹丕とは親愛じゃないの? 逆に嫌悪が賈逵。 -- (名無しさん) 2016-08-15 21 53 31 親愛に関する文句を抜かす奴等が今年になってからまた出てきてるな。ここは質問版じゃないし、自分の浅い知識をひけらかす場所でもないんだよ。 弩がS。技巧研究を進め、弓将系の特技を持つ誰かと組ませれば、どこにいようがクリティカルの矢を飛ばしてくる、数値以上の活躍を見込める部隊が編成できる。 -- (名無しさん) 2016-11-02 23 38 38 自分の浅い知識を押し付ける場所でもないんだよ。 -- (名無しさん) 2016-12-10 20 39 45 ↑ここ攻略wikiだからね。君含め荒らしがまた湧いてるけど、不快なだけだからやめなさい。 -- (名無しさん) 2016-12-12 08 37 25 などと馬鹿が供述しており余罪があると見て当局は追及していく模様です -- (名無しさん) 2017-03-06 21 15 11 弩兵のみだが、適性高いおかげでこの能力値でも偏差値高い高い。 攻撃力23位とは。後衛としては一級と言っていいだろうね。 -- (名無しさん) 2017-06-17 01 05 27 射手持ちで弩の適正がSなのはPC版の張清とこの曹休だけ 副将としても主将としてもとても優秀 -- (名無しさん) 2017-06-17 04 07 44 特技のおかげで、能力以上の活躍ができる。 顔が完全に蒼天航路の曹一族なのはご愛嬌。 -- (名無しさん) 2017-10-06 22 03 43 呂布軍に工作にきたこいつ捕らえて 仲間にしたんだけど、 曹操が引き抜いてきたら 忠誠100でも引き抜かれますか? -- (名無しさん) 2021-11-12 21 30 13 名前 コメント すべてのコメントを見る