約 11,570 件
https://w.atwiki.jp/sangokuhime-wiki/pages/82.html
狛乃ハルコ(こまのはるこ) ・狛乃ハルコ=鈴木はるこ ・愛称:??? ・Wiki-狛乃ハルコ(声優) ・blog Sさん。 ・TVアニメ出演作 狼と香辛料 子供 第5話「狼と痴話喧嘩」 こんにちは!アン テッサ 楽進文謙 出演作品 役名 ブランド 発売日 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 プリンセス☆ストライク! ミルフィ・ポム・デリング あてゅ・わぁくす 2010-12-24 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 あかときっ!-夢こそまされ恋の魔砲- 773号 エスクード 2010-12-23 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 三極姫~乱世、天下三分の計~ 楽進兀突骨 げーせん18 2010-12-17 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 りぼる・さもなーRevolving Summoner ガナッシュ M de Pink 2010-11-12 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 人妻巨乳三姉妹 美咲 ローズティアラ 2010-09-24 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 えろげー!~Hもゲームも開発三昧~ 此花 みき CLOCKUP team.ANISE 2010-06-25 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ノーブレスオブリージュ 宮永 美琴 CLOCKUP 2010-04-23 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 戦極姫2~戦乱の世、群雄嵐の如く~ 最上 義光村上さん げーせん18 2010-02-19 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 はるかぜどりに、とまりぎを。 2nd Story~月の扉と海の欠片~ 福茶 文兼 SkyFish 2010-01-29 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 出撃!!乙女たちの戦場~闇を切り裂く、にび色の徹甲弾~ 荻谷 学美鳳凰院 あやめエシュロン げーせん18 2009-12-18 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ユリっ娘女学院~もっと虐めて!お姉さまっ~ 生田 桂 おとこの娘倶楽部 2009-08-14 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 神楽道中記 奥田 杏甲斐谷美鈴 でぼの巣製作所 2009-07-24 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 2度咲き!タルトレット~恋の甘さは控えめで~ 桜木 舞依 しらたま 2009-06-26 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ここより、はるか-Surrounded sea in the world- 榎本 梢 Pleats soft 2009-03-27 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 戦極姫~戦乱の世に焔立つ~ 鉄鋼戦 鬼宿村上さん本願 刻印兵 げーせん18 2008-11-20 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 Mywayなキミ 一条麻衣 エロゲーホンポ 2008-09-26 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ぷりサガ!X(エックス) フェイ=クリストフ DisAbel 2008-05-02 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 とらい☆すたーず サード・ザ・ティマイオス CLOCKUP team.LILAC 2008-03-28 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 残暑お見舞い申し上げます。~君と過ごしたあの日と今と~ その他 めろめろキュ~ト 2008-02-29 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ピリオド シロ LittleWitch 2007-12-21 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ティルアぱにっく 一年生の女子 カクテルソフト 2007-11-22
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/1492.html
名稱:陳群 伺服器及顏色:5、6服藍 類型:文 性別:男 生命值:561 武力:38 智力:33 防禦:13 敏捷:46 運勢:109 敘述:陳群,字長文,潁川許昌人,三國時曹魏名臣。曹操殺掉馬騰後,有言劉備將興兵取川,曹操因而深表畏忌;陳群時為治書侍禦史,向曹操獻策,建議起大軍 南征孫權,而劉備意在兩川,必不救權,故能一舉得江東,其後徐圖西進,吞荊並川,以定天下。曹操對其策極表贊同。可惜諸葛亮派人?書西涼,使馬超興兵入 關,曹操急於應付,被迫擱下陳群之策。後來陳群一直位居要職,先後受曹操、曹丕托孤,成為魏國重臣,官至司空。後又隨司馬懿遠征公孫淵於遼東。其子陳泰, 亦是魏國後期名將。
https://w.atwiki.jp/gukko/pages/13.html
夏侯淵(字:妙才) かこうえん蒼天夏侯淵 夏侯惇(字:元譲) かこうとん蒼天夏侯惇 華歆(字:子魚) かきん蒼天華歆 賈詡(字:文和) かく蒼天賈詡 郭嘉(字:奉孝) かくか蒼天郭嘉 夏侯淵(字:妙才) かこうえん 生没:?~219年 本貫:豫州沛国県 官:征西将軍 曹操の従弟のひとり。あるいは又従弟か。おまけに曹操の妻(どの子だろ?)の妹を娶っている。孫策・周瑜みたいなもんですな。 若い頃、曹操が故国沛県で県令相手になんかやらかして指名手配されたとき(何やったんだ…)、その身代わりになって逮捕されたことがある。後、曹操が機転を利かして救出したらしいが、このエピソードの詳細は記録になく、歴史作家たちの創作活動に生彩を与えるであろう。 また、時期は定かでないが、兗・豫州が飢饉に見舞われたとき、夏侯淵は自分の幼子の命と引き替えに、死んだ弟の娘を救ったという。これまた後の張飛夫人あたりと絡めて、色々創作のタネになりそうな話である。 さておき、彼は速戦を得手とする疾風なんちゃらに比すべき猛将であったらしい。「典軍校尉夏侯淵 三日五百(里) 六日一千(里)」という囃し歌が軍中で流行ったというから凄い。 もちろん彼が屈指の騎手ゆえに軍団が早く動けた、という訳ではない。斥候の手配、行軍計画や補給拠点の確保など、要は軍団の高速移動に必要な事務処理能力に際だって優れていたのであろう。事実、官渡の決戦の際、彼は徐州~豫州にかけての兵站ラインを維持する補給司令部を宰領しており、同じく後方総司令官である夏侯惇とともに、ガッチリと前線をサポートしていた。 ちなみに彼が典軍校尉に任じられたのは官渡から赤壁の間のことで、当時は徐州近辺の反乱制圧に奔走していたようだ。なお「典軍校尉」は、曹操が西園八校尉に任じられたときの官位。 彼の前半生の戦歴を見る限り、大戦で軍主力として働くと言うより、東へ西へ、北へ南へ、次々と勃発する反乱勢力を鎮圧して回る任が多い。もちろん反乱勢力といっても、難地の険に拠った郡レベル州レベルの大規模なものばかりで、ヘタすると劉備一党などよりもよほど強大な勢力である。そのため、「夏侯淵軍」という独立軍団ではなく、任地にあわせて徐晃や朱霊といった有力な武将を複数率い、全ての戦闘で勝利を収めていた。名選手というより名監督タイプかも。 それだけ軍政に長け、軍歴を重ねながらも、「思慮が足りん」「もっと臆病になれ」と曹操にたびたびお説教をうけており、今ひとつキャラが掴めねえ(; ・`д・´) 赤壁後は西の備えとして長安方面に赴任し、司、雍、涼三州の軍事および政治の悉くを総監した。文字通り、曹操の「分身」というべき存在であったろう。 西に駐留すること六年余。まだ曹操の威風に従わない韓遂ら関中の軍閥や、涼州の異民族を相手に連戦連勝し、魏の西辺境区を踏み固めた。漢中要塞奪取後は、そのまま対蜀方面総責任者として漢中の南鄭を居城とし、益州入りした劉備と対峙する。 西暦二一九年正月に行われた漢中西郊の定軍山の戦闘では、自ら前線に立って奮闘。しかし、劉備の猛攻に崩れ始めた張郃隊を救うため、自隊の半数を割いて寄越した瞬間、その空隙を敵将黄忠に衝かれ(他説では、逆茂木の修復作業の最中に襲撃されたとも)、討ち取られた。曹操の覇業を支えた宿将中、戦場で討ち取られた将帥は彼と張郃のみである。 諡して慇侯。長子夏侯衡が爵位を継いだ。次子夏侯覇は、後に司馬氏の専横に反発して蜀に亡命する。 その夏侯覇を迎えるための創話くさくもあるが、実は蜀の猛将・張飛の妻は夏侯淵の娘(ないし姪)であったとされる。張飛の娘二人は皇帝劉禅に嫁いでいるので、夏侯淵は曹操、劉備どちらにとっても縁戚にあたる。…というわけで、夏侯覇は蜀漢王朝の外戚として累進し、車騎将軍という軍部のナンバー3にまで昇る(「三国演義」ではその後戦死)。 蒼天夏侯淵 史実では曹操より歳下っぽいが、蒼天では「四天王」全員が曹操より年上。幼い阿瞞に屈強のイトコたちが付き従うという少年編のスタンスがそのままシフトしている。 若い頃からクールな美丈夫として描かれており、熱血一本の惇兄ィと対照的である。 「危機にあっても自在に心が動く」「天下一の弓」と評されている。そういえばいつの間にか、夏侯淵=弓将というイメージが定着しているな…。三国無双あたりからかしら。とにかくいぶし銀の匂いをプンプンさせている。常に冷静で知的、細い髭と流し目がステキ。 後に曹操に「道理を好み、無駄を憎悪している」と評されるなど、これまでの「三国志」「三国演義」などに見られる粗野な猛将というイメージとは一線を画している。むしろシステマチックな用兵思想を持つ怜悧な軍人として描かれ、実際、敵兵=進軍の障害物、敵将=名を知るのも煩わしい存在、程度に割り切って戦争をしていたようだ。 許褚いわく「あの人は狼だよ。強くてはやいけど、みんなの中で一番自分をわきまえている」 許田の狩り場では、関羽を相手に生死を賭けた勝負を繰り広げ、引き分けている。「やるじゃねえか、あの夏侯淵ってやつ」とは劉備の評。 赤壁まで特に目立つシーンはないが、廬江の叛将雷緒を討伐するあたりから、曹操から思考を切り離した「将帥・夏侯淵」としての存在感を増してゆく。はじめて「無駄」と向き合い、戦争を「政治の延長」と見、敵の将兵に「人間」を見るようになったようだ。曹操いわく「おいおい淵、気前が良すぎるぞ」 自ら望んで東方揚州の鎮撫を行った後、今度は北方并州の太原に商曜を討ち、さらに西方の馬超・韓遂討伐に従軍して、さらにそのまま遙か涼州まで西征し、羌族・韓遂連合軍にとどめを刺している。 徐晃が感心したように、夏侯淵は曹操領の外縁部を転々と移動。戦闘と行軍が連続する半生だったようだ。この間どうやら「鬼将軍」という異名がついたらしく、曹操は羌族の首領を恫喝するとき、この名を用いていたらしい。 長い西征を終えたかと思うと、今度は曹操・夏侯惇率いる漢中制圧の軍と合流する。夏侯惇が迷子になったあげく陽平関の敵要塞を自潰させている間、別同軍を率いて周辺諸郡の制圧をしていたようだ。 夏侯淵はそのまま漢中に駐留し、最後の任務となる対劉備軍団の総司令に就く。このとき任地漢中へ向かう夏侯淵と、魏国に帰還する曹操・夏侯惇軍は一瞬だけすれ違ったらしい。陣頭、迷子将軍の件でひとしきり夏侯惇をからかった後、ふたりはあわただしく別れを告げる。 夏侯惇が投げてよこした酒筒は、魏公国で醸した新酒だった。二人は鄴都での再会を約すと、それぞれの進路へ向かった…(´;ω;`) それから二年後の西暦219年、劉備軍による漢中侵攻がいよいよ本格的になり、劉備自ら漢中近郊まで軍を進めてくる。 その前年から、中間地点である巴を巡って大規模な国境紛争があったが、張郃軍が張飛軍に粉砕されるなど、前哨戦から夏侯淵軍はかなり後手に回っていたようだ。長安方面から曹洪・曹休ら救援軍を得たものの、敵軍師・法正の陽動策により戦力を次々と寸断され、局地では大勝をおさめながら、要衝陽平関を失うなど全体ではいよいよ敗色濃厚な戦況となった。 しかし夏侯淵は曹操の本軍を待たず、劉備軍との決戦を続行。定軍山の食糧基地正面で劉備を待ちかまえ、それに応じた劉備もせっかくの法正の策をぶち壊して単騎で突出。馬上会談に応じる。 劉備は最初、当然ながら夏侯淵を格下と見、彼の振る舞いを不遜と喝破した。が、互いに刃も見せず去る間際、夏侯淵がすでに「将軍以上」のものであったことに思いを致して、とうとう気づいた。「まさか曹操!てめえの家来からばかすか“王”を生もうってんじゃ…」 が、直後に法正の密命を受けていた黄忠が、空気を神スルーしつつ出現。夏侯淵の不意を衝いてすさまじい斬撃を…と思ったけど一刀で馬ごと斬り捨てられる。あらら。 劉備軍の停戦違約を受け、劉備殺害を即断した夏侯淵は、黄忠を斬り捨てた後、すぐさま反撃に転じる。迫る若い勇将魏延も同じく馬首ごと切り倒し、殺到する劉備軍を蹴散らし、逆茂木の火花で張飛を躱し、ついには劉備の面前まで辿り着く。が、剣を振りかぶった姿勢のまま、諸葛亮の指揮する弩兵隊の一斉射撃を浴びる。 全身を貫かれながらも振り下ろした剣は、劉備に弾かれ取り落とし、落馬。力尽きる。劉備は「退路をかなぐり捨てる奴は王じゃねえ」としつつも「だがこの男は確かに届いてきやがった」と満面に汗を吹き出していた。 なおも立ち上がろうとするも、追いすがった魏延に背後から一撃を加えられる。これが致命傷であったろうが、夏侯淵は恍惚の中に、まだ見ぬ魏国の銅雀台を仰ぎ見ていたようだ。幼き日の阿瞞や若き仲間達の姿、一段一段登るたびに近づいてくる乱世の終わりと彼らの信じた夢、そして鄴で再会するはずの四天王達と交わす酒杯――と、夏侯淵が最後に見る夢は、またしてもKY黄忠によって袈裟懸けにブツ斬られた。即死であろう。 黄忠は夏侯淵の首を獲ろうとするが、劉備はそれをとどめ、どころか両断した躯を縫合したうえで軽舟に乗せて、曹操へ返還したようだ。「ここに漢中の王の遺骸を返還する」と送辞を付けている。 夏侯惇(字:元譲) かこうとん 生没:?~二二〇年 本貫:豫州沛国県 官:大将軍 曹操の本当の従兄弟といわれる。曹操の実父曹嵩(夏侯嵩)の、兄の息子。もともと謹直な少年で、士大夫の子弟らしく師について学問を修めていたが、往来で師を侮辱する輩が居たため、これを斬り殺した。それが十四の頃。人々はこの少年の意外な剛直苛烈を奇としたという。 曹操の旗揚げの時から、部将として従軍。数々の戦闘に参加したようだが、詳しい戦績の記録はない。が、腹心中の腹心であったことは間違いなく、本拠地の東郡太守代行に任じられるなど、すでにナンバー2として重きをなしていたらしい。 曹操の徐州侵攻作戦時は、荀彧・程昱らと留守番をしていたが、呂布・張邈による兗州乗っ取り事件に遭い、別城にいた曹操の家族を守るために出撃。しかし運悪く呂布の本隊と遭遇してしまい、入れ違いに濮陽城を奪われ、彼自身、敵の偽降計に騙されて捕虜になってしまうという醜態をさらした。このときは幕僚らが「将軍を巻き添えにするけどスミマセン」と泣き叫びながら突撃してきたので、呂布軍の方がビビって夏侯惇を解放してしまったので事なきを得たが、このまま殺されていたら、後世の評価は180度以上逆転していたものと思われる。 この後、徐州で呂布軍に攻撃された劉備を救援するべく一軍を与えらるが、劉備軍ともども敵将「陥陣営」高順に撃ち破られる。おまけに流れ矢で左目を負傷。「三国演義」などでは「父母より頂いた物を、もったいなや!」と叫びながら、ズルリと引きずり出した眼球を食べてしまうが、繋がったままの血管とか視神経とかどうなったんだろうと想像するだけでああああああああ! 当時は基本的に「曹将軍」とか「夏侯将軍」のように姓+呼称で人を呼ぶことが多いので、夏侯惇・夏侯淵ペアなどの呼び分けは多少ややこしかったのだろう。で、ちょうど夏侯惇が隻眼となったので、軍中、必要に応じて惇の方は「盲夏侯」将軍と呼ばれるようになってしまい、内心穏やかでなかったようだ。己の顔を見るたび、鏡を叩き落とすほどナーバスになっていたようだから笑い事ではない。当時、外見上のハンディキャップ、特に肉体の欠損に対する蔑視は、今日と比較にならないであろうから、強烈なコンプレックスを持っても不思議ではない。 それでも、曹操の文字通り分身として働き、主に後方総司令に任じられる事が多かった。官渡決戦の時も、彼は荀彧とともに許都の留守府司令官という地味かつ最重要の役職を受け持っている。 しかしながら、曹操不在の許都近辺で盛んにゲリラ活動を行う劉表の部将(というか劉備)を追い回し、南陽の博望で伏兵に囲まれ散々に撃ち破られている。あらら。 戦さの手腕はともかくとして、曹操が生涯で最も信頼した分身であったことには間違いなし。夏侯淵が曹操の剣として各地を飛び回ったとすれば、夏侯惇は鎧として本営を護りきったといえる。 曹・孫痛み分けとなった217年の濡須口での戦闘の後、夏侯惇は揚州方面の総司令官に任じられ、二六軍という桁外れの大軍団を預かることとなる。数字通りならば、おそらく劉備・孫権勢力の全軍を結集しても、夏侯惇軍ひとつに及ばなかったはずだ。 「三国演義」での粗暴な猛将というイメージに反し、史伝を見る限り、彼は士卒に優しく、土木工事の時は自ら土を担いで手伝うという篤実な性質だったようだ。それでいて、夜は先生を呼んで学問に専念。謹直だった少年時代の名残りが感じられる。 曹操は、夏侯惇にだけは魏公国の官位を与えず、漢王朝の重鎮として遇したといわれる。当然魏公国の官位を得た瞬間、夏侯惇は魏公曹操にとっての「臣下」となるのだが、曹操の方がこれを嫌ったらしい。この「不臣の礼」と呼ばれる処遇は、結局夏侯惇の方から辞退されている。 曹操と同じ西暦220年、彼の後を追うように逝去。魏王朝における初代大将軍に任じられたばかりであった。諡して忠侯。子の夏侯充が跡を継いだ。 蒼天夏侯惇 「蒼天航路」では少年時代からの登場。夏侯淵らと同じく、阿瞞より十近い年長として描かれている。従弟たちを中心にしたチームのヘッドで、惇兄ィとして慕われていた。チーム名は不明。 そして李烈率いる「爆裂団」(懐かしいっ)なる巨大チームと対立していた。なんでも、夏侯惇が斬り殺した「師を侮辱した輩」が、爆裂団の一員だったらしい。それにしても爆裂団頭目の李烈なる人物、放っておけば後々、各地から群がり出た無数のプチ群雄の一人にでもなっていたかもしれない。乱世において、しばしばこういった「悪少年」と呼ばれる侠客予備軍あがりの風雲児が、徒党を組んで県レベルの武装勢力を組織し、官軍に討伐されたり英雄に帰順して歴史の表舞台に立ったりしているのだ。 その李烈上将戦死後、爆裂団をまるごと部下にしたようだ。曹操が「大上将」と呼ばれているところを見ると、夏侯惇が「上将」なのだろう。曹操はその一部を連れて洛陽へ戻っているが、夏侯惇らは故郷の譙で相変わらず切った張ったを続けていたようだ。曹嵩の葬儀の席に、後の四天王達と参列している。 黄巾の乱のおり、騎都尉として武官デビュー(といっても大佐クラスの高級将校だが)した曹操に付き従い、出陣している。爆裂団や張奐も含め、曹操の私兵集団としての従軍であろうが、官軍や義勇兵を指揮したり、事実上一軍の将として活躍している。このとき張飛の馬を殴り倒すなど、豪腕ぶりを披露した。 早く「隻眼の鬼将軍」というイメージを定着させるためだろう。董卓戦、徐栄軍の突進と無謀な正面衝突をした際、あきらかに被弾角度90度で、甲冑をも射抜く矢の直撃を受けた。 だが瞼の力と眼底の頑張りだけで脳への損傷を防いだらしい。引き抜いた眼球をゴクリと飲み込むのは「三国演義」と同じ。激高したときは血が噴き出したり、たまに小石が入り込んでカラカラいったりと、眼窩の奥はしばらく大変なことになっていたようだ。 以後、数々の戦で隻眼の鬼将軍っぷりを発揮し、「蒼天航路」では多くの戦で、曹操の傍らにあった。相対的に比較できる根拠はないが、おそらく曹操軍の中でも最強クラスの豪勇だったと思われる。 「気焔万丈 夏侯惇軍の精鋭に告ぐ!」が檄を飛ばす際の決めゼリフらしく、後に偽夏侯惇(殷署)も使用している。 官渡では、留守司令官どころか、他の将軍と同じく兵卒に降格されている。「兵卒の夏侯惇です、よろしく」。以後、その舎のリーダー格として、歩兵の中で頑張っていたようだ。おそらく史伝通り、戦闘だけでなく土木作業や雑事なんかもやっていたのだろう。 曹操曰く、「ここまで兵卒になりきり、兵卒と溶けこみ、兵卒を理解したのはお前だけだ」たしかに「同僚」の兵卒山隆と友誼らしきものを育てたりと、夏侯惇にはこういう泥臭さが似合う、兄ィ的な魅力がある。 荊州制圧後、長坂の追撃戦で、劉備と流民集団の最後尾と接触。最後衛を護る張飛に挑むが、ただただ純粋な武力の前には刃が立たず、また荀攸が軍を動かしたため水を差された。その後も民草を背に負った張飛の武の「べらぼうな清らかさ」と、民草のしたたかな強靱さに攻めるタイミングを逸してしまい、追いついた曹操に「見事な敵をめでてやるのはいい。だが、ありがたがってどうするんだ」と呆れられる。 赤壁の際は、長江下りをする曹操の代理として、荊州本城を押さえていたのであろう。孤軍奮闘する荀攸の元へ駆け付けることもできなかったようだ。 その後、濡須口の戦いや漢中の張魯討伐に参加。ちなみに西暦217年時点での愛馬の名は「飛焔」だったらしい。女を愛するように溺愛していたようだ。 漢中制圧の際は、曹操の命で先行した部隊を連れ戻しに許褚と出かけ、道に迷ったあげく張魯陣に辿り着いてしまい、恐慌状態になった敵軍を尻目に、そのまま関を奪った。まるでギャグのような話だが、れっきとした実話である。曹操や夏侯淵は「迷子の鬼将軍」と何度もからかっている。 後、荊州の曹仁救援に赴くが、関羽と戦う前に孫権の荊州奪取が成功し、関羽は敗死。合肥へ引き上げる。これが彼にとって最後の軍旅となった。「蒼天航路」では曹操より年上に描かれているため、この時点で既に70を越す老将だったはずである。 曹操曰く「勝利の後には必ず遅れ、敗北の後には必ず真っ先に駆けつける男」また、「おそろしく むさい母親」。壮大に常識を踏み外す悪ガキ曹操を、いつも叱りつける役割は、確かに保護者そのものだったのだろう。 曹操臨終のきわ、合肥に戻っているはずの夏侯惇は曹操の元へ姿を現す。道中、沛の長老(亀)を見掛け、予感を覚えたのだろう。昼夜兼行で駆けつけたに違いなく、冠も頂かず、甲冑を付けたままであった。 例によって毒づき合いながら酒を酌み交わし、末娘を嫁に呉れと云われては怒鳴りつけ、卞夫人の奏楽に聞き惚れ、いつものように笑いかけた先で、曹操は眠るように世を去っていた。 華歆(字:子魚) かきん 生没:157~231年 本貫:冀州平原郡高唐県 官:太尉 魏王朝が誇る名宰相のひとり。曹操より二つ年下。己の剛腕で政府を切り盛りするのではなく、人望と徳行によって官界を指導教育してゆくタイプだったようだ。伝説の賢相・晏子に比せられるレベル。 …が、彼の何が気にくわなかったのか、羅貫中のにフルスイングでバッシングされ、『三国志演義』においては、董卓か華歆かというくらいの極悪非道冷酷人間になっている(ノ∀`)。伏完による曹操暗殺計画が露見したときは、自ら宮中に乗り込み、伏皇后を壁から引きずり出して捕らえる。曹操の死後、劉協を脅迫して帝位を曹丕に譲らせた他、曹丕の弟たちを誅するよう進言したり、自分にとっての危険分子である司馬懿を追い落としたりと、やりたい放題。 ちなみにトンデモ三国志の横綱『反三国志』では、馬超たちに捕らえられた挙げ句、死なない程度に遠火で炙られ、生きたまま腿肉から順に喰われてゆくという、リアルタイムな食物連鎖の底辺っぷりを発揮する。 当時からして超一流の人傑だったはずだが、世語などでは妙に1.5流めいたエピソードが多い。 たとえば目の前にお金が落ちていたとして、華歆歆はチラ見してスルーするという潔癖な人物なのだが、同門の管寧という男は、そもそもお金の存在自体を無視する奇人じみた清貧教徒であったため、かえってマイナス評価となっている。他にもこれと似たようなエピソードが二、三あり、後世、管寧>>>>(超えられない壁)>>>>華歆という図式が確立してしまっている。 当時の冀州刺史王芬から政府転覆計画(若き日の許攸らが発案したアレ)をうち明けられるが、やはり誘いを受けていた曹操と全く同じ理由で参加を断る。知者は同じ道を歩む、というところか、資料の混同か。――それ以前に、この調子でみんなに声をかけていた王芬の短慮が問われるが。 後に大将軍何進によって中央官界に招かれるが、董卓の出現にビビって逃亡。 ちょうどこのあたりのエピソードで有名なのが「行き倒れ、助けたからには最後まで」事件。読んで字の如くの事件で、コレによって彼の名声はますます高まり、それに反比例して中途半端に恩情をかけた王朗の評価が下がった。。 後、荊州南陽まで逃げ延び、袁術の下で知謀を空回りさせていたところ、長安政府が人気取りのために派遣してきた慰撫団に出会い、コレに参加。しばらくは偉いさんたちと一緒に天下を行脚する。 程なくして荊南の豫章で混乱が発生し(孔明の叔父・諸葛玄が巻き込まれて死亡)、急遽それを鎮めるために豫章太守に任じられる。…が、この当時少なくとも豫章太守が三人(諸葛亮の叔父・朱儁の息子・華歆)いたことになり、余計に事態は混乱。 一年後くらいに( おそらくは劉繇の後押しを受け)ようやく豫章入りするが、今度は孫策軍の侵攻を受ける。さすがに野戦で勝ち目無しと見て、降伏。 孫策は師弟の礼をもって華歆を迎え、以後、賓客として遇されることになる。 華歆は、独特の威儀と静かな迫力を湛えていたようだ。当時江南では、彼の崩れぬさまを「華独座」と呼び慣わしていた。酒好きだが微塵も酔態を見せなかったという。 孫策の死後、曹操は華歆をゲットするべく天子に奏して詔勅まで用意して貰い、孫権に「彼をよこせ」と要請。孫権はむろん断るが、当の本人が行きたがったため、やむなく手放す羽目に。そして二度と戻ってくることはなかった(一緒に行った張絋は戻ってきたのに…)。 ちなみに、孫権討伐の軍師をのうのうとやっていたりする。孫盛が彼を毛嫌いする所以かも。 曹操陣営に帰参して後の華歆は、驚くべき早さで出世し、あっという間に荀彧に追いつき、曹丕の代には司徒、曹叡の代には太尉と、三公を歴任する。 が、どれほど栄達しても諸生時代と変わらぬ生活を貫き通した。献上された女奴隷たちに教育を施し、きちんと嫁に出してやったというエピソードもある。「潔癖だが偏狭ではなかった」という評が、何となく彼の人物を現しているような気がします。 231年、諸葛亮の北伐騒ぎのさなか(第4次)、74歳で逝去。諡は敬公。子の華表が跡を継いだ。 蒼天華歆 蒼天での登場は遅く、荊州陥落後の文官軍師ブレインストーミング時から。曹操が一目で「主戦論代表」と見抜く。 なんとも眠たそうな顔をした初老の風貌に似合わず、堂々と速戦論を展開。タコ人間杜襲と舌を競わせていた。 孫家の内情を知るものとして、「今の間に叩かないと手が付けられなくなる」という主張であった。 そのわりに孫権の躍進を伝え聞き「どうも私の覚えている(頼りない)姿と一致しない」と首を傾げているシーンがあり、孫権の器を見抜くほどの目は持っていなかったようだ。 賈詡(字:文和) かく 生没:147~223年 本貫:涼州武威郡姑臧県 官:太尉 三国時代におけるジョセフ・フーシュ。あるいは藤堂泉州。三度主君を変えながら、その智略によって重用され続け、しかも天寿を全うできたという変節の天才。しかも乱世の英雄曹操を生死の境に追いつめたこともある鬼謀の人。ちなみに曹操より八つ歳上。 若い頃、涼州の異民族の捕虜になったことがあるが、口先一つで彼らを騙し、自分ひとりだけ助かったというエピソードが。昔からそうだったのね……。とにかく、一筋縄ではいかない油断ならないヤツだったらしい。 最初は地元の董卓軍団に就職し、軍団ナンバー2であった董卓の女婿牛輔に仕えた。ところが董卓の死の混乱の中、牛輔まで殺害され軍団は空中分解。残りの李傕ら四幹部は動揺して「もう田舎に帰ろう…」と言い出す始末。それを叱咤したのが他ならぬ賈詡でした。 …そう。呂布を逐い王允を殺し貂蝉を殺し、さらなる天下大乱を招いた張本人はコイツだったのだ!!-その後、四幹部のひとり張済の軍を引き継いだ張繍に引き抜かれ、彼の軍師として活躍する。曹操を窮地に陥れ、彼の長子曹昂や猛将典韋を討ったのも、すべて彼の計略。 しかしながら袁紹と曹操の対立が激化すると、独断で曹操への帰順をきめ、張繍を慌てさせた。 曹操に仕えて後、たびたび献策し、強敵韓遂・馬超を敗走させるなど、相変わらずの鬼謀を発揮するが、曹操の死と前後して引退。以後、門を閉じ廷臣たちとの交流を避けた。彼一流の保身術ですな。 享年77歳。諡して粛侯。 蒼天賈詡 蒼天での賈詡、カッコよすぎ。なんか、いつも猛禽(鷲か、鳶か?)を片腕に止まらせて、ニヒルに笑うダークサイド。「曹操は自らの才に飽きている」ってセリフが印象的。 のわりに、作中で最も絶叫するシーンの多いキャラでもあり、泣いたり笑ったり怒ったりと、とにかく最後まで曹操の身辺にあって、ひたすら振り回されつづける役割を負った。ある意味読者の代理的な存在であったと言えなくもない。 が、登場初期においては「天下を奪うには三人を殺すだけでよい」とうそぶく野心家。おそらく奇術師めいた天下奪りのプランが、既に胸中にあったのだろう。張繍をマリオネットのように操り、曹操を誘殺する罠を設定し、たびたびその生命を脅かす鬼謀ぶりを発揮する。 が、時勢の流れを読み、袁紹との大戦を前に曹操に降伏。以後、そのブレーン集団に名を連ねることとなる。彼らとは一歩ひいて斜に構えていて、他の軍師グループとは仲が悪い…。蒼天では、彼らより一等上の描かれ方をしており不満に思う人も多かったと思われる(特に荀彧・郭嘉ファン)。でも、「極めつけの死地にはやはりおまえだ!」と烏巣襲撃チームに指名された賈詡も気の毒かも。 で、その烏巣では曹操とともに上を下への大逃走劇を演じる。そのハチャメチャな戦さのなかで、(曹操殿、この賈詡を殿の臣下としてお認めいただけますか!)と胸中に叫ぶあたり、どうしても外様意識が抜けきらなかったのだろうか。 作中、突進してきた猛将淳于瓊を抜き打ちに斬り捨てるという意外なシーンが。 かくのごとく残忍で、狡猾で、鉄鋼ワイヤーのような神経を持つと思われていた彼だが、長坂から赤壁にかけては、意外に脆い一面を剥き出しにすることもあった。 長坂の追撃戦では、旧主張繍が討ち取られた後、彼らしからぬ動揺を見せ、それに気づき自ら愕然としていた。長いこと女房役を勤めてきただけあって、彼も自覚しないうちに、あの無邪気で頼りない張繍にどこかで依存していた面があったのだろう。 さらに赤壁の手前の「長江下り」では、有るはずのない孫権の攻撃(※おそらく諸葛亮のトリック)に動転したか、絶対的な窮地に陥り、自らの知謀に絶望した挙げ句、全軍に降伏を命じてしまう。「郭嘉…郭嘉よ…」と、まさかの郭嘉コールに驚いた読者も多いはず。 が、幸か不幸か(?)敵将黄蓋は「白旗に気付かず」攻撃を続行。降った端から射殺されてゆくに及び、賈詡は思考停止に逃げる……かと思いきや、無意識のうちに逃げ延びる策を練り続ける。許褚の活躍、瀕死の曹操とともに死地を逃れた賈詡は、水中で発案したという「暗黒の策」を実行に移した。 で、そもそもこの「暗黒の策」とは…? 「蒼天孔明のキャラ」と「赤壁のオチ」の中間に位置する「暗黒の策」。 策自体は、要するに敵味方へ「曹操死す」という情報を流して「曹操の居ない天下」を局地的に幻出し、敵方首脳の動揺を誘うというものであったが、いまひとつメリットがわかんにゃい。敵主将を討ち取ったことで呉軍の士気は上がるだろうし、味方の士気は地の底まで落ちる。 実際、蒼天周瑜は賈詡らが考えているより数段上の位置にいる人物だったようで、彼が翻弄されていた期間はわずかなものであった(曹操生還の報で見せた動揺を見る限り、確実にダメージは蓄積していたようだけど)。味方にしても、荀攸の堅固無比な指揮統率がなければとうの昔に崩壊していてもおかしくはない。 が、曹操の生還によって「暗黒の策」は全容さえ明らかにされぬままに中断。烏林での総指揮は、ふたたび曹操が執るようになる。 直後、敵将・黄蓋より内通の書状が届くが、呆れたことに真っ先にそれを信じたのは賈詡であった。さすがに偽降の可能性も考慮に入れていたが、まだ自分の暗黒の策にハマっていたらしい。 そんなこんなで、結局赤壁の要塞は、黄蓋の火攻なぞどうでもいいようなナゾの天変地異によって、地殻ごと爆発・炎上。曹操軍は総崩れとなる。…結局、暗黒の策って何だったんだ…。 蒼天の赤壁は、賈詡に始まり賈詡に終わった。残されたのは、魏軍数万の遺棄死体と、烏林・赤壁の焼け跡と、作品の行方を見失ったガチ史系ファンと、「そもそも賈詡はいつからハゲてたんだろう」というどうでもいい疑問だけであった。 赤壁の一件後も、特に変わらず曹操の身辺で知謀を発揮し、特に西方平定では総参謀を務める。これは彼が涼・雍の地勢人脈に詳しいから――ではなく、単に「未知の戦場はワクワクするだろう!?」という曹操の子供じみた遊びの誘いのようなものであった。 馬超の想像以上の武勇に、一時ギリギリきわどいシーンもあったものの、戦況はおおむね賈詡の描いたとおりに進行し、賈詡が予告した通りの結末をたどった。 関中平定後、こんどは対劉備戦線でも軍師として活躍するが、蜀の新軍師・法正に序盤で先手先手を打たれ、そのフォローに追われているあいだに、漢中戦役が終了してしまい、彼にしてみれば不本意な戦であっただろう。 郭嘉(字:奉孝) かくか 生没:170(?)~207年(?) 本貫:豫州潁川郡陽県 官:司空府軍祭酒 誰が何と言おうと、この人が曹操の筆頭軍師である! と心の底から叫ぶ人も少なくない。演義でのイメージは半ば神がかった薄命の天才軍師であり、「嗚呼、奉孝さえ生きていれば」と歯ぎしりする魏派のうめき声が。 なれどどうしてどうして、蒼天では見事に「その他大勢」と化し、かろうじて「ふんぞり返って偉そうに喚く」事でキャラを立ててました。このままひっそり死んじゃったらどうしようかと、本気で心配しました。 若い頃、ごく一部の識者から麒麟児と目されていたが、本人は知らぬ風でアウトローを決め込んでいたみたい。ぶらりと放浪し各地の豪傑や賢者たちと交流していたというから、なんか流離いの軍師徐庶を彷彿とさせる。ちなみに女好きの伊達男説も存在し、事実、その不品行を清流名士の陳羣に咎められている(蒼天では程昱)。 最初袁紹に仕えようとしたが、後に荀彧の推挙で曹操に鞍替えする。それにしても郭嘉の前任軍師である戯志才って、どんなヤツだったんでしょうねえ? 当代随一の謀臣として曹操に度々献策し、ことごとくを的中させる。通史として「三国志」を知っている我々からすればピンとこないかもしれないが、郭嘉の時勢眼はほとんど予言の域にあったと言ってよく、孫策が「匹夫の手に掛かる」ことまで予想している。 結局は郭嘉の予言したシナリオ通りに歴史は回転し、曹操は広大な河北を抑えることが叶う。それを見届けるように、郭嘉は38年という若すぎる生涯を閉じる。 諡して貞侯。子の郭亦(←蒼天で夫人が抱いていた赤ちゃんかな)が跡を継いだ。 曹操は郭嘉を次世代政権の導き手と目していたようで、ブレーン集団の中で最年少だった彼の死をことのほか嘆いた(ちなみにこの時点で荀彧45歳、荀攸51歳、曹操53歳、賈詡61歳、程昱67歳。)。 彼の死からわずか1年後、赤壁の戦に敗退した曹操は「郭嘉が生きておれば…」と悲嘆したことは有名。 蒼天郭嘉 蒼天では、袁紹に招かれたところから登場。さんざん袁紹を侮辱したあげく、殺されそうになるや「董卓の下に名を残しますぞ!」と逆に恐喝し、飄飄と去ってゆく……。とにかく印象的な瞳でした。 次に、荀彧の推挙という形で曹操の元へ出現。が、早々に要らんことを言って獄へブチ込まれる。 獄中の悪態ついでに曹操の天下取りを論じたてるなど、言いたいことを言えれば自分の身命などどうでもよいらしい。 正式に登用された後は、兗州奪還戦などで活躍。「(二万に)五百で勝つ軍師はおまえだ!」と曹操に指名される。 しかしながらその後、荀攸や賈詡の登場により本来の凄味がなくなり、ついには「腰巾着」呼ばわりまで……。 このままフェードアウトするのかと思いきや、曹操の北伐行に従軍するあたりから、異様なオーラを発するようになる。 他の軍師たちが、そろそろ国家の重鎮として戦場から遠ざかる中、ただひとり「純粋軍師」として戦場に在り続けた(この表現って、呂布の「純一戦士」と対極なのだろうか)。政治や党閥の動きなどにはいっさい目をくれず、ただひたすら戦場での知的活動に耽溺する……。晩年の郭嘉は、確かに呂布に似た「哀しさ」がありました。 彼にとって最後の戦闘となる烏丸討伐戦では、張遼とともに快速の騎馬軍団を率いて暴れ回り、その「目」で烏丸王頓を視認。王の用兵を完膚無きまでに撃ち破った。しかしながら、この頃すでに、彼の貌には明らかな死相が浮かんでいた(曹操が視線を逸らし「……しばらくこの地に居座るぞ」と呟いた場面で、はっとした人も多いハズ)。それでもなお、遼東公孫氏の帰順と袁兄弟の自滅を予測するなど、謀臣としての活動は休みを知らない。 そればかりか、郭嘉は烏丸民族と張遼を無期限に貸してくれと曹操に頼んでいる。彼が政治を考えるとき、その思考は一臣下の域を軽く超越し、王の領域にまで達したのでしょう。「俺の臣下から王が誕生するのだ」と曹操ははしゃぐが、郭嘉の容態は日に日に悪くなってゆく。 やがて立つこともできないほどに体力を失った郭嘉は、曹操や仲間たちの見守るなか、最後の吐血をし、息を引き取った。死のその瞬間まで、「純粋軍師」郭嘉は次なる南征に用いるべき秘計を案じていたらしい。
https://w.atwiki.jp/kekewiki/pages/49.html
りゅうび 劉備 【歴史】 中国・三国時代の人物で、蜀の初代皇帝。字は玄徳。 三国志をあまり知らない人でも、劉備と諸葛亮(孔明)の名くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。 三国志演義においては漢王朝復興のために立ち上がった正義の人で、聖人君子のような人柄で描かれているが、史実においてはあくまでも、天下統一の大望を抱いて立ち上がった群雄の一人である…とケッケは解釈している。 彼の殆ど唯一ともいえる武器は人徳であり、その人徳に惹かれた有能な人物たちが、彼を蜀の皇帝にまでのし上げた。曹操と違って彼一人ではほぼ何も出来ないが、関羽、張飛、そして諸葛亮などの天下にその名を轟かせる有能な人材たちを上手く使いこなすことによって、魏の曹操・呉の孫権と肩を並べるまでに至った。 君主としてはやや優柔不断さがある。特に荊州の問題は致命的。 劉備は曹操に敗れて劉表が治める荊州に身を寄せていた時期があったが、劉表の死後、諸葛亮から「曹操に対抗するため荊州を奪ってしまえ」と言われる。その際「恩を仇で返すような真似は出来ない」と諸葛亮の進言を退け、結果、何万人にも上る難民を抱えたままの曹操軍からの逃避行という事態を招いている。 結果が良かったか悪かったかは別として、領土を得るチャンスが目の前に転がっているにもかかわらずそれを蹴るというのは、君主として愚行ではなかろうか。曹操ならば間違いなく獲っていただろうと思われる。 まぁこの件に関しては、ここで荊州を獲ったら曹操が黙っていただろうか?という見方もある。 しかし彼がそのように義を重んじる人物だったからこそ、臣下の者たちも付いてきたし、民衆の信頼を勝ち得たのだと考えれば、彼もまた己の信念を曲げることなく突き進み、結果三国の一角を担う英雄になったのだと言うことが出来るだろう。 強大な曹操、伝統の孫権、そして信義の劉備という三者三様のスタンスがあったわけである。 自分ひとりでは何も出来ないが、信義に厚く人をよく使うというその姿は、漢をうち立てた偉大な祖先である高祖・劉邦そのものである。 惜しむらくは、敵が項羽のような猪武者ではなく、中国が生んだ傑物・曹操だったことだ。 項羽レベルの相手ならば、関羽も張飛もいたことだし、何より劉邦ほど優柔不断ではなかったので、楽に天下が取れただろうに…。 ここまで読んでいただければ分かると思うが、僕は劉備に対してあまり好感を持っていない。むしろその最大の敵である曹操の方が好きだ。 劉備が動けば大抵は世の中が乱れ、呂布・袁紹・劉表(というか荊州)など行く先々で破滅を呼び起こしてきた(←言い過ぎ)。大義名分を掲げて天下をかき乱した張本人、と言っても過言ではないと思う。この男さえいなければ、曹操によって天下は統一されていたかもしれない。 しかし劉備がいなければ三国志はまったく面白くないし(そもそも成立しない)、恐らく劉備好きな人が曹操に抱いているような感情を、僕も劉備に持っているのだろうと思う。巨人に対する阪神、みたいな。 色々書いてきたが、それでも劉備が三国志を代表する英雄の一人であることに変わりはない。それは誰もが認めるところであろう。
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/356.html
キョチョ 列伝 曹操の武将。その武勇から「虎痴」の異名有り。 【演義】 黄巾賊の残党を討伐中にその武勇が曹操の目にとまり、曹操軍に加えられる。新野の劉備を攻めた際は先鋒となり、赤壁の戦いでは敗走する曹操を護衛した。潼関の戦いでも馬超軍に追いつめられた曹操を命懸けで守り抜き、馬超と互角の一騎討ちを演じて「さすがは虎痴」と言わしめた。その後も濡須、漢中など曹操や曹丕が出陣する際に護衛として従軍した。 【正史】 慎み深い人柄で法律を遵守し、素朴で言葉少なだった。明帝の即位後に死亡した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 65 96 36 20 59 276 161 197 順位 313 5 557 623 376 393 58 217 偏差値 53.4 66.5 38.9 33.5 49.8 48.3 60.8 55.4 成長期 普通 維持 普通 普通 維持 - - - 能力持続 短い 長い 短い 短い 短い - - - ※一騎討ち補正あり( 参照ページ ) 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 A B C B C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 91 61 77 60 64 46 88 52 67 39 67 43 順位 11 181 35 257 53 356 40 270 39 337 46 346 偏差値 69.2 56.0 65.0 53.2 61.8 50.2 64.5 53.3 62.6 50.7 62.8 50.9 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 金剛 敵の攻撃が微弱な時、50%の確率で被害なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 25 兗予 任意 地方統一 無頓着 5/5 2/5 2/3 169 189 226(58歳) 自然死 猪突 猪突 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 許褚 親愛 曹操、典韋 典韋 嫌悪 許攸 なし 血縁 世代 ● 1 許褚 2 許儀 イベント イベント名 内容 悪来対許褚 プレイヤー君主が曹操の場合、必ず許褚登用成功プレイヤー君主が曹操でない場合、典韋で許褚と一騎打ちし、勝てば許褚登用 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 16歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 22歳 未発見 許昌 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 26歳 一般 陳留 曹操 120 - 1000 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 32歳 一般 許昌 曹操 120 - 5000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 39歳 一般 鄴 曹操 120 裨将軍 9000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 43歳 一般 許昌 曹操 120 偏将軍 10000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 57歳 一般 洛陽 曹丕 120 破虜将軍 16500 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 30歳 一般 陳留 曹操 120 - 3000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 35歳 一般 濮陽 曹操 120 建議校尉 7000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 49歳 一般 許昌 曹操 120 平西将軍 13000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 19歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 23歳 未発見 陳留 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 許昌 - - - 0 - - 固有セリフ 一騎討ち「この許褚がある限り我が軍には手を出させんぞ!」 張飛は張コウに大勝してるんだぞw(もちろん正史で) あまり甘く見ない方がいいw 本題に戻して、許褚は統率UPの最有力候補といえる。 統率を上げまくって90くらいにしてしまえば呂布並の強さを持つようになる。 ただ特技がやはりネック。 誰かと義兄弟にして使っていくのが一番いいかもしれない。 一騎打ちなら5本の指に入る猛者だし、 窮地に陥った義兄弟を助けに行かしてやろう。 -- (名無しさん) 2011-02-25 16 02 11 腕力のエピソードしかなくても最低限特技は槍将or槍神でいいと思うんだが。 -- (名無しさん) 2011-02-28 00 59 41 じゃあ編集で勝手にそうしてろ。わざわざ書きこむな。 -- (名無しさん) 2011-02-28 16 10 29 やっぱイメージ的にも曹操の副将だよね。金剛って結構頻繁に発動するから固い固い 通常でも、攻撃してきた相手の兵力を逆にゴリゴリ削った上で計略発動美味しいです もう一人の副将を司馬懿にすると、更に騎兵適正Sの擬似神算になり鬼に金棒 相当贅沢な布陣だけど、210年頃の魏軍の充実度なら有りかと -- (名無しさん) 2011-03-26 13 07 38 深謀つけて、曹操の副将にするとなかなかいい感じ。 -- (名無しさん) 2011-03-26 21 57 46 計略隊に攻撃力はいらないんだよなぁ… まぁ、攻撃しながら計略、とかなら有意義だけどね。 そういった場合、残りの1枠に、荀攸ら計略補助要員を入れるか、李通らクリティカル要員を入れるかはプレイヤー次第。 個人的には前者を進める。 -- (名無しさん) 2011-03-26 22 06 49 反撃ダメージは自部隊の攻撃力依存 計略隊でも壁役兼用にして、計略かけつつ反撃で相手の兵力を減らすつもりなら攻撃力も重要かと 攻撃力高けりゃ槍将相手でもそうそう混乱しないし、親愛補正の曹操の副将にする意義は確かに大きい 支援攻撃期待なら別部隊にするのも、もちろん有効だが -- (名無しさん) 2011-03-27 16 23 54 夏侯従兄弟などへの親愛援護の威力もあがるしね! -- (名無しさん) 2011-03-29 19 40 11 司馬懿と義兄弟にするのもお互いの弱点が補完されて有用だと思う。 司馬懿は戟Aだが史実武将トップの統率のおかげで戟防御9位に入るので問題ない。 どちらも寿命長いしね。 -- (名無しさん) 2011-04-28 11 47 21 あまりいないだろうが将来勇将やら神将が出るのを見越して、適正鍛えるのも有り Aまでだが、しばらくは適正Sを付ければその内上がる 殴りたい場合は統率強化も忘れずに・・・ロマンかなw -- (名無しさん) 2011-07-19 08 53 42 曹操の部隊に入れて戟+金剛で滅多に壊滅する事も錯乱する事も無い、恐怖の計略部隊が出来あがる 荀攸、郭嘉を加えればさらにえぐい事に -- (名無しさん) 2011-10-20 00 41 33 おいおい、許褚は親衛隊長として張繍戦から馬超戦まで百から数千の兵を率いて戦い続け、戦功著しかった腕利きの部隊長だぞ。 元々独立勢力として数千規模の勢力を束ねていた経緯もあり、統率に関しそうなエピソードは多いんだよ。 まあそれは置いておいて。高い能力の割に特技が地味なカク先生と組ませると、敵陣で縦横無尽に暴れてくれる。 曹操・荀攸の計略部隊と二枚で使えるから美味しい。特技面が改善できればもっといいのだが、他の戦闘系特技を持つ武将を同部隊に組み込むのはちょっと勿体無い気も。 -- (名無しさん) 2012-10-23 05 10 48 統率20上げて明鏡つければ、単騎で使えなくもないか・・・? 稼動年数が長いので、槍は使ってればそのうちSになる。兵器Sの副将つけて兵器隊もいける。 -- (名無しさん) 2012-12-26 11 38 01 魏の趙雲みたいな感じだったのかな?典韋とセットなイメージが強いけど・・・ 満寵あたりのブースターにすると良さげ。またはコメ欄トップにあるように、副官をつけて弩か兵器で運用するか。 いずれにせよ、誰かと組ませることで真価を発揮すると言える。 -- (名無しさん) 2013-06-03 16 21 20 劉曄(射程)とセットで投石隊で使うのが良さげ。知力も補完できるし武力を活かせる。 -- (名無しさん) 2014-04-21 19 34 05 許褚の特技金剛はやはり張コウと同じように無双の影響なのだろうか? -- (名無し) 2014-04-22 00 05 19 ここまでのコメントを見ての感想。「村を族とかから守ってた怪力男」のイメージなので、たんぼ耕してた男が槍将だの槍神だのは納得いかんなぁ、しかも護衛だろう?槍は器用なイメージだから、槍よりも馬鹿力のイメージで戟のほうがしっくりくるんだがなぁ。金剛はテンイの護衛とかぶらないようにしたんだろう、無双は関係なさそうだが。武勇伝を考えれば金剛より猛者のほうがしっくりくるから変えてる。テンイは防御で守る、キョチョは攻撃で守るって勝手なイメージ。 -- (名無しさん) 2014-07-25 22 18 57 カッ飛んだ武力以外は、能力値・適正共に黄巾族並み。だが「なんだ義兄弟専用武将か・・・」と落胆するのは早い。統率は低いとはいえ65、統率を使い切れば85であり、充分一線級の数値になる。 曹操軍の主力は基本的には統武がバランス型な傾向があり、突出した武力を持つ許褚は貴重な存在。能力を無駄にしないためにも、出来れば主将タイプを志向したいところだ。適正は有る程度副将に補ってもらうつもりでいいが、出来れば槍だけでもSにしておきたいところ。 その場合特技は当然書き換え前提だが、神将や勇将のような武力依存の槍系クリティカルが出れば迷うことは無い。そうでなければ適正を補う副将に合わせて適切なものを選びたい。 -- (名無しさん) 2015-02-24 20 15 51 じっくり育成しない場合でも、武力ブースターとしては十分優秀。 -- (名無しさん) 2016-11-02 19 31 36 火力は他の武将達が十分優秀なので、火力として使うよりも自分としては特技を護衛にして騎馬戦法即死から曹操を守るのと、曹操で一騎打ちしかけてから許チョに交代して曹操様の人材収集係りかな。弩だの兵器だの武力を生かしたいのはわからんでもないがその武将のキャラとかを無視するやり方はどうかと。やはり曹操の側に護衛としておいとくべきだろう -- (名無しさん) 2017-07-27 09 36 17 ↑そういう話をし始めるとシナリオによっては曹操の副将が典イ許チョ固定になってしまい、攻略上無駄の多い編成になってしまうのだが… そもそも演義では先鋒を務めたことがあり、エン城では護衛についていた描写が無かったなどいつも曹操の護衛をやっていたわけでは無いと思う。 -- (名無しさん) 2017-07-27 12 05 53 曹操にとっては事実上唯一といっていい鬼謀の郭嘉は早死にだから敵に接近して計略撃つことになるわけで、編集でもしないかぎり曹操の部隊は間違いなく最前線で壁しながら計略撃つことになるわけだ。金剛と護衛のどこが無駄が多いのかむしろこれ以上ない完璧な布陣だろうよ。先鋒として使いたくなるのはわかるね、統率あげて槍でも持たせたいなぁ。でも弩や兵器はちょっとキャラ殺しすぎだわな。 -- (名無しさん) 2017-07-27 13 22 51 序盤は曹操の副将として戟部隊で壁+計略部隊として統率と戟適正あげしつつ、統率研究でさらに統率もあげていく。最終的には特技は出たものによるが戟兵部隊率いさせるのが多いかな自分は。編集して程昱でも鬼謀にして曹操と組ませて、許チョは曹操の前に戟兵かな。やはり後半は戟兵技巧研究がかなり強いし金剛と相性がいいので、心攻持ちの高知力副将と戟兵組ませたいね。槍はクリティカルがいないとちょっとね。一流の主将になるまでは曹操護衛と一騎討ち要因でいいんじゃないかな -- (名無しさん) 2017-07-29 07 25 33 ↑2普通に鬼謀無くても2列目から兵100の輸送隊とかで撹乱打てるんだが… それで運用してて壁が足りなくなったり曹操討ち取られたりしたことなんて1度も無いぞ -- (名無しさん) 2017-07-29 21 10 34 弩兵の乱射や前の部隊が槍の突き食らったら終わりだろ100とかふざけるのも大概にしてくれないか。だいたい大将を100の輸送で出陣させるとかそんなことしちゃさすがに世界観というか倫理に反するだろう。俺は超級で周りの勢力を技巧MAXの物資も全部MAXで、自分の勢力は物資ほぼ0状態とかにしてスタートさせるからそんな使い方はできないなぁ -- (名無しさん) 2017-07-30 02 26 55 古武将の楽毅が高義理、高統率、高知力、心攻持ち、戟Sとよりどりみどり揃っているが、 相性が50離れているとかなり辛いのが痛いか。 -- (名無しさん) 2017-08-01 06 54 41 AIがもっと優れていて強弩+弩部隊が4以上いたら曹操の副将として役に立つけど、コーエーのAIごときで計略隊がダメ受けることはほぼない。毎ターン計略するから許褚の武力が無駄になるんだよね。反撃のダメに頼よるより別働隊にして攻撃したほうが最終的に損害は少くなる -- (名無しさん) 2018-05-05 20 28 40 曹操の副将に許褚は対人戦なら金剛と援護ダメージ期待で多少意味があるかなって程度だよね。 その場合でも曹操の副将には百出や血路を優先させるだろうし、そもそもこのゲームで対人戦やろうとすると一日がかりになるからほとんどやらないけど。 -- (名無しさん) 2018-05-06 02 10 06 ↑×4の敵勢力技巧MAXをやってみたが霹靂が強すぎて相手にならんわ。弩兵並べられないし櫓の修復係りも櫓諸共木っ端微塵されて宛でも漢中でも防衛できん。これなら曹操+許褚はなっとくいく -- (名無しさん) 2018-05-09 23 51 49 そうなんだ? その場合許褚の役割って曹操で釣った武将を一騎打ちで倒す感じ? -- (名無しさん) 2018-05-11 18 17 11 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/imaska/pages/323.html
郭嘉伝郭嘉(字:奉孝)(カクカ/ホウコウ) 郭嘉伝 郭嘉(字:奉孝)(カクカ/ホウコウ) おなじみ不良軍師。夭逝した天才、曹操の親友という要素も相まって、架空戦記の軍師中人気はトップクラス。 ほとんどの戦記で女好きとして描かれる。 出演作品:閣下で三国統一、曹操P業、その時貧乳が動いた、im@s演義、765プロ三国時代、真三国志、美妓皇帝、魏史まこと伝、中華争奪戦、後漢流離譚、ういぽセブン マキシマムiM@S、おれ達、黄巾賊!、三國夢想、三国×M@ster、春香と小鳥の三国志 俗称:不良軍師 作品名:閣下で三国統一遊び人風だが決めるところは決めるスーパー軍師。曹操の方針が明確なため他戦記に比べやや影は薄め。 作品名:曹操P業許昌の飯店にて仕官の誘いに来た曹操に目もくれず、あずさの乳に釣られ仕官する。 曹操の魂の友としてアイドル談義に華を咲かせたり口喧嘩したりしている。 最期は華佗の治療も虚しくあずさ達アイドル全員に看取られ陳留にて没す。その葬儀は国葬で執り行われた。 作品名:iM@s演義郭図の推挙で袁紹軍の幕僚会議に招かれるも、その席で袁紹や幕僚たちを酷評。結局袁紹には仕えないまま、その後に南蛮亭で食事中の亜美と許劭に出会う。 仕官先として目をつけていた曹操の人物評を許劭に聞いて喜び、許劭たちの食事代をおごると言ったのが運の尽き。 既に亜美が凄まじい量の料理を食べていたため、有り金の殆どを払う羽目になるわ、店長(金環三結)に凄まれるわと散々な目に。 作品名:765プロ三国時代曹操のアイドル趣味の同志。同じくアイドル趣味に傾倒している。 「乙女の柔肌より敏感なセンサー」を作り出して宛で律子達を待ち構えるが、風で誤作動し味方が混乱。その隙に宛を攻め落とされ、魏延に捕らえられる。 一見忠臣のような言動をして抵抗するように見せかけ、アイドル達に(18歳未満には不適切な)拷問をさせようとしたが、その言動を勘違いした唐紀によって解放されることとなる。あわれ。 作品名:真三国志曹操軍の軍師。軍議をサボるなど不良軍師らしく気ままな振る舞いをする。 この動画では主に陳宮とともに勢力紹介等の解説を担当する。 作品名:美妓皇帝伊織軍のルー語軍師。その神算鬼謀ぶりは史実の通り。 襄平攻略戦にてその智謀で活躍し、己の欲望まで満たそうとするも荀彧に看破され投獄される。 作品名:魏史まこと伝フリーダムと断言されてしまった曹操軍の不良軍師。女好き。おっぱいはあってもなくてもいいが巨乳は好き。 情報は速さを第一としており、真の仲間が集まるといの一番に駆けつける。そして夏侯惇に政庁に連れ戻される。 金銭や名誉などには目もくれず、純粋に楽しんで曹操のために軍略を披露する、ある意味タチの悪い男でもある。 作品名:中華争奪戦一度死んでからも相変わらずの不良軍師だが、燃え尽き症候群にかかった曹操を自分なりの言葉で立ち直らせた。 独眼流政宗の妻たちを見てティンと来、是非仕官させるよう説いた。 作品名:後漢流離譚あずさと伊織の登場により、北伐後の死亡フラグがへし折られる。相変わらずの不良軍師だが、冴え渡る智謀が本来の歴史を塗り替えていく。 ガチガチの巨乳派。伊織には目もくれない。 自分を救ったあずさに恩を感じながらも、曹操の天下のためには(あずさ本人が損をしない程度で)利用することを厭わない男。 作品名:ういぽセブン マキシマムiM@S番外編では曹操死後に曹丕を担ぎ出して曹家を二つに割ってしまう。荀彧と戦って見たかったというのが理由らしい。 本編では女性で美浦の調教師。やよいを見ると興奮して鼻血を出す。765プロ社員の荀彧、アイドルの程昱とは腐れ縁。 作品名:おれ達、黄巾賊!やはり曹操とは友達付き合いをしている。戦略だけでなく碁でも無類の強さで、華琳と打った際は詰みまでを完全に読みきっていた。 華琳との賭けもノーリスクハイリターンの条件を引き出しており、軽そうに見えて中々食えない。 娘に稟がいる。華琳には親娘揃って不遜な物言いをすると呆れられているようだ。 雪歩を「ゆきぽ」と呼び何かにつけて可愛がるが、その雪歩をダシにして限界を超える徴兵を強いるなど黒い部分は黒い。 作品名:三國夢想曹操軍壊滅後に「良い乳の軍師がいるらしい」と河北に渡った。 公孫瓚の配下ではなく律子の配下として働き、隙あらばセクハラを狙う。 一応律子を気遣う一面も持つ。なお、百合もイケる口。 南皮城攻防戦では、馬超率いる6万の軍勢を火攻めで打ち破る。戦死約5万+董卓焼き豚などの大戦果を挙げた。 作品名:三国×M@ster袁術軍軍師。珍しく真面目。真の隊を同士討ちさせるなど優秀さは損なわれていない。 作品名:春香と小鳥の三国志陳留に流された千早へ、荀攸とともに軍略などを教えた師の一人。 千早を口説いたりπタッチするなど自重しないが、含蓄のある助言もする。どこまでが真面目なのかつかみ所がない。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/imaska/pages/155.html
■『魏史 まこと伝』(「三国志ⅩwithPK」)使用シナリオ 主な登場キャラ ・アイドルの皆さん菊地 真 高槻 やよい 萩原 雪歩 三浦 あずさ 音無 小鳥 秋月 律子 双海 亜美 水瀬 伊織 如月 千早 星井 美希 双海 真美 天海 春香 ・曹操軍の皆さん曹操 夏侯惇 典韋 郭嘉 曹仁 夏侯淵 許褚 曹洪 程昱 満寵 于禁 用語「魏史アンジェリーク」<タグ> 「曹仁ですが軍の空気がまこまこです」<タグ> ■『魏史 まこと伝』(「三国志ⅩwithPK」) 使用シナリオ 『飛将来りて 中原に武威蠢く(194年3月)』 一般武将プレイ・陳留スタート 主な登場キャラ ・アイドルの皆さん 菊地 真 現代の世界から、自分の意図せぬままに後漢代(194年)の中国・陳留郊外にタイムスリップ。見知らぬ世界にとまどいながらも、真っ直ぐでひたむきな心を忘れずに、いつの日か元の世界へと戻るべく奮闘し続けている。 能力値(2章時点)統率:62 武力:80 知力:38 政治:27 魅力:73 名声:100特技:内政-徴兵・訓練 戦闘-突撃・鼓舞 一騎-回復・気炎・三段 +以下ネタバレ注意 陳留の顔役から斡旋された「ごろつき退治」の仕事の際に見せた武の才を、偶然その場に居合わせた曹操軍武将・夏侯惇に見出される。 彼から陳留の街の巡回兵を務めるよう薦められ、街を巡視していたある日、自分と同じくタイムスリップしてきていた高槻やよいと再会する。 彼女の存在から、他のアイドル仲間も同様にタイムスリップしている可能性に思い至った真がその事を夏侯惇に相談すると、「当ても無く探し回るよりは、名声を上げて自分の存在を仲間に気付かせることが近道だ」とアドバイスを受ける。 さらにその具体的な方法として、曹操軍に仕官し武将として功を為す、という道を示された彼女は、思い切ってその道を選ぶ意思を示し、夏侯惇の推薦を受け曹操との面会を果たす。 曹操が真の仕官を認める条件として提示したのは、曹操軍きっての猛将、『悪来』典韋との手合わせ。無謀とも思える挑戦だったが、己が目的を果たすためにと彼女は果敢に挑み、惜しくも敗れはしたものの、その才と意志の強さを十分に示し、見事曹操軍の武将として迎え入れられることとなる。 高槻 やよい 3章にて登場。 能力値(5章時点)統率:60 武力:35 知力:59 政治:80 魅力:72 名声:80特技:内政-農業・商業・徴兵 戦闘-鎮静・鼓舞 +以下ネタバレ注意 真と時を同じくして現代からタイムスリップ。陳留の近郊でさまよっていたところを農家の老婆に助けられ、陳留の市場で老婆の商売である莚売りを手伝っていた際、巡視をしていた真と再会する。 その後、曹操に与えられた真の家で共に暮らすことになったが、自分も仕事がしたいと言い出し、夏侯惇の推薦で曹操軍の文官として働くこととなる。 内政の才に秀でているらしく、特に農業指導における手腕は、農民出身である曹操軍武将・許褚に一目置かせる程のものであるらしい。 萩原 雪歩 7章にて登場。 能力値(8章時点)統率:36 武力:29 知力:71 政治:68 魅力:80 名声:80特技:内政-技術・改修 戦闘-鼓舞・隠密 計略-足止・地理 一騎-螺旋 +以下ネタバレ注意 真・やよいと同じくタイムスリップで、濮陽近郊に飛ばされてきたらしい。 濮陽の大富豪の家に拾われ、小間使いとして働いていたものの、身元の分からない拾われた娘ということで富豪の妾から辛い仕打ちを受けていた。 雪歩の容貌に目を付けた富豪から、自分の妾になれと迫られ窮地に陥るが、富豪を捕縛するため満寵と共に屋敷を訪れた真と再会し、危機を脱した。 真たちとの合流を果たして安堵した彼女だったが、真たちが曹操軍中で懸命に働く姿を見て「自分だけが何もしないのはいけないことだ」と思い立ち、夏侯惇及び郭嘉の斡旋により曹操軍軍師・程昱の指導の下、文官として働き始めた。 三浦 あずさ 9章にて登場。 能力値(15章時点)統率:77 武力:69 知力:58 政治:79 魅力:91 名声:150特技:内政-農業・治安・徴兵 戦闘-一斉・鎮静・鼓舞 計略-混乱 一騎-回復・気合 称号-酒豪・医者 +以下ネタバレ注意 名医・華佗のもとで医術を学んでいる。 「世界が誕生を渇望するセクシー女医」タグ自重w 華佗が曹操の頭痛を診るために許昌に訪れたことから真たちと合流する。 真たちと共に本来の世界に帰るため、また、英雄としての器を持つ曹操を手伝うことで傷病に苦しむ人々が絶えぬ戦乱の世を平穏にしたいという理由で、華佗と別れ真たちの下に留まる決意をした。その際、華佗から彼の持つ医術の全てを記した『青嚢書』を譲られている。 音無 小鳥 11章にて登場。 能力値(37章時点)統率:51 武力:37 知力:85 政治:83 魅力:86 名声:100特技:内政-商業・技術 戦闘-鎮静・鼓舞・隠密 計略-混乱・地理 一騎-気合・気炎 舌戦-抗弁・反論・揚足 称号-間諜・酒豪 +以下ネタバレ注意 なぜか袁術軍に仕官しているが、その目的は孫策×周瑜のカップリング目当てだった。 既に孫策は独立している様子。ダメ無さん涙目www 袁術が皇帝を僭称したことで、流石に見限って下野した。もちろん、次なる目的地は孫策軍であるw 秋月 律子 12章にて登場。 能力値(外話時点)統率:77 武力:51 知力:90 政治:82 魅力:85 名声:120特技:内政-商業・技術・治安 戦闘-鎮静・鼓舞 計略-同討・誘引・混乱 舌戦-抗弁・揚足・論破 称号-軍師・間諜 +以下ネタバレ注意 三国志の世界にタイムスリップしたことを理解している。この時代の情勢や公孫瓚の異名「白馬将軍」を知っているあたり、かなりの通。 北平の商人の下で働き、事務員としての才を発揮していた。その才を見込んで趙雲が登用を持ちかける。律子の決断はいかに? 結局押し切られる形で公孫瓚に使えることになり、軍師として袁紹軍の領地・南皮の奪取に貢献したが、自分が歴史の流れを変えてしまっていることを悩んでいる。 双海 亜美 外話にて登場。 能力値(番外編その弐時点)統率:51 武力:49 知力:42 政治:39 魅力:73 名声:100特技:内政-技術・治安・訓練 戦闘-突撃・一斉・鼓舞・奇襲・隠密 計略-同討・足止・混乱・天文・地理 一騎-回復・気合・気炎・受返・三段 舌戦-揚足・挑発 称号-提督・間諜・仙人 +以下ネタバレ注意 左慈に師事しており、仙術を学んでいた。また、左慈のことは「さじーじ」と呼んでいる。 水瀬 伊織 外話にて登場。 能力値(30話時点)統率:83 武力:49 知力:71 政治:66 魅力:77 名声:120特技:内政-治安 戦闘-突撃・一斉・鼓舞 計略-誘引 一騎-気合・気炎 舌戦-威圧・挑発・面罵 称号-名士 +以下ネタバレ注意 袁紹軍に仕えている。まだ実力を示す機会が得られず、「お飾り人形」の状態らしい。 如月 千早 外話にて登場。 能力値(番外編その弐時点)統率:72 武力:72 知力:72 政治:72 魅力:72 名声:120特技:内政-技術・治安 戦闘-火矢・鎮静・鼓舞 計略-足止・誘引・天文 一騎-気合・気炎・受返・弾返 舌戦-威圧・抗弁・反論 称号-提督 +以下ネタバレ注意 喬家の館にて二喬とともに暮らしていたが、他のアイドル仲間を探すためにも人を動かす力が必要と感じ、将になる道を選ぶ。 星井 美希 35話後編にて登場。 能力値(番外編その弐時点)統率:80 武力:76 知力:80 政治:79 魅力:84 名声:100特技:戦闘-鼓舞 +以下ネタバレ注意 初登場時の所在地は桂陽。おにぎりをもらいつつ、方方を旅して回っている、らしい。 双海 真美 外話弐にて登場。 能力値(番外編その弐時点)統率:49 武力:45 知力:48 政治:47 魅力:73 名声:100特技:内政-農業・商業・技術・改修・治安 戦闘-火矢・一斉・鎮静・鼓舞・奇襲 計略-同討・誘引・混乱・地理・石陣 一騎-回復・気合 舌戦-抗弁・反論・揚足・論破・挑発 称号-間諜 +以下ネタバレ注意 荊州にて徐庶らと共に司馬徽の元で勉強の日々を送っている。 司馬徽を「バキじー」、徐庶を「ゲンゲン」、向朗を「しょろろん」と呼ぶ。 天海 春香 35話後編にて登場。 能力値(番外編その弐時点)統率:90 武力:51 知力:91 政治:95 魅力:83 名声:100特技:内政-農業・商業・技術・改修・治安 戦闘-鎮静・鼓舞 計略-同討・誘引・地理 一騎-気合 舌戦-威圧・抗弁・反論・揚足・挑発 称号-軍師・名士・間諜 +以下ネタバレ注意 永昌の農村に迷い込んでいたところを村人に保護され、以後その村で過ごしていたのだが・・・。 ・曹操軍の皆さん 曹操 字は孟徳。言わずと知れた三国志の中核的人物。このシリーズでは当初兗州牧・陳留太守として登場する。 夏侯惇や曹仁を何かにつけてからかうのが趣味らしいw 優れた人材を見ると「ティン!!」とくるのはお約束。 +以下ネタバレ注意 曹操を語る上で欠かせない、彼の三大疾病(頭痛持ち・人材コレクター・美女好き)はこのシリーズでももちろん健在であり、ストーリー上でもそれぞれが(良い意味・悪い意味両面で)密接に絡んでくる。 ちなみに、真と初対面した際には(初見から女性と見抜いたこと以外)彼女の容姿等に関心を示さなかった彼だが、華佗と共に訪れたあずさを見て「実に優れた天稟を持っている」などとほざいているところを見るに、このシリーズの曹操もまた巨乳好きであるのは間違いないと思われるw 夏侯惇 字は元譲。曹操の従兄弟であり、ある意味曹操の片腕とも呼べる程の密接な関わりを持っている。 タイムスリップしてきた真と初めて出会い、以降何くれと面倒を見てくれる『頼れる㌧兄』。 +以下ネタバレ注意 真が曹操軍に入った後は、彼女の後見役的存在となり、本来居た世界と全く違う戦乱の世で懸命に生き抜こうとする彼女の道標としての役割も担っている。 また、やよい等真のアイドル仲間が合流した際には、彼女らの曹操軍内での働き先を斡旋したり、悪い虫(=不良軍師w)がつかないよう実力行使でガードしていたりもする。正に『曹操軍の敏腕プロデューサー』と呼ぶにふさわしい活躍っぷりであるw(たまに、そんな自らの行動に疑問を抱くこともあるようだが……w) 典韋 別名『悪来』。曹操軍きっての猛将であり、曹操の私設ボディーガード第一号。 +以下ネタバレ注意 真が曹操軍に仕官するに当たっての試験として、彼女と手合わせするよう曹操から命じられる。 手合わせするうちに、真の持つ荒削りながらも確かな武の才を感じ取り、彼自ら真の任官を曹操へ奏上するに至った。 以来、真に己の持つ武技を伝授する役目を自ら買って出て、日々の鍛錬を通していつしか彼女と師弟の絆を結ぶに至る。 真を「信頼する弟子」と関羽・張飛両名に伝える事で二人から真に侘びさせた漢前。 郭嘉 字は奉孝。ご存知三国一の不良軍師にしてシリーズ随一のフリーダムな紳士。そして曹操股肱の名参謀。 +以下ネタバレ注意 普段は軽いが、己の名誉栄達のためには冷徹で、群雄・天下を相手取る戦略には嬉々として対処する筋金入りの軍師であり、惇兄も底が窺い知れないほど。 「情報は早さが命」の座右の銘どおり、アイドルたちの合流にはいの一番で駆けつける。そして夏侯惇に政庁に連れ戻されるのもお約束w 真を預かる立場の夏侯惇に「真ちゃんのお友達のお世話は私に!」と常に要望するも、無理難題(真に孫子の兵法を諳んじさせるなど)や問答無用の鉄拳であえなく轟沈している。 乳はあっても無くても全然OKみたいだが、やっぱり巨乳好き。 曹仁 字は子孝。曹操の一族であり曹操軍旗揚げ以来の重鎮武将の一人。 +以下ネタバレ注意 真が曹操軍に仕官した際、「女子が戦場に立つなど断じて許されん!」と憤慨し、曹操に考え直すよう談判するも巧みに言いくるめられうやむやにされる。 その後も自分の訴えを通すべく軍の仲間に協力を呼びかけるも……その仲間たちはことごとく真の持つ魅力にまっこまこにされたのか彼女たちに好意的な態度を示しており、曹仁一人が孤立してしまった形となっている。その辺りのやりとりについては下記のタグ解説も参照w 満寵との会話の流れで、実は彼も無意識下のうちに真を気遣っているらしい節が見受けられ、隠れまっこまこであることが窺われたw しかし表面上はあくまでも真を認めようとしないというそのツンデレっぷりに、魏史アン一の萌えキャラは実は彼ではないかとも噂されているw 曹仁かわいいよ曹仁w 夏侯淵 字は妙才。曹操及び夏侯惇の従兄弟であり曹操軍の重鎮の一人。弓の名手でもある。 +以下ネタバレ注意 その巧みな弓技の評判を聞いた真から弓術指南を頼まれ、快く引き受けている。 曹仁涙目w 許褚 字は仲康。農民を経て曹操軍の将となったという経歴の持ち主。武勇に優れ、曹操のボディーガードも勤めた。通称『虎痴』。 +以下ネタバレ注意 平時にはその経歴を買われてか農業指導に従事することが多く、特に畑地の大岩を一人で除ける等剛力を発揮した力仕事が多いようだ。 やよいが一緒に農業指導に従事した際、彼女の仕事ぶりを見て「只者ではない」と見抜く。以来、彼女とは名コンビとなって日々開墾に勤しんでいるw 曹洪 字は子廉。曹仁らと同じく曹操の一族で、旗揚げ以来の重鎮武将の一人。 +以下ネタバレ注意 利殖・蓄財を大いに好み(←史実)、真から仕事のことで相談を受けた際にも彼女に蓄財の心得を説いているw ↑の話より、真曰く「やよいと気が合いそう」。 言うまでもなく曹仁涙目w 程昱 字は仲徳。曹操軍を支える有能な軍師団の一人。 +以下ネタバレ注意 真たちと合流した雪歩が「自分も仕事がしたい」と申し出た際、世話役に立候補して夏侯惇に却下された郭嘉が代わりに彼を推挙した。 偏屈で有名だった程昱だが、自分の下に付けられた雪歩には実に優しく接しており、彼女の淹れたお茶を美味しそうに飲む姿は、まるで孫を愛でる祖父のようだともっぱらの噂であるw 満寵 字は伯寧。文武に優れた曹操軍の名将。某別シリーズでは『ディフェンスに定評がある』ことで有名w +以下ネタバレ注意 初登場は第3話で、陳留北門の治安担当官として登場する。 曹操軍が濮陽を再占領した際、不正を働いた大富豪宅の捜索に真と組んで赴いた。その折りに雪歩が真に保護されている。 女子が戦場に立つのは感心しないが、離れ離れになった友人を探さんと努力する真たちに対し、その道を誤らぬよう教え導くのが自らの使命と信じてやまない、君子と言うか(本来の意味での)紳士。 もちろん曹仁涙目w 于禁 字は文則。曹操軍切っての名将の一人。史実でのあまりに酷い最期はファンの間で語り草となっている…。 +以下ネタバレ注意 名前だけなら序盤から出ていたが、実際に姿を見せたのは31話が初。 用語 「魏史アンジェリーク」<タグ> このシリーズの真は、その真っ直ぐな心根からか、夏侯惇や典韋といった強面の武将達からとにかく大事にされまくっている。 その様子が、三国志と同じKOEIから発売されていた『アンジェリーク』という恋愛シミュレーションゲームにおける「主人公の少女がイケメン揃いの神々にモテまくる」という状況を髣髴とさせるために、いつしかこのタグが付いた。 もちろん、ここの武将達もイケメン揃いですよ? ……気持ちがねw はいそこの方、変なところで区切らないようにw 語呂の良さのせいか、いつの間にかこのタグの略称『魏史アン』がシリーズそのものの通称となるに至ったw くれぐれも全てカタカナ表記にはしないようにw 「曹仁ですが軍の空気がまこまこです」<タグ> 真(というより女子)を将に取り立てている事を好ましく思っていない曹仁。5章にて曹操に直訴するも、逆に論破されてしまう。 そこで夏候淵を味方にしようと試みるも、彼も真に弓術指南していることが発覚。魏軍の空気がまっこまこにされる中、取り残された曹仁の心境を表したタグと言える。 曹仁かわいいよ曹仁w 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/wiki13_musou/pages/30.html
フリーモード ステージ一覧 年代1 交趾救援戦・孫堅軍 交趾救援戦・南蛮軍 黄巾の乱・討伐軍 黄巾の乱・黄巾党 長坂逃亡戦・黄巾党 汜水関の戦い・連合軍 年代2 虎牢関の戦い・連合軍 虎牢関の戦い・董卓軍 界橋の戦い・公孫瓚軍 江陵の戦い・孫堅軍 徐州掃討戦・曹操軍 徐州掃討戦・陶謙軍 年代3 寿春の戦い・孫策軍 呉郡の戦い・孫策軍 宛城の戦い・曹操軍 宛城の戦い・張繍軍 下邳の戦い・曹操軍 下邳の戦い・董卓軍 年代4 官渡の戦い・曹操軍 官渡の戦い・袁紹軍 関羽千里行・関羽軍 汝南逃亡戦・劉備軍 大徳救出戦・劉備軍 黎(レイ)陽の戦い・曹操軍 夏口の戦い・孫策軍 年代5 長坂の戦い・曹操軍 長坂の戦い・劉備軍 赤壁の戦い・曹操軍 赤壁の戦い・連合軍 襄陽の戦い・劉備軍 荊州四郡攻略戦・孫権軍 年代6 馬家捕縛戦・曹操軍 潼関の戦い・曹操軍 益州侵攻戦・劉備軍 黄河の戦い・呉軍 黄河の戦い・袁紹軍 合肥の戦い・魏軍 合肥の戦い・呉軍 定軍山の戦い・蜀軍 年代7 樊城の戦い・魏軍 樊城の戦い・蜀軍 夷陵の戦い・呉軍 夷陵の戦い・蜀軍 南中平定戦・蜀軍 南中平定戦・南蛮軍 石亭の戦い・呉軍 合肥新城の戦い・魏軍 合肥新城の戦い・呉軍 白帝城の戦い・呉軍 年代8 五丈原の戦い・魏軍 五丈原の戦い・蜀軍 赤壁復讐戦・魏軍 長江決戦・呉軍 赤壁決戦・蜀軍 第六次北伐・蜀軍 長安攻城戦・蜀軍 建業の戦い・魏軍 許昌の戦い・呉軍 成都の戦い・魏軍 董卓軍 虎牢関の戦い・董卓軍 村:有 宝物庫:孫二娘 勝利条件 袁紹の撃破 ステージ達成度100% 出現武将:貂蝉 出現ステージ:下邳の戦い・董卓軍 下邳の戦い・董卓軍 村:有 宝物庫:冒頓単干 勝利条件 曹操の撃破 ステージ達成度100% 出現武将:呂布 袁紹軍 官渡の戦い・袁紹軍 村:有 宝物庫:華佗(西兵糧庫から下に1つ、左に1つ行った野戦場の下) 宝物庫:成吉思汗(白馬城から上に2つ、右に1つ行った野戦場の右) 勝利条件 曹操の撃破 ステージ達成度100% 出現ステージ 黄河の戦い・袁紹軍 黄河の戦い・袁紹軍 村:有 宝物庫:服部半蔵(南攻撃拠点から1つ下の野戦場の右) 宝物庫:鍾離昧(北砦の左) 勝利条件 孫権の撃破 黄巾党 黄巾の乱・黄巾党 村:無 宝物庫:浅井長政(東砦から上に2つ行った野戦場の右) 勝利条件 何進の撃破 ステージ達成度100% 出現ステージ:長坂逃亡戦・黄巾党 長坂逃亡戦・黄巾党 村:有 宝物庫:無 勝利条件 曹操・孫堅・劉備の撃破 南蛮軍 交趾救援戦・南蛮軍 村:無 宝物庫:石田三成(北防御拠点から2つ右の野戦場の上) 勝利条件 孫堅の撃破 ステージ達成度100% 出現ステージ:南中平定戦・南蛮軍 南中平定戦・南蛮軍 村:有 宝物庫:濃姫(北東防御拠点から下に2つの野戦場の右) 勝利条件 諸葛亮の撃破 ステージ達成度100% 出現武将:祝融 左慈 大徳救出戦・劉備軍 村:無 宝物庫:無 勝利条件 劉備の脱出地点への到達 ステージ達成度100% 出現ステージ:宛城の戦い・張繍軍 宛城の戦い・張繍軍 曹操脱出東拠点制圧後右の野戦場に移動する→中央砦の左右に道が開通し、曹操が本陣を目指すようになる。 村:無 宝物庫:稲姫(中央砦から上へ2つ行った野戦場の右) 勝利条件 曹操の撃破 曹操撃破で絶影 他勢力ステージ達成度オール100% 副将:貂蝉・猛獲・田豊・帯来洞主・呂範・金環三結・えんにょう峰紀 -- (名無しさん) 2009-10-31 21 34 51 逢紀 -- (名無しさん) 2009-10-31 22 20 44 交趾救援戦「孫堅軍」寿春の戦い「孫策軍」白帝城の戦い「呉軍」許昌の戦い「呉軍」の出現方法を教えてください。 -- (司馬懿) 2011-02-25 01 42 54 大徳救出戦の出し方教えてください。 -- (おら) 2011-08-04 16 29 48 大徳救出戦は左慈をだしたら出る -- (ヒデ) 2011-09-24 12 20 31 大徳救出戦敵・味方、少ないです。 -- (呂布) 2012-09-28 23 04 22 長江決戦ってどうやったら出るんですか?(´Д` ) -- (さつきんぐ) 2012-12-27 22 44 54 左慈欲しいーーーーーーー -- (チョウリョウ) 2013-03-26 17 32 52 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2169.html
勝利条件 敗北条件 制限 日数 担当勢力 敵勢力 曹操部隊が許昌入城張繍軍全部隊の壊滅 曹操部隊壊滅許昌陥落指定日数経過 部隊コマンドのみ使用可宛・許昌のみ行軍可 100日 曹操 張繍 概要 ZOCを上手く活かそう。単純に逃げていたら絶対にクリアできない。 胡車児に典韋が隣接すると一騎討ちイベント発生。胡車児は武力82、典韋は軽症状態で武力76(暗器無し)。勝つと胡車児が死亡し胡車児隊が消滅。この後典韋隊が壊滅しても典韋は死亡扱いにならず、クリア後に登場する。 負けると典韋が死亡し典韋隊が消滅。 曹操と曹昂が隣接した状態で曹昂隊の兵力が1500以下になると、曹昂死亡イベントが発生。イベントが発生すると于禁隊5000が虎牢関南に登場し、曹昂隊が消滅。 イベントが発生しないと曹昂隊が壊滅しても曹昂は死亡扱いにならず、クリア後に登場する。 基本方針 曹昂と曹操は弓櫓を叩きながら真っ直ぐ逃げる。弓櫓の耐久値が低いと攻撃力も若干弱まる。 典韋は何としても胡車児を一騎討ちで破る。負けてもクリアは不可能ではないが、極めて辛くなる。防御重視→クリティカルが出たら闘志重視→必殺技連続でOK。 一閃で敗れる事もあるので、自信が無かったらそこでリセットするのも手。 一騎討ちに勝利後は敵の進路上に陣取って、ZOCで時間を稼ぐ。下手に手を出すと相手の反撃でこちらが壊滅するので、あくまで壁役に徹すること。典韋の挙動(後述)次第で張繍が宛北部の森へ迂回してくれるので、随分楽になる。 曹昂は何もせずとも弓櫓の攻撃で兵が減り、死亡イベントが起こるはず。楽にクリアしたいなら、可哀相だが典韋と違って史実通り死んでもらい、于禁隊を出現させよう。 曹昂生存のままのクリアも一応可能だが、難易度は格段に上がる。詳細は後述。 于禁は3つ目の櫓がある辺りの隘路で道を塞がせて、曹操を逃がす事に徹する。螺旋突を繰り出すと、案外敵が混乱して切り抜けられることもある。最後まで諦めてはいけない。 典韋と曹昂の双方を壁にする方法などもあるので、コメント欄も参考にするといい。 全員生還作戦 難易度が格段に上がるので、覚悟して臨もう。 曹操は全力で許昌へ避難させる。曹昂と典韋の挙動が鍵と成る。2人のZOCと戦法「突出し」を最大活用する。 3人の挙動1ターン目曹操83-91移動>櫓(83-92)攻撃曹昂82-92移動>櫓(83-92)攻撃典韋78-90移動待機胡車児が典韋に攻撃>一騎討ちで討ち取る張繍78-94賈ク76-94移動 2ターン目曹操85-89移動>櫓(85-88)攻撃典韋79-92移動待機曹昂83-91移動>櫓(83-92)攻撃張繍73-89移動>迂回賈ク79-90移動 3ターン目曹操86-89移動>櫓(85-88)攻撃曹昂84-89移動>櫓(85-88)攻撃典韋80-91移動>賈クへ一騎討ち挑む>断られる賈ク80-90移動>典韋へ攻撃張繍77-86移動 4ターン目曹操、曹昂とも1マス北へ進んで櫓(85-88)攻撃>破壊典韋80-92移動>賈クをやりすごす賈ク84-90移動張繍80-86移動 5ターン目曹操87-87移動>櫓(88-88)攻撃曹昂81-86移動>張繍に一騎討ち挑む>断られる典韋83-91移動>櫓(83-92)攻撃、この時点で典韋の兵士617程賈ク83-87移動張繍80-86から曹昂へ攻撃 6ターン目曹操88-87移動>櫓(88-88)攻撃曹昂81-86から張繍へ一騎討ち挑む>断られる典韋84-89移動敵ターン始めに典韋混乱賈ク87-87移動>曹操へ戦法攻撃し曹操が1マス(89-86へ)移動させられる ※【重要】戦法失敗では駄目張繍80-86から曹昂へ攻撃>曹昂壊滅 7ターン目以降曹操92-87移動>92-88移動>96-91移動>ゴール典韋82-87移動、直後の張繍の攻撃で壊滅…この時点で張繍は曹操に届かない 張繍軍撃滅作戦 一騎打ちを活用すれば張繍軍全滅も不可能ではない。 曹操で挑むと君主補正で(武力が圧倒的に劣る賈クですら)一騎打ちを受けてくれる確率がそれなりにある。 一騎討ちで無双 or 急所を繰り出して確実に相手を負傷させることがポイント。 あとは負傷して攻撃力が落ちた敵を通常攻撃や槍戦法で削っていく。 兵数はそこまで多くないので負傷させて攻撃力を落とせば意外に早く壊滅してくれる。 2回一騎打ちを通せればより確実。 曹操は一騎討ち&攻撃のメインとして、曹昂と典韋は3ターンもすれば使い物にならなくなるので 失敗確実な一騎打ちを申し込んで気力と兵士を削る役割を果たしても良い。 この方法を用いれば、曹操親子が隣り合わないようにさえ気をつければたとえ部隊が壊滅しても全員生還も可能。 ただし、自分で動かさなくても敵の戦法でマスが移動して隣り合った場合でもその瞬間にイベントが始まるので運は絡む。 コメント 曹操は最短で許昌へ向かわせ、曹昴はその後を追わせる。典韋が一騎討ちで負けたらほぼ確実に負けるのでやり直し推奨。 櫓はついでに攻撃するが、あくまで曹操を許昌に逃がす事を最優先する。運が良ければ張繍や賈詡の兵法で押し出される場合もある。 とにかく根気よく。レベル3では低難易度なので。 -- (名無しさん) 2011-10-15 22 40 16 何回かやってたら敵が混乱させてこなかったので余裕でした。 ありがとうございます。 -- (名無しさん) 2011-10-16 18 44 42 20回近くやってるのに典韋が一騎打ちで1撃で終わるんだが -- (名無しさん) 2011-12-18 13 15 27 ↑もしかしてデータをロードしてやり直してる?もしそうなら ターンごとに乱数?みたいなのが決まってるから初めからやり直ししないと展開は同じ -- (名無しさん) 2011-12-18 15 24 46 南に迂回すれば楽勝じゃん・・・ とか思ってたら行軍不可だった。 2ターン目で典韋でチョウショウを妨害すると、敵が迂回してくれた。 -- (名無しさん) 2012-03-19 19 24 07 曹昂は曹操と一緒に逃げたうえで、兵数1500未満にならないと死亡扱いにならない模様。 城のある高台付近で典韋と一緒に妨害作戦に出て死んだことがあったが、その時は「おや?曹昂が生き残っていますね。」というメッセージが出た。 -- (名無しさん) 2012-04-16 21 31 55 とりあえず基本としては 典韋で胡車児をヤル 典韋で賈詡に引っ付き一騎打ち連打 チョウショウと引き離す ぐらい…か? -- (名無しさん) 2012-04-17 03 25 42 既出かもしれませんが一騎打ちで引き分けると負け亜扱いになり典韋が死亡します -- (名無しさん) 2012-11-03 00 50 26 典韋死んだ方が有利だろこのシナリオ 少ない胡車児の軍勢であと詰まらせりゃいい事だし逃げやすいのも気がつかないのか?? 余裕でクリアした -- (名無しさん) 2012-12-01 20 25 01 嘘乙 -- (名無しさん) 2013-06-09 03 32 02 COMは張繍→賈詡→胡車児の順に動かすし 曹操の計略も使えんから胡車児を壁にするのはどうやっても無理 ちょっと試せばわかる嘘をなぜ書くのか -- (名無しさん) 2013-06-10 22 47 00 他の決戦制覇のコメ欄見れば分かるが同時期にキチガイが一人暴れてただけだよ -- (名無しさん) 2013-06-10 23 48 28 まぁ普通に無理だったなぁ でも史実では典韋、死んでるよな・・・胡車児に殺られてさ ゲームでは無理ってことになるだろうけど -- (名無しさん) 2013-06-11 12 31 55 全員生存でやっとクリアできた 長男と典韋捨て駒はともかく、突出や突撃のマス移動も利用しないと絶対許昌にたどり着けないわ もうこんなマゾシナリオはやりたくない -- (名無しさん) 2013-06-12 18 14 24 俺がクリアした時は一騎討ち負け→息子1500以下で死亡→援軍→曹操帰宅でクリア。 だいたい援軍まではできるっと思うがその後のコツは計略火。 敵は左側から攻撃してくるから援軍と火で曹操の壁になるようにする。 敵接近許せる相手は槍軍。戦法で右にずれるから笑 弓攻撃は計略火が成功出来たら攻撃。正し右に回り込まれたらアウトだからその辺りはセンスでカバー。 クリア時、曹操兵士180くらいだからかなり厳しいよ。 一騎討ちのヤツは成るべく生かす感じ。二人は逃げて、一騎討ちのヤツは計略火でなるべく足止め。 -- (名無しさん) 2014-03-13 01 34 56 計略火とか弓攻撃とかエアプすぎるだろ 一回ぐらいプレーしろ -- (名無しさん) 2017-05-07 01 33 40 pc版ですが、典韋が戦死してもクリアできましたよ。 ↑8の人が言うように、胡車児が先頭に来て、張繍や賈詡の行軍を妨害してくれます。 逆に胡車児が居ない状況だと張繍や賈詡の猛攻を受けて曹操が壊滅する事がありました。 -- (名無しさん) 2018-04-11 12 47 14 典韋隊が壊滅して、許昌送りになったあと傷病治るのがシュール -- (名無しさん) 2021-08-07 14 08 30 一騎打ち多用で張繍軍全滅はギリギリできたよ -- (名無しさん) 2021-10-13 06 59 17 「全員生還作戦」の攻略に従ってやってみたら、すべて書いてある通りに進みました。そして最後のカクの戦法が見事に失敗しました。これはS/Lは通じないので…仕方ない、何回かやり直すといきましょう。 -- (名無しさん) 2024-04-27 22 51 18 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/45.html
194年 興平元年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 皇后 (空位) 皇太子 (空位) 三公 太傅:馬日磾(前太尉・録尚書事・192~194)→(死亡)→(空席) 太尉:朱儁(前太僕・193~194)→楊彪(前太常・194~196) 司徒:淳于嘉(前司空・192~194)→趙温(前衛尉・194~208) 司空:張喜(前衛尉・193~196) その他の要職 録尚書事: ■馬日磾(太傅・192~194)→(死亡)→? ■朱儁(太尉・193~194)→楊彪(太尉・194~196) ■趙温(司徒・194~?) 太常:楊彪→ 光禄勳:→ 衛尉:趙温→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍: 驃騎将軍: 車騎将軍: 衛将軍: 地方官 司隷校尉:? 冀州牧:袁紹(191~202) 幽州牧:? 并州牧:? 青州:? 豫州刺史:郭貢《後漢書鄭孔荀列伝荀彧》 兗州牧:曹操(前東郡太守) 徐州牧:陶謙(~194)→(死亡)→劉備(194~) 河南尹:駱業《後漢書皇后紀靈思何皇后》 荊州牧:劉表(192~208) 涼州:? 揚州:? 益州:? 交州:? 廱州:? 主な事件 興平元年春正月辛酉、天下に大赦する《後漢書孝献帝紀》 興平に改元する《後漢書孝献帝紀》 帝元服する《後漢書孝献帝紀》有司は長秋宮を立てるべきと奏上する。《後漢書皇后紀靈思何皇后》 興平元年春、曹操は徐州から帰還する。初め。曹操の父の曹嵩は退官後譙に帰っていたが董卓の亂を避けて瑯邪に避難していた。陶謙のために害され、故に曹操は復讎の志をもって東伐に向かっていた。《三国志魏書武帝紀操》曹嵩は泰山の華縣にあった。曹操は泰山太守の應劭に迎えて兗州に送り届けるよう命じた。応劭の兵がいまだ至る前に、陶謙は密かに數千騎を遣わして掩捕せんとした。曹嵩は応劭を待っていて備えを設けていなかった。陶謙の兵が至たり、曹操の弟の曹德を門の中で殺す。曹嵩は懼れて後ろの垣を穿ち、先に妾を出そうとしたが妾が肥えていて出られなかった。曹嵩は廁に逃げたが妾とともに害された。闔門は皆死んだ。応劭は懼れて官を棄てて袁紹のもとに行った。後に曹操が冀州を平定した時、応劭はすでに死んでいた。《三国志魏書武帝紀操に引く世語》曹操は曹嵩を迎えた。輜重は百餘兩だった。陶謙は都尉の張闓に騎二百を率いさせて遣わし送った。張闓は泰山の華において嵩を殺し財物を奪い、淮南に出奔した。曹操は咎を陶謙に帰し征伐する。《三国志魏書武帝紀操に引く韋曜吳書》 二月壬午、皇妣の王氏を霊懐皇后と諡し追尊する。甲申、文昭陵に改葬する。《後漢書孝献帝紀》有司は追尊して王美人を靈懷皇后とするよう奏上した。文昭陵に改葬し、儀礼は敬・恭の二陵に比し、光禄大夫に節を持たせ行司空事が璽綬を奉った。王美人の兄の王斌と河南尹の駱業が復土した。《後漢書皇后紀靈思何皇后》 丁亥、帝は藉田を耕す《後漢書孝献帝紀》 三月、韓遂、馬騰は郭汜、樊稠と長平観で戦い、敗れる。左中郎将の劉範、前の益州刺史[ネ中]劭は戦没《後漢書孝献帝紀》注に引く、前書音義に、長平は阪の名前にて、池陽宮にある。長安とは約50里の距離がある。また注に引く、袁宏紀によれば、このとき馬騰は李確*等が専乱を行っているとして、宗室の大臣である劉焉に使者を遣わした。劉焉は子の劉範に将兵を授けて馬騰に就かす。故涼州刺史の[ネ中]劭は太常の[ネ中]弗の子で、[ネ中]弗は李確*に害されたので仇に報いんと参加した。《後漢書孝献帝紀》 夏六月丙子、涼州の黄河以西四郡(金城郡・酒泉郡・敦煌郡・張掖郡)を分けて廱州を作る《後漢書孝献帝紀》 丁丑、地震《後漢書孝献帝紀》 戊寅、また地震《後漢書孝献帝紀》 乙巳晦、日食あり。皇帝は正殿を避け、聴事を五日間行わなかった《後漢書孝献帝紀》 大いに蝗《後漢書孝献帝紀》 夏、曹操は荀彧、程昱を遣わして鄄城を守る。再び陶謙を討つ。五城を抜き、遂に東海に至る。郯を過ぎて還るとき陶謙の將の曹豹と劉備が郯の東に駐屯しているのを撃ち破る。遂に襄賁を攻拔する。通過したところの多くで殘戮する。《三国志魏書武帝紀操》 張邈は陳宮とともに呂布を迎えて曹操に叛いた。兗州の郡縣は皆応じた。荀彧、程昱は鄄城を保ち、范、東阿の二縣も固守した。曹操は軍を引き返した。呂布は鄄城を攻めたが落せず西進して濮陽に駐屯した。曹操は進軍して攻めた。呂布も兵を出して戰う。先陣の騎兵が青州兵を撹乱し青州兵は逃走した。曹操の陣は亂れた。曹操は馳突で火が出て馬を落ち左手掌を火傷した。司馬の樓異が曹操を助けて馬に乗せ退去した。軍営に曹操が戻ってこないので諸將は浮き足立ったが、曹操は軍を労り、軍中に令して攻める用意を整え、進軍して再び攻撃した。呂布と対峙すること百餘日。蝗蟲が起こり百姓は大いに飢え、呂布の糧食もまた乏しく各々引去する。《三国志魏書武帝紀操》曹操が濮陽を囲んだ時、濮陽の大姓である田氏が寝返ると聞いて、曹操は城内に入ることが出来た。しかし東門が焼かれ、寝返りが嘘だということがわかり、軍は敗れた。呂布の騎兵が曹操と遭遇したがそれが曹操だと分からず、「曹操はどこか?」と聞いた。曹操は「黃馬に乗っているあのものです」と答え難を逃れた。門の火は勢い盛んで曹操は火を突いて脱出した《三国志魏書武帝紀操に引く袁暐獻帝春秋》太祖は陶謙を征伐した際、領東郡太守の惇を留めて濮陽を守らせる。張邈は呂布を迎えてて叛き、太祖の家族は鄄城にあったので惇は輕軍をもって往赴する。途中呂布と遭遇し交戰する。呂布は退き、濮陽に入る。襲得惇軍輜重.遣將偽降,共執持惇,責以寶貨,惇軍中震恐.惇將韓浩乃勒兵屯惇營門,召軍吏諸將,皆案甲當部不得動,諸營乃定.遂詣惇所《三国志魏書諸夏侯曹傳》 秋七月壬子、太尉朱儁が免じられる《後漢書孝献帝紀》 戊午、太常の楊彪を太尉・録尚書事と為す《後漢書孝献帝紀》 四月から七月に至るまで三輔では大旱魃《後漢書孝献帝紀》 皇帝は正殿を避けて雨乞いをし、使者を囚徒に遣わして蕩滌させ、刑を軽くした《後漢書孝献帝紀》、 このとき穀1斛50万、豆麦1斛20万銭と為り、人相食み白骨は積もるに任された。皇帝は侍御史の侯汶を遣わして、太倉の米豆を出させ、飢えた人に粥を作った。日を経ても死者が減らなかった。皇帝は疑って、親しく御座前で粥作りを試みさせ、真実を悟った。これによって尚書令以下省閣に出て謝し、侯汶を捕らえて考査を奏した。詔に曰く、「侯汶を裁くに忍びず、杖打ち50とすべし」と。これ以後全てに徹底され得るもの多かった。袁宏紀によれば、侍中の劉艾は米豆5升で粥を作って盂3杯を満たして見せた。これを尚書に詔して曰く「米豆5升、粥盂3杯を作れる。」《後漢書孝献帝紀》 八月、馮[立羽]羌が反乱し属県を寇ず。郭[シ巳]、樊稠がこれを撃破する《後漢書孝献帝紀》 九月、桑がまた桑の実を生み、人は食べるを得る《後漢書孝献帝紀》 秋九月、曹操は鄄城に還る。呂布は乘氏に至り、そこの縣人である李進に破られ、東に行って山陽に駐屯する。ここにおいて袁紹は人を遣わして太祖に連和したいと説得させた。曹操は新たに兗州を失い、軍食も乏しく、許可しようとしたが、程昱が諌止し、曹操もそれに従った。《三国志魏書武帝紀操》 司徒の淳于嘉が罷める《後漢書孝献帝紀》 冬十月、長安の市門が自壊する《後漢書孝献帝紀》 冬十月、曹操は東阿に至る《三国志魏書武帝紀操》 衛尉の趙温を以って司徒・録尚書事と為す。《後漢書孝献帝紀》 十二月、安定郡・扶風郡を分けて新平郡を置く。《後漢書孝献帝紀》 この歳、楊州刺史劉ヨウは袁術の将孫策と曲阿に於いて戦い、敗れる。孫策は遂に江東に拠る。太傅の馬日磾は寿春に於いて薨る。 是歲、陶謙が死に、劉備が之に代わった《三国志魏書武帝紀操》 誕生者 死没者 劉範(左中郎将) [ネ中]劭(前の益州刺史) 馬日磾(太傅) 陶謙:徐州牧 ▲PAGE TOP 193年<< >>195年