約 11,570 件
https://w.atwiki.jp/mmmmnnnn/pages/82.html
第六十三話 「ジュンイクの言うチャンス」 曹操「ジュンイク、どう思う?」 ジュンイク「伏兵、ですか?」 曹操「ああ、ここまでは順当に勝てた。あの董卓にしては詰めが甘い。」 ジュンイク「おそらくベン水辺りで何かが…。」 曹操「それがお前の言うチャンスか?」 ジュンイク「はい、手筈通りに進めば。」 さらに進軍する曹操軍…、やがてベン水辺りにさしかかった。 曹操「森の鳥が飛び立たんな…。」 ジュンイク「はい、伏兵のいる証拠です。」 曹操「よし、皆の者、先程の打ち合わせ通りに戦えい!」 曹操、徐栄軍と激突。
https://w.atwiki.jp/regnumtria/pages/298.html
徐州討伐戦 夏侯惇 剣兵/rank5 LV35 干禁 剣兵/rank1 LV35 典韋 矛兵/rank4 LV35 [発生武将] 麋氏 「ちょっと恐いけどお兄ちゃんもいるから大丈夫よ。みんなで守り切ろうネ!」 麋竺 「さ~て、この麋竺様がさっさと追い返してやるとするか」 [序章] 曹操の元に悲報が届けられた。 徐州にて父の曹嵩と一族が殺されたという。 曹操は激怒し、軍を総動員し徐州の陶謙に怒りのまま攻め入った。 追い詰められた陶謙は部下であった麋竺の勧めで孔融を、更に救援を受けた劉備と共に曹操と相対することとなる。 [終章] 麋氏 激しく攻め立てる曹操軍に対し戦況は一向に良くならなかった。 しかし、息を潜めていた呂布が曹操に対し攻撃を行ったため曹操は軍を引くこととなり、無事に難を逃れた劉備ら一向は一時の休息を得ることとなった。 その後麋氏はこの激しい動乱の中、劉備の妻となり彼を支えていくこととなる。 麋竺 しかし、呂布が曹操に対し攻撃を行ったため、曹操はやむなく帰還することとなった。 難を逃れた劉備は徐州に留まり、麋竺は劉備の参謀として尽力することとなる。
https://w.atwiki.jp/sangokushi7/pages/26.html
名称 種類 特技 能力 忠誠 価格 所有者 184年 189年 192年 194年 197年 200年 202年 207年 209年 211年 217年 225年 227年 234年 257年 赤兎馬 名馬 強行 - +15 1500 董卓 呂布 呂布 呂布 呂布 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 - - - - 的盧 名馬 強行 - +10 1000 - - - - - - - 劉備 劉備 劉備 劉備 劉禅 劉禅 劉禅 劉禅 爪黄飛電 名馬 強行 - +10 1000 - - - - - 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹丕 曹叡 曹叡 曹髦 絶影 名馬 強行 - +10 1000 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹丕 - - 曹髦 大宛馬 名馬 強行 - +8 800 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 - - 七星宝刀 武具 - 武力+3 +25 2500 王允 董卓 - - - - - - - - - - - - - 倚天の剣 武具 - 武力+10 +20 2000 - - - 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹丕 曹叡 曹叡 曹髦 青釭の剣 武具 - 武力+10 +20 2000 - - - 曹操 曹操 曹操 曹操 夏侯恩 趙雲 趙雲 趙雲 趙雲 趙雲 趙統 趙統 方天画戟 武具 - 武力+8 +18 1800 呂布 呂布 呂布 呂布 呂布 顎煥 顎煥 顎煥 顎煥 顎煥 顎煥 顎煥 顎煥 顎煥 顎煥 青龍偃月刀 武具 - 武力+5 +10 1000 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関羽 関興 関興 関索 関統 蛇矛 武具 - 武力+5 +10 1000 張飛 張飛 張飛 張飛 張飛 張飛 張飛 張飛 張飛 張飛 張飛 張苞 張苞 張紹 張紹 鉄脊蛇矛 武具 - 武力+2 +8 800 程普 程普 程普 程普 程普 程普 程普 程普 程普 程普 程普 - - - - 雌雄一対の剣 武具 - 武力+7 +15 1500 劉備 劉備 劉備 劉備 劉備 劉備 劉備 劉備 劉備 劉備 劉備 劉禅 劉禅 劉禅 劉禅 古錠刀 武具 - 武力+2 +8 800 孫堅 孫堅 孫策 孫策 孫策 孫策 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫亮 三尖刀 武具 - 武力+2 +8 800 紀霊 紀霊 紀霊 紀霊 紀霊 - - - - - - - - - - 双鉄戟 武具 - 武力+2 +8 800 典韋 典韋 典韋 典韋 典韋 - - - - - - - - - - 大斧 武具 - 武力+2 +8 800 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 徐晃 - - 鉄鞭 武具 - 武力+2 +8 800 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 黄蓋 - - - 文鴦 鉄疾黎骨朶 武具 - 武力+2 +8 800 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 沙摩柯 - - - - 流星鎚 武具 - 武力+2 +8 800 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 王双 - - 短戟 武具 - 武力+1 +5 500 典韋 典韋 典韋 典韋 典韋 - - - - - - - - - - 飛刀 武具 - 武力+1 +5 500 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 祝融 手戟 武具 - 武力+1 +5 500 太史慈 太史慈 太史慈 太史慈 太史慈 太史慈 太史慈 太史慈 太史慈 太史享 太史享 太史享 太史享 太史享 太史享 袖箭 武具 - 武力+1 +5 500 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 - 諸葛瞻 西蜀地形図 地図 偵察 - +10 1000 張松 張松 張松 張松 張松 張松 張松 張松 張松 張松 劉備 劉禅 劉禅 劉禅 劉禅 平蛮指掌図 地図 偵察 - +10 1000 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 呂凱 諸葛亮 - - 太平清領道 医書 医術 - +20 2000 于吉 于吉 于吉 于吉 于吉 于吉 - - - - - - - - - 青嚢書 医書 医術 - +20 2000 華佗 華佗 華佗 華佗 華佗 華佗 華佗 華佗 華佗 華佗 華佗 - - - - 遁甲天書 奇書 鬼謀 知力+10 +30 3000 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 左慈 - - - 太平要術の書 奇書 鬼謀 知力+10 +30 3000 張角 - - - - - - - - - - - - - - 孫子の兵法書 兵書 水攻 知力+8 +25 2500 孫堅 孫堅 孫策 孫策 孫策 孫策 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫権 孫亮 兵法二十四編 兵書 発明 知力+8 +25 2500 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 姜維 諸葛瞻 六韜 兵書 神算 知力+8 +25 2500 - - - - - - - - - - - - - - - 孟徳新書 兵書 反計 知力+3 +10 1000 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹丕 - - 曹髦 論語 経書 - 知力+5 +10 1000 - - - - - - - - - - - - - - - 老子 経書 - 知力+5 +10 1000 - - - - - - - - - - - - - - - 荘子 経書 - 知力+5 +10 1000 - - - - - - - - - - - - - - - 詩経 経書 - 知力+5 +10 1000 - - - - - - - - - - - - - - - 書経 経書 - 知力+5 +10 1000 - - - - - - - - - - - - - - - 礼記 経書 - 知力+5 +10 1000 - - - - - - - - - - - - - - - 易経 経書 - 知力+5 +10 1000 - - - - - - - - - - - - - - - 春秋左氏伝 史書 - 政治+10 +30 3000 - - - - - - - - - - - - - - - 史記 史書 - 政治+10 +30 3000 - - - - - - - - - - - - - - - 漢書 史書 - 政治+7 +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 戦国策 史書 - 政治+7 +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 論語集解 論文 - 政治+5 +10 1000 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 何晏 - 典論 論文 - 政治+5 +10 1000 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹丕 曹叡 曹叡 曹髦 博奕論 論文 - 政治+5 +10 1000 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 韋昭 時要論 論文 - 政治+5 +10 1000 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 王基 治論 論文 - 政治+5 +10 1000 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 王昶 弁道論 論文 - 政治+5 +10 1000 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 曹植 - - 乾像暦注 論文 - 政治+5 +10 1000 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 闞沢 - 考経伝 論文 - 政治+5 +10 1000 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 厳畯 仇国論 論文 - 政治+5 +10 1000 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 譙周 玉璽 玉璽 - 魅力100 +50 5000 何進 - 孫策 袁術 袁術 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹操 曹丕 曹叡 曹叡 曹髦 九錫 宝物 - - +50 5000 - - - - - - - - - - 曹操 曹丕 - 孫権 曹髦 銅雀 宝物 - - +50 5000 - - - - - - - 曹操 曹操 曹操 曹操 曹丕 曹叡 曹叡 曹髦 羽扇 宝物 - - +10 1000 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛亮 諸葛瞻 諸葛瞻 長信宮燈 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 博山炉 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 龍の方壺 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 漆塗りの鼎 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 金象嵌の壺 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 和氏の璧 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 牛灯 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 神獣の硯 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 玉龍紋璧 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 呂氏鏡 宝物 - - +15 1500 - - - - - - - - - - - - - - - 黄龍 聖獣 - - 0 - - - - - - - - - - - - - - - 麒麟 聖獣 - - 0 - - - - - - - - - - - - - - - 鳳凰 聖獣 - - 0 - - - - - - - - - - - - - - - 大鵬 聖獣 - - 0 - - - - - - - - - - - - - - - 名馬、武具、兵書、経書、史書、論文、九錫・銅雀以外の宝物は、商人から購入可能。地図、医書、奇書、玉璽、九錫、銅雀、聖獣は購入不可能。(売ることはできる) 購入不可能アイテムのうち、聖獣は、訪問イベントのうち「虎狩り」もしくは「聖獣譲渡」イベントで入手可能。それ以外は巡察イベントの「アイテム献上」で、たまに入手できることもある。 「名馬」は、戦場で部隊が壊滅した時、100%無事に退却できる。ただし一騎討ちで負けた時と、退却可能な都市がひとつもない場合は捕まってしまう。 君主が所持するアイテムは勅使がやってきて「陛下が貴殿の持つ○○をご所望……」というイベントで献帝に渡してしまえば流通ルートに乗り、購入可能になる。 257年はゲーム発売当初から存在するシナリオ、227年と234年はPKで追加されたシナリオだからか、アイテムの所有者に微妙な差違が見られる。227年・234年の曹叡が持っているのは爪黄飛電、倚天の剣、典論、玉璽、銅雀。絶影、孟徳新書、九錫が無い。257年、曹髦の代になると復活する。234年では九錫を孫権が持っている。諸葛亮の遺品は、234年には兵法二十四編のみ姜維が引き継ぎ、シナリオ開始時には未登場の諸葛瞻が243年に羽扇を持って登場する。257年には諸葛瞻が兵法二十四編、袖箭、羽扇を持っている。平蛮指掌図は受け継がれていない(劉禅も持っていない)。257年の文鴦は鉄鞭を持っているが、234年では未登場状態から元服しても持っていない。 曹丕の遺品・典論は曹叡に受け継がれたが、曹植の遺品・弁道論は受け継がれなかった。
https://w.atwiki.jp/mmmmnnnn/pages/259.html
西涼の陣形を見渡せる高台に曹操と賈ク 曹操「…ほう、あれが馬騰の陣形か…。単純な陣形だな。力押しで来ようとしておるのが良く解るわ。」 賈ク「…そうですね。…丞相!私にお任せ下されば、徐庶の雷を待たずして、西涼を落としてみせましょうぞ!」 曹操「…まあ、待て。たまには徐庶にも手柄を立てさせるのも良いではないか?」 賈ク「…はっ。仰せのままに…。」 曹操、賈ク心中 曹操(うおー、あれが噂の西涼兵かー!マジめっちゃ強そうだな~。いや~あんなのが俺の配下になるなんて、すっげー嬉しいぜ!) 賈ク(うわ~、寒~ぃ、なんてとこ連れて来てんだよ。早く許昌帰りて~。帰って、呑み屋のお姉ちゃん達と遊びてー。 …てゆうか、なんで10日も待たなきゃなんね~んだよ。くっそ~、徐庶の奴いらん事言ってからに~。俺がやれば2日で墜ちんじゃんか。あんな脳筋の奴らなんかボッコボコに潰せるのによ~。) 曹操(賈クぅ~、何言ってんだよ、雷だぜ、雷!見たくね~のかよ? それに、お前なんかに任せたら折角の西涼兵達がボッコボコにされて使い物になんなくなるじゃねーかよ。しばらく黙っとけ!) 賈ク(…ったく、何だかんだ言ったって雷見たいだけなんだろ? はぁ~、やってらんねー。) 再び曹操陣形を見つめて 曹操「あそこにいるのは…あれはホウ徳だな。なかなか勇猛そうな奴ではないか。 では、こちらに見えるのが…馬超だな。おうおう、輝いておるわ。 で、中央が馬騰。後ろにいる3人が…。」 賈ク「馬騰の息子達、鉄、休と甥の馬岱でしょう。」 曹操「…おう、どいつもこいつも屈強そうな面構えだ。 はっはっはっ、相手にとって不足なしだな!賈ク。」 賈ク「はっ。」 曹操、賈ク心中 曹操(おっ、良さげな武将発見。ホウ徳だな。うわっかっけーし、渋いな~。こいつはGETせねば… あっちは、おおお~、馬超だ~。やっぱ違うな~。めちゃくちゃ光ってんじゃん。絶対GETだぜ! で、馬騰。こいつも何とかなんね~かな~。なかなか使い勝手いいんだよな~。 で、後ろは…) 賈ク(は~、寒いよ、まだいるのかよ。 …何か言葉止ったな。ああ、後ろの奴が解んねーんだな。鉄、休、岱だよ。それ位解っとけよ。) 曹操(なんだよ賈ク、急に喋るなよ。知ってるよ、それ位。 それにしても鉄も休も岱も良いな~。欲しい武将いっぱいじゃん。 よ~し、全部まとめてGETだぜ!) 賈ク(うっせーなー。何笑ってんだよ、早く帰ろうよ~。寒いんだよ~。…おっ、やっと帰るか!は~良かった。 ったくよ~、だり~ことさせんじゃね~よ。) …君主と臣下の想いはちぐはぐでも、それなりに強い曹操軍である…。
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/41.html
下ヒの戦い [おもな登場人物] 劉備(りゅうび)、曹操(そうそう) 呂布(りょふ)、陳宮(ちんきゅう) 袁術(えんじゅつ)、張繍(ちょうしゅう) 高順(こうじゅん) [おもな地名・場所] 徐州(じょしゅう)、沛(はい) 下ヒ(かひ) [おもな位置関係] 曹操 劉備 呂布 袁術 196年秋 徐州(じょしゅう)を劉備(りゅうび)から奪った 呂布(りょふ)でしたが 劉備が曹操(そうそう)の元へ逃げ込んでしまいます。 曹操は劉備を厚遇します。 このあと 劉備と曹操の会食があり 「青梅、酒を煮て、英雄を論ず」 の名シーンが展開されます。 (詳しくは英傑群像「名言・格言・ことわざ」コーナーを 御覧ください) 曹操は、呂布に対するために 劉備に沛城(はいじょう)を与えました。 198年 呂布をつぶしたい曹操は 呂布の出陣を誘発すべく一計を講じます。 別の戦いで負けて戦力がダウンしていると 呂布軍に思わせようとしたのです。 曹操が、呂布とは別に戦っていた張繍との戦いで 夜 適当に退却し その際、被害が大きく出たと触れ回ったのです。 198年10月 これを聞いた呂布は動きます。 劉備のいる沛城を攻撃。 高順(こうじゅん)や張遼(ちょうりょう)などには かなわず劉備は敗退し、劉備の妻子を人質に取ります。 劉備は退却し曹操と合流します。 曹操の反撃が開始されると 呂布軍はただちに篭城に移ります。 曹操軍の疲労を狙ったのです。 しかし、呂布軍の目論見ははずれます。 曹操軍は準備万端整えた精鋭でした。 また、呂布陣営では寝返りも起こります。 そのため 篭城した彭城(ほうじょう)はすぐに陥落します。 呂布は下ヒ城へ撤退し、 曹操も呂布をおって下ヒ城へ向かいます。 呂布は袁術へ援軍を求めるも 呂布の娘と袁術の息子との縁談話を 棚上げにしていた事で 袁術は援軍を拒否します。 これにより呂布は下ヒ城で孤立無援となります。 呂布の軍師 陳宮(ちんきゅう)は 呂布軍の戦闘力の高さから 撃って出る事を進言します。 呂布は了承したものの いざ出撃の段になったところで 呂布の妻が反対します。 呂布が城を出てしまうと城が守れないというのです。 その言葉に呂布は出撃を取りやめてしまいます。 そうしている間に 曹操は呂布との白兵戦を避けるために 川を堰き止め、水を城の回りに引き入れて ”水攻め”を行ったのです。 時を逃してしまった呂布は 篭城するしかなくなり酒におぼれます。 士気の低下した城では クーデターが発生します。 クーデターにより 呂布や陳宮など幹部は生け捕りにされました。 こうして 三国一の武力を誇る武将 呂布は 篭城陥落という屈辱的負け方で 陳宮や高順などともに 処刑されました。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/47.html
196年 建安元年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 皇后 伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る) 皇太子 (空位) 三公 太傅:空席 太尉:楊彪(前太常・194~196)→(空位) 司徒:趙温(前衛尉・194~208) 司空:張喜(前衛尉・193~196)→曹操(196~209) その他の要職 録尚書事: ■楊彪(太尉・194~196) →(空位) ■曹操(司隸校尉・196~) 太常:? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:張楊(前安国将軍・196~198) 大将軍:?→韓暹(196~)/曹操(196)→袁紹(196~197) 驃騎将軍:張済(195~196)→(死亡)→(空位) 車騎将軍:郭汜(自称・195~197)→楊奉(196~) 行車騎将軍:曹操(196~) 衛将軍:董承 地方官 司隸校尉:?→曹操(鎮東将軍・196~) 豫州刺史:郭貢? 河南尹:駱業? 徐州牧:劉備(196) 《三国志蜀書先主伝》 冀州牧:袁紹(191~202) 兗州牧:曹操?(前東郡太守) 荊州牧:劉表(192~208) 主な事件 建安元年春正月癸酉、安邑に於いて上帝に郊祀を祭り、天下に大赦する。建安と改元。《後漢書孝献帝紀》 建安元年春正月、曹操の軍は武平に臨み、袁術が置いた陳相の袁嗣は降伏する。《三国志魏書武帝紀操》 曹操は天子を迎えようと考えたが諸將のある者は疑いを持った。荀彧、程昱は之を勧めた。曹洪を遣わして西迎させたが、將軍の董承と袁術の將である萇奴が強く拒み、曹洪は進むことができなかった。《三国志魏書武帝紀操》 二月、韓暹が衛将軍(?)の董承を攻める。《後漢書孝献帝紀》 二月、曹操は進軍して汝南﹑潁川黃巾の何儀、劉辟、黃邵、何曼等を討ち破る。彼等は各々数万の軍を為し、初めは袁術に呼応し、また後に孫堅に付く。辟、邵等を斬り、儀及其衆は皆降伏した。天子は曹操を建德將軍と為す《三国志魏書武帝紀操》 夏六月乙未、聞喜に御幸する。《後漢書孝献帝紀》 夏六月、曹操は鎮東將軍となり、費亭侯に封じられ、祖父の爵位を継ぐ。《三国志魏書武帝紀操》 秋七月甲子、車駕は洛陽に至る。故中常侍趙忠の邸に入る。《後漢書孝献帝紀》天子は初め洛陽に至ると、城の西の故中常侍の趙忠宅に御幸する。張楊に宮室を繕治させ、名づけて揚安殿という。八月、帝は遷居する。《三国志魏書武帝紀操に引く獻帝春秋》 秋七月、楊奉、韓暹は天子を守って洛陽に還る。楊奉は別れて梁に駐屯する。曹操は遂に洛陽に至り、韓暹は遁走した。《三国志魏書武帝紀操》 七月丁丑、上帝に郊祀を祭り、天下に大赦する。《後漢書孝献帝紀》 七月己卯、太廟に謁した。《後漢書孝献帝紀》 八月辛丑、南宮の楊安殿に入った。《後漢書孝献帝紀》 八月癸卯,安国将軍張楊を大司馬,韓暹を大将軍,楊奉を車騎将軍と為した。《後漢書孝献帝紀》このとき、宮室は焼けたままで、百官は荊棘を開き、垣根や壁の間に依りかかった。州郡は各々強兵を擁して輸送を委ねても至らず、群僚は飢え乏しく、尚書郎以下は自ら出て野の作物を採取した。ある物は垣根や壁の間に飢え死にし、あるいは兵士の殺す所となる。《後漢書孝献帝紀》 八月辛亥,鎮東将軍の曹操が司隸校尉・録尚書事を自ら領した。曹操は侍中の臺崇、尚書の馮碩を殺した。董承を衛将軍に封じ、輔国将軍の伏完ら十三人を列侯と為した,沮儁に弘農太守を追贈した。《後漢書孝献帝紀》天子は曹操に節鉞を仮し与え、錄尚書事と為す。《三国志魏書武帝紀操》曹操は又司隸校尉を領す。《三国志魏書武帝紀操に引く獻帝紀》 八月庚申、都を許に遷した。《後漢書孝献帝紀》洛陽は無残に破れて見る影もなく、董昭等は曹操に許に遷都するよう勧めた。《三国志魏書武帝紀操》 八月己巳、曹操の営に御幸した。《後漢書孝献帝紀》 九月、太尉楊彪、司空張喜が罷めた。《後漢書孝献帝紀》 九月、車駕は轘轅を出て東進した。曹操は大將軍となり、武平侯に封じられる。天子が西遷してより朝廷は日々乱れ、このとき宗廟社稷の制度が初めて立てられた。《三国志魏書武帝紀操》天子が東遷するにあたり、楊奉は途中遮断しようと欲したが及ばず。《三国志魏書武帝紀操》 冬十月、曹操は楊奉を征伐する。楊奉は南奔し袁術を頼る。遂にその梁の屯営を攻め破る。これにおいて袁紹をもって太尉と為し、袁紹は曹操の下風に立つを恥として受けず。曹操も固辭し、大將軍を袁紹に譲る。《三国志魏書武帝紀操》 冬十一月丙戌、曹操は自ら司空・行車騎将軍と為し、百官を総覧して聴政する。《後漢書孝献帝紀》天子は曹操を司空と為し、行車騎將軍と為す《三国志魏書武帝紀操》 是歲、棗祗、韓浩等の議を用い、始ねて屯田を興す。《三国志魏書武帝紀操》是歲、民を募って屯田を許下に興す。穀百萬斛を得る。この後州郡に田官を置くようになる。穀は積まれ、四方に征伐し運糧之勞を厭わずともよくなった。《三国志魏書武帝紀操に引く魏書》 是年、鄭玄は徐州から高密に還った。道すがら黃巾賊數萬人と遭遇したが玄を見て皆拝礼した。相約して賊はあえて縣境に入らなかった。《後漢書張曹鄭列傳鄭玄》 建安元年、驃騎將軍の張濟は關中から南陽に逃げ込み、穰城を攻めるが飛矢に当たって死んだ。荊州の官吏は皆祝賀を述べに劉表を訪れたが劉表は賀を辞退し人を遣わしてその衆を受け入れるよう知らせた。之を聞いて衆は皆服従した。《後漢書袁紹劉表列傳》張濟は關中から南陽に逃げた。濟は死んだ。從子の張繡が其部曲を領した。《三国志魏書武帝紀操》 この年、呂布が劉備を襲い、下邳を奪う。劉備は逃げて曹操の庇護を求め来る。程昱は曹操に說いて「劉備を見るに雄才有り、人心を得ています。終には人の下にいないでしょう。早く圖えておくべきです」曹操は曰わく「今は英雄を求める時だ。一人を殺して天下之心を失うべきではない」。《三国志魏書武帝紀操》 誕生者 死没者 ▲PAGE TOP 195年<< >>197年
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/72.html
赤壁の戦い この戦いは映画(レッドクリフ)にもなった有名な戦いです。 [おもな登場人物] 曹操(そうそう) 孫権(そんけん) 周瑜(しゅうゆ) 魯粛(ろしゅく) 劉備(りゅうび) 張飛(ちょうひ) 趙雲(ちょううん) 諸葛亮(しょかつりょう) [おもな地名] 赤壁(せきへき) 長坂(ちょうはん) 夏口(かこう) 呉(ご) 荊州(けいしゅう) 烏林(うりん) [位置関係] ・宛 ・新野 ・樊城 ・襄陽 ・長坂 ・夏口 ・江陵 ・烏林 ・×赤壁(蒲圻) [戦争前の勢力関係] 曹操 劉備 劉表(劉ソウ) 孫権 [勢力] 劉備・孫権連合 VS 曹操 208年1月 袁紹(えんしょう)を倒し中原(ちゅうげん:中国の中心地域をさす)を制した曹操(そうそう)は、 南下し荊州(けいしゅう)攻略を実行にうつします。 流浪の将 劉備(りゅうび)は曹操に攻められて 圧倒的兵力差により逃げるのが精一杯。 長坂(ちょうはん)での張飛(ちょうひ)や趙雲(ちょううん)の 活躍により命からがら夏口(かこう)へと逃げ延びました。 荊州を難なく攻略した曹操はその勢いのまま ついに孫権(そんけん)のいる呉(ご)へ攻め入ろうとします。 劉備の軍師 諸葛孔明(しょかつこうめい)は自身の提唱する 天下三分の計(てんかさんぶんのけい:弱小の劉備が国の3分の1をとる作戦)を 成功させるべく、また劉備軍の生き残りをかけて このとき曹操との戦いに弱腰であった孫権軍を説得するために呉に向かうことになります。 諸葛孔明は孫権配下の魯粛(ろしゅく)・周瑜(しゅうゆ)などの抗戦派の援護もあり 孫権の説得に成功し、連合軍を組んで曹操に立ち向かうことが決まります。 兵力は曹操軍20万に対し劉備・孫権連合軍は5万といわれています。 (80万対3万との説もあります。) 呉の指揮官は周瑜(しゅうゆ)と程普(ていふ)。 ちなみに、周瑜は文武両道に通じており、また顔立ちもよく「美周郎(びじゅうろう)」と呼ばれ 絶世の美女姉妹といわれる二喬姉妹のひとり小喬(しょうきょう)を妻に持ちます。 曹操はその美女小喬についても狙っていたといわれています。 劉備軍と劉キ軍2万(荊州劉表の息子で親劉備派)は、陸路を進撃、 周瑜・程普(ていふ)の軍は水陸両方から進撃します。 孫権は後方の柴桑(さいそう)を本陣として待機しました。 両軍が向かい合ったのは長江(ちょうこう)中流の「赤壁(せきへき)」と言う場所です。 長江は川幅は大変広く、まさに水軍戦での勝負が勝敗を分けるという場所。 中国北方を領土とする曹操にとっては水軍戦は得意ではありません。 しかし、 荊州計略に向かう前に訓練を十分に行っていました。 しかし、練習と実践では勝手が違います。 その点、周瑜 率いる呉軍は水軍戦に慣れています。 緒戦の戦いで案の定、曹操の指揮する水軍は連合軍の前にあっさりと敗れてしまいます。 兵力を立て直した曹操軍は長江の北岸の烏林(うりん)にうつり連合軍とやはり 河を挟んで対峙します。 劉備軍は周瑜軍より後方に陣をとり、両軍の出方をみる算段でした。 曹操軍は長江の高い波による船酔いに対処するため(疫病が流行ったとの話もあります)、 船どうしをつなぎあわせて、水上の城塞を作り上げます。 呉軍は、兵力差があり強固に守りを固めた相手にまともに戦っては勝機がなく また短期決戦が勝機を握ると考えていました。 このとき呉の武将黄蓋(こうがい)が周瑜に 「火攻めの計」を進言し、周瑜もこれを採用します。 黄蓋が考えた策とは、 ”黄蓋自らが寝返る振りをして敵の舟に火を放つ”というものでした。 ここで成功するためには黄蓋の降伏が成功する事と、火の勢いを広げる必要がありました。 まず、寝返りの理由を信用させるために黄蓋は自身が孫権軍を恨んでいるという口実を作るために 細工し、わざと罰棒(棒叩きの計)を受けて背中に負傷をおうという " 苦肉の策(くにくのさく)"をおこないます。 こうして曹操に信用されて偽の降伏は問題なくすすみます。 当然、兵法の達人である曹操も”火攻め”を警戒していたでしょうが、「東南からの風」が吹かなければ問題はないと思っていたことでしょう。 しかし、めったに吹かない「東南の風」が吹き事態は一変します。 (この場所はたまに北西の風が近くの山にあたり「東南の風」に変化することがあったようです。) 風が吹いた事ですかさず準備されていた黄蓋の作戦は実行に移されます。 黄蓋が連れだった船には枯れ草などをつみ油をかけられていました。 曹操軍近くまで来た黄蓋は一斉に自らの連れてきた船に火を放ちます。 それらが曹操軍の船団(つなぎ合わされてすぐには身動きの取れない)に突撃します。 船をつなげている曹操軍は身動きがとれず火はすぐに燃え広がりました。 その火は勢いを増し陸上の陣営にまで延焼します。 その隙を逃さず周瑜の精鋭部隊が上陸し、曹操の本陣は総くずれとなり曹操は大敗を喫します。 曹操は江陵までなんとか脱出し、荊州を捨てて許都へ撤退します。 こうして赤壁の戦いは劉備・孫権連合の大勝利となりました。
https://w.atwiki.jp/mmmmnnnn/pages/51.html
第三十二話 「月明かりの逃亡」 夜のけもの道をひたすら曹操は走った。足は故郷、ショウに向いている。 曹操「董卓の考え方は正しい、だがやり方が間違っている。あれではあの天下も長くは続くまい。」 洛陽の外も依然、董卓が発した捜査網が引かれている。 警備兵「誰だっ!?そこにいるのは!」 曹操「ちっ!ここにもか!」 曹操は走った、道なき道を。 月明かりだけが曹操を捉えていた。 数時間がたった。 曹操は一軒のボロ屋にたどり着いていた。
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/190.html
編集 魏种は、後漢後期の人物。曹操により孝廉に推挙される。兗州での呂布の乱の際に一旦は逃走するが、のちに赦されて河内太守に任じられた。 情報 魏种 姓氏 魏 諱 种 本貫地 済南郡または東郡 官歴 孝廉 河内太守 事跡 曹操によって孝廉に挙げられた(*1)。 興平元年(194年)、張邈・陳宮らが呂布を州牧に迎え入れて兗州牧曹操に叛いた。兗州の郡県は悉くなびき、曹操の許には二県城しか残らなかった。曹操は曰く、 「ただ魏种だけは孤(わたし)を棄てぬのだ」 しかし魏种は逃走した。曹操は怒って曰く、 「种よ、南は越に走り、北は胡に走らねば、汝を置かざるぞ!」 魏种は後に河内郡に身を寄せた。眭固が曹操に敗れて射犬が陥落すると、魏种も禽(とりこ)となった。曹操は、 「ただその才だけだ!」 と、その縛めを釋(と)いて彼を用いた。 魏种は河内太守となり、その職を以って河北の事を属下に置いた。 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 出身 東郡 出身 済南国 孝廉 官歴 守相 関連項目・人物 「魏种」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
https://w.atwiki.jp/mmmmnnnn/pages/64.html
第四十五話 「エン紹の誘い」 軍備を整え、軍師を得た曹操の下に洛陽、脱出のさい、散り散りにしておいた夏侯惇、淵、曹仁、洪がそれぞれ兵を率いて戻ってきた。 曹操「さぁ、準備は整った。後はエン紹がどこまで我慢できるかだな。」 夏侯惇「自分が招いた董卓にあれほど無茶な政治をさせているんだ、もうそろそろ電話でもあるんじゃないか?」 ルルルル!ルルルル! 曹操「ズバリだな。」 曹操は携帯を取った。 エン紹『私だ。エン紹だ。』 曹操「これはこれは、エン紹殿。何か用ですかな?」 エン紹『何を寝ぼけた事を言っている!貴様はあの董卓を野放しにしておいていいのか!』 エン紹『俺はまた各地の将軍をまた集結させようと思う。お前にも加わってもらいたい!』 曹操「我が軍は5000の弱小だ。役に立つもんかな?」 エン紹『本気でそうは思ってはいまい!とりあえずお前の風評は使える。今回はお前が諸将を集めてくれ!』 ガチャン。 曹操「やれやれ…、またしても出し抜けだな。」 夏侯惇「けっ、自分では大した事もできねぇくせに。」 1月。 曹操、全国放送で各地に檄を飛ばす。