約 11,570 件
https://w.atwiki.jp/sousouden/pages/77.html
リンク https //m.nexon.com/forum/thread/33813 https //m.nexon.com/forum/thread/33814 イベント情報 4等級の尾・氐・房の宝貝がそれぞれ獲得できる 青龍の宝貝パッケージ3種を限定販売します。 尾・氐・房の4等級宝貝に加え、 さらに心の4等級宝貝を装備すると 物理攻撃成功時、30%の確率でメインターゲットの周囲に 雷を帯びた剣を落とす「龍牙の武具%」効果を 発動させることができます。 期間:2018年5月29日(火)12:00~6月5日(火)メンテナンス前 4等級尾の宝貝パッケージ 20000金銭、500万銀銭、4等級青龍の尾宝貝確定券1枚 (期間中、1アカウント10回限定) 4等級氐の宝貝パッケージ 20000金銭、500万銀銭、4等級青龍の氐宝貝確定券1枚 (期間中、1アカウント10回限定) 4等級房の宝貝パッケージ 20000金銭、500万銀銭、4等級青龍の房宝貝確定券1枚 (期間中、1アカウント10回限定) 「4等級青龍の(星座名)宝貝確定券」は受領すると 必ずその星座の4等級宝貝1個を獲得できるチケットです。 特殊効果は獲得時にランダムに決定されます。 ※本パッケージは戦略地図左上の「特別パッケージ」アイコンをタッチし、 表示されるポップアップバナーから購入が可能です。 商店>購入>各商品タブには表示されませんのでご注意ください。 特定の星座の宝貝が必ず獲得できる確定券の入った 青龍の宝貝確定券パッケージについて 今後予定している販売スケジュールをお知らせします。 ■2018年5月29日(火)12:00~6月5日(火)メンテナンス前 4等級尾の宝貝パッケージ 4等級氐の宝貝パッケージ 4等級房の宝貝パッケージ ■2018年6月5日(火)メンテナンス後~6月13日(火)12:00 4等級心の宝貝パッケージ 4等級角の宝貝パッケージ 4等級房の宝貝パッケージ ■2018年6月13日(火)12:00~6月19日(火)メンテナンス前 4等級箕の宝貝パッケージ 4等級亢の宝貝パッケージ 4等級角の宝貝パッケージ ※各パッケージはそれぞれ期間中、1アカウント10回まで購入可能です。 ※販売日程・販売パッケージは変更になる可能性があります。 コメント コメント
https://w.atwiki.jp/sousouden/pages/91.html
購入条件 出陣可能武将 年代記一話 演義/趙雲伝/ 二話 演義/趙雲伝/ 三話 演義/趙雲伝/ コメント 購入条件 北部尉伝、張角伝、徐庶伝のクリア 田豫、夏侯蘭、趙雲の登用 出陣可能武将 必須必要武将常山子龍の牌:田豫、夏侯蘭、趙雲 自由追加武将抜擢武将の牌:張白、羊陳常山子龍の牌:張嶷、馬良老将漢升の牌:陳到勇将翼徳の牌:李厳満族孟起の牌:馬瑶姫、馬雲騄(金銭7,080)、馬岱、馬超七擒蛮王の牌:沙摩柯皇叔玄徳の牌:鞏志臥龍孔明の牌:諸葛均、馬謖 年代記 一話 演義/趙雲伝/ 推奨LV一般:、極限: 強制出陣武将趙雲、夏侯蘭、田豫 自由追加武将張白、羊陳 出陣不可武将張嶷、馬良、陳到、李厳、馬揺姫、馬雲騄、馬岱、馬超、沙摩柯、鞏志、諸葛均、馬謖 出陣部隊数 勝利条件 敗北条件 印章任務 一騎討ち趙雲vs文醜 会話 入手可能演義宝物なし 二話 演義/趙雲伝/ 推奨LV一般:、極限: 強制出陣武将 自由追加武将 出陣不可武将 出陣部隊数 勝利条件 敗北条件 印章任務 一騎討ち 会話 入手可能演義宝物 三話 演義/趙雲伝/ 推奨LV一般:、極限: 強制出陣武将 自由追加武将 出陣不可武将 出陣部隊数 勝利条件 敗北条件 印章任務 一騎討ち 会話 入手可能演義宝物 コメント コメント
https://w.atwiki.jp/sousouden/pages/142.html
武将効果 太守効果 君主効果 武将効果 効果名 効能 効果一覧/ - 太守効果 効果名 効能 効果一覧/ - 君主効果 効果名 効能 効果一覧/ -
https://w.atwiki.jp/sousouden/pages/79.html
リンク https //m.nexon.com/forum/thread/33887 イベント情報 ■覇王の将キャンペーン 期間:2018年6月5日(火)メンテナンス後~7月2日(月)23:59 追加された覇王項籍の牌の武将3名を 期間中に登用・レベル60まで育成すると アイテムをプレゼントいたします。 于英をレベル60まで育成 朱雀の魂100個、朱雀の牌100個 周蘭をレベル60まで育成 宝物強化許可書50枚・朱雀の魂200個 龍且をレベル60まで育成 100万銀銭、宝物強化保存券100枚 ※本イベントはメイン画面左上の「イベント」ボタンから 進行状況の確認、報酬の受け取りが可能です。 条件達成後、必ずご自身にて報酬をお受け取りください。 イベント期間終了後は受け取ることができなくなります。 コメント コメント
https://w.atwiki.jp/sousouden/pages/15.html
スキルについて スキル一覧スキル:攻撃系 スキル:防御系 スキルについて スキル一覧 スキル:攻撃系 スキル名 最大スキルLv 効果 所有カード スキル1 5 カードの攻撃力×3倍ダメージ テンプレート1 スキル:防御系 スキル名 最大スキルLv 効果 所有カード スキル2 5 カードの防御を1.5倍にする テンプレート2
https://w.atwiki.jp/sousouden/pages/53.html
リンク 5月:https //m.nexon.com/forum/thread/33732 4月:https //m.nexon.com/forum/thread/32881 イベント情報 5月 ■王の宝箱★7確率2倍キャンペーン 期間:2018年5月23日(水)メンテナンス後~6月5日(火)メンテナンス前 期間中、王の宝箱からの ★7戦略宝物装備出現確率が通常の2倍となります。 詳しくは「ランダムアイテムに関するお知らせ」を ご確認ください。 4月 ■王の宝箱★7確率2倍キャンペーン 期間:2018年4月12日(木)メンテナンス後~4月24日(火)メンテナンス前 期間中、王の宝箱からの ★7戦略宝物装備出現確率が通常の2倍となります。 詳しくは「ランダムアイテムに関するお知らせ」を ご確認ください。 コメント コメント
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/48.html
197年 建安二年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 袁術(仲皇帝) 皇后 伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る) 皇太子 (空位) 三公(漢) 太傅:(空席) 太尉:(空席) 司徒:趙温(前衛尉・194~208) 司空:曹操(196~209) その他の要職(漢) 録尚書事: ■曹操(司隸校尉・196~?) 太常: 光禄勳:→ 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大司馬:張楊(前安国将軍・196~198) 大将軍:韓暹?/袁紹(自称・197~202) 驃騎将軍:? 車騎将軍:楊奉(196~) 行車騎将軍:曹操? 衛将軍:董承 地方官 司隸校尉:曹操(司空・行車騎将軍・196~) 豫州刺史:郭貢? 河南尹:駱業? 徐州牧:? 冀州牧:袁紹(191~202) 兗州牧:曹操?(前東郡太守) 荊州牧:劉表(192~208) 主な事件 二年春正月、曹操は宛に至り、張繡は降伏するが後悔し、復反く。曹操は戰って敗れ流矢にあたる。長子曹昂、弟の子である曹安民は害に遭う。曹操は兵を引き舞陰に還る。張繡は騎兵を率いて来攻するが擊破される。張繡は穰に走り劉表と合流した。曹操は諸將に私は張繡等が降伏したとき人質を取らなかったばかりに失敗した。私は敗因を知った。諸卿見ていてくれ。今後また敗れることはないだろう」遂に許へ還る。《三国志魏書武帝紀操》 曹操の乘馬は絕影という。流矢にあたって頰及足に傷を負う。また曹操も右臂を傷つく。《三国志魏書武帝紀操に引く魏書》曹昂は騎馬に乗れなくなり馬を曹操に進呈する。曹操は故に免れた。曹昂は害される。《三国志魏書武帝紀操に引く世語》舊制では三公が兵を領し謁見する際は、皆首の前で戟を交えた。曹操が張繡を討つため天子に謁見した時復古された。曹操は以後朝見することはなかった。《三国志魏書武帝紀操に引く世語》 曹操が舞陰から還えると、南陽、章陵の諸縣はまた張繡について離反した。曹操は曹洪を遣わして擊つも利あらず、葉に還り駐屯する。張繡と劉表は数度侵略してきた。《三国志魏書武帝紀操》 建安二年春、袁術が自ら天子を称する。《後漢書孝献帝紀》袁術は淮南で稱帝する。人を遣わして呂布に告げたが呂布は使者を捕らえて其書を上奏した。術は怒り布を攻める。布は破れる。《三国志魏書武帝紀操》 三月、袁紹は自ら大将軍と為す。#2《後漢書孝献帝紀》 夏五月、蝗。《後漢書孝献帝紀》 秋九月、漢水が溢れる《後漢書孝献帝紀》 秋九月、袁術は陳に侵入し、曹操は東征する。袁術は曹操自らが来たと聞いて軍を棄てて逃走する。其將である橋蕤、李豊、梁綱、樂就を留める。曹操は蕤等を撃破し皆斬る。袁術は淮河を渡って逃げ、曹操は許に帰還する。《三国志魏書武帝紀操》袁術は陳王劉寵を殺す。#1《後漢書孝献帝紀》 冬十一月、曹操は自ら南征し宛に至る。劉表の將である鄧濟は湖陽に拠っていたが之を攻め破る。鄧濟を生け捕る。湖陽は降伏した。舞陰を攻め、之を下す。《三国志魏書武帝紀操》淯水に臨み、亡き將士を祭る。流涕し、皆感慟。《三国志魏書武帝紀操に引く魏書》 この歳、飢饉。江淮の間に民相食う惨状。孫策が使いを遣わし奉献する《後漢書孝献帝紀》 誕生者 死没者 注 *袁術は陳に侵入した際、陳王劉寵を殺したものと思われる。 *この前年、三国志魏書武帝紀には十月頃曹操が大將軍を袁紹に譲った記述がある。詳細は不明。 ▲PAGE TOP 196年<< >>198年
https://w.atwiki.jp/mmmmnnnn/pages/211.html
大軍勢大混乱 曹操【ここにいたか、劉備、探したぞ!】 夏侯惇【せわをやかせる!】 夏侯淵【やっと追い付いた。】 劉備の首を狙いに魏⇒曹操軍勢が立ちはだかる! 劉備【グフッ!グッ、曹操、なぜここに!?】曹操【決まっておろう、貴様の首を取りにきたのだ】 関羽【やめろ、曹操、兄者に触るな】 夏侯惇【来たな、関羽、貴様の相手はこの俺だ!今のうちに孟徳】曹操【惇頼むっ!劉備悪く思うなよ。】 劉備【グッ!】 関羽【おのれっ、曹操どけっ!】 夏侯惇【おっと、そうはいなん、関羽】 曹操【関羽、貴様が動いたら劉備の首は飛ぶ】 諸葛亮による風が!? 諸葛亮【やりすぎですよ、曹操】 曹操【ええい、だまれっ!次々と邪魔が入る!淵なんとかしろ!】 趙雲【趙子龍、ここに見参、我が殿劉備を狙う者、手加減はせぬぞ】 その現場を見ていたのは同じく曹操を狙うもの孫策である。 孫策【………。】 曹操【ここはやはり引くべきか、帰るぞ!惇、淵!】 魏軍勢は退却。 関羽【以外とあっけなかったな】 趙雲【やつも三人しかいなかったからなこちらも帰るか】 諸葛亮【劉殿、立てますか?】 劉備【あぁっ、助かった、こちらも退却だ】蜀軍勢も退却。 孫策【ふん…】
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/73.html
潼関の戦い(関中制圧戦) 211年 赤壁で大敗した曹操は孫権・劉備の守る荊州の攻略を 一旦控えて、漢中の張魯制圧に向かうこととしました。 もともと漢中は張魯(ちょうろ)が五斗米道という 宗教国家を築いていました。 曹操が西に軍を進めることを知った漢中周辺の諸侯が 対曹操連合を作ります。 中でも直前に父・馬騰を罠にはめて殺された馬超と、 馬騰とは義兄弟の韓遂が中心となって敵討ちの戦いを おこし、先に曹操へ攻撃を加えます。 緒戦、連合軍は猛将庖徳の活躍で長安に攻め寄せてこれ を奪取します。また、その勢いで潼関も攻め取ります。 馬超は一騎打ちで、于禁・張コウ・李通を退けます。 曹操は黄河近くに陣を構えました。 馬超・韓遂軍は曹操の渡河を阻止しようと奮戦します。 しかし曹操軍は許チョらの活躍でなんとか河を渡ります。 次に曹操は丁斐の策略を採用します。策とは、事前に 買い集めた馬牛を戦場で解放して相手を攪乱させると いうものでした。見事、策が成功し馬超・韓遂軍は 攻勢から守勢と逆転することとなります。 二手から攻めてくる曹操軍に対し不利となった 連合軍は和睦を申し入れます。 そこで曹操軍の参謀賈クが一計を講じます。 馬超・韓遂に墨で所々消した手紙を届け、疑心となった 二人の中を裂くことというものです。 これが見事に成功し、この”離間の策”で馬超が韓遂の 腕を切り落とすという結果にいたります。 なんとか生き延びた韓遂は曹操に寝返ります。 これにより完全に力を失った馬超軍はあえなく敗退 します。敗れた馬超はなんとか涼州に退却します。 曹操はあえて深追いさせずに兵を引き上げます。 荊州で劉備を深追いしすぎて”赤壁”で大敗した事 が彼にそうさせたのでしょうか? 215年 再度、曹操は張魯討伐に向かいます。 対する張魯は弟の張衛を陽平関に向かわせて迎撃します。 張魯は過去に再三の蜀の劉璋からの攻撃にも耐えうる 軍事的な力がありました。 緒戦は曹操軍を圧倒した張魯軍でしたがさすがに 力のある曹操にはかなわずに敗退します。 無駄な血をながすべきでないという軍師閻圃の 助言を受け入れて張魯は漢中を明け渡します。 これにより遂に曹操は漢中を手に入れる事となります。 時代は徐々に曹操・孫権・劉備という三大勢力に 集約しようとしていました。
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/36.html
長坂坡の戦い おもな登場人物] 曹操(そうそう) 劉備(りゅうび) 張飛(ちょうひ) 趙雲(ちょううん) 諸葛亮(しょかつりょう) [おもな地名] 長坂(ちょうはん) 江陵(こうりょう) 襄陽(じょうよう) 夏口(かこう) [勢力] 劉備 VS 曹操 [位置関係] ・宛 ・新野 ・樊城 ・襄陽 ・長坂 ・夏口 ・江陵 [戦争前の勢力関係] 曹操 劉備 劉表(劉ソウ) 孫権 (劉キ) [解説] 劉備軍は負け戦ながら、張飛と趙雲が名声を高めた戦い 208年8月1月 官渡(かんと)の戦いから八年後、曹操(そうそう)は八万の軍を持って荊州(けいしゅう)攻略を開始します。 曹操は北方を平定後、南征のために許(きょ)の都に玄武池をつくり、水軍を訓練し準備を整えていました。 その頃、荊州は長官の劉表(りゅうひょう)が亡くなり劉ソウ(りゅうそう)が後を継いだばかりのタイミングでした。 官渡の戦いの後、劉表の元に身を寄せていた劉備(りゅうび)は曹操との前線に近い新野(しんや)の城を任されていました。 すでにこの頃、劉備は「脾肉の嘆(ひにくのたん)」を脱して、「臥龍(がりょう)」と呼ばれる天才的人物である諸葛亮(しょかつりょう)を参謀(軍師)として、有名な”三顧の礼(さんこのれい)”によって 招いていました。 以前、曹操を殺そうとしたことがある劉備は曹操に危険視され付け狙われていました。 この戦いの前に、曹操は劉備の軍事力強化を危惧し 夏侯惇(かこうとん)に新野攻めを命じ、諸葛孔明の初采配で見事に撃退されています。 諸葛亮は曹操は必ず再起を図って自ら攻めて来ると考え、劉備に荊州を乗っ取るよう助言しますが 劉備は納得しませんでした。 後継者”劉ソウ”は長男”劉キ”を差し置いて後を継いだいきさつがありました。 劉キは親劉備派の人物でした。 その劉ソウは器量が小さく、曹操の降伏勧告に戦わずして降伏します。 劉備は劉ソウが降伏したことを知らず気づいた頃には曹操軍が迫り孤立した状態となっていました。 そうとも知らない劉備は、曹操の進撃が始まると一時撤退をきめ、荊州の都・襄陽(じょうよう) に戻ろうと近くの樊城(はんじょう)まで退却 します。しかし、すでに曹操への降伏を決めた劉ソウは襄陽入城を拒否。しかたなく、劉備軍一行は江陵(こうりょう)まで退却することを選びます。 また、江夏の劉キと落ち合う算段でもありました。 急ぐ必要のある退却でしたが劉備を慕い従う人民が付き従ったため、移動がままならない状況が続きます。 一説には避難民は実に10万近くいたとも言われています。 曹操は襄陽入城したあと、劉備軍を急襲するため5,000の精鋭騎馬隊を編成します。 劉備は人民を見捨てることはできず 先に舟に乗せて関羽とともに避難させるという通常では考えられない行動に出ます。 関羽とはあとで江陵で落ち合う手筈としました。 大将が先に逃げずに人民を優先するところが劉備の人徳の為せる所でしょうか? 遂に“長坂”という場所で曹操軍が劉備軍に追いつきます。 しんがり(退却軍の最後尾)は張飛が努めており僅か20騎あまりしかいません。 張飛は、長坂橋を通るとき橋をきり落とし周辺の林をその20騎あまりに走らせて砂塵を上げさせ 大軍が潜んでいるようにみせます。 かつ、本人は橋の前に立ち曹操軍を一喝しひとりで曹操軍を引き止めるという大活躍を遂げます。 また趙雲が逃げる途中で行方不明となった劉備夫人(甘夫人)とその子(劉禅)を一騎で曹操の大軍の中から救い出すという快挙をあげたのもこの時です。 同時に夏侯恩(かこうおん)を切り曹操の名刀”青コウ”も手に入れます。 劉備軍は江陵への退却は曹操に知られていると、江陵行きをあきらめ劉キのいる江夏(こうか)・夏口(かこう)方面へ向けて逃げることにしました。 劉備軍はちょうど先回りしていた関羽の水軍と合流、そして劉キからの援軍1万と合流する事に成功します。 曹操は劉備を追うことを諦め防備を固められると攻略困難になる江陵の占領に向かい、これを攻略しました。 こうして劉備軍は負け戦ながら各将の活躍と連携もありなんとか逃げ切ることに成功します。 しかし曹操の遠征が終わるわけはありません。 この後、三国志最大の戦いである赤壁の戦いに突入することになっていくのです。