約 11,554 件
https://w.atwiki.jp/kessen2/pages/110.html
評定 孔明→偽文書で蔡瑁を排除(蔡瑁が加入する) 周瑜→合同で兵を訓練する(ランダムで武将2人の能力上昇) 孫権→兵を募集する(兵力が8上昇。約800人増加) 今回のオススメは孔明案。水上戦で一部隊増えるのは非常にありがたい。 一見曹操軍の武将を排除してるように見えるが、実際はこれを選ばなかった場合も曹操軍に蔡瑁隊はいない。 とはいえ、蔡瑁の能力は並以下。鉄壁と鼓舞を習得するが、今回の水上戦で一部隊増えるだけが存在意義と言っても良い。 今後は美三娘の小隊に入ることが多いのだが、歩兵なので部隊の足が遅くなる。美三娘の速度を気にする&赤壁で必要性を感じないなら他の案を選んでも良い。 軍議 孔明→火攻め これ一択しかないので軍義も糞もない。 火計が起こるタイミングが中々に長いので、それまでにどれだけ持ちこたえられるかが勝負になる。 勝利条件/曹操を敗走させる 敗北条件/劉備が敗走する、時間切れになる 部隊 味方部隊 呉軍と孫麗隊は足が速い。蔡瑁は通常の速度。 部隊長 小隊長 小隊長 小隊長 備考 劉備 美三娘 理理 瑠瑠 関羽 張飛 関平 周倉 甘寧 陸遜 - - 弓兵と弩兵だけ 孫権 呂蒙 魯粛 - 周瑜 太史慈 - - - - - - - - - - 味方増援 部隊長 小隊長 小隊長 小隊長 備考 蔡瑁 - - - 評定で孔明を選んだ場合のみ、開始直後に出現。 孫麗 - - - 時間経過で南に出現。 孔明 龐統 黄忠 - 火計発動後、南に出現。 - - - - 敵部隊 西から順番 部隊長 小隊長 小隊長 小隊長 備考 曹仁 曹洪 - - 于禁 東旋風 - - 張遼 李典 - - 郭嘉 曹伯 - - ヒミコ 楽進 - - 曹操 荀郁 - - 典韋 - - - 虎稚 西旋風 - - 夏侯覇 程育 - - 夏侯惇 - - - 敵増援 部隊長 小隊長 小隊長 備考 - - - イベント 開始直後、張飛小隊と甘寧の兵士数減少(上級で確認) 時間経過で劉備がサイヤ人化……風が吹くイベント。 さらに時間経過で火計発動。曹操軍の士気が大幅に低下。 攻略 初級の場合は美三娘による水上戦のチュートリアルがある。 今までの戦いとは勝手が違うので、良く理解をして部隊を動かそう。 水上戦で使える特技は、大喝と鼓舞と単騎駆けと妖術だけ。 敵を包囲すると混乱+士気低下させる。 呉軍が味方なのはここだけなので、敵を倒させても良いことはない。削りだけ任せてトドメは自軍で取ろう。 特殊兵科編成のためにできるだけ劉備(美三娘)隊と関羽隊に撃破させたい。 今回の曹操軍は部隊ごとに船を一つに繋げている。いわゆる連環の計。 敵が一か所に集中しているので特技を当てやすい。ここは史実通り劉備軍が有利になっていると言える。 とはいえ、特技制限があるので一気に攻めきれるほどの手数は確保できない。包囲による士気低下を狙うのが最重要。できる限り各個撃破を狙っていこう。 曹操軍はこちらを発見するまで、開始位置から真っすぐ南下してくる。 南東か南西に部隊を集めて、中央を南下してくる曹操軍の横っ腹を叩いてやると良い。 呉軍は移動が速いので、劉備軍のいる西側に集めるとスムーズ。 火計の発動は相当遅いのでこちらから前進する必要はない。 上級では残り時間4割程度で発動。 コメント 名前 コメント 確定じゃないけど火計発動の条件は1.サイヤ人イベント発生。2.曹操隊を発見している。3.劉備隊が非戦闘状態。のような気がする。 -- 名無しさん (2020-03-01 10 19 21)
https://w.atwiki.jp/wanisita/pages/248.html
問題 答 備考 208年の曹操軍と劉備軍との戦いで、阿斗を守った趙雲、殿軍を務めた張飛らの活躍が有名なのは「○○の戦い」? 長坂 ちょうはん 1985年に第1作を発売して以来歴史シミュレーションゲーム『三国志』シリーズを数多く発売しているメーカーは? コーエー 「夷陵の戦い」では劉備率いる蜀軍に大勝するなどの活躍を見せた、中国・三国時代に呉に仕えた軍師は? 陸遜 「官渡の戦い」で、主君の袁紹に持久戦を進言したが反対され投獄された末、殺されたという中国・三国時代の武将は? 田豊 「黄巾の乱」討伐の際には張梁、張宝を討つなどの活躍を見せた、字を「義真」という中国・後漢末期の軍人は? 皇甫嵩 「三国志」でおなじみの武将・曹操の幼名は? 阿瞞 「三国志」でおなじみの武将・劉備が蜀を建国したのは西暦何年? 221 「三国志」でおなじみの武将・孫権が「黄武」という元号を使い始めて魏から独立を宣言し、呉を建国したのは西暦何年? 222 『三国志演義』では、若い頃は「錦帆賊」という海賊を率いていたとされる、孫権に仕えた勇猛果敢な武将は? 甘寧 『三国志演義』では様々な場面で見ることができる、互いの感情の行き違いを利用し、対象の仲を裂く計略は「○○の計」? 離間 『三国志演義』において自らの身を犠牲にして敵を欺く「苦肉の計」を実行したとされる呉の武将は? 黄蓋 こうがい 『三国志演義』において荀いくが劉備と呂布の連携を断つために用いた計略は「二虎○○の計」? 競食 にこきょうしょくのけい 『三国志演義』に登場する曹操を翻弄し続けた方術使いは? 左慈 『三国志演義』に登場する曹操の知人で、不幸にも曹操が訪問した際に留守だったことが原因で家族ともども殺害されたのは? 呂伯奢 りょはくしゃ 『三国志演義』に登場する武将で曹操と行動を共にしたが、呂伯奢とその家族を一方的に殺害したのを目にして曹操を見限ったのは? 陳宮 『三国志演義』を題材とした本宮ひろしの漫画でファミコンやアーケードゲームでも人気となった作品は? 天地を喰らう 『三国志』の英雄・曹操の甥で智謀に優れ、若い頃から曹操に重用されたものの、妾に溺れ身を崩したと伝えられるのは? 夏侯尚 かこうしょう 『三国志』を題材とした山原義人の漫画は『○○伝』? 龍狼 『三国志演義』で、劉備に「伏竜、鳳雛の二人のうち一人でも得たら天下を取れる」と予言した人物は○○先生? 水鏡 『三国志演義』で曹操が董卓を暗殺しようとした時に手にした剣は「○○の剣」? 七星 『三国志演義』において董卓、呂布、関羽ら錚々たる武将が重用した名馬といえば? 赤兎 『三国志演義』において董卓と呂布との間で争奪戦が繰り広げられた絶世の美女の名前は? 貂蝉 「長坂の戦い」で趙雲に倒され青こうの剣を奪われてしまった小説『三国志演義』に登場する曹操配下の武将といえば? 夏候恩 「鉄つぶて」という武器の名手として伝えられている、字を「承淵」という中国・三国時代の呉の武将は? 丁奉 ていほう 「麻沸散」と呼ばれる麻酔薬を用いて外科手術を行ったと伝えられる、中国・三国時代の伝説的な医師は? 華佗 「昔のままで進歩のない人物」のことをいった、『三国志』に由来する言葉は「呉下の○○」? 阿蒙 ごかのあもう NHKで放映されたTV番組『人形劇三国志』の人形をデザインした人形作家は? 川本喜八郎 映画『レッドクリフ』では主人公として扱われ、トニー・レオンがその役を演じた『三国志』でおなじみの武将は? 周瑜 学者としても有名で『論語注』『春秋左氏伝解』などの著書も残した、中国・三国時代に呉に仕えた政治家は? 張昭 匈奴などをはじめとする中国大陸北方を治めた遊牧民族国家の君主にあたる称号は? 単于 現在の南京市にあたる、中国・三国時代の「三国」のひとつ・呉が都としていた都市は? 建業 後漢時代には曹操も受け取ったことがある古代中国で、皇帝が臣下に贈った最高ランクの恩賞は? 九錫 三国時代の英雄・曹操が言った言葉に由来する「たいして役に立たないが、捨てるには惜しいもの」を意味する熟語といえば? 鶏肋 三国時代の武将・劉備が蜀を占領し「漢中王」と名乗ったのは西暦何年? 219 三国時代の武将・劉備と孫夫人との婚礼の様子を再現した像が展示されている、中国・江蘇省の観光名所は? 甘露寺 三国時代の武将・諸葛亮が発明したとされる弓を連射する兵器は? 元戎 小説『三国志演義』で「赤壁の戦い」の際に諸葛亮が東南の風を呼ぶため祈りを捧げた祭壇は? 七星壇 小説『三国志演義』で主君の曹操の命を救うために奮戦し立ったまま死亡したという伝説が残っている武将は? 典韋 小説『三国志演義』で諸葛亮が西城で、司馬懿が率いる魏軍を撤退させるため用いたのは「○○の計」? 空城 小説『三国志演義』で曹操の毒殺を図るも失敗し、捕えられた後漢の献帝の侍医は? 吉平 小説『三国志演義』で、諸葛亮の計略にかかり石に囲まれて動けなくなった陸遜を救出した諸葛亮の舅にあたる人物は? 黄承彦 小説『三国志演義』ではその容姿について「虎の体に猿の臂、彪の腹に狼の腰」と書かれている武将は? 馬超 小説『三国志演義』において曹操の元で水軍都督を務めたが周瑜の計略にかかった曹操により裏切り者として処刑されたのは? 蔡瑁 小説『三国志演義』に登場する五百斤の荷物を背負ったまま一日に七百里を歩くことができたという武将は? 胡車児 小説『三国志演義』に登場する蜀の武将で、諸葛亮の死後軍令にそむいたために味方の馬岱に斬り殺されたのは? 魏延 小説『三国志演義』に登場する袁術配下の武将で、三尖刀を武器に数多の武功を挙げたものの最後は張飛に討ち取られたのは? 紀霊 蜀の諸葛亮とのライバル関係で有名な、中国・三国時代に活躍した魏の軍師は? 司馬懿 小説『三国志演義』に登場する鉄脊蛇矛という武器を持ち赤壁の戦いなどで活躍した孫権配下の武将は? 程普 迅速な行軍は「三日で五百里、六日で千里」と称えられた曹操の従弟にあたる中国・三国時代の武将は? 夏候淵 かこうえん 優れた人と例えた言葉「白眉」の由来となった中国・三国時代の武将は? 馬良 西暦200年の「官渡の戦い」で関羽に討ち取られてしまった、中国・後漢末期に袁紹の元で活躍した武将は? 顔良 西暦200年に、曹操軍と袁紹軍との間で争われた『三国志』でもおなじみの戦いは「○○の戦い」? 官渡 曹操の元に身を寄せていた関羽が袁紹軍の顔良を討つなどの活躍を見せた、中国で200年に起きた戦いは「○○の戦い」? 官渡 第28回吉川英治文学賞を小説『諸葛孔明』で受賞した作家は? 陳舜臣 力は強いが、頭の回転が鈍いことから付けられたという中国・三国時代の武将、許ちょの通称は? 虎痴 こち 中国・後漢王朝が滅亡した時に都としていた都市は? 許昌 中国・後漢末期の学者で私塾で若き日の劉備らに学問を教え、後に袁紹の軍師となったのは? 盧植 中国・後漢末期の政治家で董卓が献帝を擁立することに反対した後、配下の呂布に裏切られて殺されたのは? 丁原 中国・三国時代の「江陵攻防戦」で、周瑜軍に包囲されたところを主君の曹仁に救出された武将は? 牛金 中国・三国時代の流れを決定づけた「官渡の戦い」の古戦場があるのは、現在の○○省? 河南 中国・三国時代の武将、孫権の字(あざな)は? 仲謀 中国・三国時代の武将、劉備の愛馬もこの特徴をもっていた、額に白い模様をもった馬のことを特に何という? 的盧 中国・三国時代の武将・曹操の幼名は? 阿瞞 中国・三国時代の武将・劉備と孫夫人との婚礼の様子を再現した像が展示されている、中国江蘇省にある寺は「○○寺」? 甘露 中国・三国時代の武将で「漢中の戦い」で劉備に降伏してからは蜀に仕え、後に牙門将軍に任命されたのは? 王平 中国の古代王朝・後漢の最後の皇帝・献帝の母親は? 王美人 中国の三国時代に曹操が作らせたといわれる豪華絢爛な展望施設のことを何という? 銅雀台 中国の三国時代に、世俗を離れ清談をした阮籍、阮威、王戎、けい康、山濤、向秀、劉伶の7人を「○○の七賢」という? 竹林 中国の三国時代において魏の曹植が、兄の曹丕の命で即興で作り上げたとされる詩を「○○の詩」という? 七歩 中国の三国時代に曹操軍の主力として活躍した黄巾賊の残党出身の兵士を「○○兵」という? 青州 せいしゅうへい 中国の歴史書『三国志』によると蜀の初代皇帝・劉備の身長はいくつと書かれている? 七尺五寸 中国・後漢王朝に決定的なダメージを与えた「黄巾の乱」が起きたのは西暦何年? 184 中国・後漢末期の武将、呂布の字(あざな)は? 奉先 中国・後漢末期の武将董卓の字(あざな)は? 仲穎 中国・後漢末期の袁紹配下の武将で、「官渡の戦い」で兵糧輸送の任務中に曹操軍に急襲されて討ち取られたのは? 淳于瓊 中国・三国時代に蜀の中常侍を務めた宦官で、劉禅に寵愛されて政治の実権を握り、蜀が滅びると魏に賄賂を贈り死を免れたのは? 黄皓 中国・三国時代の「三国」の1つ、蜀が滅亡したのは西暦何年? 263 中国・三国時代の「三国」のひとつ・呉が、第4代皇帝・孫皓の時に、僅かな期間だけ都とした都市は? 武昌 中国・三国時代の名軍師諸葛亮が最後を遂げた五丈原があるのは現在の○○県? 陝西 中国・三国時代の蜀の皇帝、劉禅の幼名は? 阿斗 中国・三国時代の蜀の武将で諸葛亮に寵愛されながらも街亭の戦いで軍令に背き、魏に大敗したため処刑されたのは? 馬謖 中国・西晋王朝で、司馬炎の死後に勃発した皇族同士の内乱を「○○の乱」という? 八王 はちおうのらん 中国・赤壁にある観光名所で『三国志演義』では、諸葛亮が風向きを変えるためにその中で祈ったとされるのは? 拝風台 中国で、後漢王朝が魏の曹丕によって滅ぼされたのは西暦○○○年? 220 中国で208年に起きた劉備・孫権連合軍と曹操軍が激突した合戦は「○○の戦い」? 赤壁 中国の歴史書『三国志』で古代日本にあったとされる国家・邪馬台国の記述が載っている部分は? 魏志倭人伝 中国の歴史書『三国志』の著者は? 陳寿 毒矢を受けた関羽の傷を骨を削って治療したエピソードが有名な、『三国志演義』に登場する名医は? 華佗 人間界に300年ほど住み、病気の人々の治療に力を注いだとされる中国・三国時代に、呉の領内に住んだとされる仙人は? 董奉 門下生には徐庶、向朗らがいた、中国の後漢末期に活躍した人物鑑定家は? 司馬徽 しばき 劉備ガンダム、孔明リ・ガズィなどのキャラクターでおなじみのバンダイのプラモデルは『○○戦士三国伝』? BB 劉備軍率いる蜀軍が、陸遜率いる呉軍の火計により大敗を喫した中国三国時代・222年の戦いは「○○の戦い」? 夷陵 いりょう 遼東の地で自立し、自ら「燕王」と称したが、238年に司馬懿が率いる魏軍に討たれた、中国・三国時代の武将は? 公孫淵
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/815.html
リフ 列伝 袁尚の幕僚。後に曹操に仕える。元の姓は馮。 【演義】 曹操に鄴を包囲された時、曹操軍の武将になりすまして城内に潜入。鄴を守る審配に、領民を外に出して油断を誘い、城の内外から曹操軍を挟み撃ちにするよう提案した。 【正史】 冀州を支配していた袁尚に登用された。袁尚が曹操に攻められ、鄴を放棄して中山に逃れた時、離れ離れになったため袁譚に降伏。袁譚が曹操に滅ぼされた後は曹操に仕えた。司隷校尉を務めた後、陽平太守在任中に死亡。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 31 36 74 73 69 283 67 141 順位 557 489 149 191 232 370 536 508 偏差値 38.1 42.3 57.4 57.5 55.0 49.3 39.8 43.6 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C B C B C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 26 23 25 25 27 25 29 22 29 21 25 21 順位 498 557 498 559 489 543 495 556 487 547 501 561 偏差値 41.4 38.5 41.5 38.3 42.7 39.7 41.7 38.4 43.2 39.7 41.6 38.5 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 106 冀州 実績 地方統一 重視 4/5 3/5 2/3 162 184 210(49歳) 自然死 冷静 冷静 丁寧 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 李孚が親愛する武将 なし 李孚が嫌悪する武将 なし シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 23歳 未発見 南皮 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 29歳 未発見 南皮 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 33歳 未発見 南皮 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 39歳 一般 鄴 袁紹 99 主簿 6000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 46歳 一般 平原 曹操 99 - 7000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 未発見 南皮 - - - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 37歳 一般 鄴 袁紹 99 左僕射 3000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 42歳 一般 鄴 袁尚 99 主簿 7000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 26歳 未発見 南皮 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 30歳 未発見 南皮 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い - 未発見 南皮 - - - 0 - - 「私は文官リフ たたかいはできませんが内政をすることができます」 それは置いといて、義理は高めだが寿命は長くはなく能力的にも普通の文官である だが微妙な武将の多い袁紹陣営では脳筋の副将として戦争に連れて行く機会は多いだろう 弩適性がBあるので単独で出撃させて火矢を撃ち込むなどしても良い -- (名無しさん) 2011-01-08 14 09 09 曹操軍に包囲された審配に援軍の到着を知らせるため、 3人で曹操軍の包囲を潜り抜けた逸話が好き -- (名無しさん) 2011-04-03 20 53 55 正史によれば七十余歳まで生きたらしい。 その歳になっても精密さ・決断力・策略は衰えなかったというので、 正史重視なら能力持続をいじっても面白い。 -- (名無しさん) 2011-04-03 21 38 37 S5では曹操軍にいるが、相性が最悪なうえ寿命が迫ってるので気をつけよう。 -- (名無しさん) 2011-04-28 10 30 57 面白い逸話を持つ人なのだが、このゲーム内では逸話を再現しにくいため、ただの傷薬、もとい文官にさせられてしまった -- (名無しさん) 2013-04-19 23 23 07 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/672.html
名稱:戲誌才 伺服器及顏色:6服綠 類型:文 性別:男 生命值:472 武力:33 智力:21 防禦:11 敏捷:42 運勢:89 敘述:戲誌才,穎川人,被荀彧推薦成為曹操的謀士,曹操十分器重他。戲誌才不幸早卒,沒有留下詳細的記載。他死後,曹操詢問荀彧誰可代替他,於是荀彧推薦了郭嘉。
https://w.atwiki.jp/quizmagicianblackcat/pages/3270.html
智略の名君 曹操 属性 水 MAX Lv 50 Aスキル 十面埋伏の計 潜 在 能 力 (1段階) (2段階) ランク A HP 1,563 Sスキル 英雄の鼓舞 (10) (3段階) (4段階) コスト 26 攻撃 1,555 進化元 若き英雄 曹操 (A) (5段階) (6段階) No.1146 種族 ? 編集 進化先 魏の武帝 曹操 (A+) (7段階) (8段階)
https://w.atwiki.jp/san-puz/pages/64.html
虎牢関の戦い 共通出現 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 魏 【絶影】左慈 2 20 『絶影』をドロップ 群 群雄弓兵(★1) 3 110 ★1群雄弓兵Lv3をドロップ 群 群雄弓兵(★2) 3 306 ★1群雄弓兵Lv3をドロップ 群 群雄兵長 3 320 ★2群雄兵長Lv3をドロップ 群 李カク 3 272 ★1李カクLv3をドロップ 群 郭シ 4 322 ★1郭シLv3をドロップ 群 高順 5 900 ★2高順Lv3をドロップ 決戦! 虎牢関 【難易度:8、体力:6、合戦:5】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:、EXP: 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 蜀 簡雍 3 220 ★1簡雍Lv3をドロップ B5 群 華雄 3 858 65 ★3華雄Lv?をドロップ 魔王の宿将 【難易度:8、体力:6、合戦:5】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:800、EXP:500 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 蜀 B5 群 華雄 3 918 妖艶なる舞踏 【難易度:8、体力:6、合戦:5】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:3300、EXP:500 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 B5 群 貂蝉 2 707 虎狼 【難易度:8、体力:6、合戦:5】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:1000、EXP:700 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 B5 群 呂布 3 1221 155 魔王討つべし 【難易度:9、体力:8、合戦:5】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:3800、EXP:900 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 B4 群 呂布 3 1224 B5 群 董卓 4 1390 ★3董卓Lv?をドロップ コメント 魔王討つべしで董卓ドロップ確認 -- 2013-08-31 01 29 14 妖艶なる舞踏 貂蝉で金2500の宝箱ドロ -- 2013-09-04 12 54 24 決戦!虎牢関で華雄ドロップ確認 -- 2013-11-18 15 00 02 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2474.html
劉秀軍と合わせて、何でこの時代の人達はいにしえ武将として見向きもされないんだろう? -- (名無しさん) 2011-09-21 22 49 30 単純に知名度が低いからだろ……劉秀とか優秀過ぎて面白味ないから小説とかにもならんし。 -- (名無しさん) 2011-09-22 01 17 30 ↑雲台二十八将って言われても宮城谷が新聞に連載してた小説読んで調べてみるまで誰一人具体的に何をやったのか知らなかったしな… まさか鄧芝が鄧禹の子孫だったとは… -- (名無しさん) 2011-09-22 05 54 11 別に宮城谷先生の小説の前から、ネットでは有名だったしファンも多かった 三国志じゃなくて、何故か昔の信長の野望に劉秀は登場してたし いにしえの基準は肥の匙加減一つで他にもなんでこの人いないの?って人物はいくらでもいる 強いて理由を考えるなら時代が近すぎるのと、まあどいつもこいつもチート過ぎるからだろうな… -- (名無しさん) 2012-10-20 10 57 10 「劉秀はチート過ぎて面白みがない」とよく知らない人がよく言うフレーズだが 実際こいつらの英雄譚に触れれば、そんな事は言えないし血が熱くならない人間もいない、と思う 人生が波乱万丈なハードモードだから、それを四苦八苦して乗り越えた人間がチートと呼ばれてるだけで -- (名無しさん) 2012-10-20 12 06 29 呂布や関張あたりを最高クラスに設定してる分チートっぷりを再現できんからいにしえ武将に入れてもらえないのかも おまけであるいにしえ武将のために関張の武力を80代とかにするのも本末転倒だしね -- (名無しさん) 2012-10-21 19 44 27 さすがに、そこまでチートと連呼され、三国志の人物が劣ると断言されると不快だな 関張、呂布の勇名は後世に伝わり、水滸伝の綽名に光武帝関係は誰もいない 強いのではなく、新時代が全体的にレベルが低かった可能性も充分ありえる ネット以外では空気だが、馬援だけはそれなりに伝わっているし、名声が後世に伝えられるほどではなかったんだろ -- (名無しさん) 2013-10-26 21 07 38 実際、ここの新時代だけを見るなら、三国のどこでも勝てそうだしな -- (名無しさん) 2013-10-26 21 08 22 ↑↑三国志は結局、最終勝利者の晋・司馬炎も耄碌して、 劉淵にいいように嬲られた、いわば勝利者なき戦争だからなぁ 知名度がズバ抜けてるから特別扱いされてるだけで -- (名無しさん) 2013-11-17 20 53 52 時代で比較するなら、レベルの高低は、後世の知名度を参考にするぐらいしかないからな その視点で見るなら、史記と三国志に挟まれた光武帝関連が知名度低いのは 後世に大きく伝えられるほどの名声がなかったってことだろ ここの内政が碌にできない連中が相手なら、三国だって負けんよ -- (名無しさん) 2014-01-05 22 00 52 全体的に、対抗馬が全くいないってのはあるよなこの時代は 例えば劉邦なら、歴史上稀に見る豪傑の項籍との戦いがあるし 三国時代なら勢力を拡大しまくる曹操と、何度でも立ち上がる不屈の劉備、 英雄を重ねた孫家に呂布袁紹など群雄の数々がいる。 日本で言えば源平合戦とか、戦国時代の群雄に豊臣徳川、 それを従えた織田と、対抗馬には事欠かない。 後漢の時代は「劉秀すげー」「後漢最強」とよく言われるが、敵側を語られることはないよね -- (名無しさん) 2014-05-04 06 37 58 「劉秀すげー」「後漢最強」って特に、さほどの苦戦のなく漢王朝を中興したことと 十数年で天下統一したこと以外にこれといって根拠はないからな 劉邦なんて危険な諸侯や武将をうまく利用して数年で終わらせたのに、それほどの評価はもらえない ここに挙げられる後漢の対抗勢力は、後漢書での評価も悪いし、 ある程度はある実績も、新や更始政権などはここでも評価もひどいままだから、 画期的な新戦法や魔術的な外交、人材掌握術、対外戦の大勝利など伝説的なエピソードもないから ネットで言われるような特に劉秀勢力が強いって別に思えないんだよね 三国の人物が存在せず、袁紹が天下統一を実現したら、こんな感じの歴史になるのかなって印象 -- (名無しさん) 2014-12-29 13 19 06 劉秀の驚異的な天下統一というよりは 新や更始政権などが勝手に自滅して収まるところに収まっただけの感 劉秀が身分の低い人間だったらまた違ったか? -- (名無しさん) 2014-12-30 11 27 13 個人的に、隗囂はもう少し評価されてもよい気がする。 潁川郡の叛乱という幸運に恵まれたとはいえ、呉漢、耿弇、岑彭、蓋延らの攻撃を撃退し、 さらに馮異から安定郡と北地郡を奪還したというのは凄い。 他にも、鄧禹をボコボコにした赤眉軍を独力で退けているし、 新末後漢初の長野業正というイメージがある。 光武帝「隗囂が隴にいる限り、蜀を望むことは出来ぬ」 -- (名無しさん) 2015-04-11 18 40 50 そういえば、隗囂って確か足萎えだったな。 武力を低めにして、その分を統率や知力に回すと、守りの強さを表現できるかも知れない -- (名無しさん) 2015-04-15 23 25 20 後漢書を斜め読みした感じでは、インテリというか、インドア派っぽいよな、隗囂 何で公孫述の色違いみたいな武闘派なステータスになってんだろ? -- (名無しさん) 2015-04-21 20 10 45 実際、有用な駒を揃え、いち早く肥沃な土地を手に入れ、 大軍を動員して、全く付け入る隙のない指揮をする名将と対すれば、 どんな武将でも普通は抗うこともできないだろう。 敵にも人材がいて、それでもつけ入る隙が無いほど完璧な采配をしたのが、 光武帝であると考えるのと、隙だらけの采配だったが、 敵には付け入れるだけの頭がなかったと考えるのでは、 光武帝の評価は雲泥の差になる。 -- (名無しさん) 2017-03-24 13 35 49 ここのページの評価を見る限り後者よりだろうなあ 実際、史料でも光武帝の対抗馬の評価ってよくないし せめて劉備、諸葛亮のような連中が敵にいるなら評価は高くなるだろうけど まあ名将なのには違いないけど、超一級って言われると?マークしかつかない -- (名無しさん) 2017-03-24 15 47 52 http //yaruowohiroiyomi.blog.fc2.com/blog-entry-496.html このスレ見てみな?この時代だって三国志時代に引けを取らない程、 ドラマも多いし、敵味方共凄いの多いから。 -- (名無しさん) 2017-11-04 00 06 27 凄いのが多いと言われても… 弱小勢力時代の劉秀の敵は小物ばかりで、ようやく強敵が現れ始める時には既に天下第一の大勢力だから、 序盤から強敵と鎬を削る三国志ほどには敵味方が凄そうに見えない。 ドラマにしても、三国志の方は天下が見えた途端にまさかの事態が起きるけど、 劉秀の方は特にそういうこともないから、三国志ほどには面白くないと思う。 -- (名無しさん) 2017-11-04 01 33 04 正直劉秀の評価がネットでやたら高いのって このやる夫が光武帝に~っていうシリーズの人気補正ありきだよね 原哲夫のおかげで前田慶次の評価がやたら高いのと同じ -- (名無しさん) 2017-11-05 03 56 32 高く評価されて然るべき人物ではあるけどね、光武帝は。 けれど、彼の話を聞いて「凄いやつらが三国志以上に多くいる」と思う人は少ないだろうね。 三国志は「凄いけど勝てなかったやつら」の話だから、凄いやつを勝たせないために更に凄いやつが登場し、 その更に凄いやつを勝たせないために更に更に凄いやつが登場する。 一方、光武帝の話は「凄いやつが勝ちまくる」という話だから、味方より凄い敵は基本的に登場しない (この構造が、光武帝が無鳥島の蝙蝠疑惑を払拭できない根本的な原因でもある)。 どちらの方が凄いやつが多いと感じるかは自明の理だろうね。 -- (名無しさん) 2017-11-05 11 34 11 それだってどの時代にも言えることだけどな。韓信をやたら持ち上げて、白起は苦戦もしてるから大したことがないって言う奴もいるが、 白起が苦戦した廉頗は韓信が直接戦った相手達(魏豹や陳余)より遥かに手強い相手だったし、劉邦が勝利できたのは相手が項羽だったからで、 曹操や光武帝が相手だったら勝ち目ないしな。内政と違って、戦いにおける勝利は誰かの失敗によって成り立ってるんだから。 『凄いやつを勝たせないために更に凄いやつが登場し、その更に凄いやつを勝たせないために更に更に凄いやつが登場する』 それは違うな。袁紹が勝てなかったのは曹操が凄かったからじゃなくて袁紹自身が失敗を犯したからだし、 曹操が天下統一出来なかったのは劉備や周瑜が凄かったからじゃなくて曹操自身が失敗を犯したからだよ。 勿論、曹操や劉備や周瑜は凄い奴だったが、それでも袁紹や曹操が失敗しなけりゃ三国志にならずに終わってたさ。 -- (名無しさん) 2017-11-06 00 29 43 『やる夫が光武帝に~っていうシリーズの人気補正ありき』 言いたいことは分かるが、それを言い出したら日本における三国志こそ、人気補正ありきの最たるものだぞ。 『ようやく強敵が現れ始める時には既に天下第一の大勢力だから』 どっちかというと三国志みたいに主役勢(三国)が全員、群雄割拠の果ての成り上がり者っていう方が珍しい気がする。 殷周革命の主役たる周は西伯だったし、唐の李父子は名門且つ外戚で挙兵後すぐに長安を占拠して隋の中央組織を吸収してたし、 宋の趙匡胤に至っては後周の世宗が残した多大な成果と勢力を丸ごと横取りするところから始まるからな。 -- (名無しさん) 2017-11-06 01 01 32 ↑2 貴方は↑3のコメントに対して何が言いたいの? 「光武帝を持ち上げて三国志の武将は大したことがないと言うやつもいるが、光武帝が勝利できたのは相手が弱すぎたからだ」と言いたいの? それとも、「戦いの勝利は誰かの失敗で成立しているから、三国志の武将も光武帝と同じで大したことはない」と言いたいの? ↑ 珍しいからこそ、三国志は面白い。他の時代にはない輝きがある。 光武帝の後漢再興記もそれなりに面白い話ではあるけれど、比較対象が三国志では流石に相手が悪すぎる。 -- (名無しさん) 2017-11-06 02 03 44 ようやく↑3が何を言いたいのか理解できた。 「光武帝と韓信は弱いやつとしか戦ってないから凄くないし、曹操は失敗ばかりしていたから凄くないし、 そんな光武帝や曹操に勝てないであろう項羽と劉邦も凄くない。本当に凄いのは苦戦しながらも勝利した白起と白起を苦戦させた廉頗だ」 と言いたいわけね。 でも、「苦戦して勝てば凄いやつで、その凄いやつを苦戦させたやつも凄いやつ」というのであれば、 項羽と劉邦がまさにそれだと思うんだけど。 それは違うな。袁紹が勝てなかったのは曹操が凄かったからじゃなくて袁紹自身が失敗を犯したからだし、 曹操が天下統一出来なかったのは劉備や周瑜が凄かったからじゃなくて曹操自身が失敗を犯したからだよ。 確かに「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とは言うけれど、 ウェリントンの「戦場での生活のほとんどは、あの山の向こうには何があるのだろう、と悩む日々の連続だった」、 クラウゼヴィッツの「戦場は不確実性の霧に絶えず覆われている」という言葉が示しているように、 霧の中に潜んでいる敵に隙を見せないようにしながら、山の向こうに隠されている勝機を見つけ出すことは非常に難しい。 その非常に難しいことを成功させたから曹操や周瑜は凄いし、そういう凄いやつらが覇を競い合うから三国志は人気があるんだと思うよ。 -- (名無しさん) 2017-11-06 21 10 53 ↑1・2 『貴方は↑3のコメントに対して何が言いたいの?』『ようやく↑3が何を言いたいのか理解できた。』 全然違うよ。そもそも、この議論の主題は何だった?新末の群雄が凄いか、凄くないかというのが主題だろ?それに対して、君(達?)が新の群雄が楚漢戦争や三国志の群雄のように凄そうに見えないと言った理由は何だった? 楚漢戦争や三国志のように時に勝ったり、時に負けたりというような手に汗握るような一進一退の攻防や大逆転劇が少なかったというのが理由だったね。では、逆に楚漢戦争や三国志で一進一退の攻防や大逆転劇が起こった理由は何だろうか? これに対して君はこう言った、『凄いやつを勝たせないために更に凄いやつが登場し、その更に凄いやつを勝たせないために更に更に凄いやつが登場する』。つまり上記のように手に汗握る展開になったのはそれだけ凄い奴がいたからだと。 そんな君に対して僕は『それは違うんじゃないか』と言った、そもそも君が言う凄い奴の活躍というのは、相手の失敗があったからこそだと。実際、君の論理に従えば周瑜は曹操より『更に凄い奴』に該当するが、一般的に周瑜が曹操を上回る人物という評価は少ない。 項羽が「匹夫の勇」「婦人の仁」と言われるような人物ではなければ劉邦は勝てなかったし、彭城の戦いで劉邦が油断をしていなければ、項羽にあんな惨敗をすることもなく、もっとスムーズに天下統一が出来ていた。袁紹や曹操についてもおおまかに言えば同じことだ。 新末、あるいは隋末の群雄が大過なき統一を妨げられなかったのは別に彼らが弱かったからではなく、光武帝や唐太宗が逆転される程の大きな失敗をしなかったというだけのことだよ。まあ個々人の能力だけでなく、経済的な問題や正当性などいくつかの要因はあるけどね。 お互いの失敗によって華々しい活躍ができた人達と、失敗の少なすぎる人物に対して活躍できなかった人物を比べて後者の方が弱いとするのはフェアではない。相手が光武帝や唐太宗だから大きな活躍はできなかったが、新末や隋末の群雄も他時代と遜色はなかった。 ウェリントンやクラウゼヴィッツの言葉はけだし名言というべきだけど、それはあくまで実際に戦場に臨んだあとの戦術レベルや偶発的な要因に対しての発言だから。曹操や袁紹や項羽の失敗は戦略レベルでの失敗だし、劉邦の失敗は単なる油断で山とか霧とか以前の問題。 『珍しいからこそ、三国志は面白い。他の時代にはない輝きがある』 これについては最大限に同意したい。どちらが凄いかといえば光武帝や唐太宗の方が凄いと思うが、どちらが面白いかといえば圧倒的に三国志だと僕も思う。ドラマ性に差がありすぎるしね。 -- (名無しさん) 2017-11-07 03 20 19 そもそも、この議論の主題は何だった?新末の群雄が凄いか、凄くないかというのが主題だろ? いや、それこそ違うよ。そもそもの発端は、 この時代だって三国志時代に引けを取らない程、ドラマも多いし、敵味方共凄いの多いから というコメントだけど、それに対して、 三国志ほどには敵味方が凄そうに見えない。 三国志ほどには面白くないと思う。 というコメントが付き、それで自分は「なぜ三国志の方が凄そうに見えるのか、面白いと感じるのか」ということを構造的に分析した。 つまり、貴方がコメントする直前の時点での主題は「客観的に凄そうに“見える”、或いは面白いと“感じる”のは新末後漢初か、三国時代か?」であり、 「新末の群雄が凄いか、凄くないか」ではない(ついでに言うと、この時点で楚漢戦争の話をしている人もいない)。 だから、貴方が急に韓信の話を始めた時は「なぜ韓信? なぜ白起? 一体この人は何が言いたいんだろう?」と首を傾げてしまった。 こちらに対して言っているようだから、こちらと主題を共有していると思っていたのに、実際は主題が全く違うものに急変していたからね。 ウェリントンやクラウゼヴィッツの言葉はけだし名言というべきだけど、それはあくまで実際に戦場に臨んだあとの戦術レベルや偶発的な要因に対しての発言だから。 優れた言葉には普遍性があり、様々な場面に応用が利く。 偶発的な要因はどこにでも潜んでいるし、想定外の出来事はいつでもどこでも誰にでも起こりうる。 先のコメントの繰り返しになるけど、敵が勝機を与えてくれるまで、こちらは敵に勝機を与えないようにしながら耐えるということは難しい。 敵が優勢であれば更に難しくなる。曹操はそれを成し遂げたから凄い。周瑜は凄い曹操を相手にそれを成し遂げたから更に凄い。 少なくとも、それが最大公約数的な解釈だと思う。 ちなみに、自分が言う「更に凄いやつ」の「凄い」というのは、総合的な評価が上という意味ではないからね。 例えば、ゲーム中の曹操と周瑜の能力値を比べると、総合的には曹操の方が「凄い」けど、知力と統率に限れば周瑜の方が「凄い」。 自分が言う「更に凄いやつ」とはこういうこと。「凄い」の意味が多彩で、多彩だから多様な個性が生まれる。 そして、その多種多様な凄いやつらが作り出すドラマが三国志の一番の魅力なんだと思う。 これについては最大限に同意したい。 最大限に同意してもらえて嬉しい。三国志って本当に面白いよね。 -- (名無しさん) 2017-11-07 22 28 16 『いや、それこそ違うよ。そもそもの発端は、 この時代だって三国志時代に引けを取らない程、ドラマも多いし、敵味方共凄いの多いから というコメントだけど』 ああ成程、それで食い違ってたのか。『このスレ見てみな?この時代だって三国志時代に引けを取らない程、ドラマも多いし、敵味方共凄いの多いから』 このコメント自体がそれ以前のコメントに反論する趣旨で書かれてるようだったから、僕はそれ以前のコメントの延長線上なんだと思って論じていたし、 だからこそ楚漢戦争を持ち出したりしたんだが、君はこのコメント以前の議論とは全く無関係の議論として論じていた訳か、それは失礼した。 『優れた言葉には普遍性があり、様々な場面に応用が利く。』 三国志の面白さについては心から同意するけれど、これについては同意しかねるな。 ウェリントンはあくまで軍人として戦場での発言だし、クラウゼヴィッツの発言もあくまで実際に軍事行動の起きている戦場についての発言だ。 曹操や袁紹の敗北は実際に戦場へと赴く前の戦略における判断ミスや、更に溯った政治的な判断ミスから生じたもので、戦場での敗北は単なる結果に過ぎない。 君はそれを偶発的な要因・想定外の出来事と断じているが、曹操や袁紹のブレイン達は彼らの方針に異を唱えて失敗の可能性を予測し、提示している。 『自分が言う「更に凄いやつ」とはこういうこと。』 正直、周瑜が部分的にすら曹操を上回ってたかは微妙だけどね。赤壁の戦いは記述量が少なく不明瞭だし、少ない記述を総合すると曹操の自滅という印象が強いから。 『三国志って本当に面白いよね。』 曹操が劉備に言い放った「予と君だ(今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也。)」だけでも中国史の他時代には無い浪漫があるよ。 -- (名無しさん) 2017-11-09 01 00 52 このコメント自体がそれ以前のコメントに反論する趣旨で書かれてるようだったから、僕はそれ以前のコメントの延長線上なんだと思って論じていたし、 一体この人は何と戦ってるんだろうと思ってたら、そういうことだったのね。こちらこそ気づきませんで、失礼しました。 ウェリントンはあくまで軍人として戦場での発言だし、クラウゼヴィッツの発言もあくまで実際に軍事行動の起きている戦場についての発言だ。 軍事のために開発された技術が医療や災害救助に使われることもあるように、 優れたものは分野を越えて応用できることが多々ある。 ウェリントンやクラウゼヴィッツの言葉には、単に戦場の本質を衝いたという以上の普遍性があると思うよ。 君はそれを偶発的な要因・想定外の出来事と断じているが、 自分が「不確実性の霧」という表現を使っている主な対象は、袁紹と曹操(赤壁)ではなく曹操(官渡)と周瑜だよ。 勿論、霧に悩まされたのはどちらも同じだろうけど、より深刻に悩まされたのは曹操(官渡)と周瑜だろうね。 曹操や袁紹のブレイン達は彼らの方針に異を唱えて失敗の可能性を予測し、提示している。 確かに袁紹と曹操(赤壁)には負ける可能性があったけど、それは曹操(官渡)と周瑜も同じであり、 全体的には袁紹と曹操(赤壁)の方が優勢だった。少なくとも、当時はそう考える人間が多数を占めていた。 赤壁の戦いは記述量が少なく不明瞭だし、少ない記述を総合すると曹操の自滅という印象が強いから。 曹操が凄いことをやってのけた凄いやつでさえなければ、 ほとんどの人は貴方と同じ印象を抱いたと思うよ。 曹操が劉備に言い放った「予と君だ(今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也。)」だけでも中国史の他時代には無い浪漫があるよ。 強烈な台詞だよね。曹操の英雄らしい自負や気概と、歴史浪漫の魅力の一つである運命的な要素が、その一言に凝縮されている。 この後の劉備の演技も素晴らしい。わざとらしく孔子を引用して小物を装い、英雄曹操の目を見事に欺く。 でも、それで欺かれた曹操の株が下がるかというとそうではない。自分と天下を分ける英雄を、曹操は間違いなく見抜いたんだから。 -- (名無しさん) 2017-11-09 21 45 33
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/3238.html
【元ネタ】三国志 【CLASS】バーサーカー 【マスター】 【真名】曹休 文烈 【性別】男性 【身長・体重】180cm・126kg 【属性】秩序・中庸 【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷B++ 魔力D 幸運C 宝具B+ 【クラス別スキル】 狂化:D 筋力と耐久のパラメータをアップさせるが、 言語能力が単純になり、複雑な思考を長時間続けることが困難になる。 【固有スキル】 千里疾走:A 本来は愛馬と共にあることでもたらされるスキル。 『爪黄飛電』モードの間、長時間・長距離移動を可能とする無尽蔵の体力を有する。 また、敏捷パラメータの一時的な急上昇、全力疾走時の耐久および筋力パラメータの上昇、といった効果を発揮できる。 宝具の性質上、真名開放時の威力にも上記効果が適用される。 ガルバニズム:B 生体電流と魔力の自在な転換、および蓄積。 魔光、魔風、魔弾など実体のない攻撃を瞬時に電気へ変換し、周囲に放電することで無効化する。 また、蓄電の量に応じて肉体が強化され、ダメージ修復も迅速に行われるようになる。 【宝具】 『曹家千里の駒(そうこうひでん)』 ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:2~20 最大捕捉:50人 曹操をして「我が家の千里の駒」と言わしめた逸話から得た変形能力。 半人半機の肉体を持ち、真名を開放することで馬型の形態『爪黄飛電』へと変形する。 この形態を取る時、騎乗状態として扱われ、また真名を開放することで生体電流を応用した電磁力による超高速疾走が可能となる。 もちろん、馬なので背に人間や荷物などを乗せることも可能。 なお爪黄飛電とは曹操が三国志演義にして騎乗した馬の一つ。 【解説】 三国時代の魏の武将。 魏王曹操の族子であり、若手のホープとして活躍したが、 石亭の戦いで周魴の偽装投降に騙され大敗を喫し、程なくして病死した。 早くに父を失い、老母とともに呉に渡るが、曹操の挙兵を知り、変名を使いながら北上して合流。 曹操をして「千里の駒」と評され、曹丕とともに育てられる。 また、常に曹操の軍旅に付き従い、精鋭部隊の虎豹騎の指揮を曹真とともに務めたという。 武都の戦いでは曹洪の配下として戦うが、曹操の指示により、実質的な指揮官として扱われていたという。 この戦いで劉備軍の猛将・張飛が糧道を遮断しようとする動きを見せたが、相手が隠密行動を取っていないことから曹休はこの動きを偽装と判断。 敵の別働隊を率いていた呉蘭を迅速に撃破し、張飛を敗走させた。 曹操が没し、曹丕が後を継ぐと順調に出世を重ね、対呉方面を担当し、度々功績を挙げる。 曹丕の後を曹叡が継ぐと、押しも押されぬ軍の重鎮として扱われる存在となったが、 呉の周魴の内通・投降の偽装を見抜けず、石亭の戦いで罠にかかり大敗を喫する。 不仲だった賈逵が救援してくれたことで命だけは助かったが、曹休は賈逵を逆恨みし、敗北の経緯もあってその名声は大きく損なわれた。 その後、悪性の腫瘍によって病死。敗戦のショックから得たものだとされる。
https://w.atwiki.jp/dngcosmo/pages/41.html
■キャラクター名 徐晃サーペント ■キャラクターの性別 男性 ■学年 その他 ■所持武器 鋏刃戟(きょうじんげき) ■攻撃力(最大20) 11 ■防御力(最大20) 10 ■体力(最大20) 5 ■精神力(最大20) 3 ■FS(最大20) 1 ■FS名 テレビ ■特殊能力名 鉄火地雷衝(てっかじらいしょう) ■特殊能力内容 効果:体力5ダメ 範囲+対象:隣接2マス一人 時間:一瞬 消費制約:防御力-10 非消費制約:曹操様を対象に取れない 能力原理: 兜飾りと肩鎧を合体させ、防御力を犠牲にした一撃必中の武器”鉄火練武”を地面に叩きつけ、地を這うようなオーラを発する技。 直接叩きつけたりしない。 斧も使わない。 ■能力発動率:30% ■キャラクター説明 勇壮たる戦斧。 元は董卓軍に所属していたが、非道極まりない軍のやり方に疑問を感じていた。 董卓亡き後は曹操に仕え、機駕五将の一人として数えられる。 曹操を太陽と敬い、絶対の忠誠を誓っている。 赤壁の戦いで曹操の行方が分からなくなった後も、実子である曹丕の下で機駕を支えた。 曹操大好き。マジ太陽。 風の噂で斧部の存在を嗅ぎつけ、機駕で共に戦う同志を探しにやってきた。 必殺技は斧でなくわざわざ鎧を棍に変えて使う。しかも地を這うようなオーラで攻撃する。なんでこいつ勇壮たる戦斧なんて通り名貰ったんだろう。 でもかっこいいので許す。斧部の方々に許されるかは微妙なところである。
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/44.html
漢中争奪戦 [おもな登場人物] 蜀 劉備(りゅうび)・張飛(ちょうひ)・馬超(ばちょう) 呉蘭(ごらん)・法正(ほうせい) 諸葛亮(しょかつりょう) 魏 曹操(そうそう)・曹洪(そうこう)・夏侯淵(かこうえん) 張コウ[合β](ちょうこう)・曹休(そうきゅう) [おもな地名] 漢中(かんちゅう)・下弁(かべん)・陽平関(ようへいかん) 固山(こざん) 217年 蜀(しょく)を211年に征した劉備(りゅうび)は遂に宿敵・ 曹操(曹操)が有する魏(ぎ)との戦いに挑むことになります。 その侵攻を決定づけたのは参謀法正(ほうせい)の進言でした。 進言理由は 現時点で参謀諸葛亮(しょかつりょう)の策により魏と呉(ご) を戦わせることに成功し、魏の主力は呉との境界線にある点。 魏は今、後継者争いにより団結力に欠ける点。 疫病が流行って魏の政治情勢が不安定な点。 を指摘し漢中(かんちゅう)を責めるには絶好の好機であると いうのです。 かくして劉備は諸葛亮(しょかつりょう)に蜀の守りを任せて 法正・張飛(ちょうひ)・馬超(ばちょう)・呉蘭(ごらん)など と共に漢中に大軍を持って向かいます。 しかしすぐに曹操のもとに蜀軍が攻め入ったことが報告されます。 曹操も漢中を守る夏侯淵(かこうえん)と張コウを支援すべく 曹洪(そうこう)を派遣。曹洪に五万の軍をあたえます。 すでに周辺を制圧しつつあった蜀軍でしたがまだ漢中を取るまでには いたっていませんでした。劉備は陽平関(ようへいかん)、 張飛は固山(こざん)、馬超と呉蘭は下弁(かべん)を攻略します。 曹洪は予想以上にすばやく北方より前線に到着します。 それに応じて張飛が軍を動かします。両軍はすぐに遭遇します。 しかし“張飛軍は陽動であるので下弁の急襲を優先するよう”勧める 参軍曹休(そうきゅう)の提案を受け入れ曹洪は張飛と戦わずして、 一路、下弁(かべん)へ向かいます。 その途中で曹洪は呉蘭の少数部隊に遭遇してこれを打ち破ります。 これで勢いにのり下弁の名将馬超もさすがの大軍と勢いににはかな わずと判断して敗走、張飛も孤立し退却を余儀なくされます。 退却の一行は劉備がいる陽平関へ終結し、この地で踏ん張り陽平関を 守り抜きます。 陽平関は漢中のすぐ隣であり、漢中への北部からの支援を遮断する ことに成功します。 そして2年後の“定軍山の戦い”へと進んでいくこととなるのです。 219年 217年に緒戦に敗れたものの何とか踏ん張って漢中(かんちゅう) の喉元である陽平関(ようへいかん)をとった劉備(りゅうび)軍 は、219年再び漢中に向けて侵攻を開始します。 劉備は法正(ほうせい)を軍師に漢水の上流を渡って移動し、定 軍山(ていぐんざん)の麓に陣を敷きます。漢中を守るのは張コウ [合β](ちょうこう)と夏侯淵(かこうえん)です。 高地に陣取った老将黄中(こうちゅう)を出撃させ黄中の武力 と法正の策略をもって魏の大将夏侯淵(かこうえん)を誘き寄せて 討ち取ります。そしてその勢いのまま漢中の本拠地南鄭(なんてい) を占領してしまいます。 曹操(そうそう)は漢中奪還のため自ら兵を率いて長安(ちょう あん)を出発し、山脈を横断する難所をとおり漢中を見下ろせる盆 地に陣を敷きます。 劉備軍は劉備・張飛(ちょうひ)・趙雲(ちょううん)・黄忠、 参謀の諸葛亮(しょかつりょう)・法正といった主力がいましたが あえて持久戦を選びました。 両軍の対峙は半年以上に及び難所を通ってきた曹操軍は補給に 苦 しみました。 進退窮まった曹操は“鶏肋[ケイロク](とりがらの意味)“とい い、それを聞いた書記官の楊修(ようしゅう)は“とりがらを食べ ようとしても肉はなく捨てるには惜しいが結局は捨てるもの”、 つまり“撤退”であると謎解きします。 その言葉のとおり、最終的に曹操は漢中奪還をあきらめ帰還します。 こうして漢中を征した劉備は二年前に“魏王”になった曹操に対 抗して”漢中王”の位についたのです。221年4月のことでした。 劉備はこの時、最大の領土を所有しついに天下三分のひとつの位 置を完全に占めるに至ります。蜀(劉備軍)にとってこの時、一番 充実した人材と国力であったといえるでしょう。