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ルール(縛り) 難易度超級、戦死標準、登場史実、武将編集無効 自勢力武将以上の能力値を持つ武将の登用禁止(陸抗除く) 登用禁止武将の配偶者、義兄弟の登用禁止 軍師は陸抗で固定(陸抗登用までは杜預で固定) 廟での『覇王』『○神』『飛将』『神将』『勇将』『神算』『虚実』『捕縛』の習得禁止 外交コマンド禁止 土塁などを用いた技巧ポイント稼ぎ禁止 <前章までの勢力図> あらすじ 襄陽から永安を攻めて制圧 もうすぐ江州に攻め入ることができそう 第四章 巴蜀の動乱 258年1月。江州の曹操軍は成都の張魯軍に攻められ苦戦中であった。 一方でその張魯軍も梓潼を司馬懿軍に、成都を曹丕軍に攻められ、四面楚歌な状況に陥っていた。 この機を逃す手は無い。未だ永安の物資は十分ではなかったが、疲弊した江州を攻略するために部隊を派遣する。 胡烈「襄陽に援軍として向かった王渾殿や兄上が戻ってきていませんが、よいのですか」 杜預「今は兵力が回復する前に少しでも早く江州を叩くことが先決だ」 陸抗「そのため、現在永安にいる武将のみで部隊を編成します」 江州攻略隊のメンバーは以下の通り。 陸抗&周旨&張球の騎兵A隊7000 杜預&唐彬の弩兵S隊7000 王濬&牛金の戟兵S隊7000 楽進&胡烈の井蘭S隊5000(胡烈は特技『射程』を付与済み) 江州領に侵入しても、張魯軍をやっと撃退して疲弊している曹操軍からは、さしたる抵抗は無い。 于禁・典韋・曹操本人らが迎撃してくるも、兵の気力が切れて直接攻撃しかしてこない。 王濬隊の熊手戦法で敵部隊の位置を変え、杜預隊の貫矢でまとめて兵力を削り、『精妙』持ちの陸抗隊でとどめを刺していく。 その間に楽進隊で城兵を駆逐し、258年5月、最後は杜預隊の攻撃で曹操軍の本拠地江州を制圧した。 胡烈「さすがは楽進殿。兄上以上の攻城っぷりでしたね」 楽進「我照///」 杜預「周旨、逃げた曹操を捕縛することはできなかったのか」 周旨「いやそれが、曹操の乗っていた馬が速いのなんのって。ささっと江陵に逃げられちまった」 羊祜軍が江州を攻めている間に、張魯軍の梓潼は司馬懿軍に占領された。 司馬懿軍は剣閣と葭萌関を通らず、間道に6部隊を通らせて梓潼を急襲するという奇策をとっていた。 剣閣と葭萌関でエンドレス攻防戦を行うのがCOMのお得意パターンなのだが、さすが司馬懿、なかなかスマートだ。 現状では周囲に兵力の大きい敵勢力がいないので、江州の復興は割とのんびりできる。 ただ、江陵の曹操軍がある程度兵と物資を蓄え込んできたのが少々心配なところ。警戒しつつ内政を行う。 この間に北では魏延軍が司馬懿軍によって、南では曹叡軍が劉備軍によって滅ぼされた。 その後長沙から襄陽に流れてきた司馬孚と費耀を登用。やはり費耀とは縁があるらしい。司馬孚も内政だけでなく廟・遺跡探索に役立つ便利な武将だ。 都市数が増えた割に武将数が伸び悩んでいたので、新規加入はとても有難い。費耀の方は『築城』を、司馬孚には『能吏』を付与して活躍してもらうことに。 そして259年4月。江州の軍備も完璧に整ってさあ攻めようと言う時に、梓潼の司馬懿軍4部隊が永安に向かっているとの報告が入った。 どうやら永安南西の間道を通ってくるらしい。 王濬「出鼻をくじかれましたな。とりあえずは永安の防衛に気を回さねば…永安には最低限の物資と人員しかいないゆえ」 陸抗「我が軍は難所行軍のできる兵がおりませぬので、間道に入る前に撃退するのがよいでしょう」 閻柔「なれば江州の北の渡に陣を築き、司馬懿軍が間道に入るのを阻止致しましょう」 司馬懿軍は江州の兵力で迎撃することにする。江州の北の隘路に陣を1つ築けば、敵は間道に入れない。 問題はそこがギリギリ成都領であることなのだが、成都の張魯軍は曹丕軍相手の防衛戦で手いっぱいだし、もし壊しに来たとしても司馬懿軍と潰しあってくれるだろう。 それにしても司馬懿軍の侵攻スピードは早い。物資のピストン輸送もしっかり行っているし、なんか補正でもついているのかと疑いたくなる。 江州の北で司馬懿軍を防いでいると、今度は反転して永安の北東に抜ける間道を使ってくるようになった。 だが、このルートで来る敵は江陵からの敵と同じく渡で完全封鎖できる。武将1人でも十分防げるし、兵糧切れも狙えるので問題はないだろう。 259年7月、江州の軍勢で成都を狙って進軍する。今回は襄陽から羊祜本人も呼び寄せて参戦させる。襄陽は満寵と司馬孚に守らせておいた。 成都攻略隊のメンバーは以下の通り。 羊祜&費耀の槍兵S隊7000 杜預&唐彬の弩兵S隊7000 王濬&張華の戟兵A隊7000 王渾&楽進の槍兵S隊7000 胡奮&胡烈の井蘭S隊6000 周旨&張球&閻柔の騎兵A隊6000 羊祜「幸い江州と成都の距離は近い。焦らずに段階を踏んで確実に侵攻していくとしよう」 胡奮「そうなると、まずは成都南東の兵舎の破壊が先決になりますね」 まずは成都南東の兵舎および周囲の市場を破壊してゆく。 張魯軍は非常に多くの物資を成都に蓄えていたため、市場1つを破壊するだけで1000以上の金が手に入る。 羊祜軍を迎撃に出てきたのも1部隊だけだったので、これを撃退しつつ、成都西の開発地も含め全ての施設を破壊して物資と経験値を稼ぐことに。 しかし、成都西の開発地の破壊を始めたころ… 張華「羊祜様、永安の楊肇から救援依頼がきております。どうやら司馬懿軍は行軍道中に強弩兵を得たようで、苦戦中とのこと」 羊祜「わざわざ突破の難しいあのルートを通ってきたのは、そういう思惑があったゆえか…さすがは司馬懿軍だ」 杜預「軍師殿とそれがしが援軍に向かいましょう。間道伝いに後続の軍が迫っているとの報もあるゆえ」 司馬懿軍はいつのまにか「強弩」を得ていたらしく、永安の渡の陣を挟んだ攻防が予想外の苦戦をしていた。 守将は楊肇と孔伷のみで、陣の補修をすると敵の強弩による集中砲火を浴びてしまい、 だからといって敵を攻撃すると陣が壊される上に兵糧不足の手助けをしてしまうという、悪循環に陥っていた。 さらには追加の5部隊が梓潼から永安に向かって進軍中であった。 羊祜「成都はいつでも落とせる。我らも成都の開発地の物資をあらかた接収したら、江州に退却するぞ」 王渾「曹丕軍が迫っているとの報告もありますしな。かの軍と交戦になる前に離脱しましょう」 こうして成都領に残っていた他の羊祜軍の部隊も江州に退却させる。 正直張魯軍には、羊祜軍と相性が良くかつ使える武将が閻圃ぐらいしかいなかったので、今滅ぼすメリットも薄いと考えたからだ。 元々、成都を陥落させた後は司馬懿軍と曹丕軍の潰しあいを狙って放棄するつもりでいたし。 ただでさえ戦線が間延びしている今は、まず周辺勢力の攻撃を防ぎつつ、稼いだ技巧で勢力強化に励む方が得策だろう。 張華「羊祜様、今度は襄陽の満寵殿から早馬が。どうやら荊南を制した劉備軍が大軍で江陵の曹操軍を滅ぼそうと迫っているそうです」 王濬「今曹操軍が滅ぼされれば、名立たる魏将が劉備軍に渡り、我らにとって最大の脅威となりうるでしょうな…」 羊祜「うむ…この事態に我が軍はどう出るべきか…」 やはり曹操軍は劉備軍を防ぐ"蓋役"になってほしいところ。そうなると襄陽から救援に向かいたいが、今さら主力を襄陽に回すのも気が引ける。 曹操軍をあえて救援するか否か、迷うところだ。 第五章 羊祜軍、雌伏 江陵の曹操軍を救援するか否か…迷った結果、救援は諦め、劉備軍に滅ぼされた後に流れた人材確保を狙うことに。 とりあえず曹操軍が滅びるまでの間に、間道を通って永安に攻めよせてきた司馬懿軍を迎撃しておく。 260年5月、劉備軍の猛攻により、曹操軍は江陵の地に滅んだ。さっそく羊祜領に流れ着いていた旧曹操軍の人材を登用してゆく。 羊祜「おお、あの精鋭、虎豹騎隊を率いるあなたが来て下さるとは。どうか周旨を支えてやってくれ」 曹純「はは、我らこれより羊祜様に忠誠を誓いまする」 曹仁「…しかし…案の定孟徳殿はいないようだな。逃げ延びる際、我らには羊祜様を頼れと伝えておきながら…」 曹昂「父上なりに気を使ったのでしょう。羊祜軍傘下に入らば、皆同じ身分になりますから」 曹洪「どうせ命あるだけで有難い身。敵に回った孟徳殿と渡り合ってみるのも、武将としては悪くないか」 こうして曹髦も含む曹一族の5人と鮑信を登用。特に現状唯一の騎馬適性Sである曹純が心強い。特技を『明鏡』にして、周旨の副将に用いよう。 さらに… 陸抗「永安の兵糧がやや心許ないですな…買うにしてもあいにく相場が悪い」 曹髦「長期的な兵糧の工面をお望みなら、私がある在野の士と話を付けてきましょう」 実は曹操軍が滅んで2ヶ月後に成都の張魯軍も曹丕軍により滅亡。そして『米道』持ちの閻圃が江州に流れてきていた。 曹髦の高い魅力を活かしてこれを登用。これで兵糧の問題は大きく改善されるだろう。 ついでに旧張魯軍からは楊懐も加入。楊懐・高沛コンビはなんとなく好きだ。ギリギリ忠誠の自然低下もしないのが嬉しい。 その後は、永安と襄陽北に攻めよせてくる司馬懿軍、江州に攻めよせてくる曹丕軍の相手をしながら、国力を蓄える。 溜まった技巧ポイントは「精鋭弩兵」に費やし、能力研究は『明鏡』まで達した。人材面では、滅んだ劉琮軍から王威・劉劭を登用。 261年9月。ついに劉備軍が江陵に45000の兵を結集し、25000の4部隊で襄陽に攻め上がってきた。 襄陽を守るは曹仁・満寵・楽進・牛金・鮑信ら。 曹仁「巴蜀からの援軍が到着するまで1ヶ月…現在中廬港付近に司馬懿軍も上陸している。状況はやや厳しいか」 満寵「曹仁殿、幸い兵と兵装は十分あります。ここは長坂付近まで打って出ましょう」 鮑信「部隊は軽装の弩部隊だけで十分。到着後は我らにお任せを」 まず満寵と鮑信の補佐コンビを長坂まで急行させる。それ以外の将も皆弩兵を率いて追従させ、とにかく陣越しに火矢を射ちまくる。 劉備軍の部隊は相変わらずの強力な面々。張遼・孫尚香らに加え、于禁・許褚など旧曹操軍のメンバーの姿も見える。 だが、陣のZOCで手間取っているところに、火矢+補佐援護の嵐で1部隊ずつ迎撃してゆく。牛金の連戦も役立つ。 途中、『弓将』孫尚香の乱射に複数部隊が巻き込まれる被害が出たが、反撃はその一手に抑え、結局落石を用いるまでもなく撃破できた。 杜預「援軍で参ったが、我らの仕事は北の司馬懿軍を追い出すだけで済んだようだな」 陸抗「しかしこれからも劉備軍は定期的に攻めてくるでしょう。曹仁殿、油断なさらぬよう頼みます」 曹仁「はっ。我らが火矢戦術で粘っているうちに、巴蜀の平定にお向かい下され」 どうやら襄陽は今のメンツでも十分防衛できそうなので、その他の主力メンバーで成都の攻略を再開する。 ここは曹丕軍勢力下にあったが、城兵が2000以下のまま停滞していたので、262年7月に楽々占拠。 その後南中から絶え間なく攻めてくる曹丕軍を乱麻しながら、内政に励む。 成都は兵糧の基礎収入が多いので、農場を多めに建てて閻圃を呼び寄せ、穀倉都市として活用する。 年月を重ね、時は264年4月。永安や成都の防衛戦は安定した戦いで勝利を重ね、次なる目標に向かう準備は整った。 羊祜「次なる目標は、やはり南中の曹丕軍だろう。後顧の憂いを除けば、一挙に展望が拓けてくる」 杜預「ハ。ですが、まずはその足掛かりとして司馬懿軍の梓潼を落としましょう」 陸抗「かの地は小都市なれど、益州支配の要所。防衛も容易ですし、間道を用いた永安への来襲も封じることができます」 胡奮「まずは『後顧の憂いの後顧の憂い』を潰すってことですな」 司馬孚「成都南の守りはお任せを。新たに導入した石壁と砦で侵攻を防いでみせまする」 梓潼攻略隊の内訳は以下の通り。 羊祜&牛金の槍兵S隊11000 陸抗&曹髦の戟兵A隊8000 杜預&張華&唐彬の弩兵S隊8000 王濬の戟兵A隊8000 王渾の槍兵A隊8000 胡奮&胡烈の井蘭S隊7000 周旨&曹純&張球の騎兵S隊7000 曹洪&曹昂の槍兵S隊6000 あらかじめ攻略しておいた2つの関を抜け、梓潼領へと侵入する。迎撃に出てきたのは司馬懿本隊12000を含む4部隊。 しかしどうやら梓潼には兵装の供給が間に合っていないらしく、実質的な敵は司馬懿と司馬師の20000だ。 敵部隊は一列になって出てきたので、火球を駆使して被害を抑えながら戦ってゆく。 一方、司馬懿軍も負けじと森林付近に固まる羊祜軍に火球を何度も打ちこんできた。兵装が無くとも金は有り余っているらしい。 このゲームのAIはバカだとよく言われるが、火球の使い方に関してはやけに嫌なところを衝いてくる。密集しているところを狙われ、被害が拡大してゆく。 この乱戦の中で活躍したのは杜預率いる精鋭弩兵隊。弓櫓付近に密集した敵を弓櫓ごと乱射しまくり、火と防衛施設のZOCに苦しむ羊祜軍の中で大きな成果を挙げてくれた。 半年に渡る激戦を重ね、最後に残った司馬懿本隊を撃破するころには、総兵数は出陣時の約半分まで減っていた。264年9月、陸抗の攻撃で梓潼を制圧。 羊祜「被害は大きかったが、得たものも大きい。皆、よくやってくれた」 周旨「体勢を立て直したら次は南中遠征だ。まだ気は抜けられないですぜ」 張華「まずは早急な復興が先でしょう。北の開発地は山岳越しに攻撃されるので、闇市場を拓くのがよいかと」 この戦いのさなか、唐彬の弩兵適性がSにアップ。 司馬懿軍の捕虜からは、楊懐の相棒高沛と、漢寧の勇将楊任を登用。この3人には梓潼の防衛に回ってもらう。 梓潼陥落後に陰平伝いに攻めてくるようになった司馬懿軍を逐次撃退しているうちに年月は進み、いつの間にか267年になってしまった。 しかしこの間に、能力研究は各方面がほぼ研究済みとなり、新たな隠し特技として『鬼謀』『神将』『闘神』が出現した。 先に出現済みの『踏破』『指導』と合わせ、今回の隠し特技はなかなか当たりだったようだ。 ただ、『神将』と『闘神』は正直イメージに合った武将がいないので、今のところ持て余している。 王濬・王渾・周旨らが候補だが、強くなりすぎても彼らのイメージにそぐわない…とも思う。付けるにしてもせめて五虎将軍となった時に付けてあげたい。 また、それ以外にも王濬と満寵の弩兵適性がSとなり、技巧では「○○鍛錬」全て、「軍制改革」「投石開発」を得た。 杜預「軍制改革の効果があれば、建寧攻めの長い行軍にも堪えられるでしょう」 羊祜「うむ。梓潼の防衛も容易になるしな」 王渾「では、いよいよ南中遠征ですか。さっそく諸将に招集をかけましょう」 ここまでにおいて、関平軍・孫権軍が滅び、中華には5~6都市所有の国々が拮抗して存在する情勢となってきた。 早めに南中を制圧して、頭一つ抜けたいところだ。 第六章 無念の撤退 267年2月、成都から建寧攻略隊を進発させる。内訳は以下の通り。 陸抗の弩兵S隊11000 杜預&牛金の弩兵S隊11000 王濬の戟兵A隊11000 王渾&曹洪&張華の槍兵S隊11000 胡奮&胡烈の井蘭S隊10000 周旨&曹純&張球の騎兵S隊10000 兵糧は各部隊最低でも300日分、たっぷり持たせる。 まずは成都のすぐ南の渡に攻め寄せている曹丕軍の龐徳隊と董荼那隊を処理する。 主力部隊は気力をできる限り温存したいので、司馬孚・唐彬・鮑信の3名に潰れ役を任せて撃退してもらう。 進路を塞ぐこの2部隊を撃破した後は、一気に南下。本道上には曹丕軍がコツコツ建設した防衛施設が10個以上置かれていたが、胡奮の投石で全て破壊してゆく。 行軍開始から4ヶ月。攻略隊は建寧のすぐ北の渡まで到達し、そこで曹丕本隊を含む27000の曹丕軍と決戦となった。 まずはここまで気力を温存していた杜預隊と陸抗隊で、渡の向こう側に布陣する敵部隊に乱射しまくる。 たまらず渡を渡って直接攻撃を仕掛けてきたところに火球をぶつけ、炎上する敵部隊に周旨隊で突撃をかける。兵数の多い曹丕本隊に手こずったものの、これを全て撃破。 渡を突破した後は、王濬&王渾のコンビを先鋒にして進む。執拗に抵抗する龐徳を王渾の螺旋突で混乱させ、王濬の熊手で刈り取る。 龐徳撃破後は本道脇の開発地を破壊し、そのままの勢いで攻城にかかる。267年9月、周旨が止めを刺し、建寧を制圧した。 胡奮「ようやく辿り着きましたが、全くこの地は遠いは暑いわ険しいわで一苦労ですなあ」 杜預「気を抜くのはまだ早い。兵達に休息を取らせた後、速やかに南下を再開するぞ」 268年1月、兵の気力を回復させ、建寧の内政もそこそこに雲南に向かう。メンバーは前と同じだ。 対する曹丕軍は迎撃隊を本道側と盤蛇谷側に半々に展開してきた。普通に本道を進むと挟み撃ちに遭うので、本道沿いの遺跡・廟候補地付近に砦を建てて待ち構える。 敵は6部隊、総勢40000以上の大軍だ。ただ、龐徳や曹休といった厄介な武将は建寧に捕囚してあるため、武将の質は高くない。落ち着いて対応してゆく。 半数の敵部隊を撃破したころ、南蛮の重鎮兀突骨が立ちはだかった。ご丁寧に副将には『火神』を付加された孫綝が就いている。 仕様上、『火神』持ちが副将にいても『藤甲』には火のダメージが2倍で通るので、弩兵隊の杜預・陸抗で火矢中心に集中攻撃する。 敵迎撃部隊の第一陣を全滅させた後も、曹丕軍は徴兵を繰り返して、結局は総計10部隊、60000近い大軍と戦う羽目になった。 前述のように将の質はそれほど高くないのだが、連戦になるとさすがにキツい。気付くとほとんどの味方部隊の気力が尽きかけている。 とくに火矢を連発した杜預・陸抗隊と、毒泉を突っ切ってくる敵の騎兵部隊に突撃を何回も受けた胡奮隊の消耗が激しい。 さらに厄介なことに、建寧から逃げ出した曹休や、堅い兀突骨が再出撃してきた。 王濬「兵達の気力が尽きかけておりまする。ここは一旦建寧へ退いて体勢を立て直すべきでは?」 陸抗「本来ならそうするのですが…このまま押し切りましょう。急がなければならない理由があるのです」 杜預「襄陽が陥落の危機にあるのだ。南は劉備軍、北は司馬懿軍、合わせて10万の猛攻を受けている」 王渾「なんと…!いやしかし、守将は曹仁殿で地の利もある、現に今まで幾度も彼奴等を撃退しているではありませんか」 陸抗「あの軍勢を阻むことは不可能です。将の質なら十分ですが…数が違い過ぎる。すでに曹仁殿には全軍での撤退を伝達しています」 杜預「無念だが、襄陽は捨てる他ない。しかしそれ以上はやれん。南中を一刻も早く制圧し、北の国境を抑えるのだ」 この時、襄陽は今までにない苛烈な攻撃を受けており、守るのは不可能に近かった。 北の司馬懿軍は「軍制改革」の効果により、複数の10000越え攻城兵器を繰り出しており、南の劉備軍は張遼・黄忠・趙雲・陳武・法正・孫尚香らが大挙して押し寄せていた。 片方だけならともかく、南北から攻められて、しかも名将レベルが曹仁・楽進・満寵しかいない襄陽の状態では抗いようが無い。 やむなく物資を持って西の山岳から脱出を試みる。南中制圧がもっとスムーズに行っていたら北の守りに主力部隊を回せたのだが… ちなみにこの間君主である羊祜は梓潼の守りに就いており、手が離せない状態だ。こちらも司馬懿本隊15000や曹操隊13000など強敵が攻めてきているからだ。 とりあえず、主力部隊は南中制圧を急ぐ。兀突骨には王渾&曹洪コンビで一騎討ちを仕掛ける。曹洪で気力を稼ぎ、この時点で武力89に達していた王渾で兀突骨を討ち取った。 曹丕軍はなおもしぶとく抵抗を続けたが、最後は兵力にモノを言わせたごり押しで突破し、268年8月、杜預の一斉攻撃で雲南を制圧!曹丕軍は滅亡した。 曹丕「フン、この暑苦しい蛮地を離れることができるなら、羊祜の下に付くのも悪くない。………まぁ、幾ばくか名残惜しさもあるがな」 夏侯尚「子桓様…」 陸抗「南蛮にこれだけの勢力を築いたあなたの器量、必ずや我らに必要となるでしょう。歓迎致します」 衛瓘「こういった形でおぬしと再会するとはな。私が憎いだろう、殺すがいい」 杜預「我が軍は私怨で人を斬らぬ。だが、我が軍にあなたの居場所は無い。どこへでも行くがいい」 衛瓘「…この私を斬らぬのか…おぬし、意外と甘いのだな。…恩に切る。さらばだ」 丘建「胡奮殿、それがしは兵器部隊の担当となった丘建と申します。胡烈殿は、お久しぶりですな」 胡烈「おお丘建。兄上、彼は良く気がつく男です。我ら兵器隊の参謀として防計をこなしてもらいましょう」 胡奮「それは心強い。これで敵中で混乱して杜預殿にどやされることもなくなるぞ」 こうして曹丕軍からは曹丕・曹休・夏侯尚・霍峻・張衛・丘建らを登用。陳羣、董允、龐徳は縛りの関係上解放し、衛瓘も史実の相性上解放した。 内政は文官に任せ、さっそく主力部隊を北の前線に移動させる。このころには襄陽は陥落し、奪いに来ていた司馬懿軍と劉備軍が激突していた。 曹仁「荊州の一大拠点を任されながら、わしの力不足のためにこの体たらく…どんな処罰でも受けまする」 満寵「羊祜様、曹仁殿は最後まで戦い抜こうとしました。罰するなら曹仁殿を制したそれがしも共に」 羊祜「2人とも気にすることは無い。武人としては悔しかったろうが、よく命令通り撤退してくれた。物資と予備兵も全て守り通してくれたそうだな。感謝するぞ」 曹仁「もったいなきお言葉…この雪辱、必ず晴らして見せまする」 羊祜「うむ、そなたらがいれば、再び峴山を仰ぐ日もそう遠くないだろう」 李通「それがし、梓潼にて羊祜様にお誘いいただいた李文達と申す。王渾殿、共に槍を極めましょう」 王渾「槍の名手として名高い李通殿ですな。あなたがいれば我が軍の槍兵隊はより精強になるでしょう」 襄陽は陥落してしまったが、貯まっていたたっぷりの物資と兵士は全て輸送することに成功した。途中劉備軍の騎兵に追いかけられてヒヤヒヤものだったが…。 また、いつの間にか『槍将』李通が梓潼に流れ着いていたのでこれを登用。どういった経緯で在野にいたのかは分からないが、この特技は非常に頼もしい。 ここまでの度重なる防衛戦と南中攻略戦で貯まった大量の技巧ポイントで、「港関拡張」「城壁強化」「神火計」を研究。 さらに左慈イベントの効果もあって、王濬の戟兵適性がS、周旨と張球の騎兵適性がS、費耀と張華と閻柔の弩兵適性がSとなった。 曹髦と司馬孚に廟・遺跡探索も行わせて、廟で周旨の特技を『疾走』に、遺跡で陸抗の戟兵適性をSにした。 …ただ、周旨は槍兵適性も育てるつもりだったので、特技は『猛者』にするべきだったかなあと少しだけ後悔。まあ『疾走』の方が字面はかっこいいのでいいか。 その後はごたごたしていた国内の整理を行い、270年になってようやく南中の復興や物資の輸送、各都市の人員配置などが完了した。 陸抗「これでとりあえず蜀の地に確固たる地盤を築くことができました。次なる目標はやはり…」 羊祜「益州の玄関口、漢中か」 杜預「ハ。相手は中華屈指の動員兵数と技巧を誇る司馬懿軍。並大抵の軍勢では切り崩せますまい」 羊祜「うむ。次なる戦、これまで以上に万全の準備をして臨むこととしよう」 <270年1月現在の勢力図> (官位順) 司馬懿軍(大将軍) 軍師:郭嘉 主武将:顔良、呂玲綺、張任、馬岱「霹靂」「雲梯」「精鋭弩兵」「精鋭槍兵」と技巧が鬼。しかし劉備軍の台頭で、一時期の勢いは削がれている。 諸葛誕軍(五官中郎将) 軍師:龐統 主武将:鄧艾、鄧忠、夏侯惇、文聘、田豊袁紹軍を滅ぼし河北を統一。諸葛亮軍の衰退に合わせ南進も開始。 諸葛亮軍(五官中郎将) 軍師:賈詡 主武将:馬超、徐晃、韓遂、夏侯淵 一時は司馬懿軍と中原を二分するも、技巧選択の差のためにずるずると衰退。 劉備軍(五官中郎将) 軍師:法正 主武将:趙雲、黄忠、甘寧、許褚孫権軍を滅ぼし旧孫権軍の臣をバリバリ吸収。劉禅軍との同盟を結び、狙いを司馬懿軍と羊祜軍に絞る。兵器関係の技巧が無いのが安心。 羊祜軍(羽林中郎将) 軍師:陸抗 主武将:王濬、周旨、曹仁、曹洪縁の地である襄陽を失うも、益州に地盤を得る。北は司馬懿軍、東は劉備軍の猛攻にさらされ、絶賛防衛中。 孫堅軍(州刺史) 軍師:陸遜 主武将:賀斉、李儒、諸葛恪、張済海路にこだわるために伸びず。建業は劉禅軍と奪い合いしている。 劉禅軍(州刺史) 軍師:張紘 主武将:典韋、華雄、郝昭、李恢、孫礼父上の軍と同盟を結び、しぶとく生き残る。孫堅軍と水上・陸上で抗争を続ける。 孫策軍(州刺史) 軍師:周瑜 主武将:周泰、蒋欽、呂範、魏延、徐盛司馬懿軍と安定を奪い合うも、安定せず。地力はあるため、司馬懿軍相手でも滅亡の気配は無い。 <羊祜軍の成長> 技巧研究:「○兵鍛錬」「精鋭弩兵」「軍制改革」「投石開発」「城壁強化」の研究が完了 能力研究:『捕縛』以外の全てが完了。判明した隠し特技は『指導』『踏破』『鬼謀』『神将』『闘神』。 <羊祜軍の武将の成長> 主力武将の成長。赤字で書かれている数字はデフォルト値からの増加分または変更点 主力武将 統率 武力 知力 政治 魅力 槍 戟 弩 騎 兵 水 備考 羊祜(精妙) 91(1) 73(9) 85(1) 89(2) 95(6) S A S A A A 適性はどうせ封禅で全てSになるだろう。武力がもう少し欲しい 陸抗(精妙) 92(1) 77(14) 95(8) 87(2) 93(6) A S S C S S 単独でも出せる戦力。戟兵適性Sが欲しい 杜預(昂揚) 92(7) 54(24) 91(6) 87(7) 87(6) A B S C S S やはり武力はネック。特技も変えたい 王濬(金剛) 89(8) 89(16) 78(1) 77(6) 75 A S S C S S 非常に使いやすい将に育った 王渾(水将) 83(7) 91(15) 73(1) 85(11) 69 A B A B A S 未だ陸上兵科適性Sが無い 胡奮(攻城) 83(12) 88(12) 60(10) 53(1) 55 C B A A S B 安定して成長。兵器隊は統率武力がメキメキ育つ 周旨(疾走) 88(23) 95(10) 56(15) 50(21) 63(20) B C C S S A 戦闘のプロ。大エース その他の武将の成長 唐彬:特技をなし→築城に。また、弩兵適性がSに。羊祜軍遊撃部隊筆頭 閻柔:特技を親烏→築城に。また、弩兵適性がSに。防衛戦の際の縁の下の力持ち 張華:特技をなし→指導に。また、弩兵適性がSに 楊済&楊肇&王戎:特技をなし→運搬に 胡烈:特技をなし→射程に。また、兵器適性がSに 曹仁:特技を鉄壁→金剛に。防衛戦のエース。あまり登場しないが功績は甚大 楊懐&高沛&楊任:特技をなし→掃討に。お気に入りの弩兵遊撃部隊 満寵:弩兵適性がSに。曹仁とともに防衛戦で活躍 曹昂:特技を血路→射程に。周旨や楽進が兵器隊を率いる際に副将として用いる予定 鮑信:弩兵適性がSに。羊祜軍遊撃部隊第二席 費耀:特技をなし→築城に。弩兵適性がSに。羊祜軍遊撃部隊第三席 夏侯尚:特技をなし→補佐に。地味に使いやすい 丘建:特技をなし→明鏡に。胡奮兄弟の副将で用いる予定 司馬孚&劉巴:特技をなし→能吏に <羊祜軍の武将ベスト5> 順位 統率 武力 知力 政治 魅力 1位 陸抗、杜預(92) 周旨(95) 陸抗(95) 羊祜(89) 羊祜(95) 2位 羊祜(91) 王渾(91) 杜預(91) 張華(88) 陸抗(8793) 3位 曹仁(90) 楽進(90) 羊祜(85) 陸抗、杜預、曹丕(87) 杜預、司馬孚(87) 4位 王濬(89) 王濬、曹仁(89) 満寵、閻圃、曹丕(84) 王渾、満寵(85) 曹丕(83) 5位 周旨(88) 胡奮(88) 鮑信、司馬孚(82) 田疇(84) 満寵、曹髦(81) <羊祜軍が登用可能な武将の最大能力値> 統率 武力 知力 政治 魅力 91 94 94 88 94 曹丕軍を倒したことでかなり武将が充実。とくに『射手』2人の加入が嬉しい。 超級は本当に時間がかかります。10年以内クリアとか今の自分には絶対無理だろうなあ。 その8へ続く
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曹仁に救出されたエピソードが残る魏の猪武者。 戦闘力はそれなりだが、とにかく連戦が便利。 当の曹仁とは相性がいいので、有力な副将候補になる。 -- (名無しさん) 2010-05-25 02 55 31 晩年には馬岱を打ち破っているのだが没年が史実より早いような… -- (名無しさん) 2010-06-05 14 32 05 統率は準一級クラスというところで、決して低くはないのだが連戦でボコるには少々心許ない。 人材に余裕があるならより統率の高い武将のお供にするのがベターだろう。 -- (名無しさん) 2010-09-17 15 57 45 名前のおかげで知名度が案外高い。使い道としては、満寵の副将がベスト。 -- (名無しさん) 2011-02-22 21 24 01 張遼と組むのもいいだろう。張遼は戟Sで統率も高く威風持ちなので相手の気力を連戦でボロボロにできる。 -- (名無しさん) 2011-04-26 17 19 30 司馬懿の公孫淵討伐に参加したはずじゃ? -- (名無しさん) 2012-04-30 11 09 36 連戦のお陰で今までのシリーズよりも一気に市民権を得た。 -- (名無しさん) 2013-03-22 01 24 10 ゲームでは自然死なので採用されてないようだが、「馬の後を継ぐのは牛」として司馬氏に警戒され暗殺されたという胡散臭い異説がある。 -- (名無しさん) 2014-08-14 00 37 52 顔グラが「ファイト~!一発!」って叫んでます そこらへんの脳筋野郎とはひと味違う -- (名無しさん) 2016-04-01 00 56 11 満寵の副将がベストというのは、補佐の支援攻撃で連戦が発動するということだろうか? 経験がないのだけど、どこかに書いてあったですか? -- (名無しさん) 2016-04-02 19 54 31 支援攻撃には連戦は発生しない。「満寵の副将がベスト」というのは、察するに ①弩兵と連戦は相性が良い(敵が弩兵・かつ応射を研究していない限り、近接兵科と違って反撃を受けないため) ②満寵の兵科は基本的に支援を活かせる弩兵である。 ③満寵の低い武力を補ってくれるという意味でも相性が良い。 といった点だと思われる。 牛金だって武力79しかないので、義兄弟にしない限りそこまで火力はあがらないし、そもそも満寵弩適正Aどまりから適正補正要員もいた方がいいしと、正直ベストかと言われると微妙だと思うが。 -- (名無しさん) 2016-04-03 01 35 33 回答ありがとうございます。弩兵は火矢のコストが少ないので通常攻撃はあまり使わないものですから。騎兵で連戦のほうが使いやすいと思います。 -- (名無しさん) 2016-04-03 05 18 11 呂布相手に、連戦発動すると、こっちの被害が酷すぎ〜w -- (名無しさん) 2016-05-30 12 06 21 処断するとき「この身が朽ちようと魂は消えねえ」と言ってるんだが、これ牛金固有のセリフとは違うの? -- (名無しさん) 2017-09-23 15 18 09 単体で格上に連戦を仕掛けると悲惨なことになりやすいので注意。 -- (名無しさん) 2017-10-01 18 28 12
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すごいよね、この人。 「愛」というステータスがあるなら100だね。 -- (名無しさん) 2010-02-04 22 51 31 我らが曹操の正室殿。 楽奏の効果で、旦那の虚実をフル回転させてやろう。 荀攸殿には、他の計略担当部隊を任せるもよし。 勿論スリーマンセルで無限計略を行うのもいいだろう。 -- (名無しさん) 2010-05-22 23 38 13 S1、S2の董卓で曹操を登用したい場合、 普通に登用しようとすると嫌悪関係のせいで登用出来ないが、 先に彼女を登用すると婚姻関係が優先されて登用出来るようになる。 このページとは関係ないが、呂布で関張を登用したい場合も 先に劉備を登用すれば嫌悪関係を無視して登用出来るようになる。 -- (名無しさん) 2010-10-25 19 31 49 曹操との親愛関係がないのは曹操が生きてて彼と結婚してないシナリオが存在しないから? それはともかく特技の楽奏は計略隊の副将に向いてる。 魏には曹操に限らず知謀の士が多いので彼らのサポートに回ってあげよう。 -- (名無しさん) 2011-05-20 19 39 35 親愛関係なしなのは単なる手抜きかな? 素人考えでも曹植は親愛にするだろうに… -- (名無しさん) 2011-06-03 19 30 11 この人の愛はアガペーだから、特別扱いする相手はいないっていうKOEIさんの粋な演出なんだよ、きっと 知力ブーストにはやや心もとないが、とりあえず参軍させればどの部隊でも役に立ってくれる 内政要員としても水準以上 -- (名無しさん) 2011-06-03 19 47 25 短命な人が多い女性武将の中では一番長生き。 (いにしえ武将を入れると一番長生きなのは秦良玉だが) -- (名無しさん) 2011-06-03 20 58 01 ↑辛憲英が79歳まで生きるみたいから一番では無いな。 -- (名無しさん) 2013-03-31 19 41 09 この人を曹操と組ませると、百出持ちの荀攸を曹操と別部隊に出来なくもない。 -- (名無しさん) 2013-03-31 20 30 43 曹操死んで曹丕が後継いだから捕らえて符節台のところで降らせようしたけど忠誠100から全く減らない(忠誠255のうちの100) 同じく義理が高い(最高)で相性も変わらない夏侯惇でさえバシバシ減ってるのに・・・ 何か補正でもついてるのだろうか -- (名無しさん) 2013-11-17 02 51 36 我らが曹操の正室殿 この人は正室ではなくて側室、ちなみに正室は丁夫人だぞ。 -- (名無しさん) 2013-11-17 10 06 15 ↑曹操が丁夫人と別れた後は卞氏が正室になってる。 -- (名無しさん) 2013-11-17 15 53 51 楽奏は計略のコストダウンではなく気力回復なので、曹彰・楽進等の特技隊に配属するのもベネ こいつらは脳筋なので、計略隊だと空気になりがちな知力政治がいい感じにサポートしてくれる -- (名無しさん) 2015-04-06 22 11 06 曹操に尽くすキティちゃん -- (名無しさん) 2016-11-27 19 23 06 ↑どのへんがキティなのか解説求む。 曹操に尽くしてるのはわかるんだが。旦那の子だからって自分と血繋がってない子を育てるの、すげえと思う -- (名無しさん) 2016-11-27 19 36 13 いいね -- (名無しさん) 2021-09-25 19 52 17
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このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 程昱(テイイク) 程銀(テイギン) 丁奉(テイホウ) 典韋(テンイ) 田疇(デンチュウ) 田豊(デンホウ/デンポウ) 田予/田豫(デンヨ) 程昱 (テイイク) [部分編集] (141~220)曹操の参謀。字は仲徳(チュウトク)。身の丈八尺三寸、立派な髭を蓄えた風貌。剛毅な性格で、裏切った陳宮の策により本拠地・兗州の大部分が曹操に背いた大ピンチの際にも動揺を抑えて持ちこたえるなど、曹操の窮地を度々救った。 兵糧に困った際に人肉を混ぜ、故に出世できなかったといういささか眉唾な説も史書には引用されている。 尚、前線で指揮を執ることもあったためか送られている官位は武官位ばっかりである。追贈されたのも車騎将軍。 ちなみにこの人も「キャーイクサーン」の対象者。 三國志IX 統率 70 武力 55 知力 92 政治 76 三國志11 統率 70 武力 49 知力 90 政治 79 魅力 58 掎角/槍兵A,兵器A 上へ 程銀 (テイギン) [部分編集] (?~?)史実では涼州に基盤を持っていた軍閥の一つ。馬超・韓遂らとは同盟関係にあり、ともに曹操と戦った。善戦したが敗れて漢中の張魯の許に亡命、のちに曹操に降伏した。 演義では韓遂配下「手下八部」(吉川三国志では馬超配下「旗本八旗」)の一人として長安を攻略した。渭水で曹操と相まみえ敵陣に夜襲をかけたが、曹操軍の伏兵をくらった上に落とし穴にはまり、戦死した。 三國志IX 統率 73 武力 71 知力 49 政治 36 三國志11 統率 69 武力 73 知力 40 政治 36 魅力 50 騎兵A 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +八坂神奈子軍 キャラブレイク注意 第25騎でうp主から銀様と呼ばれる。 それに対し視聴者も「程銀燈www」とコメント(「ローゼンメイデン」のキャラクター「水銀燈」に対するファンからの愛称が「銀様」であることにかけた洒落)。 その後第28騎で一騎打ちを挑まれた際、けだるさと高慢さ、色香を兼ね備えた口調(裏声)で登場した。 「乳酸菌摂ってるぅ?」 上へ 丁奉 (テイホウ) [部分編集] (?~271)三国後期の呉の名将。字は承淵(ショウエン)。3代皇帝孫休の時代に専横を極めた孫綝の処断に加わり、大将軍に任じられた。演義では赤壁の戦いに従軍し、周瑜の指示で孔明暗殺を謀ったり、張遼を射殺したりと活躍。 ヒゲの顔グラでスターリン似とも評され、スターリンっぽいキャラ付けをされることもしばしば。 「書記長」「閣下」などスターリン系以外のあだ名としては「T奉」「T砲」など。 三國志IX 統率 80 武力 83 知力 75 政治 40 三國志11 統率 81 武力 80 知力 71 政治 55 魅力 56 急襲/槍兵S,戟兵A,騎兵A,水軍S 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。大将軍。 劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入、大将軍。第8話で登場、9話で紹介あり。 在野から見出され、厳輿との一騎打ちを経て劉禅軍に加入した。文武にすぐれた人材のため、知力に劣る黄皓の憂鬱のタネになったが、丁奉は軍師の柄でないと身を引く大器。しかし鷹揚が過ぎて食中毒になったりタダ働きさせられたりと、紙芝居ではお笑いを担当している。 軟国志 【三国志ⅨPK】 +キャラブレイクなし? スターリン風グラ。他人を呼ぶ時は「同志」、何かといえば「粛清」と口にするなどまんまスターリン扱いである。 おかげで、視聴者どころかうp主からも「閣下」と呼ばれている。 一方で北郷軍最強の水軍指揮官として活躍し、またその心には熱い物が燃え滾っているので動画内での人気は高い。 上へ 典韋 (テンイ) [部分編集] (?~197)曹操の護衛を務めた勇士。その怪力と様々な武器を扱う器用さから、悪来(殷末の英雄)の再来と呼ばれた。 張繍の叛乱の際に戦死。演義では仁王立ちのまま果て、曹操は典韋の死を息子の死以上に嘆いたという。 三國志IX 統率 68 武力 93 知力 31 政治 29 三國志11 統率 56 武力 95 知力 35 政治 29 魅力 58 護衛/戟兵A 関連タグ: 【典韋】 君主は陶濬 【三國志Ⅸ】 +陶濬軍(プレイヤー勢力)初期武将。 陶濬軍(プレイヤー勢力)初期武将。 ストーリー中では同じく古参の秋穣子とコンビを組んでいる。 上へ 田疇 (デンチュウ) [部分編集] (169~214)字は子泰(シタイ)。田斉の末裔とされる。劉虞に仕えるが、公孫瓚に主君は殺されてしまう。主君を哭礼で弔ったため公孫瓚に殺されそうになるが、毅然とした態度で反論、一族郎党を連れて徐無山へ隠居した。 後に曹操の烏丸討伐に協力し、才を惜しんだ曹操が彼の旧友・夏侯惇を派遣して説得を試みたが、劉虞への忠誠を貫き、固辞した。 三國志IX 統率 68 武力 66 知力 74 政治 78 三國志11 統率 66 武力 66 知力 72 政治 76 魅力 74 風水 皇族劉虞氏 (うp主、代表作:登用プレイ、特攻三国志、皇族劉虞の軌跡) +うp主 三国志Ⅸプレイ動画うp主の一人で田疇(Ⅸ)を顔グラとして使用しており、プレイ動画内でも自重しない働きを見せる。 田疇=うp主で主人公の一人でもある。 公孫恭プレイを筆頭にドMなプレイ動画を上げた事から一部からアルティメットMと呼ばれることもある。 登用プレイ、黒土下座、兵1特攻など数々の技術と奇策を持って戦い、大言壮語すれども偽り無しと恐れられる。本人曰く攻撃(特に水上戦)が苦手らしい。 黒さが目立つ、冷徹な奇策家。 そして遂に「皇族劉虞の軌跡」において独立、劉虞と戦略的互恵関係を結ぶ。 Fairy Rhyme【三国志Ⅸ】 +司馬懿軍→諏訪子軍 この動画の田疇は奇策に定評のある人…というより、そのまんま↑である。 天公将軍張角の挑戦 +劉虞軍→張角軍 初期からいたが、活躍したのは「博望防衛戦」 8万の裁軍ガチメンバーに対し、こちらは3万。誰もが諦める中、彼は冷静だった。 そう、彼は知っていたのだ、「少数の兵力で最終的に得をする方法」を。 正に↑ 上へ 田豊 (デンホウ/デンポウ) [部分編集] (?~200)袁紹の参謀。字は元皓(ゲンコウ)。剛直な性格の知将であり、多くの献策を行って袁紹の河北平定に貢献した。対曹操戦では沮授とともに持久戦略を主張するが退けられ、袁紹に疎まれ投獄される。田豊の危惧通り官渡で敗れた袁紹は、田豊が自分を笑いものにしていると疑い(逢紀の讒言によるとも)処刑してしまった。 演義では官渡の敗戦を聴くや自分の運命を悟り自害している。通称では「トヨタ」などと呼ばれる。 三國志IX 統率 58 武力 39 知力 95 政治 90 三國志11 統率 72 武力 29 知力 93 政治 87 魅力 64 槍兵A 炎帝蝗君伝 【三國志Ⅸ】 +公孫瓚軍(プレイヤー勢力)二代目軍師。 公孫瓚軍(プレイヤー勢力)二代目軍師。拘束期間が長かった所為で自縛に目覚めた。 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 +袁紹軍参謀、後に……。稀に若干のキャラブレイクあり 史実通り剛直な性格の参謀で、馬超軍の策謀を看破するが、袁紹に疎まれて遂に幽閉されてしまう。 その後自分が事実上匿っていたナッシュ・シエラに助けられて出奔。後に裴元紹の志に打たれて同志となった。 袁紹を裏切ったと言う罪悪感に未だに苛まれている。 上へ 田予/田豫 (デンヨ) [部分編集] (?~?)字は国譲(コクジョウ)。幽州漁陽郡の人で、劉備の挙兵の際に行動をともにする。母の看病を理由に劉備と別れ、公孫瓚のちに曹操に仕えた。すぐれた行政家でとくに異民族対策で功績があった上に武勇にも優れ、また人格も廉潔であったという大変な人物。 名前の表記は「三國志9」と「10」では豫、「11」では予。 三國志IX 統率 76 武力 71 知力 78 政治 74 三國志11 統率 80 武力 72 知力 80 政治 78 魅力 75 親烏/弩兵A,騎兵A,兵器A 性転換AnguRhapsody 【三國志11】 +イナゴ軍武将→一条軍武将。 イナゴ軍武将→一条軍武将。 美人に目がないナルシスト。一条萌え。その個性はシリアスそうな場面を吹き飛ばしてしまうほどだが、きっちりと軍略家としての力も発揮する。 炎帝蝗君伝 【三國志Ⅸ】 +公孫瓚軍(プレイヤー勢力)初期軍師。 公孫瓚軍(プレイヤー勢力)初期軍師。解説役を担当する。 正統派プレイ動画なのでキャラブレイクなんて有リマセンヨ? 天公将軍張角の挑戦 【三國志Ⅸ】 +... Vipperである。 それ以上でもそれ以下でもない。 上へ 名前 コメント
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シュクユウ 列伝 南蛮王・孟獲の妻。帯来洞主の姉。古代南方の火神・祝融の末裔。飛刀の名手。 【演義】 諸葛亮の南征で度々夫が捕らえられたため、業を煮やして出陣。蜀の張嶷と馬忠を一騎討ちで捕らえるが、魏延と趙雲に敗れ、逆に捕らえられる。夫と同様に諸葛亮に降伏しようとせず、この時は張嶷、馬忠との人質交換で孟獲のもとに返された。以後も夫と一緒に何度か捕らえられるが、なかなか屈服しない。しかし、孟獲が七度捕らえられ諸葛亮に心服すると、夫と共に降伏した。 【正史】 記述なし。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 74 85 29 24 74 286 159 188 順位 143 42 607 593 147 355 69 269 偏差値 57.5 62.1 35.4 35.3 57.7 49.8 60.4 53.5 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 A S C B C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 80 70 85 85 57 52 78 59 60 44 60 49 順位 39 92 18 41 116 247 87 159 116 242 96 208 偏差値 64.5 60.1 68.6 63.8 58.2 53.2 60.6 56.7 59.0 53.7 59.3 54.3 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 掃討 攻撃した部隊の気力減少(-5) マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 60 南中 能力 中華統一 重視 3/5 3/5 1/3 193 214 246(54歳) 自然死 猪突 剛胆猪突 蛮族 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 時節 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 祝融 親愛 孟獲 孟獲 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● 1 祝融 帯来洞主 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 雲南 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 雲南 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 2歳 未登場 雲南 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 8歳 未登場 雲南 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 15歳 未登場 雲南 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 19歳 未登場 雲南 - - - 0 孟獲 - S7 225年 7月 南蛮征伐 33歳 一般 雲南 孟獲 150 右将軍 20000 孟獲 - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 雲南 孟獲 150 長水校尉 2000 孟獲 - S9 198年 1月 呂布討伐戦 6歳 未登場 雲南 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 11歳 未登場 雲南 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 25歳 一般 雲南 孟獲 150 牙門将軍 8000 孟獲 - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 雲南 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 雲南 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 君主 雲南 祝融 - - 16000 孟獲 - 固有セリフ 一騎討ち「火神の末裔・祝融、見参! さぁ、早く【一人称】を熱くさせてちょうだい!」 「敵将、前へ出なさい! この祝融が存分にかわいがってあげるわ!」 「敵将、覚悟しな! 今日は燃え尽きるまで付き合ってもらうわよ!」 後継者になった時「後継者はこのあたしだ 軟弱な中原の男ども、覚悟しな! ぼやぼやしてると叩きつぶすよ!」 処断時「ちっ、しくじっちまったね」 火計成功時「火神の末裔にかかればざっとこんなもんよ!」 コメント 戦闘力は高いが知力が低いのが難点。南蛮ではそれを補うのも難しい。 戟適正は高いがそれ程堅くも無いので、適正を副将で補い弩や兵器隊にする方が良いだろう。 特技 掃討 はただの気休め。何故 火神 じゃないんだろう?火の神の末なのに……。 -- (名無しさん) 2010-02-11 18 22 22 特技は捕縛でもgoodだと思う。 演義で馬忠と張嶷を一騎打ちで捕まえてるし・・・ -- (名無しさん) 2010-08-01 20 58 46 火計成功時に専用セリフありますよ -- (名無しさん) 2010-11-16 23 18 09 特技を書き換えるなら戟将あたりが妥当か。 -- (名無しさん) 2011-03-23 21 09 54 その統率、蒋義渠を超え その武力、董襲に比肩し その知力、淳干瓊に比肩し その政治、董旻の倍 その魅力、朱儁を超える 槍を扱うこと、徐晃の如く 戟を奮うこと、呂布の如く 弩を射ること、劉禅の如く 馬を捌くこと、曹昂の如く 兵器操ること、邢道栄の如く 水を走ること、また劉禅の如く 敵の気力をガンガン減らす無敵の特技「掃討」 僅か3か月と10日で市場を建て、農場を開墾する腕前 孟獲以外は誰からも怖がれれることなき人柄 時節を好み、時に大喝し、時に逆上す 偉大なる南蛮王の恐妻、その名は祝融 -- (名無しさん) 2011-06-04 18 30 52 ↑長い! おまけにその言い方じゃ祝融が項羽みたいな中国史を代表する名将みたいじゃないかw 女性武将屈指の武闘派なのは認めるけど。 -- (名無しさん) 2011-06-04 19 26 38 火神付けてあげたくなるのは俺だけ? -- (名無しさん) 2011-07-18 14 14 40 美麗な顔グラと専用カットイン、台詞が用意されているが、いかんせん特技が振るわない 華ある女傑だが、ゲーム内では高めの戦闘力と適正で、地道に攻めることが要求される -- (名無しさん) 2011-07-30 15 17 04 火計成功で、「火神の末裔にかかればざっとこんなもんよ」と、言ってました -- (子龍) 2011-09-04 13 49 32 演義でしっかりとした活躍をしてるんだが 特技イマイチな上武力は女性キャラ中4位というのはちとかわいそう -- (名無しさん) 2012-03-02 00 11 06 ↑の長い方「火神の末裔」が抜けてますよ。 -- (李翼丘) 2012-03-13 16 31 10 旦那より武力低いんだな -- (名無しさん) 2013-07-26 17 27 42 演義で大活躍の南蛮の女傑!・・・の割りにステータスは控えめ。武官タイプの女性武将の中では呂玲綺・馬雲騄・孫尚香のトップ3に比べがっくりと性能が落ちる。 能力がイマイチなのも痛いが、加えて特技がないも同然な上、実用的な適正が戟Sぐらいしかないのでイマイチ使い勝手が悪い。乱戦もちの夫や戟将持ちの娘の方がはるかに実用性が高いのがなんとも・・・ S7劉禅のような大勢力で運用する場合、いっそのこと特技や適正のことは忘れて、副将頼みで兵器要員になってしまってもいいだろう。特技は射程などに書き換えても全く惜しくない。 -- (名無しさん) 2015-01-24 15 04 08 南蛮勢の知力不足は衆知の事実。 南蛮勢で始める場合、能力研究は知力から始める面々も多いことだろう。 知力低の二つ先にあるのが特技「掃討」。 元から掃討を所持している彼女に加え、上書きしてもまったく惜しくない親蛮持ちの弟、帯来。 それに三馬鹿あたりの特技なし武将二人を掃討にし、義兄弟にすれば南蛮掃討四重奏の完成だ。 1ターンで20~30ほどの気力を削れるので、南蛮勢が最も苦手とする計略を使用される回数も激減させることができるだろう。 孔明の「心を攻めるを上策とする」の台詞をそっくりそのまま返してやろう! -- (掃討向上委員会) 2016-06-22 14 41 36 やっぱ周瑜は水神で、火神は祝融でしょ -- (名無しさん) 2016-06-23 07 36 02 炎がらみの逸話があるわけじゃないし、末裔というだけなので火神もなんか違う気がする 個人的には猛者が最適 -- (名無しさん) 2016-10-01 23 13 18 特技何がいいかなと思っていましたが、明鏡つけると戟で単独で出陣させても踊らないのでいい感じでした。 騎兵を鍛えて突撃しまくって一騎打ちを拝むのも楽しそうですが、まだトライしたことありません。 -- (名無しさん) 2017-12-16 16 32 50 名前 コメント すべてのコメントを見る
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<前章までの勢力図> 第七章 呂布討伐戦 265年8月、潼関と新豊港から洛陽攻略隊が進発した。その内訳は以下の通り。 羊祜&張華&石苞の槍兵S隊15000 杜預&張衛の弩兵S隊10000 王濬&吾彦&徐質の戟兵S隊13000 王渾&傅彤の槍兵A隊13000 胡奮&駱統の投石S隊13000 周旨&馬雲騄&牽招の騎兵S隊13000 呂布軍の洛陽の城兵は25000余り。それに対するには少々大げさな兵数だが、長安から洛陽への物資運搬の手間を省く狙いもある。 また、この間にも関羽軍が宛に絶え間なく攻めてきているため、陸抗、張任、呉懿らはそちらの防衛にあたらせた。 まずは兵2000の函谷関を落とすと、一気に洛陽領内になだれ込み砦を建設する。 次ターンに呂布本軍と太史慈隊合わせて15000が騎兵で迎撃してきた。呂布本軍の突撃1回で、統率91を誇る杜預隊から1000以上の兵が失われた。 羊祜「さすがは飛将呂布…兵数で大幅に劣るというに、驚異的な攻撃力だ。槍兵隊、前へ出ろ!地形の高低差を利用して戦局を優位にすすめよ!」 胡奮「そういえば太史慈は孫策以外に仕えないと言ってなかったけ…」 駱統「彼自身としては、我が軍への雪辱を晴らすために、単に呂布から兵を借りているつもりなのでしょう」 函谷関と洛陽の間は緩やかな下り坂になっている。これを利用して槍兵隊の戦法発動率を上昇させ、敵の騎兵に対抗してゆく。 ところが呂布の突破力が予想外の展開をもたらした。ZOC無視の特性を生かして羊祜軍の大軍の間をするすると抜けると、守備兵のいなかった函谷関を落としたのだ。 羊祜「まさかこれほどの大軍の間を抜かれるとは…」 杜預「それがしと王濬は潼関の劉馥殿と協力して函谷関を奪い返します。叔子様は洛陽を目指して下され」 潼関には兵器Aの劉馥が駐屯していたので、西側から投石させる。 潼関はまだ十分な兵が残っていたが、新豊港は太守の司馬望に解県港、夏陽港の攻略をさせていたので空っぽの状態だ。 ここを落とされるとさらに戦況がこんがらがるので、気を付けながら防衛してゆく。 東西から函谷関を挟みこんで集中攻撃し、なんとか呂布軍を籠らせたまま奪還に成功した。 劉馥にはそのまま投石隊を率いて洛陽の内政施設の破壊を担当してもらう。 その後も呂布が何度か洛陽から再出撃してきてうざかったものの、10月には籠城に追い込み、265年11月、杜預の一斉攻撃で洛陽陥落! 羊祜軍を苦しめ続けた呂布勢力はついに滅亡した。呂布軍からは4人を登用した。 司馬炎「わしは父上達とは違い、凡才の身。それでもお主の尽力の為に、皇帝までのぼる事が出来た。羊祜よ、次はわしがお主に尽くす番だ」 羊祜「なんと…私などにはもったいなきお言葉。陛下、共に国を築きましょうぞ」 司馬炎「ははは、受け入れてくれてありがたいが、ここでは陛下はよしてくれ」 張華「お主には我が軍の変遷を歴史書としてしたためてもらおう」 陳寿「はは。ではまず…羊祜様の業績は古の堯、瞬に並ぶものであり…」 張華「…これこれ、無暗に誉めちぎるでない」 陳寿「はは。それならば…諸葛亮は法を振りかざし名将陳式を斬罪とした偏屈者であり…特に嫁はブサイクなことで有名で…」 張華「…それもやめよ」 司馬炎(威圧)、陳寿(内助)の他には袁渙、鍾毓の二人を得た。 羊祜「呂布には逃げられたか。とはいえ、他国に渡れば君主時のような大軍は預けてもらえまい」 杜預「ハ。呂布の持っていた方天画戟も接収しました。わずかとはいえ、以前ほど呂布本人に注意する必要もなくなったと言えます。虎牢関の袁紹軍はどうなさいますか」 羊祜「まずは様子見だろう。牽招、張衛に砦と櫓を築いておくように伝えてくれ」 洛陽の再建中は武将の成長ラッシュだった。まず木獣開発を終えたことで左慈が現れ、Lv1技巧を全て終えた褒美に多くの武将の能力を上げてくれた。 なかでも周旨が騎兵A→Sに、徐質が戟兵A→Sに、黄権が弩兵A→Sになったことが大きい。 左慈は次の月にも現れ、呂布軍からの接収でいつのまにか多くのアイテムを得ていた羊祜自身の能力を上げて去って行った。 266年1月。洛陽の内政が半分ほど終わったころ、陳留から袁紹軍の文醜隊が騎兵を率いて洛陽に攻めてきた。 杜預「思ったより早かったですな。袁紹のことですから、もう三ヶ月は陳留でうじうじしているだろうと思いましたが」 羊祜「いや、敵部隊は文醜隊のみ。主君の決断にしびれを切らして勝手に出陣したのだろう。王渾に槍兵で迎撃させよ」 張華「ともかく、これで袁紹軍とは険悪な仲になりましたな。今後はたびたび攻めてくるようになるでしょう」 文醜隊を壊滅させると洛陽の内政に再着手し、7月には完了した。 そのころ、袁紹軍の陳留は寿春から攻めよせた孫堅軍に兵力を削られ、城兵は10000余りだった。 一方南の新野でも、関羽軍が曹操軍から湖陽港を大軍で攻撃されており、上陸した曹洪隊によって北の内政施設にも被害が出る有様だった。 羊祜軍の幕内では、次の攻略目標が話し合わられていた。 羊祜「軍備は十分だが…陳留と新野、袁紹軍と関羽軍、どちらを攻めるか…」 張華「ここは宛の軍師殿に意見を聞いてみるべきかと。今早馬を用意しましょう」 陸遜「その必要はない」 孫桓「陸遜殿!?」 陸遜「久しいな孫桓。江陵で別れて以来か。羊祜殿、今更ながら…愚息と妻、そして我が旧臣達への厚き待遇、感謝する」 羊祜「陸遜殿を慕う臣が皆優秀であっただけのことです。…ところで、あなたが今日ここにいらっしゃったという事は…」 陸遜「は。この陸伯言、かつて羊祜殿に弓を引いた身でありながら、恐れ多くも配下として微力を尽くしたく参上いたした」 羊祜「あなたの智謀は文字通り万人に匹敵するもの。どうして私が断るというのでしょう。呉国を支えたように、ここでも我が軍の大黒柱となってくだされ」 陸遜「いや、大黒柱はあなた方若い世代に託し、私は降りかかる雨露を払う藁ぶきとなる覚悟。今日はお目通しを兼ね、愚息の計を伝えにきた次第だ」 羊祜「おお、幼節の計を。さっそく御講釈願いたい」 陸遜「それでは現在の勢力図を見ながら説明させていただこう」 陸遜「我が軍の今後の第一目標とすべきは、関羽軍の新野の攻略。新野の兵力を考えれば落とすのは造作もなき事。問題は…その後」 杜預「江夏の劉備軍、汝南の孫堅軍と領地を接してしまう、ということですな」 陸遜「その通り。新野の東は地形的に守りは固いと言えるが、それでも劉備・孫堅両軍の侵攻を防ぎきるのは容易ではない」 王濬「新野の防備で手いっぱいとなると、新野からさらに許昌に攻め上がって、関羽軍を滅ぼすのも難しくなりますな」 陸遜「そこで、我が軍は新野を攻略したのち、許昌の関羽軍を孫堅軍に対する盾として利用する。汝南と新野を結ぶ山道を石壁で封鎖すれば、汝南の孫堅軍は許昌に向かわざるを得なくなる」 王渾「では、新野を占領した後は袁紹軍の陳留を攻めるのですか?しかしそうなると結局、陳留で袁紹・孫堅両軍の侵攻に脅かされますが…」 陸遜「陳留は交通の要所。ゆえに陸路海路から絶えず侵攻を受ける激戦地。今はまだ攻め取る時機ではない」 周旨「…?? じゃあ新野を落としたあとはどうするんですかい?」 陸遜「今述べたように、陳留は激戦地だ。どの勢力が得たとしても大量の兵と物資を溜めこむことはできん。つまり、洛陽の有り余る物資と人員を他の戦線に割くことができる」 張華「洛陽からどこへ出兵を?…まさか…!」 羊祜「解県港から河内の地へ上陸し、壺関の裏から晋陽を奇襲する、という訳か」 陸遜「は。十分な物資のある我が軍だからこそできる作戦です。張飛軍と袁紹軍の抗争の混乱に乗じて河北を得るのです」 張華「な…なんと大胆な…いや、しかし…河北は相次ぐ戦争で人材や兵員が不足している。城を手に入れる為の被害は中原に比べ圧倒的に少ないだろう」 杜預「大都市鄴を抑える事が出来れば、陳留に向かう海路を抑えることもできますな」 羊祜「よし、この方針でいくぞ。新野の攻略と併せ、司馬望を解県港に派遣して60000の兵に屯田をさせておこう」 胡奮「あ…あの~…一つ質問よろしいですか陸遜殿。この作戦ですが…新野を我らが得た後に、許昌の関羽軍が孫堅軍に滅ぼされてしまったら、どうするのですか…?」 杜預「…ほう、良い質問をするではないか。確かにそうなったら、中原に残った武将たちだけで孫堅軍を食い止めるのは難しい」 陸遜「ところが、関羽軍は簡単には滅ばないのだ。関羽軍は元々、君主をはじめ徐晃、張遼、張郃、顔良、呂蒙殿と勇将が集っていたのだが…先日、さらに二名の猛者が加わったらしい」 胡奮「その二名とは…?」 陸遜「…飛将呂布と陥陣営高順だ」 最後の関門だった陸遜の統率値96を羊祜が越えたので、陸遜の登用が可能になった。孫氏とは同じ都市に所属させてあげよう。 色々考えた結果、このまま陳留方面に進むとグダグダしてきそうなので、いつもとは違う攻め方をしてみることに。 羊祜軍は新野を攻め取った後に洛陽から晋陽を目指す事になった。 第八章 河北進出 266年8月。宛から新野攻略隊を進発させる。内訳は以下の通り。 陸抗&朱拠の弩兵S隊10000 陸遜&留平の戟兵S隊10000 費耀&傅彤&張衛の槍兵A隊11000 張任&胡烈の弩兵S隊12000 胡奮&駱統の投石S隊13000 周旨&馬雲騄&吾彦の騎兵S隊13000 房陵港から上陸して宛経由で新野を目指していた曹操軍の衝車部隊がたまたまいたので、おとりに使いながら南下してゆく。 関羽軍は呂布、張遼、顔良らが迎撃してきた。メンバーは非常に優秀だが、いかんせん兵数が足りない。 森を活用して騎兵戦法を封じながら撃破してゆく。新野城は出し得る兵力を放出すると、籠城の態勢に入った。 胡奮「こうなればこっちのものだ!進めー!」 駱統「…胡奮殿、お待ちを!既に新野を包囲している部隊があります…あの旗印は…劉備軍!」 陸遜「江夏の部隊だな。敵将は華雄に盧植か。さすが、行動が早い」 陸抗「とはいえ、少々焦りすぎです。肝心の江夏が曹操水軍に押され気味というのに…」 張任「城壁破壊は曹操軍と劉備軍に任せ、美味しいところを掻っ攫ってやりましょう」 266年11月。ある程度耐久を削ってもらってから、胡奮の投石一発で新野陥落!築城部隊ですぐに汝南の山道を封鎖し、防陣を築いてゆく。 (ちなみにここで侵攻時の音楽が変更。あまり気にしてなかったけど、10都市攻略が区切りなんですね) ひと月もせずに関羽本軍11000が許昌から攻めてきたが、北東の森に連弩櫓を立てて櫓越しに張任で火矢を放つ。 射手のメリットは、森にいる敵部隊に矢を放てるという点だけでなく、森にいる敵部隊に対して火矢が95%の確率で通るという点もある。 新野の内政と軍備の整理が完了したのは267年5月。この間に袁紹軍や関羽軍から何度か侵攻があったが、適宜撃退した。 袁紹軍からは捕虜にした張悌(仁政)と甯随を登用。二人とも有用な特技を持っているのでありがたい。 ここからは、河北攻略軍団、洛陽防衛軍団、新野防衛軍団の三つのグループに武将を分けて展開してゆくことにする。 その内訳は以下の通り。 河北攻略軍団:陸抗、杜預、王濬、王渾、周旨、胡奮ら 洛陽防衛軍団:羊祜、張華、石苞、王昶、張衛ら 新野防衛軍団:陸遜、張任、李厳、呉懿、駱統、司馬一族ら 胡奮「羊祜様、私の副将には兵器に明るい駱統殿がいた方が助かるのですが…」 胡烈「心配はありません、兄上。今回は私が副将を務めます」 羊祜「うむ。駱統には新野の防衛に参加してもらうことにする」 河北攻略軍団はいつもの主力メンバー。 兵器適性Sが二人かぶるのがもったいないので、駱統の代わりに胡烈の特技を詭計→射程に変更し、胡奮の副将に据えることに。 洛陽防衛軍団は槍適性の高い武将を数人。陳留の袁紹軍は騎兵で攻めてくる事が多いからだ。 脅威なのといったら文醜ぐらいなので、人員はやや抑えた。 新野防衛軍団は旧劉焉軍と司馬一族を中心に編成。 新野の北東の森で迎撃することが多いと思われるので、射手張任はこの軍団に入れた。 ときおり関羽軍が許昌から宛に石壁を壊して侵入する動きがあるため、宛にも人を回せるように人員は多めにした。 余裕が出てきたら、呉懿あたりを河北攻略軍団に異動させる予定だ。 267年8月、解県港から晋陽攻略隊が進発した。内訳は以下の通り。 陸抗&朱拠の弩兵S隊4000 杜預&吾彦の弩兵S隊3900 王濬&徐質&陸凱の戟兵S隊13000(陸凱は内政要因) 王渾&傅彤の槍兵A隊13000 胡奮&胡烈の投石S隊13000 周旨&馬雲騄&牽招の騎兵S隊13000 総勢60000の兵だ。陸凱は富豪持ちで高政治力なので晋陽攻略後の内政要因として副将に加えた。 洛陽から晋陽への武将移動は30日かかるので、あらかじめ内政要員を連れていく意味は大きい。 孫桓と薛瑩には輸送隊を率いて追従させた。 2カ月の行軍を経て、ついに壺関の西に侵入すると、張飛本軍がわずかな手勢を率いて迎撃してきた。 張飛、文鴦ら猛将揃いだが、混乱させてしまえば脅威ではない。 幸い軍師龐統を副将に付けていなかったので、機略で一気に撃退。 もともと晋陽にいた兵は10000ほどだったので後続はなく、年が明けた268年1月、王渾によって陥落した。 王渾「壺関に夏侯惇らが1000人程で立てこもっておりますが」 杜預「放っておけ。鄴の袁紹軍相手のいい盾になる」 張飛軍の鄧忠、蒯良らが葪と晋陽を結ぶ街道の南の森から晋陽を取り返そうと進軍してきたが、高台からの投石や火矢で撃破した。 3か月程内政した後、同じ部隊編成で葪に向かって進発する。張飛軍が兵を溜めこむ前に葪までは落としたいからだ。 周旨を筆頭にして破竹の勢いで攻め込んでゆく。 吾彦「ところで、なぜ鄴ではなく葪に?鄴は中華最大ともいえる大都市。城兵も8000余りと聞いていますが」 陸抗「袁紹軍の河北における領土は鄴のみです。河北でもう少々張飛軍、諸葛亮軍と潰しあってもらいましょう」 杜預「袁紹軍に浅瀬を行軍できる兵はいない。晋陽と葪の補給路を断たれる心配もない」 陸抗「なにより葪は河北の支配において、鄴以上の重要拠点なのです。ここを落とせば、多くの都市への牽制ができます」 杜預「張飛軍にとっては、喉元ともいえる地だ。喉元を抑えれば、後は適当に泳がせるも、一気に絞め殺すも我が軍次第」 胡烈「晋陽の守りについては?」 陸抗「晋陽は元々防衛に秀でた地。さらに牽招殿に多くの砦を建設してもらい、太守には孫桓殿を任命しました。落とされることはまずないでしょう」 葪の城に近づくと名将鄧艾が出撃。槍兵で先行していた周旨隊に被害を与えたが、地形の高低を利用した王濬隊の熊手戦法によって壊滅した。 杜預「張飛軍で最も脅威となるのは士載殿といっていい。いずれは我が軍に加わっていただきたいものだ」 胡烈「杜預殿は鄧艾殿を尊敬されていましたからな」 268年10月、王濬の攻撃で葪陥落!河北2都市を占有することに成功した。 そのころ中原はというと… 駱統「関羽軍は汝南の孫堅軍相手に奮戦しているようです」 張任「陸遜殿の二虎競食の計が功を奏しましたな」 陸遜「孫堅軍は今最も勢いのある勢力といっていい。先日も江夏、陳留の2都市を攻め落としたからな」 李厳「河北を統一するまでは、関羽軍に食い止めてもらいましょう」 勢いに乗る孫堅軍とはまだぶつかりたくないので、外交関係を親密にしておいた。 一方で関羽軍とも再び親密な関係を結んだあと、陸遜の計略で両者を争わせることに成功した。(二虎競食って結構効果ありますね) 羊祜「河北軍団は順調に張飛軍を追い詰めているようだな」 張華「葪の地を得たあとは、しばらく内政しつつ他勢力の動向をうかがうとのこと」 羊祜「うむ、呉懿と張衛にも河北にいってもらおう。我ら洛陽軍団はいつでも幼節達と連携をとれるようにしておくのだ」 一連の戦で蓄えた技巧ポイントは精鋭槍兵に投入。張飛軍は精鋭騎兵を持っているので、それに対抗することができる。 各都市の防衛、内政をしつつ時が過ぎて行った。 第九章 遼東電撃戦 269年6月。葪の内政と軍備は整い、100000の兵が待機していた。 北平と南皮を結ぶ街道は葪の領内なので、そこに連弩櫓や投石台を敷きつめることで、張飛軍を分断することにも成功した。 袁紹軍とは外交関係を親密にしておき、平原で張飛軍や諸葛亮軍と争うように仕向けておいた。 葪の城内では… 杜預「次の目標は当然北平だ。張飛軍の主力の多くは平原に駐屯しているからな」 陸抗「とはいえ、鄧艾殿が南皮にいることを考えると、彼に太刀打ちできる程の戦力は残しておく必要があります」 杜預「そこでだ。軍師殿と話し合った結果、それがしと軍師殿は葪の防衛に回ることになった」 王濬「ということは、我らの出番ですな。腕が鳴ります」 杜預「三つに分けた軍団の一つを、さらに二つに分けることになる。長い時間はかけられん。北平陥落後は、そのまま襄平まで一気に攻略してもらう」 周旨「なるべく早く2都市落としてこいって事ですな、おまかせを!」 葪から北平、襄平攻略隊を出撃させる。その内訳は以下の通り。 王濬&徐質の戟兵S隊13000 王渾&傅彤の槍兵A隊13000 胡奮&胡烈の投石S隊13000 周旨&馬雲騄&牽招の騎兵S隊13000 攻略隊は総勢52000。兵糧は最大値まで持たせてある。 対する張飛軍は2都市合わせて35000ほど。気を付けるべき将は猛者持ちの沙摩柯ぐらいだ。 騎兵の周旨隊と精鋭槍兵の王渾隊を先頭にして易京になだれ込んでゆく。 迎え撃ってきたのは鮑隆、楊奉、梁緒といった面々。当然、今の羊祜軍の敵ではない。 軍楽台で気力を補いながら20日程で撃退した。 269年9月、胡奮の投石でまずは北平を攻略! 王渾「北平を落としたか。よし、一日休息してすぐに襄平へ出発するぞ」 胡奮「王濬殿はもうとっくに出発しましたぞ」 王渾「何っ!では我らも今すぐ出発だ!王濬隊に後れをとるな!」 北平は董允ら文官を派遣することにして、攻略隊はそのまま襄平へ向かう。 周旨隊は本道を、それ以外の部隊は浅瀬を通って襄平に迫る。騎兵で抵抗する呉班らを蹴散らし、攻城に取りかかったころ… 杜預「軍師殿、南皮から張飛本軍12000が葪に向かっているとの報告が」 陸抗「袁紹軍に奪われた平原の奪還ではなく、葪の奪還を選んだようですね」 吾彦「葪を奪われたら、今度は我らが領土を分断されることになります。急ぎ迎撃部隊を編成しましょう」 杜預「張飛隊の副将には士載殿もおるからな。行軍の早さには気をつけねばなるまい」 張飛本軍は陸抗、杜預、吾彦の3部隊で建設物のZOCを利用しながら攻撃してゆく。 後詰として進軍してきた鄧忠隊もろとも、葪領の入り口で撃破した。 270年1月、本道を通ってきた周旨隊の一撃によって襄平は陥落! 周旨「急がば回れってこった。悪いな、お二人さん」 王濬&王渾「むむむ…」 こうして北平と襄平の2都市はわずか半年で羊祜軍のものとなった。 この時点で張飛軍が領有するのは南皮1都市のみ。ひとまず王濬らを葪に呼び戻して備えさせた。 北平、襄平の内政が終了したのは襄平陥落から1年以上経過した271年3月だった。 軍団を分けた為に内政がなかなか捗らなかったのだ。 この間に張飛軍は何度か葪に攻め込んできたが、吾彦らの弩兵隊で都度撃退した。 陸抗「少々時間はかかりましたが…張飛軍の本拠地、南皮を落とすべき時がきました」 杜預「南皮を守る兵は18000程。攻略は容易だろうが、君主張飛をはじめ、ひと癖ある武将が多い。皆、油断するなよ」 271年4月、葪から南皮攻略隊が進発。内訳は以下の通り。 陸抗&杜預&孫桓の弩兵S隊14000 吾彦&朱拠の弩兵S隊11000(朱拠は少し前に弩兵A→Sに成長) 王濬&徐質の戟兵S隊15000 王渾&傅彤の槍兵A隊15000 胡奮&胡烈の投石S隊15000 周旨&馬雲騄&牽招の騎兵S隊15000 対する張飛軍は以下の編成で迎撃に出てきた。 張飛&龐統&張遵(築城)の戟兵S隊8900 文鴦&陳蘭(不屈)&黄祖(掎角)の槍兵A隊3500 王渾「我こそは安南将軍王玄沖!敵将文淑!勝負せよ!!」 文鴦「俺に挑むとは身の程しらずめ!かかってこい!」 王渾の武力は88。五虎将軍になるには90以上でないとならない為、積極的に一騎打ちをしかけてゆく。 文鴦は倒せなかったが、代わりにやってきた黄祖を倒して武力経験値を稼いだ。 龐統の連環の計で王渾隊と胡奮隊が混乱させられるもなんとか張飛本軍を撃破し、龐統は捕虜にした。 南皮から最後の1隊として出撃してきたのは鄧艾の槍兵2000。 徐質「鄧艾殿ォ!!それがしと一騎打ちで勝負いたしましょうぞォ!!」 鄧艾「相変わらず威勢がいいな。よかろう」 徐質と王濬で勝負を仕掛けるが、副将の牛金、毌丘倹に阻まれ引き分けに終わる。 王渾「なればそれがしと勝負だ!」 牛金「鄧艾殿の前に俺と勝負しな!来い!!」 勝手に一騎打ちを引き受けた牛金を王渾で撃破すると、兵数の減った鄧艾隊に王濬隊でとどめの熊手戦法を食らわせる。 結果、鄧艾は捕虜となった。 鄧艾「正々堂々闘って負けたのだ。今回は言い訳も嘆息もするつもりはない。好きにするがいい」 杜預「なれば、どうか我が軍に加わっていただきたい」 鄧艾「……断ると言ったらどうする」 杜預「あなたが他勢力に加われば、我が軍にとって間違いなく脅威となります。我が軍の為には……尊敬するあなたでも、斬らねばなりますまい」 胡烈「…鄧艾殿!杜預殿も私も、あなたを斬る事は望んでおりませぬ!どうかまた、我らと共に!」 鄧艾「………偏屈で頑固なわしが、よくもこう優れた部下に恵まれたものだ。今後はよろしく頼む」 鄧艾はそのまま一発登用に成功!統率知力はともに95まで成長しており、羊祜軍の中では陸羊に次ぐ万能武将だ。 杜預、胡奮、胡烈など実際に共に戦った将軍も多い。 鄧艾隊を撃破された張飛軍は籠城を決め込んだ。 こうなれば後はこっちのもの…だったのだが、平原から袁紹軍の夏侯淵隊が副将に司馬懿を引き連れてやってきた。 張飛軍のあとは近いうちに袁紹軍と戦うことになる。外交関係は険悪になるだろうが、南皮を落とす前に夏侯淵隊を撃破した。 そして271年7月、王濬隊によって南皮は陥落!張飛勢力は滅亡した。 張飛軍からは田予(明鏡)、崔林、高柔、紀霊など20人以上を登用した。 杜預「これで河北に残す都市は平原と鄴のみか」 陸抗「鄴の攻略には洛陽の叔子様にも動いて頂きましょう」 胡奮「河北に渡ってからもう数年会ってませんからな…羊祜様のお顔がなつかしいです」 南皮の内政を終えたら、いよいよ河北制覇に乗り出すつもりだ。 長くかかったが、中原に帰る時もそう遠くないだろう。 <272年3月現在の勢力図> 袁紹軍 武将数:128 本拠地陳留は孫堅軍に奪われた。黄河を挟んで三都市を保有しているが濮陽は孫堅軍から激しい侵攻を受けている。なぜか武将数トップ 諸葛亮軍 武将数:43 孫堅軍相手に粘っているが…これ以上領地を増やすことはできなさそう 孫堅軍 武将数:105 羊祜軍に次ぐ9都市を保有している。関羽軍と諸葛亮軍に勢いを止められつつあるが、それでも今最もアツい勢力 関羽軍 武将数:63 許昌1都市勢力だが、文武共に配下の質は良い 羊祜軍 武将数:105 曹操軍と同盟中。15都市を保有する最大勢力。河北制覇したあとは未定 劉備軍 武将数:96 一時は曹操、孫堅に肩を並べるも、柴桑を落とされてから失速。武陵まで奪われてしまった 曹操軍 武将数:95 長らく領土が広がらなかったが、武陵を落として確固たる領地とした。江夏は未だ孫堅軍と奪い奪われの状態 <羊祜軍の成長> 技巧研究:Lv1は全て取得。Lv4は精鋭弩兵と精鋭槍兵、Lv3は軍制改革と投石開発と政令整備、Lv2は港関拡張を取得。次は精鋭騎兵を目指す予定 能力研究:全て研究完了。判明した隠し特技は『虚実』『反計』『猛者』『乱戦』『水神』。『猛者』は周旨に付与済み <羊祜軍の武将の成長> 赤字で書かれている部分が成長した項目 主力武将 統率 武力 知力 政治 魅力 適性S 備考 羊祜(洞察) 98(+8) 77(+13) 93(+9) 90(+3) 97(+8) 槍・弩 万能の英雄。欲を言えば、武力を80台に乗せたい 陸抗(機略) 97(+6) 75(+12) 96(+8) 95(+10) 94(+7) 弩・兵器・水軍 全ての能力値が陸遜以上になった 杜預(昂揚) 92(+7) 76(+23) 92(+7) 86(+5) 88(+7) 弩・兵器・水軍 武力のノビがすさまじい。無粋な編集は必要なかったかも… 王濬(造船) 84(+3) 87(+14) 81(+4) 85(+14) 81(+6) 兵器・水軍 なかなか戟適性が上がらない。戟将徐質も付けているのに… 王渾(水将) 82(+6) 88(+12) 81(+9) 85(+11) 80(+11) 水軍 こちらも槍兵適性は未だ上がらず。武力90まであと少し 胡奮(攻城) 82(+11) 87(+11) 70(+20) 76(+24) 75(+20) 兵器 堂々の功績トップ。文句なしの兵器のスペシャリスト 周旨(猛者) 82(+17) 90(+5) 51(+10) 36(+7) 58(+15) 騎馬・兵器 武力90台に一番乗りした。騎兵適性もSに成長 駱統:特技を強襲→射程に変更。胡奮と組ませて遠距離射撃。兵器適性もA→Sに成長した 牽招:特技を親烏→築城に変更。周旨隊の知力要因。若干不安だが 張華:特技を眼力→反計に変更。兵器生産のおかげで知力は80になった 徐質:戟兵適性がA→Sに成長。王濬隊の副将として頑張っている 朱拠:弩兵適性がA→Sに成長。彼を長く戦場に出しているのにはある訳があります 黄権:弩兵適性がA→Sに成長。特技も規律→明鏡に変更。張任、呉懿らとともに防衛戦で活躍 胡烈:特技を詭計→射程に変更。河北進出時は胡奮と兄弟でコンビを組んだ 辛毘:特技を規律→明鏡に変更。呉懿の副将役 楊済:特技をなし→造船に変更。なんとなく 司馬炎:特技を威圧→発明に変更。前線に向かった父達に変わり上庸で兵器生産中 <羊祜軍の武将ベスト5> 順位 統率 武力 知力 政治 魅力 1位 羊祜(98) 周旨(90) 陸抗(96) 董允(98) 羊祜(97) 2位 陸抗(97) 鄧艾(89) 陸遜、鄧艾(95) 陸抗(95) 小喬(96) 3位 陸遜(96) 張任、王渾、徐質(88) 蒯良、劉皣(94) 羊祜、梁習、劉馥(90) 陸抗、大喬(94) 4位 鄧艾(95) 王濬、胡奮(87) 羊祜(93) 陸凱、司馬昭、蒯越(89) 張魯(91) 5位 杜預(92) 李厳、馬雲騄、鄧忠(86) 杜預(92) 陸遜(87) 陸遜(90) 鄧艾は鄴の太守として後方で頑張ってもらう予定。武力が90に成長したら五虎将軍候補となってしまう可能性があるので。 嫌いな武将ではないのですが、余りに万能すぎて面白くないというのも理由の一つです。 能力値が全て75前後でキラリと光る特技を持っている武将が一番好きです。王基とか。 ちなみに王基は現在諸葛亮軍に所属。登用後は羊祜の副将として用いたいと考えています。 その4へ続く 反計wwwwwwwwwww -- 名無しさん (2011-04-16 22 58 38) 読み応えがあって面白いです。楽しみにしています -- 名無しさん (2011-04-17 10 51 12) 個人的にここのプレイ日記の中で羊祜さんのが一番好きです。次回も楽しみにしてます。それと、最後のランキングに王渾が2人… -- 名無しさん (2011-04-17 15 48 34) 張華「なぜ私がこのような死に特技を貰わなければならんのだ!」 -- 名無しさん (2011-04-17 19 18 33) 更新乙です -- 名無しさん (2011-04-18 20 10 20) レイアウトがスッキリしていて、テーマも明確ですし凄い読みやすいですね! -- 名無しさん (2011-04-22 14 38 22) 自分もプレイ日記書いてみたいなと思っていたんですけど、羊祜さんの日記はとても参考になります -- ↑の続き (2011-04-22 14 47 13) 高低差とかあったっけ? -- 名無しさん (2011-04-22 16 18 25) ↑そういえばそうだな -- 名無しさん (2011-04-22 22 55 40) あるよ。堤防のある都市とか露骨に高低差が見える。 -- 名無しさん (2011-04-22 23 09 34) そんなのあったのか……微妙過ぎて気付かなかったw -- 名無しさん (2011-04-23 00 04 56) 王渾の件,修正しました。私はプレイ日記を書く際は孫登上級さんのものを参考にさせていただきました。 今は樊氏さんのプレイ日記を一番楽しみにしてます。地形の高低差による戦法発動率の増減については,私もこのページを書くまで知りませんでした笑 -- 筆者 (2011-04-23 18 31 00) 高かったら+5%低かったら-5%だっけ。 -- 名無しさん (2011-04-23 18 57 44) 槍、騎馬の場合 -- 名無しさん (2020-08-07 15 15 16) 名前 コメント
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<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで12年の間に殺した武将は150人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横/朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿/陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀/王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀/関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 (指名手配)なし 全武将の4分の1を殺したことになります。おそらくみなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかもしれません。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださって、お付き合い頂ければうれしいです。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 董卓軍忠臣メンバー能力表(緑字は育成による上昇を含んで成長した数値、赤字は純粋に成長した数値です) 名前 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 騎馬 コメント 董卓 81(7) 95(8) 69 20(1) 57(20) 徴税 A 悪路王と勝手に綽名する。魅力が低いせいか忠臣以外の武将の忠誠が下がりやすい気がする 李儒 71(10) 26 95(2) 82(7) 38 徴収 A 董卓様の懐刀。統率を上げて戦う軍師に変身。前半の内政が彼頼みだったので政治が伸びすぎ 李傕 76(8) 80(8) 24 1 17 S 舞頸の李傕と綽名する。統率の高い敵将にも突撃しまくって戦死を狙い、敵味方構わず兵を減らすため 郭汜 76(12) 79(3) 14(1) 14 13 A 騎馬だけでなく木獣隊も率いる。彼を使っていると能力値70のありがたみに気付かされる 華雄 83(2) 95(2) 67(11) 41(1) 57 猛者 S 我が軍の急先鋒、天空星華雄。彼が一番武将をひき殺し、捕獲し、処断しており、冥府への送り手 徐栄 83(3) 79(3) 67(11) 44(1) 42 長躯 S 華雄と並んで頼りになる将。第2師団を率いて南方で戦う。今後、彼を用いた別の作戦を考案中 胡軫 78(13) 82(8) 12 15 21 疾走 S 前半は留守番が多かったが、最近成長著しい。俺の騎馬戦法は一味違うぞと言いながら突撃する男 樊稠 78(12) 75(2) 31 25(1) 39 A ここまで目ぼしい活躍はないが、彼だけ水軍をAに育成したので南部制圧で出番が来るだろう 李粛 47(1) 71(2) 60(1) 19(4) 36 明鏡 A 「明鏡」をつけて華雄の副将をつとめる。おかげで結構能力値が上がっている 董旻 50(1) 77(17) 26(1) 16(4) 23 A 兵器をAにして井闌隊を率いている。兵器は武力があればいいので統率はいらないことに気付いた 牛輔 39(1) 78(18) 21 27(1) 37 A 武力を育成して一騎打ちの後詰要員だったが、諸葛誕と義兄弟になったので今後の活躍に期待 張済 71(1) 76(10) 52 53 55 連戦 A 能力に穴がなく使いやすい。張繍軍時代に武力と特技を育成されていた模様。イケメン 第3部 「南船北馬、いや南騎北馬」 第6回 ようやく半分近い城を攻略することができました。 私はダラダラと長い文章を書いてしまうので、読みにくく分かりにくいプレイ日記になってしまっておりますが、ここまでお読みいただいた皆様に感謝したいと思います。 出来るだけ戦死を発生させようと日々突撃を繰り返しておりますが、なかなか発生せず、プレイ日記も盛り上がりに欠けているように思います。 何卒ご容赦ください。 ここからは出来るだけ分かりやすく、面白く書けるように努力いたしますので、先が気になるという方がいましたらどうぞお付き合いください。 それでは董卓軍のプレイ日記を書いていきたいと思います。 264年1月 鄴にて・・・ 董卓「ううむ、爽快であった。いくつもの戦に勝った、そしてたくさんの敵将も斬った」 張済「はい、おめでとうございます。たったの1戦で敵軍を滅ぼしましたからな」 董卓「しかし、乱世とは何があるかわからんもんじゃな。あの袁紹がこうも簡単に滅ぶとはの」 賈詡「さようでございますな。しかし、それほど公孫瓚は手強いということでしょう」 董卓「公孫瓚も騎兵で有名じゃな。我らは勝てようか」 賈詡「公孫瓚軍は南皮、晋陽に兵を集めており、今は平原城で呂布軍と争っているようです」 張繍「さらに公孫軍の騎兵は白馬ばかりで、その白馬を活かした騎射が強力であると聞きます」 董卓「ふむ、だがそれは逆に肉薄すれば対抗できるということじゃな」 華雄「左様でござります。白兵によるぶつかり合いでは我が軍の方が上かと」 賈詡「しかし我が軍は遠征の途上で、兵の補充ができません。向こうは大軍を擁しています」 董卓「そうは言っても我らではとても内政などやってられんぞ」 華張太「・・・(こくこく)」 賈詡「わかっております。ですから敵の意表を突き、このまま進軍しましょう」 太史慈「おお・・・」 賈詡「まずは晋陽です。あの辺りの地勢に詳しい張燕殿と私で鄴の北から常山周りで攻め入ります」 張燕「おう、お任せを」 董卓「なるほどのう、お主らが城から敵を誘き出している間に我ら本隊が南から攻める、と」 賈詡「左様でございます。鄴の守りには張済殿の部隊を残し、全力で敵を討ちましょう」 董卓「よし、参るぞ皆の者、敵の騎兵を殺しつくしてやれ」 華張太「おおー」 賈詡「・・・(さて、南はどうなることかな・・・)」 そのころ新野では・・・ 胡軫「むむむ・・・」 樊稠「ん・・・、おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「おう、樊稠殿か。貴殿は歯がゆくないのか、我らはこの城に取り残されてしまったのですぞ」 樊稠「・・・(何やら前にもこんなことがあったような)、えーと、それはどういうことでござる」 胡軫「よいか、今や我ら南方軍の前線は襄陽と江陵で、この新野は補給中継都市に過ぎないのだ」 樊稠「ふむふむ・・・(・・・あ、長安の時と同じだ)」 胡軫「その我らができることは江夏城を攻めることしかないのだ」 樊稠「なるほど、江夏の城は河から攻めることができますな。しかし肝心の船がないでござる」 胡軫「ふふふ、安心めされよ、既に造船が得意だという許攸という者に命じて船を用意させているのだ」 樊稠「おお、となると出撃できますな。それがしはこう見えても水軍には自信があってござる」 胡軫「では早速、徐栄殿も呼んでくるとしよう。参りますぞ樊稠殿」 樊稠「応っ」 さらに同じころ、江陵城では・・・ 李儒「ふふふ、これからだ、これからなのだ・・・(ブツブツ)」 李傕「おう、軍師殿。どうなされたのだ」 郭汜「何やら考えごとをなされていたのか軍師殿」 李儒「おや、李将軍に郭将軍か。私はもう軍師ではないのだよ。それでも、これからの戦略を考えておったのだ」 李傕「ほう、それはどのようなものなんだ軍師殿」 李儒「もう軍師ではないのだがな、私が思うに劉備軍はこの江陵城に遠からず押し寄せてくるであろうと思ってな」 郭汜「そ、それは困るではないか軍師殿」 李儒「まぁ私は別に軍師ではないのだがな、我らはこの城をあけわたして、劉備軍が入城したところを襲おうと思うのだ」 郭汜「なるほどなぁ軍師殿。って・・・え、一度城をとらせるのか軍師殿」 李儒「・・・(人の話を聞いておるのかタコ助どもめ)」 李傕「城を取らせてすぐに取り返せるのか軍師殿」 李儒「大丈夫じゃ。李傕殿が江陵の主将でいると城の耐久は回復しないから楽に攻められるのだ」 郭汜「そ、そうなのか。それは名案だな軍師殿」 李儒「その後は兵力の減った劉備軍の都市を襲えばよい。董卓様は内政より城の数をお求めだからな」 郭汜「それなら俺らの出番は多そうだな軍師殿」 李儒「左様。期待しておりますぞ、董卓軍の双璧と言われるお二人に」 李郭「おおうっ」 李儒「ふふふ・・・(そして私も軍師の座に返り咲くのだ・・・)」 というやり取りが各地であったと思われるので、今回は 「董卓千里行」、「胡軫船下江」、「李儒荊南攻」 の3本をお送りしたいと思います。ちなみに能力研究ですが「水神」、「洞察」、「指導」が出ており、「指導」を研究しました。 264年1月 この頃、紙芝居でもお分かりかと思うが我が軍は大きく3つに分かれていた。 鄴の董卓軍本隊、新野にいる徐栄の第2師団、襄陽と江陵の李儒、李傕、郭汜らの第3師団である。 襄陽は南へ攻める拠点なので少しずつ内政を行っており、鄴では兵舎だけ立てて城兵の確保をして、馬は洛陽からの補充を待っていた。 新野では新たに蒋欽と厳畯、さらに「造船」もちの許攸が加わり、前回に捕らえた呉将たちと合わせて水軍の準備をしていた。 順番に詳しく見ていきたい。 鄴の董卓本隊は張済隊を城の守りにおいて、休む間もなく晋陽を攻めることにした。 晋陽には60000の兵がいるので、「釣り」を使うことにした。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏7000騎、華雄+李粛+州泰(騎神)8000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)10000騎、董旻+歩隲 井闌8000 別働隊 賈詡+張闓6000騎、張燕+楊阜+楊祚(築城)7000騎 王異は特技を書き換え、楊祚には「築城」をつけ、州泰は劉備軍から新たに引き抜いた武将だ。 先鋒と本隊は壺関から晋陽をつき、別働隊は晋陽の東から攻めて敵をおびき寄せる。 壺関は賀斉将軍が6000で守っていた。 しかし井闌隊があっという間に関を落とす。ここでは誰も捕まえられず。 関を抜け、上党のあたりを北上すると晋陽の難所の一つである陽曲の一本道にさしかかる。 ここには公孫瓚軍による董卓軍歓迎委員会が熱烈な歓待をしてきた。 それは先の賀斉、そして公孫続、龔都、傅彤といった猛将たちであった。 一方の別働隊の方にも敵部隊が迎撃に出てきていた。こちらは公孫範、朱霊、孟宗、文虎らである。 それぞれ4000~5000ほどである。とにかく賈詡と楊阜で攪乱を行って足止めをする。 その間、本隊は一本道の敵と一進一退を繰り返していた。が、我が軍はここで新兵器を投入したのだ。 そう、技巧研究によって開発された豪火球である。これを一本道に向けて発射する。 これで敵軍は大きな被害を受け、敵将龔都は一発目の火球で戦死。 火勢が衰えたところへ張繍が突撃して傅彤隊を撃破、主将傅彤を捕らえて処断。 次いで公孫続隊も張繍隊が撃破して、副将の韓莒子を斬った。 賀斉隊も倒すといよいよ城に取りつき、ひと月で陥落させた。 ここでまたも賀斉と公孫続を逃したが、荀諶と魏攸の2人を処断して、賈範を捕虜にした。 別働隊では張燕が混乱した朱霊を一騎打ちで倒して処断し、賈詡が孟宗と文虎を捕虜にしていた。 挟み撃ちに行った華雄隊が公孫範隊を撃破し、晋陽は董卓軍のものとなった。 新野では造船が行われていて、3隻完成したところで江夏を攻めることにした。 胡軫+費耀(猛者)+朱異9000騎、樊稠+左奕(連戦)+張悌9000騎、徐栄+楊昂(猛者)+留賛10000騎 で湖陽港を出て河から江夏の内政施設と城を攻める。 江夏城は「火神」の名将周瑜が20000で守っているが、配下で目ぼしい将は周泰くらいしかいない。 夏口の側の町を壊すと、あわてたように周瑜隊と周泰隊、留平隊が出てくる。 周泰が夏口港に入ったので出口を塞ぎつつ港を落とす。周瑜隊があたふたしている間に江夏城を攻撃。 樊稠と徐栄が周瑜隊の相手をして、胡軫は江夏城を攻撃する。 こちらの2隊はかなりの被害受けたが、その間に胡軫が江夏を落とす。 その後に3隊がかりで周瑜隊と戦うも周瑜は途中で逃走し、留平隊が夏口から出てくる。 これも粉砕して夏口を抜き、とりあえず胡軫ら3隊は江夏城に駐屯することにした。 264年3月 江陵に向けて劉備軍が出撃したとの報が入る。 永安と長沙から来るようなので李儒をはじめ、以下の軍容で敵をギリギリまで待つことにした。 主力 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎、李儒+胡車児8000騎 後詰 郭汜+陸凱(指導)木獣9000、李通+蘇飛6000騎、凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊20000 といった面々である。 やってきたのは趙雲、関羽、張飛などの虎将たちの30000で、我が軍は江陵城を出て長坂の渡で待機。 彼らが無人の江陵城を取って内政を始めたのを確認して襲撃した。 趙雲と関羽は内政をしていたので張飛のみが迎撃にきた。もちろん李儒が攪乱して放置。 2、3ターン経ったところで関羽隊と趙雲隊も出てくる。火球に巻き込みつつ城を攻撃する。 関羽の戟兵、趙雲の槍兵の一撃ですごい被害を受けるも、江夏から徐栄隊、胡軫隊6000が駆けつける。 胡軫の「疾走」が趙雲に決まり、李儒も関羽隊を攪乱させ、殴って火をつける。 その間に郭汜の木獣が火を噴いて江陵城を再び落とす。 捕らえたのは太守の諸葛瞻以下、 董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤 といった面々で捕虜枠が埋まっているので全員を処断した。 最後に趙、関、張の3部隊をそれぞれ撃破した。 264年5月 陳留の城は于禁と成公英が留守を預かっていた。 成公英「うーむ、少しまずいな・・・」 于禁「それはどういうわけだ、成公英殿」 成公英「各地から軍を率いている将たちの戦果が聞こえてきます。この陳留にも25000がいますが・・・」 于禁「たしかに我らは戦果がないな。今回まだ戦っていないのはこの陳留以外では許昌の15000だけだが」 成公英「そうです、そして許昌の杜預殿は新参ですが、古参の私としては忠誠を見せないといけません」 于禁「そうか・・・、では良い案がある。今、曹操軍が呂布軍の小沛を攻めているのだ」 成公英「というと、寿春の北の泗水のあたりでぶつかっているのでしょうか。それが何か」 于禁「うむ、実はな、両軍はなぜか譙や梁といった小沛の西側で戦っている。そこに参戦するのだ」 成公英「なんと、それは好機ですね。すぐに参りましょう于禁殿」 ということで何故か兗州付近でぶつかっている曹操軍と呂布軍の戦いに成公英隊8000騎と于禁隊8000騎を参戦させる。 火球で両軍に被害を与える目論見である。 呂布軍は張遼将軍、張角導師、呂岱提督といった面々。曹操軍の方は徐晃、郭淮、楽進などで、両軍共に精鋭である。 そこへ呂布の同盟軍である我が軍が勝手に参戦し、火球を放った後に突撃するという戦法で曹操軍に襲い掛かった。 曹操軍の部隊は火のついたマスに押し込まれ、火のダメージでかなり兵を損じた。 そうして呂布軍の戟兵部隊と協力し、敵の殲滅に成功。 この戦いで曹操軍の勇将徐晃、郭淮の副将曹髦と曹訓を捕獲して処断した(徐晃は必ず戟兵で出てきて撹乱もきかないので毎プレイてこずる武将)。 また呉の馬忠を登用した。 成公英と于禁は手柄を上げて無事陳留に帰還できた。 話は戻って、同じころの晋陽の本隊。 晋陽城を攻略した本隊は晋陽に駐屯せず、鄴にも戻らず、そのまま南皮へ行くことにした。 なぜなら平原城での戦いで公孫瓚軍は呂布軍に負けて城を取られただけでなく、南皮からの平原奪回軍も退けられたため、南皮城の兵力が手薄になっているためである。こちらは以下の兵力である。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏6000騎、華雄+李粛7000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)8000騎、董旻+歩隲 井闌8000 南皮城には君主の公孫瓚自らが20000で守っている。 我が軍は張燕隊と賈詡隊を鄴の守りに回して、井闌を含めた5隊で攻略に向かった。 迎撃にきたのは張郃、賀斉、傅僉、孟宗らの部隊であった。なかなか手強い相手である。 孟宗は一度捕虜にしたが登用を拒否されたので解放して、再び戦場で見えることとなった。 7月。両軍は南皮の南西でぶつかった。 まず張郃隊は王異の攪乱で放置。傅僉隊も攪乱し、楊奉の連戦で削る。賀斉隊には張繍隊がぶつかる。 最後に華雄隊が孟宗隊に突撃して、迎撃隊を沈黙させた。 この戦いで傅僉と賀斉隊副将の関靖を斬り、賀斉と牛金を捕虜にした。 この後2ターンで公孫瓚の守る南皮を落として、以下の武将を捕らえた。 公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、そして公孫瓚 君主公孫瓚を含む全員を処断した。 これにより公孫瓚軍は公孫越が継ぐことになり、数人の武将が下野したようだ。 結局、公孫瓚自身とは戦場で戦わないまま斬ったので敵の騎馬隊とはぶつからなかった。 最後に張郃隊を全部隊で叩いて壊滅させ、張郃は北平に退いた。 さすがに兵も減ってきたので、このあたりで鄴から輸送隊を出して補給させることにした。 渤海の北、天津近くの渡のあたりで董卓軍本隊は陣と軍楽台を作って駐屯させた。 264年7月 江陵の第3師団は公安港から兵力25000の武陵を攻めていた。 先発 張梁+賈充9000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)12000騎、牛輔+諸葛誕9000騎 本隊 郭汜+陸凱(指導) 木獣10000、李儒+胡車児9000騎、李通+蘇飛6000騎 後詰 凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊10000 武陵からは王平と張翼、周泰が迎撃に出てくる。 武陵近辺は平地が狭くて森が多いため、騎兵の力をうまく発揮できなかった。それでも張梁隊の「妖術」で混乱させて敵部隊を撃破できた。 良将王平を斬った後、郭汜隊が武陵城を落とした。 張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、孫魯班、周泰 といった武将たちを捕らえ、孫魯班と周泰を捕虜にして残りは斬った。 264年10月 この頃の我が軍の人事では既に牛金、周泰と孫魯班は登用できていた。また賀斉は脱獄していた。 さらに鄴では在野の黄巾将たちを盛んに登用して、何儀、程遠志、高昇、張曼成の4人を得ていた。 さて、その鄴は賈詡が新加入の将たちを使って徴兵し、洛陽から補給も受け、平和であった。 がしかし、ここに急を告げる斥候からの伝令が鄴の城門に駆け込んでいた。 賈詡「まずいな・・・、張燕将軍、飛燕の張将軍はおられるか、それから張済将軍も」 張燕「・・・おう、何事かあったか軍師殿」 賈詡「今、見張りから連絡があってな、薊の60000のうち40000が晋陽へ出撃したそうだ」 張済「ほう、それは大軍だな。だが董卓様には支障はないな。晋陽の兵力はどれくらいなのだ」 賈詡「0だ、一兵もおらん。晋陽は放棄してきたのだ張済殿」 張済「なんと。ではどうするのだ、その大軍と晋陽は捨て置くのか」 張燕「いや、今ならまだ討つ機会があるぞ。あの中山のあたりは道が狭く1部隊しか通れんのだ」 賈詡「よし、ならば討てる。すぐに出撃だ、お二人とも用意を」 張済「だが南皮へ兵を輸送に出したばかりで、この鄴には兵が18000騎しかおらんのだぞ」 賈詡「大丈夫だ張済殿、兵が足りない分は金と手間で補うのだ・・・(ニヤリ)」 ということで、賈詡、張燕、張済の3隊はすぐさま鄴から北へ向かい、薊の部隊を襲うことになった。 作戦は一本道の出口にひたすら豪火球を作り、敵部隊にまとめて被害を与えるというもの。 これによって敵軍は莫大な被害を受け、特に先頭を進んでいた敵将丁原は焼死してしまった。 恐るべし、豪火球。早くも2人目の犠牲者である。 それでも8部隊兵力40000を我が軍は5000ずつの3隊で迎え撃つため、どうしても突破されてしまう。 だがそこを張燕が突進で押し返すという二段の構えであった。 さらには最後尾を進む敵将公孫恭の忠誠が下がっていたので、これを寝返らせることに成功した。 しかし戦場の周囲には森が多く、騎兵戦法が使えないことも多く、最後は凄惨な叩き合いになった。 張燕が敵の宿将厳綱を討ち取り、張済も劉和を斬った。賈詡は孫観を捕虜にした。 こうして薊の敵部隊を全滅させたが、我が軍も最後は3隊あわせて7000ほどであった。 同刻、本隊も南皮で補給が終わり薊と北平に向けて進撃を開始していた。 薊からは最後のあがきとして王門と鄒丹が、北平からは田予が先鋒で張郃、李厳、賀斉、田楷などが出てくる。 華雄隊と張繍隊が薊の2将を撃破して斬り、董旻隊がほとんど空の薊を攻撃して落とす。 薊の城では張南、田疇、単経を斬った。 一方で北平へ向かう易京の隘路では押し合いの混戦になっていた。 ここで鄴からそのまま援軍に駆け付けた張燕隊の突破により、田予隊の副将張華が戦死する。 さらに太史慈隊が田予を討ち取り、董卓軍は北平の西の平野を目指した。 敵軍にはなかなかの将が揃っており、これが公孫軍との最後の激しいぶつかり合いとなるだろう。 265年1月 両軍の戦闘が始まった。 董卓軍6隊50000と公孫越軍5隊40000が正面からぶつかる。 井闌の董旻隊は待機しているので実質同数での戦いである。 まず張燕隊がいく。次いで太史慈隊。そして董卓隊。一気に押し込んでいけるのは騎馬突撃の醍醐味である。 敵の先陣の張郃隊と李厳隊を突き抜け、挟み撃ちの格好を取る。騎兵はこの戦術が強い。 張郃は再び攪乱させ放置、李厳隊の兵を削る。この間、賀斉隊の火矢が痛い。 張繍が李厳隊を倒して李厳を斬り、華雄隊も田楷隊を撃破して田楷を処断。賀斉を囲んで倒し、捕獲。 後から出てきた公孫越隊を撃破し、最後に張郃隊を倒して張郃を捕虜に。 この戦いの間に楊奉と州泰が寝返ってしまう。「騎神」もちの州泰の離反は痛い。 この後、北平の城を落とし、公孫越、蒋義渠、州泰、陳蹇、公孫度、孫礼、顧雍を捕らえた。 陳蹇と孫礼、公孫度は登用に応じ、顧雍を捕虜にして、残りは処断。 公孫越が死んだので君主にはなんと楊奉がなった。これによりまた数人が下野した。 265年4月 まさに騎虎の勢いで我が軍は襄平の城に迫った。 軍勢を2つに分けて張燕、華雄を先行させ、残りは大遼水の渡を越える。 張燕らは襄平の北、玄莵のあたりで智将田豊率いる5000とぶつかる。 「猛者」で負傷させて、あっという間に撃破。あわれ忠臣田豊は主君の仇も取れず、遼東に散った。 本隊がわずか4000の襄平城を落とす。 田豊が死んだ襄平には楊奉と季雍という武将の2人しかいなかった。 両名を斬り、ここに旧公孫瓚軍は滅亡した。 こうして董卓軍は平原城をのぞく河北の討伐に成功し、またまた董卓様の官職があがるのであった。 今回の犠牲者 49人 龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉 新加入 17人 厳畯、蒋欽、許攸、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼、公孫度 第7回 前回は河北制覇を全部書いたので、とても長くなってしまい大変申し訳ありませんでした。 今回も前回の続きで南征が中心ですが、いよいよタイトル通りいろいろ殺伐としてきました。 これからもお付き合いくだれば幸いでございます。 鄴にて・・・ 牛輔「公就任、まことにおめでとうございます、董卓様!」 董卓「おお、おうおう、感謝するぞ皆の者、まことにめでたい、めでたいことじゃ」 賈詡「皆の者、これからはもう董卓様とではなく、董太師とお呼びするのだ」 華李郭徐「おおー、董太師、董太師!」 董卓「くるしゅうない、くるしゅうないぞぉ皆の者」 李儒「(ぐぬぬ、賈詡め、わしも今言おうと思ったのに・・・)」 張済「董卓様…いや董太師、いま鄴の農民が銅雀を見つけたとの報告がっ」 賈詡「銅雀ですか。むむ、これは吉祥瑞祥でございますな」 胡軫「公就任のこの時にかような瑞祥が見つかるとは、太師のご懿徳によるものかと」 董卓「うむうむ、すぐに銅雀をまつる台を築くのじゃ」 李儒「(ぐぬぬぬぬぬ、おのれ胡軫め、今わしが言おうと思ったのにー)」 董卓「よしよし皆、いまは大いに飲んで騒いでくれ。だが、また明日からはいくさじゃ、頼むぞ皆の者」 一同「おおーっ」 わいわい… というわけで北をとった我が軍は南に向かい攻め入るのでありました。 他勢力はというと、 呂布―平原、北海、下邳、小沛、濮陽。劉備―永安、零陵、桂陽、長沙、柴桑 王朗―建業、呉、会稽。鄧艾―成都、江州。孟獲―建寧、雲南。袁術が廬江、曹操が寿春、鍾会が梓潼。 我が軍は鄴、江陵、武陵に60000~70000の兵が集まっており、その他は陳留と江夏に20000ほどで、それ以外の町は5000~8000の守備兵がいるくらい。 河北は鄴以外は兵0で将も0で放棄しています。つまり内政をやっていられないので少数精鋭でいくしかないという状況です。 265年4月 南の拠点、武陵。 武陵の内政、軍事施設建設がひと段落つき、再び進撃を開始することにした。 第3師団は凌統隊と張承隊を武陵に残して、李傕、郭汜、李儒、牛輔、張梁などが40000で向かった。 零陵には3人の欲しい将がいる。魯粛、王双、そして孫策である。城は兵力が18000しかないがその3人には油断はできない。 迎撃には孫策隊と馬忠隊、魏延隊が出てきた。魏延は李儒により盆踊りをさせて撃破、次に馬忠隊を集中攻撃して撃破。 馬忠を斬って、意中の王双を捕虜にする。 だが張梁隊の副将賈充が途中で劉備軍に寝返っていたので「妖術」はほぼ封じられてしまった。それでも郭汜隊の木獣が零陵を落とした。 太守の魯粛、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、陸鬱生といった武将を捕らえたので、魯粛と陸鬱生の二人を捕虜にし、残りは斬った。 さて、問題は孫策隊である。小勢で副将はいないが戟兵なのでめちゃくちゃ強い。 なんとか李儒の攪乱がきいて全軍がかりで倒したが、被害は大きく、肝心の孫策も逃してしまった。 265年6月 寿春の曹操軍が王朗と呂布によって2方面から攻められていた。 我が軍は漁夫の利を狙って、陳留の于禁たちを寿春に向かわせることにした。 まず王朗軍が江都港方面から20000がはるばる来ている。一方で小沛からは呂布、張遼、張宝などの精鋭が25000ほど。 対する曹操軍は40000ほどだが、そのうち10000は濡須港に駐屯しているので実質30000。 曹操の主力部隊は夏候惇、夏候覇、郭淮、呂蒙、曹彰などの精鋭。 両軍は北の渡しで呂布軍とやりあっていて、早速、呂布の突撃で曹操軍の卞喜を轢殺していた。 ここに于禁隊10000、成公英隊10000、馬忠(呉)隊6000も参戦する。 必殺の火球攻撃により夏侯覇隊副将の楊修が戦死。 夏侯覇隊を壊滅させ、副将の曹宇を斬ったことで、ついに攻め手は寿春北の渡しを突破した。 すぐさま寿春城の北で乱戦となったが、なんとここで王朗軍が水門を破壊。 呂布軍は張宝隊が全滅し、我が軍も馬忠隊と成公英隊が全滅という憂き目に。 最悪なのは曹操軍で、主力部隊が全滅して城壁もボロボロ、あの曹操もここまでであった。 呂布軍の文欽隊が寿春を陥落させ、曹操軍は滅亡。多くの武将が呂布に召し抱えられることとなった。 ちなみに王朗軍は呂布隊と張遼隊にボコボコにされて全滅しました。 265年8月 襄平からの輸送部隊が到着し、ようやく鄴に本隊の軍勢が揃った。 この間に鄴城の内政と在野になった旧公孫瓚軍の武将の賀斉と張郃を登用していた。 用意が整ったところで我が軍は呂布軍との同盟を破棄。渡しで待機させていた本隊で一斉に平原城に攻めかかる。 先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+賀斉13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000 本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000 兵器 張済+歩隲+文虎10000 輸送隊 何儀(運搬)1000、高昇(運搬)1000 平原の太守は張楊で、兵も12000ほどだったので迎撃にきた宋謙を斬って、あっという間に陥落。 張楊は逃したが、城にいた逢紀、陸績を斬った。 9月。本隊には兵糧輸送部隊をつけて、平原を取った勢いで北海城を目指す。 北海の太守はなぜか夏候尚で、配下も少なく、兵も15000ほど。 どうやら呂布軍は王朗軍と江都港のあたりの水上戦に人を割いていて、北は油断していたようだ。 さらに寿春の呂布軍本隊は大量に捕獲登用した旧曹操軍の武将たちの俸禄にも苦労しているようだった。 早速、迎撃にきた夏侯尚と卑衍の部隊を2隊を撃破して、2将を斬り、北海城を攻める。城には張楊などがいたが、やはりすぐに陥落。 またも張楊は逃すも、婁圭を斬った。 12月。いよいよ敵軍の一大拠点である下邳を目指す。 下邳には40000の兵がいて、おそらく迎撃には30000がでてくるはずなので、こちらも同数で出陣。 上記の編成の中から、張燕隊12000、太史慈隊10000、張郃隊10000を出すことにした。 しかし下邳。この城にはあの武将がいたのであった。 侵攻を知らせる伝令が走り、下邳城の廊下を駆けていく。 張楊「急報でござる、急報でござる!」ドタドタドタ 侯成「なんだなんだ、ご城主の前で騒々しいですぞ、張楊殿」 張楊「それも当然でござる。ついにこの城に董卓軍が押し寄せてきたようなのですぞ」 侯成「な、なんと、ついにか……(振り向きながら)どうなさいますか、ご城主」 ??「……フン、もちろん楽しませてもらう」 というわけで下邳城の北で戦闘開始。 張燕「やあやあ、我こそは張飛燕なり!」 太史慈「我らが騎兵の動きについてこられるか!?」 侯成「くっ、我らではかなわぬか…、ご城主、お願いいたす!」 張燕「……ぬうう、なに、まさか…」 呂玲琦「……涼州の騎兵か、できる、と聞いている。楽しませてもらうぞ」 太史慈「女…だと…」 呂玲琦「フン…、おい貴様、準備できているな?」 曹彰「応っ、当たり前よっ、いくぜっ」 張燕「し、『疾走』はまずい…。しかも2人だと…?」 りょ、りょ、呂玲琦だー。 敵軍は呂玲琦と曹彰を寿春から急遽下邳に回したらしく、2将が騎兵で出てきたのだ。彼らの『疾走』により我が軍は混乱。 部隊数は向こうの方が多いので被害も甚大。董卓騎兵軍は初の敗北を喫し、30000の兵が半分ほどに討ち減らされ、北海城に撤退した。 この敗北により本隊の侵攻は遅鈍することとなってしまった。 (ちょっと遡って)265年7月 零陵の李傕、郭汜、李儒らは桂陽を攻めていた。 上記の編成に加え、張承隊7000も補充して桂陽の19000と当たる。数はこちらの方が50000と多いのだが、敵は猛将ばかりである。 太守の孫堅をはじめ、孫策、黄蓋、韓当、呉懿、王濬、賈逵といった者たちが次々に迎撃にくる。 しかも戦場は森が多く、一本道でしか戦法と火球が使えないという地勢。 自分たちより能力が上の人たち相手に正面から殴り合いをするという最悪の展開になった。 結果、50000騎が30000ほどまで討ち減らされたが、こちらも王濬と呉懿を討った。 孫堅隊は李儒で攪乱させ壊滅させたのだが、またしても孫策+賈逵の4000と削り合いになった。 桂陽城は郭汜の木獣隊が陥落させ、孫堅は逃したものの韓当、祖茂、王粲を処断。 最後に全軍で孫策隊に突撃して壊滅させ、賈逵を捕らえて斬った。 また、残念なことに、この戦いの間に「疾走」もちの毌丘秀が劉備軍に裏切っていた。 265年10月 桂陽を落とした南征軍は気力回復してすぐに、荊南最後の都市である長沙に向かった。 長沙には20000の兵がおり、太守はあの姜維であった。その配下には孫策、程普、黄蓋という呉将と裏切り者の毌丘秀などがいる。 ここで武陵に残してきた凌統隊7000騎を羅県港から上陸させ、「釣り」をしかける。 長沙からは黄蓋隊5000が出てきた。同時に桂陽から本隊30000も侵攻する。 ぶつかり合いはまず汨羅の淵で凌統の突撃から始まった。 武力90の凌統の突撃で黄蓋隊副将の施朔が戦死し、2度目の突撃で一騎打ちが発生。凌統が勝ち、黄蓋を捕虜にした。 長沙城の南でも激戦が始まり、姜維隊、孫策隊、程普隊4000ずつとぶつかる。 特に姜維、孫策は槍兵の突きで1000は減るので脅威であった。 火球と戦法で兵を減らして敵部隊を一掃し、程普を捕らえ、姜維隊副将の裴元紹を斬る。 年が明けて1月にようやく長沙を落とす。 関寧、蒯越、麋竺、そして裏切り者の毌丘秀などの武将をきったものの、やはり姜維や孫策などは捕まえられず。 266年1月 南征の最後は柴桑である。 ここは、江夏に駐屯させていた胡軫らの30000を張悌と屯田もちの国淵らに授け、陸口港に入らせる。 陸口から繰り返し出陣して柴桑の施設を壊し、敵将の周瑜を疲弊させる作戦である。 周瑜が40000で守る柴桑城を落とすのはもう少し先になりそうだ。 ここでようやく南征にひと段落ついた。 荊南攻めで失った兵力を襄陽で張魯が補充する。それをまず武陵にまわし、長沙の兵力も合流させる。 既にもう次の作戦である。 永安には劉備軍60000と猛将たちが籠っているので正攻法はやめ、周りから取ることにした。 徐栄、胡軫らには漢中から梓潼を通って鄧艾の成都を攻めさせる。 そして李傕、郭汜らの軍団には武陵からはるばる南蛮を攻めさせるという作戦である。 4月。 南蛮へは大掛かりな遠征で、時間がかかるので、揃った部隊からどんどん出陣させる。 武陵は捕虜から登用した魯粛と黄蓋、新加入の鮑隆に任せて、主力の全軍で出陣する。 ふた月かかって建寧に入ったところで孟獲軍が迎撃に出てくる。両軍の先鋒が山深い南蛮奥地の牀柯のあたりでぶつかる。 こちらは郭汜、牛輔の20000で、敵は大王孟獲と帯来洞主の2隊18000、やや遅れて花鬘と鄂煥の2隊12000。 孟獲「おい、おまえら、この南蛮に攻めてくるとはいい度胸じゃねえか」 郭汜「おう、貴様らなんぞ我らの敵ではないわ」 孟獲「上等じゃねえか、おまえら絶対に返すわけにはいかねえな!おう、帯来、やっちまえ」 帯来洞主「おうっ!」 牛輔「なんの!このっ」 という感じで戦闘開始。 最初に突出してきた帯来隊を撹乱からの一騎打ちで牛輔が撃破して、捕獲、即処断。 孟獲隊はなかなか硬く、手こずっている間に敵軍の後続部隊とこちらの李傕、李儒などが追い付く。 花鬘と鄂煥には李儒の偽報で帰ってもらい、孟獲を攻撃。 敵は戟兵なのでこちらもまとめてダメージをもらう。が、なんとか孟獲隊を撃破し、花鬘隊と鄂煥隊においついて殲滅する。 迎撃を跳ね返した我が軍はここからふた月ほどかけて雲南に向かう。 ここで少し時間を遡って266年4月の荊北の様子を見る。 まず襄陽の張魯らが今度は成都攻め用の兵を用意している。 成都攻めには徐栄と胡軫に加え、黄巾の張曼成、北海で登用した管亥を主将に起用する。 また、徐栄の守っていた江陵城は樊稠、李通、臧覇らに50000で任せることにした。 江夏は杜預が5000で駐屯中、宛も吾彦が5000で涼州から来る兵糧の輸送を担っている。 新野でも徴兵と造船を行っており、漢中と汝南、陳留に増派する分の兵力60000をこつこつと貯めていた。 徐栄らは襄陽と新野から20000ずつ兵を受けて漢中に向かっていた。 その頃、大兵力の新野は董旻が太守として守っていた。 董旻「はぁ・・・ワシの兵器部隊が張済なんぞに回されてからというもの、どうも面白くない」 許攸「おや、董旻どの。どうかされましたかな?」 董旻「いや、新野に来て以来まったく活躍の場がなくてなぁ。兄上はどう考えているのかと」 許攸「董太師のご批判とは、な、なんと畏れ多い」 董旻「構わん、ワシは弟じゃ。ここまで来られたのもワシの兵器部隊がよく働いたからであってな」 許攸「・・・・(ほう、私もこんな田舎で働くのは真っ平なのだ)」 董旻「ワシが精魂込めて火矢を作ってだな・・・あれをああしてこうして(ブツブツくどくど)」 許攸「・・・(使わせてもらうか)、董旻どのはご存じですかな?」 董旻「ん?なんのことじゃ?」 許攸「今の太守は董旻どのですが、新参の公孫度という者がここの太守になるというのを」 董旻「なんと・・・ではワシは異動か?」 許攸「いえ、そういうわけではないようで、そのまま公孫度の下でしょう」 董旻「むむむむ、ワシを馬鹿にするのもこれ以上は許せんぞ!」 許攸「・・・実は私はその公孫度とは旧知でしてな。どうやら彼は着任して造反するようなのです」 董旻「なんだと・・・?では、裏切り?」 許攸「そうです。私もここで終わるつもりはありません。董旻どのはいかがされます?」 董旻「・・・・わかった、やる、やってやる。兄にワシの本気を見せてやる!」 デデーン どうなる?、と皆様に思っていただいたところで、容量の関係によりまた次回! 続きはもう出来ているので順次アップさせていただきます。今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。 今回の犠牲者 27人 馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主 指名手配 7人 賈充、毌丘秀(処断済)、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲 新加入武将 7人 賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥 董卓軍忠臣メンバー能力表の徐栄が徐英になってる -- 名無しさん (2011-07-23 16 56 32) 冥府への送り手www 好きな武将の太史慈には裏切って欲しくない -- 名無しさん (2011-07-24 11 05 15) 馬超よ~~~~ -- 名無しさん (2011-07-25 22 25 58) 名族たる私がこんなところで -- 袁紹 (2011-07-25 23 37 31) コメントありがとうございます。徐栄を修正しました。馬氏や袁氏など漢朝系の武将は董軍と相性最悪なので今回は泣く泣く斬っています…。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 09 52 43) 遅くなりましたが更新させていただきます。 -- 董卓の日記著者 (2011-09-27 11 21 39) 乙です -- 名無しさん (2011-09-28 12 48 20) これって味方の裏切りもあえてねらってます?それともトウタクだから? -- 名無しさん (2011-09-28 18 37 07) 不用意に忠臣の誰かが轢き殺されて、郭汜「李傕ゥーー!!」みたいな展開キボン -- 名無しさん (2011-09-28 21 35 55) コメントいただきありがとうございます。↑2の方、真の忠臣は裏切らないと信じ忠誠はほぼ放置してます。↑1の方、そうなったらなったで面白いですねー。忠臣は大事に育てていたのですが… -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 02 28) あと、恥ずかしながらCOMに白兵戦で負けましたw しかも騎兵同士の…w -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 03 44) 疾走は強すぎだ、とにかく森で逃げて闘うしかないですな!曹彰まじ最強っす -- 名無しさん (2011-10-02 19 38 13) 忠臣の誰かが裏切っても銀英伝のロイエンタールみたいでおもしろいかも。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 18 48) トウタクと親愛設定されてる忠臣は無理だけど。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 20 03) 筆者もこのままいくと忠臣7人しか残らないんじゃないかと心配し始めました。最初に親愛設定しておいてよかった。だが董旻は兄弟なので親愛つけてなかったんですよね・・・ -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 36 22) ↑4の方へ。曹彰の疾走は強いですね、やはり私の胡軫の疾走より撹乱率が高いようです。でも出来ればこのメンツで森での殴り合いは避けたいです… -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 41 09) ここまでお付き合い頂きありがとうございます。最近は敗戦続きでまだまだ董卓軍の戦いは続くようです。次回もお付き合いいただければ幸いでございます。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 43 14) 名前 コメント
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手強そうな君主が多いですが、呂布や張宝などロクに特技を覚えていない敵武将が多いので思ったほど難しくないです。 1ヶ月目はまず将軍の任命をし、許昌で募兵を行い曹操、夏侯惇、許褚に兵1万ほどを割いて大将扱いにします。 勇名1500の武将は兵3000から5000ほど与えて副将扱いに 雁行と方円や激励役に兵1を持たせます。 除州に曹操、副将1人、陳留・濮陽から3人ほどと兵1の雁行・方円部隊を5人用意して出撃。 呂布以外を捕らえたら曹操と雁行・方円部隊で呂布を一方的に撃ちまくると被害が最小限に押さえられるでしょう。 全員捕らえて金と米を奪い、譙に逃げてくれたらそのままもう一度戦争を吹っかけます。 敵は米がないので陳留や濮陽の適当な武将で十分勝てるはず。 2ヶ月目は分断された張角の手下に大将を1人ずつ分けて3回戦争を挑んで倒せば倒せるでしょう。 3ヶ月目に鄴を塞いで張角を滅ぼし(アイテムで妖術を使ってくるので注意)あとは力押しなり兵糧攻めなりで 5~6ヶ月目には袁紹を倒せるはずです。 最高記録は4ヶ月で名声750を超えるそうですが…1ヶ月目に袁術を倒して玉璽を入手、2ヶ月目から4回行動にして手数勝負でしょうか。
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