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久々に見てみたけど、クビライの魅力と列伝が悪意に塗れてないか? 履歴見直したら2013年に改変されたようだけど。 今の決まり事だと魅力の変更は無理だとしても、せめて列伝だけでも以前のに差し戻せないかな? -- (名無しさん) 2016-03-19 19 59 33 列伝だけ戻したら余計魅力9が謎にならないか? 「こういう歴史観に基づけばこういう能力になりますよ」というのが列伝の併記じゃないかね 極端なこと言えば外国の人が日本の登録武将の能力見ても、すぐに納得できるケースは少ないだろう -- (名無しさん) 2016-03-19 21 15 54 流石にここまでひどいのは大半の人は参考にしないでしょ -- (名無しさん) 2016-03-20 10 45 08 そりゃ人によるでしょ その人物をどう見るかなんて千差万別だし 例えば日本の天下人の徳川家康だって 「文武両道の天才で耐えに耐えて実力者となり幕府を開いて天下泰平を築いた名君」だという人もいれば 「秀吉が築いた豊臣政権を最後に簒奪して得をした不忠だらけの卑怯な暴君」という人もいる。 魅力が低い有能な人物は「みんなの新武将」で何もクビライだけに限ったことではないし そこは登録する人が好きにすればいいさ -- (名無しさん) 2016-03-20 10 58 20 列伝の差し戻しを最初に提案した者ですが、 列伝の中身に間違いが多いのが気になるんですよね。 クビライは大理遠征や南宋戦争では虐殺を禁じているし、 列伝にある金の滅亡や、中東・欧州への侵攻はクビライの前の時代の出来事だし。 モンゴル軍の残虐行為を全部クビライに押っ被せているようにしか見えなくて…。 -- (名無しさん) 2016-03-20 13 29 20 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html 「列伝は250字を越えないようにしてください」との文言があったので 勝手ながら一部添削、修正を加えました。元の文にあった列伝は 補足としてそのまま残しておきました -- (名無しさん) 2016-03-20 14 18 28 能力値は原則的に一人一つまでとされているのに、補足という形とはいえ複数の列伝を載せてよいのかな? 能力値の追加が禁止された経緯を考えると、かなりルール違反に近い行為のように思える。 250字以内に添削された方だけを残して、250字以上の方は消した方がよくないかな? -- (名無しさん) 2016-03-21 00 17 33 能力値と列伝の併記はまず置かれた状況が全く違う。 能力値に関しては存在そのものが編集合戦の温床となっており どのページでも大なり小なり問題を内包していたのに対し 列伝に関しては編集合戦の火種になったことは現状ほとんどなく ゲームシステムとの兼ね合いでルールが定められたにすぎない 無論列伝ルールがある以上250字以内にするのが望ましいのであるが、 補足ないし列伝の記述ボリュームに関して否定的な意見はほとんど寄せられていない。 これは適正、特技、親愛嫌悪候補が複数あってもさほど問題になっていない現状とよく似ている。 まず大前提として、基本的に削除というのは最後の手段。 編集合戦などが発生して収拾つかなくなった場合などに使うのが望ましい。 削除された側が不満を持つ可能性も当然大いにあるわけで、それが編集合戦を呼び込んでは本末転倒 能力値の追加禁止は、先に一部の心ない編集者達が悪用したのが原因であり、列伝と同様の状況とはいえないだろう -- (名無しさん) 2016-03-21 00 58 52 列伝に関しては編集合戦の火種になったことは現状ほとんどなく 削除された側が不満を持つ可能性も当然大いにあるわけで、それが編集合戦を呼び込んでは本末転倒 これまで編集合戦の火種にならなかったのなら、添削前の列伝を削除しても問題ない。 これから編集合戦の火種になる可能性があるのなら、能力値と同じく列伝も一つに限定した方がよい。 ……とは考えられない? まず大前提として、基本的に削除というのは最後の手段。 「添削」という言葉には「削除する」という意味も含まれているのだから、 列伝の添削に関しては添削前の文章は残さないのが基本では? もともと添削前の250字以上の列伝はゲームでは使えないわけだし、 ゲームに使えない列伝(書いた本人でさえ間違いなく使用していない列伝)をゲームのwikiに載せておいて、 ゲームで使えるように修正されたら怒り出すような人たちに、そこまで配慮する必要があるかな? -- (名無しさん) 2016-03-21 22 55 34 ↑の追記 自分が心配しているのは、前に「現編集前」という項目が作られた時のように、 「何らかの形で編集前のデータを残し、以前の編集者を尊重する姿勢を見せさえすれば、自由に編集してもよい」 と考える人が出るのではないか、ということなんだよね。心配しすぎだとは自分でも思うけど。 -- (名無しさん) 2016-03-21 23 23 37 確かに、実際に火種になるなら、列伝に関しても「1つだけ」とする必要はあるかもしれない でも実際に編集合戦の火種になっていない以上はできる限り編集者の意向を尊重すべきだと思う なんでもかんでも削除、1つに拘ると、自治を目的と欺いて都合よく改竄する連中が出てくるかもしれない。 あと、能力値の問題に関しては、問題を起こした編集者達は基本的に他の編集者を尊重していない。 そちらの言う能力値追加禁止のルールの原因になった編集者たちは 何度も自分の都合よく能力を改竄して、ルールの隙を突く形で無理やり自分の考えた能力値を記述し それに異論や反論のある人間を一切無視していた。もともと能力を2つ以上併記するのは 光武帝、朱元璋、秀吉などのように「ゲームシステムで反映できない本人の変化を、2つ能力を作ることで強引に反映させた」 ものがほとんどであり、それを無視して改竄追加をする問題行動になったからこそのルール追加であって。 「列伝を1つにする」というのは、個人的には編集合戦や問題起こってから議論するくらいでいいと思う。 あくまで皆で決めたルールが第一だからね。それ以上のことをやるのもどうかと -- (名無しさん) 2016-03-22 00 17 30 クビライの能力や列伝の悪意が凄まじいな 「巨大な放牧地」を目指したなんて デタラメもいいところ -- (名無しさん) 2016-04-08 02 41 50 補足はあくまで補足だからね ローカルルール改訂前に変更されてるから仕方ない -- (名無しさん) 2016-04-08 05 22 44 それにしたって酷すぎると思う wiki読んだだけでも、嘘だってわかるようなことを 堂々と書く事が信じられない 統治をみたら、放牧地にされたところなんで 一体どれだけあるのやら -- (名無しさん) 2016-04-08 13 35 04 あくまでデータサンプルだからね ぶっちゃけここ三国志のページなんで「嘘」でも大したことはない。 なぜなら呂布と劉備・関羽・張飛が一騎打ちしたのも史実に基づけば「嘘」 張飛の息子の張苞が活躍したのも「嘘」だし関索の活躍も「嘘」だからね -- (名無しさん) 2016-04-09 05 43 48 そういう講談のお話と、悪意のある中傷とを 一緒くたにはできないでしょ 三国志の人形劇でリョモウが関羽をおびき出す為に 住人を虐殺した設定になってたけど それを列伝として記したら確実に訂正入るでしょ -- (名無しさん) 2016-04-10 01 10 52 個々人の調整でいいと思うのですが -- (名無しさん) 2016-04-10 22 21 45 クビライの一件から、新武将の各ページの編集履歴調べたら、 2013年12月2日~5日あたりにかけて行われている更新に問題がありそう。 元々250字以内でまとまってた列伝に対して、残虐性を強調したり卑猥な表現を大幅に加筆してあるのを散見。 例を上げると、五胡十六国の石虎、唐の武照(武則天)や安禄山、五代十国の朱全忠とか。 中国史における負の側面を否定するわけではないけど、 悪意をもって不必要なまでに貶めている記述はさすがにどうかと思う。 -- (名無しさん) 2016-04-10 22 54 21 ↑ 例に上がった人物読んだけど、どれも酷かった しかも馬鹿の1つ覚えで、能力の魅力1桁 特技は強奪に設定してるみたい まず間違いなく同一人物の編集でしょうね -- (名無しさん) 2016-04-11 01 50 34 2016-04-10 01 10 52 氏 でも、現実問題として訂正は今まで入ってないよね しかも上のコメントで検証してくれた人によれば変更時期は2013年の12月の話だという つまり約2年そのままになっていたことになる これが「みんな了承していた」か「みんな放置していた」かどうかは ともかくとして、少なくとも訂正されなかったことは確か。 もしその1人の編集者の編集内容を是としないのであれば 大元のページでまずはルール改訂の要請をするのが先だと思う ただし、能力値については既に変更不可というルールが決まってるので 改訂要請はもっぱら列伝だけになると思うけど http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html -- (名無しさん) 2016-04-11 15 17 46 人気武将ならもっと早く指摘が入ってたと思うよ 今まで入ってなかったから、是とするというのは ナンセンスだね 劉備の列伝で、人肉料理を出されて感激するような 酷薄な人物だった。なんて書かれて 魅力1桁、特技強奪とかに変更されてたら 間違いなく早々に問題になってる いま挙げられてる人物の列伝は、特に武照なんか これより酷い -- (名無しさん) 2016-04-11 16 40 03 それは武将によるのではないか? 確かに劉備ならば、そのような反対意見が出るかもしれない。 でも董卓であれば?呂布であれば? 「董卓や呂布は武将としての力量に優れていたが、残虐性は酷く~~」と 列伝にあったとして、果たして反対意見が出たであろうか? 少なくとも石虎と武照に関しては史実ないし講談での逸話で残虐性のあるエピソードは確かにある それを是とするか非とするかは当人次第ではなかろうか? 正規の方法を問わず列伝を改変するのは果たして良いことであろうか? 編集合戦の引き金にしかならないような気もするが -- (名無しさん) 2016-04-11 21 58 18 ↑5を見て他にも調べてみたら、隋の煬帝の列伝も書き換えられていたみたいだね。 ただし、煬帝はそれなりに有名人だからなのか、二週間くらいで書き直されて、 四ヵ月後にまた戻されたけど、最終的に「250字の制限を超えるな」というコメント欄の意見が通り、 中立的な内容の列伝に落ち着いている。 これを見る限りでは、250字の制限を守れているか否かというのは、 編集合戦を止めるほどの説得力があるようだから(個人の歴史観云々とは次元が違う話なので当然ではある)、 武則天や安禄山の列伝が気になるなら250字以内に書き換えてもいいんじゃない? -- (名無しさん) 2016-04-11 22 52 17 でも煬帝ですら一度戻されているってことは編集合戦の要因になりうるってことじゃないのかな? その時は元の編集者側が折れたのかもしれないけど、今回あるいは次以降もそうなるとは限らない 字数制限を緩和するだけなら補足なりなんなりで残す今の形の方の方が妥協点としていいと思うんだが。 むしろ「この列伝は悪意にまみれている!こんなの俺が認めない!変更させろ」ってなってしまうと それこそ全く収拾つかなくならないか?って話になりそうなんだよな -- (名無しさん) 2016-04-11 23 08 40 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html 暫定案ですが多くの案を取り入れ ローカルルールを変更しておきました。 列伝作成者(編集者)の意向を 取り入れつつ、正当性に関しての 記述も付け加えておきました。 異論ある場合は当該ページコメント欄で お願いします。 -- (名無しさん) 2016-04-11 23 46 34 晩年は専ら色道に耽り、巨大な女性器の持主でもあった彼女は、齢80超でも巨根の男妾を抱えたと謂う。 武照の列伝から抜粋だけど、こんなもん歴史観だの史実だの 講談だの持出すレベルじゃないよ。ただの卑猥な中傷 クビライにしても、彼の足跡から 中国全土を放牧地にしようなんて 狂人の素行は全くみえない 曹彬に学べという逸話もある -- (名無しさん) 2016-04-10 22 54 21 が指摘してる日時の内容のみ、以前のものに 差替えで問題ないとおもうが -- (名無しさん) 2016-04-14 02 40 44
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<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで12年の間に殺した武将は150人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横/朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿/陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀/王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀/関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 (指名手配)なし 全武将の4分の1を殺したことになります。おそらくみなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかもしれません。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださって、お付き合い頂ければうれしいです。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 董卓軍忠臣メンバー能力表(緑字は育成による上昇を含んで成長した数値、赤字は純粋に成長した数値です) 名前 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 騎馬 コメント 董卓 81(7) 95(8) 69 20(1) 57(20) 徴税 A 悪路王と勝手に綽名する。魅力が低いせいか忠臣以外の武将の忠誠が下がりやすい気がする 李儒 71(10) 26 95(2) 82(7) 38 徴収 A 董卓様の懐刀。統率を上げて戦う軍師に変身。前半の内政が彼頼みだったので政治が伸びすぎ 李傕 76(8) 80(8) 24 1 17 S 舞頸の李傕と綽名する。統率の高い敵将にも突撃しまくって戦死を狙い、敵味方構わず兵を減らすため 郭汜 76(12) 79(3) 14(1) 14 13 A 騎馬だけでなく木獣隊も率いる。彼を使っていると能力値70のありがたみに気付かされる 華雄 83(2) 95(2) 67(11) 41(1) 57 猛者 S 我が軍の急先鋒、天空星華雄。彼が一番武将をひき殺し、捕獲し、処断しており、冥府への送り手 徐栄 83(3) 79(3) 67(11) 44(1) 42 長躯 S 華雄と並んで頼りになる将。第2師団を率いて南方で戦う。今後、彼を用いた別の作戦を考案中 胡軫 78(13) 82(8) 12 15 21 疾走 S 前半は留守番が多かったが、最近成長著しい。俺の騎馬戦法は一味違うぞと言いながら突撃する男 樊稠 78(12) 75(2) 31 25(1) 39 A ここまで目ぼしい活躍はないが、彼だけ水軍をAに育成したので南部制圧で出番が来るだろう 李粛 47(1) 71(2) 60(1) 19(4) 36 明鏡 A 「明鏡」をつけて華雄の副将をつとめる。おかげで結構能力値が上がっている 董旻 50(1) 77(17) 26(1) 16(4) 23 A 兵器をAにして井闌隊を率いている。兵器は武力があればいいので統率はいらないことに気付いた 牛輔 39(1) 78(18) 21 27(1) 37 A 武力を育成して一騎打ちの後詰要員だったが、諸葛誕と義兄弟になったので今後の活躍に期待 張済 71(1) 76(10) 52 53 55 連戦 A 能力に穴がなく使いやすい。張繍軍時代に武力と特技を育成されていた模様。イケメン 第3部 「南船北馬、いや南騎北馬」 第6回 ようやく半分近い城を攻略することができました。 私はダラダラと長い文章を書いてしまうので、読みにくく分かりにくいプレイ日記になってしまっておりますが、ここまでお読みいただいた皆様に感謝したいと思います。 出来るだけ戦死を発生させようと日々突撃を繰り返しておりますが、なかなか発生せず、プレイ日記も盛り上がりに欠けているように思います。 何卒ご容赦ください。 ここからは出来るだけ分かりやすく、面白く書けるように努力いたしますので、先が気になるという方がいましたらどうぞお付き合いください。 それでは董卓軍のプレイ日記を書いていきたいと思います。 264年1月 鄴にて・・・ 董卓「ううむ、爽快であった。いくつもの戦に勝った、そしてたくさんの敵将も斬った」 張済「はい、おめでとうございます。たったの1戦で敵軍を滅ぼしましたからな」 董卓「しかし、乱世とは何があるかわからんもんじゃな。あの袁紹がこうも簡単に滅ぶとはの」 賈詡「さようでございますな。しかし、それほど公孫瓚は手強いということでしょう」 董卓「公孫瓚も騎兵で有名じゃな。我らは勝てようか」 賈詡「公孫瓚軍は南皮、晋陽に兵を集めており、今は平原城で呂布軍と争っているようです」 張繍「さらに公孫軍の騎兵は白馬ばかりで、その白馬を活かした騎射が強力であると聞きます」 董卓「ふむ、だがそれは逆に肉薄すれば対抗できるということじゃな」 華雄「左様でござります。白兵によるぶつかり合いでは我が軍の方が上かと」 賈詡「しかし我が軍は遠征の途上で、兵の補充ができません。向こうは大軍を擁しています」 董卓「そうは言っても我らではとても内政などやってられんぞ」 華張太「・・・(こくこく)」 賈詡「わかっております。ですから敵の意表を突き、このまま進軍しましょう」 太史慈「おお・・・」 賈詡「まずは晋陽です。あの辺りの地勢に詳しい張燕殿と私で鄴の北から常山周りで攻め入ります」 張燕「おう、お任せを」 董卓「なるほどのう、お主らが城から敵を誘き出している間に我ら本隊が南から攻める、と」 賈詡「左様でございます。鄴の守りには張済殿の部隊を残し、全力で敵を討ちましょう」 董卓「よし、参るぞ皆の者、敵の騎兵を殺しつくしてやれ」 華張太「おおー」 賈詡「・・・(さて、南はどうなることかな・・・)」 そのころ新野では・・・ 胡軫「むむむ・・・」 樊稠「ん・・・、おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「おう、樊稠殿か。貴殿は歯がゆくないのか、我らはこの城に取り残されてしまったのですぞ」 樊稠「・・・(何やら前にもこんなことがあったような)、えーと、それはどういうことでござる」 胡軫「よいか、今や我ら南方軍の前線は襄陽と江陵で、この新野は補給中継都市に過ぎないのだ」 樊稠「ふむふむ・・・(・・・あ、長安の時と同じだ)」 胡軫「その我らができることは江夏城を攻めることしかないのだ」 樊稠「なるほど、江夏の城は河から攻めることができますな。しかし肝心の船がないでござる」 胡軫「ふふふ、安心めされよ、既に造船が得意だという許攸という者に命じて船を用意させているのだ」 樊稠「おお、となると出撃できますな。それがしはこう見えても水軍には自信があってござる」 胡軫「では早速、徐栄殿も呼んでくるとしよう。参りますぞ樊稠殿」 樊稠「応っ」 さらに同じころ、江陵城では・・・ 李儒「ふふふ、これからだ、これからなのだ・・・(ブツブツ)」 李傕「おう、軍師殿。どうなされたのだ」 郭汜「何やら考えごとをなされていたのか軍師殿」 李儒「おや、李将軍に郭将軍か。私はもう軍師ではないのだよ。それでも、これからの戦略を考えておったのだ」 李傕「ほう、それはどのようなものなんだ軍師殿」 李儒「もう軍師ではないのだがな、私が思うに劉備軍はこの江陵城に遠からず押し寄せてくるであろうと思ってな」 郭汜「そ、それは困るではないか軍師殿」 李儒「まぁ私は別に軍師ではないのだがな、我らはこの城をあけわたして、劉備軍が入城したところを襲おうと思うのだ」 郭汜「なるほどなぁ軍師殿。って・・・え、一度城をとらせるのか軍師殿」 李儒「・・・(人の話を聞いておるのかタコ助どもめ)」 李傕「城を取らせてすぐに取り返せるのか軍師殿」 李儒「大丈夫じゃ。李傕殿が江陵の主将でいると城の耐久は回復しないから楽に攻められるのだ」 郭汜「そ、そうなのか。それは名案だな軍師殿」 李儒「その後は兵力の減った劉備軍の都市を襲えばよい。董卓様は内政より城の数をお求めだからな」 郭汜「それなら俺らの出番は多そうだな軍師殿」 李儒「左様。期待しておりますぞ、董卓軍の双璧と言われるお二人に」 李郭「おおうっ」 李儒「ふふふ・・・(そして私も軍師の座に返り咲くのだ・・・)」 というやり取りが各地であったと思われるので、今回は 「董卓千里行」、「胡軫船下江」、「李儒荊南攻」 の3本をお送りしたいと思います。ちなみに能力研究ですが「水神」、「洞察」、「指導」が出ており、「指導」を研究しました。 264年1月 この頃、紙芝居でもお分かりかと思うが我が軍は大きく3つに分かれていた。 鄴の董卓軍本隊、新野にいる徐栄の第2師団、襄陽と江陵の李儒、李傕、郭汜らの第3師団である。 襄陽は南へ攻める拠点なので少しずつ内政を行っており、鄴では兵舎だけ立てて城兵の確保をして、馬は洛陽からの補充を待っていた。 新野では新たに蒋欽と厳畯、さらに「造船」もちの許攸が加わり、前回に捕らえた呉将たちと合わせて水軍の準備をしていた。 順番に詳しく見ていきたい。 鄴の董卓本隊は張済隊を城の守りにおいて、休む間もなく晋陽を攻めることにした。 晋陽には60000の兵がいるので、「釣り」を使うことにした。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏7000騎、華雄+李粛+州泰(騎神)8000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)10000騎、董旻+歩隲 井闌8000 別働隊 賈詡+張闓6000騎、張燕+楊阜+楊祚(築城)7000騎 王異は特技を書き換え、楊祚には「築城」をつけ、州泰は劉備軍から新たに引き抜いた武将だ。 先鋒と本隊は壺関から晋陽をつき、別働隊は晋陽の東から攻めて敵をおびき寄せる。 壺関は賀斉将軍が6000で守っていた。 しかし井闌隊があっという間に関を落とす。ここでは誰も捕まえられず。 関を抜け、上党のあたりを北上すると晋陽の難所の一つである陽曲の一本道にさしかかる。 ここには公孫瓚軍による董卓軍歓迎委員会が熱烈な歓待をしてきた。 それは先の賀斉、そして公孫続、龔都、傅彤といった猛将たちであった。 一方の別働隊の方にも敵部隊が迎撃に出てきていた。こちらは公孫範、朱霊、孟宗、文虎らである。 それぞれ4000~5000ほどである。とにかく賈詡と楊阜で攪乱を行って足止めをする。 その間、本隊は一本道の敵と一進一退を繰り返していた。が、我が軍はここで新兵器を投入したのだ。 そう、技巧研究によって開発された豪火球である。これを一本道に向けて発射する。 これで敵軍は大きな被害を受け、敵将龔都は一発目の火球で戦死。 火勢が衰えたところへ張繍が突撃して傅彤隊を撃破、主将傅彤を捕らえて処断。 次いで公孫続隊も張繍隊が撃破して、副将の韓莒子を斬った。 賀斉隊も倒すといよいよ城に取りつき、ひと月で陥落させた。 ここでまたも賀斉と公孫続を逃したが、荀諶と魏攸の2人を処断して、賈範を捕虜にした。 別働隊では張燕が混乱した朱霊を一騎打ちで倒して処断し、賈詡が孟宗と文虎を捕虜にしていた。 挟み撃ちに行った華雄隊が公孫範隊を撃破し、晋陽は董卓軍のものとなった。 新野では造船が行われていて、3隻完成したところで江夏を攻めることにした。 胡軫+費耀(猛者)+朱異9000騎、樊稠+左奕(連戦)+張悌9000騎、徐栄+楊昂(猛者)+留賛10000騎 で湖陽港を出て河から江夏の内政施設と城を攻める。 江夏城は「火神」の名将周瑜が20000で守っているが、配下で目ぼしい将は周泰くらいしかいない。 夏口の側の町を壊すと、あわてたように周瑜隊と周泰隊、留平隊が出てくる。 周泰が夏口港に入ったので出口を塞ぎつつ港を落とす。周瑜隊があたふたしている間に江夏城を攻撃。 樊稠と徐栄が周瑜隊の相手をして、胡軫は江夏城を攻撃する。 こちらの2隊はかなりの被害受けたが、その間に胡軫が江夏を落とす。 その後に3隊がかりで周瑜隊と戦うも周瑜は途中で逃走し、留平隊が夏口から出てくる。 これも粉砕して夏口を抜き、とりあえず胡軫ら3隊は江夏城に駐屯することにした。 264年3月 江陵に向けて劉備軍が出撃したとの報が入る。 永安と長沙から来るようなので李儒をはじめ、以下の軍容で敵をギリギリまで待つことにした。 主力 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎、李儒+胡車児8000騎 後詰 郭汜+陸凱(指導)木獣9000、李通+蘇飛6000騎、凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊20000 といった面々である。 やってきたのは趙雲、関羽、張飛などの虎将たちの30000で、我が軍は江陵城を出て長坂の渡で待機。 彼らが無人の江陵城を取って内政を始めたのを確認して襲撃した。 趙雲と関羽は内政をしていたので張飛のみが迎撃にきた。もちろん李儒が攪乱して放置。 2、3ターン経ったところで関羽隊と趙雲隊も出てくる。火球に巻き込みつつ城を攻撃する。 関羽の戟兵、趙雲の槍兵の一撃ですごい被害を受けるも、江夏から徐栄隊、胡軫隊6000が駆けつける。 胡軫の「疾走」が趙雲に決まり、李儒も関羽隊を攪乱させ、殴って火をつける。 その間に郭汜の木獣が火を噴いて江陵城を再び落とす。 捕らえたのは太守の諸葛瞻以下、 董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤 といった面々で捕虜枠が埋まっているので全員を処断した。 最後に趙、関、張の3部隊をそれぞれ撃破した。 264年5月 陳留の城は于禁と成公英が留守を預かっていた。 成公英「うーむ、少しまずいな・・・」 于禁「それはどういうわけだ、成公英殿」 成公英「各地から軍を率いている将たちの戦果が聞こえてきます。この陳留にも25000がいますが・・・」 于禁「たしかに我らは戦果がないな。今回まだ戦っていないのはこの陳留以外では許昌の15000だけだが」 成公英「そうです、そして許昌の杜預殿は新参ですが、古参の私としては忠誠を見せないといけません」 于禁「そうか・・・、では良い案がある。今、曹操軍が呂布軍の小沛を攻めているのだ」 成公英「というと、寿春の北の泗水のあたりでぶつかっているのでしょうか。それが何か」 于禁「うむ、実はな、両軍はなぜか譙や梁といった小沛の西側で戦っている。そこに参戦するのだ」 成公英「なんと、それは好機ですね。すぐに参りましょう于禁殿」 ということで何故か兗州付近でぶつかっている曹操軍と呂布軍の戦いに成公英隊8000騎と于禁隊8000騎を参戦させる。 火球で両軍に被害を与える目論見である。 呂布軍は張遼将軍、張角導師、呂岱提督といった面々。曹操軍の方は徐晃、郭淮、楽進などで、両軍共に精鋭である。 そこへ呂布の同盟軍である我が軍が勝手に参戦し、火球を放った後に突撃するという戦法で曹操軍に襲い掛かった。 曹操軍の部隊は火のついたマスに押し込まれ、火のダメージでかなり兵を損じた。 そうして呂布軍の戟兵部隊と協力し、敵の殲滅に成功。 この戦いで曹操軍の勇将徐晃、郭淮の副将曹髦と曹訓を捕獲して処断した(徐晃は必ず戟兵で出てきて撹乱もきかないので毎プレイてこずる武将)。 また呉の馬忠を登用した。 成公英と于禁は手柄を上げて無事陳留に帰還できた。 話は戻って、同じころの晋陽の本隊。 晋陽城を攻略した本隊は晋陽に駐屯せず、鄴にも戻らず、そのまま南皮へ行くことにした。 なぜなら平原城での戦いで公孫瓚軍は呂布軍に負けて城を取られただけでなく、南皮からの平原奪回軍も退けられたため、南皮城の兵力が手薄になっているためである。こちらは以下の兵力である。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏6000騎、華雄+李粛7000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)8000騎、董旻+歩隲 井闌8000 南皮城には君主の公孫瓚自らが20000で守っている。 我が軍は張燕隊と賈詡隊を鄴の守りに回して、井闌を含めた5隊で攻略に向かった。 迎撃にきたのは張郃、賀斉、傅僉、孟宗らの部隊であった。なかなか手強い相手である。 孟宗は一度捕虜にしたが登用を拒否されたので解放して、再び戦場で見えることとなった。 7月。両軍は南皮の南西でぶつかった。 まず張郃隊は王異の攪乱で放置。傅僉隊も攪乱し、楊奉の連戦で削る。賀斉隊には張繍隊がぶつかる。 最後に華雄隊が孟宗隊に突撃して、迎撃隊を沈黙させた。 この戦いで傅僉と賀斉隊副将の関靖を斬り、賀斉と牛金を捕虜にした。 この後2ターンで公孫瓚の守る南皮を落として、以下の武将を捕らえた。 公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、そして公孫瓚 君主公孫瓚を含む全員を処断した。 これにより公孫瓚軍は公孫越が継ぐことになり、数人の武将が下野したようだ。 結局、公孫瓚自身とは戦場で戦わないまま斬ったので敵の騎馬隊とはぶつからなかった。 最後に張郃隊を全部隊で叩いて壊滅させ、張郃は北平に退いた。 さすがに兵も減ってきたので、このあたりで鄴から輸送隊を出して補給させることにした。 渤海の北、天津近くの渡のあたりで董卓軍本隊は陣と軍楽台を作って駐屯させた。 264年7月 江陵の第3師団は公安港から兵力25000の武陵を攻めていた。 先発 張梁+賈充9000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)12000騎、牛輔+諸葛誕9000騎 本隊 郭汜+陸凱(指導) 木獣10000、李儒+胡車児9000騎、李通+蘇飛6000騎 後詰 凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊10000 武陵からは王平と張翼、周泰が迎撃に出てくる。 武陵近辺は平地が狭くて森が多いため、騎兵の力をうまく発揮できなかった。それでも張梁隊の「妖術」で混乱させて敵部隊を撃破できた。 良将王平を斬った後、郭汜隊が武陵城を落とした。 張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、孫魯班、周泰 といった武将たちを捕らえ、孫魯班と周泰を捕虜にして残りは斬った。 264年10月 この頃の我が軍の人事では既に牛金、周泰と孫魯班は登用できていた。また賀斉は脱獄していた。 さらに鄴では在野の黄巾将たちを盛んに登用して、何儀、程遠志、高昇、張曼成の4人を得ていた。 さて、その鄴は賈詡が新加入の将たちを使って徴兵し、洛陽から補給も受け、平和であった。 がしかし、ここに急を告げる斥候からの伝令が鄴の城門に駆け込んでいた。 賈詡「まずいな・・・、張燕将軍、飛燕の張将軍はおられるか、それから張済将軍も」 張燕「・・・おう、何事かあったか軍師殿」 賈詡「今、見張りから連絡があってな、薊の60000のうち40000が晋陽へ出撃したそうだ」 張済「ほう、それは大軍だな。だが董卓様には支障はないな。晋陽の兵力はどれくらいなのだ」 賈詡「0だ、一兵もおらん。晋陽は放棄してきたのだ張済殿」 張済「なんと。ではどうするのだ、その大軍と晋陽は捨て置くのか」 張燕「いや、今ならまだ討つ機会があるぞ。あの中山のあたりは道が狭く1部隊しか通れんのだ」 賈詡「よし、ならば討てる。すぐに出撃だ、お二人とも用意を」 張済「だが南皮へ兵を輸送に出したばかりで、この鄴には兵が18000騎しかおらんのだぞ」 賈詡「大丈夫だ張済殿、兵が足りない分は金と手間で補うのだ・・・(ニヤリ)」 ということで、賈詡、張燕、張済の3隊はすぐさま鄴から北へ向かい、薊の部隊を襲うことになった。 作戦は一本道の出口にひたすら豪火球を作り、敵部隊にまとめて被害を与えるというもの。 これによって敵軍は莫大な被害を受け、特に先頭を進んでいた敵将丁原は焼死してしまった。 恐るべし、豪火球。早くも2人目の犠牲者である。 それでも8部隊兵力40000を我が軍は5000ずつの3隊で迎え撃つため、どうしても突破されてしまう。 だがそこを張燕が突進で押し返すという二段の構えであった。 さらには最後尾を進む敵将公孫恭の忠誠が下がっていたので、これを寝返らせることに成功した。 しかし戦場の周囲には森が多く、騎兵戦法が使えないことも多く、最後は凄惨な叩き合いになった。 張燕が敵の宿将厳綱を討ち取り、張済も劉和を斬った。賈詡は孫観を捕虜にした。 こうして薊の敵部隊を全滅させたが、我が軍も最後は3隊あわせて7000ほどであった。 同刻、本隊も南皮で補給が終わり薊と北平に向けて進撃を開始していた。 薊からは最後のあがきとして王門と鄒丹が、北平からは田予が先鋒で張郃、李厳、賀斉、田楷などが出てくる。 華雄隊と張繍隊が薊の2将を撃破して斬り、董旻隊がほとんど空の薊を攻撃して落とす。 薊の城では張南、田疇、単経を斬った。 一方で北平へ向かう易京の隘路では押し合いの混戦になっていた。 ここで鄴からそのまま援軍に駆け付けた張燕隊の突破により、田予隊の副将張華が戦死する。 さらに太史慈隊が田予を討ち取り、董卓軍は北平の西の平野を目指した。 敵軍にはなかなかの将が揃っており、これが公孫軍との最後の激しいぶつかり合いとなるだろう。 265年1月 両軍の戦闘が始まった。 董卓軍6隊50000と公孫越軍5隊40000が正面からぶつかる。 井闌の董旻隊は待機しているので実質同数での戦いである。 まず張燕隊がいく。次いで太史慈隊。そして董卓隊。一気に押し込んでいけるのは騎馬突撃の醍醐味である。 敵の先陣の張郃隊と李厳隊を突き抜け、挟み撃ちの格好を取る。騎兵はこの戦術が強い。 張郃は再び攪乱させ放置、李厳隊の兵を削る。この間、賀斉隊の火矢が痛い。 張繍が李厳隊を倒して李厳を斬り、華雄隊も田楷隊を撃破して田楷を処断。賀斉を囲んで倒し、捕獲。 後から出てきた公孫越隊を撃破し、最後に張郃隊を倒して張郃を捕虜に。 この戦いの間に楊奉と州泰が寝返ってしまう。「騎神」もちの州泰の離反は痛い。 この後、北平の城を落とし、公孫越、蒋義渠、州泰、陳蹇、公孫度、孫礼、顧雍を捕らえた。 陳蹇と孫礼、公孫度は登用に応じ、顧雍を捕虜にして、残りは処断。 公孫越が死んだので君主にはなんと楊奉がなった。これによりまた数人が下野した。 265年4月 まさに騎虎の勢いで我が軍は襄平の城に迫った。 軍勢を2つに分けて張燕、華雄を先行させ、残りは大遼水の渡を越える。 張燕らは襄平の北、玄莵のあたりで智将田豊率いる5000とぶつかる。 「猛者」で負傷させて、あっという間に撃破。あわれ忠臣田豊は主君の仇も取れず、遼東に散った。 本隊がわずか4000の襄平城を落とす。 田豊が死んだ襄平には楊奉と季雍という武将の2人しかいなかった。 両名を斬り、ここに旧公孫瓚軍は滅亡した。 こうして董卓軍は平原城をのぞく河北の討伐に成功し、またまた董卓様の官職があがるのであった。 今回の犠牲者 49人 龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉 新加入 17人 厳畯、蒋欽、許攸、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼、公孫度 第7回 前回は河北制覇を全部書いたので、とても長くなってしまい大変申し訳ありませんでした。 今回も前回の続きで南征が中心ですが、いよいよタイトル通りいろいろ殺伐としてきました。 これからもお付き合いくだれば幸いでございます。 鄴にて・・・ 牛輔「公就任、まことにおめでとうございます、董卓様!」 董卓「おお、おうおう、感謝するぞ皆の者、まことにめでたい、めでたいことじゃ」 賈詡「皆の者、これからはもう董卓様とではなく、董太師とお呼びするのだ」 華李郭徐「おおー、董太師、董太師!」 董卓「くるしゅうない、くるしゅうないぞぉ皆の者」 李儒「(ぐぬぬ、賈詡め、わしも今言おうと思ったのに・・・)」 張済「董卓様…いや董太師、いま鄴の農民が銅雀を見つけたとの報告がっ」 賈詡「銅雀ですか。むむ、これは吉祥瑞祥でございますな」 胡軫「公就任のこの時にかような瑞祥が見つかるとは、太師のご懿徳によるものかと」 董卓「うむうむ、すぐに銅雀をまつる台を築くのじゃ」 李儒「(ぐぬぬぬぬぬ、おのれ胡軫め、今わしが言おうと思ったのにー)」 董卓「よしよし皆、いまは大いに飲んで騒いでくれ。だが、また明日からはいくさじゃ、頼むぞ皆の者」 一同「おおーっ」 わいわい… というわけで北をとった我が軍は南に向かい攻め入るのでありました。 他勢力はというと、 呂布―平原、北海、下邳、小沛、濮陽。劉備―永安、零陵、桂陽、長沙、柴桑 王朗―建業、呉、会稽。鄧艾―成都、江州。孟獲―建寧、雲南。袁術が廬江、曹操が寿春、鍾会が梓潼。 我が軍は鄴、江陵、武陵に60000~70000の兵が集まっており、その他は陳留と江夏に20000ほどで、それ以外の町は5000~8000の守備兵がいるくらい。 河北は鄴以外は兵0で将も0で放棄しています。つまり内政をやっていられないので少数精鋭でいくしかないという状況です。 265年4月 南の拠点、武陵。 武陵の内政、軍事施設建設がひと段落つき、再び進撃を開始することにした。 第3師団は凌統隊と張承隊を武陵に残して、李傕、郭汜、李儒、牛輔、張梁などが40000で向かった。 零陵には3人の欲しい将がいる。魯粛、王双、そして孫策である。城は兵力が18000しかないがその3人には油断はできない。 迎撃には孫策隊と馬忠隊、魏延隊が出てきた。魏延は李儒により盆踊りをさせて撃破、次に馬忠隊を集中攻撃して撃破。 馬忠を斬って、意中の王双を捕虜にする。 だが張梁隊の副将賈充が途中で劉備軍に寝返っていたので「妖術」はほぼ封じられてしまった。それでも郭汜隊の木獣が零陵を落とした。 太守の魯粛、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、陸鬱生といった武将を捕らえたので、魯粛と陸鬱生の二人を捕虜にし、残りは斬った。 さて、問題は孫策隊である。小勢で副将はいないが戟兵なのでめちゃくちゃ強い。 なんとか李儒の攪乱がきいて全軍がかりで倒したが、被害は大きく、肝心の孫策も逃してしまった。 265年6月 寿春の曹操軍が王朗と呂布によって2方面から攻められていた。 我が軍は漁夫の利を狙って、陳留の于禁たちを寿春に向かわせることにした。 まず王朗軍が江都港方面から20000がはるばる来ている。一方で小沛からは呂布、張遼、張宝などの精鋭が25000ほど。 対する曹操軍は40000ほどだが、そのうち10000は濡須港に駐屯しているので実質30000。 曹操の主力部隊は夏候惇、夏候覇、郭淮、呂蒙、曹彰などの精鋭。 両軍は北の渡しで呂布軍とやりあっていて、早速、呂布の突撃で曹操軍の卞喜を轢殺していた。 ここに于禁隊10000、成公英隊10000、馬忠(呉)隊6000も参戦する。 必殺の火球攻撃により夏侯覇隊副将の楊修が戦死。 夏侯覇隊を壊滅させ、副将の曹宇を斬ったことで、ついに攻め手は寿春北の渡しを突破した。 すぐさま寿春城の北で乱戦となったが、なんとここで王朗軍が水門を破壊。 呂布軍は張宝隊が全滅し、我が軍も馬忠隊と成公英隊が全滅という憂き目に。 最悪なのは曹操軍で、主力部隊が全滅して城壁もボロボロ、あの曹操もここまでであった。 呂布軍の文欽隊が寿春を陥落させ、曹操軍は滅亡。多くの武将が呂布に召し抱えられることとなった。 ちなみに王朗軍は呂布隊と張遼隊にボコボコにされて全滅しました。 265年8月 襄平からの輸送部隊が到着し、ようやく鄴に本隊の軍勢が揃った。 この間に鄴城の内政と在野になった旧公孫瓚軍の武将の賀斉と張郃を登用していた。 用意が整ったところで我が軍は呂布軍との同盟を破棄。渡しで待機させていた本隊で一斉に平原城に攻めかかる。 先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+賀斉13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000 本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000 兵器 張済+歩隲+文虎10000 輸送隊 何儀(運搬)1000、高昇(運搬)1000 平原の太守は張楊で、兵も12000ほどだったので迎撃にきた宋謙を斬って、あっという間に陥落。 張楊は逃したが、城にいた逢紀、陸績を斬った。 9月。本隊には兵糧輸送部隊をつけて、平原を取った勢いで北海城を目指す。 北海の太守はなぜか夏候尚で、配下も少なく、兵も15000ほど。 どうやら呂布軍は王朗軍と江都港のあたりの水上戦に人を割いていて、北は油断していたようだ。 さらに寿春の呂布軍本隊は大量に捕獲登用した旧曹操軍の武将たちの俸禄にも苦労しているようだった。 早速、迎撃にきた夏侯尚と卑衍の部隊を2隊を撃破して、2将を斬り、北海城を攻める。城には張楊などがいたが、やはりすぐに陥落。 またも張楊は逃すも、婁圭を斬った。 12月。いよいよ敵軍の一大拠点である下邳を目指す。 下邳には40000の兵がいて、おそらく迎撃には30000がでてくるはずなので、こちらも同数で出陣。 上記の編成の中から、張燕隊12000、太史慈隊10000、張郃隊10000を出すことにした。 しかし下邳。この城にはあの武将がいたのであった。 侵攻を知らせる伝令が走り、下邳城の廊下を駆けていく。 張楊「急報でござる、急報でござる!」ドタドタドタ 侯成「なんだなんだ、ご城主の前で騒々しいですぞ、張楊殿」 張楊「それも当然でござる。ついにこの城に董卓軍が押し寄せてきたようなのですぞ」 侯成「な、なんと、ついにか……(振り向きながら)どうなさいますか、ご城主」 ??「……フン、もちろん楽しませてもらう」 というわけで下邳城の北で戦闘開始。 張燕「やあやあ、我こそは張飛燕なり!」 太史慈「我らが騎兵の動きについてこられるか!?」 侯成「くっ、我らではかなわぬか…、ご城主、お願いいたす!」 張燕「……ぬうう、なに、まさか…」 呂玲琦「……涼州の騎兵か、できる、と聞いている。楽しませてもらうぞ」 太史慈「女…だと…」 呂玲琦「フン…、おい貴様、準備できているな?」 曹彰「応っ、当たり前よっ、いくぜっ」 張燕「し、『疾走』はまずい…。しかも2人だと…?」 りょ、りょ、呂玲琦だー。 敵軍は呂玲琦と曹彰を寿春から急遽下邳に回したらしく、2将が騎兵で出てきたのだ。彼らの『疾走』により我が軍は混乱。 部隊数は向こうの方が多いので被害も甚大。董卓騎兵軍は初の敗北を喫し、30000の兵が半分ほどに討ち減らされ、北海城に撤退した。 この敗北により本隊の侵攻は遅鈍することとなってしまった。 (ちょっと遡って)265年7月 零陵の李傕、郭汜、李儒らは桂陽を攻めていた。 上記の編成に加え、張承隊7000も補充して桂陽の19000と当たる。数はこちらの方が50000と多いのだが、敵は猛将ばかりである。 太守の孫堅をはじめ、孫策、黄蓋、韓当、呉懿、王濬、賈逵といった者たちが次々に迎撃にくる。 しかも戦場は森が多く、一本道でしか戦法と火球が使えないという地勢。 自分たちより能力が上の人たち相手に正面から殴り合いをするという最悪の展開になった。 結果、50000騎が30000ほどまで討ち減らされたが、こちらも王濬と呉懿を討った。 孫堅隊は李儒で攪乱させ壊滅させたのだが、またしても孫策+賈逵の4000と削り合いになった。 桂陽城は郭汜の木獣隊が陥落させ、孫堅は逃したものの韓当、祖茂、王粲を処断。 最後に全軍で孫策隊に突撃して壊滅させ、賈逵を捕らえて斬った。 また、残念なことに、この戦いの間に「疾走」もちの毌丘秀が劉備軍に裏切っていた。 265年10月 桂陽を落とした南征軍は気力回復してすぐに、荊南最後の都市である長沙に向かった。 長沙には20000の兵がおり、太守はあの姜維であった。その配下には孫策、程普、黄蓋という呉将と裏切り者の毌丘秀などがいる。 ここで武陵に残してきた凌統隊7000騎を羅県港から上陸させ、「釣り」をしかける。 長沙からは黄蓋隊5000が出てきた。同時に桂陽から本隊30000も侵攻する。 ぶつかり合いはまず汨羅の淵で凌統の突撃から始まった。 武力90の凌統の突撃で黄蓋隊副将の施朔が戦死し、2度目の突撃で一騎打ちが発生。凌統が勝ち、黄蓋を捕虜にした。 長沙城の南でも激戦が始まり、姜維隊、孫策隊、程普隊4000ずつとぶつかる。 特に姜維、孫策は槍兵の突きで1000は減るので脅威であった。 火球と戦法で兵を減らして敵部隊を一掃し、程普を捕らえ、姜維隊副将の裴元紹を斬る。 年が明けて1月にようやく長沙を落とす。 関寧、蒯越、麋竺、そして裏切り者の毌丘秀などの武将をきったものの、やはり姜維や孫策などは捕まえられず。 266年1月 南征の最後は柴桑である。 ここは、江夏に駐屯させていた胡軫らの30000を張悌と屯田もちの国淵らに授け、陸口港に入らせる。 陸口から繰り返し出陣して柴桑の施設を壊し、敵将の周瑜を疲弊させる作戦である。 周瑜が40000で守る柴桑城を落とすのはもう少し先になりそうだ。 ここでようやく南征にひと段落ついた。 荊南攻めで失った兵力を襄陽で張魯が補充する。それをまず武陵にまわし、長沙の兵力も合流させる。 既にもう次の作戦である。 永安には劉備軍60000と猛将たちが籠っているので正攻法はやめ、周りから取ることにした。 徐栄、胡軫らには漢中から梓潼を通って鄧艾の成都を攻めさせる。 そして李傕、郭汜らの軍団には武陵からはるばる南蛮を攻めさせるという作戦である。 4月。 南蛮へは大掛かりな遠征で、時間がかかるので、揃った部隊からどんどん出陣させる。 武陵は捕虜から登用した魯粛と黄蓋、新加入の鮑隆に任せて、主力の全軍で出陣する。 ふた月かかって建寧に入ったところで孟獲軍が迎撃に出てくる。両軍の先鋒が山深い南蛮奥地の牀柯のあたりでぶつかる。 こちらは郭汜、牛輔の20000で、敵は大王孟獲と帯来洞主の2隊18000、やや遅れて花鬘と鄂煥の2隊12000。 孟獲「おい、おまえら、この南蛮に攻めてくるとはいい度胸じゃねえか」 郭汜「おう、貴様らなんぞ我らの敵ではないわ」 孟獲「上等じゃねえか、おまえら絶対に返すわけにはいかねえな!おう、帯来、やっちまえ」 帯来洞主「おうっ!」 牛輔「なんの!このっ」 という感じで戦闘開始。 最初に突出してきた帯来隊を撹乱からの一騎打ちで牛輔が撃破して、捕獲、即処断。 孟獲隊はなかなか硬く、手こずっている間に敵軍の後続部隊とこちらの李傕、李儒などが追い付く。 花鬘と鄂煥には李儒の偽報で帰ってもらい、孟獲を攻撃。 敵は戟兵なのでこちらもまとめてダメージをもらう。が、なんとか孟獲隊を撃破し、花鬘隊と鄂煥隊においついて殲滅する。 迎撃を跳ね返した我が軍はここからふた月ほどかけて雲南に向かう。 ここで少し時間を遡って266年4月の荊北の様子を見る。 まず襄陽の張魯らが今度は成都攻め用の兵を用意している。 成都攻めには徐栄と胡軫に加え、黄巾の張曼成、北海で登用した管亥を主将に起用する。 また、徐栄の守っていた江陵城は樊稠、李通、臧覇らに50000で任せることにした。 江夏は杜預が5000で駐屯中、宛も吾彦が5000で涼州から来る兵糧の輸送を担っている。 新野でも徴兵と造船を行っており、漢中と汝南、陳留に増派する分の兵力60000をこつこつと貯めていた。 徐栄らは襄陽と新野から20000ずつ兵を受けて漢中に向かっていた。 その頃、大兵力の新野は董旻が太守として守っていた。 董旻「はぁ・・・ワシの兵器部隊が張済なんぞに回されてからというもの、どうも面白くない」 許攸「おや、董旻どの。どうかされましたかな?」 董旻「いや、新野に来て以来まったく活躍の場がなくてなぁ。兄上はどう考えているのかと」 許攸「董太師のご批判とは、な、なんと畏れ多い」 董旻「構わん、ワシは弟じゃ。ここまで来られたのもワシの兵器部隊がよく働いたからであってな」 許攸「・・・・(ほう、私もこんな田舎で働くのは真っ平なのだ)」 董旻「ワシが精魂込めて火矢を作ってだな・・・あれをああしてこうして(ブツブツくどくど)」 許攸「・・・(使わせてもらうか)、董旻どのはご存じですかな?」 董旻「ん?なんのことじゃ?」 許攸「今の太守は董旻どのですが、新参の公孫度という者がここの太守になるというのを」 董旻「なんと・・・ではワシは異動か?」 許攸「いえ、そういうわけではないようで、そのまま公孫度の下でしょう」 董旻「むむむむ、ワシを馬鹿にするのもこれ以上は許せんぞ!」 許攸「・・・実は私はその公孫度とは旧知でしてな。どうやら彼は着任して造反するようなのです」 董旻「なんだと・・・?では、裏切り?」 許攸「そうです。私もここで終わるつもりはありません。董旻どのはいかがされます?」 董旻「・・・・わかった、やる、やってやる。兄にワシの本気を見せてやる!」 デデーン どうなる?、と皆様に思っていただいたところで、容量の関係によりまた次回! 続きはもう出来ているので順次アップさせていただきます。今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。 今回の犠牲者 27人 馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主 指名手配 7人 賈充、毌丘秀(処断済)、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲 新加入武将 7人 賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥 董卓軍忠臣メンバー能力表の徐栄が徐英になってる -- 名無しさん (2011-07-23 16 56 32) 冥府への送り手www 好きな武将の太史慈には裏切って欲しくない -- 名無しさん (2011-07-24 11 05 15) 馬超よ~~~~ -- 名無しさん (2011-07-25 22 25 58) 名族たる私がこんなところで -- 袁紹 (2011-07-25 23 37 31) コメントありがとうございます。徐栄を修正しました。馬氏や袁氏など漢朝系の武将は董軍と相性最悪なので今回は泣く泣く斬っています…。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 09 52 43) 遅くなりましたが更新させていただきます。 -- 董卓の日記著者 (2011-09-27 11 21 39) 乙です -- 名無しさん (2011-09-28 12 48 20) これって味方の裏切りもあえてねらってます?それともトウタクだから? -- 名無しさん (2011-09-28 18 37 07) 不用意に忠臣の誰かが轢き殺されて、郭汜「李傕ゥーー!!」みたいな展開キボン -- 名無しさん (2011-09-28 21 35 55) コメントいただきありがとうございます。↑2の方、真の忠臣は裏切らないと信じ忠誠はほぼ放置してます。↑1の方、そうなったらなったで面白いですねー。忠臣は大事に育てていたのですが… -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 02 28) あと、恥ずかしながらCOMに白兵戦で負けましたw しかも騎兵同士の…w -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 03 44) 疾走は強すぎだ、とにかく森で逃げて闘うしかないですな!曹彰まじ最強っす -- 名無しさん (2011-10-02 19 38 13) 忠臣の誰かが裏切っても銀英伝のロイエンタールみたいでおもしろいかも。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 18 48) トウタクと親愛設定されてる忠臣は無理だけど。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 20 03) 筆者もこのままいくと忠臣7人しか残らないんじゃないかと心配し始めました。最初に親愛設定しておいてよかった。だが董旻は兄弟なので親愛つけてなかったんですよね・・・ -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 36 22) ↑4の方へ。曹彰の疾走は強いですね、やはり私の胡軫の疾走より撹乱率が高いようです。でも出来ればこのメンツで森での殴り合いは避けたいです… -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 41 09) ここまでお付き合い頂きありがとうございます。最近は敗戦続きでまだまだ董卓軍の戦いは続くようです。次回もお付き合いいただければ幸いでございます。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 43 14) 名前 コメント
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曹仁に救出されたエピソードが残る魏の猪武者。 戦闘力はそれなりだが、とにかく連戦が便利。 当の曹仁とは相性がいいので、有力な副将候補になる。 -- (名無しさん) 2010-05-25 02 55 31 晩年には馬岱を打ち破っているのだが没年が史実より早いような… -- (名無しさん) 2010-06-05 14 32 05 統率は準一級クラスというところで、決して低くはないのだが連戦でボコるには少々心許ない。 人材に余裕があるならより統率の高い武将のお供にするのがベターだろう。 -- (名無しさん) 2010-09-17 15 57 45 名前のおかげで知名度が案外高い。使い道としては、満寵の副将がベスト。 -- (名無しさん) 2011-02-22 21 24 01 張遼と組むのもいいだろう。張遼は戟Sで統率も高く威風持ちなので相手の気力を連戦でボロボロにできる。 -- (名無しさん) 2011-04-26 17 19 30 司馬懿の公孫淵討伐に参加したはずじゃ? -- (名無しさん) 2012-04-30 11 09 36 連戦のお陰で今までのシリーズよりも一気に市民権を得た。 -- (名無しさん) 2013-03-22 01 24 10 ゲームでは自然死なので採用されてないようだが、「馬の後を継ぐのは牛」として司馬氏に警戒され暗殺されたという胡散臭い異説がある。 -- (名無しさん) 2014-08-14 00 37 52 顔グラが「ファイト~!一発!」って叫んでます そこらへんの脳筋野郎とはひと味違う -- (名無しさん) 2016-04-01 00 56 11 満寵の副将がベストというのは、補佐の支援攻撃で連戦が発動するということだろうか? 経験がないのだけど、どこかに書いてあったですか? -- (名無しさん) 2016-04-02 19 54 31 支援攻撃には連戦は発生しない。「満寵の副将がベスト」というのは、察するに ①弩兵と連戦は相性が良い(敵が弩兵・かつ応射を研究していない限り、近接兵科と違って反撃を受けないため) ②満寵の兵科は基本的に支援を活かせる弩兵である。 ③満寵の低い武力を補ってくれるという意味でも相性が良い。 といった点だと思われる。 牛金だって武力79しかないので、義兄弟にしない限りそこまで火力はあがらないし、そもそも満寵弩適正Aどまりから適正補正要員もいた方がいいしと、正直ベストかと言われると微妙だと思うが。 -- (名無しさん) 2016-04-03 01 35 33 回答ありがとうございます。弩兵は火矢のコストが少ないので通常攻撃はあまり使わないものですから。騎兵で連戦のほうが使いやすいと思います。 -- (名無しさん) 2016-04-03 05 18 11 呂布相手に、連戦発動すると、こっちの被害が酷すぎ〜w -- (名無しさん) 2016-05-30 12 06 21 処断するとき「この身が朽ちようと魂は消えねえ」と言ってるんだが、これ牛金固有のセリフとは違うの? -- (名無しさん) 2017-09-23 15 18 09 単体で格上に連戦を仕掛けると悲惨なことになりやすいので注意。 -- (名無しさん) 2017-10-01 18 28 12
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すごいよね、この人。 「愛」というステータスがあるなら100だね。 -- (名無しさん) 2010-02-04 22 51 31 我らが曹操の正室殿。 楽奏の効果で、旦那の虚実をフル回転させてやろう。 荀攸殿には、他の計略担当部隊を任せるもよし。 勿論スリーマンセルで無限計略を行うのもいいだろう。 -- (名無しさん) 2010-05-22 23 38 13 S1、S2の董卓で曹操を登用したい場合、 普通に登用しようとすると嫌悪関係のせいで登用出来ないが、 先に彼女を登用すると婚姻関係が優先されて登用出来るようになる。 このページとは関係ないが、呂布で関張を登用したい場合も 先に劉備を登用すれば嫌悪関係を無視して登用出来るようになる。 -- (名無しさん) 2010-10-25 19 31 49 曹操との親愛関係がないのは曹操が生きてて彼と結婚してないシナリオが存在しないから? それはともかく特技の楽奏は計略隊の副将に向いてる。 魏には曹操に限らず知謀の士が多いので彼らのサポートに回ってあげよう。 -- (名無しさん) 2011-05-20 19 39 35 親愛関係なしなのは単なる手抜きかな? 素人考えでも曹植は親愛にするだろうに… -- (名無しさん) 2011-06-03 19 30 11 この人の愛はアガペーだから、特別扱いする相手はいないっていうKOEIさんの粋な演出なんだよ、きっと 知力ブーストにはやや心もとないが、とりあえず参軍させればどの部隊でも役に立ってくれる 内政要員としても水準以上 -- (名無しさん) 2011-06-03 19 47 25 短命な人が多い女性武将の中では一番長生き。 (いにしえ武将を入れると一番長生きなのは秦良玉だが) -- (名無しさん) 2011-06-03 20 58 01 ↑辛憲英が79歳まで生きるみたいから一番では無いな。 -- (名無しさん) 2013-03-31 19 41 09 この人を曹操と組ませると、百出持ちの荀攸を曹操と別部隊に出来なくもない。 -- (名無しさん) 2013-03-31 20 30 43 曹操死んで曹丕が後継いだから捕らえて符節台のところで降らせようしたけど忠誠100から全く減らない(忠誠255のうちの100) 同じく義理が高い(最高)で相性も変わらない夏侯惇でさえバシバシ減ってるのに・・・ 何か補正でもついてるのだろうか -- (名無しさん) 2013-11-17 02 51 36 我らが曹操の正室殿 この人は正室ではなくて側室、ちなみに正室は丁夫人だぞ。 -- (名無しさん) 2013-11-17 10 06 15 ↑曹操が丁夫人と別れた後は卞氏が正室になってる。 -- (名無しさん) 2013-11-17 15 53 51 楽奏は計略のコストダウンではなく気力回復なので、曹彰・楽進等の特技隊に配属するのもベネ こいつらは脳筋なので、計略隊だと空気になりがちな知力政治がいい感じにサポートしてくれる -- (名無しさん) 2015-04-06 22 11 06 曹操に尽くすキティちゃん -- (名無しさん) 2016-11-27 19 23 06 ↑どのへんがキティなのか解説求む。 曹操に尽くしてるのはわかるんだが。旦那の子だからって自分と血繋がってない子を育てるの、すげえと思う -- (名無しさん) 2016-11-27 19 36 13 いいね -- (名無しさん) 2021-09-25 19 52 17
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このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 程昱(テイイク) 程銀(テイギン) 丁奉(テイホウ) 典韋(テンイ) 田疇(デンチュウ) 田豊(デンホウ/デンポウ) 田予/田豫(デンヨ) 程昱 (テイイク) [部分編集] (141~220)曹操の参謀。字は仲徳(チュウトク)。身の丈八尺三寸、立派な髭を蓄えた風貌。剛毅な性格で、裏切った陳宮の策により本拠地・兗州の大部分が曹操に背いた大ピンチの際にも動揺を抑えて持ちこたえるなど、曹操の窮地を度々救った。 兵糧に困った際に人肉を混ぜ、故に出世できなかったといういささか眉唾な説も史書には引用されている。 尚、前線で指揮を執ることもあったためか送られている官位は武官位ばっかりである。追贈されたのも車騎将軍。 ちなみにこの人も「キャーイクサーン」の対象者。 三國志IX 統率 70 武力 55 知力 92 政治 76 三國志11 統率 70 武力 49 知力 90 政治 79 魅力 58 掎角/槍兵A,兵器A 上へ 程銀 (テイギン) [部分編集] (?~?)史実では涼州に基盤を持っていた軍閥の一つ。馬超・韓遂らとは同盟関係にあり、ともに曹操と戦った。善戦したが敗れて漢中の張魯の許に亡命、のちに曹操に降伏した。 演義では韓遂配下「手下八部」(吉川三国志では馬超配下「旗本八旗」)の一人として長安を攻略した。渭水で曹操と相まみえ敵陣に夜襲をかけたが、曹操軍の伏兵をくらった上に落とし穴にはまり、戦死した。 三國志IX 統率 73 武力 71 知力 49 政治 36 三國志11 統率 69 武力 73 知力 40 政治 36 魅力 50 騎兵A 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +八坂神奈子軍 キャラブレイク注意 第25騎でうp主から銀様と呼ばれる。 それに対し視聴者も「程銀燈www」とコメント(「ローゼンメイデン」のキャラクター「水銀燈」に対するファンからの愛称が「銀様」であることにかけた洒落)。 その後第28騎で一騎打ちを挑まれた際、けだるさと高慢さ、色香を兼ね備えた口調(裏声)で登場した。 「乳酸菌摂ってるぅ?」 上へ 丁奉 (テイホウ) [部分編集] (?~271)三国後期の呉の名将。字は承淵(ショウエン)。3代皇帝孫休の時代に専横を極めた孫綝の処断に加わり、大将軍に任じられた。演義では赤壁の戦いに従軍し、周瑜の指示で孔明暗殺を謀ったり、張遼を射殺したりと活躍。 ヒゲの顔グラでスターリン似とも評され、スターリンっぽいキャラ付けをされることもしばしば。 「書記長」「閣下」などスターリン系以外のあだ名としては「T奉」「T砲」など。 三國志IX 統率 80 武力 83 知力 75 政治 40 三國志11 統率 81 武力 80 知力 71 政治 55 魅力 56 急襲/槍兵S,戟兵A,騎兵A,水軍S 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。大将軍。 劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入、大将軍。第8話で登場、9話で紹介あり。 在野から見出され、厳輿との一騎打ちを経て劉禅軍に加入した。文武にすぐれた人材のため、知力に劣る黄皓の憂鬱のタネになったが、丁奉は軍師の柄でないと身を引く大器。しかし鷹揚が過ぎて食中毒になったりタダ働きさせられたりと、紙芝居ではお笑いを担当している。 軟国志 【三国志ⅨPK】 +キャラブレイクなし? スターリン風グラ。他人を呼ぶ時は「同志」、何かといえば「粛清」と口にするなどまんまスターリン扱いである。 おかげで、視聴者どころかうp主からも「閣下」と呼ばれている。 一方で北郷軍最強の水軍指揮官として活躍し、またその心には熱い物が燃え滾っているので動画内での人気は高い。 上へ 典韋 (テンイ) [部分編集] (?~197)曹操の護衛を務めた勇士。その怪力と様々な武器を扱う器用さから、悪来(殷末の英雄)の再来と呼ばれた。 張繍の叛乱の際に戦死。演義では仁王立ちのまま果て、曹操は典韋の死を息子の死以上に嘆いたという。 三國志IX 統率 68 武力 93 知力 31 政治 29 三國志11 統率 56 武力 95 知力 35 政治 29 魅力 58 護衛/戟兵A 関連タグ: 【典韋】 君主は陶濬 【三國志Ⅸ】 +陶濬軍(プレイヤー勢力)初期武将。 陶濬軍(プレイヤー勢力)初期武将。 ストーリー中では同じく古参の秋穣子とコンビを組んでいる。 上へ 田疇 (デンチュウ) [部分編集] (169~214)字は子泰(シタイ)。田斉の末裔とされる。劉虞に仕えるが、公孫瓚に主君は殺されてしまう。主君を哭礼で弔ったため公孫瓚に殺されそうになるが、毅然とした態度で反論、一族郎党を連れて徐無山へ隠居した。 後に曹操の烏丸討伐に協力し、才を惜しんだ曹操が彼の旧友・夏侯惇を派遣して説得を試みたが、劉虞への忠誠を貫き、固辞した。 三國志IX 統率 68 武力 66 知力 74 政治 78 三國志11 統率 66 武力 66 知力 72 政治 76 魅力 74 風水 皇族劉虞氏 (うp主、代表作:登用プレイ、特攻三国志、皇族劉虞の軌跡) +うp主 三国志Ⅸプレイ動画うp主の一人で田疇(Ⅸ)を顔グラとして使用しており、プレイ動画内でも自重しない働きを見せる。 田疇=うp主で主人公の一人でもある。 公孫恭プレイを筆頭にドMなプレイ動画を上げた事から一部からアルティメットMと呼ばれることもある。 登用プレイ、黒土下座、兵1特攻など数々の技術と奇策を持って戦い、大言壮語すれども偽り無しと恐れられる。本人曰く攻撃(特に水上戦)が苦手らしい。 黒さが目立つ、冷徹な奇策家。 そして遂に「皇族劉虞の軌跡」において独立、劉虞と戦略的互恵関係を結ぶ。 Fairy Rhyme【三国志Ⅸ】 +司馬懿軍→諏訪子軍 この動画の田疇は奇策に定評のある人…というより、そのまんま↑である。 天公将軍張角の挑戦 +劉虞軍→張角軍 初期からいたが、活躍したのは「博望防衛戦」 8万の裁軍ガチメンバーに対し、こちらは3万。誰もが諦める中、彼は冷静だった。 そう、彼は知っていたのだ、「少数の兵力で最終的に得をする方法」を。 正に↑ 上へ 田豊 (デンホウ/デンポウ) [部分編集] (?~200)袁紹の参謀。字は元皓(ゲンコウ)。剛直な性格の知将であり、多くの献策を行って袁紹の河北平定に貢献した。対曹操戦では沮授とともに持久戦略を主張するが退けられ、袁紹に疎まれ投獄される。田豊の危惧通り官渡で敗れた袁紹は、田豊が自分を笑いものにしていると疑い(逢紀の讒言によるとも)処刑してしまった。 演義では官渡の敗戦を聴くや自分の運命を悟り自害している。通称では「トヨタ」などと呼ばれる。 三國志IX 統率 58 武力 39 知力 95 政治 90 三國志11 統率 72 武力 29 知力 93 政治 87 魅力 64 槍兵A 炎帝蝗君伝 【三國志Ⅸ】 +公孫瓚軍(プレイヤー勢力)二代目軍師。 公孫瓚軍(プレイヤー勢力)二代目軍師。拘束期間が長かった所為で自縛に目覚めた。 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 +袁紹軍参謀、後に……。稀に若干のキャラブレイクあり 史実通り剛直な性格の参謀で、馬超軍の策謀を看破するが、袁紹に疎まれて遂に幽閉されてしまう。 その後自分が事実上匿っていたナッシュ・シエラに助けられて出奔。後に裴元紹の志に打たれて同志となった。 袁紹を裏切ったと言う罪悪感に未だに苛まれている。 上へ 田予/田豫 (デンヨ) [部分編集] (?~?)字は国譲(コクジョウ)。幽州漁陽郡の人で、劉備の挙兵の際に行動をともにする。母の看病を理由に劉備と別れ、公孫瓚のちに曹操に仕えた。すぐれた行政家でとくに異民族対策で功績があった上に武勇にも優れ、また人格も廉潔であったという大変な人物。 名前の表記は「三國志9」と「10」では豫、「11」では予。 三國志IX 統率 76 武力 71 知力 78 政治 74 三國志11 統率 80 武力 72 知力 80 政治 78 魅力 75 親烏/弩兵A,騎兵A,兵器A 性転換AnguRhapsody 【三國志11】 +イナゴ軍武将→一条軍武将。 イナゴ軍武将→一条軍武将。 美人に目がないナルシスト。一条萌え。その個性はシリアスそうな場面を吹き飛ばしてしまうほどだが、きっちりと軍略家としての力も発揮する。 炎帝蝗君伝 【三國志Ⅸ】 +公孫瓚軍(プレイヤー勢力)初期軍師。 公孫瓚軍(プレイヤー勢力)初期軍師。解説役を担当する。 正統派プレイ動画なのでキャラブレイクなんて有リマセンヨ? 天公将軍張角の挑戦 【三國志Ⅸ】 +... Vipperである。 それ以上でもそれ以下でもない。 上へ 名前 コメント
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未発見の在野武将を探す。 最後の行動でやっちゃうと登用できないので最初のコマンドでどうぞ。 稀に意気投合して捜索と同時に配下となる可能性あり。 ページ内検索Ctrl+F 地方 名称 読み 農業上限 商業上限 異民族 商人 備考 捜索で発見できる主な武将(確認済み) 河北 襄平 ジョウヘイ 650 510 公孫淵の本拠地 公孫度、公孫康、公孫恭、公孫淵、国淵、閻圃、蹋頓、倫直、卑衍、賈範、楊祚 北平 ホクヘイ 360 420 ○ 公孫瓚の本拠地 趙雲、麹義、呂威璜、楊祚、倫直、公孫淵 代県 ダイケン 340 450 劉備のスタート地点 田予 晋陽 シンヨウ 740 480 ○ 張燕の本拠地・黒山賊の大本営 劉豹、郝萌、蔡琰、傅幹、郝昭、郭淮、胡遵 南皮 ナンピ 600 870 袁紹の本拠地 張郃、許攸、王修、顔良、高覧、文醜、審配、沮授、郭図、陳震、尹大目 平原 ヘイゲン 900 690 黄巾の総本部 董昭、崔琰、蒋義渠、簡雍、王粲 鄴 ギョウ 690 940 ○ 銅雀台はこの都市に建つ 田疇、辛毗、呉質、甄氏、桓範、州泰 青徐 北海 ホッカイ 760 520 孔融様の聖地 太史慈、韓暹、国淵、龔景、禰衡、王基、諸葛誕 下邳 カヒ 930 630 ○ 劉備の休憩所 諸葛亮、諸葛均、呂岱、孫乾、王昶、牛金、趙累、諸葛誕、諸葛尚、孫綝、傅士仁、諸葛瑾 徐州 ジョシュウ 860 720 陶謙の本拠地 呂曠、陳羣、呂翔、糜芳 中原 濮陽 ボクヨウ 430 740 呂布の独立後の本拠地 魏続、侯成、宋憲、劉岱、臧覇、曹性、周倉、魏諷、高順、橋玄、徐晃、劉磐 陳留 チンリュウ 870 650 ○ 曹操のスタート地点 郭嘉、董衡、梁習、劉馥、夏侯惇、夏侯淵、張邈、潘璋、呉質、曹仁、楽進、曹洪、曹純、曹休、呂虔、夏侯恩、典満、毌丘倹 許昌 キョショウ 820 950 ○ 曹操の本拠地 典韋、許褚、戯志才、陳宮、于禁、司馬朗、蒋済、張節、鍾毓 譙 ショウ 390 820 曹操の出身地 典韋、朱霊、薛綜、文欽 汝南 ジョナン 910 670 劉備再起の地 徐庶、陳蘭、陳到、程秉、陳騫、呉綱 関中 洛陽 ラクヨウ 490 990 ○ 首都、シナリオ2では歴史イベントで焦土と化す 王子服、袁術、袁胤、司馬朗、胡烈、曹爽、耿紀、郝昭、高幹、司馬懿、賈逵、司馬孚、孫礼、田続 弘農 コウノウ 710 620 ○ 楊修の出身地 車胄、満寵、張燕、賈逵、王濬 長安 チョウアン 330 960 ○ 董卓が遷都した新首都 張既、許靖、華歆、毛玠、杜畿、王双、王真、李鵬、王経、師纂 安定 アンテイ 640 380 皇甫嵩の出身地 胡軫、朱霊、馬鈞、胡遵、裴秀 天水 テンスイ 550 390 ○ 孔明と姜維出会いの地 姜維、郭淮、王異、馬遵、侯選、張横、尹賞、徐質、王頎、牽弘 西涼 セイリョウ 730 470 馬騰の本拠地 馬騰、閻行、成宜、龐徳、韓遂、程銀、楊秋、張横、馬岱、徹里吉、雅丹、軻比能、越吉、梁興、成公英、迷当大王、俄何焼戈 荊北 宛 エン 770 850 袁術の本拠地 胡車児、婁圭、紀霊、雷薄、張勳、閻象 新野 シンヤ 830 570 劉備飛翔の地 范彊、張達、鄧芝、賈逵、向朗、徐庶、馬良 襄陽 ジョウヨウ 840 910 ○ 劉表の本拠地 杜畿、蒯良、諸葛亮、馬謖、劉琮、鄧艾、周旨、華覈、尹黙、王威、魏延、龐統、諸葛均、楊済、党均 上庸 ジョウヨウ 800 540 孟達の没地 申耽、牽弘、党均、孟達、趙累、向寵 江夏 コウカ 720 700 孫堅の没地 王甫、黄祖、韓嵩、蔡和、蔡中、胡奮、沈瑩、傅巽、張允、文聘、諸葛均、龐統、費禕、朱異 江陵 コウリョウ 470 840 曹仁が命がけで守った地 蔡中、蔡和、蔡瑁、霍峻、鮑三娘 荊南 武陵 ブリョウ 570 410 ○ 金旋の本拠地 鞏志、藩濬、傅士仁、蘇飛、沙摩柯 長沙 チョウサ 440 890 孫堅のスタート地点 黄忠、魏延、韓浩、韓玄、謝旌、傅嬰、魯粛、蒋幹 桂陽 ケイヨウ 680 350 趙範の本拠地 鮑隆、趙範、潘璋 零陵 レイリョウ 520 530 劉度の本拠地 刑道栄、劉度、蒋琬 江東 寿春 ジュシュン 530 880 ○ 袁術様帝位僭称の地 笮融、劉馥、吾彦、張昭、張紘 建業 ケンギョウ 610 900 ○ 孫権の本拠地。シナリオ1~3では劉ヨウの本拠 厳畯、陳横、呂岱、全禕、朱異、呂蒙、陳武、董襲、馬忠(呉)、李異、留略、唐咨 呉 ゴ 780 640 ○ 厳白虎の本拠地 陸遜、孫尚香、許貢、全琮、薛瑩、周魴、縢胤、張温、傅嬰、朱桓、顧雍、于詮、滕胤 会稽 カイケイ 510 680 王朗の本拠地 賀斉、周昕、虞翻、樊能、駱統、唐咨、陸遜、陸凱、陸績 廬江 ロコウ 370 780 孫策雄飛の地 魯粛、諸葛瑾、張紘、張昭、呂蒙、謝旌、丁奉、程秉、歩騭、徐盛、朱桓、闞沢、譚雄 廬陵 ロリョウ 590 320 山越の根拠地 予章 ヨショウ 410 800 ○ 諸葛亮の叔父・諸葛玄ゆかりの地 凌操、徐盛、蒋幹、歩騭、蒋欽、呂範、張象 鄱陽 ハヨウ 530 490 鄱陽湖は中国最大の湖 陸績 巴蜀 漢中 カンチュウ 400 760 張魯様の聖地。張魯支配時代は民忠が高い 楊松、張魯、呂義、楊任、伊籍、楊柏、譙周、呂凱、傅僉、傅彤、廖化、李典、楊昂、張衛 下弁 カベン 500 590 定軍山決戦の端緒はここの争奪戦 呉蘭、楊儀、王平、高翔、霍弋、郤正、蒋舒 梓潼 シドウ 540 440 李厳流刑の地 龐義、呂義、王累、張翼、郭攸之、董厥、楊懐、李厳、李恢、樊建、馬邈 成都 セイト 960 710 ○ 劉璋の本拠地。シナリオ1では何と空白都市 黄権、卓膺、張松、劉璝、呉班、法正、孟達、王甫、李厳、馮習、馬忠(蜀)、秦宓、閻宇、鄧芝、傅僉、陳式、黄皓、陳寿、鄧賢、費詩、董和、呉懿、張任、高沛、雷銅、秦宓、冷苞、傅彤、董允、譙周 永安 エイアン 660 750 劉備永眠の地 甘寧、呉班、蒋琬、卓膺、法正、尹黙 江州 コウシュウ 670 340 張飛と厳顔の決戦の地 法正、龐義、秦宓、雍闓、馮習、張嶷、楊儀、王累、劉巴、呂凱 建寧 ケンネイ 580 370 ○ 孟獲大王の出身地 朱褒、高定、王伉 雲南 ウンナン 620 600 孟獲大王の住処 孟獲、祝融、土安、奚泥、楊鋒、忙牙長、董荼那、阿会喃、孟優、金環三結、帯来洞主、木鹿大王、朶思大王、兀突骨 確実に捜索に成功する方法 知力100の参謀がいない場合はセーブ&ロードが必須となる。 まず未発見武将がいることがわかっている都市を所有し(南斗、北斗、華佗などの未発見で自領にいることでイベントが発生する武将や単に使用しない武将を使うのがいい)、 セーブ後、その都市で捜索に成功する武将を確認する。 その後ロードし先程捜索に成功した武将で目的の都市で捜索する。 同じ月に捜索に成功する武将は決まっているので、この方法で確実に捜索でき未発見武将の有無を確認をすることもできる。 あまりに長い間、未発見の状態で放置していると未発見のまま死んでしまうこともあるので注意。 〇〇殿は人を一面でしか判断されぬお方・・などと参謀から言われることがあるが捜索の成功率には関係していないようだ。 捜索した武将と捜索された武将の相性が近いと連れてくる可能性が高くなる。 3DS三國志 未発見(在野)簡易まとめ 基本シナリオ 3DS 黄巾の乱 未発見(在野)武将<184~189> 3DS 洛陽炎上 未発見(在野)武将<190~196> 3DS 曹操の台頭 未発見(在野)武将<196~201> 河北の嵐 未発見(在野)武将<201~208> 3DS 臥龍出淵 未発見(在野)武将<208~219> 3DS 三国鼎立 未発見(在野)武将<219~234> 3DS 星落五丈原 未発見(在野)武将<234~263> その他シナリオ 3DS 呂布討伐戦 未発見(在野)武将<198~203> 3DS 官渡の戦い 未発見(在野)武将<200~205> 3DS 劉備入蜀 未発見(在野)武将<213~218> 3DS 五路侵攻戦 未発見(在野)武将<223~228> IFシナリオ 3DS 覇王袁紹 未発見(在野)武将<200~205> 3DS 英雄集結 未発見(在野)武将<初期配置のみ> 3DS 信長転生 未発見(在野)武将<初期配置のみ> 3DS 戦国七雄 未発見(在野)武将<初期配置のみ> 3DS 自動仕官武将まとめ シナリオごとに簡単にまとめてみました。自動仕官武将のまとめと合わせて武将カード集めに使ってください。 編集要望シナリオごとの武将の登場都市 三国志DS3未発見(在野)まとめ 今まで調べてきたものをまとめてみましたが新武将に関しては不十分な内容になっています。 間違っているところがあったり、どのシナリオで誰が登場したか気づいたことがありましたら編集するかコメントを残していただけると助かります。 三国志Ⅴ未発見(在野)武将まとめ 一部の武将を除いて武将の年齢と登場年がほとんど変更されていますが、武将の登場都市に関してはそれなりに信頼できます。 未発見と在野の状態が入れ替わっていたり、20年以上登場年が変更されている武将もいますので注意してください。 解析して得たデータ 「放浪の賢聖」のシナリオのデータを解析して 得た所在地データです ※あくまで内部データですので実際のプレイに反映されるとは限りません。特に諸葛亮など一部武将はシナリオごとに登場場所が変わります(下邳だったり襄陽だったり)。 ※親がいる武将は親の仕えている君主の居る所に変更されるらしいです。 ※華佗・左慈・紫虚上人・南華老仙は特殊な武将でどこにいるのかシナリオごとに違うらしいです。 現在571/571 地方 名称 読み 武将 河北 襄平 ジョウヘイ 倫直、卑衍、蹋頓、国淵、公孫度、公孫康、公孫康、公孫恭、公孫淵、閻圃 北平 ホクヘイ 北斗、呂威璜、楊祚、趙統、趙雲、公孫範、公孫続、公孫瓚、公孫越、厳綱、麹義、関靖、賈範 代県 ダイケン 盧植、劉理、劉封、劉備、劉禅、劉諶、劉璋、劉循、劉焉、劉永、田予、張宝、張飛、張昭、鄒靖、関平、関索、関興、関羽、関彜 晋陽 シンヨウ 呂玲綺、呂布、劉豹、傅幹、胡遵、郝萌、衛瓘 南皮 ナンピ 逢紀、文醜、鄧茂、田豊、程遠志、陳震、張郃、沮授、沮鵠、審配、高覧、許攸、顔良、郭図、王修、尹大目 平原 ヘイゲン 管輅、廖化、裴元紹、杜遠、董昭、張梁、張宝、張角、蒋義渠、崔琰、簡雍、王粲 鄴 ギョウ 潘鳳、田続、田続、程武、程昱、辛評、辛毘、甄氏、州泰、韓馥 青徐 北海 ホッカイ 武安国、禰衡、趙広、太史慈、太史享、孔融、龔景、韓暹 下邳 カヒ 魯粛、呂岱、羊祜、糜氏、程普、趙累、張承、孫朗、孫亮、孫翊、孫瑜、孫登、孫綝、孫静、孫韶、孫峻、孫秀、孫策、孫晧、孫権、孫匡、孫休、孫冀、孫桓、孫和、孫異、孫乾、祖茂、諸葛亮、諸葛誕、諸葛瞻、諸葛靚、諸葛尚、諸葛瑾、諸葛均、諸葛喬、諸葛恪、朱治、朱然、周瑜、黄蓋、牛金、韓当 徐州 ジョシュウ 呂翔、呂曠、糜芳、糜竺、陶謙、陳登、陳珪、陳羣、孫礼、曹豹、毌丘倹、王朗 中原 濮陽 ボクヨウ 劉曄、劉磐、劉岱、波才、陳矯、臧覇、曹性、宋憲、徐晃、胡班、侯成、高順、橋瑁、橋玄、魏諷、魏続 陳留 チンリュウ 呂虔、梁習、劉馥、劉表、李典、鮑信、董衡、典満、張邈、曹沖、曹仁、曹彰、曹純、曹洪、曹休、周倉、呉質、高昇、厳政、賈充、夏侯楙、夏侯覇、夏侯徳、夏侯尚、夏侯玄、夏侯恵、夏侯和、夏侯恩、夏侯威、楽綝、楽進、郭嘉、郭奕、王戎、王渾 許昌 キョショウ 卞喜、典韋、陳宮、張節、張闓、蒋済、鍾毓、荀攸、荀諶、荀彧、司馬朗、司馬攸、司馬望、司馬孚、司馬昭、司馬師、司馬炎、司馬懿、許褚、許儀、戯志才、桓範、夏侯惇、何儀、王濬、于禁 譙 ショウ 劉巴、曹操、孔伷、夏侯淵 汝南 ジョナン 許劭、劉辟、楊済、馬邈、陳蘭、陳到、張布、張悌、徐庶、呉綱、郤正、龔都、管亥 関中 洛陽 ラクヨウ 黄承彦、劉琮、劉琦、卞氏、馬遵、杜預、貂蝉、張春華、曹熊、曹髦、曹芳、曹丕、曹爽、曹真、曹植、曹昂、曹訓、曹義、曹奐、曹叡、曹宇、蒋舒、師纂、蔡邕、蔡琰、胡烈、耿紀、高幹、何進、郝昭、蒯越、王子服、王允、袁譚、袁紹、袁尚、袁術、袁胤、袁熙 弘農 コウノウ 李粛、楊彪、楊修、満寵、陶濬、陳琳、張燕、車胄 長安 チョウアン 李鵬、毛玠、杜畿、鄧忠、董承、鄧艾、張既、鍾繇、鍾会、淳于瓊、朱儁、金緯、許靖、華歆、王昶、王双、王真、王経 安定 アンテイ 馬鈞、裴秀、朱霊、胡軫、閻行 天水 テンスイ 張遼、徐質、皇甫嵩、侯選、姜維、牛輔、郭淮、賈詡、王頎、王異、尹賞 西涼 セイリョウ 梁興、李儒、李傕、楊秋、迷当大王、龐徳、樊稠、馬騰、馬鉄、馬超、馬岱、馬休、馬玩、馬雲騄、董旻、董卓、徹里吉、張繡、張済、張横、成公英、成宜、鄒氏、徐栄、韓遂、華雄、軻比能、雅丹、郭汜、俄何焼戈、越吉 荊北 宛 エン 婁圭、雷薄、張曼成、趙弘、張勳、孫仲、胡車児、紀霊、韓忠、袁燿、閻象 新野 シンヤ 万彧、張達、張虎、向朗、向寵、賈逵、王基 襄陽 ジョウヨウ 司馬徽、龐統、馬良、馬謖、丁原、周旨、黄月英、魏延、霍弋、霍峻、華覈、蒯越、王威、尹黙 上庸 ジョウヨウ 孟達、文欽、文鴦、党均、申耽、牽弘 江夏 コウカ 文聘、傅巽、張允、沈瑩、胡奮、黄祖、韓嵩、王甫、于詮 江陵 コウリョウ 鮑三娘、張象、蔡瑁、蔡中、蔡和 荊南 武陵 ブリョウ 傅士仁、藩濬、蘇飛、沙摩柯、金旋、鞏志 長沙 チョウサ 孫歆、蒋幹、謝旌、呉景、黄忠、闞沢、韓浩、韓玄、桓階 桂陽 ケイヨウ 鮑隆、潘璋、趙範 零陵 レイリョウ 留略、劉度、劉賢、刑道栄 江東 寿春 ジュシュン 劉繇、張紹、張紘、張休、張英、笮融、胡質、吾彦 建業 ケンギョウ 呂蒙、万彧、董襲、陳武、陳横、全端、全琮、全懌、全禕、朱異、顧雍、厳畯 呉 ゴ 于吉、濮陽興、傅嬰、縢胤、張温、孫尚香、孫堅、薛綜、薛瑩、周魴、厳輿、厳白虎、許貢 会稽 カイケイ 陸遜、陸績、陸抗、陸凱、駱統、樊能、唐咨、張華、周昕、虞翻、賀斉 廬江 ロコウ 李異、歩騭、馬忠 (孫呉) 、程秉、大喬、徐盛、小喬、朱桓、周泰 廬陵 ロリョウ 予章 ヨショウ 呂範、凌統、凌操、丁奉、譚雄、蒋欽 鄱陽 ハヨウ 巴蜀 漢中 カンチュウ 呂義、呂凱、楊柏、楊任、楊松、楊昂、傅彤、傅僉、張嶷、譙周、伊籍 下弁 カベン 馮習、樊建、馬忠 (蜀漢)、董允、蒋琬、呉蘭 梓潼 シドウ 李豊、李厳、李恢、楊懐、龐義、鄧芝、董厥、張翼、岑昏、高沛 成都 セイト 冷苞、劉璝、雷銅、費詩、鄧賢、董和、陳式、陳寿、張任、張松、卓膺、秦宓、黄皓、黄権、呉懿、閻宇 永安 エイアン 法正、甘寧、郭攸之 江州 コウシュウ 楊儀、雍闓、費禕、高翔、厳顔、王累、王平 建寧 ケンネイ 朱褒、高定、王伉 雲南 ウンナン 南斗、楊鋒、孟優、孟獲、木鹿大王、忙牙長、董荼那、土安、朶思大王、帯来洞主、祝融、兀突骨、奚泥、金環三結、花鬘、阿会喃
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ルール(縛り) 難易度超級、戦死標準、登場史実、武将編集無効 自勢力武将以上の能力値を持つ武将の登用禁止(陸抗除く) 登用禁止武将の配偶者、義兄弟の登用禁止 軍師は陸抗で固定(陸抗登用までは杜預で固定) 廟での『覇王』『○神』『飛将』『神将』『勇将』『神算』『虚実』『捕縛』の習得禁止 外交コマンド禁止 土塁などを用いた技巧ポイント稼ぎ禁止 <前章までの勢力図> あらすじ 巴蜀と南中を制圧 もうすぐ漢中に攻め入ることができそう 第七章 突貫定軍山 南中にて曹丕軍を打倒し、次なる目標を司馬懿軍有する漢中に定めた羊祜軍。 しかし現状はというと、梓潼の東西にある間道を通って攻め寄せて来る司馬懿軍相手に守りの一手を強いられていた。 羊祜「おお戻ったか幼節。南中の制圧ご苦労だった。さっそくだが間道の守備に当たって欲しい」 陸抗「仰せの通りに。ところで高沛殿、楊懐殿。北の守りには空城の計を用いるよう伝達したはずですが…」 高沛「はは…それが、剣閣と葭萌関を占拠したまでは良かったのですが…」 楊懐「いざ空城にして明け渡そうとしたところ、司馬懿軍は逆に警戒して攻めて来なくなったのです」 陸抗「…さすがはあの諸葛孔明を完封した男。怪しきには近寄らず、が徹底してますね」 以前梓潼を攻略した後に、手の空いていた武将で剣閣および葭萌関を制圧しておいた。 これで2つの関を用いた棺桶作戦で容易に防衛戦ができるとタカをくくっていたのだが、司馬懿軍は関の再奪取をせず、梓潼東西の間道を通らせて漢中から兵を送り込んできていた。 南蛮遠征や襄陽防衛の際に羊祜を出陣させることができなかったのは、この間道を通ってやってくる曹操・厳顔・張郃ら1万越えの司馬懿軍を迎撃するためだ。 羊祜「我らが漢中を攻める場合、定軍山を通ることになるが、あの険しい戦場で手間取っている内に東西の間道伝いに梓潼を攻められると厄介だな」 陸抗「そこでまず、現在空城となっている剣閣に出来る限りの軍勢を駐屯させ、剣閣の北を城塞で塞ぎます」 王濬「これで漢中から梓潼西の間道へ抜けるルートを封鎖することができますな」 王渾「ただそうなると、司馬懿軍は梓潼東の間道へ今以上の大軍を送り込んでくるのでは? その1ヶ所塞げばいいだけマシではありますが…」 陸抗「いえ、剣閣の北に築いた城塞を司馬懿軍が放っておくとは思えません。必ず先にかの地の城塞を破壊しようとするはずです」 剣閣の北、定軍山に向かう間道の一歩手前の地形は平地。剣閣の北を固める場合、ここに防衛施設を置くのは定石なのだが、実はここは漢中領なのだ。 司馬懿軍は当然自分の領地に城塞を置かれたら真っ先に破壊しに来る。これを剣閣の軍勢で猛攻撃する。 司馬懿軍は「軍制改革」の効果もあって1万以上の軍勢を率いてくるので、間道にいる際に谷越しに多数の部隊で火矢や投石を当てまくる。 こうして何度か撃退していれば、漢中の兵数はメキメキと減り、梓潼東の間道へ兵を送る余裕は無くなってくる。 ダメ押しに、梓潼東の間道上にも城塞や石壁を建設しておけば、間道を通って梓潼に向かう選択肢を完全に潰すことができる。 羊祜「間道を通ってやってくる敵の報告がパタリと止んだな。幼節、元凱、見事だ」 陸抗「これで間道に気を遣うこと無く定軍山に進軍できますが、油断は禁物です。定軍山の地形上、大軍を送り込めばいいというものではないですから」 杜預「強靭な先鋒隊と多数の後方支援部隊を慎重に選定することが重要となりますぞ」 270年4月、梓潼・葭萌関・剣閣の3つの拠点から、以下の漢中攻略隊を進発させる。 羊祜&張球&田疇の槍兵S隊15000 陸抗&曹休&費耀の弩兵S隊12000 杜預&牛金の弩兵S隊5500 王濬の投石S隊10000 王渾&張華&李通の槍兵A隊12000 胡奮&胡烈&丘建の投石S隊11000 周旨&曹純&曹昂の投石S隊11000 張華「王渾殿、羊祜様の本隊はあくまで後詰。この戦の主攻は我らです」 王渾「言われずとも。先鋒の我らが敵陣を切り裂かねば、この戦に勝機は無い。者ども、気合を入れて懸かれ!」 羊祜本隊は梓潼から出陣した後詰。まずは剣閣から出陣した王渾を先頭に定軍山の間道を進む。 司馬懿軍の先鋒は関索率いる槍兵A隊11000。能力的にはほぼ互角の戦いとなる。 王渾「退けい青二才!それがしの槍と貴様の槍では、年季が違う!」 関索「よぉ、そんなにピリピリしてたら女にもてんぞ!…大体俺の方が生まれは早いっつーの」 張華「生まれも何も、あなた架空の人間じゃないですか。史書に名前載って無いですぞ」 関索隊の兵力は驚異だが、こちらは投石・火矢といった遠距離攻撃でできるだけ兵力を減らした後に王渾で直接攻撃をする。 基本的なことだが、敵部隊に攻撃する際は、直接攻撃よりも間接攻撃を先に行えば、直接攻撃をした際の反撃ダメージを出来る限り抑えることができる。 石と矢でボコボコにし、槍で突きまくる。これをひたすら繰り返し、まずは関索隊を撃破。 次なる相手は呂玲綺率いる槍兵A隊13000。奇しくも再び能力的にほぼ互角の戦いとなる。 王渾「道を開けろ小娘!それがしは女子供を相手にする趣味は無い!」 呂玲綺「ふん、女だからって油断すると後悔することになるよ!…それにあたしの方が生まれは早いんだから」 張華「だから生まれとか言ってますけど、あなたも架空の人物ですから。史書に名前載って無いですぞ」 やることは変わらず、石と矢の後方援護を軸に兵数を削る。関索も呂玲綺も知力の高い副将がついていて計略は効かないので、ゴリ押しするしかない。 ようやく呂玲綺隊を撃破すると、後は漢中までの行軍を妨げる部隊はいない。定軍山を突破し、開発地や防衛施設を破壊しながら城に取りつく。 3部隊で投石をすれば、統率の高い司馬懿の守る城の耐久値もガツガツ減ってゆく。270年9月、最後は王渾の一撃により、漢中は陥落した。 羊祜「皆、ご苦労だった。とくに王渾よ、素晴らしい働きだった」 王渾「有難きお言葉。…あと少しで槍のなんたるかが掴める気が致しまする」 正直今回の戦争で王渾を主攻に据えたのは、王渾の槍兵適性がそろそろSになるのでは?という予想があったからだ。 この戦いでタイミング良くAになることはできなかったが、おそらく経験値的にはあとわずかだろう。 この戦で捕虜にした司馬懿軍の武将からは、2人の人物を登用。 羊祜「慧眼の士、そして硬骨漢として名高いあなたには、参謀として力を発揮して頂きたい。我が軍のさらなる成長のため、鞭撻を振るってくだされ」 蒋済「仲達殿には恩がありますが…これもまた巡り合わせ、登用に応じましょう。ただし、私は物事をはっきり言う性質なので、御覚悟を」 曹丕「おい羊祜。忠告しておいてやるが、こやつには飲ませない方が身のためだぞ。ひどい酒乱だ」 夏侯尚「全くですな」 曹休「うむ」 蒋済「そんなにはっきり言わなくても…」 蒋済は高い知力と弩兵適性Aを持つ、使いやすい知将。付与する武将が張華以外にいなくて持て余していた『指導』の特技を与え、積極的に従軍させることに。 もう1人登用したのは『屯田』持ちの甯随。このタイミングで彼が登用できたのは非常に有難い。 甯随を陽平関に配置し、ここに6万の兵を置き、本城にも10万の兵を置く。総計16万もの兵を漢中に集結させる。 予想はしていたが、漢中の復興がままならぬうちに司馬懿軍が上庸・天水・長安の3都市から攻めてきた。 杜預「防衛に手の回る諸将は陽平関北と子午谷入口に布陣し防衛線を張れ。それと唐彬、おぬしは各要所に防衛施設を建てよ。ただし陽平関前の本道は塞ぐな」 唐彬「は…塞がなくて、よいのですな…?」 陸抗「あまりに堅固だと、敵は違う進路を取ってしまうからです。陽平関の北で戦う方が、こちらとしても何かと便利ですから」 陽平関の北は森が無く開けていて戦いやすい。ここだと『疾走』の特技を持つ周旨が活躍できる。 この地に防衛施設をバンバン建ててしまうと、敵は天水と漢中を結ぶ間道や陽平関東の間道を使うようになる。 こちらの戦闘力が弱いなら間道で防衛するのもありだが、兵数も武将の数・質も十分な今なら、平地で普通に戦った方が効率がいい。 漢中防衛戦を展開している際は、武将の成長ラッシュだった。 王渾の槍兵適性がようやくSに、李通の槍兵適性もSに、牛金の戟兵適性がSに、そして陽平関北東で見つけた遺跡で周旨の水軍適性がSになった。 劉備軍とのエンドレス防衛戦を続ける永安でも、曹昂の兵器適性がS、高沛と夏侯尚の弩兵適性がSに成長した。 また、貯まった技巧ポイントで戟兵の技巧研究を進め、「精鋭戟兵」まで研究完了した。これで司馬懿軍の「精鋭槍兵」に対抗できる。 こちらの物資や人員が厳しい時の防衛戦は苦しいが、充実している時の防衛戦はいい経験値・技巧ポイント稼ぎになるので歓迎だ。 特に寿命無しシナリオだとダラダラ防衛戦を続けている方が意外と面白かったりする。しかし、物資もたっぷり貯まったことだし、いつまでもこうしている訳にはいかない。 羊祜「次に目標とすべきはどこがよいだろうか。漢中からなら、長安・天水・上庸の3都市が考えられるが…」 陸抗「天水・長安を攻める場合、不気味なのが武威の孫策軍です。支配都市は1都市ながら、あの司馬懿軍相手に互角の戦いを続けていますから」 張華「それならば、あえて彼奴等の戦いに水を差すことも無いでしょうな。漢水を東進し、上庸を攻めるのが上策かと」 第八章 漢水三つ巴 272年9月、漢中から上庸攻略隊を進発させる。内訳は以下の通り。 羊祜&曹洪&費耀の槍兵S隊15000 陸抗&曹休&楊任の弩兵S隊12000 杜預&曹丕&張衛の弩兵S隊12000(張衛の特技は曹丕軍が『火神』を付与済み) 王濬&牛金&張華の戟兵S隊12000 王渾&李通&蒋済の槍兵S隊12000 胡奮&胡烈&丘建の投石S隊11000 周旨&曹純&張球の騎兵S隊11000 杜預「上庸は漢水から劉備軍の強襲を受けて、後手に回っている。司馬懿軍が水上に気を取られている内に一気に本城を衝くぞ」 王渾「軍師殿、上庸の司馬懿軍は城外の兵を含めても30000足らず。我が軍の軍勢はやや大げさではありませんか?」 陸抗「宛の軍備を気にかけてのことです。かの地には50000の兵がおりますから、遅かれ早かれ援軍に来るはずです」 上庸へは漢中のほぼ全軍で殴り込みをかける。上庸攻略隊出撃後に城兵の減った漢中には陽平関の兵を代わりに入れて、陽平関は棺桶作戦の場とする。 漢中は陽平関北の他、子午谷からも攻められていたので、守りには唐彬・霍峻・高沛・楊懐らを置いておく。 上庸に侵入したら、まず兵舎を破壊する。幸い兵舎は漢中に最も近い所にあったので、胡奮隊で一撃破砕。 迎撃に出てきたのは張郃隊12000、馬雲騄隊7000、顔良隊4000。まずはお決まり、本道に並んだところに火球を見舞わせる。 『火神』張衛が頼もしい。本道の脇の森に逃げ込んだら、『射手』付きの陸抗&杜預隊で火矢を浴びせる。 特に兵数の多い張郃隊は、羊祜本隊の槍で本道に突出し、周旨で突撃を駆ける。『疾走』の効果で混乱させ、大ダメージを与える。 やはり決定力のある特技を持っていると心強い。名将張郃ですら手玉に取ることができる。 この間に出番のない王濬&王渾隊には、子午谷を通ってきた司馬懿軍を迎撃してもらう。 敵迎撃部隊を殲滅し上庸の軍勢を籠城に追い込んだところ、案の定宛から援軍がやってきた。 陸抗「あの軍を率いるは堅守の名将。突破できるのは周旨殿だけです。頼みます」 周旨「おうよ!俺の騎馬部隊でかき回してやる!」 やってきたのは張任率いる14000の戟兵部隊。まともにやりあえば撃退は難しい。周旨隊の突撃と火罠を駆使して兵を減らす。 周旨「たった一人でこれだけの軍をまとめ上げるとは大した統率力だな。だが、ここまでだ。観念しな」 張任「刃折れ矢尽きようとも、決して屈さぬのがそれがしよ。…来い!」 兵が半数ほど減った張任隊に突撃を懸けたところ、一騎討ちが発生。この時点で周旨の武力は97、張任の武力は86。 副将の居ない張任は単騎で善戦するも、最後は周旨の必殺連打で勝負あり。打ち破って捕縛した。 273年1月、胡奮の投石で上庸を制圧。益州・荊州・中原を結ぶ要衝を確保した。 王渾「さっそく襄陽の劉備軍が攻めてきたとの報が入りましたぞ。水上戦ならお任せあれ」 羊祜「うむ。王渾は水路を、周旨は陸路を固めてくれ。その他の将は上庸の復興をしつつ、上庸・漢中の防衛に当たるのだ」 張華「上庸では艦船の製造も致しましょう。漢水での攻防に必ずや役立つはず」 陸路で司馬懿軍、水路で劉備軍を迎撃している間に、忠誠の下がった司馬懿軍の捕虜を数人登用。 曹休「よお、頭でっかちの梁道ではないか。生来の意固地もようやく潰えて我が軍に降伏したとか」 賈逵「これはこれは、名家の面汚し殿。貴殿が将軍をやっているということは、羊祜軍も未だ人材不足のようですなあ」 夏侯尚「まあまあ、お二人とも…」 羊祜「曹丕殿、あの2人はとりわけ仲が悪いようですが…よく同じ軍で用いることができましたな…」 曹丕「ははは、わしには再会が嬉しくてじゃれあってるように見えるぞ」 張任「老将は二君に仕えず!……と言いたいところだが…一騎討ちで敗れたからには潔く降参するとしよう」 高沛「張将軍、蜀人の精強さ、共に天下に知らしめましょうぞ」 楊懐「我ら2人は知らしめる前に劉備にぶっ殺されてますからな。前評判は良かったのに」 この他にも王甫・楊欣らを登用。『築城』持ちは何人いても損は無いので、賈逵には前線で働いてもらう。 ちなみにこの賈逵、本来は曹丕軍の所属。建寧陥落時に捕虜にし、曹丕軍滅亡時に登用するつもりだったのだが、滅亡の数ターン前に脱走。 脱走した場合は一定期間登用不可状態になるらしく、誰を差し向けても振り向いてくれず。結局司馬懿領に流れて司馬懿軍に登用されていたのだ。 こういうことがたまにあるから捕虜の扱いには気を付けなくてはならない。 張任は忠誠値がギリギリ自然低下しない相性なので、主力の一人として漢中の防衛を担当してもらう。曹仁や満寵と同じ使い方だ。 弩メインで戦う羊祜軍において、高武力の『弓将』は有難い。 上庸及び漢中の防衛戦で最も手こずったのは、敵の1万越え霹靂投石部隊だ。それを率いているのが馬雲騄や顔良といった高武力の武将だとなお性質が悪い。 待ち伏せすると遠距離から防衛施設ごと投石の被害を受けるし、こちらから向かっても1ターンでは壊滅させることはできず、多部隊を巻き込むように投石を喰らう。 上庸と宛を結ぶ陸路で来た場合は周旨の『疾走』で無力化できるが、子午谷から来られると間道のせいで騎兵戦法ができず、荒地のせいで火罠攻撃もできない。 『槍将』李通の武力はこの時点で85であったので、乱突による無力化も不可能。結局、ダメージ覚悟で多数の部隊を突撃させるしか方法は無かった。 ただ、多くの防衛戦のおかげで技巧ポイントはどんどん貯まり、技巧「兵糧襲撃」「火薬錬成」「雲梯」を研究。 「雲梯」があると拠点・施設への攻撃力が上がり、陽平関や房陵港を用いた棺桶作戦がやりやすくなる。 人材面では、捕虜にした武将の中から馬岱・吾粲・辛毘の3名を登用。 馬岱には周旨に次ぐ羊祜軍の第2騎馬部隊を率いてもらうつもりだが、忠誠の自然低下が怖いので、近いうちに誰かと義兄弟を結びたいところ。 それまでは漢中で防衛戦要員として待機していてもらう。吾粲・辛毘は内政要員として後方都市に配置。地味だが重要な役目を担ってもらう。 また人材の成長面では、曹丕・王渾・劉劭の弩兵適性がSになり、この時点で羊祜軍の弩S武将は17人となった。 羊祜「攻めに転じたいが、ここからどの都市を狙うべきか…」 陸抗「難しいですね。防衛戦を重ねている間に隙の出来た都市を落とそうと目論んでいましたが…」 この時点での勢力図は以下の通り。 攻める都市の候補としては、天水・長安・宛・新野・襄陽の5つが考えられる。 天水を攻めるとなると、孫策・司馬懿両軍と戦うことになる。強敵だが今の羊祜軍なら決して不可能ではないし、関中を得られるのは大きい。 ただ、あまりに普通過ぎるし、武威で司馬懿軍相手に奮闘する孫策軍を潰してしまうのは惜しい。 長安を攻めるとなると、こちらも結局は関中を制する順番の問題なので、天水と同じ理由であまりやりたくない。 それに長安には漢帝がいる。漢帝がいる都市を落としてしまうと、のちのち簒奪イベントが起こる可能性が高い。 プレイヤーの気分的にも、羊祜のイメージ的にもそれは避けたいので、長安を落とすのはできるだけ後に回したいのだ。 宛・新野攻めは、劉備・司馬懿両軍の激戦地にわざわざ顔を突っ込むようなものなので、進んで採るような方針では無い。 となると、結局残るは襄陽奪還戦なのだが… 陸抗「忌々しいのは劉備軍と劉禅軍の同盟。これがあるために話がややこしくなるのです」 羊祜「……なるほど、荊南からの補給か」 杜預「ハ。劉備軍が江陵をこうも頑強に維持できているのは、荊南4都市の戦力・物資を全て江陵に回しているからなのです」 江陵の劉備軍は幾度も永安に攻め込んできており、曹仁・満寵・楽進らで長年に渡り迎撃に当たってきた。 地形的には非常に守りやすいので防衛自体は容易なのだが、何度撃退しても進軍報告が止むことが無い。 その原因は、荊南4都市から20000やら30000の兵士の補充が毎ターンのように送られてくるからだ。 本来は長沙と柴桑が接しているために、この2都市間でグダグダな攻防をして物資を消費してくれるのだが、柴桑の劉禅軍と劉備軍は同盟中。戦争は起こらない。 以前羊祜軍が襄陽を奪われたのも、この同盟のおかげで劉備軍が戦力を北に集中することができたのが原因だ。 陸抗「……という訳で、我らがまずすべきは劉備軍の"骨"を断つことかと」 胡奮「どういうことです?…あの、それって…」 周旨「おいおいまさか…」 杜預「さあ急ぎ荷をまとめよ。荊南侵攻のため、雲南へ向かうぞ」 第九章 南中大遠征 悩んだ末、羊祜軍は雲南から山脈を越えて荊南は零陵の地を目指すことに。 零陵を皮切りに荊南を制圧して補給を断ったのちに、江陵・襄陽を攻略する寸法だ。 まずは人員や物資を雲南に集結させる。 王渾「まさかこの地にもう一度戻ってくることになろうとは…」 王濬「だが、考えてみろ。我らが荊南を落とすことは、劉備軍からすれば巨大な兵糧庫を襲撃されるようなことだ」 胡烈「荊南方面から劉備領を切り崩してゆけば、劉備軍と司馬懿軍の潰し合いに水を差すこともありませんしね」 胡奮「しかしこの大遠征、失敗は許されませんな…もし負けたら、敵地で全軍玉砕の可能性も…」 周旨「まあ、腹括れよ胡奮。ここが羊祜軍の底力の見せ所ってもんだろ」 劉巴「お待ちしておりました羊祜様。兵装と物資は可能な限りかき集めておきました」 羊祜「ご苦労だ、雲南大守劉巴よ」 曹丕「しかし羊祜、おぬしは石橋を叩いて渡る無難な男だと思っていたが、今回は大きく出たな」 羊祜「現状に満足してばかりでは、得られるものも限られてますからな。やるときはやらねば。……自身が君主だと、決断を実行に移すのが楽で幸いです」 曹丕「…なるほど、おぬしも苦労したようだな」 この大遠征の間、永安は鮑信・夏侯尚に、漢中は張任・馬岱に、そして上庸は曹仁・楽進・張衛に守らせる。 上庸を陸路で攻めてくる司馬懿軍は張衛に焼いてもらい、水路で攻めてくる劉備軍は楽進に房陵港ごと撃破してもらう。 275年5~7月にかけて、以下の零陵攻略隊を雲南から進発させる。 羊祜&李通の槍兵S隊1000 陸抗&曹丕の弩兵S隊1000 杜預&曹休の弩兵S隊1000 王濬&牛金の戟兵S隊1000 王渾&賈逵の槍兵S隊1000 胡奮&胡烈&丘建の投石S隊1000 周旨&曹純&張球の騎兵S隊1000 曹洪&張華の槍兵S隊1000 最初のうちは部隊の兵士数を抑えて兵糧消費を軽減し、敵地へ侵入する直前に輸送部隊で兵士を補充するという作戦を採る。 ただ、CS版だと輸送隊を用いた補給の際に、補給量を任意に調節できないのが不便だ。 ハードパワー的な云々があるのだろうけど、この機能をオミットするのは避けて欲しかった…。 また、道中には事前に劉巴を先行させ、ありったけの城塞を設置しておく。 零陵攻略隊が遠征をしている最中にも、永安・漢中・上庸では激戦が続く。 と、ここで子午谷から漢中に攻め寄せていた司馬懿軍の顔良・関索らが不意に南下し、上庸領に侵入。上庸北西の農場Lv3を破壊されてしまった。 曹仁「……諸将よ、奴らはもっともやってはならぬことをした」 満寵「ちょいとお灸を据えてやらねばなりませぬな」 楽進「我怒…!」 こういった舐め腐った行動をされると完膚なきまでに叩きのめさずにはいられない。 ちょうど手も空いていたので、上庸に駐屯する全軍で出陣する。楽進で突き、満寵で刈り、張衛で焼き、最後に曹仁で止めを刺し捕縛完了。 処断したい気持ちをグッとこらえ、捕虜にして数ヵ月後に登用。『疾走』持ちと『威風』持ちは敵だとうっとうしいが、味方になると頼りになる。 さらに関索は、馬雲騄隊に突撃した際に馬雲騄と強制一騎討ちに。武力91の関索だと武力93の馬雲騄には苦戦したが、ギリギリの体力で逆転勝ちし馬雲騄を捕縛→登用。 司馬懿軍の主力を軒並み吸収したことで、ずいぶんと防衛がしやすくなった。 そして彼ら以上に嬉しかったのが、『仁政』持ちの司馬攸を捕縛→登用できたことだ。 彼のおかげで、増えてきていた劉備寄りの相性を持つ武将や、羊祜とは相性が真逆に当たる顔良などを長期の防衛戦に出撃させることができる。 もちろん元々いた武将達も防衛に活躍してもらい、楊懐・楊任・蒋済の弩兵適性がSに成長した。 冬を越して276年4月。零陵攻略隊はようやく山脈を越え、武陵領に侵入した。すぐに各部隊に兵員と兵糧を補充し、戦いの準備を整える。 この時点での武陵の城兵は15000、零陵の城兵は10000。駐屯している武将も合わせて7名ほど。 陸抗「さすがにこの険路を用いた襲撃は予想していなかったようですね」 羊祜「うむ。敵が兵員を招集する前に急襲するぞ」 杜預「叔子様、今なら武陵・零陵の2都市を同時に落とすことも可能。部隊を二手に分けましょう」 当初は零陵のみを落とすつもりでいたが、予想以上に荊南諸都市の城兵数が少ないので、武陵・零陵の2都市を制圧することにする。 武陵方面には羊祜・王濬・王渾・曹洪の白兵戦4部隊を、零陵には陸抗・杜預・胡奮・周旨の速攻戦4部隊を向かわせる。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (keinan_off.png) まずは零陵方面に向かった4部隊が、零陵の西の隘路を経て零陵本城周りの広野に散開。迎撃に出てきた朱然・董和・マリオ丁奉らと戦闘になる。 朱然・丁奉はもちろん、文官である董和もなかなかの戦闘能力を有する侮れない武将だ。が、いかんせん兵数が少なすぎる。 彼らの抵抗をあっさりとはねのけ、276年7月、胡奮の投石で零陵を制圧。進軍には手間取ったものの、本城の攻略はびっくりするほど簡単に行った。 さらに武陵から援軍に来ていた朱儁隊に周旨で突撃すると、一騎討ちが発生。周旨(武力97)vs朱儁(武力73)の戦いは、もちろん周旨が圧勝。 労せずして朱儁を捕縛することに成功した。零陵には胡奮と杜預を残し、周旨隊と陸抗隊はそのまま北上、武陵攻略の助っ人に向かう。 武陵方面に向かった4部隊は、武陵の南西の隘路で許褚・劉繇・戴陵らと交戦。直前に折よく技巧「精鋭槍兵」の研究が完了。 隘路のため進軍はやや遅れたが、副将に『槍将』李通を侍る羊祜本隊の乱突を軸に順調に敵部隊を撃破し、本城に迫る。 武陵からは再び徴兵したのか、許褚隊が再出撃…と思ったら、あらぬ方向へ向かい見知らぬ部隊と交戦を始めた。 賈逵「羊祜様、斥候の報告によるとどうやら武陵の南が賊軍に襲撃されているとのこと」 李通「兵をかき集めるのに必死で、治安維持にまで手が回っていなかったようですな」 羊祜「うむ。この機を逃す手はあるまい」 いいタイミングで出張ってくれた賊軍に感謝し、本城に取りつく。賊軍との戦いで疲弊した許褚隊は、零陵からやってきた陸抗・周旨の2部隊で撃破。 と、ここで最後の抵抗とばかりに、3500ほどの兵を引き連れた敵部隊が武陵から出陣。その攻撃が妙に手痛いと思ったら、率いる将は"竜胆"趙子龍。 王濬「あの趙雲とてこの兵力差を覆すは不可能!陣形を崩さず包囲殲滅せよ!」 羊祜「しかし…趙雲が到着したのが落城寸前で助かった。新野の守備に就いているという報告だったが、ここまで早く対応してくるとは…」 最後まで抵抗を続ける趙雲を撃破すると、276年9月、王濬指揮下での一斉攻撃により、武陵を制圧。 金や兵糧といった物資輸送もスムーズにゆき、丸一年以上を費やした南中大遠征は大成功を収めた。 これで羊祜軍の支配都市は10都市となり、暫定的ではあるが中華最大勢力に躍り出た。 胡奮「いやあ、やってみるものですな。まさかこんなに上手く行くとは…」 杜預「遥か西方の大秦国には、今より2世紀以上前に海峡を1つと山脈を2つ越えて攻め込んできた名将の伝説が残っている。それに比べればこの程度、遠足に過ぎん」 牛金「慣れると南蛮の水も意外と味わい深かったですしな。川底の柳の葉から染み出る旨味がたまらん!」 王渾「…なあ王濬よ、いつのまにか牛金殿に鱗が生えているように見えるが、気のせいか?」 王濬「…まあ、本人には黙っておいた方が良いだろう…」 張華「桂陽・長沙の劉備軍は即座に防備を固めたらしく、城兵はどちらも40000まで膨れ上がっているとのこと」 賈逵「長沙から武陵へ、桂陽から零陵へ、早速進軍報告が入ってますぞ」 羊祜「相手も血相を変えて奪還に来たようだな。だが、今の我が軍は威勢隆々、竹を割るかの如し。敵侵攻部隊を各個打ち破れ!」 長沙から洞庭港経由で攻めてくる敵部隊は洞庭港を上陸したところに防衛施設をたっぷり建てて迎撃する。火罠も併用すれば、こちらは文官でも撃退は難しくない。 桂陽から零陵に攻めてくる敵部隊は渡に建設した防衛施設のZOCで足止めしたところに周旨で突撃を懸ければ容易に撃退できる。黄忠・李厳といった勇将もこの方法で撃破。 また、この間に先の戦いで捕虜にした劉備軍の武将、丁奉・孫韶・董和らを登用。皆優れた人材だ。 とは言っても、古参武将の成長もあって前線戦力は整っているので、しばらくは後方都市の維持やスポット参戦になるだろう。 人材が潤ってくると丁奉レベルの武将を手に入れても感動が薄いのが寂しいところ。このゲームの後半が作業的になるのは、こういった点も原因の1つだと思う。 貯まっていた技巧ポイントは「防衛強化」に注ぐ。それほど優先度の高い技巧では無いが、城塞の反撃力が2倍になるのは地味に大きい。 敵の侵攻の隙をぬって、零陵にて桂陽攻略隊のための人員を招集する。 荊南制圧の準備は着々と整っていった。 <277年4月現在の勢力図> (官位順) 司馬懿軍(大将軍) 軍師:郭嘉 主武将:張郃、凌統、張角、荀彧、楊阜技巧研究はさらにパワーアップし、「精鋭戟兵」「防衛強化」などを取得。だがなぜか孫策軍相手には苦戦中 羊祜軍(羽林中郎将) 軍師:陸抗 主武将:王濬、周旨、曹仁、曹洪雲南~荊南の大遠征が実を結び、領土的には中華最大勢力に 諸葛誕軍(五官中郎将) 軍師:田豊 主武将:鄧艾、鄧忠、夏侯惇、文聘、田豊黄河沿いで司馬懿軍および諸葛亮軍と激戦中。なかなか確固たる領土拡張は進まず 諸葛亮軍(五官中郎将) 軍師:賈詡 主武将:馬超、徐晃、韓遂、夏侯淵 苦戦中。最も滅亡に近い勢力だが、それでもしぶとく反抗している 劉備軍(五官中郎将) 軍師:法正 主武将:趙雲、黄忠、甘寧、許褚勢力を淮南方面に伸ばすも江東の虎の侵攻を許し、湿地でグダグダな攻防戦を展開している 孫堅軍(州刺史) 軍師:陸遜 主武将:賀斉、李儒、諸葛恪、張済下邳は諦め、広陵に上陸しひたすら寿春へ侵攻中 劉禅軍(州刺史) 軍師:張紘 主武将:典韋、華雄、郝昭、李恢、孫礼兵を貯めるだけ貯めて何もしていない。なんだこれ…? 孫策軍(州刺史) 軍師:周瑜 主武将:周泰、蒋欽、呂範、魏延、徐盛司馬懿軍の安定を奪取し、天水も落とそうかという勢い。司馬懿軍は主力を漢中に向けていたので、漁夫の利を得た形 <羊祜軍の成長> 技巧研究:「騎射」「精鋭騎兵」「霹靂」「爆薬錬成」「政令整備」「人心掌握」以外は研究完了 能力研究:全て完了。判明した隠し特技は『指導』『踏破』『鬼謀』『神将』『闘神』。 <羊祜軍の武将の成長> 主力武将の成長。赤字で書かれている数字はデフォルト値からの増加分または変更点 主力武将 統率 武力 知力 政治 魅力 槍 戟 弩 騎 兵 水 備考 羊祜(精妙) 92(2) 74(10) 91(7) 90(3) 95(6) S A S A A A 技巧を全て研究したら『神将』を付ける予定 陸抗(精妙) 93(2) 77(14) 95(8) 87(2) 93(6) A S S B S S 同じく『神将』を付ける予定。これくらいの武力なら強過ぎないし 杜預(昂揚) 92(7) 54(24) 92(7) 88(8) 87(6) A B S C S S 廟で特技を『威風』にする予定 王濬(金剛) 90(9) 92(19) 78(1) 78(7) 76(1) A S S B S S 戟兵でも千を超えるダメージを叩き出す 王渾(水将) 84(8) 94(18) 78(6) 86(12) 79(10) S A S B A S できたら騎兵適性も上げたいところ 胡奮(攻城) 84(13) 90(14) 65(15) 53(1) 60(5) C B A A S A 「霹靂」が無くとも十分強い 周旨(疾走) 89(24) 98(13) 61(20) 51(22) 63(20) A C C S S S 槍兵適性を上げたかったけど、あまり使う機会が無い… その他の武将の成長 唐彬:特技をなし→築城に。また、弩兵適性がSに。武力は自力で81まで上昇 閻柔:特技を親烏→築城に。また、弩兵適性がSに。相変わらず永安で防衛の日々 張華:特技をなし→指導に。また、弩兵適性がSに 楊済&楊肇&王戎:特技をなし→運搬に 胡烈:特技をなし→射程に。また、兵器適性がSに 曹仁:特技を鉄壁→金剛に。守城は上庸に変更 楊懐&高沛&楊任:特技をなし→掃討に。また、3人とも弩兵適性がSに 満寵:弩兵適性がSに。常に曹仁とセットで運用 曹昂:特技を血路→射程に。また、兵器適性がSに。防衛戦用兵器部隊として活躍 鮑信:弩兵適性がSに。曹仁の後を継ぎ永安で鉄壁の守りを見せる 費耀:特技をなし→築城に。弩兵適性がSに 夏侯尚:特技をなし→補佐に。また、弩兵適性がSに。鮑信の補佐 丘建:特技をなし→明鏡に。胡奮隊の防計担当 司馬孚&劉巴:特技をなし→能吏に 牛金:戟兵適性がSに。武力は自力で86まで上昇 李通:槍兵適性がSに。武力がもっと欲しい… 曹丕:弩兵適性がSに。あらゆる面で優秀 劉劭:弩兵適性がSに。防衛戦や内政などオールラウンドに活躍 蒋済:特技をなし→指導に。また、弩兵適性がSに。メイン3人に次ぐ知力の持ち主 <羊祜軍の武将ベスト5> 順位 統率 武力 知力 政治 魅力 1位 陸抗(93) 周旨(98) 陸抗(95) 羊祜、曹丕(90) 羊祜(96) 2位 羊祜、杜預、曹仁(92) 顔良(96) 杜預(92) 杜預、張華、賈逵(88) 陸抗(94) 3位 張任(91) 王渾、楽進、馬雲騄(94) 羊祜(91) 陸抗、董和(87) 司馬攸(89) 4位 王濬(90) 曹仁(93) 蒋済(87) 王渾(86) 杜預、司馬孚(87) 5位 周旨(89) 王濬、関索(92) 閻圃、吾粲(86) 満寵、田疇(85) 曹丕(83) <羊祜軍が登用可能な武将の最大能力値> 統率 武力 知力 政治 魅力 92 97 94 89 95 長らくプレイしてきましたが、南中~荊南間の間道を使用したのは今回が初めてです。 使ってみた感想としては、「思ったほど行軍に時間がかからないし、割とアリじゃん?」って感じです。 その9へ続く
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カコウイ 列伝 魏将・夏侯淵の子。夏侯覇の弟。夏侯恵、夏侯和の兄。 【演義】 夏侯淵の次男。諸葛亮が五丈原に出陣した際、司馬懿に抜擢され、兄の夏侯覇と共に左右の先鋒を務める。公孫淵が反乱を起こした時も、司馬懿に従軍して鎮圧した。 【正史】 男気のある人物で、荊州、兗州の刺史を歴任した。人相見の朱建平から「49歳で災難に遭うが、切り抜けられたら70歳まで生き、皇帝の後見役になる」と予言される。49歳の12月に病になり、晦日に回復して喜ぶが、酒宴の後に再発し急逝した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 71 73 49 57 67 317 144 193 順位 199 155 465 366 266 225 165 237 偏差値 56.1 57.2 45.2 50.2 54.0 54.5 57.0 54.6 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B C B A C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 61 60 51 57 55 57 76 64 51 42 51 47 順位 173 187 267 290 139 178 103 107 245 276 215 252 偏差値 56.4 55.5 53.2 51.9 57.2 55.7 59.9 59.2 54.4 52.5 54.7 53.2 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 26 兗予 名声 地方統一 臨機応変 4/5 3/5 2/3 204 218 253(50歳) 自然死 剛胆 剛胆 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 夏侯威が親愛する武将 なし 夏侯威が嫌悪する武将 なし 血縁 世代 ● ● 1 夏侯惇 ● 夏侯淵 2 夏侯楙 夏侯徳 夏侯尚 夏侯覇 夏侯威 夏侯恵 夏侯和 3 夏侯玄 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 未登場 陳留 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 4歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 8歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 22歳 一般 下邳 曹丕 100 奮威校尉 5000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 100 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 0歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 14歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 陳留 - - - 0 - - 騎兵がAだが殴り合いをすりには、武力・統率が少ないのでせめて80にまではあげたい。 騎兵関連の特技が出たらつけてやりたい。 -- (名無しさん) 2011-11-08 17 12 36 夏侯威カコイイ! -- (名無しさん) 2012-05-07 02 59 41 病気が治ったと思って、ちょっと無理したらぶり返す。小康の時は素直に寝ときましょう。 -- (名無しさん) 2013-08-22 22 58 09 病気の時は油断してはならないことを体を張って教えてくれた彼。 能力的には二流の武官。義理がそこそこなので後方で太守か、空気になるのが関の山だろう。 -- (名無しさん) 2016-10-20 12 37 45 名前 コメント すべてのコメントを見る
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音に聞こえし巴蜀の老将。弓将持ちの上、水準以上の武力が嬉しい。 弩兵メインで戦い、白兵部隊が不足していた場合に戟兵を率いることもできる。 黄忠と組むと、知力と政治を若干ブーストするだけになってしまうのが悩みどころ。 抜群の武力を持つが、弱点が多い張飛と組むと鬼に金棒である。 -- (名無しさん) 2010-03-02 19 05 19 ↑親愛武将と同部隊よりも他部隊で支援攻撃を生かすほうが良い。特に黄忠との乱射ペアは凶悪の一言に尽きる -- (D) 2010-04-25 22 45 38 知力政治共に70一歩手前で魅力に至ってはなぜか79もあり、総合値では黄忠を10以上上回る。 君主としても十分有能。 -- (名無しさん) 2012-06-24 00 52 14 劉備軍では、基本的には補佐持ち関平の副将が最適任。黄忠の能力値を関平の副将で埋もれさせるのは正直もったいないが、厳顔ならば関平と能力が殆ど変わらないので遠慮なく副将に組ませることができる。 関平とよくコンビを組むことになる諸葛亮はオプションが充実してくると独立させて完全計略隊とした方が使いやすいため、関平があぶれることになって丁度よい。補佐で前衛を支援しつつ、自身も火矢や乱射でうちまくろう。 -- (名無しさん) 2014-08-13 06 53 08 能力値が高い上に特技の使い勝手も抜群だが、集結系では武力83なのがちょっと気になる場合もある。 80代前半はかなりの激戦ラインで、ある程度の勢力の主力級相手だと結構通らなかったりする。 集結系での武力+高は基本的には槍将系に回したいところだが、場合によっては(闘将の張飛がいる英雄乱舞張飛軍とか)1個ぐらい彼に与えてもいいかもしれない。 +高を1つ与えるだけで効果対象は30人近く増えるし、クリティカルで能力も伸びやすく、90ぐらいにはたやすく到達できる。 -- (名無しさん) 2016-08-12 05 26 19 親愛(片思い)とはいえあるのは嬉しいんだが、何でいにしえ武将王翦から片思いされてるんだろうか? -- (名無しさん) 2016-10-28 09 55 06