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ソウショク 列伝 曹操の四男。母は卞氏。曹丕、曹彰の弟。曹熊の兄。建安文学を代表する詩人。臨淄侯(りんしこう)。陳王。 【演義】 曹操から才能を愛され、曹丕と後継の座を争った。楊修の助言を得て曹操が好むように振る舞うが、楊修の入れ知恵だと発覚すると曹操から疎まれ、後継の座を逸した。曹操の死後、葬儀に出席せず、曹丕に殺されそうになるが、卞氏の取りなしで「七歩の詩」を即興し、死を免れる。以後は国替えが相次ぎ、不遇だった。 【正史】 「贈白馬王彪」「野田黄雀行」「洛神賦」などの遺作がある。「洛神賦」は甄氏への想いを詠ったとも。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 18 22 81 70 80 271 40 121 順位 609 574 67 238 71 406 601 559 偏差値 32.3 36.6 60.9 56.1 60.8 47.5 33.7 39.3 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C C C B C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 16 13 15 14 15 13 18 13 18 12 15 12 順位 574 610 575 609 577 607 577 606 560 599 581 614 偏差値 37.1 33.9 36.9 33.6 36.5 33.7 37.5 34.0 37.6 34.2 36.6 33.4 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 詩想 軍楽台の気力回復が二倍 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 25 兗予 実績 中華統一 無頓着 3/5 1/5 2/3 192 206 232(41歳) 自然死 冷静 冷静 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 曹植 親愛 王粲、甄氏、曹叡、曹彰、陳琳 王粲、甄氏、曹叡、曹彰、陳琳、丁儀、楊修 嫌悪 曹丕 曹丕 血縁 世代 ● ● ● ● 1 曹操 ● 曹仁 曹純 曹洪 ● 2 曹昂 曹丕 曹彰 曹植 曹熊 曹沖 曹宇 曹休 曹真 3 曹叡 曹霖 曹奐 曹爽 曹羲 曹訓 4 曹芳 曹髦 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 3歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 9歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 16歳 一般 鄴 曹操 120 - 3000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 20歳 一般 下邳 曹操 120 - 5000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 34歳 一般 下邳 曹丕 97 - 14000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 7歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 12歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 26歳 一般 北海 曹操 120 太楽令 14000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 0歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 一般 鄴 甄氏 255 左僕射 4000 - - 固有台詞 元服「この曹植 父上の才を継ぐ者として ご期待に沿えるよう励みます」 処断時「洛水の神女よ、 次に生まれ変わる時は 貴女の側にあらんことを……」 俗説を採用したためか、甄氏とは不倫染みた人間関係になっている当代一の天才詩人。 知力も高く、特技も当然の如く詩想なので、前線で戦わせたい。 仲の良い兄である、曹彰の副将役が一番だろう。 -- (名無しさん) 2010-10-31 15 11 40 詩人としてならともかく、君主としては曹丕の足下にも及ばなかったんだろうなW 能力はいかにもな文官で、知力ブーストが主な仕事になるだろう。 -- (名無しさん) 2011-02-12 11 00 13 ↑×2英雄乱舞での彼の勢力には甄氏がいるのでますます不倫じみてるw それはともかく知力の高さと特技から脳筋の副将向き。 -- (名無しさん) 2011-06-15 06 58 30 親愛の武将が多いが、曹彰との親愛関係以外はあまり意味がないだろう。 -- (名無しさん) 2011-11-15 22 36 52 当時の閉鎖的な文学を一新、建安文学の開祖と言っても過言では無いのに能力が低すぎる気がする。 魅力はともかく、知力は少なくとも93,4くらい有ってもおかしくないような。 今作だと豪将の知力補正くらいでしか役に立て無さそうですな。 -- (名無しさん) 2012-05-06 08 41 35 詩を読む才能と謀略は別ということだろう……というか知力93,4だと曹操以上じゃねえか -- (名無しさん) 2012-05-28 17 18 32 言うまでもなく特技は「詩想」で曹丕とは勿論嫌悪。 曹丕を除いた人間関係は非常に良好だが、彼を大将にするのはありえないので活かせる機会はまずない。 詩想の上に知力も81あるので前線へ出すには問題ない。 魅力も結構高い。 -- (名無しさん) 2012-11-16 00 22 37 英雄乱舞では君主だが、そのせいで曹彰の知力補佐に向かないのが残念。 (疾走は部隊攻撃力依存なので、曹植が部隊長では攻撃力が落ちて効果が薄れてしまう) -- (名無しさん) 2012-12-21 06 52 36 詩想持ちの君主を遊ばせておくのも勿体無いので 英雄乱舞では誰かしらと義兄弟になって親愛関係のある曹彰部隊のサポートをすることをオススメ 初期配下から選ぶなら田予か捜索で即見つかる王基 より効果的な相手を近場で探すなら濮陽勢力の夏侯惇・夏侯淵らが有力か それまでは勢力内最高知力を活かして、傾国兄嫁と組んでの計略部隊として活用しよう 俺の詩(うた)を聞けぇー!! -- (名無しさん) 2012-12-21 11 48 59 詩想は汎用的に便利な特技だし、知力81も従軍軍師としては悪くない。 が、だからといってホイホイ前線に出すのは考え物である。武力も統率もほとんど底を打っているので、強力な騎兵どころか火ですらあっさり逝けてしまう。 特に主役を張ることになる英雄乱舞では人手不足から前線に出したくなるが、相応のリスクは考慮しておこう。 本格的に前線を張りたいのなら義兄弟、あるいは武力型嫁を見つけてからの方が安全。 -- (名無しさん) 2014-07-29 10 08 33 曹彰と親愛にあるのが嬉しいが、政治知力魅力除いて全てが壊滅的。ただ、曹操の子供の中では寿命があるから、後継者も視野には入る。曹丕とは相互嫌悪なのは仕方ないが、その息子の曹叡と親愛とか理解に苦しむ。 -- (名無しさん) 2016-10-20 10 15 44 ↑なんかイロイロ言ってるけど何を言いたいのかがワカラナイ。 -- (名無しさん) 2016-10-21 00 10 31 特技は結構便利。統率が低いため主将には向かないが、副将として軍に随行させ、気力回復に役立ってもらおう。 -- (名無しさん) 2016-10-29 21 32 07 英雄乱舞やってる時、こいつより曹彰が君主ならと思い、首のすげ替えをしました。皆さんは英雄乱舞の時、どうしていますか? -- (名無しさん) 2017-01-04 20 24 13 魅力と政治高いし、そのまま使ってます。むしろ曹彰のが君主には向いてない気が・・・ -- (名無しさん) 2018-04-19 21 25 47 詩人としてのみならず、実際には父の遠征に従って14歳から従軍し、烏桓遠征や潼関の戦い、張魯征討など数多くの戦役に従軍しており、兄たちと同じく戦場で青年時代を送っている。 戦場の空気に馴染んでいたとみられる。 とのことで、もう少し統率が高くても良かったかも。 それはさておき、なかなか優秀な特技とあいまって知力が81あるので脳筋の副将にも良いかも。もちろん武力が低いので、騎兵による轢き殺されには充分気をつけよう。 -- (名無しさん) 2018-04-20 22 25 06 三国志14では、皇帝になるチャンスがある皇族のひとりになってる。 -- (名無しさん) 2020-03-24 14 18 05 名前 コメント すべてのコメントを見る
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いにしえ武将の一人。 伝説の名将だけあり、統率100・武力88に特技「闘神」・槍適性Sと、 五虎将軍すら戦闘力では上回っている。 後は、壊滅的な政治と水準程度の知力を補強すれば最早敵はないだろう。 寿命は短めだが、不自然死なのでそこまで不利な要素ではない。 -- (名無しさん) 2010-10-27 18 04 02 細かいんだが、政治の補強は不要かな。 こういう戦法命って部隊は建設してるターンがもったいない。 高知力の武将は大抵高政治なので自然と補強はできるわけだが。闘神のくせに戟Aなのがちょっとね。 統率も高いので戟Sの副将と組ませ、適性upを狙うのもいいか。 -- (名無しさん) 2010-10-27 18 18 55 ↑誤解を招いて申し訳ありません。内政をしようということではなく、 壊滅的な政治=建設力の大幅な低下に繋がるということです。 部隊を率いる際には、知力と政治が共に高い副将に不足分を補ってもらいましょう。 -- (名無しさん) 2010-10-27 20 01 23 例え戦法主体の部隊でも、兵器以外ならある程度の建設力は欲しい。 戟を育てるのは悪くないが、基本槍でいいだろう。 難敵趙雲ですら無力化出来る能力を活かさないのは惜しい。 -- (名無しさん) 2010-10-27 20 39 47 槍の他に弩と騎馬がSだが、槍のみで充分。 ただ、軍師を副将にしたいのと、贅沢だが武力95くらいの猛将も副将に入れてやると死角がなくなり最強の槍部隊に! -- (名無しさん) 2017-10-05 20 16 08 知力要員はいると思うけど、この武力でも充分だよ。指導でも副将に入れるか、武力高でも投与して上げれば、彼自身の武力も90以上にすぐなるし、槍、戟は成功すれば「必ず」クリティカルだから火力も充分。95以上ある連中は、育てたわけでなければ関羽など、統率も高い連中ばかり。 なので、彼の副将とするにはもったいない。贅沢というより飼い殺しレベル。まあ、兵力が足りなくて一部隊しか出せないとかなら話は別だけど。 -- (名無しさん) 2017-10-05 22 21 45 能力値100以上が部隊の強さに反映されない為に上位官職を与えても統率補正が無駄になってしまう事だけが弱点 -- (名無しさん) 2021-12-05 13 05 38
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☆~鵞鳥庵へようこそ~☆ ここは「三国志Online 黄河」で活動していた部曲「鵞鳥の羽」のHPです。 【 重要なお知らせ 】『三國志 Online』サービス終了に関するご案内! 合計: - 今日: - 昨日: - トップページの合計: - 更新履歴 取得中です。 「『三國志 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、株式会社コーエー及びシンガポール国法人であるKOEI ENTERTAINMENT SINGAPORE Pte. Ltd.に帰属します。」または、「 (C)2007-2009 KOEI Entertainment Singapore Pte. Ltd./KOEI Co., Ltd. All rights reserved.」 このホームページに掲載している『三國志 Online』の画像は、『三國志 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『三國志 Online』の有効なアカウントをお持ちのユーザーのみに株式会社コーエーが使用許諾を行ったものです。
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ソンサク 列伝 孫堅の長男。孫権の兄。妻は大喬。呉の長沙桓王。 【演義】 父と共に劉表軍と戦い、父が死ぬと袁術に玉璽を譲り兵を得る。江東に侵出して劉繇、厳白虎、王朗らを討ち、「江東の小覇王(覇王とは項羽のこと)」と呼ばれた。後に袁術から独立し、曹操に匹敵する勢力を築く。しかし、曹操と内通したため討った許貢の食客に襲われ負傷。後事を弟の孫権、義兄弟の周瑜に託して死んだ。 【正史】 袁術の庇護下で、「呉の四姓」陸康を討ち、江東の名士層と対立。孫権と陸遜(陸康の同族)の和解で決着するが、以後も呉では皇帝と臣下の対立が頻発する。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 92 92 69 70 92 415 184 253 順位 9 14 260 238 10 11 6 13 偏差値 65.6 64.9 55.0 56.1 67.2 69.3 66.0 67.2 成長期 早熟 早熟 早熟 早熟 早熟 - - - 能力持続 長い 長い 長い 長い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 S A B S A S 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 97 97 83 95 70 74 106 92 83 70 92 87 順位 5 7 24 22 25 42 8 3 6 14 2 4 偏差値 71.8 72.6 67.7 68.1 64.9 64.3 71.4 73.0 70.7 69.6 75.4 75.7 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 勇将 自分より武力の低い敵部隊への全戦法成功時クリティカル マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 125 揚州 能力 中華統一 無頓着 4/5 4/5 2/3 175 189 200(26歳) 不自然死 猪突 猪突 豪放 顔グラの変更は26歳。 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫策 親愛 周瑜、孫尚香、大喬、太史慈 項籍、周瑜、孫皎、孫尚香、孫翊、大喬、太史慈、張紘、張昭 嫌悪 劉勳 陳矯、于吉 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 イベント イベント名 内容 孫策出陣 opイベント 小覇王孫策 周泰、蒋欽、陳武、董襲、凌操仕官 二張推挙 張昭、張紘仕官。プレイヤー君主が孫策の場合は舌戦が起こらない 二喬婚礼 孫策と大喬、周瑜と小喬がそれぞれ夫婦になる 孫策の死 舌戦が発動。勝つと孫策の寿命が延びるが、負けると死ぬ シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 10歳 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 16歳 一般 長沙 孫堅 120 奮威校尉 2000 - 周瑜 S3 194年 6月 群雄割拠 20歳 君主 廬江 孫策 - - 10000 - 周瑜 S4 200年 1月 官渡の戦い 26歳 君主 建業 孫策 - - 20000 大喬 周瑜 S5 207年 9月 三顧の礼 - 死亡 - - - - - - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 奮威校尉 2000 大喬 周瑜 S9 198年 1月 呂布討伐戦 24歳 君主 建業 孫策 - - 16000 - 周瑜 S10 203年 1月 袁家の戦い - 死亡 - - - - - 大喬 周瑜 S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 13歳 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 17歳 一般 洛陽 袁術 98 奮威校尉 4000 - 周瑜 S14 251年1月 女の戦い 一般 廬江 大喬 120 奮威校尉 4000 大喬 周瑜 固有セリフ 元服「我が活躍をもって 孫呉の武威を天下に轟かせて ご覧に入れる!」 クリティカル「小覇王、ここにあり!」 「これが虎の子の力だ!」 「孫呉の武威は【一人称】が受け継ぐ!」 一騎討ち承諾(相手が孫尚香)「孫尚香と一騎討ちをする羽目になるとは・・・・・・」 一騎打ち承諾(相手が周瑜)「当たり前だ!いくぜ、公瑾!!」 一騎討ち申し込み(対周瑜)「公瑾勝負だ!手加減したら許さんぞ!!」 一騎討ち開始(仕掛け)「かかってこいっ! どっちが上か教えてやる!」 「細かいことは抜きだ! 男は実力で語るのみ!!」 一騎討ちに勝利(対周瑜)「強いな公瑾!俺が闘ってきた中ではお前が一番強かったぞ」 捕虜登用失敗時「【一人称】を誰だと思っている? そう簡単に覇道は捨てられんな」 捕虜拘留時「ふん 小覇王ともあろう者が 情けない!」 後継者になった時「後継者はこの孫策だ! まだ見ぬ宿敵、まだ見ぬ戦友よ 【一人称】を楽しませてくれよ!」 孫堅の後継者になった時「父上 孫呉の兵法は【一人称】が引き継ぐ 我が覇道、天からご覧あれ!」 周瑜の後継者になった時「公瑾、お前の果たせなかった夢は【一人称】が引き継ごう……親友として!」 処断時「これでは覇王を超えられんな 俺はもう少しやれると 思ってたんだがな……」 IEだとずれるので血縁をテーブルにしてみました -- (名無しさん) 2010-01-27 13 50 29 バランスは良いが、知力に若干不安が残る。最前線で戦う事になるので、知力の高い武将を部隊に入れて補おう。 兵科を問わない勇将はかなり強力。武力で判定されるので、強化してゆきたい。 兵科は勇将を一番活かせるであろう槍がお勧め。呉軍は騎馬適正の高い武将が少ないので、騎馬を率いても良いだろう。 -- (名無しさん) 2010-02-09 23 18 17 大僑とセットで出陣させたい。小覇王になると全能力+2。アイテムイベントでも+1.普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。シュウユとの気力回復プチイベントは感動。 -- (シン様) 2010-02-10 10 24 58 アイテムフル装備している時があるので、一騎討ちの際には気をつけたい。 -- (名無しさん) 2010-03-25 19 34 31 英雄乱舞だと涼州+長安+漢中の一大戦力をいつの間にか築いている。 -- (名無しさん) 2010-08-24 18 20 43 個人的に、武将編集で覇王つけてる。 なんでって?だって小覇王じゃん。 まあ、勇将も変えるのはしのびないか。 とにかく最強。上の方に、 く普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。 と書いてる。たしかにそう。 ちょっと知力をあげるか、周渝と組ませると、鬼。 -- (名無しさん) 2011-02-06 20 51 48 周提督&奥さんと組ませると水上では 適性S、統率97、武力92、知力96、火矢の火ダメージ火神で無効、 火矢は勇将効果でもれなく着火&火のダメージ2倍、毎ターン気力回復で延々戦える、 君主だと10000超える兵士率いてくる等、孔明先生でもいないと太刀打ちできない悪魔の部隊と化す。 また、陸上だと適性SASSA。もれなくクリティカル。こちらも鬼 -- (名無しさん) 2011-03-11 13 27 39 一騎打ちの固有台詞だと思います(対周瑜) 孫策「公瑾勝負だ!手加減したら許さんぞ!!」 周瑜「無論だ、我らの闘いに一点の曇りもあるものか!」 ・一騎打ちに勝利(対周瑜) 「強いな公瑾!俺が闘ってきた中ではお前が一番強かったぞ」 -- (名無しさん) 2011-03-27 22 34 16 どうせ早く死ぬし育成はしなくていいや。君主らしく後ろでドカッと座ってもらおう・・・と考えていた時期がありました 于吉が思ったよりも弱くて簡単に倒してしまったため寿命が伸び、すごく勿体無いことになった -- (名無しさん) 2011-04-30 12 24 55 ↑ただイベント発生時出撃などしてると起こらないので要注意!(ps2pk) -- (名無しさん) 2011-04-30 13 05 58 俺も于吉とのイベントがいつまでたっても起きなかった(PS2PK寿命史実イベント有り) 月初めとかは、未行動にするように気を付けてたはずだったんだが・・・ でも孫策が死なないまま210年に中華統一。平均何年に死ぬかは分からないけど とりあえずS2開始ならガッツリ育成して問題無さそう -- (名無しさん) 2011-04-30 13 41 47 気になったので官渡の戦いでシナリオを始め、編集で没年を189年(登場年)にしたみた。 試行は十回程度なので確実ではないが205~206年の間に十回とも于吉イベントが発生 つまり没年から+15~16年生きるみたいですね。 元の没年(200年)の設定だと216~217年まで恐らく生存可能な場合もあると思われます -- (名無しさん) 2011-10-07 17 33 49 ↑を受けて俺も試してみた(PS2PK)216年11月にイベント発生、乱数次第で多少の揺らぎはある模様。 舌戦に勝つと寿命が20年延び、マスクデータの没年が220年になる。そして実際には237年まで生存していた。 これまたバラツキがありそうだが、実際の没年よりも更に20年前後延びると考えて良さそう。 舌戦に関して、于吉は知力60台のうえ話術を一つも持っていないので、怒りゲージにさえ注意していればまず負けない。 それにS4でさえ没年までの猶予が15年以上あるので、イベント自体見かける機会が少ないかもしれない。 結論としては、孫策君主でプレイする場合、どのシナリオでも寿命のことを気にする必要はそれほど無いと思われる。 一応216年頃になったら、兄弟の行動の有無を確認しておこう。孫策の体調が軽傷になると、近いうちに発生するはず。 ちなみに舌戦敗北時、配下に周瑜と張昭のどちらか又は両方がいると、仲謀に後事を託す際の台詞が少し変化する。 -- (↑×2) 2011-10-08 07 35 44 ある程度結果がまとまったらイベントの項にでも加筆してくれると嬉しい -- (名無しさん) 2011-10-08 23 44 17 彼の勢力に自武将が捕まると、処断されてしまう事が多いらしい。 -- (名無しさん) 2012-07-10 22 58 09 ↑はっきりとした情報ですか? 「らしい」という表現をしているので曖昧な情報ではなく、検証などをお願いしますm(__)m -- (名無しさん) 2012-07-11 00 53 10 孫尚香との一騎打ちの台詞は血族との汎用台詞では? -- (名無しさん) 2012-10-25 23 07 50 于吉イベ発生後に編集で基本設定見ると、寿命179歳、没年353年と仙人並の寿命に・・・ (というか気持ち悪いw) もしかして俺だけ起こってるバグ? -- (六武衆) 2013-08-24 04 00 25 ↑パッチを当てたかい?俺はそれで直ったよ。 -- (名無しさん) 2013-12-27 18 56 44 史実のフラグブレイカーに定評のあるお方。 自然死の周瑜や魯粛が先に逝くこともままある。 史実の域を脱し真の覇王となる夢は比較的容易。 史実のような名士層との対立も全く感じさせない優遇ぶりなので、是非叶えてあげよう。 -- (名無しさん) 2015-01-19 02 06 40 ↑下らんことコメントするなや、カス -- (名無しさん) 2015-01-19 07 26 12 仮に于吉イベが起こらない状況 or 于吉に負けるにしても、大体215年までは生きると見て良い。 S4でも15年程度は生きるので、孫呉の勢いの凄まじいこのシナリオなら存命中に統一も夢ではない。 215年頃になると能力の劣化が始まるが、その頃なら微々たるモノで、それを差し引いても、孫呉の中で最強の武闘派である事に揺らぎは無い。 問題があるとすれば、呂蒙がアホの子のままであるという位だろうか。 -- (名無しさん) 2015-02-27 11 06 26 寿命舌戦は基本的には勝てるイベントだが、リセット無しプレイで不安が残る・・・というような人は「書物を持たせない」ようにしておくとよい。 無視はともかく、詭弁があったところで効果はあまりない。むしろ話題札が減って弱くなるぐらいなので、書物は部下にあらかじめばらまいておこう。 元から知力もかなり高めなので、防計ラインの80ぐらいまで育成するというのもあり。そうなるともう負けの目はほばない。 -- (名無しさん) 2015-06-03 22 24 22 孫呉で唯一単独で大局を変えてくれるくらいの優遇っぷりだな。イベント含めたら関羽にもひけをとらない。 12でも呉で最高統率になってるし。ま周瑜陸遜が下げられただけなんだけど -- (名無しさん) 2015-06-22 19 51 27 知力はまぁまぁとしても、政治高くないか?もう少しノウキンなイメージなんだが。 -- (名無しさん) 2015-11-25 19 40 53 寿命が短いように思えるが不自然死な上、イベントに勝てば更に寿命が延びるため、死亡年が開始年のS4から始めても完走まで生き残ってくれることも。 イベントで万が一にも負けないよう、ある程度知力を育成し、本を持たせてあげよう。 -- (名無しさん) 2016-10-29 22 36 22 言うまでもないが、槍強し。 乱突無双に抵抗がなければだけど。 -- (名無しさん) 2017-06-20 00 15 56 海でも陸でも、縦横無尽に活躍できる。君主というより、前線で戦う猛将としての使い方が主流になるか。 -- (名無しさん) 2017-12-22 21 49 29 脳筋 -- (名無しさん) 2021-09-25 19 34 06 名前 コメント すべてのコメントを見る
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<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで12年の間に殺した武将は150人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横/朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿/陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀/王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀/関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 (指名手配)なし 全武将の4分の1を殺したことになります。おそらくみなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかもしれません。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださって、お付き合い頂ければうれしいです。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 董卓軍忠臣メンバー能力表(緑字は育成による上昇を含んで成長した数値、赤字は純粋に成長した数値です) 名前 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 騎馬 コメント 董卓 81(7) 95(8) 69 20(1) 57(20) 徴税 A 悪路王と勝手に綽名する。魅力が低いせいか忠臣以外の武将の忠誠が下がりやすい気がする 李儒 71(10) 26 95(2) 82(7) 38 徴収 A 董卓様の懐刀。統率を上げて戦う軍師に変身。前半の内政が彼頼みだったので政治が伸びすぎ 李傕 76(8) 80(8) 24 1 17 S 舞頸の李傕と綽名する。統率の高い敵将にも突撃しまくって戦死を狙い、敵味方構わず兵を減らすため 郭汜 76(12) 79(3) 14(1) 14 13 A 騎馬だけでなく木獣隊も率いる。彼を使っていると能力値70のありがたみに気付かされる 華雄 83(2) 95(2) 67(11) 41(1) 57 猛者 S 我が軍の急先鋒、天空星華雄。彼が一番武将をひき殺し、捕獲し、処断しており、冥府への送り手 徐栄 83(3) 79(3) 67(11) 44(1) 42 長躯 S 華雄と並んで頼りになる将。第2師団を率いて南方で戦う。今後、彼を用いた別の作戦を考案中 胡軫 78(13) 82(8) 12 15 21 疾走 S 前半は留守番が多かったが、最近成長著しい。俺の騎馬戦法は一味違うぞと言いながら突撃する男 樊稠 78(12) 75(2) 31 25(1) 39 A ここまで目ぼしい活躍はないが、彼だけ水軍をAに育成したので南部制圧で出番が来るだろう 李粛 47(1) 71(2) 60(1) 19(4) 36 明鏡 A 「明鏡」をつけて華雄の副将をつとめる。おかげで結構能力値が上がっている 董旻 50(1) 77(17) 26(1) 16(4) 23 A 兵器をAにして井闌隊を率いている。兵器は武力があればいいので統率はいらないことに気付いた 牛輔 39(1) 78(18) 21 27(1) 37 A 武力を育成して一騎打ちの後詰要員だったが、諸葛誕と義兄弟になったので今後の活躍に期待 張済 71(1) 76(10) 52 53 55 連戦 A 能力に穴がなく使いやすい。張繍軍時代に武力と特技を育成されていた模様。イケメン 第3部 「南船北馬、いや南騎北馬」 第6回 ようやく半分近い城を攻略することができました。 私はダラダラと長い文章を書いてしまうので、読みにくく分かりにくいプレイ日記になってしまっておりますが、ここまでお読みいただいた皆様に感謝したいと思います。 出来るだけ戦死を発生させようと日々突撃を繰り返しておりますが、なかなか発生せず、プレイ日記も盛り上がりに欠けているように思います。 何卒ご容赦ください。 ここからは出来るだけ分かりやすく、面白く書けるように努力いたしますので、先が気になるという方がいましたらどうぞお付き合いください。 それでは董卓軍のプレイ日記を書いていきたいと思います。 264年1月 鄴にて・・・ 董卓「ううむ、爽快であった。いくつもの戦に勝った、そしてたくさんの敵将も斬った」 張済「はい、おめでとうございます。たったの1戦で敵軍を滅ぼしましたからな」 董卓「しかし、乱世とは何があるかわからんもんじゃな。あの袁紹がこうも簡単に滅ぶとはの」 賈詡「さようでございますな。しかし、それほど公孫瓚は手強いということでしょう」 董卓「公孫瓚も騎兵で有名じゃな。我らは勝てようか」 賈詡「公孫瓚軍は南皮、晋陽に兵を集めており、今は平原城で呂布軍と争っているようです」 張繍「さらに公孫軍の騎兵は白馬ばかりで、その白馬を活かした騎射が強力であると聞きます」 董卓「ふむ、だがそれは逆に肉薄すれば対抗できるということじゃな」 華雄「左様でござります。白兵によるぶつかり合いでは我が軍の方が上かと」 賈詡「しかし我が軍は遠征の途上で、兵の補充ができません。向こうは大軍を擁しています」 董卓「そうは言っても我らではとても内政などやってられんぞ」 華張太「・・・(こくこく)」 賈詡「わかっております。ですから敵の意表を突き、このまま進軍しましょう」 太史慈「おお・・・」 賈詡「まずは晋陽です。あの辺りの地勢に詳しい張燕殿と私で鄴の北から常山周りで攻め入ります」 張燕「おう、お任せを」 董卓「なるほどのう、お主らが城から敵を誘き出している間に我ら本隊が南から攻める、と」 賈詡「左様でございます。鄴の守りには張済殿の部隊を残し、全力で敵を討ちましょう」 董卓「よし、参るぞ皆の者、敵の騎兵を殺しつくしてやれ」 華張太「おおー」 賈詡「・・・(さて、南はどうなることかな・・・)」 そのころ新野では・・・ 胡軫「むむむ・・・」 樊稠「ん・・・、おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「おう、樊稠殿か。貴殿は歯がゆくないのか、我らはこの城に取り残されてしまったのですぞ」 樊稠「・・・(何やら前にもこんなことがあったような)、えーと、それはどういうことでござる」 胡軫「よいか、今や我ら南方軍の前線は襄陽と江陵で、この新野は補給中継都市に過ぎないのだ」 樊稠「ふむふむ・・・(・・・あ、長安の時と同じだ)」 胡軫「その我らができることは江夏城を攻めることしかないのだ」 樊稠「なるほど、江夏の城は河から攻めることができますな。しかし肝心の船がないでござる」 胡軫「ふふふ、安心めされよ、既に造船が得意だという許攸という者に命じて船を用意させているのだ」 樊稠「おお、となると出撃できますな。それがしはこう見えても水軍には自信があってござる」 胡軫「では早速、徐栄殿も呼んでくるとしよう。参りますぞ樊稠殿」 樊稠「応っ」 さらに同じころ、江陵城では・・・ 李儒「ふふふ、これからだ、これからなのだ・・・(ブツブツ)」 李傕「おう、軍師殿。どうなされたのだ」 郭汜「何やら考えごとをなされていたのか軍師殿」 李儒「おや、李将軍に郭将軍か。私はもう軍師ではないのだよ。それでも、これからの戦略を考えておったのだ」 李傕「ほう、それはどのようなものなんだ軍師殿」 李儒「もう軍師ではないのだがな、私が思うに劉備軍はこの江陵城に遠からず押し寄せてくるであろうと思ってな」 郭汜「そ、それは困るではないか軍師殿」 李儒「まぁ私は別に軍師ではないのだがな、我らはこの城をあけわたして、劉備軍が入城したところを襲おうと思うのだ」 郭汜「なるほどなぁ軍師殿。って・・・え、一度城をとらせるのか軍師殿」 李儒「・・・(人の話を聞いておるのかタコ助どもめ)」 李傕「城を取らせてすぐに取り返せるのか軍師殿」 李儒「大丈夫じゃ。李傕殿が江陵の主将でいると城の耐久は回復しないから楽に攻められるのだ」 郭汜「そ、そうなのか。それは名案だな軍師殿」 李儒「その後は兵力の減った劉備軍の都市を襲えばよい。董卓様は内政より城の数をお求めだからな」 郭汜「それなら俺らの出番は多そうだな軍師殿」 李儒「左様。期待しておりますぞ、董卓軍の双璧と言われるお二人に」 李郭「おおうっ」 李儒「ふふふ・・・(そして私も軍師の座に返り咲くのだ・・・)」 というやり取りが各地であったと思われるので、今回は 「董卓千里行」、「胡軫船下江」、「李儒荊南攻」 の3本をお送りしたいと思います。ちなみに能力研究ですが「水神」、「洞察」、「指導」が出ており、「指導」を研究しました。 264年1月 この頃、紙芝居でもお分かりかと思うが我が軍は大きく3つに分かれていた。 鄴の董卓軍本隊、新野にいる徐栄の第2師団、襄陽と江陵の李儒、李傕、郭汜らの第3師団である。 襄陽は南へ攻める拠点なので少しずつ内政を行っており、鄴では兵舎だけ立てて城兵の確保をして、馬は洛陽からの補充を待っていた。 新野では新たに蒋欽と厳畯、さらに「造船」もちの許攸が加わり、前回に捕らえた呉将たちと合わせて水軍の準備をしていた。 順番に詳しく見ていきたい。 鄴の董卓本隊は張済隊を城の守りにおいて、休む間もなく晋陽を攻めることにした。 晋陽には60000の兵がいるので、「釣り」を使うことにした。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏7000騎、華雄+李粛+州泰(騎神)8000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)10000騎、董旻+歩隲 井闌8000 別働隊 賈詡+張闓6000騎、張燕+楊阜+楊祚(築城)7000騎 王異は特技を書き換え、楊祚には「築城」をつけ、州泰は劉備軍から新たに引き抜いた武将だ。 先鋒と本隊は壺関から晋陽をつき、別働隊は晋陽の東から攻めて敵をおびき寄せる。 壺関は賀斉将軍が6000で守っていた。 しかし井闌隊があっという間に関を落とす。ここでは誰も捕まえられず。 関を抜け、上党のあたりを北上すると晋陽の難所の一つである陽曲の一本道にさしかかる。 ここには公孫瓚軍による董卓軍歓迎委員会が熱烈な歓待をしてきた。 それは先の賀斉、そして公孫続、龔都、傅彤といった猛将たちであった。 一方の別働隊の方にも敵部隊が迎撃に出てきていた。こちらは公孫範、朱霊、孟宗、文虎らである。 それぞれ4000~5000ほどである。とにかく賈詡と楊阜で攪乱を行って足止めをする。 その間、本隊は一本道の敵と一進一退を繰り返していた。が、我が軍はここで新兵器を投入したのだ。 そう、技巧研究によって開発された豪火球である。これを一本道に向けて発射する。 これで敵軍は大きな被害を受け、敵将龔都は一発目の火球で戦死。 火勢が衰えたところへ張繍が突撃して傅彤隊を撃破、主将傅彤を捕らえて処断。 次いで公孫続隊も張繍隊が撃破して、副将の韓莒子を斬った。 賀斉隊も倒すといよいよ城に取りつき、ひと月で陥落させた。 ここでまたも賀斉と公孫続を逃したが、荀諶と魏攸の2人を処断して、賈範を捕虜にした。 別働隊では張燕が混乱した朱霊を一騎打ちで倒して処断し、賈詡が孟宗と文虎を捕虜にしていた。 挟み撃ちに行った華雄隊が公孫範隊を撃破し、晋陽は董卓軍のものとなった。 新野では造船が行われていて、3隻完成したところで江夏を攻めることにした。 胡軫+費耀(猛者)+朱異9000騎、樊稠+左奕(連戦)+張悌9000騎、徐栄+楊昂(猛者)+留賛10000騎 で湖陽港を出て河から江夏の内政施設と城を攻める。 江夏城は「火神」の名将周瑜が20000で守っているが、配下で目ぼしい将は周泰くらいしかいない。 夏口の側の町を壊すと、あわてたように周瑜隊と周泰隊、留平隊が出てくる。 周泰が夏口港に入ったので出口を塞ぎつつ港を落とす。周瑜隊があたふたしている間に江夏城を攻撃。 樊稠と徐栄が周瑜隊の相手をして、胡軫は江夏城を攻撃する。 こちらの2隊はかなりの被害受けたが、その間に胡軫が江夏を落とす。 その後に3隊がかりで周瑜隊と戦うも周瑜は途中で逃走し、留平隊が夏口から出てくる。 これも粉砕して夏口を抜き、とりあえず胡軫ら3隊は江夏城に駐屯することにした。 264年3月 江陵に向けて劉備軍が出撃したとの報が入る。 永安と長沙から来るようなので李儒をはじめ、以下の軍容で敵をギリギリまで待つことにした。 主力 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎、李儒+胡車児8000騎 後詰 郭汜+陸凱(指導)木獣9000、李通+蘇飛6000騎、凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊20000 といった面々である。 やってきたのは趙雲、関羽、張飛などの虎将たちの30000で、我が軍は江陵城を出て長坂の渡で待機。 彼らが無人の江陵城を取って内政を始めたのを確認して襲撃した。 趙雲と関羽は内政をしていたので張飛のみが迎撃にきた。もちろん李儒が攪乱して放置。 2、3ターン経ったところで関羽隊と趙雲隊も出てくる。火球に巻き込みつつ城を攻撃する。 関羽の戟兵、趙雲の槍兵の一撃ですごい被害を受けるも、江夏から徐栄隊、胡軫隊6000が駆けつける。 胡軫の「疾走」が趙雲に決まり、李儒も関羽隊を攪乱させ、殴って火をつける。 その間に郭汜の木獣が火を噴いて江陵城を再び落とす。 捕らえたのは太守の諸葛瞻以下、 董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤 といった面々で捕虜枠が埋まっているので全員を処断した。 最後に趙、関、張の3部隊をそれぞれ撃破した。 264年5月 陳留の城は于禁と成公英が留守を預かっていた。 成公英「うーむ、少しまずいな・・・」 于禁「それはどういうわけだ、成公英殿」 成公英「各地から軍を率いている将たちの戦果が聞こえてきます。この陳留にも25000がいますが・・・」 于禁「たしかに我らは戦果がないな。今回まだ戦っていないのはこの陳留以外では許昌の15000だけだが」 成公英「そうです、そして許昌の杜預殿は新参ですが、古参の私としては忠誠を見せないといけません」 于禁「そうか・・・、では良い案がある。今、曹操軍が呂布軍の小沛を攻めているのだ」 成公英「というと、寿春の北の泗水のあたりでぶつかっているのでしょうか。それが何か」 于禁「うむ、実はな、両軍はなぜか譙や梁といった小沛の西側で戦っている。そこに参戦するのだ」 成公英「なんと、それは好機ですね。すぐに参りましょう于禁殿」 ということで何故か兗州付近でぶつかっている曹操軍と呂布軍の戦いに成公英隊8000騎と于禁隊8000騎を参戦させる。 火球で両軍に被害を与える目論見である。 呂布軍は張遼将軍、張角導師、呂岱提督といった面々。曹操軍の方は徐晃、郭淮、楽進などで、両軍共に精鋭である。 そこへ呂布の同盟軍である我が軍が勝手に参戦し、火球を放った後に突撃するという戦法で曹操軍に襲い掛かった。 曹操軍の部隊は火のついたマスに押し込まれ、火のダメージでかなり兵を損じた。 そうして呂布軍の戟兵部隊と協力し、敵の殲滅に成功。 この戦いで曹操軍の勇将徐晃、郭淮の副将曹髦と曹訓を捕獲して処断した(徐晃は必ず戟兵で出てきて撹乱もきかないので毎プレイてこずる武将)。 また呉の馬忠を登用した。 成公英と于禁は手柄を上げて無事陳留に帰還できた。 話は戻って、同じころの晋陽の本隊。 晋陽城を攻略した本隊は晋陽に駐屯せず、鄴にも戻らず、そのまま南皮へ行くことにした。 なぜなら平原城での戦いで公孫瓚軍は呂布軍に負けて城を取られただけでなく、南皮からの平原奪回軍も退けられたため、南皮城の兵力が手薄になっているためである。こちらは以下の兵力である。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏6000騎、華雄+李粛7000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)8000騎、董旻+歩隲 井闌8000 南皮城には君主の公孫瓚自らが20000で守っている。 我が軍は張燕隊と賈詡隊を鄴の守りに回して、井闌を含めた5隊で攻略に向かった。 迎撃にきたのは張郃、賀斉、傅僉、孟宗らの部隊であった。なかなか手強い相手である。 孟宗は一度捕虜にしたが登用を拒否されたので解放して、再び戦場で見えることとなった。 7月。両軍は南皮の南西でぶつかった。 まず張郃隊は王異の攪乱で放置。傅僉隊も攪乱し、楊奉の連戦で削る。賀斉隊には張繍隊がぶつかる。 最後に華雄隊が孟宗隊に突撃して、迎撃隊を沈黙させた。 この戦いで傅僉と賀斉隊副将の関靖を斬り、賀斉と牛金を捕虜にした。 この後2ターンで公孫瓚の守る南皮を落として、以下の武将を捕らえた。 公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、そして公孫瓚 君主公孫瓚を含む全員を処断した。 これにより公孫瓚軍は公孫越が継ぐことになり、数人の武将が下野したようだ。 結局、公孫瓚自身とは戦場で戦わないまま斬ったので敵の騎馬隊とはぶつからなかった。 最後に張郃隊を全部隊で叩いて壊滅させ、張郃は北平に退いた。 さすがに兵も減ってきたので、このあたりで鄴から輸送隊を出して補給させることにした。 渤海の北、天津近くの渡のあたりで董卓軍本隊は陣と軍楽台を作って駐屯させた。 264年7月 江陵の第3師団は公安港から兵力25000の武陵を攻めていた。 先発 張梁+賈充9000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)12000騎、牛輔+諸葛誕9000騎 本隊 郭汜+陸凱(指導) 木獣10000、李儒+胡車児9000騎、李通+蘇飛6000騎 後詰 凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊10000 武陵からは王平と張翼、周泰が迎撃に出てくる。 武陵近辺は平地が狭くて森が多いため、騎兵の力をうまく発揮できなかった。それでも張梁隊の「妖術」で混乱させて敵部隊を撃破できた。 良将王平を斬った後、郭汜隊が武陵城を落とした。 張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、孫魯班、周泰 といった武将たちを捕らえ、孫魯班と周泰を捕虜にして残りは斬った。 264年10月 この頃の我が軍の人事では既に牛金、周泰と孫魯班は登用できていた。また賀斉は脱獄していた。 さらに鄴では在野の黄巾将たちを盛んに登用して、何儀、程遠志、高昇、張曼成の4人を得ていた。 さて、その鄴は賈詡が新加入の将たちを使って徴兵し、洛陽から補給も受け、平和であった。 がしかし、ここに急を告げる斥候からの伝令が鄴の城門に駆け込んでいた。 賈詡「まずいな・・・、張燕将軍、飛燕の張将軍はおられるか、それから張済将軍も」 張燕「・・・おう、何事かあったか軍師殿」 賈詡「今、見張りから連絡があってな、薊の60000のうち40000が晋陽へ出撃したそうだ」 張済「ほう、それは大軍だな。だが董卓様には支障はないな。晋陽の兵力はどれくらいなのだ」 賈詡「0だ、一兵もおらん。晋陽は放棄してきたのだ張済殿」 張済「なんと。ではどうするのだ、その大軍と晋陽は捨て置くのか」 張燕「いや、今ならまだ討つ機会があるぞ。あの中山のあたりは道が狭く1部隊しか通れんのだ」 賈詡「よし、ならば討てる。すぐに出撃だ、お二人とも用意を」 張済「だが南皮へ兵を輸送に出したばかりで、この鄴には兵が18000騎しかおらんのだぞ」 賈詡「大丈夫だ張済殿、兵が足りない分は金と手間で補うのだ・・・(ニヤリ)」 ということで、賈詡、張燕、張済の3隊はすぐさま鄴から北へ向かい、薊の部隊を襲うことになった。 作戦は一本道の出口にひたすら豪火球を作り、敵部隊にまとめて被害を与えるというもの。 これによって敵軍は莫大な被害を受け、特に先頭を進んでいた敵将丁原は焼死してしまった。 恐るべし、豪火球。早くも2人目の犠牲者である。 それでも8部隊兵力40000を我が軍は5000ずつの3隊で迎え撃つため、どうしても突破されてしまう。 だがそこを張燕が突進で押し返すという二段の構えであった。 さらには最後尾を進む敵将公孫恭の忠誠が下がっていたので、これを寝返らせることに成功した。 しかし戦場の周囲には森が多く、騎兵戦法が使えないことも多く、最後は凄惨な叩き合いになった。 張燕が敵の宿将厳綱を討ち取り、張済も劉和を斬った。賈詡は孫観を捕虜にした。 こうして薊の敵部隊を全滅させたが、我が軍も最後は3隊あわせて7000ほどであった。 同刻、本隊も南皮で補給が終わり薊と北平に向けて進撃を開始していた。 薊からは最後のあがきとして王門と鄒丹が、北平からは田予が先鋒で張郃、李厳、賀斉、田楷などが出てくる。 華雄隊と張繍隊が薊の2将を撃破して斬り、董旻隊がほとんど空の薊を攻撃して落とす。 薊の城では張南、田疇、単経を斬った。 一方で北平へ向かう易京の隘路では押し合いの混戦になっていた。 ここで鄴からそのまま援軍に駆け付けた張燕隊の突破により、田予隊の副将張華が戦死する。 さらに太史慈隊が田予を討ち取り、董卓軍は北平の西の平野を目指した。 敵軍にはなかなかの将が揃っており、これが公孫軍との最後の激しいぶつかり合いとなるだろう。 265年1月 両軍の戦闘が始まった。 董卓軍6隊50000と公孫越軍5隊40000が正面からぶつかる。 井闌の董旻隊は待機しているので実質同数での戦いである。 まず張燕隊がいく。次いで太史慈隊。そして董卓隊。一気に押し込んでいけるのは騎馬突撃の醍醐味である。 敵の先陣の張郃隊と李厳隊を突き抜け、挟み撃ちの格好を取る。騎兵はこの戦術が強い。 張郃は再び攪乱させ放置、李厳隊の兵を削る。この間、賀斉隊の火矢が痛い。 張繍が李厳隊を倒して李厳を斬り、華雄隊も田楷隊を撃破して田楷を処断。賀斉を囲んで倒し、捕獲。 後から出てきた公孫越隊を撃破し、最後に張郃隊を倒して張郃を捕虜に。 この戦いの間に楊奉と州泰が寝返ってしまう。「騎神」もちの州泰の離反は痛い。 この後、北平の城を落とし、公孫越、蒋義渠、州泰、陳蹇、公孫度、孫礼、顧雍を捕らえた。 陳蹇と孫礼、公孫度は登用に応じ、顧雍を捕虜にして、残りは処断。 公孫越が死んだので君主にはなんと楊奉がなった。これによりまた数人が下野した。 265年4月 まさに騎虎の勢いで我が軍は襄平の城に迫った。 軍勢を2つに分けて張燕、華雄を先行させ、残りは大遼水の渡を越える。 張燕らは襄平の北、玄莵のあたりで智将田豊率いる5000とぶつかる。 「猛者」で負傷させて、あっという間に撃破。あわれ忠臣田豊は主君の仇も取れず、遼東に散った。 本隊がわずか4000の襄平城を落とす。 田豊が死んだ襄平には楊奉と季雍という武将の2人しかいなかった。 両名を斬り、ここに旧公孫瓚軍は滅亡した。 こうして董卓軍は平原城をのぞく河北の討伐に成功し、またまた董卓様の官職があがるのであった。 今回の犠牲者 49人 龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉 新加入 17人 厳畯、蒋欽、許攸、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼、公孫度 第7回 前回は河北制覇を全部書いたので、とても長くなってしまい大変申し訳ありませんでした。 今回も前回の続きで南征が中心ですが、いよいよタイトル通りいろいろ殺伐としてきました。 これからもお付き合いくだれば幸いでございます。 鄴にて・・・ 牛輔「公就任、まことにおめでとうございます、董卓様!」 董卓「おお、おうおう、感謝するぞ皆の者、まことにめでたい、めでたいことじゃ」 賈詡「皆の者、これからはもう董卓様とではなく、董太師とお呼びするのだ」 華李郭徐「おおー、董太師、董太師!」 董卓「くるしゅうない、くるしゅうないぞぉ皆の者」 李儒「(ぐぬぬ、賈詡め、わしも今言おうと思ったのに・・・)」 張済「董卓様…いや董太師、いま鄴の農民が銅雀を見つけたとの報告がっ」 賈詡「銅雀ですか。むむ、これは吉祥瑞祥でございますな」 胡軫「公就任のこの時にかような瑞祥が見つかるとは、太師のご懿徳によるものかと」 董卓「うむうむ、すぐに銅雀をまつる台を築くのじゃ」 李儒「(ぐぬぬぬぬぬ、おのれ胡軫め、今わしが言おうと思ったのにー)」 董卓「よしよし皆、いまは大いに飲んで騒いでくれ。だが、また明日からはいくさじゃ、頼むぞ皆の者」 一同「おおーっ」 わいわい… というわけで北をとった我が軍は南に向かい攻め入るのでありました。 他勢力はというと、 呂布―平原、北海、下邳、小沛、濮陽。劉備―永安、零陵、桂陽、長沙、柴桑 王朗―建業、呉、会稽。鄧艾―成都、江州。孟獲―建寧、雲南。袁術が廬江、曹操が寿春、鍾会が梓潼。 我が軍は鄴、江陵、武陵に60000~70000の兵が集まっており、その他は陳留と江夏に20000ほどで、それ以外の町は5000~8000の守備兵がいるくらい。 河北は鄴以外は兵0で将も0で放棄しています。つまり内政をやっていられないので少数精鋭でいくしかないという状況です。 265年4月 南の拠点、武陵。 武陵の内政、軍事施設建設がひと段落つき、再び進撃を開始することにした。 第3師団は凌統隊と張承隊を武陵に残して、李傕、郭汜、李儒、牛輔、張梁などが40000で向かった。 零陵には3人の欲しい将がいる。魯粛、王双、そして孫策である。城は兵力が18000しかないがその3人には油断はできない。 迎撃には孫策隊と馬忠隊、魏延隊が出てきた。魏延は李儒により盆踊りをさせて撃破、次に馬忠隊を集中攻撃して撃破。 馬忠を斬って、意中の王双を捕虜にする。 だが張梁隊の副将賈充が途中で劉備軍に寝返っていたので「妖術」はほぼ封じられてしまった。それでも郭汜隊の木獣が零陵を落とした。 太守の魯粛、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、陸鬱生といった武将を捕らえたので、魯粛と陸鬱生の二人を捕虜にし、残りは斬った。 さて、問題は孫策隊である。小勢で副将はいないが戟兵なのでめちゃくちゃ強い。 なんとか李儒の攪乱がきいて全軍がかりで倒したが、被害は大きく、肝心の孫策も逃してしまった。 265年6月 寿春の曹操軍が王朗と呂布によって2方面から攻められていた。 我が軍は漁夫の利を狙って、陳留の于禁たちを寿春に向かわせることにした。 まず王朗軍が江都港方面から20000がはるばる来ている。一方で小沛からは呂布、張遼、張宝などの精鋭が25000ほど。 対する曹操軍は40000ほどだが、そのうち10000は濡須港に駐屯しているので実質30000。 曹操の主力部隊は夏候惇、夏候覇、郭淮、呂蒙、曹彰などの精鋭。 両軍は北の渡しで呂布軍とやりあっていて、早速、呂布の突撃で曹操軍の卞喜を轢殺していた。 ここに于禁隊10000、成公英隊10000、馬忠(呉)隊6000も参戦する。 必殺の火球攻撃により夏侯覇隊副将の楊修が戦死。 夏侯覇隊を壊滅させ、副将の曹宇を斬ったことで、ついに攻め手は寿春北の渡しを突破した。 すぐさま寿春城の北で乱戦となったが、なんとここで王朗軍が水門を破壊。 呂布軍は張宝隊が全滅し、我が軍も馬忠隊と成公英隊が全滅という憂き目に。 最悪なのは曹操軍で、主力部隊が全滅して城壁もボロボロ、あの曹操もここまでであった。 呂布軍の文欽隊が寿春を陥落させ、曹操軍は滅亡。多くの武将が呂布に召し抱えられることとなった。 ちなみに王朗軍は呂布隊と張遼隊にボコボコにされて全滅しました。 265年8月 襄平からの輸送部隊が到着し、ようやく鄴に本隊の軍勢が揃った。 この間に鄴城の内政と在野になった旧公孫瓚軍の武将の賀斉と張郃を登用していた。 用意が整ったところで我が軍は呂布軍との同盟を破棄。渡しで待機させていた本隊で一斉に平原城に攻めかかる。 先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+賀斉13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000 本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000 兵器 張済+歩隲+文虎10000 輸送隊 何儀(運搬)1000、高昇(運搬)1000 平原の太守は張楊で、兵も12000ほどだったので迎撃にきた宋謙を斬って、あっという間に陥落。 張楊は逃したが、城にいた逢紀、陸績を斬った。 9月。本隊には兵糧輸送部隊をつけて、平原を取った勢いで北海城を目指す。 北海の太守はなぜか夏候尚で、配下も少なく、兵も15000ほど。 どうやら呂布軍は王朗軍と江都港のあたりの水上戦に人を割いていて、北は油断していたようだ。 さらに寿春の呂布軍本隊は大量に捕獲登用した旧曹操軍の武将たちの俸禄にも苦労しているようだった。 早速、迎撃にきた夏侯尚と卑衍の部隊を2隊を撃破して、2将を斬り、北海城を攻める。城には張楊などがいたが、やはりすぐに陥落。 またも張楊は逃すも、婁圭を斬った。 12月。いよいよ敵軍の一大拠点である下邳を目指す。 下邳には40000の兵がいて、おそらく迎撃には30000がでてくるはずなので、こちらも同数で出陣。 上記の編成の中から、張燕隊12000、太史慈隊10000、張郃隊10000を出すことにした。 しかし下邳。この城にはあの武将がいたのであった。 侵攻を知らせる伝令が走り、下邳城の廊下を駆けていく。 張楊「急報でござる、急報でござる!」ドタドタドタ 侯成「なんだなんだ、ご城主の前で騒々しいですぞ、張楊殿」 張楊「それも当然でござる。ついにこの城に董卓軍が押し寄せてきたようなのですぞ」 侯成「な、なんと、ついにか……(振り向きながら)どうなさいますか、ご城主」 ??「……フン、もちろん楽しませてもらう」 というわけで下邳城の北で戦闘開始。 張燕「やあやあ、我こそは張飛燕なり!」 太史慈「我らが騎兵の動きについてこられるか!?」 侯成「くっ、我らではかなわぬか…、ご城主、お願いいたす!」 張燕「……ぬうう、なに、まさか…」 呂玲琦「……涼州の騎兵か、できる、と聞いている。楽しませてもらうぞ」 太史慈「女…だと…」 呂玲琦「フン…、おい貴様、準備できているな?」 曹彰「応っ、当たり前よっ、いくぜっ」 張燕「し、『疾走』はまずい…。しかも2人だと…?」 りょ、りょ、呂玲琦だー。 敵軍は呂玲琦と曹彰を寿春から急遽下邳に回したらしく、2将が騎兵で出てきたのだ。彼らの『疾走』により我が軍は混乱。 部隊数は向こうの方が多いので被害も甚大。董卓騎兵軍は初の敗北を喫し、30000の兵が半分ほどに討ち減らされ、北海城に撤退した。 この敗北により本隊の侵攻は遅鈍することとなってしまった。 (ちょっと遡って)265年7月 零陵の李傕、郭汜、李儒らは桂陽を攻めていた。 上記の編成に加え、張承隊7000も補充して桂陽の19000と当たる。数はこちらの方が50000と多いのだが、敵は猛将ばかりである。 太守の孫堅をはじめ、孫策、黄蓋、韓当、呉懿、王濬、賈逵といった者たちが次々に迎撃にくる。 しかも戦場は森が多く、一本道でしか戦法と火球が使えないという地勢。 自分たちより能力が上の人たち相手に正面から殴り合いをするという最悪の展開になった。 結果、50000騎が30000ほどまで討ち減らされたが、こちらも王濬と呉懿を討った。 孫堅隊は李儒で攪乱させ壊滅させたのだが、またしても孫策+賈逵の4000と削り合いになった。 桂陽城は郭汜の木獣隊が陥落させ、孫堅は逃したものの韓当、祖茂、王粲を処断。 最後に全軍で孫策隊に突撃して壊滅させ、賈逵を捕らえて斬った。 また、残念なことに、この戦いの間に「疾走」もちの毌丘秀が劉備軍に裏切っていた。 265年10月 桂陽を落とした南征軍は気力回復してすぐに、荊南最後の都市である長沙に向かった。 長沙には20000の兵がおり、太守はあの姜維であった。その配下には孫策、程普、黄蓋という呉将と裏切り者の毌丘秀などがいる。 ここで武陵に残してきた凌統隊7000騎を羅県港から上陸させ、「釣り」をしかける。 長沙からは黄蓋隊5000が出てきた。同時に桂陽から本隊30000も侵攻する。 ぶつかり合いはまず汨羅の淵で凌統の突撃から始まった。 武力90の凌統の突撃で黄蓋隊副将の施朔が戦死し、2度目の突撃で一騎打ちが発生。凌統が勝ち、黄蓋を捕虜にした。 長沙城の南でも激戦が始まり、姜維隊、孫策隊、程普隊4000ずつとぶつかる。 特に姜維、孫策は槍兵の突きで1000は減るので脅威であった。 火球と戦法で兵を減らして敵部隊を一掃し、程普を捕らえ、姜維隊副将の裴元紹を斬る。 年が明けて1月にようやく長沙を落とす。 関寧、蒯越、麋竺、そして裏切り者の毌丘秀などの武将をきったものの、やはり姜維や孫策などは捕まえられず。 266年1月 南征の最後は柴桑である。 ここは、江夏に駐屯させていた胡軫らの30000を張悌と屯田もちの国淵らに授け、陸口港に入らせる。 陸口から繰り返し出陣して柴桑の施設を壊し、敵将の周瑜を疲弊させる作戦である。 周瑜が40000で守る柴桑城を落とすのはもう少し先になりそうだ。 ここでようやく南征にひと段落ついた。 荊南攻めで失った兵力を襄陽で張魯が補充する。それをまず武陵にまわし、長沙の兵力も合流させる。 既にもう次の作戦である。 永安には劉備軍60000と猛将たちが籠っているので正攻法はやめ、周りから取ることにした。 徐栄、胡軫らには漢中から梓潼を通って鄧艾の成都を攻めさせる。 そして李傕、郭汜らの軍団には武陵からはるばる南蛮を攻めさせるという作戦である。 4月。 南蛮へは大掛かりな遠征で、時間がかかるので、揃った部隊からどんどん出陣させる。 武陵は捕虜から登用した魯粛と黄蓋、新加入の鮑隆に任せて、主力の全軍で出陣する。 ふた月かかって建寧に入ったところで孟獲軍が迎撃に出てくる。両軍の先鋒が山深い南蛮奥地の牀柯のあたりでぶつかる。 こちらは郭汜、牛輔の20000で、敵は大王孟獲と帯来洞主の2隊18000、やや遅れて花鬘と鄂煥の2隊12000。 孟獲「おい、おまえら、この南蛮に攻めてくるとはいい度胸じゃねえか」 郭汜「おう、貴様らなんぞ我らの敵ではないわ」 孟獲「上等じゃねえか、おまえら絶対に返すわけにはいかねえな!おう、帯来、やっちまえ」 帯来洞主「おうっ!」 牛輔「なんの!このっ」 という感じで戦闘開始。 最初に突出してきた帯来隊を撹乱からの一騎打ちで牛輔が撃破して、捕獲、即処断。 孟獲隊はなかなか硬く、手こずっている間に敵軍の後続部隊とこちらの李傕、李儒などが追い付く。 花鬘と鄂煥には李儒の偽報で帰ってもらい、孟獲を攻撃。 敵は戟兵なのでこちらもまとめてダメージをもらう。が、なんとか孟獲隊を撃破し、花鬘隊と鄂煥隊においついて殲滅する。 迎撃を跳ね返した我が軍はここからふた月ほどかけて雲南に向かう。 ここで少し時間を遡って266年4月の荊北の様子を見る。 まず襄陽の張魯らが今度は成都攻め用の兵を用意している。 成都攻めには徐栄と胡軫に加え、黄巾の張曼成、北海で登用した管亥を主将に起用する。 また、徐栄の守っていた江陵城は樊稠、李通、臧覇らに50000で任せることにした。 江夏は杜預が5000で駐屯中、宛も吾彦が5000で涼州から来る兵糧の輸送を担っている。 新野でも徴兵と造船を行っており、漢中と汝南、陳留に増派する分の兵力60000をこつこつと貯めていた。 徐栄らは襄陽と新野から20000ずつ兵を受けて漢中に向かっていた。 その頃、大兵力の新野は董旻が太守として守っていた。 董旻「はぁ・・・ワシの兵器部隊が張済なんぞに回されてからというもの、どうも面白くない」 許攸「おや、董旻どの。どうかされましたかな?」 董旻「いや、新野に来て以来まったく活躍の場がなくてなぁ。兄上はどう考えているのかと」 許攸「董太師のご批判とは、な、なんと畏れ多い」 董旻「構わん、ワシは弟じゃ。ここまで来られたのもワシの兵器部隊がよく働いたからであってな」 許攸「・・・・(ほう、私もこんな田舎で働くのは真っ平なのだ)」 董旻「ワシが精魂込めて火矢を作ってだな・・・あれをああしてこうして(ブツブツくどくど)」 許攸「・・・(使わせてもらうか)、董旻どのはご存じですかな?」 董旻「ん?なんのことじゃ?」 許攸「今の太守は董旻どのですが、新参の公孫度という者がここの太守になるというのを」 董旻「なんと・・・ではワシは異動か?」 許攸「いえ、そういうわけではないようで、そのまま公孫度の下でしょう」 董旻「むむむむ、ワシを馬鹿にするのもこれ以上は許せんぞ!」 許攸「・・・実は私はその公孫度とは旧知でしてな。どうやら彼は着任して造反するようなのです」 董旻「なんだと・・・?では、裏切り?」 許攸「そうです。私もここで終わるつもりはありません。董旻どのはいかがされます?」 董旻「・・・・わかった、やる、やってやる。兄にワシの本気を見せてやる!」 デデーン どうなる?、と皆様に思っていただいたところで、容量の関係によりまた次回! 続きはもう出来ているので順次アップさせていただきます。今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。 今回の犠牲者 27人 馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主 指名手配 7人 賈充、毌丘秀(処断済)、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲 新加入武将 7人 賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥 董卓軍忠臣メンバー能力表の徐栄が徐英になってる -- 名無しさん (2011-07-23 16 56 32) 冥府への送り手www 好きな武将の太史慈には裏切って欲しくない -- 名無しさん (2011-07-24 11 05 15) 馬超よ~~~~ -- 名無しさん (2011-07-25 22 25 58) 名族たる私がこんなところで -- 袁紹 (2011-07-25 23 37 31) コメントありがとうございます。徐栄を修正しました。馬氏や袁氏など漢朝系の武将は董軍と相性最悪なので今回は泣く泣く斬っています…。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 09 52 43) 遅くなりましたが更新させていただきます。 -- 董卓の日記著者 (2011-09-27 11 21 39) 乙です -- 名無しさん (2011-09-28 12 48 20) これって味方の裏切りもあえてねらってます?それともトウタクだから? -- 名無しさん (2011-09-28 18 37 07) 不用意に忠臣の誰かが轢き殺されて、郭汜「李傕ゥーー!!」みたいな展開キボン -- 名無しさん (2011-09-28 21 35 55) コメントいただきありがとうございます。↑2の方、真の忠臣は裏切らないと信じ忠誠はほぼ放置してます。↑1の方、そうなったらなったで面白いですねー。忠臣は大事に育てていたのですが… -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 02 28) あと、恥ずかしながらCOMに白兵戦で負けましたw しかも騎兵同士の…w -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 03 44) 疾走は強すぎだ、とにかく森で逃げて闘うしかないですな!曹彰まじ最強っす -- 名無しさん (2011-10-02 19 38 13) 忠臣の誰かが裏切っても銀英伝のロイエンタールみたいでおもしろいかも。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 18 48) トウタクと親愛設定されてる忠臣は無理だけど。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 20 03) 筆者もこのままいくと忠臣7人しか残らないんじゃないかと心配し始めました。最初に親愛設定しておいてよかった。だが董旻は兄弟なので親愛つけてなかったんですよね・・・ -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 36 22) ↑4の方へ。曹彰の疾走は強いですね、やはり私の胡軫の疾走より撹乱率が高いようです。でも出来ればこのメンツで森での殴り合いは避けたいです… -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 41 09) ここまでお付き合い頂きありがとうございます。最近は敗戦続きでまだまだ董卓軍の戦いは続くようです。次回もお付き合いいただければ幸いでございます。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 43 14) 名前 コメント
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魅力以外全て中途半端。親愛武将もいることはいるが、相手が黄皓では…。 政治+5低×2回+官職で一応内政官としても使える。 ただし義理低め野望高めなので注意。 -- (名無しさん) 2011-05-18 13 48 21 武力低の2回使えばとりあえず70は行くけど、野望が高い分出陣させ たくない武将。 -- (名無しさん) 2011-07-24 02 44 44 演技ではゴマスリ役人。正史では実績豊かなベテラン。 運搬辺りを取らせて後方で控えさせておくのが使い道かな -- (関羽大好き) 2011-07-24 08 13 09 馬忠におよばないとはいえもう少し評価しても・・・・・・ -- (名無しさん) 2011-08-10 02 14 29 正史において馬忠に及ばないとされているが、そもそも馬忠の実績を考えると及ばなくても仕方はない。 長年に渡り功績を挙げ、仕事熱心であったとされる割に若干不遇な評価を受けている。 正史でも演義でも黄皓と結託して姜維と立場を入れ替わろうとしているが、 正史に関しては諸葛瞻と董厥も入れ替えるよう劉禅に上奏しているのでもう少し考慮してほしかったり。 -- (名無しさん) 2013-01-11 08 35 55 ↑チラ裏でやれ -- (名無しさん) 2013-01-13 00 35 11 「正史において」「正史でも」っていうけど、これ三国志演義のゲームだから。 さておき閻宇(と趙雲の息子など)は後期によく居る器用貧乏の代表。 港に駐留させるには惜しく、後方太守にするにしても野望が高いので安心して任せられない。 幸いにも寿命が長いので、諸葛亮の下で「築城」を持たせて前線でこき使うのが良い。 築城は早期に習得できる上、政治50台でも目に見えて効果を発揮する。 馬忠の特技を前線向けに書き換えられる頃には褒美用の金銭も余って前線も充実しているだろうから、史実通り後任として派遣するのが良いだろう -- (名無しさん) 2013-02-20 08 31 57 演義では酷い役回りをしていたが魅力と義理以外は意外に悲惨な能力にされていないので馬忠には及ばないが使える。余った育成を少し使えばどれも微妙だが何でも少しはできる人になる -- (名無し) 2013-02-24 07 57 22 ↑2 演義ベースなだけで全部が全部演義なわけじゃないけどね -- (名無しさん) 2013-02-24 13 28 18 とりあえずこの能力では姜維の代役はどう考えても無謀。↑3の様に築城要員として使うのもいいが、蜀系からずれた相性と低義理にちょっと注意がいる。 長期に渡る建設の旅は結構時間がかかったりするので、超級などでは季節またぎなどを挟むとあっさり90台になって引き抜かれたりする。それを気にしながらの建設もなかなかめんどいものである。 知力・政治は数合わせぐらいにはなるので、不安なら内政要員として飼い殺しても良い。寿命も長めなので、政治低があまっているようなら上げてもいいだろう。 英雄集結系ではババ抜きのババとしての活躍?が望める。 -- (名無しさん) 2015-01-27 18 04 09 >これ三国志演義のゲームだから 演義ベースだと馬忠はあんな能力値にならないよねw -- (名無しさん) 2017-07-05 22 25 09 まぁ何だかんだで妥当な数値ではなかろうか -- (名無しさん) 2018-09-15 16 27 06
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曹仁に救出されたエピソードが残る魏の猪武者。 戦闘力はそれなりだが、とにかく連戦が便利。 当の曹仁とは相性がいいので、有力な副将候補になる。 -- (名無しさん) 2010-05-25 02 55 31 晩年には馬岱を打ち破っているのだが没年が史実より早いような… -- (名無しさん) 2010-06-05 14 32 05 統率は準一級クラスというところで、決して低くはないのだが連戦でボコるには少々心許ない。 人材に余裕があるならより統率の高い武将のお供にするのがベターだろう。 -- (名無しさん) 2010-09-17 15 57 45 名前のおかげで知名度が案外高い。使い道としては、満寵の副将がベスト。 -- (名無しさん) 2011-02-22 21 24 01 張遼と組むのもいいだろう。張遼は戟Sで統率も高く威風持ちなので相手の気力を連戦でボロボロにできる。 -- (名無しさん) 2011-04-26 17 19 30 司馬懿の公孫淵討伐に参加したはずじゃ? -- (名無しさん) 2012-04-30 11 09 36 連戦のお陰で今までのシリーズよりも一気に市民権を得た。 -- (名無しさん) 2013-03-22 01 24 10 ゲームでは自然死なので採用されてないようだが、「馬の後を継ぐのは牛」として司馬氏に警戒され暗殺されたという胡散臭い異説がある。 -- (名無しさん) 2014-08-14 00 37 52 顔グラが「ファイト~!一発!」って叫んでます そこらへんの脳筋野郎とはひと味違う -- (名無しさん) 2016-04-01 00 56 11 満寵の副将がベストというのは、補佐の支援攻撃で連戦が発動するということだろうか? 経験がないのだけど、どこかに書いてあったですか? -- (名無しさん) 2016-04-02 19 54 31 支援攻撃には連戦は発生しない。「満寵の副将がベスト」というのは、察するに ①弩兵と連戦は相性が良い(敵が弩兵・かつ応射を研究していない限り、近接兵科と違って反撃を受けないため) ②満寵の兵科は基本的に支援を活かせる弩兵である。 ③満寵の低い武力を補ってくれるという意味でも相性が良い。 といった点だと思われる。 牛金だって武力79しかないので、義兄弟にしない限りそこまで火力はあがらないし、そもそも満寵弩適正Aどまりから適正補正要員もいた方がいいしと、正直ベストかと言われると微妙だと思うが。 -- (名無しさん) 2016-04-03 01 35 33 回答ありがとうございます。弩兵は火矢のコストが少ないので通常攻撃はあまり使わないものですから。騎兵で連戦のほうが使いやすいと思います。 -- (名無しさん) 2016-04-03 05 18 11 呂布相手に、連戦発動すると、こっちの被害が酷すぎ〜w -- (名無しさん) 2016-05-30 12 06 21 処断するとき「この身が朽ちようと魂は消えねえ」と言ってるんだが、これ牛金固有のセリフとは違うの? -- (名無しさん) 2017-09-23 15 18 09 単体で格上に連戦を仕掛けると悲惨なことになりやすいので注意。 -- (名無しさん) 2017-10-01 18 28 12
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すごいよね、この人。 「愛」というステータスがあるなら100だね。 -- (名無しさん) 2010-02-04 22 51 31 我らが曹操の正室殿。 楽奏の効果で、旦那の虚実をフル回転させてやろう。 荀攸殿には、他の計略担当部隊を任せるもよし。 勿論スリーマンセルで無限計略を行うのもいいだろう。 -- (名無しさん) 2010-05-22 23 38 13 S1、S2の董卓で曹操を登用したい場合、 普通に登用しようとすると嫌悪関係のせいで登用出来ないが、 先に彼女を登用すると婚姻関係が優先されて登用出来るようになる。 このページとは関係ないが、呂布で関張を登用したい場合も 先に劉備を登用すれば嫌悪関係を無視して登用出来るようになる。 -- (名無しさん) 2010-10-25 19 31 49 曹操との親愛関係がないのは曹操が生きてて彼と結婚してないシナリオが存在しないから? それはともかく特技の楽奏は計略隊の副将に向いてる。 魏には曹操に限らず知謀の士が多いので彼らのサポートに回ってあげよう。 -- (名無しさん) 2011-05-20 19 39 35 親愛関係なしなのは単なる手抜きかな? 素人考えでも曹植は親愛にするだろうに… -- (名無しさん) 2011-06-03 19 30 11 この人の愛はアガペーだから、特別扱いする相手はいないっていうKOEIさんの粋な演出なんだよ、きっと 知力ブーストにはやや心もとないが、とりあえず参軍させればどの部隊でも役に立ってくれる 内政要員としても水準以上 -- (名無しさん) 2011-06-03 19 47 25 短命な人が多い女性武将の中では一番長生き。 (いにしえ武将を入れると一番長生きなのは秦良玉だが) -- (名無しさん) 2011-06-03 20 58 01 ↑辛憲英が79歳まで生きるみたいから一番では無いな。 -- (名無しさん) 2013-03-31 19 41 09 この人を曹操と組ませると、百出持ちの荀攸を曹操と別部隊に出来なくもない。 -- (名無しさん) 2013-03-31 20 30 43 曹操死んで曹丕が後継いだから捕らえて符節台のところで降らせようしたけど忠誠100から全く減らない(忠誠255のうちの100) 同じく義理が高い(最高)で相性も変わらない夏侯惇でさえバシバシ減ってるのに・・・ 何か補正でもついてるのだろうか -- (名無しさん) 2013-11-17 02 51 36 我らが曹操の正室殿 この人は正室ではなくて側室、ちなみに正室は丁夫人だぞ。 -- (名無しさん) 2013-11-17 10 06 15 ↑曹操が丁夫人と別れた後は卞氏が正室になってる。 -- (名無しさん) 2013-11-17 15 53 51 楽奏は計略のコストダウンではなく気力回復なので、曹彰・楽進等の特技隊に配属するのもベネ こいつらは脳筋なので、計略隊だと空気になりがちな知力政治がいい感じにサポートしてくれる -- (名無しさん) 2015-04-06 22 11 06 曹操に尽くすキティちゃん -- (名無しさん) 2016-11-27 19 23 06 ↑どのへんがキティなのか解説求む。 曹操に尽くしてるのはわかるんだが。旦那の子だからって自分と血繋がってない子を育てるの、すげえと思う -- (名無しさん) 2016-11-27 19 36 13 いいね -- (名無しさん) 2021-09-25 19 52 17
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難易度 目標 日数 担当勢力 敵勢力 易 現在出陣中の部隊のみで半年以内に江夏を陥落させる孫権軍の部隊が全滅したら敗北 180日 孫権 劉表 基本方針 攻略チャートその1 攻略チャートその2(PS2PK) 基本方針 敷き詰められた火船を使いながら敵を倒す。こちらの金には余裕があるので、新たな火船を追加設置して待ち構えるのが良い。孫権の副将に周瑜と周泰が付いているので、火船着火役は基本的に孫権に任せること。 敵は特別強くないが、火矢で攻撃すると後半気力が足りなくなり攻城できなくなる。 序盤は敵を混乱させた上で火船で囲み,次のターンで味方を退避させた上で孫権で着火するのが基本戦術。 孫権隊は火船ダメージは無効だが、混乱効果は無効にできないので注意。 劉表軍は強弩を持っている。不用意に火船に隣接すると、陸から火矢で火船ごと焼かれることがある。 このシナリオに登場する呂蒙は阿蒙グラだが能力値は阿蒙にあらず。撹乱要員に使おう。 ちなみに、肝心の黄祖は城にひきこもったままで一切登場しない。 攻略チャートその1 位置が異なるとチャート通りにいかないので、開始と同時にR3押し込みで画面をデフォ固定してください。 必ず順番通りに行動させ、未行動ユニットは動かさないでください。 1ターン目 1.孫権 呂蒙の北東2マス目に移動 2.董襲 孫権の北東に移動 3.呂蒙 孫権の南東2マス目に移動 4.程普 呂蒙の南西に移動 2ターン目 文聘と王威が火船の隣に移動してきて並びます 1.孫権 一番近くの火船(これでわかるはず)の南に移動し、敵2部隊を巻き込める火船へ火矢(王威が混乱。文聘が混乱した場合はチャートその2へ) 2.董襲 孫権の南西に移動し、北西に火船設置 3.程普 董襲が設置した火船の2マス南に移動し、北に火船設置(さきほど董襲が設置した火船と隣接) 4.呂蒙 董襲の北に移動し、文聘に撹乱(成功) ターン終了後、王威が混乱から回復し、呉巨が呂蒙の北西に来て董襲に矢で攻撃します(500減る)。 3ターン目 1.呂蒙 呉巨の北へ移動し、呉巨に撹乱(成功) 2.董襲 呂蒙の北西に移動し、南に火船設置(呉巨と文聘に隣接) 3.程普 王威の北西2マス(火船の南になる場所)に移動し、北東に火船設置(さきほどの董襲の設置した火船と最初からある火船に隣接) 4.孫権 一番柴桑の陸に近い火船の北西のに移動し、王威の南の火船へ火矢(この連鎖爆発で敵3部隊が混乱) ターン終了後、文聘が混乱から回復します。 4ターン目 1.程普 呉巨の南へ移動し、呉巨に直接攻撃 2.呂蒙 呉巨の北東へ移動し、呉巨に直接攻撃 3.董襲 王威の南西へ移動し、王威に直接攻撃 4.孫権 董襲の北西2マス目に移動し、董襲の北2マス目にある火船へ火矢 ターン終了後、王威が混乱から回復し、文聘の攻撃で孫権が吹っ飛んで董襲に隣接します。 5ターン目 1.程普 その場で王威に一斉攻撃 2.孫権 呉巨の北西に移動し、呉巨に一斉攻撃(呉巨撃破) ターン終了後、王威が程普に攻撃しますが自滅します。文聘は孫権に攻撃します(文聘の残兵587)。 ここまでくれば後は注意するべきことは少しだけ。 まず文聘は「不屈」を持っていますが、呂蒙か程普の移動ついでの攻撃で倒してください(おそらくどちらかはガードされます)。 江夏に近づくと弩部隊が1部隊出てきますが、無視してください 。 ただし、江夏近くの火船は移動した際に攻撃して壊しておいてください 。火矢で陸から狙われます。 港から1部隊だけ出てきますが、なぜか火船に隣接して止まります 。 一度だけ火矢で爆発させてやると、なぜか帰っていきしばらく出てきません 。 この場合、火矢を使うのは孫権以外にしてください。 後は江夏に向かって火矢を集中します。途中気力が無くなりますが、かまわず攻撃し続けてください。 攻略チャートその2(PS2PK) 上のチャートに従うと、2ターン目に王威ではなく文聘が混乱してしまう、という人のためのチャート。 位置が異なるとチャート通りにいかないので、開始と同時にR3押し込みで画面をデフォ固定してください。 必ず順番通りに行動させ、未行動ユニットは動かさないでください。 PS2PKの3ターン目の呉巨攪乱は上手くいかないなら最初でも可 劉磐の兵をそれなりに削った後はそのまま江夏に攻撃すると再出陣してくるので江夏に火矢連発で勝てることも 1ターン目 1.孫権 呂蒙の北東2マス目に移動 2.董襲 孫権の北東に移動 3.呂蒙 孫権の南東2マス目に移動 4.程普 呂蒙の南西に移動 ターン終了後、文聘と王威が南北に並びます(文聘が北で王威が南)。 2ターン目 1.孫権 一番近い火船(これでわかるはず)の南に移動し、敵2部隊を巻き込める火船へ火矢(文聘が混乱) 2.董襲 孫権の南西に移動し、北西(直前に火船があった場所)に火船建設 3.程普 董襲が設置した火船の2マス南に移動し、北に火船を建設(王威を囲むように火船が3つ並ぶ) 4.呂蒙 董襲の北に移動し、王威に撹乱(成功) ターン終了後、王威が混乱から回復し、呉巨が呂蒙の北西に来て董襲に矢で攻撃します(500減る)。 3ターン目 1.董襲 文聘の北2マス目に移動し、南に火船建設(この火船は呉巨と文聘に隣接するはず) 2.呂蒙 呉巨の北に移動し、呉巨に撹乱(成功) 3.程普 王威の北西2マス目に移動し、北東に火船を建設(董襲が直前に建設した火船と、元からあった火船に接する) 4.孫権 一番柴桑の陸に近い火船の北西に移動し、王威の南の火船へ火矢(敵3部隊が混乱) ターン終了後、王威が混乱から回復します。 4ターン目 1.程普 王威の南西に移動し、王威に直接攻撃(王威撃破) 2.呂蒙 北東に1マス移動し、南に火船建設 3.董襲 その場で南東に火船建設 4.孫権 呉巨の南に移動し、北東に火船建設 ターン終了後、呉巨が混乱から回復します。 5ターン目 1.呂蒙 董襲の北西2マス目にある火船の南西に移動し、火船破壊 2.董襲 呂蒙の北西に移動し、北西の火船破壊 3.孫権 董襲の南2マス目に移動し、一番近い火船に火矢(文聘と呉巨撃破) 4.程普 孫権の南西2マス目に移動し、南に火船建設(元からある火船と並ぶように) 6ターン目 1.程普 孫権の南西に移動 2.他の部隊は動かさずターン終了 ターン終了後、劉磐が2つの火船と隣り合います。 7ターン目 1.孫権 劉磐の北西2マス目に移動し、劉磐の北の火船に火矢(劉磐混乱せず) 2.程普 劉磐の北西に移動し直接攻撃 3.呂蒙 劉磐の北に移動し激突(成功するが混乱せず) 4.董襲 呂蒙の北に移動し北の火船を破壊 ターン終了後、劉磐が孫権の北の火船を破壊しますが混乱せずノーダメージ。 6ターン目 1.孫権 その場で劉磐の南の火船に火矢(劉磐混乱せず) 2.程普 その場で劉磐に直接攻撃(劉磐撃破) 3.呂蒙 江夏に一番近い3つの火船のうち、真ん中の南東に移動し破壊 4.董襲 呂蒙の北東に移動し北の火船を破壊 7ターン目 1.孫権 江夏に一番近い火船(最後の一つ)の北東に移動し、北2マス目の城壁に火矢 2.呂蒙 孫権の南東に移動し、城壁に火矢 3.董襲 呂蒙の北東に移動し、北2マス目の城壁に火矢 4.程普 董襲の北東に移動し、呂蒙と同じ城壁に火矢 ターン終了後、文聘が孫権に火矢を射ってくるが火のダメージ無効。 8ターン目 1.孫権 その場で南西の火船を破壊 以降は敵を無視して城に火矢を撃ちまくれば終わり。 文聘が火矢で攻撃してくるけど、周瑜がいる孫権隊なら火のダメージがないので壁にする。 全員の気力がちょうど尽きる頃にクリアできるはず。
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(しゅんこく・ちん)部曲砦:春穀鎭 産品、工匠 「春穀鎭」では四季折々に旬の砦作物を栽培しています。井戸を2つ置き、作物40本に毎朝欠かさず水をあげています。対人戦やる人が1名しかいないので仙輝水や膏は余ってます。屋敷6棟を四合院に組んだ広大な館を構えていて、時々「お館さまごっこ」で遊んでます。 ▼2009.08.16 四合院の中庭では夏作物が花盛りです 「春穀鎭」名前の由来 -上へ 産品、工匠 「春穀」は丹楊郡にあった縣(城市)の名前で、この部曲が所属する武将:周瑜さまが一時期、縣長(知事)を務めていました。あえて農村風の名前をつけることで、ここから呉の、そして黄河ワールドの兵站を担いたい、という意志を込めています。 (C)2007-2008 KOEI Entertainment Singapore Pte. Ltd./KOEI Co., Ltd. All rights reserved.このホームページに掲載している『三國志 Online』の画像は、『三國志 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『三國志 Online』の有効なアカウントをお持ちのユーザーのみに株式会社コーエーが使用許諾を行ったものです。 公然の事実の掲示オンラインゲームのアカウント、キャラクター、ゲーム内通貨、アイテム等を現実の通貨で売買することを「リアルマネートレーディング(RMT)といい、「三國志 Online」運営元が定める「コーエーネットワーク利用規約」において、こういった行為は禁止されています。もしこのような行為が発覚した場合は、アカウント停止などの厳しいペナルティーを受けることがあります。上記、公然の事実に対する、個人的な感想の表明「せっかく足を踏み入れた『三國志 Online』の世界。つまらないことで、この美しき楽園を追われるのは嫌だなぁ。」