約 1,494,068 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/628.html
チョウショウ 列伝 劉璋の幕僚。張粛の弟。 【演義】 劉璋が張魯に脅かされると、使者となり曹操に援軍を要請しようとした。しかし、曹操からぞんざいに扱われたため、楊修を言い負かし、曹操の「孟徳新書」を暗記して驚かせる。その態度が曹操の怒りを買い、交渉は決裂。帰途、劉備から歓迎を受け、劉璋に代えて劉備を蜀の統治者にしようと目論む。劉備に蜀の地図を渡し、張魯を防ぐ名目で劉備を蜀に入れることに成功。決起を促すが、張粛に計画を通報され、劉璋に処刑された。 【正史】 劉備と面会中に蜀の地図を書き、内情を知らせた。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 15 6 88 82 19 210 21 109 順位 627 645 26 58 644 591 642 590 偏差値 30.9 30.1 64.3 61.5 28.7 38.3 29.5 36.8 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C C C C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 4 11 4 12 4 11 5 11 4 9 4 10 順位 645 627 645 627 645 621 646 620 645 630 645 628 偏差値 31.9 33.0 32.0 32.8 30.8 32.7 32.5 33.0 30.5 32.4 31.1 32.3 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 秘計 自分より知力の高い部隊への計略成功時クリティカル マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 72 益州 義理 地方統一 臨機応変 2/5 3/5 1/3 170 189 212(43歳) 不自然死 小心 小心 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 張松 親愛 法正、孟達、楊修、劉備 法正、孟達、楊修 嫌悪 なし なし シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 15歳 未登場 成都 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 21歳 未発見 成都 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 25歳 一般 成都 劉璋 96 - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 31歳 一般 成都 劉璋 96 侍郎 4000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 38歳 一般 成都 劉璋 96 侍郎 6000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 42歳 一般 成都 劉璋 94 侍郎 7000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 成都 劉焉 97 右僕射 2000 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 29歳 一般 成都 劉璋 96 典農校尉 3000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 34歳 一般 成都 劉璋 96 侍郎 5000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 18歳 未登場 成都 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 22歳 未発見 成都 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 成都 - - - 0 - - 高知力の小心論客候補No1。 実際こいつの特技は使いにくいし。 論客まで待てないときは高い政治を生かして内政系や計略系を付けるのもあり。 寿命も不自然死なためそこそこ長生きする。 -- (名無しさん) 2010-08-08 08 08 13 話術が2つしか無いので論客を持たせる場合は書物も一緒に。 -- (名無しさん) 2011-03-25 14 56 46 自身の知力がかなり高いため、特技が死にがち。あえて秘計のままで通すなら 知力90以上の計略100%系特技持ち武将と組むと活躍できる もっとも適用範囲はかなり狭いし、デフォルトの史実武将で条件満たしてるのは 孟徳新書の著者さんくらいだが・・・ -- (名無しさん) 2011-04-15 21 06 17 特技はそもそも自分より知力の高い部隊に基本的にはかけたりしないので、 変更推奨。上級までは論客、超級でも20%にかけるなら論客でもいいが、 知力高を1回つかって、出たなら神算、火神、出なかったらそのまま防計担当の副将でもいいし、 築城をつけると、かなり優秀な副将になる。 -- (名無しさん) 2011-04-16 20 52 14 ↑×2曹操のところには既に深謀持ちの司馬懿がいるから無理に張松と組ませる必要はないかと。 かといって孔明だと特技の効果被るからねえ…(神算は計略クリティカル効果あり) やっぱり特技は変えた方がいいでしょう。 -- (名無しさん) 2011-04-24 20 44 56 書物をやって論客にするのもいいが、義理が低いので誹謗イベントを起こす可能性があり、その場合君主がアホだとまず勝てないので注意。 (劉備・劉焉でもきついが劉璋だと書物与えて無くても絶対無理!) -- (名無しさん) 2011-06-04 07 37 37 ↑劉備に関しては親愛しているので起こらないのでは? 劉璋に関しては、たぶん1撃で落ちるのかな(笑) -- (名無しさん) 2011-06-04 12 55 24 ↑イベントの項目見たけど誹謗する側が君主を親愛してるかどうかは関係ないみたい。 というかそうしないと黄皓が劉禅に誹謗するイベントが絶対起こらないことになるからそれはそれでおかしいw -- (↑×2) 2011-06-04 13 06 36 論戦での小心はその特性上、話題札で埋まってる時に発動すると非常にショボくなる。 なので論客を与えるなら、あえて書物を持たせないという手もある。勿論知力を90台にするのは必須。 -- (名無しさん) 2011-08-05 22 08 48 ↑逆上を持たないから肝心の憤怒状態になりにくくならないか? それこそ論客が相手にするような高知力軍師相手じゃきつい気がする -- (名無しさん) 2011-08-05 23 10 56 論客への高適正は↑に上げられている通りだが、既に優秀な論客要員がいる、論客外交を自重している、超級で論客が使いにくいなどの理由で論客をつけない場合もあるだろう。 そういう場合は、築城がぴったりなのでオススメする。戦闘部隊の築城要員は、枠節約のために防計ができる知力と建設力が底上げできる政治を双方持っているのが理想なのだが、張松はこれにまさにぴったりである。 ただし武力はともかく統率もカスなので、従軍時の事故死にだけは注意を要する。 -- (名無しさん) 2014-08-30 01 47 23 論客も特技としてはいいが開発まで時間が掛かるのがネック。 繋ぎで能吏や米道等、経由しても良い。 ただそうするとそれら特技の上書きが悩ましいのでお好みで。 -- (名無しさん) 2016-09-16 00 07 13 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2306.html
南の国の公孫恭 注意 公孫恭で南蛮を目指すのはお勧めしません。急いでもものすごく時間がかかる上に孟獲が挙兵したり劉障に先を越されたり桟道の途中で部隊が壊滅したりするからです。 無印 PS2 上級 211年 劉備入蜀 公孫恭 うまくいくと思ってなくてはじめのうち記録取ってなかったので日付は割と抜けます。 初投稿だったり途中でやる気がなくなったりしたので質は悪いかも。 縛り セーブ&ロードは認めるがサブデータを作ることは認めない 他なし 武将紹介 公孫恭 統39武17知68政61魅42 Ⅰ、公孫恭が南蛮の地を目指すそうです。 ルート①会稽の北の港から上陸し、南の辺境を通り、桂陽、零陵を通過し、辺境を通り雲南に ルート②柴桑の南の港から上陸し、ルート①に合流 ルート③武陵の北の港から上陸し、武凌を通過し、辺境を通り雲南に 劉障に先を越されないようにスピード重視。公孫恭はルート③を選んだ。 その道中に鳥丸や曹操に本拠を落とされないように ①曹操と同盟 ②治安を上げる 金4000で曹操と同盟し、治安を100にしてから騎兵6800で出陣。 海を南下し、長江を遡る。途中で孫権軍が迎撃すればすぐに逃げる公孫恭。かっこ悪いとか言ってられない。 建業を過ぎたころ孫権が三ヶ月の停戦を持ちかけてきました。もちろん受諾。さらに長江を遡る。このころ劉障が建寧制圧。 武陵の北に無事に着きました。劉封が迎撃に来たので江凌に逃げる。彼は水軍Bで火矢が撃てるので無理。これが劉封との因縁の出会いであった。 しばらくそこで待機。港から劉封が去ったのを見計らって再度攻める。今度は迎撃が無く公安港を制圧!このころ襄平に鳥丸が出現。 次のターンにすり抜け作戦開始。張包などに二回ほど殴られるが、武陵を突破!このとき兵力は騎兵3000ほど。 その後桟道にさしかかったあたりで劉障軍が迎撃してきました。遠いけど。 敵軍:張任隊 弩兵4000(張任、張松、陳式) 彼らは兵糧100日分しか持ってないので適当に時間を潰していればいいでしょう。 え、停戦?鄧芝がやってきました。まあいいでしょう。無駄に戦うことも無い。 しかしこれは罠だった。 張任隊は空白地の雲南に退却しているではないか!しかし兵糧は残り30日。頼むから壊滅してくれよ・・ 壊滅しなかった。兵糧尽きてから6ターン行動してるぞ!奴ら!(踏破の隠れ効果か?) だが彼らの軍は兵糧が無く、兵糧を購入した時点で兵数527しかない。いける! 停戦が切れて偽報状態になったが、それでも雲南に接近する公孫恭。安平港への最短ルートはこっちだから。 で、停戦が切れたら雲南の隣で待つ。桟道通過で兵力が1121に減っていたので相手の兵力が減るまで待つ。527は多すぎる。公孫恭にとっては。 雲南の兵士数が92まで減ってから攻撃し、雲南攻略!この時224年。 Ⅱ、救世主登場 セーブ&ロードを繰り返すも、誰一人登用できない。諦めて防備を調えることにした。 兵舎を建てる途中で張任がやってきました。 ①公孫恭は兵1兵糧1で出撃し、偽報を放つ。(大抵効かない) ②張任は公孫恭を撃破する。そして①に戻る の繰り返しで兵糧が尽きるまで耐える。何度か捕縛されたけど、劉障が心の広い人物で本当によかった。 この間に襄平が鳥丸により陥落。しかたないね。 これで雲南防衛戦その1は終わった。しかし、敵部隊の数が2以上だと防ぎきれない恐れがある。そこで、南蛮頭目(賊と呼ぶ)を利用する。 ひたすら治安を下げ、南蛮頭目の根城が出現。雲南の北、毒泉二つ渡ったところだ。(ひとつは回避できる)この根城は以後10年ほど残ることになる。 賊が劉障軍を攻撃するのを利用してなんとか耐え、賊が二部隊出現してやっかいだと感じていたころにその日は来た。 219年、公孫淵登場! 公孫淵 統64武69知54政34魅51 いざとなれば張任と一騎打ちもできる能力なのでだいぶ安心。 心強い味方公孫淵を得て、賊を簡単に討伐すると、公孫恭は本格的に内政に取り掛かりました。(これまでに建てたのは兵舎一つと市場二つだけ) やはりセーブ&ロードを繰り返すも、誰一人登用できない。 合戦しつつ厩舎も建てたし、櫓ロードと軍楽台も建てて万全の守りを築き、落石と賊も駆使して戦っていると、呉懿と張松を捕らえた。 しばらく内政していると張松の忠誠が83に落ち、登用連打。 忠誠が79になって登用成功!6ヶ月で死んじゃったけど。一瞬の軍師でした。 それはともかく、劉障は死に、劉循が後を継ぎ、劉備も死に劉封が後を継ぎました。 で、劉循は建寧ひとつ残し、領土の大半を劉封に攻め取られた。建寧も劉循に攻められ、急速に弱体化した。ここでとどめを刺し大量の捕虜を得る。セーブ&ロードを繰り返し、全員登用! さらに鄧芝を使って劉封と停戦し、費?と董允で南蛮武将達を全員登用。ここで234年。 あとは楽勝でしょう。 Ⅲ、公孫恭の飛躍 安心したところで周囲の状況を確認する。 劉封と孫権は曹操の後を継いだ曹丕(その後の曹叡)を領土の取り合いをしつつ、しかし確実に押していた。曹軍は中原のほとんどを失っている。 馬超と馬雲騄は死に、馬岱が後を継ぎ、劉封と孫権が曹軍を押していたおかげで初期の領土と漢中を保有。 近くに目をやると、成都に150000、建寧に100000の兵がいる。しかし領土が初期の二倍ほどになった割に武将があまり増えていない劉封軍はそこにろくな武将を置いていない。人数も各二人ずつだし。公孫恭が人材を横取りしたからだろう。 停戦中に費禕に感謝しつつ軍備を整えて成都に出陣。総勢約55000。 戟将三人(李厳、鄂煥、花鬘)+孟獲がクリティカル連発するので文官しかいない相手に圧勝。衝車で成都叩きまくって成都攻略。敵兵は60000くらい残っていた。 ここでなんとなく馬岱と同盟した。 訓練+輸送隊で軍楽台付近に出陣を何回かして、内政もろくにせず建寧に出陣。さっきと同じノリで建寧攻略。さらに同じノリで永安、江陵、襄陽と落とす。さらにその間に調子に乗って主力でない部隊で梓潼を攻める。 董荼那!阿会喃!金環三結! 対 諸葛亮孔明 梓潼には孔明、王平、劉禅がいて、兵力は40000ほど。 梓潼攻略軍のメンバーは以下の通り。 董荼那、阿会喃、金環三結、留賛、留平 最後の二人は永安あたりで捕らえていた武将。留賛のみ衝車、後は戟兵で兵力は各5000。 ちなみに技巧は戟兵強化と工兵育成、施設強化がある。 留平(築城もち)のおかげで連弩櫓がポポポポーン と建ちます。(他の部隊も必要なことも) そして董荼那、阿会喃、金環三結が孔明を取り囲んで叩きます。しかし孔明は強い。計略も強いがそれ以上に統率が強い。精鋭弩兵なんて持ってるから通常攻撃しても反射ダメージが同じくらいある。援護に期待しつつ彼らは孔明を引き付ける役と割り切る。王平も強くて留賛隊が壊滅。耐久が削りきれないので再び留賛を衝車隊で出陣させる。適当なところで錯乱している劉禅を無視し、留賛隊で梓潼を二回叩き、梓潼攻略。敵部隊は一つも壊滅しなかった。 このまま突き進んでもいいけどそろそろ内政をしたくなったのと周囲に劉封の本気武将が見え始めたので本隊が襄陽を落とした後剣閣まで落として鄧芝を使って劉封と停戦。次は馬岱を攻めよう。そして姜維を仲間にしよう。 Ⅳ、馬岱攻略戦 劉封と停戦、孫権と曹丕と同盟し、(鄧芝乙。)馬岱との同盟を切って攻めます。 馬岱は漢中に100000、天水に約35000、長安に約30000、安定、武威に約10000ずつの兵力で、怖いのは漢中の馬岱、龐徳と、武威で火種敷設中の姜維。 漢中は簡単には落ちないね。 技巧はここまででさらに熟練兵と難所行軍を加えていて、馬岱軍には難所行軍が無い。 梓潼の東側の桟道で馬岱軍を釣り出していれば勝手に相手の兵力が谷底へ落ちていくのだが、それではつまらないのでちゃんと攻略します。 攻略軍の初期メンバー(部隊長) 孟獲(戟8000) 祝融(戟8000) 兀突骨(戟8000) 陳式(衝車8000) とはいえ漢中攻略は難しいので、施設を剣閣の北にいくつか建て、馬岱軍が剣閣を狙って出陣したので兀突骨隊を残して剣閣の西の道を通って天水に出ます。漢中方面には順次援軍を送る予定。 孟獲、祝融、陳式隊は天水の微妙武将を軽くあしらって天水攻略。 兀突骨はだいぶ頑張ったけど、いかんせん相手が精鋭騎兵持ちの馬岱、龐徳なので剣閣にとりつかれそうになるし、漢中東側方面に派遣した総勢15000の軍勢も足止めをくらって、天水にも馬岱軍が迫って面倒になったので停戦。(鄧芝乙。) 停戦後、孟獲、祝融、留平、陳式に武威を攻めさせ、兀突骨、鄂煥、花鬘、呉懿、張翼あたりで漢中をしつこく攻める。落とさなくてもいい。天水が狙われなければいいのだから。 武威の姜維は強かった。本当に強かったから連弩櫓がポポポポーンに加えて火球で焼きまくった。 他は弱かったので適当に撃破。衝車隊が姜維を無視して武威をひたすら叩いて武威攻略。 続いて安定攻略にかかる。ここでも姜維が出現し、だいぶダメージを受けたが、安定が軟らかいので無視して攻略。 このころ漢中の兵はだいぶ減っていた。馬岱、龐徳が東側の桟道に花鬘、張翼の迎撃に出ている間に、西側の桟道付近では鄂煥、呉懿が補給を受けつつ微妙武将達を叩きまくっていたからだ。(この辺りは補給隊の安全確保が楽だし、剣閣が補給基地にできる) ようやく漢中の兵力が減ってきて、西側から突破できそうになったので留賛を井欄隊で出陣させ、西側から突破後、漢中を叩きまくって、東側桟道で花鬘、張翼を撃破した馬岱、龐徳が帰ってくるころには漢中は風前の灯。新たに龐徳隊が出陣してきたけど漢中攻略。 その少し前から安定攻略軍は長安攻略にかかる。この軍勢の兵力はだいぶ減ってしまい出陣部隊は孟獲(戟3000) 祝融(戟3000) 陳式(衝車5000) 戟隊は長安から天水に武妙武将が出撃して連弩櫓に兵力を削られていたので長安の兵力は少ない。多くの部隊が出できたが、連弩櫓で兵力を削る。(祝融隊には留平がいる)陳式隊は攻撃を受けつつも兵舎二つを破壊した。陽平関を留賛が攻略後、漢中方面軍も長安攻めに加わり、兵力差で勝利。長安攻略。 これで馬岱の攻略は完了した。しばらく登用&内政をしたら劉禅との停戦が切れるので、次は劉禅を攻めよう。(劉封はこの途中でお亡くなりになりました。心労でしょうか。) Ⅴ、第二次劉禅戦 長安から主力で圧倒。漢中で防御。劉禅は江陵を攻めるようで、江陵には大量の軍事施設が建っているのでしばらく大丈夫でしょう。主力部隊で洛陽、宛、上庸を攻略して停戦。 次の目標を荊州南部と新野、江夏に定め、しばらくすると姜維が公孫恭の星が危ないと言った。 この時238年。確かに危ない。 そろそろ公孫淵に後を託すことを考え始めるわけで、軍団長の地位を下ろして新たに首都となった洛陽になんとなく呼び寄せてみた。そして義兄弟の儀を行った。 公孫淵、姜維、王濬は義兄弟となった。 戦いを再開する直前に公孫恭は死に、公孫淵が後を継いだ。この時「思うところがあって」費禕が下野した。兵装がありあまってきて最近仕事減ったし軍師解任されたし後任の姜維が優遇されまくりだからしょうがないかなと思った。 このころまでにだいぶ将が寿命を迎えていて、将不足だった(兵数がやたら多くなったのもある)ために、公孫淵自ら副将なしで出陣。 頼もしい義兄弟と一緒に荊州南部をばりばり攻め取ります。相手に文官が多かったので公孫淵本人もだいぶ活躍できた。 第二軍も新野、江夏を確実に攻め取り、劉禅を追いやった。 劉禅の領地はこの時点で汝南、寿春、下邳、北海、濮陽になった。 孫権は鄴、陳留、許昌、小沛、と元からの領地。 次は孫権を攻めます。 Ⅵ、天下統一 書くことがほとんど無い。孫権討伐の直前に投石を開発して、破竹の勢いで攻め滅ぼした。杜預が活躍した。途中で軍政改革もして将不足も解消。 会稽を公孫淵自らの手で攻め落としたところで皇帝になり、国号は「徐」となった。 孫権を滅ぼしてから武将が有り余った。 さらに曹芳(曹叡は死亡)との同盟を解消して、同様に攻め滅ぼす。 劉禅との停戦も切れ、ここでやっとすこしまともに劉禅軍と戦った。一番危なかったのは許昌で、鄧艾が大量の防御施設を突破して許昌の壁に張り付いたが、寿春を挟撃により落とし、余勢をかった軍勢を汝南にまわし、あっけなく終焉。この時244年。公孫淵の星が危ないとか言われたけど間に合った感じ。 その後「徐」は封権体制を築き、長く繁栄したそうです。跡継ぎ誰になったんだろう? やったみた感想 ほんの出来心で始めた今回のプレイでしたが、やってみると大変でした。雲南移住に3回失敗したし、登用も思うように進まなくて一時諦めました。 その後公孫淵の登場まで待ってみたら劉循がいいかんじで潰れてくれたのでどうにかなりました。 心残りなのは「公孫恭で」統一できなかったこと。雲南に行ってては時間的に無理だろうということが分かったので、今度は張魯を攻めてみようと思います。 なるほど、こうすればS6公孫恭もできるのか。 -- 名無しさん (2011-05-06 19 55 41) なんかスゲエな -- 名無しさん (2011-05-06 21 20 46) 曹操と同盟できたなら、わざわざ雲南に引っ越す必要なくね?人材目当て? -- 名無しさん (2011-05-07 01 35 50) ↑じゃあ、他でやってる縛りとかも必要なくね?プレイ日記で戦略うんぬんにケチつけるのはナンセンス。 -- 名無しさん (2011-05-07 09 15 11) ここの作者は公孫恭が南の国に行くことをコンセプトにしてるんだから別にいいんじゃない? -- 名無しさん (2011-05-07 12 34 55) ↑3人材目当てです。あと普通の公孫一族のプレイに飽きたというのもあります。 -- 南の国の人 (2011-05-07 14 48 20) ↑×3 いや,引っ越す理由聞いただけなのに「ケチつける」とか・・・邪推するなよ. ↑なるほど,納得 -- 名無しさん (2011-05-07 19 13 26) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/761.html
ホウセイ 列伝 劉璋の幕僚。後に劉備に仕える。 【演義】 張松、孟達と共に劉璋を見限り、劉備に益州を委ねようと画策。龐統と共に劉備の益州平定戦で参謀を務めた。劉備が益州を平定すると蜀郡太守となる。曹操との漢中攻防戦でも参謀として活躍。黄忠に計略を授け、夏侯淵を討った。その知謀は諸葛亮からも高く評価され、劉備が夷陵への出兵を強行した時、諸葛亮は「法正が生きていれば、出兵させなかっただろう」と嘆いた。 【正史】 ささいな恨みも根に持ち報復するなど欠点もあったが、その知謀を買われて諸葛亮に容認された。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 82 47 94 78 55 356 129 223 順位 53 445 9 103 425 106 318 84 偏差値 61.1 46.7 67.2 59.7 47.7 60.4 53.7 60.9 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 長い 短い 長い 長い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C A C A C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 35 60 33 66 40 74 38 57 42 63 33 55 順位 452 187 454 185 417 42 450 187 406 33 455 124 偏差値 45.2 55.5 45.1 55.7 49.4 64.3 45.2 55.7 49.8 65.3 45.7 57.7 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 待伏 伏兵成功時クリティカル マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 72 京兆 能力 中華統一 無頓着 3/5 3/5 2/3 176 195 220(45歳) 自然死 冷静 冷静 威厳 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 法正 親愛 黄忠、張松、孟達、劉備 黄忠、張松、孟達 嫌悪 なし なし シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 9歳 未登場 安定 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 15歳 未登場 安定 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 19歳 未登場 安定 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 25歳 一般 江州 劉璋 96 典農校尉 1000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 32歳 一般 江州 劉璋 96 左僕射 3000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 36歳 一般 江州 劉璋 94 左僕射 4000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 江陵 劉備 100 議郎 2000 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 23歳 一般 江州 劉璋 96 - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 28歳 一般 江州 劉璋 96 典農校尉 2000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 42歳 一般 成都 劉備 100 長史 13000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 12歳 未登場 安定 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 16歳 未登場 安定 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い - 未発見 漢中 - - - 0 - - 統率、知力ともに優秀だが、適性はいまいちな人物。 特技の待伏はかなり微妙な特技なので、能力研究で変えておきたいところ。 知力94はかなりの高さ。あえて騎兵を率いさせ、起動計略隊にするのも手。 攻撃はしないにしても、適性Cだと防御面に不安が。ここは騎兵S、Aと組ませるなどの対処をしていきたい。 能力研究で出た騎兵適性を与えるのも。 -- (名無しさん) 2010-03-21 11 16 42 S2,S3の馬勝では是非とも手に入れたい軍師 -- (名無しさん) 2010-09-11 07 32 34 廟発見イベントで別の計略系特技に書き換えた方がいいかもね。火神つけてみたが劉備と組んだら神出鬼没の放火魔にwww -- (名無しさん) 2010-09-11 14 18 25 優秀な智将が多い劉ショウ軍の中でずば抜けて高知力。特技を計略系に変更すれば、コーエーのチート軍師とも互角にやり合える。 -- (名無しさん) 2011-08-31 15 59 29 廟発見で、できれば神算をつけてやりたいところ。 幸い蜀の地には遺跡候補地がたくさんあるのでがんばろう。 兵科適性まで気にして武官のお供にするのはちょっともったいない。 黄権・張松と組ませて(いずれも書き換え必須だが)計略チート部隊を作ってみたい。 -- (名無しさん) 2012-06-11 22 35 19 法正の特技を上書きする時のオススメは“虚実”。 第2の計略無敵部隊に。 -- (名無しさん) 2013-01-10 20 15 47 諸葛亮が惜しんだ通り、寿命の短さが非常に痛い。 存分に活躍させてやりたいなら、官渡の戦い以前のシナリオか英雄集結で。 -- (名無しさん) 2013-08-23 18 30 13 孔明が裁けなかった男。彼が法を曲げてまで容認するということは、それだけとんでもない才能を持っていたということだろう。 さておき、特技は使えないことはないのだが、三国志11の計略は確率アップ系が無ければあんまり決まらないので、アップ系特技を持つ副将をつけるか特技をつけかえるのもいいかもしれない。 -- (名無しさん) 2016-10-31 17 49 29 演義では劉璋を裏切り、正史でも人格をボロカスに書かれている割には義理・野望共に普通。 魅力は低いが嫌悪されている武将はおらず、むしろ優秀な武将達に好かれている辺り、ヤクザ軍師のイメージは薄い。 -- (名無しさん) 2017-04-26 01 13 20 人柄はともかく、優秀な文管だわね -- (名無しさん) 2019-12-22 14 31 35 猛将の副将に回るには統率が高過ぎ、かといって黄忠、孟達との信愛を活かそうとするには武力、適正、特技総てがパッとせず、往々にして相性の良い武力補完脳筋も近場に余り居ない…と、かなり癖が強く扱いに困る武将 計略系特技に書き換えて計略特化要員として扱うには余りに高い能力を持っている為、何とか活かしてやりたいが果たして…? 冷苞辺りが、別段特技はコンボしないけど似た様な地形条件で発動可能なのでギリギリ及第点の相方だろうか -- (名無しさん) 2021-11-20 19 56 35 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2759.html
http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/38.html こちらから異民族・賊徒・群雄を分割しました -- (名無しさん) 2016-02-15 01 05 12 前議論になっいてた気がするけど、列伝の内容自体が間違っている場合はどうするんだ? 楼班の列伝で「楼班と難楼・蘇僕延・烏延は一族を見捨て袁尚と共に遼東へ逃げるが、 公孫康に斬首され、その首を曹操に送られた。」とあるが、史書に難楼が処刑されたという記述はない。 それどころか、「三国志」の「武帝紀」には、207年に那楼(難楼と同一人物と言われる)が降伏してきてるんだけど… まあどうでもいい部分なんだけどさ -- (名無しさん) 2016-05-01 07 39 51 補足でWiki載せておけばいいんじゃね? 三国志本編でも牽弘や胡烈、文鴦の列伝が 適当になってて、不自然死なのに自然死扱いだし -- (名無しさん) 2016-05-01 10 22 01 難楼はマイナーすぎて、個別のwikiは無いのよ… せっかくだから参考で難楼作って、そこで補足でもしておくか? -- (名無しさん) 2016-05-03 17 47 57 お膳立てもしていただいたようなので、難楼を追加しときました。 能力値の査定には興味ないので、私の方では記入は控えさせて頂きます。記載したい方がいれば記入してください。 -- (名無しさん) 2016-05-06 13 27 49 群雄と士燮軍、誰か「群雄」の項に戻しといちゃ呉れないだろうか・・・ 俺では為たくても出来ないので・・・ -- (名無しさん) 2017-01-02 15 14 10 ↑ 訂正:「後漢末~三国」の項だった。 其処の群雄の処に戻して呉れりゃ見易く成るんだが。 -- (名無しさん) 2017-01-02 15 17 40
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/614.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 董允(トウイン) 鄧艾(トウガイ) 鄧芝(トウシ) 陶濬(トウシュン) 董卓(トウタク) 董白(トウハク) 杜預(トヨ/ドヨ) 董允 (トウイン) [部分編集] (?~246)字は休昭(キュウショウ)。蜀の政治家。董和の子で、父と共に劉備に仕え、劉禅の側近に取り立てられた。黄皓を重用しようとする劉禅を厳しく諌め、黄皓を出世させなかった(彼の死後、黄皓は権力を得る)。 諸葛亮、費禕、蒋琬と合わせて「蜀の四相」と呼ばれている。 三國志IX 統率 32 武力 29 知力 77 政治 90 三國志11 統率 47 武力 28 知力 78 政治 91 魅力 79 指導 上へ 鄧艾 (トウガイ) [部分編集] (197?~264)字は士載(シサイ)。元々は鄧範(字:士則)と名乗っていたが、同名の親族に憚って改名した。 司馬懿に抜擢され、農業政策や軍事面で大きな功績を残し、蜀攻略戦では成都へ一番乗りして、劉禅を降伏させた。 鍾会の計略により反逆者扱いで捕縛され、衛瓘・田続に殺されてしまった。 実際は忠臣であったと言われており、後世ではその無念の死に嘆く人も多く反逆者扱いは取り消され、一族は残った。 中国では昔から神として崇められていたが、文化大革命の時に廟が破壊されてしまった。 三國志IX 統率 91 武力 88 知力 92 政治 76 三國志11 統率 94 武力 87 知力 89 政治 81 魅力 70 強行/槍兵S,戟兵A,弩兵A,騎兵A,兵器S 関連タグ: 【鄧艾】 ニコニコ大百科: 『鄧艾』 ゆかりんが中国統一に挑むようです 【三国志11】 +レミリア軍武将 重度のロリコンのレミリア信者。兵士A・B同様に(有能だが)レミリアには毛嫌いされている。 八雲紫軍に編入後は味方から落雷を受けるのがお約束に。 上へ 鄧芝 (トウシ) [部分編集] (?~251)字は伯苗(ハクビョウ)。後漢建国の名臣・鄧禹の子孫。益州を平定した劉備に評価されて蜀に入る。劉禅即位後、険悪であった呉に出向き、孫権を相手に優れた弁舌で友好を回復させた。孔明の北伐に従軍し、趙雲の副将として活躍した。智勇兼備の将として光栄三国志でも初期の頃から評価されている。 三国志大戦では何故かショタキャラにされている(別に彼に限ったことではないが)。トウの字が出しにくいため、「東芝」と呼ばれることも。 三國志IX 統率 73 武力 46 知力 74 政治 86 三國志11 統率 73 武力 52 知力 81 政治 85 魅力 88 論客/弩兵A,兵器A ニコニコ大百科: 『鄧芝』 上へ 陶濬(トウシュン) [部分編集] (?~?)呉末期の鎮南大将軍・荊州牧。晋の杜預の破竹の進撃を迎えて最後の決戦を挑もうとするが、配下の兵2万が一夜のうちに逃亡した。 なんといっても「三國志Ⅸ」の 強烈な顔グラ である。彼を主人公にした動画まで出来上がるほどの人気。出オチにされたり、企画的な動画の司会を務めたり、実験のネタにされたり、MADの主役になったりと、出番も多い。ついには歴戦やコーエー三国志の枠を飛び出して動画のネタにされるほどである( これ とか これ とか)。銅鑼との組み合わせは卑怯なほど。 三國志Ⅸ 統率 72 武力 64 知力 55 政治 51 三國志11 統率 65 武力 66 知力 46 政治 44 魅力 55 兵器A,水軍A 関連項目: 顔自重 、 顔君主 関連タグ: 【陶濬】 、 【顔君主】 ニコニコ大百科: 『陶濬』 +AA , - ''  ̄`ヾ丶 / // ヘ. . .⊥__ / l 〃 .. r‐`'''ヽ__\ニ'丶、 / / リ / .,.r ' ´ i ラ `丶 / l' 〃/ / ゝ r 二 、ノ. \ ! / l ,' / ,、r‐‐----‐''二ヽ ', . ! / ! .ノ/.| ,' ./ェニ==-. .‐'二`! l l ノ〆 ノ/ .レ ! ∠oヽ. .┴'` l | ゝ、 ',ヽ l | .、 ヽ l | / . l ハ. ハ |、 └' ‐' ′ リ ./ l川ノ ヽ ! ,r'=ヽ ,',イ l`'ー-', 〈、__リ /! ヽ ,' .lヽ. `ー ′,'├‐-二'、 ,. ----‐' ,./l、`' 、 __/ ノ丿 ノ ヽヽ-、_ . / /ー ` ` ‐ 、__ _,,∠ ´ ノ 君主は陶濬 【三國志Ⅸ】 +主人公。顔君主。カオブレイクあり 主人公。顔君主。偉大なる顔帝国の顔皇帝である顔。 実際のところは大きな度量と冷静な戦略眼、民を思う仁の心を併せ持っており、また沈熊をはじめ多くの優秀な弟子を育てているなどなかなかの傑物である。 視聴者曰く「(顔以外は)まともな君主」「(顔以外は)名君」「(顔を見なければ)かっこいい」「むしろ顔もかっこよく見えてきた」と言われている。 他の動画主からネタの題材にされることもしばしば。銅鑼で顔を連想する体質にされた人も多い。 天公将軍張角の挑戦 【三國志Ⅸ】 +陶濬軍君主。 北海を拠点としていたが、レミリア軍に攻められ、まさかの処断。 後を継いだのが射命丸文だったため、謀殺されたのではないかとの噂も。 その後、何者かの力によって復活し、紆余曲折を経て張角軍に加入した。 例によって顔以外はまともな人材。 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +張繍(プレイヤー)軍武将。 第一話にて探索で発見されるという、神懸かり的展開によりデビュー。 これがこの動画の方向性を決定づけたとかなんとか。 そして例によって顔以外はまともな人材。 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 +在野武将→北郷軍武将。 第45話で縦横無尽の大活躍(?)を遂げた後、第49話にて北郷軍に加入。例によって顔以外は(ry ちなみに全能力が+20されている。 軟国志 【三國志Ⅸ】 +陶濬軍→八雲紫軍→北郷軍 初期群雄の一人であったが八雲紫軍に滅ぼされた。以後その幕下で活躍。 八雲紫軍滅亡と共に北郷軍に降る。 例によって顔(ry ニコニコ歴史戦略ゲーランキング +ニコニコ歴史戦略ゲーランキングの顔。 コミュニティの入り口は、陶濬と「ランキング」の文字が目印だ。 エンコード実験 まじめな実験のサンプルになっている。 上へ 董卓 (トウタク) [部分編集] (?~192)後漢の相国。字は仲穎(チュウエイ)。若い頃は兵士思いで兄貴肌の人物だったという。黄巾の乱後の政変に乗じて王朝の中枢に入り込み、以後専横と暴虐の限りを尽くす。最期は養子の呂布に裏切られ殺された。 一部の所業を除けば「董卓程度のことは権力を掴んだ人間の多くがやっている」「後に専横と呼ばれた行為にも一定の理が見出せる」「どちらにしろ後漢の崩壊は時間の問題だった」と再評価を図る向きも有る。 動画ではそれなりに人気がある。愛称は「豚」。たまに役職名の「相国(さま)」と呼ばれる事も。 三國志IX 統率 69 武力 83 知力 66 政治 19 三國志11 統率 74 武力 87 知力 69 政治 19 魅力37 徴税/弩兵A,騎兵A 関連タグ: 【董卓】 ニコニコ大百科: 『董卓』 赤兎三国志 【三國志Ⅸ】 +董卓軍滅亡後に赤兎軍に加入、加入時に紙芝居あり、一軍、キャラブレイク?あり さまざまな悪評が流れていたがその本性は誠実な人間。 彼が為したといわれている悪行は実は彼の参謀であった李儒が彼の名を騙って為したものであり、 本人は一切あずかり知らぬことであった。 軍滅亡後、しばらく記憶喪失となり、僻地の農村にて己が身分を忘れて生活していたが 自分の軍の残党により村が襲われるのを見て記憶を取り戻し、これまでの真実を明かした李儒に対して 為してきたことを清算させようとして赤兎軍に参加する 永遠亭の中華統一記 【三國志11】 +顔グラ変更、ネタキャラ化、もはや別人 実際に別人。董卓本人は異変の首謀者である東方キャラ八雲紫によりどこかに追放され、 ただ楽しそうだからという理由でオレンジが彼の存在を肩代わりしているのである。 本来の彼は気弱ではあるが、漢の行く末を心配していた忠臣。 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +董卓軍君主。 元主君ということで張繍はいつか挑む壁として見据えていたのだが、配下の李傕が神奈子軍君主である八坂神奈子の逆鱗に触れたために長安を奪われ滅亡。華雄と共に張繍軍に流れてくる。曹操とは喧嘩飲み友達。 反袁紹包囲網 【三國志11】 +きれいな董卓 劉協を擁立し司空に就任。曹操と手を結んだ英傑。 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 +様々な董卓がいる 現時点で三人くらいいる。 本物董卓は、ドラシス董卓軍の配下として活躍中。 本物武将がキャラブレイクを起こしやすいこの動画においては珍しくまとも。 傲岸不遜な性格ながらもそれに見合った実力を持つ良将である。 上へ 董白 (トウハク) [部分編集] (?~192?)董卓の孫娘。父母は不明。董卓が権力を振るっていた頃に、成人していないのにもかかわらず領地を与えられたことが正史の註に記載されている。正史の記載は以上。董卓誅滅後、王允や呂布らに捕らえられ処断されたものと思われる。 貴重なロリ女性キャラとして「三国志大戦」で取り上げられ、ツンデレキャラとして人気。「おじい様に言いつけてやる!」「私のおもちゃにしてあげる!」というセリフにメロメロになる人も多数。 関連タグ: 【董白】 ニコニコ大百科: 『董白』 董白で世界を攻略する( 1 ) 【三国志11】 +主人公、董白軍君主。 主人公、董白軍君主 登録武将、初期配置は長安。三国志武将は大戦グラに差し替え。そのほか、アニメ・ゲーム等のキャラの登録もあり。1-2で紹介あり。漢中の西園寺世界と抗争する序盤?で更新中断。 紹介時 統率 77 武力 43 知力 72 政治 63 魅力 81 涼書董白伝 【三國志Ⅳ】 +主人公。紙芝居オンリー動画。 主人公。プレイを元にした、ゆるい雰囲気の紙芝居オンリー動画。 おじい様の扱いが酷く、無口っ子徐晃に嫉妬し、機嫌が悪ければ王允を殴る暴君。だがそれがいい。胸の話は禁句。自称「殴り系ヒロイン」。 統率 84 武力 35 知力 32 政治 85 魅力 92 上へ 杜預 (トヨ/ドヨ) [部分編集] (222~284)魏~晋の将軍・政治家・学者。字は元凱(ゲンガイ)。司馬昭の妹婿。蜀の攻略や辺境の平定に従軍。呉を滅ぼした戦いでの電撃作戦は「破竹の勢い」という故事成語の元になった。 文官の家の出身で、馬も弓射も不得手という戦略家タイプの将軍。政治家としては律令の制定に関わり、学者としては『春秋左氏伝』の研究に没頭した(左伝癖)。前述の故事より「破竹」の愛称で呼ばれる事もある。 余談だが、彼の子孫が「詩聖」杜甫である。唐代以前は曹植のモノだった「詩聖」の称号を、晋の臣である杜預の子孫が奪ったという歴史の妙がある。 三國志IX 統率 85 武力 66 知力 84 政治 81 三國志11 統率 85 武力 30 知力 85 政治 80 魅力 81 昂揚/槍兵A,弩兵S,兵器S,水軍S 関連タグ: 【杜預】 、 【破竹】 上へ いつの間にAAがw -- 名無しさん (2009-01-30 23 07 40) カオブレイクに不覚にも大爆笑・・・ -- 名無しさん (2010-10-21 21 32 53) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/654.html
チングン 列伝 魏の官僚。陳泰の父。祖父の陳寔(ちんしょく)、父の陳紀、叔父の陳諶はいずれも後漢の名臣。 【演義】 曹操臨終の際、曹洪、賈詡、司馬懿らと共に後事を託される。曹操が死ぬと献帝に譲位を迫った。曹丕の死後は司空となり、曹真、司馬懿と共に曹叡を補佐した。 【正史】 はじめ予州を支配した劉備に仕え、劉備が呂布に敗れた後は徐州に移る。呂布が敗死すると曹操に仕えた。曹丕が皇太子の頃、司馬懿、呉質、朱鑠(しゅしゃく)と共に学友となる。曹丕が皇帝になると「九品官人法」を献策。これが魏晋南北朝時代の任官制度の基礎となった。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 32 14 74 96 73 289 46 120 順位 554 615 149 3 163 340 583 563 偏差値 38.6 33.4 57.4 67.9 57.1 50.3 35.1 39.1 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 長い 長い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C C C C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 10 24 10 26 9 22 11 22 10 19 10 21 順位 615 551 616 556 616 562 615 556 615 561 617 561 偏差値 34.5 39.0 34.7 38.7 33.4 38.2 34.8 38.4 33.5 38.5 34.1 38.5 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 28 兗予 実績 中華統一 重視 2/5 3/5 2/3 167 186 235(69歳) 自然死 冷静 冷静 丁寧 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 陳羣 親愛 呉質、司馬懿、曹丕 呉質、司馬懿、曹丕 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● 1 陳羣 2 陳泰 イベント イベント名 内容 九品中正法 プレイヤー勢力全都市の治安、気力、配下忠誠が上昇 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 18歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 24歳 未発見 許昌 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 28歳 一般 小沛 劉備 96 右僕射 1000 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 34歳 一般 許昌 曹操 99 主簿 9000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 41歳 一般 鄴 曹操 99 大倉令 10000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 45歳 一般 許昌 曹操 99 大倉令 11000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 59歳 一般 洛陽 曹丕 99 光禄勲 33000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 99 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 32歳 一般 汝南 劉備 96 左僕射 3000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 37歳 一般 許昌 曹操 99 主簿 10000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 51歳 一般 許昌 曹操 99 秘書令 22000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 21歳 一般 許昌 荀彧 100 議郎 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 25歳 未発見 許昌 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 許昌 - - - 0 - - 曹丕の四友に数えられた魏の重鎮。 本作では、田豊と双璧をなす技能なしの高能力者である。 文官としては最高水準なので、能力研究では内政系の技能を養成してあげたいところ。 親友の曹丕・司馬懿が共に前線向きなので、「築城」を養成してみても面白いかもしれない。 -- (名無しさん) 2010-05-13 16 16 04 曹操との親愛設定は無いので捕虜にできれば登用は可能。 義理も何故か低めなので登用はさほど難しくないだろう。 S3では劉備軍にいるので、劉備軍でプレイするときは逃げられないよう気をつけたい。 貴重な内政要員に去られると後々きつい。 -- (名無しさん) 2011-04-21 21 12 07 なぜか特技がないww -- (名無しさん) 2011-06-26 08 30 22 ↑×3武力以外全パラメータで陳羣に勝ってる張昭涙目w長生きな上に登場時期も早いので貢献度は高い 内政系特技ならなんでも合うが、副将にするなら知力ブースターにはやや物足りない点に注意 明鏡を持たせるか、より高知力の武将と一緒に出陣させればその高い建設力で戦場でも活躍出来るだろう -- (名無しさん) 2011-06-26 09 04 46 リュウビで使用時は義理を100に保っていても 季節の変わり目に抜かれることがあるので 早めにビホウなど義理が低めの武将と義兄弟にしておきたい -- (名無しさん) 2011-10-29 16 41 23 郭嘉を嫌っているところは反映されてないね -- (関羽大好き) 2012-10-29 08 40 34 実は荀彧の義理の息子だったりする 義親子ともども内政に力を尽くすのが妥当である 運良く能吏が出たら付けるべきだと思うが… -- (名無しさん) 2013-02-20 20 00 24 能吏は運関係なく研究できるはずだが -- (名無しさん) 2013-02-20 21 07 59 そもそも知力は普通の文官止まりな陳羣に能吏は微妙な所。 政治90代の武将は希少でも知力70代の文官はゴロゴロいるのだから、 政治を活かす方法を考えたほうがいい。 -- (名無しさん) 2013-03-05 12 53 10 政治を活かす特技は築城くらいしか無いし、 内政に専念するなら能吏は悪くない選択だと思う。 -- (名無しさん) 2013-03-07 02 16 14 生産系の効率は知力準拠なのが惜しいのよね。付けるの彼でなくてもいいんじゃねってなりがち 開発と生産どっちでも優秀って、そのときどきで最優先の方を充実させられるから プレイしてると意外に便利だけども。内政向けなら開発で都市に駐留する期間が長いこと考慮して 収入系特技か仁政(能力研究で何かしらは出る)なんかいいんじゃないでしょうか -- (名無しさん) 2013-03-08 15 05 52 劉備勢力でプレイしていると能吏は一人は欲しいから良い選択だけれど 曹操勢力では鍾繇が居るから人世か米道もしくは廟で徴収をつけて大都市に駐屯させれば兵糧等は 心配なくなるからそっちの方が良いと思うが… でもイメージ的には能吏だよなぁ… -- (名無しさん) 2013-03-08 19 23 42 親愛に荀彧が無いだと… -- (名無しさん) 2014-04-27 00 39 16 普通に内政官だな。 戦闘に出せるほど知力が高いわけでもないし、他にほどほど武力の釣り要因はいるから築城もそっちに付けた方がいい。 -- (名無しさん) 2016-09-20 03 00 57 九品官人法なんていうチンカス悪法で政治力評価とか笑える -- (名無しさん) 2017-01-23 16 45 15 でも政治力を並にしたら、ただの二流文官でしかないから、しかも義理が低い。 -- (名無しさん) 2017-01-23 16 55 34 九品官人法、制度自体は悪いもんじゃない。ただ、用いる後世の連中が良くなかっただけだと思う。 -- (名無しさん) 2017-09-20 09 54 57 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2484.html
攻撃ヒットだのガードだのってのは何を意味してるんだ?その後の数字も含めてよくわからんのだが - 名無しさん 2011-10-01 09 08 01 一騎打ちでは相手の攻撃をモロに喰らうとき(ヒット)と受けるとき(ガード)がある。そのときに減らされる体力を初期値が100として表示…って感じじゃないの - 名無しさん 2011-10-01 12 26 02 そういうことです、少し言葉足らずでしたので書き加えました。 - 801 2011-10-01 13 11 03 今後も「作戦別の攻撃頻度の具体的な回数」「作戦別のガード・回避率」「武力差によるダメージの変動」などを検証し、書き加えていきたいと思いますので、どうか長い目で見守って下されば幸いです。 - 801 2011-10-01 13 15 43 うまくコメのリンクがはれてないぽい。あと、攻撃回数とかは乱数や彼我の武力差で全然違うのであんま意味ないかな。 - 名無しさん 2011-10-01 17 04 00 PCPK(Ver.1.1.1)で、武力98体力100同士、アイテム:こちら剣&長柄、相手なし、この状態で1撃負けを確認。相手は趙雲でした。 - 名無しさん 2011-10-03 14 54 36 趙雲も少しではありますが補正があるようです。恐らくそれが原因かと。 - 801 2011-10-09 22 43 29 ここの検証してる人と武力差別ダメージ表の人は同じ人かな?武力差別ダメージ表にコメントができないんだけど - 名無しさん 2011-10-03 18 47 10 叩かれたからコメ消したんだろうね - 名無しさん 2011-10-03 19 44 09 はい、同じです。武力差別ダメージ表はまず表が埋まるまで茶々を入れて欲しくなかったので、コメント欄を消しましたが、ここに来て大きなミステイクを犯してしまったのでページごと削除させて頂きます。ご閲覧頂いた方々に多大な勘違いをさせてしまった事をお詫び致します。 - 801 2011-10-03 20 39 30 表が埋まるまで茶々を入れて欲しくなかったって、凄い自己満足だな。だったら表が埋まってから載せれば良かったのに。 - 名無しさん 2011-10-04 09 33 35 茶々というよりは結構的を射たコメントだったしな - 名無しさん 2011-10-04 15 42 04 別に的を射てなかったよ、そもそも攻略wikiはwikiに居着いてる住人の要求を満たすものじゃなくてより正確な情報を書き込むものなんだから、まー武力差表は情報自体が間違いだったわけだが。少なくともアレのコメント欄の「自分が利用しないから書くな」ってのは間違ってる。それなら内政ページの『内政期間について』も、「こんなに細かいこと考えて施設建てる奴はいねえからこんな自己満足な表を書くな」と言ってるようなもんだろ - 名無しさん 2011-10-04 17 01 26 ↑内政と運任せの一騎打ち比べてどうする?確かに正確な情報“だけ”なら文句は言わないさ。でも、彼のやってる事は私物化も甚だしい。wikiは検証作業を書く所じゃなく、結果のみをのせる場所だろ。 - 名無しさん 2011-10-04 22 13 18 検証作業を書くくらい別にいいだろ。実際彼が検証したから新事実が次々と出てきたんだし、それに彼は武力差別表みたいに間違いがあればちゃんと消してるし。検証と平行してwiki更新してるのが「私物化でダメだ」って言うなら『支援攻撃』のページも否定しなきゃいけないことになる。あんたみたいに「自分たちの古い常識が壊れるのが嫌で」新しい情報を書く人間を叩く奴が居座られると、誰も怖がって新情報を書いてくれなくなるんだよ。 - 名無しさん 2011-10-05 01 29 54 だから、頑張って素晴らしい事を発見しても、君らのやり方のマズさ、常識のなさが台無しにしてると忠告してるんですよ董卓様?支援のとこだってログとかいらんし。てか、ひょっとしてあれ書いたのも同じ人? - 名無しさん 2011-10-05 07 21 43 「自分たちの古い常識が壊れるのが嫌で」って…、論理が飛躍しすぎだろ。誰もそんなこと言ってない。 - 名無しさん 2011-10-05 07 34 58 まあ「使わないから書くな」は暴論だと思うけど、方針や武器によるダメージの上昇とかはともかく、武力差別のダメージ表なんかは正直有用性に疑問が残る。それを自己満足って言う奴の気持ちも分かるし、あまり意味のない情報は自分のブログとかでやるべきでwikiでやるべきではないと思う。(何でも好き勝手に書いたことで前にプレイ日記が荒れたこともあったしね。)一番まずかったのはダメージ表が何の役に立つのかに疑問を呈したコメントを何も回答せず消したことだな。自分は好きに書くのに、そこへの批判意見は書けないなんてのは、ある種公共の場であるwikiでフェアじゃないだろ。私物化と言われても仕方ない。 - 名無しさん 2011-10-05 09 36 05 ほんと、作戦や必殺の項は結構参考になること書いてあると思う。なんつーか、程よいやり方っていうのが出来るようになればなと思う。色々惜しい - 名無しさん 2011-10-05 10 43 59 武力差別ダメージ表に大きなミスがあったので消させて頂きました。それは同じ武力差5でも100対95と80対75では変動するダメージの数値が違うことが判明したからです。こうなると、とてつもない量のサンプルを検証せねばならず(100対60までがこうならば1対41までや80対40まではどうなのか?と)、とても検証しきれるものでは無いと判断したためです。お騒がせして申し訳ありませんでした。 - 801 2011-10-03 21 08 25 高武力帯は1の差が多きくなってるのは、シリーズのお約束。 - 名無しさん 2011-10-03 23 28 57 正直あそこまで細かい検証は有用性に欠けるから今後は遠慮してほしいところ - 名無しさん 2011-10-04 00 41 44 長柄の武器のダメージUP量を検証したので、新たに書き加えさせて頂きました。それと細かい語弊などを修正させて頂きました。 - 801 2011-10-04 06 01 04 防御重視クリティカルが必殺系には無効だと判明したので書き換えました。 - 801 2011-10-05 04 00 05 いい加減鬱陶しい - 名無しさん 2011-10-05 18 37 31 どんなコメントが消されたのかが気になるところ。消した方は検証を続ける前にまずそのコメントを復旧させるべきでは?荒れる原因にもなってるみたいだし、逆にこの一騎打 - 名無しさん 2011-10-06 01 54 38 …続き。逆にこの一騎討ちのページごと削除されるようなことはされたくないでしょう?共通のスペースて認識がないならだれかが言ってるように自身のブログででもやればよし。 - 名無しさん 2011-10-06 01 57 33 もうそのページ自体も消えてるから許してやれよ。コメントだけなら履歴から見れる。 - 名無しさん 2011-10-06 02 00 19 検証で一騎討ち補正がある武将を確認したので載せてみました。 - 801 2011-10-09 22 45 09 マジで補正あったのか、まさか年齢補正まであるとは…。そうなると黄忠以外の五虎将や呂布に年齢補正には年齢補正がないのかが気になるな。何はともあれ検証ご苦労様です。 - 名無しさん 2011-10-09 22 53 06 誤字失礼。×呂布に年齢補正には年齢補正がないのか~、○呂布に年齢補正がないのか~ - 名無しさん 2011-10-09 22 56 01 「防御重視クリティカルは必殺系には無効でダメージも軽減されない」とあるけど、防御重視クリティカル中は防御力上昇効果がなくなるの? - 名無しさん 2011-10-10 11 33 00 別に無くなりませんよ。防御重視クリティカルが発動してる時は堅守を使った時と同じように武将が赤く光るでしょう?だから堅守と同じように防御力も上がってるんじゃないかと誤解してる人も多いと思いまして(私も含めて)。そこの書き込みはこちらで修正致します。 - 801 2011-10-10 12 00 08 初級でのダメージ補正について書き加えました。 - 801 2011-10-11 23 16 08 もういいよ - 名無しさん 2011-11-19 13 09 17 批判文句ばかりで何もしない共産党みたいな奴は消えろよ。 - 名無しさん 2011-12-24 22 41 08 うへぇ。暫く来なかったら検証が超進んでてびっくりしたw うさみみでも使ったのだろうか・・・。 - 名無しさん 2012-02-23 22 33 51 一騎討ちで敵将死んじまった こんなことあるのか - 名無しさん 2012-04-15 03 37 56 関羽の場合、許褚と黄忠は一撃必殺できない - 実直 2012-11-23 18 49 23 一騎打ち副将孔明死んじゃった… 問答無用過ぎるだろう騎兵一騎 - 名無しさん 2012-04-19 14 50 08 今更だが弓矢さえあれば大抵勝てる仕様なのはどうかと思う - 名無しさん 2012-11-07 06 10 27 武力100体力100の敵に武力100体力100の武将で挑んで2回とも1撃粉砕されました。多分相手が呂布だったからか? - 名無しさん 2013-01-12 19 14 56 もし一閃された後同じデータをロードしてやり直したんなら2回目は単に乱数が同じだったからだと思われる - 名無しさん 2013-01-12 20 27 06 CS版マルチプレイだと一騎打ちはどうなりますか? - 名無しさん 2013-03-04 16 55 40 両方操作できる - 名無しさん 2013-03-04 18 06 00 弓アイテムを持ってるとそれで一撃必殺もありますね - 麻衣子 2014-02-20 11 48 37 気合発動しているときに、必殺技したら、威力上がりますか? - 孫権もどき 2015-02-27 20 49 50 上がるよ~。武力差0の場合21から26に上がるらしいから、気合発動したあとにゲージ貯めて必殺技3回攻撃したら78にもなるから、これで大半の武将は倒せるでしょ。 - 名無しさん 2015-02-27 23 26 26 10未満の武力差でも一撃死ありそうじゃない?呂蒙と祝融に切られた - 名無しさん 2015-04-04 22 11 11 体力100の状態なのにお陸遜(武力81)が張任(武力86)に一撃でやられたy - 名無しさん 2015-09-10 12 20 10 騎兵一騎の確率ってどのくらいですか?呂布、陳宮、呂玲碕の騎兵で、n - 孫権もどき 2015-10-09 18 36 16 ↑間違い。騎兵一騎の確立ってどのくらいですか? - 孫権もどき 2015-10-09 18 38 17 ↑また間違い。騎兵一騎の確率ってどのくらいですか?呂布、陳宮、呂玲碕の騎兵で、二回連続で一騎になったんですけど、こんなことあります?(当然ですが、どちらも一閃でした(^-^)。 - 孫権もどき 2015-10-09 18 45 17 呂布は本人と赤兎馬に補正が効いてそう - 名無しさん 2016-01-07 16 49 33 武力79にした曹性と武力81のオリジナル武将で一騎討ちさせたら、一閃された…。武力差はわずかでも起こる模様 - 名無しさん 2016-03-02 00 27 42 副将が助けにきてくれないんですが、武力49以下でも助けにきてくれるようにできませんかね? - 名無しさん 2016-06-17 07 24 30 副将が助けに来るのは相性や信愛などが関係していそうで、早さも違うよ。 - 名無しさん 2016-06-21 07 25 03 親愛だろうが義兄弟だろうが、武力50以上じゃないと絶対助けにはこない - 名無しさん 2016-06-21 11 20 18 え?PCPKだからか、相性がよければいつも参加してくるよ。 - 名無しさん 2016-06-23 21 59 44 プレステ2版だと武力50以上が助太刀の条件 - 名無しさん 2016-06-24 05 50 19 武力89で90に挑んだら一閃された。だれだよ武力差10以上とか昔言ってたやつw - 名無しさん 2016-07-31 00 44 33 体力が減ってると(負傷なしでも)武力差あんまりなくても一撃くらうことがあるよ。武力下のやつからはくらったことないが、それも実はあるのかも?この辺の補正ってどっか検証してるところないのかな。 - 名無しさん 2016-08-01 01 26 11 いやそれがさ、どっちも体力満タンだったのよ。びっくりしたわ、重要な場面だったのにさぁ武力差1で一閃は勘弁だわ - 名無しさん 2016-08-01 01 51 44 俺も86まで育成した劉封が夏候惇に一撃くらったことがあるのよね(CSPK)。一撃に関しては色々まだわかってないことがありそうだね。 - 名無しさん 2016-08-01 12 52 14 武力82と武力79 体力満タンでも一閃確認。ほんとどうなってるんだろう - 名無しさん 2017-07-11 16 35 53 武力23とかの奴らがしゃしゃり出てきて瞬殺されたwwww - 名無しさん 2017-08-10 17 35 14 同じ武力で一閃されたんですが・・・ - 名無しさん 2017-09-09 13 53 47 呂布の娘が顔良に一閃…育てて武力差1低いだったのに。死なんかっただけましか - 名無しさん (2018-03-29 15 55 51) 夏候淵と張寮の一騎打ちが発生、何故か荀彧が助けに参戦!ちょっ!?おまっ!?と叫ぶまもなく一合で負けて敗北orz - 名無しさん (2018-08-07 01 40 23) 最近プレイしてたら周泰VS呂布の一騎討ちが発生。 - 名無しさん (2018-08-09 18 48 23) 魯粛が助太刀に入ってきて呂布に一刀のもとに斬り捨てられてワロタ - 名無しさん (2018-08-09 18 51 24) ドキッ☆雑魚船 - 名無しさん (2018-09-18 02 13 48) 気合と堅守の併用はできる? - 名無しさん (2019-06-29 12 00 32) 武力100の夏侯淵で呂布に一騎打ちを仕掛けたのですが一閃されました。 - 名無しさん (2019-09-08 21 40 34) 武力100vs武力100(どっちも体力100)でも先制弓矢で打ち取るの発生しました - 名無しさん (2019-11-25 00 36 46) これ思うんだけど、気合やってるひまに必殺技2回使ったほうがいいんじゃない? - 名無しさん (2020-02-23 12 31 58) 久々にページを更新しました(私のこと憶えてる人いるかな?)主に武力差によってガードと回避が発生しやすい、気合と堅守が併用できる、武力差にあまり差がないなら敵の体力が6割の時に必殺3連発で決着が着く、などです。 - 801 (2024-04-24 23 44 08)
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2411.html
<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで7年の間に殺した武将は60人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横、朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿、陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀 (指名手配) 何晏、王韜 もし、みなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っていたらごめんなさい。また、これからさらに増えていくかもしれませんが、ご諒解くださってお付き合い頂ければありがたくおもいます。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白/成公英、陸凱、楼玄、丁儀/張球、張承、胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、馬邈、韓忠、張燕、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 第2部 「中原に鹿を逐う」 第4回 前回は「この際プライドは抜きだ」と董卓忠臣七将(李、郭、華、徐、樊、胡、李粛)ら以外を部隊主将に使ってしまったので、今回はできるだけ自重していきたいと思います。 長安城にて・・・ 董卓「皆の者、ご苦労であった。ようやく我らはここ長安にて献帝を擁立し奉ることができた。わしも漢朝の臣(パラでは漢室普通)であるからには、漢の威光(わしの威光)を天下に示さねばならん」 李郭華徐樊「ははーっ」 董卓「だが、外に威光を示すにはまず内が確かでなくてはならん。胡軫、樊稠、牛輔の先日の失態はどういうことだ。司馬懿一部隊にいいようにされ、一度取った長安を失うとは何事であるか」 胡軫「はっ、畏れながら申し上げます。叛将の閻行についてはともかくも、我らは司馬懿隊を壊滅させ、司馬懿にも重傷を負わせましたがあと一歩のところで逃げられたのでございます」 樊稠「左様にござります」 牛輔「おう」 董卓「あと一歩で逃げられたら何も変わらないではないか。そんなことだからお主は統率が70(育成しました)しかないのだ」 胡軫「ははっ・・・(くっそ、我らは司馬懿には勝ち、後詰にやられただけだというに・・・)」 董卓「もうよい、それより李儒よ、今後はいかがいたすのじゃ」 李儒「は。ではまず全体を概観していきましょう。」 董卓「ふむ、申せ」 李儒「はい。まず司馬懿軍は洛陽と宛をもち、当面の敵となります。その先には曹操軍が陳留、許昌、汝南、寿春を支配しております。さらに東は呂布軍が小沛、下邳、北海、濮陽を支配しております。河北は鄴を袁紹軍が維持するのみで、あとはすべて公孫瓚の支配下です。一方で南は劉備軍が新野、江夏、襄陽、江陵、永安をもつ大勢力となっており、荊南は意外にも金旋軍が制覇いたしました。揚州は江南3都市を王朗が支配しており、他は廬江を袁術が、柴桑を孫堅が保つのみです。また益州ですが、南の2都市を孟獲軍が、江州と成都を鄧艾軍が支配しており、我が軍と同盟中の鍾会軍は梓潼のみで、鄧艾軍に押され気味のようです」 董卓「ほう、鍾会が倒れたら困るのではないか。唇やぶれて歯さむしと言うぞ」 徐栄「それでは、それがしが長駆して救援に向かいましょうか」 李儒「いえ、よいのです。鍾会は我らとも相性が近く、さらに鄧艾を嫌悪しております。また鄧艾軍も相性的に同盟できぬ相手ではありません」 李郭華樊「ど、どういうことだってばよ・・・」 李儒「つまり静観した後に鍾会軍の将を加えつつ、鄧艾軍と同盟すればよいのです。鄧艾軍も周囲の劉備や孟獲とは敵ですから、その上に我らまでは相手にしたくないでしょう」 董卓「なるほど、妙案じゃのう。ではそういたそう」 李儒「我が軍はまず洛陽を制し、力を蓄え、それをもって中原と河北を制覇しましょう」 董卓「うむ、中原や河北は騎馬が思う様に使えるしのう。まずは司馬懿軍の相手からじゃな」 李儒「ですがその前に長安の内政や軍備でございます(チラッチラッ」 李郭華徐樊「ビクッ・・・・ドドドド、ズキュゥーン!」 李儒「フフフ、ではまいりましょう。・・・あ、胡軫殿は新入りの方々に城内の案内でもしてあげてくだされ」 胡軫「わ、わかりました・・・・(くやしいっ、でも従っちゃうビクンビクン)」 というやり取りがあったと思うので、今回の我が軍は「内政」、「司馬懿軍撃破」、「中原進出」を目標にしていきます。 257年1月 我らが董卓軍は長安および上庸でしっかりと腰を据え、内政に取り掛かった。 さらに盛んに能力研究や武将育成も行って、董卓様の愛臣たちを育成していた。 賈詡が加わったとはいえ、開発に時間がかかることはいまさら言うまでもない。 また、上のようなやり取りがあったせいか、途中で上庸の胡軫らの忠誠がかなり下がっていた。流言をやられたのだろうが、1月と7月にしか褒賞はできないので彼らを信じて我慢する。 ところで、今までプレイヤーは弩兵軍団が最強だと思っていた。反撃もなく、火矢の追加ダメージ、補佐の発動などの点で優れているからである。 しかし今回の集団騎馬戦法もなかなか圧巻の攻撃力をもつことに気付いた。 騎兵という元々の攻撃力の高い兵科で突撃を繰り返して戦死や一騎打ちを狙いつつ、敵を兵器などの本隊から引き剥がすことができ、高い移動力と合わせて非常にスムーズな侵攻ができるからだ。 そして太鼓台の有用性にも改めて気づかされた。 今までは軍楽台を優先的に建てていたが、今回のプレイで騎兵と太鼓台の相性の良さにとても驚かされた。 逆に騎兵の防御力の低さにも気付いた。 これはまぁ愛用している武将たちのせいという理由もあるかもしれないが、相手の戦法を受けた時のダメージが意外と馬鹿にならない。 突撃という戦法の都合上、毎回どうしても相手と隣接することになるためでもあるだろう。 さて、こんなことを考えながら257年は内政と軍備に追われて暮れていった。 時たまの上庸への劉備軍からの小勢の相手以外は全く兵事がなかった。 この間に捕虜の桓範と蘇飛、在野の黄巾将韓忠、馬邈、そして楼玄からの推挙により「屯田」もちの国淵を登用することに成功していた。 こうして董卓軍の将は38人となった。 安定城は「威圧」をつけた邵悌に任せ、天水は張承、武威は董白ちゃんに守らせている。 漢中は閻圃と馬邈をおき、彼らが後方で輸送と治安を担当する。 上庸には徐栄、李傕、郭汜、李儒、胡軫など忠臣、いや中心メンバーがいるが今回は留守番。 華雄や張繍、賈詡といった面々が兵力11万となった長安で出撃命令を待っていた。 258年1月 出撃準備は整ったが、技巧ポイントが5000たまったので、先に技巧研究で精鋭騎兵を開発してから出撃することにした。 期間は90日であるので、4月まで出撃を待つ必要があった。 4月。いよいよ出撃である。 最初の目標、潼関は名将と名高い羊祜が7000の兵を率いて守っていた。 長安から董旻の井闌隊が出るも攻撃位置までわずかに届かないので、しっかりと護衛の騎馬隊をつける。 華雄+李粛(明鏡) 8000騎、樊稠+国淵 7000騎、張繍+徐質(猛者) 7000騎で董旻+丁儀の井闌隊7000を守らせつつ、関の前に太鼓台を建てる。 そこへ羊祜配下の驍将張燕が騎兵3500で突っ込んできた。 ここに第3次対司馬懿戦の幕が切って落とされた。 こちらの一番手は張繍である。彼の突撃と共に太鼓が鳴り響く。 徐質「敵将みつけたぞ、逃げるなかれ。勝負だ」 張燕「おう、こわっぱが。張飛燕といわれるわしの槍をうけてみろ」 両将の武力はほぼ互角なので非常に良い一騎打ちとなった。 だがしかし、互いのゲージが4分の1くらいになったとき颯爽とあの男が現れる。 張繍「徐質殿、ここはそれがしにお任せあれ」 張燕もさすがに二人目は相手にしきれず、張繍に捕獲されてしまう。かっこいいです張繍さん。 捕らえた張燕は相性が8なので捕虜にする。 はじめから潼関に7000で羊祜が籠っていたら苦戦したであろうが、今は3500に減っている。 董旻隊の攻撃によって被害を受け、羊将軍の奮闘もむなしく潼関は落ち、羊祜は歩隲に守られて洛陽へ落ちて行った。 次なる障害は孟嘗君で有名な函谷関である。 ここは董卓様と因縁深いあの男が守っていた。そう、ご存知、王允である。 どうやら何進軍滅亡時に関の守将で外におり、捕獲されずそのまま司馬懿軍に身を寄せていたようだ。 だが函谷関の守兵はたった3000で4隊の攻撃により1ターンで落ちてしまう。王允は捕らえられ斬られてしまった。 董卓軍はあっけなく武関、函谷関を抜いた。 函谷関と洛陽の間には陣が二つ防衛線のように並んで建っており、洛陽城には40000の兵がいる。 激しい戦闘が予想されるので、こちらも長安から本隊を繰り出す。 董卓+張球 12000騎、于禁 6000騎、賈詡+胡車児 6000騎、張済+楼玄 6000騎、李通 6000騎、張衛+桓範 6000騎 という大騎馬軍団が先鋒の4隊に加わって函谷関を越える。 洛陽からももちろん迎撃があり、大乱戦となった。 そう、狭い土地に密集せざるをえない我が軍に敵は火球をうってきたのだ。 これによってあたり一面は火の海となったが、こちらも負けじと突撃を敢行した。火と騎馬が揃う戦場は戦死日和である。 258年6月 敵は4000~6000の部隊がいくつも出てきていた。炎の中で両軍がぶつかる。 突撃を開始して2ターン目、最初に戦死したのは敵将の陳到であった。彼は火で負傷していたところに華雄将軍の突撃を受けて死んだ。 次に死んだのは毌丘倹で、彼は猛者の効果で負傷していたところに火が重なって死んだ。 緒戦で2将を失った司馬懿軍では、陳到隊は副将の袁遺が引き継ぎ、毌丘倹隊は顧譚が引き継ぐ。 が、やがて両隊とも壊滅して共に捕獲され、斬られた。 こちらは逆に7月前で忠誠が下がっていた丁儀を司馬懿軍に引き抜かれてしまった。丁儀のバカめ。彼もリスト入りである。 董卓軍は騎馬で押しに押しまくったが、司馬懿本隊と司馬攸隊が強かった。狭くて一斉が使えないので、突撃と騎射でちまちま削って倒した。 結構な被害を受けつつも洛陽城に取りつき、ようやく10月に陥落させた。 この時ふと気づいたことがある。洛陽は賈詡でとどめをさしたのだが、内政施設が今までで一番残ったのだ。 ここまで政治の低い武将たちで城を取っていたので違いに気付かなかったが、奪取後に残る内政施設数は武将の政治力と関係あるのだろうか。 さて、処断タイムである。落城時は10人以上いたはずだが全ては捕らえられなかったようだ。司馬懿や羊祜などを逃がしている。 捕獲したのは以下の通り。 歩隲、臧覇、何晏、司馬攸、司馬炎、諸葛誕、蔡琰 登用に応じたのは臧覇だけで、相性から歩隲、諸葛誕、蔡琰の3人を捕虜にする。先に捕らえていた張燕は戦闘の間に既に登用していた。 そして、いよいよその時が来た。ずっと狙っていた裏切り者の何晏である。彼に対してだけは気持ちよく一番右の処断ボタンを押せた。 また司馬攸と司馬炎も斬った。 司馬懿軍は宛を残すのみとなり、董卓様はさらに官爵が進むことに期待しつつ、この年は暮れていった。 259年1月 はっきり言ってこの年には書くことがほとんどない。なぜなら洛陽の内政しかしていないからだ。 敢えて言えば1月に張魯が遺跡を見つけ、李傕の騎兵適性をSにしたことと、3月にも張魯が廟を見つけて、胡軫に「疾走」をつけられたこと、捕虜を登用したことの3つくらいである。 だがこの間に上庸で劉備軍の主力部隊との戦いがあったので一応書いておく。 攻めてきたのは、 劉備隊弩兵11000と趙雲隊騎兵6000、関羽隊槍兵6000、関興隊戟兵6000、王平隊衝車6000 という主力でそれぞれ副将が1~2名ついていた。なんと今回は宛を通って陸路でやってきたのだ。 迎撃に出たのは李儒、李傕、郭汜、徐栄、胡軫である。最初は負けると思っていたが、火球と太鼓台と「疾走」を用いて対抗した。 それでも各部隊共に兵を半分以上失い、李傕と李儒が関羽隊に捕らえられるという事態にまでなったがなんとか撃破できた。 「疾走」+「猛者」の胡軫+楊昂のおかげだった。王平隊にいた左奕という武将を捕獲し、登用した。 また、柴桑の孫堅軍が劉備軍に滅ぼされていた。西の鍾会軍はまだなんとか存続しているようだ。 董卓軍の洛陽ではまるまる1年以上かかって内政と軍備が終わり、次の宛攻略に向けて動き出した。 260年1月 先ごろの戦で李傕と李儒は関羽からの一騎打ちの申し出を(なぜか)受け、負けて捕まったが、胡軫の活躍もあり、解放された。 その二人がほうほうの体で洛陽に戻ってきた。配下にやさしい董卓様は二人に名誉挽回の機会を与えた。 董卓「貴様ら、何をやっておるか。勝てない一騎打ちを受け、しかも一撃で負けるとは」 李傕「ははっー、面目ございません、董卓様」 董卓「李儒のおらぬ間、いろいろと困ったので軍師は賈詡に任せてしまったぞ」 李儒「ははっ・・・(ぐぬぬぬ・・・今に見ておれ)」 董卓「まあよい、二人とも官職は元の通りにいたすが、その前に命令を下す」 李儒「なんでございましょう」 董卓「賈詡よ」 賈詡「は。お二人にはただちに洛陽から武関に出て、宛を目指して出撃していただきます」 李儒「ほう、なるほど、誘引のはかりごとですな」 董卓「さよう。おぬしらが敵を誘っている間に上庸の部隊で電撃的に宛を落とすのだ」 李傕「はは。かしこまってございます」 李儒「ですが、我ら二人では・・・」 董卓「わかっておる。暇そうな奴をつけるから安心せい」 李儒「ありがとうございます・・・(また脳筋の大将か・・・)、では行ってまいります」 というわけで、武関から侵攻し、宛へ「釣り」を仕掛けることにした。 3月、李傕+李儒8000騎、樊稠+国淵7000騎、賈詡+胡車児6000騎で武関を取り、そのまま宛に侵攻する。 宛には40000がいて、大軍が迎撃に出てくる。 司馬懿隊を筆頭に、太史慈隊、張梁隊、呂虔隊、楊済隊などである。こちらの3隊は宛の北の細長い森に入り敵をおびき寄せる。 同時に、既に上庸から出撃して待機していた郭汜の木獣隊、徐栄や胡軫の騎兵が境を越え、宛城に襲い掛かった。 敵も気づき反転する。しかし誘引部隊は追撃しようにも目の前に太史慈隊と張梁隊の槍兵部隊がいて、地形も森のため突破できない。 それでも徐栄隊が楊済隊を撃破し、主将の楊済を斬った。 同じころ、洛陽には陳留の曹操軍30000が攻めてきていた。軍容はというと、 夏侯淵隊 騎兵7000、程昱隊 戟兵6000、典韋隊 槍兵6000、許褚隊 槍兵6000、曹洪隊 弩兵6000 という精鋭で、こちらも洛陽を落とした主力で迎撃した。 それでも向こうの方が主将の質はやや上なので董卓軍にもそれなりの被害が出て、軍備を改めて行う必要が出てしまった。 洛陽の東は我が軍にはやや戦いにくい場所だったことも大きい。 この戦いでは程昱、その副将の夏侯威、典韋の3将を捕らえ、処断した。 宛攻めに話を戻す。 6月終わり。城に取りついた郭汜らがもりもりと耐久を削っていく。 そしてついに我が軍は宛城を落とし、ここに司馬懿軍は滅亡した。城内の将はことごとく捕らえられ、引き出された。 ちなみにとどめは胡軫がさしたが、残った内政施設は1つであった・・・orz さて、恒例となりつつある処断の時間である。捕獲された司馬懿軍の武将は以下の通り。 司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、崔林、董昭、夏侯玄、王祥、王惇、何植、劉辟、そして王韜、丁儀 今回は誰も登用に応じてくれなかったので、3人を選んで捕虜にすることにした。 良将が多いのでとても悩む。相性の数値から崔林、董昭、夏侯玄を捕虜とした。 なので司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟を斬り、裏切り者の王韜と丁儀も処断した。 また、司馬懿軍は滅亡時に出陣武将が6名いた。張梁、杜預、賈充、太史慈、太史享、温恢である。このうち温恢、太史慈、太史享、賈充らは領内にいたので、攻略後、先ほどの捕虜の3名と合わせてすぐに登用した。 強制的に在野になった司馬懿軍の武将を登用できてちょっとずるい気もするが、今回は内政官をたくさん登用することができたので、今後の宛の内政は早く整備できるだろう。 董卓様は五官中郎将となり、西の覇者として天下に威光を示すこととなった。 今回の犠牲者 29人 合計89人 王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀 指名手配 0人 (何晏、王韜、丁儀ともに処断済み) 加入武将 17人 桓範、蘇飛、国淵、馬邈、韓忠、張燕、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 第5回 前回、外様武将の起用は自重したいとか言っておいて結局ほとんど変わりませんでした(汗。 すみません。どうしても騎馬Aもちの戦力が足りないのです。 しかし董卓譜代の武将は愛用しているので無事成長中です。 洛陽にて・・・ 董卓「ふうむ・・・」 賈詡「おや、いかがなされました、董卓様」 董卓「おう、賈詡か。いやな、だいぶ我が軍の武将も増えてきたから忠誠維持や配置が面倒でな」 賈詡「なるほど。しかしこれから支配都市が増えることを考えると頭数は必要でございます」 董卓「うむ、そこでじゃ。これからは攻め取った城はできるだけ内政をしない方向でいく」 李郭樊「おおっ・・・(ザワザワ)」 董卓「必要な場合を除いて人をおかず、進軍の駐屯地としてのみ使うのじゃ」 賈詡「それなら今くらいの頭数でも足りましょうが、出陣中の守りはどうするのです」 董卓「うむ、そこには守りの将兵もおかず、空城にしてしまうつもりじゃ」 賈詡「すると敵軍が城を簡単にとってしまいますぞ」 董卓「だがな、すると敵はいちいち城に武将を入れて開発しようとするじゃろう」 賈詡「なるほど、そこを一網打尽にして敵軍を弱体化させてしまうのですな」 董卓「さよう。1度の出撃で2城を落とし、2倍の武将を捕らえることができよう」 華雄「おお、戦まつりでございますな。さすが董卓様」 董卓「そうじゃ、戦まつりの捕獲まつりじゃ」 賈詡「ですが、人員については後方都市の治安維持要員と水軍要員は今より数が必要でございます」 董卓「そうか、わかった。ではもう少しだけ登用する必要がありそうじゃな」 賈詡「また、金や兵糧の生産、輸送を考えると宛は開発する必要がありましょう」 董卓「そうじゃな、南は宛と襄陽くらいは内政が必要そうじゃな」 賈詡「では参りましょう・・・(おや、李儒殿がいないな)」 そのころ李儒は上庸近くの港から漢水の流れを睨んでいた・・・ 李儒「ううむ、おのれ賈詡め。いまに見ておれ・・・」 胡軫「おやおやおや、これはこれは前の軍師の李儒殿ではありませんか。こんな所でどうなされた」 李儒「こ、胡軫殿か・・・(くそ、こいつめ・・・)、わしは殿から上庸の守りを承っておるのだ」 胡軫「左様でしたか。まあ港を劉備軍と交代で出たり入ったりするだけの簡単なお仕事ですしな」 李儒「くっ、貴殿こそ最近はどうしておるのだ」 胡軫「私ですか。私は先ごろ董卓様に疾走を付けて頂いたのでその試し走りににきているだけですよ」 李儒「さ、左様か(疾走とはなんと良い特技を・・・)」 胡軫「では私は新野攻めの準備で忙しいのでこれで失礼する」 李儒「くっ、くぅ・・・私だって徴収という珍技を、って上庸じゃ意味ないか・・・」 というやり取りがあったので、これからは「内政を控えめにする」ことと「登用は相性だけでなく、慎重に」決めることにします。 そして「遠征して、連戦」していくことにします。 261年1月 さて、だまして悪いが、この年もほとんど書くことはない。 宛の内政と軍備、数人の武将の登用、上庸で劉備軍とかるく攻防戦をして敵将関彝を討ち取ったくらいだ。 新たに登用した武将は在野にいた張梁、杜預、楊阜という良将3名と「運搬」もちの孫仲、鄧茂、韓徳の3人、さらになぜか適性がオールAになってる張闓である。今回と前回で登用した武将の質は良いと言えるだろう。 今更気付いたが、董卓の相性1の周辺にはろくな武将がいない。特に政治の高い武将がいないので本来は魏や呉の武将を使うしかない。 けれど王韜や丁儀の二の舞はしたくないので考えて登用しないといけない。 262年1月 内政もひと段落つき、有能で信頼のおける武将を獲得した董卓軍は再び侵攻を開始した。 第一目標は陳留である。洛陽から次々と出撃し、井闌部隊は虎牢関から出撃させる。 こちらは毎度のことであるが騎馬で、軍容は、 先鋒 張繍+徐質+鄒氏9000騎、華雄+李粛10000騎、太史慈+太史享(連戦)+桓範8000騎 本隊 董卓+張球12000騎、董旻+歩隲 井闌9000、張燕+国淵8000騎、張済+蔡琰8000騎 後詰 于禁7000騎、成公英+馬邈(待伏)6000騎 (この後詰については後述) というもので先鋒3隊は騎馬適性がSである。 陳留城は曹操の股肱の臣夏侯淵が20000ほどで守っている。その夏侯淵を筆頭に迎撃軍が出てくる。 夏侯淵 騎兵、郭淮 弩兵、楽進 槍兵、李典 戟兵などがでてくる。 郭淮隊と楽進隊の副将には「言毒」もちの橋瑁と陳珪がおり、結構手間取ってしまった。 敵部隊はなかなかの精鋭なのでこちらも被害をうけつつ突撃で迎撃軍を蹴散らした。 夏侯淵と副将の夏侯恩を斬り、郭淮、楽進、李典の3将を捕虜にする。 そのまま曹洪の守る陳留の城を落とし、籠城していた武将たちを捕らえた。 曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪を引き出して斬った。 本当はもっと武将がいたのだが捕まらず、逃げられてしまったのだ。 董卓軍本隊が陳留城を攻めていた頃、第2師団とも言える宛城の徐栄率いる軍団は新野攻めを開始していた。 劉備軍の新野城は老将黄忠が45000で守っていて、宛も先ごろの戦いの損耗を補充して60000である。 このうち6000を留守に残して全7部隊で出撃した。 先鋒 胡軫(疾走)+費耀(猛者)8000騎、樊稠+左奕(連戦)+温恢8000騎、張梁+賈充6000騎(←反則か) 本隊 徐栄+楊昂(猛者)+陸凱9000騎、郭汜+楊阜 木獣8000、李傕+韓徳+杜預9000騎 後詰 賈詡+張闓 6000騎 という軍勢で、留守は臧覇に任せた。 劉備軍迎撃隊とはいわゆる博望坡での戦いになった。 黄忠の弓兵、徐庶の槍兵、劉封の槍兵、鮑三娘の騎兵、呉蘭の戟兵、雷銅の戟兵などの35000と正面からぶつかる。 博望坡は森が多く突撃が使えないので先鋒部隊はじりじりと宛領の平地まで下がって戦った。 このため緒戦で結構な被害を受け、黄忠や劉封の戦法に苦しんだ。 しかし新参の張梁隊が必殺の「妖術」を放ち、そこからの「猛者」突撃で一方的に敵部隊を撃破していった。 あわれ劉備軍はこの戦いで鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭の4将を失い、副将の朱異と毌丘秀が捕虜になった。 ほうほうの体で逃げ帰った黄忠らも必死の抵抗をするが新野城はあっけなく郭汜隊によって落とされた。 新野で捕らえたのは劉封、劉琦、鄧芝、陳震、謝旌、留賛で、謝旌と留賛を一発で登用できた。 なお、先に捕らえていた朱異と毌丘秀も少しして登用できた。 ちなみに陳留で捕らえた曹軍3将は速攻で逃亡していた。守将を置かないと逃げやすいのか。 262年6月 陳留を落とした董卓軍は軍を返し、そのまま許昌に向かっていた。 許昌は曹操軍の本拠であり、兵も45000ほどいて、有能な将も多いことだろう。 董卓軍と曹操軍の両部隊は嵩山の南東、道が許昌と宛に分かれている潁川から陽翟のあたりでぶつかった。 こちらの先鋒は張繍隊と華雄隊、張燕隊である。 敵軍は大将の曹操以下、曹彰や曹純の騎兵、許褚や鮑信の戟兵、方悦や荀彧の弩兵、曹真の槍兵などが出てきた。 兵数ではこちらの方が多いが潁川のあたりは道が細く、森があるので騎馬の戦いには向いていない。 なので許昌領に入ったところですぐに太鼓台を建てる。すると曹操軍は虎牢関方面まで出てきてくれる。 しかしこれでもまだ細い道で戦わざるをえないので、ここで迂回させていた後詰部隊の出番である。 于禁と成公英の2隊は陳留の迎撃軍と戦った後、城攻めに参加せず、洛陽から武関と宛を通って曹操軍迎撃部隊の背後に出るようにしていたのだ。 これによって我が軍は兵力の多さを活かして両側から突撃を仕掛けることができた。 この攻撃で荀彧隊、鮑信隊、曹彰隊を壊滅させ、曹純隊は残兵わずかとなり、残った曹操隊などは森を伝って許昌まで後退した。 もちろん我が軍も被害を受けていたが、それでも充分な勝利であった。 さて、ここで・・・ 「やりましたね将軍、我が隊も曹操軍に勝ちましたよ」 「よせよせ、私は将軍などとは言えん」 「でも将軍の計略がうまくいったのは大きかったですよ」 「そうかな、それほどの智将かな私は。ははは。そうだ、それより敵の様子はどうだ」 「はい、我々が戦った曹純隊は500騎ほどまでに減ったようで、許昌に戻る様子です」 「そうか、それならよい」 「ではまた後ほど、馬邈将軍」 将軍、と兵に呼ばれた男、馬邈は戸惑ったが今度はその言葉を受け入れようとした。 「ふう、なんでこんなことになったのだ」 馬邈はつぶやいた。彼の口癖である。 治安担当官の頃からこう言いながら仕事をしていた。こう言うと問題点が見えてくる気がするのだ。 以前、馬邈は李氏という女性と結婚していた。彼は李氏に招かれて長安の何進軍に仕えるつもりだった。 しかしそこへ向かう途中で何進軍は滅亡し、李氏が死んだことを知った。 茫然自失として進む道を見失っていた馬邈に声をかけたのは漢中太守の閻圃であった。 彼の言葉によって馬邈はよみがえり、李氏の夢であった漢朝の天下を目指していくことに決めた。 馬邈は仇敵とも言える董卓軍に仕官し、漢中や長安、涼州の治安担当官として勤務に励んだ。 あまり優秀とは言えなかったが、彼の熱意に感じた閻圃は馬邈を軍の特技付与枠に推薦してくれたのだ。 そこで馬邈は「待伏」の秘技を習った。が、活用の機会はなかなか来なかった。 「私は戦いには向いていないのだ」 馬邈は正直にこう思っていた。彼は優しい性格の男なのだ。 だが董卓軍が中原へ出ることになり、騎馬戦法の使えない森での戦闘を想定した首脳部が軍で唯一「待伏」を習得している馬邈に白羽の矢をたてた。 彼は涼州から一躍洛陽に出て、智将で有名な成公英隊の副将として出陣することになった。 その成公英隊は陳留戦で森に布陣し、いざ伏兵を使おうとした。 が、騎兵という兵科では伏兵ができないらしくて結局、馬邈の出番はなかった。 彼はほっとしたが、騎馬では伏兵ができないとなると馬邈は軍に居場所がなくなる。 「なんでこんなことになったのだ」 その時もまた彼は独り言をつぶやいた。功名心、安堵感、焦燥感の混じった複雑な気持ちであった。 けれど成公英隊は許昌の挟撃作戦を受け、宛側から曹操軍に攻撃をしかけることになった。 お役御免だと思っていた馬邈ももちろん従軍した。 手柄を立てる好機である。 相手は曹純隊5000で、成公英隊の計略により混乱した曹純隊は大打撃を受けて壊滅状態となった。 まさに殊勲の活躍である。あとで褒美もあるだろう。 「こんなにうまくいっていいものだろうか」 馬邈は考えたが、そんなことは初陣の自分がわかるわけがない、と思い直した。 今日の戦闘は終わり、辺りでは兵が夕の兵糧の準備をしている。 ふと陣門の方を見ると騎兵がたった今帰着して陣に入ってくるところだった。 500騎ほどだろうか。前職は治安担当官だった馬邈は兵たちをよく観察する癖があった。 夕暮れである。馬邈は目を細めた。 はっきりとはわからないが、馬邈はその兵たちがどうもおかしい気がした。 なんとなく鎧の色が我が軍のものと違って黒い気がするのだ。 そして、500騎か、と考えた瞬間、馬邈は背中に冷や汗が出るのを感じた。 しまった、と馬邈が思うと同時に黒の500騎が本陣に向けて走り出した。 「くそっ、敵襲だ。お前たち、私の後ろについてくるのだ」 周囲の部下たちに叫ぶと馬邈は馬に乗って500騎の方へ走った。 500騎の先頭に旗が立つ。「純」の文字が見える。 馬邈の部下たちの声で味方はようやく敵襲に気付くも、間に合うのは自分だけだと思った。 成公英本陣の幕舎の前で自分なりに陣形のようなものを組む。もう500騎が迫ってくる。 馬邈は剣を抜いた。 先頭の男と目が合う。思いきり剣を突き出した。 交錯する。 風。そして感触があった。 しかしそれは剣の方にではなく、自分の方に感じるものだった。 腹が熱い。そして視界が夕焼けに染まって霞んでいく。 ぼやける視界の隅から味方が500騎にぶつかるのを見つつ馬邈は体から力が抜けた。 「なんでこんなことになったのだ」 馬邈はまた口癖をつぶやいた。 (「馬邈伝」完) と、長い描写をしましたが、なんと馬邈が戦死。 500にまで減ったので撤退すると思っていた曹純隊の突撃で馬邈が戦死。 おそらく馬邈についてこんな文章を書こうとする人はいないと思うので何卒お許しください。 曹純隊は突撃の反撃で壊滅するも、主将の曹純を逃がしてしまった。無念なり。 さて先鋒部隊も許昌前に到達し、曹操隊を壊滅させ、副将の蘇由と典満を処断。さらに張繍隊が方悦隊も撃破して、方悦を処断。 ようやく城攻めにかかる。曹操自身が守るだけあってなかなか固かったが、一斉をかけて削る。 12月、最後は董旻隊の井闌で落とした。 許昌で捕らえた武将は、 曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、鍾毓、張緝、万彧、陳登 で、肝心の曹操や曹真、荀彧らは逃がしてしまった。まあいいだろう。 鍾毓と張緝を捕虜にして、あとは処断した。 262年11月 新野の徐栄率いる第2師団は襄陽攻めを開始した。 実は新野では造船所3つと練兵所を作って、楼船を作っていたので少し時間がかかったのだ。 まずは中廬港を目指す。この港には襄陽に戻った黄忠が12000の兵で固めていた。 この港の攻略には上庸の部隊、李儒の第3師団が当たった。 李儒+胡車児7000騎、李通+蘇飛6000騎、諸葛誕5000騎 という軍勢がこちらも楼船で出撃し、攻撃をしかける。さらに新野軍の軍勢も攻撃に加わる。 船上では黄忠も怖くなく、中廬港はあっという間に耐久が0となった。 ここで江陵の劉備軍が空になった新野目指して出撃したという情報が入る。 張梁の妖術隊、郭汜の木獣隊と護衛の李傕隊9000騎を残して、残りは新野に戻る。 襄陽城には20000しか兵がおらず、黄忠隊と呉班隊が迎撃に出てくる。 しかし張梁の活躍と騎馬突撃で両隊はすぐに壊滅し、黄忠隊の副将董厥と呉班を討ち取った。 263年1月 新野に攻めてきたのは関興隊と関銀屏隊、張苞隊で、湖陽の港を出て水上で迎撃した。 敵部隊には知力が足りておらず、賈詡の計略や朱異と留賛の水軍適性による激突で「猛者」が発動して簡単に全滅させることができた。 この水戦では関興と副将の孫異を捕らえ、処断した。 襄陽。 襄陽城ではなおも黄忠が奮闘して守っていたが、2月、ついに力尽きて落城した。 もちろん内政施設は1つしか残らなかった。郭汜のせいなのだろうか。 捕らえた武将は、 黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、孫休 という面々で、二皓がいたことにウケた。「覇王」がついている孫休以外を処断。 月英も斬ったから諸葛亮が怒っているだろう。 同じころ、許昌の董卓軍本隊は気力を回復しつつ、洛陽から兵を補充輸送していた。 2月。出撃し、汝南を攻める。汝南には30000がいる。大将は曹操である。 ここで一計。「長駆」もちの張燕を一度新野に向かわせ、まず新野側から汝南に侵攻する。「釣り」である。 回廊地形に敵部隊が2隊ほど出てきたところで、土塁を作り、土塁越しに騎射で攻撃する。 この間に本隊が許昌から汝南に攻め込むと、城兵は20000に減っており、曹操隊、曹真隊、許褚隊が出てくる。 汝南の北東の森に入った曹操隊と殴り合うのは効率が悪いので、無視して汝南城の兵を削りにかかる。 5月。回廊側から戻ってきた兵を蹴散らして、汝南城を落とす。 ここで荀彧、陳羣を捕虜にする。しかしすぐに曹操から使者が来たので解放してあげた。 他には曹純、曹爽、裴秀、王異、張悌を捕らえ、王異と張悌を捕虜にして後は処断した。 曹操軍は寿春から建業方面に人数をかけているようで汝南にはあまり武将がいなかった。 まあ曹純を斬れたのでよしとする。 曹操隊は寿春へ撤退していき、これで曹操軍は寿春城を残すのみとなった。 263年6月 襄陽を取った第2師団の李傕や郭汜と第3師団の李儒の兵力で、江陵の兵力が少なめなのを好機に侵攻を開始した。 江陵の劉備軍は荊南の金旋軍討伐に向かったため城兵は20000もいないのである。 守備の大将はなぜか劉度である。 こちらは、 先発 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎(義兄弟にしました) 本隊 郭汜+楊阜 木獣9000、李儒+胡車児8000騎、李通+蘇飛6000騎 という軍勢で、はっきり言って張梁の「妖術」頼みである。 江陵からは凌統が出てきた。攪乱と突撃で撃破し、凌統を捕虜に。 江陵の城に取りつき郭汜隊が城を落とす。 太守の劉度以下、賈華、吾彦、高幹、劉璿、張紹を捕らえる。 出陣中だからか、ろくな武将がいない。劉度、賈華、吾彦が登用され、あとの3人を斬った。 263年8月 空城にしておいた陳留城を曹操軍に取り返されたという報せが入った。 敵の兵力は9000ほどなので、汝南の董卓軍本隊は陳留に戻ることにした。 なぜ寿春まで攻めないのかというと、中原の東を支配する呂布軍と同盟を結んだからである。 その呂布の小沛軍と曹操軍との間で激戦が行われているので、この隙に陳留から河北を覗おうと思う。 汝南から許昌まで輸送隊で戻り、許昌を成公英隊に任せて陳留へ出撃する。 陳留の守将は郭淮であったので捕らえようとしたがなぜか逃がしてしまった。 それでも曹彰と楊奉を捕虜にして、楊奉を登用した。 統率が低い武将で城を落とすと大魚を逃しやすいようだ。 10月。兵数と装備を整え、陳留に于禁隊を残し、官渡から楼船にのって黄河を渡る。 11月に袁紹軍の白馬を攻め取り、守将の沮鵠と呂曠を斬って、上陸する。 鄴では袁紹軍と公孫瓚軍が壺関の東、地図でいうと魏郡から広宗のあたりで激しく戦闘中であった。 華雄、張繍、太史慈の3隊が牽制しつつ、董旻隊と董卓隊で漳河の堰を切って水攻めを行う。 これにより鄴側にいる袁紹軍の部隊がほぼ全滅し、我が軍と公孫瓚軍との戦いになった。 鄴の城は兵数も6000ほどなので董旻に任せ、公孫瓚配下の賀斉、公孫続、公孫康などとぶつかる。 後詰の張燕と張済の部隊も加わって突撃攻撃を行い、敵部隊を全滅させ、敵将公孫康を捕らえて登用した。 鄴の公孫軍が壊滅した頃、袁紹軍の鄴城もついに落ちた。 12月末。袁紹をはじめ、城内の者はみな捕らえられた。 捕らえた武将は以下の通り、 袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃、陳矯、楊祚、尹賞 陳矯と楊祚、尹賞だけが登用に応じた。 袁紹軍の武将たちは相性的に董卓様とは合わないので残念ながらほぼ全員処断の運びとなった。 ここで気付いたが顔良や文醜、田豊などがいない。 どうやら袁紹軍は公孫瓚軍の平原城を呂布軍と三つ巴で争っており、彼らは出陣していたようだ。 だが袁紹軍は滅んだので彼らの部隊は消滅し、離散してしまった。 我が軍はこの3年間で陳留を2回と許昌、汝南、新野、襄陽、江陵、そして鄴の7城を落とした。 まる3年間戦い続けたが、残念なことに(?)、戦死は馬邈だけだった。 戦死について、ここまでのプレイを振り返って気付いたのだが、戦死を発生させた時の突撃した武将(加害者)を思い出すとみな騎馬適性がSなのだ。 華雄、徐栄がこのプレイ日記でも何度か戦死を発生させたが彼らは騎馬Sであり、今回の馬邈を殺した曹純も騎馬Sである。 またプレイヤーがこれまでプレイした記憶を振り返っても呂布、馬超、龐徳、文醜、夏侯惇が戦死を発生させていて、逆に騎馬Aの武将では一度も戦死が起きていないことに気付いた。 というわけでこれからは董卓の愛臣たちの騎馬適性を上げていく必要があることに気付いたのだ。 そんなことを考えながら、董卓様の官職は大将軍にまで進んだのであった。 今回の犠牲者 61人 合計 150人 関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 指名手配 なし 新加入武将 23人 張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 第6回へ続く (次ページに董卓軍中心メンバーの能力表を載せたいと思います) 董卓/上級/魔王董卓の殺伐たる天下取り 第3部 頑張れ。設定は『戦死多い』ですか? -- 名無しさん (2011-07-18 16 17 40) ありがとうございます。はい、「多い」に設定しています。かれこれ50~60回は突撃をしていますが戦死はあまり起こりませんね。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-18 17 25 19) まあ、死んでいくのは遠方の無名な武将たちだもんなあ・・・ -- 名無しさん (2011-07-18 18 24 14) そうですね、後で知らないうちに死んでる武将をチェックしないとだめかもしれません。全部で670人もいるので大変でしょうけど。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-19 00 29 40) 現在の董卓軍の古参の武将の能力を教えてください。 -- 名無しさん (2011-07-21 13 47 20) コメントありがとうございます。わかりました。ちょっと待っててください。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-22 00 17 56) とうとう味方に戦死者出ちゃったか…。 -- 名無しさん (2011-07-22 16 51 16) もしかして騎馬Sの武将じゃないと戦死させることはできないのかな?だとしたら新たな発見だね -- 名無しさん (2011-07-22 17 28 22) そうじゃなくて武力の関係な気がする -- 名無しさん (2011-07-22 18 00 22) 今のところ武力、騎馬適性のどちらが必要条件なのかわかりませんが、確かに騎馬Sは高武力武将ばかりですね。このプレイの要旨なのでもっと検証したいと思います。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-23 13 45 04) 今、騎馬Aの凌統で戦死を発生させました。よって騎馬適性は必要条件でなく、曹純の事例から兵数も関係ないことがわかりました。武力が重要だということになります。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 10 01 07) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/5.html
一覧表 注意点 コメント 一覧表 史実イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 黄巾の乱 OPイベント 全勢力 桃園の誓い 劉備、関羽、張飛が義兄弟になる 劉焉 劉備、関羽、張飛 少帝廃立 後漢皇帝が献帝になる 董卓、李儒 反董卓連合 OPイベント 全勢力 長安遷都 ○ 洛陽が空白地になる 董卓 董卓、李儒 反董卓連合崩壊 ○ 連合参加勢力間の友好が悪化 董卓、曹操、袁紹 連環の計 董卓、李儒が死亡呂布勢力とその対抗勢力が誕生呂布と貂蝉が夫婦になる 董卓、呂布、李傕 董卓、李儒、王允、呂布、貂蝉、李傕、郭汜、張済、樊稠、張遼、高順、侯成、魏続、宋憲、曹性、王允、李粛、賈詡、張繍、董旻、牛輔 虎を追うもの(典韋登用) 典韋登用 (曹操) 典韋、夏侯惇 悪来対許褚 許褚登用 (曹操) 許褚、典韋 荀彧、郭嘉を推挙す 郭嘉登用 荀彧、郭嘉 郭嘉、劉曄を推挙す ○ 劉曄登用 郭嘉、劉曄 劉曄、満寵・呂虔を推挙す ○ 満寵、呂虔登用 劉曄、満寵、呂虔 曹嵩惨殺 ○ 曹操勢力と陶謙勢力の外交関係悪化 曹操、陶謙 曹操、陶謙、張闓 孫策出陣 OPイベント 孫策 二張推挙 張昭、張紘登用 (孫策) 張昭、張紘、周瑜 徐州禅譲 ○ 劉備勢力が陶謙勢力を吸収 劉備、陶謙 劉備、陶謙、糜氏、糜竺、糜芳、孫乾、陳珪、陳登 糜氏と劉備(結婚) 劉備と糜氏が夫婦になる 劉備 劉備、糜氏、糜竺 許昌遷都 ○ 後漢皇帝を許昌に移動 曹操 曹操、荀彧 二喬婚礼 孫策と大喬、周瑜と小喬がそれぞれ夫婦になる 孫堅、孫策 孫策、周瑜、大喬、小喬 小覇王孫策 周泰、蒋欽、陳武、董襲、凌操登用 孫策 孫策、周泰、蒋欽、陳武、董襲、凌操 偽帝僭称 袁術が皇帝になり、同盟が破棄され関係が険悪になる 袁術 袁術 董承の密勅 ○ 選択によっては董承が死亡し、劉備、曹操間の外交関係が悪化 曹操 、劉備 曹操、劉備、董承 二強開戦(曹vs袁) 曹操勢力と袁紹勢力の友好が険悪になる 曹操 、袁紹 曹操、袁紹 趙雲再会 趙雲登用 劉備 劉備、関羽、張飛、趙雲 好漢劉備 周倉、裴元紹、劉辟、龔都、廖化登用 劉備 劉備、関羽、周倉、裴元紹、劉辟、龔都、廖化 孫策の死 于吉と舌戦勝つと孫策の寿命が延び、負ければ死亡 孫策 孫策、孫権、于吉 周瑜、魯粛を推挙す ○ 魯粛登用 周瑜、魯粛 魯粛、諸葛瑾を推挙す ○ 諸葛瑾登用 魯粛、諸葛瑾 張紘、顧雍を推挙す ○ 顧雍登用 張紘、顧雍 袁家分裂 ○ 袁紹が死亡し、袁尚が勢力を引き継ぐ袁譚が謀反を起こして新勢力を旗揚げ 袁紹、袁譚、袁尚 袁紹、袁譚、袁尚、郭図、辛毘、辛評、王修 御曹司一番乗り 曹丕と甄氏が夫婦になる 曹丕、甄氏、袁煕 郭嘉の死 郭嘉が死亡 郭嘉 徐庶登場 徐庶登用 劉備 劉備、徐庶 曹操の南征 曹操勢力との友好が大幅に悪化 曹操 曹操 徐庶去る ○ 徐庶と舌戦、負けると曹操配下に 劉備 劉備、徐庶、関羽、張飛 甘寧亡命 甘寧登用 甘寧、黄祖 三顧の礼 諸葛亮、黄月英、諸葛均登用 劉備 劉備、関羽、張飛、諸葛亮、黄月英、諸葛均 孔明の嫁とり 諸葛亮と黄月英が夫婦になる 諸葛亮、黄月英 劉表の死(荊州分裂) ○ 劉表が死亡し劉琮が勢力を引き継ぎ、曹操勢力に降伏劉琦が独立し、劉備勢力に合流 劉表、曹操、劉備 劉表、劉琦、劉琮、蔡瑁、曹操、劉備、伊籍、霍峻、向朗、馬良、馬謖、諸葛亮、諸葛均、龐統、魏延、甘寧、黄祖、李厳、劉磐 孫劉同盟 ○ 劉備と孫家、両勢力が同盟関係となる 劉備、孫家 諸葛亮、劉備、曹操 馬氏の五常 馬良、馬謖登用 馬良、馬謖、伊籍 孫尚香の結婚 劉備と孫尚香が夫婦になる劉備勢力と孫家勢力が同盟 劉備、孫家 劉備、孫尚香 呉下の阿蒙にあらず 呂蒙、蒋欽の能力上昇 孫権 孫権、呂蒙、蒋欽 周瑜の死 周瑜が死亡 周瑜、魯粛 落第県令 ○ 龐統の忠誠と功績上昇 龐統、諸葛亮、徐庶、張飛 魏公騒動 ○ 曹操が魏公に就くか選択、選択次第では荀彧死亡 曹操 曹操、荀彧、荀攸 魏王即位 ○ 曹操または曹家血縁君主の爵位が「王」になる。漢室重視の配下、勢力との関係が悪化 曹家 曹操 漢中王即位 劉備の爵位が「王」になる 劉備 諸葛亮 美髯公には及ばず ○ 関羽の所属都市の治安、気力、武将の忠誠上昇 関羽、張飛、諸葛亮、馬超 曹操の死 曹操が死亡 曹操 曹操、曹昂、曹丕、曹植、曹彰、曹沖 九品中正法 ○ プレイヤー勢力全都市の治安、気力、配下忠誠が上昇 陳羣 魏帝即位 曹家血縁君主が皇帝になる配下武将の忠誠と外交関係が変化 曹家 蜀帝即位 劉備または劉家血縁君主が皇帝になる 劉家 劉備、諸葛亮 虎の子(関張2代目義兄弟) 関興と張苞が義兄弟になる 劉家 関興、張苞 呉王即位 孫家血縁君主の爵位が「王」になる 孫家 陸遜登場 陸遜の功績上昇 孫権 孫権、陸遜、周瑜、魯粛、呂蒙、闞沢 劉備の死 劉備が死亡 劉備 劉備、諸葛亮、劉禅、劉封 呉帝即位 孫家血縁君主が皇帝になる 孫家 諸葛亮の北伐 劉家勢力と中原の勢力の友好が険悪になる 劉家 諸葛亮 諸葛亮の死 諸葛亮が死亡 諸葛亮、姜維 史実達成イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 皇叔再興 ○ 全配下武将の功績・忠誠上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇君主の各種経験値大幅上昇 劉備 劉備、関羽、張飛 奸雄邁進 ○ 曹操 曹操、袁紹、袁譚、袁尚、袁煕、高幹 小覇王飛翔 ○ 孫策 孫策、周瑜 飛将乱舞 ○ 呂布 呂布、陳宮、曹操 錦馬超逆襲 ○ 馬超 馬超、曹操、曹丕、曹彰、曹植、曹熊、曹叡、華歆 汎用イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 銅雀台 アイテム「銅雀」を入手 五虎将軍 五虎将軍を候補者から選択五虎将軍に選ばれた武将の功績と各種経験値上昇 統一前反乱疑惑 疑惑武将と密告武将のどちらを処罰するか選択選択によっては疑惑武将が反乱独立 推挙 文官推挙または武官推挙が発生 修行報告 ○ 修行武将と軍師で舌戦または修行武将と登用武将で一騎討ち発生 賞賛 ○ 進言武将の功績上昇賞賛武将の功績・忠誠上昇 誹謗 ○ 進言武将と君主で舌戦発動舌戦の勝敗により誹謗された武将の忠誠変化 漢帝密使※ ○ プレイヤー勢力の金、一部武将の忠誠上昇後漢皇帝擁立勢力との友好低下 (劉備、馬騰) 漢帝援助※ ○ 漢室に金を援助するか選択選択によって配下武将の忠誠、兵士気力など変化 (劉備、馬騰) 嘆願※ ○ 民に金を援助するか選択選択によって技巧ポイント、兵士気力など変化 災害援助※ ○ 兵糧を供出するか選択選択によっては左慈と舌戦発動 左慈 義勇兵※ ○ プレイヤー君主所属都市の兵士が増加 封禅※ ○ プレイヤー勢力全都市の治安、気力、配下忠誠が上昇プレイヤー勢力の君主の能力値が上昇 少帝即位 霊帝が死亡し少帝が即位する 献帝即位 少帝が死亡し献帝が即位する 献帝崩御 献帝が死亡し後漢皇帝が「なし」になる 遺跡・廟発見 遺跡・廟のいずれかを発見する遺跡の場合、発見した月によって効果が異なる 遺跡・廟破壊 左慈イベント、禰衡イベント、玉璽イベント、金イベントのいずれかが発生 左慈、禰衡 旅人訪問 訪問者によって異なるイベントが発生 管輅、許劭、華佗、于吉、禰衡、司馬徽、黄承彦 夫婦の助け 武将の健康状態・体力回復 義兄弟の気炎 武将の所属部隊の気力回復 汎用達成イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 都市制圧 ○ 全配下武将の忠誠上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇 地方統一 ○ 全支配都市の治安上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇 最終決戦 ○ 全配下武将の功績・忠誠上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇残存勢力との同盟・停戦関係が解消 人材充実 ○ 全配下武将の功績・忠誠上昇技巧ポイント上昇 アイテム充実 ○ 君主の各種経験値大幅上昇 技巧習得 ○ 全配下武将の各種経験値上昇 善政 ○ 全支配都市の金・兵糧増加 施設充実 ○ 全支配都市の各兵装増加 能力研究 ○ 全配下武将の功績上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇 史実特別イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 矢を引き抜き目玉を食らう! 夏侯惇の顔グラフィックが変わり左目に眼帯をするようになる 夏侯惇 汎用特別イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 旗揚げ 在野武将が旗揚げし空白地に新勢力が誕生する 勢力合併 複数の勢力が合併し一つの勢力となる 包囲網形成 複数の勢力が包囲網を形成する 注意点 各種達成イベントはCS版でのみ発生します。 汎用達成イベントは原則的に1プレイに1回しか発生しません。仮に史実イベントの発生条件の調整などのために、途中参加で別の勢力を選択し(以下勢力B)、その勢力Bが先に技巧習得の条件を満たしてイベントを発生させた場合、最初からプレイしていたプレイヤー勢力(以下勢力A)はそれ以降に技巧習得の条件を満たしてもイベントは発生しなくなります。 汎用達成イベントの中で発生条件に「プレイ開始時にプレイヤー勢力の支配都市or配下武将が〇〇未満から開始し」というものは(都市制圧・地方統一・人材充実)ゲームを開始した時点ではなくプレイを開始した時点での判定という意味です。なのでマルチプレイのために一時的にプレイヤーから外してしまうと条件がリセットされるので、その後に途中参加で再度同じ勢力を選んだ場合はそこから「プレイ開始」の状態となります。よって、仮に「人材充実イベント①の条件を満たしているが君主がいないので発生しない」という状態から、その勢力をマルチプレイでプレイヤー勢力から一時的に外して、再度同じ勢力を選んだ状態にすると『人材充実イベント①』の「プレイ開始時の配下武将が30人未満」の条件に適合していないのでイベントは発生しなくなります。 ※の付いた汎用イベントは史実イベント扱いの模様(PCPK)で、初期設定を「汎用のみ」にすると発生しなくなります。 コメント 孫策の死のイベントですが自分は209年で孫策が自然死しました マルチプレイをしていたせいかもしれませんが・・・ -- (六武衆) 2013-06-23 19 47 35 PCPKにて、シナリオ2孫堅から君主孫権になって皇帝になるイベントがあり、孫権の適正や能力値が大幅向上するイベントがあったのですが、見当たりませんね。汎用イベントでしょうか? -- (名無しさん) 2013-11-25 14 29 49 旅人訪問の司馬徽イベントが司馬徽との関係がない筈の 蒋琬、法正で発生したのですが ちなみにPCPKのver1.1です -- (名無しさん) 2013-12-14 03 23 33 hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh -- (hhhhhhhhhhhh) 2014-01-27 20 52 25 PCPKって汎用達成イベント以外は起きる? -- (名無しさん) 2014-03-01 02 03 32 PCPK落第県令イベントで諸葛亮・徐庶とも配下ではなくても発生しました。 -- (名無しさん) 2014-03-22 16 10 06 文官推挙では自制力に仕官禁止期間の武将でも推挙される場合がある 自分は残り八ヶ月 女の戦いで蔡琰が鐘会を推挙した -- (典○) 2014-03-26 10 28 01 曹操でプレイしてて皇帝即位の段になり、帝位禅譲と帝位簒奪の2通りの結果となったが、分岐は如何程? -- (名無しさん) 2014-07-20 02 19 06 「勢力合併」について。プレイヤー勢力の条件では「支配都市が10以上」とあったので 10以上取らないようにしていたのに、8都市所有したときに馬騰と劉璋が合併してしまいました。 また、結果の項目の中に「君主の能力の低い側が、高い側へ合流する形となる」とあるのですが、 このときの合併では馬騰が劉璋に吸収される形となりました。 ロードでひとまず時間を戻し、編集で嫌悪武将を設定して合併を回避。 数ヵ月経過後に設定を元にもどしたところ今度は劉璋が馬騰に吸収される形に。 君主の能力って、具体的になにを指しているのでしょうか? PS2PKなので条件や結果がPC版限定なのだとしたら、長々とごめんなさいです。 -- (名無しさん) 2014-12-27 15 02 14 たまに廟が5か所しかないことがあって、このときは3か所目からレア特技が習得できるようです。PCPKにて。 -- (名無しさん) 2015-03-10 17 54 51 漢帝を支配下の都市に異動することは出来ますか? -- ( 光武帝) 2015-06-20 14 51 27 イベント 董承の密勅(PCPKでの確認) ツール使用で親密度80上昇を確認。 0→80 / 5→85 への変化を確認しました。 -- (名無しさん) 2015-09-25 18 29 52 荊州分裂イベントが起きにくい。条件揃えても、その前に劉表が死んじゃう。誰かコツを教えてくれなせんか? -- (蟹さん) 2016-02-01 03 47 49 PCPKなのですが、技巧習得のイベントが起きません。条件は満たしているはずなのですが・・・ -- (名無しさん) 2018-04-06 16 00 24 技巧習得は、達成イベントだからCS版のみ発生すると書いてあるぞ -- (名無しさん) 2018-04-07 23 59 34 ↑確認不足でした・・・。申し訳ない。 -- (名無しさん) 2018-04-08 08 14 50 ↑問題ない。ワシもよくやらかすw -- (名無しさん) 2018-04-09 00 00 59 赤兎馬を呂布に渡すイベントないのぉ!? -- (名無しさん) 2019-10-18 14 00 42 個人的に思うんだけどこの11の時のイベントはチュートリアルやステージでみんなはっちゃけてたり三顧の礼が劉備三兄弟のコントみたいだったり左慈イベントの曹操がメチャクチャ尊大だったりと見ていて面白い遊びが多かったな。12以降はまた内容が真面目になっちゃうんでちょっと悲しい。 -- (名無しさん) 2019-11-07 19 03 31 孔明の嫁とりイベント、「『黄月英が未発見の場合』と『黄月英が既出・自勢力配下の場合』でセリフが違う」とありますが、違い過ぎて結構笑える。 -- (名無しさん) 2020-10-25 15 52 21 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/477.html
ショウキョウ 列伝 喬氏。周瑜の妻。孫策の妻・大喬の妹。 【演義】 喬国老の娘。絶世の美女として知られ、孫策に嫁いだ大喬と共に「二喬」と称された。孫策の臨終の際、周瑜に孫権への補佐を頼むよう遺言される。赤壁の戦いの前、曹操が二喬を銅雀台に住まわせることを望んでいると諸葛亮から聞かされた周瑜は激怒し、曹操との決戦に踏み切った。 【正史】 周瑜との親愛ぶりを描いたもの、曹操の大軍を前に弱気になった周瑜を叱咤激励するものなど、周瑜と共に絵画や戯曲の題材としてよく登場する。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 16 12 73 77 92 270 28 101 順位 620 622 170 132 10 409 629 610 偏差値 31.4 32.5 56.9 59.3 67.2 47.4 31.0 35.1 成長期 普通 普通 普通 普通 維持 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C B C C A 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 9 12 8 13 9 13 10 11 8 10 11 14 順位 622 615 622 620 616 607 618 620 624 618 607 598 偏差値 34.1 33.4 33.8 33.2 33.4 33.7 34.4 33.0 32.5 33.0 34.6 34.6 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 楽奏 毎ターン気力が5回復 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 125 揚州 能力 地方統一 重視 5/5 1/5 2/3 178 194 210(33歳) 自然死 剛胆 剛胆猪突 令嬢 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 小喬 親愛 周瑜、孫尚香、大喬 周瑜、孫尚香、大喬 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● ● 1 橋玄 ● 2 大喬 小喬 橋瑁 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 7歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 13歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 17歳 未発見 廬江 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 23歳 一般 建業 孫策 150 - 3000 周瑜 - S5 207年 9月 三顧の礼 30歳 一般 柴桑 孫権 120 - 5000 周瑜 - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 - 0 周瑜 - S9 198年 1月 呂布討伐戦 21歳 未発見 柴桑 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 26歳 一般 柴桑 孫権 150 - 4000 周瑜 - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 10歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 14歳 未登場 廬江 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 一般 廬江 大喬 150 左僕射 16000 周瑜 - 固有台詞 処断時「江東の二名花、ここに散らん」 「うっ……姉さん!」 正直戦になんてでないだろうから、彼女のカットインはいらないだろう、とも思う。 魅力以外低めなので、ある程度功績を与えたら廟・遺跡発掘にかりだしてもいいだろう。 -- (名無しさん) 2010-05-31 23 02 46 気力回復手段の無い水上での楽奏はとても重宝する。 どうしてもカットインが見たいなら、周ユの官職を外して彼女を武官にすえるとかw -- (名無しさん) 2010-05-31 23 22 30 S2だったら未婚なので、固有カットインのないX将系と結婚させて彼女の官爵を上にしとけば毎回見れるぞ。 近場で確保しやすい陳武・蒋欽がお勧め。知力のカバーにもなるし。 本人にしてみれば、望まない結婚だろうけどw -- (名無しさん) 2010-06-19 22 31 25 周瑜とコンビで組む場合深謀も相性がいい。 孫策に槍で混乱させて、火計で敵をやけば、屍がゴロゴロと…。 楽奏のままでも十分相性は良いんですけども -- (名無しさん) 2010-09-21 09 27 37 ↑あほか。周瑜で火計使うなら、なんで深謀がいるんだ。 -- (名無しさん) 2010-09-21 17 47 42 深謀があると、火が消えにくくなるかな。 まあ、別にそれは他の武将でもいいので、楽奏を潰すのは勿体無いけど、あほはやめましょう。 -- (名無しさん) 2010-09-21 18 30 34 ↑補足ありがとうございます 言葉足らずでしたね、この組み合わせにすると、 敵をほぼ負傷可能という点、それによって槍将、弓将と組めば 一部隊で嵌める事も可能です。 混乱がとけたとしても、周瑜の知力なら負傷相手では問題ないでしょう。 仮に周瑜が負傷しても夫婦イベントで、もしかしたら回復するかもという事です 上にも書きましたが周瑜とコンビ限定になってしまいますが…。長文失礼しました -- (名無しさん) 2010-09-22 09 39 06 なんだこのキモ過ぎる画像・・・ -- (名無しさん) 2011-05-15 21 31 44 ↑×2余計に意味がわからないんだけど、どうして火神+深謀でほぼ負傷可能になるの? 火計がクリティカルになっても持続するだけで負傷率は変わらないし、負傷しなきゃ槍将や撹乱で確実に混乱に出来ない。 あと勘違いかもしれないけど、火神って単体で火計クリティカルにならなかったっけ。 -- (名無しさん) 2011-05-16 20 15 26 ↑火神にクリティカル効果はないね、虚実と一緒。 -- (名無しさん) 2011-05-16 20 20 07 ↑x4に関しては、他の部隊で混乱させたらって意味じゃないかな? (それによって槍将、弓将と組めば )はちょっと意味がわかりかねますが たぶん、運用法は他の部隊で混乱させて、この部隊で深謀を生かした単部隊での嵌めだと思う 火計して混乱切れたら錯乱の繰り返し -- (名無しさん) 2011-05-16 21 14 39 画像は無双小喬を三国志風にしたものかな? -- (名無しさん) 2011-06-19 00 23 11 あれ?あの画像無くなってる。 -- (名無しさん) 2011-06-19 10 50 53 あんなもんいると言うのは厨 -- (名無しさん) 2011-06-19 12 50 48 データ交換広場に同じのあるからここには必要ない -- (名無しさん) 2011-06-19 12 56 51 それに12王元姫はすごいぞ 違うのは、髪の色だけだ… -- (サタン(補助通貨単位)) 2012-03-14 08 51 49 そういえば、 この間久々に、「決戦Ⅲ」をやったのですが、 「秀吉」の初登場シーンに、無双の(時期的にⅢかⅣ)の小喬と周瑜の人形が、 行商をしていた「秀吉」の売り物のなかにありました…兵卒が運んでました。 すいません…(笑)もないこと書いて…石、投げないでください… -- (麟華) 2012-03-31 03 37 09 可愛いは正義って言うぢゃない! -- (名無しさん) 2012-04-04 10 03 08 正義であり大義です!! 同志よ!! 石が来るかと思ったら同意とは、 嬉しいです。 -- (麟華) 2012-04-04 10 14 00 統率・武力がかなり低く夫の周瑜と組ませてもいいが呉には義兄弟の孫策がいるし、一応百出持ちもいるのでやっぱり内政員か -- (麟華バカ) 2014-12-28 21 17 54 名前 コメント すべてのコメントを見る