約 1,860,127 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1959.html
https://w.atwiki.jp/zensensyu/pages/119.html
三国志武将 219 名前:水先案名無い人 :04/12/11 04 57 06 ID tgMACTMK 全武将入場!! 呂伯車殺しは生きていた!! 更なる研鑚を積み乱世の姦雄が甦った!!! 非常之人!! 曹操だァ――――!!! 九品官人法はすでに我々が完成している!! 鎮軍大将軍 陳羣だァ――――!!! 捕縛しだい斬られまくってやる!! 荊周代表 荊道栄だァッ!!! 腹の探り合いなら私の経歴がものを言う!! 流浪の軍師 賈クだ!!! 真の兵法を知らしめたい!! 単福改め 徐庶だァ!!! 魏呉蜀は三国鼎立だが晋なら全版図オレのものだ!! 司馬懿の芝居 司馬仲達だ!!! 失明対策は完璧だ!!夏候惇!!!! 全文官のベスト・サポートパワーは私の中にある!! 王佐の神様が来たッ 荀イク!!! 詩作なら絶対に敗けん!! 四男の文才見せたる 詩聖 曹植だ!!! 八門金鎖の陣(完璧な布陣)ならこいつが怖い!! 魏軍のピュア・ファイター 曹仁だ!!! 袁紹軍降将から炎の虎が上陸だ!! 吉川三国志では三度死ぬ 張合β!!! ルールの無い戦をしたから小覇王(小項羽)と呼ばれたのだ!! 大将の一騎打ちを見せてやる!!孫策!!! めい土の土産に玉璽とはよくやったもの!! 孫氏の奥義が今 実戦でバクハツする!! 呉国武烈帝 孫堅先生だ―――!!! 無数の傷跡こそが地上最強の代名詞だ!! まさかこの男がきてくれるとはッッ 周泰!!! 騙したいから全て耐えたッ 疑念一切皆無!!!! 呉のマゾ(苦肉)ファイター 黄蓋だ!!! オレたちは水上最強ではない全黄土で最強なのだ!! 御存知美周郎 周瑜!!! 奇襲の本場は今や赤壁にある!! オレの鈴の音を止める奴はいないのか!! 元江賊 甘寧だ!!! (顔が)長ァァァァァいッ説明不要!! 2m40!!! !!! 諸葛謹だ!!! 外交は実戦で使えてナンボのモン!!! 超実戦外交!! 本家建業から呂粛の登場だ!!! 皇位はオレのもの 邪魔するやつは思いきり根回し思いきり攻めるだけ!! 呉国統一王者 孫権!!! 関羽を倒しに荊州へきたッ!! 統率全呉チャンプ 陸遜!!! 知略に更なる磨きをかけ ”呉下の亜蒙に非ず”呂蒙が帰ってきたァ!!! 今の自分に死角はないッッ!! 趙雲!!! 美髭公の青龍円月刀が今うねりをあげる!! 荊州から 関羽だ!!! 戦の中でならワシはいつでも全盛期だ!! 燃える闘魂 黄漢升 字で登場だ!!! 魏軍の仕事はどーしたッ 北伐の炎 未だ消えずッ!! 治も攻も思いのまま!! 姜維だ!!! 特に理由はないッ この男が強いのは当たりまえ!! 字は益徳だ!!! 一騎当百万!! 張飛がきてくれた―――!!! 荊州で磨いた天下の才!! 水鏡先生門下のフェニックス・ベイビー ホウ統だ!!! 一騎打ちだったらこの人を外せない!! 超A級喧嘩師 錦馬超だ!!! 超一流軍師の超一流の兵法だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ 巴蜀の超頭脳!! 法正!!! 三国鼎立はこの男が完成させた!! 蜀軍の切り札!! 諸葛孔明だ!!! 人望厚き王者が帰ってきたッ どこへ行っていたンだッ 劉皇叔ッッ 俺達は君を待っていたッッッ劉備玄徳の登場だ――――――――ッ 関連レス 223 名前:水先案名無い人 :04/12/11 09 21 40 ID QD6dzhbd (顔が)長ァァァァァいッ説明不要!! 2m40!!! !!! 諸葛謹だ!!! そりゃないぜ・・・ 224 名前:水先案名無い人 :04/12/11 10 15 40 ID yuRGdBEP 219 >呂伯車殺しは生きていた 華佗殺しとか左慈殺しの方が、異名としては格好良くない? 226 名前:水先案名無い人 :04/12/11 12 08 23 ID 5nB/LbyL 224 左慈っていつ死んだ? 227 名前:水先案名無い人 :04/12/11 12 13 43 ID yuRGdBEP 226 奴は死なんか、スマン。 228 名前:水先案名無い人 :04/12/11 12 41 14 ID tgMACTMK 224 董卓暗殺に失敗して、追及を逃れて挙兵したあたりをイメージしてみたんだ。 238 名前:水先案名無い人 :04/12/12 05 09 22 ID mvwRb9jU >(顔が)長ァァァァァいッ説明不要!! 2m40!!! !!! 吹いた。 3レスを魏・呉・蜀で分けてるのな コメント 名前
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1881.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1836.html
https://w.atwiki.jp/saitowiki/pages/13.html
ウィキペディアより引用します。 読むのが面倒だ!という方は日本における三国志の受容と流行までの文を読んでから 管理人が最後に書くまとめみたいなんでも読んでみてください。 といっても管理人もあまりよんでませんが。 三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。 「三国志」とはその名のとおり、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇したことから付いたものであり、三国時代のことを叙述した歴史書が、元蜀の家臣で後に西晋に仕えた陳寿によって『三国志』と名づけられた事に由来する。この時代の曹操・孫権・劉備らが争い合ったことは一般にも良く知られている。 その後、歴史書の『三国志』やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした説話が好まれ、その説話を基として明の初期に羅貫中らの手によって『三国志演義』として成立した。 「三国志」の世界は『三国志演義』を基としてその後も発展を続け、世界中に広まった。 日本における三国志の受容と流行 正史の受容 『三国志』の伝来時期は正確には判明していないようである。 天平宝字4年(760年)に成立した『藤氏家伝』大織冠伝には蘇我入鹿の政を「董卓の暴慢既に國に行なはる」と批判する記述があり、すでに董卓の奸臣としてのイメージが形成されていた事が窺われる。 天平宝字4年淳仁天皇は舎人6人を大宰府に遣わして吉備真備の下で「諸葛亮八陳」「孫子九地」といった陣法を修得させている(『続日本紀』巻23)。 神護景雲3年(769年)称徳天皇が大宰府の請に応じて『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』『晋書』を下賜している(『続日本紀』巻30)。これらの史書が日本国内に普及する過程を示す一例である。 藤原佐世が撰述した平安初期の漢籍目録『日本国見在書目録』には[2]当時の日本に存在した後漢時代の史料として『東観漢紀』『後漢書』『三国志』『後漢紀』『帝王世紀』を挙げる。また、平安末期の藤原通憲(信西)の『通憲入道蔵書目録』には「『魏呉蜀志』二十帖」があり、藤原頼長は読了した漢籍として「『三国志』帝紀十巻」を挙げている(『台記』巻3・康治2年(1143年)9月29日条)。 『太平記』巻20「斉藤七郎入道々献占義貞夢事付孔明仲達事」(西源院本の事書)には、大蛇に変身する夢を見た新田義貞が吉夢であると喜ぶが、斉藤道献は密かに大蛇を「臥竜」諸葛孔明の奮闘と無念の死に重ね合わせ、燈明寺畷での義貞の戦死を予感するという描写がある。この物語は曹操・劉備存命中に五丈原の役が起こるなど、史実や演義などと異同がある上孔明の出廬の場面も潤色されており、日本でアレンジされた一つの三国志物語とも言える。 中世以降、五山の学僧や江戸の漢学者は主に朱子学に基づき三国志の人物を論評した。諸葛亮が「王佐の才」を有するか否かについて鵜飼石斎はこれを肯定し、伊藤仁斎はこれを否定した[3]。 林鵞峰以降、江戸期の漢詩の題材としても三国志の人物が好まれ、特に関羽と諸葛亮が至忠の烈臣として讃えられた[4]。明治期の土井晩翠の新体詩「星落秋風五丈原」(明治32年(1899年)『天地有情』所収)もこの伝統を踏まえたものである。 明治以降の正史に基づいた史伝として内藤湖南『諸葛武侯』(東華堂 1897年)、吉川幸次郎『三国志実録』(筑摩書房 1962年)がある。また陳舜臣『秘本三国志』などの小説の一部には正史の記述が取り入れられている。しかし、吉川三国志などの急速な普及により三国志といえば、『三国志演義』の物語を指すのが通常であった。 状況が一変するのは『世界古典文学全集24 三国志』全3巻(筑摩書房 1977年 - 1989年)で『三国志』が初めて日本語訳され、1993年に文庫版が発売されてからである。これにより、一般の三国志愛好家が正史を読むことができるようになり、多くの人々が『三国志演義』により固定化されていたイメージに疑問を持つようになった。これ以後、正史を基礎とした三国志の解説書が多数登場し、漫画やゲームなどにも正史を基にした作品が現れるようになる[5]。ただし、これらの作品はいずれも横山三国志(漫画家横山光輝)など従来の演義ベースの設定に拠っている部分も多く(特に人物の外見や武具など)、純粋に正史に基づいた作品というよりは、演義に基づいた三国志ブームの中で人物設定や出来事など一部の事柄を正史に基づいて再構成したという意味合いが強い。 三国志演義・大衆文化の受容 『三国志演義』の伝来時期は確定されていないが、江戸初期には『演義』受容の記録が漸く増加し、詩文などの中に演義の影響を受けたものも見られる。[6]林羅山は慶長9年(1604年)までに『通俗演義三国志』を読了した[7]。また、元和2年(1616年)に徳川家康の遺志により駿府の文庫から水戸藩・尾張藩へ移された書籍の内に『演義』があった[8]。 『三国志演義』の日本語訳として、元禄2年(1689年) - 5年(1692年)に湖南文山(『大観随筆』によれば天龍寺の僧義轍および月堂の筆名)『通俗三国志』が刊行される。これは日本語完訳された初めての外国小説であり、満州語版に次いで2番目の外国語訳『三国志演義』である[9]。同書は以後も再刊を繰り返し、葛飾戴斗(葛飾北斎の弟子))の錦絵を付した池田東雛亭編『絵本通俗三国志』(天保7年(1836年) - 12年(1841年刊)が人気を博し、明治には幸田露伴『新訂通俗三国志』(東亜堂書房 1911年)がある。 明治以後には『通俗三国志』以外にも諸種の訳が現れ、明治期には久保天随『新訳演義三国志』(至誠堂 1912年)が名高い。戦後は小川環樹・金田純一郎『三国志』(岩波文庫 1973年 改版88年)、立間祥介『三国志演義』(平凡社 1958年、徳間文庫 1983年)、井波律子『三国志演義』(ちくま文庫 2003年)、渡辺精一『新訳三国志』(天・地・人の巻 講談社 2000年)があり、これらの訳本は改稿・重版を経て現在も通行している。 『通俗三国志』の刊行以後、大衆文化にも三国志が普及し歌舞伎においては早くも文化8年初演「助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出る。また万延元年初演「三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、梅の下にて」義兄弟の契りを結ぶ場面がある。また元文2年初演の作品に「関羽」というそのものずばりの題名もある。近年では市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』がある。 洒落本では夢中楽介の『通人三国師』(天明元年(1781年)刊がある。劉備が吉原で料亭を営むところに借金を抱えた孔明が転がり込み、さらに仲達が押し掛けるが孔明の計略で撃退される、という筋立てである。このような三国志のパロディは文人のみならず読者層にも三国志の物語が広く敷衍していたことを示すもので、江戸人の『演義』読解への熱意を見出す見解がある[10]。 曲亭馬琴は羅貫中ら中国の小説家を崇敬し自らを羅貫中になぞらえており、読本の表現手法において『三国志演義』に負うところが大きい[11]。その一方、随筆においては関羽に対する辛らつなコメントを残している。 戦国の人物を三国志の登場人物になぞらえることも行われ、竹中半兵衛は諸葛亮に擬せられ[12]、豊臣秀吉・徳川家康は諸葛亮の智謀・関羽の勇を兼備した武将と評された[13]。 明治以後は『三国志演義』をもとにした時代小説も多く現れるようになり、児童向けの野村愛正『三国志物語』(大日本雄弁会講談社 1940年)などがあるが、戦後の三国志ブームの礎となったのが吉川英治の新聞小説『三国志』(『台湾日日新報』等に連載。単行本は大日本雄弁会講談社 1948年・六興出版 1956年)である。戦闘シーンなどの冗長な描写を省き、人物像にも独自の解釈を取り入れた格調高い歴史文学として評価されている。また、中国人と日本人との感性の差を考慮し、日本人にとって受け入れがたいエピソード(劉備をもてなすのに劉安が妻を殺してその人肉を提供するなど(鉢の木のエピソードの原型版))に作者のコメントを寄せるなどの改変を行っている。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世の風雲児として鮮やかに描いているのが特徴である。日本では、吉川三国志が事実上の底本となっている。これ以後柴田錬三郎『三国志』(鱒書房 1955年)『柴錬三国志 英雄ここにあり』(講談社 1975年)『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』(講談社 1977年)[14]、陳舜臣『秘本三国志』(文藝春秋 1974年)『諸葛孔明』1991年 『曹操』1998年(各.中央公論社 のち同文庫)、北方謙三『三国志』(角川春樹事務所 1996年)、安能務『三国演義』(講談社 1999年)、宮城谷昌光『三国志』(文藝春秋 2004年)を代表とする「三国志」小説が次々と登場する。 戦後のメディア作品としては吉川三国志をそのまま漫画化した横山光輝の漫画『三国志』や人形劇の『人形劇三国志』などが高い評価を受けた。また、曹操を主人公とした漫画である『蒼天航路』も高い評価を受けている。ゲームについては、『三國志シリーズ』や『真・三國無双シリーズ』などがヒット作品となっている。2008年には、ジョン・ウー監督のもとで「赤壁の戦い」をメインにした映画『レッドクリフ』が公開され、ヒット作品となっている。 高度成長期のビジネス競争の過熱の中で、競争を生き抜く知恵や企業のリーダー像の見本として、『孫子』などともに『三国志演義』もしばしば引き合いに出され、『三国志演義』に学べとしたビジネス書が多数刊行された。 1980年代以降、ゲーム・漫画において爆発的な三国志ブームが起き、三国志はジャンルの一つとして定着する。その後今日に至るまで、漫画やゲームや映画やアニメとして多数の作品が出版・製作され、不動の人気を博してきた。また他にも、三国志に出てくる人物の名前やその時代観を基にした、全く違ったものが作られるなど多彩なものと成りつつある。 そしてそれら三国志を題材にした作品は、必ずしも『三国志』あるいは『三国志演義』に忠実なものではなく、大きく改変が加えられているものも多い。特に顕著な傾向として、諸葛亮死後以降の展開については省略が目立ち、晋の統一に至るまで忠実に描き切った『三国志』作品は国内では皆無である。また、「もし、こうなっていたら」という仮定の設定で作られているものや、君主の設定が少し違うもの、あるいは基になっている人物の性別を換えているものなど、多種多様な作品が存在している。 三国志とは蜀の臣下の陳寿という方が記した歴史書だったんですね。 みなさん三国志は吉川三国志やその漫画版 横山光輝の三国志、 あるいはコーエーのゲーム三国志、三国無双。今年はレッドクリフなどの方がほとんどでしょうが ほとんどが三国志演義ベースなんですね。 北方謙三などが正史ベースです。 蒼天航路はどっちかな? えぇ?正史とか演義って何?ってかたは正史と演義を。 興味をもっていただけましたか? このwikiを読み通せばあなたも立派な 三国志オタク!!
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1053.html
親の七光りと友情パワーで凄い出世しちゃった人。 本来使えない子の代名詞だが、S7では最高の官位の一つ 車騎将軍 に!なのでこれはあくまでS7限定の活用法である。 まず、魏ならとりあえず姜維と義兄弟にしよう。これで姜維の能力で15000の兵力を持つこの時代最強クラスの部隊が出来る。 彼には特技が無いので、何か凄い特技を付ければ、本当に最強になれるだろう。在野だが鄧艾とでも良い。 また、他の勢力で始めた場合は、諸葛亮先生に倣って彼を捕縛しても必ず逃がしてあげよう! これで再び敵は兵と武器15000を自らドブに棄ててくれる。ある意味これも活用法と言えるだろう。 -- (名無しさん) 2010-02-13 13 53 07 何と劉禅にも劣るその能力! 彼より下は黄皓と岑昏しかいない・・・ まあ運搬でもつけてやれば働きの場所はできるけどねw -- (名無しさん) 2011-02-02 22 02 41 魏の武将でありながら、三国志末期では蜀に対して最も貢献した人といって過言ではない。 なんといっても姜維という、三国志末期の武将のなかで、3本の指にはいる強さを誇る武将を蜀に譲りわたしたのだから!!! こいつさえいなければ、魏軍は一瞬で蜀を蹂躙できだだろうに・・・・。 -- (名無しさん) 2011-02-28 01 10 06 そんな豆知識はチラ裏で書いてくれ 最も、書き込む前にウィキペディアでも読んでおく事をオススメするが -- (名無しさん) 2011-02-28 22 39 25 惇兄の息子とは思えない酷い能力値。 義理も低めなので長距離輸送にも使いづらい。 もう既に書かれているがS7では高い官位についているので、 姜維か鄧艾あたりと義兄弟にして動員兵力を増やす使い方しかないだろう。 -- (名無しさん) 2011-04-21 12 32 48 魅力が2ってw 孫皓以下かよw それはともかく義理が低いが曹丕を親愛してるので彼が君主をやってれば裏切ることはない。 S7だと曹丕は寿命ですぐ死んじゃうけど… -- (名無しさん) 2011-05-12 15 38 00 夏侯一族のなかで唯一、70越えしてる能力がない。使用法とし後方都市の太守ぐらいだが義理が高くない。 -- (名無しさん) 2011-09-21 13 24 55 演義の被害者。実際はただの凡人ぐらいだろう。 -- (名無しさん) 2012-06-20 22 57 57 実際はそこそこ能力があったであろう人物。BSフジで放送中の三国志でも多少の活躍はしていた。コーエー仕様で能力は酷いものだが、それはそれ、この能力を楽しもう(!?)。 -- (名無しさん) 2012-08-09 00 56 06 表2つが見事に真っ黒。 黄昏コンビでも知力は少し明るい色になってるのに。 -- (名無しさん) 2013-01-06 05 25 16 チラ裏とかかっこつけて書いてるやつ、恥ずかしい。 -- (名無しさん) 2013-01-06 13 13 21 元は 夏侯淵の子で、のちに惇へ養子にいった。 ことをかんがえると、子供の教育に熱心だった夏侯淵の 子であるから、本当のところは、どんなひとだったんだろうか -- (名無しさん) 2013-02-16 17 48 04 正史によると 「生まれついて武芸に欠け、金儲けが好き」とされている だが弟達(三国志11には非登場)の無礼を諌める等ある程度は まともな人物だったらしい…それでも能力は似たり寄ったりになるだろうが せめて演義通り「遁走」があればよいがそれもなく穀潰し一歩手前である 上記のとおり兵力ブースターとして活用すべきである 姜維に轢き殺されないように… -- (名無しさん) 2013-02-18 14 07 06 ↑↑2どーでもいいが、正史では惇の実子だぞ S7以外でこいつを使う場合、曹丕君主以外では運搬も任せにくいので、研究で祈願等が出た場合内政系特技つけてどっかの都市に置いとくほかないだろう -- (名無しさん) 2013-02-19 18 05 54 高難易度だとみるみる忠誠が下がっていくが、こんなやつに褒章を出すのはもったいなすぎする。曹丕死後に寝返られたところで痛くもかゆくもないので、遠慮なく流言避雷針にしよう。 むしろS7では無駄に高い功績値のおかげで、寝返ってもらえれば敵の官職や兵力を食いつぶしてくれるので地味にありがたい。ババ抜きのババそのものだが、逆にそういう意味では価値のある武将といえる。 -- (名無しさん) 2014-08-05 13 01 36 S7では最初君主のお膝元にいるので気づきにくいが、配置を整理するときに後方に置き忘れたりしないように注意しよう。 階級をいじらずに後方に配置すると、無駄に階級が高いのでまず太守になってしまうのだが、常時流言でもくらってるんじゃないかという勢いで治安が下がる。 有る意味面白いので一見の価値はあるが、気づかずにやってしまうと惨事である。 -- (名無しさん) 2014-10-07 11 36 15 私は真三國無双4エンパで最強にしたいぞ、 俺は4エンパで成長する。 -- (grbity) 2014-12-17 22 21 42 義理は低くて太守としても使えない。斬る価値もないからむしろ捕らえたら逃がそう。 -- (名無しさん) 2017-04-14 20 31 37 英雄乱舞で惇兄軍でやってたらしれっと彼が「父上、次はどうします?」と。彼が息子だと初めて知って大泣きしたわ。とりあえず息子なので散々悩んだ挙げ句運搬を与えた。幸い親子だからか忠誠も下がることなく天下統一したけど、今後彼を使うことはないだろうな… -- (名無しさん) 2017-10-09 00 45 29 三國志Ⅵくらいの能力くらいがちょうどいいかも...今作ではあまりに酷すぎる ^^; まぁ、ネタキャラだから仕方ないけど...それはさておき、彼の運用法は...能力が最低クラスなら義理も低いし能力も低いので、後方都市の内政の人数合わせくらいしか... -- (名無しさん) 2018-04-07 18 29 49 ↑能力云々同じ事を2回言ってしまった m(_ _)m -- (名無しさん) 2018-04-07 18 31 25 何をするにも使えない武将 義理も低いのでいるだけ邪魔 S7であれば官位目当てで義兄弟を作り有名武将の繋ぎ止めには期待できるが そうでなければさっさと追放したほうがいい -- (名無しさん) 2018-04-17 17 11 41 いや、どんなクソでも居ないよりはマシのこのゲームで、追放したほうがいいってのはなくね? -- (名無しさん) 2018-09-08 00 06 00 司馬懿「彼はまさしく天下の奇才。彼を正しく扱えるのは、この魏におりませぬ。他の勢力に仕官してもらうのが最善でしょう」 曹叡「しかし仲達よ。また解放されて帰ってきたぞ」 -- (名無しさん) 2019-02-10 00 19 07 司馬懿「困ったものですな…とにかく、兵1を与えてまた行ってもらいましょう」 -- (名無しさん) 2019-02-10 00 20 44
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1965.html
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/21.html
264年 (景元五年→咸煕元年(魏) 元興元年(呉)) 皇帝 曹奐(魏) 孫休(呉) 三公 司徒: 司空: 太尉: 九卿 主な事件 正月十五日、魏の鍾会は成都に入った《三国志鍾会伝》 誕生者 死没者 鍾会(魏の相国鍾ヨウの子・戦死・享年40歳) 姜維(蜀の大将軍・戦死)
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2037.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2052.html