約 164,452 件
https://w.atwiki.jp/qweasd/pages/14.html
↓公式のブラウザ三国志のURL↓ http //www.3gokushi.jp/ ↓ブラゲータイムのブラウザ三国志のURL↓ http //sangoku.bg-time.jp/ ブラウザ三国志はDL(ダウンロード)不要でさらに会員登録も簡単です
https://w.atwiki.jp/fire_wiki/pages/220.html
宝物>加速へ戻る 名 値段 説明 戦場加速 5 戦場で部隊の行軍時間を残り10秒に短縮する。 通関書 5 訓練中の武将に使用すると、訓練の残り時間が30%減少する。 招集令 5 訓練が終了し、帰還中の武将に使用すると、瞬時に人事院に呼び戻すことができる。 特急大工 - 春秋時代の伝説の大工「魯班」の技を受け継ぐ大工が、瞬時に建設を完了する。短縮した時間に応じた元宝が必要。 大工の紙片 5 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた紙片。残り建設時間を15分短縮する。 大工の帳面 10 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた帳面。残り建設時間を1時間短縮する。 大工の図面 20 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた図面。残り建設時間を2時間30分短縮する。 大工の書物 50 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた書物。残り建設時間を8時間短縮する。 大工の巻物 80 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた巻物。残り建設時間を10~30時間のランダムで短縮する。 大工の全集 120 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた全集。残り建設時間を30%短縮する。 特急学者 - 戦国時代の学者「墨子」の知識を受け継ぐ学者が、瞬時に研究を完了する。短縮した時間に応じた元宝が必要。 学者の紙片 5 戦国時代の学者「墨子」が書いた紙片。残り研究時間を15分短縮する。 学者の帳面 10 戦国時代の学者「墨子」が書いた帳面。残り研究時間を1時間短縮する。 学者の図面 25 戦国時代の学者「墨子」が書いた図面。残り研究時間を3時間短縮する。 学者の書物 65 戦国時代の学者「墨子」が書いた書物。残り研究時間を10時間短縮する。 学者の巻物 100 戦国時代の学者「墨子」が書いた巻物。残り研究時間を12~36時間のランダムで短縮する。 学者の全集 150 戦国時代の学者「墨子」が書いた全集。残り研究時間を35%短縮する。 徴兵加速 30 兵士の雇用にかかる残り時間が30%減少する。1つの雇用に2回使用することはできない。 城防加速 35 城防施設の建設にかかる残り時間が30%減少する。1つの建設に2回使用することはできない。 木牛流馬 5 市場での取引成立後にかかる交易時間を10分の1に短縮する。購入側、売却側のどちらでも使用可能。 火薬筒 20 火薬を大量に詰め込んだ筒。使用すると建物を完全削除して空地に戻す。建物を削除しても資源は戻らない。官邸には使用できない。 傷薬 10 武将に使用すると、体力が10%回復する。 中傷薬 30 武将に使用すると、体力が30%回復する。 大傷薬 60 武将に使用すると、体力が60%回復する。 特傷薬 100 武将に使用すると、体力が100%回復する。 気力丸 10 武将に使用すると、気力が10%回復する。 中気力丸 30 武将に使用すると、気力が30%回復する。 大気力丸 60 武将に使用すると、気力が60%回復する。 得気力丸 100 武将に使用すると、気力が100%回復する。 初級経験書 8 武将に使用すると、経験が3,000増加する。 中級経験書 30 武将に使用すると、経験が30,000増加する。 上級経験書 100 武将に使用すると、経験が300,000増加する。
https://w.atwiki.jp/nicothp/pages/138.html
berit 【ニコニコ動画】まんが東方昔話 プロフィール 関連リンク 投稿作品 まんが東方昔話・1話目(前編 (2008-04-29) まんが東方昔話・1話目(後編 (2008-04-29) まんが東方昔話・2話目(その1 (2008-08-01) まんが東方昔話・2話目(その2 (2008-08-01) まんが東方昔話・2話目(その3 (2008-08-01) まんが東方昔話・3話目(前編 (2008-11-28) まんが東方昔話・3話目(後編 (2008-11-28) 【東方】〇〇が幻想入り?(前編) (2009-01-11) 【東方】〇〇が幻想入り?(後編) (2009-01-11) 【東方】〇〇が幻想入り?(続編) (2009-05-10) 【三国志11】幻想三国奇憚【試作】 (2009-06-29) まんが東方昔話・4話目(前編 (2010-05-29) まんが東方昔話・4話目(後編 (2010-05-29) まんが東方昔話・4話目(ED (2010-05-29) 14 item(s) Last-Modified 2010/05/29 07 00 18 作品一覧
https://w.atwiki.jp/eiketsu-taisen/pages/1737.html
武将名 こうげつえい 黄月英 統一名称:黄月英 生没年:不明「動いて、奇道兵士!! 敵をやっつけなきゃいけないの」諸葛亮の妻。その容貌から異国の血が混じっていたとも言われている。兵法はもとより、天文や地理など様々な学問に通じた才女。献策のほか、兵糧を運ぶ木牛流馬やカラクリ仕掛けの木偶人形などの発明によって諸葛亮を支えた。 勢力 碧 時代 三国志 レアリティ R コスト 1.5 兵種 弓兵 武力 5 知力 7 特技 伏兵 計略 発明家の奇策(はつめいかのきさく) 武力と射程距離が上がり、矢を当てている敵の受ける兵種アクションのダメージを増加する 必要士気 3 効果時間 知力時間 Illust. I☆LA 声優 三澤紗千香 計略内容 カテゴリ 士気 武力 知力 速度 兵力 効果時間 備考 強化 3 +1 - - - 11.3c(知力依存0.4c) 射程1.45倍(+約1.4部隊分)弓攻撃を当てている敵部隊の受ける兵種アクションのダメージを増加 (最新Ver.2.1.0E) アクションダメージ増加値 弓攻撃+2.4 突撃+8 槍撃+3 斬撃+6 射撃+2.5 所感 碧の1.5コスト弓兵。 コスト比平均的な武力に高知力伏兵を兼ね備える。 計略「発明家の奇策」は士気3の自身強化。 武力に加え弓攻撃の射程が上昇し、さらに弓攻撃を当てている敵部隊の受ける兵種ダメージを増加させる効果。 士気3ながら遠弓効果に変則的なダメージ増加まで付いているが、その分武力上昇値は最低値。 そのため、この計略単体での火力は士気を加味してもあまり高くはない。 長めの効果時間を活かし、他の部隊と連携することでダメージを倍増させていきたいところ。 解説 「スペシャルグッズキャンペーン第3弾」(2024/8/08~2024/09/17)の20ポイント報酬。 河南の名士・黄承彦の娘。 『襄陽記』にて、父が諸葛亮に対し「娘は金毛色黒で美人とは言えないが、才知は君にも釣り合うだろう」と紹介した他、 結婚後に周囲から「孔明の嫁選びを真似てはいけない。黄承彦のところの醜女をもらう羽目になるぞ」とからかわれた逸話が知られている。 これが新庄局のように後世に「醜女だが賢妻」として知られた根拠であろう。 大戦シリーズにおいて 発明家として知られるためか、三国志大戦ではコラボカードを除き攻城兵や新版の後期に追加された連弩兵といった大型兵器を扱う兵種で登場している。 本作ではそれらに相当する兵種が存在しないためか弓兵として登場しているが、カードイラストの背景には某超合金ロボじみた巨大兵器が描かれている。 台詞 \ 台詞 開幕 動いて、奇道兵士!!敵をやっつけなきゃいけないの └自軍に碧060_諸葛亮 孔明さま、下がって下さい。踏み潰されないように気をつけて! 計略 黄月英の技術の粋を集めた最新武器。ここに、お披露目ー!! ├絆武将 これは、貴方の志を継いだ、人類の希望だー! 兵種アクション 狙います! 撤退 壊れたー! 復活 まだ大丈夫、動くみたい! 伏兵 流石に隠れられない! 攻城 城を踏み潰すんだー! 落城 ひえ~派手にやったなー、これは帰ってすぐに修理しなくっちゃ! 贈り物① あなたの支援で私は発明をつづけることができています。いつかきっとお役に立ってみせます! 贈り物② その部品を探してたんだー!流石だね! 私の助手にならない? 贈り物(お正月) - 贈り物(バレンタインデー) - 贈り物(ホワイトデー) - 贈り物(ハロウィン) - 友好度上昇 まだ大丈夫、動くみたい! 寵臣 - └特殊 - 贈り物の特殊演出 ① 対象武将:碧060_諸葛亮 会話武将 台詞 黄月英 おかしなことばかり起こる世界だもの、奇道兵士の動作も確認しておかなきゃ。 黄月英 ふむふむ、手足の駆動は問題なさそうね。次は……ってちょっと、どこに向かってるの? 諸葛亮 あちらの平たい建物……月英が奇道を格納していた基地に似ていますね。 黄月英 孔明様、流石にそれくらいの識別はでき……てない!? 嘘でしょ、お願い止まって~!! 情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。 名前 奇道兵士(きどうへいし)か。戦士じゃないのか(NG)。 - 名無しさん (2024-08-28 10 38 10) どっから計略効果来たのかと思っていたけど諸葛亮と相性の良い計略って事だったのね。 - 名無しさん (2024-08-17 20 11 08)
https://w.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/366.html
十八史略 昭烈皇帝 2011-10-29 09 56 08 | 十八史略 昭烈皇帝諱備、字玄、漢景帝子中山靖王勝之後。有大志。少言語、喜怒不形。身長七尺五寸。垂手下膝、顧自見其耳。 蜀中傳言、曹丕簒立、帝已遇害。於是漢中王、發喪制服、諡曰孝愍皇帝。夏四月、即帝位於武擔之南、大赦、改元章武。 以諸葛亮爲丞相、許靖爲司徒。 立宗廟、袷祭高皇帝以下。 立夫人呉氏爲皇后、子禪爲皇太子。 昭烈皇帝諱(いみな)は備、字(あざな)は玄徳。漢の景帝の子の中山靖王勝の後(のち)なり。大志有り。言語少なく、喜怒形(あら)わさず。身の長(たけ)七尺五寸。手を垂るれば膝より下り、顧みれば自ら其の耳を見るという。 蜀中伝えて言う、曹丕簒立(さんりつ)して、帝已に害に遇えりと。是(ここ)に於いて漢中王、喪を発し服を制し、諡(おくりな)して孝愍皇帝(こうびんこうてい)と曰う。夏四月、帝位に武担の南に即き、大赦し、元を章武と改む。 諸葛亮を以って丞相と為し、許靖(きょせい)を司徒と為す。 宗廟を立てて、高皇帝以下を袷祭(こうさい)す。 夫人の呉氏を立てて皇后と為し、子の禅を皇太子と為す。 諱 生きているときは名といい、死んでからいみなと言う。字 男子が成人後につける別名。 諡 死後にその徳を称えて贈る称号。 簒立 帝位を奪って代り立つ。 服を制し 喪に服すこと。 武擔 武担山。袷祭 あわせ祭る、合祀。 昭烈皇帝は諱は備、字は玄徳。漢の景帝の子の中山に封ぜられた靖王勝の後裔である。大志を抱き、口数少なく、喜怒を表さなかった。身の丈七尺五寸、手を垂れると膝より下まで届き、ふり返ると自分の耳が見えたといわれる。 曹丕が帝位を奪って立ち、献帝は殺害されたとの噂が伝わった。漢中王劉備は国中に喪を発して自ら服喪して、献帝に孝愍皇帝と諡を贈った。この夏の四月、漢中王は武担山の南で帝位に即き(221年)大赦を行い、元号を章武とした。 また諸葛亮を丞相に、許靖を司徒に任命した。 宗廟を立てて、高祖以下の皇帝をあわせ祭った。 夫人の呉氏を皇后に立て、子の禅を皇太子とした。 十八史略 車載斗量あげて数うべからず。 2011-11-01 10 57 43 | 十八史略 魏主丕、姓曹氏、沛國譙人也。父操爲魏王、丕嗣位。首立九品官人之法。州郡皆置九品中正、區別人物、第其高下。丕既簒漢、自立爲帝、追尊操爲太祖武皇帝、改元黄初。 帝恥關羽之没、自將伐孫權。權求和不許。權遣使於魏。魏封權爲呉王。魏主問呉使趙咨曰、呉王頗知學乎。咨曰、呉王任賢使能、志存經略。雖有餘閑博覧書史、不效書生尋章摘句。魏主曰、呉難魏乎。咨曰、帶甲百萬、江・漢爲池。南難之有。曰、呉如大夫者幾人。咨曰、聰明特達者、八九十人。如臣之比、車載斗量不可勝數。 魏主丕、姓は曹氏、沛国(はいこく)譙(しょう)の人なり。父の操、魏王と為り、丕位を嗣(つ)ぐ。首として九品もて人を官するの法を立つ。州郡皆九品の中正を置き、人物を区別して、其の高下を第(つい)でしむ。丕既に漢を簒(うば)い、自ら立って帝と為り、操を追尊して太祖武皇帝と為し、黄初(こうしょ)と改元す。 帝、関羽の没せしを恥ぢ、自ら将として孫権を伐つ。権、和を求むれども許さず。権、使いを魏に遣わす。魏、権を封じて呉王と為す。魏主、呉の使いの趙咨(ちょうし)に問うて曰く、「呉王、頗る学を知れるか」と。咨の曰く、「呉王は賢を任じ能を使い、志経略に存す。余閑有れば博く書史を覧ると雖も、書生の章を尋ね句を摘むに效(なら)わず」と。魏主曰く、「呉は魏を難(はばか)るか」と。咨の曰く「帯甲百万、江・漢を池と為す。何の難ることか之有らん」と。曰く、「呉に大夫の如き者幾人かある」と。咨の曰く「聡明特達の者、八九十人あり。臣の如きは、車に載せ斗もて量(はか)るとも、勝(あ)げて数う可からず」と。 譙 安徽省毫県。 九品中正 官名、各地の人物を九等に評価して推挙した。 等 順序を定める、格付け。 頗る すこし、かなり。 難るか 憂え、恐れる。 帯甲 甲冑をつけた兵士。 江・漢 揚子江と漢水。 勝 ①あげる、たえる、こらえる、できる、すぎる、しのぐ、のる、あげて、ことごとく②かつ、まさる、すぐれる。 魏の国主丕、姓は曹氏、沛国譙のひとなり。父の操、魏王となり、丕が位を嗣いだ。まず手始めに官吏登用の九品官人法を定めた。それは州、郡に九品中正官を置き、人物の優劣を区別たもので、高下の順序をつけて任用することとした。丕はやがて漢の帝位を奪って、みずから皇帝となり、父の操を追尊して太祖武皇帝とし、年号を黄初(こうしょ)と改元した。(220年) 昭烈帝劉備は関羽が呉軍に討たれたことを悔み、自ら兵をひきいて孫権を伐ちに出発した。孫権は和睦を求めたが容れられず、魏に使いを遣って救いを求めた。魏はそれを受けて、孫権を呉王に封じた。このとき、曹丕は呉の使いの趙咨に問いかけた。「呉王は少しは学問をなされるかな。」咨は答えて「呉王は賢者を登用して有能の者を使い、その志すところは天下統治にありますから、余暇には歴史書を読みますが、書生が一字一句を追求するようなことはございません。」また、「呉は魏を恐れているか」「甲冑をつけた兵士が百万、揚子江・漢水が濠となっております、なにを恐れることがありましょう。」さらに、「貴公ほどの人はどのくらい居られるか」「聡明で特出した者が八、九十人おります。わたくし程度の者なら、車に積み、ますで計ってもすべて数え切れないくらいであります。」 十八史略 昭烈帝劉備崩ず 2011-11-03 17 27 59 | 十八史略 帝自巫峽至夷陵、立數十屯、與呉軍相拒累月。呉將陸遜、連破其四十餘營。帝夜遁。 魏主責呉侍子。不至。怒伐之。呉王改元黄武、臨江拒守。 三年、夏四月、帝崩。在位三年。改元者一、曰章武。諡曰昭烈皇帝。太子禪即位。封亮爲武郷侯。太子既立。是爲後皇帝。 帝、巫峽(ふきょう)より夷陵(いりょう)に数十屯を立て、呉軍と相拒(ふせ)ぐこと累月(るいげつ)、呉将陸遜、連(しき)りにその四十余営を破る。帝、夜遁(の)がる。 魏主、呉の侍子(じし)を責む。至らず。怒って之を伐つ。呉王元(げん)を黄武と改め、江に臨んで拒(ふせ)ぎ守る。 三年夏四月、帝崩ず。在位三年。元を改むる者(こと)一、章武と曰う。諡(おくりな)して昭烈皇帝と曰う。太子の禅、位に即く。亮を封じて武郷侯と為す。太子既に立つ。是を後皇帝と為す。 屯 駐屯地。 連 しきりに、つづけて。 侍子 自分の子を差し出して天子に仕えさせる一種の人質。 昭烈帝劉備は、巫峽から夷陵にかけて数十の陣営を築いて、呉軍と対峙すること幾月かにおよんだ。呉の将陸遜が続けざまに四十余りを撃ち破ったので、帝は夜にまぎれて逃げ帰った。 魏の曹丕は孫権が約束の人質を出さないのを責めたが、遂に怒って呉を攻めた。呉王孫権は元号を黄武と改め、揚子江に臨んで魏軍と対峙した。 漢の章武三年(223年)夏四月、昭烈帝が崩じた。改元は一度で章武である。諡を昭烈皇帝という。太子の禅が位を継ぎ、諸葛亮を武郷侯に封じた。太子が即位した、これが後皇帝(こうこうてい)である。 十八史略 昭烈皇帝の遺言 2011-11-05 09 16 23 | 十八史略 嗣子輔く可くんば之を輔けよ 後皇帝名禪、字公嗣、昭烈皇帝子也。年十七即位。改元建興。丞相諸葛亮受遺詔輔政。昭烈臨終謂亮曰、君才十倍曹丕。必能安國家、終定大事。嗣子可輔輔之。如其不可、君可自取。亮涕泣曰、臣敢不竭股肱之力、效忠貞之節、繼之以死。亮乃約官職、修法制、下教曰、夫參署者、集衆思、廣忠也。若遠小嫌、難相違覆、曠闕損矣。亮乃遣芝、使呉修好。芝見呉王曰、蜀有重險之固。呉有三江之阻。共爲脣齒、進可兼并天下、退可鼎足而立。呉遂絶魏專與漢和。 後皇帝、名は禅、字は公嗣(こうし)、昭烈皇帝の子なり。年十七にして位に即く。元を建興と改む。丞相の諸葛亮、遺詔を受けて政を輔(たす)く。昭烈、終りに臨んで亮に謂って曰く、「君の才は曹丕に十倍せり。必ず能く国家を安んじ、終(つい)に大事を定めん。嗣子輔く可くんば之を輔けよ。如(も)し其れ不可ならば、君、自ら取る可し」と。亮、涕泣(ていきゅう)して曰く、「臣敢えて股肱(ここう)の力を竭(つく)し、忠貞の節を效(いた)し、之に継ぐに死を以ってせざらんや、」と。亮乃ち官職を約し、法制を修め、教えを下して曰く、「夫(そ)れ参署は、衆思(しゅうし)を集め、忠益を広むるなり。若し小嫌(しょうけん)を遠ざけ、相違覆(いふく)することを難(はばか)らば、曠闕(こうけつ)して損あらん、」と。亮、乃ち芝(とうし)を遣わし、呉に使いして好(よしみ)を修めしむ。芝、呉王に見(まみ)えて曰く、「蜀に重険(じゅうけん)の固(かため)有り。呉に三江の阻(そ)有り。共に唇歯(しんし)を為さば、進んでは天下を兼并(けんぺい)す可く、退いては鼎足(ていそく)して立つ可し、」と。呉、遂に魏と絶(た)ち、専ら漢と和す。 敢不 反語、(敢えて・・せざらんや)と読む。不敢は否定(敢えて・・せず)。 股肱 ももとひじ、全身。 参署 合議制、大勢が参加してその結果に署名する。 衆思 多くの意見。 忠益 忠言の益。 小嫌 些細な気がね。 違覆 異見を述べ、繰り返し審議すること。 曠闕 曠は空しい、闕は欠けること、ないがしろになること。 三江 呉淞・銭塘・浦陽。 唇歯 親密な間柄。 兼并 併せもつ。 鼎足 三本足、蜀、呉、魏が並び立つ。 後皇帝、名は禅、字は公嗣といい、昭烈皇帝の子である。十七歳で位に即き、年号を建興と改めた。丞相の諸葛亮は昭烈皇帝の遺言を受けて政治を補佐した。昭烈帝の臨終の際、亮に「君の才能は魏の曹丕に比べて十倍にも勝る。国家を安泰にし、天下統一の大事をなすことができよう。補佐するに足る器量が禅にあるなら、援けてやって欲しい、もしその甲斐が無いようなら、君自ら天下を取ってくれ」と言った。亮は涙を流して、「私は何としても臣下として全力をもって、忠節を尽し、ついには一命をも投げ出さずにおられましょうか」と申し上げた。こうして亮はまず官職を簡素にし、法制を改め、群臣に、「そもそも参署とは衆知を集め、忠言の益を広めるためのものである。もし些細な気兼ねから異議をさしはさむことを憚り審議を繰り返すことを厭えば、天下の政務はなおざりになり、ひいては国の大損失となるであろう。」と訓示した。ついで諸葛亮は芝を使者として呉に派遣し、好(よし)みを通じさせた。芝は呉王に面会して、「わが蜀にはいく重もの天然の要害があります。貴国には呉淞・銭塘・浦陽の三江の険阻があります。共に唇と歯のような切っても切れぬ間柄となれば、進んでは天下を併せ持つことが出来ましょう。退いては鼎の足のように三国が並び立つことができます。」と言上した。呉王は魏と絶ち、もっぱら蜀漢と親しく交わった。 十八史略 猛獲七縦七禽 2011-11-08 11 04 26 | 十八史略 魏主以舟師撃呉。呉列艦于江。江水盛長。魏主臨望、歎曰、我雖有武夫千羣、無所施也。於是還師。 南夷畔漢。丞相亮往平之。有孟獲者。素爲夷漢所服。亮生致獲、使觀營陣、緃使更戰。七緃七禽、猶遺獲。獲不去曰、公天威也。南人不復反矣。 魏主又以舟師臨呉。見波濤洶湧、歎曰、嗟乎、固天所以限南北也。 魏主丕殂。僭位七年。改元者一、曰黄初。諡曰文皇帝。子叡立。是爲明帝。叡母被誅。丕嘗與叡出獵、見子母鹿。既射其母、使叡射其子。叡泣曰、陛下已殺其母。臣不忍殺其子。丕惻然。及是爲嗣即位。 處士管寧、字幼安。自東漢末、避地遼東三十七年。魏徴之。乃浮海西歸。拝官不受。 魏主舟師(しゅうし)を以って呉を撃つ。呉、艦を江に列す。江水盛長す。魏主、臨望(りんぼう)し、歎じて曰く、我、武夫(ぶふ)千群有りと雖も、施す所無きなり、と。是(ここ)に於いて師を還す。 南夷、漢に畔(そむ)く。丞相亮、往(ゆ)いて之を平らぐ。孟獲という者有り。素より夷漢(いかん)の服する所と為る。亮、獲を生致(せいち)し、営陣を観(み)しめ、縦(ゆる)して更に戦わしむ。七縦七禽(しちしょうしちきん)、猶獲を遣(や)る。獲、去らずして曰く、公は天威なり。南人復た反せず、と。 魏主、又舟師を以って呉に臨む。波濤の洶湧(きょうよう)するを見て、歎じて曰く、嗟乎(ああ)、固(まこと)に天の南北に限る所以(ゆえん)なり、と。 魏主丕、殂(そ)す。位を僭(せん)すること七年。改元する者(こと)一、黄初と曰う。諡(おくりな)して文皇帝と曰う。子の叡(えい)立つ。是を明帝と為す。叡の母、誅せらる。 丕、嘗て叡と出でて猟し、子母(しぼ)の鹿を見る。既に其の母を射(い)、叡をして其の子を射しむ。叡、泣いて曰く、陛下、已に其の母を殺せり。臣、其の子を殺すに忍びず、と。丕惻然(そくぜん)たり。是(ここ)に及んで、嗣と為り、位に即く。 処士管寧(かんねい)、字は幼安。東漢の末より、地を遼東に避くること三十七年。魏、之を徴(め)す。乃ち海に浮かんで西に帰る。官に拝すれども、受けず。 舟師 水軍、ふないくさ。 夷漢の服する所 夷も漢も共に畏服する。 生致 生け捕り。 七縦七禽 七度解き放って七度捕える。 洶湧 波が逆巻くさま。殂す 死ぬこと。 僭 身分を侵すこと、僭称。 惻然 あわれみ、心を痛めること。処士 仕官していない人。 魏主曹丕が水軍を率いて呉を攻めた。呉は軍船を揚子江に並べてこれを迎えた。折しも揚子江の水かさは増していた。曹丕はそれを見ると、「千隊ものつわものを率いているが、これではどうしようもない」と軍を帰した。 その頃、雲南の族が漢に叛いた。丞相の諸葛亮が出兵してこれを平定したが、猛獲という勇者がおり、族はもとより、漢でもその勇猛ぶりは知れ渡っていた。亮はこの猛獲を生け捕りにして、漢の陣営を見せた後、解き放って再度戦う機会を与えた。七たび解き放って七たびとらえた。なおも行かせようとすると、猛獲はこう言った「公の武威は天賦のものです。南のものは二度と叛きません」と。 その後、曹丕は再び水軍を発して呉に向かったが、又もや逆巻く波に遮られた。嘆息して「ああ、まことにこの揚子江は、天が南と北に天下を分かとうという意志のあらわれであろうか」と言った。 魏主曹丕が病死した(226年)。帝位を僭称すること七年、改元すること一度、黄初といった。文皇帝とおくりなした。子の叡が位に立った。これを明帝という。叡の母は以前に讒言にあって誅殺されていた。 曹丕はある日、叡をつれて猟にでかけ、親子づれの鹿を見つけた。丕がすかさず母鹿を射止めると叡に向かって子鹿を射るよう命じた。叡は泣いて訴えた「陛下は母鹿を殺しました。私はその子を殺すに忍びません」と。それを聞いて丕は悲痛な思いをした。こうして叡が後嗣ぎとなり、位に即いたのである。 民間の士に管寧という者がいた。字を幼安といい、東漢の末から、乱世を避けて、遼東の地に居ること三十七年もの間に及んだ。曹丕がこれを招いたところ、海路西に向かって魏に帰ってきたが、士官を固辞して受けなかった。 十八史略 出師の表 2011-11-10 14 39 17 | 十八史略 漢丞相亮、率諸軍北伐魏。臨發上疏曰、今天下三分、州疲弊。此危急存亡之秋也。宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。臣本布衣、躬畊南陽、苟全性命於亂世、不求聞達於諸侯。先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、許先帝以驅馳。先帝知臣謹慎、臨崩、寄以大事。受命以來、夙夜憂懼、恐付託不效、以傷先帝之明。故五月渡瀘、深入不毛。今南方已定、兵甲已足。當奬率三軍、北定中原。興復漢室、還于舊都、此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。遂屯漢中。 漢の丞相亮、諸軍を率いて、北のかた魏を伐つ。発するに臨んで、上疏(じょうそ)して曰く、「今、天下三分し、益州疲弊せり。此れ危急存亡の秋(とき)なり。宜しく聖聴を開帳すべく、宜しく忠諌(ちゅうかん)の路を塞ぐべからず。宮中・府中は倶(とも)に一体たり。臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、宜しく異同あるべからず。若し、姦を作(な)し、科を犯し、及び忠善の者有らば、宜しく有司に付して、その刑賞を論じ、以って平明の治を昭(あきら)かにすべし。賢臣を親しみ、小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。小人を親しみ、賢人を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。臣、本(もと)布衣(ふい)、南陽に躬畊(きゅうこう)し、性命を乱世に苟全(こうぜん)して、聞達(ぶんたつ)を諸侯に求めず。先帝、臣が卑鄙(ひひ)なるを以ってせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)して、臣を草廬(そうろ)の中に三顧し、臣に諮(と)うに当世の事を以ってす。是に由(よ)って感激し、先帝に許すに駆馳(くち)を以ってす。先帝、臣の謹慎なるを知り、崩ずるに臨み、寄するに大事を以ってせり。命を受けてより以来、夙夜(しゅくや)憂懼(ゆうく)し、付託の效(こう)あらずして、以って先帝の明を傷(そこな)わんことを恐る。故に五月、瀘(ろ)を渡り、深く不毛に入る。今、南方、すでに定まり、兵甲すでに足る。当(まさ)に三軍を奨率(しょうそつ)して、北のかた中原を定むべし。漢室を興復し、旧都を還(かえ)さんことは、此れ臣が先帝に報いて陛下に忠なる所以の職分なり」と。遂に漢中に屯(たむろ)す。 上疏 書をたてまつること。 聖聴を開帳 臣下の言葉をよく聴くこと。 忠諌 忠義の諫言。 宮中・府中 宮中は禁中・府中は幕府。 臧否 善悪。 陟罰 陟は登る、褒賞と罰則。 先漢 文帝・景帝の治世。 後漢 桓帝・霊帝の治世。 布衣 無官、庶人。 躬畊 みずから耕す。 苟全 とりあえず全うする。 聞達 世間に知れること。 卑鄙 身分が低いこと。 枉屈 曲げ、屈めること。 草廬 粗末ないおり。 三顧 三度訪ねる、目上の人が礼を尽くすこと。 駆馳 奔走すること。 夙夜 一日中。 憂懼 憂え恐れること。 效 効に同じ。 瀘 瀘水。 兵甲 兵は武器、甲はよろい。 奨率 奨帥、励まし率いる。 漢の丞相亮がいよいよ三軍を率いて魏を伐つことになった。出発に臨んで後皇帝に書(出師の表)を奉った。(227年) 「今、天下三分し、わが益州は最も疲弊しており、まさに危急存亡のときであります。陛下にはよく臣下の言葉をお聞きになりまして、忠義の諫言にはどうか路を閉ざされませぬようなされませ。 宮廷と政府とは一体であります。善悪の賞罰には違いがあってはなりません。もし悪事を行い罪を犯す者、あるいは忠義善良な者は、役人に命じて刑罰、褒賞を決めさせ、政治の公平正明を天下に示すべきであります。 賢臣を近づけ小人を遠ざけたことが先漢の興隆した原因でありますし、小人を近づけ賢臣を遠ざけたことこそ、後漢が衰亡した原因であります。 私はもと無官の平民で、南陽にみずから田を耕し、この乱世にただ一命を大事にと、諸侯に仕えての栄達に背を向けて参りました。先帝は私が卑しい身分であるにも拘わらず、自ら高貴な身を枉げられて、三度もむさくるしい庵を訪れられて、当世の急務について下問されました。これがために感激して先帝のために奔走することを誓ったのであります。 先帝は私がつつしみ深いことをお認めになり、ご臨終の際、私に国家の大事を託されました。ご遺命を受けてよりこのかた、日夜心を砕き、ご信任に背いて先帝の聖明を汚すようなことがないかと恐れておりました。それ故五月、瀘水を渡って、深く不毛の地に入ったのでございます。 今、南方はすでに平定され、軍備も整いました。三軍を励まして、北のかた中原の地を平定すべきと考えます。漢の王室を復興し、旧都長安にふたたび還ることこそ私が先帝の恩に報い、陛下に忠誠を尽くすためのつとめであります。」こうして漢中に兵を進めて駐屯した。 十八史略 死して後已まん 2011-11-15 09 10 49 | 十八史略 後の出師の表 明年、率大軍攻祁山。戎陣整齊、號令明肅。始魏以昭烈既崩、數歳寂然無聞、略無所備。猝聞亮出、朝野恐懼。於是天水・安定等郡、皆應亮、關中響震。魏主如長安、遣張郃拒之。亮使馬謖督諸軍戰于街亭。謖違亮節度。郃大破之。亮乃還漢中。已而復言於漢帝曰、漢賊不兩立、王業不偏安。臣鞠躬盡力、死而後已。至於成敗利鈍、非臣所能逆覩也。引兵出散關、圍陳倉。不克。 明年、大軍を率いて、祁山(きざん)を攻む。戎陣(じゅうじん)整斉、号令明肅(めいしゅく)なり。始め魏、昭烈既に崩じ、数歳寂然として聞くこと無きを以って、略(ほぼ)備うる所無し。猝(にわか)に亮の出づるを聞き、朝野恐懼(きょうく)す。是(ここ)に於いて天水・安定等の郡、皆亮に応じ、関中響震(きょうしん)す。魏主、長安に如(ゆ)き、張郃(ちょうこう)をして之を拒(ふせ)がしむ。亮、馬謖(ばしょく)をして諸軍を督(とく)し、街亭に戦わしむ。謖、亮の節度に違(たが)う。郃大いに之を破る。亮乃ち関中に還る。已(すで)にして復(また)漢帝に言(もう)して曰く、「漢と賊とは両立せず、王業は偏安(へんあん)せず。臣、鞠躬(きくきゅう)して力を尽し、死して後に已(や)まん。成敗利鈍(りどん)に至っては、臣が能く逆(あらかじ)め覩(み)る所に非ざるなり」と。兵を引いて散関より出で、陳倉を圍(かこ)む。克たず。 祁山 甘粛省西和県。 明肅 明らかでだらけないこと。 響震 驚き騒ぐこと。 天水・安定 甘粛省の一地名。 節度 指図。 偏安 辺鄙な地に安んじる。 鞠躬 身を屈め敬う、転じて一事に専念して顧みる余裕がないこと。利鈍 鋭いかなまくらか、うまくいくかいかないか。 逆覩 逆はあらかじめ、予知すること 翌年、諸葛亮は大軍を率いて魏の祁山を攻めた。漢軍の陣営は整然、号令は厳かで明らかであった。当初は魏では蜀の昭烈帝が崩御してから数年間ひっそり静まりかえっていたので、備えをしていなかった。そこに突然亮が攻め込んだという知らせに、朝廷はもとより地方でも大いに恐れおののいた。かくて天水・安定等の諸郡は、皆亮に呼応したので関中は大騒ぎになった。 魏主曹叡は長安に赴き、張郃に防禦を命じた。亮は馬謖に諸軍を指揮させて街亭で戦わせた。ところが馬謖は亮の指図に背いたので張郃のために散々に打ち破られた。亮は残兵をまとめて関中に帰った。そしてまた帝に書を奉って(後の出師の表)「漢と賊(魏)とは両立せず、王業は僻地蜀に安んじていて成るものではありません。臣亮、ただひたすら力を尽して、死して後已まんの覚悟であります。もとより勝敗成否は臣の予知するところではありません」と申し上げた。そして兵をひきいて散関(陜西省宝鶏県)から打って出て、陳倉(同)を囲んだが、勝つには至らなかった。 十八史略 木牛流馬 2011-11-17 10 36 05 | 十八史略 呉王孫權、自稱皇帝於武昌、追尊父堅、爲武烈皇帝、兄策爲長沙桓王。已而遷都建業。 蜀漢丞相亮、又伐魏圍祁山。魏遣司馬懿督諸軍拒亮。懿不肯戰。賈詡等曰、公畏蜀如虎。奈天下笑何。懿乃使張郃向亮。亮逆戰。魏兵大敗。亮以糧盡退軍。郃追之、與亮戰、中伏弩而死。亮還勸農講武、作木牛流馬、治邸閣、息民休士、三年而後用之。悉衆十萬、又由斜谷口伐魏、進軍渭南。魏大將軍司馬懿引兵拒守。 呉王孫権、自ら皇帝を武昌に称し、父堅を追尊して武烈皇帝と為し、兄策を長沙桓王(ちょうさかんおう)と為す。已(すで)にして都を建業に遷(うつ)す。 蜀漢の丞相亮、また魏を伐ち、祁山(きざん)を囲む。魏、司馬懿(しばい)をして、諸軍を督して、亮を拒(ふせ)がしむ。懿、肯(あえ)て戦わず。賈詡(かく)等曰く、「公、蜀を畏(おそる)ること虎の如し。天下の笑いを奈何(いかん)せん」と。懿、乃ち張郃(ちょうこう)をして亮に向かわしむ。亮、逆(むか)え戦う。魏の兵、大いに敗る。亮、糧の尽くるを以って軍を退く。郃、之を追い、亮と戦い、伏弩に中(あた)って死す。亮、還って農を勧め武を講じ、木牛流馬を作り、邸閣を治め、民を息(やす)め士を休め、三年にして後に之を用う。衆十万を悉(つ)くして、又斜谷口(やこくこう)より魏を伐ち、進んで渭南(いなん)に軍す。魏の大将軍司馬懿、兵を引いて拒守(きょしゅ)す。 木牛流馬 牛馬をかたどった兵糧運搬の仕掛け。 邸閣 食糧庫。 斜谷口 陜西省褒城県にある。 呉王の孫権は、武昌にて自ら皇帝を称し、父孫堅に武烈皇帝の称を追尊し、兄孫策を長沙桓王として建業に遷都した。 蜀漢の丞相亮は再び魏を伐って祁山を包囲した。魏は司馬懿を派遣し諸軍を督励して亮を防いだが敢えて戦わなかった。部将の賈詡等が「公は蜀を虎のように畏れておられるが、天下の物笑いになるのをいかがいたしますか」と責めたので張郃を遣って諸葛亮に向かわせた。亮はこれを迎え撃って魏軍を散々に破った。その後亮は糧食が尽きたので、兵を引いた。張郃はその機に乗じて亮を追撃したが伏兵の弩(いしゆみ)に射られて死んだ。 諸葛亮は蜀に還って農業を奨励し、武術を習わせ、木牛流馬と呼ぶ兵糧を運ぶ仕掛け車を作り、糧秣倉庫を造り、民と兵士を休息させて三年後に再び動員した。総勢十万をくり出し斜谷口から魏に侵攻し、渭水の南に布陣した。魏の大将軍司馬懿が兵を率いて守り防いだ。 十八史略 死せる諸葛生ける仲達を走らしむ 2011-11-19 09 29 25 | 十八史略 亮以前者數出、皆運糧不繼、使己志不伸、乃分兵屯田。耕者雜於渭濱居民之、而百姓安堵、軍無私焉。亮數挑懿戰。懿不出。乃遣以巾幗婦人之服。亮使者至懿軍。懿問其寢食及事煩簡、而不及戎事。使者曰、諸葛公夙興夜寐、罰二十以上皆親覽。所噉食、不至數升。懿告人曰、食少事煩、其能久乎。 亮病篤。有大星、赤而芒、墜亮營中。未幾亮卒。楊儀整軍還。百姓奔告懿。懿追之。姜維令儀反旗鳴鼓、若將向懿。懿不敢逼。百姓爲之諺曰、死諸葛、走生仲達。懿笑曰、吾能料生、不能料死。 亮、前者(さき)に数しば出でしが、皆、運糧継がず、己(おの)が志をして伸びざらしめしを以って、乃ち兵を分って屯田す。耕す者、渭浜(いひん)居民の間に雑(まじ)り、而も百姓(ひゃくせい)安堵し、軍に私(わたくし)無し。亮、しばしば懿に戦を挑む。懿、出でず。乃ち遣(おく)るに巾幗(きんかく)婦人の服を以ってす。亮の使者、懿の軍に至る。懿、其の寝食及び事の煩簡を問うて、戎事(じゅうじ)に及ばず。使者曰く、「諸葛公、夙(つと)に興(お)き、夜に寝(い)ね、罰二十以上は皆親(みずか)ら覧(み)る。噉食(たんしょく)するところは、数升に至らず」と。懿、人に告げて曰く、「食少なく事煩わし、其れ能(よ)く久しからんや」と。 亮、病篤(あつ)し。大星有り、赤くして芒あり、亮の営中に墜つ。未だ幾(いくばく)ならずして亮卒す。(ちょうし)楊儀、軍を整えて還る。百姓奔(はし)って懿に告ぐ。懿之を追う。姜維(きょうい)、儀をして旗を反(かえ)し鼓を鳴らし、将(まさ)に懿に向かわんとするが若(ごと)くせしむ。懿敢えて逼(せま)らず。百姓之が為に諺(ことわざ)して曰く、「死せる諸葛、生ける仲達を走らしむ」と。懿笑って曰く、「吾能(よ)く生を料(はか)れども、死を料ること能わず」と。 運糧 兵糧の運搬。 渭浜 渭水の水辺。 屯田 兵士がその土地で耕作しながら駐留すること。 巾幗 婦人の髪飾り。 戎事 軍事。 噉食 噉は食らう、食事。 数升 漢の升は合と同じで日本の勺より少し多い。 丞相の次官。 仲達 司馬懿のあざな。 諸葛亮はこれまで何回も出兵しながら、いつも食糧の補給がうまくいかず、目的を達せられなかったので、今度は兵士を手分けして屯田させることにした。耕作する兵士は渭水の水辺の住民の中に混じったが、百姓たちは安心して生活し、兵士の方にも私欲を満たそうとする者がいなかった。 亮は繰り返し戦いを挑んだが、司馬懿は討って出ようとしなかったそこで亮は婦人服と髪飾りを贈って懿を挑発した。亮の使者が魏の軍営にきたとき、懿は亮の寝食、仕事ぶりなど日常の生活について尋ね、軍事には触れなかった。使者は「公は朝早くから起き、夜更けてから寝みます。杖二十ほどの軽い罪でもご自身で裁かれます。食事は日に数升(勺)しか召し上がりません」と答えた。懿は傍らの者に言った「食が細く、多忙とあれば、そう長い命ではあるまい」 果たして亮は病に罹った。ある夜のこと、赤く大きなほうき星が亮の営中に墜ちた。その後間もなく諸葛亮は亡くなった。次官の楊儀は軍をまとめて撤退にかかった。土地の者が急いで懿に通報し、懿は追撃にかかった。蜀の陣営では姜維が楊儀に勧めて、旗の向きを変え、太鼓を打ち鳴らして魏軍に反撃するかに見せかけた。懿は追撃を止めて引き上げてしまった。土地の者は「死んだ諸葛亮孔明が生きた司馬懿仲達を退散させた」と評したのを聞いて懿は苦笑して「生きている人間なら予想はできるが、死んだ人間ではどうにもならぬ」と言った。
https://w.atwiki.jp/3gokushi_saga/pages/13.html
特徴 正式名称『三国志SAGA~戦火の嵐~』 基本プレイ無料 三国志を題材にした戦略シュミレーションブラウザゲーム シュミレーションにありがちな資源開発や施設建設、兵士募集のルーチンワークに時間を費やす必要がない ゲーム初盤から直接、三国志の戦場に飛び込み、リアルで本格的な戦略シュミレーションを楽しむことができる このページに追加したい情報・項目を投稿してください。 名前 Amazon.co.jp ウィジェット Amazon.co.jp ウィジェット
https://w.atwiki.jp/clear2219/pages/26.html
ここでは三国志大戦のカードリストでもうpしてみようと今、奮起しております。頑張りますので、応援よろしくお願いします。 カードリスト ●魏ver2.X ●蜀ver2.X ●呉ver2.X ●涼ver2.X ●袁ver2.X ●他ver2.X ●LEver2.X ●Exver2.X ●魏ver3 ●蜀ver3 ●呉ver3 ●群雄ver3 ●LEver3 セリフ集 ●セリフ魏 ●セリフ蜀 ●セリフ呉 ●セリフ群雄 ●セリフLE ●セリフ軍師 英傑伝 ●武錬の章 ●超武錬の章 ●曹魏の章 ●蜀漢の章 ●孫呉の章 トップページ
https://w.atwiki.jp/entrance-s/pages/15.html
【クズ猫】ラウンジ三国志3123【不要也】 【宿場町】ラウンジ三国志3122【カスロス】 【宿場町】ラウンジ三国志3121【カルロス】 【クズ神のそいで】ラウンジ三国志3120【信濃が落ちた】 【潮だな】ラウンジ三国志3119【潮だな】 【三流レーサー】ラウンジ三国志3118【不要也】 【戦争】ラウンジ三国志3117【マジだるいよね】 【嘘吐きの】ラウンジ三国志3116【クズ猫】 【潮だな】ラウンジ三国志3115【潮だな】 【だな】ラウンジ三国志3114【だな】 【大物は死んだ】ラウンジ三国志3113【戻って来るな】 【大物さん】ラウンジ三国志3112【引退おめでとう】 【オッスオラ】ラウンジ三国志3111【ビューネイ】 【こたつ部】ラウンジ三国志3110【解雇】 【すずめとイオリ】ラウンジ三国志3109【二人は統失!】 【多重】ラウンジ三国志3108【ダメ・ゼッタイ】 【だな】ラウンジ三国志3107【だな】 【にゅはー】ラウンジ三国志3106【ぬはー】 【クズ猫】ラウンジ三国志3105【エン攘夷】 【ハゲふぁら】ラウンジ三国志3104【早くしろ】 【一部のクズのせいで】ラウンジ三国志3103【閉鎖の危機だ】 【みんなでやろう】ラウンジ三国志3102【BigFarm!】 【マンコス】ラウンジ三国志3100【チンコス】 (実質3101) 【俺もいらねえ】ラウンジ三国志3100【あばよ!】 【生活習慣病は】ラウンジ三国志3099【永久に不滅です】 【猫神様は】ラウンジ三国志3098【クズ】 【猫神様】ラウンジ三国志3097【さようなら】 【猫神のそいで】ラウンジ三国志3095【潮】 (実質3096) 【モンハン4Gまで】ラウンジ三国志3094【あと10日】 (実質3095) 【都落ち】ラウンジ三国志3093【副大将】 (実質3094) 【一部のクズは】ラウンジ三国志3092【猫神のことだ】 (実質3093) 【一部のクズは】ラウンジ三国志3092【猫神のことだ】 【俺はカルロスじゃない】ラウンジ三国志3091【カルロだ】 【玄関ラウンジ】ラウンジ三国志3090【出港】 【ラウンジ】ラウンジ三国志3089【グンジ】 【フサギコラウンジ】ラウンジ三国志3088【発進】 【フサギコ】ラウンジ三国志3087【ラウンジ】 【だな】ラウンジ三国志3086【だな】 【だな】ラウンジ三国志3085【だな】 【ラウン地蔵】ラウンジ三国志3084【軍地蔵】 【品格】ラウンジ三国志3082【謎官】(実質3083) 【脳筋】ラウンジ三国志3082【地蔵】 【キン肉】ラウンジ三国志3081【ラウンジ】 【朝鮮】ラウンジ三国志3080【建国】 【リセット】ラウンジ三国志3079【6期】 【テスト面】ラウンジ三国志3078【開始】 【中卒】ラウンジ三国志3077【統失】 【漫画部募集中】ラウンジ三国志3076【etc】 【テテのポーズは】ラウンジ三国志3075【スペシウム光線】 【5期】ラウンジ三国志3074【お疲れ様】 【おい!】ラウンジ三国志3073【君主オンしてくれ!】 【ラウンジ国は】ラウンジ三国志3072【クソ太郎の国】 【ミライス】ラウンジ三国志3071【maccyu】 【国宛では】ラウンジ三国志3070【スをつけるな】 【平日こそ】ラウンジ三国志3069【昼打通】 【ネッコストラーダ】ラウンジ三国志3068【ザコルロッソ】 【ごみーあ】ラウンジ三国志3067【不要也】 【ぽなか神】ラウンジ三国志3066【テラツヨス】 【宿場町】ラウンジ三国志3065【カルロス】 【傭兵を募集した】ラウンジ三国志3063【所持金0】(実質3064) 【ふぁらは】ラウンジ三国志3063【間抜け】 【不人気ロッソ】ラウンジ三国志3062【雑魚ルロス^^】 【昼間は淑女】ラウンジ三国志3061【夜は淫乱】 【次】ラウンジ三国志3060【どうするよ?】 【うま太郎】ラウンジ三国志3059【建国しろ】 【君のマンコスに】ラウンジ三国志3056【乾杯】 (実質3058) 【なんで光ってるの?】ラウンジ三国志3056【魔法使えるの?】 (実質3057) 【黒ブラ】ラウンジ三国志3056【許さない】 【黒ブラ】ラウンジ三国志3055【不要也】 【反逆の】ラウンジ三国志3054【黒いやつ】 【連覇か】ラウンジ三国志3053【連敗か】 【ツイッター】ラウンジ三国志3052【監視】 ラウンジ三国志3051 【ブルマ直穿き】ラウンジ三国志3050【ブラ着睡眠】 【今日のやじきた】ラウンジ三国志3049【ハーデス】 【リセット】ラウンジ三国志3048【まだー?】 【猫神様】ラウンジ三国志3047【高飛車外交】 【おまえら四軍】ラウンジ三国志3046【俺一軍】 【だな】ラウンジ三国志3045【だな】 【だな】ラウンジ三国志3044【だな】 【私怨で粘着】ラウンジ三国志3041【キチガイ猫神】(実質3043) 【ネコネーコの民意を考えて】ラウンジ三国志3041【行動】 (実質3042) 【飽きたら】ラウンジ三国志3041【奇襲・解雇】 【戦国もパチスロも】ラウンジ三国志3040【大惨敗】 【おっ】ラウンジ三国志3039【おっおー!】 【最弱】ラウンジ三国志3038【面汚し】 【プチュン】ラウンジ三国志3037【ブリブリブリュリュリュリュ】 【マビノギ】ラウンジ三国志3036【すすめ】 【】ラウンジ三国志3035【】 【書き込む前に】ラウンジ三国志3034【音読】 【糖尿設定】ラウンジ三国志3033【インシュリンの刑】 【うま太郎さん、】ラウンジ三国志3032【OFF会いつですか?】 【うまand】ラウンジ三国志3031【猫さん】 【南沙諸島】ラウンジ三国志3030【ベーリング】 【カニ漁最高】ラウンジ三国志3029【ベーリング】 【文系、理系】ラウンジ三国志3028【仮性包茎】 【植木を憎んで】ラウンジ三国志3027【ジョンを憎まず】 【オフ会】ラウンジ三国志3026【目印は中村俊輔】 【サイコ野郎】ラウンジ三国志3025【糖質野郎】
https://w.atwiki.jp/sanmei/pages/4.html
三国志Ⅸ用武将データ このコーナーは光栄のゲーム、三国志Ⅸの武将データを 管理人の解釈に基づき作ったデータを閲覧できるコーナーです 後漢帝国勢 魏勢 蜀勢 呉勢 董卓・西涼勢 漢中・益州勢 揚州勢 荊州勢 異民族勢
https://w.atwiki.jp/sonsaku/pages/19.html
先代ギルドマスター 孫策伯符 (呂蒙子明) 代理第一ギルドマスター 張昭子布 代理第二ギルドマスター 張悌巨先 代理第三ギルドマスター 孫休子烈 (勇将関平) (旧)神話メンバーたち 記載されている人のみメンバーとは限りません。 誤字などはスルーでお願いします。 メンバーに許可をとらず無断での記入なので報告があれば消去します。 姜維伯約 徐栄さん(魯粛子敬) 袁術公路(夏侯惇元譲、大賢良師張角) 陳武子烈(関興安国) 華陀元化 黄巾巫女(徐玲香) 橋玄娘大喬 朱異季文 戯志才 甄洛 呉蘭(呂岱定公) 黄承彦(馬忠徳信) 陸遜伯言 漢王朝何進 孫休子烈の代にてギルド活動中止を宣言。事実上終了しました。 三国志神話創立 2003年10月5日 休止日2006年4月16日