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黄巾の乱から三国時代どころか、孔明死後まで活躍できる寿命と能力を持つ。 運搬を持っている事もあり、大勢力になっても仕事に困る事はないだろう。 -- (名無しさん) 2010-05-29 22 27 09 知力80以上に加え、話術にも恵まれた魏の幕僚。 内政や補給のみならず、いざという時には交渉事まで可能な多才人である。 -- (名無しさん) 2010-05-30 02 48 10 水準以上の政治。なにかと便利な運搬。こーれは安全地帯のととくさんにぴったりじゃあありませんか。 義理が低めなので、夏陽港から長安などの長期輸送は注意。個人的にかなり好き。張揚プレイの時にお世話になったなあ。 -- (名無しさん) 2011-02-21 21 51 10 運搬持ちで知力・政治も高く後方担当としてはトップクラスだと思う。 木牛流馬を研究すれば特技がより便利に。 -- (名無しさん) 2011-04-27 07 39 33 特技運搬と高い知力・政治はすばらしいのだが、低めの義理が気になる。 相性が悪い勢力で登用した場合は義兄弟などで裏切り対策をしといたほうが無難だろう。 -- (名無しさん) 2011-06-25 17 32 26 昔っから過小評価の人。黒い軍師というとカクや法正がよく挙がるけど、この人の方がもっと黒く鋭い。 義理が低く長距離運搬に向いていないため、思い切って知力or政治系の特技に書き換えたほうが良いかも。 -- (名無しさん) 2012-04-16 23 54 28 袁紹配下でも魏郡太守(本拠地の長官)だったという大物。曹操に魏を建国させた張本人でもある。荀彧死去の黒幕説まであり、政治95くらいあってもいい。 -- (名無しさん) 2014-04-08 10 40 44 荀彧を殺したとしてそれは政治力には関係ねえだろ馬鹿か -- (名無しさん) 2017-03-10 21 38 50 S1張角だと内政の要として、運送係として、場合によっては防計用要員として大活躍だが、相性と義理の関係で高難易度での季節またぎが非常に怖い。 逃がすのは非常にもったいないので、ぜひ誰かと義兄弟になっておきたい。黄巾は低義理武将に困らないので、候補はいくらでもいる。 -- (名無しさん) 2017-05-28 16 29 58 自然死ではあるが、81歳という長寿 登場するのも早く、最初から曹操に仕えているわけではないため 特に序盤の群雄達からの需要が高い 義理は低いが、逆に寝返らせやすいとポジティブに考えよう -- (名無しさん) 2017-05-30 01 20 56
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※三国志任務は一日10回まで受けることができる。 倉庫で使用し、受取ると任務欄に任務が増える。 任務をクリックし、対象の任務を受け、戦い終わったら、任務をクリックし、報酬を受け取る。 ※まとめて開くと一度の任務で済む。 三国志 第一話 「第七章 一度目の誘い 田舎の老人」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると 三国志 第二話 「第七章 一度目の誘い 鳥と羊」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると 三国志 第三話 「第七章 一度目の誘い 張飛の疑い」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 三国志 第四話 「第十三章 要術の鳩 出兵の日」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると 三国志 第五話 「第十三章 要術の鳩 前途遠大」をクリア 報酬 報酬の破片を5つ集めて合成すると
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1:『三国志』って何? 語ると長いが、『三国志』自体は中国の歴史書の名前である。著者は陳寿(字は承祚。232-297。三国~晋の時代に生きてた人)。 裴松之(372-451)という人が後になって異説や民間伝承などを注釈として入れ、現存する今の形になっている。 この注釈部分が後に出る『三国志演義』に大きな影響を与えた。 『三国志』は、中国後漢・三国時代を紀伝体という書き方でまとめたもので、中国歴代正史の一つ。 その名の通り、中国大陸を「魏」・「呉」・「蜀」と三つに分けた時代の成り立ちから末路までを著している。 魏が30巻、呉が20巻、蜀が15巻の全65巻。 漢(後漢)の皇帝から禅譲(全く血の繋がらない貴方に皇帝の座を譲ります、ということ)された「魏」を正当な王朝としている。だから巻数も多い。 後漢が名ばかりの国となり群雄割拠の時代に入る。その中から飛び出した「曹操」・「孫権」・「劉備」が「魏」・「呉」・「蜀」という国をそれぞれ建国し、その後三国時代からその末期までを時代に生きた人物伝で追うことができる。 余談だが、「漢」という字自体中国に関することを表す。「漢方」・「漢字」・「漢文」など。 2:劉備が主人公?曹操って悪い奴って聞いたけど? そうではない。そんなのは人それぞれの感じ方次第だと言いたいが、文学の影響は絶大である。 何故、こんなイメージがついてしまったか。 全ては『三国志演義』にある。 『三国志演義』は中国明の時代(1368-1644)に出来た全120回の長編小説で、羅貫中( 施耐庵)という人がまとめた。 漢の皇帝の血を引いている(と言っても何十人といた皇帝の子供の末裔)劉備が、草鞋売りから一念発起して戦いと放浪の果てに今の中国四川省を中心に「蜀(蜀漢)」という国を作って、劉備が亡くなると臣下の諸葛亮が劉備の思いを叶えようと必死に頑張る姿が描かれている。 有名な横山光輝の『三国志』も、『三国志演義』をベース(吉川英治ベース)にしている。 だから劉備が主人公で、曹操がライバルとして描かれているのだ。 一言で「三国志」といってもごちゃごちゃになるので、『正史』・『演義』と区別することがある。ただ、基本的に「三国志」といったら『正史』を示す。 語弊があるかもしれないが、『三国志』が原作で、『三国志演義』が二次創作、と言えば分かりやすいか。 ちなみに。 『演義』の内容を正史だと言わんばかりに熱く語ると、痛い奴だと思われるし、笑われるので気を付けよう。 でも、『正史』が全て正しい訳ではないので、その点も注意しよう。(「正史」というのは、皇帝から正式に認められた史書という意味だよ) 3:三国志のゲームってどうなってるの? 『幻想三国志』で使用されているゲームは、KOEI(旧光栄。2ch内では”肥”と呼ばれる。面倒なのでここでも肥で)から出ている三國志シリーズ第9弾『三國志9』(PCPK版)。 PS2でも出ているが、顔グラの変更ができない。 基本的に三国志演義準拠。ただし、正史にしか登場しない人物も出てくる。能力値などは5作品目くらいから正史要素も含まれ始めた。 詳しいシステムについては三國志9の基本システムで述べるが、プレイヤーが君主となり、国を育て繁栄させる内政や、自国を守ったり他国の領土を奪う戦争、他国との外交、他国への計略などを指示する。で、領土を広げ、全ての都市を攻略し大陸統一を果たして終了。 シリーズによっては、プレイヤー=君主ではないものもある。三國志に出てくる全ての武将から一人選んで操作。つまり自分の分身。君主になるもよし、軍師を目指すのもよし、友達100人目指すのも、引き篭もりニートでもよし。 しかし、このシステムのシリーズは、大体売り上げと評判がわr(ry ちなみに、これから買う方に注意。 肥の歴史戦略ゲームシリーズには必ず「本体」とその後に出る「PK」がある。「PK」とはパワーアップキットの略。 「本体」の追加要素として販売されるが、実はコイツが曲者。 「本体」ではいろいろと不具合の多かった部分が改善されたり、面白システムが追加されていたりする。 『三國志9』でいう「抜擢武将システム」がいい例。 なので、「本体」だけでは絶対に後悔する。試作品とまで言われているくらいだ。なので、必ず「PK」と一緒に買うこと。 そして、肥のサイトへ行ってバグの修正(パッチをあてる)をしよう。 「本体」だけでは絶対に満足させず(人はこれを手抜きといふ)、「PK」を買わせる。これが『肥商法』である。 キタネーヨ、と思わせつつも、ついつい買うのが三國志ゲームファン。 歴代の三國志ゲームを続けているつわものは皆、この道を歩んでいる。 4:結局、歴史なんて難しすぎてワカンネーヨ 待て、慌てるな。これは孔明の(ry という、この孔明も三国志の人物である。 歴史は後世の人物が綴ったものであり、100%真実ではない。それを読んだ人間によって感じ方は様々。また、古ければ古いほど史料の残存率は低く、結局は想像と憶測でしか語れない部分も少なくない。 管理人の個人的意見だが、もし、『幻想三国志』の動画を見て『三国志』に触れたくなったら、吉川英治の「三国志」をまずお勧めする。北方謙三や横光もお勧め。 「お勧め三国志」という項目も作ったので、自分にあった三国志入門書が見つかると思う。 それから『正史』に触れて欲しいな。いきなり『正史』は難しいよ。 ▲ 上へ
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三国志大戦とは セガがアーケードで展開しているリアルタイムトレーディングカードゲーム。 『三国志』や『三国志演義』の世界観を題材に作られている。 2005年3月15日に稼働開始。 フラットリーダ型筐体の盤面を戦場に見立て、戦場を駆ける武将の代わりとしてカードを盤面に配し、 それらのカードをダイレクトに動かして武将を操作するというシンプルなゲーム。 本作ではタッチパネルが筐体の盤面、つまり戦場となる。 三国志大戦2 三国志大戦の続編にあたる。2006年5月24日稼働開始。 本作は、これのver2.01にあたる。 これまで - 人が閲覧しました。 昨日は - 人が閲覧しました。 今日は - 人が閲覧しました。
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[部分編集] 紅天三国志 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1496834 使用ゲーム 三國志11 担当勢力 紅薔薇軍等 シナリオ設定 何進包囲網 プレイ上の縛り 下記参照 登録武将 下記参照 史実武将の扱い 一軍 紙芝居・ストーリー 紙芝居多め 投稿時期 2007年11月10日~ 投稿者名 D2 関連タグ 紅天三国志 ニコ証 480 マイリスト 紅天三国志 備考 ブログ 登録武将 コバルト文庫で今野緒雪によって連載されている小説『マリア様がみてる』から。 君主は唯一単独で表紙を飾れなかった薔薇様である水野蓉子様。 現在確認されている登場キャラクターは、 旧紅薔薇三姉妹――水野蓉子・小笠原祥子・福沢祐巳 旧黄薔薇三姉妹――鳥居江莉子・支倉令・島津吉乃 新旧白薔薇姉妹――佐藤聖・藤堂志摩子・二条乃梨子 その他、佐藤聖の友人の皆様。 また、一部キャラに改変を加えているものと思われる。 解説 恐らく唯一のマリみて三国志動画。誰もやろうと思わなかっただろうことをやったのが凄い。 顔グラフィックはアニメのものを使用。 開始都市は成都。 ポイントは水野蓉子様のまさに完璧すぎる薔薇様っぷり。 登録キャラたちは三国時代に飛ばされて手探り状態であることをプレイに匂わせつつも、 「コツを掴めたわ」の一言で成都の内政状態を完璧にしてしまうあたりはマリみてファンにはたまらない。 その他のキャラも原作どおりの動きを見せており、祐巳ははわわわしながら何故かやたら名だたる文官を連れてくる。 祥子様も原作どおりの女王様を発揮し、三国志の世界でもファンが出来てしまった様子。 三国武将も何人かはリリアンに染まってしまっている。 黄薔薇、白薔薇もそれぞれの超薔薇様の性格どおりの動きを見せており、これからに期待が持てる。 現在の縛りは、リリアンに通う乙女としてのおしとやかさを損なわないこと。 つまり、 ①計略・外交戦略を徹底的に用い、自軍の被害を最小限にする ②他勢力の施設への攻撃はしない ③自国の都市開発が完了するまで攻めに出ない 縛りではあるが、①で言うとおり計略を縦横無尽にめぐらせる蓉子様は恐ろしい。 解説(PART15以降) 神様ら(北斗と南斗)により三国志の世界に飛ばされた蓉子たち。 元の時代に戻るためには仲間20人、さらに他の時代からやってきた 鍵守人3人を探しあてなければならない。様々な思いが絡み合い、 乱世の中国大陸は紅、黄、白の三色に染まっていく・・・。 [部分編集] 主な登場人物紹介 +水野軍 水野軍(開始都市 成都) 水野 蓉子(みずの ようこ) 水野軍君主。このゲームの主人公。才色兼備で大人受けも良い優等生で、山百合会の実質的リーダー。真面目な性格。 基本的には世話好き。戦いよりも内政好き。本拠地成都にて旗揚げをするが、後にあまりに発展しすぎたため、 "聖都"と呼ばれ人が多く集まっている。性格からして民からの人気は高いが、この世界でも近寄り難さを感じて いる者が多い。民たちからは祥子や祐巳含め天からやって来た者として"紅天人"と呼ばれている。 参謀の審配が最も心酔している。淡幽、張任や王甫とも仲が良い。どこにいても情報が筒抜けのことから閻魔耳と 称する者もいる。いかにして被害を最小限に元の世界に戻れるのかを常に考え思い悩む。 小笠原 祥子(おがさわら さちこ) 水野軍軍師。潔癖症。基本的には真面目で自他共に厳しい性格。お嬢様育ちの為わがまま。一般的な世間の 常識が若干欠落。極度の男嫌い。水野軍に入る前から一緒にいた楽進が最も心酔している。紆余曲折あって 楽進が祥子の食事や身の回りの世話をしているが、最近、張コウ(オカマ)が代わりにその役目を果たしている。 普段表に出ず、(早朝の)軍議に遅れることもしばしば。しかし謀略事は好き。厳しい性格から武門の者から 好かれている。他に張コウ(チンピラ)、甘寧、ハンチュウが心酔者。大喬は大の苦手。 福沢 祐巳(ふくざわ ゆみ) 容姿も中身も成績も平均的。目立ったところのない平凡な生徒。性格は素直で前向き。思い込みや心境変化が 極端で激しい。百面相。かなり涙もろい。誰とでも気軽に話せる性格から知将や老将に好かれている。一時期 あらゆる知将を引き入れたことから「アカイバラシステム」と呼ばれ、君主水野蓉子からも恐れられた。 心酔者は司馬懿、厳顔、程普。(PART15以前:鍾元常、温恢、荀文若も心酔者)現在、江陵にて水軍提督に 任命されている。 有馬菜々(ありま なな) 成都にて水野軍に自ら入隊志願する(22)。由乃の妹。面白そうな事にどんどん首を突っ込むアドベンチャー好き。 戦いでも先陣を切りたいタイプ。由乃と初接触するも水野軍・祐巳に負けてもいいの?と由乃を煽る。 でも水野軍の祐巳とは仲が良い。第4期TVアニメ版が始まったところで顔グラが変わっている。 審配(シンパイ) 旗揚げ当時から従軍している水野軍参謀。君主、水野蓉子に絶対の忠誠を誓う。真面目で仕切り屋、 そして説明好き。元の世界に戻ろうとする蓉子たちに若干の疑念を抱きながら手を貸す。 楽進(ガクシン) 祥子と共に水野軍に入る。あることがきっかけで祥子の身の回りの世話をしており、祥子のことをショウ リュウ(小笠の音読み)様と呼んでいる。張コウ(チンピラ)をライバル視している。普段は気の良い兄ちゃん。 張コウ(チンピラ、または張先生)(チョウコウ) 君主厳顔を裏切り、祥子の謀略により水野軍に入った。戦いではいつも先陣を切る水野軍特攻隊長。 口は悪い。祥子は苦手だが嫌いではない。祐巳を妹のように思っている。 焦触、方悦(ショウショク、ホウエツ) 旗揚げ当時から従軍している水野軍武将。張コウや厳顔が入る前、水野軍の主力として働いた。 巻き戻し(16)の際、蓉子たちと別れる。今いる世界にも焦触と方悦はいるが別人である。 鍾元常(ショウヨウ、またはショウゲンジョウ) 祐巳が連れてきた知将。リリアン女学園やスール制度に興味があり、最終的には温恢と共に江陵に 薔薇の館を建ててしまう。巻き戻し(16)の際、蓉子たちと別れる。今いる世界で曹操軍の細川可南子と 共にいるが薔薇の館を建てた鍾元常とは別人である。 荀文若(ジュンイク、またはジュンブンジャク)、温恢(オンカイ) 祐巳が連れてきた知将。祐巳の南蛮征伐のとき活躍した。温恢は鍾元常と同調し共に薔薇の館を建てる。 巻き戻し(16)の際、蓉子たちと別れる。 張コウ(オカマ、または儁乂さま)(チョウコウ) 祥子が連れてきた武将。オカマ口調で胸の薔薇が特徴。うp主の設定ミスにより張コウ(チンピラ)と ドッペル現象が起こっている。張コウ(チンピラ)とは仲が良くない。男嫌いの祥子が気を許すことができる 数少ない武将。 厳顔(ゲンガン) 旧世界(PART15以前)でも新世界でも水野蓉子に何度も破れ、後に配下になった老将。 曲がったことが嫌い。自分の持つ信念のためなら君主の命令さえも背くことがある。 祐巳を孫のように思っている。口は悪い。程普とは腐れ縁の仲間。 張任(チョウジン) 蓉子が見つけてきた武将。成都の山奥の一軒家に狩房淡幽と一緒に住んでいた。淡幽のことを自分の妹の ように思っている。水野軍に入隊はするが妹を守る以外何かしようとは考えていない。しかし君主水野蓉子 とは仲が良い。賈文和の策略により淡幽と離れ離れにされ恨みに思っている。 狩房淡幽(カリブサ タンユウ) 蓉子が見つけてきた人物。蟲を封じる話を記録する筆記者。成都の山奥の一軒家に張任と一緒に 住んでいた。男勝りな口調。なぜか"漫画"が納められている狩房文庫を管理している。 三国時代の人ではなくリリアンの人でも無いので元の世界に戻るキーパーソン"鍵守人"の一人で あると皆に思われているが、本人に自覚は無し。 王甫(オウホ) 水野軍所属。あまり前線に立たずお茶作りに興味を持ち、自前の茶畑まで持つ。蓉子とお茶飲み友達と なっている。祐巳とも仲が良い。 孫堅(ソンケン) 開始当初、呉にて旗揚げするが黄巾軍との戦いで敗れる。その後、由乃を人質に取り逃走。 一時劉焉軍に由乃と共に入るが、巻き戻し(16)の影響で離れ離れになる。情が移ってしまった 由乃を取り戻すために水野軍に入り劉焉軍に攻め込むが由乃はすでに居なかった。由乃を自分の 養女にするのが望みらしい。現在福沢水軍に従軍中。 程普(テイフ) 孫堅と共に水野軍に入る。元呉軍の中で数少ない孫堅の理解者。祐巳と仲が良い。 現在福沢水軍に従軍中。戦いにはあまり出ず、主に祐巳の補佐や情報収集を行っている。 大喬(ダイキョウ) 祐巳の後を付けてきていつの間にか水野軍に入っていた。祐巳に抱きつくのが 好き。祥子をおちょくるのが好き。巻き戻し後でも以前の記憶がなぜか残っていた。 ある意味、聖の代わり。今は福沢水軍に従軍している。 司馬懿(シバイ) 元ホウ羲軍配下。独断専行で水野軍に戦いを挑み敗れる。その後、祐巳の説得により 水野軍へ入ることになる。面倒なことは嫌い。最も面倒なことになる戦が最も嫌い。 最短で戦を終わらせる方法を常に画策する。なぜかお粥を作るのが得意。 +黄巾軍 黄巾軍(開始都市 会稽) 張角 (チョウカク) 黄巾軍君主。張梁、張宝を弟に持つ。漢軍孫堅連合軍に黄巾賊は滅亡させられたが、 張兄弟は逃走。変化の術により姿形性別も変え、鳥居、支倉、島津を配下に従え再び 旗揚げする。巻き戻しの際、術によりさらに若返りを図る。旗揚げ当初は張角・鳥居 二君主制で治めていたが、リリアン生を集めると願いごと一つを叶うことができると 孔明に入れ知恵され、鳥居たちを術により捕縛するようになる。張角の願いはリリアン 女学園に行き、薔薇さまになりすまし学園を征服すること。 姿形は女だが中身は男のままである・・・・。 張梁(チョウリョウ) 張角を兄に持つ。張角同様、変化の術で姿形性別を変えている。張角を尊敬し心酔している。 民や政治、鳥居たち、孔明のことについてあまり深く考えていない。江利子や張宝らに張角 を取られることの方が問題だと思っている。 張宝(チョウホウ) 張角を兄に持つ。張角同様、変化の術で姿形性別を変えている。張角を尊敬しているが 張梁とは異なり、鳥居たちと手を組むことで民を救い戦乱を収めることができる黄巾"軍"に なることを望んでいる。孔明に操られている張角を苦々しく思い、鳥居たちに手を貸す。 今は唯一術にかけられていない瞳子の支援を密かに行っている。 鳥居 江利子(とりい えりこ) 女性に変身している張角を君主に仕立て上げ、令と由乃と共に配下になる。戦闘より裏工作が 得意。由乃を失って気落ちしている令に張遼をあてがい元気を取り戻させ、令に対して情の 移った張遼を仲間に引き入れてしまう。徹底抗戦派と黄巾軍恭順派と分かれた孫堅軍を 陶謙の首一つで取りまとめ、孫堅以外の武将を全て引き入れた。曹操軍との戦いでも数多くの 功績を挙げたが、嫉妬心にかられた張角に裏切られ、術をかけられてしまう。その後、張角の 操り人形になり、黄巾軍将軍、眠れる凶鳥と異名をつけられ人々に恐れられる。 支倉 令(はせくら れい) 江利子と由乃と共に黄巾軍に入る。孫堅軍との戦いが始まり、由乃が敵側に捕縛されてしまう。 何度も由乃を取り戻そうと孫堅軍に戦いを挑むが願いはかなわず。由乃を守りきれなかったことで 気落ちしていたところを張遼に助けられる。後に張遼の弟子になる。孫堅軍、陶謙軍、曹操軍と打ち 倒していくがいっこうに由乃の行方が分からない。由乃の偽報を流した虞翻を問い詰めるが張角、 孔明らに逆に術をかけられてしまう。その後、黄巾軍将軍、江東の金色獅子と異名をつけられ人々に 怖れられる。 張遼(チョウリョウ) 鳥居江利子の紹介で黄巾軍に入ることになる。黄巾軍に入った当初は江利子とは対等であるに考えて いたが、次第に敬意を示すようになる。気落ちしている支倉令を励ますため、武道を教えたりする。 江利子や令が張角等の術にかけられたことについて苦々しく思うが、張宝のように反旗を翻したり、 孫堅のように野に下るつもりはない。瞳子に屋敷を貸してはいるが瞳子がやっていることを手伝ったり はしていない。黄巾軍四将軍の一人。黄巾軍の牢屋番が張遼の生い立ちを知っているようだが詳細は不明。 孫策(ソンサク) 孫堅の息子。黄巾軍と何度も戦うがついには敗れる。当初少女を人質に取って逃げた父、孫堅の汚名を そそぐため、そして呉家再興のため、黄巾軍に入るが黄巾軍首領張角に惚れてしまい、黄巾軍の尖兵と して働くことになる。黄巾軍四将軍の一人。水野軍の福沢水軍(特に孫堅隊)にいつも戦いを挑んで いるのはこの孫策である。 松平 瞳子(まつだいら とうこ) 劉表軍、曹操軍と渡り歩き現在黄巾軍にいる。 (修正中) +白薔薇義従軍、その他[修正中] 白薔薇義従軍 佐藤聖、藤堂志摩、二条乃梨、蟹名静、加東景、華子魚、張允 曹操軍 曹操、松平瞳子、細川可南子、呂布奉先、諸葛孔明、荀文若、鍾元常、 韓浩、趙雲子龍 丁原軍 呂布、山口真美、 董卓軍 武嶋蔦子、??、王異、雛氏、 劉焉軍 島津由乃、 存在が確認されているマリみてキャラ 久保栞、 巻き戻し前に登場したキャラ(PART14以前) 紅薔薇軍:焦触、方悦、諸葛瑾、大喬・・・ 黄巾軍:無し 白薔薇軍:史文恭、張飛、呂玲綺・・・ その他:陳登 <紅天三国志 PART28時点> その他 多くのプレイ動画では、動画の最初に「うp乙」「うぽつ」等のコメントが書かれるが、当然のことながら当動画では「ごきげんよう」である。 コメント欄 素晴らしいCMができていたので、三国志11プレイ動画一覧表の備考欄に追加しました。 -- R.R. (2009-07-12 09 17 13) 主な登場人物紹介(水野軍)を修正しました。 -- ダネダネ (2011-01-06 23 16 58) 主な登場人物紹介(黄巾軍)を修正しました。 -- D2(名前を変えました) (2011-01-18 23 33 14) 名前 コメント
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十八史略 昭烈皇帝 2011-10-29 09 56 08 | 十八史略 昭烈皇帝諱備、字玄、漢景帝子中山靖王勝之後。有大志。少言語、喜怒不形。身長七尺五寸。垂手下膝、顧自見其耳。 蜀中傳言、曹丕簒立、帝已遇害。於是漢中王、發喪制服、諡曰孝愍皇帝。夏四月、即帝位於武擔之南、大赦、改元章武。 以諸葛亮爲丞相、許靖爲司徒。 立宗廟、袷祭高皇帝以下。 立夫人呉氏爲皇后、子禪爲皇太子。 昭烈皇帝諱(いみな)は備、字(あざな)は玄徳。漢の景帝の子の中山靖王勝の後(のち)なり。大志有り。言語少なく、喜怒形(あら)わさず。身の長(たけ)七尺五寸。手を垂るれば膝より下り、顧みれば自ら其の耳を見るという。 蜀中伝えて言う、曹丕簒立(さんりつ)して、帝已に害に遇えりと。是(ここ)に於いて漢中王、喪を発し服を制し、諡(おくりな)して孝愍皇帝(こうびんこうてい)と曰う。夏四月、帝位に武担の南に即き、大赦し、元を章武と改む。 諸葛亮を以って丞相と為し、許靖(きょせい)を司徒と為す。 宗廟を立てて、高皇帝以下を袷祭(こうさい)す。 夫人の呉氏を立てて皇后と為し、子の禅を皇太子と為す。 諱 生きているときは名といい、死んでからいみなと言う。字 男子が成人後につける別名。 諡 死後にその徳を称えて贈る称号。 簒立 帝位を奪って代り立つ。 服を制し 喪に服すこと。 武擔 武担山。袷祭 あわせ祭る、合祀。 昭烈皇帝は諱は備、字は玄徳。漢の景帝の子の中山に封ぜられた靖王勝の後裔である。大志を抱き、口数少なく、喜怒を表さなかった。身の丈七尺五寸、手を垂れると膝より下まで届き、ふり返ると自分の耳が見えたといわれる。 曹丕が帝位を奪って立ち、献帝は殺害されたとの噂が伝わった。漢中王劉備は国中に喪を発して自ら服喪して、献帝に孝愍皇帝と諡を贈った。この夏の四月、漢中王は武担山の南で帝位に即き(221年)大赦を行い、元号を章武とした。 また諸葛亮を丞相に、許靖を司徒に任命した。 宗廟を立てて、高祖以下の皇帝をあわせ祭った。 夫人の呉氏を皇后に立て、子の禅を皇太子とした。 十八史略 車載斗量あげて数うべからず。 2011-11-01 10 57 43 | 十八史略 魏主丕、姓曹氏、沛國譙人也。父操爲魏王、丕嗣位。首立九品官人之法。州郡皆置九品中正、區別人物、第其高下。丕既簒漢、自立爲帝、追尊操爲太祖武皇帝、改元黄初。 帝恥關羽之没、自將伐孫權。權求和不許。權遣使於魏。魏封權爲呉王。魏主問呉使趙咨曰、呉王頗知學乎。咨曰、呉王任賢使能、志存經略。雖有餘閑博覧書史、不效書生尋章摘句。魏主曰、呉難魏乎。咨曰、帶甲百萬、江・漢爲池。南難之有。曰、呉如大夫者幾人。咨曰、聰明特達者、八九十人。如臣之比、車載斗量不可勝數。 魏主丕、姓は曹氏、沛国(はいこく)譙(しょう)の人なり。父の操、魏王と為り、丕位を嗣(つ)ぐ。首として九品もて人を官するの法を立つ。州郡皆九品の中正を置き、人物を区別して、其の高下を第(つい)でしむ。丕既に漢を簒(うば)い、自ら立って帝と為り、操を追尊して太祖武皇帝と為し、黄初(こうしょ)と改元す。 帝、関羽の没せしを恥ぢ、自ら将として孫権を伐つ。権、和を求むれども許さず。権、使いを魏に遣わす。魏、権を封じて呉王と為す。魏主、呉の使いの趙咨(ちょうし)に問うて曰く、「呉王、頗る学を知れるか」と。咨の曰く、「呉王は賢を任じ能を使い、志経略に存す。余閑有れば博く書史を覧ると雖も、書生の章を尋ね句を摘むに效(なら)わず」と。魏主曰く、「呉は魏を難(はばか)るか」と。咨の曰く「帯甲百万、江・漢を池と為す。何の難ることか之有らん」と。曰く、「呉に大夫の如き者幾人かある」と。咨の曰く「聡明特達の者、八九十人あり。臣の如きは、車に載せ斗もて量(はか)るとも、勝(あ)げて数う可からず」と。 譙 安徽省毫県。 九品中正 官名、各地の人物を九等に評価して推挙した。 等 順序を定める、格付け。 頗る すこし、かなり。 難るか 憂え、恐れる。 帯甲 甲冑をつけた兵士。 江・漢 揚子江と漢水。 勝 ①あげる、たえる、こらえる、できる、すぎる、しのぐ、のる、あげて、ことごとく②かつ、まさる、すぐれる。 魏の国主丕、姓は曹氏、沛国譙のひとなり。父の操、魏王となり、丕が位を嗣いだ。まず手始めに官吏登用の九品官人法を定めた。それは州、郡に九品中正官を置き、人物の優劣を区別たもので、高下の順序をつけて任用することとした。丕はやがて漢の帝位を奪って、みずから皇帝となり、父の操を追尊して太祖武皇帝とし、年号を黄初(こうしょ)と改元した。(220年) 昭烈帝劉備は関羽が呉軍に討たれたことを悔み、自ら兵をひきいて孫権を伐ちに出発した。孫権は和睦を求めたが容れられず、魏に使いを遣って救いを求めた。魏はそれを受けて、孫権を呉王に封じた。このとき、曹丕は呉の使いの趙咨に問いかけた。「呉王は少しは学問をなされるかな。」咨は答えて「呉王は賢者を登用して有能の者を使い、その志すところは天下統治にありますから、余暇には歴史書を読みますが、書生が一字一句を追求するようなことはございません。」また、「呉は魏を恐れているか」「甲冑をつけた兵士が百万、揚子江・漢水が濠となっております、なにを恐れることがありましょう。」さらに、「貴公ほどの人はどのくらい居られるか」「聡明で特出した者が八、九十人おります。わたくし程度の者なら、車に積み、ますで計ってもすべて数え切れないくらいであります。」 十八史略 昭烈帝劉備崩ず 2011-11-03 17 27 59 | 十八史略 帝自巫峽至夷陵、立數十屯、與呉軍相拒累月。呉將陸遜、連破其四十餘營。帝夜遁。 魏主責呉侍子。不至。怒伐之。呉王改元黄武、臨江拒守。 三年、夏四月、帝崩。在位三年。改元者一、曰章武。諡曰昭烈皇帝。太子禪即位。封亮爲武郷侯。太子既立。是爲後皇帝。 帝、巫峽(ふきょう)より夷陵(いりょう)に数十屯を立て、呉軍と相拒(ふせ)ぐこと累月(るいげつ)、呉将陸遜、連(しき)りにその四十余営を破る。帝、夜遁(の)がる。 魏主、呉の侍子(じし)を責む。至らず。怒って之を伐つ。呉王元(げん)を黄武と改め、江に臨んで拒(ふせ)ぎ守る。 三年夏四月、帝崩ず。在位三年。元を改むる者(こと)一、章武と曰う。諡(おくりな)して昭烈皇帝と曰う。太子の禅、位に即く。亮を封じて武郷侯と為す。太子既に立つ。是を後皇帝と為す。 屯 駐屯地。 連 しきりに、つづけて。 侍子 自分の子を差し出して天子に仕えさせる一種の人質。 昭烈帝劉備は、巫峽から夷陵にかけて数十の陣営を築いて、呉軍と対峙すること幾月かにおよんだ。呉の将陸遜が続けざまに四十余りを撃ち破ったので、帝は夜にまぎれて逃げ帰った。 魏の曹丕は孫権が約束の人質を出さないのを責めたが、遂に怒って呉を攻めた。呉王孫権は元号を黄武と改め、揚子江に臨んで魏軍と対峙した。 漢の章武三年(223年)夏四月、昭烈帝が崩じた。改元は一度で章武である。諡を昭烈皇帝という。太子の禅が位を継ぎ、諸葛亮を武郷侯に封じた。太子が即位した、これが後皇帝(こうこうてい)である。 十八史略 昭烈皇帝の遺言 2011-11-05 09 16 23 | 十八史略 嗣子輔く可くんば之を輔けよ 後皇帝名禪、字公嗣、昭烈皇帝子也。年十七即位。改元建興。丞相諸葛亮受遺詔輔政。昭烈臨終謂亮曰、君才十倍曹丕。必能安國家、終定大事。嗣子可輔輔之。如其不可、君可自取。亮涕泣曰、臣敢不竭股肱之力、效忠貞之節、繼之以死。亮乃約官職、修法制、下教曰、夫參署者、集衆思、廣忠也。若遠小嫌、難相違覆、曠闕損矣。亮乃遣芝、使呉修好。芝見呉王曰、蜀有重險之固。呉有三江之阻。共爲脣齒、進可兼并天下、退可鼎足而立。呉遂絶魏專與漢和。 後皇帝、名は禅、字は公嗣(こうし)、昭烈皇帝の子なり。年十七にして位に即く。元を建興と改む。丞相の諸葛亮、遺詔を受けて政を輔(たす)く。昭烈、終りに臨んで亮に謂って曰く、「君の才は曹丕に十倍せり。必ず能く国家を安んじ、終(つい)に大事を定めん。嗣子輔く可くんば之を輔けよ。如(も)し其れ不可ならば、君、自ら取る可し」と。亮、涕泣(ていきゅう)して曰く、「臣敢えて股肱(ここう)の力を竭(つく)し、忠貞の節を效(いた)し、之に継ぐに死を以ってせざらんや、」と。亮乃ち官職を約し、法制を修め、教えを下して曰く、「夫(そ)れ参署は、衆思(しゅうし)を集め、忠益を広むるなり。若し小嫌(しょうけん)を遠ざけ、相違覆(いふく)することを難(はばか)らば、曠闕(こうけつ)して損あらん、」と。亮、乃ち芝(とうし)を遣わし、呉に使いして好(よしみ)を修めしむ。芝、呉王に見(まみ)えて曰く、「蜀に重険(じゅうけん)の固(かため)有り。呉に三江の阻(そ)有り。共に唇歯(しんし)を為さば、進んでは天下を兼并(けんぺい)す可く、退いては鼎足(ていそく)して立つ可し、」と。呉、遂に魏と絶(た)ち、専ら漢と和す。 敢不 反語、(敢えて・・せざらんや)と読む。不敢は否定(敢えて・・せず)。 股肱 ももとひじ、全身。 参署 合議制、大勢が参加してその結果に署名する。 衆思 多くの意見。 忠益 忠言の益。 小嫌 些細な気がね。 違覆 異見を述べ、繰り返し審議すること。 曠闕 曠は空しい、闕は欠けること、ないがしろになること。 三江 呉淞・銭塘・浦陽。 唇歯 親密な間柄。 兼并 併せもつ。 鼎足 三本足、蜀、呉、魏が並び立つ。 後皇帝、名は禅、字は公嗣といい、昭烈皇帝の子である。十七歳で位に即き、年号を建興と改めた。丞相の諸葛亮は昭烈皇帝の遺言を受けて政治を補佐した。昭烈帝の臨終の際、亮に「君の才能は魏の曹丕に比べて十倍にも勝る。国家を安泰にし、天下統一の大事をなすことができよう。補佐するに足る器量が禅にあるなら、援けてやって欲しい、もしその甲斐が無いようなら、君自ら天下を取ってくれ」と言った。亮は涙を流して、「私は何としても臣下として全力をもって、忠節を尽し、ついには一命をも投げ出さずにおられましょうか」と申し上げた。こうして亮はまず官職を簡素にし、法制を改め、群臣に、「そもそも参署とは衆知を集め、忠言の益を広めるためのものである。もし些細な気兼ねから異議をさしはさむことを憚り審議を繰り返すことを厭えば、天下の政務はなおざりになり、ひいては国の大損失となるであろう。」と訓示した。ついで諸葛亮は芝を使者として呉に派遣し、好(よし)みを通じさせた。芝は呉王に面会して、「わが蜀にはいく重もの天然の要害があります。貴国には呉淞・銭塘・浦陽の三江の険阻があります。共に唇と歯のような切っても切れぬ間柄となれば、進んでは天下を併せ持つことが出来ましょう。退いては鼎の足のように三国が並び立つことができます。」と言上した。呉王は魏と絶ち、もっぱら蜀漢と親しく交わった。 十八史略 猛獲七縦七禽 2011-11-08 11 04 26 | 十八史略 魏主以舟師撃呉。呉列艦于江。江水盛長。魏主臨望、歎曰、我雖有武夫千羣、無所施也。於是還師。 南夷畔漢。丞相亮往平之。有孟獲者。素爲夷漢所服。亮生致獲、使觀營陣、緃使更戰。七緃七禽、猶遺獲。獲不去曰、公天威也。南人不復反矣。 魏主又以舟師臨呉。見波濤洶湧、歎曰、嗟乎、固天所以限南北也。 魏主丕殂。僭位七年。改元者一、曰黄初。諡曰文皇帝。子叡立。是爲明帝。叡母被誅。丕嘗與叡出獵、見子母鹿。既射其母、使叡射其子。叡泣曰、陛下已殺其母。臣不忍殺其子。丕惻然。及是爲嗣即位。 處士管寧、字幼安。自東漢末、避地遼東三十七年。魏徴之。乃浮海西歸。拝官不受。 魏主舟師(しゅうし)を以って呉を撃つ。呉、艦を江に列す。江水盛長す。魏主、臨望(りんぼう)し、歎じて曰く、我、武夫(ぶふ)千群有りと雖も、施す所無きなり、と。是(ここ)に於いて師を還す。 南夷、漢に畔(そむ)く。丞相亮、往(ゆ)いて之を平らぐ。孟獲という者有り。素より夷漢(いかん)の服する所と為る。亮、獲を生致(せいち)し、営陣を観(み)しめ、縦(ゆる)して更に戦わしむ。七縦七禽(しちしょうしちきん)、猶獲を遣(や)る。獲、去らずして曰く、公は天威なり。南人復た反せず、と。 魏主、又舟師を以って呉に臨む。波濤の洶湧(きょうよう)するを見て、歎じて曰く、嗟乎(ああ)、固(まこと)に天の南北に限る所以(ゆえん)なり、と。 魏主丕、殂(そ)す。位を僭(せん)すること七年。改元する者(こと)一、黄初と曰う。諡(おくりな)して文皇帝と曰う。子の叡(えい)立つ。是を明帝と為す。叡の母、誅せらる。 丕、嘗て叡と出でて猟し、子母(しぼ)の鹿を見る。既に其の母を射(い)、叡をして其の子を射しむ。叡、泣いて曰く、陛下、已に其の母を殺せり。臣、其の子を殺すに忍びず、と。丕惻然(そくぜん)たり。是(ここ)に及んで、嗣と為り、位に即く。 処士管寧(かんねい)、字は幼安。東漢の末より、地を遼東に避くること三十七年。魏、之を徴(め)す。乃ち海に浮かんで西に帰る。官に拝すれども、受けず。 舟師 水軍、ふないくさ。 夷漢の服する所 夷も漢も共に畏服する。 生致 生け捕り。 七縦七禽 七度解き放って七度捕える。 洶湧 波が逆巻くさま。殂す 死ぬこと。 僭 身分を侵すこと、僭称。 惻然 あわれみ、心を痛めること。処士 仕官していない人。 魏主曹丕が水軍を率いて呉を攻めた。呉は軍船を揚子江に並べてこれを迎えた。折しも揚子江の水かさは増していた。曹丕はそれを見ると、「千隊ものつわものを率いているが、これではどうしようもない」と軍を帰した。 その頃、雲南の族が漢に叛いた。丞相の諸葛亮が出兵してこれを平定したが、猛獲という勇者がおり、族はもとより、漢でもその勇猛ぶりは知れ渡っていた。亮はこの猛獲を生け捕りにして、漢の陣営を見せた後、解き放って再度戦う機会を与えた。七たび解き放って七たびとらえた。なおも行かせようとすると、猛獲はこう言った「公の武威は天賦のものです。南のものは二度と叛きません」と。 その後、曹丕は再び水軍を発して呉に向かったが、又もや逆巻く波に遮られた。嘆息して「ああ、まことにこの揚子江は、天が南と北に天下を分かとうという意志のあらわれであろうか」と言った。 魏主曹丕が病死した(226年)。帝位を僭称すること七年、改元すること一度、黄初といった。文皇帝とおくりなした。子の叡が位に立った。これを明帝という。叡の母は以前に讒言にあって誅殺されていた。 曹丕はある日、叡をつれて猟にでかけ、親子づれの鹿を見つけた。丕がすかさず母鹿を射止めると叡に向かって子鹿を射るよう命じた。叡は泣いて訴えた「陛下は母鹿を殺しました。私はその子を殺すに忍びません」と。それを聞いて丕は悲痛な思いをした。こうして叡が後嗣ぎとなり、位に即いたのである。 民間の士に管寧という者がいた。字を幼安といい、東漢の末から、乱世を避けて、遼東の地に居ること三十七年もの間に及んだ。曹丕がこれを招いたところ、海路西に向かって魏に帰ってきたが、士官を固辞して受けなかった。 十八史略 出師の表 2011-11-10 14 39 17 | 十八史略 漢丞相亮、率諸軍北伐魏。臨發上疏曰、今天下三分、州疲弊。此危急存亡之秋也。宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。臣本布衣、躬畊南陽、苟全性命於亂世、不求聞達於諸侯。先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、許先帝以驅馳。先帝知臣謹慎、臨崩、寄以大事。受命以來、夙夜憂懼、恐付託不效、以傷先帝之明。故五月渡瀘、深入不毛。今南方已定、兵甲已足。當奬率三軍、北定中原。興復漢室、還于舊都、此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。遂屯漢中。 漢の丞相亮、諸軍を率いて、北のかた魏を伐つ。発するに臨んで、上疏(じょうそ)して曰く、「今、天下三分し、益州疲弊せり。此れ危急存亡の秋(とき)なり。宜しく聖聴を開帳すべく、宜しく忠諌(ちゅうかん)の路を塞ぐべからず。宮中・府中は倶(とも)に一体たり。臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、宜しく異同あるべからず。若し、姦を作(な)し、科を犯し、及び忠善の者有らば、宜しく有司に付して、その刑賞を論じ、以って平明の治を昭(あきら)かにすべし。賢臣を親しみ、小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。小人を親しみ、賢人を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。臣、本(もと)布衣(ふい)、南陽に躬畊(きゅうこう)し、性命を乱世に苟全(こうぜん)して、聞達(ぶんたつ)を諸侯に求めず。先帝、臣が卑鄙(ひひ)なるを以ってせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)して、臣を草廬(そうろ)の中に三顧し、臣に諮(と)うに当世の事を以ってす。是に由(よ)って感激し、先帝に許すに駆馳(くち)を以ってす。先帝、臣の謹慎なるを知り、崩ずるに臨み、寄するに大事を以ってせり。命を受けてより以来、夙夜(しゅくや)憂懼(ゆうく)し、付託の效(こう)あらずして、以って先帝の明を傷(そこな)わんことを恐る。故に五月、瀘(ろ)を渡り、深く不毛に入る。今、南方、すでに定まり、兵甲すでに足る。当(まさ)に三軍を奨率(しょうそつ)して、北のかた中原を定むべし。漢室を興復し、旧都を還(かえ)さんことは、此れ臣が先帝に報いて陛下に忠なる所以の職分なり」と。遂に漢中に屯(たむろ)す。 上疏 書をたてまつること。 聖聴を開帳 臣下の言葉をよく聴くこと。 忠諌 忠義の諫言。 宮中・府中 宮中は禁中・府中は幕府。 臧否 善悪。 陟罰 陟は登る、褒賞と罰則。 先漢 文帝・景帝の治世。 後漢 桓帝・霊帝の治世。 布衣 無官、庶人。 躬畊 みずから耕す。 苟全 とりあえず全うする。 聞達 世間に知れること。 卑鄙 身分が低いこと。 枉屈 曲げ、屈めること。 草廬 粗末ないおり。 三顧 三度訪ねる、目上の人が礼を尽くすこと。 駆馳 奔走すること。 夙夜 一日中。 憂懼 憂え恐れること。 效 効に同じ。 瀘 瀘水。 兵甲 兵は武器、甲はよろい。 奨率 奨帥、励まし率いる。 漢の丞相亮がいよいよ三軍を率いて魏を伐つことになった。出発に臨んで後皇帝に書(出師の表)を奉った。(227年) 「今、天下三分し、わが益州は最も疲弊しており、まさに危急存亡のときであります。陛下にはよく臣下の言葉をお聞きになりまして、忠義の諫言にはどうか路を閉ざされませぬようなされませ。 宮廷と政府とは一体であります。善悪の賞罰には違いがあってはなりません。もし悪事を行い罪を犯す者、あるいは忠義善良な者は、役人に命じて刑罰、褒賞を決めさせ、政治の公平正明を天下に示すべきであります。 賢臣を近づけ小人を遠ざけたことが先漢の興隆した原因でありますし、小人を近づけ賢臣を遠ざけたことこそ、後漢が衰亡した原因であります。 私はもと無官の平民で、南陽にみずから田を耕し、この乱世にただ一命を大事にと、諸侯に仕えての栄達に背を向けて参りました。先帝は私が卑しい身分であるにも拘わらず、自ら高貴な身を枉げられて、三度もむさくるしい庵を訪れられて、当世の急務について下問されました。これがために感激して先帝のために奔走することを誓ったのであります。 先帝は私がつつしみ深いことをお認めになり、ご臨終の際、私に国家の大事を託されました。ご遺命を受けてよりこのかた、日夜心を砕き、ご信任に背いて先帝の聖明を汚すようなことがないかと恐れておりました。それ故五月、瀘水を渡って、深く不毛の地に入ったのでございます。 今、南方はすでに平定され、軍備も整いました。三軍を励まして、北のかた中原の地を平定すべきと考えます。漢の王室を復興し、旧都長安にふたたび還ることこそ私が先帝の恩に報い、陛下に忠誠を尽くすためのつとめであります。」こうして漢中に兵を進めて駐屯した。 十八史略 死して後已まん 2011-11-15 09 10 49 | 十八史略 後の出師の表 明年、率大軍攻祁山。戎陣整齊、號令明肅。始魏以昭烈既崩、數歳寂然無聞、略無所備。猝聞亮出、朝野恐懼。於是天水・安定等郡、皆應亮、關中響震。魏主如長安、遣張郃拒之。亮使馬謖督諸軍戰于街亭。謖違亮節度。郃大破之。亮乃還漢中。已而復言於漢帝曰、漢賊不兩立、王業不偏安。臣鞠躬盡力、死而後已。至於成敗利鈍、非臣所能逆覩也。引兵出散關、圍陳倉。不克。 明年、大軍を率いて、祁山(きざん)を攻む。戎陣(じゅうじん)整斉、号令明肅(めいしゅく)なり。始め魏、昭烈既に崩じ、数歳寂然として聞くこと無きを以って、略(ほぼ)備うる所無し。猝(にわか)に亮の出づるを聞き、朝野恐懼(きょうく)す。是(ここ)に於いて天水・安定等の郡、皆亮に応じ、関中響震(きょうしん)す。魏主、長安に如(ゆ)き、張郃(ちょうこう)をして之を拒(ふせ)がしむ。亮、馬謖(ばしょく)をして諸軍を督(とく)し、街亭に戦わしむ。謖、亮の節度に違(たが)う。郃大いに之を破る。亮乃ち関中に還る。已(すで)にして復(また)漢帝に言(もう)して曰く、「漢と賊とは両立せず、王業は偏安(へんあん)せず。臣、鞠躬(きくきゅう)して力を尽し、死して後に已(や)まん。成敗利鈍(りどん)に至っては、臣が能く逆(あらかじ)め覩(み)る所に非ざるなり」と。兵を引いて散関より出で、陳倉を圍(かこ)む。克たず。 祁山 甘粛省西和県。 明肅 明らかでだらけないこと。 響震 驚き騒ぐこと。 天水・安定 甘粛省の一地名。 節度 指図。 偏安 辺鄙な地に安んじる。 鞠躬 身を屈め敬う、転じて一事に専念して顧みる余裕がないこと。利鈍 鋭いかなまくらか、うまくいくかいかないか。 逆覩 逆はあらかじめ、予知すること 翌年、諸葛亮は大軍を率いて魏の祁山を攻めた。漢軍の陣営は整然、号令は厳かで明らかであった。当初は魏では蜀の昭烈帝が崩御してから数年間ひっそり静まりかえっていたので、備えをしていなかった。そこに突然亮が攻め込んだという知らせに、朝廷はもとより地方でも大いに恐れおののいた。かくて天水・安定等の諸郡は、皆亮に呼応したので関中は大騒ぎになった。 魏主曹叡は長安に赴き、張郃に防禦を命じた。亮は馬謖に諸軍を指揮させて街亭で戦わせた。ところが馬謖は亮の指図に背いたので張郃のために散々に打ち破られた。亮は残兵をまとめて関中に帰った。そしてまた帝に書を奉って(後の出師の表)「漢と賊(魏)とは両立せず、王業は僻地蜀に安んじていて成るものではありません。臣亮、ただひたすら力を尽して、死して後已まんの覚悟であります。もとより勝敗成否は臣の予知するところではありません」と申し上げた。そして兵をひきいて散関(陜西省宝鶏県)から打って出て、陳倉(同)を囲んだが、勝つには至らなかった。 十八史略 木牛流馬 2011-11-17 10 36 05 | 十八史略 呉王孫權、自稱皇帝於武昌、追尊父堅、爲武烈皇帝、兄策爲長沙桓王。已而遷都建業。 蜀漢丞相亮、又伐魏圍祁山。魏遣司馬懿督諸軍拒亮。懿不肯戰。賈詡等曰、公畏蜀如虎。奈天下笑何。懿乃使張郃向亮。亮逆戰。魏兵大敗。亮以糧盡退軍。郃追之、與亮戰、中伏弩而死。亮還勸農講武、作木牛流馬、治邸閣、息民休士、三年而後用之。悉衆十萬、又由斜谷口伐魏、進軍渭南。魏大將軍司馬懿引兵拒守。 呉王孫権、自ら皇帝を武昌に称し、父堅を追尊して武烈皇帝と為し、兄策を長沙桓王(ちょうさかんおう)と為す。已(すで)にして都を建業に遷(うつ)す。 蜀漢の丞相亮、また魏を伐ち、祁山(きざん)を囲む。魏、司馬懿(しばい)をして、諸軍を督して、亮を拒(ふせ)がしむ。懿、肯(あえ)て戦わず。賈詡(かく)等曰く、「公、蜀を畏(おそる)ること虎の如し。天下の笑いを奈何(いかん)せん」と。懿、乃ち張郃(ちょうこう)をして亮に向かわしむ。亮、逆(むか)え戦う。魏の兵、大いに敗る。亮、糧の尽くるを以って軍を退く。郃、之を追い、亮と戦い、伏弩に中(あた)って死す。亮、還って農を勧め武を講じ、木牛流馬を作り、邸閣を治め、民を息(やす)め士を休め、三年にして後に之を用う。衆十万を悉(つ)くして、又斜谷口(やこくこう)より魏を伐ち、進んで渭南(いなん)に軍す。魏の大将軍司馬懿、兵を引いて拒守(きょしゅ)す。 木牛流馬 牛馬をかたどった兵糧運搬の仕掛け。 邸閣 食糧庫。 斜谷口 陜西省褒城県にある。 呉王の孫権は、武昌にて自ら皇帝を称し、父孫堅に武烈皇帝の称を追尊し、兄孫策を長沙桓王として建業に遷都した。 蜀漢の丞相亮は再び魏を伐って祁山を包囲した。魏は司馬懿を派遣し諸軍を督励して亮を防いだが敢えて戦わなかった。部将の賈詡等が「公は蜀を虎のように畏れておられるが、天下の物笑いになるのをいかがいたしますか」と責めたので張郃を遣って諸葛亮に向かわせた。亮はこれを迎え撃って魏軍を散々に破った。その後亮は糧食が尽きたので、兵を引いた。張郃はその機に乗じて亮を追撃したが伏兵の弩(いしゆみ)に射られて死んだ。 諸葛亮は蜀に還って農業を奨励し、武術を習わせ、木牛流馬と呼ぶ兵糧を運ぶ仕掛け車を作り、糧秣倉庫を造り、民と兵士を休息させて三年後に再び動員した。総勢十万をくり出し斜谷口から魏に侵攻し、渭水の南に布陣した。魏の大将軍司馬懿が兵を率いて守り防いだ。 十八史略 死せる諸葛生ける仲達を走らしむ 2011-11-19 09 29 25 | 十八史略 亮以前者數出、皆運糧不繼、使己志不伸、乃分兵屯田。耕者雜於渭濱居民之、而百姓安堵、軍無私焉。亮數挑懿戰。懿不出。乃遣以巾幗婦人之服。亮使者至懿軍。懿問其寢食及事煩簡、而不及戎事。使者曰、諸葛公夙興夜寐、罰二十以上皆親覽。所噉食、不至數升。懿告人曰、食少事煩、其能久乎。 亮病篤。有大星、赤而芒、墜亮營中。未幾亮卒。楊儀整軍還。百姓奔告懿。懿追之。姜維令儀反旗鳴鼓、若將向懿。懿不敢逼。百姓爲之諺曰、死諸葛、走生仲達。懿笑曰、吾能料生、不能料死。 亮、前者(さき)に数しば出でしが、皆、運糧継がず、己(おの)が志をして伸びざらしめしを以って、乃ち兵を分って屯田す。耕す者、渭浜(いひん)居民の間に雑(まじ)り、而も百姓(ひゃくせい)安堵し、軍に私(わたくし)無し。亮、しばしば懿に戦を挑む。懿、出でず。乃ち遣(おく)るに巾幗(きんかく)婦人の服を以ってす。亮の使者、懿の軍に至る。懿、其の寝食及び事の煩簡を問うて、戎事(じゅうじ)に及ばず。使者曰く、「諸葛公、夙(つと)に興(お)き、夜に寝(い)ね、罰二十以上は皆親(みずか)ら覧(み)る。噉食(たんしょく)するところは、数升に至らず」と。懿、人に告げて曰く、「食少なく事煩わし、其れ能(よ)く久しからんや」と。 亮、病篤(あつ)し。大星有り、赤くして芒あり、亮の営中に墜つ。未だ幾(いくばく)ならずして亮卒す。(ちょうし)楊儀、軍を整えて還る。百姓奔(はし)って懿に告ぐ。懿之を追う。姜維(きょうい)、儀をして旗を反(かえ)し鼓を鳴らし、将(まさ)に懿に向かわんとするが若(ごと)くせしむ。懿敢えて逼(せま)らず。百姓之が為に諺(ことわざ)して曰く、「死せる諸葛、生ける仲達を走らしむ」と。懿笑って曰く、「吾能(よ)く生を料(はか)れども、死を料ること能わず」と。 運糧 兵糧の運搬。 渭浜 渭水の水辺。 屯田 兵士がその土地で耕作しながら駐留すること。 巾幗 婦人の髪飾り。 戎事 軍事。 噉食 噉は食らう、食事。 数升 漢の升は合と同じで日本の勺より少し多い。 丞相の次官。 仲達 司馬懿のあざな。 諸葛亮はこれまで何回も出兵しながら、いつも食糧の補給がうまくいかず、目的を達せられなかったので、今度は兵士を手分けして屯田させることにした。耕作する兵士は渭水の水辺の住民の中に混じったが、百姓たちは安心して生活し、兵士の方にも私欲を満たそうとする者がいなかった。 亮は繰り返し戦いを挑んだが、司馬懿は討って出ようとしなかったそこで亮は婦人服と髪飾りを贈って懿を挑発した。亮の使者が魏の軍営にきたとき、懿は亮の寝食、仕事ぶりなど日常の生活について尋ね、軍事には触れなかった。使者は「公は朝早くから起き、夜更けてから寝みます。杖二十ほどの軽い罪でもご自身で裁かれます。食事は日に数升(勺)しか召し上がりません」と答えた。懿は傍らの者に言った「食が細く、多忙とあれば、そう長い命ではあるまい」 果たして亮は病に罹った。ある夜のこと、赤く大きなほうき星が亮の営中に墜ちた。その後間もなく諸葛亮は亡くなった。次官の楊儀は軍をまとめて撤退にかかった。土地の者が急いで懿に通報し、懿は追撃にかかった。蜀の陣営では姜維が楊儀に勧めて、旗の向きを変え、太鼓を打ち鳴らして魏軍に反撃するかに見せかけた。懿は追撃を止めて引き上げてしまった。土地の者は「死んだ諸葛亮孔明が生きた司馬懿仲達を退散させた」と評したのを聞いて懿は苦笑して「生きている人間なら予想はできるが、死んだ人間ではどうにもならぬ」と言った。
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三国志作品 238 名前:水先案名無い人 :05/01/29 22 27 31 ID br8/fzeZ0 全三国志作品入場!! 片ちんギャグは生きていた!! 更なるおまけ書き下ろしを加え文庫版で甦った!!! 魯粛が半魚人!! 「SWEET三国志」(作・画:片山まさゆき)だァ――――!!! 濃い顔の三国志漫画はすでに私が完成している!! 漫画ゴラク「爆風三国志 我王の乱」(作・画:山口正人)だァ――――!!! 武将が登場ししだい「~だね」「~だよ」口調でしゃべらせまくってやる!! 講談社文庫代表 「三国演義」(著:安能務)だァッ!!! 三国志の研究なら我々の歴史がものを言う!! 光栄のギャグ本 サアカッチャエー 「爆笑三国志1~6」!!! 柴錬の魅力を知らしめたい!! 時代劇ファン掲載 「英雄三国志」(作:柴田錬三郎 画:大島やすいち)だァ!!! 三国志は執筆中だが古代中国なら全時代オレのものだ!! 春秋戦国モノ大家の作品 「三国志」(著:宮城谷昌光)だ!!! 時代考証は完璧だ!! プリンセスコミック 「江東の暁」(作・画:滝口琳々)!!!! 全三国志漫画のベスト・ムチャクチャは私の中にある!! 熱い漫画の神様が来たッ 「天地を喰らう」(作・画:本宮ひろ志)!!! 4コマギャグなら絶対に敗けん!! ネクラな諸葛瑾とアホな馬超見せたる 希望コミックス 「GoGo玄徳くん!!」(作・画:白井恵理子)だ!!! ホモ(なんでもあり)ならこいつが怖い!! 腐女子の全然ピュアじゃない・ノベル 「私説三国志 天の華・地の風」(著:江森備)だ!!! 中国から炎の妄想が上陸だ!! トンデモ本 「反三国志」(著:周大荒 訳:渡辺精一)!!! 男の少ない漫画が描きたいから全武将(劉備・曹操以外)女にしたのだ!! プロの萌え漫画を見せてやる!!「DRAGON SISTER! 三國志百花繚乱」(作・画:nini)!!! 「まずい、混乱してパニックになっている」とはよく言ったもの!! 作者の趣味が今 誌上でバクハツする!! 週刊少年マガジン 「覇王の剣」(作・画:塀内夏子)だ―――!!! ハードボイルド小説こそが小説最強の代名詞だ!! まさかこの男が書いてくれるとはッッ 「三国志」(著:北方謙三)!!! 馬を描きたいから三国志を描いたッ キャリア結構有名!!!! チャンピオンの不殺(ケンカしない)漫画 「さんごくし」(作・画:やまざき拓味)だ!!! この漫画は三国志漫画ではないパンチラ漫画なのだ!! 御存知爆乳孫策 「一騎当千」(作・画:塩崎雄二)!!! 漫画の本場は今やWebにある!! オレを製本化してくれる奴はいないのか!! 「三国志漫画劉備くん」(作・画:曹洪)だ!!! 金返せェェェェェえッ閑話休題!! 全10巻!!! 税別6789円!!! 「呉・三国志」(著:伴野朗)だ!!! 孔明は主人公で描けてナンボのモン!!! 超反戦孔明!! PFコミックスから「ヒロイック・レジェンド 諸葛孔明 時の地平線」(作・画:諏訪緑)の登場だ!!! おいしいトコロはオリキャラのもの 邪魔する登場人物は思いきり貶し思いきり蔑むだけ!! 陳宮の義弟が統一主人公 「興亡三国志」(著:三好徹) 自分を試しにif小説を書いたッ!! シミュレーション三国志 「破三国志」(著:桐野作人)!!! 園田流に更なる磨きをかけ ”こやつめハハハ!”「三国志」(作:久保田千太郎 画:園田光慶)が帰ってきたァ!!! 今の自分に人気はあまりないッッ!! 強すぎ・主人公「龍狼伝」(作・画:山原義人)!!! 中国四千年の漫画文化が今ベールを脱ぐ!! 香港から 「火鳳燎原」(作・画:陳某)だ!!! 視聴者の前でなら紳介・竜介はいつでも全盛期だ!! 燃える人形劇(人形劇史上初めて火を使った) 「人形劇 三国志」 DVDで登場だ!!! 去年の年内完結宣言はどーしたッ 曹操の人気 未だ消えずッ!! 掲載も休載も思いのまま!! 「蒼天航路」(作:李學仁 画:王欣太)だ!!! 特に理由はないッ 劉備が女なのは当たりまえ!! 掲載誌は休刊だ!!! 単行本全3巻! 「ランペイジ」(作・画:吉永裕介)がきてくれた―――!!! コバルト文庫で磨いた少女向けショウセツ!! 三国志のボーイズ・ラブ 「旋風江シリーズ」(著:朝香祥)だ!!! 中国史だったらこの人を外せない!! 超A級独自解釈 「秘本三国志」(著:陳舜臣)だ!!! 超一流コンビの超一流の漫画だ!! 生で拝んで(いろんな意味で)オドロキやがれッ 日本人の劉備!! 「覇 -LORD-」(作:武論尊 画:池上遼一)!!! 三国志小説はこの作品が完成させた!! 歴史小説会の切り札!! 「三国志」(著:吉川英治)だ!!! 若き日の思い出が甦ってきたッ 天国へ行ってしまったンだッ 大先生ッッ 俺達は貴方を忘れないッッッ「三国志」(作・画:横山光輝)の登場だ――――――――ッ 関連レス 241 名前:水先案名無い人 :05/01/29 22 35 30 ID B8QluxSe0 いっぱいあるなあ 横山御大。゚ヽ(゚´Д`゚)ノ゚。 242 名前:水先案名無い人 :05/01/29 22 57 00 ID xYdD0tOV0 238-239 グッジョブ!!やはり締めをお任せできるのは横山御大しかいない! しかし俺もこのネタやりたかったんだけど32作品思いつかずに断念したんだよな・・・ つうワケで日の目を見なかったネタを書かせてくれ、 特に理由はないッ 正史が正しいのは当たりまえ!! 邪馬台国の位置はないしょだ!!! 歴史改ざん! 正史三国志(著:陳寿)がきてくれた―――!!! 243 名前:水先案名無い人 :05/01/29 23 02 04 ID wopC43li0 うちの学校に横山先生の殷周伝説が入った。誰もよまねぇ… 三国志何回も一人で借りてるやつも借りねぇし。 コメント 名前
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宝物>加速へ戻る 名 値段 説明 戦場加速 5 戦場で部隊の行軍時間を残り10秒に短縮する。 通関書 5 訓練中の武将に使用すると、訓練の残り時間が30%減少する。 招集令 5 訓練が終了し、帰還中の武将に使用すると、瞬時に人事院に呼び戻すことができる。 特急大工 - 春秋時代の伝説の大工「魯班」の技を受け継ぐ大工が、瞬時に建設を完了する。短縮した時間に応じた元宝が必要。 大工の紙片 5 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた紙片。残り建設時間を15分短縮する。 大工の帳面 10 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた帳面。残り建設時間を1時間短縮する。 大工の図面 20 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた図面。残り建設時間を2時間30分短縮する。 大工の書物 50 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた書物。残り建設時間を8時間短縮する。 大工の巻物 80 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた巻物。残り建設時間を10~30時間のランダムで短縮する。 大工の全集 120 春秋時代の伝説の大工「魯班」が書いた全集。残り建設時間を30%短縮する。 特急学者 - 戦国時代の学者「墨子」の知識を受け継ぐ学者が、瞬時に研究を完了する。短縮した時間に応じた元宝が必要。 学者の紙片 5 戦国時代の学者「墨子」が書いた紙片。残り研究時間を15分短縮する。 学者の帳面 10 戦国時代の学者「墨子」が書いた帳面。残り研究時間を1時間短縮する。 学者の図面 25 戦国時代の学者「墨子」が書いた図面。残り研究時間を3時間短縮する。 学者の書物 65 戦国時代の学者「墨子」が書いた書物。残り研究時間を10時間短縮する。 学者の巻物 100 戦国時代の学者「墨子」が書いた巻物。残り研究時間を12~36時間のランダムで短縮する。 学者の全集 150 戦国時代の学者「墨子」が書いた全集。残り研究時間を35%短縮する。 徴兵加速 30 兵士の雇用にかかる残り時間が30%減少する。1つの雇用に2回使用することはできない。 城防加速 35 城防施設の建設にかかる残り時間が30%減少する。1つの建設に2回使用することはできない。 木牛流馬 5 市場での取引成立後にかかる交易時間を10分の1に短縮する。購入側、売却側のどちらでも使用可能。 火薬筒 20 火薬を大量に詰め込んだ筒。使用すると建物を完全削除して空地に戻す。建物を削除しても資源は戻らない。官邸には使用できない。 傷薬 10 武将に使用すると、体力が10%回復する。 中傷薬 30 武将に使用すると、体力が30%回復する。 大傷薬 60 武将に使用すると、体力が60%回復する。 特傷薬 100 武将に使用すると、体力が100%回復する。 気力丸 10 武将に使用すると、気力が10%回復する。 中気力丸 30 武将に使用すると、気力が30%回復する。 大気力丸 60 武将に使用すると、気力が60%回復する。 得気力丸 100 武将に使用すると、気力が100%回復する。 初級経験書 8 武将に使用すると、経験が3,000増加する。 中級経験書 30 武将に使用すると、経験が30,000増加する。 上級経験書 100 武将に使用すると、経験が300,000増加する。