約 164,480 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi-taisen_ds/pages/40.html
三国志英傑伝 勢力別リスト魏伝 蜀伝 呉伝 他伝 ◆三国英傑伝概要 "三国英傑伝"は、歴史物語『三国志』のストーリーを追体験できるモード。 "落城せよ!"や"規定カウント数のあいだ生き延びろ"、あるいは"○○を倒せ!"など、さまざまな条件をクリアーしながらストーリーを進めていく。 アーケード版の"群雄伝"と異なり、発生するイベントやエンディングは、本作オリジナルのものとなっているぞ。 また、デッキを固定した戦いが多く、アーケード版を遊び尽くした人でも新鮮に楽しめるのだ。 ※ファミ通オンラインより抜粋 ◆英傑伝の仕様 魏・蜀・呉伝のどれかをクリアすると他伝が追加される。 クリアするとクリアした勢力のVer1.0カードを全てもらえます。 他伝をクリアすると涼・袁・他勢力のVer1.0カードを全てもらえます。 ◆戦器捜索隊について 1つのイベントをクリアする度に 待機中→捜索中→発見→回収中→帰還中 と変化していき、帰還中にイベントをクリアすると対応した勢力の戦器が獲得できる。 (例:魏伝の場合、魏勢力の戦器が獲得できます。他伝の場合は涼・袁・他勢力がランダム。) カードを得た後に「戻る」を押すと進まないので注意。 ◆楽にカードが集められるシナリオ 魏伝逍遥津の戦い張遼と楽進を縦に並べて配置→開幕で兵法速軍or神速で孫権に特攻し秒殺。 甄皇后死す甄皇后を中央最前の岩場に設置→2ドット程動かし狙い撃ちで終了。 献帝を保護(デッキ構築あり)デッキ構築はせず、初期3人を突っ込ませるだけ。速軍の法か神速の大攻勢、外伝「速軍」の入った兵法などがあるとなおよい。 長坂の戦い張コウを真ん中に配置し趙雲に突進。一騎打ちで勝つ。 蜀伝汜水関の戦い(デッキ構築あり)3人を固めて槍撃連打。 下邳の戦い簡ヨウを真ん中から突進させ、他3人で張遼を撃破。あとは槍激。 呉伝麦城の戦い呂蒙と韓当を中央最前に重ねて配置し、若干前に出すだけ。(柵は置く必要なし)あまり前に出ていないと別の敵を倒す事もあるが、最終的に関羽を狙うので問題なし。前すぎると敵が動き出すので注意。 揚州、攻略 その二中央最前に配置し突っ込ませるだけでOK。高確率で一騎打ちが発生。こちらは勇猛もちなので楽に勝てる。 他伝董卓死す呂布を中央(若干右だと良い)最前に配置するだけで放置(戦器ありの場合)。勝手に董卓を射て終わる。李傕&郭汜を攻撃したり戦器が無い場合は一歩前に出るといい。貂蝉を呂布と同じ位置に重ねるとより早く終わる。 ◆使用したカードによって分岐が発生するシナリオ 魏伝二一三年 馬超を破る(分岐あり) 蜀伝二〇八年 長坂の戦い(分岐あり) 呉伝二一七年 濡須口の戦い(分岐あり) これまで - 人が閲覧しました。 昨日は - 人が閲覧しました。 今日は - 人が閲覧しました。
https://w.atwiki.jp/nanaitatrpg/pages/303.html
07/12/23~08/01/23 ログ 本スレ
https://w.atwiki.jp/kaihennsyaityia/pages/128.html
「これは・・・!」 「都で見つかった伝国の玉璽!」 「伝国の玉璽の力を利用して自ら皇帝を詐称しようっていうんだな!止めなきゃ!だが、どうやれば!」 「紀霊」 「でも、お前は・・・!?」 「構わん、紀霊!」 「大変!自称皇帝が復活しちゃう・・・!」 「どうすりゃいいんだ!」 「・・・紀霊、それしか有名な家臣はいない!」 EPISODE 12 袁術 × 公路 心の剣を解き放てっ(エコー)・・・
https://w.atwiki.jp/sengokusi/pages/56.html
三国志の時代をあつかったシナリオ。「天舞-三国志正史-」という昔のPCゲームが元ネタになっている(らしい)。合計四つのシナリオがセットになっており、董卓対連合軍、官渡の戦い、赤壁の戦い、天下三分の時代がそれぞれ楽しめる。FEに対応。 あらすじ 東漢春秋 初平元年正月春、 山東の義兵大いに起こり、 卓の乱討たんとす。 衆各々、号数万 紹を推して盟主となす。 (OPメッセージより引用) 備考 シナリオ1 東漢春秋 190年1月 登場群雄数:54 郡数:127 武将数:1039 シナリオ2 龍虎激突 200年1月 登場群雄数:26 郡数:127 武将数:872 シナリオ3 赤壁炎上 208年12月 登場群雄数:25 郡数:127 武将数:776 シナリオ4 天下三分 215年1月 登場群雄数:15 郡数:127 武将数:697 入手先 MANCHONE 攻略難易度表(難 SS ~ F- 易) キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/147.html
リスト ドラゴンクエスト三国志Ⅸ 概要 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 英雄集結 リュカ(新野) プレイ上の縛り 下記参照 登録武将 下記参照 投稿時期 2008年1月29日~ 関連タグ 【ドラクエ三国志】 ニコニコ大百科 『ドラゴンクエスト三国志Ⅸ』 登録武将 ドラゴンクエストシリーズ、ロトの紋章、ダイの大冒険、アベル伝説から100名 77人は武将紹介で紹介済み。残り23人はシークレットらしい。 Level40の「ホイミンの朝ズバッ!」にてシークレット解放。 さらにうp主の技術向上によりキャラを追加できるようになっていたことが判明。これで多少は仲間にできるキャラが増えて楽になる?いやいや、魔王も増えてきつくなってます。 「wikiで人気投票でもすれば作者が死ぬ気で画像探して作ってくれるかも?」(Level40より) というわけで、人気投票はこちら。出してほしいキャラに投票してください。追加も可です。 簡単な解説 三国志の世界にドラゴンクエストシリーズの各魔王達が現れ、結託して蛮族5都市全てを制圧。しかし、それ以上の侵攻は行わなかった。同じく三国志の世界に迷い込んだであろう、勇者達を警戒して………今、新たなる伝説が始まる。(マイリストより) 縛りとして【寿命年齢撤廃・DQキャラ以外登用禁止・魔王軍登用禁止・魔王軍処断禁止・捕虜即解放】など 君主はⅤの主人公リュカ。スタート位置は大陸のほぼ中央「新野」 魔王軍は5つの異民族都市に配置されている。 魔王たちのステータスはその名にふさわしくどいつもこいつもチート。100オーバーが普通である。 一方勇者たちもスタート時からシリーズ全ての勇者がそろっているなど最初からかなり強力な国家。 三国武将は登用しないものの登録勢のみで100名以上を確保でき、どのキャラもそれなり以上に使えるので 最終的な戦力は相当なものになると予測される。むしろそうでもない限り三国武将まで加入するであろう魔王軍との戦いがきつすぎる。 当初は他勢力に属していてもドラクエキャラなら盗用可だったが、ある程度の人数が確保できてからは 捕虜にした者のみの登用になった模様。 魔王軍はすさまじい勢いで拡大しているので仲間が全員そろうのが先か、魔王軍が中国大陸を制覇するのが先かの戦いになりそうだ。 また三国志勢力をどこまで打倒していくのかも問題。へたに曹操や劉備を滅ぼしてしまうと登用縛りのせいで、公式チートの三国武将が魔王軍に流れてしまう可能性が出てくる。ただでさえチートだらけの魔王軍に公式チートの五虎将軍や曹操が加入するという悪夢はあまり見たくないものだ。だが、盗用を禁止している現在、三国勢力に登用されてしまった人材は回収できなくなっており、こちらもまた問題である。 登録キャラは作品別にチーム分けされている模様。同一の作品に登場したキャラはほぼ同じ都市に配置される。 並行世界 ドラクエシリーズの中にはキャラの性別が設定できる作品や結婚相手を選択できる作品があり、選択によっては登場しないキャラもいる。 しかし、この動画では登場する可能性のあるキャラはすべて登場している。 本来は同時には存在できないキャラクター同士のはずなのだが、それらはすべて並行世界で説明しているようだ。 その影響か、そういったキャラと同一の作品からの参戦者の中には似て非なる並行世界から呼び出されているもの達も存在している。 (例 ブライは男勇者のいた世界(FC)、クリフトは女勇者のいた世界(PS・DSの6章)から召喚されている) ホイミンの朝ズバッ! 時々入るホイミンによる状況解説コーナー。みの〇んた風にボードを使って説明してくれる。 Level30ではゲマにコーナーを乗っ取られた。Level40ではうp主本人が登場した。 Level50では追加キャラの一部を公開、さらに人気投票の開催を宣言した。ホイミンのウマウマダンスは必見 用語解説 バーゲンセール 通常ではあまり発生しない出来事が連続して起こること。第一話で勇者だらけのリュカ軍を評して「まるで勇者のバーゲンセールだな」というコメントが入ったことから定番として定着した。元ネタは鳥山明つながりでドラゴンボールから、ベジータが伝説とされたスーパーサイヤ人が多数存在していることを評してのセリフ「まるでスーパーサイヤ人のバーゲンセールだな」例)滅亡のバーゲンセール、魔王のバーゲンセール 中央開始で魔王軍が四方押さえてて、登用しばりがあるから序盤はがんがん進めるけど中盤以降がつらくなるわりと良い設置。 -- 名無しさん (2008-02-10 11 51 01) とりあえず、10話のホイミンの朝ズバ!は必見。 -- 名無しさん (2008-02-21 00 58 35) ここ数話で起きた超展開のバーゲンセールは一見の価値有り -- 名無しさん (2008-02-24 20 26 49) 一見チートキャラだらけに見えるが「DQ以外登用禁止」である事を考えれば…「百人しか使えない」ので結構厳しい -- 名無しさん (2008-03-14 14 11 33) コーエー神CPU発動!『背信者劉備』 -- 名無しさん (2008-03-14 14 39 01) 一般兵士がやたら暴走しがちなのは特徴かもしれない… -- 名無しさん (2008-03-14 15 02 55) 司馬懿のしぶとさは異常 -- 名無しさん (2008-03-16 21 11 22) No28になって遂に魔王軍が本腰を入れてきたようだ -- 名無しさん (2008-03-19 09 43 46) DQ4の男勇者と女勇者のアツアツ振りは異常 もっとやって欲しい -- 名無しさん (2008-03-20 17 05 26) 魔王軍との全面戦争は実RPGの様な決死の戦いとなると予想される。 まさに人外の魔王に対し、人間である主人公達が力を合わせ戦う姿は、ドラマ性を感じざるを得ないだろう。 -- 名無しさん (2008-03-20 21 44 36) 明らかな弱小勢力(厳白虎など)が何処まで生き残れるかもひそかな楽しみでもある。 -- 名無しさん (2008-03-24 22 25 49) リュカ大ピンチ・・最大の敵はヒロインなり!? -- 名無しさん (2008-03-30 14 01 20) お互い自分が嫁の世界から来てそうなあたりタチが悪いな -- 名無しさん (2008-03-30 17 30 00) lv38にて、嫁が実権掌握? -- 名無しさん (2008-03-31 15 20 10) 修羅場でもラブラブでも良いので、もっとドラマをみたい -- 名無しさん (2008-04-04 00 30 01) とりあえずスラリンは俺の嫁 -- 名無しさん (2008-04-04 16 48 02) 敵に死霊使いとかが居れば、勇者側の死者を大魔王軍として登場させるドラマが出来るんじゃね?とか思った。パパス・マーサ・ルナフレア・タルキン・ローラン王・ロト紋の騎士団達・バランとか。長文スマソ -- 名無しさん (2008-04-04 17 32 39) 結局最強は誰なんだろう? -- プリンセスローラ (2008-04-05 21 11 19) ロト紋のアルスには仲間はいるが、恋人らしき人がいないので、ちょっと可哀想。 -- 名無しさん (2008-04-19 15 24 44) 陳留を初めとした各地での魔王との熱い戦いは必見です!! -- 名無しさん (2008-05-13 21 21 05) ↑↑↑最強議論は個人的には面白いが荒れの元になり易い、たぶん慎んだ方がいいかな -- 名無しさん (2008-05-16 22 56 30) うp主は 魔界へと 旅立った! -- 名無しさん (2008-07-24 20 33 48) 勇者側ばっかり兵法発動してるみたいだけど、実際あんなもんなの? -- 名無しさん (2009-01-06 21 33 18) 途中までみててなんかいやな予感がしてマイリストから最後のやつ見てみたら案の定未完のままほったらかしか・・・はぁどうしてだろうね、理由ぐらい知りたいよ -- 名無しさん (2010-11-03 01 16 59) ↑自分の領土(城)からは兵法が発動しやすい。 -- 名無しさん (2014-08-09 18 13 04) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/imaska/pages/95.html
■ゆとりのカオス三国志 - 『三国志11』 ■ゆとりのカオス三国志 - 『三国志11』 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/80.html
諸葛亮北伐 [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 趙雲(ちょううん) キン[革斤]詳(きんしょう) 陳式(ちんしょく) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい) 曹休(そうきゅう) カク昭(かくしょう) 王双(おうそう) 呉(ご) 陸遜(りくそん) [おもな地名] 石亭(せきてい) 街亭(がいてい) 陳倉(ちんそう) 武都(ぶと) 陰平(いんぺい) 228年 諸葛孔明(しょかつこうめい)は呉の勝利の 報告を受けて再度魏への北伐を決意します。 しかし出兵を前にして訃報がもたらされます。 蜀の歴戦の勇にして最後の五虎将である 趙雲(ちょううん)が逝去します。 諸葛孔明は片腕の将軍が亡くなった事を大いに 嘆きます。 諸葛孔明は再度”出師の表”を書いて 戦いへの意気込みを述べます。 (後出師の表:存在しないとの説も有) 前回の戦いで蜀は北方の街亭(がいてい)付近を 完全に魏に奪われていました。 諸葛亮としては 前回 囮部隊として亡き趙雲が攻めた 陳倉(ちんそう)へ向かう陳倉道を 進むことを決定します。 魏にもこのことを先に予見して準備をしている 人物がいました。 第一次北伐で蜀を敗北に導いた男 司馬懿(しばい)です。 彼は事前に陳倉に突貫工事ながら強固な城を 作らせていました。(陳倉城) また、攻城戦において守りには 弓弩が必須であるとの事からそこに弓の名手である カク昭(かくしょう)を抜擢します。 いわば守りの達人を配置したわけです。 赴任した彼は堀を深くし、塁を高くし防備を高めます。 11月 孔明は迅速に数万の兵で陳倉城に迫り 城攻めにかかります。 陳倉城を守る兵は千人あまりしかなく、 また魏は先の呉との大敗で援軍をすぐに 出すこともままならない状況でした。 孔明はまず謀略戦に出ます。 カク昭の親友である蜀の将 キン[革斤]詳(きんしょう) を遣わして降伏と帰順をときました。 しかし、カク昭は首を縦に振らず交渉は決裂。 諸葛亮は強硬手段をとるに至ります。 諸葛亮はこの戦いで新兵器といわれる はしご車の「雲梯(うんてい)」、 大矢倉の「井闌(いらん)」 破城のための「衝車(しょうしゃ)」 などを駆使して攻め立てます。 カク昭はこれらの兵器が木製であることを みてとると、火矢や投石兵器などで応戦。 新兵器は無残にも燃えてしまいました。 蜀軍はただちにこの火に弱いという弱点を克服すべく 泥や糞尿を塗って防火対策を施した改良兵器で 攻めかかります。 しかし、20日あまりもの攻城戦にも関わらず 城は落ちませんでした。 孔明は補給の限界と敵の援軍の到来で 撤退をすることを決断します。 こうして、二度目の魏への侵攻は兵力の面では 勝る蜀がカク昭と強固な陳倉城の前に 敗れ去ることとなりました。 また魏の援軍が到着し追撃を行いますが 魏の期待の新鋭 王双(おうそう)が魏延(ぎえん)に 討ち取られるという大失態をおかし 魏は追撃を諦め撤退します。 229年春 孔明は陳式(ちんしょく)を派遣して国境の都市 武都(ぶと)と陰平(いんぺい)を奪い 部分的勝利を得ます。 しかし、 これらの地はあまり大勢に影響の無い地で 諸葛孔明率いる蜀は、結局のところ大きな 成果は得ることは出来ませんでしたが、 一矢報いたという形にはなりました。 230年 魏は度重なる蜀の諸葛孔明の遠征に対抗すべく 新たに大都督となった曹真(そうしん)の進言で 先手をとって本格的に蜀への侵攻を開始しようとします。 曹真は長安(ちょうあん)を出発し 斜谷道(やこくどう)から、 司馬懿(しばい)・張コウ儁乂は宛(えん)を 出発し子午道(しごどう)から、 ともに漢中(かんちゅう)を目指し侵攻を開始します。 (魏による第一次南伐) 両軍は漢中(かんちゅう)で合流する 予定となっていました。 これは魏が準備して攻撃に出た戦いであり 戦力は圧倒的に魏のほうが多く 蜀最大のピンチというべき事態でした。 しかし、運悪くこの時長雨が続き 降り止むことをせず、一ヶ月以上降り続きました。 そのため魏軍は進退ままならない状態がつづき 漢中に集合することができず、孤立状態となります。 この頃、蜀軍はというと 第一次北伐より諸葛孔明と魏延(ぎえん)が 長安への進軍ルートでの意見の相違から 二人の間には徐々に溝ができており 魏延は別働隊として独自の作戦行動を望んでいました。 そしてちょうどこの時、諸葛亮は魏延に望みどおりに 別働隊として西方の涼州(りょうしゅう)方面の 羌中(きょうちゅう)への侵攻をまかせていた所 だったのです。 (蜀による第三次北伐) 魏延はわずかな期間で羌中をみごとに奪い、凱旋の途中に 魏の侵攻部隊と遭遇します。 諸葛亮は援軍を率いて駆けつけ挟撃をし 費瑤(ひよう)と郭淮(かくわい)を破ります。 こうして孤立した各部隊を 蜀軍が各個撃破する作戦をとったことで、 浮き足立った魏軍は各地で敗戦を重ねる事となります。 それを聞いた魏の明帝(曹叡(そうえい))は 作戦中止命令をだします。 これにより、天候を味方につけた蜀の勝利となりました。 魏の南伐は失敗、蜀の北伐はある程度は成功。 しかし、魏延の素晴しい活躍はあったものの 第二次北伐時の武都・陰平攻略と同様に 戦略的にあまり重要でない涼州を奪ったところで 魏と蜀の戦力バランスはあまり変わることは ありませんでした。 [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) 鮮卑(せんぴ) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏延(ぎえん) 高翔(こうしょう)、 呉班(ごはん) 劉備(りゅうび) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい) 郭淮(かくわい) 賈ク(かく) 魏平(ぎへい) 郭淮(かくわい) 張コウ儁乂(ちょうこうしゅんがい) [おもな地名・場所] 長安(ちょうあん) キ山(きざん) 下弁(かべん) 漢中(かんちゅう) 天水(てんすい) [位置関係地図] 涼州 │ <魏> │ ・天水 ・長安 │・キ山 ・下弁└───────┐ <蜀> ・漢中 │ 231年2月 諸葛亮は4度目の魏への戦いに挑むこととなります。 彼は過去三度の反省からかの有名な秘密兵器を生み出します。 「木牛(もくぎゅう)」「流馬(りゅうば)」と呼ばれる 輸送用の四輪車と一輪車です。 彼は兵糧補給の弱点を克服すべくこれらを開発しました。 (なお、諸葛亮はこのように戦略戦術だけでなく 防具・武具にいたるまで研究していたといわれています。 実際晋代における鎧は孔明の開発したものが あまり進化せず使われていたといわれています。) 蜀の漢中(かんちゅう)から魏の長安(ちょうあん)へ 向かうコースは5つ。その中で諸葛亮は 今回の侵攻のコースを第一次北伐と同じ 関山道をとおる一番遠いルートを選択します。 下弁(かべん)からキ山(きざん)攻略を 目指します。<位置関係地図参照> キ山では賈ク(かく)と魏平(ぎへい)が守る城を 包囲します。 また西方の異民族 鮮卑(せんぴ)からも援軍を 取り付けて、長安の北方よりかく乱のための攻撃を させることに成功します。 魏の司令官は曹真(そうしん)亡き後 司馬懿(しばい)がついていました。 長安から司馬懿は準備を整えて出撃します。 諸葛亮は隊を城の包囲軍と司馬懿迎撃軍の2つにわけます。 魏の先遣部隊の郭淮(かくわい)をなんなく撃破。 その勢いのまま司馬懿の主力と当ろうとした矢先 司馬懿は軍を天水(てんすい)の城に立てこもり 持久戦にでました。 これにより兵糧・兵力共にある魏は蜀の攻勢を 押しとどめることに成功します。 また、鮮卑による蜀への援護攻撃は大きな成果を得るには 至りませんでした。 打って出てこない魏に対し遠征軍の蜀は兵糧のこともあり 一部撤退を余儀なくされます。 蜀の撤退に対し、魏では司馬懿の消極姿勢に不満が起こり 司馬懿の思惑とは別に追撃をせざる得なくなります。 231年春 ついに防衛一方の魏の主力が追撃に動き出します。 しかし、蜀の諸葛亮はそれを予期していたのか 冷静に動き、魏延(ぎえん)、高翔(こうしょう)、 呉班(ごはん)の精鋭部隊を当らせて 魏軍を完膚無きまでに打ち破ります。 この敗戦により司馬懿率いる魏軍は 完全な防御を固め持久戦を決め込むことしました。 当然将兵からも不満はおきませんでした。 持久戦が続き、遂に蜀の兵糧はそこをつき 木牛の効果もあまりでないまま補給が続かず あえなく諸葛孔明は全軍撤退を決定します。 これをみた司馬懿はこれこそ追撃のチャンスと 歴戦の名将張コウ儁乂(ちょうこうしゅんがい) に追撃命令をだします。 張コウは異論を唱えますが容れられずに 追撃を開始します。 (三国志演義では張コウ自らの意思で追撃します。) 当然これも諸葛亮の計算の内にあり 伏兵を用意していました。 張コウは伏兵の矢にあたり戦死します。 この時、張コウ50歳でした。 名将の死に魏軍は追撃をあきらめ 蜀軍は無事帰途につきます。 この撤退により4度目の北伐も過去同様に 蜀軍は優位に戦い進めながらも あと一歩ならず悲願を達成できませんでした。 [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏(ぎ) 曹叡(そうえい) 司馬懿(しばい) 呉(ご) 孫権(そんけん) [おもな地名・場所] 泰嶺(しんれい)山脈 五丈原(ごじょうげん) 合肥新城(ごうひしんじょう) [位置関係地図[簡易]] <魏> 陳倉 ・五丈原 ・長安 泰嶺山脈 ────────┐ ・漢中 │ <蜀> ├─────── │ <呉> 234年2月 総勢10万、蜀の諸葛亮は五度目の北伐を決行すること なります。 ルートは真中から魏の領土へ向かうルートである斜谷道。 険しい泰嶺(しんれい)山脈を越えるルートでもある この道を順調に進み無事通り抜けます。 そして平地である五丈原(ごじょうげん)に布陣しました。 当然補給の面でこの泰嶺山脈を超えて物資を送り続ける事は 困難であることは諸葛亮も計算していました。 まず、第四次北伐の時に使った木牛に加え 新兵器 流馬(りゅうば)を使い輸送手段を確保すると 共に、五丈原において農作を行いその場での 食料調達の準備も行いました。 これは長期戦に備えての事でした。 魏も30万の軍を用意して 司馬懿を司令官として送り込みます。 司馬懿は長安と五丈原の間に布陣し、砦を築きました。 魏もまた長期戦を考えていました。 司馬懿には皇帝曹叡(そうえい)からも ”堅く守るのみで攻めてはいけない”との命令が でていました。 過去4度の蜀に対する敗退で 魏は完全に守りに徹する策を選んだのでした。 両軍はにらみあったまま ほとんど動かず小競り合いがおきる程度。 諸葛亮も魏の出撃を誘い出すさまざまな 行動に出ますが魏は応じずません。 相手の動きに対して虚を突く軍事行動を起こすことが 得意な諸葛孔明としては 危険をおかして敵軍に対して突撃することは 出来ませんでした。 この戦いでの敗退は軍事力の小さい蜀にとって 即、蜀の滅亡に繋がりかねないのです。 234年5月 そんなおり、前回のお話である 呉(ご)と魏の戦い[合肥新城での戦い]がおきます。 蜀と同盟関係にある三国の一つ 孫権(そんけん)率いる呉が魏へ攻め込みます。 しかし呉は惨敗し撤退。合肥新城での戦いは 魏と蜀の戦いにたいした変化をもたらすことなく 幕を閉じます。 234年9月 蜀と魏が睨み合う事100日以上 秋の風が吹き冬の足音が聞こえようかとする時期。 変化は突然訪れます。 激務がたたった諸葛亮は突然倒れてしまいます。 234年10月 諸葛亮は床に伏したまま 帰らぬ人となってしまいました。 ただ、諸葛亮の死の際には 今後の軍事行動や方針、後継者など遺言されており、 蜀は整然と撤退を始めます。 諸葛亮の死を知った司馬懿も追撃を行いますが 突然の蜀の反転・反撃具合に まだ諸葛孔明は死んでいないのではと考え 追撃を中止し撤退しました。 これが後に 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という 名言となって残りました。 時に、孔明54歳。 遂に劉備以来の蜀の悲願である魏の討伐は 諸葛孔明の死を持って一時終わりを迎えました。 三国志の時代も新たな世代へと 物語はうつっていきます
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/229.html
[部分編集] うたわれるもの三国志 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1891192 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 英雄集結改をさらに改造 シナリオ設定 - 登録武将 うたわれるものリトルバスターズひぐらしのなく頃にFate月姫 史実武将の扱い - 紙芝居・ストーリー - 投稿時期 2007年12月29日~ 投稿者名 BO-GU 関連タグ うたわれるもの三国志 ニコニコ大百科 - マイリスト うたわれるもの三国志 備考 港を砦と櫓に変更(棺桶回避)登録勢力の本拠地の強化&周辺勢力との関係調整(初期の滅亡防止のため) [部分編集] 簡単な解説 他の動画では敵勢力に設定されることの多いうたわれるものを自軍勢力として中華統一を目指す三国志9プレイ動画。 君主であるハクオロは原作そのままに曹操並の能力なので序盤はらくらく進めそうである。 スタート位置は倭。どこかでは南の島からやってきたなどと歌っていたが、今回は東の島からスタート。 結構珍しいスタート位置である。 兵法発動時その他にはキャライメージのカットインやボイスが入ることもあり、迫力ある戦闘などが楽しめる。 毎回のスタート時に前回のおさらいをしてくれるのは親切。うっかり忘れてしまった侍などにもやさしい作りである。 他勢力の紙芝居も時々挿入。何か動きがあったときには入ることが多い。 また、兵法による部隊兵数の変化や多面戦闘でのマップが表示されるようになる等、話数が進んで戦闘が大規模になっても状況が分かりやすいよう進化している。 ※初期の動画では早送りの際にBGMまで早送りしているため呪詛や耳レイプと呼ばれる音になっているので注意。 人によっては ノック音 と同様にそのうちに癒し系音楽になってしまうかもしれない。 その8からは改善されているので、それ以降は安心して視聴することができる。 [部分編集] 縛り 武将登用に関しては登録武将優先。三国武将では文官を優先。ただし武官を取らないというわけではない。 抜擢の使用はあり。ただしチートすぎるときは調整あり。 他勢力への偽報・撹乱以外の策略禁止。盗用禁止。 勢力所属武将の引き抜き禁止。返還要請には無条件で解放。 軍師はエルルゥで固定 うたわれるものの登録キャラは城を1つ落とすごとに一人ずつ追加。 コメント欄 うたわれるもの三国志解説へのコメント 紙芝居の質がハイパーレベル、各キャラへの深く理解と愛を感じさせる -- 名無しさん (2008-04-23 10 24 02) ハクオロさんが軍を取り仕切っている形が出ていて、非常に見やすい -- 名無しさん (2008-04-23 17 51 36) 紙芝居とカットインが秀逸 -- 名無しさん (2008-04-27 01 06 22) 原作では南の島からスタートだったが って、どこの原作だよw これは小山剛志(クロウ役)が勝手にそう歌ってるだけだw -- 名無しさん (2008-04-29 16 08 31) ↑修正しました。 -- 名無しさん (2008-04-29 16 20 36) ボイス、カットインの種類が豊富で飽きが来ない -- 名無しさん (2008-05-24 01 56 44) ボイスがどんどん増えていく ついには無双までw -- 名無しさん (2008-05-28 00 13 03) 敵、味方問わずほぼ声つきw果たして期限に間に合うのか… -- 名無しさん (2008-06-01 22 06 39) その51の作り込みがハンパじゃないw -- 名無しさん (2008-07-27 23 58 17) L5ならありえるかもしれないが、通常のK1とレナ vs 葛木 これはどう見ても勝算が・・・ -- 名無しさん (2008-07-28 06 47 39) 相変わらず紙芝居が凄い、凄すぎる -- 名無しさん (2008-07-30 13 44 56) ↑↑L5の意味はわかっていない。本当にL5になったら治療薬を投与しない限り、ほとんどがリンパ腺を掻き毟って死ぬ。せめて覚醒やL4にしろ -- 名無し (2008-08-23 21 48 24) 演出もだが部隊や戦闘の状況がどんどん分かりやすくなってるのが助かる -- 名無しさん (2008-09-11 02 20 33) PCトラブルの為、復旧作業中とのこと、気長に更新を待とう。 -- 名無しさん (2009-04-11 18 07 46) 1年くらい待ってるけど何周しても面白いww -- 名無しさん (2012-01-04 16 53 58) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/49.html
諸葛亮北伐 [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 趙雲(ちょううん) キン[革斤]詳(きんしょう) 陳式(ちんしょく) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい) 曹休(そうきゅう) カク昭(かくしょう) 王双(おうそう) 呉(ご) 陸遜(りくそん) [おもな地名] 石亭(せきてい) 街亭(がいてい) 陳倉(ちんそう) 武都(ぶと) 陰平(いんぺい) 228年 諸葛孔明(しょかつこうめい)は呉の勝利の 報告を受けて再度魏への北伐を決意します。 しかし出兵を前にして訃報がもたらされます。 蜀の歴戦の勇にして最後の五虎将である 趙雲(ちょううん)が逝去します。 諸葛孔明は片腕の将軍が亡くなった事を大いに 嘆きます。 諸葛孔明は再度”出師の表”を書いて 戦いへの意気込みを述べます。 (後出師の表:存在しないとの説も有) 前回の戦いで蜀は北方の街亭(がいてい)付近を 完全に魏に奪われていました。 諸葛亮としては 前回 囮部隊として亡き趙雲が攻めた 陳倉(ちんそう)へ向かう陳倉道を 進むことを決定します。 魏にもこのことを先に予見して準備をしている 人物がいました。 第一次北伐で蜀を敗北に導いた男 司馬懿(しばい)です。 彼は事前に陳倉に突貫工事ながら強固な城を 作らせていました。(陳倉城) また、攻城戦において守りには 弓弩が必須であるとの事からそこに弓の名手である カク昭(かくしょう)を抜擢します。 いわば守りの達人を配置したわけです。 赴任した彼は堀を深くし、塁を高くし防備を高めます。 11月 孔明は迅速に数万の兵で陳倉城に迫り 城攻めにかかります。 陳倉城を守る兵は千人あまりしかなく、 また魏は先の呉との大敗で援軍をすぐに 出すこともままならない状況でした。 孔明はまず謀略戦に出ます。 カク昭の親友である蜀の将 キン[革斤]詳(きんしょう) を遣わして降伏と帰順をときました。 しかし、カク昭は首を縦に振らず交渉は決裂。 諸葛亮は強硬手段をとるに至ります。 諸葛亮はこの戦いで新兵器といわれる はしご車の「雲梯(うんてい)」、 大矢倉の「井闌(いらん)」 破城のための「衝車(しょうしゃ)」 などを駆使して攻め立てます。 カク昭はこれらの兵器が木製であることを みてとると、火矢や投石兵器などで応戦。 新兵器は無残にも燃えてしまいました。 蜀軍はただちにこの火に弱いという弱点を克服すべく 泥や糞尿を塗って防火対策を施した改良兵器で 攻めかかります。 しかし、20日あまりもの攻城戦にも関わらず 城は落ちませんでした。 孔明は補給の限界と敵の援軍の到来で 撤退をすることを決断します。 こうして、二度目の魏への侵攻は兵力の面では 勝る蜀がカク昭と強固な陳倉城の前に 敗れ去ることとなりました。 また魏の援軍が到着し追撃を行いますが 魏の期待の新鋭 王双(おうそう)が魏延(ぎえん)に 討ち取られるという大失態をおかし 魏は追撃を諦め撤退します。 229年春 孔明は陳式(ちんしょく)を派遣して国境の都市 武都(ぶと)と陰平(いんぺい)を奪い 部分的勝利を得ます。 しかし、 これらの地はあまり大勢に影響の無い地で 諸葛孔明率いる蜀は、結局のところ大きな 成果は得ることは出来ませんでしたが、 一矢報いたという形にはなりました。 230年 魏は度重なる蜀の諸葛孔明の遠征に対抗すべく 新たに大都督となった曹真(そうしん)の進言で 先手をとって本格的に蜀への侵攻を開始しようとします。 曹真は長安(ちょうあん)を出発し 斜谷道(やこくどう)から、 司馬懿(しばい)・張コウ儁乂は宛(えん)を 出発し子午道(しごどう)から、 ともに漢中(かんちゅう)を目指し侵攻を開始します。 (魏による第一次南伐) 両軍は漢中(かんちゅう)で合流する 予定となっていました。 これは魏が準備して攻撃に出た戦いであり 戦力は圧倒的に魏のほうが多く 蜀最大のピンチというべき事態でした。 しかし、運悪くこの時長雨が続き 降り止むことをせず、一ヶ月以上降り続きました。 そのため魏軍は進退ままならない状態がつづき 漢中に集合することができず、孤立状態となります。 この頃、蜀軍はというと 第一次北伐より諸葛孔明と魏延(ぎえん)が 長安への進軍ルートでの意見の相違から 二人の間には徐々に溝ができており 魏延は別働隊として独自の作戦行動を望んでいました。 そしてちょうどこの時、諸葛亮は魏延に望みどおりに 別働隊として西方の涼州(りょうしゅう)方面の 羌中(きょうちゅう)への侵攻をまかせていた所 だったのです。 (蜀による第三次北伐) 魏延はわずかな期間で羌中をみごとに奪い、凱旋の途中に 魏の侵攻部隊と遭遇します。 諸葛亮は援軍を率いて駆けつけ挟撃をし 費瑤(ひよう)と郭淮(かくわい)を破ります。 こうして孤立した各部隊を 蜀軍が各個撃破する作戦をとったことで、 浮き足立った魏軍は各地で敗戦を重ねる事となります。 それを聞いた魏の明帝(曹叡(そうえい))は 作戦中止命令をだします。 これにより、天候を味方につけた蜀の勝利となりました。 魏の南伐は失敗、蜀の北伐はある程度は成功。 しかし、魏延の素晴しい活躍はあったものの 第二次北伐時の武都・陰平攻略と同様に 戦略的にあまり重要でない涼州を奪ったところで 魏と蜀の戦力バランスはあまり変わることは ありませんでした。 [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) 鮮卑(せんぴ) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏延(ぎえん) 高翔(こうしょう)、 呉班(ごはん) 劉備(りゅうび) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい) 郭淮(かくわい) 賈ク(かく) 魏平(ぎへい) 郭淮(かくわい) 張コウ儁乂(ちょうこうしゅんがい) [おもな地名・場所] 長安(ちょうあん) キ山(きざん) 下弁(かべん) 漢中(かんちゅう) 天水(てんすい) [位置関係地図] 涼州 │ <魏> │ ・天水 ・長安 │・キ山 ・下弁└───────┐ <蜀> ・漢中 │ 231年2月 諸葛亮は4度目の魏への戦いに挑むこととなります。 彼は過去三度の反省からかの有名な秘密兵器を生み出します。 「木牛(もくぎゅう)」「流馬(りゅうば)」と呼ばれる 輸送用の四輪車と一輪車です。 彼は兵糧補給の弱点を克服すべくこれらを開発しました。 (なお、諸葛亮はこのように戦略戦術だけでなく 防具・武具にいたるまで研究していたといわれています。 実際晋代における鎧は孔明の開発したものが あまり進化せず使われていたといわれています。) 蜀の漢中(かんちゅう)から魏の長安(ちょうあん)へ 向かうコースは5つ。その中で諸葛亮は 今回の侵攻のコースを第一次北伐と同じ 関山道をとおる一番遠いルートを選択します。 下弁(かべん)からキ山(きざん)攻略を 目指します。<位置関係地図参照> キ山では賈ク(かく)と魏平(ぎへい)が守る城を 包囲します。 また西方の異民族 鮮卑(せんぴ)からも援軍を 取り付けて、長安の北方よりかく乱のための攻撃を させることに成功します。 魏の司令官は曹真(そうしん)亡き後 司馬懿(しばい)がついていました。 長安から司馬懿は準備を整えて出撃します。 諸葛亮は隊を城の包囲軍と司馬懿迎撃軍の2つにわけます。 魏の先遣部隊の郭淮(かくわい)をなんなく撃破。 その勢いのまま司馬懿の主力と当ろうとした矢先 司馬懿は軍を天水(てんすい)の城に立てこもり 持久戦にでました。 これにより兵糧・兵力共にある魏は蜀の攻勢を 押しとどめることに成功します。 また、鮮卑による蜀への援護攻撃は大きな成果を得るには 至りませんでした。 打って出てこない魏に対し遠征軍の蜀は兵糧のこともあり 一部撤退を余儀なくされます。 蜀の撤退に対し、魏では司馬懿の消極姿勢に不満が起こり 司馬懿の思惑とは別に追撃をせざる得なくなります。 231年春 ついに防衛一方の魏の主力が追撃に動き出します。 しかし、蜀の諸葛亮はそれを予期していたのか 冷静に動き、魏延(ぎえん)、高翔(こうしょう)、 呉班(ごはん)の精鋭部隊を当らせて 魏軍を完膚無きまでに打ち破ります。 この敗戦により司馬懿率いる魏軍は 完全な防御を固め持久戦を決め込むことしました。 当然将兵からも不満はおきませんでした。 持久戦が続き、遂に蜀の兵糧はそこをつき 木牛の効果もあまりでないまま補給が続かず あえなく諸葛孔明は全軍撤退を決定します。 これをみた司馬懿はこれこそ追撃のチャンスと 歴戦の名将張コウ儁乂(ちょうこうしゅんがい) に追撃命令をだします。 張コウは異論を唱えますが容れられずに 追撃を開始します。 (三国志演義では張コウ自らの意思で追撃します。) 当然これも諸葛亮の計算の内にあり 伏兵を用意していました。 張コウは伏兵の矢にあたり戦死します。 この時、張コウ50歳でした。 名将の死に魏軍は追撃をあきらめ 蜀軍は無事帰途につきます。 この撤退により4度目の北伐も過去同様に 蜀軍は優位に戦い進めながらも あと一歩ならず悲願を達成できませんでした。 [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏(ぎ) 曹叡(そうえい) 司馬懿(しばい) 呉(ご) 孫権(そんけん) [おもな地名・場所] 泰嶺(しんれい)山脈 五丈原(ごじょうげん) 合肥新城(ごうひしんじょう) [位置関係地図[簡易]] <魏> 陳倉 ・五丈原 ・長安 泰嶺山脈 ────────┐ ・漢中 │ <蜀> ├─────── │ <呉> 234年2月 総勢10万、蜀の諸葛亮は五度目の北伐を決行すること なります。 ルートは真中から魏の領土へ向かうルートである斜谷道。 険しい泰嶺(しんれい)山脈を越えるルートでもある この道を順調に進み無事通り抜けます。 そして平地である五丈原(ごじょうげん)に布陣しました。 当然補給の面でこの泰嶺山脈を超えて物資を送り続ける事は 困難であることは諸葛亮も計算していました。 まず、第四次北伐の時に使った木牛に加え 新兵器 流馬(りゅうば)を使い輸送手段を確保すると 共に、五丈原において農作を行いその場での 食料調達の準備も行いました。 これは長期戦に備えての事でした。 魏も30万の軍を用意して 司馬懿を司令官として送り込みます。 司馬懿は長安と五丈原の間に布陣し、砦を築きました。 魏もまた長期戦を考えていました。 司馬懿には皇帝曹叡(そうえい)からも ”堅く守るのみで攻めてはいけない”との命令が でていました。 過去4度の蜀に対する敗退で 魏は完全に守りに徹する策を選んだのでした。 両軍はにらみあったまま ほとんど動かず小競り合いがおきる程度。 諸葛亮も魏の出撃を誘い出すさまざまな 行動に出ますが魏は応じずません。 相手の動きに対して虚を突く軍事行動を起こすことが 得意な諸葛孔明としては 危険をおかして敵軍に対して突撃することは 出来ませんでした。 この戦いでの敗退は軍事力の小さい蜀にとって 即、蜀の滅亡に繋がりかねないのです。 234年5月 そんなおり、前回のお話である 呉(ご)と魏の戦い[合肥新城での戦い]がおきます。 蜀と同盟関係にある三国の一つ 孫権(そんけん)率いる呉が魏へ攻め込みます。 しかし呉は惨敗し撤退。合肥新城での戦いは 魏と蜀の戦いにたいした変化をもたらすことなく 幕を閉じます。 234年9月 蜀と魏が睨み合う事100日以上 秋の風が吹き冬の足音が聞こえようかとする時期。 変化は突然訪れます。 激務がたたった諸葛亮は突然倒れてしまいます。 234年10月 諸葛亮は床に伏したまま 帰らぬ人となってしまいました。 ただ、諸葛亮の死の際には 今後の軍事行動や方針、後継者など遺言されており、 蜀は整然と撤退を始めます。 諸葛亮の死を知った司馬懿も追撃を行いますが 突然の蜀の反転・反撃具合に まだ諸葛孔明は死んでいないのではと考え 追撃を中止し撤退しました。 これが後に 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という 名言となって残りました。 時に、孔明54歳。 遂に劉備以来の蜀の悲願である魏の討伐は 諸葛孔明の死を持って一時終わりを迎えました。 三国志の時代も新たな世代へと 物語はうつっていきます
https://w.atwiki.jp/mmmmnnnn/pages/178.html
◇(大戦版)三国志演義 No.1 No.2 No.3 No.4 No.5 No.6 No.7 No.8 No.9 No.10 No.11 No.12 No.13 No.14 No.15 No.16 No.17 No.18 No.19 No.20 No.21 No.22 No.23 No.24 No.25 No.26 No.27 No.28 No.29 No.30 No.31 No.32 No.33 No.34 No.35 No.36 No.37 No.38 No.39 No.40 No.41 No.42 No.43 No.44 No.45 No.46 No.47 No.48 No.49 No.50 No.51 No.52 No.53 No.54 No.55 No.56 No.57 No.58 No.59 No.60 No.61 No.62 No.63 No.64 No.65 No.66 No.67 No.68 No.69 No.70 No.71 No.72 No.73 No.74 No.75 No.76 No.77 No.78 No.79 No.80 No.81 No.82 No.83 No.84 No.85 No.86 No.87 No.88 No.89 No.90 No.91 No.92 No.93 No.94 No.95 No.96 No.97 No.98 No.99 No.100 No.101 No.102 No.103 No.104 No.105 No.106 No.107 No.108 No.109 No.110 No.111 No.112 No.113 No.114 No.115 No.116 No.117 No.118 No.119 No.120 No.121 No.122 No.123 No.124 No.125 No.126 No.127 No.128 No.129 No.130 No.131 No.132 No.133 No.134 No.135 No.136 No.137 No.138 No.139 No.140 No.141 No.142 No.143 No.144 No.145 No.146 No.147 No.148 No.149 No.150 No.151 No.152 No.153 No.154 No.155 No.156 No.157 No.158 No.159 No.160 No.161 No.162 No.163 No.164 No.165 No.166 No.167 No.168 No.169 No.170 No.171 No.172 No.173 No.174 No.175 No.176 No.177 No.178 No.179 No.180 No.181 No.182 No.183 No.184 No.185 No.186 No.187 No.188 No.189 No.190 No.191 ◇孔明、月英伝 ~第一部~ 孔明、月英伝(0) 孔明、月英伝(1) 孔明、月英伝(2) 孔明、月英伝(3) 孔明、月英伝(4) 孔明、月英伝(5) 孔明、月英伝(6) 孔明、月英伝(7) 孔明、月英伝(8) 孔明、月英伝(9) 孔明、月英伝(10) ◇大戦版三国志演義外伝 其の壱 其の弐 其の参 其の四 其の五 其の六 ◇その他の話 蜀のごこ将 大軍勢大混乱!! 曹操の企み 張飛の家 張飛婦人の一日 諸葛亮邸の怪奇現象(1) 諸葛亮邸の怪奇現象(2)