約 164,471 件
https://w.atwiki.jp/ez-appli/pages/111.html
提供サイト テトリス 100円ゲーム レビュー 2006/07/06(木) 【名前】 三国志年代記DX 【ジャンル】 戦略シミュレーション? 【サイト名】 【使用機種】 31T 【課金体系】 落としきり315(だったかな?) 【容量】 【通信機能】 なし 【プレイ時間】 10時間~ 【評価・点数】 3 【感想・レビュー 】 内容は君主を一人選び、自身とその部下を使っての陣取りゲーム。 敵君主を全て倒せば勝利。 このとき、時間、統治、配下数等で評価がでるのだが、評価を一定以上にすると・・・。 キャラクター育成のようなものはほとんどない。 戦闘はルーレット。ただし、目押し超簡単。 強い武将ほど目が大きく、場合によっては100%負けない(勝てない)場合も。 ルーレットの目は状況によりプラスできる(軍師随伴等)。 十分楽しめたのだが、敵が弱いのと、 評価を上げるためのプレイが超作業なのでそれぞれ-1。 三国志好きなら落としてもいいんじゃない?
https://w.atwiki.jp/mitsu_sangoku/pages/70.html
夏の見つけて!三国志スペシャル企画 下記期間中、下記のイベントが開催されます。 復刻夏の在野武将フェア 2018/07/30 00 00 ~ 2018/09/02 24 002018/08/06 00 00 ~ 2018/09/02 24 00 夏の超極みビンゴ(同盟専用) 2018/07/25 15 00 ~ 2018/09/02 24 00 夏の個人ビンゴ 2018/07/30 ?? ?? ~ 2018/09/02 24 002018/08/03 15 00 ~ 2018/09/02 24 00 復刻夏の在野武将フェア 開催期間:2018/07/30 00 00 ~ 2018/09/02 23 39 2018/08/06 00 00 ~ 2018/09/02 24 00 期間中、過去の「三顧の礼」に登場した武将が在野から登用可能になります。 また、期間中は在野における★3武将の出現率が通常の2倍となります。 対象武将 勢力 レアリティ 武将名 魏 ★3 許褚 魏 ★3 張遼? 魏 ★1 牛金? 魏 ★1 李通? 蜀 ★3 諸葛亮? 蜀 ★2 廖化? 呉 ★3 周泰 呉 ★3 呂蒙? 呉 ★2 朱治? 呉 ★1 虞翻? 他 ★3 陳宮? 他 ★3 田豊 他 ★3 顔良? 他 ★1 劉表? 対象は「三顧の礼」1~2回目の武将までとのアナウンスがありました。 ただし諸葛亮?は「三顧の礼」3回目の登場武将であるため、3回目までの誤り?の可能性があります。 上記は含まれる可能性が高い「三顧の礼」3回目までの武将を記載しています。 夏の超極みビンゴ(同盟専用) 開催期間:2018/07/25 15 00 ~ 2018/09/02 24 00 同盟ビンゴに「夏の超極みビンゴ」が追加されます。 + ビンゴシートまとめ 1 在野武将から「関羽」を累計10回勧誘 武将魂×1 2 レベル10の領地で200回勝利 赤兎馬×10 3 「玄」「武」がつく地名に累計1回チェックイン 七宝刀のかけら×10 4 忠誠度を累計500上げる 赤兎馬×10 5 在野武将から「呂布」を累計10回勧誘 武将魂×1 6 「一」「二」「三」「四」「五」がつく地名に累計300回チェックイン 赤兎馬×10 7 在野武将から「孫堅」を累計10回勧誘 孫氏の兵法書×5 8 「北」がつく地名に累計500回チェックイン 虹の宝玉×1 9 在野武将から「曹操」を累計10回勧誘 孫氏の兵法書×5 10 「海」がつく地名に累計500回チェックイン 赤兎馬×10 11 「虎」「寅」がつく地名に累計1回チェックイン 七宝刀のかけら×10 12 「西」がつく地名に累計500回チェックイン 虹の宝玉×1 13 新エリアに累計1500回チェックイン 武将魂×3 14 「東」がつく地名に累計500回チェックイン 虹の宝玉×1 15 「龍」「竜」がつく地名に累計1回チェックイン 七宝刀のかけら×10 16 「山」がつく地名に累計300回チェックイン 赤兎馬×10 17 在野武将から「劉備」を累計10回勧誘 孫氏の兵法書×5 18 「南」がつく地名に累計500回チェックイン 虹の宝玉×1 19 在野武将から「董卓」を累計10回勧誘 孫氏の兵法書×5 20 「六」「七」「八」「九」「十」がつく地名に累計500回チェックイン 赤兎馬×10 21 在野武将から「荀彧」を累計10回勧誘 武将魂×1 22 水鏡先生から100人紹介される(チケット可) 赤兎馬×10 23 「鳳」「凰」「朱」「雀」がつく地名に累計1回チェックイン 七宝刀のかけら×10 24 馬(赤兎馬または名馬)を累計2500回使う 赤兎馬×10 25 在野武将から「孫策」を累計10回勧誘 武将魂×1 成功報酬 武将 ★3霊帝 称号 「宦官」 夏の個人ビンゴ 開催期間:2018/07/30 ?? ?? 2018/08/03 15 00 ~ 2018/09/02 24 00 個人ビンゴに期間限定の「中級」「上級」ビンゴが追加されます。 + 夏の中級者ビンゴシートまとめ 1 在野武将から武将を累計5回勧誘 武将勧誘ポイント×100 2 レベル7以上の領地で10回勝利 赤兎馬×5 3 馬(赤兎馬または名馬)を累計30回使う 武将勧誘ポイント×100 4 「三」「国」「志」がつく地名に累計10回チェックイン 赤兎馬×5 5 新エリアに累計20回チェックイン 虹の宝玉×1 6 「天」「下」「三」「分」がつく地名に累計20回チェックイン 赤兎馬×5 7 漢方薬を3回使う 武将勧誘ポイント×100 8 忠誠度を累計5上げる 赤兎馬×5 9 銅銭を累計50,000回消費する 武将勧誘ポイント×100 + 夏の上級者ビンゴシートまとめ 1 在野武将から「関羽」を累計10回勧誘 武将勧誘ポイント×100 2 レベル10の領地で10回勝利 赤兎馬×5 3 「西」「瓜」がつく地名に累計1回チェックイン 七宝刀のかけら×1 4 忠誠度を累計200上げる 赤兎馬×5 5 在野武将から「呂布」を累計1回勧誘 武将勧誘ポイント×100 6 「一」「二」「三」「四」「五」がつく地名に累計30回チェックイン 赤兎馬×5 7 武将を累計5回進化 孫氏の兵法書×3 8 「北」がつく地名に累計50回チェックイン 虹の宝玉のかけら×10 9 いずれかの伝令を1個使う 都督の伝令×1 10 「海」がつく地名に累計10回チェックイン 赤兎馬×5 11 「春」「夏」がつく地名に累計1回チェックイン 七宝刀のかけら×1 12 「西」がつく地名に累計500回チェックイン 虹の宝玉のかけら×10 13 新エリアに累計100回チェックイン 武将魂×1 14 「東」がつく地名に累計500回チェックイン 虹の宝玉のかけら×10 15 「秋」「冬」がつく地名に累計1回チェックイン 七宝刀のかけら×1 16 「山」がつく地名に累計50回チェックイン 赤兎馬×5 17 肉まんを累計30回使う 大肉まん×1 18 「南」がつく地名に累計50回チェックイン 虹の宝玉のかけら×10 19 いずれかの漢方薬を5回使う 豪華な漢方薬×1 20 「六」「七」「八」「九」「十」がつく地名に累計30回チェックイン 赤兎馬×5 21 在野武将から「荀彧」を累計1回勧誘 武将勧誘ポイント×100 22 水鏡先生から5人紹介される(チケット可) 赤兎馬×5 23 在野武将から★2武将を累計10回勧誘 七宝刀のかけら×1 24 馬(赤兎馬または名馬)を累計100回使う 赤兎馬×5 25 在野武将から「孫策」を累計1回勧誘 武将勧誘ポイント×100
https://w.atwiki.jp/ymeconomy/pages/442.html
三国志の一覧に戻る 問題文 答え 「官渡の戦い」で、主君の袁紹に持久戦を進言したが反対され 投獄された末、殺されたという中国・三国時代の武将は? 田豊 「長坂の戦い」で趙雲に倒され青こうの剣を奪われてしまった小説『三国志演義』に登場する曹操配下の武将といえば? 夏侯恩 『三国志演義』において自らの身を犠牲にして敵を欺く「苦肉の計」を実行したとされる呉の武将は? 黄蓋 『三国志演義』で曹操の窮地を救うために奮戦し立ったまま死亡したという伝説が残っている武将は? 典韋 『三国志演義』において董卓と呂布との間で争奪戦が繰り広げられた絶世の美女の名前は? 貂蝉 『三国志演義』を題材とした本宮ひろ志の漫画でファミコンやアーケードゲームでも人気となった作品は? 天地を喰らう 後漢時代には曹操も受け取ったことがある古代中国で、皇帝が臣下に贈った最高ランクの恩賞は? 九錫 小説『三国志演義』で、諸葛亮の計略にかかり石に囲まれて動けなくなった陸遜を救出した諸葛亮の舅にあたる人物は? 黄承彦 小説『三国志演義』で「赤壁の戦い」の際に諸葛亮が東南の風を呼ぶため祈りを捧げた祭壇は? 七星壇 迅速な行軍は「三日で五百里、六日で千里」と称えられた曹操の従弟にあたる中国・三国時代の武将は? 夏候淵 中国で208年に起きた劉備・孫権連合軍と曹操軍が激突した合戦は「○○の戦い」? 赤壁 中国の三国時代に曹操が作らせたといわれる豪華絢爛な展望施設のことを何という? 銅雀台 優れた人を例えた言葉「白眉」の由来となった中国・三国時代の武将は? 馬良 劉備ガンダム、孔明リ・ガズィなどのキャラクターでおなじみのバンダイのプラモデルは『○○戦士三国伝』? BB
https://w.atwiki.jp/qweasd/pages/15.html
map_01_00
https://w.atwiki.jp/illuminate/pages/467.html
中原三国志 シナリオ列伝 - ... 仲は太古より続く大河文明の地で、東方世界の主要な担い手の一人である。 しかしかの地を治める帝国は滅亡の淵にあり、3つの主要な地方軍管区は各々が独立し対立する有様であった。 諸外国は軍顧問や商人を送り込み、虎視眈々とパイの分け前を狙っていた。 帝国の実戦部隊であり近代兵器で武装した北洋藩鎮は、祖国の弱体化に業を煮やし遂に帝都を武力占拠。 新たな王朝設立を宣言した。伝統的な重装歩兵を擁する南方藩鎮と、辺境の少数部族と魔術師を抱える西方藩鎮はこれを認めず、仲は内戦に突入した。 ……そして、その混乱を虎視眈々と眺める者達もいた。 勢力、人材 + ... 勢力 マスター 所属名有り人材 備考 信 信長 義弘 時堯 莞爾 政信 久秀 金璧輝 EDあり 等持院幕府 義輝 晴信 三成 北洋藩鎮 慰亭 禹廷 伯函 少筌 少穆 薛禪 長白 EDあり 西方藩鎮 時斉 アシトク イリ ミリオーネ 南方藩鎮 明儼 松坡 良臣 国瑞 概要 東方諸国である仲及びジパング勢力の地域シナリオ。 SC1とは異なり開始時点で仲帝国は滅亡しており、金璧輝は信に所属している。 ちなみに信プレイ時には二種のEDがある。(分岐イベントは上海決戦にて) コメント欄 とりあえず作成、北洋藩鎮でやるとヤク中に対する売国奴という言葉にすごい同意できる -- 名無しさん (2014-03-03 11 00 47) 二種のedの分岐点ってなに? -- 名無しさん (2014-08-12 12 35 27) 上海決戦?だかなんだかの最後にあるイベント戦に勝つとedが変わる -- 名無しさん (2014-08-12 18 52 13) 上海決戦勝てません・・・・ -- 名無しさん (2014-08-17 13 08 45) 上海決戦は天魔様ゲーであるから天魔様の運用が鍵を握る。ちなみに部下は混乱したら悲惨なので、弾除けにちびちび塹壕を出してたりなど工夫する必要がある。天魔様は単体で動かし銃を禁止し魔法を指定してぶちこめばよい -- 名無しさん (2014-10-01 00 04 42) 虎視眈々とおっパイの分け前を狙っていた。に見えた俺はどうすればいいんだろう -- 名無しさん (2014-10-01 21 17 33) ↑よろしい、異端審問の業火に焼かれるが良い -- ウゴゴゴゴ (2015-12-26 11 54 28) 北洋のEDがスカッとして気持ちいい 慰亭のオヤジ、報われて良かったな -- 名無しさん (2015-12-27 21 23 22) 久秀プレイが無理ゲー過ぎる -- 名無しさん (2016-06-07 00 37 52) 混沌の目にどうしても勝てない。無理ゲーだな。 -- 名無しさん (2017-05-19 10 43 03) 強制送還持ちにディスペルⅡ持ちが2人ずつもいるんだぞ 信でも北洋でも、編成を間違わなければ思考停止してても勝てると思うが -- 名無しさん (2017-05-19 15 19 11) 長白の売国奴め!どうして重慶にいるのに16個連隊のいる旅順を売り渡せるか! -- 名無しさん (2017-06-07 07 12 21) 混沌は速攻をかければ余裕。本番はむしろ次の高レベル赤服ども。砂漠でお互い鈍足だから、必然的に撃ち合いを強制されちまう。 -- 名無しさん (2018-02-23 14 16 10) 等持院幕府プレイはETPCに勝ち残らせないと無期限同盟のせいで終われない。なのに南方藩鎮が勝ち残っちゃうんだ、これが。 -- 名無しさん (2018-05-12 15 10 31) 赤服相手だと巫女や仙人はロケット砲で消し飛ばされかねず、頼りない。まずは上海・武漢の城壁を頼りに大量のLv.20火炎放射器で防衛戦。野戦ではアースorクリスタルウォール張ったら、あとは八騎で攪乱しながらガチ火力で勝負しよう -- 名無しさん (2018-05-17 18 35 01) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/9545.html
今日 - 合計 - 戦国関東三国志の攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 18時01分19秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/qma5kentei/pages/161.html
Q 呂布とともに董卓を裏切り謀殺した、中国・三国時代の人物 『王允』 A おういん Q 中国・後漢末期の武将・袁紹、袁術らの出身地です 『汝南』 A じょなん Q 中国の三国時代に、滅亡寸前の蜀を救うため力を尽くしました 『霍弋』 A かくよく Q 古来から使われている中国の土地の面積の単位 『畝』 A ほ Q 生前の行ないに基づいて死者に贈る称号 『諡』 A おくりな(「し」でも正解) Q 食料や武器などの軍需品の総称 『輜重』 A しちょう Q 『三国志演義』において曹操が愛用していた剣 『倚天の剣』 A いてんのつるぎ Q 中国・三国時代の蜀の丞相諸葛亮が書いた名文 『出師の表』 A すいしのひょう Q 三国志演義」に登場する鳥戈国の王です 『兀突骨』 A ごつとつこつ Q 小説『三国志演義』で夏候惇の死期を予言した方士 『管輅』 A かんろ Q 「諸葛孔明 時の地平線」などの歴史漫画で知られる女流漫画家 『諏訪緑』 A すわみどり Q 魏の郭淮に討伐された中国・三国時代の羌族の長です 『蛾遮塞』 A がしゃさい Q 発石車という兵器を発明した「三国志演義」に登場する武将 『劉曄』 A りゅうよう Q 孫権の命で、甘露寺で劉備を暗殺しようとしました 『賈華』 A かか Q 「三国志」に登場する曹拝丕、曹植らの母親です 『卞』 A べん Q 劉備亡き後、隆禅に仕え蜀を支えた中国・三国時代の政治家 『郭攸之』 A かくゆうし Q 陳寿の書いた歴史書「三国志」に数々の注釈を付けた人物 『裴松之』 A はいしょうし Q 戦場で敵将を罵るときなどに使う言葉です 『匹夫』 A ひっぷ Q 名軍師・郭嘉を父に持つ、中国の三国時代、魏に仕えた政治家です 『郭奕』 A かくえき Q 「黄巾の乱」鎮圧に尽力した後漢の大将軍 『何進』 A かしん Q 司馬懿、司馬昭の元で活躍した中国・三国時代の武将です 『王昶』 A おうちょう Q 「破竹の勢い」の由来にもなった中国・三国時代末期の晋の武将 『杜預』 A とよ(「どよ」でも正解) Q 曹操のいとこにあたる中国・三国時代の武将 『夏侯惇』 A かこうとん Q 『三国志演義』にも登場する諸葛亮の息子です。 『諸葛瞻』 A しょかつせん Q 中国の三国時代に、屯田制の普及を推進した魏の政治家 『棗祗』 A そうし Q 『三国志』に由来する、手柄を立てる機会がないことを嘆く言葉 『髀肉の嘆』 A ひにくのたん Q 蜀の軍師・ほう統はこう呼ばれていました 『鳳雛』 A ほうすう Q 中国の三国時代のように三者が互いに対立している状態です 『鼎立』 A ていりつ Q 207年に曹操の討伐を受けた北方民族 『烏桓』 A うがん Q 娘を三国時代の名軍師・諸葛亮に嫁がせました 『黄承彦』 A こうしょうげん Q 「三国志演義」で諸葛亮の火計で夏候惇らが大敗しました 『博望坡』 A はくぼうは Q 蜀を攻略する際に活躍した中国・三国時代の魏の武将です 『鍾会』 A しょうかい Q 中国・三国時代の呉の初代皇帝・孫権の長男 『孫登』 A そんとう Q 187年に長沙で反乱を起こすも孫堅に鎮圧されました 『区星』 A おうせい
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/36735.html
登録日:2017/04/26 Wed 00 56 30 更新日:2024/05/02 Thu 16 18 28 所要時間:約 22 分で読めます ▽タグ一覧 コミュ障 スキャットマン トウ艾 三国志 三国志演義 不遇 中国史 吃音 名将 地図 山越え 政治家 文官 曹魏 機種依存文字 武将 簀巻き 老将 軍事財政共にイケる…が、空気だけ読めなかった人 遅咲き 高性能じいちゃん 魏 トウ艾(とう-がい)(?-264) 字は士載。 荊州、義陽の人。 ※トウは機種依存文字で、登+おおざと。本来の表記は「鄧艾」。 【下積み時代】 荊州の大都市、義陽の出身。死没時の年齢から逆算するに、190年代後半の生まれだと推定される。208年に曹操が荊州を制圧すると、母親や一族と共に遠く離れた汝南に農民として移住した。 父親は早くに亡くなっており家庭は貧しかったが、どうやら教育を受けられる程度の家格ではあったらしく(*1)、後に県の職員として採用されることになった。 といってもスタート時の身分は都尉学士、つまり町長のお供・兼・役人候補生といったところで、まだまだ正規の役人ですらない身分だった。 その後候補生ではなく正規に役人となるが、その役職は稲田守叢草吏、つまり町の税務署(兼農協)の下っ端役人と言ったところであり、やはり出世とは縁遠かった。 【まだまだ下積み時代】 若い頃のトウ艾は、かつて御者(運転手)として仕えたこともある名士郭玄信から「君の才能ならいずれ宰相にまでなれるだろう」と評され、また本人も軍事的に重要な地形を見ると測量して戦術を練るなど高い志をもっていたのだが、 しかし現実としては地方の小役人という立場に長く甘んじていた。 というのも彼は前述の通り背景もない貧家の出であり、またかなりきつい吃音症だったので、同僚や上司からはその点を馬鹿にされてなかなか評価されなかったのである。 このためトウ艾は、かなりの年齢(30代後半~40代)までを徴税・農業分野の地方役人として過ごすことになるが、それでもその優れた才能から少しづつ出世はしていき、最終的には上計吏にまでなっている。 上計吏とは地方の会計を中央に報告し、同時に質問に答えたり指示を受けたりする職で、地方官僚ではあったが中央の要職にある人に接する機会が多く、彼らに認められれば中央の出世コースにも乗れる立場だった。 そしてある年、この職務の為に洛陽に赴いたトウ艾は文字通りの「中央の要職にある人」の目に留まり、その才に着目した彼によって掾(属官)として迎え入れられることになる。 そう、当時大尉(国防大臣)として位人臣を極めていた司馬懿その人である。 【司馬懿の下で】 司馬懿によってようやく中央でのエリートコースに乗ったトウ艾は、徐々にその才能を天下に示し始める。 トウ艾が最初にその名を高めたのは、司馬懿から対呉戦線の視察のために南方に派遣された時の事。 現地を視察したトウ艾は「土壌は豊かだが水が足りていません。運河を作って水さえ引ければこの土地の収穫は跳ね上がるし、輸送の役にも立つでしょう」と司馬懿に進言した。 またトウ艾の報告はそれだけに留まらず「この地は豊かな収穫の可能性があるだけではなく、兵站拠点としても非常に優秀であり、対呉戦で大いに役立つと思われます」と具体的な数値を算出して説いてもいる。 司馬懿はこの報告を高く評価し、全てその通りに実行した。これによって対呉戦線には極めて強固な拠点ができ、また同地は水害もなくなり収穫量も上がって豊かな土地になることができた。 【武官デビュー】 こうして行政官として出世していったトウ艾は、ついに南安の太守に昇進した。また同地は蜀漢と面する最前線の一部であったため、同時に軍事面での役職・権限も与えられた。 249年になると、蜀漢の姜維が何度目かの北伐をかけてきたため、トウ艾も対蜀戦線の総指揮官であった郭淮の元でいよいよ実戦に参加することになった。 この戦い自体は、数と地の利を活かした魏軍に対して姜維が殆ど何もできずに引き下がる形になったが、それを見た郭淮は、今のうちに姜維に呼応した西の羌族を討伐しようとする。 しかしトウ艾はこの時「姜維は後退はしていますが、まだそこまで離れてはいません。好機と見れば引き返してくるかもしれません」と進言。 郭淮はこれを受け入れてトウ艾を守将として残したため、予想通りに引き返してきた姜維と、川を挟んで守りを固めたトウ艾との戦いが始まることになった。 姜維は廖化にトウ艾の軍を引き付けておくための陽動を命じて、自身は後方にある別の城を急襲しようとしたが、トウ艾は廖化の動きの鈍さからこれをあっさり看破。 大胆にも防衛線を放棄し、姜維の目的とみられた後方の城まで後退した。 この判断は功を奏し、城を狙っていた姜維は先んじてトウ艾が守っているのを見てこの攻略をあきらめ、今度こそ本当に撤退することになった。 初陣にして大戦果を上げたトウ艾は討寇将軍に昇進し、以後は軍事分野でも大いに活躍することになる。 【司馬家の重鎮】 司馬懿の死後もトウ艾はその子司馬師に重用され、城陽太守、汝南太守、兗州刺史と地方長官職を歴任しつつ、豊富な経験から来る的確な献言で彼を支えた。 トウ艾はこの時期司馬師に対し 「戦に勝つためには軍が強くなければなりませんが、軍を強くするためには農業生産力が高くなくてはいけません。国を強くするためには軍の前にまず民と農業です。人材を評価する際にはここを念頭に置かねばなりません」 と進言し、農政の重要さを説いている。 また長く地方で農業の実務に携わってきたトウ艾は自身の農政能力も抜群であり、各任地では的確な農業政策を施してその生産力を高め、次々と豊かな拠点に変えていった。 そして50代も後半に突入していたトウ艾だったが、軍事面でもその活躍は全く衰えなかった。 255年に起きた大規模な司馬家への反乱(カン丘倹・文欽の乱)では終始主力として活躍し、カン丘倹のかく乱工作を阻止したり、文欽軍を壊走させたり、呉からの援軍を防いだりと大戦果を挙げている。 【VS姜維】 しかし司馬師やトウ艾が南の方に注力している間に、西の対蜀戦線はえらいことになっていた。 253年に丞相費イが暗殺された後、督中外諸軍事となって軍権を掌握した姜維は積極的な北伐を敢行しており、魏に無視できない損害を与えていたのである。 まず254年には魏側の裏切りに乗じた形で3つの県が奪われ、阻止に向かった魏軍も大損害を受けて撃退された。 そして続く255年にはトウ水沿岸における戦いで雍州刺史王経が姜維と戦い、壊滅的な大敗北を喫した。この戦いで失われた兵士は万を優に超える数で、魏としては蜀漢の北伐が始まって以来の大損害となった。 更には姜維の活発な攻撃に伴い、これに呼応した西の羌族もまた不穏な動きを見せはじめていた。 魏にとっては割と洒落にならん危機的状況であり、トウ艾も仮節・安西将軍として急遽西に送られることになった。 しかし同地では「まあ負けたけど、所詮蜀だしこの程度が限界だよね」という楽観論が支配的であったため、トウ艾はブチ切れて 「姜維を舐めるな!こっちは大損害を受けているから絶対また来るぞ!すぐにでも来る!」 と叱咤して各地の防衛を、特に姜維の最優先目標と判断した祁山を重点的に固めた。 翌256年、姜維はトウ艾の予想通り祁山に攻め寄せてきたが、既に防御を固められた祁山の守りは固く、その周辺で多少の小競り合いをするだけに終わった。 やがて攻勢の限界に達した姜維は撤退し始めるが、しかしトウ艾はこれに抜かりなく追撃をかけ、段谷というところで姜維を捕捉し大打撃を与えて壊走させた。 蜀漢はこの戦いで万を超える将兵を失い、その勢いを完全に失った。また国内でも敗北した姜維への批判が大きくなって国論が分裂し、以後は一方的に衰退の道を加速していくことになった。 これ以降も姜維は何度か来襲してきたが、最早その軍に往時の力はなく、ことごとくトウ艾によって防がれる結果に終わっている。 それに対し、トウ艾は持ち前の行政能力を発揮して現地の経済力・防衛力の強化に励み、隴右地方を対蜀漢の一大拠点として飛躍的に成長させていった。 【征蜀】 段谷での大勝利から数年が経過すると、蜀漢は北伐推進派と反対派の激化する内部対立、なのに何をするわけでもない政治に無関心な君主、それをいいことに跳梁する宦官、と亡国フルコンボ状態に陥りつつあった。 これを見てとった魏の大将軍司馬昭は、今こそ蜀漢を滅ぼす好機であるとその意思を周囲に示した。 トウ艾は時期尚早と見たのかこの時期の侵攻には反対していたが、計画は司馬昭本人と鎮西将軍鍾会によって進められ、263年5月に決行されることになった。 しかし計画立案に関与しなかったのが祟ったか、この戦いでのトウ艾は初戦で姜維軍の拘束に失敗し、後退して難攻不落の剣閣要塞にこもる隙を与えてしまう。 姜維が守る剣閣はそのまま鍾会が攻め続けたが、その守りは固く、このままではらちが明かないとみたトウ艾は、司馬昭に 「敵の虚を突くべく、思ってもみないルートから敵の重要地点を強襲すべきです。一気に攻略できなくとも、剣閣に籠る戦力を分散させることはできます」 と進言し、自らその役目を買って出た。 トウ艾は侵攻ルートに無人の地である陰平道を選ぶと、ハンニバルのごとく山岳地帯の道なき道を無理やり強行突破する。 当然ながら軍どころか人間一人すらまともに通れるような地形ではなかったためその行軍・補給は困難を極め、犠牲も強いられたが、これによってトウ艾たち奇襲隊は見事蜀漢の虚を突くことに成功。 剣閣を越えた先にある江油関という砦に満身創痍でたどり着いたところ、守将馬邈があっさり降伏してこれを奪い取った。 このトウ艾の離れ業とも言うべき奇襲に蜀漢は慌てふためき、援軍として北に向かっていた諸葛瞻(諸葛亮の子)を急遽転身させて迎撃に向かわせる。 諸葛瞻は懸命に戦って一度はトウ艾を退けるが、2度目の攻撃には耐えられずに壊滅。 蜀漢の首都を守る戦力は完全に失われ、トウ艾はそのまま首都である成都へと進軍して、劉禅を降伏させた。 時に263年11月、蜀漢はここに滅亡し、三国鼎立の時代は終わりを告げた。この大功を賞し、トウ艾はついにかつての司馬懿と同じ、大尉の階級を与えられている。 既に70歳になろうとしていたトウ艾の最大、そして最後の大戦果だった。 【敵国破謀臣亡】 成都に入ったトウ艾は兵士に略奪を禁じて民心を安定させると、司馬昭に対して 「まずはこの蜀の地を上手く統治して軍を回復させ、やがては水軍を使って呉へ侵攻すべきです。そのためには降伏した劉禅を厚遇して人心を安定させるとともに、呉の皇帝孫休に対しても彼への寛大な処置を見せつけておくことが重要です」 と進言。そして独断で劉禅に行驃騎将軍の役職を与えてその財産を返却し、またその王子や重臣たちにも魏での階級を与えていった。 しかしいくら「戦時には前線の将軍には独断が許される」のが常識ではあっても、流石にこれは越権行為であった。第一既に蜀漢は制圧されて戦は終わっており、上に判断を仰ぐ時間がないわけでもない。 この事後報告を受けた司馬昭も「ちょっと自重しろよ」と注意したが、トウ艾は「この機を逃してはなりません。私は決して国家の損害になるようなことは致しませんのでご安心ください」と独断で事を進めることをやめなかった。 そしてこの両者の不協和音につけ込んだのが鍾会、胡烈、衛カンといった、「トウ艾に1番手柄を取られてしまった」将官たちだった。 彼らは揃って「トウ艾に反乱の気配あり」と司馬昭に何度も訴えたため、ついには司馬昭もこれを信じてトウ艾の解任と逮捕、そして首都への送還を決定した。 トウ艾は司馬懿に見いだされて出世コースにのり、そのまま司馬家3代に忠実に仕えてきた宿老である。 司馬昭からすれば反乱の疑いなど笑い飛ばせそうなものだし、現にこの命令にトウ艾が素直に従っているところから考えても、反乱の意思などなかったのは間違いない。 しかし司馬昭には重大な弱みがあった。彼は260年、主君であった皇帝曹髦を殺しているのである。 始皇帝が初めて皇帝を名乗ってから500年近くがたっていたが、この間に皇帝弑逆という究極の大罪を犯した臣下は、秦の元祖悪徳宦官こと趙高、後漢で跋扈将軍と罵られた梁冀、このわずか2名のみ(*2)。袁術陛下も病死だし まして司馬昭の場合、梁冀の様に裏でひっそり暗殺したわけですらなく、自らを逆臣として排除しに来た皇帝を返り討ちにして白昼堂々ぶっ殺してるわけで、どう考えても言い訳のきかない超大逆行為だった。「趙高のように自分から攻め込んだわけではない」といっても弁護にならないだろう。 仮にこの時代「秦漢魏ぐう逆(ぐうの音も出ないほどの逆臣)ランキング」を作ったりしたら、王莽や董卓あたりとトップの座を争えたこと間違いない。 つまり当時の司馬昭にとって、「逆臣司馬昭を討つと言って○○が挙兵しようとしています」と言われると、冗談では済まないリアリティを持ってしまう状況にあったのである。 しかし現実はさらに非情で、実際に挙兵したのはそのトウ艾を陥れた鍾会の方だったわけだが… トウ艾が逮捕されて都へ送られる途中、代わりに成都に入った鍾会は姜維と組み、打倒司馬昭を呼号し反乱を起こした。 この反乱はほどなくしてあっさり失敗するが、トウ艾への処置に怒っていた直属の部下たちは、上司を開放すべくこのどさくさに紛れて護送車に追いつき、彼と息子のトウ忠を救出した。 しかし反乱を鎮圧した軍監衛カンはトウ艾を逮捕した張本人でもあり、後に復讐されることを恐れてこれを襲わせ、息子のトウ忠もろとも彼を殺害した。 こうして264年1月、トウ艾は申し開きをする暇すら与えられずに反逆者として殺されてしまった。 洛陽にいた他の子どもたちもこの罪に連座して司馬昭に処刑され、妻や孫たちも流罪とされている。 【人物】 長い実務経験を背景に、軍人としては勿論、行政家、農政家としても高い手腕を発揮したマルチな人であり、いずれの仕事をさせても同時代でトップクラスの評価を得ていた。 軍事と違って内政というのは即座に結果が出るようなものではないが、トウ艾が自ら統治した地域はいずれも短期間のうちに急速な成長を遂げている。 特にトウ艾が隴右地方の拠点化に成功したことは、蜀制圧における最大の成功要因だったとすら言える。驚くべき行政手腕である。 後漢~晋にあたる時代は貴族制確立への過渡期であり、トウ艾のような低い身分から出世した人物にとっては非常に風当たりが強い時代だった。 ましてトウ艾の場合は吃音というハンデまで背負っていたのであり、そんな中を実力のみで出世したトウ艾の才能はまさしく驚異的と言えるだろう。 しかし一方で対人スキルはかなり壊滅的であり、その性格に関しては「強情」「性急」「無神経」「傲岸不遜」「自画自賛」「独断専行」など、なかなかお付き合いをためらってしまうNGワードが頻出する。 出自の低さもあって、(相応の身分から出ている)同僚や部下達とも非常に仲が悪く、トウ艾を慕っていたのは直属の部下と同郷の友人たち、そして長く同僚・戦友として共に蜀と戦い続けた陳泰ぐらいしかいなかった。 そしてこのコミュ力の低さは結局、彼に悲劇的な最後をもたらすことにもなった。 後の晋の時代、かつてトウ艾の部下だった段灼という人物が皇帝司馬炎に対し、 「トウ艾は決して謀反しようなどとしたわけじゃないんです。ただ強情でコミュ障でぼっちだったから、誰も彼をかばってくれなかっただけなんです」 と割とひどいことを言って彼を弁護しており、「三国志」の著者である陳寿も「素晴らしい才能と実績を持っていたが、身を守る配慮が無かったので命を落とした。諸葛恪を手厳しく非難していたが、ぶっちゃけおま言うである」(意訳)と断言している。 それ以外に伝わっていることとして、豚足が大好きで食卓には毎日豚足を出させていたという。 料理人も鄧艾が飽きないようにと、鄧城葉氏猪蹄という豚足に複雑な味付けをする技法が編み出され河南省の無形文化遺産となっている。 【家族】 『トウ忠』 嫡男。蜀漢制圧時には父の部下として武将を務めるが、蜀のMr.七光りこと諸葛瞻の守りを突破できずに引き下がるというかっこ悪い所を見せてしまう。 しかし父に「諸葛瞻は強い……まだ勝てない……」と正直に話したところ、「殺すぞ」という身も蓋もない恫喝を受け慌てて命乞いすることに。 そして次の日は死に物狂いで諸葛瞻のこもる綿竹関を再攻撃し、ついにこれを制圧するという戦果を上げた。 しかし蜀制圧後は父親と共に反逆者として逮捕され、前述の通り衛カンに殺されている。 後に彼の子は司馬炎にその罪を許され、宮廷に復帰している。 創作では妙に優遇されており、三国志演義では役者のような白皙の美青年として登場し、姜維と一騎打ちをしてこれを圧倒するという凄まじい強さを見せつけている。 また「若イケメンこそ正義」な現代サブカル分野では人気が沸騰中で、特に中国の三国志関連ではこの手の息子キャラの中で1.2を争う人気を集めているようだ。 【創作作品におけるトウ艾】 三国志創作界隈におけるトウ艾は、一言で言うと「輸入型」に属する。 つまり張飛や趙雲などのように、大衆向けの講談・戯曲・演劇といったメインストリームで成長してきたキャラ達とは異なり、本来別系統の創作で目立っていた人がスピンアウトされて入ってきた感じのキャラである。 同じような経緯をたどって三国志系に「輸入」されてきたキャラには関索、周倉、曹植、左慈などがいるが、トウ艾の場合は彼らと比べても非常にその時期が早い。 @演義以前@ トウ艾の三国志創作への登場は、現代の知名度からは想像もできないほどに早かった。 その時期はなんと唐の時代、つまり三国志創作がジャンルとして確立し始めた草創期にまでさかのぼる。 当時の魏の将でレギュラーだったのは曹操本人、張遼、司馬懿、そしてトウ艾ぐらいのものであり、まさしく破格の扱いだったと言える。 なぜここまでの扱いを受けていたのかと言うと、それはひとえに彼の「知名度の高さ」故である。 当時の中国におけるトウ艾の扱いは以下のような感じだった。 ◆「エリート層のトウ艾像」 儒教的教養のある層からは、トウ艾は「魏晋時代の悲運の名臣」として有名だった。 「国に忠誠を尽くした忠臣だったが、讒言を受けて陥れられた」トウ艾は、ある意味士大夫にとって理想とするタイプの人なのである。 漢民族は本来、実務能力と同じぐらいに保身の能力を重視する。 彼らは国家に責任を持っているが、同時に家、つまり先祖にも責任を持っているからである。漢民族にとって家の祭祀を保つと言うのはそれほどに重いのだ。 なので「いくら功績を上げても、家が守れないんじゃねえ」というのが士大夫の公式見解なわけだが、しかし同時に「でも実はそのスジ通すところにちょっと憧れるかも……」と言う密かな本音もある。 そういう感情が「白起とかトウ艾とかいいよね……」「いい……」的な感じで密かな憧れとなるのである。 ただトウ艾は出自が貧しいため、晋~唐にかけての貴族社会ではマイナス方向へのバイアスも小さくはなかったが、いずれにしても士大夫層での知名度は非常に高かった。 ◆「庶民のトウ艾像」 そして庶民、あるいは土豪などの低い身分の人々にとっても、トウ艾は三国志モノに登場する前から高い知名度を誇っていた。 しかしそれは武将としてではなく、もちろん政治家としてでもなく、なんと神様としてであった。いや、もっと正確に言うなら「怨みを呑んで死んだ祟り神」とみなされていたのである。 詳しく説明すると、まず中国の道教には古くから「厲(れい)」という宗教概念がある。 これは「非業の死を遂げた大人物の霊は瘟神(おんしん。疫病神のこと)となり、生きている人に疫病や天災などの災厄をもたらす」と言う考え方で、日本の怨霊信仰の源流ともいわれる古い民間信仰である。 「寒門の出から実力で立身し、敵を撃ち滅ぼして大功を挙げたが、無実の罪で無念の死を遂げた」トウ艾は、まさしくこの厲の条件にぴったりハマる存在だった。 唐代のオカルト系道教書には「大鬼主トウ艾」という恐ろしい名前で記載されているほどで、完全に瘟神の中でもボスクラスに出世していることがわかる。 この祟りを恐れた民衆、特に蜀や隴右の人々によってトウ艾は篤く信仰されており、これが高い知名度に繋がっていたのである。 とまあこういった感じに幅広い層で知られていたトウ艾は、三国志系の作品で「曹操サイドの将軍」として登場させるのに便利だったというわけ。 しかし当時の三国志創作は到底歴史創作と呼べるようなものではなく、どちらかというと歴史上の人物が登場するエンタメ作品であり、その人格や業績などはほとんど再現されていなかった。せいぜい「吃音」という要素が強調されていたぐらい。 これはトウ艾に限らず、張飛や孔明、曹操などと言った他のメインキャラでも同様である。 @三国志演義@ 元代になると、それまでに蓄積されてきた講談や戯曲などの三国志系創作を寄せ集め、一つの歴史物語として編集していく流れができた。これによって生まれたのが「三国志演義」である。 三国志演義ににおいて敵役である魏将は割とぞんざいな扱いを受けることが多いが、そんな中でトウ艾は比較的好待遇を受けている。 ▼「若い」 史実で言えば長坂の戦いの頃にもう生まれているトウ艾の方が5歳ぐらい年上だが、なぜか姜維から「小僧」呼ばわりされる年齢になった。 でも若武者枠は息子のトウ忠が持っていく感じなので、青年と言う感じでもない。 ▼「強い」 初登場シーンからして「司馬師の陣を奇襲して無双している文鴦の前に颯爽と現れ、一騎打ちを演じてこれを退ける」という美味しい場面であり、その後姜維とも2度にわたって互角の一騎打ちを繰り広げている。 ちなみに息子はもう少し強い。 ▼「賢い」 軍を率いても強く、対姜維戦に投入されると、その知略でそれまで優勢気味に進めていた姜維の北伐を一気に打ち砕く活躍を見せた。トウ艾改善は賢く強い! しかし姜維も孔明同様、「負けたけど敵将を倒したので痛み分け」「勝ってたけど讒言で呼び戻された」「オリジナルの戦いが追加されてそこで勝利」などのセーフティが高確率で作動するので、物語上はそこまで強い印象は受けない。 互角かやや有利といった感じ。 ▼「出世頭、吃音」 再生怪人ばりに出てきては使い捨てられるのが基本の魏将としては珍しく、「幼くして父親と死に別れ、周囲の人々からも認められなかったが、司馬懿だけがその才能を認めて高い地位につけた」と、そのキャラ背景まで語られている。 また「吃音だった」こともちゃんと劇中で触れられてはいるが、彼の発言が実際にどもることはない。古い講談や戯曲などでは(ギャグ的な扱いで)どもっていたようだが、演義成立の際には削られてしまったようだ。 ▼「特に性格に難がある人物ではなくなった」 演義のトウ艾は道徳的にも立派な士大夫であり、史実のようなコミュ障な面は抑えられている。 せいぜい蜀を制圧した後に「大将が呉漢でなくてよかったな、呉漢だったらお前らもう死んでるぞ」(*3)と自慢げに言ったぐらい(これは正史にもある)。 とまあこんな具合で、演義終盤の主役の一人として申し分ないキャラに仕上がっている。 しかし正史要素が加わったことでキャラとしては大きく躍進した反面、登場シーンそのものは大幅に減ってしまった。 古い時代はそれこそ長坂の戦いにも平気で出ていたりしたのだが、三国志の登場人物として組み込まれた以上、流石にそういう時代無視プレイもできなくなってしまったのである。 なのでこれ以降のトウ艾は、「キャラが立つにつれて出番が減る」という珍妙な現象に悩まされることになった。 @それ以降@ 創作としてみた場合、三国志の主役は何といっても劉備達桃園3兄弟+孔明であるのは間違いない。 このため活動時期が彼らとかぶらないトウ艾は、どうしても三国志創作のメインストリームではプッシュが弱くならざるを得なかった。 また時代を経て蜀漢正統論(魏は簒奪者であり、劉備の蜀漢こそが正統な王朝であるとする考え)が力を持っていくに従い、トウ艾への好意や信仰も薄くなっていった。 彼が忠誠を誓うのが魏の皇室ではなく、すでに簒奪ムードに入っている司馬氏だというのもネックか。 悪役の簒奪王朝をさらに簒奪しようとしている悪党のもとで、しかも主人公側の国に引導を渡すという活躍を見せられても、読者としては感情移入しづらいだろう。 現代になるとアニメやゲームなどの新しいジャンルの創作が躍進しているが、やはり登場期間という致命的な問題はいかんともしがたく、あまり目立つ存在とは言えない。 むしろ物語を見る目がシビアになった現代では、(はっきりいってあんまり面白くない)孔明死後の展開はきっぱりと切り捨てられることも多く、なおのこと状況は厳しくなっていると言えるかもしれない。 だが出てきた場合は基本的に優遇され、文武両道のナイスミドルである事が多い。 性格も真面目ながら、吃音持ちかつコミュ障な事をアレンジし「口下手」「冗談が下手」「物事を率直に伝えがち」なキャラになる事が多い。 『横山三国志』 多くの三国志演義系作品同様、孔明死後の扱いはとってもぞんざい。孔明の死から蜀滅亡までの約30年間を最後の1巻、話数にして11話だけで突っ走っている。 トウ艾も263年の蜀制圧直前に唐突に初登場し、 姜維「さあ来いトウ艾!俺は実は剣閣を迂回されただけでで死ぬぞオオ」 トウ艾「チクショオオオオくらえ姜維!難所行軍(※三国志11)!」 姜維「グアアアア!この麒麟児と呼ばれる姜伯約がこんな小僧に……」 トウ艾「この後にまだ俺の逮捕とか呉の滅亡とかがあった気がしたがそんなことはなかったぜ!」 こんな感じでフェードアウトする。 横山三国志は作画資料として中国で出版されていた二種類の連環画(絵本)を参考にしているのだが、トウ艾はなぜか連環画と違って周倉型のヘルメット兜になっている。 本来の連環画ではトウ艾は所謂「コーエー三国志式」のつばが反り返った帽子のようなアレを被っているのだが、これは恐らく横山先生が帽子のつばの反り返り部分を、下から見たつばの裏側と見間違えたものと思われる。 『コーエー三国志』 連環画由来の例の帽子がソンブレロ(メキシカンが被ってる例の帽子)に似ているということで、ドンタコス呼ばわりされている。IIIの頃から欠かさず被っているところを見ると相当にお気に入りのようだ。 性能的には魏でも屈指の強武将であり、統率・武力・知力のトータル部門では関羽・趙雲・姜維らと毎回トップを争えるレベル。 能力傾向としてはライバル姜維に酷似しており、3つの数値が満遍なく高いバランス型。しかし基本的に統率でわずかに上回り、知力でわずかに下回る傾向がある。 しかし姜維は7あたりから急激に政治の数値が低下したため、政治や魅力を併せた合計ではトウ艾がほぼ勝っている。まあトウ艾はトウ艾で魅力があまり高くないので僅差だが。 『三國無双』シリーズ 5までのモブ武将時代は無双演舞で三国志後期の描写が殆どなかった(基本的に五丈原と合肥新城が最終ステージ扱いだった)ため、本編ではかなり地味な存在。 しかしモブにも個々でステータスが設定されるEmpiresシリーズでは例外的に能力が異様に高く、名将としての貫禄と存在感を保っていた。 6で北伐以降の後期魏武将で構成される「晋」勢力の実装と同時に、その所属武将として脱モブを達成。CVは小原雅人。 武官としての活躍時期が50代以降と言う史実を反映してか、若いイケメンが多い近作ではめずらしいおっさん顔。 しかも黄蓋にも負けないガチムチ体型の持ち主というかなりいかついビジュアルだが、性格は非常に真面目で落ち着いた常識人。 史実由来で元は文官という設定もあるが、なんでも「任務で力仕事をこなすうちにこうなった」らしく、そのムキムキの肉体を活かした必殺関節技も見せてくれる。 6以降のタイトルでは自由な武器持ち替えができるためキャラ性能の差はやろうと思えば均一化はできるが、 得意武器の螺旋槍は見た目がドリルで「全攻撃がガードブレイク」という特性を持つ凄まじい重量武器。 一方で固有性能の無想乱舞などはまあ可もなく不可もなく、しかし関節技があるのでロマンはあり、といったところ。 7empiresでは螺旋弩というガトリング砲に持ち替えたが、こちらも癖はあるがなかなか強力。稲姫最終形態。 吃音・コミュ障といった部分については流石に再現されていないが、そもそも前述の通り演義の時点でもろくに採用されていない要素なので、原作通りと言えなくもないかも。 『三国志大戦』シリーズ イラストごとにキャラ付けも能力も異なる本作だが、知勇兼備のイケメンで共通している。 旧版では2からの登場で、高知力の伏兵持ちかつ張遼の持っていた「神速の大号令」の短時間版で小出しにしやすい「刹那の神速」で大暴れ。 しかしやりすぎたあまり3ではエラッタが施され、計略も自分が相手から見えなくなる単体強化の「隠密の神速行」にされた。 新版でも同様のスペックで再登場しているが、新たに晋勢力が追加されたことでそちらでも登場。 いずれも自身の武力と速度が上がることは共通している。 また遊軍が追加された際にはそちらでも出ており、どの鄧艾を使うかでプレイヤーの頭を悩ませている。 『追記:修正だ!』(ヘッドシザーズホイップをきめながら) △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 鄧艾ナイスガイ -- 名無しさん (2017-04-26 01 51 59) 豚足が大好物で自分で料理を作ったくらい。この豚足料理は今でも中国に残ってる。そういえば地図作りのことに触れてないな。当時地図作りは相当変わった趣味で同僚から笑われていたが段谷の戦いでその有用性を大いに示した。 -- 名無しさん (2017-04-26 04 02 03) あとトウ艾をはめて殺した奴らはロクな末路を辿っていない。鍾会を反乱失敗で戦死、衛カンは皇后の讒言により処刑、胡烈は羌族の反乱で戦死、師纂はトウ艾と同時期に何故か殺された(短気で死体が傷だらけだったらしいのでたぶん怨恨) -- 名無しさん (2017-04-26 04 17 21) 有名な人だったから昔からあちこちに廟があったけど、演義とかの影響で「敵を祀るのはよろしくない」って関帝廟とかに改造されちゃったりしてるなかなかに不憫な人 -- 名無しさん (2017-04-26 11 16 27) 蜀を滅ぼした存在ではあるものの劉禅を厚遇したこと、その悲劇的な最期などから、蜀贔屓からも比較的マイナスイメージを持たれにくい印象 -- 名無しさん (2017-04-26 11 31 39) 独断専行ながらも蜀の統治は評判がよかったのか、蜀の官僚だった樊建は司馬炎に鄧艾の赦免を願い出て許されたらしい。 -- 名無しさん (2017-04-26 12 59 33) ぐう逆とかいう突然出現するパワーワード -- 名無しさん (2017-04-26 16 16 31) 蜀滅亡直後はそのゴタゴタに乗じた西南夷や旧蜀臣の反乱、呉によるハイエナが予想される状況だったわけで悠長に中央政府に指示を仰いで待ってる余裕があったかは微妙な所じゃないかな・・・実際は鍾会・姜維の乱と呉の侵攻の時期がズレてくれたおかげでどうにかなったわけだけど -- 名無しさん (2017-04-26 17 07 08) 黄皓に賄賂とかを贈って内通させたりしてたら(実際は斬ろうとして逃げられた)一発で人形劇呂蒙化してたかもね。 -- 名無しさん (2017-04-26 18 01 22) ↑2 呉の侵攻に関しては羅憲か -- 名無しさん (2017-04-26 19 59 53) ミス ↑3 呉の侵攻に関しては羅憲がギリギリ持ちこたえてくれたおかげで首の皮一枚でつながったからな。羅憲は一度司馬昭に援軍要請をしたけどこのゴタゴタのせいか送ってこれなかったからな。ちなみにようやく送ってきた援軍を率いていたのはよりにもよってトウ艾殺害の主犯者の一人である胡烈という。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 05 22) ↑4 南中に関しては霍弋がうまくまとめていたおかげで何ともなかったからな。 -- 名無しさん (2017-04-26 20 08 29) 三国志大戦2の姜維と鄧艾のストーリーは超かっこよかった -- 名無しさん (2017-04-26 21 53 02) 小前亮さんの姜維伝って小説で吃音しっかり拾ってて驚いた。異常に格好良い夏侯覇が退場してこの後の展開大丈夫かと思ったら華麗に主役奪っていったわ。胡烈が友人ポジで丘建と共に鍾会よりキャラ立って魅力的に書かれてるって優遇受けてるけど鄧艾好きは読むべき。 -- 名無しさん (2017-06-25 01 25 48) 司馬昭にとっては鄧艾、鍾会、姜維三者共倒れしてくれてよかったと思っていそう -- 名無しさん (2021-02-14 11 06 04) 鍾会は野望と器が釣り合っていないと友人から行く末を心配されていた。 -- 名無しさん (2021-02-28 01 09 32) 鍾会が反乱を起こさなくてもいずれは司馬昭に消されていた可能性が高い。 -- 名無しさん (2021-03-14 00 46 16) 強襲案が採用されて成功した魏延ってとこかな?有能だけど周りに味方がいなくて反逆者扱いされて殺されたとことか似てるし。 -- 名無しさん (2022-05-27 20 30 25) 部下の擁護が的確であるがゆえにヒドイけんについて -- 名無しさん (2022-05-27 20 44 16) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/gcfukuoka/pages/47.html
参考資料:三国志大戦Wiki CLUBSEGA博多☆ o 住所 博多区博多駅南6-7-33 o 設置 7台 (1F) o 詳細 博多といっても南の外れの方。禁煙。飲食禁止。トップローダー販売。 夕方以降は大体5~6人待ちが常に続く。一部の常連客が譲渡したR・SRを 店員さんが店内にストックし、交換してくれるようになったため, レートが合えば即時交換可能になり大幅に使い勝手が良くなった。 (トレードは終了するとの事) 駐車場のキャパが低いので車を停めれない事多し。特に土日はほとんど 満車である。8台から7台へと変更になりサーバーも1台に減り、 タイムラグは酷く(元に戻った?)なりました・・・ 大戦台は禁煙だが、戦場の絆と大戦の間に喫煙所があり、たまーに 煙たいこともしばしば。 公式大会では、大きめのモニターで見やすくなっており、その点は結構良い。 ちなみに常連客の方々はとても親切である。が、一部常連の中に、 空き台の椅子に座る・仲間がプレイしている筐体の周りに群れて騒ぐ、 などの行為がたまに見られることがあるのが残念。店員さんは、きちんと 注意していただきたい。 天神GIGO☆ o 住所 中央区天神2-7-6 DADAビル o 営業時間 10 00~25 00 o 設置 8台(3F、大型TCGが隣接してるのですぐ解る) o 詳細 天神近郊(1) 天神近郊(1)いわずと知れた天神ギーゴ。台数は8台 (モニター側に5台、ショーケースを挟んで3台)。交代ルール有るが 最近は曖昧。Rボックスもあるが小さい。トップローダー・バインダーも 売っている。禁煙…なのだが近くに灰皿置きがあるので臭いが凄いのがやや欠点。 トレードはそこそこ成立する。リプレイモニターから音が出てないよう だが単にボリュームが小さいだけ。。 ラウンドワン福岡天神店☆ o 住所 中央区天神2-6-12 o 営業時間 8 00~25 00 o 設置 4台(B1F、エスカレータ降りて右後ろ) o 詳細 天神近郊(2) 交代ルール有り。一番左側のサテだけ音が大きくなっている ので、プレイするなら注意。群雄伝をプレイする人が多いので、安定して 回ってくる時間が遅い。天神ギーゴと向かいなので好みで。 最近傍に喫煙BOX設置。でも時々サテに灰皿が…。 近隣の三店舗の中では、最も開店時間が早い。 タイトーステーション天神”アミュープラッツ”☆ o 住所 中央区天神2-6-35 サザンクロスビル 5F o 営業時間 10 00~25 00 o 設置 5台(4F) o 詳細 天神近郊(3) 交代ルール有るが自主、Rボックス有、天神GIGOから近く人も ちらほら見かける。18:00時以降は年齢確認のため、身分証明書を提示 しなくてはならない。喫煙。カードはシャッフルして排出。そのため、 同じ武将が連続して出てくることもあり。 太尉がたくさんいるモデル店~最近、4階に戻った模様。 タイトーステーション博多☆ o 住所 博多区博多駅中央街6-12 ヨドバシ博多ビル 4F o 営業時間 11 00~23 00 o 設置 4台(ヨドバシカメラ4F) o 詳細 JR博多駅近郊(1)JR博多駅筑紫口を出て右側に移動。 デイトスを抜ければ正面) 交代ルール有り。ただし自主 (混んでいる場合は整理券配布している)。一応禁煙だがすぐ裏に 喫煙可のBBHとWCCFがある。夕方から混む(近くに会社や予備校があるため)。 2階の玩具売り場にWi‐FiステーションがあるのでDS版持ってる人 は必見。2007年8月より開店時間が1時間半早くなった。メンテナンス良し。 プラボ福岡交通センター店☆ o 住所 博多区博多駅中央街2-1 o 営業時間 10 00~23 00 o 設置 8台(バスセンター7F) o 詳細 JR博多駅近郊(2)JR博多駅博多口出て右側福岡交通センタービル7F 交代ルール有り。トレード板、R箱あり、禁煙ですっきり楽しめる。 相変わらず女性君主多し。カードはシャッフルせず出荷状態のまま補充。 バスターミナルとJR博多駅が近いのでバス・電車と交通に便利。 時間によってはプレイしにくい場合があるため注意(夕方以降が混雑しやす)。 三国志大戦3稼働から4台追加で8台に。1~4サテ堀台5~8サテ交代制 セガワールド パピヨンプラザ☆ o 住所 博多区千代1-2-17 o 営業時間 10 00~24 00(平日)9 00~24 00(日・祝) o 設置 4台(2F) o 詳細 商業複合施設にある店。駐車場が大きいのので車での移動は便利。 長く遊んでも駐車料金サービスあり。交代ルール有るのか無いのか。 本やR板テーブル、待ち椅子もあるため快適。喫煙。最近改装されたが、 どこが改装されたのか不明。最近レア専用リサイクルボードというのができた。 資産が少ない、ダブりが多くていらないといった方々は行ってみる価値アリ。 近くのトイザラスにWi‐FiステーションがあるのでDS版持ってる人は 必見。メンテナンス良し。 楽市楽座箱崎店2F☆ o 住所 東区箱崎5-1-8 o 営業時間 10 00~27 00(月~木)10 00~29 00(金・土・祝前日) o 設置 4台(2F) o 詳細 交代ルール無しから有りに変更。交代ルールはプレイヤーの良心に訴える 表記で、無視して連コインできる環境。連コインを求めて開店ダッシュもアリ。 常連の連コが酷く、新カード追加後等は開店に座り損ねるとほぼ夕方まで 連コで台が空かない。ヤンキー率高し。タバコの煙がもやもやする。 夜中3時まで空いている。ドンキホーテがくっついているので買物ついでにどうぞ。 1Fにある古本屋で大戦のカード売買をしているので、一度は覗いてみるといい。 カードは二箱をシャッフルして補充。 西部スポーツガーデン☆ o 住所 西区内浜1-7-3 西部レジャーランド内 o 営業時間 10:00~AM2:00 o 設置 4台 o 詳細 連コOKなので夕方からはかなり待たないとできないこと多し。喫煙。 ショッピングモールの中のはずれにあり、隣にあるボーリング場併設の ゲーセンと間違う人が多い。バッティングセンター・空手道場併設の方。 セガワールド板付☆ o 住所 博多区西月隈6-1-51 o 営業時間 10:00~24:00 o 設置 4台(2F) o 詳細 古本屋が併設しているせいか、横山三国志全巻や蒼天航路(ただし30巻まで) やアルカディア、GAMEJAPANなど雑誌も置いているので待ち時間の暇潰しに はもってこい。交代ルール、交換掲示板有でリサイクル板も追加。喫煙。 ロッキーワールド博多店☆ o 住所 博多区半道橋2丁目6-33 o 営業時間 10:00~25:00 o 設置 4台 o 詳細 連コインOKなため人が多いとなかなか回ってこない。平日昼にホットコーヒーの 無料サービスがある。喫煙。マナーが良い時と悪い時の差が激しい場所、 不思議。 Rボックス有。WCCFの隣に場所が変更。1台目が逆光のため晴れの日は モニターがみにくいので注意。 ハイテクセガ七隈☆ o 住所 城南区七隈8丁目4-8 o 営業時間 10:00~24:00 o 設置 4台 o 詳細 ボーリングやバッティングセンター等の複合遊戯施設が併設。 場所柄から学生が非常に多い。Rボックス有。店は昔からあるゲーセンと いったイメージ。店内が暗く、格ゲーやシューティング等ビデオゲームの 筐体が多く並ぶ。大戦プレイヤーのマナーは良い。客は多いものの交代は 自主的に行われ、「待ち」はそれほど発生していない模様。 ジーカム和白店☆ o 住所 o 営業時間 年中無休 AM9:00~AM0:00 o 設置 4台 o 詳細 リサイクルBOX、トレード盤有り。後ろに格ゲーなどが置いてあるため 混んでいると若干通りにくい。 筐体の近くには過去のアルカディアやゲーム ジャパンの雑誌がある。 遊道楽和白店☆ o 住所 o 営業時間 年中無休 AM9:00~AM1:00 o 設置 4台 o 詳細 品揃えが豊富。だが店内は狭いほうで、喫煙率高。筐体付近のカウンター前には なぜか大戦1のランカー試合の動画がビデオ上映されている。 1日1回限り押印の出勤スタンプサービス制度あり。夜になると常連の奇声が 凄まじいので注意。 ジーカム和白店と非常に近い場所にあるが、こちらは 交代制なし。そのため、こっちのお店で交代を要求してトラブっている人をたまにみる。 アミューズメントMGM西新店 ☆ o 住所 早良区高取1-2-22 o 営業時間 朝8時~深夜2時まで o 設置 4台 o 詳細 商店街の真っ只中なので徒歩推奨。アミューズメントCUBE西新の閉店に伴い、 そこの君主が流れてきている。現在では早良区内唯一の設置店舗。 三台は連コ台で残り三台は通常の排出交代というルール。 サテの側に順番待ちの椅子あり。また、センモニ前には歓談用のテーブルと 椅子、リサボもある。
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/477.html
[部分編集] V&B三国志Ⅸ http //www.nicovideo.jp/watch/sm2892694 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 シナリオの設定 動画形態 紙芝居多め 登録武将 ヴィーナス&ブレイブス冥王計画ゼオライマー銀河戦国群雄伝ライ黒鋼砂ぼうずサムライ7など 史実武将の扱い 登録武将との絡みあり 投稿時期 2008年04月04日~ 投稿者名 takaman マイリスト マイリスト 関連タグ 関連サイト 備考 - [部分編集] ストーリー ようやく100年の戦いの歴史に終止符を討とうとしていた「ブラッド・ボアル」が率いるニコニコ騎士団。 だがその時世界は暗転し、気がついた時に中国大陸に降り立っていた。 そこは冥王「木原 マサキ」によって、ブラッドと同じようのに集められた英傑たちが争う世界。 当初はひっそり生きようとしていたブラッドだったが、知らず知らず戦乱に巻き込まれていくことになる。 元の世界で集い別れた盟友達と、この世界で出会いし新たな仲間と共に・・・ [部分編集] 簡単な解説 「~不死の騎士団長と、冥王の挑戦~」という序章があるので先に見てください。 スタート位置は会稽。 登録勢は戦争をモチーフにした作品が多く 歴戦ゲー界隈と言わずニコニコ動画内で滅多に見られないキャラが大勢いるのが特徴。 その量も種類も多めだが三国武将もきっちり活躍している。 ストーリーはギャグもあるが本筋はシリアス中心。 多少キャラブレイクしているキャラもいるが、野心や陰謀などで登録勢でも容赦なく死ぬ場合もある。 コメント欄 やや冗長かつ中弛みしている感および尻すぼみなところがあるのは確かだが、キャラの成長や関係性など話の作り方自体は上手いのでそういう掛け合いが好きな人にはお勧め。 -- 名無しさん (2011-05-03 10 56 32) 名前 コメント